映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

悪夢のエレベーター

2009年11月11日 | 邦画(09年)
 「悪夢のエレベーター」をシネセゾン渋谷で見てきました。

 予告編を見て面白そうな映画だなとは思ったのですが、あの堀部圭亮氏の監督第1作だと聞いて腰が引けていたところ、時間がうまく合致するものが他になかったこともあり、マアいいかということで映画館に入ってみました。

 ところがどうしてどうして、なかなか面白い映画を堀部氏は制作したものだ、といたく感心いたしました。
 むろん、原作があり(TVドラマとしても取り上げられ、舞台公演も行われているそうです)、また脚本については、「鴨とアヒルのコインロッカー」を書いた鈴木謙一氏の名前が挙げられていますから(堀部氏も携わっていますが)、すべてが堀部氏の手柄に帰するものではないものの、讃辞を与えるべき人の筆頭に彼の名前が挙げられるのも確かなことでしょう! 
 なにしろ、途中で止まってしまったエレベーター内に取り残された4人についての出来事を描いた作品であることは予告編からうかがわれるところ、それが数回大きくドンデン返しされるのですから驚きました!
 
 「映画ジャッジ」の評論家の面々では、福本次郎氏は、「どんでん返しに次ぐどんでん返しで見る者の予想を裏切ろうという意図はよく理解できるが、全部二重人格の少女・香が立てたプランだったという最後の種明かしは蛇足。これでは計画自体があまりにも偶然に頼りすぎる上、後付けのこじつけのような印象を与えかねない」として50点です。
 ですが、「こじつけ」でもなんでも「種明かしは蛇足」だとしたら、ミステリーにならないでしょう!一体福本氏は何が言いたいのでしょうか?
 渡まち子氏は、「キャラが抜群に立っているのが魅力で、特に、関西弁のガラの悪い男を演じる内野聖陽がいい」として65点を与え、小梶勝男氏が、「長編初監督作としてはレベルが高く、(堀部圭亮は)才能のある人だと思う」として69点を付けているところ、さらに山口拓朗氏が、「映画のスケールがおしなべて小さいため、映画に奥深さや豪華さを求める人には物足りないかもしれない」ものの、「スリリングな展開と、軽妙な人間ドラマと、鮮やかな結末をもつ上質のミステリー。全編を貫くコメディ調の演出も魅力にあふれ、テンポよく話を転がしながら、観客を適度に楽しませ」、「お金をかけずともおもしろい映画が作れることを証明する秀作だ」として70点を与えています。私も山口氏の見解に全面的に賛成します。
 
 確かに大層面白い映画なものの、強いていえば2点ほどよくわからないことがあります。

・問題のエレベーターが設置されているマンションの管理人を過失ながら殺害してしまったと、主役の探偵(内野聖陽)が思い込んでいたところ、突然その管理人が血だらけの姿で現われたために、怖くなって探偵は管理人を殺してしまいます。
 ですが、何もそこまで描きだす必要性はないのではないでしょうか?殺人の目撃者だとの思い込みから殺してしまったとも言えますが、口封じの手段は殺人ばかりではないでしょう。
 むろん事前の計画性などないものの、探偵は結局2人も人を殺してしまうことになりますから、あまりにも救いようがありません。
 (この点は、渡まち子氏も問題にしています)

・ラストで、探偵の助手(佐津川愛美)が、依頼人(本上まなみ)の妹であることがわかります。そして、彼女は、「境界型人格障害」で殺人を犯しやすいとされます。
 ですが、果たしてそういった精神障害者が、いくら精神が不安定だからと言って、他人(姉)にかかわる殺人を犯す(浮気する義兄を殺してしまいます)ものでしょうか、この点は非常な疑問を感じます。
 まして、彼女は、一度も会ったこともない義兄の浮気相手をも最後には殺しに行こうとしますが、これでは「境界型人格障害」者は殺人鬼(無差別殺人者)だと言っているも同然になるでしょう(注)。
(こう指摘したからといって、上記の福本次郎氏のように「最後の種明かしは蛇足」とは思いません。ただ、「こじつけ」の仕方に問題があるのでは、と申し上げているのです。)

 とはいえ、久し振りで上質のミステリー映画を見たな、と楽しい気分で映画館を後にすることができました。

(注)境界型人格障害、あるいは「境界例」とは、「もともとは精神病と神経症の境界線上の病気」とされています。(斉藤環『文学の徴候』〔文藝春秋 (2004)〕P.16)。
 なお、先日見た映画「ヴィヨンの妻」の原作者・太宰治も、「境界例」の患者と言われることがあります。例えば、精神科医・町沢静夫著『ボーダーラインの心の病理』(創元社、1990)では、「太宰治の行動や情緒は、ボーダーライン(=境界例)とみてほぼ間違いない」(同書P.126)とあり、精神科医・磯部潮著『人格障害かもしれない』(光文社新書、2003)でも、「太宰治は境界性人格障害(=境界例)と自己愛生人格障害の二つの診断基準を満たしています」と述べられております(同書P.215)。

レヴィ=ストロース

2009年11月10日 | 
 Blackdogさんが新しく作ったブログでは、先日亡くなったフランスの文化人類学者レヴィ=ストロースのことが取り上げられています。

 丁度日本でも、レヴィ=ストロースの畢生の大著『神話論理』の翻訳本の最終巻「裸の人2」が出版される直前にもかかわらず、彼の訃報を聞き、とても残念に思いました。
 Blackdogさんが言うように、彼は、「『最後の巨匠』と呼ぶにふさわしい威厳を保ち続け」つつ、「めまぐるしく変転してきたフランスの思想界を生き抜」いた巨人なのでしょう。

 Blackdogさんのブログでは、メルロ=ポンティとの交遊を巡る興味深いエピソードが紹介されていますが、エリボンとの対談で構成されている『遠近の回想(De près et de loin:1988)』(竹内信夫訳、みすず書房、1991)でも、レヴィ=ストロースは、メルロ=ポンティに数カ所触れています。

 例えば、彼をコレージュ・ド・フランスの教授として強く推薦したのがメルロ=ポンティだとBlackdogさんのブログにあるところ(エリボンとの対談でも、「やがて絶なんとする彼の命の最後の3ヶ月をそのために犠牲にした」とあります)、そのコレージュ・ド・フランスの開講講義の冒頭で「数字8に関するちよっと場違いな考察」をしたが、それはメルロ=ポンティが「我々二人が同じ年、つまり1908年に生まれたということを誰かに言われるのが嫌い」だったからで(「私と一緒にされてはふける、と思っていたのでしょう」)、「私は彼をじらしていた―さらには恐れさせていたのです。今に生まれ年が同じだという話になるぞ、ってね」、と「茶目っけ」たっぷりに述べています。

 なお、内田樹氏は、11月4日のブログ記事「追悼レヴィ=ストロース」で、次のように述べています。「ボーヴォワールとメルロー=ポンティとレヴィ=ストロースはアグレガシオンの同期」で、「その試験のとき、私の想像では、ボーヴォワールとメルロー=ポンティとサルトルは「つるんで」」いたのに対して、「パリ大学出のレヴィ=ストロースはこのエコール・ノルマル組からある種の「排他性」と「威圧感」を感じたはずであ」るが、「とにかく、アグレガシオンの試験が1930年前後で、レヴィ=ストロースがサルトルの世界的覇権に引導を渡したのが1962年『野生の思考』においてのことであったから、ざっと30年かけて、レヴィ=ストロースは「そのとき」の試験会場で高笑いしていたパリのブルジョワ秀才たちに壮絶な報復を果たしたので あった。すごい話である」。

 マア、偉大な人は、そのエピソードも桁外れなものになるということなのかもしれません!

 なお、レヴィ=ストロースの著作でもまだ本邦未訳のものがいくつかあり、特に『大山猫の物語』(1991)の刊行が待たれるところです。


ブログパーツ

空気人形

2009年11月08日 | 邦画(09年)
 「空気人形」を渋谷のシネマライズで見てきました。

 「韓流」映画の評論も手がける経済学者の田中秀臣氏(上武大学教授:リフレ派ということで同じ大学の池田信夫氏からヨク批判されます)が、この映画についてブログに書いていることもあり、また、主演女優ペ・ドゥナについて雑誌の特集(『ユリイカ』10月臨時増刊号)もあったりして、この映画は是非見てみたいと思っていました。

 物語自体は簡単です(原作は、業田良家氏の短編漫画)。板尾創路が愛用する空気人形(いわゆるダッチワイフ)が、突然心をもってしまい、昼間は人間(韓国女優ペ・ドゥナが扮します)となってレンタルビデオ店で働き、そこの若い店員(ARATA)を愛するようになるものの、最後は儚くゴミのように廃棄されてしまう、といったストーリーです。

 なんといってもこの映画で評価すべきは、主演女優ペ・ドゥナの演技の素晴らしさでしょう。その設定から、彼女のヌードシーン(人形の自分に自分で空気を入れて人間になるときなど)やセックスシーン(空気孔にARATAが息を吹き込む)が何回も映し出されますが、どのシーンも大層美しく、また街を歩いたり人とコミュニケーションをとったりするときの仕草に、人形としての純粋さ、汚れのなさがよく表されていて、これは余人をもって代え難いのでは、と思えてきます。
 また、彼女を取り巻くのは大部分が男優ですが、なかでも空気人形を製作している人形師役のオダギリジョーがいい味を出しています(女優では、やはり余貴美子がよかったと思います)。

 こうした点は、渡まち子氏も同じように指摘しているところです。すなわち、渡氏は、映画の「独特の世界観を支えているのが人形という難役を演じる韓国人女優ペ・ドゥ ナだ。たどたどしい日本語が、初めて世界を知る人形の心情に見事にフィットする。何よりも透明感溢れるエロティシズムを醸し出す彼女の演技は、大胆かつ繊細で、素晴らしいとしか言いようがない」として90点もの高得点を与えています。

 ただ、この映画は、人形に「心」が宿ってしまう様を描いていますから、単なるSFファンタジーとしてではなく、より深いところで受け止めるべきだ、という思いにも囚われるところです。

 たとえば、福本次郎氏は、「映画は、無垢な心を持った人形が体験する誕生と死、愛と別れを通じて、人生の苦悩を圧倒的な閉塞感で描く。将来の展望や夢がなくても命ある限り生活ていかなければならない、そんな人々の現状をあるがままに受け入れる姿勢は、押し付けがましさがなくて心地よい」として60点を与えています。
 また、先の渡氏も、「他人とつながることへの切望。それゆえの孤独。物語は深淵で稀有なもの」と、述べています。

 とはいえ、この映画を見て、「人生の苦悩を圧倒的な閉塞感で描く」とするのはお角違いではと思えます。空気人形が心をもって至極軽く街を歩いている様を見れば、「人生の苦悩」などとは全く別の地点にいることがわかります。さらに、渡氏のように、「深淵」と言ってしまうと、この映画の良さが失われてしまうのでは、と思えます。

 そうしたこともあってか、小梶勝男氏は、この映画は「一種の特撮映画、あるいは「フランケンシュタイン」などのモンスター映画の系譜につながっているのではないか」と独自の視点を挙げ、「本作では、無垢なる(空気人形の)存在は「恐怖」とだけ受け止められるわけではない。町の様々な人々に、様々な形で関係していく。その様々な関係の有り様から、町全体が「孤独の集積」として浮かび上がってくるのが感動的だ」として85点を与えます。

 こうした観点もむろんアリでしょうが、もっと単純に、人間になった人形と元から人間との交流を描いた現代のお伽話としてみてはどうでしょうか?

 確かに、この映画に登場する人間は皆、人とのコミュニケーションがうまくできないようです。例えば、昼間はレストランで働いて、そこの若い店長から怒鳴られ、それでもハイハイと従わざるを得ない板尾創路。家に帰れば人とは口をききたくないのでしょう、人間になった空気人形に、元の人形に戻ってくれと要求します。
 といっても、こうした人たちを深刻に捉えることもないのでは、とも思います。そういう行動をとることでバランスを取っているのでしょうから、ありうべきコミュニケーションが欠けている、これは現代の深刻な問題だと声高に言ってみても、何の解決にもなりません。

 実際には、ファンタジーとしても、この映画には様々な問題が見つかります。
 たとえば、人形が心を持つことが、どうして人間と同様に行動することにつながるのか、心をもった人形は、なぜ日本語を話し街を歩き、果てはビデオショップで働いたりすることができるのか、そこまで理解しているのであれば、若い店員(ARATA)の腹に穴をあけて空気を出そうとしたり、逆に口から空気を入れて膨らまそうとするのか、等々。

 ですが、映画を見ている最中は、そんな問題など全然気になりもしません。ペ・ドゥナと一緒になって、街をうろついたり、船に乗って佃島ウォータフロントの光景を眺めたり、随分とのどかな気持にさせられます。

 ラストで空気人形は、空気を抜かれてゴミとして廃棄されますが、そのときのペ・ドゥナの顔つきがまたとても素晴らしいので、随分設けたような気分になって映画館を後にすることができました。


ブログパーツ

「皇室の名宝」展

2009年11月06日 | 美術(09年)
 先週のことになってしまいますが、「皇室の名宝―日本美の華」(御即位20年記念特別展)の「1期」が終わりを迎えるというので、慌てて東京国立博物館に行ってきました。

 今回の展示品の目玉は、なんと言っても伊藤若冲の「動物綵絵」の30幅が一挙に見られるとことでしょう。これらの絵自体は、皇居の大手門のスグ近くにある「尚蔵館」の公開時に見たことがあります(2006年)。ただ、そのときは6枚づつ5回に分けて展示されましたから、今回のように全部が一度に見渡せるというのは、またとない機会であり、それなりの意義があることではないかと思いました(ただ、2007年に、京都の相国寺の承天閣美術館で、当初置かれたとおりに「釈迦三尊像」3幅と一緒に展示されたとのこと)。

 この「動物綵絵」の中の1つに次の絵があります。



 この「紫陽花双鶏図」については、ほぼ同様のモチーフで描かれたものがあり(下図)、若冲の個人コレクターとして著名なジョー・プライス氏のコレクションに入っていて、2006年に同じ博物館で開催された「若冲と江戸絵画」展でも展示され、その際に見たことがあります。



 ところで、これらの絵で細密に描かれている紫陽花を見ると、先日見に行った山種美術館「速水御舟」展で展示されている「翠苔緑芝」(1928年)の左半隻に描かれた紫陽花に思い至ります。



 ここでも、紫陽花の花びらが一つ一つ実に細密に描かれていて、外観は異なっていても、あるいは若冲の精神に通じるところがあるのかな、と思ったりしました。展覧会の会期が接近していると、こうした楽しみ方もあるもんだと一人で悦に入っていたわけです〔雑誌『別冊太陽 速水御舟』(2009.10)に掲載されている古田亮・東京芸大准教授の論考「写実の琳派―御舟の挑戦」では、「翠苔緑芝」の紫陽花に見られるものは、「写真のように描く技術」ではなく、「いわば細部に宿る写実」であると述べられています。尤も、11月2日の記事で取り上げた『私の速水御舟』では、「この作品の部分部分を詳細に調べて何かを論じるという方法は、作者の意に背くものである」(P.109)とありますが〕!

 今回の展覧会は人が大勢集まるだろうと考え、夜8時まで開いているという金曜日に行ってみたのですが、こうした催しには目敏い人がたくさんいますから、やはりそれぞれの絵の前では黒山の人だかりで、とても30幅全体を見渡すどころの話ではありません。
 展示方法を変えるか(モット高いところに絵を掲げれば遠くからでも見ることが出来ます)、あるいは入場制限をするか(フィレンツェのウフィッツィ美術館では、常時館内に入場している人数を700人程度に抑えています:私も4時間以上美術館の外で待たされました!)、いずれにせよ何らかの対策を取るべきではないかと思いました。

 なお、今回の展覧会では、この他、岩佐又兵衛の「小栗判官絵巻」や狩野永徳の「唐獅子図屏風」も陳列されています。特に、岩佐又兵衛については、2004年に千葉市立美術館で開催された「岩佐又兵衛」展を見て以来ですから、絵巻に大きく描かれている閻魔大王を見ると随分と懐かしさを感じました。何しろ、その次の年に岩波ホールで上映されたドキュメンタリー映画「山中常磐」(自由工房)も見に行ったくらいですから!


ブログパーツ

ヴィヨンの妻

2009年11月05日 | 邦画(09年)
 「ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~」を日比谷のシャンテ・シネで見てきました。

 以前、山梨文学館で「ヴィヨンの妻」の自筆原稿を見たことがあり、そんな太宰治の小説をどんな風に映画にするのかと興味があり、またご贔屓の浅野忠信が出演することもあって出かけてきた次第です。

 映画では、昔の中央線が出てきたり、「きちじょうじ」とか「むさしこがねい」といった駅名まで映し出されるので、それだけで○のところ、松たか子を巡る3人の男性(浅野忠信、堤真一、妻夫木聡)といった風情で、大変面白く最後まで見ることが出来ました。

 もちろん浅野忠信に太宰治を重ね合わせても構わないものの、別にそうせずとも、優柔不断で煮え切らない今でもどこでも見かける男性が、松たか子の魅力に抗しがたく、くっついては離れ離れてはまたくっつくといった関係を続ける中に、至極真面目な鉄工所作業員・妻夫木聡とやり手弁護士の堤真一が絡み、さらには女給の広末涼子までも加わるので、つまらないはずはありません。
 設定は、確かに終戦直後となっていますが、セットがいかにもスタジオで拵えたものという感じの出来具合で、その中でこうしたいま旬の俳優が、食糧難で痩せ衰えているわけでもなく動き回りますから、何だか現代劇を見ているようです(松たか子も、生活に草臥れた雰囲気など微塵もなく、健康優良児そのものです。中野の小料理屋に集まってくる常連客も、皆恰幅の良い人ばかりです!)。

 だからこの映画が問題だというわけでは決してなく、こうした様子に現代劇を見るのも良し、また終戦直後の混乱期のさまを見ても良し、ということではないかな、と思いました。

 映画評論家の意見は総じて高そうです(マアこうした映画を貶すと、評論家としての見識が疑われてしまう側面はあるのかもしれませんが)。

 前田有一氏は、主演の松たか子は「すごい。原作のヒロインの印象とは違うものの、鑑賞者に暖かい感情を抱かせるキャラクターを作り上げている」し、浅野忠信も「弱い男を魅力たっぷりに演じ、さすがの貫禄」とはいえ、「実話の映画化ではないのだから遠慮なく脚色のしようがあったような気がするのだが、実際はどこか帰結点の定まらない、中途半端な印象を受ける」として60点。おそらく、前田氏は、メッセージ性のあまりない、ラストよりも途中経過を大事にする文芸物の映画は体質的に嫌いではないでしょうか?

 福本次郎氏は、「常に「死にたい」と周囲に漏らし、弱さを積極的にさらけ出して相手を操っていく、あまりにも身勝手なのに不思議な魅力を持った作家と、彼の破天荒な生き方にじっと耐える妻の対比が鮮やかだ」として70点とこの評論家にしては高い点数を与えています。ただ、浅野忠信に太宰治を重ね合わせすぎて見ている嫌いがあるように思われます。

 渡まち子氏は、「放蕩三昧で浮気性、破滅願望が強く自分勝手なのにどこか憎めないという不思議な男を演じる浅野忠信が、素晴らしい」し、「松たか子の柳のような強さも負けずに秀逸」で、「やるせなくてしたたか、そしてどこかこっけいな、大人の恋愛映画だ」として75点を与えていますが、こんなところでしょうか。


ブログパーツ

理系・文系(補足)

2009年11月04日 | 
(総合科学技術会議で挨拶する鳩山首相〔8日午後、首相官邸〕)

イ)10月11日の記事で取り上げた日経新聞論説委員・塩谷喜雄氏のエッセイにおいては、今回の理系政権の気候変動問題に対する取り組み方に期待が寄せられているところ、10月30日の「日経Plus」に掲載された「「理系政権」見えない科学技術政策」では、「今のところ鳩山政権の科学技術に関連する目玉施策としては、2020年までに日本の温暖化ガス排出量を「1990年比で25%削減する」と打ち出したことが目を引く程度」ながら、そのことでかえって逆に、「新政権の発足後の科学技術に関連する政策は地球温暖化対策ばかりがクローズアップされ、それ以外の分野で具体的なメッセージが発信されていない」と述べられているところです。
 上手の手から水が漏れる、ということにならなければよいのですが……。

 なお、同記事では、鳩山由起夫首相や菅直人国家戦略相のみならず、「川端達夫文部科学相も京大工学部の大学院を修了後、東レで研究開発に従事した。平野博文官房長官は中央大学理工学部卒業後、松下電器産業(現パナソニック)に勤務した」とされていて、この政権では、確かに枢要なポストは“理系”が占めていて、「理系政権」と呼んでもそれほどオカシクはないようにも思われます。

ロ)古代史の分野に関しては、前日の記事でも取り上げた10月12日の記事についての「やっぱり馬好き」さんのコメントにあるように、歴史研究の分野にも「最近は理科系の学問を学んだ方々がかなり入ってきて、いろいろ発言がされ」ているところ、「歴史学などの文系分野の累積してきた学問の成果を無視する議論を平気で行う」事態となっているようです。
 これらの点については、HP「古樹紀之房間」に掲載されている宝賀寿男氏の論考「理系の見方と文系の見方」において詳細に議論されているので、是非ご覧下さい。
 ここでは取り敢えず、結論的部分だけでも引用しましょう。
 「自然科学の重要性とその最近の進歩は十分に認めるものですが、無批判なその受容は歴史学の基礎を危うくします。残念ながら、わが国で現在活躍される考古学 者や歴史学関連分野で自然科学的な手法で年代数値を発表されている研究者においては、記紀などの文献資料や神道・神祇関係の知識が乏しいか殆ど無視される 方々が多く見られます」。
 「「歴史の流れ」を無視して出てきた結論については、たとえ科学的な手法という衣をまとったものでも、十分懐疑的に批判的に様々な角度から考えていく必要性を痛切に感じています。それが「歴史分野における科学研究者」としてのバランス感覚の問題なのです。理系であれ、文系であれ、こうした総合的なバランス感覚が判断にあたって必要なことはいうまでもないはずです」。

ハ)最後に、前日取り上げました吉田武著『虚数の情緒』について補足します。
 前日触れました文章は、本書の第Ⅰ部「独りで考える為に」に書いてありますが、この第Ⅰ部は、本書のいわば助走部分に相当し、数式は登場せず数学自体の話も全くなされません。
 ですが、第Ⅱ部「叩け電卓!掴め数学!」(P.125~)から、いよいよ著者の本領が発揮され、その圧倒的な勢いは第Ⅲ部「振り子の科学」の最終ページ(P.965)まで続きます!
 そんな物凄い著作をご紹介するには、“文系”の私は全く不適任であり、また元々そんなことをしても意味がなく、1ページずつ最初から丹念に根気よく読み進んでいくしかありません。

 一点だけ申し上げると、本書は、副題に「中学生からの全方位独学法」とあるせいでしょう、八重洲ブックセンターでは、“理系”の書籍が並んでいる3階の「数学」のコーナーではなく、なんと6階の「学習参考書」のコーナーに陳列されていました!
 ですが、前日紹介しました議論からもおわかりでしょうが、本書は「中学生」にはとても歯が立たないと思われます。何より、「後書:万華鏡の話」では、「本書の企画は、平成九年夏に静岡県教育委員会の要請により、高校生の夏の合宿セミナーの講師を担当した事に始まる」とご自分で述べているくらいなのですから!
〔前々日取り上げた吉田氏の著書『私の速水御舟』も、「中学生からの日本画鑑賞法」という副題が付けられているものの、なぜそうしたかの説明は一切なされていません〕

 なお、吉田武氏の『オイラーの贈物』(ちくま学芸文庫)は、小飼弾氏がブログで「2008年のお年玉で買うべき本10冊」の一つとして薦めているところ、残念なことに、現在は絶版になっています。

ブログパーツ

またまた理系・文系―「虚数の情緒」

2009年11月03日 | 
    

 前日の記事においては、吉田武著『私の速水御舟』に触れたところ、浅学な私は全く知りませんでしたが、著者の吉田武氏は数学の世界では至極有名な方のようです。
 ネットで調べますと、希代の読書家である松岡正剛氏の「千夜千冊」の第1005夜(2005.2.16)で、この吉田氏の『虚数の情緒』(東海大学出版会、2000)が取り上げられていることがわかります。

 早速松岡氏のサイトを見てみますと、なんと吉田氏の本では「理科系と文科系に世の中を分けるな」という議論がなされているとのこと!

 実際に、吉田氏の本の該当個所にあたってみましょう。
著者は、「文化に敷居も垣根もない。ジャンルや区別があろう筈がない。全体が人間性を育む我々の最高の財産なのである。……科目が分かれているのは、全く便宜上の理由であり、そこに本質的な違いなど存在しないのである」、とはじめの方で述べます(P.56)。

 ここまでなら至極当然の議論でしょう。ところが、吉田氏は、「然し、然しである」として、「この日本に、未だどれほど蔑もうと、何処からも苦情が出ず、きわめて不本意な扱いを受けている文化がある。今更言うまでもない、数学、物理学を中心にした基礎科学である」と苦言を呈します(P.57)。要すれば、“理系”の人の扱いが、日本では適切ではないということでしょう。

 そうした事態を招く背景として、「我が国では、俗に「文系」「理系」と、恰も二種類の異なる人種がいるかの如く、極端に区別する」という点を挙げます。
 それも、「高々数学が嫌い、或いは良く解らない、という唯それだけの理由で、「私は文科系」と称する人が居る」一方で、「「数学が得意」であるとか、機械いじりが三度の飯より好きであるとか、を表明した途端に、「暗い」であるとか「オタク」であるとか、殆ど罵りに近い言葉を浴びせられる」というバランスを欠いた扱いが問題なのだ、とします。
 実際にも、「何の怨念か、数学を毛嫌いする人々が存在」していて、「彼らに言わせれば、数学が出来る人間は冷酷で、計算高く、油断のならない、極めて扱い難い人間」だとのことで、「この種の見解を陰に陽に表明する人は、意外と多い」とされます。
 こうして、「大学入試に端を発するこの大いに無意味、且つ大いに有害な区分けは、国民を真っ二つに引き裂いている」のだ、と嘆くこと頻りです(P.58)。

 ここまでであれば、実際には実力のある“理系”の人たちが冷遇されている、という巷間言われる怨嗟のようにも思われます。10月11日の記事においても、「力は拮抗しているのに、勝負は常に一方的」で、「「理」を掲げる潮流」は、「検証の厳密さや合理性の尊重ゆえに、柔軟さを欠くとして権力の座には遠かった」とする塩谷氏の見解を紹介したところです。
 また、10月12日の記事についての「やっぱり馬好き」さんのコメントにあるような、「どうも理系の方々は、文系の学問やそれを学んだ人に対して、なんらかの優越感をもっているのではないかというようにも感じ」るという見方の裏返しとして、「理系の方々」の怨嗟があるようにも思われるところです(同記事の「6」の「(注2)」も参照)。

 ただ、吉田氏はもう一歩議論を進めます。すなわち、このように「「文系」と「理系」と分けて考える二分法」は、「「天」と「地」、「彼」と「我」、「正義」と「悪」、「あれ」と「これ」」という「二分法」と同様に、「すべて西洋が生み出したもの」であるが、これに対して、「東洋は不合理を恐れず、それをそのままに一つのものとして捉える」のであり、「東洋では二分法を嫌い、統一的、絶対的立場を求めるが故に佛教が誕生した」のである、と述べます。
 そこから、「我々は、二分法の特徴、その長所を認めながらも、そこから脱し、全体を丸のみにできる包容力と大きな視野を持たねばならない」のであり、「与えられた才能を、二つに分けるのではなく、一つの大きなもの、不可分な全体として捉える能力を磨くことこそ、新世紀の諸君の課題なのである」との吉田氏の主張が導かれます。

 こうした主張は、わからないでもありません。ただ、「二分法」は「西洋」のものの見方で「統一的、絶対的立場」を求めるのが「東洋」だと考えること自体が「二分法」によってしまっているのではないか、と揚げ足を取ることもできましょうし、「理系・文系」と分けることの弊害は、「二分法」しか知らない「西洋」の方で甚だしくなると思われるところ、そんな話はあまり聞きませんし(「西洋」は、日本ほど「無頓着」ではないのかもしれませんが)、また「佛教」しか「東洋」は生み出さなかったのか、とも言いたくなっても来ます。

 ですが、そんなつまらないことは言わずに、上記した「やっぱり馬好き」さんのコメントにあるように、文系でも理系でもかまいませんが、「両方の立場からアプローチして総合的体系的合理的な結論」が得られるよう、「総合的な止揚(aufheben、アウフヘーベン)が必要」になってくることでしょう。


ブログパーツ

『私の速水御舟』

2009年11月02日 | 美術(09年)
 前日の記事においては、山種美術館で開催されている「速水御舟」展を取り上げたところ、偶々、八重洲ブックセンター8Fにある美術書のコーナーをのぞいていましたら、吉田武著『私の速水御舟』(東海大学出版会、2005.10)なる著書に遭遇しました。副題が「中学生からの日本画鑑賞法」とあり何となく胡散臭く、著者も美術の専門家ではなさそうなので躊躇したものの、類書があまりありませんから買って読んでみました。



 最初の「本書の素描」において、吉田氏は、「御舟は日本画壇の最高峰」であり、「日本画の世界に於いて、最高の独創性を示した巨人」だと最大限の賛辞を呈します。

 と言っても、この「芸術の発する霊気を全身に受けて感動する為に、作者の苦労を知る必要も無いし、歴史的位置付けを確認する義務もない」、と著者は続けます。
 すなわち、「我が国の教科書には、ただ芸術を鑑賞する為にも、それなりの理屈を要する様に書いてあ」って、「美術史では、またまた「何々主義」の詳細が説明されるだけで、作品そのものの価値を、作品に接する行為だけから判断する様には鍛えられ」ていないが、「芸術作品を如何に分析してみても、そこに本質が焙り出される訳ではない」と述べます。
 要すれば、「芸術を鑑賞する為の「最善の方法」とは、出来る限り予備知識を持たず、周囲の雑音から耳も目も塞いで、作品に一対一で対峙すること、それも写真や複製ではなく出来得る限り現物を観ることである」というわけです。

 そうであれば、早速、具体的な議論に当たってみるに如くはありません。
 本書では、速水御舟の作品から9つの絵が選び出され、論じられています。では、有名な『京の舞妓』(東京国立博物館蔵)についてはどうでしょうか?


(京の舞妓)

 この絵は、本書の第4章「『京の舞妓』の波長」で取り上げられています。
 まず、「鑑賞」という項では、この絵のモノクロ写真が掲載され、次いで「感想」と「考察」が述べられ、最後に「資料」として、制作年近辺の出来事にかかる年譜などが記載されています。即ち、「「観て・感じて・考える」という順序」に従った「正しい鑑賞法」に則って書かれているわけです。

 著者はどんな「感想」を持ったのでしょうか?
 著者によれば、この作品において御舟は、「圧倒的な技量で人物以外の周辺背景に筆を尽くしている」が、「それでも最初は確かに人物が「京の舞妓」であったのかもしれない。しかし、誠に残念ながら「波長がズレた」のであろう。その一方で、物言わぬ着物が、畳が、俺を描けと迫ってきた。……こうして「京の着物」、或いは「京の畳」は制作された。取り残された舞妓が面白かろう筈がない。そこに益々人間の心の葛藤が表出してきた。ソレが不気味さの正体である。不本意な人間の表情をここまで辛辣に切り取る為には、背景が徹底的に描かれていなければならない。その為の細密描写であり、着物であり、畳であり、花瓶なのである」とされます。

 この感想は、「不気味」な舞妓の表情のよってきたる所以までも明確に述べていて、まさに「虚心坦懐に現物に接する」という著者の独自性がヨク発揮されているのではと思われます。
 例えば、山種美術館の館長である山崎妙子氏は、同館開催の「速水御舟展」の図録において、この絵につき、「畳の目一つ一つに至るまで徹底的に細密に描かれ」ていて、「日本画の画材を用いて、可能な限り油彩画的な質感表現に迫ろうとしている。彼の視線は、人体そのものよりも、むしろそのまわりのもの、着物や壺や団扇などの細部に注がれる」と解説しています(P.21)。
 ここでは、むしろ、細密に描かれている物の方に注目してしまい、肝心の舞妓がなぜあのような顔つきをしているのかに関心が及んでいません。そうなるのは、もしかしたら、この絵では「細密描写」がなされている、という先入観念に囚われてしまっているせいなのかもしれません。

 次いで、著者は、「考察」において、「横山大観からも「悪写実」と酷評され、御舟の院展からの除名が提案されたほどである」(同上)とする従来からの説につき、これは大観の「理解の及ばぬ作品を突如として鼻面に差し出された、その瞬間に出た一種のぼやきと見るのが妥当であ」って、「恐らく、大観は程なく御舟の意図する所を理解し、その作品の意義も認めて、その歩の確かなることに安堵したものと思われる」と述べます。
 さらに、この大観と御舟の対立と見られる関係について、「革命を起こした者(=大観)が、次なる革命(=御舟の作品)を理解しない」ことと捉え、ニールス・ボーアとアインシュタインの量子力学を巡る「知的対決」になぞらえてもいます(注1)。
 こう検討した上で、著者は、「人間の不確かさ、頼りなさ、哀しさを描こうとした時、逆に物の持つ確かさ、鮮やかさが御舟の目に極めて力強く映」り、「この対比を利用すれば、人間の持つ弱さや嫌らしさが見事に浮き彫りにされるだろうと考えたのではないか」と歩を進め、しかし「写生のやり方が足りな」かったがために失敗してしまったと本人が認めたのだ、と述べます。
 この絵の細密描写は「やりすぎ」だとする通常の見方に対して、吉田氏はここでも実に独創的な見解を披露しています。

 著者の吉田氏は「本書の素描」において、「本書は、巷間言われる所の印象批評の弊、即ち「出来の悪い感想文」で終わっているかも知れない」と謙遜しますが、なかなかどうして、随所に創見が伺われ、はなはだ知的刺激に富む内容となっていて(注2)、またまた山種美術館に出向いて、月末まで開催されている「速水御舟展」を見てみようか、という気にさせられます。


(注1)吉田氏によれば、「「量子力学」に先鞭を着けた」アインシュタインは、「ボーアとハイゼンベルクにより定式化された量子力学には終生反対の立場を取り続けた」とのこと。
(注2)ただ、この本の3分の1は、「附録―日本画の絶対的定義について」の記述にあてられています。
 そこでは、「「日本画」とは、明治の開国以降、怒濤の様に押し寄せて来た西洋文化、その代表としての西洋絵画に対抗する為に作られた「新名称」であり、高々百年程度の歴史しか持たない」とする相対的・消極的な定義ではなく(P.216)、「日本画は「即非の論理」(鈴木大拙)に従って、見るものと見られるものの区別が消えた所から描かれたものである。そこには主観も無く、客観も無い。部分と全体の対立も消え失せた「無限の世界」を描くのである」とする絶対的・積極的な定義を提示します(P.224)。
 大層興味深い見解ですが、日本論や日本人論によくみかける“日本と西洋(日本でないもの)”という「二分法」にやはり囚われてしまっているのではないか、著者が言う「西洋」とはどこに具体的な対象があるのか、などと疑念が湧き、ズブの素人ながら、こうした問題に深入りしない方が良いのではと思ってしまいます。


ブログパーツ

速水御舟展

2009年11月01日 | 美術(09年)


 この10月1日にオープンした山種美術館で開催中の「速水御舟展」に行ってきました。

 山種美術館は、もとは兜町の山種証券のビルの中にあって、3、4回ほど行ったことがあります。その後10年近くは、九段の千鳥ヶ淵そばの「三番町KSビル」に入っていたところ、このほど広尾に新築したビルに移ったというわけです。

 九段にあったときはやや行き難いこともあってご無沙汰でしたが、今度の広尾は、恵比寿駅から歩いても10分足らずで随分アクセスしやすくなりました。
 それに、山種美術館といえば速水御舟で、それが開館記念につきおよそ120点もまとめて展示されるというのでは、見に行かないわけにはいきません。


(建物外観)

 付近のバス停あたりから新しい美術館を見ると、かなり高い建物(地上6階建て)となっています。これがすべて美術館なのかと思ったら、実際には、1階が受付と喫茶室、そして地下が展示場です。自然の光ではなく人工照明を使いながら、最善の環境の下で日本画を展示しようというわけでしょう。

 美術館のHPによれば、速水御舟(1894~1935)は、「40年の短い生涯におよそ700余点の作品を残し」ており、「初期の南画風の作風から、細密描写、象徴的作風、写実と装飾を融合した画風、そして水墨画へと、御舟はその生涯を通じて、短いサイクルで次々と新しい試みに挑み続け」たとのこと。
 今回の展覧会では、見るたびに感銘を受ける「炎舞」(1925)や「名樹散椿」(1929)といった人口に膾炙した作品のみならず、そうした「新しい試みに挑み続け」る彼の姿を明らかにすべく、「婦女群像」などが展示されていて、なかなか興味深いものがあります。


(炎舞)

 御舟は、1930年に10ヶ月もの間ヨーロッパ各地を歴訪して西洋の絵画を見、帰国してからはそれまであまり描いてこなかった人物画に挑戦し、その結果が未完の「婦女群像」(1934)。スケッチにすぎないながら、完成していたら必ずや素晴らしい作品になったろうにと思わせます。


(婦女群像)

 今回の展覧会は、山種美術館所蔵の御舟作品がすべて展示されるとのことで、著名な作品ばかりでなく、19歳の時の「錦木」から、死ぬ前の年に描いた「秋茄子」などの作品も展示され、それらの際だった美しさを堪能できます。

 ただ、最近発売された雑誌『別冊太陽 速水御舟』(2009.10)を見ると、他にもたくさんの優れた作品があることがわかり、そうした作品をも集めた大「速水御舟」展が開催されないものでしょうか?


ブログパーツ