【 このブログはメルマガ「こころは超臨界」の資料編として機能しています 】
『日本のナショナリズム』http://tinyurl.com/8faq899
【 松本健一、筑摩書房 (2010/5/8)、p133 】
◆『風と共に去りぬ』とアイリッシュ・アイデンティティ
安倍晋三氏の『美しい国へ』に拙文が引用されている。クリント・イーストウッド監督・主演の映画『ミリオンダラー・ベイビー』についての批評文である。安倍氏は愛国心の話に結びつけているが、この映画は、アメリカのナショナル・アイデンティティの物語である。
アメリカは、戦争のような危機にさいして、内部をまとめるためにどういう方法をとるか。もちろん、「外にわれわれの敵がいる」と外の敵を叩き続ければ、いちおう国内はまとまる。これが先に述べた「ハンチントンの罠」( 註* )だ。「自由の敵だ」とか、戦争中の日本に対しては「あれはファシズムである」とアメリカの外の敵を叩き、自分たちの自由・民主というアイデンティティを確立する。
しかし、そのために一方で、国内に対する文化戦略が必要となる。アメリカのばあいにはとくに映画戦略をとる。ドイツや日本と戦争を始める時期につくられたのが『風と共に去りぬ』というアメリカ内のアイルランド物語だった。主人公のスカーレットは、失意のときアイリッシュ・グリーンのドレスを着る。南北戦争で農場が焼けて、お金、自分の洋服もなくなる。レット・バトラーにお金を出させるのに会いに行くのに、着る服もない。すると焼け残ったグリーンカーテンを引きおろして、それでドレスをつくる。それを着て南北戦争で金を儲けた別れた亭主、レット・バトラーに会いに行く。その農場の名前が「タラ」。有名な「タラに帰ろう」のタラはアイルランド・ダブリン郊外の聖地名なのだ。独立運動のときに民衆が集まった北アイルランドの地名である。
スカーレットの父親のアイルランド移民はみずから開いた農場に、そういう名前をわざわざつけた。そこに焼け残ったカーテンも、わざわざアイリッシュ・グリーンになっているというわけだ。それは、何ももたずにアメリカにやってきたアイルランド移民の娘が誇り(アイデンティティ)だけを身にまとった姿を象徴している。
そのようなアメリカの内なるアイデンティティ物語として、『ミリオンダラー・ベイビー』を読むこともできる。30歳に近くなって、スーパーの店員をやっている女性が、自分のアイデンティティ確立のためにボクシングをやる。拳しかもっていないアイルランド系の女性であることを物語っている。彼女の試合で、アイリッシュ・グリーンのガウンを着るのだ。
その後すぐにはやった映画『シンデレラマン』がある。これはアイルランドからの移民が、ボクシング、つまり拳しか持たない男として、彼がいかに労働組合で支持されストライキを解決していくか、という物語である。これも、アメリカの内なるナショナル・アイデンティティ物語である。
( 註* )「ハンチントンの罠」【 同、p37 】
なお、第三のポピュリストは小泉元首相であったろう。目が国内の国民のほうにだけ向いていて、とどのつまり国民が喝采するようなイシューしか出さない。対外関係でいえば、外に敵をつくってこれを叩くというかたちにすれば、必ず国内はまとまるのである。わたしはこの戦略を「ハンチントンの罠」と呼んでいるが、これは国際政治学者のハンチントンが『文明の衝突』で述べていた論理で、国の中を一つにまとめるには外に敵をつくってそれを叩けばよい、という考え方である。まさにポピュリストがやる外交がこれで、ブッシュ大統領の対テロ戦争の戦略や、それに追随した小泉元首相の対外政策もこれと同じであった。
【 これらの記事を発想の起点にしてメルマガを発行しています 】
『日本のナショナリズム』http://tinyurl.com/8faq899
【 松本健一、筑摩書房 (2010/5/8)、p133 】
◆『風と共に去りぬ』とアイリッシュ・アイデンティティ
安倍晋三氏の『美しい国へ』に拙文が引用されている。クリント・イーストウッド監督・主演の映画『ミリオンダラー・ベイビー』についての批評文である。安倍氏は愛国心の話に結びつけているが、この映画は、アメリカのナショナル・アイデンティティの物語である。
アメリカは、戦争のような危機にさいして、内部をまとめるためにどういう方法をとるか。もちろん、「外にわれわれの敵がいる」と外の敵を叩き続ければ、いちおう国内はまとまる。これが先に述べた「ハンチントンの罠」( 註* )だ。「自由の敵だ」とか、戦争中の日本に対しては「あれはファシズムである」とアメリカの外の敵を叩き、自分たちの自由・民主というアイデンティティを確立する。
しかし、そのために一方で、国内に対する文化戦略が必要となる。アメリカのばあいにはとくに映画戦略をとる。ドイツや日本と戦争を始める時期につくられたのが『風と共に去りぬ』というアメリカ内のアイルランド物語だった。主人公のスカーレットは、失意のときアイリッシュ・グリーンのドレスを着る。南北戦争で農場が焼けて、お金、自分の洋服もなくなる。レット・バトラーにお金を出させるのに会いに行くのに、着る服もない。すると焼け残ったグリーンカーテンを引きおろして、それでドレスをつくる。それを着て南北戦争で金を儲けた別れた亭主、レット・バトラーに会いに行く。その農場の名前が「タラ」。有名な「タラに帰ろう」のタラはアイルランド・ダブリン郊外の聖地名なのだ。独立運動のときに民衆が集まった北アイルランドの地名である。
スカーレットの父親のアイルランド移民はみずから開いた農場に、そういう名前をわざわざつけた。そこに焼け残ったカーテンも、わざわざアイリッシュ・グリーンになっているというわけだ。それは、何ももたずにアメリカにやってきたアイルランド移民の娘が誇り(アイデンティティ)だけを身にまとった姿を象徴している。
そのようなアメリカの内なるアイデンティティ物語として、『ミリオンダラー・ベイビー』を読むこともできる。30歳に近くなって、スーパーの店員をやっている女性が、自分のアイデンティティ確立のためにボクシングをやる。拳しかもっていないアイルランド系の女性であることを物語っている。彼女の試合で、アイリッシュ・グリーンのガウンを着るのだ。
その後すぐにはやった映画『シンデレラマン』がある。これはアイルランドからの移民が、ボクシング、つまり拳しか持たない男として、彼がいかに労働組合で支持されストライキを解決していくか、という物語である。これも、アメリカの内なるナショナル・アイデンティティ物語である。
( 註* )「ハンチントンの罠」【 同、p37 】
なお、第三のポピュリストは小泉元首相であったろう。目が国内の国民のほうにだけ向いていて、とどのつまり国民が喝采するようなイシューしか出さない。対外関係でいえば、外に敵をつくってこれを叩くというかたちにすれば、必ず国内はまとまるのである。わたしはこの戦略を「ハンチントンの罠」と呼んでいるが、これは国際政治学者のハンチントンが『文明の衝突』で述べていた論理で、国の中を一つにまとめるには外に敵をつくってそれを叩けばよい、という考え方である。まさにポピュリストがやる外交がこれで、ブッシュ大統領の対テロ戦争の戦略や、それに追随した小泉元首相の対外政策もこれと同じであった。
【 これらの記事を発想の起点にしてメルマガを発行しています 】