電脳筆写『 心超臨界 』

人格は自らを守る守護神
( ヘラクリトス )

やはり、日本軍は盧溝橋事件に「巻き込まれた」のである――渡部昇一教授

2010-10-20 | 04-歴史・文化・社会
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渡部昇一「日本の歴史」(6)昭和篇
「『昭和の大戦』への道」
【 渡部昇一、ワック、p159 】

◆中国共産党が仕組んだ盧溝橋(ろこうきょう)事件

実際、2・26事件以後、軍の意図(いと)に逆らうような政治家は、ごく一部の例外を除いていなくなり、日本は国家社会主義への道を驀進(ばくしん)することになった。昭和12年(1937)に始まるシナ事変(日華事変)は、こうした状況の中で起こったことである。

政府をまったく無視して日本軍がシナ大陸で戦争を始め、誰もそれを止められなくったというのは、まことに遺憾(いかん)な出来事であった。明治憲法の欠陥が、ついに日本を戦争に引きずり込んだのである。

だが、このシナ事変の発端(ほったん)が、出先の日本軍が仕組んだ“侵略”であったかといえば、これは違う。敗戦後に連合軍によって行われた東京裁判は、日本を悪と決めつけるために行われたものであったから、「シナ事変の一連の出来事は、すべて日本軍の陰謀で起こされた」という主旨の判決が出た。そして、その結論がそのまま戦後の歴史観に反映された。しかし、ことはそう単純ではない。

それはシナ事変の発端となった盧溝橋(ろこうきょう)事件にしても同じである。事件の経過は次のとおりであった。

事件は、昭和12年7月7日の夜10時、盧溝橋に駐屯(ちゅうとん)していた日本軍の一個中隊に向けて、何者かが発砲(はっぽう)したことから始まった。周囲に中国軍(国民政府軍)が駐屯していたから、彼らが発砲したのではないかと思われたので、日本軍は軍使を派遣することにした。

ところが、翌8日の早朝4時、ふたたび日本軍に向けた発砲事件が起こった。さすがにこのとき日本軍は戦闘態勢に入るのだが、事件が拡大することを恐れて、直前で攻撃を中止する。すると今度は、日本軍が攻撃を始めたと思ったのか、中国軍が攻撃を開始した――これが、盧溝橋事件勃発(ぼっぱつ)の真相であった。

この経過を見てもわかるとおり、盧溝橋にいた日本軍には武力衝突を起こそうといいう姿勢はまったくない。実際、発砲を受けた中隊は、その直前に夜間演習を行っていたのだが、誤射事故が起こるのを恐れて、実弾を装填(そうてん)していなかったという。そればかりか――これは褒(ほ)められたことではないのだが――、彼らは鉄兜(かぶと)すら被(かぶ)っていなかったのである。

つまり、これは日本にとってはまったくの偶発事件であったし、また事件勃発後も、これを拡大して全面的な中国との武力対決に広げようというつもりはなかった。それは事件から4日目の7月11日に、事態収拾のために現地協定が成立したことでも分かるであろう。

さらに、盧溝橋事件については、戦後になって重大な事実が明らかになってきた。

それは、この事件が中国共産党の仕組んだワナであったということである。つまり、日本軍と国民政府軍の衝突を意図的に作り出し、両勢力を弱めて毛沢東(もうたくとう)が「漁夫(ぎょふ)の利」を得ようとしたのだ。盧溝橋の国民政府軍の中に中共軍のスパイが入り込んで、日本軍に向けて発砲したということは、公刊された中国側資料の中に記述されているし(中村粲(あきら)『大東亜戦争への道』展転社)、また、日本側でも盧溝橋事件直後、中共軍司令部に向けて「成功せり」という緊急電報が打たれたのを傍受(ぼうじゅ)したという証言が出されている(『産経新聞』平成6年9月8日夕刊)。

重要なことは、東京裁判も盧溝橋事件の論告とそれにもとづく審査を途中でやめてしまったことである。この事件の発端をよく調べると、責任が日本軍になかったことが明らかになるからだ。

やはり、日本軍は盧溝橋事件に「巻き込まれた」のである。

これに対し、「そもそも、そんなところに日本軍がいたこと自体が悪いのだ」という意見が日本で見られる。しかし、日本軍部隊は条約によって駐留を認められていたのだ。現在でも、日本や韓国には条約によってアメリカ軍が駐留している。このアメリカ軍に対し、暗夜に発砲すれば、事件が起こっても当然であろう。盧溝橋事件はそれと同じであり、また事件発生から4日後に現地協定が成立したのは褒められてよいことであった。

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