銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

NHKスペシャル、杉並区の空き家特集、を、2019年3月に、もう一回語る・・・・・酒井忠康、よよ、・・・・・日本には本当の、批評魂が無い

2019-03-30 15:53:41 | 政治

  これは、100%前報(あと注1)の続きです。前報は、政治評論として書いているのですが、私自身が、小説的文章を書くのも好きだから、些末なところへ入り込んでいます。些末というのは、それぞれの登場人物が、あれこれを、展開する、その心模様が、あまりにも、興味深いと、思うからです。なお、初稿を書いてから、24時間が経った、今は4月1日の午前、三時です。下の文章を初校部分だけは、推敲をしました。後、北側順一郎氏と、秋山祐徳太子について、語らないといけません。お待ちくださいませ。

副題1、『ここで、私は、ニューヨーク在住の通称【よよ】と、言う日本人・版画家について、述べないといけない。彼女は、ニューヨークという地の利を金科玉条のごとく、使って、神奈川県展で、入選を繰り返した。しかし、その制作の裏側を知っている私としては、審査員、酒井忠康氏は、そのニューヨークという地名のきらびやかさに、惑わされている人なのだと、見えてしまう。どうして、これを、此処で、書くかというと、NHKが、社会派を装って、報道をした、杉並区の、空き家特集に、最後に、若い女性学芸員が出てきた。あの時点(=2009年)で、CIAエージェントに、協力した美術評論家としては、渡辺幸子さんに、青木繁大賞展の、大賞を与えた、酒井忠康氏しか、考えられないからだ。で、あの番組に酒井氏は、協力をしていると考えるので、此処で、前報の続きとして【よよ】のエピソードを書きたいと、思う。というのも、【よよ】の性格、行動、そして、制作態度、すべては私に言わせると、こずるいと、言う言葉以外、与えられないものだったからだ。で、酒井氏は、物事の、本質を見る目があるのだろうか。・・・・・と、さえ、思ってしまう。というのも、よよは、ニューヨークで、「自分は、酒井忠康氏に、ほめられている」という事を大宣伝しているからだ。

 もう一つ疑惑があるのは、毎日展をつぶしたことだった。立派な作品を選び続け、現代アート系の、コンクールとして、有名だった毎日展を、平気で取り潰したうえで、ご自分は、定年退職後にもかかわらず、世田谷美術館の館長に収まった。世田谷美術館は、今は、独立法人(一種の私立)なのかもしれない。しかし、その立地、及び、建物の建設は、税金で行われている。したがって、実質的には、半分以上、公立だと私は、思って居る。こういう風に、CIAエージェント自身であるか、又は、それらの人物と親しいと、ルール違反で、厚遇を受けると、いう事が、日本全体に広まると、この国は、非常に暗くなる。法治国家ではなくなるからだ。

 酒井氏は、そのお名前からして、江戸時代の、お殿様の末裔だと、思っているけれど、でも、私の目に見える行動は、疑問だらけのものだ。ノブレスオブリッジとは、程遠いものだ。

 ところで、グループICU展には、石塚雅彦さんの、親友として、お医者さんが、いた。ICU卒後、医学部へ再入学してお医者さんになった人だ。ほかの人は、外人記者クラブの会員としては、石塚さんからは、推挙されていなかったけれど、その人だけは、推薦されていた。お医者さんであって、記者ではないけれど、推薦をされていた。外人記者クラブの会員になると、そのレストランが利用できる。おいしくはないけれど、安いし、周辺には、外人ばかりだし、タワービルの上階だから、特権階級になった気分を、味わえる。その人は、頭から、第三文字まで、酒井忠康氏と、同じ漢字を使った名前である。私は、親戚または、兄弟であろうと、思って、其れを、そのお医者さん、ご本人に質問をしたが、否定をされた。しかし、どう考えても、兄弟か、従兄弟だと、思われる。そうなると、鎌倉エージェントと、ICU関連の人々が、結びついたのも、この路線も、そこへ貢献をしていたとなる。

 他に三輪喜久代(ICUで私と同期卒業。新卒の1966年、春秋社に就職。そこで、伊藤玄二郎と、知り合ったと、思われる。彼女は、たぶん、日本化学会の会員資格を持っている。しかも現在ロンドン在住である。したがって、イギリスが、使われる、謀略、例えばスタップ細胞疑惑で、雑誌NATUREが使役をされているが、そこに、小保方論文を、掲載することにあたって、尽力をしたと、私は、見ている)さんと川名昭宣君(ICUで、同じく、私と同期である。フランス留学後、角川書房へ入社、そこで、伊藤玄二郎と、知り合った可能性があり、かつ、伊藤玄二郎が、ポルトガル国の、エンリケ航海王子勲章を、もらう、典拠となった、書物【びょんぶ】を編集し、角川書房新社から、出版した、人物であると、私は、推察している)がいるけれど、酒井氏と、石塚雅彦さんが、結びついているとなると、すべての謎が明瞭となる。

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副題2、『酒井忠康氏と、よよの関係を、私は、超が付くほどに、不思議なものだと、思って眺めていた。というか、はっきり言うと、ニューヨークを出世の道具としている女性を、目の当たりにしたと、感じたのだった』

 よよと、通称で、呼ばれていた女性は、本名を、田中〇代だったと、記憶をしている。しかし、間違って居るかもしれない。私には、嫌いな人に関しては、名前他の情報を忘れがちになる習性があるから。彼女は、ニューヨークで白人と結婚をした。それは、ニューヨークに渡った日本人女性としては、大成功だ。国籍(アメリカではそれを市民権という)他で、便宜がある。しかし、相手は、芸術家であって、お金は、儲けられない人間らしい。私は、【よよ】から旦那の悪口を何度、聞いたことだろう。したがって、サラリーマンでもない【よよ】自身も、貧乏なので、シャルボネ(パリに本店のある有名なメーカー)の版画インクを、薄い緑色、ひと缶しか買っていない。そして、其の鮭缶一個程度の量を、数年間にわたって、自分の作品に使う。どうして、そう言う事が可能かというと、彼女は、年に一作しか作らないからだ。コンクール向けの作品を、一年に、一作、作る。それ以外は、版画を作らない。作家(=版画家)というが、コンクール狙いだけが、目的の日常生活だった。

 しかも、其の・・・・・年に、一作しか作らない作品・・・・・についても、作業は驚くほど、単純だった。幼稚園の子供か、小学生の低学年の子供かというほどに、単純だった。亜鉛版(これは、銅板より安い)の上に、本物のカギを置いて、其れを、鉄筆(版画の世界では、ニードルというが)でなぞると、いう形で、形象を生み出している。しかも、亜鉛版は、たて、8cm 横、4cmぐらいに、カットしてあった。それは、中程度の金属板を買って、大きな作品を作る工夫の一つだった。6000円ぐらいか、それ以下の値段で、買える、60cmX 40cmの亜鉛版を使って、たて、60cm 横 120cmの、大きな作品を作り上げる、手立てとして、そう、言う考えを、練り上げる。

 まあ、頭がいいとは、言える。それと、それほど、貧しいと、言えば言える。貧しいことを軽蔑するわけではないが、彼女の全般的に、こずるい性格が、ニューヨーク一古い版画工房を、つぶしたし、そこが、生活の拠点となっていた、ホアレスと、言う版画家の命を奪った事にも通じるので、『こんな、人間をアゲアゲする酒井忠康氏って、どういう眼力を持っているのだろう?』と、この18年間、ずっと、疑問に思ってきた私なのだった。 

 彼女がどういう部門の大学を出ているかは、知らないが、ただただ、大きな上昇志向を持っていて、それを、ニューヨークという地の利で、実現をしたいと、思っている人間だった。で、はっきりといえば、オノヨーコになるか、草間彌生になることを狙って居ると、言える。それで、こけ脅かしの、大きな版画を、コンクール狙いとして、作るが、年に、一点だけしか作らない。

 ここからは、私の想像でしかないが、よよは、バブル期に、東京で、雑誌の編集者だったと、思われる。雑誌とは、特別に志が高い編集人が、作っている場合を除くと、売るための、策略を、考え抜くフィールドであって、そのためには、購買層を、小ばかにする向きがあると、思う。お客の方を、一段低く見て、ネズミ扱いする傾向の事だ。それは、現在では、マンション販売の世界でも、顕著だが。

 そう言う社会で、育ってきたために、他人を道具として、使う事を何とも思わない人間だった。私の様に、儲けることが、全く必要ではない勤務先である、東大に、務めてきた人間とは、テンから、違うタイプだったのだ。しかし、彼女の方に、礼儀を守るという意識がないので、三か月しか滞在できないのに、その最初の2か月間は、苛め抜かれたのだから、そうとうに、ヘビー(厄介)な相手だった。まあ、原因としては、私の作業ぶりが、いかにも金持ち風だったことが気に入らなかった点にあるだろう。私が携わっていたヘイター方式は、莫大な量で、版画インクが無駄になる。しかも作業台の周辺に、よよが、持っている薄緑色よりは、はるかに高い、赤や、黄色を含めて、6,7缶のシャルボネインクを並べているのだから、それだけで、「あいつ、嫌いよ」と、よよが考えたとしても、無理はない。

 ただし、外人は、私には嫉妬しない。自主性があるからだ。日本人って、どうして、これ程、了見が狭いのだと、思うほど、すぐ、他者を気にする。特にその人間と、自分との上下関係を気にする。

 あまりの、仕事妨害を受けるので、とうとう、喧嘩をすることとなる。その前年に、京都の精華大学を出たという、やす子と、言う女性とブルックリンの美大の大学院で、も、いじめ的妨害を受けたのだった。でも、彼女がその虎の威を借りていた教授の無能により、彼女の方が、仕事ができなくなって、私に援助を求めたくて、折れてきたのだった。しかし、化学方程式を用いて、彼女の、婉曲なる、謝罪と、私への支援を求める気持ちを拒否したので、狂った、彼女は、塩化第二鉄の原液を、床にぶちまけると、言う、真の、きちがい沙汰を起こして、彼女が、その虎の威を借りていた、女性教授の職を奪ったのだった。学生はバカではない。ちゃんと事情を見ていて、真犯人は、無能な教授であると、見ていたのだった。ストライキなど、起こさないが、その教授の、講義を、次の楽器には、誰も、申し込まなかったという形で、その無能な女性教授の職を奪ったのだった。

 しかし、酒井氏は、よよがニューヨーク住まいだと、言うだけで、又、その夫が、金髪で、作曲家だと、言って紹介を受けただけで、コロッと、まいってしまって、よよを高く評価をしており、それをまた、よよは、日本とニューヨークで、使いまくるのだった。そういう風にして、有名人が、できていくのが日本だった。パリは、もっと、近代的かと、思って居たが、パリでも、意外なほど、人的コネが、ものをいうそうで、世界は、古いのだった。世界は、近代化に向かって居るはずなのだけれど、ジャンクリストフで、描かれた時代と、全く変わりはなくて、この世で、いいものが評価を受けているというのが、幻想でしかすぎないことが、とことん、わかってくる。

 ここで、自分のことを語るのを許していただきたいが、画壇での出世を願って居る、渡辺幸子さんには、私のことは、2%も理解できず、「あなた、何やっているのよ。こんな無駄なことに大金をかけて」と、叱責してきた。だけど、私にしてみると、美術界への、幻滅が激しいので、誰もやっていない分野で、あまり、他人の評価が、意味を持っていない、ことをやりたいと、思って居て、このブログの世界で、ものを書くなどという事は、その、楽しい事の方なのだった。書いている内容の題材については、いやな内容だと、思う。しかし、こういう現代日本の、真実を書く事が、他の分野にも、応用ができるスケールとなっているのを信じるのだ。

 だから、私は、銀座で、「終わった人扱い」を受けていても、あまり、気にしていない。オープニングパーティで、ビールをお勧めいただけなくても、気にしてはいない。「そうですか!」と、いつも淡々と受け止めているが、中島三枝子さんみたいに、極端な態度をとる人間については、タイミングを見て、その裏側を書く。彼女みたいな、平凡な人物でも、あれっと、思うほど、面白い話題を拾える瞬間が出て来るのだ。

 人間の醜さの極致が見えるときがある。そういう時に初めて、筆を染める。だから、小さいいじめを、気にしていないので、小さいいじめに対して、反応をしないという態度になる。それを見て、弱いと考えると、ある時に、私から、度肝を抜かれる様な、文章を書かれることとなるだろう。

 本日の文章は、実は画家Aに起因をしている。彼が、先週の土曜日と、木曜日に、目の前に現れて、向こうから挨拶をしてきたので、酒井忠康氏について、上のことを書いた。彼のお嬢さんを近代美術館・鎌倉館に雇ってあげた時代の、館長は、酒井宙康だったので、画家Aが、いやなことをするたびに、酒井宙康氏について、いろいろなエピソードを思い出すのだった。

 彼について、最近書いているシリーズを正しく理解をすれば、私の目の前に現れた義理はないというか、そんなことをしてはいけないのに、彼自身が、おバカさんだからなのか、彼の上にいる、伊藤玄二郎と、井上ひさしが馬鹿なのか、それとも、この山に住んでいる前田清子、安野智紗、小野寺夫人の三者が馬鹿だからか、本当の、ところは、よくわからないが、「彼を動かせば、きっと、雨宮舜(=実名、川崎千恵子)は、自分達に都合の悪い下書き分を公開しないはずよ」と、思って動かしていると、考えている。

 私は小細工は大っ嫌いだ。で、画家Aが、小細工をするので、関連人物として酒井忠康氏を思い出して、書いたというわけだ。酒井忠康氏が、お困りになるのだったら、画家Aに向かって「ちゃらちゃら動くな!」と、柄沢斉に、彼から、お電話をかけておく様に、いっておいていただきたい。ともかく、私の周辺にいる人間が、行う小細工は、すべて、私は、将来、彼らの願いと反対の方向で、文章のテーマとして利用をさせていただくといっておこう。小野寺夫人が山ノ下のある家の門前で、その主人K氏と会話をしていた事も、必ず、利用をさせていただくと、言っておこう。今ではないが。

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副題3、『よよの、やったことは、間接的な殺人だった。ひどい女性だ』

 私は、ニューヨークでは、日本人を相手にして、二度喧嘩をして、二度とも、簡単に勝ってしまった。コツは、現状を正しく、短い言葉で説明をするだけでいいのだった。若い日本人女性が相手だったが、大声を出す必要もないし、にらみつける必要もない。向こうから喧嘩を売ってくる様な、人間は、何と、単純な事であろう。自分のことさえ見えていないのだ。と、同時に、その人間と、私との間の関係性も見えていない。・・・・・それを説明するだけで、圧倒的に勝つ。

 よよのケースを語ろう。電気のスイッチの在る場所を教えてくれないくせに、「あなたが、遅くまで、仕事をするから、私が帰れないでしょう」と、彼女は言う。彼女は、版画工房に、使用料を支払って居ない。使用料を支払う代わりに、午後4時から、夜10時まで、工房の職員として働く約束ができている。しかし、私が、金銭的に、富裕なことに嫉妬をして、アリと、あらゆる、場面で意地悪をしてきて、しかも、夜10時まで、いないといけないはずなのに、早く帰りたいと、言う。

 もし、彼女が普通のレベルでの、日本人芸術家としての、親切を示したら、今から書く様な事は書かないであろう。普通の親切とは、何か?というと、次のカッコ内に書いた様な、説明をすることだ。「私は、先に帰るから、あなたが、電気を消して帰って」と、言い、特別な部屋の、スイッチがどこに在るかを教えてくれたら、約束の、夜の、10時より前に、帰ってもいいのだ。ビルの、ワンフォロアー100坪ぐらいを全部占拠している、古い、大きな版画工房だったので、中では、スイッチが、どこに在るかがわからない部屋もある。特に、郵便局員とか、ニューヨーク市の市の清掃局員が利用する裏側のエレベーターというのがあって、その入り口ロビーは、4畳半は、あるのだけれど、その部屋のスイッチなど、どこに在るか、わからない。というのも、一種の物置ともなっていて、壁にモップ他、いろいろな、ものが立てかけてあるからだった。

 そう言う事を一切説明しないで、ただ、唯、「あなたが遅くまで、仕事をするから迷惑だ」と、言う。それで、私は、「私は、この工房に、月にして、六万円の使用料を支払って居ます。あなたは、一銭も支払って居ないでしょう」と、言った。すると、ぐーの音もでないので、ただただ、膝をがくがくさせ、細い目を吊り上げて、わずかに黒く見えるひとみでは、こちらを、にらみつけて、口では何も語らず、プンプンしながら帰って行ったのだった。そして、私が、ニューヨークにいる間中は、お当番の義務がある筈なのに、二度と工房には現れなかった。

 私が意地悪を言って居るのではない。この人間のこずるさの、せいで、工房がつぶれたのだった。そして、私と同じ年齢の、ペルーから、来た版画家、ホアレスは、私が帰国後たった、9か月後に、飢え死にしてしまった。

 どうして、つぶれたかというと、彼女が、お当番をする代わり、使用料を支払わないで、いいシステムを作り上げ、その当該者として、12人の若手、版画家を指名した。それが、もっとも、ぴんぴんしていて、働き盛り、制作盛りの若手だから、そう言う連中が使用料を支払わないという事は、工房全体に、お金を払わないムードが、蔓延してしまったのだ。そして、工房が、断末魔を迎える時期に、私が毎月、6万円を支払って居たのは、工房にとって、とてもありがたいことだった模様だ。事務職をボランティアという形(無報酬)で、かって出ていた、スーパーモデル(中学生の子供もいるが、超美形ではある。ただし、所長と同じアフリカンだから、手伝って居た)から、私は、信頼をされていて、重い灯油缶(厚い鉄製で、四ガロン入り)を運ぶのを頼まれたりしていたのだった。で、其の100坪が、昔からの契約で、月に12万円の賃貸料で、借りていることも聞いて知っていた私である。

 ホアレスは、この工房があるので、他人の版画を代わりに自分が、摺ったりして、摺師業を行い、それで、基本的な生活をやっとという形で、維持していたのに、此処がなくなったので、飢え死にをしたのだった。気の毒に。私の五冊目の本『黄色いサクランボ』の中には、両方とも、有色人種であったために、複雑な、心模様を持っていた、所長とホアレスの、二人の死に、日本に帰ってから遭遇した、私の、もう、間に合わない気付きと、同情と、悲しみを書いている。ホアレスは、毎日、サツマイモ入りの蒸しパンを持ってきていたのだけれど、あれをおやつだと、認識していた私は間違って居た。あれは、彼の主食だったのだ。

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副題4、『そう言う私も、日本では、リアルな世界では、喧嘩へは、持って行かない。質問をすることはあるが、NHKへ、番組について、異論とか、批判に近い、質問を投げかけたりはしない』

  上で、私は、ニューヨークでは簡単に喧嘩に勝ったと、言って居る。私は、小さいときから、兄弟の年が離れていたので、兄弟げんかをしたこともないし、友達も、500メートルは離れたところに住んでいたので、喧嘩というものをしたことが、なかった。しかし、やってみると、非常に簡単であって、勝てるという事を知った。

 しかし、そう言う私も、この日本では、すべての、場合、自分が負けるという形をとって、その場を去る。どうしてかというと、日本は、人口密度が高いので、どこかで、誰かが、つながっていて、結局のところ、勝負で、勝ち負けが付かないところがあるからだ。勝とうと意識すると、結局は負ける。それは、私に限らず、すべての人に当てはまる。らしくて、其れを三すくみの法則という。

 で、杉並区の空き家特集という、見事にカモフラージュはされているが、員実としては、完ぺきに、私をいじめることが目的な、番組が、放映をされたって、NHKに、文句を言うわけでもない。だが、あまりのことに驚いて、高橋和さんには、電話をかけた。

 私が、1990年以来の、公募団体展生活で、知り合った作家の内、もっとも、人格が高潔で、しかも美術的才能も高いと信じている人が、高橋和さんであり、その人に、電話をかけた。猫新聞が毎日新聞に、全面広告を打っていて、其の第一面に高橋和さんが、普段発表をされている抽象画とは違う、分かり易い猫の絵を掲載していたので、驚いて、電話をかけたのが、最初の、きっかけであって、それ以来、猫スキ同士画としての話題が、いつも交わされていたのだった。電話番号は、私も出品をしている公募展(=女流展)の、中に、委員として出ている人だから、調べるのは、簡単だ。

 それが、盗聴をされていて、やがて、高橋和さんが、ギャラリーアーチストスペースで、個展をする様になる。それで、私は、何故、北側さんが、その恐ろしい番組に協力したのかが、わかってくることとなる。北側さんは、恵比寿住まいで会って、秋山祐徳太子も、恵比寿住まいだった。そこで、秋山祐徳太子という人物が、大きく、前面にせり出してくることとなる。

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尚、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5239916です。 

 

後注1、

貴景勝VS琴奨菊、mediaが上げたり下げたりする度合いは何ゆえに違う?、指原いく子、山寺重子、嶋田員子、国展審査風景は、まっとうか否か?

2019-03-28 21:19:48 | 政治

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貴景勝VS琴奨菊、mediaが上げたり下げたりする度合いは何ゆえに違う?、指原いく子、山寺重子、嶋田員子、国展審査風景は、まっとうか否か?

2019-03-28 21:19:48 | 政治

 今は、30日の午前、2時です。下の文章を推敲し終えて、末尾に、副題6から、移行を加筆している最中です。

副題1、『貴景勝、は、日本人大関としては、六場所制になってから、一番の、スピード出世だそうだが、メディアに、あげあげムードがないのは、何故だ?』

 桜が東京では満開だそうです。不思議なことに鎌倉は、まだです。未だ、まだと、言う感じです。しかし、世の中は、春めいてきました。そして、日本には、すみっこに、いいことがありますよ。結構、きれいな人間たちを見ることがあります。しかし、私は、引き続き、政治の問題にこだわり、どれ程に、いやなことが、現在の日本に、蔓延をしているかを語りたいと思います。自分の気分に応じて書くのではなくて、今回は、ずっと、以前から考えていたことを、継続して、まとめて行くつもりで、語ります。

 だから、内容としては、春景色より遠くて、まだ、まだ、冬景色だと、言っていいでしょう。

 さて、貴景勝の大関昇進に関して、NHKは、割と、あっさりとしていました。なぜ、か、皆様、お分かりですか? 私が一回、貴景勝について、文章を書いているからです。こういっちゃあ、おしまいですが、そこらあたりのスポーツ記者よりもずっと、面白い文章になっているでしょう。後で、リンク先を見つけておきます。(後注1へ)

 今、私が、集中して書いて居ることは我が家へ侵入する、泥棒4者についてです。これは、本当に忌まわしいものです。普通、子供の時は、「警察は、泥棒を取りしますものです」と、教わりますね。しかし、私が住んでいる山は、実際に活動している家が、15軒しかないのに、その中で、「警察の協力者です」と、公称している、家族が三つもあって、その三つが、非常に恐ろしいことをやってきているのですが、それ以外にも、合いかぎをもらって、侵入して居る画家Aとか、庭先方面で、狼藉を働く、柳沢昇(現在は、かまくら春秋窯主宰者である)などが居て、私は防衛するのには、非常に大変です。それを、結構詳細に、書き続けているのです。が、それが、CIAエージェントにとっては、あまりにも、衝撃の事実なのですね。

 これから先は、鎌倉エージェントが内々で、使って居るであろう言葉を使って書きますが、「あいつはさあ、全部裏側がわかっていると、言って居たけれど、そんなことまで、ばれている筈がない」と、思って居ただろう部分が全部ばれていると、初めて、気が付いたでしょう。その上、其れを、分かり易い文章として、書く人間が居るとも思わなかったであろうし、また、その書いている人間が、私、雨宮舜(=本名、川崎 千恵子)であるとも、思って居なかったので、衝撃を受けたことは受けたのですが、すぐさま、復讐に乗り出してきています。

 その復讐の一つが、貴景勝の、大関昇進をマスメディア的に、アゲアゲには、しないと、いう事に、象徴的に表れています。私は貴景勝のファンクラブに入っているわけでもなくて、大相撲は、一回も観戦をしたこともなくて、全く、ごみみたいな存在です。しかし、2009年ごろの八百長疑惑のころから、私が大相撲に関して、発言をしたことは、すべて正しいでしょう。だから、たった、一回だけ、貴景勝について描いている、その文章が、又また、広く広まるのを恐れて、貴景勝について、マスコミに、制限をかけていると、思います。

 本日、図書館で、調べましたが、琴奨菊の大関昇進の時には、伝達式が、朝日新聞の、一面に載っています。ところが、貴景勝の時は、伝達式は一面には載っておらず、社会面の下の方ですし、一面には、囲碁界が、宣伝の為に、特別にプロにした、菫さんの写真が、載っているのでした。人々の関心事は、貴景勝の方が、圧倒的に、菫さんよりも大きいのに、そう言う偏波が見られます。

 激しい、弾圧を、貴景勝の、マスコミ露出に加えているのです。たった、一回ほど、私が貴景勝について、文章を書いただけでです。琴奨菊については、其の昇進について、長文の記事が、前後で、六回ものっていました。貴景勝は、琴奨菊よりも、精神的には、大物かもしれず、横綱を狙える逸材だと、思うのですが、私を弾圧する為に、其のマスコミ露出が、押さえられているのです。

 しかし、此処にこういう風に書くと、それに、反対の行動を、取るのが、鎌倉エージェント(=CIA)ですから、今から、貴景勝の、露出が増えるかもしれません。まあ、いやな話です。しかし、それほどに、私が大物であり、このブログの、影響力を、悪人たちがどれほどに、恐れているかが、こういうポイントでも、わかります。

 ただ、この間、偶然に視聴した、日曜日夜の、大越キャスターの、NHKのサンデースポーツで、朝青龍が出てきてびっくりしました。朝青龍は、当時の、相撲人気に、絶大な貢献をした人間ですが、内館牧子さんの、・・・・朝日新聞側からの、指示があっての、・・・・・猛攻撃を、受けて、撃沈せざるを得なくて、相撲界を去ったのです。

 なぜかというと、当時、6チャンネルと、8チャンネルで、ゴールデンアワーに、若者向けの、バライエティ番組を持っていた、細木数子の影響力を、CIA側が、恐れた、からです。細木数子が、朝青龍のタニマチ(ファン)だったために、朝青龍を、追い出したのでした。細木数子は、若い女性に、「もっと、日本人としての、誇りと気概を持ちなさい」と教えていました。日本を被・植民地国家として、支配をしていて、大量の核燃料を売り込んで、儲けている、国際的軍産共同体にとっては、困ったちゃんだからです。そのとばっちりを食って、朝青龍は、引退せざるを得ませんでした。

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副題2、『内館牧子は、東北大学の相撲部監督だそうだ。それに関して、NHKは、一時間番組を作った。何とも、空々しい、かつ寒々しい番組だった。しかし、現代最高の、CIAエージェントが、仙台に拠点を持つ、井上ひさしなので、東北の、人脈、例えば、宮城県知事などを利用して、そう言う方向へもっていったと、見える』

 ともかく、現代社会では、嘘が蔓延しています。NHKが世論調査なるものを、一か月に、一回発表をしますが、あそこで、安倍総理大臣の支持率が、45%ぐらいだと、言うのは、嘘も嘘でしょう。調査数が、足りなさすぎるし。ともかく、井上ひさしが、実質的な、天皇のごとき、威勢を誇っていて、彼が、裏で、あれこれを、画策し、提案し、その通りに、大勢の人が、協力をするので、彼のアイデア通りに、現代日本は、動くのです。

 大相撲の八百長疑惑というのが、取りざたされ、琴光喜と、言う当時の大関が、除籍処分になっているそうです。私はすっかり忘れていました。当時は別の事で、忙しかったのです。私は1997年から、2009年ごろまで、テレビも、新聞も、見ないで、修行中だったのです。たまたま、家族が点けているチャンネルを、一緒に見るという形でした。

 しかし、本日図書館で、いろいろ、調べていた際に、偶然に見つけたのですが、琴光喜の、お坊ちゃんが、小学生でありながら、相撲をやっていて、すでに、強いのだそうです。なお、琴光喜は、日大出だそうです。という事は、一種のインテリであって、したがって、ほかのお相撲さんに、嫌われていた可能性がありますね。上のはみだしは、どこのフィールドでも、損をしているのです。うまく適応できない可能性を秘めています。だから、気の毒にも、スケープゴートとして、血祭にあげられた可能性があります。ただ、ここでは、そうらしいと、思うだけです。傍証づけはありません。貴の岩騒動などは、相当丁寧に、追跡してありますが、琴光喜騒動のころは、私は、テレビにも相撲にも、ほとんど、関心がなかったのでした。

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副題3、『NHKが、総合チャンネルで、週末の夜放映する、NHKスペシャルの一編として、杉並区の空き家特集をしたことが、10年以上前だが、あった。鎌田氏(現在は、TV東京、ジパングのキャスターをしている人物だが)が、インタビューワーとして仕切っていた番組だが?』

 ただね。2009年の一月第四週の週末だったと思うのですが、夜9時過ぎに、スペシャルとして、NHKが、杉並区を舞台とする、空き家特集というのをやりました。その時、二代目、子供ニュースの、キャスターをしていた、鎌田さんが、杉並区を訪ねたのですが、NHKは、社会派番組を装って、対・私攻撃用の番組を作ったのでした。

 それはです。私が、大変高く評価する、現代アート系作家、NKさんを、いじめる番組でした。NKさんは、私が上條陽子(=安井賞受賞作家、池田20世紀美術館での個展等、既に、有名人である・・・・・ただし、1981年に私が、銀座で初個展をした時に、毎日新聞の、今週の催しというコラムでは、私と上條さんは、同じ週に配置をされて紹介された、6個ぐらいの個展の作家であった)さんと電話で「あの人は、何故、今、上野に出品をしていないのですか?」と、話し合った際に、上條さんから、「あら、あの人は廃人になったのよ。お母さんの遺体を放っておいて、・・・・・それがね。救急車が来る大騒ぎだったそうよ。妹があの近所に住んでいるので、教えてくれたの」と、聞きました。

 それで、何故、NKさんが、母親の遺体を放り出していたか? また、何故、廃人になったのかについて考察した文章を、メルマガか、こちらかで、書いていると、思います。下に、北側順一郎として、ググったら出てきた、一文がありましたので、後注2として、置いておきますが、その中に、委細が、全部出ているとは、自信がありません。

::::::::::だが、此処で、少し、政治を離れて、芸術家と、お金の問題へ、入りたいと、思います。アート系作家が、集中して、制作に向き合っても、お金は、ほとんど入りません。で、女性でも、男性でも、親が、おお金持ちであって、貸しマンションでも、作って、子供に与えているか、又は、結婚相手が、毎月決まった収入のある人間である必要があるのです。今話題の若冲とは、一家が、京都で、商売をしていて、弟に、実権を譲り渡した人で、生活費、及び画材は、その実家から、もたらされた人物です。大正時代に、出現した、高等遊民の、さきがけとして、江戸時代に、生きた人だったわけですね。伊能忠敬もそうですが、江戸時代の商家の実力おそるべしです。

 結婚とは、とてもありがたい生活上の、保証制度ではありますが、むろんのこと、お互いに、我慢をすべきところもいっぱいあります。そこで、いろいろな、選択肢があるわけですが、NKさんは、ちょっと、間違った選択をしてしまったのでした。それは、高名な、美術評論家、三木多聞氏に、見出されて、草間彌生と、一緒の五人展を上野の都美館で、開くほどの、好調期があったのですが、その時、三木さんをしたって、夫と、離婚をしてしまったらしいのです。これは、ご本人から聞いたわけではなくて、伝聞です。三木さんは、三木さんで、そのストーカー的、慕われっぷりに悩んで、病気になったとか。

 上條陽子さんから、それらのお話を聞いても、私の方は、NKさんの経済状態については、心配をしていませんでした。『薬学部を出ている、NKさんには、本人自身の収入があるのだろう。夫に頼らなくても』と、思って居たし、杉並のお宅というのも、坪数にして、庭が300坪はあるだろう、大邸宅であろうと、思いこんでいたのです。そういう考えがそのNHK番組を見るまでは、数年間続いて、私は、NKさんの破綻が、経済的な、部分であるとは、思いもよりませんでした。ただ、NKさんが、出品をしなくなった経緯については、思い当たることがあり、それは、国画会で、主宰する国展で、彼女が審査に落ちたことがあり、其れが、きっかけだろうと、思って居たのです。私は、1991年から、2002年まで、国展に油絵を、連続出品をしています。その間、神奈川県展(山下町で、開催される方)とか、毎日展とか、上野の森大賞展などにも入選しています。それで、同じ週に開かれる、毎日展を見た方から、「川崎さん、あっちの方へ、いいのを出したね」などと、言われてしまって、そのせいか、次の年に落選をしたりしてね(苦笑)ただね。1998年から、版画部へも、出品を始めてそちらも五年連続をして入選をしているので、国画会の、おーぷにんぐパーティは、12年か、13年、連続出席をしています。

 しかし、私は、「毎日展に、わざと、いい方を出した」と、言われるのは、誤解です。私は、そんな、こずるい人ではないのですよ。全く違う。それは、ただ、唯、大きさの区別があって、150号だったから、其れを受け入れる、毎日展の方に出しただけなのですよ。

 唯ね。指原いく子さんなど、ギャラリーオカベで、山寺重子さんと、全くそっくりな色(cadmiumu red 系)と、形象(ほとんど画面全部赤なのだが、すみっこにちょっぴり違う色と形が入っている)の、10号(または、8号か、12号)を、30点近く、横に並べて、お追従をして、会員になったみたいですよ。そういう人が、国画会内部の、一般的な風潮であり、典型なら、私が誤解を受けるのも仕方がないですね。

 私が、逗子で、アトリエを構えていたころ、ある方が、教えてくれたのです。国画会内部が、特に審査が、どうなっているのか?、という事を。京都の京都芸大の、先生からではないのですよ。関東圏で、活躍をなさっている、高名な方からです。なお、嶋田章三さんと対立していた、今関一馬先生からでもないのですよ。それは、ちゃんと、言っておきたいです。星先生からでもないと。

 山寺重子さんというのは、中ボスで、票を持っているそうです。わたくしにも、それは、わかっていました。わざわざ埼玉県まで、彼女の個展の初日に行ったのに、私一人をターゲットというか、スケープゴートにして、山寺さんは、いじめるのです。それは、グループのほかの人間への、結束を促す政治的な、手法のひとつなのでした。鎌倉雪ノ下で、ご近所主婦の中の、特に中学生の番長みたいなグループ主婦たちが、取っている手法と全く同じ手法です。『やるなあ。この人!』と思いましたよ。そして、山寺さんの票というのが、その日、埼玉県にまで、遠征をした女性画家たちであるとは、わかっていました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『指原いく子は、そういう時には来ていない。オープニングパーティに出席するという事は、ほかの日に行くよりも時間の束縛が大きい。そういう部分では、奉仕をしていない。しかしなのだ。そっくりな絵を描いて、銀座のギャラリーオカベで、個展をするという事は、そちらに来た、男女の会員である画家(審査権を持っている人々。多数の票を取って、賞を得ることが次の段階へ進む、契機となる。で、賞を与えるためには、票が、多くなくてはならないので、選挙運動が必要なのだ)に、「自分は、山寺重子の、次期・会員・候補なのですよ」と、宣言をすることと、同じだから、男性の画家で、山寺重子の、美貌に、メロメロな、人物は、指原いく子に票を入れるだろう。そう言う未来の成功に有頂天になっている指原いく子は、票を持っていない私に、丁寧に対応する彼女の夫に向かって、背中側で、「この人は、親切にする必要はないのよ」と、知らせた。手のひらをひらひらさせて、犬を追い払う様に。

 これには、本当にびっくりした。夫という人物は、小田原の住民なので、フジ・フィルム勤務だと、思う。東大か、東工大か、千葉大、横浜国大、又は、慶応、理科大などを卒業をしていると、思われた。フジフィルムは、最近、フィルムで培ったゲルとかジェルの技術を応用して、化粧品の世界に乗り出しているのでデジタル写真全盛の時代になっても、社運が傾いていない企業である。で、その企業の、研究所に勤務しているエンジニアであろうと、推察されるタイプの男性だった。ただし、彼の苗字の方は、指原ではないかもしれない。というのも、

 山寺重子の、本名(というか、結婚後の姓が)が、矢田である様に、指原いく子も、結婚前の姓を、画家としての、自分を表す苗字として、使って居る可能性があるので、フジ・フィルム社内に、指原と、言う研究者は、いないかもしれない。ただ、如何にも理工系、かつ、エリート系の体格と顔つきである。細くて、神経質そうだ。しかし、一生懸命、絵を見つめている、私の、ただならぬほどの、真剣な気配を感じ取って、いわゆるおもてなしをしてくれたのである。

 もし、あのまま、時間が過ぎて、彼が、ずっと、私をエスコートし続けて、ギャラリーオカベの隅に在る小さなロビースペースで、「どうか、お茶でもいっぱい飲んで帰ってください」といってくれたら、そして、クッキー一つでも分けてごちそうしてくれたら、

 今、此処で、書いている様なことは、書かないであろう。しかし、数分、彼と話をしている、私に向かって、突然、今まで、無視をしていた、いく子が、近寄ってきて、私にではなくて、夫へ、合図を送ったのだ。背中で、手のひらをひらひらさせて、まるで、野良犬を追い払う様に。まさしく、しっしっと、追い払う様に。これは、2000年から、2001年か、2002年の間であって、私は、この様子を見て、国画会への出品を止めたのだった。

 :::::::::::ここから枝葉は、二つに分かれる。一つは渡辺幸子(ICU出身の画家、ガレリア・グラフィカで、連続的に個展をして居る。青木繁大賞展の、大賞を取った人)に向かい、もう一つは、鎌倉雪ノ下のご近所住民、富沢夫妻へ向かう。(ミスター富沢は、栄光・慶応・三菱重工というエリートコースを取った人で、たぶん、三菱重工の、核燃料棒・製造、工場を、担当した人。そのため、放射線被害者だと、思われ、身障者手帳を持っている人。この人も最初は、犬のごとく、私をバスの中で、追い払った。それが高枝切り事案の前哨戦となっている。内心で激怒している私にとって、富沢夫妻について、書く準備は、満々と整って居るのだった。それにもかかわらず、高枝切り事案という、あくどすぎる謀略を起こして、一種の殺人未遂事件を、起こした人であるから、バンバンと書く。

 それは、彼個人のアイデアではなくて、伊藤玄二郎達が、案出したことであり、費用は、全額鎌倉市が負担をしたことであっても、だからこそ、ひどい事なのだ。それに加担をしては、いけない。普通の人しかも、慶応大学教授の息子というエリートなら、なおさらの事、こんなちんけな悪事に加担をしては、いけないのだ。しかし、私のブログを、毎日というほどに、読んでいる人間ではないので、軽く、悪人たちに道具として、利用をされてしまう。あまりにも軽すぎる。しかも、利用をされている回数が、2回とは限らない。数回利用をされている。むしろ、哀れというべき存在へと堕している段階だ。

 ただし、指原いく子、渡辺幸子、富沢夫妻と、比べていくと、富沢夫妻、が、一番、善人では、ある。むしろ、悲哀の人でもある。特にミスターの方は。だけど、エリートでも、順、順に、または、徐々に、洗脳をされていくと、ああいう風に、無残な、判断に至るのだと、言う好例だから、書く。:::::::::

 とは、いうものの、国画会内部の、審査風景に戻っていかないといけない。山寺重子さんは、票を、確実に、15票は、握っていると、思われる。私が、銀座や、そのほかで、『ああ、この人は、山寺さんのお追従者ですね』と、はっきり把握しているのは、4,5人の女性会員だけど、彼女たちが誰に、票を入れるかについて、注目している男性画家も、いるはずだからだ。

 男性画家は、山寺さんの個展のオープニングなんかには、来ない。というのも、銀座以外で、開かれる個展は、主に、審査で、優遇をしてもらいたい、一般入選者が、審査権を握っている画家の作品を買うという、場らしい。私は、そのころは、お金持ちだったので、買えたはずなのに、お金持ちであるから、かえって、貧窮している人の気持ちがわからず、したがって、そう言う慣習には、まるで、気が付かなかった。今なら、はっきりと、それがわかるから、その絵を、実際に見て、それが、いい絵だったら、買うと、思う。しかし、もう、国展に出品をしていないので、その手の、「買いなさいね。私の作品を」と、言うような案内状は来なくなった。

 ここで、もう一度、山寺重子が、中ボスとして、票を15票ぐらい持っているはずだと、言う話に戻ろう。詳しいことを言うと、山寺さんは、嶋田員子さんという、これまた、中堅のボスだと、言われている人と、票のやり取りをしているとも、言われている。つまり、奇数年は、嶋田員子さんは、会員候補を立てず、山寺さんが、好んでいる人に、彼女が統率している票を、すべて、入れる。しかし、偶数年は、嶋田員子さんが、選んだ人を、山寺グループが、支援をして、いれる。個々票は、その人の好のみが、繁栄をしているわけではないと、いう事だ。そう言う事は、基本を常に守っている私にとっては、信じがたいことだ。画家なんて、徹底的に、主体的に生きるべきだと、思って居る。政治性をもって、山寺重子の、言うなりになるなんて、おかしい。

 と、こういう審査風景の裏側を、1991年の初入選後の、相当、初期に知ってしまった私は、既に、五年目ぐらいから抜け出たくて仕方がなかった。山寺重子と、指原いく子の間に在るのは、女子美の同窓だという学閥です。私は本当にいろいろなことを知っていて、山寺重子が、あれほどに、意地悪なのは、芸大に、不合格だったからだと、言うのも知っている。一時期、銀座で、「あの人が、」という隠語で、表現すれば、それは、山寺重子を指すと、言われたものだった。

 もし、学閥がなくても、山口千里さんみたいな、美貌の人であり、かつ、私よりも10歳程度若い時期に初入選すると、皆さんから、かわいがられたり、ちやほやされるだろう。千里さんは、ちなみに聖心女子大卒です。彼女には、国画会内部には、学閥的、ひいきをしてくれる人は、いません。ただし野見山暁次さんと、出身地が同じという、地縁がある。それが支えになっていると、推察されます。棟方志巧は、早期に、国展を離れていますが、それは、柳宗悦に、支援をされたと、いう事が、支えだったと、思います。

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副題5、『私は、NKさんが画壇から消えてしまったのは、国展での審査、特に、1998年の落選に、原因が在ると考えて、その審査風景を知りたいと願った』

 でもね、公募団体展が保存している大きな問題点は、足抜けが難しいという事です。今は、知りませんが、1990年代って、その内部が、ものすごく古かったです。一種のやくざ組織みたいで、足抜けが、非常に難しいのでした。で、中途半端な形ではなくて、スパッとやめるためには、「誰にも言わないで、出品だけを止めるのが一番、いい」と思って居たので、新制作に、出品をしていて、私と同じく、学閥のないことを嘆いていた渡辺幸子さんには、何も言いませんでした。特に渡辺幸子さんは、アマゾネス軍団として、湘南地方では、有名だった、田沢茂先生の弟子でした。そこで、噂を流されると、新制作と、国画会とは、女流展、もしくは、神奈川女流展で、つながっているので、あっという間にうわさが、流れるだろうから、自制して、自分野、気持ちと予定は告げませんでした。

 しかし、二人が、一緒になる、大学同窓会展は、たまたま、その年度には、2月に開かれるものだったので、既に、4月に搬入する国展用の出品作はできていました。で、其れを、同窓会展へ回したのです。だって、せっかく、できている作品にお披露目の機会があるのなら、与えたいでしょう。しかし、幸子さんは、誤解をしました。私が出し抜いたとか、裏切ったと、思ってね。私は、誤解を受けやすい人間らしいです。私の考えていることは、損得抜きなので、一般の人には、理解ができないらしい。

 特に渡辺幸子さんは、画壇で、出世することだけが、目的だから、私に向かって、私が手書きコピー郵便で、送っているメルマガの最も初期の、ものを受け取っても、読みもしないし、行動、そのものが理解ができない模様だった。一方の、私にしてみると、考えることが大好きで、それは、呼吸すると、同じく、常に行って居ることだった。そして、考えると、言う行動は次に、其れを文章に落とすという事をしないと、堂々巡りになって、疲労困憊することだから、次から次へと、書いては、其れを、郵送をしてたいのだった。特にパソコンを使わない主義の人に対しては、そうしていた。全く、生きる目的が違う、の、だった。私の方では、渡辺幸子さんが、理解できるが、彼女の方では、私のことは理解ができない模様である。彼女は、「あなた。なんで、こんな無駄なことをするの。お金もたくさんかかるでしょうに」と、言われた。彼女は、お父さんが破産をしたので、大学2年次に中退して、日本航空のスチュワーデスになった。したがって。お金についてはシビアなのだ。

 ただし彼女が、以下に示すエピソードの後で、大学を卒業した資格を与えられていて、同窓会ウエブサイトにも、其のインタビュー記事が載っているのを見て、『うわあ、石塚雅彦さんの、強者の恣意も極まれりだなあ。こんなに、軽く、ごほうびをあたえられると、そう言う事が、アリの一穴となって、堤防も決壊することになるなあ。学校の、信用が、なくなるでしょうに』と、私は、思うが、CIAエージェントたちは、『うわーい。お前が損をして。お前の敵は得をするのだ。どうだ。まいったか』と、言ってあざ笑って居るはずだ。

 特に、其の同窓会展の、会期の前に、「私ね、もう、あの会って負担なのよ。やめたいのだけれど、人間関係も大事でしょう。それでね。鎌倉美術家協会展に出したものをまわすわ」と、言って居ました。で、それは、還元をすると「私の方は手抜きをするのよ」と、いう事と同義語です。それを、言った後で、私が気迫のこもった、しかも、100号の、大きな作品を出したので、彼女は、私が裏切って、出し抜いたと、思って、激怒したというわけです。

 でもね。私も、その時点で、彼女と同等にというか、彼女以上に、彼女に対して、怒っていたのですよ。だって、100号の大作といっても、非常に静かな雰囲気の絵なのです。相手を打ち負かそうなどという意図など、どこにもない絵なのです。ただ、それが、いい絵だと、いう事は誰にでも分かったのでしょう。渡辺幸子さんにも、むろん分かったのです。で、渡辺幸子さんは、私が、そのグループで、一番になるために、その絵を出品したと、誤解をしたのです。

 で、電話を使って、彼女と、同期の、人々に、根回しをしたらしくて、私は、普段は、もらえるはずの芳名帳のコピーももらえないことになって、『ここまで、彼女と、彼女と同学年に人々との間、6人ぐらいを相手に、感情がこじれたら、もう終わりだ』と、思って、そこも去りました。ロビーの背もたれがない形式のソファーに置いてある私の荷物も「置き方が汚い」と、言って、彼女に、床に、振り落とされましたしね。場所は、今は閉鎖されている望月画廊でしたが。本当にあらしの様な経験でした。彼女は、直近のガレリアグラフィカの個展で、体が、曲がっていました。腰を痛めたとか言って居ました。しかし、なお、執念を燃やして、画壇で、出世することを目指している模様です。ご苦労様と、言っておこう。(苦笑)

 その後、私の方は、国画会を去り、彼女は、私の敵となったので、CIAのご加護が入って、酒井忠康氏が、審査委員をしている、青木繁大賞展の、大賞を取りました。ほかにもすごくいっぱいの、ご褒美が、あります。でも、それを全部書いていたら、指原いく子さんに戻れないし、したがって、NKさんにも戻れないので、此処で、幸子さんと、富沢氏は、中断として、

 国画会の審査風景に戻ります。NKさんは、国展、第71回展(=1997年)に初入選をしています。しかし、第72回展には、落選をしています。でも、すぐ引き続いて開催される、女流展では、NKさんは、会員なので、無審査で、展示をされます。で、其れを見た私は、何故、国展で落選になったかは、わかりました。それは、お金と時間がかかっていない作品だったのです。国画会は、芸大閥が一番、強い公募団体です。で、平面(主に油絵)だったら、「油絵の具が、たくさん使ってあって、制作にも時間がかかっていますね.技術的にも高度ですね」と、いう様な作品でないと無理なのです。一方で、NKさんの作品は、木のパネルに、びっしりと、週刊誌の頁を、一枚ずつ縦横に、張り付けてあるものだったのです。

 私はね。・・・・・これを落選とするのは、いかにも国画会らしいが、かといって、この作品は、コンセプト重視の作品としてみれば、結構ともいえるのだから、落選はひどいなあ。・・・・・と、思いました。現代アートは、controversial でないといけないと、ニューヨークの、美大で、学んできた私には、十分に、controversialと、感じられましたしね。

 それにね。この1998年より前に、彼女は、三木多聞氏の推薦で、都美館の、一区画を借りて五人展をやっています。新制作だったら、25人、国展だったら、100人が展示できるスペースを一人で、使ったのです。そう言う実績について、尊敬の、念があるかどうかを知りたかったのでした。また、彼女が国展に、応募をしたのは、私の例を見たからだとも、わかっていました。私は美大卒ではないから、女流展でも、ひきがないので、絵がよくても、誰も、会員にしてくれません。しかし、自分一人で、事をさっさと、行う人だから、次から次へと、トライをして、事を実現をさせていきます。それも、素敵なことだなあと、NKさんが、マネをして、国展に出品をしたと、いう事もわかったので責任も感じたのでした

 私は、この時点では、既に国画会への出品をやめています。出品しているときには、親切だった人で、電話をかけていい人を、10人ぐらい知っているのですが、出品をやめているその当時では、誰もが不親切に変化しているのは、覚悟しないといけません。

 で、1991年ごろ(というのは、電話をかけている時期からさらにさかのぼって、10年以上は前の事だが)、オープニングの日の二次会で、「あなたは、どうして、ほかの人にビールを注がないのですか?」と、言ってきた人(男性で、年上の会員)を選ぶ事にしました。私は父がお酒を飲まない人だし、主人もそうだし、勤務先が東大だったので、そこで、同僚となった人々も、飲まないので、お酒の席では、女が男にお酒を注ぐという事さえ知りませんでした。(非常に天然の人で、しかも、常にものを考えているので、周囲の状況には疎かったのです。(は、は、は)

 でも、普通だったら、そう言う注意を、初めてであった人にしないでしょう。でも、その男性作家は、注意してくれたのだから、非常に正直な性格の、人なんだと、思って、その人を選んだのです。この判断は、当たっていると、別の人に後で、言われました。超正直な人なんですって。

 ただし、足抜けが厳しい公募団体展で、足抜けしてしまって居る私ですから、不親切な対応を受けるのは覚悟の上です。ここは指原いく子のケースとは、違います。がラリーオカベでの、個展の初日という無礼な事や、失礼なことが起きてはならない場所で、ありえない筈の、意地悪をされたり、軽蔑をされたりしたので、びっくりしたのですが、最初から、嫌われることを覚悟で、電話をしている、今回は、何を言われても、驚かないというわけです。

 予想通り、相手は、すさまじい剣幕で、どなりました。「あんた、何、言って居るんだよ。あんなの、だめだよ。だって、新聞ざたを起こしたんだぜ」と。私はね。逗子で、一人暮らしをしている時期には、新聞もテレビも読んでいません。だから、その間だったら、知らないこともあるでしょう。

 で、自分の知らないことを知りたいと、思って、上條陽子さんに電話をしたのでした。そして、副題3に書いた事情を初めて知ったのです。その上條さんとの電話を、これまた、盗聴をして、杉並区の空き家特集という、対、私いじめの番組を作ったのでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『なんという残酷な事だろう。家を出て、別のところに住んでいる坊ちゃんさえ、NHKテレビカメラは、訪問をしている。無論。モザイクがかかっているが、坊ちゃんは、がけ下めいた、環境の悪いアパートへ住んでいるみたいだった。私は、この空き家特集が、対、私いじめだと、確信をして、たまらない思いに駆られて、その晩、高橋和さんへ、電話をかけた。私は外部へは、秘密にしていたが、女流画家の中では、高橋和さんが、きわめて、才能が高く、かつ、人格も高いと、認識していて、大好きだったのだ』

 私はね。高橋和さんとは、度々、電話を交わしている間柄です。そして、絵を一点だけですが、買って居ます。上條陽子さんは、ちょっと、耳が遠くなられたのと、二つのポイントで、考えが合わないと、感じたので、電話をかけるのもやめているし、友達であるとも、もう、考えていないのです。

 しかし、この2009年1月の、深夜の電話が盗聴によって、敵方に知られてしまって、高橋和さんは、向こう側にもぎ取られてしまいました。そのことは、彼女が、ギャラリーアーチストスペースで、個展を開くこととなって、それで、理解をしました。しかし、2018年に開かれた、和さんの個展の時には、私はロビーの真ん中の椅子に座って、五分以上、長話をしました。それは、『いよいよお別れしますよ。だから、これから、先は、和さんの名前を出して、ものを書きますよ』と、いうお断りを、暗示して置こうと、思ったからです。そして、和さんなら、たぶん、其れが、わかると、確信をして、人が大勢見ている中で、交流を温めていました。すると、私の背中で、木内万宇さんが和さんに、指原いく子と、ほぼ、100%同じ合図を送ったのです。

 私はね。和さんの、目の中に浮かんだ表現が、例の日、ギャラリーオカベ内で、いく子さんの夫の目に浮かんだ表現と全く同じなので、瞬時に事態を察しました。しかし、一応、木内万宇の合図は、無視して、しっかりと、最後まで、あいさつを交わした挙句、画廊を出るときに、今度は、彼の方に向かって、「木内さん、私って、背中に目が付いているのよ」と、は、言っておきました。(苦笑)

 しかし、彼の行動は、月8万円の謝礼を、もらえるか、もらえないかが、かかっていると、思ったので、指原いく子ほど、憎悪の感情は抱きませんでした。特に月曜日は、宮本和雄さんと、一緒に仕事をしますので、彼から、秋山祐徳太子に、告げ口をされたら、困るだろうと、思ったからです。本当は、木内万宇に関して、いろいろ、もっとエピソードを書きたいのですが、この章は、女性を中心にしたいので、先へ進みます。彼は、一応、男でしょう? お嬢さんもいる人だし、同性愛気質を見せる、人物でもないですが、しかしねえ。「あそこで、ああいう合図を送るとは、あほですなあ。飛んで火にいる夏の虫とは、あなたの事ですよ」と、言っておきましょう。

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副題7、『番組はさらに恐ろしい典型を見せた。誰を指すのか、企画者側には、120%分かっているのにもかかわらず。鎌田靖キャスターは、ミステリー仕立てとして、空き家の持ち主を探すという挙に出たのだ。それで、若い女性学芸員が、画面内で、資料をあたり、何とか、展覧会に、出しています」と、か、言う。その時に出た、展覧会とは、女流展ではなかった。女流展だと、NKさんは、既に、会員以上に役割を担って居て、委員をしている。だから、「女流展の、カタログに、名前が載っています』と、彼女が言ったら、より多くの人が、この空き家に住んでいた人が、NKさんだと、理解して、この番組に対して、『ひどいなあと、言う怨嗟の声が上がると思う。

 もしかしたら、私と和さんみたいに、すぐ、誰のことを指すのかが、わかった人は、大勢いて、「NHKは、ひどいねえ」t、言いあったのかもしれないが、それらは、秋山祐徳太子が、放ったスパイによって、把握をされ、美術9条の会などを通して、けん責を受けたはずだ。ひどいことだが、それが、まかり通ったのだった。それが、通ったからこそ、それ以降、やまゆり園事件の様なうそ(19人は、死んでいない)が、通るものとして、実行をされた。

 そして、北側純一郎が、現れる「

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5235960です。

後注1

後注2、

Nスぺ空き家特集・杉並篇は、日馬富士暴行問題と、同巧異曲である。北側順一郎、中島三枝子、嶋田章三、大沼嘉津江、杉本正子    2017-11-21 19:30:12 | 政治

 

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貴景勝は、貴乃花部屋が、つぶれたから、花開いた。

2019-03-27 04:02:21 | 政治

副題1、『貴景勝が、大関になりそうだ。それは、貴乃花部屋から、千賀の浦部屋へ移籍したことも役立っているだろう。誰も言わないが、貴乃花親方は、指導者としては、だめだったのだ。よくあるケースだ。名選手、必ずしも名監督ならずと、言うのとおなじである』

 冒頭で、これは、政治評論ですと、書いています。その分析にもっとも、役立つ人物が、ご近所主婦、安野智紗さんです。この人が、発端となって、貴の岩騒動も起こされ、其れが、遠因となって、貴乃花親方は、相撲協会全体を敵に回し、したがって引退に追い込まれ、したがって、貴景勝は、親方夫人の居ない、貴乃花部屋から、千賀の浦部屋へ移動になって、それで、立派な花が咲きました。一般の家庭でも、おくさんの役割は大切です。この間カンブリア宮殿で、【銚子丸】(高級回転すしで、有名)の会長さんが出てきて、後継者として、外部の人を招聘したと、言うのが、ほめられていました。会長というのは、女性で、ご主人の片腕として、ずっと、やって来た、内助の功の大きな人だそうです。そして、その二人が、ぴったり寄り添えたのは、夫婦、二人のエネルギーレベルが、同程度だったからだろうと、司会者(MCと、最近では言うらしい。メインチェアマンの略かな? 司会者でいいのに、変な、世界だ)村上龍が言って居た。

 私の父と母も口げんか他、いろいろ、やっていたが、相当に、協力し合って居る夫婦だと、思って居る。それに比べると、河野景子さんは、夫へ、協力をしてこなかったと、見える。ずいぶん前から、相撲部屋には住んでいないと、聞いているが、離婚にもなったそうで、しかも自叙伝を出していて、それが、ネット社会では、批判をされているらしい。

 貴乃花親方というのは、いろいろな意味で、気の毒な人だと、私は、思ってはいるが、その母足る、花田紀子さん(昔は憲子と名乗っていた)が、安野智紗夫人に似ている、・・・・・いや、安野智紗夫人が、紀子さんに似ている・・・・・と、昔私が、メルマガか、ここのどちらかで、書いたために、貴乃花親方が、鎌倉エージェントに、ひたすらな形で、利用をされていて・・・・・今度の参議院選挙に出るといううわさがあるが、其れも、その利用をされているという形の一つだけど・・・・・貴の岩騒動などというとんでもない嘘が、生起させられた。勿論、喧嘩に近い形での叱責が、日馬富士から、貴の岩へ、降りたのも事実だろうが、警察が出しゃばってくるほどの事ではない。其れを大げさに、しかも、タイミング的にも嘘を込めて、傷害事件にしていったのも、すべて、安野智紗夫人を盛り立てていこうとする、鎌倉エージェントの差し金である。

 しかし、貴乃花親方が、突然に、辞任をして、相撲界を去った。裏に「参議院選に出なさい」という谷垣禎一さんなどの、提言があったとしたら、同情の余地はないが、貴景勝にとっては、思いがけない幸運な出来事だった。

 というのも、警察の殺人用別動隊が、あれこれ、指図をしている様な、貴乃花部屋に居ても、天からの幸運は、寄ってこないと思う。いや、それを言っちゃあ、おしまいだが、すべての、基本が、毎日の、清潔な生活に在ると、いう意味で言うと、貴乃花部屋は、おかみさんが同居していないだけでも、変な部屋で、清潔さという意味では、失格だ。部屋の中で、基本的な生活上の、ルールが確立していなかったと、思われる。

 貴乃花親方が、お手伝いさんと、(いわゆる、例の特殊な意味で)できていて、それを嫌ったとかいう裏があったとしても、そう言う事態を招いたのは、河野景子さんが、身を入れて、おかみさん業をやっていなかったからであろうし、・・・・・そういう部屋にいるよりも、千賀の浦部屋という、まともな、相撲部屋に移籍したことは、貴景勝にとって、非常によかったのである。

 千賀の浦部屋に元からいる力士の序列もあろうし、貴景勝が、突然、おお金持ちになったこともあろうから、・・・・・または、実家がおお金持ちだから、・・・・・・マンションを、借りているのか、買ったのかは知らないけれど、今は、マンションで、独り住まいをしているらしい。が、それでも、けいこに行く際に、行った先が、清潔感と、気迫にあふれている場所だったと仮定すると、それは、よかったことなのだ。

 誰も、其れを言わないが、これは、重要なことだと、思う。誰も、其れを言わないのは、貴乃花が、CIAエージェントに、庇われていて、一種の、タブー・ゾーンになっているために、彼に関する、まともな評論は出てこないだけであろう。スポーツ記者も、生きていく為には、付和雷同をして、御用記者にならないと、お金が、稼げないのだと、思う。一般の、記事も、政治記事も、文化面ですら、今は、CIAエージェントが、支配をしている世界だから、スポーツも、当然のごとく、そうなっている。

 尚、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5233990です。

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朝ドラは、CIAに利用をされている。今回は、要潤が、忠彦さんと、言う名前だった。それを、終了二週前にやっと気が付いたが!

2019-03-26 11:24:36 | 政治

 本日のブログは、総タイトルを、いろいろ、変更していく可能性があります。だが、午前11時半には、この総タイトルで、始めましょう。要潤という言葉が出てきますが、芸能評論ではありません。政治ものです。相変わらずの、現代日本政治の分析です。なお、副題1として貴景勝について述べていましたが、それは、貴の岩騒動の、リンク先を探して、後日、改めて、公開をさせていただきます。

副題2、『朝ドラ、まんぷくが今週で終わる。その終了二週前、松下奈緒の夫役の、要潤が、画面内で、「ただひこさん」と、呼ばれているのに、初めて気が付いた。なるほどなあと、思い至る』

 まんぷくで、カップヌードル制作、過程での、苦労話が出てきています。そのカップの外装のデザインをどうするかという点で、主人公、福子(安藤さくら)の姉(松下奈緒)の夫である、【要 潤】が、度々、出て来る様になりました。【要 潤】は、全編を通じて、よく出て来るのですが、このドラマでは、桐谷健太に、男性的な、役目を奪われていて、おとなしい紳士的な人として、描かれています。画家なのですが、売れてきた画家・風・な、あくどさが、足りないですね。まあ、それは、大勢の画家を知っている私固有の見方かもしれず、あれでも、『画家だ、確かに』と、一般の方は、思っておられるかもしれません。が、本当の画家というのは、もっと・何か・が、あるのですよ。個性というか、きつさというか。特に家庭内では、其れを見せると、思いますが?

 まあ、それは、さておき、あのドラマ内では、相当に、やさしい、紳士的な人として描かれています。そして、おくさんとは、仲良しです。主人公、安藤サクラ演じる福子と、松下奈緒が、演じる、姉であり、要潤夫人でもある女性は、少し違ったタイプだけど、同じく、良妻賢母です。その良妻賢母役の、松下奈緒が、夫を呼ぶときに、「タダヒコさん」と、言って居るのに、先週(2019年3月18日~23日)に初めて気が付きました。今までも、そう言う呼び方で、呼ばれていると、思いますが、先週、医者を演じている人の、俳優名を知りたくて、最初の、紹介テロップを、一生懸命見ていると、要 潤は、役名を香田忠彦と、漢字で書く、人物役で、出ているのでした。漢字で、そう書くが、よび方が、ただひこさんなのです。

 アッと、驚きました。でね。何が問題化というと、このブログは、最近では、画家Aに絞っていると、言って居ます。しかし、画家Aに絞れば、彼と同じく、警察から、合いかぎをもらって、この家に、侵入して居ると、私が、考えている、元サラリーマンBにも当然、触れないといけません。で、そのサラリーマンBとは、警察の協力者ですという看板を、門前に掲げているし、引っ越して行った、A野家の未婚のお嬢さんの携帯、もしくはスマホをスパイ役に仕立てて、10メートルの高さから、私に、水を、10リットル以上ぶちまけたと、言う夫婦です。それ以上のこともやられていて、あまりにも単純にあくどいので、画家Aとは、違って、「本名も書きますね」と、言い始めていて、安野忠彦・智紗夫妻だと、言って居ます。

 あまりにも、ひどいことをやられ続けているので、「もう、書くのも嫌なのです」と、私が常に、言う夫婦なのですが、その夫がただひこさんで、つかってある漢字も同じなのです。それに終了、二週間前に、やっと気が付いたのですが、これは、相当大きな意味があります。

 朝ドラの、キャストや、内容の発表は、二年ぐらい前から、行われるでしょう。すると、それは、石春産業の、道路補修工事が始まったころです。その工事というのは、私が、この34年間、大損失を被っている我が家だけ、花畑を使えない様にされてしまったいきさつを証明する、証拠を隠滅していく為の大工事なのですが、そのころ、安野智紗夫人がとんでもないことをやっているのです。

 その裏側に、この「朝ドラ、(まんぷく)で、重要な登場人物がいて、その人の名前を、安野忠彦さんと、同じ名前にしておきましたよ」という裏話が、伊藤玄二郎あたりから、当然入っていて、其れを、又、前田清子さん、小野寺夫人、花輪夫人、もしかしたら、富沢夫人、渡辺賢司夫人などが、共有をしていて、『やっぱり、安野家って、立派なおうちなのねエ』と、感嘆して、それで、・・・・・安野家と、喧嘩をしているらしい、と、みんなが知っている私のことを低く、低く、扱って居た可能性を感じるのでした。

 それは、何度も感じるのですが、この章では、石春産業の、専務と安野夫人がにやりと、笑いあった話を蒸し返さないといけません。その詳しい話は、リンク先を後注1で、3本ほど、示しておきますが、此処でも、レジメとして、きちんと書き表しましょう。

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副題3、『石春産業は、2018年2月から、6月にかけて、この山の、石段の改修工事をしたが、それは、ひとえに、私を、貶め、大切な証拠を隠滅するためのものだった。何の証拠かというと、アジサイ畑欺罔事件と、私が称している、我が家だけ、私有地を使えないこととされてしまった、道路全体を、コンクリート打ちされてしまった34年前の恐ろしい罠の事だ。それの証拠が、何本もの割れ目として、道路に走っていて、其れを現場で説明をすると誰もが、其の異常さに驚く。

 こういう現象は、すべて、裏に、伊藤玄二郎と、井上ひさし(まだ、実際には、生きているのですよ)などが、考察した、謀略の脚本があって、それに、対して、私が逆らえない様な、多くの前哨戦とか、事前の罠があって、承認をせざるを得ないのだが、石春産業が工事をしている土地は、実際には、南半分が、私宅の私有地だから、土地の持ち主の、私が石春産業の専務(社長の弟という話だった)に、話しかけている際には、私の方の話を聞かないといけないではないか。ところが、ちょうどその時に、どういう形だったか、詳細は、忘れたが、見事にタイミングよく、安野智紗夫人が目の前に現れて、医師春産業の専務と、お互いに、目を見合わせてにやりと、笑ったのだ。

 それが、この工事全体の、脚本に含まれていたかどうかは、知らない。だけど、ともかく、私はそれを、文章化した。とんでもないことだったから。土地の持ち主が、「せっかく、大型電動ドリルで、掘り返したのだから、此処は、この泥のままの、状態にして置いてくださいね」と、話しかけているのに、土地の所有者でも何でもない、安野夫人の方に向かってにやりと笑いあったのだった。それは、石春産業の専務が、事前に、私のことをクレーマーであるとか、又は、頭がおかしいと、いう風に気化されていたからであろう。

 我が家の前は、より下に在る、安野家の前よりも広い形で、コンクリート打ちをされている。どうして、こういうことになったかというと、北久里浜から始まる長い話がある。ともかく、後注1を、もう一回、皆様に、お読みいただきたいところである。しかし、其れを、お読みいただいたと、仮定して、さらに先へ進もう。

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副題4、『医師春産業の専務が、私のことを頭がおかしいと、聞かされていたのを、有楽町駅で、私は知ることとなった。それは、駅員に化けていた、刑事らしき男が、自分の方は嘘を言って居るのにもかかわらず、私の方を「あんた、頭がおかしいんじゃあないの」と、言ったからだ。名前は、高橋某と名乗ったが、清算をする機会が、異常な動きをして、藤沢から、新橋までの、切符を、戻さない上に、清算券も出さないので、普通に、」と、「おかしいのです。裏を開けてみてください」と、問い合わせたら、「調べても、切符は無いよ、あんたが嘘を言って居る」と、主張しまくったのだった。

 しかし、私は、スパコンに、警察の特殊部隊は、いろいろ、悪さをしまくるのは、既に、熟知している時期だったので、この高橋某は、私がそこまで、わかっていることは、知らなくても、こちらにしてみると手ひどい嫌がらせをやられていることは、はっきりとしているので、私は、頑張りに頑張った。

 ところで、一つ前の、ブログ(あと注6)で、今は、新宿では、ホームレスに警官がタバコを配っていると、総タイトルを変更しているが、最初の総タイトルには、【日本の警察は、CIAの言うなりであって、しかも、応用力がない。国会図書館は、満州時代の日本語の新聞を廃棄とか?】となっていた。というわけで、この時の高橋某も、100%、応用力のない人間だった。そちらが駅員を装って、精算機にお前の切符は入っていないんだ』と、強圧的に出れば、私がすごすごと、引き下がると、上の方は思って居て、もし、拒否してきて、引き下がらなかったら、その場で「もう一回見てみましょう」といって、精算機を、本当に開けて、きちんと、した、藤沢-新橋間の切符を見せて、通さないといけないのだ。そうでないと、この一見の浦に、警察の例の殺人用別動隊が、からんでいて、私が、後注1の文章を書いたことへ対する復讐として、こんな、ひどいことをやって来たと、言うことがわかってしまう。それは、当然に、ブログに書かれることだから、警察としても大失敗といってもよいはずなのに、其れを、行わないのだった。応用力が、100%ないのである。単純なるロボットなのだ。いかめしい顔をしているが、単純極まりない。むしろ警察庁、又は、築地警察署内部での、上司の、東大卒エリートが、おバカさんなのかもしれない。もし、私が嘘や騙しに載せられなかったら、どうするかの、処置を教えておくべきだった。証拠写真を詳しい解説付きで、此処に置きたい。

 下、左側が、高橋某が、だましたうえで、二重支払いをさせた、白い領収書だ。右側が、怒った私が、どうしても高橋某を追及して、精算券と、その前の、藤沢から、新橋までの、切符を、を手に入れたいと、思って、有楽町駅の同じ改札口へ、引き返して、高橋某を、とっ捕まえて、詰問をしようとしたら、彼はどうしても出てこなくて、別の駅員が、精算機を開けて、出してくれた正しい切符と出て来るべき精算券だったのだ。

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副題5、『ところで、私は、自分を信じるに大だった。たぶん、新橋で降りて、南側から、画廊巡りを始めるつもりだったのだろうが、時間が足りないと判断をして、今日は、画廊がそこに集中をしている北側、京橋サイドから、始めようと思って、わざと有楽町まで、乗り過ごしたのだった。だけど、まあ、ほんのちょっとの普段との違いを、これほどまでに、悪い方へ、利用をされるとは、驚き入った。どうしてこうなると、考え込むが、一つの理由は、後注1を、書いたことに対する、CIAエージェント、特に伊藤玄二郎+いまだ生きている井上ひさしからの、復讐があって、その手下として機能している警察が、全面的に協力をしたと、いう事だろうと、思う。なんで、復讐されるかというと、この証拠隠滅作業が、最大限に、重要な事であり、それに対して、推進の方向で、動いた安野智紗夫人と、石春産業の専務の二人は、功労者なので、それに対して、その裏側の真実を書いて、恥を掻かせた、私を、今度は、策略によって、大恥を掻かせ、かつ、たった、970円だけど、二重に支払わせて、いつも通りの、金銭的損失を与えてやろうとしているわけだった。

 だけど、ひどい。本当にひどい。安野智紗夫人と私は、日本人としては、全く同じ地平線に立っている筈である。全く平等なはずである。しかも、アジサイ畑欺罔事件に関して言えば、彼女の井戸端会議が初因であって、その後、其の花畑だけの損失でも、35年間にわたるし、ほかの家は、みんな、花畑を持っているわけだから、これは、500万円は差が付いている。その上、パソコンが壊され、友人が奪われている。中には、薄い関係の人もいて、そういう人は、伊藤玄二郎から、「あの人は、おかしいのですよ」とでもいわれたら、軽く信じてしまうだろう。栗田玲子さんとか、長谷川智恵子さんも、そう言う人物の一人だと、思われる。長谷川智恵子さんは、茨城県教育委員会において、「障害児は、妊娠中の遺伝子検査で、見つけられるので、出産前に、中絶させましょう。そうしたら、茨城県は、余計な予算を組まないでもいいのです」と、発言をして、それが、さらにNHKニュースとして、私に知らされることとなった。これが、のちのやまゆり園事件につながっていく。

 長谷川智恵子さんに、そう言う発言をする様に、納得をさせたのは、塩見和子さん、石塚雅彦さん、栗田玲子さんの、三人だと、私は、推察している。塩見和子さんは、チラ見程度で、ICU時代、同学年だった、私のことを知っていると、思う。石塚雅彦さんは、ずっと、ずっと、深く、私のことを知っているはずだ。何度も、一緒に、外人記者クラブの食堂で、夕食を食べた。ただし、総勢12人ぐらいだけれど。二人だけではない。(苦笑)国際キリスト教大学の、アートクラブの先輩と後輩の間だからだが。それでも、そういう風に彼が変化してしまうのは、核燃料を売買する利益が膨大だからだろう。

 石塚雅彦さんは、ICU第一男子寮で、ロックフェラー四世と、同室で会った可能性が強い。そのまたのちの若い世代として、古村浩三君と、同室だった可能性がある。

 しかし、こういう、ハイブラウな人たちに及び始めると、フィールドが広くなりすぎて、収拾がつかなくなりそうなので、又、鎌倉雪ノ下へ戻ろう。安野智紗夫人へ戻ろう。

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副題6、『有楽町の高橋某が、「あんた、頭おかしいんじゃあないの」といったからこそ明瞭に、私の推察が正しかったことがわかった。医師春産業は、・・・・・ところで、ここで、石春産業が、常に、石の部分が、医師(=ドクター)と変換されてしまう事を語らないといけないが、・・・・・事前に、大量の私に関する悪口を、聞かされていて、ああいう風な態度を取ったのだった。しかし、安野夫人との、にやりと、交わした笑いは、私に対する軽蔑を、犬、以下においている動作だった。それは、バスの中で、50cm前にいる富沢氏に、後ろから、こんにちわと、声をかけた時の彼の態度にもみられたものだった。

 しかし、こういう事は陰で、こっそりと、根回し的に、告げられるので、こちらは妨害のしようがない。しかし、石春産業にしても、富沢氏にしても、私に損害を与える限りすべての事象を丁寧に、丁寧に、分析し続けることとなる。2018年五月で、さっぱりと、終わりましたよと、いうわけにはいかないのだ。それが、CIAエーjtんと達に協力をしたという事の、通例なのだ。彼等は、常に悪を繰り返す。そのたびに、私は説明をしやすい例を出す。

 今般、私宅にひどい回数で、深刻な泥棒被害があることを申し述べた。あまりに長期間で会って、しかも、くだらないものも盗まれる様になったので、画家Aと、元サラリーマンB(実名は安野忠彦さん)の二軒に、警察は、合いかぎを渡して、自由自在に入っていいと、言って居ると、見ている。もう一つ、プロの泥棒、すなわち、警察の殺人用別動隊も侵入して居る。そして、外を荒らしまわる、柳沢昇がいる。

 :::::::::ここで、挿入だけど、今、天皇陛下と、皇后さまは、京都にいらっしゃる。しかし、その旅行の直前に、赤坂御用地で、お食事会が、もようだ。そこには、お子様方のお手配で、シャンソン歌手とピアニストが呼ばれていたと、報道をされた。しかし、そのシャンソン歌手は、氏名が伏せられて居た。私は都立駒場高校のラインを使えば、その歌手が、加藤登紀子さんだったと、確認することができると、思う。しかし、まだそれをやっていないが、それでも、、たぶん、加藤登紀子さんだったと、思う。しかし、私に住んでいる、石川和子さんと、その夫の柳沢昇が、過去に、とんでもない大騒動を、警官を巻き込んでやっているし、柳沢昇は、それ以降、引き続き、長期にわたって、我が家の外回りで、起きる、花あらしをやっていると、思われる。その一例については、後注7に書いている。で、その柳沢昇は、加藤登紀子さんの夫が、運営をしていた、野菜の宅配便会社に、勤務していた。その後、野菜の配達先の石川和子と・・・・野合?の・・・・結婚をした。そうしたら、別の勤め口(もしかしたら、郵便局)を、紹介してもらった・・・・・・と、私は、推察している。

 その柳沢昇が、これまた、引き続いて、異様なことをやって来ることがあるのだが、その前後に、必ず、NHKは、加藤登紀子さんを使うのだ。石川和子さんが、伊藤玄二郎の愛人だったと、自ら言うし、柳沢昇も、いまだに、支援をしてもらっているみたいで、忠実ないぬっころそっくりな反応をするので、伊藤玄二郎が今、何を考えているかがすぐわかるのだった。もし、加藤登紀子さんが、宮中に参内したのだったら、後ろに、謀略的殺人事件で、殺された、35名近くの人の血がべっとりと、ついて居ることとなる。大桃たまきちゃんや、凌斗君や、リンちゃんみたいな、いとけない、いのちも含まれている。それらの、智も、べっとりと、伊藤玄二郎と、仲良しな人たちの背中には、引っ付いている。無論象徴的な意味では、あるのだが。それを、私が書くことを予測して、その実名を出さず、伏せて置いたと、考えられるのだ。

 ところで、この山の安野智紗夫人と、同世代の主婦たち、五人、又は、前田清子さんと仲良しべったりな小野寺夫人に聞きたいのだが、あなた方って、加藤登紀子さんが、駒場高校卒だって知っていましたか。もしかしたら、柳沢昇から聞いて知っていました? 私はネットで、調べたわけではありません。それから、橋本一子さんが、藤本ジュニアとは、離婚をしたが、それでも、藤本ジュニアと、YMOと共演をした時期について、思い出を、対話したりして、其れが、ネットに載っているのを知っていましたか?

 私から見ると、何で、そんなに小さな世界の事しか知らないのに威張っているのですか?と、いつも、苦笑いをしてしまうほど、考える事は、勝つことばかりなのですよね。しかも、目に見える小さな世界で、自分が一番になりたい、安野夫人に奉仕をすることばかり、気にしているのです。小さいねえ。器が小さいねえと、思いますよ。::::::::::

 という挿入をして元へ戻ります。

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副題7、『今期の朝ドラ、まんぷくにも、CIAエージェントのからかいが、込められていたとは。終了二週間前まで、気が付かなかったが、その理由は、安野忠彦と、いれるとき、かならず、チュウヒコと入れないと、漢字には、変換できないからだった。医師春産業も、イシと入れると、必ず、ストーン(石)の代わりに、ドクターを意味する、医師が、入るし、

 酒井忠康氏も、必ず、サカイチュウヤスと入れないと、漢字変換ができないからだった。菅直人、前首相も、必ず、スガナオトと入れないと、漢字に変換されないからだった。

 朝ドラの、要潤の役名は、香田忠彦と、書いてあるし、私自身も過去に、松下奈緒、か、安藤サクラが、ただ英彦山」と、発声するのを何度も聞いていながら、其れが、安野氏と、同じ名前であることには、気が付かなかった。

 私は、既に、何千回も、その名前を、パソコンで打ち込んでいるが、常に、チュウヒコと、打ち込まないと、返還をしてくれないので、安野氏の名前を、慣例的に、チュウヒコと、呼び続けていた。したがって、この二年間、其れを依拠として、安野夫妻が、この山で、大きな顔をしていた事などには、一切気が付かなかったのだった。

 なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5232098です。

 

 

後注1、

石春産業の常務と安野智紗夫人は、見つめ合い、ウィンクさえしあったが?・・・・・三菱銀行、鎌倉市、神奈川県・・・・・雪の下黒物語の8

2018-02-27 21:37:18 | 政治

 

有楽町駅の禿頭・高橋某が、100%の嘘をついて、運賃を二重に取ったので、鎌倉の安野夫人(=CIA)の悪辣さがますます明瞭に!

2018-03-01 20:48:19 | 政治

 

証拠写真を公開します。有楽町の嘘つき駅員が、刑事の変装だった事と、私が、理不尽な被害を、日頃24時間に亘って、被っている事を語る為に△

2018-03-02 23:50:26 | 政治

 

 後注6、

 新宿では、警官たちが、ホームレスにたばこを配って歩いていた。吸い殻が、落ちていないから、かわいそうだと、いう事だろう。   2019-03-24 12:39:56 | 政治

 この一文の総タイトルは、夜九時までは、【日本の警察は、CIAの言うなりであって、しかも、応用力がない。国会図書館は、満州時代の日本語の新聞を廃棄とか?】でしたが、その時点で、上のものへと変更しました。

後注7、

命ってすごい。首だけ2cmにされたチューリップが、3日間の補給路・断ちを経てのち、尚開閉をする

2015-04-09 14:37:39 | 政治

 


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新宿では、警官たちが、ホームレスにたばこを配って歩いていた。吸い殻が、落ちていないから、かわいそうだと、いう事だろう。

2019-03-24 12:39:56 | 政治

 この一文の総タイトルは、夜九時までは、【日本の警察は、CIAの言うなりであって、しかも、応用力がない。国会図書館は、満州時代の日本語の新聞を廃棄とか?】でしたが、その時点で、上のものへと変更しました。

 副題1、『私が書いているブログに対して、激しい復讐行為が続いていますが、何故、そうなるかというと  信州大学の学生が、能登町の空き家で、女子高校生を殺した後で、穴水町で、車に飛び込んで自殺をしたという事件が、数多い、謀略事件の中でも、最もひどいものだからです。其れについて最近、私が、真実を、書いているでしょう。それが、悪人たちにとって、とても、痛いのです。

 しかも、それは、那須雪崩事故に対して、現地で、引率していた先生に対する処分が、発表をされたという事を、きっかけとして、書いたものだから、敵さんたちは、予想外のタイミングで、やられてしまったと、思って居て、したがって、怒り心頭で、激しい、復讐行為を私に対してやっている最中です。

 しかし、何という事だろう。私が住んでいる地域では、34年にわたって、日本戦後最大のCIAエージェントの手が及んでいて、私は、すさまじい損失を被っている、連続の日々なのですよ。それで、やっと、最近五年間、前田祝一・清子夫妻、及び、安野忠彦・智紗夫妻、白井達雄・小野寺夫妻が、行ってきている数々の、リアルな世界での、いじめと弾圧について描き始めたところです。

 すると、遠くで、異様な殺人事件が多発しています。それは、間接的な復讐であって、資産を減らそうとする向きで始まっているのですが、もう一つの流れとして、私をノイローゼにさせて、精神病院に強制収用をしてしまおうと、言う趣旨の二つの流れで、生起しています。

資産を減らそうとして、起こされたもの、

 ア)、JALの破産(?)騒動・・・・・主人と息子が株を持っている。ナショナル・フラッグ・シップ・カンパニーがどうして、破産をするのですか? おかしいでしょう。ためにする破産騒動です。で、息子も主人も何百万円がパーと、なりました。

 イ)、寝屋川のアーケード街を、真夜中に歩いていた、中一2児童殺害事件(山田浩二がやったとされているもの)最初の遺体が置いてあったのは、センコーという会社の駐車場で、私が株を持っている。センコーの駐車場は、寝屋川市にあります。それなのに、NHK他の、メディアの記者たちは、高槻市で、あったと、大騒ぎ、NHKは、嘘を報道をするのです。まあ、警察が総発表をするのでしょうが、NHKは何故、グーグルとかカーナビで、確かめないのでしょうかねえ。それからね、ネットで、あれは、高槻市に在る、全農の駐車場だと、言う説がありましたが、お金をもらって投稿をしている、スパイの一種の投稿です。全農の駐車場には、建物が付随しているので、あの駐車場ではないです。

 ハ)、横浜鴨居駅を最寄とする、都筑区の【らら横浜】というマンションで、データ、くり回し騒動が起きて、傾きが問題となり、そのすべては、引っ越して、マンションは、取り壊されたそうです。三井不動産レジデンシャルは、そう言う不祥事を起こしたのに、高麗屋三代襲名披露円が、帝国ホテルで、行われた際に、三井物産は、三井不動産の偉い方が、乾杯の音頭を取って、しかも祝儀幕を寄付しています。多大な損失が出たはずですが、内閣官房機密費で、まかなってもらったのですか?

 伊藤玄二郎達が、行う事は、谷垣禎一さんを仲買として、安倍晋三内閣が、大支援をしていますのでね。お金、ばらまき放題です。だから、安倍さんは、麻痺しきっていて、無駄な事この上ない除染だとかに、後学の金銭を投じて、都会では、六件に一軒の家の子供が、給食費を払えないとか? 足立区だったかなあ? でも、ほかの地域でも、シングルマザーの、家庭は、ひどいことになっているとか?

 今度、未就園児同の支払金を、すべて、国家が賄うそうです。選挙目当てのばらまきです。

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副題2、『刑事とか、警察官というのは、上司が考え出したことをその通りは、実行するが、私が想定とは、違う反応を示した時には、全く反応がないのだった』

 さて、私をいじめるために、各種の謀略が起こされてきたのですが、そのうちの、二つ目の、ラインを語る際には、芽のお前に現れた、刑事たちの特徴を知ることとなりました。それを語るので、文章が長くなるので、ブログの節だてを新しくいたします。

 暗殺する、手法の一種として、精神病院へ、収容してやろうとして、起こされた謀略的事件が、数々ありますが、其れを語る前に、前哨戦を語らないといけません。新聞や、テレビが報道する大事件の前に、私個人を狙った、前哨戦がありました。そこに現れた刑事には、共通項があるのです。

ア)、『2007年9月28日、早朝、私は渋谷郵便局の二階での、幻聴を、利用した罠』

 私は当該日の前日、午後2時から、そこで、四冊目の本、【伝説のプレス】800部の発送活動をしていました。包装紙、紐、印刷した、案内状、などを周辺に置き、宅急便や、郵便で、800冊を送付しようとするわけですから、死に物狂いです。疲労困憊をしています。そこに、午前6時ごろ、異様な音が大音響で鳴り響き、たった一人で、作業をしている、私の周囲を、背が高くて、目がぎょろっと大きい、刑事(または、警官?)が、こっちを見つめながら、ぐるぐると、周りをまわるのでした。

 私は彼の前に、背が低くて、高齢の男性が、掃除に来たので、そちらが、郵便局専門の本当の清掃員であって、二度目に来た人間は違うと、わかっているわけです。で、前夜、終わりそうもないので、主人(鎌倉雪ノ下)に電話をかけて、「27日の夜は帰らないわ」と、言って居ます。それが、盗聴をされているわけです。なるほどねえ。で、すぐさま、『私をはめてやろうとして、警察の、殺人用別動隊が、動いたなあ』と、わかるわけです。内心で、非常に、怒りました。だって、私は悪いことは一切していないのですよ。どうして、警察に虐められるかというと、北久里浜の、大詐欺事件の真相を知っているからです。それの、首謀者が、戦後最大のCIAエージェントとその代日本帝国軍時代の、陸軍参謀と、海軍参謀・益山重夫が、組んで、行ったわけですが、日本の警察は、それら、CIAエージェントの味方をして、その通りに動く、手下部門を養成しているのです。そして、彼等の弱点や、汚点を知っているものを、殺していこうとしているわけです。

 という根本の部分を解説した部分を入れて、元の渋谷郵便局へ戻ります。 

 どういう狙いがあるかというと、もし私が彼に、「この異様な音は何でしょう?」と、質問をしたと、仮定をしますね。すると、そんな音はなっていません」と、彼の方が嘘をついて、「あなたには、そういう音が聞こえるのですか? あなたは、幻聴がある人ですね』と、言い募って、ひどい幻聴がある人がここにいると奥に向かって、どなったと、仮定をします。そうすると、郵便局員に化けた、警官たちがぞろぞろっと出てきて、私を縛って、さるぐつわでもして、精神病院へ、強制的に収用をしてしまうのでしょう。

 ところで、この時の刑事(または、警官ですが)、私が2013年8月10日、母の納骨式を終えて、かつ親戚の皆さんと、精進落としの、宴会を鎌倉【アングレーゼ】8000円のコースで、行った後に、東京へ、向かい画廊巡りをした後で、疲れたので、主人に断って、秋葉原の、ワシントンホテルに、宿泊をしたことがあります。ワシントンホテルは、新大阪・他あっちこっちで、宿泊をしているので、何となく、親近感があるからでした。で、自分のパソコンも持っているのですが、仕事をするのには、二つパソコンがあった方が早くできるので、ホテルの貸しパソコンも借りました。一晩、1000円ぐらいで、貸してくれるシステムは、たいていのホテルで、常備されているのです。そしたら、其れを持ってきた、人間が、あの渋谷郵便局の、清掃員に化けていた刑事でした。

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副題3、『たいていの場合、二度、同じ刑事が、私の目の前に、現れたのだった・・・・・神奈川県警の場合、同じ人間が三度現れた』

 男性の刑事は、どの人物も、だいだい、二回ぐらい使われています。神奈川県警の、若い刑事なども、同じ人間を三度見た様な気がします。三度目は、石春産業の、証拠隠滅工事の際に、作業員に化けてきて、私に向かって、「誹謗中傷のブログに、この工事のことを書くのですか?」と、言ったのですよ。作業員が、『そんな、四文字熟語を使うかしら?』と、思って、まじまじと、彼の顔を見つめたら、その男は、昔、朝、徹夜明けで、帰宅して石段を、主人に迎えに来てもらって一緒に上がっていた時に、後ろで、大音響を立てて、鉄筋を、20本ぐらい、石段に、落とした人間とそっくりでした。その時、山の上では、何も工事をやっていなかったのですよ。だから、ただ、脅かすために、大音響を発したのです。彼を見かけた別の日は、微妙なサイレンの音(これも、私を脅かす音であって、武部聡志の音楽会では、朝の、九時から、「マイクの試験中と、言う言葉とともにがされるものです)が、山ノ下から聞こえてきたときに、鶴岡八幡宮が、駐車場に建てた二つ目の作業小屋・兼・休憩場を覗いたら、湘南環工と、言う制服を着ていた、作業員がいたのですが、その人間とそっくりでした。だから、目の前に三回ほど現れたというわけです。

:::::::::::ところで、そこの作業小屋ですが、その場所に、昔、大江広元の墓があったのですよ。それでね。私は過去に、こういうブログを書いた覚えがあります。

 大江広元は、毛利家の始祖であり・・・・・父の実家は毛利家の重臣(上士で、内閣10人を形成していた家柄だった)なので、縁があるなあとか、思い、それは、ブログには書かなかったのですが、・・・・・以下のことは書きました。

 私が住んでいるこの山は、元毛利様が、もっていらしたらしい。それを、戦後、藤本真澄(元・東宝の重役)さんが、買ったらしい。毛利様は、家族制度廃止で、ほかの大名家と同じく、急に、収入がなくなったわけだから。で、藤本さんは、ただ、単に、寄付ぐらいに考えて、持っておられたのだろうけれど、彼の会社で、ストが起きて、それで、新東宝を作るとか、いろいろあって、お金が必要な時期に居たり、お売りになったのだろう。それで、藤本禎子夫人のご主人は、真澄さんの弟である可能性が高い。長男が、モダン系だが、音楽を、やっていて、そのお嫁さんが、橋本一子さんだ。そう言う結婚が、可能だったのは、藤本真澄さんと、兄弟だからだと、思って居る・・・・・と。

 その藤本真澄さんと、私の父は、旧制山口中学時代、親友でした。それを証明する写真はないのですが、同窓会で二人が、一緒に出席しているスナップ写真はあります。

 ところで、私の父はシャイな人でしたが、才能は、あって、本当は、上野の、美校に行きたかったそうですが、父の父が早死にをしていて、兄に学費を頼る立場だったのと、旧制中学の時代の美術の先生が、「美校を出ても食えないよ」と、言われたので、あきらめたそうです。石油を勉強しました。それで、油絵は、趣味としてやっていたのです。ただし、戦時中は石油が、貴重なので、父は、恵まれた立場にあり、時間もあり、給料もよかったので、中国の遺跡を絵描きに行く暇がありました。満鉄の、中央研究所というところに、勤務していて、中国満州・撫順炭鉱で、今で言うオイルシェール(当時の言葉、または、日本語では、頁油岩というのを、)研究していたのです。旅費も特急アジア号が、タダですから。で、満州文展というところで、特選を取り、その絵は、ラストエンペラーの宮殿やら、甘粕、満映・理事長の部屋や、満鉄の総裁の部屋を飾っておりました。それを語る新聞記事も多数あったのです。

 ところが、それらがすべて盗まれています。私は国会図書館にはあるだろうと、思って居たのですが、国会図書館は、満州時代の新聞はすべて、マイクロフィルム化したそうです。ところが、驚いたことに文化面だけは、採録されていないのでした。新聞が、奇数頁だと、いう事はありえないのに、奇数頁なのです。其れをブログで描いたら、何と、国会図書館は、其のマイクロフィルム化した、新聞を捨てたそうです。劣化したからだそうです。それが、順次全部、新聞記事として知らされました。

 本当に驚いて居ます。探検バクモンが、お正月特番として国会図書館を訪問しました。すばらしい資料の充実ぶりだと、言って居ましたが。それでも、CIAの支配には、屈するみたいですよ。ただ、唯、驚いて居ます。その上、私が国会図書館を訪問するときには、使う入り口に、必ず、警察車両が待っていて、いかにも、「脅かして、やるんだけんね。調べるんで、ねーよ」と、言われているみたいです。この口調は、井上ひさしと、思われる人間が、このブログに多数のコメントを寄せているのですが、その時に使う口調です。彼は、こういう口調を使って、私をさげすんでいる模様です。だから、彼等、陣営の言葉としては、常にこれを使います。警察庁長官、栗生氏が発言をしたであろう言葉としても、こういう下品な口調で、表現をいたします。

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副題4、『NHK総合チャンネルで、ファミリー・ヒストリーが、放映されるたびに、私は、我が家から、父や、母の写真も盗まれていることを思い出す』

 彼らは、ありとあらゆる意味で、其れが、心理的いじめにあたるだろうと、見て、実行をします。NHKで、ファミリーヒストリーと、言うのを、放映をいたします。するとね。昔の写真が出てきますね。それを見るたびに、父や母の戦前の写真が盗まれているのを思い出すのです。父の実家は、武家屋敷街として観光地になっている、堀の内の武家屋敷街を抜け出て、東萩に、山を買いました。橙を栽培して、明治維新で、失った俸給の代わりとしたのです。勿論、それだけでは足りないので、みんな教師などのサラリーマンになったわけですが、その山すそに、南側にも北側にも廊下の、あるお屋敷を構えています。そこで、私の年の離れた従兄の結婚式があり、大きな石が運ばれていたのを覚えております。

 父は次男ですが、父の結婚式の時も、大きな石が運ばれており、かつ宴席は、三日続いたそうです。それで、母が言うのには、「高島田が、もう崩れてね」と、いう事でした。たしかに、高島田の、肩に近いところが、とんがっているのでした。

 それから、父が学生時代か、学生服で、ピペットを握っている写真とか(普通なら、実験時には、白衣を着るのでしょうがね。写真だけは、記念に、実際の実験とは別の日に取ったのだと、思います。昭和ひと桁の時代なんて、写真機を、みんなが手持ちするという時代ではなかったのです)。

 私が一番好きな写真は、熱河(熱河)の、ラサ寺院の前で、マーチョ(中国式人力車、柄が非常に長い。車夫の体臭が、届かない様にするためだったのかな?)に乗っている写真です。これは、人力車のそばにいる母が手持ちの自分達家族用の写真機で撮ったと、思われる写真です。

 母は、結婚後に、社会勉強の為に横浜で、お勤めに出たのですが、最初は、正金銀行で、(もしかしたら、今は、その建物はバンクアートになっているかな。または、北野武・芸大教授の、お教室に?)に勤務し、そこは、就業時間が遅いので、日産自動車に、勤務がえをしたのでした。新卒ではなくても、旧制商業中学の校長の娘だから、何でも、すいすいといった模様です。銘仙の着物と、錦紗の羽織で、勤務しているのですよ。父は、早山石油(のちに丸善石油と改名)に新卒時には、務めたのです。で、其の製油所や、本社ビルが、横浜東部にあったので、二人は生麦に住んでいたので、横浜正金銀行とか、日産自動車とか、横浜に本社がある会社に、母も、務めたのでした。

 女性が働くことは悪いことではないのです。母だって、あの時代があるからこそ、後年、女性には、普通なら許されてはいない、株の信用取引さえ、許可されていたのですから。しかし子育てと、職業の両立は、ひどく難しいと、思いますよ。

 母だって、私が、小さい頃は、仕事をしていなかったし、仕事をするといっても、下の写真に在る、実家の、しかも、この写真には、写っていない反対側の、静かな部屋で、経理の仕事をしていただけです。

  ご近所の主婦、二人と三人で、仕事をシェアしながらです。家事は、お手伝いさんが、来ていましたけれどね。母は、家の中にいたのですが、忙しいので、デスクに引っ付く感じだから、どうしても、真ん中の子供は、愛情不足だった模様です。三人いると、次子が看過されやすいのです。だから、この雪ノ下でも、富沢家の、ご次男が看過されていて愛情不足だったことは、すぐわかりました。

 ただ、現代のように、働くお母さんが、外で、高度な仕事を引き受けて、帰りが、遅いとねえ。後で、影響が出て来るのですね。保育所に、赤ちゃんの時から、いれてしまうのは、絶対に反対です。子供って、数万種類の行動をとるので、そのどれがやっていい事で、どれが、やってはいけないことなのかを、わかっていないと、将来危ないのです。そして、その数万種類に及ぶ教えないといけない事は、保育所の保母さんにも、幼稚園の先生にも教え切る事はできません。保育所とか、幼稚園というところは、お友達を作るための場所です。お友達ができたら、お友達同士を遊ばせるのが、主な、仕事の場所なのです。教えたり、影響を与えたりできるのは、母親だけですよ。そして、親の方が、子育てという苦労をしないと、順次たどっていかないと、愛情もわかないものです。愛情の総量が足りないと、後で、問題が出てきます。少学期とか中学期とかは、目立たなくてもです。野田市で、異様ないじめを自分の娘に行ったお父さんの、実母は、働いていた人ではないかなあ。で、お父さん自身が、親から、丁寧な、愛情を注いでもらっていないと、思いますよ。・・・・・・という風に、思いがけないことが、30過ぎに出てきます。

 ところで、上の写真で、黒い部分は、前の家のカゲです。そして、ほかのグレーの部分は大谷石でできています。この「大谷石だと、建て替えができない」そうです。横浜市の条例で、そうなったそうです。これも、裏から手が回された対私いじめです。それと、増築の問題です。敷地は、99坪あって、余地がたくさんあるのに、最近は、増築ができないとか、すべて、私のブログと正反対の方向での、いじめが行われています。ただ、特例は認められているそうです。特例が認められるのは、CIAエージェントと個人的なコネのある人でしょうね。そういう社会って、本当に暗いいやな社会です。

 鎌倉雪ノ下の谷戸では、人間関係が難しくて、特に安野智紗さんの井戸端会議が、開かれていた、時期は、引っ越して行く人が、多数いたのです。そして、売り物も多かったのですよ。私は、1982年ごろ、今の家とは、別の物件を見に来ています。その時の家は、余地が少ないので、買わなかったと、言って居ます。そして、今の家は、余地がたくさんあるので、買って、二年後、総二階15坪分を建てましたと、語っています。ところで、余地はあったので、それは、よかったのですが、其れだけ、買った時の古家は、小さかったのです。総二階でも、18坪で、トタン張りでした。それでね、横須賀で、大詐欺事件の横須賀市担当役目の、杉本俊一氏(当時土木課長・・・・・・結局のところ、実質的詐欺事件=公的用地、横須賀市の水道山をタダで、個人に渡した。ただ、大建産業という会社名を名乗っていたが、後程、四つの名前の伊藤忠の子会社となったそうである。でも、実質的に横須賀市は、一戦も受け取っていない。それをわざと見逃した。それゆえに、後日副市長へ出世した)の妻、杉本正子さんが、稲田恭子さんという私自身の、友人を使って、その小さな古家を見に来たのですよ。

 稲田恭子さんは、その後、帰宅して、杉本正子さんに、「川崎さん、前の家を売らないで、新しい家を買ったと、言われているけれど、全然、金持ちではないわ。見に行ったら、とても、小さな家だったの。全然、鎌倉らしくないのよ(大笑い)」と、報告をしたことでしょう。稲田夫人が、その日、銀座・和光かどこかで、買ったであろう、今なら、30万円以上はする様な、豪華な、白いカーディガンを着てきたことで、そう言う裏側がわかりました。白い毛糸でできていて、そこに白い毛糸、又は、白い絹糸、又は、白いビーズ、または、白いスパンコール、または、白い模造真珠が、植え込められている、素晴らしく美しいものでした。私と稲田夫人との友情は、主に、この種の、手仕事類、の、センスの良さで、結びついていたのに、その日は、お互いに、そんな話題に入ることもできませんでした。

 私は、稲田夫人を目の前にしても、杉本夫人の陰を感じていたからです。私の、親友を奪い、あまつさえ、私の親友を、私への、スパイに仕立て上げる、杉本夫人の悪辣さに、思いを寄せてしまっ他ので、その日は、、なにも楽しめなかったからです。杉本夫妻とは、横須賀市の吏員としては、非常に無責任なことをしたうえで、莫大な富と権益を得たのです。ああ、そういう人である杉本俊一と、正子夫人。

 私が事件の詳細を、正子夫人へ電話で教えているのにもかかわらず、夫をいさめず、夫への、批判もなく従い、さらに悪を拡大する、杉本正子さんについて、今は、これだけにしておきます。

 ただ、既に、スパイ化していたからこそ、稲田夫人は、二度と遊びに来ませんでした。鎌倉雪ノ下の家は、1087年当時で、坪100万円をかけて、建て増しをして、それから、古い家の部分は、2003年に、リフォームをして、きれいになったのです。そういう、こちらの鎌倉の家には、全く遊びに来てはくれません。「そうですか。なるほどねえ」と、苦笑いをしておきます。そして、其れからの、32年間に、稲田夫人は、三回か、四回ほど、重要な形で、スパイとして使われるのでした。全部わかっておりますよ。将来丁寧に説明をいたします。他にも大勢の友達が、池田分譲地に居ましたが、稲田夫人が最も親しいとみて使われたのか、それとも、頭がいいと、見て使われたのか? それとも、おっちょこちょいだから、簡単に言う事を聞くとみて彼女が、使われたのか? ここでも人間分析の材料を拾うことができるのです。将来丁寧に、分析をしていきましょう。今は、鎌倉雪ノ下に、こだわり続けます。

 ところで、上の写真で、日がさんさんと当たっている私の実家の方ですが、商店ではないことは、どなたにもお分かりいただけるでしょう。しかし、グーグル地図では、商店と、記載をされていたのですよ。長年にわたって。本日もそうだろうと、思って、拡大をしてみました。しかし、スケールが、最大限5m単位になっても、商店という文字は、さすがに、本日は、消えていましたけれど。

 こういう風に「貶めよう、貶めよう」と私は、されています。小野寺夫人など、私の目の前で、『前田先生』と、祝一氏のことを呼ぶぐらいですから、その陰に、「あの人(川崎)の実家って、小さい商店なのよ」と、聞かされていて、それを信じて、私の事を前田夫妻よりも、格下だと、信じていると、思いますよ。

 ところで、私は、父の写真や、母の写真を盗まれていて、立派な家で育った人間であることを証明することを奪われていて、しかも現在の実家も、商店と名付けられていて、「低い、低い家柄の人間なのよ」と、ご近所様には、悪宣伝をさせられたうえで、次に、NHKで、【ファミリーヒストリー】を放映をして、親の結婚式の写真などを、何度も紹介して、私を、イライラさせようとしています。そう言うところからも、ノイローゼになってくれと、ただ、ひたすら願われている模様です。

 ストリートビューで見ると、我が実家と、西隣さんが、植木がいっぱいの家です。後は、昔の地所80~100坪が、二分割とか三分割をされていて、屋根だけが目立ちます。ところで、上の写真で、おくの左側に、幅1メートルぐらい、ピンクの崖が、顔を出していますが、それが真田広之さんと手塚理美さんが建てた家です。真田宏之さんと手塚さんの離婚には、いろいろな原因が考えられるけれど、まず、地域社会へ、手塚さんが、母親として溶け込もうと、しすぎたことを真田さんが、嫌ったと、言うポイントはあると思うし、その上、私独自の考えですが、その家の前の持ち主が、育てていた、武蔵野の自然林のごとき、たくさんの、樹木を、みんな伐採をしてしまったことが、大きいと思います。鉄の弾丸で、樹木を倒壊をさせているのを見て、私は、樹木たちがうめいていると、思いました。

 父は、船橋の家から成木の、植木類をたくさん持ってきたし、カキなど、綱島の果樹園から、既に実のなるしっかりした樹を植えたので、100年を超すと思います。毎年植木屋を入れて、70年になるので、幹はバカに太いです。背は、高くないけれど。私は父の、意志を継ぎたいので、「宝くじがあったったら、この家を買うから、待っていてね」と、弟に、言うのだけれど、なかなか、当たりません(苦笑)

 ところで、実家の建て直しをするときは、このままの、大谷石の、築崖ではだめだと、言うのなら、我が家でも、真田邸と、同じく、樹木類をみんな殺さないといけません。ほかの家を見ていても、コンクリートの擁壁を作るために、重機を入れるので、植木類など、一本も残さない形で、整地して、その上で、新築するみたいです。『なんだろう? これは』、と思います。非・文明化、はなはだしいと、思いますよ。

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副題5、『非・文明化という話ですが、禁煙運動・程、それに、悪い意味で、貢献をしているものはないのです』

 私への最近の復讐用ニュースとして、「孫正義氏のグループが、突然全社員に、禁煙を命じた」というのと、「すかいらーくが全席禁煙にした」というのと、「サイゼリアも秋から全面禁煙にする」というのがあります。禁煙運動は、この雪ノ下から、始まりました。特に受動喫煙防止条例は、例の鎌倉エージェントと、松沢茂文(当時の神奈川県知事)の結託によって始まりました。どうして始まったかというと、私は、鎌倉駅ホームの灰皿がなくなったりした、大昔から、喫煙者に同情をしているからです。

 また、二週間前に、私がある人と、「弟はインテルで、ソフトプログラマーをやっていて、シリコンバレーにも、しょっちゅう出張に言って居たのですよ。で、孫正義さんとも、そのころは、あったと言って居ました」と、・・・・・と語ったのが盗聴をされて、そう言うニュースになったのだと、思います。

 弟の家が、擁壁をコンクリートにしないと建て替えができないと、言うのは、まさしく、弟いじめですが、インテルが、日本から、事務職以外の、製造部門としての、つくばの拠点を引き上げてしまったのは、弟いじめだったと、今では、言えますね。

 それからねえ。すかいらーく全店舗、又、サイゼリア全店舗なども、全面禁煙にするというのは、国民いじめです。誰が動いているのかといえば石塚雅彦さんが、経団連会長とか、堤義明ラインを使って、こういう締め付けをしてきていると、思います。そして、両方とも、結局のところ、真実を言えば、私狙いの、いじめです。私は、喫煙行動は、これ程、縛るべきではないと、思って居ます。喫煙行動とは、キセルが、歌舞伎の助六の重要な小道具である様に、日本でだって、500年ぐらいの歴史があるでしょう。

 ヨーロッパでもチャーチル首相が吸って居た様に、歴史の深いものなのです。麻薬成分を楽しむと、言う趣もあるかもしれないけれど、ある意味で、思考・行動様式の手助けになるから、みんな、手を出しているのですよ。タバコを吸いながら、構想を練っているのは宮崎駿さんです。それが、ないと、白昼夢に浸っている様に見えて、ほかの社員には、遊んでいる様に見えるでしょう。個人が一人で、仕事をしている時だって、思考の助けに、たばこはなるのですが、集団で仕事をしている場合、タバコをふかしながら、思考をするのは、ごく普通の事なのです。日本人には、考えるのは、ぜいたくで、必要がないと、思われているのでしょう。被・植民地国家だから、仕方がないのかなあ。

 しかしびっくりしたことに、新宿の駅の北側にある地下道そばの、十字路に座っていた、元、宝塚のスターか?というほどに、美しい、かつお化粧をばっちりとした、ホームレスの女性に、若い警官二人組が、たばこを一本上げていた。ひどく驚いた。これは、2007年か羅、2009年の間の事だったと、思う。本づくりをしていて、自宅では、あまりにもシステム異常が起こされて、仕事にならないので、一種の、ノマド生活者として、新宿や、池袋、又は渋谷で、本の編集をしていた時期なので、2007年から、2009年の間だった。当時の警察庁長官が、人情があったのか、それとも、警視総監が人情があったのか、それとも新宿警察署所長が、人情があったのかは、わからないが、ホームレスになる様な人は、善人で、お金がなくかつ、意志も弱いので、禁煙などに取り組むはずもないと、思って、配っていたと、思われる。ところで、当時の新宿警察署所長名を知りたかったが、書く、警察署所長名は、非公開の模様だ。ただ、新宿警察署って、日本一大きいとは、知った。本日初めて、それを。

 ところで、それほどに、警官がやさしい新宿なのだけれど、そのほかの地域では、ホームレスよりも数の多い、普通の人が、いじめられきっている。 されリーマンをして、税金を支払って居る類の人が、いじめられきっている。指定された場所でしかタバコを吸えないそうだ。恐ろしい、監獄のような国だ。これも、私の文章を読んでいて、常に、私が発言をしている方向と、反対に勧めようとする、井上ひさしに浅はかな提案に、伊藤玄二郎が乗り、そして、谷垣さんに、訴えて、国会にまで、拡大をしている現在だ。

 ところで、私道部分をコンクリート打ちをされてしまったので、道路で、園芸の仕事をすることがあるのだけれど、それを、していたら、狙う様に、小野寺夫人が近づいてきて、たばこの害に、ついて、教唆する様な演説を、私に対してぶった。何も野田。この人間はと、あきれ返ってしまい、私としては、珍しく、「用事がありますので、此処で、失礼をしますね』と、こちらから、切り捨てた。リアルな世界で、喧嘩をしないという主義だが、彼女が、びっくりして傷つこうが、どうしようが、屁の河童である。彼女には、同じ形式で、四回ぐらい大きく威張られきっているが、其れゆえに、もう、何を書いても、私は、平気である。西隣であろうが、何であろうが、悪魔のお友達として、認識しているので、バリバリ、思うことを書いている次第だ。

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副題6、『処で、上にあげた、実家の写真をこのブログの画像内で、アップした筈だと、探していたら、猫の葬儀のころの写真が出てきた。この猫は、ずいぶん元気で、丸々としていて、メスで、体格が小さいのに4キロか、五キロほどの、体重があった。ずしんと言う感じだった。それが、2016年の七月、急に死んでしまった。 

 そのころ、私は三つの文章を書いている。そして、その三つの文章で、経過した日時は、とても短い、二週間か、三週間だった。挿入を間に入れて、次の→へ     :::::::::::::

猫が、階段を上がるのを、億劫がる程度がただならないので、瓜南さんの最後を思い出したりして    2016-06-27 22:32:35 | 政治

 猫が失禁をしていたので、ダッカ事件について、書く時間がありません。     2016-07-05 22:03:26 | 政治

 猫が死んだ、次の日に思った事。        2016-07-08 23:03:06 | 

  これは、実際には、9日の夕方に書いています。猫は、7日に死んでいますから、二日後に書いたと言う事です。しかし、アップの日付だけを、8日の、深夜と、変更をさせてくださいませ。

 ::::::::::::挿入から戻って、此処に続く。→

 前の猫、ちびちゃんの時は、階段を土丹土丹と上がり降りする音に気が付いて変だと思い始めてからでも、六か月程度、おもらし(尿も大便もトイレでは、しなくなった)期間が続いたのであまりにも手がかからないさびちゃんには、驚いたし、これは、変だと考えた。誰かに毒を盛られたわけではない。きちんと老衰化の経過はたどったが、時間があまりにも短い。それで、ふと、内心でだけ、安野忠彦氏が、合いかぎを使って、我が家の室内に入るときに、私と猫が二階に居ても、一階に、実際に侵入してくる紫色が買ったトータシェル(たもと草風の模様。ロシアンブルーが入っているので、紫がかって見えるのだと思う。ペルシャも入っている模様で、長毛種でもある)が、一緒に入ってきて、追い回すので、激しいストレスを浴びたせいだと、考えたのです。押し入れの炭などに隠れて、息をひそめて彼らが去るのを待ったりしたのでしょう。

 そういえば、石川和子さんが、さびを探す際に、押入れを探すのです。私が室内にいるときは押し入れに入って寝たりはしないのですが、石川和子さんに家に入っていたのは、2004年までですね。そのころ、既に、安野氏は、合いかぎを使って、侵入して居たのか知ら。それで、我が家の猫は、私がそばにいないときは、石川和子さんの家という安野氏が侵入しないはずの、家でも、おしいれに隠れる習慣が付いたのかしら。ここらあたり、急に上書き保存になったので、正しいことを書いていると、思います。書かせてやらないぞと、言うCIA側の決意の表明です。上書き保存になるとグーブログでは直す手段を、教えていないので、苦労があります。ただし、その時描いていることが正しいことだと、わかるのです。

 さびちゃんは、私が家にいるときは、押し入れではなくて、必ず、私と目が合う場所で、寝ていました。

 私の方では、嚆矢て、主人が入院中に、激しいストレスを浴びた可能性のあるさびちゃんに、死なれてしまったのです。安野家の猫がテリトリー争いの勝利するために、我が家内で、我が家の猫を追い回した可能性があるからです。夜に侵入してくるので、昼間も侵入してくるでしょう。当然。ただし、私は、それに気が付いてからは外出するたび二,重い、動の花瓶を入り口に置いて、猫だけなら、絶対に入れない様にして出かけていたのですが、安野氏が、合いかぎを使って、堂々と玄関ドアから入っていたら 防ぎようもないですしね。

 今日は、此処まで書いて大部疲れました。

 で、これから先に書く予定のことをメモっておきましょう。まず、白髪の刑事が、二度現れたという点

 もう一人、非常に陰険な白髪の人間が居ます。2003年3月31日、丸の内、中央郵便局の旧社屋のロビーで、歴史の勉強をしている老人と、若い女性が居たのですよ。私はプリントアウト類を、郵送する作業をそこでやっていたのですが、二人が、一言も会話を交わさないことと、真夜中の、郵便局で、歴史を勉強して居ることの不思議さを、びっくりして、問い合わせたのに、答えはありませんでした。

 これは、これ以降も何度も見聞する、警察官とか、刑事というのは応用力が全くないという事を、知った初めての機会でした。

 しかし、それ以上のことを書くと、将来、其れについて描くのをひどく妨害をされる筈なので、此処には目盛るのを止めますめます。それをいつ書くかは、いまは、まだ

、お約束ができませんが、

 ところで、これだけは、今言っておきましょう。安野夫人は、何科政府に助けてもらった時は、又、柏手を打って、自分の猫を呼ぶのです。全山に響く声で、〇〇ちゃーん。おかえりなさいーいって。

 で、私はそれを聞くと、さらに一歩、現代政治の真実について、踏み込んでいくのですよ。なるほどねえ。こうなっているのかと、すっきりとわかってくるからです。

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 なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5230768です。

コメント
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安野家の猫は、我が家の一階に自由自在に侵入する。二階に私と私の猫がいてもだ。どうして、そん何、ふてぶてしくなれるのだ?

2019-03-21 22:29:53 | 政治

 最初に置いた写真の説明をさせてくださいませ。これは、主人の入院中に、どうも、安野家の猫に我が家に侵入をされ、そのストレスで、主人が退院後、たった、一か月で、死んでしまった我が家の猫さびちゃんです。途中で、私の方がある理由から、その侵入に気が付いて、猫出入り口に、重い銅の花瓶を置いて病院に見舞いに行く様にしたのですが、合いかぎ持っている安野氏が、玄関ドアを開けて、堂々と、入ってくれば、安野家の猫も当然、一緒に入ってきますよね。で、多大なストレスを感じたのでしょう。主人が退院後、あっという間に、死んでしまいました。17年の間、丈夫で、我が家内では、平和で、普通に生きてきたのにです。すごい話が、この章にも、いっぱい入っています。    これは、前報【逗子市立図書館の、サービスが、劇的に悪化したのは、むろんの事、雪ノ下を舞台にした悪事を、隠すためであろう  2019-03-20 21:31:08 | 政治】(これを後注1)とします。の続きです。本日の午後四時半ごろ、安野智紗夫人と出会ったので、彼女を主役として、書き始めたいです。   ところで、この一文ですが、23日の午前3時まで、総タイトルを【ご近所の二軒が、Pから、鍵を貰っているが、最近では協力しあい、盗んだ物をいったん返却したり、又盗み直している。そして気が付いてはいるが、ブログ化しない私に対して、勝った勝ったと、大笑いをしている】としておりましたが、その時点で、上のもの(21【二枚目の白いセーターが、盗まれ、返され、もう一度盗まれたが、その同じ日には、consealer(青あざ隠し)も盗まれたのだったへと変えました。          そして、この一文の、結論を先に言ってしまうと、彼等は、白いセーターを、一回盗み、又、其れを一回、返し、そして、もう一回、盗んだのです。それを、私が、ブログに書かないので、気が付かないでいると、思って居て、あざ笑って居たのでした。そう言う連中が、伊藤玄二郎 + 谷垣禎一さんの、お助けで、名誉と多大な報酬を得ているのです。それが、現代日本の政治なのです。    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『私は、2019年3月22日に、まったく新しい考察に達した。安野智紗夫人が、どうして、同月20日の、午後五時半か、6時ごろに、「〇〇ちゃん、帰って居らっしゃーい」と、自分の猫を、ネコナデ声で、呼んだのか、その理由が、はっきり判明したのだ。画家Aや、前田清子さんと、連帯をして、怪我をしている私を、さらに、えぐり倒そうとする、いじめだと、思っていた。それも当たっている。が、それだけでは、なかった。嘲笑が、目的であったのも、確かだが、それ以上の激しい、行為が、裏にあったのだ。それは、どういう事かというと、盗んで、置いて、それに、気が付いたら、いったん、返却し、それをまた、盗むという、三重の泥棒行為を、やったのだが、それを、ブログ化、しない、私が、気がついて居ないとみて、「あの人こそ馬鹿でしょう」と、三人で、言い合い、大笑いをしていたのだった』    私はこの直前の水曜日20日の夜に、長文のブログを書き始め、その総タイトルを、一時期【画家Aが、私を狙って久しぶりに、目の前に現れ、又、誤解をした模様だ。私が、すっと門内に引っ込んだので、書いた内容を、悔やんでいると。私は、ただ、下着が不備だったので、ひるんだだけなのだけれど。(笑い)おバカさん目】としておりました。    

 その日、私は久しぶりに、園芸の仕事をしていました。下に我が家の写真を置きますが、この家の、こちら側から見て、裏側で、土づくりをして、そこで、球根の植え込みなどをします。そして、作業の終わった鉢を、手前側に、持ってきて、道路の中の我が家分の私道部分に置きます。ほかの家は、そこが全部、泥で、出きた花畑になっていますが、我が家だけは、コンクリート打ちをされて居ます。32年前にです。ずっと、使えません。私には、何の落ち度もないのに、前田清子さんと、藤本夫人と言う方が、大げんかをしていた、とばっちりで、そうなっています。これを、私はアジサイ畑欺罔事件と呼んでいて、ところどころで、部分的に解説をしています。その損失の、大本となったのは、安野智紗夫人と言う女性が毎日午後による、道路で開く、井戸端会議によるでした。あまつさえ、安野家では、北側にも新たな、花畑を、20坪ぐらい開墾をして、そこを、政治的に洗浄化するために、周南事件が、起きたと発表をされた月曜日の、次の火曜日、前田夫妻と結託をして、平木家という、きちんとしたお宅の当時、小学生だった二人のお子さんと、そのお友達たちを、絶対に、自由には入れない、その安野家の花畑に入れて、行きました。そう言う現象で、平成のやつ墓村事件と呼ばれて、大騒ぎになった、周南事件が、保見死刑囚がやったものではなくて、警察の特殊部隊が、五人を殺したという事が私に分かったのです。それ以来、30人以上の無辜の人が、安野夫妻、及びそれに協力する前田夫妻、及び、白井・小野寺負債を守るために、殺されています。   

 さて、それほどに、警察様から愛されている安野智紗夫人ですが、段々、威勢も衰えて来ていて、今では、井戸端会議をやっておりません。それは、どうしてかというと、私が、このブログで、書いていることが、いちいち正しいから、井戸端会議を今やったら、私の正しさを証明することになるからです。で、写真でも撮られたら大変だと、いう事で、自粛をしているみたいです。しかし、強欲な事、強欲な事、限りがない妻と、それに、振り回され、首根っこを押さえられている夫・忠彦さんと、言う感じの夫婦です。その、妻が、最近10年間、彼女の方が、私に、『勝った』と、思う時に示す固有のサインがあって、それが、「〇〇ちゃーん。帰っていらっしゃーい」と、自分の猫を呼ぶ声なのです。それは、たいてい、夜の11時半でした。     それが、2019年3月20日の水曜日だけは、夕方、まだ、日の光が残っていて、明るい時間帯に、行われたのです。このセリフは、ほぼ、5年ぶり発せられたと、いう意味でも、非常に珍しいものでした。その上に、明るいうちに、それが、発声されたという事も、これまた、非常に珍しい事でした。で、そう言う現象は、彼女がよほどのレベルで、『自分の方が上だ』とか、『勝った』と、考えていることを示すので、私は、それは、今、何を示すのかと、考え込みます。  ~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『画家Aが前田夫人から、合図を受けて、園芸の仕事をやっている私を狙って、家から出てきた。彼は、相変わらず、パソコンを使っておらず、したがって、私のブログを読んでおらず、ただ、唯、前田清子さんと、連動して、こうすれば勝つと、思う時に、出て来る模様である   

・・・・・・彼は、2018年12月9日と10日に、劇症下痢に見舞われた私に対して、様子はどうかなと、見るために、三度も、私の周辺をうろついて、隠されたサディズムを発揮した人間(あと注2~4)だが、その後、一度、・・・・・普段は、家出をして家には、いない

・・・・・奥さんが返ってきて、「あなた、変なことをやらないで、頂戴ね。私が、川崎さんには、接触しては駄目ですよと、口を酸っぱくして教えているでしょう」と、さとしに来たらしい(あと注5)ので、しばらく静かにしていて、私とは、出会わない様にしていたのだが、   

 私が新しいブログとして「転んで、顔にけがをしている」と書いた(あと注6)ので、再び、・・・・・こっちが勝った・・・・・と、思いこんで、いわゆる、隠されたサディズムを、発揮するために出てきた模様である。    ただし、今般は、彼一人の判断ではなくて、前田夫人とか、安野夫人と結託して、「画家Aさん、今度は、こんにちは、って、言うべきじゃあないのよ。彼女はプライドが高いと、自分で言って居るでしょう。だからね。挨拶をしてくれる人がどんどん、少なくなったら、悩むはずよ。だから、目の前に、しっかりと表れて、自分を見せたうえで、あいさつをしないで、通り過ぎるのよ」と、教唆命令をされたのちに出てきたと、私には、判明した』   

 彼が自分の家を出て、私が園芸をしているところまで、到達するのには、20メートル以上歩かないといけません。で、抜き足、差し足、忍び足で、近づいてきた模様でした。しかし、直線距離、たった、4メートルの近さで、彼に存在に気が付いたとしてもですよ。私は、副題ゼロー1、の、二重ガッコ内に書いた様な、事は、一切が、瞬時にわかるので、動揺もしないつもりでした。   

 実際に、私は、富沢氏やら、柳沢昇が、あいさつをしないで、通り過ぎたとしても、そんなことは、一切気にしないのですからね。   

 しかし、この20日の夕方だけは、私は、一瞬、ひるんだような気配を外に出して、身をひるがえして門内に、逃げ込んだのでした。その、五分か10分後かに、安野夫人が、勝ち誇った様に、〇〇ちゃーんと、言う猫なで声を出したものですから、瞬時に、前田宇人と、安野夫人へ、画家Aは、スマホ、もしくは、携帯を使って、「彼女は、びっくりした顔をして、門内に、引っ込んだから、僕たちは、勝ったのです」と、連絡を入れたのでしょう。   

 だから、私は、””””” かれらは、間違っているわね ”””””""と、思い、彼等の考えを、正しい方向へ、訂正させるために、前報を(冒頭に置いた後注1)を書いたわけです。   それは、最初の段階では、総タイトルを、【画家Aが、私を狙って久しぶりに、目の前に現れ、又、誤解をした模様だ。私が、すっと門内に引っ込んだので、書いた内容を、悔やんでいると。私は、ただ、下着が不備だったので、ひるんだだけなのだけれど。(笑い)おバカさん目】としておりました。そして、其れを丁寧に書いたはずなのですが、どうも、見つかりません。したがって、此処で、再び書き表しましょう。気が付かないうちに、誰かに削除されたのかもしれませんのでね。~~~~~~~~~~~~~~

副題ゼロー2、『その日、私が思わず、身をひるがえして門内に、逃げ込んだのは、彼が、あいさつをしないであろうと、思ったから、其れを、見たくなかったわけではなくて、下着が不備だったからだ・・・・・・そして、むろんの事、彼について描いたことを悔やんでいるわけでもない』   

 その20日の水曜日、私は、朝四時に、就寝しました。それで、8時台に置きました。これは、いささか寝不足です。そうなると、億劫だなあと、言う感じになります。私達夫婦は、保母、二階で、生活をしているので、生活用品のすべては、二階に置いてあります。しかし、下着だけは、お風呂場がある一階の、お風呂場の前の六畳に置いてある、立派なチェスト内に入れてあります。   

 下着が不備と、言っても、パンツを穿いていなかったと、言うわけでは無いのですよ。パンツは、ちゃんと穿いていました。しかし、いわゆるズボン下を穿いていなかったのです。男性だと、昔は、股引といったり、夏は、ステテコといったりするものを、今は、女性用にも売っていて、其れをロングパンツとか言って、命名しています。私は、162㎝、48キロですから、寒がりです。脂肪は、全然たまっていません。で、昔は、こういうものは使わなかった、ロングパンツを愛用しています。    しかし、この日、もし、私がおズボン(今は、パンツと呼ぶ)を穿いていたら、ロングパンツと呼ばれる、ズボン下を穿いていなくても、誰に対しても、恥ずかしがる必要はないですよね。しかし、私はロングスカートが好きな人で、冬は特にそれを愛用しています。そして、足元及び、太ももまで、風が入るときがあるので、ロングスカートの下に、ズボン下を穿いているのです。それは、タイツ等よりも、木綿100%なので、気持ちがいいわけです。そして、ロングスカートの裾から、はみ出して見えるといけないので、長さが長いものは、手繰って、三つ折りぐけにしてあります。  

 しかし、その日は、億劫だから、下へ降りるのを端折って、パジャマをロングパンツの代わりに、して、脱がないでいたのです。これは、外へ出ない限り、問題がないのです。主人は、私に用がある時は、私の目を見て言いますから、別にスカートのすそから、パジャマがはみ出していようが、気が付かないわけです。(苦笑)、それに甘えて、パジャマをズボン下代わりに使って居たのでした。    ところで、冬のパジャマというのは、防寒用だから、裾が長いわけです。しかし、ズボン下専用ではないものですから、私は、それの長さを短くしてはおりません。で、其れを穿いたまま、その日は、実は、チューリップが、まだ、人はこの凝っているのが、気にかかって、気にかかって仕方がないので、其れを、植えに外へ出たのです。ひと箱に、20個ぐらい入っていて、既に、芽が出ていました。「かわいそうなことをしましたね。ごめんね。ごめんね」と、心の中で、球根たちに詫びながら、大ちゅう4鉢か、5鉢に植えこんだのです。それに水をやると、重くて、同時に二つは持てません。で、一つずつ、ここには、朝日が当たるでしょうねと、思うところに運んでいたのです。   ところが、前田清子さんが其れを目ざとく見つけて、画家Aに連絡を取ったらしいのです。画家Aは、携帯か、スマホは、持っているとは、今回、安野夫人の猫なで声・発声で、わかりました。が、それで、読めるはずの、私のブログは、相変わらず、読んでいないと、見えます。なお、安野夫人も、読んではいないでしょう。まあね、つらくて読めないんだと思います。で、私のブログの内容は、    いまだ生きていて佐助という場所に住んでいる、井上ひさしが、高額の報酬を得てでしょうが、読んでいます。そこから、井上ひさしは、レジメを、伊藤玄二郎へ伝えます。また、直接に警察の某所に伝えているでしょう。そして、石塚雅彦さん 等には、メールで、レジメを伝えていると、思います。音声入力の仕組みを覚えれば、パソコンが得意ではないと、公言している彼も、入力可能なはずです。    しかし、二万字から、三万字を超える、このブログを正確には、伝えていないと、思いますよ。で、私が繰り返し書く、空の鳥を見よ、又、野の花を見よ(マタイ伝、6-26~28)が、本当に意味することなど、伝わっていないはずです。特にいろいろな小細工は、ほとんど、井上ひさしが、発案をしていると思いますが、彼が発案したことには、歌詞がいっぱいあって、すぐわかるのだと、言って居ますが、それらのことは伝えていないでしょう。だから、私から見ると、そんな馬鹿なことをよくやるわねという事を、繰り返しやってきます。~~~~~~~~~~~~~~

副題ゼロー3、『今般は、しかし、もっと、複雑であることが、わかってきた。つまり、白いセーターが、盗まれたのは、二枚目なのだけれど、其の二枚目のセーターが、ベッドの足元の隙間15㎝に戻っていたのだ。しかし、そこには、電気行火の、プラグと、ソケットがあって、毎日、毎日、手を突っ込んで、豆電球を照らすので、そこには、なかったことはわかっている。

 そこに4日ぐらい前にセーターが、帰っていて、しかも其のセーター様は、我が家内での、滞在が、3日ぐらいで、又、行方不明になった。   私は、あまりに反応が早すぎた安野智紗夫人の、猫を呼ぶ猫なで声の発声と、本日、私の前に堂々と、又、現れた示威的行為の二つから、あの、二番目の、白いセーターの紛失は、私が、其れを発見して、自分が間違って居ましたと、書かざるを得ないだろうと、見て、行ったことであろうと、考えている。    私はそこまで読めるので、ブログ化は、しなかった。そして、堂々と、着て出ようと思って居た、ふち編みをえり、袖口、裾などに、時間をかけて、つけているので、大切なものだ。盗まれるよりは、手元に在る方がいい。   というわけで、この複雑な仕組みの、泥棒を、二日間ぐらい、秘めて、ブログ化しませんでした。その間、前田家では、これもまた、安野家と、同じく、大喜びで、全館、煌々と電気をつけていましたね。こちらは、前田夫人特有の勝利の雄たけびです。どうして雄たけびを上げたかというと、私がこの複雑な行先の泥棒に、まいっているだろうと、思っただろうし、其れを、ブログ化など、とてもできないだろうと、思ったからでしょう。複雑すぎる話ですから。   確かに、泥棒は、三種類いて、そのどれが、どの地点で、盗んだのか? また、そのどれが、どの地点で、返したのか? また、どれが、どの地点で、又、もう一回盗んだかは、見ていないので、はっきりとしたことは書けませんね。だから、私が、何を書いても、彼女は、嘘を言って居るとして、嘲笑しつつ、突き放すのは、簡単にできることだからです。だから、彼女は大喜びをした。   なるほどねえ。『ああ、そういう人が鶴岡八幡宮のご推薦を受けて、國學院大學の講師を務めているのですよ。信じがたいです。だけど、彼女の、その種の行動をいさめる為に、天は、鶴岡八幡宮様の、大イチョウを倒壊させたのです。イチョウが倒れたのは、3月の真夜中で、台風シーズンでもないし、大雨の日でもなかったです』

 それから、山ノ下から、微妙な、音量の、工事音らしきものが聞こえてきました。これは、警察固有の、自分達が勝って居ると、思っているときの手法です。それで、三者が、雄たけびを上げたことになるので、この盗む、返す。また盗むが、警察が絡んだ、一種の大型の謀略だったと、言うことがわかります。    ここで、この一文を止めたのです。23日に早朝から外出の予定があったからです。しかし、ここまでだと、私が、一方的にみじめだと、言うところで終わります。それでね。夫、書き足そうと、決意しなおしました。~~~~~~~~~~~~~~

副題副題ゼロー4、『コンシーラーという青あざ隠しも盗まれている。それは、2005年の時の40針縫った大けがの時、顎まで垂れ下がった、内出血が、二か月ぐらい青あざとして残ったので、買った、濃いめの、練りおしろいで、今では、コンシーラーと、英語名で、商品化されているものだ。特別、細い管に入っていて、細い棒が、ついていて、それで、ポイントポイントを隠す様になっている。それが、「あった。助かった」と、主人に向かって喜んで言ったので、盗聴の、結果、盗まれたと、思われる。今回の泥棒は、すべて、警察と連動をしている。しかし、皆さんに聞きたい。「こっちが、真実を知っているからって、こういう風に、ご近所に泥棒に入られる国って、どうなのよ?」と、大泉洋風な語調で、聞いてみたいものだ。  私にとっては、顔の傷が二度目なので、前回(2005年)の、あれこれを思い出し、一番自分として、困るのは、内出血が青あざとなって、顔半分を覆ったことだった。したがって、転んで、すぐに、水平に、寝て、指で、眉毛のところで、内出血が、下へ落ちない様に、止血をした。その時、主人に、かがまないとそれが、できない電気行火の、プラグを、コンセントを入れてくださいと頼んで、やって、もらった。それが、13日の夜のことで、もしそこに、白いふち編み付きセーターが押し込められて居たら、当然に、手にさわるので、「ここに、こんなものがあるよ」と注意してくれるはずだ。そして、次の日からは、電気行火のプラグは、自分が、朝抜いて、夜入れる。だから、16日ごろまで、そこにセーターがなかったことは確かなのだ。   ところで、このセーターだが、国立劇場、小劇場で、行われた歌舞伎、三月公演に着て行って居る。その時に、顔を知られている私の姿を、スマホでとって、写メールとして、送ればこのご近所様でも、神奈川県警の特殊部隊の人間でも、容易に、何がポイントになっているかはわかる。それで、13日の早朝に、盗まれたと、思う。主人が出かけた後、20分間、私は寝ていた。しかも、セーターを盗むなんて、夢にも思わないので、居間に置いたままにしていた。主人が外出したのを確かめて、その瞬間に盗む人間がいる。こういう技術を駆使するのなら、主人が恒例の朝のごみ捨てに出た時(山の下まで降りる死、ついでにお散歩もしてくるので、15分程度、外出する。その間、夜遅くネイル私は、たいていねている)だって、泥棒は、できる。~~~~~~~~~~~

副題ゼロの、5、『フォッサマックという骨粗しょう症の、薬が二か月前に、盗まれたが、今度は、イソジン・ジェルという軟膏が、盗まれた。すべて、居間に置いて居たものがである。どちらも関東労災で、処方をされたもので、フォッサマックは、歯の治療と関係があるので、歯医者さんに電話で問い合わせたりしているので、処方をされているのが、わかっていて、盗まれたのでした。今度は顔の怪我で、形成外科で、処方をされた、軟膏が、盗まれたのです。幸い、三本出ているので、一本は、既に消費し、二本目が盗まれて、三本目を今使って居ます。コンシーラーと、イソジン軟膏は、どちらも、今度の怪我を、景気解いて、使わないといけない薬ですが、怪我を、見てやろうとして、15日の金曜日に目の前に現れた花輪夫人は、前田清子さんと示し合わせて、あざ笑うつもりだった、と、感じています。だから、この怪我を、復讐のチャンスとして、前田清子さんと安野智紗夫人はとらえていて、大行動をしていると、言うわけです』

 どうしてか、急に字数が、三万字を超えたというので、キッツキッツで、字を詰めておりますが、お許しください。それほど、この部分は、大切な事なのでしょう。警察が、総力を挙げて隠したいことなのでしょう。~~~~~~~~~~~~~~

副題ゼロの、6、『主人は、何を取られたっていいさ、命が取られなかったらと、言う。しかし、猫が死んだのは、安野忠彦さん、または、智紗さんが、合いかぎを使って、侵入してきたので、そのストレスで、死んだのだと、推察している』

 私が結婚してから飼った、猫は、二匹だけです。今は、長寿だから、そうなっています。二匹目がさびちゃんで、この子は、非常に頭がよいし、誰とでも、悪びれず、かつおびえずに付き合うので、猫好きな石川和子さんが、自分の猫にした九て、したくてたまらなくて、常に、大騒ぎのトラブルになっていて、困り切っていたのです。主人と子供は、トラブルになるから、猫は外へ出さない様にと、言って居ました。ところが、猫好きな私は猫の自由を許していたのですが、2005年の冬にあまりにも驚くことが石川和子・柳沢夫婦との間に在って、それ以来、出さないことにしたのです。うちトイレにしてね。それで、テリトリーがなくなって、とても弱くなってしまったのです。すると、安野家の猫が我が物顔で、庭を通る様になって、出窓に置いた猫ベッドの中で、ピンと耳をそばだてて、すっと立ち上がり、安野家の猫の動向を見つめる姿がありました。非常に嫌だと、思ったのですが、仕方がないので、五年ぐらいそのままにしておいて、その後、一応の猫出入り口をふたたび、作り、そこに、大きな鈴をつけて出ていったら、いつも人間側は、緊張してどこにいるかを気にする様になりました。そして、猫が出ているときは、私は園芸をしながら、猫と遊ぶようにしたのです。すると、ものすごく喜んで、うちの中では、レスリングをするのが常なのですが、外では、彼女は会話を楽しむのです。にゃあ、と、彼女が言えば、私がにゃあーと答える。彼女は、小さな木の椅子に、前足を立てた、しっかりとした姿勢で、座り、ずっと、一時間、私を見守りながら、話しかけるのでした。非常に楽しい時間でしたよ。お互いに。ところが、入院中に、安野家の猫が、私達が二階に居るのにもかかわらず、侵入してくることとなったのです。それは、私が夜九時頃帰ってきて、午前零時ごろまで、ブログを書いていますね。さびちゃんは、左側に置いた猫ベッドまたは、椅子で、私を見守っています。私は短い時間ないで、ブログを書かないといけないので、当然にテレビは消してあります。主人もいないので、すべてがしーんとしています。その中で、一階で、リンリンりーんと鈴が鳴り、さびちゃんが、異様に緊張するのです。それで、私は事態を察して、すぐ降りていきました。これが、何回も続いて、はっきりと部屋の中で、追いかけまわしたこともあり、かつ、玄関から見下ろすと、彼女(紫色が、かかった、たもと草・模様)が、我が家の門前で、ふてぶてしく、見上げているのでした。それでね。私は、重い銅の花瓶を置いて、猫でいる愚痴をふさいで、外出を吸うrこととして、猫トイレも作って外出をしたのです。ところが、合いかぎを持っている安野氏が、玄関から堂々と侵入をしていると仮定すると、あの紫色が買った猫も当然、一緒に入るでしょう。猫の件かが起きそうだったら傷が出来て、変だと、私が考えるから、喧嘩をしない様に、安野氏は、するとは思いますが、それでも、大きな恐怖心と、ストレスをさびちゃんは与えられたはずなのです。それで、主人が、50日目だったかな? 退院したのち、40日ぐらいで、さびちゃんは、死んでしまいました。

  上の写真は、さびちゃんの遺体を包んだ、白い一反のガーゼの塊。

猫は、何でも知っていると、言います。さびちゃんが、もしブログをかけたら、ストレス発散ができたでしょうが、私に対して、「お母さん、私、お母さんがいない間、いやな目に合った」とは、日本語では言えないので、つらい思いをしたのだと、思います。 こういうことをずっと、感じながら、毎日、生きているのが私です。

 ほかにも台所の電気がおかしいとか、被害は、いっぱいあるのですが、すべては、能登町事件について描いた私の文章(三月9日と、10日と、それ以降も、11日、14日、15日、17日、20日と、すべて、そこに依拠しつつ書いているので、問題なのでしょう。でただ、私の方では、こういう被害が起これば起こるほど、自分が正しいことを書いていることを実感します。 

安野夫人と花輪夫人の、異様な二人三脚・・・・・この一文(特に下書き、一行)が原因で、私のパソコンが一台壊れた         2019-02-07 23:16:50 | 政治

安野夫人と花輪夫人の、異様な二人三脚-2・・・横浜・日吉に生える蕗ノ薹から、鎌倉雪ノ下で、我が家の合い鍵をご近所住民二軒に渡したのが、警察の特殊部隊だと、確認ができた    2019-02-22 22:55:01 | 政治

 誤変換があるとは、思いますが、それも、後日直します。   なお、このブログの、2010年より数え始めた、延べ訪問回数は、5223093です。 

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逗子市立図書館の、サービスが、劇的に悪化したのは、むろんの事、雪ノ下を舞台にした悪事を、隠すためであろう

2019-03-20 21:31:08 | 政治

 今は、2019-3-21 21:36 ですが、この文章の、推敲を始めます。初稿は、14000字でしたが? なお、途中で加筆したところはアンダーラインを敷いておきます。

~~~~~~~~~~~~~~~~

この文章は、19-3-20の夜、二時間程度は、【画家Aが、私を狙って久しぶりに、目の前に現れ、又、誤解をした模様だ。私が、すっと門内に引っ込んだので、書いた内容を、悔やんでいると。私は、ただ、下着が不備だったので、ひるんだだけなのだけれど。(笑い)おバカさん目】としておりました。しかし、その時点で、総タイトルを次のものへと変え、最後による担って三番目のものへと、変更しました。なお、この文章には、誤変換が特に大量に生成している模様です。それは、どうしてかというと、其れだけ、重要な真実について書いているからでしょう。明日直します。変だと、思うところは、ひらがなに、直して、読んでみてください。

副題1、『ローストビーフは、ちゃんとできました。が、昨夜中に、写真を撮るのは忘れて、冷凍庫へ、いれてしまい、今出してみたら、脂肪とか、肉汁が、周りで、凍っていて、おいしそうに見えないので、できましたよとだけ、ご報告をして、先に進みます。味はいいです。加熱時間は、150度30分では、長かった模様です。ただ、その方が、家庭で、食べるのなら、かえって、安心です。染みだしてくる、肉汁が、赤い血、そのものなのは、かえって、気持ちが悪いので。』

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『本当なら、此処で、一発逆転、大逆転と題した、文章の続きを書かないとだめなのです。しかし、此処で、三つの方向から、また新たな、攻撃があったので、まず、其れについて、私の思うことを書かないといけません。

 まず、NHKニュースを利用した諸攻撃です。これが、五つぐらい見つかっていますが、『ああ、そうですか』と、言って放っておきましょう。いつもの事です。毎度、ありーの世界ですから。

 しかし、彼らが、これ程、多くの復讐用、ニュースを、作り上げるのは、鎌倉霊園に現れた不思議なおばあさん(83歳だと言って居た)が、やはり、警察の回し者であったからであろうと、私は、見ています。だから、「おー、あいつ、これに引っかかりやがった。やはり、俺たちの勝利だ」と、思いこんだ彼らが、次の手を繰り出したと、見るべきでしょう。

 しかし、すべてのニュースは、相当に前から、準備をされていて、ここぞと、思うタイミングで、出してきていると、見ています。

 次に、語らないといけないのは、警察の特殊部隊の、動きです。あの、麻布在住で、京急の元重役の奥さんを装った、おばあさんについて描いた文章が、間違って居ると、最も喜んだのが、警察のはずです。あの83歳が、元・婦人警官の変装であったと、気が付いては、いましたが、外出の用事(転んだ傷を六日目に、医者に、見せて、判断を仰ぎたかった)があったために、19日(火)の時点では、書けなかったのです。それにより、特殊・警察さんは、自分達が、作り上げたたくらみごとは、成功していると、考えたです。で、彼らが、鎌倉以外の、遠くの町で、繰り出してくる、復讐行為の、数々が、あるのですが、それらについての分析です。

 つまり、CIAエージェントが、命令する、警察や、JR東日本、又は、京急(昨日は、子会社の臨港バスだったが)、又は、鎌倉市、または、神奈川県などの、組織による、私という、個人へ、対する嫌がらせ行為の事です。

 しかし、重要なことは、組織が動くと見せて、実態は、この鎌倉エージェント達の、個人的な復讐でしかないのです。この章に出て来る、廃棄物処理法案の、改悪・・・・・簡単な、わかりやすい言葉で言うと、日本全国、どこでも、焚火をしてはならないという事になった・・・・・法律で、そうなったという事。こういう事の裏側に何があるかを、これから、語りますが、真実を知ったら、誰もが、びっくりするでしょう。

 本日、20日の木曜日は、外出していないので、それらを目撃していませんが、19日の火曜日は、あっちこっちで、それらを、目撃をしました。朝早くから、鎌倉駅東口ロータリーで、轟音を挙げて工事をしていましたしね。その時点では、彼等は、鎌倉霊園におけるひっかけが成功したと、思いこんでいたからです。こういう時は、波状的に、攻撃をかけて、さらに、苦しめてやろうと、考えています。で、工事があっち、こっち、出先、出先で頻発します。特にエスカレーターが、使えないという事が起きます。エレベーターには、監視カメラがあるでしょう。それで、エレベーターを使うと、今から、先の駅で、さらなる嫌がらせを受けるのでどうしても、エスカレーターを、多用することとなります。すると、今度は、エスカレーターを、使わせないために、上下方向各駅の設定ができているのに、両方とも、私が使いたい方向とは、反対の方向へ、動いています。

 こういうことを書くと、彼等は、おバカさんなので、「あいつ、気にしてらあ。さらに、こういう事を、やってやれ」と動きますので、わかっていても、なかなか、書けないのですが、今般は、特に前田清子さんが、どういう動きをしているかを語りますので、「この人をたすける為に、JR東日本は、エスカレーターを工事中にするのですよ」と、言っておきましょう。

 しかし、それは、ともかくとして、本日、今、最も、緊急に、それに触れたいのは、三つ目の種類の攻撃です。それは、ご近所様からの、攻撃です。それを、丁寧に、書いて置かないと、又また、彼らが誤解をするからです。誤解とは、どういう種類の誤解かというと、『雨宮舜=本名、川崎千恵子)は、過去に書いたものを悔いていて、折れて、出てきている』と、いう概念です。しかし、今回の、その誤解は、三人ほどが、かかわっているのですが、ここでは、その三人の内で、前田清子さんに、特に彼女にフォーカスを当てて、語ります。彼

 女が、どれ程に、私を監視しているかを述べないといけません。彼女は、安野忠彦・智紗夫人、及び、小野寺夫人などと、同じく、「自分は、警察の協力者です」という事を他者に、公言をしている人間です。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『家裁の調停委員とか、民生委員は、謝礼をいくらもらうのだろうか? そして、警察の協力者ですと、言う人たちの謝礼金は、いくらだろうか? 私は、月に10万円から、30万円ではないかと、見ているのだが、・・・・・縫い針、パンツのラベルらしきもの、公的機関の、ボールペンなど、種々のものが、こういう看板を設置している家の人間によって、我が家に入れこまれた』

 現代日本とは、本当におかしい国です。警察は、泥棒をとらえる組織だと、一般の人は思いこんでいるでしょうね。しかし、この山の、一部の、人は、我が家の、合いかぎを警察からもらってその上で、我が家の、内部に入って、種々の嫌がらせをしています。そのうちの一人は、堂々と、門前に、以下の看板を張り付けていました。 

 安野家が13号で、前田家が14号である看板・・・・・安野忠彦・智紗夫妻は、門前に、13号を置き・・・・写真#1

 前田祝一・清子夫妻は、白い字を、たわしで、こすり取ったうえで、門内に、斜めに置いてありました。しかし、うっすらと、字が読めるので、そちらが14号だったのです。白井達雄・小野寺夫妻は、玄関内に、置いていて、ただ、私にだけ、我が家の二階から、其れが、見える様に取り計らいました。小野寺夫人たちは、其れを、私に意図的に遠くから見せたうえで、同じく意図的に、近くから見ることを防御しています。西隣ですから、いろいろな用事があって、訪問をしますね。すると、門の、呼び鈴が、なれば、すぐさま奥さんが外へ出て来るので、玄関内に置いてある、其れが、第・何・号であるかが、わかりません。写真#2

 上は、ある日、我が家の文房具置き場の、引き出しに入っていた三菱銀行の、ボールペンです。が、このいたずらの前に、郵便局のボールペンが入っていたこと(あと注3)があって、其れを問題にした時に、引き出しの中を丁寧に、全部、点検をしているので、こんなものが無かったのは、その時に、確認をしているのです。その後、午前九時から三時までに、三菱銀行を訪ねたことは、夫婦ともどもないのです。で、絶対に、三菱銀行のボールペンを持ち帰るはずはないのに、入っているわけです。

 ・・・・・これは、どういう目的で、行われる謀略か?・・・・・というと、私が、まるで、だらしがない人であるかの如く、ご近所様に、教える為でしょう。じゃあ、安野忠彦自身が,これを引き出しの中に入れて、その上で、写真を撮って、其れを、ご近所様に見せるのでしょうか? まあ、そこまでしたら、底抜けにばかですが、ほんのちょっと手前で、収めておくのだと、思います。つまり、こういうものが引き出しに入って居たことによって、私が其れについて、ブログを書かないといけなくなるので、今書いていることが中断をするわけです。それをねらって、こういう、悪さをしてくるのだと、思います。

 この事例と、呼応して、ごみ捨て場に、それを、出してはいけない日に、四つの、大きなごみ袋を作って出した人がいて、中には、我が家で、使って居るプランターとか植木鉢が入っていたと、言う事がありました。これなど、えん罪中の冤罪ですね。私が居ない日に、わざわざ、小野寺夫人が其れを山の上まで、持ってきて、この山に住んでいる主婦たち地の目の前で、開けてみたそうです。我が家で、使って居る植木鉢です。ほかの家は、泥の土でできた花畑を持っていますが、我が家だけは、そこが、中谷共二氏によって、コンクリート打ちをされていますので、私は、道路のその私有地部分に、植木鉢を置いています。それで、この山野、住人、みんなが形や色を知っている、植木鉢や、プランターを盗んで、(多分ですが、柳沢昇でしょう)、それで、ごみ袋を作り上げたのです。

 しかし、私は直観で、何となく変だと、思って、武蔵小杉から、医療の、待ち時間を利用して、電話を、鎌倉市清掃局にかけたのですね。それで、いろいろな、質問をしたので、こういう謀略が、仕組まれていることを知ったのですが、油断も隙もあらばこそと、言うぐらいです。小野寺夫人は、鬼化、蛇か?という存在です。

  この植木鉢の悪さを考え出した、同じ人間が、主人が、病気入院中に、私が、図書館の返却ボックスに返却した図書館の雑誌、演劇界、2011年6月号が、行方不明になって、その後、4か月後ぐらいに、横浜銀行の貸金庫#1331という私の箱から、発見をされたなどという事案と、同じ流れなのですが、

~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『逗子市立図書館の、サービスが劇的に低下している。ひどくいじめ用ルールへと、変更になっている。それは、むろんの、事、こちら、鎌倉雪ノ下での、謀略がすべて、ばれてしまって居るので、其れを発案した、連中の子供じみた、復讐であろう』

  今ね。逗子市立図書館の、サービスが劇的に低下をしていると、いう事に触れ始めていたのです。ここで、スピンオフですが、と、断ってね。ところが、一千字ぐらいが、ぱっと消えました。それは、最高の真実ン触れ始めているときの特徴です。で、今、過去ブログに戻って、逗子の図書館の、異様性を、知った日の驚きと、其れについて描いたブログを、見つけましたので、後注2において置きます。

 それは、2月の初めでした。あまりに、図書館のカウンターの女性が、意地悪で、居丈高なので、驚いて、いろいろ、調査をしたのですが、どう考えても、『それは、私狙いでしょう』としか言いようのない、サービス劣化、いじめ用方向への、舵の取り直しでした。

 鎌倉の図書館を利用した、謀略もひどいものでした。たぶん、井上ひさしが、発案をして、伊東玄二郎が、あれこれ、図書館長に命令をしたのだと、思います。非常に長期にわたって、被害が大きかったです。しかし、鎌倉の図書館が、サービス低下に走ることはありませんでした。駅に置いてある図書返却用ボックスも消えていないし、雑誌も図書も同じく、二週間借りられると、言うルールも消えておりません。 

 また、延長ですが、最初の一回目は、電話で、お願いをしても可能だと、言うルールがあり、それもたぶんですが、変わっていないはずです。私はそれを、半年以上前に知りましたが、それ以来は、使って居ないので、変化したかどうかを知りません。鎌倉の図書館は、そう言うわけで、ルールが意地悪化することはなくて、ただ、唯、あの特殊な時期(=主人が重病にかかって、入院した時期)だけ、強烈に、いじめてやろうとして、生成した、一時期の、事案だったのです。

 これを、もし、逗子市立図書館みたいに、いじめをルールとして、恒常化させたら、私は、怒って、繰り返し、繰り返し、【演劇界紛失】、の、事案を書く事となるでしょう。となるとですね。このブログは、私にお知らせが来るよりもはるかに大勢の人が読んでいるらしいのです。それが、わかったのは、2011年の暮れでしたが、今でも、ゼロが二けた多いぐらいの数の、読み手がいると、思います。そうなるとどこかで、この演劇界紛失という謀略のことが、噂になるはずです。其れを恐れていると、見えます。それに、其れは、横浜銀行・鎌倉支店の、信用失墜につながりますので、どれ程に、馬鹿な、伊東玄二郎と、井上ひさしであろうとも、そこまで、やったら、自分達の商売(タウン誌、鎌倉春秋の売り上げ)にも響くだろうと、言うのは、わかるはずですよね。

 しかし、逗子の方は、謀略ではなくて、単純にルール改変です。実態は、改悪ですが、表向きは、改変です。そして、裏側では、「予算が減ったので、こうせざるを得ないのです」と答えなさいと、言い含められているので、何を質問をされても平気の平左で、こちらを見下した態度を取ります。個人名を挙げたいと、願うほど、カウンターの多分、派遣だと、思う司書は高飛車でした。また、逗子市から、派遣をされている吏員の方も男性は、驚くほど高飛車でしたね。

 逗子市のルール改悪の、もっとも、恐ろしい部分は、雑誌は、一週間目に返しに行ったとしても、すぐは、延長ができないそうです。一日だけ、逗子市立図書館に置いておかないといけません。これが、逗子市立図書館と、往復、20分以内に住んでいる人だったら、別に困らないでしょう。明日、一日置いて、次の日に同じ雑誌を借りに来る・・・・・それが、できる。できるはずです。しかし、鎌倉駅まで、徒歩15分は、かかるのが、足が悪くなった私です。JR鎌倉駅に入ってから、さらに、五分から、十三分、電車を待つことがあります。損の上で、逗子まで、電車の所要時間は、6分ですが、JR逗子駅で、改札口まで、こ線橋を利用して、上がったり下がったりして、構内を歩く時間、JR逗子駅を降りてから図書館まで、ほぼ、10分かかり、六時を過ぎると返却ボックスが葉山側にだけ、設置されているそうなので、JR逗子駅から、歩いて、私の足で、15分以上かかることとなります。

 で、延長できないとなると、同じ雑誌を読むために、4時間、時間を無駄にしないといけません。奈良、読者の皆さんは、あなたは、何故、逗子市立図書館を利用するのですか?と、おっしゃるでしょう。しかし、京急、北久里浜駅を、最寄り駅とする丘の上に、旧宅を持っていて、週に一度、もしくは二度、花や、野菜の手入れに行って居る私にとって、逗子市立図書館は、【京急・新逗子駅】すぐ、そばなので、拠るのに便利な図書館なのです。それに、鎌倉市民は、正当な権利として、逗子市の図書館と、藤沢市の図書館を利用していいこととなっています。

 しかし、です。逗子市民のうち、80%は、非常に不便になったと、感じているはずです。今の制度になって、其れでも、変わらないし、大丈夫ですよと、言う人物は、葉山方面に住んでいる人だけで会って、それは、逗子市の図書館を利用できる人たちでしょうが、ほかの80%は、駅の返却ボックスが無くなったのを、『本当に困ることだ』と、思って居るでしょうね。其れって、横須賀線を、2005年以来、何十回となく、遅延をさせてきた概念と、全く同じです。2005年に顔に大けがをして、慈恵医大で、40針も縫うてもらいました。その日以来始まっている現象です。

後注1

もしかすると、私は、2019年の今、1978年当時の、大詐欺事件の、京急側担当者(特にその妻)と、巡り合ったのかなあ。それは、天の配剤としてだけど  2019-03-17 22:12:25 | 政治

後注2、

逗子図書館の規則・悪・変化、鎌倉中央公民館の閉鎖、受動喫煙運動、白熱灯の禁止、薬事法の改悪、全部、私いじめが真の狙いですが、カモフラージュ用に国民大衆を盾としています

2019-02-11 18:28:21 | 政治
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今夜は、ローストビーフを作らないといけなくてね。ごめんなさい。難しいものが書けません。さすがタワマンの武蔵小杉、ローストビーフ用の塊を売っている

2019-03-19 21:30:09 | 政治

 この章は、最初は、【一発逆転、大逆転、麻布・在住・富豪女性=京急重役の妻=とは、女性刑事の変装でしたか? 騙されたと、公言しないと、もっと、たぶらかされるから、修正をしておきましょう】と、しておきました。ところが、夜の11時に、長い文章を書いてはいられないことに気が付きました。それで、すみませんが、総タイトルを変更します。

 ここで、逆転とは、自分の考察が、間違って居た可能性を指します。私は前の文章(あと注1)を愛しています。すごく、出来が良い(?)とか、又は、『ち密に考察しているなあ』と、思って居ます。しかも、途中で、其の老婦人とのやり取り以外の、重要なことが、入っています。【北久里浜の大詐欺事件の、真実】とか、【日大アメフト事件の真実】とか。だから、其れを、削除するつもりはありません。しかしですね。17日(日)の当日にも、3つか4つ、『ちょっと、おかしいなあ?』と、思うポイントはあったのです。

 そして、二日後の、・・・・・ 正確に言えば、其の83歳の女性と会話を交わしていた、夕方5時20分ごろから、40時間後の、・・・・・19日朝、8時に、うーん。あの富豪夫人は、やはり、刑事の変装ではないかと、思い当たったのでした。『その日、鎌倉霊園に、行く事を見透かされていて、待ち構えて、いたのだろうか?』と、考え始めています。

副題1、『鎌倉霊園に、午後4時10分ごろに入った。恒例では、休憩所の、自動給茶機で、お茶を飲む。そこに、目つきの鋭い女性・スタッフが居た。後で、思えば、その時点で、ひっかけやだまし討ちは、始まっていて、そのスタッフだけは、女性刑事の変装だったと、思って居る。普通の日にちに、勤務している人とは、まるで、顔つきが違う。しかも、私が話しかけた途端に、其れに簡単に答えた後で、姿を消している。・・・・・そう言う事か!・・・・・・と、52時間後の、今は、思う。何がそういう事かというと、

 能登町事件に関する、私の考察(あと注2)が、100%正しかったからだと、いう事。それで、『そこまで、見抜かれたのか。じゃあ、彼女は、絶対に殺さないといけないなあ』と、警察庁の、特殊な、部隊(CIAのために動く連中)が、考えたので、ありと、あらゆる、古いケースを含めて、利用できるものは、すべて利用しようと彼らは考えたのだろう。

 鎌倉霊園は、既に何回も弾圧と、攻撃の為に利用をされている。(あと注3)私が、すでに、50回以上、行って居るからだけれど。特に、この10年は、主人の入院とか、私の足のケガの時期を徐けば、ほとんど、月に一回は行って居る。

 だから、そこに刑事(女性でも、男性でも)が、現れれば、私は、当然に、見抜くだろう。もし、警察の特殊部隊の人間たちが、・・・・・特に指導者たる、東大卒の、人間たちが、・・・・・本当に、頭がよかったら、『もう、鎌倉霊園は、使わないはず』なのだけれど、此処は、神奈川県警の管轄下にあるのか、又は、鎌倉エージェントとして、私が、規定をしている、伊藤玄二郎や、井上ひさし(まだ、実際には、生きていますよ)の、支配下にあるせいか、この17日にも、待ち構えた様に、使われたのであった。

 私は八幡宮前・バス停から、その17日は、【リンドウ号】にのった。以下、略。後日、別のところに続きを書きます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『私の印象では、武蔵小杉とは、昔は、関東労災病院だけだったが? まあ、サマリタン病院と、法制二校があったけれど、・・・・・今はタワーマンーションで、有名な街ですね】

 実は、今から、ローストビーフを作らないといけないのです。

 今、私は、【関東労災病院】というところに通って居ます。鎌倉の病院から、紹介状をもらって、通って居るのですが、この病院は、日吉に実家がある、私にとっては、『難しい病気にかかったら、関東労災に行く』と、いう風な病院なのです。しかし、ここ40年間は、実家から歩いて、7分のところに在る【井田病院】が、リニューアルされて、総合病院化したので、実家のご近所様は、がんなどの、終末期医療は、此処にお願いをしています。父は、パーキンソン氏病と脳挫傷を併発していたのでしたが、病状が安定期に入ってからは、井田病院へ、転院して、終末をそこで、迎えました。

 で、武蔵小杉は、NECとか、富士通に、勤務している人を別にすれば、関東労災しかないという町でした。いや、サマリタン病院がありますね。しかし、印象としては、労災病院が大きいのです。今は独立法人だけど、昔は、半分、国立といってよかったから、看護婦さんの数が多くてね。それで、破傷風など、ほかの病院だったら死んでいたという様な病気が治るところだったのです。

 ところが、ブラタモリをご覧になった方は、ご存知でしょうが、タワーマンションが、にょきにょきできている町なのです。元、工場だったところが、敷地が広いので、タワーマンション化しているのです。東横線沿線には、綱島といって、元は、温泉旅館兼料亭旅館、又は、ラブホテル形式の旅館街だった町があるのですが、そこは、敷地が、工場に比較すると小さいので、中層階のマンションが多いのですが、武蔵小杉は、地べたの、敷地が広いので、タワーマンションが建てられるわけでしょう。

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副題3、『30代か、40代の若くて、高給取りの、サラリーマンが多いであろう、武蔵小杉で、売っている牛肉の切り方は、鎌倉や、久里浜とは、相当に、違って居た』

 で、武蔵小杉の、東横線と、横須賀線の間が、商業地として、充実してきて、スーパーが、いくつもあるのです。その中に置いてある品ですが、それが、鎌倉とか、久里浜とは、違うのです。

 そんなに高い牛肉ではないのですよ。でも、ステーキという形で、売っている量が圧倒的に多いのです。薄切りで、すき焼き用でしょうねと、いう様な肉よりも、ステーキ用が圧倒的に多いのです。

 和牛ではないのですよ。海外輸入肉が多いのですが、一パックに入っている肉の量が多いです。私の場合は、そう言うステーキ肉を買ってきて、小さく切って、シチューとかカレーにするのが常なのですが、どれを買おうかなあと、見ていたら、ローストビーフ用塊と、いうのがあったのです。

 3年ぐらい前だったか、お嫁さんが、手作りのローストビーフをごちそうしてくれたことがあったので、『あれ、自分でもできるのだ』と、思い至ったのですが、塊の牛肉が手に入らないので、実行をしてみたことはなかったのです。

 でも、ローストビーフ用牛肉というのを見つけたら、挑戦しないではいられません。それで、ひと月ぐらい前に、ふたパック買ってきて、パソコンの作り方を見て、挑戦してみたのです。

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副題4、『ここで、アイリスオーヤマの、電気オーヴン、が、たいそう役に立つのだった』

 あのね、最近、鎌倉小町に、豪壮な別荘が建っています。大変な、金額をかけて、作ってある平屋建て、100坪の数寄屋建築です。敷地は、300坪あるそうです。現場にいた人が、「東北の社長さんです」と、いうので、カンブリア宮殿で、アイリスオーヤマが、東北に工場を持っているという事を聞いたばっかりだったので、『もしかしたら、アイリスオーヤマの社長さんの別荘かもしれない』と、書いたのですが、間違いでした。

 ともかく、アイリスオーヤマの社長さんって、工夫をする人らしいのです。で、これも、ずいぶん前で、大船に、ヤマダ電機旧店舗があったころに話なのですが、アイリスオーヤマ製の、高さが、30cmの電気オーヴンを見つけて、欣喜雀躍をして、買いました。それで、パウンドケーキを焼いています。粉は、大カップいっぱい、卵四個、バター60グラム程度で、できます。

 このタイプの電気オーヴンですが、昔は、ガスの上に置くタイプで、売っていたのです。其れを使って、婦人之友を読みながら、お菓子作りをしたものです。13歳ごろからは、既に、使って居たと、思います。で、二台ぐらい焼きつぶしたかな?

 ところが、最近は、そう言うものを売っていないのです。電子レンジ + ニクロム線機能付きというのは、売っているらしいのですが、私としては、電子レンジは、電子レンジで、オーヴンは、オーヴン単体でないと、うまく使えないのです。

 で、見つけて、大喜びで、ローストビーフを作ろうと、思ったのです。パソコンの世界の、作り方では、お湯で、ゆでましょうというのが多いのですが、それは、このシンプルなオーヴンが、手に入りにくいので、そういう風に書いてあるのだと思います。

 でね。オーヴンで、何分焼いたらいいのかが、書いていないのですが、パウンドケーキを作る際の、温度と、時間から、勘案して、表面をフライパンで焼いた後、150度の設定で、20分間、焼いたのです。するとうまくできました。しかし、ちょっと、加熱が足りなかったと、思います。五ミリぐらいの厚さで切ると、主人が噛み切れないと、言います。ぐにゅぐにゅして嚙み切れないといいます。その通りなんです。で、今夜は、150度の設定で、30分間加熱しようと、思って居ます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『敵さんたちは、勝利を目指している。しかし、どうも勝てないみたいだから、私を、殺そうと考えている。それによって、やっと、自分達が過去に行った悪事が消えると、思いこんでいる。

 私の方は、最初から、・・・・・正義は、こちらに在り、すべてが表に出たら、自然に勝つ・・・・・と、思って居るので、・・・・・相手を、叩きのめしたい・・・・などとは、思って居ない。彼らが、忌まわしい形で、攻撃をしてくるから、其れへの防衛上、・・・・・こういう悪事をやってきていますよ・・・・・と、神様へのご報告として書いている。で、勝利を目指し、相手を叩きのめすつもりなら、一瞬の油断もしてはならない。しかし、私は、創作者としていきたいとは、思って居るだけだから、油断をする。特に、ある、人間を殺そうなどとは、思って居ないし。

 そういう心理状態だけでも、彼ら、鎌倉エージェントより、私の方が上だと、思って居るので、安心しきっている次第だ。と、書くと、又、新たな攻撃をしてくるはずで、真実は、何も書けないかなあと、思うところもあるのだけれど、本日はブログは、ここまでにして、後は、ローストビーフづくりと、昼間できなかった家事をして、午前三時に、寝入ることにしよう』

 午後の一時に買った肉は、もう、今夜調理しないと、無理だと、思う。私は、これから先、夕食を食べて、お茶碗を洗い籠、三つぐらいの量を洗って、それから、税務申告に記帳をして、・・・・・と、いろいろ、やって、午前三時に寝入ることを目標にして、今からこの席を立ちますね。では、

 推敲が終わったら、書いた日付と署名を入れます。

  なお、このブログの、2010年より数えはじめた延べ訪問回数は、5218811です。

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もしかすると、私は、2019年の今、1978年当時の、大詐欺事件の、京急側担当者(特にその妻)と、巡り合ったのかなあ。それは、天の配剤としてだけど

2019-03-17 22:12:25 | 政治

 今、この文章の初稿を書き終えて、の19時間が経って、18日の夜11時半になりました。やっと、完成と、なりました。なお、途中の、推敲も、くわえて、二倍の、大きさに、なっています。

副題1、『私はいい話は、このブログ内では、しないことにしているのだが????? 本日は、あまりに驚き、かつ心配になったので、語りたいですよ』

 私の日ごろの文章を読んでいる方は、もしかすると、私の方を、「相手方よりも、悪人だ」などと、誤解をなさっておられませんか? まあ、急にこのブログの世界に入ったら、『毎回、毎回誰かの悪口が書いてあるなあ!』と、お考えになるかもしれません。でも、深い深い裏があって、それが、1965年から始まっているいろいろが重なっているので、仕方がないのです。

 さて、私の本当の姿とは、非常に魅力のある人間で、いろいろな人から信頼をされる人間なのですよ。パリ・バスティーユ駅(地下鉄です)で突然、構内に煙が満ちてきたときも、美しいアメリカ人が、私を選んで、「どうしたら、いいのかしら?」と、聞いてきたほどなのです。彼女はグレースケリーみたいに美しく、しかも、1998年にパリの地下鉄を利用する人の中では、1%ぐらいしかいない、ウールのしかも、薄いキャメル色のロングコートを着ている、お金持ちでした。そう言う上流階級の人が、広い構内で、他に、何百人もの人が、どうしようか?と、うろうろしている中で、まっすぐに私をめがけて歩いてきて、「どうしたらいいのかしら?」と、質問をしてくるのです。私って、アジア人のおばさんです。普通なら『英語はしゃべれないだろう』と、思うはずでしょう。ベトナム系のアジア人は、フランス語しか話せないしね。ところが、何百人もの中から、私を選んで、まっすぐに、私をめがけて歩いてきて、助けを求めてくれたのですから、自分の人間性には、大きな自信を持ちました。

 なお、余談ですが、・・・・どうして、煙が満ちてきたか?・・・・を、だれか、パリ在住の人を選んで、私が質問をしてみたら、パリの地下鉄って、ゴムタイヤで走っているそうです。だから過熱して、燃えたらしいのでした。そういえば、ゴムの燃えるにおいでした。それで、アメリカ人の女性に、地上に出ることを勧めて、私も一緒に出て、彼女がタクシーに乗るまで、一緒に、そばにいてあげました。

 そして、本日もある女性から、向こうから話しかけられて、一種のお助けウーマンとなった話です。しかしね。途中で彼女が、急に、自分について、あれこれが、心配になったらしいので、話が中途半端になっています。しかも、私も早く帰らないといけないので、お助けが、途中までなのです。そこが、非常に残念ですが、まあ、驚いたなあと、いう部分だけは、語りましょう。

 しかし、どこで、出会ったか?とか、何で、話が弾んで、株をどうしたかまで、進んだのか、その理由他は、今、ここでは、一切ぬかします。後半では語りますが。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『しかし、此処にも一般の人に通じる、問題点はあるのだった。それを語りたい。今、80歳以上で、夫が一流の会社に勤めていて、専業主婦だった人は、あまりにも大量に、夫に、守られてきたので、社会性が、足りなさすぎるのだった』

 本日の話も、数千万円が、どこかに消えてしまった可能性を感じて、私もびっくりしたが、彼女も急に、” 自分はへまをしたのではないか?” と、気が付いて、それで、急にいろいろなことが心配となり、早めに自宅へ帰りたくなったのだった。

 これは、皆さんも、覚えがあるだろう。アイロンを使った直後に外出をして、゛あれ、消してきたかしら?” と、急に心配になり、おろおろしてしまう事が。今日の、その人は、まさしく、そう言う心境に陥り、急に帰りたくなったのだった。

 それに、私の見るところ、彼女は、女友達と、お茶のみを一緒にしたりしたことがない模様だった。彼女は、80歳を過ぎており、ごく最近、ご主人をなくしている。となると、ご主人が、定年後、ほぼ、20年間、夫婦仲良く暮らしてきたのだけれど、その間、良き妻であればあるほど、ご主人と二人きりで、行動をすることが多くて、自分の、女友達等との、交流がないことが、推察された。

 女友達との交流が大切だと、いう事は、鎌倉の、お蕎麦屋さんで、発見をしたケースをはじめ、いろいろなところで、見聞をしている。そのころ、私は、ノマド生活(つまり、自宅ではステム異常が、あまりに、多く、起きるので、外でパソコンを使って居た時期だが)中、そばのテーブルで、8人の、50代の女性たちが、会食をしていたのだけれど、レベルが高い事、レベルが高い事に、驚いたことがある。それは、夜だったので、鎌倉市役所の、吏員たちではないかと、思った次第だ。

:::::::::なお、此処で、いつもの読者様に向けての、挿入をしたいが、最近、その名前が頻繁に登場する花輪夫人だが、彼女は、元、都庁勤務だった。したがって、私は、この山の住人の内で、賢さにおいて、レベル5という最高ランクに置いていた。もともと、高卒で、都庁に、勤務する人は、優秀なのだけれど、結婚相手も、都庁の偉い人(大卒で、役職についていた、えらい人)であって、そう言うご主人と結ばれるという事は、彼女の人間性も素晴らしいし、その間の、数十年の社会的経験も、この山随一といってよいほどの量だから、立派な人だと、考えていた。のだけれど、この15日(金)の彼女の態度を見て、がっくりして、『あら、かいかぶりだったのだわ』と、思った次第だ。どうしてそういう判断をしたかの、理由だが、彼女の足は、完ぺきに良いみたいで、以前、見聞した安野夫人との異様な二人三脚(あと注1)が、やはり、嘘だったという事を自ら、告白しているみたいだし、かつ、前田夫人と、示し合わせていて、二人で、私の顔の傷を、見つめてやろうとして待ち構えていたからだった。前田夫人が劣化していて、猿化が、激しいと、私は常に、言って居るが、花輪夫人が、彼女とまたも協力をしているのを見て、花輪夫人のレベルを、一段階か、二段階下げて、考えることとなった』とは、言っておこう。:::::::::

 というわけで、地方にしろ、国家にしろ、公務員だった人は、権利意識も高いので、主体性がある。

 また、高校の先生をしていた女性も、レベルが高い。それは、何人もの、そういう人物を知っているので、確実だ。そして、そう言う階層の人の中には、“ 未亡人になると、お祝いパーティをする” とも聞いている、“ やっと、自由を得られた” という事で、お祝いを、しあうらしい。そして、時間とお金が自由だから、女友達同士で、歌舞伎見物をしたり、映画見物をしたり、美術館巡りをしたり、美食探査に出かけたりするそうだ。

 それから、相手の職業のことは知らないが、ともかく、働いている女性は、お金が自由だから、女友達とお茶会など、自由自在にできる。

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副題3、『もう少し、女性同士で、遊んでいるひとたちについて、語りたい。それが、こういう風に数千万円を、他人に、取られてしまったかも(?)しれないケースでは、重要になるからだ』

 私は創作者になろうと、決めたわけです。3度ほど、重要な転換点があって、それが可能になりました。一回目は、子供が中学生になってから、鎌倉へ引っ越してきたときでした。専業主婦生活と、創作者という立場は、両立しません。その上、この地域は、人間関係が異様に難しいとは、引っ越してくる二年前から、知っていたわけですから、絶対に、ご近所づきあいは、しないと、決意をしていました。子供が小さいときに、近所から浮遊したり独立をしたりするのは、難しいのですが、子供が中学生にでもなっていると、子供自身が、自分の世界を開くことができますので、母親の方は、ご近所づきあいに関しては、自己コントロールができるのです。

 その時までは、夫のお金で、生活を行って、時々、母が恵んでくれるお小遣い(歯のインプラント治療などのお金を数十万円、負担してくれていた)で、画家生活を送っていたのですが、2度目の転機とは、もっと、大きな、お金が入った事です。父から遺産が入る、ことになりました。それで、鎌倉市の、その年度の、高額納税者、18位になりました。そして、春日大社から、勧進帳が、来ました。(苦笑)

 それで、個展などができるようになったわけです。それから、100号以上の、大作を年に、7点ぐらい作って、コンクールに応募したり(数回、数種類のコンクールに入選している)、国展や、女流展に、出品をすることもできる様になりました。そのうちに、文化庁の、在外研修生制度に、うかって、パリに三か月滞在しました。その時に、大きな自信を得たのですね。私は、海外に住む方が、向いている。しかも、美術系作家としての才能は、海外の、創作者と、十分に伍していけるという。

 でね。海外で、修行をしたいのだけれど、家族が、専業主婦としてしか認めてくれないので、逗子にマンションを借りて一人暮らしをして、海外へ行く自由を確保したのです。そして、年に三か月ほど、海外で、滞在型修行をするという風な、生活を、ほぼ、2年半行ったたのです。こういう思い切ったことばかりしていると、女友達との関係は、切れてしまいます。というのも、女友達というのは、やはり、時間をかけないと、継続しないからです。週に一度、又は、二週に一度、又は、月に一度、ぐらいは、あって、お食事等を一緒にして、おかないと、だめなのです。でね。私には、女友達が居なくなったのでした。それで、何が困るかというと、社会制度が、変わったことを、知らないでいるケースがあるのです。

 最近、消費税にしろ、何にしろ、社会制度が、猫の目の様に変わります。で、それを知らなかったことで、損をすることがあるのです。それは、市の広報とか、県の広報に出ているのかもしれませんが、そんなものは丁寧に、読みませんしね。

 でね。私は相手から、話しかけられたら、其れは、最大限に、利用して(といっては悪いのですが、最高の礼儀正しさと、親密さをもって)、愛想よく、会話を交わすのです。

 最近、何とかいうタレントが、・・・・・タクシーの、運転手にタメぐちを利かれて、気分を壊したと、ツィートして、賛否両論だった・・・・・そうですが、私に言わせると、其のタレントには、将来性はないです。立場をわきまえていないから。

 人気者はあいてが誰でも、大切にしないといけません。タレントなんて、若さだけが売りでしょう。この人みたいに、頭が馬鹿だったら、女優への転身もできないし、結婚後も、幸せには、なれませんよ。まあ、実業家になるのなら、違うかもしれないです。勝ち気がいいかもしれないけれど、高野ゆりさんが、【おぎやはぎの、愛車遍歴】に出て、「ロールスロイスを、六台ぐらい買った」と、言ったら、社員から、ストを起こされていましたしね。前園さんも、declineの方向に走り出しているでしょう。「お客様は、神様です」を貫かないとだめです。

 私の場合は、どんな人を相手にしても愛嬌のあるため口というので、接しています。今日の人だって、とても楽しい会話で、終始するはずでした。

 ところが、私が、「それって、変ですよ。株を売ったら、一千万円には、なるはずだけれど、それ、どこに在るのかしら、銀行の通帳を確かめましたか?」と、言ったとたんに、そわそわし始めて、私を警戒し始めて、避けようとし始めたのです。

 だけど、私が悪い人だと、思って、警戒をし始めたのではないですよ。彼女は、突然、『自分がへまをしたらしい』と、気が付いて、『もっと、しっかりしないといけない』と、思い至って、『私にも、甘えてはいけない』と、思い立ったらしいのです。

 私は、彼女が、JR東日本の、横須賀線には、乗ったことがないと、聞いて、切符の買い方とか、湘南新宿ラインと、横須賀線のどちらに乗ったら、どうなるかを一生懸命説明をしました。どの駅で降りて、どの地下鉄を利用したらいいか、などを説明をしていたのですが、バスの中では、和気あいあいだったのに、鎌倉駅まで来て、急に自分一人で、いろいろなことを全部、処理したいと、思い至ったらしいのです。

 だが、私の方からしてみると、かの女は、スイカもPASMOも、今は、バッグ内には、持っていないし、切符は、どちらの路線を使っても、800円のを買わないといけないのですが、千円札があるのに、コインを百円やら、10円類を、台の上に並べて、『ああ、足りない』と、いう形で、もじもじしているから、心配で、見放しきれない思いがあるのです。

 それでね。「まず、200円の切符を買いなさい。その上で、向こうの駅で、清算をしたらいいわよ」と、言ったのですが、その時に、彼女が、お財布を出しているので、「千円札がある? あ、あるわね。それなら、向こうで、清算ができるから」と、言いました。東京都内の、山手線の駅まで行けば、彼女もいろいろ、わかるはずです。都バスの路線もよく知っているし、地下鉄も、よくわかっている人だから。

 しかし、あまりにも心もとないので、認知症が始まっているのかしらと、思い至って、「私は、今、77歳ですけれど、あなたはお幾つですか?」と、聞いたのです。彼女は、ちゃんと正しく、彼女の年齢を教えてくれました。私はそれを聞いて、「ああ、私にとっては、あと〇年後ですね。私、大丈夫かしら。そのころ、あなたみたいに元気かしら?」と、続けたのです。

 これは、私にとっては、誉め言葉なのです。それに、私は海外で、愛情をもって、はっきり言いあう形式の会話を重ねてきているので、こういう言い方をしても、相手を馬鹿にしている気持ちは、一切ないのです。

 しかし、彼女は、私が、認知症を心配して居ることを、瞬間的に察知して、急にプライドを掻きたてられたらしいのです。で、「もう、自分でできます。奥さんも、お忙しいでしょう。だから、もう、大丈夫です」と、言い始めました。

 私は、すぐ、そう言う彼女の気分の推移が、わかったので、” ああ、此処で、お世話は、やめなくちゃあ、いけないなあ ” とは思いながら、恵比寿でも、新橋でも、どっちでもいい彼女には、湘南新宿ラインの方に乗った方がいいなあと、思いました。それで、゛あのね、二番線に、くる電車で、緑と、オレンジの帯の電車が、恵比寿へ行きますよ ”と、いったり、” 今度くる電車が、湘南新宿ラインですよ ” と、言ったりせずには、いられないのです。でも、ともかく、彼女は改札口を通り抜けました。切符は、出てきたのを、ちゃんと手に取りました。私は、よく切符を取り忘れる人なので、゛あら、彼女の方がしっかりしているわ” と、思い、安心して、左側(南)へ向かって歩き出したのです。

 すると、改札口を通った彼女が振りかえって、手を振るのです。にこにこ笑いながら。私は、”ああ、怒っていないのだわ。あの笑顔って、かわいいし、本当に笑っている顔だもの” と、一安心しました。しかし、彼女は振り返ったまま、前に進もうとはしないのです。私は五時36分・鎌倉駅発の湘南新宿ラインを捕まえるのには、あと2分ぐらいしか余裕がないのを知っているので、ひやひやして、早く前に進みなさいと、手ぶりで、教えるのに、全く前に進もうとしないのです。日曜日の夕方の、鎌倉駅、特に表(おもて)駅なんて、人がいっぱいです。お互いが、10メートル以上離れているので、私は、この騒々しさでは、自分の声は届かないと、思って、「早く行って」とは言わないのですけれど、必死で、手で合図を送っているのです。でも、彼女は、前には、進まないのです。『後、階段を下りて、上がって』と、考えると、圧倒的に時間が足りないのに、前へ進まないで、私に手を振り続けているのです。

 その時に、私は、彼女がいとおしくて、いとおしくて、たまらなくなりました。それでね、自分も、200円の、切符を買って、一緒に恵比寿まで、行って、株のことを教えてあげたいと、思ったほどです。

 しかし、哲学の問題として、私は、急にそれを悟ったのですが、・・・・・100%まで、行かなくてもいいのだ。60%ぐらいでもいいのだ。神様は、其れをご覧になっているのだから、それで、いいのだ。後は、ご本人が何とか、やっていくだろう・・・・・と、考える様になりました。と、いうのも、今日の女性に限らず、最近の私は、人助けをすることが、立て続けに起きていて、それが、全部、60%ぐらいで終わっているのです。今日の人は一期一会で、名前も知らず、住所も知らない人ですが、もっと関係が濃くて、名前や、住所を知っている人を、たすけたいと、思って居る時、盗聴の事とかを考えて、60%ぐらいで、自分を、抑えているのです。残念ですが、そうしているのです。

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副題4、『さて、此処で、総タイトルに、あげた問題の株が、京急(電鉄)だったことは語らないといけない・・・・・でないと、私が過剰に、彼女の、プライバシーに、突っ込んだことになりかねないから』

 上の方で、彼女と知り合ったいきさつは述べないと、語っています。しかし、此処で、・・・・・どういう経路で、知り合ったかを語らないと、私の方が、変な人だと、疑われかねない・・・・・・と、思い至りました。で、少し語ります。

 彼女とは、鎌倉霊園のバス停付近で知り合いました。私の方が、「今、何時か?」と、時間を聞かれたのです。鎌倉霊園は、鎌倉市の東のはずれの山の中にあって、長時間バスに乗らないと、西のJR鎌倉駅にも、東の京急金沢八景駅にも、行かれません。バスだけしか、移動手段がない場所です。彼女は、後、どれくらい待たないと、いけないのかを知りたい模様でした。

 私はスマホを持っていますが、持ち歩かない主義です。そう言う私が、腕時計を忘れると、とても困ります。だから、彼女の、困惑は、よくわかりました。鎌倉霊園の、入り口なんて、自然は、いっぱいあるけれど、大型の時計など、どこにも立っていないからです。で、質問をされたから、答えました。

 その後、彼女から、「バス停の時刻表が読めないのだ」と、聞きました。「老眼鏡を忘れてきたから」だそうです。それで、彼女に代わって、時刻表を読んであげました。そして、時計と睨み合わせて、「金沢八景行きのバスだと、あと、20分待たないといけません」と、言いました。鎌倉霊園前にはバス停が、三か所あります。日曜日の、夕方五時台だと、京急・金沢八景駅に向かうバスは、30分に一本で、五時台、一時間で、2本だけです。一方、鎌倉駅に向かうのは、同じ京急バスですが、合計、五本あります。

 で、私は、彼女の家が東京だと、聞いてから、鎌倉駅に向かう方のバスを、勧めました。ところが、彼女は、一回もそのバスを利用したことがないのだそうです。私はびっくりしてしまいました。金沢八景には、10分以上、より、長い時間バスに乗っていないといけません。不思議に思って、「どうして、金沢八景ばかり選ぶのですか?」と、聞くと「主人が、其れを、利用していましたので」と答えます。で、私が、「ご主人って、京急が好きなんですね。私もね。北久里浜に、旧宅があって、そこで、花を育てているので、もっと早い時間帯なら、金沢八景に行く事はあるのですよ。でも、ご主人が、京急が好きなわけは、早いからかしら。京急って、確かに、快速なら、早いですからね」と、言いました。内心で、「品川までだけを考えると、50円から、100円、安かったかもしれない」と、思いながら、そんなことを言うのは失礼ですからね。それは言わないでいて、ただ、ふと、「その一家は、京急の株を持っていて、株主優待券が、手に入る人ではないか?」と、思い当たりました。それを言うと、あたりでした。ご主人は、株主優待券を使って居たらしいのです。だから、京急ばかり選んでいて、JRを使って、鎌倉霊園に来たことが、過去には、一回も、ないのでした。その、ご主人が最近、亡くなっており、奥様は、霊園にお参りに来たのですが、いつも、ご主人を頼りっきりにしていたので、いろいろなことが、まだ、わからなくて、不安なのでした。

 そのうちに、JR鎌倉駅行のバスが来たので、みんなが、ばらばらと、そちらに向かって走ったので、彼女もつられて、一緒にそれに乗りました。で、乗ってから、彼女が、「すべて、主人に任せていたので、何もわからないのですよ」というので、

 「ご主人はいつ亡くなったのですか?」と、聞くと、四年か三年前だそうです。「じゃあ、あなたも、株主優待券を、今、持っていらっしゃるのでしょう」と、言うと、それがあいまいなのです。ご主人は、其れを使って居たはずだけれど、自分は見たことがないと、彼女は言うのです。私は、驚いて、株主優待券について、一生懸命説明をし始めました。

 「京急から封筒が来ます。最初は、株主総会の案内です」と、言うと、彼女は、「其れには出たことがあります。品川のホテルですよね。ああ、そう言えば、切符を、その時に、もらいました」と、いいました。「でも、それ以降は、株主総会には、行って居ないのです」と、彼女が言うので、私が「株主総会に出なくても、切符はもらえるのですよ。向こうから送ってくるのです」と、言いました。「でも、見たことがありません」と彼女は言います。で、私は、「もしかすると、ご主人は、パスの形でもらって居たのかもしれません。あのね、たくさん株を持っていると、切符ではなくて、パスの形で、送ってくるのです。全線パスです」と、言いました。父が東急の全線パスを持っていました。だから、そう言う仕組みを私が知っているわけです。

 :::::::なお、ここで、念の為に京急の株を多数持っている場合の優待制度を調べてみましたが、切符が、多くなる形だけで、優待パスは、ありませんでした。2019年3月17日の、グーグル情報ですが。:::::::

 私はひどく心配になって、「あのね、京急から、一年に、四回ぐらい封筒が来ます。それを開けないといけませんよ。はさみで、切って開けてごらんなさい。京急デパートが、10%引きですとか、レストランが、10%引きですというような割引券が一冊のパンフレットになったものが来ます」と、言いました。彼女は「それは、見たことがあります」と、いいました。

 「あのね。それと一緒に、白い小さな封筒が入っていて、そこに切符が入っています」と、いいました。全線パスの場合も、同じような上等な紙でできた封筒に入っているはずです」と、言いました。しかし、そのうち、私は配当金のことが心配になり始めました。

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副題5、『1986年以降の、私こそ世間知らずもいいところだった。配当金を、全部どぶに捨てていた可能性がある。画家になることに一生懸命であって、株の、事務手続きなんて、面倒くさいと、思って居たからだ』

 父からもらった遺産の中に、株も入っていました。母が、「興銀とか、東電は、優良株だから売らないようにね」と、言ってそれだけは教えてくれました。が、配当金をどういう風に受け取るのかを教えては、くれていませんでした。知っているだろうと、思いこんでいたのでしょう。ところで、興銀は、雲散霧消してしまって居るし、東電は、安くなっているでしょう。まあ、「現代日本は、有為転変が、しきりです」と、言うべきか? なんというべきか? 

 そのころは、規制も緩やかで、預かり証だけをもっていけば、自分が選んだ証券会社の支店で、口座を開くことができました。今では、親が使って居た証券会社の支店でないと、株を移すことはできません。預かり証がないし、どうも、アメリカ式で、通帳がない形式のカード(MRF)を使う事が、証券会社の、お金のだし入りになっています。子ども扱い、馬鹿扱いです。

 しかし、1986年以降、数年間の私は、自分こそ、子供で、馬鹿なところがありました、で、持ち株の、会社からのお知らせを開くと、パンフレットが入っていて、株主総会の通知等が入っていました。其れを読むのが面倒くさいです。業績が云々とか、次期社長が云々とか、社外取締役候補がどうのこうのと、言われても、まるで、関心がありませんでした。それで、同じ会社からくる二回目の封筒も開かないで、置いておいて、数年後、捨てたという感じです。非常にまずかったです。というのも二回目の封筒には、配当金のお知らせというのが入っていて、其れを、郵便局にもっていって、現金化するというシステムだったからです。

 ところで、今、思うと、あの頃から、青色申告をするべきでした。画家だって、青色申告をしていいのです。そうしたら、藤沢東美(画材店)に、いくら支払って居たかの記録が、きちんと残っているはずです。藤沢東美には、中村さんと、市川さん(? 嫌いなので、名前を忘れかけている。が、たぶん、こういう名前であった。版画家でもある)というふたりの店員が居ました。私は藤沢東美に、600万円ぐらいの支払いをしていると、思うのです。しかし、市川さんの方から、取引を断られました。

 これも画家Aの、さしがねです。35年前から、20年前まで、15年間ぐらい、付き合って居て、大型キャンバスの張りや、都美館への、搬入や搬出も頼んでいたので、絵具代、キャンバス地代等を含めると、600万円は使って居たはずなのです。

 それなのに、相手側から、取引を断られて「もう、上野にはもっていきません」と、言われました。勿論、代替の業者は、人に紹介をしてもらって、そちらを使い始めました。しかし、大いに激怒しました。喧嘩を売られたと、思いました。其れを、買いは、しませんが、大いに激怒をしています。だから、今、画家Aのことをこてんパーに、分析していますね。

 この件の、裏側を言えば、画家Aが創形美術学校の卒業生です。そして、藤沢東美の中村さんが、同じ創形美術学校の卒業生です。だから、画家Aは、まず、中村さんに何事かの讒言をして、それが、市川さんにも、影響を及ぼして、あれほどの、失礼な処遇を市川さんが、私に対してしてきたのでした。此処でも、画家Aは、私に対して、大いなる損失を与えています。そして、市川さんが、さらに、次の悪循環を招きました。何事かの讒言を、T.box (画廊です)の、オーナー高橋典夫さんに、告げたために、今度は、高橋さんが、すさまじくも、恐ろしいいことをやりました。

 その詳細は、本日は語りません。胸糞が悪くなるという典型ですから。が、いずれ、語ることがあるでしょう。しかし、これらのエピソードの裏側を常に正しく、分析している私が、画家Aに対して、どれ程に、深く、怒っているかを、皆様は、ご存知でしたでしょうか。画家Aも、知らなかったのではないでしょうか? しかも、今、彼は、合いかぎをもらって、泥棒に入っている話をしていますよね。もし、私が、彼は、泥棒をしに、我が家には、入っていないと、確信をするのなら、実名を書きます。実名を書かないというのは、それほどに、すさまじく、怒っているという事です。

 それでも、果物を挙げていたのは、ニューヨークとパリで、欧米人の間には、キリスト教精神が、深く根付いていることを知った上に、画家Aが宮仕えをしたことが一回もないために、厚生年金が入らず、非常に貧乏だと、知っているからです。また、町内会の、石段、お掃除等の、労働奉仕は、行っているので、それに対する、神様からの謝礼の変形として、無記名で、果物を上げていました。→

 ::::::::なお、此処で、私が考えるキリスト教精神とは何かを蛇足的、挿入という形で、語りたいと、思います。よかったら、お付き合いくださいませ。

 私たち人間は、神の御(み)前では、平等です。だから、ひとしい量の、喜び、特に生きる喜び、を享受していいはずです。北半球では秋には、葡萄が、なります。この葡萄ですが、1999年のニューヨークなんて、三つの房が、500円程度で買えました。しかし、昨今の日本では、葡萄は、驚愕するほど高いです。シャインマスカットなど、豊かな実りを示す房など、2000円から、3000円は、します。日本人、庶民は大変です。私は少しでも、余裕のある人間は、余裕のない人間と分かち合うべきだと、思って居ます。それが、私が実践したいキリスト教精神ですが、普段の、自分の生活を壊さない程度の、範囲と量で、実践をしたいと、考えています。画廊巡りをする際に、京橋に、いつもいるおじさんに、500円硬貨を挙げて、「パンでも買ってくださいね」と、いうのも、その一つです。ある日、彼自身から、90歳を超えていると、聞いて、驚いた話も以前、ここで、していますね。:::::::::ここで、元へ戻ります。

  → しかし、それが、正しくは伝わっていませんでした。私が、過去に書いたことを反省して、折れて出てきていると、誤解をされていたみたいで、そう言う態度が見えてきたので、さらに、怒りが、増進してきて、もう、果物は、上げていません。

 ただし、実名を書かないでも、創形美術学校の関係者、柏健氏などには誰を指すかは、わかるでしょうから、私はそれで、いいのです。未だ、画家Aに対する分析が済んでいませんので、ずっと、仮名を使っていますが、関係者には、わかっていると思うので、それで、いいのです。ご近所様にも、・・・・・・画家であり、奥さんが、現在は、家出をしている・・・・・と、書けば、みんなに、誰の事かは、わかるでしょう。それで、いいのです。

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副題6、『ここで、画家Aが、どうして泥棒を行いながら、平気で、この10年間、シャーシャーと生きているか、その根本原因を語らないといけなくなった』

 私は北久里浜の、大規模な土地詐欺事件(1978年に起きている。書類上は整っているが、横須賀市の水道山が、ただである私人に、わたっている事件)の詳細を正しく知っています。特に、其れを知っている事から、そのころ、主犯格が急死しています。

 それは、主犯格の妻、益山智恵子が、真実を知っている私を、車で、引き殺そうとした、事件を、弁護士に、電話で伝えてあるからです。電話は当時から、盗聴をされていたので、智恵子の、夫で、ある益山重夫は、急死したのです。妻のたくらみが、失敗したので、自殺をしたのか? それとも、あまりにも私を見くびっていて、其れゆえに、自分達が追い詰められていること・・・・・特に妻が自分に無断で、そこまでやろうとした事・・・・・に、絶望をして自殺をしたのか? 

 それとも、原因は同じだが、脳出血等の、病気で、突然死したのか? その詳細は判りませんが、ともかく、1978年の、10月11日に、急に、死にました。それを、恨んだ智恵子夫人が、益山重夫の、親友である、瀬島三(戦後の日本社会、最大級の、CIAエージェント)を動かして,私が、こちら、鎌倉雪ノ下へ転入する様にわざと仕組んで、その上で当時の、此処の会長、中谷共二氏に、私の家の花畑だけ使えない様にさせたり、私の私有地である山を無断で、取り壊したり、させています。中谷氏は、カリフォルニア大学卒の、帰米二世ですから、戦時中からCIAの、一メンバーだったと、私は、思って居ます。だからこそ、羽田空港の、航空機燃料を一手に扱う会社の社長をしていたのです。そんな立場を担えるのは、特別な人材で、アメリカから、深く信頼をされている人間でないと、任命されないでしょう。そんなことはだれにでも、推察できる部分です。

 それの、論功行賞ではないと思うのですが、当時は、助教授だった、中谷家の、ご長男は、東大宇宙工学研究所の所長に、なり、慶応卒の次男は、二階堂(地名です)に家を構えて、三井物産勤務です。美術界の、大立者、酒井忠康氏が、画家Aをサポートをするのは、酒井氏も慶応卒だし、二階堂住まいだから、中谷家、次男との、人間関係で、そういう風に動いているとも、感じます。まあ、伊藤玄二郎等からの教唆なのかもしれませんが?????

 画家Aは、いまだに、中谷共二氏の、遺児、兄弟とは仲良くしていますので、・・・・・おちょこちょいで、浮ついたところのある、画家Aの、過去の失敗を、糊塗するために、・・・・・中谷家次男から、あれこれ、頼まれて、酒井氏が動いていると、見えます。どういう動きかというと、画家Aのお嬢さんを、神奈川県立近代美術館、鎌倉館に雇ってあげたというポイントです。

 仕事は、泥棒を防ぐために、一日中展示室で、作品を見張っているという、つまらない内容です。しかし、正式職員にしてあげれば、箔が付きます。画家Aが画家といっても、しっかり感がない人です。以前、町内会の、帳簿、たった、一頁が記入できないのだと、私が、言って居ますね。私も昔はそうだったと、この章の上の方で、言って居ます。年間30万円ぐらいの配当金を封筒を開けないで、捨ててしまったために、受け取っていないと、言って居ます。しかし、73歳にして、青色申告に挑戦しています。町内会帳簿、一頁と比較をすると、一千倍ぐらい、青色申告の方が、時間がかかります。年間を通して、記帳をし続ける必要があります。それ一つを取ってみても、画家Aがどれほどに、スポイルドチャイルドであるかが、わかります。

 で、お嬢さんは、おくさんの方の、血も引いているわけだから、お父さんよりは、はるかにしっかりとしていて、父親を批判をしています。それで、マッ反対な、職業である、公認会計士を結婚相手として、選びました。公認会計士って、大きな会社の、税務処理をしてあげる立場ですよね。そう言う坊やを育てる家だから、お婿さん側は、画家Aより、ずっと、しっかりとした家庭の人だと、思いますよ。その人達の見るところ、画家Aは、たぶんに、ふわふわしている、頼りない人物でしょう。誰が見たって、それは、一目で、わかります。それが、わからない人は、目が節穴だと、いう事。

 しかも、おむこさんが、公認会計士であるのにもかかわらず、舅である、画家A本人は、合いかぎを使って(まあ、もらった相手を信頼しているので、正しいことをやっているつもりになっているのでしょうが)、我が家に、泥棒に入っているのです。

 こういう人間と柄沢斉氏は、親しいわけです。自宅に何度も、彼を、いれて、木口版画を教えています。

 酒井忠康氏は、この一連の、件をどう思っておられるのだろう。私は、ずっと前から、この件を書いていますから、ご存じだろうと、思うのですが、平気なのでしょうか? 私はね。鶴岡八幡宮の夏の、ぼんぼりまつりの、酒井氏の献灯を見ると、酒井氏って、旧・大名家、酒井家の一族(=子孫)ではないかと思うのです。いつも、水茎麗しい、漢字・かな交じり文(短歌、らしい)の、墨書です。

 画家Aの現状と、其の行状は、すさまじい悪だと、私は思って居ますが、彼は、酒井氏の顔に泥を塗っても、平気みたいです。

 そして、彼のお仲間たちは、日大アメフト問題を起こしました。画家Aの娘が、フェリス卒で、私の娘が日大卒だから、画家Aの方が、私より偉いという証明になるとして、日大アメフト問題が起こされました。

 宮川泰介という男の子と、宮川紗江選手というのは、両方とも、古村浩三君(わたくしのパソコンを壊す仕組みを作り出している日本、最初期からのシステム・エンジニアである。私としては、彼は、国際基督教大学の一年時の、同級生だから、何をかいわんやなのだけれど)の奥さんが経営している塾の出身者だと、思って居ます。

 紗江選手の、グーグル検索で、西東京市出身だと、あったので、それが、わかりました。で、説得をされて、ああいう動きをしています。日大人よ。怒れ、です。画家Aという、とんでもないおちょこちょい男の為に、ああいう事件が起こされました。内田直人監督と、コーチは、はめられたのです。恐ろしい、宮川泰介、紗江選手。ここで、紗江選手のサポーターである高須クリニックの院長が出てきます。彼と、その実質婚の相手である西原理恵子さんが、我が家の長男の職を奪った話が、前に、このブログ内で、出てきていますね。茶舗・三国屋善五郎、横浜ポルタ店での、怪異現象の数々です。息子は何も言いません。西原理恵子の、さの字も出しません。だが、私は直観で、すべてがわかるのですから、画家Aの、事もほとんどすべてが正しくわかっていると、思いますよ。

 さて、藤沢東美の、市川さんの、あまりにもひどい言葉を、真に受けただろう、高橋典夫氏は、ご本人は、知らないでしょうが、周南事件をはじめとする、大量の謀略的殺人事件の実行者側に、たつ人間となるのですよ。市川進(❔)と、高橋典夫の、、二人は、私を前にして威張りかえっていましたが、今度、【門(北鎌倉駅前の喫茶店)】にでも行って、彼の作品が飾ってあったら、・・・・・そう言う種類の、あくどい人間が作った作品が、これなんだ・・・・・と、思いながら、しげしげとみて、深く、銘記して帰ってきます。それぐらいしか、意趣返しはできないですが、一生、見つけ次第、この一文を繰り返して、彼を、追い続けることとなるでしょう。文章を書く人って、そう言う人物なのですよ。高橋典夫と、市川進は、それを、知っていましたか? 知っていて、あれほどの、高飛車で、失礼な態度をとることができたのですか?

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副題6、『2019年3月17日の私は、その、1986年の、父の遺産が入ったころ以降の、自分を思い出して、今、現在バスに乗っていて、目の前で、「株主優待券を見たことがありません」と、言って居る奥様が、とても心配になって来た。で、配当金のことを持ち出して見た』

 「あのね、株主総会の案内は、捨ててもいいのです。でも、その案内が来た一か月後ぐらいに、今度は、結果が来ます。その封筒でも、パンフレットの類は捨ててもいいのです。しかし、封筒程度の大きさの画用紙が入っていて、そこに配当金が、印刷されています。ご主人の場合、配当金は、10万円を超す可能性があります。ご主人の通帳はどうなっていますか?」と聞くと「止められています。もう使えません」と。で、「それはそうですよね」と、受けた私ですが、本当は、「ご主人の、古い通帳を見てごらんなさい。そこに、配当金の、入金があったら、ご主人が何株持っていたかがわかります」と、言いたかったのですよ。でもね、この奥様が、あまりにも心もとないので、其れを言うのはやめにしました。→

:::::::::ここで、再び、いやな話の挿入になります。いつもの書き方の、復活に入っていきます。我が家から、古い通帳類が入った、大きな、反物用の、箱が盗まれています。これを盗んだのは、画家Aではないと思って居ます。また、安野忠彦さんでもないでしょう。例の警察の殺人用別動隊だと、思います。古い通帳って、とても大切です。どの時点で、住宅ローンを借り始めたか? どの時点で、一括返済をしたかなど、わが家の歴史を見ることができます。

 で、我が家からは、重要な書類の類がたくさん盗まれています。それで、横浜銀行鎌倉支店に、二つも貸金庫を借りています。

 ところが、今般、青色申告に必要な、年金の源泉徴収票が、金庫#2931盗まれていました。それは、また、昨年の、有楽町の、高橋某という刑事が変装した、駅員とか、安野智紗夫人と、石春産業の目くばせという事(あと注2)と関連があるので、別の機会に詳述をします。浜銀さんも、画家Aと同じく、馬鹿なことをやっていると、私には、見えます。私には、すべて、詳細に分析できるのに、泥棒に、協力をしてしまって居ます。「私を馬鹿にしなさんな」といいたいし、機会があったら、其の詳述をしますが、鎌倉支店の支店長は、そう言う未来が、来ても、平気なのでしょう。::::::::::という挿入を入れて、元へ戻ります。

  → その配当金の問題に入ると、「そういえば、主人は、”京急はいい株だから、持っていなさい”と、言って居ました」と、彼女は答えます。

  あのね、此処で、重要なことを述べないといけません。今の、私は二人の会話の、どのタイミングで、其れを聞いたかを、忘れてしまったのですが、ご主人は、元、京急勤務だそうです。住んでいる場所が、山手線の、内側に在る高級住宅街なので、ご主人も重役程度で終わった人ではないかと思うのですが、それは、聞きづらかったですよ。でも、社員持ち株制度を利用したとしても、30単位、以上、は、持っていたと、思われるのです。今の株価を調べたら、ほぼ、税金込みで、200万円でした。30単位だと、6000万円です。あのね、通常の株価の単位が、1000株から、100株へと、移行をしているので、数字で語ると、誤解を招き易いので、単位という言葉を使います。

 まあ、配当金が、ご主人の通帳に、昔は入っていて、今は、おくさんの通帳に、あて先が変更になっていることに、一縷の望みを託して、「奥さん、ご自分の銀行の通帳を点検なさっています?」と、聞いてみました。すると、「いいえ、点検していません。銀行が、二か月に一度ぐらい来て、処理してくれますから」との答えです。私は、ますます、この人はお金持ちだと、わかりました。一時期、我が実家にも銀行さんが、一週間に一度、来てくれていました。しかし、収入が少なくなると、来てくれませんでしたが(苦笑)、それでも遺産相続は、すべて、手伝ってくれて、伊東深水の絵(多分、軸としては、未表装)を三千万円で、売ってくれたりしました。

 この奥さんは、株屋さんとも、付き合いがあるそうですが、その人が配当金の事も、奥様に教えていないらしいのをいぶかしんで、「奥さん、他人は、怖いですよ。お子様がありますか?」と、聞くと、お子さんがあるそうで、しかも、一人は、同居だそうです。で、「お子さんの方がいいですよ。お子様に株のことはご相談なさいませ。」と、言うと、奥さんが、「でも、うちの子って、株のことはわからないでしょう」というのです。私はすごく怪訝に思いました。都心の一等地に住んでいて、今、50代の男性が、お子様です。大学卒であることは疑いもないでしょう。どうして、株のことがわからないと、奥さんは断言をするのかしら。

 私は「あれあれ、この一家では、お嫁さんと、お姑さんが、仲が悪いのかしら?」とか思い至ってしまいました。それで、「息子さんとあまり交流がないのかしら?」とも思いました。しかし、お金のことで、非常に立ち入った話をしている最中ですから、家族関係の、心理的な側面にまで、踏み込むわけにもいきません。で、思わず黙ってしまいました。

 すると、奥さんが「売ったかもしれない」といいました。その直前に、息子さんとは、株については、何も話し合わないのだと、聞いていましたから、何となく、仲が悪いような気がして、息子さんが、勝手に封筒を開けて、優待切符を大黒屋(チケット類を換金してくれるショップ)などで、換金している様な気がしました。それでね。「そうですよね。あれって、結構お金になるのです。五万円ぐらいになるのではないですか」と、言いました。すると奥さんが、「違うんです。売ったのは、京急株、そのものみたいな、気がしてきました」というのです。

 私は、ものすごく驚いて絶句しました。京急株って、値がさ株の方だと、認識していました。元、京急社員が、持っていた株・単位数を売ったら、相当な額になるはずです。で、「奥さん、一千万円を超えると、思いますが、それ、今、どこに在るのですか?」と、質問をしました。すると、奥さんは、「わかりません」というのです。私はますます、びっくりして、「息子さんと相談をなさいませね。他人は危ないですよ」と、言いました。だって、一千万円のお金が、今、どこに在るかがわからないなんて、証券会社の担当者か、銀行の担当者が、猫ババしてしまった可能性もあるではないですか? それは、口には出しませんでしたよ。

 だけど、本当に心配になって、『あれまあ、こんなところに、振り込め詐欺ではないものの、お金を損している、おばあちゃんが居る。心配だなあ』と、思って、急にお世話をしないと、いけないという気分になったのです。一方相手の奥さんの方は、急に「しっかり、しないといけない」と、いう気分になって、自主独立の気分を覚醒させられた模様でした。

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副題7、『次の日(2019-3-18)の早朝、五時になって、この問題の謎解きができた。彼女の、お金は、誰に奪われたわけでもなく、ただ、この一家にとって、数千万円は、はした金に過ぎなくて、其れが、どこの通帳に入ろうが、どっちでもよかったのだ。だから、この奥さんには、京急株、を、売った数千万円の入金の記憶が、何もないという形であり、お子さんが、株について知らないだろうと、いうのも、すっかり、頷けた。

 つまり、この一家は、東京の高級住宅街に、マンションを持っている人たちだと思われる。その賃貸収入が、経費や、ビルの、タワー化などの、再建築費用の、積み立て金部分を徐いても、おくさんの方の、部分だけでも、一年で、三千万円以上だと、思われる。だから、いつも、数千万円、または、数億円が、通帳に残高として、記入されている人達だから、ちょっとしたお金の動きなど、気にしていないのだ。でも、それにしては、お洋服が高価ではなかった。失礼ながら、一般的なお値段のものだった。

 ・・・・・そうか、お金持ちは、気張る必要がないのだ。おしゃれをする必要もないのだ。プラダとかエルメスとか言って、こだわっているのは、まだ、まだ、発展途上の、成り上がりものなのだ・・・・・と、思い当たる。

 なんか、急に力が抜けてきた。一生懸命、助けてあげているつもりだったが、全く、的外れだったのだ。彼女には、悪気はなくても、「そんなお金は、気にも留めていませんでした」と、いうケースだったのだ。お金って、自分がもともと持っている、金額によって、考え方も生き方も、まるで、違ってくるのだった。今は、大笑いをしている。無論、苦笑い系の大笑いだけれど』

 こういう風に気が付いてから、後で、会話内で、あそこがポイントだったと、考えるところを思い出しました。

 奥様は、株主総会に、一度は出たそうです。「しかし、ああいうところは、よくわからないので、主人に恥を掻かせて、その顔に、泥を塗るといけないので、もう、行かないことにしたのです」と、言って居ました。確かに、おくさんには、社会性がまるでなくて、しかも過保護で、生きてきた人特有の警戒心、皆無なの処もあるのです。

 そして、京急の、【ホテルgoo】 で、行われる株主総会では、入り口で、彼女の封筒を、見た受付役の、若手社員たちが、元重役だった、人の奥様として、下へも置かぬもてなしをしたので、それに見合った、態度を取らないと、いけないとも、感じて、其れが、重荷だったのでしょう。それから、株は、息子と半々に分けたとも、言って居ました。今、株は、百株単位になっているので、私は、単位として語ります。株数で言うと、誤解される可能性があるからです。

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副題8、『しかし、私は、今、不思議な coincidance と、いうかチャネリングを感じています。それが、当たっているかもしれません』

 上に、北久里浜における、大詐欺事件のことを語っています。今、その関係者として、生き残っているのは、仲野通巳吉(彼には三人の娘がいて、そのうちの一人は、実の姉智恵子さんの相続人となっていて、益山姓を引き継いでいる)と、杉本俊一正子夫妻(横須賀市の、土木課長だった。のちに副市長になっている)です。で、これには、京急側にも協力者がいると、見ています。その京急側の協力者については、皆目わかりませんでした。で、調べるのは無理だと、思って、居ました。

 それで、です。1978年の、地籍変更届の際には、1200坪を、益山側は、ただで、私有地と化しました。しかし、私が、詳細に、当時を考えると、その北側にあたる、800坪程度も、益山氏は、1978年以前に、公有地を、勝手に、私有地と、化していた可能性が高いのです。彼は、そこらあたりを、150坪程度、買うという形で、手に入れています。しかし、道路を、含めて、800坪ぐらいを、ルネ北久里浜という大マンションとは別の、分譲住宅として、売り出しているのです。

 それを、証明する数々の書類を私は、持っていました。法務局の登記簿謄本や、公図の写しで、其れが、証明できるのです。ところが、泥棒が入っています。その泥棒こそ、瀬島龍三に、協力する、日本の警察でした。これは、傍証づけられますが、今は、その時間がないので、「重要な証拠書類が、全部盗まれている」とだけ、言っておきましょう。

 しかし、益山重夫が、其の800坪を、何とはない形、あいまいな形、又は、うやむやな形で、横須賀市の、持ち物から、自分ものへと、変換していった陰に、京急の、インフラ整備が、欠く事のできない、要件だったのです。

 益山重夫は、元海軍参謀です。したがって、旧・横須賀鎮守府の、周辺の、地形は熟知していたでしょう。今、ルネ北久里浜が、たっているところは、三浦半島の背骨にあたる、山塊群の、うち、もっとも、高い場所の一つで、海軍にとっては、要衝の地だったはずです。そこを、自分のものにする計画を、彼は練ったのでした。どうしてかというと、敗戦で、おくさん(子供をもうけた正妻)が、アメリカ軍将校と恋に落ちて、アメリカへ、逃げてしまいました。

 そして、日本国というもの、其れから、天皇制というもの、そう言うものすべてに、懐疑的というか、絶望を感じて、一般の人が持っている、道徳観というのは、既に、失われていたのでした。天皇家そのものだって、自分の力で、国有地を作ったわけではないと、思って居るでしょう。私が、今問題にしている、横須賀市の水道山も、戦時中は、国有地だったと、感じています。だからこそ、源頼朝の時代から、各、武将が、あらそって、手に入れた土地を、徳川将軍家が、勝手に、天領としていて、かつ、明治維新以来、其れを、天皇家が、手に入れたのだ。だから、持ち主に関する正当性など、顧慮する必要はないと、思って居た可能性を感じています。

 しかし、峻嶮な山ですから建売住宅を作っても、普通なら、売れません。で、京急を利用しました。京急に池田分譲地を作らせたのです。池田分譲地については、wikipediaが、たっています。丘の上、400戸程度の、大規模住宅団地です。駅から徒歩圏内で、見晴らしもよくて、空気も美しく、かつ、通りがかりの、他人の自動車が、入ってきません。だから、静かで安全です。なかなかに、価値の高い、団地でしょう。横浜市ではないので、安いはずですが、横横道路にも、すぐ、出られますし、売り値よりも、価値が高い場所だと、思います。京急は、いろは坂をつくって、丘に上がる様な道路整備をして、かつ、丘の一部を削って平らにすると、いう大・土木工事を行って、京急池田分譲地を造成しました。

 私は、1978年以来、・・・・・益山重夫は、その道路を利用して・・・・・という書き方を続けています。しかし、本日、2019-3-19に、気が付いたことは、京急池田分譲地の、図面を書く段階から、既に、益山重夫と、瀬島隆三は、横須賀市(=杉本俊一正子夫妻)と、京急側の誰かを、篭絡して、手のうちに入れていた可能性があるのです。で、京急池田分譲地の、もっとも、駅に近い、山容を、開発していないまま、益山重夫が、買うのに任せていた・・・・・という便宜を図っていたから、そう感じるのです。

 そして、彼は、自費で買った、パン種となる、150坪から、彼は、800坪程度を生み出して、建売り、住宅を建造し、売って、多大な軍資金を得たうえで、そこよりさらに、南側を手に入れようと、謀ったのでした。だから、公図がめちゃくちゃでした。ないはずのところに、無理に、7,8軒の家を埋め込むのですから、一軒が数ミリ幅しかないのです。そう言う書類が我が家から盗まれているのでした。

 これは、1950年代には、既に、企画をされていた、事案なのかもしれないのでした。

 京急に乗ると、今、横浜駅、又は、新逗子駅に、入る直前に、「不審なもの、又は、不審な人を見かけたら、駅員にお知らせをください」と、いう放送を流します。それは、シャルリーエブド事件以来始まっている、私をテロリスト、呼ばわりをして、アリと、あらゆるところに、ガードマンを配置して、其れを、嫌がる私をいじめようとする、アイデアの、引き続いての、何年間かに、渡る嫌がらせ行為です。ともかく、それを最も、頻繁に行うのが、京急ですから、京急には、あの事案に対して、大きな負い目が、あり、だからこそ、私をいじめ抜くことに、終始、協力をすると、見ています。

 今、その件が、北久里浜で、青地とか、公図とかが、出てきて、炎上中です。しかし、私は、かねがね、「其れは、看過しておいて、今は、雪ノ下に集中する。画家Aの分析が、終わっていないから」と、言って居ます。そうなんですが、此処で、神様は、突然に、私に向けて、当時の、京急側担当者の、奥様を、目の前に、表出させたのではないでしょうか?

 彼女が誰かに頼まれて、鎌倉霊園の、バラ園で、私に近づいてきたとは、思えません。すべは、偶然でした。しかし、麻布に、住んでいて、たぶん、自宅をマンション化している、という一家でしょう。奥様は、多大な収入がある(元の敷地が、300坪だったら、一階を店舗にして、二階から、六階までを賃貸マンションにして、7階に、オーナー一族が住むと、いう形を取れば、年間、一億を超す不動産収入があります。それなら、京急株、10単位か、15単位を売って、当時の売り上げ代金、1500万程度を、得ても、それが、どこに在るかがわからないと、いうのもうなづけるのでした。そして、息子が株のことはわからないでしょうと、いうのも頷けるのでした。株の配当金なんて、この一家にとっては、ごみみたいな、ものだったのです。

 私は、今までも、不思議な形で、真実に近づく情報を得てきました。今般も、誰が、京急側で、益山一派に、協力をしたかという事を知りたい。知りたいと,negatteimasiた。すると神様が、粋な計らいをしてくださったと、感じています。

 今、その送ります様の、その実名は、わからないものの、鎌倉霊園に、お墓を持っていて、麻布に、賃貸マンションを持っている、元、京急のお偉いさんが、当該の、人物だったかもしれないのです。

 神様が、その生活の実態を、私にお示しいただいたと、考えたりしているのです。CIA一派に協力をすると、信じたいほどの、高収入を、得られる様になると、いう実例だったかもしれません。京急池田分譲地には、元、京急勤務ですと、いう人はのですが、麻布に、賃貸マンションを持っているほどの、お金持ちは、早々、いません。、

 しかしなのです。その大金持ちさんは、お子さんをなくしています。これは、つらいと、思う。私は、彼女があまりにも、お金に疎いので、「他人に任せては駄目ですよ。お子さんはあるのですか?」と、17日の夕方バスの中で、質問をした時に、「長男は、亡くなっている」と、聞きました。病名も聞きました。それは、つらかったと、思います。ただ、彼女とリアルな形で、出会って居る30分間は、私は、まずいことを聞いてしまったという形で、できるだけ、その話題が、敷衍しない様に努めました。つまり、株の、事だけを話題にして、彼女の私生活と、その心理的な側面には、踏み込まない事に、あえて、していたのです。

 しかし、12時間後、ふと、あの人は、神様が出会わせてくれた、例の北久里浜の、大詐欺事件の際の、京急側担当者の、妻ではなかろうか?と、思い至ったのですね。どうして、そう言う事を言うかというと、私は引き寄せる人だからです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題9、『神様は、こう、おっしゃっていたのではないだろうか? 「あなたは、このラインでは勝ったのです。だから、この事件に関する三つのラインの、うち、京急の路線で、この事件を追及するのは、おやめなさいね」と』

 彼女とリアルタイムで、会話を交わしているときに、私は、北久里浜の、事件の、ことは、一切思い出していません。ただ、ひたすら、彼女をたすけたいと、思って居たのでした。しかし、実際には、ほう助の仕組みは、無用だったのです。不要だったのです。しかし、彼女は、私をあざ笑ったわけではなくて、私の忠告をきちんと受け止めて、・・・・・あまりにも安易に、他人に頼っていたこと・・・・・を、反省してくれたのでした。

 もし、彼女が、性格が悪い人だったら、「もう、いいです。奥さん。私は、麻布に、ビルを持っています。そこから、一億円が、入ります。だから、優待券とか、配当とか、ちまちました話は、関係ありません」と、言っても、良いのです。そう言って、話を切り上げてもいいのです。しかし、改札口を入った後で、ずっと、手を振り続けていた彼女は、美しく、かわいらしい笑顔でした。感謝して居ることがわかりました。

 先ほどから、特に夜の九時に、再開をしてから、システム異常が続いています。CIA連中と、その部下である警察は、とっくに彼女を特定していて、そして、彼女が、くだんの、京急担当者の、妻だと、認識をしているのでしょう。だから、書くのを止めさせようと、しています。こういう風にして、私は、自分が正しいことを書いたかどうかを、判断をしています。

 あとで、リンク先を探して、付記します。それは、お待ちいただきたく。2019年3月17日から、18日にかけて、これを書く。なお、このブログの、2010年から、数え始めた、延べ訪問回数は、5216340です。リンク先を整えたら、署名を入れます。

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白いセーターが、三枚盗まれて===その1 +アスベスト訴訟が頻発するわけは?

2019-03-15 22:30:13 | 政治

 もし途中で書けなくなったら、今まで、私が書いたことのすべてが正しかったと、お考え下さいませ。

副題1、『私は画家なので、色使いには、気を付けております。その際に、どこかに白を合わせると、統一が取れるので、白いセーターは、大切です。カーディガンでもいいし、Vネックのセーターでもいいし、チュニック形式のセーターでもいいのですが、白いセーターを愛用しています。

 ところが、最も大切な、抽象的な模様のチュニック型のセーターが、ここ数か月見当たりません。本日に至って、それは、数か月前に盗まれたのだと、確信をいたしました。それは、ある読者様が編んでくださった、独自なデザインのものであり、売っていないもんだったので、とても大切なものだったのです。

 あのね。女物のセーターの話なんか、男の私には関係がないなどと、言わないでください。これこそ、彼等、鎌倉エージェントの本質を表す、盗難事件だからです。もっと、重要なものも何回も盗まれておりますよ。

 シカシ、チュニック型ロングセーターとは、別の、Vネック型の、セーターが盗まれたのは、13日と決定しております。しかも、本日、其れを、確認した後で、連動して、あれも盗まれているだろうと、思った、お掃除用、シートも盗まれています。ウエットタイプと、乾いたタイプの二袋が、確かに二階に置いてあったはずなのですが、それが盗まれています。

 これは、警察官(特にCIAの手下としての殺人用別動隊)が、盗んだか、この山で、合いかぎをもらって居る画家Aが、誰かに頼まれて盗んだか、元サラリーマンB=安野忠彦氏が、警察から頼まれて、盗んだかの三者の内のだれかでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『私は電車の中で、美しいお洋服を着ている人を見ると、ほめることとしている。或る時に、素敵なセーターを着ている人をほめたら、たまたま、その人は、私のブログの読者様だった。こういう事から考えて、私のブログの読者様は、相手側(どこか、わからない団体からだが)からお知らせが来る数よりも、ゼロが二つぐらい多い(つまり膨大な数の人が読んでいる)のだと、私は考えている。だって、電車の中で、偶然に出会ったおしゃれな奥様が、私のブログの読者様だったのだから、私のブログの読者数は、本当は、莫大な数に達しているのだと、考えている。したがって、アフィリエイト収入もないのだと、考えている。私が、あふぃりえいと収入をまともに得て、本当の読者数を知って、増長したら大変だと、彼等、悪人たちは考えているからだ。

 それで、その電車の中で出会った相手様が、「編んであげましょう」と、言ってくださったので、編んでもらった。私がデザインした通りに編んでもらった。もちろん、上等なウールの毛糸で。それは、大切なもので、愛用をしていた。同窓会などに着ていったし、画廊巡りにも着ていったことがあるかもしれないし、家を出るときの私の姿を見かけたご近所主婦もいるかもしれないし、画家Aが私が其れを着ている姿を見て、『うーん、しゃれたものを着ているなあ』と考えた可能性もある。

 画家Aは、合いかぎをもらって居て、我が家内にある美しいものを動かしたり、盗んだり、して嫌がらせの数々を行っている。しかも、昨年、医師春産業の工事という、証拠隠滅の際タイル異様な悪いことが、この山で、行われた際に、「川崎さんが僕のことをぶったあ。暴力をふるったー」と、叫んだので、怒った私が、その日、柄沢斉と、シロタ画廊の名前を出して、画家Aの異様な甘ったれぶりと、隠されたサディズムについて、書いている。そこでは、泥棒には、言及をしていないので、実名で文章を書いている。画家Aに関しては、もっと、もっと、書いていきたいことがあるので、まだ、実名をさらさないが、彼が、その「川崎さんが、暴力をふるったー」と叫んだ場所の写真は、置いておきたい。写真1、

 この写真では、右がわ二、白い小花が咲いている。それが、我が家の崖であり、そこから、五メートルぐらい東に、進んだところが,中谷共二氏が、無断で、崩した山である。道路には、何本も、色の違った線が入っているが、それが、石井秀樹邸前の持ち主、藤本禎子さんと、前田清子さんが争った、跡であり、私が何の因果関係もないのに、その二人のとばっちりで、愛自裁畑を盗まれ、かつ、山を無断で、崩された、重要な証拠なのだけれど、石春産業の工事で、消えた証拠群なのだ。

 また、この白い花の、真下が、問題の盗まれた花畑なのだが、そこが、あたかも、問題のない土地であるかのごとくに、前田祝一と小野寺夫人が無断で、たって、ドリームハウス【難工事489日】と、いう特番に写っていた場所である。写真2、

 下に写真を置いた、小野寺夫人など、実際に、その、工事が行われた、1986年時のことなど、一切知らないのに、出しゃばってきて悪人側が、自分達の悪をテレビの、視聴者という数の論理を利用して洗浄化するのをたすけている。東大卒らしいのだけれど、安野忠彦・智紗夫人宅に上がって、六時間も、一緒にお寿司を取って過ごしている。それで、彼女が、これから先、どこまで、馬鹿化するか、みものでは、ある。写真3、

 しかし、此処では、写真1に戻りたい。

その中央に、電柱が立っている。その左側に、とんがった、三角のブロック塀がある。このブロック塀こそ、中谷氏が、「藤本夫人は、自分で、こんなにとんがった塀を作ったのですよ。だから、きちがいなのです。だから、川崎さん、こちらに協力をしてください」と、三顧の礼を尽くして頼んできた場所なのだけれど、なんと驚いたことに、藤本夫人が、前田夫人をやり込めるために、前田家が、違法に土地を使用している(それは、本当の話であって、この三十年間、我が家は、花畑を使えないのに、前田家は、二倍ほど、土地を使って居る)事を責める道具としていた、道幅が、4メートルなくてはならないと、いう建築基準法を盾に取って、

 我が家の目の前の道路も、4メートルないと、いけないと、欲張った主張をしているのを受けて、何と、我が家の山を無断で、切り崩したのだった。全く蝙蝠の典型で、裏切った人間だった。

 ところで、画家Aが自分のことを、私より上だと、思いこんでいる根拠の一つに、自分は、中谷家一族と、いまだに親しくしているし、中谷家の、長男が、東大宇宙工学研究所の所長であると、いう事を出してくるのだけれど、其れなら、なおさらの事、中谷共二氏が行ったことは恥ずべきことであり、その裏にいた,瀬島隆三の話をしないといけないし、中谷氏が、一種の、CIAエージェントであったことをも語らないといけない。そして、中谷共二氏の次男が、自分の部下の、性格が、ヒステリーの人物をかどや製油に送り込んで、私の息子をいじめきって、仕事を事実上奪ったという事をも、此処で、記録しておかないといけない。とんでもない一家なのだ。小野寺夫人が、建築中から敵対行為を示してきたのも、中谷家の長男一家と東大閥という事で、親しいからかもしれないので、引き続き小野寺夫人を観察することは大切である。先週も攻撃をしてきたし、本日も攻撃をしてきたので、分析のし甲斐があるというものだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『上の写真で、中央に電柱がある。そこらあたりから、左斜め下へ向かって、白い、幅、30~40CMのラインが走っている。これは。2008年の四月に、アスベストで、まかれた上水道管が健康被害をもたらすという事で、新しい上水管が埋め込まれた後を示すものだ。

 しかし、これこそ、県と、いう公的機関を使った欺罔中の欺罔だった。欺罔というのは、法律用語で、一般の人が使い言葉に直すと、巧言を用いて,あたかも、自分がただしことを言って居るかのごとく、だますことを指す。

 ここでは、巧言とは、「アスベストは、健康に、悪いのです。だから、上水管は取り換えるべきです」といいながら、古い方を、掘り起こして、取り去っていないという事です。

 つまり、それは、アジサイ畑欺罔事件の際に、藤本夫人が電動のこぎりで、道路を切った、二本の線の内の藤本夫人側の方のラインを消、し去ろうとする試みだったわけです。つまり、敵は本能寺に在りで。本当の目的が、別にあって、其れを、県が乗り出すという形で、カモフラージュをしたのでした。

 この件は、私が言って居ることが正しいのですよ。だからこそ、アスベスト訴訟が全国各地で、何度も繰り返され、莫大な保障費が、昔、死んだ人に支払われるのです。あの判決が出るたびに、たぶん共産党員だと、思われる、前田祝一・清子夫妻が、息を吹き返すこと、吹き返すこと.そして、さらに、大きな悪だくみに乗り出してくるわけです。

 実は、もっと、大きな謀略を、編み出している、井上ひさしも、赤旗まつり等にいつも、顔写真を寄せています。その井上ひさし邸を、今では、パトカーが警備する始末なので、昔の言葉でいう右翼左翼は消滅したと、いってよいでしょう。この現代日本は、CIAエージェントたる人間と親しいかどうかで、出世が決まる、又は、お金がもうかるかどうかが、きまる国家となり下がっています。

 法治国家とか、民主主義だとか、三権分立だとか、いう中学校の、教科書に出て来る様な仕組みは、とっくに消え去っていて、ただ、ただ、鎌倉エージェントの、専横と恣意が、まかり通る世界になっているのです。そして、私が、この雪ノ下の山の、問題点について、正しい文章を書いたとたんに、アスベスト訴訟は、盛り返し、あっちこっちで、多大な国家予算が消費されています。

 あのね。川金という企業の、免振装置に関するデータ偽造問題が、大騒ぎになっていた時期があります。あれですが、日経新聞がいみじくも、書いていたのですが、結局は政府のお金で、補修をするそうです。

 旭化成建材の、データクリ回し疑惑で、大問題になった、都筑区のマンション、らら横浜も、三井不動産レジデンシャルは、既に壊したそうです。その費用はどこから出たのかしら? 高麗屋三大襲名披露円が、帝国ホテルで行われ、三井さんの誰かが、乾杯の音頭を取ったみたいですが、そう言う余裕は、国家が御金を補填してくれたことを暗に、示唆しています。

~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『レオパレス騒動が、今、なぜ、生起したのか?』

 すみませんが、この続きは明日書きます。顔にけがをしたので、自分を守らないといけないからです。

 重要なメモを書きましょう。つまり、これから、書く予定だったことを骨子だけ書いて置きます。

 3月12日に、三宅坂の国立劇場にいた事は、個人メールのやり取りで敵さんは、知っている。その時に、例の尾行者が、私の姿を写真にとって、其れを写メールとして、この雪ノ下の山の住人に送っておけば、この山の人間が、其のセーターを盗むことができる。ついでに、命令をされていなかった、白いカーディガンも眼力が高い人間だったら、其れが。おしゃれアイテムとして、重要だと、判断できるので、盗むことを命令もされていないのに、盗んだ可能性がある。

 というわけで、この2019年3月13日に白いセーター二枚が、盗まれていて、それは、画家Aではないかもしれない。安野忠彦氏か、神奈川県・警察の殺人用別動隊である可能性もある。

 その時に、同時に、お掃除用の、ウエットシートと、ドライシートの二袋も盗まれている。これは、電話盗聴の、結果、起きている現象だが、どうも,女の陰が、感じ取られる。

 今私は、大攻撃下にあるところだが、この、大復讐劇は、信州大学の学生が、やってもいない殺人の罪を着せられて、かつ、すぐさま、ひき殺されたと、いう事件で、あまりにも彼が、気の毒だと、言って居る文章があまりにも正しいがゆえに、今、私の周辺で、大騒動が、起きている最中なのだけれど、セーターが、二枚盗まれたのもその一環だと、感じているが、栗生長官をトップとする、警官が、ウエットシートと、ドライシートの二袋を盗むなんて、あまりにもけち臭い。誰の発案で動いている。一方、セーターを盗めと、命令をされた安野氏が、入って盗んだとしたら、智紗夫人が背後にいるので、そいう言うアイデアを、得る可能性もある。しかし、お台所を頻繁に狙い、粉形式のクレンザーに水を一杯に満たした方は、画家Aだと推理しているのだが、クレンザーを置いてある場所から、1.2メートルの一に置いてあった、お掃除シートを見つけるのは、簡単な事だったかもしれない。

 セーターを二枚盗まれたことも、お掃除用シートを盗まれたことも、それが、栗生長官をトップとする警察庁の仕業だと、仮定をすると、あまりにも情けない国家が、個の日本だと、なって来る。

 しかし、安野忠彦氏という個人がやったと、なると、グッと、様子が変わってくる。特に画家Aが個人の判断として、其れをやったと、なると、又、グッと変わって来るが、三宅坂の国立劇場の内部でしか、コートを脱いでいないし、それが、12日のことで、すぐさま、13日に盗まれるのだから、これは、写メール等で、鎌倉雪ノ下へ、送信されたと、仮定をすると、画家Aではないと、判断ができる。

 こういう生活の隅々にまでわたる攻撃を、してくる一派と、谷垣禎一さんは、味方である。どう、お考えになっているのだろうか? 不思議極まりない。

  ところで、大日本の、大近代国家の、立派な警察学校を卒業した警官が、ある個人の家に、泥棒に入って、お掃除シートを盗んだと、言われては沽券にかかわるだろう。だから、個人が、恨みを込めて、盗んだという事にすると、都合がいい。しかし、その個人は、画家Aにしろ、元サラリーマン安野忠彦氏に白、合いかぎを作った人間は、警察のはずだ。したがって。これこそ、異様な国家、日本の本当の姿を現していると、私は見ているのだった。

 ところで、今般、渡辺賢司夫人もどこかで、使役をされていると、思うが、直近では、動いていない。富沢夫妻は、直近で、動いている。が、其れを分析されて以来静かだ。富沢家が、泥棒に入っている可能性は、皆無だけれど。花輪夫人と、前田清子さんは、2019年3月15日の午後2時45ふんごろにも、意味ありげに動いた。ところが、安野夫人は、異様な二人三脚(あと注2)以来、動きがないのだ。

そう言うあたりも私にとっては、考察の助けになるのだった。逆ザヤを張ると、いう発想で、事を考えると、夫の、忠彦氏が、大きなことをやっている場合、彼女の方は、静かにしておくとか?????

 画家Aは、朝五時に、ごみ捨てばを掃除している姿を、私の夫へ見せたそうだ。夫は、素直にほめていた。しかし、逆ザヤを張るという発想から、考えると、私は、『なるほどねえ』と、彼の裏側の思惑にも、思い当たっている。それを見せつけることは卓志と夫が喧嘩をすることに役立っている。ところで、東陽町の加藤邦子さんを殺した三人組は、長野県出身だそうだ。特記すべき事項だ。

  なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、5215064です。

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なぎら健壱が、額に傷を負ったままNHK午後ナマに出演したが、それって、一億人をだましたわけですね。警察は、彼、又は、NHKにそうする様に命令をしましたか?

2019-03-14 22:17:45 | 政治

副題1、『2019年3月14日、NHK午後ナマに、なぎら健壱が、平井を怪我した形で、出てきたが、その陰に、能登町事件の、真実を、私に再度の事として書かれて、しまった、警察側の、複雑な思惑があるのだった。ここでは、その前段階(14日より前の数年間の推移)を書くとしよう』

 今から書く事は、本当は、すごく大きなことを語ろうとしているのですよ。→

ところで、BSプレミアム2019-3-11は、加藤登紀子さんが出演しました。彼女は、以下に出て来る男、柳沢昇が、若いころ、行った三里塚闘争時に、所属していた、全共闘組織のリーダーの、妻だから、当然のごとく、このブログと関係があります。近々出て来るだろうと、思って居たら、出てきました。案の定というか想定内というかです。

  → 警察のめちゃくちゃぶりを語るのです。私が三原橋交差点そばで、交通事故に出あったときに、築地警察署からか、または、桜田門からか、派遣をされた二人の警官が、治療をしない様に、聖路加病院の、医者に迫ったうえで、その後、築地警察署の、宿直室みたいな変な部屋に呼ばれて、何と、交通事故調書を出さない様に、一種の示談にしなさいと、言われたのですよ。車を運転していて、私を轢いた(❔)人はある会社を経営している社長さんだそうで、私が、5分か10分か、気絶していたので、大変に心配して、最終的には、相鉄フレッサイン京橋店で、わかれる夜の11時まで、

 どうしてだか、わかりますか、鎌倉雪ノ下の、ご近所の陶芸家(鎌倉春秋窯主催者)石川和子さん(後注一)と、その現在の夫である柳沢昇が、私の猫が、究極のところでは、彼等夫婦よりも、私を選んだことに、腹を立てたり、パニックに陥ったりして、猫を叱るわけにもいかないので、私を叱りたいと、思ったわけですね。その叱る役を、私の主人にやらせようとしたわけです。

 でも、彼等は、さすがに直接には、主人にそれを頼みに行くわけにもいかないので、警官にやらせたのです。その警官たちに「あそこの夫婦は仲が悪くて、事実上の家庭内別居だから、右側の玄関を、夫が使って居て、左側の玄関を妻が使って居る」と、告げたらしいのです。そんなことは、彼等、おバカさん連中が勝手に考えていることで、嘘なのですがね。で、やって来た二人の警官の内、中ねんの方が、古い玄関の扉をめちゃくちゃ乱暴に、動かしたのでした。

 幸いに、神様は、常に私を守ってくださるので、主人は、外出中でした。で、私は、十分に、やらせたうえで、アジサイ畑欺罔事件のことを、彼に、現場で説明をしたのです。すると、年上の方は正しく理解をして、急に青菜に塩となりました。この山で、私の上に立てる人間はいないのですよ。石川和子ごときが、どうして、私の上に立てますか? 土地泥棒の、安野智紗夫人の井戸端会議の重要なメンバーだったのですから。その行為の恥ずかしさと、その後の数々の謀略的、殺人事件を考えると、ただ、唯、静かに普通に、暮らしていて、私の気持ちが、緩解するのを待つしかないのです。ところが、伊藤玄二郎が、CIAエージェントとして、特権階級に属しているものだから、石川和子も、非常に頭が高くなっていて、警察官を顎で使うのです。しかも、他人、特に私の猫のことで、警察官を、顎で、使うのです。信じられますか。ストーヵー被害を訴えても、其れを、阻止できないほど、人員不足の警察が、いしかわかずこが、伊藤玄二郎の愛人だから、動くのですか。

 彼女は、自分の猫でもない我が家の猫に、恋していました。だからといって、その猫に、振られたから、其の飼い主に、意趣返しをしたくて、警官を呼んでいいのですか? そんな小さな問題で、彼女を、ほう助するために、交通警邏隊の、警察官が、のこのこ、この山の上にまで、やってくるのですよ。

 この異常さを、皆さん、ご理解いただけますか?  石川和子夫婦は、その日より前に、何十回も我が家の人間を、わたくしたちの猫の事で苦しめてきたのです。こんなことが、まかり通るわけはないと、思って居たら案の上でした。彼女は、この・・・・警官を呼ぶ・・・・という大失敗で、殺されたのだろう・・・・と、私は見ています。ガンだったそうですが、12月には、ぴんぴんしていて、十分に太っていた、60代の人間が、たった三か月で、死ぬわけはないからです。それが、大口病院事件につながっていきます。

  あのね、その日、私がやったことは、ただ、自分の猫を迎えに行っただけなのですよ。そうしたら、彼ら夫妻がすることは、「あ、久しぶりに遊びに来たから、遊んでもらって居ました。お返しいたします」だけでしょう。それを、大声で、怒鳴り散らすという形で、喧嘩を売って来るから、私の猫だって、びっくりしてしまいます。「この夫婦は、こんなにも乱暴で、低級だったのか!」と、目が覚める思いで、私の方を選んだのです。当たり前でしょう。とても、賢い猫なのですから。そういう対応が普通の社会人というものでしょう。あの二人には、社会性が皆無なのです。ただ、唯、わがままで、ジぬん本位なだけです。下に、彼女をほめまくっているサイトを一部分上げています。その中でも、彼女は最初にお金のことを話し始めています。確かに彼女が私に向かって、自分を説明しているときの最初の言葉が、「自分には、200人からの弟子が居る」でした。つまり、月収200万円だというのが、自分を規定する、もっとも大きな項目らしいです。自分はパーティコンパニオンをしているときに、伊藤玄二郎と知り合った。とてもよくしてもらって居るとも続けました。下のサイトなど、そのよくしてもらって居るという実例なのだと、思います。私は迷惑を散々かけられたので、はっきり言いますが、・・・・・単なる、日銭稼ぎおばさん・・・・・でしかないです。

 特にその日は、若い警官の方がだめでした。若い方は、白豚さんみたいな雰囲気の太った子で、頭が悪いです。年配の方が、急にしおれたので、何かを察すればよいのに、できないのです。右へ倣えで、急遽、謝罪の方向へ向かえばいいのに、引き続いて、自分達の方が上みたいな態度を取って、調書を取り続けるのです。

 ところで、この雪ノ下のご近所様も、銀座の画廊街の、人々も、私のことを弱っちくて、大人しい、人間だと、誤解をしていませんか? 私は無用な争いは致しません。しかし、大切な事では、一歩も引かないし、とても俊敏で、気概を持っている人物なのですよ。勇気のある人なのです。だから、十分な時間をおいて、若い方に向かって、「其れを私に頂戴。弁護士に見せないといけないから」と、言いました。すると、若い方も、急に自分がへまをしたことに気が付いて、引っ張るものだから、三角に切れました。しかし、弁護士は、交通事故の調書だと、教えてくれたのです。

 あ、そうなんだと、思って、その後、石川和子さんのバカさ加減を語るのに何度も使わせてもらいました。この件があるので、三原橋交差点の、交通事故を交通事故にしなかったのだと、思います。

 ところで、鍛冶橋交差点でのけがは、筋肉のあるところだったからか、慈恵医大だからか、どちらが、真因だったかはわかりませんが、40針も丁寧に、塗ってくださったので、直りが早かったのです。聖路加は、警察に頼まれたから、縫わなかったわけではなくて、後頭部の、頭蓋骨の周りは縫えないんだろうと、思います。警官たちは、「ちっきショー、間に合わなかった」といって居たので、聖路加さんも最善を尽くしてくれたと、思いたいですが、ともかく、治りは悪かったです。三週間、濡れタオルで、髪を拭いていて、三週間目に、美容院へ行ったら、ぎょっとした顔をされて、「こういう状態では、洗えません」といわれたのです。

 そして、三原橋交差点での、実質的な交通事故の次の朝、この山野、7件ぐらいが、八時にやっと寝入った、私をベランダに干した、布団を一斉に、10時半にたたいて、起こしたのです。よくできるよと、いう様なものです。みんな、頭がおかしいと、言わざるを得ないのですが、安野智紗夫人と仲良しになると、馬鹿化と、猿化とが、激しいのです。

 ここで、私が、怪我をしましたと、いうブログ、後注イを書きましたね。だから、急遽、その事案の、蒸し返しで、警察は、息を吹き返して、鎌倉駅のエスカレーターを、工事中として、留めるし、表駅広場の、中心にある、明治地所の店舗を取り囲む形でまた、工事を始めたのでした。数年前に、行って居た脅かしの再現です。何が、理由として、今回、そう言う流れになっていると、皆様は、お考えになりますか?

 むろんのこと、信州大学の学生がやったと、されている能登町事件が、私が書いて居る通りであり、かつ、その後、私が長時間、続報を書かなかったがために、ビビっていると考えて、此処で、一気につぶしてやろうと出てきたのだと、思います。

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副題2、『谷垣さんは、私が死んだはずだと、書いているほどに、表面に出なかった。国民の前に、電話応答でもいいから、自分が、生きていることを告げるべきだったと、私は思う。しかし、私がブログで、嘘を書いているという事にするために、ずっと、逼塞をしていて、今回の様に、重要なことを書いた私が、三日間、続報を書かなかっただけで、・・・・・あ、彼女は、ビビっている。ここで、たたいてやれっ・・・・・と、復讐を計画した連中がいて、(多分、伊藤玄二郎+まだ生きている井上ひさしでしょうが)、・・・・・・谷垣禎一さんを、12日に外へ出したのである。丁度、私は、三宅坂、国立劇場の、切符を持っていたので、ニュースに対応できないからでした。そこを狙われています。でね。自民党総裁でさえ、国民を欺いて、それで、私をやっつけようとしている、この雪ノ下の山の、女性たち、石川和子、安野智紗、前田清子、小野寺夫人などを支援するのですから、なぎら健壱を、動かすことなど、おちょの子さいさいだったでしょうね。

 ところで、なぎら健壱が、ばんそうこうを張って、画面に現れたのは、NHKの午後二時からの番組でした。それで、一億人の人をだまして、来たわけです。まあ、彼の立場は、谷垣禎一さんよりは、小さいですが、国民をだますという意味では、影響力が大きいかもしれませんし。

 その番組を、実際は、一億人が見たわけではないですよ。しかし、可能性としては、そうも言えます。そう言う番組で、国民全部をだましてきたわけです。なぎら健壱がですが、あの番組に出演した、7人も、その怪我が嘘であることは、聞かされていたとは、思いますよ。

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 副題3、『本日=2019年3月14日、午後ナマに出てきた、なぎら健壱の、額の傷のこと、それを丁寧に、掘り下げていこう』

 本日の午後ナマ(NHK総合チャンネル)を、見ていたら、ゲストの、なぎら健壱が、額にばんそうこうを張っていました。主人と私は、思わず大笑い。あまりにも、私のけがと、にていたからです。しかし、外出中に、違う考え方に達して、今、夜10時に帰宅をして、録画を丁寧に、チェックしているところです。なぎら健壱が、例の鎌倉エージェントに協力をして、私をからかってきたかどうか? それを確かめるために、録画していたわけでは無いのです。珍しいやり方で、ぬか味噌漬けを作ると言うお料理方を説明していたので、それを勉強したくて録画しておいたのですが、その録画が、チェックの目的で、役に立ちました。なぎら健壱は、「地球は丸いですね「。だからつまずく」と冗談めかして、怪我をしたことを、ほかの人へ説明しました。しかし非常に簡単で、どこで、どうした、とか言う細部についての、説明はありませんでした。私はね。とても、不思議に思ったのです。特に不思議に思ったことは、『誰が絆創膏貼ったにしても、どうして傷全体をカバーしないだろう?』と言うことでした。

 傷は、幅が、7cmぐらい、高さが、6cmぐらいで、私の傷とそっくりでした。しかし、おかしいところが、いくつもありました。「疑いすぎ」と言われても、それをきちんと、書いていきましょう。もし、作られた傷だったら、私をからかっている例の連中の、謀略の1つだからです。特に鎌倉駅まで帰ってきたときに、三つの常套的攻撃策を見つけましたので、彼らが、私がけがをしたことを、相当に、喜んでいて、又、これを利用して、さにいじめようとしているのが、わかったからです。

 で、まず検討すべきは、なぎら健壱の、傷の色です。赤いです。赤いと言う事は、「傷が、非常に新しい」と言うことを示しています。私は、今、自分の、きずのところを見ているわけですが、既に28時間たっているので、えんじ色になっています。で、彼の怪我が、あの色だと、5時間から8時間前についた傷だと考えられます。彼は、詳しい説明をしなかったので、そう言う時間だと、仮定すると、その後、誰が、治療を、したのでしょうか? その治療者は、彼の怪我が、早く治ることを望んでいないのでしょうか? すりむいたところを、わざと、あからさまに外に向けていて、薬も塗ってないし、内部に、絆創膏も貼っていないのです。

 中央の、部分だけに、2センチ角の絆創膏を貼っていますが、その下に、ガーゼも置いていないのです。そんな治療者なんて、いませんよ。お医者さんに行ったのでしょうか? NHK側だって、お医者さんに、行くように勧めると思います。お医者さんが、どうして、あれほどに、ばい菌に接触する様な、ばんそうこうの張り方をするのでしょうか? 

 では、私のように、結婚相手が、治療をしてくれたのでしょうか? 妻がいますか? 独身ですか? 妻が居て、どうして、ああいう風な治療で、済ませたのでしょう。不思議です。愛情のかけらもないですね。

 私が、お医者さんに行かなかったのは、既に、夜の、8時に近く、普通の形では、それと、医院が開いていないことを知っていたからです。それと、最も大きな理由は、二度も、首から上の大けがをしているので、其れと、比較をすると、一千分の一程度の傷だと、いう事がわかっているからです。

 それと、頭蓋骨の、すぐ上の傷は、縫ってもらえないという事も知っているからです。消毒しかないと、いう事も知っているからです。

 

 しかし、彼は、額の出っ張ってる所より、3センチか4センチ上に、1番大きな傷がありました。そこは、転んでぶつけるとしても、傷ができない場所なんです。引っ込んでいるからね。もう一つ、とても不思議な事は、あの程度の時間が、短いうちならものすごい量の、リンパ液とか内出血が、傷の周辺にたまっていて、膨れているはずなのです。まぁ一般的な言葉で言うと、たんこぶですが、それが、幅10センチ、高さ7センチ位の大きさで、膨れているはずなんです。私は、今、28時間経っていますが今は目玉焼きみたいに、二段階になっていて、黄身にあたる部分は、昨日より、高く膨らんでいます。

 これは、この先にまだまだ、大切なことを書き続けないと、いけません。お待ちくださいませ。本日は、午前二時には、寝ます。それでも、外出もしたのですよ、驚異の俊足手当と、自己・回復力で、青あざが出ませんでした。で、お出かけが可能だったのです。

 

 後注1、これは、石川和子さんをほめそやしているブログ(?)です。私に言わせると、驚きの、姿ですが??????著者は、何を見て、これを書いているのだろう?

鎌倉にゆかりのある方にお話を聞く…第21回 My 鎌倉
今回のゲスト
石川和子さん(陶芸家)
 八幡様横手の鶯谷に居を構える陶芸家の石川さん。ご自分の作品を制作する傍ら、教養センターでクラスを持ち、ご自宅でも生徒さんを教えていらっしゃいます。芸術家にとって、作品を作り出すそのエネルギーの源は人それぞれ。石川さんの場合は、鎌倉に住む人々との触れ合いがとても大切なことなのだとおっしゃいます。

 どうやって陶芸家になったのかと、よく聞かれることがあります。私は音楽関係の会社に9年ほど勤めていました。焼き物とは、もちろん縁もなかったし、身近な感じもしていませんでした。ただ、絵であるとか、物を作る仕事はわりと好きではありましたが。でも、ただ好きだから趣味でやっているというのではなく、やはり仕事にして食べていかなければ意味

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一生で3回目の、顔のけがをして・・・・・谷垣さん、本日TV内で、声を発する。元気そうだ。しかし、それは、私のブログへ対する復讐策の一つです。

2019-03-13 21:42:50 | 政治

 

 今、は、13日の、夜11時15分です。これから、パソコンを使って、下の文章の、推敲をしていきます。スマホの音声入力で、記入していましたが、あまりにもひどい、誤変換続きで、『これでは、私が馬鹿みたいに見えるでしょう』と、思い直して、今、パソコンを使って、修正していこうとしているところです。 

副題1、『顔に人生三度目のけがをしたので、スマホの、音声入力で、ブログを書いていたのですよ。夜11時までは』

 すみませんね  本日は新しいものを書くつもりでした。しかし。夜の7:20ごろ転んで、怪我をしてしまいました。コンクリートにもろに、顔から突っ込んだのです。

 もう2時間ぐらい経っているので痛くは無いのです。 でもね首から上の怪我は、これで、3度目なので、それなりに経験があります。

 大切な事は、外出するときに人が奇妙に思うことを避けるために、見かけ上、おいわさん状態に見えないようにすることです。 1回目の怪我の際は(13年前のことでしたが)病院で丁寧に丁寧に40針も縫ってもらうと言う、丁寧な、あんまりにも、立派な治療していただいたのですが、その後、品川駅で、電車が2時間も遅延状態で止まったのです。今思うと、あれはその後何度も繰り返される、私狙いの弾圧の一つでした。それが、初めて行われた日だったのです。

 まあそれは皆さんが、お信じになろうと、なるまいと、私の方は、そう主張して次へ進みます。

 私は満員の、横須賀瀬に乗ったのです。もちろん、ひどい様子だろうと想像はしていて、戦闘車両の、運転席のすぐ後ろに立ったのですが、満員なのに、みんながよけて、遠くへ行っちゃうのですね。家に帰ってみたら、顔の右側(相手から見ると左側)は、既に、青くなっていて、お岩さん状態だったのです。怪我は、眼鏡のレンズが、刺さったもので、長さは、4cmぐらいです。怪我の理由は、ユマニテに忠誠を尽くすためだったのですよ。南から回ると、ユマニテが最後になるのです。後数分で、七時ですと、いう時間帯に、鍛冶橋交差点、手前、30メートルのところで、道路を横切ったら、中央分離帯があったのでエス。今はステンレスのフェンスが、たっていますが、そのころは、其れが、なくて、かつ不況で、あたりのビルが、真っくらだったので、私は、気が付かず。その上、重い本を両手にたくさん持っていたために、顔から、突っ込んだのでした。

 鎌倉まで、ずっと立っていたし、タクシーはなかったと思いますので、歩いて帰ったと言うわけで全部で、4時間ぐらい立っていたわけです。そうするとですね。怪我って皮膚を破って、外部に向かっても出血するのですが、皮膚の中でも、出血をするのです。しかも大出血というぐらいの量が出る模様で宇。

 それが、重力の作用で、下へ向かって、あごのところで、止まるので、ほほは、青黒くなっていくので宇。そして、そレは、簡単には消えません。ずっとずっと、2ヶ月ぐらい残る青あざになるんです。それでも、2005年の冬、1月頃の私は、元気元気でね。青アザを顔に浮かべたまま、銀座の画廊巡りをしていたものです。しかし、あれから13年過ぎて、私も体力が落ちたし、気分の方も、いわゆる日本人並みに、控えめになったり慎重になったりしていますので、青アザができたらね、『そうそうは、外出しないほうがいいだろうなぁ』って思ってるわけです。それでね青アザができないためには立っていてはできるから、立っていない方が良いと考えるわけです。で、8時ごろから、ベッドに横になりました。患部周辺と顔全体を、水平にしておいた方が血が、下のほうには、たまらない、筈で、したがって、青アザができないと考えたのです。

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副題2.『今までのところは、状況説明のために必要なので、誤変換直しをいたしました。しかし、本日は、これまでとして置き、いつもの様な時間を割けないと思います。まず、水平にならないと。

 ところで、対、私への、復讐用、ニュースが頻発しています。

谷垣さんが、本日NHK ニュース内で、声を発する記者会見をしました。お元気そうで、なによりです。

れは、私のブログへ対する復讐策の一つです。ほかにもたくさんあります。しかし、だからこそ、私の野都庁事件に対する解釈は、正しかったと、思っております。本日は、このくらいで、終わらせてくださいませ。

 お岩さん状態に、二か月もなるのを避けるためです。

  ところでよる八時頃、主人が枕元に、鈴木基一の画集を持ってきてくれました。根津美術館で、一双の屏風を見たことがありますが、日本人には珍らしいほどの、華やかで、くっきりとした色彩感覚の人です。しみじみと、その美しさを味わいました。

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2019-3月の、三宅坂は、満員御礼です。お客は大満足の体ですが、歌舞伎は衰退するだろうと、思う人が多いのですよ。

2019-03-12 22:11:04 | 歌舞伎

 これは、未完成なので、下書きとして、保存をして置いたのです。しかし、海老蔵が、2019年七月公演を、のどの痛みで、休演をすると、聞いて、この文章を公開します。あくまでも未完成ですが。

副題1、『本日、私が何をしていたか?』

 私は、本日もまた、すごい話を書くはずです。前々報(あと注1)は、ものすごい話なのですが、たった、一日で、次の文章(あと注2)を、書いて、隠れてしまって居ます。しかし、後注2も、後注1を、さらに、説明していく文章なのです。本日も、実のところ、其れをやりたいのでした。ところが、たった、今、石段を上がっている最中に、ものすごいインスピレーションを得たので、其れを、書きましょう。・・・・・と、いいながら、本日は疲れ切って居て、その前説だけで、終わりそうですが・・・・・

 ところで、本日の、私は、三宅坂の、国立劇場(小劇場)で、歌舞伎を見て今明日。ものすごくよかったです。唯ね。老人が圧倒的に多くて、私ではなくて、ほかの人が、団塊の世代が、染んだらまた、歌舞伎も終わる。人気がなくなる。若い人が、来ない演劇だからと、言って居ました。ともかく、切符が高いしと、言って居ました。

 あのね。松竹は、鎌倉エージェントに支配をされていて、中村梅枝を、弾圧しています。私が、非常に高く評価をしているからです。この四年間、べったりと、歌舞伎を見てきました。京都や、大阪までは、追いかけないけれど、巡業なども見てきました。それでね。次世代女方トップだと、思うし、現世代女形トップの玉三郎よりも、情感があると、思うくらいです。

 素人は、玉三郎がトップだと、思って居ます。玉三郎は偉いですよ。歌舞伎界全体のことを考えています。だけど、ご本人が演じる事に対して、既に、手抜き風になっています。それ、玄人は、わかるのです。私は、玄人ではないけれど、集中力がすごいから、たった、四年で、誰と話しても、「すごいですね」と、言われるほどに歌舞伎界のことが、全部わかっています。

 繰り返します。玉三郎は偉いのですよ。

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副題2、『今の玉三郎は、会社で言えば、会長クラスの態度と行動をとっている。識見は、高い。しかし、現場作業は、もういいですと、思って居る可能性がある・・・・・でも、私はそれを責めるつもりはない』

 私はクラシック音楽が好きです。そして、相当数のジャンルのものを聞いてきました。30代は、N響アワーで、シンフォニーを聞くのも好きでした。しかし、40代から、はまったのは、歌です。あらゆるジャンルの歌を楽譜で、勉強すると、いう事にはまったのですが、と、同時に、CDで、オペラを中心に聞くと、いう時代があったのです。その次に、美術の仕事が忙しくなると、バックグラウンド、ミュージック風に聞くものに移っていって。それに、ふさわしいのは、ピアノ曲で、特に、シューベルトが、良いのでした。ショパンは、だめなのですね。音楽に聴く方が吸い寄せられすぎる。つまり、情感が豊かすぎる。

 シューベルトのピアノ曲を聴いていると、きちんと仕事もできるが、全身浴にもなっている音楽です。同じシューベルトでもお歌は、だめなのですよ。たとえば、シューベルトのアヴェ・マリアなどは、私はだめです。有名なアヴェ・マリアって、五曲ぐらいあります。美しさでは断トツに、シューベルトですが、子供のころならいざ知らず、大人になると、グノーのアヴェ・マリアなどの方が、好きになります。シューベルトは、華やかすぎて、飽きる。グノーなどは、シンプルで深い。

 で、シューベルトの人生を、丁寧に、考えてみると、彼は、36歳で死んでいます。モーツァルトのように、ステージパパとかステージママは、いなかった模様なので、シューベルトに関しては、神童としてのエピソードは伝わっていません。で、世に作品を問い始めたのが、18歳程度だと仮定すると、活躍期は、18年間です。

 それ以来、私は、天才の活動期は、18年間だと、信じ始めました。有名人、例えば、横尾忠則さんなど、長期にわたって、活躍していますね。しかし、途中で、作風を変えているでしょう。それが、何ねんで、変わったのかは調べてはいませんが、きっと、18年前後ですよ。

 そんな時間がないので、調べていませんが、ありとあらゆる人にそれは、あてはまると、思って居ます。

 玉三郎が、歌舞伎の女形として、本当に精魂込めて活躍したのは、歌右衛門が衰えたあたりから、18年間ではなかったのかなあ? その後は、踊りに、向かって、カーネギーホールで、鷺娘を披露したりする方向に、転移していますよね。

 だから、私は、玉三郎が手抜き気味なのは、責めません。玉三郎は、女方ながら、今の歌舞伎界を心配している人物です。つまり、会社で言うと、

 松下幸之助みたいなものです。晩年のですよ。または、安藤百副みたいなものです。無論、晩年のですよ。または、稲盛和夫みたいなものです。無論、晩年のですよ。つまり、巨視的に、指導、支配すると、いう立場になっているのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、

 

 

 

 

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那須雪崩事故の急な処分は、信州大学生の高1女子殺害事件が、残酷無比な謀略である事を私が知っているからだ。

2019-03-10 21:24:27 | 政治

 この章は、総タイトルをいろいろ、変えていく可能性があります。それは、最初にお断りをしておきましょう。前報は私にとっては、非常に書きにくい文章でした。その続きをそこで、行いたいのですが、ちょっと、敷衍して、横道にあれこれ、それて行きたいと、思います。前報(あと注1)は、骨格だけを書いていると、お考え下さいませ。10日の夜九時から、10時までは、【ここで皆様には、秋田で、自分の子と近所の子を、橋から突き落としたシングルマザーの事を思い出していただきたい】としておりました。10時からは、二番目のもの 【和歌山の毒入りカレー事件の、真須美被告と、この鎌倉雪ノ下の山の小ボス(女性)は、いろいろ、似ているところがある】へと、取り換えました。

副題1、『ここで、皆様には、和歌山の、毒入りカレー事件のことを思い出していただきたい。・・・・・そして、此処でも安野夫人が、問題に、なるのだが?』

 私が、これから、言いたいことは、異様な事件が起きた時には、メディアは、犯人と目される人物の周辺に群がって、取材合戦になると、いう事です。

 和歌山の毒入りカレー事件の時もそうでした。あれは、中流の、人々が住む一戸建て住宅団地の町内会の、夏祭りを舞台として起きたために、大変な、注目を浴びたのです。あれは、政治的な要素はない事件なので、メディアが注目をしたというだけで、先に進みます。と、一旦は書いたのですが、あれっと、思い出すことがありました。

 小太りの美女、真須美・被告というのは、其の団地の住民の数が、100人を超えていたので、人々に批判をされる方向へ向かってしまった女性でした。それを挽回したいと、思って居たのか、自宅の駐車場を提供して、お祭り用の、カレーを、調理する場所にしていました。という事は、一種のボス気質の持ち主だったと、いう事です。

 ところで、小太りで、自分を美形だと、思って居る人物というと、今の私のブログの、主役中の主役である、安野智紗夫人とも、共通する、ポイントがあるのです。しかし、私は、今までは、安野夫人は、藤田憲子(マスコミ向けには、紀子と改名しているらしいが)と、似ていると、何回も書いていたのです。したがって、貴の岩騒動が、起こされたのですよ。しかし、よく考えてみると、安野夫人は、真須美被告に似たところも、あるのでした。どういうところが、似ているというかというと、

 町内会という、自分の、権力を示すことができる場所で、威張りたいという点です。

 それから、真須美被告が、カレーにヒ素を入れた件ですが、安野夫人も、他人への暴力行為の実行という形では、似ています。ヒ素ではなくて、水でしたが、ひどいもので、安野家の家来として、使役をされたA野家が、結局は引っ越して行くことへつながりました。その前に、A野夫人が脳梗塞を患ったのですが、其れも、安野夫人が初因のひとです。

 A野家の、未婚のお嬢さんのスマホを用いて、其れをスパイ役として、私の頭上に、10メートルの高さから、水をぶっかけようとしたと、言う事件です。私は、江戸時代というか、源頼朝が、鎌倉を支配していた時代からの、武蔵野国の、御家人で、毛利様と一緒に萩へ、行って、毛利藩の重臣になった人間の子孫ですから、殺気を感じるので、むろんのこと、直前で、止まって、水は、かかっておりません。

 しかし、A野夫人が典型的な馬鹿化した人間で、水がかかってもいない、私の、後ろから、びくびくしながら、歩いてきている娘に向かって、50メートルも向こうから、「成功したー」と、どなったのです。A野夫人は武蔵野美大卒で、又、常々、田園調布育ちだと、豪語している女性です。で、たぶん、お見合いで、某国立大学卒の、サラリーマンと、結婚をしています。しかし、この山に住んでいる時期に限りでしょうが、馬鹿化の典型を示した女性でした。

 彼女のことをA野家と書いていて、実名をさらさないのは、彼女は、その後、天罰(?)を受けて、脳梗塞を患ったと、聞いています。それで、一家中で、『此処に住んでいては駄目だ』と、考えて引っ越して行った人です。だから、その行為を、愛でてあげて、斟酌し、実名を挙げません。当時の、私が本当に驚いたのは、お嬢さんが自宅へ帰ったのちに、不成功だったとは、言えなかったことなのです。お母さんが、遠くから、成功したーと、言った時に声も出なかったのは、私がそばにいたからですね。しかし、自宅へ帰ったら、親なら、私より、そちらを信頼できるわけでしょうから、「失敗だった」と、正直に言えると、思うのですが、言えなかったのです。なぜ、言えなかったかというと、私は、これから先、どうなるかを観察するために、自宅の玄関ドアを開けずに、山をじっと、観察をしていたのでした。

 すると前田夫人が、キャッキャ、キャッキャと、猿みたいに、はしゃいでいるのです。前田夫人へは、A野夫人が、成功したと、報告をしていたと見えます。それで、大喜びをしていると、見えました。前田清子さんは、馬鹿化に加えて、猿化も激しいのでした。だって、こんな子供じみた、策謀を大喜びをするのですからね。しかも、失敗をしているのに、成功したと、思いこんで、はしゃぎ切って居るからです。

 ここが、藤本禎子夫人(石井秀樹邸の前の持ち主、鎌倉駅近傍の、鳩ノ巣屋敷と呼ばれていた、元、小児科医院の、お嬢さんである)と前田清子さんが、合わないポイントでした。それで、私が、引っ越してくる前に、二人が、大喧嘩をしていると、いう事があって、それが、我が家の花畑が、盗まれてしまった根本原因なのです。そして、その二人の大げんかが、中谷共二氏が、我が家の山を無断で崩すという、アジサイ畑欺罔事件の根本原因になったわけなので、前田夫人の猿化は、大いに困ることの一つなのですよ。

  上の写真は、山を実際に崩した土建業者が、私が許可をしていないのだと、聞いてびっくりして、其の土砂の、十分の一ぐらいをここに盛り上げて、上をコンクリートで、覆った場所です。しかし、ほかの、90%の土砂や、行方不明であり、山は、修復は一切されていません。それが、中谷共二氏のやったことです。前田夫人が、かけている迷惑というのは、私だけではなくて、近々では、富沢家、平木家、花輪夫人、渡辺賢司夫妻なども、困羅されているなあと、私には見えます。

 そして、鶴岡八幡宮様も大迷惑をこうむっているでしょう。鶴岡八幡宮の、大イチョウが倒壊したのも、前田清子さんの悪辣というかなんというかとんでもない行為の積み重ねが、30%の原因だったと、見ていますので。どういうことかというと、白井宮司の時代ですが、前田清子さんを、國學院大學の講師へと、推薦なさっておられるからです。

 典型的な馬鹿化とは、安野智紗夫人の陣営に入ると、誰もが、典型的に馬鹿化するから、そう言うわけです。花輪夫人が異様な二人三脚をしたのも、10メートルほど、より、花輪家に近い向こう側では、道幅は、一メートルしか無くて、小太りの、70代女が二人、横並びになって、しかも、両側に、サイズの合わない、松葉杖を、斜めに突き出して歩いているので、幅が、二メートルにもなりますので、その時、私に見せている様な、歩き方は、絶対にできないのですよ。

 それでも、・・・・・安野夫人は、親切で、しかもご近所の人間、特に花輪夫人から、信頼をされているのだ・・・・・と、いう演技をするために、そう言う子芝居が、実践を、されているのでした。それを演じている、安野夫人は、昔から数々のバカ行動をしていますので、驚きませんが、花輪夫人のバカ化には、ひどく驚いたものです。足が本当に悪いのなら、松葉杖の、方の、サイズ調節をするものです。松葉づえとは、買う段階で、三段階ぐらいあって、かつ、買った後で、微小なサイズ調整ができるのです。だから、横に蟹さんみたいに出っ張っているのは、足が本当は悪くないという証拠です。まあ、本当に悪いのかもしれませんが、松葉づえで、歩くほどではない、程度でしょう。特にあの姿勢は、無理無理で、帰って歩きにくい姿勢です。横に計測をすれば、総計2メートルを超す巨漢同士がキャッキャッ、キャッキャッと歩いてくるのですが、その大きな騒ぎ声が、先に石段を下りる私の後ろについてこないのですよ。私も足を悪くしていますので、今は、そんなに早くは歩けません。それなのに、後ろから、ついてこないのです。それが、おかしい。そう言う単純な事で、瞬時に、私に、全体が、嘘だと判断をされれて染ますのですが、そういう事が、花輪夫人には、わからないのでしょうかねえ。足が悪いのは確かだとしても、安野夫人と二人三脚をしたって、何の助けにもなりませんよ。馬鹿みたいです。本当に馬鹿化が、激しいです(後注2)安野智紗夫人の、他人へ伝染をさせる馬鹿化ウィルスは、強烈至極です。

 しかも、石井秀樹・あずさ夫妻が、ひっかけてきた、コクリコのクレープ騒動(600円)を、6,7人のお客として、この雪ノ下へ、その日だけ、やってきた子供たちに買わせるか買わせないが、大問題だった、あのひっかけの日もですね。子供たちが後ろをついてこないので、それが、ひっかけだと、瞬時に、わかったのですが、この花輪夫人と安野夫人の、だまし用小細工も、後ろから、声がついてこないことによって、瞬時に正しい判断ができたのと、全く同じ、手法で、解けた謎です。ミステリーは、こうして解けていくのです。 

 娘をスパイ役に提供した、A野夫人へ戻ります。武蔵野美大卒で、ご主人は、どこやらの、国立大学卒だと、思われ、お見合い結婚だと、思われ、自分から、田園調布育ちだと、喧伝をしているのに、何科が欠落をしています。なにかとは、どうも、お嬢さんに、愛情を注いで来なかった可能性があるのです。お兄ちゃんの方は、愛して、丁寧に育てたが、娘の方には、愛情がない。それが、どうしてわかったかというと、

 画家Aが「あの子は、学校でいじめられているんですよ」と、私に教えてくれたからです。画家Aというのは、昔から、私にはわかっていましたが、家庭内で、ご近所の噂話ばかりしている一家なのです。それも彼が、会社とか学校に勤務したことが一回もないからなのです。話題が、ご近所に狭められているのでした。パソコンも使えないと、思うし。だから、鵜の目、たかの目で、ご近所情報を集めていて、其れを、自分が優越して居ることの証明として、私に教えてくれるのでした。(苦笑)

 ともかく、A野夫人は偏愛の人で、上の子は、かわいがって育てたので、結婚もしていて、子供もすでにいるのですが、下の子は、ネグレクトに近い、育て方をしたので、親に逆らう事もできず、お顔もきれいではないし、学校でも、いじめられているのでした。ともかく、他人をいじめるためのスパイ役に子供を提供するなんて、子供を愛して居たらできないことです。

 ここで、自分のことを言っては、ご迷惑でしょうが、うちの子は親に感謝していない風で、はっきりと逆らいます。私は、すべてを許容していますが、其れだけ、おやに対して、安心をしていると、いう事です。そして、全く感謝されていませんが(苦笑)、二人とも、背が高くて、体重は、細からず、太からずで、いろいろな人から、「あなたのお嬢さんは、美形で、御成中学の卒業生の間では、有名なのよ」といわれたりしています。男の子の方も、よく、美形だといわれています。遺伝的には、良心は、別に美形ではないので、ひそかに、私は、自分がどれほどに手塩にかけたかを、感じ取って、うれしく思って居る次第です。まあ、不完全な親ですが、一週間に、60品目の食品を食べるべきだとか、いう事は守ってきたつもりですよ。しかし、若いときは出来立てを食べさせるという点で、不注意だったので、いつも「まずい」と言われていました。今は出来立ての、熱いものを主人に食べさせると、いう点で、気を使って居ます。それから、家にいるときは、できるだけ、リラックスして、かつ、食事に、気を使って、かつ、集中力をもって、食卓を作り上げると、心に決めております。今なら、子供たちがそばにいても、「おいしい」と、言ってもらえるはずですが、昔は、気合が足りませんでした。ほかの事へ、目や、心が、行って居たからです。

 だから、A野夫人が、だめなポイントもよくわかるのですよ。学校で、子供がいじめられる様な、子供にしては、親としては、失格です。いじめられる子供って、親にもいじめられているのを、私は、知っています。かわいそうに、親に愛されていないので、すべてのポイントで、自信を、もてないからです。そこを、ほかの、親にいじめられている子から、突っ込まれるのですよ。

 かわいそうなA野家のお嬢さんは、「安野家の、水ぶっかけ工作は、対・私へは、失敗した」とも、両親にも、言えないのです。でね、「成功した」と、思いこんだ、前田夫人が、大はしゃぎをしていて、猿化していた夜に戻ります。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『前田祝一氏が、おくさんの、清子さんを、叱っている声が40メートルも向こうからはっきりと、聞こえ、清子夫人が「だってねえ・・・・・うんぬん、カンヌん」とか言って、逆らって居る声も聞こえた。それを聞きながら、・・・・・ああ、清子夫人が夫に叱られているのを聞くのは、これで、二度目だなあ。そうすると、祝一氏は、清子夫人より文明度が高いといえる。・・・・・と、その日は感じたものです。

 しかしですね。その文明度の高さは、ただ、単に社会性が高いという事でしか無くて、彼は、清子夫人よりさらに陰険に立ち回るのでした。彼に関しては、「これも悪です。あれも悪です」と語らないといけないことが、数多くあるのだけれど、それは、雪ノ下黒物語の続きとして書くと、致しましょう。

 ここでは、テレビ東京の特番、ドリームハウス内で、行った彼の悪を語ることだけにしておきます。

 それは、アジサイ畑欺罔事件で、盗み取られた我が家の花畑の上に立って、此処は、空気がよいので、住みやすいですと、自慢をしている映像でした。ところで、どうしてか、今は、其れが、探せません。ので、下に、30秒後の、出現した小野寺夫人の画像を置きます。

 前田祝一・清子夫妻と小野寺夫人は、大変仲良しです。小野寺夫人は、前田祝一氏の講義を受けたこともないわけですが、前田祝一氏を、前田先生と呼びます。前田さんは、駒澤大学の教授であって、小野寺夫人は東大卒だから、二人には師弟関係はないのです。

 ところで、話は少し横にずれますが、東大卒の、小野寺夫人も、此処で、馬鹿化が激しいことが証明をされます。前田祝一氏を、前田先生と、私の前で、呼ぶのは、ある狙いがあります。私を馬鹿にして、「お前の身分を思い知れ」と言って居るわけです。それは、以前に、井上ひさし発の言葉として受け取っているのと同じものでした。2007年の夏だったと思うのですが、AOLの、メールとして、まぐまぐと、いうサイトからの連絡として、「膝下に下れよ」というのが入って居たのです。

 それを10年後に、私はリアルな音声として、西隣の専業主婦様から、聞かされることとなるのです。でもね、皆さん、この鎌倉雪ノ下の土地を、ちゃんとそれ相応の、お値段を出して買ってきた、主婦同士ですよ。どうして彼女にそれほどに、威張られないといけないのでしょうか? しかも、私の方が、1984年から住んでいて、彼女の方は、2005年からですか? 圧倒的に先輩なのは、私の方ですよ。 

 しかも、どう考えても、10億円の被害は、前田祝一氏と関係があります。それは、実際には、闇の勢力が行っているわけですが、目的は、前田夫妻と、安野夫妻が、1984~1990年にかけて行ったことと関係があります。

 しかし、前田夫妻や、安野夫妻、そして小野寺夫人たちは、悪の地平に立っているのです。それで、どうして、威張ることができるでしょうか? 私は、ことあるごとに威張ってくる、小野寺夫人にへきえきをしながらも、黙って耐えているのですよ。だけど、どこかで、堤防は決壊すると、固く信じています。石井秀樹・あずさ夫妻について、あれこれかいていいと、いう風に堤防が決壊したと、言って居ますね。そういう風にそちらに対して言うのなら、その100倍ぐらい、小野寺夫人は、ひどい事を、すでにやってきているのでした。

 しかしですね。読者様が、個の一章だけをお読みになったかだけでは、どうして、そう言えるのですか?と、疑問を呈されることも想像できます。 しかし、本日は、小野寺夫人は、スピンオフとして、此処へ入ってきた人であり、本当は、前田祝一という人物を、説明したかっただけだと、思いなおし、今、長時間をかけて、前田祝一氏の顔写真を探し出しました。小池都知事が、排除の論理を振りかざしていたころ、マスコミに多大に、露出していた若狭勝氏と、この前田祝一という人物がそっくりであるという一文(あと注3)を書いたのは、覚えていたからです。

 さて、小さい事ですが、こちらの写真のサイズが、どうしても大きくなりません。それだけ、この人が悪事の中心人物だと、いう事で、CIAがわにかばわれていると、見えます。  

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『テレビ東京の番組、ドリームハウス、【難工事489日に密着】という特番で、アジサイ畑欺罔事件で、30年以上我が家だけ、使えない土地を、洗浄化した。「一億二千万人が、この映像を見ているのだから、この場所が、川崎千恵子の家の土地であって、無断で、使用したなどと、文句をつけてくるのだったら、こっちがお前を粉砕してやるぞ」と、私は言われているのと、同義なのだ。テレビ番組の威力の前に、私が何を書いたって、負けるだろうか? うん負けるだろう。蟷螂の斧という言葉をよく私は使う。

 しかし、しかしなのだ。ここで、二つの出来事が私を救ってくれている。

 それをここで語りたい。一つ目は、小さい方で、今は、消えているが重要な事。

 私はこの番組が、放映をされて、上の二人が現れる前までは、仕方がないと、思って居た。その人は、土地を買って、転入してきたので、それは、経済的行為だから、留める権利は、こちらにはない・・・・・と思って居た。

 しかし、上の二人が表れてきて、自分達(特に前田家と、安野家の)過去の数々の悪事を、全部)洗浄化しようとたくらんでいることがわかってきたときに、以下の後注4として置いている、文章を書いた。それは、今書いているものと比べると、ずっと、単純で温和である。しかし、どうも、彼等の、弱点をもろについたらしい。つまり、その石井秀樹邸には、表とは別の側面があるという事を彼ら自身が、自白をしてきたのだった。それは、どういうことかというと、山ノ下にガードマンを立たせて、住民以外は、入れない様にしたことだった。

 どれほどに、自分達が行って居る悪事がばれることを恐れているかという事が、わかってくる。

 ところで、せっかくの特番の、終了直後の、一週間、身に来ることが阻害されたと、思って居て、其れを糊塗し修正するために、この家は、引き続いて何度も、取材を受けることとなる。日本テレビが、あばれる君を使って、お昼のニュースショーで、この家を取り上げたのもその、一環であった。

 となると、テレビの支配権を持っていない私は、ますます負けたという事になるのだろうか?

 ところで、此処で、すごいことを語ろう。私は、もともと、彼等みたいなレベルで、勝敗を気にしてはいないという事。常に神様を信じていて、これは、神様への報告書として書いているという事。

 したがって、あばれる君が、訪問をして、4チャンネルのある日のお昼に、この家が、紹介されることも負けたとは、感じず、彼等の、手法とか、心理のうごきとして、ブログに記録をする、そう言う流れと、行動をとっていると、いう事をお知らせをさせていただきたい。

 だから、これ程、長い文章を、保母、毎日書く事ができる、疲れたり、まいったりすることはほどんどない。しかし、ほかの仕事をしたいと思うときは、新しい文章を書かないけれど・・・・・

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『那須雪崩事故の、引率教員たちは、二年前にすでに処分を受けている。しかし、二年ものちに、再び処分を受けるなどという事は、非常におかしいのだ。裁判だと、準備に時間がかかりましたと、いうケースもある。しかし、書類送検をしますと、いうだけで、二年もかかったというのは、おかしい。

 しかも、前提条件があって、先週に、来週処分がでますと、NHKニュースは言った。そして、私のブログの推移を見て、更新をしないと見ると、弱気なのだろうと、思ったらしくて、その時間帯は、処分は発表されなかった。しかし、私が、引き続き、石井秀樹・梓夫妻が、遠くに住んでいる他人のお子さんを使って、周南事件の際に、平木家のお子さんを使って、あれこれを行ったこの山野、前田・安野夫妻の悪事を洗浄化したことを、既に、文章化しているので、其れを薄めてきたと、書いたら、それが、図星だったので、さらに、脅かしてやれと、なって、那須の引率教員を書類送検をした。

 しかし、いつも言って居る様に、物事はフィフティ、フィフティなのです。彼等の意図は、私を脅かすことでしたが、私は、此処で、信州大学の学生が、紘一女子、(チューバ担当のブラスバンド部員)を、殺害した、事件が、ますます、見事に、謀略であることを、書き表すことができた。

 これは、数々、行われてきた、彼等の策謀のうち、最も陰惨無比なの野である。それは、この鎌倉雪ノ下の、主婦連中が過去に行った悪事を糊塗し、隠蔽する策が、私を、脅かし殺すことにしかないことを明瞭に表しており、其れを、書き表すことができたので、つらいは、つらいが、わたくしにとっては、其れを、丁寧に、書き表すことは、又、又、大いなる進歩なのだ。階段を、数段も、上がったという事となる。

 そして、申し訳ないけれど、個人住宅の注文を引き受けている石井秀樹氏が、こういう連中とつるんでいることが、クレープ騒動で、はっきりと分かったので、「注文主に、神様の、祝福を届けられるかどうかが、大いに怪しいと、なって北のだった。そして、花輪夫人、又、平木さん一家、そして、富沢さん夫妻、みたいな、常識人で、教養の高いひとも、そちらに、今、加担をしているのが、私には、はっきりとわかっているので、危ないことだと、思って居る。

 安野夫妻の事なんか心配しない。悪人は、悪を食って長生きをする。前田清子さんも同じだ。画家Aも、同じで、長生きをする可能性がある。柳沢昇もそうだ。そして、白井達雄・小野寺夫妻も、同じで長生きをするだろう。石井秀樹・あずさ夫妻は、動だろうねえ。彼等夫妻は、大丈夫でも、彼等に、個人住宅の設計を依頼する側は、普通の人で、善人でしょう。何らかの悪影響が現れないだろうか。私の目から見ると、天網恢恢疎にして漏らさずなのだけれど。

 そして、再び、この山に戻ろう。普通の人であり、善を志向する、平木さん、富沢さん、花輪さんは心配である。何事か悪いことが起こらないと、いいけれど、と、思って居る。 

~~~~~~~~~~~~~~~

副題7、『毒入りカレー事件の真須美被告の、事件は、政治が裏にない。したがって、真須美被告に、取材陣は群がって、彼女本人、周辺の人々の取材をしまくった。それで、彼女の人となりがだいぶわかってきたのだけれど、その新しい住宅団地で、転入時は、どちらかというと、金持ちの方だったと、思われる。それを自認した彼女は、町内会長などを、買って出て、ボス化していったと、考えられる。しかし、どこか、嫌われる要素を持っていたとも、推察される。

 または、ライバルが居たと、考えられる。そうするうちに、自分の支配権、又は、支配圏が、衰えてきたことを感じた模様だ。どうして、毒入りカレーを、調理したかは、私は、覚えてはいない。どうせ、真実を語る筈もないので、私が理由を、想像するが、町内会全般に対する、憎悪があったと、思われる。どういう憎悪かというと、嫌われ始めていることへの不安の裏返し足る、憎悪だ。というのもカレーに毒を入れると、個別の対象に、効くわけではなくて、無差別に、対象を、苦しめることになるので、全般的な憎悪だと、思われる。

 なぜ嫌われ始めたかだが、嫌われ始めたと、自認した後の、行動が、非常にこどもっぽい。したがって、ほかの面でも、周囲の人が呆れ果てて、彼女の優位性を、既に、認めなくなったと、思われる。ところで、これは、自然淘汰という形だ。新興住宅地は、あっちこっちにできて、そこで、階級を作り、自分が優位に立とうとする動きは、全国で活発だったが、家が、200戸から、三百戸あると、自然淘汰が、起きる。真須美被告は、その流れに逆らおうとしたのだけれど、一般的には、自然淘汰に、逆らうためには、引っ越しをしないといけない。新しい地域で、引き続き、ボスとして、動くか、それとも、学習の結果、目立たない位置で、暮らすことを受け入れるかの、どちらかとなる。

 北久里浜では、根岸町という町内会に所属していたが、それは、険しい山の尾根部分だけの町内会なので、住民の数が、少なくて、目立つボス化は、それほどには、なかったと、思う。というのも、私が住んでいた当時は、そこには、六軒しか家がなかったのだから。(笑い)

 しかし、道路一本隔てた隣に、京急池田分譲地という、400戸程度の、分譲地があった。その中で、ひときわ金遣いが荒い、一家があった。それは、地方から出てきた大工さん、一族で、当時は、横浜や横須賀では、一戸建ての家を建てる人が多くて、収入が、莫大に多かった模様で、その点で、優位に、たつ、ひとびとだった。その家の奥さんとしては、自分達は借家に住んでいるし、田舎者扱いをされるしで、其れを、突破しようとして、ことさらに突っ張っている向きがあったが、誰も、その優位性は、認めていなかった。後、京急勤務の人が大勢住んでいて、その人たちは、夫の階級に応じて、妻の階級もあるらしかったが、えらい人の妻が、ことさらに、人前で、威張るという傾向もなかったと、思われる。ともかく、えらい人の妻が、支配権を確立するために、毎日午後道路に出て、井戸端会議を開くなどという事はなかった。未就園児を遊ばせているヤングママグループがあったとしても、やがて、家に入り込んだり、子供たちだけで、遊ばせたりして、親が、毎日外へ出て、井戸端会議をするなんて言う事はなかった。特に子供が中学生とか、高校生になっている立場の親が、毎日井戸端会議を開いている風景など、まるでなかった。しかし、お互いに、家を訪問をしてお茶のみをすることはあったが、それが、他者へ向けて威圧をするためのものという気配もなかった。

 しかし、今、この雪ノ下に住んでいる人は、安野夫人の井戸端会議が、既に、終わっていて、山が静かになっているので、私が言って居ることが何を指すのかが、わからない人もいると思う。しかし、私は、其れだけ、人々の、移動が激しかったという事と、我が家だけ、花畑が、コンクリート打ちをされていることに、安野夫人の異様な井戸端会議の、結果が表れているので、其れを、分析するのを止めない。特に敵さん方が、NHKが報道するニュースを通じて、攻撃をしてくるので、其れを分析することはやめない。

 ただ、其の花畑の我が家だけコンクリート打ちをされている怪異さに、疑問を持たない人がいたのなら、何をどう説明を受けているので、平気の平左なのかは、聞いてみたいところだ。しかし、先に私の悪口を植え付けていると、推察している安野夫人の、ありようを見ていると、彼女の、動物的な強さがわかるので、それを恐れて、私側に立つ人間は、いないと、思うので、私は、そう言う問題は、すべて、放り投げて、創作の道へ、一路邁進をしている。しかし、損害を与えられれば、文章に記録をして置く。そう言う日常生活をコンスタントに送っていて、体力が、低いわりに、こういう世界でも、熱心に動くことができていて、ある意味での充実感を味わって居る。

 

後注1

那須雪崩事故、引率教員が書類送検ですって。それは、私狙いの、復讐事項です。能登町事件と信州大学が大いなる、関係者ですが

2019-03-09 22:26:02 | 政治

後注3、

17-10-2は歌舞伎へ行き、帰宅後newsに出て来る若狭勝氏の顔を見て、おや mr.Maedaとそっくりだなあと思った      2017-10-02 23:00:58 | 政治

後注4、

超・上質で高価な新築・隣家のTV放映から、熱海市長・斎藤栄氏の悪を思い出す私だった    2016-07-19 13:25:02 | 政治

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那須雪崩事故、引率教員が書類送検ですって。それは、私狙いの、復讐事項です。能登町事件と信州大学が大いなる、関係者ですが

2019-03-09 22:26:02 | 政治

 この一文には、当時の文部科学大臣と、谷垣禎一氏が出てきます。非常に重要な政治的案件を語ることになります。スケールが馬鹿に大きくなります。書く方の私にとってはつらい事ですが、ともかく、取り組みましょう。

副題1、『那須、雪崩事故の、引率教員が、二度目の処罰を、二年後に受けるという事は、これは、私狙いの、復讐用ニュースの一つです』

 先週、那須雪崩事故が、再燃したことを知りました。

 そして、今週書類送検をされる予定だと、知らされました。そして、引率の先生方が、今週の金曜日、書類送検をされた模様です。

 その事故は、ボス、猪瀬修一という人物に全責任があります。前夜、女と遊んだのか、お酒を飲んだのかは、知りませんが、登山の開始に間に合わなくて、宿で、寝ていたのです。しかし、ボス気質だし、例年は、指導者なので、現場から、若い先生が「どうしましょう」と、問い合わせたのです。

  すると、猪瀬修一は、現場を見て居ないので「いけっ」と、言ったのです。その間について、書いているのが、下の文章です。それに対する反対の、動きを警察がやったのが、このニュースです。

 これによって、日本の警察が、表も、裏も、鎌倉エージェント(CIA」に支配をされて居ることがわかります。

雪崩事故は、3日目に、記者会見が開かれた・・・・それは、信州大学が拙速にも3日目に記者会見をしたからで、それを、私が下稿として昨日から問題としているからだ    2017-03-28 22:16:03 | 政治

那須雪崩事故の、責任者・猪瀬修一の狡猾さを、国民全部が、知る事となった記者会見は、何故、あの時点で、開かれたのか?△2017-04-11 20:43:13 | 政治

 この事故は、二年前ですが、その頃、能登町の空き家で、信州大学の学生が、高校一年の女子生徒を、祖父が、暮らしていた空き家に連れ込んで、殺害をして、しかも、直後に、自殺したと、言う事件が起きました。 

 これは、本当に嫌な事件でした。というのも死人に口なしで、このふたりも、二人とも殺されたのです。この事件の裏には、脚本を書いた人間がいて、信州大学の学生こそ、120%に気の毒な犠牲者でした。

  それがあまりにも嫌な事件なので、私は恐る恐る書き始めています。

もしかして、能登町殺人事件も謀略であり、学生は、死人に口なしを狙われて、轢き殺されたのかな? 2017-03-18 11:40:58 | 政治

 しかし、一本書いてみると、勇気を得ました。これは。本当にひどい事件でした。気の毒な信州大学の学生とその両親は、私以上の深い罠に陥れられて、弁明の機会さえないのです。で、私は、こういうひどい罠に引っ掛けられた山本美香さんと、比べて、彼女の方が、大ニュースになっただけ、幸せで、あったのではないかと、思ったほどです。

山本美香さんよりも、ずっと、気の毒な信大一年生の、冤罪・設定・・・・・・・現在、中国海警局の17日の尖閣への出動が、この事件と関係がある事を加筆中     2017-03-20 11:40:29 | 政治 

ここで、この信州大学生と、最近殺された東陽町の加藤邦子さんとの、共通点を見つけました。それを語りましょう。それは、初期には、実名が出てこないという事です。嘘のままで、突っ走るためには、全国的には、知らせるべきだが、彼女を、又は、彼を知っている人には、知らせたくないというのが、彼等、謀略者の共通ポイントです。信州大学の学生は複座うな形での被害者です。NHKニュースでは加害者となっていますが、彼は、殺していませんよ。殺したことにされて、えん罪の極致で殺されたのです。一方、最近、東陽町で、殺された加藤邦子さんは、被害者ですが、初日、24時間ぐらい、その名前が出てきませんでした。私は知り合いのお嬢さんのお母さんが、東陽町に住んでいると、二月12日と、22日に聞いていたので、ちょっと、震えあがりました。それが、狙いだったのです。信州大学の方は、数か月前の信州旅行を脅かしてやろうと、した事件でした。私は、演習林を、主人に向かってほめていましたからね。そこから、この事件のアイデアが生まれたと直感をしたからです。

信大生は、轢き殺された筈-3・・・・・NTTdocomo大船笠間口店で、異様な現象に出会い、急きょ、それを分析しないといけなくなった。    2017-03-21 20:44:20 | 政治

スパコンに侵入しては能登町事件(高1女子と、信大生の両方)や、安孫子事件(小3)等の殺人を案出する例の悪人達      2017-03-26 12:16:29 | 政治

 二人は、鎌倉雪ノ下とは、まったく、無関係ですが、だからこそ、選ばれて、殺されたのです。それはまずその事件を聞いた私が恐れおののいて、ノイローゼになるはずで、したがって精神病院へ、強制収容されるはずで、したがって、この鎌倉雪ノ下における、安野智紗・忠彦夫妻、前田祝一・清子夫妻、中谷共二氏が過去にやったことで、引き続き復讐行為を続けているその二人の遺児(東大卒と慶応卒)、画家Aや、白井達雄・小野寺夫妻が、救援されることになるだろうと、言う脚本に基づいて、事件が、組み立てられ、実行をされたのでした。

 私は無論、いやな感じでしたよ。だけど、血を振り絞って、当時も正しく書いていますが、本日も正しく、書いていきましょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『私は、この事件が起きる前の年に、信州大学の演習林に入っていて、主人に、「信州大学もいいものを持っているわね」と、語りかけている。鎌倉雪ノ下の我が家内の夫婦の会話は、100%盗聴をされていて、いつ外出するかが、勘案をされており、それによって、花輪夫人もタイミングよく、目の前に現れたのである。安野忠彦から、智紗夫人に携帯(または、スマホ)メールで、指示がいき、それ以降、急に二人は、二人三脚を組み(あと注3)、両側に、大げさにも松葉杖を、ひけらかして、歩き始めた。それよりも、40メートル奥では、そういう姿勢は絶対に、取ることができないほどに、幅が狭い道なのに、遠くに住んでいる人間が、発案するので、そう言う様な、・・・・・瑕疵がいっぱいで、すぐ嘘である事が判明してしまう・・・・謀略を作り上げる。

 私には、見え見えでそれがすでに分かっているのですが、伊藤玄二郎は、最近7,8年間は、前田夫妻、白井小野寺夫妻、安野夫妻、時には、柳沢昇を交えて、飲食を含む会合を開いています。ただ、どんどん、裏側がばれてきている現在では、前田祝一が死んだこともあり、又、白井達雄氏は、現役のサラリーマンとして忙しいという事もあり、又、土曜日に、限定して開くことも無理であるなどとが、あって、・・・・・・それほどに、事態が緊迫したと、彼らが思う時もあって、・・・・・小野寺夫人と、前田清子さんだけが招かれる日も多い事でしょう。

 で、花輪夫人を、誘い込んで、安野智紗夫人と肩を組ませて、安野夫人がいかにも親切で、人気があるかのごとき、謀略を案出したのは、前田清子、小野寺夫人、伊藤玄二郎(または、今では、そこに、いまだ生きている井上ひさしが、加わっているかもしれない・・・・・という事は、車で、かまくら春秋社を出発して、井上ひさし邸に入り、そこで、百合夫人手製のお料理を、食べながら会合を持つという事であって、次に、車で、この山の下まで、送ってもらうという形だが、

 まあ、井上ひさしは、用心して、伊藤玄二郎を媒介として動いていると考えると、前田清子、小野寺夫人、伊藤玄二郎の三人が、この不思議で異様な二人三脚のアイデアを出したと、推察されます。

 しかし、もっと、複雑な脚本が用意されている謀略事件も、あります。それらは、この三人で、組み立てるわけでもないと、私は、思っております。井上ひさしは、非常に派手な形で、自分の死を公表をいたしました。だが、嘘ですよ。主治医の記者会見もないし、400冊も著書があるという大物作家らしい(❔)のに、デスマスクさえ作られておりません。墓も好評をされていません。と、書くと今日以降、それらが出て来ると思いますが、嘘でしょう。デスマスクなど、実際の顔からとって、少し、やせた形に、直して、石膏で、つくりあげるのなど簡単ですから。ともかく、テレビで麻矢さんが発表した「歩いて病院へ通って居ました」などと、嘘ばっかりが、長重しています。

  で、この信州大学学生を使った、事件は、井上ひさしが案出したものでしょう。で、彼は骨格を作り上げます。彼は、私の文章を非公開のものまで、入力すると同時に、読むことができるでしょうし、会話の音声も、この種の、旅行先のものまで、手に入れることができるはずで、骨格を作り上げます。

 信州大学の、特に演習林と関係がある、人間を選び出す。そのうち、親族特に祖父母が、すでに亡くなっていて、そこが、空き家になっている学生を探し選び出します。スパコンを使えば、すぐそれは、判明する。昔なら、自治省。今は総務省?

 その次に、其の空き家に、もっとも、近い男女共学の高校を選び出す。その学校の部活動を調べ、野球の、試合の、応援の様子などから、動画で、美しい少女を選び出す。これは、学習発表会(いわゆる昔で言う学芸会)でもいいし、何でもいいのだが、今は、写真も動画も、インターネットを使わないと、露出できない形になっているのでスパコンで、美少女を探すのなど、軽々できることなのです。

 その上で、二人を別々に尾行をして、その日常生活を調べます。そうして、バス停で、バスを待っていた少女を数人で、拉致し、車の中で、薬で、気絶をさせておきます。そして、例の空き家へ運びます。そして、時には少女を性的に凌辱をしておく必要もあるかもしれません。信州大学の学生が、性的興味を抱いて、殺したという事にするために。

 さて、もう一人の信州大学の学生の方ですが、演習林には、博物館と宿泊施設があったと、思います。そこに寝泊まりして、研究をしていて、一人で、ある時間帯があったと、仮定をしましょう。これは、スマホのGPS機能を探索すれば、瞬時にわかることです。演習林付属の宿泊施設は、小さなマンション風のビルですが、その中で、スマホが、一個しか動いていないとすれば、ターゲットだけが、残っていると、みなすことができます。その時、学生が普段使っている車は、どうしたのでしょうか? きちんと持って帰ったのでしょうかね。わかりませんが、後刻穴水調で、車に飛び込んで、自殺をしたことになっています。その時、そこに、彼の車はあったのでしょうか?演習林には、残っていなかったのでしょうか? ところで、彼を拉致するためには、演習林ではなくてもいいのです。どこでもいいのですが、私は、演習林を見ています。そこに、小さな博物館と、そのマンション風のビルがあったのを知っているので、上の様に、想像をいたします。

 そこから、彼の祖父が持っていた空き家(結構大きな家だった)までは、車だと五時間程度で、行くことができるはずです。途中眠らされたままで、祖父が暮らし居ていたとされる空き家まで到着し、別チームが、女子高校生を殺したのを確認した後で、彼は、穴水町へ運ばれ、道路へ転がされて、その上をチームの車が、通って殺したのです。ひき逃げ死体を発見したとされる車も、チームの一員だったかもしれません。ともかく、現地の警察は、ひき逃げ車両を特定していません。

 東京圏だったら、ひき逃げ車両は、すぐ見つかります。だけど、石川県地方の警察は、見つけられなかったそうです。

 私が、どこまで、真実を知っているかを確認する為でしょう。書いている間中、妨害がありませんでした。最初期に、今夜も一回か、二回、システム異常がありましたが、その一時間後で、犯罪の詳細を、推察する、ここらあたりを書いている最中には、妨害がありませんでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『井上ひさしは、カソリックの孤児院で育っている。学校へ行かせてもらってはいるが、私の様に、小学校四年生で、既に、谷川岳(谷川温泉発で、天神平を通り抜けて行った)へ、親と一緒に登った様な体験は持っていない。したがって、あの美しい信州大学の演習林を歩いた、人間の気持ちなど、一切わかっていない。だから、平気で、こういう事案を案出できる。一方の私は、あの演習林を歩いた、若い青年が、高一の女の子を殺すわけはないと、確信をしている。

 それに信州大学に、入学するためには、東大程ではないが、多数科目を勉強しないと入学できない。という事は、彼は、相当に、忍耐強いと考えられる。そんなに、忍耐強い学生がどうして、短絡的に、犯罪を起こし、かつ、直後に、違う町まで、行って、自殺をしますか? これは、ひとえに、井上ひさしが、鎌倉市佐助の丘の家の、塀に囲まれた自然林の中の家の、机に向かってか、ソファに座って案出をしたことなのだ。彼の家には、警察庁の特殊部隊の、ある場所に直通する電話が引かれている可能性すら感じているが、伊藤玄二郎を通じて、提案をするのかもしれない。ここらあたりは判然としないが、ともかく、この事件が、信州大学の学生が行った悪事ではなくて、鎌倉エージェントが、信州大学の学生を犠牲者として、行った、私に対する脅かしの事件である。・・・・・それが、真相でしょう。そして、私は、事件後其れを書き始めています。其れについてのリンク先は後で、後注4として置いておきます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『今、なぜ、この那須の事故が蒸し返されたのか?』

 すでに、30人は、殺されていると、言って居ます(あと注2)が、この能登町事件を加えることを忘れていました。本日は、この二人を加えます。すると、32名となります。

 この那須の事故の事案は、能登町事件とその後に、行われた信州大学の記者会見について、書いた、私の文章を、否定するために、猪瀬修一に、記者会見をさせたのです。しかし、その後、これは、大失敗だったと、伊藤玄二郎達(鎌倉エージェント)の面々は、気が付きました。

 つまり、あるケースの悪の根本にたどり着いてしまったからです。私は最近、よく遡及という言葉を使います。演繹という言葉が、私の優秀さを証明する為に、東大勤務時代の、上司が与えてくださったこと葉です。

「今の東大生は、入試があまりにも難しくなったために、頭脳のスケールが小さくなってしまった。分析することは得意なのだけれど、演繹することができない。あなたは、其れが、できる。そこがすごいところ」と、言っていただいています

 現在の警察庁長官、栗生氏は、この野都庁事件とは関係がないとは思います。それが、起きた時の長官は、坂口正芳氏だった模様です

 しかし、今般、那須雪崩事故に対して、引率教員を書類送検をするという 事案 は、能登町事件の時の、信州大学の記者会見とが、大いに関係があります。 

 あのね、謀略がばれた際ですが、鎌倉エージェントは、こうすれば私の意見を差し止め、弾圧をすることができると考えているのです。やまゆり園事件の際に、すぐさま黒岩神奈川県知事が、記者会見をしました。行政のトップとは、権威を持っていて嘘をつくはずもないと、一般の人は思って居ます。そこを利用されてしまいます。悪い方へ行政のトップが、利用をされてしまいます。それらの案件の一例が、信州大学の記者会見だったのです。

 午前三時になったので、これ以降は後刻書きます。

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