電脳筆写『 心超臨界 』

忍耐は力だ! 忍耐の時が過ぎれば
桑の葉がやがてシルクのガウンになる
( 中国のことわざ )

読むクスリ 《 ジェンナーの美談——藤田恒夫 》

2024-05-25 | 03-自己・信念・努力
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ジェンナーの発明のきっかけは、近所に住む牛の乳しぼり娘たちが牛痘にかかって手などに痘瘡ができると、もう天然痘にはならないことを見聞したところにあった。牛痘が人間の天然痘に免疫を与えるのではないか、と考えた彼は、実験に踏み切る。痘瘡にかかった牛のウミをわが子に接種し、間をおいて今度は天然痘患者のウミを接種した――学校でそう習いましたね。


◆ジェンナーの美談

『読むクスリ 27』
( 上前淳一郎、文藝春秋 (1997/06)、p242 )

1997年は丑年だが、牛の痘瘡(とうそう)にかかった人は天然痘にならないということから種痘法を発明したイギリスの医学者E・ジェンナー(1749~1823)をご存知ですね。

弱毒化した痘瘡ウィルスを、子供のうちに接種する。これによって免疫ができ、一生天然痘にならないですむ。

この発明のおかげで人類は、顔にあとが残る恐ろしいこの病気から解放された。96年6月にはWHO(世界保健機構)が凍結保存していた痘瘡ウィルスが処分され、地球上から天然痘菌はなくなった。

     *

ジェンナーの発明のきっかけは、近所に住む牛の乳しぼり娘たちが牛痘にかかって手などに痘瘡ができると、もう天然痘にはならないことを見聞したところにあった。

牛痘が人間の天然痘に免疫を与えるのではないか、と考えた彼は、実験に踏み切る。

痘瘡にかかった牛のウミをわが子に接種し、間をおいて今度は天然痘患者のウミを接種した――学校でそう習いましたね。

ところが、日本歯科大学新潟歯学部教授の藤田恒夫さんの『鍋のなかの解剖学』(風人社)を読んで、驚くべき事実を知らされた。

その本の中の『ジェンナー礼賛』という一節で藤田さんは、

「ジェンナーが我が子を実験台にしたというのは修身教育用に捏造(ねつぞう)された美談」だと書いておられるのだ。

じつはジェンナーが実験相手にしたのは、近所の貧しい家に育ったジェームス・フィップスという8歳の少年だった。

乳しぼりの娘の手にできた牛痘のウミを、少年の腕に植え付ける。1796年5月14日のことだ。

少年が牛痘に感染したことを確認したうえで、7月1日に天然痘患者のウミを接種する。

少年は発病しなかった。人類を救うことになる実験は成功したのである。

だがその間、ジェンナーは苦悩し続けたに違いない。

「5月14日から7月1日までのジェンナーの迷い、そして7月1日以降の彼の恐怖はどんなだったろう」

藤田さんは綴る。

     *

生涯「感謝とうしろめたさを感じ」続けたジェンナーは、成人後のフィップスに家を一軒買い与えた。

小さな家だったが、それがのちにジェンナー博物館の前身になったという。

少年の人権か、人類の救済か――現代の医学者にも重いテーマを突きつけるエピソードである。
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