銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ノーベル委員会への侵入と、女子大生ばらばら事件と、厚生事務次官殺しと

2010-10-31 11:29:37 | Weblog
 今、31日午後5時ですがやっと完成しました。読んで下さると幸いです。

 最近の特筆すべき問題点としては、島根県の女子大生が、ばらばら殺人事件にであってしまったことで、急に島根県警・警察本部長が、訓示をたれて、それが全国放送をされたことをあげましょう。私はこの事件については、今まで一切述べていないと思いますが、世田谷一家殺人事件と同じく、日本国民に不安を与えるために、そのかわいい女性が、人身御供になった可能性もあると感じています。犯罪者集団が組織的であって、かつ、被害者との間に、心理的な因果関係がない犯罪(???)だから、犯人が見つからない(???)。・・・・・のではないかと、私は心配しているのです。

 世田谷一家殺人事件は、遺留品のスニーカーが、韓国製だったとまで分かっている模様です。また、犯人は冷蔵庫からアイスクリームを出して食べていて、殺害後、相当な時間をその現場で過ごしていたとも分かっているらしいです。これも、組織的な犯罪だとすれば、外で見張っている人間などもいるので、犯人は悠々としていたと考えられます。

 この世田谷一家殺人事件と、とても、似ているのものとして、北九州で、美男子と美女のご夫妻と、おさなくて、かわいいお子さん二人が殺害をされた事件がありました。これも、同じ種類の犯罪なら迷宮入りになるのだろうと思われましたが、幸いというか、なんと言うか、犯人が見つかりました。犯人は中国人でしたが、単純に、お金目当てだった模様です。

 でも、週刊誌があることないこと書き立てたので、ご親戚中、非常に困惑されたみたいですね。お気の毒なことでした。

 島根県警・警察本部長が、訓示をたれたのは、私が、『池袋の大富豪が、ころされたのは、諜略のひとつとして殺害をされたので、だから、犯人がみつからないのではないか』と書いた直後でした。で、私のブログと、世間のニュースが連動しているとの、気づきの、これも証となります。『池袋の事件の次に、そちらの女子大生殺人事件について、敷衍してもいいかな』と、私が思っているのを見透かすように、警察が動きます。

 しかも警察の会議が今までとは、違っていて、それも、私のブログが、影響をしていると感じました。今までは、テレビで見ている限り、長机がずらっと横に並んでいて、そこに、スチール椅子に座った、メンバーが、一方向(正面)を向いて訓示を聞いているという形です。上意下達の典型で、『出席している人は面白くないだろうなあ』と思うような形です。

 最近の、会社の会議とはまるで違います。また、町内会とか、そのほか、サークルやら、自主的な趣味の会の会議ともまるで違います。大企業では最近では、重厚なむくの木でできた楕円形テーブルを使うようですし、カンブリア宮殿に出てくるような元気な中小企業では、四角い、デコラ張りのテーブルを使い、そこに円卓めいた形で、上役も下の人間も座り会議をするようです。つまり、発言者が上の人だけではなく、下からの意見も聞くという体制になっています。

 それでも、私に言わせれば、「密度が薄いよ。日本の会議って。だから、とてもじゃあないけれど、参加するのは嫌だわ」となりますが、これらの民間の会議と比べると、警察関連の会議とは、上意下達の典型で、『テレビドラマよりも古いな』となります。それでも、島根県警の出席者は、テーブル着席ではなくて、直立不動で、お話を聞いていました。訓示をたれるという形だから、これでいいのでしょう。

 『あれ、この部屋ってなんだろう。床がピカピカしているから、剣道場かしら?』と思うほど、きれいな場所でした。窓もあって。で、直立不動だから、以前批判をしたように、『いかにも、作られた会議だわ。こんなことをやっている間に重要な事件の犯人が逃げているだろうに』と思うことも、今回は、なかったのです。遊び半分だとは感じませんでした。でも、タイミングがあまりにもよすぎるので、犯罪そのものの裏が、見えそうになります。

 もし、この事件が、日本国民の人心をかく乱するために起こされて、かわいくて健康な少女が犠牲になったのなら、本当にお気の毒です。

 ただ、この辺りの考察は、私一人で考えだしたことではなくて、日本に来たときのマイケルムーア監督の示唆と、彼の映画『シッコ(これは日本語の小便をさすのではありません。医療問題を扱ったものです)』とかの中に出てくる、『国民に不安を与える事が大切だ。支配し、収奪するためには、骨抜きにする必要があるが、希望を失わせることは、役に立つ』が、実行をされているのではないかと、思うときがあります。この予測が外れている事をもちろんのことですが、望んでいますが、島根県警の会議が、午後二時の全国ニュースで鎌倉でも見られる形で、放映をされたりすると、違和感を持ちますから。

 すべて、不自然なことを、問題とする私です。不自然な地方ニュースが全国展開するときは必ず、裏に諜略が隠されていますので。
 それは京都の葵祭り(?)で、電飾装置の配線を点検するニュースが流れたときに、鎌倉では、我が家のストーヴが外出中にスイッチ・オンとなっていたのですが、そういう風に、私にたいする激烈ないじめと、この国でNHKが放映するニュースは見事に連動するのでした。そして、それらは、この山で非人間的な行いを次から次へと行う安野夫妻と前田夫妻を実名で書きあげるまでは、終わる事がなかったのです。
~~~~~~~~~~~

 ところで、上のようなことを書くと、この文章自体が、皆様に不安を与えるものとなるのではないかと、心配になります。で、皆様の不安を取り除くために、申しますが、私はこういうものを書きながら、一方では、『相当なレベルで、幸せで恵まれている方でもあるのです』とも、ここで、お話をさせてくださいませ。

 いつもいつも、主人にそういわれているのですが、ちっとも信じられないほど、敵に急追されて弾圧をされていると思っていました。ところが、今回母の死と言う大きな出来事に遭遇して、いろいろ物を考えた結果、『あ、そうかもしれない。私は、相当に恵まれている方かもしれない』と主観的にも思いました。

 敵の嫌がらせは、ご近所(小さな谷戸)、鎌倉市内、銀座の画廊街、JR東日本の車内や、駅で、三越内部のレストラン他で・・・・・と、あらゆる機会を通して行われています。知人や友人を利用することもたくさんあって、まだ、まだ、膨大に文章として、書き記さなければならないほどです。

 しかし、まったく別のところ、特に政治とは、まったく別の分野で、私は恵まれている方のようです。まず、母の介護ですが、基本的には老人ホームのスタッフさんと、システムに頼ってきました。それから、金銭的にも、お葬式に関連しては、何も負担をしないでよかったのです。これは、ある意味で天国にいるみたいに楽な立場です。12歳も離れている弟が、しっかりしてきてくれており、何にも心配が要らないように、整えてくれているのです。

 形見分けにしろ、まっさらの新しい着物が、8枚程度、用意されてありました。引き出しのたとうの上に、白い画用紙がおかれていて、そこに、黒マジックで、まず、『千恵子様』と私の名前が書いてあり、そのあとに、鉛筆で、<私が、それらを、「要らない」といったときのためでしょうが>、母の姪とか、知人宛の別の名前が書いてありました。しかも、さらに丁寧に、紬ならどこの地方のものであるとか、あつらえたお店(三松とか、そのほか)の名前も書いてありました。

 母の愛を感じます。それに物よりも何よりも、その生き様が、大きな教育となっているのです。『それが宝だったのだな。贈り物だったのだな』と感じます。

 今までメルマガで、(または、未発表の小説という形で)、心理学的な難しさ・・・・・母と娘間の葛藤のこと・・・・・を書いた事があっても、母があの世へ行ってしまえば、懐かしさと思い出だけが残ります。母は、昼間はまったく忙しいのに、夜は、手仕事に励み、ちょっとした布があれば、紐をよく縫っていました。着物を着る時って、紐がたくさんいるのです。絹やモスリンなどの、柔らかい布でできた数々の紐を見ると、戦前育ちの女として、どんなに、生活上の工夫が豊かにできていたかも察せられます。
 そして、何か、事があれば、さっと、自分の気持ちを短歌にしていました。今の私にはそれは、まねができません。

 また、余裕があるときはお琴を少女時代以来のこととして、再び習い、女学校時代の友達(三味線担当)と、合奏もしていました。

 後姿で、いっぱい、いろいろなことを、教えてくれました。で、ふと、思いついて、私も今夜は、新しいものを作ってみました。同じ手仕事でも、繕い物だけではなくてね。
 上は、ペンケースと、カード入れです。郵貯銀行と、パスモのカード入れを、布と糊を使って作ってみました。
 ミシンを使ったり、手縫いをしたりしなかったので、一時間で三つを作り上げました。すべて汚れるものなので、消耗品であり、六ヶ月に一回ぐらい作り直します。

 でも、『こんな私の姿を、私の娘は見ていないだろうなあ』と思うと残念です。

 一度だけ娘がほめてくれた事があります。「お母さんって、働くときは働くんだね」と。それは、12月27日ごろに一日で、一気に大掃除を仕上げてしまった年(40代だったと思う)のことでした。

 普段は常にぼんやりしているように見える・・・・・(頭の中だけでは、活発に物を考えて言うのですが、体は動かさないので、そう見えます)・・・・・だめお母さんと思っていたのが、徹底的に働くお母さんだったので、びっくりした模様です。でも、毎日、毎日、新しいことで、働き続けた母には負けますし、そういう態度を娘には見せられなかった私は今、思うと残念です。でも、まあ、どこのお宅だって、子育てにおいては、悔やむ事は多いのでしょうから、ここでは、自分を責めないで、先へ行きましょう。

 ともかくの事として、お歌のタイトル『わが母の教えたまいし歌』ではないが、母の思い出に包まれていて、おっとりと構えている、この三日ばかりです。本当はこのまま美しいものだけに囲まれて生きたいのに、敵がまたもや悪い刺激を送ってくるので戦わないといけなくなります。今日の話題の作られたニュースとはノーベル委員会へのハッカーの侵入ですが、それは後半で論考します。

 元に戻れば、私は、『敵方の、洞察力の低さに唖然とする』ときがありますが、一番彼らにとって得だったのは、月刊ギャラリーの連載を止めさせなかったことです。それに引っ付いていたら、絶対に政治的な事は書かなかったでしょう。でも、ロングスパンではなく、どんな小いさなレベルでもいいから、やっつけてやりたいという、恐ろしい悪意を常に持っている集団ですから、その悪意から身を守るために、とうとう、ここまでのことを書く羽目になりました。

 でも、ある意味で、天は無駄なことをなさらないと思います。だって、私の学友たちはすごい出世を遂げている人が多いのです。大学の学長とか、何々庁の長官だったとか、大学教授は軒並みにいますし、・・・・・こと、中学時代に関して言えば、『私は入学式総代、卒業式総代だったのだから、あの子たちより、当時は偏差値が上だったのに、すさまじい差がついたものね』と苦笑をしておりましたが、今の任務とか、状況を考えると、『ついにトップレベルまで、上り詰めたわね』とさえ感じます。

 つまり、無名であり、お金が儲からない事は相変わらずですが、現代最高の権力者である、国際的軍産共同体が、ありとあらゆる手段を用いて、『ぶっ潰してやろう』と考える存在とまで、私がなっているわけですから、これは、実質的には、すさまじい立場です。

 しかも向こうは、*1私がその個展を過去に見た画家や、その際に話を交わした*2画廊とそのスタッフ、*3各種工事の工事人やら、*4ガードマン、*5遅延した電車を動かしている運転手や車掌、*6、駅で『申し訳ございませんが、電車は遅延しています』と放映している駅員さん、*7びーとたけしが、朝日新聞全面広告を使って、結核撲滅キャンペーン(これも、あとで、諜略行為であることを述べますが)を張るとき、デザインをするひとたち、*8私が本を作ったり、絵葉書を作ったりする相手先の印刷所と、*9絵を運搬してくれる人達、*10結婚式を挙げたときに貸衣装を借りた、鎌倉の呉服店と、あらゆる場所で、私の味方であり普通の感覚を持っている誠実な人たちを、彼ら自身のぱしり(手下)として、引っ剥がして行っているのですから、数を上げていけば、延べ人数は優に一万人を越えています。そういう大勢の人を使ってかかってこられれば、私は一応は負けます。

 それを、さらに強化するのは、電話の盗聴です。私が友人やら主人に話をする声の調子とか、帰り道を変更したりする様子を監察し考察することでしょう。(ただし、最高難易度の真実を述べれば、私は脅迫に屈して、それを嫌がって主人に愚痴っているわけでもないのですよ。彼らの良心に訴えてやめさせるために「裏側の真実がわかっていますよ」ということだけを彼らに知らせることを最大の目的として主人に愚痴るわけです。でも、思ったよりも彼らは頭が悪かったらしくて、『勝った、勝った』と大合唱となり、次から次へと新しいアイデアを出し続けてきます。

 本当にそうです。小町通に信じがたいほどの工費を無駄遣いする工事を延々とやっていますが、私が東京へ出ない日、たとえば、2010年10月29日など晴天でも工事をやっていないのです。この工事がどうして私に対する脅迫となるかについてはまた、別の機会に述べますが、私が別の道を選んで買えるのは、脅迫に負けたからではなくて警察署書の脇に偽暴走族が待機しているかどうかを調べたり、まだ伊藤玄二郎がオフィに残留しているかどうかを調べるためになのですが、+早く帰って文章を書きたいと思うためなのですが、そこまでは洞察ができないらしくて、ただ単純に勝った。勝ったの大騒ぎなのです。

 <井上ひさしなど、一件の対・私・いじめ用・アイデアを、提出すると(というか、上奏すると)、300万~500万円ぐらいの謝礼を、貰っているのではないか』と思うほど、シャカ力になって、次から次へとアイデアを出し、私を追い立ててて来ます。その鎌倉近辺での詳細を書くのは、本日は止めておいて、結果として現れた世界的規模の諜略行為について述べましょう。

 今回は、『ノーベル賞の組織にハッカーが入ってトロイの木馬というウィルスに感染した』と報道されて、『ハッカーが台湾人だ』と特定もされました。で、いかにも真実のニュースであるかのごとく見えます。このトロイの木馬ですが、私は、一年前ぐらいに高級なネットカフェのパソコンを利用して、徹底的に調べた事があるのですが、その時点で全世界で、感染例が46例しか報告をされていないウィルスで、かつ、汚染力(というか、破壊力)は、それほど、強くないのを、知りました。

 私が個別に攻撃をされている、破壊など、まったく違う方式ですし、破壊力もすさまじいですよ。アドビ・イラストレーターなど、毎晩、20回ぐらい修正しないと、動きません。特に2007年~2009年にかけてはすさまじかったです。その証拠が残っているパソコンを壊してもきますしね。本日このブログへ添えた写真もアップ前は(つまり、パソコンのデスクトップ上では)、上下がちゃんと正しいのに、グーブログへアップした途端に、上下がさかさまになっていました。非常に高度な嫌がらせを同時進行的にやってくるわけです。トロイの木馬ではできない作業です。

 こういう事は伊藤玄二郎はできないはずです。彼は若い女性を社員として雇っていますので、パソコンの事は若い女性に任せてきたはずです。また、出版社の編集部とは、一般的に、文書をテキスト形式で扱う段階までしかやりません。で、アドビの画像処理ソフトを、処理できる能力はないはずです。同じく、井上ひさしも、ここまでのパソコン知識はないはずで、それゆえに、これは、アメリカ発で行われている現象だと思います。私の自宅の近所のどこかに、大型無線ランの発信機が備えられていれば、こういう破壊工作が容易に行われます。

 まさかと思うけれど、もし日本の警察がここまでやっていたら、それこそ、彼らが国際的軍産共同体の支配下にいるという事となります。また、それを、ブログやメルマガで発表して欲しくないから、あれほど、追い掛け回して私を脅かすという事となりますが、そこまで日本の警察が堕落をしているとは信じたくないです。この部分に関してはまだ、どちらともいえなくて、結論は出ないということですが、このノルウエーの件も以前報道された、韓国の政府のパソコンがハッカーにやられたとか、ホワイトハウスのパソコンがやられたという件と同じで、カモフラージュ用ニュースです。

 私のパソコンをへ侵入している実働部隊の個人名は特定できないものの、得られたデータは、日本の警察と、国際的軍産共同体の合意の上で、擬装用ニュースを作出することへ使われます。私のパソコン内で、非公開のメモとして書いた事もすぐさま、世間一般に広まるニュースとして、作られてきますので、大体、『あ、そうか』と、裏が読めてきます。韓国は、日本人を、下手に置く為の対称例として使われまくっていますので、その政府用パソコンが侵入されたというでっち上げに、OKのサインを出したのでしょう。素人考えですと、北朝鮮という具体的な敵がある韓国が、IT的脆弱さをさらけ出すと言う事は損になると思うのですが、北朝鮮もトップにいたれば、国際的軍産共同体と通々ですから、了承済みの事として、でっち上げたのです。しかし、私がうんとも、すんとも反応をしないので、さらに大げさにして、ホワイトハウスまで、侵入されたという事にしました。

 もちろん、そちらにも、私は無反応でした。彼らの意図は分かりますが、敵に乗せられるほど、今はもう、馬鹿でもないのです。ただし、2007年ごろはだまされまくり、敵の望む通りに七転八倒をしました。

 ただ、まったく気がつかないというわけでもなくて、ずっと後で、この二つの政府のパソコン侵入の件を問題にしたはずです。

 で、元に戻ります。私が『彼らの意図的な諜略行為に気がついている』と書くと、躍起になっ、今度はそれを打ち消してくるのが、彼らの常套手段です。で、必ず、本当のことらしく、ニュースを作ってきます。
 今回は台湾の学者らしい人が、実行行為者として、名前と顔写真がインターネットニュースでは、載りました。でも、同じニュースが台湾では公開されていないのでしょう。で、この学者さんは何らかの実質的には損をせず、バーター取引で、恵まれる事があるでしょう。

 これは、古くは甘粕大尉に与えられた事だそうです。大杉栄を暗殺したのは、彼ではなく、某・やんごとなき方であり、その身代わりとなったので、それ以降ご褒美として、パリ留学をする事ができ、さらに満鉄総裁になる事ができました。この事実はまだ、歴史上、定説として公開をされているものではないのですが、『これが、事実だとすると、なるほど、なるほどと、思われる事が多いな』となります。

 最近では、毒入り餃子事件です。中国東北部での工場内で毒を入れた犯人が逮捕されました。その証拠として、道路わきの側溝に落ちていた、注射器の中から、毒が発見をされたということでした。いくら中国東北部には雨が少ないといっても、側溝には下水様の水が流れることもあるでしょう。どうして、一年以上そこにほうったら貸しにされていた注射器の中に毒が残留しているでしょうか? ご都合主義の発想です。この毒入り餃子事件は福田首相を止めさせる手段として起案されたと思います。これを誰が起案したかは分かりません。まさか、井上ひさし氏と伊藤玄二郎氏の二人が、これも起案したとは思いたくありません。日本の政治がこの二人に任せられているなどとは思いたくないのです。ただ、二人が、自分たちは権力者と結びついていると信じて、傲慢の限りを尽くしていますのは、嫌なことだと思ってみていますが・・・・・

 ところで、このように、身代わりの人間が犯人の代わりとなることですが、やくざの世界などで、親分が交通事故を起こしたりすると、子分が名乗りを上げて「私が犯人です」と言うのが知られています。でも、私が一番変だと思ったのは、佐賀大学を出た理科系の犬好きが、「厚生事務次官・夫妻殺しの犯人は私だ」と言って、桜田門へ出頭をしたことです。あれも変です。『車も持っていない、貧しい(?)人が昔、犬を連れ去られたという理由だけで、殺人を遠く離れた二箇所でできるでしょうか?』・・・・・
 と、私が書くと、必ず、あの件に関して報道がなされます。以前も『精神鑑定に回されたと聞いたけれど、結局はそれは特別待遇であり、彼は、それによって、一種の釈放に近い形をとられるのではないかと、メルマガかブログか、それともパソコン内メモで書いたところ、すぐ、裁判が行われ、彼は正常な人として、裁かれたみたいです。上告したのか、どうか、私は何も覚えておりませんが、ともかく、彼のお父さんが、「息子は絶対に、殺人などは、しない」といっているのが本当だと思います。
 もし、上の方でちらっと書いた事が当たっていたとしたら、彼はもともとIT技術マンとして諜報機関に雇われていたのだが、急遽「真犯人役をやってくれ」と頼まれた可能性も考えの中に入れている私です。一億円ぐらいの生涯収入とカリフォルニアあたりでの安全な後半生も提案されたとしたら、イエス、アイ、キャンと彼が言う可能性はあります。この事件はクリントン国務長官来日時にあわせて起こり、結果として自民党に壊滅的打撃を与えました。プロの政治家ならぴんと来たはずです。

 そして、一方では小沢一郎氏が「米軍基地に対する日本側の思いやり予算を削れ」というナイーヴ(素朴で単純)な国民をだますアッピールをしました。また、伊藤玄二郎はNHKを占拠しまくりました。(伊藤玄二郎が実際にやっている、国民への大迷惑行為については、別項目で、別の日に詳しく述べます)

 もし、近々または年内にこの件に関して後追い報道が出たら私は自分の見込みが正しかったと感じます。本日今でも山の下から聞こえて来る特別な二種類の音で確認ができますしパソコンの動きが超がつくほど遅くなることでも証明をされていますが、大勢の国民を巻きみ改めて教唆をする必要があると敵が考えれば、報道はあるでしょう。彼らがせめて私と同じ程度に賢かったらニュースはないはずですが、過去の例から言えば必ずあります。
~~~~~~~~~~
 ともかく、私が見るところ、このノーベル委員会のパソコンに侵入があったというニュースで、5,6っ個ほどにも、作られたニュースの数が達しました。
 こういうニュースを真実のものだと国民が思うようだと、あの大相撲壊滅作戦にも、ころっとだまされる事となります。
 ところで、大相撲に関しては、NHK職員のことで書かないといけませんが、今日は取り組みません。字数制限を越える見込みがあるからです。
 私自身はできるだけ、美しいものに触れて生きて行きたいと思っております。で、どうか、作られたニュースを見せられるという形で、悪い刺激を与えないで欲しいと思いますが、私が書いていることが真実であればあるほど、非常に遠方を舞台として、作られたニュースが現れるので、それを、分析せざるを得なくなります。で、永遠に政治の話題から遠くへ離れる事ができません。これは、国際的軍産軍産共同体にとっても、損だと思うのですが、日本代表として重用をされている伊藤玄二郎、井上ひさし(二人はあくまでも発案者としての役割であり、他にもたくさんの該当者がいて、協力していて)、国民の目をくらましているわけで、私も書き続ける事となります。
  では、2010年10月31日           雨宮 舜
コメント

ノーベル委員会への侵入と、女子大生ばらばら事件他と、母教えてくれたこと

2010-10-30 03:39:26 | Weblog
 前報の直後の話をするとすれば、ここで、井上ひさし氏が、太宰治にことよせて→秋葉原の殺傷事件→に関連して→警察を擁護した・・・話に入るべきでしょう。または、鎌倉の裏駅に、原水爆禁止運動のデモをくねらせた日が、湘南信金へ行こうと、私がしていた日であり、湘南信金がいかに、この件で重要なアイテムとして利用をされているかについて、お話をすることなどが、次に来る事となるはずでした。そうしないといけないとも思います。ただ、こういう風にメモ的に書いただけでも、相手方には、ぴんと来るはずです。つまり、『あいつは結構頭がいいな』と思われるでしょう。で、それだけでも、私は『いいかな』と今は思っています。というのも、これらの現象を書くのは、相当に疲れるのです。疲労困憊します。で、今日は午前二時から書き始めているので、簡単な事から、始めさせてくださいませ。
~~~~~~~~~~
 で、極く最近の特筆すべき問題点としては、島根県の女子大生が、ばらばら殺人事件にであってしまったことで、急に島根県警・警察本部長が、訓示をたれて、それが全国放送をされたことをあげましょう。私はこの事件については、今まで一切述べていないと思いますが、世田谷一家殺人事件と同じく、日本国民に不安を与えるために、そのかわいい女性が、人身御供になった可能性もあると感じています。犯罪者集団が組織的であって、かつ、被害者との間に、心理的な因果関係がない犯罪(???)だから、犯人が見つからない(???)。・・・・・のではないかと、私は心配しているのです。

 世田谷一家殺人事件は、遺留品のスニーカーが、韓国製だったとまで分かっている模様です。また、犯人は冷蔵庫からアイスクリームを出して食べていて、殺害後、相当な時間をその現場で過ごしていたとも分かっているらしいです。これも、組織的な犯罪だとすれば、外で見張っている人間などもいるので、犯人は悠々としていたと考えられます。

 この世田谷一家殺人事件と、とても、似ているのものとして、北九州で、美男子と美女のご夫妻と、おさなくて、かわいいお子さん二人が殺害をされた事件がありました。これも、同じ種類の犯罪なら迷宮入りになるのだろうと思われましたが、幸いというか、なんと言うか、犯人が見つかりました。犯人は中国人でしたが、単純に、お金目当てだった模様です。

 でも、週刊誌があることないこと書き立てたので、ご親戚中、非常に困惑されたみたいですね。お気の毒なことでした。

 島根県警・警察本部長が、訓示をたれたのは、私が、『池袋の大富豪が、ころされたのは、諜略のひとつとして殺害をされたので、だから、犯人がみつからないのではないか』と書いた直後でした。で、私のブログと、世間のニュースが連動しているとの、気づきの、これも証となります。『池袋の事件の次に、そちらの女子大生殺人事件について、敷衍してもいいかな』と、私が思っているのを見透かすように、警察が動きます。

 しかも警察の会議が今までとは、違っていて、それも、私のブログが、影響をしていると感じました。今までは、テレビで見ている限り、長机がずらっと横に並んでいて、そこに、スチール椅子に座った、メンバーが、一方向(正面)を向いて訓示を聞いているという形です。上意下達の典型で、『出席している人は面白くないだろうなあ』と思うような形です。

 最近の、会社の会議とはまるで違います。また、町内会とか、そのほか、サークルやら、自主的な趣味の会の会議ともまるで違います。大企業では最近では、重厚なむくの木でできた楕円形テーブルを使うようですし、カンブリア宮殿に出てくるような元気な中小企業では、四角い、デコラ張りのテーブルを使い、そこに円卓めいた形で、上役も下の人間も座り会議をするようです。つまり、発言者が上の人だけではなく、下からの意見も聞くという体制になっています。

 それでも、私に言わせれば、「密度が薄いよ。日本の会議って。だから、とてもじゃあないけれど、参加するのは嫌だわ」となりますが、これらの民間の会議と比べると、警察関連の会議とは、上意下達の典型で、『テレビドラマよりも古いな』となります。それでも、島根県警の出席者は、テーブル着席ではなくて、直立不動で、お話を聞いていました。訓示をたれるという形だから、これでいいのでしょう。

 『あれ、この部屋ってなんだろう。床がピカピカしているから、剣道場かしら?』と思うほど、きれいな場所でした。窓もあって。で、直立不動だから、以前批判をしたように、『いかにも、作られた会議だわ。こんなことをやっている間に重要な事件の犯人が逃げているだろうに』と思うことも、今回は、なかったのです。遊び半分だとは感じませんでした。でも、タイミングがあまりにもよすぎるので、犯罪そのものの裏が、見えそうになります。

 もし、この事件が、日本国民の人心をかく乱するために起こされて、かわいくて健康な少女が犠牲になったのなら、本当にお気の毒です。

 ただ、この辺りの考察は、私一人で考えだしたことではなくて、日本に来たときのマイケルムーア監督の示唆と、彼の映画『シッコ(これは日本語の小便をさすのではありません。医療問題を扱ったものです)』とかの中に出てくる、『国民に不安を与える事が大切だ。支配し、収奪するためには、骨抜きにする必要があるが、希望を失わせることは、役に立つ』が、実行をされているのではないかと、思うときがあります。この予測が外れている事をもちろんのことですが、望んでいますが、島根県警の会議が、午後二時の全国ニュースで鎌倉でも見られる形で、放映をされたりすると、違和感を持ちますから。

 すべて、不自然なことを、問題とする私です。不自然な地方ニュースが全国展開するときは必ず、裏に諜略が隠されていますので。
 それは京都の葵祭り(?)で、電飾装置の配線を点検するニュースが流れたときに、鎌倉では、我が家のストーヴが外出中にスイッチ・オンとなっていたのですが、そういう風に、私にたいする激烈ないじめと、この国でNHKが放映するニュースは見事に連動するのでした。そして、それらは、この山で非人間的な行いを次から次へと行う安野夫妻と前田夫妻を実名で書きあげるまでは、終わる事がなかったのです。
~~~~~~~~~~~

 ところで、上のようなことを書くと、この文章自体が、皆様に不安を与えるものとなるのではないかと、心配になります。で、皆様の不安を取り除くために、申しますが、私はこういうものを書きながら、一方では、『相当なレベルで、幸せで恵まれている方でもあるのです』とも、ここで、お話をさせてくださいませ。

 いつもいつも、主人にそういわれているのですが、ちっとも信じられないほど、敵に急追されて弾圧をされていると思っていました。ところが、今回母の死と言う大きな出来事に遭遇して、いろいろ物を考えた結果、『あ、そうかもしれない。私は、相当に恵まれている方かもしれない』と主観的にも思いました。

 敵の嫌がらせは、ご近所(小さな谷戸)、鎌倉市内、銀座の画廊街、JR東日本の車内や、駅で、三越内部のレストラン他で・・・・・と、あらゆる機会を通して行われています。知人や友人を利用することもたくさんあって、まだ、まだ、膨大に文章として、書き記さなければならないほどです。

 しかし、まったく別のところ、特に政治とは、まったく別の分野で、私は恵まれている方のようです。まず、母の介護ですが、基本的には老人ホームのスタッフさんと、システムに頼ってきました。それから、金銭的にも、お葬式に関連しては、何も負担をしないでよかったのです。これは、ある意味で天国にいるみたいに楽な立場です。12歳も離れている弟が、しっかりしてきてくれており、何にも心配が要らないように、整えてくれているのです。

 形見分けにしろ、まっさらの新しい着物が、8枚程度、用意されてありました。引き出しのたとうの上に、白い画用紙がおかれていて、そこに、黒マジックで、まず、『千恵子様』と私の名前が書いてあり、そのあとに、鉛筆で、<私が、それらを、「要らない」といったときのためでしょうが>、母の姪とか、知人宛の別の名前が書いてありました。しかも、さらに丁寧に、紬ならどこの地方のものであるとか、あつらえたお店(三松とか、そのほか)の名前も書いてありました。

 母の愛を感じます。それに物よりも何よりも、その生き様が、大きな教育となっているのです。『それが宝だったのだな。贈り物だったのだな』と感じます。

 今までメルマガで、(または、未発表の小説という形で)、心理学的な難しさ・・・・・母と娘間の葛藤のこと・・・・・を書いた事があっても、母があの世へ行ってしまえば、懐かしさと思い出だけが残ります。母は、昼間はまったく忙しいのに、夜は、手仕事に励み、ちょっとした布があれば、紐をよく縫っていました。着物を着る時って、紐がたくさんいるのです。絹やモスリンなどの、柔らかい布でできた数々の紐を見ると、戦前育ちの女として、どんなに、生活上の工夫が豊かにできていたかも察せられます。
 そして、何か、事があれば、さっと、自分の気持ちを短歌にしていました。今の私にはそれは、まねができません。

 また、余裕があるときはお琴を少女時代以来のこととして、再び習い、女学校時代の友達(三味線担当)と、合奏もしていました。

 後姿で、いっぱい、いろいろなことを、教えてくれました。で、ふと、思いついて、私も今夜は、新しいものを作ってみました。同じ手仕事でも、繕い物だけではなくてね。
 上は、ペンケースと、カード入れです。郵貯銀行と、パスモのカード入れを、布と糊を使って作ってみました。
 ミシンを使ったり、手縫いをしたりしなかったので、一時間で三つを作り上げました。すべて汚れるものなので、消耗品であり、六ヶ月に一回ぐらい作り直します。

 でも、『こんな私の姿を、私の娘は見ていないだろうなあ』と思うと残念です。

 一度だけ娘がほめてくれた事があります。「お母さんって、働くときは働くんだね」と。それは、12月27日ごろに一日で、一気に大掃除を仕上げてしまった年(40代だったと思う)のことでした。

 大小取り混ぜたら、ガラスの窓が、38枚、中だけで使うガラスいりのドアが五枚ありますから、それを、一気に磨いて、かつ、換気扇を洗い、サッシ・レールを掃除したので、そりゃあ、びっくりしたのでしょう。普段は常にぼんやりしているように見える・・・・・(頭の中だけでは、活発に物を考えて言うのですが、体は動かさないので、そう見えます)・・・・・だめお母さんと思っていたのが、徹底的に働くお母さんだったので、びっくりした模様です。でも、毎日、毎日、新しいことで、働き続けた母には負けますし、そういう態度を娘には見せられなかった私は今、思うと残念です。でも、まあ、どこのお宅だって、子育てにおいては、悔やむ事は多いのでしょうから、ここでは、自分を責めないで、先へ行きましょう。

 ともかくの事として、お歌のタイトル『わが母の教えたまいし歌』ではないが、母の思い出に包まれていて、おっとりと構えている、この三日ばかりです。本当はこのまま美しいものだけに囲まれて生きたいのに、敵がまたもや悪い刺激を送ってくるので戦わないといけなくなります。今日の話題の作られたニュースとはノーベル委員会へのハッカーの侵入ですが、それは後半で論考します。
 元に戻れば、私は、『敵方の、洞察力の低さに唖然とする』ときがありますが、一番彼らにとって得だったのは、月刊ギャラリーの連載を止めさせなかったことです。それに引っ付いていたら、絶対に政治的な事は書かなかったでしょう。でも、ロングスパンではなく、どんな小いさなレベルでもいいから、やっつけてやりたいという、恐ろしい悪意を常に持っている集団ですから、その悪意から身を守るために、とうとう、ここまでのことを書く羽目になりました。

 でも、ある意味で、天は無駄なことをなさらないと思います。だって、私の学友たちはすごい出世を遂げている人が多いのです。大学の学長とか、何々庁の長官だったとか、大学教授は軒並みにいますし、・・・・・こと、中学時代に関して言えば、『私は入学式総代、卒業式総代だったのだから、あの子たちより、当時は偏差値が上だったのに、すさまじい差がついたものね』と苦笑をしておりましたが、今の任務とか、状況を考えると、『ついにトップレベルまで、上り詰めたわね』とさえ感じます。
@@@@@ここからさきはまだ、誤変換を直しておりませんが、いったん寝ます。お許しくださいませ。

 つまり、無名であり、お金が儲からない事は相変わらずですが、現代最高の権力者である、国際的軍産共同体が、ありとあらゆる手段を用いて、『ぶっ潰してやろう』と考える存在とまで、私がなっているわけですから、これは、実質的には、すさまじい立場です。

 しかも向こうは、*1私がその個展を過去に見た画家や、その際に話を交わした*2画廊とそのスタッフ、*3各種工事の工事人やら、*4ガードマン、*5遅延した電車を動かしている運転手や車掌、*6、駅で『申し訳ございませんが、電車は遅延しています』と放映している駅員さん、*7びーとたけしが、朝日新聞全面広告を使って、結核撲滅キャンペーン(これも、あとで、諜略行為であることを述べますが)を張るとき、デザインをするひとたち、*8私が本を作ったり、絵葉書を作ったりする相手先の印刷所と、*
9絵を運搬してくれる人達、*10結婚式を挙げたときに貸衣装を借りた、鎌倉の呉服店と、あらゆる場所で、私の味方を彼ら自身のぱしり(手下)として、引っ剥がして行っているのですから、数を上げていけば、延べ人数は優に一万人を越えています。そういう大勢の人を使ってかかってこられれば、私は一応は負けます。

 それを、電話の盗聴やら、通る道を変更する様子で、『勝った、勝った』と大合唱となり、次から次へと新しいアイデアを出し続けてきます。たとえば、<井上ひさしなど、一件の対・私・いじめ用・アイデアを、提出すると(というか、上奏すると)、300万~500万円ぐらいの謝礼を、貰っているのではないか』と思うほど、シャカ力になって、次から次へとアイデアを出し、私を追い立ててて来ます。その事は冒頭に軽く書いていますが、その詳細を書くのは、本日は止めておいて、結果として現れたちょうりゃく行為について述べましょう。

 今回はノーベル賞の組織にハッカーが入ってトロイの木馬というウィルスに感染し多という報道で、かつ、ハッカーが台湾人だと特定をされました。で、いかにも真実のニュースであるかのごとく見えます。このトロイの木馬ですが、私は、一年前ぐらいに高級なネットカフェのパソコンを利用して、徹底的に調べた事があるのですが、その時点で全世界で、感染例が46例しか報告をされていないウィルスで、かつ、汚染力(というか、破壊力)は、それほど、強くないのを、知りました。私が個別に攻撃をされている、破壊など、まったく違う方式ですし、破壊力もすさまじいですよ。アドビ・イラストレーターなど、毎晩、20回ぐらい修正しないと、動きません。本日の写真もパソコンのデスクトップ上では、上下がちゃんと正しいのに、グーブログへアップした途端に、上下がさかさまになっていました。

 こういう事は伊藤玄二郎はできないはずです。彼は若い女性を社員として雇っていますので、パソコンの事は若い女性に任せてきたはずです。また、出版社の編集部とは、一般的に、文書をテキスト形式で扱う段階までしかやりません。で、アドビの画像処理ソフトを、処理できる能力はないはずです。同じく、井上ひさしも、個々までのパソコン知識はないはずで、それゆえに、これは、アメリカ発で行われている現象だと思います。私の自宅の近所のどこかに、大型無線ランの発信機が備えられていれば、こういう破壊工作が容易に行われます。

 まさかと思うけれど、もし日本の警察がここまでやっていたら、それこそ、彼らが国際的軍産共同体の支配下にいるという事となり、それを、発表して欲しくないから、あれほど、追い掛け回して私を脅かすという事となります。

 
この部分に関してはまだ、どちらともいえないということです。結論は出ないということですが、このノルウエーの件も依然合った、韓国の政府のパソコンがハッカーにやられたとか、ホワイトハウスのパソコンがやられたという県と同じで、カモフラージュ用ニュースです。
私のパソコンをハッキングしているのは、実働部隊は誰かは、分からないものの、日本の警察と、国際的軍産共同体の合意の上でのことでしょう。で、私のパソコン内で、目も程度で書いたこともすぐさま、世間一般に広まるニュースとして、作られてきますので、大体、『あ、葬か』と、分かってきます。韓国は対日本という意味で、使われまくっています。日本人を、下手二億対奨励として使われまくっていますので、政府のパソコンが進入されたというでっち上げにOKのサインを出したのでしょう。素人考えですと、北朝鮮という具体的な敵がある韓国が、IT的脆弱さをさらけ出すと言う事は損になると思うのですが、北朝鮮もトップにいたれば、国際的軍産共同体と通通ですから、了承済みの事として、でっち上げたのです。しかし、私がうんとも、すんとも反応をしないので、さらに大げさにして、ホワイトハウスまで、侵入されたという事にしました。
もちろん、そちらにも、私は無反応でした。彼らの意図は分かりますが、敵に乗せられるほど、もう、馬鹿でもないのです。ただし、2007年ごろはだまされまくりましたけれどね。敵の望むとおりに七転八倒をしました。

ただ、まったく気がつかないというわけでもなくて、ずっと後で、この二つの政府のパソコン侵入の件を問題にしたはずです。

 
この部分に関してはまだ、どちらともいえないということです。結論は出ないということですが、このノルウエーの件も依然合った、韓国の政府のパソコンがハッカーにやられたとか、ホワイトハウスのパソコンがやられたという県と同じで、カモフラージュ用ニュースです。
私のパソコンをハッキングしているのは、実働部隊は誰かは、分からないものの、日本の警察と、国際的軍産共同体の合意の上でのことでしょう。で、私のパソコン内で、目も程度で書いたこともすぐさま、世間一般に広まるニュースとして、作られてきますので、大体、『あ、葬か』と、分かってきます。韓国は対日本という意味で、使われまくっています。日本人を、下手二億対奨励として使われまくっていますので、政府のパソコンが進入されたというでっち上げにOKのサインを出したのでしょう。素人考えですと、北朝鮮という具体的な敵がある韓国が、IT的脆弱さをさらけ出すと言う事は損になると思うのですが、北朝鮮もトップにいたれば、国際的軍産共同体と通通ですから、了承済みの事として、でっち上げたのです。しかし、私がうんとも、すんとも反応をしないので、さらに大げさにして、ホワイトハウスまで、進入されたという事にしました。
もちろん、そちらにも、私は無反応でした。彼らの意図は分かりますが、敵に乗せられるほど、もう、馬鹿でもないのです。ただし、2007年ごろはだまされまくりましたけれどね。敵の望むとおりに七転八倒をしました。

ただ、まったく気がつかないというわけでもなくて、ずっと後で、この二つの政府のパソコン進入の件を問題にしたはずです。
@@@@@@
 で、元に戻ります。私が『彼らの意図的なちょうりゃく行為に気がついている』と書くと、躍起になって打ち消してくるのが彼らの常套手段です。で、必ず、本当のことらしく、ニュースを作ってきます。
 今回は台湾の学者らしい人が、実行行為者として、名前と顔写真がインターネットニュースでは、載りました。でも、同じニュースが台湾では公開されていないのでしょう。で、この学者さんは何らかのバーター取引で、恵まれることがあるでしょう。

 これは、古くは甘粕大尉に与えられたことだそうです。大杉栄を暗殺したのは、彼ではなく、やんごとなき方であり、その身代わりとなったので、それ以降パリ留学、満鉄総裁と、出世をする事ができました。この事実はまだ、歴史上、定説として公開をされているものではないのですが、『これが、事実だとすると、なるほど、なるほどと、思われる事が多いな』となります。

 最近では、毒入り餃子事件です。中国東北部での工場内で毒を入れた犯人が逮捕されました。その証拠として、道路わきの側溝に落ちていた、注射器の中から、毒が発見をされたということでした。いくら中国東北部には雨が少ないといっても、側溝には下水様の水が流れることもあるでしょう。どうして、一年以上そこにほうったら貸しにされていた注射器の中に毒が残留しているでしょうか? ご都合主義の発想です。この毒入り餃子事件は福田首相を止めさせる手段として起案されたと思います。これを誰が起案したかは分かりません。まさか、井上ひさし氏と伊藤玄二郎氏の二人が、これも起案したとは思いたくありません。日本の政治がこの二人に任せられているなどとは思いたくないのです。ただ、二人が、自分たちは権力者と結びついていると信じて、傲慢の限りを尽くしていますのは、嫌なことだと思ってみていますが・・・・・

 ところで、このように、身代わりの人間が犯人の代わりとなることですが、やくざの世界などで、親分が交通事故を起こしたりすると、子分が名乗りを上げて「私が犯人です」と言うのが知られています。でも、私が一番変だと思ったのは、佐賀大学を出た理科系の犬好きが、「厚生事務次官・夫妻殺しの犯人は私だ」と言って、桜田門へ出頭をしたことです。あれも変です。『車も持っていない、貧しい(?)人が昔、犬を連れ去られたという理由だけで、殺人を遠く離れた二箇所でできるでしょうか?』・・・・・
 と、私が書くと、必ず、あの件に関して報道がなされます。以前も『精神鑑定に回されたと聞いたけれど、結局はそれは特別待遇であり、彼は、それによって、一種の釈放に近い形をとられるのではないかと、メルマガかブログか、それともパソコン内メモで書いたところ、すぐ、裁判が行われ、彼は正常な人として、裁かれたみたいです。上告したのか、どうか、私は何も覚えておりませんが、ともかく、彼のお父さんが、「息子は絶対に、殺人などは、しない」といっているのが本当だと思います。

 ともかく、私が見るところ、このノーベル委員会のパソコンに進入があったというニュースで、5,6っ個ほども、作られたニュースに接しました。
 こういうニュースを真実のものだと国民が思うようだと、あの大相撲壊滅作戦にも、ころっとだまされる事となります。
 ところで、個々から先は、すでに言っていることなので、繰り返しません。私自身はできるだけ、美しいものに触れて生きて生きたいと思っております。で、どうか、作られてニュースを見せて、悪い刺激を与えないで欲しいと思いますが、私が書いていることが真実であればあるほど、非常に遠方を舞台として、作られたニュースが現れるので、それを、分析せざるを得なくなります。で、永遠に政治の話題から遠くへ離れる事ができません。これは、国際的軍産軍産共同体にとっても、損だと思うのですが、日本代表として重陽をされている伊藤玄二郎、井上ひさし(二人はあくまでも発案者としての役割であり、他にもたくさんの該当者がいて、協力していて、国民の目をくらましているわけです。
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緊急提言、今夜のBSジャパン・ゴッホ特集はお勧めです。

2010-10-26 10:05:37 | Weblog


今、午後四時です。本日としては、今、はじめて、テレビ欄を見ました。
夜の九時から、BSジャパンで、ゴッホの特集があります。

朝日新聞のテレビ欄によれば、『ゴッホ最後の70日』とありますので、
私が過去に一回見たものでしょう。

非常に面白いです。

私はこの番組内で、展開されている新説に賛成します。

本日は、雨なので、家にいる人が多いと見込まれているのか、よい番組が目白押しですが、
録画でもなさってごらんをいただければ幸いです。

ミステリー仕立てで、進みますが、なるほど、それは、真実だと、私も思いますね』と言う親切が展開します。映像も美しいです。では、緊急に、おせっかいですが、
    2010年10月30日   午後、4時15分に。雨宮 舜

なお、ブログアップの実際は、30日ですが、ブログ上の日付は26日になっています。それは恐れ入りますが、そのままでご了承くださいませ。テレビ番組が放映されるのは、
BSジャパンで、夜の九時からです。



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電車の遅延は、なぜ、起きるのか? 2010年秋版

2010-10-24 09:30:24 | Weblog
 以下の@@@@@1罫線から、@@@@@2罫線までは、火曜日の午前中に描きました。「本日放映の映画をご覧ください」という文章ですから、すでに、手遅れになっています。それでも、そのまま、お送りをさせてくださいませ。文脈の流れが、そういう方向で流れていきますので・・・・・

 @@@@@@1

本日『マルタ・・・・(スイス映画)』が放映をされます。

 本日、26日(火)の夜BSジャパンで、『マルタのやさしい刺繍』が放映をされます。これは、キネマ旬報やら、新聞の映画批評では賛否両論があった模様ですが、私は、一度この地上波でみて、『面白いなあ』と感じました。スイス国内では抜群にヒットした模様で、賞も受けています。

 ところが、偶然、鶴岡八幡宮・境内で出会った、インテリそうなスイス人ご夫婦は「見ていない」といっていましたので、ここの読者層には合わないかもしれません。でも湘南新宿ラインで出会った美しく、かつ働いている奥様二人は、この映画が、2005年銀座のシャンテ・シネもしくは、シネスイッチで公開されたときに劇場で見ているそうです。

 この映画は万人にお勧めしたいです。実は老女性、4人が主人公なので、お若い方には、「あれ、つまらない」とお思いの向きはあるでしょう。でも、子供の立場としても親が何を考えているかがよく分かります。そして、親子とも、どういう風に親の老後に向かい合い、振舞ったらよいかがよく分かってきます。

 スイスの地方都市が舞台で、アルプスの谷間にある村の美しい光景が頻繁に写されます。それと、そこには、立派な老人ホームがあり、その居住者が都会出身でもあるので『インターネットで、下着を販売する』などの今日的な話題も、盛り込まれており、また、暗喩としては、米軍のヨーロッパへの進駐の影響などさえ、示されています。その影で、女性が、いろいろ、苦しんだことなども。これは日本では『ゼロの焦点』でもひとつの大きなテーマでしたが。・・・・・

 重層的に作られている、まあ、名画のひとつだと感じます。スイス映画は始めてみましたが、十分に面白かったですよ。

 ところで、ここで、28日に挿入的にお断りを入れますが、もちろんBSジャパンの放映は済んでしまいましたので、レンタルDVDでもありましたら、お暇のおりに、見てやってくださいませ。

@@@@@2
 ところで、上の映画の主人公は手仕事が大好きだという設定です。女性にとって、手仕事とは、相当に心温まる、趣味のひとつです。『赤毛のアン』でも、ご近所同士、集まって、手仕事をしながらお茶しながら話し合う場面があります。また、『風とともに去りぬ』でも、北軍兵士にヒロインが侮辱をされそうになったとき、町の上流階級の男性たちは防衛的な報復へ向かいます。その男たちを心配しながら待つ女性たちが、心を落ち着けるために、縫い物をしている場面があります。

 私も実はこう見えても、手縫いの仕事は大好きです。で、10年ぐらい前から、五年ぐらい前までは、本作りにお金がかかるので、ほとんど、手仕事、手縫いで、自分の生活を豊かにする事に努力をいたしました。その中に、靴下をつくろう話があります。これを、未発表の小説、『シルバーのブラウスは私を導く』の中に、書いているので、それが、ハッキングによって、大勢の人に広まり、私が相当に『貧乏だ』とみなされました。普通ならそれで構わないのですが、私の場合は、それもすぐ攻撃の材料として使われ、石川和子女史の夫、柳沢某が、どこやらのゴルフ場の会員らしいのですが、そのお知らせ用はがきが誤配達を装って、我が家の郵便受けに入っていた事があります。つまり、「おまえんちは、ゴルフの会員券など持っていないだろう」といいたいわけです。他の小ざかしい数々の、嫌がらせを考えると、これも、例の二人羽織の発案でしょう。

 『でも、そういうことで、勝った勝ったと思っていると、足をすくわれますよ』といいたいです。人は、それぞれ、お金の使い道が違います。文化的な豊かさという側面に使う人もあるのです。現代の日本では、持ち家、車、ゴルフの会員権、お墓、宝石、ピアノ、蔵書が多いこと、ブランド物の洋服やら、バッグや靴をもつこと、それから、あれこれ、と続きますが、どの分野に誰がどんなお金を使っているかは、早々には分からないことなので、他人を簡単に軽蔑をすると、かえって自分のお台所が見え見えとなると、言う結果となります。

 石川和子女子が私の猫を再び、あしらいたくて、それをどう運んだら実現するかが分からなくて、威張れば言うことを私が聞くと判断して、ずいぶん、威張りかえってきた時期があります。彼女の手法の一つとして、自分の家に上げて、それを見せるという事があったのですが、「ごめんなさい。あなたって、私とはまるで違うわ。私が持っている画材とか、文房具とか指輪とか、和服とかを総計したら、こちらの方が金持ちでしょう」言う判断でだけで終わりました。彼女の言うことを聞いて再び猫を自由に歩かせる気はありませんでした。

 実は、パンツまで盗む泥棒役が、最近では、ご近所さまにも、割り振られているのではないかと思ったこともあります。合鍵を作る技術など、簡単にできるでしょうし、『あらゆることから、判断をすると、それもありだな』と、考えた時期もあります。

 私はものすごく忙しいので、お掃除がどうしても、後回しになります。そういう家へ、頻繁にご近所様が出入りしていたら、本当に赤面ですが、それもひとつの人権蹂躙に当たりますね。あたりまえですが、・・・・・でも、世界、および日本のニュースさえ作り出す、彼らの驚くべき行動を分析すると、『そうである』としか、考えられないときがあります。そのニュースの大本になる犯罪でさえ、作り出す可能性もあります。
~~~~~~~~~~

 現在の東京圏では、電車の遅延事故が多発しています。これは、2007年の7月に、私がメルマガの世界で『嵐のために、跨線橋が渡れない』という文章を書いたことから始まりました。最初は湘南新宿ラインが、新宿駅の跨線橋の故障または、工事で、運行停止をされる」という理由でした。

 これは、のちのちに、母の老人ホームの周辺で、工事や夜回りが多発してくることから、『老人ホームへ向かうのを阻害してやろう』という意地悪だと分かってきます。そして、その三年後、今年の4月のライブという画廊での私の個展前後でも、信じがたいほど、その遅延が起きて、しかもその最後の日の夜に、い井上ひさしは、死亡したのでした。私は井上ひさしと、伊藤玄二郎の二人があまりに、あくどいことを、個展前後にやってくるので、『それがあなた方のアイデアだと、分かっていますよ』という暗喩をかねて、土曜日に鎌倉春秋社を尋ねて、「どうか、個展に来てください」と、いっておいたのです。まさか、『あなた方は意地悪をしていますね。それを止めてください』とはいえないでしょう。だから、「鎌倉のひととして、どうか見に来てください」と言ったのd須賀、それで井上ひさしは、それだけで、『自分のあくらつなたくらみがすべて、私に分かっていることを悟って、それを、口外してもらいたくなくて、死んだ事にした模様です。後から発表されたあらゆる情報を勘案しても、彼は自らの死を演出しただけです。肺がんなのに歩いて病院へ一定tのですって。おかしいです。死に瀕したひとが佐助がやつからあるいて、どこの病院まで行く事ができるでしょう。母の本当の死に面した私は、ありとあらゆる面で、彼の忌まわしさをかんじるだけです。

 そして、一番いやな事は、彼が得意になって、発案したアイデア・・・・・・たとえば、電車の遅延とか、大相撲壊滅作戦に、・・・・・大勢の人が巻き込まれることです。社会の全体像がまるで見えず、「勝ちゃあ、いいんだ。勝てば官軍だ」といけいけどんどんで、おっちょこちょいなアイデアを、次から次へと思いつくことです。

 ところが、それに対して、ほとんどの場合は、私は、やっつけられないわけです。敵方の思うほどには、やっつけられないわけです。相手の意図がすぐ分かりますので、『なるほど、それなら、この件ではなくて、政治の本質を叩こう』となります。

 というのも、この偽の遅延情報の多発が、「私を、いじめるために、狙ってやっている」と、2007年時点で書いたって、読者の皆様が信じないだろうと、こちらも考えるからです。で、深い怒りに駆られますから、その大元の政治について述べる事となります。

 国際的軍産共同体側に立つアイデアをだして、それをそちらのトップ(その固有名詞が今の所確定できないけれど)、上奏している井上ひさしと、伊藤玄二郎については述べないで、小沢一郎氏の危険性、映画『靖国』の問題点、ビートたけしに関する分析、映画『コーヴ』の問題点、天皇・習近平緊急会見問題、雅子妃問題、口蹄疫問題、etc.etc.と、一般的なことを述べて来たわけです。

 
 現代の世界でもっとも大きな権力者とは、グローバル経済下の大資本家グループです。私はいつもそれを、国際的軍産共同体と呼びますが。それと、フリーメーソン組織などが重なって、悪をなします。どういう悪かというと、日本人から大量のお金を吸い上げることです。そして、その仕組みを、日本の国民の目に見えないようにして、国民が目覚めて、反発することを避けるために、あらゆる、メディアが利用をされており、

 日本人が、全体として、気落ちし、自信をなくす事を最終目的として、あらゆることが企図されています。
~~~~~~~~~~
 どうして、そこまで断言できるかを、もう一回クリアーにするために、以下の文章をここで挿入させてくださいませ。

 私は一アーチストですが海外で、外人の中に混じって、いつも版画を作ってきました。それはたった三ヶ月ではありますが、1998年、1999年、2000年と、三回も繰り返しました。十分に間を空けてです。しかも常に、外人の間で暮らすようにしていて、日本人とは付き合わないように工夫をします。すると、頭が、ぎんぎんに明瞭になってきて、回りがよく見えます。

 これが、もし、商社マンの妻として、派遣をされて、商社マン用の社宅に入り、ニューヨークなら、ニューヨーク、パリならパリの、駐在員社会の中に埋没してしまうと、これほど、鋭く物を考えないと思いますが、一人暮らしというのは、夜は、物を考えるのに、絶好の状態なのです。テレビも見ないし新聞も読まないので、ひたすら昼間見聞きしたことの分析をしながら、考察を重ねます。特に誰からも話しかけられないというのは、ある意味で孤独でさびしい境地ですが、学ぼうと決意している私にとって、さびしいなどと言っている暇はなくて、ただ、ひたすらに前進するというか、考察を重ねる事となります。

 版画とは、美術の一分野で、政治とはまったく関係がありません。しかし、その工房内は、自由な精神に満ちています。で、
 素顔の人間性が見えてきます。国情もまったく素直に発揮されます。それは、いわく言いがたい社会勉強の場でもあるのです。決して長話を強いているわけでもないのですよ。だけど、会社などの、上下関係のアル場とはまるで違っていて、しかも外国人は素直ですし、海外にいる日本人も素直です。となると、そこでの経験と会話は、この日本に帰ってきた後では、信じがたいほどの明瞭さを持っています。

 日本人だって、個々人を取り上げれば、大変素直で、明瞭で明るいです。ところが社会全体を通すと、KY(空気を読めないやつは馬鹿)だとかなんとか、言う『真綿で首を締めるような規制があって、まるで、心が、死んでいるのです。ゴルフだとか、ゲームだとか、恋愛だとか、漫画だとか、ありとあらゆる娯楽は与えられます。だけど、ショパンが考えたような、また、キュリー夫人が考えたような愛国心は、人々の間には、なくてしたがって、個々人の生活を自分の工夫で明るく、かつ豊かにしていく手立てを国民は持っておりません。

 これは、どうも現在の世界においては、日本において、極端に顕著なことのようです。韓国人や、中国人だって、これほど、謙虚で迷ってはいないと思います。戦時中のように、「欲しがりません。勝つまでは」というほど、極端なのは、困りますが、何かの希望とか、大きな価値を目指す勇敢さとか言うものを、徹底的に奪われた国が現在の日本です。

 「それでは、いけない。それでは、だめなんだよ。もう、目覚めて、自分で、自分を守ろうとしないと、日本は危ないよ」と感じる私は、その収奪者側から見ると、危険な人物であり、なんとしてでも、壊滅させたいとなるのでしょう。

 でも、私には何の落ち度もないのです。しかも上に言ったような事は、ほとんどの日本人がすでに気がついていることです。鎌倉の市長選で、物量作戦に出た、民主党が敗れたことでも明らかなように、現在の『禁煙運動に代表をされる、人々の精神を縛る悪政に、人々は、うんざりしていて、NOといい始めています。かつ、鎌倉では小町通の共同溝工事という、めちゃくちゃにおかしい現象が続いていて、怨嗟の気分が人々の間に、満ち満ちているのです。
~~~~~~~~~~

 しかし、この国には英邁な政治家はおらず、かつ、英邁な、(オピニオン)リーダーもおりません。ちょっと、目立つ人とか、才能のある人は、次から次へとつぶされていっています。

 で、私は自分を実験動物とみなして社会の分析を続けているのですが、現在の東京圏での作られたニュースというか、作られた現象のうち、最悪のものが、電車の遅延現象の多発です。

 これこそ、井上ひさしと、伊藤玄二郎の発案で起こりました。上の方に述べているように、私の文章を分析して、どこに弱点があるかを見つけ出し、ここをたたいてやれば、彼女は自滅するはずだと、言うポイントを見つけ出す役目が井上ひさしです。二人羽織のもう一方で、ある伊藤玄二郎も考え出すはずですが、パーセンテージとしては、井上ひさしの方が大きいでしょう。
 それを、確信したのが、この跨線橋が、故障したから、湘南新宿ラインが遅れるというアイデアでした。これは、新宿高島屋と、JR東日本本社の間を結ぶ跨線橋を実際には見たことのない人間が発案をしたことです。

 伊藤玄二郎氏の方は一時期、河出書房に勤めていました。つぶれる前に辞めている様です。が現在でも、関東学院大学の教授だし、昔は中央大学へ通った人ですから、新宿ぐらい遊びに行くチャンスは今でもあるでしょう。で、あの豪華にして堅牢な跨線橋については実物を見たことはあると考えます。それに彼はテレビには、顔を出しません。だから、ちょっと表情から推定する事ができにくいので、断言ができないのですが、

 井上ひさしの方は、クローズアップ現代の、2009年、6月22日か、23日の、ともかく、水曜日に太宰治に事寄せて、警察を擁護した事があって、それは、私の『秋葉原の椅子』と言うエッセイのもろなる否定でしたから、それ以来すべての現象を、私のメルマガ、もしくは、ブログの文章と付き合わせると、因果関係がある事が分かってきたのです。

 その通勤やら、そのほかで、関東圏に育った伊藤玄二郎氏は土地勘があるので、あの豪華にして堅牢な跨線橋に接した可能性があります。それと、比較をすれば、東京駅を利用して、そこから地下鉄、もしくはタクシーで、朝日新聞社や、新潮社、文芸春秋社等に向かう井上ひさし氏は、あの広場みたいな大きな跨線橋など、想像のほかなのです。彼の頭にあるのは、高卒までに見た仙台地方の素朴で粗末な跨線橋名のです。または、一時期学費を稼ぐために働いたといわれる釜石にある同じく素朴なそれでしょう。特にかれが、東京へ上京する前は、東京オリンピックの前ですから、土木工事は、いまほど、盛んでも進んでもいなかったのです。で、小さくて、素朴な窓ガラスも入っていないような、跨線橋をイメージしているから、嵐で、飛ばされると考えたのでしょう。

 私が文章で、表現したのは、あの跨線橋はあまりにも幅が広いために、屋根がないということなのです。だから、風圧をまともに受けますし、しかも敷石が、磨き抜かれているために、つるつる滑って、それで風に対して抵抗できないことを、文章に書いたわけです。

 それも、高島屋側から、西側の高層ビル内にある事務センターを目指していたからです。その無理を、書く事が神様への献呈になっているわけです。だって、外で遅くなるのは自分のパソコンへ侵入されているからそとで、貸しパソコンを使わざるを得ず、それこそ、悪魔の行動です。それをあぶりだす目的で、暗喩も暗喩として書いている文章なのに、それを、さらにからかうとは、神に逆らう現象です。

 だから、天は『大銀杏を倒す』という形で、伊藤玄二郎が牛耳っている鎌倉にお灸をすえられたのでした。こと、軍産共同体へのご奉仕と言う側面では、井上ひさし、と、彼は一身同体ですから。そして、繰り返しになりますが、この山のご近所様の動きと、日本を席巻する忌まわしくも作られた不自然なニュースと、小沢一郎・カリスマ説の勃興の三つは、見事に連動しているのです。それらの私へのいじめこそが、私の政治・分析の基礎となっています。

 この電車の遅延ですが、実行部隊はまさかJR東日本ではないとは思いますが、JR東日本が、恥ずかしげもなく、池袋に遅延情報お知らせ用掲示板という物を設置している事から考えて、何も反省をしておらず、むしろ、嬉々として協力しているがごとく見える事が大問題なのです。どうも警察から要請が行っているのではないかと考えられます。その件については一種の傍証として、急に湘南新宿ラインが池袋を通らなくなった日があって、それも諜略だと思うので、それをお話をさせてくださいませ。池袋を通る代わりに上野を通るだそうです。
 となると、大崎、恵比寿、渋谷、新宿、池袋などの駅をりようして群馬県や、栃木県および神奈川県の三浦半島やら湘南へ遠距離通勤をしているひとたちは、信じがたいほどの迷惑をこうむるわけです。

 ところで、東上線をりようして母の見舞いを終えた私は、駅構内の、大音響で響くそのお知らせを聞きながら、湘南新宿ラインへ入る階段を占拠して「使えません」『使えません」と言い募っている駅員(?????)と思しきダークスーツの男性たちをみて、『は、はーん、警察の偽装ですね』と思うわけです。

 こんなばかげたことをどうして、警察がやるかというと、私へのさまざまな攻撃がばれないと思っていたのにばれているから焦っているのです。最初期のパソコンのハッキングも、第二期の本多隆彦氏がやっているかのごとく擬装をされた嫌がらせも、すべて警察がやっていたとすると、頷ける措置となってきます。自分たちがあほだから、他人(私)のこともあほであろうとみなして、やりたい放題のあくらつな事をやり抜いてきたものの、私があほではなくて、ほとんどすべての蝶略行為を暴き始めたので、どうしていいかがわからなくて、とりあえず、『あの人間そのものをぶっ潰せ』となってきて、ありとあらゆる手段が行使し始められたのです。

 そのひとつがこれですが、さらに新しい仕組みもかんがえられています。それは交通量動態調査というもので、カウンター(計数器)を持った人間が、多数町で、通行人の数を図っているわけですが、常に私が使う隘路をふさぐという形をとります。

 山手線から横須賀線へ乗り換える場所は一箇所しかありません。そこに三十人近い、ダークスーツをきた、屈強な体格をした若者たちがたむろをしていました。すぐぴんと来ます。警官の擬装であろうと。それを、パソコンないメモとして落とします。

 すると、今度は黄色いナイロンのジャンパーを着せ、かつ、アルバイトもやとって、(というのは、機動隊などとは、普通の若者はまったく体格が違うし、面立ちも違うので、私にはすぐわかるからです。それは、この2010年の初秋に横浜駅のベイクォーターから横須賀線に入る場所で行われました。

 アルバイトの学生たちは、ただそこにいればよいといわれているらしくて、数を数えるでもなく、談笑しています。その日の私は、みなとみらいのクイーンズエリアの喫茶店とレストランで、GPS機能付のパソコンを使い、それをもったまま、電車に乗らずにみなと未来地区から、横浜駅まで歩いたのです。

 特に日産自動車ビル内に設けられている近道を通ってそごう側にでなかったので、20分は余計に時間がかかって、敵は十分に準備ができたというわけです。

 ここら辺りは気力と体力が充実していたら面白い短編ミステリーとして書くことができるのですが、最近は、疲れきっているので簡単にメモ程度で終わらせていただきます。
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 上の現象が、ことさらに重要なのは、まさしく、小沢民主党・党首選・立候補の時期と重なることです。そして、ご近所さんがまたきちがいのようにはしゃいだシーズンなのです。

 で、瀬島龍三が企画した(どろぼうでしかない)『あじさい畑欺もう事件』の被害者たる私は、なるほど、

 *小沢一郎という政治家は、国際的軍産共同体が、もっとも大切にしている存在であるという事が、ここでも証明された。

 *警察は徹底的に、その支配下にあり、アイデアマンが井上ひさしであり、彼と伊藤玄二郎の二人はすでに、相当ハイレベルな階級のフリーメーソンであろうという分析に入っていくのでした。

 では、今日はこれで。なお、今のところ、日付は24日になっていますが、実際におおこりするのは、29日午後、22時半です。 雨宮舜
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村上隆 VS フランス貴族(+、ビートT、草間Y、須賀A、村上H)

2010-10-23 23:04:47 | Weblog
 今、25日の夜11時ですが、やっと主要な部分を完成といたしました。今から誤変換を直していきます。

 私は今、きわめてドメスティック(地方的)な物を書いているわけです。鎌倉と銀座とが交互に現れますね。それに集中しています。「幸いに、大きなニュースがなくて、集中が途切れなかった」と書いたせいか、どうかは分かりませんが、すぐ、反応があるのが、このブログの世界です。今般は遠く離れたパリで、炎が上がりました。

 さて、どうしようかな? それを論じるべきか。論じるべきでないかと迷います。一番の問題点は、今日の主役、村上隆氏が、美術界においては、ダントツのレベルで、稼ぎ頭であること。でね、書き様によっては、「あんた、有名なアーチストに嫉妬しているのでしょう。さもしいわね」と誤解をされる可能性があります。で、触れたくない。

 しかし、本日、時事通信社が伝え、Yahoo経由で知らされた仮処分の申請は、相当に政治性を帯びており、そこを分析するのは、面白いし、意義があるだろうと思い始めました。十分に膨らませることもできるでしょう。もしかすると、例のごとく、今日も一万字をかけるかもしれません。で、これから、順次、節ごとに、ツィッター方式でトライしていきますが、完成は、明後日、26日(月)の午後三時を目指します。

 まあ、くりかえしになりますが、これは、ひとえに、パソコン内に侵入をされ、文章を書くことを妨害されるが故だと、申し上げさせてくださいませ。
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 村上と名のつくメディア有名人は、三人います。前は村上ファンドという会社の社長さんも有名でしたが、今は、静かですから、村上龍、村上春樹、村上隆と、来て、私は、前は、誰が誰やら分からなかったぐらいです。最近は三人の差を、ぴちっと、理解できるようになりました。最初の二人は文章系の作家で、隆氏は、美術系の作家です。

 芸大を出た後で、新川(今、スカイツリーがたち始めているあたり周辺だと思う)にある小山登美夫ギャラリーが(この画廊は移転をしたかもしれないが)支援して、大ブレイクをして、ニューヨークで、そのフィギュアー(メイドの格好をした少女のプラスチック製の巨大な人形ココちゃん)が、7000万円で競り落とされたのが、日本の一般紙の第二社会面のニュースとして伝えられました。

 しかし、そういう経路だけで彼が有名になったわけではないと、私は見ています。鶏が先か、卵が先かのたとえ話とはなるが、ビートたけし(この人も、今回登場するほかのすべての人も、十分に記号化されている有名人なので、敬称を略します)が司会をする番組、『誰でもピカソ』で、重要な役目を果たしたことが大きな出世の糸口だったと私は見ています。

 その番組は、ビートたけしが絵を描くのが好きだったことから、企画をされたと思いますが、結果として、彼のために、芸大・大学院映像学科というのが、創設をされ、かつ、村上隆が、世界的にブレイクするのに役立ちました。両方向へ有名人(大稼ぎ頭)を出したわけです。****** →

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 さて、今24日(日)の午前10時を過ぎました。再開をいたします。三角形を使った罫線の部分が最先端です。さきほど、9時半から実は再開をしていて、50行ぐらい書いたところ、消えていましたので、再度その部分を書き直してみます。
 その部分とは、相当に簡単に現代美術の歴史をまとめた部分です。私がライターとしては、噂話が書けるだけではなくて、知的な部分(+教養)もあると、読者に、理解をされると、敵は困るわけでしょう。私に関して悪いうわさを流しきっていますので、『そちらの方が、間違いだ』となって行きますから。
 だから、立派(?)な、文章を書くと、さまざまな手法で消されます。
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 ビートたけしの番組の最終局面で、草間弥生が出演しました。

 で、村上隆から、さらに離れたスピンオフとなりますが、草間について、述べさせてくださいませ。頭にそれが、昨日から強烈に、浮かび始めましたので、
 草間弥生は、1950年代にアメリカにわたり、長さ8メートル幅二メートルぐらいの長大なキャンバスにドットを繰り返した(強迫観念の時代)作品で、一度ブレイクをして、その後、若い彼女は、セックスをテーマにし始め、ご自分も全裸で、画廊のオープニングの場に立ち、作品には、ソフトスカルプチュアーと彼女自身が言う、実際はぬいぐるみでできたペニスを、前面に貼り付けた既存のものを発表し始めます。布はさまざまなものを利用し、土台はボートや、ソファーなど、さまざまです。これで、大ブレイクをして、オージーという雑誌さえだし、フリーセックス運動の推進へと走ります。

 ここから先は、余談中の余談となりますが、草間が芸術へ走ったのは、放蕩を繰り返す父への反発でした。その反発が石部金吉(たとえば、文章系作家の須賀敦子)の方向へ走る人もいるわけです。須賀敦子さんは、別に父君を批判をしているわけではなくて、愛していらっしゃるから、それゆえに傷が少なかったのかもしれないし、普通の結婚をなさっていますね。ここで、私の例をひいては申し訳ないが、私のダイナモを掻き立てているのは、むしろ、家族関係より、知人・友人との関係ですね。それは、特に大学卒業以来、さまざまな形で不利にさせられてきていますので、それに対する対抗する思いが、人生の主要なダイナモとなっています。

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 どうしてそうなっているかというと、ベーカーさんというアメリカ人に『こいつは、賢い。将来の日本にとって、重要な人材となる可能性がある。若いうちにつぶしておく必要がある』と、すでに、22歳のときに、認められてしまったことも、大きな要素なのです。それと、ベーカーさんは、成岡庸司君(中学の同期で、1960年代早稲田の革○の委員長となった、後に行くえ不明・・・・・ただし、私はこれも潜伏中で、実際には国際的軍産共同体の主要なアイデアマンとなっている可能性もある・・・と考えています)とか秋山豊寛(TBSの記者をしたのちに、ソ連の宇宙飛行に参加した。今は、農業に従事と聞く)氏などの分析をしないと、語れませんが・・・・・
 というわけで、セックスが、ダイナモではないのです。だから、動きも小さいといえば、小さいですね。話題も心理学的な分野に傾く傾向があるし、子育ては主要なテーマですし。
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 さて、ここで、脱線から戻って、草間の次の段階へ入ります。そのオージー運動で財政的に破綻をしたので、日本へ帰ってきます。アメリカでも行き詰まったと彼女は考えたのでしょう。彼女は成功をする人の典型で、ビジネス感覚とか、政治的な感覚も十分にある人です。その延長上で、幹他門し等が、支援して、都美術館で、グループ展なども開かれていて、私はそのころ、そのペニス(布はギンガムチェックだったので、意外と清潔感にあふれたものだった)の突起が何千とついた、大きな山城のクッションを五つぐらい見ています。その何千と繰り返されるところが、初期の作品に見られる強迫観念の繰り返しですが、

 草間はその大規模なグループ展程度では満足できなかったのです。確かに高階しゅうじ氏や酒井忠康氏を頂点とする美術評論家が威張っている日本画壇(そこへ、画廊と、作家を含む)全体から見れば、そのときはまだ、げてもの扱いだったと感じますよ。今回「三越なら、一千万円ですが、あなたには、350万円で売りますよ」というお声がかかったわけですが、『三越が扱うようになったのか』と、一種の感慨に打たれました。が、草間は1990年代までは、まだ、知る人ぞ知る存在だったのです。

 で、草間は、もう一回アメリカへ拠点を移します。日本もキープしていたかもしれません。職人わざとしては、日本人は優れていますから、ミシンを踏む人間等は、日本にも引き続きキープしていたのかもしれません。

 で、お金遣い等も、最初期よりは上手になっていた草間は、より材料費のかかる、勝つ、職人が女声ではない作品に取り組み始めます。この彼女の生き方、(つまり、ミケランジェロの時代と同じく、工房を経営をして、自分は統括をするという形で大量の作品を生み出す、かつ大型の作品を生み出す)は、杉本ひろし(ニューヨークに壮大なアトリエを持っている有名な写真家)とか、森まりこさんとか、それこそ、本日の話題の中心となる村上隆へ引き継がれている手法です。現代で、こういう形で創作をしている作家は、なかなか、いないですよね。まあ、彫刻の世界にはいる可能性はありますが、私はそちらには疎いです。

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 さて、今、こ一時間ていど、家事と昼食のために、休みました。というのも、今日の
話題は、私にとって、ポロロッカ(アマゾンでの大逆流)のごとくに湧き上がってくるものではないからです。怒りが根底にあると、がんばりぬきますが、さしたる怒りがないのです。

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 今日の、表題に当たる、村上隆さんのために怒るべきかといえば、『ううん。それほど、怒ることもできませんね』となります。どうしてかといえば、二つも三つも理由があります。これから、先に言う事は、実質的な今日の結論でもありますが、

 第一に、「あのルーブル宮殿に、村上隆の作品を展示する必要はない」ということです。アーチストの一人である、私の美的センスから言って、そうなります。これは、反対運動を起こした側、つまり、今回の主役、ルイ14世の末裔に賛同する事となりますが、あのルーブル宮殿は、装飾過剰なところであり、もともと、画廊とは思えない場所なのです。昔から存在している装飾だけで、自己完結をしている場所ですから、そこに、村上隆のココちゃん、を展示すること自体に、違和感を持ちます。

 あそこに、村上作品を展示させようと考えたのは、ヴィトンか、小山登美夫ギャラリーか、クリスティーズかは分かりませんが、意外と、日本からの働きかけだったりしたかもしれません。それは、ビートたけし氏への莫大はフランス側からの支援が先行しています。『彼があの程度、大切にされるのなら、僕の方は、作品がよいのだから、ずっと、よい場所で展示をしたいなあ』という欲求が村上隆と、小山登美雄ギャラリー等から浮かんで、それに応じて、世界中の人が動いたのだとしたら、あまり、感心をしません。

 昨日インターネット上の写真で、メインだと思われる大型香炉みたいな作品を見たのですが、それを作るのには、なれた職人たちが取り組んだとしても相当な時間がかかり、かつ、どう観ても、置く場所をルーブル宮殿だと特定して、作品が創作をされていますので、企画は一年半以上前に立ち上がったと考えられ、その当時、世界のニュースがどうなっていたかとか、日本のニュースがどうなっていたかを考えると、これは、一連の

 ・・・・・体制側に奉仕をしている作家を優遇する・・・・・措置のひとつである・・・・・とも考えられます。それに反発した発想が、昔からパリに住んでいる人たちの間で沸き起こっても、それも当然だと考えられるからです。表現の自由は反論の自由をも含んでいます。

 
 第二の理由は、彼はすでに、実質的な効果を上げていて、訴訟を起こされても、なんら困らないと言う事があります。9月12日から展示が行われており、彼の作品が本当に好きな人は、すでに出かけているでしょう。それから、有名人は招待日があって、すでにみんな社交をかねた、オープニングで見ているから、この10月の末に展示が閉じられたとしても、さしたる影響はないのです。公開前にも、反対運動が起きていますので、大勢に人に話題を喚起していますから、それが、得になっているという側面もあるのです。

 これは、ニューヨークのブルックリンで1999年の秋にも見られた現象ですが、訴訟とか、反対されるという現象は帰って、お客様を増やすのです。感心を持っていなかった一般人にも興味がわき始めます。そちらは、センセーション展というもので、黒い肌をしたマリアが展示をされ、それが、イタリア系アメリカンである当時の市長、ジュリアーニ氏の、選挙民へのおもねりを含んだ反発を招き、市の持ち物である、「ブルックリン美術館を使わせない」といったりしたものですから、入場者が長蛇の列を作るほどの、大人気となりました。結果として主催者側が大得意となった展覧会で、あれもクリスティーズが、ブルックリン美術館のエントランスで、オークションをしました。今回も会期中のしかるべき夜に、お茶(または、ディナー)付のオークションが、ルーブル美術館内部で開かれ、ヨーロッパの大金持ちが集まって、村上隆の新作にお値段をつけて競り落とし、それが、また、ニュースとして世界を駆け巡る事となるでしょう。ただし、今回は大衆的な報道を控えるかもしれません。フランス国内からの反発が強いからです。

 そして、個展とは、開いた事が重要なのです。入場者からのチケットの収入など、本当は作家本人からは、当てには、されてはいません。カタログの印刷が重要なのです。私はそれを、あまり、知覚をしていなかったのですが、銀座の高輪画廊から、オークション会社に著作権の問題で訴訟が起こされたそうです。これは、『カタログとして、立派なものが印刷をされるとしたら、それが、一種の作品のコピーの頒布となる』との件で、訴訟が起きているとの事でした。そうですね。三岸節子の作品が好きな人が、大きく印刷をされているカタログから、一頁を切り取って、額装して飾ったとしたら、それは、一種の絵スタンプとなりますので、三越あたりで売れば、それだけで、相当なお値段がつくものとなります。

 話が元へ戻れば、カタログこそ大切な名のです。そして、カタログをただで配る側の人間は、日本の美術界では、権力を握る事となります。酒井忠康氏は、そちら側で長らく権威を保ってきた人です。ただ、そのカタログは、ほとんどが県民税(または、区民税)、か、企業からのメセナで、制作・印刷されており、酒井忠康氏は、そういう手立てで、幾何級数的に、力を増し、美術界で得た権威を、他の分野にも敷衍していき、それゆえに、伊藤玄二郎氏とか、井上ひさし氏が安心して汚れ役、たとえば、私をいじめる案を日夜練るということに専念できるので、一種の源泉として、酒井氏を論じたいとなってきます。

 昨日も夢待洞という鎌倉の画廊で、『なるほど、これは、裏が見え見えですね』と言う反応に出会いました。あの画廊にはお客さんとして、若江良子さんと言う人が頻繁に出入りしていて、その人は若江漢字という作家の姉として、一種のマネージャー役をしています。彼女が鎌倉の住人なので、鎌倉の住民である私は、肌で感じる事が多くありますが、最も反応が大きいのが、夢待洞です。

 で、そこから分かることからも酒井忠康氏を分析する事となります。酒井氏を分析するルートはこれで、ガレリアグラフィカのラインと、大原光孝氏のラインと、若江亮子さんのラインの三つがある事となります。若江漢字氏は、奥様が『カスヤの森美術館』という大きな画廊を経営していて、その画廊は、酒井忠康氏のお手持ち画廊と言う雰囲気です。だから、そちらからも、さまざまな事が推察できる事となります。

 で、上の二節は鎌倉でしたが、こういうところが私の監察の基礎であるから、述べさせていただきました。私は画廊へは美術作品を見に行っているかだけなのですよ。それは、憲法で保証をされているきほん的な権利の行使のひとつであるとは、思う恩ですが、特に田舎っぽい感性を持つオーナーがいるところでは、オーナー事態が右往左往するのです。別に探偵をするつもりはないのですが、相手様がたくさんの生きた情報をおしえてくれることとなります。

 で、ここまでいったあとで、パリへ戻ります。

 というわけで、第二の理由からも、村上隆氏が恵まれている事が察せられ彼に感情移入して、フランス貴族を怒る気持ちにはなれないのです。

第三の理由ですが、政治に触れていきます。

 村上隆さん、ご本人は、ご自分の出世というのが、すべて、ご自分の実力でなされていると考えておられるでしょう。でも、私から観ると、ビートたけし氏に恩を売った事が相当に大きいと考えられます。その『誰でもピカソ』という番組内では、コンクールがありました。勝ち抜き戦です。三人か四人(?)ずつアーチストが作品を披露していって、三週か五週勝ち抜くと、ニューヨークで個展を開く事ができるという商品だったと感じます。私は元来がテレビが嫌いだし、時間もないので、これを見た事がなかったのですが、二人の人から見ることを進められて見始めて、驚きました。嫌だなあと思って。どうして嫌なのかと思うと、芸術作品には優劣がつけがたいのです。それにテレビ画面という小さな世界で、活発な人柄を示した人のほうが、パフォーマンス力が高いので、有利になりやすいのです。が、作家が一生を通して、作り続ける力とか、全体でどういう作品をこれから提示していかれるかとまで考えると、このコンクールは、残酷そのものです。
 その残酷さに驚きました。

 しかし、その番組に対する批判を抑え、参加者を招き寄せた人物こそ、村上隆さんだったのです。その貢献に対するご褒美として、あの国連ビル内の個展が開かれたと、私は思っています。

 でも、私がひやっとしたのは、その個展のタイトルを『アトミック・ボーイ』としたことです。これを国際的軍産共同体がどう解釈したか?
 私は『さすがに、芸大出身者はナイーヴだな』と思いました。この際のナイーヴとは、少女などを規定する概念としての、かわいさを含むものではなくて、「おばかさんだよ」と言う系統でのおさなさと同義語です。政治に疎いなということを感じました。 ただしここでいう「おばかさんだよ」は別に蔑称でもないし、他人にだけ向けるものでもありません。自分自身のことを、『私は、おばかさんだ』と常日頃思っていますし。

 でも、似たような事が、イスラエル賞の授賞式スピーチで村上春樹氏によって繰り返されました。こうなると、国際的軍産共同体がどう出てくるかなと、私はひそやかに心配をしながら見つめていたのです。

 村上隆さんの方は、実質的な損失はありません。現代アートの作家など、論議が起きた方がよいので、『あ、かれは、工芸の作家ではなくて現代アートの人だったのだ』と認識をあらたにしたぐらいで終わりです。

 しかし、村上春樹さんの方はどうだろう。今年のノーベル文学賞の下馬評に上がっていたそうですね。だけど、来なかった。この件ですが、えらい人、成功した人には、そういう人特有のストレスがあるのだということを示しています。直木賞やら、ノーベル賞の候補者と目されている人たちのストレスは大変でしょう。

 でも、村上春樹氏は、そこまで見通して、ノーベル賞を取れなくてもいいから、イスラエル賞をまず、受賞して、あのスピーチをすると、覚悟をして、あのスピーチが出たと私は考えています。出ないと、言葉を駆使する人らしくないですし、こどもっぽすぎる。

 だけど、私はこの二人の人には、隆さんには、← びーとたけし ← テレビ朝日 ← 朝日新聞社 ← 国際的軍産共同体、という方向で、
 春樹さん ← 週刊朝日 ← 朝日新聞社 ← 国際的軍産共同体という線で、
 共通して、国際的軍産共同体のお墨付きが与えられている人材なので、かれらの、それぞれに、独自な企画でさえ、『一種、飼い犬に手を噛まれた』と言う発想を与え、それゆえに、何らかの制裁が降りるのではないかと推定していて、・・・・・

 そのひとつが、村上隆氏のルーブルでの、個展を阻止する訴訟として現れたのではないかと考えたのです。しかし、ココは断定ができません。だって、この個展そのものが国際的軍産共同体のご支援が、大きく関与してできているものですから・・・・・

 でも、上の二つの節こそ、今日の文章で、一番言いたかったことです。
 
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 草間についての解説がまだ残っています。特に長い時間タイトル内にいれていたオノ・ヨーコに関する記述が出てきていませんが、また、一万字を越える見込みですのでここで、、草間についての考察も中断させてください。極く簡単にまとめると、筑紫哲也ニュース内で特集をされたことと、『たけしの誰でもピカソ』に出た時の草間はまるっきり違っていたということです。そして、もう草間を支援する必要はないと思いました。この部分は後で、別の日に拡大をするかもしれませんが、今日はこれで、おわらせてくださいませ。署名を入れて完成とさせていただきます。2010年10月15日 雨宮舜
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特別警戒という大騒ぎと、ドラマや映画を利用することについて、

2010-10-23 10:29:22 | Weblog
 以下は、日付は21日の午前中となっておりますが、実際には22日の深夜に上げたもので、23日の午前十一時までに、誤変換を直します。どうか、よろしく。

 前報で署名を入れた時点で、完璧に直したつもりでした。が次の日、誤変換が4,5個残っておりました。これも不思議な形で外部から、なされる事です。形見という言葉など、何度も正しく変換しましたが、また、悪い方へ戻っております。真剣な文章を書いているのに、誤変換が残っていると、滑稽になりますね。それを、狙っています。全体が一万字(イコール原稿用紙換算25枚)と長いので、訂正している時間が長いです。それに、グーブログのテキスト用・窓の中では、二千字ぐらいしか見えず、一万字全部が見えません。で、その直している間に、自動的にどこからか、手が伸びてきて、誤変換へと変換されています。

 これは、本のデータ作りの際にも同じで、神経をすり減らさせられます。で、できるだけ、外のパソコンを使う事となりますので、それも、金銭的な損害へとつながります。で、全体で20億円の損害だと申し上げることとなります。また、私の五冊目の『黄色いさくらんぼ』が古本として、出回っていると、インターネット上でお知らせがありましたので、ブックオフで、さらに売ろうとすると、何とかかんとか、理由をつけて、阻止されました。これは最初から少部数の800部だけつくり、書店では売らない本ですが、書評も出て好評だったのです。

 でも、この悪魔的なデータ破壊の事を、このブログで発表しても、この犯人は、反省しません。人間ではなくなっているので『そこに、困るのなら、そこを、さらに狙ってやれ』という悪魔的な心理を持っています。しかも最後に述べますように、この山の、安野家が特に勢いがある時は、必ず小沢一郎氏も元気で、テレビに出まくります。ぴたっと連動しています。

 そして、大相撲壊滅作戦のような、作られたニュースが跳梁跋扈します。今、検察庁が大荒れです。日本の官庁は次々と事件を起こし、壊滅して行っています。事件を起こすと国民の信用がなくなります。で、権威を失い、正式な機能を果たせなくなります。厚生省、郵政省(今は、どういう名前になっていましたっけ?)、防衛庁と、次から次へと事件が起こり、国民の信頼を失っていきます。だけど、これらが、もし、すべて罠であったら、日本国民は多大な損失をこうむっていると言う事となります。

 今回ですが、最初のフロッピー改ざん・疑惑が、罠であったとしたら、「官僚をぶっ潰せ」と言っていた民主党の小沢(元)党首の言うなりの効果が、今上がっていると言う事となります。ここで、罠というのは、「村木さんが、不正をしているのだ」と言う『たれ込みがあった』と、言う事を指します。それを信じて動き出した検察官が、途中で行き詰まっても、後へは引けずに、フロッピーの改ざんを果たしたと言う事を指します。で、今度はフロッピーの改ざんが大問題になって、検察庁が大揺れとなります。村木さんの弁護士が小沢氏の弁護もするそうで、それもまた、大報道をされていますが、もし、検察庁をぶっ潰す事が、国際的軍産共同体の目的だとすれば、この弁護士もそちら側の人間でありましょう。だからこそ、小沢氏の弁護を引き受けると言う構造と成ります。すべてが、非常に分かり易くなります。

 普通なら弁護士については、社会面では報道をされません。いくらスター弁護士だとしても、今回程の大げさな報道は異常です。

 ともかく、日本全国のニュースと、この山の安野・前田夫妻が特別に、元気である日とが、連動しているのは既に、確かめてあります
 で、
 私が悪いニュースの、生成を防ぐために、論理的、かつ抽象的にニュースを論じても、その発案者達は反省をしないのです。そして、私の方に、被害が重なる事となります。悪いニュースはことごとく、日本人の気分を暗くする目的で生成され流されていますので、阻止したいのですが、普通の礼儀を通していても無理なのです。当事者達を仮名で、PC内に落としても、絶対に悪事を止めませんので、ついに、実名で書く事となっていきます。

 そして、この山で行われている悪を、該当者を実名で書けば、全国的なニュースの方も落ち着くのです。ともかく、日本全国に展開する、国民いじめのニュースは、すべて、この山で実践をされた事の敷衍か展開だからです。で、『小沢一郎氏が国際的軍産共同体ともっとも密接に結びついている政治家である』という私の時論は、ここの観察で、形成をされました。

 最近ですが、前田家の擁護のために、TBSで『ドリトル』と言う小栗旬の演じる獣医師を主役にしたテレビドラマが発進し、『最初の週で高視聴率をあげた』と大・支援・宣伝をしてもらっています。それは映画『海猿』を作ってもらったのと、同巧異曲です。前田夫人は、農学部獣医学科と言う名前にぶんむくれましたが、その結果、東大と日大では、農学部は生物環境学部と名前が変わりました。たった、三人のわがままな主婦を慰撫するために、国家予算が大量に使われ、大勢の人が動くのです。「恐れ入りました」という他ないです。

 2009年の秋、事業仕分けの際に、大型パソコンの経費まで削りました。後にノーベル賞受賞の鈴木先生に、レンポウ議員が、激しく批判をされていますが、それほど、国家予算が少なくなっているこの時代に、莫大な無駄遣いが、個人の主婦たち、三人を守るために、浪費されています。変ですよね。おかしいです。

 そして、実質的には、国民から大人気だった朝ドラ『つばさ』は、視聴率が悪い(この結果自体が怪しいと、私は思います)と報道をされ、冷水を浴びせられた一方で、こちらの『ドリトル』は、始まった途端に、「視聴率が高いのだ」と宣伝をされ、それが大支援となるでしょう。

 で、この山で実験をされた事は、すべて、全国規模で、さらに展開すると言う今日の話ですが、最近、重要視されているのは、『特別警戒』と言う単語です。温和な日本では、ほとんど必要もないと思われるほどの、過剰な警備が行われ、国費の無駄遣いが、実行をされています。それから、よくテレビニュースででてきますが、警察がキャンペーンをしていて、会議をするでしょう。あれも、テレビ向け国民・威圧作戦ですが、各県警本部長か、その中での、部長クラス(たとえば、警察署長)とかの移動のための、無駄遣いが激しいでしょうね。理性をもって考えれば、『こうした方が良い』と言う方向があると思うのですが、それとは、異なった仕組みになって行きます。

 また、この特別警戒という事が、学校や病院にも及んでいて、そのために、先生や、病院のスタッフに、負担が大きく掛かっているそうです。これは、私が文部科学省に、・・・・・文化庁が、映画『靖国』と、映画『TOKYO』にどうして、お金をだされたのですか?・・・・・と質問に行った事などから、起きた現象だと感じています。で、真実を追究される事を恐れて、警戒を深めているのでしょう。自分を誇大視しているようですが、その後の展開を考えると、そう言う事でしか、ないとなります。

 文化庁が、特殊な映画、特に日本を貶める映画に、制作費を援助した問題については、まだ、答えをもらっていません。
 むしろ、その部署は、民間も参入した特別な組織へは改変をされていて、文化庁は巧妙に、責任逃れをしています。

 その経緯を、本にしようとしていたので、すさまじい警戒と言うか、弾圧が起きたのです。それは、文化庁にとっては大失敗といってよい事だったからです。国民の税金を使って日本国の悪口を言う映画を、外国人監督に、撮影をさせてしまったからです。

 その私の批判を、前もって抑えるために、千葉景子法務大臣は、持説にそむいて急に数件の死刑執行をしたり、死刑場を公開したりしました。その理由は、映画『TOKYO』の第二話内で、レオス・カラックス監督に、日本での死刑執行が、おちょくりを持って、からかわれていて、さらにいけない事は、今でも日本が軍事大国であるかのごとき印象を、世界に与える暗喩が、さまざまにこめられている事だったのですが、それを、その『消された映画』と言う七冊目の本(いまだデータを、準備している段階ですが)の中に書いているからです。
 
 その本を出版させないがために、大相撲壊滅作戦も起こされたのでした。で、そう言う事を、抽象的に、かつ論理的に言っても絶対に反省しないのが、この国際的軍産共同体です。そして、彼らの手下として、動いている日本人たちです。でも、最末端で、動いていると言うか、動かされている人たちは、普通の小市民です。それなりに、名誉や愛というものを守りたいと思っている人達です。ところが、彼らの行動は、それこそ、奇異なものへと、変化して行っているのです。それを、書く事で、やっと、国際的軍産共同体は、少しは、静かになるわけです。

 たとえば、『美術の窓』のおかしな動きを、ここで書けば、社長さんはあわてるでしょう。その雑誌は、美術批評の部分は、ほとんど、作家側からお金を取る形で書いていて、その集めたお金で、野見山さんにエッセイを書かせて、原稿料を上げていて、その宣伝力のおかげで、野見山さんは、ロイヤルパークホテル、ランドマークタワーのレストラン、シリウスに、壁画を納入しているはずですが、(それは、五千万円程度、または、それ以上だと思われますが)『美術の窓』と、平行して同時進行的に、野見山さんを売り出してあげた、山口さんへ、見返りとしての資金援助をせず(?)、彼女が破産で自殺をするほどの苦しみを感じているのに、見殺しにしたのでした。もし山口さんの破産が真実だったら、野見山さんの心理的な罪は、大きいです。で、雑誌『美術の窓』の社長さんが、『川崎千恵子へ、夕方電話を掛けて欲しい。(それが、電話盗聴で、彼女がすでに外出したかどうかを探る手立てとなるから)』と教唆を掛けてきた人に向かって「あれは、迷惑だった」と言う可能性があります。

 すると、教唆を掛けた源泉の人(?)伊藤玄二郎は、少しは反省するでしょう。出版社として同業者ですからね。『その同業者の、商売の邪魔をした』ことと、結果としてはなるわけです。
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 今回も私が通夜、告別式で、このブログの世界では、新しいものをアップできない日に小沢氏が、谷亮子さんを従えて、堂々とテレビに出たそうです。

 この文章で、この様に、敵の攻撃を具体的に書きましたが、止めるどころか、20日は鎌倉でさらに、PCのGPS機能を利用して、脅かされました。それが、笑っちゃうのですが、いつもとは違う道で、しかもいつもとは違う手法で、働いていました。早速に私の文章が影響をしているのです。これは、自宅を出発して、一時間半後でしたので、敵のチーフが、私のPCの追尾機能を駆使して、どれほど、神経質に、命令を下しているかが分かります。いつもは、四人なのですが、その時は三人だけで、ごみ拾い用道具をもって、真剣に、路上の吸殻を探しています。つまり、きちんと仕事をしているという様子を、誇示しているわけです。そこだけは、演出を変えたというわけです。いつもは、ただ、ただ、一列横隊になって、小町通にあふれていている観光客の通行の邪魔をしながら、笑い合いながら、歩いているだけなのですよ。小町通りには、ほとんどの場合、吸殻なんか落ちていないのです。人が密集しているので、タバコなど、すえる場所ではありません。

 ただアイデアマンの井上ひさし(そして、伝達者の伊藤玄二郎)が、こうすれば『お前の外出を把握しているのだぞ』と脅かす事ができて、『川崎千恵子は、参るはずだ』と、信じているだけなのです。そのために、禁煙監視員達は雇われ、ばかげた、かつ、わけの分からない目的の為に、高給を使って(?????)使役されているのです。井上ひさしは、上京してすぐ浅草ロック座に入り浸ったそうで、その後では机に張り付いて仕事をしてきた為に、世間の
真実をしりません。

 ところで、元に戻りますと、小沢・天皇・私的利用の頃など、すさまじい勢いで、この山のいじめ軍団がはしゃいでいました。大相撲壊滅作戦の時も、琴光喜がいじめられきっている一方で、安野家側では、伊藤玄二郎からか、「大丈夫。こちらが勝ったよ」とでも聞いているのか、大騒ぎで、はしゃいでいました。

 でも、私は結構なレベルで平気なのです。モーツァルトの故事をご覧ください。当時は勝っていた側の宮廷貴族の名前も肖像画も、今の日本人は誰も知らないでしょう。一方でモーツァルトの肖像は、日本全国あまねく、小学校から、中学校、高校の音楽室にかかっています。
 で、『時の検証を経ると、真実が勝つ』という事は信じていましたが、『大銀杏が倒れる』と言う形で、目の前で証を見せて頂きました。そして、大原さんのパンドラの箱を開けた行動、→

・・・・・特にご自分の方は、家族、四人、または、三人で、毎日、二回ほど、26年間は、我が家が犠牲として出したアジサイ畑を利用しておられるわけですから、四万回も使っています。その一万分の一にも満たない、その家の前の私の利用にあれほどの、悪辣な行為を示すという事・・・・・に、ただ、ただ、あきれ返って、(そうですね。あじさい畑を盗まなければいいんですよ。でも、盗んでいるわけですし、山も盗んでいるわけですから、すさまじい被害がこちらにはあるのですよ。それを、無視しているというかですので、ただ、ただ、あきれますが、『きっと、頭が悪いのでしょう』と思って、一応喧嘩も仕掛けないで我慢をしてあげているのですが、・・・・・

            → で、一気に、その時が招来しました。

 で、大原さんとは画家ですから、すぐ銀座と連動しますので、川島女史の悪辣ぶり彼に言及する事となります。それは、ずっと以前から分かっていましたが、パントラの箱が開いた今こそ、明瞭に表現する事と決めたのです。

 大原さんは、結局のところ、T-box の高橋典夫さんと、柄沢斉さんを動かして、月間ギャラリーの連載を止めさせた事となるし、その結果、川島女史が表立って、私をいじめるようにもなったわけですから、すべて、連動をしているわけです。

 「勝った、勝った」と、大喜びをしている連中は、その間に、修行も何もしておらず、ただ、烏合の衆として、やりたい放題のわがままを続けているだけなのです。それに対して、修行を続けている、こちら側に、天が味方をして下さらないでおられようか?
 そういうものです。決して一方が勝つというわけでもないです。ただし、伊藤玄二郎などは、口先三寸で、ガードマンとか、禁煙監視員を大量に動かしていますので、それで、力強く見えるだけです。
 東新町の町内会役員さえも使えるわけですから、そりゃあ、効率的に人をいじめる事ができますね。だけど、大銀杏が倒壊した事の責任に頬っかむりをし続けていても、いつかはばれると思いますよ。安野家夫妻が、すさまじい悪辣な事を重ねていても、どこかで矛盾が爆発します。池袋の大地主夫妻が、源泉がこの山にあった殺人事件だったら、どうします。死後、天国の門は開かれないと、私は確信しています。

 あの安野家、一軒に限っても、お子さん方の、動きを見ていると、どうも、前の奥さんとは、死別のように感じます。うちの母みたいに、家族から、愛されていると、93歳まで長生きができます。お子さんが三人もいるので、普通なら頑健なはずですよね。でも、30代か、40代で亡くなっていたとしたら、その裏にストレスが無かったとはいえないと思いますけれど。あの現在のご夫婦の組み合わせが、そのストレスの原因であろうとさえ、感じます。

 こんな想像は、お嬢さんが、前の結婚で一回離婚をされていて、それから、もう一度結婚をされる際に、この雪ノ下の家から、再出発をされたからです。離婚した後では、普通なら、実母の元へ帰るでしょう。一人の人間が弱くなり不利になった時は、最も安心できるところへ帰るものです。あの、今のお母さんは、きつい。きつい。もちろん、実母が再婚をされていて、そちらに帰れないという話もあるとは思いますが。

 だけど、そこまで、一気に推察できるほど、あのお宅の悪辣ぶりはひどいです。以下にその実例を書きます。

 一時期は夜の12時過ぎでも、りんりんと鈴を鳴らして、夜回りをしていました。鈴音は小さいもので、聞こえるか聞こえないかです。だけど、私のように音に敏感な人間から、すれば気になるものです。そして、お風呂に入ると必ず聞こえてくるので、ある日、お風呂場に電気をつけたまま、きちんと洋服を着て外へ出てみました。すると、鳴らしているのが安野氏だったのです。驚きました。この近辺は、本当に静かです。夜回りなど必要はない所です。この鈴音は、「お前がお風呂へ入っているのを、こっちは、知っているのだぞ」と言う事を、表明するサインだと思います。

 それを、パソコンないメモで書いたら、やみました。それほど、こちらの頭脳レベルを見くびっているわけですが、それはすなわち、自分たちの頭の悪さに裏返しでした。そのころは、老人ホームの付近でも、かちかち、音をさせて夜警がまわり、挙句の果てには、東上線の常盤台駅裏の飲み屋街によく来ていた、大金持ち夫妻が殺されました。この大金持ちは、昔は、家の中だけを歩いて、池袋まで出られたほどの、大地主で、居酒屋で、他の人におごりまくっていたそうです。誰からも恨まれる可能性のない人で、いまだに、犯人は捕まっていません。これも、一見すると、遺産目当ての犯罪のように見えますが、お子さん方が、そんな単純な事をするはずがないです。たとえ、二度目の奥さんが見えて、お子さん方が、異母兄弟であっても。

 だから、事件が作られる可能性は多いのです。山口みつ子さんに、もし、夫がいて、お子さんがあったら、『あれは不審だ。絶対に追求しよう』と思うでしょう。世田谷一家惨殺事件でもお父さんが、後々まで必死で、駅でチラシを撒いたりしましたね。
でも、山口さんにはお子さんがなく、夫もいなかったので、だれも、不審だと声を上げません。私は鎌倉の雪ノ下の鈴音を始め、あまりに、夜警が身辺にうろうろするので、もしかすると、あの大金持ち殺しも、諜略だったのではないかと思うほどです。私がちょうどそのころ、『居酒屋も、いいもんだ』と書いたので、居酒屋に出入りしていて、有名だったご夫婦が、血祭りに上げられた可能性さえ感じます。

 この手の、悪者たちは、日本人に対して、一顧だにしていません。愛情も慈悲もないのです。

 でね、すべてを勘案すると、あの痴漢は演出であり、事前に知らされていた安野夫妻が、救出劇を演出したとなります。これは、ほとんど正しいでしょう。だって、外で異常な叫び声がしたら、普通は、女の人は怖がって、出ないはずです。ご主人に向かって、「あなた、出てみて」と言うかもしれませんが、自分がしゃなりしゃなり、同時刻に出てくるはずがないです。事前にお芝居だと知っていて、安全だと知っていたから、彼女も出てきたわけでしょう。悪者たちにとって大切な事は、常に、安野夫人の方が、川崎千恵子より、上だと周辺に認知をさせる事なのです。

 私は当時は、在宅していなかったわけですから、当時の委細が、分かりませんが、この山中に「私が助けたのよ」と彼女が言いふらした可能性はあります。すると、「ああら、あなた、あの人に嫌われているのに、偉いわね」となるでしょう。そう言う流れを引き寄せるお芝居だったと考えると今では、すべてのつじつまがあってきます。

 でも、これを書くのは、私にとって、身を切られるようにつらいです。本当につらいです。すさまじい苦しみです。でも、その後、浅野家の令嬢を巻き込んで、私の頭の上に、水をぶっ掛けようとする事件が起こり、それを全山(といっても、知らされなかった家もあり、また、そう言う事を喜ばなかった家もあるでしょうから、私が気がついたのは、前田夫人と大原家だけですが)、が喜んだ、日を迎え、娘の痴漢騒ぎも演出だったと確信するようになります。

 どうして、これほどの、悪が行われるかと言うと、瀬島龍三の案にしろ、伊藤玄二郎の案にしろ、井上ひさしの案にしろ、『誰が裏で動いているかは、絶対に、ばれないだろう』と思っているからでしょう。それに、井上ひさしを詳細に検討し始めると、すさまじい悪人だと分かってきました。そして、その痴漢騒ぎの後で、鎌倉駅のホーム内喫茶店で、肩を接して、彼と話した時に、彼がぶるぶる震えていた理由も、上のように考えると、納得ができるのです。

 もちろん、安野夫妻は、「自分たちは、事前には何も知らされては、いなかった」というでしょう。それも覚悟で、ここに、この事実を発表いたします。

 音による攻撃は、昼間でも、楽器の和音練習(ピアノならハノンと言うもの。安野氏のいじっている楽器は、チターか?)と言う無味乾燥なものを、数年間、毎日、窓を開けて、二時間以上続けられました。これは、パソコンハッキングによって、私が、本の制作(IT的データ化)と言う作業と文章の創作やら編集作業を、同時に行うという、高次に複雑な仕事をしている事を知っていて、『音によって煩わされれば、その仕事ができないはずだ』と考えられているから、起きた現象でしょう。

 2010年度の初めには、有馬稲子さんが、『私の履歴書』の中で、・・・・・田園調布に住んでいるときに、三味線の練習をする必要があって、不器用だから、なかなか、上達をせず、同じところを何度も繰り返してやっていたら、町内会の回覧板で、注意された・・・・・と言われたように、やっている方が、注意され、淘汰されて、止めるはずです。だけど、ここは昼間活動をしている人間が10数人という特別な地形なので、タコ部屋的、環境となっていて、やくざっぽい(というか、中学校の番長的)人間の方が勝つ世界なのです。

 その上、山を崩し、花畑を実質的に盗んでしまったことで、崖をゆがませるという、物理的にはっきりと目に見える形でも、こちら側に一方的に被害を与えているのに、このタコ部屋的・町内会では、少数派の私は、なんと、異物として警戒されているらしくて、2008年の春に、町内会の回覧板で「テロリストがいたら、ちくってください(つまり、警察へ密告してください)」と言う回覧板が回されました。

 その後です。禁煙運動が強烈に起きたのは。そして、上の方に書いてある、三人の禁煙監視員もいつもの小町通ではなくて、鎌倉駅前の東急スーパーの横から早見ビルの一階にある、AMPMに向かって行きました。そのコンビニの東側、10メートルぐらい離れた場所に、喫煙場所が設定されていて、吸殻入れが置いてあります。世間に向けて、すまなそうな顔をした、男性が、三々五々、タバコを吸っています。

 それは、なんという矛盾と悲喜劇を示しているでしょうか。バルザックそのものの世界が展開をしているのです。今の日本に展開をしているのは、人間を侮蔑する政治です。
 そして、レストランや、喫茶店では、タバコを吸う人が大勢、避難をしています。神奈川県のレストラン街では、知事に対する怨嗟の声が満ちています。大資本を使って経営をされている大規模チェーン店は、大丈夫でも、小資本で経営をされているお店では、みんな困りきっているからです。

 最後になりました。今日も字数制限にひっかかり、書く側としては、相当に削除せざるを得ず、残念でしたが、一応9925文字のところで、アップをさせて頂きます。では、2010年10月23日、(深夜)ただし、ブログアップ用日時は、下稿をあげた21日午前中とさせてくださいませ。 雨宮 舜
コメント

グーグル、と、町内会が、言論弾圧をする?

2010-10-20 10:13:56 | Weblog

 これは、ツィッター方式で書きます。きわめて政治的なテーマの文章なので、時々、文章が空中に、消えますので、わずらわしくて申し訳ございませんが、ツィッター方式で書かせていただきます。

 アクセスランキングというサービスが、このブログにはあります。他のブログにもあるのでしょう。その数値ですが、政治的な課題であると明瞭に分かるタイトルをつけると、読者数が多いのです。しかし、政治という文字が入っていないと読者数が少ないのです。

 ただ、グーグル検索内では、私のブログの読者が、非常に少ないと書いてあるホーム頁が出てきますが、それは、間違いです。だけど、そういう頁が作られて、私の検索頁に引っ付いているという事は、それも、言論弾圧の一手法でしょう。

 理解していますが、数ヶ月ほうっておきました。

 ところで、昨日アップしていた、『草間を350万円で買えといわれ、散財を迫られる』というタイトルのものも、きわめて政治的な課題を述べているのです。

 ただ、最初の方が、とろとろしています。これは、整理して短縮しなければいけない部分ですが、ちょっと、今は、修復する時間がありません。
 このテーマでは、膨大なエピソードがありますので、新しいエピソードを書くほうに時間をかけています。
 特に、昨日のもの(=前報、この下にスクロールしていただくか、カレンダー18日をクリックしていただけると出てきますが)では、最初の部分で、川島女史が、どういう風に政治に使われているかが、一万字・字数・制限に、引っかかったために、書いていないので、皆様のご理解が少ないと思いますが、いずれ、それも書きます。

 最終段階が私にとっては、ひたすらに、大切なのですが、むしろ、そういう文章をアップする日こそ、最初の段階をとろとろ、始めるのが私の特質的な手法です。

 恐ろしい内容を書くときほど、とろとろ、さり気なく、はじめて、進んでいくのが手法です。でも、AOLでも、邪魔されたし、JR東日本でも意味ありげに意地悪放送をされたし、

 板橋区東新町でも、意地悪をされました。夜回りが言論弾圧用の、意地悪として、使われるのです。それについては、この雪ノ下で、実験をされていて、安野氏が何をどういう風にやって人を脅かすかについて、詳しい下稿が書いてあるのですが、まだ、送っていません。特にそれに関連したおろしい話として、東新町の、半年か、一年前の夜回りの話と、それが、大きな殺人事件を招いている可能性を書いています。大きな殺人事件とは、東上線・常盤台駅周辺の居酒屋に出入りしていた大富豪が、夫婦ともに殺害をされ、家屋敷を燃やされた事件のことです。

 これが、庶民(町内会)を利用しての言論弾圧の典型なのです。私のブログがきわめて政治的に、正しいことを発表した途端に、それが、行われます。半年や一年前のものは、見過ごしておきました。しかし、昨日は、母がすでに死んでいるのに、老人ホームに出かける私を脅かすので、悪辣だと思い、誰何しました。

 四人の老人(といっても、元気そうな男性です)が、パトロールをしているので、毎日やっているのですか?」と聞くと、最初は毎日だといっていましたが、もっと丁寧に聞くと、

 「この、三日だけです」といいます。ぴんときます。母の介護椅子(隠れた形で便器が入っているもの)を肩身としてもらう約束になっています。それ以外は、遺物処理業者を呼んで処分をします。13日に無くなって、本日、21日に業者が来ますので、ほぼ、一週間以内に、処理を終え、老人ホームにお部屋を返す形になります。

 ホーム側は、2週間程度余裕を見てくださっていますが、弟と妹、それに、私も疲労困憊しながらも、他人に迷惑を掛けたくないという意識で、がんばりぬいて、さっさ、さっさと、処理していきます。これは、母のがんばりで、私たち兄弟も励まされているということもあるし、母の子・孝行としての、適宜な時期の死(老衰という死因だった。一種の大往生ですね)もあったので、私たちに適宜な体力が残っていたということもあります。

 で、パトロール隊は、『その介護椅子を取りに行くはずだ』とみなされていてた、17日の葬儀後の、18日、19日、20日にのみ、行われたのです。このブログがアップされたら、それ以降も続くかもしれませんが、始まりは葬儀直後でした。

 つまり、私は自分のパソコンを常に持っています。それはビジネス用のモバイルの中古なので、GPS機能がついています。で、車のナビと同じで、私がどこを、歩いているか、どの電車に乗っているかを特定できるのです。それで、ぴったりのタイミングを利用して、脅かしてくるわけですが、それも、ブログが極めて正しいことを書いた日に大げさに、追尾が行われます。
 昨日は、東新町のトイレではなくて、南常盤台の、公園内にある公衆トイレを利用したのに、まったくジャストタイミングで、ガードマンが現れました。あたりには一切の工事が無いので、これも、いやがらせ的、脅かしで、いじめようです。しかも交差点で、青いランプを点滅しているパトカーが停まっていました。これは、常盤台駅南側に、二年ぐらい前にできた、住民専用(住民が駐在してパトロールする)交番があって、そのパイロットランプが青なので、その車だと思いますが、これも、私への嫌がらせでしょう。です殻、昨日は、鎌倉とJR車内や駅の放送を含めると、10回もおどかされました。これは、ブログの内容が、どれほど、真実で、あり、かつ大切なものだったかを明らかにしています。

 ところで、もう一度夜回りのパトロール隊へ戻ると、東新町の町内会の役員は、一丁目と二丁目と分かれていると思いますが、どちらも使われています。今回は、一丁
目が使われました。半年前とか、一年前に方は二丁目の町内会が使われました。

 私がガードマンとか、制服の人間を嫌っているので、わざとそれを、横行させるのです。というのも鎌倉の自宅を出た7分後ぐらいの、昼間の話ですが、大変適宜な時間帯に、一列横隊で、禁煙監視員という、4人ぐらいのこれまた老人のパトロール隊がやってくるので、それも脅かしだと気がついています。毎日ではなくて、ブログが、正しいことを書いた次の日にそれが、行われます。彼らは、常に、準備されていて、私が家を出た途端に、それが、機能するようになっているわけです。それは、室内盗聴とか、セールスマンを模した電話で、外出を確かめるのだと推定していますが、もしかすると安野家が見張っているのかもしれませんね。彼らのやっている恐ろしい事はもっともっとあるのです。まだアップしていませんが。・・・・・

 まあ、たまたま、昨日は常盤台が優先で、鎌倉でそれを、やったらもろ、伊藤玄次郎と井上ひさしのあくが露呈をしますの夜の三つの工事以外は、昼間は何もやられませんでしたが。

 これが個人的なことには、とどまらず、日本航空の飛行機が止まったり、新幹線が止まったりもしますし、中央線、山手線、京浜東北線、湘南新宿ラインの遅延にまで繋がっていますので、意味が大きいのです。『国民よ、怒れ、伊藤玄二郎と、井上ひさしに対して』といいたいです。その二人の行動の一例の詳細が、昨日から始まった、『草間の作品を買え』に出ているのです。
~~~~~~~~~~

 このパトロールは、この六年間、日吉や北鎌倉、丸の内、銀座等、で急に工事をやって、脅かすことを含めて、きわめて残酷なことだとお考えにはなりませんか?
 母の見舞いとか、死亡後の絶対にやらなければいけないお出かけを狙って、脅かすということ。人間として、かつ道徳的に、どうしてもやらなければならないことを、目指して、脅かすということ。脅した上で、自滅をさせ、かけなくさせてやろうという発想。で、この事はパソコンないメモとして何度も書いているし、電話の盗聴を逆利用して、主人に、『こんなに残酷なことをやってきている』と、何度も訴えているのに、いつまでたっても止めません。

 で、これを止めさせるためには、個人名を特定して、その人がどういう意味でそれをやっているかを書かなければ駄目なのです。それをしないと止めないのです。JRの職員とか、町内会の役員という記号としての肩書きを使って動く人を、『こういう風に残酷なことをやっている』と、書いても、敵はまったく反省せず、それを止めません。

 東新町でパトロールしている人たちは、防犯協会から命令されたらしいです。防犯協会というのは、警察の引退者が、やっているのかな? だけど、私の見るところ、ほとんどのレベルで別働隊の働きをしています。で、彼らが『何か、問題がありますか?』と質問をしてきたので、「大いに問題があります」と上へ伝えてくださいといって、置きました。

 「これは人権蹂躙の最たるものだ」と、非常に憤慨しているが、何度書いてもやめないので、今度、東新町の町内会役員にあって、私のブログの重要なところを、プリントアウトをしたものを手渡したいと思っています。で、それをやるだろうと敵方から想像をされているから、プリンターを、次から次へと壊されるわけです。これも大きな人権蹂躙です。自分を守る最低限の手段を奪われる話だからです。だから、被害が20億円を越えます。

 ところで、こういうアイデアは、すべて、この雪ノ下二丁目3~4にかけての小さな町内会『うぐいすむら』(会長、前田祝一氏、副会長、安野忠彦氏)で、実践をされたものの敷衍なのです。そして、この町内会では、私の山も崩され、花畑も盗まれるという、被害が、こちら側にあるのですよ。それを、隠すために、こういう脅しが常に、行われるわけです。驚天動地の悪辣さですが、ひとえに、その原因は瀬島隆三にあるでしょう。また、この山のいじめ軍団主婦たちに。その中に伊藤玄二郎の元愛人を自称する石川和子女史がいるので、伊藤玄二郎が強大な力を得たという話なのです。

 私は、安藤警察庁長官と、池田警視総監に厳重に抗議します。「こちらが、被害者なのに、どうして、こういう脅かしを受けないといけないのですか?」と。

 昨日20日のパトロール隊は、18日、19日、20日と、三日だけやっています。しかも老人ホームのすぐそばをパトロールしています。これは、介護椅子の手配に向かう私をおおどかすためでしょう? 本当に失礼極まりない、措置です。失礼という言葉ではすまない措置です。これらは、すべて、電話の盗聴ほかの盗聴を利用して行われていると思いますが、これって憲法に保障されている基本的人権の侵害に当たるのではないかしら?

 だから、私は、横須賀根岸2-103で起きた、地籍変更届を利用した詐欺事件と、この雪ノ下二丁目、3~4の町内会鶯会で起きたことを丁寧に、お話をしているわけです。すさまじい、恐ろしい被害が起きているわけです。それの精神的な補償を求めれば、被害は20億円は越えます。

 でね。今日は本当は、この山で安野夫妻が、何をやっているかの下稿をあげたいぐらいですが、そちらには、入らずに、「どうか、昨日の文章を読んでやってくださいませ」とお願いをしておくだけにします。

 昨日の草間を『350万円で・・・・・』というのは、単に、アートの問題であるように見えますし、最初が川島女史に対する悪口から始まっていますよね。だから、読みにくいことはなはだしいでしょう。

 しかし、私の読者の中には、この文章が内包する政治意識に引かれてお読み頂いている方もあると推定しています。

 昨日の文章は、私としては、きわめて、出来がよいと考えているものです。
つまり、こんなずるいアイデアをだしている人間が誰であるかを暗示しているものです。どうしてずるいかというと、柳沢昇が、猫のごとき、しかも自分の方が、何百回もかれ固有で、かつ常套手段として使う生半可な法律用語を、こちらも使うのなら、*窃*盗*を繰り返しているにもかかわらず、その猫に、反逆をされて彼女が、自分たちよりも私の方を大事にした事に、頭に来て、警官を呼び、「あそこのご主人に、奥さんをしかってくれ」と頼んで、そのまた、警官が、あほ、極まりない事に、絶対に交通事故など起こりようが無いこの山で、交通事故の調書を取って脅かしたという失敗を、隠蔽するために、

 『東新町一丁目の町内会という無辜の庶民を、利用して、私を脅かし、そして、ノイローゼにさせて、書けない人としてやろう』という、そのずるいアイデアを、一番最初に、発している人間のことです。

 つまり、さりげ無くですが、現在の大問題点である、文化人が支配をされていて、国際的軍産共同体の手先として動いていることを、丁寧に事実に即して書いているのです。
 それを、『あ、これは、つまらない文章だ』と早合点をされて、パスされた方があるのではないかと、推定ができて、(というのは、読者数が少なかったので)、残念に思っているしだいです。

 では、明日の、草間の2も、お待ちくださいませ。それもとろとろ進行しますが、具体的な話として、現代の言論弾圧の諸相を書いています。
 私は大銀杏が倒れたことでも分かるように、結局は自分は勝てると判断をしています。それが、いつになるかは分からないものの、結局は自分に勝利の日が来ると判断をしてます。だけど、その日まで、丁寧に、積み上げていかないといけません。
 毎日、少しずつ、カタツムリの歩みですが・・・・・

  昨日の文章は相当誤変換を直しておきました。繰り返しますが、身辺、周辺状況の変化から考えるとそれは、すこぶる重大な文章でした。政治にご興味のある方は、お読みいただきたいと考えております。
 もちろん、強制力はありません。そんな事はわきまえておりますが。

   2010年10月21日           雨宮 舜
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「草間を、350万円で買え」といわれて、散財を迫られる

2010-10-18 22:21:46 | Weblog
 前報は一万字の字数制限に引っかかったので、いい足りないところもいっぱいありました。そして、この山の問題は、心理学的な物にとどまらず、政治的なものへと、繋がっていくと話してあります。三週間前には一気にそこまで行くつもりでしたが、母の死とか、さまざまな要因(主に、私が自分の体をいたわったこと)で、遅れていて、今は、そこを書くのが億劫になっています。で、ちょっと、そこを離れて、銀座へ戻りましょう。
 銀座にも、さまざまな事がありますが、山口みつ子さんの急死は、いつも気にかかる大きな問題です。

 一番問題だったのは、読売新聞の記事です。それを、ライブのオーナー森さんが、私に見せてくれたことも大問題です。森さんは、読売新聞を取っていないそうですが、どうしてか、持っていて、それが、まず不思議です。誰からもらったのだろう。
そして、記事の中身も問題です。一度書いていますが、今回は川島女史に対する遠慮を捨てますので、さらにはっきり、くっきり書けると思います。
その記事には山口みつ子という名前は一字も入っていないのですが、事情通なら、すぐ『これが、山口さんの死を自殺だと、規定することが目的で、意図的に、作成された記事ある事は、すぐに読める』形式になっています。

 文章は、Yで始まる美術評論家か学芸員(後で特定します)が、村松画廊のオーナーだった川島女史にインタビューをしていて、最近の画廊の経営事情を聞くという形になっています。簡単に言えば、画廊の経営が苦しいという話です。そこに、山口みつ子さんが経営していた画廊の入り口の写真が使われています。2010年現在は、シャッターが閉じられていますが、それは、2010年1月30日まではガラスドアが、道路に面して、画室と繋がっていました。その写真のキャプションに、『画廊の中には経営に行き詰まって、自殺をする人もある』と出ていたのです。私は13日に出会っていて健康な彼女を見ていて、17日ごろ、銀座では有名な紳士である奇魔ま美術館のオーナーからのメールで、15日に急死をされたことを知りました。

 毎日新聞に訃報が載ったそうですが、そこに自殺と明記されていたかどうかはまだ調べてありません。が、三田晴夫(有名な信用高い美術評論家)からの推薦で、この訃報を、紙面に載せたと推定しますので、三田さんの配慮があるはずで、従って、自殺とは書かなかったはずです。
 読売新聞が、何らかの裏側からの教唆を受けて、自殺という報道をする、措置に出たのです。しかも新聞社が責められないように、写真のキャプションという形で、しかも、個人名を伏せてね。誰の発案だろう。例の二人羽織なら、このくらいのあくどい演出はあるでしょう。当然の事として。もし、前報にあげた、ちよこれーと遊びが前田夫人の発案ではなくて、その二人羽織の発案だったら、なおさら、かれらの、いじましいまでの幼稚さと不自然さを感じますので、この読売新聞の記事も、彼ら原発のアイデアであった可能性も感じます。

 山口さんに対しては、非常に失礼な扱いです。「あの、オーナーは、自殺をしたらしい」と聞くケースも他にはありますが、この山口みつ子さんのケースに見られるほど、全体として、失礼な措置をとられたオーナーは、過去にありません。川島女史は自分が利用されたことを知っていたか、いなかったかは、私は知りませんが、川島女史自身が山口さんの大悪口を言っていることは知っています。主に、経営が破綻していて破産をしたという側面を強調している噂話を撒き散らしている人です。

 どうして、そういう事になるかというと、性格がきれいだった山口みつ子さんへの、潜在意識の中での嫉妬があると感じます。川島女史というのは、スーツをぱりっと着こなしていて、男性っぽい、雰囲気を漂わせている女性です。しかし、人は外見と中身は相当に異なります。川島女史は、結構女性っぽいところがあって、後輩として現れた山口さんの人間的な魅力に嫉妬していた可能性は大きいです。

 川島女史の方は、より高い審美眼はあるでかも知れません。また、きつい性格なので「個展をさせて欲しい」と頼まれても、断ったりして、ご自分の画廊のレベルを保つ工夫はしたと感じます。
 ただ、それだけではなくて、さまざまな心理的な、テクニックを駆使して画廊の経営に当たっていたでしょう。が、実質的には、弱い、かつフェミニンな人だったと感じます。助手の相馬さんが(ある意味で鈍感めいて)誠実だったので、コンビがうまく行って、長年にわたり成功をしてきた人ですが、その画廊がもつ、名声にふさわしい人格まで、ご自分を陶冶していたとは思えません。というよりも、別の一面で、ものすごく、原始的なところのある人です。それに、ご自分に対して甘えていて、傲慢であり、私のご近所の前田夫人などが持つ、雰囲気と似たところもあります。

 でも、ここで、余談ですが、私は前田夫人に対する怒りほど、川島女史に対しては怒っていないのです。それは、いじめられたり被害を与えられたりする回数が少ないこともありますが、川島女史が独身であろうと見ているからです。いかにもそう見える人です。それで、『苦労が足りない人』の典型だろうと思っています。他人からちやほやされてきていて、修行する暇も無かった人です。そう言う人はそう言う人で、放っておくほか無いのです。

 が、前田夫人のように、ご自分の本当の子があり、孫がある人が、ああいう風に残酷だったり悪辣だったりする事に、驚くのです。そうですね。目的はご自分を守るためです。それに、子供や孫を道具として使う事は、あに、私に対してだけではなくて、身内である子供に対しても、孫に対しても残酷で悪辣なことだと思いますけれど、ご本人がそれに気がついていない模様なので、それに驚くのです。静岡大学の法学部経由、都立大学、大学院出身、國學院大學講師という肩書きに比して、その残酷さに驚くのです。心理学、教育心理学、および哲学を学んできた人のはずなのに、恐ろしいことを平気でする人だから、驚くのです。

 比較して、川島女史は、幼い人や大学生を動かしたわけではないから、罪が軽いかな? だけど、彼女が山口さんの悪口を言いふらしているということを知ったときには、驚きました。同業者だし、山口さんが、・・・オーナーとしては先輩である川島女史の、・・・機嫌を損ねるようなへまはしていない・・・と思うので、その悪口のオンパレードに驚くのです。

 ところで、私は、それを直接に耳にしたわけではありません。間接的にある作家さんから聞きました。親しくも無い男性なので、その事実を私に告げれば、却って、川島さんが損をするという判断も無かった模様です。川島さんを信じきっていて、彼女の口車に乗っていて、私に山口さんの悪口を吹き込みました。私は、もちろん反論をしたかったのですが、あまりにも確信を持って、「山口さんは破産をしていたのだ。だから自殺をした。いろいろな面で、無責任だ」とその人が言うので、川島女史の、他人への感化力の強さに驚きました。それが、彼女が画廊経営に成功した秘密だったのでしょう。つまり、正当に経営していたって、画廊など、儲からないものだと思います。

 特に自治体の財政が引き締まってきていて、公立の美術館に対する予算が削られてきていて、そのために、作品がほとんど売れなくなっています。そうなると、立地条件がよくて、大きな画廊ほど、苦しくなるのだと思います。

 小さいスペースの画廊を経営していて、売るといっても、個人のお客を相手にしていたところは、公立の美術館の予算が低くなっても、わりと無関係ですが、大きな画廊で、公立の美術館に主に、作品を収めていたようなところは軒並み苦しくなっているのかもしれません。
 その中で、無事に人生を終えた、川島女史は、失敗して(?)破産をして(?)自殺をした(?)山口みつ子さんに比べれば、『自分は賢かった。うまくすべてを切り抜けて、失敗が無いうちに、画廊を閉鎖する事ができて、ほっとしている』というのが本音かもしれませんが、ちょっと、口が軽いですよね。いや、性格的にも軽いかな? だから、読売新聞の記事に利用されたのかな?

 ここで、少し元へ戻ります。つまり、『彼女は、話術の大家だな』と言うことです。つまり、ご自分、もしくはご自分の画廊へ付加価値をつける事に、長けていたとなります。立派な画廊で、立派なオーナーだと思っていたけれど、2007年か、8年ごろ驚くような事が、対、私に対してもあって、それ以来、相当警戒してみていた人ですが、この、山口みつ子さんの急死前後の、彼女のはしゃぎようを見ると、私の危惧や懸念と、推察はすべてあたっていたとなります。

 彼女の後ろにいて、彼女をサポートしていた人が誰かを知りたいですね。いわゆる美術評論家との仲良しぶりが、彼女の信念を醸成したと思うから、そこをしりたいです。ともかく、私の場合は『必要と思われるデータが、必ず手に落ちてくる』ということ・・・・・それは、常に信じています。そのとおりになります。

 いずれ、川島さんに関するもっと詳しい情報は、何らかの形で手に入るでしょう。ところで、私は別に銀座に探偵をやりに行っているわけではありません。画廊でも無駄話はしないで風のように去ります。絵を見て、作家と一言、二言、技術について語るだけです。でも、論考に必要な事はすべて、どうしてか、手に入ります。だから、天を信じているわけです。川島女史について書くべきことの、原(元)データは、必ず手に入るだろうと。

 でも、今の所だけでも、彼女がご自分の画廊へ高度な付加価値をつけていった過程を、推察できます。画廊も、トップレベルとみなされるのと、「平均的な画廊ですね」とみなされるのでは、まったく違うはずです。収入も名誉も、他人からのご自身対する扱いも。彼女はつまるところ、口八丁、手八丁という類ですが、でも、はっきり言えば、たぶらかしの技術が高いともいえます。それって、ちょっと先へ行くと、欺もうという規定で言われる類のこととも、なっていきます。つまり、他者をどう動かすかという問題ですが、自分が利益を得るという側面だけで他者を、動かすと、いつかは化けの皮がはがれるということになります。

 ところで、その口八丁、手八丁と言うところが、山口みつ子さんにはありませんでした。高潔と言うか、高貴な感じはありましたし、魅力も十分ある人でした。が、詰めは甘かったかもしれません。私も「あんたは、お金の計算が出来ない人だから、」と常に母から言われてきていますが、山口さんにもその種の気配が、あったのかもしれません。なんとなく、「何とか成るわよ」と言う感じで、まずくなる方向を、放任しておいたと言う事はあるのかもしれません。となると、経済的な破綻は、私にも受容が、でき始めました。が、自殺と言う方はいまだに受容が出来ません。

 私の心の中では、他殺の線が、80%以上の確率で残っています。その他殺説を裏付ける一つが、上に書いた、川島女史の不審な動きです。『あなたが、本当に賢い人なら、こんな記事に、加担して、山口さんを侮蔑する側に支援を与えては駄目でしょう』と思います。で、この川島女史の動きと、読売の記事は、二つ合わせて、他殺説の、傍証の一つとなっています。
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 ここで、スピンオフとして、画廊の運転資金というか、経済的循環について述べたいと感じます。

 もし、月刊ギャラリーの連載が続いていたら、美術界の深奥に関係している人間の一人として、ここまでは書かないと言う分野の話の一つですが、突然に止めさせられたので、それが却って大きな自由を生んでいます。敵たちにしてみれば、『私から、親しい知人たちを引っ剥がせば、私が弱くなるだろう』と思っているみたいですが、そうなればそうなるで、孤独の極地に達するので、神様の世界とは、より近くなります。それは、別の次元に立つということとなり、まったく種類の異なる新しい力を与えられるということと成ります。人為的なもの、特に悪魔的な措置と言うものは、天と言うか、神の力の前では効力を失い、弱くなるのです。

 これは、「一作家であるあんたにとっては、僭越なことだ」と仰る向きもあるでしょうが、今は、私のお金が常に狙われている状態だから、それを防衛するために、「お金の計算も出来るのですよ」と敵に対して言っておかないといけないからです。
 
 で、元に戻りますと、日本の特に銀座(プラス京橋)で発展したシステムは独特のものですが、パリやニューヨークでは違う方式で運営をされています。ただ、日本でも数少ないがパリと似た形式で運営をされているところもあります。

 ゴッホの弟テオが、現在の日本円に換算すると、毎月、15万円程度の仕送りを続けていて、結婚をして赤ちゃんが生まれたために、それを、中止しようとして、兄のヴィンセントと争いになり、追い詰められたテオが、兄を狙撃したのではないかと言うのが最近の新説です(BSジャパンで放映をされた)が、それは、あながち、友愛だけでもなかったと思われます。画家とか、芸術家は破滅型なので、月給制度で、基本的な生活費、10万円から15万円程度を画廊(画商)サイドから支給する事はあるでしょう。でも、それを、五年から十年続けていても、目が出ない場合には切られると言う現象が起きるでしょう。だから、弟テオは、単にその慣例に従っていたことだったかもしれないのです。そして、このシステム自体は今でもパリなどでは生きている可能性があります。新進の画家としてはありがたいシステムですが、しかし、一生の束縛もされるはずです。芸術家として生きていくのは大変です。

 しかし、日本ではこれが定着しませんでした。日本では主に、美術館が、現代アートの購入者です。でも、一般の人は買いません。同じ分量のお金が、書画(日本画)骨董へ流れます。素人はデパートで、平山郁夫のエスタンプ(後年何でも鑑定段で、五千円ですといわれる一種の印刷物)を50万円で買ったりしますが、銀座の画廊で、5万から10万円の安さでも、本物を、買うという事をしません。よく赤い小さな○がついていて、売れたと言うしるしになっていますが、ほとんどが、友人、親戚の一種のお祝いとして売れているものでしょう。少数の理解者、・・・原美術館の創設者とか、大黒屋ホテルのオーナーとか、最近ではベネッセの重役とか・・・が、いますが、一般の人が買うことにならないと、画廊は、画商としてはやっていかれないのです。日本人自体に主体性がないように、過去の稲作の歴史が、させていますが、現代では巧妙なる、国際的軍産共同体のメディアや、文部科学省への支配によって、さらに、主体性が失われているので、欧米のように、一般の庶民(しかし、給料が高い)が、自分の好みの作品を適宜な値段で買い求めるというシステムは、発展しないのです。

 日本では貸し画廊と言う名の、展示をする作家側が、お金を出すという形式が発達しました。日本で絵が売れないと言う事は、美術の世界に生きている人は、みんな知っていて、何らかの別業を確保しようと、決意します。で、美大を出ていても、先生として、また、デザイナーとして、月給が出る道を確保している人が多くて、みんな、ある種のお金持ちなのです。ボーナスを充当すれば、個展を、年に一回とか、数年に一回開くのは、可能なことです。専業主婦であって、ご主人がお金持ちなら言う事はないし、私のように、68歳でも、まだ、親の支援があるという人間もあります。

 ともかく日本では、ある程度以上の軍資金がないと、芸術家生活もやって行かれないのです。

 で、そう言う形式で、運営されるとしても大小や規模の差はあります。これから先は川島さんが経営していた村松画廊や、山口みつ子さんが、経営していた大きな画廊の内実に迫ります。安定して経営するためには、大小二つの部屋がある事が望ましい模様です。大きな部屋は、実質、一週間で40万円程度の金額で貸し出され、小さな部屋は、実質20万円程度で貸し出されます。となると、順調に行けば、月に、240万円の収入があることと成ります。

 ただし、全部の週から、それだけの収入が上がるわけではありません。画廊にも作戦と言うか、プライドがあって、貸し料を取らないで、展示をさせてあげる作家があるのです。だから、一月にならせば、だいたい180万円程度の収入があると考えると、当たりでしょう。そのうち、給料として、100万円を当てるとします。これは、手取りではないし、オーナー一人で、がめるわけでもありません。画廊の事務員さんって、いいところのお嬢さんがお嫁入り前の腰掛として勤めていたりするので、事務員さんには、お安い給料で、済ませられるかもしれないし、オーナーだって、それほどの高給取りではないかもしれないのです。で、残りの80万円でビル管理会社に賃貸料を払い、光熱費を払い、通信費を払い、インテリアの修復費を積み立てるとなると、苦しいですね。

特に山口さんは人が良くて、年に数週間も野見山さんや、そのほかの有名人にタダで個展をさせてあげていたと考えられるので、苦境に立たされた可能性はあります。

 他の画廊も同じですが、1980年代まではうまく行ったのです。それは、自治体設立の美術館が、作品を購入したからでした。税金に絡んでいる人が、一番安定した小金もちとなっているのが現代の日本です。純粋にビジネスだけでやっている人よりも、労働に対する報酬が高いと私は感じています。銀座の三越の、新館の11階と12階にレストラン街がオープンしました。きれいで、余裕のあるスペースです。そこに集っている奥様方のご主人が、税金に絡んでいるケースは、数多いと感じています。
 ここで、スピンオフ中のスピンオフと成りますが、伊藤玄二郎氏と井上ひさし氏の二人羽織が発案して、鎌倉市の税金、および、神奈川県の税金、および、国の税金、・・・・・および、ほぼ税金と等しい、NHKの番組を恣意的につかうこと、NTTや、東電も支配をしている事を考えると、恐ろしいほどですが、それもおいおい書いていきます。今回は銀座と京橋に限りますが。

 その日本が国として、豊かだった時代に、蓄積をしてある人は、現在でも安定して画廊を経営する事が出来ますが、ビルの改築などで、移転をしたりした村松画廊は賃貸料があがったのかもしれないし、また、二つめの小画廊が、昔ほどの、機能を果たしていないので、将来への見切りをつけて、さっさと閉鎖してしまったと見るのも正解でしょう。頭が良い人ではあります。

 でね、この挿入部分の、最後に付け加えるとすれば、・・・文化の最先端と言うか、業種として、最下流にあるというかである・・・画廊の経営といえでも、日本経済の総体と、リンクしているので、日本と言う国そのものを守ろうとしている私は、実は貢献をしていとなります。が、それは、なかなか、理解をされていません。そして、酒井忠康氏発だと思いますが、何度かの波状攻撃として、銀座の画廊街でいじめられています。そんな事も冷静に、かつ客観的に見通している私ではありますが・・・・・・なお、この部分は、11時40分にアップしますが、先へ行って、今日の主文が大きくなれば、削って別の日に公開することとなるでしょう。それはご了承を頂きたいと存じます。
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 で、このお金の計算の部門の冒頭に書いた私が持っているお金が狙われるはなしですが、つい、この間も、「川崎さん(雨宮の本名)、草間弥生を買わない」と言うお電話が入ってきました。「アクリルで描いた本画(版画ではないと言うこと)で、350万です」って。「だけど、デパートの画商を通したら、1000万円ほど、するものだ」そうです。「だから、お買い得だ」と言う話でした。だけど、もちろん、断りました。

 そのお電話を掛けてくださった方はもちろん、良い人で知り合いです。だけど、裏がありますね。その電話が、母が死んだ直後だったので、『あの人には遺産が入るはずだから、それを、使わせてしまえ。でないと、本を作るぞ。彼女が本を作ったら大変だから』と言う案が、まだ、実際には生きている井上ひさし辺りから出て、早速の形で、草間弥生が用意されて、私と親しい画廊を通じて話が持ち込まれたのです。

 これは、井上ひさしが、まだ生きていると考えるよい証拠となります。彼は、さまざまな私をいじめる案を提出している存在ですが、文章だけから、私を判断している人間ですので、矛盾があり、すぐ、私にはこれが彼の発案である事が分かります。

私の個展を一度でも見て、その作品内容を、吟味をした人なら、『私が草間を買うはずがない』ということはすぐ分かるはずです。ただ、ニューヨーク時代に、まだ、今ほど、ブレイクをしていなかった(と言うのは日本でですよ。海外ではすでに高評価でした)草間について、何度も文章を書いているから、『彼女は、草間を尊敬していて、好きなはずだ』と判断をされたのでしょう。

 私はそれこそ、審美眼があるから、草間のかぼちゃを、350万円で買ったりしません。ばかばかしい。本当に怒っちゃいます。だって、私は色を専門とする作家です。色のセンスは高い。草間は、脅迫的にドットを繰り返すことで、有名になっていった作家で、膨大な労力を掛けた大作、・・・原初は、幅五メートル以上、今は切り離して売っている・・・には、驚きと畏怖を抱きますが、買ったりはしません。

ただ、提案をした画廊のオーナーに、怒りをぶつけるほど、野暮な人間じゃあないです。丁寧に、説明をしておきました。「私ね。新人の小品で、一万円前後のものなら買います。が、草間に350万円は出しません」と。
そして、一番大切なこと、「昨日母が死んだばかりだから、これは諜略です」とは、言いませんでしたよ。本当はそうですが、それは、言いませんでした。ただ、単純に「値段が高い(自分たちの作品に比べれば、圧倒的な高さと成りました)から、買わない」と断っておきました。
 私が、もし、作品を買うとしたら、この鎌倉雪ノ下二丁目の大木の下の家を、画廊喫茶とか、美術館へ改変したいからです。ただし、今は主人が反対だし、自分の体力が足りないので、あきらめています。でも、立地的には、なかなか魅力のある場所ですし、自分の審美眼と、自分自身の作品には自信があるから、これは夢の一つではあります。

何かが、うまくいったら、実現できることかもしれません。私の場合は、必ず、夢がかないます。ただし、30%ぐらいの内容で通ります。100%の形では、実現をしませんが。
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 この「草間の作品が350万円だ」と言う話ですが、もし、私が買ったら、画廊は、50万円は謝礼をもらえると思います。普通は、40%ぐらいですが、オーナーの話の通り、最初から値段が安く設定をされている仮定をとしたら、画廊が受け取る謝礼も少ないはずです。

 なお、この最後の部分が新しいエピソードであり、皆様の注目も引くと思うのですが、残りが1350文字となりました。その字数では書き抜けない内容ですので、後日に続くとさせてくださいませ。

 私としては、『山口さんの急死疑惑』にも拘泥したいし、『また、鎌倉に戻ってきたい』という思いもあります。『草間の作品を、350万円で買わないか』と言う提案が・・・・・途中で、誰をはさんだにしろ、・・・・・鎌倉原発のアイデアである事は確かです。それと、電話の盗聴を証明することも確かです。

 遺産相続があることも、確かめられているでしょう。それで、出てきたアイデアですから、そこにこだわると鎌倉へ戻ってくる事となります。いずれにしろ、本日はここまでとして、誤変換直しに取り組みましょう。2010年、10月19日 12時
コメント

ちよこれーと・・・・小さい子を、政治・・・(特に諜略)・・・・につかうこと。、

2010-10-17 22:05:00 | Weblog
葬式の周辺で、大変清らかなものを見ました。で、その清らかさをずっと、保持して、何もかも忘れて、明日から生きて行きたいとも思いますが、書く人としては今の所、まったくもって中途半端です。『書く人、記録をとどめる人』としては、ここで、終わっては駄目なのです。
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 今日のタイトルは、8月中に起きた出来事です。これが、下敷きと成っていて、大原氏の猫いじめが『パンドラの箱を開けた事』と成りました。この下敷きが無かったら、まだ、堰が保たれていて、私は、これらの忌まわしい出来事を書かなかったでしょう。しかし、書かない事によって、『あの人は馬鹿である』と誤解をされ、際限のない被害へと拡大をしますので、これから、丁寧に事実を積み上げて行くつもりです。

 私は『こと、日本、一国においても、世界全般においても、自然な流れ、また、普通の事が起きて、それが、結果を生む事』をとやかく言うつもりはありません。しかし、この世に展開するニュースは、非常に強いレベルで、作られているニュースが多く、その理由は一つ、・・・・・膨大なお金が誰かさん(?????)に流れていて、それを、庶民に知らせないようにするために、あらゆる文化人が動員されている・・・・・と言う事があるのを既に、発見をしました。ので、それを、発信をして、皆様に気づいて頂きたいのですが、それを『困った事だ』と考える手合いがいて、ご近所様を使って、心理操作的に、私を苛め抜き、それによって、私がうつ病に陥り、自殺をするように仕向けようとする案が横行をしていると、感じています。

 で、その詳細を書き抜くのですが、今日は前田家のお孫さんが、八月に二回ほど、その目的のために、使われた話です。

 まず、八月の半ばの午後、まだ、日の出ている時間帯ですが、前田夫人が孫を指導しながら、石段で、『ちよこれーと、ぱいなっぷる、ぐりこ』と言うじゃんけん遊びを始めました。お孫さんが三人と前田夫人を加えると四人となります。グーをだして、後の三人がちょきだけだったら、ぐーをだしたひとは、ぐ・り・こと唱えながら、三段ほど石段を上がる事が出来ます。

 一般的に言えば、夏休みに訪れたお孫さんと、この山の石段の多さを利用して楽しんでいると言う事ですから、何も問題がありません。しかし、子どもだけが石段の多さに気がついて、それをやるのなら、普通ですが、例の『雌鳥時を告げて、国滅ぶ』と言う諺を常に思い出させる、前田夫人の大声が一緒ですから、不自然です。そして、前田夫人とは、・・・・・こちらは、被害をこうむりながらも、25年間、ただ、ひたすらに、我慢をしているのにもかかわらず、・・・・・常日頃から、挑発を繰り返し、ご自分の立場をあたかも正当なものの如く、しつらえようとする悪意あふれた存在です。このじゃんけん遊びも、その挑発行為の一つであり、過去にも三回ほど、同じような挑発行為が繰り返されています。これは、4回目の挑発行為でした。
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 さて、この件に関して、私がどう考えたかですが、『あ、あんな事をやっていたら、彼女にとって、大切な人が死ぬわ。誰かしら?』です。これは、三月に大銀杏が倒れていますでしょう。彼女のけたたましいまでの自信と、つつしみの無さの一つの原因が、國學院大學の講師をしていた事にもあると仮定すれば、その就職に役に立った存在が誰かと言う事が問題と成ります。で、國學院大學の新校舎・ご披露の朝日新聞の全面を利用した大広告が、展開した日があって、その期日と、私のブログ内容をつき合わせると、国際的軍産共同体が、彼女の就職を支援していた事が分かったのです。私がPC内だけで、前田夫人を分析している時期と、その広告がぴったりと合致をしたので、前田夫人の就職が、瀬島龍三の発案であったと感じました。だって、普通の人なら、他人のパソコンにハッキングをすることはできないはずです。朝日新聞社といえども、國學院大學といえどもできないはずですから。

で、瀬島龍三とは、必ず、数手、間を挟んで、自らの姿を消す人ですから、この場合も数人を間に挟んで、結局は『八幡宮様の推薦』と言う形を取ったのではないかと推定しています。で、・・・・・彼女を推薦なさった事と、別方向から来た、『アメリカキササゲを切りなさい』と言う暗示に従ってしまわれた事が重なった為に、天がお怒りになって、大銀杏を倒された・・・・・と言うのが私の観点です。どうして、そう言うかというと、国際的軍産共同体が、日本を支配し始めたのは、明確には、1945年からです。フリーメーソンの会員である人間は、それ以前からいたと思いますが、日本が全国的に、明瞭にその支配下に下ったのは、それ以降です。

 でも、八幡宮様というのは、それ以前から、鎌倉に存在をなさっている文化遺産です。だから、それらの悪魔(?)たちに、利用をされてはいけない筈なのに、有料の音楽会(一回目は、葉加瀬太郎+平原綾香・主演、二回目は、平原綾香が前面に出てきた物)を主催をなさったので、その影にいる伊藤玄二郎に一種の命令を受けていらっしゃると、私は考えるからです。おいおいに、丁寧に説明をして行きますが、伊藤玄二郎氏と、井上ひさし氏は、さまざまな局面で協力し合っていて、こと、私に関しては、言論弾圧の、最大の発案者であり、実行者と成っている事は、私には周知の事実です。
 どうしてそうなるかと言うと、自らが、過去に伊藤玄二郎の愛人であったと名乗る、石川和子女史と言う女性が、近所に住んでいて、私に迷惑の限りを掛けるからでした。

 特に、鎌倉防犯協会の放送と、NHKが、『クローズアップ現代』の中で、井上ひさし氏の、『太宰治論』を取り上げたときに確定的にそれが明らかになりました。この件は、後で詳述する事として、また、ちよこれーと遊びに戻りましょう。
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 私は、今度は、この前田夫人の挑発行為には乗りませんでした。しかし、28年前の横須賀市根岸町、2-103の上滝家の故事を思い出していて、それゆえに、『大切な人が亡くなるでしょう。こんなあくどい事に孫を使っていては』と思ったわけです。上滝家の故事とは、二節後に詳述しますが、ともかく、大銀杏だけではなくて、さまざまな人が、この山で、この前田夫人と安野夫人を源泉とする、恐ろしいまでに、番長的な井戸端会議に巻き込まれて、その延長線上の苦しみから、早死にをしています。過去はともかくとして、これから先にも、誰かが死ぬ事になるだろうと感じました。

 前田夫人は、すでに、私が、気がついただけでも、四回、そして、その後で、もう一回孫を諜略に使っています.天はこう言う事をお許しにはならないはずなのです。悪魔も強大ですが、天も強大に、影響力を発揮なさるのです。68歳と言う私の短い命の間に、それを、証明するものを見るとは知りませんでしたが、すでに何度も見ています。

 で、論考の前に、五度目の挑発行為を、まず、明かしましょう。それは、このちよこれーと遊びが、8月の末にもう一回行われた事が問題なのです。しかも日が暮れてから。だいたい20分ぐらいの長さでしたね。ものすごい大声を張り上げて。普通、小さな子どもたちって、お互いに信頼すれば、これほどの大声を上げません。だけど、これが、諜略であり、私に聞かせる必要があり、私をいらいらさせて、外におびき出す事が目的ですから、ものすごい大声です。これは、大声を出させるように指導をしている人間が必要で、今回は息子さんでした。つまり、小さな三人のお孫さんにとっては、お父さんです。普段はこの山に住んでいない息子さんがそれをやったのです。その息子さんとは、お母さんのPTA総会における武勇伝のおかげで、鎌倉中でその進路について、関心をもたれるようになった息子さんですが。

 まっくらな中で、しかも不自然な大声です。驚きました。あそこのご主人は、奥さんが私の猫を、雨戸をがたがたやって脅かそうとした時に、「止めなさい」と制したほどの常識人の筈だけど、『駄目だわ。実は悪人なのね。これで、決定的になったわ』と思いました。で、これから、湘南信金・支払い問題とか、集団訴訟の問題とか、ご主人が絡んだ件についても、論を起こすはずです。遠慮するべきではないと考えます。
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 さて、上滝家の故事とは何でしょう。一回軽く、あらすじ(12日、しかし、ブログ上は8日の日付となっている)の所で、書いていますが、もう一回繰り返しますと、
 益山某と言う、元海軍参謀が、自分の利益の為に、横須賀市の水道局の山を勝手に蚕食して、それを、地籍変更届と言う法務局の仕組みを利用して、1200坪(当時は四億円ほどの価値があった)ただ取りをした時の、併合的なエピソードとして起こりました。

 ここで、ちょっとした挿入ですが、ブラタモリ(NHK)の丸の内篇を見ていたら、丸の内から大手町に掛けては、江戸時代は徳川親藩の大名屋敷が連なっていた所で、それが、三菱の創設者、岩崎家にどうしてか、払い下げられている模様ですね。こう言う措置の裏側にどういう事実が隠されていたのか、誰も問題にしていませんが、実は大問題ですね。正当な値段で買い取ったのであろうか。それとも、違う?????

 で、元に戻れば、益山某氏にとっても、彼の親友たる瀬島龍三・元陸軍参謀にとっても、公的な土地(それは、所有者が常に目を光らせて、見ている私有地ではない)を、どう利用しようとも罪の意識はまるでないと言う事です。その事件の際に利用された上滝氏と言う人間が、自分の子供を指導して遊ばせ、それを、悪事に利用した一件です。

 で、前田家、総動員のちよこれーと遊びは、その原点を思い出させ、それを書く決心をさせてくれたので、逆説的ですが、ありがたい事でした。で、さらに詳述しますと、益山某氏は、彼の欲しい土地・1200坪の周辺にある地境地主・11軒から実印を貰わなければ成らないのですが、その11人のうち、最も信頼をされ、重用をされていたのが、上滝家という住人でした。これは、彼自身が得意げに教えてくれた事ですが、『益山氏の目的を自分は知っている。それに、協力をすると、自分は10坪の成功報酬を貰える』との事です。

 上滝家は、全坪数が、30坪の建売です。その門の前に、益山夫人がセドリック・ハードトップを、車返しするスペースが、彼の家をえぐる形で、設定をされています。もし、益山家が、もう少し、奥、(すなわち、これから、自分の物になるであろう1200坪の中)から、土地を新たに、10坪程度割いて、新しい車返しを作れば、そのへっこんだ部分を、上滝家に与えるのは、なんでもない事となります。

 私も事が紛糾をしてきて、彼らの悪い企みがすっかりわかってしまって、『さあ、これから、自分を守るために、法務局と財務局に、内容証明を出そうか、どうか』と迷っていたころに、益山某氏から、直々に、次の様に言われました。「あんた、100坪上げるから、・・・・・(これから先は無音でしたが、もちろん、内容は)、その100坪と交換に、私たちの案を通させてくれ、邪魔しないでくれ」ということでしょうが。
私は、プライドの高い人間だから、そう言う手には乗りません。ともかく、怒ったのは、上滝家よりも、下として、扱われた事です。

 上滝家からは、その4年か、五年前に、すさまじい迷惑を受けていました。上滝家は、フロイトの言うとおりのエディプス・コンプレックスが見事に出ているお宅で、お母さんはお嬢さんがかわいくないのです。で、引っ越してきたばかりなのに、社交界デビューに必要な、幼稚園に入れてあげません。お兄ちゃんは入れてあげたそうですから、大変な差別として、お嬢さんを、苦しめています。

 社交界デビューと言うと大げさですが、小さい子には、お友達が必要で、引っ越してきたばかりですと、同年齢の子と出会う事ができる幼稚園に入れてあげるのは、親としては必須の事なのです。もし、お母さんが働いているのなら、保育所ですね。でも、「一戸建ての家を買ってローンを組んだから、倹約すべきだわ」とでも、ご主人に提案をしたのでしょう。同じフロイトの論に拠れば、父親は娘がかわいい筈ですから、丁寧に考えれば、娘にとって、幼稚園が必要だと分かるはずですが、後で分かるとおり、軽薄なところのある人間で、しかも奥さんの尻に敷かれている模様ですので奥さんの言うなりだったと想像できます。夫婦が対等であり、お父さんが真に子どもと接触をしていて、子どもの事を正しく理解をしていれば、絶対に、幼稚園にあげたと思いますよ。

 だって、当時の上滝家って、ときわ相互銀行(今の東日本相互銀行)に勤めていたのですから、給料は高かったはずです。お母さんは専業主婦であり、別に、内職をしているとも、パート(昔は派遣と言う言葉は無かった)で働いている気配もないのです。分かっていない模様ですが、一種の虐待です。

 で、昼間行く所のない、お嬢さんは毎日、我が家に来ます。娘との年の差が2歳あるので、私はものすごく大変です。特にお嬢さんに悪癖があったので、それを、たしなめる事が出来ず、参りました。「ダメヨ。そう言う事をしては」といっても、他人の言う事を聞くのは親に愛されて、親から、何百回も愛情を持って、叱られた過去のある子だけなのです。丁寧に育てていないと、叱られた経験もないので、優しい言葉だけの叱りつけには一切言う事を聞きません。でも、まさか、他人の子を、ぶったりできません。私はもともと、自分の子ですら、ぶったりはしない方です。
 で、最後に、困り果てて現場を見せる事となります。自分の子供をきちんと把握していないほど、恥を掻く事となります。子育てって、親にとっては一生続く大事業であり、何万回、何十万回も、同じ事を愛情を持って、教えなくてはならない重労働です。それを他人に任せっ放しにすると、大変な事となります。できるだけ、公の組織を利用した方がよいのです。お金を倹約する為に、お母さんが遊んでいて、しかも、ご自分で面倒も見ないし、お礼の言葉もないというのは、言語道断です。

 しかし、そういう女の人も、時にはいるのです。ちょっと話が外れますが、この山でもすでに六年生になっている安野君が、T夫人宅に、行きっぱなしで、夕方(夕飯を始める時刻)になっても自宅へ帰らないので、困って、「どうか、五時には自宅に帰るようにお子さんに言ってください」と頼んだら、安野夫人がぶんむくれて、例の井戸端会議で、さも自分の方が被害者であるかのごとく、その件を言いふらしたらしいのです。安野夫人だったら大いに、ありえることです。私はそれを聞いた時に、「ほら、やっぱり、実の親ではないんだわ。六年生にもなって、夕方五時、特に夕食を始める時間までも、遊んでいてかえらないとは、あのお母さんは、しつけという面では、何もやっていないのよ。だから、ふわふわと、井戸端会議などやっていられるのよね。だって、中学生なんて、心理的には、ものすごく大変な時期なのよ。親がいよいよ、こどもに負けて行く時期の始まりで、そこをどう切り抜けるかは、大問題ですもの。それをまったく視野にも入れていないのね。しかも、こういう風に自分が悪くて単に恥を掻いただけの事を、例の井戸端会議の政治力・・・・・イコール数の支配力で、無理を道理とする番長気質の事・・・・・で、他人が悪い様に言いふらすのですもの、誰だって、たまったものではないわね」と思いました。

 しかし、もちろん、その頃は、その困っている奥様・T夫人に対しても、「あの安野夫人は、本当のお母さんではないから、何もわかっていないのよ」とは言いませんでしたよ。それは、彼女が恐ろしい人であるから、最近まで口外しない事でした。私の被害が五億円を越えると判断して、大原さんに「安野さんって、本当のお母さんではないのでしょう?」と聞いた後で、彼が豆鉄砲を食らった様な顔をして、言葉に詰まってから、『あ、やはり真実だったのだわ』と思って、口外をし始めた事です。26年間も我慢をして、この弊害を黙っていたのです。この山のいろいろは、常に、安野夫人が普通の小市民では無い事から発しています。
 たぶんですが、略奪婚です。で、すさまじいレベルで勝気な人です。普通の団地なら、彼女の方が排除されます。特に住民が転入して30年たってますから。だけど、ここは戸数が異常に少ないです。そして、問題を感じた人は、さっさと逃げてしまっています。で、残っているのは、平均より強いか、弱いかのどちらかです。みんな『触らぬ神にたたりなし』ですごしていますが、平均より強ければ、悪事に加担をしません。また、平均より弱ければ、すぐ利用をされ、悪事に加担をします。それだけの事ですが、観察していると、非常に勉強になります。ここは、心理学の問題の実験場です。今は白井夫人が取り込まれている最中です。

 で、元に戻ります。28年前の横須賀根岸町、2-103の上滝家の故事となります。ともかく、子供の世話は必ず、どこの家を相手にしても、対等の関係を保った方がよいのです。3日間でも、相手の家で遊ばせてもらったら、4日目はこちらで遊ばせるという形。ともかく、子育ては重労働の連続ですから、誰かに預けっ放しとか、なにか、自分の方が楽を仕様などと考えたら、しっぺ返しを食うのは当たり前です。横浜あたりの団地では住民のレベルが高くて、そういうことは当たり前でしたが、横須賀の新興団地では違ったのでした。

 上滝家にものすごいレベルで、奉仕をしたのに、挙句の果てに、お嬢さんの悪癖を知られたという事で恨まれてしまいました。まったく理不尽ですが、それを益山某氏は利用したと思われます。

 で、今になって理解ができる事は、彼は、私を馬鹿にしたのではなくて、私が頭がよい事はわかっていて、だからこそ、真実を告げられなくて、その代わり、上滝家を重んじる事で、私を抑えられると判断していたのだろうという点です。で、上滝家は、ご主人が乗り出してきて、子供の世界を支配して、うちの子だけを、排除するという作戦を取り始めました。日曜日ごとに二回ほど繰り返されたので、私は怒って、益山氏の悪を固定する内容証明を出したわけです。

 だって、上滝パパが企画して先頭に立っている遊びなんて、もう、ばかばかしくて見ていられないというものです。一見すると華やかですが、管理されていて、忌まわしい限りで子供らしくありません。うちの子はすぐ、何かを感じて、自分のクラスメートの所へ遊びに行ってしまいました。さして被害が大きかったわけでもありません。上滝家が支配していたのは、臨時の寄せ集め集団で、いかにも楽しそうに演技しているだけですから、ものの、一時間も続きません。うちの子が、5分程度それを見ていて、『あ、そうか』と子供なりに理解して、遠くに行ってしまえば、上滝氏は、そのキャッチボール等の遊びを止めるだけでした。繰り返しますが、単なる演技としての遊びで、それに利用されている上滝家のお子さんがた自身、特におにいちゃんの方は、恥ずかしそうでしたね。私はいつも、「子供は賢い」といっています。五歳ぐらいで、すべては分かっていますよ。親が何か、悪い事をたくらんでいるのは、すぐ、子供なりに分かるものです。

 そして、結果として、追い詰められた益山某氏は、私を車でひき殺そうとしたのです。奥さんを、夫が意図的に、そうさせたのか、奥さん自身が、とっさの判断で、それをやったのか、どちらかはわかりませんが、私を車でひき殺そうとして、それが、失敗したあとで、急死したのです。死因は自殺か、脳溢血等の病死であるか、そのどちらであるかは、分かりません。

 その後、一年以内に上滝家は、引っ越して行きました。益山家側は、土地詐欺取得は成功したのですが、上滝家が約束の10坪を、貰えたわけではありません。悪人とはそういうものです。そして、上滝氏は、その悪巧みにご自分が乗って彼らの味方をしてしまった事を、私に知られているわけですから、恥ずかしく思ったのでしょう。銀行マンですから法律のことも分かっていて、それが、悪事だという事は分かっていた筈です。それで、すごすごとという感じで引っ越して行きました。

 もう、ひとつ、上滝家側にとっては、益山氏側から、裏切られたという思いを抱く出来事があったのです。それは、隣に住む佐藤家の引越しです。両家は、同じ規模(30坪)の敷地に住んでいるのですが、自分には何も報酬が無いのに、佐藤家だけが、好条件で引越しをして行ったので、自分との報酬の差に愕然としたのでしょう。佐藤家は、何も悪事には加担をしていません。むしろ正義の人だから、私の味方をするといけないと考えられて、好条件の、引越しを提案されて、それに乗って、行き先を誰にも告げずに、引っ越して行った模様です。
 佐藤家というのは、ご主人が私の主人と同じ日産自動車に勤務していました。だから、究極の場合、私側の見方となるとみなされた事が原因のひとつですが、もうひとつは私と彼女が深く信頼しあっていた事が原因です。表面はさりげなくて、別に親しくも見えないが、いざとなると佐藤夫人は、私を頼ってくれました。坊ちゃんが「耳から血を流していて大変なの、川崎さん、来て、診て」と頼まれた事があります。そういう事には、私は抜群に強いのです。常に冷静ですから、観察して、いろいろ助言ができます。その時も、まず坊ちゃんを見て、これは別にたいした事ではないといったん、判断した上で、いろいろ考えて、小豆が入ってしまった事を突き止め、それを出してあげました。掃除機を使ったのかなあ? 詳しくは覚えていませんが、お姉ちゃんが持っているお手玉から出てきた小豆を遊びながら、耳に入れてしまったのです。でも、坊ちゃんは、たまたま、小豆という言葉を知らなくて、説明ができなくて、ただ、ぼわーんとした違和感を抱き、それを、嫌がってお母さんに、異常を訴えたのでした。

 この佐藤家が、引越しをさせられた経緯はそっくりそのまま、この鎌倉雪ノ下二丁目でも繰り返されました。この山でも、正義派の石井夫人と、その一家が引越しをさせられた事情とそっくりです。石川和子女史と、その夫のめちゃくちゃぶりを隣の人として見ていて、将来、私の見方として、証言をする可能性を感じ取った、瀬島隆三(生きていた)が引越しをさせたのでしょう。好条件を示して、かつ、隣近所に引越し先を言わないように命じられて。柳沢某が、警官を呼んだ、その原因(くだらないものだし、柳沢某の方がまったく悪いのですが、)の真実の語り部となる恐れがあるから、引越しをさせたのです。その二つのケースが、そっくりなので、この山の悪意ある現象が、すべて、国際的軍産共同体の計画している事だと分かります。で、つまらない主婦同士の悪口の言い合いめいた事が、実はきわめて重要な政治的な課題であったとなっていくのです。そこに自信があるので、こういう事実を書き連ねて行く事となります。そして、こういう小さい事実の積み重ねが、政治的にも、大きな効果を挙げます。尖閣諸島の問題も沈静化しましたし。

 つまり、あじさい畑欺もう、事件はすべて瀬島隆三の企画した悪なのです。中谷氏は弱い所があったので、その悪に気がつきながら、抵抗ができませんでした。
 
 で、後、230文字しか残っていないので結論に入ります。前田家のちよこれーと(じゃんけん)遊びは、上滝家の故事を明らかにする、きっかけとなりました。その瀬島隆三が絡んだ過去の悪事があるから、現在の、この山の悪も、継続して起こっているのです。前田家は、お子さんを二人とも大学教授にして行きたいと思っていらっしゃるのに、こういう恐ろしい事に加担をして、孫まで利用してなさる人だという事が二つの遊び、特に暗くなってから行われた坊ちゃん主導の孫との遊びで、分かりました。・・・という話です。では、2010年10月17日、深夜  雨宮舜
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葬式、形見分け、兄弟の宥和(待っていてくれた母の2)

2010-10-16 03:32:52 | Weblog
 私事にわたって連続して書いて申し訳ございませんが、ここの目的のひとつが、心理学的な問題を解くというところにありますので、どうか、母の死と、その周辺について、さらに書かせてくださいませ。

 ところで、ここで、挿入ですが、今日は、すでに17日になっています。さきほど、つやから帰宅してお風呂へ入り、早く寝て、明日早く外出しなければならないのですが、誤変換二機がついたので、2,3直しておきたいと感じています。ただし、それでも完成ではありません。
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 母が『食べ物が口から食べられなくなって、自分の肉体を燃やしながら』さらに生き続けてくれた日々は、50日間を越えました。水でさえ、一日の必要量を取れなくなっても三週間も生き続けてくれました。その意味をひとつ、前報のブログで書きました。つまり、私が一仕事を終え、峠を越えるまで待っていてくれたのだろうという推察です。

 が、もうひとつあったことを私は、ひそかに、確信しています。それを皆様に明らかにするべきかどうかは迷っていました。が、その啓示のありがたさに打たれて、実は昨日14日一日中、きわめて明るい気分であったために、主人から、なんと「はしゃいでいる」といわれてしまう始末であり、私は、それを、考察することに取り組むことにいたしました。皆様に、それを、お読みいただけるかどうかは、考えません。きわめて私的な分野のことです。
 が、大切なことは、兄弟三人がそれぞれ、十分に成長し、上手に見事なお葬式を演出することができる日まで待っていてくれたということです。
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 弟は大変上品で慎重な人であり、お葬式の費用等もすべて、準備していてくれており、私は一切出す必要がありません。それから、参列者等から、お香典の類も一切いただかないと決めています。情報もきちんと開示してくれており、なんら、問題がありません。しかし、実のことを言うと、姉妹同士の間が微妙でした。それが、調整されるまで母が待っていてくれたと感じます。

 今(というのは、16日の午前0時から2時までのことですが)、5000文字以上を書いたのに、突然すべてが消えました。きっと美しいことを書いたのですが、そういうときこそ、敵の攻撃を受けます。だから、敵の悪を書かざるを得なくなります。終わりのない戦いとなってきます。明日通夜という大変な日ですが、書くことを、再トライをして見ましょう。

待っていてくれた母―2,3

 実は、弟と妹の間は順調であり、弟と私の間もさして問題はありません。ただ、姉妹同士が微妙でした。私は、一種の演技をともなわないと、お葬式が順調に行かないのではないかと感じていて、その演技をするのは私の方だと考えていました。

 しかし、母が死を待ってくれている間に、姉妹ともども、その事を、内心で吟味していて、それゆえにある安定した帰結点に到達しえたのでした。
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 この微妙さがどうして起きるかと言うと、二番目の子が持つ、不全感もその基礎にあると思います。長子と末子は親の愛を受けやすいのです。で、一種のぼんくらと言うか、甘ちゃんになります。ところが二番目の子は看過されやすいのです。その苦しさは、次郎物語につまびらかですが、最近では『ホルトの木の下で』の中で、堀文子さんがそれに触れています。麹町の家が戦災に合い、一家が経済的な苦境に立ったときに、それを救ったのは次女の自分であり、甘やかされて育った、長女や長男は何の役にも立たなかったと書いていらっしゃいます。一種の怨念に似たものが、次子には生まれやすいのです。だから、妹の潜在意識の中に、一種の怨念がすでにあると仮定します。

 その次に考えられるのが、フロイトのエディプスコンプレックスです。それは、親子の間を定義しているものですが、他人同士、または、兄弟同士でも当てはまることで、人は誰でも、異性には甘くなり、同性にはきつくなると言う傾向を持っていると思います。三人の交際はもともと難しく誰かが、はずされがちになりますが、一時期私がはずされていると感じていて、私自身が、さびしく思っていて、それが、私に一種の怨念を生んでいたかもしれません。
 
 それと、我が家独特の、原因が、もう一つあります。それは親が一種の出世主義を取っていたと言うことです。たまたま、お勉強が出来る子どもが連続して、生まれたので、現代社会における勝者になって欲しいと言う思いもあったでしょう。それに対して、私は落ちこぼれた人となってしまっています。社会的な名誉も無く、肩書きも無く、お金ももうけられません。

 一方で妹は輝かしい職場で、輝かしい業績を上げている存在です。それは、13日、母が死亡した日にも、お葬式の段取りで、ハイヤーを雇うのが割高だと三人が感じたときに、実感として明示されました。昔の葬列では、ハイヤーが何台も霊柩車の後を続いたものです。最低、三台は続きました。今回私たちは、母が90を超える高齢で、学友等もすべてなくなっており、自宅からも、六年も離れている(老人ホームへ入ったためにそうなっている)ので、親戚だけで、葬式を行うこととしていますが、ハイヤーを一台にするか、二台にするかを迷いました。実は四時間拘束するのに、一台につき、二万九千円掛かるのです。

 妹は、「私ね、遅くなると会社が配車してくれて、いつもはハイヤーで帰ったけれど、こんなに高いのだとは一切気がつかなかったわ。ただ、日本交通の運転手さんが、私をこ馬鹿にしていじめるの。それも無理がないと、今、気がついたわ。小娘がハイヤーにのが、不思議だったし、嫌だなあ、と感じていたのでしょう』と言いました。

 その感想からも分かるように、妹は医者に新薬を紹介したり、宣伝したりする仕事をしていたので、お医者さんと同じくらいの位置で、会社から扱われていたのです。プライドも高いし、能力も高いし、給料も高いし、結婚もしているし、子どもはいるし、孫もいるし、現代の女性が望むものをすべて持っている女性です。一方の私は、落ちこぼれた人間だとみなされていました。その上、お金遣いは荒いし、突然に一人暮らしを始めるしですから、一種の禁治産者と、みなされていたのです。で、妹と圧倒的な地位の差があり、私は、『彼女から、馬鹿にされている』と長らく感じていました。

 ところで、ココで、複雑極まりないことには、妹も姉からプレッシャーを与えられていると感じていた模様です。いちど、『お姉さんって、薔薇の花みたいな人だから』と言われた事があって、びっくりした事があります。あのね、皆さん、これは、顔の特に美醜をさしているわけではありません。私はまったくといってよいほど美人ではありません。ただ、何か独特の雰囲気を持っているらしいのです。『そういえば』と納得をされる事があります。私は非常にいじめを誘いやすいタイプですが、それが、公募団体展に応募していたころ、また、特に40代のころにひどくて、賢い先輩に相談したことがあります。すると、「あなたは、もっている雰囲気が良くて、そう言うものは、他の人には容易にはもてないものだから、嫉妬されるのよ」と言われた事があります。でね。ともかくのこととして、妹とは、わだかまりのある間柄ではありました。

 で、お葬式でも、相当に苦労をするだろうと予測をしていました。お葬式って大きいと親族の誰かにしわ寄せが起きるものです。誰かが影で人知れず泣いていたりして。それが自分になるのかなと思っていました。ところが、思いがけないことに、妹が折れるというか、寄り添ってくれて、和気藹々とした、7時間を兄弟三人で過ごせました。

 その爽快感に満たされた私は、次の日、14日には、主人に「はしゃいでいる」とまで言われたほどです。で、それは冒頭に上げたエピソードと同じものとなりますが「母をなくした妻を、はしゃいでいると、表現するとは、何事ですか」と成って口げんかを次の日に、したほどです。

 本当に安心していて、すっかり、明朗に成っていました。
 今、16日の午前二時に、その前から書いていた三時間分の仕事が、敵によって消去されてしまったので、大いに、不快になり、不明朗になっていますが、14日と15日はすばらしく、美しい気分で過ごしたのです。それを、再トライで書いていきましょう。

 まず、老人ホームでの午前中です。母の持ち物は、弟と妹によれば、すべて捨てるのだそうです。私は四枚ぐらいあるパジャマを一つもらって「ころころ」と自分が呼ぶバックの中に入れていましたが、妹が、『これ、シルクだからお姉さん、もって返りなさい』といって、自分が母に買ってあげたブラウスをどんどんくれるのです。私は収入がないのに、本を六冊も作ったので倹約できるところは締めているので、最近ではまったく洋服を買いません。で、妹にも前から「捨てる服があったら、頂戴ね」と、言ってあるので、私が「洋服を欲しがっている」のを知っているのです。

 でも、ざっくばらんに、かつさっさと、そこまで、言ってくれることに驚いて、すっかり、気が緩みました。その事はさらに、6時間後にも確認されました。実は実家には、普段は人が住んでいません。それで、鍵を持っている弟を、何度も、煩わせるのが大変なので、一気にその日に、形見分けまでしてしまったのです。それは、弟が独身なので母のものをほとんど必要としないので、姉妹二人だけで決定できることですし、また、弟に、後日、アポを決めて、そこで、三者が出会うのが、結構大変だったからです。す。

 で、「ハゲタカ、みたいね」と自嘲的に笑いながらでも、着物類は私が優先的に選択権を握り、指輪類は、妹が優先的に選択権を握り、お互いに遠慮をしないでも、争いは何も起こりませんでした。好きなものが違うからです。私は、指輪には興味が無くて、妹は和服には、興味がありません。でも、何所かに、妹が譲ってくれる気配もあり、それは、ありがたく思いました。
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 そして、一番大切で素敵な事は、その前の時間帯で起こりました。弟の車で板橋区東新町の老人ホームから、横浜の日吉まで帰る途中です。車って密室ですね。だから、心が、集中して会話が出来ます。その結果、私が心から安心できる、出来事が訪れたのです。

 どうして、その日(13日のこと)、私が一番に老人ホームを訪れる事が出来たかを話し始めたときに、妹が「おねえさん、よく椅子で寝られるわね」といったので、私がネットカフェを説明するチャンスが訪れたからです。妹にとって、全国の有名ホテルに泊まった事はあっても、ネットカフェなど論外の施設です。内心で小ばかにしきっても良いでしょう。でも、私は私なりの理由があって使っているので、引け目は何もありません。ただし、妹が正しく理解をしてくれるかどうかについては、自信はありませんでした。

 でも、ともかく、「あのね、私が使うのは、マットレスが敷き詰めてある一畳半ぐらいの部屋なのよ。それは、フラットと呼ぶの」というと、「ア、個室があるの」と驚いてくれました。で、さらに、「いろいろタイプとか、クラスがあって、私は最上級と言うか、上品なところをつかうのよ』といいますと、「お値段はいくらなの?」と聞いてきてくれましたので、「8時間で、1900円よ」というと、「え、そんなに安いの、それじゃあ、交通費とトントンじゃあない」といってくれました。
 そうですね。鎌倉まで往復して、途中で、銀座へ降りたりすると交通費が2000円は、かかりますので、東京の繁華街で泊まってもほとんど、トントンではあります。
 
 ココで、ひとまずほっとしました。『私がどこにお金を使っているかが、弟と妹には皆目、理解が出来なかったところでしょう。が、少しはわかってくれたかなあ』と思って。特に、ネットカフェに泊まると、夕食と朝食は外食となりますので、交通費とトントンでは終わらないで、二千円ほど出費が増えます。でも、体が、疲労困憊しているときは、東京泊が、救いとなります。ともかく、横になりたいのです。それで、ネットカフェを利用するのは、自分を、最低限守るためでもあります。それから、一応ですが、ブログの世界を継続するのにも役立てています。

 こんな小さな世界でも、維持するのは大変で、相当に体力を消耗していますが、その穴埋めには東京で泊まってしまうのも、工夫のうちのひとつです。

 ところが、健康体であり、交通・至便なところに住んでいる短い妹には、この境地は理解がしがたいでしょう。日本橋から、15分という近さに住んでいる妹は、その『体をいとう為』という事は想像のほかだったらしくて、ただ、笑って『それじゃあ、パソコン三昧じゃあないの』といいました。私も思わず連られて、「ほら、有名な作家がホテルに缶詰になって仕事をしたといっているじゃあない。あれと、ランクとか、クラスはまったく異なるけれど、機能は同じね」と応えました。

 頭の中では、ネットカフェの音の出るキーボードを夜中たたき続けている、別の部屋があることも思い出していました。私はネットカフェでも、自分のノートパソコンを使うので、キーボードは静かです。でも、シャカシャカと、なり続けるそれらの音を聞いていると、『あの人は、それこそ、芥川賞でも狙っているのかしら?』と思ったりします。『今は、世を忍ぶ仮の姿として会社員をしている男性? それとも女性?』と思ったりもします。
 
 学会(医者の集団の研究発表のこと)で、一流ホテルを使い続けている妹が、ネットカフェを頭から小ばかにはしなかったことに勇気を与えられた私は、さらに続けて、「ほら、ニューヨークって、二十四時間地下鉄が走っているでしょう。そう言う中で、睡眠時間、3時間で版画を作り続けたりしたでしょう。だから、普通の主婦とは違ったリズムとか、生活様式で過ごす事は平気なのよ。常識はすべて捨てているの」といいました。

 それにも、「ばかね」とか、『まあ、変ね』とは言わずに聞いていてくれたので、さらに勇気を与えられて、『逗子でもね。朝起きると、すぐ仕事を始めて、五時間ぐらい連続するの。そると疲れてそれ以上で着ないと成るので、掃除やご飯を食べるなどの雑用を三時間ほどするの。すると疲労困憊するから寝るのね。その後で、五時間ぐらいで目が覚めるのそうしたら、また、サイクルが始まる。でも、リズムが狂って、すっかり体を壊したわ』といいますと、

 『じゃあ、何時間で、どれくらいの仕事が出来るかを、そのとき把握をしたのね』と妹が言ってくれました。この言葉ほど、私を喜ばせ安心をさせたものはありません。そここそ、彼女がもっとも得意としていたところでした。自分は時間を、緻密に、濃密に使っているのだと、誇りを高くしているところでした。彼女にとっては専業主婦の仕事の傍らでやる仕事など、まったく、目じゃあないわよ』という感じだったのです。長らく沿う思ってきたでしょう。でもやっと、名誉や報酬をともなわない仕事でも、真剣にやっているのだわ。この人』と言う認識を持ってくれたと感じました。

 他にも心温まる会話があったのですが、上を嚆矢として、ここで止めさせていただきましょう。一回目に書いた(人為的に外部からの指令で、消去されてしまった)ものの方が、それこそ、緻密で、美しい文章だったと思います。でも、再トライを、一時間、20分で書き抜きました。それほど、パソコンを使う技術は向上しました。

 でも、会社、特に印刷物用データをつくる人(たとえば、妹)が使うマッキントッシュではなくて、ウィンドーズしか、使えませんが・・・・・
    なお、これは、推敲と、誤変換の修正はまだできておりません。
通夜の日の午前、3時半になったのでここで寝ます。では、
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母が死んで。でも、待ってくれていたかなあ?

2010-10-10 15:42:00 | Weblog
 丸二日、更新をしていません。
 ここには、できるだけ、私事を反映したくはないと、おもっています。でも、二つ大問題を抱えていました。ひとつは左肩が痛くなり始めたこと。これは、私にとっての大爆弾で、10年前もやっていて、主人に治してもらったものです。が、今回は自分の筋肉の方が、主人の治療に耐えられないのではないと思っていて(理由は指圧の圧力が強いので、筋肉が強くないと余計にダメージを受けるから)、食卓テーブル、指圧(ちょうどよい角度と丸みのあるテーブル、重くて絶対に動かないもの)を利用して、治そうと思っているのに、一ヶ月以上、なおりません。

 さすがに、『パソコンを打ちすぎたかな?』と思っています。毎日、推敲や下書きを入れれば、原稿用紙換算、100枚以上は優に書いていました。だから、こうなるのは、一面ではわかっていたのです。が、激しい戦いの渦中でしたから、中断することができませんでした。そして、今は、前に一度経験をしたあのすさまじい、痛さになってきました。「うわあ、まずい」と言う状態です。

 それを、抱えながら、優雅に、愚痴も言わずに、すごしていて、それが『おしゃれだ』と自認をしていて、得意だったのですが、

 『うーん、ちょっと、疲労困憊かな』と思う、あの日、12日、パソコンを母の居室(老人ホーム内)に忘れて帰って来てしまいました。それが分水嶺でした。疲労が極限に達した日でした。

 で、帰りの電車内で、ついうとうとしてしまって、普通なら一時間もの長時間である湘南新宿ラインの、池袋から鎌倉までの電車内で、パソコンを打つので、『忘れたこと』をすぐ気がつくのですが、その日だけは、気がつかずに、鎌倉まで、帰ってしまって、もう一度、池袋へ戻りました。そこから、さらに、徒歩を入れて、40分はかかる老人ホームにまで戻りました。

 で、12日は夜の11時ごろホームを訪問していたのです。その前の夕方も六時半までも、そこへ、いました。だから、最終段階の母とずっと一緒にいたのが、たまたまきょうだいの中では、私だったとなります。

 パソコンをとりなおして、老人ホームを出たのが、夜の11時過ぎで、それから、東上線に乗って池袋に出れば、夜の12時です。鎌倉には帰れません。

 その前に、主人に、鎌倉で(夜の八時半だったと思うけれど)、「今夜は東京へ泊まります」といい置いて、もう一度よるの10時半に池袋から電話を入れたのです。

(その内容については、書けたら、明日15日の午後二時ごろ完成として書きますが、今は、疲れていて書けません)

 ともかく、時系列的にたどると、家へは帰れないので、池袋の上品なネットカフェで、夜を過ごしました。しかし、幸いなことに、その日だけは、五時間熟睡することができたので、そのまま、もう一回、東上線に乗り、常盤台という駅にある、老人ホームへ寄ることとしましたが、それが長女である私に、僥倖とも言える、幸運(変な言い方ですが)をもたらしたのです。つまり、ネットカフェなどでは、普通は、しっかり眠ることはできないのです。だから、もう一度母を見舞うことなどは、普通は、できなくて、ただ、池袋から湘南新宿ラインに乗って、早朝に、鎌倉へたどり着くぐらいのことしかできないのですが、たまたま、熟睡を五時間でもできたので、元気がでて、老人ホームへよってから鎌倉へ帰ろうと思い、その前夜に引き続いて、もう一度、東上線常盤台へ行くこととしたわけです。

 そして、13日には、母の死に顔を一番早く、見た人となり、12日には、生きている母と、一番長く、ともに、過ごした人ともなりました。

 そのまま、13日は、後から来た妹と弟と、ずっと兄弟三人だけで、(夜まで)すごしました。これが大変に珍しいことです。私が25歳で結婚したために、家を出たときには、妹は19か二十歳で、大学一年か、二年でした。弟は、中学一年生だったので、三人だけで、時間を一緒に過ごしたり、お食事を一緒にしたりしたことが、かつてなかったのです。

 常に両親とか、私の主人とか、妹の主人とか、そのうちに子供とかが加わってきて、兄弟三人だけで、長時間一緒に過ごしたのは、これが初めてのことでした。特に大人になってからは初めてでした。もちろん、同じ父と母から生まれた実の兄弟です。が、・・・・・

 これは、母が作ってくれた得がたい体験でした(これも15日に、書くことができたら、何がよかったのか、詳しいことを書かせて、いただきます)。
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 もし、パソコンを忘れるという奇遇というか、奇蹟(?)がなかったら、午後の到着となり、兄弟中で、最後に、現場に到達した人となったでしょう。鎌倉から、知らせを受けて駆けつけても、日吉や、西葛西に住んでいる他の兄弟よりは、絶対に遅くなります。でも、たまたま、池袋から出発したので、一番に到着したのでした。

 こういう現象から、すぐ何かを感じ取る私です。「たまたま<よいとこ取り>をしてしまった」といえば言えますが、実は、『これも、天の加護だ』と感じる私なのです。きょうだいの中で『目立たない方だ』というか、『実力のない方だ』とみなされていて、(それは、お金を使うばかりで稼げないからですが)軽く見られている私ですが、『お前は、実は、結構な重みを持っているのだ』と、天はみなしてくださって、このような、重要な役割を、私に振ってくださる』と、思うからです。

 お医者様が、「九時にはいつもの病院に出勤しなければならないので、あなたに」といって、死亡診断書を8時半に渡してくださったりして、図らずも兄弟代表のような形をとってしまいました。まあ、長女ですから、それでもいいのですが、喪主は弟であり、かれに私は全権を委譲している身分です。弟は、年が12才離れている私より五歳しか離れていない妹と、より緊密に連絡を取っていますので、私は、本当のことを言って味噌っかすです。それなのに、・・・・・でした。・・・・・

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 私は、この一週間、「あー、はー」と苦しげな声を上げる母を見ながら、『あ、死ぬのを待ってくれている』と何度も感じました。今、書こうとして取り組んでいることは、書くのが非常にしんどいことです。いわゆる、てんぱった状態でなければ書けないことです。

 『この世に、無駄なことは何もない』ということは、・・・・・ご近所のいじめさえも、その難しい状況を、書き抜く決意をさせたのですから、・・・・・真実でしたね。

 ともかく、日付としては、9日付だが、実質的には12日の早朝にアップした。
『鎌倉雪ノ下(黒)物語、あらすじ、1975年~87年』を書き抜くまで、母は死を待っていてくれたのだと思います。

 申し訳ございませんが、今日はこれだけで、終わりとさせてくださいませ。
2010年10月14日、(実質的にはそうですが、ブログ・カレンダー上の日付は、10日とさせていただいています。では、                雨宮舜
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鎌倉・雪ノ下(黒)物語、あらすじ、1975~87年

2010-10-09 00:00:15 | Weblog
 上の写真は35年前(1976年)の鶴岡八幡宮境内のアメリカきささげの写真です。この木は当時から、臥龍の様に横たわっていたのでした。それが、この2009年に切られてしまったのです。私はそれについて、何度も文章を書いていて、残念で成りません。切り口もまっ黄色で、どこにも腐敗の影は、ありませんでした。

 それと、その後の、大銀杏が倒れたこと、そのほか、私は内心で、忸怩たる鬱屈を抱えていたわけですが、鎌倉雪ノ下二丁目、4の何がしに住む、大原光孝氏という画家の驚天動地のいじわるが、パンドラの箱を開けたこととなって、胸の中に長らく秘めていた瀬島龍三氏との30年にわたる抗争を、明らかにする決意を固めました。それは、ミステリー小説の展開を取ります。瀬島隆三氏は、国際的軍産共同体のエージェントとして有名な人で、配下に瀬島機関を持っていて、言論弾圧の実力行使に出ると、有名ですが、その実行行為は、目立たないように、常に秘密のヴェールをまとっています。
 
 特に、実際にこの社会で生きている人間を使っていて、自分の姿は、絶対に露見しないように努めています。ですから、そこを追及していく過程は、壮大な、ミステリーとなっていきます。以下は、今まで、三々五々書いてきたことの、まとめとあらすじです。文体は、人懐っこい会話体ではなくて、小説などの突き放した形の語法と文体を、用いるのをお許しくださいませ。
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第一部、横須賀市、根岸町2丁目の話

 第一の一章

 1974年、私(雨宮舜=川崎千恵子)は、横須賀市根岸町2-103に60坪の土地を求め、家を建てる。平和に暮らしていたが、1980年に入り、地境地主、益山某・元海軍参謀が、地籍変更届を利用した詐欺事件を企画し、それに巻き込まれる。
 
  益山氏は、140坪程度の土地(多分、原型は山林だった)を買い求め、宅地造成(立派な舗装済の、私道を含む)を果たした後で、分譲住宅を売り出し、残りが一坪もなくなっていた。しかし、巧妙にも、隣にある、横須賀市の水道局の山を、目隠しをした高い塀の内部で、開墾を進め、あたかも自分の庭のように偽装をして、法務局の地籍変更届を出し、無から有を生み出すと言う形で、1200坪の土地を生み出そうとしていた。

 その目的をかなえるためには、地境地主、11軒の実印を押す必要があるが、私の西隣の原さんは、ここら辺の戦前からの地主で、益山氏のいんちきを見抜き、実印を押さない。で、益山氏は、原氏の実印をもらわないでも済む様に、原家を青地というもので囲んだ。青地とは江戸時代に出来た、山もちと、畑を耕す人間との間に争いが起こらないようにした緩衝地帯で、木を植えてもいけないし、野菜を受けてもいけない場所である。通常幅一間程度であり、戦後(または明治以来)、国有地として、設定をされているもの。私は購買時には、無かったこんなものを急に設定されて、びっくりして財務局に問い合わせに行く。財務局には、これらの青地の図面はなく、公図にも(1981年当時には)記載が無く、益山氏が、自分の利益のために、突然に設定したものだと、理解することとなる。
 
 しかも青地とは、国家から払い下げる際には、半分ずつ両隣で、分け合うことと聞いて激怒した。正しい図面に基づいて買ったのに、隣の原家に一メートルも分も、譲渡しなければならないなど言語道断だ。

第一の二章

 栗原弁護士と青山弁護士の二人の弁護士についてもらって、戦う。原家の南隣の『上滝家は、私より、ずっと、広範囲な情報を、益山氏から与えられていて、しかも成功報酬100万円程度を、土地の形でもらえる事となっている』と、彼本人から聞いた私は、それにも激怒する。私の方は、ただ、『益山氏の私道を、横須賀市に寄付する』と言う名目で、実印を押させさせられるところだったのだから。こちらの方が上滝家より、軽く扱われている。結局、『お前の方が馬鹿だ』とみなされたいたこととなる。

 しかも上滝氏は、こども(小学生)を使った、いじめ行動に出る。それが益山氏への側面からの奉仕となると考えた模様である。それにも怒った私は、それをきっかけに弁護士さんの指導の通りに、法務局と財務局に内容証明を出し、益山氏の悪事を公的に記録をして、自分自身の正当な権利を守る。これは、益山氏には予想外の打撃であった。つまり、『周辺で一番、甘い人間だ』とみなしていた私(雨宮舜=川崎千恵子)は、最も手ごわいインテリだったのを、氏は見過ごしていたのであった。

 益山氏は、この事件中、親友だと自称する元・陸軍参謀・瀬島龍三氏に相談をして、援助を仰いだ模様で、私宅は完璧に電話を盗聴される。し、電柱に取り付いている工事マンの声から、盗聴のこと、それ自体を誇示して知らされる。

 しかし、結局のところ、益山氏は、詐欺そのものは完成させる。ともかく、さまざまな偽装や技巧を駆使して、土地、1200坪だけは、自分のものとして確保をする。無から有(当時の時価で四億円)を生み出したわけだった。

 ところで、それで終えておけばよいのに、何を、とち狂ったのか、益山夫人が、白いセドリック・ハードトップで、私を轢き殺そうした。瞬間的に勘がひらめき難を脱したが、これにも怒り狂った私は、盗聴されている事を知った上で、弁護士さんに、「殺害までされそうになった」と、堂々と告げる。その夜(深夜か?)、益山氏は急死する。これを私は仮名で一回ほど、書いている。それを発表させたくないのが、今の猛烈な攻撃の最大の理由でも、あろう。
 

第一の三章

 益山氏の死後、瀬島龍三氏は、この件に加担して、該当する根岸町2-103番地を、伊藤忠何とか、と言う子会社四社を含む共同名義(*)として、そのなかから、夫人の弟が引き継いだ不動産会社が二戸の建売住宅を新たに販売する。(*これは、2007年までは確かなこととして、相手側の測量士を名乗る人から電話で聞いた。今はどうなっているか、私は、知らない)
 
 一方で瀬島龍三氏は、新聞の一面を使って、青地の説明をしたり、国立国会図書館のマイクロフィルム化を利用したりして、私の父の資料(画家として優秀な成績を、戦時中の満州で上げ、ラストエンペラー溥儀氏にお買い上げとなったりして、一種のスター扱いを受けていた)を消し去る。また、2007年以降は、私自身が保持していた写真や切り抜きも盗んでいく。

 そして、鎌倉雪ノ下へ引っ越した私宅を、引き続き、電話盗聴、(もしくは室内盗聴をも)をし続け、そこで、つかんだ情報を利用して、主に心理操作を含んだいじめを仕掛けてくる。狙いは、うつ病にさせて自滅をさせることである。自殺までして欲しいと願っている模様。

 私は、それが、分かっているが、ともかく、一応は知らん振りをして、切り抜け続ける。が、雪ノ下二丁目『鶯がやつ』と言う小さな谷に転居をした後で、隣人たちを利用して強力な集団いじめをしかけてくるする。そこは、実際の居住者が、16軒しかない小さな、住宅地であり、心理的には一種のたこ部屋となっていた。

第二部、アジサイ畑欺もう事件の素地。

 雪ノ下2丁目、3~4にかけて、鶯がやつという小さな谷、には以下の面々が住んでいて、それらの有機的な結合によって、結果として、私が土地を盗まれるということとなる。

第二の一章、安野夫人

 友人たちへの電話を盗聴して、私が安野夫人と言う『過去に、略奪婚を果たして、この雪ノ下へ転入してきた』奥さんを嫌っている事を知ると、あらゆる意味と側面で、そちらを援助する。それは、国家的規模をともなう大きさであった。継子(表向きは実子扱い)は、おいちにおいちにのあひるさん(5段階評価で、1,と2しかないと言うことの噂話)と普段から噂されているのだが、舞鶴の海上保安学校へ入れることと成り、それは、わざわざ私に「国立大学付属高校へご入学になりました」と知らされる。そして、海上保安庁に就職した坊ちゃんをのイメージ向上用・映画、『海猿』次々と、製作され続ける。また、安野夫人とそっくりな藤田憲子女史は、マスコミ上優遇をされ、その子・貴乃花親方も相撲界において突出して、優遇をされる。

 夫人は、25年前当時で16人しかいない主婦の間に、上下関係を作り、かつ自分が一番になろうと、して、毎日、山の下の自宅前の、あり地獄の巣のごとき場所で、井戸端会議を開き、主流派を形成し、一種の番長となる。それで、この山は自然の環境はすばらしいが、心理的には一種の牢獄となり、大勢のお宅が入れ替わりを、繰り返すこととなる。大迷惑な存在だが、何の反省も無く、むしろ、警察の援助を受け、

・・・・・私の娘に、偽装の痴漢を、わざと襲わせさせ、夫婦で救出したこととして、その件で、私に頭を下げさせる・・・・・など、種々さまざまな、こちらにとっては、屈辱的ないじめを繰り返す。
 奥さんはお色気のあるタイプで若尾文子のごとく、しなを作るので、初代会長古沢氏のお気に入りとなり、夫が町内会副会長になったが、それは、足掛け27年以上のながきにわたり続く。しかも彼ら夫妻が得意になって、いじめ行為を発する日と、警察が私を暗喩的に脅迫する日、および小沢一郎氏が、マスコミに派手に登場する日は、ぴったりと重なっている。

第二の二章 前田夫人

 その安野夫人が安心して威張っていられる理由の一つに、都立大学の大学院を出た前田夫人が、彼女の派閥に属しているという事がある。前田夫人は、八幡宮様のご推挙があったらしくて、國學院大學の講師職が与えられた。それも、彼女を、増長をさせたのか、肩で風を切る勢いで、安野夫人一派のいじめ集団に権威を付与している。夫が大学教授なので、現在の会長職をしている。ほぼ、10年以上、それを継続。しかもこの人自身にも強い『いじめたい』という意欲があり、煙のこと、猫のこと、さまざまなことで、間違った情報により、私をいじめてくる。それを、こちらが訂正をするたびに、一種の面子をつぶされるものだから、さらに居丈高にいじめてくる。この2010年の夏にもひどい事が数々あった。

 しかし、彼女には。この山の住人としては、決定的な弱点がある。前の住人が、私道負担部分を正当に拠出していないのだ。ほとんどが二メートル前後しかないこの山の私道部分でも、そこだけはきわめて細くなっている。

 上の二人に加わるに、鎌倉春秋社の支援を得た、鎌倉春秋がまの講師、石川和子女史が加わってけたたましい矯正をあげ続けるので、この山の環境はすこぶる悪い。

第二の三章 藤本夫人

 私はこどもがすでに中学生でもあるし、他の人家が一軒も自分の目には入ってこないここの環境を最高に利用すべく、絶対に井戸端会議には加わらない決意をする。しかし、横浜や、横須賀で、適宜に井戸端会議も経験してきているので、主婦としては柔軟な方でもある。しかも地理的な条件からいっても、その現場より12mぐらい高い場所に住んでいるので、独立独歩の姿勢をとりやすい。

 一方で、私の対面、北側に住んでいる藤本夫人は、井戸端会議のすぐ傍、ほとんど同じ高さに住んでいるので、5,6メートルの身近な距離で、つまらない会話を聞かされることとなり、かつ、医者の娘で誇り高いお嬢様なので、柔軟にその輪の中に加わる事もできず、最初期のいじめのターゲットと成ってしまう。

 彼女も、さまざまな工夫を弄して、手を尽くすが、何分にしても多勢に無勢で、敗色濃厚だ。そこで、考えに考えて、『雪の日の訴訟対策の、フェンス作り』という奇策をひねり出す。藤本家と我が家の間だけはこの山では傾斜が緩やかな方なので、石段一段の長さが、一メートル近くあり、緩やかに傾斜をつけて、コンクリートが張られている。雪の日に、除雪が不十分だと、確かに滑りやすい。

 で、「誰かが滑って転んで骨折し、道の所有者の不適切な、設備のせいであると言う訴訟を起こすと困る」と言う提案をまずして、その上で、「だから私は一種の自衛の措置として、道の真ん中のフェンスを作る」と主張をする。

 そして、実際に電動のこぎりで、道路の彼女宅から二メートルの位置と、彼女が考える花畑所有分の辺りに、二本の切込みを入れ始める。山中、キーンと言う音が鳴り響き、不穏な雰囲気に満ち溢れる。

 この山の道路は、実質一メートルしかコンクリートが打っていなくて、両方の土の部分にすべての人は、なんらかの花を植えているのであるが、我が家では、アジサイを植えていた。その実質一メートルの真ん中にフェンスを作るのであるから、この山のほとんどの人は交通不可能になる。

 みんなは藤本夫人をいじめたり、責めたりし抜いていたが、私は、実は内心で笑ってみていた。「痛快だ」とさえ思った。藤本夫人の復讐は見事にはまっていたから。

第二の四章、古沢氏と、古沢夫人、

 私に「この苦境をだっするために、お宅のアジサイ畑を提供してくださいませんか」と頼んできたのが、最初の会長だった古沢氏だった。のちのちに氏のバックグラウンドが明らかになってくる。北関東の農家の出身で、しかも11番目の子どもであるとのことで、やんちゃな性格で、かつ、戦死を免れた人としての、戦後の優遇を受けた人で、俳句結社を主宰する紳士でもあった。

 しかし、芸術も理解できる人特有の人当たりのよさもあり、やがて、私は立ち話を交わすようになる。で、上のいきさつを打ち明けられ、「協力して欲しい」と頼まれる。当時、夫は松阪に単身赴任中で、一切は私の双肩に担わされていたが、最初の申し出ででは、別に問題もないように思われたので、承諾した。

 古沢氏の提案では、「この山のみんなが困っている(ただし藤本夫人に責め立てられて、一番困っているのは、土地を不正使用している前田家だが)ので、川崎さん宅で、お宅の花畑を提供して欲しい。そこに手すりを作れば、みんなが助かる」と言われる。

 私は花畑をコンクリートで打つと、そこにはしごを立てる事が出来なくなり、石垣の目地に生えている潅木を抜けなくなるので、やがて、崖が痛む事をも考えた。が、そこはなんとか、柔軟に運ぶだろうと、この山の人たちの、性格のよさに期待をした。が、それが、生涯、悔やむ結果を招くとは、25年前には夢にも思いよらなかった。今では、崖は湾曲しているし、玄関たたきは割れている。ひどい後遺症が現れているし、実はそれだけではない大被害があるのだが、それらは、後回しにしよう。

 古沢氏も、古沢夫人も、この提案が後々、我が家に大変な被害をもたらしたのを実感して、その後、数十年、この世からみまかるまで、丁寧な態度を崩さなかった。それは、お子さん方も同じである。この山の、他のメンバーとは、きわめて違った態度を示された。その理由は簡単だ。

 お子様方二人の勤務先が両方とも我が家とは、通々の間柄にある人が、上司である会社だったのである。つまり、大企業だが、私の親戚とか、知人は、大企業に勤めている人間が多く、どちらも、もし、私がこの山の安野、石川、、前田夫人等のように、風評を流す人だったら、たちまちに、お子様が、困ることになるはずだった。私はそんな下品な事はしないが、世情に良く通じている古沢家では、こちらに丁寧な態度を最後まで崩さないという、形を取られた。

第二の五章 中谷家のひとびと、

 中谷さんは、この悶着の起きた当時、会長であった。あじさい畑をつぶす案は、氏の発案では無いが、すぐ飛び乗ってきた。で、私に「藤本夫人はきちがいだ」とか、何とか、散々の悪口を吹き込み、違法な地境石のことも教えてくれた。
 
 前の住人が引っ越していき、私たちが、転入してくるわずか、1,2ヶ月の間にいれた、地境石が、違法であり、また、藤本家が、普通は角が落とされている宅地の東南の角をわざと、70度ぐらいで尖らせている不条理などを私に教えた。
 
 中谷家では、フタバを出た奥様は非常に賢明で、当時東大の助教授であり、のちに教授へなって行った、ご長男は紳士であるが、ご主人自体とご次男は問題がある人格の持ち主だ。信念と、道徳観がない。

 藤本夫妻の最晩年を引っ掻き回し、私に対しても散々な迷惑を掛けておきながら、ご自分が病気になると、気弱くなって、「どうか、川崎さん、みんなをいじめないでくださいね」だって。信じがたいほど、胆力のない人間だ。あのとき、前田夫人たちを、富士本夫人宅へ謝罪をしに向かわせることが、唯一無二の解決策だったのに、それができない人だ。奥様以外の女性は怖いらしい。

 まず、中谷氏が決定的に悪かったのは、アジサイ畑ではなくて、その前に、我が家の東北に存在していた自然な山そのものを、崩したことである。藤本夫人が入れた地境石は、誰が見ても違法なものであると分かるほど、我が家の山は、大きくみ地に出っ張っていたのだが、その山を無許可で崩してしまい、潅木を十数本引っこ抜き、土を大量に取り崩し、地境石があたかも正当であるかのごとく、しつらえてしまったのである。

 その工事、そのものも、事前の警告も予告も何も無く、だまし討ちであった。私は、午後零時ごろ、それがほとんど回復不能なときとなって、やっと気がついた。というのも、だまし討ちをせんがために、あらゆる工事の最初期として、初日に、それが通告なしで、行われたからである。

 中谷氏は、イソップ物語のこうもりを地で行く面妖さを持った人で、こちらには、藤本夫人の悪口を吹き込み、藤本夫人には、「お宅の言うとおりにいたします」と述べていたのだ。そして、のちほど、大原光孝さんが、「中谷さんのお子さんは、東大教授ですよと言うこととなる。東大教授の息子を持っていれば、土地を盗んでいいと言うのだろうか。本当に「出るところへ出、ましょう」といいたい。それは、死んでしまった中谷氏に言うこともできなので、ご長男と大原氏に言うこととなるが。ご次男でも良いし。

 ところで、26年前の当時の、当日に戻ろう。土木業者は私が推薦した業者だった(その前に、高枝きり・・・・・しかし、大木であり、25年前は高枝きり専門の上貴職がいなかったので、とび職に頼んだ)ので、顔見知りだから、「東京の弁護士のところへ行ってくるから、待っていて、これ以上、工事を進めないで」と言い置いて、東京へ出かけた。

 このときに、東京の青山弁護士へアポの電話をかけたが、瀬島龍三が、この件へ乗り出してきていて、盗聴をされたいたのは確かだといまあでは思う。弁護士さんを動かしたかどうかは知らないが、中谷さんを動かしたのは確かだ。

 東京では、弁護士、青山敦子さんは、熱意を示さず、「争わない方が良い」と言い、夜に、帰宅をすれば、中谷氏は、次の日に、「こちらへどうか、おいでください」という。自宅の応接間で、三拝九拝して、あじさい畑欺もう事件を、進めさせてくださいと説得をする。しかし、私は前夜すべての家を回っていて、大原氏も前田家も、あの安野家でさえ、この事情を何も聞かされておらず、町内会で、私宅の山を削ってよいと言う決定は何もなされていないのを知っている。

 中谷家応接間に招きいれられた私は、奥さんからは、「川崎さんの言うことの方が正しいわ。あなた、もうこの件は、おやめなさい」とさえ言われているのに、面妖というか、不思議にも中谷氏が、ひとり、言う事を聞かない。理解をしない。息子が東大の助教授だと言うのに、こんなに、不名誉なことに手を染めるのが不思議でならなかった。

 誰が見ても、「絶対に崩してはなりません」と厳命をしておいた山まで崩したのなら、悪意ある泥棒でしかない。しかも、「手すりを作る事も、こうなったら、承諾を撤回します」と言っているし、「あじさい畑をコンクリート打ちをする事も拒否します」と言っているのだ。それなのに、本当に平身低頭をして、ご自分の説を通してしまった。

 私だって、自分が四十代の主婦にしか過ぎず、相手が、七十代の男性だから、ちょっと、気が緩んでしまったのだ。それで、とうとう氏の提案を許したのだ。だけど、後で分かってみれば、私が東京へ行っている間に、瀬島龍三氏から、中谷氏の二世仲間(もしかしたら、私の主人側にも相当立派な、二世仲間がいる。現在、90歳前後で、学歴職歴もすばらしい。そこら)辺りを通じて、命令が下ったのかもしれない。となると、中谷氏は、私の抗議など、どこ吹く風であったであろう。『最後の段階では、この人のご主人を丸め込めばよいのだ』とか、思って。それは藤本家に使われたのと、同じ手法であるが。

 その後、中谷氏も中谷夫人も相当な礼儀を尽くして、接してくれていたし、私は影にいる瀬島龍三の存在には気がつかなかったので、結局のところ被害を鵜呑みにすることと成った。

第三部 私の自滅、逼塞と、ブロがーへの変身

第三の一章、美術の道一筋へ

 もともと、私は、この山へ転入する際には、他のご夫人たちと同じく、変身をしたいと願っていた。それは、ご近所で威張るために地位を向上させることではなくて、キャリアーウーマンとしての復活であった。まず東レの、鎌倉工場内研究所へ、世話してくださる方が現れた。これは、絶好の条件だった。しかし、辞退をした。が、いかんせん、体が弱かった。一週間程度の無理は利く。しかし、正社員として、半永久的に勤務するとなると、体の側面で自滅しそうだった。と言うのも、お世話をしてくださった方は不思議そうだったが、山があるので、同じ鎌倉市内だといっても徒歩と電車とモノレールと徒歩で、一時間半ほど、通勤時間が掛かるのだった。信じがたいほど大回りをして、そこへ行かなければならない。

 この体が弱いと言うのは大ネックとなる。そして、人が紹介してくださる限り、絶対に、長期に勤め無ければならない。三ヶ月や半年で放り出してしまうわけには行かないのだ。そして、本当の事を言えば、私は実験が好きではないのだった。博士号を取っていない私が、東レの研究所に入っても、下働きの実験を、命令をされてするしかないであろう。わがままなようだが、『それが、自分には向いていない』と判断をした。ブランド名が高くても、向いていない仕事をするのは、疲労が大きくなる。今は、お金も名誉も関係が無いが、自分に向いている仕事をしているので、30時間起きていても耐えられる。
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 さて、みなさま、ここから、いつものブログ固有の会話体へ文体を戻らせていただきます。実は中途半端なところで、一万字をこえました。で、大急ぎで、今日の結論というか、まとめをさせていただきます。

 敵もさることながら、私側にも1987年から2005年までの20年間に紆余曲折がありました。結果として、私はパソコンを利用したエッセイを発表する人として社会と再び、結びつくこととなります。つまり、いったんは完璧に沈潜して世の中から消え去ったように見えたのに、まったく新しい形で復活してきたのです。

 しかも、逼塞し、沈潜しえいる間に、紙の本を自分ひとりで、出版できるほどの力量を蓄えてしまいました。それは一種の夢の実現です。私は、不幸でもあり、不運でもあり、

 しかし、一方で、ラッキーであり、恵まれている存在でもあります。その『文章が書ける』ということこそ、敵がもっとも恐れている部分であり、それゆえに、強烈な迫害を受けることとなっていきます。

 しばらく、また、あらすじから離れて、具体的なエピソードを書き連ね、また、あらすじへ戻ってくることとなりましょう。では、今日はこれで。

   2010年10月12日、しかし、アップロードの日付だけは9日と記載をされているのですが、・・・・・下書きのはじまった日がそれなので、そうさせておいてくださいませ。写真は、12日の午後二時に上げます.雨宮舜
コメント

ノーベル賞と、炭素が四価であるということから、始まる話

2010-10-08 13:21:19 | Weblog
 今日は、最初はきれいな話をさせてくださいませ。実は、今年のノーベル賞の内容ですが、私には非常によくわかるところがあるという話です。鈴木先生と根岸先生は触媒を使って、ふつうなら結びつかない物質同士を結びつけたという業績です。特に有機化合物です。有機化合物は必ず炭素原子が入っています。炭素原子は、炭酸ガスになると、酸素に対して4価となります。というのは中学生レベルの化学でいうと、外郭分子がイオンとして、4っつあるということです。ただし、大学レベルでいうと、外郭電子とは、雲であるとか、ひかりであるとか、波動であるとか、いうこととなりますので、簡単にはいえなくなりますが、ともかく、4価ということは、非常に安定しているということです。

 どうしてかというと、また、中学生レベルの化学にもどりますが、そこでは、外郭電子は8個あると一番安定すると、いうことを教わります。外殻電子が八価になると化学反応を起こしません。ところが外郭電子が一個だけですと、大変反応が早くなります。突出して一つだけ、外にあるイオンは早く、どこかの穴に入り込み、八個の仲間を形成したがるからです。これらは分子名としては、水素、カリウム、ナトリウムなどで、大変に過激な活動をします。一方でソトガワに七個の電子がある物質があります。塩素ガスがもっとも有名なもので、その足りない穴に、早くイオンを一つ招き入れ、安定した状態になろうとするので、これも、化学反応的には非常に活発です。で、HCL(塩酸、最初はガスの形である。ふつうは水にとけ込ませてガラス瓶に入った状態で売っている)とか、NaCl(塩)などを作るのは、あっという間に可能な反応です。それこそ、中学生レベルの化学反応です。

 ところが炭素は、外郭電子が四個あるのです。これは、攻撃にでてもいいし、防御にでてもいい立場です。サッカーでいえば、ミッドフィルダーという立場かな? ただ、サッカーの場合では、ミッドフィルダーも走る速度は同じです。フォワードやディフェンダーと同じ速度で走ります。ところが化学反応における四価の速度は、まるで、落ちるのです。決定的に遅くなります。で、時には反応が起こらないので、触媒というもので、それを促進させます。私が大学四年の時に取り組んだのは、触媒をアルミナをつかった実験でしたが、化学反応の原理は、このノーベル賞受賞の先生方と同じです。

 炭素原子でも、亀の甲(これも中学生レベルの言葉ですが)という物質類で、鈴木先生とか、根岸先生が扱っている物質と比べると、シンプルで、より無機に近いものです。鈴木先生や、根岸先生の扱かっているものは、人間のからだの中とか、動物の中、特に動くものの中に含まれているたぐいのもので、私の扱ったのは、植物が死んだあとにできた石油(化石燃料といわれる)の中に含まれているもので、地球の土の中から掘り出されたものです。その上、炭素の二重結合というものがあって、さらに反応しにくいものです。つまり、一つの炭素が隣の炭素と、新しい手を結びにくいものです。で、今のところ、世界中で、二重結合を、そのままで、何とか反応をさせた人はいないはずです。二重結合の外に何かを加えていく反応はできるでしょうが、二重結合を切って、どうのこうのという話は、聞いたことがありません。ともかく、反応しにくいものですから、触媒を使います。塩化アルミニュームを使いました。で、塩酸ガスがでました。使っている物質はまるで違いますが、反応の形式はおなじす。
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 だから、鈴木先生と、根岸先生の業績と同じラインの、もっと、もっと、基礎的なことを、大学でやったわけです。ところで、ここで、ちょっと自慢げで恐れ入りますが、あっさりいうと、常にこういう知識が、頭に残っています。68歳でも、なにも教科書をみないでも、さっとこういうことを書くことができるし、いざとなったら、話としても、することができます。
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 話が脇にそれて申し訳ございませんが、1999年ニューヨークのプラット・インスティチュートという美大の大学院で、日本人の27歳の中途半端な女性に、いじめられきって、仕事ができなくて困ったことがありました。でも、彼女のいじめは、教授の嫉妬を肩代わりしたもので、虎の威を借る狐というたぐいのものです。ところで、教授は私をいじめたことで、次の学期にだれも学生が受講をしなかったほど、実力のない女性で、今は引退している学部長の愛人だから、教授になったというひとで、薬品類のメインテナンスもできておらず、けっきょく、その日本人女性も仕事が進まなくなり、私に教えを乞うてきました。そのときに、銅板と硝酸の反応の化学方程式をそらで述べて、「これは、中学生レベルの反応ですよ」と、いったら、彼女はパニックを起こして、きちがいになり、わたくしが食堂へ行っている午後の一時半という真昼間に、塩化第二鉄の原液という猛毒のもの、一リットル(これは、私が自分専用として部屋の隅の、タナの下だんにおいていたもの)を、床にぶちまけてしまいました。これは、版画科の教授たちすべてを、震撼させる出来事でした。ふつうは一〇〇〇倍とか、五〇〇倍に希釈してもちいるものの、原液を床にぶちまけたのですから、ヒステリーというのは怖いです。

 今、私の頭に水をぶっかけようとした安野夫妻など、私から言わせれば、きちがいになっているといってよいし、誰かから(伊藤玄二郎と井上ひさしでしょうが)教唆されて、それをやったのなら、その源泉がきちがいになっていると見えます。ともかく突然に、また、汚い話になってしまいましたが、いつも、勉強をしている私にとって、井戸端会議の騒音はやはり、迷惑至極なものでした。

 でね、それをまた詳細に書いていきたいわけですが、その前に翻訳をたくさんやった過去があると申させてくださいませ。化学技術論文とか、特許の翻訳なので、私の名前は表にでません。が、期限を迫られる仕事で、しかも緻密さを要求される仕事でした。それをこなしてきたので、日本語の実力がついたと感じます。翻訳というのは、英語にしろ、フランス語、中国語、ロシアご、スペイン後、イタリア語にしろ、そちらの言語が、大切だ、と考えられています。もちろん外国語の知識やテクニックは必要です。だけど、50%以上の割合で、日本語に堪能どうかで、結果が決まるところもあるのです。

 科学技術というのは、長足のスピードで進歩しますので、今の私が、現役の翻訳者ができるはずもないのです。が、日本語を駆使する能力は残ったわけです。それが今に役立っています。で、私は文体に凝るということはありません。できるだけ、シンプルに、かつ正確に書くということが、主是です。よく「あなた、文章など書きはじめて、芥川賞をとるつもり」とからかわれるのですが、文学者として立つという意識はないのです。

 ただ、考えるということが好きですね。それは一番好きなことかもしれません。美術の仕事をするのも好きですが、何の道具も使わないでできる、『考えること』というのは、いつもやっています。で、考えるということは、文章を書かないと先へ進めません、だから、文章を書くこととなります。

 そしてそれが、結果として、一つの文学の形となるのなら、それはありがたいことです。ともかく考えるテーマは多岐にわたっていますが、住居地で様々な刺激を与えられるので、それも一つのテーマとなってしまいます。「悪い刺激を与えないでほしい」と思いますが、この雪の下二丁目の山の、住民の感覚はどうも違いますね。すべての人間を、一元的な価値で、序列づけようとしているので、非常に困ります。
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 たとえば、1990年頃の話ですが、前田夫人が、「のぶこがさあ、湘南高校の男の子とつきあっているのだけれどー、結構、イケメンなのよ。だからさあー、早く決めなさいよ、って、いうんだけれどねー、ちっとも、はきはきしないのよー」なんて言うせりふは、様々な感想と思索を、私にもたらすものです。

 そのころの我が家の猫は、「ちび」というおとなしいタイプの猫で、すでに、14才ぐらいの老猫だったので、「外で、一緒に遊ぼうよ」などという、今の猫とはまるでタイプが違いました。で、私は外で、その大声を聞いたわけではなくて、家の中で、静かに仕事をしてるのに、聞こえてくるわけです。ほかのご婦人たちの、話の、内容がわかることはほとんどありませんが、彼女だけは毎日、内容が耳に入ってしまいます。うるさい。しかもただうるさいだけではなくて、その声が原因で、我が家のアジサイ畑を使えなくさせられていて(実質盗まれている)、しかも、その1990年は、その事件から、六、七年が、経っているのに、まだ全然、反省をしていないということに、驚くのです。
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 でもね、まさか、外へでていって「あなたは、迷惑よ」なんていうタイプでは、私はありません。弱いからではなくて、それが下品なことだと思うので、喧嘩を好まないのです。考えて分析し、それを、文章に書くことは好きですが、人間として真っ向から喧嘩をするなど、下品極まりないことだと思っていて、避けます。だけど、瞬間的に、彼女を分析してしまいます。それは男性の言葉で言えば、「ケツの穴の毛まで抜く」というシヴィアー(きびしさ)さです。彼女は女性なので、女性固有の身体臓器を使ってたとえれば、「大陰唇が、みえていますよ」とか、「小陰唇まで見えていますよ」というたぐいの言葉に変わります。

 で、以下にそれを詳細に語りましょう。彼女はこの山に引っ越してくる前に、中学受験をしてそれに失敗したのだということが推定できます。上のせりふの要旨は、「うちの娘は、湘南高校へ行っていますよ」ということを、誇りたいわけです。ものすごく深く、学校名のブランドにこだわっています。それは、過去のどこかで、トラウマがあったことを示しています。ご自分も静岡大学よりよいところをねらって不合格だった過去があるのかもしません。

 だけど、道路でわめき散らすほど、誇りたいのは、異常です。しかも御成中学のPTA総会での驚天動地の威張りかえりかたを示す演説もあったので、ご長男に関してのトラウマだと感じました。つまり東京圏の、中学受験が盛んな地域に、以前は住んでいたと仮定をします。中高一貫教育の私立で、東大にたくさんの入学者がいる学校を、受験させたと、仮定します。不合格だったとして、二流と目される私立に入れるか、地元の公立へいれるか、という二者択一を迫られたとも仮定をします。そのときに、「私立へ入れると、遊んじゃうなあ」という判断もあろうし、「公立に入れると、ご近所さまに恥ずかしい」という判断もあったと仮定します。で、新しい場所であり、公立中学が名門的に聞こえる、鎌倉へ引っ越してきたとすれば、いろいろな謎が一気に解けてきます。

 つまり、そうせざるを得ないほど、ご近所様というか、地域で、うまくいっていなかったということです。恥ずかしいと思わざるを得なかったというほどライバル意識が他者に対してあったということです。つまり、前の地域で、主婦としては、失敗してきたということを暗示しています。だから「今度はうまくやろう」という意識も強いのでしょう。前の地域では、大学院卒のインテリとして、ご近所とは一線を画す形でつきあってきて、それで、浮き上がっていたのではないかな。それに対する反省があって、今度はおもねりに近いほどの、融和がみられます。彼女にしてみれば、この山で、もっとも強い人は安野夫人です。で、『そちらに、なびいておけばよい』という判断があったと思います。だから、過剰に深入りをしています。で、意外と芯がないかな。弱い人かな? 弱い犬ほど、キャンキャン、吠えるという形かな。そこはわかりません。

 私たちは前の家も、まだ持っているほどで、前の地域で、普通の人とトラぶったわけではありません。益山某・元海軍参謀が、特別な詐欺事件を仕掛けてきたが、それは、私が、勝ったわけですしね。

 上にいった、お受験の失敗があっただろうと仮定できる点が『心の、大陰唇まで見えた』という話ですが、もう一つ、この日には、「心の、小陰唇までも見えた」のです。それは彼女がもっている、とてつもないレベルでの、傲岸不遜ということです。子供の恋愛とか、結婚というのは、神の領域にはいることで、道ばたで、数人の主婦を相手に、大音声で、はなすことではありません。「ああ、これだから、前の地域でも嫌われたんでしょうね」とパッとわかるポイントでした。おじょうさんに対する愛も少ないです。慎み深く、かつ真実の愛を持っていたら、こんな形での自己宣伝には、このエピソードを使わないはずです。私は安野夫人は、演技だけの母だから、見限っているわけですが、前田夫人の方hは、実の子なのに、どうして、こうなのかなあと、不思議です。これから先も、これは、やってはほしくないということが、数々あるので、それは、事実として書きます。別の日に。
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 ところで、いままでずいぶんと大学のブランドにこだわってきました。で、あなたの方はどうしたのよ。ということになると思います。はっきり言えばうちの子は、ブランド大学卒でもないし、もちろん、東大卒でもありません。その件で大原さんに、ひどく腹を立てたことがあります。「川崎さん、中谷さんのお子さんって、東大教授ですよ」といわれたことがあり、その当時は、電話が盗聴されているなどとは夢にも思わなかったので、友達にグチりました。

 大原さんは、お嬢さんが一人しかいないし、そのお嬢さんは、お父さんが並の形で働いてはいないのを、密かに問題としていらっしゃるから、覚悟と気概があるわけです。ご一家自体は、『我々はエリートだ』と、認識をしていらっしゃっても、世間の価値観というものも、あるのです。月に三十万円にしろ、五十万円にしろ、毎月、お金を稼いでくるのが、一般的なおとうさん像ですからね。それからは、ずれているということに、密かに悩んでいらっしゃったのか、お嬢さん自体が、しっかりしていて、フェリス女子大から、神奈川県立美術館・鎌倉館(ただし、学芸員ではなくて、美術品のそばにたって監視をする役目・・・・・でも、外聞はよいでしょう)を経て、ご結婚にいたり、お孫さんもいるというわけです。大成功です。
 ただし、これは誰でも知っていて、自明のことだと思いますが、女の子は育てるのが楽なのです。そしてこどもが一人だったから、大原さんは、まだ、いろいろ人間の真実について、わかっていないことが、多いです。だから、一見して軽い人だと主人たちに言われてしまうわけですが、それだけでもないです。誇りもあって、粘っこいし、したたかでもあります。

 柄沢さんにお子さんがあるかどうかを知りませんが、市川某氏には子供がありません。だから、大原さんから流された悪口にすぐ乗って、人の名誉や尊厳まで奪う形で、それを、さらに拡大して風評として、流します。『人の口に、戸は立てられない』と、よくいいます。だから、市川さんから銀座に噂を流されて、高橋典夫(T-box のオーナー)さんが、月刊ギャラリーに手紙を出して、連載をやめさせろというまでになって、大変評判がよかった連載を、やめさせられる第一歩になってしまったわけですが、それも、ひたすら泣き寝入りするほかはありませんでした。

 そして市川さんが垂れ流した害毒は、もう一つあります。それは画材店の店員でもある市川さんの方から、商取引の停止を言い渡されたことです。彼には、数百万円の売り上げを、私の方から与えているのに、彼の方から、商取引を断ってきたことです。

 これは、あじさい畑欺もう事件から始まる丁寧な説明がないと、単なる不名誉なことと、とられますから、私は泣き寝入りの極地であり、長らく黙っていました。が、キャンバスを張ることとか、キャンバスを運版する事とかいう、純粋に労働だけで対価を得られる部分は、もっともおいしいところであり、お金が100% 自分のものになる、売り上げです。女性であり、かつ体力がない私は父の遺産ののこり、二千四百万円を、美術の世界へ使ってきたのですから、市川さんへも、相当な儲けを与えたはずなのです。

 それを、風評だけで、切るとは、『商売の神様への冒涜だ』と感じました。唇を噛んで我慢をしましたが、『きっと、市川さんの収入は減るでしょう』と直感しました。つまり、悪魔の側にたつと、何らかの制裁が、自分にも落ちてきます。彼の納税額を調べたわけではないが、この推測は、当たっているでしょう。

 彼のお店のご近所に世界堂ができたし、100号以上の大きな絵を描く人も減ってきました。だから、「キャンバスを張ってほしい」という依頼も、「運んでほしい」という依頼も減っているはずです。こんな話は、みなさまも聞いていて、イヤになる話だとは思いますが、私も、しのびがたきを忍び、五年も待っていたことですし、こういう風に書かないと、どんどん、被害が増すので、書かせていただきます。

 私のことをバカだと、未だに思っているみたいですからね。「バカじゃあないわよ。あなたのいっさいの事績を記録して、ずっと将来にわたって残しますからね。あなたがやったことが、あなたの勝ちという、一方的な形で終わることはありません。作用・反作用の法則は、必ず自分にかえってきます。大銀杏も倒れたことですし、流れがが変わったのですよ」と、ここでひそかにいっておきましょう。面と向かって言うほど、私は、野暮でも子供でもないです。

 特に自分の方は毎日、我が家の私道を、家族四人、または、三人で通ります。「そのときに、私が何を妨害しましたか」と問い合わせたいです。お嬢さんに、対して、なにを嫌がらせをしましたか。もし何かがあるのなら、是非、パソコンうちの文章で、答えてほしいです。何千回もの、声を、おおきくあげながら通ったくせに、年に一回もない、私の猫と一緒の散歩を妨害するなど、本当に悪魔の行為です。はっきりと記録をしておきます。その片寄りと幼稚さをも、きちんと記録をしておきます。特にあなたの声は、嗄れ声でよくないですよ。きれいじゃあない」と、坊主憎けりゃ、袈裟までにくいといなっていいつのっておきます。ともかく、パンドラの箱を開けたのは彼です。彼がすべてのきっかけを作りました。

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 さて、私自身の大学とブランドの関係についての意識を述べましょう。今まではすべて、他人の観察でした。名門大学へ自分の子どもを、入学させられなかったことを、どう考えているかです。
 今までは、ごく簡単に、それを説明をするために、「四年制大学卒の母おやは、子育てが下手ですよ。私もその例に漏れません」といっておきました。特に東大とか、お茶大等の、私が在学した当時1960年代の名門校を卒業した人は、子育てが下手なケースが多いです。

 私が卒業した国際キリスト教大学も一種の名門です。でも、上の二つの大学と、きわめて異なった部分は、子供を産まなかった人が多いということです。キャリアーウーマンとして仕事に恵まれたということが、かえって子供を産まない結果となりました。

 それから、キャリアーウーマンでありながら出産をした人は、高齢出産が多いので、他の人の例を学んで、割り切って、中学受験を成功させ、東大に子供を入れましたという人も多くて、結果として、失敗例をあまり聞きません。だけど、全体的には、下手なのです。すべて、ご自分が勉強をしっかりした女性は子育てが下手です。東大に行っても「性格が悪くて」なんておっしゃる人もいる。また、お子さん自体が、結婚をしなかったり、孫を生まなかったりもします。

 それから、親が両親とも、ブランド大学をでていると、そのありがたさを家庭全体で否定するというか、尊敬できないというか、夢を持てないということもあって、中退とか、引きこもりも生まれます。

 私は六十八歳ですが、この年齢だと、四年制大学卒の女性で、しかも専業主婦をしている人が少ないので、常に短大卒とか、高卒のお母さんとつきあってきたわけですが、みなさん、かしこいですよ。前田夫人のエピソードなどを知らせたら、みんな笑うと思います。そして、そういう人がお子さんを二人とも医者にしていたりします。もう一方、安野夫人のエピソードを聞かせたら、嫌悪感を示すだけでしょう。子供のいる人は、子供を守りたいですから。
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 でね、うちの主人なんかは、女性はすべて、高卒で、結婚をすべきで、子育てに専念すべきだといいます。「勉強したい人は、子育てが終わってから、すればよい」といいます。私はそれに対して、こう思っています。『子育てを終えてから、勉強するはむりです』と。子育てって、非常に長期にわたる場合があります。となると、難しい勉強はできない年齢になってしまいます。だから、自分に才能があると信じる人は大学へ行けばよいのです。自分の特別な才能を信じることのできる人は、子供を育てる必要はないです。その優れた遺伝子が伝わらないことは残念ですが、両立は本当に難しいです。

 で、独身でインテリであるという人も、社会の中で、キチンと、対等に、損をしないで生きていかれる社会にしなければなりません。それは必要です。この山みたいに、主流派を作って、安野夫人や、石川和子女史(が持っている、反小市民的な姿を隠すための)側だけの、価値の押し付けをする社会は、最悪です。インテリであるはずの前田夫人が、そちら側に加担をしたことは残念です。

 それとは別に、自分には特別なところはないと思っている女性は、一種の箔をつけるために、大学へ行くという必要はないと思います。結婚の際も、学歴を問題にする風潮は捨てるべきです。健康さと人柄の良さを最重点にすべきです。今は社会が豊かになったので、女性が大学へ行くのが普通になっていますが、子育ての任務の難しさを考えると、若いうちに取り組んだほうがよいです。ヴィトンのバッグを買うために大企業に勤めるのはどうかなあ。だけど、出会いを求めるのなら、大企業もいいですけれどね。

 ともかく、『進路を15歳ぐらいで決めなさい』というためには、今の学校教育では無理でしょう。もっと、子供の能力の高さを信じて、高度な事を教えないとだめです。作文もたくさん書かせて、自分で考えるように、させないとだめです。
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 私はね、生命力の強い子供になってほしかったのです。大学のブランド名にこだわることは、勉強一筋になるでしょう。それは私のやってきたことです。自分を卑下もしていますよ。だから、自分とは違う生き方を、してほしかったのです。それは、できたと思います。二人とも、元気なタイプです。それで、十分です。伴侶も自分で見つけたし、立派な結婚式も、すべて、自分たちで企画して、一切親に援助を頼みませんでした。それだけで『あ、しっかりした子に育ったなあ』と満足しています。大学のブランド名にこだわっているのは、この山の人たちを分析するためだったのです。自分はすでに、なにもこだわっていません。では、2010年10月10日、表向きの発信日は、8日に設定してあります。
                         雨宮舜

 
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銚子丸の恋人たち(日本人)、とかっぱ寿司の恋人たち(中国人)

2010-10-07 20:23:57 | Weblog
 3日更新しなかったですね。母の見舞いに結構疲れているときに、

レーザープリンターがやってきました。初めて使います。それは、そうと、それを置く場所に油絵や版画の額と作品が大量に出ていて、それを、始末するのが大変だったので、乏しいエネルギーをそちらにとられて、この世界がおろそかになっていました。そこ、いわゆる客間が、美術品用の倉庫になってしまったのは、急に個展の話が入った二月以来10ヶ月にわたる現象で、それを片付けるのは結構大変でした。

 ずっと、ずっと、忙しくて、お掃除と整理は後回しです。パンツを盗む泥棒と、額を斜めにしていく泥棒(もしかすると、それは、鍵を渡されているご近所様かな?)は、その散らかった部屋を何回も見ているわけです。それは解っていましたが、他にももっとひどいことがあって、そちらへの対応で精一杯だったのです。

 50代、とは、違ってがんばりが利きません。一方、『せん病質なの(今で言う虚弱体質)』と自分で言っていた、母は95を過ぎました。最高の状態で、介護を受けています。自宅へ帰りたいといったりした時代を過ぎて、老人ホームに慣れてきたかなと思っていたら、8月のすえに弟に、「つれて帰って」といったんですって。私はそれを、何かのサインと取っています。

 もう何も食べないし、水もあまりのみません。だから、3,4日おきに、点滴を打っています。今日(金)弟から連絡があってお医者さんと懇談の上、点滴を、もう止めることとなったそうです。

 で、今の私は、仕事を縮小し、7冊目の本を作るという行為をいったん、あきらめて、自分の体力を、温存していて、母の見舞いだけはちゃんとしようと思っています。

 で、6日(水)のことでした。夕方川越街道沿いの『銚子丸』という回転寿司の前を通ったときのことです。ものすごい悲鳴が聞こえます。『あ、事件かな』と思うほどの大声で、キーンと言う感じ。

 『どうしようかな』と思います。でも、今の私は相当に、勇気はあります。
ところで、この件の続きは、******罫線以降に置かせてくださいませ。

 ここで、脇へ入ります。叫びに対する反応のことをお話をさせて下さいませ。切ない話ですが、娘が痴漢に襲われ、ご近所の安野夫妻に助けてもらったのを、私は『偽装だと感じた』とお話をしてあります。あの話の詳細がまだ、書ききれていません。

 ご主人と同時に奥さんまで洋服を着て出てきたという点で、それが変だと思ったのです。[きゃーっと言う異常な叫び]は、叫んでいる本人も怖いのですが、聞くも怖いものです。で、普通なら、あのいつも、しなを作って上品ぶっている奥さんが、だんなと一緒に外へ、出てくるはずがないのです。フェミニンという言葉を、最高に守っている人ですからね。だけど、タイミングよく、同時に外へ出てきたというのが非常におかしいのです。

 それに、月曜日(実質的にはそうです)の昼間それをアップしていた後で、月曜日の夜11時ごろ私がこの山に帰ってきたら、安野家は珍しく、その時刻まで電気がついていて、起きていることを誇示していました。そして、次の私の外出日・水曜日には寝ている。ということは、あの月曜日の深夜あげた『流鏑馬の切符と、平原綾香と、・・・・・・』という記事の後半に書いた、<<<痴漢がわざとし組んだ演出で出現して、それを、事前に知らされていた安野夫人は危険がないことを、既知であった>>>という文章が正しかったと、推定することができます。

 その痴漢を誰が演じたかですが、安野夫妻が、すこぶるつきの熱意を持って、警察との関連を誇る(紙のポスターを色あせるまで門前に張るなどの行為)を見ていますので、警察が計画して実行した案ではないかしらと、思います。恐ろしいでしょう。しかも石川和子女史と夫の柳沢某が、猫が自分たちを見捨てたことに逆上して、警官を呼び、「あそこの奥さんを、そのだんなに叱ってもらいたい」と頼み、また、おばかさんな警官が、私を交通事故の調書をとるなどという形で脅かして、恥の上塗りをしているのです。

 それを、隠すために、次から次へとばかげたことをやっているわけです。この山は地上から、五十メートルは上がっていて、石段を100段以上、徒歩であがらなければならないので、交通事故など絶対におき得ない場所なのですよ。

 でもね、痴漢さえ、警察が演出したわけは、この山にアジサイ畑欺もう事件という土地をめぐる泥棒の件があり、その影に、瀬島隆三がいるので、警察がそちら様を味方するわけです。その瀬島隆三が何をやっているかというと、国際的軍産共同体が、上手に、日本全体を支配して、日本人が汗水たらして労働して、蓄積したお金を為替差損とか、プルトニュームの輸入等で、吸い上げられるシステムに気づかせないように、あらゆることを上手に手配する役目をしているのです。

 そして、私は安野夫人を嫌っています。それゆえに、安野夫人へ頭を下げさせるのが、気鬱にさせるのに、効果があり、だんだん、発言ができなくなっていくだろうし、『結局、(真実を語る人の一人としては)、消えていくだろう』ということを狙ってこういうことが、仕組まれるわけです。

 現代の言論弾圧は、非常に巧妙で、込み入っていて、心理操作のきわみを尽くしています。で、私のできることは記録をとどめておくことだけです。悪の実際がどういう風に行われ、どういう風に機能をしているかと記録をしておくことだけなのです。

 この件ですが、なんども言うように、浅野家だけは別として、安野家も、前田家も国家予算を使って守られていますね。その代わり、わが子は、痴漢まで偽装して、脅かされています。ひどい人権蹂躙ではありませんか。そして、弁護士を頼もうとすると、裏から手を回して、知り合いの、弁護士さんは、彼、彼女たちの方から、手を引くように手配をされています。ここまで書くと私が惨め過ぎるようで読んでいるみなさんもご気分が悪いでしょうが、そこに天の采配が加わって大銀杏が倒れたりするので、私も健全であるわけです。

 で、ともかく、記録だけはすると決めていて、一応パソコン内だけのメモとして書き始めたら、すぐハッキングをされて、さまざまな反応があるので、だんだん公開すべきだと考え始めました。一応の慈悲の心を持って、仮名で書いてあげていたのですが、まったく反省をしないのです。それも詳述したいのですが、一万字を超えますので、ともかく今日は、この痴漢が警察の演出で、そして、演技として安野夫妻が、わが娘を助けたと、言う事実の信憑性に戻ります。

 よく考えられています。未婚の娘が痴漢に襲われたことなど、外部にはさらさないだろうと思われています。私だって、たいがいは常識を守ります。だから、ずっと言いませんでした。でも、結婚をして孫もいますので、ここまでさらしました。深い、深い怒りに震えます。

 しかも、これが真実だと判断するもうひとつの理由は、月曜日に鎌倉駅に若い警官が二人パトロールをしていたことです。脅すためでしょう。が、まあ、平気です。

 ところが、水曜日の夕方七時に、山を降りていくと、鎌倉街道へ入る、ネックのところに、パトカーが待っています。そこはどうしても、避けられない場所です。私はもちろんそれが、脅かしだとわかりますが、脅かしに屈するようなやわな人間ではないから、すっすと進みましたけれど。すると以前よりは演出が凝っていて、『いかにもここで事件があったから、ここにきたと』いう感じで、携帯で上司に報告をしていました。「該当する地域に来ていますが、該当する人物はいませんでした』と。
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 さあ、ここからです。二つの方向へ問題は進展していきます。ひとつは小沢氏の動向です。ずっと、カメラの前に姿を見せなかったのに、水曜日21日ぶりにカメラの前で、堂々としゃべっていました。これが何を意味するか。

 この山の動向、そして、私のブログ、そして、小沢一郎氏の動向は見事にリンクしています。私が最近、ずっと書いてきたことは、極小の世界のことですが、すべて真実でありますから、相当に『日本人は賢い』と言うことで、日本人を、持ち上げる傾向が、世界中で、沸き起こりました。中国の温家宝首相が折れてきたり、
 ルース大使が長崎を訪問したり、

 二人の日本人・化学者が、触媒を、炭素(有機化合物)の結合に使った研究をもって、ノーベル賞を受賞しました。それはありがたい反応です。日本人は、あまりにも踏んだりけったりの扱いを受けて来ました。私もその一人ですが、すさまじいレベルで、失礼なことをされ、損害を与えられ続けてきたのです。

 でもね、抽象的なレベルで、ものを言っていたのでは、効果があまりありませんでした。むしろ、『ここまで、一部の日本人はわかっているが、日本人・全体はまだ、あほであり、十分に、だまし抜けるであろう』とみなされていて、攻め込まれる度合いが大きかったのです。たとえば、映画コーヴの制作、そのアカデミー賞、ドキュメンタリー賞受賞、そして、その全世界、および日本での公開等・・・・・そして、最近でも、太地町で、いるか保存用の生簀の網を切ったという声明が出されましたね。

 金子みすずのふるさと仙崎でさえ、鯨を取っていて、鯨塚があるというほどの、日本固有の文化ですが、一見すると残酷なので、世界中に日本人の残酷さを植えつける好個な題材として、使われきっています。

 こういういやな事が連続して起こります。

 ところが、今のように、実名で書けば、むしろ、反省して抑えてくれるのです。最近の日本の明るさ、は、そこに原因があります。

 それなのに、私が、小沢出現の前、二日ほど、ブログの更新を休んだので、『彼女はさすがに参ったのだ』とみなされたのでしょう。パンツを盗まれる話の前後は、たしかに書くのに疲れましたし。

 で、『しめしめ、やっと勝てたぞ』と思った、国際的軍産共同体は、小沢一郎にゴー発進の手はずをとったのでしょう。それとも、これらの幼稚な脅迫作戦(この三日は制服のガードマン===主に中年である)ではなくて、若くて、ぴんぴんの警官が使われたわけですが、)こそ、小沢一郎が、すべての指揮を執っているのかもしれないのです。強制起訴というのは、一方で、やっと、『猫の首に鈴がつけられた。これで、政治生命は、終わりだ』と思う大勢の政敵もいるはずですが、

 私は『意外と違うかもしれない』と、以前から思っていました。私のブログが、真実を語り始めると、彼は、かならず、一種の被害者・像をとります。つまり、悲劇の政治家というポーズです。『弾丸が送りつけられた』というのは、頻繁に使われる手です。

 しかし、娘への痴漢まで、偽装をされている私には、そんなピストルの弾は、
国際的軍産共同体の下っ端の工作としてか、思えません。自作自演に近い、狂言でしょう。
 今回も、本当のところが、まったくわかっていない手合いに、日刊現代や、週刊朝日、ときにはアエラ、週刊新潮、や、週刊ポスト、週刊現代、週刊文春・・・・・・・あらゆるメディアを使って、浸透させた、自分のカリスマ性を判官びいき(弱いものに味方をする日本人の特殊性)を利用して、さらに上乗せをしよう
とするたくらみです。

 ともかくのこととして、小沢一郎という政治家

(西部○氏は『背広を着たごろつき』という本を出し、野中ひろむ氏は、月刊文春内で、『悪罵が来たりてほらを吹く』というタイトルの対談をしていらっしゃるけれど)

 は、悪魔そのものをしゅうへんに引き連れいている大変な人物です。彼をおおきくしてしまったら、日本人と日本社会は、あらゆる暗さと、苦痛の中に放り込まれます。特別な少数を除いてはね。

 さてネックの場所に警官が待っていたということは、もうひとつ別の回答をあたえてくれました。今の私は壮大なミステリー小説を書いているのも同然の状態です。私のパソコンを壊すのは誰なのか、ハッキングを利用して友人との仲を裂いたり、電話を盗聴して、外出の先々で、脅しをかけてくる人間が誰なのかについて、なぞを解いている最中なのです。
 それが、警察らしいと言うことを、ほぼ、確定する回答のひとつを得たのです。

 それは、私が門を出た途端に、ひたひたと後をつけて来る足音があり、それを分析した結果です。

 その足音は、大原さんの家があるほうから、出てきました。そちらには、現住六軒の家があり、歩くことのできる人物が、男女合わせて、12人います。しかし、会社に勤めていたりして、この時刻に山を降りることのできない人物を抜かし、また、それらの12人の歩くリズム、および、生活習慣を考えると、その足音は大原さん以外には、考えられない音でした。

 前田祝一氏は飲みに出ることがありますが、歩幅とリズムが違います。もっとおっとり、ゆったりです。年齢の違いのもあるし、おしゃれとして、ほう歯下駄を多用したりする人ですし。6人いる女性陣はこの時刻には外出しません。

 私は、特別な人間です。24時間起きているニューヨークで、睡眠時間三時間で、連続版画制作をしてきたりしているので、まったく普通の主婦とは違うタイプとなっているのです。特に、パソコンを破壊され始めてからは、外出を、ありと、あらゆる時刻に、自由にいたします。発想がわいて、今、重要なことを書きたいと思えば、夜の10時に家を出て、東京まで行ってしまったり、朝の四時に家を出て、鎌倉駅から始発電車に乗って国立国会図書館を目指したりします。でも、この山の女性陣は、小市民の典型で、常識を守るので、夜の七時過ぎには外出をしません。

 大原さんに対しては、いったんはきれいな思い出を書いてあげようかと、思ったほどです。月曜日の外出中、つまり、今日のブログのテーマになっている銚子丸(回転寿司チェーン)の前を通った日には、外で、うっすらと、『大原さんが上品極まりない先生だった、我が家での美術研究会の日々を思い出していて、それを、書こうかな。久しぶりに叙情的に』と思っていたほどです。

 しかし、そのひたひたと、つけてくる足音を聞いた時には、すぐ大きな嫌悪感を抱きました。何かの危険性を感じたからです。『また、何か、罠を引っ掛けようとしているな?』という直感があったからです。以前、副会長の安野家から、水をぶっ掛けられそうになったと申しましたでしょう。あの時も、後ろから、ひたひたとついてくる、浅野家の令嬢の様子に直感的に『おかしい。変だ』と感じて、彼女が五歩程度の近さ(つまり、一メートル)まで近づいた途端に、私は歩を止めたのです。すると、目の前をざあっと水が流れていったのでした。

 で、今回みたいに、何かの意趣を含めて後をつけてくる足音というのは、その不自然さが、すぐわかるようになったのです。
 私が、特に問題にしたいのは、この山の人間たちの行動が不自然に過ぎることです。何人かは日常的に、生活そのものが演技です。それも、さることながら、井上ひさし、原案で、伊藤玄二郎を通じて命令をされているだろう、諜略に基づいた行動も多すぎます。それらは、直感的にわかるのですが、今までは、すべて、何も解説も分析もしませんでした。
 しかし、それが災いをしているみたいなのですね。きちんと、分析をしてそれを発表をしておかないと、気がついていないと思われるらしいのです。つまり、『こちらが、馬鹿だ』と誤解をされる。

 だから、『その諜略を仕掛けてくる人間の実名をあげて、しかもその裏側を公表しないとだめだなあ』と気がつき始めているのです。使役をされた人物が、八幡宮様というおおきな組織であろうとも、実名性があれば、それを分析して書き、公開するわけですね。ただ、警官となると、かれらには、実名性がありません。だから、「パトカーが京橋の集英社前に、朝の六時に停まっていて、これは、おかしい」とか、そのほかのケースを何度書いても、池田警視総監は、そういう単純な脅しを止めないのです。あ、ただ、その2008年四月一日というのは前の警視総監の時代でしたが、機動隊のバスが二台、国立国会図書館の前で、朝の六時に待機していたのは、池田警視総監の時代です。

 でね、その2008年の4月からこの2010年10月6日に戻ります。その追いかけてくるひそかな足音が、罠であるのは、石段の途中で、木(こ)の間(ま)がくれれにパトカーが、待っていたのが見えた途端に、確信に変わりました。実は、大原さんは、この日の七時という時刻より、二時間前に、外出をすることは多いのです。夕方は日暮れ前に、自転車に乗って、ふうら、ふうらと、鎌倉中を散策する人でもあります。スケッチブックをもっている日もあるでしょう。家で絵を描く仕事ですから、気晴らしは必要です。

 絵を描くって、大変な重労働なのですよ。売るための小品を描くのは、一種の座業です。が、でも、パソコンを打つのよりは疲れる仕事です。特に私にとっては。あ、ただ、ここで余談ですが、私はパソコンのキーうちはものすごく早いです。アメリカで、アメリカ人の前で打ったときもありますが、みんな目を丸くします。アジア人のおばさんが、アメリカ人より早く、しかも優美に両手うちをするので、びっくりします。意外と、一本指使いだったり、片手打ちの人が多いのです。特に大学院などで人が多いところで打っても、みんなが目を丸くします。それに文章を書くのも好きだから、パソコンうちを、気にしないので、疲労感が少ないのかもしれません、が。

 元に戻れば、大原さんの役目は二つあったと思います。一つ目は、私がパトカーを見て逃げ帰ってくるかどうかを、確認すること。もし、逃げ帰ってきたら、「あら、川崎さん、どうしたの?」とでも、からかいの言葉をかけてきて、それに対して、また、私が、怒るかどうかを試すのでしょう。今度怒ったら、柄沢斉、酒井忠康氏らを利用して、何かのわな=悪辣な個展以上の罠を仕掛けてくるはずです。『乗るものですか』とわたくしは 腹の中で呻きました。私はまったく違う方法で、違う書き方をします。天のお力を得ながら、天から下ってきたこととして書き、人間でしかない彼らの思惑やら、予測をなぞった文を書くことはありません。

 もうひとつの方向は、浅野家の令嬢と、まったく同じく携帯を利用して、石段をどの場所まで、私が降りたかを、安野家などを通じて、パトカーへ知らせることです。それで、中から二人の警官が、まことに見事なタイミングで出てきたというわけでしょう。

 そして、新手の作戦が展開したというのが一説です。だけど、私はもっと複雑なラインも推察をします。それは、私が常に、『パトカーが待機していて脅かされた』と書いていますでしょう。で、『そんなことは、やっていないのだ。あれは、別の件で待機していたのだ』と私に飲み込ませることが、目的だったのではないかということです。
 最近私の周辺に現れるこういうパトカー乗務の警官は、優秀な人材が使われています。背が高くてきりっとしていて、頭もよさそう。最初期に、石川和子女史と柳沢某に依頼されたまま、うかうかと、『見も知らぬ奥さんを、その夫に叱ってもらう』ために、我が家を訪れた、めちゃくちゃな、二人組みほどのあほは、現れません。

 ところで、大原さんが、かくもグッドタイミングで私を追いかけることができたかの謎解きですが、私の外出が、いかに注目をされているかを、お話をしなければなりません。午後になって、パソコンを打っていないときとか、テレビもつけず、ラジカセもつけていないときは、必ず、セールスの電話がかかってきます。外出したかどうかを確認するためにです。あるとき、夜の六時過ぎに、その役目に『美術の窓』が利用されたので、怒って、メールで『裏側を、わかっていますよ』と書いて送りました。

 あの雑誌は、夜の六時ごろに、しかも中年社員の声で、勧誘することなんかないのです。9時から5時までならあり得るけれど。それに、あの高い雑誌を、私は定期、購買をしていた間にも個展の記事を書いてもらえなかったから、ひどく怒っておきました。もちろん、個展の紹介記事を書いてもらうのだって、お金を取られるのは知っています。でも、一応、「いかがですか、この頁のこの大きさなら四万円ですよ」とか、「こちらなら、六万円ですよ」って、お誘いをかけてくるのが定期購読者に対する礼儀でしょう。

 あの雑誌には、野見山暁司さんが、エッセイを載せているけれど、このラインも山口さんの急死に、大いに関係があるし、今日の大原さんと、酒井忠康氏のラインも、しのぶ会つぶしの件では、山口さんの急死に大いに関係があります。

 大原さん、あなたは、『ばれないだろう』とたかをくくって、ちょこまか、ちょこまか、動いているようですが、すべて、川崎にはばれていますよ。「そんなばかげたことをすると、あなたの、大切な柄沢斉さんにも、柄沢さんにとって大切な、酒井忠康氏にも、石塚雅彦氏にも大迷惑がかかるのよ。わかりますか」と、公開質問状を出しておきたいです。

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 ともかく、結論を言ってしまえば、私の周辺には、人工的なことが起こりすぎるということです。それはもちろんのこと、嫌な雰囲気のことがおおいのですから。けれどもうひとつ、別の側面があります。バルザックいうところの人間喜劇というやつです。それに興味があるし、ひきつけれるし、文章化することには、面白さを感じてはいます。

 デモ、全体像を締めくくるのは人権蹂躙という一言です。だから、怒りは深いです。そして、私の人権も侵害されているけれど、日本国全体もまた、世界中から、国としての権利と尊厳を犯されています。そのことに抗議をしたいです。

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 さて、やっと冒頭の話題に戻ります。

 ともかく、犯罪かしらと心配して近寄ったら、そばで立っている男の子は「
いえ、僕が締め出されたのですよ。ほら、キーが刺さっているでしょう」と答えます。確かに車内灯をつけたダッシュボードには、キーが刺さっています。涙で顔をくしゃくしゃにさせた女の子は、ヒステリーを起こしている最中なのだそうです。
 窓ガラスが、五センチ開いているので、いろいろ慰めようとしても、まったく沈静化しないのです。すでにしろうとの手に負える段階ではないのですが、男の子は救急車を呼ぶ気配もありません。

 でも、周辺に迷惑をかけていることは確かなので、「あなた、この子と車を残していったん帰ったら」と提案してもはかばかしい返事がありません。で、次善の策として、「あなた、上でおすしを食べてきたらと言ったら、「僕、一人でおすし、食べられません」といいました。

 その二人を心配した後で、母のところによって、その帰り今度は河童寿司の前を通ったら、食べた後で、仲良く話をしている男女を見かけました。会話は中国語。日本人だったら、二次会は喫茶店というところですが、その近所には、喫茶店が一軒もないのです。それに、たって会話をするのを楽しんでいるみたい。情報交換とかでしょうが、まだ、恋人でもないと思うけれど、本当に楽しそうで健康的な感じでした。
 そして、この人たちは、本国を離れて、ともかく、いろいろな面で自由がある日本にいて、働けることを喜んでいるのを感じました。大卒でも、新卒でも数十万人が就職ができないと言われる中国です。蟻族とよばれているかれらの映像を見ました。

 帰りの電車の中では、疲れた感じの若者がいて、私はまた、また、考え込むのでした。かれらの顔立ちは、銚子丸の駐車場で、揉め事を起こし、クルマから閉めだされていた若者より、ずっとしっかりしていました。ただ、私の印象としては日本社会が大変悪くなっているということです。ここだけは、まだ抽象的な論議で終わっているので、敵は反省をしないでしょうが。 
          2010年10月8日               雨宮舜
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げげげの向井君は農学部の出身で、・・・・そして、パンツは誰に盗まれるのか?

2010-10-05 11:52:18 | Weblog
 NHKの朝ドラ『げげげの女房』が大当たりだったそうです。で、そこで主演した向井理君は次の大河ドラマの主演にも選ばれ、大好評のようです。で、女性週刊誌内では、彼に関するさまざまな情報があふれていますが、それによると、彼は、明治大学の農学部の出身で、新しい遺伝子を17個も作ったといわれています。

 農学部とは今は、人気学部の一つです。農業の大切さが言われていますし、最先端の遺伝子領域の研究も農学部の出身者が行うケースが多いのです。理学部や医学部もそれにとり組んでいますが、農学部もそれに取り組んでいる。

 で、明大では、いまだに農学部を農学部と呼んでいるらしいのですが、東大と、日大では、農学部は生物環境学部と名前が変えられています。それはなんと、この鎌倉の『鶯がやつ』に住んでいる例のいばりんぼう、奥様の屈辱をそぐために行われているのですよ。
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 なぜ、農学部の名前が変更になったかというと、前田夫人がぶんむくれたからです。それが安野夫人は、石川和子女史に伝わって、伊藤玄二郎に伝わり、彼が文部科学省を動かすわけです。驚くべきことに、安野夫人、石川和子女史につづいて、前田夫人の尊厳と名誉を守るために、国費が濫費されています。
 これは、現住の、この雪ノ下二丁目だけではなくて「国家社会的に、おまえより、上だ、上だ」と連呼されることと同じです。今では私も慣れてきて、笑い話として話す事が出来ますが、ここが地理的には、たこ部屋ですから、安野夫人はふんぞり返り続け、そこにみんなが膝を屈すると言う状態は続くわけです。
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 でね。ここで、この山の主流派主婦たちの四人が四人とも、相当な利益を得たと言うことと成ります。浅野家の令嬢だけは、私費留学かもしれませんが、自由に行きたいときに、カリフォルニアに留学できる模様です。その精神的な安心感は、普通の人にとっては、羨ましいことでしょう。
 さて、四番目が前田夫人ですね。前田夫人が何故、どこで、ぶんむくれたかの場所が私にとっては大問題です。それが例のあじさい畑だからです。他のところならともかくも、私にとっては、ひじょうにせつない苦痛の場所だからです。

 でも、それを解説する前に、そのときに、孫が一緒だったので、孫というものについて、特に、安野家の祖母と孫の関係について、述べないといけません。その素地がないと、説明が不十分になります。

 安野夫人が実母ではない事は、御成中学のさまざまで、すでに1980年代に分かったことでしたが、その後、お嬢さんが、40歳を越した時点で、お子さんを連れて夏に帰省をするようになりました。夫が白人なので、海外に普段は住んでいる模様です。2008年にも、子どもをつれて夏に、この雪ノ下二丁目の家に滞在していて、それで、まざまざと安野夫人がきつくて恐ろしい継母であることが、わかったのです。

 ご長男は、高卒後は、絶対にあの家に寄り付きませんが、こちらのお嬢さんはしばしば来ています。ので、私は『家をあげる、かわりに、老後を見て欲しい』と言うお父さんの願いがまずあると感じています。それに、お母さんの『私は、立派なおばあちゃんですよ』と言う一種の勲章代わりの誇示もあるだろうと思っています。例のごとく、大音響で、きゃあきゃあと、遊んでいて楽しそうですが、ある日、そばを通るとお母さんがお嬢さんを庭で叱っています。その様子でも『お嬢さんは相当に、萎縮しているな』と分かりましたが、別の日の真夜中、午前四時ごろ、さらにそれがはっきりする出来事に出くわしました。

 『あ、やはり、あの親しさは嘘だったのだ。お嬢さんは、相当なレベルで、つらいんだな』と思う経験を、私がしたのです。それを、ご報告をさせてください。論理を進めるためです。

 私が何故、午前四時に家を出たかというと、プリンターが壊されているので、コンビニにコピーをとりに行こうとしていたのです。本を作り始めると、編集とデザイン(データのIT化)も同時にやるので、大変な神経を使います。で、夜10時過ぎ、誰もが寝静まったころに仕事を始めます。ので、午前四時は、まだ宵の口で、歩いて七分程度の場所にあるコンビニに行くのなど、軽い軽い話です。
 ところが、その夜、我が家の門を出て、10歩も歩かないうちに、安野家からお嬢さんが二人の子どもをつれて出てくるのに出くわしました。
 二歳ぐらいの一人を抱いて、4歳ぐらいの一人の手を引っ張っています。そして『声を立てないでね』と子どもたちに、ひそかに、命令しています。

 驚きました。その事情の裏側が察せられて。・・・・・彼女のご主人は、先ほどもいったっように、外人(白人)です。で、海外に住んでいると仮定をすると、時差がありますので、電話は掛けにくいです。でも、両親と本当に仲良しなら、愚痴の電話を掛けている間、こどもを置いて行っても大丈夫です。もし、起きてしまって夜泣きをしても、「おや、おや、娘はどこへ行っちゃったんだろう。まあ、電話を掛けにでも、外へ行ったのだろう。しょうがないね」とは言うものの、孫はかわいいですから、あやして、やがて寝かしつけます。そして、帰ってきたときに、娘を叱れば、娘の方は舌でもぺロッと出して、「ごめんさなーい」と言っておけばそれで済みます。

 しかし、真実はまったく違うのです。電話を掛けること自体を、秘密にしないといけないほど、親子関係は緊張している模様です。または、昼間の親しさが嘘であるといってよいか。

 しかし、この孫たちが、諜報活動に利用されているのですから、それも、驚きです。なぜ、それに気がついたかというと、私の猫が毎日、「お母さん、庭に出て遊ぼう」と誘うからでした。で、ちょっと寄り道ですが、その事をも、先にお話しないといけません。私は家の中では、緊迫して仕事をしているので、猫も遠慮をしています。でも、庭仕事の時は手は草むしりをしていても、心は100%、猫の方を向いて相手をしてやるものですから、それに味を占めて、午後は、一回、『庭へ行こう』と彼女の方から私を誘うのです。で、庭で、遊んでやっていると、安野家で、前田家のお孫さんと、全体が、五人で大騒ぎをしていることに気がつきました。夏休みのことです。前田家のお嫁さんも一緒らしい様子でした。

 でね、「さようなら、またね」と言う派手な挨拶が交わされた後で、三人の小さなお孫さんと、大人二人が、我が家前を通りました。すると、我が家の門近くで、前田夫人が記念写真を撮りはじめました。

 これが、私にとっては、一種の挑発であり、非常に嫌なことなのです。場所が例の問題のアジサイ畑です。それが、コンクリートで埋め立てられていて、崖が、湾曲するほどの被害を与えられている場所です。しかも前田夫人は、この日だけではなく、お正月に羽根突きをするなど、孫を使って、ありと、あらゆる意味で、挑発を仕掛けて来る人です。つまり正当に私道部分を出していない分だけ、南側に突き出した庭は広いので、それを全山中に誇示して、かつ、その正当性を主張しているわけです。

 ここで、ちょっと説明を繰り返します。我が家のアジサイ畑を盗まれてしまったのは、前田・安野夫人たちが、大声で、井戸端会議をしているのに怒った、藤本夫人が、『雪の日に、滑って骨折をした人が、訴訟をすると困るから、真ん中にフェンスを作る』と主張したのを、それを避けるための犠牲的措置でした。藤本夫人がそんな驚くべき提案をしたのは、前田夫人宅が、正式な私道部分を拠出していないことに、目をつけたのです。声が大きいといって責めるよりも、そちらを盾にした方が、法律的に、力があると、藤本夫人は考えたのです。私は前田夫人の犠牲に成ってあげたのに、いじめられるわけですから、こんな不当な事は無いです。

 なし崩し政策の一環として、ご主人がペンキ塗りお当番を設定したのも、すでに述べていますが、・・・・・今、我が家の門前で、記念撮影をするというのも、その場所の、正当化に役立てようとしているのは、見え見えなのです。だから、結果として孫まで諜略活動に役立て様としているわけです。これが、2008年のことでしたが、この2010年にもさらに二回もひどいことをされています。

 私は、安野夫人の方は、すでに、心の中から捨てています。『しょうがない人だ』で終わりです。でも、前田夫人の場合は実の子です。しかも彼女夫妻は、上昇志向が強くて、子どもさんを二人とも大学教授にするつもりです。日大と明大のね。だったら『もう少し、頭を使ってください』といいたいのです。もちろん、心も使って欲しいが『そちらの方は、無理かなあ』と思っています。でね、頭を使えば、どういう風にするのが一番良いかは、おのずと分かるはずで、その午後のように、挑発をし掛けてくるのは、無残で残酷なことなのです。被害者側が、ただ、ひたすら25年間も我慢をしてきて、何も訴えていないし、責めていないのですから、穏便に普通の生活を続けて、それで、なし崩しにしていくのならかまわないのですが、そうじゃあなくて、ことさらに悪意ある挑発を繰り返すので、怒るのです。

 アスベストを口実にして、実際には古い管を取り出さなかった上水道工事をはじめ、その次の石段改修工事(これもまた大問題で、後日詳述します)、藤本夫人のニセの境界石の測量と、ありと、あらゆる手立てを尽くして、敵は攻めてきます。つまり、この件の後ろには瀬島龍三と、その手下の井上ひさし、伊藤玄二郎が控えているから、際限もない諜報活動が仕掛けられてくるのです。だけど、実行をするのは、前田夫妻を頂点とする町内会です。で、個人にその責任は帰せられます。そこを私は問うているのです。あなた方、こんなに偏った無残な事をしていてよいのですか? と、問うているのです。特に孫まで使ってと、問うているのです。

 結果は、もうでています。この三月に八幡宮の大銀杏が倒れましたね。天はすべてをご覧になっています。無残な仕打ちを他人に仕掛ければ、結局は自分に返ってきます。

 でも、そこへ一気に到達しないで、その記念撮影の当日に戻りましょう。前田夫人の目が釣りあがっているのを見て、私が引っ越してきたばかり最初期の、1985年ごろ、主婦たちが必死になって、上下関係を確かめあっているのを思い出しました。そう言う風に、上下関係を構築したがるのは、ヒステリー性格の典型だと思っていましたが、その日の、前田夫人の目の釣りあがり様は、まさに、それを示していました。

 で、私はお嫁さんに向かいました。お嫁さんは、お姑さんより、はるかに温和な感じの女性で、心身ともに健康だと感じました。だけど、そちらを説得し切れるかの、自信は、私にはありません。だって、大切な義母と喧嘩をしている人に対して、お嫁さんが、心を開けるでしょうか? そんな事はありえないことぐらい私にだって、分かっています。で、一種のテクニックとして、「あなた、日大・農・獣にいる人のお嫁さん」と話しかけたのです。注目を私に、ひきつけるためです。

 これが、ものすごく、前田夫人の心象を害したらしくて、冒頭の農学部が生物環境学部に変更する案が出て、国費を使って、実行をされたわけです。

 でね、何故、心証を害したかと言うと、彼女は、お子さんを東大の医学部へ入れたがっていたのです。だから、それとは異なるブランド名を、突きつけられたので怒ったのでしょう。
 ところで、ここで、お断りをしておきたいのは、日大・農獣という学部名を知ったのが、わが子からではないということです。ご近所様でもない。また、御成中学時代のママ友でもありません。子どもたちとは、年齢が異なる男の人(しかし、父親世代ではない)から聞きました。それほど、前田家が、どこへ子どもを進学させるかが、鎌倉中で注目をされていたということです。どうして、そうなるかを、思い出から解説しましょう。

 あれは、1985年でした。御成中学の講堂で、PTA総会が開かれたのです。そのときにフロアーから一人だけ、挙手、起立して、堂々と意見を述べたのが前田夫人です。
 私は驚いたし、腹も立ちました。未来予測が利く私は、アジサイ畑欺もう事件が将来、大変なことになるのを知覚していました。だから、それの原因を担った彼女が、あたかも一点の曇りも無いかのごとく、威張りかえって、意見を発表することに仰天したのです。

 この種の、自信を彼女に与えたのが、八幡宮様推薦の、國學院大學講師、就職だったとしたら、八幡宮様の大銀杏も倒れて、むべなるかなと思います。ともかく、そこに集っていた、500人ぐらいのご父兄のうち、彼女の家、および、彼女自身がトップクラスの人材だったとはとても言えませんでした。これを言うのは、ある種の弊害がありますが、1960年代に大学院、特に、日本の大学院に入るのは、別にエリートであることの証明ではありません。なんとなく、四年で卒業できないマイナスの条件がある人が、大学院へ逃れたと言う側面もあったのです。

 新卒で大企業に就職する。または、中央官庁に就職するのが、一流の人材である証だった時代なのです。威張りかえらなければ、別にそこまでは言いません。だけど、彼女を見ていると、常に感じるのは、『雌鳥(めんどり)時を告げて、国滅ぶ』と言う中国発の箴言です、けたたましい。だけど、周りに、幸せ感をもたらさず、『ああ嫌だ』と言う雰囲気をばら撒くのです。

 『まあ、いいでしょう』と、私は自分に言い聞かせました。『ここは、PTAの世界だから、子どもに直結していますね。だから、あなたは、坊ちゃんが、超が付くほど優秀で、ここに集うご父兄の、すべての子どもより、上である』と信じているのですね。じゃあ、東大医学部へご進学なさるのですね。待っていましょう』と、思いました。

 被害を与えられてなければ、そこまでは思いません。そして、問題のある場所で写真をわざと撮るという挑発行為が無ければ、何も昔のことを蒸し返しません。だけど、すさまじいレベルで、挑発を繰り返す、彼女に対しては、はらわたが煮えくり返るほどの怒りをもっています。

 でもね、被害を与えられた私だけではなくて、鎌倉中から、坊ちゃんが注目をされることと成ったでしょう。中学期にでしゃばる母の子はほとんどが、予測より低くなるのは、ここへ転入以前から、実体験として知っていました。『あの、けたたましかった前田夫人のお坊ちゃんって、どこへ入学したの?』とみんなが注目したはずです。だから、私の耳にも坊ちゃんが、日大・農獣医学部へ進学をされた事が入ってきたのです。子供とも、母親仲間とも違うところから。それほど、有名なのですよ。ある意味で。井上さんの坊ちゃんについては一切入ってこないのに。

 この坊ちゃん側のお孫さんが、それ以降も何度も何度も諜報活動に利用されることとなります。

 しかし、その苦しみの中で、良いことにも恵まれました。圧倒的な正確さとして、井上ひさしが、国際的軍産共同体の手先である事が確認できたからです。それは、鎌倉防犯協会の放送が、一つの証拠となりました。鎌倉に住んでいることの利点でした。それは別の機会に詳述します。が、今日はパンツが盗まれる話へ入って行きましょう。一昨日、未完成のブログをお読みになった方は、そのタイトルに『パンツが盗まれる話』と言う部分が12時間以上公開されていたのをご存知でしょう。しかし、一万字・字数制限に引っかかって一昨日には、それを、述べておりません。
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 外に干してあるのではありません。部屋の中の引き出しに入っているものを、盗まれるのです。または、別の場所に移動をさせられています。ともかく、『それを見た』と言う事が脅迫に役立つと考えられているのでしょう。
 その引き出しには意味があります。実は、泥棒があまりに頻繁に入るので、そして、非常に貴重な資料を盗んでいくので、『まさか、ここには書類が入っているとは、気がつくまい』と思って、2007年か、8年に、その引き出しにA4の封筒に入った、本一冊分の原稿を256枚を隠した事があるのです。が、やっぱり盗まれました。

 どうして、そこに隠したかというと、プリンターが壊されるので、外でプリントアウトをして持ち返ってきたものが貴重なのです。2560円かかっていますので。それに何回も編集作業をしますので、何組も要るのです。で、大切だから、事務用品が入っているとは思われない場所にそれを、隠したのです。が、それでも、探されて盗まれました。それ以来、そのパンツの入っている引き出しは、一種の鬼門となっていて、敵方が、しょっちゅう狙うところとなっています。

 でね、私はもう、そこには重要な書類は隠していません。でも、敵方がしつこく、脅しのために、そこを狙い、脅迫の効果をあげるためでしょうが、パンツを盗んでいくのです。または、主人の引き出しに移動をしたりして、夫婦喧嘩の種を作っていきます。もし、私が「パンツが盗まれた」といえば、「ほら、あったよ。お前が間違えて入れたんじゃあ、ないか」と主人が言います。これも、『夫婦喧嘩を起こさせて、あわよくば離婚にでも至れば、彼女は弱くなるはずだ』と言う論理に、かなう作戦でしょう。

 で、こんなことまで告白すれば、この文章全体が、非常に品が悪く聞こえるでしょう。だから、鶴岡八幡宮を論じる、昨日の文章にこれが入らないことと成ったのは、天のおぼめしだったかもしれません。結果として、敵の狙い通り、読者数が減るかもしれません。特に政治的な問題を論じていて、自分のブログが、ルース大使の長崎訪問を招いたとさえ、思っている同じ時期に、『パンツが盗まれた話』をしては、笑い話にもならないところです。
 
 でもね。もっとひどいことさえ、想像しています。たとえば、ご近所の誰かが、無許可で作られた合鍵を渡されていて、私が外出した途端に、留守にパンツを見に、入っているとさえ。だって、町内会副会長(安野夫妻)が、別の家(浅野家)のお嬢さんの携帯を利用して、私の頭に水をぶっ掛けようとして・・・(それは、実際には不成功だったのですが、お嬢さんが、不成功だとお母さんにいえなかったみたいで)・・・、成功として、山中に伝わり、結果、町内会長(前田)夫人が大喜びをして、その下品さを、ご主人からたしなめられたというのは、あまりにも人を馬鹿にしていませんか。それは、きっと留守にパンツまで見ていて、しみがついていたとか、安いものだったとか、まで、見ていて、それを山中の笑い話にしているから、そこまでの、ひどいことをできるのではないでしょうか?
 
 それから、留守中に、20個ぐらいある額の左側だけが、3センチぐらい下がっているときが多くありますが、それも、別の人へ鍵を渡されていて、そちらがやっているのではないかと、感じています。複数の人が留守中に侵入している可能性を感じます。それが三年間も続いていますから、いろいろ推察します。

 この山に来ていただければ、すぐわかりますが、あじさい畑欺もう事件は単なる、泥棒でしかないのです。だから、連中は追い詰められていて、ここまでのことをすると、考えると、すべてのつじつまがあってきます。解決の最初の鍵を、中谷氏が掛け間違えています。もしかしたら、瀬島隆三の教唆でそうなってしまった、のかもしれません。ともかく、すごい話でしょう。本当にすごい話です。もっとひどいこともあるのです。それは、徐々にお話をしていきましょう。

 私はパンツまでご近所に見られているという、そこまでの、覚悟をして生きています。そして、それを踏まえて発言を繰り返しています。分担して進入している可能性はあります。そのぐらいしたいぐらい、自分たちの失敗が大きくて取り返しがつかないのです。ともかく、何をやってもいいから、追い出したいのでしょう。

 そして、女たちの、すさまじいそれらの悪意が、国家的な規模で、伊藤玄二郎によって、サポートをされています。
 どうしてかといえば、あじさい畑欺もう事件が、真に追求されれば、芋づる式に恥多い人が出てくるからです。もしかしたら、警察さえも、盗人扱いせねばならない地点が来るかも知れません。それゆえに、私をここから、追い出したい。そして、明瞭な泥棒の証拠を、次の入居者をまた、だまし加減で説得して、消していく。または、一時期不動産会社が預かって、その間に消し去ってしまう。それが目的で、今現在の、あらゆる非人間的な措置が取られている。

 そう考えると、あたりと思えることはいっぱいあります。

 もちろん最初期はプロでした。重要な資料が盗まれました。特に私の育ちがよいことを証明する写真類が盗まれました。驚きました。満州からの、引き上げ者なので、写真館に原版が残っているというわけでもないので、それらは超がつくほど貴重です。『でも、父は絵がうまくて、新聞の7紙以上の文化面に載ったはずなので、その切抜きが盗まれても、国立国会図書館に行ってコピーをすればとればよい』と思っていたら、なんと、文化面だけマイクロフィル化をされていないのです。

 これは、瀬島隆三の悪意ある発案でしょう。時期的に、新聞にマイクロフィルム化のニュースが載ったころを考えるとと、瀬島隆三の頭が、ぴんぴんしていた時代です。怒りに震えます。パンツの方は、そういうことをする手合いを馬鹿にしていおけば、いいです。プロの泥棒にしても、どうせ、警察か、国際的軍産共同体か、革○か、瀬島機関ですから、そういう連中はひどいのだと、はっきり見極めをつければよいのです。

 だけど、父に関する資料は回復不可能です。アメリカの図書館に当時の満州の新聞がとってあるかなあ?

 そして、ご近所に鍵を渡されていたら、これは、精神的に参らせるのに、これほどの屈辱はないと、いうことです。でも、私のホーム頁に、下品きわまりないトラックバックが引っ付いたりして、それは往年、小泉さんに向けられた、からかいとそっくりです。小沢氏を王様として祭り上げるべく、佐高信たちが作っていたものです。ともかく、背後に隠れいている敵が下品極まりない発想を持っているのはわかっています。それに気がつかなかったわけでもないのです。あまりにもいじめが下品で恐ろしい類なので、すでに、そこまでの背景を、気がついてもいたのです。

 その上で、考えるわけです。どうして、これほどの悪が平気で行われているのかと。そうなると、過去私が書いたように、『国際的軍産共同体が、日本人から莫大なお金を、巻き上げていて、それを、知っている存在を、どうにかして消して行きたいと思っている』とすると、道理が通るのです。もちろんのこと、私にとっても、ここまで言うのは本当に疲れます。

 ただ、その覚悟を持って分析し、結果、酒井さんが日本社会に、悪いことをしていれば、どんなに偉かろうが、書きます。石塚さんが悪いことをしていれば、どんなに偉かろうが、はっきりと分析をさせていただきます。酒井さんと、石塚さんがホワイトカラーであろうとも、同じ組織のブルーカラーは、我が家のパンツを盗むのですから。

 今日の文章を読んで下さった皆様には『大学とか、学部名の、ブランド志向が強すぎるよ。古いよ』といわれてしまうかもしれません。でも、嫌われてもかまいません。これほどのいじめ(=迫害)を受けている身では、捨て身で、なにもかもお話をする以外に生きる道はないのです。

 たまたま、4日(日)の日経新聞朝刊文化面に国際ペンクラブの報告記事が載っていて、『言論の自由を守る、云々』と出ていましたが、こと、私に限っては、まったくそれは叶えられていないのです。
        では、2010年10月6日、実質的な送信時刻は午前三時、雨宮舜
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