銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

自民党・政治家・連中の甘さよ。・・・・・この期に及んでも?

2009-11-29 22:35:25 | Weblog
・・・・・・自民党の議員連中の甘さが、彼らの苦悩を招いているが、彼らの苦悩は明日のわが身です。・・・・・

 今朝(09-11-29)もちょっと気にかかるニュースがNHKで流れました。それは、国会内に何とか会議という、一種のクラブ活動みたいなものがあって、その委員長はたいていは、もと、総理大臣クラスだそうです。

 そこに、民主党の議員を参加させないという決まりができたそうです。ふむ、ふむ。
 この決定は、どれほど、余裕が無くてヒステリックに、民主党がなっているかの象徴となっています。

 国が一単位として、行動するときには、その象徴としての元首がいます。日本では一応が天皇のはずです。しかし、微妙なことに、天皇陛下でさえ、宮内庁に牛耳られておられ、ご自分の正当なる発言が抑えられておられます。

 で、これが超微妙で、複雑なところですが、二番目の権力者である(はず?)の総理大臣も日本では権力がありません。福田総理大臣(息子のほう)が、記者たちに『あなた方とは違うんです』とおっしゃっただけで、マスコミが鬼の首を取ったように騒ぎました。お気の毒でもありますが、彼ら福田さんに群がった記者たちは、自分たちの親の財産が、為替差損で目減りしたり、することを忘れているのだと私は感じます。

この自民党の元総理大臣が長である倶楽部への、民主党議員の参加を抑えるというのは、一見すると、小さいことのようですが、象徴的に、小沢一郎民主党幹事長への権力の一極・集中を表しています。NHKが、一切の批判を込めず、報道をするのも、信じられませんが、みのもんた氏の『朝ずば』(それは、95%は、まっとうであり、常識に基づいていて、好ましい姿勢を感じるものなのですが)もない日に発表をされたので、マスコミ関係者も見過ごすであろう、ニュースです。

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 小沢民主党幹事長は、豪腕とか、辣腕とか言われていて、あらゆる側面で、民主党が上に立っているということを、示し、実力および形でそれを示さないと収まらない模様ですが、ある一人の人間が、陳情やら、そのほかの一切を管理することは不可能であり、この国は、近々、大混乱に陥るでしょう。それとともに、平板で、面白みのない国ともなり、生き生きした人材が活躍しにくい国と変化するはずです。

 なぜ、それほど、彼に権力があるのかを、国民もマスコミも問わないといけません。今、ノーベル平和賞さえもらって、世界中で大人気のオバマ大統領が、アメリカの地方都市のすべての開発を、いちいち、ご自分がチェックして、イエスか、ノーかを、サインしていると、皆様はお考えになりますか?

 それは、サルコジ大統領でもありえないし、・・・・・ただ、プーチン大統領やら、金正日総書記ならありえると推定されますが・・・・・この戦後の日本で、そこまで権力の集中した人は過去にいません。

 神格化までされた昭和天皇が、地方の県単位の開発やら、事業について、いちいち御璽を、押したと考えられますか? ありえないです。

 これは、日本にとって、異常事態です。

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 こういう事態に至った裏には、三つの大きな要因があって、そのひとつに、自民党の、政治家の甘さが大いに影響を与えています。今、谷垣総裁だそうですが、彼はお坊ちゃま風には見えますが、まったく政治的な手腕がないと思えます。

 こんな状況にいたったら、いちいち、戦わなくてはならないのに、手をこまねいているだけです。中学校や高校で、美形で色白で家柄もその地域ではよい優等生が、荒ぶるヤンキーに苛め抜かれている構造と同じものを現在国民に向かって見せているだけです。

 これは、政治用語で言えば二大政党の争いとなるでしょうが、簡単に下世話な言葉で換言すれば、いじめです。いじめは芽の小さいうちに刈り取らないと、駄目なのです。抵抗し、反抗しないと、駄目なのです。中学校社会で、この前も沖縄ですか?報道をされたように、死にいたるまで叩きのめされてしまいます。息の根を止められてしまいます。

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 私が長らく、自民党を応援してきたのは、上のニュースで報道されたような、小沢一郎幹事長、主導と思われる、数々の乱暴なことを、そちらなら、やらないからです。その自民党は対米追随だと朝日新聞には叩かれてきました。右翼だとも言われてきました。だけど、最近の政治潮流は、右翼左翼の定義がまるで、失われていて、真にこの国の将来を憂えるか、そうでないかの区別しかないです。

 そして、真にこの国を憂えるほうは、抹殺されやすいのです。既存のマスコミ内で、活躍する評論家たちですが、支配者〔この場合は植民地的な意味で、支配をしている存在ですが)側が安全パイとして認めた存在しか活躍をできません。ちょっとでも、傾向が愛国的であると、徹底的なる弾圧の対象となります。

 一見すると暗い文章でした。もっと先へいって、本当のこととして、これから、どうしたらよいかを提言したいのですが、それは、続きとして、お話をさせてくださいませ。明日は『自民党とは、本当は何だった』のか・・・・・を述べたいと思います。答えとして、私は『日本という国を、植民地支配から守る一種の堤防だった』と感じています。その詳細は、明日以降に。

 なお、今日は12時間で更新していますので、植民地支配下の人間の苦しみの暗喩として、現在のグローバリズム経済下の、鶏の卵と肉、豚肉、牛肉とミルク、の生産現場のすさまじい様子が、下に書いてありますので、よかったら、それもごらんをいただきたく。牛たちの尊厳をまったく奪われている様子は、真に恐ろしい映像です。程度の差はあれ、私たち人間もまた、その尊厳が失われやすいことを忘れてはなりません。
           2009年11月29日     雨宮舜
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牛と豚の悲劇ー2(それは、もしかすると、我々の事?)

2009-11-29 08:20:26 | Weblog
 昨日みた、「いのちの食べ方」という映画から、は、
 人間の傲慢さを徹底的に感じさせられますが、もっと悲惨なのは、牛の場合です。
 種牛の精子が『横取り法』という方法で採取をされ、それが種付けされ、妊娠したとしても、出産は帝王切開です。麻酔をかけてもらっているのでしょうが、たったまま、腹を裂かれ、赤ちゃんを取り出される作業に、耐える母牛を見るのが忍びないです。

 最終的に、最も切ないのは、牛が、殺される場面です。眉間に電気ショックを与え、気絶をした状態で、生きたまま、次の作業に取り掛かります。ここでも、大活躍をするのが、ベルトコンベアーです。牛の場合は、重量があるので、掃除機風のエアーコンプレッサーは使いませんが、・・・・・

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 ここから先、哲学的にまとめるなら、・・・・・・狂牛病(BSE)、豚インフルエンザ(今、日本でも大問題になっている、新型インフルエンザの最初期の呼び名です)、鶏インフルエンザが、蔓延し、それで、死者が出たのも、むべなるかな・・・・・と思います。

 旧約聖書に、ノアの箱舟の話が出てきます。すべての種を、神が洪水から救ったと言う説話です。そこでは、効率化は、問題ではなく、人間の友としての、各種の生き物(動くもの)が、ほとんど対等に扱われています。

 しかし、この映画を見る限り、人間は傲慢のきわみであり、家畜として使っている動物種(ここで、登場するのは、鶏、豚、牛ですが)に対して、徹底的に、ものとして利用し、その生き物としての、尊厳については、一切を顧慮しておりません。

 キリスト教では原罪ということをよく言います。この映画『いのちを食べる』を見る限り『原罪はある』と感じます。ただ、食事を、たべるだけで、現在の人間は、したたかなる罪を犯しています。

 仏教では、殺生を禁じています。イナゴとか、魚以外のものの、いのちを食べることを禁じています。江戸時代は、普通の人はそれで生きていたのです。『グローバル化は止めよう・・・・・日本は江戸時代に戻ったほうがいいなあ』といいたくなる、映像でした。

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 だけど、上の一節は、人口が莫大に増えた現在の日本社会では、不可能なことは私にもわかります。でも、問題は、社会学的、というか、政治学的な考察です。

 この映画に登場する、牛や豚って、もしかすると、程度の差はあれ、今の日本人の姿なのかもしれないのです。いや、日本は平和です。鎌倉などに住んでいて、しかも週末で天気がよいと、善男善女が、社寺仏閣めぐりで、日がな一日中にぎやかで、楽しそうであり、何も問題がないみたいです。

 しかし、日本はじわじわと締め付けられていますよ。二十年前は、こんな社会ではなかったと思います。大勢の人が事に当たり、ゆっくりと社会が進展しました。

 敗戦の憂き目を見たので、たいそうな改革が行われ、それゆえに、急に貧乏になった上流社会(貴族や、大地主、大財閥)も出てきたが、一般の庶民は、昔に比べればはるかに、便利で、満ち足りた生活ができる時代がきたのです。それが、1980ねんだいと、1995ねんごろまでは確かに継続する感覚を日本人は持っていました。

 もしかしたら、今の日本人、一般は、この映画における、牛や豚のごとき、感覚で、みなされている可能性があります。だれからといえば、このグローバリズム化世界の、もっとも頂点にいる人たちにです。
 その構造の顕現が、おさえに抑えられていて、普通の人にはあまり見えません。そして、マスコミセレブたちは、わかっていても、自分たちが持っている既得権〔特に特権)を失いたくないために、庶民に正しい情報を与えません。

 今日は偶然に見た映画から、日本という国の現状に気がつかされ、ちょっと、暗澹たる気分になりました。

 なお、映画そのものは、別にナレーションも無く、BGMもない形ですから、プロパガンダとは、別の種のものです。カラー構成としては、非常に、美しい映像が続きます。そして、監督は、観客に向かっては、「それぞれ、独自な、うけとめかたをして欲しい」とだけ言っているのです。

 私の考察は、政治にまで、発展をしましたので、普段の仕事がまだできていませんが、今日はこれで、よいと感じています。  

                  2009年11月29日   雨宮 舜 
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