「東京裁判史観(自虐史観)を廃して本来の日本を取り戻そう!」
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現します。
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f )
( 東京裁判史観とは → http://tinyurl.com/kkdd29p )
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《 いま注目の論点 》
★ファーウェイ 排除される理由――矢板明夫・外信部次長
【「中国点描」産経新聞 H31.01.23 】https://tinyurl.com/y9nv745z
★日韓関係
文在寅「他国責任論」を読む――田中秀臣・経済学者
【「iRONNA発」産経新聞 H31.01.21 】https://tinyurl.com/yc5p6575
★ソ連に振り回された共同宣言――川村直哉さん
【「石平のChina Watch」産経新聞 H31.01.20 】https://tinyurl.com/ydcgn6rw
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●朝鮮戦争を「山火事」に
『偽ニュースとプロパガンダ全容』https://tinyurl.com/y747qqbg
【 古森義久&黒田勝弘、産経新聞出版 (2018/11/28)、p86 】
【古森】 日本のマスコミの一部は、朝鮮戦争についての報道が曲がっていましたよね。
例えば共同通信社が毎年発行している『世界年間』では、最初に北朝鮮が韓国に攻撃を始めた1950年6月25日を「朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)」としています。
【黒田】 そうそう。開戦の経緯を明確に書いていない。
【古森】 「北朝鮮が攻めてきた」とは書かない。まるで自然発生したかのごとくです。当時の新聞は「北がどんどん攻めてきた」と書いていたのに、なぜかそうなっています。
韓国と中国が1992年に国交樹立した後、韓国が中国に抗議をしました。中国は朝鮮戦争について「アメリカ側、韓国側が攻めた」と言っていたからです。韓国の抗議に中国側が譲歩した結果、「突然発生すること」を意味する「勃発」という表現になりました。
【黒田】 まるで山火事でも起きたような表現です。
【古森】 この中国での朝鮮戦争への認識は日本での受けとめ方にも大きな影響を及ぼしていたので、少し詳しく説明させてください。私はかつて北京に産経新聞中国総局長として2年間、駐在しました。そのときの取材でこの問題を詳しく調べることになりました。
中国ではずっと義務教育の歴史教科書でも「米帝国主義が凶暴に朝鮮を侵略した」と教えてきたのです。朝鮮戦争の終わりについても、これら教科書は北朝鮮と中国の側が米帝の軍隊に連戦連勝して、「偉大な勝利を得た」と記していました。
中国全国共通の初級中学(日本の中学に相当)の歴史教科書「中国歴史第四冊」(1999年、人民教育出版社刊)は朝鮮戦争の始まりについて「抗米援朝」という題で以下のように述べていました。
「1950年、朝鮮内戦が勃発した。米帝国主義勢力は凶暴に、いわゆる『国連軍』なるものを指揮して、朝鮮に侵略した。米帝軍は38度線を越えて、一気に中国国境近くに達し、わが国(中国)の安全に重大な脅威を与えた」
冒頭の「朝鮮内戦が勃発」という表現でどちらが先に攻撃したかは曖昧にしたようにもみえますが、「米帝の侵略」という性格づけの明記のほか、これら記述の脇の挿絵の説明には「1950年、米帝国主義は15カ国の軍を従え、『国連軍』の旗印を掲げ、朝鮮民主主義人民共和国に侵入した」と書かれ、普通に読むと「米国の侵略」こそが戦争の本質という歴史解釈が明白となっています。
朝鮮戦争の経過も「中国歴史第四冊」では、中国が自国の安全に脅威を受け、さらに、北朝鮮からの要請をうけたため、義勇軍の覇権へと踏み切ったとし、「中国人民志願軍は、朝鮮軍民と肩を並べて戦い、大規模な戦闘5回にすべて勝利した」と述べていました。
同書はさらに「1953年7月、朝中人民軍の頑強な反撃で米国侵略者は『朝鮮停戦協定』に調印させられ、朝中人民は偉大な勝利を得た」と書いていました。
【黒田】 これぞ「歴史修正主義」ですね。
【古森】 これら記述には韓国軍への言及が奇妙なほど欠落していました。この点は1992年に中国と韓国が国交を樹立したあと、韓国側が中国の教科書の「朝鮮戦争は韓国軍と米軍の北への侵攻で起きた」とする記述に強硬に反対した結果が大きいということでした。
事実、92年以前の教科書では「米帝国主義は朝鮮の滅亡をたくらみ、50年6月、走狗(そうく)の李承晩(韓国大統領)をそそのかして、朝鮮北部に侵攻させた」(1981年、江西人民出版社刊の大学歴史教科書)という記述が一般的で、その後のような「朝鮮内戦が勃発」とか「朝鮮戦争が勃発」という記述は皆無でした。
アメリカについても中韓国交樹立以前は「米帝は1950年6月25日、朝鮮民主主義人民共和国に対する侵略戦争を凶暴に発動させた」(1978年、湖北人民出版社刊「中国歴史」)と侵略性をもっと強調して教えていたのです。このように全体主義国家の歴史というのは勝手なものです。日本の革新陣営も中国共産党に同調して、この種の朝鮮戦争史観を掲げていたのです。
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現します。
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f )
( 東京裁判史観とは → http://tinyurl.com/kkdd29p )
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《 いま注目の論点 》
★ファーウェイ 排除される理由――矢板明夫・外信部次長
【「中国点描」産経新聞 H31.01.23 】https://tinyurl.com/y9nv745z
★日韓関係
文在寅「他国責任論」を読む――田中秀臣・経済学者
【「iRONNA発」産経新聞 H31.01.21 】https://tinyurl.com/yc5p6575
★ソ連に振り回された共同宣言――川村直哉さん
【「石平のChina Watch」産経新聞 H31.01.20 】https://tinyurl.com/ydcgn6rw
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●朝鮮戦争を「山火事」に
『偽ニュースとプロパガンダ全容』https://tinyurl.com/y747qqbg
【 古森義久&黒田勝弘、産経新聞出版 (2018/11/28)、p86 】
【古森】 日本のマスコミの一部は、朝鮮戦争についての報道が曲がっていましたよね。
例えば共同通信社が毎年発行している『世界年間』では、最初に北朝鮮が韓国に攻撃を始めた1950年6月25日を「朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)」としています。
【黒田】 そうそう。開戦の経緯を明確に書いていない。
【古森】 「北朝鮮が攻めてきた」とは書かない。まるで自然発生したかのごとくです。当時の新聞は「北がどんどん攻めてきた」と書いていたのに、なぜかそうなっています。
韓国と中国が1992年に国交樹立した後、韓国が中国に抗議をしました。中国は朝鮮戦争について「アメリカ側、韓国側が攻めた」と言っていたからです。韓国の抗議に中国側が譲歩した結果、「突然発生すること」を意味する「勃発」という表現になりました。
【黒田】 まるで山火事でも起きたような表現です。
【古森】 この中国での朝鮮戦争への認識は日本での受けとめ方にも大きな影響を及ぼしていたので、少し詳しく説明させてください。私はかつて北京に産経新聞中国総局長として2年間、駐在しました。そのときの取材でこの問題を詳しく調べることになりました。
中国ではずっと義務教育の歴史教科書でも「米帝国主義が凶暴に朝鮮を侵略した」と教えてきたのです。朝鮮戦争の終わりについても、これら教科書は北朝鮮と中国の側が米帝の軍隊に連戦連勝して、「偉大な勝利を得た」と記していました。
中国全国共通の初級中学(日本の中学に相当)の歴史教科書「中国歴史第四冊」(1999年、人民教育出版社刊)は朝鮮戦争の始まりについて「抗米援朝」という題で以下のように述べていました。
「1950年、朝鮮内戦が勃発した。米帝国主義勢力は凶暴に、いわゆる『国連軍』なるものを指揮して、朝鮮に侵略した。米帝軍は38度線を越えて、一気に中国国境近くに達し、わが国(中国)の安全に重大な脅威を与えた」
冒頭の「朝鮮内戦が勃発」という表現でどちらが先に攻撃したかは曖昧にしたようにもみえますが、「米帝の侵略」という性格づけの明記のほか、これら記述の脇の挿絵の説明には「1950年、米帝国主義は15カ国の軍を従え、『国連軍』の旗印を掲げ、朝鮮民主主義人民共和国に侵入した」と書かれ、普通に読むと「米国の侵略」こそが戦争の本質という歴史解釈が明白となっています。
朝鮮戦争の経過も「中国歴史第四冊」では、中国が自国の安全に脅威を受け、さらに、北朝鮮からの要請をうけたため、義勇軍の覇権へと踏み切ったとし、「中国人民志願軍は、朝鮮軍民と肩を並べて戦い、大規模な戦闘5回にすべて勝利した」と述べていました。
同書はさらに「1953年7月、朝中人民軍の頑強な反撃で米国侵略者は『朝鮮停戦協定』に調印させられ、朝中人民は偉大な勝利を得た」と書いていました。
【黒田】 これぞ「歴史修正主義」ですね。
【古森】 これら記述には韓国軍への言及が奇妙なほど欠落していました。この点は1992年に中国と韓国が国交を樹立したあと、韓国側が中国の教科書の「朝鮮戦争は韓国軍と米軍の北への侵攻で起きた」とする記述に強硬に反対した結果が大きいということでした。
事実、92年以前の教科書では「米帝国主義は朝鮮の滅亡をたくらみ、50年6月、走狗(そうく)の李承晩(韓国大統領)をそそのかして、朝鮮北部に侵攻させた」(1981年、江西人民出版社刊の大学歴史教科書)という記述が一般的で、その後のような「朝鮮内戦が勃発」とか「朝鮮戦争が勃発」という記述は皆無でした。
アメリカについても中韓国交樹立以前は「米帝は1950年6月25日、朝鮮民主主義人民共和国に対する侵略戦争を凶暴に発動させた」(1978年、湖北人民出版社刊「中国歴史」)と侵略性をもっと強調して教えていたのです。このように全体主義国家の歴史というのは勝手なものです。日本の革新陣営も中国共産党に同調して、この種の朝鮮戦争史観を掲げていたのです。