映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

サイドウェイズ

2009年11月21日 | 邦画(09年)
 「サイドウェイズ」を新宿武蔵野館で見ました。

 今日本で底堅い人気のある二人の男優、小日向文世生瀬勝久がメインで出演する映画だというので、時間もうまくマッチしたこともあり、見に行ってきました。

 見ながら、随所にちりばめられているコメディタッチの会話に笑ってしまい、さすがに二人の男優の演技はうまいと思いましたし、また共演の二人の女優、鈴木京香と菊地凛子も貫禄があったりヒョウキンだったりして存在感が出ており、これは拾い物の映画だな、と思いました。
 
 評論家諸氏も次のように評価しています。
 福本次郎氏は、「疲れた男と意地っ張りな女の、もう一歩を踏み出せない微妙な心理が繊細に描かれ」、「もはや夢や理想を追いかける年齢でもない、しっかりと地に足をつけた生活を望みつつも1人で生きていくのは寂しすぎる、でも本音を他人に知られたくない。2人ともそう思いつつ、なかなか言葉にできないもどかしさが共感を呼ぶ」として60点を付けています。
 また、小梶勝男氏は、「あのいかにもアメリカ的な映画を、主要な登場人物だけ日本人に替えてリメークするという、非常に変わった企画」だが、「これが意外に面白」く、「外国人スタッフが作ったにもかかわらず、日本人が見て違和感がないばかりか、日本映画らしい作品になって」おり、「主演の小日向文世が、情けない中年男を実に生き生きと演じている」し、鈴木京香も「美人の彼女が、ときどき中年女のちょっと怖い顔や、疲れて老け込んだ顔を見せる。そこにハッとするようなリアルさを感じた」として75点を与えています。

 ただ、見終わって暫くすると、何か物足りなさが募ってきて、こんなものでいいのかという思いに囚われ出しました。

 町田敦夫氏は、70点を与えながらも、今度の映画の「脚本には、よく言えば日本人向けのアレンジが施されており、それがゆえにいささか陳腐にもなった。エッジの利いたカリフォルニアワインに、なじみの甲州ワインをブレンドしたら、飲みやすいけどありきたりの味になってしまったというところか」と問題点を指摘しています。

 そうなのです、アメリカを舞台にして、アメリカ人の監督の下で制作しながらも、「日本人が見て違和感がないばかりか、日本映画らしい作品」になり過ぎてしまっているのではないでしょうか、周りの状況が違っていても“またあれか”の類いになってしまっているのではないでしょうか?

 有体に言えば、ご都合主義の横行といった点です。小日向文世が演じる道雄は、以前家庭教師として教えていたことのある女性に、20年も経ってから、偶々友人の結婚式で渡米した折に都合よくレストランで再会し、それも二人は丁度離婚した後で独身だというではありませんか!
 二人の間が、いわば“幼馴染”であれば、話はいとも簡単で、お互いに関心を持つまでのプロセスは全く不要となって、少し男性側が積極的になりさえすれば、ゴールはすぐそこに見えています〔これは、映画化された藤沢修平作品―主人公が一緒になったり、思いを寄せる相手は、なぜか“幼馴染”が多いように思われます(「たそがれ清兵衛」、「蝉しぐれ」、「隠し剣」)―などにもうかがわれるとこでしょう!〕。

 こうなると、この映画の粗探しを若干したくなってきます。例えば、次のような点はどうでしょうか?
・タイトルが「寄り道、脇道(sideway)」ですから、劇場パンフレットでもその点が強調され、冒頭の「Introduction」では、この映画は、「人生のちょっとした寄り道に想いを馳せる―そんな人生の折り返し点を過ぎた大人たちのためのコメディドラマ」であり、「「人生の寄り道」に、思いがけない出会いや発見があるかもしれないということ」がこの作品の「奥深いメッセージ」だと述べています。
 とはいえ、道雄は、友人の結婚式に出席するために1週間ほど渡米するわけですが、それがどうして「人生の寄り道」なのか不思議な感じがしてしまいます。シナリオスクール講師というそれまでの職を投げうって、米国で2、3年生活して新しいことをやってみようというのであれば、あるいはそうとも呼べるかもしれません。 
 ですが、痲有子(鈴木京香)に帰国を強く勧めるくらいですから、これでは単なる旅行にすぎないのではないか、単なる旅行でも「人生の寄り道」だというのならば、どの人も随分とたくさんの寄り道をしていることになりますが、などと揚げ足取りめいて言ってみたくもなってきます(注)。

・ラストで道雄は、痲有子に会おうとしてその家に向かいますが、あるいは、痲有子との再婚が「人生の寄り道」なのでしょうか〔道雄と入れ違いに痲有子は日本に行きますから、米国旅行から戻った道雄と一緒になるのでしょうか〕?
 ですが、もしかしたら、それこそが「本道」―道雄は、家庭教師時代に片想いながら痲有子に想いを寄せていたのですから―ではないのでしょうか?

・このリメイク版では、痲有子は、5年前まで「有名デパートの創業者一族の御曹司の夫人」として日本で暮らしていたことになっており、また離婚して渡米後は、ナパ・ヴァレーのワイナリーでワインを勉強し資格試験にも合格してしまい、米国でやっていける自信を持つに至ります。
 いってみれば、彼女は筋金入りの野心家であって、道雄のようなウダツの上がらない単なるシナリオライターなど眼中にないのではないでしょうか?
 それを、家庭教師のときに思いを寄せたというだけのことから道雄は彼女に迫りますが、そんなことではうまくいくはずがないのでは、と思えてなりません。言ってみれば、ラブ・ストーリーとして説得力のある設定になってはいないのでは、と思えるところです。
 ちなみに、元のハリウッド映画では、道雄に相当する人物のマイルスは、「ワインに関してはオタクといえるほどの深い知識と愛情を持っていた」との設定ですから、「ワイン好きの魅力的な女性マヤ」との恋物語も十分成立するのではないでしょうか?

 とはいえ、そんな詮索は後の祭りとも言えましょう。いくら言い募っても何の意味もありません。何しろ、映画を見ている最中には、この映画にすっかり絡めとられて堪能してしまったのですから!


(注)なお、精神科医の樺沢氏は、11月16日の「まぐまぐ」において、「タイトル「サイドウェイズ」は、名詞"sideway"で「脇道、寄り道」の意味。そして、形容詞"sideways" で「横向きの / 遠回しな、回避的な」、副詞 "sideways"で 「好色な流し目で」という意味もあ」るとして、「この1週間の自由な旅自体が、人生の「寄り道」でありながら、過去の失敗・挫折といった「遠道・遠回り」が、今の自分を築き上げている不可欠な経験であった・・・と。「Sideways」にはいろいろな意味が込められていて、「失敗」や「挫折」を経験しているほど、このテーマは伝わりやすいと思」うと述べています。
 きっとそうなのでしょう。コレだと言って特定せずに、ああでもない、こうでもないと人に考えさせるタイトルなのだな、と受け止めるべきと思われます。


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