ぶうちゃんのリハビリ日記  自由へ続く道

持ち前の負けず魂で、医師には不可能といわれた一日も早い社会復帰を目指すリハビリ親父の日記です。

サンディエゴの思ひ出 ①

2008-08-03 14:50:31 | 日記・エッセイ・コラム

私が倒れる前、最後に赴任したのがアメリカ西海岸の『サンディエゴ』。この街は、映画の『トップガン』の舞台にもなったアメリカ海軍最大の軍港があり、他にヨットハーバーなどがあって、非常に美しい街である。そして、何よりもの特徴は、メキシコと国境を接していることで、事実、私の住んでいたアパートから車で5分程度でメキシコの国境に着いた。良く、映画やニュースで、犯人がメキシコに逃れようとして捕まるのがここである。 私の会社は、メキシコの『ティファナ』という街の工業団地の中にあったので毎日、国境を越えて仕事をしにいき、夜はアメリカに帰るという生活をしていた。 相変わらず、どこの国へ行っても笑い話には事欠かない私です。 私がまず、アメリカを感じたのは『信号機』。アメリカの信号機は特別なものを除いて、みな、縦についている。(北海道は雪が積もって曲がらないように、縦についいているらしい。)そこで一言漏らした言葉が『映画みたいジャン』。まぁ、アメリカのイメージはこんなものしか持ち合わせておりませんでした。 着いてすぐに食料の買出しに。スーパーに行ってのカルチャーショックの数々。まず、買い物カートの大きいこと。日本のスーパーの3倍はあろうかと。 そして、一袋のでかいこと。なにしろ『ドンタコス』がセメント袋の大きさで売っていたし、チキンなんて10羽1パック。たまねぎも数にして50個一袋という具合。(このたまねぎは、私が日本に帰るまでありました。(笑))次に、ジュースやお菓子類の色のカラフルなこと。ジュースなんて、オレンジはまだ許せても、水色や紫、黄緑、ピンク、等々これがすべて、蛍光色に近い 大リーグ中継を注意深くご覧になってください。選手がたまに飲んでますから。そんな訳で、私のアメリカ生活は始まりました。--以下次号ーー

(不定期です。

コメント (8)
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