銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

カリタスが、何故狙われたかというと、カンブリア宮殿・シオノギ製薬・篇が、源泉である + 学生服が謎を解く 

2019-05-31 00:36:27 | 政治

  最近のわたくしの文章は、どれをとっても、わかりにくい書き方になっていると、思います。本日描くものも、その最たるものの一つとなるでしょう。それでね。珍しく、読者サービスをいたします。それは、「4日前に書いた、文章(直下に置く)を推敲して、きれいにして、より読みやすくしました」というお報せです。  

松元庸子さんには、10代と60代の、二度にわたって、強烈にいじめられた。しかし、それがあったからこそ、罠に引っかからないで、済んだのだった△          2019-05-28 23:20:07 | 政治

 本日の文章を、読んで、訳が分からなかったと、おっしゃる方は、どうか、上を読んでおいてくださいませ。今、私が書いているものは、50年以上にわたる複雑怪奇なミステリーなので、すべて、断片となるのですが、それでも、上に置いた章は、分かり易くできています。そこに、自負があります。上流階級の女性がたくさん登場します。が、彼女たちが、本当の主人公ではなくて、陰に居て、彼女たちを動かした、伊藤玄二郎が主役です。

 そして、その伊藤玄二郎は、私の文章が、それら、上流階級夫人を、傷つけることに困り果ててしまって、次の脅かし策として、カリタス小襲撃事件を起こしました。彼等は、常にストックを持っています。このカリタス襲撃事件も随分前から準備をされていて、その上で、あの28日にゴー発信となったと、思います。

副題1、『まず、元・データから置いていこう』

  *****罫線で、挟んだ、部分に置いたのは、TV東京の、番組カンブリア宮殿の、ホーム頁から、コピペした、この回用の、元・資料です。

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バックナンバー

2019124日 放送

新薬でインフルエンザと戦う

  • 塩野義製薬 社長 (てしろぎ いさお)

インフルエンザ流行の季節。インフルエンザ新薬を開発した塩野義製薬は、業界大手が注力しなかった感染症分野に力を注ぎ、「鳴かず飛ばず」といわれた企業を手代木社長が劇的に復活させた。いつしか、「手代木マジック」と言われるようになった経営手腕とは?

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 この番組を、見ている分には、何の問題もありません。しかし、此処で、紹介された、シオノギを、救った、新薬ゾフルーザついて、NHKは、次々と、一般の人が聞いたら、「え、その薬って、悪いものではないの?」と、誤解をする様なニュースを流しました。ゾフルーザを処方すると、耐性菌ができると、いう話だったと、思います。ゾフルーザには、むろん、いいところがあって、大勢の内科医が、使って居るし、シオノギは、それで、業績回復を果たし、助かっていると、言ってもいい薬なのですが、次から次へとNHKは、悪い方向で、ニュースを流しました。

 ここですが、まず、第一のポイントとして、一億二千万人の、日本人を相手に、私が、戦わないといけないポイントと、なるのです。皆さんは、以下の様にお考えになるでしょう。シオノギが、あまりに褒め上げられたので、どこかの内科医が、「そうでもないよ」と、内部告発をしたので、ゾフルーザの耐性菌関連ニュースが出てきたと、思っておられるでしょう。それに似た様なことは【おぎやはぎの愛車遍歴】の高野ゆり篇で、起こりました。高野ゆりさんが、「私は、小さいときに不幸だったので、お金もちになったことを、誇りに思って居て、ずっと、ロールスロイスを買い続けています」といったら、従業員たちがストライキを起こしたのです。その番組は出演者たちが、打ち解けて、和気あいあいの会話を交わすところに特徴があるので、高野ゆりさんとしては、ほかの出演者たちと・同じことをやった・に、過ぎないでしょう。しかし、エステというのは施術者の方にとっては、重労働だと、思います。それで、社員として、働いている人間たちが、「社長は、薄給で、私たちに、重労働を強いている。その上前を撥ねて、あんな贅沢をしている」と思って、怒ったのです。

 それは、高野ゆりが、出演した、おぎやはぎの愛車遍歴での話です。しかし、それは、カンブリア宮殿の、シオノギ製薬辺には、あてはまらないと私は、思いました。私の解釈は、全く違っていたのです。塩野義製薬の社長は、後日、ゾフルーザの、耐性菌問題が、起きることを、内々で、承知して、カンブリア宮殿に、わざと出演した・・・・・と考えたのです。

 それは、変でしょう。あの、番組を見て、社長は、とても優れた人だと、感じましたよ・・・・・と、おっしゃるのが、大方の反応でしょうが、違うのですよ。それが、まず、一億二千万人の日本人にさからうというポイントです。ほかにもいっぱい、その種のポイントがあります。このカリタス小・スクールバス・襲撃事件も、一般の、日本人は、51歳の引きこもり男がやって、その後、自殺をしたと、思っておられるでしょう。しかし、事実には、相当な違いがあると、思います。それを、展開していくので、超・大変ですが、取り組んでいきましょう。

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副題2、『これは、まず、日吉に関係があることを言わないといけない』

 あのね。私の両親は、1952年に日吉に引っ越して来ました。私は結婚する1967年まで、そこに住んでいたのですが、それ以降も頻繁に訪れていて、ゆりかごですと、いってよい街です。ゲマインシャフト中のゲマインシャフトです。一方で、このブログにその話題が、多数登場する銀座(京橋含む)の画廊街は、ゲゼルシャフトの世界です。そこは、行く、行かないかを、自分が決定できる社会です。

 さて、人生で、もっとも長期間住んでいる、この鎌倉雪ノ下が、どちらになるかですが、ほかの人にとってはゲマインシャフトの世界であろうが、私にとっては、ゲマインシャフトの世界ではありません。かと、言って、ゲゼルシャフトの世界でもありません。心理的には、真空地帯です。この山は、たった20戸しか家がないくせに、1984年より前は、トラブル続きの山だったのです。で、引っ越して行く人が多くて、住み替えが、多くあり、売り物も頻繁に出る一帯でした。ある大学教授が、売りたいと、いう物件を見に来たことがあります。その人は、社会階層的に恵まれている人なので、警戒心が少なくて、以上の様な事を教えてくれたのでした。でに、その方はなくなっていると、思うので、真実を語りますが、引っ越してくる前から、警戒心を抱いていたのです。私は、その家は買いませんでした。それは、難しい人間関係におびえたというよりも、空き地がないので、増築が無理だと、考えたからです。その後、増築をいたしました。銀座の有力者の一人が、訪問をしてくれたことがあるのですが、その後、「川崎さんは、豪邸に住んでいる」と、周辺に言ってくれたそうで、ありがたい事です。

 で、引っ越してきてみて、すぐさま、安野智紗夫人が毎日行う井戸端会議に、諸悪の根源が、潜んでいることを知り、そこには、かかわらないことに決めました。ところで、そうなると、必然的に村八分状態になるのです。で、渡辺賢司が、36年間、私にはあいさつさえしないというほか、10億円に喃々とする被害があるのですが、それでも、それで、ヨシとしているのは、発想と、行動の自由の方を、選択したからです。彼女たちと付き合ってごらんなさい。その両者ともに失われます。

 で、私は、この八幡宮の、神域の深い森に住む、一種の・天狗・として、高い位置から、彼女たちの行動を眺め、分析し、町の哲学者として、自分の頭脳向上に役立てていると、言う次第です。このブログが、独特なのも、安野夫人、前田夫人、小野寺夫人、この三者の行動を分析するだけで、世界のあらゆるニュースが、政治的に読み解けるので、それで、優れたものになっていると、感じています。

 カリタス小屁の襲撃事件も自殺願望の引きこもり男が、自発的にやったことではなくて、過去の多数の、相似な事件と同じく加害者は、鎌倉エージェントに、教唆命令されて、行ったと、見るのも、28日の午後から夜にかけての、上記の、三女性の、動きで、察知したことです。後注1の、副題αに、それは、書いてあります。、その後、頭脳内で、ニュースを詳細に、分析して、結論に至っています。ニュースの解析は、これから、ゆっくりと、文章化します。

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副題3、『栗生警察庁長官が、30日に入って記者会見をしました。これは、謀略的事件での特徴の一つです』

 但し、裏側に隠れている真実を探るために、採用するニュースは、事件当日の28日から、次の日の午前10時までのものとします。29日の、午前10時とは、私が、・・・・これは、過去に行われた謀略事件のバリエーションの一つである・・・・・と、いう文章を、このブログの下書き用ボックスに入れ始めた時間です。その前までの、ものを主に採用します。それ以降は、私の意見を否定するために流されるものだからです。しかし、それも含めて、採用できるものがあったら、採用します。たとえば、安倍首相を始め、所管大臣がそれぞれ、意見を述べております。これは、やまゆり園事件で、神奈川県の、要人(県知事他)が、記者会見したのと、同様な仕組みです。

 しかし、もっとも大切なのは、警察庁長官の、動きです。栗生警察庁長官が、このカリタス小。すくーるばすしゅうげきじけんについて、しょしんひょうめいをしたのが、30日です。私がいよいよ、本腰を入れて、この事件の分析をし始めたのを、察知して、一般の、日本人に、「まさか!」と、言わせるために、警察の、権威を示したと、いうわけです。

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副題4、『加害者は、自殺をしたのではなくて、殺されたと、私は、見ている。ではだれが?となるが、学生服を着て変装していた、ブルーカラーとしての殺人者が、当日、現場には、数人、現れて、その一人が、加害者を、刺殺したと、私は考えている』

 加害者が、51歳なのにもかかわらず、学生服を着ていたと、NHKは、29日の朝のニュースで流しました。しかし、ほかの時間帯では、それは、一切出てこなかったのです。ただ、黒い服を着ていたとは、何度も合間ニュースで、流されました。ただ、朝の、その時間帯は私は寝ていました。彼らが、私のパソコンへ、侵入しているのは常のことだから、私が午前五時まで、ブログを書いていて、その後、寝入ったのを、彼等、鎌倉エージェント(=CIA)は、知っています。そこで、つい、警戒心が少なくて、大切なニュースを流してしまった、と、見えました。

 ここから先が、天が、例のごとく、お助け下さったと、言うポイントです。私は、気にかかってはいたので、主人に問い合わせてみました。「何か、変わった点を報道していましたか?」と。すると、犯人は、「学生服を着ていたそうだ」と主人が言いました。51歳なのです。普通だったら、32年前のもの(まあ、大学が、学生服を正式採用しているところへ、通学したら、28年前まで使って居たもの)だから、捨てているはずです。または、保存をしてあったとしても、カビが生えているとか、なって、それを着て外出できるはずのものでもないでしょう。

 栗生長官が、記者会見をしないといけないと考えたのは、私が、相当に、強い決意を秘めて、この新しい謀略事件に取り組もうとしているのを伊藤玄二郎一派が察したからです。 それは、冒頭に置いた文章と、後注1として置いた文章の両方を読めば、彼等には、そう見えると、思います。そして、その通りです。そして、私のことをなめ切って居る彼らは、「どうせ、一般国民には、真実はわかるめえ。で、あいつが、負けるのさ。ブログが、嘘を書いていると、ますます、一般の国民は思うのさ。それは、こっちが勝つという事だぜ。だから、書かせてやろうじゃあねーか。待っていようぜ」と、思いつつ、一抹の不安を抱えていたので、栗生長官に、この事件について、記者会見をさせたのでした。

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副題5、『いろいろな、情報によると、加害者は、引きこもり状態で、雨戸を閉めっきりにしていたそうである』

 この・・・・学生服ですが、それが、気もです。で、何故、学生副を何故使ったかというと、朝の通勤通学時間帯には、学生もそこを通ると、起案者たちは、考えたからでしょう。彼等は、どこかに瑕疵を示します。そこを突っ込まないといけません。

 小田急登戸駅、もしくは、周辺に、黒い詰襟の学生服を、制服として採用している、学校があるかどうかを、調査して、それを使ったと、いう事でもないでしょう。ただ、単純に、学生服を、使ったと、言うに過ぎないと、思います。ここで、学生服を使ったエピソードを私は過去に書いています。そこに登場する重要人物が、入江多喜雄君です。そして、学生運動を指揮して、入試を、一年間だめにして、ICUの評価を落としたという事で、退学処分を受けた入江君の名誉を、復活させようとして、川名昭宣君が動いたと、、数章前で、語っています。または、一回さらして、それを、もう一回ひっこめているかもしれません。しかし、将来丁寧に、書き直して、もう一回さらします。青森・弘前の銘菓店、ラグノー佐々木と関連してさらします。そのうちラグノー佐々木がカンブリア宮殿に登場するのではないですか? ありえるでしょう。

 その問題の、学生服を着た警察の特殊部隊所属の数人を現場に、待機させておいて、加害者(51歳)を刺殺したり、ほかの小学生数人を、殺したりしたと、思います。

 その学生服ですが、一般の人は、彼のものと考えるでしょう。しかし、私は事前に、彼に対して、接触した人間がいて、手渡した、か、または、宅急便で、届けたものだと、推察しています。

 といいうのもNHKが、何度も彼の家を移しましたね。二階に、一部屋だけ存在している家で、べニア製の雨戸が、しまって居る二階です。ご近所の人間は、彼を居候と、呼んでいたとありますが、その証言者が、嘘を言って居て、本当は、あの夫婦の、実子なのではないかと、思ったりします。だって、甥をそれほどに、甘やかしている親戚など、無いですよ。あまたの証言者が、親戚内で、育った苦労を語っています。甥とした方が、記者たちに後日追及されにくいと、鎌倉エージェントが考えたと、私は、見るのですが、此処は、勇み足で、あって、私が間違って居るという事になるかもしれません。

 しかし、重要な点はあの雨戸締め切りにあります。しかも、階段スペースを考えると、四畳半プラス上段だけの押し入れ程度の広さの部屋です。そこに大切な持ち物として学生服を保持しておきますか? 上段だけの押入れに、くちゃくちゃに、いれた学生服にカビが生えてはいないと、皆様、お考えになりますか? 生えていると、思います。したがって、彼が着ていたとされる学生服は外部から支給をされたものであり、したがって、あの事件が、この一点からも過去の類似事件と同じく、鎌倉エージェント プラス、こちら、雪ノ下の、傲慢主婦連中、前田清子、安野智紗、小野寺夫人、+画家Aとか、柳沢昇などを、救うために、おこされた、と、考えるのです。唯、一点、違いがあるのは、加害者が、殺されていると、言う点です。自殺ではないです。殺されたのです。

 しかし、私の本心としては、本日、本章内で、加害者側について述べるつもりは、ありませんでした。これは、栗生長官の、記者会見が、何故、29日に行われたかを分析する過程で、自然な流れで、書いてしまった部分であって、当初意図していた文案にはなかったものです。

 私が、本日描きたいのは、被害者の方です。そして、この謀略事件で、何故、カリタスが、選ばれたかを語ることです。カリタスが、最初に、案として挙がって、そのあとで、被害者たちの、日常生活が、探索され、あの外交官パパがスター性を持っているので、この人物を狙おうと、対象が定められました。その次に、そこを襲うのに、適切な人間として加害者側が、リクルートをされていったのです。

 さて、此処で、日吉に戻ります。

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副題6、『日吉の、私の知人の中に、お嬢さんを、カリタスに、受験させ合格させた奥様が居るのです』

 カリタスとは、大学をまだ、開いていないのかな? 開いている? 今、wikipediaを開いて、短大を作って閉鎖したと、ありました。これは、失敗ですね。高校までだけで、通した方がよかったでしょう。併設校があると、受験勉強をしなくなると、言う弊害が起こります。失礼ながら、今、フェリスと、比較してみたら、大部大きな差がついています。でもね。昔は、同等だった時代もあるのです。特に日吉では。それは、日吉という土地柄、本牧へ向かうのは、南であって、東京と反対です。それが、どうも、都落ちをイメージさせるのです。したがって、カリタスは、北へ向かうので、結構な、人気校の一つだったと、記憶しています。

 ここで、6時間ほど、中断をいたしました。お断りをしないで、そうしたことをお許しくださいませ。上の段階まで、書く事でも、私としては、1億2千万人が、信じていることを覆すので、非常に疲れます。その中断の間は、全く別の事、イコール自室の整理をしておりました。私の場合は、紙のごみが大量で、それは、捨てるのに、いちいち、判断を要するので、つい、放っておいてしまいます。が、本日は、段ボール箱いっぱいの書類を整理いたしました。で、元へ戻ってきたところです。

 さて、本日は、31日、四日目です。今のところ、朝のニュースを見ただけですが、早くも、私の意見を阻止するというか否定する方向のニュースが出てきていました。しかし、上の方で、言って居る通り、28日と、29日に報道をされた事だけを根拠にして分析をしていきます。

 カリタスに入学したお嬢様といっても、50代後半でしょう。もしかするとすでに、60歳を超えているかも、知れない。ただ、そのお嬢様の母君は、毎日我が家を訪問してくれる人でした。というのは、うちの母が、「経理の仕事を、幾分かシェアしてください」と、お願いをしていたからです。これから先は、私の想像ですが、一日三時間ぐらいで、済む仕事をお願いして、3000円ぐらいの謝礼をする。一か月にして、現在の貨幣価値で、70000円ぐらいの収入です。大した金額ではないけれど、きれいな知的なお仕事だし、自由な時間にできますし(という事は、お友達からのお茶のみ等のお誘いを、断らないで済む。むろんPTAの役員を引き受けるのにも差しつかえない)で、その人と、別の奥様が、手伝って、くれていました。

 でもね、これで、あの51歳の男にカリタスを襲撃せよと、命令を下したと、いうわけではありません。

 総タイトルに塩野義製薬といって居ますね。そこが、問題なのです。どういうことかというと、カリタスに通学しているお嬢様の住んでいる家の、南側のお宅が、昔、お父さんが、塩野義製薬に勤務されていたのです。今、生きておられたら、100歳ぐらいかなあ? この家には、二人の息子さんがいます。ご長男は、今、69歳か、70歳のどちらかです。で、塩野義製薬は、一部上場のいい会社です。そして、製薬会社って、薬九層倍といわれて、労働は、少量で、機械が主にやってくれるから、社員はほとんどが大卒で、お給料はいいはずなのです。そうなると、おぼっちゃまの方も、二人とも塩野義製薬に勤務されていた可能性があるのです。カンブリア宮殿に出演した社長さんより、はるかに先輩としてですね。

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副題7、「しかしなのだ。どうしても語れない部分があるのだ。それは、この生活圏の中に、私の方が、大きくお世話になっている、家が二軒あって、それで、真実を語れない。しかし、この一帯が、政治的に利用をされていることは確かなのだ。だから、私は弟の為に、防衛をしたい』

 父が、1986年に亡くなってからは、日吉の実家には、母がずっと、一人で、住んでいました。しかし、妹が、母の一人暮らしを心配して、ときわだい(たまたま、日吉の、地域がそういう命名の、東急の、分譲地でしたが・・・・・母が転居したのは、東上線のときわ台です)の、老人ホームに入れました。2007年だったと、覚えております。だから、20年間一人で住んでいたのです。その間、北側のお隣の、住民として、真田宏之さんが、引っ越してきて、又、去っていきました。塩野義製薬に勤務していたおじさんが、住んでいた家は、真田さんと、道路を隔てて、真西に、当たる家であって、我が家からは、十字路を隔てて、斜め隣と、なります。

 妹と、弟は仲良しでした。妹は、JWトンプソンという、外資系広告会社にヘッドハンティングをされて、新薬宣伝の、ための、医家向けパンフレットを、再び作り始めておりました。妹は千葉大薬学部を、新卒直後は、鳥居薬品という会社で、同じ仕事をしておりましたが、娘の結婚を機に、一旦、専業主婦になっていたのです。

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副題8、『ここで、小池玲子さん(お茶大付属高校時代の、同級生)と、野々村泰彦君(ICU同期生)が登場する。そして、文章はぐっと、政治に、傾いていく』

 私の周辺には、ミステリーが満ちています。この妹のヘッドハンティングが、私の本の出版をけなすためだったのは、ずっと、後で、偶然の機会に、わかってくるのでした。妹は、当時、JWトンプソンの、副社長をしていた、小池玲子さんによって、ヘッドハンティングをされたと、推察していますが、小池玲子さんは、私のそれこそ、ずいぶんと仲良しの、高校の、同級生でした。彼女が、私のことを気に入ってくれて、お姉さんにあなたを見せたいと、言ったのです。で、当時下落合に在った、お宅に伺いました。ここですが、私は、自分の本を配布するにあたって、郵便局が信頼できないので、いちいち、配って歩いていたのです。

 で、下落合だったし、こういう道だったと、覚えているのに、最近では、西落合という地名になっているのですね。これも、敵さん達が小池玲子さんを利用し始めた、2007年ころから、地名変更になっている様な気がするのです。この小池玲子さんの離反、と、言うか、裏切りは、冒頭に、あげた、章に、書いてある、きっこさん、宇都宮和代さん、じゅうもん、かなこさんの、四人の裏切りより、根が深くて、残酷なものです。松元庸子さんは、論外です。私は彼女のことは、一切問題にしておりません。ここで、急に入力が上書き保存になりました。これは、敵さん達が、もっとも、攻撃をしたいと願って居る時の、象徴的、仕組みであって、したがって、今、私が書いていることが、非常に重要なことだと、いう事が、わかります。
 私は探しに探したうえで、昔、の小池さんの家らしい家の呼び鈴を押しました。表札は、違って居ましたが、まさしくあたりで、結婚をしたお姉さんの家だったのです。
  しかし、予想外なことに、小池玲子さんの姉君は門を開けず、インターフォンでのみの対応でした。
 これが、どうして不思議かというと、お姉さんは、高校時代に私と出会って居るのです。
:::::::::ここで、挿入に入ります。小池さんは、のちに芸大に、入学します。私は、美大卒ではないが、画家になりました。したがって、美しいものが大好きで、美形好きな川崎さんと、からかわれているほどです。で、小池さんは、お姉さんに、どうも、「今度、素敵な子が高校に入学してきたから、会わせたい」と、言って、連れて行ってくれたのです。どうしてそういえるかというと、お姉さんが、開口一番、「だめだわ、この子、歯が悪いもの」と、言いました。それは、事実だったのです。歯の治療に、金冠を入れていました。その後、インプラントで、白い歯に直したので、ずいぶんと気が楽になりましたが、明眸皓歯の反対だったので、歯を直す前の私は、ランクが、二段階ぐらい低い少女だったのです。唯、私は玲子さんには、感謝しています。私の外貌ではなくて、総合力が素敵だと、思ってくれたのだと、思います。母もよく言いました。「あんたを見ていると、今の精神状態が、すぐわかる」と。小池玲子さんは、私が清い心をもって、明るい状態の時に、素敵な子だと、思ってくれたのでしょう。それには、非常に感謝しております。::::::::::というわけで、
 
私のことを知らないわけではないのに、冷たい対応です。本当に不思議でしたが、まあ、もしかすると、鎌倉エージェントの手がすでに回っているのか文知れないと、思って我慢をしました。お姉さんの言うには、小池玲子さんの家は、道路の角を曲がって、別の道から入るという事でした。そちらに向かうと、びっくりする様な、美しい家が現れました。昔は、植木が多くて、敷地全体を見渡すことができなかったのですが、大学教授だったお父さんの家は、下落合に、500坪ぐらいの、土地を保有されていたのではないかなあ?
 玲子さんの家は、門もない形で、武蔵野の林みたいな、ところへ入ります。それをくねくねと歩いていくと前方に、ガラスを多用した、古い東屋風の洋館が見えてきます。白か、薄いブルーかというペンキが桟に塗ってあります。
お子さんがいないので、それほど、建坪が大きいわけではありません。でもね。岩波少年文庫で愛読した、秘密の花園の、中に出て来るあずまや風の、不思議なニュアンスのある家なのです。如何にもヨーロッパ調です。岩波少年文庫の、1950~60年度版には、挿絵などないのですよ。だけど、想像をかき立てられました。その想像通りの家なのです。

  大病院を経営していた別のお友達の家にもヨーロッパのあずまや風の、子供たちだけのための、八角形の、図書室がありました。高いフランス窓で、採光がされている、部屋で、直接芝生に出られる形式になっていました。横浜の本牧にあったのですよ。しかし図書室だけだから、4坪程度の広さでしょう。そして後の、部屋部屋の外見は、普通の家だったのです。が、小池さんの家は、一階が、15坪はあるだろう、総二階建てでした。しかし、フランス窓の多用とか、ペンキが塗ってある窓の桟とかで、私は、玲子さんの好みの良さには、感心してしまいました。さすが、さすが、ダイヤモンドのデビアスの、結婚記念日の、コマーシャルで、当てた、ヒットメーカーです。収入も、高く、自由自在な、発想と、デザインのおうちを建てられるのでした。 

 しかし、これまた、不思議なことに、家の中にいるご主人は、ドアさえ開けませんでした。

 さて、後でわかるのですが、この日も尾行が付いていて、「今から、小池さんの家に向かうらしいので、用心して、開けない様にしてください」と、一時間ぐらい前から、頼まれたいたみたいです。これは、思い過ごしではなくて、100%の真実です。というのも小池さんの家が、見つからなくて、あっちこっち、うろうろして、しかも、別にお茶をごちそうしてほしいとまでは言わないけれど、二軒の、関係者、二人とも、ドアさえ開けない門前払いですからね。これは、精神的に疲れました。で、地下鉄駅へ向かう道すがら、そこにあったサイゼリアに入ったのです。お店のインテリアは、きれいです。さすが、高級住宅街にあるサイゼリア。鎌倉店よりもずっと、豪華です。だが、お客が少なくて、寒々しいお店でした。しかも何を食べても、おいしくない。けれども、此処で、何かを食べないと、ぶっ倒れるのは確かだと、思ったので、30分ぐらい休養をしたのです。で、出た途端です。ばったりと、小池玲子さんに、であいました。その時に、私の方は、小池さんが、敵方にリクルートをされたのは、確かだと、感じ取りました。それはね。小池さんが、自伝を日経BP社から出版をしていて、その会社に、元日経新聞勤務の、野々村泰彦君が、出向をしているのを知っていたからです。野々村君は、たった、18人ぐらい一緒の語学のクラスで、一緒だった、と、私には記憶のある人です。そして、明るくて、何の問題もないと、クラス会では、見えていた人です。

 しかし、その日の、小池さんのあまりに、暗い、態度の本当の意味は、まだ、分かりませんでした。つまり、野々村君と、小池さんは、組んで、私の妹を、敵さん達に奉仕する様に、教唆命令するために、小池さんが、副社長をしている会社に、リクルートをしたのでした。それは、まだ知りませんでした。妹が、務めている会社の名前を教えてくれないこととか、きつい言い方で、私の本をけなすことで、何かを感じていましたが、ある日、どこの駅で降りるのと、聞くと、ぶっきらぼうに目黒と、答えました。小池さんの会社は、恵比寿ガーデンプレイスに在るのですが、そのビルには目黒からも徒歩で、行くことができるのです。そして、妹にとって、目黒は、地下鉄の始発駅なので、座って通えるのでした。

 でもね、それは、後で、わかったことです。そのサイゼリア前の、小池さんの暗さ、を、単純に、私の紙の本を受け取らない様に、裏から命令されていて、それが、やはり、ひどいことだから、どこかの喫茶店(例えば新宿のそれで)時間を過ごして、私とあわない様にした事を、やはり、道徳的に、は、失礼だから、あっと、驚いたのだと、考えておりました。しかし、後日、裏側に隠されていた、秘密======妹を私の敵に仕立て上げるために、リクルートをしたのが、小池玲子さんと、野々村泰彦さんだった=======を、わかってからは、それは、ひどいなあと、思って居て、其の不道徳さが、小池玲子さんに、わからないはずもなくて、だから、あんなにびっくりしたし、暗い表情だったと、思い当たるのでした。

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副題9、『しかし、ダイヤモンド・デビアスの、コマーシャルで当てた、小池さんは、世界の、富豪たちと、面識があるので、そちらを優先しないといけないのだろう。だけど、私は、文章では戦う。全部はまだ、書けないが、サイゼリア南長崎・西落合店の、夜のことは書いた。野々村君も、彼と、夫婦同士で、仲がよかった、女性が歌舞伎座一階に現れて、その日、どうしても、一階の切符しか買えなかった、私は、彼女と隣り合わせで、夜の部を見て、その後、逗子に住む彼女と、鎌倉まで、懇談をしながら帰った。という事は、野々村君の本当の姿、=====特にエリートとしての其れを、彼女から宣伝をされたという事だった。=====奥様は、超が、付くほどの美女で、かつお子さんはハーヴァードへ留学しているそうだ。この出会いも偶然のものではないと、思う』

 私は、その夜のサイゼリアの前では、50%しか、真実をわかっていなかったのですが、それでも、それを小池さんにぶつけて、喧嘩をする人ではないのです。ともかく、毎日、創作をすることが大切で、そのためには、常に、平和で、落ち着いた精神状態でないといけないので、リアルな生活では、ほとんど、喧嘩にも、もっていかない人なのです。

 この妹が、本日の主役です。妹は、2017年の、7月11日に急死しています。非常におかしくて他殺だと、思って居ます。しかし、その死が、異様なので、日吉のご近所さまには、知らせていません。そして、日吉の人たちは誰も、私のブログのことなど知りません。ただし、水沢勉氏を徐いては。しかし塩野義製薬のご主人が勤務していた家の奥様(90歳を超えている)は、変な、形で、しかも、嘘である情報を知っているらしいのです。

 なお、水沢勉氏は、葉山の美術館の館長ですが、実家が、この一帯です。しかも姉君が、妹と同じ小学校で、同じ学年でした。しかも塩野義製薬、勤務だったお父さんが、いる家のご長男も妹と、同じ学年で、同じ小学校卒です。

 ただ、水沢先生も、そのことに気が付いた時点ではお名前を出したくない人の一人でした。ただ、後日、高見恭子さんが、主役を張る娯楽番組に、出演なさったことから、そのタイミングから考えて、明瞭に、敵陣営に立たれていると、わかって来て、此処で、お名前を出します。特に登戸で起きた、カリタス小学校襲撃事件が、報道されている通りではなくて、過去のこの種の殺人事件をすべて、私が書いて居る通りではないのだと、するための事件だと、思うので、私も必死ですから。でもね、2003年ごろから、2005年まで、私がとびとびに送っていたメルマガエッセイに、感想を送ってくださっていたのですよ。深くそれには感謝していて、こういう展開になってきたのは、相当に、つらい事なのです。だが、私も明日死ぬかもしれないので、真実を追求しておかないといけませんから。

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副題10、『私は、メモとして、この妹の、死が、日吉の実家付近で、悪い噂になっており、それが、弟に損失を与えることを知った。なんとかしたいと思ったが、微妙な、ケースなので、ただ、ただ、メモとして書いているだけで、外部には、発表をしなかった。

 しかしそのメモにすぐ反応があった。手代木、塩野義製薬・社長が、カンブリア宮殿に出て、ほかの会社が、注目をしていない分野である、感染症の新薬に、取り組み、ゾフルーザを売り出すことができて、会社の業績回復、かつ、向上に役立ったと、言う、番組が放映された。

 そのちょくごなの だ。NHKが、ゾフルーザには耐性菌が、できると、言う報道を繰り返し流したのは。しかし、NHKの報道をよくよく聞いてみると、ゾフルーザの欠点とは、本当はさして、重要な事ではなかった。まず、耐性菌が、生まれるケースのパーセンテージが、小さい事。また、それは、一切報道をされなかったが、耐性菌ができたとしても、それと同じ菌の、インフルエンザとか風邪に、同じ子供が、近々にかかる可能性は、少ないだろう。免疫性もできているし、インフルエンザは、各年度によって、型が違うのが流行するのだから。

 だから、よくよく聞いていると、そして、その後、丁寧に丁寧に考えてみると、これは、医薬の世界を利用した一種のがせねただった。一般庶民を小ばかにして、医薬業界で、脅かしを仕掛ける仕組みをすでに、数多く発見をしている私だった。日本人の、二人に一人は癌にかかるだとか、子宮頸がんワクチンを投与すべきだとか? 子宮頸がんワクチンとは、まず、子宮頸がんが、ウィルスで、引き起こされるかどうかさえ、判明していないのに、投与を、勧められる薬だが、その結果投与された女性側に何が起きるかというと、

 不妊の兆候が表れるのだ。日本では、それは、ほとんど、報道をされていないが、人口の増加を恐れた、ヨーロッパの医師が、アフリカでの、未開地での、人口抑制を目指して開発した薬なのだ。其れを、2011年、第一次フェイスブックでの、外人からの情報で知った私は、それを、投稿している。で、私の投稿は、全部嘘だと、言いたい、伊藤玄二郎は、鎌倉で、医師会の広報を、編集・印刷・発行をしている縁で、医師会に、つてを持っているので、

 私のブログをやっつけるために、厚生労働大臣を、使って、全国的に、中学生に、義務として、投与をしようとした。本当に、つらい時期だった。しかし、実際の投与された女性たちに、けいれんなどの、異様な後遺症が残り、それが、報道ステーションを中心に取り上げられたので、投与がやんだのだった。

 しかし、最近、十文字学園で、子宮頸がんの、講演会が開かれたと、言うニュースがあった(あと注1)が、これも、対私用脅かし策であり、冒頭に置いた章ほかで、じゅうもん(愛称・・・・ただし、十文字学園の創設家一族の出身ではある)について描く予定を察して、敵さん連中が、作り上げたニュースなのだ。実際に講演会があった。けれど、それは、伊藤玄二郎などが、動いて、設定した、講演会である筈。

~~~~~~~~~~~~~~

副題11、『それと同じ流れで、塩野義製薬が使われていることを知った。ただし、関係者が、ゲマインシャフトの、一族であり、しかも、私は、もし、お金が入ったら、その家を弟から飼いたいと、思って居るほどで、日吉という地域を捨て去ることができない。それで、ゾフルーザ報道が、起きた時には隔靴搔痒ながら、登場人物をすべて、仮名で、しかも、色々な部分を伏せて書くほかはなかった。

 で、それを書いたのは後注、2と、後注3なのだが、そこで、私は、さおのぎ家、しおのぎ家、すおのぎ家、せおのぎ家、そおのぎ家と、いう仮名を用いている。今にしていえば、そおのぎ家が、水沢勉氏の実家にあたるかな?

 そして、カリタスに、お嬢さんを入学させた、奥様の家が、すおのぎ家にあたると、言いたい。

 それが、連中には、わかっている。その文章を水沢勉氏が、読んだら、それが、わかるだろう。それで、今回、私を脅かすために、この事件が計画されたのだけれど、目的は、過去に書いた、執念事件以降、山田浩二事件を含む数多い事件が、犯人とされている人間ではなくて、特殊部隊がやっていると、言う文章を全部否定するために、犯人を殺して、口封じをして、ああ、やはり、あのブログは、間違ていたのだと、一般の日本人、一億に千万人に思いこませることだった。

 で、スオノギ家を、出せば、私が、その意味を分かるだろうと、して、カリタスをまず、選んだのだ。カリタス学園に誰かが恨みを持っているなどという事はない。だけど、私が、日吉で、親しいと、思って居る、家のお充さんが、カリタスへ、進学したから、カリタスが、選ばれた。そのあとで、被害者が選ばれた。そのあとで、加害者が、選ばれた。スタップ細胞疑惑も同じだけれど、こういう事件も相当前から、準備をされているのだ。

 なお、この章は、此処で、終わりとさせていただきます。6月1日に推敲をいたします。 

 後注1、

後注2、 

ゾフルーザに耐性菌発生か? これが、どうして、19-1-29日19時の NHK newsに出現するのか?鎌倉エージェントの本質がここに見える          2019-01-31 21:57:20 | 政治

 後注3、

ゾフルーザ(塩野義製薬)問題を分析して行くと、青酸カリが、18社に送り付けられた事件の目的と裏側も明瞭になって来る

2019-02-02 02:28:14 | 政治

 

 

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カリタス小学生殺傷事件・・・被害者の、映像があまりに早く、かつ、大量に出てきたのは、山本美香さん殺しを、思い出させた。

2019-05-29 16:07:16 | 政治

さいしょに置いた写真の説明をさせてくださいませ。NHKオンラインからとったもので、元記事は、後注1に置いてあります。この人は、50代だと、思いますが、美しい人ですね。

 ところで、このしゃしんをここに置いたのは、このひとが、どことなく、今、私が書いている主題の主要人物である、宇都宮和代さんに似ているからなのです。そっくりではないですよ。和代さんの方が洋風な面立ちで、より、細面で、より、きりっとしています。この人の方が和風ですね。

 ところで、私の高校時代のあだ名、シロちゃんは、先輩がつけてくれたもので、すっかり定着していました。が、和代さんは、対照的に、クロちゃんと、先輩(バレー部)が、ひそかに呼んでいたみたいです。で、こちらは定着をしませんでした。既成観念として、肌の色の白いのはいいが、黒いのは、やぼったいとか、そう言う感じがあるからでしょう。でも、1958年に、そういう対照的なあだ名を先輩からつけられたので、それを和代さんは、長らく恨んでいて、2014年のクラス会で、幹事となったのを幸いとして、復讐として、私に、わなを仕掛けてきましたか?

 まさか、それは、無いと思います。だって、彼女の職業が職業です。高校の先生ですよ。教育心理などを学んでいるでしょう。数十人を目の前にして、明らかにそれと、分かるいじめをすることが、道徳的には、外れていることぐらいわかるでしょうに。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『宇都宮和代さんについては、忘れられない思い出がある。茗荷谷の、拓殖大学同窓会館内、五階での、彼女の発言だった』

 ただし、和代さんって、変わったところもある人なのです。忘れられない思い出は、茗荷谷の、拓殖大学同窓会館内で、行われたクラス会の時の、彼女の発言です。

 その時に、私は、10メートルぐらい離れた位置から彼女を見て、・・・・・絶世の美女だ・・・・・と、思いました。黒いパンツスーツに身を包んで、いまだに何かのスポーツは、やっているだろうと、思われるしゃんとした姿勢、特にヒールのある靴をはいたら、170cmは超えると、思われる、背の高さ。素晴らしいの、一言につきます。私は、男性に対しても、女性に対しても、嫉妬したことはないのです。だから、ただ、ただ、その、美しさを感嘆して眺めていたのです。彼女は、誰を見るでもなく、虚空を見つめて、まるで、詩でも発表をするかのごとき、述懐を始めました。

 「最近、全体として、調子が悪いのだけれど・・・・・しばしの沈黙が挟まって・・・・・何故かと、考えるのだけれど・・・・・また、沈黙が挟まって・・・・・そっか、恋をしていないからなんだと、・・・・・また、沈黙が始まる。・・・・そして、「かな?」だったか、「なんちゃって」、だったか、正確な言葉は、忘れてしまったけれど、少し、現実に戻った、セリフで、終わったと、記憶をしている。が、度肝を抜かれた。いや、相当に変っていると、他人からは、見られているであろう私でさえ、この発言には、度肝を抜かれた。そういう事は、頭の中では、考えていい。しかし、お茶大付属高校の同窓会で、特に万座に向かって、ただ、一人、立ち上がって、行うスピーチとして、発言する内容ではないと、思った。二次会とか三次会でなら、許されると思うけれど。

 その時に、私は、『あれ、彼女は、既に、離婚をしているのではないかな?』と、思いました。というのもその時にすでに、彼女は、一年間の、イタリア研修を済ませて帰国している状況でした。それは、私の場合は、絶対に許されないだろうと、考えている研修期間でしたから。私も彼女から、10年遅れて、パリとか、ニューヨークへ、研修に行くのですが、それでも、それを、行うために、最初は、「文化庁の在外研修正の資格を得たから、許してね」とは言えたものの、二回目とか、三回目は、私費(父からの遺産をそこにあてた)でしたから、とても許される状況ではなくて、日本国内で、まず、別居状態を作り出したうえで、ニューヨークへ出かけていましたのでね。

 でも、宇都宮さんは、あの、あだなの件が災いしているのか、どうしても、私を避けているところがあって、二人だけの会話など、できない状況だったので、彼女の私生活については、私の方は、何も知らないのですが。

 なお、これは、小さい事ですが、子供の時から、肌の色が白い事で、色々な経験を重ね、色々な、エピソードを、抱えています。外人の血は入っていないのですが、それでも、色白の方でしょう。今は駄目ですよ。76歳ですからね。老人性の、くすみや、しみが入っているから。(苦笑)

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『宇都宮和代さんは、離婚をしていると、私は考えており、その離婚後、イタリア留学の縁で、栗田玲子さん、又、そこからの縁で、池田利代子さん、山本容子さん、ヤマザキマリさんなどと、一年に一回ぐらいは、お酒、食事付き懇談会を一緒に行う関係を続けていると、推察している。特に1960年代の、地下鉄・茗荷谷駅を中心とした、西洋史学科仲間(教育大学と、お茶大)として、栗田玲子さんと、池田利代子さんとは、特に、親しいと、感じている。

 収入の面では、この二人には、劣る立場ではあろうが、その美貌という一点において、和代さんは、対等か、対等以上であろう。特に池田利代子さんにとって、和代さんの美貌は、インスピレーションを与えていると、推察している。

 ともかく、その関係が根っこにあるので、和代さんは、栗田玲子さんから、命令された通りに、あの豆腐やうかいでは、動いたのだ・・・・・と、私は考えた。ともかく、彼女、と、かなこさん、じゅうもん、きっこさんの四人が、あれほどに、残酷なことを平気で、できるわけがない。考えつくはずもないのだ。しかし、伊藤玄二郎なら、できる。平気でできる。それから、伊藤玄二郎が、最近では、川名昭宣君と親しいと、考えるとぴったりと、合うのだった。最近といっても、この30年間を指す。そして、実は、伊藤玄二郎が、CIAエージェントとなったのも、川名昭宣君のお誘いというか、リクルートによるものだったかもしれない・・・・・と、そこまで、考え始めている。

 と、考えると、伊藤玄二郎にとって、川名昭宣君は、きっこさん以上に大切な人物なので、私にさらに詳しい文章を、書かせタクはないと、思って、彼が支配する、警察の暗黒部隊が、協力をして、犯人を教唆し、登戸駅周辺で、カリタス小学校への、スクールバスへ、載ろうとしている児童を襲わせた。、と、考えるのも無理はなくなる。その犯人は、NHKが報道して居る通りの、自殺では案くて、どさくさ紛れで、誰かに、刺殺をされたのだ。その可能性がある・・・・・と、直観で考えたのが、28日の夜だった。

 しかし、だからこそ、・・・・・彼等の新しい罠に乗っかって、今書いていることを、捨ててはいけない・・・・・と思って、昨夜は、前報を書いた。まるで、この大事件には、気が付かなかったごとくにふるまって。

 特に、2019年5月28日の夜に、この事件について、一切取り組まなかったのは、取り組んだら、私の負けだからです。彼等の新しい罠に引っかかって、又また、大量の体力を、消耗させられます。だから、看過する予定でした。

 やまゆり園事件、それから、山田浩二が控訴取り下げに、引き続いて、何弾目かとしての、国民、1億2千万人に逆らう、文章を書かないといけなくなるからです。

 しかし、29日の朝、朝の五時に就寝した私が寝ている最中の、あさ6時からの、NHKニュースが、「犯人は、学生服を着ていた」と、伝えたと、主人から聞いた途端に、『ああ、やはり、これは、謀略だったのだ』と、思い当たりました。で、以下、ぼちぼちと、其れを証明するための、文章を、書いていきましょう。

%%%%%%%%%%%%%%%%

 以下は、あまり論調に入らず、淡々と、メモ書きをしていきます。時間系列は、順不同です。頭の中に、引っかかっている疑問点を思い浮かんだ順に、順次、語っていきます。

 私は、おとといにあたる、事件が起きた日=2010年5月28日の朝は、ニュースを見ませんでした。今、書いているものが、重要で、かつ、書くのにストレスを、自分側にも与えるものなので、外からの、新しいインプットは、できるだけ避けたいと、思っていたからです。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題イ、『被害者の、情報があまりにも早く出すぎる。あまりに早いので、私は、それを犯人だと、誤解をしたほどだった』

 テレビを見ないと決めていますが、ブルーレイレコーダーの、残り時間が11時間というのは、気にかかりました。で、文化的番組の録画(=クラシック倶楽部とか百分で名著など)を、主人と一緒に、仕事をしながら見ていました。録画番組の間で、出て来るチャンネルは、録画番組のチャンネルに応じるので、私は、11時ごろまで、登戸の事件については、知りませんでした。

 しかし、そのニュースに気が付いてからのNHK総合チャンネルは、被害者の、情報をしきりと流しました。私は、事件が起きてから、たった、4時間で、被害者の、動画まで出て来ることにびっくりして、それは、ありえないことだと、思ったので、

 被害者である、外務官僚を、加害者だと、誤解をしてしまったほどです。で、主人に向かって「加害者なのに、さんを、付けて、呼んでいる。変ねエ」と、話しかけております。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題ロ、『それで、・・・・・ああ、ああ、母親が、エリートとして育てたのも、失敗例がある。だけど、これ程、派手なのは、珍しいですね・・・・・とは、おもった。でも、それって、心理学分野の問題であり、政治の分野の問題ではない。で、私にとっては、興味を抱かせる分野だけれど、緊急性はないと、思いこんだ。で、引き続き、安定した心情で、たまっているあれこれの家事をやりながら、録画番組を、消費していった。特に過去ニュースを点検削除することに尽力をした。トランプ大統領の、来日に関する膨大な、ニュースも、深く考えると、二つの、注目すべき点で、敵からの攻撃を発見したのだが、それも、今は、緊急性はないと、考えた。で、引き続き、現在の現時点での、ニュースを、見なかった。主人が見ているニュースは、ながら、視聴で、みるが、さして、注意をしなかった。

 しかし、主人が、常にチャンネルを合わせている、夕方五時のNHKの、ニュース・バライエティ、【しぶ五時】で、又、例の紳士の動画が、出てきた。午前中にちらっと、見たのは、岸田外務大臣(当時)と、ミャンマーの外相との懇談の通訳をしている映像であり、(ただし、私はそれを録画していない)では、ご本人の画像が大きい。

 しかし、午後現れたのは、アウンサースーチー氏が、どこかで、記者団や、SPに囲まれている映像で、大勢の男性の中に、この被害者パパ像が、浮かんでいた。胸から下は、他者に、囲まれて見えないが、ぼさぼさの、髪型(一種のおしゃれスタイル)に特徴があるのと、

 顔の輪郭が、横田めぐみさんの、弟君と似ている、のが、さらに気にかかった。だが、相変わらず、さん付けであり、頭から、加害者であろうと、思いこんでいる私は、『変ですねえ。これは、今、書いているブログを、中断して、こちらへ移動をしないといけないかしら。池袋の暴走老人が、通産省の、技術研究所の元所長なので、数日間、名前を伏せられて居たのと、似ていて、外務官僚だから、犯人なのに、敬称付けで、呼ばれているとしたら、これは、問題があることになりますからね。国民はだれもが、憲法の下では、平等であるべきですと、考えた。

 しかし、相変わらず、被害者を加害者と、誤解をしていたので、これが、政治的謀略だとは、思いもよらず、私は、自分には、関係がないと、決めつけて、安心して、外出をすることとした。五時半から、八時半まで、三時間外出をしていた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題ハ、『外出から帰宅をすると、前田清子さんが、オレンジ色の玄関灯をあかあかと、点灯し、カーテンを開けて、部屋の、電気も数室分を、私側へ、見せつけていた。気温的に暖かい夜だったとはいえ、何かが引っ掛かった。これ程に、あの家が明るい状態なのは、彼女が勝った、勝ったと、思いこんでいる日なのだが、何をもって、そう考えているのだろうと、気にかかった。今、書いている話題は、お茶大付属高校における謀略なのだから、前田清子さんたちは、出てこない。だけど、私がそこで、書きたい重要なポイントは、伊藤玄二郎の悪辣さである。で、そこで、書いていることは、伊藤玄二郎といまだに、食事つき懇談会を開いていて、あれこれ、彼の命令通りに動いている、前田清子さんにとっては、事実上、困惑に堪えないことであり、とてもではないが、勝ったとは言えない状況だと、私は考えている。ところがマッ反対だった。このことが、夜の、10時ごろ、しきりと思い出だされてきて、登戸の、事件が、謀略であったと、理解し始める。

 次に、28日の昼間に、渡辺賢司が、傲慢極まりない態度で、無視して去ったこと、

 また、夕方五時40分ごろ、小町通りを、向こう側から、歩いてきた安野夫人、及び、小野寺夫人の二人が、これまた、傲慢極まりない風情で、対抗方向から、歩いてきて、私を無視した。が、そういう事などが、28日の夜に、なって、想起されてくる。

 そして、さらに、24時間が過ぎた、29日の夜に入ると、それが、70%のレベルで、周南事件が起きた直後の、この山の雰囲気の再現であったことがわかってきた。と、なると、そこから、この事件が、過去の多数の殺人事件と同じく、作り上げられたものだと、わかってくる。と、言っても相当に違うところもある。その違うところだけれど、過去の事件における、自分たち側の失敗を学習して、改善をしてきていると、私は、考えた。

 ただ、此処で、登戸とは、遠く離れた、雪ノ下二丁目の、悪辣主婦軍団、安野智紗夫人、前田清子さん、小野寺夫人の動きを、判断した時点よりも、さらに、前の、まだ、考察が、あいまいだった、時点に戻っていきたい。これ程に、上手に構築された謀略だと、思考もついていくだけで、二転、三転をするものだから、読者の皆様へ、ご迷惑をかけることを、承知で、あっち、こっちをさまよう事を、やらせていただきたい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題ニ、『私は、潜在意識の中では、ご近所主婦の行動が変だとは、思って居たが、まだ、エリート外交官の挫折という誤解を捨てていなかったので、ルーティンワークの、あらゆることにゆっくりと、取り組み、全く焦らなかった。で、フェイスブックAOL、歌舞伎美人、と、色々な、サイトを通常どおり、移動をしていったのだが、途中で、msnというサイトが、紹介する文春オンラインの記事が、・・・・犯人は、51歳である・・・・・と、書いているのに気が付いた。後注2へ。変だなあと、思う。

 で、急いでNHKオンラインへ入って、自分が誤解をしていた事に気が付く。

 しかし、この時から、大いなる違和感を感じ始める。28日の事件当日、午前11時には、被害者の、外交官パパに関する、情報が、大きく出ていた。それがおかしいと、思う。強烈な違和感を感じた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題ホ、『私は、鎌倉駅で、本当の飛び込み自殺を目撃したことがある・・・・・後始末は、今より、ずっと早く、30分で電車は、運行を再開した。だが、その時点で、遺体は、まだ、線路傍に、シートをかぶせられて置いてあったのだ。遺体が警察署に運ばれて、監察医等が、呼ばれて確認がされた後で、記者に、身元が、知らされると、思う。それは、たぶんだが、飛び込み後、2時間後だと、思う。

 こちらの、登戸の事件は、飛び込み自殺よりは、ずっと、複雑な事件である。まず、刺された人物が、本当に死んでいるかどうかは、病院へ運んで、確認をする必要があるだろう。その前に路上で、被害者の、持ち物を探索し、運転免許証などを、探し出し、それを、メディアに発表をするにしても、普通なら、そういう事はやらないはずだ。病院から警察へ遺体が、転送される。その後、遺体の、持ち物等が、点検されて、家族等へ、連絡が行くのだと、思われる。それ以降にメディアへ、発表がなされると、思う。それなのに、午前11時には、明瞭な映像動画が、NHKのサブニュースに出てきている。おかしい。早すぎる。いくらスパコンの、検索が早くできると言っても、あそこまで、明瞭な映像が出てきて、岸田元外務大臣の談話等が、撮られているというのは、タイミング的におかしい。

 私は、ふと、山本美香さん事件を思い出した』

 ここは、明日30日、又は、それ以降に、敷衍をいたします。山本美香さん殺しについて、書いた過去ブログを探さないといけませんし。本日は、先に、さらに重要なことを書いてしまいましょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題ヘ、『私は、28日は、既に、この事件は、謀略であると、感じた。しかし、その夜は、敵の狙いが、どこに在るかがわかっていたので、その狙いを外すことに、奔走をした。つまり、敵さんは、私が、今書いていることから、テーマを移動をさせたいと、思って居る。だから、こういう謀略事件を起こした。では、どうするかというと、テーマを動かしたら駄目なのだ。引き続いて、今書いていることを書かないといけない。したがって、昨日は、ほぼ、死ぬと、いう思いで、お茶大付属高校のクラス会で、はられた罠についてブログ(あと注3)を書いた。疲労困憊をした。彼等、鎌倉エージェントの悪意をもろに浴びたからだ。

 で、ともかくの事として、一晩寝た。その上で、29日の午前中に、NHKテレビの、28日分の、録画番組を点検した。案の定といってよかった。午後零時のニュースには、ひとかけらほどの、情報も、被害者の外交官パパについては、出てきていなかった。その次に、夜の7時のニュースを点検した。すると、冒頭に数秒、被害者の、外交官パパのjpeg fileが、出た。それは、NHKオンラインで、その画像が、出ているのと同じ画像だった。後注4、

 しかし、午前11時とか、午後一時とか、午後三時とか、午後五時とか言う私が、録画していないニュース内では、大量に出てきた、外交官パパに関する、諸事項が、一切出てこなかった。

 これが、なぜか? 皆さんは、お分かりいただけますか?そのことについては、明日、コの文の、続報として書きましょう。

 後注1、

川崎市が会見をする。カリタス小学校、襲撃事件    2019-05-29 15:04:04 | 政治

後注2、 

2019-5-28に発見した週刊文春の、登戸事件の犯人を知らせるオンライン記事   2019-05-28 21:55:20 | 政治

後注3、

 

松元庸子さんには、10代と60代の、二度にわたって、強烈にいじめられた。しかし、それがあったので、2014年の罠に引っかからないで、済んだのだった  2019-05-28 23:20:07 | 政治

後注4、 

NHKでは、被害者、は、外交官だという、    2019-05-28 22:04:26 | 政治


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川崎市が会見をする。カリタス小学校、襲撃事件

2019-05-29 15:04:04 | 政治

この記事は、NHKオンラインからコピペしただけのものですが、私のブログ

カリタス小学生殺傷事件・・・被害者の、映像があまりに早く、かつ、大量に出てきたのは、山本美香さん殺しを、思い出させた。   2019-05-29 16:07:16 | 政治。

と、関係があるので、此処に、公開をさせていただきます。

 

 川崎殺傷事件 市が会見

川崎殺傷事件 市が会見

28日、川崎市でスクールバスを待っていた小学生らが包丁で刺され2人が死亡、17人がけがをした事件を受け、川崎市が29日、記者会見を開いています。

市 容疑者の親族と介護に関し相談 本人とは接触なし

川崎市は29日、記者会見を開き、おととし11月からことし1月にかけて岩崎隆一容疑者(51)の親族から、面談で8回、電話で6回、相談を受けていたことを明らかにしました。
相談は、岩崎容疑者と同居していたおじやおばが高齢となり、今後、介護ヘルパーを導入するにあたってのもので、岩崎容疑者と親族の間でほとんどコミュニケーションがなかったため、外部のヘルパーが家の中に入ったときの対応などについて助言していたということです。

一連の相談の中では岩崎容疑者本人と市側の接触はなかったということです。

おじやおば「あまり刺激したくない」

川崎市の会見によりますと、岩崎隆一容疑者(51)は川崎市麻生区の自宅で、おじやおばとともに3人で暮らしていたということです。

一連の相談では、おじやおばから岩崎容疑者について「あまり刺激したくない」という意向が市側に示されていたため、市は自宅ではなく、麻生区役所の会議室や電話などを使って相談を受けていたということです。

市は家族の状況を確認したうえで、去年6月から岩崎容疑者のおじやおばに対する訪問の介護サービスを開始していたということです。

市 手紙でのやり取りも提案

川崎市の会見によりますと、岩崎容疑者の親族から訪問の介護サービスを導入するにあたって、「おじやおばとのコミュニケーションをどう取っていけばよいのか」と相談を受け、岩崎容疑者と手紙でやり取りする方法を提案していたということです。

そのうえで、市側が岩崎容疑者本人と連絡をとったり、考えを確認したりすることはなかったということで、川崎市は「人に会いたくないという人に無理に介入することはいいことではない。親族側が言いたがらないことを言わせることも信頼関係の構築につながらない」と説明しました。


 

*********************

 

川崎殺傷事件 容疑者は電車で最寄り駅まで移動か

28日、川崎市でスクールバスを待っていた小学生らが包丁で刺され2人が死亡、17人がけがをした事件で、自殺した容疑者の男は、防犯カメラの映像などから、自宅を出たあと現場の最寄り駅まで電車で移動していたことが捜査関係者への取材で分かりました。その後、徒歩で現場に向かい事件を起こしたとみられ、警察は詳しい足取りを調べています。

28日午前8時前、川崎市多摩区の路上でスクールバスを待っていた小学生17人と大人2人の合わせて19人が包丁で刺されるなどして、いずれも都内に住む小学6年生の栗林華子さん(11)と外務省職員の小山智史さん(39)が死亡したほか、17人が重軽傷を負いました。

事件を起こした岩崎隆一容疑者(51)は、小学生たちを刺したあとみずから首を刺して自殺し、警察は動機などを解明するため川崎市麻生区の自宅を捜索しました。

その後の警察の捜査で、防犯カメラの映像などから、岩崎容疑者は28日の朝、自宅近くの小田急線の読売ランド前駅から電車に乗り、現場の最寄り駅である登戸駅まで移動したことが捜査関係者への取材で分かりました。

その後は徒歩で現場に向かって事件を起こしたとみられ、警察は当時の足取りをさらに調べています。

岩崎容疑者は3人暮らし

警察によりますと、岩崎容疑者は、川崎市麻生区の自宅で80代の親族夫婦と3人で暮らしていたということです。

容疑者の中学時代の担任「信じられない」

事件後に自殺した岩崎隆一容疑者(51)が中学3年の時の担任だった元教諭の男性がNHKの取材に応じました。

元教諭は岩崎容疑者について、「目立った子ではなかった。周りから少しからかわれるタイプの生徒だったが、気性が荒いわけでもなかった。当時の印象では体格は大きくなかったので、短時間に多くの人を傷つけるような事件を起こすとは当時からすれば信じられない」と話していました。

新百合ヶ丘総合病院「女児5人は回復へ」

今回の事件で、小学生の女の子5人が搬送された川崎市麻生区の新百合ヶ丘総合病院は、29日午前、記者会見を開き、5人のけがの状況について説明しました。

会見によりますと、搬送されたのは6歳から8歳の女の子で、いずれも顔や首などに刃物によるとみられるけがをしていて、このうち7歳の女の子は重傷で、ほかの4人は中等傷だということです。

いずれも入院中ですが、命に別状はなく、容体は回復に向かっているということです。

また、PTSD=心的外傷後ストレス障害の疑いもあることから、病院では精神科の医師などが子どもたちの心のケアにもあたっているということです。

新百合ヶ丘総合病院の笹沼仁一院長は「事件に遭われたかたがたにお見舞いを申し上げるとともに、引き続き治療に全力を尽くしたい」と話していました。

カリタス学園 警備態勢の強化検討

死亡した女の子やけがをした子どもたちが通うカリタス小学校を運営するカリタス学園は、今回の事件を受け、警備態勢のさらなる強化を検討しています。

学園によりますと、現在の学校前に加えスクールバスのバス停にも警備員を配置する方向で、態勢作りなど警備員の確保に向けた検討を進めているということです。

また子どもたちに心理的な負担をかけないよう、事件が起きたバス停を別の場所に移動できないか、移設先の調査を始めるということです。

 

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松元庸子さんには、10代と60代の、二度にわたって、強烈にいじめられた。しかし、それがあったからこそ、罠に引っかからないで、済んだのだった△

2019-05-28 23:20:07 | 政治

 最初に置いた写真を説明をさせてくださいませ。京都のどこかです。5人で、写っていますが、欲しい顔は、二人だけなので、後は、オレンジ色で、伏せてあります。オレンジ色ではなくて、白で、伏せたかったのですが、corelのカラーパレットが開きません。そして、ただ、自動的にオレンジ色になってしまいます。それは、これから、何をするかをわかっている連中(=CIA)が妨害をしているのでしょう。で、オレンジ色のまま、此処で、使います。その次に、別のもっと単純な、ソフト(アプリ)=ペイントへ、移動をして、松元庸子さんの方だけを、黄色のラインで、伏せました。何も、伏せていない後列右の中腰の人間が、私で、その前が松元庸子さんです。

  松元庸子さんとは、今は、結婚をして姓が変わっていますので、本当は、そちらの姓を使いたいぐらいですが、お子さんが、ひとり亡くなっていると聞いているので、現在の姓は、伏せました。そこが、私の憐憫または、惻隠の情の表れているところですが。

 彼女については、後注1に置いた前報で、だいたい語っていますが、最初に虐められたのは、修学旅行の、時のバスの中での、三日間でした。左側の、一番前の席で、女性のガイドさんが度々、振り返って、私を見たほどでした。・・・・これ程に、いじめられ続けていて、この子、大丈夫かしら?・・・・と思ったのでしょう。でも、私は、ただ、唯、黙って、聞いていて、反論もしなければ、ほかの友達に愚痴ることも、ガイドさんにウィンクして感謝することもありませんでした。名門私学、または、名門国立大学付属に入っても、いじめ問題は、起きるのでした。でも、非常に性格のいいお友達もいるのですよ。そして、大体が、いい性格のお友達ですがね。時々、庸子さんみたいな人が混じっている。悪女というよりも弱い人間だし、価値が、一元化している、単純な、思考の人だと、思います。余裕がないと、言うべきかな?

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副題1、『私は庸子さんに虐められながら、心の中で、エーリッヒ・ケストナーの、【わたしが子どもだったころ】を思い出していた。そして、きっと、お母さんの方に悪いところがあるんだわ。と考えた。で、そのいけない性格を持っているお母さんと、庸子さんは、似ているから、修学旅行のバスの中の決められた配置で、隣であると、いう絶対に、私が、逃げられない環境の中で、私をいじめまくるのですねと、思って居た。したがって、三日間、いじめられ続けたが、結構、平気だった。それが、上の写真にも出ていると、思う。で、上の写真をここに置いた』

 エーリッヒ・ケストナーのものはたくさん読みました。【飛ぶ教室】が、一番、上等だと、思いますが、【私が子供だった頃】も、忘れられない印象を残しました。大人になった女性として、其れを読むと、そこには、女の業みたいなものを感じ取ることができるし、幼い一人っ子、そして、男の子が、どれ程、母親と、べったりなのかと、フロイトの理論をも、思い出させるし、しかも、大人になった、ケストナーが、父親に対して、申し訳なかったと、述懐するところ(しかし、もう、間に合わないのだが)など、ほろっと来ますし。なかなか、複雑な内容が込められている書物です。

::::::::::::::::ただね。ここで、挿入ですが、次の日の29日にちょっと、気にかかることが出てきました。それは、私が子供だった頃が、いつの時代に、日本で、出版をされたかです。私は、子供のころに其れを、まだ読んでおらず、たぶん大人になって読んだからです。でも、修学旅行のバスの中で、庸子さんが、こういう風に私をいじめるのは、両親の夫婦仲が悪くて、したがって、お金が、父親から、母へ、渡らず、したがって、奨学金をもらわないと、いけないというコンプレックスがあって、それが、補償作用と、なって、私をいじめるのだと、いう概念は持っておりました。

  庸子さんは、母親の方は、肯定し、父親を否定していました。しかし、私は、違うだろうと、子供心に思って居たのです。・・・・・本当の、ところを言えば、お母さんの方にも、悪いポイントがあるはずだ・・・・・と、思っておりました。

  私は、既に、高校時期にして、抜群の、人間観察力と、人間性への、分析力を持っていたと、いう事が、証明されます。今、ケストナーの、wikipedia を開いているのですが、何と、この本がいつ、ドイツで、出版されたかは、出ておらず、かつ、この本をアマゾンで買おうとしても出ていないのです。『全くなあ! 私の力の大きい事よ!』と、思いますが、影からの勢力によって、妨害をされているのでしょう。でも、1960年に賞を得たと、書いてありました。すると、ドイツ語版は、その前の1958年から、1959年に出た可能性があります。という挿入を入れて、元へ戻ります。:::::::::::::

 ドイツは、日本と違って、第一次大戦を、経験しているので、男性の数が、19世紀から、不足していたのか? ケストナーのお母さんは、お父さんが、自分には、ふさわしくない(釣り合わない、低位)の、人間だと、考えていました。お父さんの職業は、靴修理業でした。これはね。水上勉が妻を捨てた後で、その、実子を、もらって、実際に養育した、養・両親が、靴屋さんだったエピソードと、ちょっと似ています。

 それから、この雪ノ下二丁目のアジサイ畑欺罔事件とも関係があります。私が、今、現在被り続けている、総額、10億円に喃々とする被害は、引っ越してきたときに、既に、北隣の、藤本禎子夫人と、前田清子さんが、徹底的に、喧嘩をしていた事が原因です。

 私は、このブログ内では、70%以上で、藤本禎子夫人の方の肩を持っています。しかし、藤本夫人の方にも欠点はあったのです。その点を中谷共二氏が、あまりにも、強調するので、私は、自分の花畑部分を、コンクリート打ちにすることを、同意したのですが、その後、その中谷氏が、藤本夫人の方に寝返ってもいて、彼女の言う通りの地境石(それは、地境の、四分の三ほども、藤本夫人側が、大きく、私有地を持っていると、いう石となる)を生かすために、私達が、持っていた、自然な山を無許可で、崩したので、怒った私が、すべての許可を取り消すと、言って居るわけです。当時、主人は、松坂へ単身赴任をしているので、私の考えが重要ですが、彼等は、あくどいので、主人を巻き込んで、あたかも、私だけが悪者であるかの如く、設定をもって行って居ます。

 そして、そのことが、まさしく、藤本夫人が、夫と、激しく喧嘩をする原因でもあったのです。男というものは、弱いのですね。それで、近所の人間等に、迎合するのです。それで、藤本家では、夫婦が、不仲であって、土日でも、南側の居間へ、ご主人は出てこられないのでした。東北の裏側にある、一室に閉じ込められていると、いう感じです。ご主人は、パーキンソン氏病を患って居ました。足の運びが、不自由でした。でも、生ごみを、一人で、山ノ下へ、降ろしていって居ました。お嬢さんが学校の先生をしていて毎日山ノ下へ降りて行くのですから、お嬢さんが、ひとこと、「お父さん、何か、用がありますか?」と、問い合わせれば、「これを下へ、もっていってくれ」と頼むでしょう。だけど、30坪程度の木造平屋では、音がすべて、通じますね。だから、お父さんと、会話することが、できなかったのだと、推察しています。それほどに、お母さんは、お父さんを孤立化させていたのでした。まあね。それが、100%の原因ではないと言っても、どれ程に、強欲な安野智沙夫人とか、前田清子さんに、藤本家が、家庭内を、ずたずたにされてしまって居たかが、わかります。しかし、2005年には、驚くべきことに安野夫妻は、藤本夫人と仲良くなっているのですよ。調子がいい事。そして、藤本夫人も、また、おだてられると、すぐ乗ってしまって、私が長年、示してきた誠意など、全くどっちでもいいのでした。

 特にCIAエージェントが三菱銀行を使ってきましたのでね。すっかり富裕層夫人として、扱われる快感に酔ってしまったのでした。唯ね。お嬢さんは、結婚をしていないし、坊ちゃまも、大変な美人の奥様と、結婚をされたのですが、フェイスブック紙上では、二人は、離婚をしたと出ていました。モダンミュージックの方では、結構、有名な夫婦なのです。お嫁さんは、若いときは、特に美貌が冴えていた、橋本一子さんです。私が離婚と書いたら、二人は、フェイスブック紙上で、対談記事を載せました。昔、人気が高かった時期の思い出をです。YMOなどと、一緒にコンサートをする間柄だったみたいですね。

 私は、藤本家を見ているので、其の二の舞を踏みたくないので、主人が町内会へ出たいと、いったら、仕方がないと、いう態度を取っています。おお損をすることがわかっていても、家庭内がズタズタになったら、どうしようもないので、そこは、ご自由にと言って居ます。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『私は六種類の本を作った。以下にjpeg fileを、挙げるのは、6冊目の本だ。

  きっこさんにあげたのは、これではないと、思って居ます。しかし、その後、あまりにも劇的な展開があったので、どれを挙げたかを忘れてしまいました。この本は、このブログ固有の、画像ファイルの中で、もっとも、直近の場所で、見つかったので、使って居ます。6冊目(=6種類目)の本で、手抜きをした、表紙(カバー)が、ついてます。

 手抜きをしたといっても、大変な妨害の中で、本文も書き、内容を編集し、カバーデザインも頁デザインもするのですから、きっこさんみたいに、社員を使って、それらをやる人でも、・・・・それを、全部私がひとりでやったと聞けば、・・・・・「しろちゃんは、実力があるからね」と、ほめてくれるのでした。しろちゃんとは、当時のわたくしのあだ名です。

 そして、お祝い金、一万円をくださって、かつ、彼女が、設立した、本社ビル内に在る、高級な喫茶店の、これまた、高級な「書棚に、推薦図書として、おいてあげます」と、言ってもらえました。だから、名字は、書きません。実家の姓も、結婚後の姓も書きません。

 ところが、それを多分、このブログのどこかで描いたのでしょう。で、さっそく、きっこさんが、敵陣営に取り込まれることとなりました。それを、私は、鎌倉駅の地下道の、展示物を見ることで、其のクラス会の、当日より、ずいぶん前に、すでに、察知をしていたのです。

 で、司会者が、「今日は珍しく、庸子さんが来ています。きっこさんの、お招きで、いらしたのよ」と、言ったとたんに、私は、其の30分後に起きることの予測が付いたのでした。で、パニックにも陥らないで、切り抜けられて、二次会にも一緒に出たのですよ。それから、きっこさんの、お洋服が、素晴らしいことを、当人にも、一次会終了の時点で、告げています。

 というのも、庸子さんは、どれかの本を送ったときに、・・・・・一筆箋、五枚の長さで、けなし、ののしる、言葉の羅列のある・・・・・お手紙をくれたからでした。其れを、やはり、敵さんは、知っているのでした。私は、このブログでは書いた覚えがないものの、庸子さんの方が、誰かに悪口を言って居て、それが、中学のクラス会を通じて、きっこさんの耳に入っていたか? ともかく、私を暗い気持ちにさせるために、庸子さんが招かれていたのでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『罠の第一歩として、突然の、座席の変更があったのだが、その前に、座席を決定するくじに細工をして置かないと行けない。今、思うに、五人分には、すべて、ハの2と番号が打ってあったと、考えている』

 その後の展開を、少し語ります。その罠には、座席の変更が、重要で、其の図だけは、此処に示しておきましょう。ミステリーを解くためには、室内配置図は、とても重要です。次回にも繰り返して使いますが、本日も、まず、使いましょう。私に大恥を掻かせた当人である、かなこさんが、動いた跡が、赤い線で示してあります。

 そのころのわたくしですが、ブログで、必死に敵に、応戦をしている最中で、いつも、真夜中遅くまで、パソコンにへばりついておりました。そして、自分にとっての、優先順位を言えば、クラス会なんて、後ろの方だったのです。だって、お料理を食べて、友人の近況を聞くと、いう作業よりも、子供の職が奪われるなどという切迫していたことが、たくさんあって、最優先事項は、ブログを書く事でした。だから、遅刻をしてしまいました。だけど、そういう遅刻の常習犯であるという行動スタイルも、すべて読み取られていて、席のトリックが準備されていたのでした。

 私が、到着した時には、すべての、人が、着席済みでした。しかし、後、四~五枚、くじが残っていたのです。

 今、わかっていることは、・・・・・其の残ったくじには、すべて、同じ記号が書いてあっただろう・・・・・という事です。これが、最初の関門でした。上の図に、長テーブルが二つあります。その座席数については、正確ではありません。私は到着後、30分で、罠に気が付いたから、それ以降は、罠の事で頭がいっぱいだったので、その長テーブルに何人着席していたかなどとは、覚えておりません。

 ただ、長いテーブルの左側が、カタカナのイ、ハイフォン・数字という形であり、右側の、方が、ローハイフォンー数字という形で、番号が振られていたと、思います。で、私は、どれを引いても、ハの2番だったはずです。左隣は、ハの1番でしょう。そして、じゅうもんが、既に、座っていました。

 【じゅうもん】とは愛称で、今の姓は、違いますが、十文字学園の、一族の、出生です。で、この間、十文字学園で、子宮頸ガンの、講演会が、開かれたと、いうニュースがありましたが、それこそ、私が、この罠のエピソードを書くであろうと、予測をした、鎌倉エージェント(=CIAエージェント)が、書く事を阻止させようとして、流した、脅かし用ニュースでした。ただ、じゅうもんについては、あまり触れたくありません。それは、食がとても細いのです。食生活において、相当に、注意深い繊細さがあって、それを知っているので、肉体的に弱い可能性があるので、深くは触れません。唯ね。この時の、対私いじめを行ったという功績が、あるので、きっこさんの後を引き継いで、同窓会の、理事になりました。なるほど、なるほどと、なっとくです。

 私はトリックスターを自認はしていますが、それでも、大変に、大変です。唯ね。私は、じゅうもんに言いたいのですが、「あなたよりも、私の生活の方が、はるかに複雑で実質的には、豊潤ですよ。だって、園芸もやっているし、子供も二人もいるし、孫は、四人もいるし、ただ、お茶大付属高校同窓会理事なんていう名誉職は、ありませんけれど」と。そこについては、自信があります。

 で、そのじゅうもんがどうしてか、席を変えたのです。ただし、この時は合理的な説明が付与されました。誰からかというと、私の右側に座っていた、宇都宮和代さんからです。「ねえ、先生のお隣が空いているでしょう。あなた、あそこへ、移動をして、先生のお相手をしてくださる?」と。すると、じゅうもんが、「ええ、いいわ」といって、上の図の青い動線に沿って、席を変えました。

 で、私は不思議な形で、島の様に独立している、末席の第三のテーブルに残されたのです。後で、思うと、そこには、それまでたってうろうろしていた幹事さんが、座ったので、くじの番号は、そこだけは、無意味だったのです。それで、土のくじを引いても、ハー2だったはずです。

 しかし、この日の、三か月前の段階では、宇都宮さんが、幹事として、非常にやさしかったので、『今日は大丈夫、寂しくはないはずよ』と、思って居ました。ところが、その日の宇都宮さんって、よそよそしいのです。準備段階で見せてくれた、あの学校の卒業生らしい、親切さが、無いのです。それは、2番目に、気が付いた、変だなあと、いう点でした。

 しかし、もっと異様な事は、どうしてか、じゅうもんの後釜として、何の説明も、宇都宮さんから、出ないままに、急に【かなこ】さんが、私の左隣に移動をしてきたのです。上の図で、えがいた 赤い動線を、通って、だろうと、思って居ますが、どこから、彼女が、現れたのかは、気が付かないほどの、素早さで、私の左隣に座ったのでした。

 で、これから、【かなこさん】についての説明に入ります。かなこさんって、下手に出る人でした。だから、私は、ひそかに同情をしていたのです。私もその種の下手に出る方の、一人です。しかし、私の場合は、いざとなると、度胸がいいという事があって、下手に出ながらも、純粋な、下手風マナーの人とは違って居たと、思います。母がいつも感心していました。「あんたって、全く上がらないのね。私だったら、舞台の上に立つと、手のひらに冷や汗が出るし、言葉は、つっかえてしまうし、ほほが真っ赤になるものよ。でも、あんたは、シャーシャーとして、舞台上で、取り仕切っちゃうのよね。顔を赤らめることもなくて」と。母は、その両親が、養子縁組解除によって、一種の離婚に至って、その後、実の母親が死んだので、孤児であって、親戚で育てられました。しかし、富裕層だったので、母の兄(=男子)は、大学へ行ったし、母も今でいう短大まで、行ったのですが、女学校の時に、別の学校で、既に、校長になっていた、実父が、会いに来たそうです。校長用、客室で、実父と、10年ぶりにあったのだけれど、恥ずかしくてたまらなかったそうです。が、実父は、別の中学(旧制)の校長ですから、母が学んでいる女学校の校長に頼んで、ひそかに、会いに来てくれたそうです。で、そういうバックグラウンドがあるので、母は、常に、級長とか副級長をやらせられていました。が、「檀上に立って、発表をするのが、いやで、恥ずかしくてたまらなかった」と、言って居ました。

 しかし、私は、それは、平気なのです。入学式総代とか、卒業式総代で、上がることはありません。しかし、日常生活では、おとなしい人です。だから、庸子さんは、見くびって、苛め抜いてきたわけです。だけど冷静な私は、高校時代からすでに、・・・・・庸子さんは、未熟な人間である。お母さんべったりで、お父さんを許していないのだから。まだまだですね・・・・・と、考えたりするわけです。そして、後日、此処にそれを書きますね。だから、本当は、弱くないのです。すごく強い人なのです。しかし、態度の様式として、下手に出る人だったのでした。

 私は、そういう下手に、出る人の内面や、人格を理解できるくせに、あえて、近寄りませんでした。なぜか、自分を見ている様で、いやだったのでしょう。当時同期生であって、お茶大に進学したのかな? 優秀な人であったのに、のちに、早世した【日向奈津子】さんという女性がいて、すべての問題で、下手に出るので、実は、大っ嫌いだというほどでした。ほめる人が多いのに、私は、いやだなあと、内心で、嫌って居て、近寄りませんでした。で、同じ様に、下手に出るタイプの、かなこさんとは、過去に、一回も個人的な会話を交わしたことがなかったのです。

 しかし、私も、もう。70を過ぎています。・・・・・ここで、好き嫌いを言って居る場合ではない。老い先短いのだから、この縁を大切にして、仲良くなろう・・・・・と、思って、話しかけるのですが、変なのです。下手に出るはずのかなこさんが、まるで、鎧を着ているかのごとく固いのです。ありえないほどに、傲慢な姿勢で、こちらを無視するのでした。

 かなこさんは、後日、北久里浜の、石川さんという家に隠れていて、待ち伏せをして、モーツァルトの【フィガロの結婚】から、【ケルビーノのアリア】を歌うほどで、この2014年の豆腐屋うかいでの、罠には、非常に大きな役割を果たした人ですが、その前の、その罠の当日でも、其の前兆が、15分も前から、私には、彼女の堅い拒否の姿勢から、感じ取ることができたのでした。

 さて、スピーチをする順番が来ると、司会者が、異様に丁寧に、かなこさんを紹介するのでした。「かなこさんは、お歌を作曲することができます。それで、本日は、かなこさんが、作曲したお歌を歌っていただきましょう」と。

 かなこさんは、立ち上がると、まず、仕事についての説明をし始めました。私は、前から知っていましたが、お受験塾を経営している、理事長さんです。母親の代から行って居る仕事で、実質日本一みたいでした。で、下手に出るわけは、富裕層ちゅうの富裕層と、付き合って居るので、世の中には、上には上があると、いう事を知っているので、下手に出るという形でした。それは、説明をされたわけではないが、私には『なるほど』と、いうほどに、よく、わかりました。自分の住まいのある鎌倉・雪ノ下で、井の中の蛙という種類の女性たちに悩まされていた私は、かなこさんが、その対極に座している女性だと、理解をしました。

 そういう説明をした後で、お歌を歌い始めました。相当に、複雑な歌で、しかも、彼女は、三番まで歌いました。それが、罠だったのです。間に何人もの別の人を挟まないで、直前に、彼女を置く。そして、・・・・・彼女の歌のうまさに、・・・・・度肝を抜かれた私が、パニックに陥って、おろおろ、よたよたして、うまく歌えない。そうなると、かなこさんよりも、低位だと、みんなにわかるわけです。それが、狙いの、罠でした。

 で、私は正直に、「かなこさんには、びっくりさせられました。あまりに驚かされたので、今日のわたくしは、うまく、声が出るかどうかわかりませんが、荒川静香が、トリノオリンピックで、使った、トゥランドットから【誰も寝てはならぬ】を歌います。と、前置きを置いて、歌い始めました。

 いつもどおり、40秒ぐらい、旋律を歌って、終わりとしておきました。勿論、歌詞は、覚えておりません。だから、そういう意味でも、しろうとっぽいのです。それから、自分自身、琵琶湖周航歌を、今関一馬先生の大個展の、オープニングパーティで、旧制・一高卒の男性が主に出席している場所で、歌ったら、やんやの喝さいを受けたことがあるので、歌詞があった方が、歌の効果が上がると、いう事には、気が付いていました。だから、その日は、歌詞付きで、しかも、三番まで、三分以上歌ったかなこさんには、圧倒的に負けました。そして、何よりも、大きな違いは、かなこさんは、幹事さんとか、司会者の、提言によって、万座に、受容されながら、歌って居るのに、こっちは、万座の嘲笑を、浴びるはずの立場として、歌って居るのでした。歌う事を許容されておらず、辱めを、受けることを、待たれていたわけです。なんという恐ろしい罠が張られていたことでしょう。

 私が、母に褒められている舞台度胸というのは図々しいから獲得しているものではなくて、ただ、単に、無心になることができるからでした。自意識を捨てるのが、簡単にできるのです。しかし、こんなに心理的に、揺さぶられては、無心になるどころではありませんね。だから、相当に、みじめな失敗として、パフォーマンスが終わりました。

 後日、かなこさんが、北久里浜まで、遠征してきて、ケルビーノのアリアを歌ったのは、誰かが「あなたも、オペラアリアが歌えるっていう事を、川崎千恵子に示すべきよ。でないと、彼女は、相変わらず、自分の方が上だと、思い続けるわ」と、提言したからでしょう。彼女が豆腐屋うかいの、クラス会の当日歌った歌は、オリジナル曲(=日本の歌曲風)の、お歌でした。複雑でしたよ、童謡よりは、複雑です。でも、それは、メロディラインとしては、オペラアリアよりは、単純だから、オペラアリアも歌えるっていう事を、聞かせて、100%やっつけてしまいなさい」と、勧められたのでしょう。誰からかなあ。きっこさんからかなあ?

 この北久里浜の件は、後で、敷衍していきます。豆腐屋うかいでの。当日の二次会に戻ります。

 しかし、私はね。お茶大の付属高校卒の、この四人、と、それに、数人、もしくは数十人が、事前に知っていたとしても、この罠を、初期の段階から、彼女たちが思いついて、企画をしたとは、思って居ませんでした。遠くから、特に気の毒そうに見ている人がいたので、事前に、みんなが、知っていたことかもしれません。でも、それほどの、残酷な罠を、昭和36年卒の同期生が、内部だけで、企画したとは、思っておりませんでした。ここが、最重要なところなのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『宇都宮和代さんは、語るに落ちる態度を取った。電話内で、どなったのだ。あなたは、栗田玲子さんを知っていますか?と、言う私からの質問に対して、「しらないっ!」と、強い言葉で、どなったのだった。立正佼成会が、運営している私学で、長年歴史の先生をしていた女性が取る態度ではなかった。で、其の乱暴な態度は、結局のところ、「栗田玲子と、知遇はない」というセリフが、嘘であると、自分で、告白しているのと同じだった。彼女は、栗田玲子さんから、教唆命令を受けて、この罠を、はったと、私は、理解した。

 一方で、きっこさんが、伊藤玄二郎と親しいのは、鎌倉駅の地下道の、展示物を見て、すでに知っていた。ので、当夜、も、それ以降も電話をかけていない。伊藤玄二郎は、悪人すぎるし、じつは、きっこさんも、上流人で、ありながら、どこかに、悪の要素を、抱えているのだった。「きっこさんは、やり手だからねえ。きっと、ご主人(=名門出版社の三代目の筈)を尻に敷いているわよ」などという、セリフを口にする同期生も居たし』

 ここからは、又、会話体へ戻ります。

 まあ、しかし、私としては、その時にできる最善の処置はとったと、感じていたので、やがて、傷もいえました。遅く来たので、もっと話し合いたいと思って居て、二次会にも参加しました。二次会には、かなこさんも、じゅうもんも、きっこさんも、参加をしていませんでしたが、裏側を、知っているのか、知らないでいるのか、ともかく、自分は、その罠の、主役ではないと、思っている人が、二次会に居て、私はそれなりの、会話を楽しんで、夜の、7時ごろ、みんなと、一緒にメトロの駅に向かいました。宇都宮和代さんも、むろん一緒ですよ。そして、家に帰りついて、夕食を軽く、とってから、時計を見ると、夜のくじ半程度でした。私は、宇都宮さんは、離婚をしているのではないかと、思って居ます。

 離婚をするという事は相手に対して、きつい、決断を放ったという事になります。宇都宮さんの方が相手に捨てられたとは思いません。とてもきれいな人で、かつ、有能な人なのです。だから、自活ができるし、イタリア一年間留学もできるわけです。宇都宮さんが相手を捨てた形だと、思って居ます。

 ・・・・・だから、きつい態度も、とれるのだ。本日のことは、宇都宮さんが、主役の謀略だ。で、どういう風に質問をしたら、いいだろう?・・・・・と、考え抜きました。

 イタリア留学が、キモです。その結果、栗田玲子さんと、イタリア大使館ほかの催し物で、頻繁に会う間柄と、なっていて、それで、そこには、池田利代子さん等も、出席して居たら、そちらの方が、私より社会階層的に、上ですね。だから、栗田玲子さんに頼まれた結果、私を虫けらのごとく扱うことができたのです。でもね。宇都宮さんが、離婚をして居なくて、お子さんもいたら、此処までのことはできないと、思います。あまりにもひどいです。あまりにも残酷です。それでね。どうしても、宇都宮さんと、きっこさんだけが考え出したとは、思われないのです。

 で、単刀直入に、「ねえ。あなたって、栗田玲子さんを、知っていますか?」と、問いかけました。もし、二人の間に、密約がなかったら、和代さんは、私に対して、「うっ。何のこと、それ?」とか、「えっ。誰、それ」とか、いうでしょう。または、「ええ、知っているわよ」と答えるでしょう。しかし、その夜の彼女の答えは、「知らない」と、どなることだったのです。

 雪ノ下二丁目の、住人の間に入ってきて、勝手に、人々を道具としてこき使う例の鎌倉エージェントの、構成員は、男です。だから、こちらの豆腐屋うかいでの、出来事も、当然に、彼等の発案だと、考えております。全くそっくりです。

 ここで、午前四時になりました。この続きは、29日に書きます。お待ちいただきたく存じます。

 

 

 

後注1、

山田浩二、控訴取り下げー3・・・・・2014年秋の高校の同窓会で、行われたことをまず語りたい。それは、川名昭宣君が発案した可能性が高いが  2019-05-23 19:46:40 | 政治

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NHKでは、被害者、は、外交官だという、

2019-05-28 22:04:26 | 政治

児童ら殺傷事件 死亡の被害者男性はミャンマー担当 外務省職員

ただし、殺された被害者である。しかし、それは、夜9時の、NWで、確かにそういったが、それ以外のニュースの時間帯では、あたかも犯人であるかのごとき、扱いだった。というのもあまりにも早い、段階での情報流出だったので、私の方が勝手にそう思っただけなのだけれど、

普通、路上で、刺された男性が、死亡後、これ程に、早く動画が、NHKニュースに出るものだろうか?

 そこから始まる数多い疑問点については、

カリタス小学生殺傷事件・・・被害者の、映像があまりに早く、かつ、大量に出てきたのは、山本美香さん殺しを、思い出させた。

 以下のブログで、書いていきます。

 

 

************************

児童ら殺傷事件 死亡の被害者男性はミャンマー担当 外務省職員

川崎市の路上でスクールバスを待っていた小学生や大人が男に次々と包丁で刺された事件で、死亡した男性は東京 世田谷区に住む外務省職員、小山智史さん(39)と確認されました。子どもをカリタス学園に通わせていた保護者だということです。外務省のホームページや専門職員採用案内のパンフレットによりますと、亡くなった小山智史さんは平成16年に外務省に入り、外務省に10人ほどいるミャンマー語の専門家の1人だったということです。

アジアに関心があった小山さんは、一般に知られていない言語を学びたいと外国語大学でミャンマー語を専攻し、外務省に入ってからはミャンマーの日本大使館での駐在勤務も経験したということです。

また、平成25年にノーベル平和賞受賞者のアウン・サン・スー・チー氏が来日した際に担当官として京都に同行したほか、この年の国連総会の際に行われたミャンマーの外相との会談では当時の岸田外務大臣の通訳を務めたということです。

ミャンマー関連のテレビ番組はこまめに録画し、定期的に都内のミャンマーレストランで食事したり、カラオケでミャンマー語のロックを歌ったりして語学力の向上に努めているエピソードが掲載されています。

この中で小山さんは「最前線で時代が大きく動く場面を目撃できるという意味で非常にやりがいを感じています」と仕事への思いを語っていました。

小山さん 宮崎市出身

小山智史さん(39)は宮崎市の出身です。

市内に住む親戚の男性によりますと、午後6時半ごろ、小山さんの父親から「うちの息子が亡くなった」と電話で連絡があったということです。

小山さんは宮崎大宮高校を卒業して東京外国語大学に進学したということです。

男性は「電話口の父親の声は取り乱した風もなく、ふだんと変わらない様子で、何と言ってよいかことばに窮しました。智史さんに最後に会ったのは彼が小学生の時だったと思いますが、東京で語学をいかして活躍していると聞いていました。理不尽な事件に巻き込まれやるせなく思います」と話していました。

外務省の同僚「優秀な事務官」

亡くなった小山さんと同じ部署で一緒に働いていたという外務省職員は、「最高級に優秀な事務官だった。専門のミャンマー語もとても上手で、ミャンマーの担当が少ない中、ひとりで3人分の働きをしてくれていた。子どもをかばって亡くなったのかもしれないが、亡くなったことを知ったときにはことばにならなかった。日本外交にとっても損失だ」と話していました。

家族ぐるみでつきあいのあった人「気さくでとても優しい」

亡くなった小山智史さんと家族ぐるみでつきあいがあったという「日本ミャンマー・カルチャーセンター」の所長、マヘーマーさんは「ニュースを知って、とても悲しいです。日曜日に偶然、会って、ことばを交わしたばかりでした。亡くなったということが信じられません」と驚きを隠せない様子でした。

小山さんの人柄については「外交官とは思えないほど、気さくな方で、誰に対しても親しく接してくれました。地元の人よりも上手にミャンマーの歌を歌えるほどミャンマー語も上手でした」と話していました。

そのうえで、「小山さんは日本とミャンマーをつなぐ非常に優秀な方でした。日本とミャンマーにとっても大きな損失です」と話していました。
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2019-5-28に発見した週刊文春の、登戸事件の犯人を知らせるオンライン記事

2019-05-28 21:55:20 | 政治

*******罫線以下は、msnというブラウザで、発見をした記事です。

これは、私のブログ、

カリタス小学生殺傷事件・・・被害者の、映像があまりに早く、かつ、大量に出てきたのは、山本美香さん殺しを、思い出させた。

2019-05-29 16:07:16 | 政治

に必要なので、そのまま、公開をさせていただきます。論調などは、私のブログの方をご覧いただきたく。

****************

週刊文春記事、

「おはようございます!」犯人・岩崎隆一(51)は事件直前、何食わぬ顔で挨拶した《登戸殺傷事件・現場ルポ》

 
 
「週刊文春」編集部
201

9/05/28 20:20

 川崎市・登戸の大量殺傷事件の犯人は、同市麻生区に住む岩崎隆一(51)と判明した。

 岩崎は両手に刺身包丁を持ち、小学校の通学バスを待つ小学生の列に襲い掛かり、女児ら18名を次々と刺した。自らも首を刺して病院に搬送されたが、ほどなくして死亡。現場には岩崎のものと思われるリュックサックが残されており、中からは複数の刃物が見つかった。

被害児童と同年代の少年が献花に訪れた 撮影:吉田暁史 © 文春オンライン 被害児童と同年代の少年が献花に訪れた 撮影:吉田暁史

 岩崎の自宅付近では、事件を起こす直前の姿が目撃されていた。近隣住民が証言する。

「朝7時頃、ゴミ捨てに出たときに向こうから挨拶されました。黒のジーンズに黒のポロシャツ、黒のリュックと全身黒ずくめの服装で、駅の方向に走りながら、何食わぬ顔で『おはようございます!』と声を掛けてきたので、こちらも挨拶をしました。表情は普通に見えました。会ったのはこれが2回目です」

 以前に岩崎は近隣トラブルを起こしている。同じ住民が続ける。

「前回会ったのは去年の今頃の時期です。私の家の庭に生えている木が目に入ると、朝6時頃に文句を言いにきた。すごい剣幕で、夫と30分くらい口論していました。その後、近所の方にどういう人なのか聞いたら、『変わっているから距離を置いている』などと話していたので、私たちも関わらないようにしていた」

 岩崎はこの家に「30年以上前から住んでいる」と周辺住民は証言する。

「隆ちゃんは会社員だった伯父さんと専業主婦の伯母さんと一緒に暮らしていました。一時は仕事もしていましたが、最近は夜に出歩くなど、何をしているか分からない状態でした」(同前)

 神奈川県警多摩署は容疑者死亡のまま、捜査を進めている。

(「週刊文春」編集部/週刊文春)

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山田浩二、控訴取り下げー3・・・・・2014年秋の高校の同窓会で、行われたことをまず語りたい。それは、川名昭宣君が発案した可能性が高いが

2019-05-23 19:46:40 | 政治

副題1、『この章を公開するにあたって、お断りをしておきたい事』

 昨日のブログ(あと注1)は、総タイトルには、山田浩二と、名付けてありませんが、山田浩二が、控訴を取り下げたという一件についての、文章なので、それを、2と、させていただき、こちらをさんとさせていただきます。化粧品を泥棒していった女性のお話は過去ブログを点検することが大量に必要です。尖閣諸島問題、執念事件、高枝切り事案、すべてが、その女性と、関係してきますので、今は、ブログ化している暇がなく、後日、丁寧に、調査したうえで、再び公開するつもりです。

 で、今、わたくしは、2014年の、お茶大付属高校の同窓会について書いている最中です。十文字学園で、子宮頸がん、の講演会が開かれたと、言う事(あと注2)は、それを書かせないがための、攻撃措置でした。また、秋篠宮家の悠仁親王の、お机に、ナイフをやり状態にして置いたと、いう事件も、続報が出ていませんが、これから、下に書いていく文章と関係があります。つまり、お茶大付属高校の卒業生が、伊藤玄二郎達、鎌倉エージェントの指導、教唆の、元で、対・私への辱め行為を行ったことを、書かせないがために、大量の、事案が作成され、報道をされたのでした。

 私は、「何でもわかっていますよ」と、昔から言って居るのに、どうしてこういうばかげた、事案が考案されるのかと、不思議でならないのですが、鎌倉エージェントを構成している人間たちが、どれ程に、頭が悪くて、かつ、視野が狭いかを、語っています。彼等にとっては、冠として掲げるべき、スター主婦=雪ノ下二丁目に在住のある主婦(警察の協力者ですと、いう看板を門前に、堂々と、しかも、長期間掲げていた家の細君だが)が、警察から渡されている我が家の合鍵を使って、お化粧品を盗んでいったなどという話は、語るに落ちるほどに、彼等の下劣さを証明しています。我が家の西隣の、ご夫婦は、夫婦ともに、東大卒ですが、そのお化粧品を盗んだ女性が住んでいる家へ、2019年の6月4日、訪問をして、6時間も一緒に過ごしているのですよ。ただ、唯、どういう目をしているのだと、あきれ返りますが、・・・・・私なんて引っ越してきてから、二週間以内に、・・・・・この山に、人間関係のトラブルが続出していると、引っ越し前から、聞いていたが、彼女が癌だなあ・・・・・と、わかったのにです。

 で、本日登場するお茶大付属高校卒の、才媛主婦たちを動かした、連中も、私に言わせると、どれ程、頭が悪いのか!と、なりますが、ご本人(=伊藤玄二郎や、酒井忠康氏や、石塚雅彦さんや、栗生警察庁・長官の事)たちは、都合の悪いときは、このブログを読まないで、過ごしているらしいです。だから、ほとんど、改善がみられません。

 その途中で、突然に、・・・・・山田浩二が、控訴を取り下げる・・・・・と、いうニュースがNHKで、報道をされました。となると、わたくしがずっと、書いてきた、山田浩二は、あの殺人事件の実行犯ではないのだと、いう部分が嘘だと、言うことになってしまいます。

それで、21日は、疲れているのにも関わらず、大急ぎで、メモを書いたわけです。後注3へ

お勤めに出ておられる方は、このブログを、お読みになる時間帯が、夜の、11時過ぎだと、仮定をすると、それを、まだ、お読みいただいていないので、この新稿は公開したくないのですが、全く新しい発想が浮かんだので、それを忘れないうちに、書き始めます。すべてが、完成してから公開するのなら、明日になるとは思いますが、時々、文章が消え去ったりするので、少しずつ、できた順に、公開をさせていただきます。

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副題2.『結局、この攻撃が、狙うものは、何かというと、伊藤玄二郎にとって大切な人について、書いては困るということなのだろうと、わたくしは推察している』

 私に何かを書かせたくないわけですが、それは、西隣の小野寺夫人の悪辣さであろうと、見ていました。しかし、もしかすると、違うかもしれません。お茶大付属高校の、2014年の、クラス会の方を書かせたくないのかもしれません。だって、それは、文章に書いてしまうと、面白すぎるほどの、大・大・大攻撃ですからね。

 小野寺夫人については、2014年から始まって、すでに、60回は、書いているはずですから、ここにきて、山田浩二が、控訴を取り下げた』などというニュースを、公開する必要はないのです。

 なぜ、そう推察するかというと、その時の4人の関係者の中の、【きっこさん】が、伊藤玄二郎と、面談済みなので、伊藤玄二郎が彼女を守りたいと、思っているからでしょう。きっこさんは、優美な女性で、黒田清子さんの、結婚式にも出席するほどの、上流夫人だから、栗田玲子さんより、上に置いている可能性が高いです。

 二人が、なぜ、面談済みかというと、【きっこさん】は出版社の社長だからです。伊藤玄二郎は、「自分は、タウン誌・鎌倉春秋が、日本一になった会社の社長です」と、いって近づいてもいいし、「ポルトガル国の、最高位、勲章をもらっています」と、いって近づいても、良いし、「実は、従五位・伊藤整の、子供です」と、いって近づいてもいいし、何をしても、上流社会の、住人、きっこさんに、近づこうと思えば、近づける人です。人たらしの天才ですから。

 ここで、なぜ、伊藤玄二郎が【きっこさん】近づいたかというと、わたくしが、自分で作った本を、出版社の社長をしているきっこさんに、持っていったら、【きっこさん】が、「しろちゃん(わたくしの高校時代のあだ名)は、実力があるからね」といって、一万円のお祝い金をくれて、しかも、彼女の出版社が、持っている、きれいな、カフェの、ウォールナット製の、これまた、とても、きれいな、書棚に、「推薦図書として、置いてあげましょう」と、言ってくれたと、エッセイに書いたからです。

 わたくしが非常に残念に思うことの一つは、わたくしが、きっこさんに、ついて、その、優れている資質をエッセイに書いたからこそ、伊藤玄二郎に、とられちゃった事なのです。ときえだひろこさんだって、そうです。通産省の偉い方です。しかし、そういう簡単な説明では、表しえない、優れたところを、感じ取るわたくしが、交流をしているからこそ、電話の盗聴、メールのハッキング等で、それらの、優れた人の存在に、気が付いて、裏から手をまわして、自陣営に取り込み、わたくしの、悪口を、ふきこんで、わたくしから奪い取っていってしまうということです。豊島屋の先代社長だってそうです。わたくしだからこそ、思いがけないほど、豊かなお話を、聞きとることができたのです。井上ひさしにしろ、自分で外へ出て、自分で、何かを見つけ出すということをしないのに、人が見つけたものは、自分たちの社会的、知名度の高さを利用して、奪っていくということです。ひどいと、思っています。

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副題3、『鎌倉駅の地下道で、わたくしは、きっこさんが、伊藤玄二郎に、奪われたことを知ったのだった』

 鎌倉駅って乗降客が多いでしょうに、それにしては、小さくて、シンプルな駅です。で、駅の東西の町をつなぐ道は、短い地下道一本しかありません。その地下道の、南側の壁面に、ショーウィンドーがあって、毎週何らかの展示物が、貼ってあります。二つに分かれていますが、全長、10~15mはあると思います。

 その展示物を毎週、仔細に、点検するわけでもないのですよ。ただ、ある時、その右端の、しかも上の方に、小さく、きっこさんの、会社名を発見したのでした。書物は、鎌倉の田んぼか里やまについて、調査研究したもので、エンタメものではないから、一種の、私費出版だと、思います。で、そこに書いてあるのは、著者名と、きっこさんの会社の名前だけであって、伊藤玄二郎の名前はありません。

 しかし、わたくしには、この書物を仲立ちにして、きっこさんと、伊藤玄二郎が何度か面談をしたであろうと、推察が付くのでした。伊藤玄二郎は、出版社の社長同士の名刺交換会で、きっこさんが、黒田清子さんの結婚式に、出席していることを知ったのか、わたくしのホームレスについて書いた、一本目のエッセイで、それを知ったのかどちらかは、わかりませんが、ともかく、きっこさんと、言う上流人と、伊藤玄二郎は、すでに、面談済みで、しかも、こと、わたくし=雨宮舜に関しては、きっこさんを自家薬籠中のものとしてしまったと、思われます。

::::::::::ここで、スピンオ〇に入らせてください。きっこさんは、マンションに住んでいます。しかし、それは、ご自分が、一棟まるまる保有するオーナーズマンションで、あり、そのどこかの、区画に、黒田清子さん、ご一家は、住んでおられるのではないかと、思っているのです。きっこさんの実家は、知っています。大勢の人がその地名を知る有名な場所にありました。しかし、明治時代に創設された名門出版社の社長の一族である、ご主人の住まいの方は、わたくしは、知りません。でもね。明治時代から、東京、文京区に住んでいる一族さんであろうと、思うし、したがって、敷地は、広いのではないかしら。で、マンションを建てられるのです。黒田清子さんは、ご結婚後、ほとんどマスコミに、取材されないで、おられます。これは、賢いきっこさんが、守ってあげているからであろうと、思っています。:::::::::::

 ところで、社長といっても、わたくしに言わせれば、ご主人の会社の人員が、暇なときに、「自分の方の、本も、(編集や、制作を)手伝ってくださいね」と、言う形で、始まったと、思うので、それほどには、苦労がない形で、出版社社長となった人です。だから、今まで、このブログに、登場した、女・社長族、長谷川智恵子、塩見和子(ただし、日本財団のトップであるということ)、残間理恵子、栗田玲子などとは、ずいぶん違った〇んいきのひとです。控えめで、上品です。でもね、多士済々の、お茶大〇属高校の昭和36年度卒業生の中では、もっとも、好みの良い、そして、高価なお洋服を、着ているレディですから、さすがの伊藤玄二郎も気圧される感じは、受けていて、自分よりは、目上だとも、感じていて、したがって、わたくしに、きっこさんについて、あれこれ、書かれるのを恐れていると、思います。それが、山田浩二の、控訴取り下げというニュースにつながったという可能性も感じています。

 これが、第一の前哨戦です。きっこさんが、伊藤玄二郎に取り込まれていると、言うのが、わかっていたからこそ、わたくしが罠に引っかかったときに、みんなの前で、取り乱さないで、済んだ、一つの原因です。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4.『同窓会には、出席したことのない、松元(これは、旧姓です)庸子さんが、珍しくも、来ていた。しかも、・・・・・きっこさんが誘ったので、出席をした・・・・・ということだった。これが、第二の前哨戦となって、事前に、罠の配置を察知したので、わたくしは、ひどい恥をかかされたのにもかかわらず、平静でいられたのだった』

 庸子さんというのは、お茶大の、付属から、お茶大へ、進学した人で、頭脳は、明晰で、優秀です。しかし、劣等感のある人で、したがって、他人をいじめます。わたくしは、高校時代には、彼女にさんざんにいじめられました。でもね。ほとんど、気にしませんでした。というのも彼女自身から、打ち明けられていましたが、両親が不仲なので、お父さんが、家に生活費を入れてくれないので、奨学金をもらっていると、言う、ことでした。この高校は、銀のさじをくわえて生まれてきた人が多いので、奨学金をもらっているということは、相当に、肩身の狭いことであろうと、思い、劣等感も深いだろうとは、理解していました。劣等感があるからこそ、コンペンセーション(補償作用)も必要で、そのサンドバックになっていると、わかっていましたので、気にもしませんでした。悩みもしませんでした。

 当時は、新幹線がない時代で、四泊五日の、修学旅行は初日と最後の日は、列車の旅だったのです。しかし、間の三日間は、京都と、奈良を巡るのに、ずっと、同じ観光バスを使い、ずっと、同じ運転手とガイドで、同じ座席配置でした。私は運転手の左側ガイドさんの、席の真後ろの、二人掛け椅子の、通路側に座り、窓側に、庸子さんが座っていました。三日間、ずっと、ちびりちびりと、いびられ続けの会話でした。私は何の反論もせず、泣きもせず、ただ、黙って耐えていたので、ガイドさんが、時々、私の方をちらっと、見ましたが、助けを求めることもせず、ただただ、三日間を絶えたのでした。

 ところが、大人になってから、これは、ひどい、本当に、傷ついたと、言う出来事が、別に、起こりました。すさまじい罵りの手紙をもらったからです。何を、きっかけとしたからかというと、わたくしが、自分で作った六種類の本のうち、どれかを送ったからでした。

 一筆箋、五枚ぐらいが、罵りの言葉で埋め尽くされていました。で、それを、氏名を出さずにメルマガで書きました。すると、井上ひさしなどは、瞬時に飛びつくのですね。で、庸子さんを攻撃用弾丸として、利用をしようと、思いつくのです。で、鎌倉の田んぼの、本を作る際に、親しくなっていて、言うことを聞かせられるほどに、自家薬籠中のものとしているきっこさんに、庸子さんを、招く様に、依頼をしたのでしょう。

 どうして、そういう風に分かったかというと、陽子さんは、私には威張りかえっていましたが、ほかの人には、劣等感を抱いていたので、この学校の同窓会には、ほとんど、出席をしない人だったのです。だから、来ていること自体が、おかしいし、しかも、きっこさんが招いたとなると、瞬時に、悟物があるわけです。」

 で、わたくしは、二つめの、警戒警報を、心の中で、発令をしたのでした。「今日はなんだか、おかしいわよ。気をつけなさいね。ともかく、鎌倉エージェントのにおいがするもの」と。

 わたくしは、ここまでの、ことを、今までは、書けませんでした。どうしてかというと、きっこさんに、ほめてもらった過去がありますね。その上、お祝い金を一万円もらっています。また、本の町、神保町の中にあるきれいで、高級な、きっこさんの喫茶店に、わたくしの本を一時期ですが置いてもらっています。

  でもね、今般、山田浩二の、控訴取り下げと、言う大規模な、大規模な、攻撃に出くわしました。こうなると、ともかく、自分を守るために、真実を描くほかはないのです。それで、小学校の、同窓会のことも、さらに、深くえぐって書きますが、その前に、2014年度の、罠も描かないと、いけないのです。ところで、わたくしは、その2014年度の同窓 には、庸子さんを見ても、ほとんど、傷つきませんでした。深く、神様を信仰していたので、庸子さんに、すでに、神の叱責の一つが落ちているのを感じていましたから。それは、お子さんを亡くして居る事を指します。さて、そういう事前の気付きを入れて、当日の罠へ入っていきます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『罠の実態を倒置法で、書いてしまうと、お歌を、歌うことを楽しみにしていた、私の、その楽しみを奪って、しかも、もっと、上手な、人間が、同じ、集団の中に居るのだと、いう事を示し、私の恥をかかせ、万座の人から、嘲笑をされる様に仕向けられたことだった』

 私は、1975年ごろにすでに、お歌の力を知っていました。特に自分が歌うと、自分に対するたすけになることを知っていました。幼稚園の、PTA会長をしていましたが、其の幼稚園では、夏冬の先生方のボーナスを父兄会が、行う、バザーの収益、(=当時の金額で、110万円)で、まかなう必要がありました。という事は、総売り上げは、450万円近くないと、いけないので、父兄には、一家で、一日、一万円をバザーの会場で、使ってもらわないと、いけません。これは、大変な任務で、50人の役員さんは、獅子奮迅の働きをしないといけません。そんな中で、前のPTA会長は、キャデラックを運転する女性で、お店も経営しているという事で、大物感がいっぱいでしたが、比較すると、私は、小物であって、どうして、あの人が会長なのかは、わからないと、役員連中から馬鹿にされていました。

 私も本当は、なりたくないのですが、下の子の方が担任に虐められるので、(これは、ほら、よく言って居るでしょう。母親の方が、先生に嫉妬されるケースで、子供がいじめられる)仕方がなくて、毎週、5千円程度の、菓子折を、園へ、もっていったりしていたのです。で、なりたがっていると誤解を受けたこと。それと、私が、ものすごく、賢いことは、経営者兼園長である人にはわかっていたから、トップに祭り上げられたのでした。その金儲け主義に対して、批判の、運動が、父兄の中に起きない様にするために、前年度、平役員の時代から、正論を吐いてきた、私をトップに祭り上げると、批判できないはずだと、思われたと、感じています。でもね。キャデラックを乗り回すという、見るからに、「一段上ですよ」と、わかる女性と比較すると、私は、一般人で、しかも、」サラリーマン家庭の、妻ですから、さえないわけです。でも、打ち上げの時の、お歌の奉仕で、すっかり、挽回しました。大きな人気を得て、「なんで、川崎さんが、PTA会長に選ばれていたか、やっと、わかった。全然普通の人とは違う」と、言われました。

 でね、お歌を歌う事は、自己顕示欲だと、思われやすいのですが、違うのですよ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『私は、自分が真の芸術家だから、歌で、スピーチの代わりをすると、決めていた。芸術家とか、創作をする人間とは、エネルギーが、格別高い人間だと、自認をしている。エネルギーとは、心情的に言えば、愛にあたるのだけれど。芸術家のの愛とは、個人へ向かって、不倫とかをするのではなくて、不特定多数に向かう愛なのだ。 それらの人に自分のエネルギーを分かち与え、元気にし、リフレッシュをさせる。そういうものが、芸術家だと、思って居る。そして、1998年~2003年の間に、ICU食堂で、行われた、川名昭宣君が主催した同窓会で、マイクを使って、【ハバネラ】=オペラカルメンの中で、もっとも、有名なアリア、ただし、私の場合は、歌詞は覚えない主義だが、メロディだけでも、表現力は、満帆に広がっていると、思う)をうたったことが、大成功だったと、思う。

 その日、其の歌唱がどれほどに、成功したかを証明するエピソードもあるのだけれど、それよりも、その際に、川名昭宣君が、それを聞いていて、此処をつけば、雨宮舜=本名、川崎千恵子は、参ってしまって、ノイローゼにさせうると、伊藤玄二郎に、提案した可能性を、今は、感じている

 ICUで、大規模な、クラス会が、開かれました。2003~5年の間だったと、思いますが、川名昭宣君の主催で、今回の、クラス会の主たる目的は、1967年か、1968年に退学処分を受けた、入江多喜雄君の、名誉を復活し、彼を受け入れる会だとのことでした。で、大勢の人が集まりました。

 しかし、私の、心の中を言えば、それは、ちょっと、驚くべき事案だなあというほどの会でした。というのも入江君というのは、1995年に、大学紛争を、ICU内に持ち込んで、1967年度の入学試験を中止にさせた、人間なのです。

 そして、それを機縁として、ICUは、急に、人気を落としていくのです。そういう大トラブルを、ICUへ招いた、入江多喜雄君を、どうして、一介の同期生である、川名君が、救済できるのでしょうか? 不思議な話でした。

 しかし、その時から、15年以上を経た今では、もっと、もっと、事情が鮮明になってきています。川名昭宣君は、新卒時、河出書房に、入社しています。彼は、1962年入学組ですが、在学中にフランスへ、留学を果たしているそうですから、1967年に卒業して、河出書房へ、入社をしたと仮定をすると、伊藤玄二郎と同期入社となります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『川名君が先に、フランスで、リクルートをされ、先に、CIA、エージェントとなり、その上で、伊藤玄二郎を自陣営に引き込んだのか、それとも、反対だったかは、わからないが・・・・・ともかく、彼は、今では、伊藤玄二郎とは、通々の間柄だと私は、見ているが??????』

 すみません。ここで、本日の、力が付きました。続きの部分は、お待ちいただきたく。

@@@@@@@ここが、書きかけ中の最先端です。以下はメモです。

加奈子さん、北久里浜に来る。私の歌声を聴く。ただし、反省したわけではない。でも、北久里浜に加奈子sンが来るなんて、だから、いじめが、CIAエージェントが行っていることがわかる。

 

 後注1、

 

後注2、

子宮頸がんの講演会、十文字学園で    2019-05-13 21:06:42 | 政治

後注3、

また、一億に千万人を相手に戦わないといけなくなった。山田浩二被告が、控訴取り下げたとNHKがいうので。   2019-05-21 22:57:16 | 政治

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Mrs.稲田とMrs.佐久間の死を巡る謎の数々。人間として男性より悪意深き女性陣(杉本正子や、安野智紗)が、実際の政治を運んでいく△

2019-05-22 21:04:56 | 政治

 今は、27日の午前五時です。以下の文章の推敲と加筆が済みました。いくつもの誤変換が残っており、申し訳ございませんでした。終わったので、恒例の三角印を、総タイトル右横に付けておきます。署名も文末に入れます。

 まず、最初に置いた写真を説明をさせてくださいませ。どうして、写真を最初に置くかというと、このブログは内容が、大変重いからです。本章も、佐久間操夫人という、京急新大津駅を中心として、活動していた、美貌の奥様が、私の知らないうちに、亡くなっていたが、それは、他殺では、無かったかと、いう話をしています。非常に暗い話です。ですから、それを薄めるために写真を置くのです。

 これは、毛糸を洗う洗剤の瓶の話です。プラスチックでできています。今はさかさまになって、このブログの下書きに、入って居ます。それも、むろんの事、この瓶に悪さを施した、連中がCIAだから、逆さになっているのです。其のままにしておきます。瓶は、二つあって、左側の、アクロンの方の、下側に黒い紙がはさんであります。そこは、厚く熱した包丁を斜めに当てたみたいな傷ができていて、中身が、異様な形で、漏れ出ることになっていました。これは、以前、粉末状のシャンプーに水を満タンにして使えなくして帰った嫌がらせと発想は、同じです。いずれにしろ栗生警察庁長官の責任になるだろうと、思って居ます。私は、かねがね、四種類の泥棒が、とっかえ、ひっかえ、我が家に入ってきて、いやがらせをすると、言って居ます。それは、全部警察と関係があるので、栗生現在の警察庁長官の責任となる泥棒です。しかし、いかにも女らしい、泥棒ですね。しかし、・・・・・合いかぎを警察からもらって侵入して居る、安野家の奥様がこれをやったのであろう・・・・・などと、断言をしたら、誣告罪で、訴えられかねないですから、上へ上へとたどっていって警察庁長官の責任だと、言っておきましょう。どうして、そういえるかというと、安野家の門前には、長い事、警察の、協力者です。その13号です。という看板が下がっていたからです。

 なお、本日はさらに、メスっぽい泥棒の話をしましょう。

 この銀色に光っているものも、女性が、専用に使う、化粧品の容器です。保湿用ジェルと、いうもので、赤い容器に入っています。しかし、私は、あまり好きではないので、毎日は、使いません。で、急に中身がすっからかんになっていても、いつ盗まれたかは、わかりません。唯ね。これは、洗面所に置いていなかったものなのです。

 木造一戸建て住宅は、冬は寒いので、この白い箱に入れて、台所に置いていたのです。で、容器の、高さが、低いので、自然な、状態では、外からは、見えません。よほど、丹念に我が家内をチェックしている人間ではないと、気が付きません。

そして、気が付いたのが、ちょっと前だった、泥棒行為は、トイレの花瓶を、落っことして、わざと割り、普通ならそこに入らない筈の、水タンクの、上に置いたのです。

その現場写真は、撮影は、して居なくて、これは、後で、撮影をしたものです。そういう写真を入れて文章へ戻ります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『なぜ、前報を、4日間も、そのままにしておいたのか?』

 前報(あと注1)は、総タイトルを何回も変えましたし、毎日加筆をしました。ので、最初の方が、同じ文章に見えるので、「同じものだ」とお考えになった方もあるやと、思っております。しかし、それで、いいのだと、考えておりました。読者様の誤解を招いて、どんどん、訪問者が減ってきていました。でも、いいのだと、思っておりました。

 ただし、理由がありました。なぜ、四日間も、新しい章を起こさなかったかというと、前報に24日に加筆した部分が、すごい、内容だから、それを、書き終えたというだけでも、満足をしたからです。しかも、その事実を、この時点で、書こうとは、思って居なかったのです。書きたいとは思いながらも、書く事があまりにも難しいと、思って居て、長時間触れないで、置いてきていた事でした。

 しかし、偶然が、加担をしてくれて、すいすいすいと、書けてしまったのです。偶然とは、何かというと、山田浩二が、控訴を取り下げたと、いうニュースが、この21日NHKで、報道をされたことを指します。それは、私にとっては、大いなる攻撃で大損失にあたるのですが、一方で、稲田恭子さんについて、あれこれ、心にたまっていたことを書けて、ほっとしているところです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『しかし、本当の主役は杉本正子さんです。彼女は、雪ノ下の方の、安野智紗、前田清子、小野寺夫人と並ぶ、大悪女様であって、ちょびちょびと、触れてきていた存在です。刻画会の実質的トップであった嶋田章三さんの、実妹にして、たぶんですが、大沼映夫さんの、義妹である大沼嘉津江さんについて、書いて来ていたのも、正子さんについて描く為の準備段階でありました。杉本正子さんというのは、社会的階層を気にする人なのですが、夫が、横須賀市副市長になったので、ほかのどんな、ママ友に比較しても自分が一番上だと、思って居て、今では、ほとんどの、ママ友を支配下に置いていると、思われます。が、大沼嘉津江さんとの間柄は、40年前は、大沼さんの方が上でした。杉本夫人が、目の前で、へつらって居るのを見るのは、なかなかに渋い経験でした。というのも、私と大沼さんと、杉本さんは、毎週一回、広報委員会で、一緒に仕事をする飯田がらだったのです。その五年前は、幼稚園会長をしていた私の方が、杉本正子さんから、へつらわれる立場だったので、相当に微妙な経験でしたけれどね。ところで、今、この二人の力関係と、上下関係は、どうなっているだろうか? 

 稲田恭子夫人に対しては、完ぺきに自分が上だと、考えて、支配をしている段階だと、私は、推察しています。』

 杉本正子さんとは、$$$$$$その夫が、横須賀市側の人間として、・・・・・水道山(=公共用地)が、地籍変更届という仕組みを利用して、ある私人が、ただで、私有化することを、責めなかった無責任な人間です。私が電話で、こういう事が起きていますよと、注意をしたのにも関わらず、悪人側の見方をした人間です。そのご褒美として、横須賀市の吏員としては、土木課長から、どんどん、出世をしていき、ついに、事務方トップの副市長にまで、なった$$$$$・・・・・女性です。

 この・・・・・書類上は、整って居るので、犯罪として、成立させるのが難しい・・・・・と、法務局が言う、地籍変更届という、実質的には詐欺に当たる事案だけれど、ともかく、複雑極まりないので、この2019年5月19日に、開かれた日吉台小学校の同窓会で、特に、三次会の段階で、私以外の、女性三人は、誰も、正確には理解ができず、「ちえこちゃんは、被害妄想が過ぎる」と、いう一種のつるし上げ状態になったことが、山田浩二の控訴取り下げの、ニュースを作り出したのだと、前報の、初稿段階では、後半で、言って居ます。今は、それを、いったん引き揚げていますが、推敲加筆してもう一度さらすつもりは、あります。で、北久里浜から離れて、日吉に向かわないと、いけないのですが、

 横須賀の方で、やはり、まだ、書ききれていないことが残っていて、気にかかりますので、それを、まず、書く事をお許しくださいませ。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『稲田恭子さんと、佐久間操夫人は、昔から友達ではなかった。その後、私が、鎌倉へ転居して、35年がたつが、その間に、二人が仲良くなったという兆候は一切ない。だからこそ、稲田恭子さんが、「佐久間さんが、死んだのを、あなた、知っているの」と、私に、言ったのが、おかしいのだ。その点をもっと追求しよう』

 そこに潜むミステリーが、佐久間操さんが、病死ではなくて、他殺であった可能性を示唆するので、大変なのです。だって、私が最後に出会った2013年は、彼女は、大変、健康そうでしたよ。

 二人は、友達ではないので、佐久間夫人の死を、稲田夫人が知っているのが、まずおかしいのです。今は、お互いの子供が大きくなっていて、遠く(歩く距離に直すと、三キロは離れている)に住んでいます。だから、子供の関係で、情報が入ることもありませんし。

 前報内では、地理的差がありすぎる。町内会も別だし。といって居ます。直線距離は、一キロかもしれないが、峻嶮な山があるので、往来は、難しい距離です。

 しかし、ほかにもあります。稲田夫人は、夫の給料以外、収入のない人です。一方、佐久間夫人は、夫も高給取りだが、自分も、大金を稼いでいた人です。

 しかも、夫が、地元の人で、自宅の土地は、相続で、もらった可能性がある土地なので、土地代等を、出さなくていい人です。今は、土地代が、非常に安くなりました。だけど、昔は、一戸建て、庭付きの家を建てるのは、サラリーマンの一生の大仕事で、家に、年収の20年分を注ぐのは、当たり前でした。其れを出さなくてもいいのですから、まず、普通の家よりは、裕福です。その上六大学の一つである、明治大学を卒業しているので、近隣に彼女の優秀さが説明をしやすいですね。当時のあの地域には、100軒に一戸ぐらいしか、奥様が、四年制のかつ、有名大学を出ている人は、いなかったからです。

 小学校のPTAの話ですが、佐久間夫人は、必ず、和服を着ていくと、言って居ました。お茶が趣味だし、富裕層だから、三か月に一回程度、開かれる父兄会には、新しい和服を新調して出かけると。これには、大いなる意味がありました。あの当時は、母親と先生の力関係に置いて、先生の方が強くて、母親が、少しでも優れていると、いう評判があると、先生に嫉妬されて、かつ、にらまれて大変な時代でした。全部ではないが、女の先生の中に、デモ・シカ、先生と、言って先生にデモなるか、または、先生にシカなれないと、いうタイプの人がいて、先生自体の志とレベルが低かった時代です。私は自分の子供が幼稚園やら小学生の時に、そういう対象となってしまったし、幼稚園から、小学校へ、PTA活動が移動をすると、もっと激しい形で、先生に嫉妬されている、津田塾卒の美女ママを見ましたので、塾を開くことには、逡巡をしておりました。

 この点、佐久間夫人の様に、毎回違う和服を着て、父兄会に出席するという手法を取ると、圧倒的に、ランクがうえなのだと、誰にでも納得をさせられるので、いじめられないのです。というのも和服って、一式そろえるのに、30万円から、50万円はかかります。年に、100万円を和服に投じることができる主婦なんて、港区でも、大田区でもない、あの時代=1970年代=の、横須賀市にはいませんでした。だから、だれにも、つべこべ、言わせないで、「自分は上なんですよ」と示すことができた女性です。体型が小柄で、顔がかわいいので、和服姿がよく似合いました。

 佐久間夫人が、何かのおりに、「これから、郵便局へ行くのよ、一緒に行って」というので、ついていきましたが、お財布は、集まったお月謝で、パンパンでした。

 こういう人と友達になる場合、相手は、よほど、ほかの側面で自信があって、対等であり得ると、いう自信のある人でないと無理で、そうでないと、主従関係に、陥りやすいのです。かわいい姿形の人ではありますが、実態は賢くて、強い人だから、稲田夫人の様に、自分もまた、お姫様扱いを受けたいと願っている人は、近寄るはずがないのです。負けてしまって、うんざりするからです。一方で、稲田夫人は、神戸か、芦屋の出身だから、モダンな気風があって、主従関係とか、上下関係を生む、友情など、御免こうむると、いう雰囲気でした。それに、こちらも生活の知恵としては賢いので、平等に見せて、自分が優位に立つのが好きなお姫様タイプですから、二人が、友達になるはずがないのです。

 これが、二人が友達であるはずがないと、いう第二のポイントです。私はICU卒です。佐久間夫人程の人だったら、当時のICUに入学するのがどれほど、大変だったかを知っているので、彼女の方が、私を、大切にしてくれたので、お付き合いをするのが大丈夫だったのですが、それでも、月に一回程度、遊びに行くか、行かないかの間柄でした。

 佐久間夫人は、生徒が居る立場だから、時間が自由ではないので、我が家には遊びに来ません。当然のごとく、我が家より、もっと、遠い場所に在る、稲田夫人宅に遊びに行く、はずがないのです。

 さて、第三のポイント、趣味の方向性の違いです。佐久間夫人は、和風の、しかも伝統的なものが好きでした。しかも、お茶のお稽古を一緒にするグループとしても、遠くの、富裕層と、一緒にやっていました。とか、源氏物語を一緒に読むグループに所属していて、そこでは、講師補助の立場でした。それで、ご近所には、仲良しは、作っていなかったのです。その方が、交わる、時間をコントロールしやすいからです。

 稲田夫人は、塾を経営していません。したがって、お互いに対等な関係で、作り上げるグループを、三つぐらい持っていました。近所のママ友を中心とするグループ、それから、遠くに住んでいるが、テニスを一緒にするグループと、それから何とかのグループと、三つぐらい所属するグループを持っていて、それぞれのメンバーと、週一で、ランチを一緒に取るという、専業主婦としては、理想的な時間配分で、一週間を過ごしていました。ご近所で、選んだママ友も、できるだけ富裕層と、付き合う様にしていましたので、遠くのお友達も、同じく専業主婦としては、富裕層だったと、思われます。

 ともかく、二人とも、自分が作り上げた、交友関係で、忙しいので、お互いが、知り合い、私生活の、あれこれを、知っていると、いう関係ではありえないのです。また、それぞれのグループの構成メンバーのカラーが全く違うので、二人が一緒にお茶のみをしたり、お食事をしたりする可能性は、皆無なのです。

 また、これを言うと、皆様は、「まさか、そんなこと!」と、おっしゃるでしょうが、星座が違います。佐久間操夫人は水の星座という、情感豊かなさそり座です。したがって、会話が、ある猶予をもって、放たれます。才気煥発ぶりを見せつけないしとやかさがあります。一方で、稲田夫人は、風の星座である、みずがめ座です。で、会話の運び方が、非常にスピーディで軽いです。ユーモアは、あるかもしれないが(?)情感はないです。こういう事も、二人が友達には、なりえないと、私が判断をする由縁の一つです。

 そして、もう一度前報で言った地理的距離の遠さを、言上げしないといけません。稲田夫人は、夫の、給料が高いので、車を運転する主婦でした。1970年代では、まだ、少数派の方の主婦でした。で、山の下へ向かうときは、車で、行って居ました。だが、佐久間夫人の自宅近辺は、車で、向かうことができない地域です。京急・新大津・駅に、とても近い便利な場所なのですが、そのあたりは、江戸時代の、道そのままに狭いのです。JR横須賀線、北鎌倉駅に似ています。

 鎌倉も同じですが、三浦半島、の、横須賀あたりも峻険な丘、または、山が多くて、佐久間夫人宅と、稲田夫人宅は、直線距離は、一キロ程度でも、歩いていくとなると、3キロは歩かないといけないでしょうから、日常的に、行き来する様な、友達になることなど、ありえないのです。

 だから、私にさえ、知らされていなかった佐久間夫人の死を稲田夫人が知っていると、いう事が、そもそもおかしいのです。しかも、前報で、詳細に語っていますが、異様な時間帯に、異様な場所で、待ち伏せをするがごとき形で、佐久間夫人の死を、稲田夫人から知らされたわけです。

  これは、むろんのこと、杉本夫人に教唆命令された行動であろうし・・・・・というのが、前報でした。が、本日、其のサポート情報として、稲田夫人が、佐久間夫人とは、親しくなかったと、思う、ポイントをさらに四つ上げたのでした。

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副題4、『いったん引っ込めたメモの中で、20日の夜、西隣の白井達雄、小野寺夫妻が、二階の天井灯を点滅させて脅かしてきた。それは、山田浩二が、控訴を取り下げたと、発表をされた21日より、一日前の事であり、したがって、あの夫婦は、それを事前に知っていたと、みなすことができる。したがって、三段論法で言えば、山田浩二の控訴取り下げはこちら雪ノ下二丁目の山の中の住民を救うために、起案されたと、いう事ができる。

 稲田夫人と杉本夫人との関係を書き終えた後で、思い出したのだが、20日に外出をしようとして、山を降りて行った時のことが、今にして思うと、重要になりました。対抗方向から、安野夫人が、非常にふてぶてしい顔をしながら、すれ違って行ったのです。彼女は、その前、金曜日に、すれ違った際は、逃げる様に、道をよけて行ったのですが、20日には、自信と権勢を取り戻した模様です。なぜなのだ? と、疑問に思って居ましたが、21日になって謎が解けました。

 この山田浩二の控訴取り下げによって、私が書いてきた、異様な殺人事件は、警察の特殊部隊が行って居る謀略であると、いう事が、崩れたと、彼女は、思って居て、したがって、将来、このブログには、嘘が、いっぱい書いてあると、読者さんが、認識する様になり、それは、結局のところ、このブログが、力を失っていくことだから、自分達は助かるのだと、考えたせいだと、わかりました。ところで、安野智紗夫人、前田清子さん、小野寺夫人が、悪女中の悪女であることは、枚挙にいとまがないほど、書いて来ていますが、この2,3日に新たに発見をした、泥棒行為を語っておかないといけません。

 それが、全部、女の領域の物品をいじるという形なのです。これは、つまらない事と見えるでしょうが、初日のメモの、後半につながっていくので、大切な事です。初日のメモとは、21日に書いた、山田浩二の、控訴を取り下げと、いうニュースに驚いて、書いた、21日の長いメモを指します。それの前半を後注1に置いた、文章で、推敲加筆をして、置いてありますが、・・・・・

 後半は、一旦、ひっこめてあります。それと、つながっていくのが、女の特徴なのです。ところで、今は午前、7時ですが、其れについての解説をするのは、後日にしたいです。本日は、以下の写真に示した様に、町内会があります。それ用の準備に、時間を割かないといけないので。

後注1、

山田浩二控訴を取り下げー1・・・Mrs.佐久間の死を、どうして友人でもないMrs.稲田が知っている?その上、重ねて聞きたいが、どうして異様な場所、異様な時間帯で、其を私に知らせるのだ?△

2019-05-21 22:57:16 | 政治

  なお、これは、実際には、2019年5月25日に公開をしています。しかし、著者側の後日の整理の為に、5月22日に公開したことへと、変更をさせていただきます。初稿は、21日に書いたメモが、元になっています。それを、どんどん、敷衍して行って居る文章なので、送させてくださいませ。

 2019年5月21~27日にかけて、これを書く。雨宮舜(本名 川崎 千恵子)

なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5373427です。

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山田浩二控訴を取り下げー1・・・Mrs.佐久間の死を、どうして友人でもないMrs.稲田が知っている?その上、重ねて聞きたいが、どうして異様な場所、異様な時間帯で、其を私に知らせるのだ?△

2019-05-21 22:57:16 | 政治

 

 以下の文章は、24日の午後、副題を入れるなどの推敲したり、副題をつけたりして初稿の、6倍に膨らませております。一見すると、女の闘いであり、つまらないなあと、見えるでしょうが、実際の内容は、違うのですよ。・・・・・政治が、こういう風にして行われるのだ・・・・・と、いう実例を示している文章です。で、25日の朝には、一応完成したとして終了に向かいました。で、恒例の三角印を総タイトル右横に付けておきます。

 特に北久里浜における大規模、詐欺事件について、数人の女性の実行行為を説明することによって、そちらの方を、思いがけず、明瞭に説明できています。これは、望外な、果報という言うものです。で、圧倒的な、政治的解説文となっていますので、どうか、もう一度、お読みいただく事を、望んでいます。

副題1、『お天気のニュースを見るつもりだったのに、とんでもないものを見てしまった』

本日、2019年5月21日の、午後は、大雨でした。しかし、私は北久里浜に行くつもりだったので、ニュースを注目をしていました。というのも、絶対に三時過ぎには、晴れるだろうと、思って居たからです。

すると、午後三時ごろ、NHK総合チャンネルが、山田浩二被告が、控訴を取り下げ、死刑が確定したと、言いました。天気の行方を見るつもりだったら、とんでもない別のニュースを、見つけ、もちろん、びっくりしましたし、まずいことになったとは、思いました。

それは、私にとっては、大変大きなダメージです。長らく、周南事件と、この山田浩二事件、及び、ベトナム少女リンちゃん殺し、熊谷市の、ペルー人の、若い男が、6人を殺したとされる事件、それから、井上翼君が河原に、生き埋めにされて、石の圧力で、呼吸ができなくて、死んだ事件、新潟で、死後轢断をされた、環ちゃん事件、それから、大口病院の、点滴袋に界面活性剤が、注入された殺人事件、新幹線焼身自殺により、綱島で、働いている、ブルガリア旅行の記事をフェイスブックに投稿していた、整体師の女性が亡くなったこと、そのすべては、謀略であり、犯人は、鎌倉エージェントの、支配下にあって、彼等のアイデアに、のっとって、ブルーカラーとしての、殺人を行う、専門家集団、イコール、警察の特殊部門であると、言い続けています。

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副題2、『周南事件は、ご近所の住人、安野夫妻、前田夫妻をたすける為に、生起した謀略事件であり、本当は、うやむやにしていこうとしていたと、推察するが、私が、真相について描き始めたので、急に裁判が行われた。しかし、国民にできるだけ、知らせない形で、行おうとして、いて、一審の予告も朝のニュースで、発表されただけで会って、裁判の判決が出た、当日も、ニュースウォッチでは、その報告がなかったほどである』

周南事件では、保見が、やったとされ、7月10日(または、12日)に、一審が行われ、死刑が確定し、

それに、喜んだ、前田祝一が、唐桟の、着物を着てしゃなりしゃなりと、囲碁でもやりに午後、五時に、山ノ下へ、降りて行ったのですが、その夜の、ニュースウォッチでは、報道がなかったと、言って居ます。

私には時間とお金がないので、保見被告(今は、二審も確定した死刑囚だが)とか、山田浩二被告にあいに行ったり(ただし、刑が確定していない段階では、一般の人は、面会を要求できないのだろうか?)することはできません。裁判を傍聴に行くこともできません。

しかし、傍証的な部分で、考えていることは、他人(それは、警察、メディア、一般の、人)に証明されなくても、又、賛成されなくても、間違って居ないと、思って居ます。

しかし、今回は、犯人とされている当人から、控訴取り下げという様な、結論が出てしまって、当時の詳細な、出来事を、すっかり忘れていると、見える、一般の人は、私のいう事など、信じないで、NHKニュースの方を信じるでしょう。それは、やまゆり園事件の時の繰り返しです。

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副題3、『二つ目の面倒なこととして、この山田浩二事件を、又、取り上げないといけなくなった。どこが、おかしいかを、語らないといけなくなった』

 上の節の最後で、『やまゆり園事件の、時と同じ流れになった。これは、非常に面倒なこととなった』と、語っています。ただ、私は一億二千万人を敵に回してもかまわないので、引き続き、山田浩二は、やっていないと、思って居ます。そして、そう主張します。ただし、厚生労働省、の事務次官・二家族を二か所で、一晩のうちに、殺傷したとされている、小泉被告(死刑囚❔)と同じく、これらの犯人は、事前に、教唆、命令があり、それに納得をして、殺人事件の犯人になることを、引き受けていると、思うので、

 こういう変化(=控訴を取り下げる)も、同じ、人物からの教唆命令に、山田浩二が納得をして、引き受けたと、見ています。そして、彼本人は、「実際には死刑執行はしないのだ。外国へ逃がしてやる」と、言い聞かせられているでしょう。それで、米軍機か何かで、こっそりと、一般人には、知られない形で、海外へ、出されます。しかし、海外へ、逃げたら、その後、出先で、ひそかに、殺されるのだと、思います。秘密を外部へ漏らしたら大変ですからね。

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副題4、『お天気ニュースを見ていたつもりが、驚くべきニュースを聞いて、どうしようかと、迷ったことは迷った。すぐブログを書くべきか? それとも朝たてた予定通り、北久里浜に行くべきか?と。しかし、10年前に比べると、相当に、余裕の出てきている私は、ブログを書かないで、北久里浜へ出発した。北久里浜の、情報獲得環境は、二転三転している。で、今は、又、テレビだけは、NHKは、見ることができない環境となっている。それでも出かけた・・・・・21日の夜のことだ』

さて、私は午後三時にこのニュースに接して、これは、困ったことになったと、思いました。過去に、投稿した、膨大な、記事を、そのままにしておくと、嘘を書いていると、思われます。で、すべての文末に、この投稿をつけて、自分は、引き続き、こういう説であるのだと、主張をしないといけません。

 それは、うんざりするほどに、すさまじい労働が必要です。それだけで、死ぬというほどの、労働です。

で、これから、それをやらないと、いけないと、思うと、気がめいりますね。普通ならそうです。しかし私は気がめいりませんでした。・・・・・そういう風にやって来たのか? 連中の悪どさは、さらに、増して来ましたね・・・・・と、思うだけであって、当初の予定通り、北久里浜に在る、旧宅に出かけました。セリ、春菊、どくだみ、が、たった、10日間に、猛烈に成長していて、通る道もないと、いう始末なので、労働をいたしました。実は、そこに,よるの8時半までいました。

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副題5、『ここで、北久里浜の、ネット環境を語らないといけない』

 北久里浜では、長らく、情報音痴だった。インターネット環境がなかった。その上、外で、使えるWi-Fi装置、を、数年間、G02~G06まで、月に6000円近く使って、保持していたが、実際には外では、使えなかったのだ。それで、20万円以上損をしている。普通のひとなら、これ程に、読者数の多い、ブログを書いていたら、あふぃりえいと収入が、月に15万円はあるだろうに、反対に、損ばかり与えられている。そしてそれは、雪ノ下の方の自宅での、私道の拠出状況と、そっくりなのだ。前田祝一清子邸では、前の住人がそうしたのだけれど、私道部分を拠出していない。そこに、出しゃばって、庭を作っている。それと、正反対に、私は、前田清子夫人と、藤本夫人との争いを、埋め合わせるために、私の私道部分を拠出させられている。それが、35年以上にわたって、物理的、経済的、心理的な被害を与えられ続けていることにつながっている。

 今、私は小学校の同窓会で、行われた、一種のつるし上げ状態について、語ろうとしているし、その前段階としての、高校時代の、クラス会で行われた、罠についても語ろうとしている。19日に行われた小学校の、クラス会の三次会で、敵さん達は、私の語る内容が、ほかの人間に、理解不可能なことを確かめたうえで、山田浩二が、控訴を取り下げたと、いうニュースを流し始めた。それに抵抗したと、しても、一般の読者が、私の方をあざ笑うだけだと、みなしたので、そう動いたと、確信をしている。

 そして、心理的に言えば、それを、利用されて、いじめられたのが後藤健二事件の時の、石堂順子さんの、記者会見だった。

 それは、水曜日だったらしい。火曜日に出かけて、泊まったうえで、ずっと、庭仕事をし続けていた。すると、それを、好機と、とらえられて、・・・・・三歳の時に、家を出て、下の子である、健二さんを捨て去った女性である、・・・・・石堂順子さんが、突然に、メディアの前に現れ(外人記者クラブだったので、そこの理事長だった、過去のある石塚雅彦さんが、携わった、一件であろう。

 また、後藤健二さんの、東大卒の、奥様は、川名昭宣(河出書房新社の編集員、奥様は、外国通信会社勤務だった)夫妻の紹介で、出会い、結婚に至り、後藤健二さんの、過去を洗浄化する役目を果たしたのだったが。

 私が見ていないことをいいことにして、石堂さんが、原発反対だと、言ったそうだ。しかし、石堂さんは、後藤健二さんの、子供の名前を知らなかったそうで、付け焼刃の、母親ぶり(または祖母ぶり)が、露呈をしたと、聞いている。しかし、だからといって、北久里浜に、ネット環境を、設置することは、やる必要もないと、思って居た。

 ところが、その後、主人が心筋梗塞で倒れた。入院処置のしかも、救急車で、運び込まれた、40分後には、カテーテル手術が、行われたのだけれど、非常に重篤で、生き返るか、死んでしまうかは、フィフティフィフティですと、言われたので、当然、後遺症は、残ると、思われた。で、救急車や、タクシーが家の前までは、到達できない山の上の家である、鎌倉雪ノ下に住むのは、無理になるだろうと判断をして、2016年の12月に、北久里浜の方に、ネット環境を整備した。NTTドコモの携帯を契約して、と同時に、ネット環境とテレビも、準備した。

 しかし、主人が急速に回復した。で、実際には、引っ越してはいない。でも、毎月7000円強を支払って北久里浜にもテレビ固定電話、インターネット環境が整備は、された。

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副題6、『ここで、鎌倉エージェント=CIAの一人である、仲野通巳吉が、私の脳裏に、急浮上をする。青地問題でも、既に、急浮上をしているのだが、そちらを、the end まで、書き表せないで、いるうちに、こちらの、・・・・山田浩二が、控訴を取り下げた・・・・・と、いう問題で、急浮上をしてもらわないといけなくなった』

  しかし、一か月程度、前だっただろうか? 郵便受けにNHKからの催促状が入っていた。受信契約をしてくださいだって。えっと、思う。月に、八回程度、私か主人のどちらかが、行く。その際に、主人と私がそれぞれ、30分程度、昼休み、及び、夕食時に、NHKニュースを聞くことはあるだろう。で、合計しても、4時間から8時間の視聴でしかない。鎌倉雪ノ下の方で、支払って居るのだから、これくらい目こぼししてくれてもいいだろうと、思うのだけれど、だめだろう。したがってこれは、例の、連中のいじめの一つなのだ。

 いや次に出て来る章で、かなこさんと、いう登場人物について触れる。その人は、日本最大の、お受験塾を経営している理事長なのだけれど、こちら北久里浜の、家の我が家の、南東の、位置にある隣家(現在は、空き家だが、直前の住人、石川家の、所有物件。前の住人は、このブログの主要な人物、上滝家であった)家で、モーツァルトの、【フィガロの結婚】から、お小姓【ケルビーノのアリア】を歌ったのだ。

 東京で、上流社会人を、普段相手にしている、マダム=(かなこさん)が、北久里浜に来て、他人の家で、私に聞こえる様に、アリアを歌った。(苦笑?) そういう手配は、すべて、鎌倉エージェントが行うのだが、こちら、北久里浜にも真南に、主要な人物、仲野通巳吉が、我が家から、20メートル離れた位置に住んでいる。

 仲野通巳吉とは、1978年に行われた、地籍変更届を利用する、実質的詐欺事件(1200坪の公共用地を、ただで、私有化した事案・・・・・)の主役である、益山夫妻の、妻の方、智恵子夫人の、実弟である。

 彼が、チクったのでしょうねと、思い当たる。しかし、インターネット環境も整備して、ほとんど使わない、7000円を毎月支払って居るのに、NHK視聴料まで支払うのは、いやだ。したがって、NHKは、見ないこととした。で、21日の様に、午後三時に、山田浩二が、二審に向けて、控訴を取り下げたと、報道をされた様な、重要な日には、NHKニュースを見たい。北久里浜に居ても見たい。しかし、私はやせ我慢をした。

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副題7、『やせ我慢をしたのは、視聴料を支払いたくないだけではなくて、NHKが、周南事件と同じく、このニュースを主要なニュース内では、隠す可能性を感じたからだった。周南事件と山田浩二の、寝屋川での、中一二児童殺害事件は、とてもよく似ている。実行犯は、警察の特殊部隊であって、アサッシンと、しての特別訓練を受けた連中で、血も涙もない連中だ。しかも、雪ノ下の、安野夫妻と、前田夫妻をたすけ、彼らがそう動く初因となった、北久里浜の、杉本俊一・正子夫妻をたすけ、杉本夫妻より、大きな主役として、行動をした益山重夫・智恵子夫妻(二人ともすでに、亡くなっているが)の実弟仲野通巳吉をも助けるという目的で、私を脅かすために,一般の、人間を遠くで、殺したものだった。

 そして、それが、失敗に終わると、より、身近な存在である、京橋の画廊のオーナー、山口みつ子さんを殺し、北九州で、私の中学時代の同期生、大久保忠春君を暴走老女による事故として、殺した。そして私の実妹も殺した。2017年、7月11日に知らせがあったのだが、ちょうど、やまゆり園事件の一周忌を迎えるところであって、私がいよいよ、筆を冴え切らせて、真実を書こうとしていた矢先の最大の、脅かしだった。

 それから中間層の、人間も、殺されたと、見るケースもある。ただし、いつ、どういう風になくなったかを詳細に知らないので、今まで語らなかった。

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副題8、『ここで、心配なのは、月岡節さんと、佐久間操さんと、いう親切な友人二人が、殺されたのではないかと、いう事だった。ガン検診で、がんが見つかりましたと、いう通知を受けて、その後、無理な手術をして殺されると、いう手法だ』

  月岡節さんとは、芸大卒で、金工を駆使した現代アート系作品を作り、新隗樹社で、活躍していた作家であった。節という漢字は女性も使うが、月岡さんは、男性だ。「ガンで、これから、手術をする。今度は、帰還できないかもしれない」と、言っておられたが、見かけ上はとても健康そうだった。月岡さんは、「死ぬかもしれないので」と、おっしゃって、電話の中で、30分以上かけて、私の本がどれほど、素晴らしいものであるかをほめてくださった。その電話も盗聴されているし、私が、初期のメルマガで、【人品骨柄いやしからず】と、いうエッセイを、月岡さんを主人公として書いている。で、心の奥底で、山口みつ子さんと、同じことが起きたのではないと、いいがと思って居る。同じことというのは、表面は、違う死因が、発表をされているが、実際には他殺だと、いう事。

 月岡さんは、節と、書いて、音ではみさおと読む。同じみさおと、読む友人で、佐久間操さんがいる。佐久間さんは、北久里浜駅を最寄とする住人と同じ学区に住んでいて、駅だけは、京急新大津を使う。明治大学卒だが、塾で大成功をした、人物だった。その上、ご主人も社長(どこの会社かは、聞いていないが)で、収入が高いので、その余裕の資金をお茶の修行に投じていた。彼女は、日常のお料理も、立派な懐石料理として作り上げていた。6冊目の本が、郵便では届かない、可能性があったので、すべての友人宅を、訪問をして献呈をしていたのだが、急に訪問をした私にわざわざ、ご飯を炊いて、そして、上等な干物を焼き、小鉢料理を、二品と、おつゆと、何らかの、つくだ煮で、もてなしてもらったことがある。それを食べていると、どこで、食べてもいいが、1500円以内の、ランチなど、食べられたものではないと、いう気分になる。バイキングだって、とても駄目です。対抗できませんと、いうレベルのお料理だった。旅館系ホテルで、仲居さんがお座敷まで、運んでくれるのお料理よりも、おいしいかもしれない。

:::::::ここで、のちの章で、登場するじゅうもん(十文字学園の理事長の一族であるお嬢さん)に、関連することを語って置きたい。2014年の、お茶大付属高校の同窓会を利用した罠の話だけれど、じゅうもんと一緒に食事をしたことがある。あまりにも繊細だった。何がといって、食べ方と、その量だったのだ。それで、その罠を語る際にも、じゅうもんについては、簡単にしておきたい。あまりにも色が細いので、弱そうに見えるのだ。精神の部分と移調系統は別だと、言っても、一日四会食で、しかも、一回ごとにバリバリ食べる私は、それでもやせているので、エネルギーを多大に使って居ることがわかる。エネルギーーとは愛でもある。

 あまりにおいしいので、パクパクと食べて、ごはんのお代わりをした。すると、彼女が、「あなたって、やせているのによく食べるのね」というので、「ええ、私って、やせの大食いなの」と答えていた。器もすべて上等であった。お米は、横浜高島屋からのお取り寄せだそうで、電気釜も、当時手に入る最上級のものを使っているとのことだった。

 その時に、私たちは、ほぼ、三十ねんぶりに出会ったので、話がよく弾んだ。なお、この章で、登場する北久里浜関連の女性たちは、すべて、子供を通して知り合った、往年のママ友である。

 学歴で人を差別をするわけではないが、彼女、それから津田塾卒の別の友人、武蔵野音大卒の別の友人、などとは、安心して話ができた。上滝夫人などとは、生活のレベルと雰囲気が違うので、もっとも安心ができた存在だ。みさおさんからは、よく、「あなたって、生活臭のない人ね」といわれていた。いつも、創作とか芸術とか、美とか音楽とかを考えていたので、そう見えるらしかった。私に言わせると、彼女の方もそうだったのだが、それを、面と向かって言ったことはない。だけど、そういう会話は、杉本夫人と話すときなどとは、全く違う会話だった。しかし、しかしなのだ。この邂逅の、後で、彼女は、亡くなったそうである。このおごちそうになった夜に、話が弾んで、夜の10時過ぎとなった。すると、いつも遅いご主人が帰宅をされ、私は、初めて出会った。で、私の名前も顔も知っておられる筈なのに、逝去の、お知らせがなかった。

 で、年賀状を出し続けていたが、ある時期から返礼が無くなった。だが、私は、例の政治的配慮で、来ないのかもしれないと、思って居て、亡くなったとは、考えなかった。すると、ある年、信じられないぐらい乱暴な字で、書いた、返礼みたいなものが返ってきて、どういう事だろうと、不思議に思って居た。

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副題9、『稲田恭子夫人が、此処で、登場する。一般の人だが、実名で語る。それは、杉本正子さんの悪辣さを語るためだ。私としては、学区内で、及び地域社会で、もっとも、親しいママ友だと、思って居た。彼女と私は手仕事(わたくしの方は、刺繍や洋裁、彼女の方は刺繍やフェルト手芸それは、50年前から、行って居る最初期の作家のひとりだ)好き人間として、話が合ったからだ。しかし、杉本正子夫人は、稲田恭子さんとは、それほどには、親しくはない。

 しかし、杉本夫人は、この人とか、北村充子さん(最寄り駅を京急堀之内とする、PTA仲間・声がきれいで、小学校の、父兄会が、作る合唱団の指揮者をしていた。音大を卒業していないのに、コンクールで、良い賞を取るなど、やりての女性。だから、小曾、在日の出自が、噂になって居たり、中学時代から担任の先生になついて、奥様に収まったとか、いろいろなうわさがあった女性だが、印象深いのは、特に、ひどい事をやって来た過去があるからだ。私に1985年=34年前に、見事な罠をかけてきて大いじめをした。無論、杉本夫人の命令であろう)などを使役して、いじめまくって来るのだった。だから、此処では、もう彼女たちの、実名を、書かないと、いけない』

 佐久間操さんに戻る。彼女の死に関して、稲田恭子さんの、大いなる動きがあった。それで、、此処で、稲田恭子さんが登場するのだ。或る時、北久里浜の家から鎌倉への帰途で、異様なことがあった。北久里浜の我が家、は、丘の上の、駅に近い部分に在る。しかし、駅への近道は、250段程度、石段を降りる形になるので、問題の大マンション、ルネ北久里浜の、エレベーターを使うことがある。この建物が建っている土地が、旧水道山なので、ただで、取得している一派への、悪事への協力者たる、杉本俊一、元、横須賀市副市長が、後ろめたく思って居るらしい。ので、山の上の住民全部が、月に1500円支払う、パスを申し込むことが、システムとして、できていて、それを、使うと、駅まで、石段を使わないで、こちらのエレベーターを使って、上り降りをすることができる。

 ある夜の事だった。九時ごろ、そのエレベーターへ向かう道を歩いていると、対抗方向から、稲田恭子夫人がやって来た。友達と二人だった。

 その周辺は、マンションが、土地がただの場所に、たっているので、建築費が高くかけられていて、庭の整備が、美しくなされている。だから、山の上の京急池田分譲地の一戸建てに住んでいる、住人が、ウォーキングやランニングの場所として使う事はあるだろう。だから、稲田夫人が、「今、ウォーキングの途中なのよ」というのには、表面上電話は納得をした。しかし、私の方では、内心では、納得をしていなかった。彼女の家は、反対側の北のはずれにあり、500メートルは、離れている。仕掛けとしてというか、謀略として、そこに立っていると私は考えた。それは、想定通りの結果を招いた。稲田恭子夫人は何と、「あなた、佐久間さん死んだのよ、知っている?」といったのだった。無論、知らなかった。だから、ドキッとはしたが、すぐ、これは、嘘というか謀略だと、気がついた。杉本正子さんが、言わせていると、気が付いた。

 どうしてかというと、稲田恭子さんと、佐久間操さんは、親しくないからだ。まず、町内会が違う。それにそれぞれが、固有のお友達関係を築いていて、それが、合致していなかった。趣味も違う。稲田恭子夫人は、芦屋化、神戸の出身で、西欧風な趣味(=テニス他)に、凝っており、車も運転するので、友人を形成する範囲が広かった。一方で、佐久間操夫人は、主に、レクチユアー関係と、お茶関係で、友人を築いていたので、二人は、接点がなかったのだ。

 私の方は、佐久間さんと、山の上と下と、離れてはいるが、同じ根岸町二丁目町内会だから、月に一度、町内会婦人部、又は、母親クラブの集まりで、一緒に行動することがあった。40年前、蟹蒲鉾が初めて発売をされた時期で、その紹介を兼ねて、料理講習会などが、開かれていた。また、お正月懇談会とかもあり、日舞を習っている人が踊ったりした。簡単なお菓子とお茶で、60人ぐらいが一緒に集まることが多くあった。

 だけど、稲田恭子さんは、池田六丁目町内会所属なので、佐久間操さんと、一緒に、行動することはなかった。だから、二人は親しくはない。私にミスター佐久間から、逝去のお知らせがないのに、稲田恭子夫人に、ミスター佐久間から、お知らせが行くはずはなかった。

 私が、佐久間操さんに、自著を届けたころ、稲田恭子夫人にも届けたのだが、真っ暗にしていて、いないことになっていた。この時期、同じ様なことが、中学の同期生でも起きていたので、私の本を受け取らせないという策謀が、CIA側から、行われ、それぞれの、知人を通じて、命令を受けていたと、考えている。稲田恭子夫人は、杉本夫人から、命令を受けていたと、考えている。

 で、私はその夜に杉本夫人にも届けた。それは、・・・・・あなたが何をなさっているのかは、わかっていますよ・・・・・と、知らせて置くつもりだった。しかし、彼女は、そうは、とらなかったらしくて、「あなたって!」と、絶句していた。つまり、私が、自著を、宣伝したいので、彼女に媚びを売ってきたと、撮ったみたいだった。それで、それは、何も説明をしないで、去った。だが、稲田夫人は、山の上の、住人としては、最盛期は、一週間に、二度か、三度は、お茶のみをしていた、(まあ、私が訪問をしていた仲だが)で、彼女が親から作ってもらった訪問着が、80万円(これは、現在の貨幣価値に直すと、300万円以上)はしたと、いう話を聞いたり、私が、母からもらったニットのコートの質が、とてもいいものだと、見抜ける彼女から、「それ、飽きたら、私に頂戴ね」といわれたりしていた。

 つまり、着るものとか、身に着けるアクセサリーとか、そういう種類の物事を語る相手として、ふさわしかったのだった。私が付きあった、ママ友のうち、もっとも、.[長時間話し合った女性は、吉家ツネ子さんだった。彼女は、とても頭がよくて、社会全般の事で、話題が尽きなかったのだ、横浜東本郷で、付き合った、時期は、ただ、元幼稚園の先生である専業主婦だったが、広島転勤後は、井上ひさし等の、働きで、日本ペンクラブの会員に推挙されたり、お子様を二人とも医者にしたと、いう、賢婦人だが・・・・・稲田恭子夫人も、話題は、手仕事関係専門でも、頭は、良くて賢婦人の一人だと、言える。だから、私としては、北久里浜の東側の丘の上の、300人以上の主婦の内、もっとも、長時間の接触があった人だった。

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副題10、『私は生涯で、二度ほど、大変上等なカーディガンというものを目にした。一度目は、1985年、稲田恭子さんが、着て鎌倉の我が家に現れた、白いカーディガンで、二度目は、2019年に、栗田玲子さんが、自分の画廊内で、着て現れたベージュ色のカーディガンだ。両方ともに、スパンコール、ビーズ、模造真珠などが、飾りとしてついているのだが、同系色で、まとめてあるので、下品な感じはしない。私は、母が裕福だったので、季節の初めには、日本橋ン高島屋と、三越で、どんな洋服でも、好きなものを選んでもよいという形で、私腹をあつらえていた。母は、子供を連れて歩かない日は、銀座でも買い物をしたみたいだが、和光には、入らなかったと、思う。京セラのショーウィンドーと小松ストアーが、お好みだった。母の庇護下を離れた私は、お金を主に、現代アートの制作と発表に使ったので、和光は、ほどんど、入ったことがないお店である。で、あの上等なカーディガンが、どこで、売っているかは、知らないものの、価格として、20万円以上は、するもので、和光なら、毎年、売り出してあるものではないかと、思って居る。

 稲田恭子夫人とは、毎年和光へ買い物へ行く、タイプの主婦である。これは、後程、貝塚あやさんの、子供のポスターの話に、通じていくので、重要な、挿話となる。決して、女の内部事情だと、思ってほしくない。政治的話題なのだ。貝塚あや(独立画家教会に、長らく出品をしていた画家? 会員になって居たかな?)、さんの話は、銀座・雀・田代人志の、このブログに対する異様なコメントというものに通じていくし、

 子供のポスターの話は、こ地ら鎌倉の山の住民・平木さんの、お子さんたちが、CIAに悪利用をされている話とか、画家Aへの,天からのおしかりの話へ、通じていくので、これもまた、政治の話題となる。

 ともかく、元へ戻りたい。稲田恭子夫人が、売価が、現在の貨幣価値に直すと、20万円から、30万円はするであろう、極上の白のカーディガンを着て、こちらの雪ノ下の、山へ現れた時に、それが、杉本正子夫人側から、送り込まれたスパイ役だったことは瞬時に分かった。 

 当時は、東側への増築もまだ行って居ない段階で、堀内大衆さんと、いう男性が建てた、とても、貧相で、汚い家に住んでいたので、稲田恭子さんの、報告を聞いた杉本夫人は、私のママ友連中に、おお悪くちをばらまいた可能性がある。「川崎さんって、前の北久里浜の家を売らないで、鎌倉へ、であろう。二軒目の家を買ったと、いうから、どんなにお金持ちかと思ったら、とても、汚い家に住んでいたわよ」と、いう報告だ。そして、みんなで、大笑いをしたであろう。

 私は、稲田夫人が、こちらの、雪ノ下に滞在中から、それが、わかったので、どういう風にそれを、心理的処理をするかは、考えた。で、結論として、『稲田さんは、みずがめ座だから、内心は、冷たいのよね。私に対する友情なんて、これっぽっ地もないのだわ、引っ越したら、残っている有力者に、味方をするのだわ』と、思い至って、我慢をした。

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副題11、『問題の違法な土地、1200坪にいよいよマンション(売り出し時、【そらヒルズ】のちに改名して【ルネ北久里浜】となる)を、建設するにあたって、私がどう出るか、敵さん達は探りに来た。5つぐらい、彼等の、脅かし行為があった。順に書いていくと、

1)、1978年に、私を、悪事を知ってしまった人として、車で、轢き殺そうとした、益山智恵子さんが、1996年ごろに、電話で、ののしってきた。彼女がもっとも、怒っている事は、自分の、1978年当時の夫、・・・・益山重夫氏の、前妻が、アメリカ人と、恋に陥って、アメリカへ逃げて行ってしまったことを、私が知ったこと・・・・・だそうだ。そんなことを責められたって無理だ。私は、急に自分の地所内に、青地なるものを設定されて、びっくりして、いろいろ、調査をした。すると、以前、お隣で、益山さんが、土木会社を開いていたと、いう女性が、教えてくれたのだった。どうして、こういう悪事を彼が、企画をしたのだろうと、いう点で、その前妻がアメリカへ、逃げて行ってしまったと、いうのは、大きな要素だった。それで、この種の大規模な、公有地狙いを、思いついて、実行をしても、良心が痛まない人間となったと、推察したからだ。だから、益山智恵子さんに、電話で怒鳴り込まれても、私の方は意に介さなかった。そちらが、悪事を企画して、しかも、色々な画策をもって、最終的には、1200坪をタダで手中にしたのだった。しかも、私を轢き殺そうとしたのだから、、反省すべきは、そちらが先でしょう。謝罪をすべきもそちらが先でしょうと、思うから、益山智恵子さんの脅かしには、一切動揺もしなかった。ところで、この電話の時に、「え。あの人って、原節子似の美人だし、戦時中に、都立大学の土木建築学科を卒業しているそうで、尊敬をしていたけれど、こんな、ヒステリー女だったのですか? 其れでは、自分の思い通りにならなかったら、相手を車で、轢き殺そうと思うのもありですね』と、思い至って、【元参謀の、陰謀】と、いう文章が正しかったのを知ったのだった。なお、その後の様子を付け加えると、彼女の実弟、仲野通巳吉には、三人の娘がいて、その一人に、益山姓を継がせている模様だ。

2)、私が、北久里浜の家をキープしている限り、自分達の悪事が、いつ外へ漏れ出るか、わからないので、売る様にさせようとして、1990年代に、土地60坪を、2600万円で、買いたいと、いう話が来た。その交渉に来た男だが、やくざか、チンピラかというほど、に、下品な男だった。最初から売るつもりがなかったので、帰ってもらった。そのころは、彼等CIA側が、その程度の人間だと、私を見くびっていた可能性がある。最近、青地ほかで、接触をしてくる、伊能義昭氏とか高本土地家屋調査士は、この種の、下品さはない。上品な紳士だ。だから、私にやくざをあてがっても、「別に!」と、いう漢字で微動だにしないのは、わかってきた模様だ。

3)、『自分は東工大卒です。と名乗る測量士から電話がかかってきた。時期は、1995年から、2015年の間だったと、思って居る』

 残念ながら、その名前を忘れてしまったが、元水道山をタダで、手に入れた彼らは、そこを、4つに分割し、すべてに、伊藤忠何とか、かんとかという、会社の持ち物としたと、その男は、電話内で、いう。伊藤忠の会長である瀬島龍三が、益山重夫と、海軍参謀、陸軍参謀と、いう間柄で、仲良しなのを知っていたので、それを、聞いてもどうという事はなかった。

 相手の狙いは、そこに、マンションを建てて売り出した際に、私が、どういう風に、動くかを問題としているのは、わかった。其れを聞き出したがっているという事もわかっていた。しかし、私は、東京の、兜町に、事務所を構えている栗原弁護士(当時、東京第三弁護士会会長だったと、記憶しているが)から、

 「あなたは、ご自分の土地を守ることができました。非常に頭がよい。感心をしました。最初の段階では、あなたは典型的な被害者像だと、思って居ましたが、全然違う。本当に勇敢で賢い」と、言われていた。ここで、典型的な被害者像というのは社会的弱者だと、相手側から見くびられやすい外見と、性格を持っているという事。

 で、私は喜んで、「先生、これは、書類上は、整って居ますが、実質的には詐欺です。それに、横須賀市の土木課長の奥様とは知り合いで、仲良しです。だから、そこを動かして、この泥棒行為をやめさせて、何とか、正義を通したいのですが?」といってみた。すると、栗原弁護士は、理由は何も説明しないままに、「おやめなさい」といった。

 私はそれ以上を質問をしなかった。だから、青山敦子弁護士が、「あなたがCIAを相手にしているなんて言うんですもの。私は怖くて、引き受けられないわ」といったことも、別に感情を害してはいない。ただ、淡々と、記録をして置くだけだ。

 で、東工大卒だと、いう測量士に戻ろう。彼は、私が、「その土地を瀬島龍三はどうするつもりなのですか?」と、質問をするのを待っていたみたいだった。しかし、私は何も質問をしなかった。今みたいに、立派な四棟のマンションが建ってしまったのも、書類上は阻止できないのだ。そして、500人ぐらいの人が、三千万円以上のお金を出して、それを、買って所有権を、法務局に登記をしてしまったのだから、何もできない。そんなことは、わかっている。

 で、私がいわゆる、突っ込みを入れないで、ただ、単純に聞いているので、相手は、最後の、切り札を出してきた。「あなたは、杉本家のぼっちゃんが、不良になったのを知っていますか?」と。

 ここで、私は、お出かけをしないといけなくなった。それで、此処で、杉本家の、二人の子供についての、考察は、帰宅してから行いたい。後で、書きたい。

 ただ、稲田夫人が行った次の、ご奉仕については、語っておかないといけない。誰に対するご奉仕かというと、むろんの事、杉本夫人と、CIA連中に対するご奉仕だ。

4)、こちらから電話をかけたことへの、ついでとして聞いたのか、それとも、彼女からかかってきた電話内で、それを聞いたのかは、覚えていないが、ともかく、彼女は、こういうのだった。「川崎さん、あなた知っているの? あなたの家って、ごみ屋敷として評判なのよ」と。

 それは、1998年から、2012年の間だったと、思って居る。メモ書きして置けばよかったと、思うが、当時は、敵の攻撃がひどくて、メモ書きだけでも、又、一回転して、攻撃を受ける可能性があるので、記憶にとどめるだけにした。

 で、私は心配になって見に行った。当時の借家人は、これも東工大卒だと、いう触れ込みの独身男性で、我が家を仕事場としている、電気技師だった。で、週善を主にしているとの事だった。したがって、稲田夫人に言わせれば、庭中に冷蔵庫などが置いてあると、いう話だった。

 テレビで、ごみ屋敷が問題になっているころであって、その画面を思い出して、これは、大変だと、なった。それで、心配になって見に行った。無論のこと、借家人である高尾氏に連絡は取らないし、主人にも相談もしないで、出かけてみた。

 するとテレビに、映っているごみ屋敷とは、全く違って居た。その家は、敷地が、60坪あって、建物は、総坪数27.5坪だが、一階は、18坪である。駐車場に、10坪はとられているが、庭は、30坪はあり、そこに別に家電は置いていなかった。ただ、プラスチックでできたは透明の波板合板を使った、小屋が、三棟ほど、庭にできていた。その中に、木造の棚があって、そこに、家電類が収蔵されている模様だった。しかし、猫や犬の多頭飼い崩壊の家よりもきれいだった。家電は、持ち主に、修理して返すのかもしれないし、修理したうえで、 東南アジア等に、売りさばくのかもしれなかった。だから、三棟の、小屋に、収まる程度の、数しか無くて、庭に山の様に、積み重なっていることを想像して、慌てて見に行った私は、拍子抜けするほどにきれいだった。

 その後高尾さんは、引っ越して行った。その引っ越しについて、いろいろ、異様なことがあったのだが、それは、今は、触れないで、稲田恭子さんに戻ろう。稲田恭子さんは、ごみ屋敷だと、言った。それで、西隣の原夫人に、「本当に、ごみ屋敷で、大変でしたか?」と、高尾さんが、引っ越して行った後で、聞いてみた。

 すると、原夫人は「そんなことは感じませんでしたよ。だけど、回覧板を持って行った時に、廊下に、ホコリがたまっていて、うっすらと、白くなっていました。それには、気が付きましたけれど、独身男性だから、仕方がないと、思って居ました」と、答えてもらった。原夫人は、横浜税関に勤務していた元国家公務員だから、頭脳は、明晰であって、嘘をいう様な人ではない。それに彼女は、誰に対しても、こびる様な人ではない。そして、横浜高島屋の、靴売り場で、ご主人・俊一氏と知り合ったという杉本正子夫人と比べても、品格が、ずっと上である。

 その原夫人の、「廊下に、うっすらと、ホコリは、たまっていましたが、全体に、ついては、ごみ屋敷だとは、感じませんでしたよ」という言葉を聞いたのちに、数年前に聞いた、稲田恭子夫人の、「ごみ屋敷になっているわよ」というセリフが嘘であり、杉本正子夫人が、稲田恭子さんに、そういわせただけであって、稲田恭子さんは、私の家を見ていないと、確信をした。

 なぜ、杉本夫人が、稲田恭子さんに、そういわせたかは、地籍変更届の闇と、例のCIA連中の意向があるわけだが、此処では、長くなるので、それには、触れないで置こう。

 私の家は、徒歩で、稲田夫人が北久里浜駅に出る場合、通り道にはない。寄り道をしないと、見る事は、できない。それに、実際に見てもごみ屋敷には見えない。それをごみ屋敷というのは、相当に、深い悪意がある。見ていないのに、電話でそう断言するのは、相当に悪意がある。杉本夫人が教唆命令をしたとしても、佐久間操夫人だったら、こういう軽い言い方で、悪意を示すことはない。どうして、こうなるのだと、私は深く考えた。

 上流階級風に見せており、其れを信じていた貝塚あやさんが、私より、彼女の方を上に立てて居た。大学卒でもないのに、上に置かれて、いた。で、私はいろいろ、分析し、考え込む。稲田恭子さんの母親は後妻に入った人だと、聞いている。勿論、戦時中と、戦後は、男の数が少なかったので、妻を亡くした男性の、ところへ、後妻へ入る人は多かった。だけど、お父さんは、80万円(現在の、価格だと、300万円以上の、)の留めそでを、我が娘に買って上げることができるほどにお金持ちなのだ。そういうところへ後妻に入るお嬢さんだから、恭子さんの実母も、実家はお金持ちだと考えられる。

 恭子さんは、芦屋か、神戸の、出身なのだけれど、大学へは行かないで、京都まで、種々のお稽古事に、通って、花嫁修業をした人で、お見合い結婚だと、思われる。そこで、私は、恭子さんの実母さんは、外人の血が入っている女性ではないかと、考えた。恭子さんは、何も言わないけれど、ハーフだと、思われる顔立ちである。むろん、母君は、大正の生まれだろうから、敗戦後の、日本にいた、パンパンと、呼ばれる類の女性ではない。だけど、母君の世代で、100%の白人または、50%の白人であって、恭子さんには、25%の、白人の血が流れていると、かんがえると、彼女のあの蓮っ葉といってもよい軽さが理解できる様になる。血の中に、別の人種の血が入っていると、日本人的湿気が無くなるだろう。それと絶対にそれを、告白しないという事はよほど、小学校時代などに、それを、意識せざるを得ない何らかの出来事があったのではないかなあ。

 苦労は、自分を磨く。彼女が、一切愚痴を言わないのは、素晴らしい。しかし、他人をこれ程に、軽蔑したり、いじめたりする事を、軽々と、行うことができるのは、道徳観か何かにおいて、どこか、または、何かが、欠落をしていると、いう事を証明すると、私は、見ている。芯がないのだ。人間として、スケルトンがあると、言われている私にとっては、ああ、本当の友達ではなかったのだと、思い足るだけであって、それなら、こっちもあなたを利用しますよと、思い至った。

::::::::なお、此処で、そっくりなケースを鎌倉でも発見をした事を、申し述べたい。小町通りの裏に、最近ジアースという画廊を開いた若宮さんの話だ。彼女は、周辺から、よく気が付くできた人間だと、思われていると、推察するが、どうして、どうして、スケルトンのない、悪女だ。どこかが抜けている。それは、どうしてなのかと、考えた過去があって、目が悪いからだと、気が付いた。普通だと、その種の欠落があると、できた人間となるのだけれど、と、同時に、黒い、闇も抱え込むことがあるのだった。それが、あいてが弱いとみると、噴出することがある。稲田恭子さんも私を弱いとみているのだろう。

 そして、1985年に、雪ノ下を訪問をして、外壁がとたんで、できているたった、18坪の家なので、なんだか、変な家に引っ越したわよ、ごみ屋敷みたいだった」と、杉本夫人と話し合い、笑いあったことだろう。それが、前哨戦としてあるからこそ、この「あなたの北久里浜の家って、ごみ屋敷になっているわよ」というセリフが出てきたのだとみている。

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副題12、『2012年の事だった。第一次フェイスブックを偶然に、はじめ、原発について、色々投稿をした。ほとんど正しかったが、いまだに、安倍政権は、私への、反論方向で、莫大な、無駄なお金を、福島県に注いでいる。

 その投稿が功を奏していたか? それとも、最初の、友人が、ICU卒業生が、多かったから、そうなったのかはわからないが、ともかく、友人としては、投稿の内容において、難しいことを、投稿している人が多かった。そして、私は、評判がよくて、色々な、人を紹介されたものである。

  中に男性のアーチストで、「織姫マキさんと、友達になったらどうですか?」と紹介をしてくれた人がいて、フェイスブックっ市場の友達となった。ところで、第一次フェイスブックは安藤照子さんという刑事が変装した、友達が近づいてきて、彼女が、我が家に訪れた2014年2月12日ごろ、突然アカウント停止になってしまった。そのころ、まだ、外へ向かっては、書いていなかった、政治に対する分析が、すべて正しかったので、そうなったと思って居る。したがって、織姫マキさんとの、交流の実際がすべて失われてしまっているが、彼女は、近畿地方(または、中国地方)在住の現代アート系作家であり、毛糸を材料にした作品を作っているという事だった。私は、お金に苦労をした事がないので、何でも大量に買ってしまう人であって、毛糸もたくさんあったが、既に、その時には、67歳だったので、もう、セーターなど編まないであろうと、思って贈ることを約束をした。その約束を作り上げる段階では、彼女は盛り上がっていて、相当に仲良くなった。ところが、実際に毛糸(量としては、大きめの段ボール箱いっぱい)を送った後で、ウンとも、スンとも、返事がなかった。これは、フェイスブックだけではなくてリアルな世界でも起きることだった。或る時点で、横やりが入って、雨宮舜(=本名、川崎千恵子)の悪口が相手に入るのだった。で、相手は急に態度を変える

 今だったら、シンプルに、事情を、書きおおせる。しかし、当時は、それが書けない時期だった。今との違いは、傍証づけの積み重ねがなかったので、読む人が、のけぞってしまう事を恐れた。だが、これ以上の被害を招かないがために、「私には、あなた方(=CIA)の裏側での工作をわかっていますよと、言いたかった。

 それと、同じことは、主人に電話をかけて、すでに経験済みだった。しかし、毛糸は、女性の専権事項であって、主人に愚痴を言うべき項目でもなかったので、別の相手を探さないといけなかった。で、個展の案内状を出せる相手が、5000人は、いると日ごろ豪語している私である。こういう愚痴を語れる相手は、五万といた。しかし、あいてが大切な人であればあるほど、巻き込みたくなかった。で、稲田恭子さんを選んだ。彼女は、この時点で、既に、3回か、4回ほど、明瞭に敵方に役立つ行為を重ねている。で、敵方に、所属して居ることがわかっている。

 で、「織姫マキが、急に失礼になってね」と、電話で言うと、彼女は、「それは、あなたの方が悪いわよ」といった。あまりの単純さに、びっくり仰天をしてしまった。そして、電話内で、これ程に、こちらを馬鹿にするのだと、電話を切ったら、すぐさま杉本正子さんに、この件を語るであろうと、感じた。すると、『電話を盗聴しているCIAエージェントに向かって、・・・・あなた方のやっていることは、すべて、裏側がわかっていますよ・・・・と、言いたいことが、そのCIAエージェントそのものに、伝わってしまって、・・・・・いじめることの効果が絶大に、大きかった・・・・・という形になってしまう。

 参ったねえ。とは、思った。失敗しちゃったかしら。思惑とは、全く違った方向へ物事が走りましたね。で、ますます、いじめられるだろうし、心理的な、被害が大きくなるだろうと、感じ入った。 

 織姫マキに「川崎千恵子には、お礼を言いなさんな」と、命令したのは、杉本正子さんではないと、思うが、連中は、裏で、つながっているのだから、彼等より上に位置する人間から見れば、私が失敗して、私の陣地が、非常に小さくなったと、いう事に他ならない。

 だけど、物事にはフィフティフィフティの側面がある。この時ほど、稲田恭子さんが、敵の陣中に、100%浸っているのだと、理解したことはかつてないので、それ以降の彼女の行動と、発言には、眉につばをつけて聞くこととなったからだ。いや、眉につばをつけて聞くというのとも違う。100%裏があると、見る様になったのだから、杉本正子さんというのは、其の脳みその働かせ方において、私とは、位相(フェイズ)が、違うと、感じたのだった。

 で、大切な事にやっと入ることができる。稲田恭子さんが、ほかの女性一人を巻き込んで、ルネ北久里浜の進入路で、私を待っていて、「あなた知っている? 佐久間操さんって、死んだのよ」と、言った時に、・・・・・ああ、佐久間操さんは、山口みつ子さんとか、私の妹とか、月岡節さんとか、大久保忠春さんとか、石川和子さんと同じく、ガンなどの、病因を告げられて、あたかも自然死の様に、つくろうが、本当は、他殺であると、いうシステムの犠牲者の、一人であると、・・・・・

 稲田恭子さんは、普通の人であろう。それに、大沼嘉津江さん程、ご近所に、悪口を言われているわけでもない。しかも、ご主人は良い方で、円満な家庭なのだ。お庭は、美しく手入れをされている。中流家庭の専業主婦像の、典型なのだ。しかし、「心理的に言うと、これは、何なのだ?」と、大いに疑問に思ってしまう存在だった。軽い対応が、できる。軽いコミュニケーションが取れる。そうだ。だから彼女を愛する人たちにとっては、頭がよい女の子だとなるのだろう。 しかし、「心と、いう側面では、何なのだ?」と、なる。夜の九時過ぎに、待ち伏せして、それだけを、ポンと私に言う。それって何ですか、佐久間さんに対する哀悼の意も見えなければ、私に対する同情も微塵もない。それにどう考えたって、彼女と佐久間さんが、友人だったとも思えない。

 ただただ、杉本夫人に頼まれたことをやっているというに過ぎない。ロボット化した人間だった。いや、ロボットそのものだった。

 ここで、この章は、終わりとさせてくださいませ。21日に初稿を書き始めて、4日目です。このミステリーは壮大で、延々と書き続けないといけない話なので、此処で、当初は、いれたいと思って居た、いちばゆみさんの坊ちゃんの家でという謀略(=嘘)については、「書かないで、置こう」と、25日の早朝五時半に、決めました。で、これで、終わりとさせていただきます。2019-5-21~25日かけて、これを書く。雨宮舜(本名、川崎千恵子)

  なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5377128です。

 

コメント
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アド街ック天国19-5-18に、吉川美代子さんが出た事から、喚起された、鎌倉砂岩に関する、苦い思い出・・・・・と、

2019-05-20 23:16:51 | 政治

 最初にお断りをさせてくださいませ。この一文の初稿時の、冒頭に置いていた、貴景勝の、19-5-17の再出場・発表に、関して、呼び覚まされた発想は、別のところ(後注1)へ、移動をさせました。ただ、そこに、加筆した部分があります。それだけを、此処に、置かせてください・・・・・19日の、NHKニュースを、丁寧に見ていると、貴景勝に、「自分が出たかったので、再出場した」と、言わせています。非常にあくどい事です。この子は、まっすぐな、性格の子らしいのです。それは、「空手の、審判に不審があったので、すっきりと勝負のつく、お相撲の世界に変った」と、言うエピソードでも明らかです。そこらあたりの、真情(又は、心情)を無視した、方向で、教唆命令して、言わせています。この子を精神的に、迷わせる、よくない指導です。誰が、言わせたのか?・・・・・もちろん、答えは、鎌倉エージェントです。間にだれを挟んだとしても、それは、確かでしょう。下に展開するのは、同じ連中がやっている別の事です。が、貴景勝の再出場と再欠場に喚起されて書いているものです。

 で、あまりに長くなったので、そこだけは、独立させて、下に19日付で置いてあります。なお、21日の、あさ五時から、推敲をしていきますが、初稿より増やした部分は、アンダーラインを敷いておきます。

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副題1、『久しぶりに、アド街っく天国、を、見た。特集のテーマが横浜駅だと、聞いたからだ・・・・・そこに、吉川美代子・元・TBSアナが登場していた。それで、は、ハーン、又、伊藤玄二郎一派が、この番組を、占領しましたねと、思い至った』

 何年ぶりかで、アド街ック天国を見ました。横浜駅特集だと、新聞のラテ欄にあったからです。横浜駅周辺とは、私が、50年間利用している、ショッピングタウンですから、興味はありました。で、総体的に見て、満足をする出来でした。日本全国第三位を誇るショッピング街だと、ありました。私が感じていることは、新宿や、池袋、渋谷よりも、買い物がしやすい街だと、いう事です。もし、川崎駅西口の再開発、及び、辻堂の、湘南モールができてなかったら、全国一の売り上げを誇るだろうというほどに、雨に濡れないで、買い物ができる、密集したショッピングタウンです。

 しかし、この2週間、ベイクォーターに、出入りをしている私は、そこが紹介されなかった、点と、ポルタで、西原理恵子さんが、動いて、息子の職が奪われた件を思い出さざるを得なかったのですよ。

 ベイクォーターとは、横浜駅を囲む、11の商店街(または、ショッピングモール)の中で、東北の端に位置している新しい施設です。そごうの駐車場ビルと併設して作られた海を臨む、しかも、リーズナブルなお値段の、きれいなレストランと、新感覚の商品を置いてあるお店が多数入っています)ポルタとは、東口の地下街を指します。その上を箱根駅伝が通る一帯です。

  しかし、TV東京の、この番組に、TBSの顔だった吉川美代子さんが出ていて、「平沼高校の出身です」といったので、ハ、ハーんまたしても、伊藤玄二郎一派がこれを利用しましたねと、思い当たりました。平沼とは、旧制第一高女です。したがって、女性の、卒業生が、優秀です。たとえば、岸恵子とか。しかし、伊藤玄二郎が、入学したころは、共学になってから、日が浅くて、男子には、人気のない学校でした。しかも、彼は、学区外の住人だったと、思います。鎌倉育ちだと、公言していますのでね。不思議な選択だと思って居ますが、母親が、此処の出身で、女の世界の、力を利用することを、勧めたのだと、思います。日本は、男性優位社会です。しかし、上層部に行けば、意外と、名士夫人の力が大きいのですよ。それを利用すると、いろいろ、便宜が、図られます。其れを母子ともにわかっていて、その力を利用するべく、平沼に、進学したのではないかと、思って居ます。

 ここで、私は推敲を中断します。それは、家事に赴く必要もあったのですが、千葉景子元法務大臣が、平沼の出身ではないかと、調べていたのです。すると、何と、私の中学の後輩でした。高校がないそこから、私はお茶大付属高校へ、進学したのですが、彼女は、学芸大学付属高校へ進学した模様です。ほ、ホーと、驚くばかりです。死刑場公開は、むろんのこと、私のその当時の、準備中の本と関係があります。しかし、今それに踏み込むと、又、この文章が終わらなくなるので、踏み込まないで、先へ進みましょう。

 で、結論として言えば、「おー、おー、やってくれていますね。文化番組も利用するのですが、こういうバライエティも利用するわけですなあ」と、苦笑した次第です。しかし、一般の視聴者の方は、吉川美代子さんの発言を聞いて、何ら違和感を感じなかったと、思いますよ。平沼高校に、彼女は、横浜駅、その後徒歩で通ったと、語っています。

 そして、ダイヤモンド地下街等の有隣堂の話をしています。

「早稲田に進学した時に、友達が、誰も、有隣堂を知らなかったので、驚いた」と、いう発言は、ほほえましかったです。::::::::::その有隣堂愛は、私も同じですが、秋葉原の、ヨドバシカメラと、日比谷のミッドタウンに、進出したみたいです。だから今では、東京都民でも有隣堂という名前を知る人は多いでしょう。しかし、川崎駅ラゾーナ内に、進出した、丸善が、ホームから歩く距離が短いのですよね。反対に、ダイヤモンド地下街の、有隣堂は、元の敷地を売って、奥まったところに引っ込んだので、買いに行きにくくなりました。今の私は、足が悪くなったので、駅のホームから近い書店のみ使って居ます。ラゾーナ内の丸善もそうですが、有楽町の三省堂、それから、日吉の、駅ビル内の、小さな書店とか。で、一つ思うのは、書店の立地条件って、ひどく大切で、有隣堂の、ダイヤモンド地下街での、今の出店形式は、失敗だったなあと、思って居ます。以前の様に、分散していてもいいから、駅から近い方がよかったでしょう。大船の駅ビル内の、書店として、あったものを、撤退したみたいなので、あそこは、キープしておくべきだったのになあと、思いますが、藤沢の、ビックカメラ内のジュンク堂に、負けたのかなあ。という有隣堂愛を語って元へ戻ります。:::::::::

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副題2、『吉川美代子さんを使って、自分達の威勢を知らしめた、鎌倉エージェントの、小さな謀略は、一般の、視聴者には、見破られなかったと、思う。それは、瓜南直子さんを使って、私を弾圧した仕組みと同じだ。・・・・・・瓜南さんが、私を弾圧し続けたと、言っても、一般の、人達は、ちんぷんかんぷんだ・・・・・と、感じ、・・・・・私=雨宮舜の方が、過剰に被害妄想にかかっている・・・・・と、思うだろう。しかし、こういう風に見てほしい。今、瓜南さんのフェイスブック頁の、ほとんどの投稿が、削除されているはずだ。

 と、思い、今、久しぶりに訪問をすると、誰か、別の人間が、引き続き、主に彼女の絵画作品を主体に、別の、形で、新しい投稿を続けている模様です。それは、結構です。画家なのだから、宣伝をする必要はあります。特に柴田悦子画廊とか、ドゥローイングギャラリーなどは、彼女の作品を売りさばいた過去があるから、画家としての、彼女の存在を、引き続き、宣伝をして置く必要はあるでしょう。

 しかし、2011年度から、2012年4月までの、部分の、彼女自身の投稿はすべて、削除をされています。その投稿は、吉川美代子さんの19-5-18TV東京の番組【アド街っく天国】内の発言と同じく、どこが問題なのかは、わからないと、思います。しかし、文章としての彼女自身の、投稿が削除されていることが、重要なのです。または、私には見せない形で、投稿が、復活していますか? そうなると、ますます、忌まわしくも怪しいいすが、ともかく、それが、私には見えない、読めないという事が、瓜南さんの、2011年8月~11月までの投稿が、如何に、私への、弾圧に、役立っていたかを証明する、第一歩です。

 というわけで、吉川美代子さんが、登場したことが、此処でも、やっているのかと、思う形での、弾圧の一種です。しかし、吉川さんの、発言には、何も問題は、無かったし、番組の、横浜駅に関する部分についても、ほとんど問題は、無かったです。それは、昔、鎌倉砂岩を特集した時の、異様さとは、ずいぶん、異なっていました。それだけ、昔は、彼等、鎌倉エージェントが、私を見くびっていたと、いう事でしょう。甘く見ていたのです。それで、ひどい作り上げ方をしていました。それを、下で、語っていきたいです。

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副題3、『以前、鎌倉の小町通を特集したことがあった。ほとんど、すべての項目がお店についてであって、それ以外の、項目はなかった。しかし、新聞のラテ欄には、鎌倉砂岩についての、特集と書いてあった。それで、何らかの異常を感じてみたのだが、番組内では、鎌倉砂岩についての、説明はなかった。人気順位を、あげるのだが、一般の人が、鎌倉の、特徴として、鎌倉砂岩を素晴らしいものと思う機会は、早々はないからだ。特に釈迦堂切通氏、ぐらいしかないのだが、その週は、小町通り特集だから、釈迦堂切通は、出てこないし。私は難とはないいやな感じを受けて、丁寧に、丁寧に、その番組を見たのだが、見終わって、やはり、自分の思った通りだった。これは、特集のタイトルだけ、鎌倉砂岩と名付けたものであり、どうして、そう名付けたかというと、当時、私は鎌倉砂岩のもろさから、生じたトラブルについて、書いていたので、それを、書いたことをからかうとか、いじめて置こうという趣旨で、鎌倉砂岩という、タイトルだけ、つけておいたのだと、わかった』

 この番組は、前の司会者、キンキン+大江アナの時代から鎌倉エージェントに、利用をされている番組です。特に、鎌倉砂岩という特集の日は、100%対私攻撃に使われていました。どうしてかというと、その砂岩とか、海の砂が、固まってできたものらしくてとてももろいのです。そのもろさが原因となって、私は画家Aから、とてもひどい罵りの捨て台詞を浴びており、それを、問題として、エッセイを一つ書いていました。それが、ものすごく、深い内容で、面白くできていたので、例のごとく、上手なエッセイができた時は、必ず、攻撃をしてくる井上ひさしが、これを種に、攻撃してやろうと、思い至り、伊藤玄二郎、や、石塚雅彦さんを利用して、【アド街ック天国】を使ったのでした。その当時は井上ひさしは公的にも生きていましたしね。

 今、主題として、ずっと、追及している、画家Aに関するこれもエピソードの一つなので、連続性があるのです。かれは、合いかぎを持っていて、我が家に侵入するほか、多々、非常に気色の悪いことをやってきている人間ですが、実名を書かないと、私は、常々、言って居ます。それは、どうしてかというと、ひねくり曲がったところがあり、すべてのご近所様の中で、最悪の人間ではないかと、思う時があるので、分析が難しいのです。しかも画家であるので、銀座と関係があります。卒業した大学が同じなので、有名な版画家・柄沢斉の、木口版画の、直弟子であるとも、自分で言って居て、したがって、銀座のシロタ画廊とも関係があります。それで、私の方が、ビビっていて、彼の実名を挙げないわけではないのです。そうじゃあなくて、非常に複雑な性格の持ち主で、何をやって来るかを、簡単には、書き表せないのです。

 この一週間の内でも、主人に話しかけて来て、彼の方が、「今、睡眠薬を多量に使って居る」と、話したそうです。これは、私へ伝えてほしいというメッセージでしょう。「奥さんがひどいことを書くから、僕はストレスを感じて、よく寝られません」と、伝えてほしいのだと、思います。しかし、私は、一週間ほど、そのことを、伝えられていませんでした。かれは、そういう話をしながら、私の方が、今、このブログに書いている内容をどれだけ、主人に伝えているか、又は、主人が、私が書いていることをどれだけ、信じているかを、探ってきています。つまり、肉を切らせて骨を絶とうとする手法の一つです。いやな手法を取る男です。でも、私が其れを見抜けないとみていて、「自分はとても頭がいい」と、思いこんでいる男です。

 恒例の、天からの、おしかりは、二つの点で、彼にも下っていますよ。奥さんは、家出をしていますし。彼がお手製で、町内会への貢献を果たしたと、自認をしているであろう、掲示板は、あらしでもないのに、倒木にあたって、一度、壊れました。なんと鶴岡八幡宮の大イチョウが倒壊したことの、ミニチュア版が、この雪ノ下二丁目でも起きたのです。それは、私が天の、み未しるしを、感じ取った、何度目かの、事例でした。人は死にませんでしたが、おしかりを画家Aに与えた事は事実なのです。

 これは、後日、平木家のお子さんと、子供のポスターの話という件で、又、改めて語ります。

 この五月26日に、町内会総会があります。その直前に、我が家の、内情を探り、町内会には、たぶん主人しか出ないので、そこで、主人を利用するつもりなのでしょう。さあ、どうそれを料理するか、今思案中ですが・・・・・・

 その画家Aが、私にひどい捨て台詞を浴びせたことがあり、それは、鎌倉砂岩が、原因でした。私は、自宅の居間(このパソコンを打っているテーブルのあるところ)までは、下の鎌倉街道から、160段も石段を上がらないといけません。それで、途中でワインが割れたことがあります。

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副題4、『ここで、画家Aについて、書いた最初のエッセイ、【ワインが割れて】を、かいつまんで、語っておこう』

 我が家へ上がって来る130段の石段ですが、鎌倉砂岩でできているので、コンクリート製の道路とは違って、もろいのです。それで、穴が開いている部分とか、欠けた部分がたくさんあります。そのワインが割れてというエッセイに書いたエピソードは、15年は、前に、起きたことでした。新橋の高速道路の下に在る、ハナマサという、安売り店で、ワインを、週に二本買ってくるのを、私が習慣としていたころの話です。眠り薬として、ワインをグラス一杯夜に飲んでいたころの話です。今は体が弱くなっているので、寝酒はやめています。だから、スピンオフとして、語りますが、私の、血液検査の結果は、非常にきれいです。(苦笑)

 しかし、そのころは、銀座で画廊巡りをした後で、紅白のワインを、一本づつ買って帰るのを習慣としていました。ハナマサは、安売り店なので、ワインをただ、単純にレジ袋へ入れてくれるのです。私はどんどん、どんどん、生活の知恵を、獲得していますので、こういう割れやすい瓶を、レジ袋に入れるのなら、小さいサイズのものに入れた方が安定することを、今なら知っています。それで、ハナマサのレジ担当者に、小さい袋をくださいと、今なら、言うと、思います。または、「今日はワインを買う日だわ」と、思う日には、家から、布製とか、紙製の、ワイン袋を、二本分持って出ればいいのです。または、テレビで、度々紹介をされている、風呂敷で、ワインを結んで帰るつもりで、風呂敷を持って出ればいいのです。

 しかし、あの頃は、本を作り始めたばかりで、とても忙しかったのです。それで、外出前に、そこまで考えている暇はなくて、有楽町か、東京駅で降りて、今日は北側から、画廊巡りを始めようとする日には、最後が、新橋になり、そこから、横須賀線に乗って帰るので、『ああ、今日はワインでも買いましょう』と、行き当たりばったりで、思って、2本買うわけで、風呂敷なんて、もちろんの事、持って出ません。今の私は、さらに、体力が、衰えたので、ワインは、配達をしてくれる、生協で日本産のものを買います。それから、外出時は、リモワ(ドイツ製、一番小さいのが、5万円以上するが、軽いので、愛用している)のアテンダントバックを、持って出て、それに、加重をかけて歩く様になっていますが、18年前ごろは、私は両手に、荷物をもって歩いて、小町通りを帰ってきていたのです。で、この山の石段に、さし掛かったころには、相当に、疲労をしています。で、70段目ぐらいで、左手を、降ろしたのです。すると、平らでない石段の上で、レジ袋の中のワインが倒れて、コロ、コロ、コロっと転がって、下へ向かい、一本が割れたのです。赤の方が割れました。で、あたりに、強烈な、ポリフェノールのにおいが漂いました。

 その時、ちょうど後ろから、画家Aが追い抜いていきました。そして、追い抜きざま、魔女の様な、しわがれ声で、「川崎さん、ワインが割れて、惜しかったねえ」と、言いました。これは、ものすごく珍しい事でした。この山は、一応ブランド住宅街です。で、男性も女性も四年制大学を卒業をしています。で、できるだけ、紳士的にふるまうのが、作法です。だから、男性が、女性を追い抜く際は、「お荷物をお持ちしましょうか?」というのが慣例です。しかし、画家Aは、以前はその種の紳士的態度の人間だったのに、その時だけは、それを言わないばかりか、反対に、罵り兼、からかいの、捨て台詞を投げて通り過ぎたわけですからね。これは、普通ではない。大いに、政治的問題だと、感じ取りました。 

 医者の息子であることを標榜をして、いかにもな紳士面をしている彼の、その時の、CIA側エージェントにのっとられた本質が、見えました。お嬢さんが、近代美術館に雇ってもらって居た(ただし、学芸員ではなくて、泥棒予防の監視人だが)事の見返りで、私をいじめる様に、酒井忠康氏、および、柄沢斉から、依頼を受けていたころの話です。

 非常に、驚きました。突然の変心だったからです。それ以前だったら「川崎さん、重そうですね。持ってあげましょう」というのが常でした。私が本づくりを始めたことが敵さん達にとっては、大いなる脅威であって、あちら、こちら、多方面から、攻撃を受ける様になった時期でしたが、それ以前はお互いの家に上がる形で、私は、彼に自分の絵を批判してもらって居て、お礼のやり取りを、している段階でしたから、非常に驚いて、考え込みました。そして、当時、村松画廊の、オーナー川島さんが、急にいじめてきたころだったので、・・・・・なるほど、これは、政治的な裏がありますね。特に柄沢斉が、日経新聞支援で、大個展を開いているし、この弾圧には、伊藤玄二郎、井上ひさしなどの、鎌倉人だけではなくて、石塚雅彦さん(ICUの先輩。同窓会展も、一緒にやっていた。日経新聞の論説委員でもある)も絡んでいますね。・・・・・と、思ったので、瞬時に、防衛のための文章を書き始めました。メルマガなので、非公開だし、画家Aの、実名も、初稿では、伏せてあります。その上、次の日の朝、投稿前に、彼に、電話で、こういいました。「〇〇さん、あなたが昨夜なさったことは、あなたにとっては、何でもないことでしょうが、それを、丁寧に、文章化すると、とても汚い事なのですよ。私は、既に文章化しています。で、メルマガで、公開してもいいですか?」と。

 似たようなことが、ワシオトシヒコを相手にして、銀座井上画廊を舞台として、過去にありました。その時は、井上画廊側のスタッフが、ワシオトシヒコに、「川崎千恵子に対して、ああいう事をしてはいけません。彼女は、丁寧に、現場を再現しますので、ワシオさんの方が、おお損をする様な、文章を書かれますよ」といったらしくて、実際に電話をかけたら、平身低頭をしていました。だから、ワシオトシヒコに関しては、駿河台大学への、就職の手段については書いていますが、銀座井上画廊で、何が起きたかは、まだ、書いていません。平身低頭をされていますのでね。

 が、画家Aは、職務についたことがないので、世間を知らないのです。東大にかつて、務めていた私がどれほど、賢い人達を相手にして、自己鍛錬を重ねてきたかなどをも、知りません。自分のことも客観視できないし、相手のことをも、真実を見抜く目がありません。ただ、『自分は偉いのだ。そして、川崎千恵子よりは、強者なのだ』と、信じるポイントだけで、行動をします。したがって、「どうぞ、公開してください」と、うそぶきました。

 これが、アド街ック天国で、鎌倉砂岩を取り上げた、一つの動機だったでしょう。鎌倉砂岩で、階段ができているからワインが割れたわけですからね。

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副題5、「ある時期、西隣から、真夜中、二時ごろに、石をぶつけられる様になった。それは、鎌倉砂岩であり、悩まされた。西隣は、ご主人白井達雄氏も、おくさんの小野寺夫人も、東大卒であり、当時すでに、横浜銀行鎌倉支店を設計したとは、知っていたが、今では、新国立競技場を設計をしている・・・・・ことをも私が知っている大設計専門会社の重役である。奥さんは専業主婦、年収は、1015万円以上のエリート夫婦だ。エリートが真夜中に、石をぶつけてくる、そんな事が、あるだろうか?と、悩まされ続けた。その投石は、2年以上続いたのだった。これも、アド街ック天国が、鎌倉砂岩の特集を組んだ、原因の一つである。一応、彼等二人はやっていないだろうとは思ったが、それでも、否定しきれない部分があった。

 それは、建築中から異様な事が、二、三、あったからだ。第一の、それは、お互いの、地境の、塀を作るにあたって、罠に拠るひっかけがあったという事。まるで、越境しているみたいに、見える様な形で、塀を作る作業があった。非常に嫌な感じだった』

 以下は、その時に、お隣が作った塀です。

 チューリップの大きさと、比較してみてください。どれほどに、太い柱が使われたか、ご理解をいただけるでしょう。三寸角です。そして、チューリップのあるところとか、その後ろの植木(椿)は我が家のものです。となると、あまりにも、我が家内に、侵入して居る様に見えませんか。丁寧に、観察すると、一cmぐらいの差で、向こう様の、敷地内に収まっているのでした。しかし、嫌みたっぷりというか、それ以上の恐ろしさだった事は、工事の際に、私が立っている場所から、3メートル以内に、施主夫妻は、いるのに、この工事をするお断りに来なくて、ただ、大工が、ただ、申し訳なさそうな顔で、侵入してきて工事をしたのですよ。どれほどに、お隣が無礼なことをやっているかは、ご理解ください。     この写真は、塀ができてから、6年後ぐらいに撮影をしているので、既に、木部が、灰色になっていますが、新設当時は、薄い肌色の、ヒノキ、もしくはサワラの【しらき】でした。      どうして、そういう風に無礼だったかというと、私が、早とちり的誤解をして「塀が出しゃばっています」という風に文句をつけるのを待っていたのです。そして、その時に招かれていたお客、数人と一緒に、私をあざ笑うつもりだったのでしょう。もしかしたら、隠れてヴィデオ撮影でもするつもりだったのではないですか? そのヴィデオを後日、私が・・・・・過剰なクレーマーだ・・・・・と、いう事にする証拠品として、使うつもりだったのではないですか?

 どういう風に利用をするかというと、銀座の画廊街の、栗田玲子さん、ICU同期生の、塩見和子さん、それから、日動画廊社長夫人の、長谷川智恵子さん、柄沢斉とか、葉山の、美術館の館長・水沢勉氏、野見山暁次氏、野依良治氏等に見せて、「川崎千恵子とは、こういう風に悪い人間なのです。異様なクレーマーなのです」と、言うつもりだったでしょう。すぐ、「誤解をして、文句をつけて来るクレーマーなのです。被害妄想が、すごいんですよ」と、いう風に利用をするつもりだったでしょう。

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副題6、『ここで、ファミリーマートが、急に発表をした子供へのサポートニュースについて、触れないといけない』

 塩見和子さんは、今、日本財団の、重要な位置に座っています。その日本財団が、ファミリーマートと組んて、月に一回、子ども食堂を開くそうです。100円持ってくると三種類のランチが選べるそうです。見かけ上、三百円程度のものなので、200円を日本財団=競艇の収益を、充てるのだと、思います。私が茨城県教育委員会で、長谷川智恵子女史が、異常時は、妊娠時検査で、堕胎をしてしまいましょうと、発言をした事は対、私いじめで会って、塩見さんが、動いたはずだと、書いているから、塩見さんが、立派で、美しい性格の女性であると、喧伝をしてく手、こういう企画が出てきたと、思って居ます。

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副題7、『しかし、私は、白井達雄・小野寺夫妻が仕掛けてきた罠には、引っかからなかった。どうして、無事だったかというと、前哨戦があったので、その夫婦の悪どさについては、既に、知覚を果たしていたからだった。

 彼ら夫妻があれほどに、あくどいのは、裏で、CIAの大エージェント、瀬島龍三と、関係があると、推察している。都筑区の傾きマンション、と、北久里浜の、旧名空ひるず、現在名ルネ北久里浜を設計したのではないかと、推察している。

白井達雄・小野寺夫人と石井秀樹夫妻は、両方とも、傾きマンションに関係がある。で、私は、彼等を手玉に取って、からかう様な文章を、今、書いている最中だ       2019-02-27 22:05:07 | 政治

また、東大卒なので、東大閥を通じて、中谷共二氏の遺児、特にその長男の、東大宇宙工学研究所所長と、知遇があって、そちらからの教唆命令で、動いていることを、そのころ、既に、察知をしていたのだった。中谷共二氏は、我が家の東北の山を無断で、切り崩したりした、恐ろしい人物である。それを書いているので、復讐をしたいと、思って居るあの兄弟の、いう事を聞いている可能性を、感じ取っている。したがって、罠には、引っかからないが、あの夫婦の悪どさといったら、書いても書いても、まだ、足りないというほどだ

  どうしてかというと、小野寺夫人は、花輪夫人という遠い場所に住んでいる夫人に、建築中の、家の中を見せていながら、私を招かないと、いう、意地悪をしたので、ひどい人だなあと、その本質がすでに分かっていたからです。

   この花輪夫人について、最近の、どこかで、丁寧に書いているはずです。しかし、見つかりませんでした。で、リンク先を明示できないので、内容を繰り返します。私は、自分でそれを、言っちゃあ、おしまいですが、頭は、いい方です。中学生では、アチーブメントテストという、神奈川県の中学生の全員が、受けるテストがあって、それの全問正解だったので、「多分、神奈川県一頭がいいね」と、先生から言われました。そして、後刻、100人の卒業生の内、10人が東大へ進学したその中学で、入学式総代で、卒業式総代でした。だから、井戸端会議に出なくても、住人の、どの人がどういう性格で、どういう人格のランクか、とか、どう言う階層に所属しているかは、わかっています。そういう私から見て、花輪夫人とは、もっとも賢く、かつ、人間としてできた人でした。その上、亡くなったご主人は、この山切っての善人でしたね。

 だから、私としては、好意を持っています。したがって、それも、CIA側には、わかっているので、最も高度ないじめに、使役をされる人です。しかし、それを書くことができません。というのは、彼女さえ、敵に回したら、私の居場所が、この山には、無くなると、彼等は、見ていますし、たぶん、それも当たっていますから。で、こういう風に、これから引っ越してくる西隣が、恐ろしい敵であることを指し示したいと、願って居る、前田、安野一派は、花輪夫人に、西隣の、小野寺夫人邸を、建築中に、訪問する様に、依頼をしたのでしょう。

 一見すると何でもない、普通の事のようですが、大きな意味があり、私は、そういう意味を正しく把握していたので、次に行われた罠には、引っかかりませんでした。それ以降も、ひどいことをやられ続けていますが、リアルな世界では、気が付かないふりをしています。しかし、ブログでは、バンバン書き始めています。

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副題8、「さあて、さあて、次の、恐ろしい出来事、午前、二時に、西側から、壁に、投石をされる話に入っていかないといけない。しかし、それを語る前に、白井・小野寺夫妻の、敷地に、前に古い家を借りて、住んでいた遠藤夫人と、その異様な、態度について、述べないといけない』

 @@@@@ここが推敲中の最先端です。これから先は、明日、22日に、推敲をします。でいったん、ひっこめます。で、将来、再度、公開をいたします。それを、お待ちいただきたく。

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貴景勝の、再出場と、再欠場、その裏側を政治的に分析する・・・・・2019-5-20

2019-05-19 23:45:53 | 政治

 この文章は、実際には、2019-5-20に公開しますが、日付だけを、2019年の5月19日の23時にさせておいてくださいませ。

副題1、『私は、後注1の文章を書いたときに、貴景勝の、再出場が、要請されるかもしれないとは、思った。誰からといえば、例の連中(=CIAの日本人エージェント達)からだ。私のブログを否定するために、それが、行われると、推察はした。だから、貴景勝のためを思えば、そのブログを航海しない方がいいかなとは、思った。しかし、貴景勝には、しっかりした、お父さんが付いている。彼は、もう、大人だと言っても、お父さんは、「まだ、22歳ですから」とも、どこかで言って居る映像を見たから、あのお父さんが子供を守るだろうと、思って居た』

 私は、自分の文章が大きな大きな影響力を持っているのを知っています。したがって、貴景勝の怪我は、例の連中(鎌倉エージェントと呼ぶ、あくどい連中)が、おお相撲の世界に介入し、おお相撲の力士をまるで、虫けらのごとく扱ったことに対する天からの、その種の連中に対する天罰だと、思って居ます。

 特に、大幅なウソである、貴ノ岩の、日馬富士による、怪我騒動が、起こされ、その結果、日馬富士が引退に追い込まれた事とか、

 主に政治的な理由が裏に隠れていたからこそ、内舘牧子が、ほめそやされて、大物扱いを受け、その結果、朝青龍が、引退に追い込まれた事、とか、

 現在の、相撲協会に、大いなる貢献をしている白鵬に、一代横綱の称号を与えず、

 あまつさえ、白鵬が、昨・春場所の千秋楽で、三本締めで、会場全体を盛り上げたことを、痛めつけて、処分を下す方向性など、

 2009年から、この7年間に、四つの大いなる策謀で、痛めつけられたことへの、天の警告的、おしかりだったと、見ています。貴景勝に対するものではなくて、相撲協会と其れを支配している悪人連中に対するおしかりですよ。

 これは、子供っぽい、言い方に見えるでしょうが、多大な損害を彼らにより与えられ続けていて、反撃の武器を一切持たない、自分が、やや、平穏に生きているのは、天の、・み・し・る・し・を、感じているからです。

 彼等、鎌倉エージェントが、今、現在も一般大衆の目からは、隠れてやっているか数々の、策謀、及び、過去に自分達が企画して、警察の特殊部隊に、実行させた数々の、陰謀事件を隠していく為に、道具として、利用した人物又は、組織、又は、現象が、善に基づくものだと、災禍が下るのだと、知り始め、それを、言い続けてきています。

 貴景勝が悪いのではないのですよ。裏にいて、相撲界へ、多大なおせっかいをしている連中が悪いのです。目に見えている存在は、この2019年度は、横綱審議委員会ですが、2009年度は、当初、伊藤滋、早稲田大学教授(当時、東大名誉教授でもある。小説家伊藤整の、実子)が、主宰する何とか委員会でしたが、私は、それを、伊藤玄二郎(わたくしは、伊藤整の庶子であると、みている)・鎌倉春秋社社長が、血がつながっているであろう、兄を引っ張り出して、

 いまだ、実際には、生きている、井上ひさしの、アイデア通り、すもう界をいじめ 抜いた現象だと、見ています。

 井上ひさしは、公的には、自分を死んだことにしていますが、実際には、まだ、生きていますよ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『なお、これは、21日に推敲中に、加筆としますが、NHKニュースを、丁寧に見ていると、貴景勝に、自分が出たかったので、再出馬したと、言わせています。非常にあくどい事です。この子は、まっすぐな、性格の子らしいのです。それをは、空手の、審判に不審があったので、すっきりと勝負のつく、お相撲の世界に変ったと、言われています。そこらあたりの、真情を無視した、方向で、教唆命令して、言わせています。この子を精神的に、迷わせる、よくない指導です。誰が、言わせたのか?』

後注1、

貴景勝、怪我で、休場             2019-05-17 20:52:33 | 政治

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スタップ細胞疑惑、後藤健二殺害、片山祐輔君の、なりすまし疑惑、長谷川智恵子の、障害児・胎内発見時・中絶・称揚発言

2019-05-18 03:32:42 | 政治

副題1、『なぜ、白鵬の、三本締めがいけないとされるのか?・・・・・佐々木俊尚、ムーア監督、秋山豊寛、成岡康司』

 2009年ごろ、おお相撲が、私に言わせると、壊滅作戦というほどに、痛めつけられていました。どうして、そういう事が起きたかというと、おお相撲は、ごく、日本的なものであり、それが、発展をすることは、日本が発展をすることだから、弾圧をしておきたいと、いう傾向があったと、みなされます。というのも、日本とは、高次元で、支配されている植民地だからです。支配をしているのは、主にアメリカだと、思いますが、今では、国家というよりも、軍産共同体といっていいかなあ? でね。植民地支配を、有効にするためには、その支配下の、国民が元気で、活発だと、だめなのです。スポーツは、パンとサーカスの道具の一つですが、それを、中心に、国家的な、集中力が生じるといけないと、思われていて、おお相撲は、弾圧をされ始めたのでした。

 それと、同時に、どうも、私に対する弾圧の目的があった模様です。私は、ごく普通のことを言って居るつもりです。しかし、【ネトウヨ】と、規定をされていた模様です。右翼とか、ねとうよと、規定をされるのは、ちょうど、戦前戦時中の、【アカ】と、規定をされるのと同じぐらいに、後ろ指、指されることとなっている模様です。この件は、朝日新聞の、書評欄に在る、【売れている本】というコラムで佐々木俊尚という人物が、堤未果さんの、売れている本を分析していたのですが、その中に、サブリミナル効果に等しく、私が当時、準備中だった、【消された映画】と、いう本のデータの中に在る、ムーア監督についての記述を否定する文言を見つけて、しまったので、確かなことだと、思い至りました。

 その後、佐々木俊尚という人物を調べてみると、早稲田大学出身だそうで、私が、常に、この連中が敵ですと言って居る中に、成岡康司君と、いう中学の同期生が、いて、その人物が早稲田の、革〇のリーダーでした。1965年のICU、通学用バスの中で、秋山豊寛(ソ連の、宇宙船で、宇宙旅行をした、TBSの政治記者)から、からかわれた、私が、「でも、私って、成岡康司の、たった100人しかいない横浜国大の付属中学の同期生なのよ」と、返した時から、CIAに、リクルートをされたと、見ています。

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副題2、『ICUは、1960年代は、CIAスパイ(この語彙が、消えているが?)の活動する舞台だった・・・・・今は、早稲田とか、上智に拠点が、移動しているかもしれない。』

 これは、自慢ではなくて、事実として言うのですが、ICUは、1960年代は、日本の、右肩上がりの成長を支えた優れた人材を出していたのですよ。1967年の入試が大学紛争に、よって、行われなくなってしまい、それ以来、上流社会の、子弟の受験が、数量的に落ちてしまって、人気が無くなったのですが、それ以前は、東大の学生新聞が、東大に入学するよりも、ICUへ入学する方が難しいと書いたほどでした。で、多士済々の、卒業生の中で、この秋山豊寛、石塚雅彦、古村浩三、川名昭宣、三輪喜久代の5人は、明瞭に、CIA側人物となっています。ただし、それは、どこにも発表をされていない事実です。CIAが行う事は、すべて、秘密裡に行われるので、したがって、私は、自分が、常にミステリーを解いているのだと、言って居ます。

 上に書いた、5人は、それぞれに、エピソードがあって、その時に、私が、彼等の特権に気が付き、そして、彼らが裏に回って、私を苦しめている構造にも、気が付いたのでした。それぞれは、マスコミに、載る、事件を起こして、それによって、さらに、明瞭になっています。川名君だけは、目立たないのですが、イスラム過激派に殺されたとされている、後藤健二事件では、裏で、大きく動いていると、見ていますし、そのほかのあれこれから、ICUに対して、特権的支配力があると、見る人物です。川名君は、伊藤玄二郎とは、親しい間柄です。

 そのICUに、ベイカーさんという金髪碧眼のアメリカ人大学生が、留学してきていて、私は、たった、一度、彼と、全部で、四人だけで、二時間を、学生会館内の、小さな部室で、過ごしたことがあり(向こうから誘われたのだが)、その時、彼が、「僕は三鷹警察署の署長と親しいので」といったので、思わず、目を見開いてしまいました。

 たった、それだけで、生涯にわたる大損失を招いてしまいました。よく、10億円に喃々とする損失がと、語っていますが、それは、弟や、主人、そして、息子に対する、チャンスを失わせると、いう損失も加味すると、大げさでもないと、思われます。

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副題3、『上の五人プラスベーカーさんが、それぞれに、携わっている、大小の事件を、語っておこう。彼等の特権を証明するために・・・・・まず、スタップ細胞疑惑について』

 最も大きなものは、石塚さんが、かかわったとみている、スタップ細胞疑惑です。大宅映子さんと、いうスター評論家が、同じく、1960年代の卒業生ですが、その息子または、甥と、みなされる、大宅健一郎と、いうライターが、ある時に、小保方晴子擁護の、論文を書いたのが、締めの段階の、最適事例として、石塚雅彦関与を、感じ取らせます。その論文は、私をいじめたいときに、繰り返し、MSNというサイトに現れました。

 始まりはロンドンにおける、雑誌NATUREの、利用ですが、これは、ロンドン在住の、三輪喜久代が、行ったでしょう。それは、藤田千彩が、第一次、フェイスブック時代に、私をフェイスブックの友達から、遠ざけさせようとして動いた、ゴッホの、西部劇大好き少年による射殺であったと、いう論文を、用意することなど、大きな働きをしている女性です。::::::しかし、15年ぐらい前に、日本に帰国した時に出会った友人が、彼女が、やせていると、言って居たし、子供は、いないみたいだと、言って居たので、客観的に見て、幸せな人生を送っているかどうかは不明です。彼女が、NATUREを、動かすことができたのは、日本化学会の、会員であるはずだからです。その上、英語力があるし、かつ、伊藤玄二郎と、東京の春秋社勤務時代に、知り合って居るはずですからね。

 上のスタップ細胞疑惑事件は、五人のICU卒業生以外でも、伊藤玄二郎とか、井上ひさし(まだ、実際には、生きていますよ)が、関与しています。そちらのラインからは、瀬戸内寂聴さんが出てきて、小保方晴子さん擁護に動いていますね。本日は、安藤和主演の伊藤野枝ドラマがNHKで、放映をされる筈ですが、それは、実際には、瀬戸内寂聴、称揚番組です。

  瀬戸内寂聴は、彼らが、私を弾圧したいと、願う時に、使われる、作家系、弾丸です。ほかに、林真理子、角野栄子、岸恵子などが、順次使われますが、瀬戸内寂聴、が、量と回数に置いて、もっとも派手に使われている攻撃用弾丸です。 一時期の草薙厚子も、その一人でした。雨宮処凛も、そうですね。

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副題4、『次の事件としては、後藤健二さんの、殺害事件が、あがる。それには、秘めた、人物として、川名昭宣が、かかわっていたと、見ている。彼は、2009年の、おお相撲疑惑において、突如乗り出してきた、奥島孝康氏と、同じくフランスに強いという形で、お互いに、密な連絡を取っていると仮定すると、北野武監督に向けて、フランスから、差し向けられた数々の、栄誉に関しても動いているかもしれない』

 後藤健二さんの、妻は、東大出身で、元、某、外国敬通信社に、勤務していたと、報道をされています。その結婚は、ミセス川名が関与していると、考えています。渋谷で、女衒みたいな、職業についていた、健二さんが、突如、花形ジャーナリストと、して、マスコミに登場する前に、洗浄化しておくためには、この奥様は、どうしても、必要な存在であって、・・・・・その結婚以降に、健二さんには、田園調布の、教会の、会員になるなどの、名誉のある生活が、約束されることとなるのでした。

 ちょうど、このころ、緒方貞子さんが、電車の中で、目の前に現れ、じっと、私を凝視したのですね。私の顔写真を知っていると、みなしています。緒方貞子さんは、洗浄化、の、済んだ、後藤健二さん一家とは、知り合いだったと、考えています。

 ここで、長時間中断をします。こういう文章は、書くのに面白みがなくて、非常に疲れます。で、再開は、お待ちいただきたく存じます。ここまででも、開示した、ないような、重要だと、考えますので。だって、大手マスコミは、どこも、書いていない事実でしょう。だから、重要です。リンク先が数多くあるのですが、それも、付与については、お待ちいただきたく。

 日曜日に、外出の予定がありますので、さらに、先に、伸びるかもしれません。

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貴景勝、怪我で、休場

2019-05-17 20:52:33 | 政治

副題1、『私は水に落ちた犬は、たたきたくないと、言い続けている。それから、それ見たことか!も、言いたくないと、言い続けている。しかし、自分が予想した通りになるとも、言い続けている』

 本日、私が、言いたいのは、またもや、天の・みしるしが現れたフィールドの事です。石井国土交通大臣が、就任してから、天災が、異様に多いのは、・・・・・旭化成、くい打ち疑惑・・・・・という謀略と、・・・・・軽井沢スキーバス事故・・・・・という謀略の両方に、主役としてかかわっているからだと、言って居ます。

 だから、私をぶっ潰すために、くまモンの、異様なアゲアゲも、続いていますし、NHKが、オンラインの中の新着ニュースという項目では、必ず、熊本の、復興状況というのが、一番に来ます。

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副題2、『貴景勝の、怪我、球場は、天意の表れである。誰に対してと、言うと、横綱審議員会と、その裏にいた、鎌倉エージェントの、忌まわしい体質と、考え方に対してです。貴景勝、本人に、罰が下ったとか、言って居るわけではないのですよ、

白鵬が、自発的に、三本締めをしましょうと、して、館内にいるみんなを、喜ばせたのに、伝統が、どうのこうのと、言いだして、其れを悪いことの様に、横綱審議委員会も騒ぎだし始めて、ついには、相撲協会も、動いて、春場所後の、白鵬の、三本締めは、いけないこととなりました。それに対して、天が、お怒りになったのが、貴景勝の、怪我です。

 まともに、きちんと、ものを考える人は、こういう因果関係にすでに、気が付いていると、思います。大恩がある、モンゴル出身力士をことあるごとに虐めるので、それは、天意に反することだから、災いが、起きてくるのです。

 内館牧子は、CIAに従順であるだけで、ものをきちんとは、考えられない人です。2019年5月17日 雨宮舜(本名、川崎千恵子)

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鎌倉駅CIAL内の喫茶店を利用した罠・・・・・岸田淳平、前田清子、中谷共二、青山敦子弁護士、ナイフ騒動

2019-05-15 22:45:15 | 政治

副題-2、「次の日に、前置きとして、書く、この章の総括・・・・・大久保忠春君の謀殺死は、山口みつ子さんのそれに次ぐ、又は、それ以上の、衝撃であって、真相を、本当に書けるかどうか、私は自分自身で、いぶかしんでいた。しかし・・・・・』

 昨夜、というか、19-5-16は、早朝2時に布団へはいりました。しかし、午前5時まで、眠ることができず、五時に主人に「起こさないでください」というメモを残して、やっと寝入ったのです。が、たった3時間半で目覚めました。それは、大きな荷物を、肩から降ろした事の安堵が、大きかったからでしょう。大久保忠春君の死に関しては、過去に二度、取り上げて書いています。特に富沢家が主役となった高枝切り事件が起きて、それに、たいして猛然と怒った、私は、鎌倉エージェントが、起こした、もっとも、忌まわしい謀略の一つである、大久保忠春君の死(交通事故を装った、他殺であると、思って居ます)について、書く気になったのでした。高枝切りとは、大嘘中の大ウソが含まれている謀略です。で、それほどの、画期的なウソに直面して、別のもっと忌まわしい謀略の方についても、書く気に、なったのでした。

 しかし、その時は、真相については、20%ぐらいしか触れていません。本章では、羅針盤、とか、ニッチギャラリーとか、具体的な名前を出しています。それが、顛末の最初の部分なのです。そこから、丁寧に、たどっています。また、19ー5ー17日には、後半部分で、加筆をしていく文案が、今、心の中にあって、其れを足すと、相当、はっきりと、大久保君は、謀殺をされたのだと、皆様も、ご理解がいただけるでしょう。

 彼らは、私をやっつけて、それで、書けなくさせようとして、次から次へと、謀略を繰り出します。今、私が書こうとしているのは、平木家についての、特にお子さんが、どういう風に悪に利用されたかという話です。それは、やはり、あくどい事極まりない話なので、それを、書けない様にさせようとして、次から次へと、罠が、起案をされていて、秋篠宮、内親王、眞子様まで、利用されているところです。姫宮まで利用をして、阻止されようとしているのですが、19-5-15日には、別の人間、Mr 井上が、利用をされました。 舞台は、鎌倉駅に隣設する商業施設、CIALないの喫茶店Deli France です。

  私は、良く、神様が存在すると、言って居ます。その時も神様のお導きで、罠に引っかからないで済みました。普通ですと、パン売り場で、パンを選び、それをレジにもっていって、コーフィーを注文をして、それから、席につくのですが、昨日だけ、たまたま注文より前に、席を確保しようとして、喫茶スペースに入ったのです。すると、ビル内の、進行方向からは、死角になっているコーナー(=戸棚の隣)の席に、Mr 井上が、ひっそりと、身を潜ませていたのでした。Mr 井上は、頼まれて、私を待っていたのでした。ただね、ずっと前から、準備をさせられていたので、手持ち無沙汰になり、スマホをのぞき込んでいるところであって、まなざしが下を向いていたので、目が合うことなく、私は、そこを逃げ出しました。踵を返すというのは、まさしく、このことだったでしょう。その際、パンを買う前に、席を確保しようとしたという事が、神様の、御援助という点です。

 Mr 井上に出会う二時間半前に、地下鉄、銀座線、京橋駅ホームに在るエレベーター、を使って居ます。京橋にある眼科医に診察に行きましたので、そこのビルのエレべーターを、午後二時半に使って居ます。その次に、都営地下鉄浅草線、宝町の、下り線改札口へ降りる為の、エレベーターを、鎌倉へ到着する1時間20分前に使って居ます。その三つが、詳細に、警察の特殊部隊に、チェックをされていて、したがって、Mr 井上に、適切な時間に、Deli Franceで、待つように手配できたというわけです。 

 Mr 井上と、実際に、目があってしまったら、次に何が起きるかというと、彼から、こう頼まれるはずです。「どうか、僕の家内については、何も書かないで、ください」と。そうなると、私は、このブログに、大きな欠落を生じさせないと、いけません。特に雪ノ下で、行われている悪に関して、書きにくくなります。そうすると、自由が利きません。私はそれでなくても、このブログにアフィリエイトが、利かないし、ありとあらゆる不利を被っているのですから、せめて、自分自身の選択ぐらい、自由を、確保して置きたいです。で、瞬時にその罠がわかったので、踵を返して、その場を離れました。で、ここで、Mr 井上と、その奥様について、14日の、深夜、又は、15日の深夜、書く予定だった、事を、次の節で書いていきましょう。この一編の文章の構成としては、倒置法になってしまいますが、仕方がないです。

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副題-1、『Mr 井上とは、ペンネーム【岸田淳平】として、活動をしているニュアンスのある作家である。画家としての部分で、かれの方に名声があるので、私の方が頭が上がらないので、Deli Franceから逃げ出したのだとは、思わないで、欲しい。そんなことは、気にしていない。しかし、彼の教養の高さには一目を置く私だった。したがって、彼に何かを頼まれたら、断り切れないと、思う。したがって瞬時に逃げ出したのだった』

 あのね、彼の教養が高いことは、34年前から、気が付いていました。この山に、は、大変難しい人間関係があって、普通の人だと、ノイローゼになるのだと、引っ越してくる前から、知っていました。で、実際に引っ越してきてみると、最大の癌が安野智紗夫人にあることが、わかりました。彼女は、勝気な人で、手あたり次第、目に入る範囲お主婦たちの、すべてに勝ちたいのでした。でね。その手段として、情報が入る井戸端会議を毎日午後、自宅前の道路で、主宰をしていました。それが、諸悪の根源だったのです。そこが、地形的に言っても、一本しかない道の、あい路中のあい路で、誰もが、そこを通らないと、町へ出ていかれないので、困り果てる事態でした。

 その参加メンバーの中で、声がもっとも大きいのが前田清子さんでした。しかも、話題の中身がくだらないので、私も相当に悩まされましたが、もっとも、近い場所に住んでいる、藤本夫人は、さらに大きく悩まされたはずです。で、私が引っ越してくる前から、二人の間に、大いなる喧嘩が始まっていたのです。前田清子さんというのは、中学校で、良くいじめ事件が起きると、裏番長がいると、いいますが、彼女は、その典型です。裏か、おもてか、は、わかりませんが、集団統治を、数の論理を使って行い、村八分を作るという手法を駆使します。静岡大学の法学部出身で、都立大学(現在は首都大学と変名している)の大学院を卒業していて、かつ、その時点で、國學院大學の講師だったのに、どういう事を国家、又は、都の税金で学んできたのだろうと、本当に疑問に思うほど、低劣なのです。で、私が引っ越してきた当時は、村八分の対象が、藤本夫人だったのです。

 どうしてか、というと、藤本夫人は復讐の手段として、前田家の方がぐうの音も出ないであろう、土地の不正使用を種にしていたからでを出してた。それを非常に上手な形で、出していたのです。そばで、見ていて、痛快なほどでした。おバカさんで、田舎者の、前田家など、対応をできない措置でした。で、前田夫人が謝罪をすれば、何でもないのに、此処で、瀬島龍三が乗り出してきて、当時の、会長中谷共二氏に、この件を利用して、私をいじめる様に、示唆したのです。それは、この時点(=1984年)より、6年前に、北久里浜で起きた、大規模詐欺事件の余波だったのでした。

 そちらでは、私をたすけてくれた青山敦子弁護士が、その間の、六年間に、CIA側に取り込まれていて、この中谷共二氏の行った、異様な仕組み(我が家の東北側の、yamaを無断で取り崩すなど、いろいろ)を、私は法廷闘争に持ち込まなかったので、それ以来、前田家からは、なめられきっているというわけです。そして、その時以来、前田家の犠牲になって、我が家の花畑は、コンクリート打ちにされたのでした。複雑な事件ですが、私がアジサイ畑欺罔事件と呼ぶのがこれです。前田家など、我が家の、二倍ほどの、地所を使って居るのですよ。驚くべき強欲さです。

 それで、鶴岡八幡宮の大イチョウも倒壊しました。というのも、前田清子さんが、傲慢の限りを尽くすのも、鶴岡八幡宮のご推薦で、國學院大學の講師に、なれたからです。前田清子さんは、いまだに、ぴんぴんしていますが、それは、彼女が悪女だからです。悪が実行をされると、関係者の内、善人に災禍が下ります。大イチョウの倒壊は、まさに、その適切例でした。

 ところで、悠仁様のお机にナイフが置かれていた一件は、青山敦子弁護士と、私がお茶大付属高校の同期生だと、いう点を利用されている謀略です。青山敦子弁護士について、其の裏切りを、書かせないための脅かしでした。悠仁samaha,kareraかまくらエージェントにとっては、格好の道具に過ぎないのです。これは、皇室を、政治利用する、典型例です。ひどい話です。秋篠宮様、ご一家は、CIAに利用されまくっていて、お気の毒です。しかも、見返りがありません。踏みつけに、されっぱなしです。愛子様の、女性天皇待望論が、この時点で、出て来るなど、ひどい話です。お気の毒です。雅子様の父君小和田氏は、完ぺきにCIA側、ご愛顧の、人物ですから。

 ところで、

私は藤本夫人に後年、大いに裏切られることとなるのですが、それでも、この35年間を通じて、親切にしてあげたつもりです。というのもすでに、引っ越してきた当時に、私の父の方がパーキンソン氏病と、脳挫傷の併発で、寝た切りだったので、それを藤本ファミリーに告げていませんが、藤本家の、ご主人の、義兄にあたる、藤本真澄・元・東宝重役と、私の父は、旧制山口中学で、大の親友だったからです。で、やさしくして、あげていたので、彼女も打ち解けて、来て、あれこれ、話してくれたのですが、その中に、Mr井上に関する記述がありました。

 「あのね、みんな、私を無視して、あいさつをしてくれないのです。が、井上さん(ご主人の方)だけは、あいさつをしてくださるのよ」と。それが、34年か、35年前の話で、それ以来、何を観察しても、その通りで、この山で、一番に教養が高いのでした。学歴、職歴という意味では、言葉、または、文章で書けば、もっと上の人はいます。しかし、真実の、身についた教養という意味では一番の人なのです。だから、彼からの言葉には、逆らえないだろうと、みなされていて、かれはDeli Franceないで、待っていたのでした。

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副題0、『井上夫人の、ガンの闘病時代の思い出を、ひとつ、語っておこう』

 井上夫人は、山間の煙というエッセイで、書いた、焚火の問題で、主役を張った人です。焚火をしてもいない私に電話で怒鳴り込んできた人です。私は、「自分はやっていない。見に来てください」と、言いました。これは、今に続く大問題となっていて、小野寺夫人の悪辣さを証明する問題なので、削除することのできない話題です。しかも、前田夫人が、真の首謀者でした。が、CIAの援助を受けているので、NHKが放映もしていない法改正が、2013年に行われたそうで(というのは安倍晋三内閣が、画然と、変身をした時期と合致しますね。右翼的と見える政治家から、もっとも、CIA側に忠実な政治家と、変身をした時期です。だから、それが、棄教の、踏み絵だったのかもしれないが?)

 2013年の、法改正とは、廃棄物処理法案の改正で、焚火をしては、いけないこととなったそうです。NHKが放映をしなかったので、それを知らなかった私は、主人が大病をしている最中の大変な時期に、引っ越しをするつもりで、ごみを焼いていたら、小野寺夫人に怒鳴り込まれることとなり、警察に通報しますと、脅かされました。

 これは、前田夫人たち、悪辣主婦連中の失敗を糊塗するために、日本国政府が、個人的に、彼女たちを、援助をしていると、いう件です。

 ところで、今となっては後の祭りの典型ですが、井上夫人に言っておきたいです。私は、この76年の生涯を通じて、頭の、良さをほめられまくってきた人間です。

 直近の例では、神田の学士会館内で,mada,日本ペンクラブの会長になる前の、阿刀田高さんから、こんなに頭の良い人が、こんな会場に、いるなんて!」と絶句していただきました。というのもそれは、お茶大付属高校の、同窓会(その支部OPC)の会合だったので、おばさんばかり出席していたからです。阿刀田さんにとっては、女流作家連中の、高価なお洋服姿とか、きらびやかなお化粧ぶりと、比較をすれば、地味な集団だったでしょうから、思わず、こんな場所でと、いう慨嘆が出たのだと、思います。その前には、東大に勤めていた時期に、上司から、寿退職をしなければ、必ず、将来東大教授になれるよと、言われています。それ以外、数々の、エピソードの持ち主ですから、馬鹿にするなんて、愚の骨頂ですよ。もう、間に合わないでしょうが。ともかく、井上夫人の判断では、私は、馬鹿極まりない人間なのでしょう。私は、井戸端会議に出席をしないし、前田夫人一派に、いじめまくられていて、悪口ばかり聞いてきたでしょうが、違うのですよ。だから、私に対して、失敗をした、と、明瞭にわかる問題については、瞬時に対応をしないといけません。「焚火などしていませんよ。見に来てください」といって居るのだから、瞬時に、我が家の南側の庭に、来てみないといけません。

 

 17日の午前中に、私が書きたいことは、こういう難しい事ではなくて、もっと、やさしい事です。易しくて、優しいことです。

 私は井戸端会議には出ない方なので、ほかの家で、どういう状況が起きているかなど、知りません。ただ、安野夫人が、略奪婚の人であるなどというのは、彼女自身の、行動を分析して、転入後、たった二週間で、把握した、事実です。その後、ある人に確かめてありますので、本当の、話でした。彼女の行動は、中学生と、高校生、三人の母親としては、極めて異常だったからです。あんな、はた迷惑行為は、してはいけないという事は、三人の子供を高校生に育てるまでに、徹底的に、知っておかないといけません。しかも、わかっていないと、近隣から排除されます。それが、わかっていないという事は、こどもの、本当の親ではないという事です。そのほかにもいろいろがあったので、転入、二か月後には、彼女の精神構造とか、心理状態などは、100%理解を果たしていました。何か、優雅そうにふるまって居ますが、おへそが茶を沸かすというほどに、汚い心を持っているという、底部の真実が、みえる人間なのです。 まあ、彼女や、前田夫人や、小野寺夫人は、特別です。激しい攻撃をしてくるので、その本質が、詳細に、わかっています。しかし、井上夫人は、それほどには、目立たない、普通の、雰囲気の女性でした。

 ただ、子供を見ると、親がわかると、よく言いますね。井上家の、次男が、本当にいい子でした

  翻って語れば、今、妙本寺のお嫁さんになっていると、聞いている西隣の前の住民・遠藤家のお嬢さんは、『これ程、いやな子はいない』というほどに、表情が、いやな子でした。お母さんが骨惜しみの人で、毎日庭を掃いたごみを、60cmぐらい低い我が家へ、掃き入れる人でした。労働をしないので、今は小錦みたいに太っています。大丈夫でしょうか。妙本寺の将来は?

  遠藤家の両親が子供に教えていることは、損得に、ついては、敏感になりなさいと、いう事でしょう。だから、あのお嬢さんは、妙本寺内では、破綻を見せないのでしょう。

 でも、お母さんの、行動を見ていると、宗教心は、皆無ですね。昔から、よく、「おてんとうさまが、見ていますよ」と、教えられたものです。自分一人の事なら、鼻くそをほじったり、お尻をかいたりしますよ。だけど、他人が関係して居ることについて、あれほどに、だいたんに、他人を無視して、小ばかにできるとは、ただ、唯、驚愕の事実なのです。

 井上家では、子供を愛していました。それが、いい子に育つ原点だと、思います。そして、猫も愛していました。真っ黒な猫で、ブーニンという25前の、人気ピアニストの名前を付けていたのです。そのブーニンが、藤本家の窓の外で、大声で啼くのです。すると、藤本夫人が、煮干しを、あげていました。でね。それもあって、『やはり、藤本夫人は、善人だなあ。猫はよく知っている。絶対に、安野夫人の家では、ああは、泣かないもの』と、思って居ました。

 で、アジサイ畑欺罔事件の時の騒動については、『前田夫人の方が、悪女だから、あの争いは、起きたのね。我が家一人が犠牲になっているのに、あの前田夫人の、傲慢な攻撃性はなんですか?』と、思うので、いろいろ、観察を鋭くします。すると、ネット検索で、前田祝一という名前が、集団訴訟の、原告になっていることを知り、「ああ、共産党員なのか? そうなると、今、共産党は、警察に次いで、CIAの家来になっている、下部組織だから、ああいう態度をとるのだ」と、わかってきます。私を攻撃すると、あなたの方が丸裸になるのですよ。絶対に、それは、確かです。特に、神様のごえんじょがあって、人間を通じて、真実が伝えられることもあるので、もう、ほとんどの真実がわかっています。

 お子様が医学部へ、進学してはいないことなど、ある人を通じて手に入った、事情です。質問など、していないのに、教えてもらった事実です。その事実は、町内会のあることで、彼女が、任務の人なので、質問にいったら、「今、気分が悪いので、答えられません」というので、確認ができました。そのころに、坊ちゃまが、医学部へ進学できないことが確定していたのでしょう。

 その上に、さらに、大きいことは、6年前の観察が、裏付けられた事でした。六年前とは、お子さんが、中学校の時の話です。前田夫人がPTA総会で、威張りまくったので、私をも含め、周辺のママたちが、フリーズしました。『あの人って、自分の子供が、将来、東大か、慶応の医学部へ、進学できると確信をしているのでしょうね。あの威張り様を、見ているとそう感じます』と、考えたものです。そういう風に因果関係が成り立っています。自分の家の中の事で、他人に対する任務を放棄してはいけません。それから、他人に対して礼儀知らずもダメですよ。都会のブランド住宅街に、おいては、近隣にどういう人間が住んでいるかはわかりません。だから、常に礼儀正しくしていないと、後年、こういう文章を書かれることとなります。だから、安野夫人の家の前の、井戸端会議で、大声を出すのなどもご法度です。

 そんな因果関係を知らないでいるから、田舎者だと、いうのです。数章前で、・・・・・お茶大付属高校の人間について、書くつもりがあるので、其れを阻止する為に、ナイフ騒動が起こされた・・・・・と、私は言って居ます。・・・・・その文章の登場人物として、【きっこさん】が居るのだけれど、彼女には。お世話になっているので、その実名を書けない・・・・・とも、語っています。その現象も前田夫人と関係があります。

 【きっこさん】にお世話になっていると、いう現象は、いくつかありますが、一つは、彼女が、明瞭に、「白ちゃんは、実力があるからね」といってくれたことなのです。しろちゃんとは、高校時代の、私のあだ名です。そして、私は、東大卒でもないし、直木賞受賞者でもないし、東大の、教授にもなっていません。しかし、さじ加減一つで、そういう立場を、獲得していたかもしれない人なのです。しかし、きっこさんと接触をして会話を交わしていた、15年前には、役職もないし、収入もありません。だけど、私の方には、実力があると、いう事を認めていてくれる人なのです。それは、感謝しています。女性というのは、嫉妬深いものなので、こういう風に明瞭に他人をほめることはあまりありません。だから、なおさらに感謝しています。

 で、前田夫人と藤本夫人の比較から離れて、井上夫人の闘病時代に戻ります。私が、自分の食卓で、「藤本夫人が、ブーニンに、煮干しを挙げているのよ」というと、息子が、「ブーニンって、僕にも甘えるんだよ。毎朝、門扉の横で待っている。で、顎をなでさせる」と、いいます。で、息子が泊りがけの出張に出かけた次の日に、朝の7時半に門扉の横のブロック塀を見てみると、ちゃんと、ブーニンが待っていました。ブーニンは、奥様の、入院前は、井上さん一家に、かわいがられていたのでしょう。愛情をいっぱい注がれていたのです。だから、奥様の入院で、一家中が、忙しくて、家にいない時期だったので、寂しくて、たまらなかったのだと、思います。それが、私が井上夫人を、思い出す物語の一つです。猫が、あれほどに、寂しがっていたのは、井上ファミリーが、どれほどに、やさしい人だったかを物語っています。 

 

井戸端会議に出席をしないし、前田夫人一派に、いじめまくられていて、悪口ばかり聞いてきたでしょうが、違うのですよ。だから、私に対して、失敗をした、と、明瞭にわかる問題については、瞬時に対応をしないといけません。「焚火などしていませんよ。見に来てください」といって居るのだから、瞬時に、我が家の南側の庭に、来てみないといけません。

@@@@@@@ここが、16日午前中に書きかけている最先端です。以下は、15日、深夜書いた初稿です。

 これは、前報から起こってきたスピンオフ的、文章です。しかし、胸の中は、ザクロが完熟して、破裂してしまったほどに、書くべきことがいっぱいで、いったいどこから手を付けていいのやらと、いうほどです。しかも、長時間外出して帰ってきたところですから、疲労をしていますしね。しかし、徐々に、盛り上げていきましょう。最初は、パン屋の話です。

 ところで、最初に写真を置かせてくださいませ。これは、泥棒が、最近入って、トイレの窓枠に置いてあった、花瓶をわざと、床に落っことして、(ただし、実際に、割ったのは別の場所の筈。私は自室で、寝ていたので、音を立てると目覚めるから。どうして、そう判断するかというと、花瓶の割れた部品が、数が、足りないので、そういえる。)其のかけらを、タンクの上に、わざと、置いてあったのを、窓枠の方に、移動をさせて、証拠写真として、撮ったものです。これについての詳細は、また別の章で、語ります。鎌倉市内、特に鶴岡八幡宮や、小町通りにおける写真を、10枚ぐらい使って、彼等、鎌倉エージェントが何をどういう風に考えているかを証明いたします。彼等の悪辣さの、証明をいたします。

 という冒頭写真を入れて、本日の主文へ入ります。

副題1、『私は一時期、銀座三越地下、一階の、【Johan】と、いうパン屋のファンだった。しかし、そこには、飲食スペースはない。そのビルの別館の9階まで、行くと、誰もが使える自由な、広場があって、そこでは、食べられるが、上り下りするのに、時間がかかるので、お店自体に、飲食スペースのある。【Deli France】 が、次の好感度一位店となっていく。まあ、【俺のベイカリー・京橋店】も、私のお好みの、飲食スペース付きパン屋だが』

 神奈川県の、住民にとっては、特に東部の住民にとっては、おいしいパン屋といえば【サンジェルマン】でした。サンジェルマンの、噛み応えのしっかりした【白い食パン】ができた時は、衝撃的でした。50年以上前だったかなあ? 東急が作ったもので、日吉駅が、素朴な駅舎だった時代に、改札口そばで、売っていたのです。そして、どんどん、支店を増やしていって、鎌倉にも、大船にも、あります。そのうち、赤いインテリアが、目立つ【ポンパドゥール】も、のしてきていました。しかし、私が利用する駅には、そのどちらの、店も、飲食スペースがありません。

 で、鎌倉駅構内と、新橋駅東側地下道に、あるDeli France が、好みの店となりました。:::::::::ここで、ちょっと、Deli France について、解説を加えさせていただきますと、山崎製パンが、運営していて、Vie de France の、もう一つ上のランクのパン屋だそうです。方針として、駅中、又は、直近に作るというコンセプトがあるらしくて、新規の駅ビル(例えば、鶴見駅のCIALなど)には、相当に、広いスペースの喫茶部がある、出店をしています。

 ところで、鎌倉店と新橋店は、いれ方の、違うコーフィーが出てきて、鎌倉店のコーフィ-は、特に美味しいと、思って居たのです。それは、此処を利用する鎌倉マダムの、共通認識だったのに、なんと、この一週間味が落ちています。それが、政治的大問題なのです。:::::::::

 で、喫茶スペース付き、パン屋の概論は、此処で、終わって、次からは、政治の文章へと入ります。

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副題2、『私には、どうも尾行が付いているらしい。それで、Deli France・鎌倉店に、週に四度か、5度は寄ることも把握をされていて、ついに、Deli France と、いうお店の中に、盗聴器が仕掛けられてきた。この二週間に、二度も、大きな泥棒行為に出っくわしているのだが、ある、外人から、Deli France ないで、私に好意を抱いてもらって、その結果、彼女から、もらったお土産の中についていた、短いお手紙が、どうしてか、テレビ横に、置いてあった。もらったのは、二年前なので、あの時、英語で、話したことも把握をされていて、その、短いお手紙を、別の日に盗まれて、そして、泥棒が入ったという証拠として、それを、ごく最近、テレビのそばに置いたのだった』

 この様に、一旦盗んでおいて、其れを、しかるべき時に戻して、そして、そういう行為全般を通じて、それを脅かしに使うという・し組・は何度も経験しています。私の従兄弟がニューヨークのアゴラギャラリーというところで、25年以上前に個展をしているのですが、その時の案内状が、どうしてか、これも、又、最近、二か月のうちに、部屋の中に、落っこちていたり、北九州に住んでいる、中学時代の同期生であり、ギャラリー山口で、個展をする常連であり、かつ、野見山暁次さんの、北九州における、秘書役を果たしていた、大久保忠春さんが、暴走老女による、交通事故で、亡くなったそうですが、それは、何のお知らせもなかったのです。不思議です。普通なら、同期が、たった100人ですから、お知らせがあるはずなのです。

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副題3、『大久保忠春君に関する、雨月物語』

 しかし、事故の一年後かな。【羅針盤】という画廊で、個展をしていた作家が、大久保君が教授をしていた大学の卒業生なので、質問をして、事故のことを初めて知りました。そういえばと、思い当たるのは、、おおくぼ君が、ちょうど、事故で、殺されたころに、毎日新聞の切り抜きをパネル化したものが、私の家の、一階の玄関傍の、本箱に目立つ形で、置いてあったのです。本箱はいくつもあるのですが、玄関傍の本箱は、一番、そばを通る回数が多いので、一番目立つものです。

 毎日新聞の記事は、スペースとしては、10cm×10cmの小さなものです。しかも、地方版にのっただけです。唯ね。レジェンド(伝説)になりうる話だったのです。だって、横浜国立大学付属中学校、横浜・立野・校を、1958年に卒業したのは、たった、100人です。毎日展の方は、プログラムがないので、何人入選していたかがわかりませんが、200人から、300人の間だと、思って居ます。で、同じ中学を卒業、40年後に、同時に、毎日展という現代アートの世界では、評価の高い世界に入選したのは、伝説となりうるのです。しかし、せつないのは、毎日展が、つぶされていることです。毎日新聞が不況だからと、いう事ですが、もしかしたら、この記事が原因かもしれないと切ないです。、

 こういうものを銀座の画廊の、個展に置いたら、ちょっと恥ずかしいです。しかし、つかったのは、江ノ電、稲村ケ崎駅、近傍の、小さな画廊での、個展です。私が営業をかけて、そこで、開いてもらったわけではなくて、ご紹介があったmonodesu。画廊は、道路から直接靴で入れる、6畳程度のスペースで、それを縦長に二つに仕切って、一方で、お土産を売る、一方で、アート作品を展示するという形式です。そういうところでは、私のことを知っている人は、一人もいません。だから、こういう小さな宣伝用パネルを作りました。細部は、20cmX20cmぐらい。

 これが、置かれたころに、大久保君は殺されたのでした、暴走老人の事故を装ってです。私は、一瞬、雨月物語の在りを思い出しました。魂魄が、空中を飛んでくるお話です。しかし、このパネルは、我が家に通常侵入して居る、四種類の泥棒が、入れ込んでおいたものでしょう。

 すごい話です。稲村ケ崎の、個展の、10年後君来に、大久保君は、単純な事故ではなくて、謀略として、ころされて、さらに、その、脅かしの意味を強調させるために、大久保君とのエピソードを書いた例のパネルを、気が付くように本箱に立てかけて置く。

 私は、其の半年か、1年後です。羅針盤での個展作家との会話で、初めて、気が付くのです。で、殺されたのだと、直観的に感じましたが、仔細をさらに知りたくて、まず、銀座のニッチギャラリーのオーナー西村氏に、電話をかけます。西村氏は、芸大大学院卒ですが、学部時代は、大久保君が、教授をしていた大学で学んで、います。年齢から考えると、お互いに、知り合って居るはずだと、思って電話をしたのですが、「何も知らない」と、いう話でした。

 私の電話はすべて、盗聴をされています。そして、こういう風に意味のある場合・・・・・CIA側は、すぐ動きます。それで、この件で、関係者、一同に、彼女(=、私事雨宮舜、本名、川崎千恵子)が、実情を、探り始めたので、気を付けて、対応をする様にと、連絡を入れます。

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副題4、『私は、山口千里さんと、高田弘子さんの対応で、かえって、自分の推理を、確定をした。彼女たちは、謀略的殺害を、否定したつもりだったろうが、私には、そうは、見えなかった』

 私は、ニッチギャラリーのオーナー西村富弥さんは、好きじゃアないのです。気が合わない方だと思う。さそり座だそうで、それが、原因かどうかはわからないですが、気が合わないです。向こうも私を嫌って居ます。しかし、スタッフさん(今、お名前を失念しているが)が、超・賢いのです。それが、好みなのと、NY在住で、かつ、にっちで、連続的に、個展をしている小林さんが、親切なので、数年間、顔を出していました。そこで、一ノ瀬智恵子さんが、高松次郎と、親戚だと、三鷹ストーカー事件の起きるずっと前に、聞いたりしています。でね、西村富弥さんに、何も教えてもらえなかったわけですが、それでも、西村さんに、電話をした事はよい事だったのです。

 次に、数日間、間を置いて,yamaguchisenrisanto,高田弘子さんに電話をかけたら,futa理が電話を、取り上げ、対応をしてきたからです。普通だったら、電話番号を見て、撮らないと、思います。

 ここは、ものすごく大切なところです。だからこそ、めちゃくちゃな誤変換になっていますね。今は、そのままにしておきましょう。

 山口千里さんという人は、野見山暁次さんの、秘書です。彼女が、秘書になったのも,koremaた私のせいというか、お影なのですよ。千里さんは、同郷の野見山さんを慕い切って居ました。しかし、野見山さんは、国画会には所属していません。千里さんは、美大卒業では、無くて、聖心女子大卒です。国画会の内部で、派閥がないです。で、出世できません。そのことへ、深く同情をしていました。だから、彼女と私が、仲良しなので、彼女だけを、出世させて、私を取り残して、悲しませるの、典型的、一例として、野見山さんの秘書に取り立てられたのです。

 これが、山口みつ子さんを、ひどく、悲しませました。野見山さんの秘書を務めるのは画廊を閉鎖した後の、自分だと、考えていた山口みつ子さんを、ひどく悲しませました。それから、ご家族に対してもよくないはずです。私の主人に言わせると画家というのは大体わがままなものだそうです。それは、創作という仕事が、激しいsyuucyuuwo必要とするので、ある意味で仕方が、ないのですが、その結果、家族が、おかしくなるのです。千里さんの坊ちゃんは、無気力でした。それは、母親が画家であり、注がれる愛情が、量として、圧倒的に少ないからです。野見山さんの秘書になったときには、まだ、修正が、利く段階でした。ひたすらおぼっちゃまと、ご主人への、奉仕に専念すべき時でした。今、千里さんは、60代で、おぼっちゃまの方は、40代でしょう。大丈夫ですか? もう、育て直しは、無理じゃアないですか? ともかく、千里さんとの電話の後で、大久保が他殺であると、いう感覚はさらに強まりました。

 西村富弥さんの返事は、「僕は知りません」というだけのもので、穏やかな声と、無駄のない対応でした。それは、親切というものではないが、毒はなかったです。しかし、千里さんの言葉には、毒や悪意がありました。其れを、今は、つまびらかにはませんが、私はその声と内容で、大久保君は他殺であると、確信をしたのです。

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副題5、『高田弘子さんという女性が、CIAにとっては、超重要な存在であって、かつ、日本の富裕層を、全部支配できる立場にいるのだった』

 高田弘子さんが、これまた非常に重要です。彼女は、日本刀剣協会の、事務局長かな? だから、日本の、富裕層と、個人的な付き合いがあって、其れを網羅的に支配できます。とても、女性らしくて、コケティッシュですが、情というものは、ほとんどない人です。愛情もなければ同情もない。ただ、安野智紗夫人などと、比較すると、実力があります。経歴がすごいです。横浜国率大学付属小学校だ卒。同、付属中学校卒、フェリス女学院、高等学校卒。ブラウン大学卒、AFS経験者、ホスト・ファミリーは、ユダヤ系大富豪だそうです。ブラウン大学(私立女子大。今は、男女共学となっている)の学費は、むろん、アメリカの、養親がだしてくれたそうです。

 konohitoga小学校時代の、友人と定期的に,懇親会を、開いているそうです。で、其れをの結果、私は、横山君(慶応三田会横浜支部長)とか、時田君(元、福音館社長)から、信じられないほどの無礼な仕打ちを受けました。弘子さん、本人からも、恐ろしい言葉を投げかけられたことがあります。

 元へ戻ります。

 大久保忠春君の死について、あれこれかいた目的は、まず、我が家の、電話が盗聴をされていること、次に、私には、尾行が付いていること。で、しょっちゅうよる場所には、盗聴器が仕掛けられていること。そして、そういう風な場所で、私が話したことは『知っているぞ』と、脅かしてくるために、

 以前、盗んでいったものを返してくることがあるのだった。大久保忠春君と、私が、毎日展に、同時に入ったことを、パネル化したものを、使われたケースが、嚆矢だったけれど、ほかにもいろいろ、使われている。盗まれるものもあって、かえって、入れ込まれるものもあるのだった。

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 これから先に書こうとしていいた事は、Deli France 鎌倉店の店内の、死角となる場所に、ミスター井上が、座っていたこと、

 また、私は、この山に、夜の、7時30に、上ってきたのだけれど、安野家の前を通った際に、猫がするするっと出てきて我が家の、庭に登って行ったこと。ごく最近、猫が入って、スプレー(おしっこ)をして帰って居ること。臭くてたまらないが、これが、何度も、経験して居ることなのだ。

 これは、二年以上前のことだが、安野家の猫が、私と、我が家のさびちゃんが、二階で、仕事をしているのにもかかわらず、我が家に侵入してきたことがある。その当時は、猫出入り口は空いていて、大きな鈴をぶら下げていたので、そこを猫が通れば、我が家の猫でも、安野家の、猫でも、鈴がなるので、わかる。

 ともかく、午前、一時になったので、私は寝ますね。これ以上、頭を使ったら、死にますので、此処で、本日は終わりとさせてくださいませ。

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眞子様はご公務内で、子供のポスターをほめました。その部分をNHKは繰り返し報道をしたのに、朝日も産経も触れていない。why?

2019-05-14 21:06:04 | 政治

 これは、100%、前報(あと注1)の続きです。そこで、続きを書いても、いいのですが、全体に、非常に長くなる見込みなので、次の章を、独立をさせます。そして、総タイトルは、どんどん、変更していく可能性があります。

 そして、此処で、非常に重要なことは、・・・・・皇室を政治的に利用をしてはいけない・・・・・というのに、実際には、隠微な形で、鎌倉エージェントは、皇室を利用しています。税金に等しい、視聴料を取っているのですから、NHKは、一種の公器であるのですが、この様に、私的に、伊藤玄二郎達は使うのです。

 特に、顕著な対象が、秋篠宮さまと、眞子様です。眞子様は、直近のみどりの日に、山火事予防の、子供のポスターをほめるという形であって、一般国民には、それが、どうして、政治利用だったかは、わからないことでしょうが、下で、解説していきます。秋篠宮さまの方は、WAZAの総会で、「これから、動物園と、水族館では、太地町で、捕まえられた・い・る・か・を使ってはならない」と、お言葉を発せられたことを指します。

 しかし、本当にお気の毒なことに、そんなに使役をされなすっておられるのに、恵まれておられないのです。眞子様は、小室さんという、どうも在日の出自を隠している青年を、押し付けられたという罠にはまっておられます。そして、お父様の方は、今回の包丁事件で、振り回され、又、それと、期を一にして、愛子様を天皇へと、メディアが動き始めました。もう、心痛の極みであらせられるでしょう。

 これは、皇室に限らないのです。一般庶民にも当てはまるケースです。鎌倉エージェントは、自分の手を汚しません。他人、特に善意の一般人を、洗脳して、使役をします。本日は、平木さん一家という善人と、井上夫人という故人を、取り上げて語っていきましょう。

副題1、『なぜ、十文字学園で、子宮頸がん予防の、講演会が、開かれると、政治的に問題なのかを語らないといけないが?・・・・・その前に第一次フェイスブック時代に、私が大勢の、若手女性ライターに、攻撃された話をしないといけない。無論、彼女たちは、すべて、うらで、CIAエージェントが操作したのだった。ところで、私が鎌倉エージェントと呼ぶ、CIA集団に、協力をして、私を弾圧したり、いじめたりすると、その人が善人なら、死ぬと、よく言って居るが、その典型例として、もしかしたら、いちばゆみさんをも、あげるべきだろうか? しかし、瓜南直子さんのケースとは、相当に、違う気がするが?』

 2011年の、6月、私は、自分のブログについているフェイスブックのシェアのしるしをたどっているうちに、期せずして、フェイスブックのアカウントを作ることへ、つながりました。其れを私は第一次フェイスブック時代と、呼んでいて、相当に重要な投稿をし続けたと、自認をしています。しかし、そのために、ものすごい、妨害と、弾圧を受けました。

 女性ライターが、攻撃者として使われた時期です。その中で、いちばゆみさんというライターが、7月に、自分の息子が家出をしたと、いう謀略を仕掛けてきました。後注2、この件については、即座に戦ったので、今では、もう、片付いた問題と、なっています。しかし、猛然たる女性だった、いちばゆみさんが、あっという間に死亡と、いう事になっているらしいのです。

別のサイトからの引用:::::::編)いちばゆみさんは2014年4月に永眠されました。弔いとしてこのページは残します。という彼女の書物の宣伝の中に一行がありました。ブログも、、2013年11月で、終わっていますね::::::: 

瓜南さんは、2012年の6月に、肝臓が悪かったと、見える様子を、こじらせて、病院で、亡くなっています。でも、いちばゆみさんに、関しては、私がフォローしなかったせいもあるが、どういう死因で亡くなったのかを知りません。でも、不思議です。彼女は猛然たるヴァイタリティのある人で、私に向けての個人メールで、自分の本当の子供を四人と、養子を二人育てていますと、言って居ます。そのうちの一人が、exibit Live and Morisと、いう画廊のオーナー森さんが、かわいがっていた阿南・何とかさん・と、いうふっくらした面持ちの、かわいい女流画家ではないかしらと、思うのですが、今、8年後に、グーグル検索をしてみても、彼女の名前は、見つかりませんでした。ところで、娘さんの方もフォローをしていませんでしたが、母親の方の、いちばゆみさんをフォローしなかったのは、あまりにもけたたましくて、そういう女性は、好きではないし、投稿文も、たいして、考えさせるところもない文章だったので、やがて、関心を失っていったのです。

 しかし、病気の陰なんか、一切ほの見えなかった女性なので、がん検診を口実に、殺されちゃったのではないかしら。入院をさせて、いらない手術でもして、殺す仕組みはあると、思って居ます。石川和子さんは、そういう仕組みで、殺されたのだと、見ています。ガンが発見をされましたと、いう事で、入院して、点滴袋に異物を混入されて亡くなったと、見ています。だって、12月には、太っていて、ぴんぴんして、小町通りを歩いているのですよ。それなのに、3月にがんで死ぬなんて、おかしいです。60過ぎの人の癌が、それほど、早く進行するはずがない。

 石川和子さんは、大エージェント「伊藤玄二郎の愛人です」といって、自分の特権を誇っていましたけれど、あんまりにもばかげたことをすると、足手まといの人物として、殺されてしまうのですよ。彼女は、私の猫のことで、パニックを起こして、警官を山に呼び、私の夫に、私を叱る様、頼んでくれという、大失態を、起こしました。私の猫が、「彼女より、本当のお母さん(=私)の方が好きです」といっただけで、それほどの、大失態を起こしたのです。もう信じがたいほどのおバカさんです。で、鎌倉エージェントにとっては、足手まとい中の足でまといに、なったから、殺されたと、推察しています。だって、彼女の行動を見ていると、警察が、鎌倉エージェントの家来です」というのが如実に証明をされてしまいますね。それは、伏せないといけないことだからです。

 其れを私が書いているために、他の方向で、似た事件が起こされました。大口病院で、界面活性剤が、点滴袋に入れられて、二人の老紳士が亡くなりました。若い女性看護師が、「自分がやりました」と名乗り出て、逮捕されましたが、嘘でしょう。闇の勢力が、起こした事案です。

 私は、だから、ご近所の善人一家、平木家のご主人が、我が家の前で、北久里浜の、上滝家の、ご主人の、1978年時の、いじめに倣って、キャッチボールをした時に、「おやめなさい」といったのです。(あと注3)の副題12にそれが書いてあるが、全体をお読みいただきたい。大変ですが。注意してやめさせたのは、病人や、死人が、平木家の中から、出かねないからです。

 平木家は、お子さん方が、何度も、過去に、使役をされています。とても、かわいくて、きれいで、性格もよいし、お成績もよさそうなおぼっちゃま二人です。だから、其の浄化力が過去に何度も使われてきている存在です。

 特に後注3の副題12に置いた、キャッチボールの件は、その時点で、五個目ぐらいの、対私への、攻撃でした。どうして、それほどに、攻撃をしてくるかというと、私が、高く評価をしている一家なので、絶対に、実名を挙げないだろうと、伊藤玄二郎達が考えていて、だからこそ、安全パイだと、考えられていて、前田祝一、清子夫妻を通じて、散々に、使役をされて来たお子さん方です。

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副題2、『眞子様は、緑の日のご公務で、子供のポスターをほめました。その部分をNHKは繰り返し報道をしたのに、朝日も産経も触れていない。why?』

 なぜなのだと、設問をしていますが、答えは、私には、瞬時にわかりました。眞子様は、子供たちのポスターをほめました。それは、平木家のお子さん型が、警察に、協力するポスターを多数書いているらしいことを、擁護する為でした。というわけで、キャッチボールの件で、とうとう、実名を挙げ始めた、平木家のお子さん方を守るためだったのです。それが、一つ目の目的だったのですが、二つ目もありました。ふたつめとは、眞子様が、おほめになったポスターとは、山火事のポスターだったと、いう事です。そちらは、小野寺夫人を守るためでした。彼女が、主人が、心筋梗塞で入院して、石段のない場所に引っ越すかもしれないと、いう事になって、ごみを焼いていたら、急に怒鳴り込んできて、「川崎さん、警察に訴えますよ。やめてください」と、言ったケースをフォローしようとしているのです。この前者のポスターの件は、延々続く長い文章となります。また、後者の、ものを焼いてはいけない。焚火をしてはいけないは、山間の煙というエッセイに書いた案件のフォローになっています。 

 それは、とても長い話になるので、此処では、繰り返しませんが、彼等に、協力をして、私をいじめると、死ぬのだと、いう真実が、此処でも、発見できます。前田夫人たちにそそのかされて、、怒鳴り込む電話をかけてきたのは、井上夫人という方でした。その時は、私の方は焚火をしていないので、えん罪でした。山ノ下の住人が焚火大好き人間だったのです。ただ、唯、田舎者の典型である、前田夫人の、いじめ大好きで、村八分を作りたがる性格の犠牲になったわけです。土地を盗まれると、いう大犠牲の引き続いて、このいじめでした。すさまじい悪女なのです。

 この煙は、伊藤玄二郎にも、井上ひさしにも見えないはずなので、前田夫妻、安野夫妻、渡辺夫人、画家A夫人などが、結託をして、村八分状態を、実践しようとしたのです。そして、井上夫人は善人だったのでしょう。早世しました。これで、「善人なら、前田夫人のいう事を聞く限り、死ぬ」は、三人を数えます。雪ノ下から遠く離れた地で、事件として殺された数多くの人を、いれれば、数十人死んでいます。そんな死者のグループに、「平木さん一家は、入りたいのですか?」と、言っておきたいです。私、川崎の方が前田夫人たちよりも天にかなう事を言って居て、ずっと、ずっと親切なのですよ。わかっていますか? わかっていないでしょうね。まあ、いいでしょう。私は、神様への報告書、兼、えん罪で逮捕されたり、措置入院を執り行われたりしたら、これを使いますから。

 反対に悪人なら、彼等に利用されると肥え太ります。瀬戸内寂聴さんが、そのいい例です。

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副題3、『このニュースを政治的なものとしてとらえるかどうかを、判断するにあたって、そこでも、天からのご援助が私の方にあった・・・・・この同じニュースだが、朝日や、産経では、子供のポスターを問題視して居なくて、ただ、唯、NHKだけが、大げさに、オンラインでも、言及しているのだった。それは、NHKの午後零時、夕方7時、夜九時などのメインニュースを録画して居ることを知っているからだった』

 私は、この眞子様が、みどりの日の催しで、イイノホールにお出ましになったというのを聞いて、瞬時に、重要だと判断をしたのですが、忙しくて、すぐ、NHKオンラインからコピペするのを、やらなかったのです。というか、ニュースの録画番組を見たのが、次の次の日だったのですよね。そうなると、見つけるのが、非常に難しくなります。で、NHKオンラインを一日分ぐらいさかのぼったのに見つからなかったので、あきらめて、グーグル検索で、眞子様に関するニュースという形で、検索をかけたのです。すると、朝日と、産経のものが見つかったのですが、そこには、ポスターをほめたという記述がないのです。

 これで、はっきりしました。NHKは、警察が、そうであるのと同様に、鎌倉エージェントの家来なのです。で、朝日や、産経が利用できないので、必死になって、NHKオンラインを探して、新着ニュースではない場所で、見つけました。よかった。これも、神様が、助けてくださった、事例だと、考えています。もし、NHKオンラインから、簡単に見つかったら、朝日の記事や、産経の記事とNHKのオンラインの文章が違う事には、気が付かなかったでしょうから。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 さて、又、又疲れてきてしまいました。で、これから、書く事をメモとして置いておきます。

 平木家のお子さん方は、前田家ほかに勧められて、警察が、使うポスターを多数描き、それが、この山の町内会用掲示板に展示をされていたらしい。その掲示板は、画家Aが作ったものだったので、画家Aが行う数々の悪行を天が御怒りになって、雨でも、大風でも、台風でもない日に、大木が当たって、壊れた。

 それは、石井秀樹・あずさ邸の新築工事を密着取材をした、難工事489日の中でも、重要なエピソードとして画像が出てきている。私は、花の手入れをしている際に、石井秀樹邸の、工事人から、それを教えてもらって、現場に行ってみた。すると、前田祝一と、安野忠彦の二人は、ただ、突っ立っていて、平木夫人と、子供たちは、必死で、ガラスの破片を拾って居た。

 すみませんが、此処で、中断をします。

 ただ、メモとして、書きたかったことと、そこに登場する、人名と、地名を書きましょう。

 貝塚文、稲田恭子(横須賀市、京急・北久里浜駅・最寄りの、住民)、貝塚文、田代人士(京急・三浦海岸駅・最寄りの住民)

 

 

後注1、

眞子様ご公務へ 十文字学園で、子宮頸がワクチンの講演会があった。そこからも悠仁さまへの包丁事件が、鎌倉エージェントの企画であることがわかる    2019-05-13 21:27:11 | 政治

後注2、

若手人気ライター(いちばゆみ、藤田千彩、開発ちえ)を、敵対者としてぶつけられる話  2011-10-22 22:58:03 | Weblog

いちばゆみさんの息子が、2011年の7月末に家出をした件について、一年後の考察。    2012-08-17 01:20:54 | Weblog

副題3、

東急が券売機で、郵貯と浜銀の、払い戻しをするそうですが? +2歳児死亡交通事故   2019-05-09 01:59:56 | 政治

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