銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

メット・オペラ(ニューヨーク)の当日券

2008-10-31 00:31:20 | Weblog
 さて、昨日、『オルセー美術館(パリ)で、独り食をして、懲りた』という話をしました。そこから、右へ行くか左へ行くか迷ったのです。右とはパリに執着すること。左とは、独り食の悲しみと言う話題に執着すること。

 それでね。ブログの皆様とはまだ、お付き合いが浅い。だから、楽しい事だけを書きたいのですが、人生とは楽あれば苦ありです。喜怒哀楽はあざなう縄のごとく、または、波みの打ち寄せて帰るがごとく、次々と現れるのです。
 でね、つらいことの連続で申し訳ございませんが、メトロポリタン・オペラでの独り食の悲しみに入って行きましょう。

 正しくはオペラハウス内の食堂ではありません。オペラハウス内には、三階にバーがあって、ワイン程度を、たしなむくらいです。ただグラスが細い。それが特徴ですね。物を食べるのは、玄関から外へ向かって、左翼の建物内の食堂です。

 実は1999年の滞在のときに、あと、1週間を残すのみになった時に、初めてオペラを見たいと思いました。版画の制作にのみ集中しておりました。私が滞在する場合、観光気分は全く無いのです。

 でも、せっかく、二ヶ月半が過ぎていて、時差を解消している時期ですから、オペラを楽しむ、理解度は高いはずです。これは、見逃す手は無いと思いました。

 ところが、日本人のお友達に相談をすると、「絶対に手に入らないわよ。無理よ。当日なんて」と皆さんが仰る。だけど、私はパリのバスティーユ・オペラ座での体験から、独りで行くなら、当日でも切符はあると、考えたのです。

 私が考えるのに、ああいうものを鑑賞するのは本当は独りがいいのです。熱中できます。そして、メット・オペラには、通らしいアメリカ人の一人客もいます。でもね、たいていはカップルで来る。そして、親子ずれだったりすると、三人だったり五人だったりします。また、遠方から来た観光客の一団だったら、それこそ、七人だったり、九人だったりする可能性もあるでしょう。

 そうすると、右通路から入れていく。また、最初期に申し込んだお客の「中心が良い」などというお好みに合わせて入れていく。・・・・・ことになり、ところどころで、一つだけ、味噌っかすが出来てしまうのです。それが、随分と良い場所だったのがバスティーユの経験で、それ以来、この経験は繰り返されます。

 ただ、初めて行く場合は、ニューヨークの夜は(経験上こわくて)嫌だったので、土曜日のマチネーを狙いました。すると、切符売り場に、大変上品なご夫婦が、予約チケットを受け取りに来ていたのです。

 私の英語は米語ですが、学校で習った英語だから、スラングは含まれておりません。だから、たいていの場合はちゃんと、尊敬をされて、丁寧な扱いを受けます。たとえ、ジーンズでもですが、

 さすがにその日は、ウールのパンツに黒のセーター、母から貰った、ブランド物のウールのマフラー(私は絹よりもウールのマフラーの方が、セーターにはなじみ易い感じがして好きなのです)を、腰に三角形に巻きつけた、ちょっと、ジプシー風なスタイルです。

 痩せているので、腰がない。それを、三角形に折った、茶色地に、赤を中心に複雑な色使いでベーズリー模様がプリントされた、renomaのスカーフで、補填をします。髪はマッシュルーム。親切な友達は、「あなたの、ちょっと崩したおしゃれは素敵よ」と言ってくださるが、お金がないから、持っているもので工夫をするだけです。でも、50台ですと、冒険も利きます。

 ところで、左側に置いてある自己紹介用の、今の私の写真に比べれば、10年前ですから、もっと太っていて、より中年風です。より若いといいたいのですが、あ、は、は。それは日本人を相手では、駄目でしょう。外人ならお愛想で、若い、若いといってもらえますが、ふ、ふ、ふ。

 左の写真は、やせ細っていて、しかも本作りに疲れきっているときに撮ったものです。ただ、それを、変えないのは、背景が気に入っているし、きている洋服が自分で作ったものであり、それも気に入っているからなのですが・・・・・

 でね、非常にハイソな奥様から、大変親切な案内を受けて、当日券が手に入ったのです。
 しかし、お話はこれでは終わらない。この後、三、四回連続して、ニューヨークでの独り食の惨めさを話すことになるでしょう。お待ちください。今日の昼間は、自分の五冊目の本を、しかるべきところへ配達するという重労働を果たして、今、午前零時過ぎに帰ってきたばかりです。疲労困憊。今日は、ここまでで、以下は明日へ続くとさせてくださいませ。  2008年10月31日         川崎 千恵子
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オルセー美術館で、独り食

2008-10-30 02:05:43 | Weblog
 あれは、1998年のことでした。私自身が56歳であり、それ以前の人生で長らく、主婦が、主な肩書きの生活を送っておりました。それでも普通の主婦としては男性っぽいかな。独立心旺盛かな。だから、絵を見る仕事で行く、銀座では、独りで、食堂へ入って食べるのは平気でした。

 今はスォッチの新ビルになってしまっているのでしょうが、あのビルの地階にパルクという大型のレストランがあって、ヴァイキングではないものの、サラダバー、ドリンクバー、デザートバー(いや、小さなケーキが三種類おいてある程度ですが)がついたランチで、しかもちょっと長居をしても追い出さないので、大好きでした。きっと、バックが大きいのでしょう。多分アサヒビールではなかったのかしら?

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 さあて、パリへつきました。前報で、母が「あなたが世間や自分の幸運に感謝して、素直になっているから、人も親切にしてくれるのよ」といった話をしておりますが、時をさかのぼらせて、パリへ着いた一ヶ月目の、時制に戻させてくださいませ。

例のシャルボネの本店を訪ねた際、そこを、もう少し、セーヌ沿いに歩くと、オルセー美術館に出るのは知っておりました。版画工房に出かけないときは、まとめていろいろ遣りたくて、てくてく歩いて美術館まで向かいました。

 入館して、少し見ただけで、疲労困憊しておなかが空いてきました。私は痩せているのでためが利かないのです。特に専門家だから気合を入れてみるから、すぐ疲れてきます。それで、出て食事をとるか、中で食事をとるかは迷いました。上野の都立美術館ですと、精養軒が入っていて、おいしくて値ごろなものが食べられます。また、上野の芸大美術館ですと、側の学食が利用できて、これはお安いです。
 だけど、これは例外で、日本でもたいていの美術館は、お高いかおいしくないかのどちらかですから、外で、食べてから入ったほうが、安心で安全です。

 でも、オルセー美術館に入った時は、ずっとセーヌ川とその対岸の景色ばかり見ながら歩いてきたので、その反対側の町を探索するのを忘れていて、レストランの類には全く気がつかず、おなかが空いているにも関わらず、ぽんと美術館に入ってしまったのです。

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 三階だったか、四階だったかに、セーヌを見下ろす絶景のレストランがありました。そこへ入ったのです。しかし、フランス語のメニューが読めません。アラカルト(一皿料理)を頼めば安いだろうと思いながら、ランチ・コースの一つを選びました。それが、日本円の感覚で、三千八百円ぐらいです。フレンチのランチ・コースですから当たり前ですね。しかもオルセー美術館です。パリでもなかなかの名店が入っているはずです。

 サラダなんか、新しい感覚で、美しいこと限りが無い。しかし、落ち着かなくておいしくないのです。慣れない場所での独り食。そのわびしさったら、有りません。小さな街の食堂で、目立たない形なら、却って大丈夫なのです。

 私なんか、今では、祐天寺ならドゥトールの二階、大森なら、ジョナサン、池袋なら、ハーベストと、決めていて、そういう場所なら独りでも平気です。

 でもね、オルセー美術館は、私にとっては慣れている場所ではない。初めて訪問した場所です。そして、上野の都立美術館の食堂などに比べると、一種のハレの場所であり、お客がみなさん、ハイソみたいで、しかも、一人客がいないのです。参っちゃいました。目の前のセーヌは、マロニエ越しで、きれいです。でもね。おいしくなかった。
 以前書いた、ボージュ広場の入り口左側の、古いレストランでは、若禿げの男性が、独りで伝統的なユダヤ料理のつぼに入ったスープをすくっていました。あそこなら、私が独りでも平気なのですが、・・・・・このオルセー美術館では緊張しきってしまって、食べた心地もしなかったほどです。
     では、2008年10月29日    川崎 千恵子
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BHV(パリ)内で助けられて

2008-10-28 16:23:48 | Weblog
 ベー・アッシュ・ヴェーと言うパリのデパート内で、心理的な思い出が出来たと前報で述べました。そこは、単なる観察の対象でもなくなったのです。大切な思い出のある場所となりました。

 私は、五階か六階で木を切ってもらった後で、「額縁売り場はどこでしょう?」と聞きました。知人たちが、「専門家向けの店(と言うのは安いということ)も有りますが、わかりやすいのは、ベー・アッシュ・ヴェーでしょう」と教えてくれたからです。

 私は専門家ですから、本当の事を言って、そういう専門家向けのお店を教えてもらいたかったのですよ。だけどね。それを、教えてもらうためには、少し、接触時間が少なかったのです。それは、他人が使わない時間帯(朝)に出かけて行って、また、お昼を皆さんが家族的に一緒になさるのを、遠慮をして帰ってきたからなのです。つまり、お惣菜さんで数種類のおかずを買って来て、みなさんが分け合って、お皿にとって、フランスパンと一緒に食べてから、午後の仕事が始まるのですが、後入りで、しかも三ヶ月で帰国するわけですから、それを、ご一緒するのを遠慮しました。だから、こころから、仲良くなるとか、身内意識を持ってもらえるわけでもなかったのです。それが、ニューヨークでは結構可能だったのは、やはり、言葉の力でしょう。

 さて、「デパートの額縁売り場かあ?」とやや期待薄で出かけていきました。するとね。既製品は少ないです。だけど、注文で作ってもらえる額の、さおと言うか、部品の多さ何は驚きました。日本の並みの画材店の比ではないです。やはり、美術の国。色のヴァリエーションが豊かで、それは、堪能しました。そして、注文をして、4日後に出来上がるようにしてもらいました。そのときに、(これはパリではどこでもそうなのですが)、非常に待たせられるのですが、自分は画家だという中年の強そうな男性が前に入れてくれました。これも、親切でしたが、その前にもっと大きな親切に出会っていたのです。

 ベー・アッシュ・ヴェーと言うのは別館があります。それは、日本でもあります。渋谷の西武、日本橋の高島屋、銀座の松屋、銀座の松坂屋などにあります。そして、たいていのデパートでは、裏路地を挟んだ別館に行くのに、六階ぐらいに通路が設置をしてあります。

 さあてね。私が迷いきってしまった、本当の理由は、実は、木材の売り場と、額縁売り場が、本館と別館の、別の建物にあったことなのです。そのことを誰も、丁寧にしかも英語で教えてくれる人がいなかったので、私はエレヴェーターを利用したり、エスカレーターを利用したりしながら、何度も、六階の売り場を巡り歩いてまた、木の売り場へ帰り、説明を受け、また、六階に上がるのですが、見つけられないのです。

 前報でも申したとおり、非常に持ちぬくい、しかも重いものを手に持っているわけですから、しんどくてしんどくて、へとへとになります。寝具売り場か家具売り場のような、人の少ない場所で、それを見ていた家族連れの人がいたのです。気の毒に思ってくれていたのでしょう。なんとなく目が合ったので、質問をして見ますと、やはり、英語は話せない人でしたが、でも、理解ができる人で、私を案内してあげると、身振りで示してくれました。それで、ついて行こうとすると、私の木材を持ってくれたのです。

 奥さんや小さい子どもがつれとしていたのですが、彼は、奥さんたちに事情を説明して、そこに待たせて、ずんずん先に進んでいきます。すると、いわゆる別館への通路が見えてきました。空中廊下で、窓もあるタイプです。私はすっかり飲み込めて、「メルシー」を連発して、「ここで、結構です。これから先は自分で行かれます」と、これも身振り手振りで説明をして別れました。

 どんなにほっとしたか、その感謝の程度は言うに言われないほどです。母に電話をすると、「あなたが、物事に感謝して素直になっているから、人が助けてくれるのよ。今は人を引き寄せるのよ」といいました。この最終の週ほど、いろいろな人の親切に出遭った時期はありません。素晴しい思い出を持ってパリを離れました。

 ただし、パリ物はもっと続きます。今私は、」自分の五冊目の本の手当てで非常に忙しくて、単純なものしか書けませんが、パリについてもいろいろな思い出があるのです。では、また。   2008年10月28日            川崎 千恵子
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パリでは、ラワンを使わない

2008-10-27 23:55:51 | Weblog
 ベーアッシュヴェーという、東急ハンズに似たデパートではお化粧品も売っておりますし、お洋服も売っていますが、材木を売っていて、それを、カットしてくれるところもあるのです。そちらは地階ではなく、上階の方でした。

 さて、私は一メートル正方形ぐらいの大きな箱、・・・ただし、薄さは薄くて、一センチぐらいのくぼみのある・・・・箱を作ろうと思っておりました。

 と言うのも摺った後の版画をいためないように、入れて帰るためには、厚さがあると、紙がぶよぶよしてしまいます。そして、紙だけを保管して帰るのなら箱ではなくてもよいのですが、紙とともに、銅版も入れて持って帰ろうと思っていたのです。

 そういう凝った形の箱は、もちろん、すぐには作ってもらえず(そんなことは事前に充分予測をしていたので)、全部自分でするつもりで、中の桟になる材木と外のカバーになる材木を所定のサイズで切ってもらって、さて、持って帰ろうとすると、重いこと、重いこと、信じられないほどなのです。

 そして、二枚の板は、緑色のプラスチックテープで張り合わせてあり、『それが、持ち易いでしょう』とお店側のスタッフさんは考えているらしいのですけれど、・・・・・日本ですと、必ず、バランスをとった位置に適宜なもち手を付けてくれるでしょう。・・・・・それが、ないので、本当に持つのに往生しました。そこまで丁寧な包装をしてくれる外国人は、ほとんどいません。パリに限らずでしょう。

 日本の場合ですと、6ミリ程度のベニヤを、一メートル正方を二枚もっても、さして重くないはずなのですが、パリのそれは、重いこと、重いこと。それで、よく見るとラワンではないのです。真っ白でどうも松の系統らしい。(実は帰宅してから釘を打つとき、完璧に松だとわかりました。ものすごく硬かったから)

 で、私はその重い板を抱えながら、もう、一つ仕事をしなければならなかったので、右往左往、そのデパートの中で、散々苦労をしてしまって、結局はある人に助けられたのですが、それは、次の会に書くとして、ともかく、パリではラワンを使わないんだと、納得をしました。

 日本とフィリピンとか、インドネシアは、近いですね。だから、ラワンを輸入します。でも、ヴェトナムを植民地にしていたこともあり、また、ゴーギャンはタヒチに滞在していたのに、ラワンはパリには無いのでした。やはり、スエズ運河まで通って、ラワンをフランスへ運ぶのは、不経済なのでしょう。それだけ遠いということでしょう。

 だから、北欧で育っただろう、松系統の材木で何もかも作るのです。

 そういえばアパルトマンの階段は白木で出来ていて、真ん中が、四センチか五センチへっこんでいるほど、時代がかった素敵なものでした。でも、私が帰国して以来エレヴェーターが出来たそうですから、あの階段は、スペースとして、消えてしまったのでしょうか?

 明日、その助けてもらった話をしますので、どうか、お待ちください。2008年10月27日                川崎 千恵子
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パリのヴェトナム人

2008-10-26 01:17:08 | Weblog
 本当に古い話で申し訳ございませんが、私は、1998年パリに滞在していました。そのときは、まだ、パソコン音痴で手書きの人でした。そして、まだ、お小遣いに余裕のあるときだったので、サン・ポールからバスティーユに向かう左側にある文房具屋で、箱に入ったレターペーパーを買うのが楽しみでした。日本ですと、便箋とは上の部分が薄くのりがついた、台紙付の、縦型のものが多いのですが、パリのものは、幅がA4より広く、上下が少し、短くて、50枚程度が、きれいな箱に入っているのです。

 一枚一枚も厚くて(つまり、和紙の文化の国ではないので)、上にエンボス(浮き彫り)が入っていたり、または、全面にプリントが入っていたりします。それを、買ってきて、水茎麗しく、日本語を書く。

 時々は先生への(これは、ニューヨーク時代の方でしたが)、レポートや、小論文を書く・・・・・・とものすごく驚かれます。私は、1950年代に中学生だったので、手書きのイタリックと言うのが身についているのですが、アメリカ人(またはフランス人)は、昔からタイプライターを使うので手書き文字は非常にぎこちない人が多いのです。

 これも芸は身を助けるの一つです。ところで、私がお借りしていたアパルトマンは、日仏両方の国でとても有名な、現代アート系の作家(この場合は美術の人を専門的に呼ぶ形式)である島田しづ先生が、持っていらしたもので、その客間の一部にしっかりした木製の作業台にも使えるテーブルがありました。

 その椅子の背もたれが直角になるものでした。お部屋全体はクラシックで、王宮風ですが、そのテーブルだけはまことに使い易くて、私はそこで、夜は手紙類を書くのを本当に楽しみにしていたのです。電話は、ファックスが使えないクラシックなタイプで、時差があるので、ほとんど用足しには仕えません。

 今ならメールとかブログの時代ですが、当時の私は、クラシックにクラシックに手紙を書いていたのです。それが相手に差し上げっぱなしだと、もったいないような、パリでの、素敵な体験を書いているものですから、コピーをとりたいと思ったのです。幸いにして大きなキャノンの事務センターが近所にありました。男性が二人、女性が一人スタッフとして対応をしてくれるのです。

 私はコピーぐらいは取れますが、縮小やら拡大の事が、フランス語で案内が書いてあるので、判らなくて、スタッフを呼びました。女の子はすらっとして背が高く、女優の<あめく・みちこ>の、髪だけをショートカットにした様な、ステキな女性で、私はてっきり日本人だと思って、日本語で、「あの、ちょっと、これ判らないのですが」と話しかけると、彼女はきょとんとしています。

 キャノンが日本の会社ですから、日本人を雇っていると思ったのですが、違うのでした。でも、韓国系とも中国系とも思えません。背がすらっと高くて、・・・・・『そうか。親の世代から、フランスへ来ているヴェトナム系なんだ』と、少したって納得をしました。彼女はヴェトナム語と、フランス語の両方をマスターしなければならないので、英語は不得意らしくて、英語で言い直した私の質問は、わからないようで、男性社員に私の質問を任せたのです。

 この女性ほど、生きがよくてそして、美しいヴェトナム人にはその後は、出あえませんでした。

 が、ヴェトナム料理の店は割りと数があって、人気があるようでした。私はパリ在住の方から、ご馳走になった機会がありますが、いつも、相手様がヴェトナム料理を選ばれて、そして、私もそれを、おいしいと思いました。さっぱりしていて、そして、量も適宜です。
   では、2008年10月26日           川崎 千恵子
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韓国人たち(パリとニューヨークの違い)

2008-10-24 15:08:58 | Weblog
 ニューヨークについても、ホテルチェルシーについても、もっと書きたいのですが、このブログは最近ではパリに集約しておりますので、パリについてのお話に戻りましょう。

 またまた、古いお話で申し訳ございませんが、1998年のこと、私はサン・ポール寺院の前をバスティーユに向かって歩いておりました。すると、おすし屋さんがありました。店先にショーウィンドーがあって、杉折に入れたひとり前のおすしが陳列をされています。今、10年後の日本ではすべて、漆を模倣したプラスチックの容器に入れられていますから、パリでも変っているかもしれません。
 私はおなかが空いている上に、さらに先まで出かけなければなりませんでしたので、『ここで食べよう』と思い、中に入りました。

 簡便なスティール足の小さな食卓が六つぐらい並んでいるお店です。日本の正式なおすし屋の豪華なインテリアには比べ物も無いが、パリの繁華街の一つであるバスティーユのすぐ側にお店を開くなんてたいしたものだと思って、注文をすると、ショーウィンドーの中のすし折を持ってきます。あらためて新しいものを握ってくれるわけでもなさそうです。でも、別にカリフォルニア・ロールと言うわけでもなく、ちゃんとした寿司ネタが乗っているので、食べ始めました。が、<はまち>にいたると、「うわっ」と瞬間的に吐き出してしまうほど、古いものでした。はまちは脂っこく、お魚の脂肪は不飽和脂肪酸と言って、化学変化を起こし易いものですから、他のネタより、早く悪くなったと思われます。

 それで、お店の女主人(40代の、きびきびしたきれいな女性)に「これ、腐っているわ」と日本語で言うと、彼女は怪訝な振りで、別に謝罪をしたり取り替えたりする雰囲気でもありません。『女はやはり、ずるいなあ。きれいな顔をしても駄目だ』と思って、ご主人の方へ話しかけると、きょとんとしています。それが演技でもなさそう。それで、思わず英語で「あなた方はKorean?」と問いかけますと、「ばれたか」と言う顔をしましたが、別にそれで、謝るでもなくて、薄らぼんやりとしています。簡単な英語ぐらいこのお店を借りるか買うか出来た人たちですから、話せると思うのですが、仕方がなくて、二つぐらいをつまんだだけで、残りは捨て置いてお店を出ました。

 『日本のお寿司は人気がある食べ物なんだ。韓国の焼肉より。開店資金も少なくてすむのだろう』。だけど、『あれって、お寿司本来の精神からはまるっきりずれているから、あれが日本の食品だと思われると困るなあ』と思いました。

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 そのあとなんです。ニューヨークへ行ったのは。NYでは、韓国人は大の字がつくほど元気でした。そして先ず、現地語でグロッサリー・ストーアと言うもの(個人的な食料品店)を開き、わっさか、わっさかと、働きます。日本人はカッコウつけるのが好きだから、こういうお店は開かないで、先ず、サラリーマンになりますね。
 で、韓国人は働いて、子どもたちに高等教育を受けさせます。私立大学など、韓国系の学生がわんさかいて、勢いのあること、勢いのあること、すさまじいです。で、その子女たちはニューヨークにいても、韓国文化を守っていますから、学生なのに、きちんとお化粧をしています。韓国ってお化粧とか、整形手術の文化があるのですね。
 白人系のニューヨーカーは、誇りのもてる職業に従事していればいるほど、お化粧をしておりません。

 そして、郊外のグロッサリー・ストーアで、成功するとマンハッタンに進出します。そして、八百屋さんよりもう少し、格好いい仕事である、お惣菜屋とか、花屋とか、ネールサロンを、開きます。人手がたくさん要るところでは、メキシカンを初めとして、使用人に他国出身の新移民を使って。そして、その次の世代はニューヨークのビジネスシーンでバリバリのサラリーマンとして働くのでしょう。

 日本人も数はいると思うのですが、ビルの中でそれなりにひっそりと仕事をしている人が多いので、社会の中での存在感としては、小さいのです。が、ニューヨークの韓国人とは、本当に勢いがあります。パリでは存在感が小さいがゆえに、韓国人が日本人に化けてすし屋を経営していても、誰も不思議がらないのでしょう。数の力と言うものはなかなかのものであります。そして、数が多いからこそ、相互監視と言っては言いすぎですが、『めちゃくちゃなことは、出来ないよね』と言う自然な、縛りがあるみたいで、ニューヨークではどこの韓国系のお店でも、不満を持ったことはありません。
   2008年10月24日                川崎 千恵子
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ホテルチェルシーを住まいとするブッカー賞、受賞者(NY物語番外編)

2008-10-24 03:33:52 | Weblog
 今日はパリではなくて、ニューヨークのことです。

 私は、本を作るのが趣味です。で、五冊目の本が出来ました。それはニューヨークの版画研修に関する本です。10月14日に本が出来てから、私は毎晩、本をひとにあげるために、外へ出かけております。

 すると、さまざまな反応に出遭います。
主人が「川柳があるよ。『自費出版、読みたくないのに、またくれる』というのさ」と笑いますが、もちろん、その感じで、嫌がられる反応にも出遭います。し、
私が、上昇(?)しては困ると思っている存在からの、「あの人の本、受け取らないようにね」と言う悪い(?)根回しが回っているのも感じられるときさえあります。全然知らない人の方がこういうときはかえってよかったり、します。中途半端な知り合いには拒否されたりします。

 結構、物事ってそういうものなのです。五冊目なので、そういう点は随分なれてきました。それほど、傷つかないでいることもできます。

 しかし、全く反対に、頂くつもりも無かったお金を封筒に入れて、すぐ、送ってくださる方もあります。私が今は決して金持ちでもなく、その出版も、自分の名誉の上昇のためでもなく、ただ、ただ、人に告げたいメッセージがあるゆえに本を作ることを、察知し、理解をしてくださっている方たちなのです。

 今日も良いことが四つあったのですが、その一つは、イギリスのザ・ガーディアン紙の2008年8月16日(土曜日)号を、イギリスから持って帰って来てくださり、私に贈ってくださった方があるのです。

その新聞だけではなく、ご自分の素晴しい著書も入れて・・・・・

 でもね、そのお心づくしが嬉しいのです。ご自分の立派な本をくださった上に、イギリスからわざわざ、「これは、川崎千恵子がよく言っているホテル・チェルシーのことでしょう」と気がついてくださって、ちゃんと、スーツケースに入れて持って帰って、そして、私に送ってくださる、そのご親切が嬉しいのです。

 ここで、ブログのお客様には注を入れましょう。私は、閉鎖されたメルマガを11年も続けており、そこで、最近の9ヶ月はずっと、ニューヨークの事を書いていたのです。

 以下にその頁の写真を添えましょう。日本で言う土日の特集版でFAMILY と言うタイトルがついていて、ある家族の紹介ですが、ご主人は、イギリスの有名な文学賞、ブッカー賞を受けた、ジョゼフ・オニールと言う人で、

23丁目の対岸、(多分ですが、YMCA前辺り)で夫人や、お子さんとともに撮った写真です。


第一の見出し『We live in the hotel』で、その解説として、「ボヘミアン・・・・・この場合はホームレスと言う意味ではなく、芸術家と言う意味でしょうが、・・・・・の巣窟として有名なホテルチェルシ-は子育てにむいていないだろうと思われるはずだが、ブッカー賞受賞者であるジョゼフ・オニールは、そこを我が家と呼んでいる」・・・・・ブリット・コリンズ記』とあります。

次の頁に、私が、今度の本で、主役のロブから、「10階に行ってご覧、天井がきれいだよ」といわれたその10階の廊下で、スケボーを遣っている、お子さん方の写真です。そして、記事は二頁に渡っていて詳細で、途中で「ここはすべての場所がマジックさ。生きている村なのさ」と二回目の見出しがついております。

    2008年10月24日           川崎 千恵子
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ベー・アッシュ・ヴェー(パリ)のドアーノブ、そして、東急ハンズへ

2008-10-23 01:22:52 | Weblog
 私が住んでいたサン・ポールの隣の駅に、ノートルダム寺院があります。その北側にベー・アッシュ・ヴェーと言うデパートがあります。地下鉄内に、BHVと広告がよく出ていて、最初はどう読むのか判らなくて、何のお店かも知らなかったのですが、滞在の最後の方で、それが日本で言うデパート+東急ハンズみたいな物だと知りました。

 そこでも、心打つ経験がいろいろあるのですが、今日は叙情的な部分は一切抜きにして、ただ、日本との比較として、売っているドアーノブの種類の多さに驚いた話をしましょう。幅が1.3メートル、高さが2.3メートルぐらいの壁に、ドアーノブだけが、びっしりと刺さっているのです。

 日本のドアーによく使っている丸いものもあるのですが、20センチぐらいの長いものもあります。そのデザインですが、いわゆる北欧調のシンプルなものもあれば、ロココ調で、べたべた彫銀が施されているものもあります。木で出来ているものもあります。
 それは地下一階においてあるのですが、側にある釘類とか、ボルトの類だって、種類の多いこと、多いこと、すごいのですが、ドアーノブの種類の多さには本当に驚きました。そして、パリの人たちがどれほど、個性を重んじるかをも知ったのです。

 日本ですと、ドアーのデザインそのものも流行があります。昭和の中期までは木のドアーに平行四辺形の窓があるもの、昭和の末ごろまでは木のドアーで格子が浮かんでいるもの。そのあとでは、鉄のドアーで、ガラスが縦横に10枚ぐらい入っているもの。最近では、そのガラスの桟が目立たない形式のもの。等々。それに合わせてドアーノブもほとんどモダンタイプが多くて、ロココ調のドアーノブを使っているおうちなど見たこともありません。いけばなの仮屋崎邸なら、ロココ調のドアーノブがありそうですが、それは、それこそ、フランスからの輸入物でしょう。

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 私は40年前に自分の家を今とは別の場所に建てて、その後、引越しを目的に、中古の家を買い、そこへ建て増しをしたので、二回家を作る経験をしたので、こういう部品には興味があります。

 が、パリでそれを見たときに、日本の東急ハンズに、これだけの数のドアーノブがおいてあるだろうかと、いぶかしく思ったのです。ベー・アッシュ・ヴェーに比べると、この大工道具部分の店内の配置は、東急ハンズの方が圧倒的にきれいで贅沢です。実は地下一階しかないベーアッシュヴェーに比べれば、東急ハンズは、3フロアーぐらいに分けて、同じ大工道具関連分野の商品を並べているでしょう。店員の割合も多くて、親切に教えてもらえます。

 しかし、この間新宿に、水準器を買いに行って、あれと思ったのは、小さいサイズで、角度が出るものが売っていなかったことなのです。ものすごく高いものなら、角度が出るものもあったでしょうが、2000円前後の簡便なもので、角度が出るものが、昔は置いてあったはずで、昔は買ったのです。が、それが、我が家内で、どこかへ行方不明になったので、もう一回買おうと思って行ったら、その値段内では無かった。まあ、日本の物価そのものが上がったので、東急ハンズの罪ではないかもしれませんが・・・・・

 東急ハンズって、14年ぐらい前の渋谷店だけがあったころは、成功したビジネスモデルとして、本がたくさん出るほど、素敵なお店だったのです。でも、最近、品ぞろえが、その大人気時代に比べると少ないなと感じるのです。競合する西武系のロフトとか、下町の東急ハンズと言われる浅草のシモジマとか、湯沢屋とか、世界堂とか、郊外型、安売り、Do it Yourself 店が多く出来て、売り上げが少なくなったとは想像が出来ます。

 そうですね。趣味の分野での材料を売るお店は、本当に増えたのです。

 だけど、東急ハンズは、もっと質素にして、店舗数を減らし、店員さんも少なくてよくて、また、展示スペースも圧縮して経費を削減し、その代わり、商品の品揃えを、増やしたほうが、また、人気が出ると、私は、思うのです。今では中途半端です。店員さんたちの誇りだけ満たすお店となってしまっています。

 『店舗の規模が大きいのに、品揃えが少ない』と、あの華麗なベー・アッシュ・ヴェーのドアーノブの展示場所を思い出すたびに感じます。そして、付け加えれば水道の蛇口の類とか、シャワーのノズルとかも、デザインが豊富極まりなくたくさんあるのです。

 あのね。偉そうなことを言って申し訳ないのですが、日本ってどんどん、変更するでしょう。ちょっとでも売り上げが落ちると、経営が縮小傾向になったり、ちょっとでも成功方向だと見ると、店舗数・拡大主義になったり。

 でも、そのベー・アッシュ・ヴェーでもそのほかでも、パリって進化が緩やかなのですよね。それで、なんとなく、信用とか、伝統が築き上げられている。・・・・・ような感じがします。
  まあ、ドアーノブ一つ(いや、一つではなく+カランとかも含めて)で、そんな事を考えましたよ。

   では、2008年10月23日              川崎 千恵子
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美しさだけで言うなら、スワニー(鎌倉)でしょう

2008-10-21 13:18:44 | Weblog
 前回、シャルボネ(パリ)の本店がどんなに、静かで美しい空間かをお話いたしました。それに対して、日本の美しいお店として、鳩居堂が似ているともお話をしました。
 しかし、美しさの質が違うのです。鳩居堂は金箔張りの舞扇などが壁のショーウィンドーにたくさん飾られております。その一つ一つは、誠に美しい。しかし、色が氾濫しすぎていて、それが私のように特別に美にこだわるものには、過剰と思えるのです。茶道をなさっている方にはお分かりだと思うのですが、過剰はまた、真実の美とはならないのです。いや、ハイレベルを求めすぎるかもしれませんが、この際はひとつひとうの商品がどうのこうのというよりも、店内の展示の側面で言っておりますので、そのことは鳩居堂さんも、ご理解をくださいませ。

 日本のお店で、今、あのシャルボネの静けさに匹敵をするものがあるとすれば、銀座の、東側の裏通りに展開する、ごくごく、上等な和服店が、当たるかなあ? 木のドアがしっかりと閉まっていて、一見のお客には入りにくい雰囲気のある呉服店。これらの中に入ったときの静けさと、うつくしさったら有りません。中には襦袢だけを、専門にしているお店もあり、襦袢とは着物本体より、単純な色を使うので、それが、グラデーションを構成しながら、展示をしてあるのを見たりすると、「いやあ、シャッポを脱ぎます」と心の中でうなりたくなります。

 でね。普通の人が入れる大衆的なお店で、ここは抜群に展示マナーが美しいという場所を、今日はご紹介を致しましょう。実は「あなたが鎌倉へいらっしゃるのなら、あそこは観光名所のひとつですよ」とおせっかいをしたくなるぐらいのきれいなお店がありました。鎌倉・スワニーの(旧)木綿館です。

 今建て替えて新館に移動をしたらしくて、雰囲気が変ってしまったかもしれませんが、経営者が同じならコンセプトは残っているはずで、ともかく、この春までの美しい情景を描写してみましょう。

 今、日本の主婦の間で最もはやっている手芸はビーズ手芸です。でも、一昔前まではパッチワークでした。ターシャ・テューダーのような人は、ご自分が貯めた生地で、パッチワークをするのだと思いますが、日本で、特に初心者の人は、買った新しい布を使います。先生が教えてくださる模様が同じでも、生地の選び方で全く違ったものが出来ます。そこが面白いので、中級者は生地を探して歩くこととなります。

 上級者は、古い和服地を利用したりするので、また違ったお店を渉猟することとなりますが、初心者および中級者は木綿を捜し歩くこととなります。

 その木綿生地の収集と展示の美しさに置いて、鎌倉のスワニーほどのお店には、今まで遭遇した事がありません。資金力があるのだと思います。同じブルーでも、花柄、格子、縞、無地と、それぞれ、濃度や混合された色の違いで、何十種類あるか、ちょっと、見回しても数え切れないほどで、それが、お店一つ全体を、生地の種類ではなく、色の統一感でもって、グラデーション形成されている展示なのです。

 しかもフローリングの床で、小さな窓はまるで、『赤毛のアン』の世界です。以前はプチホテルだったそうです。私は歩いて20分で行かれるくせに、新館にはまだ行った事が無いのですが、古い木綿館は、それこそ、主婦の城でした。その中で主婦たちは夢を見たのです。お店が繁盛するということは店主や経営者が、お金儲けだけではなく、主義主張を持つことが大切だと思います。スワニーの主人は『美とは何かを知っている』それは、確かです。

 最後になりました。今日の画像は大船の県立植物園にある、ハンカチの木です。苞がまるで、ハンカチが下がっているように見える木なのです。育てるのが大変な木で、これを、自宅に咲かせている人は、自慢にしていますが、それも道理と言う珍しい花です。咲くのは初夏ですけれど。
    2008年10月20日         川崎 千恵子
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シャルボネ(パリ)と鳩居堂(銀座)

2008-10-21 01:13:28 | Weblog
 今日お話しすることの主眼点は、良質なものを丁寧に作っていて、規模を拡大せず、儲けを追及しすぎない・・・・・お店の美しさ・・・・・です。

 私は油絵と版画をやるのですが、美術評論家の方からは版画の方がよいといわれております。特にヘイター方式と言って色を多数使う版画を遣っておりますので、制作は大変ですが、結果として華やかになります。そのために版画インクは、種々持っていて、その組み合わせをノートに詳細につけて、仕事を進行させるのですが、色インクとしては、やはり、パリに本店があるシャルボネのものが一番だと思います。

 そのシャルボネのインクは、日本では神田の文房堂(多分、日本一古い画材店)と、萩原商店(プロの版画家が、電話やファックスで注文をする一種の問屋さん)には、確かにおいてあります。ただ、今現在日本一大きい画材店である、新宿の世界堂においてあるかどうかを、私は知りません。と言うのもほとんどの、版画家は萩原商店で買うので、世界堂がそれをおいても、買いに来るお客がいるかどうか、いてもとても数が少ないから、商売にならないでしょうから。

 世界堂には、アニメの道具、とか、漫画を描く道具は、相当数置いてあります。それを買いたい若い人が大勢いるのでしょう。ワンフロアーが、それに占められているぐらいです。日本のアニメやコミックと言うか、漫画は世界を席捲しているし、それを遣りたいという若い人が多いから、その材料は確実に売れる分野だからです。

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 さて、私はせっかくパリに来ているのだから、シャルボネの本店を訪ねたいと思いました。版画工房のお仲間に住所を聞いて、訪ねてみると、それは、セーヌ河畔にある、瀟洒な一軒家でした。コンクリートのビルではないのです。床はフローリング。北西の二方向にある道路に沿って、フランス式の縦長の窓が大きくとってあり、商品は窓の無い、二つの壁面に、棚を作っておいてあります。その棚の裏側の壁ですが、ウォールナットです。

 その前に、黒いふたのある、白い缶がずらっと、四段ぐらい並べられています。その缶は大体鮭缶程度の大きさですが、そこに茶色の飾りで縁取りされたハート型の窓があり、その窓にインクの色が印刷をされています。棚の幅は狭いです。それらは、大体一つが五千円ぐらいするのですが、もう少し安いものとしてのチューブがあります。

 また、他のスペースにはきれいな木製の引き出しがたくさんあって、その中にはシャルボネ製ではないが、版画家がよく使う刃物類が丁寧に区分けされて入っています。全体がものすごく静かで美しいです。日本で、私が最も頭が痛くなるお店が、ドンキホーテですが(それでも、夜遅くサインペンなどを買いたくなると、よく入るのですが)それの究極の対岸にあるお店だといってよいでしょう。

 売り子としては、中年の誇り高いマダムがひとりです。私は何代も続いた経営者一族だと見ています。雇われた人みたいな感じではない。それで済んでいるのはお客が少ないからです。私が想像するに、日本と同じで、プロはここでは買わないのです。きっと、もう少し値引きをしてくれる問屋風のところがあって、そこで、皆さん、買うのでしょう。

 なら、なぜ、このお店がここにあるかといえば、一種のパイロット店として、世界に冠たる品質を誇示するために置かれているお店だと思うのです。セーヌの河岸と言っても繁華街ではなく、画廊街のはずれで、窓から見えるのは、マロニエの葉ばかり。

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 日本でしいて似たようなお店を探せば、鳩居堂でしょうか? 自社ブランドとしての、便箋や葉書が有名です。それを使う事が中年、日本マダムの品格を現す商品です。銀座の本店は税務署が発表する、地価の日本一高いところして、戦後数十年、きらめいております。そして、本店にしろ、他の街にある支店にしろ、雇われている若いお嬢さん方が制服を着て、一杯居ます。そして、売上高もシャルボネの比ではないでしょう。

 でも、なんともいえず、静かなあのシャルボネ本店の雰囲気を、私は生涯で、出会った素敵な場所のひとつとして、宝物のように、大切にしています。

 会社を経営することは、資本主義の常として拡大を目指すでしょう。シャルボネも裏ではそうかもしれない。だけど、あの本店の、清潔にして慎ましやかで、そして、美しい雰囲気を見ると、それが斜陽に繋がってしまうかもしれないけれど、なんとはない・頑・固・な・節・度・を感じて、『た・よ・り・に・な・る・な・あ』と思うんですよ。

 最後になりました。この版画は日本で作った初期のものです。でも、インクはシャルボネの、カーマインと言う赤です。透明で美しいと思っております。

     2008年10月20日            川崎 千恵子
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岡井隆(歌人)氏と、旧仮名遣い(日経・私の履歴書)

2008-10-19 15:11:34 | Weblog
 以前お話をした通り、日経新聞の私の履歴書、野依博士の、子どもたちへの提言、特に親や学校の先生へも向けた提言には惹かれました。
(で、ちょっとパリ物を休んで、・・・・・しかし弁解めきますが、・・・・・四時間前にパリ物も一本新しいものを、乗せては、おりますので、パリ物をお楽しみになさっておられる方には、それを、ご覧頂きたく・・・・・)

 その続きとして、同じコラムで連載が始まった、岡井隆氏(これは、外部から簡単に紹介される場合は、医者にして、前衛歌人となるそうですが)を読み始めたのですが、第一回目から、『なんと、きちんとまとまっている文章だろう、やはり、書き手としてのプロだなあ。特に短歌という、文字制限のある詩形式に熟達したひとだから』・・・・と感心しました。

 それから、一週間ぐらいは丁寧に読みました。ちょうど、私の五冊目の本の印刷が始まった頃で、そうなると、私は自分の労働が必要なくなるからです。

 でね。毎回、毎回、仰っていることに感心しました。原文は(日経をご自宅で取っておられない方でも)、会社とか、図書館で簡単に読めますので、ここでは、繰り返しません。

 ただ、私が特に、感心したことが、四点ぐらいあって、

* 人生で、挫折もあり、短歌制作を、休んだ時期もあること。・・・・・そして、そのことを、今では、肯定をなさっておられること。

* これは、文中ではあまり、しっかりと、言及をなさっておられないが、医者をきちんと続けられたこと。勤務医としてだが、それでも、それは、日本社会の中では、収入の多い方で、それは、芸術と二束の草鞋を履く立場としては、垂涎の的と言ってよいほどの恵まれた立場であること。
 短歌は、さして大仰な道具が要らず、歩きながらでも創作が出来るので、両立が可能だったと、私は思いますが。

* 信仰を持っておられること、短歌を制作するそのベースに信仰があること。

* 旧仮名遣いを復活して、現在は使用をなさっておられること。それは、一種の挫折と言うか、歌人としての、数年間の休息の後であると言うこと。

 この最後の部分こそ、私がもっとも、感銘を受けたところです。

 私は今、文章をパソコンで書くのですが、漢字を多用するのが好きです。その漢字を多用するという点が、少しでも、旧かな遣いへ戻りたいという潜在意識の現われなのでしょう。

 ただ、私は岡井さんより、相当、若い。だから、日常的には、新仮名遣いで育っているし、友人、知人もそうですから、いまさら、旧仮名遣いへ戻しても、それが、通用しないと思います。
 
 そして、パソコンは(今のところはマイクロソフトのワード、2000、2003 2007を混在して使っております)それで、長い文章を入力すると、ほとんどがひらがなで出てきますし、

 ちょっと、難しめの熟語は出てこず、下の、IMEパッドで、手書きをしてその後入力するとなります。それは残念ですね。    では、
           2008年10月19日これを書く。   川崎 千恵子

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メリーゴーラウンド(パリ)と大観覧車(日本)

2008-10-19 00:59:59 | Weblog
 マレ地区のサンポール駅は、広い道路の中島にあります。その中島は東西に20メートル強、南北に10メートル強で、樹木が何本か生えています。そこにキオスクがあったのが思い出として残っております。今の日本では、キオスクは、広くなってほとんど、コンビニと同じですね。新宿駅南口では傘さえ、売っています。

 しかし、パリのキオスクはきのこみたいな円筒と言うか、八角系のボックスなのです。中に入っている人は、上半身は、寒風にさらされるから大変ですね。でも、小さなスペースにあらゆるものが密集しておいてあって、上品な色模様が多いパリにしては珍しくカラフルなおもちゃ箱みたいなものです。

 しかし、それには思い出が強烈にあるのに、そのすぐ側にある、メリーゴーラウンドのことはすっかり忘れておりました。つまり、版画のことに集中していて、遊ぶという気持ちが一切無かったことと、そのメリーゴーラウンドがあまりにも小さくて、ほとんど動いていなかったのではないでしょうか。誰が管理をしているのだろうと思うほど、それだけが、遊具としてそこにおいてあるのです。

 東京浅草の花やしきと言うのも小さな遊園地らしくて、その特徴を生かすために、全部貸し切りで、会社の運動会などに、使わせるようになったと、何かのニュースで読みましたが、サンポール駅のメリーゴーラウンドは、それしかない遊具なのです。
 それは、私が帰国した4、5年後知人がパリへ旅行に行ったので、「ごめんなさい。私は画家だから、こだわって全然写真と言うものを撮ってきていません。だから、サンポール周辺を撮ってきてくださらない。思い出が、消えそうだから」と頼んだ写真の中に入っていたのでした。

 かわいい、かわいい、メリーゴーラウンド。でもね、今日、急にこんなことを申すのは、横浜みなとみらいの大観覧車が、動かないようになっていて、それが、私には不思議だからです。NHKの夜の7時のニュースのバックにはながらく、横浜のみなと未来が映っていて、その中で秒針の動きをネオンで表しながら、回っていく大観覧車は、唯一動くものとしての、得がたい点景だったのです。

 しかし、この間、横浜トリエンナーレを見に行ったときに、それが、停まっていて辺りのほかの遊具も全部、使えないようになっておりました。すごい資金をかけて設備投資をしたものを、どうして使わないんだろう。不思議ですね。日本人とはともかく、工事が好きなんですね。作るのは好きなんです。でも、大切に運営して行くという事が無いんですね。

 ううん、ディズニーランドにお客をとられて、採算が合わないから? それで、停まったの? 理由はまるっきり、私には判りませんが、ともかく、それに、一回乗った事があったのはラッキーでした。素晴しい夕景を見ることが出来ました。快晴でしたが、地平線に近い北側にいろいろ雲が浮かんでいて、それが、また、茜色に染まって、美しい一日でした。その日に、何と、夫と乗ったのです。64歳のときですから、おかしいみたいですね。別に、新たな恋愛が起こったわけでもない。でも、こんな風に停まってしまうと、乗っておいて良かったです。

 その前の昔に、観覧車に乗ったのは、どこで、いつだったでしょうか? 忘れてしまったくらい何十年も前のことです。それほど、観覧車に乗るのは久しぶりでした。その大観覧車の秒を表すネオンが、今では、いたんでしまって、光らないところがあります。桜木町駅のホームから見ると、そのいたんで黒くなっている部分がさびしくて悲しいですね。あまりにもでかいものです。工業的な大建造物。そして、運賃も高かった。それも、いけなかったのでしょう。一人分300円か400円で乗せるべきだったし、ひと箱何人乗っても千円にしておけばよかったと思います。
 経営のセンスが下手でしたね。
 そんな大建造物が古くなる。作って、二十年もたたないのに古びてくるのは、人が使わないからです。建造物が生き物だったら、悲しんでいるでしょう。それに比べて、サンポール駅側のあの小さなメリーゴーラウンドは、知人が撮ってきた写真の中では、電飾が赤々とともり、誰かこどもが乗っていて、楽しそうでした。素朴な、遊具ですけれど、生きている。いいねえ。
                2008年10月19日  川崎 千恵子
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バスティーユで道を聞かれる、外人から

2008-10-18 01:08:25 | Weblog
 あれはね。夕方のことでした。夕方と言うのはパリでも通勤ラッシュがあるみたいです。そして、バスティーユ駅とは、数本の地下鉄が交差するまあ、日本で言えば、表参道みたいな駅ですから、(いや、放射状に交差するという点では、新宿見たいかなあ)拠点のひとつで、構内は人で一杯です。

 特にその日は、連休中でなおさらに人が一杯で、しかも不思議なことに、煙が充満をしています。これは参りました。何か事故が起こったのです。でね、誰か聞こうとしても、誰が、英語が自由なのかがわかりません。『こちらが、フランス語が自由ではないところを見せて、おのぼりさんだと思われると危ない』のは、骨身にしみていて、誰に聞いたらよいだろうと迷いました。歩けば、一駅ですから帰ることは出来るのですが、何がどうなっているのやら、知りたいという気持ちもあります。

 やっと親切で英語の出来る人を捕まえて聞くと、「タイヤが燃えたので、運休することになったのです」とのことでした。そういえばあたり一面にゴムのこげるにおいはしております。で、「地下鉄はゴムのタイヤを使っているのですか?」と聞くと、「そうです。音がうるさくないからです」とのこと。「ほうっ」と感心しました。パリでは人間にとって優しい、エコライフのことは、この当時(1998)年ごろから、よく考えられていることには気がついておりました。

 さて、私は原因が判ったので安心しました。急ブレーキか何かをかけたために、タイヤがきしんで加熱したのです。別にサリンなどと言うあくどい事件ではありません。

 良かった。良かった。と安心して、人ごみを離れて中央部分に差し掛かって、「さて、外に出ようかなあ」と考えていると、向こうからハイヒールを履いて、らくだ色のウールのプリンセスラインのコートを着た金髪の女性が来て、ちょっと恥ずかしそうに、「どこそこへ行くのだけれど、どうしたらよいのかしら?」と私に聞きました。

 連休中だったので、地方から来た人なのか、海外から来た人なのかは判りません。でも、私と同じように、パリに不案内なおのぼりさんとみなされると危険なことはわかっている女性です。優しい顔をした40代の上品な、いわゆる世間知らずみたいな人でした。私は判っていることはすべて教えてあげましたけれど、私を頼ってくれたことが嬉しくて、心の中がほんわりしましたよ。

 恥ずかしがったり、気兼ねをしたりするやさしい普通の感覚の人。パリで付き合った芸術家たちは、あっさり、しかも誇張して言えばみなさん、難しいところがある。だからこそ、こんなあっさりとした一期一会が、嬉しかったのでした。

    2008年、10月18日      川崎 千恵子

今日のはちょっとシンプルすぎましたけれど、またね。画像は、一週間前の我が家の北側の庭に咲いた金木犀です。秋晴れの日に撮りました。
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サンポール(パリ)の駅で私を呼び止めたのは

2008-10-16 14:51:41 | Weblog
 ある日、サンポールの駅へ入る階段を下りようとしておりました。この階段はオペラ座と同じく、幅が五メートルぐらいの正方形で、三方がアールヌーボー風の鋳物の手すりで囲まれております。その模様が各駅で違うか違わないかについて、ちょっと、記憶が薄れておりますけれどね。

 その日だけ、後ろからちょんちょんと、肩をたたかれました。振り返ると素晴しい美女が茶目っ気のある顔で、親しげにしています。『誰だろう。工房の人はともかくとして、私は、この近辺では友達を作らないつもりなのに?』と思うと、彼女の方から、「上の階の人間よ」と名乗ってくれました。

 そういえば思い出しました。その数日前に助けてもらった学生っぽい女性だったのです。眼鏡をかけて、斜めにガラス窓が月の光を呼び込む、・・・・・例のボエームやら、トスカの舞台そのままの、屋根裏部屋・・・・・で、勉強一筋に打ち込んでいる女性、つまり、キュリー夫人の再来のように、初見では思えました。

 しかし、彼女は太陽の光の下で、眼鏡をはずしていて、まるで、イングリッド・バーグマンとグレース・ケーリーを合わせたように輝いていました。ただ、髪がショートでしたが、別にジーン・セバーグとか、オードリーと言うほど、細いとも、神経質とも見えず、また、ビショップやパルトロウみたいな、個性の強い顔と言うわけでもないのです。明るく真直ぐな美人。

 でも、もう一回、出遭いがあって、彼女がやはり、学者の卵だと確認をされる日がありました。明らかにお父さんと思われる人が、彼女の荷物を持って階段を下りてきました。細身の人で、眼鏡をかけた顔の品の良いこと。アインシュタインが、あのノーベル賞受賞の際の舌を出した映像ではない、まともな場面として写させている映像を思い出していただきたいのですが、そのアインシュタインの三分の二ぐらいの細さで、しかも、さらに品がよい方でした。地方にある名門大学の学長だそうです。

 そんな立派な方が、愛娘に、連休中には家に帰ってもらいたくて、わざわざ車で迎えに来るわけです。電車で帰って来いいといえば交通費もかかるし、面倒も多いので、帰ってこないだろうと両親は思うのでしょう。

 当時のアパルトマンは、ルードリヴォリという、東西に走る細い通りで、(今ウエブ上の地図を見ると、それとは、別のサン・アントワーヌどおりと言う太い通りを、ルードリヴォリと、表記をされておりますが、12年前はそうではなく、その太い通りの一本裏側を、ルードリヴォリと言っていたのです。

 そこは、細くて、もちろん、一方通行ですが、北側一車線分はすべて、駐車自由となっており、べったりと車が止まっています。お嬢さんと学長さんは、西へほぼ、30台分ぐらい歩いて、ご自分の車にたどり着きドアーをあけて乗り込んでいきました。西日の中に輝くような二人、特にお父さんの銀髪に光が当たっていたのを思い出します。

 つい、昨日のようにと言ってしまえば大げさすぎますが、・・・・・・

   2008年10月16日                川崎 千恵子



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パリのパン屋さんで、これも逆転の話です。

2008-10-15 11:47:22 | Weblog
 今日の文章は知的障害者へ優しいパリの二回目です。

 それを、本当に感じたのは、パン屋のお嬢さんでさえ、優しかったという現実を目視したからでした。サンポールの駅前に、立派なパン屋さんがありました。

 現在の日本では、ポンパドールとかサンジェルマンとかで、おいしい焼きたての(しかし、高い)パンを売っているようになりました。
 でも、それらのパン屋は、チェーン店ですし、まず、ケーキを置いてありません。こちらのパリのパン屋さんは、ケーキが、日々、12個程度道路に面した大きなガラスのショーウィンドーに飾ってあります。内装も壁はウォールナットですし、ショーケースに入れられたちょっと小柄で焼き色の強いパンとあいまって、その全体の美しさたるや、すごいもので、日本からパン協同組合の人が、研修に来るほどです。
 そんな立派なパン屋で、パートらしい中年の奥さん方、(でも、小柄で美形で品がよいのです)たちからは、なにも意地悪をされなかったのです。が、明らかに「ここの経営者のお嬢さんだろうな」と言う女性にはちくちくと意地悪をされたのです。

 そして、その意地悪が沸騰点に達したのは、工房の皆様へのお礼用に、ケーキを買ったときだったのです。私は桜井浜江さんと同じく人に気を使うほうで、三ヶ月、充分すぎるほど、親切にしてもらったという思いが、御礼をしなければという思いに繋がりました。

 お金では駄目です。 『普段払っている・・・・・・急に入ったからこその、高めの使用料に加えて・・・・・さらにお金でお礼をするのは失礼だ』と感じていますので、ケーキを選んだのです。最初は4千円以上ぐらいの、そのお店でも、高めの方を選びました。それは、きれいなお花のカラー印刷の箱に入れてくれました。

 でね。最後の一週間かなあ。まだ、まだ、さらに親切にしてもらっていると感じて、一回ではとても、お礼の気持ちを表せないと思いました。それでね。ほぼ、一日に一回か、一日おきに、ケーキを四回か五回ほど、同じお店で買ったのです。でね、種類をいろいろ変えるわけですが、ある日、パートの奥さんがいつもの箱に入れようとすると、そのご令嬢がやってきて、「安い箱でいいのよ」と言いました。私は耳の方は確かですから、それをとても嫌な話として聞きました。パートの奥さんも納得が出来ないようでした。

 日本ではケーキはほとんどが白い箱に入っております。しかし、パリのそこのお店はカラー印刷をされた箱に入っているのですが、その印刷のレベルが高い箱は4色刷りで、しかも厚めのプラスチック加工をされているので、ピカピカして美しいのですが、安いほうのケーキ用らしい箱は、一色刷りで、しかもぴかぴかのコートが、掛けられていないのです。

 私は自分がなぜ、意地悪をされるのかを考えました。そして爪の間に黒い版画インクが入りこんでいて、それが、『貧しいアジア女なのよ』という誤解を招いているのが大きな要素だと感じました。
 私の遣っている特殊な深堀りの版画の場合、四色は使うので、濃いインクを使うのを避けられず、しかも大量にべっとりと、ガラス板等の道具へ広げて、それを、また、毎日始末するので、爪の間の黒い線は消えず、気をつけているときは手袋をしますが、急いでいるときは手袋の装着を忘れるのです。特に『近所のパン屋へ行くんだ』というわけですから、何も気を使っておりませんでした。

 もし、自分のフランス語が、自由でしたら、「あなたそんなことは遣らないで。こちらはお客なんですもの、失礼よ。それに差し上げるパリの人へ、も失礼でしょう』と言えるのですが、何分にも自分はそこまでの、啖呵は切れず、彼女が英語を話さないのを知っているので、でくのぼうのように、突っ立っているしかないのです。

 それほど、意地悪で、つんつんしているお嬢さんが、あのポンヌフの恋人のそっくりさん(浮浪者)には優しい。それで、私はパリの人は、ある程度を超えた弱者へは、優しいのだと感じました。これは、意外なことで、強い印象として残ったのです。

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 しかし、後刻、思いがけない大逆転があり、『溜飲を下げるとはまさにこのことね』と思うような名誉挽回のチャンスが訪れました。

 それは、夕方こんでいる店内で待たされたとき(ひとりひとりの客がウィンドーの中のものをいちいち選ぶ形式で売っていますので、あしらいに時間がかかるのです)、目の前に隣の紳士がいたことです。

 既に三ヶ月目に入っていますので、当然顔見知りであり、しかも数日前に、のこぎりを借りていました。そのときに、相手が第一室に招じ入れてくれて、「ここで、待っていてください」といったので、その人が最高レベルでインテリである事が私には判っていました。インテリアの様子でです。モダンな形式のインテリアで、書物が一杯ありました。

 私のお借りしていた隣の方の部屋は、住人が普段いない部屋なので、書物等は置いていないのは元々でしたが、インテリアはいわゆるベルサイユの薔薇風のしつらえだったのです。天井から床までのビロードのカーテンとか。同じビル内で、全く違ったインテリアに仕上げてある事が印象強い思い出でした。

 私はパリでも、インテリに対しては強いのです。英語を相手が使えるという事が判れば、ちゃんとした話をしますからね。それで、その紳士と、数分間会話を交わしたのです。たわいの無い話です。が、とても仲良く。

 でも、ふと気がつくと、そのパン屋のお嬢さんがうっとりして、仕事もしないでその紳士を見つめているのでした。もしかしたら、フランスでは、既に著名度の高い知識人なのかもしれません。
 また、著名人ではなくても、彼の着ているベージュ色で杉綾のウールのロング・コートは、車を使わず、普通に歩いて通勤する人々の中では、最上級のレベルのお洋服なのです。そして英語を会話として自由自在に使えること。これも、知識階級の証です。

 私はそのときに、『パリには、今でも実質的な階層が、あるんだなあ』と感じました。学校制度などでも、エリートコースに進学できる子どもの数は、小さいときから区分けされ、限られている模様です。

 そのお嬢さんが、たとえ紳士だけを注目していたとしても、その話し相手は私なんですから、私は名誉挽回したと言うわけです。

 天が与えてくれたチャンスだったけれど、英語が出来なければそれを生かせなかったでしょう。 「芸は身を助ける」の典型でした。もし、若い頃、フランス語もイタリア語もスペイン語も、ドイツ語も、マスターしておけば、世界中こわいものなしでしたね。

 もし、あなたがお若いのなら、急いで何か、英語以外の言葉を、習得なさるようにお勧めいたします。でも、一応マスターしたではなくて、会話が出来るまで、到達しておくのがミソです。私だって、フランス語は聞くことも読むことも、辞書を使えばできますが、会話とか、自分から書くのはまだ、ぜんぜんと言ってよいほど、自由ではありません。それが時々、嫌な思いをする原因となりました。

       では。2008年10月15日         川崎 千恵子
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