電脳筆写『 心超臨界 』

嘘と作り話の上に自己を築くことほど
この世で恥ずべきものはない
( ゲーテ )

産経新聞だけは「読者に深くおわびします」という謝罪記事を掲載、誤報の経緯を書いた――産経抄

2013-06-25 | 05-真相・背景・経緯
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【 「産経抄」産経新聞2013.06.20 】

産経新聞が創刊80周年を迎えた。その歴史については記念別冊でお読みいただくとして、当然のことながら紙面づくりがすべて順風満帆だったわけではない。忸怩(じくじ)たる思いで振りかえることも多い。昭和57年の「教科書誤報事件」がそうだった。

▼この年の6月、産経新聞など各紙がそろって文部省の教科書検定結果を伝えた。その中で、ある高校用教科書が「日本軍が(中国)華北に侵略」としていたのを、検定で「進出」に書き換えさせられたとあった。完全な誤報だった。教科書は最初から「進出」としていたのだ。

▼当時の文部省記者クラブが分担して膨大な検定資料を読み、情報交換していたためのミスだった。だが、「書き換え」は事実として独り歩きを始める。中国や韓国が「日本は歴史」を改竄(かいざん)した」などと抗議した。当時の鈴木善幸内閣は事実を確認しないまま、右往左往する。

▼あげく、宮沢喜一官房長官が「近隣諸国との友好親善を進める上で批判に耳を傾ける」という談話を発表する。誤報に基づいて隣国の圧力に屈したものだった。中国、韓国が今も、歴史認識をふりかざし日本を攻撃するのもこの「屈服」に根ざしている。

▼9月になって、この「誤報」を最初に指摘したのは、当時上智大学教授の渡部昇一氏だった。それでも他紙が誤りを認めたがらない中で、産経新聞だけは「読者に深くおわびします」という謝罪記事を掲載、誤報の経緯を書いた。4段見出しという異例の大きさである。

▼残念ながら談話は出た後だった。それでも小紙はこれを機に、歴史認識や歴史教科書問題を大きなテーマとして取り組んできた。多少とも戦後の自虐的史観の是正につながったとすれば、「名誉ある謝罪」として80年の歴史に加えていい。

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