孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

選挙ではなく抽選で 民主主義のもう一つのモデル「くじ引き民主主義」

2017-10-22 22:12:40 | 世相

(18世紀フランスの哲学者モンテスキュー【ウィキペディア】 著書「法の精神」で「籤による投票は民主制の性質をもち、選択による投票は貴族制の性質をもつ。」と述べているとか。
PTAや自治会役員選びの苦肉の策として多用されている“くじ引き”ですが・・・・。本来、役員・議員などは“厄介な仕事” それに自ら手をあげる人間には何か“下心”みたいなものもあるのかも)

【「選ぶという行為の空洞化」を埋める「くじ引き民主主義」】
総選挙の開票が始まり、出口調査などによれば、ほぼ予想されたような数字が出ているようです。

選挙による民意に基づく民主主義・・・・とは言うものの、昨今の欧米の選挙結果を見ると、極右と評されるような過激な勢力が台頭したり、ポピュリズムとも評されるような、現実を単純化した大衆受けするようなスローガンに扇動されたような結果になったり、あるいは、既得権益・利権に関わる政治情勢の改革は一向に進まず・・・・と、首をかしげるような結果も多々あります。

国民・有権者の選択だ・・・と言えばそうなんですが、そもそも“民主主義”とはいかなる制度なのか?という疑問を感じることも。

半数近い有権者は投票も行わず、投票した者も“すぐれた見識・能力”の代理人を選び、あとは任せる、「政治は難しくてよくわからないから」「政治には興味ない」と。

政治のプロである候補者たちが本当に“すぐれた見識・能力”を有するのかもよくわかりませんし、有能ではあっても民意に沿った政治を行ってくれるのかも定かではありません。そもそも、小選挙区などは、選択肢が数人に限定されており、思いを託したい候補がいないことも。

“だったら自分で選挙に出ればいいじゃないか”とも言われそうですが、現状で選挙に打って出るほどの酔狂でもありませんし、他の有権者の声を代弁できるといううぬぼれもありません。

そのあたりは多くの人が同じ思いでしょうが、そうした人々も裁判員制度のように「あなたに決まりました。やってください」と言われれば、なんだかんだ言いつつも、それなりに対応するのかも。

そういうこもあって、「くじ引き民主主義」という言葉には興味を惹かれるものがありました。

****くじ引き民主主義の導入を」 提言した政治学者に聞*****
議員とは何か。そんな再考を促す異色の提言が、論壇で政治学者から投げかけられた。吉田徹・北海道大学教授(比較政治)による「くじ引き民主主義」の勧めだ。足元で進む「選挙の空洞化」を直視し、歴史に手がかりを探っている。衆院選を前に話を聞いた。
 
吉田さんは今年8月、ウェブマガジンのαシノドスに「形骸化する地方自治――『くじ引き民主主義』を導入せよ!」を寄稿した。
 
選挙ではなく、くじ引きで自分たちの代表を決める仕組み。それを導入することで私たちは民主主義を強化できる、と吉田さんは訴えた。

古代ギリシャなど近代以前の民主政治では、実はくじ引きが普通に用いられていたのだ、とも。「地域の名士だけでなく、専業主婦だったおばあちゃん、子育てするお母さん、非正規のフリーターが集まる議会を想像してみよう」と論考に書いた。
 
引き金は地方選挙の「形骸化」だった。2015年に行われた統一地方選挙では、町村議選での無投票当選者の割合が21%に増えた。投票の洗礼を受けずに議員になる例が常態化しつつあるのだ。また、議員のなり手不足に苦しむ高知県大川村は今年、議会を廃止して代わりに有権者が直接審議する「町村総会」の設置を検討し始め、全国に衝撃を与えた(後に作業を中断)。
 
いま地方選挙の現場で目撃されているのは「選ぶという行為の空洞化」だと、吉田さんは話す。「選択肢がない状態では、選ぶという行為は意味を失う」
 
しかし、職業政治家だけでなく多様な人々が集う議会とは本当に良いものなのか。代表制民主主義の「代表」をどうとらえるかによるというのが吉田さんの考えだ。

代表とは何か。
いま標準的なのは「代表=選良(エリート)」という考え方だという。この場合、議員は人々に範を示す役割も期待される。

だがもう一つ、「代表=代理人」という見方が歴史のかなたにあった。代表には人々と同じ感覚を共有していることが期待され、議会は社会を映す鏡となる。そんな民主制を実現した手段がくじ引きだった。
 
「古代ギリシャでは、議会にかかわる公職や官職を担う人を決める際にくじ引きが採り入れられていた。政治的な意思決定に『社会の縮図』を反映させようとする工夫だ。しかし近代になるとエリート主導の民主制モデルが中心的になり、くじ引き型の民主制モデルは忘れられていった」
 
遠い昔のモデルをなぜ呼び起こすのか。
「エリートに対する人々の信頼が低くなってきたからだ。議員の不倫が重大なスキャンダルと意識される背景にも、議員=選良という発想の強さとエリートへの反感がうかがえる」
 
能力を基準に議員を選ぶことが必ずしも良いとは限らない、とも指摘する。
「政治理論の世界には、能力で人を競わせる選挙より、くじ引きの方が公正だという議論もある。世襲議員の優位が示す通り、能力はその人の環境に左右される。その点、くじ引きは万人を参加可能にし、立法過程を万人に開放する制度だ」
 
くじ引きでは原則、当たったら引き受けねばならない。抵抗もありそうだが、義務化することに意味があると語った。
「民主主義はうっとうしいものでもあり、立派な主権者であり続けることはつらいことでもある。『自分が政治家になったらどうするか』と考える機会を増やすことは、主権者としての当事者意識を涵養(かんよう)する効果を持つだろう。代表制を活性化させる可能性がある」
 
実際に世界では近年、くじ引きの効果を見直す動きが相次いでいるという。
「アイルランドで憲法改正を討議する憲法会議が設置された際は、メンバーの半数以上が市民からのくじ引きで選ばれた。アイスランドでも、抽選で選ばれた市民が新憲法に関する討議に送り込まれている」

■民主主義の形は様々
くじ引き民主主義に現実性はあるのか。
裁判員制度を考えてみては、と吉田さんは言った。「抽選で選ばれた素人の判断が入ることへの懸念が語られたが、今では定着しつつある」
 
では、選挙にも偶然性を導入できるのか。
「市町村議会について言えば、定数の3分の1をくじ引きで選ぶようにする選挙制度改革は、現状でも夢物語ではないと思う」

ただし国政選挙では「衆院や参院は政党政治を前提にしていることもあり、単純にくじ引きを一部に導入すればうまくいくとは思えない」という。
 
「民意をすくい上げる第3の回路としての協議機関を新設し、そこにくじ引きを生かすような手はある。単純な抽選ではなく、世代別に議員数を割り振ったり、主婦や給与所得者といった属性ごとに配分したりしたうえで選ぶ方法も可能だ。どう設計すれば『社会の縮図』に近づくか、国民が議論をする機会にもなる」
 
代表の意味を考えることは目前の衆院選にも無関係ではない、と語った。
「自分より優れた人を選ぶのか、自分と同じような人を選ぶのか。それを考えることは、自分が政治に何を求めているかを知る内省の機会になるだろう」
 
どんなに大きな選挙であれ、それが終わったあとも政治は続く。
「大事なのは、自分たちでいろいろな民主主義をデザインし続けることなのでは」(編集委員・塩倉裕)
     ◇
2015年に行われた統一地方選挙では、373町村議選のうち24%にあたる89町村が無投票だった。無投票当選者の割合も21%に上り、07年統一選より約8ポイント増えていた。議員のなり手不足に悩む高知県大川村は今年6月、議会の代わりに有権者が集まって予算などを決める「町村総会」の設置を検討すると発表して、注目を集めた。【10月22日 朝日】
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吉田氏の言う「じ引き民主主義」について、同氏が2015年4月に公表している下記で、もう少し詳しく。

****くじ引き民主主義」を考える*****
去る統一地方選挙では、選挙の結果云々よりも、その前から無投票選挙の多さが注目されていた。千葉県や埼玉県などの首都圏でも無投票選があったから、地方に限った話ではない。道府県議選では選挙区の33.4%、総定数の21.9%が無投票で選出され、これは記録の残る1951年以来の高水準という。
 
地方自治体が果たすべき役割と期待がこれまでになく増す中、その民主主義が空洞化しているというのは、笑うに笑えない状況である。

もっとも、人口流出といった構造的な流れや、議員のリクルートメントやインセンティブをどう育むかなどの制度的問題、各党の選挙戦略などが複雑に絡み、簡単な解決策は見出せそうもない。

ただ、旧来の代議制民主主義が空洞化しつつあるのは、どこの先進諸国でも一緒だ。そこで、ヨーロッパの運動家や政治学者らが注目しているのが、「くじ引き民主主義」だ。
 
なぜ「くじ引き」なのか。古代ギリシャや古代ローマ、あるいはルネッサンス期のイタリアまで、近代以前の民主政治では、統治者の選出にくじ引きが普通に用いられていた。古代ギリシャでは、行政官や裁判官を含む公職の約9割がくじで決まった。

政治学者E.マナンの見立てでは、近代になって選挙を通じた代議制民主主義が採用されたのは、民主化を嫌った貴族層が自らの支配を正当化するための方策だったからだという。

つまり、統治者と被統治者の同一性と平等性を前提にする「くじ引き」民主主義は、失われた民主政治のもうひとつの発展経路だったのである。
 
夢物語をいっているのではない。21世紀に入って、既存の民主主義が機能不全を起こしているとされる中で、再発見されたのは、このもうひとつの民主政治だった。

アイルランドでは2012年に憲法改正内容を討議する「憲法会議」が設置されたが、その構成メンバー100名の過半数を占めたのは議員ではなく、くじ引きで選ばれた有権者66人だった。経済危機で破綻の憂き目にあったアイスランドでも、市民の発案でもって、2010年にくじ引きで選ばれた市民25人が新憲法制定会議に陣取った。
 
その他にも、(西)ドイツやアメリカの自治体では1970年代から、やはり抽選で選ばれた「市民陪審員」が政策形成に携わる制度や、デンマークでは倫理的な問題について討議する「コンセンサス会議」などで「くじ引き」が用いられている。

カナダのブリティッシュ・コロンビア州では、抽選された市民が討議して決めた選挙制度を住民投票にかけるといった試みもあった。また自治体財政の支出の一部を市民自らが決めるといった制度を整えた国もある。

こうした動きを受けて、やはり地方議会での候補者不足に悩むフランスのあるシンクタンクは、地方議会の1割をくじ引きで選ばれた住民に割り当てるべき、と提言している。これらに共通しているのは、行政ではなく、飽くまでも立法のプロセスを一般有権者に開放することにある。
 
日本でも、司法の場では裁判員が抽選で決められている。ならば政治でも同じことができないわけがない。「衆愚政治に陥る」「ポピュリズムになる」といった指摘もあるかもしれない。裁判員制度が決まった時、死刑が増えることになるという指摘と同じだ。

「プロ」に任せておいた結果が無投票選の増加なのだとしたら、もはや選択の余地はない。「能力」ではなく「資格」を条件にして、民主主義の空洞を埋める必要性に迫られている。

もちろん、全ての公職を多忙な市民に委ねることはない。古代アテネでも、軍事や財務に係るポストは専門家に任せられた。

民主政治は単に市民の代表の定期的な選挙だけに還元されるものではなく、独立した司法や専門家委員会や、住民投票といった多種多様な回路が交差して成り立っている。

そのメニューの中に「くじ引き民主主義」があっても、悪くはないだろう。(『北海道自治研究』555号より転載)【2015年04月26日 吉田徹氏 BLOGOS】
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ちょっと面白いですね。

【「国民投票で決断する能力があるなら、国会でも意思決定できるのではないか?」】
下記は、現実に「くじ引き民主主義」導入を求めて活動しているスイスの提案実例。

くじ引きで選ばれたら、週の半分働く50%勤務で、報酬は現議員の活動費の半分が払われます。
任期は4年で、1年間の研修が義務付けられ、研修の間も任期中と同じ報酬が支払われます。
経験の空白が生じないよう、全200議席を一度に決めるのではなく、年に50議席ずつくじを引くというもの。

****直接民主制 くじ引きで国民議員を選んだら****
「くじ引き選挙」。それは突拍子もない提案だろうか。街角の声を聞くと、一考の余地ありと考える人の方が多数派だ。下院議員をくじ引きで決める仕組みの導入を求めるイニシアチブ(国民発議)に向け、準備運動を代表する2人が街ゆく人に意見を聞いた。
 
「週の半分働く50%勤務で年間12万フラン(約1360万円)の収入があれば、(その仕事を)やってみたいですか?」。イニシアチブの準備運動を行うシャーリー・パッシュさんとニコラス・ロカテッリさんがフリブールの中心で配っているポストカードに記された一文だ。パッシュさんは「指名の世代他のサイトへ」運動の責任者で、ロカテッリさんはその同志だ。
 
ポストカードは計画中のイニシアチブ「真の代表たる国民議員(下院議員)」という真剣なテーマについてユーモラスな切り口で説明する。投票の実現に向け、提案をさまざまな角度から解説する。
 
実際、12万フランという額は、スイスの国民議員が経費を含め1年の議員活動の50%で得る収入に相当する。イニシアチブ原案は、この労働条件がくじ引き選挙でも変わらないことを想定する。

参加機会と真の国民代表
(中略)彼らの意見では、今日の国民議会議員は国民を代表しておらず、民主主義が確保すべき政治参加の機会を満たしていない。
 
「平均的な国民議員の人物像は、男性、50歳代、大卒、軍隊で高い地位を持つ人。国民の大部分はこれに該当しないし、少なくとも釣り合いがとれていない。例えば若年層や女性を代表していない」。パッシュさんは2人の20歳前後の女性にこう説明した。

イニシアチブのポイント
イニシアチブ「真の代表たる国民議員」は、議員をランダムに選ぶことを提案する。選ばれた議員の任期は4年間だ。
 
国民議員は該当する選挙区、すなわち各州の選挙人名簿に登録された人全員の中から選ばれ、全200議席はこれまで通り、州の人口に応じて配分される。
 
経験の空白が生じないよう、全200議席を一度に決めるのではなく、年に50議席ずつくじを引く。
 
くじで選ばれた人は誰でも議席を拒否することができる。受諾した人には1年間の研修が義務付けられ、研修の間も任期中と同じ報酬が支払われる。報酬は選挙で選ばれた議員と同等の額とする。
 
スイス国会は今まで通り二院制を維持し、全州議会(上院)の議員は引き続き選挙によって選ぶ。これが同イニシアチブの概要だ。
 
パッシュさんら活動メンバーによると、くじ引き選挙においては全ての国民が平等に政治家になる可能性を持っている。この方法で国民議員を選ぶことで、さまざまなカテゴリーの国民を代表し、社会全体の課題や関心をより忠実に投影できる。
 
特定の政党や利益団体の恩恵で議席を得たわけではないため、議員は自由に意思決定し、公共の福祉に資する解決策を探ることができる。私的な利益関心や関連団体を優遇する必要がないからだ。そうパッシュさんは強調する。(中略)

専門知識に欠ける?
「根本的には賛成します。今日の国会議員は利益団体の意思を反映しすぎています。問題だと思います」と若い男性は話した。「しかし、一定の知識が必要だと思うのです。専門知識が豊富で、複雑なテーマについても意思決定できなければなりません。そうした専門知識は皆が備えているわけではありません」
 
パッシュさんは、この仕組みに関してこれまで十分に実証実験が行われたと話す。さらにスイスの国民は直接民主制の仕組みの中で、複雑な課題を巡って決断することに慣れているという。

「国民投票で決断する能力があるなら、国会でも意思決定できるのではないか?最終的には、くじ引きで選ばれた議員は1年の研修を受け、意思決定を下す前に各分野の専門家に助言を求めることができる」と説明した。
 
「もしかしたら…そうですね。しかしそれならば、議員がさまざまな専門家の意見を聞き、そうした専門知識に基づいて意思決定することが保障されるべきです」と男性は答えた。
 
ある若い女性も同じような批判をした。「アイデアとしては面白いと思うけど、夢想的すぎるのでは」。彼女の意見では、イニシアチブが予定する1年の研修は十分ではない。「選挙で選ばれた議員は、例え私の政党や私の意見を代表していないとしても、必要な専門知識を備えています」と話す。

パッシュさんが「本当にそう思いますか?」と問うと、女性はしばらく考えた後、「そうですね…もしかしたらそれは私の夢想かもしれない」と笑った。

長い道のり
「指名の世代」運動が通行人から脈を得たのはこれが初めて。イニシアチブの発議に着手すれば、18カ月以内に10万人分の有効な署名を集めなければならない。

パッシュさんとロカテッリさんはヒアリングの結果に満足している。だが極度に困難な課題を乗り越えなければならないことも認識している。彼らはスイスの直接民主制の歴史において大転換となるイニシアチブを、政党や大組織の支援なしに実現しなければならない。このため彼らは2017年を通じて広報活動を何倍にも増やす予定だ。【5月12日 swissinfo.ch】
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直接民主制の伝統があるスイスの事情もありますが、「国民投票で決断する能力があるなら、国会でも意思決定できるのではないか?」というのは、そうかも。

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