映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

「夢と追憶の江戸」展

2009年11月18日 | 美術(09年)
 お昼の時間を利用して、日本橋の三井記念美術館で今月23日まで開催されている「夢と追憶の江戸」展(慶應義塾創立150年記念)を見に行ってきました。

 本展覧会は、慶応大学の名誉教授であった高橋誠一郎氏が収集した浮世絵コレクションを展示するもので、浮世絵の初期のものから明治期の末期のものまで名品が網羅されていて、浮世絵について一般人が勉強するには格好のものです。
 ただ、高橋コレクションはおよそ1500件と膨大で、今回はその中から約300件が厳選されていますが、それでも数が多いため展示も3回に分かれています。私が特に見たかったのは東洲斎写楽の浮世絵ですが、毎回展示替えがあったため、見ることができたのは第3期の「市川鰕蔵の竹村定之進」(上図)にすぎません(「三世市川高麗蔵の志賀大七」などが展示されていたそうですが、残念ながら見逃してしまいました)。
 
 写楽の絵を見たかったのは、その絵の出来栄えが素晴らしいことはもちろんですが(第2室では、写楽の浮世絵の一点だけが展示されています)、ただそれだけでなく、中野三敏氏の著書『写楽―江戸人としての実像』(中公新書、2007.2)において、写楽の実像が明確にされ、三井記念美術館に近いところにその住まいがあったらしいとわかったこともあります。
 
 同書によれば、写楽の「俗称は斎藤十郎兵衛。江戸八丁堀に住む。阿波侯の能役者」であり、それも八丁堀の「地蔵橋」のそばに住んでいたとのこと。
 
 インターネットで「地蔵橋」を調べてみると、「地蔵橋公園」なる公園があることがすぐに分かります。ですが、住所は「日本橋本町4丁目」、八丁堀というよりむしろ神田駅に近く、この公園はどうも写楽の「地蔵橋」とは関係なさそうです。

 そこで、丹念に検索をかけてみると、概略次のように書かれているブログに遭遇します。「探し当てた古地図を見ると、新亀島橋から西へ、東京駅に向かってのびる通称「桜通り」の南側に沿って3丁ほどの掘割があるが、その掘割と、今の新大橋通りから西へ1本、日本橋よりの南北に走る道―通称「鈴らん通り」―の交差するところ、そこにかの地蔵橋は架かっていた」。

 この「桜通り」は、三井記念美術館や日本橋三越が建ち並ぶ「中央通り」を南に行ったところにある日本橋高島屋のすぐ南側にあって、その両サイドに桜が植えられている道を指しています。

 早速、その「桜通り」を東に向かい、昭和通りを歩道橋で跨ぎ、新場橋を通り、該当すると思われる場所に出かけてみました。無論、わざわざ行ってみたところで、写楽=斎藤十郎兵衛が住んでいた屋敷を偲ぶよすがとなりうるものは何も見つかりません。「鈴らん通り」と交差する角に、「やき鳥・宮川」から出る煙が立ち込めているだけです。

 なお、写楽は、“謎の浮世絵師”といわれるだけあって、実像がどんな人物だったかにつきたくさんの仮説がこれまで提出されています(注1)。
 なかでも、10年ほど前に亡くなったフランキー堺氏は、俳優業の傍ら写楽研究に励み、ツイには映画〔『写楽』1995年:篠田正浩監督〕まで制作してしまいました。ネットで調べてみますと、配役について「真田広之 (とんぼ〔斎藤十郎兵衛/東洲斎写楽〕)」とありますから(注2)、テッキリこの映画は中野説を踏まえていると思ったのですが、レンタルのVTRを見てみますと、確かに、歌舞伎で宙返りなどをする裏方の「とんぼ」=写楽とされてはいるものの、肝心の「斎藤十郎兵衛」は別人の扱いとなっています。



(注1)「写楽=喜多川歌麿」説など。
ちなみに、写楽のお墓は、関東大震災前に浅草の「海禅寺」にあったと言われる一方で、四国徳島市の「東光寺」にも現にあり、なかなか特定できていないようです。
(注2)この映画は非常に生真面目に制作されているものの(がゆえに?)、共演した真田広之と葉月理緒菜との関係が騒がれただけで、今ではあまり注目されていないようです。


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