電脳筆写『 心超臨界 』

一般に外交では紛争は解決しない
戦争が終るのは平和のプロセスとしてではなく
一方が降伏するからである
D・パイプス

セレンディビティの予感 《 この病気も、わたしにとって必要な病気――三浦綾子 》

2024-07-17 | 07-宇宙・遺伝子・潜在意識
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
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  セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、
  予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探して
  いるものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、
  ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
  ( ウィキペディア )


「ありがたいことですね。私たちの神さまは、備えてくださる神さまなのです。いいことも悪いことも、神さまが私たちのために、ちゃんと準備してくださっているのです。私たちの目には、悪いように見えることでも、結局は、良かれと思って備えてくださっているのです。すべては神さまがお備えくださっているのですから、こんな感謝なことはございません」
( 五十嵐健治先生 )


◆この病気も、わたしにとって必要な病気

『道ありき』
( 三浦綾子、新潮社; 改版 (1980/03)、p327 )

白洋舎の五十嵐健治先生が、わたしを旭川の家に訪ねてくださったのは、小糠雨(こぬかあめ)の降るある六月の日であった。先生は秘書の金子さんと、札幌の支店長を同伴された。

ベッドに臥(ね)ているわたしのそばに立った先生は、心からの同情を示されて、憂(うれ)わしげにわたしをごらんになった。とても八十歳とは思えない、つやつやとした顔色である。

「六十代に見えます」

わたしは言った。緑と白の花模様の毛布を、わたしの上にかけてくださった。先生のお見舞の品であった。わたしは直ちに祈っていただき、賛美歌(さんびか)をうたっていただいた。賛美歌は、わたしの好きな273番であった。

  わが魂を 愛するイエスよ
  波はさかまき 風ふきあれて
  沈むばかりの この身を守り

秘書も、支店長さんもクリスチャンだった。みんな大きな声でわたしのためにうたってくださった。つづいて先生は、聖書を読んで話を聞かせてくださった。それは旧約聖書のヨナ書。

ヨナは預言者である。神に、ニネベの町に行けといわれたのに、ヨナは逃げて船に乗った。船は暴風雨と大波にあった。同船の人は、誰の罪のためにこの暴風雨にあったのか、くじを引いてみようということになった。くじを引いたところヨナにあたった。人々は、ヨナが神の命令を聞かずに逃げて来たことを知って、ヨナを海に投げ入れた。するとたちまち海はないだ。ヨナは大きな魚に飲まれて、三日三夜その腹の中にいたが魚はヨナを陸に吐き出した。ヨナはニネベに行った。そしてこの悪い町ニネベは、四十日後に亡(ほろ)びると預言した。ニネベの人々は神を恐れ、断食(だんじき)して心をあらためた。ヨナは神の命令通りに、亡びの預言をしたのだったが、神がニネベを許し、ニネベの町は助かった。ヨナは非常に怒った。預言通りにならなかったことが、恥ずかしかったからである。

「ヨナは町から出て、町の東の方に坐(ざ)し、そこに自分のために一つの小屋を作り、ニネベの町のなりゆきを見極めようと、日陰にすわっていた。時に主なる神は、ヨナを酷暑の苦痛から救うためにトウゴマ(植物名)を備えてそれを育て、ヨナの頭の上に日陰を設けた。ヨナはこのトウゴマを非常に喜んだ。ところが神は、翌日の夜明けに虫を備えて、そのトウゴマを枯らさせた。やがて太陽が出た時、神が暑い東風を備え、また、太陽がヨナの頭を照らしたので、ヨナは弱り果て、死ぬことを願った。ヨナは怒った。神は言われた。
『あなたの怒るのは良くない。あなたは労せず育てず、一夜に生じ、一夜に亡びたこのトウゴマをさえ惜しんでいる。まして私は、十二万余りの、右左をわきまえない人々を、あまたの家畜のいるこのニネベの町を惜しまないでいられようか』」

先生は、この最後の章をお読みになって、わたしに言われた。

「ありがたいことですね。私たちの神さまは、備えてくださる神さまなのです。いいことも悪いことも、神さまが私たちのために、ちゃんと準備してくださっているのです。私たちの目には、悪いように見えることでも、結局は、良かれと思って備えてくださっているのです。すべては神さまがお備えくださっているのですから、こんな感謝なことはございません」

先生は、旭川に宿をとられ、網走(あばしり)方面、稚内(わっかない)方面と講演に出向かれた。そしてその暇を縫って、わたしの所に三度訪ねてくださった。いよいよお別れの時、先生はわたしの手を握って、目をうるまされた。後にわたしが全快してから、先生はこの時のことをおっしゃった。

(かわいそうに、もう余命いくばくもないことだろう)

そう思って、思わず涙ぐまれたというのである。

先生のヨナのお話は、わたしの心にこたえた。すべては神が備えてくださっているのだ。この病気も、わたしにとって必要な病気なのにちがいない。

(三浦さんのことだって、きっと備えてくださっているのだ)

不必要なものを神は与えないはずである。わたしはもっと神に信頼して、神の与え給うままに受けていけばよいのだと、思うことができた。五十嵐先生にお会いしたら、きっと三浦光世のことも何らかのことを示されるに違いないと期待していたわたしは、ヨナの話で、自分なりに解決が与えられたような気がした。


◆もっとも豊かに祝福される

『愛をこめて生きる』上映渡辺和子、PHP文庫、p88 )
『マザー・テレサへの旅路』神渡良平、サンマーク文庫、p213 )

ニューヨーク大学リハビリテーション研究所の壁に書き残されていたある患者の詩

  大きなことを成し遂げるために
  力を与えてほしいと神に求めたのに
  謙遜を学ぶようにと 弱さを授かった

  偉大なことができるように
  健康を求めたのに
  よりよきことをするようにと 病気を賜った

  幸せになろうとして
  富を求めたのに
  賢明であるようにと 貧困を授かった

  世の人々の賞賛を得ようとして
  成功を求めたのに
  得意にならないようにと 失敗を授かった

  求めたものは一つとして与えられなかったが
  願いは すべて聞きとどけられた
  神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
  心の中の言い表わせない祈りは
  すべて叶えられた

  私は もっとも豊かに祝福されたのだ

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