孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ミャンマーのロヒンギャ  存在を否定された民族

2010-03-13 13:27:57 | 世相

(タイ海岸にたどりついたロヒンギャ難民 Human Rights Watch 「生死をさまよう人々」より)

【「押し返し」政策】
昨年1月に、タイ海軍が同国南部のアンダマン海で、ボートに乗ってミャンマーから逃れてきたイスラム系少数民族のロヒンギャ族の難民を縛るなどして拘束し、殴るなどの暴行を加えたあと、エンジンのない木製の小舟に乗せて十分な水・食料も与えないまま海上に放置、インドやインドネシアで救出されるまでに数百人規模の死者が出したという難民虐待問題が公になったことがあります。

この海上への「押し返し」政策について、当時発足したばかりのタイ・アピシット政権は当初その存在を否定していましたが、その後、調査を行うとの見解を示しました。
しかし、最終的にタイ政府は、話を歪めているとして報道機関を非難、そしてロヒンギャは経済目的の移住者であって難民ではなく、タイに流入してくるロヒンギャを受け入れることもできないとしています。
また、拘束するロヒンギャの大半に罰金を科し、ミャンマーに送還する準備をしているとも言われています。【Human Rights Watch 「生死をさまよう人々」より】
ロヒンギャを自国民と認めないミャンマーに送還された場合、これら不法出国者のロヒンギャ難民が虐待・投獄されることが予想されます。

【“難民に食糧が行き渡らないようにしている”】
貧困・人権侵害により生存を否定された状況にあるミャンマーやバングラデシュからのロヒンギャのボートによる脱出は、このときだけでなく毎年一定の時期に繰り返し見られる現象であり、ロヒンギャ難民の最も大きな部分を抱えるのが、ロヒンギャ居住地域と接する隣国バングラデシュです。
そのバングラデシュにおいても、“バングラデシュ政府はロヒンギャの難民に食糧が行き渡らないようにしている”“収容所の中で彼らは放置され、餓死者も出ている”と、ロヒンギャ難民の境遇は苛酷なものになっています。

*****バングラデシュ、ミャンマー少数民族の難民への弾圧を強化 報告書*****
隣国ミャンマーから流入してバングラデシュ国内にとどまっているミャンマーのイスラム教少数民族ロヒンギャの難民に対し、バングラデシュ政府が弾圧キャンペーンを展開しているとの報告書を、米団体「人権のための医師団」が9日に発表した。
これによると、バングラデシュ政府はロヒンギャの難民に食糧が行き渡らないようにしているほか、恣意(しい)的な逮捕、法律によらない国外追放、強制収容所への抑留などを行っている。
これまでに、難民登録をせずにバングラデシュに住んでいるロヒンギャ難民数万人が、仮設の収容所に強制収容された。中には数十年間、バングラデシュで暮らしてきた難民もいる。収容所の中で彼らは放置され、餓死者も出ているという。

「人道のための医師団」で調査ディレクターを務めるリチャード・ソロム氏は「この弱者の集団に住む国を与えぬまま放置し、飢えたままにしておくのは、とうてい受け入れられない」と憤っている。ソロム氏によると、最近のハイチ大地震後の子どもの栄養失調率は6%だったが、ロヒンギャの収容所にいる子どもではその3倍の18.2%にも上っているが、なんの援助もないという。
国連が世界で最も迫害されている少数民族のひとつとみなしているロヒンギャは、ミャンマー北部のラカイン州から毎年数千人単位で国境を越え、イスラム教徒が多数を占めるバングラデシュに流入している。
バングラデシュで難民として登録されたのは2万8000人で、クトゥパロンの難民キャンプに収容されているが、バングラデシュ政府はこれは氷山の一角で、未登録の難民は20~30万人いるものと推計している。同政府の弾圧強化について「人道のための医師団」の報告書は、今年予定されるミャンマー総選挙を前に、現在以上の難民流入を阻止する狙いがあることは明らかだと分析している。【3月9日 AFP】
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(タイ治安部隊に逮捕・拘引された後、南タイの海岸で仰向けにさせられているロヒンギャ。監視するタイ海軍 Human Rights Watch 「生死をさまよう人々」より)

【無国籍者】
ロヒンギャ族については、“ロヒンギャの総人口は約200万人。うちビルマ国内、主にアラカン(ヤカイン)州西部とラングーン(ヤンゴン)に留まっているのは約80万人だ。約20万人がバングラデシュで暮らし、そのうちの3万人が劣悪な状況にある難民キャンプで生活している。推計50万人が中東で、また5万人がマレーシアで移住労働者として生活しており、残りの人々は地域全体に分布している。日本に行ったり、はるばるオーストラリアまで船で渡ろうとしたりする人々もいる。ビルマ政府からビルマ国民として認められていないことが主な理由となり、ロヒンギャのほとんどは無国籍者となっている。” 【Human Rights Watch 「生死をさまよう人々」】という状況です。

ロヒンギャが難民化する経緯について、ウィキペディアを引用します。
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ロヒンギャの迫害が始まったのは1942年からである。ミャンマー軍とともにモッグ族[2]により、10万人が殺され、50万人が家を失った。 その後も迫害が続き、1978年ネ・ウイン政権のもとで「ナーガミン作戦」が行われた。これにより30万人のロヒンギャが難民としてバングラデシュにのがれた。このときは国際的な救援活動が受けられず、1万人ものロヒンギャが亡くなった。その8割は子供であった。のちに3年間ほどかかり20万人がビルマに帰国した。
しかし、1982年の市民権法が成立し、ビルマのロヒンギャは無国籍としてあつかわれるようになった。ミャンマー政府は「バングラデシュからの違法移民だ。違法だから取り締まる」という見解を示している。市民権が与えられなくなったことで、教育の機会や医療を受ける権利も剥奪された。職業も限られ、その多くは農民である。ミャンマーは税金と称し作物・米をとりたて、それを払えなければ、強制労働に従事させ、拒めば投獄されるという。さらにビルマ民族の入植もしだいにすすめられ、ロヒンギャはもとから住んでいた土地をおい出されていった。
1988年アウンサンスーチー氏らの民主化運動をロヒンギャは支持したため、ビルマ軍事政権はアラカン地方に7~8万人の軍隊を集結し、モッグ族とともに再び迫害・襲撃を開始した。また軍事施設や道路・橋を建設し始め、ロヒンギャを労働力としてこき使った。彼らは、強制労働させられるだけでなく、家の財産や家財道具・食料・家畜まで略奪され、反抗すれば暴行や強姦もうけ、場合によっては殺されるなど、残虐に扱われた[3]。その結果、1991年12月末から1992年3月にかけてロヒンギャは1~2kmの川幅のナフ川を小船で渡ったり、山々を歩いたりして、国境を超えバングラデシュにのがれた。その数は、28万人であった[4]。当時としてはカンボジア難民(約35万人)にせまる数であり、このような急激な大量難民の発生は、最近10年間のアジアの中で最多となる。
国連はこの状況を危惧し、コックスバザールから南に向かう道路沿いに13ヶ所の難民キャンプを設けた。一つのキャンプに約1万人~4万人の難民が生活していたが、結局キャンプに入れなかった人など、キャンプ以外にも避難生活している人たちも多くみられた。避難施設に住むことができたのは難民の約6割で、4割は粗末な小枝を集めた小屋で避難生活を送らねばならなかった。
食料の供給は、赤新月社により供給されていたが、それは十分でなかった。水は、川や沼の水を使用し、給水車で水を供給し水の確保に努めていた。便所も不十分で、あとは外へのたれながし状態であった。
その後、最近では、避難しているタイなどにも迫害され、逃げ場を失っている。
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難民キャンプの外で暮らすことの意味合い、その状況などについてはよくわかりません。

【“鬼のように醜い”】
問題の根底には、ミャンマー軍事政権がロヒンギャを自国民として認めず、市民権を付与せず、強制労働・財産没収・投獄などの人権侵害を続けていることがあります。
ただ、こうしたロヒンギャ否定はひとりミャンマー軍事政権のみの問題ではなく、ヤカインに暮らす多数派民族の間にも強い差別・蔑視が存在するようです。

“ロヒンギャに対する差別は、ビルマ国民全体に受け入れられているとはいわないものの、ビルマに深く根ざしている。ロヒンギャの法的地位を認めないビルマ軍政の姿勢は、アラカン民族やそれ以外の民族の間から、また反政府勢力や国外の亡命組織の一部から根強く公然と支持されている。多民族間の亡命団体の運動や会合から多くのロヒンギャ団体が排除されている。アラカン人仏教徒は何世紀にもわたってロヒンギャの隣人だったが、彼らの中にはロヒンギャの存在自体を認めず、ビルマに居住するベンガル人だと主張する人々もいる。
ロヒンギャが長期にわたって置かれている法的な無権利状態と、ロヒンギャには社会の完全な成員としての資格を与えるべきではないとする見方は、あからさまな人種主義と結合することもある。ビルマでは、南アジア系の人々を指す「カラー」(外国人の意)という侮蔑的な表現があるが、ロヒンギャはこれよりもさらに見下された扱いを受けることが多い。
この事実がはっきりと見て取れる最近の事例は、2009年2月に、イエミンアウン在香港ビルマ総領事が他国の領事たちに宛てた書簡の内容だ。
〔……〕実際、ロヒンギャは「ミャンマー国民」でもなく、ミャンマーに住む民族集団でもないのです。写真をご覧になれば、彼らの皮膚の色が「薄黒い」のがお分かりかと存じます。ミャンマー人の皮膚の色は白く透き通っていて、見た目にも美しいのです。〔……〕彼らは鬼のように醜いのです。” 【Human Rights Watch 「生死をさまよう人々」】

【“見せしめ”】
その他、ASEANの対応など、ロヒンギャ難民問題に関する詳細は、これまで引用したHuman Rights Watch の報告書「生死をさまよう人々」(http://www.hrw.org/ja/news/2009/10/29から日本語版がダウンロードできます。)に詳しく書かれています。
また、日本では群馬県館林市に200人ほどのロヒンギャが生活しているそうですが、“彼らにはミャンマーで国民登録がない。日本政府が強制送還させたくても、軍事政権は入国させない。強制送還ができないので日本の入管は、自傷行為や自殺未遂を繰りかえすまで入管センターに収容し、今後のロヒンギャ難民にたいする見せしめにする。”【08年1月8日 日刊ベリタ http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200801081309122】とも。
いささか刺激的な表現ですが、タイ・バングラデシュ政府同様、もてあましているのは事実でしょう。


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