電脳筆写『 心超臨界 』

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( マハトマ・ガンジー )

日本史 古代編 《 新宗教と後宮――イギリスの場合/渡部昇一 》

2024-08-08 | 04-歴史・文化・社会
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正田美智子嬢が皇太子妃の候補に挙がったとき、当時の岸(信介(のぶすけ))首相は、聖心女学院出のこの少女がキリスト教徒でないかどうかを確かめられたそうであるが、面白い話だと思った。美智子さんが仏教徒ならば、たとえ、いかに本格的な仏教徒でも、誰も心配しない。仏はすでに外神(とつかみ)でなくなっているからである。


『日本史から見た日本人 古代編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/04)、p158 )
2章 上代――「日本らしさ」現出の時代
――“異質の文化”を排除しない伝統は、この時代に確立した
(3) 用明(ようめい)天皇が果たした歴史的役割

◆新宗教と後宮――イギリスの場合

ここでちょっと余談に入ろう。仏教が日本では後宮から皇室に入って来たわけであるが、このように搦手(からめて)から新しい宗教が王室に入ることは、キリスト教の場合でも珍しくなかった。

たとえばケント王(イギリスで大陸に一番近い地方の王)エセルベルヒトは、対岸の強力なフランク族と縁組(えんぐみ)したいと思い、ベルサ姫を得た。しかし、この結婚の条件として、すでにキリスト教徒になっている姫の信心行為の邪魔をしないこと、というのがあった。それで、この姫は今のカンタベリの近くに小聖堂を作ってもらった。その後間もなく、ローマ法皇の委嘱を受けて、聖アウグスチヌス(『告白録』のアウグスチヌスとは別人)が、数十人の修道士を連れて、ケントに布教のため上陸して来た(597年)。

後宮がすでにキリスト教になっていたところで布教は楽であった。国王エセルベルヒト自身、3ヵ月ぐらいで改宗し、7年後にアウグスチヌスが死ぬまでには、ケント王国は完全にキリスト教化されていたのである。キリスト教の前にケントの人たちが信仰していたのは、ウォーデンなど、ゲルマンの先祖神であったが、これは放棄されてしまった。日本のようにいかなかったのである。

こんな例がいたるところにあったせいか、正田美智子嬢が皇太子妃の候補に挙がったとき、当時の岸(信介(のぶすけ))首相は、聖心女学院出のこの少女がキリスト教徒でないかどうかを確かめられたそうであるが、面白い話だと思った。美智子さんが仏教徒ならば、たとえ、いかに本格的な仏教徒でも、誰も心配しない。仏はすでに外神(とつかみ)でなくなっているからである。同じように、キリスト教も外神でなくなる日が来るであろうか。それは「共産党政権と両立する皇室が考えられるか」という問題のようにむずかしい。

しかし仏教をも摂取し、幕府とも共存し、敗戦でも生き残ってきた「日本の正統」は、どのような手綱さばきを見せるかは、今からは想像しにくい。数十年から数百年経ってみないとわからないことなのであるから。仏教でも完全に日本に溶け込むには両部神道という珍奇なプロセスを必要としたのである。
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