電脳筆写『 心超臨界 』

ものごとの意味するところはそれ自体にあるのではなく
そのことに対する自分の心構えにあるのだ
( サンテグジュペリ )

論語 《 子曰く、上に居りて寛ならず、礼を為して敬まず 》

2024-04-19 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


◆子曰く、上(かみ)に居りて寛(かん)ならず、礼を為して敬(つつし)まず


『現代語訳 論語』
( 宮崎市定、岩波書店 (2000/5/16)、p55 )
八佾第三(41~66)

66 子曰。居上不寛。為礼不敬。臨喪不哀。吾何以観之哉。

(訓) 子曰く、上(かみ)に居りて寛(かん)ならず、礼を為して敬(つつし)まず、喪に臨んで哀(かな)しまずんば、吾れ何を以て之を観んや。

(新) 子曰く、最高の責任者、委員長がつっけんどんで、その下の進行係りが失敗だらけ、会葬者がよそよそしいといったんでは、そんな場所にはいたたまれない。

これは葬式の場合について言ったものらしい。現在の日本にだってこういう場合がないとは限らない。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 論語 《 子、韶を謂う。美を... | トップ | 論語 《 子曰く、里は仁なる... »
最新の画像もっと見る

03-自己・信念・努力」カテゴリの最新記事