銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

新浪氏同友会代表選出の裏にドロドロがあった?…日本工業大学のジャングルジムの火事とCIAajentの関係

2023-01-30 21:53:55 | 政治

 今は、三十一日の午前六時ですが、やっと真相がわかりました。新浪さんは、慶応大学の名誉を守る為に、担ぎ出されたのです。佐野研二郎のケースと、同じです。彼には、これはまだ早かろうと、文末で言って居ますが、これは、母校を守る為の任務だった模様です。最近書いて居る、水沢勉氏、葉山の美術館、館長とか、横山和生氏

ー私の中学の同級生にして、横浜三田会会長、そして、スクエアエニックスの、創始者であり、妻が、わたしの小学校同級生である市瀬さん。などを助ける為に 、就任するのでしょう。そつなると、わたしのブログ潰しが狙いなので、助ける為の助言を、私がする必要は、無いのです。ああ、そうですか と言う他はない。

 と言う前書きを頭に入れて、初稿のトップに戻ります。

本日の朝日新聞夕刊に、珍しい記事がありました。結構、長期間取材をしている記事で、しかも、結論が出ていない記事です。

 2023年1月30日 夕刊、第二面の下の方。Another Note という記事です。最下段なので、『えっ、ここに広告がない』と、驚きました。

 新聞の購読者が、大朝日といえども、デクラインの方向なのか? で、広告を出す企業が少ないのか?

 しかし、この記事にこだわるのは、久しぶりにジャーナリスト魂に触れたと、感じたからです。したがって面白い。しかし、例のごとく、種々様々な方向にずれて、前置きを入れていきます。で、結論までは、お待ちいただきたく存じます。

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 私は、その社会的位置、または、地位としては、専業主婦です。で、1999年から、細々と、メルマガを始めました。が、そこの読者は、相当高度な人たちでした。ただし、2004年から、工業生産品としての自著を作り始め、それ以降、激しい攻撃を受ける様になり、

 これは、何らかの補強策が必要だとなって、ブログをはじめました。このSNSの世界で、アフリエイトの仕組みが、有ることを、小林篤生さんが教えてくれました。その時に、彼のお話をちゃんと聞いて、アフリエイトを、申し込んでしまっておけば、よかったと、思います。

 小林篤生さんと、浄智寺さんとのあれこれ、そして、私が、実家の法事(父の33回忌)に出られなくなったと、言う、非常に大きな政治的課題が、ここに関係してきます。

 又吉直樹が、重要なメンバーだった、【オイコノミア】が終わってしまったのも、ここに関係があります。いろいろ、今書きかけ中のことが終わったら、浄智寺さんの、激しい裏切りとか、対・私への攻撃について、書かないといけません。2008年のことだったでしょう。

 小林篤生さん自身についても、かれは国際キリスト教大学の一期下であるし、妹の結婚によって、親戚にもなった人なので、5万字は、書くべきエピソードがある人なのです。が、彼を説明していると、新浪さんに触れられなくなるので、ここでは、却って、何も書かないで、先へ進みます。

 彼については、せっかく、アフィリエイトのことを教えてくれて、2008年当時は、まだ、敵さんも、今ほど、激しい攻撃を、私に対しては、していなかったのだから、乗ってしまえばよかったなあと、思っている、その点だけで、先へ進みます。

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 ごく最近、広瀬由紀子さんについて、書いていると思います。(あと注1)千葉大の、工業デザイン学科を出て、日産自動車に入ったのですが、大企業の創業者一族との結婚で、退職し、その後、彼女から、選んで、離婚となって、デザイナーとして独立して働いてきた人ですが、

 実家は安泰なお宅で、すごく良い場所に家もあるので、資産的には、リスクは何もないのですが、・・・・・そうです。破産をするとか、貧乏になるという心配もないのですが、・・・・・

 1980年代は、好景気だった日本も、1990年代に入ると、企業の経費縮小なども影響して工業デザインに限らず、デザイン各種一般の、オーダーも少なくなり、彼女は収入が減ったのでしょうね。で、安定した収入を得る道として、中小企業診断士の資格を取りました。

 彼女自身に、これは、言ったことはないのですよ。しかし、私は、そちらの仕事には、注文は、少ないだろうと、見ていました。どうしてかというと、彼女は、頭はいいです。お茶大付属高校出身ですからね。だから、国家資格を取ることなど、お茶の子さいさいでしょう。だけど、実家が、商売をしていたとは、見えません。お父さんは、どういう分野だったかは聞いていませんが、サラリーマンだったでしょう。そして彼女自身が、私から見ると、金銭的な、または、労働としての、苦労をしていないと、みえるのです。それと、知的に過ぎるのです。御曹司で、大金持ちの坊ちゃんとの結婚を、自ら蹴ってしまったという事は、相当に自信がある人だと、なります。で、他人に頭は下げられないだろうとみていました。特に、中小企業の、社長と、かんたんあいてらす仲には、なれないでしょう。

 中小企業なんて、苦労の連続ですから、そこに彼女が、同調とか、共感ができるかというと、できないだろうと、見ていました。すると、顧客が、「あの先生は、頼りになるわよ。相談して助かった」という口コミで、お客が増えると、言うことはなさそうです。

 あのね、皆様、ここで、私が・・・・・単純な、形で、悪口を言っているとは取らないでください。彼女はだんだん大出世していくのです。

 で、最終的には、学芸大学の特任教授・広報・担当となります。で、100%生活は安泰となり、名誉もお金も得るのですよ。しかし、それは、私と、友人だからであると、私は見ています。もし、このブログが、彼女の目に入ったら、彼女は、きっと、怒るでしょう。「違うわよ。私の能力が高いので、私は、地位と名誉を得ました」というでしょう。しかし、私の言うほうが、真実です。それを追々に説明をしていきます。

 ::::::ここで、挿入ですが、一方で、遠藤工務店の話もしています。(あと注2)一つだけ、お気の毒なのには、お子さんが、先に亡くなったという事です。でも、その亡くなった息子さんの、お嫁さんもお孫さんも、ご自分たち老夫婦も、経済的には絶対に困りません。大金持ちらしいので。

 その大金持ちになったゆえんは、私の父が、「あの人は、個人の住宅ばかり作っていて、お宮など、つくっていなかったが、技術は、宮大工級だったね」と、言っている、棟梁(新潟出身だと聞いている)が技術的な、指導支配しているのですが、すごく立派だと、言うことと、

 お嫁さんが、最高に愛嬌があって、そして、頭が良いのです。カーディガンに、かっぽう着みたいないでたちなのですが、二回、普請を頼んだ時に、・・・・・この人は、本当に頭がいい・・・・と、私は、思いました。

 いや、偏差値72以上の大学を、出た人が、この山には、大勢いるのに、安野智紗夫人と仲良くするせいか、失礼ながら、・・・・・バカだなあ。バカなことをやっているなあ・・・・・と、思う現象や、それを行う人が大勢いるのを、毎日見ていますのでね。

 私の言う頭の良さというのは、偏差値ではないです。遠藤工務店のお嫁さんは、たぶん高卒ですが、本当に頭が良いです。私が、女性の品定めを得意としているのには、ちゃんと理由があるのですよ。

 私は、自分から立候補をしたのではなくて、園長から命じられて、幼稚園のPTA会長をしていました。1976年のことですが。その幼稚園は、470人もの園児がいるマンモス幼稚園で、PTAは、先生方の夏冬のボーナスをバザーで、稼ぎださないといけませんでした。で、ヤングママたちが、ぎりぎりになって、ついには、切れてしまうほどの、深いレヴェルで、労働をしないとなりませんでした。だから、バザーが迫ると、むき出しになる人がいるのです。性格も人格もむき出しになってくる。それで、研究するつもりなんかないのに、女性というものが心底よくわかりました。いろいろなタイプの女性がいるのですが、そのタイプ別に、こういう人がいる、ああいう人がいるとわかってきたのです。

 鎌倉に引っ越したのを機に、できるだけ、思索の人となろうとしていて、ゴキンジョサマとも、主婦としてのお付き合いは、まったくしていませんが、彼女たちが出す音と、光、また、すれ違う時の態度で、全員の、ほぼ、全人格が、わかっています。38年も住んでいますとね。相当にひどいことをやられていますが、あらゆる現象を、因果関係、および、起承転結、および、勘の助けによって、分析していて、それに対応する、自分にできることを、やってきているので、心は、常に平静です。

 ですから、広瀬由紀子さんの長所とか、欠点もよくわかっています。で、彼女が、出世していったのは、ある意味で、私を突き放していたし(それは、五歳は上の私にとっては失礼なことでもあるのですが、私は、彼女から得るものもあるので、「あなたは、失礼ですよ」、などとは、彼女に、指摘したことは有りません)、

 一方で、電話を盗聴している側からみると、私が、取りすがっている様にも見えたので、こういう関係にある二人のうち、雨宮舜ではない方を、出世させれば、雨宮舜(=わたくし、このブログの著者の事)は、大きなダメージを受けるだろうと、考えた、鎌倉エージェントが、出世させたとみています。

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 昔、神宮外苑(公園)内で、美術のフェアー(お祭り)が企画された時に、日本工業大学が、木で、ジャングルジムを作って、夜、そこへ照明を当てていたところ、その電球の熱で、火事になり、急に猛火になったので、ジャングルジムで遊んでいた五歳の男の子が、焼死した事故がありました。この事故の数年前ですが、広瀬さんは、日本工業大学の広報担当部長だったのです。

 しかし、私は、当然、裏に、鎌倉エージェント(ただし、東京住まいの人も、私は、鎌倉エージェントと、言っているので、このケースは瀬島隆三、直々のご出馬で、決定されたことだったかもしれないが)、がいるので、この就職がかなったと、考えました。だって、その就職の時に、彼女は、50を過ぎていました。女性の再就職、特に、特別な、地位と、高い俸給が出る場合、妹もいったん退職後ヘッドハンティングをされて、50を過ぎてから、J.W.トンプソン(世界第三位の広告会社)に入社する際も、そうでしたが、裏に、CIAのはたらきがあり、たい・私いじめ(わたくしには、収入がない。それをからかっている)の、要素が、必ずあるのです。妹は、私の本の出版を軽蔑しましたよ。注文を受けて制作するのではない勝手な本でしょう? しかも、ウィンドーズ(それって、アップルに比べると汎用パソコンでしょう。つまり、妹は、ウィンドーズ版は、出版のプロが使うパソコンではないと、言っているのです。かつ、妹の出版物は、新薬の医家向け紹介パンフレットなので、頁数こそ、8頁ぐらいであっても、大変高価な印刷物なのです。そして、「世の中の役に立っています」という誇りも持っていました。しかし、妹が、二度目の勤務先を明かさなかったので、これは、CIAエージェントがかかわっているいじめ策だと、思いました。

 広瀬由紀子さんが、国家公務員の定年(65歳ですか?)に、のっとって、学芸大学の教授になったとしたら、2012年より前に、学芸大学の教授になっていないとならないので、何か、特権的待遇で、65歳以降も、教授人気があったのではないかしら?

 だから、彼女は、ジャングルジムの火災事故とは、本当は、関係がないのです。だが、直感で、あれは、CIAが意図的に、私をいじめようとした、ことへの天のお怒りだと、感じました。

 でも、個人事業主から、Fランクだと、2チャンネル(または、5チャンネルで)言われる、私立

 私は、よく、この世は、神様がすべていると、言っています。この火事は、即座に、・・・・・天がCIAエージェントたちをお叱りになったのだ・・・・・と、思いました。で、一本ブログを書いています。今、その事故の日付を知りたくて、google 検索をかけてみると、学生たちを叱る意見が、ものすごく多いです。そしてその通りでもありましょう。・・・・・だけど、私にダメージを与える為に、よく電話を交換している広瀬さんを、出世させた、CIAエージェントを、天が、叱っている・・・・・と、も、考えました。

 それについて、一本ブログを書いています。

日本工業大学の、元・広報部長が、学芸大学の教授へと大出世を遂げている。それが問題なのだ。外苑前幼稚園児焼死事件ー2

2016-11-09 16:44:38 | 政治

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 今ね。さんざん、ブログ類を検討していると、この催しの主催者は、Tokyo Design Week という、この催しの為だけに設定された組織のようです。日本語名で言うと、工業デザイン何とからしい。

 となると、国立・千葉大を出ていて、しかも、もと、日産自動車勤務という広瀬さんは、相当に、大きな存在だったと、思います。銀座の画廊街で、国立・教育大学・西洋史学科を卒業している、栗田玲子さんが、一頭、地を抜いて、目立っていて、(実際は、威張っていた)のと、同じでしょう。

 今はなくなっていますが、国画会に島田章三さんという大物がいました。この人の妹さんと、しょうがっこうのPTA活動で、長時間一緒に過ごしたので、章三さん(次兄)についてあれこれ、彼女が話したのを聞いています。

 それを聞いて、島田章三という人物は、なんと計算高い人なのだろうと、思ったし、妹さんも、そういう兄の態度のすべてを、超肯定的に話すので、人々が、彼女の、大悪口を言うのを、郁子なるかなと、思って聞いていたのです。この妹さんが、あれほどに、身内のことを肯定的に話すのは、父親が、当時か、その前か、後かは知りませんが、横須賀市議会の議長をしていたのですね。その父という人が、千葉大(むろん戦前のことで、高等工芸と言っていた時代のことだが)の卒業生で、裏がドックで、船のインテリアを、やっていたのです。そして長男が東大、次男が、芸大卒なので、横須賀では、名士中の名士の扱いを受けていたのでした。

 だから、同じ大学の同じ学部を卒業している広瀬さんが、工業デザイン部門では、一目を置かれる存在であり、Tokyo Design Weekでは、枢要な地位を占めているメンバーだったと、推察しています。

 遠藤工務店の方へ戻ります。いやね。北久里浜の方は、「だいぶ高いですね」で済んだのだけれど、鎌倉の方は、山の上に、資材を持ち上げるのが、費用が掛かって、1986年の増築で、すでに、つぼ単価、100万円でした。その36年後の今でも、「坪、100万円で、家を建てます」と、言う工務店や、プレハブ住宅がある中で、遠藤工務店は高いです。しかし、本当にしっかりした家を作ってくれています。

 私はあの棟梁とお嫁さんのコンビが、成功を招いたと、思っています。で、このお嫁さんの、人格と態度と、広瀬由紀子さんの態度を比較すると、本当に違うのです。まあ、いいでしょう。

 というのも、どうして、広瀬由紀子さんに入っていったかというと、

 彼女がある日「チャンスは、前髪をつかめというでしょう」というのです。彼女は、自分に降りかかってくるありとあらゆる幸運をつかみ、今では、お茶大付属高校卒業生の間でも、大きな地位を占めています。

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 ところが、私は反対です。横須賀でも、市役所の(どうも自治省=霞が関)から、派遣をされているらしい、教育関係の課長さんが、「あなたを主催者にして、母親の啓もう活動を開始しましょう」と、おっしゃったのですが、固辞しています。1976年か、1977年のことで、母親クラブという名前で、横須賀で、始まり全国に広まったとみています。横須賀では、マダム奈良という方が、長らくトップを占めていました。この人が、扇千景にそっくりで、見事にはまり役で、20年近く、その役についていたのではないですか? ただ、横須賀ほど、公的予算が、豊かではない地域では、活発ではないみたいですね。

、自治体にお金がないところは、休止したとgoogle では出ています。1984年に横須賀から、鎌倉へ引っ越してきたのですが、鎌倉にはありません。鎌倉って、有名人に手厚いのですが、こういう風に一般市民に幅広く啓もう活動をする、そういうシステムには、お金を出さないのです。

 有名人に手厚いというのは、私を、ひどいレベルで、いじめた(場所は、新橋駅ホーム)角野栄子さんに名誉市民を与えて、年金等を、支給しているのではないですか?

 それから、毎日、自分の家の庭ごみをはいて、一メートル低い我が家に、掃きこんでいた、2006ねんまでは、西隣の住民だった、遠藤家のお嬢さんを、妙本寺に嫁がせた川合良一邸には、毎年、素晴らしい作業をする高級植木屋が入っていますが、歴史的建造物と、言う指定を受けているので、あの植木屋の費用は、鎌倉市が、負担をしていると、思われます。

 これじゃあ、東京都から、引っ越してきた人などは、びっくり仰天の、市民への福祉放棄です。特に旧中央公民館の、ソファー、碁、将棋盤、それを対戦できる机といす。週刊文春とか、猫日和などの読み物を、全部撤廃してしまった(免振装置を、いれるという口実で、リフォームしたのちには、そうなった)など、本当に忌まわしいリフォームです。

 その反対に、ご近所様が、大変顕著ですが、大金が降り注いでいます。詳しくは別章にかいていますけれど。

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 小学校時代の、友人市瀬紀美子さんが、2022年の秋に電話をかけてきて、うちの子が、東工大の、教授になりました。しかも、三十代でよ」と、言ったのは、東工大と、医科歯科大学が合併すると、言うニュース発表の直前でした。

 私と同じ学年の彼女は、その電話をくれたときには、79歳でした。美形の彼女が、慶応大学の理事になっているご主人と、結婚したのは、25歳より前でしょう。塾を経営していたって、お母さんや、妹さん、また、下宿とか、アパートを持っていて慶応の学生に貸しているので、いくらでも、アルバイトで、先生役を代わってもらえます。そういう周辺の環境が整っている彼女が、いくらご主人が、ゲームソフトメイキングに、熱中をしていて、スクエアエニックスが、ヒット作を出すまで、ご主人側の収入が不定期だったとしても、40になるまで、子供を産まないなんて、言うことはありえないのです。

 これは、日吉の小田歯科医院の先生が、2020年に入っても、孫の、市立中学受験の成功をあたかも昨日の事のようにお話になるのと同じで、伊藤玄二郎か、まだ、実際には、生きている井上ひさしか、または、成岡庸司君か、それとも、川名昭宣君か、石塚雅彦さんか、誰か、わかりませんが、アイデアを出してそれぞれに、連絡を取って、雨宮舜(=本名、川崎千恵子)をやっつけてやれっと、命令した結果でしょう。

 でも、小田先生の自慢は、先生、「それって、いつのことでしょうか?」と私が質問をしただけで、とても、恥ずかしそうに、「昔のことです。彼はもう社会人です」とおっしゃったのです。そして、このケースをブログ化させないために、カリタス小通学バス襲撃事件は、起こされたのでした。

 私は小田先生の態度から、自分の長男が、市立中学二校に不合格だったのは、裏に瀬島隆三がいたからだと、考える、そういう考えに、確信を持つようになりました。あれは、瀬島たちが、地積変更届という仕組みを利用して、横須賀市の旧水道山を、ただで、自分のものにした、1978年のたった四年後の、1982年のことでした。普通受験って、偏差値の違う二校を受けます。一つ目立って、一位ランクではなくて、二位ランクでした。二校目、滑り止めは、三位ランクで、日能研の先生が、保証してくださっていたのです。

 ひどい人生を彼に与えてしまったし、今は、孫四人のことを心配しきっています。両親の法事にも参加できないし、お正月、ニューヨークにいる、娘に挨拶のメールも送りません。

 それは、孫が受験をするので、私の長男に起きた事が、孫に繰り返されたら大変だからです。

 私は、両親とも交流を断ち、(法事に参加しないという形をとった)、

 子供とも交流を断っているのですよ。

 じゃあ、ブログを書かなければいいのですか? いいえ、このブログを書かないでいたら、別の方向から、殺されてしまいますよ。だから、最低限、自分の命を守るために、このブログは、書かざるを得ません。

 最初は、後ろから、首を絞める(1965年。三鷹国際基督教大学正門前の、旧中島飛行機の滑走路で、公暁みたいに、木の陰に隠れていた、ベーカーさんに、)

 車で、ひき殺そうとする(1978年、自宅そばの道路で、待ち伏せをしていた益山智恵子さんの車に、)

 拉致して、暗闇の中で、殺す(1998年パリ・バスティーユ駅、改札そばで、五人の屈強な白人たちに)

 画商を名乗り、自宅まで訪ねてきて、ピストルで、撃つつもりだった模様(2010年のことで、かれが、コートを脱がなかった・・・・・・だから、きっとピストルを持っているか、毒薬を持っていて、紅茶等に入れるつもりだったでしょう。名前も名乗らなかった。だけど、私は、何でもわかっているので、主人に、仕事を休んで、もらって、その外人を二人で、迎えました。で、無事だった。山口みつ子さんが、他殺で、自殺ではないという根拠を持っている私に対して、

 この外人とのいきさつを、「つまらない文章ですね」と、言ってきたのは、近藤実さんでした。その近藤実さんが、「山口みつ子さんが、自殺をしましたよ。毎日新聞に出ています」と教えてくれたのでした。

 あのね、私は、一種の宗教家の域に達しているので、いろいろな人から、悩み事を、聞かされます。でね。今では、それが、はっきりしていますが、スマホ、もしくは、パソコン(?)または、尾行者が、持っている高度な、盗聴器で、盗聴をされて、私が、それを聞いた途端に、その悩みを漏らしたという形にされるのだと、思います。

 だから、知人や、友人が裏切ってくる。そういうことだと、思います。その上、物理的に、殺すのが不可能だとなって心理的に、ノイローゼにさせてやろうとされています。発狂させてやれば、精神病院へ、入れられる(措置入院)となるので、ブログを書けない様になる・・・・・という形で、日常的に知人にいじめられています。

 今日は、渡辺賢治司氏の夫人でしたね。ミキさん(または、マキさん?)です。

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 でもね、ここまで、いじめられると、あ、あれを逃したのは、失敗だったかなあと思います。

 一つ目は、湊宏先生の助手として、国際基督教大学の助手となる話。ふたつめは、二人の東大卒の人とのお見合いの話、三つめは、上で言っている、母親学級の主催者いなるのは、どうですか?という話。

 なぜ、広瀬さんは、「チャンスは、前髪をつかめと、言うでしょう。私は、そのことわざを守っています」といったのに、自分は、そうではないかというと

 私はね。神様という時には、キリスト教に近いのですよ。だけど、中学生の時にすでに、中勘助の【提婆達多】を読んでいて、「この世に生きている限り、かなわない望みがあり、越えられない壁があり、欲をかいては、自分が苦しむだけなのだ」と、言う発想を得てしまったのです。

 提婆達多は、いとこにあたる、シッタルダに比較して、自分は、けっして劣っていないと、考えるのです。そしてあらゆる努力をして、シッタルダと同じぐらい、自分が、優秀で、魅力のある人間だと示そうとするのです。が、ある時期からシッタルダ(仏様)は、何もしなくなるのですね。工作をしない、努力をしない。

 そういう何もしないシッタルダに対して、提婆達多は、勝てないのです。

 すみません。この章は、延々と、考察が続きます。しかし、午前四時になりました。寝ないと、死ぬので、生きるために、ここで、この流れは、いったん、中断をいたします。

 実は、旧姓西大寺さんと広瀬さんと、私は、年齢が、ひどく離れているのに、お茶飲み仲間だったのです。そして、安倍さんが殺されましたね。あれは、鎌倉エージェントが、自分たちが助かるために伯父(弁護士)を通じて、教唆命令した事件です。山上徹也は、妹に、辞書を差し入れてほし。勉強したい。特に外国で」と言っているそうです。

 でね。西大寺さんは、広瀬由紀子さんのオフィスを、訪問しています。私も広瀬さんからか西大寺さんからかどちらかからは、忘れましたが広瀬さんのオフィスの写真をみせてもらっています。全体にピンクを使っていて、白いレースのカーテンが揺れている、非常にフェミニンな感じのするオフィスでした。でね。それを、知っていらっしゃるので、私の攻防もみたいとおっしゃるのです。その時は、すでに、鎌倉へ帰っていて、寝るのは、鎌倉だから、6畳二間+12畳があっても、布団を敷く場所もないほどに、絵のキャンバスと、版画の道具類に満ちていて、むろん、接待用の場所などないのです。カーテンもないのです。大型の温風ダンプウキが置いてあって、それで、温かさは、確保できるので、カーテンもいらないのでした。ただ、ただ、無機質で、無彩色です。私は、その方がいいんですが、工場みたいな場所で、スペースは、流しの前、1mX2mだけ、残っているぐらいでした。

 そこでは、いろいろなものを洗うために、余地が残してあったのです。そこに簡易な、パイプ椅子を二つ持ってきて、二人で、歓談をしあったのですが、その時、旧姓西大寺さんは、私の貧乏っぷりに驚いてしまったのです。

 私としては、そこに置いてあるプレスという機会をはじめ、すべてに莫大な、お金がかかっているので、自分を貧乏だなどとは、まったく思っておらず、アトリエに人を入れたくないのは、ただ、お掃除が行き届いていないだけだったのです。

 でも、画家ではないと、100号の油絵を描くのに、どれほどの、絵の具が、必要かは、わからないですね。それが、30枚近く、置いてあるのです。だけど、見かけ上は、まったく装飾のない部屋です。しかも、いすを置く場所に苦労するほどの、作品群を見て、『この人は、深い、深いレベルで、労働をしている。しかし、報酬をもらっていない。なんと哀れなことだろう』と、思ってくださったらしくて、「預言者は、世に入れられずだわね」と、しみじみとした、口調で、おっしゃったのです。

私は肉声で、聞いたセリフとしては、この言葉を一番ありがたいものだと、思っています。

 私は、安倍晋三元、総理大臣に対しても、2012年の11月にすでに、預言を放っています。「総裁選に出ては、だめですよ」と。

ともかく、総タイトルの左側、新浪さんに戻ると、「新浪さんに、その椅子に座らせたくないと、反対する人がいるのは、よくわかります」と、言っておきたいです。新浪さんがその椅子に座るのは、今は、早いです。お顔がそれに、ふさわしいお顔ではないです。10年後だったらいいかもしれない。だけど、今は、良くないです。安倍晋三さんが、2012年の暮れに総裁選に立候補なさろうとした時にも反対しました。

 やっぱりその通りになったでしょう。国葬ですって。なんとむなしいことか?

@@@@@ここが書きかけ中の最先端です。以下は、発想だけが、まず、起きたので、メモっておきます。後で、充実させるつもりです。

 今は、中断をしている・・・・・というか終了をしてしまった、絵画における芥川賞、または、直木賞に当たる、

 だが、小林篤生さんについては、アフィリエイトを教えてくれたのに、載らなかったのは、

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角野栄子さんがNHKの中でお金を儲けよと叫ぶ事と、まほろちゃんの稽古に同じNHKが密着取材をする事の両方の裏に、井上ひさしがいるでしょう

2023-01-28 03:15:19 | 政治

 この一文は、最初の総タイトルを、【鎌倉における井上ひさしの、昭和・平成・令和の、三天皇を超える権力…そして、私を弾圧する為に鎌倉市民と日本国民を巻き込む事の多さよ】としておりました。しかし、井上ひさしに入る前に、説明したいことに時間がとられています。で、総タイトルを変更します。

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 昨日、ちらっとですが、北関東から、狛江にかけて、連続強盗をしている、連中のトップが、ルフィと名乗り、フィリピンで、収容をされていると、言うニュースについて、述べ始めました。すると、正味三千字足らずのNHKニュースが、38万字だとか言って、goo blog の世界では、公開できない様にされました。これは、最大級の真実を書いているときにおこなわれる妨害です。最大級の真実とは、この強盗事件も、井上ひさしが案出した、謀略である可能性が高いという話です。

 しかし、これは、過去にも二度経験していることです。3.11が起きたとき、その五日後の、16日に、すでに、一行ぐらい文中に、「メルトダウンです」といい、「これは、広島の原発と同じ程度の被害なのですよ」といい始めて以来、2012年の、11月ぐらいまで大変苦労をさせられました。その前、自分で紙の本(ただし、芸術品として、10部ぐらい手で作る本ではなくて、工業生産品としての書物)を、作り始めた(一種の出版社となった)ころ以来の被害状況でした。

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 もちろん、私の肉体と精神に加えられる、攻撃もすさまじいものがあります。かといって、知っていることを伏せてしまっても、彼ら、CIAえ-じぇんとは、
 今では、
 私=雨宮舜=が、彼らのやっていることの裏側をほとんど、知っていることを、知っているので、
 誤解をするのです。どういう風に誤解をするかというと、
 
 彼らの攻撃が、成功したと、言う風に、思いこみ、重層的に、他の分野においても、攻撃をしてくるのでした。特に子供や孫に対する攻撃があって、それを防ぐために、必死で、毎日闘争をしてきました。ほぼ戦争状態だと思います。
 でも、終わりなき戦いです。しかし、以前に比べると、ありとあらゆることにスピードが落ちているので、全部に対抗せず、わざと、パススルー事も多いのです。
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 彼らは、警察と、官房機密費と、NHKテレビと、有名人を利用します。目の前で攻撃をしてきた有名人として、
 
*1)、角野栄子さん(新橋駅、地下五階の、横須賀線ホームにて)
*2)、寺島しのぶ(国立劇場のロビーにて・・・・・このことがあるので、建て直す必要のないあの劇場を建て直すのではないですか? ロビーの設計を全く違うものにするはずです。いい劇場なのに。もし新劇場も、隈研吾氏が、引き受けたのだとすると、絶対に、隈氏の、損になるはずです。先輩を踏みにじり、国家の財政に、余計な負担をかけた人としてです。50年後は、そういう批判が起きるはずです)
*3)、福島瑞穂さん(青山ウィメンズプラザにて、舞台上から、長時間、私をにらみ続けた)
 
 いやあ、以前から思ってきたのですが、女性って、根性が悪いです。生む性であるという事が強さを生むのですが、その強さが無知と結びつくと、恐ろしいこととなる。この際の無知とは、1965年に後ろから首を絞めて私を殺そうとしたベイカーさんの存在とか、1978年に、北久里浜で、私をひき殺そうとした、益山智恵子さんのことなどを、彼女たちは、まったく知らないのです。私自身とその周辺のことを全く知らないのに、誰かから、命令された通りに、激しくいじめてくる。
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 ところで、私がいきさつをブログで、書くでしょう。
 すると、その人たちにそれ以降、莫大な名誉や、金銭が下りてくるのです。角野栄子さんは、私が、この件をブログに書いた、2016年以降、テレビ番組【あさイチ】などに出る様になり、かつ、彼女が主役の【カラフル魔女】という、密着取材番組も、養老先生に次ぐ頻度で、NHKは、制作し報道をしています。Latest の一本は、群馬県訪問でした。その前の鎌倉だけを取材した番組内で、彼女は訪問をしてきた二人の青年に対して、「お金の儲からない仕事をしてはだめよ」と、玄関の中で、大きな声で言います。その二人の、お客を部屋に招じ入れて、お茶の接待をしている中、いすに座った対話の中で、出てきたセリフではないのです。
 訪問をしてきた彼らに対する最初の言葉として、それを投げかけるのです。驚きました。だが、これは、伊藤玄二郎から、「雨宮舜(=私の事)があなたの悪口を書いています。でもね。有名な出版社からは、一冊もまだ、公刊をされていなくてね。しかも、本を作っても、有名人ではないから、売れないでしょう。で、献呈ばかりしているので、彼女は、非常に貧乏なのですよ。
 角野さん、100円ショップって、知っていますか? 彼女は、そういうところに出入りしているのです。驚くでしょう。ありとあらゆるものが100円で買えるのですよ。しかし、質は悪いはずです」と告げられているはずです。
 で、その同じ番組内だったか、彼女は青山表参道にある眼鏡屋さんに行って、縁が太くて、カラフルなメガネを、三本ぐらい、買います。一つが、20万円以上するでしょう。
 一方の私は、一本が100円の老眼鏡を100円ショップで買います。しかし、角野栄子さんが、100円ショップに足を踏み入れたことはないはずです。
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 今日も私はお掃除をしに、反町のアパートに来ています。10月3日に、前の入居者が出てしまいました。そのことも、敵さんたち(=CIAエージェント)の画策だと、思っています。でね。もう、4か月、73000円が手に入りません。毎月の生活費が、決して潤沢ではない中で、お風呂を取り換えるのだとか、ドアノブを取り換えるのだとか、鍵を取り換えるのだとか、いろいろお金もかかります。
 でね、主人が「早く貸したら(つまり、募集をかけたら)」というのです。「そんなに完璧にきれいにしなくてもいいよ」と、言うのです。「ある程度のところで、決断をしたらいい」というのです。しかし、実際問題として、窓ひとつでも10回ぐらい絵筆やブラシで洗って、洗って、金属の部分は、やっと白くなったのですよ。しかし、ガラスとの間のゴムパッキングが、真っ黒で、それを今洗っていて、上の方は、やっと白くなったけれど、底辺が、まだ、真っ黒です。ああ、その窓ですが、東西南に一間の窓が、5つ、北側に、4.5尺の窓が二つ、三尺の窓が、2つです。広さは41平米。その中に大きな窓が、9つもあるのです。父の設計です。別寝室があり、その一つをリモートワークにしても、子供がいないのだったら、大丈夫です。住む人にとっては、本当に暮らしやすい、温室みたいな家です。
 私は内心で、『網戸のゴム取り換え用は、売っているけれど、サッシの替えゴムは売っていないわね。だから、洗うしかないのです』と思っているわけです。でね。内心で、さらにこう思っているのです。『ここに来るのは冒険なのよ。十五少年漂流記みたいに、何にもないところで、工夫をして、暮らすのは、楽しいの。そして、テレビがないことも、素晴らしいことなのね。
 
 その上、母と会話している感覚があるのよ。それは、一種の宗教的体験であり、母との別れの際に、母が私を頼ってきて、一種の、お坊さんとか、牧師さん扱いをしてくれたことを思い出すのよ。そうよ。モノがある方が好きだけど、モノが全くない生活もいいのです』と、思っているのです。
 敵さんたちは、『ざまーみやがれ、我々は、お前よりも力が強くて、何でもできるんだ』と、思っているでしょう。多分、この退去は、一階の豊里もりやす・伊藤美枝子夫妻への、生活保護費、不正受給の問題を、ブログで、書いているし、それを確定するために内容証明を送っていますね。それに対する復讐だとは、わかっていますが、悪を逆手にとって、美しいものへ到達する・・・・・それが、楽しいのです。
 と、主人、または、神様に向かって、声なき声で、話しているのでした。
 
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 母は、最終段階では、「結局あんたのところが、一番明るくなったわね」と言っていました。三人の兄弟の中で、心理的には、私を(年上の姉として扱い)私が訪問をすることを、一番期待してまっていました。
 私は忙しくて、しかも、いつも、銀座によって、絵を見てから、東上線ときわ台駅から、歩いて、15分の所にある、老人ホームには、8時過ぎに訪問をしていたので、ほかの兄弟からは、叱られていました。が、母が、ほかの兄弟は、子供=自分をサポートしてくれる、一種の介護人=召使いとして、考えており、私のことは、姉として、考えているのが、わかっていました。
 しかし、それは、90を超えてからの母の姿であって、88歳ごろまでは、母は、内心に秘めた勝気さと、プライドと、意欲がある人で、私にとっては、大変なところのある母でした。白内障の手術を、87歳で、受けています。私がそれを受けたのは、78歳でした。今、80歳になっています。だから、7年後にそれを受けるとしたら、怖いです。母の勇気に恐れ入ります。
 しかし、そういう風にしっかりしている母だから、老人ホームに妹が入れてしまう前、86歳までパソコンを使って、株式投資をしていました。普通は、女性には、許可されていない、信用取引も許可されていました。母の実父は、明治時代に、山口高商を出ているので、その方面の知恵が遺伝をしていたと思います。
 でね、「私が、大根一本腐らせたとしても、その間に頭を使うと、100万円は違うのよ」といっていました。週に二階化、三階、証券会社の人が、預かり証の受け渡しに、来ていました。だから、今の貨幣価値で言うと、売ったり買ったり、一年で、2000万円ぐらい動かしていたのではないかなあ? 銀座というのは、私にとっては、絵を見に行くところです。しかし、母にとっては、買い物に行くところでした。
 小松ストアーは、女学校時代の、友人のご主人(元銀行マン)が、支配人だったので、よく、白生地(染めてから、着物に仕立てる)を買いに行っていました。そのすぐ近所にあった、鳩居堂には、京セラの、内覧会で、よく出かけていました。母の原資は、自分のお給料です。父の会社の経理をしていました。父にも給料が出ていて、それで、生活費が賄えるので、60年間、株に注いでいたのです。でも、私に、「我が家がお金持ちになったのは、株じゃないわ。不動産よ」と言っていました。その不動産というところに入る単語が、今では、ビットコインとなるのかな?
 で、母がそういう人だったから、角野栄子さんの、生活ぶりが、わかるわけで、彼女には、いろいろ、ブログの種になっていただいているので感謝しないといけないほどです。
 でもね。私が角野さんから受けた、恐ろしいいじめっぷりを書いてからですよ。しかも、それは、実行をされた、日時から、数年後です。
 
 でね。井上ひさし(実際には、まだ生きていますよ)が、いろいろな事件の絵図を書いて、それを警察の特殊部隊が、あれこれ、協力して、私を、脅かすために、事件を起こすのですが、ほとんどを見破って、その詳細を書いています。すると、井上ひさしは、架空の死の、のちの、代弁者として、機能をしている伊藤玄二郎と組んで私に復讐をしてくるわけです。その場として、NHK画面を利用します。で、角野栄子さんが、たびたび、登場するのは、井上ひさしについて、私が書いていることを代理人を用いて、復讐してくると、言うわけです。
 いまだ生きている井上ひさしは、アメリカ本土にあると、思われる、CIA本部の代理人ですが、角野栄子さんは、井上ひさしの代理人です。角野栄子さんは、謀略の仕組みを考案した人ではないので、井上ひさしたちにとっては、代理人として、使うのに、うってつけの人たちなのです。
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 なお、まほろちゃんとは、寺島しのぶの坊やです。その部分の詳細をいまから書きます。お母さんが、芝居や映画で大活躍なのは、「そうですか」ですが、一人息子のまほろ(真秀)ちゃんが、歌舞伎のけいこをする姿を密着取材をするのは、角野栄子さんの番組と、同じ流れと、コンセプトによるもので、しかも、見た結果、こちらは、ちっとも、面白くなかったのです。こちらも井上ひさしが、NHKを私物化しているという証拠です。
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 さて、その話に入っていく前に、襲名公演の華やかさについて述べないといけません。2018年1月と2月は、松本幸四郎一家の三大襲名で、大騒ぎでした。この時、玉三郎だけは、別の劇場で、一人で、踊りの舞台を、長年勤めているので、ここには、出ていませんが、ほかのカンパニーすべてが参加すると、言う豪華さでした。
 私は、たまたま、2月4日の夜の部を、三階で、見ていました。節分だったので、豆まきがあって、赤い大入り袋に入った、福豆を、三階にまで、若い女性スタッフが、かごに入れて、持ってきてくれたので、歌舞伎座全体が、ファンたち(押したち)による、一つのファミリーになっていることに気が付きました。
 で、祝祭の日なので、松本家の孫(=美少年・染五郎、鎌倉殿の13人でも、おお姫のフィアンセと、言う悲劇のプリンスを演じた)とは、別の、小さな、小さな、御曹司が予告なしで、舞台に登場したのです。初お目見えと、言う形でもなくて、ただ、ただ、お客さんサービスとして、その日だけ、登場したのです。お客さん全体は、自分のひい孫を見る様な感じで、大喜びをしていました。
 その時、三人の幼児は、2歳か、三歳だったのにもかかわらず、黒の、紋付き、裃姿でした。誰が、縫ったのですか? こんな小さなおべべをというほどにかわいかったです。
 

 

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この人物について、現在、フィリピンの入国管理施設に収容されていることから、警察当局はフィリピン当局に身柄の引き渡しを求め、各地の事件との関わりについて捜査する方針を固めました。

捜査関係者によりますと、複数の人物が同一のSNSのアカウントを使うなどして「ルフィ」と名乗っている可能性もあり、引き渡しを要請するのは渡邉容疑者ら収容されている4、5人の日本人になる見通しだということです。

相次ぐ事件を受け、警察庁は27日、事件との関係が疑われる1都2府11県の警察の幹部を集めた会議を開き、各地の事件の捜査状況などの情報を共有しました。

渡邊国佳刑事局長は「一連の事件は、社会的反響が大変大きく国民の不安が高まっていて、警察捜査の真価が問われている。関係する警察が一丸となって強力な捜査を推進してほしい」と指示しました。
※連続強盗事件のニュースで、引き渡しを要請する容疑者1人の名前の漢字が誤っていました。失礼しました。
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ルフィ、強盗指南役、フィリピンに引き渡しを求める。

2023-01-28 03:02:37 | 政治

   このNHKニュースが何を語っているかを、将来、きちんと書きます。今は、この記事が消えることを恐れて、公開をさせていただきます。ここで、登場する、キムさんという男性にNHKは、どうして接触しえたかです。そこに大きな、真実があります。ただし、ヘイトデモと、井上ひさしが、ぴったりと、紐づけられている鎌倉では、(市役所でそれを発見した)自由に書けないかもしれません。

 ただし、このニュースが重要であるのは、この強盗団もまた、鎌倉エージェントが用意したものだと、言うことです。

 このニュースは、こぴぺするだけ、46000時以上とか、言われて、公開できませんと、goo blog ,から言われました。つまり、この謀略を生み出した、人間は、在日コリアンであることを隠し持っている存在だとなります。

入管施設に以前収容された男性「全く不自由しなかった」

「ルフィ」と名乗る人物が拘束されている、首都マニラにある入国管理局の施設に以前、収容された60代の日本人男性は、施設の様子について、NHKの電話インタビューに応じました。

男性は現地に住んでいた2000年ごろ、フィリピンの入国管理局と滞在日数をめぐってトラブルとなり、この施設で数か月間、過ごしたということです。

男性によりますと、施設内では、職員に相場より高い金を払うなどして、酒やたばこのほか、携帯電話のプリペイドカードも買い求めることができたということで「外にいる友達とも連絡を取ることができ、全く不自由しなかった」と話しています。

また「施設の内部から外部に指示を出して犯罪に手を染めている人がいるという噂は昔からあった」と証言したうえで「当時から収容が建て前だけになっている状況があった。職員との距離の取り方によって、行動の自由度も高くなる」と指摘しました。

さらに「現在はインターネットを通じて金銭や情報の移動がすごく簡単になっている。犯罪者にとってはよりいい条件になってしまう」と話していました。

“月20万円でエアコン・トイレ付の1人部屋”

 
マニラにあるビクータン収容施設にかつて収容されていた韓国人の男性は、27日、NHKとのインタビューで、施設内部の実態を語りました。

取材に応じたのは、作家のキム・ユニョンさんで、キムさんは、不法滞在で、2019年5月から9月にかけてこの施設にいたということです。
キムさんによりますと、携帯電話やノートパソコン、それにインターネットも、施設側に金さえ渡せば使うことができたということで、携帯電話を複数所持していた人もいたということです。

また、携帯電話の利用は、日中はとがめられなかったということで、キムさんは26日もこの施設にいる韓国人の知り合いと電話をして、現在20人近くの日本人が施設にいると聞いたということです。

キムさんは「収容施設は刑務所ではない。外に出られないことを除けば、ふだんと変わりなく生活できる」と話していました。

さらに、この施設では、日本円で毎月20万円ほど支払えば、エアコンやトイレがついた1人用の部屋が、月10万円ほど払えば4人部屋がそれぞれ利用できたということで、キムさんはこうした部屋の写真を示しながら「リーダー格の人物が1人部屋を使っていた」と証言しています。

一方、当時、日本人にも韓国人にも振り込め詐欺に関わっていた人物がいたということで、「彼らはノートパソコンを持っていたり携帯電話を3台程度持っていたりしたのですぐに見当がついた」と話していました。

入管施設の前は騒然とした雰囲気に

フィリピンの首都マニラ中心部から15キロ余り離れた場所にある入国管理局の収容施設の前には、日本の報道機関の記者らが集まり、騒然とした雰囲気となっています。

施設には、収容されている家族や友人と面会したり食べ物などを差し入れたりする人も相次いで訪れ、ときおり、入所者が施設の入り口から顔をのぞかせる様子も確認できます。

「ルフィ」ら比収容の日本人4人に逮捕状 引き渡し要請へ 警察

全国各地で相次いでいる一連の強盗事件で指示を出していた疑いがあり、フィリピンの入管施設に収容されている「ルフィ」と名乗る人物ら4人について、警視庁が、特殊詐欺事件などに関わった疑いで逮捕状を取っていたことがわかりました。
4人のうち、1人は渡邉優樹容疑者で、警察当局はフィリピン当局に身柄の引き渡しを要請する方針です。

引き渡しを要請するのは、特殊詐欺事件などに関わった疑いで警視庁が逮捕状を取っている渡邉優樹容疑者や今村磨人容疑者ら4人です。

全国各地で相次いでいる強盗事件で、警察当局は、SNSで情報を共有し実行犯を入れ替えながら犯行を繰り返しているグループが存在し「ルフィ」と名乗る人物が、複数の事件で実行役に指示を出していた疑いがあるとみています。

この人物について、現在、フィリピンの入国管理施設に収容されていることから、警察当局はフィリピン当局に身柄の引き渡しを求め、各地の事件との関わりについて捜査する方針を固めました。

捜査関係者によりますと、複数の人物が同一のSNSのアカウントを使うなどして「ルフィ」と名乗っている可能性もあり、引き渡しを要請するのは渡邉容疑者ら収容されている4、5人の日本人になる見通しだということです。

相次ぐ事件を受け、警察庁は27日、事件との関係が疑われる1都2府11県の警察の幹部を集めた会議を開き、各地の事件の捜査状況などの情報を共有しました。

渡邊国佳刑事局長は「一連の事件は、社会的反響が大変大きく国民の不安が高まっていて、警察捜査の真価が問われている。関係する警察が一丸となって強力な捜査を推進してほしい」と指示しました。
※連続強盗事件のニュースで、引き渡しを要請する容疑者1人の名前の漢字が誤っていました。失礼しました。
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前報、見えない部分をこちらに。狛江の事件と、千葉中央警察署と、池端慎之介の葉山の家

2023-01-26 15:35:34 | 政治

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副題7、『私は、間取り図を書くのが大好きなのだが、その趣味が昂じて、難しい地形の敷地に、その縛りにあった家を設計するのが好きになった。で、鎌倉で、土地の売り物が出ると、見に行って、建蔽率とか、容積率を勘案しながら、夢(または、幻)の設計図を書くのである』

 ともかく、私は、自分が実際に、自分で、住む家を建ててみて、素人ながら、建築が大好きになり、いつでも、三度目の家が、建てられる様に、間取り図を、書き続けました。それは、時間が、少ないときに取り組める趣味の一つです。

 方眼紙は、常に買っておいて、アリと、あらゆる場面に合わせた家を、設計していくのです。間取り図と、窓の位置程度の設計図ですが、だんだん集中していくうちに、制限がある敷地内に、建てる家を設計するのが、より楽しいと、感じる様になりました。

 ただ、いわゆる狭小住宅を設計するというのを目指すのではなくて、実際の売地を見て、この条件の土地だったら、どういう設計図が可能だろうか?と、そういう風に考えるのです。日本の家というのは、一間と三尺を基本としています。だいたい、隣家との、間の空間をとった残りが、三間半(幅が6.3+1.4m)ある土地に建てるのが、まあ、まあ、の条件ですが、実際に売り出している土地では、それだけの幅がないケースも多いので、頭脳を駆使します。それが、一種の脳のリセットになります。

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 ある時に、47坪の、相当良い条件の土地が、鎌倉の高級住宅街・小町二丁目で、売り出されていました。実際に、買う人ではないと、正式な番地が、公開されないのですが、鎌倉で、近年、売り出される物件は、数が、少ないし、この38年間に、あっちこっち、よく散歩をしているので、買う交渉をしないでも、そこが、どこであるかが、私には、ビラを見るだけで、はっきりとわかるので、そこへ向けて歩き出しました。

 皆様は、何回も何回も放映をされた養老孟司先生の、猫めんたりーをご覧になったことがあるでしょう。養老先生のお宅は、ゼンリンの、地図には、公開をされていません。井上ひさしの家も、その名前が、ゼンリンの地図では、公開をされていません。でも、鎌倉の住民だったら、だいたい、知っています。噂でね。私は、最近、夕暮れが早いので、自宅へ登りながら(山の上に住んでいるので、)鎌倉市街を眺めるのです。

 すると、東側の山の中に、ポツン、ポツンと、いくつかの、あかりがともっているのです。『ああ、冬だから、モミジや、イチョウが、葉を落としているので、あのあかりが見えるのですね』と、考えるのでした。夏には、このあかりが、見えません。でも、その、数点のあかりの一つが、養老先生の家なのです。

 テレビ番組の中で見ると、自然が豊かな、素晴らしいお宅です。しかし、あの家から、鎌倉駅までは、徒歩20分はかかるでしょう。(むろん、車を、およびになるでしょうけれどね)

 しかし、たとえ話にでも、養老先生のお宅をここで、出したのは、そちら方向に、向かう、その中間に、私が目を付けた、素敵な土地があったからです。そして、駅まで、徒歩6~8分の理想的な土地だったのです。実際に、見に行ってみると、元は、100坪、もしくは、150坪、もしくは、200坪だった土地を縦長に、分割したものだと、わかりました。つまり、南北に細長いと、言う土地だったのです。これはですね。間取り図を書くのが、難しい地形です。

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副題8、『ここで、前田家が再び出てきました。この家も、他の、CIA協力者と同じく、私をいじめることで、大変な果報を得ているお宅です。たぶん、ご長男が、今では、転職をしていて、その転職先が、朝日新聞社ではないかと、推察しています。51歳だから、年収2千万円を超えるでしょう。その坊やが、日大農獣医学部を卒業した当初は、朝日新聞社勤務ではなかったと、思いますよ。だけど、私の事を、その両親が、きわめて多大に、いじめることへのご褒美として、CIAが、ご長男を朝日新聞社に、転入したのです。もしかすると、新聞販売店を経営していたのですが、それが、本社勤務になったのでしょう。科学部か、営業部か、担当は知りませんが、彼は、今、勝どきに、住んでいて、それを誇った風に、私の家にも、ビラとして、シェアハウス開業のお知らせを、いれてきました。彼は、旧中谷邸を、1980万円で買っています。ものすごく安いです。しかし、それは、彼の家よりも、山の下に近い場所に建っている、両親の家が、建築基準法に違反をしているからで、彼が、1980万円で、かったその土地に新築が出来ないからです。

 ただし、私が死んだり、私が引っ越して行ったりしたら、例の伊藤玄二郎の画策で、特例が認められて、新築が可能でしょう。そうしたら、ものすごい立地の良い豪邸になります。それで、私が前田、安野軍団の主婦連中にいじめぬかれているというわけです。でも、ひどいです。すべては、ひどいひどいという一語に尽きます。だから、戦っています。日々戦っています。

 この「両親の家が、建築基準法に違反をしていること」と「安野智紗夫人が、1984年から、2011年ごろまで、毎日、午後、井戸端会議を開いて、そこで、前田清子さんがしゃべる声が、一番大きくて、うるさくて、それで、心ある存在にとっては、この山の環境は、たまらないものとなっているのです。で、お金がある人は、引っ越して行きました。というのも、その井戸端会議で、交わされる話題も極めて低劣でしたし。

 しかも、前田・安野夫人たちの軍団は、この山でヒエラーキーを作って、弱い者いじめをするのです。私が、引っ越してきたころは、藤本悌子さんという女性が、一番虐められていました。藤本夫人は、安野夫人の井戸端会議開催の場所から、一番近い(5mと離れていない)ので、うるさいこと限りが無かったでしょう。

 こういうブランド住宅街で、中学生以上の子供をもつ母親が、井戸端会議を開くなんて、普通はあり得ないのですが、安野智紗夫人が、自分がボス化するために、情報収集をしたかったのでしょうね。で、藤本悌子さんが、もっとも声が大きいし、他人をにらむ癖がひんぱんにある、前田夫人に復讐をしようとしたのが私の私道部分が盗まれしまった、もっとも大きな原因です。

 その土地は、藤本夫人が駅傍の実家(小児科医院・関・さんだった)に引っ越した後で、法外に、安い値段で、石井秀樹さん(個人住宅の設計家・・・・2022年の突撃隣のすごい家…BS朝日で、トップ賞を取っている)に手渡りました。

 以前は、私は「藤本夫人がお金持ちだから、安く手放した」と、考えていました。が、最近では、・・・・・・違うでしょう。2000万円程度の差額は、伊藤玄二郎達が、官房機密費から、捻出して、藤本家側に渡しましたね・・・・・・と、考えています。そして、舞台が、三菱銀行だったと、書いて居るので、今、三菱銀行鎌倉支店が、いじめられているのですよ。きっと、裏側は、そうです。』

 この前田君が買った土地が、東西に、細長いのです。これだと、間取り図を書くのが、とても楽なのです。今、そこを、シェア・アトリエという名前の、ワンルーム・アパートに改修していますが、それは、東西に細長い土地なので、日当たりのよい部屋が、8部屋も、とれるのでした。一部屋が、リビングルーム兼台所になっています。

 去年の段階の、チラシだと、共益費込みで、75000円だそうです。順調にいけば、月400万円の収入が、前田君にもたらされます。

、 その高収入の陰に、私が、昔から書いているアジサイ畑欺罔事件という、もろもろの、私一人だけ、被っている被害があるのですが、本日は、前田家に関しては、その家が行った弾圧事項の、詳細は、パススルーして先へ進みます。ものすごい被害を与えられています。共産党員だと、みなしていますので、特にひどいのです。

 CIAは、彼ら夫妻に、命令し放題でしょう。共産党と、CIAは、今、井上ひさしにその典型例がみられる様に、ぴったりと連動をしています。

 ただ、今日は、私は、気分が良いので、汚いことを書きたくないのです。・・・・・なんと、汚いケースだというほどに、この山の町内会には、いろいろな、暗闇があるのですが・・・・・本日は無視して先へ進みます。

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 さて、小町二丁目の土地に戻ります。47坪で、南北に細長い土地で、老後も安心して住める家なら、たった二階・だて・でも、えれべーたー付きで、かつ、家賃収入がある家が、上等です。

 そんな家の設計図を頭に描きながら、ふと、隣を見ると、東側に、大きな大きなおうちが、建築中でした。どこか、秘密主義で、すべては、高い塀に隠されているものの、異様に大きな家が、建築中でした。で、出入りしている、建築業者に聞くと、横浜一、有名な数寄屋造り専門の工務店が手掛けている、100坪を超える、別荘だという事でした。平屋(=二階がない形で)、100坪以上ですから、ものすごいレベルの大きさの邸宅です。ただね。施主は、東北の建築会社の社長だと、聞いて、復興特別税と、言うものを、集めて、東北の、建設業者は、大儲けだと、噂が、ここに結実をしているのだと、私は、考えました。嫌味ではなくて、そういう集積が、あるのです。

 感無量でした。

 東北の社長さんということで、一回、アイリスオーヤマの社長さんかと、誤解をした文章を書いているので、ていせいしておきたいのですが、今、見つかりません。2018年の6月以降だったのは、確かですが。しかし、鎌倉に転入してくるにしても、この人は、頭がいいと、思いました。塀と、川と、森に囲まれていて、すべてを、地味目に、行動をしているので、大金持ちであることが目立ちません。賢いです。

 駅から、三分のところ(もと、動物クリニック)に、豪華マンションが、東急によって、できました。売値が、一般人には非公開です。でも、いっこが、5億円近いという噂です。そういうところを買って入ってくる人よりも、この小町二丁目の、滑川添いの邸宅を立てた人の方が、自分の思想を、貫く賢さがあると思いました。

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副題9、『しかし、鎌倉には、ある条例があると、知ったのは、このころだった。そこに住んでいた持ち主は、土地を分割して打ってはならないと、言う条例』

 その条例は、鎌倉を、無残な、建売住宅で、埋めない様にしようとするアイデアですが、実際には、抜け道もある模様です。ひよしには、そういう条例はないみたいで、下は、実家ですが、今は売り払われてしまい(むろん残念です。が、私の持ち物ではなかったのでしょうがないです)、三軒の白い建売住宅に変化しています。

 ここから先、文章が隠れています。オレンジ色の行が、見つかるまで、画面を、上下左右にスクロールをして読んでみてください。
 まあ、この三軒の家ですが、定価が、7800万円だったそうですから、税金を入れると、8000万円を超します。ただし、弟が、2億4千万円をてにしたわけではありません
 鎌倉には、こういう形で、分譲住宅を建てさせない仕組みがあるのだそうです。それは、広い家に住んでいた人は、分割して、土地を売ってはいけないと、言う縛りです。でね。鎌倉で、100坪以上となると、高額ですから、本当に売りたいのだったら、分割することに成るわけですが、住んでいた人が、一回、別の人を間に挟むと、分割できるそうです。で、私が見に行った、小町2丁目の、素晴らしい土地も、事実上の売り手は、業者なのだそうです。でも、ふとあることを思いついた私は、もう一度、明治地所の、オフィスへ、戻ってきて、部屋に入り、
 「小町2丁目の、売地って、元慶応の教授のお宅だったのでしょう」と、言うと、明治地所の社員殿は、びっくりしていました。
 あまりに、ずばりだったからです。これが、今日の文章の導入になる、私の勘が鋭いというエピソードの一つです。
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 鎌倉には、こういう形で、分譲住宅を建てさせない仕組みがあるのだそうです。それは、広い家に住んでいた人は、分割して、土地を売ってはいけないと、言う縛りです。でね。鎌倉で、100坪以上となると、高額ですから、本当に売りたいのだったら、分割することに成るわけですが、住んでいた人が、一回、別の人を間に挟むと、分割できるそうです。で、私が見に行った、小町2丁目の、素晴らしい土地も、事実上の売り手は、業者なのだそうです。でも、ふとあることを思いついた私は、もう一度、明治地所の、オフィスへ、戻ってきて、部屋に入り、

 「小町2丁目の、売地って、元慶応の教授のお宅だったのでしょう」と、言うと、明治地所の社員殿は、びっくりしていました。
 あまりに、ずばりだったからです。これが、今日の文章の導入になる、私の勘が鋭いというエピソードの一つです。
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 本日のメインの文章は、ピーターの家が、売りに出されていた時に、勘が、鋭い私は、「あ、これは、ピーターの家だろう」と、思った次第です。もちろん、明治地所の、売り出しビラには、買う本人でないと、持ち主が、判らない形で、記載がされています。が、それでも、私は、その葉山の豪邸が、ピーターの持ち物だと、直感をしました。それが正しかったことが、本日の朝日新聞の記事によって、確かめられたのでした。
 ビラが貼ってあるだけで、ピーターの家だろうと思ったわけは、部屋に、全く汚れたあとが、無くて、生活臭がなかったからです。それとロココ調の家具類です。白とピンクとゴールドで、彩られたインテリアで、椅子類には、絹の厚手の、花柄の生地が張ってあり、銀色に塗られた猫足が、くるっと回っていました。それがsmbc、何とも新しく、未使用に見えたからです。そして、お屋敷にそれらの豪華な、家具が三セット以上付随しているのでした。
 それをどうも、家と、セットで、売るらしいと、知り、このお屋敷の持ち主は、よほどのお金持ちで、かつ、独身であり、・・・・・と、考えていました。そこを突き詰めていくと、ピーターに行きつくのでした。
 これが第二のポイントです。つまり、私が勘が良いという点の。私は、大変な状態です。窮状の極みに在ります。しかし、元気で、生き生きとしています。それが、可能になるのは、常に、予想を立てられるからです。預言者は、世に容れられずと、言われていますが、昨日、この小町二丁目の、高級な売地に住んでいた、慶応の教授のお嫁さんが、すれ違って、私の目をまざまざと、見つめました。そういう時でも、すべての裏側が判るので、適切に対応できるからです。
 SMBC銀行から、はがきで、呼び出しを受けていました。これも、たぶんですが、盗まれた通帳が、あって、それを、機能停止にしたまま、2か月以上放っておいたので、呼び出しを受けました。SMBCg咽喉に三時までに行きたいとは、主人に月曜日から、話していました。で、SMBC銀行鎌倉支店から、我が家までの、未知の途中で、彼女は、待っていたというわけです。私が、もし気が付いたら、彼らの、準備の良さに、私が、恐怖を抱くと考えて、彼女が、待ち伏せしていたのだと、考えます。あ、は、は。
 で、私が、恐怖感を抱くことはありません。ただ、彼女が見たこともないお洋服を着ていて、マスクもしていたので、最初は誰だか、判らなくて、私もかのじょを、凝視しました。それだけです。
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超硬質で近代的な千葉中央警察署 VS 池端慎之介のルーブル宮みたいな葉山邸・・・・・狛江の事件は、西大寺事件と同じ趣旨であって

2023-01-24 01:01:52 | 政治

 この一文は、四時間ぐらい、【池端慎之介(ピーター)の、葉山のルーブル宮みたいな豪邸も、とうとう売れたのですね。】としておりました。が、総タイトルを変更をしました。そして、23-1-26の午前九時半から、重要な挿入を多数入れ始めます。間に調査を入れたので、時間がかかっていますが、特に政治という意味で、重要な挿入です。初稿の、二倍以上になっています。芸能ニュースという意味で、重要な挿入ではありません。

副題1、『お正月という世間と隔絶した時期に、私は、たまっている新聞を、対、私・攻撃用ニュースを探して、相当丁寧に読み、たまたま、井上道義の、連載に気が付いた』

 今、池端慎之介が、朝日新聞に、自分の人生を回顧しています。【語る ー 人生の贈り物 -】という記事で、2023年1月23日は、彼のシリーズの11回目です。

 忙しいので、新聞は、昔はともかく、今では、ほとんど読まず、しかも、時折読んでも、ニュース以外は、目にとめず、こういう記事=フィールドには、一切気が付かなかったのですが、前回の、井上道義のシリーズが、非常に面白かったので、それ以来、読む様になりました。

 指揮者、井上道義のシリーズは、お正月を挟んだので、たまたま、時間に余裕があったのだと思います。

 といっても年賀状は、用意できず、かつ、返礼もまだしていません。忙しいのは、激しい攻撃を受けているからで、・・・・・仕方がない。神様は、事情をご存じであるはずだ・・・・・と、考えて、あまり悩まない様にしております。人から、非難されたり、叱責をされることは、恐れていないし、この日常生活上の、激しいいじめを、具体的に突破する過程で、精神は、鍛えに鍛えられ、圧倒的な、気強さを獲得しましたのでね。

 ところで、この朝日新聞の、語るシリーズですが、日経新聞の【私の履歴書】の、五十分の一程度の分量です。で、これだけでは、その人の、人となりは、わからないと思いますが、短縮形だけに、却って、わかりやすいというメリットもあります。

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副題2、『井上道義は、彼の、人生に驚いたのだった。そして、覚悟も立派だと感じた。しかし、次の連載=池端慎之介は、まったく違った、側面から話題にしたい。彼の人生そのものではなくて、彼が、その記事内で、処分した数多い豪邸の一つ葉山邸に関して、本日は、書きたいのだった』

 別に、彼の人間性が、ができが良いとか悪いとかいうのではなくて、やはり、私の想像が当たっていたと思うからでした。想像とは、彼が、葉山に豪邸を持って居ただろうと、一年以上前から、気が付いていたことが、2023年1月11日の朝日新聞の、【語る】で、証明された事を指します。

 つまり、とても、小さいことですが、預言者としての、私の、勘がどれほど、鋭いかを語らせていただきたいからです。

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副題3、『狛江に起きている大事件(90歳の女性が、骨が飛び出すほどの、大けがを負わせられて殺された事件について、ここで、短くだが、語りたい』

 今、狛江で大事件が起きています。私はね。これもまた、安倍晋三元総理銃撃事件と同じく、地名が、重要で、一種の謀略だと、考えています。

 実は、狛江には、重要な知人笠松敦子女史が住んでいて、大学卒業以来、もっとも、交流が、大きかったと、考えています。しかし、彼女もまた敵さんに、とられてしまって、ここ10年、ほど、連絡を取っていません。この人はご本人も元筑摩書房勤務だし(その後、在宅勤務編集者として、主に、光文社のフランス語関係の豪華本の編集にあたる)ご主人は定年まで、筑摩勤務です。だから、私は、筑摩書房から、自分の原稿を公的出版をしてもらいたくて、ずっと、付き合っていたのですが、2005年ごろ、一冊目を出版したあたりから、明瞭に裏切られていた模様です。それは、出版界に多大な影響力を持って居る井上ひさしの差し金によるものでしょう。

 もう一人、高校時代の、友人も狛江に住んでいます。この人は、十文字学園の創設者の一族で、それで、十文字学園が、子宮頸がんワクチンに関する好転会を開いたと、言う記事に出くわします。彼女自身の、現在の名前は、結婚後の姓を使っているので、十文字ではありません。善人ですよ。だけど、いろいろな人に教唆をされて、敵方の一人となってしまっているのです。それは、豆腐屋うかいで、井上きっこさん、宇都宮和代さん、中島可奈子さんの、三人が、かかわったとされている、クラス会で、ひどいいじめと辱めが、準備されていたのですが、それの、席替え、私の左隣に、座っていた、十文字さんが、可奈子さんと、突然座席変更をしたと、言う形で、協力をしたのでした。ああ、ひどいことだった。これについては、10本以上書いて居ます。銀座の画廊のオーナー栗田玲子さんもかかわっているでしょう。

 で、そういう知人が、二人も住んでいるので、狛江が、地名として利用されたのでしょう。関係者というわけで、安倍さんの、西大寺事件が、・・・・・私の最大のメンターだった、旧姓・西大寺さんに、お前が捨てられていることを思い出せ・・・・・と、言われている様に、狛江の、ひどい事件も、その90歳の高齢女性に、何らかの原因があるわけではなくて、高齢である、私を脅かすために、作られた事件でしょう。

 それと、狛江に住んでいる二人の重要な友人から、お前は、もう捨てられているんだぞ・・・・・といいたい、鎌倉エージェントが、企画したものだと、思います。

 特に千葉県警から、東京の狛江署に、連絡が入って、警察が、訪れたら、遺体を発見したというところがみそです。私に関して、私を脅かす事件が、千葉県警から、連絡が入ったというのは、私には、ピンとくる点があるからです。

 つまり、お前を脅かすのだ。お前だけは、それが、わかるはずだ。で、どうだ、わかったか。、これについてブログを書けよと、言われているので、却って事件後すぐには、書いていません。

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副題4、『私は、本当にひどい目に出会っているが、その一フィールドが泥棒被害である。あまりにもひどい時は、ブログ化しない。だって、自宅以外で、盗まれる際は、警察の特殊部隊が盗んだケースが多いので、見つかるかどうかは、その時期の警察庁長官の、道徳観にかかっているからだ。私の努力では発見されえない。つまり、盗んだ組織の、そのトップのお情けにすがらないと、出てこない。今、往時の警察庁長官の実名を記載しないが、千葉県警を使うのは、前任の警察庁長官、もしくは二代前の、または、三代前の長官時代から、始まっている事である』

  私に関して、私を脅かす事件が、千葉県警から、狛江警察署に、連絡が入ったというのは、私には、ピンとくる点があるからです。

 つまり、「お前を脅かすための事件だ。お前だけは、それが、わかるはずだ。で、どうだ、わかったか。なら、これについてブログを書けよ」と、言われているので、却って書きません。つまり、ここ、三週間、重要なことを書き続けてきているのに、それが、中途半端になるからです。

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 実は、千葉が出てくると、私を脅かすためだと、言うのは、過去に経験した、二つの現象からわかるのでした。2017年の暮れだったか?

 全財産を入れたアテンダントバッグが、尾行者の連絡により、睡眠中の私の手許から、JR総武線車内で、盗まれたのです。津田沼駅だったと思います。あまりの被害の大きさに、すぐには、ブログ化しませんでした。だけど、盗まれてすぐ気が付いて、津田沼駅の落とし物センター他、同駅の車庫管轄部署、その他、5か所ぐらいを訪ね歩いたのですが、誰も、真剣に対応をしてくれず、かつ、上下線とも、ホームに20人程度の、ガードマンが待機していて、・・・・これは、狙われた、犯罪だ・・・・と、覚悟をしました。だけど、盗んだのは、伊藤玄二郎ら、鎌倉エージェントの部下としての、警察ですから、

 お金を盗まれることは、事実上ないだろうとは思ったのです。この時期とは、五年は前で、私は今よりも健康だったので、重いものを持つのが平気だったと、言うこともあるし、主人に対して、気を使っていて、彼の外出の自由を確保したかったからです。今は、全部を持って出ず、主人に必ず、家にいてもらうことにしています。

 でもね、今は、平気で、「警察が、あれをしていますとか、これをしています」と、書きますが、五年前は、そこまでは、書けないと、感じていた時期で、したがって、盗まれたこと自体を書いていません。

 で、まず、貸金庫の鍵(カード形式のところだった)を再発行してもらおうとしたのですが、間に、お正月が入ったし、マイナンバーカードも保険証も、そこに入っていたので、自分を証明するものがありません。で、パスポートを使おうとしたら、なんと、パスポートが我が家から盗まれていたのでした。ぱすぽーとが盗まれるなんて、夢にも思いませんでした。もう、海外に行くつもりがなかったので、古い通帳類と、一緒に、自宅にある、或る箱に入れておいたのに、盗まれていたのです。

 ここで、読者の中には、どうして金庫を買わないの?と、言う方があるかもしれません。でもね。金庫を買ってもだめでしょう。我が家の合いかぎは、ずっと前から作られていて、ご近所様二軒が勝手に出入りして、いろいろな悪さをしています。たぶん警察が作って渡しています。家の合いかぎが作りえるぐらいですから、ホームセンターで、買ってきた金庫など、即座に、破られます。銀行の金庫を、三つ、+主人名義のも、四つも借りているのは、もしそこから盗まれたら、銀行に責任を問えるからです。自宅に金庫を置いても誰にも責任が問えませんね。だから、無駄です。

 で、市役所で、戸籍謄本をとって(それは、主人にしてもらったのだったかなあ?)、それから、パスポートの申請に行って、

 と、順々にやっていったのですが、貸金庫のカードを再発行してもらうだけで、間にお正月が入ったので、三週間かかりました。その間、主人にお金を借りましたね。常用の通帳二通も盗まれているし、カードで、払い戻しができる証券会社のカードも、全部、そこに入っていたので、貸金庫に入っている、普段は、使わない通帳を取り出して、何とか、生活費を引き出そうとしたのです。でも、それだけでも回復に三週間以上かかったのです。

 で、そういう風にゆっくりと回復作業をしながらも、ブログ化、しなかったのです。すると、計画を立てた人間が、「だめだ。この泥棒は、脅かしの役には立たなかった。じゃあ、どうするか、誰かが、拾ったことにしよう」と、なったらしくて、ずいぶん、時間がたってから、千葉中央警察署から、「届けられている」という電話がかかってきました。午後、二時だったと、覚えています。「すぐ行きます。今日中に行きます」と電話には、答えて、とるものもとりあえず、東京駅に向かいました。

 千葉ちゅうおう駅って、京葉線だそうですから。ただね。東京駅の横須賀線(最も、西に在り、しかも深い)から、京葉線(最も東にある)までは、ほぼ、10分かかるのではないかというほどに遠いのですよ。夕方五時までに、到着できるかしらと、焦りながら、必死で、歩きましたね。

 千葉中央駅って、きっと、埋め立て地です。したがって、海が近くて、かつ、美しい新築のビルばかりの街です。横浜みなとみらいよりも、より硬質で、より、無機質で、より、近代的です。

 そこを、教えられたとおりに歩くと、千葉中央警察署に、到着しました。驚きました。それこそ、BCS賞でも貰っているのではないかというほどの、すごいビルです。総ガラス張りで、中が透けて見えるのですよ。東京、京橋あたりには、最近、総ガラス張りのビルができています。しかし、五階ぐらいまで、中が透けて見えるビルなんて京橋には、ありません。だから、このビルは、東京圏全体を見ても、もっとも、美しいビルの一つと言えるでしょうね。驚きました。本当に驚きました。

 商業ビルで、よくエレベーターホールだけガラス張りで、外が、見えるものがありますが、このビルでは外から、エレベーターの動くのが見えるのですよ。スケルトンが、全部見えるのです。ただし、拘置所などは、中に配置されていて、外からは、見えない様になっているとは、おもいます。いずれにしろ、ただ、ただ、あっけにとられるほどに、美しいビルでした。

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 で、その時に私は、はっきりとわかったのです。・・・・・・この盗難は、警察の特殊部隊が、仕組んだことだったと。で、この、超近代的な、警察署をみせることで、「警察は、権威だ。力があるのだ。だから、お前、今書いてる様なことは、書くな」と、言われているということを。

 で、私が、その超近代的なビルを見上げながら考えたことは、・・・・・ああ、そうですか。それは、とっくに、わかっていました。だけど、あまりにもひどい攻撃が、四方八方から、押し寄せてくるので、一つ一つの事例について書かざるを得ないのです。心身の防衛のために、書かざるを得ないのです。私は、美術が専門ですから、このビルが、本当に美しいビルであることは認めます。しかし、それはそれ、これは、これ、あれは、あれです。1978年、北久里浜で、益山智恵子夫人に車で、ひき殺そうとされた日以来、

 東京、第〇弁護士会会長の、栗原先生は、「法律とは、被害者を守るためにあるのですよ」と、教えてくださったではないですか。ご近所からのいじめ、友人を引っ剥がされ、友人から、同窓会を利用して、行われるいじめ、とうとう、そして、我が家の東北の、崖を崩そうとする何度もの試み、

 そして、子供の受験を妨害する試み、そういうすべての被害を、正当に挽回する手段・・訴訟があるのでしょうが、それを、失ったのですね。東大卒の弁護士(五人)の知人の間に、どうも「引き受けるな」という指令がまわっているらしいのです。だから、栗原弁護士逝去の後では、最も親しい弁護士である青山敦子さんが頼りですが、彼女から、断られています。

 冤罪回復で、有名な弘中淳一郎弁護士も、片山ゆうすけ君のなりすまし疑惑の時に、途中で、諦めていらっしゃいますよね。裏から、何らかの、手配が、回ったのだと、思います。

 だから、被害を、回復させるための、訴訟は、できないと、なります。でね。訴訟ができないどころか、なんと、清泉小学校の子供から、「逮捕するぞ」と路上で言われたり、SNSで、実名表記はできないと、言う流れになってきています。それで、三浦春馬、竹内結子が殺されました。

 で、逮捕でもされるのだったら、その時は、自分で、弁護する覚悟であり、ありとあらゆる現象を、実名で、文章化することにいたしました。

 前報ですが、黒田総裁に、「こうしなさい、ああしなさい」と、命令をしている人物を、まだ、実名表記をしていません。それは、ですね。ある作戦のもとにそうしているだけで、ICU関係者(特に、1955年から、1970年の間の、卒業生)が読んだら、誰の事かは、わかると思います。

 その人の奥様が、大宅映子と、親友であり、かつ、その奥様の、お父様が、一時期、文芸春秋社の社長であり、お母様は、現代の中野信子級の、文人タレントであったと、言えば、わかる人にはわかるのです。

 ともかく、私は、このブログを訴訟に持ち込まれた際の、弁証に役立てるつもりで、術の文章を、書いています。本当に必死ですから。

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副題5、『笠松敦子さんは、浜銀を知らなかった。驚いた。地域差というものはあるものだと、感慨が深かった』

 さて、狛江に戻ります。二人、友人がいる中で、大学の時に同期だった、友人に、すでに、間柄が、切れているとはいえ、どうしても質問をしたいときには、質問をします。で、狛江に、2011年に停電があったかどうかを聞いたところ、一回もなかったそうです。その答えを得て、今度は、文京区に住んでいる友達に電話で問い合わせると、一回もなかったそうです。この電話は、2018年過ぎにかけています。

 文京区は、東大があるから、そりゃあ、停電はないでしょう。パソコンが付随に、シャットダウンしたら、研究が、すべて、チャラになってしまう可能性がありますからね。で、停電は無い。だが、狛江市にもない。となると、(鎌倉は、6回はありました。特に我が家の周辺は、8回ていどありました。)日本には、原発は、必要がないと、言うことに成るのです。鎌倉市の計画停電は、すべて、対、私・威圧用だったとなります。特に横須賀線で、東京から、帰ってくるときに、同じ鎌倉市なのに、大船では、電気がついていて、我が家近辺では、消えているときがあったので、これは、確かなことなのです。

 ::::::::::ここで、挿入となりますが、計画停電が、狛江になかったということは、原発とは、ウランを売り込んでくるロックフェラー家を、さらに、金持にさせる、ツールなのです。そして、上の節で出てくる、黒田総裁に、「ああ、言いなさい。こういいなさい」と命令をしている、男性とは、もちろん、ロックフェラー四世とは、親しいのです。

 ICU第一男子寮で、親しかったはずだし、その後、アメリカ留学とか、アメリカ駐在任務があったので、さらに、交流が深まった筈です。::::::

 笠松敦子さんに戻ります。停電のことを聞いたりした、ついでだったか、別の日だったか、「浜銀がああで、こうで」と、こちらが言いながら、ふと、心配になって、「浜銀って知っていますよね」というと「いいえ、知りません」と、彼女が言うのです。もうびっくりしました。浜銀とは、横浜銀行の略で、長友選手をローンのコマーシャルに使っているし、品川駅の、JR東日本の構内(改札口の中ですよ)に、浜銀の、ATMがあります。それほどに、支店とか、ATMが多いのです。京急なども、横浜駅など、改札の中に、浜銀のATMがあります。

 神奈川県在住の人だったら、必ず、一冊は、通帳を持っているはずだと思うほど、支店とか、ATMが多いのです。リフォーム関係などで、業者に、何かをお願いする際にも、もしそれが、10万円以上の金額だったら、相手側は、「浜銀の、口座に入れてくれ」という形が多いのです。

 しかし、狛江に住んでいる人は、浜銀を知らないのでした。地銀として、日本では、第一位なのに、狛江市在住の人が、その名前を知らないのです。今、狛江に大事件が起きているわけですが、この二人のお友達と、切れていることを思い出せという狙いが、鎌倉エージェントの裏にあると思います。したがって、これも、我が家近辺のボス気質の奥様方を助けるものです。まるで、中学生のいじめ社会、みたいなことをやってくる人々を助ける事件です。

 しかも、千葉県警が関係しています。だから当然のごとく、私が、その真実の流れに、気が付くはずだと、みなされて、事件が起こされました。その被害者の、若い夫婦一家とか、その母親であろう高齢女性の方に狙われる原因はないんです。また、これは、飯能事件について、私が書いていることを否定するための事件でもあります。あれが2022年12月25日に起きています。そして、私は、ビショップさん一家は、死んでいないと、言っています。その後、急に関東一円で、こういう残酷な強盗事件が起きて、命令役はルフィと言い、フィリピンに住んでいると、言う続報が出たりしました。そのうち逮捕される可能性があります。手下は、すでに、逮捕をされています。だが、これが、飯能事件について、私が書いて居ることを否定する目的を、持って居るというのは確かなことです。だから、特別に、残酷なやり方で、殺されたという報道が必要だったのでしょう。お前震え上がれよと、言われているわけです。

 しかし、私がここで、本当に語りたいことは、狛江の人が、浜銀を知らなかったという点なのです。ある一人の個人の頭脳の中に、詰まっている知識には、地域性があるということを語りたかったのです。

 さて、ここからは、不動産会社のあれこれに入っていきます。

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副題6、『今は、個別の不動産屋も、大手、at home とか、homes に、集合され、傘下の組織として動いているみたいだが、個別ではなくて、数軒の支店を持つ、地域性の高い、不動産屋も、まだ、湘南地方には、残っている。ウスイホームと明治地所だ』

 狛江市を含む東京都南部は東急Livable が、扱い件数が、多数だと、思います。一方京急沿線は、金沢八景までは、京急不動産が、優勢です。しかし、そこより南になると、【ウスイホーム】という会社が、牙城を築いています。似た様な会社として、明治地所というのがあります。こちらは、鎌倉駅を中心として、大きく商売を発展させている会社です。で、表駅(ほかの町だと、東口というところ)の、ロータリーのもっとも、良いところに店舗を構えているし、裏駅(他の町だと、西口というところ)にも、駅近くに別の店舗を構えています。

 私は、そのガラス壁に貼ってある売地という宣伝ビラを見るのが大好きです。

 それは、間取り図を、書くのが好きだからです。間取り図を、描くというのは、趣味の一つです。二回、本当の普請をしていて、一回目は、父が希望通りに図面を書いてくれて、確認申請も取ってくれました。二回目は、増築だし、一回目と、同じ工務店にお願いをしたし、父が、亡くなっていたので、建築確認申請書が、どうなっていたか、記憶にないのですが、たぶん、工務店側が出してくれたのだと、おもいます。

 父が、あれは、宮大工級の立派な大工だったねと、言うほど、しっかりした棟梁で、それにプラスしての、その工務店の長所は、賢いお嫁さんが、営業担当で、交渉役だったということです。普通の主婦の雰囲気で、スーツを着て営業しているというわけでもないのに、賢いのですよ。すでに、私が頼んだ、1974年には、棟梁は、現場には、出陣しない段階だったけれど、いい家を建ててくれました。その工務店が藤沢から、大船へ、移転をしていたので、今般、夜に、訪問をしました。反町のアパートのリフォームを頼むとしたら、そこと、決めていたからです。行ってみると、すごい、すごい、レベルの大金持ちになっていました。説明ができないぐらい素敵な、そして、いい材料を使った、しかもモダンで暮らしやすそうな、大きな家に住んでいました。

 しかも別棟として、がっちりした、コンクリートでできた10台ぐらい停車できる駐車場と、その上に建っている(夜だったから、大きさとか、建材は、わからなかったが)アパートもあるのです。誠実で、良い仕事を、(主に、日立関連の、課長級以上の住宅を口コミで、引き受けると、言う形で)、こなしてきたからでしょう。我が家は、日立ではないし、口コミではなくて、洋光台あたりの建築現場で、その仕事の、上質さを見て頼んだのですけれどね。だけど、「子供や孫が、IT系の仕事をしていて、もう、工務店はやっていないのだそうです」ザーんねん、残念。

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副題7、『私は、間取り図を書くのが大好きなのだが、その趣味が昂じて、難しい地形の敷地に、その縛りにあった家を設計するのが好きになった。で、鎌倉で、土地の売り物が出ると、見に行って、建蔽率とか、容積率を勘案しながら、夢(または、幻)の設計図を書くのである』

 ともかく、私は、自分が実際に、自分で、住む家を建ててみて、素人ながら、建築が大好きになり、いつでも、三度目の家が、建てられる様に、間取り図を、書き続けました。それは、時間が、少ないときに取り組める趣味の一つです。

 方眼紙は、常に買っておいて、アリと、あらゆる場面に合わせた家を、設計していくのです。間取り図と、窓の位置程度の設計図ですが、だんだん集中していくうちに、制限がある敷地内に、建てる家を設計するのが、より楽しいと、感じる様になりました。

 ただ、いわゆる狭小住宅を設計するというのを目指すのではなくて、実際の売地を見て、この条件の土地だったら、どういう設計図が可能だろうか?と、そういう風に考えるのです。日本の家というのは、一間と三尺を基本としています。だいたい、隣家との、間の空間をとった残りが、三間半(幅が6.3+1.4m)ある土地に建てるのが、まあ、まあ、の条件ですが、実際に売り出している土地では、それだけの幅がないケースも多いので、頭脳を駆使します。それが、一種の脳のリセットになります。

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 ある時に、47坪の、相当良い条件の土地が、鎌倉の高級住宅街・小町二丁目で、売り出されていました。実際に、買う人ではないと、正式な番地が、公開されないのですが、鎌倉で、近年、売り出される物件は、数が、少ないし、この38年間に、あっちこっち、よく散歩をしているので、買う交渉をしないでも、そこが、どこであるかが、私には、ビラを見るだけで、はっきりとわかるので、そこへ向けて歩き出しました。

 皆様は、何回も何回も放映をされた養老孟司先生の、猫めんたりーをご覧になったことがあるでしょう。養老先生のお宅は、ゼンリンの、地図には、公開をされていません。井上ひさしの家も、その名前が、ゼンリンの地図では、公開をされていません。でも、鎌倉の住民だったら、だいたい、知っています。噂でね。私は、最近、夕暮れが早いので、自宅へ登りながら(山の上に住んでいるので、)鎌倉市街を眺めるのです。

 すると、東側の山の中に、ポツン、ポツンと、いくつかの、あかりがともっているのです。『ああ、冬だから、モミジや、イチョウが、葉を落としているので、あのあかりが見えるのですね』と、考えるのでした。夏には、このあかりが、見えません。でも、その、数点のあかりの一つが、養老先生の家なのです。

 テレビ番組の中で見ると、自然が豊かな、素晴らしいお宅です。しかし、あの家から、鎌倉駅までは、徒歩20分はかかるでしょう。(むろん、車を、およびになるでしょうけれどね)

 しかし、たとえ話にでも、養老先生のお宅をここで、出したのは、そちら方向に、向かう、その中間に、私が目を付けた、素敵な土地があったからです。そして、駅まで、徒歩6~8分の理想的な土地だったのです。実際に、見に行ってみると、元は、100坪、もしくは、150坪、もしくは、200坪だった土地を縦長に、分割したものだと、わかりました。つまり、南北に細長いと、言う土地だったのです。これはですね。間取り図を書くのが、難しい地形です。

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副題8、『ここで、前田家が再び出てきました。この家も、他の、CIA協力者と同じく、私をいじめることで、大変な果報を得ているお宅です。たぶん、ご長男が、今では、転職をしていて、その転職先が、朝日新聞社ではないかと、推察しています。51歳だから、年収2千万円を超えるでしょう。その坊やが、日大農獣医学部を卒業した当初は、朝日新聞社勤務ではなかったと、思いますよ。だけど、私の事を、その両親が、きわめて多大に、いじめることへのご褒美として、CIAが、ご長男を朝日新聞社に、転入したのです。もしかすると、新聞販売店を経営していたのですが、それが、本社勤務になったのでしょう。科学部か、営業部か、担当は知りませんが、彼は、今、勝どきに、住んでいて、それを誇った風に、私の家にも、ビラとして、シェアハウス開業のお知らせを、いれてきました。彼は、旧中谷邸を、1980万円で買っています。ものすごく安いです。しかし、それは、彼の家よりも、山の下に近い場所に建っている、両親の家が、建築基準法に違反をしているからで、彼が、1980万円で、かったその土地に新築が出来ないからです。

 ただし、私が死んだり、私が引っ越して行ったりしたら、例の伊藤玄二郎の画策で、特例が認められて、新築が可能でしょう。そうしたら、ものすごい立地の良い豪邸になります。それで、私が前田、安野軍団の主婦連中にいじめぬかれているというわけです。でも、ひどいです。すべては、ひどいひどいという一語に尽きます。だから、戦っています。日々戦っています。

 この「両親の家が、建築基準法に違反をしていること」と「安野智紗夫人が、1984年から、2011年ごろまで、毎日、午後、井戸端会議を開いて、そこで、前田清子さんがしゃべる声が、一番大きくて、うるさくて、それで、心ある存在にとっては、この山の環境は、たまらないものとなっているのです。で、お金がある人は、引っ越して行きました。というのも、その井戸端会議で、交わされる話題も極めて低劣でしたし。

 しかも、前田・安野夫人たちの軍団は、この山でヒエラーキーを作って、弱い者いじめをするのです。私が、引っ越してきたころは、藤本悌子さんという女性が、一番虐められていました。藤本夫人は、安野夫人の井戸端会議開催の場所から、一番近い(5mと離れていない)ので、うるさいこと限りが無かったでしょう。

 こういうブランド住宅街で、中学生以上の子供をもつ母親が、井戸端会議を開くなんて、普通はあり得ないのですが、安野智紗夫人が、自分がボス化するために、情報収集をしたかったのでしょうね。で、藤本悌子さんが、もっとも声が大きいし、他人をにらむ癖がひんぱんにある、前田夫人に復讐をしようとしたのが私の私道部分が盗まれしまった、もっとも大きな原因です。

 その土地は、藤本夫人が駅傍の実家(小児科医院・関・さんだった)に引っ越した後で、法外に、安い値段で、石井秀樹さん(個人住宅の設計家・・・・2022年の突撃隣のすごい家…BS朝日で、トップ賞を取っている)に手渡りました。

 以前は、私は「藤本夫人がお金持ちだから、安く手放した」と、考えていました。が、最近では、・・・・・・違うでしょう。2000万円程度の差額は、伊藤玄二郎達が、官房機密費から、捻出して、藤本家側に渡しましたね・・・・・・と、考えています。そして、舞台が、三菱銀行だったと、書いて居るので、今、三菱銀行鎌倉支店が、いじめられているのですよ。きっと、裏側は、そうです。』

 この前田君が買った土地が、東西に、細長いのです。これだと、間取り図を書くのが、とても楽なのです。今、そこを、シェア・アトリエという名前の、ワンルーム・アパートに改修していますが、それは、東西に細長い土地なので、日当たりのよい部屋が、8部屋も、とれるのでした。一部屋が、リビングルーム兼台所になっています。

 去年の段階の、チラシだと、共益費込みで、75000円だそうです。順調にいけば、月400万円の収入が、前田君にもたらされます。

、 その高収入の陰に、私が、昔から書いているアジサイ畑欺罔事件という、もろもろの、私一人だけ、被っている被害があるのですが、本日は、前田家に関しては、その家が行った弾圧事項の、詳細は、パススルーして先へ進みます。ものすごい被害を与えられています。共産党員だと、みなしていますので、特にひどいのです。

 CIAは、彼ら夫妻に、命令し放題でしょう。共産党と、CIAは、今、井上ひさしにその典型例がみられる様に、ぴったりと連動をしています。

 ただ、今日は、私は、気分が良いので、汚いことを書きたくないのです。・・・・・なんと、汚いケースだというほどに、この山の町内会には、いろいろな、暗闇があるのですが・・・・・本日は無視して先へ進みます。

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 さて、小町二丁目の土地に戻ります。47坪で、南北に細長い土地で、老後も安心して住める家なら、たった二階・だて・でも、えれべーたー付きで、かつ、家賃収入がある家が、上等です。

 そんな家の設計図を頭に描きながら、ふと、隣を見ると、東側に、大きな大きなおうちが、建築中でした。どこか、秘密主義で、すべては、高い塀に隠されているものの、異様に大きな家が、建築中でした。で、出入りしている、建築業者に聞くと、横浜一、有名な数寄屋造り専門の工務店が手掛けている、100坪を超える、別荘だという事でした。平屋(=二階がない形で)、100坪以上ですから、ものすごいレベルの大きさの邸宅です。ただね。施主は、東北の建築会社の社長だと、聞いて、復興特別税と、言うものを、集めて、東北の、建設業者は、大儲けだと、噂が、ここに結実をしているのだと、私は、考えました。嫌味ではなくて、そういう集積が、あるのです。

 感無量でした。

 東北の社長さんということで、一回、アイリスオーヤマの社長さんかと、誤解をした文章を書いているので、ていせいしておきたいのですが、今、見つかりません。2018年の6月以降だったのは、確かですが。しかし、鎌倉に転入してくるにしても、この人は、頭がいいと、思いました。塀と、川と、森に囲まれていて、すべてを、地味目に、行動をしているので、大金持ちであることが目立ちません。賢いです。

 駅から、三分のところ(もと、動物クリニック)に、豪華マンションが、東急によって、できました。売値が、一般人には非公開です。でも、いっこが、5億円近いという噂です。そういうところを買って入ってくる人よりも、この小町二丁目の、滑川添いの邸宅を立てた人の方が、自分の思想を、貫く賢さがあると思いました。

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副題9、『しかし、鎌倉には、ある条例があると、知ったのは、このころだった。そこに住んでいた持ち主は、土地を分割して打ってはならないと、言う条例』

 その条例は、鎌倉を、無残な、建売住宅で、埋めない様にしようとするアイデアですが、実際には、抜け道もある模様です。ひよしには、そういう条例はないみたいで、下は、実家ですが、今は売り払われてしまい(むろん残念です。が、私の持ち物ではなかったのでしょうがないです)、三軒の白い建売住宅に変化しています。

 ここから先、文章が隠れています。オレンジ色の行が、見つかるまで、画面を、上下左右にスクロールをして読んでみてください。
 まあ、この三軒の家ですが、定価が、7800万円だったそうですから、税金を入れると、8000万円を超します。ただし、弟が、2億4千万円をてにしたわけではありません
 鎌倉には、こういう形で、分譲住宅を建てさせない仕組みがあるのだそうです。それは、広い家に住んでいた人は、分割して、土地を売ってはいけないと、言う縛りです。でね。鎌倉で、100坪以上となると、高額ですから、本当に売りたいのだったら、分割することに成るわけですが、住んでいた人が、一回、別の人を間に挟むと、分割できるそうです。で、私が見に行った、小町2丁目の、素晴らしい土地も、事実上の売り手は、業者なのだそうです。でも、ふとあることを思いついた私は、もう一度、明治地所の、オフィスへ、戻ってきて、部屋に入り、
 「小町2丁目の、売地って、元慶応の教授のお宅だったのでしょう」と、言うと、明治地所の社員殿は、びっくりしていました。
 あまりに、ずばりだったからです。これが、今日の文章の導入になる、私の勘が鋭いというエピソードの一つです。
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 本日のメインの文章は、ピーターの家が、売りに出されていた時に、勘が、鋭い私は、「あ、これは、ピーターの家だろう」と、思った次第です。もちろん、明治地所の、売り出しビラには、買う本人でないと、持ち主が、判らない形で、記載がされています。が、それでも、私は、その葉山の豪邸が、ピーターの持ち物だと、直感をしました。それが正しかったことが、本日の朝日新聞の記事によって、確かめられたのでした。
 ビラが貼ってあるだけで、ピーターの家だろうと思ったわけは、部屋に、全く汚れたあとが、無くて、生活臭がなかったからです。それとロココ調の家具類です。白とピンクとゴールドで、彩られたインテリアで、椅子類には、絹の厚手の、花柄の生地が張ってあり、銀色に塗られた猫足が、くるっと回っていました。それがsmbc、何とも新しく、未使用に見えたからです。そして、お屋敷にそれらの豪華な、家具が三セット以上付随しているのでした。
 それをどうも、家と、セットで、売るらしいと、知り、このお屋敷の持ち主は、よほどのお金持ちで、かつ、独身であり、・・・・・と、考えていました。そこを突き詰めていくと、ピーターに行きつくのでした。
 これが第二のポイントです。つまり、私が勘が良いという点の。私は、大変な状態です。窮状の極みに在ります。しかし、元気で、生き生きとしています。それが、可能になるのは、常に、予想を立てられるからです。預言者は、世に容れられずと、言われていますが、昨日、この小町二丁目の、高級な売地に住んでいた、慶応の教授のお嫁さんが、すれ違って、私の目をまざまざと、見つめました。そういう時でも、すべての裏側が判るので、適切に対応できるからです。
 SMBC銀行から、はがきで、呼び出しを受けていました。これも、たぶんですが、盗まれた通帳が、あって、それを、機能停止にしたまま、2か月以上放っておいたので、呼び出しを受けました。SMBCg咽喉に三時までに行きたいとは、主人に月曜日から、話していました。で、SMBC銀行鎌倉支店から、我が家までの、未知の途中で、彼女は、待っていたというわけです。私が、もし気が付いたら、彼らの、準備の良さに、私が、恐怖を抱くと考えて、彼女が、待ち伏せしていたのだと、考えます。あ、は、は。
 で、私が、恐怖感を抱くことはありません。ただ、彼女が見たこともないお洋服を着ていて、マスクもしていたので、最初は誰だか、判らなくて、私もかのじょを、凝視しました。それだけです。
 
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池端慎之介の、葉山の、ルーブル宮殿みたいな、豪邸を、ただ、売りに出されていた時から、それが、ピーターの家だと、私には、わかっていた

2023-01-24 01:01:40 | 政治

 これは、まったくもって、前報

超硬質で近代的な千葉中央警察署 VS 池端慎之介の仏の宮殿みたいな葉山邸・・・・・狛江の事件は、西大寺事件と同じ趣旨であって

2023-01-24 01:01:52 | 政治

 の後半部分です。その結論部分が、読めない様にされています。スクロールすると、読めます。上下や、左右のスクロールをすると、やっと表出されて、やっと、よめます。

 でも、念のために、こちらにも、その部分を繰り返しておきましょう。どうか、よろしく。


ここから先、文章が隠れています。オレンジ色の行が、見つかるまで、画面を、上下左右にスクロールをして読んでみてください。

 まあ、定価が、7800万円だったそうですから、税金を入れると、8000万円を超します。ただし、弟が、2億4千万円をてにしたわけではありません

 鎌倉には、こういう形で、分譲住宅を建てさせない仕組みがあるのだそうです。それは、広い家に住んでいた人は、分割して、土地を売ってはいけないと、言う縛りです。でね。鎌倉で、100坪以上となると、高額ですから、本当に売りたいのだったら、分割することに成るわけですが、住んでいた人が、一回、別の人を間に挟むと、分割できるそうです。で、私が見に行った、小町2丁目の、素晴らしい土地も、事実上の売り手は、業者なのだそうです。でも、ふとあることを思いついた私は、もう一度、明治地所の、オフィスへ、戻ってきて、部屋に入り、

 「小町2丁目の、売地って、元慶応の教授のお宅だったのでしょう」と、言うと、明治地所の社員殿は、びっくりしていました。

 あまりに、ずばりだったからです。これが、今日の文章の導入になる、私の勘が鋭いというエピソードの一つです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 本日のメインの文章は、ピーターの家が、売りに出されていた時に、勘が、鋭い私は、「あ、これは、ピーターの家だろう」と、思った次第ですが、それが、本日の朝日新聞の記事によって、確かめられたのでした。

 明治地所の、ガラスの壁に、売り出しのビラが貼ってあるだけで、ピーターの家だろうと思ったわけは、部屋が全く汚れたあとが、無くて、生活臭がなかったからです。それとロココ調の家具類です。それをどうもセットで、売るらしいと、知り、このお屋敷の持ち主は大金持ちであり、かつ、独身であり、・・・・・と、考えていくと、ピーターに行きつくのでした。

 

 これから先、大きなスペースが開いています。治せません。どうか、下には、別の文章(前報類)があると、お考え下さいませ。

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小池都知事10万円をばらまくという。なぜ今? 又誰から教唆されてそれを言う?…+・・・私の臀部へ激しい痛みを起こしたのは誰だ?

2023-01-21 00:24:56 | 政治

 本日の私は、2時間半しか寝ていません。そして、その次の日は、30時間一睡もしていません。なぜ、一睡もしていないかというと、この文章の続きを書く体力がないと、感じて、昨日、土曜日、パソコンで、文章を入力しなかったので、普通の日よりも、体力を使わなかったらしくて、それで、寝られなかったのでした。

で、普通なら、新規のブログは、書きません。ただね。ものすごいレベルの痛みを、右の臀部に、反町のアパートで、睡眠中に、(二度目として)、外部から与えられて、それをする連中のずるさへの怒りに、気が立っています。だから、二時間半の睡眠でも、新稿を、起こします。

 それと、未完の段階でも、この一文をさらす、明瞭な理由が、23-1-22 12時のNHKニュースを見ていると出てきたからです。それで、さらします。***********:罫線以下にそのニュースを置いておきます。岸田総理大臣は、ある民放の番組内で、四月以降、黒田総裁の任期継続はないと、明言したそうです。それは、ですね。下にリンク先を置いている前報も、大いに原因となったでしょう。が、こっちの方が、さらに重要なのです。

 それは、ですね。この一文は、完成させると、黒田総裁に、大いなる影響力を持っている、ある人物の個人名を、出すはずだからです。前報で、それは、現在83歳の、ICU卒業生であろうと、におわせていますが、この章を完成させれば、そこまで 到るはずです。

 ・・・・・・小池都知事が、市立中学に子供を通わせている親の家に10万円を配ることを検討中・・・・・というニュースが出てきて、ああ、自分の考えは当たっていると、考える様になりました。

 そのニュースは、私の長男が、中堅レベルの、私立中学二校を、受験した際に不合格になったのは、北久里浜の水道山を、ただで、自分のものにした(地積変更届の仕組みを利用した。だから、犯罪として告訴することはできないのだが、実際には、大詐欺に当たるものである。その)一派は京急北久里浜駅、東側の丘の上で、2000坪近い山林をただ、もしくは、いろいろな、知恵を利用して(=地積変更とどけを出し、法務局を巻き込む)、自分のものにしたのであり、私は、その裏側(または、真相)を、全部知っているので、1978年、その事件のトップとして、突然現れた瀬島隆三に、激しいいじめを受けており、なんと、1982年の、小6だった息子の私立中学受験を裏から、妨害をされたのでした。

 それを書いている私をさらに、心理的にえぐってくるために、小池都知事は、NHKニュースを利用して、総タイトルに書いている様な発表をしたのです。

 しかしここで重要なことは、小池都知事が、毎日、私のブログを読んでいて、そして、小池都知事自身の発案とか、考えで、こういう発表をしたのではないだろうと、言うことです。

 こういう記者会見をしなさいと、彼女に助言をしたのは、たぶん、大宅映子さんです。その後ろにいる人物が、黒田総裁に、命令をすることができる、人物です。大家映子さんと、その人の奥様が、親友です。その奥様とは、60年以上前ですが、大々的に、マスコミに、載ってた人のお嬢様です。

 今回、岸田総理大臣が、急に、黒田総裁の、辞任と、交代を、発表をしたのは、この、一文を、48時間前に、書き始めながらも、完成させず、また、次の日にも公開をしなかったので、当該の、人物や、その周辺にいる鎌倉えーじぇんと(と、私が、呼んでいる人)たちが、私の真意を測りかねて、おそれを抱いたので、ここで、少し妥協をしておこうと、考えたので、黒田総裁の、交換が、発表をされたのです。

 小池都知事の、発言は、一方的に、いじめてくるものでしたが、岸田総理大臣の、民放番組内での発言と、それを、紹介した、NHKは、一つの角砂糖を、私に向けて、投げてきたというわけです。

 という挿入を、初稿を書いた時点から、50時間後に入れて、いったん、ひっこめた一文を再度公開をいたします。

‘================

 本日(=20日)は、反町で、朝の3:45分に寝入り、6時15分に目覚め、二時間掃除をして、八時半に、反町のアパートを出て、東横線で、菊名に向かい、いったんそこで降りて、デリフランスで、朝食をとりました。ここは、デリフランスの、数店舗の中でも、特に静かで、感じが良いからです。その後、菊名から、武蔵小杉へ向かい、降りて、中原図書館へいき、そこで、基礎的医学の本を5冊ぐらい探して、読みました。ここは、開架図書が充実していて、本を探しやすいのです。むろん、都立図書館には同じレベルの図書館は、いっぱいありますが、鎌倉の自宅から、近い図書館としては、ここが、もっとも、駅のホームから近くて、便利なのです。鎌倉の中央図書館に比べると、お客もいっぱいで、明るいし、本を探しやすい感じがあります。

 それで、探索の結果、今、自分が感じている痛みを、症状として、言語化できる、自信が付いたので、午前11時までに、関東労災病院に到着することを願って、歩ける距離なのに、たくしーで、向かいました。つい、一週間前に、三か月ごとの、予約診療を受けたばかりですが、急患として、診て頂きたかったのです。それほど、いたかったのでした。で、整形の、受付で、「予約がないのですが、急患として、診察をお願いします」と、言うと、事務員が、「可能かどうか、わかりませんよ。先生は、予約の患者がいっぱいです」と、言います。そして、次の段階として、看護師(ただし、今まで、数年間、かつて、遭ったことのない人で、整形外科の師長だと、思われる人・・・・・昔の言葉だと、婦長か、な?)M女史が出てきて「先生は、あなたの説明を聞いて、<民間の個人クリニックで診てもらいなさい>とおっしゃっています」と、言われて、大きな痛みを抱えているが、先生と、直接、お話しをすることができませんでした。

::::::::::::::::::ここですが、初稿を書いてから、30時間後、ふと、彼女は、婦人警官の偽装ではなかったのか?と、思い当たりました。それを、非公開で、一文化しています。最初は、非公開のつもりでした。が、ここで、それを、公開をいたしましょう。でないと、私が馬鹿だと、思われかねないからです。

 関東労災で、私に、「それで、寝られますか?」と、聴いてきた、看護師、宮本恵美子さんとは、以前、見たことがなかった? もしかして、あの背が高くて、しっかりした筋肉を持っている女性は、婦人警官(または、女性刑事)の偽装ですか? いや、警察病院の看護師ですか?

 彼らは午前、3:40~5:15分の間に、反町の、私の所有のアパート内で寝ている私の右足に、二回目のこととして、激しい攻撃を加えてきた。それは、後注3に置く、けいれんを起こす、攻撃より、より、重症化のレベルが、深くて、私は、すぐ、関東労災に急患として、行くつもりになった。大殿筋、または、その内部にある筋肉の靱帯に傷つけられたと、わかったからだ。しかし、私は、医者ではない。だけど、お尻が痛いです」というのでは、先生が、納得する説明とは言えない。それに、パンツを下ろして、先生に、お尻をみせるわけにもいかない。私はMRIを撮影してもらうことを願っていたが、それを、願う為にも、症状を言語化する必要があった。それの、準備が、中原図書館で、必要で、それが、第一回目の訪問だった。が、その後、タクシーで、労災病院に行ったのに、診察を、断られてしまったので、私は、自分で治すつもりになって、二回目に、再度、図書館を、訪問をしたのだった。

 自分で治すとは、どういうことかというと、この痛みが、桜田門の、最上級ITシステムを利用して行われている、仕組みであり、必ず、睡眠中の、体が、固定化されているときに起きるので、技術的な側面ももうわかっているし。ともかく、筋肉の大、大拡大図を作って、本日のレーザー光線が、幅広い靱帯の、どこに当てられたかとか、記録をとる、必要ができたからだった。

 これは、ブログで、私が、その仕組みに気が付いて、中原図書館で、本当のメヌエル氏病か、それとも、外部攻撃で行われたものかを判断するために、医学書を読んだ二年前の時と同じだ。その時にも、尾行が付いていて、桜田門は、「あ、ばれているのだ」と、なって、メヌエルし病、状態を、白内障手術直前に、中断をした。もし、中原図書券で、本の調査をしなかったら、一週間、毎朝、メヌエル氏病が発症した、それが、2週間ぐらい続いた可能性があり、そうすると、私は、白内障手術は、受けられなかったと、思う。というのも、二週間もそれが続いたら、私は、やはり、内科か、耳鼻科を訪問をするはずだからだ。警察が、行っている攻撃だから、内科から、すぐ、眼科に、伝達が行き、眼科の先生は、「あなたは、どこか、体調が悪い様に見えます。だから、手術は、できません」とおっしゃるはずだからだ。

 金銭を奪われ、友人を奪われ、子供の出世という希望も、奪われ、治療を受ける権利も奪われるなんて、・・・・・なんとひどいことなのだ。私は誰の土地も奪っていない。しかし反対に、土地=指導部分をコンクリート詰めされて使えないし、反対に、安野家は、北も、南も、私道部分を使っている。そして、子供の出世も、真っ反対に、彼らは、大、大、大に、得をしている。安野家の次男など、通信簿に1と、2しかなくても、国立大学の付属高校にお入りになり、海上保安庁勤務になった。そして、土地をめぐる、我が家の大損失は、安野夫人の、その年代ではありえない、井戸端会議のせいで、起きたし、その問題の、安野家と、連動することによって、長男が、東大へ、推薦入学で、入りえた、平木伸明家など、あまりにも、差がありすぎるではないか? 私は、だから、戦うのだった。

 それに、私が、一回目に入場した時には、入り口には、まだ、いなかったガードマンが、30分後の、一回目の退出の時にいた。私は、労災で、急患としての、診察を断られてしまったのちに、もう一度、中原図書館に行って、筋肉と、靱帯の、図表を、大拡大をしたいと、思ったのだった。その二回目の訪問の際に、ガードマンはいなかった。彼に、一回目の退出の時に、「だれにめいれいされてきたのですか?」 と聞くと館長だというが、どうして、館長(小島久和氏)が、私が、入館した時には、必ず、ガードマンを要請する必要があるのですか? むろん、尾行をしている、警察の特殊部隊の人間が、館長に、「警察ですが、こうしてほしい」と命令するわけでしょう。

 大島さんという女性司書が、非常に意地悪で、私に目をつけていて、トイレから帰ってきて、一番近くにあった席に座ると「そこは、予約席だから、座ってはいけません」といった。中原図書館とは、私にとっては、地元ではないので、今まで、6回ぐらいしか、来たことがなくて、どの席が、予約席なのかなど、私は、まったく知らない。だから、悪意があって、着席したわけではない。だけど、着席後、たった、一分程度で、激しい、注意を受けたのだった。

 筋肉図と、靱帯図が、本の中の、何頁にあるのかを確認する作業の為だけだった。五分もかからないし、空いているのに、座ってはいけないと、彼女は、固執した。本当に人間の本質とは、まったく違うのだった。非人間的の、極みだった。

 彼女の任務は、かうんたー内で、閉架書庫から、本を持ってきたり、コピーを引き受ける任務らしかった。で、普段は、そこに座っているタイプ(=役割)の司書で、その席からは、私が、ほんのちょっと、座った、例の、予約席は、まったく、見えないのだった。それに、私がそこに座って、大叱られをした机には、予約表が張ってあったが、その時間帯には、誰も、使っていなかった。

 なるほど。と、だんだんわかってくる。彼女の面立ちは、最近、よく図書館にいる派遣社員としての、司書の顔ではない。今、図書館もお役所も、派遣社員という名の、要員をたくさん使っている。らしい。だけど、子育てが、終わって、学生時代の資格を生かしたいんです。という様な、司書の使命感に燃えている、柔らかな上品さなど、微塵もなくて、ただ、ただ、私を、にらみつけてくるのだった。恐ろしい、これも婦人警官か、女性刑事の変装でしょう。

 私は、土地を盗まれ、友人を盗まれ、山も盗まれている。どうしようもないのでそういう被害を書いている。しかし、加害者の裏には、警察がいて、肉体に痛みを与え、治療を受けたいと願うと、病院に先回りをして、先生に、引き受けるなと、言う女性がいて、それを、堂々と、私に伝えるのだった。宮本恵美子看護師のこと。

 さて、その後、コピーに、ついても、異様な意地悪をされたのだけれど、それは、芸大図書館の問題と絡めて、別の日に語ります。

 ::::::::::こういう風に、公費を使って、安野家や、平木家は、守られるのです。私には、被害ばかりです。::::::::という挿入を入れて初稿へ戻ります。

 宮本恵美子看護師から、「先生は、その件は、普通の個人医院にかかりなさい」と、言っておられますと、告げられて、私は、仕方がないと、思いました。中原図書館で、ちゃんと、予習をしたはずですが、私の言うことを・・・おかしい・・・と、考える人が、多いのには、すでに、気が付いていました。で、バスで、東横線武蔵小杉駅に向かい、もう一度、中原図書館に入って、筋肉の図を大・大拡大をして、それを利用することにしたのです。その拡大図に、毎日の痛点(=外部攻撃をされた、ポイント)を書き込んで、5回ぐらい、強い痛みを経験したのちに、それをブログ化し、そういう形で、痛みを自分で、治癒させることにしたのです。⇒、⇒、ここが初稿なのだけれど、二回目の訪問で、出くわした、ひどいいじめのうち、40%ぐらいは、本日、挿入した、上の、茶色のフォントの部分で、書いています。

 つまり、この痛みは、桜田門の大画面に、サーモスタット様式で、映し出された、寝ている最中の私の、動かない体のあるポイントに、ある刺激を与える事(例えば、レーザー光線で、微細に、筋肉、または、靱帯をカットする)で、生成すると、考えているからです。で、痛みの発生は、ブログが原因で、起きるわけですから、ブログを書いて、戦うしかないのです。つまり、普通のお医者さんでは、理解不可能な痛みなのです。政治が起こす痛みだから、政治を使って治すしかないのでした。5500円とか、7000円を払って、別視点(セカンドオピニオン)での、診察をお願いしに、大学病院へ行っても、先生は、『ちんぷんかんぷんですね。あなたの言っていることは』と、考えて、まともには、取り合っていただけないでしょう。

 今回は、・・・・黒田日銀総裁が、ある、ICU卒業生に、命令されて、低金利政策を続けている・・・・と書いた、前報を、CIA連中が気に入らないので、家来としての桜田門(警察庁)に存在する特殊部隊の、IT部門に、・・・・・雨宮舜(本名、川崎千恵子)を、どついたれ・・・・・と命令して、そちらが動いたと、見ています。仁義なき、戦いの中の、セリフみたいですが、言論の自由をこういう形で、弾圧してくる連中は、やくざと同じか、それ以下だと、私は、観ていますので。

黒田、一万田両総裁と、ICUとの間の紐  タクシーを使う罠  補聴器が肝心な時に無効   2023-01-19 23:29:14 | 政治

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 その後、武蔵小杉から、目黒線で、永田町に向かうつもりだったのに、間違えて、都営三田線に乗ってしまい、仕方がなくて、内幸町で、降りました。武蔵小杉で、車体の色が違うなあとは、思ったのですが、武蔵小杉に、相互乗り入れで、都営三田線が、入っていることを知らなかったからでした。で、内幸町で、タクシーを拾って、国会図書館に向かい巻いた。永田町と、遊泳し、夜の8時半に、やっと帰宅しました。すると、夜の八時、45分からの首都圏ニュース内で、小池都知事が、とんでもないことを発表したので、非常に、困難な、態勢の中、一本のブログを新しく書くことにしたのです。

 それが、上のリンク先で、個人名を伏せたICU卒業生と、同じ人物が、大宅映子さんを通して、小池都知事に命令をした・・・・・私のブログ文へ対する、復讐としてと、考えているからです。大宅映子さんは、同期に、元 と言うか、一時期のと言うか、文芸春秋社 社長の令嬢が居ます。その辺りが、鍵です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『人間の体って、非常に高度なパソコンだと、考えている。そのパソコンが、23年間に、40台以上壊されてきているが、頑張って、文章を書き続けている、私に向かって、体への痛みを与えることが、始まったのは、ほぼ、15年は前だった。

 ここで、途中ですが、寝ます。(というのは、20日の早朝の事)睡眠不足で、死ぬ可能性がありますから、それは避けないと、いけませんので。

今は、22日の午後4時半ですが、37時間、起き続けていますので、ここで、中断をさせてくださいませ。

 

**********************:

岸田首相 日銀黒田総裁を交代の考え 後任人事案を来月提示へ

ことし4月で任期が切れる日銀総裁の人事について、岸田総理大臣は民放のBS番組で、黒田総裁を交代させる考えを明らかにしたうえで、後任の人事案を来月、国会に提示したいという意向を示しました。

10年前の2013年3月に就任し、在任日数が歴代最長となっている日銀の黒田総裁は、ことし4月8日に2期目の任期満了を迎えます。

日銀総裁の人事について岸田総理大臣は、BSテレ東の「NIKKEI 日曜サロン」で、「まず人は変わる」と述べ、黒田総裁を再任せず、交代させる考えを明らかにしました。

また、黒田総裁の後任の人事案について、来月には国会に提示する考えがあるか問われたのに対し、「国会日程などを考えると、そういったことだと思う」と述べ、来月、国会に提示したいという意向を示しました。

一方、岸田総理大臣は、次世代型原子炉の開発と高レベル放射性廃棄物の最終処分について、「順番にやるべきだという議論もあるが、今のエネルギー事情などを考えると、同時に議論することで、結果として必要なエネルギーや技術、人材を確保することにつなげなければならない」と述べ、同時に議論を進める考えを示しました。
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黒田、一万田両総裁と、ICUとの間の紐  タクシーを使う罠  補聴器が肝心な時に無効

2023-01-19 23:29:14 | 政治

このブログは、二十日の午後三時まで、総タイトルを「黒田総裁低金利を維持、

円安は、ともかく、株高十七日は何故、おきた?」として居りました。

その時点で、上のものへと、変更しました。

  又、この一文は、十八日の夜までの、N HKのにュースによるもので、その後、じょうきょうが

  変わった可能性も感じて居ます。それは、ご容赦いただきたく存じます。円安についてN HKは、日本人とか、日本にとって、ほぼ、フィフティ、フィフィフティだと言って居ました。

  しかし、私は違うとおもいます。人口の、八十パーセントの人にとって、円安は、生活を苦しくさせるものでしょう。

ほんの少数、五パーセント位が、恩恵によくするーそう言うものだと思っています。だから、黒田総裁は、C I A側に立つ人なのです。

 

副題1、「大方の予想を裏切って、黒田総裁が、低金利継続を発表した。なぜだ?  私は答えを知って居る。」

  理由は、私が、この一月十三日、十六日、十七日に書いた事が、真実であり、それを公開されると、現代日本の本当の支配者が困るからです。  

  こう言う現象は、過去に何度も繰り返されて来ました。

  で チラッとですが、過去にも同じ事を、なんらかの、別のテーマの間に、挟んで置いたので、世間からは、無反応でした。

 今回は、反応があるでしょうか?

 [お前が言って居る事が本当なら、日本国民にとって、迷惑だから、もう物を書くな」と言われるでしょうか?

  もしそう言われたら、このブログが、命を守る唯一の手段なので、書くのは、やめません。    と、申し上げます。

  さて、黒田総裁の発言と連動して、円安が訪れます。

  これは、何も疑問が起きない通例のなどです。ああ、そうですか  と言うしかない。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

副題2、「何故、かぶだかに?」

 世界には、超富裕層が、子供たちの婚姻を通じて、やがて、その軍産共同体をなすファミリーに組み込まれていきます。マーク ザッカーバーグだって、ロックフェラー家と血筋がつながって居ると聞いた事も有りますし。

  そう言うグループには、庶民が目に出来る情報とは全く違う情報が流されて居るでしょう。

  先ずだい一に想像できるのは、ストレートに  今日本株を買いなさい。と  命令を受ける事です。で、彼らの財力とは桁外れの物なので、彼らがにほんかぶを買うと、日経平均が、500円程度、簡単に値上がりをすると言うわけです。

 日本の個人投資家が、黒田総裁の言葉を受けて、さあ、買いだーと言って舞台にあがるでしょうか?  絶対に、そんな風には、動かない筈です。

 この株高は、外人投資家が、動いたから、出来した出来事で、楽観して良い現象だとは思えません。

〜〜〜_〜〜〜〜〜〜

 副題4、「私は、自分の周辺に現れる、ミステリーを解いて居る内にこうなった。

  例えば、2023-1-14 の北久里浜なのだけれど、行ってみたら、電気が通じて居ない。一ヶ月前なら、秋に同じ攻撃に曝されて、防衛の為に準備したランタンとか懐中電灯とか蝋燭が潤沢に有った。しかし十二月の初めに引っ越しを業者にお願いしたので、そう言うものが、いっさい無い。

  街灯の灯りで作業をした。この街灯だが、私への脅かしのために、方角が、我が家を向いて居るものがある。しかも光度が異様に高いのだ。目を射る程の強さで、LED ライトが、10球、こっちを向いている。街灯って、普通下を向いて居てかさは空の方にある物でしょう。

  北久里浜では、笠は、南側、仲野通巳吉邸の方に有り、電球の全ては、北側、我家を向いている。まあ、我が家と言っても、今毎晩寝るのは、鎌倉雪の下の家だけど、北久里浜浜の家も、誰にも貸して居ない今は、我が家と言って良いと思う。

  仲野通巳吉とはテレビには出ない人だから、一応一般人と言う事になるのだろうか? だけど、実態は、籠池夫妻よりも大金を手に入れた、大悪人、益山重夫、智恵子夫妻の夫人の方の実弟である。

  そう言えば、籠池夫妻の最高裁判決が極最近出た。棄却となって、有罪が、確定したそうである。

 このケースは、国有地の払い下げに関して、格安に手に入れた事が、犯罪の主要な要素となって居る。

  しかし、このニュースが、今週、流されたと言う事は、私狙いなのである。

  北久里浜の、仲野通巳吉邸辺りは、第二次大戦中は、国有地だったと、私は想像して居る。三浦半島南端で、最も高い山なので、軍が支配する国有地だったと推察して居る。しかし、ゼンリンの地図は、その頃は、未だ出来て居なかったので

@@@@@@@@@

ところで、今私は、ネット環境の無い反町のアパートに居て、パソコンも持って来て居らず、スマホの充電器も持って来て居ないので、突然バチッと切れる事があるのはお許しをいただきたい。横須賀でピアノを聴いたのだが、主人が、遅くまででも起きているから、絶対に鎌倉へ帰れ  と言って居たので、軽い荷物で家を出たのだった。しかし、横須賀芸術劇場に来てみると、梅津ときひこさんと、藤田真央君の、野島稔さんの思い出に関するアフタートークが有って、汐入(地名)で既に夜の10時となり、心筋梗塞後のケア中の主人の就寝時間には間に合いそうも無くて、急遽、反町の母から貰ったアパートに買いに泊まりに来たのだった。

  一階の住民が、ciaのオン計らいによって、生活保護費をほぼ不正に受給して居る夫婦で、私は、その実質婚の夫、豊里モリヤスカラ、やくざまがいの恫喝を受けたのだが、ともかく、厚生年金と生活保護費を合わせて一月四十万以上の生活費で暮らしていると見え、一月前は夕方タクシーを呼んで出かけるところを見たが、本日は、夜の11時にタクシーで帰って来て居るのを発見した。私は、スマホを持って、横須賀芸術劇場から、反町までやって来たのでそのGPS機能を利用してCIAがわざと、彼等に、その時刻目掛けて帰るように命令したのかも知れなかった。と言うのもタクシーの運転手は、私としっかり目が合うまで発車しなかったからだ。警察からそうする様に命令されて居たと考えられる。ここまでの事を言うのも、そのじかんを、遡ること五時間前の、JR横須賀線、横須賀駅のタクシー乗り場で、異様な事を、見聞していたからだった。その時刻、横須賀では少し雨模様だった。で、横須賀の地理に詳しい私は、そこからw芸術劇場までワンブロックだと知っていた。しかし、と同時に、待機して居る車が少ない事も知っていた。駅の名前こそ立派なのだけれど、じったいは、人影少ない寂れた場所なのだ。で、ホームを歩いて居る時点でこれはと言う人を探して、一緒のタクシーで行きましょう。私ね、アメリカにいた事があるので、ざっくばらんで失礼ですが、これを今お渡ししておきますのでひとくみみたいにしてご一緒しましょう。と提案をした。そして、ほぼ1分後、トータリーに丁度一台の車が入って来て乗客を降ろした。それで、捕まえて、乗ろうとすると 駄目です。指定された場所で待っていて  と言われた。タクシー乗り場は、彼が、それを話して居る場所から、後ろへたった5Mの場所なのに、そんな不親切な事を言う。

  私は、その時点で、私のスマホが、盗聴器の役目を果たして、警察が、そのタクシーそのものを偽装したのではないか? 降りた乗客もサクラなのではないかとおもった。案の定、そのタクシーは戻って来なかった。二人の人は、きっと来るは、待っていましょう  と言ったが、目視がきく、五百メートル径にタクシーの影は見えず、私は、疑問を持つ二人に、きっと来ないから、バスで行きましょう。と、やや強引に提案してひとつ停留所を乗って、開演30分前の劇場に到着した。グッジョブ!

  この切符は、ネットではなくて劇場で買った。だからCIAの忠実なる家来である警察は気がつかなかったのだ。しかし、前の日、18日にヘアサロンに行って、明日ねえ、昔のママ友に会うはずだから、綺麗にしてと頼んで、この演奏会と野島稔さんについて、あれこれ語って居た。鎌倉で、私が定期的に出入りするところは常に盗聴が仕掛けられて居る。それはみずほぎんこう22-1-18の例でも明らかだ。あと注1

    私はqそれを熟知して居ながらも、こういう風に準備をして居るなんて、そこまでは考え付かなかった。ただ歯医者に行く時も、主人が、歯医者から今日は予約が入って居ますが、おくさまはいらdしゃるのでしょうか?くるんですか?

 と電話がかかってくる。遅刻して居るのでは無いか?と注意されたので、良く思い返してみると、バスを使って行った日にかかって来て居た。

  それで、今たくシーが モスト アイテムになって居る事に気が付いた。何の?  と言えば、私を、弾圧し、心理的なdeathへ、導く為のアイテムだ。本日、23-1-19は一日に2回も、それで、神経をすり減らされた。

  反町のアパートの一階の住民 豊里モリヤスーいとうみえこ夫妻に戻る。この夫婦の生活保護費  ほぼ  不正受給にあたっては 神奈川区の担当吏員の態度も福祉課全体にわたって、超、不遜であり、傲慢であった。したがって、山中竹春 市長から、直接の下達 事項だったと推察して居る。

  つまり、例の如く、伊藤ゲンジロウ一派が発案し、松尾崇鎌倉市長にwこうしてくれ、ああしてくれと命令をして、彼はその通りを山中横浜市長に伝達をするのだった。

  その目的は、私と些少でも関係のある人間に名誉や金銭を与え ただ一人私を置いてきぼりにして、かなしませようとするシステムを常に実行をして居るという事。

  日銀の黒田総裁が、異様な低金利を継続するとおっしゃったのは、私が浦田曜子さんとその夫君が、2009-1-19に、有楽町そばの、居酒屋吉乃翔に現れて、私の新刊書が入って居る紙袋の中に、モズクの酢のものを入れたという推察が当たって居て、それを画策した人間が  黒田総裁より年上で、言う事を聞かせられるので 起きた  と  考えて居ます。

  国際キリスト教大学って、一万田 日銀総裁が作ったのですよ。だから、伝統的に、日銀には、強い影響力を持って居るのです。2023年現在では変わっているでしょう。しかし、現在、七十五才以上の人の間では、それは、事実です。

  もう一つ、彼らは、大爆弾放ちました。  後五パーセントなので、それは別の日に。

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東大を三学部も出た女性から電話をもらって、私は二時間も話し込んだ。芦屋からなのに。なぜなら、昔から彼女をかわいいと思っていたからだ

2023-01-17 23:41:47 | 政治

 この一文ですが、最初は、総タイトルを、【私が、高校、大学と劣位の人として過ごしたのは、前歯に金冠をはめていたからだった。だが白く直した後では?!?】としておりました。が、今は二番目のものと取り替えています。さて、いろいろな懸案が残っておりますが、本日もまた、全く時間が無いのです。で、簡単に書けるものとして、スィッチインタビュー郷ひろみX武豊ー27に入ってもいいのですが、頭の中を占めていることは、全く違う事なので、また、頭の中に従います。

 ところで、本日もまた、導入部分は、読者の皆様にとっては、何を書いて居るのか、わからないと、お考えになると、思いますが、私の頭の中では、すべて、関連が付いていると、申し上げさせてくださいませ。

 今日は、MICHIKOさんと、言う学友について触れます。この人は、前報の、主役、浦田曜子さんと、そっくりな流れがあるのです。つまり、そのソサイエティ(この場合は、お茶大付属高校)の、時は、一切、交流が無かった。が、ごく最近、私が、ものを書くようになって、交流ができたと、言う点で、そっくりなのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『私は、1956年に既に、前歯に、金冠をはめていた。これが、私の人生において、大きなマイナス要素をきたしていた。40過ぎに前歯を白い歯に変えてから、ずいぶんと自信ができたし、活発になった。人前で、歌う様になったのも、その一つだが・・・・・しかし、これは、本当に長い間、・・・・・特に思春期に・・・・・・マイナスを与えてきた問題だった』

 なぜ、私が、このブログに取り上げる様な、優秀な人たちと、その在学時には、交流が無かったかというと、それは、前歯に金冠をはめていたからです。それはですね。日吉の歯医者さんで、当時、もっとも、高い治療である、金冠をはめられてしまったのです。大失敗でした。しかし、1950年代には、まだ、白い陶(セラミック)という素材や、白い樹脂という素材が無かったのです。

 私はね。母が、大変頭の良い人で、ご近所の紳士(NHK音楽コンクール等を毎日新聞側から、創設した)から、「あんたのお母さんは、聡明だよ。だけど、あんたは、ばかだ」と言われるほどに、評価が高かったし、長女である私は、いろいろ、かわいがられて育ってきた・・・・・過保護のカホ子さんというドラマは、私のメルマガエッセーから、企画ができただろうなあと、思うほど)、いろいろなものをもらっている・・・・・・のです。和歌で、いろいろな日本人の古くからの教えを教えてくれたりしてね。

 が、ただ一つ、私や、他の子供について、心身とものケア、とか、しつけと、言う側面が、母には、足りなかったと、思います。これは、母自身の実母が早く死んで、叔父叔母の家で、育ったからでしょう。金銭的には、裕福だったけれど、母自身が、叔母から、身体のケアについての、しつけを受けていなかったと、見えます。母自身は、歯が丈夫ですが、父が歯が弱いので、私が虫歯になりやすいのを「仕方がないわね」と、言っていました。しかし、今の歯の教育を考えると、毎食後、歯磨きをする様に、指導をされますね。それを、小さい時からしつけで指導をされて、守っていたら、中学生の時に、前歯に金冠をはめるなどという状況にはならなかったと、思います。残念です。

 ここですが、最近、テレビで、昭和天皇とアンディウォーホールがお風呂を嫌いだったと、聞いて、昔から、スティーブジョブスが嫌いだったというのも思い出しました。私はお風呂は嫌いではないです。が、小さい時に、今ほど、歯磨きをちゃんとしなかったのは、人生で、最大の失敗だったと思うし、痛恨の極みです。

 今では、歯ブラシを持参で、外出し、外でも、障碍者用トイレで、入れ歯を外しながら、歯磨きをします。それは、商業施設の中の物は、きれいな流しが、あるからです。だから、小さい時から、夜の歯磨きだけでも、しつけられていたら、前歯に、金冠をはめることが無くて、ずっと、楽しく生きることが出来たでしょう。残念でした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『お茶大付属高校出身者の、うちで、同窓会に来ない人が、居る。それは、普通だと、他人より経済的とか、社会的地位において、劣っている人が、出ないケースが多いのだが、あそこの高校だと、反対なのだ。

 もっとも、出世した人が来ないという形になっている。東大に進学した人が、ほとんど来ない。また、芸大に進学した人も来ない。また、創業者一族(社長さん)に嫁いだ人で、その会社が、一部上場(今は、プライム上場となった)の企業だと、その奥様は、同窓会、または、クラス会に来ない。

 本日は、そういうクラス会には、出席しない人の一人を取り上げたい。東大に進学し、東大で、三学部に学んで、三つの学士号を持つ、MICHIKOさんという女性を取り上げたい。この人が、前報

前報で言ったドイツ人とは大学同期の女性の夫である。彼は榊原節子さんの出版記念会に出席をしていたのだが   2023-01-15 21:59:13 | 政治

の主役である、浦田曜子さんと、似ている側面があるからだ。この人のご主人は、ドイツ人である。ただ、彼女は、語学が得意な人ではなくて、専門が違うので、ドイツにわたっておらず、日本で、ドイツ人のご主人と暮らしている。

 芦屋で暮らしている。お金持ちでしょう。実家もね。父君が、お医者さんだし。この人はね。表面切って、ご本人が、意地悪をしてきたことが無いのです。で、苗字を語らず、名前だけ、しかも、漢字を使わずに、語ります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『MICHIKOさんの、実家は貧乏ではないし、社会的地位も高いのに、・・・・・東大へ、行かないとだめだ・・・・・と、自分で、思い込んでいた模様だ。そこが不思議なのだ。が、私は、一回も個人的な、話をしたことが無いMICHIKOさんを、ひそかに好きであった。高校時代から、好きであった。彼女には、その点に関して、一生、何にも言っていないが、実のところ、好きな人であった。

 理由は、彼女がトイレで、良くダンスをしていたからだ。お茶大付属高校のトイレは、とても広くて、大変、大きな鏡がある。下半分が無いが、もしあったら、バレー教室の鏡と同じだと、言うほどに、大きな鏡が、、水道の上に、貼ってある。

 彼女は、学校以外で、バレーでも習っていたのだろうか? そこで、鏡に、自分の姿を映しながら、ダンスを踊っていたのだった。創作ダンスだ。学校の体育の時間に、社交ダンスと、創作ダンスを、課題として、履修していたので、その課題をこなしていたのかもしれない。

 だが、発表前の練習にしては、打ち込み過ぎていた。彼女は、自分の、姿にほれ込んでいて、陶然として酔ったようであった。それは、天真爛漫の極致と言ってよいもので、芸術とか表現と言う事を大好きな私は、普通なら、変な人ねと、思うであろう、彼女のそのダンス姿を、かわいいとか愛らしいと思ってみていたのだった。

 彼女は、私より背が高くて、一般的な表現でいうと、かわいいとは無縁な人なのだけれど、私は、彼女をかわいいと思っていた。背が高いから、外人と結婚をしたともいえるだろう。日本人の男性だと、東大を三学部も卒業していて、かつ、背が高いとなると、お見合いの成立が難しくなる。だけど、彼女のご両親は、「東大を三学部も卒業したら、25を過ぎるから、お嫁の貰い手が無くなるよ」という風には、忠告をしなかったらしい。

 彼女は、たぶん、下の方のお子さんなのだ。長男とか、長女だと、「東大を、三学部も学びます。就職はしません」と、子供が言えば、結婚適齢期を逃す(当時は、25歳までに、結婚するべきだと、言う社会的な縛りがあった)と思って、心配すると思うが、彼女は、両親からは、自由にしてよいと、認められていたのだと、思う。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『銀座の画廊巡りをしていて、作家たちにあれこれ、感想を言って歩いていたころ、ある人が、「まるで、お母さんみたいだ」と言った。そういえば、昔、錦糸町のジョナサンで、昼食をとっていた時に、偶然、隣の席で企業の労務管理の人がカウンセラーと、社員のトラブルの事で、相談をしているのに出くわしたことがある。で、自分から、申し出でて、「相談料は、お支払いいたします。一時間とか、一ケース一万円だと、聞いたことがあります」と、言ったら、「偶然の事ですから、無料で、相談に乗ってあげます」と言われた。で、その時の話の結果、私は、私の母にとって、その母親の役目を果たしているそうである。

 天皇家の愛子さまが、雅子さまのサポート役を果たしていると、言う記事をどこかで読んで・・・・・あ、私のケースと、似ている・・・・・と、思った。一家の中で、子供の方が母親よりも、精神的に、より高度に、成熟しているケースはあるのだった。ここから飛んで、下の方の、👉👉👉1へ続き、雪の下のご近所問題へ入っていくのだが、ここでは、まだ、MICHIKOさんにこだわっておく。

 で、133人の、お茶大付属高校同期出身者(昭和36年=1961年卒)が、もしここを読んだら、「あら、いやだ。しろちゃんたら、何、言っているの、当然、MICHIKOさんの方が上よ。なぜ、あなたが、MICHIKOさんを、かわいいなんて言うの」と、反論されるだろう。だけど、ひそかに、私は、彼女をかわいい人だと思い続けていた。だからこそ、それから50年後、芦屋から、「あなたの本を読んだわ。その感想を、言うわ」という電話がかかって来た時に、二時間も話し続けたのだった。

 相手からもらった電話だ。それで、特に固定電話だろうから、芦屋から、鎌倉だと、市外通話料金となり、当時(2012年だったから)は、大変な通話料がかかる。しかし、彼女は、実家もお金持ちだし、東大へ、三学部も通うほど、一種の上昇志もある人だから、絶対にお金持ちと結婚をしていると、感じていて、電話代など、気にする人ではないと、私の方が、感じて、長話になった。

 ここで、上昇志向というと、また、彼女に叱られると思う。MICHIKOさんは、「私には、上昇志向、なんて、ないわよ」と断言するだろう。しかし、私に言わせれば、優秀だからって、別に東大に行かなくてはならないと決めつけないでも、いいと思う。慶応でも早稲田でもいいではないか? 別の女子生徒だったが、周辺から、東大受験レベルの、頭脳だと、思われていたが、「絶対に東大には、行かない」と、いつも宣言をしていた。

 人生の勝利が、大学受験期の偏差値だけで、決まるものではないと、彼女が考えていたのだと思う。確かに、東大へ行くと、結婚相手が、絞られる。で、損をする場合もある。それを、判っている親子もいるし、気にしない親子もいると言う事。

 MICHIKOさんに戻れば、趣味として、今は、オートバイに凝っていて、六甲山中を乗り回しているそうだ。カッコウいい、数百万円のオートバイだと、思うし、だから、電話代など、気にする人ではない筈だ。

 だけど、なぜ、長話になったかというと、ツーと、言えば、カーが、通じる人だから、話題が、次から次へと移っていき、それほどの、長話になった。しかも、私の方が、高校時代みたいに、前歯に金冠をはめていることが、劣位になると、言う要因が外れていた。その上、文章を書き始めて、やはり、自分は頭がいいのだ。大学入学時の偏差値だけで、頭脳レベルは図れないと、判断をして、意気軒高だったし、・・・・・東大を三学部も出た、MICHIKさんと、全く対等に、話題を交差させていった。

 だけど、高校時代、一度も、個人的な会話をしたことが無い人である。もし、トイレで、陶然として、自分の姿に惚れているMICHIKOさんを、見て居なかったら、また、その時に、・・・・・なんて、かわいい人だろう。私は、ダンスはしないわ。だけど、いつもものを考えているから、白昼夢の人だと、思われているの。そういう点で、似ているし。あなたは、かわいい・・・・・と、私が、考えて居なかったら、長話にもっていくことはなかったであろう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『普通だったら、MICHIKOさんから、電話をかけてくることはないだろう。その時の本とはたぶん【電車の中で】で、それは、出来が良いので、それをつぶすために、見城徹氏が、【阪急電車】という小説を、有川浩氏に書かせた。このブログの読者が、「それは、あなたの盗作ですよ」と教えてくれたけれど、買って読むことはなかった。ただし、映画化もされた模様で、それを、NHKが、最近の、夜、放映をしたので、それに偶然に、気が付いて、たった、15分程度、録画をして置いてみた。

 【阪急電車、15分の奇跡】が最近放映をされた。その原作について、あなたのご本の盗作ですよと、言ってきた方がある    2022-10-09 20:38:09 | 政治

 すると、エピソードも、構成も全く違うのだが、電車の中で、拾ったエピソードをオムニバス形式で、展開すると、言う点が似ていた。そして、私が、なるほど、そうですか?と思ったのは、他でもない。高く評価した映画、ホテルビーナスで、驚くほどの演技を見せた(だから、やつれ切って見えた)中谷美紀が、こちらでも、主演だったこと。

 ともかく、その本(下の写真、右側)は、表紙が美麗で、

2022-10-09 20:38:09 | 政治

 

 しかも、中身も、良いとひそかに私は、考えているのだけれど、400部しか制作していないし、知人に、配りまくっているだけで、本屋で売らないから、流通せず。アマゾンで、10800円の値が長い間、ついていた、【黄色いさくらんぼ】には、負けます。が、ともかく、MICHIKOさんが、

 たとえ、純真な人だと仮定しても、向こうから、この本の感想を言ってくるはずはないのです。だって、同窓同期だと言っても、在学当時、一回も言葉を交わしたことが無くて、しかも、東大に入学した彼女は、私より、自分が上だという感覚を持って居る筈だ。だから、彼女から感想など、電話で、言ってくるはずはない。せいぜい、おはがきで、感想をもらったら、上出来だ。

 だから、彼女が、電話をかけてきたことが、ご主人が、CIAエージェントである可能性を感じ取ってはいるが、自裁に、目の前で、一メートル以内で出会ったことが無い、私には、MICHIKOさんのご主人について、何の情報もなくて、ただ、謝罪をするしかなかった。今の我が家の西隣の、白井夫人ではないが、「早稲田も、いい大学ですけれどね」と言ったぐらいに、絶対に、自分は、日本一の大学を卒業したという、誇りがあるので、劣位の人に対して、親切には、しない可能性があるからです。

 でも、電話をかけて来てくれた。それはね。うらに、CIAエージェントがいて、この本の内容程度(政治とは、関係が無い。心理学的発見の連続、または、芸術的、論理で、発見した事だけを書いて居る本)で、出版を抑える様に‥・・・と、言う命令だと、思いました。

 でもね。同じ東大卒でも、地頭がいいです。だから、瞬時に彼女は、自分の目的が、私に通じていることを悟り、それで、自分の目的を通う事を捨てて、くれました。で、内容は多岐にわたったのです。だから、楽しかったわけで、二時間も続きました。

 しかし、私は、この時点で、すでに、浦田曜子さんの夫が、CIAエージェントであると、考えていた。そして、私の出版事業を、けなし、つぶすためにわざわざ、ドイツから、やってきて、浦田曜子さん自身が、卒業以来、絶対に出席したことのない、クラス会に出席したし、ついでにその夫も出席したのだった・・・・・という風に考えていたので、それが、つい、口を突いて出た。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『私が言う。「ねえ、日本の上流階級のお嬢様と結婚をする、外人って、CIAエージェントが多いじゃあない?」と。すると、MICHIKOさんが、答えて「ああら、いやだ。それって、本当にステレオタイプな、考え方よ」と言った。

 この青色の部分だけど、彼女は、素晴らしい表現を使ったのだ。そのものずばりの、表現で、上に青色の太字で、書いた語彙のられつではなかった可能性もある。しかし、こういう微細なところは、今では、はっきりとは思い出せない。この件で書いた昔のブログもある筈で、そこでは、きっと、彼女が発した、言葉そのものが採録されている可能性がある。そちらは、

 「あら、いやだ。それって、典型的な誤謬よ」だったかもしれない。本当に目が覚める様な語彙の行列だった。いい表現だった。で、それは、白井夫人が、2020年4月15日に道路上で、放った「東大(卒)ではありあません」という叫び声などとは、全く違うものだった。

 身びいきと、とられ、嫌われることを恐れずに言えば、お茶大付属高校って、90%が、いわゆる「銀の匙をくわえて生まれてきた人たち」なのだ。したがって、絶対に野暮なことはしない。道路内で、しかも、嘘を叫ぶなど、ありえない現象なのだ。

 で、優美なMICHIKOさんに、たいして、嫌な思いをさせたのだなあとは、判ったので、瞬時に謝罪をした。しかし、その時点で、良いアトモスフィアは、消えてしまった。

 彼女の方にではなくて、私の方で、消えたのだ。私は彼女自身は、ともかくの事として、浦田曜子さんの夫が、私の出版した、書物の、新刊書を汚すべく紙袋の中に、モズクの酢の物を落とし込んだ、可能性を、強く感じるからだった。

 そこが、似ていたし、2012年とは、そのクラス会(=2009年1月19日)から、そう離れてはいなかったし。

 前報の、続きとしてこれを書いたのは、この電話ののちに、銀座で、急に禿頭で、眼鏡をかけた、白人によく出会う事となったからだった。私は、午後四時に、鎌倉発で、銀座の画廊街を回る。したがって、前夜から、ホテルに、泊まっていれば、芦屋から、上京し、銀座の画廊で、待機しておくのは、簡単だ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ずいぶんひどいことを書いて居ると、浦田曜子さんも言うだろうし、MICHIKOさんも言うと思う。しかし、ここまで書いたのは、ひどい脅かしが、24時間連続してわが身に起きるからだ。

 NHKニュースのこれが、攻撃ですと、言う様な種類のものは、枚挙にいとまがないし、それと、並列して、平木さんと、安野智紗夫人と、前田夫人と白井夫人が、行う諸現象に対して、そして、+、大原光孝さんに対して、ふかく、ふかく、怒っているからだ。こちらは、100%伊藤玄二郎とか、鎌倉警察署の生活安全課の課長と連携して動く。

 したがって、日本の上流階級のお嬢様と、結婚するという形で、

 日本を探索しようとする、外人が居る事。そして、ドイツと、日本は、同じ対米敗戦国なのだけれど、やはり、人種差別の対象となっている日本は、よりアメリカの軽蔑の対象となっていると言う事。そして、CIAエージェントに関して言えば、ドイツ人であろうとも、今では、ドイツという国家に忠誠を誓うのではなくて、アメリアの中枢にある、国際的軍産共同体の頭脳としての、CIA本部に忠誠を誓っている事。

 そういう概念が、私の中にある。だから、つい、MICHIKOさんに、たいして、典型的な例として、日本の上流階級と結婚する知的エリートは、・・・・・という言葉が出てしまった。だけど、私は、MICHIKOさん、本人に対して、「あなたのご主人は、CIAでしょう。今日の事もご主人から頼まれて、電話をかけていませんか?」などとは、言っていないのだ。

 それから、モズクの酢の物を、新刊書に入れた人物にしても、見ていなかったので、誰か?は、本当はわからない。だけど、あのクラス会で、もっとも悪意の高い、古村浩三君にしても、感じなのだから、常にだれかと、話をしている。通例の、会だって、彼は、忙しいのだけれど、今回は、榊原節子さんの、【凛として生きる(PHP刊)】の出版記念会だから、さらに、忙しい。そっと、私の大きなサイズの紙袋に近づいて、モズクの酢の物を入れる時間は、無かったと、見ている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題7、『特にNHKが、こういうニュースを流した後で、平木さん、一家が、恐ろしい攻撃意欲を示したので、かれら、CIAエージェントたちが、どれほどに、ひどいコンセプトで、過去事例を繰り返してきているかが分かったからだった』

これから、先、時間は、順不同となりますが、ご近所で、起きたこととNHKニュースの関連を語っておきます。

@@@@@@@@@@@@@@@@@

2023年1月9日、異様にご近所がうるさい。何かで、勝ったと考えているらしい。

これ以前の文章は、【ご近所の異様な動き、安倍さん暗殺以降。通常国会閉会以降】2023-01-15 16:32:46

に入っている。最近、沈没船の事故と、山上徹也容疑者の、ニュースが続いているので、それで、自分たちが勝てると思っているのだろうか?

途中です。未完ですが、寝ます。午前五時になったので。そして、睡魔にも襲われているので。

 

 

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前報で言ったドイツ人とは大学同期の女性の夫である。彼は榊原節子さんの出版記念会に出席をしていたのだが

2023-01-15 21:59:13 | 政治

副題1、『本日、7年前に、軽井沢スキーバスツァー事故で、お子様をなくした御父上が、NHK画面に出てきた。優秀なお子さんを、育てた親として、取り乱すことが無い姿勢だったが・・・・・それを見ている私は、むろんの事、その方ほかの親御さんの心を、えぐるつもりはない。しかし、真実を語ることが私の使命だと、考えている。私は、自分が大変な苦労をしながらも、この現代日本に、真実は、こうですよと、伝え歩く、トリックスターだからだ。トリックスターとは、自分を犠牲にして、ひとを救う、そういう存在である』

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『私が前報を長らく、更新しないで、そのままにしておいたのは、大きな自信があったからだった。・・・・・そこで、ルビッツ副操縦士の自殺願望説が、唱えられたドイツ格安航空機の、アルプス激突事故は、計器を狂わさせられたために起きた・・・・・と、話している。軽井沢バス事故も同じだと考えている。

 ドイツ格安航空機に戻ると、そのジェット機は、離陸後、たった、8分で、アルプスに激突している。それは、NHKが報道をしている(世界中の大メディアが同じことを報道していると仮定してもだが)

 離陸後、8分以内に機長がトイレに行き、そのすきに副機長のルビッツ君が操縦室のドアを内側からっ鍵をかけて、操縦かんを自分だけで、握り、自殺願望を遂げた・・・・・などと言う事は、機長の行動様式としてあり得ないのだ。

 それを、私がブログで、書いて居るからこそ、今度は、日本の格安航空機が、たねとして使われた。私が昔書いたことを、日本国民の方が、誤解をされるために作られたニュースだった。何も被害が起こらなかったので、真犯人が、重罪に問われることが無いと、数日たっている、こんにちは、考えて、それをあえて、言ってしまうが、私のICU時代の友人のご主人がドイツにいて、その人が、あの爆破予告の電話をかけたのではないかと、私は考えている。

 どうしてかというと、ICU1962年入学組の、クラス会が、2009年1月19日に、有楽町傍の吉乃翔という、宴会専門の居酒屋で開かれ、

 私が紙袋に入れていった、新著を汚すべく、モズクの酢の物が、入れられていたのだった。その日は、私だけには秘密にされていて、榊原節子さんの、新著の出版記念会だった。【凛として生きる(PHP刊)】

 私は、同窓会では、歌を歌う事を定番としていたし、新著を出すと、すぐ、それを持って行って、ひとに、ただで配る習性があった。それを狙って、恥をかかせるという日だったのだ。私は凄く勘が鋭いので、その日、何らかの罠が貼られていることは事前にわかっていた。

 というのも幹事役の古村浩三君は、必ず、新宿で、クラス会を開くことにしていたのだった。西東京市の住民なので新宿に地の利があったらしい。だから、彼が、有楽町で、開くと言う事は、銀座の画廊巡りを、必ずやっていた、私を出席させるためだと、判っていて、そこまで、狙われるのだったら、何らかの、弾圧用罠がはられているだろうとは、推察+承知の上だった。

 でも、「敵さんが何を考えているかは、知っていた方がいい」と判断をして、渋々、出かけて行った。その日は、南側の新橋から、画廊巡りを始めて、北の京橋まで行き、当時は、一丁目にあったギャルリーユマニテを見て、そののち、有楽町まで歩いたので、私が吉ノ翔に到着したのは、7時半だった。

 その日は、出席者が多くて(というのは、電話やメールで、根回しが進んでいたとみなされ)、ぎっちぎちの椅子の間を縫って、私は、奥の奥に設置されていた椅子に着席をした。

 6時から、宴会が始まっており、なんと、7時半とは、一時間半が過ぎているので、私が最後の話し手だった。ただし、主役の、榊原節子さんを徐いてだが。

 こういうことを言うと、誤解を招きそうだが、1960年代のICUとは、輝いていた大学で、特にクラス会に出てくる人は、成功した、人物が多くて、中には、中央大学の教授になっている人物もいて、したがって、理工学部の助教授殺しの話題が出たのだった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『ここで、榊原節子さんのバックグラウンドを語りたい。上皇后美智子様の、従姉妹であり、父は、水島三一郎東大名誉教授にして、八幡製鉄研究所所長であり、義父は、東京女子医大学長、榊原什氏である。

 また、古村浩三君は、日本ユニシスの社員だったが、1966年からアメリカ留学をしている、日本のシステムエンジニアの、さきがけと言ってよい人物で、なりすまし疑惑で、有罪となった、片山ゆうすけ君の父親(日本IBM勤務だと、聞いている)などとも、知り合いであると、感じている。

 この様にして、私のブログに登場する、人物たちは、現在、79歳か、80歳の筈だが、日本の上流階級そのものと言ってもよい、人物たちなのだ。自分が優秀だと、言うために、そういう話をしているのではない。

 私は、23歳の時に、アメリカの名門、イェール大学から、来たベイカーさんという、アメリカ人大学生に、眉をひそめただけで「頭が非常に良い」と、見つけられてしまって、その後、自分がスパイであることを見破られたと、考えたベイカーさんに、キャンパス内で、後ろから、首を絞められて、殺されそうになった。

 私は、その時も、神様のお助けのよって、助かったのだが、その後執拗に、私の命を狙っているのが、ベイカーさんが所属をしている、CIA本部なのだ。だって、彼が「僕は、三鷹警察署の署長と親しいのでね」と、日本語で言うので、その日初対面だった、私は、アメリカのエリート大学(日本でいう六大学みたいな物)の在学生である彼が、どうして、日本人であり、かつ安保闘争で、大学生などには、嫌われぬいていた、警察の、しかも、地元の署長と親しいのだろうと、思ったのだ。ここで、そういう疑問を持つのは当たり前だと、思う。

 そして、私は、おしゃべりではないが、表現力は抜群に高いのだ。眉を顰めるだけで、考えていることが、ベイカーさんには、過剰に伝わるのだった。私は名門大学の学生がまさか、人を殺そうとするなんて、夢にも多いいたらず、犯人が、ベイカーさんだと、は、誰にも言わなかった。寮に帰って「痴漢に襲われました」と寮母さんに報告したが、内心で、どうして、三鷹の、ICUキャンパス内に痴漢が現れるのだろうと、不思議極まりなかった。

~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『ただ、頭が良いだけでは弾圧されないのだが、1999年から、メルマガを始めて、一種の主張者になったし、2004年から、紙の本を自分で、出版できる様になったので、それが、彼らCIA陣営にとって、大変恐ろしいことだったらしくて、私にものを書かせない様にさせようとか、出版をさせない様にさせようという仕組みが繰り返し、行われてきているところだ。

 この日は、2008年に、800冊ほど、出版した、【黄色いさくらんぼ】を、15冊ぐらい、二つの紙袋に入れて持って行っていた。それは、アマゾンで、長らく、10800円で、流通していたほど、面白いと言われている。ニューヨークの版画工房の話で、なぜ、アマゾンで、流通しているかというと、銀座の画廊街で、只で、ひとに差し上げたのが、美術界の特に若い人を中心に、「面白いよ」という口コミで、流通する様になったと、推察している。榊原節子さんの、【凛として生きる】とは、まったく毛色の違った書物だった。

 榊原節子さんの書物の方は、老年期の過ごし方、特に金銭面での、大切なことを説いた本だった。彼女は、実父が、理系、義父が、医者なのに、彼女自身は、財務専門のコンサルタント業なのだった。

 この日、節子さんを助けるために、何人か(*1)が、集金業務を担当して、ほぼすべての出席者が、彼女の本を買った。そういう裏側を全く知らないで、スピーチをしたのだが、本当に幸いなことに、自分の新著【黄色いさくらんぼ】の宣伝もしなかったし、お歌を歌う事もなかった。何らかの罠が貼られているのだから、控えめにした方がいいと、言う直感があったのだ。

 (*1・・・・・を解説、その日集金業務を担当していた人の中に、テレビに登場する有名人もいたのだった。それは、食野雅子<めしのまさこ>さんといい、日本にターシャチューダーを紹介した、人間で、プレミアムカフェなどで、ターシャの解説をする美女である。ああ、美女と言えば、榊原節子さんも絶世の美女である。美智子様よりも、美人度が高いと、私は思っている。ちなみに同期、290人ぐらいの内で、80人は、美女というたぐいの範疇に入り、そのうちの、50人は、これまた、絶世のという冠言葉が付くのだった。尚、日本財団で、古楽器の名器を貸し出している、塩見和子さんも、同期の一人だ。彼女は整形したかな? 学生時代のスポーティな顔の方が私は好きなんだけれどなあ。今は、和風テイストを入れているでしょう?)

 私の卒業した、学校とは、中学、高校、大学とも、少人数制の、当時としては、人気の高いエリート校であり、クラス会では、必ず、全員がスピーチをするのだった。単に飲み食いと、社交、を満足するための、会ではなくて、今、自分が社会の中で、どういう位置を占めており、どういう役割を果たしているかを語るのが普通だった。

 さて、自分が抑えた、スピーチをしたところ、テーブル上、対面に座っていた節子さんが、たって、主役として、閉めのスピーチをした。それで、初めて、私は、自分がはめられている罠の内容を正しく、知った。良かった歌を歌わないで、と思った。実は、歌を歌うと、私が、一種の主役を取ってしまう。それほど、表現力が高いのだ。だけど、この日は節子さんが、主役中の主役だったから、他の人は、控えめにするのが礼儀上必要だった。それを、事前に知らなかったのに、控えめにして置いた・・・・・ 私は、この日の事を、『やはり、神様に見守られている』と、ひそかに感謝したのだった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『実は榊原節子さんとは、非常にざっくばらんで、親切な人なのだ。十分に与えられ、十分に、ほめそやされてきた女性なので、上昇気流というものは、無くて、したがって、他者を軽蔑することもないのだった。だが、その、2009年1月19日に限り、「無論、お金など、頂かなくてもいいから、受け取ってください」と言った私の【黄色いさくらんぼ】を彼女は、拒否したのだった。

 高校(お茶大付属)も同窓であり、心臓病に関して、女子医大を紹介してもらったこともあるほどに、普通だったら、親切な彼女が、この日、邪険だったので、それも、私の書物出版事業を、CIAがどれほど、恐怖に感じているかを、認識するのに役立った。

 しかし、全員のスピーチが終わって、自由歓談になった時に、私は、むろん、「買ってください」などとは、最初から言うつもりもなかったけれど、それでも、女性陣からは、ほとんど、受け取りを拒否されてしまって、事前にもっていった、15冊を全部手渡すことが出来なかった。ただ、昔からそれを知っているのだが、男性というのは、女性より、純真であり、何人かが受け取ってくれた。

 その日、一人だけ、同級生ではない男性が同席していた。【ようこさん】と、言う女性の夫だと、言う話だった。【ようこ】さんは、大学卒業とほぼ同時に、ドイツに渡った女性で、同窓会には、ほとんど、出席したことのない人だった。

 また、1962年から、1966年までの、四年間、私は、100人程度の教室の講義では、彼女とは一回も、一緒になったことが無かった。同期全員が参加する講義(200人規模)では、一緒になることがあっても、それだけでは、ほぼ、未知の間柄と言ってよい人物だった。

 だけど、ひそかに、【ようこ】さんを好きになる理由があった。したがって、かえって、その日も、彼女に声をかけなかったし、夫たるドイツ人にも声をかけなかった。が、内心では、「ああ、ようこさんも、この会に出席しているのね。珍しい事なのね。ほぼ、50年ぶりの日本でしょう」と、気が付いていたのだった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『なぜ、公の場で、ようこさんに声をかけなかったかというと、画廊【21+葉】の、スタッフ(お人形さんのようにかわいい若い女性)から、手ひどい措置を受けて居たり、ギャルリーユマニテの、金成悠子さんからも、手ひどい措置を受けていて、時には、シロタ画廊の若い(現画廊主ではない方の)スタッフからも、恐ろしい態度を見せられていて、何らかの悪の手配が背後から迫っていることを、自覚していて、

 したがって、私は、自分がだれを好きなのかとか、自分が誰と、親しいのかと言う事を、秘密にする様になっていたのだった。

 【ようこ】さんを、どうして、好きになっていたかというと、彼女は大変まじめな、私のメルマガの読者だったからだ。

 これは、日本にいると、社会のトレンドという形で、迫られる悪しき影響力のせいで、どんどん、人格が変わって劣化してしまう友人がいるのと比較すると、海外に、居る人の方が、純粋な、日本人らしさをキープしているケースがある。そういう例の一人だったが、或る時に彼女が、私がメルマガの中に使った、

 ・・・・・・「強者の恣意」という言葉が判らないわ、教えて・・・・・と、言って来た。ドイツから、個人メールで。この強者の恣意とは、私が、ほぼ、毎日、接触している、嫌な現象の一つで、良くメルマガに使っていた。もともと、在学中から英語が得意で、いささか、日本語を軽蔑していたかもしれない、ようこさんだったから、この語彙【恣意】を知らなかったとも、考えられ、私は、素直に問い合わせて来てくれた彼女に感激してしまった。

 それで、丁寧に、「立場上、優位にあるものが、立場上、下にあると、考えるものを、自分の思い通りに、または、勝手に、動かして、不利にさせることです」などと、解説したのだった。

 すると、ドイツから、彼女は手製のCDを、送ってくれた。私は、それをもらったときに、まだ、音楽曲を、編集してCDに落とす技術を持って居なかった。ただ、ワードファイルと画像ファイルだけは、CDに落とす技術はあったが、曲を自分で選んで、選んだ順番通りに、一枚のCDに落とす技術はなかった。

 しかも、私は、自分の心覚えの為の、バックアップ用CDだから、表紙をつけるなどという技術はなかった。しかし、ようこさんが、送ってくれたCDには、市販のものと、見まごうほどの美しい表紙が付いていた。

 お金で買ったものを送ってもらうよりも、こういう風に手ずからの、工夫と、エネルギーが、くわえられたものを、もらうのは、本当にありがたかった。

 私、川崎千恵子は、それ以来【浦田曜子】を大好きになっていたのだった。278人程度の同期生の内に、何人も好きだなあと、思う人間は、出来して来ていたが、誰にも、それを言わないで、かつ、誰にも見せない形で、好きになっていたのは、浦田曜子なのだった。

 だって、私のメルマガを丁寧に、読むと、私が如何に、音楽好きなのかが、判る筈だ。したがって、私が、好みそうな、曲を選んで、一枚のCDに入れてくれるとは、本当にありがたい、感想文でもあった。だから、余計、浦田曜子を好きになっていたのだった。

 しかしメルマガを、ハッキングしている、または、メールをハッキングしている、CIAエージェントには、私が、浦田曜子さんを好きだと、言う事は、判っていて、それで、その日、浦田曜子さんを、ドイツから、呼び寄せて、出席をさせて置き、もし、私の方から、声をかけたら、邪険にする様に、彼女に命令をしておいたのかもしれない。

 そこまでは、想像していなかったが、この時に、すでに、角野栄子さんと、福島瑞穂さんから、恐ろしい扱いを受けていたので、CIAエージェントは、榊原節子さんだけではなくて、この日、浦田曜子さんにも、縛りをかけていたかもしれなかった。

 で、彼女を守る為に、声をかけなかったのだが、それは、私をも守った。私の記憶の中では、浦田曜子とは、古い日本の道徳観=恩愛の情を失っていない、素敵な女性として、記憶されている。「がんばれ、浦田曜子。あなたなら、日本とドイツの良い懸け橋になれる。仕事、頑張ってね」と、遠くから、ひそかに祈っている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題7、『何か、悪い予感がする。行きたくない、行きたくないと、考えていた私は、銀座の画廊街で、わざとぐずぐずして、宴会開始予定時刻に、1時間半も、遅刻をしてしまって、お料理は、ほとんど食べないまま、佳乃翔の、散会予定時刻が来てしまった。

 この日の私は、事前に根回しもあったはずで、全くの負け犬であって、帰りがけも、誰からも、声をかけてもらえず、自分の方も、誰にも「一緒に帰らない?」という声をかけることもできず、有楽町から電車に乗って、新橋で、横須賀線に乗り換えて、帰途についた。さて、一時間の車中、何をして過ごそうかと考えた。携帯は、持って居るが、それを持って出ると、嫌な目に数多く合うので、傾向しない主義だった。

 そのGPS機能を利用して、行く先々で、嫌な目に出会うからだった。で、何もすることが無いので、ふと、自分の本を読もうと考えた。

 【黄色いさくらんぼ】は二人のカラードの版画家の死を主要なテーマとしている。ロバートブラックバーン氏は、誰からも、尊敬される、良い人だった。ニューヨーク一古い版画工房を経営していて、独身見込んで、ホテルチェルシー住まいで、かつ、パーキンソン氏病にかかっていたが、最後は、立派なお葬式を上げてもらったと、聞いている。しかし、私は、最後にあった日に、彼のパンツに、排尿用の穴があけられているのを、見てしまい。そういう姿で、お客と合わないといけない、立場(つまり、お金で雇われた看護師は、心が、行き届かないと言う事)を、悲しんで、なきながら、チャイナタウンを歩いていたし、

 もう一人、誰からも、嫌われていて、餓死に近い孤独死をした、ホアレス(ペルー出身、褐色の肌の、版画家。たぶん、不法滞在だと、思われる)が、毎日、元、結婚をしていた、日本人女性から、教わったらしい、サツマイモ入り蒸しパンだけを、食べていたと、気が付いて、ひどく、せつなく、申し訳なく思ったと、

 言う事を書いて居る。そして、善人100%として、生涯を終えた、ボブにもそれなりの悲しみや、喜びがあり、悪人100%として、孤独で、みじめな生涯を終えた、ホアレスを悼む人たちもいることを知り、自分が、理解付属だったことを申し訳なく思うのだった。

 二人は私に、限界に追い詰められたときに、如何に生きたらよいかを教えてくれた。どんなにみじめな死でも、ちゃんと、理解して、悼む人はいるのだ。大丈夫、ひとは、必ず、神様に見守られている。

 そうだ。こういう文章を書いて居る限り、もう、ボブみたいな、尊敬をもって、見送られることはないだろう。だけど、軽蔑され切っていた筈のホアレスを、かわいそうにと、悼む人間もいるのだった。そういう人が、ホアレスの死の情報を教えてくれた。

 ニューヨークで、三か月、二回ほど、版画修業をすると言う事は、こういう事を学ぶことでもあった。日本にいると、限界まで、追い詰められる自分や他人を、見ることは少ない。しかも、猫以外、その死のぎりぎりの場面に立ち会う事もなかなか、無い。ニューヨークという時間的に限界がある場所で、感性を、全開に、したからこそ、見えて来たものがある。

 この二人の事を思い出すと、こころの中は、ありとあらゆるほかの思い出も、加わった、刺激的な想念に満たされる。で、私は、そうだ。黄色いさくらんぼでも、読んで、鎌倉までの、一時間を過ごそうと、考えた。

 先程までの、屈辱を考えると、なにかに、打ち込んでいた方がいいのだ。ぼんやりと車内広告でも眺めていたら、悲しみに打ちひしがれるだろう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題8、『で、私は、紙袋に入れた、自分の新刊本を一冊ほど取り出そうとした。すると手に何らかのぐにゃっとしたものが触った。冷たく、ぬるっとした感じのものだった。

 指を慌てて、引き揚げると、指の腹にモズクが、2,3本、くっついて上がってきた。あっと、思った。紙の本の中に、誰かが、モズクの酢の物を注ぎ込んでいたのだった。そういえば、モズクは、あったと思い当たる。小さなプラスチック容器の中に、50グラムぐらいの、モズクの酢の物が入っている、ヒトしな、が。

 なんという深い悪意だろう。本日は、宴会全体が、私を貶めるものだった。徹頭徹尾、「あんたは、榊原節子より下なんだよ」と、思い知らせるためのものだった。精神的に、推察していた事前の時間(=二週間ぐらい)を含めて、どれほどに、痛めつけられた事だろう。

 この「お前は下なんだよ」と、思い知らせ様とするというコンセプトには、デジャブーがある。西隣の、白井夫妻は、二人とも東大卒で、「こちらが、上でございますよ」と、いう感じで、2009年には、すでに、痛めつけられていた。そして、2023年の今は、完成すれば、横浜一高いビルとなる、鶴屋町の、THE YOKOHAMA FRONT TOWERを設計した人物だ。

 しかも、その後、北隣に、引っ越してきた、石井秀樹氏は、これまた、(独立した、建築家としてだが)、いろいろな賞を独り占めする、人気者である。

 はい、はい、上皇后美智子様のいとこで、しかも、榊原什氏のお嫁さんで、かつ、実父が、東大名誉教授、水島三一郎博士です。わかっているって。だけど、精神的に打ちのめしただけではなくて、具体例として、ここまで、いじめてくる悪意の、鋭さと、深さには、何とも、深い悲しみを覚えた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題9、『しかし、五分後、私は、元気を回復していた。なんと、新刊書は、一冊も汚れていなかったのだ。天のお助けだと思った。だが、種明かしをすると、本が重いので、私が、ビニールコーティングをしてある紙袋を使用していたからだった。それでも、15冊一緒に一つの紙袋に入れると、重みに耐えられないと、思って、8冊ずつ、二つの紙袋に分けて入れていたのだった。受け取ってくれる優しい男性陣に手渡したが、まだ、残っていたので、紙袋を一つにまとめた。なんと、モズクは、一つ目の袋と、その外側にある、二つ目の袋の間に落ちていたのだった。

 紙袋が、普通のものでは、無くて、ビニールコーティングをしてある丈夫なものだったので、外側においてある、袋は、破けなかった。モズクの酢の物の水分に負けなかった。かつ、その水分は、中の袋のビニールコーティングを突破できなかった。したがって、中の袋に入っている新刊の、【黄色いさくらんぼ】は、一冊も汚れていなかった。

 その時に、私は、ニューヨークのボブに学んだ、生き方を全開させて、喜んだ。すでに、パーキンソン氏病で歩けないボブは、他人の助けで、生きているわけで、そういうサポーターへの感謝を忘れなかった。2012年8月10日ホテルチェルシーに宿泊していた私は、残りのたった、一日をボブとの交流に充てていた。それ以前に接触をすると寂しいボブに毎日来てと頼まれる恐れがあったからだ。個展を開くという形で、訪問をしていた私は、超忙しかったからだ。午前中に訪問をし他時のお土産は、なんと、この鎌倉雪の下二丁目の、賢いご婦人花輪夫人のお嬢様(*2)が、2012年当時ニューヨークで、プレゼントしてくれた、上等なクッキーだった。しかし、日本のものと比較をすると、箱がとても小さくて、8枚ていどしか入っていなかった。一枚食べたボブは、あ、キャシーにあげようと言った。キャシーとは、私が、その三年前、ボブの部屋であったお手伝いさんで、その日、チコリのお漬物(発酵食品)を、大きめのタッパーウエア一杯、持ってきていた。それは、売っているものではなくて、彼女が作ったものだった。ボブのために、そういうオプションの仕事をしてくれる、かいがいしいご婦人だった。

 しかし、夜は、私は、時間が無くて、彼に頼まれた全粒小麦パンを買うことが出来ず、自分用に買っておいた、たった8粒の黄色いさくらんぼを持って行ったのだった。すると、今度も、一粒食べて、ああ、きゃっしーにあげようと言った。午前の物も、夜の物も、超上等だったが、いかんせん、量が少なかった。それを分けるなんて、やめなさいと、言いたかった。ボブこそ歩けないのだから、そういうものを食べてもらいたいと思っているのに、上等なものだから、お手伝いさんにあげようと、言うボブは、その思い付きに、顔が、満面の笑顔になっていた。

 黒人である。お手伝いさんも黒人である。ニューヨークの知識人として、いろいろ、苦しいことも過去には、あったであろう。でも、自分のできる範囲で、最上の選択をしようとしているボブを見ていると、私は、涙があふれそうになって、午前も、夜も早々に辞去したのだった。

 私は、2009年1月19日の夜の、横須賀線車中で、ボブに憑依された気分となった。小さな小さなことでも、喜びを全開させていたボブ。その姿を思い出し、自分も、この小さな一事(新刊書が汚れていなかった)に感謝しようと思った。そして、ボブのように自然に笑みが浮かんできた。その日、級友たち50人から浴びせられた、「あなたは、榊原節子より下なんですよ」と、言う侮蔑の、顔つきがもたらした、悲しみも、すっかり、氷解していた。

  ああ、良かった。私は、宴会中自らは、破綻を、級友たちには、示さなかったのよ。イライラして、途中で帰ったりはしなかったのよ。無論、ひがんだ顔もしなかったのよ。ずっと普通の態度を保持していたの。そして、モズクの、酢の物は、実際には、新刊書を汚していなかったし。

 ああ、良かった。ああ、良かった。このこと一つで、今日は万々歳ですねと、思い至った。

(*2・・・・・・その10年後の今、花輪家のお嬢さんは、鶴田伸子と言って、糸、及び織物作家として、世界的レベルになっている)

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名古屋空港へ、緊急着陸をしたジェット機へ爆破予告をした犯人を、私は知っている。だが、誣告罪を恐れてその名前は言えない

2023-01-13 23:18:48 | 政治

 さて皆さま、私は、昨日=2023-1-12の午後四時に悲惨すぎる泥棒被害を発見しました。税務申告の元帳を、泥棒されたのです。ただ、今、32時間目ですが、何とか、復活できるだろうと、言う見込みが立ったので、ほっとして、その泥棒被害を報告できるのでした。しかし、この一週間というか、ここ数か月というか、この半年というか、ものすごい攻撃にさらされています。で、

 特にこの一週間は過去の謀略事項総動員として、ニュースを使って攻撃をされています。

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 でね。ふむ、ふむと、いいながら、NHKニュースの録画を見ている最中ですが、どれを取り上げても、多くの時間と体力が必要そうで、取り上げる気がいたしません。元帳、復活のためには、この一年間、それに注いだのと、ほぼ同じ時間をかけないといけないからです。それで、夫婦げんかに至っている始末です。

 主人としては、北久里浜の旧宅のいろいろな、労働に、私がすでに、4週間程度行っていないのが、大きな不満です。だが、私としても反町のアパートの掃除や、修理(リフォーム)と、この鎌倉の自宅(北久里浜から帰ってきた多くの荷物の整理他)を抱えて、どうしても、そちらに行っている暇がなかったのです。

 そのうえ、元帳の泥棒被害。それ以外に、SMBCの銀行通帳と、郵便貯金の通帳が消えている。そういう事は、すべて、わかっていたが、再発行の手当をしている暇もないという状況です。

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 でもね、非常に短くだが、ブログを書こうと決意したのは、泥棒の被害に気が付いてから、今は、34時間後ですが、なんとか、復活できそうだという見込みを得たからです。今、交通費の領収書と、それだけは、パソコンで記入をしていたので、元帳の一部である、交通費の基調との照合をしていて、漏れているのを5枚ぐらい発見して、再記入をして、9月まで、確認が、済んだところです。この20倍か、50倍の時間をかければ、元帳復活が、全部できるはずで、これなら、期限(3月半ば)まで、何とかなるはずだと、言う見込みをたてました。本当にほっとしています。

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 さて、数多い、対、私個人、もしくは、このブログへの攻撃用、NHKニュースの中で、ジェットスター機が、爆破予告を受けて、名古屋空港に、緊急着陸したというニュースを取り上げます。

 これを、対、私への脅かし用ニュースだと、言うと、「皆様は、どうして?」とおっしゃると思います。しかし、ドイツから、電話をかけてきて、英語を話したというと、あの人だと、思い当たる人物がいるのです。

 その人は、過去(=ほぼ、13年前の一月)に、私に対して、ひどいことをやっているのです。でね、そのひどいことは、ブログに書いています。そして、やった人物も、私の頭の中では、特定してあります。ドイツ人男性です。その時期には、彼は、日本にいたのです。しかし、ブログの中では、この人物を、仮名ですら暗示をしておりません。

 しかし、このブログに実名で、登場する、鎌倉エージェントたち(東京在住も含む、10人前後)は、そのドイツ人を知っています。私のブログを読めば、彼らにとっては、すぐ特定できる人物です。というのも、そういう(=対私いじめ)任務のためにドイツから、呼び寄せたのが、鎌倉エージェントだからです。

 で、・・・・・この爆破予告と緊急着陸によって、私が、その時の、あれこれを思い出すかどうかを試されている・・・・と、推察しています。だから、こそ、私は、詳細を書けません。だって、彼が、私にやったことだって、とてもひどいことです。ものすごく不道徳なことです。(と、言っても、下半身は、関係ありませんよ。ごく抽象的な世界での話です。文化的、分野での話です)その人とどこであったかなどと、言ったら、彼が特定されて、大変ですから。

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 だから、このニュースそのものが、私への罠だったのです。だが、「その電話をかけた、人物を知っています」と、ここで、書くことで、・・私が、「馬鹿ではないよ」と、彼ら、鎌倉エージェント(=CIAエージェント)に示すことができます・・ので、こういう文章を書きます。

 その人間に出会ったのは、中央大学の助教授が、元学生に殺されたころでした。教授にとっては、四年時に担当して、卒業する予定だった学生の、就職先を、「あなたが望んでいる、そこへ推薦するのは無理です」といったために恨まれて、トイレで、惨殺をされたころです。

 その助教授殺しは、本当に起きた事です、しかも、政治は、関係がないところで、起きた事件です。犯人が甘やかされた人間で、それ以前に、望んだことが、かなわなかったことがないので、助教授を恨んだのです。殺すほど恨んだのです。が、それが、2022年晩秋の、宮だい教授刺傷事件を、企画させました。で、私は、むろん、そのところまで、書きたかったのですが、まだ、書いていません。

 しかし、宮だい教授刺傷事件を企画した人間は、今まで、その事件を含めて、過去のありとあらゆる謀略事件に関して、私が、彼(主に井上ひさし)の、企画の傾向を熟知していることを、ご本人が知っています。

 宮台教授刺傷事件について、書いたことだけでも、ドイツ格安航空機のアルプス激突事件を、以下の様に書いているのを、かれが、思い出しているのです。私の連想が走るのではないのですよ。井上ひさしの連想が走るのです。

 私が、ルビッツ副操縦士の、自殺願望節を唱えたのは、鎌倉エージェント、特に、公的には、自分を死んだことにしているが、実際には、いまだ生きていて、各種の謀略事件を画策している井上ひさしだと、言っていることを思い出して、それを書かせながら、今回の、電話を掛けた人物を特定できる情報をここで、彼女に書かせて、誣告罪へ誘おうと、しているのです。だから、あの人だろうと、言う人物の名前を言いません。特に知り合いではなくて、特定できるバックグラウンドを言うだけですが、それでも、特定できるので、私が、誣告罪で、訴えられる可能性があります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 というのも、私が、言っていることが、どれほど、正しくても、日本の警察(もしくは、協力要請を出して、インターポールに訴えても、)その電話の発信元を、調べてくれるはずもなく、また、そのドイツ人男性が自宅の固定電話とか、彼本人の携帯(英語だと、セルフォーンというらしいが)を使うはずもないですね。だから、誣告罪へ誘う事件でした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ただし、この日本の格安航空機を狙ったのは、むろん、ドイツの格安航空機の事件を、自然に想起させるためです。私にですよ。日本の、1億2千万人の、すべての人が、ドイツ格安航空機のアルプス激突事件を今、思い出しているとは、私は、考えませんが、私は、確実に思い出していました。

どちらも格安航空機を使っていますね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ところで、今度は、電話による脅かしだけで、実際に、爆弾が仕掛けられたわけではありません。これも、また、最近の、彼ら、鎌倉エージェントの謀略事件の傾向です。過去のありと、あらゆる事件を修正していこうとする傾向があって、飯能事件では、ビショップさん一家、三人の、殺人はありえません。

 また、西大寺での安倍晋三氏、銃撃事件は、こういう謀略は、すべて、警察のブルーカラーとしての、殺人専門の別動隊が行っていると、語っていますのを、逆転させることを狙っています。山上徹や本人が、手製の銃で(特にテレビカメラの前で)殺したというのが重要です。しかし、伯父が、弁護士だそうで、事前に、何か、甘言をささやかれて、犯行に及んだのでしょうから。留置所で、「大学へ行きたいから、勉強したいので、参考書を入れてくれ。特に英語の辞書を」と、妹に言ったらしいですね。甘言とは、海外の大学へ行かせてやると、言うことだったのでしょう。

 私が、こういうことを書くのは、鎌倉エージェントの、手法を明かすために言うのです。犯罪を実行させて、ご褒美を上げる。別人に成りすます、パスポートを与えて、ひそかに米軍機で、海外へ逃がす。そういう予定があったのでしょう。でも、こう書くとその約束は、反故にされるでしょうね。かわいそうだけど、本当の死刑になるかもしれない。ともかく、鎌倉エージェントは、誠実ではなくて、朝令暮改ですから。そのことは、石川和子さんを見ていると、よくわかります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ところで、ルビッツ副操縦士の自殺願望節が出た、ドイツ格安航空機の撃墜の真相は、景気を狂わせられたからです。それを、計画した人間とか、実行した人間は、知りません。今まで、書いてきた、鎌倉エージェントにも、それらの、事項力はありません。で、国際的大組織が、計画し、実行したことを、謀略だと、見破っている私を脅かすための、いろいろを、井上ひさし等が、考えだすということだし、

 今回も、私が知っているドイツ人は、ただ、ただ、電話をかける様に頼まれただけで、それを実行しただけです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 さて、この名古屋空港緊急着陸は、7日に起きたのですが、その後、後追いニュースとして、その三日前にも似た様な予告電話があったと、言うニュースが出てきました。私が乗らなったからです。しかし、NHKは、それを、本日報道したかどうかを知りませんが、

 読売新聞が、*******罫線以下の、ニュースを、本日13日に、流しました。

 ドイツ格安航空機事故が起きたころ、日本でも、軽井沢スキーバス事故というのが、置きました。死んだ運転手と助手が悪かった・・・・・運転技術が未熟だったということに成っていて・・・・・それゆえにバス会社が、叱られたり、ツァー企画会社が、叱られたりしてます。

 しかし、当時、私がそれを書いていますが、石井啓一国土交通大臣を助ける為に起こされた、悲劇でした。こちらも、速度計を狂わせられたので、起きた事件です。******罫線以下の、読売新聞のオンライン記事は、まさしく、その経緯を思い出せと、言われているニュースでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ところで、私の北隣の石井秀樹さんは、石井啓一、国土交通大臣から、賞をもらっています。でね。私は、何らかの形での、親戚ではないかと、考えています。で、石井秀樹さんには、特別に名誉が降り注いでいます。彼は、私に対しては、傲慢ですが、テレビカメラに向かっては、今のところ、傲慢ではありません。それが、隈研吾氏とは、違うところ。ただし、アンガールズの田中が、視界をする、BS東京の、突撃隣のすごい家の大一回が、石井秀樹さんの家だったし、2022年度の対象が、これまた、彼が設計した、家に降りたと、いうことでも、

 彼が、鎌倉エージェントの特別なかわいこちゃんであることがわかります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ところで、アンガールズの田中は、第二の北野武になるのでしょう。彼が、2009年ごろ、NHK BSのアガサクリスティ特集(実際には、山本容子礼賛番組)に招かれていたことを不思議極まりないと、思っていましたが、こういう風に石井秀樹さんを持ち上げるのに、協力していると、どこかで、CIAエージェントと盟約を結んだのでしょうね・・・・・と、わかってきます。その仲介者が誰かは、今のところ、私には、わかりません。

教の文章は、主役のお名前を秘しています。すると、書くのが楽ですね。本当に楽でした。あ、は、は。

**********************

脱出用シューターで乗客5人けが、国交省がジェットスターを監査
読売新聞 - 53 分前

 成田発福岡行きジェットスター・ジャパン501便が爆破予告を受けて中部国際空港に緊急着陸した問題で、斉藤国土交通相は13日の閣議後記者会見で、同社に対する監査を始めたことを明らかにした。脱出時に負傷者が出ており、誘導が適切だったかなどを調べる。

緊急着陸したジェットスター機。脱出用シューターが見える(7日午前9時45分、中部国際空港で)© 読売新聞

 同便では脱出用シューターで機外へ避難する際、乗客5人が擦り傷や打撲などの軽傷を負った。国の指針などでは、シューターでの脱出時には、乗務員が乗客に、手荷物を持ったりヒールを履いたりしたまま利用しないよう周知することになっているが、一部乗客が手荷物を持つなどしていたという。

 一方、爆破予告後の同社や空港の対応については、斉藤国交相は「特段問題はなかった」と述べた。

 

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郷ひろみと武豊のswitch interviewでの謙虚さと丁寧さの心地よさ・・・一方隈研吾氏の仏頂面に嫌悪感を持つ私だが

2023-01-10 11:49:50 | Weblog

 総タイトルは気にかかっていたことだけを取り上げていますが、この一文には、わがお隣さん、西と、北二人の中堅実力派建築家(白井達雄氏と、石井秀樹氏)の、今を盛りの状態をも取り上げています。

 その二人は、私を劣位の人として、ぶちのめすために鎌倉エージェント(=CIAエージェント)に誘導されて、転入してきた人達ですが、今、50代後半で、まさに、花の盛りとして、大活躍中です。なお、12日に加筆する部分には、この冒頭の部分を含めて、紫色で、表現します。

 実は、前報を、完成させるべきです。ところが、あまりにも時間が足りず、かつエネルギーも足りません。あれを、考案した初日(4日前)には、全文ができていたのですが、本日(=11日)、それを入力する気力が無いのです。それで、より、簡単に書けることへ入ります。

 だいたい、毎週、録画して置く【スイッチインタビュー(NHK ETV)】が、今週は、郷ひろみ VS 武豊でした。事前には、あまり、期待をしていなかったのですよ。だって、私は二人のファンでもおしでもないからです。

 ところが、見終わったのちに、いいものを見たという感想を持ちました。特に、郷ひろみの、成熟した、人間性に、びっくりしました。スターとして甘やかされているだろうに、彼は、いまでは、ちゃんと成長した、gentlemanになっていたのです。それに、驚いて、一文を起こしたいと願います。

 有名なスターで、ヒットをたくさん出した人なので、もっと、傲慢だと、推察していましたが、非常に謙虚で、他人に対して、丁寧な認識と、理解の姿勢があるので、びっくりしました。

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 今の隈研吾さんなんて、正反対です。新国立競技場は案の定、莫大な赤字で、これから先、何十年間も、何十億円もの、どぶに捨てる様なお金を、都も国もお出さないといけないらしいのに、そういうポイントに対する考察が事前にも事後にも一切ない人で、テレビカメラに向かっても、傲慢極まりない面立ちを見せる人です。角野栄子さんの「カラフル魔女・群馬に行く」とか、その他の番組内でですが。

 まあ、隈氏は、最近では、国家主催の物でも、地方自治体主宰の物でも、民間主催の物でも、どんな催し物にも招かれるし、顔を出す人ですが、「驕る平家は久しからずが、この人にも、きっと、当てはまる筈だ」と、推察しています。ああいう傲慢不遜な顔をテレビ視聴者に向けるぐらいだったら、対話者の方だけを向いて、テレビカメラの方を向かない方が、いいですよ。私が秘書だったら、「先生、カメラには、斜めに映ってください」と注意するでしょうし、さらに、妻だったら、もっと、厳しく「あなた、表情を和らげてくださいね」言うでしょうが? 裸の王様化?しているのかなあ?

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 スイッチインタビュー 郷VS武に戻ります。場所は、東京府中の競馬場でした。まず、門から、場内のパドック他、あっちこっちをまず、武豊が案内をして、最後にスタンド最上階にあるらしいロビーラウンジで、対談が行われました。そのソファーに着席前に、歩きながら、解説された、競馬の初歩的知識については、「わからないことがあります。こういうぶぶんですよ」と、郷ひろみが質問をするので、丁寧に武豊が解説いたします。この対談は、主役は郷ひろみで、NHKは、郷が、話したい相手と交渉をしたらしいので、主役は、郷ひろみです。

 でね、郷が武豊を指名するのだから、競馬については、やったことが無くて、「何も知りません」と、彼が言うのが正しいにしても、事前に予習はするでしょう。絶対にすると思いますよ。そうすると、郷が、質問をしたことも、武豊が、それに対して、答えたことも、ほとんど、郷ひろみ自身は、判っている事ではないかしら。ただし、その対話が、私も、知っていることの繰り返しであるにしても、この番組を好んで、見ている人には、初めてのことが多かったでしょうね。これを見ている人は、知識人(と言っても、スノッブ的な意味で、それを名乗っている、じんぶつたちも込めての、分類ですが、)が多いと思うので、「競馬なんて、私は、知りません」という人が多いと思いますよ。それを、丁寧に引き出した、郷ひろみは、なかなかの紳士だと、私は見ました。

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 明るい日差しのあるパドックから、スタンド下の地下通路を通っていくときに、背中からカメラが二人を映したのですが、郷ひろみも、細身(スーツ姿)で、武豊も、その日は、スーツ姿で、細身で、非常にかっこよかったです。私は以前からのファンではないのですよ。歌は、小説もそうなのですが、近現代の物は、ほとんど知りません。クラシックの歌と、世界民謡とロジャーワーグナーの、合唱とか、ウィーン少年合唱団の合唱とか。そういうものしか知りません。

 だから、郷ひろみの歌は、社会現象として、知っているぐらいだし。武豊の方は、傲慢に見えていたので、今までは好きではなかったのです。宮本輝の小説【優駿】のモデルとなったと見える、栗毛流星のサラブレッド【ヤエノムテキ】を私は、皐月賞の時に初めて見て、ひとめぼれをして以来、大好きで、その時代に、競馬に相当入れ込んで、テレビを見たり、雑誌【優駿】を買ったりしていたので、知識は持って居ます。

 ヤエノムテキの厩舎に、「こうしてほしいです。皆さんが、こうしてくださったら、彼は、次のレースに勝てると思います」という便せん三枚ぐらいの、お手紙を送ったら、「よくわかっているのですね」と、ひどく驚かれました。私は、興味を持つと、すぐさま猛勉強をするからです。

 ヤエノムテキは、小さな個人牧場で生まれ、さして、名門でもない厩舎に所属し、スターでもなかった中年の騎手を乗せて、皐月賞に出たのですが、その日の彼(=お馬さんのこと)の、気分よさそうな様子に一目ぼれをしたのです。五月の晴れた日、五月晴れというのでしょうね。そういう空の下、府中の芝を、いかにも、嬉しそうに、そして、「どうだ。ぼくがかったんだぜ」と、勝気そうに言いながら、駆け抜けた、やエノムテキは、私は、人間の、若い男性が、その時だけ、お馬さんになった様に見えました。特にやんちゃで、生意気な青年を思わせました。ヤエノムテキは、オグリキャップと同世代で、カタキヤクの方でしたが、私は、常に、少数派擁護ですので、オグリよりはヤエノムテキ、第一の人だったのです。 オグリからは、彼の感情は、読み取れませんでしたし。

 下は、ヤエノムテキのお人形です。

 つまり、ムテキは、吉田善哉・一族の、近代的生産牧場とか、近代的育成牧場とか、海外から、輸入された、有名種牡馬とか、数十名で、共有する馬主クラブなどという、近代的、システムからは、外れていた、現代では非常に珍しいタイプの出世馬だったのです。ただし、もっと、大きなドラマ(地方競馬から、勝ち数が多いので、中央競馬へ、転厩した)を含んでいた、オグリキャップが、同世代にいたので、一番人気は得られませんでした。

 そういう私の目から見ると、武豊は、競馬界のサラブレッドで、どうしても態度が傲慢に見えるのですよね。オグリにも、人気が沸騰した、後の、時期からは、豊が乗りましたしね。

 この際のサラブレッドというのは、名門とか、名家という意味で、父が、美形の調教師(元騎手)弟が、これまた、美形の騎手(今は、すでに、調教師かな?)と、競馬界のエスタブリッシュメントなのです。競馬会の貴族です。で、まわりがちやほやするでしょう。だから、どうしても、インタビューをするアナウンサーに対して、そっけない対応になりがちなのです。テレビカメラに対してもそっけない、対応を示しがちでした。

 例えば、2022年度の有馬記念を勝った、ルメール騎手など、非常に丁寧です。それに比べると、私が、知っている限り、武豊は、そっけなくて、サービス精神が、薄いのでした。

 ところがね。この日は、NHK、取材陣も、心地よい取材ぶりで、二人に、カメラ目線を要求していないし、二人とも、テレビカメラなどを、意識するタイプでもなくて、一切テレビカメラを見ずに、ただ、話者としての、相手を見る構図で、終始したのです。とても、感じがよかったです。

 武豊が、これほど、長時間、丁寧に、話をするのは、初めて見ました。郷ひろみのやさしさと、丁寧さが、武豊の、本来は持って居たのに、今までは、隠されていた、同質のものを引きだしたのでしょう。ともかく、二人の対話は、聴いていて、心地が良いものでした。

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 しかし、非常に後味の悪いインタビューを見る時もあるのです。このスイッチインタビューでも、それから、同じNHKの、【こころの時間】でも、時々見られるのですが、インタビューワーの姿勢が、なっていないときがあるのです。

 はあ、はあ、はあ、と相槌は打っているのです。ところが、いざ、話者が、反対になって、聞き手側が、次の質問に移ると、前の話と、全然続いて居ない質問を出したり、するのですよね。相手を全然尊敬していないので、相手が話したことを理解していないと、言う事が判ります。見ていて、とても嫌な感じです。

 もちろんのこと、なにか、間投詞としての、質問が入ればいいのですよ「ところで、ちょっと話題は変わりますが」とか、「ええと、おっしゃることは、判るのですが、ここで、こういう風に考えるのはいかがでしょうか?」とかね。

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 しかし、もともと、露悪家を気取っている、または、セールスポイントにしているタレントだったら、ここは、許容されるかもしれません。小木博明なども、そういう風に発言をする人ですが、もっと、きついのが、ミッツマングローブで、ここで、彼を思い出したのです。しかし、後半でも、それを言うのですが、民放をほとんど見ないし、できるだけ、テレビ自身を見ない様にしている私は、実は、タレントの事をほとんど知らないのです。

 でも、NHKの何かの、番組で、露悪家であり、わざと、意地悪っぽくするミッツマングローブを見て、特に慶応大学をからかった、数秒を見て、びっくりして、ネットで、検索して出身大学を見たら、慶応だったので、なあんだ、そうなのかと、納得をしました。慶応出身者が、慶応に辛口を浴びせるのは、ありでしょう。身内ゆえの甘えというか、おおらかさというか。

 それからね。本日=2023年、1月10日、もう一回、彼をググったら、鴨居と言う地名が出てきたので、もう一度、びっくりしました。私は、170年から、1974年まで、その駅を最寄りとする、神奈川県の、分譲マンションに住んでいたのです。

 この駅が、横浜線、上級化の、起点になっているみたいです。田舎の素朴な駅だったのです。しかし、三井不動産の【ららぽーと】が出来て、また、有名な、例の傾きマンションができたので、この駅が、格段の、美しい駅へと、リフォームされたのでした。ミッツマングローブは、この町で育ったと、言っています。そして、テレビ番組にも使っているみたいです。たぶん、東本郷町という岡の上の、分譲地にある一戸建てではないかなあ?

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:::::::::ここで、私のブログ特有の問題である早稲田と、東大の比較に入ります。お隣に、超エリート建築家白井達雄さんが転入してきました。14年ぐらい前で、自然なことではなくて、政治的目的があったでしょう。上で言っている傾きマンションと、そっくりな外見のマンションが、例の北久里浜の、実質的詐欺(=地積変更届)で、旧水道山が、瀬島龍三一派にただで手渡ったのちに、ルネ北久里浜という美麗なマンションが建ちました。売り出し時、そらヒルズと言って、360度の眺望が利き、富士山も千葉県も見えるし、空気はきれいで、音は、静かです。傾きマンションと同じ人、たぶん、白井達雄さんが設計したと、見ていますが、

 都筑区の駅から、遠いマンションと、比べると、はるかにこちらの方が上です。駅から、少し歩くと、直通で、山の上に上がる美麗なエレベーターがありますし。だから、きっと徒歩五分という、説明で、売り出されたと、推察しています。傾きマンションは、徒歩20分です。まったく違います。

 しかし、横須賀のブランド力と、横浜西北部の、ブランド力を比較すると、横浜の方が上なんでしょう。中古価格は、横浜の方が、高いと思います。

 白井達雄さんは、今、横浜市、神奈川区、鶴屋町に、タワーマンションを建設中の設計マンです。完成すれば、横浜一高くなるビル、YOKOHAMA FRONT が、建設中ですが、その設計マンです(日本最古の、設計家集団である・松田平田設計事務所の重役にして、横浜支店長)

 この夫婦は、渡辺篤史の建物探訪に登場しました。それと、西隣だから、私としては、大変多数回接触があるのですが、ご主人の方は、人物が練れていて、まあ、許容できる部分が大きいのです。が、奥さんの方は、大変困る事が多い狷介なひとです。

 この違いが何によって起きるかをよく考えるのですが、一番大きな問題は、ご主人の方は、親が年取ってから生まれたお子さんであろうと言う事です。非常にかわいがられて育った人でしょう。奥さんの方は、親が、若かった家庭で、生まれて育ったゆえに、ご主人ほどの、おっとり感が無いです。母親が、いろいろなことで、かのじょを、せかして、育てたお嬢さんであろうなあと、思われるところがあって、せかせかしているし、落ち着きがない女性なのです。ただね。これは、最上級の、甘い表現です。もっと、きつい言葉で、評価したいところだけれど、今は、抑えます。

 ところで、この二人は北久里浜と関係があると見え、CIAの御大瀬島龍三にあれこれの、引導を渡されて、私を攻撃し弾圧するために、引っ越してきたのですが、奥様の方を長らく、小野寺夫人と書いて来たことを、これから、やめて、白井夫人と書くことといたします。

 奥様の説明によると、夫婦・別姓・結婚で、大学は同窓であり、自分が一期上なのだそうです。

 ある日、長話になったついでに、「早稲田出身ですか?」と、聞いたのです。というのも、二人には、やぼったさというものはないのですね。で、国立大学卒ではないと判断をして、私学の中で、建築学科が有名な大学として、早稲田を上げたのです。すると、否定をされました。その否定の仕方で、一気に、彼女を、嫌いになったのです。彼女はね。「早稲田も、いい大学ですけれどね」と言ったのですよ。すごく失礼だと思いました。なんという傲慢さよとも、思いました。その言葉を聞く前に、すでに、何回も嫌な目に、あわされていました。しかし、その日までは、・・・・・瀬島龍三に、教唆されているから、こういう態度なんだ・・・・・と、判断をして、CIAの特権政治は、嫌うが、彼女本人を嫌う気持ちは、無かったのですよ。ところが、その日以来、「東大卒だろうが、説明の仕方が、なんて、他者に対する思いやりがないのだろう」と、思って、深い嫌悪感を持っています。

 特に最近、連続して書いている様に、北久里浜の水道山をめぐる益山重夫・智恵子夫妻、瀬島隆三、杉本俊一・正子夫妻(横須賀市吏員、最後は、この件で、優遇されて副市長になった)+京急役員などによる、水道山をタダで、私有化した、いきさつを、知っているがゆえに、その、4年後、まだ、12歳だった、私の子供の私立中学二校を、不合格に、裏から手を回して、致しましたね。

 それは、思い過ごしではなくて、私の実家から、半径60m以内にある、小田歯科医院、水沢勉・現葉山の美術館館長、塩野義製薬勤務一家沢野家、カリタスに、お嬢さんを通わせた寺沢一家、故・増田忠氏(昭和天皇の御料車のデザイナー戦時中は、きっと中島飛行機勤務だった)などが絡んでいて、私は小田先生が、治療中に、あまりにも何回も、しかも足掛け二年間にわたって、慶応普通部ほか、参考全部に合格した孫自慢をしながら、暗に、私の息子の不合格をえぐってくるので、「それは、いつのことでしょうか?」と、質問をしたところ「昔のことです、孫はもう社会人です」と、先生が恥ずかしそうにおっしゃったのです。それ以来、不合格が裏からの操作だったと、確信をもって、語り始めたら、それを中断させるために、カリタス小通学バス襲撃事件が起きたのですよ。

 ここで、半径60m以内と、言うのが、重要で、それが、飯能時事件の主要な要素として、使われています。だから、カリタス小、通学バス襲撃事件も、飯能事件も、CIAが仕組んだ謀略です。しかし、明瞭な違いがあって、登戸事件と、今は、呼ばれている、カリタス小襲撃事件の方は、実際に三人が殺されていて、今回の飯能事件の方は、だれも、殺されていないと、考えています。昔の謀略事件の瑕疵の修正をしてきたのが、今回の事件です。

 登戸事件の方は、お子さんの通学に付き添ってきた、ミャンマー語に堪能な、若い外交官が、殺されました。でね、午前11時のニュースで、もう、アウンサンスー・チー氏の後方に、付き添っている、被害者の動画が出ました。如何に、準備されていた謀略かが、理解されます。私にはね。しかし、この謀略事件を、企画した人間は、日本国民、一億二千万人が、この事件が、51歳の引きこもり男性が、起こした、自然発生的な事件だと、信じる様にするために、盛り上げ材料としてアウンサン・スー・チー氏の来日時の動画を使ったのでした。そうです。こういう謀略は、すべて、鎌倉雪ノ下の安野智紗夫人の井戸端会議によって、我が家のがけとか、道路が盗まれてしまったことを起点として起こされていますので、

 ご近所人間に対して、よく言う様に、安野夫人と仲良くすると馬鹿化するの典型が、ここにもみられるのです。一国の元首級の人を、引き合いに出して、鎌倉雪ノ下の、ご近所様が、この38年間に、次から次へと行ってきた恐ろしいことを、すべて、帳消しにしていこうと、言うのが、伊藤玄二郎達、鎌倉えーじぇんとの面々の主たる意向です。

 アウンサン・スー・チー女史は、私が、鎌倉雪ノ下における新たな攻撃について、述べるたびに、景気が伸びて、雄平が、深まっています。それは、あの方が、テレビに出てくると、私が、また、このカリタス小襲撃事件について述べるので、脅かしのために、ミャンマー軍事政権が、世界の中心たる、CIAの言う通りに動くからです。

 まあ、習近平国家主席は、相当に立場が危うくなってきたみたいですが、ミャンマーの軍事政権は、無事みたいですね。両方共、また、北朝鮮も、プーチンも背後にいるのは、同じ組織の人間達です。その駒として動いているだけです。

 ここで、樹木、土地、コンクリート化、土地の泥棒、地境石の移動。など、非常に恐ろしいことを、たくさん、書かないといけなくなりました。非常に恐ろしいことを白井達雄、同夫人は、今まで、行ってきたのです。それを、書いた方がいいのですが、午前三時

 この時刻は、11日の深夜=11日の早朝のことでした。が、11日の深夜=12日の早朝も、すでに、午前四時半になったので、ここで、加筆を止めます。寝ます。では、

になったので、それは、ここでは、書かないで、先へ進みます。ビビっているから書かないのではなくて、体力が続かないので、書かないだけです。

 非常に嫌なことを数多く、その二人から、やられています。でも、奥様が、本当の名前が、小野寺なのか? それとも、白井なのか? そこに戻りたいと思います。

 表札にも、白井・小野寺と、併記されています。しかし、私はね。ご近所様の誰かカレカから、あまりにも多数回、そして、多数の相手から騙されたり、引っ掛けられたりしたので、疑い深くなっているのです。

 特に登記所で、土地の所有者を見たら、白井達雄と、白井某女と、連名になっていたのです。渡辺篤史の建物探訪では、奥様が、一時期の雅子様みたいに、威張りまくってね。ご主人の上に立つ模様だったのですが、その一つとして、・・・・・実家がいい家だ・・・・・と、言う、表現があったのです。床の間に飾ってある、名物(骨董、らしきもの。香炉だったかな?)が、いいものだったらしくてね。それは、奥様のものだと言う事で、奥様の実家が名家だと、紹介をされたのです。

 だけど、私が、この一文を書いた以降、突然に、渡辺篤史の建物探訪は冷遇をされることとなり、早朝四時か五時の放送となり、結局は消えていきました。まあ、何とも言いようがないけれど、この一事をとってみても、どれほどに、私が、注目をされて、実際にはメディアを動かしているかを語っています。

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ここで、ミッツマングローブから見ると、三段階目の、スピンオフとなり、郷ひろみから見ると、四段階目のスピンオフとなりますが、

 渡辺篤史の建物探訪が、消滅していくのと反対に、伸びているのが、アンガールズの田中(広島大学建築科出身だと、聞いている)と、遼河はるひが司会をする、BSテレ東の、【突撃隣の、すごい家】です。

 この番組が、先日、2022年度取材先のランキングを発表しました。小木博明が、お客としてやってきて、50なん軒かの家を、批評したのです。アワードと言って、トップに選ばれた家には、賞も、授与されました。

 なんと、2022年度の対象は、我が雪の下の家の、北隣の、石井秀樹さんが、受賞をしました。その家が、1月14日に、放映をされるそうです。再放送なのかなあ?

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 まあね、ここから、鎌倉市内の巷の噂ですが、三菱銀行が、政府ににらまれている(政府ではなくて、いわゆるCIAにでしょう。または、まだ、実際には、生きている井上ひさしにでしょう)という話を聞きました。本当かなあ? 嘘でしょう。

 石井秀樹さんとか、彼の、住居(二つあると思うが、こちら、雪の下の方)は、それこそ、私を、弾圧する、金持ちの有名人の、転入という、目的で、石塚雅彦さんあたりが、画策した話でしょうが、

 こちらは、奥さんが、素朴な(お嬢様育ちだと、判るのだけれど、素朴さも残している女性です)ので、巷間を持って居たのに、この人もまた、嘘をつくのです。学歴についてですが、「SFC(慶応・湘南キャンパス)でしょう?」と、聞くと「違います」ですって。あ、は、は。大笑いです。

 石井秀樹さんの居宅敷地が、1000万円で手に入った裏に、三菱銀行が仲立ちして、どこかから、差額2000万円を入手し、持ち主、藤本悌子さん側に渡したはずだと、言う文章を書いて居るから、三菱銀行がいじめられているんでしょうかねえ。

  すみません。私が、頭の中で、準備したことが、全部書けていません。が、ここで、寝入ります。午前3時を過ぎたので。

 

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友が「息子が東工大の教授になったの。しかも30代で」と電話でいう。それは慶応ルートを使った攻撃であり、私は古傷を掻き毟られて苦しむのだったった

2023-01-06 21:10:27 | 政治

 この章で、私は、大変複雑なことを書きます。書くのにつらく苦しいことを書きます。しかも、大変、力が必要です。でね。総タイトルをご覧になって、私が単純にも、「彼女は、上級国民を友人に持っていることを、自慢して、威張っているらしいなあ?!?!?」などと、は、誤解をなさらないで、くださいね。

 これは、鎌倉えーじぇんと(=CIA)と、警察と、慶応大学が、そして、日経新聞とテレビ東京が、からんでいる壮大な、政治的弾圧の物語なのです。で、24時間は、【少学校時代の友の坊やは、30代で東工大教授に。夫=父=がSQARE ENIXの重役だから、さもありなんと、私は納得をする】と温和な総タイトルをつけておりました。が、8日の夜10時半に、より、この章の内容に近いものに変更します。

 でね、各節を副題αとナンバー付けをしていくのは、いつものことですが、さらにその上に、第β部という、大枠の分け方も付け加え、、そこにそれなりの、ナンバリングもつけていきます。非常に構造が複雑なので、わかりやすくするためです。その第一部は、2023年1月6日に部分的に書いたものの、これだけでは、意味をなさないと判断をして、一回引っ込めています。それは、文末に置きます。その第一部を書いたわけは、電話をかけてきた友人のご主人が、慶応大学の理事、しかも、売上高が高いスクエアエニックスの幹部なので、私を苦しめる為にかけてきた電話が、ファイナルファンタジーの歌舞伎化と、連動をしているなあと、感じるからでした。したがって、そこから、始めています。

 が、主たるポイントは、私が、友人からいじめられているという話なのです。とても、にていることは、数年前にも起きています。お茶大付属高校卒の後輩(5年下)の広瀬由紀子さんご本人から、「今度、学芸大学の教授になりました。広報担当の特任教授です」という、はがきをもらった時のことです。そのとき、以来の悪意を感じました。学芸大学の教授の方は、ずっと、個人オフィスを開いていた千葉大卒のデザイナーだったのに、急に国立大学の教授になったのは、すべて、私を苦しめる為の、(川名昭宣君などの)、国立大学の教授任命権を握っている、CIAエージェントが、画策したことでしょうし、かれらが、川崎千恵子(雨宮舜の本名)に「知らせなさいよ」と、命令するから、わざと直接知らせてきたと、わかることだから、軽くやり過ごしました。このブログでも、書かなかったと思います。それは、ほかの多数の攻撃と、連動しているので、いつものことだと、思ったし、広瀬さんから、ほかの面で、情報をもらうこともあったので、「フィフティフィフティです。これは、仕方がないわね」と、覚悟をして、やり過ごしました。

 広瀬さんの場合ですが、個人で、事業をやっているのと、学芸大学の教授になって、キャリアを引退をするというのとは、信用度が大きく違います。彼女は、お茶大付属高校の同窓会で、今では、大きな位置を占めているし、お子さんや、お孫さんの就活や、婚活にも大きな利益や援助をもたらすことでしょう。

 しかし、東工大の教授になった息子を持つ、お子さんの、電話は、二か月ぐらい前のことで、しかも、大学受験期に当たっているので、私の心を大きく乱しました。孫が、大学を受験する、年度なのです。月に一度ぐらいOPCという名の、お勉強会を一緒にする、広瀬さんと違って、そちらは、小学校、5,6年時の同級生で、昔も今も、結構活発な交流のある友達だからです。そういう人に裏切られるきつさを、どうか、ご推察くださいませ。ここまでが、二日目の加筆部分で、ここから先は初稿に戻ります。文体も変わります。

 小学校時代の友人は、すでに、25回ぐらいにわたって、クラス会を開いている。中で、市瀬紀美子さんという女性は、ひときわ富裕になったし、それをどことなくひけらかすので、みんなからけむったがられているのだが、特に私に対しては、そこへ、政治的弾圧の要素が加わっているので、私に、とっては、彼女との対応は、しんどいことの連続ではある。

 彼女が歌舞伎座のエレベーターに、偶然を装って、乗り込んできた日に、私は、彼女から、こういうセリフを放たれた。「桜姫、良かったわね。私あれを、四度もみたのよ」と。

 私は無論、見たかった。だが、攻撃がひどくて、その対応のブログを必死で、書いているうちにチケットは、完売してしまった。海老蔵の団十郎襲名も、第一部は、11月も12月もチケットが手に入ったが、第二部【助六】は、どうしても、手に入らなかった。それも、むろんのこと、ブログを緊迫して書いていたからだった。安倍晋三銃撃事件とか、宮代教授傷害事件とか、次から次へと、起こされた。安倍晋三さんが、奈良県西大寺で、銃撃されたのは、私が、旧姓西大寺さんから、井上ひさしの力と、カソリックの力を使って、引き離されていることを刺激するためだと、私は書いている。その件で、ここで、加筆をしたいが、旧姓西大寺さんの坊ちゃまが、数学専攻の学者であってプリンストン大学や、ソルボンヌ大学で、学んでいると、教えてくれたのは、広瀬由紀子さんなのだ。私と旧姓西大寺とは、西大寺さんが、五歳上、広瀬さんとわたくしとは、五歳広瀬さんがしたという間柄で、神田の学士会館のレストランで、講演会を聞いたのちに、二次会を開いて、懇談する間柄だった。それが、二か月に一度で、十年間は続いていたと、思う。広瀬さんからの年賀状が、今年は来ていない。ほかにも、その二次会仲間から、いつも来る人が、くれていない。ということは、安倍さん銃撃に関して、私が書いたことが、ほとんど正しくて、旧姓西大寺さんに、それが、伝わっていると、言うことを意味するのだろう(あと注4)

 

 市瀬紀美子さんの、攻撃は、一回だけではなくて、二回あった。その一回目の方が、歌舞伎座では、常連であると、言うことを、自慢する話だった。わたくしが、桜姫を、見られなかったことを、鎌倉エージェントから知らされていたうえで、「四回もみたのよ」と、自慢をしてきたことだった。一方、その鋭い嫌味をエレベーター内で、放たれた日とは、別の日に聞いたのだが、彼女は松竹のゴールド会員だそうだ。ということは、私よりも、4日も先にチケットを申し込むことができるのだった。それは、今回の団十郎襲名の時みたいな、特別な時には、大いなる差となってくる。

 しかも、彼女が、差別をしてくる点は、ほかにもあった。歌舞伎鑑賞の、富裕度の差よりも、子供の出世度の差の方が、私にとっては、よりきついものだった。それでも、2022年の、10月か、11月に、「息子が、東工大の教授になったのよ。しかも、40になるギリギリ手間でしたけれど、一応、三十代でね」と、言う電話は、相当にきついものだった。

 しかし、それでも、ブログ化は、しなかった。なぜか?・・・・・というと、それは、孫の大学受験に、CIAエージェントが、裏から手を回して、不合格にするのではないかという、10年以上前から、抱えている心配事を刺激する話だったから、かえって書けなかったのだ。なぜ、この一月7日にブログ化したかは、本日(9日)の、本省推敲後、文末に、加筆できたら、加筆したい。まあ、私を襲っている悲劇中の悲劇があって、ついにそれをブログ化することとなったのだが、その悲劇を、本日中に書けるかどうかは、わからない。お待ちいただいとも言えない。というのも、読者の皆様のうち、普通の心を持っている人は、他人の不幸や悲劇など、聴きたくないと、お思いになるだろうから。しかし、過去に、このブログに実名で、登場した方で、それを迷惑だと、考えている人物は、私の悲劇を知れば、喜ぶ可能性がある。

 この件の裏に、私の息子は、私立中学受験時(=1982年初冬)に、二校も、瀬島龍三によって、不合格にされた。で、すごく荒れたし、人生がごちゃごちゃになったともいえる。だけど、中三で、復活してくれたのは、ありがたかった。

 それは私が、画家になる夢など捨てて、ただ、ひたすら、主婦と、母業だけに、従事したからだと、ひそかに、思ってはいる。だから、私は、一ノ瀬智恵子さんを批判をするのだ。彼女はお子さんが殺される前には、私ほどの心遣いとか気づかいをしていない。お世話もしていない。特に大切なことは、待つことなのだ。それなのに待たないで、警察へもっていった。過去のストーカーの例を研究しても、警察へもっていくと必ず、殺される。そういう過去例を見たって、警察へもっていかないで、ただ、待つ、という忍耐の時期を経ないといけないのだ。しかし、彼女は、自分の仕事の時間が欲しかったらしい。事件当日だって、家で、紗綾ちゃんの帰りを、待っていなかった、朝警察へ訴えを出したのだから、最も危険な日だったのに、待っていなかった。

 ここで、飯能事件に入る。あれは、過去の私の文章を否定するための要素が満載の謀略事件で、ビショップさん親子は殺されてはいないと、見ているが、三つ目のポイントとして、庭で三人が殺されたと、言う一軒がある。鈴木紗綾ちゃんは、家の中で、待ち伏せしていた、青年に刃物で襲われて、道路まで逃げたそうだ。が、道路で絶命したとのこと。

 子育てって、予期せぬことが起きる。日能研の先生が、絶対に合格しますよと、おっしゃっていたのに、そして、別に栄光とか、星光(1982年当時、桐蔭は、まだ創立されては、いなかった)を受験したのではないのに、不合格だった。うちの子は、日能研の先生にかわいがられていて、「将来は、東大だね」と、言われていて、卒業文集にもそれを書いてしまったぐらいだった。知っていたら、注意したのにと思うし、担任の先生から、私にお知らせをいただき、訂正をして置きたかったと思う。また、親戚中から、私が、お正月宴会などで、「ちっちゃん(わたくしのこと)の子供だから、きっと、すごく優秀だろうね」と、言われていたことも、災いをした。私が、当時は、一流校だった付属に、ほかの子と、50点も差をつけて、一番で、入学したことは、周辺によく知られていて、その子だからと、言われるのもしばしばだったから。

 その1982年の初冬に、私は、まだ、自宅が、盗聴をされているとか、瀬島龍三一派が、深く、私の死を願っているなどとは、思いもしなかった。私の死を願うから、息子という希望の種の芽を摘んだのだった。しかし、私は性善説の人だから、しかも、彼らは、横須賀市の旧水道山を地積変更届という、一種の高等知識を使ってただで、取得している大富豪化後の人間だから、そこに満足していて、真の上流階級らしく、・・・・・事件の裏側を知る私を、狙うなどとは、する由もないだろうと、思いこんでいたのだった。

 だけど、今思うと、あの時に、その悪事(入試を裏から不合格にさせた)に気が付かなくてよかった。もし、あの時に気が付いて居たら、私は苦しさのあまり、くるっていたと思う。くるわなくても、瀬島一派の、張本人、益山智恵子さんに、何らかのアタックをした可能性がある。そうしたらあの時点で、家庭が壊されていたかもしれない。真相に、気が付かなくてよかった。最近になって、真相を確信する様になったのは、織田歯科医院の先生のえぐる様ないじめから、カリタス小通学バス襲撃事件が起きたからだった。これは、書きかけ中で、書こうと思うと何らかの謀略事件が起こされて、完成していない。だが、息子が、中学受験に不合格だったのは、裏からのCIAの工作だったというのは、確かだった。

 しかし、2005年ごろから、この事実には気が付いており、したがって、ひそかに孫のことを心配し始めたのだった。まあ、孫は、さておいて、長男の方へ戻る。彼が、私の身代わりというか、間接的攻撃の対象として、どれほどに、苦労をしたかを語りたい。

 ここまで、9日の午前1時20分までに、加筆推敲をしました。ただ、本当に疲労困憊しています。消耗が激しくて、これ以降の推敲加筆は、後刻をお待ちくださいませ。

その後就活の際に、いじめられて(これは、わかっているけれど、まだ、ブログ化していない)、就職後もいじめられて、大変な苦労をしてきている。

 三国屋善五郎に、勤務して居たころのケースなど、息子は、何も言わないが、西原理恵子の、【さいばら茸】第8巻を秋葉原のブックオフで、偶然買って、帰りの電車内で、読んで、彼の苦労の、秘密がわかったのだが、

 これは、合計、7人もの人間がかかわっている謀略で、いじめられ切って、しまい、子供の世話・・・・・があるために、会社を、辞めざるを得なかった。孫には、少し、自閉症の気味があり、妻=母親だけには任せられなかった。本当に、息子は、その子<孫>を、今も、かわいがって育てている。

 それは、高須院長、西原理恵子、罠をひっかけてきた三国屋善五郎の、女子店員、三国屋善五郎の社長、大前研一、大前勇介、石塚雅彦というラインで、構成された謀略だったのだ。

 西原理恵子は、吉祥寺に住んでいるのにもかかわらず、状況以来初めて、帰郷し、法事に出たのだが、法事のお返しに、三国屋善五郎のお茶をわざわざ、横浜駅東口のポルタにまで、買いに来て、しかも、それを包装した、女性店員は、社長に命令されて、わざと慶祝用の、熨斗紙をつけ、それを起こった、西原理恵子は、高知県に来て、謝罪をしないと、許さないといい、女性店員の上司である、息子は、飛行機代も、ホテル代も出ない形で、最初は、謝罪に行くと、お嫁さんが言っていた。

 私がお嫁さんにあったことによって、

 息子は、自分の苦しみを、母親や、お嫁さんに、詳細に語る人ではない。だけど、私は、異様な胸騒ぎがして、お嫁さんを訪問をして、その話を、彼女が私をバス停まで、送ってくれたたった、5分間の間に聞いた。

 その後、ホテル代と、飛行機代は出たそうである。これは、尾行者がいて、私が、お嫁さんを訪問をしたことを知って、慌てて、社長に、飛行機代と、ホテル代は出しなさいと、企画をした、石塚雅彦さん、または、大前研一が、命令をしたのだと、推察している。

:::::::::::ここで、挿入に入ります。東大を卒業した後で、電通に入社した、高橋まつりさんが、上司からの、パワハラや、セクハラを受けて、自殺をしました。その後、だいぶ時間がたってから、お母さんが大々的に、記者会見をしました。それに対して、私が、一文を書いています。

 そういう、不思議な、感覚が通じるのです。江戸時代後期に出版をされた【雨月物語】の中に、【菊花の約(契り)】という章があり、約束の日に会えないので、遠くで、自死した『友人が、自宅へ訪問をしてきて、一緒にお酒を飲んだのだが、ちょうど、その時に、かれは、死んでいたのだなあ』と思う主人公が出てきます。昔は、電話もないし、ネットもない時代で、手紙だけが、唯一の交流手段だった場合に、それほどの、心の交流があると、言うことを書いている文章です。あのね。それから、菊花の契りとは、ボーイズラブ(というか、同性愛)を指す様になった模様ですよ。

 それに対して、いくら静岡県と、東京と離れていても、お母さんが、まつりさんの、苦境を理解しえなかったというのが不思議です。母と娘とは、自然な形では愛情が育ちにくいのです。とくにまつりさんの母親が、弁護士事務所に、勤務してると見え、その先生と一種のパートナーシップを結んでいたりしたら、まつりさんは、母親を嫌うでしょうし。

まつりさんは性格が悪い?。自殺は、母にも遠因があるのでは?・・・・・母って胸騒ぎがするものなのですよ△   2016-11-12 20:00:14 | 政治

 ともかく、私のまつりさんに、関する文章は、相当深い内容で、読者の皆様にも、評判が良いものです。あの大々的、記者会見ですが、私がブログで、実名で、あれこれを書くのは、何か、法廷闘争になった場合に、これらのブログを使うつもりだからだ・・・・・と、書いたことを、からかってきた記者会見だったでしょう。つまり、俺たちの陣営の人間は、記者会見などができるし、法曹界の人間のサポートを受けられるが、お前はだめなんだと、言うことを言いたくて、あれほど、大げさな、記者会見を開いてもらえたのだと、思います。つまり、まつりさんの上司(弁護士)には、伊藤玄二郎が手を伸ばせる存在だと、言うことです。

 ともかく、私は、まつりさん、ご本人は、かわいそうだと、思うけれど、母親が、悲しみを記者会見で、売ったるのは、ただ、打ただ、ぞっとして、見ているだけです。この人は、お葬式ごっこで、岩手の祖母を訪ねようとして、切符代がなかったので、駅構内のトイレで、自殺した、鹿川君の母親を思わせます。美しいミルク・チョコレート色のアンゴラセーターのアンサンブル(二枚が一組になっているデザイン)のトップスに、美しくカットした、マッシュルームで、髪をかき上げながら、カメラの放列の中を歩いている彼女は、まるで、スター気取りでした。お子さんが、お小遣いを貯金していて、数万円持っているだろう、中学二年生なのに、切符代がなかったそうです。むろんのこと、いじめっ子にお金も、奪われていたかもしれませんよ。だけど、そこまでの段階に行くのに、どうして母親として、気が付かなかったのだろう。鹿川君のケースに限らず、いじめられっ子というのは、母親に、ネグレクトに近い扱いを受けているケースが多いのです。かわいそうだけど、自宅で、かわいがられていない子供は、外で、攻撃者(例えば、リンチ事件の首謀者)となるか、被害者となり、自殺をするかのどちらかになりやすいです。有名大学を出て、自分のキャリアを育てるのに一生けん命で、子育てを、赤ちゃんの時から、保育所に任せるのは、大反対です。

 育てないと、愛情もわかないのですよ。生むだけでは母親とは、成れないのです。苦労をするから、いとしくなるのです。毎日、毎日、子供の要求にこたえていくうちに、次の段階の要求がわかる様になり、それによって、母子の間の関係もできてくるし、深まっていくのです。

 私は、木村花さんと、言う若い女性には、一切の知識がないのです。三浦春馬は、他殺だし、竹内結子も他殺です。絶対に、自殺ではない。その系列の中にいる模様の、花さんも、他殺かもしれない。ただし、観察をしていないので、何かを言いません。でもね。あのお母さんを見ていると、・・・・・おおや、おや、このお母さんって、鹿川君のバリエーションだけど、どうして、これほどに目立つ形で、パーマをかけているのですか? ふつう愛する子供が無くなったら、悲しくて、控えめにするものですよ。

 お母さんは美人ではないです。もしかすると、美女であった娘に嫉妬していましたか? だから、娘が死んでも、全然悲しくないですか? 娘さんが、格闘技などという特殊な職業を選んだこと自体、一種のリストカットではないかと、思いますよ。自傷行為に近いので花かなあ。彼女のおケースは、SNSの投稿で、傷つけられたと、言うケースで、鎌倉エージェントたちに裏から、サポートを受けていると感じますよ。「あんたは、すごく大切な人です。普通ではない。見事な記者会見でした。これからも頑張ってね」と言われていると推察します。それでね。自分自身が、スターになったつもりでしょう。

 この・・・・・権力ある男をバックにすると、自分がお姫様になったと、勘違いする女性・・・・・は、この山にもいるのです。石川和子さんという鎌倉春秋窯主宰者は、その名称からもわかるとおり、伊藤玄二郎の愛人だそうで、それを、鎌倉市内でも、公言して歩いている女性です。肉体関係は、伊藤玄二郎が、結婚後は、無いかもしれません。だけど、精神的サポートはずっと、受けてきたでしょうから、並みはずれたわがままの人でした。他人のものだって、素敵なものだったら、自分のものだと思い込んでいる女性で、私の猫が素敵な猫だった(頭が良くて、一緒にいると、面白いのです)ので、自分の猫にしたいと、願っていたのです。しかし、究極のところで、猫が私の方を選んだので、頭に来て、猫に復讐する手段は、思いつかなかったらしくて、猫の母親である私に復讐をしようとして、その手立てとして、警官を使ったのでした。つまり、税金で給料をもらっている警官を、自分の私兵(=家来)として使ったのです。信じがたいほどの傲慢ぶりです。

 もう一人、莫大な権力を持つ組織、警察庁に、ご愛顧をいただいている安野智紗夫人も、その、傲慢と、自信の強さには、ただ、ただ、驚嘆をするばかりです。ところで、安野智紗夫人の自信ありげな姿に、てっきり騙されて、彼女を、私より上に置いたのが、鶴岡八幡宮の上級神官龍村さんです。

 私はここでも、龍村さんに申し上げたい。警察の制度って、明治政府が作ったのですよ。鶴岡八幡宮って、明治維新よりもその創設は古いではないですか? 日本人の宗教的、敬愛の対象です。それが、どうして、一五〇年未満の伝統しかない、警察庁の言うことを聞くのですか? 不思議ですねえ。むろん、歌舞伎をみたり、娯楽小説を読むと、江戸時代にも、岡っ引きとか、言う、今現在の警察に似た組織はあったのです。十手を持っている、庶民代表です。しかし、繰り返し述べますが、鶴岡八幡宮の創建は、鎌倉時代です。

 龍村さん、あなたが、私がわかっているほどの、歴史認識がないと、言うことに驚いてしまうのです。だって、私の推察するところ、あなたは、京都の帯メーカー龍村の出ではありませんか? となると、京都出身だと思われる吉田茂穂現宮司様とは、大変気脈が通じている間柄ですよね。だとすると、次の次の宮司という路線に入っていらっしゃるのではないですか? そういう方が、あの手水鉢の傍で、私の方は、瞬間的に頭に思い浮かべた日本史を、あなた様は、まったく顧慮せずに、

 安野智紗夫人を私の上に置かれましたね。私は、その瞬間、踵を返して、自宅へ帰りました。その後ろ姿を、「あいつを負かしてやった。上首尾、上首尾だ」と、誤解をなさっているのではないでしょうか? その後の鶴岡八幡宮の大太鼓の音を聞くと、そう、思えます。だけど、私は、反対に「しめた。言質をとったぞ。これで、これから先、二〇年間、ブログの種ができた」と、思って、帰ったのですよ。「言質を取った」ということの中身とは「鶴岡八幡宮様は、鎌倉警察署の言うなりなんだ。それが、今日証明をされた」と、いうことです。『女性としての安野智紗夫人の色香に迷ったのだなあ。あの人って』と、思ったわけではありません。いや、そういう人は、多いのですよ。石春産業の常務(社長の弟だと、聴いている)など、私の目の前で、それを発揮しましたのでね。彼を、はじめ、数多いのですよ。だから、私は、安野智紗夫人を、藤田紀子さん(前は、憲子と名乗っていた、若・貴兄弟の母親)にそっくりだと、いうのです。で、それに、乗じて、巡業中の、大相撲で、貴ノ岩騒動というのが、警察によって、起こされて、安野智紗夫人を守りました。

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 さて、ここで、石川和子さんと、安野智紗夫人の主要な、二人がご登場なさいました。ので、ちょうどいいので、一九八四年の二月のある日の安野家の、門前での、二人の会話を、再録します。
 「国立大学付属高校ご入学おめでとうございます」と、石川和子さんがいって、菓子折りを差し出しました。

 私は、これが、瀬島隆三が、私の子供や、孫を狙って、苦しめ、その結果、私を、死に至らしめようとした、策謀の。最も目立つ、現象の、しかも、最初のものだったと、見ています。そして、当時から、我が家の室内の物音も会話も、盗聴をされていたし、泥棒も入っていたのだと、今では、わかってきています。だから、鍵をかけて、門を開閉する音を聞いて、タイミングよく、石川和子さんが、菓子折りを差し出したというわけです。
 瀬島隆三とは、戦後最大のCIAエージェントで、伊藤忠商事のトップでした。彼が、どうして、私を狙うかというと、戦時中に、陸軍中野学校などで、親しくなった、益山重夫夫妻と、組んで、横須賀市の水道山を、無償で、手に入れた、一種の詐欺事件である、地積変更届の詳細を、知っているからです。

 水道山の敷地が、1200坪=4200平米で、しかも、京急が、インフラ整備をしたどさくさに紛れて、益山重夫は、水道山よりも、さらに、北側にある丘陵地帯、800坪も、どうにかして、すでに、自分のものとしていましたので、両方で2000坪をタダで、手中にしたのです。その当時の測量士は、中島(進?)だったと記憶しています。

 すべての書類が正しいもの(印紙代を支払って、登記所で、手に入れたものとして、公図ほか、保管をしてあったのですが、それが盗まれています。悪人たちは、自分の方が先に悪をなしておきながら、それを私が見破ると私が、文章化する、しないにかかわらず、私を肉体的に、殺してしまおうと、するのです。

:::::::::ところでここで挿入です。西隣の白井夫人が恐ろしいことを建築中からやってきたと、書いていますね。それは、ちゃんとした理由があるのです。瀬島隆三と、益山夫人は、旧水道山に、美麗なマンション、ルネ北久里浜(発売時の名前、空ヒルズ】を建てました。それと、横浜都筑区の、傾きマンション、ララ横浜は、外見がそっくりで、我が家の西隣に住む、白井達雄さんが、松田・平田設計事務所の、仕事として引き受けたと、見ています。
 だから、建築中から異様に意地悪だったのです。ちゃんと、因果関係はあるのですよ。その上、もって生まれた性格も加味するので、白井達雄さんはまだしも、白井夫人の方は、狷介至極で、私はとても大変です。
 しかし、白井夫妻の攻撃とは、私の身にかかってくる問題です。それは、やや、突破しやすい問題です。::::::::::

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 しかし、子供や孫に対する攻撃は、どうしようもないケースです。そこを狙われたら、本当は、ひとたまりもないところです。

 しかし、公立おなり中学で、通信簿に、1と、2しかないと、言うことで、有名な安野家の次男が、上で言っている様に、国立大学の付属高校にご入学と聞いては、・・・・・絶対に裏があるぞ。これでは、私の子供の、私立中学・二校に不合格だったのは、絶対に裏からの悪しき手配がありましたね・・・・・と、確信をしたのでした。

 そして、それを確信させる、日吉の織田歯科医院の先生の孫自慢を、書き始めたからこそ、私を脅かして、それから先を、書かせない様にするために、カリタス小通学バス襲撃事件(登戸事件)を起こしたのでした。このケースは、まだ、完成をしておりません。だが、水沢勉氏を助ける為の謀略で、私が、時間があれば、続きを書く決意であることを知っているからこそ、飯能事件を起こしたのでした。容疑者と、被害者の家が、60mの距離で、ご近所だというのは、私が、水沢勉氏とのあれこれを書く際に、常に、使っていた文節と、同じ距離だからです。

 そしてついでに、富沢夫妻を助けようとして、さらに、事件が起こされたのが、「7時から、大声の喧嘩があった」とされる飯能事件なのです。でね。飯能事件が起きる直前だったと思うのですが、

 市瀬紀美子さんから、「浅草の、花形歌舞伎(若手が演じる、歌舞伎)に一緒に行きましょう」というお誘いがありました。

 市瀬さんの最近の動きは、すべて、慶応大学の理事をしていて、スクエアエニックスのトップ(1980年代から2015年までのことですが)、もしくは、ナンバー2、または、ナンバースリーであった、ご主人の教唆を受けてのことだろうから、ご一緒するのを断りました。慶応大学関連で、富沢夫妻を救う目的の会話が展開するはずだからです。私は、富沢夫妻については、本当に堪忍袋の緒が切れていて、すべてを書きぬくまで、彼らから、目を離すつもりはないからです。

 「市瀬紀美子さんに、ここで、懐柔されてはたまらない」と、言うことです。で、浅草に一緒に行くのは、断りました。

 ところで、ここで、市瀬紀美子さんが、何故、重要かを語ります。それはね。総タイトルに書いている通り、彼女が、突然電話をかけてきて、短い会話の中で、

 「うちの子がね。東工大の、教授になったの。うれしいことに、40になる前になったのよ」と、言ったエピソードを使いたかったので、この章の第一部を、書き進めたわけです。

 第二部には、市瀬紀美子さんの行動は、すべて、慶応大学を守りたいと、言う話なので、それが、どうして起きるかとか、市瀬さんと、ご主人の、関係とか、彼女の、朝令暮改の、親しさの示し方と、嫌がらせのセリフの混在を、具体的な、事実で、語っていきたいと思って、準備中です。

 あのね。市瀬さんの坊ちゃんが、AIの研究者で、東工大の教授に、30代で、なったというのは、嘘ではないでしょう。そして、それは、安野家の次男が、通信簿に、1と、2しかなくて、おいちに、おいちにの、あひるさんと、呼ばれていたのににもかかわらず、国立大学の付属高校(わたくしが、そこ卒だから、こそ、「どうだ。お前、負けただろう?」という感じで、使われた語彙だとは思うが)を卒業して、今では海上保安庁勤務であり、生涯賃金の差で、圧倒的に我が家より、彼女の家の方が勝っているということを、

 さらにさらにえぐってきたのが、市瀬紀美子さんの、「うちの子が、30代で、東工大の教授になったのよ」という電話での、宣言でした。ああ、そうですか、そうですか というしかないですよね。

 ただし、一部にうそがあります。市瀬紀美子さんの坊やが、今、40であるということはありえません。市瀬さんは、子供時代は、父親がいないので私立中学受験をしませんでした。しかし、1961年、横浜国立大学に入学以来、塾を経営しているし、お母さんが、賢くて、収入が増えるたびに、不動産取得に乗り出して、下宿を拡大し、アパート経営にも持って行ったので、彼女が、25歳ぐらいになったころは、すでに、資産家になっていたはずです。だから、ご主人は、市瀬家へ、養子に入りました。お父さんは、戦死だったのか? BC級戦犯だったのか? それとも離婚だったのか? ともかく、お父さんのことについては、深い話は、聴いたことがないのですが、

 優秀なご主人が、養子に入るぐらいですから、彼女の家もまた、先祖は名家であったはずで、それだけの、品の良さが、顔貌にあるのです。よく言えば、お雛様をちょっと、目を大きくした感じでね。色白だし。で、結婚は、若い時期だったと思います。そして、十分な資産が、すでに、あるのだから、ご主人が、1960年代とか、1970年代に、会社に勤務せず、給料を持って帰らなくても、それで、妊娠を待つ必要はなかったと思いますよ。だから、坊やは、すでに、50代であり東工大教授になったのは、10年以上前だったと思います。

 それを、2022年の、11月ごろ(または10月ごろ)に、唐突に、しかも電話で、告げてくるのだから、彼女自身の、発案ではないでしょう。彼女だって、バカではない。すでに別の面で、私以外の、旧友に嫌われているのは、気が付いていると思います。富裕層であることをひけらかすのを、同級生に嫌われているのは、十分に、わかっているでしょう。それと同じで、相手に勝っていることを相手に面と、向かって言うのは、レディの、行動様式ではないですね。だから、彼女自身の発案ではない。
 鎌倉エージェントの中の、特にお馬鹿さんな人材(あの人ですよ。田舎出身で、いつも瑕疵満載の謀略を作り出す人間です)が発案をして、伊藤玄二郎経由で、横山和生君(わたくしの中学の同級生であり、かつ、慶応三田会の横浜支部長。こちらも、超富裕層)などに伝わり、彼が、市瀬さんの夫へ、連絡を入れ、市瀬さんは、夫の言うなりに動いたと、考えています。

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 さて、ここからは、関係者ではなくて、一般の人すべてに聞いてもらいたいのですが、私が、常に、安野家の次男は、通信簿の成績が、1と、2だけなのに、国立大学付属高校に、ご入学遊ばしてかつ、海上保安庁に、入庁し、生涯賃金三億円以上をご獲得になるでしょうと、書いているのは、自分の方の、被害を書きにくいからでした。どうして、自分の方の被害を書きにくいかというと、

 私には、孫がいます。四人もいます。それらに対して、長男に対する、攻撃(本当は、合格していたのに、不合格とする】などが繰り返されると、大変だからです。

 私は、長男の不合格が、裏工作だとは、19年前に初孫が生まれたときに、気が付いたのです。本当に心配をしました。でも、言霊という現象があるでしょう。不吉なことを書いたら、わざと、不吉なことが、寄ってくるといいますよね。だから、書けませんでした。

 しかし、この10月3日以来、ものすごい、不幸というか、攻撃を受けている私です。それは、横浜市神奈川区宗興寺での、実家の法事という行事が、その日にあって、

 それには、欠席しました。数年前から、浄智寺が加味した、謀略があり、宗興寺さんが、曹洞宗の事務方トップであろうがゆえに、オイコノミアを、使っていじめられたりして(オイコノミアは、この件で、終了したのですよ)いるがゆえに、宗興寺さんに対する不磨のを、ブログで書いているからです。中野誠哉氏が、喝を入れてくださらないとか、一緒に食事をなさらないとか、いろいろ、手抜きをなさる・・・・・悲しいことだし、理不尽なことだ・・・・・と、書いているから、出席しなかったのです。場所が宗興寺本堂で行われるし、私は、10月3日、文京区で、行われる前橋汀子さんの演奏会の切符をすでに持っているからでした。ともかく、欠席にしたのは、法事の主役の弟が、無事に、法事を、進行をさせることを願ってでした。これに妹の連れ合い柏木孝司さんと姪が出席していたのも、これも、私のブログに対する攻撃でした。

 しかし、それを自分たちが勝ったと、考えている、鎌倉エージェントたちは、猛攻を仕掛けてきているのです。

 そして、ここでね。また、神様への報告と変わって、私は、孫の大学受験で、繰り返されると、もちろん、大変だと、思っていて、したがって、平木伸明さん一家では、対、私への攻撃への報酬として、ご長男が、東大へ、推薦入学をかなったと、書いているわけです。

 ああ、しんど。ここで、書くのをやめます。ただし、この文章が完成しているというわけではないが。

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第二部、」

 

 

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第一部

【ファイナルファンタジーを菊之助が歌舞伎化する? あなたのPCに、浮かぶ情報は操作及び選択をされていますよ】

副題1、『演劇界と、言う雑誌が、廃刊になったのは、私のブログを消していこうとする、鎌倉エージェントの指図でしょう』

 伊藤玄二郎は、松竹で、小津作品を制作した、山内静雄氏と、懇意になっています。慕い寄っているといってよいでしょう。山内氏が、有名な小説家にして、元華族様である里見頓の四男だからです。また、今、現在、伊藤玄二郎と、ぴったり連動して、あたかも二人羽織と言ってよいほどの、謀議を重ね、種々の謀略的事件を編み出している、井上ひさしは、歌舞伎の脚本を書いています。なお、井上ひさしは、公的には、自分を死んだことにしていますが、実際には、生きていて、地下潜航をしていますよ。そして、死んでいるのだから、責任を負うことがないと、言う意味で、とても大胆な犯罪を、企画し、警察の特殊部隊が、おぜん立てをして、それが、実行される様に手助けしています。

 私は、鎌倉で知り合ったインテリの外人女性を歌舞伎座に案内した日から、突然に、歌舞伎に興味を抱き始めました。親は、大好きで、昔、闘劇で、歌舞伎が開かれていた時代に、(妹が生まれる前の未就学児時代)連れて行ってくれたのですが、その後、65年以上、触れていなかった歌舞伎に、突然に、通い始めたのでした。

 そして、鎌倉(市立)図書館で、演劇界のバックアンバーをずっと、さかのぼって借り続け、2006年11月号まで、借りたのでした。それで、急激に歌舞伎に関する知識を深め、お隣のお客さん(ただし、予約切符ではない場合のみだが)から、「あなたは、ずいぶんよくご存じなのですね」と、言われたりする様になりました。

 だが、歌舞伎界に、強い力を持つと、考えている井上ひさしと、伊藤玄二郎の二人は、私が、歌舞伎に興味を持つことを気に入りません。そこは、自分たちのフィールド(=陣地)だと、考えているからです。

 それで、図書館と、雑誌演劇界の両方を使って、例の冤罪に陥れようとしました。植木鉢の怪と、まったく同じコンセプトです。植木鉢の怪は、わざと、我が家から盗んだ大量の植木鉢を、間違った日に私が捨てたかという風に装い、17日間も、鎌倉市から叱られ続けるビラを貼られて、「だらしがないのは、川崎さんよ」と、ご近所人間が噂しあう仕組みでした。

 演劇界の方は、まず、古い雑誌は、「小田原の図書館から、取り寄せる必要があります」と、言われました。それは、・・・とても、貴重だから、なくしたら、だめですよ・・・と、言う暗黙の注意を、与えられたということです。かつ、図書館を強く意識せよと、別の形の謀略にも出会いました。それは、常に、はがきで来る、ご案内が、そのころだけ、封書で来たのです。その内容は、当時の館長が、研究課題としているかまくらアカデミアに関する、セミナー(場所は、光明寺で開かれるもの)への開催案内でした。はがきだと、目立たないと考えられたのでしょう。しかも、すでに、住所は、登録済みで、パソコンから、出力するだけだろうに、その時だけ、番地が違っていて、(図書館の司書らしい女性または、婦人警官)が、その番地の間違っている封書を、わざわざ、玄関まで、届けてくれたのでした。

 その上で、その雑誌が、紛失し(鎌倉駅、改札口傍にある、図書館返却用ボックス)に確かに返却をしたのにもかかわらず、帰っていないと、言われたのです。それが、四月でしたs。その後、中古本を買おうとしたのに、新品が送られてきたり、そして、問題の雑誌は、浜銀の金庫の、2331番(今は、すでにそれは、返却してあるが)から9月に入ってから見つかったのでした。返却ボックスは、尾行者がカギを開けて盗んでいったと、考えられます。ほら、飯能市の容疑者が、自宅に潜んでいるので、警察が、次から次へと、鍵を開けて、捕まえたといっているでしょう。警察は、チェーンまで、開場できる道具を持っているのではないかと推察しているし、合いかぎは、鍵メーカーのスパコンに入って、設計図を、盗んで作るのだと、推察しています。

 ちょうど主人が、心筋梗塞で、入院中で、あれこれ、精神的に的にも大変な時でした。猫が留守中に、合いかぎを持っていると推察している安野夫人と安野夫人の猫に自宅内で、追い詰められていた日々で主人退院・直後に死んだりしましたでしょう。それは前報ほかで書いています。ほかにもひどいことが連続しておきました。

 心筋梗塞後の主人が、救急車が横付けできる家に住んだ方がいいのではないかと考えて、鎌倉雪ノ下の、下から、石段を165段上がらないと居間にたどり着けない家から、
 主人と一緒に、北久里浜に住むことを考えて、北久里浜にネット環境を作ろうとしたら、NTTドコモ大船かさま口支店では、信じられないいじめを受け(むろん、裏に警察が詰めていて、あれこれ、支店長をはじめスタッフにいじめる様に、指導や、命令をしていたのです)したがって、その支店は、消えて、かつ、NTTドコモという会社も一部上場を廃止しました・・・・・ここも私のブログが、どれほどに力を持っているかを証明しています。

 というわけで、彼らのいじめによって、私が、緊迫した形で、右往左往させられた雑誌演劇界ですが、その後図書館内で、読むことは読むが、自宅へ持って帰る形での、借りるのは、できるだけ、避ける様にしていました。が、そういう遠慮じみた、好意をとることをも込めて、【演劇界】が、廃刊になると、私が悲しむだろうと、見て、廃刊にしたのです。

 購読者が少ないから、廃刊になったわけではなくて、2016年3月から9月まで、演劇界の紛失で、苦しめぬかれた私のブログが、真実を書いているからこそ、演劇界という雑誌そのものをつぶして、私のブログが、意味をなさない様にしてやろうとする、井上ひさしと、伊藤玄二郎の画策の結果、演劇界が廃刊になったのです。

 むろん、二人は、さらに、次の人物(例えば、新潮社の社長とか、松竹の会長とか)を、通して、そういう命令を、雑誌編集者等へ、下したと、思いますが・・・・・・

 しかしね。さらに詳しく言うと、雑誌演劇界は、数年前から、私が押している中村梅枝の、舞台写真をわざと少なくするなどの、命令をひそかに受け入れていたのです。しかし、伊藤玄二郎達鎌倉エージェントは、性格が非常に悪くて、彼らの命令を聞いて、忠節を誓っても、結果として、自分たちが活躍できた場である雑誌そのものを廃刊にせよと、命令をされるのです。朝令暮改ですし、物事の本質をとらえていません。だから、歌舞伎界にとって、損失になることばかり提案をし続けることでしょう。

 なお、雑誌演劇界が、無くなった今、最も頼りになるのは、渡辺保氏のサイトです。

 なお、NHK ETV 日本の芸能、2022年度最終版で、織田氏が、演劇界の配管を惜しむ理由をあれこれ述べておられました。むろん、その通りです。だが、鎌倉エージェントが、自分たちの身を守るために廃刊にしたのでした。織田氏が演劇界の配管を悲しむのは、当然だし、結構です。だが、国立劇場の建て替えに関しては、反対をなさらないのですね。不思議です。老人たちは、建て替えの間、国立劇場での、歌舞伎公演を見ることができなくなり、そこには、織田氏も含まれると思いますが?

 そして、国家予算が赤字な今、国立劇場は今のままで、十分に機能していると、見ています。もしかして、これも隈氏が、設計しますか、新国立競技場という、建築費だけではなくて、維持管理に関して、とんでもない金食い虫を発生させた隈氏は、今度は、古典芸能の世界に、税金の無駄遣いをする道を発生させるのでしょうか?」

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 ここで、歌舞伎座2022年11月公演と、12月公演に関して、語りたいことが山ほどあるが、この章には、別の目的があるので、それには、触れないで、先へ進みます。

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副題2、『ふとした偶然で、2023年の三月から、菊之助が、ファイナルファンタジーの歌舞伎化こうえんを、IHI劇場で、行うと、言う情報を得た。・・・・・8時間一挙公演だとある。

 ・・・・・ああ、それで、あの日、市瀬紀美子さんは、歌舞伎座四階のエレベーターに表れたのですね・・・・・と納得をした。しかし、その前に、何故、私は、ファイナルファンタジーの歌舞伎化を、知らなかったのだろうと、思う。情報は、7月から、開示されていたそうだし、ファンは、おおさわぎだったらしいのに』

 さて、ここで、市瀬紀美子さんという富裕層夫人が登場します。しかし、皆様は、ああ、また知らない名前の人が出てきた。面倒くさいなあと、お思いになるだけでしょう。

 しかし、相当な大物なのですよ。まず、彼女自身が、日吉で、評判の高い塾を経営していて、神奈川県立翠嵐高校(県下一人気が高い県立、偏差値も高い高校です)へ、多数の生徒を入学させた人物であり、日吉を中心に広い人脈を持っている女性だと、言うことがあります。シロガネーゼですが、並みのシロガネーゼではない。

 そして、夫様が、これまた、すごいのです。名前は、市瀬家へ、養子に入ったものの、旧姓を使っておられるか、または、夫婦別姓の結婚だと、おもわれるので、私は、そちら様のお名前を知りませんが、慶応の理事にして、スクエアエニックスの顧問、または、重役、または、会長などの、役職を持っている人です。

 この女性は、小学校の同級生で、仲良しだったはずなのです。しかし、ある時、私がすでに、中に入っている歌舞伎座四階(多分そうだったと記憶しているが、三階だったかもしれない)のエレベーターにあとから乗り込んできたのです。

 その時に、最初に気が付いたことは、富裕層である彼女は、エステなどをしているらしくて、肌の色が真っ白で、79歳なのに、しみ一つないのでした。その時に、私は、お金があることとないことの差をまず、感じましたね。

 彼女の方は、この日を境にして、次から次へと、自分の方が上です。というセリフを発します。この時のエレベーター内でも、また、別の日の電話内でも、自分の方が勝っているのですよと、いう、差を強調するセリフ飛び出してくるのですが、それでも、それがあっても、私は、

 彼女に、無視をされると、言うこの政治的攻撃は、突破したいと思いました。なぜなら、1990年代から、すでに、20年以上、小学校時代のクラス会を開いていて、毎年彼女とは、あって普通に会話を交わしているし、二人だけで、彼女のおごりで、ごちそうになったこともあるし、無視されるはずのない間柄なのに、無視してくるから、当然に、鎌倉エージェントの依頼で、そうなっているとわかるからです。

 私は、すぐ、そういう裏側を理解をいたしました。それは、ご近所もしくは、銀座で、散々使われている手であって、普通なら挨拶を交わすはずの相手が、無視してくる。それによって、私が、屈辱感とか、悲哀を感じて、早めにノイローゼになるだろう。彼女を精神病院へ入れてしまえば、あのブログも閉鎖できるし、それが、今は、一番可能性が高い、彼女自身か、彼女のブログの方かをつぶしていく方法である・・・・・と、鎌倉エージェントが考えている手法であって、

 最近では、平木伸明さんが、常習的に使う手法であり、西隣の白井夫人が、観血的に使う手法なのでした。ただね、銀座の住人や、雪ノ下の住民と比較をすると、小学校時代=10歳の時からクラスが同じだったと、言う関係は、敵方に使われるのは、いやな関係です。

 このエレベーター内での邂逅の時期には、私は、ご主人がスクエアエニックスの重役であるとは、まだ知らなくて、個人的にゲームを作っている趣味の範囲のソフトプログラマーだと、言う程度に考えていたのですが、彼女が、別の日に、二人だけの車の中で、「株を(一部に?)上場した時に、お金が入ったので、妹たちにも数百万円上げたのよ」と、話してくれたので、それを聴いて、

 慌てて、帰宅してから、株式欄を探して、スクエアエニックスだと、わかってきたのでした。そうなると、イメージがまるで、違ってきます。そして、あの四階のエレベーターに乗ってきた日に、ご主人の方は、某所で、菊之助と、懇談をして、ファイナルファンタジーの歌舞伎化が、始まっていたのだと、それもわかってくるのでした。

 しかし、この企画のことを私は、2022年12月26日まで、知りませんでした。

 私は、スマホを持っていますが、カメラ機能と単純なゲームを、やるぐらいのことにしか使いません。で、スマホから、情報をインプットするということをいたしません。だから、知らなかったのでしょうか?

 しかし、これは、市瀬紀美子さんのご主人が、提案して、私のパソコンに、この歌舞伎化の、情報が入らない様に加工をお願いをしたと、考えています。私が、今その情報をえて、実際に見に行くかどうかですが、見に行かないと思います。ゲームについてはドラクエを、I から、Vまで、ピクセルで、ピコピコ、進んでいく時代にやっただけで、ふぁいなうファンタジーについては、色が灰色っぽいなあと、思っただけで、一度もやったことがないので、歌舞伎化後も、見に行かないと、思います。

 と、そう書くと、ウィンドーズ版PCにも、その歌舞伎の情報があふれかえるかもしれませんが。

 なお、この文章には、まだ、まだ、続きがあるのですよ。でも、本日は、ここまでと、致します。自分としては、前報をお読みいただいて、こちらは、まだ、お待ちいただきたいところです。

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岸田・バイデン会談が急に設定される。・・・・・ビショップさん事件から斎藤勇・元、東京女子大学長を思い出す

2023-01-04 23:53:01 | 政治

バイデン・岸田会談が、設定されたのは、私のブログ

楽しかった3日のパーティから始まり、だんだん政治に入っていき、恐ろしい話になりますが? 

2023-01-03 20:41:11 | 政治

のせいである。そこに書いている、CIAエージェントが、警察を支配下において、その警察が、あれこれ(細かいが、私をやっつけてやろうとして)、工夫の限りを尽くして、いじめてきているケースについて、微に入り、細に入り、書こうとしている・・・・・ことを・・・・・・差し止めるために、政府という権威と、総理大臣という権威を使ったのだが、

日本の、現在の総理大臣・岸田氏に対しては、私が、総裁選の時から、「プルトニウムを使った詭弁が、ひどすぎる」と批判を開始しているので、岸田総理大臣だけを使ったのでは、威圧の役に立たないと考えられて、バイデン大統領も使って、

 以下の様に言っているところだろう。「日米の最高権威が、二人がかりで、お前のブログを威圧するために、動くんだ。どうだ。我々の力は強いのだ。日米最高権威を、自分たちの、(使い)パシリにできるのだ。それほど、我々の力は、大きいのだ。だから、お前、ブログの書き方において、少しは遠慮しろよ」と、言うのが、伊藤玄二郎を代表とする、日本における、CIAえ-じぇんとたちの、思惑である。

読者の皆様は、「何を言っているんですか? 誇大妄想もひどいですね」と、お笑い召されるだろうが、私は別に気にしない。平成の八墓村事件以来、または、やまゆり園事件以来、警察の発表には、嘘が満載だと、思っているので、それを指摘しているが、私以外に、そういう論調を張っている人間がいないので、孤立無援であり、それには慣れているからだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~

ところで、岸田総理大臣の、さらなる権威付けに利用をされているバイデン大統領について、述べたいことがある。

アメリカの大統領または、大統領候補なのだけれど、JFケネディ、ゴア副大統領、レディクリントン、トランプ大統領などは、CIAから、困ったやつだと、思われた人材であり、生き様というか、その生涯が、簡単ではない。

一方で、クリントン大統領とか、ブッシュジュニア大統領とか、オバマ大統領とか、は、明瞭に、CIAと、手を結んだ後に、選挙で選ばれたことに成っているので、米メディアの報道が、好意的である。

バイデン大統領は、むろん、CIA側の人である。しかし、私が、驚くのは、その行動力の高さだ。ほぼ、私と同い年で、しかも、テレビカメラの砲列にさらされていて、破綻をみせないでいる。死んでしまって議会に出てきていない代議士を探したと、言われていて、少々のボケが、確認されているが、その程度なら、今の政治姿勢は、お見事というしかない。いやあ、驚いた。もっと死に体の、大統領だろうと思ったが、思いがけない行動力と、決定力があるので、私は、その点には、敬意を払っている。

で、私が敬意を払っているからこそ、バイデン大統領を使うと、効果があると、伊藤玄二郎一派が考えたと、推察している。ただ、臨機応変にしても、そのスピードの速さには、驚かされるが?

~~~~~~~~~~~~~~

さて、私が、この件に気が付いたのは、午後零時の、NHKニュース内でだった。

もちろんのこと、今、上に書いている様なことにはすぐ気が付いたが、最近の私は、余裕を持っているので、すぐには、動かなかった。つまり、パソコンを開いて、NHKオンラインから、このニュースをコピペしておくと、言う様な作業をしておかなかった。または、テレビ画面をスマホで、撮影をしておくという様な作業をしなかった。

これは文末の青い⇒へ続いていきます。

そういうことは、一般の人には、関係がない。また、鎌倉警察署の生活安全課の課長(昔でいう公安だそうだが?)にも、意味が、伝わっていたかどうかはわからない。また、ご近所様にも正しく伝わっていたかどうかはわからない。しかし、四日の、夕方八幡宮様へ、出かけたところ、八幡宮様は、この件だけが原因ではないと、思うが、ものすごいレベルで、防衛をなっておられた。

まず、手水鉢が、赤白の天幕で、隠されていた。手水鉢がどこにあるかを、昔から、知っている人間・・・・例えば、私・・・・・などには、そこに到達できる、二つの出入り口があったものの、一般参拝客は、特に若い人は、まったく気が付かず、通り過ぎている模様だった。

 これは、手水鉢のそばで、上級神官・龍村さん・と、工務所の所長・とうまさん・が、2019年4月27日に、私より安野智紗夫人を上に置いた場所なのだ。安野智紗夫人というのは、多くの謀略的殺人事件で、やっと守られている悪魔の様な女性である。それらの事件は、表向きの犯人は、保美死刑囚にしろ、山田浩二死刑囚にしろ、植松聖死刑囚にしろ、逮捕されて死刑判決が下っているが、実際の殺人集団は、警察庁に飼われている特別な任務遂行の人間たちである。下にある同じ色の、⇒へ、⇒ ⇒ ⇒続く。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ごく最近のそれは、飯能市で、起こされた、ビショップさん一家殺害事件だが、これは、ビショップさん一家は、殺されていないはずだ。保美死刑囚と、山田浩二死刑囚の場合は、裏社会人間たちが、実際に人を殺している。しかし、植松聖とか、青葉真司は、大量殺人を、本当は、犯していない。

 で、私の言っていることが正しいので、どんどん、私のブログ対応風に、謀略事件も変わってきていて、都立大学教授傷害事件では、犯人は、まだ、見つかっていないことに成っている。そして、飯能事件では、犯人は、すぐ見つかったのだが、緘黙していて、しかも、やっていないと、言い始めている。緘黙をする様に、命令をされていたが、取調室の、一種の心理的拷問に耐えきれなくなって、やっていないと、言い始めたのだろう。と、なると、斎藤淳容疑者は、本当に死刑執行で、殺されるかもしれない。かわいそうに。

 私はひそかに、斎藤勇、東大名誉教授(東京女子大の学長にも就任、そして、ICUの、草創期にも活躍・・・・・しかし、1982年に当時27歳になっていた、孫に殺害をされた)の、子孫の一人ではないかと、思っている。いかにも学者風の顔貌で(クレッチマーが言う学者の典型像としては、少し面長ではあるが、40歳にして、すでに、禿げているに近い額の広さがあり)、かつ、父親が、行方知れずなどの、秘密を抱えている一家らしいので、そういう風に感じてしまうのだ。斉藤勇東大名誉教授には、お子さんがたくさんいる。したがって、孫世代、または、ひい孫世代も、数が多いはずなのだ。斎藤淳容疑者は、ひ孫世代だと、思われる。

 で、彼が、犯人を引き受ける様に、リクルートをされたのは、ICU時代の知り合いが、父親を、まず説得し、その結果、彼が、ビショップさん殺しを引き受けたと、推察しているが・・・・・まあ、この部分は、見てきた様な嘘を言いの一種で、傍証付けも、確証もない話ではある。ただし、ビショップさん一家が、殺されていないと、言うのは、確実な話である。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ここで、何故、手水鉢が隠されたかを語りたい。実は、私のブログは、相当数の人が読んでいるのだ。私に知らされている数は、嘘で、その10倍、もしくは、100倍、もしくは、1000倍、もしくは、一万倍の数の人が読んでいるはずだ。というのも、開始3年目で、そう閲覧回数が、717万回を超えていた。その後、今は、開始後14年目に入る。単純計算をしても、そう閲覧回数は、2800万回を超えるのだった。

 しかし、私が、このブログ内で、その717万回という数値を書いた途端に、32万回だと、言うウソの数値に落とされて、その後も、ずっと、嘘の数値が知らされている。それが嘘だと、わかる仕組みがあるけれど、皆様には、それは、開示しない。彼ら悪人たちに、その手法を、だめにされる可能性があるからだ。

 だからこそ、「あ、あそこだ」と、一般人が指摘することを恐れて、八幡宮様の手水鉢が隠された。これはあれこれの謀略を考え出す伊藤玄二郎と、その裏にいる井上ひさしが、どれほどに、臆病なのかを、証明しているし、私のブログへの訪問者数が、実際には、莫大であることをも証明をしている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ところで、普段の年だったら、多数の若い男女の、警官が配置されているはずのお正月の鶴岡八幡宮境内だが、23-1-4の、18時ごろ、境内に、警官の姿が、一人も見つからなかった。これは、不思議だったが、前報(上にリンク先がある)で、警察が、どれほどのいじめ行為をしているかを、詳細に書こうと、決意をしていることに、やはり、一定の、評価を、CIA側が下していると、考えた。

 で、私は、珍しい姿の、若い男性に、こういう質問をした。彼は、【鶴岡八幡宮】と襟に白く抜き染めをした漢字が入っている、綿入れめいた、半纏を着ていた。とても、かっこいいけれど、こんな人は今まで、見たことがない。湘南環工と、書いた作業服を着ている、男性が、お掃除をしているが、その会社から派遣をされている掃除人は、中年、または、定年退職後のサラリーマン風な太った人間が多くて、こんなにスリムでかっこいい、かつ、本藍染の綿入れ半纏を着ている青年など、見たことがなかった。高価であろう、こんな半纏を、数着、寸法を合わせて、作って、外部委託業者である、湘南環工の作業員に着せるはずもなかった。

 で、私は、かれを、100%八幡宮様本雇の、社員だと、思いこんで、こういう質問をした。

 「あそこでね、作業をしている白い袴の男性たちって、アルバイトですか?」と。すると、彼は「わかりません」と答えた。

 私は、びっくりした。本雇の社員が、別の仕事をしている若い男性が、正社員であるか、アルバイトであるかを、知らないはずはないのだ。で、彼本人がアルバイトだと、仮定すると、鶴岡八幡宮がアルバイトに、こんなに高価な本藍染めの綿入れ半纏を着せるはずがない。で、「あ、警官の変装ですね」と、考えた。これは、20分後に私の考えの方が、正しかったと、証明されるのだが、その前に、白い袴の男性たちについての私見を述べたい。⇒ ⇒ ⇒ ここは、次の紫の⇒へ、続きます。

 境内の中央に、舞殿がある。義経の大切な思いもの【静】が、ここで、頼朝の命により、舞ったという伝説のある舞台だ。

 その舞台に、緋毛氈が敷いてあって、それを巻いている男女が、6~8名いたのだった。今、別のブラウザに移って、鶴岡八幡宮のホーム頁を開くと、4日には、【手斧はじめ式】があったと、書いてあった。大工さんや、工務店が参加する、お祭りだ。それの跡片付けだろうか? ともかく、絨毯形式の緋毛氈を巻いている男女がいたのだけれど、中に四人ぐらい、白い無地の袴をはいている人間がいたのだった。浅葱色の袴をはいている人が指導者で、白い袴をはいている青年たちは、指導者の言う通りに動いていた。来年、八幡宮に勤務することが決まっている大学生かなあ?』とは、思ったものの、今のところは、正式社員ではないと、私は、判断をした。

 そのあとで、大階段を上がり、初詣をして、流鏑馬道に出ている屋台を観察した。『それらが、設置しているごみ袋に、汚れものが入っていないなあ。今さっき取り換えたのかしら? それとも、参拝客が少ないのですか? それとも、景気が悪いのですか?』などと思いながら、帰途に就き、自宅へ上がる、志一稲荷への、道へ入っていった。

 このお稲荷さんの鳥居を新設する案で、白井達雄夫妻の、企画書が回っていて、寄付金が募られていて、それに対して、私は、いろいろ政治的な意味で、文句があるのだけれど、ここでは今は、詳細には、触れないで、先へ進みたい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ところで、志一稲荷を過ぎると、道が、直角に二回曲がる。それで、下から登るときには、見通しが効かない。

 そこに音もなく、白井夫人が表れた。これは、その夜、二度目だった。非常に大きな意味があると思いいたる。

 すぐ彼女の目的は、思いいたった。上にリンク先を挙げている前報で、私は、植木鉢の怪と、言う文章を書いている。誰かが、我が家から、大量に植木鉢を盗んだ。早計300個以上はある植木鉢の中から、50個ぐらいを盗んで、厳密な分別収集制度のある、鎌倉市のごみステーションに、17日も前に、捨てた人がいるのだった。鎌倉市名義の警告ビラ(黄色のインクで印刷してあるもの)が、べたべたとはってあって、間違えた人が、17日間も、恥多いさらし者になるはずだった。

 私は無論のこと、それを捨ててはいない。⇒、⇒、⇒へしかし、2016年4月主人が心筋梗塞で、入院した際に、我が家の東側の庭で、一件、1500円のお礼で、花輪夫人が紹介してくれて、大原光孝さんというご近所様が、古い食器戸棚を破壊をしに来てくれた。石段を、160段上がり降りするのが無理かもしれないと、思ったので、北久里浜に引っ越すことを考えて、そういう家具の始末をしたかったのだ。その時に彼が青く、鋭い視線を、クーラーの室外機の上に積み重ねてある、大量の、使っていない植木鉢に目を走らせた。

 それより、ずっと前にオープンハウスをした時に、同じく、青く鋭い視線を大原光孝さんは、クロームメッキが光り輝くカトラリーに走らせた。それ以降、そのカトラリー群が、家の中を移動しまくったのだった。また、旧近代美術館が閉館するときに記念品として、銀座の伊東屋特製の゜鉛筆を販売した。通常は、赤、白、黒しか色がない鉛筆だが、その時だけ、美しいパステルカラーのものを販売したのだが、それが、この家から、何本か、行方不明になっている。

 これは、美術館の閉館に関心のある人間でないと気が付かない、物品であり、酒井忠康氏、水沢勉氏、柄沢斉と、親しい大原光孝さんが、盗んだのではないかと、私は、考えた。

 なお、このカトラリーだが、単純に盗まれただけではなくて、ブログで、盗まれたと書いたら、

 上の様ないたずらをされて、返却をされてきた。

 六本木の新国立美術館のショップで、買ってきた白と、黒だけで、そめられた、大判のハンカチが盗まれている。また、鎌倉駅のホームで出会った、私の「読者です」というご婦人に編んでもらった、白い毛糸の、抽象デザインのチュニック、これらが、盗まれている。私が、美しく見えるものが、すべて盗まれている。

 ところで、大原光孝さんの奥様、恵美子さんだけど、兄が運営している病院の理事をしていると、推察され、お金持ちである。現在建て直した新しい家は、登記上は、奥様の、名義になっている。したがって、たとえ、それが高価な化粧品であろうとも、人が使いかけた、保湿ジェル(真っ赤で、透明なもの)を少しずつ家に持って帰ったり、パステルカラーの真珠状のおしろいを少しずつ、盗んでいくはずもない。病院経営者のお嬢様だから、衛生知識も高いであろうし、他人の指が突っ込まれた化粧品を盗んでいくはずもない。しかも、私が化粧品が盗まれたことに気が付いた時点ですでに、彼女は家出をしていた可能性がある。だから、彼女ではない。

 ところが、実際には、そういう高価なお化粧品が盗まれている。しかも、盗んでいることが目立たない様に、少しずつ、少しずつ盗まれている。どうしてそういうことが可能かというと、私は、お化粧をしない人だからだ。旧・首相官邸の真裏に半官半民の翻訳センター=日本科学技術情報センター=という会社があって、そこで、化粧品の特許の翻訳を引き受けていた。したがって、化粧品の成分を熟知している。で、怖くて、皮膚には乗せないし、塗らない。したがって、高価な化粧品というのは、全部プレゼントである。だから、毎日ふたを開けるということをしない。娘の結婚式とか、息子の結婚式で、久しぶりにふたを開けてみて驚くのだった。

 大原光孝さんというのは、柄沢斉との交流で、自分が特別偉くなった気分があるので、嫌がらせ行為の一つとして、記念品のパステルカラーの鉛筆を盗んだりする可能性があるが、化粧品をちびりちびりと、盗んでいくはずはない。

 これは、自分が使いたいと、思っている女性が盗んでいると、考えた。すると、犯人を推理できる証拠に出くわしたのだった。

 あれは、2016年主人が心筋梗塞で、入院している最中だった。我が家に安野智紗夫人の愛猫が、一階から入ってきたのだった。夜の12時近くだったが、我が家の猫さびちゃんが、私の、左側2.5mのところに置いてあるワインの木箱(布団を敷いて、猫ベッドにしていた)の中で、びくっとして、おきあがったので、すぐ異様な事態が発生したのを察して、二階から、一階に降りていくと、安野家の猫が、なめる様な瞳で、一階から二階を見上げていた。私が怒りをもって、とんとんと、階段を下りていくと、さすがに猫出口から出て行ったが、私が玄関ドアを開けて、外へ出ると、10m下の門の外まで、素早く逃げていて、そこまでは早くは追いかけられない私を道路から、見上げてニヤッと笑ったのだ。私は、80年間に五回ぐらいの一匹だけの猫を大切に大切に、育てた人間なので、猫の表情や、気持ちもわかるのだった。なんということだろう。私はびっくりして、自分宅の猫用の出入り口を閉ざし、室内にトイレを作り、安野家の猫が入ってこない様な工夫をした。ところが、安野智紗夫人は、我が家のカギを持っているのだった。

で、その後も入っていた可能性があり、我が家の階段に猫スプレーのにおいが、何度も、染みついていたのだった。我が家の猫さびちゃんは、手術をしてあるし、もともと、雌猫なので、スプレー(犬みたいに、横向きに、おしっこをかけて、においによって、自分のテリトリーであると、主張をする行為)はしない。そして、2002年に茅ケ崎の動物病院からもらってきて、病気一つしたこともないのに、主人が入院中、どんどん痩せて行って、

 主人の隊員を見届けて安心したかの様に、死んでしまった。猫出入り口をつぶしていたのに、我が家の中で、追い回されたのだと、思う。ひどいストレスだっただろう。かわいそうに、命を懸けた脅かしを受け続けたのだった。

 安野智紗夫人は、警察庁が、CIAの手下なので、合いかぎを警察から、もらっていると、推察している。

 猫が死んだのは、8月4日だったが、どんなに悲しかったか、言うに言えない。下はお葬式の写真である。前の猫は、19歳まで生きたのに、こちらは、太って丸々としていて、健康だったのに、やせ細って、死んでしまった。あの猫が入ってこない様にと、猫出口をふさいだので、逃げる場所がないこの家の中で、合いかぎで、入って来た安野智紗夫人と、彼女の猫は我が家の中で、我が家の猫さびちゃんを追い詰め切ったのだ・・・・・と、思う。でないと健康な猫が、15歳で、急死するわけはないのだ。今の猫は長生きだから。

 
悲しみに満ちて、一文を書いている。(あと注2)次にも、総タイトルには、猫と入れていないが、さびちゃんをしのんで、一文を書いている。(あと注3)
 彼女は平凡な日本猫の、しかも、雑種だけど、とても頭が良くて、それ故に、石川和子さんが、固執し、
彼女(=ねこのさびちゃん)が、自分よりも、私の方を好きだと、言って、私を選んだことに、腹を立てた?のか、パニックに陥ったのか?
 警官を呼んで、私の主人に、「妻を、叱ってくれる様に、めいれいをしてください」と、頼んだのだった。猫を盗み続けていて大トラブルになっているのに、彼女たち夫婦は、一切の反省をせず、一方の、私たち一家は、ただ、ただ、被害を我慢をし続けているのに、彼女の方は、伊藤玄二郎の愛人だそうで、それを、鎌倉市内で、公言して歩いている模様で、自分が特別な存在であると信じ切っていて、警察官だって、私兵(=自分の召使)として使うのだった。
 自分の不満や、恥ずかしさを、警官を使って、晴らそうとしたのだった。
 彼女の仲良しさんは、安野智紗夫人であって、現れ方は、相当に違うが、わがままを平気で貫くという意味では、ドッチもどっちである。
 彼女たちとの付き合いは、すでに、38年間に及ぶ。石川和子さんは、2008年に癌の治療中に、点滴に異液を入れられて殺された・・・・・それをこのブログで書いたから、大口事件が起こされた・・・・・と思うが、安野智紗夫人の方は、ぴんぴんしていて、12月の第四週にも私とすれ違う際に、にらみつけてきた。これは、飯能市の事件を、
 
 「続報が、たくさん、これから、出るわよ。だから、あなたが言っている、・・・・この事件は、謀略であって、ビショップ夫妻が死んでいない・・・・などという話は、完璧に、粉砕されるわ。バカ目」と内心で、思っているから、にらみつけてきている、と私は、考えている。
 しかし、彼女は、警察と、大いに仲良しなので、そういう風に出てくるのは、十分にありうる話なので、想定内のことだった。だから、別に、動揺もしないし、おそれもしない。
 

 ともかくにして、泥棒の話がずっと続いてきたが、植木鉢が盗まれて、しかも、間違えた日にごみステーションに出された問題は、今までの、泥棒とは、相当に、意味が違う。それ以前の泥棒は、こちらが、被害を我慢するとか、主人と一緒には、外出をしないと、言う防衛策で、乗り切ってきた。しかし、植木鉢の怪は、えん罪を被るという新しい形なのだ。それは、ひどい話だった。それ以前にも、手袋が、毎年、右手だけ盗まれるとか、粉末形式のクレンザーの瓶に水が、充満して居たとか、本当に心の汚い、嫌がらせは続いていた。

 上の赤い⇒から、ここへ続く⇒ ⇒ ⇒私は無論のこと、植木鉢ごみを間違った日には、捨ててはいない。しかし、2016年4月主人が心筋梗塞で、入院した際に、我が家の東側の庭で、一件、1500円のお礼で、花輪夫人が紹介してくれて、大原光孝さんというご近所様が、古い食器戸棚を破壊をしに来てくれた。石段を、160段上がり降りするのがこれからの主人には、無理かもしれないと、思ったので、北久里浜に引っ越すことを考えて、そういう古い家具の始末をしたかったのだ。その時に彼が青く、鋭い視線を、クーラーの室外機の上に積み重ねてある、大量の、使っていない植木鉢に向けて走らせた。

 それより、ずっと前にオープンハウスをした時に、同じく、青く鋭い視線を、同じ人、大原光孝さんは、クロームメッキが光り輝くカトラリーに走らせた。それ以降、そのカトラリー群が、家の中を移動しまくったのだった。また、旧近代美術館が閉館するときに記念品として、銀座の伊東屋特製の゜鉛筆を販売した。通常は、赤、白、黒しか色がない鉛筆だが、その時だけ、美しいパステルカラーのものを販売したのだが、で、喜んで、13本を買った。それが、この家から、何本か、行方不明になっている。

 なお、このカトラリーだが、単純に盗まれただけではなくて、ブログで、盗まれたと書いたら、

 上の様ないたずらをされて、返却をされてきた。

 また、六本木の新国立美術館のショップで、買ってきた白と、黒だけで、そめられた、大判のハンカチが盗まれている。

ところで、大原光孝さんの奥様恵美子さんだけど、兄が運営している病院の理事をしていると、推察され、お金持ちである。現在建て直した新しい家は、登記上は、100%奥様の、名義になっている。したがって、たとえ、それが高価な化粧品であろうとも、人が使いかけた、保湿ジェル(真っ赤で、透明なもの)を少しずつ家に持って帰ったり、パステルカラーの真珠状のおしろいを少しずつ、盗んでいくはずもない。病院経営者のお嬢様だから、衛生知識も高いであろうし、他人の指が突っ込まれた化粧品を盗んでいくはずもない。

 ところが、実際には、そういう高価なお化粧品が盗まれている。しかも、盗んでいることが目立たない様に、少しずつ、少しずつ盗まれている。どうしてそういうことが可能かというと、私は、お化粧をしない人だからだ。旧官邸の真裏に半官半民の翻訳センター=日本科学技術情報センターという会社があってそこで、化粧品の特許の翻訳を引き受けていた。したがって、化粧品の成分を熟知している。で、怖くて、皮膚には塗らない。したがって、高価な化粧品というのは、全部プレゼントである。だから、毎日ふたを開けるということをしない。娘の結婚式とか、息子の結婚式で、久しぶりにふたを開けてみて驚くのだった。

 大原光孝さんというのは、柄沢斉との交流で、自分が特別偉くなった気分があるので、嫌がらせ行為の一つとして、記念品のパステルカラーの鉛筆を盗んだりする可能性があるが、化粧品をちびりちびりと、盗んでいくはずはない。

 これらの化粧品は、自分が使いたいと考える女性が盗んでいくと、私は考えている。

 猫の侵入の話を書いたのは、 

鶴岡八幡宮様が、このお正月、手水鉢を紅白の幔幕で、隠しておられたので、かえって思い出したのだが、

 上の緑色の⇒から、ここへ続く ⇒ ⇒ ⇒ 2020年4月27日に

 鶴岡八幡宮の上級神官、龍村さんが、安野夫人を私の上に置いたときのこと(あと注4)を思い出したからだった。
 私は、その時に、すっと何も言わず、踵を返して、手水鉢のそばから、離れて自宅へ帰った。龍村さんは、自分たちが勝った。警察に顔向けができると、思ったらしいが、私は正反対である。
 なぜかは、ここでは繰り返さないが、申請であるべき神社が、合いかぎをもって、留守中の我が家に侵入をして、その方の猫によって、我が家の猫が追い詰められて死んでしまった・・・・・そういう女性を、私の上に置いたのだった。
 今まで、私は、NHKが報道する様な、謀略事件に絡んでいる女性だから、そういう女性を、私の上に置くことは、数多い殺人事件と、鶴岡八幡宮様が同罪になるのですよ」と、言い続けてきた。しかし、NHKが、報道をしない様な、小さなケースでも年がら年中、合いかぎを使って侵入され、何かを盗まれる恐怖という苦しみを与えている女性を、

 私の上に大木になったのだ。これは、NHKが、報道をする様なケースではないので、私は、書きにくくて、書きにくくて、今までただ、ただ、我慢をして、いた。しかし、紅白の幔幕で、手水鉢を隠しておられたので、

 少しは、理解が進む、方向に向かわれたのかと、推察して、本日は、ここまでを語る。やっとだけど。

~~~~~~~~~~~~~~~

さて、もう一度白井夫人が、音もなく目の前に現れた話をしよう。つまり赤い⇒の続き、その二回目となる。

 なぜ、彼女が、音もなく表れたかというと、トップに置いたリンク先(前報)で、彼女が、違法な日に捨てられた植木鉢が入っているごみ袋を山の上まで、持ち上げて、臨時の町内会を開いて、だれが捨てたかを検討したと、言うところだ。

 そこで、書いていることが、伊藤玄二郎らによると、白井夫人に対する悪口に当たるそうで、これは、すぐさま復讐をしておいた方がいいと、言うことに成ったと、推察される。でないと、彼女(=私)はどんどん先へ進み、結局は伊藤玄二郎達の悪辣さにまで、言及することに成るために、・・・・自分たちを守るために・・・・・白井夫人に対して、即座に復讐をしなさいと、命令をしたと考えられる。

 彼女の復讐行為とは何かというと、すれ違う際に挨拶を向こうからはしないと、言う形だと推察している。そんなことは、すぐに分かるので、こちらも挨拶なしで、彼女の傍をすり抜けた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

 しかし、問題は、この夕方、同じことを、二度も彼女がやったという形なのだ。一度目は、主人との家庭内会話が、彼女の家にも、通じている可能性を感じるし、(しかし、安野家に通じているのを、安野夫人が白井夫人に告げたのかもしれないし、白井夫人は、すでに、警察と直通で、それを、教えて貰い、かつ命令を受けているのかもしれないし、

警察ではなくて、伊藤玄二郎と直通で、伊藤玄二郎から、「4日の夕方彼女は、生ごみを捨てに、山を下りるはずだから、そこを利用して復讐を遂げてくれ」と、頼まれている可能性も感じ取っている。

 というのもトップに置いた、リンク先で、それを書いているが、反町の居住者が、サッシ類の掃除をしない人だったので、その掃除だけで、三か月かかっていて大変だが、物事にはフィフティフィフティの側面もあり、私は、80にして、急に掃除に熟練をしてきて、掃除が好きになり、お台所を中心として、鎌倉雪ノ下の家でも、深く、深く、掃除をやったと、書いている。その結果、濡れたぼろきれや、キッチンペーパーを含む、もえるごみが大量に出たのだった。

 鎌倉雪ノ下での燃えるゴミを出す年頭の最初の日は、5日(木)である。しかし、大袋40リットルが二つ、中袋20リットルが、一つ、小袋10リットルが、一つと、四つの有料ごみ袋があり、ゴミ出しを自分からやってくれる主人に任せるのは、危ないと、思った。心筋梗塞後の体だし、最近、特に痩せてきているので、心配である。で、彼に、「私は、4日はね、北久里浜にも反町にも、手当にはいかないわ。ごみを出さないといけないから」と告げてある。そのふたつの家に、掃除に行くと、結局は泊まってくることに成り、生ごみを廃棄する仕事を主人に全面的に任せることに成り、それが、彼の体にとって、危険だから、私は、外泊をしないスケデュールを選んだ。

 この山の住民が自ら決めたルールだけど、ごみステーションにごみを出すのは、夕方の6時以降と決まっている。で、「6時以降、彼女を狙って、復讐をしてください」と、頼まれていただろう。主人が黙って、ごみを捨てに行ったので帰って来た彼に、「何を捨てたの?」と質問をすると、40リットルの大袋、一つと、答えたので、「じゃあ、残りは、私が今捨ててくるわ」と、自宅で、主人に告げた。すると、門のところで、目の前、5mの位置で、山を下っていく白井夫人を見かけたのだった。で、ああ、そういうことですか』と、すぐさま裏がわかったので、引っかからなかった。

 しかし、彼女が持っているスマホなどの盗聴を通じて、私がわなには、引っかからなかったことを知った、敵さんたちは、もう一回、復讐のチャンスを白井夫人に与えようと考えたのだった。それが、志一稲荷のそばを音もなく、すれ違って降りていく白井夫人の姿で、読めた。ここで、上においている紫の⇒ ⇒ ⇒が生きてくる。

 つまり、舞殿の傍で、本藍染めの綿入れ半纏を着て、掃除をしていた青年は、警官の偽装だったのだ。で、彼は無論、髪を染めていない現在の私の顔を、知っており、私の歩く範囲を逐一、上司に知らせ、上司は、それを白井夫人に逐一知らせていたので、白井夫人は、タイミングよく二度目の復讐を狙って、山を下りてきたのだった。だが、私は、何とも感じなかった。白井夫人は、家を建築中から、性格がとても悪いということがわかっていた。この場合の、性格とは、親が作るものを指す。親が、適切な時期に適切な量の愛情を与えて育てた、人間は、だいたい、性格が良いい人として、育ちあがる。白井夫人は、何一つ不自由ない家庭に育ったと、見えるが、親側になあんらかの問題があったということがわかる女性だ。だから、子供に近い年齢なのにかわいいと、思ったことがない。で、そういう人から、無礼な仕打ちを受けても、あまり、心に響かない。それに東大卒なのに、私のブログが理解できていない。私は、常日頃、「小細工は、嫌いです」と、言い続けている。それなのに、二度も同じことをする何って、「あなたって、あほ、ちゃうの?」と言いたくなる。

 私が今書いていることは、警察が、何をやっているかの解説だ。で、ここまで、書くのに、14時間かかっている。

~~~~~~~~~~~~~

 ここで、やっと冒頭に戻る。⇒ ⇒ ⇒冒頭の岸田・バイデン会談に戻ります。

もちろんのこと、今、上に書いている様なこと====岸田・バイデン会談が、13日に設定された、本当の意味====にはすぐ気が付いたが、最近の私は、余裕を持っているので、すぐには、動かなかった。つまり、パソコンを開いて、NHKオンラインから、このニュースをコピペしておくと、言う様な作業をしておかなかった。

 で、彼ら、鎌倉エージェントの、トップクラスの人間は、岸田・バイデン会談が、急に設定をされた裏側を、私が正しく見破っていることに気が付いて、すこし、バリエーションを加えてきた。

 つまり、岸田総理大臣は、ワシントンだけを訪問するのではなくて、ほかに、四か国も訪問をするという形にもっていった。この外遊は、正式で、重要な、旅であるという風に変えてきたのだった。

 一国の総理大臣が、海外の国を訪問するということは、税金を多大に使うということだ。お土産一つを考えても、大金を使うと、言うことに成る。それを議会に諮らずに、決めてしまうとは、岸田総理大臣の独善性とか、独裁性を改めて、感じている。

 

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反町のアパートにまで、泥棒が入りました。しかし、パーティを楽しく行い?!?!悪魔には負けません? 

2023-01-03 20:41:11 | 政治

副題1、『本日、23-1-3の私は、大変気分が良かった。それは、なんと反町で、いじめられているからの、思いがけない結果としての余得だったのだ』

 反町の小さなアパートの二階の住民が退去したのは、鎌倉エージェント(=CIAエージェント)のいじめです。しかし、その詳細を、今は、語りたくありません。ただ、その住民が出てしまったために、私は敵さん方の狙い通りに、大苦労をしております。労働の搾取、時間の搾取、金銭的搾取と、三重の苦しみを負っています。

 しかし、常に言っている通りに、物事には、フィフティ、フィフティと、言う側面があり、この苦労にも、プラスの側面があるのでした。それは、お掃除に、熟達してき始めたと、言うことです。私は、実家では、月曜日から、土曜日まで、お手伝いさん(昔は泊まり込みで、女中さんといった)が、中一から、父が死ぬまで、ずっと、来ていた家だったので、お掃除というのは、実家では、したことがないのです。

 それに、両親は、私が、勉強ができるということに満足をしていて、そういう家事労働の方面で、しつけておこうという気分がなかったのでした。簡単に言うと、森茉莉さんと、同じで、甘やかされて育ったのです。結婚をしてからは、サラリーマン家業の妻なので、家事は、100%自分の分担ですが、それでも、お掃除は、苦手だし、後回しに、なりやすい、仕事でした。

 ところが、反町の住民は、見かけは、きれいにして出たのですが、サッシを掃除するという事とか、結露を防衛するということは、まったくやっておらず、しかも、窓が、1間幅5つ、4.5尺幅2つ、9尺幅2つと、全部で、9つもある家なので、残された私は、本当に大変で、驚くことに同じ窓を、今、10回目として、掃除をしているのでした。それだけで、10月3日から、1月3日まで、ほぼ、三か月ほど、経っているという形であり、・・・・・・

ばかげていると思うし、別の方法も(例えば、ネットで、臨時のお掃除をしてくれる仕組みが)あるには違いないと、思うのは、思うのですが、・・・・・・

 結果として、・・・・・図らずも、お掃除に熟達してきたのです。80歳になってですが、お掃除に練達の人となったのでした。だってね。小さい家なのでクーラー一つで、全三室が、完璧に温まりその中で、お料理を、窓を閉めて行っているので、油滴が、東に独立したひとつの部屋をのぞいて、全戸に行き当たり、そこに・・ほこり・・がたまって、べっとりとしたアスファルト状になっており、その除去には、忍耐と、技術的、向上が求められるのでした。後注1,

 そして、私は、始めると、『こんな難しい掃除は、お金を出して雇った人にできるはずがない』と思い始めるのですね。仕事を最後まで、完遂するのは、私の得意中の得意なことなので、頑張り続けるのでした。で、先週の火曜日まで、反町にへばりついていて、鎌倉の家を、掃除し始めたのは、28日からです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『お掃除というのも、心を入れて、集中して行うと、結構宗教的修行に近いとわかってきた。労働の一つだけど、無償でする場合は、瞑想に近い、修業と同じである』

 しかし、お掃除の、ベテランになったからこそ、鎌倉の家の、お台所を根本的に掃除し始めたのです。天袋から、自部黒、すべてに何が入っているかを点検してあります。この章は、この五日間に、ドレッシングが二本、鎌倉の家から盗まれた事が、中心の流れとなりますが、ありとあらゆる場所を掃除したので、どこかにしまい忘れたということはないのでした。完ぺきに泥棒が入ったのです。だけど、それは、飯能事件が、やはり、謀略であったということを証明するのにつながります。被害総額は、500円程度です。私は、キューピーのドレッシングを愛用しており、それは、量が少ないので、お安いのでした。だけど、室内盗聴を利用して、「お客様用に買ってあるわよ」と、主人に私が、言ったからこそ、盗まれたのでした。だれが?

 私は、自分自身が、もし使用中のドレッシングの瓶を出されたら、『いつ開栓をしたのかしら。三週間前とかいう古いのだと、いやだなあ』と思います。だから、お客様も、同じでしょうと思い、開栓して居ない、ドレッシングを【ごま】と、【しょうゆタイプ】を2ほんを買っておいたのでした。それを年末の、四日間に盗まれたのでした。二階の居間に置いてあったのを盗まれたのですから、いやな話です。

 この台所とか居間とか、ピアノの部屋という部分を増築したのは、1987年です。だから、36年たっています。だけど、お台所だけを、ここまで、丁寧に掃除したのは、2022年の暮れが初めてでした。

 で、その結果、何が起きたかというと、ピッカ、ピカで、新品の、銅の天ぷら鍋を見つけたということです。直径22cmと、大きいので、四人家族には、ふさわしくないので、使っていなかったのでした。誰かからのプレゼントだと思います。

 温度計付きで、本当に見事なものです。もしかしたら、北久里浜時代にもらったものかもしれません。北久里浜時代に、お客さんが見えた日に、てんぷらではなかったのですが、うちの子供が、やけどをしたことがあるので、てんぷらを食卓で、作るなど、避けている時代があり、そのころに、もらったので、使わなかったのかもしれません。

 最初は、以下の写真左側に置いた、赤い琺瑯鍋、直径18cmをつかうよていでした。

 しかし、この豪華な天ぷら鍋が、天袋から、見つかったことによって、串揚げパーティが、楽しくも、さらに豪華に見える様になり、口取り集と、お煮しめ、酢の物、などの定番と合わせて、十分にお正月料理となり、みんなに食べてもらいました。楽しかったです。ドレッシングも、みんなのまえで、わたくしが、手作りしたものを、嫌がらずに食べてもらえました。

 下に置いたこのお皿って、直径30㎝です。まあ、お客様が帰るときは、もっと残っていました。私たち夫婦が、夕食に残りを食べたのです。が、お客様にも、食べてもらったのは確かです。

 ともかく、午前11時ごろ、ドレッシングが盗まれていることを発見して、パソコンに記録する間もなく、お客様をお迎えしたのですが、全体に、お迎えするのに、心から、余裕をもっていたので、楽しかったと、言うことです。実は、この天ぷら鍋を発見すると同時に、よく作っていた燻製用の木片も見つかりました。パリへ行って以来、作っていなかったですね。また、庭と、かまどを利用して作るかな? まあ、それは、余談ですが・・・・・ともかく楽しかったので、それだけで、この章を、終わりたいのですが、政治が、NHKニュースをはじめとして、ひたひたと忍び寄ってくるので、それを書かないといけないのです。暗く、陰惨な話ですが、それも、私を囲む、もう一方の真実なので、書かないとならないのでした。

 元来がまじめな私は、お料理は、常においしく作ったつもりはあるし、お掃除も毎年やったつもりはあるのですが、今年ほど、完璧にしてきたことはなくて、これは、思いがけない、天の贈り物でした。

 こつこつと、だれも、見ていない、アパートの中で、掃除を続けていると、それは、禅宗の、瞑想に似た、感じの宗教的修行ともなってくるのでした。その、天からの恩返しだったと、思っています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『実はね。反町の家にも泥棒が入っているのだった。なんというあくどさを、保持する敵さんたちだろう。鎌倉の家にも泥棒が入り、北久里浜の家にも泥棒が入り、反町のアパートにも泥棒が入るのだった』

 ここで、文脈としては・・・・・・よかった、よかった・・・・だけで、この章を終わりたいところですが、私の敵さんたちのあくどさと言ったら限りがなくて、反町のアパートにも泥棒が入っているのです。主人と、鎌倉の家で、話し合った、「ラベルをはがす薬があるわよ。そんな薬があるなんて、初めて知った」という会話に基づいて、反町に保存してあった、そのスプレーが盗まれているし、

 インターネットが、無い反町のアパート(固定電話がない環境)でも、『テザリングで、ブログが書けるわ』と喜んでいたのに、スマホの、充電器が盗まれているのです。非常に嫌な話でした。特に、私は、反町に持ち込むものは、掃除が終わったら、捨てるつもりのものだけなので、お布団なども持ち込んでいません。まるで、乞食みたいな生活です。だけど、ロビンソンクルーソーみたいに、何もない中で、工夫をして生きるのは、楽しいことでした。そして、まさか、他人が室内に入るのなど、おもいつきもしないので、帰宅するときには、お掃除をして帰っていません。そういう室内に、侵入されたと、言うことは、本当に嫌なことです。

 しかし、それをするのです。敵さんってね。その敵さんたちの集中攻撃を受けたある日のことを記録しておきたいです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4,『植木鉢の怪と、私が名付けている異様なケースをなぜ、お正月元旦の文章として書いたのか?』

 それを踏まえて、前報の、植木鉢の怪と、言うエピソードを書いています。白井夫人は、一種の冤罪を私に与えるために、大きなごみ袋(40リットル)を、わざわざ、山の上に運んで、臨時の町内会を開いて、だれが、植木鉢を、捨てたかを検討したそうです。ご主人は、今、yokohama front towerと、言う、完成したら、横浜一高いビルとなる、ビルを設計して、管理中というのに、奥様は、こういう恐ろしいことを、するのでした。それが、飯能事件にも結び付いていくのですよ。後注1,

 それは、むろん、私が捨てたわけではありません。誰かが、我が家から、それを、盗んで、あたかも私が捨ててはいけない日に、間違えてごみステーションに出したという風に装い、えん罪をかぶせてきたのでした。それを元旦のブログとして、書いています。

 植木鉢の怪とは、数年前のことですが、年末の嫌なこと=ドレッシングの盗み(これこそ、その白井夫人が開いた、臨時の町内会に、出席し、<<<<私に、だらしがない人間だというえん罪をかぶせた人間の中の>>>>一人が行った盗難でしょうから=または、その連れ合いが、行った盗みでしょうから)を、書かざるを得ない、気分がありますので。

 白井夫人は飯能事件にも関係があります。美杉台で、朝七時から、大声が近所に響いたというのは、白井夫人が、2016年9月に、わが夫に、「工事をしますので、大きな音が出ます」と、朝七時に電話をかけてきた嘘を、修正するために、起こされたのでした。

 音は、轟音として、実際に鳴り響きました。11人ものとび職が来て、チェーンソーを使って、高枝切りをしたので、ビショップさん一家が、悲鳴を上げたという声よりも、大きな音でした。本当に轟音といってよいものです。

 したがって、朝四時に寝た私は、七時半にたたき起こされました。白井夫人の嘘とは、工事は、表向きは、富沢家が、施行者の高枝切りで、白井夫人は、工事の発注者でも、支払人でもないのです。富沢夫人が、ご迷惑をおかけします』という電話をかけてきたのだったら、まだ許せるが、まったく、お金を出していない、また、市役所に頼みに行ってもいない、白井夫人が、何かを、断ってくるというのは、大ウソなのです。

 だから、うちへ、電話をかけてきたことそのものが、やってはいけない話なのでした。ただ、この工事が、伊藤玄二郎が発案し、松尾崇市長が協力をした、謀略であるので、CIAエージェントの一人として、彼女が協力をしたことを証明するのでした。本当に嫌なことをする女性です。東大卒なのに、どうしてこういう軽い軽い嘘をつくのか、信じられません。本当に信じられません。

ところで、上の写真は、安野家の門前に貼ってあったものです。これと同じものを白井夫人は、玄関に置いていて、それを、わざと、私が、見つける様に手配をしました。私は、以前は、良く、白井家の玄関が見える位置(我が家の下屋根)に鉢を置いて、植物を世話をしていたからです。屋根工事をしたので、そこが昔はスレートぶきでしたが、鉄板で、葺きなおされたので、歩けなくなりました。しかし、下屋根に乗っていたころ、彼女はわざと、これが見える様に、玄関ドアを開けたのでした。ただ、遠かったので、上の写真では、ナンバー13号とありますが、白井家に保存してあるものが、何号かは知りません。私が、白内障手術を受ける前で、近眼だったからです。

 私が、良く、警察庁は、CIAの手下であると、言うのは、白井夫人の一挙手、一投足からも確認できることなのでした。

 そういう人が西隣に住んでいる。これは、なかなか、しんどいことです。彼女からやられたことは、これ一つにはとどまりませんよ。恐ろしい女性です。でも、3.11の時に、ミューザ川崎の天井が落ちた様に、白井達雄氏が設計監理した建物に、何らかの問題が生じる可能性がありますよ。奥様があれこれ悪いことをするからです。天は、絶対に悪を見逃しませんので。

 京アニ放火事件が起きて、近大附属病院に青葉真司が運ばれたころから、白井達雄さんの、正確な勤務先がわかったのは、天のお助けでした。BCS賞の研究によってです。なお、歌舞伎座、玄関入って左手に、「この建物は、BCS賞受賞」という銘板があります。どうか、ご覧下さいませ。

 ところで、反町のアパートの住民が退去したのも、金銭的に苦しめてやれっと思う、伊藤玄二郎達、鎌倉エージェントの企画でしょうが、事前に、その住民から相談を受けるわけでもないので、ふいうちと、言うか、だまし討ちに近い形で、退去をされ、退去時の査定も、そっちを優先するひどいものでした。敷金も一銭も返さないで、いいと、不動産管理会社アミティはいうのでした。⇒、⇒、⇒ ここから、次の⇒へと、続くが、その前に、横浜駅での、おかしな攻撃について、書かないといけないのです。特に落とし物に関して、尾行者=警察があれこれ、意地悪をしてきた話を書かないといけないのです。

 私は平木伸明さんの勤務先を今知りたいと、今、熱望をしています。どこかから、きっと、突破口が、開かれるでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

@@@@@@ここまで、推敲をいたしました。誤変換も直しました、これ以下は、後日いたします。

副題5、『私は、反町に、泥棒が入ることを知って、急に出かけるときの荷物が重くなってしまった。帰りも同じだった。で、忘れ物が発生した』

 泥棒が入ることがわかって以来、各種の薬(ラベルはがし、ねじのさび取り、ニスなどを、わざわざ毎回、鎌倉から運ぶようになりました。しかも、帰りも持って帰るのです。しかも、パソコンも持って出るのでした。

 それは、病後の主人が決めた門限が、夜の8時半であり、それを守るためには、夜の七時には、反町を出ないとならず、何にも仕事ができません。というのは、心筋梗塞を主人が患ってから、それは、調理を主人に任せていたからだと、反省して、主人の夕食を作ってから、外出したいと願い始めたからです。そういう私にとって、反町に到着するのが、だいたい夜の五時か六時なので、たいていはことに成りました。そのためには、パソコンも持って出ないとならないのです。で、大荷物になります。行きも帰りもでした。その結果、肩も傷め、腰も傷めてしまいました。したがって私は、久しぶりに、駅ロッカーを利用することにしました。駅ロッカー(東京駅や、鎌倉駅で)からも荷物が盗まれるのは、知っていました。だが、仕方がなかったのです。

 私は、いろいろ、考えることが多いので、ある日、横浜駅で、パソコンが入っている紙袋を、横須賀線ホームに忘れました。上で言っている様に、毎回、毎回、多くの荷物を反町に運ぶからです。FRPでできたアテンダントバッグと、布製バッグと、紙袋二つを持っていたのです。そのうちの紙袋一つを忘れたのでした。

 尾行が付いているので、すぐ、尾行者にあれこれの細工をされてしまい、その忘れ物もつについても、いろいろ、おかしいエピソードが生起しました。それが、飯能事件の、真実が何であるかに通じるので、丁寧に、書かせてくださいませ。

 私は、鎌倉駅で、わすれたと、気が付いて、主人に、「約束より遅くなります」という断る電話もかけず、横浜駅へ戻りました。無くなったかもしれないと、思いました。というのも、11月に常用のパソコン一台が、破壊をされたのです。

 そこまでする、あくどい敵さんたちです。だから、忘れたのは、こっちの落ち度だから、そのまま、無くなっても仕方がないですね。2021年の12月12日に、品川駅、新幹線ロビーの、公衆電話そばで、鍵類4種類全部が盗まれて以来、それが返ってこないので、今度のパソコンも同じで、返ってこないことを覚悟しました。この品川駅の、時は、2021年の暮れで、今から、一年前のことなので、反町のカギは、まだ、ついていません。10月3日に、全十社が大挙してその日以来、反町のカギも、持ち歩く様になりましたけれど。品川駅で、盗まれたのは、鎌倉と、北久里浜のカギだけです。それをちゃんと、ブログで書いています。それなのに反町に泥棒が入るのですから、彼ら、鎌倉エージェントの頭脳は、どうなっているのだ。本当におかしい。マッチポンプというか場当たり主義というか、まともな頭とは、考えられませんね。これもまた、安野智紗夫人と、同盟を結ぶと頭が悪くなるの典型ですか?と、思うのですが、まあ、先へ進みましょう。

 で、2021年の方は、特に、ひどいなあと思っています。つまり、尾行者(≒警察のブルーカラー部隊)「が盗んだと、思っています。つまり、鎌倉エージェントのブルーカラーとしての、人材は、泥棒をしょっちゅうやるのです。反町も同じです。本日は、鎌倉の家から、モノが最近でも盗まれた話をいたします。が、その前に、横浜駅で、パソコンを忘れた話に戻ります。

 ホームの仕事をしている若い駅員さんが、「僕がそれを見つけました。ホーム前方の、南口に、忘れ物センターがあって、そこに届けました」と言ってくれたのです。それで、15輌が停車し、かつ、前後に余裕があるという長い長い、横須賀線ホームを最前列で、降りて、忘れ物センターに行くと、中年の意地悪そうな、駅員二人が、「ここにはないよ。中央北改札口の事務所にあるんだ」とつっけんどんに言います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『iko のガードマンが、私が、何時から、ここにいるのですか?と、質問をした、たった5分後に消えましたぞ』

 仕方がなくて、65年の歳月をかけて、改修をされた複雑な横浜駅の、中央北改札口へ、エスカレーターやら、エレベーターを使って戻りました。そして、中央北改札口へ行って、なるほどなあと、思いました。

 ただ、そこへ、行く前に、中央北改札口真ん中に、iko のガードマンがいるのを目ざとく見つけました。なるほどなあと、思いました。薄緑色の制服のガードマンで、敵さんが、緊張しているときとか、攻撃用好機だと、考えるときは、渋谷駅まで、遠征してきます。茅ケ崎に本社のある会社ですけれど。

 尾行者は警察なんだと、思います。でね。忘れ物に、彼が、気が付いたときに、すぐさま横浜駅長に、脅かしようのガードマン配置を命令的に依頼をしたのでしょう。つまり、敵さんたちにとって、対・私脅かし用の好機なのです。なぜ、といえば、飯能事件を、絶対に真実だと、国民に植え付けえると、考えているときに、

 私が、それは、謀略で、被害者三人は、死んでいないと書いた(あと注3)わけですから、絶好機だと、考えたのでしょう。まあね。駅長の許可を得ないでも、これら、脅かしようのガードマン配置ができる権限を尾行者が、持っているのかもしれません。

 で、忘れ物のパソコンを無事に手に入れたのちに、先ほどの場所を見ると、ガードマンが二人になっていました。薄緑色の制服のガードマンと、黒い色の制服のガードマンです。実は横浜駅のガードマンは、普通は、こちら、黒い制服のガードマンです。平成のやつ墓村事件が起きたとき、やまゆり園事件が起きたとき、妹が他殺として殺された時など、北口、中央北口、中央南口、南口の、四つの改札口、すべてに、この黒い制服のガードマンが配置をされていたものです。

 こういう配置状況も、私は、それらの事件が謀略であるという傍証付けとして、使います。別にそれで、悩んだりはしませんけれど。

 この日のガードマンは、二つの意味を持って、嫌がらせ好意をしていたのでしょう。一つは、パソコンを忘れていたということを、さらにえぐってやろうとする趣。もう一つは、飯能事件をごく単純に、謀略だと、書いたばかりなので、

 「こっち(=警察)は、続報を次から次へと、出して、お前のブログが間違っていると、証明してやるぞ。今度こそ、正真正銘にお前の負けさ、ざまーみやがれ」という勝利感によっているときに、重層的に行われる特有のいじめ行為でした。

 で、忘れ物が確保できたうえで、薄緑色の制服のガードマンに向かって、「あなたは、何時から、ここにいるのですか?」と質問をすると、「20分前からです」と彼は答えました。で、「ああ、そうですか」と、私は、軽く答えて、同じ広場内に、出店をしているNEWDAYを訪れました。チョコレートを買いたかったからです。それもね。特別に好んでいるものがありました。太目のオレンジピール(砂糖煮にしたうえで、乾燥させた切れ端)にチョコレートをまぶした、500円ぐらいの袋菓子があったのです。meijiのものだったと、思います。二回か、三回、買ったと覚えています。それが、欲しいのです。ほかのチョコレートものは欲しくない。で、店内をぐるぐる、回って、

 例のチョコレートが見つかるか、それが、なかった場合に、それに匹敵する、おいしいものがあるだろうか?と、店内を探しまくったのでした。それ故、小さなお店なのに、店内回遊に三分から五分をかけたと思います。そのうえで、出ました。すると、先ほどこちらに背中を向けて立っていた、薄緑色の制服の、ガードマンも、黒い色の制服のガードマンも二人とも消えていました。たった、3分の間に、どこかに消えていました。

 私は、これは何を意味するのだろう?と、しばし考えこみました。私が質問をしたので、もう一回質問をされることを恐れて、消えさせたと、考えるのも一つだし、

 ばれたらしいぜ。それなら、かえって堂々と、お前だけが狙いなのだと、宣言した方がいいなあ。だから、消えさせたのだと、も、考えられるのでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6,『南口にある、忘れ物センターで、中年の男性駅員、二人につっけんどんな形で、「中央北改札口の事務所にあるよ」と、言われる前に、10分以上待たされたのだった。そこは、小さなボックス形式で、しっかりしたドアで閉じられている。10分以上たって、出てきた男性と、外で、待っていた妻らしい女性と、その友人らしい男性は、三人とも、事前に、仕込まれた、人材で、ガードマン到着まで、時間稼ぎだったと、言うことだろう。にゃあるほど。にゃあるほどと、わかってくる。この日はずいぶんと細かい作業というか、仕組みが、仕組まれていて、ホームで、「僕が、それを拾いました」と、言う駅員だって、警察官の偽装だったかもしれなかった。目つきが鋭かったうえに、

 台に乗って、案内放送をする駅員は別にいたのに、そのすぐ後ろに立っていて、何の仕事もしていなかった。普通は、二人の駅員が、そこにいる場所ではない。彼が、南口忘れ物センターに届けたというのも、嘘で、たくらみかもしれなかった。私が、鎌倉駅まで行って、横浜駅へ、帰ってくるまでは、50分かかる。

 水分と細かい仕組みが使われていた。

 ここで、睡魔に襲われたので、骨格だけを書きます。

 だが、もっとも感心したのは、パソコンをホームに忘れて、電車に乗って、鎌倉へ向かう途中で、反町の不動産管理会社の、査定男が電話をかけてきたことだった。10月3日にからかい気味に、全部経年劣化ですと、言い放った男が、ほぼ、三週間ぶりに電話をかけてきたのだった。そして、やはりからかい気味に何かを言った。

 その時には、まだ、パソコンをホームに忘れてきたことに気が付いていなかった。だが、忘れ物に気が付いてみると、反町に泥棒に入った…・警察が・・・・それをブログで、書いている私をからかう為に、その男に電話をかける様に命令したのだった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 さらに、すごいことには、27日には、すでに、買ってあったお客様用、ドレッシング日本が、絶った三日うちに盗まれているのだった。主人に、お客様用に勝ってきたわよと、言ってある。ごみ捨てに行っているうちに盗まれたのだった。我が家の夫婦間会話が、盗聴されていて、お客様用、ドレッシングが無くなっていると、困るだろうと、考えての盗難だった。

 

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