電脳筆写『 心超臨界 』

人生の目的は目的のある人生を生きること
( ロバート・バーン )

起承転転――伊能忠敬

2024-08-02 | 03-自己・信念・努力
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人生を春夏秋冬の季節にたとえ、今自分はどの時期にあるかを考えてみよう、ということを言う人がいる。同様に、一日の朝昼夕夜や、起承転結とみる考えもある。いずれも最後は終末を迎えるという考え方だ。よく弔辞で、「志半ばにして命を絶たれ、さぞや無念であったに違いない」という。だが、本当にそうだろうか。死の瞬間まで志に燃えていたのなら逆に本望であったというべきではないか。伊能忠敬は、人間の一生は起承転結ではなく、起承転転なのだ、という。


◆起承転転――伊能忠敬

『男の磨き方――歴史人物にみる人生の極意』
伊能忠敬の第二の人生のスタートは、人生50年といわれた当時にしては、決して早くはない。しかし、かれの考えはこうだった。

「人間は、よく起承転結という区切り方をする。年代的には、幼少年時代が起であり、青年時代が承であり、壮年時代が転であり、老年になると結といっている。しかし、わたしは違う。つまり、人生に結はないのだ。人間は生涯勉強だ。だから、人間は死ぬまで学習を続けなければならない。すなわち、人間の一生は起承転結ではなく、起承転転なのだ。最後まで命を燃料にして、めいっぱい燃え続けなければいけない。そして、すくなくとも自分の営みが、少しでも人様のお役に立つような燃え方をしなければいけない……」

この考え方は、本業を決してないがしろにしないということにつながる。つまり、起承転転の考え方によれば、

「いまは、目の前にある仕事に全身全霊を打ち込む。全力を尽くす。決して脇見をしたり、片手間仕事はしない」

という生活態度を求められる。伊能忠敬はそれを実践した。かれは、子供のときから脇見をしたり、あるいは自分の力を過信して世の中を怨むようなことは絶対にしなかった。天が与えた運命である、と考え、そのときの生きる場を大切にした。与えられた場に全力を投入し、全エネルギーを放出した。これが、かれに輝かしい第二の人生を歩ませた大きな原因だ。しかし、かれ自身は第二の人生と思っていたかどうかわからない。かれはこういったかもしれない。

人間に、第二の人生や余生などない。全部一貫した第一の人生だ。年齢など何の意味もない。わたくしは、常に好奇心と情熱を持っていきる」

ちょうど、サミュエル・ウルマンの“青春の詩”にある、

「どんなに年をとっても、その人が情熱と好奇心を持っているかぎり、それは青春なのだ」

というのと同じだ。伊能忠敬は生涯を青春として生き抜いたのである。
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