世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

尖閣諸島問題その2(107)

2012-12-30 02:05:48 | Weblog

しかしそれすら(信頼の急低下)こいつは気がついていないと見える。そのため自民党へはかなりの追い風となっていたのだが、こいつは全く反省はしていない。民主党の惨敗は、半分はこいつにもあるのだが、人の所為(せい)にしてどこ吹く風だ。「惨敗するだろうと思っていた、自分に原因があるから。」と言うのが真っ当な精神を持った人間の感ずる気持ちだろう。まあこいつのお陰で自民党は勝利できたとも言えるのだから、余分なことは言いたくないが、しかしこいつは全く能天気で、野田の所為にしている。まあこんな能無な輩を閣僚に選んだ民主党と野田佳彦にも責任があるというものであろう。自業自得と言うものであろう。



【民主敗北
「総理は独りよがり」「自爆テロ解散」 田中文科相が痛烈批判
2012.12.18 11:45 [衆院選]

閣議後の記者会見で、「自爆テロ解散だった」と野田佳彦首相を批判した田中真紀子文科相=18日、文部科学省(伊藤壽一郎撮影) 

 田中真紀子文部科学相は18日、閣議後の記者会見で、衆院選で民主党が壊滅的敗北を喫したことについて「解散時期が適切ではなかった。独りよがりで周りの意見を聴かず、他人の土俵に乗ってしまった」と述べ、野田佳彦首相を痛烈に批判した。さらに、今回の解散を「自爆テロ解散」と命名していたことを明かし、「惨敗するだろうと思っていたが、その通りになった」と述べた。

 田中文科相は、野田首相の解散判断について、「自民党から『辞めなさい』『いつ解散するのか』と、単純な二言をずっと言われて、極めて独りよがりに決断した」と指摘。「今まで民主党が発信してきたことを継続するのだったら、党代表を変えるとか、8月の任期いっぱいまでやって成果を出す方法はあったと思う」と述べた。

 田中文科相は、解散直後の会見で「閣僚だから言わない」としていた解散の命名について、「自爆テロ解散」だったと明かし、「その通りになった。惨敗するだろうと思っていた。あのときは不謹慎だと思っていわなかった」と述べた。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121218/plc12121811480007-n1.htm



何が「老婆の休日」を楽しみたい・・・だ。消え去ってもらいたいと思っているのだが、これからもまだ政治活動を続けるつもりのようだから、楽しむよりも反省と勉強をするべきでしょうが。相変わらずこいつは何も(人の心を)わかっちゃいない。次のニュースなどを参照するとよい。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121223/plc12122312000010-n1.htm


さて田中真紀子くんだりにかまっている暇はない。今も中国は尖閣諸島へ侵略を繰り返している。最近は海と空から立体的な侵攻を始めている。




中国機、3日連続で尖閣接近=領空侵犯なし、空自緊急発進―防衛省
時事通信社 2012年12月26日(水)18:41

 防衛省統合幕僚監部によると、中国当局の航空機1機が26日、沖縄県・尖閣諸島付近の空域に接近したため航空自衛隊の戦闘機が緊急発進した。中国機の接近は3日連続。領空侵犯はなかった。

 中国機は13日に初めて尖閣諸島魚釣島南方の空域を領空侵犯。その後も22日、24日、25日と立て続けに同様のコースで尖閣諸島付近まで接近しており、空自が警戒を強めている。 
[時事通信社]  
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-121226X053.html

沖縄県・尖閣諸島に接近し、東シナ海上空を飛ぶ中国の国家海洋局所属の航空機=24日昼ごろ(防衛省統合幕僚監部提供)  (共同通信)領空侵犯PN2012122401001530_-_-_CI0003
[時事通信社]  
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/world/jiji-121227X197.html



このような事態が頻繁に起こるようでは、早く「憲法改正」「国防軍保持」に取り掛かってもらいたいものだ。是非とも自民党と安倍晋三総理には踏ん張ってもらいたいものだ。そして我々国民も真剣にこのこと(中国による日本への侵略)を更に更に深く自覚してゆかなければならないのだ。

もうすぐ年が変わる。来るべき2013年(平成25年)は、きっと今年よりも輝かしい年となろう、我々国民全員が、この日本国を、より強く、より美しい国とすべく努力しているからである。

次に記事を載せてこのブログを終える。




「尖閣は琉球の一部」=中国、76年間異議唱えず―石油資源で領有主張
2012年12月27日(木)14:57

 【北京時事】「尖閣諸島は台湾から距離が甚だ近く、台湾に組み込むべきか検討の必要がある」。1950年作成の中国政府の外交文書「対日和約(対日講和条約)における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」(領土草案)はこう記述している。中国政府内部で当時、「尖閣諸島は琉球(沖縄)の一部」と認識されていた表れだ。

 日本政府が尖閣諸島をどの国家にも所属していなかった「無主地」として沖縄県に編入する閣議決定を行ったのは1895年1月。一方、中国政府の現在の主張は、日清戦争(1894~95年)さなかに盗み取られた後、95年の下関条約で「台湾の付属島しょ」として日本に譲り渡したが、第2次大戦で日本の敗色が濃厚になった1943年のカイロ宣言などに基づき、台湾などと共に中国に返還されたというものだ。

 「古来より一貫して台湾の付属島しょ」と中国側は71年から現在に至るまで主張してきた。しかし「尖閣列島」の著書がある緑間栄・沖縄国際大学名誉教授は「日清戦争後の1895年3月の両政府の講和交渉で、は日本の台湾、澎湖諸島の割譲要求に強く反対したが、尖閣諸島の地位については問題にせず尖閣編入にも抗議しなかった」と解説している。

 日本の外務省も「『台湾の付属島しょ』に尖閣が含まれるとの認識は当時の日本と清国との間にはなかった」と指摘する。「台湾の一部ではない」という認識は中華民国を経て、1949年に成立した中華人民共和国にも受け継がれた。

 50年5月の「領土草案」は対日講和条約に向け、中国外務省が同月12~19日に外交関係者ら63人で開催した内部討論会のたたき台となったとみられる。この討論会で「領土問題では琉球が最重要だ」との意見が出たものの、尖閣諸島については主要な議論にならなかった。尖閣は琉球の一部という認識が支配的だったからだ。

 さらに中国政府は、51年のサンフランシスコ平和条約で尖閣諸島が米国の施政下に置かれても、「異議を唱えなかった」(日本外務省)。中国政府は71年初めて領有権を公式に主張するまで、日本領土編入から76年間、異論を差し挟まなかった。中国が領有権を主張し始めた背景には、尖閣周辺に石油資源が埋蔵されている可能性が指摘された問題があるとの見方が強い。 
[時事通信社] 
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/world/jiji-121227X200.html



中国外交文書に「尖閣諸島」=日本名明記、「琉球の一部」と認識―初めて発見
2012年12月27日(木)15:24

 【北京時事】沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)をめぐり中国政府が1950年、「尖閣諸島」という日本名を明記した上で、琉球(沖縄)に含まれるとの認識を示す外交文書を作成していたことが27日分かった。時事通信が文書原文のコピーを入手した。中国共産党・政府が当時、尖閣諸島を中国の領土と主張せず、「琉球の一部」と認識していたことを示す中国政府の文書が発見されたのは初めて。

 尖閣諸島を「台湾の一部」と一貫して主張してきたとする中国政府の立場と矛盾することになる。日本政府の尖閣国有化で緊張が高まる日中間の対立に一石を投じるのは確実だ。

 この外交文書は「対日和約(対日講和条約)における領土部分の問題と主張に関する要綱草案」(領土草案、計10ページ)。中華人民共和国成立の翌年に当たる50年5月15日に作成され、北京の中国外務省档案館(外交史料館)に収蔵されている。

 領土草案の「琉球の返還問題」の項目には、戦前から日本側の文書で尖閣諸島とほぼ同義に使われてきた「尖頭諸嶼」という日本名が登場。「琉球は北中南の三つに分かれ、中部は沖縄諸島、南部は宮古諸島と八重山諸島(尖頭諸嶼)」と説明し、尖閣諸島を琉球の一部として論じている。中国が尖閣諸島を呼ぶ際に古くから用いてきたとする「釣魚島」の名称は一切使われていなかった。

 続いて「琉球の境界画定問題」の項目で「尖閣諸島」という言葉を明記し、「尖閣諸島を台湾に組み込むべきかどうか検討の必要がある」と記している。これは中国政府が、尖閣は「台湾の一部」という主張をまだ展開せず、少なくとも50年の段階で琉球の一部と考えていた証拠と言える。

 東京大学大学院の松田康博教授(東アジア国際政治)は「当時の中華人民共和国政府が『尖閣諸島は琉球の一部である』と当然のように認識していたことを証明している。『釣魚島』が台湾の一部であるという中華人民共和国の長年の主張の論理は完全に崩れた」と解説している。

 中国政府は当時、第2次世界大戦後の対日講和条約に関する国際会議参加を検討しており、中国外務省は50年5月、対日問題での立場・主張を議論する内部討論会を開催した。領土草案はそのたたき台として提示されたとみられる。

 中国政府が初めて尖閣諸島の領有権を公式に主張したのは71年12月。それ以降、中国政府は尖閣諸島が「古来より台湾の付属島しょ」であり、日本の敗戦を受けて中国に返還すべき領土に含まれるとの主張を繰り返している。

 領土草案の文書は現在非公開扱い。中国側の主張と矛盾しているためとの見方が強い。 
[時事通信社]  http://news.goo.ne.jp/article/jiji/world/jiji-121227X197.html



先に紹介した中華民国からの感謝状(2012.9.4のNO.36などを参照のこと)にもあるように、尖閣諸島は明らかに日本固有の領土として、中国も認識していたのである。そうであっても共産党の中国は尖閣諸島は中国のものだ、として南シナ海で西沙諸島や南沙諸島を軍事侵攻して盗み取ってしまったように、尖閣諸島を(軍事侵攻により)盗もうとしている。

日本はどうするか。だから「憲法改正」「国防軍保持」が必要なのである。

もう一つの例に言及してこのブログを終える。

読者諸氏におかれては、1982.3.19から始まり6.14に終わった「フォークランド紛争」を覚えておられよう。イギリス本土から約一万キロメートルも離れたアルゼンチン沖のイギリス領の小島をめぐる争いである。アルゼンチンの侵攻に対して、イギリスは航空母艦まで派遣して取り戻している。これに対して「尖閣」も「竹島」は日本のすぐ近くにある。

長らくお付き合いありがとうございました。ではよいお年を。

(終り)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 尖閣諸島問題その2(106) | トップ | 支那事変の真相(1) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事