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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

牛と豚の悲劇ー1(映画、いのちの食べ方、から)

2009-11-28 16:59:59 | Weblog
 今日、鎌倉の公民館で、「いのちの食べ方」という映画を見てきました。原題はOUR DAILY BREAD で、聖書からくる言葉『日々の糧』をさし、毎日の食事のことです。

 これは、東京では少数・館で劇場公開をされ、新聞に批評も載ったと思います。鎌倉の自主上映組織が、本日上映したのは、だいぶ日数が経っています。ただ、私にとっては、今、見たことも、タイミングとしては、有意味なことでした。

 この映画は、現在のグローバル化時代の食料が、どういう風に生産をされているかを、観客に教え示してくれます。映画評は全世界を通じてよくて、映画賞もたくさんもらっている模様です。

 もっとも見るのが、楽な方の映像としては、アーモンド畑が出てきます。大型の機械で、人工的に作られた強風で、実を落とします。その後で、大型掃除機(?)で、実を吸い取ります。もうひとつ見るのに、楽な画面があって、それは、鮭の処理過程です。ここでも、真空ポンプは大活躍をします。機械で動く刃物とベルトコンベアーも大活躍をします。

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 映画は監督(制作も兼ねているかな?)と、編集者の意図により、順番はアットランダムであり、鮭から始まるわけでも、アーモンドから始まるわけでもありません。でもね、野菜類の栽培を見るのは、観客としては比較的楽であります。

 牧畜関係は、鋭くも厳しくあり、菜食主義へ変更しようかと思うほど、切ないですが、野菜類の処理に、ベルトコンベアー等が駆使されているのは、日本でもよく知られていて、既視感があります。もでるとして、大規模プランテーションを選んであり、すさまじいまでに効率化をされています。

 でも、こちらでは、気の毒なのは、人間のほうです。能率を追い求められている感じで、気の毒なのは、雇われている人間の方だと感じます。

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 しかし、養鶏関連と、豚肉の生産、および、牛肉の生産の場面に入ると、気の毒なのは、人間ではなくて、鶏、豚、そして、牛になります。

 たまたま、今、字の誤変換で、生産が、凄惨と、でましたが、その言葉がぴったりとなります。これは、もちろん、日本人も知っていることで、日本では、その点で、別の社会問題があります。プログラムに言葉を寄せているイラストレーター
内澤旬子さんが、いみじくも指摘していますが、日本ではトサツと言うことは、被差別と関係があります。内澤旬子さんには、「世界屠蓄紀行(開放出版社)」という本もあるみたいです。イラスト紀行らしいので、これを、機会に買ってみたいと思いました。

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 しかし、今日の私の主題はそれからは、外れるというか、その件は問題にしたくはありません。それよりも、すさまじいレベルで、効率化が進んでいるということの恐ろしさです。誰もが震撼をするレベルで、人間が、鶏や豚、牛を利用しているわけです。

 ほとんど同じことが日本でも行われている可能性があるから、ここに展開する残酷な映像から目をそらすわけにはいきません。つらくても映画館の外で出るわけにも行かないのです。肉牛の飼育が、日本の場合は、あれほど、効率化されているとは、思いませんが、場内の風景は、にているでしょう。

 それを私たちは日夜食べているわけです。朝食には、ロース・ハムと豚タン(舌)のコンビーフ風仕上げ、を、合計三枚食べました。夕食には、豚肉のミンチが入ったロールキャベツ(トマト味)を食べます。それに添え物として、鶏のひき肉の入った油あげの巾着も食べる予定です。野菜類でくるまれているので、さっぱり感があるおかずですが、今日だけは特別に、「参ったなあ」です。

 ひき肉になる4段階か、5段階前は枝肉であり、その五段階前ぐらいには、豚が、吊り下げられて、腹を裂かれ、内臓が出て、皮は、猛炎で焼かれ、毛がすべてなくなってつるつるに成る映像も見ましたし。
 内臓も、まず、大型の円形刃物で、腹を切開した後で、とろとろと落ちてきて、その後で、ステンレスの机の上で、要らない部位と使う部位〔腸詰に使う小腸や大腸を)をより分ける映像が出てきます。

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 しかも、生産(出産)も確実に管理されていて、出産後、乳を与える場面も確実、かつ完璧に管理されています。子豚と母豚は乳房でのみ接触をするだけです。母豚は、ステンレス風のパイプで、動きを完璧に抑えられ、姿勢は一切崩せません。子豚とスキンシップもないし、愛情の交流は一切ないのです。鼻で小突いてやることもできなければ、舌でなめてやることもできません。

 人間の傲慢さを徹底的に感じさせられますが、もっと悲惨なのは、牛の場合です。種牛の精子が『横取り法』という方法で採取をされ、それが種付けされ、妊娠したとしても、出産は帝王切開です。麻酔をかけてもらっているのでしょうが、たったまま、腹を裂かれ、赤ちゃんを取り出される作業に、耐える母牛を見るのが忍びないです。

 最終的に、最も切ないのは、牛が、殺される場面です。眉間に電気ショックを与え、気絶をした状態で、生きたまま、次の作業に取り掛かります。ここでも、大活躍をするのが、ベルトコンベアーです。牛の場合は、重量があるので、掃除機風のエアーコンプレッサーは使いませんが、・・・・・

 ここで、ちょっときります。この映画を見て考えたことが、たくさんあります。そして、それは、昨日までの考察と関連しますが、それは、後で、書きます。

 なお、本日は、たった四時間で更新しましたので、お暇のある方は、下をもごらんいただきたく。

                 2009年11月28日   雨宮 舜
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九大学・学長の抗議と、ポピュリズム

2009-11-28 12:57:26 | Weblog
 最初にお断りをいたしますが、これは、二報前に書いていたものです。これを、書いた後に、『国民が総力を挙げて、政府を監視しなければいけない』という26日昼間に公開のものと、『内館牧子、朝青龍、細木和子』という、27日の昼間に公開のものが書けました。つまり、この文章はそれらの、前の土台となるもので、やや温和な書き方をしております。初めて、このブログにお入りになる方は、これが、仕分け事業の3になり、

 もっと大きく言えば、11月16日にアップロードを下、『いしいひさいち氏の休載』から始まる、現在の言論統制(とても間接的な形である)に関して述べた章の、8回目にあたります。まあ、硬くて面白くないとは思いますが、どうか、よろしく。・・・・・・

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 09-11-25の朝のNHKニュースで、日本全国、九つの大学の学長が 共同記者会見を催し、事業仕分けでつぶされた企画、・・・・・特に学術や、技術の進歩の方向へ連なるもの・・・・・について、その復活を求めました。

 これは先週だったか? 蓮舫議員の事業仕分けの発言映像が繰り返し、流されました。そのあざとさと、あくどさと、特に性急さには、大勢の日本人がぎょっとしたのだと思います。『蓮舫議員は日本人ではないのだ』と感じた場面だと思います。現在の国籍はどうあれ、基本的な育ちと人格形成をなす文化が、日本人ではないのだと、大勢の日本人が感じたでしょう。

 私こそ、小さいころから、「日本人離れしている」とよく言われてきました。ことをなすスピードは超・速いです。決断も早いです。何らかの企画が背後に行われているな・・・・・・と、思うときには、それがプラスであれ、マイナスであれ、ぱっと対応の行動をとってしまうから、それを企画した人たちは面食らっていることでしょう。でも、その私でさえ、『なんといやなことであろう』と、あれを見ながら思いました。

 私の場合、自己の行動については早いが、だれか、相手があること、とくに相手に対して、何かを言わないといけない場合は、相当に慎重です。それは謙譲の美徳とか、中庸の美徳というものが、日本人にはあるからです。

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 でもね。ブログやメルマガの世界で、何も発言をしなかったのは、この現象もまた、大局から考えれば、日本つぶしの一環だと思ったからです。蓮舫議員がそれを教唆〔または命令、または、鼓舞)されているかどうかは別として、結果としてそうなります。だけど、私のような小物が発言しても何の力も無いので、黙っていました。

 すると、まず、あの映像を嫌がる声が、澎湃として、この世界で起こりました。インターネットの世界を利用するのは若い人が多くて、その若い人は、私のような年代とは違った価値観をもって育ちあがっているわけですが、やはり同じようにいやだなあと思ったのでしょう。

 しかもつぶした事業の防衛方向の(企画)担当者は、女性であり、しかも、ある大学の学長だそうです。タレントではありません。だから、対応しきれない。だけど、一種の公開リンチに近い現象と、結果としては、なるわけです。民主党側としては、『これは、女性対女性の対決で、ハナや、ドラマのある映像になるはずだ』と考えて、取材を許したというか、積極的にメディアに働きかけて、このグループが特に取材の対象になるように仕向けたと推理します。

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 私は小選挙区制には大反対です。あれによって、政治家が小粒になったと考えている人間です。その批判はだれもが感じるものですから、それを交わすために、タレントなどの知名度の高い人物が当選する道も、あの時併用をされました。

 これは、医師会や看護師などの、業界団体を代表するまじめな分野のオーソリティ(ただし、学究肌ではなくて、政治的な色気の強い人が代議士になるとは感じていますが)にも道を開いたわけですが、一方でタレント議員も輩出し続けました。

 タレントというのは、人気が出る前に相当厳しい競争にさらされていて、その中で伸びてきた人たちですから、いわゆるオーラがあり、かつ金持ちですから、よい衣装とか、よいお化粧をしているので、一般人とはまるで違うそうです。

 しかし、政治はおもちゃではありません。

 政治には大局観が必要ですが、と、同時に、いちいちの小さな決定も行われているわけです。次年度に予算を配分する事業を見直すというのは、ある意味で、予算を無駄遣いしないと言う方向で、正しいし、そのポイントが強調をされているので、国民は、一応それを、ゆるし批判をそれほど、していなかったのです。そして『あれよ、あれよ』という間に、大勢の人が組み立てあげてきた企画がつぶされていきました。

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 この映像を嫌がる国民内の空気と同時に、学者の世界で大・危機感が起きたのだと感じます。ところで、本当のことを言うと、一流の学者は、会議を好みません。会議に出てくる人は、学者の中でも事務的な雑務を嫌がらないタイプです。

 でも、会議に出席をして、案を練ってくれる同僚がいるから、自分の研究に予算が下りてくるのは知っています。だから、蓮舫議員の詰問のたたみかけで、負けて引き下がった女性学長を見て、これは非常に気の毒なことであるという、声が起きたと感じますし、ただでさえ予算が削られているのに、これから、先、新しい研究やら、新しい企画が通らないとすると、この技術立国たる日本が、これから、先滅亡やら、衰退に向かうと言う、本質に気がついたのでしょう。

 九つの国立大学の学長が、このスピードで会議を開き、記者会見を行うなど、ただ事ではありません。普通大学の会議など、企画を立てたり、部屋を使う許可をとったりするために、前準備に時間がかかるものなのです。

 それがこのスピードで、記者会見が開かれたのは、相当な危機感を学者が抱いたのを証明しています。

 以前テレビ朝日のニュース・ステーションをまだ見ていたころ、大衆ポピュリズムがいけないと言うことで、小泉さん批判に向けられていました。あの選挙期間中の演説カーに、大衆が大挙して群がる現象を批判して言われていたと思います。

 だけど、今の民主党の拙速主義、そして、畳み掛けるように何かを展開する技は、まさに大衆ポピュリズムの実践だと、私は考えます。中国には『竹林の七賢』という存在が、政治の実世界には、何も関与をしていないが、傍観者として、哲学的に、ものを考え、警世の言葉を発していた・・・・・という故事(または、理想をあらわした、言葉)が在ります。

 それを私は理想としていて、大木の下に住んでいるから、クヌギ林の七賢になりたいと発言をしたのが、2005年ごろでした。そのころは、国民がゆったりと意見を述べ、意見をお互いに交わす習慣が残っていたのです。

 今はまったく違います。特にJR東日本の嫌煙運動の高まりは、おかしいと思います。私はその因果関係が、ほぼつかめていますが、これも、国民いじめの方向です。国民を苦しめる決定が、民主党の神奈川県知事をはじめとして、ぐんぐん、進んでいきます。

 先日も中国の映画界が、活発だという番組をNHKで見ましたが、そこに登場する人たちは、ほとんどが葉巻を吸っていました。葉巻を吸う階層は、日本では自家用車、または運転手付きの車に乗っているでしょうから、駅周辺が禁煙になっても困らないでしょうが、一般の人、の中の喫煙者は、困りますね。

 メディアを利用して、・・・・・コンセンサスが一見すると・・・・・・できているみたいですが、こんなに性急に畳み掛けるように、『実際に効力が出る決定ができてしまうのは、非常なる悪政である』と、私は感じています。自民党にも悪いところはいっぱいあったでしょうが、民主党の手法には、独裁者の面影を、いっぱい感じる私です。

 今の日本には独裁者はいないはずなのですが、手法の方にそれが、結果として、現れています。学問の世界だけでも、異議申し立てた起きたのは、幸いでした。でも、それをしなければならないほど、民主党のやり口は、非・日本的です。
     2009年11月25日  雨宮舜(川崎 千恵子)
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