電脳筆写『 心超臨界 』

人生の目的は目的のある人生を生きること
( ロバート・バーン )

自分のための人生 《 頭の使い方一つで心も変わる――ウエイン・W・ダイアー 》

2024-08-04 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
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■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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誰かが死んでも人は不幸にならない。死んだという事実を知らないうちは、不幸になりようがない。つまり、不幸の原因となるのは死そのものではなく、そのできごとに対する自分自身の思いなのである。台風もそれ自体は憂鬱なものではない。憂鬱は人間特有のものだ。台風のせいで憂鬱になるというなら、憂鬱になるような思いを自分自身に言い聞かせているのである。だからと言って、自分をごまかして台風を楽しむべきだなどと言うつもりはない。ただ、こんな質問をしてみてほしい。「どうして自分は憂鬱を選ばなければいけないのだろう。憂鬱になったからといって、より効果的に台風に対処する役に立つだろうか」


『自分のための人生』〈原題:Your Erroneous Zone(錯信帯)〉
( ウエイン・W・ダイアー/渡部昇一・訳、三笠書房 (2011/7/21)、p47 )

  たとえ他人がどう考え、どう行動しようとも、自分の「自己実現」
  の本道をしっかり選択し得る能力、これが本当の偉大さの本質であ
  る。

第1章 「気」の力
3 自分の頭を支配する

◆頭の使い方一つで心も変わる

この三段論法をもっと個人的な角度から眺めるために、キャルの場合を考えてみよう。

キャルは若い幹部役員である。彼は社長からばかにされていると思っていて、ほとんど四六時中そのことを苦にしている。社長に高く評価してもらえないので、キャルは不幸なのである。

しかし、社長がキャルのことをばかだと思っているとしても、キャルがそのことを知らなかったら、それでもやはり不幸だろうか。もちろん不幸ではない。知りもしないことのために、どうして不幸になれるだろうか。

だから、社長が自分のことをどう思うかが原因で不幸になるのではない。キャル自身がどう考えるかで不幸になるのである。さらに悪いのは、キャルが自分自身の考えよりも他人の考えのほうが大切だと確信していることである。

これと同じ理屈が、あらゆるできごとやものの見方などに当てはまる。

誰かが死んでも人は不幸にならない。死んだという事実を知らないうちは、不幸になりようがない。つまり、不幸の原因となるのは死そのものではなく、そのできごとに対する自分自身の思いなのである。

台風もそれ自体は憂鬱なものではない。憂鬱は人間特有のものだ。台風のせいで憂鬱になるというなら、憂鬱になるような思いを自分自身に言い聞かせているのである。だからと言って、自分をごまかして台風を楽しむべきだなどと言うつもりはない。ただ、こんな質問をしてみてほしい。

「どうして自分は憂鬱を選ばなければいけないのだろう。憂鬱になったからといって、より効果的に台風に対処する役に立つだろうか」

私たちは、感情に対しては本人に責任がないと言われて育ってきた。三段論法ではちゃんと責任があると立証されるにもかかわらず、である。そうして、次のようなセリフをしこたま覚え、感情は自分でコントロールするものであるという事実から目をふさいできた。これまで何度も何度もくりかえし口にされてきたそういうセリフをいくつかあげてみよう。

○そう感じたんだから仕方がないでしょう。
○腹立たしいと言ったら腹立たしいんだから、説明しろなんて言わない
 でくれ。
○彼のせいで不愉快だ。

こうして、あげだしたらきりがない。

それぞれの表現の言わんとするところは、ものの感じ方に対して自分には責任がないということである。ここでこれらの言い方を書き直して正確な表現にし、そして感じ方は自分に責任があり、感情は何かについて自分が抱いた考えから生じるものであるという事実を示してみよう。

○感じ方は自分次第でどうにでもなるが、私は自分から腹を立てるほう
 を選んでしまったのだ。
○私は自分の意志で腹を立てているのだ。というのは、私はいつも自分
 の怒りで他の人たちを操ることができるからである。
○私は自分のせいで不愉快だ。

最初のリストのセリフは単なる言葉のあやにすぎないとか、私たちの文化の中で決まり文句となった言い回しでしかない、と思う人もいるかもしれない。

そういう理屈が成り立つなら、二番目のリストにあげられている言い方は、なぜ決まり文句にならなかったのだろうか。

その答えは私たちの文化の中にある。私たちの文化は最初のリストのような考え方をよしとし、二番目のリストの論理をよしとしないものなのである。

つまり、自分のものの感じ方に責任があるのは自分なのだ。人は自分が考えることを感じるものであり、またその一方でどんな事柄についても、今までとは違った考え方ができるようになるものだ。ただし、その気になれば、の話である。

考えてみるがいい。不幸になったり、落ち込んだり、傷ついたりして、いったい何の得になるだろうか。
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