電脳筆写『 心超臨界 』

人の心はいかなる限界にも閉じ込められるものではない
( ゲーテ )

悪魔の思想 《 的中したスターリンの思惑――谷沢永一 》

2024-07-09 | 04-歴史・文化・社会
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マルクスは、卑屈、を最も軽蔑しました。それに対して日本のマルクス主義が、おしなべてなんと甚だしく卑屈であったことでしょう。「32年テーゼ」に対する日本左翼人の極端な卑屈、これは日本思想史における国辱の情景として長く記録されるでしょう。「32年テーゼ」の毒はよく効いたし、今もまだその功能は続いているのです。


『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p46 )
第1章 こんな国家に誰がした――今も続く、スターリンの呪縛
(4) ソ連の呪(のろ)いがかけられた国・日本

◆的中したスターリンの思惑

この場合、つまり「32年テーゼ」の理論構想が築きあげられた動機としては、次のような思惑が当然に推定できます。

まず第一に、日本国内に大混乱が起こるように仕向け、日本の国力を可能なかぎり減退させること、それゆえ日本共産党の闘争意欲をかきたてるべく数千言を費やしてお尻を叩いています。

第二に、しかし、国際共産党組織(コミンテルン)の目になにも見えていなかったわけではありません。

「27年テーゼ」がブハーリンを中心とする討議の結果であったのに対して、「32年テーゼ」の場合は「スターリンの意志が強く働いたと推測されている」(昭和55年11月30日『現代マルクス=レーニン主義事典』上・社会思想社)と伊藤晃(あきら)が伝えています。

明敏なスターリンは日本共産党があんまり役にたたないことをよく知っていたはずです。スターリンは政治の悪魔的な天才でしたから、日本の国力をいやがうえにも減退させるため、国力を根底でささえる国民の気概を弱め、自信を失わせ、士気低下させ、自尊心に傷を負わせ、知勇をおとろえさせようと企みました。国民を意気喪失におとしいれようと計ったのです。

国民が沈みこんで閉口(へこ)たれて気鬱(きうつ)になって前進意欲を失い、退嬰的(たいえいてき)になって鈍重になり、駄目な性格になり潮垂(しおたれ)て無能になることを狙いました。その目的を効果的に達成するために、日本をこてんぱんに腐(くさ)したわけです。

お前たちの国は、これほどまでに遅れに遅れていて、珍妙な旧い時代の遺習をひきずっており、どこから見ても真っ当な近代社会とはいえない、腐った遺物の混(ご)った煮(に)であり、そこに生きている者たちは一人前(いっちょまえ)の近代人ではないのだぞ、という、禍々(まがまが)しい、貶(おとし)め、嘲(あざけ)り、卑(いや)しめ、罵(ののし)りの論理が展開されました。

この文書をおしいただいて読んだ日本人は、少なくとも社会の表面に浮かびあがっている知識人は、ああ日本は駄目な国なんだと意気阻喪(そそう)するだろう。日本人の精神の背骨を折り曲げ、彼らが心情的に這い蹲(つくば)り、腰を屈めて平伏の姿勢をとるように強制するのが「32年テーゼ」の目的でした。

その狙いは大部分では不発に終わり、一部分では成功したと言えましょう。健全な国民の大部分は風馬牛(ふうばぎゅう)でしたが、一部のいわゆる知識人は卑屈な負け犬となって「32年テーゼ」に叩頭(こうとう)しました。

E・H・カーの『カール・マルクス』(石平良平訳、昭和31年4月30日・未来社)に、こんな一節があります。

  それ〈学生時代〉から40年の後、彼の娘たちの一人が彼に対して、
  中でも〈貴方の最も嫌いな悪徳〉を記して欲しいと言う、厄介なヴ
  ィクトリア朝的な質問書(ケスチョネール)を提出したとき、彼はこ
  の項目の下に、明らかに真面目に、ただ一言〈卑屈〉と書き込んだ。

マルクスは、卑屈、を最も軽蔑しました。それに対して日本のマルクス主義が、おしなべてなんと甚だしく卑屈であったことでしょう。「32年テーゼ」に対する日本左翼人の極端な卑屈、これは日本思想史における国辱の情景として長く記録されるでしょう。「32年テーゼ」の毒はよく効いたし、今もまだその功能は続いているのです。
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