電脳筆写『 心超臨界 』

どんな財産も誠実にまさる富はない
( シェークスピア )

組織と個人の価値観が一致したとき人は働く喜びを覚える――ピーター・ドラッカー氏

2024-06-19 | 08-経済・企業・リーダーシップ
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ドラッカーは、企業も含めたあらゆる組織は、社会的な貢献がその存在意義であることを一貫して主張している。そのため、企業にあっては、利潤動機ではなく企業の倫理性、価値観の重要性を指摘していた。組織の価値観と個人の価値観が一致したとき、人は働く喜びを覚えるのである。


◎組織と個人の価値観が一致したとき人は働く喜びを覚える――ピーター・ドラッカー氏

経済教室/野中郁次郎 一橋大学教授
「故ドラッカー氏と経営学――分析と直観がバランス」
日本社会が触発も=組織の社会的貢献を強調
( 2005.11.18 日経新聞(朝刊))

11日に死去した経営学者ピーター・ドラッカー氏の最大の功績は、
「マネジメント」など組織と経営に関する新しい概念を生み出した
ことだ。それを可能にしたのは、科学的な分析に偏らず、自らの多
彩な経験に基づく直観を重視した、卓越したバランス感覚である。


◆企業経営者が最も高く評価

高齢になってからも現役研究者として活動を続けていたピーター・ドラッカー氏が亡くなった。かつてハーバード経営大学院のセオドア・レビット教授は、英国人哲学者ホワイトヘッドの「すべての西洋哲学は、プラトンの業績の脚注に過ぎない」という言葉を例に、同じことが経営学におけるドラッカーについてもあてはまる、と彼の業績をたたえた。

経営学の研究者や企業経営の中で、彼の名前を知らない人はほとんどいないだろう。おそらく、世界の企業経営者に最も読まれているのはドラッカーの著作である。日本でも、ビジネス関係の書籍ではベストセラーの常連であり、その考えに傾倒する企業人は多い。彼は、経営だけではなく、哲学・歴史・政治・経済にも詳しく、宗教についての知識も深かった。

しかし、内容の鋭さゆえに反発もあった。彼は自らを文筆家と称し、著作は定理やモデル、脚注を取り入れた学術的スタイルをとらなかったため、「書斎の哲学者」「学者というよりジャーナリスト」といった批判を受けた。だが、それは彼の見解をきちんと分析したうえでの批判ではなく、内容の先見性を認識していないことが多かった。

彼はウィーンで育ち、若いときから教室での学業より実学志向が強かった。ギムナジウムを卒業すると17歳でドイツに移り、貿易会社での見習いをスタートに、証券アナリスト、新聞記者、英国ではマーチャント・バンカー、米国ではコンサルタントと多様な職業を経験した後、米国の大学で教えるようになった。彼の観察力・洞察力には、この高質で多彩な職業経験が生きている。

英国時代には、仕事の傍らケンブリッジ大学に出入りしてケインズの講義を聴講している。ドラッカーによれば、この講義から得るところは多かったが、「ケインズを筆頭に経済学者は商品の動きにばかり注目しているのに対し、私は人間や社会に関心を持っていることを知った」(『ドラッカー20世紀を生きて』)と、経済学の視点や方法論には違和感があったことを明らかにしている。

彼の最大の功績は、社会や企業の現場を冷徹に観察し、組織とマネジメントの概念を導き出したことにある。現在の経営において一般化している「経営戦略」「事業部制」「目標管理」「民営化」などの概念は、ドラッカーが生み出した。これらの概念は、自らの実体験と観察が基礎になり導き出された。当時の最先端企業ゼネラル・モーターズ(GM)にかかわった経験から『会社という概念』が書かれ、ゼネラル・エレクトリック(GE)やIBMなど一流企業のコンサルタントとしての活躍が名著『現代の経営』に結実し、「マネジメント」を世に広めた。

企業人の評価は高く、例えば、GEの最高経営責任者(CEO)を務めたジャック・ウェルチは、「GEについての中心的アイデアはドラッカーから得た」と言っている。また、1969年に出版された『断絶の時代』は、情報化社会への移行、「知識労働」と「知識社会」などを予見し、現在でも古さを感じさせない。さらに、93年の『ポスト資本主義社会』では、次の時代は知識が資源としての価値を持つ知識社会であることを明言し、社会における組織は、その観点からとらえ直さなければいけない転換期にあると指摘した。

発表した未来予測が次々と的中することから、ドラッカーは未来学者とも言われたが、本人はそれを否定した、自らを「ソーシャル・エコロジスト」と称した。ドラッカーが、常に社会的存在としの人間を分析の中心においていたことを見逃してはならない。そこには、論理分析的に現象をみるのではなく、直観によって認識することが重要だという姿勢が読み取れる。これは、彼のスタートが政治学の分野であり、その影響が大きかったためと考えられる。

◆分析の中心に人間の存在

初期の著作である『経済人の終わり』や『産業人の未来』は、政治的色彩が強い。しかし、ドラッカーは政治学の枠内にとどまらなかった。彼は、専門分化した個別の学問体系では限界があることを把握していた。ドラッカーの業績は、経営学の分野において語られることが多いが、改めて彼の著作を読み直せば、その鋭い分析は、歴史学の知識や政治学の概念を基盤にしていることに気づく。アリストテレス以来、政治は人間と経済とを「公共善」に向かって総合するのであって、経営学は本来政治に近い。

社会科学が対象としている人間は、意図や価値観を持ち、その実現に向かって思索し、予測し、行動し、修正し、環境の影響を受けつつ環境を変化させていく、能動的であり反省的な存在である。このような人間を対象とする政治学では、「分析」能力だけではなく文脈(状況)を洞察する「直観」の能力が重視され、多様な学問の成果を応用することが求められる。また、科学的に一般法則を導き出すことは極めて困難である。客観性を重視した分析アプローチに偏ると、人下の哲学や価値観、アートといった側面は排除され、現実から遊離する可能性がある。ドラッカーが卓越していたのは、社会現象の分析において、この「分析」と「直観」のバランスがとれていた点である。

ドラッカーは、マネジメントは実務であり、唯一絶対はなく、「値打ちは、医療と同じように科学性によってではなく患者の回復によって判断しなければならない」(新版『企業とは何か』)と述べている。経営の科学性に自信を持っていたGMは、ドラッカーの考え方を受け入れなかった。

◆日本企業に多大な影響

黙殺したGMとは対照的に、日本企業は多大な影響を受け、発展のきっかけとなった。ドラッカーは、日本が高度成長期に入る前に、経済人との交流や現場体験から経済大国となることを予見しただけでなく、品質管理の専門家であるデミングやデュランとともに、日本企業の経営改善に大きく貢献した。これは、日本の歴史や文化が、文脈依存で「感覚的」であることと無関係ではない。ユニークな特性を持った日本社会と出合うことにより、ドラッカーの発想も触発されたのである。

『ポスト資本主義社会』の「日本語版への序文」で、「本書は、おそらく他のいかなる国、いかなる読者よりも、日本と日本人にとって特別の意味を持つ」「いろいろな面で日本は、本書が論じている中心的な変化のひとつである知識社会への移行に関して、最もよく準備されている」と、日本が転換期を乗り越え、新たな社会に発展することへの期待を書いた。

ドラッカーは、企業も含めたあらゆる組織は、社会的な貢献がその存在意義であることを一貫して主張している。そのため、企業にあっては、利潤動機ではなく企業の倫理性、価値観の重要性を指摘していた。組織の価値観と個人の価値観が一致したとき、人は働く喜びを覚えるのである。

また、すでに1946年に、企業は単なる法人ではなく、公共的共同体の性格を持ち、企業の株主はステークホールダーの一人に過ぎないとも述べている(『企業とは何か』)。最近の企業倫理の欠如や市場原理を優先するM&A(合併・買収)の隆盛は、企業を社会的で永続的な存在ととらえるドラッカーの見解とは対立する面がある。われわれは、市場原理主義や効率優先の経営者がのさばる状況を容認するのではなく、経営の本質とは何か、を改めて自問すべきである。

現在の経営学は、物理学化を志向した経済学を模倣して狭義の実証主義に走るか、概念なきハウツーの氾濫(はんらん)を生み出しつつある。ドラッカーの業績を振り返れば、社会科学は、科学を志向する一方で、哲学、価値観、審美眼、アートといった要素を軽視してはならないことは明らかである。この機会に、われわれは「何であり」、「将来どうなるのか」、そして「どうあるべきか」という社会科学本来の問いを投げかけたい。
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