電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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日本古来の製鉄法では、鉄を溶かしたり鋳造したりする炉の火を勢いよく燃やすために、足踏み式のふいごで炉に空気を送り込んだ。「炉の両側に大きな板があり、これを足で力いっぱい踏んで炉に風を送ったんです。この足踏み式ふいごを、踏鞴といいました」。歌舞伎の舞台などで、勢い込んで相手に打ちかかったものの的を外して空足(からあし)を踏むのを、踏鞴を踏む、という。「空足を踏む恰好が、ふいごを踏む姿勢に似ているからですね」。
◆代わり番こ
『節約が明るい時代 読むクスリ 37』
( 上前淳一郎、文藝春秋 (2002/06、p85 )
「地団駄(じだんだ)踏む思い」
とか、
「地団駄を踏んで悔しがる」
といいますね。
地団太、とも書くが、辞書を引くとこんなふうに説明してある。
「怒りもがき、あるいは悔しがって、激しく地面を踏むこと」
国立国語研究所名誉所員の村石昭三さんに教えを乞うたら、
「それはね、地踏鞴(じたたら)踏(ふ)む、が変化してできた言葉なのです」
*
日本古来の製鉄法では、鉄を溶かしたり鋳造したりする炉の火を勢いよく燃やすために、足踏み式のふいごで炉に空気を送り込んだ。
「炉の両側に大きな板があり、これを足で力いっぱい踏んで炉に風を送ったんです。この足踏み式ふいごを、踏襲といいました」
歌舞伎の舞台などで、勢い込んで相手に打ちかかったものの的を外して空足(からあし)を踏むのを、踏鞴を踏む、という。
「空足を踏む恰好が、ふいごを踏む姿勢に似ているからですね」
それと同じで、怒ったり悔しがったりして地面を激しく踏むのも、ふいごを踏む姿に似ている。
「それで、地踏鞴踏む、という表現が生まれてきたのです」
だから初めは、じたたら踏む、だった。
それが、じだだ踏む、などと変化し、じだんだ踏む、になった。
そして当てる漢字も、地団駄、になったのだ。
「子供が自分の思うようにならないとき、足をばたばたやって泣きわめくのを『駄々をこねる』といいますね。それも、ここから派生した表現ではないか、という説があります」
なるほど、その子供の恰好も、じだだ踏むのと似ている。
*
「代わり番こ、というでしょう。じつは、これも踏鞴から出た言葉なんですよ」
製鉄するときには、炉に火を入れると数日間、昼夜休みなく燃やし続ける必要があった。
そのため、番子(ばんこ)と呼ばれる職人たちが代わるがわる、ふいごを踏み続けていった。
「そこから、代わり番子、という言葉が生まれ、今では『子』が接尾語の『こ』になって、代わり番こ、と書くようになったのです」
言葉というのは、まったく思いがけないところから生まれ、育ってくるものだと知るが、
「職人集団の間の専門用語だったのが、徐々に一般に広まったのですね。言葉はそういうふうに変化することも多いものなのです」
村石先生からそう教えられると、現代の産業活動からもさまざまな新語が誕生してきていることに思い当たりますね。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散『2024年8月発表:トランプ前大統領「米国を再び偉大にするための核心的公約20」』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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日本古来の製鉄法では、鉄を溶かしたり鋳造したりする炉の火を勢いよく燃やすために、足踏み式のふいごで炉に空気を送り込んだ。「炉の両側に大きな板があり、これを足で力いっぱい踏んで炉に風を送ったんです。この足踏み式ふいごを、踏鞴といいました」。歌舞伎の舞台などで、勢い込んで相手に打ちかかったものの的を外して空足(からあし)を踏むのを、踏鞴を踏む、という。「空足を踏む恰好が、ふいごを踏む姿勢に似ているからですね」。
◆代わり番こ
『節約が明るい時代 読むクスリ 37』
( 上前淳一郎、文藝春秋 (2002/06、p85 )
「地団駄(じだんだ)踏む思い」
とか、
「地団駄を踏んで悔しがる」
といいますね。
地団太、とも書くが、辞書を引くとこんなふうに説明してある。
「怒りもがき、あるいは悔しがって、激しく地面を踏むこと」
国立国語研究所名誉所員の村石昭三さんに教えを乞うたら、
「それはね、地踏鞴(じたたら)踏(ふ)む、が変化してできた言葉なのです」
*
日本古来の製鉄法では、鉄を溶かしたり鋳造したりする炉の火を勢いよく燃やすために、足踏み式のふいごで炉に空気を送り込んだ。
「炉の両側に大きな板があり、これを足で力いっぱい踏んで炉に風を送ったんです。この足踏み式ふいごを、踏襲といいました」
歌舞伎の舞台などで、勢い込んで相手に打ちかかったものの的を外して空足(からあし)を踏むのを、踏鞴を踏む、という。
「空足を踏む恰好が、ふいごを踏む姿勢に似ているからですね」
それと同じで、怒ったり悔しがったりして地面を激しく踏むのも、ふいごを踏む姿に似ている。
「それで、地踏鞴踏む、という表現が生まれてきたのです」
だから初めは、じたたら踏む、だった。
それが、じだだ踏む、などと変化し、じだんだ踏む、になった。
そして当てる漢字も、地団駄、になったのだ。
「子供が自分の思うようにならないとき、足をばたばたやって泣きわめくのを『駄々をこねる』といいますね。それも、ここから派生した表現ではないか、という説があります」
なるほど、その子供の恰好も、じだだ踏むのと似ている。
*
「代わり番こ、というでしょう。じつは、これも踏鞴から出た言葉なんですよ」
製鉄するときには、炉に火を入れると数日間、昼夜休みなく燃やし続ける必要があった。
そのため、番子(ばんこ)と呼ばれる職人たちが代わるがわる、ふいごを踏み続けていった。
「そこから、代わり番子、という言葉が生まれ、今では『子』が接尾語の『こ』になって、代わり番こ、と書くようになったのです」
言葉というのは、まったく思いがけないところから生まれ、育ってくるものだと知るが、
「職人集団の間の専門用語だったのが、徐々に一般に広まったのですね。言葉はそういうふうに変化することも多いものなのです」
村石先生からそう教えられると、現代の産業活動からもさまざまな新語が誕生してきていることに思い当たりますね。