私は今、入院生活42日目かな。いや、相当に痛みが取れて体の自由が復活したので、5週目ぐらいから息を吹き返した感じです。でね、意外と快適です。しかし、不自由は不自由ですよ。病院の中だって、二階しか歩けないし。
NHKはオンデマンドとか何とか、パソコンで、見ることができる登録がしてあるはずでした。しかし、パソコンでは、もっぱら、goo blog の整理をメインの仕事としていて、娯楽などとは、一切無縁の生活に入っています。
しかし、一つの事だけができる生活って、私の気性に向いているのです。もちろん、会話はあります。一日に一回ドクターと。看護師さんとは、一日に、5,6回。その助手みたいな人とも一日に、5,6っ回。そして、リハビリの先生とも、一日にお二人、二時間過ごします。でもね。それ以外は、無音の世界です。この無音の世界というのが、どれほど、自分に向いているのかを、また、改めて、感じ入りました。
でね。ぎゅ、ギュギュっと、ブログが書けるはずですね。ところが新しいものを書きたくないのです。パソコンの整理をしているでしょう。すると、未発表の古いものがたくさん出て来た。で、どれを選んでいいだろうか?と、思うほど、たくさんのテーマを今抱えています。
英国のキャサリン妃の問題などです。非常にお気の毒です。最近ジュエリーを使いまわされていると言う記事を見たり、ご実家が全焼したなどと言う記事を見るたびに、自分の想像通りだなあと、思って、お気の毒でたまらない。だけど、世間一般の人が、こうであろう(いや、すっかり、健康を回復し、ご夫婦仲もいいのだ)と考えている事に逆らう発想を書き表すのは、大けがの今は、しんどいです。
でね。New Yorkの話に入ります。これはね。意外な評判をとった【黄色いさくらんぼ】の裏側の話です。昨日の章は、黄色いさくらんぼへの補填の章でした。2001年に公営住宅で孤独死した1942年生まれ、私と同い年のペルー人の版画家の話でした。つまり、表側、版画工房のお話の、一つです。
で、本日の方は、裏側、住居でのお話です。で、今、皆様に公開するにあたって、読み返してみると面白くないのです。でもね。いつか、書き直します。小説として面白く、面白く、書き直します。でもね、一応、本日これを晒すのは、日本の一般の親子様(特に、引きこもりとか、自傷行為をしているお子様を持っている方)へ、カタリ掛けたいからです。
私は大家夫人から、悩みを打ち明けられていたのです。だけど、三か月しか滞在しないのに、打ち明けられたのが、10月の半ばだったと思います。感謝祭のお料理をごちそうになっている。その前だったと、記憶しています。だけど、あと残り6週間で、解決できる問題ではない。
でもね、彼らより、20歳は年上の私には、どうしたら、解決できるかの筋道はわかっている。でもね。それを言ったところで、大家さん夫婦が、実行してくれるとも思われない。今、炎上中である、大家さんご夫婦には、私の提案が理解すらできないかもしれない。だから指導的なことは何も言いません。だけど、何の力にもなれないと言う事が私にとってもつらいのです。
でね。ここで、これを晒すのは、日本の中で、苦しんでいらっしゃる一家の、親御様が、何かのヒントをここからくみ取ってくださればいいなあと、思うのです。誰かをターゲットにして、これを書いているわけではない。だから、命令されているとか教唆されているとか思わないで、聞いてほしいのです。
では、始めます。・・・・夏の名残のばら・・・・ なお、小説なので、主人公は、事実上は私ですが、百合子と命名されています。そして、これは、その小説の一部分です。
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百合子が、2000年の秋に借りて住んだアパートだけど、大家は、二階を他人に貸していて、その人たちが玄関を使い、大家一家は、裏口を玄関として使っていた。百合子が使う半地下も、裏に入り口があった。
ただ、ある時期に、玄関の前に作られている小さな花壇の中に薔薇の蕾が立ち上がった。葉っぱのついていない茎が、1m近くまっすぐ伸びてその突端に、1cm大のつぼみが付いた。百合子は、鎌倉で、バラを育てた事があり、つぼみのふくらみによって、開花がわかる感覚があった。このつぼみがいつできたのか? それは、まったく覚えていない。ともかく、その花壇で、別のバラの花が、他の日に、咲いていたのも覚えていない。
ただ、十月のある日、その緑色のつぼみの存在に突然に気が付いた。百合子は、経験上、「この大きさだと、一週間以内に、開くわね」と思った。だが、一週間を経ても開かなかった。ちょうど、おなじころ、百合子は、大家夫人から、お子様に関する悩みを聞いていた。
しかし、その悩みを、ここで書くことはできない。この物語に登場する人物たちは、一期一会の人が多い。最後の登場人物が、比較的長時間一緒に過ごした女性だが、かの女から、悩みを聞いたことがない。だから、その部分を英訳する人がいて、彼女に読ませたとしても問題がない。
しかし、大家さん一家は、ほぼ三か月一緒に過ごした間柄だ。で、もし詳細を書かれたと知ったら、大いに悲しみ怒るだろう。だから、詳細は、書けない。
だけど、だれもが、そうか、それなら、私は、そこを、気を付けようと、思うであろうポイントを書いている。一般の人だれにでも、役立つ子育て上のポイントがある。それだけは書いてみよう。大家さん一家は、お嬢様が家出していて、それを悩んでいたのだった。
1)、学校の先生に問題を持ち込むかどうかだけど、
(このご夫妻の場合、富裕層が通う私立中学校へ娘を入れていたので、学校から連絡が入っていた。「不登校だが、どうしたのですか?」と。それは文芸映画【イカとクジラ】と全く同じ。映画の方は、両親の離婚に悩む次男が、学校の図書室の柱か何かに、自分の精液を擦り付けてしまう。上等な学校なので、素材は、すべて、ピカピカのニス塗りであり、先生は乾いた精液を見つけるのだった。こういうところは、日本人の百合子には、ちょっと、ピンとこない。学校が、それほど、上等な素材でできているのを見たことがないからだ。
で、百合子が、滞在していた大家さんにたいして、そちらの学校がどう言って来て、大家さんがどう対応したのかは伏せるが)、
絶対に親から、問題を学校へは、持ち込まない方がいい。上の例のように、学校からお知らせが有ったら仕方がない。だけど、親側から、いじめであれ、何であれ、学校へ持ち込むのは大反対だ。
日本におけるNHKニュースを見ていると、自殺したお子様の親が、学校に「どういうことがあったのですか?調べてください」という質問を投げかけているケースが多い。が、百合子に言わせると、そんなことをしても、何の、解決にもならない。
できれば、親は文章を書く事。ブログとか、SNSとかで、事実を晒す事。それで、うっぷんを晴らすしかない。大体いじめられる子って、成績の良い子が多い。だから、親も頭はいいはずだ。「文章を書きなさい。それで、あなたの心を晴らしなさい」と、勧めておこう。
親は、いじめた子どもたちの名前をしりたいのだろうが、それを知っても、子供は帰ってこない。また、自殺する前の、いじめが生起した段階で、自分の子供が、まだ自殺まで、行っていないのに、学校に持ち込むのは、最悪である。最悪中の最悪だ。
どうしてかというと、先生は、お給料をもらう職業として先生をしているので、一人の子供のために動く余力がない。いじめっ子がいたなら、その子たちの味方をする。その方が楽だからだ。まともに、正義感を発していたら、先生の方が生きていられない。昔、葬式ごっこ事件というのがあったが、それも典型のひとつだった。
2)、子供に、性的な被害が起きた時、これも、学校はだめなのだが、時に警察に相談する親がいる。これは最悪だ。警察は、24時間護衛をしてくれるわけではない。相手=加害者は、警察に訴えられただけで、異様な恐怖感を抱き、恨んできて、当該の相手=娘を殺す。いじめのケースは自殺で終わる時があるが、こちらは、他殺で終わる。いわゆるストーカー殺人の場合、被害者の親は、どこかの時点で、警察に相談をしている。駄目ですよ。それをやっちゃあ、それをやると、娘がおびえ切った相手に殺される。
すべては親だけで、処理すべきだ。他人は、絶対に巻き込まないこと。ただし、おやの方の精神が参ってしまう。そういうケースは、あるだろうと思う。
3)、親の方がカウンセリングを受けるのは、オーケーだ。つらいという気持ちが頂点に達したら、受けた方がいい。だけど、よいカウンセラーを探すこと。宗教関係者に相談すると、いい人だったら大丈夫だけど、反対に、表面だけの善人だったら、大変なことになりやすいので、気を付けた方がいい。新興宗教のカモになる可能性があり、財産を奪われたりする。
4)、親業訓練などの親に向けるコーチングシステムがある。これは、百合子の国際キリスト教大学の二年後輩の女性が始めたことだが、受けてみた方がいい。ただ、今、グーグル検索をすると、統一教会と結びついていると書いてある。それは、困るが、親自身の問題点を発見したり、反抗する子供に、どういう対応をしたらいいかなどが、せつめいをされ、そうだったのか!と、びっくりする様な指摘を受ける。
現代世界では、親として子供を持つと、自然に子育てができる時代ではない。子供が放っておいても育つという時代ではない。
かといって、過剰な愛情もまた、子供をだめにする。それが、本当に難しい。そう言う悩む親の方をまず、理性的にさせてくれ、その難しい問題に、・・・これは、難しい問題なのだ・・・・と、ということを、わきまえさせてくれる点がよいのだ。で、理性的でありながら、と、どうじに、愛情が絶対に大切で、どうしたら、うまくそれを子供に伝えられるかを教えてくれるのだった。
百合子は、このニューヨークの場合、ものすごく時間がかかるが、それを、ご両親が耐えて、実行をできるかどうか、それが、メインだと思っていた。だが、両親が、それをできるかどうかは、わからなかった。
それについて、「あなた方、耐えられますか?」などと言う事は、むろん大家夫婦に伝えたりはしない。後、40日ぐらいで、去るのだ。その40日間では、問題は解決しない。ただ、ただ、聞くだけだった。それでも、大家夫人は、少しは、気が晴れたであろう。
5)、親自身が抱えている内面的な、そごや、欠落を、子供を通じて解消しようとしてはいけない。たとえば、階級の問題がある。日本では、それがないように見えて、実際にはあるのだ。有名漫画家、西原理恵子が、階級スパイラルを上がっていくために、子供たちをモデルにして、毎日かあさんなどの、一枚一万円を稼ぐという漫画を描き、10億円のお屋敷を立てた。だが、後日成長したお子様のうちの一人から、実際は、毒親だったと告発をされている。
経済専門誌が、父親向けのお受験対策の特集をしている。つまり、有名中高一貫校に、子供を入れると、有名大学に入りやすくなり、就活でも有利になり、一生、高額な給料をもらえて、上流階級の人になれる。または、一家の父が、東大卒の官僚で、事務次官クラスになっている人は、自分と同等な階級にこどもがなることができる。
それで、裕福な階級は、せっせせっせと、子供に、お勉強をする様に迫る これが日本だけの現象かと思っていたが違った。ニューヨークにも全く同じシステムがあったのだ。
階級差のことを少し、之から、語りたい。
百合子が、1999年、プラットという美大の大学院に通っていた時、幼稚園児が園外学習で、そばを通ったが、金ボタンで、紺色ウール風のダブルのジャケットを着ていて、男の子の半ズボンは、タータンチェック。女の子は、ちっちゃいちっちゃい、タータンチェックのプリーツスカートをはいていた。しかし、その小さな紳士淑女は、全員がアフリカンだった。先生も。
その地域は、ブルックリンハイツと言って、クリントン元大統領のセカンドハウスがある様な、高級住宅街なのだ。アメリカの文芸映画、【いかとクジラ】に見事にそれが表出されている。母親が白人の人気作家である家で(父親は作家として人気がないので高校教師になる)夫婦が離婚をする。元の家は、ブルックリンハイツの・・・・・連棟だが、古い様式で、中身が豪華な家だ。床も壁もドアも、クルミか何かのむくの木でできていて、厚くニスが塗ってある。・・・・・ところが離婚をすると次男と母親が、その家に残り、長男と父親が、丘を下っていくのだった。
百合子は、台湾旅行をした時に、台湾の淡水という街の丘の上のきれいなこと、きれいなことに驚嘆をしたが、横浜でも、山手と呼ばれる一帯は、淡水ほどではないが、きれいではある。ブルックリンも同じだ。高い地域の方が地価が高くて、きれいな家が並んでいる。低い地域は安い家が建っている。
で、離婚した長男の方が何かに荒れて、ドアを蹴っ飛ばした。するとドアが簡単に壊れる。せりふが続いて、「丘を下ったから、こんな安普請の家に住むことになった。フラッシュドアだから壊れるんだ」と。
百合子は、このセリフを思い出すと、2024年の今でも笑ってしまう。この映画がコメディの分野に分類されているのは、そういうセリフに笑わさせられるせいだろう。が、決してコメディではない。ここには、家族の問題が、丁寧に、描かれていて、ハッピーエンドでは終わらない、リアルな苦さがいっぱいだ。
日本の家屋って、ほとんどの家がフラッシュドアを使っている。今回百合子は、小さなアパート十五坪をリフォームしたが、フラッシュドア二面を取り替えた。しかし、2013年鎌倉の家の方をリフォームしたときには、鎌倉の大工さんだったので、ムクのフローリングと、ムクのドアをつけてくれた。それで、百合子は映画【イカと、クジラ】が、非常によくわかる様になったのだった。離婚によって、長男と次男に階級差が生まれてしまう。
ブルックリンは、一時期アフリカンが、多くて、タブロイド版無料新聞に、家族殺しの事件などが出ていた。ところが、文化人、特に美術系と、文筆系に好まれてきて、高級住宅街化している。特に地下鉄の終点は、クィーンズの終点ディトマスアストリアとは全く違って、新興住宅街で、立派な家が多くたっている。同じく、高級住宅街として、有名なニュージャージーと違うところは、ひと区画がより小さく、樹木類が、まだ少ないというだけで、建物は、白くて、ピカピカしているものが多い。
元に戻ろう。自らの階級の上昇を、子供の、進学先で、実現したがる、親がいるということ。そして、日本とそっくりな、中高一貫私立校があること。これを百合子は、大家夫人の話を聞いていて、初めて知った。ジェームスディーンの映画、『理由なき反抗』をみるだけでは、アメリカの、真実は、わからない。
もう一つ、言いたいことがある。それは、娘を持っている場合は、フロイトの言うエディプス・コンプレックスと、エレクトラ・コンプレックスを、よくよく理解をしておくこと。
大家夫人が、この点において、まずかったというべきではない。ちゃんとやっている。しかし、成長というものがあり、娘の方が変わってくる。大家夫人は、変わってきた娘に対して、小学生時代と、変化のない対応をしている・・・・・つまり、命令調、一本なのだ。・・・・・これは、まずい・・・・と、百合子は見た。だけど、この点に関しても、なにも、エラそうな忠告はしなかった。
あと40日しか残り時間がないということは、何もできないのと同じだった。大家夫妻が、のみこめない。または、実行できない忠告をしたって、ただ、ただ、苦しみを増すだけだ。百合子は毎日、祈りながら薔薇のツボミを見た。
それが、この一家の苦しみを象徴している様に思えて、「咲いて、咲いて」と願ったが、11月すえ、ニューヨークを去る日まで、とうとう咲かなかった。
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この小説はアメリカの話です。で、肌の色が、大きな差別を生むと言う話をしないといけません。この小説は一部分であって、ここより前の部分で、このご一家がインド人であると書いています。
お嬢さんを入れた私立が、富裕層が通う私立であっても、主にカラードの富裕層が通う学校だったら、まだいいのですが、そうじゃあ、無かったと思います。で、13歳ぐらいの男の子とか、女の子って、結構意地悪をするのです。このお嬢さんと顔を合わせたことはないのです。が、絶対に頭がいいだろうと思います。
家が級友たちの平均より貧乏で、有色人種であり、かつ成績優秀である。そういう女の子が、クラスに一人いたら、カッコウのターゲットになっていじめられる。その間、親は気が付かないといけません。
だけど、ご両親にもまずいところはあるのです。しつこいのです。ああ、お茶に招かれたのに、それを言うのは裏切りですが、4畳半程度の居間のインテリアが、花ばかりで、頭が痛くなりそうでした。カーテン、テーブルセット、お茶道具、全部花柄です。それが、ウィリアムモリスのデザインの全部同じ柄で、同じブランドだったら、まだ許せる。だけど、全部違うブランドで赤や、黄色、緑、白、紫、もう頭が痛くなりそうでした。
同じ時期に他人の車に乗せてもらって、プリンストン大学に行ったのです。その食堂ですが、early american 調です。初期移民の家の再現です。但し初期移民こそ、WASPと言って、アメリカでは最上流階級です。床は白木、壁も白木、椅子も白木。テーブルも多分白木ですが、麻の赤白ギンガムチェックのクロスがかかっているのです。つまり、ニスは、全く使っていないのです。カーテンも同じ布です。広ーいスペースに、赤、白、ベージュの三色しかない。つまり、本当のノーブルという事・・・・つまり、日本の禅宗で教えている事などを・・・・・この大家一家は、まだ、判っていない。
日本の大学食堂、または、社員食堂って、丸テーブルなんか使っていないでしょう。たいてい長テーブルで、天板は、プラスチックですよね。ピカピカつるつるしている白めの、板です。椅子は、パイプ椅子。プリンストンの方は、肘掛け椅子ですが、木製で、がっちりしていてたためない形です。
まあ、ヨーロッパは違うんでしょうが、・・・・あのご両親の間違いは、夫婦そろって、上流階級を目指している事です。しかも、急ぎ過ぎている。子供は、まだ、公立で、学ばせるべき段階の富裕層だったのです。でもね。それを面と向かって指摘できますか? 私が?
もちろんできません。・・・・・お嬢さんを早く見つけ出して、「公立に転校しようね」と、言ってあげた方がいいわよ・・・・・と、言いたいのですが、お嬢さんは、14歳にして、既に親に絶望しているのです。だから、帰ってきません。親は、年上の男の子とのセックスを覚えたからだと考えているみたいですが、それだけではないでしょう。
なお、前の章、
わら半紙でお弁当を包む、貧しい版画家・・・・26年前の彼を今思い出している
の方が面白いですね。それを、9日の午前零時、推敲しました。良かったら、もう一度覗いてやってくださいませ。