§3 日米戦争によってアメリカは日本を侵略した
◆封印された「5・25東京大空襲」の被害
「3・10」の東京無差別爆撃の死傷者11万4711人と同「5・25(24日含む)」の死傷者7415人の被害者状況を単純比較できないのは、1945年5月24日~25日のほうが焼夷弾や被災した町の数でも比較できないほど甚大だったににもかかわらず、「5・25」の被害は今現在もほとんど封印されたままになっているからです。
『ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実』
( 水間政憲、PHP研究所 (2015/8/6)、p125 )
東京における一連の空襲被害状況を検証すると、戦争当事国のさまざまな戦時中の国家意思が垣間見えてきます。
「3・10」の東京無差別爆撃の死傷者11万4711人と同「5・25(24日含む)」の死傷者7415人の被害者状況を単純比較できないのは、1945年5月24日~25日のほうが焼夷弾や被災した町の数でも比較できないほど甚大だったににもかかわらず、「5・25」の被害は今現在もほとんど封印されたままになっているからです。
被災した町は、国会周辺が廃墟になっていただけでなく、神田・銀座・新橋・赤坂・青山・原宿・渋谷・四ツ谷・新宿・中野・吉祥寺・三鷹・池袋・高田馬場・八王子などの主だった町はすべて壊滅状態だったのです。実際「3・10」の約5倍の地域が廃墟にされました。
焼夷弾の数は24日だけで「3・10」の約2倍、25日とあわせると3倍以上になっていたことがわかるのです。襲来したB-29は、「3・10」が325機、「5・25」は464機でした(いずれも警視庁資料より)。
( 中略 )
ちなみに東京無差別「大空襲」の被災者数は約310万人、死者11万5000人以上、負傷者15万人以上、損害を受けた家屋約85万戸となっており、人類史上最大級の国家犯罪だったのです。
皇居の宮殿が焼失したことは国民が知っていることで、隠すことはできませんでした。しかし『真相箱』では、次のように放送されていました。
宮城の空襲被害
〔空襲による宮城の御被害についてお話し下さい〕
《宮内省の発表によりますと、宮城の一部が炎上しましたのは、い
ずれも昭和20年5月26日のB-29によるものであります。…
…現在陛下は、戦災を免れた小さな御殿にお住まいになっておりま
す。しかしながら宮城内の火災は、今回が特に珍しいものではあり
ません。……明治6年の東京の大火に類焼し、このときにも今回の
B-29による空襲に劣らぬ被害を蒙り、宮殿の主要な部分と付属
建築物の大部分を焼失しました》
と、宮内省の発表が26日だったのをいいことに、被災日は「5・25」だったことを隠していたのです。
◆封印された「5・25東京大空襲」の被害
「3・10」の東京無差別爆撃の死傷者11万4711人と同「5・25(24日含む)」の死傷者7415人の被害者状況を単純比較できないのは、1945年5月24日~25日のほうが焼夷弾や被災した町の数でも比較できないほど甚大だったににもかかわらず、「5・25」の被害は今現在もほとんど封印されたままになっているからです。
『ひと目でわかる「GHQの日本人洗脳計画」の真実』
( 水間政憲、PHP研究所 (2015/8/6)、p125 )
東京における一連の空襲被害状況を検証すると、戦争当事国のさまざまな戦時中の国家意思が垣間見えてきます。
「3・10」の東京無差別爆撃の死傷者11万4711人と同「5・25(24日含む)」の死傷者7415人の被害者状況を単純比較できないのは、1945年5月24日~25日のほうが焼夷弾や被災した町の数でも比較できないほど甚大だったににもかかわらず、「5・25」の被害は今現在もほとんど封印されたままになっているからです。
被災した町は、国会周辺が廃墟になっていただけでなく、神田・銀座・新橋・赤坂・青山・原宿・渋谷・四ツ谷・新宿・中野・吉祥寺・三鷹・池袋・高田馬場・八王子などの主だった町はすべて壊滅状態だったのです。実際「3・10」の約5倍の地域が廃墟にされました。
焼夷弾の数は24日だけで「3・10」の約2倍、25日とあわせると3倍以上になっていたことがわかるのです。襲来したB-29は、「3・10」が325機、「5・25」は464機でした(いずれも警視庁資料より)。
( 中略 )
ちなみに東京無差別「大空襲」の被災者数は約310万人、死者11万5000人以上、負傷者15万人以上、損害を受けた家屋約85万戸となっており、人類史上最大級の国家犯罪だったのです。
皇居の宮殿が焼失したことは国民が知っていることで、隠すことはできませんでした。しかし『真相箱』では、次のように放送されていました。
宮城の空襲被害
〔空襲による宮城の御被害についてお話し下さい〕
《宮内省の発表によりますと、宮城の一部が炎上しましたのは、い
ずれも昭和20年5月26日のB-29によるものであります。…
…現在陛下は、戦災を免れた小さな御殿にお住まいになっておりま
す。しかしながら宮城内の火災は、今回が特に珍しいものではあり
ません。……明治6年の東京の大火に類焼し、このときにも今回の
B-29による空襲に劣らぬ被害を蒙り、宮殿の主要な部分と付属
建築物の大部分を焼失しました》
と、宮内省の発表が26日だったのをいいことに、被災日は「5・25」だったことを隠していたのです。