電脳筆写『 心超臨界 』

心地よいサマーレインのように
ユーモアは一瞬にして大地と空気とあなたを洗い清める
( ラングストン・ヒューズ )

◆恩を仇で返した日本人学童の隔離

2024-07-11 | 05-真相・背景・経緯
§2-1 日本人移民を受け入れられなかったアメリカ
◆恩を仇で返した日本人学童の隔離


サンフランシスコ市は地震で学校が壊れたり焼失したりして、公立学校が狭くなったという理由から、黄色人種の子どもたちは公立学校から追い出され、近くに人家のなくなった焼け野原にぽつんと建っていて、子どもの通学に不適当な学校に移されることになった。しかし、当時のサンフランシスコ市の学童数は約2万5000人で、日本人児童は100人にも充(み)たなかったのだから、まったく理由にならない理由である。


『日本史から見た日本人 昭和編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/02)、p164 )
2章 世界史から見た「大東亜(だいとうあ)戦争」
――三つの外的条件が、日本の暴走を決定づけた
(1) 反米感情の“引き金”は何か

◇恩を仇で返した日本人学童の隔離

アメリカの排日移民の動きはシナ移民の排斥に引き続き、1880年代からあったのであるが、政府間でも民衆レベルでも大きな問題になっていなかった。それが急に注目をあびるようになったのは、奇(く)しくも日露戦争の翌年(1906)の二つの事件によってである。それは一つには4月18日のサンフランシスコ大地震であり、もう一つは、その年の10月11日にサンフランシスコ市教育委員会が、日本人と韓国人の児童を白人から隔離することを決定したことである。

この地震の時に、日本政府は日露戦争後の苦しい財政の中から、50万円をサンフランシスコ市に、5万円を在留邦人に見舞金として送った。この時の日本の国家予算は約5億円であったから、その1000分の1以上をサンフランシスコ市に、1万分の1以上を在留邦人に送ったことになる。今の日本の国家予算を約50兆円とすると、この割合からいけば、約500億円をサンフランシスコ市に、約50億円を約6000人の同胞に見舞金として送ったことに相当するわけだから、日本政府のアメリカと、そこにいる同胞移民に対する関心が、いかに強かったかよく分かる。

これほど多額の見舞金を出した理由は、日露戦争の際のアメリカの好意に対するお礼の意味も込められていたと思うが、主なる理由は、そこに同胞が住んでいて差別されているので、その状態をいくらかでもよくしてもらおう、という悲願が込められていたのであった。

しかし地元のカリフォルニアの白人は、有色人種のこんな悲願が通ずるような相手ではなかった。まさにこの時の地震が引き金になって、日本人・韓国人の児童の差別が実行されたのである。

サンフランシスコ市は地震で学校が壊れたり焼失したりして、公立学校が狭くなったという理由から、黄色人種の子どもたちは公立学校から追い出され、近くに人家のなくなった焼け野原にぽつんと建っていて、子どもの通学に不適当な学校に移されることになった。しかし、当時のサンフランシスコ市の学童数は約2万5000人で、日本人児童は100人にも充(み)たなかったのだから、まったく理由にならない理由である。

領事は市当局に抗議したが埒(らち)があかず、ワシントンでの外交問題にまで発展した(翌年に条件付きで撤回)。日本の上野(専一)領事が市の学務局に出した抗議文の中にも、日本人学校をこのように隔離することは、日本人を白人より劣等な人種であることを宣伝するに等しく、日本人の名誉をはなはだしく傷つけるという趣旨のことが盛りこまれていた。

日本人より前に来た清朝のクーリーたちは、そういう差別に抗議もろくにせず服した。しかし、日本人児童が伝染病患者やクーリーの子どものように隔離されることを容認することは、とりもなおさず日露戦争が無駄だったということになるから、日本としては引くに引けないところなのであった。

しかし、一般の白人たちには、日本人とシナ人の区別がつかなかったのであろう。同じ顔付きをしているのに生意気だ、ということになる。しかも、近代的武力も持っているらしい、ということで日本に対しては恐怖心もある。これがまた憎しみを煽ることは前に述べたとおりである。

ワシントンでは、ルーズベルトがカリフォルニア州のやり方が悪いことを認めていた。セオドア・ルーズベルト大統領は、議会に対しても、日本が長い間、アメリカの友好国であり、すでに欧米の一等国と同一水準であること、またサンフランシスコ地震には多大の見舞金をもらっていることを指摘して、日本人を公平に扱う必要があることを訴えている。そのカリフォルニア州をたしなめる調子は実に厳しい。アメリカ中央政府の対日協力については文句の言いようがなかった。

しかし、地元はますます強硬になった。日本人としては大統領の努力と誠意を認め、実質的な日本移民の禁止になるような条件を受け容れて妥協し、その代わり、日本人学童の隔離などという人種の劣等性を公示するような恥は避けることができ、辛うじてメンツを保った。
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