銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

肌の移植手術と、人為的な延命措置と、受胎行動について、

2009-06-30 02:39:34 | Weblog
 マイケル・ジャクソンさんの死によって、遺産相続の噂が出ています(後注1)。そういう方向に流れれば流れるほど、彼が、幸せ(特に心が納得をするという点での幸せ)とは遠かったように、思えます。

 そういえば、私が、40歳の後半ごろ、父が私に、「平凡に生きる事が一番難しいんだよ」と言っていました。が、そのときは、どうして、そう言ったのか、そして、平凡に生きると、何が良い点なのかを、理解ができませんでした。あれから、20年強経った今、マイケル・ジャクソンさんの死によって、父のその言葉を、よりよく、理解する事ができます。お金はほどほどにあればよい。で、しょう・・・・

 その父ですが、亡くなるときに、まず、腎臓が駄目になり、ちょうど、そのときに主治医の方が北海道に学会出張中だったので、(もしかしたらですが、責任を感じられて)、そして、母も最高の医療を望んでいたので、20年前の当時にしては最高の医療が施されました。

 まず、腎臓の代わりをする、腹膜還流と言うのが行われ、そのためにおなかに穴を開けます。その次に呼吸が弱くなったので、気管切開と言うのを行い、首にアナをあけます。点滴用のチューブも、両手足、両足首についているので、あらゆるところに、チューブが這い回り、シーツ交換もできません。

 体に穴をあける際の出血が、既に茶色くなって、シーツを汚しています。父はその臨終の五年ぐらい前に、パーキンソン氏病が原因で、転んで脳挫傷を患い、言葉を発せません。だから、父が何を考えているかは、誰にも分かりません。

 そして、誰がとは、明言しませんが、回りの人間は、熱に浮かれた状態と見えるほど、奔走して、最高の医療を施そうとしています。また、悪いこと(?)に、医者ではないものの、最新の医療の知識が(旺盛な)人間が、数人回りを囲んでいるので、主治医と対等に協議をして、「ああしましょう」とか、「こうしましょう」と提案するので、主治医さんも追い立てられるような気持ちになってしまうのでしょう。その主治医さんは、既に亡くなっているので、ここまではっきりと書いてしまうわけですが・・・・・

 しかし、私はたまたまですが、父と二人っきりで病室に存在している時間があり、そのときに、無言の会話ながら、父が、痛がっているような気がしました。言葉を出せないものの、数センチの傷を体のあっちこっちに付けられるのです。きるときに麻酔をしたかどうかも、ちょっと分かりません。し、穴を空けたあとでは、呼吸さえ弱いのですから、麻酔はとめてあるでしょう。

 健康でない、しっかりした状態でないわけで、傷の回復も遅いと想像され、痛いはずです。それでも、それが、生きるためには必要だと思うから、私は何も主張をせず、黙って傍で見守っているだけでした。

 しかし、それほどの事をしても、父が、生きたのは、たった一週間でした。腎臓がおかしいと看護婦さんが気がついて、尿道へチューブを通して、尿をベッド脇の袋へ流し始めてから、臨終まではたった一週間の余命だったのです。

 そのときに、延命治療はよくないというか、そういうことまでするよりも自然に任せた方が父は、少なくとも、痛みは感じないで済んだはずだと考えました。そして、まだ、肉体が非常に美しいままで亡くなった父に比べて、医療と言う意味では過剰も過剰に施術が施されていたであろう、マイケル・ジャクソンさんの、心の苦しみと、同時に肉体の苦しみも推察することが出来たのです。

 彼は顔の皮膚移植手術から始まって、終わり無き、挑戦に終始したのですが、それは、体にとって、マイナスであったのはたしかでしょう。今、ウエブ・ニュース上で、医者が逃亡したのがおかしいといわれていますが、医者としてもかくも有名な人の臨終に立ち会ってしまい、自らの責任を問われることを怖れて、逃亡したのだと、私は想像します。別に誰かに命令されて殺したわけでもないでしょう。

 死についてもお金で解決できる(?)延命措置と言うのがあるわけですが、誕生についても、お金は、かかるが、以前より妊娠しぬくい人を妊娠させる施術が進んでいます。それについて、どこまで許容をするかです。どこまで人間が関わることを許されるかです。これについては、今、さしあたって、論評すべき良い例がありません。成功したという話を数々、聞きますが、生まれたお子さんの年齢を考えると言及すべきではありません。

 でも、私自身の考えはあります。
でも、それはここに記しません。ただ、ご想像をくださいませ。私がどういう風に考えているかを。

~~~~~~~~~~

 ところで、全く話は変わりますが、NHKの衛星放送で、今クリント・イーストウッドの、『続、夕日のガンマン』を放映しています。

 それで、私は顔はパソコンに向かいながら、背後で、画面の音を追い、時々、画面を振り返るということをしています。

 普通なら、娯楽ものはあんまり見ないのですが、グラントリノを劇場で見たときに、どなたかが、プログラムの中で、「現在のクリント・イーストウッドの映画人としてのスタンスは、このマカロニウエスタン時代に培われたはずだ」と書いていらっしゃったので、興味が急に深まったのです。

 クリント・イーストウッドは、テレビで大当たりをした後で、ハリウッドで売り出すことを待つか、それとも、このマカロニ・ウエスタンのオファーに乗るかの二者択一の機会があったわけでしょうが、イタリア監督の下で、しかも過酷な条件下で、仕事をするほうを選んだわけです。

 つまり、二十代、三十代、の大切な時期に、本国のハリウッドでスターとして売れることをいったんは捨てたわけです。しかし、意外にもその引いた姿勢が幸運をもたらしました。これらの映画は大当たりをして、彼にプロデューサーとしての活躍のチャンスを与えたのです。大金を得ることが出来たのでした。しかも、甘やかされることのない現場での訓練は、彼を真実、豊かにさせたのです。

 その大金で整形手術をする方向へは向かず、本来の芸術作品を創作することへ向かったのでした。もちろん、クリント・イーストウッドの方は、白い肌で生まれています。だから、劣等感が少なかったともいえますが、大金を得た人が往々にして、血迷ってしまう中で、賢い、賢い選択をしたといえましょう。

 マイケル・ジャクソンさんの不幸は、小さい頃から、大金を稼げるスターであって、周りがちやほやしすぎたために学ぶという姿勢やら、深く、考えてみると言う姿勢が育たなかった点にあるでしょう。

 似たような存在として、日本では美空ひばりさんがあるわけですが、彼女はお母さんが亡くなった後で、急速に成長なさった模様で、亡くなったものの、大勢の人から尊敬やら、愛を注がれており、不幸せとも思えません。だから、考える事がいかに大切かを思い知らされます。

 もってここに、哀悼の意をマイケルに注ぎます。天国で第二の人生を送り、そこでは平凡で、幸せな毎日をお送りになるように祈りながら・・・・・

∞‐ゞ‐∞‐ゞ‐∞‐ゞ‐∞‐ゞ‐∞‐ゞ‐∞‐ゞ‐

後注1=普通の場合は、妻よりも親や、兄弟の方が、本人を理解するものです。特に、離婚をした妻は嫌われるでしょう。

 でも、この死亡の影に過剰な整形手術、たとえば皮膚移植があったとすれば、それは、お金がありすぎる事が、引き金になったわけですし、そのお金を稼ぎ出す金の卵として、親兄弟が、彼を甘やかしすぎたので、彼には、自省の念とか、考えること、つまり、フィロソフィを、育てる機会がなかった可能性を考えるのです。

 もちろん、妻たちも既に、有名人であり、大金持ちであったマイケルを好きになるわけですから、一般的な言葉で言えば、善人ではないかもしれません。贅沢を好む女性である可能性はあります。

 でも、親兄弟にも、マイケルが本当の幸せを味わえない人生を送ったのについては、いくばくかの責任はあるでしょう。

   2009年6月29日           雨宮 舜
コメント

やはり、かわいそうですね

2009-06-28 20:24:12 | Weblog
M・ジャクソンさんの早すぎる死悼む=病院、自宅でファン騒然(時事通信) - goo ニュース

M・ジャクソンさの死を私が論じても仕方がないのですが、ジャクソンファイヴで売り出したときに、彼は、12、3歳ではなかったかなあ。

1999年から、2000年二三ヶ月、毎日十時間版画工房につめていて、いろいろな人と接触しました。そして、引き続いて、2003年には、少しだけニューヨークにいましたが、地下鉄Fラインの北方面に、三人の少年のパフォーマーがいました。この少年たちがまた、アフリカンでした。一人が特に背が小さいけれど、活発な三人組・・・・・彼らは、まだ、ブレイクしていませんが、とても、健康的です。

日本の人には、普通の場合には、アフリカンというとぴんと来ない時もあるらしいのですが、マイケルは、昔の言葉で言う黒人です。この黒人などと言う言葉は今は絶対に使ってはいけない時代です。それだけ、差別が大きかったし、もしかしたら、今は過剰に守られているが、それこそ、一種の差別かもしれない。

が、マイケル・ジャクソン(さん)の場合には、お金持ちになったことで、自分を改造しようとしましたね。

それが、死の原因であったとも言われます。
手術に次ぐ、手術・・・・・

でも、元に戻ります。彼は、あまりにも小さい頃から働きすぎていました。ですから、心が成長する時間が無いうちに、大金持ちになってしまい、お金で手に入れる、成功の一つとして白人になる・・・・・そう見えるような皮膚の手術をしてしまいました。

手術をし続けてしまいました。

もし、25歳まで、有名ではなくて、お金持ちでもなかったら、この死は無かったでしょう。かわいそうだと感じるのは、それが、良心が悪いわけでもなく、彼本人が悪いわけでもなく、ただ、ただ、成り行きに過ぎないといえば成り行きに過ぎないわけですが、彼が大金をかけて、手術をしても、その結果、彼が事前に想像したであろう、幸せが手に入ったとは思えない事です。

人間が望む、一つの成功の典型でありながら、本人が幸せそうに見えないこと・・・・・、その結果として、ここで、私が申し上げることは、かわいそうだなあと言う事です。『本当に、かわいそうだなあ』と言う事です。
   2009年6月28日、                  雨宮 舜
コメント

顔に56星・少女と、父の方の隠された問題点

2009-06-26 23:10:59 | Weblog
顔にタトゥー56個の星空……の真相はやはり――ひまだね英語(gooニュース・ひまだね英語) - goo ニュース

 今日のは、軽い方の話題です。私は今日までトンと知らなかったのです。が、今日、加藤佑子のひまだね英語の紹介で、映像として、大変たくさんの数の星を刺青した少女がいるのを知りました。こちら側から見て、右側だけですが、56個の星を刺青した少女です。

 これが、欧米で大きな話題になっているらしい。・・・・・のは、彼女が注文をしても居ないのに、寝ている間に勝手にこの刺青を入れられたと主張したからです。

 映像としての彼女を見て、私が心配になったのは、表情におびえが見られるので、彼女の父の存在です。

 父親が刺青を怒ったから、急に嘘をついたということが報道されています。で、その嘘の点で、加藤さんは論陣を張っておられるけれど、私は、このおびえは、タトゥーだけが原因ではなく、日常的なものではないかと推察しました。

 父に対して、常におびえを持っている少女ではないかと・・・・・

 隠された親子関係の問題点を、少女が一点に背負っているようで、気の毒です。

~~~~~~~~~

 普通ではないと感じるのは、少女が、18歳にもなって、親と行動をする。しかも異性の親です。18歳などと言う年齢では、異性の親の方を、うっとうしく感じるものなのです。一緒に出歩くことなど、普通ならありません。

 返って、25歳を過ぎてから、落ち着いてくるもので、それ以降は、親子関係の復活もありますが、18歳程度ですと、異性なら他人、つまり、恋愛の対象が大切で、それゆえに、異性の親は、気味悪く感じたりする傾向が強いのです。

 それに、顔の刺青なんて、ちょっとしたボーイフレンドがいる少女なら、絶対にしないはずです。目の周りに三つだけ、父親がプレゼントをする・・・・・ですって、それも非常に変です。

 もしかしたら異常な支配欲のある父親で、「別の、適切な年齢の少年との、恋愛の始まりを疎外したくて、タトゥーを入れろ」と、命令した可能性すらあります。だって、その手術の間中、階下にある喫茶店で父親が待っていたそうですよ。

 まあ、真相は分かりません。ただ、感じるのは、親子関係の難しさと、圧迫された家族の話は世界中、どこにでもあるのだ。と言う事です。家族と言う関係の中ですと、他人が入れないので、批判をしませんが、それゆえに隠された悲劇が有る可能性もあります。このケースは、その一つの例である可能性も感じました。

なお、小さい事ですが、今日は、一時間程度早く更新しております。

    2009年6月26日           雨宮 舜
コメント

戦時中のドラマに、長髪・パーマで主演する大泉洋君

2009-06-25 23:57:51 | Weblog
 最初にお断りをさせてくださいませ。今日は相当真剣にものを言っています。それで、私の文章のうち、ほんわかした癒し系のものをお好みになっておられます方は、お読みにならないでくださいませ。政治の話です。

 映画『アフタースクール』が、彼にもたらした、意外な産物(?)

 今は2009年の6月です。各テレビ局は、終戦記念日に向けての特別ドラマの編集作業の最中でしょう。ところで、それについて、思い出があります。それは、2008年のその一つに主演をした大泉洋君が、彼のトレードマークである長髪・パーマのまま、主演をした事です。番組宣伝の段階でそれを知り、番組そのものは見ませんでした。が、この事実は彼の、その童顔からは決してうかがい知れない、かつ、予想を覆す傲慢振りを現していて、その傲慢振りが、どこから来ているかを、今日は問題にしたいのです。

 私はなるべくなら、人を褒めたいと思っています。だけど、自分の生死に関わるほどの被害を受けているときに、それに関連した社会現象については、相当な、批判精神を展開するのは、皆様にもお許しいただけることだと感じています。

 ところで、今日の論陣を張る前に、大泉洋と言う存在について、知らない方もあるといけないので、簡単にまとめてみましょう。彼は2008年公開だったと思う、映画『アフタースクール』で主演をしました。その前に、北海道をキー局とした『水曜どうでしょう』と言う深夜番組(ドラマではない)の主役を務め大人気を博した人だそうです。背は高いものの、顔は童顔で、だまされ易い性格を売りにしている好人物。・・・・・以上がWIKIPEDIA等を総括した結果です。

~~~~~~~~~~~

 映画『アフタースクール』が公開されたときは、メディアは、大いに盛り上がり、素晴しい映画だと宣伝をしました。監督、うちだけんじは、サンフランシスコで、勉強した人で、三年前の『運命じゃあない人』は、カンヌ映画祭で、四冠、日本国内で八冠を取った良い作品だったそうです。
35歳で撮影が始まった『アフタースクール』も、知的な意味で非常に高度なミステリー作品であり、「一度見ただけでは、内容が分からないはずだ」と、各新聞紙上で喧伝をされていました。そうまで言われると、それが理解できるかどうかを、試してみたくなるのが、私の常です。

多分ですが、私は筋だけなら性格に把握を出来ました。どんでん返しに継ぐ、どんでん返しの連続ですが、その筋の推移は把握できて、恋愛の実情も好感を持ちました。しかしですね。涙は一切出ず、かつ、読後感(見終わった後の感想)が、時間がたつに連れ、悪くなってきて、一年が経った今では、嫌悪感だけが残っています。

鎌倉のレンタルビデオショップでも、置いていない模様です。それはね。時が経つほど、人々の好感が失われていく映画だからではないかしら? 時間の試練に耐えない映画なのです。

どうしてかと言うと、あまりにも見事に、警察の宣伝映画となっているからです。<<<日本の警察は素晴しい、正義の味方であり、ハイテクを駆使する科学・警察である>>>と言うメッセージを、上品に、かつ、間接的に、国民に伝えるために、出来あがっている映画だからです。監督や脚本家が、別の意図を持って制作したとしても、結果として、そういう風になっています。

もし、今の普通の日本人が、駐在さんと呼んで親しんだ時代を思い起こすほど、警察を愛していたら、この映画の評価も違ってくるでしょう。しかし今の日本の警察は露出過剰です。キャンペーンの張りすぎです。そして、路地路地に、出没しすぎです。NHKニュースでは毎日のごとく、警察関連のニュースが報道された時期がありました。

事件ではない、宣伝の類の報道です。一番笑ってしまったのは、受付嬢を、民間会社に委託して、1500万円ほど倹約するというニュースです。例の校正事務次官殺しの犯人は、ショカツのさいたま所ではなく、桜田門に出頭したそうですが、そういう凶悪犯を、民間から来た受付上に扱わせるのですか? おかしいです。私は、そのニュースは、桜田門のビルの威容を国民に見せて、国民を恫喝する目的で報道をされているとさえ思いました。まあ、それはいいすぎだとしても、警察庁の受付嬢を民間に委託するなどと言う話をマスコミが批判をしないのも、非常におかしいです。

警察へのちょっとした批判も出来ないとしたら、それは、専制国家ですが、その命令系統のトップは首相でもなさそうで、それも非常に不思議な形態です。国民の税金でまかなわれているのが政府で、その政府の総務省の管轄下にあるのが、警察庁でしょう? 違いましたっけ。だから、国民が愛している上等な演技者・草なぎ君を逮捕するなどという、国民の心情からは、はるかに遠い処置が平気で行われています。

そして、NHKのニュース以外にも日経新聞等にも、そのハイテク振りをお知らせする連載コラムも登場しました。

首相までも逮捕されるし、有名人も逮捕されるし、国民は、何を見本にして生きて行ったらよいか分からない状態です。道徳的な自信と言うのを、失わさせられています。それは自分自身の尊厳さえ、見失いかねない状況です。『この国は、良い国だ。特に北朝鮮などと比べれば』と、そこはかなく感じていても、それが、実感としては、失われるがごとき、警察の圧迫感が、この国全体を覆っています。過剰です。あまりにも過剰です。

『この国とその国民が、尊厳と自主性を持った立派な存在には、ならないように』と、願っている他国がいるとしたら、今の状態は素晴しい状況でしょう。しかし、パリやニューヨークで暮らしてみて、普通の国民がもっと自信を持ち、尊厳を高く掲げて生きている状態を知って帰国した私には、これは非常に残念な状態であり、『この国では、現在、普通の国民は、精神的には、奴隷状態に置かれている』とさえ思うほどです。

誰も口には出さなくてもそう思っている状況下で、警察がすばらしいという映画を見せられても人気が出るはずがないです。

大泉君はただ、役をオファーされただけで、何も裏がないのでしょう。でも、こういう情報も目にしました。俳優と言うのは映画が公開される初期には舞台挨拶と言うのをします。そのときに客席から黄色い女子高生の声がして、「おおいずみ、くーん」と聞こえたそうです。それに対して、彼は、「おい、おい、それはないだろう」と思ったと、どこかに書いてありました。

その言葉だけで、『変だぞ、この人は』と最初に思った上に、終戦時のドラマで、例の長髪・パーマのままで主演をしたときに、『ちょっと違うなあ。この人は俳優としての本質を忘れているよ。芸能人が小ばかにされるのもよくないけれど、お客が自分を好きで対等に扱うのに反発をしてはいけない。そもそも、アメリカなどでは、教授でさえ、学生がファーストネームで呼ぶほど、お互いが対等なのだから。・・・・・終戦記念ドラマに、長髪をきらないで出演するなどとは、本当に視聴者を馬鹿にしている』と感じたのです。そして、それが、なぜなのかを考えたときに、警察権力に可愛がられている自信が、こういう態度をもたらしたと推定しました。だと、すれば、全く言うに言われないほどの警察の偏りを示しています。

もし、草なぎ君が逮捕されなかったら、ここまでは言いません。それに私自身が、石段を使ってしか登れない山の上に住んでいるのに、交通事故の調書を取られるという形で、・・・・・特に何も悪い事をしておらず、かえってこちらが被害者なのに、・・・・・脅かされると言う事実がなければ、何も言いません。そして、その後で、パソコンの事故が連続をしなければ、何も言いません。

だけど、今は言わせてください、現在の警察は、本当に偏っています。税金でその活動はまかなわれているはずです。税金は特定の特権階級だけが払っているわけでもないでしょう。すべての国民がそれぞれ、払った総額で、予算が組まれているはずです。その本質を思い出してください。一党一派、または、地域の特定の有力者をひいきするような、偏りを、止めてください。法律に基づいて、行動をするようにしてください。より悪い方を、処分の対象にするように、務めてください。
                   2009年6月25日     雨宮舜
コメント

草なぎ君の逮捕は、創作活動への弾圧をも意味している

2009-06-25 00:00:05 | Weblog
 昨日、ホテル・ビーナスを論調しました。そのときに、踏み込まなかった筋があります。映画評論としては筋を明かすのはタブーですから・・・・・

 しかし、この映画は、五年前ぐらいに公開されており、時効になるとも思いますので、少し踏み入って申し上げます。この映画が、エンタメとして成功しているのは、いたいけな少女が重要なキーパーソンとなっていることにあります。

 この少女の名前は、一応サイと名づけられています。名前は重要ではないと最初に映画の中で、断られていますので、その国籍は不明ですが、全編韓国語で語られるということと、主人公がチョナンと言う名前であること。これは、草なぎ剛を韓国語読みするとそうなるらしいことと、彼が手紙を出すときの裏側の署名が常に、草なぎ剛となっていること、それから、昨日言ったように、最後に、英語かぶれの若者(香取慎吾君が演じる)が、秘密の場所、カフェ・ビーナスをチンピラ(最初は悪役で、後半では善玉となる)に問い合わせるときに、その英語をチンピラにただされるのですが、その際『郷に入っては郷に従え』・・・・・の換言として、「この国の言葉を使え」と命令しますが、その際に、この国=コリアと言う発音が私には、聞こえたので、仮想的に韓国が舞台となっているとも思えます。

 これは、後で、重要なポイントとなります。

 サイは、不思議な男性ゲンと一緒に現れ、心を閉じきっています。そのわけは、サイの母が病気になり、一種の委託殺人をゲンにお願いをして、それを、実行してしまったゲンが、経済的に生きていけない幼いサイを伴って、北の果てに逃れてきたという設定なので、サイは、殺人者としての保護者、ゲンを嫌い、心を閉ざしているのです。

 その事情は映画の最初では伏せられています。それで、観客と同じく事情をよく知らないチョナン(草なぎ君演じる)は、恐る恐る(おせっかいをしているのではないかと自分を疑いつつ)しかし、捨てて置けなくて、サイの心を解きほぐつべくいろいろと手を尽くします。

 それが、草なぎ君の優しげな持ち味を生かした設定となっています。それで、すべてが美しいところへ落着しそうに見えた瞬間に、ゲンは逮捕されるのです。最初には、それは、警官とは思えず、麻薬の問題とか、それを密売している悪人の存在とか、伏線がいろいろ、あって、怪しげな雰囲気になってきて、やくざに追われているかと仮にですが、見えます。

 その悪人側はすべて、韓国の俳優ですが、それもリアリティのある、素晴しい演技です。エンタメとして見事に成功をしているのは、一見すると悪人に見える彼らは実は、警察陣営であったというどんでん返しもあるからです。

~~~~~~~~~~

 この映画は全編で二時間を越える長尺ですが、そのクライマックスにいたるまでの、説明が見事になされているので、ゲンの逮捕が気の毒でならなくなり、観客の代表としての草なぎ君が警官たちに抗議をして乱闘にまでなりながら、ゲンを救おうとするのが非常にかっこよく見えます。

 こここそ、草なぎ君逮捕のポイントです。一種の警察批判であると警察が誤解をしている可能性があります。それゆえに、警察は彼の身辺をずっと探っていて常に、監視を重ねていた可能性すらあります。

 うがった見方でもあるでしょうが、私自身が、単なる芸術の文章を集英社のコンクールに応募しようとして、誰も通っていない朝の六時に、京橋の白山通りを北へ向かっていたら、パトカー2台に待ち伏せされて、威嚇をされたわけです。その後も身辺が怪しいので、実感として推察が出来るのです。

 私自身は芸術を専門としたい・・・・・極く普通の人間です。テロリストでもないし、政治評論家でもない、極く、平均的な日本人です。

 しかし、50年以上前から英語が好きであり、その結果、キーうちがものすごく早いです。で、パソコンで文章を書くのが楽です。ほぼ、頭脳の働きと同時進行的に、文章を書く事ができるので、文章の世界へ移行するようになりました。また、ものを考えるのが好きです。それと、海外で暮らしたので、日本の状況がおかしいなあと感じることも多いのです。

 それを書き続けています。それを怖がっている存在が、警察を使って私を威嚇していて、かけないようにしているのではないか、と感じるのです。つまり、表面上は自由であり、民主主義国家であるように見えるこの国は、一方で、国民が高度な心理操作を受けている非常に不自由な国でもあると思えます。

 いえね。このメルマガと、ブログの読者は、日本のエリートを選りすぐっていますので、あなたのご身辺は、安全でしょう。しかし、私の身辺は常に威嚇を受けています。そのきっかけについては、6月19日に、このブログの世界で書いた、猫の事をきっかけとして、悪人側(鎌倉の有力者)の方へ見方をして、山の中に住んでいる私に対して、交通事故の調書を取るなどと言う形で脅した警官二人の失敗にあるわけですが、その後、私の身辺に起きたパソコンの事故、(今もそれは続いていて、シゴトをやりにくくさせていますが、)が、もし、警察の手で行われたのなら、これほど、私が威嚇をされるのも、理由が頷けるのです。

 警察がやっているか、その背後にいる、国際的な、諜報機関、(昔の名前で言うCIA、今で言うエシュロン、または、全くその名前の知られていない組織)がやっているのかはわかりませんし、最近では、CCCに問い合わせたことをきっかけとして、ウィルス感染だと定義されそうになっていて、私は今ひたすらそれもチェックしているところです。

 シゴトへの妨害の結果、数台のパソコンを同時に、使っていますし、USBフラッシュメモリーや、モバイルディスクも使っていますし、せっかくCCCまで連絡をして、相手側から電話さえ貰っているので、ボットウィルスのチェックもするつもりで、その前に膨大なデータを保存しなければならないのに、CD保存装置を、昨日の午前十時から突然に、数度目のこととして壊されたので、非常に大変です。

 妨害とは、最近では、アドビ関連ソフトに向けて行われます。二年前の秋に、アドビ・イン・デザインCS2が突然パソコン内から消えてしまったりするし、これらの現象はウィルスとは思えず、

 そして、夜外出をして、公衆電話を利用すると、それが、自宅側でキャッチをされるらしくて、パトカーがお迎えに来る(例の威嚇のためですが、前照灯で二、三分停車して、私を鎌倉小町通りの鉄の井辺りで、待ち伏せをする、・・・・・などと言う現象を考えると、すべては警察が行っているとも推察が出来るのです。

 もし、警察ではないとすると、そのパソコン上の実際の妨害者が警察を手下として使っているとも思えます。どちらかは分かりませんが、私のパソコン内の被害を丁寧にここに書いたら、私が技術的に、クリエーターである事が出来ない可能性が生まれていて、それによって、言論を弾圧されているのが、皆様にもご理解を頂けるでしょう。

 まさか、日本人が日本人をいじめる、それほど、警察も馬鹿ではないでしょうと、二年前までは思っていました。ただ、そう信じると同時に、このパソコン事故の最初期から、相当な大物(組織)の関与も疑ってはいました。でもずっと、『警察もそれほど、馬鹿ではあるまい』と考えていたのですが・・・・・あまりに、威嚇を目的とした、ばかばかしい現象が続くので、

 『警察は、意外にも馬鹿であるかもしれない』と考え始めました。そして、私の場合はこちら側が全くの被害者であるにもかかわらず、加害者側が鎌倉の有力者と結びついているために、謝罪も無いわけですし、あまつさえ、攻撃側に回っているわけですから、

 『これじゃあ、冤罪は頻発するでしょう』と、感じるようになっています。

 数々の冤罪事件は、もしかすると、真犯人は出来の悪い、地元の有力者の子弟だったかもしれないのです。警察は真犯人を実際に見つけられないのかもしれないし、有力者の子弟が真犯人だった場合にはそちらをかばっている可能性すらあるのです。

 私が実際に、この鎌倉の山の中で経験していることは、アジサイ畑欺もう事件もそうですし、猫の窃盗(加害者が法律用語で、煙に巻くのが好きなので、彼の言い方をそっくり真似をすれば、持ち主が断っているのに、入れ込んでしかも隠して返さないというのは、一種の窃盗です)を契機に、起きた数々の現象から考えると警察は、

 文化人が多く住むといわれる鎌倉辺りでも、こんなに古い田舎っぽい処置しか出来ないのですから、ましてや足利辺りの本当の田舎だったら、そりゃあ、冤罪も起きるでしょう。

~~~~~~~~~~

 さて、どうして、草なぎ君が逮捕されたかですが、例のホテル・ビーナスであまりにも格好良く、警察と乱闘をして、足蹴りまで食らわせます。結局は警察が勝つのですが、心模様として、『警察も、情け無用だなあ』と観客が考える事を警察が、怒ったと仮定しましょう。『この映画は、舞台が韓国と設定をされているので、これを、<<<警察告発映画である>>>と誤解をするほど、日本の警察は狭量ではないであろう』と、昔は考えていましたが、最近では、『違う』と私の発想が変ってきました。

 例の小泉さんの靖国参拝を、あらゆる形で阻止しようとする動きが日本国内のメディアや、法廷を利用して行われたわけですが、その影にあの東京裁判を、後ろめたく思っている存在があり、それが、日本人のある部分を使って、小泉さんおよび、靖国神社、および、A級戦犯を、貶めている・・・・・と考える私の発想が真実をうがっていると、それを抑えたい組織や団体が、私を心理的に抹殺をしたくて、すべてを行っていると考えると、非常に分かり易くなったので、

 草なぎ君の映画程度でも、その影響力をかんがみて、かれを、しばいて、おこうと言う単純な発想を、警察上層部が抱き、その部下たちが、ただ、命令されるままに、動いて、ずっと彼を監視していて、落ち度があれば、すぐさま、逮捕したと推定するわけです。もちろん、この推察が間違っている場合も私は考慮に入れております。

 ただし、家宅捜索まで行うほど、彼を脅かす必要は、ありません。単に公園で裸になったぐらいでは、そこまでの、必要は、ありません。それは、100%と言ってよいほど確かな事です。

 しかし、例の過剰な神経過敏、連合国側の神経過敏が、東京裁判のうしろめたさを暗に、しかも明瞭に表す行為としての、靖国参拝への攻撃を行わせているわけですが、・・・・・そこから、類推すれば、

 ・・・・・草なぎ君がプロット上の必然として、回し蹴りを警官に対して行うのも、警察の神経を逆なでしたと、いえないこともないのです。

 しかし、これでは、クリエーターは、本当に困ります。何も書けないし、何も表現できません。非常に悪い国と、この日本が化しています。

~~~~~~~~~~

 対照例として、明日は大泉洋と、映画『アフタースクール』を挙げましょう 草なぎ君とメディアや、警察の扱いの違いを許容していてはなりません。それは、回りまわって最大多数の普通の国民の首を絞めることにつながるでしょう。大泉洋とか、その他の、うまく立ち回る芸能人、やら、コメンテーターが得をするのは大目にみましょうが、私がその中に含まれている、普通のにほんじん、しかも正しく物事を見抜ける普通の日本人が圧迫をされるような事を許してはならないのです。そうしないとこの国の国民は奴隷となります。

 国際的なグローバリズムの餌食となって、働けど働けど貧しいということに、やがてなっていくでしょう。

~~~~~~~~~~

 もし、この文章を書いたことによって、『ホテル・ビーナス』のレンタルDVDが、レンタルショップから撤収をされたり、または、私のブログが検索機能から、はずれるとすれば、まさしく・・・・・この国は暗黒時代に突入している・・・・・といえます。それがまた一つの、証拠となります。

~~~~~~~~~~
ところで、私はこういう構造には一年以上前から気がついていて、推定加害者と常に呼ぶ相手側に対して、謝罪を求めてきています。または妥協点ですね。それが実行をされたのなら、真実を書かないでおいても良いとさえ考えていました。

 つまり、警察が、こちらを見くびりきっていて、最初のパソコン内攻撃を行い、それは、2008年9月に報告された読者のうちのひとりが、「戦慄すべき状況だ」といったほどなのですが、それがなぜ行われえたかと言うと、町内会を利用した密告組織のせいでもあるのです。

 猫のことで、大変な迷惑をこちらに掛け続けた、陶芸教室の主催者も町内会の役員ですが、その中で、防犯協会等の名目の役目をしている存在等に、警察が、ご近所住まいの人間の内偵を頼む可能性はあります。

 そうすると、彼らが、私をどう判断しているかが影響します。その人が、私と同じ程度に深くものを考える人間で、しかもパソコン技術が高い場合には、<<<私が相当なレベルで知恵ものである>>>と言う事が推察できるでしょう。そうすれば、これほどばかげたパソコン内攻撃を、最初から私が見抜けたということも推定できて・・・・・やらなかったはずですが、

 でも、密告者の方が、私とは全く違うタイプであったら、私の事を卑しく、弱い存在であると報告をする可能性はあります。彼らは、井戸端会議で、羽振りを利かせることなどに、現を抜かすタイプです。すると、考える事が好きで、ご近所などとは付き合うことをしない、私の事がまったくと言ってよいほど、理解ができないでしょう。

 自分たちは、社会人として、井戸端会議で、道路をふさぎ、中学校の番長まがいの生活をしているので、自分たちの方が強く、しかも上に見えているのでしょうね。その観察眼で、「雨宮舜(本名川崎千恵子)は、たいしたことはありませんよ。弱いですよ」と上奏をされたと仮定をします。

 もちろん、彼らが直接、警察庁(京橋にパトカーが待っていたのは、鎌倉警察署から、神奈川県警に情報があがり、それが、警察庁に上がり、それが、警視庁に降りたわけでしょうから)に

 接触したわけではないでしょう。間接的に、接触をしたと考える方が普通です。たとえば、6月19日に少しだけ触れた、フリーメーソンから、非常に可愛がられている可能性のある、鎌倉の出版社・社長を通じてかもしれません。

 または、出版社社長・本人のアイデアに基づいて、これらのパソコン内妨害処置が行われた可能性すらあります。私の文章が有名美術評論家に剽窃をされたのですが、その社長とその剽窃者は、同じ大学の卒業生でした。

 ともかく、このパソコンへの攻撃者が、警察である可能性は強くて、その原因は警察が、私を見くびりすぎたことにあります。この程度のことは、私が見抜けまいと馬鹿に仕切っている可能性は大きいです。

 しかし、私は最初期から、その可能性も考えていたのですが、私が過去に書いたメールや手紙を利用して、あたかも特定の・・・・・ほかの個人・・・・・がやっているかのごとく、偽装をさえ、されていました。

 それも悪賢い手法です。もし、この推定される加害者が本当に警察だったら、まさしく、警察そのものが犯罪を犯していることとなります。道義的にはそういえます。ものを書く人、たとえば、植草教授などがこの話を聞いたら、得たりや応と、感応してくれるでしょう。言論の弾圧が、非常に巧妙に行われている事実を、最先端で走っている人間は、きっと既に、知っています。

 しかし、まだ、パソコンの利用については法律が整備されておらず、法的にはこれは、犯罪とみなされないので、やりたい放題ですが、京橋に2008年の4月1日の早朝に、二台のパトカーが現れたことは、警察のこのパソコン事故への関与を伺わせるに、充分です。突然ですが、疲れたので、ここで、終わらせてくださいませね。
               2009年6月24日、      雨宮 舜
コメント

生きることは涙と共に(ホテル・ビーナス)

2009-06-23 23:43:46 | Weblog
  ・・・・・シンクロのコーチ、井村雅代さんの言葉と共振して・・・・・

 今日私の一生で、やっと、二枚目(?)として借りてきた『ホテル・ビーナス』をパソコンで再生しました。7泊8日と言う決まりなのに、忙しくて、10日目にやっと見ることが出来ました。

 涙が出たという点で、私には合格作品と思えます。そして、ほんわかとした希望を与えて終わるところも・・・・・一つの芸術作品として好ましい。

 俳優としては、最近とても評価が高い中谷美紀さんが、びっくりするほどうまいです。ただの美女かとおもっていましたが、そうではなかった。テレビでは二時間ドラマ程度しか見た事が無くて、今回、その演技を初めて<<<まともに>>>見た感じですが、すごいリアリティがあります。挫折した夫と共に、その堕落と共振して、堕ちきってしまった元看護婦と言う役。一種の共依存になっていて、それゆえにいらいらしていて、夫婦喧嘩ばかりしてしまう妻の役。自分の美貌ばかり気にしている女優だったら、とても表現しきれない役でしょう。相手役がまた、うまい香川照之さんなので、非常に面白い設定でした。
 他の日本人俳優も、草なぎ剛、香川照彦、市村正親、伊武雅人、勝村正信と、演技が達者な人ばかりです。

 同じくらいの数の韓国人俳優が参加していますが、彼、彼女たちも上手な演技で、信じがたいほどすべての役柄に、リアリティがありました。全編、韓国語が使われ、最後の方のせりふでも、この国が韓国であるかのごとき、設定があったのに、・・・・スタッフはほとんどが日本人です。監督、制作、脚本、撮影、音楽、すべて日本人です。

 主役の草なぎ君を生かすために、彼の特技である、韓国語で、全員が演技をするという設定になっています。ただ、それは、彼がスターであるからそうなっているわけではないと感じられるのです。草なぎ君の風情とか、演技が、往年の中村錦之助とか、三船敏郎などの、持ち味とは違うからです。今の旬の人、山本耕史君ともちょっと違う。ちょっと女性的なところもあるけれど、抑えた謙虚さと言うのがあって、それが、品の良い狂言回しの役を、与えられたときに、こなしきることに、対してとても役立っています。

 その韓国語を使うということと、ウラヂオストックがロケ地だということは、まずくすると、荒唐無稽だけで終わってしまうところでしょうが、返って、それが生きるのが、この映画が人間にとって、相当大切な、ごく、本質的なメッセージを送っているからだと思います。そのメッセージを生かすために、その不思議な無国籍風設定が、思いがけないレベルで、成功をもたらしています。

 白黒映画であることも、<<<もしかしたら、制作費を抑えるためだったかもしれませんが>>>、文芸映画として、成功を狙ったとすれば、高度な作戦です。そして、最後の数分間だけの、カラー化(しかし、非常に淡白なカラー設定である)も、映画を生かしています。そこは、クライマックス後で、人々が再び、目的を見出し、明るい方向へ歩き始める場所ですが、そこだけをカラー化してあるのが絶望から希望への変化を象徴しているからです。
~~~~~~~~~~~~~

 皆様は、わざわざには、このDVDを借りてきてご覧になることはないでしょう。と信じて、いるから、相当な程度で、語ってしまうと、おばさんだか、おじさんだか、分からないビーナスと呼ばれる老人(市村正親が演じる)が経営するカフェ・ビーナスは、知る人だけが知るホテルでもあり、そのホテルには人生に失敗した人だけが泊まっています。一種の下宿屋となっているわけです。

 そこに、三年前から住み込んで、今ではウエーターをも担っている、草なぎ君が、語り手でもあり、狂言回しでもあり、彼の独白が、この映画の文芸映画としての特質を余すところ無く表しています。決してゲテモノではありません。世界のどこへ出しても通用する立派な映画です。

 詩情溢れる東京人(または、日本人)の文化的に、成熟した・・・・・観点や心の中が描き出されていて、引き入れられるのです。
草なぎ君のせりふもいいのですが、最後の辺りには、ビーナスのせりふで決めてきます。そして、皆様がこれを、ご覧にならないと再び仮定して言ってしまえば、なんと、ビーナスの死ぬところまで描かれます。人間は苦しみつつ、生き抜いて、そして、死んでいく、そこまで表現しています。

~~~~~~~~~~
 最もすばらしいものだと思えたのは、「迷っている限り、生きたいと思っているわけだから・・・・・」と言うのがあります。この映画に登場する人はすべて、わけありの不幸を背負っていて、中でも、10才前後の少女が、過酷な運命を背負っています。その子が家出をしたときに「探しにいこう」とみんなを、決意させるためのせりふなのですが、

そのフィクションのせりふを聞きながら、つい最近NHKに登場された、シンクロのコーチの井村さんの言葉を、私は思い出していました。

 井村さんは、若い日に学校の先生と主婦、を兼ねながら、非常に忙しい日々を送られたそうです。しかも学校では生活指導を担当。体を張って問題児を指導しておられました。その時に経験をした数々の事が、後の過酷な人生を生き抜きさせ、中国のシンクロチームにオリンピック入賞を果たさせることとなったのですが・・・・・

 あるときに少女が助けを求めてきたそうです。「今から死にます」と言う手紙を受け取ったとたん、井村先生は、学校中を捜し歩き、トイレで、リストカットをしている、少女を見つけました。それも、すごいことだったのですが、先生はご自分の功績より、そのとき少女を担ぎこんだ先の病院の先生を、
素晴しい方だったと、褒めておられます。

 そちらのお医者さんは、テレビには登場されなかったのです。が、今担架に乗ってかつぎ込まれた、生きるか死ぬか分からない瀬戸際の少女に向かって、「治療をして欲しいか、それとも、して欲しくないか」と質問をされたそうです。つまり、いったんは自殺を決意した少女を救うに当たって、その選択を本人に任せ、それによって、本人の自主性と責任感を喚起させられたそうです。

井村先生もすごいのですが、そういう立派な方がさらに、すごい人だと他者を褒める。

いろいろな人がその持ち場で、すごいことをやっています。世間の評価とは、意外と違う尺度で、立派さを具現しています。『ホテル ビーナス』も、エンタメとしても一種の哲学のメッセージ教本としても、素晴しい出来でした。
                                                    2009年6月23日          雨宮舜
コメント

ミッシェル夫人から、メールが来た。

2009-06-22 02:08:34 | Weblog
 いやあ、単純に喜んじゃって、「ミーハーだなあ」と皆様はお笑いめされることでしょう。
ホワイトハウスから二度目のメールが来て、

 一度目はスグ読まなかったのですが、
あとで、読んでみたら、短かったし、大統領自身が書いた文章ではなくて、
 ホワイトハウスのスタッフが書いた文章だったので、今度もその伝であろうと、
気軽に読み始めました。

 すると、最後に、Michelle と署名があって、苗字がないのです。

それで、あわてて、本文をもう一回読見直すと、大統領のことも、Barackとファーストネームだけ書いてあるので、『お、これは、ミッシェル夫人の文章なのだ』と気がつき、

 大いに、楽しくなり、また、バラク・オバマ大統領が、二歳のときに父と別れたことも知り
・・・・・それを、ミッシェル夫人は、一種の官邸メルマガの中で
告白をなさるという、アメリカの政治家一家の、姿は、好ましいなあと、感心し・・・・・

・・・・・私は午前、0:20に帰宅して、夕ご飯も食べないで、それを読んでいたわけですが、
夕飯としてのホワイト・シチューを暖めつつあったのに、・・・・・

・・・・・それを、読んだり、ミッシェル夫人お勧めのビデオを見たりしているうちに、・・・・・
おいしいおいしいホワイト・シチューがブラウン・シチューになってしまいました。

~~~~~~~~~~
 なお、そのミッシェル夫人お勧めのビデオの内容は、今回100回目を迎える父の日に当たり、ホワイトハウスに、
 アメリカ時間の6月19日に、有名人であり、父である人と、一般人であり父である人を招いて、歓談をしたというものです。

 メールの中では、矢印で、開始となっていて、それは、このブログの中では有効にならないので、実際にあけた、場合の、
URLを下に記載をしておきますので、ご興味のある方は開いてみてください。

2分30秒と言う短いものです。
http://www.whitehouse.gov/blog/Responsible-Fatherhood/

~~~~~~~~~~
ところで、このブログの方は、必死になって更新をしていますが、11年間続けている、メルマガの方は、珍しく一週間あけています。銀座にも訪問をしていません。

ひたすら6冊目の制作に、集中しております。ただ、元気です。
今日は、お昼が一種の同窓会で、中華ランチコースだったので、昼から夜まで、
11時間空けましたが、元気です。普通なら、ばてるところですが、
銀座アスター・鎌倉・賓館のお料理は、おなかがそれほどの長時間持ちました。
女性用の少量コースだったと思いますが、それでも、大丈夫でした。

私がリラックスをしていて、軽い種で文章を書いているとそれが、スグ猫に伝わり、ひざの上に乗ってきて、ぐるぐる言いながら、今、寝ています。
難しくて、緊張を要することを書いている時は、絶対にキーうちの邪魔はしない猫ですが・・・・

子猫のときは、難しいタネを書いていようが、どうしようが、キーボードの上に乗って邪魔をしたものですが、今では、大人になりました。私のかもし出す雰囲気で今、お母さんがどういうものを書いているかが分かるらしいのです。

では、私の文章も短く、今日は終わりましょう。09-6-22  雨宮 舜
コメント

おいしいメキシコ料理

2009-06-20 23:24:14 | Weblog
 昨日は相当長いものをアップし、しかもどうしてか、たくさん、誤変換がありまして、皆様には、何のことかお分かりにならなかった側面もおありかもしれないと、申し訳なく存じております。

 ところで、ブログパーツ用の写真は、本日の本文とは関係がありません。昨日の余韻として使っているだけです。それに、私はほとんど、猫の写真を撮った事が無く、私の撮影の技術も下手ですが、猫の方も緊張しきっていて、体勢だけは普段どおりの甘えた、ごろんちゃん(と、私たちが呼ぶ仰向けの姿勢)ですが、目は、緊張のあまり、すがめになっていますし、こちらをやや睨んでいますね。猫好きの方にはごめんなさい。あまり良い写真ではなくて、・・・・・

 さて、今日は軽く、おいしいものをお知らせさせてくださいませ。場所は、横浜東口スカイビル28階、店名はエル・トリート・・・・・メキシコ料理のお店です。この階は結構お高いお店が多い中で、良心的なお値段でした。

 ただ、おいしいと思ったのは、お昼のランチ・コースです。2,500円ですが、大変丁寧に作ってありました。

 事前には『メキシコ料理とは聞いた事があまり無いなあ。日本人がもっとも好む外食は先ず、中華料理(ラーメンを含む)と、和食(そば、うどんを含む)でしょうね。その次の三位ぐらいにピザを含む、イタリアンかフレンチか・・・・・』と思ってあまり期待をしなかったのです。

 確かに、あまり加工はしていない料理が多いのです。それに、焼肉等もサイズは小さい。
 でも、おいしいのです。何がおいしさをもたらすかと言うと、丁寧に切ってある豊富な野菜類です。いかにも清潔で、新鮮で・・・・・

~~~~~~~~~

 辺りを見回すと、月曜日のお昼過ぎ、二時近くなのに、若い女性が一杯です。『若い女性と言うのは情報にさといのだなあ』と感じました。スカイビルは、横浜駅周辺の多数ある商業施設の中では、駅から遠い方で、通りがかりでひょいと寄るという場所ではないのです。

 だから、情報誌等をみて、食べに来ている人たちで、普通のお昼と言うよりは、友達と久しぶりに会って、お話をしたり、気持ちをリフレッシュしたりする場所として利用をされているようでした。私たちがランチコースを取ったのは、もう、この先、二度と、メキシコ料理を食べるつもりがなくて、それなら、すべてのレシピを、トライしてみようと思ったからでした。何回も来るつもりなら、アラカルトで、充分でしょう。

 そして、もうひとつ、おいしさをつのっているのは、スタッフのしつけの良さでした。なまじのホテル以上の、品のよさと客あしらいで、それだけはびっくりです。

 また、店内のインテリアもメキシコの民芸品を多く使っていて、『こんなお店の社長をするのは、楽しいことだろうなあ。丁寧に打ち込んだ仕事ぶりだ』と感心をしていたのです。

~~~~~~~~~~

 でも、私たちがそのお店に入ったのは、新型インフルエンザの流行の最初期で、いわゆる風評被害の典型で、客の入りは少ないのです。

 でも、おいしいし、今日は簡単なお話で終わらせたいので、このお店が良かったとだけ、申し上げましょう。

 ところで、
 今日、この文章を書くに当たって、そこのパンフレットを取り出してみました。すると、冒頭に、全米No.1と、キャッチコピーがあります。『えっ。アメリカ発のお店なの。すると、このインテリアも規格品なの?』とひどく驚きました。

 『メキシコ料理をアメリカ人が、アレンジして、さらにそれを、日本人が日本人向きにアレンジしているのだ』と、新たな考えを持ちました。そうすると、社長(または、店長)は雇われ人となるので、私が推定したほどには、創意工夫の発露が出来ないかもしれませんね。でも、このスカイビルで食べた料理は、きめ細やかで、このお値段としては、お得感が大きいと、感じました。

 アメリカで、同じぐらいのお値段で食べる普通のステーキ・プレートなどよりもずっとおいしいと感じました。

 ともかく、野菜と、ドレッシングで勝負のお料理です。

   では、今日は本当に簡単で恐れ入りますが・・・・09-6-20雨宮 舜
コメント

飼い主と、競争をする猫(加藤佑子のヒまだね英語から)

2009-06-19 12:04:16 | Weblog
飼い主と競争する猫はカンヌに、猫ブログ発の署名は大臣室に――ひまだね英語(gooニュース・ひまだね英語) - goo ニュース

上は12日に配信されたニュース(コラム)です。書き手は一時期、オバマ大統領について熱心な取材と報道をアメリカから送ってくれた女性・・・・・

ご本人も猫好きなのかな? 上は好ましい、そして、ほっとするニュースです。

ところで、加藤さんはアメリカに住んでいるのだけれど、今回の話題の猫は、イギリス在住です。

で、思い出したのだけれど、イギリスには猫エッセイの上等なものが多いのです。
最近ではドクターヘリオットの一連のもの。

その中に、町内中のニュースを知っていて、普段の夕方はパブにいるのだけれど、午前中でも午後でも、町内会の集会があると、必ず、そちらへ移動をして、皆さんの意見を傍聴をする猫・・・・・と言うのが出てきます。

~~~~~~~~~~~

 ドクターヘリオットものの中には、さまざま、ユニークな猫が出てきますが、総体として感じるのは、書き手の心の柔らかさと、イギリスの自然の豊かさです。猫が自由に横断したり、移動をしても怖くない道がたくさん残っている模様です。

 こういう場所は東京圏では既になくなっています。

~~~~~~~~~~~
 それはそうと、我が家の猫も(獣医さんからもらったのですが、一種の野良猫)ですが、頭の良いことは限りがないです。私はこの年、66歳になるまで、寿命の長短合わせて、5匹の猫に触れましたが、今回が一番、頭が良いです。器量よしは、19年以上生きた、4匹目の猫でしたが、頭の良さと言う点では今の猫が勝ります。

 それこそ、町内で何が起きているかを全部知っているという猫で、とんでもないレベルで可愛がられすぎるので、出さないことにしたほどです。にっきゅうが黒いのでシャムの血が入っているのでしょう。

 返してもらえなくなるので、木戸さえ作って出さないようにしたほどです。しかし、木戸が腐ってきますね。そして、隙間が出来ます。すると、そこから出てしまいます。

~~~~~~~~~~

 彼女が一番よく出かける先は、二軒先の隣に在る陶芸教室です。そこは、お客さんが多い。そしてそのお客さんたち、みんなから我が家の猫はちやほやされます。だから、出かけます。しかし、返してもらえず、私がわざわざ取りに行くと寒い寒い、二月でも、玄関ドア外で、五分はまたされます。神経が図太くて、かつ、ものすごいレベルで、生意気(?、またはわがまま)なご夫婦なのです。

 でね、主人や息子まで出て、ふた家族が家族がお互いに取り決めて、そちらは「入れないように」と、こちらは我が家の敷地内から「出さないように」、と決めたんですが、山の中に住んでいるので、木々の間をくぐって、猫がひょいと出てしまうこともあるのです。

 すると普段行くことのできない陶芸教室が何ヶ月ぶりかですから面白いですよね。行きます。すると相手は返してくれません。一応迎えに行きますが、だんなの方が大声で、「いない。敷地内に入ると、住居侵入で訴えるぞ」と何度も怒鳴ります。私は内心では、『あら、そちらは窃盗ではないの?』と思いますが、そういうせりふを言うと、売り言葉に買い言葉になるので、心理学で言う、おうむ返しいうのを多用します。相手が言うことをほとんど、同じレベルで帰すという形です。

 しかも相手が男性で、大声ですから、普段の声量では、一種の負けに見えるから、同じくらいの大声を上げました。すると、全山に響き渡るような大騒ぎとなりました。でね。我が家の猫がびっくりして中から出てきました。

 陶芸教室の夫婦は誤解をしていますが、我が家の猫は、私たち夫婦に大いになついているのです。しかし、私が忙しいこともありますし、我が家には、陶芸教室の生徒は着ませんので、静かであり、刺激が少ないからそちらに出かけるのです。それと、猫葉、とても賢いので、自分の家来になってくれる人間が好きだというのもあります。陶芸教室の主宰者は、女性であり、トロッとした感じの人で、猫としては、家来にし易いタイプです。だから、よく行くのですが、それを、勘違いしていて、自分たちの方が空かれているとでも思っているのか、この日も、

 「分かりました。来ています。お返しします」と言って返してくれればなんでもないのに、決め事を自分たちが先に破っているものですから、決まりが悪くて、高飛車に出て、隠し通そうと思ったみたいです。それが、主宰者の旦那の大音声の怒鳴り声へと結実をしました。
~~~~~~~~~~~~

 すると、そのやり取りにびっくりして、我が家の猫がその陶芸教室の塀の外に出てきて、私を呼びました。心配そうな声でね。私もその猫を拾ってうちへ帰りたいのですが、相手の男性の暴力性が強くてね。背中を見せたら、殴られそうで、仕方がないので、彼が納めるまで、対応を続けるつもりで、さらに怒鳴りあっていたのです。

 相手の嘘が明白に見えたわけですし、しかも猫の鳴き声の様子からは、彼女が私の味方であり、私を信頼しきって、かつ心配しきっているのも分かりましたので、私は心の余裕を持って、その相手の大男がどう出るかを待っていたのです。自発的に謝罪をするのを待っていたのです。ところが、何も出来ない男性なのです。

 客観的に自分を見ることも、状況を把握することも出来ません。この陶芸教室は主催者が若い頃、鎌倉の有力者(出版社の社長をしている)と愛人関係があったそうで(それは、自称)その伝で、鎌倉では、公民館等で、数多く教室を開いているわけで、その結果、心理的に増長しきっているのです。

 だから、普通の論理が通りません。

~~~~~~~~~~

 状況を読めるご近所の主婦が助け舟を出してくれました。ほら、ほら、川崎(私雨宮の本名です)さん、さびちゃん、(猫の名前)が、怖がっているわよ。早く連れて帰りなさいよ」と。

 これは、私にも助かりました。彼女が目撃者ですから、まさか、彼女の目の前で、陶芸教室のだんなが、私の背中を殴るわけにも行かないでしょう。で、私は安心して、大声の男の前を離れ、猫を抱いて家に帰りました。

 この助け舟ですが、実は相手の男性を助ける向きが大きかったのです。ところが、彼は教養がない。妻の方も教養がない。一切の思考と言うものがない。それで、ただ、ただ、女に遅れをとったという側面しか、自分の心の中にないわけです。『くやしい。どうしてやろうか? ともかく、あいつをやっつけよう』となって、警官を呼びました。

~~~~~~~~~

 その警官ですが、日曜日だったので、普通のパトロール隊(交通事故があったときに駆けつける部隊)だったらしいです。それは、後で、彼らが脅かしのために、取った調書が、交通事故の処理用のものだったので、分かりました。

ま、ともかく、時間の順を追って、お話をしますと、やってきた警官は二人組みでした。中年の方は『俳優にしても良いかなあ』と思うほどの苦みばしった男です。若い方は、豚みたいというほど、太り気味の、あまりものを考えないタイプの顔をしています。

 さて二人は我が家にやってきて、「ご主人いますか?」と言うのです。「なにようですか?」と聞くと「ご主人にあんたを叱ってもらわなければならない」と言うのです。私はすぐぴんと来ました。例の陶芸教室が、この警官を呼んだのだ。そして、警官は、こっちをとがめるつもりになっている。しかし、私は何も悪い事をしていない。近隣トラブルの被害者の方である。

 だから、すぐさま、肝っ玉が座りました。『これを、いい機会として、あの夫婦の欺瞞性を暴いてやろう』と、決意をしたのです。作品が悪いです。修業もしていません。毎晩のみに出て、くだらない噂話を流していて、日銭稼ぎの主婦と言ってよい感覚の生活です。だんなは勤めていますが、夫婦で働いているからのダブルインカムで毎日飲みに出かけるお金があるわけです。

 そんな、決意も知らず、中年の警官の方は、「だんなに会いたいんだよ」と我が家の古い玄関のドアのブをガチャガチャ、いじります。つまり、陶芸教室の夫婦は、私たち夫婦の仲が悪いと信じていて、それを、利用して、だんなをこちらに取り込めば、あの奥さんをもっとも辱める事ができると考えていて、その役割を自分たちではできないので、警官を呼んで頼んだというわけです。

 警官がどうして、そんなばかげた頼みを聞いたかといえば、夫婦が、<<<その出版社社長をしている>>>有力者の名前を聞いたからでしょう。でないと、こんな片手落ちをする警察とは、「すがや」さんではないが、本当に冤罪を起こす体質があると、言えますね。ひどい存在です。これから、さらにひどい状況が起きるのですが、丁寧に時間を追ってお話をしましょう。

 すると、中年の警官がさらに、ドアを開けろと迫ります。主人を隠しているわけではなくて、本当にいないのですが、嘘をついていると思ったらしくて、すさまじい勢いで迫ります。こちらが、そのドアを開けたくないのは、その裏には猫トイレ他、がおいてある倉庫になっていて汚いからです。だから、あけたくない。

 この後で、私は怒りきって、鎌倉警察署に電話を掛けて、「署長をよこしなさい。謝罪してもらいたい」と何でも電話を掛けています。そのとき、スグ対応があったら、証拠として、ドアノブを検査して貰いたかったぐらいです。そしたら、中年警官の多数の指紋が出てくるでしょう。

 本当にひどいことをされました。これが、2004年の話で、五年前ですから既に指紋は消えてもいるでしょうが・・・・・

 ともかく、すさまじい剣幕で警官が、被害者(=私)を脅かすのです。その背景に、出されたはずの有力者の名前と、私を天秤にかけて、こちらが悪いと言う予断を、彼が持ち過ぎているのでした。

 『この顛末の本当の、責任は、この警官よりも、陶芸教室の夫婦の方にあるなあ』とは、一応、考えましたが、今、目の前に存在している、警官も物理的には大きな障害ですから、それを、払うために、道路にまで出て、説明を始めました。

 ここには、アジサイ畑・欺もう事件・と言うのが、既に存在をしていて、その件で、私は、総額、五百万円ぐらい損をしています。20年以上にわたって、我が家だけ、私道部分の花畑を使えません。世の中には、30センチ地境がもめただけで、殺人事件が起きるのですよ。・・・・・それなのに、教養が高いばかり(???)にガンジー主義で、非抵抗でいる人間に対して損失ばかり与えて、加害者が優遇をされ続けているのですが、

 この猫の件で、泥棒(陶芸教室のだんな)の方は、よく法律用語を振りかざしますので、それを、私もまねをすれば、彼の方は、窃盗です。数年間にわたって、こちらが断っているのに、猫を入れ続けたので、窃盗であり、その回数は、計り知れません・・・・・

 そして、アジサイ畑欺もう事件に戻れば、後追いのために、我が家の承諾していない偽の地境石さえ入れられています。それを目の前で、状況を指差しながら説明をすると、さすがに中年の警官の方は、納得をした模様です。

 普通の能力(頭脳と言う意味で)をもっている人でした。ところが、若い方の方は人生経験も少ないでしょうし、顔つきから見ても、何も考えていない顔をしていますので、頭から陶芸教室の主張が正しいと信じているらしくて、そちらを助けるためにでしょうが、私を悪人扱いする目的で、調書を取っていました。私は彼の行動の自由を許しましたが、頭の中ではかんかんでした。『何と言うおばかさんなのだ』と、考えつつ。

 こちらは、法的に言えば被害者ですよ。それを、脅かすのは何のため、・・・・・はっきり言えば、警察は鎌倉の有力者とそれに、関係がある人間の手兵になっているのですか?・・・・・と、内心ではかんかんです。怒りのきわみです。でも、あの陶芸教室の夫婦ほどの、瞬間湯沸かし器ではありません。ヒステリー性格でもないし、超がつくほど、冷静な人間ですから、ころよしとみたところで、「あなたが調書を取っていらっしゃるみたいだけれど、それには、問題があるので、コピーを取らしてください。あとで、弁護士に見せないといけない」と、申しますと、


 中年の方は大慌てで、私の行動を阻止しようとしました。若い方も中年の警官の態度を見て、本当のところは分からないものの、何か、自分はへまをしたらしいとは考えた模様で、必死になって画板を保持していて、こちらに渡してくれません。

 それで、私は紙だけを引っ張りました。すると、紙が三角形に切り取られました。しかし、書いてある字を読んで、充分に証拠となると考えて、それを、コピー機にかけました。そして、返そうと外へでると、その二人の警官の姿は影も形もありませんでした。

 つまり、中年の方には自分たちが大失敗をしたのがはっきり、自覚をされていたのです。

~~~~~~~~~~~

 これから、先に、私の周辺には、さまざまな現象がおき始めます。その被害を二千万円を越えるのではないかと考えるほどです。泥棒も入ります。例の調書ですが、既に泥棒に入られて、とられています。あの調書は、弁護士さんにファックスで送ると、「あなた、なにこれ、交通事故の調書ですよ。あなた、車の運転はしないでしょう」と怪訝に思われましたが、そこがミソなのです。ただ、単に脅かすために、被害者の側の調書を取ったのです。これが、冤罪を生み出す警察の『若手警官に対する教育』なのです。私が住んでいるところは、石段でしか登れない山の中ですから、交通事故は起きようが無く、私は、猫の件以外では、加害者でも被害者でもありません。

 つまり、有力者の言うこと、(または、その名前が出た場合に)は、調べもしないで、鵜呑みにするということ・・・・・そして、そちらの味方をするというのが、鎌倉警察署の書院教育です。または、パトロール隊は本部に所属をしているのなら、神奈川県警の教育であり、それは、県知事に責任のあるということでも在りましょう。

~~~~~~~~~~~
 一切の謝罪がないばかりか、さらに東京へ飛び火をしたのです。あれは、2008年の三月三十一日でした。集英社の文学コンクールに応募しようとしていて、さまざまな準備をしたのですが、ここで、もう一つ悪い事が置き始めたというのは、私のパソコンに特定のワームが入れられていて、アドビ社・関連ソフトを中心として、シゴトがやりにくくなってきていて、それゆえに、シゴトが順送りに遅れて、締め切りの三月三十一日になってもまだ出来上がらないという体たらくです。

 その際、当時まだ、開いていた丸の内、中央郵便局の職員がまことにおかしい態度をとりましたが、それは、先ず置いておいて、次の日の朝、集英社前でびっくりする現象を見つけたのです。それを先に書かせてくださいませ。

 私は仕事上の妨害を受けるために、締め切りを過ぎてしまったわけですが、4月1日の朝、社員が出勤してくる前に、郵便受けに入れてしまえば、まあ、普通なら大丈夫でしょうと考えて、早朝の集英社前に到達したわけです。

~~~~~~~~~~~

 2008年の早朝の東京は素晴しい天気でした。竹橋の方から眺めると、長い白山通り(?)には人っ子一人いなくて、空気も美しく、素晴しい風情です。しかし、遠めにもパトカーが二台止まっているのには、気がつきました。スグ、それが、何を意味しているのかは理解ができました。

 つまり、警察は、私が書き手として大きくなるのを必死で疎外をしています。つまり自分たちのへまが外へ出ることを怖れ抜いているのです。だから、パトカーが出勤していれば彼女は、その意味を勘案して怖がるはずだから、原稿を、集英社に渡さないはずだ・・・・・→となれば、彼女の原稿はコンクール応募用として審査をされず、彼女がブレイクするきっかけは失われることとなるであろう。

 そう考えているのが、みえみえで読めましたので、『さて、どうかんがえるか』ですが、今、手元にある原稿は、芸術に関するもので、警察に関しては一切を書いておりません。ですから、もし、別件逮捕でもされたら、それこそ、警察の悪を暴き、言論弾圧がどういう手段で実行をされているかを暴く良い機会だと、考えて、悠然と直進しました。

 で、パトカー2台と、その周辺にいる十人を越える警官を無視して、ポストを探したのですが、白山通り側にはそれが見当たらなくて、しかたが無くて、裏に回ると、何と守衛室に既に、守衛さんが出勤をしてきていて、彼に原稿を渡さざるを得なかったので、締切日と言う点ではアウトです。

~~~~~~~~~~
 その帰途ですが、いかにも刑事であろうと思われる男性に、東横線社中でずっと睨まれたので、これもどうするかを考えて、いったん、綱島駅で降りて、階段の影で待っていたのです。すると、刑事らしき人間が降りてきたので、彼が、改札口を切符を出したか、特別なパスで通ったのかは分かりませんが、出て行くのを確かめてから再度、東横線に乗り、自宅へ帰りました。

 さあてね。これを、どう分析しようかですが、どう考えても、簡単なことです。鎌倉警察署長が、その二人の警官を連れて、菓子折りでも持ってきて謝罪をする。または、当事者である、陶芸教室に謝罪をさせる・・・・・または、その上の人間である出版社社長に謝罪をさせる・・・・・この程度で解決のつく問題です。

 しかし、流れはことごとく、反対方向へ流れています。それで、私はさらに考え抜きました。キーパーソンは鎌倉の有力者である、出版社・社長です。で、彼のことをホーム頁で調べてみると、某・大学の法学部卒。だから、普段から人々を法律用語で、煙に巻いている可能性はあり、それに感染した、陶芸教室の夫婦が、住居侵入で訴える』などと言うわけです。しかし、本当に法律の事を分かっていたら、自分たちが、窃盗を繰り返している立場であり、それは、私が寛容であるからこそ、日常的に安全な生活が送れるわけですから、私に感謝をすればよいことで、攻撃するなどとはもってのほかです。

~~~~~~~~~~~

 さて、さらに項目があって、かれは、ヨーロッパの某国から勲章を貰っている事がわかりました。この件で、私がうすうす考えたことは、褒賞と言うものも政治的に利用をされる事があるのだと言う事です。

 そして、なぜ、彼がこれほど、持ち上げられ、さらに反対に私がパソコンの偏重をはじめとして、大いなる被害にあわなければならないのかを考え続けました。すると、わかってきた事があり、そのひとつが、フリーメーソンなどと呼ばれている秘密結社の一員であったり、または、その有力メンバーから可愛がられている存在として、特別な立場にあると言う推定です。

 そして、その同じ組織の丈夫の人間が、既に日本の警察庁の中に入っている。もしくは、警察庁の有力幹部へ働きかけることのできる(たとえば生存中だったら、瀬島龍三氏のごとき存在)とも結びついている。

 で、どうして、私がかくも、(下世話な言葉で言えば、嫌がらせを受け続けて)いじめられ続けなければならないかの根本理由が、猫ごときでは少ないですね。だから、原発に反対していること、劣化ウラン弾に、反対していること、ここまではっきり言ってしまったので、申しますが、エコ活動の推進は、原発の推進を意味しています・・・・・しかし、核燃料とは、入れてしまったら、処置に困る毒性の強いごみとなります。それで、日本は将来死屍累々の島国となるでしょう。そういう予言を持っているので、

 核燃料を開発して、販売をしている会社には、私は困った存在です。また、小泉さんの靖国参拝への集団訴訟などがおかしいと訴えていて、それも、実は間接的には、東京裁判への批判になっているでしょうから、軍産共同体の本部がある、アメリカの国としても、私をぶっ潰したいと考えるかもしれません。アメリカの諜報機関はCIAと言うそうです。

 それから、軍産共同体の諜報機関は、(存在するかどうかさえ、公表をされていはいませんが、インターネットの世界をすべて、把握していて、検索の結果、反省力だと判断をされるとメールが正常に使えなくなるそうです。そちらについては、ヨーロッパの知識人はエシュロンと名づけて抗議をしたはずです。

~~~~~~~~~~

 私は以上のような予測に基づいて必要な情報を集め続けているのですが、NHKの9時からのニュースで、確信を与えられたエポックメーキングな日がありました。それは、クリントン国務長官(夫人の方)が、来日をされた、2008年の2月17日のこと、鎌倉の医事関係のニュースが堂々の時間を取って報道をされたからです。キーパーソンだと繰り返し述べえている鎌倉の有力者とは、医事関係のニュースを鎌倉で発行をしています。こういう手法も自分の権力を拡大するのに役立つなあと考えていましたが、小さなニュースを大きな時間を割いて、報道するのは、裏にいろいろな目的が隠されている場合が多いのです。
 

コメント

70才近い、仲良しさんたち、

2009-06-18 16:19:43 | Weblog
 最近、池袋に至近距離で、強盗殺人、放火事件が起こったようなので、それに、ついてあれこれを申し述べさせてくださいませ。と言うのも、いつも母の見舞いに行っている常盤台のスグ近くだということと、普段私が考えていることと、キーワードが何個も重なるからです。

~~~~~~~~~~~

被害者となった地主さんは、「池袋駅まで、ご自分の土地を歩くだけで行かれた」ほどの大地主で、戦前はお母様が車で女学校へ通ったとあります。私は普段は、こういう古典的な事件には興味がないのですが、夜はよくスナック(または、居酒屋)に出入りなさっていたとあります。友人の支払いをされていたということ。それが見知らぬ人間に大金持ちであることを見せ付けてしまった可能性はありますね。
 まあ、この事件について被害者側の生活についてあれこれ、述べるつもりはありません。

 ただ、老後の生活について、気の置けない人と、一緒に呑に食いするのが、どれほど、リラックスになるかと言う点で、横浜のアリババと言う崎陽軒が経営するバイキング・レストランで見た光景をまず、お話させてください。グループは男性ばかり、七人です。午前11時半ぐらいから集合して、二時間食べ放題のお料理をつまみながら、ビールと日本酒をたしなむ。とても楽しそうなので、主人と「あの人たちはどういうグループなのかしら」と話し合いました。「言葉から見ると、広島の高校の同期生ではないかなあ。エリートサラリーマンとして一生を過してきた人たちだ」と言います。私は誰かが、サラリーマン時代に広島に勤務していただけで、全体は横浜の中学、または、高校、または、私学で6年間一緒に過したグループだったと思いました。仲良しで「天文部があって、どうのこうの」と言う話でした。

 彼らは私たちが入る前に入っていて、私たちが食べ終わる頃、清算をしていました。お一人がカードを出して、28000円ぐらいを支払って、それを、割り勘で清算していたみたいです。つまり、お一人四千円で、二週間に一回、または、一月に一回程度、または、一週間に一回程度、仲良く、お酒を飲んでいる人たちです。バイキングは昼間だけですが、費用としては安くておいしい肴が食べられ、安心感もあるということ、呑むよりは、おしゃべりが目的だから、これでいいのです。

 部屋は広くて、他はほとんど女のお客ばかりです。夫が現役のサラリーマンで、部長クラスと言う女性でしょう。ところどころに私たちみたいな定年後の夫婦が、来ているケースがありました。ともかく、・・・・・平均以上で恵まれているが、特別な大金持ちではない・・・・・人たちの幸せがそこにありました。中に一人で来ている人がいて、私たちのテーブルの隣にそういう女性客が座りました。週刊誌を読みながらの食事です。慣れていると思いました。それも、もし、未亡人になったらときの、一つの選択肢だと思いました。

 これも余計なことですが、男性として一人客で来ている人がいて、そういう人を入り口に近い大テーブルに座らせているのは店長の判断ミスだと思います。奥の目立たない位置に座らせるよう配慮してあげるべきです。一人で食事をするというのは、それだけで、緊張するのですから、それ以上にテーブルが悪くて、入ってきたお客にいちいち、目だってしまう場所は気の毒です。
こういうところに、その店長の器量が現れます。

 
~~~~~~~~~~
 さて、もう一つ、居酒屋について・・・・・
 私は以前から申しているように、スナックや居酒屋に老後、入っていくのは構わないと考えている人間です。特にその事件の被害者が通ったかもしれない、居酒屋街として、常盤台の線路際を考えます。そこに細い道があって、ずらっと居酒屋が並んでいて、活況を呈しています。焼き鳥の良いにおいが外にまで出てきていて、人々が楽しんでいる様子を知り、『居酒屋で、老後のひとときを過すのも悪くないな』思うようになりました。

 話は飛びますが、川崎駅の西口が再開発をされて、居酒屋さえ、立派なコンクリート作りになっていますが、閑古鳥が鳴いています。『これは、大失敗だろう。開発計画に乗った店主たちは今、嘆いているはずだ』と思った事がありますが、居酒屋は居酒屋としての雰囲気と立地が必要です。サッシで出来た格子戸は、冷たい感じです。やはり、木で出来た格子戸をくぐるのでなくては駄目なのです。鎌倉にはそういう特別な通りはないのですが、小町通りから少し入ったところにそれなりの居酒屋が数件あって、有名人が入っていくのを見たことは、たびたびあります。ただ、私自身は老後になっても、鎌倉の居酒屋は利用しないつもりです。常盤台まで遠征するつもりは無いけれど、地元ではリラックスできない感じもありますね。何を話しても案しだと言う点では、非常に親しい間柄で一緒に行くか、または、絶対に関係のない知らない人々の間で話をする方が好ましいです。

~~~~~~~~~~

 もう一つ、東京近郊の地主と言うものについてです。池袋に至近距離と言うことは、戦前から宅地開発がなされいて、成金ではないということと、家のつくりが湘南地方の地主とは、画然と違います。それは、ビジュアル(絵描きとして特に感じること)の側面が強く、ここでは、深くは触れません。では、


2009年5月26日       雨宮舜
コメント

雨宮 処凛が北朝鮮に行った事が何度もあるとは!

2009-06-17 15:13:04 | Weblog
【体験的ノンフィクション論】いつの間にか「よど号」の乗客になっていた:雨宮処凛(作家)(gooニュース) - goo ニュース

 私はこの作家のものを一切読んでいないのです。ただ、NHKの週間ブックレビューだったか、どこかのデジタル系チャンネルで、『生かさせてください』を紹介していて、『それだけで、すごいなあ』と思いました。

 特に当時はまだ、『そのとき、歴史が動いた』の担当だった松平アナの重厚な朗読で、音から聞いた、その本の内容はすごい迫力でした。

 そのすごさのよって来る遠因が、北朝鮮の見聞に、《あるかも知れない》とは、驚きです。

 私も随分前から、北朝鮮関連のものは読んでいます。

~~~~~~~~~~

 ・・・・・特に農業がめちゃくちゃになってしまっていて、国民が苦しんでいる・・・・・それは、金正日総書記が、思いつきで、「とうもろこしを作ろう」と言い出し、それだけを、全国的に栽培したところ、肥沃な表土が、流れ落ちてしまい、

 壊滅的に、作物の収量が減ったからでもある。その後、何を作っても駄目なのだ・・・・・・と書いてあるのを読み、なんと、気の毒なことだろうと感じました。

 日本ですと、国民一人ひとりに自由があり、工夫ができます。それに経済が落ち込んだといっても、まだ、余裕があり、各家庭で出す、生ごみが、自治体で燃やされています。北朝鮮では、生ごみも出ないのではないかと感じました。


 一方で、日本では、賢い主婦の中には、その家庭ごみを、肥料にして、50坪程度の宅地の、さらに、狭い30坪以内の畑内で、自家用の野菜を一年中すべて、栽培しぬく事が、できる人さえいます。

 私は北朝鮮に関する読書体験と並行して、そういう日本の普通の現実を見聞きしました。日本のお母様は坊ちゃんを医者にしたくて、倹約をなさっていたのです。学費が高いからです。だから、日本国民は、北朝鮮に住んでいる人と比べれば、ずっと、ずっと、幸せであると感じました。
 
 その、1980年代の読書からは、北朝鮮の国民には自由が無いばかりでなく、私有地も無くて、家の周り、数メートルを自家用野菜の栽培に当てているのがわかりました。その土地面積も少ないですが、そのうえ、風土が寒い場所です。

 また、その自家用菜園のために、家庭用ごみで堆肥を作ろうにも、大体の歳月が、食糧難だそうですから、飽食の国日本のように、腐ってリンや、チッソを作り出す豚肉やら、魚のあらがごみとして出るわけでもないでしょう。

 すると、ほうれん草や小松菜などを、自分で小さい規模でも有機栽培していて「おいしいわ。お店で買うものとは随分違う。やっぱり、手間ひまかけただけのことはあるわね」と言っている日本の家庭とは随分違うわけです。

 私は1980年代は横須賀市内の丘の上に住んでいて、日当たりもよく、自動車も入りましたので、60坪の敷地内に大型トラック二台分の黒土を入れ、トマトや、ピーマンを栽培していて、「おいしい、おいしい」といって食べていました。農薬を使わないものですから、当時のスーパーのものと比べると、比較にならないくらいおいしかったのです。

 植木も植えていて、駐車場も作っていたから、畑は正味、15坪も無かったでしょう。だけど、夏にはおいしいナスやきゅうりを食べる事ができました。

 それが、どんなに、楽しいことだったかと言うと、今の鎌倉のうちが大木のため、日当たりが悪くて、その20年前の楽しみを味わう事ができないからです。それで、余計に、そのすばらしさを感じます。

~~~~~~~~~~

 個人の楽しみもさることながら、国家としても、既に、物資欠乏状態に陥っているみたいなので、化学肥料は何とかなっても、有機肥料、いわゆる堆肥を作る原料が無いのではないかと私は想像いたしました。

 すると、いったん表土がはがれてしまった、農地を再び肥沃にするためには、どうしたらよいのでしょうか?

 全く暗澹たる思いです。アメリカでも、化学肥料を大量に使ったために、表土が流れてしまったと聞きました。でも、アメリカについては、報道が自由ですから、国民が餓死近辺の状態でさまよっているとは、聞いた事がありません。で、安心しています。が、寒い時期、北朝鮮で、食料も無く、それを、改善するすべも知らない、普通の国民は何と、気の毒かと感じます。農民といえども工夫したり改善したりする自由は無い模様です。ましてやサラリーマンにおいて、おや。

 また、特に悲惨なのは、日本から帰国した人たちらしいです。一応の民主主義・教育を受けているので、北朝鮮に帰国しても、「どうして、こういう風になっているのだ」と発言をしてしまいますよね。だから、危険分子とみなされてい留らしいのです。差別されているらしい。

 それゆえ、一般の国民よりさらに下の位置に置かれ、苦しみぬいているという話です。

 北朝鮮の真実とその悲惨さを学ぶことは、その対極としての理想像を、見極めることに役立つでしょう。

 私が必死になって、政治について、幼稚な言葉ながら、語るのも、少しでも、独裁政権に繋がらない方向で、日本が動いて行って欲しいからです。

~~~~~~~~~~

 ところで、選挙が近いですね。鎌倉は一人区です。これこそ、一党独裁を招きかねない制度です。本当に困ると思います。中選挙区に戻して欲しいです。

~~~~~~~~~~
 さて、どうして、とうもろこしを植えると表土が流れ去ってしまうかと言うと、根が浅いそうです。しっかりと、土をつかまえないのですね。それに、あの植物は、その枝葉が腐っても、上等な堆肥を作り出すとも思えないので、1980年代から、ほぼ、30年間の誤った農業運営の結果、信じがたい、苦境にあの国は陥っているのです。
~~~~~~~~~~

 自由が大切です。私が麻生さんみたいな、変な首長(首相)でも、『それでも、いいわよ』と我慢をしているのは、<<<大物です。賢いです。でも、実は悪人だった>>>という人間に、支配をされることを怖れるからです。

 日本で、どぶ板選挙から、這い上がった人間なら、その過程で大勢の人と接しますので、いわゆる心理的な意味での、身元調査済みですから、安心なのです。二世議員、および、三世議員は、その縛りからはずれるので、恐ろしいところがありますね。

 小泉さんももう少し、ご自分が政治家を続けて、その間に、息子さんを鍛える必要があったような気がしますけれど・・・・・

 ただ小泉さんは、首相までやって、さっと身を引く姿勢です。それも、北朝鮮の王朝まがいの独裁と比べれば、あっとうてきに爽やかで、日本に住むありがたさと彼のインテリとしての成熟度を、感じるます。が、・・・・・これから先、現れるかもしれない<<<仮面をかぶった独裁者・予備軍>>>は、きちんと、見破らなければなりません。

 だから、私は嫌煙運動ごときにも、その神奈川県における異常な高まりには、すぐ反応して、「これは、おかしい」と発言するわけです。

 それから、前日のこのブログの文章ですが、鎌倉で、日曜日の朝、警官が10人ぐらいたむろして、警戒をしていたところは、裏駅と言って、普通なら数十台のタクシーが客待ちをしているところで、デモ隊がそれほど、闊歩できるスペースはありません。行き止まりですし、デモをするには、全く向かない場所です。

 小さな時計台があって、そこでデモに参加する普通の人が、集合するとしても、大昔ほど、人が集まるはずも無く、デモ、そのものの威力もないでしょう。どうして支援する必要があるの?といった規模のはずです。

 だから、そこに、10人も警官が詰めていること自体が、税金の無駄遣いです。
無駄遣いなのに、それを、やっているのは、デモ、そのものが、体制内で、上の人間にやくだつもの=====日本にあたかも本当の民主主義があるかのごとく、装う=====装置であることを証明しています。

 また、デモを警察に届け出なくてはいけないという条例ですか、法律ですか?
そんなものがあるそうですが、それは、何時ごろ発令されたのでしょうか?

 私は自分が、組織が嫌いだし、普通の主婦の暮らしですから、そのことには、今まで、ちっとも気がつきませんでした。

 こんな無駄な配置を、警察がやっている、一方で、秋葉原など、無差別殺害犯が、(一種の自殺願望だったゆえに)とめて欲しくて、ネットの世界で何度も『これから、どえらいことをやる』と警告を発したそうです。そういう情報を機敏に掴むために、そちらへ人員を配置して、動いて行って欲しいです。正しくて必要なところへ力を配置してください。

 それから、渋谷で、浜崎あゆみがパフォーマンスをした事を、違反な事実として、警察が、家宅捜索までしたそうですが、これは、昔から、《草間やよいが抗議をしている》のと、同じポイントです。芸術のこと、芸能のことは、人々を驚かす方が良いのです。予定調和で、進行したら、何も面白いことはありません。

 現代アートなんて、人をびっくりさせることに眼目があるのです。
~~~~~~~~~~

 まあ、北朝鮮からは、テーマがだいぶ遠くなりましたが、ともかく大切なことは国民一人ひとりの自由さの確保です。それを、疎外する政治の動きには敏感にならなければなりません。

 でないと、この国の北朝鮮・化も近いです。金日成は普通の人だったはずですよ。ちょっと、頭が良くて、ずるかっただけでしょう。それが新王朝を開いて、それを、守るためのシステムとして、共産主義を利用しました。

 『共産主義は、資本主義と過激に戦わなくてはいけないから』と、秘密主義を励行して、国民相互の間の正当なコミュニケーションを疎外しました。その他、密告制度・等の、さまざまな仕組みで、国民を縛り続けているうちにほとんどの、国民が、金一族の奴隷をなってしまった国家・・・・・それが北朝鮮です。

 今、日本で、電話帳が薄くなっていたり、プラ意ヴァシーの尊重と言って、あらゆる形で、連絡網を作るのを疎外しているようですが、それは、イランの阿附目アフマニメジャド(難しくて間違っているかもしれない)大統領の国民弾圧と同じです。一体NTTの誰があの薄い電話帳を発明したのだろう。まあ、NTTが昔ほど儲からなくなっている野は、理解ができますけれど。

~~~~~~~~~~

 もう一度、北朝鮮に戻れば、藩屏と言って、身近にはヨーロッパの貴族や近衛兵に似たなものを置き、そして、その選ばれたエリートだけに富裕な生活を保障しているようですが、はたから見れば、全体状況が、悲惨なことはきわまれりです。

 日本も、戦後60年を経た今では、随分変りました。悪い方向へ変っていると、私は思います。特にウエブ・ニュースを見ている限り、一部の富裕層に訴えるような項目が多いですね。トップ頁を飾る記事がそういうものが多いです。

 金融資産、一億円を越える日本人が、150万人以上いるそうです。『そういう層だけを取り込んで味方にしていけばよいのだ』と言う発想が、日本国内に満ち溢れています。

 すこし、ここで、Uターンをして、日本人が・・・・あかるくて、他者を思いやり、・・・・・平等の観点を信じていた時代に、識者やメディアの主張を、戻すべきだと、感じています。しっかりしてくださいよ。有名人たちよ。

   では、今日はこれで、  2009年6月17日  雨宮 舜
コメント

デモを警察が支援をする(?)鎌倉の朝

2009-06-16 10:44:14 | Weblog
 私は普段は夜型の人間ですが、時々、朝早く目覚める事があり、その際は、朝、鎌倉市内へ散歩に出かけることにしています。鎌倉で、何か文章のタネを拾うのなら朝が良いと感じているからです。
 そうすると、裏駅と言うところに、警官が十人ぐらい整列をしています。その全体像は、物々しくもあるが、個人個人は、柔和な雰囲気でニコニコしています。丸腰ですし。

 そこに、小さなワゴンが停まっていて、原水爆反対運動と言うロゴが書いてありました。これで、大体のことは想像がつきましたが、後で、文章を書くためには、確信を抱かなければならないので、ひとりの警官に問い合わせをしました。すると、「後で、ここにデモ行進があるので、警護のために詰めているのです」と本当に親切に教えてくれました。それで、私はもう一回ワゴン車を見つめてみました。すると、デモ行進は千葉県を出発点としている、長期間のものらしいのです。

 私はすぐさま、また、天に感謝しました。この前、民主党に対する<<<まだ、タブーであろう>>>疑惑を述べました。そのときに共産党にも疑惑があると申しました。そのまま、続報を書かないでいたわけですが、『今、目の前にある現象こそ、それを、書く糸口になる』と直感をしたからです。

~~~~~~~~~~

 デモ行進と言うのは、たいていは反体制のものです。イランの総選挙で、モサド陣営が大敗してしまったので、それは、裏で相当な操作があったはずだと信じている学生たちがデモをして、それに警官隊が発砲をして、けが人が出た映像が今日か昨日テレビ映りました。そして、私たちの世代ですと、国会議事堂周辺もしくは中での安保反対闘争のさなかに樺美智子さんが、亡くなったのも記憶に新しい事です。フランスやドイツのデモでも催涙弾の発砲はあると思います。

 しかし、今日の警官たちは夏服であり、ヘルメットもかぶっておらず、防弾チョッキもつけておらず、アクリルの盾も持っていません。全くの平和そのものでありますし、二時間後同じ場所を通ったときには、そこには、デモ隊も、警官も、影も形もありませんでした。

 もしかすると読者の皆様は、「それこそ、日本が平和で、文明の高い国であることの証拠だ」と仰いますかしら。しかし、私は相当に深い悲しみと、憤懣を感じるのです。今、日本の若者は相当苦しんでいます。そういう状態を作り出した高度なシステムが日本に存在していて、それに役立つ装置としての、平和で自由主義で、民主主義国家で、あるかのごとき、デモ行進だと感じるからです。

~~~~~~~~~~

 靖国参拝と、原発反対運動と、エコ推進活動へ反対することは、アメリカ(または、国際的、軍産共同体と、それが、持っている諜報機関)には、許容されていませんが、原水爆反対運動は許容をされているものです。どうしてそれだけが許容をされているかですが、一つには、第五福竜丸事件を契機として、太平洋で、原水爆実験をすることに対する日本の女性たちの、大署名活動が、起きたからかもしれません。が、その底流に共産党の変質があり、そちらの影響の方が大きいと私は思っています。

 去年、小林多喜二の『蟹工船』が、大ブームになり、(漫画本から出発して文庫本が売れに売れ、映画までできた)若者が大勢共産党へ入党したと聞いて、『危ない、まずい』と私は感じたのですが、今の日本の共産党へ、若者を救う力はありません。

 共産党が、真実に共産党らしく、機能しているのは、戦後一時期の、イタリぐらいだけなのではないかと感じます。須賀敦子さんの結婚相手ぐらいまでが、左翼としての、本質を保持していた人たちで、それ以降はイタリアだって怪しいが、それ以外の国の共産党など、一党独裁で新たな特権階級を生むための装置にしか過ぎないのです。ソ連邦しかり、大陸中国しかり。

 日本共産党は、戦前、戦時中、戦後の一時期、大弾圧を受けた英雄的な政党のひとつです。すごく誇りの高い団体です。だけど、最近では、全く異質になっています。ほぼ、一年前の土曜日代々木の幻冬舎で、本作りのセミナーがある予定だったので、出かけた事があるのですが、その帰りに、代々木の共産党本部前を通りました。昔、代々木の駅舎から見えていた、四階建てぐらいのビルが全く変っていて大高層建築になっていました。そして、土曜日なのに、どこにも入り口が無くて、誰も入れない仕組みになっています。

 その時に、『やっぱりそうだ。現在の共産党は、貧しいものの、味方でもなく、弱者の味方でもない』と確信をしたのです。弱者や、貧しいものが困難に出会うのは、月曜日から金曜日までの、9時から5時までとは、限らないのです。各種の宗教・関係・教会が門戸を常に開いているように、共産党本部だって、常に門戸を開いていなければなりません。それがこんなにぴちっと、閉鎖されているのなら、「あ、共産党って大・ビジネス系・会社なのですね・・・・・と言うほかはないです。

~~~~~~~~~~
ところで、再び皆様から質問が飛ぶでしょう。「あなたはどうして、原水爆禁止運動を、共産党と結びつけるのですか?」と。その理由ですが、千葉から出発したデモ隊に、ずっと、参加し続ける人間は、現代の日本ではいないはずです。普通の二十代~六十大までの人間で、一週間以上それに、連続して参加できる人間などいないはずです。一日に都会だと、二十キロ歩くのが精一杯でしょう。となると、次から次へと交代して、横浜なら横浜、鎌倉なら鎌倉と、その地域の人々が参加する形式のデモ隊だと思います。

そういう活動に人々を動員できるのは、共産党しかないです。以前、小泉首相の靖国参拝を違憲とする、集団訴訟が各地で起きて、原告集団と言うのが各地でデモをやりました。そのときに気がついたのです。こういう仕組みに。

日本各地で、おんなじものの、考え方をする人間がこれほど、数多くいるというのが不思議です。普通なら、ありえないです。自然に任せていたらありえないです。しかもどんな国でも、<<<首長に反乱するのは、警官隊に催涙弾を発砲されるデモである>>>とみなされるはずなのに、その原告集団のデモには、警官は催涙弾を発砲せず、しかも、例の大新聞やテレビはことさら、好意的に報道します。NHKさえも。

不思議極まりない現象です。靖国神社にA級戦犯が合祀されている事が問題の根源だそうです。だけど、戦時中のメディアの報道姿勢が問われた事がありません。一種のスケープゴートとして一手に、その罪を引き受けてなくなった方々(A級戦犯)を、気の毒だと思う気持ちは、普通の日本人なら、誰でも持っていると思います。そのA級戦犯を、戦後60年以上過ぎたいまだに、とがめだてする姿勢の方を、これほど、好意的に報道をする大メディアは、ご自分の戦時中の罪、または、責任をどう捉えているのだろう。

私は今朝、九時ごろ質問をした警官に、もう一歩踏み込んで、「あなたは、どちらを守るために警護をしているの?」と質問をしたかったぐらいです。しかし、そこまで踏み込むと、後で、彼が個人的に上司に叱られる可能性があるので、質問をしませんでした。が、鎌倉で原水爆反対運動をするデモ行進に、石・つぶて・を投げる人間などいません。

毎週、毎週、彼らは、キャンドルサービスをしながら原水爆反対の署名活動をやっています。それに、つばを吐きかける人など、どこにもいないのです。だから、十人近い警官を、投与をする必要などないのです。しかし、大上層部で馴れ合いがあるから、守ってもらえていると、私は考えています。

もし、私が、書こうと決意したら、この倍ぐらいの例証をあげて、説明できますが、ともかく、日本では、不思議な現象が多いのです。が、それらも裏まで深く検証をしてみると、スグ謎が解けます。つまり、・・・・・本当の左翼とか、前衛運動を抑えるために、装置として、見かけ上、革新的な共産党を、活用する、・・・・・・その様に企画したり動いている団体とか組織があるはずだ。それが、グローバリズムの一部である・・・・・と、私は感じています。
 
ところで、最後になりましたが、私自身は、○○党が一番好きだということはありません。自民党の麻生総理大臣に対してだって、「それは、困ります」といいたいことは一杯あります。でも、それらは、誰でも自由に発言できる分野に入っているので、わざわざここで列挙するまでも無いです。秘められていること、タブーとされている事を、勇気を持って書いていきたい。だって私は、どこの紐つきでもないから。

ただ、どうして、これほど、政治のことにも熱心かといえば、外国で暮らしたからです。そこでは、個人がもっと生き生きしていました。日本ほど、個人が沈黙をしていて、生気のない国もありません。まあ、ロシアや、ミャンマー、中国等、は、今でも日本より自由が無いかもしれませんし、北朝鮮など論外の国です。でも、パリとニューヨークではもっと、個人が生き生きしていました。訓練されていないというか、馴致されていないというか。だから、そういう自由を獲得したくて、発言をするのです。一生懸命に。09-6-14    雨宮 舜
コメント

現代の寓話『うさぎ(アリ)と亀(フレージャー)』

2009-06-15 08:11:54 | Weblog
 先日お話をした『時空探偵』の元になったドキュメンタリー番組が来る20日、夜NHKハイビジョンで放映をされると聞きましたので、その詳細は、ここでは言いたくないのです。

 先日一回お話をしましたが、あれも、パーキンソン氏病と言う、ある部分に限ってお話をしました。病気にかかっているのはモハメッド・アリの方です。そして、番組はどちらかといえば、フレージャーを主役にすえているでしょう。で、アリには反論のしようもないのです。

 父はほとんどの療養期間を自宅で過しましたが、最終期に病院へ入院しました。そのとき、隣に、脳挫傷などの合併症のない患者さんで、その病の最終段階にいる方が寝ていたのです。筋肉が衰えるので、その関係で話すことも出来ず、食べることも出来ず、排泄も多分出来なくて、ベッドの傍に尿を集める袋が下がっていたと記憶をしています。

 アルツハイマーとは、ちょうど正反対で、筋肉は駄目になるが、脳は、大丈夫で、考える人であることは続くので、そこが残酷な病気といえば言えます。

 モハメッド・アリには、そういう最後が用意されていたのだ。(明言されないまでも、一種の天罰だ)」とフレージャーが考える、原因は優にあるのでした。

 アリは、蝶のように踊り、蜂のように刺すという華麗なボクシングだったそうですが、簡単に言えば、軽い人で、人の気持ちなど考えずに、非常に強いレベルで、フレージャーを侮辱しまくったのです。それが、当時の黒人社会

 (この番組では、『アフリカン』と言うきれいな用語ではなくて、黒人と言う方がふさわしいと考えられています)

 の中での弱いもの(=差別されるもの)がより弱いもの(フレージャーの方が育ちが貧しくて、色もより黒くて、奴隷時代を髣髴とさせる、人材であった)をいじめる構図になっているのです。分かり易い構図ですが、やられる方にとっては、たまらない事です。

 しかもフレージャーは、(これこそ、ネタばれになってしまいますが)、アリにお金を恵んであげていた時期があるのです。

~~~~~~~~~~~

 私が何より、この番組を面白いと思ったのは、当時から、私はモハメッド・アリを胡散臭い人だと思っていたのですが、その裏側がこれほど、歴史的事実を裏づけとして語られた事が無かったので、驚きをもって見つめたのです。つまり、ベトナム戦争の影、クー・クラックス・クランの暗躍とか、マルコムXの暗殺とか、マーチー・ルーサー・キング牧師の暗殺とか言う時代と、全く並行して、その二人の人生が語られるから、そこが、ためになる番組でした。アメリカ理解のためには、非常に役立ちました。

 また、なぜ、我が家では、ボクシングを見ないで、今まで、来たかの理由もよくわかりました。

 アリの主治医が、「ボクシングとは殺し合い、そのものだ」と何度も仰るのですが、そのとおりだと思われるほどの画面の編集です。特に奴隷制度を経たアメリカでは、昔のローマみたいに、人間同士を、殺し合いに近いレベルで戦わせる事が、違和感無く社会に受け入れられたのだと思います。
 この部分は番組内では語られませんでしたが、ボクシングと言うのがアメリカで発達をして、黒人系ボクサーが多かったのも、頷けるポイントですし。

 しかし、土壇場で、二人以外の人たちの判断で、大観衆(衛星放送で、マニラから全世界に向けて中継されたという)が殺人の場面を、見ないで済んだと言う点が救いになっています。

 しかし、その一点こそ、フレージャーの方が後々まで、人生上の、大損をしてしまい、・・・・・今でも、ジムの上の部屋で、一人暮らしをするほどの貧乏の中にあると言う・・・・・ペーソスにみちた姿が披瀝されます。

 でも、この番組がフレージャーよりで、制作をされていることで、彼が救われていますし、観ているこちら側も最後には、ほっとします。

 そして、私たちは、ウサギとカメの話を思い出し、『そうだ、きちんと生きていけば、<<<やがて海路の日和あり>>>で、良いステージも訪れるのだ』という、安心感を抱く事ができます。

 別に宗教の番組でもなく、哲学の番組でもないのに、そこまで到達しているのは、フレージャーと言う、地味な人生を送ってきた・・・・・無骨で、不器用で、損をし続けている人間・・・・・が、人格としては、素敵で、すばらしいからでしょう。顔もね。では、今日は短く。


 ところで、珍しくも、8時間ぐらい更新を早めていますので、海外でお読みいただいている方などは、下もご覧を頂きたいです。よろしく。
    2009年6月11日 に書き、発信は15日、           雨宮 舜
コメント

映画『ランジェ公爵夫人』と、バルザック

2009-06-14 11:05:04 | Weblog
 皆様はお忙しいところでしょう。それなのに、映画の話とかテレビの話ばかり続けて申し訳ございません。ただ、私は今、疲れ切っていて、何年ぶりかの『億劫だ』と言う感覚に襲われ、早急に疲労を回復したくて、少し遊ぶことにしたのです。

 ま、さておき、何をするにも疲労を取るのが先ですから、ぴあなどを買ってきて『映画でも見よう』と思ったのです。すると、『ランジェ公爵夫人』を所々でまだやっているのに気がつきました。この映画は日本では、2008年度中に岩波ホールで公開をされたはずですから、一年以上映写されているわけで、それなら、名画でしょうと思いました。

 ところが、気がついた直前に、東京圏ではすべて、終了していて、仕方なくDVDを借りてきました。それが売り出されたばかりなのに、鎌倉のレンタルショップに置いてあって、人気が高そうです。

~~~~~~~~~~~~

 この映画に関しては、私が尊敬をしている方が、見事な解説を私に一年以上前にしてくださったので、それをまず、ここで、ご披露をさせてくださいませ。

 その解説を頂く前に、きっとですが、私の方が、顔の表情だけででも、『どうして、岩波ホールで、恋愛映画などやるのかしら?』と言う疑問を呈したのだと思います。それに対しての答えだったのですが、

 「あのね、川崎(雨宮の本名)さん、普通の人は、食べるために、そのほとんどの時間を使うのです。しかし、それが必要でない人がいます。(この映画の場合は、フランスの貴族階級を指す)・・・・・でも、人間とは、無為に時間を過ごすことができないのです。そう言う人たちが何で時間をつぶすかと言うと、恋愛なのです。だから、この映画の中でも人々は恋愛に現をぬかします。それが遊びとして始まる恋愛です。無為の時間をつぶすためのものでした。ところが人間とは不思議なもので、それが、遊びではなくなるときがある。そういうときにどうするかを描いているのです」と。

 ぴあや、ウエブサイト上の紹介でも、こういう風な分析をしたものはありませんでした。だから、これは、卓抜なものの一つだと思います。

~~~~~~~~~~~

 さてDVDを見始めてから気がついたのですが、原作がバルザックでした。そのシニカルで冷静なところは、最後の最後のセリフに表れています。(この部分ですが、二日経って変っています。それについては、後述させてくださいませ)人間はその直前まで燃えるような恋愛をしていても、死んでしまったら、ただの物体にしか過ぎないという、怖いセリフ。・・・・・バルザックそのものです。

 が、フランスでは、相当な人気を博した映画だったろうと気がつきました。コステュームやセットも凝っていますし、なにより原作が知れ渡っているでしょうから。

 主役の二人です。まず、ジャンヌ・バリバール、初めて見る女優さんですが、その風情が貴族階級を思わせるので登用されているのでしょう。とても華奢な人で、肉感的と言うのでは無いのですが、彼女の方が、真剣になって行く最期を考え合わせると、なるほどと思わせる選択です。

 彼女を見ていると、私は五、六才のころ、あかず眺めた、厚さ五センチの古本(泰西王侯図屏風)の中の貴婦人を思い出すのです。戦後の何もない家の中で、父が買ってきた初めての美術書で、本当に楽しみにして、図版の間に挟まっているパラフィン紙をそっとめくりながら、その貴婦人の首の大きな真珠の美しさ等に打たれたのでした。あのころすでに子供向けの雑誌とかマンガ(のらくろ)を読んでいたけれど、それとは、違う面白さを、そちらの本に感じました。ごめんなさい。はっきり言わせていただければ、美術に関しては早熟だったかも。でも、残念なことに、親は美大に進むのを許してはくれなかったけれど。

 さて、男性の方の主役はギョーム・ドパルデューで、すでに亡くなっています。今銀座のシネ・スイッチで、彼の主演映画、『ヴェルサイユの子』をやっていますがそれを見たくなる雰囲気があります。

 最後のセリフ「死体には執着をしない」と言うところを除けば、バルザックの原作としては驚くほど、素直に、造形された情熱ある青年と言うところです。(ここも後述で変ります)

~~~~~~~~~~

 バルザックに関して言えば、『従姉妹ベット』だけは忘れられない小説です。ごく若い時期・・・・・人間に関しても人生に関しても・・・・・何も分かっていない時期・・・・・に読みましたが、主人公のことは深く理解ができました。親戚中のカウンセラー役を一手に引き受けている独身の老女ベットは、その情報を利用して、人々を操作していきます。目的は常に比較の対象とされ、幸福の権化とも見える美しい従姉妹が構築した一家を、不幸に陥れることにあります。一種の潜在意識から起こる復讐です。でも、容ぼうやら他者からの評価と言う側面で恵まれないベットが、哀れにも感じられるので、読者は、簡単には彼女を断罪できないのです。が小説内では、誰も彼女の真実には気がつかず、常に善意の人として信じきってさまざまな告白をするという設定です。それは、非常にリアリティがありました。

 ところで、これから先は、二日後に、書く文章となります。バルザックについて、生年月日を調べようとこの10日にウエブ・サーフィンをすると、『世界の古典つまみぐい』というすごいブログを見つけました。しかし、今日(06-6-12)は既にバルザックの項目が消えていますが、http://www.geocities/hgonzaemon/index.html のURLから、ホームに入ると、メルアドが、出ています。それも消えるといけないので、ここに記しておきます。t-hana@117.ne.jp 大変な労作ブログです。

~~~~~~~~~~

 それに影響をされたというのもおかしいですが、もう一回映画『ランジェ公爵夫人』を考え直してみました。あくまでも映画からです。

 そうすると、最後のせりふ以外にもバルザックらしいところが見つかりました。恋愛の渦中の描き方です。これから、ご覧になる方のネタばれになってしまうのを怖れずにいえば、普通の描き方ではありませんでした。恋人を拉致するところ、とか、愛情があまって、一種のサディスティックな脅迫にまで、いたるところなど・・・・・

 ここは19世紀に描かれた小説としては、普通ではない形でしょう。21世紀にほとんど原作に忠実に(?多分そうだろうと、私は想像しますが)映像化された映画としても、普通の恋愛映画とは随分違います。ともかく、ベッドシーンがない。

 そんなことを考えていたら、脇から主人が、「あれは、彼の分身であろう。バルザック本人の理想を描き出している」と言います。なるほど。

~~~~~~~~~~

 しかし、ここから先は、映画からも他者のブログからも離れて、私自身の思いに入ります。バルザックは、母の愛が少なく、8歳から寄宿学校に入れられ、6年を過します。私は常に親子関係に興味があるのですが、女性の場合は、天才芸術家は父の不在によって、作り出されると考えています。草間弥生、イサドラ・ダンカン、須賀敦子と、人生の途上で、接した順にそういう風に思い始めました。最後の須賀敦子さんは、子ども時代の小説を読んでいるときに、解説の部分にそれが、書いてあったのですが、紳士のきわみであった父君は、別宅にお暮らしだったそうです。ブルジョワ階級のお嬢さんだったのに、小説を書くに到ったのは、なぜなのかの秘密は、そこにもあったのかもしれません。

 バルザックはまさしく、その例の一つで、男性の天才芸術家は、母の不在によって生まれるという普遍的な真実を体現しています。ゴッホもきっと同じです。田中一村も同じです。彼らの母は、肉体としては、現存している存在ですが、愛情の面で単純ではなく、子どもに飢餓感を与える存在でした。

 私は別に小説家でもなくて、ブルジョワ階級でもないけれど、知人、友人に『なぜ、文章を書くのか?』と、何度も問い合わされました。非常に怪訝なこと、解せないことだと、考えられています。きっと、私が文章を書く事については、それは、一種の下品なことと同義語でもあったのです。つまり、『身近なことから話題を取り出すので、それが、危険な人物とみなされて、ご損になるわよ』と言う親切な忠告でもあったわけです。『人が、あなたから去っていくわよ』とは、何度も言われました。しかし、私が文章を書くのは沸き出でてしまうから仕方がないからで、別に自分が天才だとも思っていないし、ただ、沸き出でてしまうものを、整理しながら、できるだけ、美しい世界を構築したいと願っているだけです。

 でも、文章を書いていく過程で、少しずつですが、バルザック的な要素も自分の中に構築していかなければいけないわけで、そういう意味で映画ながら、久しぶりにバルザックに接したのは、意味がありました。原作者を知らなくて、単なるコスチューム・プレイだと事前には、思っていて、例の『美術の勉強』のために見るつもりでしたが、内容も役にたちました。

 バルザックの映画としては、ジェシカ・ラング主演で、アメリカで制作をされた、『従姉妹ベット・・・・・Cousin Bette』 と言うのがあるそうです。それは翻案らしいのですが、映画としては、好評なので見てみたいです。特に・・・・無愛想で、無骨ながら・・・演技力の高い・・・ジェシカ・ラングが好きなので。

                                                               2009年6月13日           雨宮 舜








コメント

猫に関する加藤佑子のブログから

2009-06-12 21:53:01 | Weblog
飼い主と競争する猫はカンヌに、猫ブログ発の署名は大臣室に――ひまだね英語(gooニュース・ひまだね英語) - goo ニュース

以上のウエブ・ニュースはちょっと古いのです。しかし、頭のよい猫は、まさしくこういうものです。だから、採録をさせて頂きました。

この加藤佑子さんと言う方は、毎週水曜日と、時々金曜日に、日本語で、ある英語を解説するというコラムを始めておられます。

一時期はオバマ大統領について、詳報を送ってこられたと思い、その頃に、この書き手に気がついたのですが、現在アメリカ在住の模様です。

ここに登場する猫は、イギリスの郵便局員さんが、拾ってあげた(元)野良猫らしいのですが、非常に頭が良くて、ご主人の配達と競争して、ずっと走りぬくそうです。偉いですね。

では、今日は非常に短くて恐れ入りますが、・・・・・これで。

   2009年6月20日              雨宮 舜
コメント