電脳筆写『 心超臨界 』

限界も恐怖と同じでしばしば幻想なのである
( マイケル・ジョーダン )

日本史 古代編 《 女性の時代・オカルテズム・密教——渡部昇一 》

2024-05-23 | 04-歴史・文化・社会
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藤原時代は男が武力に頼らない時代であった。武力は軽蔑されるべきものであった。尊敬されるのは、優れたフィーリングである。つまり女性的な時代なので、根本的にいって現代と同じ状況であった。そこではオカルテズムが流行する。


『日本史から見た日本人 古代編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/04)、p272 )
3章 平安朝――女性文化の確立
――日本における「成熟社会」の典型は、ここにある
(3) 平安仏教――オカルテズムの定着

◆女性の時代・オカルテズム・密教

近ごろアメリカでは、オカルテズム(おまじないとか淫祠(いんし)邪教の類(たぐ)い)が盛んだそうである。これは簡単に言ってしまえば、「理性」に対する信頼の低下が生む一つの現象といえよう。

近代的な理性は、デカルトの lumen naturale(自然の光)という概念から生じたといわれるが、つまり理性は光なので、今まで暗かったものを照らすことなのであった。かくして、近代の自然哲学から自然科学への道が開け、人智(じんち)はますます明るくなるようであった。

しかし、ハイゼンベルクの不確定性原理以来、人間の自然認識には理論的に限界があることが、科学的に証明されてしまった。その後、公害その他で、ますます「進歩」は信じ難いものになってきている。理性を磨き、その光をなるべく遠くまで及ぼそうというのは、いわば男性的原理なのであるが、それが壁に突き当たってしまった。

さらに、アメリカは強大な武力を持っていても、北ベトナムを徹底的に圧伏するわけにいかない。つまり戦争という男性的原理を十分行使できない。そういう場所では、本質的に男性的原理である「理性」は抑えられ、フィーリングとか、おまじないとかいう女性的原理のものが幅を利かせてくる。

藤原時代は男が武力に頼らない時代であった。武力は軽蔑されるべきものであった。尊敬されるのは、優れたフィーリングである。つまり女性的な時代なので、根本的にいって現代と同じ状況であった。そこではオカルテズムが流行する。

仏教は「悟り」を教えるはずのもの、あるいはそこに導くはずのものであった。「悟り」は普通、英語で enlightenment つまり「光で輝かされた状態」に入ることをいう。つまり、悟りというのは心の暗い迷いから、明るく照らされた境地に行くことなので、デカルトの理性と違うところがある。そして元来は、男性的原理である。

女は、釈迦にとっても悟りの邪魔物だった。

こういう仏教が、女性文化のところにはいってきたらどうなることになるだろうか。それは密教になる(現在の日本でも密教が流行しているのは、そのためであるといってもよい)。異様な仏像などの前で、濛々たる護摩(ごま)の煙りを焚くのは、理性の光に雲をかけるという象徴的行為といってよいと思う。
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