銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

吉田秀和氏は、鎌倉の住人なので、利用をされました・・・・・推敲済み

2011-01-30 01:57:45 | Weblog
 以下の文章は、既に二日さらしましたが、日曜日の夜に、大幅に改編しました。それで、新しい部分がたくさん増えています。その文、後半の半分と結論は先送りになってしまいましたが、面白さは増したと考えています。
 一回お読みいただいた方も、もう一度のぞいてやっていただけますと幸いです。
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 この22日に放映された「空き家」が私には大問題になりました。それは、一見すると社会派の記事のように見えてきわめて私的なものであり、特に私を脅かし書せないがために、制作をされたと申し上げております。その後、すぐNHKが会長を交代させました。日付は22日(実際には、24~5日にかけて書いたもので、スクロールすればこの下の下にある)

 この言論弾圧の事ですが、この空き家特集を作った事自体が言論弾圧だったわけですが、すぐさま私に論暴をされたので、敵様たちはすぐさま次の作戦に出てきました。。それが、今のところ、4つもあるので、項目を挙げて書き上げます。

 1、NHK会長の交代です。これについては既に論考済みで、左のカレンダー25日をクリックして下さい。

 2、日経新聞の26日付夕刊18面に吉田秀和氏のインタビュー記事が載っています。聞き手は、編集委員、池田卓夫氏。これが重要です。吉田秀和さんは鎌倉の住人です。そして、私は電車の中で氏にお歌を歌ってあげたり、また、メルマガ内で、その風貌を書いたりしています。で、またまた、この方が利用をされています。何が目的化というと、私をやっつけるためにです。
 そう考えるには、二つ理由があって、Aと Bに分けて論じて行きますが、

A,吉田氏の盛名が利用されて、別の目的が主眼になっているからです、タイトルにある通り、インターネット批判を目的として制作をされた記事だからです。吉田氏は、「インターネット批評が、駄目だ」と仰っているわけですが、氏が私の、この毎回一万字を越える論評をお読みになっている筈はないです。

 97歳を超えていらっしゃいます。しかも若い時から音楽評論の著書がある。となると、文章はペンで書く人であり、インターネットなど事実上お読みにはなっていない人である事は、誰が考えても自明の理です。でも、インターネットと特記して書いてあるのは、私に対して、『お前の批判とか、批評とか、は、誰も評価していないのだよ』とまず宣言すること。その次に、対世間、特にこのブログの読者に向かって『最高権威(?)が、駄目だって言っているんだよ』と嘘を知らせ、この世界の格を貶めて、読者数を減らす事』の二つを目的としていると私は考えます。
 
 つまり、池田卓夫という人の誘導で、こうなっています。池田氏がいつ吉田氏を訪問をしたか、その時期についても大問題がありますが、・・・・・

B, 次に、吉田秀和氏には、私が、過去にお歌を歌ってあげたりした事があるので、私の方に、氏に対する興味がある筈だとみなされています。また、それを文章に書いて公開していますので、余計ですね。また、日経新聞の夕刊18面は、私が必ず目を通すであろうとみなされてもいます。柄沢斉さし絵の、『無花果の花』について文章をあげていますから。

 もう一つ大きな縁は、(私と、ICU同期の)笠松敦子さんが、吉田秀和氏の本を編集している事です。かの女はプルーストの『失われたときを求めて』の箱入り上製本、または、ファーブルの昆虫記の上製本の編集を担当していた、忙しくも充実していた時期に、突然に、横入りの仕事という形で、朝日新聞社から刊行された、これまた箱入りの上製本、『たとえ音楽が不条理だったとしても・・・・』を担当しました。その完成本を贈って下さった事があります。その時に、以下を(無論のこと、彼女には言わずにですが)内心で痛感しました。

 私との間に(ちょっとした物でも)誠実な関係があれば、その人には光が当たります。笠松さんは、大学在学中から、40年を越す友情を保持してきた仲です。彼女は在宅編集者なので、部長になるとか重役になるという席は用意されてはいませんが、仕事としてよいものが依頼されます。こういう風によい仕事を与えて、バーター取引として、私との仲を裂いていくのが敵様の手法です。

  ただ、『笠松敦子さんご自身が、(その本を贈呈してくださった時に)、こういう裏側のいきさつを既に知っていて、そして、いわゆる見せびらかしという種類の悪意を持って、その立派な本を献呈してくださった』とは、思いません。彼女は、この出版ごろは、『裏側は何も知らなかった』と信じたいし、信じてもいます。

 ただ、その後、彼女の方から「パソコンがおかしくなったので、連絡を切りたい」といわれました。パソコンをおかしくしたのは、私のそれを破壊しているのと同じ組織です。もしこれが、公安警察なら、何の罪もない笠松さんにも、恐ろしい触手を伸ばした事に成ります。だから、私は『自分の被害が、20億円を超える』と、常にいう事となります。
 これは公にしないといけない損害です。

 私は、まったくのゼロから初めて六冊の本を作り上げました。彼女には美術に特化した一冊を除いて、そのうちの五冊を差し上げていますので、その返礼として、吉田さんのエッセイも、プルーストの鈴木新訳も下さったのでしょう。私の孤軍奮闘の努力を、評価して下さっていたのです。彼女のパソコンがおかしくなるまでは。

 そして、この文章を書く事もまた、身を切られるように辛いです。
 水沢勉先生も横浜トリエンナーレ、総合ディレクターというよい仕事を与えられて、「忙しくなった」という口実で離れて行かれました。一種の、当該本人には自覚さえさせない形での、バーター取引としてよい仕事を与え、私との仲を裂いて行くのが敵様の手法です。

 まず、このブログが閉鎖されたメルマガの世界だったころに、最も貢献してくれた鶴見厚子さんが泥棒に入られた事を機縁として去り、彼女に続いて、親戚の中野寛さんがNHKで、彼が売りだした松田聖子特集が組まれるのを機縁として変になったこと。そして、美術評論家として信頼し尊敬していた上記の水沢勉氏の離反と、それに続く、四人目としての痛くて悲しい、笠松敦子さんとの別れでした。

 ただね、神は面白い裁定をなさいます。水沢先生が、顔の怪我の文章に対して、「転んでもただでは起きないのはさすがです」と感想を下さったように、上記の悲嘆をただで見送ったわけではありません。

 鶴見さんと別れているからこそ、彼女が『「青木繁大賞展で、渡辺幸子さんが大賞を取ったのは変だ」といい、かつ、その直後に泥棒に入られた事』を明かす事ができました。で、それは、酒井忠康氏の審査ですから、酒井氏を批判をすると、氏の耳には届かない筈の、パソコン内個人メールでも、恐ろしい反発(大切な祖母からのカタミの指輪が七つ盗まれる)といった具体的な被害がある事を、書き抜けるのです。

 特に水沢先生とは別れているからこそ、・・・・・その上司だった酒井忠康氏は、恐ろしい組織(昔の言葉でいうCIA)の支援を得ている文化人です。そして、小沢一郎氏批判を続けている私に対して、美術界を使って苛め抜いている人です。・・・・という事を平気で書けるように成ります。
 
 文筆家に対しても同じです。笠松さんと日常的に電話を交わしていた時期なら、「ああら、井上ひさしに対して、そんな言いかたをしちゃあ駄目よ」と言われかねないから、もっと、おとなしい書き方をしたでしょうし、京都の人文書院の渡辺さんについても、「あら、あの方って社長さんよ。ここは抑えて我慢をして、その事実を外部へ言わない方がよいわ」というくらいの忠告は受けたでしょうね。

 ただ、笠松敦子さんご自身が、その本を贈呈して下さった時に、こういう裏側のいきさつを知っていて、そして、いわゆる見せびらかしという種類の悪意を持って、その立派な本を献呈して下さったとは、思いません。彼女は、このごろは裏側は何も知らなかったと信じたいです。

 ただ、その後、彼女の方からパソコンがおかしくなったので、連絡をきりたいといわれました。パソコンをおかしくしたのは、私のそれを破壊しているのと同じ組織です。もしこれが、公安警察なら、何の罪もない笠松さんにも恐ろしい触手を伸ばしたことに成ります。これは公にしないといけない損害です。

 ただ、一種の返礼として下さったのでしょう。私は、まったくのゼロから初めて六冊の本を作り上げました。それを評価して下さっているのです。彼女にはその内の五冊を差し上げているはずです。もしかしたら六冊全部を。

 ここで、挿入ですが、私の本の実際をご覧になった事のない方の為に、少し解説をさせて下さいませ。一万字制限が危うくなったので、読者評についてだけでも。本屋で売っていないのに、六種類のうち、三種に公の書評が出ました。個人的に頂いた好評の手紙は数知れずという具合です。たった400から800冊を、ただ個人的に献呈しただけでそうなるし、インターネットで古本として流通した時期もありまので、自信はあります。
 また、ブックオフで流通させようとしたら、敵も、私の人気ぶりに、気がついて、大急ぎで弾圧用の手配をしたらしくて、一切の情報がインターネットから消えました。アマゾンや、ヤフーや、ブックオフがすぐ動かされるという経緯から考えても、自分が・頂・大物扱いをされているのを感じます。『きっと実力があるのだ』と信じてもいます。

 で、本を作り始めるたびに、鎌倉中を総動員して音で邪魔されます。私は別にそれでいらいらする事はないのですが、彼らは邪魔する事が可能だと考えています。

 この山中の住人の内、特に安野家というのは命令されて、楽器練習を窓を開けてやっています。楽器はチターですが、音階練習なので相当にうるさくて、汚い音です。また、鎌倉の救急車の出動、廃品回収者の横行、それから、野口屋(チャルメラを鳴らして豆腐を売るという設定の店)などの横行。
 これは、私の本作りが笠松さんの仕事より、複雑で難しい事をさしています。笠松さんは一般的な編集者として、テキスト形式で文章を編集して行くでしょう。が、私は本の形に頁設定をした上で、編集作業をして行きます。

 それは、自分が著者なので、文章を減らしたり、増やしたりが自由にできるからですが、そのためにも頁設定後の方が、そういう作業には、向いているからなのです。本というものにはさまざまな約束事があり、最初は奇数頁から始まります。また、大きな段落が始まるのも奇数頁です。で、奇数で、X段落が終わったら、増やして、その終わりを偶数頁にしないと、効率が悪いとなります。

 しかも、パソコンは常に妨害を受けていました。これからも、もし、本作りを始めれば大きな妨害が始まるでしょう。ともかく彼らは私が本を作る事を異常にといってよいほど、怖がっています。という事は、電子書籍より紙の本の方が資料として力があることを指し示していますね。
 ともかく、私はパソコンに精通している人間(彼らがハッキングをしたり、こわしたりするわけですが)こそ理解できる、非常に難しい仕事をしていますから、ちょっとした妨害で、自滅をする筈だとみなされています。

 で、この音による攻撃ですが、初発の案は私の文章を常に精査している井上ひさし辺から出ているでしょう。そして、伊藤玄二郎が警察へ、そこから、各電鉄会社へ回りますが、それとは別に、直接にまたは、いろいろな人を経由して八幡宮様を動かすわけです。で、八幡宮様が、ご自身にとっては、要らない時と場合に、大・音響をあげられるわけです。 

 確かに私は音楽が好きです。で、そこからも音に敏感であろうとみなされたでしょうし、吉田秀和氏が引っ張り出される事となったでしょう。しかし、一番彼らが誤解をしているのは井戸端会議の事なのです。そして、そこから派生してしまったアジサイ畑欺もう事件こそ、敵が最も恐れている、外へ出ては困る真実のひとつなのです。完璧な泥棒であるというしかない現象です。

 さらに、崖がまるくゆがんできていますから、崖を作り直すと、高さがあるので、何千万円もかかるでしょう。敵たちはその賠償するつもりはなくて、ただ頬っかむりをしたいので、私を、『ノイローゼにさせて、ここから、引越しをさせれば、万事好都合だ』と考えています。で、その事実を押さえ込み、外部へ発表をさせないがために、すべての企画が発案をされ、実行をされているわけですが、吉田秀和さんが、実際には見た事もないであろう、インターネット批評をけなしたのも、そのひとつだと言うわけです。

そのアジサイ畑欺もう事件を敵が気にしていて、しかも罪を相手方に一方的になすり付けるために『彼女は音に敏感すぎるだから、井戸端会議など大問題にするのだ』という発想を抱き、音による攻撃を与えて、私をそれでノイーローゼにしてやろうと常に考えています。彼らにすれば、『井戸端会議の中身が詳細に聞こえるなんて、それは嘘だ』と思うのでしょうね。

都会に住んでいたりしたら、確かにあたり一面車をはじめとする騒音だらけですから、10m先の井戸端会議の内容までは判らない筈です。が、この山は、下の道路の騒音が、タブシイという常緑樹の密集した葉にさえぎられ、静かな事極まりない環境なのです。その上、地形が特殊です。まさしくギリシャの円形劇場の形をしているので、音が響きやすいのです。エフェソスの円形劇場の現場に立った事がありますが、あれは2000人収容だそうです。拡声器もない時代に、下の舞台で発声すれば、最上段まで届いたほど、音響効果がいいのですが、それでも、直径が150m以上、もしかしたら200mはあります。同じ形をしたこの山は東西は50mで、南北は40mです。

 舞台(たとえてみれば、帆立貝のちょうつがいのところ)の位置に存在する、安野家前で女性が甲高い声を上げると、サッシの窓を閉めていても、すべての会話が内容を伴って、聞こえます。話している本人たちは大いに気持ちよがっていますが、一種の示威行動(かつ、集団での弱いものいじめ)としてそれをやるから、大勢の女性たちが内心、『本当に嫌だわ』と思っていました。で、家を売りたくなります。売り手のご主人が「家内がノイローゼになりましてね。だからここを引っ越して行きたい」と私に仰ったケースもあります。そちらは、大学教授で、ご自分に自信や誇りがあるから無防備でそう仰いました。

 ほかにも引っ越していった人が多くあり、その主因は必ずあのいじめ主婦軍団にあった筈です。

 そういえば、20年も忘れられない物として「のぶこがさあー、湘南高校のイケメンと付き合っているから、さっさと決めなさいよといっているのだけれど、なんだか、ぐずぐぐしているのよー」という前田清子さんの言葉があります。それには当時も、私は震撼したものですが、今でも身が震えます。恋愛とか、結婚というのは人事ではありますが、一方で、神の領域に属する事です。それを示威の手段として使うのは、傲慢極まりなく、また、娘への本当の愛情もないと言う事の証明です。ここで、示威行動になるというわけは、この山では子供の進学高校で、人々のランクを決めています。で、それを知らないであろう私などに大声で知らせたというわけです。
 町内会もそういうランクで会長が選ばれます。ただ、27年間も続いている副会長(安野)家で、お子さん方が、湘南高校だったかどうかは、私は知りませんが。

また、さらに彼女の潜在意識をはかれば、それを誇示しなければならない勝気さが、以前に失敗を招いているからの悪循環でした。御成中学のPTA総会で、あまりにも堂々と勝つ、えらそうに彼女が演説をした時に、フロアーにいたお母さんはみんな思ったものです。『あ、あの人って、こどもを東大の医学部へでも、入れるつもりなんだわ』って。母親って中学記には静かにしているものです。特に男の子を持った場合には。母と子が男と女の違いとか、引力の関係を意識しはじめる時期だし。それなのに、真理にも堂々としていれば、『そのくらいの勝利を予測しているからでしょう』と、みんな思いますよ。
 だけど、結果はご長男は湘南高校へ進学しませんでしたね。
 だからこそ、次子であるお嬢さんの湘南高校進学は誇りたいことだったのでしょう。『それも、恋愛という項目で語れば、本意が隠されるから、おしゃれに見えるはずだわ』と考えたのでしょうね。だから、あんなばかげた大声が出た。
その後、20年を経ていますが、その当の、お嬢さんはまだ、結婚はされていない模様です。もちろん某大学のスタッフとして、高給取りの道を歩んでいらっしゃるのだからそれで、いいんですが、私のあの日の身震いは、当たっていたなあとも感じるのです。

 こういう手合いである前田夫人を、国学院大学の講師に推薦なさったのが八幡宮様だとしたら、それもあるし、2008年から2009年にかけて大音響を発せられた事も加味して、大銀杏は倒れたと考えられます。

 ところで、これほど前田夫人をこき下ろしていますが、もっとあくどいのは略奪婚のあげく、さらなる勝利感を確保したがった安野夫人です。前田夫人は安野夫人に比べれば弱い人です。安野夫人への一種のおもねりさえ感じます。が、これらの二人に石川和子が加わると、更なる化学変化がおきて、どうしようもないいじめ軍団へと変化してしまうのです。そして、それは、私個人への20億円に喃喃とする被害だけではなくて、

 交通遅延現象を含めれば、数十万人への精神的、経済的被害を生んでいますから、言上げしないといけなくなります。

 そして、もっとも問題なのは、安野家が我が家の花畑を使えないようにした反対に、堂々と最近開墾して使っている自分卓の花壇(または野菜畑)をいじくるときが、小沢一郎氏が大活躍をする時期と、100%連動をしているということです。

 どうしてそうなるかというと、私が25年以上前に電話で、これらいじめ軍団主婦の存在を友達に愚痴ったからです。引越し前も、引越し後も我が家の電話は、瀬島隆三に盗聴されていたと考えるとつじつまがすっかり合ってきます。

 瀬島隆三は私怨をもって、私をいじめたいとおもっていましたので、この軍団主婦たちを支援したのです。それが、伊藤玄二郎が、ポルトガル国の勲章をもらっていることにまでつながっています。ところで、このブログを読みなれていない方のために改めて説明をさせて頂くと、瀬島隆三の私怨とは、益山某という紳士の言動から生まれています。
 益山某は、私が横須賀に住んでいた時代の地境地主でしたが、地籍変更届けという仕組みを悪用して、当時の金額的価値4億円もの土地を、横須賀市の水道山から、略取して自分のものとした人間です。が、その際私を小ばかにして巻き込んだので、しっかりと戦ったのです。

 自分でも気がつかないほど、真剣になると私の力は大きいみたいです。で、益山氏は自分の失敗を恥じ入って、急死する事態となりました。それが瀬島隆三の私怨の始まりです。

 で、横須賀市根岸町二-103-○○という土地には、伊藤忠何がしという共同名義の土地があるはずです。これは、向こう側の測量士を名乗る人間が、そういえば、こちらがひるむだろうと思って言ったことですが、はんたいに『アラ、立派な証拠ですね』と私は思っただけですが・・・・・その地番にまだ、伊藤忠何がしの共同名義が残っていたら、瀬島隆三の死が本当です。
 もし、共同名義が抜けていたら、しかも、そのタイミングが2010年だったら、瀬島隆三が生きていた証拠となります。彼の死は偽装だと、感じる向きもありますし。ただ、ここで、こういえば、それこそ、CIA軍団ガいろいろ、工作をして変更になる可能性は多いので、なかなか、これをはっきりとは外部へは出しませんでしたが、今日は出しました。
 
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 さて、夫人たちのいじめの問題から戻って、音でのいじめに戻ります。八幡宮様のいじめとは、工事です。特に駐車場のことです。我が家の下の空き地は長らく無料だったのです。
 だけど、その地所が二つとも有料駐車場に変化したのは、大音量を上げるために、ともかく、重機が入る工事が必要だったからでしょう。それは、どどどどっという大音量を上げますが、時期的に言えば2008年と9年の夏でした。まさしく私が本を作っている最中です。

 別の音ですが、この29日(土)冬で、まだ、寒いのに、太鼓橋あたりでお神楽の練習をしているみたいでした。最近、間隔をあけての二度目ですから、私狙いの音による邪魔の可能性はあります。
 これは、八幡宮様本体の行事ではないが、私がNHKの空き家特集への批判をしていた文章を、書けなくするための措置として利用をされているとみなせます。普通はこの寒い時期一月には練習をいたしません。主に夏です。子供が主体の練習ですから、この寒気の下で、可愛そうにと思いますが、こういう発案をする連中はほかの人間のことなど知ったこっちゃあないタイプですから、やりたい放題を貫きます。しかもとても幼稚な発想で、これなら勝てると信じることは何でもやります。それだけ、あのNHKの特集に対する私の批判が的を得ていたのでしょう。

 というところまで書いて、スピンオフから離れ、今回の主役たる吉田秀和氏および、その最近の著書を編集した笠松敦子さんに戻ります。特に笠松さんが返礼として、吉田秀和著朝日新聞車間の箱入りのエッセイ集を贈呈してくださったところへ戻ります。

 で、私がその数年後、さきほどの本への返礼として、自分の六冊目の本をかの女に上げようとして、郵便が使えないという現象にであい、そこで、彼女の自宅を訪ねるという話につながって行くのです。が、『どうして郵便が使えないか』という理由を先に、述べないといけません。
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 2009年の本の出版の時に、驚くべき形で速達を京都から頂き「出版をやめなさい」と命令をされた事は以前述べました。しかし、差し止められた本の内容はさして重要なものでもありません。しいて言えば、禁煙運動の燃え盛りを批判しているぐらいかな。しかし、穏当な批判をした結果は、さらに大げさに禁煙運動が進行しました。相手方は意地になっているみたいで、それも、私が常に相手方を幼稚だと言うゆえんです。

 しいて言えば、井上ひさしが気にする文章が入っています。『秋葉原の車椅子』と『二人だけの音楽会』のふたつ。それを、原因として彼らが、大きくて悪辣ないじめを私に対して過去に起こしていますから、それが出版されると、『自分たちの悪事が固定化されてしまうので、寝覚めが悪い』というやつです。それなら悪事をしなければいいのに、今回も吉田秀和さんを使って、際限なく、続けるわけです。

 それに私だけではなく、一般庶民も巻き込んで迷惑をかけています。秋葉原のホコ天が二年七ヶ月も開かれなかった真因は、町内会と商店街の対立ではありません。町内会とは、今では、警察のいうなりです。

 警察がどうして、秋葉原に対して神経を尖らせるかというと、私のパソコンを四六時中ハッキングをしていたのが警察だったとするとうなずける事と成ります。無辜の市民であり、犯罪被害者でしかない私を、四六時中ハッキングしておいて、一方で午前五時から、携帯で、犯罪予告をしていた加藤某という犯罪者から、無辜の市民を防衛できなかったわけです。『そんな、警察の無様さを、批判される事を、徹底的に恐れているから、強烈にホコ天再開を遅らせるのに、こだわった』と考えるとぴったり来ます。

 が、私の六冊目の本の中の文章には、警察への批判は、一切入ってはいません。

 ところで、初稿では、うえだけで、五千字です。つまり半分が二倍になってしまいました。ですから、皆様にとっては、目新しい部分、特に笠松さんと私とのいきさつが一切抜けてしまいました。それは次の章で語ります。お許しください。
 2011年1月29日から、31日へかけてこれを書く。    雨宮舜
 
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野球賭博・・・再燃の新聞記事から、証明されること、

2011-01-27 03:42:33 | Weblog
 26日の深夜、私は以下、~~~1、から、~~~~罫線2まで書いて寝ました。
~~~~~~~~~~1
 この2,3日、私は相当に大きな満足の中にあります。それでゆったりとしていて、さまざまな雑用をこなしています。本当なら、早く七冊目の本を作るはずですが、それを放ったらかしにしていて、ゆったりと家事をしています。

 それは、この22日(土)に放映をされた空き家特集という恐るべき番組の本質について間髪をいれず、書き抜けたことで、自分にご褒美を上げたいと考えているからです。ところが、26日の新聞を27日の午前二時ごろ初めて読み、『おや、大変だ』となって、このブログを書き始めています。

~~~~~~~~~~2
 と書いて、いったん上げたあとで、20時間空けています。それは、睡眠ほかの用事をするためでした。そして、以下のものを午後、五時ごろ電車の中で書きました。
私はまだ、無線ランを使っていないので、外ではインターネットはできず、電車の中でする仕事はメモとなります。

 2011-1-27のブログ用メモ

 ゆっくりと二日休みました。さまざまな雑用をしていたのです。その間26日の新聞に私のブログへの反応が見えていました。つまり、大相撲の野球賭博の件が大々的に、ニュースとなっていたのです。大昔に消えた亡霊が復活という形。

 これは、一般の国民大衆を教唆する必要性に駆られた、例の真の支配者たちがNHK擁護のために作り出したニュースです。NHKは、悪辣極まりない扇動(社会派と仮装しているが、ある特定の目的のために、精神障害者とその家族を徹底的にいじめる番組を作り出したことと、その番組をさす)をしてしまったのですが、それが、批判をされないであろうとタカをくくっていたのに、私は強烈に批判をしました。
 そんな批判が私から出てくるなどとは、彼ら、発案者は夢にも思っていなかった模様です。いつも、幼稚だといっていますが、自分たちが幼稚だから他人・・・・特に彼らがもっとも、怖がっている私雨宮舜(本名川崎千恵子)が、これほど、急峻にかつ明瞭に、そのNHK番組の裏側を分析するなどとは夢にも思っていなかったと見えます。
 が、私はいつの間にか、彼らの予測もつかないほどの実力を蓄えてきていたのです。文章の上では、繊細な表現ばかりしています。だけど、相当に内面が複雑になっていて、清濁併せ呑むの極地です。バカッぷりも大いにさらします。だけど、常に 冷静です。自分を含めた場の全状況を一瞬にしてとらえ分析するにやぶさかではありません。

 今日も銀座で有力な情報を得ました。それは、ハセさんというおしゃれな紳士が、私を無視しましたが、それだけで、ものすごく多量のことがわかるのですが、それを、ハセさんに説明するわけでもありません。だから、ハセさんは、彼の方が、時によって私と挨拶を交わし、時によって、無視することが、結果として、どちらも大きな情報を私に与えているかということを、夢にも知らないでしょう。

 私ね、確かに、2007年の五月ごろから彼らにやられっぱなしでした。泣きの涙の日々でしたよ。被害総額が20億円を超えるといつも言っています。が、臥薪嘗胆の日々でもあったのです。もともと、私個人の周辺に起きることだって、転んでもただでは起きない人だといわれています。・・・・・これは、鍛冶橋通りの京橋交差点そばで転んで、顔に大怪我をしたあと一週間以内に、面白くて、詳細なエッセイを、ブログ(当時は閉鎖されたメルマガだけだったが)にアップしたことをさすのですが・・・・

 あの後、鍛えに鍛えているのです。いつも、『相手方がこちらを大物扱いしてくださるから、こうなります』といっていますが、ニュースが、私目当てに作られる現象を、胸に秘め、鍛えに鍛えてきています。それで、進歩しない方がおかしいです。私をやっつけてやろうと思って制作されたあの番組のおぞましさを、裏を含めて瞬時にすべてがわかりますから、あっという間に分析して、それを、世に問うことができます。やわじゃあないですよ。小さいときに、神奈川県で一番頭のよい子だったのです。友人に、東大教授はじめ学者がたくさん出たし、実業界でえらくなった人も多いのです。やり方しだい、選択しだいでは、私だって、もしかしたら、現在の横浜市長クラスの大物キャリアーウーマンになっていたかもしれないのです。さて、たら、ればはなしとしましょう。

 今回もバカにされきりましたね。去年の4月5日から10日の個展と同じく、伊藤玄二郎の発案で、いまだ生きていて潜行中の井上ひさし、原案、成岡庸司、補筆、成田豊、支援、朝日新聞社社長支援、週刊朝日編集長支援、安藤警察庁長官支援、○○○氏支援、△△△氏支援、酒井忠康氏、助演というような路線で、一気呵成に、私を、ぶっ潰してやろうとしていたのですが、そうは問屋が卸さなかったというわけです。

デモね、彼らは、成功すると思っていました。だからこそ、今週また、小沢特集が組まれていますね。こういうのは二週間前ぐらい二決定しないと駄目なので、案はNHKの番組制作を含めて、22日の二週間前には、練られていたということです。

 とく二小沢特集は別に国民の目に見える形での好機でもありません。今は、菅首相と、総裁選を争うというようなメルクマール的、事象がない時期なのです。なのに、週刊朝日と、週刊文春が小沢オマージュ的特集を組んでいます。

 これは、井上ひさしの原案を、伊藤玄二郎が成功すると確信して、国際的軍産共同体の上部へ、上奏したから、週刊朝日の編集部と、週刊文春の編集部が動いたのです。となると、企画の諸案は三週前に派で来ていましたね。または、NHKの24日の井上ひさしのボローニャ訪問を、予定として載せる月刊誌(ケーブルテレビの目録)、週刊誌等が発刊される前に計画をされたのかもしれません。

 ともかく、小沢一郎と、井上ひさしをほめまくる現象がおきた時期は必ず、日本国、および日本国民にとってよくないことがおきますが、今回ほど、一億二千万人の目の前で悪辣なことが行われたことはありません。

 あの家のご近所さまだってみんながみんなあのNHKの空き家特集を、よい番組だったなんて思っているはずはないのです。画家たちだって大勢内心で、批判をしていると思います。あれが誰のことをさすか、私以外にも大勢の人がわかったと思いますよ。

 そして、本当に空き家が問題なら、一軒の特集ではなくて数百件を取り上げないと駄目です。だから、一回目があれだけで終わったら、今週の土曜日29日も空き家特集をしないと駄目です。が、すでに、木曜日に違う番組が宣伝をされていました。だから、私の予想通り、あれは、社会派でも何でもない悪い意図を隠した番組だったのです。
 NHKも悪人たちもあれがばれないと思っているみたいですが、大勢の人が目撃者ですからいずれ、燎原の火のごとく、これはうわさとして広まると思います。

 流れが変わるのは、こういう些細なところからかもしれません。それでこそ、あの気の毒な空き家の持ち主の女流画家も存在理由があるというものです。日本全体をいい方へ変えていくことと成れば。

 NHKの空き家特集に関しては、私の批判が正しくて、そこに関しては彼らは、ぐうの音もでないので、別方向から、私をやっつけようとしているのが、三つ、兆候として見えました。一つ目が、この野球賭博を、再び大事件として取り上げることです。

 これが、本当に悪辣な大事件だったら、NHKが大相撲中継をしなかったのが正しかったということになります。だから、再びこの件を大さわぎして取り上げるのですが、それでも、さすがに警察も恥ずかしいのか、メールを点検したから、わかったですって。

 私のメール郵便、そのほかすべてがハッキングを受けていますが、それについて、日本でも外国でも、すべてのメールはハッキングされているのです」と昔から私が言っていたことが証明されたことと成ります。
 しかも事件として利用されるのは、弱い側ばかりです。

 私が(本当に国民の役に立つべく、真に平等に立ち回る)警察だったら、伊藤玄二郎および、井上ひさしのメールを徹底的に調べて公表しますね。そうしたら、驚くべき悪巧みの全貌が明らかになることでしょう。

 こうなると、もう一回、この大相撲壊滅作戦を最初から書き表さないとだめですが、あとで、左のカレンダーのどこで、重要な意見を述べているかを、ここにまとめて日付を入れておきますので、初めてこのブログの世界へお入りになった方は、そちらをも、ごらんをいただけますと幸いです。

 ところでこのようなニュースを作り出すためには、まず、警察が逮捕等に動かないとだめですが、この問題はとっくに解決していると、国民の側では、考えておりませんか。それが、常識というものでしょう。だけど、単に私が発した正論を抑えるために、警察はもう一度動きました。なるほど、これこそ、最大の証明になりますね。警察はその生活を支えている税金を払っている国民を平等に守ることはなく、国際的軍産共同体に選ばれた、つまり、本当は国民を裏切っている存在をひいきし、守り、それらが発案して命令してくることに、簡単に従うということ

 それを明らかにしたのが、26日から報道され始めている、大相撲の野球賭博疑惑です。

 上に上げた三つの兆候という部分ののこりの二つの兆候についてはあとで、機会があったら、述べます。
    2011年1月27日から28日にかけて書く、    雨宮舜
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NHKの、会長交代に、思うこと。

2011-01-25 23:45:47 | Weblog
 朝チラッとパソコンを開けた後で、何もいじらず、そのまま、15時間ほど、閉じていました。昨日、(日付は22日となっているが)強烈なメッセージをあげたあとでは、『少し休みたいな』と感じる気持ちがあります。

 NHKを批判したいことは多いのですが、前報『人権蹂躙番組(空き家特集)うんぬん・・・・・<日付だけは古い22日付でアップしている>』の草稿を推敲中にテレビニュースが、デジタル化のお祭りを、報道しました。そのときに、真ん中に福地会長がいましたので、

 この人は『どの程度、・・・・ああいう悪辣な意図を隠した番組が、作られていることについて、内容や裏側を・・・・・知っているのだろうか?』と疑問を感じて、その顔を凝視していましたが、『ごめんなさいですが、』知性のない顔の人だなあと思いましたよ。この人には思想も、節操もないと感じます。

 『NHKが偏っていて、嫌だなあ』という人は多いのですが、福地会長の時代に、それこそ、5つ以上『これは許しがたい番組だ』と思うのがありました。

 戦後の歴史の中で、特段に悪い会長だったと思います。または、教唆されるがままに、番組を左右したとても、弱い会長だったとも、いえますね。
 これが、本当はどちらだったか、関心を持っていれば、また情報が入って来て、正解がわかるでしょう。
 『単なる名誉職だよ』という感覚を持っていたのでは勤まらない部署だと感じます。

 しかし、パソコンを閉じているあいだに、NHKの会長が交代していました。『え、
毎年、こういう時期に交代だったかなあ? 特に今日、25日(火曜日)に交代するのはなぜだ?』、と思います。もしかしたら、NHKが、あの空き家特集で、責任を追及されることとなったときに、『前任者がしたことですから』といって組織そのものは、責任を逃げるつもりかも知れません? ひどいです。

 ところで、ああいう決定的な、しかも、強いメッセージを放った後では、自分が無名であることを、どんなにほっとする思いで、私は、受け止めているでしょうか。

 疲労を回復するために、いつもとは、まったく違った行動をとりました。いわゆる主婦としてお買い物をやったのです。普段のものを鎌倉や、大船で買うのとは違って、横浜で買い物。そのときに、誰にも注目をされないことの優雅さ。楽しさ。

 美術の勉強のために、銀座に週に二回は行くので、松屋と三越を制覇・征服する方が、切符を二重に買わないですむので、楽なのですが、慣れている横浜の方が、欲しいものがどこにあるかを、すぐ探せますので、変更できません。また、雨に降られず、かつ寒くないという形で、買い物ができるという意味でも、横浜駅周辺が、日本一便利だと思っています。お店の数が近場で、円形に集合している度合いは、実際には、日本一ではないかと思ったりします。60年前は運河の上に材木が浮かんでいるだけの場所だったのです。で、何もない場所だったからこそ、効率的な商業施設の、設計ができたのでしょう。

 新宿や、渋谷、池袋も大繁華街で、若い人の人出は、ものすごいのですが、総売上という意味では、10年前だったら、横浜駅周辺の方が多かったのでは?
 と思いますが、今は中年族が買い物をしなくなったので、若い人の多い街(渋谷・新宿・原宿)の方が売れるかしら。または、貴金属店が多く、世界中の一流ブランドが集まっていて、高額商品が多く、有名レストランも多い銀座が、やはり、日本一の売り上げを誇っているのかなあ?

 ただ、横浜駅周辺は文化の享受という意味では、渋谷や新宿には劣ります。もちろん、歴史の長い銀座にも、圧倒的に、劣ります。
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 ともかくのこと、ゆったりと横浜高島屋の中などを歩いていると、普段とはまったく違った時間がすぎて、誰にも関係のない自分の、今の瞬間の自由さを、どんなにありがたいと思うことか、計り知れません。

 ということは、自分が発した大切なメッセージが、ほとんどの日本人の、目に留まっていないということを示していますが、それでも、いいのです。ある部分に通じればいいのです。今回、NHK会長が交代したのは、もしかすると、私の前報と関連があるかもしれません。そう思って、ある部分では、ありがたいと思っています。20%ぐらいの部分ではありがたいです。

 だけど、もし、100%を望むなら、福地会長が記者会見をして、『すみませんでした。悪辣な意図が隠されている番組を作って、放映を許してしまって』といってもらいたいところですが、ありえないでしょう。影に隠れている本当の悪人たち(つまり、発案者たち)が、それを許すはずもないです。福地会長を堰として、自分たちの身の安全を図りたいからでしょう。

 で、自分の誇りと存在意義を確信しながら、国画会・関連・文への継続部分へ入って行きたいのですが、本日は、ここで、いったん切らせてくださいませ。すでに午前一時ですから。その部分は後日の別稿とさせて下さいませ。

 なお、初めて私のブログへお入りになった方は、下をスクロールして頂いて、2回前からお読み頂ければ、なぜ、私がNHKに対して怒っているかがお解かりに成ります。

 または、左側のカレンダーの21日付と、22日付の記事を読んで頂ければ、すべてはご理解いただけるでしょう。もし無理でしたら、ともかく、昔の部分を読んでくださいと言うしかないのですが・・・・・
 では、2011年1月25日               雨宮舜 
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人権蹂躙・番組(空き家特集)を作る、NHKの五度目の罪、

2011-01-22 08:52:44 | Weblog
 さて、本日のものは、昨日アップした空き家特集(NHK)への批判の続きですが、もし、ここに初めてご訪問の方があるといけないので、どうか、下へスクロールして頂き昨日のものを先にお読み頂きたいです。

 昨日は、渡辺真利さんとか、RFさんに触れた所で終わっていますが、その続きではなくて、本質論を今日の文頭へ入れさせてくださいませ。

 私は今、相当な程度で、政治的な物を書き続けています。それは、国民の一人として、自らを守るために、はっきりと、裏側を書かないといけないと思うほど、日本国民はバカにされていて、その結果、リーマンブラザースの何とかとか、JALの破産とかで、ひとつの家庭で、二百万円ぐらいか、それ以上を強奪され続けています。それは、社会の上から10%の300万所帯程度だとしても、そこから、200万円ずつ財産が減れば、600兆に成ります。

 日本人が一生懸命働いて蓄積したお金が、あっという間に外国へ取られてしまって、若い人が結婚をためらうほど、日本人の生活が全般的に破壊されてきています。これでは、心配のきわみであって、私も書くことで頑張らないといけないと自覚を深めています。

 政治がめちゃくちゃなのは、文化人が支配されていて、その政治本体に奉仕しているからです。私は(特に自分が詳しい)美術畑で、何がどうなっているかを説明をさせていただいている途中です。
 で、少しずつ具体的なところへ入っていっています。今は、油絵か版画で、13年間も出品者として参加した・・・国画会を、まな板にのせているところです。
 特にその審査が面妖で信頼できないという点に論議を進めていました。特権を得られる会員というところへ階級をあげていくための部分が、特に信頼できないといいました。

 結論を先に言ってしまうと、日本を実質的な植民地にしている国際的軍産共同体は、金髪碧眼の自分たちが乗り込んできて直接支配をしたのでは、国民が目覚めて反発が起きると考えています。ですから日本人に日本人を支配させるのですが、その際、セレブとか、特権階級を作って、その連中に名誉や富を集中させ、その上で、彼らは、骨抜きにします。その次に、国民に、特権階級をうらやましがらせるように、マスコミを誘導して行きます。テレビで、金持ちのインテリアーを紹介するような番組が多いのもその一つです。

 そうする事によって御しやすいおばかさんなセレブと、希望を失って、ややメランコリックで、控えめな国民だけが残る事と成り、支配しやすくなるからです。

 かつ、重要な事は、そのセレブのサークルに、普通の人または、新参者はなかなか入れないように、してあることです。これは、本を出版しようとする時にもっとも顕著に現れます。ただ、東大を出ているか、早稲田を出るか、有名な教授の下でセミナーに入るか、それから、親戚にすでにマスコミセレブになった人がいるか、有名出版社かテレビ局へ入ると、チャンスがあるかもしれません。

 だけどね。こういう出世した人々は、その過程で、わきまえというものを身につけていきます。現代日本では、触れていけない部分がある事に気がつき、それには、触れないような安全な論客となって行きます。で、今の日本社会には、本音で、警鐘を鳴らす人間がいません。で、私はみずからは大損をしながらも、この現代日本を少しでも救うための、礎になろうとして、すべてを書いているわけです。渡辺真利さんがうんぬん・かんぬんという文章が、自分にとって、得にならない文章である事ぐらい、とっくに判っていますよ。だけど、これを書く事が大切なのです。悪の跳梁跋扈をを少しでも、ひきとめるために。
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 ところで、そういう大きな流れの中でも、この2011年1月22日(土)NHK総合チャンネルで放映された『空き家特集』ほど悪辣なモノを見たことは過去にありません。これは、最後に解説者(二代目、こどもニュースのお父さんであった)鎌田さんが登場したので、一見、社会派の番組のように思えます。 

 しかし、違うのです。まず、空き家を社会派番組として取り上げるのなら、一軒に取材を集中するのがおかしいです。また、空き家の多い地帯として、あの杉並区○草を取り上げるのもおかしいです。たとえば、我が家の近辺は総戸数21軒の小さな住宅地(鎌倉市雪ノ下二丁目)ですが、空家率33%ですから、ここを取り上げるべきです。21軒のうち、完全なる無住の空き家が三軒あります。一種の別荘として週末だけ一ヶ月に一度ぐらい使われているお宅が、三軒あります。若い人が一人で住んでいて、主婦がいないので、雰囲気としては、昼間は空き家に近いお宅が一軒あるので、総計七軒に人の雰囲気が、平日の昼間にはありません。
 その次にこの番組には、非常に悪辣な人権侵害があるということです。放送の倫理を問う委員会があるはずですが、そこに査問をしなければいけないほどの悪辣さが内包されています。

 それは、精神障害者とその家族を守ることへ抵触しているからです。途中で、病院に入院しているということがわかってきます。・・・・・ここですが、私はNHKの制作側は、事前に十分に知っていて、その作家(画家)を取材することが目的で、『空き家特集と言うのは、カモフラージュに過ぎないと思いますが、・・・・・その自分の意見を抑えて、あの番組の表側の進行どおりに、運んだとしても、・・・・・・その病院が精神病院であることは、ご近所様も、また、取材をされた、女性の画家(顔には、モザイクがかかっていたが、髪型や背格好で、それが誰であるか私にはわかった)も、北側順一郎氏(今は閉鎖されたギャラリーモテキのオーナー)も、みんなわかっているはずなのです。だから、それを誰かは言ったはずです。特にご近所は母君の遺体放置と、それをきっかけに入院となったということは知っていて、誰かは言ったはずなのです。

 当然のこと、そこで、NHKは、空き家特集が本当の目的だったら、取材先を変更しなくてはいけません。それなのに、息子さんまで取材している・・・・・私は精神病院という名を出していますが、主役(空き家の家主)を画家として尊敬しているので、ノイローゼ(深いレベルであっても)は、マイナスではないと考えていますが、お子さんを持ち出してはいけません。
 皆さんは、菅家さんの冤罪事件というのに同情をなさっておられるでしょう。彼に対して悪意ある番組が、過去にNHKで制作されたとは聞いておりません。それに、菅家さんにはお子さんがありません。比較してこちらの女流画家の被害は甚大です。しかも案を出したであろう、井上ひさしは、今晩(24日)ご褒美として、特集が組まれます。

 彼らはマスコミ(特にNHK)を自由自在に私的に利用できると嘯いているでしょうが それは、1億二千万人の監視下に置かれているのです。おごれるもの久しからずで、こんな番組を作ったのでは、必ず大いなる批判にさらされるはずです。私は今、怒り心頭です。この件では戦い続けます。ただし、何らかの運動を起こすわけではなくて、身を削って文章を書き続けるということです。

 昨日の文章の主題は、『この人を主役にして番組を制作したのは、私を脅かす事が目的で、特に今書いていることを、中断させるためだ』でした。この一週間以内に急遽制作をされたと感じます。タイトルはまったくのカモフラージュです。

 さらに悪辣な嘘があるのは、学芸員が登場した場面です。『家主の行方がわからなくて、美術界の奥の奥まで探ったら、やっと、わかった』という部分です。あの部分は、酒井忠康氏の紹介で出向いた先でしょう。
 ちょっと勉強をしている美術関係者だったら、そんなところまで行かなくても、この気の毒な家主の事は知っています。誰だって知っています。特に女性なら。
 彼女を知らないという人は、立派な話題の(最先端の)展覧会を見ていないという不勉強を、自ら告白しているようなものです。
 
 私が今、書いている国画会特集は、どこへいたるかというと、横須賀美術館の建設に忌まわしい経緯があるということへ帰着します。つまり、上に言ったように、一種の特権を確立した人間が、お手盛りで、税金を使えるということに帰着します。

 私は大上段に論理を振りかぶるのは嫌いな人間で、丁寧に事実を積み重ねて行って、それが、どんなに忌まわしい事であるかとの説得をするつもりでした。まだ、まだ、事実を積み重ねて行くつもりだったのです。
 そして、今日問題にしている家主こそ、そのクライマックスに持ってくるつもりのエピソードでした。昨日すでに言ってあります(下にスクロールして読んでください)が、彼女が決定的に壊れたのは、国展で、落選をさせられたからです。国画会の人たちは社交的で、特に年末年始は、銀座を席巻して展覧会が開かれほど、実力があります。だけど、その影で、ひどい罪を犯しています。『人一人をぶっ壊しておいて、何が芸術だ。何を威張っているのだ』と、私は思いますけれど・・・・・
 
 で、彼女のエピソードを書こうとしていたぎりぎりのところで先回りされて、放映をされてしまいました。敵(国際的軍産共同体に、奉仕している、日本の文化人)たちは、警察さえ味方にしています。で、私のパソコンは24時間連続でハッキングされていて、メモ書き程度の段階でもすべて把握しています。また、インターネットで誰かを検索すると、それも、すぐ、敵が察知して動きます。

 この手の調査を確信したできごとは、ワシオトシヒコ氏(これは、私が個人的に関係がある。個人的に電話も交わしている)の対応と、ビートたけし氏の動きです。これは別の機会に書きます。後者は、電話を交わしたり、面談をしたことはありませんが、ニュースを追うと、見事に私の非公開の調査と、連動しています。

 電話も盗聴されています。泥棒が盗みに入って、日付が大切だからとっておいた主人宛の手紙(これは、室内が盗聴されているので、夫婦間でも手紙で意思交換をしますが、それを、あとで、分析の道具としますので、とっておく必要があるのですが)も、すべて盗まれています。ただ、この最後の件は、幸いに神様がすばらしい記憶力を与えてくださったのと、必ずニュースが連動していますので、極端な変化の起きた時期は、きちんと後で確かめられます。

 それらを総合して、つねに、どこに攻撃ポイント(彼らが思うに弱点だとするところ)があるかを探られています。
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 今回の事は、『お前の事も、こういう風に悪い方向で番組を作って放映してやるぞ』という脅かしかもしれないし、そこまで行かなくても、私が非常に優しい性格ですから、『ああ、あの方の特集など組まれたのは、私の文章の行方を察知したからだ。書かないで置こうかな。これこそ、書く事との罪である』と、感じて、自ら筆を折る事になるだろうと、推定されて番組制作をされたのでしょう。

 こういう時は、書くべきです。それに、この特集の進行用シナリオを書いたのが、まだ生きている井上ひさしの可能性が大いにあります。それと、伊藤玄二郎、二人の共作である可能性もあります。

 それから、一般大衆的には無名であるが、私は、いよいよ、その名前をここに記さないといけないと思う、成岡庸司君(1960年代に早稲田の革○の委員長をしていた。一応行方不明という事になっているが、地下深く潜行して、国際軍産共同体のために、悪辣なことを企画している可能性は多い。小沢一郎よりも、井上ひさしよりも上の位置にいて、日本を支配する諜略用の案を、日夜練っている可能性はある。それは彼のような、「真のエリートとして上に立ちたい」と願っている人間にとって、最も面白い仕事だ。一億二千万を、頭脳だけで支配できるのだから)なども動いた可能性は大きいです。

 NHK側で動いた人間は、今のところ、特定ができませんが、今井さんだったかもしれません。今井さんが副会長になったのも、鎌倉地縁が重要だった可能性がありますので、

 その番組内で、取材に歩いた若い記者ですが、番組の芯の製作意図を知らされていないで、嬉々として動いていますが、もしかしたら、大相撲の壊滅作戦(表向きは野球賭博ということが大喧伝をされているが)のときに、相撲部屋の方へ、「家宅捜索が入りますよ」とメールで知らせて上と警察からしかられたといわれる、若手スポーツ番組の記者が、「お前の名誉回復用の番組だ。しっかりやれ」と命令されて作っていたのかもしれません。

 この直前の一節は、証拠は何もなくて、例の私固有の見てきたような嘘をいいの類ですが、結構当たっていたりして。あの取材記者が、社会派を自認して、取材していたかどうかは、大いに疑わしいです。もし、そうなら、主役が精神病院に入っている事を知った時点で、番組から降りるべきでしょう。または上司に「これは、放映すべきではない」と、抗議するべきです。

 しかし、彼は、抗議はできないし、しないでしょう。内部で、めちゃくちゃな道徳が横行していることは、すでに相撲の件で、明らかになっています。だって、個人的にメールで、知遇のある相撲部屋へ「用心しなさい」と連絡を入れるのなど、人間として当たり前の発想です。しかもそれが発覚をしたのは、彼が実際にメールを送った、7月ではなくて、ずっと、後、九月か、十月でしたよ。それも、私がこの一件がどれほどまやかしで忌まわしいものであるかを論じていて、それが、佳境に入るたびに、この手のニュースを作って私を脅かすというか、国民を洗脳して行くのです。それが伊藤玄二郎と井上ひさしの本質的な動きです。

 だから、NHKは、伏魔殿というか、魑魅魍魎の棲む世界と成り果てています。まあ、ハイビジョン特集などは、まだ、まだ救いようがありますが、それでも、ときどき、私にとっては、『あ、これは、諜略の意図が裏にあるな』と思う番組が放映されます。

 今日もあります。夜の10時からハイビジョン特集で、ボローニャを井上ひさしが訪ねます。これは、上に諄々と説いている、『空き家特集』のシナリオを書いたことへの報酬でしょう。表向きにNHKは、彼に脚本料を払うわけにはいきません。が、まだ生きていると思われる彼は、お金がほしいのです。で、収入が入ることの一つが、私の文章を研究して、私の弱点を探り、上奏することですが、その報酬は、裏からお金が出ていると、私は思っていました。無論、出ているはずですが、強欲な彼らマスコミ貴族は、お手盛りが好きですし、『公的な税金は、頭のよい(?)自分たちのものだ』と考えていますので、ここで、『ボローニャ特集、井上ひさし訪問』というのを作って、その放映料として高額な金額が井上家に渡るのでしょう。

 過去の番組の再放送だと信じますが。でも、あの人なら今番組を作る可能性すらあります。イタリアへは、アメリカ軍の飛行機や、アメリカの大金持ちの個人ジェット機を使えば軽がると一般大衆の目に触れないで、いくことができます。コーオーディネーターが委細を飲み込んで準備万端で、撮影すれば現地でも観光客の目に触れないで撮影できるでしょう。
 何しろ、彼には、国際的、軍産共同体が味方についているわけですし、死んだことになって、ほぼ、10ヶ月を過ぎているので、退屈しきっているともいえますから。

 まあね、古い番組であることを祈念いたしますが、画面の質とか、彼の相貌で、本当はいつ、取材をされて作られたのかはすぐわかるでしょう。で、皆様もそれをご覧になることをお勧めいたします。イタリアは、ガレリア・グラフィカのオーナーが栗田女史が、強い国ですし、『このお正月にハイビジョンがイタリア特集を組む』と聞いた時から、きな臭いと思っていましたが、
 ついに、そちら様の真打登場というわけです。未亡人(?)ゆりさんは、引続き贅沢な暮らしがしたいでしょうから、お金はいくらでも必要です。それに、ガレリアグラフィカ専属の版画家・山本容子さんも、何らかの形で登場するでしょう。それも予言をしておきます。彼らは本当にお手盛り好き集団ですから。

 さて、こういうお手盛り番組の最初の一歩が、伊藤玄二郎氏の下半身の秘密を守るために、踏み出されているということが問題なのです。彼が昔愛人であったから、特別の便宜を、与えた(=自らの会社の名・鎌倉春秋を与えたほか各種の便宜を供与した)・故・石川和子女史と、その夫の大失敗===を隠そうというところから出発をしていますので、許しがたい悪辣さといえます。

 私はもし、好意的に誰かが、WIKIPEDIAを立ち上げて下さったら、相当たくさんの項目があると思います。が、弾圧をされているので、一切が無名の存在であり、収入もありません。だけど、上のように得をしている人間たちだって、裏を除けば私生活上、天からの処罰を受けています。だから、おあいこです。で、敗北感や劣等感など・一ごう・もありません。

 そういう自分の業績を、一切、この世界では、書いていませんね。だから、皆さんにおかれましては、『井上ひさしの方がえらいのだ』とお考えになる向きがあっても当然だと思います。そして、『ともかく、NHKで放映される方が勝ちでしょう。ハイビジョンの月曜日の夜10時からであるという事は、地上波よりも視聴者が少ないが、それでも、NHKで、二時間もの番組が放映される方がずっと勝ちでしょう。あなたなんか、比較したら虫けらでしょうに』とおっしゃる事も十分に覚悟しております。

 だけど、皆様、天はご照覧あるのです。伊藤玄二郎と、井上ひさしほかに教唆されて、アメリカきささげを伐採になり、前田清子女史を、國學院大學の講師へ推薦された八幡宮様は、天から叱られました。公暁が源義朝を暗殺するために、その影で隠れていたという伝説があるあの大銀杏は、800年以上の樹齢があるのですが、今般、急に倒れたのです。去年の三月でした。

 私に大打撃を与えるはず(実際に与えた)のライヴでの個展が、4月5日から10日へと予定を変更されたころです。*1・・・その同じ時期にガレリアグラフィカで、有名人山本容子さんをぶつけて「お前の方がお客が少ないのだ」という比較をさせて、悲哀を味わわせてやろう、とか、*2、銀座での知人(画廊のオーナーを中心として)が、誰も訪れない事にしてやって、絶望をさせてやれ・・・・などと、計画をされていたころ、大銀杏は倒れたのです。

 そして、その個展の最中の4月9日に、井上ひさしは、自ら、自分を、死んだ事にしたのでした。私が、鎌倉春秋社を訪ね「どうか、個展に来てくださいね」といった事から『裏側がばれたか?』と恐れをなしてでしょう。もちろん、裏はばれていました。だから、ご招待を言いにわざわざ行ったのです。私はこういう際は、超がつくほど、洗練された暗喩を用いますから。

 井上ひさしは自殺したわけではありませんよ。彼は生きていると思います。地下潜行しただけです。彼によれば、『死者に鞭打つのは、鞭打つ方が汚く見えるはずだ』という信念があって、こういう風な選択をしたのでしょう。

 この点については、いまだ証拠がつかめないのですが、本日の夜の番組内での相貌や、番組の構成の仕方で、相当なものが判ってくるでしょう。皆様もぜひ、上の観点も含めて、その番組をご覧になる事をお勧めいたします。

 NHKが裏側で、伊藤玄二郎という一個人の下半身とそこから来た驚天動地の汚いことの数々を、秘密にするために、私的に使われている経過を、頭に入れ、それに井上ひさしが最も大きく援護射撃をしていることも考慮しながら。
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 あの空き家特集は、一週間ぐらいか、5日ぐらいで制作されたと考えます。杉並区○草のあのお宅近辺に行って、「いつ、NHKが取材に来たか」とか、「いつから町内会の夜警が始まったか」を調べれば、それは、判ります。だけど、私には、今は、それをしているエネルギーがないし、ここで、そう書けば、大急ぎで、『夜警は昔からやっていた』事と変更になるでしょうし、(町内会の人々は、口止めをされるはずです)、ご近所様も、改めてNHK職員が回るか電話訪問で「誰が問い合わせに来ても、いつ、取材に応じたか(この一週間以内のはずですが)を言わないように」と、頼まれるでしょう。

 この「空き家特集番組」をオンデマンドで、ぜひ皆様に、請求して頂きたいのですが、放映がたったの4日前でも、オンデマンド用になっていない可能性はあります。私自身はオンデマンド放送そのものが、申し込めません。パソコンの申し込み用のテンプレートに記入をするのですが、ある時点より先には進まないのです。それも変ですが、あの例の大型裏から手が回っているのでしょう。

 特にこれだけ、その汚い裏側の意図を明らかにすると、皆様がそれをご覧になればなるほど、それが彼らの悪の証拠となるので、大急ぎで「空き家特集」の方は、お蔵入りさせる可能性はあります。井上ひさしのボローニャ訪問の方を放送差し止めしたら、この文章が徹底的に正しいことと成りますから、まさか、そこまではやらないと思いますが、
もし、そこまでやったら、本当に脳みそが幼稚です。夜の10時が楽しみです。

 それから、今日の文章は、数ヶ月に一度書き得る『物事を、総括をしている』部分です。井上ひさしは生きているのだという部分だけは、「信じられない」とおっしゃる方が多いとは思いますが、いずれは、それも、証明できると信じています。それも数ヶ月以内のはず。つまり、死後一年以内には証明できるはずです。
 私が警察なら、こういう方法で嘘を見破られるという方策がいくつも浮かびますが、彼は警察を味方に付けていますので、何を提案しても無駄です。

 で、ともかく、相当に重要な事をこの一篇の中で、書いていますので、ご友人に紹介して頂きたいと感じます。

 また、あなたのご親戚に弁護士、または、精神科医、または、単純にお医者さんでもいいのですが、伝えていただけますとそれも幸いです。このNHKの空き家特集が完璧な人権侵害であると、言う事を、伝えてください。私は、ものを書くだけで精一杯で、運動を起こしている暇もエネルギーもないのですが、こんな事を許していたら、この日本はすべての人が苦しむ暗黒社会へと、なって行きます。

 今でも、些少以上に、そういう傾向はありますが、さらに恐ろしい弾圧が広がります。
 ともかく、少しずつでも、悪を正して行かなければ成りません。
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 これから先は、ちょっと小さい事と成りますが、私がものを判断する際のサポートとなりますので、秘密を明かしますと、判断材料として弾圧そのものを使うということです。22日の土曜日は、敵が意気軒昂だったのです。『何をはしゃいでいるのだろう?』というほど、たくさん嫌がらせがあって、不思議でしたが、夜の10時半過ぎにはっきりと、理解しました。

 その「空き家特集番組」で、私を壊滅的に破壊できると信じていた敵は、それの相乗効果を上げるべくいろいろと、昼間のうちに、工作を重ねたのです。

 まず、朝から四回ぐらい極端に大きな音を出して、救急車が出動しました。敵は私が音に弱いと考えていて、音による攻撃が頻繁に行われますが、それが、特にひどい時は彼らが「勝った勝った」とはしゃいでいる時なのです。そのはしゃぎようを見ていると、自分が真実を書いているか、どうかをも判断できます。つまり、敵が勝ちたいと願っているときは、その直前に書いている事が重要な真実です。だから、私を負かしたいと必死になるわけです。

 「空き家特集」を見たとたんに、昼間の大騒ぎをいれて、すべてが判りました。そこまでわかった途端に、疲労困憊していた身がしゃんとなって、一文(下にある)を書く事ができたのです。その中で「続きを書きます」とお約束をしてあります。
 今日の一文も、その続きの一つですが、昨日に続く渡辺真利さんと、RFさんという部分から先は、後日へ回させてくださいませ。

 では。2011年1月22日深夜から書き始め24日に完成                  雨宮舜
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空き家(NHK番組内)の主は、国展落選の、画家(女性)です

2011-01-21 00:05:18 | Weblog

 今、誤変換を大体直しました。この二〇一一年の一月から、一年七か月後、コメントをいただいたことをきっかけに、さらに誤変換を直しました。五つぐらい残っていましたので、直します。

 今は、22日の土曜日から、日曜日にかけての深夜です。昼間銀座へ行っていたので、疲れていて、今夜は新しい文章は書かないつもりでした。というのも今は他者を批判しています。こういう文章は気をつけて書かないといけませんね。丁寧にしっかりと、かつ正確に。そのためには体力気力が充実していることが大切です。

 ところが、NHKに追い立てられました。皆様はご覧に成りましたか? 空き家に困るという特集番組を。土曜日って特集を出す日だったっけ? これは後で調べればわかりますが、その番組はまさしく私を狙ったものでした。

 どういう風に狙っているかというと、画面に登場した男性・北側順一郎さん(ギャラリーモテキという有名な画廊のオーナーである。ただ、画廊は今はやめている)という作家が第一の罠だったからです。北川さんも、近々、(今から五回か六回後に)登場をさせるはずでした。

 で、一種の威嚇として、『そのこと(?)を書くな』ということなのかもしれません。その次に、空き家の問題ですが、特に一軒に集中して取材をしてあります。これが、自然じゃあありません。その上、その持ち主、70歳(?)の女性は、まさしく、近々も近々、本名で書こうと思っていた女流・画家でした。

 で、先を越されたということもあるし、何らかの『書くことへの、差し止めなのかな?』とも感じます。で、どう対応するかですが、臨機応変で順番をかえて、今日それを先に書きます。本当は、次々報ぐらいで書く予定だった、女流画家「K藤、N子」さんについて、今日、前倒しで書きます。それは徐々に高めていってクライマックスに置くエピソードのはずでしたが・・・・・

 私ね。この方を非常に同情的に捕らえていて、この15年間ぐらい関心を捨てたことはありません。草間弥生のことも、最近のブレイクの前から一生懸命閉鎖されたメルマガの中で書いてきましたが、あちらさまは今は、日本でも最上級の有名人となり、日本でも北の丸の美術館で個展が開かれたり、この前、ギャラリー福山さんから、母が死んだ途端に、(きっと誰かからの教唆でしょうが)「草間の作品を、350万円で買わない」といわれたほど、高くなっているので、私は、すでに関心を失っています。

 しかし、K藤N子さんの方は、まだ引き続いて強い関心を持っています。・・・・草間弥生と、1980年代に、上野の都美館で、五人展を一緒にやったほどの画家なのに、・・・・ひどく、不運というか、不遇でね、廃人になったとさえいわれています。そのことは、前から知っていました。NHKの番組内でも入院とは言っていましたね。

 それが、精神病院をさすのです。が、偶然の結果、そこへ到達したのか、それとも予定調和というか、K藤N子さんを最初から主役にすえる目的で、この番組をつくって、こちらに何かを悟らせて、脅かすつもりか、どちらであろうかと考えると、最後に町内の夜警が出てきたので、後者だろうと感じます。夜警については皆様にすでに繰り返し述べています。で、どうするかですが、『あ、そう。脅かされませんわ。気がつかない振りをいたします。で、彼女について書く内容は、前々の計画通り』と企画した人々には言っておきましょう。

 これも、伊藤玄二郎、井上ひさし、酒井忠康氏等が、私の過去の電話、メール、パソコン内メモを検討すれば、今から彼女に触れることは容易に想像ができるはずだからです。

 伊藤玄二郎氏は、村松友視と連絡のある人です。鎌倉春秋というタウン誌に村松さんが連載をしたので、メールとか、電話ができる間柄でしょう。その村松氏は、赤瀬川原平さんを強力にサポートした編集者です。その、赤瀬川原平さんは、ライカ(カメラ)好きの縁で、秋山裕徳太子氏と、友人です。秋山裕徳太子氏と北側氏は友人です。で、この番組も鎌倉発原案と考えられます。
 伊藤玄二郎氏は、NHKをどうにでも動かせます。今日のこの番組もそうですが、過去にもあり、その例を将来書くつもりです。で、彼とNHKとの間を取り持つのは、NHK副会長の今井さんだったりして????? これも湘南という地縁です。今井さんが、鎌倉の飲み屋に通じる路地に消えて行ったことがありますが、鎌倉名士同士で、伊藤玄二郎氏や酒井忠康氏と親しい間柄であることは、十分に可能性のある話です。

 『それって、こじつけに過ぎない?』とおっしゃる向きも多いと思いますが、ともかく、この番組の忌まわしい製作意図を先においてから、本文を進めさせてくださいませ。

 彼らが書くなという件ですが、唯一可能性のある脅かしとしては、私はこの女流画家を本名で、一度書いています。だから、ここで、K藤N子さんと書いても、精神病院に入っている当の、女流画家の本名をさらしたということで責められる点でしょう。昔の文章とつき合わせればそうなります。

 だけど、私は思うのです、『精神病院に入ったということで、その画業や、作品が抹殺されるのは気の毒である。一面では優秀な画家だったのだから、名前は残るべきだ。ゴッホだって、ほかの有名な画家だって、その種の病気はマイナスではない。繊細すぎたとか、神経が高ぶりすぎたということで、許されるはずだ』と。で、書くなと脅されていても、書きましょう。
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 最大のポイントは、『彼女が、精神病院に入らざるを得ないほど壊れたのは、国展に落選したのがきっかけだった』というところにあります。

 今書いている連載の主題は、『国画会内部の審査が、いい加減だ』ということですが、それを、自分を例証として書き進めても・・・ごまめの歯軋り・・・ととられるでしょうから、説得力がないと考えました。で、ほかの人の気の毒さを、例として挙げたいと考えたわけです。その例の一つがK藤N子さんでした。

 私の観察を画業面から、逐一述べます。K藤N子さんの実物像については知りません。いろいろ悪口を言われているみたいです。が、それはそれとして、私の論考は以下のとおりです。

 私は1990年に女流展というのに入選しました。その前に、ハマ展とか、神奈川女流展というのに出品をしていて、そこでは会員までは、出世できていないわけですが、なんとなく、自らの才能を信じるところがあって、東京に引きがなくても(勝手に)進出したわけです。これに、K藤N子さんが注目をしてくれたと仮定をしましょう。経歴書なども添付すると思いますので、美大出身ではないということは彼女のように委員(=役員)ならわかるはずです。彼女は役員でした。
 K藤N子さんも美大ではなくて、薬学部出身だそうです。そこは作品を見るとわかります。コンセプト重視です。で、高名な美術評論家の三木多門氏の推薦的好意をうけました。そこが、彼女が少し、おかしくなるきっかけのひとつだったらしいのです。

 三木多門さんに惚れちゃったのかなあ? それをまた、隠さないので、三木さんの方が重荷に感じて、病気になっちゃったそうです。循環器系らしい。で、ご家族などが、K藤N子さんを排除するでしょう。もし、奥様がいらっしゃったり、お子様がいらっしゃったりすれば、『病院に見舞いに来ないでほしい』とか、当然のこととして、おっしゃるでしょう。それが大きかったと推察します。

 私はK藤N子さんとは、個人的な付き合いが一切ないので、すべてずっと後で知った事ですが、想像で時系列を正確に並べると、三木さんが病気になってしまう前にK藤N子さんが離婚をした可能性はあります。この離婚をここで、さらすのは覗き見主義で言うのではなくて、経済的な問題が後で大きく、関連してくるからです。

 画家でなくても、女性が一人で生きていくのは大変ですが、画家であったら、さらにお金がかかるので、一人で生きていくのは大変です。彼女が離婚に踏み切ったのは、薬剤師としての収入があったからでしょう。そこに依拠したわけでしょう。昔はルーズで資格を貸すだけで、月に15万円程度の収入が入ったのではないかなあ?

 そこへ、父君(銀行マンだったとテレビ画面は言った)の遺族年金が入るわけです。その両方で生活できます。が、燃え上がって離婚をした当座はよくても、サラリーマンの夫がいなくなると、税金とか、そのほかのお金がかかるので、やがて立ち行かなくなるものです。私は一人暮らしをはじめたときに、2400万円を持っていたのですが、これで、一生は送れないと判断しましたね。特に痛い病気になったり、キャベツが腐ったときに、孤独死の実態を知ったりして、かぶとを脱いだわけです。

 『はい、私は、家庭の主婦に戻りましょう』と思ったわけです。その際に、主婦だったときにどれほど、家族の役に立っていたかは重要です。画家だから精神的には『お母さんは、いつも夢見る夢子さんだ』と言う意味で、家族に不満を与えていたとは思いますが、家事育児は相当にちゃんとやっていたと思います。それに精神的な意味では家庭の要だったらしいのです。娘が『お母さんがいないと、お父さんもおにいちゃんも駄目になっちゃうから、帰ってきて』といいましたから。私は口で言っているのとは違って、いわゆるニッポンのおかあさん、の典型なのです。

 だから、学友たちから「え、まだ離婚をしていなかったの?」と笑われたりしても『へ、へ、へ』という感じでシレッとして家庭に戻っています。『まあ、主人が偉いのかもしれないけれど、夫婦って、必ず、似たもの同士というか、それなりに分担しているもので、どちらかが輸出超過だったら、そちらが、逃げ出すものだ』と思います。ともかくあっさり言って、私は他人が想像するよりはずっと、そばにいて楽な人間です。安心するタイプなのです。私がいた方が、場が明るくなるタイプなのです。だから、「戻ってきてほしい。お母さんが家にいてほしい」と言われるタイプなのです。

 K藤N子さんが、その後、経済的な苦境に陥る模様ですが(それは、母君のお葬式を出せなかったというところに現れます)、それは、経済的なものが大きかったでしょう。お葬式ってたとえ家族葬でも、納骨式とすべての食べごとも入れれば、200万円を越します。エリートサラリーマンだったはずのご主人がいなくなって数年後だと、利用できる貯金も200万円はなかった可能性もあるし、一人だと誰に相談していいかもわからないし、体力の不足もあったら大変で、結果として遺体を、放っておいたのだと私は感じています。お葬式って残されたこどもたちの方に力がないとできないものなのです。

 彼女は恋愛が理由で、離婚をしたために、夫はおろか、子供たちにも、手伝ってもらえなかったのでしょう。

 K藤さんが、三木さんに惚れたり、離婚をしたりしたのは、50代だったでしょう。三木さんの家族に拒否されて、三木さんに会えなくなったことは、相当に彼女を壊した模様です。が、ちゃんと、作品を女流展に出しておられたし、なんと私が入選した後の1993年か4年ごろ、国展にも彼女の作品を発見しました。

 しかし、次の年度には、彼女の作品はありませんでした。

 すわち彼女は落選したわけです。

 だけど、私は国画会の会員ではないので、審査会場にいません。だから、この時点では想像だけです。落選とは、すごいことなのです。特にこの方みたいに、過去の履歴が立派(草間と一緒に五人展・・・・・会場が広いので、作品数が多い・・・・・を開くなどのケースはご立派なものです)だと、余計にショックなはずです。

 この時から、彼女は壊れたと私は感じるし、丁寧に探偵みたいに調べたら、それはあたりでしょう。ところで、私はNHK番組に対して、「あなた方はひどい人間だ」とはっきり言いますが、こんな弱い人を社会問題みたいに偽装して、表に出したのは非常にずるいです。土曜日の午後、鎌倉駅前の広場で、NHK批判をしている若者たちがいて、雪印への誤報を報道して雪印がつぶれ、ノリ
ーズという韓国の会社にのっとられたと言っていましたが、非常に悪辣です。これは大規模な悪辣さですが、今度の一見社会問題めいた、番組はいっそう悪辣です。

 で、NHKの番組まで使って私の言論封殺をしようとしている酒井忠康氏や、伊藤玄二郎氏に向かって、はっきりといいますが、指原いく子さんみたいに、山寺重子さんとそっくりな絵を描いて、あっという間に同年代の中では先に、会員になる人もいれば、この不運な女流画家のように人間として抹殺をされてしまうほどの、物なのです。審査って。

 恐ろしいというか、なんと言うか、人間の職分を超えた傲慢だと感じますね。特にお金や、感情の行方でそれが左右されるのなら。(後でそれも例証します)そして、日本ほど、この団体展という仕組みが発達をしている国は、ほかにないのです。だから、日本とは、アーチストにとっては住みにくい国であるとは、この一件だけでも言えることです。
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 ところで、ここで時制をさらに過去へ戻します。それは上のような事実をどうして私が知ったかの筋道を説明するためです。

 私はK藤N子さんの落選を、当該時に、確信しましたが、直後は誰にも問い合わせることができませんでした。もしK藤さんの耳に入ったら、『なぜ、無関係なものが、私の恥をほじくるの?』ということになって、これまた大問題になるからです。が、5,6年後、K藤さんの姿が見えなくなってから、渡辺真利さんと藤岡れい子さんという国画会会員に問い合わせて、想像通り、彼女が落選をした事を知りました。

 私がどうして、それまで関心を持ったかというと、一種の責任を感じたからです。私の姿勢を見習って、K藤さんは国展に応募をされたのでしょう。それは、なぜかというと、私の生きる姿勢は外部から見ると、輝かしいばかりにまっとうだったからです。で、まねをされたのです。
 私のほうの実情をいえば、すでに内心では疑問が一杯で、逃げ出したいと思っているわけですが、それはできないわけですから、外へ向かっては愚痴も言いません。で、私はただただ、元気で生きている人に見えるわけです。

 それと、誰の引きもないのに、女流展にも入選したし、すぐ、引き続いて国展にも入選したというのは、審査がまっとうであるということを外部に知らしめました。

 そうですね。『入選をさせるか否かという審査ではまっとうだ』と思います。審査が変だというのは、それ以降です。会員へと出世できるかどうか、またその速度については、正義が通るかどうかは、非常に怪しいこととなっていきます。

 で、K藤さんの場合は、正の方向だけを見て、出品をされて、一年目は入選したので、「これでいい」という判断がついて、二年目も応募したのですが、それは落選しました。
 同じ傾向のものを、開会日が直後の女流展にお出しになるので、それが、国展で落選したわけも、私にはわかりました。

 それは、週刊誌の頁をパネル(木の台)に縦横に貼り付けて行った作品で、系統としてはコンセプチュアルアートというものです。しかし、材料費がかかっていません。それに、手数もかかっていません。国画会は最大派閥が芸大出身者でしめられていて、後の3分の2ぐらいも美大出身者です。特に地方の国立大学を出た人が多いです。

 で、技量が高くないと、駄目なのです。コンセプチュアルアートというのは技量は問題ではなくて、思考とか、思想が問題なのですが、それは、鑑賞側(または審査側)に理解力を求める手法で、国画会の審査員の中には、それを理解する人がいなかったということです。

 だけど、結果の恐ろしさ(彼女が廃人になったのは、これがきっかけであるのは確かです)を考えたり、国画会の審査のほかの人への甘さも考えたり、それから、閉鎖性のきわみであることを考えたりすると、ここで、この方を落としたのは、国画会の罪であり恥だと私は思うのですが、国画会内部の人は、誰も反省をしないはずです。

 つまり国画会で偉い人はほかの展覧会を無視していて見ないのです。せいぜい、野球チームが定期的いn対戦するほど仲良しである独立ぐらいしか見ないのです。だから、現在の主流のひとつである、コンセプチュアルアートに対しても理解がないし、K藤さんという大画家の過去にもまったく理解がないのです。

 ここは本当なら、女流展のことをよく知っている山寺重子さんが「落とすべきではない」といって、とりなさないといけないのですが、彼女は自分より上か同等の人を支援するはずがないのです。将来部下として自分があごで使える人材しか支援しませんから。
 
 私は、私を見習ってK藤さんが応募したと、考えることから、一種の罪悪感を感じて、K藤さんを追っかけることと成ります。意識を彼女に集中することと成ります。それで、まず、『なぜ、彼女が国展に応募したいと思ったか』を考え始めます。

 きっとすさまじい閉塞感を感じていたのでしょう。そこが希望の窓口だと思っていた、三木多門氏との関係が、ついえてしまったわけです。彼女が自分からそれを吹聴したのか、しなかったのかは知りませんが、三木多門氏の推薦で大規模な五人展を上野でしたのは、誰もが知っていることだから、その時は、相当に嫉妬されたと思います。だけど、誰もプライドがあるから表面にはそれを出しません。でも、三木さんが病気になって、ご家族からだと思うけれど、彼女が出入り禁止になって、そこで、それを悲しんで、半病人になったときに、一気に、いじめが始まったと考えるとわかりやすいです。どういういじめかは知りませんが、彼女にとっては「つらいなあ」という状況が、女流展の中に出来したから、逃避の道として国展を、視野に入れたと仮定します。一年目はうまくいきました。が、二年目が駄目だったので、余計つらかったのではないかなあ。

 もともとの閉閉塞感がさらに強まって、不安も増し、彼女にとっての決定的な絶望を招いたのでしょう。ここで、こう書いても国画会の人は読まないでしょうし、何の影響力もないでしょうが、でも、それだからこそ、はっきりと書いておきます。

 で、その落選の後で、彼女は壊れたのですが、入院をしなかったとおもわれます。そして、母の死を迎えます。それが大騒ぎと成りました。葬儀を行わないでいるうちに腐敗臭を発する遺体が発見されたのです。ご近所がくさいといった模様です。今は、多いのですが、当時は奇想天外なことで、新聞沙汰になったそうです。が、私も知らないし、ほかにも知らない人は一杯いるでしょう。私が知らなかったのは、まず、当時は新聞を読まなかったということがあります。勉強に集中していたから、新聞を読む暇がなかったのです。そして、それをいいことだと思っていたし、テレビも見ませんでした。

 また、社交的なことを一切しておりません。特に美術界において。それは堕落につながると判断をしているからです。山寺さんとか、これから、詳述する予定の、サイトウ良さんなどは社交術という意味では優れています。島田章三さんもそうですね。作詞家の安井かずみさんとかと親しいそうです。だけど、私は尊敬していません。

 で、同時進行的にはまったく、この事実を、知らなくて、彼女の行方不明以降、自分なりの調査を始めて、やっと知りびっくりしたのです。

 最初に耳に入れてくれたのが渡辺真利さんです。それで、ここで、少し渡辺真利さんについて述べないといけません。

 渡辺さんはアラブを舞台とした具象+心象の風景画を描く画家です。私は国画会について何かを知りたいときには、この人に電話をすることにしていました。

 ここで挿入ですが、何かを知りたいときにどうして、渡辺さんを選んだかというと、正直な方だと知っていたからです。それは、意外な事、しかも私にとっては嫌な事実から、わかったことでした。国画会では、人数が多いので初日にとても豪華なパーティを開きます。数百人もいて、しかも立食なので落ち着かないので必ず二次会があります。その二次会でのことです。

 渡辺さんから『なぜビールを注がないの?』といわれてびっくり仰天したからです。『え、嫌だなあ』と思いました。というのもこちらが威張っていて、失礼なことをしていると受け取られたからです。ぜんぜん違います。

 私は父も夫もお酒を飲まないので酒席のマナーを知らなかっただけです。勤務先も東大で、飲み会なんてないところでした。だから、『女は、こういう時にはお酌をするものだ』ということさえ知らなかったのです。その上、私は『ここでは何の歌を歌ったら受けるのかなあ』と考えながら、頭の中で選曲をしていたので、一種の白昼夢に浸っていただけで、失礼なことをしたり、人を無視するつもりは一切なかったのですから、嫌だなあ、この人ってと、最初はおもいました。

 だけど、正直な人だということはしっかりわかって、何かを質問するときは渡辺真利さんと、決めていったのでした。嘘を教えない人だと信じています。ただ、あるときに、『僕は君の恋人ではないのだから、電話をくれるのが困る』というようなことを言われて、それにも、びっくり仰天をしました。戦前生まれの男の人にしてはとても背が高くて顔もイケメンだからPTAのお母さん方にもてたのかしら。渡辺さんは先生です。ただ、私は恋愛をしたくて電話をかけているわけではないのです。本当に困惑するいやなことが国画会内部でいろいろあったので、どうして、そういうことになるのかの理由を知りたくて、一種の調査をしたいから電話をかけているわけです。で、恋愛を仕掛けていると誤解をされたので、一応、『ひどくしょっている人だ』とは、思いました。

 でもきっとそれほど、プレイボーイではないはずですよ。奥さんがすぐ、私(女性)からの電話を、だんなに取り次いで下さる家は、だんながまじめな家です。奥さんがぐずぐず、電話を取り次いでくれない家もあるので、それは、奥さんが庁が付くほど嫉妬深いか、または、旦那がいろいろ、色事関係を起こした家でしょう。国画会内部で、これはと思う会員に電話をしても、奥さんが、電話を取り次がないケースが色々あって、『そんな、不思議な内情に気が付くケースがあったのです。世の奥さまお気を付けあそばせ、常に、ルールにのっとって、電話は取り次いだ方がいいですよ。でないと、あらぬ誤解を招きます。渡辺さんはイケメンですが、まじめな人でしょう。

 ただ、そういわれて、初めて、自分が、たいそうなレベルで、世間知らずであるのは、わかりました。苦労知らずでもあったでしょう。男の人に用事で電話をかけるときに、相手がどう取るかとかを、一切顧慮したことがなかったのです。だけど、やっぱりびっくりして傷ついたので、それ以降は成るべく、かけないようにしていたのですが、このK藤N子さんの落選の件は絶対に知りたくて、かけました。そのときに、渡辺真利さんなら、K藤さんに相当に同情してあげるだろうと事前には思っていたのです。それは、ビールとともに、花を生けるエピソードを聞いていたからです。

 「あんた、女性はそんなことを考えるより、花でも生けた方がいいんだよ。窓辺に小さな花を生けてご覧。平和になるよ」と彼は言います。私そんなことは常日頃、やっています。だからお母さん帰ってきてねといわれる人なのです。すごく可愛い人なのです。それは、旧友なら知っている。だけど、もちろん反論をしませんでしたよ。すでに誤解をして怒っている人を相手にしても説得はできないですから。

 ただそういう過去から考えると、国画会の体制に反して、個人としては、K藤さんを気の毒に思うはずだと予測して質問をしたのです。

 まったく正反対でした。K藤N子さんを責め立てまくりました。そのときに始めていたい放置の件を知ったのです。時制が逆転をしていますが、そういうわけで、事件から5,6年後に初めてそれを知りました。ただ、そのときに、弱い人へそれほどの悪意あることばを投げつける人がいることがせつなくて、お口直しに、もっと善良な人だって国画会にはいるはずだと思って、RFさんにも電話をかけました。

 この項つづく。2011年、22日から書き始め、23日に書き終わる。ブログの日付は21日にしておく。次の文章の日付を変えるためです。  雨宮舜

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今関一馬(+その思い出)、VS 山寺重子・・・・・国画会批判ー2

2011-01-20 22:30:37 | Weblog
 引続き、国画会のエピソードを書きます。18日には、今関一馬さん関して、思い出が浮かびました。ので、島田批判という主要な流れから一瞬離れますが、お許しを。

 ところで、この文章の誤変換を直すに当たって、島田鮎子さんおよび、有元利夫夫人の部分を抜かし、山寺重子さんについて、付け加えました。で、ちょっと内容が変わってきています。

 今関一馬先生は、具象絵画、特にヨーロッパとか、日本の北海道の風景を描く絵で有名です。父君は、画家で春陽会の創設委員だとか。お定まりの父への反発からか東大へ入学されました。が、学者、官僚、会社員のいずれも向かないとお考えになったみたいで、東大は中退して、画家になられたのです。そして、関係する団体としては、春陽会では、親の七光りとごかいされかねない事でしょうが、国画会へお入りになったと感じます。

 そして、日動画廊などで、よく個展をされて、国画会でも一種のスターだったと思いますよ。ところが、だんだん、島田先生の影響力が強くなり、今から25年ぐらい前から、『これは、変だ。このままではいけない』とお考えになって、神奈川支部展を開こうとされたと推察します。

 今関先生と、島田先生は、あらゆる意味で対照的ですが、一種のライバル関係にあったと考えると、いろいろ頷けることが多くなります。まず、奥様の違い。今関先生の方は奥さまが一種のマネージャー役で、夫を一生懸命支える糟糠の妻という感じかな。しいて欠点を言えば、ちょっと、夫の知り合いの女性画家については、神経質という感じです。ともかく、お姉さんか、母として夫をかばうとか支えるという感じ、ごく日本的な形の奥様。

 一方島田章三先生の奥様、鮎子さんは、まるで違います。
 ここから先、島田鮎子さんを分析しました。が、この文章が一万字制限に引っかかりましたので、そこは、別の章へ移動をさせます。論理として使いたいことは何度もありますので、将来再度使います。

 さて、二人の奥様を比較しました。私から見れば、島田先生は納得をしがたい側面が一杯あるのですが、奥様の鮎子さんが不幸せみたいだと感じるのもその原因のひとつです。

 今関先生の方により高所対処から見る姿勢があると感じています。が、今関先生の方が、ひそかなライバル心を燃やしていらっしゃったと仮定すれば、鵠展(国画会神奈川支部展)にまつわるごたごたというか、何か嫌な感じは、相当な挫折感を今関先生に与えたのではないかと今では思えてきます。国画会の支部展なのに、「国の字を使ってはいけませんよ」と本部から言われたというのは、本当に屈辱的なことだったでしょう。発音からのあて字だったわけですが。

 出展者についても、なぜ、山寺重子さん、とその配下たちがいないかも問題です。
 これが、自発的になのか、他動的にそうなったのかは、わかりませんが、それも、今関先生の苦い思いにつながったのではないかしら? 先生は、結局北海道へアトリエを作る事と成ります。
 その時期がいつだったかはわからないし、お金が有り余ったから作られただけかもしれないけれど、東京の(心理的な)喧噪を避けるという思いもあったのではないかしら。

 その1991年時には、私は、裏側を知らないので、打ち上げでは、はしゃぎまくりました。みんなを信頼しきっていたからです。関内の市民ギャラリーの裏手に中華料理屋があって、その二階の座敷を使ったのですが、
 二つ円卓が用意されて、ひとつは偉い先生方が座り、もうひとつに若手が陣取りました。その若手のテーブルを、一時間以上爆笑させ続けたのが私です。

 いつも、まじめな事を書いているから、「まさか」と皆さんはおっしゃるでしょう。その時も、まじめな話をしているのです。別にジョークを連発したわけでもありません。

 だけど、そのまじめな事が、みんなを大笑いさせたのです。「美術界って、ここがおかしい。あそこがおかしい」と、指摘するたびに、円卓中が、腹を抱えて笑うのです。そのころの私はまだ、横浜だけで活躍していて、上野には、二年しかかかわっていなかったので、公募団体展の世界が、改革なんかできないという事を、知らなかったのです。それに何事に付けても、まだ、事を諦めない時代だったので、純真すぎちゃって、それがみんなにはおかしかったのでした。

 前向き、前向きでした。まだ、40代で体力もありましし、現在のように過酷な弾圧も経験していなかったので、小さいころからの、日本人離れした(と、他人様からよく言われていた)・・・・・『たたけよ。さらば開かれん』という精神にあふれていたのです。
だけど、聞いている人たちは、美大を出ている人が多くて、私よりももっと、美術界の事をよく知っていて、世慣れていたのです。『嫌だわ。あの人、あんな事を言っていて、そんな事できっこないのにね』と、思うから、笑い転げたのでした。

 今関先生が、その後、若手の方を、すべてを立派なフレンチコースに招待をなさったのです。主役を私が、意図せざる経緯で奪っちゃいましたので、「主役は僕だよ」とおっしゃりたかったのでしょう。藤田先生などの、今関先生と、同等な人は誰も招かれていなくて、若手だけが招かれていたので、そう感じました。

 奥様がいらっしゃっていて、非常に堅苦しい会になっていたので、奥様への疑問は少し感じました。テーブルには立派な白いクロスがかかっていましたが、セッティングが最後の晩餐みたいな長い形であり、端から端まで、声が通るか通らないかという状況になり、しかも雑談なしで、先生のご意見だけを拝聴するという形式。
 『こりゃあ駄目だな』と思いました。多分あの形式は奥様が選んだのでしょう。上等なテーブルクロスは目立ったけれど、画家の実情を、知らない形式でした。ご主人を威張らせるためだけの会でしたから。

 私はすでに、そのときに、PTAの会長(しかし、幼稚園ですが)をやって苦労をした後だったので、『ああ、今関先生も奥様も、人身掌握術を知らないなあ。こんな硬い進行では、誰も、先生とは本音で心を通わせることができなくて、お金の無駄遣いに終わるのに』と思いました。だって、20人分ぐらいのフルコースを先生は、ひとりでおごられたのですよ。大変です。

 がね。さらに、驚くことにそのときの若手はほとんどが、私より早く、国画会を見限ってどこかへ去って行ってしまいました。みんな賢い。それなりに優秀そうでしたが残らなかったのです。特に、私より、3~5歳若い、きれいで活発な女性がいて、最新型のしかも有名デザイナーの服を着ていて、私が舌を巻いていたのですがその人など、あっという間にやめてしまいました。だから、あの立派なフレンチのコースが効果がなかったのは、そのご馳走になっていた日に直感した通りだったのです。
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 でもね、私としては、それなりに恩返しを、した機会が二度ほどあるのですよ。一回は電話です。たまたま、北海道の今関先生のアトリエに電話をかけたら、先生が『僕、今、暇だから話しましょうよ』とおっしゃって、一時間半ほど話をしました。逗子からですから、相当に電話代がかかりましたが、我慢をしました。
 それに、先生側が、情報取得されるために、一種の利用をされているとはわかっていましたが、でも、先生の発想やら、思想は立派なものだと思っていましたから、応じて質問されるだけはお答えしました。で、先生のほうもいろいろ教えてくださいましたよ。だけど、それを聞いても私には救いはなかったです。で、やめようという決意は変わりはありませんでした。

 でも、あと、もうひとつ恩返しに役立ったことがあります。それは銀座の井上画廊を出た後のことでした。これは、松屋の対岸で、夕方六時ごろは人で一杯です。誰かと今関先生の肩がぶつかって、先生が「君、失礼だぞ、謝れ」とおっしゃったのです。「男子(おのこ)ここにあり」というわけです。その日先生はイギリスで買っていらっしゃったと一目でわかる、ツイードのフロックコートにシャーロックホームズみたいなそろいの帽子をかぶり、ひときわ目立つおしゃれで決めていらっしゃったから、強気にもなっていらっしゃったのです。
 が、相手が思いがけない反応を示しました。銀座を歩いている若者とも思えない反応でした。サラリーマンであるのは確かなのに、振り返って、「やるか」とすごんだのです。

 めがねをかけているのですが、五分刈りだし、背も高くて体格も大きいから、今関先生も私も、ドキッとしました。銀座で殴りあいでもしたら、今関先生の恥です。新聞ざたになったら、目も当てられないです。
 ただ、私が以前に比べれば、大人になっていて、練れに練れてきています。言葉を使うことが上手になってきています。それは、何度も言うようですが、ニューヨークで勝気な日本人女性と1999年にもぶつかり、2000年にもぶつかり、喧嘩して勝ったことが大きいです。

 でね、すごんできた若造に向かって、「こちらの方は、とても有名な画家でいらっしゃるのよ。だから、あなたの方が若いから、ここは我慢して、引いてくださいね」と頼んだら、すっと、納得して向こうへいってくれました。

 先生は確かに感謝してくださって、裏通りの喫茶店へお茶に誘ってくださいましたよ。多分国画会の何かのパーティがある日でした。私は行かなかったという記憶があります。
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 さて、だらだらと描いてきたこの文章の目的は将来書く予定の、島田章三批判の伏線なのですが、デモ、まだ今日でも、さらに書くべきことがあります。それは、今関先生が、マティスの模倣をなさった年度があるのです。あれだけは、どういう意味を持つのかを、質問をしたいと思っていました。が、聞きそびれたうちに、先生がなくなってしまいました。

 マティスの踊る女のそれこそ、80%程度の模写です。模倣です。普段の年は、先生は、必ず風景だったので、これは、抗議の意味を込めてなさったことだったのではないかと思っていますが、質問をしそびれています。つまり、審査が不明朗だということと、模倣をしている画家がいるということへの、警告だったのではないかと思っています。または、一種の自殺行為(国画会を辞めるための行動)としての、模倣だったのかもしれません。未だに謎です。

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 後、もうひとつ、先生のご友人の失敗なので、表現することが難しいのですが、予期せぬ流れになったことがあり、『それで、お葬式のお知らせがなかったかも』と言うエピソードがあるので、記します。

 先生が故郷の茂原市で、大個展をなさり、パーティもなさるときに、ご招待を受けました。それで、張り切って余興を用意したのです。出席者の年齢が高そうなので、『琵琶湖周航歌』の歌詞を三番まで覚えていきました。これは私にとっては嫌なやりたくない選曲です。というのも、こういう単純でかつ有名な歌を、素人が歌っても、効果が出ないというのが、私の持論です。森繁久弥とか、加藤登紀子というような有名人で、かつ個性がある人が歌ってこその歌です。それを、別の人(特に素人)が歌っても、聞き手には受け入れにくいのです。しかも私はソプラノが領域の人だから、パヴァロッティ(テノール)の持ち歌を歌うのが、一番すきなレパートリーなのです。

 でも、実際にやってみるとやんやの喝采でした。つまり、お客様のよくわかっている歌を歌うのがサービスの局地であるのですね。これは、人生最初の成功が、当時の人がよく知っていた、春日八郎の『長崎の女(ひと)』だったことでも証明をされています。奥様のご機嫌が悪そうだったので、それは、失敗かなとは思いましたが、奥様が硬い人で、かえってご主人の足を引っ張る方なのは、昔のレストランのフレンチのコースの振る舞いのときに、すでに知っているから、そこは無視しておこうと思いました。

 が、お客に受けすぎたのが後で、まずいことを引き起こしました。ある人がビデオをとってくださったそうです。で、それを届けに逗子のアトリエを訪ねてこられたそうですが、私がいなかったので、無駄足をして帰ったという電話が、その人本人から逗子へ、かかってきました。

 逗子のアトリエって、非常に珍しいつくりになっていて、私が、事前のアポによって、建物の外へ出てお迎えしないと、入れない仕組みになっていて、ベルも利きません。これは大家が、高い家賃が取れる隣のエステに、大きな面積を提供したいがために、私方の入り口をつぶしてしまっているからです。その初訪問の日には、相手の方は、私の電話番号を知らないので、「無駄足をして帰った」とおっしゃいました。

 が、なんか、ニュアンスがおかしいのです。つまり、私の事をパーティ・コンパニオン(=簡単に寝る女)と誤解をされています。私は確かに前置きとして、「まあ、パーティ・コンパニオンがここへ来たと思って聞いてやってください」とは入れていますが、実際には、すごくまじめで、固い人間だという事は、ここのブログの世界で、私と接してくださっている方はお分かりでしょう。私が歌を歌うのは、『それが神との交流の秘蹟であるから』という気持ちがあって、一種のシャーマンとしての行為です。たとえ、『琵琶湖周航歌』という日本のはやり歌を歌う時でもそうなのです。だから、『あれは、カルメンの挑発と同じだ』と取られると、困るのです。

 『どうも、一夜のアヴァンチュールでも求めてご来訪だったのではないか。それってすごく危険な事で、失礼な事だ』と思って、怒りの矛先は、その人に、住所や電話番号を教えた今関先生に向かうわけです。でもね、すごく言いにくい事です。ですから、安藤れい子さんに愚痴ったのです。

 安藤れい子さんとは、芸大出身の画家です。でも、今関先生によると、山寺さんの妨害で、長らく会員になれなかったそうです。それを、今関先生が救ってあげたそうです。

 山寺さんと安藤さんは横浜で同じ研究所というか、同じ先生について、芸大受験の準備をしたそうですが、安藤さんは芸大合格で、山寺さんは女子美進学だから、それを恨むというか、ねたんでというか、後年、国画会での、会員推挙の際に、復讐をしたんだそうです。山寺さんは美貌の人だし、すごいレベルで、やり手だから、早めに会員になる事ができたそうで、そのあとで、復讐をしたのですって。
 ありえる話です。十分にありえる話で、それを聞いた時には信じました。
 それほど、山寺さんというのは、人をいじめるのが好きな人間なのです。いつもいつも、誰かをいじめている人です。

 特に彼女が国画会の会員という、一種の特権を得てからは、ずっと、他人をいじめてきた人です。会員になるということは、まだ会員ではない人を、審査して落とすことができるという政治性を帯びていて、それを政治的に使うのなら特権と成ります。それを、ただ、機能とか、使命とか言う意味で使う人には特権ではないはずですが。山寺さんは、その特権をいかにうまく使うかに、一生をささげた(いや、まだ、存命なので、現在進行形ですが)人なのです。

 彼女のこういう傾向は、隠された部分にヒステリー性格があるのでしょう。見かけ上は問題がないのです。が、周りにいる人がつらい思いをするタイプです。そして、国画会での付き合いというのは、ご近所は家族と違って、時間的に限定をされています。だから、問題が表面化しにくいのです。彼女も、ご家族に対しては、その本性を抑えて、接していて、問題がないのでしょうが、国画会という年に数日間だけ人々がそこに集合して接触しあう場所では、問題がなかなかはっきりしてこないのです。

 が、私のように、指原さんとか、以降、増田陽一(版画家)さんとか、山寺さん始発で、ひどい目にあわせてくる手合いが続出しますと、大いなる被害となって、年間数十日苦しめられることと成ります。そして、それが数年間にわたり続きます。指原さんから、増田さんの驚くべき悪意に接したあいだは、数年間離れていますが、次から次へ現れますから。

 増田陽一さんの悪意ある行動については、ここでは書きません。また機会があるでしょう。その軽はずみな行為の由来は『川崎千恵子は、いじめてもよい存在だ』という情報を得ているから出てくるものですが、その情報は山寺さんから直接に入ったものではなくて、あいだにサイトウ良(版画家)さんが入っていると思います。が、そのサイトウ良さんはだれから、その悪い教唆をえたのだろうか? サイトウ良さんは軽いというかなんと言うか、一種の情報運搬人だったのですが、最近は版画が売れないからか、あまり銀座でお会いしないので、少し助かります。そのかわり、かのう(?)瑞樹さんという青年が、悪評運搬人となっているかな? 彼は朝日新聞に関係があるらしい。?????

 安藤さんも目に見えて、屈辱を与えられた数年間があって、つらかったでしょう。
こういうポイントに関して、はっきりと山寺重子・批判路線をおとりになった今関一馬先生は、それだけでも、高潔で勇敢だったと感じます。本当に、銀座や上野(今では六本木か?)で、心理的な害毒を、流し続けた山寺さんですから。

 銀座を歩いていると、『この人は半病人になっているな。それは、山寺さんが原因だろう』とわかる人がいます。それから、実際に病人になってしまって、この世から消えた人もいます。直接ないじめというよりも、審査に苦しめられたからですが、その影というか、反対に、指原さんのように、超がつくほど要領がよくて、さっさと会員になって、一応表面上は、東洋英和出身のお嬢様らしくかわいらしく、年上の男性会員たち(審査権を特権として、使う人たちです)にお愛想を振りまききっているのを見ると、深い哲学的思考に達せざるを得なくなります。

 で、そういう思考様式で、山寺さんを放置している、実質的なトップである島田章三先生を批判する事となります。

 「そういう裏話を、私が知っています」とは、安藤先生には話していないけれど、安藤先生は、よくできた方で、信頼が置ける人なのです。ご夫婦仲も非常によい肩で、しかも発言は賢く気が利いていて、素敵な人です。で、ついこの件を、安藤先生に、愚痴っちゃったのです。それが盗聴をされていたからなのか、それとも、安藤先生が、『これはまずいことですよ。川崎千恵子(雨宮舜の本名)は、すごく頭がよくて、何か書かれたら、怖いひとですよ。フォローしておいた方がいいですよ』とでも、今関先生におっしゃったのか、
 
 その当該の紳士から、二度目の電話があったのです。それが大変に弁解がましい感じで、暗いからかえって、このいきさつの裏側が、わかってしまって、気が滅入りました。

 記憶が定かではないが、もしかすると、今関先生からも電話があったのかなあ。ともかく、いまっぜき先生によると、その紳士はすごい大物なんですって、メディアの人です。それを聞いてますます滅入りまししたね。というのも、『ああ、こういうところが、私がブレイクできなくて、お金が儲かられないポイントかなあ。何事も生真面目で、軽く流せないからね』と思って。

 宇野千代さんだったら、中野みどりさんに『仕事上関係のある人とはすべて寝ました』とおっしゃったそうですが、・・・・・私はそういうタイプではないし、と長くあれこれ考え込んでしまいました。・・・・・これは本当にあとあじの悪い思い出です。

 今関先生のご友人はさすがに名士が多かったです。往年の旧制一高の名残がまだ生きている時代の人たちでしたから。さすがのハイソサイエティでした。だからこそ、今関先生も誇りがあり、大所高所から、ものを言う気概を持っていらっしゃったのです。

 そういう友達全部を、今関先生を含めて、敵に回しちゃったと思いましたしね。この件には、本当に参りました。それで、かえって『いかに我が家(実家)が芸術の事に満ちていたか』を感じ取りました。我が家では、歌を歌うとか、絵を描くとか、社交ダンスを練習するとか言う事は、まったく、日常的に親の世代から行われていて、隠微な事でも、変な事でも、特別な事でもないのです。だから、ほかの人とのパフォーマンスへの、解釈の違いに、戸惑います。

 ただし、これに懲りて歌をやめたというわけでもないのです。気をつけながら、歌はあいかわらず、試していますよ。APECの最中に『それを口実に個人的にも、警察が追尾しているなあ。嫌になっちゃう』と思いながら、それに反抗するために、また、歌ったのですよ。フォーク酒場というところで。

 関内に火災保険の事で用事があった日の帰りです。母の持ち家の火災保険ですが、みんなが見舞いだけに忙しくて、放ってあったので、母の死後に気がついてみたら、期限が明日に切れるという事になっていて、あわてて、夜なのに、保険会社のビルに届けたのです。郵便では間に合いそうになくて。

 その帰り道に、フォーク酒場『マークII』というのを見つけて、入りました。お客様はみんなモダンで、楽しいところです。住宅があまりないところなので、近所のホテルに泊まっているサラリーマンが多いようでした。営業として、成り立って行くのかなと思うほど、お安い金額(チャージと一杯のお酒・2000円程度)で女性なら(男性はさすがにボトルを頼むので、3000円を越すみたいです)楽しめて、面白いところでした。二回に分けて、三曲歌わせてもらったけれど、生ギター演奏(これは、オーナーとかほかのお客が弾く)つきで、しかも場の皆さんが集中して聞いてくれるので、一種の祝祭の場所となっています。そして、思い切って、わが身を投げ出したので、知らない人であるほかのお客様に大うけでした。
  
 ほとんどプロに近い人が四人程度いて、後の15人ぐらいは趣味の人です。でもね、私ってサービス精神が旺盛ですので、そういう元プロの人に負けないぐらいの効果があげられたみたいです。本当に受けましたから。68歳でもこういう元気さがあることを天に感謝します。
 デモね、その歌っている最中に関内駅に6000円分を超える四枚の新品のCDを忘れていることに気がついて、あわてて探しにいったら、駅員さんの態度が非常におかしいのです。おびえている。で、尾行(そのころ、母の急死後でも、東新町の町内会が急に夜警を始めた話はすでにしてありますね)がついていて、忘れ物も中身をチェックされた可能性も感じました。これって、本当に、人権侵害です。だって、私は、徹頭徹尾、被害者サイドです。尾行されるとか、脅かされるということが徹底的におかしい話です。だからこそ、被害が20億円に達するというのです。そして、そのきっかけがご近所のわがまま主婦の行動にあり、そのわがまま主婦軍団の中の安の夫人の性格と行動が、山寺重子さんとそっくりですから、私はすべての分析が容易になります。

 この鎌倉の山の中に住んで、26年を越しているので、パターンはすでに飲み込んでいます。ところで、 その安野夫妻は、27年間の長期にわたって、副会長です。これも民主主義化している東京圏の住宅地では、ありえないルールです。この場所がどれほど、特殊な環境であるかを皆様にもご推察いただきたいのですが、ものは考えようであり、ここに住んでいるからこそ、一種のゼミナールを受け続けているようなものなのです。哲学的研究と、心理学問題の実験や研究に役立つ場所はありません。

 館内のフォーク酒場の一晩は、国際的軍産共同体と戦う日々の中に、ちょっとオアシスみたいな一日でした。『ひどい苦労があるからこそ、楽しみもなくちゃあ、おかしくなっちゃう』と思っています。自分なりにバランスをとることに気をつけています。その結果、68歳でも、人を楽しめることができるとわかって嬉しかったのですよ。でもね、今関先生のご友人の紳士との失敗を思い出して、住所等は言わないように努めて帰りました。

  「もしもー、私が、うちをたてたならー、小さなー、おうちをたてーたでっしょー」
皆さん、知っているこの歌?では、今日はこれで、

  2010年1月22日           雨宮舜
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組織内で、派閥が横行することから来る弊害(国画会の場合)ーI

2011-01-19 01:25:58 | Weblog
 本日の主役指原いく子さんは、国画会会員です。が、これから、彼女の失敗を書くわけですから、国画会が相当よい団体だと言わないと、この文章の効果も上がらず、筋も通りませんので、それを先に述べさせてくださいませ。これは自分が関係していたから言う一種の身びいきではなくて、割と客観的な事実です。特に1980年代まではそうでした。

 みな様は大きな展覧会というと日展を思い浮かべられるでしょうか? ポスターが各駅や電車内に、よく張ってあります。今現在の話題のスターはジュディ・オングさんです。日本の風景を現す木版画を作っておられて、完璧な玄人です。

 だけど、少し事情通に成ると、「あれは、官展から発展した古いタイプの会で、現代風な絵は、二科展にあるのよ」とおっしゃるでしょう。ただし、二科もたしかに有名ですが、その手の現代風の絵ですと、戦後、最も格が高いとみなされていたのは、新制作協会でした。それが新聞や雑誌などの世界の論調だったと思います。

 しかし、こういう公募団体展に出そうと思った時に、私が『最も優れている団体だ』とみなしたのが国画会でした。

 どうしてそういうかというと、新制作協会は、白っぽい絵が多いという意味でマンネリズムに陥っていると感じました。白は美しい色ですし、上品です。でも、会場全体が上品という規制がかかっているように見え、そこに不自由さを感じました。それに名声に胡坐をかいていて、生気がなくなっているとももいってよいか。

 1970年代までは、新制作が突出して上だったのですが、1980年代には、国展、独立展、行動展、春陽展、モダンアート展、二科展、女流展、東京展、毎日コンクール展などが、ほぼ平均して、横並びで活躍していて、その中でも、独立はどぎつい色調の絵が多く、国展はやや上品で、こだわりや偏頗が少ないと感じました。

 ここから、六本木の新国立美術館がかかえる問題点に初稿では触れていますが、字数制限をオーヴァーしたので、削除します。その会館が帰って損失を招き、
 公募団体展は衰退しつつあると思うのですが、・・・・・
 私自身は、1990年から2003年までかかわり、最後の輝きを味わったというわけで、それなりに意義深い経験だったと感じます。

 私はその頃、どの団体展に出しても、どのコンクールに出しても落選する事がなくて、当たるを幸いなぎ倒すではないが、大いなる希望に満ちていました。特に何のコネも引きもなくて、入選していたから、意気軒昂でした。しかし、内部に入ってみると矛盾は一杯です。

 一番の原因は、実質的なトップ(表向きの代表である事務局長は変わるが、組織の影の立役者は、常に、)であった島田章三さんの気質に存在していました。ある人が「島田先生はお金集めの上手な方で、先生が在任中の愛知芸大は、輝いていたが、先生が去ってからは鳴かず飛ばずだ」といっていましたが、
 確かにビジネスライクな方なのです。一見するとあたりがやわらかくて威張らない方です。が、思想の高さや潔癖性が足りない方なのです。
 
 今回下に述べる、指原いく子さんの奇妙にして、失礼極まりない態度とその発生は、究極のところ、島田章三先生に芸術家としての潔癖さが足りない事が原因です。その絵が妻の鮎子さんの発想の、実質的な盗作であるということは、公言している人もいるし、ちょっと絵がわかる人なら、誰でも、すぐ気がつく点です。

 島田先生は、人に接する時の態度は、穏便で洗練がされているが、非主流派が(というか、島田先生が参加しない形で)神奈川県で支部展を開こうとしたら、国展支部の名前を使わせないで「鵠展とせよ」とおっしゃったそうですよ。ひどい専権です。私だけが泣いているだけでもないのです。

 あらゆるポイントで、結局のところ、ご自分が有利になるように図っていらっしゃる方です。それが通用するのは、奥様と義兄弟が芸大出身で、その三人だけでも強力な派閥ができるし、そこにほかの人を糾合するので、誰も逆らえないほどの、勢力を生みます。で、結果として、会の内部がよどみます。やりたい放題が通用することと成ります。まずあまりに、芸大派閥が有利なので、それ以外の美大出身の人は団結しますが、それでも対抗できませんので、忌まわしい手法も横行することと成ります。
 和田義則画伯の贋作事件というのを招いてしまい、国画会の名声を地に落としてしまいました。
 イタリア人の絵とそっくりな絵を描いて発表していて、それがばれた途端にテレビや新聞が大騒ぎで報道して、国画会の名誉を著しく汚した事件です。

 あれは、もし島田先生が芸術的に潔癖な人だったら、和田さんも絶対に手を染めなかったことでしょう。島田先生はおとなしくて自分に従う存在が好きなので、その人物を高く評価してゆくゆくは国画会の土台を背負わせようと期待をされていたのではないですか。しかも相当に若い時期から。となると才能が枯渇する可能性はあるのです。枯渇しながらある程度以上の絵を描かないと期待に添えないから、贋作というか、盗作に走ったと感じます。

 ここで、挿入と成ります。がちっと、それに触れるのは早計というものですが、島田さんの作品の収蔵庫と、みなしてもよい横須賀美術館を作るのに、国画会の実質的にトップであると言う力が、寄与したことは確かなのです。ただ、保存をするだけではなくて、収蔵品を相当なお高い価格で買っていらっしゃると思うので、画家として島田先生だけは、最大に成功なさったわけです。が、それを支える人として一種の利用をされた和田氏は自爆してしまいました。だから、島田先生一人の成功の影で、死屍累々と言ってはなんですが・・・・・大勢の人が涙を飲んだと感じています。

 私が、日本や西欧の天才と呼ばれる人たちをつぶさに観察した結果、よい作品をものした期間は大体18年から20年です。で、西欧の天才はみんな早死にしています。日本でも芥川竜之介、石川啄木、青木繁、中村つねしかり・・・・・

 ですから、ああいう団体も定年制度を作ればよいのです。20年以上会員を続けたら、名誉会員という形にして、小さい絵を発表させる。壁面の場所もとらず、かつ、彼らは有名人になっている可能性も高いので、小さい絵が売れますので、無駄にはなりません。
 で、新人や若手とは競合をしないという制度を作れば、こういう悲劇は防げます。和田さんというのは早熟型で、その才能が、中年時および晩年には、継続しなかった人材だと考えると、わかりやすいです。会員だから審査を受けないでいいのですが、島田先生が潔癖だったら、この事件はおきなかったでしょう。

 過ぎてからあれこれ言うわけではないが、審査が潔癖ではないこととともに、閉鎖性我強いことにも問題があります。ほかのコンクールに応募すると嫌な顔をされ、それが元仁で、さらに出世が遅らされます。私は上野に絵を出し始めて、四年後ぐらいには、『ああ嫌な世界だなあ。ここから出たいなあ』と思いましたが、それが、なかなか出られないのです。一種のタコ部屋的制度というのかな。恐ろしい心理的な縛りがあって、自由ではないのです。

 で、そういう構造的な仕組みの中で生きぬいて行くために、特殊なマナーを身に付ける人が出てきます。そのもっとも特異な存在が山寺重子さんです。この人のいじめのすごさといったら、銀座の画廊のロビーで、ただ、「あの人が」というだけで、誰のことをさしているかがわかるほど、有名です。心理操作を駆使して真綿で首を絞めるような形でいじめてきます。『彼女と、まともにかかわったら、誠実なひとほど、早く、ノイローゼになっちゃうでしょう』というぐらいの人物です。江見絹子先生より、態度は柔軟で知的な美貌に恵まれている人で、初見では悪者には見えませんが、その他者支配の目的が『個人的な優越だけ』ですから、江見先生より小粒な人ですが、いじめ方が圧倒的にしぶとくてかつ陰険なので、影響力が大きい人となっています。
 
 で、これまた、一冊の本を書かないと駄目なほどの人ですが、今日はそれほど、山寺さんに対しての食指が動かないので、先へ進みます。

 私はある程度以上の実力があり、やがて山寺さんを追い越すかもしれないと思われていて、しかもバックも肩書きもないので、彼女ににしてみれば、いじめの好対象です。しかも私をいじめれば、『ああは、成りたくないものだ』と思う数人の同世代のほかの女流画家を簡単に支配できます。

 私は、参って、しまって、逗子のアトリエから同じく逗子在住だった、故藤田吉香(男性で、有名な画家)に、単に住まいが近いという縁だけを頼りに、「どうしたらよいか?」を聞いたら、簡単な答えはない模様でした。だが、気の毒には思ってくださったのか、考えるべき筋道は、教えてくださったのです。つまり、「山寺さんは、10票ぐらい持っているのですよ。そして、島田員子(かずこ)さんという方も面倒見がよくてね。票を持っているのです。で、お互いに、まあ、譲り合ったりして、会員を作って行くのです」と。

 で、私が自分で考えて選択すべき道としては、『山寺さんと合わないのなら、島田員子さんに媚びていけ』ということになると、暗黙のうちに、感じました。

 が、私は鎌倉の人間です。すると、地域的には、横浜在住の山寺さんの配下に成ります。そこを、飛び越えて、東京の島田さんにくっついて行く? それが可能かどうか? 島田さんは、山寺さんほど悪評は高くはありませんが、島田さんに引っ付いて行っても、出世できるかどうかの保障はあリません。しかも山寺さんを飛び越えて島田さんに、こびるとか、その配下につくなんて言うことが、できるはずがありません。山寺さんは自分の勢力圏内の陣座の動きには、目を光らせているでしょうし、島田さんは、もし、私の世話をしたら、山寺さんのシマを荒らしたということに成るから、それを察して、支援を拒否するに決まっています。と成ると、こりゃあ、出世が無理な世界と成ります。出世しないでいいわ』という案もあるでしょう。だが、それだけ出費がかさみますし、心理的にも、『上下関係の厳しい世界で、実力はありながら、干される人間となる』と惨め極まりない立場に成り、さらにいじめられるのは必定です。

 しかし、やめるにやめられない雰囲気もある。これは困りました。1995年ごろからずっと頭上に暗雲がたれ込めていると言う気配です。ここら辺りは新制作は出品している渡辺幸子さんもほとんど同じ状態で、出世というものに関しては、2000年ごろまで、深い悩みを抱えている模様でした。

 今はその国画会からは逃げ出しましたが、今度は別の暗雲に囲まれています。だが、こちらの敵は『そちらの方が、法的にも心理学に的にも悪いのだ』ということが非常にはっきりしていますので、かえって楽なのです。我が家に遊びにおいでになったら、盗まれてしまった土地が明瞭に証拠つきで、説明できますから。ここも本当におかしい場所で、三人か四人釣るんで、力関係的に強い方が他人の土地を勝手に盗んでいいというのですから、これでは日本全国が大混乱になるでしょう。それを、平気で26年間通しているのですから、恐ろしい人が住んでいるものです。が、現物を見せて、不条理なことが、どういう風に行われているかの説明ができます。

 その後、パソコンの破壊がどういう風に行われたかの説明もできます。被害総額が20億円にもなるよと、常に言っていますが、ある程度の部分を説明するだけで、すべての人は、全部をお分かりになるでしょう。

 しかも「それらの被害が、石川和子女子と言う、伊藤玄二郎氏の元愛人だった人の、警官を私的に利用するという大・失敗をきっかけとして、スピードアップしたのですよ」と、言えば、さらにわかりやすくなります。

 だから、戦いが楽であり、敵の悪も大きいからこそ、戦う生きがいもあります。チュニジアで、独裁政権が打倒されたそうですが、それは、国民が秘密警察を嫌ったそうです。私がまだ皆さんに言っていないことで、友人のパソコンが壊れたりしたケースは、個人の力でできることではないから、公安警察か、CIA(=瀬島機関)か、革○等の関与も疑われます。そこが、相当に、怪しいので、それもまた、きちんと戦わないといけないポイントですし、事が大きければ大きいほど、逆転のめども立つのです。正義が負けるばっかりでも、ないのです。

 私は戦略というのを練らない人間です。そして、武器は何もないです。ただ、信仰に依拠しているだけです。天は・み・そ・な・わ・す・と。で、その天のご加護は敵が悪者であればあるほど、強いのです。それと彼らは卑怯極まりない人間たちで、姿を隠そうとしています。それは、弱さの反映です。だから、最後にはどうにかなるでしょう。というか、彼らが負けるというか、この戦いが終わるでしょう。それは、信じています。

 ところが、国画会内部のごたごたは、より小さいくせに、スライム(ゲームドラクエの中に出てくるぶよぶよの物体)みたいな切り取りが困難な問題です。
 で、逃げる一手ですが、いつというタイミングは大切です。それと逃げたことがマイナスとならないような別の目標も必要です。

 だから、私にとっての海外修行は絶対に必要なものでした。国画会での、いじめというか、頭上の暗雲が濃かったゆえに。そして、今の私は、十分に逃げたことへの埋め合わせはできています。国画会で悩む時間とエネルギーを本作りにまわして、六冊の本を作り上げ、まだ、やろうと思えば、それが可能なエネルギーと技術とお金を持っています。
 非常に恵まれた立場にあるといえば言えるでしょう。

 で、ここでやっと前置きを終わり、今日の主人公とそのエピソードへ到達しました。

 指原いく子さんは、私より、15歳ぐらい年下で、東洋英和から女子美へ進学して後、国画会へ絵を出していて、女子美の同窓関係で、山寺先生には、ひいきしてもらっていたのですが、それが、もろに出ていたのが、彼女がギャラリーオカベというところで開いた個展の会場でした。その期日は後で、調べれば調べられますが、すでに、一万本以上のエッセイを書き、かつ、パソコンがその間、4台か、五台敵によって壊されていますので、すぐには、正確な日付を思い出せないのですが、10年以上前であることは確かです。

 彼女は、今では、女流と国画の両方で、会員です。上の方で述べたように、会員とは無審査になる事を示し、最大の特典は、材料費や時間を節約できる人生が開けるという事です。しかもプライドが十分に満足させられて、画廊街で、先生と呼ばれる立場に成ります。また、材料費や時間を節約できることは、その分を個展にまわせますので、さらに、幾何級数的に、得をして行く結果と成ります。

 で、その日画廊へ入ると、ずらっと八号程度の絵が並んでいました。一番最初に感じたことは、『あれ、山寺重子さんとそっくりな絵だ』という事です。『これは、審査で得をしようとしているな。山寺さんにこびていることは確かだけれど、島田員子さんの票も狙っているわけですね。なるほど、だけど、汚いなあ』と思いました。今、皆様は、インターネットで指原さんの絵を見ることができると思います。そこに出ているのは、100号のしかも、現在のものですから、ニュアンスが潤沢ですが、このエピソードが起きた日は8号です。そうなると、インターネットで皆さんが見ることのできる絵の10分の一程度の大きさですから、ぐっと単純に成り、『いわゆる、ご機嫌伺いですね』という傾向は如実でした。

 指原さんの本当の意図はわかりましたが、それを見抜いている事は伏せて、個展の主役とお客としての普通の会話に入りました。つまり、作品に関して製作意図を聞くとか、技法のセールスポイント(それは、画家独自の工夫があるものなのです。それを世に問うために個展をしているわけですから)などについての会話です。

 これは、大切なことです。それを聞くために、アーチストは銀座で個展をしているのです。お客のレベルが高いことを信じて、個展をそこで開くわけです。ただ、知り合いに売るためなら、ジ・アースほか、地方にあっても、オーナーの積極性と社交性によって、特有のお客がついていて、作品が売れるところで個展をすればよいのですから。

 私は銀座で六回、鎌倉で二回、ニューヨークで一回個展をしましたが、すべての画廊で、一番願ったことは勉強です。だから、私にとってはそのときの行動は、まったく自然なものでした。今でこそ、審査の問題に絡めて、上のようにどぎついことを言っていますが、当時は穏やかな人間です。
 
 ところが指原さんは、ぷいと向こう側に行ってしまいました。何も断りの言葉を出さずにです。このときも、その失礼さにひどく驚きました。わたくしは、横浜国立大学付属中学校では、入学式総代で、卒業式も総代です。しかも同級生の中には、東大教授をはじめ、数人の大学教授がいます。高校でも同期に大学教授が大勢いて、大学同級生にも大学教授が大勢います。プライドものすごく高いですし、礼儀を守る存在です。なんの断りもなくて、ぷいと向こうへ行ってしまうとは、後で、東洋英和出身だと聞けばなおさらのこと、驚天動地の行動です。

 でもね、ここは日本です。野蛮な日本人女性が大勢いるニューヨークではない。あそこは「勝気さだけが、勝負の世界だ」という趣があります。が、日本にいる日本人は、もっとしとやかでやさしい国民性を持って生きています。だから、そういう日本人の一人として、私は煮えたぎる思いを抑えて、何事もなかったように、引き続いて作品を見続けます。だって、ぷいと無視した失礼な行動に呼応して、こっちもぷいと外へ出たら、それは、子供の喧嘩の応酬でしょう。私の辞書にはない礼儀・作法です。で、我慢をして作品を見続けていました。この我慢をするということの切なさや、気品というものに気がついてくれた人がいます。

 それは、指原さんのご主人だと思われる男性です。さっと近づいてきて、「どう思われますか?」と質問をしてくれました。

 私はその瞬間、水を得た魚のように生き返りました。彼が大企業のエンジニアータイプだったからです。これこそ、私の生活圏内の人間です。父は石油を勉強して、往年のハヤマ石油(後年丸善石油と成り、後は合併してさらに名前が変わっている)で、人生をはじめているし、夫は化学と機械を勉強して、日産自動車の研究所で人生をはじめているし、妹は薬学を勉強して、鳥居薬品(医者向け)の学芸部で人生を始めているし、弟は、電気関係の勉強をしてNECエンジニアリングで、人生をはじめているし、この手の人間は慣れている方なのです。で、安心して話を始めました。

 もちろんのこと、こちらは失礼なポイントには言及はしません。奥さんのいく子さんの失礼な態度が、山寺さんに媚びたもので、それは、山寺さんから、この個展の開催前に、私に関する何らかの悪口が入っているから出てきた、態度だとわかっていますが、それに対する恨みを口に出すようなバカではないです。

 悪いけれどはっきり言って、中学から東洋英和に入学するのと、お茶大の付属高校に高校から入学するのでは、後者の方が難しいと思いますよ。募集する人数が少ないですもの。だから、頭の働かせ方がまったく違うのです。指原さんより私の方が、もっと複雑です、我慢の方向性や意味や深みが違います。
 
 だけど、指原いく子さんはどうも極端に、単純な頭の人みたいで、ギャラリーオカベ内で、喧嘩を売らない私を、『こいつは、バカだ』と判断したみたいなのです。

 なんと彼女が再び戻ってきて、私とご主人との間に正三角形という形を作りながら、割って入ってきたのです。そして、背中で、左手を、ひらひらさせて、「あなた、この人なんか、相手にしなさんな」というボディラングエッジを送ったのでした。声は出さなかったのです。それに、彼女としては、こちらにはそれが見えず、私には、彼女の汚い心や行動が知られるはずはないと、思ってした事のようですが、みえみえに見えてしまいました。
 温厚を貫いていて、我慢のきわみの人である私も、この二回目の、しかも一個の人間を犬のごとく追い払うという失礼さには、さすがに耐えられず、何も説明せずに、さっとその三人がなす三角形の頂点から降りて、きびすを返して、入り口から道路に出ました。

 さあ、その後で、同席していた方々やら、ご主人が、どう考え、どう反応したかはしりません。が、謝罪の言葉は今もって、指原さんからは来ていません。特にその後何度も出会っていますが、微妙にして失礼な態度が繰り返されています。

 『私が送ったサインの意味を、こいつは把握しちゃったのかなあ』と探る目つきで、ひとえの無表情な目をこちらに向けてきますが、ともかく、私には挨拶をせず、私と一緒に仲良く歩いていた版画部の善意の人(会員)にだけは、挨拶していました。
 その人が会員だから、部門は別で審査も関係がないが、媚びておくが、私の事は知っていても、そして、同じ絵画部の人間であっても(版画も出品していましたが、油絵も出品していました)会員ではないので、自分の役には立たないから無視しておこうという、超がつくほどの省エネです。要領のよさのきわみです。
 『東洋英和というミッションスクールでは何を教えていたのだろう。神の前での人と言うこと、だから、人間は常に弱いものであり、かつ兄弟として神の前では、平等であるということを、彼女は一切知らないのであろうか』と思います。

 さて、ここで、二時間ほどまた中断しました。その間にさらに思考を重ねたのですが、皆様に、『この文章の目的や意義はどこにあるのか?』、とか『実名で書く意義はどこにあるのか?』と質問をされたときにどう答えるかをです。この文章の意義は、大きな流れの中にあると答えさせてくださいませ。国画会を改革しようなどと言う大それた思いはもっていないことはたしかです。

 それから、実名でかくことですが、そう、しないと、私の被害が大きすぎるからです。仮名で書いていても、必ず、誰の事であるかをハッキングで探されて、私が復讐を受けます。それは、ギャラリーオカベの態度に如実に表れています。そこで、岡フクさんという画家が個展をしますが、案内状に「来て下さい」という優しいムードの添え書きがあります。それで、見に行こうとすると定刻前に画廊が閉まっています。私は新橋から歩き始めるので、そこに達するのが、だいたい七時近いのです。その上、例の公安警察か何か知れませんが、持っているモバイルパソコンのGPS機能を使ってどこを歩いているかがわかるらしくて、ギャラリーオカベに連絡を入れ、「彼女(私のこと)を岡フクさんに会わせるな」と連絡を入れるのでしょう。

 つまり、『どんな形でもいいから、彼女に損をさせて、悲しませろ。そうすれば文章を書かなくなる。または、書けなくなるさ』と、思われています。だから、この件もすべて政治と関係があります。政治に対して正しい事を書いているからこそ、弾圧をされますが、それに美術の世界が利用をされています。

 指原さんの一件は最初は彼女の出来心だったでしょう。が、私が文章を書いたことによって類似のケースが頻発してきて、『なるほど、なるほど』とそれも納得をしたことでした。つまり、今の私は心理学とか、哲学の問題を解くために文章を書いているのですが、と、同時にミステリー小説も書いているのです。この大量の被害を案出し、裏で指揮を取って、迫害し弾圧するのは、誰なのか?と、言うことを、解くために、

 2011年1月18日にかき始め、19日午前一時に初稿を完成し、19日午後四時に推敲を終わる。                      雨宮舜      
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荻野アンナさんの痛々しさは、どこから来るのか、

2011-01-18 02:12:04 | Weblog
 以下の文章は、私の頭の中には、一月のいつかに浮かんだものです。そして、一月14日から16日にかけて、何時間か初稿の形でさらしていました。が、いったん引っ込めたのは、加筆すべき文章が次から次へと浮かんできたからでした。

 有名人であり、アンナさんの小説もあることですから、非常に論考しやすい相手です。ただ、ずっと、このことについて触れなかったのは、アンナさんを可愛い人、および、可愛そうな人と考えていたからです。もちろん、お母様よりは強いです。客観性があり、理性的でもあるから。だけど、繊細な人でもあります。
 それは、最初に触れたとき、電話の中での息せき切ったような話し方、そして、可愛い声、私を信頼しきった内容・・・・・そういう人間としての愛すべき姿を、大切に考えていたからです。

 しかし、その堰を切ってしまったものがあります。八月に知覚した・・・・・ご近所の画家大原光孝氏の(この26年間のうちの一度ではない)何度目かの事として接した、信じがたいほど幼稚な、しかし悪意あるいじめでした。そのとき、パンドラの箱が開いてしまったのです。それには触れたくなかった『美術の世界を利用したいじめ(弾圧)』を書き始めるきっかけがそれでした。それ以前には、パソコンの破壊という形での弾圧、ニュースを利用した弾圧については、公開してきましたが、

 美術の世界はあまりにもたくさんの知り合いがいて、ある部分に触れると次から次へと別の人のエピソードに触れないと説明が不可能となり、ありと、あらゆる関係がごたごたするので、公開してこなかった分野です。だが、敵にとっては、そここそ、狙いだったのです。私を、ノイローゼにさせて、文章を書くことができなくさせるためには、美術の世界こそ使いたい部分だったのです。

 そして、大原さんと言う人間の性格や生活と、その私に対する行動と、それが出てくる裏側を、分析するうちに、以前から疑問を感じてきた、酒井忠康氏のこの件に関する働きに、画然として目覚めたのです。部分的な破片だったものが、きちんと統合されてきました。たとえば、大原さんのお嬢さんが、我が家のすぐしたの、神奈川県立近代美術館に二度目の転職先としてお勤めになったり、2005年に江見絹子さんの個展がそこで開かれたり、柄沢斉氏が、日経新聞に極端に大切にされていることなど、すべてに、つながるなぞが開かれてきたのです。『なろほど、なるほど』留めからうろこという形で、攻撃の諸相がはっきりしてきたのです。

 そこから、さらに、『どうして、評判がよかった月刊ギャラリーの連載を、突然に打ち切られたか。しかも、打ち切ることへの説明がなにもなく、きられたのか』とか、『2007年の個展も、2010年の個展も、私を苦しめるために、わとして仕掛けられていた』がわかったが、『その理由や、それらの二つの画廊へ支社として、たち、悪巧みを命令した人物が誰であったか、その裏側に最初の企画はだれが立てたのか?』
等が、突然というほど、はっきりと解明されるようになったのです。

 小さなことが、『ありの穴が、大きな堤防を崩すように』、大きな事を明らかにしてくれたのでした。ただ、それを書くことは身命を賭すことです。美術の世界を捨てることを意味します。一種の差し違えですね。だけど、この期に及んでは、それをしなくてはならないと感じています。それほど、被害が大きいです。仮に20億円ですといつも言っていますが、計り知れないほどの被害を受けています。

 悪が重なりすぎています。彼らは跳梁跋扈しすぎています。その悪をある程度さらすのも、私が生きた証と成り、一種の天命であると感じます。このように成ったのも偶然に横須賀市根岸町に一軒の家を買い、その隣地に、益山某という、元海軍参謀にして、瀬島隆三の親友だという人間が住んでいたからでした。こういう人種は頭がよい限り一般的には犯罪とみなされることでも、切り抜けて利益を得られると思っています。

 特に庶民は、われわれの考えていることなど一切理解できないと高をくくっています。画、私は、頭脳レベルは高いのです。すぐ見破ってしまいます。で、その妻が来るまで私をひき殺そうとしたのですが、それにもすぐ気がついて、さっと逃げ出して、顛末を弁護しさん二電話でお藩氏をしh他のですが、電話の盗聴をかけていた増山氏は、その晩、自殺か病気かはわかりませんものの、急死したのです。

 それ以降、新聞の第一面を使って瀬島隆三が私をいじめてくる(青地のニュース)などがあったわけですが、最近ではテレビも使われるし、ご近所の人間も使われるし、美術界の人間も使われるわけです。

 それだけでも、天が書くことをお許しくださると感じていますが、さらに、鶴岡八幡宮の銀杏が倒れたことも、その証であると信じています。(初めてこのブログに入った方はちょっと理解不能でしょうが、左側のカレンダーの2010年の7月末からずっとクリックして、読み進めていただくと、全体の意味が通じます)

 という前置きを置いて、江見絹子、荻野アンナ母子について、二回目の分析を進めるのが、今日の文章の主題です。
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 特に荻野アンナさんは、非常に痛々しい感じがするが、その原因は江見さんにあるのではないかという話がメインです。以前は彼女は可愛い人だと書いています。確かに二十年前から十年前ぐらいには、そう考えていました。

 この「可愛い人だ」という解釈も私独自なものだと考えていますが、さらに、『痛々しい』といえば、「どうして?」とおっしゃる方も多いでしょう。確かに社会階層的に言えば、最上級クラスの人です。芥川賞受賞者にして、岩波から本が出ている。仕事は、慶応の(当時は助教授で、今は)教授。美貌の人であり、実家は横浜山手の丘の上にある。

 母は有名な画家。父は高収入である、水先案内人(元船長などだけが就労できる、港内での、船の運行と、接岸の指導をする仕事。本職のほかに東電のコマーシャルに出ていて、それから、横浜市の大道芸の推進にも一役買っている。並の活躍ではないです。

 デモ、この大道芸支援が問題です。ピカソの絵で青の時代というのがあって、ピエロが描かれていますが、素顔は、悲しそうです。表と裏の顔に乖離があります。

 アンナさんには上に上げたような優越ポイントがあるのですが、と同時に隠された、コンプレックスがあって、それで、一種の裏と表の乖離があり、分裂があり、アンバランスがあるのです。コンプレックスとは、お母さんが普通の人ではなくて、画家であるということなのです。しかも画家としてもさらに、特殊な行動様式の方なのです。

 ここが、私にはものすごくわかるのですが、私の母も一種のキャリアーウーマンで、子供たちには理性的過ぎる母でした。それで、十分に甘えさせてもらえなかったので、神経質に成ったという点が似ています。それから、知名度はまったく違いますが、私自身が画家だった(?・・・・・今でも画家でありたいのですが、諜略に見舞われすぎたので、落ち着いて絵を描いていられないこともあります)ので、子供たちにやはりさびしい思いをさせているからです。

 我が家では、男の子もいますので、激しく抵抗をされました。反抗というのかな? 男の子というのは、母を愛しますし、母も男の子を愛します。だからこそ、はっきりと反抗してきます。

 ただ、我が家の方が、母も子供も江見先生や荻野アンナさんより、平凡ですが、それは、種々の条件が重なってそうなっています。まず、子供が二人います。それが、年が近くて大変に仲良しです。だから、一人っ子だったアンナさんより、こころみたされる会話が、兄弟間で多くあり、それゆえに特殊すぎない育ちとなり、平凡な人間として育ちあがることができました。大学を出て、それなりに苦労をしながらでも、サラリーマンをして、そして、結婚をして、今、二人とも子供ができました。女のこの方は家庭に入って専業主婦であり、男の子の方も、妻に専業主婦であってほしいと思っていて、そのお嫁さんも専業主婦でよいと思っているみたいです。

 そこにいたるまでさまざまありましたが、主人と二人で、『今は、なんと恵まれていることだろう』と話し合い、天に感謝する日々と成りました。だから絵を捨ててもかまわないのです。ひとつの部分で幸せであれば、ほかの部分までも幸せであろうとするのは強欲というものです。

 ある意味で残念ですが、父が『平凡に生きるのも大切なんだよ。そして平凡に生きるのも難しいことなんだよ』と言っていた言葉を思い出し、そういう側面では、『これでいいのだ』と思っています。

 男の子がいるということ、および子供が二人いるということが、私をして、子供に負けるということを容易にさせました。つまり、『一粒の麦、地に落ちなば』という聖書の言葉を実践することが、可能だったのです。特に18歳ごろから以降は、親はいったん死ぬ感覚で生きなければ成らないのです。もう一度子供は戻ってきますよ。深い愛を示してくれますが、それでも、子供を自立させるためには、愛ある別れを実践しないと駄目なのです。それが共同の場(つまり家庭内)にいても、親が子供へは、口を出さないということの実践です。ただし、18歳より前は、ある程度光に接しないと駄目ですよね。

 ところが江見先生には、それができませんでした。私が推察するに、フロイトのいうエディプス・コンプレックスは確かにあって、娘であるアンナさんに対しては、切ないほどの親の愛というものが江見先生には生まれなかったと考えられます。で、幼いころのアンナさんの養育は実母(アンナさんの祖母に当たる)にまかせっきりであり、その後、祖母がなくなったころには、アンナさんは、育児の作業が要らない年齢となっていたので、それで、自然に大きくなるとみなされて、ややもすると、愛ある会話のストロークが欠けていたと考えられます。
 だから、アンナさんはその間を埋めるために、文章を書かざるを得ず、小説家(文学者)足りえたわけですが・・・・・

 さて、そんなある日、アンナさんを主役にしたテレビ番組が放映されました。放映は民放だったと記憶しています。テレビ東京だったかな? 確かではありませんが。

 テレビというのは、NHKでも、プロモーションといって、その人の宣伝に役立てる任務に使われます。NHKのスタディオパークはNHKで、番組を放送する関係者を適宜なタイミングで、招いて紹介をします。ただし、朝のニュースショーでは、黒崎さんのときも現在のイノッチの時も、NHKと関係がないパフォーマンスでも、招いて紹介をします。オノヨー子さんがそうであり、三谷幸喜さんがそうでした。

 荻野アンナさんがテレビに出て、何か儲けが出るであろうかと考えると、多分それほど、影響はないです。荻野アンナさんの小説は、一種の苦しみの記録なので(ただし、読後感はよいです)爆発的なベストセラーになるというわけでもないでしょう。

 それに彼女はお金をほしがっていません。すでに、エスタブリッシュメントである両親の下に生まれ、一人っ子なのですから、実家も相続するはずで、まず、自宅というのが確保されている存在です。その上、慶応の教授ですから、定年後の年金も確保されています。それから、横浜市が公共の催しに招いたときの謝礼、東電のコマーシャル料、芥川賞受賞者としての講演料等、・・・・・+原稿料や著作権料、・・・・・枚挙に暇がないほどの、稼ぎ口があるでしょうから、お金には無頓着な方でしょう。

 そして、江見絹子先生がどう影響を受けるかですが、こちらも収入には結びつかないでしょう。江見先生の絵とは、おつゆ描きといって油絵の具を薄く油で解いて、何度も重ね塗りをする技法です。大昔、レオナルドダビンチが用いた技法と同じですが、描かれている形が抽象的なもので、大衆の好む類の作品ではありません。そして、主に、大作ですから、美術館が税金で購入する類の作品です。

 天童荒太という作家が、『永遠の子』という小説を発表したときに、表紙に、船越桂の木彫が使われました。うわさに聞くところによると、出版社に「あのお人形がほしい」という問い合わせが殺到したそうです。で、出版社側が、「あれは、大きさがほぼ等身大か、それ以上で、かつ売値が500万円以上です」と答えると相手が電話口で絶句していたそうですが、そういう風な誤解を与える余地すらない、傾向の作品です。

 では、なにが目的で、この番組が制作をされたかというと、荻野アンナさんの結婚を、母である江見絹子さんに承諾をさせるためだったのです。一種の電波の私物化ですが、それでも、嫌な感じを受けなかったのは、荻野アンナさんが痛々しくて、それが見ていられないほどで、切なくて、それゆえに、何事も、彼女に関しては許したくなるのです。
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 ところで、ここで挿入ですが、私は今回の一連の文章を書くに当たって、江見絹子および、荻野アンナに関するインターネット検索を一切しませんでした。自分が見聞したものだけで、文章を構築したかったのです。ただ、この番組が放映された日付だけを知りたくて、それを目的にグーグル検索に入りました。しかし、WIKIPEDIAの中には、この番組の情報が一切入っておりません。ということは、荻野さんが、相手の方の生きている姿(しかし病にやつれている)を他人には、さらしたくないのだと感じます。それゆえに、番組の痕跡すら消えています。

 これは、向田邦子さんが、パートナーの名前や肖像を秘匿しているのと似ています。妹さんが明らかにされたが、ご本人は生涯秘匿されました。アンナさんの場合、相手は戸籍上は独身だとあります。だから、差しさわりがない肖像であったはずですが、愛ゆえに、彼の死後は、この番組が、封印をされたのでしょう。

 ところで、知りたくなかった事実もしってしまいました。それは、その大切な男性の死です。だから、アンナさんが余計可愛そうですね。それに、アンナさんは信頼すべきあてイには「うつ病に罹った」とおっしゃっています。
 が、この文章の主たる目的は荻野さんの痛々しさを書くことにあるので、流れの大勢には、邪魔にならないであろうと、しいて言い聞かせて筆を進めましょう。で、元へ戻ります。
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 その番組内では、アンナさんは道化役を封じていました。

 そして一番感銘を受けたのがアンナさんが当時パートナーと一緒に住んでいた住まいの様子と風情です。それは、不思議な美しさに満ちていました。童話の秘密の花園みたいに、樹木やつたに覆われた部屋。進入路も、日本の都会の中とは思われない庭園用樹木に覆われています。

 我が家も東京へ一時間前後で行かれる地域としては特殊です。周りが樹木に覆われています。が、構成する樹種は、たぶしい、山桜、もみじ、椿で、ごく平凡な枝振りです。その中に点在する白い壁の(一部は、プレハブ会社製の)30坪から50坪の家も含めて、日本でありきたりの風景です。
 ところがアンナさんの住まいは、つげか何かの丁寧に剪定された、しかも50年以上は経っているであろう樹種で覆われた家なのです。大使館が多いと言われている港区内なのか、横浜山手の丘の上なのかは知りませんが、静謐で隠れ家めいていて、しかも美しい住まいです。そのベッドまで公開してパートナーをカメラにさらしています。

 その室外も室内もともに、情景としては美しい。が、心理的には痛々しい。そして、結局のところ、そこまでして対峙した母の顔には、結婚の受容は、最後まで見られないのです。そこにあるのは、相変わらず無骨で、頑固で、厳しい表情だけなのです。

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 ここから、どうしてアンナさんが痛々しい人になっているかという点への私なりの答えに入ります。

 江見先生は子育ての過程で、ほとんどの人が学ぶ、挫折の尊さということを知らないで、晩年にいたった、ある種の特殊さを持っている人となりました。祖母(実は自分の母)に子育てを任せるということは、ママともづきあいもいらないということで、授業参観に行く必要もなく、したがって先生との葛藤もないとなります。子供を育てるということのもっとも大きなポイントは、『この世の中は思いどおりには行かないものだ』と言うことを骨身にしみて悟る点にあるでしょう。だから、子育てを経験した女性は謙虚です。そこが人間としての成熟の到達点です。ちゃんと子育てをした母であったら、けっして威張りません。大体の日々に滑らかな態度をとり突出をしません。

 しかし、江見先生は突出して威張る人です。ある意味で粗野だといえるほど、または、無骨だと言えるほど、威張る人です。恥ずかしげもなく、威張る人です。

 特に神奈川女流展の講評日がひどいです。山崎豊子さんの『白い巨頭』さながらです。江見先生が大勢の女流画家を引き連れて、お練りになる後を、冷やしたビール缶をガーゼのハンカチで覆ってナンバーツーの熊沢淑さんが追いかけます。

 見ていられないほどのダサさというか、田舎っぽさです。『江見先生って神戸育ちでしょう。それに、ご主人はフランス系(と、長く言われてきたが、正しくは、イタリア・スペイン・クロアチアの血を引く)アメリカ人で、船員さんであって、船長を経て、今では水先案内人です。お嬢様は慶応大学を出て、フランスへ留学した。そういうご家庭の主婦がどうして、こういう態度なの。これでは、例のいじめを繰り返す中学の番長の世界と同じですよ。

 または、クロマニヨン人が棲んでいた洞窟の世界と同じですよ。遠くで狼の遠吠えが聞こえてくるような原初の世界の、いや、犬とか狼が構成している上下関係みたいですよ。
 20世紀のかつ、横浜という日本国内では、もっともおしゃれな街の住人の、とるべき姿勢ではありません』と心の中でつぶやきますが、私が江見先生を変えられるわけもないので、私は、ひとりだけ、さっさとその世界から逃げ出し消え去ります。
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 ・・・・・江見先生は、本来の目的としては、男性優位社会をただし、女性を救う為に、この組織を立ち上げたのでしょう。だけど、チェック機能が働かないここでは、男性が一緒よりも悪い形式でことが運んでいますよ。威張って上から目線で絵の描き方を指導をするなんて、それも、発想が田舎っぽい。・・・・・と、私は心の中で批判をします。

 こういうお母さんの姿を、画家ではないアンナさんは知らないはずです。表向きにはね。だけど、アンナさんは鋭い人です。空気の中を漂って、関内から、山手まで伝わってくる気配を、知っておられるでしょう。そして、身内だからこそ、私などよりさらに恥ずかしく切なく思っておられるはずです。そこがアンナさんをさらに追い詰め、道化役までやらせていると、私は考えます。だからとても痛々しいです。
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 さて、この理想と現実の乖離(江見先生に特に見られた)を同じ理想を追った、桜井浜江さんと比較してみましょう。桜井浜江さんは、太宰治の饗応夫人のモデルとされた方で他人を大切にされる方でした。一種の凄みがあるという意味では江見先生と同じですが、客観性があると感じます。だから、東京の女流展では、あの神奈川女流でのむんむんした
密室性と、たこ部屋的な手法や行動は、一応ですが見られません。もちろん団体展内部の出世の問題(特に、その不条理とか、不合理の問題)はどこにでもあって、政治力の盈虚や強者の恣意の横行が、ゼロということはありえないのですが、それでも手法としてはお行儀がよりよいです。

 で、ここにいたって、再び、例の嘘の情報(その後で、江見先生の個展が、我が家のすぐしたの鎌倉近代美術館旧館で開かれていますので、その嘘が酒井忠康氏から入った可能性を感じているわけですが)に則って、江見先生から公開の席で傷つけられた話を持ってくるかどうかなのですが、もっと、一般原則に立ちかえって、画家の間で、上下関係を作ることの是非に入って行きたいのです。
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 さて、私はこの文全体の案をこの1月5日に思いついたのです。で、そのとき頭の中でまとめあげたものはほとんど表出しえたのですが、書き表すのに時間がかかって10日ぐらい頭の中に保存をしておいたのですが、その間に、まったく新しい文章が浮かびました。
 上とは関連がありませんが、私と江見先生の間柄を考え、なぜ、江見先生が、私ごとき、親しくもなく、かつ社会階層的にも小さい存在の悪口を堂々と役員会という公の席でおっしゃったのかが解けやすくなるのでお話をさせてください。、

 私は都合、5,6回江見先生と目を合わせて会話をしています。すべて作品批評です。展覧会の会期中と、その数ヶ月前に開かれる研究会の中でです。

 そのときに、感じたのですが、江見先生は私に対して安心をしていらっしゃらないということです。それがなぜだと考えるのですが、「一種の、嫉妬心を持っていらっしゃったのだろう」と考えると、いろいろなこと納得しやすくなります。男女の仲をめぐる色事関係の嫉妬心ではもちろんありません。あそこは女だけの世界です。また才能に対する嫉妬でもありません。私が江見先生と関係していたころは出発点であり、作品群も、まだ、垢抜けもしていませんでした。お金や資産に関する嫉妬でもありません。それらすべて先生の方がずっと上です。

 しいて言えば、自由であること、と、それを可能にしている私の、強さに対して嫉妬していらっしゃったのでしょう。そう、推察すると、どうして、私のような小物を、しかも出品をしないで、すでに五年ぐらい経ている段階で、悪口を言うという形で、取り上げたかが理解できやすくなります。

 江見先生は実は、威張ることが好きではなかったと考えると、あのきつい顔が理解できるようにも成ります。いらいらなさっていたのよ。あらゆることに、日常的にいらいらなさっていたのでしょう。でも、一番問題なのは、実存的に言って、「幸せでは」ないと感じておられたことです。理論的に言えば、自分ほど恵まれた存在はないという段階です。ある組織のトップとして下へも置かぬ待遇がある。だけど、そこで、満足を得たかというと、満足も自由も得られていなかった。となると、それは、思いがけない反逆です。しかも、誰に訴えてよいかもわからないし、どう言う風に解決したらよいかもわからないもやもやです。深い実存的ななぞです。

 それは誰でも持っているものですが、無名であり、責任がない立場であれば、より自由に動けます。それを、先生はわかっていらっしゃった。そして自由自在に動く将来の私が、予測できるからこそ、憎らしく思っていらっしゃったと考えると、あの軽すぎる悪口も理解できることとなります。
 皆様におかれましては異論が一杯おありでしょうが・・・私は二週間かかってそこへ到達しました。これは、ひとえに心理学的、および哲学の領域のことです。では、

   2010年1月18日     雨宮舜
コメント

菅、新内閣に関する、ウエブ記事への、私の批判

2011-01-16 09:29:20 | Weblog
 以下の記事は金曜日に書き始め、内容が、二転三転しました。今16日の日曜日ですが、やっと決定して、誤変換も直したところです。菅・新・内閣の部分だけでも、7500字を超えましたので、初稿に入れた、ほかのテーマは別立てでお送りをさせてくださいませ。 

 今日(これは、この一文の初稿を書いた日のことで、金曜日ですが)は内閣改造がありました。が、私は一切テレビを見ませんでした。批判があるからではなくて、安心していたからです。というのも大勢の人が注目し、かつまっとうな手法で行われることは、自分が出る幕ではないと思っております。

 今度の新内閣については、ほとんど、問題がないと見ています。が、組閣直後にウエブサイトで、たくさんの批判記事が出ていました。それがどういう意味を持つのかを、ここで、検討をしたいと感じます。

 世界各国の政府を見渡しても、「国民に対して、最高の善政をしいていますね」と、思われる政府などありません。皆様もそうお思いにはなりませんか。ですから、(あなたの理想からすれば)次善だとか、三番目だなあと思っても、この今の政府を盛り立てて、彼らが、そのノブレスオブリッジ(社会階層的に上に立つ人間は高い道徳を示さなければならないという発想)を、存分に示してくれるように、国民側としても環境を整える事が大切です。

 私は鳩山新内閣の誕生の時もそう言っています。今となっては「あの内閣はひどかった」と思っていますが、それは、裏の宰相というのがあって、鳩山さんはほとんどの意味で、リーダーシップを取れなかったという事情があったからでしょう。それも十分に予測をしながら、それでも、国のまとまりをキープするために、鳩山さんを支持する必要を感じたのです。

 で、あの時、および、第一次菅内閣に比べると、今回はなんとなく明るい感じがします。というのも、与謝野さんの加入が大きいです。国民はなんとはない雰囲気として与謝野さんに好意を持っています。それは祖父祖母の功績かもしれませんが、ともかく、好意を持っています。それと、信頼感も持っています。

 人材が少ないと言うのは、民主党の欠点です。それと、従来からの継続が少ない事も、一方ではプラスでしょうが一方ではマイナスです。与謝野さんはそこを補います。もちろん、与謝野さんだって100%の賢人ではないです。氏は、小沢一郎氏を洗浄するのに、大いなる役目を果たしてきました。碁好き同士として、小沢氏が行き詰まると一局打って、マスコミにそれを流しましたからね。

 で、この入閣自体が、小沢氏主導(または、国際的軍産共同体の主導)だったのかもしれません。裏をかんぐればきりがないです。でもはっきり言って、(一応ですが)、表向きには(国民としては)一代前よりも、安心する方向で、内閣が発足したという事です。
 輿石氏とか、原口氏が入閣するのでは眼も当てられないという所でしたが・・・
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 さて、その与謝野氏が、この新内閣の重石に成る事へすばやく反応したのが、石原伸晃・自民党のスポークスマンです。この発言はウエブサイト上で見ただけですが、「与謝野氏は、議員辞職をすべきだ」といいました。

 これを大変な失敗だったと言いたいです。私は相当な程度で自民党を擁護しています。それは、民主党の代議士というか、政治家として国民が付託した以上の権限が見られ、それを問題視しているからです。権限というよりも特権といってよいほどの、利益があります。それは、マスメディアの応援(特に、NHKと、朝日新聞が諸手をあげて応援してくれています)があります。読売はほとんど見ていませんが、日経はやや、静かですが、前の二つの動向は大きいです。

 どうしてそうなるかというと、日本の真の支配者である、国際的軍産共同体が、小沢氏を秘蔵っ子としており、その小沢氏が民主党へ加入したからです。小沢氏は政治家としては軽挙妄動、付和雷同(これは、真の支配者に対しての態度を指します。国民に向けてはこわもてで、ぶれないという事になっていますが)朝令暮改の人です。

 この人を上に立てたら、日本国民はひどい苦しみをなめないといけないでしょう。だから、小沢氏を表に立てる事に対しては国民は、必死になって阻止しなければ成りません。

 あの第二次世界大戦と、その敗戦で味わった、日本国民の苦難を思い出しましょう。その敗戦の結果得られたのが、システムとしての民主主義です。これが100%正しく機能しているかどうかは、疑わしい部分が一杯ありますが、表向きだけでも、それが機能してくれないと大変なのです。その中で、少しずつ悪いところを正して行くほかないのです。

 先ほども言ったように、世界各国、それほど、よい政府はないといえますから。ただし、ヨーロッパの特に中欧や、北欧の政府は、小さいからこそ、結構国民サイドに立って、運営されている雰囲気があります。ただEUに加盟している事で、ほかの国の財政はその尻拭いをさせられる形で、ある意味で利用をされていますね。

 だから、100%の理想主義は存在しません。

 で、少しずつ、政府の姿勢を正して行くためには、野党(今は、自民党)の存在が非常に大切です。で、彼らにも頑張ってもらいたいと感じていますが、上にあげた「与謝野氏の議員資格を剥奪すべきだ」という意見は、国民総意の向いている流れには沿っていません。発言をした事自体が、失敗だと感じます。

 こういう発言を彼にさせる主意と、主体はどこにあるのだろう。たとえば、河野太郎氏が事前に、この発言の趣旨を聞かされていて、賛成したであろうか? 自民党は小沢民主党に比べればはるかに、自由度が高くて、そういう意味では民度が高いはずなのに、どうして、こういう、戦略的に見ても、失敗としか思えない発言を許すのだろう。そこは疑問ですね。首相の目が遠のいているらしくて、雌伏のきわみである中川秀直氏などどう思っているのだろう。新党を作るつもりで、「当座のつなぎを、谷垣氏と、石原氏などに任せておけ」と思っているのかしら。まあ、政界の深奥はわかりませんが・・・・・

 この国をしっかりさせないと、どんどん、国民の権利や自由が奪われます。

 昨日(14日)、東電は一所帯あたりに、一ヶ月、20円を値上げするとNHKニュースが発表しました。これも、相当におかしいです。値上げの理由は各家庭で太陽熱発電をした結果の、買取り電力が高いのからなのだそうです。眉唾の理論構成です。

 これは、今いったん引っ込めている荻野アンナさんについての文章を、打ち消すか、書かせないがために、流されたニュースだと感じます。
 荻野さんが雑誌方面ですが、東電のコマーシャルに使われているからです。まともな考え方をする人間ですと、「それは無関係でしょう」となると思いますが、これらの発案者たちは、私に七冊目の本===『消された映画』というタイトルで、死刑場の描写がおかしいという部分が入っている===を出版させないがために、マスコミ向けに死刑場を公開するほどですからね。

 小さいニュースですが、こういう事が、非常に重要です。そして、私が一旦取り下げたのは、その脅かしに屈したからではありません。丁寧にしっかりと書き直すつもりがあるからです。

 今、小沢氏が沈黙をしています。それはなぜかというと、このような私の文章が非常に力があるからです。最上・最高の力を私が発揮する時には、彼は沈黙をします。

 私の文章をお読みになって、長い持間が経っていない方は、きっと途中で『あれ、感じが悪いな。単に悪口の羅列ではないの』とお考えになる事でしょう。で、私は読者の人気を得る事をすっかり諦めています。それでも、ブログの方は38万回も訪問していただけました。まだ、二年半ですからこれは嬉しいです。自分でも宣伝の労をとっていませんし、外部、(特にウエブサイトの検索機能)が宣伝をしてくれていません。記事についても一年以上前のもののタイトルを検索ランに載せているだけです。また、悪質なサイトでは、そこをあけても、真っ白な頁が出てくるだけのところもあります。

 それに、グーグルだって、訪問回数など非常に低く表示をしてあります。実際と違って、12万回か、1万2千回と書いてあったかな? ただ、ここでそれを問題にすれば、「調査時期が、そうとうに、前だったからです」と逃げ口上を出すでしょう。

 さて、私は気がついたのですが、その様に個別の事実を出す事が影響力があります。抽象的に総括していては、どんなに立派な事を言っても、日本と日本人を取り巻く環境は改善をされません。が、最近の文章のように、美術界に特化して、事実を羅列して行くと、政治状況まで改善をされていくのです。

 それを発見したからこそ、自分が本当にやりたい事とか、自分に本当に向いている事を犠牲にして、こういう書き方とテーマで書き続けているわけですが。

 さて、元に戻ると、自民党も大切なのに、今のシステムでは自らを浮上させ得ないと感じます。ともかく、石原のぶてる氏は、自民党のスポークスマンとしては、今の時点では適任ではありません。総裁そのものも、谷垣氏は平和時の総裁だと感じます。つまり、自民党の方が与党であり、首相を任じるべき人としては、経歴とお品はよいです。
 しかし、喧嘩は、うまくできないタイプですね。喧嘩はハマコーに任せておけばよかったのです。ああいう人材を、再び、見つけ出すべきですね。野党になってしまって、一種の戦時下にあるわけですから。

 ところで、もう一回政権を担う可能性もあるわけですから、下品に堕しすぎていると国民に思われても駄目なのです。その重い任務を担うためには、首相を担うと同じぐらいに精進潔斎が必要であるというか、天のご加護が必要なのです。ところが、父の石原慎太郎都知事がぶれてしまいました。
 漫画の表現規制の都条例の発効は、普段、進歩的であると自認をしている民主党都議が後押しして、成立したのですが、それも、石原都知事の普段の政治スタイルから言えばおかしい現象ですし、さらにタイミングを図れば、あれは、すべて、私を脅かして、書かせないようにするための措置でした。

 で、ご自分の普段の信念とは違った事をされたわけですが、これはひとえに、湘南人脈または、文壇人脈を利用して頼まれた事を実行した結果でしょう。原初は、伊藤玄二郎、および、井上ひさしあたりから出ている案です。

 石原都知事は、『これは小さい事だよ』と思っていらっしゃるでしょう。きっとね。だけど、私の意見は、国民を守るものですから、一億二千万人を大切にしているので、天のご加護があるのです。が、あなたの息子さんはそれを失ったと見えます。

 それゆえに、この私を弾圧する側に立つ、しかもそれを意図的にする人には、天のご加護が外れて行くのです。石原都知事が次の都知事選で、出馬するのか、当選するのかは、予測はできません。ただし、石原のぶてる氏が、国民の人気を失う方向で、現在流れつつあるのは、父のブレと、迷いが原因です。断言してしまうようですが、そうです。

 政治とは論理だけでは動かないので、天運を味方に付ける事が大切です。新聞やテレビを使う事もできますが、最後は天運を味方に付けた方が勝ちです。
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 ところで、私は自分を一種のシャーマン(巫女)というか、預言者だと感じる事があります。で、不自然な事が起きると、すぐ、その結果と将来性を予測します。上に上げた都条例による漫画の表現規制は不自然なところが数々あり、もちろん神経に引っかかったわけですから。で、石原都知事の将来性も占ったというか、感じましたよ。どういう風に流れて行くかを。

 それをみなさまに公開するわけではないのですが、息子である石原のぶてる氏が、自民党の長い歴史を背景にして、記者会見をする権利があるのに、それを、利用し切れないというか、極言すれば悪用している(自分の価値を下げ、自民党の価値を下げている)のを見ると、『ア、父の失敗が子に、報いとして出ている』と感じます。

 この天を味方に付けるという事は、ある個人でも大切だと感じますが、どんな組織であれ、そのトップにとっては大切だと感じます。社長や市長、または、大きな寺社仏閣のトップになったら、精進潔斎が必要です。祈る力も必要です。『自分は特権を得たのだから、前から欲しいと願っていた欲望を、達成してもよい』と思うのは大勘違いです。自民党でも、民主党でも、自らの構成メンバーに対しては、相当にかつ継続的に、教育をする必要があると感じます。
 派閥単位ではなくて党として。
 だって、勢いのある企業はみんなそれをやっているでしょう。
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 ところで、この新組閣の時に、ウエブサイトで見るニュースとして菅首相をけなす記事はたくさん出ていました。それが後回しに成りましたが、これも大問題です。
 というのも、こういう流れこそ、裏があるからです。

 日本の真の支配者のおめがねにかなった方向とは、日本の国力をそぐ事です。そのためには、政治家が立派であっては困るのです。国民が政治家を信頼しない方向へ流れるのが嬉しいし、喜びなのです。一方でお眼鏡にかなった政治家なら、あらゆる手段を通じて、えらそうに持ち上げます。

 でもね、この方面でも、『提灯記事が、いかにあてにならないか』の、実証例が過去にあります。民主党が、勢いを付け始めたころの選挙に、大橋巨泉氏が出ました。選挙前には大宣伝をして、大物であるかのごとき扱いでした。が、当選後、一ヶ月か、二ヶ月以内に爆沈してしまいました。表向きには、いろいろな理由を付けたと思います。が、国民はすべて、彼が、とんでもなく下品で無能な人間である事を理解したでしょう。早稲田出身です。それとテレビ司会者として成功した過去がある。だから、担ぎ出されたのだと感じますが、代議士を務める基本的な能力が欠けていました。

 それ以前に、どれほど、わがままな生活を送っていたかを推察される撃沈だったのですが、まず、朝早くおきて人に会うという事すらできなったのだと思います。今まで付き合ってきた芸能記者に対しては、自分主導で、支配できましたが、政治部の記者は彼を新米扱いするわけです。それだけでも、それ以前のマスコミ特権があったゆえに、頭に来たでしょうが、記者の取材時間というのにも辟易したはずです。一応国会とか、何かは、官庁と関係があるので、朝の九時か、遅くとも10時始発の体制で動くでしょうね。それだけでも夜型の生活をしていれば対処できなかった可能性があります。

 そこらあたりを国民は推察しているのに、きちんと論破していないマスコミは、よい政治家を選ぶ目を、国民から奪っているといえます。

 ともかくその時に、下っ端人間として、大橋氏を持ち上げるという形で動いた連中が、今は上司となって部下の若手に、菅首相批判記事を書かせているのでしょう。

 天皇陛下が歌会始の儀で、お忙しい日にぶつけて新組閣をして、皇居に訪問をするなど、例の「ご病気だから、天皇はメッセージを発表しません」と説明した羽毛田長官が
どれほど、国際的軍産共同体に利用をされているかを示しているし、菅首相も、その大勢からは逃げる事はできないと見えます。

 でもなのです。菅首相のまぶたは、午後六時からの記者会見内では、疲労で三重になっていました。そこは普通の感性を持っている日本人なら、気の毒にと感じるでしょう。そして日本人に買わせるためのマスコミなら、その感性に合わせないと売れないと思いますけれど、・・・・・いや、今は売れていてもやがて売れなくなると思いますが・・・・・

 ところが、「イラ菅が、やはり、切れた」という記事をウエブ上に見つけました。日本の商業マスコミが、いかに国民の大勢とは、離れたところで記事を作っているかが推察をされます。

 それは、自分で自分の足を食っている蛸と同じです。で、そう仕向けている裏側の組織は大喜びをしているでしょう。『日本人はバカだよね。軽く支配できる』と思っていて。
 ただ、ここで強調いたしますが、私はどんなに、日本とか、日本人という言葉を使っても、別に右翼ではありません。

 たまたまニューヨークでは、人間が元気なことを発見して、考え込んだことがきっかけで今のような意見を持ったのです。日本に生まれた人でも、日本に棲んでいる日本人よりずっと政治意識が高いのを発見して、『あれ、どうして、現在日本に住んでいる日本人が彼らと比較すると、政治意識が低いのだろうか』と思った事が出発点となっています。
人種的に言えば同じ日本人なのですが、独立国であるアメリカに住んでいると気概を持ち、被支配国の日本に棲んでいると萎縮して政治に無関心なのです。
 
 それと、あれほど、本質の無能さと下品さが国民の目の前に明らかになってしまった大橋巨泉氏が、今なおしぶとく、週刊新潮にコラムを持つという形で、命脈を保っているのを批判したいのですが、それも、ごく簡単に抑えておきましょう。誰だって、経済的な生活権は守りたいでしょう。収入確保の道として、大橋氏は海外にリゾート施設を何箇所も持っているそうで、そこからの収入があるそうです。が、そこへ集客するためにも、知名度を維持して行かないと駄目だから、週刊新潮にコラムを持っているのでしょう。だけど、これは、編集長のセンスを疑いますね。あれほど、国民がゲッとなった人へ、引き続き頁を与えているのは。週刊誌って、民衆の人気に依存しているものでしょう。

 では、今日はこれで。2010年1月14日に書き始め、16日にやっと完成する
                             雨宮舜

なお、この下に、前々報の続きというか補遺である、続・高木きよ子先生というのがあります。政治とは関係がありませんが、お読みいただけますと幸いです。穏やかな文章でしょう。
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続高木きよ子先生、と、最近の葬儀について、

2011-01-14 15:59:25 | Weblog
前報に補遺があります。ご返礼が5千円の図書券だと書いたのは、『金額がちがいますよ』というご注意がありました。そうですね。五千円では多すぎます。図書券の印を勘違いしていました。それから、高木きよ子先生(文学博士)の業績について何も述べておりません。自分との関係だけは詳しく述べていますが。そこはごめんなさい。

 一般的にわかりやすい著書としては、「八人の女帝」という日本史の本が、あります。が、それについて、あれこれ書くと、どうも、愛子様の女帝問題へ差し掛かりそうなので、わざとそれへの言及を避けました。愛子様の女帝問題については、意見を言いたくないものですから。意見はもちろんあるのですが、今のところ、国民の大勢がどういう流れになるかが判らないので。そこら辺はこの私でさえ、慎重です。

 それから、高木先生にとっては、人生の最大の不条理であったであろう大洋丸事件について、有為の青年殺しの可能性を感じています。特に先生のご主人と専攻科で同級生であった斉藤敏江さんのご主人のお二人とも犠牲になっているのが、十分以上に、疑問を喚起させます。つまり、専攻科というのは、全部で百人にも満たないのですが、その当時では日本の最上級エリート層だったと思いますので、お見合い結婚の盛んなあの時代では、そういう女性の夫たちもまたエリートだったわけでしょう。
 どうして、それらの有望な青年が一網打尽のごとくに命を奪われたかが問題なのです。アメリカ・グレナディア号の魚雷攻撃で非軍事用船(商船というか、客船)が沈み、死んでしまったわけですが、当時から日本人の中に、フリーメーソンの会員がいて、有為の青年たちに中国視察などを提言して、彼らを集中的に集めて船に乗せて、轟沈させれば、国家としては人材が一挙に奪われるわけですね。
 
 これは、安保反対闘争とか、学生運動とか、三里塚闘争とか、現代のリンチ殺人事件の多発とかで、繰り返されているまじめな青年を、発掘してどんどん、抹殺して行く仕組みと同じです。一見すると自然に起きた運動のように見えますが、裏で諜略があり、学生たちがはめられています。最後の一件は教育そのものの破壊による、青少年の破滅で、少しだけ、前とは異なりますが、社会を暗くするという意味で共通しています。

 大洋丸事件については、グーグルなどで、検索していただくと項目がいっぱいありましたので、そちらに詳細をお任せをしたいと思います。

 それから、有為の青年の抹殺という意味では、日本に限らず、諸外国でも戦争と、それへの巻き込まれ方があるわけです。が、そこについて触れて行くと、ことが膨大になって収集がつかなくなるので、ここで、とめておきます。
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 さて、これから先、(数節後、重要なことを述べるので、本当は後回しにしたいのですが)、葬儀についてあれこれ、雑感を、ここで、述べさせて頂きたいと感じます。通夜の次の日、告別式の様子についてもお知らせがあり、「とても、感じがよかった」と書いてありました。それは、きっとスピーチがあったからでしょう。
 仏式だったのですが、お坊さんのお経の前に、故人のお人柄や業績が、参列者によくわかるように友人と喪主の方がお話をされたそうです。キリスト教関係のお葬式では、スピーチがありますが、とてもよい形式です。高木先生の場合、参列者が、遺族も知人もスピーチをすることを恐れないというか、その意義を覚醒しておられる方が多かったので、仏式でも読経の前にそれが行われたそうです。で、それも含めて、高木先生の死とその見送りは、高齢のかつ、一人暮らしの女性のそれとしては、最高に恵まれたものでした。

 まず、ご親族や、知人に介護の労を取らせなかったということもあります。
私たち兄弟は、母を老人ホームに預けていたわけですが、それでも、最後の段階では水分の補給を、点滴で続けるか、やめるかという決断を家族がする必要がありました。とめるのは死を招くわけですが、続けるのも本人に無理に生き続けさせるという苦しみを与えることとなるわけです。判断が難しいところでしたが。

 母の死に顔は、高木先生とは違って、食べられない二ヶ月とその前の弱った形での、一年があるので、やせ細っていました。でも、家族が、めっためたに参ってしまう前のぎりぎりの段階であの世に行ってくれたので、喪主である弟が、『不謹慎な言い方だけど、子孝行だったね」というのは当たっています。が、高木先生などさらに、周辺・孝行だったわけです。
 それから、スピーチの件ですが、私は喪主である弟に、スピーチを参列者からもらうことを提言をしました。母は有名人ではないのですが、親戚の間ではゴッドマザーであり、皆さんへの大きな思い出をのこしていると感じましたので。ところが弟がそれを嫌いました。ので提案は引っ込めたのですが、初七日(焼き場から帰ってきて)の席で、私が勝手に立って母の人生をまとめました。出席者の知らない部分を入れて、・・・・・二分ぐらいですが、みんなが『ほほーっ』という感じで聞いてくれたのは感じ取りました。ぶっちゃけさせていただけば、『ちっちゃん(親戚からの私の呼び名です)は、幼いころから優れていたが、やはり、今でも違うね。普通の人とは、まとめ方がまるで違う』と、見なしてくれた感じをうけました。

 私のエッセイ(メルマガで、手書き時代から入れれば、13年続いている)を昔からお読みいただいている方は、私が親戚内では評判が悪いということをご存知だと思います。つまり、金遣いが荒いし、離婚も、しそうだし、ともかく危なくて、なんらかの厄介ごとが自分に振りかかりそうだと見られています。父の遺産のうち、半分ぐらいをあっという間にアート修行(外国へ行くこと、およびそれを可能にするための日本での一人暮らし、および本を六種類も作って、4千冊近くを、ほとんどただで配ってしまったこと)に使ってしまったことは、費用対効果という意味では無に等しいわけで、禁治産者並に扱われていたと思います。

 デモ、何度も繰り返して言うようですが、あの、(私一人だけに関するものですが)、激動の十年間は無駄ではなかったのです。私は十分に聞き手を感動させるスピーチを、その日に創り出すことができて、それで、母の恩に報いえたのですから。

 ところで、これは少し書き足したいです。今日NHKの第二次世界大戦はなぜ始まったかという特集を見ていたら、国際日本文化研究センターというところの研究者(または、教授職)の方が発言をされました。
 高木先生は、そちらにもお勤めだったという記憶があります。それを調べて補遺として付け加えないといけないので、お待ちくださいませ。
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高木きよ子(文学)博士の死を悼み、斉藤敏江さんの行方を捜す

2011-01-11 09:14:22 | Weblog
 母は整理魔だったと思います。そこは、優れていました。私は、『自分は家庭的ではないんだ。ちいさいころから、仕事をするべく親にも他者にも望まれてきたのだ』と考えて家事に対しては、手抜きをするところがありました。刺繍をするとか、クッキーを焼くとか、楽しいことには、励むのですが、整理整頓とか、掃除は、苦手な方でした。が、生活全般にバランスをとることを大切にし始めており、一種のレジャーとして、整理等に取り組み始めました。すると、自分が母と、そっくりなことを発見します。そうなると、子供たちが家にいる時期に、整理整頓、家事に没入しなかったことを、残念に思います。まあ、平均よりはできるほうだと思いますが、母の後ろ姿を見ている私よりは、私の後姿を見て育った子供たちは家事能力は低いでしょう。
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 ところで、そのクッキーですが、高木きよ子先生(文学博士、高木貞二さんのお嬢さん、父は数学者にして、文化勲章受章者)を驚かせたことがあります。

 高木きよ子先生は、本当のお嬢様でした。森茉里さんほど、突拍子もないというところはなかったけれど、やはり、お嬢様中のお嬢様でした。もしかしたら、専業主婦でご主人一途で、生きられたかも知れませんが、戦時中に、ご主人が一種の戦死をなさいました。

 商船(平和用の船)大洋丸がアメリカの魚雷が命中して沈没したのです。で、ここからいったん高木先生を離れて、高木先生と同じく、大洋丸でご主人を亡くされた斉藤敏江さんに入ります。

 斉藤敏江さんは、一般社会的には無名の方ですが、非常に聡明で、一流の人でした。たぶんですが、県立大津高校のご出身です。そこは、戦前は、横須賀地区の第一高女だったはず。で、当時は、女子大へ進学する方が特殊であって、普通の人は、専攻科という高女付属の学校へ進むケースが多かったのです。で、斉藤敏江さんは、旧女高師の付属のそれへ進まれました。つまり、神奈川県から一人か、ふたりだけ、そういう進路をとると思いますので、非常に優秀な方だったのです。

 そこで、高木きよ子先生と出会い、それゆえに、高木先生が、力をいれていらっしゃった組織であるOPCにも入っておられました。OPCとは、お茶大付属高校の出身者で作るサークルです。一年に何回か、学士会館で、講座を開いて勉強するとか、コーラスをやったり、食べ歩きの会をやったりします。が、戦後すぐは、未亡人になった方がお互いに助け合うために作った組織でした。高木きよ子先生は、お若い方の会員として、そこを支え、最晩年にはもっとも、年長で、意識も階級も高い方として、そこを引っ張っていかれた方です。

 でも、再び斉藤敏江さんに戻れば、私が始めておあいしたころ、ぽっちゃりした、水も滴るいい女という感じでした。どうしてそうなっていらっしゃったかというと、戦後、いったん大津高校で教鞭をとられたのですが、すぐ、アメリカ大使館から、勤めるようにという要請があって、そちらに転職なさり、定年までお勤めになって、定年前後にお会いしたからそうだったのです。

 まっとうな意味で、日本におけるアメリカ大使館の実力とはすごいものです。裏から言うのではなくてもね。ところで、私は同級生が二人も同じく、アメリカ大使館に勤めている(133人しかいない中で、その割合は、大きいですよね)人間なのですが、先輩にもいたわけです。

 で、斉藤さんは、水も滴るいい女なのですが、驚くほど、理性的理論的な方で、社会のこともしっかりとお考えになっている方で、その年賀状は小さな活字がびっしりと埋まっている一種の政治評論でした。

 それを、いただいても、私は『ありがとうございます』というだけでしたが、だんだんに、長いお手紙を出すようになりました。それで、可愛がっていただけるようになりました。斉藤さんが県立大津高校で教えていらっしゃった科目が英語か、国語かは、ただしくは知りませんが、もし、国語だったとしたら、私は可愛がられて当然なのです。中学時代も、高校時代にも、国語の先生には、本当に可愛がられましたから。

 今でも、これほど、大量の文章が書けるのも、きっと、基本的に、国語力が強いからなのでしょう。親がもっと、気持ちに余裕があり、私が、二番目か、三番目の子供だったら、素直に、自分の好きな道、たとえば、アートか、文学の道を志すことを許してもらえたと思いますが、『絶対にお金が稼げることを、学ぶのでないと学費を出さない』といわれていましたから、いわゆる、プラグマティックなことをまなんだわけですが、まあ、教養学部というのもよかったのかもしれません。

 何事でも、無駄はないです。特に、向いていないのに、化学を専攻しましたが、これだって、役に立つときもあります。

 で、斉藤敏江さんに、本当に可愛がっていただいて、大変たくさんの贈り物をもらっています。が、さらに、磯子のプリンスホテルにお招きを頂き、ほぼ一日中、八時間ぐらいご一緒してガールズトークをしたことがあり、感謝至極です。

 しかし、その日に、斉藤さんのお体を見て、内心で、ぞっとしました。老いとはこういうことをさすのかと思って。非常にやせておられたのです。お声は一生変わらず、可愛くて甘い美しいものだったのです。それは、50代の、あのふくよかで美しく、水も滴るいい女だったころと、同じです。が、体は、やせ細ってしまわれていて、眼鏡もかけておられるので、あの美女振りがすっかり影を潜めていました。お考えの通りのインテリ女性ではありましたが、でも、前の美女振りを覚えている私は、口には出さないものの、『絶対に、この方の、老後のお世話をしよう』と決意したのでした。

 今はずいぶんと明らさまにものを言いますが、そのころは、まだ、ニューヨークを経験していなかった時代で、一般的な日本人のルールで生きていたから、よい事でも、秘めていて、斉藤さんに、それを言ってはいません。ニューヨークが大切なのは、そこで日本人女性と喧嘩をしたからです。喧嘩をした事は生涯で初めてですが、あっという間に、私が勝ってしまったから、それ以降ずいぶんと自信がつき、あけすけにものを言うようになりました。

 1999年には、化学方程式(銅と硝酸の反応)を、書いて「これは、中学の段階よ」と言っただけで、相手は気が狂ったのです。2000年は、「私は使用料をひと月、500ドル、ここに対して、払っているわ。あなたは何も出していないでしょう」と言っただけで、相手は真っ青になって、足がぶるぶる震えていました。

 「こんな簡単なことで、喧嘩って勝ってしまうの?」と本当に驚きましたが、私は相手のことを配慮するあまりに、口ではほとんど、自分の意思を示しません。それで、どうも、バカだと思われるみたいで、いじめとか、妨害にあいやすいのです。日本だと喧嘩しませんが(というのは、後が厄介です)ニューヨークでは期限内に仕事をまとめようと思っていますから、嫉妬から邪魔してくる人間に対しては、「あなたはいけないことをしていますよ」ということを、言わざるを得ないのです。

 で、わき道から元へ戻ると、斉藤さんに何も私の愛を伝えられないうちに、斉藤さんのほうから、「私(雨宮=川崎)を娘とも思っている。本の出版費用は出してあげる」などという言葉が出てきたのです。それほど、やさしい人でした。また、どうして、それほどの言葉が出たかというと、私が逗子で一人暮らしをしていて、長電話ができる境遇であったからです。

 斉藤さんとも、ほかの人とも、長電話で、ずいぶん重要なことを話し合いました。あれが、56歳から、60歳までですから、大きな勉強になった時代です。あの一人暮らしは、家族には、さびしかったり、悲しい思いをさせたと思いますが、私が飛躍的に、成長した得がたい機会でした。あのときに、あれを、やっておいてよかったと思っています。

 斉藤さんとは、特に政治について話し合いました。斉藤さんは大津高校の関係で小泉純一郎総理大臣とは、親しい間柄でした。小泉さんのいとこが往年の、生徒だったのです。
そちらも、きれいな方で、かつセレブ(お金持ち)なのだそうです。で、下世話な話としては、<<<<元奥様が、週刊誌などに、出られたときに、斉藤さんが、「小泉さんは、相当なお金(一億ぐらい)を、奥様に上げてあるのに』>>>>とおっしゃっていたのを覚えています。元奥様は、製薬会社の創業者のお嬢様だそうですから、株式配当があると思いますが、それでも、ちゃんと、お勤めもなさっておられましたね。でも、それとは別に、小泉家から、相当な一時金みたいなものは出ていたそうです。

 さて、単にミーハー的なお話をしていただけではありません。斉藤さんと私の付き合いが、政治的な評論を斉藤さんがなさるので、尊敬したことから始まっていますね。そして、私はパリから帰国したあとで、手書きコピーで、今のこのブログの原型をはじめました。そして、小泉さんが首相をやり始めてから、その中に、「小泉擁護メール」と称して政治的な文章も入れ込めるようになりました。あまりにも、あほらしいレベルで、朝日新聞が足を引っ張ったからです。

 斉藤さんは、今、生きていらっしゃったら、93歳です。だから、メールは携帯でもパソコンでもなさらない世代ですが、お話にだけですが、株価の事とか、原発の事とか、(斉藤さんは、「原発反対は、小泉さんに要求しては駄目よ」とおっしゃいましたね。それは、そうでしょう)本当にいろいろなことを。

 それは、楽しい時代でした。が、その一人暮らしを引き上げて鎌倉へ帰る事と成りました。一番のきっかけはキャベツが腐った時の悪臭に恐怖を抱いたからです。一人暮らしをはじめるに当たって、母には、「森茉里さんになる」(つまり、「孤独死してもよい」)と話しては置きましたが、実際に、遺体が放つであろう悪臭を想像できてしまって、それには、縮み上がったのです。そのときに重い肺炎に罹っていたので、料理を自分で作りませんでした。そしてお医者さんに、「もうすぐ死にますよ。安静にしないと」といわれたショックで買ってきたキャベツを冷蔵庫に入れるのを忘れたのです。一人ぐらしの調理に使う小さなキャベツです。一キロにもならないサイズでしょう。しかも植物です。その葉っぱが黒くなって、とけてきただけで、すさまじい悪臭を発するのです。
 人間(=りんや硫黄も含む、たんぱく質)が腐ったら、どんなにすさまじいにおいでしょうか?
 父も母も、床ずれひとつない段階であの世へ行ってくれてよかったです。そばにいて、くさいと思ったことはありません。だから、一人で介護している人の大変さは想像できます。

 でも、鎌倉へ帰ったことによって、長電話ができなくなり、特に落ち着いた時間である夜はまったく電話ができないので、斉藤さんと縁が薄くなりました。三冊目までは、昔通りおいしいチョコレートでお祝いをして下さいました。

 ところがある時から、チョコレートが来なくなりました。「あれ、ご病気かな?」と心配して電話をかけると、驚くべき事に、斉藤さんは怒っていらっしゃいます。「あなたには、裏切られた」とおっしゃって。2008年の事ですから、すぐぴんと来ました。ご近所の猫騒動のあとです。しかも小町通りの工事が始まったり、映画『靖国』やら、『TOKYO』の公開、シーシェパードのこと、そして、前報でいったように、美術の世界では、酒井忠康氏が音頭をとったであろう、激しいいじめを感じていたころです。

 『うわ、「あなたのことは娘とも思っているわ」といって下さった斉藤さんにさえ、手が回って、敵陣に立たれてしまった』とそれはショックでした。ただ、斉藤さんが初めてではないし、電話が盗聴されていることも、すでに覚悟していた時だったので、すぐ立ち直りました。それと、斉藤さんが、アメリカ大使館づとめでいらっしゃったことがこの期に及んで助けと成りました。礼儀正しくて頭がよい斉藤さんは、ほかの大勢の、似たようなケースと同じく、単に怜悧にあしらって、真実を見せない可能性もあったのです。でも、はっきりと『あなたには、裏切られたわ』とおっしゃったからこそ、何か、裏があると信じました。私は一切変わっていないからです。具体的な悪口が、誰から、どういうルートで? と思います。
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 最高の悲劇として考えられるのは、斉藤さんが最も仲良くしていた昔の生徒である、せみさんという小泉さんのいとこ(または、はとこ)からその話が入ったケースです。これって本当に、恐ろしくてかえって、ただ笑うのみという話と成りますが、石原都知事が間に入れば、ありえる話と成ります。ここから先は、例の私固有の見てきたような嘘をいいの類で証拠は何もありません。でも、こういうケースはありえるとしてお話をさせてくださいませ。

 石原慎太郎都知事は、ご自分の息子を自民党に入れています。それから、昔は青嵐会だったはず。そしてアメリカへ行っても、大切に扱われていない人です。新聞特に朝日新聞にはたたかれています。

 ところが、こと私に関しては、例の国際的軍産共同体の言うなりに動いておられます。
一番顕著に出たのが、漫画の表現に関する都条例による規制でした。これは、どういう事かというと、糸電話のしくみの応用です。井上ひさしという人は、自分にとって、大切な人には、最上級の顔を向けていた可能性はあります。だから、朝日新聞社、文芸春秋社、新潮社、ほか、ありとあらゆるところに知り合いはいるでしょう。

 また、彼と二人羽織をなしている、伊藤玄二郎は、湘南に強い人間です。ルートは二重三重にあるでしょう。
 たとえば、酒井忠康氏を間にたてて、氏と仲良しの高橋睦郎氏を使うとか。etc.
私は六冊目のときに、京都の人文書院の偉い方、(もしかしたら、社長?)の渡辺睦久氏から、速達で、「出版を取りやめるように」と言われて、『ああ、すごい大物さえ、使役をされるのだなあ。という事は私自身が超がつくほどの、大物になっちゃったのだ』と思ったのですが、・・・ともかく、こと、私を、いじめ、書かせないようにするための諜略はありとあらゆる方向から、試みられていますから、上の想像も当たらずともいえ、遠からずでしょう。つまり、思想信条の別や、縛りなど、まったく関係のない動きすらして、「ともかく、彼女に文章を、書かせないようにしたい」というのが、彼らの目的ですから。

 さて、斉藤さんとの30年に及ぶ愛情を込めた交誼がたたれたという事は大悲劇です。こういうことも含めて損害が20億円を超えるというのです。無念の思いは余りありますが、でも、鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れたときに、『あ、天は私を哀れんで下さっている。私は天国では、斉藤さんとまた、仲良くお話ができるはずだ』と一応の安心はしました。

 人間とくに、『自分が頭がよい』と信じている手合いがやることなら、どこまでも、汚いレベルに落ちて行きます。でもね。それを上回る力もあるのです。汚いところへ落ちすぎると、修正しようとなさる天の力が働くのです。前から信じていましたけれど、生きているうちにその証明が現れるとは、思いませんでした。

 が、それほど、私の悲劇の度合いは深かったのです。
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 さて、やっとですが、高木きよ子先生と、私との関係に入りましょう。高木先生とは、夜の長電話などは交わしておりません。でも、可愛がってくださったという確信はあります。それは、やはり国語の力です。ただ、最初は、「若い人だから、彼女を部下として、使いましょう」というくらいの簡単な発想で、始まったと感じます。で、事務方のお手伝いをしました。それは、つきに二回ぐらい集まる会で、総勢10人ぐらいですから、私の中にある純真なところなどが、ご理解をいただけたと感じています。そして、それが、ほぼ30年も前のことであり、それ以来の交流で、本を差し上げることによって、さらに、本質を見抜いていただいたというわけです。

 二つ、三つ、特別に楽しい思い出があります。それは、本を差し上げた後で、何かの拍子に、「あなたは、オオガタだから」とおっしゃったのです。それで、「え、先生、どうして、私の血液型をご存知なのですか?」というと、「あら、血液型ではなくて、大きいという意味よ」と答えてくださったことです。こういう会話を交わすときに周りの人は目を丸くしていると思います。だって、高木先生は大学教授だし、各種の委員会の委員だし、めっぽう偉い方です。反対に、私なんて、すぐ歌など歌っちゃう変わった人でしかないです。『くらい』が違います。と、お茶大の付属高校の卒業生(特に私より年上の方々)は思うでしょう。『あの人ったら、あのえらい高木先生に対等の口(いわゆるためぐちというやつ)をきいているわ。どうして、そんな事ができるの?』というわけです。

 ここで、ため口と言う、お茶大の付属高校の世界ではあまり使われないであろう、言葉をわざと使ったのも、思い出があるからです。私が二冊目の本の中で「うんこずわり(=しゃがむということ)」という言葉を使ったのを、高木先生は驚くべきこととしてお受け取りになって、こうおっしゃったのです。「あなたって、ものすごい表現をなさるのね」と。私はすぐどこを指しているのかがわかって、「ええ、公立高校に通っている男の子の言葉を使いました」と答えました。

 それも、心のありようとしては、対等のお付き合いだったのです。

 決して、馴れ合いではないが、ともに、アメリカ文化に精通しているものとしての、対等の扱いをお示しになったのです。

 そういうよい関係がある時代に、私がクリスマスの挨拶を兼ねてお礼に、手作りのクッキーをお送りしたところ、「あら、いやだ。川崎さんったら、裏技を見せて(ずるいわ)」とおっしゃったのです。私にとっては、それは、何重の意味でもって、うれしい言葉でした。つまり、私のことをキャリアーウーマンだとみなしてくださっているから、「裏技を見せて」という言葉になったわけです。お金の稼げない私は、誰からもキャリアーウーマンだとはみなされていません。『でも、裏わざとという言葉が出た限り、学者であり、博士であり、大学教授である高木きよ子先生から、キャリアーウーマンとみなされているんだわ。ということはまだ、絵や版画をごらんになったことはないから、本について、それを仕事として認めてくださったいるのだわ』という意味で、嬉しかったわけです。それに、クッキーを冬なら週に二、三度焼くから人に見せるためのものでもないし、裏わざとも思わずにやっていることが、実を結んだことにも嬉しさがありました。

 日本って、専門性が大切で、社員とか、部下がいることが大切でしょう。だから、クッキーなど焼いていちゃあいけないんですよね。特に政治評論をする人間だったら。だけど、高木きよ子先生に喜んでいただいたから、それでよしとしておきます。
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 でも、その高木先生とも仲を裂かれた時期があるのです。「あなたのことを大型といった覚えはない」とおっしゃったのです。私はこの時はそれほど、ショックを受けませんでした。高木先生の性格をよく飲み込んでいて、高木先生さえ、動かされる敵方の悪意の強さにあっけにとられるだけでした。

 で、その後なのですが、斉藤敏江さんにからんで、高木先生の優しさに再び触れることができたのです。それをお話をさせてください。

 私は人を信じる人間です。いつか、思い直してくださると信じているので、斉藤さんには何度もお電話をかけています。2008年度中は、お電話は生きていました。お手伝いさんがいるのは知っていましたので、たとえ、斉藤さんが老人ホームなどにお入りになっていたとしても、お手伝いさんがたまたま雨戸を開けになどのために、来ていて、電話を取ってくれるかもしれないと思って、何度も電話をしていたのです。しかし、2009年には、取り外されていました。で、お手伝いさんの路線が駄目になったので、私は念のために、高木きよ子先生にお電話をかけて聞くことにしました。

 もう、仲良しではないことを自覚していました。だから、簡単に用件だけで済ませるつもりでした。でも、高木先生は、すっかり、ご機嫌が直っていて、やさしかったですよ。でも、斉藤さんの消息はご存知ではなかったです。高木先生の優しさに出会い、なんとほっとしたでしょう。これも、戦った結果だと思いました。高木先生にとって、直接私を嫌がる理由はないのです。単に誰から悪口が入るから、態度が変になってしまうだけです。

 でも、戦えば、その悪口を流している敵たちは、『あれ、彼女は、思ったほど、バカではないぞ』と成るでしょう。となると、間に立って使われた人間の不名誉につながって行くわけです。私は高木きよ子先生に私の悪口を入れた人間については推測がついています。でも、ここでは高木先生に免じてその名前を記しません。

 訃報が届いたときに、すぐ通夜に行く決意をしました。が、時間が一般より早めの五時に設定をされていたのを忘れてしまい、到着した時にほかの会葬者は、すべてお料理の出る部屋へ移動をしていて、だれも、いませんでした。で、それゆえにこそ、お顔を拝顔することを係りの人に申し出でたのです。

 これは、母の葬儀を身内としてやったばかりなので、お棺の蓋が通夜の日にも開いているのを知っていたからです。靴を脱いで祭壇に上がり、拝見した時に、『なんときれいなお顔だ。やせていられないし、まるで、お雛様のようだ』と感じました。
 高木先生は、生前はちょっと顔色が悪かったのです。それから、洋風な彫りの深い顔立ちでした。また、いかにもお勉強家のインテリという面立ちでもあり、めがねもかけていらっしゃいました。が、死に化粧の施されたお顔は、色白で、目が大きいことは整ったラインとして刻まれていて、肌はやや平面的に見え、それゆえに、純日本風の、いわゆる、良家の奥様と言う面立ちでした。

 お若い日に、ご主人を亡くされ、お互いの家のお話し合いの上、再婚もあろうかと実家の姓にお戻しになったのだけれど、そのお若いころの結婚がお幸せであった事を推察させました。天国では、いわゆる専業主婦の生活をなさるのかもしれません。エプロンをかけて。そして、何よりもすごかったのは、やせておられないことでした。母はほほがこけていました。斉藤さんは、15年前にお会いした時に、既に、ひどくやせておられました。私は高木先生とは、7年近くあっていないので、その点をひどく心配していましたが大丈夫でした。その死の様子も独身の女性としては、すばらしくも幸運なものでしたし。

 お正月の3日まで、どなたか友人とお電話または携帯メールを交換なさっていて、4日に初詣を親しい方となさる予定だったそうです。が、待ち合わせ場所においでにならなかったので、その友人たちが、ご親戚を伴って自宅を訪問すると、ベッドの中で、美しい顔で、亡くなっていたのです。それ以前には、あらゆることを、普通に、なさっていたのです。誰もがそれを願う形の最後でした。
 お元気なままで大往生なさったのです。みんなが望む最高の終焉でした。

 四谷三丁目の駅に入ると、突然にモーツァルトのディヴェルティメントが口の端に出てきました。そして最高の声で歌えてしまうのです。高木きよ子先生の死は大きく祝福されたものだったからです。その事を私は喜んだのです。

 お花料はいらないという事だったのに、お返しは、五千円の図書券でした。92歳の先生のために、・・・・・いかにも女性向で優雅な最高の祭壇をあつらえて、・・・・・姪御さんや、甥ごさんは最高のご葬儀を営んで上げたのです。

 お正月も九日目しかも日曜日の地下鉄四谷三丁目は、静か極まりない状況でした。

 ふと、斉藤敏江さんの、現況を想像しました。お会いできないうちに亡くなっていたら、私にとっては、なんと悲しい事でしょうか。まだいきていらっしゃってて、昔のように喜びを持って再会できることを祈っています。2011ー1ー12雨宮舜
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荻野アンナさんの母が、悪用をされた話から、酒井忠康氏へ

2011-01-09 14:04:44 | Weblog

 本日ご前5時にこの文の前半をアップしたあとで、10時間空けました。今は推敲中ですが、いちおう、9865文字に達したので、夜の八時に内容的には締めます。未完成で、アップするのは、ときどき、このPCの画面がまっしろになって、文章が消えてしまうからです。で、こうさせていただいております。

 前報ですが、タイトルには魅力がなかったでしょう。『これって、知らない人ね』と思われた方が多かったと思います。でも、それでも、すこぶる政治的な文章でした。ああいう美術の世界の人を上げるのは、それなりに意味があるのです。
 登場人物のうち、最もえらい人は、酒井忠康氏で、簡単に紹介すると、

 慶応義塾大学卒で著書も多い。鎌倉近代美術館をキャリアーの出発点として、今現在は、世田谷美術館の館長をしている。平行して、朝日新聞のメセナ審査員とか、毎日新聞のコンクールをはじめ各種コンクールの審査員も勤めている。

 今の日本では、上から10%ぐらいのハイクラス層を支配するためには、『国会議員では駄目だ』と、例の真の支配者は考えていると思います。で、文化人が利用をされます。大衆的には露出をしていない人である、酒井忠康氏は、政治の裏舞台で大きな役割を果たしてきました。

 前報は、このパソコンがまた、壊れたぐらいですしAOLが、一部の人にメールとして配信するのを拒否したぐらいなので、非常に大切な真実を書いているわけですが、書くほうは疲労困憊する内容です。が、この手の(生の)第一次資料が、最高に意味があるのです。そして、それを書くことのできる自分の存在価値を、私はひしひしと感じます。

 行動するから、新鮮なタネが拾えます。幸いに、そのタネを料理する頭脳を涵養しています。だから、今日も、これから、頑張ります。

 さて、しかし、またまた、すぐには荻野アンナさんへは行かれません。今日は、またまた、渡辺幸子さんへ入ります。そちらの方が、頭にぐわーんときているタネだから。、酒井忠康氏、と政治の関係を書くのには、こちらの方が、荻野アンナさんの場合より、よりドラスチックにです。身命を賭して書くとしたら、より難しいほうを先に書くべきでしょうから。

 で、芥川賞受賞者であり、慶応大学教授であり、大道芸のファンである女性・荻野アンナさんと比べれば、大衆的な知名度の少ない渡辺幸子さんについて、詳細に書きます。もちろん、前報でいったように、純真でしとやかなレディ(無辜の人)津上さんをかばうために、書きにくい関所があるのですが、ほかの側面から事態の真実へ迫りましょう。

 渡辺幸子さんは、酒井忠康氏が、審査員(長)である青木繁大賞というのをとって、100万円と、銀座でただでする権利(これは、実質で、60万円ぐらいの賞金でもあるが、画廊が支援すれば、その宣伝力が費用として加算をされるもの)をとった人ですが、その審査を「変ね」と私にメールで告げてきた、鶴見厚子さんの、お宅に、泥棒が入ったという現象から、私は、これが諜略だと直感しました。その後、ずっと黙っていたのですが、ここに来て書いてもよいと判断したのは、いつに、この山の人々の悪逆な行動に接したことと、輿石議員の臆面もないと言う以上の悪相に接したからでした。

 それを鶴見さんには話してはありませんが、これから、おいおいにに、この受賞が、国際的軍産共同体が、仕組んだ諜略のひとつでこと、そこから、朝日、読売、日経の合同サイト『新たにす』が生まれたという点にまで至ります。
 美術の世界に棲んでいる人間としては、書くのが相当にしんどい文章となりますが、『これが、私への弾圧の一種だ』と考えると、見事に符丁があってくるので、丁寧に追求して行かないといけません。特に今日また、シーシェパードが捕鯨船を襲いました。これこそ、私の筆を押さえる目的でなされていることで、酒井さんを個人的に守るために、捕鯨船の乗組員が犠牲になるのです。一方で、酒井さんには、安全と名誉とお金が行き渡ります。

 で、渡辺幸子さんの受賞が諜略ではないと仮定して、その場合の、正当な理由の方から検討して行きましょう。

(1)渡辺さんのご主人は、外資系の会社の社長です。お子様方も外資系の金融会社へお勤めです。だから、国際的軍産共同体にとって、こころから安心できる人材です。この人にいくらお金を注ぎ込み、名誉を与えるための投資をしても、絶対に、裏切られる心配はないという存在です。ほら、村上隆氏は、リトルボーイと言う原爆批判の個展を、国連ビルで開いたし、村上春樹氏は、イスラエルのパレスチナ問題を批判したでしょう。そういうことは将来起きるはずがないとみなされています。

(2)酒井忠康氏の審査能力というか、審美眼については、作家側では疑問を持っている人が多いのです。この件に関しては将来、また、丁寧に書くことがあるとおもいますが、今は先へ進みます。みんな自分が損をすることになるのを恐れて、表向きは何も言いませんが、酒井さんに不満をもつ作家は、実は多いのです。

 酒井さんの評判とは、組織にのっとって、半分組織の力を借りて作り上げたものだから、甘いのです。たとえば、毎日新聞(これは、現代アートの世界では、権威あるコンクールを主催していた)という組織に乗っかって、ご自分の支配力や権威を高め、収入を確保してきたわけで、そこで、見つけた逸材を、鎌倉近代美術館で企画展でもしてあげて、さらに発展をさせれば、ご自分が出歩いて作家を見つけ出す、労力が要りません。楽チン、楽チンで一生を送ることができました。

 そのコンクールがつぶれてしまいました。毎日新聞社が経済的に苦しいのはわかります。だけど、手弁当でやるつもりだったら、500万円ぐらいの費用で運営可能ですから、作家(絵描きや彫刻家のこと)への愛情と、賞を守る意識がまったくないと言うことがわかります。

 これは、その後、朝日新聞社のメセナをつぶしてしまったことでも同じパターンとして現れています。ご自分だけ、いいとこどりをして、食い逃げしています。そう言われても過言ではない、行動です。
 それは、鎌倉近代美術館・旧本館を葉山へ移動させた過程にも見られます。八幡宮様は別にそれを追い出さないといけないほど、狭いわけではありません。私をいじめるために、我が家のまん前から遠くへ、移転をするように進められたとも考えられます。しょっているようですが、本日シーシェパードのニュースに出会っては、そ憂い牛家内とかんじました、瀬島隆三あたりからすすめられて、それを酒井氏が了承をしたと考えると、これも、酒井さんが『公的な、職務上の責任を取らないで、単に個人的な報酬だけを取った一種の食い逃げだね』となります。

 もっと八幡宮様へたいして「こうしたいが」とか、「この美術館が現代日本の文明史に果たした大きな役割について」主張や説明をするべきです。そして、移転は反対だと、戦うべきでした。
 
 また、「どうしても、今の境内から出ろ」と迫られたなら、葉山の海岸より、もっと適切な土地を探すべきでした。葉山は、東京からは遠すぎます。お金持ちの専業主婦らのプチ遠足の場所と成り果てています。修行中の画家が勉強のために訪ねる事が不可能な場所と成り果てました。これって、その建設理念と歴史には、相当にそれています。

 これが会社だったら、怠慢極まりない社長とみなされて、社員から轟々の非難が上がるでしょう。我が家の東隣は、現在は八幡宮様の駐車場になっていますが、当時は民間の所有だったから、代替地として買い上げることは十分に可能だったでしょう。特に小さな道路一本を隔てて北側にも空き地がありました。どちらも買って、直方体のビルを二つ建てて、空中廊下で、つなげればよかったのです。

 見かけ上はひとつが、500坪程度しかありませんが、山部分がありますので、ごうけいすれば2000坪程度にはなり、容積率は大きくなるはずで、相当な壁長と床面積は確保できたはずなのです。女の、かつ、素人の私でさえ、こういうことがわかるのに。
 しかも、その後、ご自身は、さっさと、立地条件のよい世田谷美術館へ移動をされました。定年の関係からすると、その就業は、変です。大体、半分公立(土地代とか、建物の建設費を考えれば、ほとんど、公立です)のところは、65ぐらいが定年ではないのですか?

 『まったくおかしい人事です。それは、特権階級でお手盛りで、決めていることだから、共産中国より悪質です。酒井忠康氏自身が国際的軍産共同体のエージェント化しているから、やりたい放題ができるのかな。だから、厚遇の厚遇、かつルール違反の処遇をえられるのかななどと、私などは推察します。

 フリーエージェント化済みと成ると、私への数々の悪辣な行為も教唆の結果なさったことというより、ご自分から進んで実行をされたとなります。

・・・・・そうだとしたら、あなたは、井上ひさしと同じです。あなたの存在も20%ぐらいが加味されて、八幡宮の大銀杏は倒れました。
 そのあくどい行為の数々が、相手には、ばれていないはずだとお考えでしょう。私は、『これが、わなである』とか、理解していても、おとなしさをキープしていて、復讐することもないので、ばれていないとみなされることは多いのです。が、「すべての裏側はわかっております。そして、今日は一万字制限に引っかかりますので、具体的なことを書きませんが、おいおいに書いていきましょう。

 すると、酒井忠康氏が策略の限りを尽くす様子が、これまた、ミステリー小説のごとく、皆様の面前で展開することでしょう。そして、そのひとつひとつを成功だとみなしたからこそ、あのイラク戦争も起こり、アフガン侵攻も起こりました。タイミングを丁寧に付き合わせるとそれが、わかります。

 つまり、言論弾圧の最先端に、酒井先生の、美術の世界における私への諜略行為が直結しているのです。だから、氏は朝日新聞社顧問となっています。

 こういう複雑な悪が今急にわかったわけではありません。ずっと前からわかっていました。だから、一種激烈な調子で朝日新聞を批判していました

 その10時間ほど休憩を入れていた昨日から本日の間にも、嫌がらせは受けました。書いてほしくないと言うサインです。しかしそれは、裏返せば、ここに書いてあること、これから先に書くことがすべて真実だということを示しています。

 昨夜は、ガードマンが、GPS機能でさぐっているらしい私の帰宅を、ぴったりと鎌倉で、待っていましたし、(この人らちは、私が改札をでて、3分ぐらいするとご用済みらしくて帰宅します)夜の10時なのに、エスカレーターが使えないこととなっていて、(これも、繰り返される脅かしようのサインですが、無論気にしていません。だから、昨深夜に、帰宅後、上記の部分を書いたわけですしね。ただア、未だに古典的に、ガードマンとエスカレーターを使うのは、どういう頭のレベルなのだろうと、驚き入ります。
 それが、いちいち、こちらにとっては、自分が書いていることが正しいと言う確証につながるのに、やってくるからです。

 先ほどは、電話が混乱をさせられました。ロイヤルパークホテル(045-221-1101)へかけているのに、個人の堀川さんといううちに二回も間違えてつながりました。三回目と四回目ア、さすがにホテルにつながりましたが、実はナビダイヤルのほう、0120-169-589へ罹ったそうです。しかも二度も。ただ、丁寧に案内状と会話を交わしているうちに直りましたけれどね。これは、パソコンのキーが混乱する形で何度も出会っている悪い攻撃ですから、本当にへのかっぱというところです。

 デモ、こういう新しい攻撃にとらわれていて、字数を無駄にするのは、敵の狙うところでしょうから、この辺にして、先へ進みましょう。
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 さて、青木繁大賞の現金100万円とは、別のご褒美(企画展)の初日のことです。ワイン等を用意してオープニング・パーティ風にしつらえてありましたが、お客が誰もいないのです。唯一、赤津侃さんがいただけです。二人の表情の面白さといったらありませんでした。赤津さんとは、「お金を取って、あなたをも仕上げてあげますよ。ただし、お金をはらいなさい」とさばさばと、かつざっくばらんに言ってしまう美術評論家です。酒井氏よりは下だとみなされている存在です。

 『渡辺さんは、若い日に、お父様が破産をなさったこともあって、お金にはシヴィアーな人だから、まったく引っかからないはずなのに、それを、まだ、知らないのね』と、私は思いますが、渡辺さんの表情が見事で、しばし見ほれてしまいました。お客が独りもいなくても、自信満々で、『私には酒井先生がついているのよ。早く帰ってよ』という苦笑いがありありと表情に出ています。

 私はちゃんと入るつもりだったのですよ。礼儀を尽くすことなど、できますよ。お祝いの言葉を述べるつもりでした。だが、その二人の悪人の馴れ合いというか、名というかのやり取り、特に口だけ丁寧な言葉を発しているのでしょうが、顔はそっぽを向けている渡辺さんの意地悪さがありありと出ている顔を見ていると、『ああ、鶴見さんが、『川崎さん、絶対に、あの人と付き合っちゃあ駄目世』といっていたのはありがたい忠告だったと骨身にしみてわかってきて、そっと、その場を離れました。

 ガレリア・グラフィカという画廊には道路に面して大ガラスがはめてありますので、中が外から丸見えなのです。

 さて、午後五時にして再開へこぎつけました。上の現象を見たときに、これが、受賞後初の個展ですから、どれほど、彼女が嫌われていて、その受賞に画家たちが納得をしていないかが明瞭に見えました。ガラスごしに堂々とそれが見えました。立錐の余地もないパーティというのもありますが、私の1994年のギャラリーセンターポイントでの個展もにぎやかでした。別に受賞記念店でもなかったけれど、大変ににぎやかでした。

 比較して渡辺さんのそれは、凍りつくほど、寒々しいものでした。誰も祝ってあげる人がいない。一緒にワインやビールを飲んで乾杯してくれる人のいないパーティだったのです。
 彼女は鎌倉美術家協会の会員です。いや、役員かもしれない。また、通称アマゾネス軍団またとよばれている、田沢(真せく協会会員)先生のグループなど一週間に一回ほど、集まって長時間一緒にすごすわけですから、それこそ、お料理を作ってきて、かつ、お手伝いをしながら、祝福してくれなければいけない感じのおつきあいでしょう。それから、神奈川県展、神奈川女流展、新制作協会展に知人や友人もいるでしょう。また、私がそこで彼女とであった、大学同窓会展での友人もいますから、普通なら30人程度のお客は集まっていないといけないのです。

 しかし、これから、このいhと殻どれだけ、お金がもうけられるかなあと、偵察に来ている赤津さん以外誰もいないパーティです。ここで、オーナーの栗田さんが、本腰を入れれば、また、酒井氏が動けば、人が集まった可能性はあります。だけど、栗田さんも、堺市も何かのえさをばらまかなければ、人を引き寄せることができない、(=魅力のないタイプなのです。美術館主催のパーティをやりつけている酒井先生の場合ですが、美術館の場合は、ほぼ、3千円ぐらいカタログ(美術の本)をただで配りますから、

 大切なことは、性格の悪さを人々に見抜かれているということと、もうひとつ、それがないなと思われたら、来ないのでしょう。大体、酒井さんにお付き合いする可能性は、一年に、その付録つきの方だけでも、4,5回ありますので、それ以外は、『パスだよね』戸みんな思っているはずです。お料理だって税金、カタログだって税金、ともかく、自分の財布を汚さないで、人生すべてを乗り切ってきた人が酒井さんです。
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 ここで、渡辺さんが、『新たにス』を生んだのだという話へ入って生きたいと、月曜日の3時までは思っていました。が、字数が足りないので、それを後回しにして、ここに、荻野アンナさん、関連のエピソードを置きたいと思います。

酒井忠康と、江見絹子

 ここで、酒井氏の動きの詳細な例として、江見絹子(荻野アンナさんの母)さんが私の悪口をおっしゃったという現象をあげましょう。もちろん、間に何人もの人が入っていると思われますが、鎌倉発の現象とすると、酒井氏から悪い情報が流された可能性は高いのです。そう考えるといろいろ、うべなえることがある現象のひとつなのです。

 江見先生に私がどんな悪口を言われたかというと、「私がパリに行くことができた試験に受かったのは、ずるをしたからだ」と言う話が発端です。会員でもないのに、会員だと調査書に書いたからだと成っています。私は申込書には一切そういうことは書いておりません。ただし、1997年か、1998年に出回っている美術家連盟の名簿では、私は、国画会と、女流画家協会と、神奈川女流画家協会の会員と誤記されていたかもしれないのです。

 文化庁に出した書類上は、私は何もずるをしておりませんが、その名簿が誤解を与えて、彼女はずるをして、実際のレベルより、自分を高く報告したはずだ、だから合格したと、江見先生からお話がでたそうです。もちろん、宴会等の砕けた関だったと思われますが、私は聴いて仰天をしました。

 まず、江見絹子さんという、ある団体の頭領が、ずっと召したの若手に対して、まるで、対等か、それ以上の存在であるかのごとく、扱って悪口をおっしゃるということに不思議さと、(格が低く見えますよね。特にアンナさんが、すでに、芥川賞を取っていらした後だと思うので、これは、下賎な話となります)を感じたし、ともかくびっくりして、美術家連盟に行き、いろいろ、情報を確認しました。

 すると、私が出品と書いたのを、そういう掻き方をする人がいないので、会員と勘違いされたということがわかりました。ともかく、そんなことは、名簿が来たときに、別に点検もしないので、気がつきませんでしたし、ともかく提出用の書類に嘘は書いておりません。それは、国画会の先生に回して推薦の言葉をもらっていますので、間違いはないです。そこに会員などと書いてあったら、推薦の言葉をもらえるわけがないです。

 ただ、その件で、もしかするとですが、美術家連盟の小太刀さんが、あそこを去る原因となっているかもしれません。となると、世田谷美術館の館長に収まっている酒井氏は小太刀さんというある個人の、しっかりした職業的地位を奪って、結果としてご自分の方は出世、出世という大・果報だけを手に入れていらっしゃることとなりますが。朝日新聞の顧問だとも思うし、名誉、と収入は、大きなものでしょうし。もちろん酒井氏がこの件で無関係かもしれませんが、ほかに、5筒ぐらい私を苦しめるいわゆるいじめ用のアイデアを出していらっしゃるのはたしかですから、おいおいにそれを述べて行きますが、古いものからあげれば、この江見先生を使ったいじめが、私が気がついたものとしては、最初でした。

 で、なぜ、江見先生が使われたかというと、たまたま電話をかけたときに、江見先生ではなくて、荻野アンナさんが出られて、長話になったので、私側の印象が、濃いとみなされて利用をされたのでしょう。これは、毎日新聞の佐藤由紀記者にも通じる現象です。たまたまの電話で仲良しになると、相手が、敵に見事に利用をされます。佐藤記者は害深部でよい仕事をなさっていましたが、たまたま、私と感じよく話したせいで、書物(特にベストセラー)の担当になり、鎌倉春秋社の田中愛子女史を、インタビューすることとなりました。

 で、荻野さんに戻れば、彼女が電話口に出たのは、まったくの偶然だったのです。それにまだ、彼女は芥川賞をとってはいなかった時点で、私は彼女の顔を知りませんでした。世間というか、マスメディアには、まだ露出をしていなかった時期です。

 私は何も、誘い水は出していません。ただ、「江見先生はいらっしゃいますか?」といっただけです。デモ、当時のアンナさんは、わらにもすがりたい思いの最中でした。その困窮の理由は後に、小説『逃げ水』の中に結実して行きますが、家族三人が次から次へと、健康を害して、看病等に追い回されている最中だったのです。で、画家の家とは膨大なものがあるところなので、簡単に、お手伝いさんも雇えないのです。日本人だと、家庭内に他人に入ってこられて、プライヴァシーを外へ明らかにされると困ると言う発想がありますね。アンナさんは、お顔立ちは、お父様に似て、外人風ですが、本質的に、恥じらいの多い乙女であって、現状ではお手伝いさんを家に入れることはできないが、介護で大変であると、縷々おっしゃったのです。これは、盗聴をされていなかったら、なんでもないことです。

 それに、アンナさんは、その後、その同じ状況を小説にお書きになっていて、発表をされているのだから、秘密でもなんでもないです。そして、どうして、そこまでお話になったかといえば、それが、私の人間としての魅力だと、僭越ながら、ここで、申し上げさせてくださいませ。

 アンナさんもお嬢様ですが、私も20年前は、本当に過保護で世間知らずなお嬢様の一人だったのです。自覚は違います。精神的な苦労は、いっぱいです。デモ、それもアンナさんと似ています。アンナさんは、画家という仕事を持つ母との確執という苦労を背負っていました。子供として、母から拒否されているという感覚がありました。私の方は過去に相当量を(特に手書きコピー、郵送の時代から数えれば、13年以上続いている)メルマガで、報告済みですから、ここでは、繰り返しませんが、それもあるし、父から伝わった苦労もあります。でも、アンナさんが両親を愛しておられるのと同じように、よいことして、両親を愛しています。

 そういう土台が同じなのです。そういうムードは電話を通じてでも、伝わるのだと感じます。で、長話となったわけですが、当時から、瀬島隆三にすっかり、盗聴をされていた私側は、荻野さんをすきだからこそ、江見先生を使っていじめればダメージが大きいはずだと考えられたのでしょう。この件あたりの時期は瀬島隆三がまだ生きていたことですので、彼の発案であった可能性はあります。

 でも、当時から、鎌倉の伊藤玄二郎が重用をされていた可能性は、安野家の坊ちゃんが海上保安学校へ入学したときに、わざわざ私に聞こえるようにして石川和子女史が「国立の付属へ入学おめでとうございます』といったことでも推察ができますが。そして、最近の五年間に全国で、雨後のたけのこのように、国立大学の付属高校の新設が続いていることでも、証明をされますが・・・・・

 私がアンナさんを好きだからこそ、江見先生がいじめ役に使われたという思念ですが、後に、アンナさんが、東電のコマーシャルを担当したり、私が立派なことを(つまり、諜略の真実を)書くたびに、彼女が、メディアに露出をされるので、『なるほど』と、感じています。アンナさんは見かけ上はきれいな女性ですが、本質的にはを可愛い女性です。そして、私と小さな縁を結んだことで、出世とか、光が当たる結果となるということの好事例でした。
 
 それは、私と心通う人こそ、『そちらだけを出世させて、お前だけを、取り残してやるさ。そうすれば、お前は悲しいだろう』と言う発想が、敵側に、あるからでしょう。
 今は、まだ、誤変換を、全部はなおしてありませんので、しょめいをいれません。あしからず。

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酒井忠康氏に関して、削除した項目、二度も、それを、したのに、いまだに顕現か?

2011-01-09 02:58:45 | Weblog
 ここに、酒井忠康氏にかんする大変重要な文章を置いておりました。

 しかし、ある方、(その方は、悪の陣営の、犠牲者の方です)から削除の要請がありましたので、すぐ、下書きという形に変換して、

 外には露出をしないように計らいました。が、その10ヵ月後に、まだ削除をされていないという連絡がありました。

 ということは、グーブログが、私には見えない形で、それを、公開しておいたのだろうか?

 ということは、友達(一時期、活発に交流があって、今は引き剥がされている)との間の友情をこちらが守らなかったということと、なるのだろうか?

 ま、それも、ありえるなと思っています。もう、仕方がないと思っては居ますが、いずれ、こう言う件も、究明して、解決をしていくつもりです。

 が、もちろん、その犠牲者の部分を入れないで、酒井忠康氏を一本立ちにして、書き表すことが可能ですし、どんどん、被害が拡大すれば、それ相応に戦うので、その結果として、再度、その主文の方は、書き表す可能性はあります。

 繰り返しますが、犠牲者に関する部分は除いてね。

 特にその連絡を犠牲者の方から頂いたのが、2011年の月の末ですので、なるほど、酒井忠康氏について、文章を欠かせないがために、そういう工作が行われた可能性は有ります。

 その時点(20110年8月、20日以降)で、再び、酒井忠康分析を始めていますので、それを、中座させる目的で、そういう事が行われた可能性はあります。

 まあ、酒井忠康という人物が、国際的軍産共同体にとって、相当に大切な人物である事が伺われます。とくにそのエージェントである、伊藤玄二郎氏にとっては、さらに、鎌倉近隣同士という縁で、重要なのでしょう。

 国際的軍産共同体はパソコンや、インターネットの世界を牛耳っていますから、こう言う工作が可能であることも、推察できます。

 なお、2011年、8月29日発信の
                  では、雨宮舜(本名・川崎 千恵子)
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仙石氏の去就から、糞づまりの話へ

2011-01-07 01:49:47 | Weblog
 今、仙石氏を辞任させるかどうかの論議が起きていますが、政治家としては素人ぽい(しかし、それが別に悪いことでもないが)、菅内閣において、ただ、ひとり悪人風な仙石氏は貴重な存在ですから、私は辞任させない方がいいと、思っています。先日、「死刑問題で、氏が勉強を始めます」といったことをここで、取り上げていますのが、それ以降、この話が起きていますから、『私がまた、ニュースを造ることに成ったら嫌だなあ』とも思いますし。
 しょっているようですが、いつも、このブログと政治的状況は関係しているので、そうもうし上げます。

 好悪の感情は別です。尖閣諸島の件でも、中国人船長を、解放させたのは、自分(または、中央政府である、菅内閣)であるのに、「石垣島のドメスティックな判断で」などというのは、狡知に長けた(いえ、長けすぎた)人格を示していますので、決して好きではありません。

 さらに言えば、「死刑の勉強を始める」といったのは、それこそ、裏で、国際的軍産共同体に動かされての発言ですから、以前、息子さんの事務所の経費問題で、いじめられたことからくる同情も吹っ飛んでいます。

 しかし、ここでこの件で民主党を追求しようとしている自民党にも、この件では同情ができません。つまらない発想だとかんじます。特に石原伸晃氏がスポークスマンであるのは、マイナスですね。非常に、軽く見えます。

 民主党が、メディアから過剰に誉めそやされているのも不思議で嫌なことだと思っていますが、そういう国民からの同情を、プラスの方向へ向けて生かすように、掬い取ることができない自民党にも、あきれています。ここは、大局観にたって、優れていると言う側面を見せなければ駄目なのにと思いますが、難しいのかなあ。
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 ところで、お正月でブログを更新する頻度が落ちています。特に息子のほうに孫ができたので、それに関連して、外出が多く、それゆえに、文章を書いている暇と体力がありませんでした。そこを見定められていて、小沢氏は、衛星放送(デジタルテレビ網)で、記者会見をしたそうです。そして、「遊びに来て」という私の家の電話を盗聴するものたちと、小沢氏または、小沢派の動きは、見事に連動しているのです。

 輿石さんというのが、また何か、発言をしたと、5日の夜九時のNHKニュースが言ったので、一気に下の文章が書けてしまいました。輿石氏は、教組を母体とする議員だそうです。日教組は、深いレベルで、軍産共同体が手を伸ばしているところです。だから、小沢氏の、腰ぎんちゃくと成って、いますね。昔だったら、自民党は右翼であり、日教組は左翼なのですから、相容れないはずなのに、仲がよいということは、すべて、現在の日本の真の支配者が、国際的軍産共同体であることを示しています。

 ともかく、輿石氏は、若いときから、右顧左眄して、自らを守るためだけに行動してきた人で、それ特有の面立ちですね。
 それから、ここでは、氏がNHKへ、何百回と露出するに反して、日教組を批判した中山元文部科学相へ対するマスメディアからの集中的ないじめを考えると、余計輿石氏のお顔に嫌悪感を感じます。

 教育の現場にいる人は、長い間、日教組がどれほど、現場を駄目にしたかをよく知っています。『かけっこで、一等賞をつくらない』などと言う馬鹿さ加減は、さすがに、マスコミでもたたかれましたが、日の丸を上げるななど、いちいち、日本人としてのまとまりを阻害してきました。だから、シーシェパードなどに容易に攻撃をされるようになったのです。日本を内部から崩壊させて行く役割を担いました。文部省の官僚や、大企業のトップなどのエリートは私立へ子供を入学させるので、公立などどっちでもいいと考えているのでしょう。中山元大臣は、大切なところへ手を付けようとしたからこそ、マスコミから総たたきを受けました。普段からお金をかけてマスコミを手なづけておくなどという芸当は、普通の人間には不可能ですし。それを小沢氏側はできるそうですが。

 NHKが徴収しているお金は、ほとんど、税金に等しいのに、こういう風に輿石氏を突出して露出させて、一私人である、小沢氏を擁護する運動に、ニュースとして、多大な時間を割くという不思議さを示しています。それも、大いなる分析の種となります。その結果は、日本人を苦しめる方向へ向かって行っているのですから、お金を取って、国民を苦しめるニュースを配っているといえます。恐ろしい立場と方向性です。
 特に現・福地会長の時代に、大騒ぎが頻発しています。これは、記録をしておくべきです。何がいけなかったのかは、詳細に、検討すべきです。
 
 個別的に言えば、もっとも、問題なのは、夕方六時から始まるニュースです。そこは悪い教唆のために、利用されきっています。その中に、関東圏では放送をする必要がない、または、してはならない、京都のニュースが出てきたことがありました。夏のことですが、『葵祭向けに、山鉾の電源コードの点検をしている』というニュースです。

 それはちょうど、我が家のガスストーヴが、留守中に点火をされていた時期と重なるから、私をおどかすために、ニュースが利用をされて、いるということとなります。真夏ですから、私が着火するはずはありません。もしずっと気がつかずいて、ふと、その熱気・排出口の前に洋服や紙を置いておいたら、火事になった可能性はあります。

 しかも、最も恐ろしいことは、同時にコンセントが数ミリだけゴムを削り取られていて、そこからの漏電で、火事が起きるように設定をされていたことです。

 もちろん、私には、瞬時に、誰がやったかとか、または、何のためにやったかの目的も、推察できました。

 私が、用意している七冊目の本が、彼らにとっては脅威であって、それを、紙の本へ直させないがために、あらゆる脅かしをしていた時期で、これもその一環だったのでしょう。大相撲壊滅作戦で琴光喜の写真が、本人へのインタビュー(イコール弁解)を一切報道せず、ただ悪人として、大写しでテレビ画面をにぎわわせていたころで、藤原新也氏が、週刊新潮上で、『おかしい』とおっしゃっていたころです。

 その上、ご近所様もたくさん利用をされました。せみのおしっこ』というタイトルで、大原光孝氏のことを書き、さらに、前田夫妻、安野夫妻の悪辣さの詳細を書き始めたのも、こういう異常な攻撃にさらされるからです。で、事態をさっと、解釈してブログへ書き表しました。それをしないと、どこまで、攻撃が昂進するか、読めないところがあるのです。私の敵たちは、完璧に、きちがいと、成っていると見えます。冷静な判断力とか、道徳心はかけらも見えません。

 で、実行部隊は、その行動力を恐れられている、革○かも知れませんが、同時に、公安警察とか、CIAの可能性もあります。

 ハッキングも、心理学的な泥棒です。そちらは、ほぼ、警察が関与していると、わかっています。で、この間、公安部長が謝罪したのは、一種の別件謝罪であったとみなしています。神奈川県警の不祥事が多数報道されたのも、私の書いた石川和子女子関連の不祥事を間接的に謝罪しているつもりなのでしょう。でも、こちらとしては、問題が解決したわけではなくて、すっきりしませんが・・・・・
 
 その上、さらにですが、外出先では、機動隊用バスが、頻繁に目の前に現れ、井上ひさし原案であることの確かな、交通機関の遅延現象も、続くので、私は合計五方向から、攻撃にさらされている事となっています。

 この2011年5日の深夜も録画番組を見ていたら、ちょうど真央ちゃんの演技のところで、テレビがまっくらに暗転しましたので、
<<<<まだ、大型無線ラン機能を通じてやっている、これほど、書いても>>>>と、怒りがおきましたが、怒ってはこちらが負けなので、一切無明の精神で右や左へ打っちゃることにしていますが、でも、冷静に文章は書きます。だから『八幡宮の大銀杏がなぜ倒れたか』も明らかにして行くこととなりましたし、こちらも死に物狂いですからさらに、文案が進むこととなります。

 今日の文章も、テレビが暗転したことも原因ですが、輿石氏も関連しています。けれど、もうひとつ、あります。ご近所の、安野夫人が、2010年の12月30日にご自分の野菜畑で嬉々として作業をしていたことも想起の一因でしょう。我が家のそれは、彼女が原因で、コンクリートうちをされてしまっているので、26年間も使えません。デモ、彼女の方には、一切の反省がなく、堂々と自分の分は使い続けています。恐ろしい精神の持ち主です。

 彼女がそれを、これ見よがしにやったのは、個人の感情や意思からだけではなくて、これから、私が書く予定である、貴乃花親方批判(もちろん、審判部長就任の件に対してですが)を書かせないがための行動でしょう。どこやらから、示唆されて農作業を、行っていると考えられます。貴乃花が審判部長になったのは、いつに、「彼の母・憲子女史の行動様式が、安野夫人にそっくりだ」と私が書いているからです。

 私がけなした人物を、世間的、社会的に高く持ち上げるというのは、国際的軍産共同体(特にこの場合は、伊藤玄二郎と井上ひさしを指すが)が常に用いるパターンなのです。
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 NHKに対して言えば、一種の様子見である、輿石氏の言葉なんか、報道しないでほしいです。そして、政界に対していえば、さっさと、小沢一派が離党してくれたり、民主党が分裂して新党を作るなどという新しい展開があったら、よかったのにと思います。そうしたら、以下に書くエピソードなど思い出しもしないのですが、汚い政治状況を見るに付け、この鎌倉でおきた忌まわしいことを、思い出してしまいます。

 ご近所住まいの大原光孝氏の子供っぽいいじめ姿に出会って、それがパンドラの箱を開けたとすでにお話をしてあります。<『せみのおしっこ』という文章内に詳細がある>わけですが、ニュースで置石氏の発言を聞くたびに、その箱から、汚いものがわんさかと、さらに、出てくるのです。

 この「ストーブを利用して、火事にしてやれ」という恐ろしい悪巧みも、発案者が誰かは特定できないものの、例の一連の連中がやったことに間違いはありません。しかし、ブログで、「これが、諜略だ」といって、因果関係や、裏側を書けば、すぐ、表向きの理由を付与してくるのです。バカみたいに、すぐフォローをしてきます。

 それが私に対しては、電話で知らされるわけでもなくて、NHKの、夕方六時のニュースとか、三時のニュースが利用されて知らされるのです。つまり、それでもって、敵方はこのブログに書いてある内容が、日本全国の読者に向けて、打ち消しうると考えているのでしょう。浅はかだと思いますが、それを、何度も繰り返してきています。

 これは、私個人に向けてやることと同時に、この日本という国家に向けても、使う手法です。チューリップの頭をなぎ払った事件がありましたね。あれも、一部は、模倣犯が出たかもしれませんが、一部は諜略です。

 それから、花王の飲料に毒が入っていたり、コーラに入っていたりしたのも諜略です。犯人が見つかりませんでしょう。それから毒入り餃子事件。あれはまさしく諜略です。
しっかりした総理大臣である、福田康夫氏を追い落とすための謀略でした。
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 ところで、汚いことというのは、本日は江見絹子さんと荻野アンナさんが関係してくる話で、目新しいものだと感じますが、それを書く前にさらに触れないといけないことがあります。荻野アンナさんはスターです。その上、慶応大学の教授ですね。その方のおかあ様の失敗を書くわけですし、それの原因となった、酒井忠康氏についても書くわけです。

 酒井氏から、私が与えられている損害は、優に一冊の本を出版できるぐらいたくさんありますが、本日から、その具体的な記述に入るわけです。でも、私も美術の世界に生きている人間です。できれば、書きたくないほどです。

 でも、相手方、特に伊藤玄二郎は、自分の味方を守るチャンスを逸しすぎています。私の方では、2007年の12月にはすでに、この悪事の構造的分析を終えておりました。そして、2008年に和解というか、調停を申し出でています。ブログではなくて、メルマガですが、ハッキングは常にされていますので、その申し出でについてはわかっていたはずです。

 彼は、鎌倉春秋社ビルを、二階建てから、四階建てへと急遽増改築しました。だから、優秀な弁護士さんに渡すべきお金は、十分にあったでしょう。それから、NHKほかのメディアを動かす力はあるわけですから、専門の弁護士ではなくても、私が十分に信頼している人間を間にたてて、謝罪をしてくるチャンスはいくらでもあったのです。瀬島隆三に泣きついてもいいし、小沢一郎氏に泣きついても、お金は出たと思います。だから、私が書くことは一切、だまし討ちではありません。そちらがやってきたことを、書き抜くだけであり、「書かれたくないのなら、何も諜略を行わないでください」といいたいです。

 でも、事実上は、何を書いても反省しません。母の死後一週間以内に、「草間弥生を、350万円で、買いませんか」と電話があったのも、自然なことではありませんし。だから、もうすっかり腹は決まっているのです。それに大銀杏も倒れました。その影には、酒井さんが行った、数々の、私への嫌がらせも、(天がお叱りになった)ポイントとして加算をされていると感じています。

 で、私が常々言っている、総計20億円を超える被害というもののうち、今日は糞詰まりの話をここで、明らかにしたいと思います。お正月早々に、糞詰まりの話とは、恐れ入りますが、輿石氏の顔、安野夫人の農作業、テレビを外部から操作されること、の三つが、そのエピソードをさらす決意を固めさせました。

『糞詰まりの話』
 この、<ストーヴを着火されたり、コンセントを破損されたりした同じ日>に、トイレのドアーに、黒マジックで矢印を書かれました。で、どちらもブログで、報告をいたしました。それから、パンツを所定の引き出しから、別の引き出しへと、移動されている件も。

 『すべて、下品極まりないことだから、ブログの世界を大切にしている彼女は、こんなことは、書くはずがない』と、見くびられていることも感じましたので、はっきりと書きあらわしました。

 この、黒い矢印を書かれたことが、どういう脅かしになるかと言う点だけは、さすがにまだ、書いてはいないと思います。あまりにも全体が醜い話なので。でも、今日は書く決意がつきました。

 その矢印ですが、ちゃんと意味があります。その「トイレでは、水を、夜は流さないように」と主人がいったので、管が詰まってしまったのです。実は40年前に設置された水洗トイレなので、大の方と小の方の水の流れ具合が今のものとはまるで違っていて、差が大きいのです。で、大の方は、ばしゃーっという大音量をたてるものですから、主人が上品なお隣に気を使って、「夜は流さないように」と言っていました。

 お隣が引っ越して来られてから、1年半ほどして、小の方の水量では、紙も実物も流しきれなかったらしくて、詰まってしまったのです。黒い矢印は、それを知っているぞという脅かし用のサインでした。特に、『自分たちだけで直しただろう。くそまみれになって』と笑いたいわけです。

 確かに、その糞詰まりを、主人が、直してくれたのです。ドゥー・イット・ユアセルフが好きで、何事も、自分で直してくれますから。

 主人は電話の盗聴も室内の盗聴も気にしませんから、居間で、その様子を面白おかしく、私に話しました。「くさかったよう。糞詰まりとは、まさしくあれを指すね」と。私はそのエピソードが悪意をもって敵に利用をされるであろうことは、瞬時に察しましたので、すぐさま、「そういうことは、この家では言わないようにして、気取って頂戴」と事前に決められている合図を、ボディラングエッジで、送りましたが、主人はそれが不自由だと言って、常に嫌がります。ので、自分で表現したい様に表現します。で、敵は知って脅かしてきたわけです。

 この『夫婦間に、会話すら自由がない』ということは人権蹂躙のひとつで、ひどいことです。それが朝日新聞社顧問である、酒井氏とも、直結している悪なので、これから、話すことを公開する必要が出てくるわけです。

 ちょうどそのころ、安野家方向から、マンホールをがたがたさせる音が聞こえてきました。二重三重に脅かしの効果を挙げるためにです。それを安野家がやっているかどうかは、今回はあまりにも目的が明らかなので、確かめにもいきませんでした。敵がたのやることは大体わかっています。ご近所に、私の弱点を知らせ、ご近所様が威張ったり、いじめたりするように仕向けているわけです。『いじめられれば、彼女は、ノイローゼになって、精神病院送りにできるか、または、引っ越して行くだろう。そうしたら、書けないはずだよ。その結果、今後も安心して、日本人を騙して行き続けられる』と思われているわけです。

 安野家のご主人が、真夜中に鈴を鳴らして夜警をしているとは昔、言いましたね。、真夜中に外へ出てみて、ご本人に出会っていますので、これは、確かです。夜の12時過ぎでもいたします。そのころはお隣の上品で夜型の、白井家は、まだ、引っ越してきていなかったので、12時過ぎまでおきているのは、我が家だけでした。で、鈴を使うのは、我が家だけを狙って脅かすことが目的です。普通夜警って拍子木をたたきますね。
 でも、彼は鈴です。ん。
 
 特に風呂場の窓を、安野家から、見ることができますから、風呂場が点灯をしたら、脅かし作業を始めるわけです。室内盗聴によって、主人が、夜は早く入浴し、十時半には、就寝するのを知っているからこそ、そういう風に、真夜中に脅かす行為に出てくるわけです。
 そのころ、安野宅では、門柱に張ってある警察からの青いエナメルだけでは足りなくて、真向かいのブロック塀にも、警察の紙のポスターを麗々しく張っていました。色があせるまでの長期間。

 だから、安野家の忌まわしい行動の数々は、もしかしたら、警察の命令によるものかもしれません。彼の行動の本質は、私の周りに、一種の牢獄を作ることなのです。アウンサンスーチー氏と同じ現象です。トイレの壊れたことまで知られている。それから夜の入浴まで知られているとなっては、心の自由がありません。人権蹂躙の最たるものですが、追求されたら、『ある一個人がやることだから、警察は関係がない』と、言って逃げていられるわけです。でも、こうなると、『奥さんも恐ろしい人だが、だんなも恐ろしい人だわね。似たもの夫婦だわ』となります。

 さらに思い出せば、あそこの家でした。人の頭に、ご近所の未婚のお嬢様の携帯を利用して水をぶっ掛けたのも。駅から帰ってくる私をそのお嬢さんが待ち伏せしていて、『今、通るよ」と安野家へ電話を入れたのです。液からこの山まで帰宅する時間は、持っているモバイルパソコンのGPS機能を利用して行われます。

 そして、私が直感と天の助けで、水を浴びることはなかったのに、そのお嬢さんの母は、30メートルの向こうから、「成功したー」と大声を上げ、お嬢さんの方は、失敗したと親にいえなくて、成功と全山中にそれを知らせたらしくて、大原家や、前田家で大喜びをしていて、前田婦人がご主人にしかられていました。「やめなさい。そんな下品なしぐさは」と。そして、私が騙されず、水も浴びないでいて、この件をブログでしっかりと書き始めると、お嬢さんはカリフォルニアに留学と称して、逃亡させられるみたいです。

 ここからも、カリフォルニアが国際的軍産共同体の一大洗脳基地であり、拠点であると、以前から申し上げていたことが正しいとなります。だけど、これだけ、失礼なことをされるのは、私の花畑が盗まれていることが出発点ですから、これほど、忌まわしく、汚いことはないわけです。花畑が盗まれたのは、ここがたこ部屋敵、特殊な地域だから、悪化が良貨を駆逐した結果です。

 それと、偽装された痴漢を設定して、うちの娘をわざと夜の12時過ぎに助けてみたりして、わざと私に彼らに対して、お礼を言わせたりして、演出満々です。パンツを所定の引き出しから、別の引き出しに移動させる泥棒も、もしかしたら、あそこのお宅に、ピッキングによって作成した鍵を渡していて、そちらのご主人に、やらせているのではないかと思ったときもあります。それこそ、『その事実を彼女が知ったら、恥ずかしがってノイローゼになるはずだ』と思われているでしょう。ただね、こちらの方は、警察ではなくて、井上ひさしのアイデアである可能性はあります。上智大学へ入学したものの、ストリップ劇場へ入りびたりだったそうです。
 彼なら、パンツの持つ意味についても、普通の人よりは深い感性をもっていて、それをアイテムとして利用しようと発案した可能性もなります。そして、略奪婚で結婚にいたったあの安野ご夫妻(略奪婚がわかったのは、あまりにも彼女の勝気さが強いことと、それが、あたりに大迷惑をかけているにもかかわらず、誰も猫の首に鈴が付けられないという不思議さを追求しているうちに、わかってしまったことなのですが、それを書いて以来、一年が過ぎていますが、一切どこからも抗議が来ないので、当たっているでしょう)は子供を一緒に育てるなどという喜び(真実の意味ではね。演技としては、いつもすばらしいお母さんを演じていますが)も知らないあのお宅では、そういう作業が一種、いいようのないほどに優れた、夫婦間の接着剤となっていたりしている可能性も大きいです。

 そんな恐ろしいことを、そちら側が数々やっておいて、それでも、町内会の回覧板で、「不審者があったら、密告をしてください」というのをまわしすのです。まさにきちがいです。しかも、その後、私が電車に乗るたびに、『不審者がいたら、密告をしてください』という放送がなされ、駅のロッカーを使った時に、中身が盗まれたりする、脅かしもされました。

 桜沢健一さんですか。公安のえらい人。あなたに言いたいです。あなたはこんなばかげた人物たちを守るために、日本全国民一億二千万人の前で顔をさらして謝罪をすることとなったのですよ。そんなことをする前に、方向転換して、しょっ引いたらいかがですか、諸悪の根源と成っている、柳沢昇という、どんよりした表情の大男を。そうです。あなたに比べれば圧倒的に鈍重な感じのする人間です。そんな人間の失敗のために、あなたは、全日本へ向かって頭を下げさせられたのですよ。不条理きわまりないでしょう。

 補遺、安野夫妻が、迷惑をかけている相手は、今では、相撲界に及んでいます。貴乃花親方は、個人としては立派な人物です。お兄ちゃんとは、比較にならないくらい。が、いかんせん、まだ若い。審判部長の地位につく力量がありません。で、親方衆や、関取らから大ブーイングだそうです。技術的なこともさることながらです。奥様が、テレビ界の出身者ですから、中小企業の社長が多いであろう、タニマチとの付き合いも好きではないであろうし、何よりも、弟子が育っていません。それは、人事としては、安部総理大臣を任命した、小泉さんに似ている大失敗です。だけど、あちらは、小泉さん一人の決断と見えましたが、こちらは、違いますね。後ろ盾があります。それも、おかあさんが、安野夫人に似ているということだけで、できた後ろ盾です。不自然極まりないです。私は不自然なことは問題にしていきます。特に大きな被害が与えられていますから。

                2011年、1月7日、午後14時    雨宮舜
コメント

大嶽親方の、軍資金(開店資金)の、出どころは???、

2011-01-03 00:35:41 | Weblog
 2011年のお正月が無事、明けました。私は去年母を亡くしていますが、それゆえにかえって、家事専念の5日間を過ごし、非常に快適な心理状態でおります。家事を専一にするということは、なんと、心安らぐことでしょう。でも、美術をはじめ、創作の道に専念している人にとっては、お正月もないと思いますけれど。そして、本来なら、私もそういうあせりまくる日々を送っているはずでしたが・・・・・

 ところで、創作者の一人である、芸能界の人、浜崎あゆさんは、このお正月を利用して結婚式を挙げたそうです。『ああ、よかった』というべきでしょう。今まで追い回されていて働かせられきっていて、嵐のような日々だったと思うから、少し、リラックスする場所は必要でしょうし。彼女は男性より、女性にファンが多かったみたいなので、結婚がマイナスにはならないと判断しますが、これから、は、路線の変更もあるかもしれませんね。年齢とともに・・・
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 さて、日本全体のことに話を持って行きたいです。天候ですが、日本海側は異常に寒くて大雪に見舞われたそうで、お気の毒でした。お見舞い申し上げます。

 商店街などは、天気によって収益が圧倒的に左右されます。『鎌倉はどうかな?』と思っていたら、1日と2日は快晴でした。箱根駅伝も往路は好天のうちに終わりました。

 横浜駅東口に、ベイクォーターという商業ビルができましたが、そこへ向かう高架の歩道橋が、道路を見下ろす壁が透明なアクリルで、できているのは、箱根駅伝をよく見ることができるためでしょう。これは心温まる設計です。

 ところで、挿入ですが、ベイクォーターのレストラン街は、値段の点で、サービス精神が旺盛です。新しくできた場所で、しかも駅から遠いのに、もう若い人がいっぱい来ていて、『なるほど、皆さん、よく知っているなあ』と驚きました。

 その点、昔から感じるのですが、鎌倉の食堂など、お値段が高めに設定をされています。ところが、最近『こういう高い値段の設定の方が、かえって新潮流だ』と、いうテレビ報道がよくあります。若い人の収入が減ったり、就活が難しいと聞く一方で、こういうセレブ向け情報があると、どっちが本当だろうかと考えて、いろいろ疑問に思います。が、これから先の世の中の流れは、私には今は予測ができません。特に経済的な方向性については、「私には、専門外だ」と言っておきたいです。
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 本当は、お正月第一報は、芸術やスポーツについて触れるつもりでした。心理学的なこととか、哲学的なこと。それこそ、私の好む分野です。

 ところが、本日、『あれ、これは、重要だ』というニュースを見つけてしまいました。ライブドアーの表紙に「清原の体はぼろぼろだ」と一行があって、そこから、枝分かれしたニュースの中に、それが入っていたのです。清原についての報道は、さして問題がなさそうだけれど、思いながら、でも、ちょっと気にとめて、開いてみたのです。
 
 すると、重要なスポーツニュースをまとめてあるという項目でしたが、一般的な選択ではなくて、ちょっとひねった選択だったのです。そして、その中から宝物を見つけました。

 それは、日刊サイゾーというウエブサイトの記事をライブドアースポーツが、転載したと言うニュースでしたが、『大嶽親方は、どうして、レストランを二店開くほど資金があるのだ』と言うものでした。

 これって、大変ジャーナリスティックなよい記事です。普通なら、他人のお財布をのぞくのなどいけないことで、下品なことですが、この際は、大変重要なこととなります。

 最初にお断りをしておきたいのは、私は大嶽親方と言う人間についてほとんど知らないということです。
 でも、直感として、相当な好人物であろうと感じていました。というのもあの大鵬親方が娘さんと結婚するのを許したわけですからね。おめがねにかなった人材なのですから。で、今回相撲界がごたごたした際に、野球賭博に関連しているということで、お嬢さんと離婚になったそうです。が、私はそれをも、偽装である。裏に何か、政治的にはめられている点があるのであろうと感じていました。

 しかし、ここにきて、『彼が、どこからか、出所のわからない資金を得て、お店を二つも開くことができた』と成ると、もしかしたら、悪人なのかもしれないと思いはじめました。で、『お嬢さんは結婚したものの、それに気がついていて、悩みが多くて、それゆえに、大鵬親方は、脳溢血に見舞われた』と考えられないでもないです。お嬢さんゆえのストレスで親方は脳溢血に見舞われたとね。で、今までは、有名人でもあるし、お孫さんもあることだから、といって離婚を思いとどまらせていたのだけれど、この野球賭博の件で、踏ん切りがついて、離婚を許したので、偽装離婚じゃあなくて、実際に別居であると、言うことも考えられます。

 これから先ですが、大嶽親方が悪人だったか、善人であったかは、10年後には誰にでもわかる形として決着がついていると思います。それは、その料理屋二軒がはやっているかつぶれているかで判断ができます。

 開業用の軍資金がどんなに、潤沢であろうとも、彼が悪人だったら、まず、従業員がついて行きません。そういうポイントで、若花田(または、二代目若乃花)のお店はすでにつぶれているといわれています。それから、お客さんだって見る目は厳しいです。おいしくなかったり、値段と料理の間にアンバランスがあったりしたら、すぐつぶれるでしょう。どんなに話題性が高くても十年は持ちません。で、そこで、判断がつくから、また、後追い報道はしてもらいたいところです。
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 でもね、問題はもっと複雑です。これは個人的なものを離れた、政治的な意味があります。その資金が「彼の、元から所有していた、自分のお金ではないであろう」とウエブサイトのサイゾーは言っています。多分であるが、貴乃花サイドから出ていると言っています。理由は貴乃花のプライヴァシーにあると言っています。

 私は、サイゾーの意見に一部賛成ですが、一部反対です。『正しいかな』と思うポイントは、『貴乃花を通じて、お金が渡されたかもしれない』というところだけです。だけど、貴乃花が、お金を出す理由については、サイゾーの報道へは賛成できません。「プライヴァシーを暴かれるのを恐れて、お金を出したのだろう」と書かれていますが、それは間違っていると思います。

 大嶽親方も人の子です。また、ご自分にもお子さんがある。となれば、『他人を呪わば穴二つ』という諺は知っているでしょう。だから、貴乃花を脅す可能性はありません。

 それなのに、どうして、貴乃花からお金が渡ったかというと、あの大相撲壊滅作戦で、最も得をしたのが貴乃花なのです。で、貴乃花は、国際的軍産共同体から可愛がられているはずだから、中保者(キリスト教の言葉で、間に達人という意味)として、国際的軍産共同体から出たお金を、大嶽親方へ、手渡した可能性はあります。

 その資金は貴乃花自身のお金でもないはずです。とくに、脅かされて出したお金でもないでしょう。脅されてお金など出すと、永遠にたかられてしまうのは、二時間ミステリーでよく出てくるテーマですし、マスコミ出身の賢夫人がついている貴乃花ですもの、さっさと、警察へ届け出でるはずです。

 さて、この資金ですが、渡された理由は、大嶽親方の証言が、重要な貢献があったと認められているからです。
 あの野球賭博疑惑は、ひとえに、細木和子女史がタニマチとしてくっついている朝青龍を、相撲界から追い出した後で、それを、『おかしい』と気がついている日大出身者を追い落とす事から、まず、はじまりました。

 途中で、それを大げさにして行くこと、が、・・・私を脅かすことに役に立ち、私が当時準備しつつあった7冊目の本『消された映画』を作る気力を、失わせるだろう・・・と判断をされて、敵方がさらに大仰にして行ったのです。発案者は、4月9日に死んだといわれている井上ひさしと、彼の盟友伊藤玄二郎でしょう。

 しかし、私はたちまちに裏を見破って、このブログで、論理を展開して、「おかしい」と何度も言いました。が、中途半端に、論を張ると、かえってかれらの、私に対する責めたてがきつくなるのです。で、10月の半ばごろまでは、エスカレートにつぐ、エスカレートでおかしい流れで、この事件は進んで行ったのでした。

 その頂点は、名古屋場所のNHK中継中止であり、天皇賜杯を優勝者白鵬へ渡さないということでした。それを天皇陛下が気の毒がって、白鵬へお手紙が届きました。が、さらにNHKの記者が、捜索情報を事前に親方へ流したとか、いろいろ、後追い報道が出ました。

 しかし、決定的に流れがよい方向へ、変わった時があります。それは、10月の末のことです。私が、警察の忌まわしいやり方をはっきりと具体的に書き始めたころコアラ、少しずつ、流れがよいほうへ代わって言ったのです。

 そのメルクマールは、母の死後、急に始まった、練馬区東新町の町内会の夜回り警備の欺瞞についてです。書いた日からでした。そのあたりから、国際的軍産共同体の主体者たちも、『私が頭がよいので、欺瞞が通じない。特に脅かしは通じないし、どんなに、間接的に行っても、その裏側を見破られる』と悟ったようです。

 その決定的な文章を要約して再録しますと、町内会の紳士たちが、防犯協会から頼まれて、母の死後急に行わうようになったと証言したからです。それをこのブログの世界に書いたのです。死後兄弟間で、相談して、介護いす(一見すると肘掛け椅子だが、中に便器が仕込まれているもの)を、遺品の中から、もらう約束をしていたのです。が、母の部屋も盗聴をされていたと見え、それを、自宅へ配送する手配をするために、絶対に、死後も老人ホームへ行くはずだとみなされていて、夜警をそこでするように、町内会へ命令を下したのでした。

 母の部屋が、盗聴をされているということは知っていました。そこで、気を許して話すことが、相当数、私を脅かすために、利用をされていました。これは人権侵害の極致です。
 死にそうな母を見舞う私が、母を安らかにするために話す冗談も、すべて利用をされるのです。あるとき、水をあまり飲めない母が、皮膚を痒がるので、掻いてあげながら、
「あ、おかあさん、おっぱいが立派だねえ。さすが、三人の子を母乳で育てただけは、ある」といいました。私の場合は、母乳は出たものの、乳頭が小さ過ぎて、赤ちゃんがくわえることができず、それで、母乳で子供を育ていることができませんでした。だから、母のように、90歳を過ぎても、『みごとに、垂ら乳ねの母だわー』ということにはならなかったのです。

 ところが、その直後NHKが「みんなの歌のDVDを回収する」と言うニュースが出ました。理由は「おばあチャンを主題とした歌の中に、不謹慎な表現があった。それは、乳房がでていて、なんとか」というもので、私の老人ホームでの会話をすぐさま利用をしたものでした。『そういう風に、いちいち攻撃して、盗聴をしていることを悟らせて、あいつの神経を痛ませてやれ。そうすればノイローゼになって、文章を書けなくなるはずだ』というのが、彼らの、方針なのです。その一翼を担っているのが、東新町の町内会の役員がやり始めて母が死んだ13日の次の日14日から始まった三日目後の17日に質問をして真実を知った、夜回りでした。
 
 この山でも、夜の12時過ぎでも私がお風呂へ入ると、安野氏が、鈴を鳴らして夜警をしましたが、(今では止んでいますが)私が、制服(ガードマン)と、音(どんな種類でも、いいから)を嫌うとみなされていて、だから、母の死という、絶対の条件下でも、それを利用した脅かしをやるのです。それも、石川和子夫婦のとんでもない失敗を擁護するためにです。

 こういうことを書くと、気品がなくなります。『それが、わかっているはずだから、彼女は、それらについては、書くまい』とみなされていて、本当に悪さ(嫌がらせ)をやられきっていましたね。あのころは。だけど、あの大相撲壊滅作戦のひどい状況を見ていると、私は死に物狂いになりました。身を挺するといった以上の迫力で、裏側の汚さを書き抜いていったのです。でも、これでも、まだ、40%程度ですよ。まだ、まだ、裏側の汚いことは、見聞しています。

 特に四月の個展のいきさつを書き始めたら、彼らはやっとびびったのです。そこから、ガレリア・グラフィカとか、山本容子とか、NHKとかが、協力し合って行う悪のたくらみに入って行くことができるのですが、『私が、それをするだろう』という予測が、彼らにも、容易に、つくからです。伊藤玄二郎氏が鎌倉駅の男子用トイレに、夜の10時半に入っていて、その隣の女子用トイレに、ガレリア・グラフィカのオーナー栗田女史が私とすれ違いで、入ってきて、彼女が私を避けるために、個室からなかなか出てこなかったということを、彼は知っているわけです。私が、栗田女史をでてくるまで待っていて、いろいろ質問をしたから、当然のこと、伊藤玄二郎は、それを知っているわけです。そこから、実名つきで、いろいろな真実へ、入っていかれるからです。特に酒井忠康氏と、それらに代表をされる、現代マスコミ界の文化人・支配の仕組みを正しく書いていくはずでした。この実名ということですが、被害があまりにも大きいので、それが、許されると判断しています。このブログ内の、後段に書く、日経新聞のいろいろについても、そのトイレでの、栗田女子との会話から、入って行くことが可能です。

 日経新聞は上品です。普通の日々には、そこに、政治的な教唆は少ないです。特に庶民向けの、週刊誌を持っておられないのが、品のよさを保っている関(ダム)となっているでしょう。

 だけど、警察関連のコラムを連載していたときがあって、そのころ、まさに我が家に泥棒が、入り、そこに書いてあるとおりの現象が我が家におきたことから、怪しいとおもいはじめました。ウエブサイト「あらたにす」が、できたこともそれに輪をかけました。

 また、美術に関する支援のあり方、および、連載小説のテーマの選び方にも推察すべき点は多々あります。最近立て続けに美術の世界が舞台になっていること、などから、朝日新聞ほど、露骨ではないし、下品でもないが、『相当に利用をされている』とは、感じ始めていて、それについて、書き始めようとしていました。
 2010年の四月より前は、大相撲のこと以外で、日経新聞について分析しようと尾j持っていたのです。が、6月以降は、大相撲壊滅作戦が始まったので、美術の世界と日経新聞を、リンクさせて論じることは中断していました。が、あまりやり方が、悪辣なので

 『横綱審議委員会委員長の鶴田卓彦氏について、美術の世界のことと絡めて、分析しようかな』と思い始めたころ、やっと、この大相撲壊滅作戦が終わりました。
 
 だけど、途中では、NHKに中継をやめよというメールが多数押し寄せたとか、作られたニュースがいっぱいで、この事件が諜略のきわみであることを証明し続けました。

 たしかにメールは多数来たのでしょう。でもね、井上ひさし発案のアイデアでしたら、多数の人員を動員することは簡単です。例の、「小泉首相の靖国参拝は違憲である」と言う集団訴訟を起こした連中(ほとんどが、共産党と、平行していると思われる、匿名の文化人・集団)と、おなじメンバーへ「こうしなさい」と号令すれば、簡単にできる仕組みです。
 これは、同時期に行われた映画『コーヴ』の公開で、映画館の前で抗議デモをした、右翼というのでも、利用をされたと思います。右翼がデモということですが、それにしては、新聞写真の人々の風采が違います。赤尾敏の数寄屋橋での演説を覚えている世代としては、「まるで、違っている」ということがわかります。

 井上ひさしも、伊藤玄二郎もそのころは銀座をはいかいしていなかったのでしょう。綿k水は高校時代にm表がダニを利用していて、お勤め時代は、本郷三丁目を利用していたから、銀座は地下鉄丸の内線の途中下車の駅で、一週間に一度以上は降りていたのです。右翼の街宣車だって、実物を何度も見ていますし、それに乗っている人たちも見たことが何回もありますから、『コーヴ』上映の映画館の前にいた右翼というのは、偽者だと瞬時にわかります。何度もこの世界で言っていますが、井上久という人は実体験のない人です。で、そういうと、『資料に当たったという情報がすさまじい勢いで出てきました。『これも彼が生きていて、自分を宣伝する采配を焼いている。その証拠のひとつだ』と私は考えています。『年末は追悼番組が多くて露出のチャンスが多くて、ようございましたね』と、生きているはずの、彼に向かって、ここで、申し上げておきましょう。

 さて、元に戻ります。青白い風情でつかれきったように見える新聞写真中の人たちは、私を鎌倉駅裏(西口)で、原水爆反対デモ行進で脅かした(脅かせると思っている井上ひさしが用意したものでしょう)人たちとそっくりでした。上からの命令で、しぶしぶながら動員された気力のない人たちです。
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 あの大相撲壊滅作戦という事件は、さまざまな登場人物がいます。伊藤滋という伊藤整氏の息子とか、奥島孝康元早稲田総長とか。しかし、それらは、すべて外部の人です。大きな権威がありそうにみえますが、裸の王様の童話に倣って、はっきり言ってしまうと、忌まわしい寄生虫にしか過ぎない人たちです。自分のお金を出して、切符を買わないで入場できる特権階級なのに、考えもなしに、上からの命令にただただ従って、結果として、相撲界をつぶそうとする、とんでもないレベルでの、裏切り紳士たちです。

 相撲取りたちは、稽古をして、(その前に、たらふく食べるようにすすめられ、糖尿病の危険性も顧みず、太るように訓練をされていて、一種の人間フォアグラと化していて、)場所中も神経を使いきって、労働を重ねているのに、それの上澄みを掬い取って快楽だけを、ただ取りする、泥棒です。上品な仕組みを整えていますが、簡単に言ってしまえばそういうことになります。

 そして、そういう人たちが、観客数の激減につながる騒動を起こしたのです。
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 ところが、ここで、唯一といってよい、スピーカーが、その人間フォアグラ化した労働者側(相撲取り)から現れました。それが大嶽親方です。もちろん、この野球賭博の一件は、金銭的に負けが込んでいる力士に対して、やくざから、借金のとたてに近いものがあったわけです。それが度を越して、脅迫に当たるものがあり、そこから、発覚をして大事件になっているわけですが、それを、どういう風に報道するかは、さじ加減ひとつなのです。

 そこで、大嶽親方という人が、相撲界の実態として、「野球賭博は日常的にやられていて、自分も借金がたくさんある」と証言をしたのは大きいです。彼の詳しい言葉は覚えておりませんが、私は民放の朝のニュースショーで、この人がそういう種類の発言をしているのを、一回ぐらい聞いてびっくり仰天をしました。

 ・・・・・この人は、大局観がないおばかさんだなあ。だけど、このように堂々と、それを発言ができるということ。特にテレビの世界でできるということは、相当な裏がありますね。いわゆる『利用をされている』可能性はある・・・・・と感じたのです。

 つまり、一般の人があの事件の最中に何を感じていたかというと、『相撲取りって仕方ない人たちだわねえ。暇だし、お金はあるし、ストレスもあるし。だから、逃避の場所としてギャンブルにはまったのね、だけど、やくざが関連したら、やめた方がよいわね。だけど、今回だけ、こんなに、異常に取り上げられるのも変ね。ずっと、同じことはやられてきていたでしょうに』などでしょう。で、自分たちとは違う世界のことだから、という意味で、本当のところは、さして関心もないというところです。
 パンとサーカスの世界のことを真剣に考える必要もないという感じです。

 そして、メールが多数NHKに届いたと聞いても、『変な人もいるのだなあ』ぐらいで済ませていたでしょう。そして、NHKが中継を中止したとか、天皇賜杯を与えないということを、『嫌なことだなあ』と内心で思っていたとは思いますが、上に行ったようにそれは、自分の問題ではない。

 だけど、ここで、大嶽親方みたいな、顔つきは人がよさそうな人物が、「私は野球賭博をやり、借金の取り立ても受けました」と言えば、「あれーっ。三役までやった人間も、手を染めていたのか。すごいことなんだな」となって、・・・「国民の総意が、本当にNHKの中継中止を真実求めていたかのように、見せる・・・のに役立ちます。

 私のように、こういう現象がすべて、伊藤玄二郎と言う『鎌倉春秋社の社長が、自らの社名を与えた鎌倉春秋釜の主宰者夫婦の失敗を隠し、自らを守るために行っているという、裏側をしっかりと見据えていない、人たちを、ある方向へ、いざなうのには、大いに役立ったはずです。

 で、彼が、突然に、二つの料理屋を開くほどの資金を得たのは、論功行賞だったということになって行きます。

 諜略というものが、こういう風に完結して、一種の証拠を残したというのは、珍しいケースです。国民を暗い気分にさせて、(というのは、祝祭気分で見物する大相撲というものの、イメージを、さんざんに貶めたわけですから)、かつ大相撲界で働く人にも実害を与えて、その結果、得たお金で開く店に、誰が行くんでしょうね。世の中に、これほど暗いお金で出発したお店も、ほかにはないでしょう。まるで、ゴッドファーザーの世界です。10年後どうなっているのかなあ。ぜひ続報を望みます。

 ところで、貴乃花という人も、この件に関しての動きについては、相当に批判的に、分析しなければなりません。だが、今は触れません。石原都知事と同じく、複雑なので、時間も必要ですし、一万字制限があって、本日は無理です。

 ところで、急遽の追伸ですが、つい最近の横綱審議委員会の稽古総見は、国技館で行われ、一般の人へも無料で解放されたそうです。よかったですね。それは、よいことでした。一種の改革です。本質にかなう改良です。だが、終わった後で、審議委員様たちご一行へは、高級なご接待はあったでしょうね、いつものとおりに。でも、そこまで目くじらを立てる必要もないでしょう。あのいやな大騒ぎが終息したのですから・・・・・

  2011年1月3日    雨宮舜
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