今は、20日の午前三時です。文章の方だけは、推敲が終わりました。リンク先が、全部は、探し出せていないので、☐印を、総タイトル横に付けておきます。
ところで、この文章内には二つのテーマが含まれております。一種の育児論と、政治問題です。で、20日の午前1時半までは『PTA三役を引き受けるマイナス・・・・・ここでは、島田章三論の一つとして語りたい』として、育児論の方を優先しておりました。
だが、私が、この一文を書きたいと願ったのは、むろん、政治的論文としてなのです。動機としては、そちらの方が強いでしょう。で、初稿をアップ後、24時間目に、総タイトルを変更しました。なお、今疲れ切っていて、見つからないのですが、北側【潤】一郎は、正しくは、順が、ただしいです。まあ、恵比寿のご近所づきあい仲間の、秋山裕徳太子氏に勧められて、軽い気持ちで、登場したのでしょうが、出来上がった番組を見て、仰天をしたのではないですか。北川さんの奥さんや、妹さんは、誠実そうだから、奥さんが、あの番組を見て肯定しているとは、私は、思いませんけれど。まあ、秋山裕徳太子さんにも言っておこう。「ありとあらゆることはすべて、全部裏側がばれていますよ。あなたは、何を信じて、そう言う行動をしているのですか。お母さんは、善人らしいのに、天国に居るお母さんに顔向けできますか?」と。
副題1、『新日本紀行が、横須賀を訪問をした。充実した内容だった』
私は以前、このブログの中で、「横須賀市民の米軍に対する感覚は、なかなか、特殊であって、決して、NHKニュースが報道するものと、合致しない」と、書いている筈です。ただし、問題が、ゆったりしているものだし、総タイトルに、それを付けているわけでもないから、リンク先は、もう自分では、見つけられません。ここで、言うNHKニュースとは、原子力空母ジョージ・ワシントン号が、ロナルド・レーガン号へ変わったとかいう際に、必ず、「寄港はんたーい」とかいうデモを映すのを指しますそれで、私が「ああいう人ばかりではなく、一般市民は、ずっと違う、センスで、アメリカ軍を見ている」と、書いたのです。
たとえば、その原子力空母を見下ろす丘の上の土地、77坪を買おうとした時ですが、持ち主の、女性は、原子力空母他の艦船を番号で呼ぶのですよ。NHKニュースみたいに、ロナルドレーガンとは呼ばず、「あら、今日は、68は、来ていないわ」とか言うのです。彼女は今は、別の場所に住んでいて、普段は、米軍基地を見下ろす、この土地には住んでいないので、たまに来たときは、米軍基地内の艦船の様子を観察するのが、楽しみみたいでした。しかし、元、海軍軍人の娘だから、一般庶民とは、観察眼が違うのです。すべての、米軍艦船を番号で、覚えているのでした。
彼女は、父親の位階を言いませんでした。海軍軍人として、戦後苦しい時期があったと、思われるからです。パージなどで、収入が無い時期があったのでした。ただ、母親が賢い女性で、今でいう、シロガネーゼです。そして、ある「おけいこごと」の家元として、独立し、多数のお弟子さんを抱えていたそうです。それで、彼女は経済的には、敗戦後も、不自由することなく育ちあがりました。そして、戦勝国米軍に対して、文句を言うでもなく、ただ、素人(特にNHKニュースの取材陣達)とは、違う目で見て、そして、違う呼び方をするのでした。
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副題2、『私は横須賀市出身の有名人、島田章三さんについて、これから、多々書いていく可能性はあるが、その理由を、ここで、一つだけ、挙げておこう』
で、これからは、政治の問題に入ります。島田章三さんを分析することは、きわめて大きな政治的問題なのです。
もし、美術界の人物が、こう言ったと仮定をしましょう。「あなた、何を飛んだり跳ねたりしているのよ。他人の事を、<あの人物は、飛んだり跳ねたりするおっちょこちょいだ>と、よく言っているけれど、あなたこそ、おっちょこちょいなのではありませんか?」と言われかねないですね。
さらに、その人は、続けて、「だって島田章三さんは、芸大卒、国画会会員、愛知芸大教授、愛知芸大学長、勲〇等、紺綬なんとか賞受賞、芸術院賞・受賞、芸術院会員です。近々文化勲章も受賞をするでしょう。あなたなんかみたいな、虫けらとは、天と地ほどの差がありますよ」と。
しかし、それは、人間が作り上げた、階級を、維持する為の、装置を、主にする見方であって、人間の、本質、とか、政治的意味とか、哲学的意味とか、そう言う側面から考えると、私と島田章三さんは、対等であり・・・・・
いや、鎌倉エージェント・・・・・特にこのケースでは、杉本・横須賀市・副市長・夫妻や、瀬島龍三(=元陸軍参謀にして、戦後最大のエージェントである)、益山重夫=元海軍参謀、であり、瀬島氏とは親友の間柄だと、自分で言っている)仲野通巳吉(=益山氏の義弟)、井上ひさし(=元日本ペンクラブ会長、私から見ると、種々の悪辣なニュースの考案者として、裏で機能している、未だ生存中の大エージェント)と章三氏の、直接、または、間接的な、関係を言えば、私の方が、上となるのです。特に天の視座から見れば、そうなります。そこまでの説明は、容易ではないが、私は究極的には、やるつもり)なのですよ。
特にジャンピングボードを、画廊るたんのオーナー中島さんが2014年に、与えてくれた上に、さらに、大きなジャンピングボードが、2015年に現れたからです。
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副題3、『特に【絶歌】(太田出版刊)が、出版をされたので、天から、島田章三論を書くことへ「ゴー、発進」と言う許可をもらったと考えている』
この【絶歌】ですが、少年Aが書いたものだとは、見ていません。それについては、すでに、詳細に、書いています。(後注3) また、マスコミでは、【絶歌】を書いたとされる人物は、一斉に、少年Aと呼ばれています。しかし、事件が起きた当時は、酒鬼薔薇聖斗と、呼ばれていたのです。どうしてか、その名前が今は出てきません。こういうケースは、ものの見事に裏側に闇の勢力が動いている事件なのです。少年Aは、土師淳君を殺していないし、【絶歌】を書いてもいないでしょう。
では、どうして、その事件が起きて、また、どうして今、犯人の手記が発刊されるのでしょうか。それこそ、ここに、今から書く、島田章三を、めぐる悪の人脈の強欲さ、が、反映しているのです。
つまり、キーワードが、水道タンク山です。そこに一般人が立ち入らない様にするために、ああいう事件を、横須賀から、遠く離れた地域で、しかも劇的な形で、起こしたのでした。グーグルの地図を開いてくださいませ。そして、まず、京急北久里浜駅を探して、次に東側の、池田分譲地と言うところに入ります。
その南側に4棟のマンションが建っています。それを見つけた後で、拡大メジャーを最大にしてみてください。すると、コーポまさと言う建物が、見つかるはずです。その南側の四角が、私達が昔住んでいた家で、今も持っています。また、トモ美容室と言うしるしも見つかるはずです。これは、昔は、石渡美容院とも、呼ばれていたもので、その東側に、横須賀市の水道タンク山に登る道があったのですが、ある時期から立ち入り禁止になっていたのです。それは、その公共用地を私有化する準備を、益山重夫・智恵子夫妻が、行っていたのでした。5mぐらいの高さの塀で、北側(=わが家から見える範囲)を目隠しして、山にどんどん蚕食して行ったのです。で、私が事件に気が付いた時には、公簿上は、2.73平米しか益山氏(大建産業と言う名義ではあった)の持ち分が残っていなかったのですよ。
これから先ですが、何度も、書いています。その最近のものを、後注Aとして、巻末に置きます。膨大なブログ文の、一つですが、旧名そらヒルズ(現在名ルネ北久里浜)と言う豪華マンションは、敷地の取得費用が零である、場所に建てられているある種の詐欺の結果のマンションなのですよ。そして、その嘘と悪を隠ぺいする為に、島田章三さんには、大金が流れ込んでいるというのが、今章の主たるテーマです。
そして、直近のジャンピングボードとして、2016年3月16日に、KUROと言う作家が、無礼な作法を示してくれました。これは、芸術院会員同士の路線で、裏から野見山暁次さんが、手を回した可能性があります。私は野見山さんなんて、島田章三さん以上に屁とも思っておりませんよ。きたなーい、汚ーい、行動の人だと、おもっております。その陰に、土師淳君をはじめ相当数の無辜の人達が殺されているのですからね。本当に軽蔑をしています。
これら以外のジャンピングボードとしては、2009年に、NHKが空き家特集(鎌田キャスターが取材をした杉並篇=北側順一郎氏が、画面に登場したもの)も、深い原因となっています。
************ここから先は、副題のナンバー付けを、あいうえお、かきくけこと、つけていきます。主に島田章三さんの、実妹に関する観察だからです。彼女は一般人であって、島田章三さんと、大沼映夫さんを、結び付ける役目を果たしているだけの人ですが、彼女の言動から、社会的な、有名人である、島田章三さんの実像が、私に理解が、なされて来るからです。
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副題あ)、『大沼嘉津江さんは、兄たちとは、年の離れた妹として生まれたので、両親や、兄たちから、溺愛をされた可能性はある』
今、念のために、島田章三さんに関するウィキペディアを、開きました。すると私より8歳年上の氏は、三男であり、長兄は、1924年か、1925年に生まれていることが判りました。すると、私が、PTA活動で、1000時間近く、または、それ以上を一緒に過ごした、氏の実妹大沼嘉津江さんは、長兄とは、とても年の離れた、妹だと、推察されてきます。彼女は三兄の、島田章三さんとも7歳以上の年の差があるでしょう。だから、嘉津江さんは、甘やかされて育ちあがったという可能性は、あります。
だけど、ある女性が、甘やかされて育ったというファクターだけでは、他人から、「あの人は馬鹿よ」と、言われるはずもないですね。しかし、私はいろいろな人から、「あの人は馬鹿よ」と言ううわさ話を、嘉津江さんに関して、聞かされました。それは、高校時代の彼女の転校のケースも含めて、相当な、事実を示して、聞かされました。
私はそれを、以前は、島田章三さんが、お金(=横須賀市の税金収入から)をむしり取りすぎるので、そうなるのだと、言っています。しかし、どうして、島田さんに、過剰なお金が流れ込むのでしょうか。その理由を、私が、知っているので、私が弾圧をされるのですが、それを、ここで、語りたいと、思います。
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副題い)、『横須賀では、地主と言う階級は、今でも、尊敬を受けているのだが、ここにも大きな秘密が隠されていて・・・・・』
私が、京急、北久里浜駅近辺に住んでいた時(1974年代から、1984年)に、『地主』と、言う階級は、横須賀では、特別な尊敬を受けていることを知りました。今、思うと、軍港、横須賀では、戦前までは、海軍の、位階が、そのまま、カーストを形成していて、『大将、大佐、大尉などの、9階級は、厳然として輝き、効力を発していたのだ』と、思います。だが、戦後、そのカーストは、全壊したのです、だが、全壊したものの、どこか、カーストを定めておきたいという意識(いわゆる市民感情)が、人々の間に、色濃く残っているみたいでした。これは、それ以前に住んでいた、横浜線鴨居駅を最寄りとする東本郷住宅(県が売り出したマンション)とか、実家のある日吉の住民が示す市民感覚とは、ずいぶん違うものであって、『おや、古いなあ』と、思ったことは確かです。
戦後は、地主と言う階層が、特別扱いを受けておりました。だけど、この概念ですが、他の地域のそれとは、相当に違うと、思います。つまり、戦前からの地主と言う概念ではなくて、300坪以上の土地を持っていたら、即地主と呼ばれるという概念です。
でね、この章では、最重要人物として登場するCIA側の人間(=仲野通巳吉氏と、杉本副市長夫妻)は、公簿上の名義は、どうあれ、2000坪近くの土地を、支配をしています。だから、仲野氏は、すでに、ご近所様から、地主と呼ばれています。しかし、外から転入をして来た人なので、戦前から言われている地主の概念とは、程遠い人です。杉本さんの方も、外から、京急池田分譲地の一区画を買って、引っ越してきた人です。で、杉本家が、1970年代までは、普通の家(敷地50坪、建坪25坪程度)で、三世代同居していたのを、知って居る人が、ご近所に、まだ、大勢いるので、
実質的には、すでに、自分のものであるはずの、2000坪を、まだ、名義変更をしていないだろうし、昔を知る人の手前、静かに、外見を見せて、暮らしているのですが、それでも、突然に宮大工が建てた50坪程度の、豪邸に引っ越したし、周辺の、2000坪は、実質的に、夫妻のモノだろうし、その上、種々の、悪辣な企みを、私に対して、いまだに、やってきていますので(後注1)、内実は、どうして、どうして、悪魔の一環と言うべき生活を送って居る夫婦です。
私ね、悪女論(後注2)を展開していますね。それは、東本郷住宅と言う、7棟(200戸)のマンションに住んでいた時に、二人ほど、見つけてあり、この北久里浜生活でも、四、五人ほど、見つけてあり、鎌倉へ引っ越してきてからも、二人ほど、見つけてあります。北久里浜時代に、見つかった悪女の数が多いのは、そこでは、子供が小さい時代だったので、ご近所づきあいを活発にしていて、しかも、幼稚園の会長まで、していたので、知り合いが、おおいからです。
このブログ内で、私は、PTA三役は引き受けない様に、と、皆様に、述懐をし続けているのですが、自身は、PTA会長を一回引き受けているのですね。それは任命を受けたし、その就任前の一年間、幼い娘が担任にいじめられていたので、断ったらさらにひどい事になるだろうと、思って、仕方が無くて、会長を引き受けたのです。35歳ぐらいの時で、まだ、ニューヨークで日本人相手の喧嘩を経験していなかったので、「娘の担任に抗議をする」とか、園長さんと、直談判して、「会長など、引き受けません。なぜなら、娘の方の担任のA先生が、こういう異常なことをするからです。だから、娘の担任を通じて、園に、過去の一年間、お菓子折り(=相当に高価なものを、選んで、送っています。だけど、状況は、改善しませんでした。などを届けていますが、それは、PTAで、偉い役に付きたくて、アッピールしているわけでは無いのです」などという勇気は、全くありませんでした。
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副題う)、『天が、私を見守ってくださり、私にひどい事をした人は、必ず処罰を受けるのだと、言う事を、すでに、1976年に、私は実感をした』
皆様、人生で、最も苦しい事は、自分の子供がいじめに出会うと言う事です。しかも、このケースでは、子供の方には、原因が無いのです。担任の教師が、母である私の方に嫉妬をしているから、起きて居る事態でした。担任の女性は、すでに、40代後半であって、後で知るのですが、夫婦別居状態だったそうです。私は美人でも何でもないのですが、どこかに、『素敵な人だ』と、他人に思わせる雰囲気を持っているそうです。そして、当時は、<幸せとはなんであるかを体現していた人間だろう>とも思っております。あ、今はだめですよ。ほとんど、死にそうなレベルの年よりですから。あ、は、は。
ただね、50代までは、特に海外では、『素敵な人だなあ』という扱いを受けました。敬愛を受けることが多かったのです。
しかし、日本では、それが、災いをするのです。で、生涯で、嫉妬が原因だと、推察される、様々ないじめに出会うのですが、いじめて来ない人は、それなりにご本人に、自信がある人だったのです。それで、相手のそだちとか、教養のレベルを判断することができました。銀座での付き合いですが、ギャラリー山口のオーナーの、みつ子さんは、そう言う、いじめてこない人物の一人だったのです。亡くなった後で、「文房具系専門の、会社社長の、令嬢だった」と、噂話で聞いて、『ああ、そうだったのか。子供時代から、育ちが良い人だったのだ』と、納得をしました。
私がやっとの思いで、その4才時の、娘の担任が行う呪縛から逃れた途端に、その担任の教師についての、悪いうわさを聞くこととなります。それは、気の毒にも、「坊ちゃんが高校受験に失敗をして、どこにも行くところが無い」という噂でした。そのついでに、「ご主人が家に寄り付かないのだ」とか、いろいろ、他の事も聞きました。その噂を聞く前の、二年間の事です。会うたびに、先生の目が、恐ろしくも陰惨な、いじめの目であったのです。それで、『ご主人が寄り付かないのも、むべなるかな』と、思い到りました。だが、リアルな世界では、喧嘩をしない主義だから、「あなたって、いじめをする人間ですが、セックスレスだから、不満があるからではないですか?」などと言うセリフを彼女に浴びせて、苦境を逃れる・・・・・なんて言うことは、思いもつかず、ただ、ひたすらに耐え忍んだのでした。思い出しても、いまだに、ぞっとする二年間です。
その北久里浜時代に見つけてしまった四,五人の、悪女の、うちの一人が、杉本正子夫人です。大沼嘉津江さんの方は、悪女とは言えません。普通の人としての、行いやら、性格を示している人です。
しかし、杉本夫妻や、仲野氏が、地主としての尊敬を受けている裏で、仲野氏の土地と、杉本夫妻の土地には、とんでもないからくりが、隠されています。ともかく、その二つとも、持ち主がお金を払って手に入れた土地ではないのです。仲野氏が、地主と呼ばれて、地域の班長をしているとか聞くと、『あら、いやだ。あなたって、実質的には、その土地を、泥棒したのでしょう。地籍変更届の仕組みを利用して、ただで手に入れていますね』と、思うだけで、鼻で笑ってしまいます。彼が、地主と呼ばれることは、おへそが茶を沸かすたぐいの、間違った敬称です。
そして、杉本夫妻の方ですが、地籍変更届の、事案が起きた時に、ご主人は、横須賀市の土木課長でした。私はね。電話で(その方が、盗聴をされている場合に、更に有効だと思ったのですが)正子夫人に委細を告げました。横須賀市のモノである水道山が、只で、私有化されそうになっているのです。横須賀市の吏員である、杉本氏は、それを阻止しないといけないでしょう」と。だが、彼は阻止しませんでした。そして、どんどんどんどん、出世して行きました。お金の方も得たと、判る部分があります。
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副題え)、『今思うと、この地籍変更届の事案は、1978年に、急に進展したわけではなくて、京急池田分譲地の開発と、一緒に企画をされたものかもしれない。非常に根が深い事案なのだ。泥棒の、一種だが、瀬島隆三たち、戦前の、軍の参謀なら、それくらいの事は、するだろう。
・・・・・スタップ細胞疑惑が、12年以上の準備期間をかけていると、推察されるし、・・・・・こちらの島田章三さんが、大金を手中にする事の、大いなる原因となっている方の事案も、15年ぐらい前である1963年ごろから、準備をされていたとも、推察されるのだ。・・・・・私が京急に乗るたびに横浜駅直前で、嫌がらせ用の、車内放送を、されて、脅かされたり、パンパシフィックホテル品川が、突然に、GOOと言う名称に変更されたのも、充分以上に、私を意識して行われている事・・・・・だと、今では、判ってきている』
ここは、副題としての二重ガッコ内に書いた以上の事は、書きません。だが、ものすごいレベルで、杉本夫妻は、悪に加担をしていると、思いますね。そして、裏で、必死になって、私を弾圧しようとしています。
その方法ですが、正しい人間を、殺す唯一の方法は、ノイローゼにさせて、精神病院へ、強制的に入れてしまおうという手法です。そして、病院内で、薬物で殺そうと考えられています。それが採用されています。
画廊るたんの、中島さんの、対、私へのいじめも、そのヴァリエーションの一つなのです。大きな企画とか、流れの一環なのです。その流れは、今でも引き続いていて、今週は、KUROと言う作家がおかしな動きをしました。後で、時間があった時に、追及します。それも、全部、北久里浜に結び付きます。だから、KUROは、国画会の会員ではないのに、島田さんをヘルプする為に、私に対して失礼なことをしたわけです。それが、どうしてここで、堂々と断言できるかと言うと、杉本夫妻とか、瀬島龍三が、CIAとか、フリーメーソンと言う裏の組織で、結託をしているので、すべての、動きが統括をされていて、まったく関係が無い人物が動くことで、効果を上げうると、考えられているわけですが、それを、また、私が全部見抜いているからです。
本江邦夫さんも、早川重章さんも、国画会とは、関係がありません。だが、上へ上と、関係者が誰であるかの、ミステリーを段階を追って紐解いていくと、結局は北久里浜での不正な、事案に、たどり着くでしょう。全部関係があるのです。
でね。私をノイローゼにするための一環として、
島田章三さんを過剰に持ち上げるという仕組みが、1970年代に、すでに、発進していて、それいらい、莫大な金銭が、島田章三さんに注がれることとなっているのです。
私が島田章三さんの、実妹である大沼嘉津江さんと、PTA活動を一緒にしたのは、1997~9年の間のどれかの年だったと思いますが、
彼女が、広報委員長(=PTA三役の一つであり、もっとも、頭の良い人間が着任すると、思われている)に選任されたのも、裏側に、瀬島龍三が居て、手をまわしたからかもしれないです。また、この1970年代に、すでに、横須賀市役所、大津支所の、壁に貼り付けられている島田章三さんの、リトグラフ(版画の一種で、紙である。抽象画だから、一般庶民には感銘を与えない)一枚に、8000万円支出したと、言われていました。私はこの値段について、「別に一枚では無かろう。一回の個展で、展示したすべての作品を買うと言う事で、そう言う値段がついたのだろう」と、かばって、いままで書いてきていますが、しかし、よくよく考えると、その頃から今までの40年間に、30億円から100億円の幅で、金銭が、島田さんに、渡っていると、思われるので、あの時点での8000万円(現在の貨幣価値に直すと一億五千万~二億円円に当たる)も、一枚で、支払われたものだったかもしれません。これは、紙ですから、毎年、国画会に出品していた100号の油絵など、現在の貨幣価値に直して、五億円以上で、横須賀市は買い上げをしていたと、推察されます。それが、三〇年間続いているので、軽く油絵だけで、現在の貨幣価値に直すと、150億円です。
横須賀市役所に行って、問い合わせても、教えてくれないだろうから、ここでは、推察だけの数値で、語ります。また、横須賀市立美術館ですが、実質的には、島田章三用・個人美術館の、趣きがあります。地表に出て居る部分に、別棟として、谷内六郎記念館がありますが、あれは、作品が遺族より無料で、寄進をされたので、軽いプレハブ風の、建物だけを横須賀市側が、設計建築したものだと、思われ、それほど、お金がかかっているモノではありません。
だけど、島田章三さんの、作品を、収蔵する為に、多大な金銭が、氏の方へ、渡っていると、思われる美術館です。
これでは、島田さん一家が、昔からのご近所様から、悪口を言われるのも当たり前です。ところで、この版画一枚8000万円と言う値段ですが、どうして外へ出たのでしょうね。もしそれが、実妹の、嘉津江さんから、他のママともに、知らされた値段だったら、彼女が、周辺から馬鹿呼ばわりされているのも、むべなるかなです。ただ、ここは、本当の事は、私には、判っておりません。
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副題お)、『歌人を標榜した母君は、明治生まれの人だろうが、あの地域では、浮き上がっていて、嫌われていたと推察される。雪ガ谷とか、下落合に住んでいるのだったら、いざ知らず』
先ほど見た島田章三さんのウィキペディアは、シンプル至極でした。しかし、以前、だいぶ前に見た時は、もっと複雑だったという記憶があって、母堂が歌人だったと、書いてありました。父君は、船舶のインテリアデザイナーだとか。章三さんにとっての長兄は、戦死なさったそうです。それは、お気の毒だと言えましょう。
ところで、次兄は、歌人として、有名な島田修二だそうで、歌会始の、選者にもなったそうです。そういう次兄を育てたという意味では、島田さんの母堂は偉い方です。
しかし、島田さんご一家が住んでいた地域の環境を考えると、浮き上がっていて、嫌われていたのだろうなあと、思い到ります。これが、雪ガ谷とか、小石川とか、下落合とか言ったら、違うでしょう。そういう地域に300坪ぐらいの、お屋敷を持っている階層だと、バカにされません。と言うか、嫌われません。だけど、島田さん一家の住んでいる場所は、そう言う地域ではないのです。
けれど、もし母堂が、繊細な神経を持っていたら、嫌われなかったかもしれませんね。だけど、反対に、いじめられたかも。ともかく、地域の持っている雰囲気から言うと、主婦が、『自分は歌人である』と標榜するのは、まずい場所でした。私は大沼嘉津江さんを、見ていると、鈍感な人だなあと、思います。国画会に、油絵か版画を出品した期間は、11年間だったと、記憶していますが、その間に、種々の形で接した(二人だけで、短い会話を交わしたこともあるのですよ)章三さんについても、同じく『鈍感な人だなあ』と、思っています。
島田章三さんが、奥様の鮎子さんの紡ぎ出す、発想やモチーフを使って、(悪い言葉でいえば、横取りをして)、それに、過剰な手を加えて、重厚な作品に仕上げているというのは、島田章三、鮎子の両方の作品を見た事のある、ほとんどの、人が、知っている事実です。→後注B
それでも、堂々とと言うか、平静に、愛知芸大の学長をやってみせると言うのは、「とことんに、章三さんは、鈍感な人だ」と、言えるでしょう。繊細さとは無縁の人です。
島田さんの母堂は、ご近所と付き合っていないからこそ、娘を遠くの私学に通わせました。その私学ですが、横浜国立大学の付属中へ、1955年に入学した私から見ると、さして、偏差値が高いとも思われない私立女子中高学園です。と言うのも当時の横浜国大付属・横浜中学(旧制男子師範学校の付属・・・・・一方で、女子師範の付属が、付属鎌倉・・・・の筈だが反対だったのかもしれない。ともかく、神奈川県内には、付属が二つあるのは確かだ。)の卒業生は、その一割を東大へ送っていましたので、横浜で一番の名門校だったからです。栄光も聖光も、まだ、有名校ではなかったし、桐蔭は、まだ、創立されていませんでしたから。
もし、島田家の明治生まれのご母堂が、嘉津江さんが、小さいころから、「わが家は、別格です。あなた方などとは、付き合えませんよ」と、お高く留まって居たとしたら、彼女が高校時代に、県立高校(偏差値的に言えば高くはない処)へ転校した時に、「お勉強に、きっとついて行かれなかったのよ。だって、彼女馬鹿なんだもの」と、言われてしまう事に繋がって行ったのも、頷けることです。
しかし、そこまで言われてしまうのは、彼女が、PTAの三役(=広報委員長)を、やっていたからですよ。これは、長時間、平役員たちと、一緒に居る役目だから、いろいろなことが、他の人に全部わかってしまうのです。性格も能力も。そして、彼女が自慢げに兄のことをしゃべることも、日本人の感覚からすると馬鹿だとなるし、
自慢をすればするほど、章三さんが、計算高くて、狡知にたけた人だと言う事が私に判ってしまったのですから、やはり彼女の思考の、位相は、レベルが低いなあと、思います。
だから、PTAの三役など、やらない方がいいのですよ。私は娘が担任の先生に、いじめられているから、『もしここで、園長の「PTA会長になってください」という要請を断ったら、あの担任が、これ以上のいじめをするかもしれない。それが、あと一年間も続くのかと考えると、それには耐えられない』と、思い、それを防ぐために、幼稚園時代に、PTA会長を、お引き受けしたのです。娘が担任にいじめられていなかったら、引き受けなかったと、思います。それ以降もPTA役員(特に、三役などの、重い役目)に推薦されたときは、たびたび、断って来ています。
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副題か)、『島田章三さんの、実妹は、まるで、パリで修業してきたパティシェみたいな上等なケーキを毎週焼いて、持ってくる様になったが、それで、私はかえって、疑念を強めた』
大沼嘉津江さんについての噂話のうちで、「(この現代の様な医療の発達した時代に)、あの人って、子供を死なせてしまった母なのよ。(だから馬鹿なの)」・・・・ここで、カッコ内は、音としては発声をされなかったが、聞く方には、充分に、推察される言葉だった・・・・・を、聞いてしまった後で、彼女が毎週、超上等な、フランス風ケーキ(濃厚であり、背が低いホールケーキ)作ってくる様になったのを、見て、『この行動は、母としては、間違っているなあ。あの噂は本当だった』と、思う様になったのです。
この時のメンバーのうち、杉本正子さんは、肩書大好き人間だし、 人間の作った装置を信じる俗物です。後年、ご主人が横須賀市の副市長になったので、近隣で、威張りまくっていると、推察していますが、
だから、兄君たちが、社会的に偉い人である、大沼嘉津江さんを尊敬しまくって、腹心の部下となっています。で、仕事をきちんとやります。私はまじめだから、好き嫌いの感情とか、価値判断などは、一切示さずに、一生懸命仕事はしますよ。それに、中学時代から、本格的な活字印刷の新聞を作っていたのだから、謄写版摺りの、PTA広報・小学校版なんて、字数が少ないので、楽々の仕事です。
しかし、他のメンバーが相当にだらけて来ました。働かなくなったのです。でね、嘉津江さんは、工夫の一つとして、自分でケーキを焼いて来る様になりました。大変に上等なもので、本格的なパティシエの作ったものとも、勝るとも劣らないものです。それを、「おいしいです。あなたって、驚くべき人ですね」と、褒めながら、でも内心で、疑惑に満ちてしまい、『是では、例の噂話・・・・・子供を死なせてしまったのだから、彼女は馬鹿なのよ・・・・・は本当だろうなあ』と、思い出し始めました。
と言うのも、私は母が毎月買っていた【婦人の友】育ちなので、本格的なお料理には挑戦をした過去があるのです。牛タンを買ってきて、コンビーフ作りに挑んだこともあります。ただ、亜硝酸塩の分量が本文中に、書いていなかったので、小さじ一杯程度入れてしまい、『薬臭くて、薬臭くて、食べられたものでは無い』という結果に終わり、二度と挑戦をしませんでした。亜硝酸塩とは、肉を赤く発色させる薬で、牛タン一個分だったら、耳かき一杯程度で、よかったのでえす。それを500cc程度の水に溶いて入れればよかったのです。と、今なら、判りますが、もう、今になっては、あんな面倒くさいことに挑戦する気はありません。そういうわけで、本格的なケーキ作りにも挑んだことがあり、大沼嘉津江さんが、毎週作って持ってきてくれるケーキが、どれほどに、上等なものかについては、よくわかるのですが、
一方で、深い疑念も沸き起こってしまったのです。
それは、PTAの三役を引き受けることが、既に、相当な重荷であると言う事を、経験上知っているからですね。また、ケーキ作りも相当な時間がかかるものだと、知っているからです。だから、私は最近では、クッキーしか作りません。これは、四分の一程度の時間と労力で、できますし、神経を使わないでも、できるお菓子です。材料さえ上等だと、市販のクッキーよりはるかにおいしいものができます。ところがケーキは違います。特に上に、飾りのついている本格的なもは、神経を使います。パウンドケーキとかフルーツケーキだと、上の飾りが要らないので、未だ楽ですが。
あのね、「お土産にもらいましたのよ。みなさんと一緒に食べたいと、思って持ってきました」と言って、京都の生八橋をひと箱持参するとか、柏屋の薄皮饅頭を、ひと箱持参するとか(それは、ご主人に東京とか、横浜の名店街で、買ってきてもらえばいいでしょう。ご自分で、横浜まで、行ってもいいし)ぐらいのご奉仕でいいのですよ。お子様が二人生まれて、一人はすでに、みまかっている。残っている、もう一人に対して、お母さんが、こんなにPTAに入れあげていて、大丈夫かしら?と、思ったからです。これが、1978年ですね。
後年、2003年になって、一ノ瀬智恵子さんが、渡辺豊重さんの、アクセサリーとして、くっついて歩いていて、しかも渡辺豊重さんが、私をいじめるのを、にこにこして、そばで、みていた際に、感じたのと、同じ種類の危惧を感じたのです。『大沼嘉津江さんは、母親としては、なんだか変だよ』と。一ノ瀬さんの方は、『きっと、将来、この人は、子供の事で、悲しむことになるだろう』と、思ったら、その通りになりました。
大沼さんに対しては、一ノ瀬さんの時ほどの、強い危惧は感じませんでした。が、それでも、『母親としては、変な人だなあ』とは、感じたものです。
なお、これは、付記しておくべきだと、思うのですが、全メンバーのうち、虚心坦懐に、そのケーキを味わっていたのは、杉本正子さんと、私の二人ぐらいだったでしょう。ほかの人は、『おー、嫌だ。<」育ちがいい、ざあますよ>と、言う風に見せ付けて』・・・・・と言う風に思っていたらしくて、嘉津江さんの、意図通りに、もっと働く様になる方向へは、ことは、向かいませんでした。それは、嘉津江さんの行動の中に、奉仕の精神とは、正反対の『実は、自分には、こんな特技があるのよ。あなた方よりも、上ですよ』と、言いたがっている勝ち気な、精神が、うかがえたからでしょう。温和に見えるが、実は相当に勝気な人の様です。
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副題き)、『健康な状態で、生まれた子供を死なせてしまった母とは、内情はどういうものだろうか? 例の見て来た様な嘘を言いで、解説して行こう』
この章で、私達、母親が、大問題としている、子供を死なせたと、言う事を、理解できない読者も、大勢いらっしゃると思うので、例の見てきた様な嘘を言いで、詳細に解説をさせてくださいませ。
世の中には、大沼嘉津江さんとは、真っ反対の母親も、居るのですよ。それを先にあげましょう。私の知人で、お子さんが重い心臓病を、持って生まれたママが居ます。見るからに悪い状態でした。唇にはチアノーゼ(紫色になる事)があり、顔色は、どす黒いです。
ところで、心臓移植ですが、私は、それは、やらない方がいいと思っております。そのママは、それが、全く行われていない頃に、このお子さんが生まれたので、こう言って居ました。「心臓の4か所に、悪い場所があるの。だから、手術するのは無理だって、先生に言われている」と。そのお子さんですが、45歳を過ぎた今でも健在の筈です。今は会っていませんが、五年前に大丈夫だったのです。会社勤めなどはできないと思いますが、こういう重篤な障害のある方には、国家から、生活費が出るので、ご両親が生きている間は安全なのです。
そして、そのお子さんは、高校まで、無事に卒業されている筈です。それがどうして可能だったのかと言うと、お母さんが、いつも、車いすに乗せてついて行ったからです。ここですが、彼女がどれほど、賢い人なのかを自然に語ってくれている個所です。学校の先生としたら、常に監視をされていることとなるので、いやじゃあないですか? でも、心臓には障害があるが、脳には障害が無いお子さんなのです。だから、親としては普通学級に通わせたいです。そして、ある部分で欠損があるからこそ、欠損が無い部分を生かしてあげたいと、思っているでしょう。だから頑張って、学校に交渉して、ずっと、母子で、一緒に通学をしたのです。しかし、当時は、公立の小、中、高校に、エレベーターは、無かったと、思いますので、登校や下校時に、玄関から教室に、車いすで、行くだけでも、大変だったと、推察しています。
私自身が立派な母親であると、主張するつもりはないのです。しかし、大沼嘉津江さんの対照例として、この女性を置いてから、先の話を進めたいです。
健康に生まれたお子さんでも、時には高熱を出すことがあります。それが、保育所に預けている状態で、亡くなったりしたら、親はあきらめるに諦められないと、思います。
ただ、そのぐったりしたことの、原因が、破傷風であるとか、毒蛇に噛まれたというのなら、素人で、対応するのは無理ですが、一般的なウイルスや、細菌が原因で発症する病気だったら、最も大切なことは、子供自身の治癒力と生命力を信じることです。過剰に心配したり、過剰に保護したりするのは、駄目なのです。
ぐったりした様子だったら、往診を頼むのがいいでしょう。その際に、最高の開業医を、およびするのがいいです。地域に10軒の、内科クリニックがあったとしたら、どこがいいのか、ご近所の年上の主婦に聞いてみるのがいいです。20代、または、30代の女性にとって、50代の女性は頼りになる先輩です。子供が大学生ぐらいの年齢の主婦だったら、過去の経験上、どこのお医者さんが、評判がいいか、知っている筈です。
そういうお医者さんに、自宅まで、来てもらう。「午後3時ぐらいまで行かれませんが」と、言われたら、その時間帯まで、母親だけで、できるだけ、上手な看護をして待ちましょう。
ここですが、反対に、重篤だから大病院へ連れて行ってしまうという形もありがちです。しかし、小さな子にとって、大病院での受診は負担が大きいのです。その上、大病院の、その日の担当医が名医だとは限りません。若い研修医かもしれません。そして、経験と自信が無いので、「入院させましょう」と提案することも、ありがちです。しかし、大病院へ入院したとしても症状が、改善されない場合もあると、思います。そうなると親は焦ります。『あの先生って、若いから未熟なのではないかしら。もっと、いい先生に見せた方がいいのではないかしら?』と、思いがちです。
で、島田章三(三兄)さんやら、島田修二(次兄)さんが、すでに、セレブの生活を送っているので、「愛育病院か、慶応病院へ、入院できないかしら?」と、相談をしたりする場合もあるでしょう。 そうすると、二人の兄君は奔走して、それら有名病院への紹介状を手に入れたと仮定します。それから先ですが、こういうケースでは、救急車は、使えません。大村嘉津江さんの家ですが、傾斜地に建っています。それで、もしかしたら、車を持っていません。横須賀は、急傾斜の、場所が多くて、車が入らない場所はいっぱいあるのです。我が家は今は、鎌倉に住んでいますが、130段の石段を使うので、同じく、車を持っていません。
でも、なんとか、車を手配して、転院させたと、仮定しましょう。だけど、西洋医学の基本とは、毒をもって、毒を制するです。薬とは、本来が毒なのです。
で、小さいお子さんの中には、薬の毒素に負けて、亡くなってしまう人もあるでしょう。東京女子医大付属病院で、手術後、静かにさせる薬(一種の、麻酔剤みたいなもの)の処方量を間違えて、何人もの赤ちゃんが、死んでしまったケースがありました。
で、ブランド的には、有名な病院へ転院できたとしても、お子さん自身の体力が残って居なかったら、そちらで、亡くなると言う事もあり得ますね。ここいら辺は、シューベルトのリード【魔王】が、非常によく表している状況です。で、ブランド病院の名医は、「このお子さんは、初期治療が悪かったので、お気の毒ですが、亡くなりました」と両親に告げたとします。
そういう宣告に対して、ご両親は、納得が、素直に納得をしたと、仮定しましょう。そして、嘉津江さんは、自分の責任を感じ取ることなく、日々を送り、数年後、上等なケーキを焼いて、ご自分の、広報委員長としての役目を全うしようとする様になります。
この章は、すべて、私の想像で、語っています。だから、事実は、是と、異なるかもしれません。だけど、あるお子さんが、10日前まで、健康だったのに、急に亡くなるというケースの裏には、こういう風に、親があたふたしすぎる場合もあると、思います。
なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3417764です。18日の早朝に、初稿を書き、20日の午前2時半に、推敲を終える。
雨宮舜 (川崎 千恵子)
後注A
らら横浜と、ルネ北久里浜が、そっくりだと、横に並べて見せよう。嘘を、シャーシャーと見せつける悪人たち 2016-02-22 00:02:37 | 政治
後注B
島田章三さんは妻鮎子さんのモチーフを応用しているけれど、そこにオリジナリティの問題はないのですか? 2014-02-11 02:32:40 | Weblog