銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

島田章三・・村上隆・・安井かずみ・加藤和彦・・森瑶子・その執事・・・・金持ちには特権があると言う嫌な考え方

2023-11-30 00:24:08 | 政治

 これは、全く持って、前報

其を書いた為に死ぬ思いをしたが、書き始めたからには完成させよう。今関一馬 vs 島田章三    2023-11-28 12:43:06 | 政治

の、後半につけるべき章です。ただ、前半部分をすでにお読みいただいている方も多いと思って、こちらに新しい章を作ります。この一文二番目の総タイトルが【村上隆inNY と普通の主婦inYokosuka の間に上下関係を作りたくない私である】としておりました。が、三番目の物へ、午前四時に変更をいたします。

副題1,『島田章三の実妹大沼嘉津江さんが、PTA三役を引き受けたのは、ちょっと、まずかったでしょうね。「雉も鳴かずば撃たれまいに」の典型だったと思います』

 私は子供(特に次子)が、年長組で、来年小学校に上がると言う時に、幼稚園のPTA会長を引き受けさせられています。それは、娘を守るためであって、目立ちたかったり、威張りたかったわけではありません。幼稚園の担任が、たった、四歳(年中組の時)に娘をいじめるのです。詳しいことは書きませんが、それが、私にもわかる様な形で、いじめるのです。本当につらくて、視力矯正のために一週間に一回早退させて迎えに行くたびに、50個分のお菓子が入った贈答品を幼稚園に対して持っていきました。当時で5000円程度です。あのね。子供が二人いると、一人を遠くの幼稚園に変更させるなどできないのです。あの時の我慢の苦しさ。

 幸か不幸か娘があんまり、動揺していないみたいなので、それだけは助かりました。一生どこかで、ひどい担任にあたることがあるのです。そして、担任のいじめはたいていは親に対する反感とか嫉妬で、起きます。子供は身代わりです。

 これを経験していない人は、どれほど、「自分は人格が、立派です」なんて言っても、私は信じませんね。こういう・・・・・改善の方法がない苦しみ・・・・・を経た人と、そうではない人の差は激しいです。唯ね。子供が自殺してしまってはおしまいで、私の場合は、二人も非常に小さい時に嫌な担任とか、悪い担任にあたって、それだけは不幸中の幸いでした。

 で、PTAは、もうこりごりだと思っているのに、私はどうしても目立ってしまうらしいのです。今は、背中が曲がって猫背がひどいので、平均以下ですが、30代40代は、背中がまっすぐで、運動をしていなくても、スタイルが良いし、一応美的センスはあるわけで、お洋服の色合わせなどに、一部の隙も無いわけで、今にして思えば、目立っていたのでしょう。で、先生に嫉妬されたり、クラスのお母さんから、平役員ですが、押し付けられたのも無理はないと思います。で、平役員は、担任が、人格的に言って、問題がない人だったら引き受けます。その平役員が、数人で、形成されるグループを作って、そこに分かれて仕事をするわけですが、学校が親向けの新聞を作るので、それを作るグループが一番仕事が多くて、華やかな立場です。広報委員と普通は言います。1979年に、

 そのトップが島田章三さの妹でした。大沼という姓からは、大沼映夫さんの弟さんと結婚されたのではないかと、推察しています。そこまではいいんです。しかし、彼女は、PTA三役という専業主婦である女性にとっては、得難い名誉職に就いたばかりに、裏でバカにされる、事となりました。以前、8050ママのお子様が、引きこもりになった理由として、母親が、お子様の成績が良くないのに、PTA副会長を引き受けたのが最大の原因だったと語っています。

 大沼嘉津江さんの場合は、まだ、お子様が、小学生だったので、高校受験が関係がないので、お子様が、引きこもりになると言う結果は招かなかったのですが、母親である、彼女自身がバカにされるという結果になりました。で、私がそばで、見ていて、「ああ、雉も鳴かずば撃たれまいとは、まさしくこれを指すのだろうと、考えたものです。

 彼女が、バカにされる理由が三つぐらいあって、その一つはお子さんを亡くしている事です。たぶん風邪をこじらせるというたぐいの、事で、母親として、彼女が右往左往してしまって、東京への転院などを手配したので、幼いお子様の命が持たなかったのだと、推察しています。それは、一か月ぐらい前まで、一緒に子供を遊ばせていたほかのママ友にとっては、『バカげたやり方だったわね』という感想を持たれてしまうでしょう。仕方がないです。

 二番目の理由は、それを私が、ここで、言うと私がいじめているみたいに見えるでしょうから、言いません。だけど、他のママ友が、彼女をバカにする由縁は、私は理解をしました。

 さて第三の理由です。それは、この横須賀市立根岸小学校管内に、住む親たちが、そこで、住民票などをとる、横須賀市役所・大津支所の、ロビーの壁に貼ってあったリトグラフが、一枚7000万円であったといううわさに、普通の人が、みんな怒っているわけです。

 今、7000万円という金額で、村上隆のフィギュアが、オークションで落札され、大騒ぎだった、記事を見つけたくて、ググったら、以下の記事が出てきました。で、今から、ちょっとの間、村上隆について述べますが、他の生地の様に、彼を、英雄として、取り上げるつもりはありません。同じアート会にいて、圧倒的に差があるわけですが、私は、人間とは何なのだと言う事を追及している人間であり、高額のお金を、芸術で、儲ける人間が嫌いだと、はっきり言っておきます。

 ただ、横須賀に住む普通の主婦たちが、1979年(=1970年代)に、7000万円という金額をどう考えたかを語りたくて、村上隆を持ち出しただけです。

村上隆氏のフィギュア、約16億円で落札  2008年5月15日  朝日新聞デジタル

 現代美術家の村上隆さんの立体作品「マイ・ロンサム・カウボーイ」が14日夜(日本時間15日)、競売会社サザビーズがニューヨークで開いたオークションで1516万ドル(約16億円、手数料込み)で落札された。村上さんの作品の落札額としては、過去最高額となる。これまでは、今年4月にロンドンで落札された立体作品「パンダ」の272万ドルが、最高額だった。

 この作品は、裸の男性のフィギュアで、高さ254センチ。1998年に制作された。出品者、落札者、ともに公表されていない。落札予想額は、300万~400万ドルだった。

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副題2,『ここで、突然ですが、横須賀市とか島田章三さんとかを、離れてニューヨークの思い出話に行かせてくださいませ。うんちくというやつのひとつですが、語りたいです』

 NHKが、アメリカ、特にニューヨーク発のニュースを報道するときに、必ず使う映像があります。それは、南北に走っているブロードウエイの、特に、二股に、道が分かれている53st(東西に横切る道路)か、54st あたりの、歩行者天国を指しますが、そこに、裸のカウボーイが居るのです。 

 私は1998年には彼に質問をしています。もちろん英語でね。「あなたは寒い時期もこの姿なのですか?」と。すると、「ええ、そうですよ」と答えました。彼は、ギターを肩ひもで、つるしていたので、歌を披露することが、大道芸だったのか、何だったのかは、覚えていませんが、第一の目的は、自分を誇示することだったでしょう。体力があり、肉体が美しいと言う事をね。それで、何か、タレント業、または、テレビ業界に、スカウトされることを狙っているのでしょうか。白いつばの広いカウボーイハットと、股間のもりもりが、見事にわかる、木綿の白いパンツ、白いブーツ、茶色い革で出来て、金属の鋲が打ってある幅広ベルト、飾りのついたギターの釣り紐、というスタイルで、スマホを持って居るわけでも、お財布を持って居るわけでも、路上に、それらを入れているバッグを置いているわけでもありません。

 私は投げ銭をした記憶がないのです。もし投げ銭をするつもりなら、彼が貧乏かどうかを考えて、二ドル紙幣にするか、五ドル紙幣にするかを悩むと思うのですが、箱が置いて居ないので、『この人は、ただ、自分を、見せびらかしたいだけだから、乞食でもないんだし、お金を上げたら失礼ね』と思って、その場を去った記憶があるのです。

 で、村上隆は、あの男性に触発されて作ったな!と思いました。ただ、16億円で誰が買ったのだろうか? あの男ではないでしょう。誰なのだろうか? 不思議です。

 いや、今ぞっとしました。冒頭から、ここまで、全文字が消えたのです。で、明日続きを書くつもりで、いったん引っ込めたのですが、体力的には無理に無理を重ねて、ある程度までは、書いてしまいましょう。

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副題3、『村上隆の成功を喜ぶ人は、林真理子の【奇跡】の主人公、田原博子さんを素晴らしい女性だと思い込む人でしょう。そして、反田恭平を、立派な音楽家だと思い込んでいる人たちでしょう。困ったタイプですね。本当にいいものをわかっていない。ただ、金銭に盲目なだけですよ』

 ところで、近々反田恭平が、NHK2chで、日曜日特集をされるらしいです。予告があった。これも対私いじめの一つでしょう。

 私は、7000万円で、村上隆のフィギュアが、ニューヨークで落札されたという件が大ニュースになった事実が、何年の話だったかを知りたくてググったのです。ところが、それは出てこなくて、16億円という方が出てきました。だけどね。それって、買う人の階級(または、階層)を考えると村上隆って、日本人一億人を裏切っている人物となります。

 リトルボーイ展というのを企画して、多くの人から、批判をされたそうですが、ご本人が判っているのかわかっていないのか、あのとぼけた顔からは、判明できませんが、

 サザビーズや、クリスティーズで、高額のお金を投じる人たちは、軍産共同体というものを経営している、古くからの富裕層である可能性が高いのです。ただ、古くからと言っても、せいぜい200年程度の家柄でしょう。したがって、ヨーロッパの王族や、貴族と結婚をして名家ぶりを誇っているわけで、美術品収集は、その家格を高める一手法です。ただし、村上隆の作品は、投機を目的として、買われている可能性が高いです。あれを飾って悦に入っている貴族階級が居るとは思えない。

 ただ、この章は、島田省三批判の章です。村上隆まで、手を広げると終わらなくなります。で、村上隆批判については、ここで、終わります。

 でね、私の記憶では、7000万円で、アニメ風少女のフィギュアが、売れたという事が大ニュースになったのですが、それの、20倍である、16億円の方が、大ニュースになったという記憶がありません。メディアの記者たちも、それは、さすがに、日本人に喜ばれないと、気が付いてきたわけだと思います。

 賢い人間は、さらに嫌悪感を募らせるだけでしょうし、普通の日本人は、自分の生活とけた外れの金額にただ、きょとんとするだけでしょうから。

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副題4、『さて、ここで、やっと本題に戻ります。大沼嘉津江さんが、彼女の知らないところで、大悪口を言われている対象だった話に戻ります』

 私はね。日大芸術学部卒であり、かつ、芸術家とか、芸能人に大勢のクライアントを持つ手相観の、日笠雅水さんから、これも言われたのですが、「貴女みたいに立派な親を持って居る人は、早々はいません」と。その手相は、私の場合、今は、親が死んでしまったので、薄れて消えてしまっていますが、手首のところに横に走っている線を指します。日笠さんに手相を見てもらった時期、1997年には、まだ、母の方が生きていましたし、父からの遺産をまだ、半分以上残していたので、確かに女性としては裕福でした。で、両手に三本もそういう線があったのです。

 その上、中学校時代以降、こちらが望まないのに、和服でも指輪でも、家でも、なんでも、親が向こうから買ってくれるという時代に入ってしまったので、欲望も少ないし、金銭感覚も皆無の人間でした。

 でね、横須賀の普通の主婦たちが、大津支所に飾ってあるリトグラフ「一枚に、7000万円を支払ったのですって」と怒っていることを、『あ、そうお』ぐらいに軽く受け流していて、島田章三批判は、もっぱら心理的な面に偏っていたのです。

 で、この章でも、横須賀市の公金がどれくらい島田さんに流れ込んで居て、それを島田さんが愛知芸大に注ぎ込んでいたかについては、後半に回して、島田さんの、私に言わせると、『うーん、芸術家っぽくない。または、教育者っぽくない』という側面に触れたいと思います。

 ここで、私は、一時間以上、安井かずみについて調べていました。2023年11月30日にして初めて正確にわかったというわけです。で、1979年に大沼嘉津江さんが、兄、章三・自慢の一環として、「兄はね。安井かずみさんなどと、付き合っていたのですよ」と言っても、何にも感動をしませんでした。この時点では、まだ、島田章三の、実作品を見ていないのです。北久里浜時代は油絵の大作(100号)を描いて居ません。で、公募団体展にも出品をしていないので、島田章三が国画会の人であることさえ知りませんでした。でもね。嘉津江さんの、次兄自慢を聴いていて、何ともばからしいなあ。身内を自慢気に・・・・特に二人だけの私的なお茶のみの場でもない、仕事上の席で、口外するなんて・・・・・と思って頭から、受容できない感じがあるところへもってきて、その時点まで、はっきりと嫌だなあと、思うポイントがあったので、安井かずみと付き合う事が、どんなにすごい事か、全く理解できず、右から左へ聞き流していたのです。

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副題4、『安井かずみは、本当に幸せだったのだろうか? 夫の加藤和彦はよき夫を演じるにあたって無理をしていなかっただろうか?』

 もちろん、安井かずみが有名人であることは知っていました。名前は知っていました。しかし、私は、クラシック音楽が好きな人間で、日本の歌は、実は、PTA会長だった時に平役員慰労のために、楽譜で、勉強をした程度で、テレビで、聴いたりラジオで聞いたりすることは無論ないし、レコードを買ったりCDを買ったりすることはないのです。ところが楽譜を買うのは好きで、一時期など、幅、30cm以上のお歌の、楽譜をピアノの上に置いて、メロディだけを右手で、弾き、左手は、コードを引くと言う形で、歌っていました。北久里浜での話です。そういう生活を送っているから、子供の担任の先生が、子供をいじめてきたのでした。担任の先生の中には、母親の中にスパイを作る人もいるのですよ。恐ろしい現代・日本・社会です。

 当時北久里浜の丘の下に、立教大学所有の原子炉があったそうで、そこを使いたいから泊まらせてと言って来た親戚のお兄さんが「えっ、ちっちゃんって、歌謡曲うたうの?」ってびっくりしていたのですが、歌謡曲は、全音の赤い表紙の楽譜集(今は、一冊四千円である)で、45年前から練習をしていたのです。同じ本が今も継続して出版をされている。すごい、名著の一つでしょう。あ、は、は。

 で、安井かずみの曲集は、青い本の方(ポピュラーの方)に出ているのだと、思いますが、1974年当時、青い本を学んでいくと、『あ、是って、PTAの打ち上げ会で、歌っても、お母様方に受けないだろう。で、慰労にはならないなア』と思って、やがて練習をやめてしまったのです。例えば青い本で、一曲選ぶとしたら、襟裳岬ですが、これがお酒の入っている宴会での、お歌になるかどうかというと、ならないです。

 今、青い本は、ひとに貸してあげてしまったまま、返却されていないので、手元にないのですが、今はだれかを慰労するためにお歌を学ぶという任務もないので、再度買う事をしておりません。青い方も4千円ですから。まあ、それだけの価値はある本だと思います。で、安井かずみが、4000曲を作曲したと知り、ネットで、何か、知っている曲があるかを調べました。

 すると知っているのは、オーシャンゼリゼ、ドナドナ、リリーマルレーンで、安井かずみの仕事は訳詩でした。そして、歌手によっては、他の日本語訳を使っている歌手もいるという具合に大勢の人に、カバーされている曲でした。でも、この三曲だけは知っていました。だが、他の曲は、テレビで、聴いた事があるかもしれないという程度で、自分で、歌ったことはない曲ばかりです。

 キャンティは、ちょっとした縁で、内情を知っているのですが、今更出向いても何もならないので、行くことはないし、夫たる加藤和彦が、彼女の死の直後、安井かずみに関する大切な思い出の品をすべて捨てたとか、一年以内に、中丸みちえと結婚したとか、そして、彼自身が、10年後、自殺をしてしまったとかを、知ると、安井かずみって、周辺に本当の愛を注いでいたのかしら? それとも、一般庶民に、富裕層のすがたを見せつけ、富裕になれば、特権が得られるのだと、言う哲学を植え付けるために、利用されていた哀れなお人形だったのではないかと、思えてくるのです。そして、実は、加藤和彦自身が、それを、悟っていたと、考えられます。祖父が仏師であり、龍谷大学を出ているという事は、仏教の基本も知っていたとなります。しかし、病気の妻に促されて二人で、キリスト教の受洗をしています。しかし、自分の葬儀は、無宗教でやってほしいと、頼む遺書を残しているそうですね。大体の感じが判ります。病気の妻に、支配をされていたのでしょう。それが、よほど、嫌だったのですね。でも、キリスト教でいう病の時も見放さずを守っていたのです。そういう妻に、寄り添う自分自身の姿も、偽善を行っている気もして、嫌だったのでしょう。

 こういう私の推察がもし、真実だったら、平凡で、無名で、貧乏な方が、よほど、楽で生きやすいですね。私はだから癌にかかりません。あ、は、は。

 東京へ行くと、いろいろなところで、チャンスを見つけて、見知らぬ人と会話をします。すると、皆さん驚くのです。「え、81歳ですか。とても、そうは見えません」と言って。体力はないのですよ。だが、気持ちはいつも明るいです。心の中に、後ろ暗いところがないから。

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副題5、『安井かずみは大金持ちなので、サロンを形成し、大勢の人がそこに集まっていたそうだ。是こそ、加藤和彦が、本当は耐えられなかったことではないだろうか? 創作をする人は静かな環境が必要なのだ。作詞に比べると作曲の方が、時間もエネルギーもかかるので、加藤和彦にとって、妻のお客好きは、苦痛だったのではないだろうか?』

 安井かずみの知り合いだと言う、女性たちも、「え、嫌だなあ」と思う人ばかりです。例えば森瑤子です。彼女は週刊文春に、女友達に、「こういう提案をしたのよ」と書いています。「京都へ行きましょう。だけど、一人一人、誰か、かっこいい男性を一緒に連れてくること」と。そういう女友達の一人が安井かずみだったら、全く二人とも、許せないのです。これは、出版社の利益のために秘匿されている事でしょうが、森瑤子って、ある若い男性をつばめ・兼・秘書・兼・執事として取り込んでしまったのでした。他人のれっきとした旦那なのにです。そのお嫁さんの両親と知り合いだから、私は、当然、怒っています。その男性は、殺虫剤で、有名な会社のおぼっちゃまで、お嫁さんの親もお金持ちですが、坊ちゃんは、将来は親の会社を引き継ぐにしても、修行は他の会社でという形で、外車のセールスをしていたのです。ベンツかなあ。ロールスロイスかなあ? で、森瑤子の家に行ったら、彼の方が言葉巧みに、まるめこまれてしまったのでした。それとともに、6~10歳の間で、森瑤子の方が年上ですから、年上の女の、セックステクニックに、おぼれさせられたのでしょうか。とても、ひどい話です。森瑤子は、晩年、あっちこっちに別荘を買っています。その美男との生活を隠す為だったでしょう。特に、海外に作っていますが、自分の癌の闘病が、ステージが進むとやはり、日本だとなって、与論島などに、別荘を作っています。彼は、一種の略奪婚ですが、未入籍なので、自分の子供を森瑤子との間に作ることができません。そして、子供を夫婦二人で、育てて、将来とも二安定した家庭を築くと言う事もできませんでした。森曜子にとっては、もともとお金落ちの家の坊ちゃんだから、実家に帰ってで、すんだのでしょうね。一億円位は、与えて、死んだとは思いますけれど‥・・・お嫁さんの方は、日本にいません。森瑤子に関するメディアの情報露出が嫌だったのでしょう。ずっと海外で、暮らしているから、森瑤子が亡くなったとしても、急に海外の勤務先をやめるとか、言う風に、帰国するために、生活を切り上げるわけにもいかないし・・・・・本当にかわいそうです。

 私が、これをちらっと匂合わせたら、お嬢さんに母を尊敬するエッセーを書かせていますね。それって、井上ひさしの勧めだったりして。

 さて、その女友達の中に、林真理子と、大宅映子が居ます。これは、後程、丁寧に、二人が、どれほど、忌まわしい動きをしているかを語ります。ただ、今ではない。

 さて、これから先、さらに、島田章三、大沼嘉津江・兄妹の、嫌な側面、特に心理的な側面を語ります。

 それから、なぜ、横須賀市は、リトグラフに、7000万円を支払ったのかも語ります。市議会議長だったという、」父親の存在、それから、北久里浜の旧水道山をめぐる、実質的、大・大・詐欺事件も無論、からんでいるので、島田さんには、毎年油絵(国展出品の100号)の画料として、一億円程度、支払われていたと考えて居ます。もしかするとそれ以上か? 

 ただ、それらは、美術館の収蔵庫にしまわれているので、庶民は、全体を見ることはできず、したがって、島田章三さんにどれほどの、横須賀市からの公金=税金が注がれていたかについて、何も知らなかったというわけです。

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今、いっぽん、かきはじめました。

2023-11-29 23:35:49 | 政治

が,二十九日中には、完成しない見込みとなったので、一旦引っ込めます。もっと字数を増やして公開します。どうか 前報を読んでおいて下さいませ。と、かいて一時間後には、それを再開しています。体力的に無理を重ねてですが。

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其を書いた為に死ぬ思いをしたが、書き始めたからには完成させよう。今関一馬 vs 島田章三

2023-11-28 12:43:06 | 政治

 私はね。体力がない時は、ただ、ただ、思いのままに書き進めます。したがって、章立てもしないです。体力があるときは、章(このブログでは、副題と言っている)立てて、全体が或るテーマのもとにまとまる様に作り上げていきます。

 前報を書き始めた時には、私は、ピアノ演奏会を聴いて帰った時で、最近だと、そういうイベントに参加した時は、疲労困憊するので、最初から、『今日はさして、上等なものは書けないだろう』と、考えて、章立てをしませんでした。後註1の文章

 ところが、これが、・・・・・エンタメ(クラシック音楽もエンタメの一分野です。硬く考える必要はない)を享受して帰ってきたときの特徴だなあ・・・・・と、考えるのですが、意外とエネルギーに、満ち溢れるのです。それが、エネルギーを注入されると、言う事でしょう。で、書き始めてから、意外とトントンと、進み始めて、しかも、発想のままに進んだので、十文字美信夫妻が、どういう風に動き、その後ろにいた伊藤玄二郎が、二人に何を命令したかという本来の主題から、離れてしまいました。最近のシリーズとしては、十文字美信夫妻にこだわっていたのにです。

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副題1、『私が、前報で取り上げた二人の画家・・今関一馬と、島田章三は、素直な、眼で見たら、格としては、絹谷幸二、横尾忠則級の画家なのです。+佐野ぬい級かな?

 ただし、絵には、夫々、鑑賞者の好みというのがあるので、誰が、上で、誰が下だとは言えませんが、30年前は、横尾忠則は、異端であり、画家とは、みなされていませんでした。で、絹谷幸二、島田章三、今関一馬は、横一線に並ぶほどの、画家だったのです。

 絹谷幸二さんが、トップを担っている、二紀会は、こう言っては、何ですが、ここに取り上げる二人の画家が、そのトップクラス(+森本草介)を担っていた、国画よりも、画壇での地位は下だと、みなされていました。1980~2000年までの事。

 こういうことは公募団体展の世界から離れて22年たっているので、素直に、表現できる事であって、別に国画会を身びいきにしているわけではありません。私は、その世界を離れて、23年になるので、現在のことは知りませんが、30年前は、新制作、国画、独立、二紀という順番(というか、順位)だったと感じています。これは、日展を離れての話となります。歴史がいろいろあって、日展を批判する在野の団体として、出発した、団体うちの内部評価を語っています」

 ただ、横尾忠則は、若い時に付き合っている人物が、六本木とか、新宿で、ブイブイ、言わせていたマスコミ関係者(または、広告関係者)が、多いので、大きく得をしている存在です。だから、ものすごいレベルで、大モノ化していますが、30年前は、さして、取り上げられていなかった存在です。画壇ではね。

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副題2、『この間、絹谷さんの下の名前の漢字について、発音は、こうだが、紅か、幸いかの記憶が、不安定だったので、wikipedia を引いてみた。すると、トップ項目として、絹谷幸二・自宅とあったので、本来の目的からは、離れるが、開けてみた。驚いたことに、最近ニュースで、頻繁にそれが現れる四代目猿之助の、自宅の100倍ぐらいある敷地内に、豪華な建物が林立している(東京圏内でも屈指の)大邸宅だった。

 それに対して、私はねたんでいるわけではない。しかし、裏側はあると、感じている。ここで、少し、それを語っておきたい。独断と偏見だと言われるだろうし、大勢の敵を新たに作ってしまうのも承知の助だが、・・あれ・・が、関係があるだろう・・・・・と思っている事柄が有る。あれとは、私がNHKの傾向を作ってしまっていて、私がメルマガや、ブログで、書いて居る方向と反対方向にNHKが動くことを指している。それは、政治面だけにはとどまらず、文化面も同じなのだ。

 まず、荻野アンナさんである。あれは、1991年にアンナさんが、芥川賞を取る前の話だったと思うが、確かではない。そのころは、パソコンを私の方が使っていなかったので、重要な思い出だが、期日についての記録はない。

 ともかく、アンナさんの母が、江見絹子というペンネーム(または実家の名字でしたか?)の女流画家で、当時神奈川女流展の、トップだったので、そちらの用事で、江見さんに電話を掛けるつもりだったらアンナさんが出たのだった。

 すっごくかわいい人だと思った。母親の江見さんのことは、よく知っているつもりだった。私は、三分、一緒にいただけで、相手の事がすべてわかるタイプだから、個人的な、デートが無くても、江見さんについては、よおく、よおく、わかっているつもりだった。芥川賞を取る前のアンナさんの、動画、及び写真は、公開されていないので、その電話内では、実際の彼女よりもずっと、小柄で、お顔も派手ではない、普通の日本人女性を思い浮かべた。

 この時の電話でアンナさんは、一気に立て板に水のごとく、(のちに数冊の小説・単行本・に表していく)、両親の介護の大変さを語ったのだが、もっとも、印象深いエピソードとは、「お手伝いさんさえ、いれられないのです。画家の家だから」という部分だった。

 私は、「はい、はい、その通りですね。画家の家は、そうですね」と、答えた。ものが膨大にあるので、片付けるのは、大変だ。だが、相槌は、その程度で、徹頭徹尾アンナさんが、話したのだった。両親の介護がどれほど大変かを、堰を切った様に彼女は話した。

 都立大山病院を紹介されて、そこに入院をさせているのだが、横浜山手から、そこへ通うのがどれほど、大変かと、語るのだった。都立大山病院は、東上線に在り、東上線ときわ台の老人ホームに入っていた、母が、そこで、、白内障の手術を受けたので、私も、のちに知ることになる大病院だった。

 私がアンナさんに対して、特別にかわいいと思ったのは、江見さんが、結構、きつい人だと、わかっていたし、かつ、女流画家なので、頭の中は、何時も絵のことで、占められていて、したがってアンナさんは、精神的には、ネグレクトに近い状態で、育っているのだった。だから、こそ、両親に、奉仕するのだった。丁寧に愛情深く育てられていると、両親が介護が必要になっても、「あ、そうお」ってな調子で、あれほど、真剣には、奉仕をしないものなのだ。反対になるのだった。そういう風に思いがけない事になる。

 ここで、自分自身について、重要な事を語りたい。アンナさんは、私のことは、一切知らない段階で、あれほどの、長話をしたのだった。どうして? それは、私が非常に魅力的な、かつ、包容力の高い人間であることを、感受性の鋭いアンナさんは、即座に見抜いて、信頼したのだった。これが、前報で、語りかけて、とちゅうになっている、今関一馬先生の一高時代の親友で、日経新聞を退職したと、言う紳士から、アトリエに何度の電話をもらう事に繋がっていく。

 また、十文字美信氏の奥様と、小町通りの立ち話で、10分程度話し合っただけで、昔からの友達風に、打ち解けて、行くことになる。だから、こそ、美信夫妻を、私から引き離すことが、私へのダメージを与える効果がでると、考えられて、あの夫妻が、あいさつなしで、追い抜いていく(ほとんど、人通りのない道で)という、謀略が計画されたのだった。

 これは、私の尊厳を傷つけ、精神をへこませ、早く、ノイローゼにさせてしまい、精神病院に収容してしまおう。そしたら、あのブログを閉鎖できると、考えた、伊藤玄二郎達、一派が、それ以降、、使いに使いまくり、1000回以上遭遇する、ひどい措置の最古にあたるものだっただろう。

 それは線路沿いの道で、30年前は、ほとんど人通りのない道だった。だが、当時の、私は、背中に、ものを背負うスタイルで、東京へ出かけていて、かつ、本を作るのにお金がかかるという状況だったので、裏駅(普通の駅だと、西口というところ。鎌倉では、特別な呼び方が或る)にある、信金で4000円だけおろして、東京へ向かうと、言うスタイルをとっていたので、雪ノ下二丁目の自宅から、川喜多邸(まだ、記念館とは、なっていなかった時期だが)の前を通り、脇道に入り、その後、線路沿いにでて、踏切まで、歩くのが常だったのだ。

 十文字美信さんの自宅(カフェbee +画廊)は、google 検索で出ているし、鎌倉在住の人だったら、ご存じの通り、小町通りと、表参道の間にあるので、あの夫婦が、この線路わきの道を通ることは、ありえないことだった。だから、たくらみだとは、すぐ分かった。その上、美信夫人は、とても、おろおろ、していた。

 夫が命令するからには、この女性(私の事)には、何かあるのだけれど、この人が、悪い人間ではないことを自分は、感知していたので、こんな失礼なことをするのは、この人に、悪いことだわ。私は、本当は、こういうことをやりたくない・・・・・と、考えて居るのがありありと、わかった。

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 ここで、しばらく、二紀会がなぜ、大きな存在になって行ったかを語る事から離れて、十文字美信、夫人との出会いを語りたい。

副題3、『私は、その後も美信氏から、ひどい仕打ちを受けるので、美信夫妻の、真実を知りたいと強く願った。で、横浜駅東口のビジネスホテルの地下にあった、ポパイというネットカフェ(今はない。これも私のブログをつぶす行為の一つであろう)で、アイドル写真集を見て、カメラマンが、十文字美信とあったので、一時期、おくさんは、元、女優だったりしたのかしら?と思ったりした。だが、今般、鎌倉駅の地下道で、美信氏が、300行近いぎょうせきを、履歴として、披露をしているのを見て(それも、対私威圧だと思う。彼は、2011年から、このコンクールの審査委員長を務めているのだが、今まで、こんな、コンクールの展示は、見たことがなかったし、十文字美信の、業績禄も、見たことが無かったので)、

 あ、是なら、wikipediaが、立っているだろうと思って、(以前は、アイドル写真集を撮るぐらいのカメラマンだと、バカに仕切っていたので、wikipedia も、覗いてみたこともなかったのだ。)ウィキペディアを探ると、出てくる、出てくる、情報は、いっぱい出て来て、あの豪邸は、奥さんの実家の敷地を使っていると、出ていた。それで、やっと合点がいった。たぶん、奥様って、資生堂本社に勤務していたOLあたりではなかっただろうか?

 これも間違っているかもしれないが、以前、考えて居た、タレントか、女優か、モデルだったのではないかと、言う推察よりも、奥さんの実像に近くなる。美信氏が、資生堂のCMの仕事をしている時に資生堂側の人間として、出会って美信氏からの猛烈なアタックで、結婚に至ったと、考えると、奥様の美というものが、納得しやすくなる。

 私は、美形好きの川崎さんと、からかわれるほど、美しいもの、美しい人物が好きである。鎌倉で出会った、もう一人の美女が、ドゥローイングギャラリーのオーナー夫人だ。それについては、一文を書いているが、その後、駅前広場で、彼女から無視されたので、如何に伊藤玄二郎一派が目を光らせており、私から、あらゆる、人間を引っ剥がしていくのだと、言う事が判る。

 あの最初の出会いから、すでに、20年近くたっているが、あの日の美信夫人は、今時の日本人とは、思えず、与謝蕪村の絵の中にでも、登場しそうなほど、さわやかで、自然体の人だった。蕪村の絵の登場人物は庶民のおばちゃんだが、美信夫人は、庶民のおばちゃん風ではない。ただ、その浴衣姿が、背景に消え入りそうに、静かなのだ。『ああ、こんな静謐な感じの美女は、最近では、見たことがない』と、思って、素敵な浴衣姿ですねと、言った。本の、ちょっとした、会話を交わしたら、当時、その近辺で、古書店を開いていた、お店の奥様が出て来て、美信夫人の家を教えてくれたり、今、美信夫人が、猫を探していると、言う話も教えてくれて三人は、そこに入って行った。

 当時は、画廊と、喫茶店を、建築中で、その音などに驚いて、行方不明になってしまったとのことだった。それは、非常に、お互いがはずむ話だった。私は夫婦で、トルコ旅行をした時に一緒に行きたくないと言ったのだが、どうしても主人が一緒にというので、猫を実家に預けたのだった。絶対に行方不明にしない様に、4mぐらいの長い木綿ロープを首につけていた。自由に歩くことはできるのだけれど、ロープの重みで、猫の俊敏さが抑えられるので、逃げ出しても、捕まえられるからだった。二週間の長さの旅行だったのだけれど、一週間目ぐらいに、「かわいそうだからロープをとろうね」と、母と孫が話し合って、外したのだけれど、その途端に逃げ出してしまった。でも、本当に幸いなことに、鎌倉の家に戻るのではなくて、急に同居した、日吉の実家の方に戻ってきてくれたので、母も、私の娘も大いにほっとしたのだった。鎌倉まで、戻ろうなんて、あの猫が考えたら、途中で死んでしまった可能性がある。

 その年の美信氏のぼんぼりを見ると、奥様のさわやかさと、通底する、草の絵だったので、ああ、美信氏は、奥様に惚れているのだなあと、考えた。そういう風に幸せな出会いだったのに、俺をメルマガで、書いたからだろうか。美信氏と、奥様が線路わきの、誰も通っていない道に現れて、わざと、剣呑に無視して、追い抜いて行ったのだった。

 それ以来ずっと悪い事ばっかりだったが、その悪いことの集大成として、鎌倉駅の地下道で、美信氏の業績禄が300行ぐらい、開示されることとなっているのが、今週だ。お前は、これほど、業績ないだろう?と、伊藤玄二郎達が言っている。『どうだ、どうだ。お前より勝っている人間は、いっぱいるんだ。威張るなよ」と言いたいのだろう。私は、別に威張ってはいない。だが、私の指先が世界を動かしているとは、わかっている。それを、話しているだけだ。

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副題4、『ここで、二紀会のトップの絹谷さんの自宅が、安倍晋三邸よりも豪華だと、思われる、写真を見て、なぜ、二紀会が、これほど、大きくなったかについて、私が、今、思う事を語っておこう』

 私は荻野アンナさんについて、いろいろ語っている。アンナさんは、高学歴母、または、母親が有名人であった、そういう家庭で、育った女性特有の特徴を持って居る。江見さんがどういう経歴だったかは、知らないが、神奈川県では、有名人であったことは確かで、したがって、子供に対して,それほど、手間をかけていないので、アンナさんは、繊細で、内心では、おどおどしているところもある人だと思う。だから、かえって、落語とか大道芸で、自分を鍛えようとしているのだった。だから、アンナさんについて、私が書くことは、女性の子育て論の一つとなる。文芸批評ではない。でも何度も書いているので、母親の江見絹子さんが、出品している二紀会の名前が、世の中に流布することも増えたと思う。

 で、絹谷さんを主役にするドキュメンタリー番組も作られた。京都の育ちであると、言う事。母親と早く別れたという様なことが、放映をされた。

 というわけで、トップがカリスマ化すると、または、スター化すると、当然、その会が、マスコミ露出することも増える。その上、絹谷さんは、油絵具を大量に使う絵を描く人だ。しかも美しい原色を。これは、独立所属の馬越陽子さんも同じなのだけれど、その手の作品は、保存性が高いとみなされて、高いお値段で、売れている模様だ。だから、絹谷さんの、家が、豪邸化した。また、絹谷夫人の行動様式も、絹谷氏が、大富豪になって行った、秘密かもしれない。島田章三夫人鮎子さんは、画家であり繊細で、上品な人で、世間のことには、関心がなさそうだ。

 今関夫人には、お会いしたことは何度もある。お子様はご立派に育てた方だが、ちょっと、ご主人の画業に、出しゃばりすぎだと、思う。ごめんなさい。はっきり言って。ご主人が、若手画家を招待する40人ぐらいの着席パーティに、奥様が監視役みたいに、出席なさっていたが、ああいうのは、良くないと思う。お手伝いに徹していると、言うよりも監視役みたいなので、何とも、不自由だ。で、会合が、楽しくないし、盛り上がらない。お客の方も、そう感じるのだが、私の目には、今関先生も、不自由そうだなあと、感じられた。妻の役割って、本当に難しい。

 上までは、島田章三と、今関一馬より、世代が若い絹谷幸二をトップとする二紀会が、急に伸びたという話でした。しかし、それは、前振りであって、私は、昨日に引き続いて、島田章三と、今関一馬の、対立と、二人から、受けた、いろいろな思いを語りたいのです。長生きしてよかった。二人が亡くなっているからこそ、語ることができるのです。ただし、それを語ることは、死ぬに等しい大きなストレスを浴びる事でしたよ。次の日、何にもできませんでしたから。この章は、同じ事を語りながら、さらに、いろいろをつけ足していきたいと思っています。

 私は人間について研究することが好きなのです。だから、今から書くことは美術評論ではありません。人間の行動記録です。今関先生の方が書きやすいので、先に取り組みます。一部は、前報後註2,で、すでに書いている事です。

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副題5、『私は銀座一丁目で、今関先生の危急を救ったという思いがあった。後註2--。だけど、最後は、非常に後味の悪い思いでを抱いて、その後、黙って、国展に、作品を出さない様になった。最初から、今関先生の引きで、入選したわけではないから、先生に断る必要はなかったのだけれど、、

 それでも、今関先生は、国画会改善のために、仲間(というか目下)を欲しいと思っていらっしゃったし、その一人だったとも思うので、一応何らかの挨拶をするべきだったかなと思ったり、その後も年賀状を出したりするべきだったかなと思うが、

 先生が、仲介をして、先生の友人(一高時代の友人で、日経新聞の元記者)という人に・・・・・・私を、一夜のアヴァンチュールの相手として、差し出そうとなさったのだから、・・・・・肯定できない話なのだった。この件だったが、まず、私が、市原市での、先生の大個展に、一万円のご祝儀を包んで、それとは別に、それが、私の誠心誠意のサービスだと思って、マイクで、お客様全員に聞こえる様な声で、

「一高の寮歌は、知りませんので、琵琶湖周航歌を歌います」と断って、歌い出した。琵琶湖周航歌は、三高の寮歌として、非常に有名な曲だ。実は、私の音域には合わない。低すぎるのだ。だけど、一高卒の、今関先生への、サービスのつもりで、それを選んだ。そして、これも、今関先生へのサービスのつもりで、歌詞を三番まで覚えて行った。私はメロディ本位で、声の美しさで、ひとを魅了する方なので、歌詞も覚えなければ、長い数の小節は、覚えて行かない方なのに、その日に限っては、周到に準備をした。で、やんやの喝さいを受けた。で、名刺交換があって、その何度もアトリエに電話をくれたエリート紳士とは、お話も交わした。非常に気に入ってもらえた。お歌のことだが。私は、マイクを使うと、大変なアッピール力があるのだ。それは、過去に何度も経験があったので、そこまで、ほめそやされても、当然のことだと思っていて、その人が、私に逢いたい≒一夜のアヴァンチュールを求めて来るなんて、夢にも思わなかったのだった。

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副題6、『私は、今関先生と安藤玲子さんとの間に横たわっている美しいエピソードを知っていたので、そのケースが起きるまでは、今関先生を深く信頼していたので、上のケースは、ショックだった』

:::::::::ここで、挿入だが、安藤禮子さんという国画会・会員が居る。芸大卒で、今関先生とは強いきずなで、結ばれている方だ。安藤さんは、芸大卒なのだけれど、会員になかなか成れなかった。本当なら、芸大卒だったら、島田章三先生が面倒を見て、会員にするべきだけれど、山寺重子さんという女性会員が、激しい妨害工作をして、安藤禮子さんは、なかなか、なれなかったのだ。それを、今関先生が、強く推して会員にしてあげたという事だった。これは、全く別の作家の方で、男性で、非常に聡明な方が教えてくれたエピソードだ。今関先生と、安藤禮子さんから、直接に、聞いた話ではない。

 この山寺さんという人が、非常に意地悪な人で、銀座の画廊街で、「あの人」と言ったら誰のことを指すか、誰もが瞬時にわかると言うほどに、意地悪なことで、有名な人だった。だけど、計算高い。だから島田章三先生に取り入って、勢力を拡大していて、安藤さんの会員就任を阻止していたそうだ。中ボスの山寺さんは、自分自身が、自由に動かせる票を、10票前後持って居て、同じくらいの中ボスの島田某子(鮎子さんではない)さんと、協力して、自由自在に会員推挙の力をふるっていたそうだ。山寺さんが、阻止すると言う事は、そういう中ボス連中数人に事前に電話をかけて、「安藤さんに票を入れるな」と言っているという事だと思う。

 このケースは、重子さんが、禮子さんを単純に、嫌いだと言うよりも、もっと根が深いそうだ。二人は同じ年齢で、高校の名前は同じか違うかは知らないけれど、美大受験用の塾で、一緒の時期に勉強した間柄だそうだ。しかも横浜在住。そして、禮子さんは、芸大に入学、重子さんは、女子美に入学した。

 さて、その後なのだ。山寺さんの自信の源泉は、自分の美貌にある。スタイルは、1930年代生まれの女性の普通のスタイルだけど、もしかしたら、背のすらっと高い女優の矢田亜希子さんは、山寺重子さんの娘ではないかと思うほど、(二人は顔は似ていないが、自分の美貌を信じている事では同じであろう)容貌に自信を持って居る女性だ。安藤玲子さんは、それほどではない。そこの差を武器にして、山寺さんは、安藤禮子さんに圧迫を加えていたのだろう。

 私は、このうわさを聞いて以来、安藤齢子さんを深く信頼して、あれこれ、国画会内部で、経験した悩みを電話で、相談したりした。すると、安藤さんは、「まあ、あなたみたいな人は、国画会には、合わないわね」とおっしゃった。その言葉も、私が国画会をやめようと、考えた重要な言葉だった。安藤さんは、横浜の人なので、当時の、横浜国立大学付属中学が、如何に優秀な生徒を出したところかは、知っていらした。そして、知る人ぞ知ると、言うほどに、まだ、日本に存在を知られていなかった、国際キリスト教大学のこともよくわかっていらっしゃった。で、安藤禮子さんが、そうおっしゃるのなら、そうだろうなあと思い。これも、私が、国画会へ、出品しないと決めた理由の一つだった。

 私は昔から、・・・・日本人離れしている・・・・・と、言われている。安藤禮子さん以外からも、そういわれている。そして、これは、根っからの物だから、治す方策があるとも思えない性格だった。 

 真実を貫くとか、・・・・・人間は、かくあるべきだ‥・・・という様な理想を持って居て、目の前で、それに反する行為が行われると、露骨に嫌だと思い、つい、それが、表情に出てしまう方だ。

 この国画会をひそかにやめようとしたことが渡辺幸子さんとの間に激しい確執を生んだ。国画会用に準備した作品を、大学同窓会展に回したので、私が、幸子さんの上に立とうとしているという風な、誤解を受けて、裏切ったと思われたのだ。そのことで、大きな損失を受けたが、国画会に限らず、公募団体展を抜けることは、その人にある程度(いや、もっと大きいかもしれない)の損失をもたらすから、覚悟は、必要だ。

 ところで、ここで、挿入の挿入だが、十文字美信さんが、300行に及ぶ、業績の履歴をプリントアウトして、鎌倉駅の地下道に飾っていたと書いている。先週見つけて、本日写真にとっておこうとして、行ってみたが、月曜日の夜、展示品が交換をされていたそうだ。皆様にお見せできなくて残念だ。だけど、ある意味で、十文字さんが、カメラマンだから、それほどの、業績を積むことができた。カメラマンには、公募団体展みたいなものは、無いと思われる。だから、他人のことを気にしないで、自由に動くことができる。

 私は安藤禮子さんのことは深く信頼しているので、この今関先生の、市原での個展とその後の、エピソードに安藤さんが、関係していたかもしれないと、言う事はすっかり忘れていた。だけど、書き始めて以来、今関先生が、私に直接お電話をくださった覚えがないのだ。誰かが、「川崎さん、どうしてアトリエの電話に出ないの、何度もかけた人が、出ないと言って、困っているらしいわ」と、教えてくれたはずなんだけれど、それが誰だったか、さっぱり覚えていないのだ。でも、突然に安藤禮子さんではないかと思い当たった。

 で、禮子さんに対しては、良い感情を持って居るために、このエピソードを今まで、表に出さなかったのだと思う。すごく嫌な思い出だったけれど、今関先生が、問い合わせに使った人物が安藤さんだったために、記憶の奥深くにしまい込まれていたのだった。安藤玲子さんとは、電話を交わしているので、私が、鎌倉在住のことは知っていらした。そして、パリへ行ったり、ニューヨークへ行ったりして、非常に活発に動いていることも知っていらっしゃった。性格や、考え方も知っていらっしゃった。ただ、私が、今関先生の大個展で、マイクを使って、歌を歌ったことは、ご存じなかった。だから、その伝言の裏にあるものを、言葉に出されていないものは、ご存じなかったと思う。ただ、単純に、今関先生の「お友達が、何度も電話をしたが出ないので、どうしてなんだろうね。君、事情を知っているかね」というぐらいの話だったので、安藤禮子さんは、伝言を引き継いだのだと思う。でも、安藤さんが、彼女は、既に鎌倉へ帰っているみたいですよ」と今関先生に告げてくれたのか? または、その元日経社員だった紳士が、何度電話をかけても、何時も、私がアトリエにいない時間帯だったのか? どちらかはわからないものの、このケースはやがて雲散霧消をした。

 でも、なぜ、今、このエピソードを書くのか?

 それはね。十文字美信夫人との始まりが、素直な計算のないものだったことを語りたいからです。私は引っ越してくる前から、今の住居地が、「人間関係が大変なところで、仕方がなくて引っ越していきます」と、(その家が、四回も住民が変わっている家のご主人)から、聴いて引っ越してきたので、誰とも付き合わないことにしています。そう言う覚悟をして転入してきています。だから、ご近所様は、私のいいところをほとんど知らないと思いますよ。だけど、私って、実は自由自在で、楽しい人なのです。それを言いたかったので、今関先生との、市原市での個展のエピソードをさらしました。

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副題7,『私は島田省三さんの妹さんとPTA広報委員として、長い時間を一緒に過ごしたので、国展に初入選する前から、島田章三の名前は知っていた。だけど、それだから、国画会に自分の絵を出品し始めたわけではない。』

 さて、島田章三さんに移ります。こっちの方が書くのに大変です。しっぽをつかませないと言うか、なんというか。だけど、決して善人ではない。島田章三さんは、ご本人とは、三分程度の会話を交わしただけですが、その妹さんと、120時間ぐらいをPTA役員として、一緒に過ごしているので、彼女を通じて、いろいろ、わかったこともあり、それで、1970年代から、知っているという関係です。国展に初入選をしたのが、1991年ですが、その12年前から、島田章三の行動様式は、知っていて、魅力がないなあと、思っていました。

 島田さんの実妹の大沼嘉津江さんによると、「兄は、安井かずみさんなどと、付き合っていたのですよ」と自慢気に言う。

 ところで、国展に応募したのは、誰か知遇があったからではありません。私は、非常に小さい時から、上野に連れて行ってもらって、公募団体展を見ている人間です。上野の都美館が、グレーのコンクリート外壁だったころから、見ている人間です。

コメント
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今日は新進のピアノを聞いてきました。…今関一馬 vs 島田章三

2023-11-26 22:48:53 | 政治

 そのピアニストの演奏は非常に美しかったです。そして、最近は、夜、すぐ眠くなる私ですが、もう、11時半なのに、眠くありません。大きなエネルギーを与えられて帰ってきたのです。

 ただ、すみません。その人の名前を言いません。というのも私がファンとして、その人をほめたり押したりすと、マスメディア的に、その人が、抑圧されるからです。例えば貴景勝、中村梅枝、他。だから、お名前を挙げません。ただ、最近は、ずっと、新進ピアニストに惹かれています。

 曲目を選んで、聴きに行っているのですが、その名前で日本音楽コンクール歴代受章者を探ると、一位から、三位までの間に入っている人が、多いのですよ。

 美術のフィールドでも、新進作家を見るのが好きだったのが、クラシック演奏家にも、通じています。すでに、有名になっている人はメディアの、追い風があるので意外と、聴いていて、感動を与えられません。自分の耳は、信頼しています。マスメディアよりも、自分の耳を信頼しています。

 ただ、清水和音には、びっくり。大・御大・清水和音は、追いかけたい。体が太ってしまったのさえ、知らなかったほど、久しぶりの、出会いでした。何十年ぶりに、NHKクラシック倶楽部で、接して、本当にびっくりです。音が美しい。ここまで有名だと、抑圧されることもないでしょうし。追いかけたいと思っています。ただ、夜は、出かけられないです。

 鎌倉エージェントの、伊藤玄二郎も、(いまだ実際には、生きている)井上ひさしも、歌舞伎には詳しそうですが、クラシック音楽には、詳しくないみたいですから、非常に耳を澄ませて、落ち着いて聞いています。

 子供のころはラジオで、器楽曲を聴いていると、情景が浮かぶのでした。ヨーロッパの、お屋敷お庭と東屋などが。今は、そこまで、集中できません。というか、そこまで、心が純粋ではないと、言う事かなあ。透明ではないと言う事かなあ。

 子供の頃ではなくて、大人になってからの話ですが、というのは、特に、2000年から、始まって、2011年とか2012年までの事でしたが、ブログを優先にして遊びになど、絶対に、行かなかったのです。が、苦労をして、真実を、書いても、そうです、書いても、書いても、彼ら、CIAエージェントが反省をしてくれないので、あまり、まじめに、そこに集中しても無駄だと、思い始めて、息抜きが必要だと思い始めています。遊びや、娯楽も必要だと思い始めています。

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 ところで、今日の演奏会の会場は大手町でした。東京駅から、地上をたどって、大手町に行ったら、毎日新聞本社(竹橋)の特徴ある丸い部分が見えないのです。えっ、毎日新聞社は、あの排気ガスで、汚れてしまった本社ビルを壊したのですか?、と、ひどく驚きました。

 九段は株主総会への出席で、毎年、行っていた筈ですが、子供に生前贈与したので、その町で、開かれていた、株主総会に行かなくなったのです。それより前は、お茶大付属高校の、同窓会の、下部組織である、OPC(一種のクラブです。いろいろな学習と、遊びを一緒にする会です)の、会合が、神田の学士会館で、あったので、大手町から、歩いて一橋まで行ったりしたこともあるのですよ。でも、神保町駅が出来たので、それを利用すればよかったのですが、反対に、私がそこを辞めていますので・・・・・神保町駅を、学士会館に行くために利用をしたことはありません。

 でも、ありとあらゆることを捨てて、ひとえにそこに集中して勉強したから、本を、工業生産的に、自分で、作ることができる様になったのです。もちろん、印刷会社が持って居る機会を頼むわけだし、印刷会社は、下請けとしている、別の会社のことも、偶然を利用して、いろいろ、知識を得ました。なんと、折屋という会社もあるのですよ。本を、大型の紙に、裏表、32頁分印刷すると、それを折って、カラ、背表紙のところで、のり付けするか、ミシンみたいな糸が、見える形でとじていくのですがとじる前に、大判の紙を、4かい折る会社もあるのでした。

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 そのことがなかなか書けないのですが、冨山房インターナショナルの社長である坂本きっこさんが、私が、自分で、制作した一作目を持っていったら・・・・・あってはくれなかったのですよ。・・・・・だから、その時にすでに、彼女は、伊藤玄二郎にリクルートをされていた可能性はあるのです。・・・・・だけどね、お手紙を、くださったのか? 地下一階の高級喫茶店、Folioのスタッフを通じての話だったか? 今は、あまりにその後の攻撃が大きくて、数が多いので、きっこさんとの、交流のつまびらかな部分を忘れてしまっているのですが、一万円のお祝い金を、下さってそして、Folioに、10冊程度おいて下さって、

そして、何よりもうれしかったのは、「しろちゃんは、実力があるからね」というお手紙をくださったことです。同じクラスになったことがないのです。だけど、OPCで、旧姓西大寺さん他から、いろいろ、聴いていて・・・・・その上で、・・・・・しろちゃんは、実力があるからね‥・・・という言葉をくださったと思う。うれしかったです。

 私は、高一の時に、AFSを、応募用紙を、黙っていて、渡さないと、言う担任の先生の、いじめに出あって、その時、応募用紙をもらったらしい、ポコちゃんが居るバレー部もやめたし、勉強も東大を受験するとか、医学部を受験すると言う形では、やめてしまったのです。

 まあ、そこでの、優れた先輩である、旧姓西大寺さんと、別れているので、OPCについて、思い切ったことを言いますが、OPCは、仕事をしている女性が入る‥・・・という表向きの、ルールがあったのですが、暗黙のルールとして、戦争未亡人を助ける会という始まりの、有る組織でした。女性でありながら、一家の家計他全部を、一人で、支えている、そういう女性たちがお互いに、助け合うという組織でした。

 だから、坂本きっこさんが入ったと、聴いた時は、ちょっと違うのだがなあと思ったものです。だって、きっこさんて、何もかも、持って居る、それこそ、実力者中の実力者であり、きっこさんが、入ることによって、私が、「海外修行の時代が、終わって、時間ができたので、再びOPCに入れてください」と、言っても、「だめですよ」という感じになるのだろうと、思っていました。きっこさんって、すごくきれいな方ですが、その美貌の種類って、

 きりっとしすぎていて、===毅然とし過ぎていて、冷たいと、言う感じもあるのです。だから、そういう風に感じていました。一方の私は、政治的、弾圧の嵐が吹き荒れなかったら、いまだに、しろちゃんと、呼ばれる、かわいいタイプの人なのです。下手に出る人なのです。今のブログをお読みになっている人には、信じられないでしょうが、根はそういう人なのです。母がね。だから、私には、「社交ダンスはだめよ。」と言っていました。自分と妹は、ホテルの、発表会にしょっちゅう参加しているのにです。社交ダンスをすると、男の人から、何らかのアタックがあって、母はそれを心配していたのでした。それこそ、事件を起こす人になりかねないと、心配をしていたのでしょう。芸能人や、芸術家に、クライアントを大勢持って居る、日笠さんが「あなたは、芸術家でよかった。これがもし、専業主婦だけをやっていたら、事件を起こす人になっていましたよ」と、警告して、くれた様に、金星帯というフェロモンやお色気をつかさどる、手相のラインが、両手に二本ずつ、四本もある人だから、もし、顔が美貌だったら、水も滴る、いい女という事になるのでした。

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 話は、横にそれますが、今関一馬先生が、故郷の、市原市で、大個展をなさったのです。国画会の関係者としては、私一人が招かれていて、他は、先生が旧制、一高時代に同級生だった方とか、旧制帝大時代に、同級生だった方だけの招待客でした。女性の出席者は、先生の奥様と私だけでした。なぜ、私が招かれていたかというと、

 銀座一丁目で、今関先生とある、三十代と思しき青年がトラブルになったことがあるのです。肩がぶつかったか、体がぶつかったかで、今関先生が「君、失礼じゃあないか」と言ったら、相手が、すみませんと言わないで、「やる気か!」という対応を見せて。喧嘩腰になったのです。で、私が二人の間に入って、「あのね。この方は、とても偉い先生なのです。美術の方でね。だから、あなたの方が弾いて下さらない?」と言ったら青年は、素直に、京橋の方へ歩いて行ってくれました。これは、ね。今関先生が、全身、イギリススタイル(シャーロックホームズ風)に固めていらっしゃったので、青年は、サラリーマンとしての身分とか、階層を、測り兼ねたのでしょう。彼にしてみれば、部長級、重役級の男なら、こういう種類のネクタイで、こういう種類の生地のコートを着て居るものだと、言う先入観があったのだと思います。

 今関先生の方は、ベージュ色のグレンチェックで、お帽子から、コート、中のジャケットとおズボン、全部おそろいの生地であつらえたもので、日本では、手に入らないものです。イギリスで、買ってこられたものでしょう。だから、今関先生としては大得意だったというか粋がっておられたのです。それが通じなかったのでした。唯ね。私がそばにいて、特に、人間関係に自信を持って居た時期です。ニューヨークへ行く以前には、他人をあしらうと言う事が全くできなくて、主人にだから、お前は疲れるのだ。適当にあしらっておけばいいのだよ」と、言われていたのでした。ところが1999年の修行中にも25歳の日本人女子大学院生にいじめられて、仕事ができないので、珍しく面と向かって喧嘩をしています。言葉を使ってだけですが、圧倒的に勝ちました。理由はね。人間の中には、自分が見えていない、たぐいの人間が居ると言う事です。私は成熟した人間なので、相手のことは、100%、裏も表もわかっています。そして、二人の間にある、本当の事情もすべてわかっています。で、それを説明するだけで、完勝するのです。2000年の修行中にも40台の日本人女性アーチストに、意地悪をされて、仕事ができないので、言葉だけで、戦って勝ちました。発言は、「私はひと月500ドル払っています。この工房は、今、そのお金で、やっと維持されているのですよ。あなたは、一銭も払っていませんね」と言っただけで、私の目の前から姿を消しました。で、『お前はやって来るのか? こっちだって覚悟はあるぜ」と、すごむ若者に対しても、全く恐れず、ただ、穏やかに、この方は、とても偉い方だから、あなたの方が引いてね」というだけで、青年が、引いてくれたので、『あ、そうか、渡辺豊重さんが、いつも女性を連れて歩いていたのは、以前から、それが判っていたが、身を守る為だったのですね』と、確信をしました。ただ、豊重さんは、今関先生みたいに、高飛車じゃあないです。だから、ひととぶつかって、『お前失礼じゃあないか、謝れ」などとは言わないでしょうし、連れて歩いている女性が、うまくトラブルを解消できるタイプとも思えませんが‥・・・その豊重さんが、今年亡くなったそうで、酒井忠康先生が、珍しく、鶴岡八幡宮のぼんぼりに絵をかいておられました。それが、豊重さんの似顔絵だったのです。でね。豊重さんが、以前は、仲良しだったのに、急にいじめてきたのは酒井先生から、讒言を聞いたのだろうなあと、理解した次第です。

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 今関先生の大個展へ戻ります。先生が、国展に絵を出している人間の中で、私一人を選んで、他に誰もお招きにならなかったのには、他に二つ理由があったでしょう。ひとつは、島田章三先生が、大っ嫌いで、反島田の勢力を拡大したいと思っていらしたのです。島田章三先生は、ほの暗い陰険なところがあり、芸大出身の人が、有利になる様に、いろいろ、手配をなさっておられたのです。それが島田先生の権利とか権威とか特権に結び付くことをよく知っていらしたのね。だけど、教育者としても、画家としても全く尊敬が出来ないタイプでした。でね。島田先生にかわいがられて愛知県の美大(愛知芸大ではない)の教授にしてもらったWという人物も、非常に若い時から、国画会の会員にしてもらっていたのでした。ところが、その男が、才能が枯渇したのですね。国画会というのも、陶芸の富本憲吉を始め女性美の森本草介とか、偉い人がいっぱいいるので、レベルの低い作品は出せないわけです。会員なら特にね。でね。その男はイタリアの某という画家の作品を、そっくり剽窃していたのですね。それがばれて、新聞沙汰にもなりました。私が既に、国展に作品を出さないでいた、2002年以降の話でしたが。国画会では、島田先生に媚びる画家から散々ひどい目にあわされているので、島田正三さんについては、先生とは、呼びたくないほどです。

 今関先生は、島田章三先生が、奥様・鮎子さんのテーマの一種の剽窃(鮎子さんより、こってりと絵の具を厚塗りするが)、であるなんてことを、怒っていらっしゃったので、2000年か、1999年にマチスの踊る女と、全く同じ絵を描いて、国展に、出品なさっておられました。三段がけの一番上というところに飾ってあったけれど、旧制、一高出身で頭がいいから、そういう形で、国画会全員に、「お前たち、今のままで、いいのか?」という問題提起をなさったのです。だけど、私みたいな人間からすると、それはそれとして、審査の会場で、たぶん欠席であった今関先生に電話を掛けるなどして、それを出品させない方がよかったと思いますけれど。

 まあ、その結果としてですが、島田先生はびくともしなかった筈です。私は、その年を最後に出さなくなったので、それ以降を知りませんが。

 だから、今関先生の意向を継いだ誰かが、あの名古屋芸大教授Wの、イタリア画家の絵本体の、剽窃を、マスコミに漏らしたのだと思います。それは、国画会全体にマイナスをもたらす内部告発だったけれど、それをせざるを得なかった、内部の腐敗=島田章三さんの陰険な支配力=は、ひどかったのです。

 ところで、公募団体展の事情に詳しくない方のために概略で、日本史で例えて、言うと信長が今関先生で、家康が、島田先生だったでしょう。

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 実は午前二時にいったん止めたのです。今は、午前六時なのですが、非常に明晰に、今関一馬 VS 島田章三という図式が、頭に上ってきたので、主人が『お前は、健康を害するし、自分の外出の予定が狂う』とお怒っていますが、自室で、更に加筆をして行きます。

 二人はね。家庭での姿が違いました。親の代も違います。似ているところもあるが、違うところもあります。今関先生は、父親が画家で、春陽会の創設者でした。だから、個展は、東京だったら、日動画廊でした。大切な画家として、日動が扱っている作家です。今関先生の父親が,もし、美校(のちの芸大)卒だったら、今関先生は、二代目という目で見られることを嫌っていらっしゃったので、それで、才能があっても芸大に進まず、一高へ進まれたのでしょう。ただし、年齢的に戦争が、かぶさってくるので、本郷には進まれなかったかもしれません。でも、市原の個展での友人たちは、紳士中の紳士でした。エリートでしたよ。私は今関先生を過剰にほめそやすつもりはないのですよ。だけど、島田省三さんの方は、非常に嫌なところをもっている人で、妹の大沼嘉津江さんの話(一年間、PTA広報委員で一緒だったのでたくさんのエピソードを聞いている。妹さんは、それをすべて素晴らしくて、よいことだと、話すのだけれど、私は、なんて、計算高い嫌な人だろうと内心で、軽蔑しながら聞いていた。妹さんのことも兄(次兄にあたる)のことも内心で、軽蔑しながら聞いていた。妹さんはご近所様からバカだ、バカだと陰口を利かれていたが、兄をあんなにほめると、そりゃあ当たっているでしょうね。。だって、章三さんって、莫大な公金を横須賀市から、流入してもらっている人で、それをご近所住民は怒っているのです。『版画一枚が、七千万円ですって。それあり?」って、市役所の大津支所にかかっているリトグラフを見て、怒っているのです。だって、ミレーの落穂ひろいなんて言う、わかりやすい絵柄だったら人々も納得をするでしょうが、色がベージュっぽい抽象画のリトグラフ(紙)ですから、一般人は、それが、7000万円もする何って、絶対に納得をしないです。

 ここで、島田章三さんの両親に触れないといけなくなりました。お父さんは高等工芸(現在の千葉大)を出た船舶のインテリアデザイナーでした。しかし、最晩年は、横須賀市議会議長ですって。一方、母親は歌人です。短歌を作るのも芸術の仕事なので、何時も上の空という事になります長子は、初めての子供だし、昔か羅、長子村長の気風が日本社会に在りますので大切に育てたでしょう。それで、東大卒で歌人になっているそうです。

 でもね、次子(章三さん)と、三子(嘉津江さん)は、ネグレクト気味で育てたのではないかなあ。嘉津江さんがバカだと言われてしまうのは、明瞭な事項があるからです。まあ、それを言うのは年上の人間として慎みましょう。だけど、嘉津江さんはPTA三役などを引き受けてはいけないのです。ご自分で断らないと。だって、それは、女の勝ち組の証左だから、当然に、嫉妬の対象だし、批判の対象だからです。

 正三さんが、ああいう風に陰険なのは、小さい時から兄より不幸だと思っていて、差別の中で、生きるために必死で身に着けたものではないかなあ?

 ここで、七時になったので今度こそ、やめますね。もっと、島田さんに関する具体的なエピソードを書かないといけないけれど、それは、将来にまわしましょう。

  今関先生の嫌なポイントとは、一高で友達だったある紳士が、私が今関先生へのプレゼントとして【琵琶湖周航歌】を歌詞付きで三番までうたったことに興味を抱いて、何度もアトリエに電話をくれたそうだ。私は鎌倉へ帰っていたので、その電話には、一切気が付いていない。留守電にもしていなかったので。その固定電話は、私が女友達へ、いろいろ、おしゃべりをしたくて、使っていたので、受け取る方は、ほとんどなかったからだ。

 で、その紳士は、いぶかしく思ったし、私がわざと拒否していると考えて、気を悪くしたのかなあ。今関先生に、「どうして、連絡が付かないのだろう?」と、ついに、お電話をかけられたそうだ。何とも、言い得ない、話だが、今関先生から、先生の派閥の誰かさんを通して、私はなぜ、応答をしないのかと、連絡がきた。非常に嫌な話だった。今関先生は、私が、話術の天才で、小さなパーティ(横浜の中華料理店で行われる、今関先生一派の集会)では、圧倒的に人気者であることはご存じだった。だが、先生のお友達が、アトリエに何度もお電話をくださるのは、ちょっと、困る話だった。アトリエで、独居しているのは、海外に自由にいくためだったので、圧倒的に、そういう話題は、困るのだった。ある日別の男性(マンションのオーナー)がやって来て、『私は奥さんみたいな人とは経験したことがないので、寝たい」と言った。驚いて、引き取ってもらったし、息子さんに電話をかけて、委細を話して置いた。お父さんは、息子さんに、こっぴどく叱られたと思う。だけど、今関先生のお友達の件は、非常に嫌な感じだった。もうほとんどの関係者が亡くなていると思うので、書いておくが元日経新聞記者との話だった。お互いに連絡が付かないままで、終わったら、私のお歌が魅力があった。めでたし、めでたしで、終わる話だけれど、今関先生までもが、どうして対応しないのだろうとおっしゃっていたとなると話は、違ってくる。今関先生が、私をまな板に乗せて差し出したと言う事となる。、是って徹底的に、女性蔑視のセクハラだ。

 でも、私は後で、市原まで、お招きを受けたのは、当然、先生の絵を一枚買うと、推察されていたのに、私は買わないし(ただし、金一封は包んでいった)、お歌を歌ってお客様たちにやんやの喝さいを受けただけでも、十分なご奉仕だったと、考えて居るので、『絵を買わなかったから、ああいう復讐をなさったのか?」と思う。今関先生も、私のことをちゃんと理解しておられたわけではなさそうだ。それが、今関先生の、国画会改革運動が実らなった、由縁の一つだろうと思う。

 

 でもね。それは、非常にみずみずしい感性を持って居て、誰とでも仲良くできる、柔軟な精神があると言う事です。だから、2005年ごろには、私には、もし、時間があったら、個展の案内状を、5000人の人に出すことができますと言ったりしていたのです。ところが、旅行中に、住所録が盗まれています。伊東屋の、布装の大判のノート(B5 版)に記したこう有力を盗まれています。これは、白内障手術のために、武蔵小杉の、ホテルに主人と一緒に泊まっていたことで、盗まれてしまったのです。それ以前にも何度もの二人一緒の、旅行などで、家を無人にすることがあっても、盗まれなかったし、隠してあるから大丈夫と思って居たらダメでした。そういうわけで、その住所録にある人間に片っ端から、アタックをして、私との仲を引き裂いて行ったのです。

 その前に、生活形態も、性格もひどく違う、正反対であろう、きっこさんを、OPCに入れて、わが精神の揺籃ともいうべきOPCに再加入が出来ない様にしたのも、連中の高度にも高度な、一種の弾圧だったのです。

 でね、私は、自分の最初の本を冨山房インターナショナルに持って行ったときに、きっこさんが、優しい対応をしてくれるとは、夢にも思っていませんでした。二階だったかな、オフィスにもっていったら、地下一階のFolioで、待っている様に言われて、そちらで待って居たら、結局、「忙しくて、会社に帰ってこられません」という口実で、あってもらえませんでした。

 でもね。それも想定内だったのです。それほど、私ときっこさんは、いろいろな点で違うのです。で、だから、こそ、親切なお手紙と、お祝い金と、「Folio においてあげましょう」と言われたことが本当にうれしくて、(実名を伏せたか、伏せないかは、忘れましたが)これをブログに書いたのですね。

 その結果、2014年の豆腐屋うかいでの、激しいいじめ(辱めを与えようとする動き・・・・・気の毒に思ってくれているお友達もいたはずですが、私の目には、らんらんと目を光らせて、楽しもうとする、友人の目が、特に目立って、入ってきたのでした。そこまで、クラスメートの心を逆転させたのは、宇都宮和代さんの力ではないと、私は、感じ入ったのです。

 だってね。きっこさんって、それまで、このクラス会に出席したことがないのですよ。というのも、このクラス会とは別に、中学時代のクラス会というのも別にあって、そちらでは、悠仁様のように、中学まで、お茶大の付属に在学していた、男の子も出席します。そして、幼稚園から在籍していた様な、銀の匙を加えて、生まれてきた様な、お嬢様が、おおく出席するので、

 ここから先ですが、それまで一回も出席したことのない坂本きっこさんが、2014年の回だけ、出席していて、しかも、私を50年以上にわたって、いじめまくっていた、坂本庸子さんを伴って出て来ていたと言うだけで、あの日のいじめが、坂本きっこさんがリーダーだったと、信じています。しかし、彼女の後ろに、旧姓西大寺さんが居たかどうかが、大問題だったのです。

 それが私の悩みの種だったのです。だけどね。きっこさんが、敬っている旧姓西大寺さんですが、・・・・・今の私は、高く評価しすぎていた、彼女も、普通の人だった・・・・と、考えて居ます。リアリストで、自分の利益が最優先の人です。仕方がないです。みんなそうなのだから。

 でもね、CIAエージェントが、坂本きっこさんも、旧姓西大寺さんも裏切る様にさせて‥・・・そして、十文字美信氏の奥様も、私を、裏切る様にさせて、居るのですが、

 安倍晋三氏を、奈良県西大寺で、暗殺したことが書き手として、の、私を一皮むかせたのです。

以前、彼らは、自分で、自分の足を食べるタコに似ていると、行っています。後から、おこなっている謀略が、前に行った、謀略の真実を確認させると言う事です。

 非常に嫌な話ですが、井上ひさしのアイデア、伊藤玄二郎が表立って各関係者に伝える

 それを、さらに、咀嚼して、部下として慕っている後輩に、伝えるのが、大先輩、旧姓、西大寺さんで、その人が、坂本きっこさんを、動かしている‥・・・これが、残念ながら、真実なのです。で、流れと思想が全く同じである、十文字美信、夫妻のケースも書くのが楽になりました。それは、将来、書きましょう。今日は、ここまでで、お許しくださいませ。

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十文字美信についてあれこれ・・・・・2023-11-25に思う事、または、思い出す事

2023-11-25 09:53:08 | 政治

 夜の11時に、巻末に、副題4を加筆させていただきました。 

今日は大勢の人が良く知っている人物について、また、そこから生起するあれこれの思い出を語ります。前報が未完であり、それを、完成させたいのです。どっちを選択するのが良いのか、迷いますが、ともかく、こちらにまず、トライしましょう。前報は、あまりにも盛りだくさんなので、分離させないといけないし。

 なお、これは美術ではなくて、むろん政治の文章です。写真・評論でも、ない。まあ、はっきり言うと、伊藤玄二郎分析という種類のものです。または、メディア分析という種類のものです。または、CIAの本質の分析というものです。今息子から、電話が固定電話にかかって来たのに、10回ぐらい、数秒で、切られるという嫌な思いもしました。が、これも、CIAの家来としての警察の悪いいたずらでしょう。だから、政治の文章を書くと言う事となります。

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副題1、『鎌倉駅の地下道とは、私にとっては、とても大切な場所である。そこで、あれっと、考えさせられる展示を、見た。2023-11-24日、夜7時ごろ』

 今、こういう地下道(特に線路の下とか、道路の下)をアンダーパスと、NHKは、ニュース内で呼びます。よく台風が来ると、ここに水が溜まって、車が、動かなくなるので、注意をするニュース内で、アンダーパスと言います。だけど、まったくぴんと来ないです。是もまた、私のブログが原因です。私のブログ文章をつぶすための言葉替えの一つです。

 というわけで、この一章は、また、私にとっては、公開した方がいいのか悪いのかわからないという暗い文章となるでしょう。しかし、現在の日本政治を明らかにする、目的には、かなうものです。ウクライナの戦争も、ガザ地区の紛争も、どうして起きたかは、私には、わかっていて、そこまで、この章で、到達できたらいいのですが、まあ、書けるところまで書きましょう。尚、どうして、鎌倉駅の地下道が、重要なのかは、蛇足1というところで、詳述します。本筋を書いてから説明をいたします。

 さて、鎌倉駅の地下道とは、横須賀線の線路下の東西通行路ですが、横須賀線は、15両の車両が真夜中停車している待機用線路も東西に一本ずつあるので、地下道は長いです。そこの南側に、ながさ12mぐらいの展示ケースがあります。昨日はそれが、二分割されていて、西側は鎌倉市立深沢中学校の、美術の時間の、生徒の作品展示でした。私は駅の西口に存在した用事を果たしたのちに、帰りとして、地下道に入ったので、生徒の手芸作品などをまず見たわけです。その次に風景写真が、並んでいました。最初は、ああ、『趣味のグループですね』と感じていたのです。だが、最後の展示を見たら、審査委員長、十文字美信と逢って、彼の履歴が、300項目ぐらい縦に並んでいたのです。

 非常にびっくりしました。でね。改めて、その風景写真を見直してみると、

鎌倉プロモーションフォトコンテスト というコンクールの結果写真の展示だったのです。そして、審査委員長は十文字美信

で、私は、スマホを持ち歩かない主義なので、その情景を証拠として撮影をして帰る事が出来ず、土曜日の午前中ネットで、そのコンクールの、詳細を探る事となりました。2023年度のコンクールの結果の写真が、ネットで、公開をされていて、最後に

総評

  今年の応募総数は1,399点、その内から厳正なる審査を行い、一次審査を通過した作品は60点でした。・・・・本文 中略・・・・年々応募作品の質が上がっていますので次回も楽しみにしています。新しい鎌倉の魅力を発信していきましょう。

    (審査委員長)  十文字 美信

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副題2、『十文字美信さんとは、実はひどいことを、私の方が、三度ぐらいされている、間柄です。だから、私は怒っていて、このブログに何度もそれを書いています。

 でね。それは、ほぼ、20年間にわたっていて、その一つを今から書いて行きましょう。

 私はCIAの日本人エージェントに弾圧をされていて、自宅で、パソコンが、動かない(命令通りの仕事をしてくれない。特にアドビがだめだった。したがって本の編集ができない)時期が長くて、外で、仕事をしていた時期があります。

 その時、アドビを使うのは、キンコーズや、ACCESSという名称の、事務センター、(東京駅・丸の内北口には、ファミリーマートの事務センターもあるが)エクセルシオールなどのカフェ、錦糸町の野菜ビュッフェなど、秋葉原のワシントンホテルなど、点々として、自分のノートパソコンを起動をしていたものです。その中で、ネットカフェも無論使いました。渋谷のBAGUS とか、メジロの 自遊空間、とか、横浜駅東口の、ポパイなどが、静かで、落ち着ける環境で、したが、すべて、無くなっている模様です。それらの店舗は、経営者がほかの事≒パチンコなどで、儲けて、資本金を持って居ると感じたものです。

 目白の自遊空間では、最上級のセキュリティソフトを入れていたので、トロイの木馬が、どういうソフトであるかを、知る事が出来ました。真っ黒な画面にアルファベットが浮かぶソフト、(アプリ)本体を読むことが出来ました。すると、NHKニュースが脅かすほどの、脅威でもないと言う事が判りました。私は電子ソフトの専門家でもないのですよ。弟は電通大を出ていてインテルに勤めていました。だけど、彼に質問をしないでも、ソフトは、読めるのです。

 特に、父が北久里浜の自宅を、設計し、書類を作って、当時の横須賀市の建築閣員申請を取ってくれた様に、レオナルドダビンチみたいに、あれこれ、挑戦する人で、私もその同じ傾向を持って居るのです。だから、書籍だって、出版社に勤めていたこともないし、印刷会社に勤めていたこともないし、美大のデザイン科を出たこともないのに、ちゃんと普通の工業用生産過程を通した本が、自分一人が、それ用のデータを作れば、後は、印刷会社の機械と製本会社の機械を、お願いして、やってもらえば、できるわけです。ただし、販売ルートがありません。そこまで、手を広げられません。体力もないし。

 薬についても、妹は千葉大薬学部を出ています。私は薬学部を出て居ません。だけど、薬の化学構造式、または、分子式を見るだけで、いろいろなことがわかり、そこから、COVID19が、生物兵器であるか? ないか? を、分析しようとしていたのです。そのために、吉草酸エステルと、吉草酸酢酸エステルの違いを、利用しようともしていたのです。後註1, 

 そこに松竹定款が出来し、いじめのきわみに出会っていて、それの防衛のために、テーマが横に曲げられてしまったというわけです。しかし、その松竹のケースですが、伊藤玄二郎・かまくら春秋社社長と、今だ実際には生きている井上ひさし(公的には死んだことにしているが)が、案出した事でしょうし、十文字美信氏とのトラブルも、まさに、その二人が案出した事なので、本日、そちらに急遽移動をしたというわけです。そこです。私の周辺に起きることは、すべて、CIAが絡んでいるので、何を書いても、通底は、共通するので、本日は、突然に、カメラマン、十文字美信へ、移動をすると言うわけです。

 しかし、2005年ごろから、嫌なことが始まっているので、繰り返しますが、私は、ずっと怒っていて・・・・・彼の美少女写真集を、横浜駅東口のポパイで、見つけた時以来、何だ、これで、儲けているのか、あの豪邸も、これで、建ったのか?と考え、軽蔑感を強くしていたのでした。しかし、昨日の夜7時ごろ、鎌倉駅の地下道で、300項目近い業績の履歴を見て、あれ、あれ、間違った解釈をしていたかしら?と、考え直したというわけです。

 特にあの豪邸の敷地200坪を、彼がタレント写真集で、稼いで購入したというのは誤解でした。カフェbee 本日初めて、彼に関してのネット検索をしてみて、カフェと画廊は、彼の稼ぎで、建てたものでしょうが、敷地は奥様の実家だそうです。失礼な言い方ながら、駅から五分の200坪という敷地に関しては、逆玉の輿だったというわけです。

 奥様は素敵な人ですよ。私と美信氏の関係は、そもそも奥様から始まっています。で、奥様が戦前から、鎌倉に住んでいたご家庭のお嬢様であると言うのは、納得です。非常に品が良い方です。それと猫好きが、私との、共通の話題であり、まず、奥様と知り合ったのが、そもそもの始まりでした。その部分は、政治に関係がないので、後で、詳述します。

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副題3,『同じショーウィンドーで、鎌倉関連の紹介展示が、過去にあり、その片隅に、冨山房インターナショナル刊行の【かまくらの田圃に関する書物】が置いてあった。その途端に、2014年【豆腐屋うかい】で、行われた、お茶大付属高校クラス会における、ひどい。ひどい、対私・いじめの本質が判ったのだった。これは、安倍晋三元総理大臣の、奈良県西大寺での、暗殺にも、繋がる問題だから、いったん、十文字氏に対する解析から、離れさせていただき、そちらに入りたい』

 あれは、2014年の11月の事でした。だけど、7月ごろから幹事の宇都宮和代さんから、親し気な、お誘いメールがありました。ところが、私が、安藤てる子さんという女性刑事(しかし親友を装っていた)からの、謀略行為や、その他で、非常にブログを書くのに、疲労していて、遅れて到着しました。すると、到着早々、くじで当たった席(と言っても、私の分しか残っていなかったのだが、)の左隣の席に座っていた、十文字トシさんが、移動をしたのです。こちらの十文字さんは、東京の十文字学園の創始者の一族で、戸籍上の名前は、違いますが、旧姓が、こうです。お上品な良い人です。ところで、この人が今日の主役の美信さんと、親戚かもしれないと、ほぼ、20年近く、思っていたので、長らく美信さんが、行ったいじめについて書いて居ません。まあ、【とし】さんと、兄弟とか、従兄弟ほどの、近親ではなさそうです。体格も全然違うので、それで、本日の文章を安心して書くことができる様になりました。

 さて、【とし】さんが急に移動をした後に、遠くから、中島加奈子さんが、やって来て座りました。中島加奈子さんは、お受験用幼児教育の、専門家で、孝太郎夫人が、田原氏と不倫の仕事で、帰れないときに、預かってくれた親切な、幼児教室というのは、中島加奈子さんが、経営しているものでしょう。それでね。林真理子の、【奇跡】についても、大いなる批判をすることとなります。だって、千之助を、二年間ぐらいお世話をしたマダムから、いじめられたのですから、そりゃあ、田原博子さんも林真理子も嫌いになりますよね。当たり前です。

 このいじめの諸相を語ると、可奈子さんに、お株を奪われたという事になります。私は画家です。画家として目立つためにどんなパーティでもお歌を歌わせていただくことにしていました。だけど、女性たちは嫉妬深い。それでね。お歌を、きれいな声で、歌う事に嫉妬されていたのだと思います。この日は、席が突然変わって、私の直前に、可奈子さんが歌いました。私の場合は、嫉妬されることが判っているから、司会者に事前に「歌のタイトルを紹介してね」と頼めないし、非常に短い時間(一分三十秒程度)で、終わらせます。ところが、この日の中島加奈子さんに関しては、司会者の宇都宮和代さんが、長々と紹介の労を取りました。で、五分程度、可奈子さんは歌いました。日本の歌曲という種類の歌で、彼女が作詞作曲をした歌だそうです。うーん。お茶大付属高校って、東大合格者数では、桜陰に、圧倒的に、負けているでしょうが、才媛は、多いですね。あ、は、は。母校の自慢をしちゃった。ともかく、可奈子さんのお歌は、すごい上等なお歌でした。さて、私は、得意のお歌をつぶされて、眼を白黒です。しかし、これが、伊藤玄二郎発のいじめだとは、瞬時に分かったので、・・・・ここで、めそめそしたら、彼らの思うつぼになってしまう・・・・と、判断をして、何事もなかったかの様に、いつも通り、1分30秒程度、オペラアリアの一節を歌いました。しかし、あまりにもびっくりさせられたので、いつも通りの美声は、出なかったと申し上げましょう。半分は、攻撃を撃破したが、半分は自分の方が、撃沈したというわけです。

 この中島可奈子さんですが、その後、北久里浜の我が家の近所にも現れたのです。なんと、最近のこのブログの主役である、妙本寺のお見合いに成功した遠藤家のご主人の、上司であろう、上滝氏(そのお嬢さんが、母親に愛されて居なくて、幼稚園にも通わせてもらっていないので、性格が悪くて、悪くて、お菓子を我が家で盗み食いをするので、私が疲れさせられ切ったと言う女の子です。これは、横浜銀行と東日本銀行の合併にもつながるし、この山で前田清子さんが、夜、お孫さんを使って、ちよこレート遊びをしたとか、関本夫人が、お子さんを使って、これまた、夜チヨコレート遊びをしたという事へつながっていきます。)の旧宅に私より早く、入って潜んでいたのでした。

 中島加奈子さんは、住所録を見ると、中央線三多摩在住なのに、北久里浜に、午前中に来て待機をしていたのです。たぶんですが、堤義明氏が、旧プリンスホテル(今はメルキュールホテル)に、無償で、泊まれる様に手配をしてあげて、そこに泊まってから、北久里浜の旧上滝家に入っていて、待っていたのだと思います。堤義明氏は、石塚雅彦さんといとこ同士であり、石塚雅彦さんは、既に伊藤玄二郎達と通々でしょうから。

 我が家で、前夜、夫婦で、明日どういう予定という会話があるので、それを盗聴している敵さん達は、私が北久里浜に行くことは、知っていたのです。でも、まさかそれほどのことを可奈子さんがするとも思えず、私は、北村充子さんか、そのお嬢さんなどが来てうたっていると考えました。北村さんとは、杉本正子さんに命令され、1985年に私にひどいことをした、在日の出自を持つ、賢すぎる(それは、すれすれのレベルで、ずるいと言事と同義だ)女性として、北久里浜+堀之内近辺では、有名な人です。高卒なのだけれど、名だたる音大出身の指導者を抑えて、合唱コンクールに根岸小学校PTAコーラスを入賞させるほどの、腕前になりました。そのしたたかな、彼女がモーツアルトのフィガロの結婚からケルビーノのアリアを、歌っていると判断をしたものです。で、私は、40年前のいじめを恨みに思っている人でもないから、彼女に引き続いて、30分程度、持ち歌を歌い続けました。一分30秒程度で終わります。というのも私はモチーフ(動機)部分しか覚えない人だからです。

 朝ドラブギウギで、主人公が、母に歌ってあげる【こいーはやさしー、のべーの、はあなよー】も100%歌えます。これはね。浅草オペラの曲で、父が、戦前夫婦で、朝倉オペラを見に行っていて、戦後も、家で、歌っていたので、覚えているのです。というわけで、楽し気に30分も歌ったら可奈子さんは、私の人柄が判ったのでした。それでね。2016年のクラス会で、全員に向けて手作りのカードを作ってきてくれたのです。ものすごく凝ったものでした。彼女は、それの制作が間に合わなくて、前夜も徹夜したと言っていました。私はこれを無言の謝罪、もしくは慰謝だったと受け止めています。全員に向けて作ってきてくれたのですよ。しかも、くじ引きで当たるので、私目当てのものがどれだったかは誰にもわかりません。だけど、私は、彼女の無言の謝罪を受け止めて、・・・・・お受験塾というのは、ある種の問題があるが、彼女は幼児を扱う人として、デヴィルでも、モンスターでもなかった。悪いのは、井上ひさしでしょう・・・・・と、思って、今では、許しています。もちろん、2014年は、既に井上ひさしは、死んでいます。だから、誰か別の人を介してですが、本質的には、彼直属の家来として、機能をしたのでした。

 さて、この日、真正面の席で、にやにや笑いながら、私が苦境をどう乗り切るかを注目している人が居ました。金子美都子聖心女子大(名誉?)教授です。彼女がなぜ、こんなレベルで、私を笑いものに、しているの?と不思議でした。が、やがて謎が解けました。彼女が自著を献呈してくれたのですが、それが、春秋社刊だったからです。ここから、スタップ細胞疑惑にまで、発展する、CIAの、巣窟だったと、春秋社を、今の私は見ています。楽譜と仏教書の出版社であり、アメリカとは、まったく無関係に見えますが、神田龍一、二代目社長のウィキペディアが立っていないので、なるほどと、思います。

 さて、主人が返ってこないので、そのすきを狙って、もう少し、パソコンのそばにいます。

 春秋社は、1965年ICU科学科実験室=旧中島飛行機の実験室で、80時間以上一緒だった、三輪喜久代さんを1966年の四月に雇っています。おかしい就職先です。でも、そこからも、春秋社が、すでに、CIAの巣窟だったと、推察されるのです。だからこそ、神田龍一社長には、特権が与えられていて、物書きを上昇させることができるので、名物社長と言われていたのでしょう。

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 フロアーには、もう二人、この件で、謀略に加担していた人物が居るのですが、そちらは、ちょっと抜かして、宇都宮和代さんに戻ります。彼女は、お茶大の西洋史学科を、1965年に卒業し立正佼成会が、運営する学苑の先生となります。一方銀座の大物画廊・ガレリアグラフィカのオーナー、栗田玲子さんは、教育大学の西洋史学科を、1964年に卒業をしています。この二つの大学は、1960年代には、メトロ・丸ノ内線茗荷谷駅を最寄りとする、ご近所様だったのです。栗田玲子さんの著書を見ると、大学在学中には、二人は関係がなさそうです。しかし、イタリア大使館の名刺交換会等を通じて、二人は卒業後は、知遇を得てとても仲よしのはずです。栗田玲子さんは、伊藤玄二郎からの頼みを聞いて、対私へのいじめとして、数々のことを既にやってきているので、これもその一つとして、引き受けた可能性があり、宇都宮和代さんがあれほど、平気で、私をいじめたのが、理解できます。

 ただ、宇都宮さんは、二次会では暗かったです。それは、別のお友達から、「しろちゃんって、きっとわかっているわよ」と、教えられていたからでしょう。さて、二次会後、夜の六時ころ東京タワー下を離れて、鎌倉へ帰りました。で、家に帰着したのが、夜9時です。で、すぐ宇都宮さんに電話をかけて、「あなた、栗田玲子さんを知っている?」と聞くと、彼女は電話口で、大声で、「知らなーい」と怒鳴ったのです。余裕が全くない感じで。彼女はメールか何かで、既に夜の6時ごろには、「しろちゃん、今日の事、ちゃんと気が付いているわよ。気が付いているから、何も、質問をしてこないのよ。怖いわよ。気を付けた方がいい。彼女って、ブログに何かを書く可能性があるからね」と注意を受けていて、その通りになった【=図星の質問が私の口から出て来た】ので、パニックに陥ったのでした。私は、その怒鳴り声を聞いて、「あ、そうお」と言って、次に、「じゃあね」と言って、電話を切りました。というのも彼女が何で、こういういじめを、容易に受け入れたかの理由が判っていたからです。1558年4月、私と彼女は同時にバレー部に入ったのです。

 すると、先輩が愛称をつけてくれたのです。私がしろちゃんで、彼女が、くろちゃん。顔だけを言うと、彼女は私の100倍は美形です。F1ドライバーアレジと、結婚をしたゴクミみたいな美女です。だから、先輩たちは安心して、二人の対比を取り上げたのです。しかし、その56年後、和代さんが、こういう謀略の主役を担って、私に大いなる辱めを与えたのを見ると、『どうも、一種の復讐の感じがするなあ!』となって来て、「それじゃあ、和代さんに関しても、あまり、取り上げてはいけないわね。彼女は大昔、私に傷ついていたのだ」となってくるのでした

 これは、キリストの言う一種の原罪というべきものです。こういう分析をすでに果たしているからこそ、・・・・・西隣に引っ越してきた白井達雄さんが、その存在だけで、他の家庭を壊したのだ。これは、彼の一種の原罪と言えるものだ。それなのに、白井達雄夫人と、相手側の、逃げられた夫が、仲良しなのは、なんということだろう! なんて、ものを考えないのだろう! なんて、真実の追及を避けるのだろう!・・・・・と、私が、いっています。この二人がタッグマッチを組んで、ひどいことをやって来るから、こういっています。

 さて、これで、関係者の内、四人をすでにまな板にあげました。残るは二人です。二人には、秘めたる上下関係があり、きっこさんが、庸子さんを、誘ったのだと、和代さんが、出席者全員に対して、説明してくれました。きっこさんは、お茶大付属高校全体の、同窓会長をしており、そのサブ組織であるOPCの、幹事長もしていた時期があるでしょう。クラス会きっての大モノであります。冨山房インターナショナルの社長でもあり、神保町にある高級なカフェ【Folio】のオーナーでもあります。で、神保町の人脈上、高野悦子・岩波ホール支配人とは、知り合いである筈です。その高野悦子さんは、伊藤玄二郎との共著【びょんぶ】により、伊藤玄二郎にポルトガル国のエンリケ航海王子勲章をもたらしています。

 で、きっこさんが庸子さんを誘ったのだと、宇都宮さんが説明をしたとたんに、きっこさんが、この件全体の、本当のリーダーだと、感じました。というのも庸子さんは、高校在学中(私は彼女から直接に聞いているが)、貧乏だったので、奨学金をもらっていました。そのことが劣等感につながったのでしょう。私はいわゆるターゲットとなってしまって、したたかに、したたかにいじめられていました。その様子は、JTBのツァーコンダクターが、眉を顰めるほどでした。彼女が貧乏である理由は、お父さんとお母さんが仲が悪くて、お父さんが、お金を家に入れてくれないそうです。で、彼女は、慶応女子高程ではないだろうが、お金持ちの娘が多かった、高校在学中は、つらいと思っていた筈で、、だから、卒業以来、一回も、クラス会には、出席していませんでした。しかも卒業後大人になってからも、私をいじめていました。で、私としては、彼女が居ないのは、何時も喜んでいました。彼女からのいじめは、ほとんどブログには書いて居ません。あまり、政治的ではないからです。お父さんも性格も悪いだろうが、お母さんの性格も悪いだろうと、推察していて、何の魅力も感じて居ませんでした。和代さんは、美形だし、こういう特別なケース以外では、いじめっ子でもないです。だから、魅力がありますが、庸子さんには、何の魅力も感じて居ませんでした。52年間も逢わないでいて、平和だったのに、きっこさんが、招いたんですって、そりゃあ、嫌がらせだから、この企て、全部が、きっこさんが、主役ですねと判断をしました。

 さて、ここで最大の難問に出くわします。きっこさんが誰から命令を受けていたかが問題です。それが、伊藤玄二郎だったら気が楽です。高野悦子さんを通じて、伊藤玄二郎が、きっこさんと逢って、あれこれ、詳細に説明をしたのだと、すれば、納得しやすいです。

 しかし、もし、旧姓西大寺さんからだったら?と、ふと、思いついてしまい、それが、大いなる悩みの種でした。旧姓西大寺さんとは、頭が良すぎる人だから、同窓会長など、引き受けません。ただし、1942年生まれの私たちにとって、五年先輩の、大いなる存在なのです。しかも、きっこさんと、旧姓西大寺さんは、OPC内の、短歌の会で、一か月、に一度は、同席して、短歌を披露しあう間柄でしょう。

 私は今では、旧姓西大寺さんとも会っていないし、きっこさんとも会っていません。しかし、旧姓西大寺さんと、きっこさんは、一か月に一度、しかも、2005年に旧姓西大寺さんと、私が分かれてから、二人は、200回ぐらい、一緒に、時間を過ごしているのです。疑惑は黒雲の様に膨れ上がりました。尊敬していて、人生最大のメンターと思っている、旧姓西大寺さんが、裏切るも裏切って、

 こんな引っ掛けを、きっこさんに命令しましたか? と、考えるとつらいのでした。しかし、こんな疑惑をきっこさんへも旧姓西大寺さんへも問い合わせることはできません。

 それが、2014年以来、10年間も続いている、私の心の中の黒い霧です。

 さて、きっこさんと、私の関係は、十文字美信夫人と、私との関係に似ているのです。したがって、上に書いたエピソードをここで、披露をさせていただくわけです。

副題4、『私は、あまりに、攻撃が多いので委縮気味の最近です。しかし、15年ぐらい前は、全く違っていました。私が、悔しいのは、自分の魅力で得た新しい友人がすべて、伊藤玄二郎の差し金で、奪われていく事です。十文字美信夫人も奪われ、坂本きっこさんも奪われていきました』

 2014年の、豆腐や、うかいでの、だまし討ちは、ひどいなあと思うし、それがもし、旧姓西大寺さんの指導だったら、落ちた偶像というか、なんというか、言うに言われない衝撃です。で、も、そこまで、分析することによって、残念ながら、彼女に対する敬愛の情が薄れ、だんだん、あのだまし討ちにも慣れてくるのでした』

 さて、リンク先を見つけるのが厄介ですが、まあ、後で、なんとか見つけるとして、

 最近、今まで、45%程度の真実で抑えてきたことを、深くえぐって65~70%の真実まで開示して書いている私が、これは、本当につらかったというのが安倍晋三氏の暗殺の本当の目的を書くことでした。

 あれはね。私にとって、とても大切なメンター、旧姓西大寺さんが、井上ひさしの差し金によって、私から去って行った、事を「思い出せよ。お前。味方いねえじゃあねえか。今は」と、言いたい鎌倉エージェントの、謀略だったのです。保美死刑囚の平成の八墓村事件、山田浩二のあたかもロリコン犯罪再現と見える中一生徒ふたり殺し事件と、その時まで遠くに住む、私が直接には、知らない人を使って来た殺人事件による脅かしが、とうとう、自分の知っている人を使ってくるほどとなったと言う、意味で、本当に衝撃的でした。

 ところで、旧姓西大寺さんは、りけじょだったし、霞が関の偉い人だったので、お化粧をしません。私もしないのですが、最近、同い年で、真っ白な肌の富豪夫人から、連絡がひんぱんに来ているので、手入れと、お金をかける違いで、かくも違うものかと驚嘆をしているのですが、・・・・・

 私とその富豪夫人との違いは、旧姓西大寺さんと、坂本きっこ(喜杏と書いてきっこと、読ませる)さんとの違いに似ています。

 さかもときっこさんは、旧姓がかねやすではありません。井上です。だが、かねやすと、言う称号を持つ江戸時代からの老舗のお嬢さんです。川柳に、「本郷も・・かねやす・・までは、江戸の内」というのがあって、今も本郷三丁目の西南の角に、かねやすビルというのがあります。だけど、昔と比較すると敷地が狭くなっていると感じます。遺産相続で、分割があったのかなあ? それと、洋品店とあります。心配です。ここで、洋品店ですって! 大丈夫? 

 だけど、むろん、きっこさんは、既にお嫁入りしていて、実家の管理とか、経営に携わっているわけではなくて、実家より、ずっと、規模が大きい、冨山房ビルに、仕事場を持って居る社長夫人であり、ご自分もご主人の出版社よりも柔らかいものを出版する会社の社長です。学習院卒なので、皇室の信頼も厚いレディです。

 独断と偏見で、誰が、同期の中で一番美しいかと、言う判断を、美形好きな川崎さんとして、開示させていただくと、昭和36年卒の中で、一番の美人は、前報で、ひどいことをしてきて、「どうしたの? 和代さん」と、言っている、宇都宮和代さんです。後藤久美子に似ていると前報で書いています。本当よ。

 だが、立ち居振る舞いの毅然としているところ、そして、自分が主役であると言う場面で、たじろがない落ち着きの有るという点で、その和代さんも、きっこさんには負けるでしょう。ただ、和服姿が美しいとか、洋服の好みが、色彩的に美しいとか、女性には、十人十色の特色がありますから、一概には言えないけれど、黒田清子さんの結婚式での、色留めそでの、ぴたっとした感じは、お茶大付属高校・同窓会・会長職にぴったりです。

 晴れやかな場面で、主役を担う事に、気後れをしない姿を見せるきっこさんですが、打ち解けた世界では、地味でダサい、五歳年上の・・旧姓西大寺・・さんをたてると思います。教養の深さ、頭脳の優秀さ等で、かなわないと、みんなが思う人です。しかし、彼女が井上ひさしと縁を結んだらしいと、推察している私は、安倍晋三氏暗殺事件が起きたとたんに、旧姓西大寺さんとの、心理的紐帯を一気に捨てたのです。30年前の、1990年代には、本当に仲よくしていただいて、ありがたい先輩でした。だが、神のみ前の人間としては、旧姓・西大寺さんと、私は同じ海抜の地点に立っていると考えており、その呪縛から、いろいろな意味で開放をされているところです。

 しかし、井上ひさしと、伊藤玄二郎が組みになっている鎌倉エージェントと私が呼ぶふたり組ミが、動かなかったら、*************

 私と西大寺さんとの間は、切れていないし、

 坂本きっこさんが、恥をかかせる謀略の主役を果たすわけもないし、

 十文字美信夫人が、ひやひやしながら、私の脇をあいさつなしで、追い抜いていくはずはないのです。そして、2011年から、鎌倉での大コンクールの首席審査員を務めている十文字美信氏が、急に、この11月に、鎌倉駅の地下道で、自分の受賞歴を、300行にわたって開示すると、言う事もなかったでしょう。

 だけど、審査委員長の、受賞歴を含む活動歴を、300行もの長さで、写真コンクールの作品発表と同時に、展示するなんて、

 もし、私が、松竹定款によって、歌舞伎座に入れなくなったと、言う弱みを、持つ、状況に陥らなかったら、決して、出現しなかった、事態だと思っています。ほんのちょっとした勝利感でさえ、すぐ利用する彼らの攻撃意欲の強さには、げんなりですが、

 私が、なぜ、こんなにいじめられるかというと、ウランを輸入してはだめだとか、それを反対できない日本は、被・植民地国家だと、言っているからですよ。************

 だから、私は、一億二千万人の人のために動いているのです。だから、大きな誇りを持って居ます。だけど、リアルな現実として、十文字美信氏は、名声を誇っていて、このコンクールに関係する、鎌倉の企業経営者などに、上位の人、審査委員長として、冠の地位を誇っているわけです。

 私の事なんか、その10人ぐらいの、お金持ちは、誰も知らないと思いますよ。だけど、それだ気、自由を確保しているという事でもありますがね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5,『十文字美信氏の奥様との始まり、また、坂本きっこさんとの、64歳にしての始まりを、書いて置きたい。今は消えてしまっているが、とても、なつかしいものだから』

ここから先は、将来書きます。本日は、これで、終止とさせてくださいませ。

後註1,

新型コロナウィルスで、もうけたのは、アメリカであった。地上戦用兵器=軍需産業と、どちらのもうけが大きいのだ?    2023-11-13 21:19:41 | 政治

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23日NHKは相鉄特集を2本も放映した。是も私への攻撃だったが、来る12月1日から、歌舞伎の録画放映も見られなくなるかな?

2023-11-23 22:18:26 | 政治

副題1、『11月23日、NHKは、相鉄に関する特別番組を二つも放映した。これも、緩やかながら私への攻撃だった』

 11月5日、歌舞伎座・玄関前から、小川松竹課長に追い払われてしまった私に対して、これをチャンスと考えたらしい敵さんから連続攻撃を受けています。大きな件が四つ、細かい件が、七つぐらい出来していて、対応に追われていて、パソコンを長時間開けませんでした。

 NHKテレビを利用した攻撃もあって、最初は、それを数に入れて居ませんでした。しかし、それを入れれば10件以上あったでしょう。ただし、私は、それを悲しんでいるわけではなくて、相変わらずの、彼らの頭脳の単純さに、出会って、冷笑、または、苦笑をしているところだ』

最初期の総タイトルに、四つの攻撃があり、と書いています。そのうちの一つは松竹定款に関するもので、10月18日から始まっているものですが、11月20にも、新しいアタックがありました。むかしはね。すぐブログにかいて、始末をつけたものです。そして、出かけたり、相手に会ったりはしませんでした。つまり、デジタルというか、抽象的解決で済ませていたのです。ところが、この件は、今回だけは、出かけたり相手に会ったりしています。でも、どうしてそうするかは、いまだ書けません。

 ここで、なぜ、それが、書けないかというと、ちゃんとした理由があるのです。12月1日に松竹から、さらに激しい、かつ、新しいいじめ策が来るかどうかを待っているというところなのです。しかし、これが、書くかどうかが、悩みの種でした。大学時代の、たった300人という同期生の一人で、NHKで、出世した男子学生が、メルマガ時代に、こういう忠告をしてくれたのです。「礒部さん(私の旧姓の事、男子学生は、同期の或る女性が結婚をしたと言うことも、その後の新しい姓をも知らない人も多いから、旧姓で、呼ばれていた)、ことだまと、言うものを知っているでしょう。あなたが今、苦しくても、それは、書かない方がいい」と、言う忠告です。

  それは、以下のリンク先、の冒頭で、書いてあります。

阿波踊りの見物席が建築基準法違反だと言うnewsの裏にあるもの・・と・・産業廃棄物処理法案の改悪は前田清子さんをサポートする為ですよ

2023-11-18 21:43:35 | 政治

 しかし、彼が忠告をしてくれた時期から、すでに、15年が過ぎていて、私への攻撃は、いやましに激しくなっており、したがって、友人としての彼を捨てて、ひたすら、自分を守る直接的な、文章を書く様になりました。攻撃してくる人の実名も無論、書きます。というのも、えん罪逮捕もありというほどに、敵さん達の悪辣さが、深さを増しているからです。私が留守の間に、東横線、反町駅徒歩7分のところに持って居る、小さなアパートのトイレが壊されました。合いかぎを持って居る人間が入って、重い便器を、ずらしたのです。ですから、トイレットペーパーを流そうとして、レバーをひねると、床一面に、水の洪水が出来るという始末になりました。買いなおすと工事費入れて、20万円ぐらいです。一方、安野家など、屋根をふき替えるのを、只で、(=税金で、)やってもらっているでしょう。ものすごい偏波です。どうしてかというと、私が書いていることがすべて、真実だからです。ですから、日本を植民地国家として、この国から利益を得ている、軍産共同体と、その頭脳部分をなす、CIAは、私を殺したいのです。非常に間接的な方法でね。つまり、暗殺とは見えない手段で、殺したいのです。

 松竹の小川課長が、定款というものを大上段に振りかざして、「あなたは、松竹が求めている写真削除命令に従わなかったから。歌舞伎座には、いれません」というのも、その、ひそやかな、暗殺行為の一環です。警察も裁判所もCIAの家来なので、どうしようもないのです。

 しかし、本日は、このブログの推敲中で、二日目です。で、歌舞伎を見ることを生でも、録画でもあきらめました。それで、割と、重要な事を書くことができる様になったのです。で、副題2から、それを、書いて行きましょう。ものすごい引っ掛けです。罠です。恐るべき多重的いじめの話です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

尚、削除を求められたのは、以下の写真です。


 これは舞台の写真でもないし、役者の姿も映っていません。また、人気の高い演目でもなさそうです。客席に空きがあります。

 でも、これを引っ込めないと、まるで、道路に見える玄関前・広場にも入ってはいけないそうです。不条理極まりないです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『今からかく予定のことは、生の歌舞伎も見られないのだが、録画放送(=衛星放送)も、12月から、視られなくなる可能性があると言う事。

 まあ、それに関して、ひどい、だまし討ちが、また、周到に、準備されているらしいと言うこと、です。私はほぼ、一か月以上前から、それに気が付いているのですが、防衛が出来ません。

 私は10月22日に丁寧に、松竹定款を読みました。恐るべき文章であり、こんな責め苦は、絶対に課せられるべきではないと、確信しています。でもね。一回喧嘩した(2023-10-18)ので、二度も三度も喧嘩をするのは嫌だから、黙っていて、衛星放送を、視た方がよい。スカパーを経由するから、商業的契約でしょう?と、考えて、スカパーを申し込もうとしました。

 前に衛星放送を見ていた時期もあるのです。あのまま、契約を継続しておけばよかったのですが、まさかライブ(=生)の歌舞伎を見られなくなるなどと、夢にも思っていなかったので、契約を切ったのです。理由は、敵の攻撃が激しくて、ブログを書かないとならないので、録画番組は、主にニュースを見るだけでも、大変で、歌舞伎まで、録画を見ている時間がなかったからでした。で、5年間ぐらい、歌舞伎専門チャンネル、衛星放送を取っていたことがあるので、今回の契約との違いを、理解できるのです。

 まず、人間が対応してくれたのですが、非常に親切で、一か月間だけ無料だから、その契約をした方がいいと、言います。しかし、只ほど高いものはないのです。一か月間だけ油断をさせていて、12月から、だめですと、言われる可能性を感じたので、「今から本契約をしたい」と言っても、だめだそうです。その最初のやり取りから、罠の存在を感じ取って、不安だったのですよ。しかし、邪推かもしれないので、相手に向かって、もしかしたら、12月から契約できないと言われるのではないですか?と、言う風に、はっきり懸念を、言うわけにもいきません。

 しかし、本放送を、見始めると、懸念が深まるプログラム構成でした。以前はね。一か月4~6演目が、公開され、一か月に、4回ぐらい繰り返されました。ところが、現在では、12演目ぐらいが、公開されるのです。二倍か、三倍ですね。大変サービスが、高いです。ところが、一つ目の演目では、画面上の出演者に、役者名のテロップが重なっていたのですが、次の演目から、それが消えました。

 ああ、私のことをよく研究しているなあと思いました。2023年になってみると、録画番組の中に出てくる歌舞伎役者は、端役を別にすれば、ほとんど知っています。  すみません。今、睡魔に襲われて書けません。あす、じゅうじつさせます。

 

 

 

 

@@@@@@ここが第一の書きかけ中の最先端です。以下はメモです。

そのほかの三つの重要な案件というのも、ぜんぶからだをつかわないといけないものでした。でも、その最初の案件の余波なのか、ほかの三つの重要な攻撃も、すべて相手と直接交渉をしているので、ものすごく時間がかかっており、したがって,ブログを書けませんでした。

 で、本章は、その4つの重要な攻撃案以外の、小さい案件を先に取り上げて書いてみたいです。

 特に、皆様にとって、わかりやすいのは、NHK番組を使ったものでしょう。で、2023-11-23日は、二つの番組が相鉄特集を組みました。これが、関東だけの放映番組なのか? 全国に共通するものかどうか? は、私は、知りませんが、例のサブリミナル効果を狙って、私を攻撃し、その裏面として、一般の日本人を洗脳していくという番組です。早朝六時十分から、NHK総合チャンネルで、蒲田駅の改札口前で、椅子を出して、対話する番組と、9:30 BSPの【鉄オタ選手権、相鉄特集(再 )】です。

 この番組が、二つとも、サブリミナル効果を狙っているとすれば、CIAエージェントが、表現したい真実は、どこにあるかというと、私の西隣の白井達雄さんを、持ち上げて、その結果、私が最近、書いている、または、書こうとしていることをテレビの力を利用して、つぶしていこうとする目的です。つまり、・・・・・白井さんって、偉いんだなあ。だから、私が何を書いても、こっちが、変な人だと思われるだろう・・・・・と、私が考えて、自己規制をすることを狙われているのです。

 相鉄は、今、新しい線路を開いて、東急とJRの両方に乗り入れることにしたのです。これで、武蔵小杉と、日吉を押さえました。そして、日吉に向かう路線は、新横浜を押さえたのです。相鉄は、車用の、サービスエリアが、大人気である海老名から始まって横浜駅で終点だったものが、これで、山手線の東サイド(=東京駅)、および、西サイド(新宿、池袋)まで、時間を選べば直通することができる様になったのです。 また、私がその付属中学を卒業し、主人が、工学部、化学科と機械科の二科目を履修し、卒業している(一つは学士入学)横浜国立大学の最寄り駅ができました。羽沢横浜国大という名前です。横浜国大は、大学紛争時に、まじめな学生が、多いということ、赤城山の、山中の悲惨な、リンチ事件の関係者がいたことで、ゴルフ場などという地の利の悪いところに押し込められてしまったのです。で、通学が大変困難になりました。で、人気も落ちたし、入学偏差値も落ちました。そこへ、相鉄が、そばを通り、新駅を作りました。日吉駅と慶応の関係など、ものすごく近いでしょう。駅ができたことは、うれしいことだったが、実際に乗車してみると、徒歩15分以上という形でした。がっかりです。

 まあ、相鉄が、それほどの、資金力があるのは、沿線が、比較的後発で、開発された住宅地が多いので、価格が高かったことと、寂れ切った駅だった横浜駅の西口を一大商業圏にして、そこに入店しているショップから、地代や、テナント料を取っているからでしょう。それで、伊勢佐木町が落ちぶれました。

 ところで、白井さんが、勤務している設計家の集団(会社)、松田・平田設計事務所は、日本最古のその種の会社というほかに、相鉄を顧客にしているのです。シェラトンホテル、ダイヤモンド地下街(最近ジョイナスと改名・・・・・それも、むろん、わたくしのブログを、つぶすための一環でしょう)、ジョイナス、などの設計他、今度、横浜一高いビルになる、鶴屋町のタワマンも設計している、会社の稼ぎ頭です。で、重役にして、横浜支店長です。ところで、その達雄さんですが、すこぶる、品が良いです。

 しかし、意図せぬ罪が一つ、それから、意図も意図、謀略も謀略という罪のある紳士であり、夫妻です。ここで、いう罪とは、日本の警察が逮捕するぞというその手の罪ではなくて、キリストの言う原罪という種類の罪です。この人の奥様が、表札には、小野寺と出ていて彼女自ら、「夫婦別姓なのです」と言って居ました。しかし、それは、東大卒の彼女が、どこかで教えたり、または、クライアントの設計をひき受ける際に、つかうなまえであり、戸籍上の名前は、白井になっているはずです。登記簿の、白井なにがしという女性名義は白井達雄氏の母親ではなくて、彼女だったでしょう。ああ、ローンは、一括返済済みです。しかし、その一括返済は、安野家、前田家、平木家に、降りている税金を使った、お金と、同種のものであった可能性・・・(すら)・・・・感じています。

 ところで、最近、私が主役としようとしているのは、プロの画家と呼んで、実名を書いていない男性です。悪辣すぎるので、実名を書いていません。実名を書いているのは、まだ、救いがある人たちです。なお、岸田淳平氏ではありませんよ。

 岸田氏は、プライドもあるし、良識もある人です。だから、岸田氏から、以下の様なセリフを、しかも、へらへら笑いをしながら浴びたことはありません。しかし、プロの画家は、笑いながら、「この山の人は、みんな、・・・・川崎さんが離婚をする・・・・と言って居るよ」ですって。しかし、事実上は、彼の奥さんこそ、長期(10年以上)にわたって、家出をしているのです。彼は、養子で養母さんがいます。その養母さんと奥さんの間に嫁・姑の対立があるのだろうと、みんなは、うっすらと思っているでしょう。しかし、違いますよ。

 その奥様は、白井夫妻が転入して来るまでは、自分は、一頭、地を抜けたお姫様だと、信じていました。安野智紗夫人がボスですが、安野夫人の方が、この女性を敬遠していました。丸め込めないというのがわかっていたからでしょう。それと、育ちが違う。真正面からぶつかると、安野夫人の付け焼刃、的、上流階級夫人振りは、バレバレに、ばれてしまいます。

 この奥様は、10歳ぐらい、安野・前田軍団より、年齢が若いです。それをいいことにして、安野夫人は、彼女が、自分が、構築している井戸端会議に、参加しなくても、許していたのです。そして、この画家夫人は夫人で、「前田さんが、大学院でですって。だけど、都立大学でしょう。それって公立でしょう。学費が安いわよね。じゃあ、ダサいわよ。いなかっぺでしょう。私は女子美です。女子美って、お嬢様度が高いのよ」と、考えて、この山一の、お姫様待遇を味わっていたと思います。ほかの家の奥様でね。彼女よりももっと、家柄も育ちもよい人(例えば芸大卒)の人が、引っ越してきても、「ふん、芸大って、国立ですよね。しかも、男女共学です。女子美の方がある意味で、上です」と、確信をしてたはずです。確かに、私も、この奥さんとは、別に、別の機会に、別の場面で、感じるところがあり、エッセーメルマガ時代に「女子美おそるべし」という一文を書いています。

 何が、すごいのかというと、結婚相手を、お見合いで、選ぶということが、卒業生に、徹底しているからです。芸大とかICUは、それじゃあなくて、恋愛で、結婚すべきだと、考えている女性が多いのです。そのうえ、女子美卒は、お茶大卒とか、東女卒に比較すると、入学時の偏差値が低いです。で、夫たる男性が、妻の才媛ぶりに、嫉妬したり、遠慮して頭を低くする必要がないと、みなされていて、それも、また、お見合い適性を高めています。で、お見合い結婚後の夫の社会的地位が高くて収入が高いと、お手伝いさんを雇えるし、個展も数多く開くことができます。で、大物画家化していくのです。瓜南直子さんなど、正反対の、人生を歩んだ人です。だって、芸大卒だから、思想や哲学で自分を縛っていて、それで、最後に大きな苦労を(お金の面で)味わった人です。

 ともかく、女子美卒は、名士夫人になる可能性が高いのです。しかし、彼女のその手の自信は、白井夫妻が、引っ越してきたとたんに、崩れたのでした。白井夫人の方に対しては、前田清子さんと同じで、「ふん、東大ですって。やっぱり、ダサいわ、いなかっぺでしょう」と、考えたでしょう。実際に、普通のestablished 家庭では、娘が東大へ行くのを阻止します。ところが、ミスター白井には、打ちのめされたと思いますよ。

 なぜかというと、自分の夫をミスター白井と比べれば、「ミスター白井の方が上だわ」と、感じざるを得なかったからです。東大とか、早稲田、慶応というブランド名に負けたわけではありません。つらかったのは美的才能があり、かつお金を儲けることができる男性が、この世には、実際に、いたのだと、いう事実を知ることです。それまでは、「才能だけが、一番です。私の夫にはそれがあります」という形で、それを脅かすものは、一切退けるという形で、自分がお姫様扱いを受けることを信じていたのに、白井達雄さんが引っ越してきたとたんに、「自分の夫は、たんに、さえない男というに過ぎなかった。エリートではなかった」と気が付いて、しまったのです。8050ママが、成果主義で、愛情の何たるかを知らない様に、この奥さんも、夫を愛していなかったのでした。彼の方も、お嬢さん以外は愛していませんでしたね。

 なお、ここで、一気に、白井夫人に飛びます。

 白井夫人と、その・・こきゅたる・・男性(女子美卒夫人が家出をしたのには、社会的に、非常に地位の高い男性からの、誘惑があったと推察しています。それも、家出の理由の、ひとつでしょう)と、仲良くしているので、何とも、こそばゆいというか、なんというか、見ていてたまらないのです。(苦笑)

 それは、マルハニチロの、冷凍食品に、毒物が入れられた事件のころから顕著な、行動様式だったのです。

なお、なぜ、NHKが相鉄を過剰に持ち上げるかというと、白井さんが私に対してやっていることを、そろそろ書き始めたからです。以下のりんく先の文章の、副題3に、それが、少しですが、書いてあります。

続・・・・CIAの家来達は、自分の足を食うと言う蛸に似ている。新謀略を作り出す度に古い謀略の秘密が解けるのだった

2023-11-19 23:12:04 | 政治

ところで、この一文は、非常に長いうえに、あれこれの、テーマが複層的に入っています。それで、初稿の段階では、何を書いてあるのだろうと、疑問に、思った程度で、パススルーされた方も多いと推察しています。でも、私としては、渾身の力を込めた、重要な文章となりました。本日のこの章は、未完です。で、上のリンク先を代わりに、読んでおいていただけますと、幸甚です。

@@@@@@ここが第一の書きかけ中の最前線です。

 

 で。次は、15日に現れた安野夫人+ 花輪夫人の攻撃です。しかし、これは、別章で書きましょう。合いかぎを安野家が持っている問題に入っていくので、とても大きな問題なのです。

 で、ちょっと時間は飛びますが、たぶん19日に腸詰屋が、大きな歌舞伎公演のポスターを大々的に張りました。数か月引っ込めていたのに、こっちが勝ったぜと、思っているCIAエージェント=伊藤玄二郎=が、渡したか、喜熨斗なんとなんとかしという、鎌倉在住の人物が渡したのかもしれません。喜熨斗何とかという人物は三代前には、猿之助一族の親戚だった、人物です。

 つまり、これは、私が歌舞伎座に入れないことになったのに、敏感に呼応した、心理的いじめです。そして、何度も木挽町近辺に行かないとならなかった、交通費と、前売り券を持っているのには入れなかったといういみででは、少額ですが、お金を損させてやったぜ、ザマあみろと高笑いしている敵の、心情が、この腸詰屋の行動に現れているのです。で、私は、このブログの下書きボックスに、この件を書きました。すると、それは非公開なのに、腸詰屋が、22日は、少し下に下げて、半分隠れる形で、歌舞伎座12月公演のポスターを動かしました。

 で、

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松竹の課長の言う事を聞かなかったのは、以下の四人の写真を引っ込めさせられたら大変だからだった

2023-11-22 02:00:27 | 政治

副題1、『昨日、昼間から(=午前中から)新しいものを書き始めています。しかし、CIAエージェントを相手にしているので、すべての現象は、お互いに、引っ付いていて、はがせません。それで、あっちこっち、横跳びをします。前報は、それで、午前二時になっても未完です。非常に重要な章なので、いったん引き上げます。その中で、独立していると思う部分だけを、ここに抜き取り出して、一章とさせていただき、22日の、公開用文章とさせてくださいませ。横っ飛びをした、部分です。なお、途中で、引っ込めたものは、必ず、また、公開へと持っていきます。

松竹の課長が引っ込めよと言った写真は、最後に置きます。そして、彼の言う事を聞かなかった、理由を、説明する写真をここで、起きます。四人の人物の顔を写したものです。

というのも彼が削除せよと言った写真を削除すると、以下の人物写真も削除しないといけなくなる可能性があるから、言う事を聞かなかったのでした。

上のぼんやりした写真は、スーパー東急のレジ打ち担当、Ms栗原です。ある日、一階で、ペットボトルを買ったときに、私は小銭、特に一円を使いたいので、お財布の中を探しまくって、手間取ったのです。すると、彼女は、左手で、ぴゃーっと小銭を、前へ向かって払い投げたのです。『200円以下の買い物に、200円出さないで、一円を探しているなんて、何よ。貧乏人目』と思ったのでしょうね。いかにも軽蔑しきった眼で、かつ、軽蔑しきった態度で、小銭類を前にいる、しっかりした店員に投げたのでした。当時は今と違って、金銭を払い込む機械は置いて居なくて、レジ担当と、金銭授受は一人で行うのですが、大変混んでいるレジには、その人の前に、袋詰めする女子店員が居たのです。栗原嬢は出来が悪いと思いますよ。お客に対してもこれほどのいじめを行うのですから、同僚に対してもいじめを行っていると思います。で、重要なところは任せてもらえない時期だったと、私は推察しています。今は反省して自己改良をしたのかな? 普通の店員さんと同じ扱いを受けていますけれど。私は何でも、物事を深くわかる人です。瞬時にわかる人です。だから、瞬時にこう考えました。『これは、ひどい。たとえ、126円でも、私はお客であり、彼女はスーパーの店員だ。スーパーというのは、他店との競争の激しい場所で、しかも、サービス業でしょう? 東急と拮抗するのは、鎌倉では、元街ユニオンですが、元街ユニオンにもお客は多いし、これは、東急としてはまずいですね』と。

 この時私はね。警察が尾行を既にやっていて、私の行動をつぶさに見ていたとは知りませんでした。それとね。警察がCIAの家来であるとも知りませんでした。

 だから、何の懸念もなく、「支店長を呼んでください」と、言いました。126円と言えどもお金はおかねです。それと、私の方をまっすぐ見ないで、斜め横から、いかにも軽蔑をした風に見る。そういう事が許せなかったのです。私は自著を六冊、自分が出版社になって(儲けは一切ないのだが)六冊も出版をしています。自宅で妨害を受けていたころもあって、大金を使っています。それとニューヨーク研修、3か月二で回も、大金を使っています。だから、自分を貧乏人だと思ったこともないので、誇りは高かったです。また、それを決行する自由を得るために、逗子で一人暮らしをしたので、それでも大金を使っています。MS栗原の貯金通帳、または、預金通帳に、数百万円×7つはないと思いますよ。しつれいながら。株や不動産を合わせると数千万円を持って居ました。今は、あれから、15年は経過しているので、減っていますけれど。

 で、支店長はいなくて、副支店長が居るとのことで、やってきました。その後、女性店員と同じ格好をした女性が、支店長だと言う時期もあったので、しかも、副支店長がくるまで、相当な時間がかかったので、あの時やってきた、薄いグレーのスーツを着た、固そうな性格らしい30代後半の若者は、東急本社勤務の正社員で、本当は支店長だったのだけれど、私に対しては、副支店長と名乗らせただけなのかもしれません。そういう風に今では思っています。東急の本社勤務の若いエリート男性の修行場として、スーパー鎌倉支店が選ばれている可能性も感じ取っています。では、誰が、彼に嘘の肩書を名乗らせたかというと、警察の筈です。

 さて、その後、警察は、このMs栗原を、数百回、嫌がらせ用に使う事となります。どうしてかというと、私が雪ノ下二丁目の谷戸で、展開している悪辣なことを詳細に書くので、CIAエージェントたちは、弱り切っているのです。でも、私の方が・・・・・神経質すぎる人間で、一種のクレーマーなのだ・・・・・とすれば、あらゆる悪事が、変換して、彼らは、悪くないとなります。で、そういう風にしたいのだと、言う意思を示し始めます。それが、夜遅く帰って来て、スーパーの一階(夜10時まで開いていた。そのころはだが)によると必ず、MS栗原がレジを担当しているのです。『彼女がブログで、その人物の悪行を書いた、当人と顔を合わせると、きっと、気まずいだろう。それを繰り返せば、彼女は、耐えきれなくて、ノイローゼになる筈だから、自分で、精神病院へ駆け込むはずだ』と、考えられていて、Ms栗原が使われたわけです。

 彼女のこの写真がぼんやりとし過ぎているので、ある日、もっと、近距離で、焦点もあっている写真をスマホでゲットしたのです。今、JPEGファイルは、すべてが、クラウドに乗ることになっているので、警察庁は、この事実に慌てたのです。警察の悪だくみを丁寧に、わかりやすく書くことができる私のこれから先の文章を恐れてはいるのです。

 で、Ms栗原の、しっかりしたお顔が移っているスマホは盗まれました。それを、今から外出しようとしている時に、玄関(一階)の上がり框において、二階にもう一回上がって、主人と何かをしていたのですね。そのたった15分の間に、合いかぎを持って居る人間が、侵入して盗んでいきました。これは、最近説明をし始めた、サーモスタット機能を使って、私がこの家の中でも、どこにいるかを把握できるからの話です。一方スマホは、そのGPS機能を使えば、どこにおいてあるかが、敵さんに明瞭にわかります。その上、主人のスマホを盗聴器に仕立て上げれば、私が、主人に、鶏のから揚げは上げてから外出するわ。五時半まで、帰ってこられないといけないから」とか、言っているのを、把握できます。

 この後で、私は契約中のソフトバンクに向かいます。すると必ず傍を通るケンタッキー・フライド・チキン横で、例のプロの画家が待っているのです。曲がり角から、ぬっと顔を出して脅かします。彼は、昼間、とか、早朝早く、魚市場に行きそれ以外の日は、大体午前中自転車で、鎌倉市内を逍遥します。よる外出することはほとんどないのです。だから盗んでおいて、私の心を知りたいのだと思います。ただ、盗みについては命令で、行っているでしょう。誰からの連絡で、それを行っているかは、まだ、わからないとしておきます。ただし、おおもとの、命令者は、警察か、鎌倉エージェントの、特に公的には、自分を死んだことにしている、が、本当は、まだ生きている井上ひさしでしょう。

 このスマホは、数か月後、横須賀警察署に届けいれがあったとのことで、行きました。拾った人間の名前や、時刻は皆目知らされずです。しかし、これは、盗まれたものです。誰が盗んだのか、指紋を照らし合わせてください。などとは、質問をしていません。本当の泥棒ではなくて、ご近所様だから、警察に、指紋が、把握されている人物でもないからです。ともかく、そのプロの画家は、スケルトンがないので、自分がどれほど、汚いことをやっているかという、判断ができないのでした。2003年ごろから、そういう傾向は始まっています。

 なお、このプロの画家とは、井上さん(ペンネーム、岸田淳平氏)では、むろんありません。売るために絵を描く人です。技術力の高さを誇っている人物です。そういう絵が、わかりやすくて、喜んで買う一定数の人間が居ると言う事でしょう。

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 上はNTTドコモ大船笠間口支店の、Ms加藤、主人が心筋梗塞で、大手術をしたので、鎌倉雪ノ下の谷戸には住めないと判断をして、北久里浜の旧宅に引っ越す準備を重ねたころ、北久里浜に電話を引き、インターネット環境を設定したくて、訪問をしたショップに、大船警察署の生活安全課の課長が隠れていて、電話を北久里浜に設定をさせない様に手配をしていたらしい。私が、上野写真に登場するMs加藤に防衛をされて、ちっとも、仕事が進まないので「支店長を出してください」と言ったら、もう帰ったと言うので、「午後三時に、支店長が、帰ったと言うのはおかしい。カーテンの影に、大船・警察署の生活安全課の課長が隠れているのでしょう。だって、このショップって、裏に出入口用の、ドアがないのですよ。川があるギリギリのところまで使って、建設されているビルだから」と言ったら、やっと支店長が出て来て、申し込みが進展しました。瀕死の病人を助ける為の行動でさえ、阻止しようとする警察って、何ですか? 私は泥棒行為にさんざん苦しめられていますが、自分の方で、何かを盗んだ覚えはありませんよ。でね、なかなか、進展しない時間帯に、もっとも虐める人間が上の女性なので、「あなたのことをブログに書きます。それが事実である証明として。あなたの写真を撮影します。いいですか?」というと、自分は警察が裏に控えていて、正しいことをやっているつもりなので、「いいですよ」と言ったので、撮影をしたのです。ところがね。大船警察署の生活安全課の課長って、小学生みたいに単純なのですよ。しっかりと委細を、このブログで書かれると、びっくりして、このショップを移転させました。

 その上、桜田門自体も、へまをしたと認識したらしくて、私に謝罪をするどころか反対に、NTTドコモの株式上場を廃止したのです。NTTドコモを叱ると言う形で、自分たちの悪行を隠ぺいしたのです。それらの騒動を象徴するのが、この女性です。自分でわかっているかしら? 自分がNTTドコモの、株式上場を廃止させたのだと。

上は、私が特殊なルーターが置いてある家と判断をしている旧石井羊一邸を、一時期名義人として借りていた、竹内啓貴君。これは、NHKTVに、二度目として現れたもので、新幹線焼身自殺事件の時にも表れた。上はやまゆり園の建物が壊されたことを報告するニュース画面での彼。たぶん元市長・竹内力氏(元朝日新聞勤務)と関連がある人物。息子か、甥の筈。

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 この写真の主は、最近、よく登場する前田清子さんの夫、祝一氏です。駒澤大学のフランス語・フランス文学の教授、彼は恐れ入る事に奥さんの、矯声の、連発によって、盗まれてしまった我が家の土地の上に立っています。恐るべき、シャーシャーぶりです。これは、テレビ番組から撮ったものですが、テレビ画面に登場する限り、それが、免罪符になると、思っています。ここらあたりは、雪のした黒物語を始め、方々で書いています。

 これは、前田家の崖、南西の角です。これは、建築基準法に違反をしているそうです。我が家の北側に、1984年には、すんでいた、藤本悌子さんは、そう指摘して、前田清子さんに復讐を始めました。この建築基準法違反の築土をしたのは、前の住民です。その家の奥さんは、ご近所男性を相手として不倫をしてしまったそうです。例のプロの画家が、私に教えてくれました。だから、慌てて、引っ越した上に、建築基準法違反の建築だから、とても安く売ったはずです。ところで、私が書庫整理を頼まれた教授たちは、都内の山手線の内側に住み、敷地は、200坪ぐらいある邸宅に住み、奥様が、ご近所の道路に出て、井戸端会議に参加し、大声で、あれこれ、くだらないことをしゃべるなんて、ありえませんでした。前田清子さんは、ともかく、先祖は、学者ではなかったと見えます。

 ともかく彼女と、井戸端会議を開くのを企画した安野智紗夫人の二人によって、我が家の私道部分は、コンクリート打ちにされ37年間使えないこととなりました。

 上の写真は、まさにその使えなくなった我が家の私道部分で、立って、話をしている図です。それによって、自分の妻がやったことが洗浄化されると、考えて居るのでしょう。

 この番組はテレビ東京が企画したもので、どうせ、石塚雅彦さんのアイデアでしょうから、CIA側の作品です。前田氏は、私より早死にをしたと言うだけで、その人生を楽々と過ごした模様です。是だけは不思議なことです。後註1へ。

だから、私は、松竹・小川純一課長の言う事を聞かなかったのである。それで、歌舞伎座の玄関前の、道路だと思ったところからも、・・・ここは松竹の地所だから、入ってはだめ・・・・と言われて、追い出されるほどの残酷無比な、仕打ちを受ける。と言う、そういう憂き目を見る。でもその陰に、今から書く、60年前から、計画されていた、金銭と土地をめぐる、実質的な大詐欺事件があり、その真実を私が知っていることが大原因としてあるのだ。で、それを今から書いて行こう』

 その追い出された嫌な嫌な日付は、2023年11月15日が最後で、それ以降、歌舞伎座には行っていません。が、その問題を解説するために北久里浜の大・実質的詐欺事件を書き始めるのですが、午前三時までは、絶対に終わらないので、いったん引っ込めます。

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続・・・・CIAの家来達は、自分の足を食うと言う蛸に似ている。新謀略を作り出す度に古い謀略の秘密が解けるのだった

2023-11-19 23:12:04 | 政治

 この章も途中で、総タイトルを変更する可能性があります。最初は、【戦時中は産めよ増やせよという国策があり、】でした。 今、20日の午前一時ですが、二番目のもの【横浜銀行の改名は上滝家+その部下としての遠藤家と私との関係を、CIAが悪利用をした結果である】といたし、さらに、午前一時半に、上記の物へと変更しました。

副題1、『戦時中は産めよ、増やせよという国策があり・・・・・』

 今は、ビッグママとか、ビッグパパと言って、子だくさんの家庭が、それだけで、テレビ番組になる時代です。子供の数の標準は、時代によって違います。が、ずっと、長い間、三人が普通だった筈です。1950年ごろまでですが。で、私が1970年代に、自分の子供を産んだ頃は、三人の子持ちの家庭は、裕福なのだろうなあ?と、他人に思われる、ご家庭となっていました。私もそう考えて居ました。だけど、うらやましいとは、思いませんでしたよ。子育てって、それなりに大変ですから。概観ですが、1990年ごろまで、二人が標準だった様に思います。ところが最近は、子供を持たない、とか、作らないとか、生まれないと、言うご家庭が増えている模様です。

 でね、戦時中は、産めよ増やせよの時代で、7人兄弟です。という人が多数いたのです。戦争に使う兵士が、たくさんほしいからでした。死んでしまうでしょう。だから、多数の男子が必要だと、考えたのです。このスローガンを、一種のコピーとして考え出したのは誰だろう?

 ところで、なぜ、7人兄弟なのかというと、健康で、妊娠可能な女性が、20歳ぐらいで、お子様を生み始めるから、閉経まで、7人ぐらい、生まれるのだと思います。

 1942年生まれの私には、兄弟が、7人いますと、言う学友、または、ママ友は、結構多かったのです。

 しかも、私は、そういう兄弟の多い家庭で、育った人の内、特に七番目のお子様として育ったの人と、お付き合いする羽目になりました。偶然ですが、そうなったのです。鎌倉に来てから付き合った人の場合、ものすごくわがままなのです。でも、彼女自身それに気が付いてはいないでしょう。「姉が、近所に、家を構えているのだけれど、何かにつけて、私を注意するから嫌だわ」と、言っていました。私は、それを聞いて、「あ、お姉さんは、わかっているのだ」と判断をしました。彼女は、良く、「お茶しない?」と、電話をかけて来たので、駅近辺で、だべリングをしました。だが、この人の悩みは、フロイトの、言っているエレクトラコンプレックスなので、忠告をするなんて言うものではないです。大体母親と娘は、母親と息子よりは、関係が悪いものです。だから、私の役割は、彼女のタン壺という感じです。

 で、私が前報と、前々報で、とことんという形で、分析した、お子様を、引きこもりにしてしまった、大学時代の学友も、兄弟関係としては、7番目の末っ子なのです。この人は、上記の人の特徴だった、わがままと、言うのとは、ちょっと違います。言葉遣いは、大変丁寧で、おしとやかです。良質な聞きやすい声で、せっかちでもないです。

 しかし、七番目のお子さんです。だから、かわいがられて育っていて(?)、他人を思いやるとか、他人の心中を推察すると言う事が出来ません。それが、私が言うところの、彼女は他人を愛せないのだと、言うところに繋がってしまうのです。そうです。7人ではなくても、五人でも、兄弟の多い家の末っ子として育った人は、他人を愛せません。

 特に親が、彼女らに声をかけないので、そうなるのです。五人目の子供とか、七人目の子供とか言うと、褒めるにしろしかるにしろ、注意するにしろ、ほとんど、声をかけないし、言葉もかけないのです。無関心というか目を向けていないのです。だから、長女である私から見ると、ずいぶんと、鈍感だなあと、言う事になります。だけど、私の方から、あなたは鈍感よなどと、注意することは無論ありません。

 この兄弟関係が、その人の行動や、性格を規制すると言う話ですが三人目のお子様という立場が、もっとも、感じの良い人格になります。親が成熟してから、産み育てるし、これが最後だと、思うから、特別に、大量の愛情を注ぐからです。

 でね。二番目の子供が、特に損をするみたいです。ご本人が、苦しみを味わうみたいで、ひがんだり、他人に嫉妬しやすくなったりします。でも、とても不思議なことに親を大切にします。シェークスピアのリア王で、親を大切にするのは三女でしたが、日本の普通のご家庭では、次女とか次男が、親を大切にします。堀文子さんとか、中勘助がその典型です。

 この二人は、長子偏愛の親を批判しています。しかし、一家が、苦境に陥った時に、一家を支えるために、動くのは、文子さんであり、勘助でした。

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副題2、『さて、私が、8050ママ(仮名、お子様を引きこもりにしてしまった学友)に、「協力しようよ。電話でね。で、協力して、この苦境を乗り切ろうよ」と、提案した時に、

 まず、何を困っていたかをここで、一つ、語ります』

 これはね。養老孟子先生にまで、繋がっていく話なので、一面として、大きな政治を含んでいます。その上、CIAエージェントの特徴が判ります。だから、語らせてくださいませ。

 一例目は、毎日、毎日、我が家で、お菓子を盗み食いして、絶対に、私の、注意を聞かない女の子のケースでした。この子も親に愛されていない子供の典型でした。お兄ちゃんは、幼稚園に通わせてもらったのに、この子は、お金をけちるために、幼稚園に行かせてもらえなかったのです。

 一家の名字は、上滝さんと言います。これをはっきりと書くのは、そのお嬢さんは、現在54歳ですから、むろん結婚をしていて上滝という名前ではないことと、横浜銀行と東日本銀行の合併は、このお嬢さんのケースをブログで、書いているから、CIAの御大、瀬島龍三が、計画した案件だろうからです。私が、このお嬢さんには、本当に困らさせられたと、書いているからこそ、瀬島たち、CIAエージェントにとって、このお嬢さんの父である、男性が、当時勤務していた、ときわ相互銀行(のちに、改名して、東日本銀行となる)と、横浜銀行を合併させ、

 コンコルディア銀行と、本体をも、改名させ、結果として、浜銀の地位を下げているのです。今、浜銀、鎌倉支店は改装中です。どうも一階と二階を貸すらしいです。そのスペースは、銀行ではなくなって、何かの、お店が入る模様です。浜銀の新橋支店と同じ様になってしまいそうです。

 無論、私が言っている事とは別に、ビットコインなどの仮想通貨に、富裕層が、資金を移動させていることと、NIISAなど、政府が積極的に、株へ、資産を移動させようとしていることも、あるでしょう。また、金利が低いことも、銀行にとっては不利です。でもね、浜銀鎌倉支店を舞台として、私はひどいいじめを受けています。五回ぐらい、あまりにひどいので、文章化しています。それで、やっと収まっていますが、その代わり、みずほ銀行、SMBC銀行、ゆうちょ銀行などに、いじめやさんが移っています。

 でも、私自身には、それらの銀行からいじめられる原因がないのです。ですから、彼らが、そう動くのは、警察の命令でしょうが、私は無論、警察の御厄介になる様な罪を犯していません。で、私は、日本の警察は、CIAの家来として動くのだ。CIAの別動隊として動くのだ。と、気が付いてきています。

 でねえ。そういう風に私をいじめる方向へ動くと、必ず、その組織は、衰退に向かうのだと、何時も、この四角い箱の中で、書いています。その一例ではないかと思っています。

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副題3、『白井達雄さんが設計した建物は、施主に経済的な、利益を与えないだろう。事前の予測計算値に反してだ』

 特にその建物は、我が家の西隣の白井達雄さんが設計したそうです。これはね。1977年も私の目の前に(横浜法務局・横須賀支所の閲覧室)に姿を現した、瀬島龍三の一番弟子でしと思われる、おしゃれな男性が、40年ぶりに大船のミスタードーナッツに姿を現して、自宅だとあまりにシステム異常が起こされて、できない仕事をするために、パソコンを打っている私にそれを告げたのでした。その時、「白井さんは、日本三大設計会社の役員で偉い人なのですよ」と、彼は言っています。

 それを覚えていた私は、京アニ放火の何週間か後に、青葉真司が、大阪の病院へ転送を目的で、ヘリコプターに乗っている映像を見ていて、その6時間後ぐらいに白井達雄さんの、勤務先を特定したのでした。その大阪の病院をまず、写真から、特定します。700~800床の大病院となると、大阪でも数は、おおくないです。近大附属病院でした。

 ただし、今では近大附属病院は何か所かある分院の内、小さいものの写真をネットに載せるものとして、使っていて、この大病院は、隠しています。それも、私のブログゆえに、CIAから命令を受けているからでしょう。

 そのwikipediaを、読んでいるうちに、BCS賞というものを受賞をしていることが判りました。でね。瀬島龍三がお気に入りだったおしゃれな男が、「白井さんは、日本三大設計会社に、勤務しているのですよ」と言っていたので、BCS賞の過去記録を調べたのです。まず、上位三社を、チェックしました。しかし、現在、白井さんの勤務している、松田平田設計事務所は、日本最古ではあるものの、日本三大設計会社という地位にはありませんでした。受賞数としてですよ。で、六位ぐらいまで、丁寧に、丁寧に調べて行ったら、白井さんの名前が特定できるし、白井さんの勤務している会社名も特定できる、受賞作品に出会ったのです。それ以前の私のブログでは、白井さんの勤務先は、日建設計かなと、書いて居るものもあるのですが、それは、暗中模索中の事でしたから、わかっていなかったのです。

でも、こういう事こそ、以前書き始めて未完成である、ブログ

CIAの家来たちは、自分で自分の足を食う蛸に似ている。新しい謀略をひねり出すごとに、前の謀略の、隠された秘密が、明らかになるのだった         2023-11-12 21:51:33 | 政治

の続きとして書きたかったことでした。

白井さん夫妻は、数多くのひどいことをやってきています。2019年10月13日が最大の物だったかな? これは、後で、詳述します。

 その結果、これは、設計マンとしては、致命的なミスだと思うのだけれど、彼が設計した建物は、施主に、事前の予測通りの利益をもたらしません。これは、すごいことですが、事実なのです。それは、ひどいことをやり続けているからです。CIAエージェントのもろ、手下となっていますから。👉 へ、続く。間に、事例を挟む。

 今、簡単に書けることとは、2014年6月8日、私が安藤てる子さんという、女性刑事(もしくは婦人警官)に、2011年から、だまされ続けて、やっと、2014年の、6月4日に蹴りをつけて別れられたのですが、(しかし、第一次フェイスブックのアカウント停止は、彼女の仕掛けた恐ろしい出来事が、発端だった。2021年2月11日に彼女は我が家で、夕食をとっていて・・一階の吐き出し窓を開けて、玄関から帰宅したのだった。彼女に、譲許説明のために、A4サイズのコピー用紙、40枚に書いた文章が、盗まれて、敵さん達に読まれてしまった。で、その時点で、どれほどの、真実を、鹿もどれほどまでに、深く知っているかを、確認した敵さん達は、それをフェイスブックで、発表されたら大変だと、なって、私のアカウントを停止したのだった。

 そして、私がフェイスブックにそのころは入れないことを知っていて開発チエさんが、返事を、フェイスブックで頂戴というので、開花亭に電話をかけて、返事が出来ないと言った。応答した男性が、社員だと、思い込んでいた私は、「あなたもチエさんと一緒に働くのは大変でしょう」と、言ったのだが(それは、チエさんが、強いヒステリーを内包している女性だからだが・・・・・・私は、彼女の投稿を読むだけで、そのくらいは、発見している人間だ・・・・)その男性が弟さんだったので(しかも彼女は、珍しく起きていて、そばにいたらしいので、激怒して、七通もの罵りメールをよこした。その罵り用は、激しくて、ハッキングしている連中が文字化けさせたほどで、しかもパソコンを一台壊されてしまった。証拠隠滅を図ったのだ。

 事前に私に対する悪口を聴いているので、バカにしきって対応をしてくるのだけれど、私は、非常に冷静で、しかもポイントをついた対応をするので、あまりに事前の予想と違うので、パニックに陥るのだ。

 石川和子さん(かまくら春秋窯主宰者にして、伊藤玄二郎の愛人)も、私の冷静極まりない態度と、猫が、自分より、私を選んだことに、ショックを受けてパニックに陥り、警官を私的家来として使って、警官に、「私の夫が私を叱る様に、夫に命令してください」などという、とんでもないお願いをして、それが、大ミステークだから、病院内で、二年後殺されてしまった。だって、猫を盗んでいるのは、彼女の方なのですよ。それなのに、自分がショックを受けた恥を、警官を使ってそそごうなんて、100年早い行動です。彼女には、そんなことをやっていい資格はない。文化勲章でももらったら、警官を使って人をいじめてもいいかもしれないけれど、文化勲章でももらえるほどに、鍛錬を積んだ人は、警官を家来にして、自分の猫泥棒が、つぶれた恥をそそごうなどとは、おもわないだろう。平沼高校卒だと、推察しているが、この山に住むと人間がどれほど、劣化してしまうのかの典型だった。安野夫人がボスだから、そうなる。彼女がボスである限り、この山の住民のバカ化は止まらない。私に対しては、最上級の礼儀を尽くさないと、あなたがパニックに陥る事となります。それが、過去例で、はっきりと既に証明をされています。保坂涼子さんもパニックに陥り、宇都宮和代さんも、「あなたは、栗田玲子さんと親しい?」と電話内で、問い合わせただけで、パニックに陥りましたよ。「知らなーい」と怒鳴ったのです。立正佼成会の学校の先生なのに。!!! そして、お茶大付属高校卒業のレディでもあるのに。あの礼儀知らずの電話応対は何ですか? 

 さて、ここで、安野智紗夫人が出てきました。白井夫妻は、2014年6月8日(日)に、安野家を夫婦で、訪ねてお寿司を取って、四人で六時間も歓談をしています。私はね、すべてわかっています。で、わざと見せつける目的があったと思いますよ。これはね。私道部分が使えないのは、安野夫人の井戸端会議が原因だと、書いている私に対する超が付くほどの嫌がらせです。

 でも、こういうことは個人の自由です。私が嫌がっても、彼らがやりたいのだったら、阻止できません。だけどね。じっと観察していると、白井さんが設計した建物は施主に、予想される利益に反する、結果をもたらしています。無論、彼が、設計した建物に瑕疵が見つかったら、国家の資金で、補修されるのでしょう。

 もっとも、すごい金額が出たのは、都筑区の傾きマンションの建て替えです。だが、これは、秘密裏にされていて、発表をされていません。で、はっきり、眼に見えるものを、ここで、問題にしたいと思います。

 2011年3月11日、福島県沖で、大地震が起きました。すると、ミューザ川崎の天井が崩落しました。白井さんの設計物です。私ね、福島を含む関東圏に、音楽ホールがいくつあるかを、今、計算しました。大舘村には、立派な箱モノが、いくつもあるので、音楽ホールは当然あるでしょう。しかし、原発地元という事で、国家からの交付金が莫大に出たので、村長がそういうものを作っただけであり、全日本的にみれば、村とか郡という区域には音楽ホールはないと、見て計算しましょう。市と、町にはあるとするのです。

 葉山って、町なのです。だけど、立派なホールがあります。で、もっと小さいものだったら各町にもあると思います。それから、特別は街(東京都、横浜市、川崎市)などには、区というものがありす。区民会館というのがある筈です。

 特に東京は、立派なものがあります。そして、鎌倉とか横須賀では、元の、公民館とは別に芸術館と名付けられた、本格的な音楽ホールがあります。でね、少なくとも、350個の公民館、文化センター、音楽ホール、芸術家と、名付けられたホールがある事に気が付きました。これ以上の数が、宮城県、岩手県、山形県を入れたらある筈です。ところが、ミューザ川崎だけ、天井が落っこちると言う被害が起きました。これも補修金が、国家から(特に官房機密費から)出た可能性があります。だから、白井夫人など、平気の平左で、私をいじめまくります。だけど、白井さん夫妻のひどい行動が、これを招いていることは確かです。神様は悪事を見逃さないのです。 

 さて、横浜駅西口には、ダイヤモンド地下街というのがありました。この経営者が誰だか、知らなかったのですが、最近、リフォームをされて、名前が、これまた変更をされました。ジョイナスへと。ジョイナスというのは、相鉄が経営するモールだとは、誰もが知っている、名前です。それが西口全体の、地下一階にひろがりました。

👉 ところで、彼は、今、横浜一高くなる鶴屋町のタワマンを設計し、それが、建築中です。相鉄と、東急が組んでいます。私が激しい嫌悪感を示しているからこそ、白井達雄さんには、いい仕事が降ってきます。でも、この鶴屋町のタワマンも、装丁上の利益を東急と、相鉄にはもたらさないと思います。理由はまだ伏せておきます。

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副題4,『上滝家では、奥さんが、優位らしい。その奥さんは、上の男の子はかわいいが、下の女の子は、かわいくない。前報で、山川栄子さんにしょっちゅう鎌倉駅まで、呼び出されてお嬢さんとの確執を聞かされたが、上滝家は、まだ、お嬢さんが反抗もしない五歳だから、それでいいと思っているらしくて、

 幼稚園に行かせない。で、当時の月額一万円の月謝を、投資信託等に回していたと考えられる。奥さんも専業主婦になる前には、ときわ相互銀行に勤務していた筈だ。だから、お金を貯めたいと思っている。子供の幸せよりも蓄財が大切な女性だ。』

 ここから、政府の幼保無償化が始まった。安倍総理大臣の時だったと覚えている。だから、最初は右翼的とみなされていて、警戒をされ、肉体に、外部から損傷を与えられていた(大腸炎を指す。自分の意思に反して、大便が所かまわず出てしまう病気・・・・・つまり、CIAエージェントは首相だったら、外交儀礼上、絶対に困る部分を攻撃して来ていた)人なのだが、2013年の二月ごろに、転向があったと考えて居る。それ以来、CIAエージェント、特に井上ひさしのアンに忠実な人となってしまった。井上ひさしは、公的には、自分を死んだことにしていますが、本当は生きていますよ。

 その案件は、谷垣禎一さんを通じて、安倍さんに、伊藤玄二郎から、伝達されたものである。安倍さんは、井上ひさしにとってのおもちゃだった。そして、最後には、井上ひさしのアンに基づいて殺されてしまった。お気の毒に、ただ、私には、そういう未来が見えていたので、2012年の12月ごろ、総裁選に立候補なさらない方がよいと言っていたのに、このブログ内で。だけど、谷垣さんが、それに反する方向で、安倍さんを動かしたのだろう。本当にお気の毒であり、CIAエージェントたちを、その言う事を聞く、一般人(ここでは、渡辺夫妻を挙げておこう。賢司、マキ夫妻の事である)の悪辣さには、本当に反吐が出る思いがする。

 その結果、幼児教育、幼児保育が金儲けのビジネスになってしまった。国家から、お金をもらえるとは、これほど安易なお金儲けの道はないのだ。で、通園バスに置き去りにしてドアを閉める様な事件が頻発した、熱中症とは、やけどの、軽度なものだと思う。核燃料の被害も同じ仕組み。そういう焼け殺すことを平気でする園長が出てきたのだった。

 子供とは、普通ならかわいいものだ。そのために働いて収入を得る。それは、当たり前のことなので、政府が支援する必要はない。特にお子さんのいない家との偏波が激しい。そして、日本はデフォルト(破産)に向かいそうだと、言われている。ああ、なんという愚民化政策だ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5,『私は子育て中のお母さんにこれは、絶対に守ってほしいと思っていることがある。ベビーシッターと、同じぐらいの負担を、遊んでもらった家の母親に与えているのだと言う事。子供が相手の家に上がって遊んだら、その日のうちにお礼を言いに行く事。働いていて、それが、できないのだったら、時々でもいいから、その母親と、会話をする。特にその時に、つよく、お礼を言っておく。心から誠実に。

 我が家のように相手の、お嬢さんより、二歳も年下だと、彼女がお菓子を盗むことに反抗が出来ない。恐ろしい事だった。。

 それでないと、自分がとんでもない恥をかく。上滝家のお嬢さんは、かわいがられていない上に、奥さんが資産形成に熱心で、日常生活の費用に関して、ケチだから、お菓子を買ってもらっていなかった可能性がある。それで、我が家で、常に用意してある五袋ぐらいの袋菓子の一つを盗んで、隠れて食べてしまうのだった。「10時には、必ず上げるからね」と言ってあるのに、盗むのだった。天袋に入れても、地袋に入れても、洗濯機の中に入れても見つけられてしまう。

 一方で、お母さんの方は、お兄ちゃんの幼稚園時代に知り合ったママ友と、一緒にお買い物に行くのだった。本当に腹が立った。偏愛の結果、私が、特別に大きな負担を負っている。なのに私にはお礼のあいさつひとつ言いに来ないで、鬼いいちゃんに関するママ友に、は、これ以上はない笑顔を見せる。或る時に二階の、押し入れの中で、隠れて食べていると、気が付いた。だって、家の中のどこにも二人の姿が無かったからだ。靴は、ちゃんと玄関に在る。一階では、私が家事をしているので、掃き出し窓から、外へ出たら、その物音には、私は気が付く。で、お母さんを呼んで、押し入れの戸を開けた。案の定、客布団のシーツを生キャラメルで、べとべとにしながらたった、30cmぐらいの幅の隙間に身を入れて、お菓子を盗み食いをしていた。今、考えても、袋をどうしていたんだろう。自宅のごみ箱の底の方にこっそりと入れておいたのだろうか? 非常に悪知恵が発達していた。

 後で、上滝夫人がご近所主婦に、「川崎さんったら、叱ってくれればいいのに、叱らないで、恥をかかせたのよ」と言っていることを知った。何を言っているのですか? 毎日叱っていましたよ。だけど、口だけでです。それを叱ると、言う事だと思うけれど、全くいう事を聞かないので、私は、この子って、つねったりして、しつけられているのかしら。私は痛い思いをさせないから、言う事を聞かないのかしら?と思ったりした。

 ともかく、この問題は、大変な事であり、私は、図書館で、心理学の本を借りて来て読んだりした。。すると、子供でも、本当の、しつけをできるのは、給餌をする人間だけだと、わかった。給餌をする人間なら、ミルクを上げないとか、ご飯を上げないとか、おかずを、差別するとか、言う形で、しつけられる。だが、それは、最初から、恐怖的、養育をした場合だ。ちゃんと愛情をもって、初歩段階から、しつけて居れば、高度な事も理解できるだろう。上滝家のお嬢さんは、何もしつけられていなかった。母親は、給餌をする人として、その権力を最高度に駆使して、しつけていたので、その恐怖がないところ(=我が家)では、やりたい放題だったのだ。五歳でも、全くいう事を聞かない女児を相手にして、私は疲労困憊した。それが、前歯を、40万円をかけて治すことへつながった。

 もう一人、全くしつけられていない男の子がいた。これは、小さいころから、外遊びができると言う事が両親の自慢の種で、それで、劣等感を吹き払っていた。夫が、大企業に勤めていないので、当時では住宅ローンが下りなかったのだ。彼女は、父親は、大企業勤めだったので、びっくりしたことはし他らしい。そういう劣等感を味わわされて悔しさを、子供が優れているという事で、晴らしていたのだった。で、悪い性格の子ではないのだけれど、(だから、盗みなんかしない子だったが)、ともかく、やっていいこととやってはいけないことの区別がついて居ないので、これまた、お世話をするのが大変な子だった。しかし、母親が、自分の家で、自分の子供も遊ばせないし、他人の子供を呼んで一緒にあそばせるという事もしていないので、何もわかっていなかった。その子は、三つの幼稚園で、入園拒否に出会っているのだけれど、それでも、彼女は反省をしなかった。問題は、自宅で遊ばせていないので、何のしつけも、一切できていないのだが、それが、問題なのだと言う事が判っていなかった。それで、或る時、ママと話したのだけれど、

 職業は、資生堂の美容部員だったそうだ。で、女性たちを相手に、一段と上にいる立場なので、それを維持したいと思っていたらしいが、住宅ローンが下りないと言う事で、夫が大企業に勤めていない悲哀を味わったらしい。それで、子供を種にして勝ちたいと思う様になった模様だった。で、前の住所で、「こんな小さい時に、子供だけで、外で遊ばせてはだめよ」と、ちゃんと注意をする人がいたらしいのだが、「おせっかい婆あ目」という感じで、ちっとも問題に気が付いて居なかった。

 私は、この人は、上滝夫人とは違って、その劣等感のもととなった問題の、やるせなさが、よくわかった。だから、子供を種に勝とうと思っている希望もよく分かった。ただし、長時間外に、出し過ぎだった。普通、他人の家の、生活を煩わせていいのは、午前、九時過ぎだと思う。だが、ポンキッキという番組が、終わった途端に遊びに来るのだった。で、これは、質問をした。「非常に長時間外で、遊ばせているみたいだけれど、どうしてなの?」と。

 すると彼女は高校の時、社会科の先生が、ジャン・ジャック・ルソーのエーミールの話をしてくださって、自由主義教育のすばらしさを知り、それを実践しているとのことだった。その時、私は、ジャン・ジャックルソーの書物を読んだことがまだなかった。フランスの哲学者としては、シモーヌ・ヴェイユ、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、アランの三人を読んだだけだった。だから、「あら、そうお」と言って引き下がった。ただし、国土の広さと、人口密度は、その18世紀(1700年代)時代のフランスと、1970年代の、北久里浜では違うと思うがなあと、考えた。。

 その家の坊やは、障害があるわけでもないのに、三つの幼稚園から、入園拒否をされた。家庭でのしつけもなく、幼稚園という管理の場所も経験していないので、小学校という管理社会にも当然、適応できず、一年生の時から、北久里浜駅近所で遊んでいた。一人で、ススキを払って居たりして。家に帰ったら、叱られると言う事はわかっているのだろう。でも、こんな感じでは、本当のお友達ができりだろうかと心配をした。先生は、子供のことについては、全く熱心で放った、母親を管理し、支配することに熱心だったので、この坊やの自宅へ電話をかけて探しなさいとも、言わなかった模様だった。かわいそうにと思ったが、私は、一回、重要な注意をしているので、それで、わからなかったら仕方がないと、考えた。胸は痛かったけれど、母親には、学校には行っていないことは、黙っていた。

 一回強烈な注意をしたという事は、こういう事だった。その子は幼稚園に行っていないことでご近所の子供からバカにされていた模様だった。これは、親の助言ではない。四歳でも、五歳でも、優劣の感覚を子供は持つのだった。で、年下の子供から、1.5mぐらいの鉄筋で、殴られていた。頭を抱えて、必死で、防衛をしていた。うちの子はその集団の中にいなったので、私は傍にはついて居なかった。ただ、15mぐらいの遠くで、起きていることを見ただけだったが、慌てて、ママに電話をかけた。「すぐ外に出なさい。鉄筋で殴られているわよ」と、言った。その時だけは、彼女は外へ出て来た。その時もロックンロールのレコードを大音量でかけていて、外の様子をわざと、見ない、聴かないふりをしていたのだった。彼女はロックを聴きながら編み物をしていた。非常に上手で、太い毛糸で編んだ、ジャケットなど、着せてこどもはおしゃれの極みだったが、清潔ではなかった。入園試験の日に、胸に、桃の果汁のついて居た後で、それが落ちていないTシャツを着せていた。ほかの子供たちの紺のブレザーと差別をして、自分の教育方針を誇るつもりだったらしい。だが、それも入園拒否の引き金を引いたわけだし、今、鉄筋で頭を殴られているのに、ロックを聴いている場合ではないでしょうと、本当に腹が立った。この母子にも三年間は、振り回された。多大な時間と労力を使わさせられた。笑い話だけど、彼女は通園費以上の金額を私に謝礼として支払うべきだったのだ。ただ、一回だけプレゼントをもらった。幼稚園に行っていないその子が、我が家で遊んでいた時にとんでもないいたずらをして、始末に困ったので、母親を呼んだ。すると確かに悪いと思ったらしくて資生堂の、お客用のプレゼントの内で、もっとも上等なものをもらった。皮のケースに入った、爪用、お手入れセットだった。彼女自身は緑色のマニキュアをしていた。そしてすでに、金髪だっただろうか? だけど、なんて、私に役に立たないプレゼントだっだろう。そんなものをもらうよりも、文明堂のカステラか、虎屋のようかんをもらった方が、ずっとうれしいのに、それもわからないらしかった。貧乏じゃあないと思うのに、あんな、私にとって、使わないものをくれて、どういう頭なのだろう?と、いぶかしく思った。今では、それはどこかへ消えている。もちろん常識のあるママもご近所に一軒はあった。だが、上滝夫人みたいな悪辣な人を恐れて、本当に困ったときには、夜電話をくれて、援助を乞われたが、それ以外は敢えて、付き合いをしようとはしなかった。ただ、少し北へ向かうと数百戸の家がある池田分譲地に到達し、やっと普通の女性たちと出会った。

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副題6、『そういう苦労をしているからこそ、私は、8050ママに、協力を求めたのだった。ところが、彼女は、にべもなく、「私は、近所付き合いをしないから、愚痴を言う必要もないの。だから、そんなことで、協力はできないわ」と言った。子供を丁寧に観察すると、子供が安心して遊べる場所は必要で、それは、ご近所様と、協力しないと、獲得できないのだった。特に、未就園児の段階では、ご近所様協力が絶対に必要だった。どういう風に、育っていくか、おかしい。まずいことになるよと思った。だけど、彼女自身から次の段階の言葉を聞いた。

 「葉っぱちゃん(仮名)と逢って、話を聞いてもらったの」と。葉っぱちゃんは、オックスフォード出版会に勤めている。その会社は、規模が小さい。だけど、ホテルオークラのそばにあって、とても格が高い。権威がある。漫画雑誌を出版している会社などとは、趣が違う。スタイルが良い。そして、上等な洋服を着こなしている。お顔は柔和で、所謂お雛様の様でもある。しかも、少し洋風でもある。そして、何よりも素敵なことは、理解力が高いことだった。

 私は大人になってから、彼女と長話をしたことは、ほとんどないが、学生時代は、彼女とデートすると楽しくて、一時間以上独演会になってしまうのだった。それほどに、素敵な人だった。だけど、8050ママの、悩みに解決策を与えられるのは、葉っぱちゃんじゃあなくて、私なのにと、思うと、それだけでも怒りがわいた。だけど、8050ママは、さらに言葉を続けて、「葉っぱちゃんが、最後にこう言ったのよ。・・・・そういう悩み(または、話)も、子供が居ればこその話よね・・・・と。それで、私は急に目が覚めた」と。

 その話は、私が、彼女のおぼっちゃまが、25歳の時に、あんずちゃん(仮名)が、「自殺未遂を起こしたのよ」と言ったので、びっくりして、生涯二度目の指導をしたくて、公衆電話から、電話をかけた日に似ていた。その日私は、「ぜひ、独立をさせなさい。あなたと離しなさい。500万円か、1000万円を与えるのよ。毎月いくらという形で渡してはだめよ。それだと親の支配が、消えないから。そして、絶対に訪問をしては、だめ。お掃除ができているかしら?とか、ご飯ちゃんと食べているかしら?と、見に行ってはだめよ」と言いたかった。ところが、前の晩、鎌倉から二千円、次の日の午後、上野駅から、5000円(これは、19995年の話である)のテレフォンカードを使っているのに、彼女は、「その話をあなたに告げたのは誰?」と、詰問をするばかりだった。そして、そんなに長時間も、こちらに一切口を挟ませなかった。私にとって、「あんずちゃんよ」というのは、非常に簡単なことだった。だけど、今、狂ったように、なっている彼女が、今度はあんずちゃんを詰問するのは、確かだった。あんずちゃんは、確かに軽薄だった。この人も、五人兄弟ぐらいの末っ子(ただし、継母サン=後妻=に育てられているので、一般の末っ子さんよりは出来が良い。継母さんは、上の子に比べると、まだ、幼い彼女をとてもかわいがったそうである)なので、私よりはずっとわがままで、自己中だったのだ。葉っぱちゃんだけは三人兄弟の、末っ子で、お母さんが夢見る夢子さんだったので(きれいな人だったらしいが)、彼女が心理的に成熟していたのだった。たぶん、私も同じで、母親よりは、自分が心理的に成熟している方だった。私の方は三人兄弟の長女だけど、母が妊娠しにくいたちで、兄弟の年齢の間が、7年、13年と、離れているので、長女であるが、一人っ子みたいで、かわいい甘え方もできるのだった。だから、葉っぱちゃんのことは私も大好きで慕っていたので、8050ママが、葉っパちゃんを選んで、相談をしたというのは、理解が出来た。

 そして、葉っぱちゃん自身なのだが、頭を高度に使う人は妊娠しにくいの典型だと思う。葉っぱちゃんは、もし、妊娠したら、オックスフォード出版会をやめて、子育てに専念したと思う。というのも彼女は例の旧姓西大寺さんと同じで、祖先の段階で、既にestablished なので、有名になる必要性を感じていなかった。テレビに出てコメンテーターになるとか、ライターになって芥川賞を取るとか、という希望を持って居なかった。だから、子供のことを相談するのは、葉っぱちゃんが秘かに抱えている悲しみを、かきとり出す行為なのだった。本当に無神経で、微妙なところが理解できない、8050ママなのだった。ただ、そのデートの最後に、急に目が覚めたと言っている。それは私が、長時間、「誰がそれをあなたに話したの?」と詰問をされづづけた日のエピソードとそっくりだった。

 私は、お子様が、15歳の五月に、『私、今度PTAの副会長になったの」と言ってきたときに「すぐやめなさい」と、言っている。そして、私の予想通りの展開になった。この25歳の時の自殺未遂もそれの延長だった。というのもPTA副会長とは、地域社会のカーストで、女性としては、上位20位以内に入る立場だ。でも、それだけ、注目をされるので、お子さんが、社会的な目で見て、勝ち組になれない場合、お子様自身が、非常に悲しいと感じることとなる。実際に地域の人が誰もその名前を知らない遠くに在る私立を受験すると言う形d、いったんは、逃げられると見えたが不合格だったのでかえって悲惨な目にお子さんを合わせてしまったのだ。その後、行く高校が無くなった。というのも担任の先生は、手持ち生徒数と、高校の入試偏差値を勘案して生徒を当てはめていく(輪切りという)ので、二月の時点、または、前年の、12月ごろに、「地域の高校にはいきません」と宣言をしてしまっているので、先生の手持ち高校は空きが無くなっている。で、別の先生の奔走によって、或る工業高校に入学が出来たそうだ。

 今の工業高校の、状況を、私は知らない。工業高校という名前さえなくなっている。だが、当時は、単位の関係で、工業高校に進学する限り大学進学は無理という時代だった。預言者としての能力がある私は、四年前に、そこまで見えていたのだった。家が裕福だし、家柄はいいし、母親は、見栄っ張りだから、工業高校で、担任の先生が勧めて下さる就職先など、応募するはずもなかった。それで、必然的に、引きこもりになる。

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副題7、『ここで、演劇と、エネルギーと、愛情の三者関係を分析して置こう』

 その遠くの新設高校を受験すると、彼女が電話内で、教えてくれた時に、さらに、「演劇という項目で、受験をするのよ」と言ったので、100%だめだろうと、判断をしたのだった。役者になるとは、テレビ出演にしろ、劇場俳優にしろ高いエネルギーがいる。観客に向けてだけでも、それが必要だし、同業者仲間との、人間関係にも、エネルギーがいる。相当に強さがないと、行かれない分野だ。彼女の坊ちゃんは、母親も認めている様に、消極的で、おとなしい。それに、あまり活発ではない。まったく演劇には向いていない。どうして、そういう無理な分野を選ぶのだろうと思っていたが、それは、彼女が中高、一貫校である成蹊に通学していたころ、成績優秀だったと仮定すると解ける謎だった。

 少し上の学年に山本学、圭、宣の三兄弟がいたのだった。その後、三人は、有名な俳優になっていくのだが、おじが、有名な映画監督・山本薩夫なので、これも、一種のestablished で、この三兄弟は、中学時代、及び、高校時代、目立つ必要性を感じていなかったと思う。だから高校時代までは、8050ママの方が、輝いていたと、推察される。で、成績としては目立たなかった男の子が、あれほど、有名になって活躍できるので、演劇とは、楽な仕事だと、彼女が思い込んだ可能性が高い。で、地味で消極的な彼女のご長男でも、できる分野だと、彼女が思い込んだのだろうと、思う。

 だけど演劇には見る立場だけの私だが、全然向いていないと言うのが判る。彼女は、坊ちゃんが中三の時に「意欲がないの」と言っていた。演劇で受験をすると、ペーパーテストではないから、学校での、中三の内申書が、無効になる。それで、、一発勝負だと、考えて居たと思う。だけど、演劇という分野自体が、大変高いエネルギーを必要とする。エネルギーとは、愛情の別名でもある。上滝夫人は、お嬢さんのために、体を動かさなかった。毎日お礼を言いに来ないといけない。幼稚園の月謝を払った方が、ずっと、楽だと、言うほどに、無礼というか、なんというか。人を家来と思って、こき使ってやろうとする思いが、満杯だった。母親が、家で、そういっているのを、彼女なりに理解したつもりだろう。

 で、お礼をすると言う労働を、数か月間、母親に支払ってもらっていなかった、彼女は、なんと可愛げがない子供だっただろう。

 8050ままのご長男は、さすがに、上流階級の子供だから、悪いことはしない。だけど、注がれてきたエネルギー(=労働)が、少ないのも事実なのだ。だから、他人にエネルギーを注入しないといけない、演劇の分野など、圧倒的に無理なのだった。

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そこに、引っ付いてくるのが浜銀の合併とか養老先生の妙本寺のお見合いの件なのですがね、そして林真理子の女帝化ですが

2023-11-19 22:53:17 | 政治

副題1、『前報を女の愚痴とお考えになっておられる方も多いでしょう。ところが、書いた結果は、政治に直結をするのです』

 前報は、また、いろいろなテーマが、混在しています。

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阿波踊りの見物席が建築基準法違反だと言うnewsの裏にあるもの・・と・・産業廃棄物処理法案の改悪は前田清子さんをサポートする為ですよ

2023-11-18 21:43:35 | 政治

 この文章は最初の総タイトルを、【非常に書きにくい事。でも、書きたい事・・・を書きます。12月1日に起きる筈のだまし討ちの事】としていました。それで通したいのですが、まあ、皆様の良くご存じの現象を、総タイトルに入れます。

副題1、『NHKで、七時のニュースを担当していた人が、忠告をしてくれたことがある』

 最近、激しい攻撃を受けていて、文章が大量に消えるという現象が起きています。それで、下書きを、まとまったところまで、書いて、発表をすると言うことができません。それで、初稿を書いた3日後位に、やっと意味が通ると、言った文章になると言った体たらくです。だから、今、18日の夜10時に書き始めますが、明日、もう一度ここを覗いてやってくださると幸いです。ただし、結構、自分で、引っ込めるエピソードもあるので、未完成でも、読んでくださると、面白いエピソードに出くわすかもしれません。

 しかも、本日の文章は、自分自身で、『こころに、あっち、こっちで、引っかかるなあ。書きにくいなあ。しかし、彼らの悪辣さが、明瞭に表れているエピソードなので、書きたいなあ』と思うエピソードです。

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 2006年ごろ、私は、メルマガが、絶好調だったと思う。しかし、裏では、真夜中の、ワンギリの電話や、真夜中に、プリンターが突然、カタカタという脅かしには、まいっていた。ノートパソコンも何台も破壊をされていたし。

 それで、ある日をきっかけにして、自分の苦しい現状を語った。メルマガでも、全読者に向けて話したのではなくて、ICU同期生だけを相手にして話し始めたのだが。

 きっかけとなったのは、1962年には、27人しかいない、同級生であった・・が、2007年の逝去時には、ソニー損保社長でもあった、川島章由君の死亡通知がメルマガを通して、私に知らされた日だった。川島章由君は、恋人でも何でもないのだが、非常に心が通っていると、いう感覚があった。彼も、重要なアルバイト(有名教授の書庫整理)などには誘ってくれたものだった。私の事を、ちゃんと、「いい人だ」とみなしてくれていたのだった。

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副題2、『これは、自慢ではない。ただ、私が目顔で注意しただけで、自殺をしてしまった美少年が居る。彼の悩みを、、彼の歩く姿だけで、わかっていた上での、忠告だったが、彼には、わたくし以外に、こころに、触れている人間が居なかったのだろう。だから、目顔だけの会話が、強い印象を与えたのだった。それほど、わかる人には、わかる、私の心の深さと、対人間、特に他人に対する理解力の深さなのだった。少女期からの物である』

 私はICUの同期生(または、先輩、後輩の男子学生)とは誰とも、恋愛関係にはなっていないが、それでも、理解しあっているなあと、思う、男子学生は、数人いたのだった。

 私が、後ろを振り返って、ただ、目配せををしただけで、自殺してしまった、男子学生もいる。それも恋愛とか何とかではなくて、彼の実存的悩みを私が、悟っていて、試験中に、白昼夢に浸っている彼に対して、「だめよ、今、そんなことを考えて居たら」と、眼で、忠告をしたからだった。

 彼は、江戸時代から続く、歴史の教科書にもその業績が乗っているほどの、名門のおぼっちゃまで、かつ、母一人、子一人で、(これが、もし、お母さんからの申し出ででの離婚だったら、彼の弱さを、生み出してしまったと思うが、お父さんは戦死だったかもしれない。そこはわからない) 

 当時、『自分はICUには合わない』と考えて居ることが明瞭だった。『自分は、東大を受験しなおすべきだろうか? でも母に経済的な負担をかけられないし、自分も、今から受験勉強をしても、二年のブランクがあるので、合格できるかどうかわからないし』と、考えて居たのだった。私は、その美少年とは、小さいクラス(=18人、25人、50人)では、一度も一緒になったことが無くて、会話を交わしたことが無かった。だが、キャンパス内を歩いている彼の姿を見るだけで、そこまでが判るのだった。

 で、ある日、階段教室(満席だと、300人収容)で、英語で、生物学の試験を受けている時に、なんとなく背中に視線を感じて、振り返ると、彼が、白昼夢に浸っている時に、固有の顔で(どうしてそれが判るかというと、私も常にものを考えて居る人で、それで、母から、運転免許を取るのを禁じられている。だから、他人が、何か、ものを考えて居ると言うのも、すぐわかるのだった。)ぼんやりとした顔をしながら、眼だけでは、私の背中を追っていたので、思わず、「何考えて居るのよ。あなたが、ICUを嫌いでも何でも、今は、この試験に集中しないとだめでしょう」と目顔で言った。10m以上離れていたし、試験中だから、教室はしーんとしている。私は、声を出したわけではない。そして、それ以外の交流は一切ない。それでも、自殺してしまった。全員のメールボックスにお知らせが入っていた。弓町本郷教会で、お葬式があると。

 遺書なんかはなかったらしくて、教会内で、彼の親戚の人から、「あなたは、ICUの礒部(私の旧姓)さんですか?」などという誰何は一切なかった。出席者の中に、ICU関係者は私だけだったし、【武蔵】の同級生もいなかったと思う。彼の武蔵での、親しかった友人は、みんな東大に行ってしまったので、縁が切れたのを、お母さんは、知っていたのだと思う。出席者は、親戚と、弓町本郷教会の信者だけだった。弓町本郷教会というのは、東大のすぐ西側の裏路地に在る、小さな教会だったが、戦前から、開かれている教会の様だった。

 牧師さんは、「本当なら、自殺をした人は、教会ではお葬式をしません。しかし、彼は、純粋で、本当に美しい魂を持って居ました。だから、皆さんとご一緒に天国へ送りましょう」とおっしゃった。次の話者も、次の話者も、彼が、どれほど、きれいな魂を持って居たかを語った。私には、およびがかからなかったので、自分が考えていることは何も語らなかったけれど、お母さんが、生存していらっしゃったら逢いたいなあと、今は、思う。彼の死因について、話したい。「ICUでは、恋愛が、活発なのです。美しくて頭が良くて家柄の良い女子学生がいっぱいいるので、男子は、積極的に、モーションをかけます。だけど、お宅のおぼっちゃまはそういうタイプではなかったですね。寡黙でね。でも、ここは、自分の住む場所ではないと、考えていらっしゃったのはわかります。私ね。それを知っていたのだから、こっちから積極的に話しかければよかったと思います。でも、私も彼とそっくりで、前歯に金冠をはめているでしょう。だから、自分は恋愛劣等生だと思っているから、クラスが同じでもない男子学生に、こちらから話かけるなんて、できなかったのですよ。でも、それをしておけばよかった」と。

 しかし、お葬式の当日は、私は、お母さんをひそかに、批判をしていた。彼女もまた、細身で、美しく知的だった。彼女の兄弟か、お父さんの兄弟なのか、何もわからなかったが、最前列右側に座っていた紳士たちも、みんな、スマートで、眼鏡をかけており美形だった。たぶん東大の助教授あたりの立場だと思う。先祖の名前も学者として有名な一族だったし。だけど、彼女には、こういいたかった。「現に坊ちゃんは、自殺をしてしまった。それは、泥臭さとか、雑草魂という様なものを植え付けていなかったからでしょう。あなたご自身が、ご自分の理想とするもの以外をそぎ落とし、排除してしまった。だから、坊ちゃんには人間も動物の一種類であると言う、そういう部分が欠けていたのです。でも、それって、坊ちゃんの生命力を奪っていたのです。」と。このケースは、お母さんが、良かれと思ってしたことが、意外と悪かったと、言う不条理だった。それに、なぜ、なぜ、と自問していたのだった。

 今、急にそれを書きたくなったが、坊ちゃんの、下の名前は、【喬】という。いい名前だった。

 そういうわけで、私は、その人間が本当に持って居る良いものとか、隠している短所とかが、すぐわかるのだった。だけど、自分は普段は、おしゃべりではないから、私が、そういうタイプだと言う事が、わかるのは相手も、成熟している人間だけで、それは、男女合わせて、学内に10人いたかどうかだった。

 私は、実は、そういうところに秀でていて、カウンセラーとか、占い師になるべきだったかなあ?と、今は、思っている。或る人の心の中に在る、もやもやを、分析する事は出来る。ただ、演出力とか演技力がないので、カウンセラーや、占い師になっても、人気が出たかどうかはわからない。

 しかし、そのころ、同期で、川島君と同じくらい社会的に成功している男子同期生が「礒部(みんな旧姓で、話すのだった。女子学生の結婚後の名前なんて、よほど親しくないと男子は知らないものだったし)さん、・・ことだま・・という言葉があるのを知っているでしょう。悪い事でも、それを文章に書くと、悪いことを引き寄せてしまう・・・・、そう言う可能性があるのですよ。だから、つらい事でも、それを書かない方が良い」と、忠告をしてくれた。

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 そのことだまの忠告をくれた男子学生は、NHKで、相当良い位置に上り詰めた人だが、今は、郷里に帰っている。そして、徳島県で、起きる謀略には、敵陣営から頼まれて、協力している可能性がある。例えば、阿波踊り見物のプレミアムシートが、とても高いものであるのにもかかわらず、建築基準法違反であると言うニュースなどが報道をされた際には、彼が、地元の名士として、その建築業者や、市長、などに事前に根回しをして、それをあたかもとても大切な問題であるかの如く、盛り上げたと、推察している。

 そのニュースも、敵は本能寺に在りの典型で、

 雪ノ下の方の、ご近所主婦、前田清子さんの自宅が建築基準法違反であることを、新しい法律を今から作って、救ってやろうと、CIAが考えて居るからこそ、この小さくて、かつ、ばかばかしい問題が、大ニュースとなって、阿波踊りが終わったで後も、何度も、蒸し返されたのだった。つまり、日本国民が「建築基準法なんて、バカみたいなものですね」と思い込む様に、洗脳するために、あのニュースが大々的に、NHKで、報道をされたのだった。

 NHK支局長だった、その男子学生は、CIA側の謀略行為に、協力しているのも、命令されて、やっている事だろうし、あの忠告をくれたのは、私のメルマガを、そのころ(=2008年ごろ)まで、読んでくれていたことを証明するので、感謝している。ので、実名をさらさない。ICU同期生なら誰の事か、わかるだろうが、それで、良い。

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副題2、『前田清子さんを主役とする、悪辣さについて、触れないといけなくなった。2023年11月15日に決定的だったが、9月ごろ、阿波踊りのプレミアムシートの建築基準法違反問題が起きた時も、それを、強烈に感じさせられたものだった。

 この前田清子さんの家の、建っている敷地が、建築基準法違反であると言う件が、私の私道部分が、37年間にわたって、コンクリート打ちをされてしまって、使えないと、言う大損失につながっているのだけれど。CIAエージェントたちは、(NHKニュースの裏に在る、真実を次から次へと語っていく)、私を殺したいので、前田清子さんを大いにサポートをしているのだった。理不尽理不尽、極まりないのだが、産業廃棄物処理法案が、2013年に改良され(改悪だと思うが)たのも彼女を助ける為だった。その時の骨子とは、焚火をしてはだめだというもの。

 前田清子さんを中心とする主婦たちの誤解に基づいて、私が、非常に嫌な思いをし、【山間の煙】というエッセイに書いているのだが、焚火が出来ないことになった法律である。それを、きっかけにミセス井上(有名な画家岸田淳平氏の奥様)が、癌を発症し、年齢としては、早めになくなると、言う事になったのだが、

 前田清子さんの瑕疵や誤謬を隠ぺいするために、日本国の法律、産業廃棄物処理法案が変更になったのだった。だから、建築基準法も、彼女の瑕疵を、隠ぺいするために、改悪をされる可能性はある。

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 なお、ここで、はっきりと言っておかないといけないのは、私が最近、実名を書かないで、その男性が行っている悪辣さ極まりない泥棒行為を、次から次へと、書いている合いかぎを持って居るプロの画家とは、岸田淳平氏ではない。岸田淳平氏とは、文章の方でも名を成している独自な、所謂現代の、文人画(ただし、墨ではなくて、洋画材を使うのだが)を描く人である。

 どうか、誤解をなさらないようにしていただきたい。岸田淳平氏の画風とは、プロの画家=売る事を最大の目的としている絵を描く人=我が家のあい鍵を持って居て、侵入して、数多い嫌がらせ行為をやっている人物の画風とは、ちょっと違う。というか大いに違う。もっと、精神性の高いもので、裸婦を描いても、他の物を描いても、形として、対象に忠実ではない。

 プロの画家の方は、スーパーリアリズムという種類の物で、ホキ美術館に収蔵されかねないものだが、人物画ではない。実際のモデルを使って、制作するのは、お金のかかる事なのだ。ホキ美術館には、人物画(背中で、有名な森本草介など)が多い。でも、酒井忠康氏が、彼の経済的環境を改善してやろうとして、ホキ美術館にも紹介行動をしたので、ホキ美術館に彼の葡萄などの、絵が飾られているかもしれない。何度も繰り返して言うが、ここで、実名をさらしている人は、まだ、正常値の範囲にいる人だ。

 この2023年11月15日、是から歌舞伎座に、定款の実行によるいじめが、どういう風に実行をされるのかを確認に行くところだった、その外出時に、またまた、時間を図って、

 前田家(と言っても、彼女の長男の敷地=旧、中谷共二邸を、前田清子さんの長男が買った。建築基準法違反の家(母親の家)が、迷惑のもととなって、長男の家は、新築が出来ない。しかし、

 

 ああ、今、急に書きやめたくなった。文章として書きたい事の三分の一も書いて居ない。だから、我慢をして書き続けよう。

 ともかくなのだ。【喬】君の死が書けただけでも、疲れ切ってしまったのだ。とても、難しい事だった。どう考えていいか、わからないことだった。だが、自分が母親になった時に、子供に、雑草魂を与えようと努力をしたのも事実だった。純粋すぎるのも、上品すぎるのもよくないと思った。自分の家では、できるだけテレビを見ない様に言われていて、博物館とか美術館や、歌舞伎座にも連れて行ってもらっていた、けれど、自分の子は、できるだけお出かけしないで、ご近所のお子さんを遊ばせることを選んだ。

 ところで、新興住宅街というのは、ママ達、または主婦たちの、生存競争の場でもあり、あわよくば、カースト的に上位を得たいと、言う欲望が横行する場所でもある。で、小さい子を雑草魂を持つ子にしようとすれば、ご近所付き合いは、欠かせない。それが、(私の様に、、人が良くて、子供好きで、相手の立場も、よく考える人には、)カッコウの托卵よろしく、すべてをおっかぶせて、自分は遊んでいる母親たちに利用されまくってしまうのだった。

 で、その結果歯がだめになって、1970年代に、40万円かけて治すこととなった。で、前歯の金冠が取れた。それは望外なプレゼントというものだったが、心身ともに疲れ切っていた。で、最近、林真理子批判の一環として書いている。お子さんが、4歳ぐらいの時にアメリカで、黒人とベッドインをしている姿を見られてしまった、ママに、そんなことは、私はむろん知らないから、彼女がお子さんを愛していると考えて、

 「ねえ。ご近所主婦の困ったケースを話し合わない。?(それで、解決策を見出したり、ストレスを解消させたりして次の日の活力を得たいのよ)」と提案した。すると、カッコ内を、まだ、言っていないうちに、彼女は、こう言い放った。「いやよ、それ。だって、私、ご近所付き合い何んて、しないもの。話が合う人なんかいないもの」と。「それに愚痴を言うなんて、嫌いよ」と。当時、彼女は東京都が売り出す分譲マンションに住んでいた。1970年代に、分譲マンションが買える家庭だ。で、ママたちの格は、相当高かったと思うが、彼女にしてみれば、付き合いたくないレベルだったのだろう。それらの、ご近所主婦もバカにしているのだが、私のことも馬鹿にしているのだった。

 でも、ご近所付き合いをしていないからこそ、坊ちゃんたちが、予定より早く、外遊びから帰ってきてしまったのだ。そして、母親が黒人とベッドインしている姿を見てしまった。きっとそうだ。「アメリカだから、ご近所付き合いは、できません。在りません」と彼女は言うだろうか? だけど、子供をよく観察していると、母親が、外で遊びなさいと、命令したって、外の遊びは、友達がいない限り、つまらないから、すぐ、帰ってくるものだ。それが、どうして、彼女に、わからないのだろう。 幼稚園とか保育園ではない。だけど、暖かくて安全な場所は必要なのだ。保護されていると感じる場所だ。それは、ご近所主婦の共同作業で作る場所だ。遊びに、使うものがあり、友達とのブリキの車のスピード競争などがあれば、外遊びも長続きする。が、兄弟だけでは子供には、単純すぎて、長い時間は過ごせない。そういう事すら彼女にはわかっていなかった可能性がある。

 子供社会だって複雑だ。それを二歳ごろから経験させて、やっと、人付き合いに自信がつく。

 私が愚痴を言うお馬鹿さんだと、宣言をされたのだった。私は喧嘩をしない主義だ。というか、できない方だ。だから、黙って引き下がったけれど、深い怒りにとらわれた。だって、子供の要求を一切無視しているので、それでは、成り立たないハッズだった。それを、鹿と、確認する出来事が、後註1で書いたことだった。その一つが、彼女のお宅で、起きた。それが、10年後、高校受験の際に、そちらのぼっちゃんの、自信のなさとか意欲のなさが明らかになったのだ。その時まで、私が違うと思った、そのポイントについては、全く反省をしていない模様だった。

 だって、未就学児童の時代に、それこそ、必要なご近所付き合いはしないのに、お子さんが、中三の時にPTA副会長を引き受けるのだから、なんて、物事が判っていないのだろうと、驚愕した。反対ですよ。お子さんの年齢に応じて、やる事として、時間軸と行動軸が、おおきく、ずれていると思う。

 中学校とは、地域社会で、半径三キロぐらい、人口五千人ぐらいを統括する場所だ。未就学児のママが、付き合う、範囲とは、違う。だから、ご近所様とは言えず、ずっと、楽な付き合いとなる。それに、PTA役員というのは、クラスのママ達の間で、優れているとみなされないと選ばれないので、一定の尊敬を得るので、人付き合いは楽になる。その上、基本は、一周間に一回の会合だ。それ以外の日は、違う事をしていていい。しかし幼児をご近所集団の中で遊ばせるのは、一週間の間中、ほぼ休みがない。大変な重労働だ。ともかく、子供は、自分だけ、または、自分の兄弟だけでは遊べない。単純すぎて、すぐやめてしまう。もう一度幼児ではなくて、中学生時代に戻ろう。

 ともかく中学生時代に母親がでしゃばるのは、後刻、自分の子供が、・・・・東大医学部合格の可能性がある場合に限る。偏差値的にも優等生で、スポーツも万能で、生徒会長をしています・・・・・という種類の子供でないと、母親は、PTA三役なんか引き受けてはいけない。だって、女としての、カーストのトップになっている地位なので、一種の嫉妬の対象になっている役割だから、子供の、進学校も、当然話題の対象になる。もし、地域で、一番優秀な偏差値の高校に入らないと、子供も母親もバカにされる。それは、母親がICU卒だと言うだけで、すでに、親を超えられないと考えて、意欲喪失気味な坊ちゃんに、大きな傷を与える、道すじだった。

 そんなことは書物には書いて居ない。しかし、最近では、「高学歴母親には問題がある」という書物も出たそうである。だけど、私みたいに子供が歩き始めたら、ご近所付き合いを始めた女には、年齢が、上下、かつ、収入も違う、学歴も職歴も違うママ友がたくさんいる。そうすると、現場の噂話として、学びを得る。地に足をつけた世界で、学びを得る。

 井上夫人(=岸田淳平氏の奥様)は、その地に足をつけた、女性だと、思っていたのに、山間の煙のエッセーを書いた、いきさつの、時には違っていた。彼女ががん発症に至ったいきさつを書いて居る章が、二年以内に在る筈で、見つかったら、ここに置きたい。後註2,

 うーん、疲れた。頭の中にあった、予定稿の、5分の2程度しか書いていないが、ここで、やめたい。尚、この章は、ことだまの、忠告が、主なポイントだった。それなのに、ことだまとして、全くマイナスになる事を書いている。(苦笑)

 ただ、ただ、それが、わかっていても、これを書いたのは、人間の複雑さを思うからだった。それを思うと、以上のようなエピソードこそが、それを、書かせる動機付けになるし、答えらしきものも、みつかってくるのだ・・・・・と、言いたくなる。それと松竹定款も影響をしている。この11月15日に、具体的、二、目の前で、襲われた、松竹課長、小野純一氏の、威張りまくって、前庭から、「ここは松竹の土地だから出て行ってください」と言って追い立てた、あの残酷さが、このブログに命を懸ける私を生んだ。誰に批判をされようと、思うままに書いていくつもりである。だって、私は、それを見たし、聴いたのだから。

 彼女が黒人とベッドインをした話も彼女から、聴いたわけだし、坊ちゃまが、遠くの誰も知らない新設私立高校を受ける様に親が勧めて、不合格だった話も彼女自身から聞いた。

 実は、「預言者は、世に容れられず」と言われている私である。その受験が不合格になる事は知っていた。予知していた。だから、その予定を聞いた時に、「そんな高校を見つけて、それは、良かったね。中学校のPTA平役員も、そうではない普通の親も、誰も知らない学校でしょう。見事な選択よ」とは言わなかったはずである。黙っていた。駄目だとわかっていたからだ。偏差値が問題ではない。坊ちゃんに全然向いていない学校だったからだ。どうして、ご自分のお子様の特徴をわからないのだろう。小さい時から、何も観察していないのだ。他人の私でさえ、『これは、まずいなあ。中学生になったら親は口出ししてはだめだ。本人にえらばせないと。だって、不合格だった時に本人の傷が深いから、特に深くなるから』と、思った。だけど、「不合格になるわよ。やめなさい」などとは言えない。

 ただ、なぜ、そう思ったかというと、オカルト的に判断したわけではない。演劇専攻で、受験すると聞いたからだ。坊ちゃんは、タイプが違うのだ。どちらかというと、人と付き合わず、一人で、仕事をするのに向いている。できれば作家などになった方がいい。だけど、それも、このまま進んでは、経験が少なすぎる。

 母親がPTAの副会長をしていなかったら、先生が、勧める(というか、先生が決める)数校の中から、自分が選べばいいのだ。それだったら、必ず、合格する。そういうシステム=輪切り=が横行している時代だった。それに従っておけば、何も傷つくことが無かった。地域三位高であっても、本人の自覚が覚醒し、頑張れば、その次の段階が開ける。作家になるのだったら、大学受験をしなくてもいい。でも、就職より、大学の方が楽だから、大学へ行った方がいい。そこで、恋愛などのいろいろな経験を積める。だけど、15歳の時にひどく傷つけてしまったから、大学受験など、しなかったらしい。そこらあたりまで三年次の四月に、彼女が、PTA副会長になったと告げてきたときに、私は予期していた。まずいなあ。やめなさいと、言ったから、まあ、やめるでしょうね。PTAの方は。と思っていたが、やめたという報告はなかった。本当に忠告を聞いてくれないのだから、まずいなあと思っていた。

 挙句の果ては、25歳の時に、また、演劇に向かわせるのだ。ご本人の希望ではないだろう。母親の押し込みだ。母親の友人に、一族で、6人の芸能人、または、テレビタレントや、映画監督、俳優を出している人がいる。そこに、頼っていくのではないかなあ。で、舞台出演がかなったが、石の役をもらったそうだ。で、自殺未遂を起こした。まあ、坊ちゃんは頭はいい。自分に向いていない演劇という分野で、周辺から、もっとも低い役目(石)を与えられたのだ。自分に、または、自分の人生に、絶望をしてしまうのは当たり前だ。それを聞いた私は、びっくりして、「坊ちゃんを独立させなさい。家から出しなさい。500万円か、一千万円を渡して。あなたは、決して訪問をしてはだめよ」というつもりで、電話をかけたのに、テレフォンカード、7000円分を使っても、彼女は、ただ、ただ、「誰が、あなたにそれを話したの?」と、詰問をするだけだった。

 これが人生三度目に、彼女に驚かされた日だった。三度目の正直という。もう、彼女に何を説明しても無駄だと思った。偏差値優秀大学を出ていても、子育てが、優秀だと言うわけではない。要するに母親は偉い人ではだめなのだ。地を這う人、目立たない人であることが必要だ。私は、まさに、そういう人間ですよ。家族のがだれからも軽蔑されていますよ。だけど、娘から、「お母さんが家にいないとだめ。お父さんも、お兄ちゃんもだめになってしまう。」と、海外修行時代に、言われました。それは、息子が、27歳を過ぎていたころですが。

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駅から、徒歩10分以内の中古マンションの値段を調べると、その町の格が判る

2023-11-18 01:55:40 | 政治

 副題1は、2023-11-16火の夜のことを書いています。別の章に入れていたのですが、その章がてんこ盛りに過ぎたので、こちらに移しました。

副題1、『今、全く新しい攻撃が始まっている。が、それに気が付いていないかの如く、16日の夜は、中古マンションの値段調べをしていた。敵さんとしては、私が歌舞伎座問題で、まいっているし、前田家を使った、新攻撃にも、参っていて、逃げていると考えたであろう』

 今、私には、全く新しい、謀略行為に拠る攻撃が始まっています。前田家を上にもっていくための謀略が生起しています。非常に大変で外出を続けないといけません。然し、そんなに大変な状況なのですが、16日の深夜はずっとずっと中古のマンションの値段を調べて居たのです。それは用事があってある土地を訪問をするというプチ旅行をしたからです。ほぼ知って居るはずの土地なんですが、以前とは、違う電車 違う路線(横浜市の市営地下鉄グリーンライン)を使った為に 全く 未知の場所と感じたのでした。しかも、以前は昼間訪問をして、昨16日は、夜訪問をしたので、全く違う街に見えたのです。

 でね、その土地に対する興味が俄然湧いて、いろいろ調べはじめたのです。その土地の格がわかるのは そこで売って居る、(駅から徒歩10分以内の)、中古のマンションの値段を調べ、比較する事です。問題の土地は高かったです。グリーンラインの開通が、格を上げていました。でも急に、その調査が面白くなって、ずっとそれを調べ続けたのです。色々な町についてね。鎌倉には売り物が殆どないのです。一件だけ四階建て?(高さ制限があるので、そうなる)の中層マンションが出来たけれど、情報は、買う予定の人にしか開示されず、庶民としては、3億円以上でしょうね・・・・もしかすると五億円以上かなあ、と、推察するだけなので、この調査の目的には合わないので、中古のマンションの売り物は、無いと、言っておきましょう。だって、タクシーの運転手さんだって、そのマンションの値段を知らないのですから、驚くべき秘密主義です。元動物病院で、土地は、300坪はあるでしょうが、故吸うとしては40戸以下でしょう。ご近所付き合いが非常に大変なはずですが、富裕層が別荘として買ったと思います。

 で、さらに言うと、逗子が意外と高いです。一時期アトリエをそこに構えて居たので、それは理解できる価格でした。海に近いし、始発電車が多数あるので、通勤に楽だからです。また、お散歩コース(澤が二が居る谷戸を歩けるし)始発の、横須賀線は、15両編成なので、時間を合わせてホームに入れば、必ず、座って勤務先まで、行かれます。7時台か、8時台は、4本程度、逗子・始発があるでしょうし。あまり、高給なマンションがないので、(あっても逐0年とか言って古い)富裕層は、湾岸添いに引っ越したらしいのです。

 あ 横須賀線でいえば、東戸塚が、高級です。しかし、それだからこそ、駅徒歩10分圏内には、売り物がありません。日吉や、元住吉もそうですね。綱島を調べなかったが、どうだろう。菊名)マンションあるかな?

 しかし東横線も高いですね。元住吉など、公団住宅もあるらしいが、全く動きがありません。書いても売りてもいないのです。駅徒歩10分以内にはね。それは、それだけそこの町が人気があると言う事です。それで、すっかり面白くなって、ずっと調べて居たのです。東急のほかの路線と他の私鉄はやりませんでしたが。武蔵小杉もやりませんでした。だって、武蔵小杉のイメージって、大体わかるではないですか? だから、調べる必要がない。

 たまには、息抜きもしたいですのでね。ニューヨークでも、パリでも、観光地では無くて、個展や、催し物で誘われる度に出かける場所について調べて、ああそうなんだと思って居ます。

 この間、バンクシーの、傑作を杏が、イギリスとフランスで、尋ね歩く番組を見ました。

 するとね。フランスで、何か、古い建物を使っている映像が出てきました。今、もう何だったか忘れているが、

 ニューヨークではね。有楽町の、フォーラムとか、有明の展示場に該当する施設として、非常に古い武器庫(アーモリーという)を使っているのです。

 

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シャルリーエブド事件(セバスチャンを足す)、安倍晋三氏暗殺事件、林真理子を理事長にするために使われた違法タックル事件…みんな企画者と目的が同じです

2023-11-17 02:46:34 | 政治

 この一文ですが、今、17日の、夜7時20分から推敲を始めます。最初に、お断りをいたします。シャルリーエブド社が最寄りとする駅ですが、今さっき、夕食のお茶碗を洗いながら、さらに正しい駅名を思い出しました。セバスチャンが、抜けていました。これは、観光案内や、地図を確かめたわけではありません。ただ、ただ、心と体、そして脳みそが、思い出してくれたのです。正式な駅名はサンセバスチャンフロワッサールです。

 ところで、推敲中に、新規に加筆したところにはアンダーラインを敷いておきます。

 シャルリーエブド社なんて 私の通っていた版画工房の一本北側の通りに面して居ました。版画工房は、非常に大きい 六階建てのサラバンサライ風の中世建築(それは、旧丸ビルや、旧国立大学の中心ビルと同じ)の中庭に、20世紀に入って新築されたモダンな二階建てのビルの中にありました。しかし、西に100メートルも行くと新しい安いビルが立ち並ぶ、新興工業地帯なのです。しかし、分野としては、縫製業などで、ガスや煙が出ない工場群です。シャルリーエブド社は、その手の新興街区に在るのでした。

 あの事件は、パーン、パーンと言う最初の銃撃の時から、カメラを構えて居る人がいて、謀略だということだけは、すぐわかりました。全世界で、310万人もの人が 「私はシャルリ」というゼッケンをつけてデモをしたそうですから、自分には関係がないと思って居ました。だってね、私を脅かすために、世界中で、310万人が動員されたなどとは、信じられなくてね。当初はね。ところがさにあらずだったのです。

 ただね、当初から、それが、謀略だと言う事だけは確信をしていました。目的は、わからないものの、謀略だとは、理解をしていました。

 犯人はイスラム過激派の若者だという事ですが、今回のハマスと同じく、指導者の中に、CIAが 隠れすみ、もの事をまだ良く分かっていない若者を洗脳して、弾丸として使うのです。私が言っていることが、正しいので、こういう若者を使った犯罪が減りました。アメリカで、おおくある銃撃事件は、ちょっと、意味合いが異なります。

  今回のハマスの人質事件ほど、それ=イスラム過激派の裏に、CIAが隠れている事が明瞭になった事件は有りません。だって、ハマスのやったことはイスラエルを助長させはしたが、パレスチナには、大損をもたらしました。真実のパレスチナ人が、それほどに、バカだとは誰も思わないです。

 シャルリーエブド事件に戻ります。ところで、世界中で、310 万人もの人が動いたのですから、自分(=雨宮舜=本名 川崎千恵子)とは関係が無いのだろうと思っていました。しかし、その事件以来、前田家、白井家、平木家と続く光を使った脅かし行為が生起し、それが、ずっと、つづいているのを見ると、あの事件は、私を狙ったケースだとわかりました。

 物量として310 万人もを動かしたのですから、それだけ  ある意味では  私が 大物だという訳です。決して嬉しい評価ではないが、このブログが、常に、ミステリーを解いていくものですから、それは言っておきましょう。そう書いて居るからこそ、若者の 単独  ・・・・・複数でも  ハマスに比較をすると  単独行動だと言えます。・・・・・  は、なくなりましたね。

 もしあれば、前田家などは、フランスでも 未知の そして 自分とは無関係の 他人を殺して、自分達だけは助かろうとして居る人たちだとなります。私が利用したメトロ シュマンヴェール駅の一つ北が サンセバスチャン・フロワッサール駅で、シャルリーエブド社の最寄駅です。NHKはシャルリーエブド社の番地を言いませんでした。が、ニュース画面を写真に撮って拡大して確かめました。

 今ね、十分前には、サンセバスチャン・フロワサール

駅の名前を思い出せなかったのです。真夜中になって、パソコンはしまって居てスマホでこれを書いて居ます。

しかし、17日の午前、五時半に寝ようとしたら、五千字ぐらいが消え去っていて、びっくりして、パソコンを持ち出して再現しようと努力をしています。体を壊しますが、仕方がないです。

スマホはなにかを見るのには便利ですが、画面が一つしか使えないのでパリの地下鉄路線を今、確認することはできません。また、私も過去ブログをチェックすることもできません。でもあの駅の名前を思い出したのです。入力する二分前に思い出したのです。

 そして地形もしっかりと思い出したのです。サンセバスチャン・フロワッサール駅から、更に北へ数駅進むと皆んなが集まってデモを行進を始めたリパブリック広場になるのでした。四角くて、割と狭い広場です。秋葉原の安倍晋三さんのファンが集結する場所に似て居ますね。

 私ね、今、久しぶりに頭上の雲が晴れた思いを抱きました。この山の主役主婦連中は、他人を殺して貰って、それで、私が滅入ることを狙って生き延びるのです。それをスッキリ、いうことができて、良かったです。個別にその攻撃のことを書いてきていました。が、そもそもの始まりを書くことができて、安心しました。皆様にもよりご理解が進むと感じます。

 2階のカーテンを全開して、夜の、十二時まで煌々と大型の天井灯を点ける人(前田家)が最初に始めた脅かし行為です。シャルリーエブド事件以来始まりました。、2階のペンダント灯を、私がパソコンを閉じた途端に点灯し、ベッドに入ったととんに消す。それはこの一週間前にも行われました。が、まあ、その日だけは、時間が午前5時だったので、警察が、点灯したのでしょうが、見かけ上は、白井さん夫婦がやっていると見えるーーーというふうに、しょっちゅう、そうですね、数百回は、動いた白井家。  そして敷地内建物の、最も南の部屋のオレンジ色の裸電球を、前田家やら、白井家と同じく、カーテンを全開し、かつ、誰も居ない部屋なのに、点灯し、時には、次の部屋の白い裸電球も灯す 平木家 と続く 攻撃は、シャルリーエブド事件、以来生起し、今に至る、脅かし用攻撃で、あり、したがって、あの事件が、まさに、私狙いの謀略だった事を証明して居ます。

  然し、私がにっこりしてしまったのは、サンセバスチャン・フロワッサール駅と言う 固有名詞を、入力 二分前に思い出した事なのです。私 八十一歳です。2階から、電池を持ってこようと思って一階の部屋に行くと、ふと税務申告用のレシートを見つけ、それに気を取られて、電池を持って居ないのにも関わらず、二階に上がってしまうなんて事はしょっちゅう有ります。でも、とても覚えにくい パリメトロの、小さな駅の名前を、思い出したんですから、自分を褒めてやりたいです。そして、こういう風に 苦難の最中にある私に、小さくても、自分としては大きく感じる喜びを与えてくださる神様の、存在を強く強く感じるのです。

 そして、この喜びは、高校の先輩で、・りけじょ・として、日本最高位の位置にいた、元特許庁幹部にして、原子力何とか諮問委員会委員の・旧姓西大寺さんへの批判へと、向かうのでした。彼女は、井上ひさしの社会的地位と、私のそれとを比較して、私を捨てた、五歳年上の先輩です。 

  旧姓 西大寺さん という名前の彼女に向かって、今、呼びかけたいです。「貴女と私とどちらが、信仰心が深いですか? 私は、失礼ですが、自分の方が深いと数年前から思っています。だって、上に書いた通り、ゴルゴだの丘に登るキリストみたいに、あなたにも、もっと単純な思考様式の友人にも、裏切られ、捨てられていますが、神様ご自身は、何時も、私を見守ってくださっています。上に言ったのもその一例で、だめだろう。思い出せないだろうと思っていた、パリの地下鉄の、長い名前の駅を思い出したのですから。ただし、本当のことを言うと、一日目は、サンフロワッサールのところだけで、セバスチャンが、抜けていました。だから、全部を思い出したのは、二日かかったわけでしたが、ともかく、思い出したのです。

 神様のお名前を安易に持ち出すのは、慎むべきです。が、このようにして、私は、毎日、小さなご支援を発見しているのです。旧姓西大寺さん、あなたも同じですか? 安倍晋三氏が、奈良県西大寺で、暗殺されても、無関心でいられますか?

 もう、私の文章は、お読みになっておられないので、この一文で、あなた様に、失礼をする事も無いと思っています。だけど、そう思って居るからこそ、旧姓・西大寺さんに捨てられたのだとはっきり言って居ます。ほかの場所でですが。(後註1)

 普通なら恥ずかしいし悲しい事なので、外へは出さないはずのエピソードです。だけど、話し始めています。理由は、自分の方が、本当の、信仰の篤い人であり、西大寺さんは、偽物とまではいわないまでも、ずっと、リアリストに近い人で、計算高い人であり、人間としての深さが違うのだと、私が考えて居るからです。

 女子高で五歳上だと言うと、宝塚ではないが、上下関係は、当然あるでしょう。だから、この一文は、作楽会(さくらかいと読む、お茶大付属高校の同窓会)の中で、相当な物議を醸しだすことだと思います。それでもかまわないし、恥じないと、思うから、これを書いています。それほどに、私は、神との関係において、純粋であると、自分で、自分を信じ切っているからです。

 尚、繰り返しますが、旧姓西大寺さんは、女性ですよ。捨てられたと言っても、男女間の恋愛の話ではありません。ましてや、レズビアンの関係でもありません。精神力の上での、尊敬しあう間柄だったのです。でもね。すでに、私が、81歳であり、旧姓・西大寺さんが、86歳です。で、そろそろ、これを書いておかないと、両方とも死ぬと、私は、考えて居ます。冥途の土産と、言う言葉がありますが、まあ、そういうものの一つです。

 そして井上ひさしは、自分達の悪辣さをかき続けて居る私を、自滅という形で、死に追いやるために、奈良県 西大寺駅前で、(自分達こそ、家来として、利用して、こき使ってきた) 安倍晋三元総理大臣を殺したのです。ここに谷垣禎一さんも、加わります。伊藤玄二郎は、谷垣禎一さんを経由して、安倍晋三氏を支配していたのでした。

 その、殺人事件は、旧姓西大寺さんに、私が捨てられた時味わった心の傷を、再度えぐってやろうとする悪意の塊の事件でした。ほかにも意味とか目的がありました。

 それは、私が、過去に、たびたび、・・・・・この事件は謀略であり、真犯人は、殺人専門の集団であり、死刑囚となっている保美も山田浩二も実際には、殺人を犯していない・・・・・と、言っています。言い続けています。それを否定するために、目の前で、殺人事件を起こし、それをNHKカメラが、撮影をしておく必要があったのです。

 保見も周南市の限界集落・近峰の、ご近所老人五人は殺して居ないし、山田浩二も、寝屋川の商店街で、真夜中遊んでいた中一2児童を殺して居ないと私は、言って居ます。だからこそ、有名人中の有名人である安倍晋三さんが、NHKカメラの前で殺される必要があったのです。

 それなら、日本の中に、狂気の殺人事件を起こす人間がいると、証明できるからです。特殊なアサッシン集団(多分、桜田門内で、飼われている)が、やったことではなくて、裁判で、死刑になった保美や、山田浩二がやったと、悪人たちは、証明できると、思っているらしいのです。

 ただし、本物の狂気ではない。演技上の狂気の男が、てつやなる、宗教二世でした。ほかにも、植松聖とか、山田浩二とか、青葉真司という輩が、裏からの餌につられてか、または、究極の脅かしにさらされてからか、犯人像をひきうけています。

 あの時、安倍さんは長野県で応援演説をする予定だったのです。しかし自民党の中に鎌倉えーじぇんとの 家来がいて、急に「奈良へ行ってください」となったのでした。そしてNHKは超が付く、美人で、かつ知的なレベルが高く、かつ、誠実そうな女性記者を現場に配置させて居ました。失礼ながらはっきり言って「自分は、今では、美しくなった」と主張する林真理子

 ・・・・・上はNHKテレビから取り出しました。NHKの番組に出るのですから、誰かに利用されても構わないと思っているのでしょう。だから、利用させていただきます。・・・・・・・

とは、雲泥の差という美女です。彼女が、現場を説明すると、信憑性がいや増します。しかし、その日の犯人である山上てつやそのものが、洗脳されて、使われて居る人間なのですから、ズドンという音が聞こえようが、安倍さんの身体から血が噴き出ようが、これは嘘を内包した謀略事件なのです。てつやのおじの弁護士に、中央大学法学部卒の伊藤玄二郎が、直接か、誰か間に人を入れて、説得をしていたから【てつや】が、言う事を聞いたのでした。

  その後、岸田総理が漁港で襲われて、真っ赤なプリント模様の漁師用作業衣を着た屈強な男性が、犯人を捕らえました。青葉真司がまっかな Tしゃつをきて、ガソリンを運んでいる映像と同じ狙いで、この事件も行われて居ます。目的は、私が書いて居ることを否定する為です。そのための演出用に目立つ赤が使われたのでした。単純至極な思考様式なので、すぐ、事件が作られたものだと、言う点が、私には、わかります。

 さて、安倍晋三暗殺事件のもう一つの大きな特徴は、その事件が西大寺で、行われたことで、私に、旧姓西大寺さんに捨てられたころの苦しみを思い出せと、言う目的があったことです。

 奈良県の知事は、何かひどく消耗なさった上で、辞任をされたのですが、とんだとばっちりでした。「あなたの責任ではなくて、鎌倉雪ノ下の残虐さを書いている私を、精神的に自滅させるために、西大寺で、事件が起こされたのだから、あなたが、追悼の意を深くするのも当然ですが、真実は、違うところに在るので、ただただ、緊縮するだけで、よかったのです。辞任をする必要はなかったのでした」と、言っておきたいです。

 もう一度、旧姓西大寺さんに戻ります。この暗殺事件において、あなたとの関係は、有るのですと、彼女に言いたいです意図せぬ罪ではありましょうが、2003年ごろから、2005年にかけて、じわじわと、私を捨てて行った旧姓西大寺さんは、井上ひさしと、仲良しという縁を結んだことによって、安倍晋三殺しの一端を担ったという事となります。

 無論、私は捨てられたことに対する復讐を目指して、こういうことを言っているのではありません。だって、所謂、恋愛の間柄ではなくて、メンターとして慕っていたというわけですから。復讐をしたいと願うほど、どろどろした間柄ではないです。理性の範疇で、処理できる間柄でした。切れても、繋がってもね。唯ね。慕っている私をものの見事に捨て去るのは、安倍さん暗殺と、いう、そういう結果につながったのです。神様って、本当に恐ろしい程に見事な采配をなさいます。

 瓜南直子さんだって、彼女の投稿の内、全日本あすハガレンと、映画のプログラムに関するものは、全部、私いじめ用だったのですよ。一般の方には、それは、そういう風には、見えないでしょう。だけど、いろいろ裏があって、伊藤玄二郎は、彼女にそういう命令を下していたのでした。企画展をお世話してあげると言う形で、直子さんは、言う事を聞かざるを得なかったのです。その上、私の文章を一回も読んだことがないから、平気で、私を苦しめ続けていたのでした。彼女が死んだら、こういう真相(または、深層)を丁寧に、書き続ける筈だと、理解をしていたら、あんなにも嬌意に満ちて、ふざけ切っている投稿は、しなかったはずですが、周囲から、特に悪人から、ちやほやされていた彼女は、私の文章を、二千字程度でも、読んだことがないのでしょう。虐め放題の、投稿群でした。

 そして、金田佑子さんをスパイに仕立てて、私と、2011年11月3日にデートさせようと言う手配をしたのも瓜南直子さんでしょう。無論命令は、伊藤玄二郎から来たのでしょうが、実行をしたのは、直子さんでしょう。

 そして、それを私が断ったら、豊島屋の源平巻きを、「無駄だった動き=しかも、暗い役目をさせた佑子さんへの、謝罪のために、送って、それが、鎌倉から広島に届いたころに、二人で、エッチ(=卑猥)な、冗談を、誰もが見ることのできるコメント欄で、かわしつつ、私をからかい切ってきたのでした。

 在りもしない【恋のうぐいすから】という日本酒を、「貴女(=私の事)に送ります」という画像付きのメッセージを送って来ながらね。それを見たとたんに、パソコンがフリーズして、3時間ぐらい画像を見せ続けられました。日本酒用のラベルぐらい、鎌倉春秋社で、雇っているデザイナーにだって、作らせえるし、桜田門内にも、しかるべきウエブデザイナーは、居るでしょうから、その手の画像を使ったから会など、簡単に作ることができるのです。

 そのジョークのやり取りを見たとたんに、私は、二人を捨てました。2011年11月18日の事でした。その日以来、直子さんの健康は、極端に衰えたそうです。鎌倉在住のプチ文化人(男性らしい)が、ブログで、書いて居ました。直子さんは、12月から、居酒屋・日暮文庫でも、スツールに座っていられないほどに、体が弱ってきていて、ソファーに寝ていたと。

 私が、直子さんの文章を、それが、嫌な攻撃用文章であっても、伊藤玄二郎の意図が判るので、チェックしてあげている間は、彼女は、元気だったのですよ。

 しかし、完璧に「これは、もう、読まない。金田佑子というサイトの方も、読まない。と決めたとたんに、彼女は、急激に弱って行ったのです。それが、2011年11月18日を境の話です。

 で、全然知らなかった直子さんの死ですが、ほぼ、半年後に「あなたが、ここに書いている人は、もう死んでいる筈ですよ」と、知らせて来た人がいて、彼女のフェイスブックを、一年ぶりに開けてみたら、驚くこと、驚くこと。

 全く不誠実だと、知っていた、伴清一郎さんが「愛していた」などと、語っているのでした。そして、佑子さんもしおらしく、「お墓に行ってきました」ですって。信じられないです。自分たちが、偽善者になっているという事が、見えないのかしら。恥ずかしい人たちです。彼女の美貌と知名度と、人気に、依存をして、自分もそれと、同等のものを持って居るかの如く錯覚をしていた、無知な人々よと、唖然としながら、それらを、読みました。

 私の方は、第一次フェイスブックのはアカウントは、停止され、そのころ書いていた文章を消されてしまったので、証拠がありませんが、

 直子さんが、2011年の8月ごろから、体調が悪いことを知っていて、同情してあげていたんですよ。それを・・・・・紙の作品の額縁は、意外に重いのだ・・・・・と言うエッセーで、暗喩しています。それと、経済的に困窮していたことも、わかっていました。漬物を大好きでしたね。それがぬかみそだったら、これほど、安価なおかずはないのです。私が自分もお料理が好きですと言って、自分宅の夕食の写真を彼女のフェイスブックのコメント欄に、引っ付けたら、彼女は、激怒して、「削除してください」と言われたので、その時、わかりました。

 何が、というと、彼女の経済的困窮度がです。私は昔、簡単な栄養学として、「一週間に、60種類の食品を食べてください」と教わったので、常に、材料は、惜しみません。

 すみませんが、ここまでの、誤変換直しを、18日の、午前一時までに行いました。これ以降の推敲と、誤変換直しは、後刻、行わせてくださいませ。

ニューヨークの版画家で、日本人女性と同棲していたころに習ったらしい、サツマイモ入りの蒸しパンを、主食にしていた男性がいるのです。彼が、私が去った後、9か月で孤独死(一種の飢え死にだと思う)したと、2002年に知って、芸術家の、貧乏ぶりに、いろいろ考えがいたって、書いたのが、五冊目のエッセー集【黄色いさくらんぼ】です。彼、本名・ホアレスを、悼みます。かわいそうに、日本人女性版画家よよの悪知恵で、誰も使用料を払わなくなって版画工房がつぶれてしまったので、摺り師としての収入が無くなり、飢え死にしたのでした。私は、2000年の、秋、9月から11月までは、毎月500ドル、当時のレートで、6万円位を使用料として払っていたので、無給で事務を担当していた、スーパーモデルに、感謝されて、内情を聴いていました。家賃が、110ドルだったそうで、私の500ドルは、版画工房を維持するのに、大きく役立っていたのです。よよは、自分が無料で、使えるシステム=モニター制度を作り出して、最も優秀な12人を任命していたので、みんなが使用料を、払わなくなったのでした。悪知恵の人です。日本では、雑誌の編集者ではなかったのかなあ。日本で、何か、嫌なことがあったので、ニューヨークで草間彌生になるつもりで、永住権を取って(それは、白人と結婚したので、可能だったのですが)すんでいた女性です。酒井忠一先生に取り入って、クラシック音楽の作曲家だというご主人を紹介し、如何にもニューヨークの上流階級風にふるまって、先生をカモにして、取り言って、神奈川県展の、賞をもらっていました。だけど、既製品のカギを、只なぞっている作品ですよ。幼稚園児級の、仕事です。だけど、さすがに私の目を恐れて、次の年の圏点には、それではないフォトエッチング、(80㎝ぐらいの単体=自分が生んだものではない赤ちゃんの顔を、六回ぐらい繰り返して、大きな版画として、また、入選していましたね。常に、「コンセプトが何たら、かんたら」って、大口をたたくので、よよは、日本では、広告業も、マスターしているなあと、思ったものです。林真理子もコピーライターから、出発しているので一般人をカモとする、くせが、肌身に染みついている模様ですが、よよもまさに同じで、自分は頭一つ、一般人よりは、上だと、考えています。広告業界って、そういうところです。芸術とは程遠い。

 しかし、露悪家ぶってはいるが、本来は、気が弱くて優しい、ホアレスは、摺り師の仕事が無くなって、貧しい人あ立が暮らす(だから白人の、不動産屋女性社長は、あれは何でしょうか?と質問をする私に、何もそこについて、説明をしなかったほどなのですが)茶色のレンガで出来た、窓の小さいマンションの中で、孤独死したのでした。飢え死にでしょう。電気求められていて、ガスも止まっていて、暑い九月に、近所の人が悪臭に気が付いて、その死を、発見されたのでした。しかし、亡くなってみると、彼は、いい人間だったという人が多いのでした。かわいそうに、かわいそうに。

 で、それを経験している私は、瓜南直子さんの、経済的苦境もわかっていたのです。我が家の夕食の写真を削除して、と言ってくるなんて、非常に切迫していたのでした。それに、豊島屋の源平巻きって、2011年には、美麗な缶入りで1300円でした。贈答品として値段の割に、高価に見えるものでした。送料は豊島屋が負担をしたと仮定すると(もしかすると、安いから、送料を負担してくださいと言われたかもしれないが、瓜南さんの美貌と知名度を、社長、当時は陽彦(はるひこ)さんが知っていたら、送料は只になったかもしれません。ともかく、警察または、伊藤玄二郎から頼まれて、私に対するスパイとして使おうとしていた、金田佑子さんに、私が断ったので、「無駄骨になってごめんね」と、言うにしては、あまりにも安いものです。で、直子さんが、経済的に貧窮しているのは、わかっていたのです。でも、京都駅から、東山に向かう実質婚の相手、伴さんは、自分は、タクシーを利用するのに、追い抜いてしまう、直子さんを乗せてあげなかったのでした。まあ、気が付かなかったという事にしておきましょう。だけど、経済的な支援は、一切していなかった模様です。日暮文庫という居酒屋での、彼女を記述したブログ文(他人の物)を読むと、それが、よくわかります。彼女の美貌と、知名度の高さと、人気を利用していただけだと思われます。ところが、亡くなると、甘い甘い、褒め言葉を羅列して、自分が愛していたと誇っています。いやな話です。

 暗い話が続きますが、1999年のニューヨークに林真理子が1週間程度来て、紀伊国屋の付属カフェ(30人程度が定員)で、講演をするというポスターを見た時から、彼女が、私のライバルとして設定をされていることに気が付きました。で、どんどん、どんどん、大モノ化させて言ったのです。直木賞受賞。直木賞審査員、とね。

 そして、最終的には、文化勲章受章でしょうが、とちゅう経過として、文化勲章よりも大きな勲章として、日大理事長という肩書を与えたのです。処が、それを実現させるために、悪辣な、鎌倉エージェントは、宮川泰介の、違法タックルという企みを作り上げ、関西学院大学の関係者(特にコーチとか監督)にもいろいろ、言い含め、そして、大きな試合でもない(だからNHKで、放映をしたわけでもない)のに、NHKカメラは、執拗に宮川泰介だけを追い続け、彼が、違法タックルをした瞬間の映像を、100回ぐらい総合チャンネル、で、流し続けたのです。

 宮川泰介の、裏側については、何度も書いているので、ここでは繰り返しません。だが、これによって、日大では、優勝回数が多い、花形競技だった、アメフトは、壊滅的打撃を受け、宮川泰介以下の学生は、試合にも出られなくなったのでした。そのうつろな、心に、大麻が忍び込んだのは、よく理解ができることです。一方、役割を果たした、宮川泰介は、富士通に入ってレギュラーの位置を、既に確保しています。この雪の下二丁目の、ケースと、全く同じです。CIAエージェントまたはその家来としての警察に、協力すると、莫大な、金銭的利益を得られます。

 今まで、書かなかった大切なことは、アメフト部を壊滅させることによって、日大の中で、大きな力を持って居たスポーツに強い理事を、一掃することができた事でした。そして、一新させる指導陣として、文科系のスターとして林真理子を送り込んだのです。文化勲章の前に、とても目立つ名誉として、日本大学の理事長職を与えたのでした。しかし、宮川泰介選手の違法タックルによって、得た地位ですから、その最初の事件が、謀略だったとしたら、林真理子は、全日大を足蹴にして、裏切って、その地位を得た事になります。

 彼女はバカではないんでしょう。そしたら、今、私にわかっていることは、自分でもわかっているのでしょう。それでも、シャーシャーとして、一般コクミンの前で、マイクを16本も立ててもらって、理事長として発言が出来るのです。2-23年8月8日の事です。どういう頭の構造だろう。テレビとかメディアが作り上げたモンスターです。悪女というのにしては、あまりにも影がないですね。恐ろしい。彼女には思想も哲学もないです。こういう人がたとえ入試の偏差値が悪いと言っても、将来は社長になる可能性のある若い人を引き受ける、保護者的立場をとるんですって。日大卒業生が、日本社会で、社長になっている割合が、一番多いそうですよ。テレビを支配するものが、日本を支配するのです。

 内田監督とは、テレビに殺された人です。メディアの記者たちに殺されたと言ってもいい。集団リンチです。子供社会で、いじめが無くならないのは、てれびで、こんなに堂々といじめ画面を見せられたら、ああ、やっていいのだと、思うではないですか? 彼女は、その場その場で、自分に役立つ人をかぎ分ける才能はあり、朝令暮改だろうが何だろうが、その人の言う事は効くのです。彼女の裏にいる、CIAエージェントは誰だ? むろんあの男でしょう。

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林真理子理事長を解任しようかという動義が、理事会から出たそうだが?!?!?

2023-11-15 01:06:18 | 政治

 この一文ですが15日の夜に少し書き足しています。しかし、まだ、完成ではありません。お待ちくださいませ。完成したら、完成だと、ここに書きます。 

今新しいものを書き始めています。しかし、完成まで、時間がかかりそうです。あした重要な外出があるので、早く寝ないといけません。それで、そちらは、いったん、引き下げて、もっと簡単に書けるものを新しく書いていきます。******罫線以下のニュースが、本日NHKに出て、一義的には、私は喜んでいます。

 日大アメフト騒動は、林真理子を理事長にするために、わざと、起こされた謀略である。宮川泰介、紗江両選手は、西東京市の英語塾(ミセス、古村経営)に通っていて、ミスター古村=古村浩三君とか、石塚雅彦さんなどの、ICU出身の、CIAエージェントに、見いだされ、リクルートをされて、かつ教え込まれたとおりに、違法タックルを繰り返した。

 表向きには、内田監督の暗喩によって、違法タックルを繰り返したとなっているが、違う。古村浩三君及び、石塚雅彦三らとの面談により、教え込まれたとおりに、行動をした。一学生の分際で、かつ、大組織日大に対する、一種の内部告発者である、宮川泰介選手が、

 日本記者クラブ(内幸町)の、緑色のどんちょうの前で、記者会見が出来ること、その物がおかしいのだ。

 その上、親戚筋だと思われる、宮川紗枝選手も同じ会場で、コーチのパワハラを告発した。同じコーチに今も指導をしてもらっているそうで、彼女のパワハラ告発は、私のブログ文に対するからかいでしかない。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 で、恐ろしい動画が撮影をされて、NHKは、それを100回以上繰り返して報道をした。ライスボールでもない、日本選手権でもないと言う事は、有名な試合でもない・・・・そして、そのゲームが地上波で放映をされたわけでもないのに、テレビカメラが、彼の違法タックルを執拗に追いかけた。これは、本当に意図的な撮影だ。日大の中で、輝く分野とみなされていた、アメフトを攻撃し、日大そのものを、ずたずたにして、

 新風を期待されている人材として、林真理子が選ばれた。理事長職にだ。だけど、彼女を偉い人にするために、違法タックルが、起こされたので、彼女は、実際には、日大というブランドを足蹴にして、かつ全学と、全卒業生を裏切って、居ることとなる。厚顔無恥とは、まさに、このことだと、思わせられる。

 さて、ここからが、大問題だ。NHKニュースは、真正面から、とらえてはいけない。林真理子には、一定のファンがいる。それで、利用価値が、まだ十分にあると見なれされている。彼女を利用して、或るめっせーじを日本国民に伝達していき、日本国民を洗脳する役目を、まだ、担わせたい、そういう目的で、使いたいと思っている人間が居て,その人間が解任動議を出したのかもしれない。または、はっきり言うと、例の鎌倉エージェントが人脈を利用して理事のうちの誰かに働きかけ、彼女が、暴言をテレビカメラの前で、吐くという様な大破綻を見せる前に、救いの一手として、解任動議を出させた。そういう意味合いも十分にありそうだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 私は林真理子が、8050を出版した時から、ひそかに怒っていた。あれは、彼女自身は、それを知っていたかどうかは知らないが、私のブログのテーマの剽窃である。

 私の学友に引きこもりの坊ちゃんを抱えている人がいて、彼女とは、50年前から、・・・・・そういう育て方では、危ない・・・・・と、私の方が思っている関係であり、度々、暗喩的に、注意をしている。特に・・・・・坊ちゃんが、25歳の時に、・・・・・自殺未遂を起こした・・・・・と、別の友人が、教えてくれたので、

 以前から考えて居た通り、・・・・・「別居させなさい。あなたがそばにいてはだめよ。500万円位与えて、独立をさせなさい。その後、絶対に行ってはだめよ。掃除をしにも、ご飯を作りにも、行ってはだめよ」と、言うつもりで、電話をかけたが、「誰が、その話をしたの?」と、詰問をしてきて、大切なことを話すチャンスさえ与えてくれなかった。

 或る晩(=前夜)にその電話をし始めて、2000円か3000円の電話代を支払った。だって、こういう電話は自宅ではできない。彼女に、「遊びによこしなさい」と言っていた息子もいる。うちの息子は母親に反抗が出来る。ところが、彼女のお坊ちゃんは、母親に一切反抗が出来ない。そこが大問題で、しかも同年齢の友達がいないと見える。そこが大問題であり、うちの子と話し合わさせれば、ある種の解決をもたらすと考えて居た。

 これは、偏差値優秀校を出た母親のいる家庭に共通する問題なのだ。子供が生まれたころ、子供の数が多くて、大学受験が親世代よりも、競争が激しくて難しくなっていた。母親と、同じくらいの、偏差値優秀大学に入れないと、自から、考えて居る子供は、おかしくなりやすい時代だった。それが、真実は、優しいうちの子が、「おかーん、なんか、ぶっ飛ばせ」とでもいえば、その坊ちゃんの救いになり、突破口になると考えて居た。それが、二人共が、19歳の時であり、その前、16歳の時に、母親が、「公立中学のPTA副会長を引き受けた」と聞いて、すぐ「やめなさい」と、言ったのに、やめなかったのだ。

 これは、地域社会の中の女の、勝ち位置のひとつであり、当然の事、子供は注目をされる。しかし、成績が悪いのだったら大変だ。だから、子供にとっては大迷惑行為だ。子供を愛して、大切に思うのだったら、すぐ、私の言うとおりにするべきだった。でも、そうしなかった。それで、卒業近くになって、彼女の立ち位置にふさわしい高校には、当然のごとく無理だと、なって、地域社会の人は、誰も知らない遠くに在る・新設・私立高校を受験した。それは、坊ちゃんが選んだ道ではなくて、親が選んだ学校だった。そして不合格だった。これは、坊ちゃんを徹底的に傷つけただろう。

 しかし、それでも親を批判できない坊ちゃんなのだった。彼女は、子供を愛しているつもりになっているが、はたから見ると、全然愛していない。したがって、坊ちゃんは反抗が出来ない。愛されていればこそ、反抗が出来る。安心して反抗ができる。反抗しても母親が、自分への恩愛を捨てないと確信しているから、分離の時期の犯行が出来る。

 しかし、母親の愛を信じられなければ、母親を批判することさえできない。したがって、分離も独立もできない。つまり、我が家には、その母親を自由に、批判できる息子がいる。彼にでんわの内容を、聞かれると困る内容だった。彼は、「おせっかいをやめろ」と言うだろう。だから、鎌倉でも、自宅ではないところで、電話をして、2000円か、3000円を使った。

 次の日の昼間、上野の公衆電話から、テレフォンカード5000円も使って、また、電話をかけた。ここが私の優しいところなのだ。人の立場や、気持ちが判るので、彼女の、キリキリした気持ちを和らげてあげたかった。だが、その時間全部、「誰が、その話をあなたに教えたの?』という相変わらずの、責める、ことばだけだったのだ。25年前だ。携帯はない時代で、電話代は、距離によって、変わる時期だった。鎌倉からよりも、上野からの方が、彼女の家に近いのにもかかわらず、公衆電話で、五枚も千円のテレフォンカードを使った。私はその日、大川美術館で、個展をしている友達から来てほしいと言われていた。大川美術館は駅から遠い。したがって、四時半までに、そこに行くのには、上野でのタイムリミットがあり、それが近づいて来た。で、私の方が、突然強く割り込んで、「こうこう、こういう事情があるので、もう、やめたいわ。この電話。すでに、5000円は使っているし」と言った。すると彼女は突然に我に返って、「あ、ごめん」と言った。その時以来、彼女に電話を掛けるのはやめた。遠いので、訪問をするのも無理であり、自然に往来は途絶えた。

 彼女は、友人をランク付けしているのだった。子供が居なくても、立派な会社に勤めている友人は、私より上だから、そちらには、自分の悩んでいることを相談する。彼女の悩みとは、アメリカ滞在中に不倫をしてしまったことで、そのベンドイン姿を子供に観られてしまった事だった。相手が黒人だったので、まだ、4歳ぐらいだった、坊ちゃんにも衝撃だったと思う。それが悪かったのだと、彼女は悩んでいた。しかし、違うのだ。そうじゃあない。そんなことは一過性の問題で、重要ではない。

 ただ、彼女が成果主義の人で、愛情がなんであるかを知らない人だ・・・・・と、言う事が大問題なのだ。ご主人のことも、本当の意味では、愛していない。大学在学時に最も立派な男性だと見えたので、選んだのだ。だけど、ご主人が大企業(超有名会社)をやめてしまうと、もう大切ではなくなって、不倫に走ってしまう。しかし、ご主人を、本当の意味で、・・・・・そうです、キリスト教の言う意味で、病める時も、愛しなさい・・・・・と、言う風な、そこまでの忠告を、私が発することはできない。

 ただ、ただ、坊ちゃんに対してだけなのだ。わかっている問題点を彼女にすべてぶつけることはしない。彼女は、のちに火事を出す。それについても別の友達が言っていた。「あの人って、ご近所(=地域社会)に人気があるのよ。で、火事を出しても、すべての家財道具は、友達が持ってきてくれたので、買わないで済んだと言っていたわ」と。その友達は、「あの人って美人だから、云々、カンヌン」と別の日に言っていた。

 その友達は、坊ちゃんの自殺を教えてくれた人ではない。そんなに、おっちょこちょいではない。節度を保つ別の友達だ。だが、引きこもりの坊ちゃんが居るママを、特別に私より上に置く、その措置だが、ご主人が東大教授なので、そちらから、そういう様に指令が出ているのではないかなあ?と、思う。本人が東大卒、または、ご主人が東大卒という友達が全部裏切ってきている。誰かが、東大卒を統率して、私の敵になる様に、動いていると、思う。

 ともかく、引きこもり家の、ご主人は、うつ状態で、奥さんは、家に火事を出す。そういう状態だ。だから、神様はちゃんと御覧になっていると思う。とにかく、私が関係を断つと、その人の周辺には悪いことが訪れる。それは後に、瓜南直子さんに起きた事と同じだ。ともかく、そういう点までは、踏み込まないでも、お子さんに対して、間違った、接し方をしているのだけは、忠告をしたかった。だけど、上野で、立って、五千円分の、テレフォンカードを使わせられた日以来、関係を断っている。非常に苦い思い出だ。そういうエッセーをここで、書いている。心の中で、血を滴らせながら書いている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 林真理子本人が、そのブログを読んだかどうかは知らない。だが、林真理子の後ろには、常に、彼女に直木賞を与えた井上ひさしが居る。井上ひさしは、公的には自分を死んだことにしているが、いまだ実際には、生きている。いろいろな、謀略を練り、日本人を操作している。林真理子を日大の理事長にして、私よりもはるかに上の存在だと、するために、あのアメフト違法タックルも彼が、発案をしたのだと、私は考えて居る。そして、テーマだけの横取りとして、8050を書かせて、出版をさせた。それで、私を打ちのめしたつもりになっている。

 で、大マスコミを支配している、井上ひさし、伊藤玄二郎、林真理子に抵抗しても無駄だから、はい、打ちのめされました」という事にして、置いて、一切の論評を避けてきている。何に対してか?というと、ベストセラーだと言われる8050に対してだ。

 だが、抑えられ切っていた、気持ちや、考えが、【奇跡】を読んだときには爆発した。後で、リンク先を探してここに置いておく。

 千之助は、非常に危ない。博子(母)さんの性欲の、囲み込みの中で、生きて来ていて、父親との、愛や分離を経験していない。田原氏との疑似親子関係は、博子さんが、自分のために、作っているまやかしの、お城であり、そこでの経験は、人間としては、何も役に立たない。是では、仁左衛門も、死ぬに死にきれないだろう。20年以上も、掛け持ちのセックス関係を持って居ながら、妻として、動いてきたのが、なんで奇跡なのだろうか? 「まあ、軽蔑すべき行動形態ですね」というしかない。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 今、私は歌舞伎座とトラブっている。2023年10月19日に急造をされた定款というものを、錦の御旗として、切符を持って居るのにもかかわらず、歌舞伎座、一幕見席の入り口一階で、11月4日には、入場を拒否された。本日11月15日は、三階B席を持って居る。でも、もし、入場を拒否されたら、林真理子が、どれほど、優遇をされているかを書かないといけない。それを、井上ひさしたちは、『雨宮舜(=川崎千恵子)を、とうとう、壊滅的にいじめてやった。非常に沈み込むはずだ』と、拍手喝さいして喜ぶのだろう。そして、例のセコムの、警官張りの服装をした、屈強な男たちに、B2へ降りるエスカレーター乗り場まで追いかけさせるつもりだろう。

 だけど、最悪のケースとしては入場をさせておいて、幕間で、三階で、逮捕すると言う、シナリオもありだ。携帯に、それ用の文章を入れ込んでおいて、クリック一つで、発信できる様にしておきたいが、座席だと、携帯の電波が届かない。で、もし、今、無事に出てきましたと言うブログを発信しなかったり、または、本日も入場拒否されましたと、言うブログを発信しなかったら、定款違反で、逮捕されていると考えていただきたい。

 松竹の定款とは、ご近所人間、安野智紗夫人を助ける為の物でもあったが、もう一つ、林真理子を絶対的に、上の人間として、私に見せつけると、言う目的もあったのだった。

 本年の8月8日にも、偉い偉い姿の林真理子を、見せつけられた。マイクの本数だが、林真理子には、16本、学長には、6本である。「はい、負けていますよ」と、言っておこう。

 でも、この大麻問題だけど、是もまた、林真理子が招じ入れた現象だ。あの違法タックルがあるからこそ、宮川泰介以下の学年の学生は、特にアメフト部の学生は、陥穽に陥れられた。一応卒業しないと、就活もできないので、無為、無策、+虚無の中で、生きているわけなのだけれど、そりゃあつらいので、大麻位、吸おうぜ、という意識にもなるだろう。こういう環境も、林真理子を私より上に置きたい、井上ひさし(もう一度言います。今だに、生きているのですよ。2000坪か3000坪を誇る、鎌倉佐助の林の中で、生活臭を消して、生きているのです。)が作ったものなのだ。すべては、林真理子を私の上に置きたいと言う、欲望のために。そして、それは、1999年から始まっている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 なお、私は林真理子については、たくさん書いてきています。ただし、総タイトルに林真理子と言いう文字を入れないケースが、多いので、気が付かない方も多いでしょう。それで、最近書いたもののリンク先をここに置いておきます

  さて、この章は、林真理子に特化して置きたい章です。ほかのことを書きたく無い章です。しかし、今朝の七時ごろ、『本日の午後四時半から、非常に大きなストレスがかかることがあるなあ。それについて、防衛のための文章を書いておかないといけないと、考えて、前の前の節で、歌舞伎座三階B席の切符を持って居るから、今から、行きます。最悪の場合は、いれておいて、座席の中で、逮捕もありです。と、書いて外出しています。結果を書かないと、何時も、大げさなんだから、と、笑われそうで、仕方がないので、ここで、結果を書きます。えん罪逮捕は、無かったが、松竹が、緊張しきっていて、小川課長より上の人、もしかしたら、歌舞伎座支配人(プログラムの写真で、なんとなく覚えている日焼けした人)さえ、入り口に待って居ました。それから、若手社員が、四人~5人ぐらい、セコムが、四人ぐらい、四日より二倍か、三倍の、人数が待って居ました。やはり、

 この写真(彼が指定したのは、大体同じだが、撮影日が違うので、もう、少し違うもの、舞台に一番近いところに立っている女性が、椅子に座っているもの)を、このブログの世界から、削除しなかったので、いれません。と強く言われました。セコムの人間は、以前より、おとなしかったです。つまり、役目の入れ替わりが起きていました。

 私はね。いろいろ、考えて、あらゆるケースに関して、準備をしてきました。本日、林真理子について、相当厳しく分析しているので、彼を、押している、井上ひさし(実際には、まだ、生きていますよ)が、歌舞伎座を支配して、「彼女を排除せよ」と、強く言いましたねと、判断をしました。一ツ、11月4日と違ったことは、小川純一課長が、本日は、非常に強気で居丈高であり、・・・・・・そこから出なさい。そこに入ってはだめです。というのです。どこに入ってはだめかというと、「歌舞伎座正面の、余地(=大看板が立って居たり、テレフォンガイドを、貸すブースが出来て居たりするスペースで、よく観光客が歌舞伎座の建物の、写真をスマホで、撮っている場所です。奥行きが五メートル~七メートルはある、屋根のない場所・・・・・・から出なさい」と言うのです。非常に強気で、キリキリしていました。で、私はありとあらゆる場合を想定していますので、そういう命令を受けてもパニックには陥らず、『あ、これをすぐブログ化して、皆様に報告をしないとだめだ』と、考えたわけですが、スマホを忘れちゃったのです。で、非常に遅くなって、ご報告をしています。

 でね。「明日お友達と、一緒に、来るのだけど、それでもだめですか?」と言ったら、「それもだめです」と、小川課長は言うのです。このお友達と一緒に来ると言う話ですが、私が誘ったのではありません。彼女から誘われたのです。今の私は、山口みつ子さんが、殺されてからは、ほとんど誰にも電話をかけて居ません。来るのは、相手からだけで、しかも、何らかの意図が隠されている場合が多いのです。

 で、その日はすぐに、一種の手打ち式が設定されたのだと判断をしました。実は、彼女自身が大富豪ですが、大富豪と、一緒に行くから、歌舞伎座が折れてくれるというわけではありません。そうじゃあなくてご主人の方が歌舞伎座にとって、大切な人なのです。だから、歌舞伎座が折れてくれるのだと、考えました。ご主人がどうして歌舞伎座にとって大切な人であるかというと、、歌舞伎座が、新作を作る際に、コンテンツを、提供する会社の偉い人だからです。こういえば、皆様もなるほどと、納得をなさるでしょう。日本固有の三すくみの法則が当てはまるからです。つまり、歌舞伎座は、私に対して強い。私は大富豪夫人と、対等である。大富豪夫人は、御主人には、弱い。そのご主人は、歌舞伎座に対して、強い。すみませんが、ここから先は、16日に書きます。

*******************

日大 薬物事件対応めぐり 理事会が理事長らの辞任勧告検討

日本大学アメリカンフットボール部での薬物事件の対応をめぐり、大学の理事会が林真理子理事長や学長、それに副学長に辞任を勧告するかどうか、検討を進めていることが分かりました。関係者に意見を聴いたうえで最終的に判断をする方針です。

日本大学アメリカンフットボール部の部員が逮捕された薬物事件をめぐっては、先月、第三者委員会が報告書を公表し、事実をわい小化する姿勢やガバナンスの機能不全のほか、大麻と疑われる植物片を12日間警察に届けず保管した対応の責任などが指摘されました。

指摘を受け、大学は関係者の処分や再発防止策の検討をしていますが、今月10日の理事会で林真理子理事長や酒井健夫学長、それに澤田康広副学長に対し、辞任を勧告するかどうか議論されたことが関係者への取材で分かりました。

無記名の投票形式で出席者に意見が聞かれ、3人全員に出すべきだという意見があった一方、慎重な意見もあったということです。

辞任の勧告に強制力はないということですが「理事長選考委員会」や「学部長会議」などの関係者の意見も参考に、最終的に判断される見通しです。

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新型コロナウィルスで、もうけたのは、アメリカであった。地上戦用兵器=軍需産業と、どちらのもうけが大きいのだ?

2023-11-13 21:19:41 | 政治

副題1、『私は、最近、急逝したいとこも、他殺ではないかと、いう、かすかな疑問を抱いたのだった。彼の死因は、11月3日に、別のいとこから聞いた話によると、間質性肺炎ということだったが、その病名を聞く前には、新型コロナウィルスのワクチンによる後遺症だという話だった。で、山口大学の附属病院で、研究のために解剖をするので、お葬式はいつになるかはわからないという話だった。今、来る11月15日(=明日)が、松竹を相手にすると、重要な日になっている。その日前後に、お葬式が設定をされる可能性があり、悪くすると、その往復時に、新幹線を利用したら小田原の焼身自殺時のように私一人が殺される可能性があるし、航空券を買ったら、向田邦子風に、乗客全部を巻き込む事故が起きる可能性があるなあと、考えて、「近々、私は、殺される予定です」と、このブログで書いた。そうしたら、突然にいとこのお葬式が早まって、日時のお知らせもないままに、挙行をされてしまった。私は、自分の推察が正しかったのだと、考えている。

 ところで、そういうことを考え抜いていた私は、今日=2023年11月13日、の午後、八幡宮の表参道、段蔓で縁石に座って、休憩中に、突然に新しいひらめきを、得た。すごいひらめきだった。

 それが、いったん、引っ込めてしまった、前々報【歌舞伎座もご近所人間も私を馬鹿にするでないぞ。コロナウィルス騒動について、私が知っている事を今から書くから、耳かっぽじいてよく聞きなさい】である。まあ、仰々しい、そして、威張ったらしい総タイトルだ。だけど、普段、損害と、悲しみだけを味わっている私に突然、訪れた明るい出来事だったから、はしゃぐのもお許しいただきたい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『新型コロナウィルス、COVID19は、一種の生物兵器で、人を殺すことが目的でもあるが、もう一つ大きな目的があり、それは、ワクチンで、欧米諸国の富裕層が大儲けをすることだった。それが、大きな要素だったのだ。今遅ればせながら、ファイザーとモデルナの本社の所在地を調べた。するとファイザーが、ニューヨーク、モデルナがケンブリッジ(しかし、アメリカマサチューセッツ州にある都市)に、ほんしゃがあり、両方ともアメリカの会社だった。

 ところで、日本国は、余ったり、、冷蔵が、うまくいかなかったりするワクチンの費用を含めれば、二兆円は、アメリカに献呈している。台湾、ベトナム、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランド、マレーシアなどは同じだと思う。インドと、中国はわからない。

 今パレスチナと、ウクライナで、地上戦が行われている。これも、欧米の軍需産業をもうけさせる仕組みだけど、COVID19も、そのワクチン販売において、アメリカに多大の富を与えたのだった。アメリカの富裕層は、その両輪で儲けた。

 ところで、日本の製薬会社で、欧米と提携関係を結んでいない会社でも、COVID19に対するワクチンとか治療薬の研究が進み、2021年度内にできていたはずなのだ。しかし、厚生省が許認可を与えていない。被・植民地国家の悲しみは、沖縄の基地ばかりではなくて、こういうところにも表れている。

副題3,「NHKは本当にひどい。コロナウィルスの形として球体のまわりに、お菓子の絵プレッツエルみたいなわいじ系の硬い突起が出て居るものを使って居た。それも私のブログを否定する為だったと今なら、はっきりと言える。こう言う事をして居るから、東大が世界でランクが低くなるのだ。青少年のきょういくにも悪い影響を与えているだろう」

  ここは明日コロナウィルスの作り方という節で説明をいたします。

副題4  、「トコロデ、アメリカはトランプ大統領の時代でした。彼は盛んに中国が源泉だと言って居ました。確かに中国武漢には生物兵器研究所があるらしいです。しかし、ニュースはすぐさま横にずれて、中国武漢の生鮮食品市場が怪しいとなって、そこの映像が出ました。中国人は何でもたべる。だから、野生動物からコロナウィルスが人間に感染し始めたのだ。とも言われました。

 私自身、その種の

 ところで、本日は多大な妨害を受けたので疲れ切ってしまった。で、日本語の文章はここまでとしたいが、生物兵器としての、COVED19の作り方の基本はわかったのだった。それに役立つ資料を下に置きたい。これらが、部品として、使われているということではないが、化学物質と、生命との間に位置するといわれる、COVID19の作り上げ方に役立つ知識なのだ。

 ところで、劇的に効く薬としては、二大分野がある。抗生物質と、ステロイドだ。どちらも化学方程式とか構造式が、私にとっては、重要だが、まず、抗生物質を挙げておこう。

ペニシリン

19.1. ベンジルペニシリンカリウム

一般的名称 ベンジルペニシリンカリウム
一般的名称(欧名) Benzylpenicillin Potassium
略号 PCG
化学名 Monopotassium(2S,5R,6R)-3,3-dimethyl-7-oxo-6-[(phenylacetyl)amino]-4-thia-1-azabicyclo[3.2.0]heptane-2-carboxylate
分子式 C16H17KN2O4S
分子量 372.48
物理化学的性状 ベンジルペニシリンカリウムは白色の結晶又は結晶性の粉末である。
本品は水に極めて溶けやすく、エタノール(99.5)に溶けにくい。
分配係数
(log10 1-オクタノール層/水層、20±5℃)
pH2.0 pH4.0 pH6.0
2.6 0.83 −0.68
KEGG DRUG D01053

クロロマイセチン、

コルラムフェニコール

19.1. クロラムフェニコール

一般的名称 クロラムフェニコール
一般的名称(欧名) Chloramphenicol
化学名 2,2-Dichloro-N-[(1R,2R)-1,3-dihydroxy-1-(4-nitrophenyl)propan-2-yl]acetamide
分子式 C11H12Cl2N2O5
分子量 323.13
融点 150〜155℃
物理化学的性状 白色〜黄白色の結晶又は結晶性の粉末である。
メタノール又はエタノール(99.5)に溶けやすく、水に溶けにくい。
KEGG DRUG D00104

テラマイシン

有効成分に関する理化学的知見

一般名 オキシテトラサイクリン塩酸塩
一般名(欧名) Oxytetracycline Hydrochloride
化学名 (4S,4aR,5S,5aR,6S,12aS)-4-Dimethylamino-3,5,6,10,12,12a-hexahydroxy-6-methyl-1,11-dioxo-1,4,4a,5,5a,6,11,12a-octahydrotetracene-2-carboxamide monohydrochloride
分子式 C22H24N2O9・HCl
分子量 496.89
性状 黄色の結晶又は結晶性の粉末である。
水に溶けやすく、エタノール(99.5)に溶けにくい。
KEGG DRUG D01596

有効成分に関する理化学的知見

一般名 ヒドロコルチゾン
一般名(欧名) Hydrocortisone
化学名 11β,17,21-Trihydroxypregn-4-ene-3,20-dione
分子式 C21H30O5
分子量 362.46
融点 212〜220℃(分解)
性状 白色の結晶性の粉末である。
メタノール、エタノール(95)又は1,4-ジオキサンにやや溶けにくく、水に極めて溶けにくい。
KEGG DRUG D00088

さて、上までは、抗生物質です。しかし、最近、私が眼科及び皮膚科で処方されたのはステロイドでした。

19.1. ベタメタゾン吉草酸エステル

一般的名称 ベタメタゾン吉草酸エステル
一般的名称(欧名) Betamethasone Valerate
化学名 9-Fluoro-11β,17,21-trihydroxy-16β-methylpregna-1,4-diene-3,20-dione 17-pentanoate
分子式 C27H37FO6
分子量 476.58
融点 約190℃(分解)
物理化学的性状 白色の結晶性の粉末で、においはない。
クロロホルムに溶けやすく、エタノール(95)にやや溶けやすく、メタノールにやや溶けにくく、ジエチルエーテルに溶けにくく、水にほとんど溶けない。
KEGG DRUG D01357

20. 取扱い上の注意

一般名 プレドニゾロン吉草酸エステル酢酸エステル
一般名(欧名) Prednisolone Valerate Acetate
化学名 11β,17α,21-Trihydroxy-1,4-pregnadiene-3,20-dione 21-acetate 17-valerate
分子式 C28H38O7
分子量 486.60
融点 約186℃(分解)
性状 白色の結晶性の粉末で、においはない。
アセトン又は1,4-ジオキサンに溶けやすく、メタノール又はエタノール(99.5)にやや溶けやすく、ジエチルエーテルに溶けにくく、水又はヘキサンにほとんど溶けない。
KEGG DRUG D03301

以下は、妨害で消えない文字です。放っておいてください。

 

 

 

 

 

オキシテトラサイクリン
 

 

 

取扱い上の注意

この二つの構造式は、かゆみ止めとして、お医者さんが処方してくださる軟膏に主に使われている薬です。小さなお子様がアレルギー症状で、かゆい、かゆいと、言って眠らないとか、肌を掻きむしるときに、有効なお薬です。

しかし、ステロイドなので、たくさん使ってはいけないとか、も、言われているものですね。

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CIAの家来たちは、自分で自分の足を食う蛸に似ている。新しい謀略をひねり出すごとに、前の謀略の、隠された秘密が、明らかになるのだった

2023-11-12 21:51:33 | 政治

副題1、『すべての日本人は大体が温和で、親切である。ただし、自分たちのグループ内の人間とそうではない人間との間に差をつけて、自分たちの陣営にいない人には、不親切である。ところで、その自陣だが、CIAエージェントが、組み入れる自陣とは、世界最強であるために、その中に、組み入れられた人間は、一般的な、日本人からは、かけ離れた性格とか、行動様式をとる。非常に残酷なことを平気でする。それは今ガザ地区を攻撃しているイスラエルの行動様式と同じである。しかし、この件は、ハマスの中に、CIAがいて、それが、先導していると、私は、見ているので、NHKが、報道しているほど、単純ではない。ここで、ガザ地区から、鎌倉雪の下に戻る。今、この実働15件しかない、非常に小さな、ゲマインシャフトの中で、攻撃者として、機能するほとんどの人間の中で、いじめ方とその深さや、残酷さには、差が生じている。それは、元から、持っているものによって、CIAから命令されたことを実行する際の態度に差が出るのだ。そして、私は、善良な人から取り掛かってぶんせきしている。今、名前が挙がってるいる人たちは、合いかぎを持っていないことは、確実なのだ。だから、泥棒行為もしていない。富沢家から、始まった。そして、平木家、白井家と、移動中だが、四番目に言及する男性については、わざと実名をさらさない。それは、彼の、隠されていた(?)残忍さ、に、言及するにあたって、自由自在に書いていきたいからだ。読者の皆様が「これってフィクションでしょう。だって、彼女って、自分は、鶴岡八幡宮様の地境地主だって言っていたわよ。そんなブランド住宅街に、こういう陰険な人って、実在しているの?これって、大げさに拡大しているフィクションよ。きっと」といわれるほどの、残忍さを、きちんと書いていきたいからだ。で、彼の実名をさらさない』

今、大変激しい妨害を受けていて、下書きを落ち着いて書いて、完成してから公開すると言う事が出来ません。これは、以前にも経験している事で波状的に表れる攻撃形態です。それだけ今書いているものが真実に近いというか、真実そのものであるからです。

ところで、今、最高の高さの、波に、直面しているわけですが、なぜ、今なのかというと、白井達雄夫妻について書いていることが、安野智紗夫人について、ちょっと書いたり、また、は、これから書こうとしていることよりも、ずっと世界が大きい・・・・・・その種の、真実だからでしょう。でね。あの夫婦を本当に丁寧に分析していくと、日本全体を覆うCIAの言論弾圧の仕組みやら、それをだれが命令しているのか? などが、相当明快にわかってくるはずです。

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副題2、『しかし、今の私が、本当に書きたいのは、例の絵を盗んで、側溝の中に捨てた・・・・といろいろな状況から、私が確信をしている・・・・・例のプロの画家の、やっていることと、その悪辣さなのだ。私は、この指先で生み出す悪のレベルをだんだん深めていっているのだった。しかし、階段を一段階上がるのには、当然、ジャンピングボードがあるわけで、それは、この10月20日、松竹の課長、小川氏から、提示され、その内容を22日に読んでみた、松竹定款にあるわけだった。10月20日から今まで、書いたことは、その定款に驚いて、これは、戦わないといけないと決意して、雪ノ下のことを丁寧に書き始めている‥‥そういう種類の数唱だった。本当は、同時に歌舞伎座が今まで、示した不親切や、いじめについても、書かないとならないのだが、ともかく、雪ノ下の方が毎日の生活に、直結をするからだ。というのも、松竹の定款とは、歌舞伎座の下手の壁と、左袖席を写した写真を削除せよという命令だったが、それをきっかけとして、あれを削れ、これを削れとなって、このブログがズタズタになるのは、必定だったからだ。

 瞬時に、

 すみません。非常に疲れていて、これから先が書けません。明日書きます。お待ちいただきたく存じます。

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