(二十数年前の写真でしょう。ギャネンドラ元国王(左端)一家の家族の肖像 左から二人目がまだ幼い頃のパラス元皇太子 後日、国民から見放される形で国王・皇太子は廃位されることになります。
“flickr”より By NEPALPHOTOGRAPHY.org
http://www.flickr.com/photos/nepalphotography/1151149178/ )
【王制が廃止されたのは誰のせい?】
昨日ネパールからスキャンダラスなニュースが報じられました。
ネパールでは08年に王制が廃止されていますが、廃位された元皇太子が酒に酔って、王制廃止に関係した政府首脳の娘婿に発砲した・・・というものです。
*****ネパール元皇太子に逮捕状 バーで酔って発砲した疑い*****
ネパールからの報道によると、同国の警察当局は14日、2008年に廃位されたギャネンドラ元国王の長男パラス元皇太子(38)の逮捕状を取り、事情聴取を始めた。スジャータ・コイララ副首相の娘婿に対し、酒に酔って短銃を発砲した疑いが持たれている。
地元紙などによると、元皇太子は、同国南部チトワン国立公園にあるホテルのバーで11日夜、居合わせた副首相の娘婿ルベル・チャウダリ氏に対し、「王制が廃止されたのは、コイララ家のせいだ」などと言いながら発砲した疑い。
ネパールでは王制時代の01年、王宮内で当時の皇太子が酒に酔ってビレンドラ国王(当時)夫妻ら8人を射殺して自殺した事件が起きている。パラス氏はその場に居合わせたが一命を取り留め、ビレンドラ国王の弟ギャネンドラ氏が王位を継承したのと同時に、皇太子に就いた。
その後、コイララ副首相の父親、故ギリジャ・プラサド・コイララ元首相らの主導で王制が廃止されると、元皇太子はシンガポールに移住。最近になって帰国し、宗教行事に参加するなど復権への意欲を見せていた。【12月14日 朝日】
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「王制が廃止されたのは、コイララ家のせいだ」・・・・との元皇太子の発言ですが、それを言うなら、王制が廃止されたのは元皇太子自身の悪評もその一因でしょう。
パラス元皇太子の評判は以前からすこぶる悪く、数々の乱行が知られています。
2000年8月には人気歌手をひき殺したほか、それ以前にもタクシー運転手をはねて死亡させたことがあるようですが、いずれも処罰を受けていません。06年にはゴルフを終え猛スピードで帰宅途中、バスに衝突。そのまま逃走したとも報じられています。
王制廃止のそもそもの発端となった01年のネパール王族殺害事件は、私がネパール観光旅行から帰国した直後に起きたこともあって、衝撃を受けた記憶があります。
国王や王妃ら24人の王族が夕方からカトマンズの王宮に集まった宴席で機関銃が乱射され、国民からの信頼の厚かったビレンドラ国王やアイスワルジェ王妃を含む、10人以上の王族が殺害されました。
情報が混乱する中で、「国王の息子であるディペンドラ皇太子が、つき合っていた恋人との結婚を許してくれるよう母親(王妃)に頼んだが、許されなかったため、逆上して機関銃を持ち出した」「ディペンドラ皇太子は、国王(父親)と王妃(母親)、兄弟姉妹らを次々と殺害し、最後は自殺した」との情報が流されましたが、ネパール国民はあまりこの説明を信用しなかったようです。
新国王となったギャネンドラ元国王(パラス元皇太子の父親)は息子同様に悪評の高い人物でしたが、事件当日、“幸運にも”地方に出かけていたため、事件に巻き込まれなかったこと、事件のあった宴会に出席していたパラス元皇太子が無傷で生き延びた数少ない王族の一人であったことなどから、事件にこの親子が関与していたのではないか・・・とも囁かれていました。【01年6月24日 田中 宇「ネパール王家殺害事件の衝撃」より】
そんな評判の悪い元国王、元皇太子親子でしたから、王制廃止の原因は自分たちにあると言ってもよいでしょう。
【16回の首相選出の投票を実施したが決まらず】
今日話題にしたかったのは、パラス元皇太子のスキャンダルではなく、ネパールの首相選任難航の話です。
最大政党でもある野党・ネパール共産党毛沢東主義派(237議席)とその他政党の対立が続くネパールでは、マダブ・クマル・ネパール首相が6月末に辞任したあと、後任首相が決められずにいました。
共産党毛派のダハル書記長と、与党第一党ネパール会議派(114議席)のパウデル副総裁の間で、何回も首相選が行われましたが、両候補とも過半数が得られませんでした。
9月11日ブログ「次期首相が決まらないネパール 隣国インド・中国の思惑」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20100911)でも、そのあたりの経緯、中国・インドの関与などについて触れたところです。
その後、あまりネパール関係のニュースを目にしませんでした。今回のパラス元皇太子のスキャンダルで、「ところでネパールの首相はどうなったのだろうか?」と改めて検索などしてみたのですが、11月20日時点で、まだ選出できていないとの報道がありました。その後のニュースは見ませんので、おそらく今も未定のままなのでしょう。(見逃していたら、申し訳ありません。)
****会期内に首相選出できず ネパール*****
ネパールからの報道によると、同国のマダブ・クマル・ネパール首相が6月末に辞任したことを受けて招集された制憲議会は、会期の最終日の20日までに新首相を決定できなかった。次回会期で新首相が決定するまで、ネパール首相が暫定首相を務めることになった。
制憲議会ではこれまで16回の首相選出の投票を実施したが、過半数を得た候補がなく、新首相を選出できなかった。
ヤダブ大統領が次回制憲議会を招集するが、日程は未定。【11月20日 産経】
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“16回の首相選出の投票を実施”・・・気が長いと言うか、策がないと言うか、責任感がないと言うか・・・。
さすがに、これではどうしようもないということで、首相を有力政党のローテーション制にしようとの案もあるようです。
****ネパール ローテーションで首相に? 【小倉清子】*****
主要3政党のあいだで、首相をローテーションで務めることで話し合いが進んでいるそうだ。最初にネパール会議派が、次にマオイスト、最後に、つまり憲法制定後最初の総選挙のときには統一共産党が首相を務めるという段取りだそうである。ローテーションの期間についてなど具体的なことは決まっていない。今日の3党会議で決定の可能性高しと見られていたが、会議は「時間が足らず」に結論が出ずに終わった。21日からマオイストの拡大会議が始まるが、1週間続くと言われている会議が終わるまで3党会議は延期となった。
ネパール首相はトラの国際会議でロシアに行くそうである。マオイストも首相も国政以外のことで多忙のようだ。彼らの都合で、明日、"急いで"憲法を改正して本予算が認可されることになったが、そのために大統領権限を利用することに関して、ネムバン国会議長が「議会の権限が弱くなった」と強く反発している。憲法改正には少なくとも1週間かかるが、拡大会議が迫っているために、「強い大統領」の存在に反対をしてきたマオイスト自身が、大統領権限を利用して1日で憲法改正することに合意した。何とも矛盾する行為である。(後略)【11月19日 アジアプレス・ネットワーク http://www.asiapress.org/apn/archives/2010/11/19170559.php】
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16回やってダメなら、ローテーションも現実的な妥協策かも。
ほったらかしにされる国民が最大の被害者です。