銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

池内紀が、NHKのお金でドイツの蒸気機関車巡りをした番組の裏側をご存じですか?・・・・日本の左翼運動を総括する

2023-08-31 02:10:25 | 政治

副題1、『長大な、物語を書いているのだが、その1を、ここで、まとめておきたい・・・・・実は、日本の左翼運動を概観したいとも願っているのだ』

さて、少し時間を空けたので、前報の後半を新しい章として、ここに起こします。前半は、

1960年代の学生運動華やかなりし頃の思い出話。川名昭宣君がCIAの大物Ajentであると分かった時期の話    2023-08-29 01:41:34 | 政治

という章に書いていたことです。

 しかし、まあ、文学としてタイトルをつけるのなら、【1966年に、友人が自殺しようとした千鳥ヶ淵を、私は、昨日訪ねてみた】としたいところです。このにゅすい自殺は未遂で終わったのですが、・・・・・それを40年後に、蒸し返そうとした、私の、電話で、言論リンチの主役の方だった、入江多喜男君が、茨城県の農業用水で、にゅすい自殺をした・・・・・と、考える、川名昭宣君から、わたくしは手ひどい肉体的攻撃を受けるのです。

 1966年の千鳥ヶ淵の方は、その主役、佐藤忠一君という学生(日比谷高校卒)が、非常にいい子だったのです。その事情を聴いたのは、35年も、のち、のことで、しかも別人からでしたが、思春期の純粋さがよみがえり、わたくしは、ひどく憤慨をしました。

 安保闘争から始まり、赤城山・山荘抵抗事件で終わった大学紛争というものも、三里塚闘争というものも、当時から、わたくしは、信頼していないのでした。

 それは、秋山裕徳太子という人間の、泡まつ候補としての、テレビ演説をお聞きになって、彼の人生を、振り返ってごらんになると、よくお分かりになるでしょう。特に、彼は、晶文社から、【ブリキ男】という自伝を出しています。これが、私に言わせると、彼のタトゥーであり、林真理子における、【奇跡】に匹敵する書物だと、思うのですが、彼こそ、新左翼系学生運動に携わった人間の典型です。

 セックス大好き、ずるいところもある。お金と名誉が大好き。。。。。。そういう人物です。そして山口侊(みつ)子さんを他殺(犯人は、CIAの家来たるアサッシン集団)に追い込んだ、当該の人物なので、わたくしは、ひどい怒りの対象としていますが、彼に責任を問うのは無理でした。銀座の画廊巡りの、美術評論家としての、道を断たれている、私には、彼と同じ土俵がないのです。で、彼の悪辣さの、とばっちりを、被ったのは、ぎゃるりーユマニテです。そして、作家の保坂航子(本名は涼子)は、大変優遇されることとなりました。ここらあたりは既に詳細に書いているのだが、リンク先を見つけている時間が今はない。

 しかし、入江多喜男君の責任は問おうとした。実際には、入江君に対して、言葉として、それを出してはいないが、川名昭宣君には、わたくしが、そういう希望(入江君を叱りたい)を持っていると伝えているために、川名君は私が、入江君の死に責任に責任があると考えているのだ。このシリーズは、その、誤解を解き、真実を書いていくための章となっている。

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副題2、『ここで、新左翼系学生運動と、民青系(共産党系)学生運動の違いについて、一般人の感じているであろう誤解を解いておきたい。

 実は両方共に、そのトップに、(というか、第二列)に、CIAが浸透をしていて、日本の若ものの、中に、一万分の一ぐらいいる、本当にまじめな人間をつぶしていくのが目的である。

 新左翼系は、東大卒および、東大関係者に食い込み、それらから、スターを醸成し、そのスターによって、日本の言論界、および、文化界を、引率させ、一般日本人を、洗脳していく役目を担っている。しかし、その運動に参加する人間の数は、一過性であり、少数であり、付和雷同型なので、マスコミが、その運動をちやほやしない限り、脱落していき、実体がない。まさかと思うが、統一教会に逃げて行ったりしていて????? いや、今激しい妨害を、入力することに対して受けたので、この紫色のフォントで書いた部分は、どうも、真実らしいよ。

 一方、民青系なのだが、組織として、そこに所属する人間は、数多い。そして、上部への献金も果たすし、党勢拡大の労働も果たすので、代々木の共産党本部は、タワービル化している。富裕集団であり、幹部は、キム一族や、習近平と同じく、アメリカの_CIA本部と通じており、自分たちは、何をやっても安全だと、考えている。

 これは、マスメディアに、よって、証明されてはいないが、宮本賢治が、自宅周辺に、27個もの、不動産物件を買っていたらしい(週刊誌報道)とか、不破哲三と、その兄の、上田耕一郎は、ほかの幹部とともに、丹沢のふもとの、広大な別荘地を、あたかも中国の中南海と、同じ様な特権者集団の、住居地として確保しているとか、報道をされています。

 しかも、1999年、少女コンクリート詰め殺人事件が起きた時に、朝日新聞が、一切報道をしなかったのです。なぜかと思っているうちに、40日間も凄惨な、性的リンチ事件の現場となった家の両親が、組合活動に、忙しくて、子供の観察をしていなかったと、いう記事が出て、なるほどなあと、思いました。それは、共産党員であるということです。で、朝日新聞に、党員の瑕疵をかばってもらうということは、CIAにかばってもらったと言う事と同義です。で、1999年に、すでに、共産党の裏には、CIAがいることが私にはわかってきていました。

 どっちもどっちで、おんなじなのです。ここは明記しておいてください。

 そして、そういう真実を肌で感じ取っていて、どちらにも所属しなかった若者を、吸収していったのが、オーム真理教です。だが、異様な方向に暴走していって、朝原彰晃は、何の同情も持てません。

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副題3、『新左翼とは、共産党に、アレルギーを持つ、知的階層を、吸収し、特に若者を、洗脳していく役目を担っている。だから、そこには、若者が、魅力を感じる、有名人がいて日本の文化界を席巻し、洗脳をしていく。

 大江健三郎、柄谷行人(この二人は、東大卒)、秋山豊寛(この人は、自身はICU卒だが、父親が東大名誉教授だった。ただし国文学系)などで、新卒後、身分を保証されています。

 ただし、これらの要領の良い人と比較すると、超気の毒な存在が、亘理さんという同級生です。彼女は、横国大付属、鎌倉中学の在学生でしたが、3年の時に、横浜校へ、転入してきたのでした。わたくしは、所属クラスが、違うので、友人にはなりませんでしたが、なんて、清潔な感じの美少女なのだろうと感じていました。ファンでしたね。美形好みの川崎さんと言われる原型は、14歳のころ、すでに、発揮されていたのでした。

 ある年のクラス会で、あまり、よく知らない男の子が、「横浜駅で、亘理を見たよ。ものすごく、貧乏そうだった。学生運動のせいで、親に勘当されたそうだ。その後、死んだと聞いている。生活苦=貧乏で、死んだんだよ。自分も結婚した相手も、学生運動のせいで、就職できなかったという話だった」と、言っていました。だから、亘理さんは、無くなった時の苗字は渡り性ではなかったでしょう。まじめな人なので、きちんと入籍していたと思います。塾を開く資金(場所の確保)もなかったのかしら。二人とも横浜国立大学に入学卒業していて、1980年ごろまでの、横浜国立大学は名門校だったのに。

 私が、心の中で、その死は、不当だったと、感じている存在は、何人もいます。だが、常に、天国での幸せを祈っているのは、この亘理さん、山口みつ子さん・・・・・そして、政治には、関係がないが、(多分実存的な理由で)自殺したと、わたくしが考えている、林・喬君の三人です。

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 メモ

入江多喜男君が、尊敬していた、吉本隆明の学歴は米沢高等工業学校(現在の山形大学工学部)卒業。 東京工業大学電気化学科卒業。 

この事実を2023年8月31日初めて知ったのだが、これで、入江多喜男君が第二の吉本隆明になろうとしていたのが、理解できる様になった。1965年は、まだ、ICU内の政治的リーダーは、新聞部の部長秋山豊寛だったが、そのころから、入江多喜男君は、吉本隆明張りの文体の政治ビラをガリ切りして、学内で、配っていたのだ。

 入江君は、高卒後、すぐICUを目指した少年ではなくて、いったん、埼玉大学に入学しており、そこを中退して、ICUに入学しなおした人間だった。もし彼が、最初から、東大へ、入学していたら、ICUでの大学闘争のリーダーになることもなく、より、柔軟な文章を書き、大江健三郎の跡を追ったと、考えられる。彼は、お寺の息子で、「自分は日本を引っ張っていくリーダーになるべき人間だ」と、いう信念は、つよく、持っていた。で、見習うべき先達として、東大出ではない、吉本隆明を選んだのだと思う。

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メモ、その二

煙はるかに 世界SL紀行 第1回「魔女の森ドイツ・ハルツ地方」 2001年4月23日,2022年10月25日・26日,2023年5月9日・10日 放送

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 なお、ここで、長時間休ませてください。こういうことを書くのは、81歳の身に、とって、残酷な内容なのです。

 だけど、表題の、番組は、わたくしが、入江多喜男、自分、川名昭宣の、三人の関係に触れた際には、必ず、放映される番組だから、書いています。今から、二か月後、または、一か月以内に、また、再放送されるのではないですか?

 また、なぜ、わたくしが、こんな危険な文章群を書いているのに、81歳の今まで、命永らえて、生きているかの秘密もこのシリーズで、明らかにできるでしょう。

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1960年代の学生運動華やかなりし頃の思い出話。川名昭宣君がCIAの大物Ajentであると分かった時期の話

2023-08-29 01:41:34 | 政治

 この章は、最初の総タイトルを、【wikipedia を開くとアメフト問題の主役はM  平成の八墓村事件の主役はH となっている。是こそ、その二つが謀略であった証拠である】としておりました。しかし、29日の、11時50分ごろ改題をしました。また、変えるかもしれませんが。

副題1、『日本記者クラブで、宮川泰介選手と、宮川紗江選手の二人が、感覚を置いて、だが、一寧内に、夫々が、上司(=コーチ)に、不満を述べる、記者会見を行ったときに、宮川選手の、日大アメフト違法タックルが、仕込まれた謀略であることを確信しました』

 私は、宮川泰介選手が、グリーンの緞帳を背景にして、日本記者クラブで、記者会見を開いた時から、ああ、これは、謀略だなと、思っていて、事件から、だいぶたってから、それを言っています。したがって、今、リンク先を見つけて居られないです。見つけるのが難しい。

 一般人が、急に日本記者クラブで会見などできないです。

 で、誰が、宮川泰介選手をリクルートしてきたかが謎です。どういうルートでと、疑問を持って居たところ、宮川紗枝選手も、塚原夫妻に対する告発を行ったので、突然、真相がわかったのでした。

 宮川泰介選手の方が事が大きいので、彼の身辺に関する情報は出て来ていません。しかし、紗江選手の方は、私のブログを否定するためですから、全体にCIAエージェント側に油断が大きく、出身地が出て来ていました。西東京市です。

 西東京市というのが見事なキーワードでした。

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副題2、『西東京市には、古村浩三君という、日本のシステムエンジニアの、草分け的存在が居て、その妻君が英語塾を開いている。そこの生徒が、宮川泰介君と、紗江選手だと思う。どうして、それが判ったかというと、川名昭宣君のせいなのだ。彼の乱暴のせいだった』

 西東京市には、古村浩三君というICU同期生が居て、その男性が、この時以外にも、対私弾圧用に、動いていたのです。桜井万理子東大名誉教授が突然(=1月6日)に、「あなた文章を書くのはやめなさい」と電話で怒鳴り込んできたのは、古村君が、万理子さんのパソコンがおかしくなったのは、私のせいだと、讒言をしたからでしょう。むしろ、CIAエージェントが壊したので、それを古村君は知っていたのです。彼は、石塚雅彦さんと、非常に親しいのでした。それは、ニューヨークに先に日経新聞の記者として、夫婦で、駐在していた、石塚雅彦さんが、二期下の、古村君を、引き受けていろいろ、親切にしてあげたからです。その前は、ICUのラグビー部で、一緒だし、第一弾資料で一緒であり、非常に仲が良いのでした。そして石塚雅彦さんは堤義明氏のいとこであろうし、ロックフェラー碁聖と、ICU男子寮で、仲良しになっていたのです。同質だったのかな? 

 万理子さんの件は、大変いやな話でしたが、証拠は無いので、我慢をしていました。

 その次に、片山ゆうすけ君の、成りすまし疑惑が起こりました。それも、私のブログを否定するための犠牲者でした。江ノ島で、マイクロスカジーカードを首に巻き付けた、野良猫が発見され、うんぬんかんぬんとは、猫好きな私をからかう、井上ひさしたちの、謀略です。嘘事件です。この時、公的に井上ひさしが死んだことになった後だったら、これも、井上ひさしが実際には生きていたと、言う証拠になります。

 江川紹子さんとか、いろいろな人が片山君が、やっていないと言っていましたが、その通りです。性格が、天然過ぎて、ちょっと、トロイ感じがする片山君は、言うなりに動いて犯人扱いをされました。ただ、もう、釈放をされて、彼の事件のことを知らない人に囲まれてアメリカに住んでいると思います。

 片山君は、お父さんがIBMだそうです。

 古村浩三君は、1966年ICUを卒業すると、同時にニューヨークへ留学します。そして、日本の、システムエンジニアの先駆けとなります。だから、片山ゆうすけ君のお父さんは、言う事を聞かないといけない、立場だったのでしょう。

 さて、その次に宮川泰介選手が使われることになりました。が、その前に、川名昭宣君が、非常に恐ろしいことをイタリアンレストランで行ったと言わないといけません。

 ICU10既卒は、全体で、300人ぐらいですが、9月入学組は、同窓会やクラス会に参加しません。で、常に集まるのは、多くて、7,80人です。まあ、社会的に言うと、勝ち組というわけです。

 その同窓会ですが常に幹事は、古村浩三君でした。彼は、1962年には、私と英会話が一緒のクラスで、18人だけで会話のレッスンを一緒に受けたり、50人で一緒のクラスを、受けたりしていて、よく知っている男性ですが、別に社交的とも思えず、これは、ひとえに、石塚雅彦さんが、そうする様に勧めていたので、引き受けていたのだと思います。ただ、お値段が安く(女性は、大体5千円でよかった。男性はたぶん、一万円)て、上等なお店を見つけてくるのは上手な人でした。

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副題3、『さてここで、川名昭宣君が登場する。どうして、わたくしの頭の中に、彼が登場するかというと、川名君の方が、より規模の大きい、同窓会を開く人だからだ。古村浩三君が、主に、夜、楽しみのために、クラス会を開き、多くて、70名が集まる会だとすると、川名君は、昼間開く。しかも、ありとあらゆる、コミュニケート手段を使って、150名は集めるのだった。つまり、二人は、同窓会幹事としては、拮抗する存在だった。お互いをライバル視はしていないだろうし、すみわけができているのだが、古村君に、言及する限り、川名昭宣も思い出すこととなる』

 川名君は、伊藤玄二郎と親しいうえに、須賀敦子や、むれようこ、池内紀などとも親しい河出書房新社の編集者ですが、普段はこの古村君主催の、同窓会には出てきませんでした。『いくら年収の高いサラリーマンがそろっていても、企業勤務の人間なんか、会話が詰まらないさあ』、と、考えて居たのでしょう。自分の教養の高さは古村グループより一枚上であるとも、考えて居たのでしょう。

 でも、珍しく、あるときにやってきました。何が目的かというと、私をやっつけるのが目的でした。しかも会話ではなくて、無音の暴力でです。本当に驚きました。

 1962~1966年の、大学在学中には、全く会話を交わしたことが無いのですよ。青春期に、会話を交わしたことが無いのです。私は、元週刊朝日の編集長である飯田隆君にパリから手書きのエッセイー州を送っています。朝日新聞から、自著を出してもらいたくてね。川名君にも自著を出してもらいたいと願っていました。で、彼には、自分で、出版した本を見せていると思います。アマゾンで、10年以上、1万円以上で、売買されていたので、非常に面白いのですが、それでも、眼を通しても、もいないらしくて、私に河出書房新社で、出版物を出してくれることはありませんでした。

 しかし、それを願っていたので、二回ほど、会社に彼を訪ねています。一回目はともかく、二回目に、「あれ、まだ、離婚をしていなかったの?」と、言われたので、『ああ、それって、ご近所の陶芸家、石川和子さんが、私の猫を盗みながら、猫が私の方を好きだと言ったのに腹を立てて、警官を呼び、・・・・・あそこの奥さんを、あそこの旦那に叱ってもらってください。あの家は、家庭内別居の筈だから、黄色い方の玄関ベルを押してね・・・・・と、いった言葉と、内容が、おんなじであり、石川和子さんの元愛人(下半身という意味では・・元・・だろうが、ハートや脳という意味では、彼女が死ぬまで、二人は愛人関係にあった、伊藤玄二郎との間の事)だから、同じ考察を伊藤玄二郎がしており、

 したがって、伊藤玄二郎と、川名昭宣君が通通であると言う事が判りました。それでもね。その二年後ぐらい(と言っても、2008年ごろですよ)電話をかけて、「伊藤玄二郎とあなたは、仲良しでしょう」と問うと「全然。だって、あれ、タウン誌を出す地方出版社じゃあないの」と、鎌倉春秋社を軽蔑する様な言葉を吐きました。それは、100%の、うそでしょう。伊藤玄二郎がエンリケ航海王子勲章をもらう、その種になった、【びょんぶ】と、言う書物の編集者が、川名君で、たぶん、300万円の謝礼を、伊藤玄二郎からもらっています。どうして河出書房新社から、出版したかったかというと、伊藤玄二郎は、経営不振だった、河出書房を、就職後一年で見捨ててています。そういう、不誠実極まりない過去を消し去るために、河出書房新社とは、仲良しだと、示したかったのでしょう。川名昭宣君は、河出書房と、河出書房新社の編集者であり続けていますが、伊藤玄二郎とは、CIAエージェント同士として、仲良しなので、言う事を聞いてあげたのだと思います。

 川名君ですが、その奥様がAFP勤務だったので、後藤健二さんの妻と同じ会社でしたから、後藤健二さんのブラッシュアップ(格上げ・・・・・例えば田園調布教会の会員にさせるなど)を夫婦で、図って上げたでしょう。緒方貞子さんを動かしたりしてね。したがって、後藤健二さんはCIAエージェント側の、一つの弾丸なので、死んでいませんよ。夫婦二人で、米軍機で、日本を脱出して、別名のパスポートを使って、某国で、生きているでしょう。

 ところで、後藤健二さんの生母(しかし次男である健二さんが三歳の時に、家出をしている。無責任な母親である)石堂順子さんが、外人記者クラブで、記者会見をした時にも、私は、テレビが無い、北久里浜の旧宅にいて、テレビを見ていません。

 それと同じことが、2023年、8月8日に、林真理子の、日大アメフト部員・大麻所持事件で、記者会見を、行った日にも繰り返されました。

 したがって、林真理子も、後藤健二さん(その母石堂順子さん)も、CIAが私を弾圧するために使った弾なのです。したがって、私は、大きく大きく林真理子を批判しています。そして、必ず、福島第一を取り上げています。今は汚染水放出で、大騒ぎですが、それも、対私弾圧で、急に決めた事なので、中国や韓国、それから、ヨーロッパに、時前に、提示をして、了解を秘密裏に、とっておらず、四面楚歌になっていますね。

 そういう状況を見ていても、CIAエージェントたちが、本当にバカだなあと、思っています。そして、西村大臣は、繰り返し((不満を抑えるためにでしょうが)、800億円を用意しましたと、言っています。だが、252年に続く252年、慰謝料を福島浜通りの漁民に支払い続け、無いといけないのですよ。800億円なんて、あっという間に消えるでしょう。都会の若いサラリーマンは、漁民にためにただ働きを、ずっと、させられるのです。

 しかも、CIAエージェントたちがあほだから、岸田総理も同じあほとなって、事前の手配を抜かしたので、福島県だけではない、日本全体の生鮮食料品禁輸となってきていますね。本当にこの国はあほが支配しています。

 ともかく福島県民以外の第一次産業・従事者が、相当に苦境に陥っているのは、すべて、CIAエージェントが、あほだからですが、(まあ、その筆頭の、警察が、お守りすべき人間として、安野智紗夫人を置いているので、通例のごとく、井上ひさし原案の策謀下で、動くすべての人間が、バカ化するのは仕方がないことです。もしかしたら、いまだに、実際には、生きている井上ひさしが、今、放出せよと、命令をしたのではなくて、安野忠彦・智紗夫妻が命令したのではないかと、思うほど、岸田内閣の行動は、幼稚ですね)

 そういうCIAの、息のかかった、組織側の、かれらがもっとも頼りにする、代表が林真理子ですから、彼女が日露戦争の英雄・東郷元帥のお孫さんの嫁であろうが何であろうが、日本国民・大多数の敵なのです。特に普通の収入で、特権のない庶民大多数の敵なのです。

 最近、書こうとしているのは、理事長を彼女がしている基盤となっている日大そのものへの裏切りの、張本人が、彼女であると言う事です。まあ、本日、そこまで、到達できるかどうか、疑問ですが、頑張ってみましょう。

 さて、川名昭宣君に戻ります。普段は古村君が幹事をする同窓会には出てこない川名君が、その日に、出てきたのは、なんと、暴力を使って、私を攻撃する為でした。その日は、今は、(店舗が、無いみたいですが)、路面店で、渋谷と原宿の間の線路沿いにあるイタリアンレストランを借り切っていました。北側にあるテーブルにみんなが集まっていたのですが、南側に、ひとがだれも座っていない、テーブルが、2,3あって、そこに川名君が、一人で座っていました。

 私は秋山祐徳太子本人から、晶文社で出した【ブリキ男】の紹介を受ける前までは、河出書房新社から、自著を出してもらえると言う事を疑わず、誰も、川名君のそばにいないことを『しめた。ラッキー!』と思って、近づきました。私は誰に対してもこびないのですよ。ところが、天性の愛嬌というか可愛さがあるらしいのです。で、それは、1998年に、有名な手相観の日傘雅水さん(この人も日大芸術学部卒です。YMOのマネージャーをしていたとご本人から聞いています)から、すでに、聞いていたので、ただただ、さらっと、「今のお仕事は、何ですか?」と、質問をしたのです。すると、彼は、その質問には何も答えず、ただ、私の手首を、むんずとつかんでテーブルに、固定をしたのです。それが。どんなに異様なことだったかを今から説明をします。。

 皆さん、目の前にあるテーブルにあなたの手を置いてごらんなさい。普通にです。

 木部のところに手のひらが乗って、上になる方、イコール空気に触れる方が、手の甲ですよね。ところが川名君は、ひねったのです。普通ではない反対の方にひねったのです。しかも、自分が、自由に行動をするために、自分の方に引き寄せたので、更に無理がかかって、私は、もう、っその段階で、痛いと、感じました。その段階とは、手首を固定された段階でですよ。

 そのうえ、彼は、私の手のひらを、爪で、二、三ミリはさんでは、ちぎれるほどの力を入れて、痛めつけたのです。20回ぐらい。本当に驚きました。背中側、3mか、4mのところに同期生がたくさんいて、まだ、まだ、誰とも、仲良しだったころです。今書いて居る様なものを書いてはいなかった頃です。助けを求めても、いいのに、声が出ないのです。

 それはね。私は、いつも相手の恥と言う事をおもんぱかるからです。もし、「今、手のひらを痛めつけられているわ。痛いの。」と叫んだら、川名君が恥ずかしいでしょう。だから、黙っていました。しかし、伊藤玄二郎が凄まじいことをやってきているのでこういう事をすべて、明らかにする気分になってきています。つまり、時間的には、グッと後だし、今更、何を書いても、私の痛みが回復するわけではないです。

 しかし、川名君、私は、ちゃんと書くのですよ。特にあなたが、CIAエージェントだと、もう確信をしているので、何の遠慮もなく、真実を書きます。

 須賀敦子と、池内紀は、すでに亡くなっています。だけど、群ようこには、川名君って、本当は、こういう人なのですよと、知ってほしい。ところで、この攻撃の原因はわかっています。

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副題4、『川名君が、わたくしの手を痛めつけたのは、入江多喜男君の死に、わたくしの方に責任があると考えたから、一種の復讐として、そう、したらしいが、私にとって、ICU在学中に、・・・・・いとしい人だ。気の毒な人だ・・・・・と、考えたのは、入江君がいじめぬいた、佐藤忠一君の方だった。まず、佐藤忠一君の苦難を語りたい。佐藤君は、1966年に千鳥ヶ淵で、にゅすい自殺・・未遂・・を起こしている。したがって、今まで、実名を書かなかった。しかし、入江多喜男君の方の、実名を挙げる限り、彼が、いじめた、佐藤忠一君の名前の方もきちんと、上げておきたい。だって、すでに、80歳か、81才だろうから、許してくださいね。林真理子を批判するため、また、日本から原発を無くすために必要なのですから。私自身だって、ものすごい損害を受けています。だから、あなたも損害という意味での、一役を買ってください』

 私と川名君の間には、葉っぱちゃん(仮称)という素敵な女性が居ます。私は、彼女との縁が切れることを恐れて、川名君の真実をあまりはっきりとは書いてきていません。でも、今日は書きたいです。葉っぱちゃんとの縁は、もう切れたと考えて諦めますので。

 1962年に戻ります。私が古村君と一緒だった、27名のクラスに入江多喜男君という別の男性が居ました。この人は英語はからっきしだめで、ICUは合わなかったと思います。ところがね、自分は優秀だと、思う気持ちがあって、三年後に学生運動のリーダーになります。そして、1967年度の入試を中止させてしまうほどの大活躍をするので、退学処分を受けます。

 私は、1966年の三月に卒業してしまうので、1966年度ちゅうにICUで起こったことは知らなかったのです。

 しかし、海外修行をするために、それを許さない主人から離れて、逗子のマンションをアトリエにして、一人暮らしをしていた時に、今まで禁じられていた夜の長電話ができるようになったのです。でね。それは2000年のころだったので、ほとんどの人は、60代で、まだ、仕事があり、夜しか話せません。で、結婚以来、初めて、大、大的に、開放をされて、友達に、夜、長電話をしまくったのです。

 そのときに、佐藤忠一君の、驚くべき話を聞くこととなりました。佐藤君本人ではなくて、女性の友人からです。古村君、入江君と、私と、同じたった27人だけの、同じ、クラスにいたテリーという女の子(むろん、日本人だが、AFS経験者なので、アメリカで、ついた、愛称をその後もずっと使っていた女の子)から、驚くべき思い出を聞くのでした。その年、留年する人がひどく多くて、彼女も留年をしたし、入江君もしたし、これから先の主役、佐藤忠一君も留年をしたのです。

 ICUには、当時、二つ、講堂というものがありました。そのうちの一つディッフェンドルファー館内の講堂での事だそうです。テリーが言うのには、「そこで、学生集会が開かれたときに、佐藤忠一君が、たった一人だけで、500人程度の学生から、つるし上げにあったのよ。でね、佐藤君は、苦しくって、千鳥ヶ淵で、にゅすい自殺をしたの。だけど、救われてね。それから、精神病院に収容されて強制的に10日間ぐらい、眠らされてね。それで、治ったの。回復したのよ」と。

 本当にびっくりしました。佐藤忠一君は、日比谷高校出身なので、千鳥ヶ淵は、校庭みたいなものでしょう。だけど、普通だと、飛び込んだら助ける人はいない筈ですよね。特に夜だったでしょうから。だから、死にます。でも、助けられたと言う事は、尾行が付いていたと言う事。と、わたくしは考えます。

 この初稿を、28日の夜に書いてから、29日の午後、わたくしは、81歳になって一週間目のその日に、生涯で初めて千鳥ヶ淵に行ってみました。むろんの事、他の用事が、三宅坂にあったついでです。千鳥ヶ淵とは、お堀沿いに、長い公園になっていました。その中に、きれいな公衆トイレがあって、便器が、TOTOで、ビデもツイてるタイプで、しかも便座がこの暑さの中で、温まっているのです。『へーっ。千代田区って、お金持ちなのね』と、考えて驚きましたが、あのウォーミング機能は、少額と言え電気代の無駄遣いです。あれは千代田区の公金の無駄遣いでしょう。やめてほしいです。鎌倉市民が言っても仕方が無いが。

 2023年の8月の話から、元へ戻ります。1966年の秋に戻ります。しかもその尾行は、日比谷高校で、佐藤忠一君と同期だった、成岡庸司君だっただろうと、私は考えて居ます。

 成岡庸司君は、早稲田の政経に、在学中で、革〇の委員長でした。バスの中で、1965年の秋に、私が秋山豊寛(のちにTBSの報道記者になる。立花隆、筑紫哲也などと、友人関係にあり、ソ連の衛星で、宇宙遊泳をしたことでも有名)に、・・・・・自分の、まじめさをからかわれたので、対抗上「私は、成岡庸司君とは、友達なのよ」と、話したせいで、CIAエージェントに、成岡君が、リクルートをされていったのだと思います。

 で、成岡君は、佐藤忠一君を人物として知っていたのだと思います。日比谷高校は、在学生の多い高校だと思います。だから、二人が個人的にも知り合いだったというのは、奇跡に近いです。特に、成岡君と佐藤忠一君はまるでタイプが違いますから。

 まず、女の子にもてるかどうかで、圧倒的に二人は違うのです。成岡君は、美形だし、演劇好きで、表現力が豊かです。だから、革〇の委員長を務めることが出来る。早稲田でも1963年には、大隈講堂の芝居に出演していましたし。

 一方、佐藤君は体が小さくて、かつ顔も美形ではない。彼と、狭い部屋で、少人数で、じっくりと話すと、すっごく頭がいいし、芯もしっかりしているのが判るのだけれど、初対面の相手には、全然アッピールをしない、そういう男の子です。ICUの中では、全然目立たないタイプです。彼も、留年組でした。1960年代当時の、ICUって、単位の取得がとても厳しいのです。しかも教員免許を取ろうとすると留年しないと無理だから、留年生が多いのでした。

 600人以上の学生が集まった、講堂で、言論的リンチを受け続けながら、一切、身を引かなかったというのは、私にはよくわかります。佐藤忠一君には、いざとなったら、そういう強さがあるのです。しかし、下校時に、やはり、悩んだのだと思います。次の日に登校したとして、自分が、どういう風にほかの学生たちに、扱われるのか?についてです。

 そういうことに悩んだのだと、思います。だから、千鳥ヶ淵で、にゅすい自殺を遂げようとしたのです。そして、変装してD館の講堂の、ICU生だけの学生集会に、出席をしていた早稲田出身の、成岡君も、自分自身は、入江多喜男サイドであっても『かわいそうだなあ。佐藤忠一 』と考えたのではないかなあ。

 

 で、佐藤君が、千鳥ヶ淵へ、中央線の、四谷駅から、向かっているだけで、自殺しようとしていると理解して、すぐさま警察の特殊部隊を呼んだのではないかなあ。彼らは、忍者みたいに、音を出さないで、行動する様に訓練を受けているし、水泳も、得意だろうし・・・・・というわけで、佐藤君が、飛び込んだのちに、短時間で、引き揚げて助け上げたのでしょう。

 まあ、この考察は、違うかもしれません。たまたま、ランニング中の、人が音を聞きつけて、公衆電話から、119番したので、助かったのかもしれません。

 でも、もし、成岡君が尾行をしていたのだったら、成岡君は、ひそかに、佐藤君を、好きだった・・・・・と言うのは、よくわかるのです。佐藤君とは、と手も性格の良い子です。

 こういう人間は今時珍しいと言うほどに、性格がよいのです。でね。彼から、「両親が年取ってから、うまれた自分だ」と、聞いているので、なるほど、年とった、両親から、生まれると、こういうr風に、外見としての、態度は、軟弱に見えるが、内面的には、芯が強い人間が、育つのだと、考える様になりました。わたくしもね。平均的な出産年齢よりは、高齢だった、27歳の母から生まれました。そして、弟なんて、母が40歳になってから、生まれています。それゆえに、弟なんて本当に紳士です。いい性格の人間です。

@@@@@@@@@@@@@ここまでが、28日に書いた初稿です。29日にだいぶ輔弼して、わかりやすくしています。

 

そして、それ以降を、本日書きたいのですが、実は、これからの章は、入江多喜男君が主役となります。これが、また、また、大ごとなのです。何万字もかかるし、何十時間もかかるでしょう。

#######################これ以下に覚書としてメモを入れておいてありますが、それを詳細に展開するのは、、本日もできません。ただ、メモだけを置いておきます。すみません。後日、充実をさせます。

 入江君が、実は水死します。それは奥様と、私との間では、事故です。だけど、川名君は、それを自殺だと、考えて居て、しかも、私が、入江君を責めたと、考えて居るのです。そこがだいぶ違うのです。それを丁寧に書きたいが、29日の深夜(実際には、30日の午前三時)には、未完とさせておいてください。以下はメモです。

 今の夫を、ICU祭に招いた時にわかった。入江君は、私を好きなんだと。

 だから、川名君の開いた大同窓会で、わたくしはわざと、自分を誇示した。入江君を叱る目的があったからだ。佐藤君に入水自殺を、仕様という風に考えさせた、それほどに、ひどい(言論)リンチの主役を入江君が張ったと聞いたからです。で、あなたってひどいわねと、言いたかったのでした。

 しかし、それを言う前に、彼に、尊敬をされておかないといけません。大学で、1962年、一日、6時間は、一緒でした。英語の、勉強ではね。だけど、その時の印象だけでは、彼は、私を重んじないでしょう。

 わたくしが、相当にレベルが高い人間だと、見せつけないとだめなのです。それで、マイクを使って、カルメンから、ハバネラを歌った。この時、聞く方の、特に女性の、度量が大きいか、小さいかがわかってしまった。度量の小さい人は嫌がった。わたくしが、自分だけ目立ちたがっていると考えたからだろう。しかし、度量の大きな人は、女性でも、嫌がらず、「お、すごいわね」と、いう感じで、優しかった。わたくしは歌詞は覚えず、メロディーだって、正確には覚えない。しかし、圧倒的な表現力があるのだ。親が理系に行かないのだ経ったら、学費を出さないといっていたくらいなので、芸能界などもってのほかだった。また、自分自身前歯に、金冠をはめていたので、それは、容貌を落とすから、芸能界など、考えもしなかった。

 だが、40代で歯を白くした私は、いたるところで、好意を受ける様になる。今は、81歳だから、人生を元に戻すことは、絶対に無理だが、本当の自分は、市原悦子級の女優になることが向いていたのだと思う。または、吉田日出子など。

 ともかく、そのハバネラは、受けた。

 それは、入江君に私が無視できない存在であることを知らせる為だったが、十分に機能を果たし、目的が達成された・・・・・と、わたくしは、考えた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4,

 

副題5、『入江多喜男君が亡くなったのには、私に原因があると、川名君は考えて居るらしい。だけど、しっかりと、真相を書こう。入江君と私が電話で話し合った内容もきちんと書く』

が終わった後で、私は、入江君に電話をかけた。

話したことは、なぜ、はしごを外されてしまうのかだった。奥様とも仲良しで、別に恋愛の雰囲気を出したわけではない。これは、1998年か、1999年の話で、まだ、逗子の一人暮らし紗江、開始していなかったので、圧倒的に昔の友達に相談をしていると、いう感じだ。

 ただそれほど、ずけずけと物言いが出来たのには、二つの秘密があった。ひとつは、川名君には、CS君の、にゅすい自殺未遂の事は話してあり、それをひそかに咎めたいと、私が、思って居ながら入江君には、何も問いただしてはいないと、言う関係。これは、私の方が強い。

 それと、一年次の、ICU祭での、エピソードだ。

 

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安倍晋三氏の最大の誤謬は、除染という方向へ舵を切った事だ。・・・ベンツCEOの来日は、裏の裏を搔いて居る・・・それを理解しないとだめですよ

2023-08-28 23:05:22 | 政治

 この章は、最初の総タイトルを、【うがちすぎる見方だが、日大アメフト騒動は、林真理子を理事長にする為の謀略だったと、今は理解します】としておりました。しかし、また、また、の体力不足で、28日の夜の、うちにはそこまで行かれません。

 それで、今まで書けた部分を総タイトルに反映します。尚、これは、28日の夜7時半から書き始めていますが、公開時間を、23時10分に、移動させます。こちらの方が、NHKニュースのコピペの章より、トップに出て目立つ様にさせる為です。

 なお、字数制限が無ければ、これも入れたいと思っていることは、800億なんて、すぐなくなり、莫大な金食い虫と変化する福島第一である。また、アラブ諸国は、炭酸ガスがいけないとか、石油を使うなと、言う日本のメディアをあざ笑いながら、高みの見物をしている事だろう。

 

副題1、『・・・一歩先を歩けば天才ですが、5歩先を歩くのは、気違いです・・・という箴言があるらしいです。わたくしは常に五歩先を進みます。

 今日書くべきテーマですが・・・・・

もちろん、このブログの世界で、自分自身の損失を語るべきです。

慶応高校が、優勝したのでね。やはり、ちょっと、普通のブログを書きたくなくなっています

2023-08-23 21:05:35 | 政治

  の副題7と、副題8は、非常に恐ろしいことを書き始めています。そこから、アウンサー・スーチー女史がなぜ、幽閉されているのか? という政治問題にも答えが出てくるし、わたくしがなぜ、平木伸明さんとか、安野智紗夫人という一般人を、目の敵にし、ここで彼らの得、得ぶりを書き続けるのか?の答えも出てきます。

 それを、ここで、語るべきです。

というのも、この2023年8月28日の夜に(四日ぐらいおとなしめだった平木さんが、攻撃を再開して、きているので、彼の大々的な、得(=CIIAから、わたくしを攻撃することに対するご褒美)に反対方向で、どれほど、我が家、特に長男が損失を与えられているか? 三国屋善五郎のケース他を、語らないといけません。丁寧に、かつ、詳細に語っています。西原理恵子の恐ろしさとか、大前研一、勇介(強大か、いとこ)の恐ろしさとか、平木さんという一般人よりも知名度の高い、有名人がやった悪を語らないといけなくなりました。本日から、その準備にかかり、29日にそれをブログ化するつもりでした。ところが、またまた、新しい発想がわいてしまいました。

 日大アメフト悪質タックル騒動は、林真理子を理事長にするための謀略だったと、いう考察です。

 この考察が、真実だとすると、林真理子は、日大に恥をかかせたうえで、(=その名誉を失墜させたうえで)、偉い人になった。となります。次の疑問は、どうして、そういう裏があるのに、平静で、シャーシャーとしているかという点に移ります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『林真理子が、極端に傲慢になったのは、週刊文春の自分のエッセーの挿絵画家を、取り替えたころだったと思う。その陰に、東郷氏とのお見合い結婚の成立があったかな?』

 いや、あったのでしょう。最近、ワードに対する、書けなくなるという、攻撃が、頻繁に起きるのですが、今、それが、起きましたから。

 伊藤玄二郎も、貴種流る譚を、利用する人間です。「自分は、伊藤整の婚外子です」と、これは、という相手には、打ち明けるでしょう。伊藤整とは、昭和期の大人気小説家です。エンタメ系ではなくて、知的インテリ向けとして大人気の作家です。それに、従三位の、位階も、受けているし、正夫人との間の子供は、東大名誉教授にして、早稲田大学の教授となった伊藤滋氏です。

 そのうえ、富裕層で、知的資産を多く持っている人でないと、その、重みを理解できない、ポルトガル国のエンリケ皇太子勲章を、伊藤玄二郎は、受けています。そこらへんの、おじちゃんや、おばちゃんには、その勲章が、どこの国で出しているものか? また、その国でレベルとして、何等なのか? ほとんどわからないでしょう。でも、富裕層なら、南ヨーロッパに旅行をしたことがあり、ポルトガル国のエンリケ航海王子勲章と聞いて、地中海を思い浮かべるでしょうし、グーグル検索で、その勲章が、位階として、とても高いことに気が付くはずです。そのほかにの、いくつもの、わかる人にはわかる、勲章を伊藤玄二郎は与えられて、鎌倉市長より、上だし、彼を通じて、ほとんどの、市長レベルの首長は、動かすことができるし、

 黒岩県知事も手中にしていますし、安倍晋三元首相も、谷垣てい一さんを、仲保者として、自由自在に動かしていました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『除染とは、徹底的に無駄だし、信じがたい金食い虫なのだ。そのことは、常に言ってきている。

 ぜひ、移住をしなさいと口を酸っぱくして言ってきている。結局は石棺化するしかないのだが、そうすると、福島第一の事故が、チェルノブイリ級の、苦しみを、日本にもたらしたことが、全日本人にわかってしまう。だから、わたくしも、2011年には、石棺化しなさいとは、言えなかった。もし、あの時、そこまで、言ってしまうと、何も書けないうちに殺されたと思う。だから、自らをセーブした。

 3.11以降、5月末には、菅直人首相に、小沢一郎と、谷垣禎一さんとの提携で、不信任案を出して辞めさせ、・・・・・安倍晋三首相へ、除染へのかじを切らせたのでした。わたくしは、何度も除染は、無駄だと、言い続けています。

 で、福島県民に、他府県への移住を勧めています。だって、半減期、250年以上ですよ。そして、250年たったら、放射能がゼロになりますか? いいえ、また、新たな半減期が始まり、ほぼ、永久に続くのです。トリチウム、トリチウムと、騒いでいるけれど、それだけが、放射線ではありません。危険な、方の数値については、発表をされていません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『ドイツは賢い。同じ敗戦国でありながら、原発を使わないという決定をしている。メルケル首相が理系なので,uraniumの特性についてよくわかっていることが大きい。とともに、同じコケイジャン(白人)と言う事で、日本よりアメリカ特に、ロックフェラー家から、大切にされているのかもしれない。ロックフェラー家こそ、ウランを粗鋼として、日本に売りつけている一族なのだ。ものすごく安い生産費で、莫大な儲けが得られる。

 ロックフェラー家は、ヨーロッパのどこの国の出身者であろうか? 今、初めて知りました。すると、南ドイツに、祖先の地があるそうです。そうすると、有害なものを、祖先の地へ売りつけることへは、、忸怩たる思いがあったのでしょう。でも、そこで、失われた、もうけを、日本で、取り返そうとしているのかな? この狭い日本国土で、54基、プラスアルファですって。本当に絶望的、原発大国です。

 ドイツは国家を二分されたり、ベルリンが、壁に包囲されたり、一年に、一回平均で、ナチスドイツのユダヤ人虐殺を主題とした映画とかドラマが作られて、世界中に、ばらまかれます。それは、苦難です。だけど、「ウラン輸入お断り」を宣言して以来、そのことで、アメリカから弾圧を受けているとは、思えません。いいねええ。

 日本人は、黄色人種です。それへの偏見もまだ残っているでしょうし、本当に、乞食か、超貧乏人化という扱いを受けていて。アメリカロックフェラー家に、貪り食われています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5,『ダイムラーベンツのCEOが来日し、EVを日本で積極的に売っていくと宣言した。』

 このニュースですが、裏の裏を読まないといけないのです。ドイツは車大国で。現在のEV一辺倒未、内心で反対でしょう。だからこそ、CEOが来日してこれから、日本で、積極的に、EVシャをうっていくとせんげんしたのです。。CIAアメリカの誰かに頼まれてね。

@@@@@@ここが、書きかけ中の最先端です。ちょっと、休みます。長時間休ませてくださいませ。

 週刊文春の、連載エッセーの挿絵画家を取り換えたころを、一つのピークとして、林真理子は、すごいレベルで、傲慢な人になったのです。それ以前は、ふっくらとした女性として、林真理子を表現するイラストレーターでしたが、急に・・・おめめぱっちりで、やせた、女性を主人公とする、素人っぽいイラストへと、変化しました。プロとも思えない、描き方です。

 ヘタウマという表現方法があります。

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ベンツCEO日本での、EV車の投入を語る。・・・・・林真理子が2023年8月にモンスターとしての実像を露顕の4

2023-08-28 22:53:57 | 政治

 これは、私のブログに必要なので、コピペして、ここに置きます。しかし、後で、ブログの方が上に来る様に、時間調整をいたします。

 最初のメディアは、NHKで、8月25日のニュースです。25日のニュースが、グーグル検索で、28日に出て来るとは、

 私がこれから何を書くかを見事にわかっているぞと、言いたい連中の意思の反映です。このニュースをグーグル検索に乗せた人間は頭がいいが、いわゆるCIAエージェントって相変わらず、頭が悪いです。というのもこのほかの攻撃が単純すぎるから。

 私って、わかっていることを全部書くわけではないが、彼らの頭の悪さには、辟易しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

メルセデス・ベンツCEO “日本市場で長期的にEV投入を”

海外の自動車メーカーが、日本での市場拡大を見込んでEV=電気自動車を相次いで投入しています。ドイツのメルセデス・ベンツのCEOがNHKのインタビューに応じ、日本市場で長期的にEVを投入する考えを明らかにしました。

ドイツの高級車メーカー、メルセデス・ベンツは先週25日、日本で7車種目のEVとなるSUV=多目的スポーツタイプ車を発表しました。

来日したオラ・ケレニウスCEOは、NHKのインタビューに応じ、「日本は会社にとって極めて重要な市場で、電動化への一歩を踏み出している」と述べ、日本市場で長期的にEVを投入する考えを明らかにしました。

そのうえで、日本ではEVの市場が海外と比べて拡大していないことを踏まえ「われわれは今2つのことを進めなくてはならない。魅力的なEVを投入すること、さらに充電インフラを増やすことだ」と述べ、自社が手がける急速充電設備について、日本でも来年中に展開する計画を明らかにしました。

日本自動車販売協会連合会によりますと、去年1年間に国内で販売された海外メーカーのEVは1万4000台余りに増え、軽自動車を除いたEVの販売全体に占める割合が45%に上るなど海外勢の拡大が目立っています。

アメリカのテスラのほか、中国のBYDなども相次いで日本にEVを投入していますが、ケレニウスCEOは「新たな競争に真剣に向き合うが、まずは自分たちの戦略に集中する」と述べました。

国内のEV販売の現状は

国内のEV=電気自動車の販売では、海外メーカーの輸入車が台数を伸ばしています。

日本自動車販売協会連合会によりますと、国内で去年1年間に販売された軽自動車を除くEVの台数は3万1592台でした。このうち、海外メーカーの輸入車のEVは1万4348台で、全体の45%を占めています。輸入車のEVは、年々増加傾向が続いていて、2018年と比べると20倍になっています。

メルセデス・ベンツなどヨーロッパ以外のメーカーでも、中国のBYDはことし1月からEVの販売を始めたほか、韓国のヒョンデ自動車もSUV=多目的スポーツ車のEVの販売を始めています。

日本の自動車メーカーが販売するEVは今のところ軽自動車が中心となるなど車種は限られていて、日本でのEVをめぐる競争は、海外メーカーが存在感を増す中で激しくなりそうです。

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林真理子の傲慢ぶり、FRAUねえ?  東郷元帥の孫と結婚ですか?・・・・処理水放出は廃炉には繋がっていない

2023-08-26 20:24:53 | 政治

 この章は、総タイトルをどんどん変えていきます。

*1)、【奇跡(本)が、やはり盗まれている。だからこそ、林真理子とはCIAの核弾頭ですよ】

*2)、【奇跡(本)が、やはり盗まれている。文化庁の京都への移転は、我が家からの本の盗みが原因です。

*3)、【林真理子、井上ひさし、安西篤子、阿刀田高、成岡康司、飯田隆、時田史郎、水沢勉】

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『そうであろうとは、思っていたものの、実際に調べてみて、やはり、奇跡(書物、講談社刊)が、我が家から盗まれていた』

  先週実印が盗まれていると、いいました。4月14日には、紀尾井ホールで、銀行の通帳4通が盗まれました。

 本当に、恐ろしいCIA軍団です。何度も泥棒被害について書いているのに、盗むのです。で、一般人のご近所住民、平木伸明さんが、いぱっていても、渡辺賢司が、威張っていても、鶴岡八幡宮の上級神官、龍村さんが、わたくしを軽蔑しても、わたくしは、内心で、「何も知らないで、何ですか」と、こっちこそ、深い軽蔑の、思いにとらわれています。

 というのも、平成の八墓村事件(五人が実際に惨殺された)から、始まって、寝屋川の、、涼斗君(中一)とその友達の女の子、そして、新潟で、死後轢断事件の被害者となった、おおももたまきちゃん、それから、キャンプ場で、行方不明になった小倉美咲ちゃん、こういう事件は、全部CIAの手下としての闇の軍団が、行っているからです。

 丁寧に、そう考える根拠を書いています。今、リンク先を探している暇がないですが、・・・・・ともかく、NHKが、報道する表向きの犯人(保見死刑囚、山田浩二死刑囚、小林遼などがやったと、いう報道)ことが、真実だと、思ってはいけませんよ。

 安倍晋三殺しは、そういうリクルートをされた、青年が、見えない場所で、行ったとされるのを喝破した、わたくしのブログ文を否定するために、徹也という青年実際に凶行に及ぶのを、NHKカメラほかで、撮影をさせることが目的でした。NHKの、美人女性記者が、現場にいて、すぐ報道をしたのも、そういう裏側が正しいことを証明しています。

 金銭の被害を予想させるもの以外にも、本もたくさん盗まれています。井口基成・愛子、一族について書いた【鍵盤の帝王】が、盗まれているのは痛いです。書物のお金が高いうえに、読みたいと、思っている頁がいっぱいですから。

 本は、実際に盗まれた日がわかりません。ただ、両親の写真、それから、父が絵が上手だった(ので、中国の雲崗(または、大同ともいう)遺跡の石仏を描いた油絵がラストエンペラーの宮殿を飾っていたことを書いた、新聞記事など、本当に多くのものが盗まれています。

 それから、北久里浜の東側の丘の上にある、旧水道山が、無償で、益山重夫(1978年10月11日に急死したので、その妻である智恵子)やその弟の、仲野通巳吉・・・・・私が、それが、実際には、詐欺事件であることを見破ったので、助けてとして、登場した、瀬島龍三、伊藤忠トップにして、戦後最大のCIAエージェントなどの、・・・・・地積変更届に関する公図、権利証など、ちゃんと、印紙代を払って集めた証拠書類段ボール一箱分も盗まれています。

 安西篤子さんが、わたくしの文章をほめていて、「訪問をしてきてもいいわよ」と、新住所を知らせてくださった、はがきなども、豊島屋の先代社長からいただいた手紙なども盗まれています。

 神田の学士会館で行われたお茶代付属高校の下部組織の主催で、阿刀田高さんの、講演会が行われたときに、講演後の、質問の時間で、先生は、「イーリアスの中で、どの登場人物を、お好きですか。わたくしは、ヘクトールです」と、質問をすると、こんな会でこんなに頭の良い人がいるとは、思いもよらなかったといわれ、二冊目の本を出版したときに、送りたいのですが?と、電話をかけると、「ええ、あなたのことは、覚えていますよ」と、言っていただきました。(蛇足1で、うんちくを語ります)

 しかし、わたくしは、阿刀田さんにも安西篤子さんにもその後、接していないのです。それは、電車の中で、非常に心が通い合ったと、感じた、辻唯雄さんに、一冊目の自著を送った時に、一切の連絡がなかったのです。私の本は、どんな高名な人でも、お読みなった限り、丁寧な、感想文をいただくので、無礼であることが、すぐ、敵さんの介入を暗示させるのでした。

 特に、高村薫さんと、辻唯雄さんは、二人を実際に知る人から、礼儀知らずではないと、いう証言をもらっているので、井上ひさしが、「読まない様に」と、ストップしたのだと、思います。特に私自身が、辻さんと、実際にお話をして、名刺もいただくところでした。しかし、一枚もお財布に入っていないと、いうことで、もらえませんでしたが。

 郵便物は、チェックさえているのです。だから、五冊目以降は、わざわざ配って歩いていますよね。そして、水沢勉氏の、奥様が、だいぶ遠いところに住んでいる、福音館社長、時田史郎家で、11月3日に、みぞれ降る中、お茶ももらえず、駅までも、車で、送ってもらえなかったことを、ご存じだったと、いう不思議な現象にも出会うのでした。これは、最近書いたので、リンク先を見つけることができます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『この不思議な現象は、こういうことだっただろうと、思っている。鎌倉エージェントと、わたくしが、呼んでいる私の敵の中には、東京に住んでいる人も無論住んでいる。

 ICUの先輩でもあり、日吉台小学校の先輩でもある、石塚雅彦さん、とか、私の横浜国立大学付属中学時代の、同期である、成岡康司君などだ。成岡君は日比谷高校経由で、早稲田の政経卒という経歴である。たぶん、アメリカ大使館内い住んでいる。でかれは、翠嵐高校経由で、同じく早稲田の政経(だと、信じる)に進学した、飯田隆君と、親友であるらしい。もう一人、緑が丘高校卒で早稲田に学んだ時田史郎君(福音館社長・・・・ところで、本日23-8-27の日曜美術館は、八島太郎特集だったが、も、仲良しである可能性が高い。

 飯田隆君は、早稲田卒で、朝日新聞社に入社した。週刊朝日の、編集長をもしたと、いわれている。

 で、わたくしが、文化庁の在外研修生で、パリへ行ったときに、沢木耕太郎になりたくて、大量の手書きエッセーを送っている。実際は、敵方の人だったのだ。ものすごいへまをした。だが、ずっと、信頼していたし、心の奥底を書いたエッセーを読まれていると、思うので、このブログで、彼の名前を挙げることは、本当に避けてきた。

 まあ、ここらあたりは、沢木幸太郎を目指していたのに、すっぽかされて居たというのも恥だし、沢木幸太郎を目指していたのが、57歳の時なのに、まだ、実現をしないで、81歳になってしまったというのも恥である。まあ、実は、これは、肉を切らせて骨を断つという目的で書いている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『処理水が放出され、浜通りの漁民、また、中国他が、生鮮食品を全面禁輸とするとなったので、日本全国の漁民、および、高級な果物を生産している農家などが、壊滅的打撃を得るだろう。で、政府は、800億円を準備したそうだ。だが、それは、税金であり、都会の、住民の、酷税から支払われるのだ。ところで、国民は、あの処理水を、海に流したところで、

 原発の廃炉には、何の役にも立っていないことを、認識しているのだろうか?

 処理水というのは、フクシマ第一の、4つの原発の核燃料棒が、溶けて、炉心底部にたまってしまった、デブリ・・・・・それは、地球内部のマグマレベルの高温だが、・・・・・

 単に、・まぐま・レベルの、高温だと、いうだけではなくて、

 次の大爆発を招く可能性があるので、冷やし続けないといけないのだ。

 次の大爆発って、広島型原発、4個分の、死の灰をばらまく可能性があって、漁民たちに、慰労金、800億円を支払います・・・・・というどころの始末ではないのだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『皆様は、マイナンバーの、本当の目的をご存じだろうか? あれは富裕層、または、CIAのかわいこちゃんだけを選んで、月に行かれるという証明の番号が、打たれている人間がいるということだ。

 あのマイナンバーだけど、最初、ものすごく小さな組織で、作り始めた。わたくしは、たまたま、運転免許証を持っていない。

(母が、「絶対に免許取ってはだめよ。いつも、ものを考えていて、上の空だから、事故を起こすわ」と言っていたので、お金がないわけではなかったが、免許を持っていない。で、鎌倉市発行のIDカードを持っていたのだが、その期限更新の際に、「マイナンバーに移行をしてください」と言われた。

 で、その時もらったマイナンバーカードなのだけれど、最近の医院や、薬局には、読み取り装置が置いてある。で、それで、読み取ろうとすると、わたくしのカードは、「期限が切れています」という。印刷してある、有効期限はまだ、まだ残っているのに、「期限が切れています」と言って使えない。

 これは、実はものすごい話で、まだ、着手したくなかったことだ。で、ここで、強引に口にチャックとさせていただきたい。もう、心臓がバクバクしそうな恐ろしい弾圧行為(イコール、医療を受けられない)が、マイナンバーカードを利用して行われそうになっていると、いうこと。

 で、ぐっと気楽な話に移行をしたい。

 月へ行かれると、マイナンバーカードに、一般人には、わからない形で、有効な番号が当てられている人たちって誰だろう。ちょっと、推察してみよう。

 残間理恵子、林真理子、福岡伸一、ビートたけし、大竹しのぶ、桑子アナは、すでに、有効な月への切符を持っているはずだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『ここで、林真理子の、【奇跡】と、いう書物に戻る。』

 で、わたくしは、以前にも言っているのだが、林真理子の、【奇跡】を、『楽しい、よい本だ。本当に奇跡みたいな美しい恋愛の、成就の話ですね』と、感じる人は、日本人の中で、0.1%であろうと、考えている。

 しかし、12万人のうちで、高齢者(認知症)と、幼い子供は、この書物には、関心がないと思うので、大甘に言っても、10万人程度が、「よい本だわね。わたくしも頑張って、夫以外の、高級な男性と付き合おうかしら。秘密裡でね。そしてあわよくば乗り換えましょう」と、考えている女性は、 

 10万人のうち男性が、五万人を占めるとすると、(そういう風にしたなめずりをする)、女性は、5万人は、いると、いうことだ。

 一方、あの本を読んで、すてきだと、思う男性はいないはずだ。ちょっと、深読みをすれば、田原桂一という写真家が、博子さんと、不倫の恋愛をはじめ、それが、縛りとなり、離婚となり、博子さんとの再婚になったことを、後悔しているはずだ……ということは、読み取れるはずなのだ。

 林真理子は、田原博子側に立っているので、桂一氏の内面は、分析をしていない。だけど、がんを患ったということ自体、ストレス性発症だと思われるし、治療法について、彼をあれこれ、引っ張りまわす、博子さんに、『うるさいなあ。こんなに支配欲が強いおんなだとは、考えもしなかった。前の細君の方がしとやかで、懐かしい』と、彼が内心では、思っていたであろうということは、読み取れるのである。

 さて、この五万人の女と、その夫だけど、月へ行く人間として、日本人を、10万人も運ぶ余裕は、NASAにも、イーロンマスクにもないと、考えられる。で、彼らの中に、数千人は、居たとしても、そのほかの人間は、どうするかだが、すでに、パリとか、ニューヨーク、ロスアンジェルス、南仏などに、拠点を持っていると思われる。子ども、兄弟、いとこ、などが、現住者として海外にいれば、その人が核となって、次の住居を探してもらえるので、お金さえあれば、日本から、自由自在に逃げられるのだ。

 で、この12万人と、それ+、38万人ぐらいの、富裕層だけを見て、岸田総理大臣は、執政を行っている。ここまで、富裕層優先で、かつ、原発容認の総理大臣は、戦後の日本には、居なかったのだが、

 中学と高校時代、アメリカで、育っているので、ウランについては、皆目知識がないのだと、思われる。。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『FRAU 女性誌、講談社刊行、が、この【軌跡】をほめまくっている。桂一X博子の、たくさんの写真をネットに乗せている。でも、わたくしが忘れられないのは、

 2002年~2003年ごろだったと思われるのだが、FRAUが『小泉純一郎 VS 林真理子】と、いう対談を企画した。その中で、彼女は、「ねえ、不倫しましょうよ」と、提案をしている。

 小泉首相の方は、独身である。しかし、林真理子の方は既婚者である。2003年、子供が生まれて、マガジンハウスの壁に、高さ10mぐらいの垂れ幕を垂らして、

「2003年すべてを手に入れた林真理子」と、書いてあった。つまり、お嬢さんが、体外受精で、うまれた後ですよ。

 対外受精ということは、ご主人が、ペニスを真理子さんのワギナに、挿入しないので、そういう医療処置をしたわけで、『自分は、性交に関しては、独身みたいなものだ』と、いう認識があったと思います。そのうえ、ワイン同好会で、小泉純一郎氏とは、以前から、交流があったそうで、親しい間柄だといっています。

 しかし一国の総理大臣に向かって、「不倫をしません?」とは、なんという言い草でしょう。下品、下品、下品すぎる。

 林真理子の出産に関しては、ある有名人が、「ここだけの話ですが(ということは、彼女に逆らうと怖いのでしょう。きっと)、わたくしは、生殖に、人工的な手が入ることは、どうも、と思います」と、おっしゃったのです。で、発言者の名前は伏せますが、

 

 ああ、もっと、ハイブラウなことを書きたいのですが、彼女の下品さを、いくつも思い出してね。特に慶応高校の甲子園優勝に関して、とっておきのエピソードがあるのですが、本日もそれは申さないで、置きたいです。理由は、林真理子に軽蔑された人が、気の毒だからです。有名人で、わたくしではありませんよ。そして、小泉純一郎氏でもありませんよ。

 ところでね。ここまでのことを書きながら、ある調べ物をする必要性を感じました。

 FRAUで、小泉純一郎、首相に、「ねえ、不倫をしない?」と、しなだれかかったときに、すでに、体外受精で、子供を産んでいるかどうかです。子供がいるのに、こういう下品な発言をするのは、わたくしには、許せないことです。しかも、必ず、神様から、叱責を受けるはずだからです。一ノ瀬智恵乎子さんのケースを考えてもごらんなさい。絶対に神様に叱られるはずなのです。

 で、google 検索に『林真理子出産』というキーワードを入れたところ、なんと、彼女の本名が出てきました。夫の名前も、お嬢さんの名前も出てきました。東郷という苗字だそうです。

 それを探ろうとして、検索したわけではないのですよ。ただ、ただ、出産年度を知りたかっただけです。これが、わたくしのいわゆる、天のお助けというやつです。望んでいないのです。欲深ではないのですよ。ただ、数字を知りたくて、検索すると、ほかのことが出てくる。そして、さらに真相に近づいていく。

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副題7、『もし彼女が、東郷元帥の孫と結婚をしたのだったら、「へん、小泉純一郎がなによ」と、いう内心があったと、理解できる。「あなたのお爺さんって、人夫(港湾労働者や、工場従事者、横須賀だったら、海軍工廠の勤務者)の、手配人だったのではないの」と、林真理子が考えて、FRAUの対談中に、「ねえ、不倫をしない?」と、しなだれかかったのも、うなづける。

ところで、東郷元帥側の資料で、林真理子が出てこないが、伏せられている可能性を、感じている。孫世代は、ウィキペディアでも出てこないからだ。

でね。本日、2023-8-27に初めて、彼女が東郷某という男性とお見合い結婚をしたということを知ったのだが、・・・・・週刊朝日の連載が、いつ始まったのだろう。その頃、林真理子を、CIA側の核弾頭として、私を威圧し、弾圧する、人材として、使うことが、CIAエージェントたちの間で、決まったのだろうと、感じている。

 井上ひさし、成岡康司、飯田隆の間で、決定され、彼女を、上流階級の人としていく、作戦が開始されたのだった。わたくしは、1999年、ニューヨークで、三か月の版画研修の最中、彼女が、一週間強やってきて、紀伊国屋書店(ニューヨーク、ただし、今の店舗ではない)のカフェで、講演会を行った時から、それに気が付いていた。

 今は、消えているが、大騒ぎで、非常に立派な仕事をしたことになっている。だけど、通訳付きで、コーオーディネーター付きでの取材なんて、本当に通り一遍なものだ。で、わたくしが批判をしているので、今では、それは、消えているが、1999年秋の出版物、および、週刊朝日の扱いの大きかったこと、大きかったこと。新聞の縮刷版の広告(いわゆる中づりという目次の事)を、点検するだけで、わかるでしょう。

 この1999年から、彼女が敵の河合個チャに担って、なんでもかなえてもらえる状況に入り、

事あるごとに、成功例を見せつけて威張る様になったので、より注目する様になり、いろいろなところで、厚遇を受けていることを知ったのだが朝一に、ゲストとして出た時に、ヴィトンの、ワンピース(丈が短いので、わたくしはブラウスとして使っている。胸を飾る刺繍が、素晴らしいので、一種の手工芸品として買った。ヴィトンの、ブランドが、欲しかったわけではない。

 と、同じものの、ブルー系のものを着て出てきたときには、100%彼女がライバル関係に位置させられているのが、分かった。はっきりと分かった。だって、それは、三年以上前に私が買ったもので、しかも刺繍が、ひどく際立つので、デパートの店員とか、それを、買ったお客が、覚えているはずだった。富裕層であることを誇っている彼女が、そういうものを着てテレビに出るはずがなかった。ひとえに、鎌倉エージェント、特に直木賞の審査員だった、井上ひさしからの提案の乗ったのだった。

 井上ひさしは、その頃は、すでに、公的には死んでいたはずで、このヴィトンのワンピースを着て出た、林真理子の姿によって、彼が生きていること。そして、林真理子を指導していること、などが、はっきりと分かった。

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副題8,『2023-8-8日に大記者会見を開いたのはひとえに、林真理子の偉大さを、一般庶民に印象付けることが目的だった。それを既に書いている(あと註2)ので、薬物の件で、二度目の学生逮捕があり、学生寮への、家宅捜索へと発展をしたが、彼女は、記者会見をしていない。

 一回目、8月8日(火)だけど、わたくしは、その日は、反町のアパートに、月曜日から、泊まっていて、火曜日の朝、主人に、電話をかけて、「夕食は作ります。でも、それまでには、ぎりぎりまで、外にいます」と、連絡を入れている。

 で、五時ごろ帰宅をするはずだ。午後、二時から、記者会見をすれば、雨宮舜(=本名、川崎千恵子)は、テレビを見ることができない。したがって、詳細な部分で批判を受けることはなく、ただ、ただ、林真理子の偉大さを、一般、日本人に植え付けることができると、鎌倉エージェント及び、すべての、原発容認者は、考えたと思う。

 ここで、具体的に、わたくし及び息子に対する、大量の損害を与える攻撃について、語らないと、私の方が悪人に見えてしまうだろう。有名人を批判する馬鹿だと、見えると、思う。いや、son  ですよ。だけど、私の場合、壮大なミステリー=だまし討ちに囲まれているわけで、やられた後で、分析して置くほかはないのです。ただ、それをご覧になった神様が適切な処置をとってくださるのを待つしかないのです。

 だが、それらをすべて書いたら、わたくしは、本当に消耗のあまり、死んでしまうだろう。

 だから、一方的に見えるはずだけれど、この賞は、ここで、終わりたい。後で、リンク先を示したり蛇足部分を書いたり、

誤変換を、直したりしたい。

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清原夫妻の再婚はあるか? 超、汚い内容の【奇跡】を出版した林真理子が、どうして大学生の冠なのですか?

2023-08-24 23:00:00 | 政治

 この章ですが、総タイトルを、【清原夫妻の再婚はあるか? えぐいえぐい意地悪を言う林真理子】としておりました。だが、25日の夜10時に変更をします。大学生という部分は、19歳から、23歳までの、若い人と言いたいところですが? 総タイトルは、字数制限があるので、大学生としました。

 日大の、理事長がいけないと言う事ではなくて、もっと、根本的に、林真理子が、若い人の上に立つのがおかしいと、私は、言っているのです。

 大学というものは、若い人の、集まる場所ですよね。そして、若い人って、前向きで、希望に満ちていて、清新なはずです。

  

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副題1,『今回の高校野球では、のちに、ネットで、問題になる様な、重要な誤審が二回あったみたいだ。残念というか、とても、嫌な感じだ』

 慶応高校が、甲子園で優勝しました。それで、私の頭は、急遽、前報

慶応高校が、優勝したのでね。やはり、ちょっと、普通のブログを書きたくなくなっています

2023-08-23 21:05:35 | 政治

  を、書くことになってしまいました。総タイトルを、一見したのちに、実際に、読んでみて、あれ、変ねと、お思いになった方も、あるやもしれません。慶応高校オマージュの文章だと思ったら、全く違うじゃあないですか?・・・・・と言ってね。

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 私は、日吉とは、10歳のころから住んでいたりして、縁があるので、慶応(主に大学)出身の知人は大勢います。 だけど、今回だけは、慶応高校の優勝を、さして喜べませんでした。その理由は、いくつもあって、それは後で、書きます。

 私が、甲子園に関して、もっとも、盛り上がっていたころは、Y校の三浦投手が神奈川代表になったころです。背が高くて、顔が、かわいい選手でした。ただし、プロ(中日)に行ってからは、伸びませんでした。性格的に、おとなしい少年だったからかな? ともかく、プロは向いて居なかったのでしょう。今、どうしているでしょうかね。1965年生まれだから、すでに58歳の筈です。幸せに、そして真面目に暮らしていてほしいです。

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 実は神奈川県大会で、誤審があったそうです。それも、慶応高校の優勝を素直に喜べない原因の一つです。決勝戦でね。横浜高校が不利になる様な誤審です。ところで、同じことが、甲子園でもあったそうです。準決勝で神村学園に不利になる様な誤審があったそうです。両方とも、有名な高校が、有利になる様な誤審です。スポーツマンシップに悖る精神だなあと、残念に思います。

 私は、両試合とも、ちゃんと見ていたわけではなくて、ネットで、皆さんが、問題にしているのに気が付いただけですが、後で、思うと、神村学園の生徒が全員、涙、滂沱だったのです。点差は、結構大きかったので、僅さの勝負というわけでもないのに、なぜ、こんなに泣くのだろう?と、不思議でした。しかし、誤審があったと、後で、知って、生徒全員が、そのことを悔しく感じたのだと、わかってきました。つらかったのでしょうね。かわいそうに。

 慶応の生徒たちのエンジョイベースボールという、雰囲気との大きな差を、見た思いです。

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 誤審をした審判の名前は、二人とも、知りません。だけど、その二人の男性の、心の底に、強者に対する阿りとか、忖度があったと思います。私は、日々、強者の恣意に苦しめられていて、損失が大きい人間です。だから、特に嫌な感じを受けました。単なるおじさんに過ぎない男性に、一年間の努力や、練習を水の泡にされた横浜高校の関係者と、神村学園の関係者に、深く、同情し、天のご加護が、後日ある事を、祈っています。もし、同じ男性だったら、高校野球連盟は、この男性を排除すべきです。

 こういう誤審をする男性って、町内会とか、マンション管理組合では、「事務局長を引き受けます」と名乗り出るタイプです。または、「会計をやります」と、名乗り出るタイプです。そして、ひそかに、団体のお金を猫糞したりするタイプです。もちろん、今回の誤審をした、審判が、自分が所属しているどこかの団体の、金銭を、ねこばばしている、と、いっていうわけではないのですよ。そこは、直結はしません。しかし、タイプとして、そういうタイプだと、言っているのです。

 こういうおじさんは、眼で審判をしているわけではなくて頭で、審判をしているのです。どっちが勝つと、結果として、どうなるか。新聞の、明日の見出しがどうなるか。NHKニュース内での、扱いがどうなるか?を、考えるから、強者が、有利になる様な誤審をするのです。こういう事を許しておくと、高校野球は、必ず、人気を失います。

 もう少しはっきり言うと、昔、チャンバラ映画があったでしょう。今は、やくざ映画かな? ヒーローが出て来るそういう種類の映画です。または、アメリカ映画でもいい。そういうのを見て、自分を主人公と同一視するのが、好きなタイプです。つまリ、自分では、自分を上等な人間としてみているが、実際には、下等な人間です。人間なんて、深さが何層にもなるのですよ。表層だけを見ている浅いタイプです。

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 慶応高校野球部で、もっとも魅力があったのは、監督でしょう。この人は、なかなかの紳士ですね。考え方も深いです。

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副題2、『高校野球は生徒の実力の勝負ではなくて、学校の力量の勝負というところが大きい。だが、突出した指導者が、出てくると、その高校が小さい高校でも、野球だけは強くなる。横浜高校しかりで、池田高校しかりだ。東海大付属も同じかな?』

 横浜高校は、、渡辺前監督時代、急に強豪校になりました。この方は、すでに、引退をなさっています。それだけでもえらい。覚悟をきっぱりと、決めている人で、弟子たちを次の監督にすると言う形で、生かしています。それだけでも偉いです。

 そして、神奈川大会の決勝(横浜球場)を見ていると、応援が、結構多いです。慶応高校は、神奈川大会の時から、大応援団でした。しかし、横浜球場の、横浜高校側も、お客が一杯です。これは、巨人、大鵬、卵焼きの、時代に、阪神ファンになった人たちと同じで、判官びいきの感覚を持って居る人たちでしょう。でも、私としては、驚きました。だって、慶応って、幼稚舎から、大学まで入れると、直感としてだけでも、横浜高校の50倍の、規模を持って居ます。東京圏に住んでいる、慶応(大学だけ)の卒業生も、子供を連れて、応援に来ていると思うので、母体が、本当に大きいです。だから、応援団の数の比較において、10倍の差はあるだろうと思っていたのに、ほぼ、同数だったので、驚いたのです。隔世の感があります。横浜高校も、えらくなりました。有名な学校になりました。

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 でもね。ただ、学校経営の妙味だけではなくて、社会の経済活動の変化も大いに影響をしている。私が、最初の節にあげたY校って、横浜の高校野球では名門校でした。旧制商業中学で、父が、「戦前はね、Y校と、よた専が、張り合っていたんだよ」と、言っていました。ただここでお断りをしておかないとならないのは、この二つの学校が張り合って居たのは、甲子園にどちらが行くかと言う面ではなくて、横浜市内の会社に人材を送り込むと言う意味で、張り合って居たと言う事です。例えば、父の勤めて居た石油会社でも、事務系の勤め人はいたでしょうね。営業とかお給料の計算とかで。そう言う人材として、Y校と よた専 後の 神奈川大学が張り合って居たと言う事です。と言うわけで、Y校は、横浜きっての名門校だったのです。

 

父は、旧制専門学校(現在では大学)では石油科の第一回・卒業生だったので、横浜にある石油精製プラント(早山石油。のちに丸善石油となり、そののちの激しい統廃合で、なんという元売り会社に統合されたかは、私は知らない)に、昭和7年ごろから勤務したので、横浜には詳しいのでした。のちに満鉄に転勤するが。

 本人は、スポーツとしては、陸上が専門でした。走高跳で、神宮に出ています。しかし、165㎝という記録では、六位以内には、入れなかったらしいですが。

 でも、野球には興味があって、Y校については、よく話してくれました。また、私の小学校時代の友(で、住まいも、100m以内というご近所だった女の子)が、Y校の先生をしていたので、私は、特別にファンになっていたのです。

 下は、昭和八年(=1933年)の父です。結婚式の写真も、この、独身時代の写真も、全部、盗まれてしまって、今は、手元に無いのですが、これだけは、たまたまスキャンしてあったのでした。まるで、役者みたいに気取っているのが、面白くてね。たまたま旧制・山口・中学時代の親友が、藤本真澄・東宝・元重役(慶応卒)だったので、こういう風なおしゃれをしてみたかったのでしょう。白いスーツは、伊勢佐木町のスタジオ備え付けのものでしょうね。借りているのでしょう。こんなのを着て、会社には、行かれません。

 昔はね。国立とか、公立は、強くて、私立が弱かったのです。野球強豪校だったY校は、その卒業生が、横浜の会社の、サラリーマンになっていて、母体も、強かったのですね。しかし、高校で、卒業するよりも大学へ進学しましょうと、言う日本経済の、発展を見て、Y校は、沈潜していったのです。三浦投手を擁して、全国大会に、出場したころが、最後の栄光の時代だったのでしょう。

 結局神奈川県では、高校は、その名誉を、東大入学者の数で、競う風潮が強くて、私が本牧の立野の丘にある、横国大の付属中学に通って居たころに、その校舎が建設された後発の私立中高一貫校である、聖光学園が、今、神奈川県一、東大入学者が多いんですって。栄光を抜いたらしい。驚いた。

 でね、野球の強い学校と、東大受験で強い学校は、一致しなかったのです。ところが、桐蔭学園というさらに、後発の高校が出来て、その高校は最初は、東大入学者数を競う方向で、運営をされていたのですよ。桐と言う字が学校名につくのは、筑波大学卒業生が、作った学苑という、意味であるらしくて、高校の教師としては、広島大学と、その名声を二分する、元、東京高等師範学校ですからね。教師として、は、生徒たちの指導に自信があるわけです。

 ただ、聖光と、栄光とは、宗教団体がbackにいるのです。聖光は、フランス系、栄光は、ドイツ系カソリックがbackにいるのです。そういう意味では母体が大きい。一方、桐蔭にはそれが無い。

 でも、桐蔭は、経営方針を変えたのです。私が知っていたころの生徒数ですが(だから、今は、違うかもしれない)、慶応が、800人で(女子校は、別)、桐蔭が、600名だと、聞いたことがあります。少子化の現在では、生徒数は、変わっている可能性は、あります。

 で、桐蔭は、600名の内、スポーツ特別待遇制度を、作って、何名かは、成績の良し悪しは問わない…ただ、スポーツの特技があれば入れるという形で、入学させたらしいのです。中学時代、野球で、頭角を現した生徒を、学費免除で、お誘いする。というわけで、桐蔭が、神奈川県代表になっていた時期もあるのです。しかし、桐蔭で、野球をやっても、東大、早慶に入学できるわけではないと、子供や親が気が付いてしまったのですね。

 で、絶対に大学に入れる高校として、慶応と、東海大付属が、野球の好きな子供の希望先として、選ばれる様になったのです。一方で、高校卒で、プロに入りたいと、考える様な子供が、横浜高校を目指したのです。で、名前が、似ているが公立の、Y校は、見る影もなくなったが、私立の横浜高校は、野球の名門校になり、松坂投手を出したのでした。

尚、慶応がスポーツ優待制度を持って居るのかどうかは知りません。でも、入学希望者は、全国から集まるので、優待制度など、作らなくても野球に強い子が集まるのでしょう。伝統の、強味おそるべしです。

 で、神奈川県代表は、横浜高校と、上の二校が、県代表を分け合うという形になっていたのでした。ときどき、違う高校も入るのですけれどね。

 でね。ほかの都府県でも大体似た様な感じだから、エンタメとしては、上等でも、純粋なスポーツ精神は、もうないよねと、考えて居るので、私は、もう、高校野球の、熱心なファンではないのです。「同じ時間を使うのだったら、クラシック音楽を聴きたいです」という感じ。

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副題3,『今回の慶応高校のファンの多さは、清原家の、次男殿と、父や、母の存在が、大きい』

 現在の団十郎が海老蔵だった時代に、奥様が、癌で亡くなりました。それで、海老蔵とお子様方は圧倒的な、人気を博しました。まあ、海老蔵にもって生まれた美貌と、ある程度の、演技力があったので、幸いしました。人気先行だと、やがて、飽きられるからです。

 今回の甲子園における、慶応人気には、清原勝次選手と、その父親の和博氏の、一家再生物語が、人々の胸襟に触れていて、大きく寄与しています。

 この物語は、大勢の人に明るい、希望とか、明るい幸福感を呼び覚ましています。そして、両親が、離婚をしてしまったお子様は、「なんと羨ましい事だろう。私の両親も、同じ様にしてくれないかなあ」と、考えて居るでしょう。

 私は亜紀夫人は怜悧な人だと、思っています。だけど、ともかく、お子様を二人とも慶応の普通部に入れたと、言うのは、すごいです。母親として、すごいです。

 清原和博氏と亜紀夫人は、再入籍など、やらないでもいいです。今の形でも、すでに、全国民が祝福しています。これはね。夫婦ともどもが、別のパートナーと再婚をしていないと言う事もベストでした。子供のことを考えると、日本では、まだ、まだ、継父、継母と、こどもの間の、精神状態が良くないので、別のセックスフレンドとの再婚は、やめておいた方がいいです。団十郎は、奥様が亡くなっているが再婚していませんね。賢いです。

 香川照之は、どうしちゃったのですか? 団子の母と、再婚するべきだったのに。

 しかし、他人の幸せを願う、そういう庶民に比較すると、林真理子が、どれほどに、心が汚い、人間かを如実に示す、センテンスが、慶応普通部に関してあるので、それを、ここで、書いて置きたい。ただ、目の前で、発言をされた動画を見ているわけではなくて、ネットで、見たというセンテンスだが。

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副題4、『林真理子って、実際に接する人に対しては、気遣い満点だそうです。手土産などを準備する気遣いは、満点だそうです。甲府に帰るときは、東京のお土産を持って帰って、地元の有力者のご機嫌を取るし、帰京するときは、公布のお土産を持って帰って、東京の関係者に、配るそうです。お金もあるし、人も使っても、いるので、そういう余裕があるのでしょう。

 しかし、事、道徳観という意味では、どこに、ポイントがあるのかが、全くわからない、鵺みたいな人間です。

 特に【奇跡】という書物を、恥ずかしげもなく、上梓して、しかも、大宣伝に、のっかっているのを見た時から、批判をするのを躊躇しなくなりました。奇跡の主人公、田原ひろ子さんというのは、悪魔みたいな女性です。隠れて不倫をしている。それも、子供が二歳ごろから・・・・・そして、それを得意にしています。恐ろしい。本当に恐ろしい。その恋愛の過程を、奇跡だと、して、文章化したのが、林真理子の、【奇跡】というしょもつです。

 この章ですが、総タイトルを、【清原夫妻の再婚はあるか? えぐいえぐい意地悪を言う林真理子】としておりました。だが、25日の夜10時に変更をします。大学生という部分は、19歳から、23歳までの、若い人と言いたいところですが? 総タイトルは、字数制限があるので、大学生としました。

 日大の、理事長がいけないと言う事ではなくて、もっと、根本的に、林真理子が、若い人の上に立つのがおかしいと、私は、言っているのです。

 大学というものは、若い人の、集まる場所ですよね。そして、若い人って、前向きで、希望に満ちていて、清新なはずです。

 裏切りと、セックスに、おぼれている女性=田原博子の不倫が、どうして、奇跡なのですか? どうして、美しい事なのですか? あの本を読むと、そこには、文字としては、書いて居ない、田原博子の大陰唇と、小陰唇さえ、私の頭には、画像として浮かんできます。画家だからね。3.11でさえ、画像としてとらえる人間です。想像力は、満開に、成りますよ。彼女の小陰唇がびらびらびらっと揺れているところさえ、見えてしまうほどです。

 田原博子とは、はっきり言って、上の口と、下の口を使って、欲望を全開した女性です。そういうことは文字としては書いて居ないが、そういう内容の書物です。表向きのきれいごとの裏が、私が、ここで、文字化した様な内容なのです。それを読者にしっかりと、推察させる書物です。どこが奇跡ですか? どこがきれいな話なのですか?

 私は、もう、お金を儲けることをあきらめているので、ここまではっきりと書きます。

 ともかく、彼女が、どうして、魅力的なのだろう。そんなはずないですよ。だって、不倫の恋に陥ると言う事だって、夫以外の男性(田原桂一氏以外の男性)に、以前、関係を持ったことがあるからこそ、セックスを試してみたいと思ったわけでしょう。その関係って、結婚前でしょうか。結婚後でしょうか? 奇跡には、孝太郎の女性問題という項目が出てきます。だけど、博子さんが、博子さんだから孝太郎も、他の女性に手を出したのでしょう。お互い様です。

 そして、人間って、セックスだけで、生きているわけではありませんよ。それに、田原前夫人や、仁左衛門や、孝太郎を、傷つけています。いやな人間です。

 それに、セックス以外の、他のフィールドにも、全力投球をしている人間がいるのです。奇跡って、これ以上ない俗悪本です。ただ、ただ、青山の幼稚園に子供を入れることが出来る富裕層が、お互いの傷をなめ合っている内輪の話です。

 しかし、林真理子は、田原博子の不倫を傷だとは思っていないでしょう。田原博子は、どうか、わかりませんが、書物にしてくださいと、言う限り、・・・・そして、彼女の言動をたどる限り、「自分は勝者である」と確信している模様です。だから、傷をなめると言うのとは、ちょっと違います。

 本当の内容を言うと、勝者が特権の限りを尽くして、自分たちのわがままぶりを正当化した書物です。

 私が批判をしても、林真理子や、そのお取り巻きは、こういうでしょう。「あなたって講談社から、自著を出せるの? 私はね。講談社からの、この【奇跡】以外に、何百万部、もすでに、自著を売っているのですよ。身の程をわきまえなさい」と。そう、言いながら、高笑いをしていると、思います。私は、むろんの事、それをわかっていて、この一文を書いて居ます。

 林真理子は、人間がつくる社会の中だけで生きているわけですが、私は、人間と、人間を超えた存在の、両方が、同居している世界に生きているので、『後、100年たった時の林真理子の、立ち位置が、現在とは、全く違うであろう』と、予測をしていて、それゆえに、対等の、立場で、発言をしています。

 という挿入を、25日の、夜10時に入れて、初稿へ戻ります。ただ、相当に加筆をしてありますよ。

 この書物の出版は、私にとっては、西原理恵子が、NHKの最後の講義という番組で、東京女子大のある教室に集合した200人前後の、若い人を前にして、「寝なさいね。いろいろな男とセックスを試してごらんなさい。たくさんの、男を経験をしなさい」と、広言した日以来の、日本社会の、崩壊と、下劣化を、証明する出来事となりました。

 早く絶版にすべきだと提言していますが、いまだに、google 検索で、多数の項目が出てきます。田原ひろ子さんとは、両親が美容院を数店舗経営していたそうです。だから、自分を美しく見せる方策は、よく知っている女性です。しかし、真実の愛情が、なんであるかを知っているとは思えません。ミスター田原が、、がんで、死んでいるのも、後悔があったからではないですか。奇跡とは、ひろ子さんの頭の中にある、思い込みだけの、いみあいです。ひどい、ひどい、文章のられつです。

 甲子園における、清原一家の物語とは、真っ反対の恐ろしいないようです。ブックオフなどで、安くなっているのをお買い求めいただいて、ぜひ、読んでいただきたいです。意外と、売れていないのではないですか? 普通の人は、買っていない模様ですよ。歌舞伎好きの人が来ている、国立劇場でも、この書物のことを知らないという人がおおかったです。これから、メディアで、儲けたいと思っている人たちが、どうしたら、お金が、稼げるのか、この本から、ヒントをもらおうとして買うのではないですか?

 山本理沙という美形のライターが、「二子玉川とか、恵比寿で、よく売れている。つまり、この本は、三才の幼児を、育てているヤングママたちに、受けている。夢の様な世界を表しているから」と書いて居ます。

 このサイトは、2023年8月25日の夜の、やっと気が付いたサイトですが、山本理沙という人物、こそ、・・・・・これから、私も、林真理子みたいな大物ライターとなって、ぐんぐん、お金を儲けたいわね。名誉も欲しいわ‥・・・と、思っている人間でしょう。そういう人間には、一種のノウハウ本として、受け入れられていると思います。

 で、その山本理沙さんが、田原博子さんを評してお嬢様だと言っています。だけど、私は、違うでしょうと、言いたいです。母親がやり手で、美容院を数軒経営していたので、富裕です。だけど、それだけ忙しいので、娘をきちんとした人間として育てていません。

 博子さんはおしゃれに関しては、センスがある。また、経営者としてもセンスがある。それから、セックスも上手でしょう。だけど、心が無い。この一文の中でも言っていますが、田原桂一氏は、「この結婚は、失敗だった」と、ひそかに思っていた筈ですよ。

 不倫の間は、楽しかったでしょう。スリルがあるからね。それに、相手を、全人格として、引き受けなくてもいいからです。だけど、結婚となった途端に、桂一氏は、夢から覚めたでしょうね。絶対に失敗したと、感じたはずですよ。

 ただし、逆説として言えば、この【奇跡】は、私にとっても宝物です。これから先、林真理子を批判する際に、大きなツールとなりますので。

 

 今回は、慶応普通部と、言う語彙に、結び付く、彼女=林真理子の心の汚さが、はっきりと示されるエピソードを、公開したいです。ただし、今は、すでに、午前三時になったので、その詳細は、25日の午後か、夜に加筆をすることにさせていただきたい。今は寝ます。・・・・・

 と、24日の深夜には言っていました。しかし、25日に入って、そのエピソードは、秘匿して置くことにいたしました。林真理子を批判する、チャンスは、また、来ると思うので、そういう時に使いましょう。本日は、【奇跡】批判だけで、抑えておきます。

 奇跡と一緒にさらしてしまうのは、もったいないエピソードだからです。

 2023-8-25,ほぼ、一日かけて、これを書く。  雨宮舜(本名、川崎千恵子)

(蛇足−1)

 本日夜、NHK BS1は、野球を中継していました。広島対ヤクルト。球場が、ヒロシマだったらしくて、四万人近い満員の観客は、赤一色です。そして、三対三と、拮抗したゲーム。しかし、9回裏、犠牲フライで、さよなら勝ちを、広島が占めました。その一辺倒ぶりは、ちょっと、慶応高校の甲子園での、応援を思わせました。ヤクルトの選手が、プロなのに、エラーをしたほどです。

 そのさよなら勝ちの、あとで、NHKのカメラが、帰る観客たちをとらえました。観客もテレビカメラを知っていて、カメラに向かって笑顔で、手を振ります。小さい子の手を引く両親もたくさん、いて、中には抱っこするくらいの幼児を連れた、夫婦もいました。明るい顔のこういう人たちの、妻や、夫が不倫をしているでしょうか? ありえないです。そして、彼、彼女たちが、【奇跡】を呼んで素敵だと、思うでしょうか? 絶対に思わないでしょう。

 何度も繰り返して言いますが【奇跡】とは、特権を持って居る富裕層の、わがままが、完了、してしまった、うちわの話です。日本の中でも、0.1%、12万人ぐらいだけに、通用する話です。

 金持ちにあこがれ、自分も、メディアを利用したいと願う人が、この本を買うでしょう。それは、ありだろうが、広島球場を満員にしていた、あかるい顔の人々が、この本を買って、読んで、素敵だと、言う筈はないですよ。

(蛇足−2)

皆様は、中勘助の銀の匙をご存知ですか?  私は、中勘助モノだったら、提婆達多の方が好きです。

 でも評価は銀の匙の方が高いです。銀の匙って 一種の、プラトニックラヴモノなのですよね。しかも当事者が書いて居る。だから、読める。私は奇跡を一行漏らさず、読みました。批判文を書こうと思ったから読めたのです。そうじゃあなかったら、とてもじゃいけれど、読み通せなかったでしょう。

 ところで、中勘助って日本語で書く小説家の中では、最も好きな作家です。特に提婆達多。だが 、実兄との苦しい葛藤を知ると

 どこか自分と共通するものを感じてね。つまり、 最も親しいはずのものとの、コミュニケーションのむずかしさね  ああ 世の中には似た人もいるのだと少し気が楽になりました。本日の文章の様に遠い人を書くのは、

楽な事、楽な事。限りがない。でもね、大きな大きな苦労をして居た人が、他にも居た事を知り、心が休まりました。

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慶応高校が、優勝したのでね。やはり、ちょっと、普通のブログを書きたくなくなっています

2023-08-23 21:05:35 | 政治

  この一章ですが、フォントの大きさが、大小と、あっちこっちで、変化しています。わたくしの意思ではなくて、・・・・・あたかも、わたくしの性格が悪いかのごとく見せたい、敵さんの・・・・・意思です。わたくしは、全部同じ大きさのフォントで、文章を書いています。  

NHK ニュースウォッチで、慶応高校が優勝したにゅーすをみているところです。

*1)、

 日吉が出てきて、中央通りのレストラン【トラひげ】が、出てきています。ここは、ワンプレートが、1000円前後ですが、ほとんどのお客が、慶応大学の学生です。全体の量が普段でも多いのですが、特に、生野菜のボリュームが多いのです。そこが学生を愛している店主の、意向を反映しているのでしょう。

 なぜトラひげで、わたくしが何度も、お昼を食べたかというと、母が老人ホームに入ってしまって、お昼を実家で食べられなくなったからでした。それは、2003年ごろからの話です。ただ、後ろに出てくる、小田歯科医院には、通っていたので、その帰り、トラひげで、食べたのです。トラひげに関するブログ文だけでも、三篇はあると思うけれど、今は探せません。

 ただ、ある日コンビニで、【B級グルメ本】というムックを見つけたら、第一番にトラひげがありました。つまり、「昼はコース料理3千円から出します。夜は一万円から出します」という様なメニューは出していないが、味は、いいので、B級グルメ本では、トップだった模様です。

 ここで、焼酎【諭吉】というのを買ってきたはずです。だけど、誰か、お客に来た人にあげたみたいで、今、この鎌倉雪の下の家には、ありません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

*2)、

 慶応高校野球部と言えば、その前段階が、これも、日吉にある普通部の野球部です。普通部とは、ほかの大学で言うと、付属中学校という形になりますが、慶応だけは、男子だけの付属中学校のはずです。中等部というのが別にあって、そこが、男女共学のはずです。

 ところで、そこの、日吉町一番地という地名の東急電鉄の分譲地に、1952年から、1967年まで、住んでいました。今は、一丁目何番地の何号という地番ですが、三十年ぐらい、60軒の家が全部一番地だったのですよ。それでも、郵便は間違いなく配達をされました。昔は、人々が、誠実に仕事をするという雰囲気が濃かったのです。

 実家の、2019年までの姿です。弟が売ってしまって、今は、ここに三軒の真っ白な家が建っています。奥が北で、一時期、真田さん一家が住んでいました。ちらっと見えるピンクの崖が、その家です。このわが実家の、手前の、ひさしが赤い部分が客間(日本間で)その上にちらっと見える二階家が、わたくしの勉強部屋でした。

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*3)、

 この奥、北へぐんぐん進むと川崎市立井田病院へ至ります。その井田病院の前に住んでいた、そして、陸上の有名選手織田幹雄選手にその家を売った、新堀真知子さんが、いつも迎えに来てくれていたのです。新堀真知子さんとは、のちにドイツフライブルグの音大の、教授になったお友達で、お母さんは、

“新堀 智朝”

さんといい、1922年東京生まれ。都立第三高女高等科卒業。真言宗智山派松戸証誠院に於いて得度。89年智韻寺を開山、住職となり現在に至る。82年より詞・曲ともの歌を次々と創作し、国内外で公演。

 智韻寺は、代々木上原にあります。以前天台宗と言っていたのは私の間違いでしたね。真言宗でした。後で、訂正しておきます。

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*4)、

 この私の実家は、南斜面に建っているので、昔は、東横線日吉駅(橋上駅だったうえに、ピンク色をしたコンクリート製だったので、1950年代としては、立派な駅だった。今は、もっと、りっぱな構造の駅になっているが)まで、ずっと、見通せたものです。この建物と、NTTのビルと、慶応高校だけが、コンクリートの建築だったのですが、今は、まったく違います。なお、当時は慶応高校まで、見えて居たのではないかなあ? 左右、二重に植えてある、銀杏がそれほど、大きくはなくてね。

 上の写真の、大谷石の、崖の下に、雨水用の、溝がありますね。そこにトカゲが、干からびて死んでいたのです。それを、(トカゲのミイラ)というエッセイとして、メルマガで、配信をしました。

 すると、お茶大付属高校同期の金子美都子さんがほめてくれました。「とても、シュールで、面白い」と、言ってもらえました。その後、48台も、パソコンが壊されたので、エッセイを書いていたブラウザであるAOLは、当時はクラウドには乗っておらず、かつ、マイクロソフトのシステムも使っていなかったので、原文は今はありません。

 私は、喜んで、みつ子さんに電話をかけました。

:::::::::::ここで、挿入に入りますが、私には、みつ子さんという重要な知人が、なんと、多くいる事でしょうか? 最近、野見山暁次さんがなくなりました。その秘書の千里さんが電話をかけまくって、そのお葬式をつぶしたギャラリー山口のオーナーも、みつ子さんです。2010年1月31日(日)に、しのぶ会が、開かれる予定だったのをつぶされてしまったのですが、皆さんに慕われまくっていたギャラリー山口のオーナー・侊子さんも、漢字は難しいが、読み方は、みつ子です。この間、野見山さんの特集(心の時代)が、二度放映をされたので、野見山さんが、二人の奥さんを回顧する様子を見ました。侊子さんは、野見山さんの秘書兼、奥様になる計画を立てていたのに、それを予測した野見山さんが、主婦であり母であり・画家でもある、山口千里さんを、秘書に雇ってしまったので、深く傷ついていました。だけど、自殺ではありませんよ。他殺です。誠実で、控えめだった侊子さんのことは、つらい嘆きを持って、思い出すのみです。 

 一方、最近、在日の出自の問題で、書き始めた北村充子さんも、みつ子と、読むでしょう。この人は、したたかな悪女です。彼女は、1985年、いうに言われない辛い形のいじめを行ってきました。しかし、右辺と左辺は、必ずイコールで、結ばれるのですよ。わたくしは、在日の人たちのある側面について自由に描く権利を得たからです。1985年以来、「これは、書こう。絶対にね。将来にね」と、固く決意をしてきましたから。::::::::ここで、挿入を終わり、

 金子美都子さんに戻ります。金子さんは、お母さんも学者だったのではないかな? 高校の先生ぐらいだったかもしれませんが、母親の時代に、ですでに、働く知識人という立ち位置が、確立していた人なので、何の懸念もなく、躊躇もなく、東大の大学院へ進みました。東大を卒業した人、また、学部で、彼女と同じくお茶大を卒業した人、また、同格の教育大学(現在の筑波大学・・・・・そして、朝ドラの、ヒール役だった、田辺教授のモデルが、10年ぐらい校長をしていた、高等師範学校)を卒業した同期のお友達は、何人もいるのですが、

 金子美都子さんは、その中でも、出世頭の一人でしょう。でも、苦労をしている姿を他人には、見せない人なのです。楽々と聖心女子大の、仏文科の教授になったと、他人には見せる人です。だって、きれいだもの。そこが、お母さんから始まる、二代目だからねと、思うゆえんです。

 で、わたくしは、文章をほめてもらったので、喜び勇んで、彼女に電話を掛けました。「ねえ、わたくしが務めていたころ、東大教授の定年は、63歳だったの。聖心女子大は、何歳ですか?」と。すると、73歳だと、教えてくれた上に、聖心女子大が、設けている制度なのか、それとも、フランス政府が、設けている制度だったかは、今では忘れていますが、10年に一回程度、フランス研修に行くことができるそうです。二年間も。むろん、彼女の私費ではないはずです。「そうお!」と感嘆の声を上げました。

 ある立ち位置以上の場所に立つと、本当に恵まれた、上流階級生活を送ることができるのです。

 

 (ただし、彼女の家が、そうだと、いうわけではないが、お子様の、幸せということで、悩んでいるお宅は、多いのですよ。特に性格が問題でと、いうお宅は多いのです。または、結婚をしていないので、将来が心配であるという悩みを持つご家庭のことです。)

 そのころ、わたくしは、自分が不幸だとは、思っていませんでした。だから、金子美都子さんの、話を聞いても、自分がまけていてみじめだなんて、まったく思いませんでした。

 なぜ、自信満々だったかというと、メルマガエッセーは、読者層が、非常に高度で、かつ、エッセイが好評だったからです。「芥川賞、受賞作を、読むより、ずっと面白いね」とか、「あなたには、経営者の才能があるね。このエッセイは、会社経営者が読むと、いいよ」とか言われていて、しかも、それらを、紙の本へと、直したものも大好評だったのです。

 左は、二冊目、右は三冊目です。データに関しては、表紙の作画もITデータ化も、全部自分でします。本文の頁設定も同じです。ここまでの、ことができる人間は、早々はいないでしょう。だから、自分に対して、大きな誇りを持っていました。

ただし、市販はしません。ほぼ、献呈です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

*5)、

 しかし、その金子さんから、わたくしは、恐ろしい言葉を浴びせられることとなる。あなたは、馬鹿よと、いわれたのと同義語な、言葉を電話内の音声で聞かされることとなります。大変身です。彼女の変身を経験しているので小田先生の変身も、受容できたのです。別にパニックにも陥らず、けんかもせずに帰ってきました。だけどねえ。小田先生が、歯科医師会選挙(2015年)の参謀をお勤めになったのは、、わたくしを患者として、診ていらっしゃったからですよ。でも、そうは、お考えにならないでしょうが。

 その、みつ子さんの変身後の、いきさつを書いた文章が、以下のリンク先です。みつ子さんは、どれほどに、わたくしを傷つけたかには頓着をせず、ポルトガル国のエンリケ皇太子勲章をもらっている、伊藤玄二郎の助けをした、ご自分の行為を有意義だと、考えている模様です。

聖心女子大教授が、伊藤玄二郎の教唆で、残酷極まりないせりふを、私に浴びせて来た話

2023-02-25 18:22:10 | 政治

その中でも書いているのですが、1995年出版という下記の本の関係者、春秋社の誰かを、伊藤玄二郎が動かしたのだと、考えています。

 そして、なんと、金子美都子さんから、献呈本として送られてきていた、下記の本は、今探してみてもありません。2月にはあったはずですよ。それ以降盗まれています。今、実印が盗まれて大変な最中ですが、書物も大変多数、盗まれています。

 私の様に、原発と、原爆とは、まったく同じ物で、ただ、反応量と、反応速度が違うだけですよ・・・・・という様な、本当のことを言ったり、書いたりする人は、本当に大変な目に出会うのです。小田先生は福島第一のデブリが何の措置もとっておらず、ただ、ただ、二回目の大爆発を起こさせない様に吸うために、海水で、冷やし続けているだけの無籍人な、首相と、それを許容している連中の一派なのですよ。ああ、なんと言ったら、先生に説明できるのだろう。無理でしょうね。

女流音楽家の誕生

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*6)、

少し休んでいる間に、メルマガが配信不可能となったので、自然にやめてしまったのですがあの「配信不可能」というお知らせは、うそだったのかもしれませんね。今だったら、『バグを入れ込められたのだわ。五回ぐらい繰り返せば、突破できる」と考えるのですが、当時は、敵に攻撃に、対抗するすべを、まだ獲得していなかったんです。

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*7)、

 これから先、さっきまでは、冨山房インターナショナルの社長である坂本きっこさんが、どれほどに、親切だったか? だが、金子美都子さんと同じ様に変化をしていく話とか、

 日吉の実家(上の写真の家)から、西へ60mいった、三軒目の家である、小田歯科医院の院長先生が、同じく、三十年にわたって、親切な方だったのに、2017年から、とんでもない、いじめを行う様になった話とか・・・・・・むろん、裏に竃浦エージェントの悪があるわけですが、まだ、全貌を書いていません。

 なお、小田歯科医院は、月、水、金、土の午前中だけの診察です。場所については、【小田歯科医院、日吉、予約】と三つの単語を、検索窓に、入れないと出てきません。すごくきれいな医院です。生きたお花が、いっぱい飾ってあって。

 私は、一生面倒を見ていただくつもりだったのに、雪の下二丁目の人たちを悪い方向に動かす連中がお医者様にも手を伸ばしたのでした。それが、普通部へ、お孫さんが、入学なさったお話をなさることで、裏がばれてきたのでした。

 お孫さんが、野球が好きで、鎌倉学園、立教中学と合格し、最後の慶応普通部に、合格なさって、進学されたのですよ。これは、うちの息子が、私立中学二校を1982年に、わざと不合格にされたことをブログで、CIAの策謀だったはずだと、書き始めた時から、始まったことで、しかも、古い古いお話を昨日のことのようにお話になるのでした。大胃腸がんを患われたはずなのに、北鎌倉から江の島まで歩いたなどという話も加えてね。

 わたくしは、先生のお嬢様たち二人のことも、一人は北米にいらっしゃるとか、そちらのお孫さんが、美術が得意だとか、よくお話を聞いていて、しっているので、そのお受験・成功の、ご長女様側の、お孫さんが、今、中学生だとは、とても思えず、「先生、それは、いつ頃のお話なのでしょうか?」と、質問をすると、先生が、慌てて、「いや、昔の話です。孫は、もう社会人です」とおっしゃったのです。

 そのときに、「川崎千恵子を、いじめるために、この、はなしをしなさいと、命令をされているのだが、その裏側が、ばれたかな?、そうなると、彼女はあれこれ書いてくる。裏にいて、わたくしを動かしているのはだれか?それを探ってくる。それは、まずい!」と、いう顔もなさったので、お互いに隠しきれない、CIAエージェントの動きを察してしまったのでした。その何年も前から、待合室の待遇の面で、先生ご夫妻の態度がある程度以上に、おかしくなっていて、敵が小田先生をリクルートをしたのではないかと、うすうす、察していました。だが、治療は、お上手なので、まさか、治療にまで、手抜きはなさらないだろうと、信じて通っていたのです。キツネとタヌキの化かしあいで、なんとか、すり抜けてきたのですが、その日「孫は、もう社会人です」という言葉を聞いた日を最後に、先生が敵方に与していらっしゃる、ことが、この上なく明瞭になったのです。医者と、弁護士と、お坊さんは、中立なはずですよね。そのすべてに手を出しているのが、鎌倉エージェントです。

 水沢勉先生の豹変も、ここに関係があります。日吉は、1952年から、ずっと住んだり、実家を、訪問したりしている、ゆりかごみたいな土地なのに、そこをひっかきまわしてしまった上に、現在住んでいる雪の下二丁目も、いじめ人間、右往左往状態にしていく、伊藤玄二郎と、いまだ、生きている井上ひさしが、どれほどに、残酷な人間か、皆様に、ご理解いただけるでしょうか。

  わたくしは、いつも、いつも、天に祈っていますが、突然にお助けが訪れるときがあるのです。天上の雲の、裂け目の様に、神様が助けてくださって、心が休まる時があるのです。

 それは、この壮大なミステリーの謎が、解明できる真実を、突然に、頭の中に、お示しいただけるからでした。別に探偵にお金を払っているわけでもない。秘書が、有給で、働いてくれるわけでもない。でも、真実が、ぴたっとわかってくるのでした。それが、わたくしの強みです。神様は、いつも、お味方してくださるのです。

 

 しかも、その小田先生の、歯科医院での、エピソードは、カリタス小、通学バス襲撃事件へと、進展していき、その後、農林水産事務次官の長男殺しに進展していくのでした。だから、まだ、完成していません。とても、書くのが大変なお話です。

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*8)、

 私は、銀座の画廊アーチストスペースで、秋山裕徳太子から、【ブリキ男】という自伝を買うように言われ、実際に買って読んでみた。

 それは、晶文社刊だった。わたくしは、評判の良かった自分の、エッセーを分類し、これは、PHPにもっていこうとか、これは、大和書房へ持っていこうとか、これは、晶文社にもっていこうとか言って、フォルダーに分類していた。ところが、秋山裕徳太子の、その(ブリキ男)を、読んだとたんに、自分のパソコンが、100%ハッキングをされており、デスクトップの画面すら外部の、人間が見ていることを知った。

 その時以来、大手出版社から、広告付きで、出版をしてもらえる可能性をあきらめた。しかし、その代わり、深い真実を実名で、書くことを始めたのである。一般人でも、わたくしを毛一本でも苦しめた人は、実名でそのエピソードを書くと、心に決めたのだった。最近激しく動いている渡辺賢司、平木伸明、大原光孝、前田清子、安野忠彦・智紗、白井達雄・その奥さん、などなど、彼らについて、書くべきエピソードは山ほどあります。白井達雄さんの、勤務先と役職がわかった時なども、これは、天のお助けだったのですよ。

 しかし、今は、だいたい、大きく疲れているので、*8)以降は、詳細は、(本日は)、展開いたしません。

本日、8月24日をもって、81歳と、四日になりました。過呼吸は、外部攻撃だと思います。そういうのは、4,5日前から、右ひざが、おかしくなっていて、これは、100%外部攻撃だからです。しかし、もしかしたら、過呼吸は、自分にかかっているストレスが大きすぎて、発症をしたのかもしれないので、少し、体をいとわないと死にますので。外部攻撃だとしても、脳の、呼吸中枢への攻撃であって、それは、白内障手術の前に、メヌエル氏病が、朝だけ、一週間も続いたのに続いての、脳への攻撃ですから、そりゃあ殺人に直結する出来事です。だから、いつか、ここをいじらなかったら、脳へ攻撃が来たのだと、ご推察ください。と書いて、パソコンを閉じようとしたら、左耳の上、5cmぐらいの脳みそが片頭痛を起こしました。ブログで、彼らのやっていることを詳細に、書いても、じゃあ、もっと、やってやろうじゃあないかと、思うのが井上ひさしでしょう。そしてその家来としての桜田門です。では、

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汚染水・放出は、わたくしのブログを、テーマ移動をさせるためなので、今は、触れません。

2023-08-22 17:31:24 | 政治

汚染水・放出は、わたくしのブログを、テーマ移動をさせるためなので、今は、それに対する意見等を書かず、一切、触れません。

 なお、この投稿は、本当は、2023年8月23日、午後5時半公開ですが、日付だけ、22日にしておきます。後で、すべてのブログが見つけやすくなるためです。

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今朝激しい攻撃を肉体へ外部から受けたのですが、anyway I must not stop writing truth. 前報後半浮浪者狩りを、こちらに移動をして目立たせます

2023-08-21 13:47:59 | 政治

 今、21日の夜23時です。この章の推敲をやっと終わりました。初稿の三倍になっていると思います。どうかよろしく。

副題1、『今朝、すさまじい攻撃を肺に受けました』

 23-8-21日、午前10時半から、体に対して、特に肺に対して、非常に過酷な攻撃が桜田門から行われました。肺が、呼吸として、吸い込む酸素が、通常の10%ぐらいで、何も動きたくないし、酸素の足りない血流がどくどくと音を立てるほどだったので、ちょっと、寒気がするほどでした。

 一時間ぐらいで、酸素の吸入量が、20%ぐらいになったので、このブログを書いているところです。最近書いて、いるものは、すべて、真実です。実際に見聞したことですから、過去日本に数多く出版をされてきているドキュメンタリーものよりも、静かで、安泰なものだと、思うのですが、

 実は、公的には、自分を死んだことにしているが、本当は生きていて、CIAの特権的、エージェントとして、機能をしている、井上ひさしが、在日の、出自を隠し持っているのではないか?と、以前から、思ってきていました。が、本日の、自分の、肉体的、苦しさの、経験により、それが、本当のことだと、感じ入っています。で、前報の、後半を絶対に、すべての、日本人に読んでいただきたいと、感じます。だから、もう一回、こちらに移動をしてさらします。

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副題2、『攻撃を実際に行うのは、世界で、最高技術を持っている、桜田門の、IT技術者集団だが、井上ひさし=CIAとっけん者、は、警察庁を、家来として、使っているので、こういうことが対私に起きる。それは、証言として、記録をしておかないといけない』

 前報の前半は、整理済みです。読みやすくなっていると思います。そこで、佐江衆一氏の名著に触れています。そこから、採録します。

『ある一人の突出した、ライターの調査によって、漠然として、世の中に漂っていた概念が、くっきりと立ち上がることがある』

 私が子育てをしていた同時代に、起きた二つの衝撃的な、少年犯罪の、古い方は、佐江衆一氏の書物が(名著だと思う・・・・・新潮文庫にもなっているらしいし)出て、わたくしには、大変にわかりやすくなりました。

佐江衆一『横浜ストリートライフ』(社会思想社現代教養文庫 ISBN 4390115405 (1997/04)、新潮社新潮文庫 ISBN 4101466017 (1986/05)、新潮社 ISBN 4103090049 (1983/01))

 この書物は労作であり、主人公が、それまでは、取り上げられることのなかった、やや、貧しい家庭の子供たちという意味で、非常に新しい書物でした。

 それは、現在に至ると、60件を超すといわれる、ホームレス殺しの、最初の事件であり、鳥かご状のごみ箱に、折りたたんで入れて、ロープをつけて、美麗な観光地であるはずの、横浜市、山下公園で、引っ張りまわして、死に至らしたと、いう事件でした。

 で、わたくしは、前報の前半で、ごみ箱がなぜ、日本の町中から消えたのか?・・・・・但し、わたくしが出没しない場所では、引き続き残っている可能性があるのですが、・・・・・を、説明をしています。で、その部分は、前報(改題して・・・・・

街中から、ごみ箱が消えたのも、私とCIA攻防の結果です。   2023-08-18 23:48:37 | 政治

としている文章の中に、丁寧に描いています。そして、次に、以下の様に言い始めています。

 さて、ここで、ごみ箱問題は、終わりましょう。特にわたくしから始まった、のですよ。ごみ箱撤去の動きは。日本国民(特に神奈川県+東京都で、動く人たちの、不便を招いたのは、わたくしの敵さんたちの意思ですよ」といって、次の段階に入ります。

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副題3、『私は、丸子橋(多摩川にかかる橋)近辺で、あの、山下公園で、ホームレスを殺した、ごみ箱と同じものを見たことがある。事件から、25年は過ぎていた。が、公的な公園では、同じものがつかわれていたのだろう。だけど、今は、山下公園にも、この手のごみ箱は、置いていないはず』

 このごみ箱とは、直径が丸いものです。80cmぐらいの直径で、高さが、一メートル。全部が丈夫な針金でできていて、(だから、持ち運びに、便利だったと思われる)網状になっていました。網の目は、一辺が10cmぐらいでした。

 この中にホームレスを入れるといっても、立ったままの形では、不安定になるので、中に、しゃがむという形で、押し込めたのでしょう。そして、山下公園中を、ロープをつけて、全力疾走をして、ひきずりまわしたのです。今、グーグル検索を読むと、これ以外にも当時、四人ぐらいが、殺されているそうです。それは、知りませんでした。

 私はね。ここでは、最初の死者の、事件にこだわって、はなしをしたいとおもいます。

上の書物の出版年月日の欄ですが、最後の項目、新潮、(1983/01) とあるのは、間違いではないでしょうか。出版月です。事件は、同年2月に起きています。それなのに、1月に出版とは無理です。新潮文庫化が、1986年で、教養文庫化が、1997年です。

この本の、宣伝文句というか、コピーというか、惹句に、佐江衆一氏は、横浜のドヤ街に、住み込んで、取材したとあります。それがものすごいことだと、当時メディアが大きくほめそやしています。

 その本を主人は、読んでいないはずですが、中華街の帰りに、石川町駅で、「線路の左側=東側に住んでいる人はお金持ち、だけど、西側に住んでいる人の方が、ずっと、人間が、きれいなはずだよ」と、主人がいいました。卓見だと思っています。

 それは、1990年代に入ってからの話です。だけど、わたくしは、この佐江衆一氏本では、そちら側には、さして、強烈な印象がないのです。というのも、そういうホームレスになる人の性格とか、人格については、推察通りだったからでしょう。しかし、加害者側の分析には、大きな衝撃を受けました。

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副題4,『いや、それを言うと、敵がまた、多くなるはずだけれど、佐江衆一は、この加害少年(中学生が主であった)たちが住んでいた町について、分析しています。そこがすごいのです。

 それ以前にもぼんやりと感じていたことを、その時はっきりと、自覚をさせられました。わたくしは、北久里浜に一戸建ての家を建てる前に、横浜の、1973年当時は南区、(現在は、港南区のはず)の丘の上に、建築中の家を見に行きました。一山200戸ぐらいの宅地造成地に、建築中の家が、10軒ぐらいある段階です。

 もうやめておられるから、固有名詞を言いますが、遠藤さんという棟梁の、作っている家が、もっともしっかりしていて、かつモダンでした。で、当時は、藤沢にあった、棟梁の家を訪ねると「私はね。主に日立の課長級の家を作っているのだ。口コミで、次から次へと、注文が入るので、あなたみたいな飛び込みの人は引き受けたくないなあ」と、いわれました。でも、わたくしは、その人の建築結果が本当に素晴らしいので、「戦時中は、鮎川義介という人が財閥を作っていて、日立も、日産日産自動車もその配下だったのですよ。だから、会社としては、兄弟みたいなものです」といって、強引に引き受けてもらいました。

 前報で、ちらっと書いている、旧名・日光建設が、北久里浜に私たちが持っている家の賃貸募集をやめるというのは、いじめです。水回りは、確かに古いですが、駐車場付き、土地は、丸まる、使える長方形で、60坪。家は27坪半。結構立派です。だけど、わたくしたち夫婦は、81歳を超えているので、リフォーム用に、何百万もは、もう、出したくないのです。だから、ここでも「設備が古いから、中古賃貸募集ができませんと、いわれれば、泣き寝入りです。

 同じ、遠藤・工務店に、鎌倉の家の、増築も頼んでいます。

 ところで、どうして、こういう話をしているかというと、関東平野って、丘と、田んぼの二つでできているのです。船橋市の塚田というところに住んでいた時も(今は、白百合という名前のこども園=幼稚園+保育所)になっている場所で、田んぼからは、15~20m高かったと思います。

 日吉の実家は、今は田んぼが消えて、そこにマンション群が建っている地域となっていますが、その旧・田んぼからは、30m高いと思います。それからね。北久里浜なんて、吉井の田んぼ(今はないはず)から、40mは高かったと思います。鎌倉には田んぼはないです。しかし、鶴岡八幡宮の境内にある平家池からは、今の我が家は、20mは、上がっていると思います。

 で、ここで、佐江衆一の本で、衝撃を受けたところに戻ります。事件は、40年前に起きています。でね、佐江衆一は加害少年(主に、中2の子供たち)の、住んでいる家を訪ねます。すると、ものの見事に南区の低地だったそうです。当時、港北区とか、緑区とか、都筑区には、田んぼが、まだ、たくさん残っていました。しかし、南区には、すでに田んぼがなくて、家が、密集していたみたいです。(ここで、蛇足1へ入ります)

 それは、南区より、京急でつながっている横須賀市の低地に、たくさんの、工場群があり、そこに、勤務している人。また、横浜伊勢佐木町裏通りの、あれこれの、飲食店に、勤務している人が住んでいる地域なのです。

 佐江衆一は、非常に気を使っていて、朝鮮からの徴用工という言葉は使っていません。しかし、わたくしは、日吉の慶応高校の下に掘られた、武蔵小杉辺たりまで、続く、軍事遺構を、作ったのは、どうも、徴用工だっただろうと判断をしています。

 私の日吉台小学校時代の同級生、花村君は、お父さんは、朝鮮人で、本当のお母さんは、わからないのですが、本妻が、花村君を「自分が育てます」と、宣言をして、後妻に、妻の座を奪われることを拒否したので、その人が母親役でした。一般のお母さんより、15歳か、20歳年上で、子供を持つことで、権利ができた、PTA役員として、毎週三回ぐらい、彼女は、担任の先生に会いに来ていました。しかし、その女性に、愛情のない育てられ方をしているらしくて、花村君は、子供時代から乱暴で、かわいい顔の男の級友は、殴られたりして、困り切って、転校していったりしていました。

 つまり、お父さんが、三菱重工に、勤務していて、たぶん東大卒で、お母さんも、東女か何かの、四大卒でしょう。と、いうお子さんをターゲットとして、いじめまくっていたのです。花村君自身、ひそかに、。、。、。社会の中に、非文化されているものの、階層の差があることを知っていて、自分は、大金持ちだけれど、差別の対象で、馬鹿にされているところがある。でも、あの子はそうではない、。、。、。と、感じたから、一種の嫉妬の発露として、そのかわいいお顔の少年に、乱暴をしていたのでした。まあ、今思えば、両方ともかわいそうでしたね。ただ、毎日、乱暴を、見せつけられている私は、苦しかったです。

「結局やくざに入って、死んだか、殺されたか、だったらしいよ」と、聞いています。差別するわけではないが、花村君の家も、敷地は広かったけれど、低地にありました。

 私はね。2013年に主人が北久里浜を売ろうと言い出したのです。それで、もしそこが売れたら、半分はわたくしのお金だから、1000万円から、1300万円で、買える土地を買おうと思ったのですね。それは、自閉スペクトラムという障害を持って生まれた一番年下の孫に、ニッチなスポーツとしての馬術を習わせたくて、御殿場近辺に、別荘を建てたかったからです。

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副題5、『熱海市長は、異様なセットバック杭を入れたために、それを、天が、怒って、土石流・被害を招いたのですよ』

 ところが、熱海市下曽我の丘の上、110坪が、660万円で買えるという話で、ひどいだまし討ちを受けたので、それを最後に、静岡県で、土地を探すのは、やめにしました。

 下曽我の。土地の持ち主は、立教大学卒で、扱う不動産やは、現代アートのコレクションを励む紳士(ただし、二人とも酒井忠康氏のお友達である可能性を今では感じている)で、いい人らしかったのですが、鎌倉エージェント伊藤玄二郎から、松尾崇・鎌倉市長 → 斎藤栄・熱海市長というラインで、その土地は、一回、見に行ったあとで、まったく不必要なセットバック用杭を打ち込まれて、公簿上は、110坪もあるのに、一階は6坪、そう二階にしても、12坪の家しか建てられないのでした。

 その赤い杭ですが、最初に不動産屋と、実見に行ったときには、なかったのですよ。ただ、夜、胸騒ぎがして、鎌倉から熱海駅まで行き、タクシー代を何千円も払って、熱海駅から、現場を、見に行って、異様な、赤い杭を発見したから、断ることが出きました。

 その後、ゼンリンの地図で、調べると、何十年も前から、持ち主は、新百合ヶ丘に、普通の一戸建てをたてて、住んでいる人で、一から、十まで、うそをついているのでした。立教大卒というので、すっかり、信頼していたその人は、「自分では、世田谷区在住で、そこで、不動産やを開いている」と、2013年には、わたくしに、いっていました。が、2005年ごろから、新百合ヶ丘に、住んでいて、しかも、お店は開いていないのでした。後で、それを実名入りで、説明した、ブログを、みつけたいとおもいます。見つかったら、リンク先を置きます。

 彼が、実際に住んでいたのは、神奈川県ですよ。でも世田谷区だといったのは、酒井忠康氏と、親しいからそういったのではないかしら。

 この一件で、上品な美青年で、東工大卒の、熱海市長は、土石流被害を招くことになりました。人が何人も死にましたね。鎌倉市長の勧めで、動いたつもりでしょうが、裏=鎌倉エージェント二人の、指金で、動いた=====があるので、熱海市民に苦難を与えました。

 私のブログを読んでいないとだめですよ。全国の首長さん。山中竹春横浜市長も同じです。

 ここから、孫のために、別荘用地を買うという件が、副題9へ続いていく。間に、いろいろな想念と、エピソードが、在日というキーワードで、挟まっているが、それは、お許しをいただきたい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『私は、横須賀市根岸小学校PTA コーラス指導者、北村充子さんに、したたかにいじめられた。1985年のことだった。これは、横須賀市副市長夫人杉本正子さんの、教唆命令で、動いたと思われ、したがって、100%政治的案件となる。ところで、北村さん自身は、自分が、地域の近隣住民の、特に女性たちに、大いなる噂の対象になっているということを、知らないのだろうが、在日の出自を持つということで、有名だった。「とても、したたかな手法で、中学時代の担任の先生のお嫁さんになったので、出世したのよ」と言われていた。そのあたりを丁寧に書いて居るのが、以下のリンク先の一文だ。

後註4,

逮捕されるべき人間が逮捕されない・犯罪捜査の不思議さ + 先生が生徒と結婚をする時    2023-08-02 21:46:18 | 政治

 北村充子さんは、自分がやったことを、38年後に、政治問題として、ここに取り上げられるとは、夢にも思っていなかったと思う。私はね、リアルな世界では、喧嘩をしない主義だから、私を意図的に攻撃する人間は、必ず勝ったと思い込む筈です。私の姿勢は泣き寝入りにしか、見えないはずだからです。しかし、しかし、本音を言えば、私は極めて明瞭に、その人間を馬鹿にして居て、ああまた研究材料を一つひろった と 考えるだけなのです。誹謗中傷が、逮捕されると言う法律が出来たのは、2021年六月でしたね。しかし、私は、1985年から北村充子さんについては、書くぞ  と 固く決意していたのでした。

  さてここで、みつ子さんと言う実名も、その家も、応接間も、知って居る人から、離れて、相手の名前を知らない人たちの入って行きたい。と思います。私は、その人たちからは、直接の被害を与えられたわけではない。しかし、従軍慰安婦問題を、どう考えるかにあたっては、絶対に 大切なエピソードなので、ここで記録をすします。

 一億二千万人の、一般的日本人は、繰り返し、報道をされる、従軍慰安婦問題に、非常に嫌な感じを受けていると思います。しかも、ニューヨークのクイーンズにある、アメリカ人用の道路に、従軍慰安婦通りと、名付けたり(これも、、昔描いた、ブログが見つかったら、ここにおきます。)アメリカの各地方に、公園設置の銅像としてあのおかっぱで、椅子に座っている少女像が設置をされたと、何度も報道をされました。

 そして、これは、鎌倉エージェント発で、間に何人もの人間が入って、リクルートをされた、人間が動いているのでしょうが、なんと、美術の世界でもそれが入ってきました。あの金色の彫刻像を公立美術館で、展示をするのは嫌だという一般人の、考えを、美術を専門とする、ある集団から、「表現の、自由主義」という、新しい言論弾圧が起きたのでした。

 崔洋一監督が、NHKドキュメンタリー番組の中で、一般日本人の、懸念をどやしつける形で、押さえつけたのです。それは、メディアの有名人は批判をしませんでした。が、一般の、日本人の中に、澎湃として、嫌悪感が起きたのでした。従軍慰安婦問題に対しても、崔洋一監督に対してもです。それを、洗浄化したのは、伊藤玄二郎でした。喜多川映画記念会の、講演会で、二人で、対談をしています。

 ただね。従軍慰安婦問題に関しては、日本政府は、何回も慰謝料を払っているはずです。ところが、その大金のほとんどが、従軍慰安婦を助ける会のトップを担う・・・ある女性・・・の私腹を肥やすことに使われたそうです。

 彼女は、テナント料を稼ぐことのできる、大きなビルを建てて、大富豪になったそうです。ずるいずるい人がいて、国家のお金をむしり取るのです。この場合は、国家とは、日本国を指します。

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副題7,『 その結果 なんと 過呼吸と言う、病気?を外部から送り込まれ、本日は苦しい、苦しい、思いをした。しかも、山の石段160段を登れないという状況を、平木家のご長男と、渡辺賢司という二人に、夜、7時半過ぎに、目撃をされた。平木家の坊ちゃんは、昔から、お品がよいが、渡辺賢司と、いうのは、どうしようもない人間で、現在のところ、私の方は、ただ、ただ、その嫌がらせに、泣き寝入りだが、きっと、どうにか料理できるだろう。将来を待ちたい』

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副題8、『激しい攻撃が、始まったのは、午前10時半だった。だが、午前11時20分ごろから、主人に、、、「外部攻撃で、今、非常に苦しい。何もできない」と、いってみた。室内の盗聴を利用して、・・・・・警察さん、お宅が行っている攻撃には、気が付いてるわよ・・・・・と、宣言するのが狙いだった。普通なら、それで、攻撃が収まる。ただ、それでも治らないので、上の副題7を、軽く書いた。これで、普通なら、復旧するはずで、・・・・・と、思って、盗まれた実印の新しいものの、注文を行いに、東京へ出かけることとした。伊東屋で各種の印材とか、書体を、チェックしたうえで、結論を得たのだった。

 しかし、徒歩で、自宅から駅まで向かう途中の、苦しかったこと。途中のコンビニでリポビタンDの瓶を買い、氷だけが、入れてあるカップを買い、お茶も買った。全部で、三種類の冷たいものを買って飲み、やっと、駅まで、たどり着いたが、2時50分に家を出て、鎌倉駅で、乗ることができた電車とは、3時55分発だった。ただ、電車の中では、座れたので、歩くという労働がなくなった。それで、普段の、10%程度の酸素吸入量だと、思うがスマホを開くことはできるので、コピペで、ここへ、移動した文章の推敲を始めた。こういう様な、文章・・・・・特に在日の真実を書くものは、自分にとって、危険であると同時に、読者の誤解を招いては、ならない文章なので、気を付けて、完成にもっていきたいと願っている』

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副題9、「静岡県で、斎藤栄市長まで、巻き込んだ、異様なだまし討ちに出会って、いやな思いを数々した、・・・・・実は沼津のホテルで、朝の五時に轟音で、起されたりしたのだった。東横インだったと思うが、その後、無くなっている。・・・・・わたくしは、静岡県で、(障害を持つ、孫の、乗馬練習用の)別荘地を買うことをあきらめた。ただし、まだ、あきらめていないころ、ネットで、静岡県の土地を探っていたところ、例のAIシステムが機能をして、「同額の土地が、こういうところにもありますよ」と、向こうから、紹介してくれた。それが、横須賀市内の土地だった。え、東京へ、京急を利用すれば、一時間以内で、行かれるところに、一千万円で、買える土地があるんですか?と、驚いたが、まあ、一戸建てを、自分が施主になって、注文するのも、子供の勉強になるか、では、その、一千万円以内の土地を見てみようかと、また、出かけて行った』

 で、京急沿線は、だいたい丘が多いのだが、もし駅に近い土地で、1000万円で、売っているとすると、それは、だいたい在日の一世が住んでいる土地だった。ある時、【逸見】か、【安針塚】という、小さな駅の、もよりで、大規模開発住宅地ではない、土地が、駅から五分という形で、売りに出されていた。大規模開発ではないと、道路などに、不備があるのだけれど、家を建てる練習には、45坪あれば、十分だ。

 そのときに、すでに、横須賀で、10件以上、見て歩いた後だったので、比較すると、よい土地に思えた。

 そこに歩いてきた女性がいたので、「線路の対岸の、あの土地を買いたいのですが、ここらあたりって、人々の暮らしぶりは、どうなのでしょう?」と、聞いてみた。つまり、買いたい土地のご近所様には、絶対に声が届かないところで、質問をしたのだった。すると、その人は「あそこですか。駄目ですよ。隣が在日の人で、地境がごたごたしたので、前の人が、嫌気がさして、引っ越していった土地ですから」と答えた。更地にしてあったので、前に人が住んでいたとは、きがつかなかった。でも、聞いてよかった。

 この日の前に、【汐入】で、在日一世の持ち物と思われる土地を既に、見ていて、在日一世と思われる人が、強欲で、地境など、無視しまくっているのには、気が付いていたのだった。もちろん、在日の、出自があっても、二世、三世となってくると、これほど、無法ではないと思われるが、一世は、恐ろしいところがあるのだった。

 汐入りの不動産やで、線路の西側、丘に登る途中の土地が、駅から、徒歩4分で、40坪一千万円ですと、いわれた。で、「石段で、上がる土地だったので、安いのですね」と思って、探したのだけれど、どこにもそれらしき空き地がなかった。

 わたくしも、それなりに探索の経験を重ねているので、目視で、土地の広さはわかる。「この番地で当たっているはずなのに、無いねえ。40坪」と思いながら、枠が木製で、引き戸であり、ガラスがはめられている古い古い建築様式の、玄関ドアを何度もノックしたが、人が出てこない。

 で、『勝手口なら、奥さんがいるはずよ』と、思って、そちらに回ると、玄関側は、板でできた壁だったが、こちらは、波板ブリキ板で、壁ができていて、その壁が垂直ではないという感じだった。斜めになっている。しっかりした基礎を作って、その上に壁を建てたと、いう感じではない壁だった。

 しかも部屋への、入り口のドアがなかった。だけど雨の心配がいらないのは、建物が密集していて、雨などが、振り込まない、形になっている。からであろう。その土地に、立ち並んでいる、建造物は、道路との境に、50cmも間隔をとっていないとも、みえたし。

 中に電気がついいているのに、人が出てこない。一番目の部屋は、床が土間だったので、靴のまま入って、幅三尺程度のそこを抜けると、今度は、幅4尺五寸ぐらいの次の部屋に到達した。そこも土間だったので、靴で入って、「こんにちは、こんにちは」と、声をかけ続けると、やっと女の人が出てきた。背が高くて、黒づくめの洋服だったが、わたくしを、見下ろしても、一言も発しなかった。

 こうなると、わたくしも異常を感じて、「この人に質問をするのは、ダメなんだわ」と、思い、彼女の前を去った。道まで、戻ると、対岸(南側)に、ごく、普通の家があった。外壁は真っ白で、そう二階建て。築15年ぐらいだと思われた。ちゃんとした日本の建築業者に頼んで、作った家だ。ベルを押すと、主人らしき紳士が、セーター姿で、現れたので、「お隣の奥さんが、一言もしゃべらないのです。どうしてでしょう」というと、「ああ、あそこの家って、いろいろな人が転入してくるからね。僕たちだって、名前を知らないのですよ」と答えた。

 その時、その人も、わたくしも気を使って、在日という言葉は一切使わなかった。

 だけど、2000年、ニューヨークのクイーンズというところに住んでいた際に、毎日、夜は、シンガポール系ビーフン5ドル、あっつ、あっつの、ものを、アルミのお皿に入れて、テイクアウトしていて、自分のアパートで食べていた。だから、中国人夫妻や、その親族一同が、英語ができなくても、愛想がいいのは知って居た。だから、言葉ができなくて、かつ愛想が悪いのは、中国系ではないと、判断をした。

 だから、在日の一世一族だと思う。一世が、2013年になっても、また新たに、本国から、親類縁者を呼んでいるので、その親類縁者かもしれなかった。または、本国の方から、日本で生活したいとして、強引に、渡ってきた人かもしれない。

 ただ、ただ、驚くべき経験をした。その家は、戦前にたてられた普通の日本家屋だろうが、2013年には、全体が真っ黒で、その上、わたくしが、紹介をされた、40坪の土地は、蚕食仕切っていて、ほとんど残っていないのだった。

 【汐入】という町は、線路の南側は、芸術劇場(豪華ですよ。深紅とキなりの、白を、を中心としたインテリアでね。客席は、四階まであってね。ほぼ、ヨーロッパ風です)があり、横浜山下公園に似ている、ヴェルニー公園などもあり、どぶ板通りも、怪しさは、すでに無くなっていてね。だけど、北側には、まだ、戦後の、ごたごたが残っているのでした。

 この経験を経たうえで、草が生えている、45坪の更地を、安針塚で、見たときに、道で通り過ぎに出会った、奥さんの、言葉は、100%理解できたのです。目視では50坪程度を、更地として、売っていた、前の人は、まだ、草が生えた更地の部分があるのだから、堂々と、売っているのだと思います。そして、南側に立っている在日の人の家も、普通です。汐入りで、出会った驚くべき古家ではない。だけど、買ったら大変でしょう。塀のそばに、もう、なんだか、波板合板の、ちっちゃな建造物が、立っていましたし。きっと。こっちが逃げ出さないとならないことになる。

 私は、その二つの土地に関して、前の時も、文句を言いにはいかなかったし、今度の時も、「見てきましたよ」と言いに、二度目のこととして、不動産やに、よるのは、やめにしました。ちゃんと、現地を見てよかった。・・・・・そして、その後、NHKニュースで、従軍慰安婦問題が出てくるたびに、ああ、なんて、強欲なのだ。そして、しつこいと、思い至りました。

 最初(=1950年代の高校生時代)は、植民地支配をしたことを謝罪しようと思っていました。だけど、横須賀で、土地を、1000万円以内で、買おうとして、おもいがけないフィールドワークを、結果として、してしまったわけで、在日一世が、日本で、どういう暮らしをしているかを知ったことは、本当の驚きをもって、身に染みています。日本人とは、相当に、違いますね。

 (蛇足1)

 
コメント
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街中から、ごみ箱が消えたのも、私とCIA攻防の結果です。

2023-08-18 23:48:37 | 政治

 この章ですが、最初の総タイトルを、【飯島愛の両親は、愛にとっては毒親ですよ。死んでからきれい事ばかり言っていて反吐が出る・・・山下公園ホームレス狩り事件】としておりました。しかし、ホームレス襲撃事件(1983年)の部分まで書いて、すでに、6時間です。朝6時、寝ないといけません。だから、前半を、ぬかします。【山下公園ホームレス狩り事件を起こした中2は、少女コンクリート詰め事件の高校生達と同世代だった+熱海土石流の真因】としておりました。しかし、21日の、午後二時に上の、ものへと変更しました。

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副題1、『ある一人の突出した、ライターの調査によって、漠然として、世の中に漂っていた概念が、くっきりと立ち上がることがある』

 私が子育てをしていた同時代に、起きた二つの衝撃的な、少年犯罪の、古い方は、佐江衆一氏の書物が(名著だと思う・・・・・新潮文庫にもなっているらしいし)出て、わたくしには、大変にわかりやすくなりました。

佐江衆一『横浜ストリートライフ』(社会思想社現代教養文庫 ISBN 4390115405 (1997/04)、新潮社新潮文庫 ISBN 4101466017 (1986/05)、新潮社 ISBN 4103090049 (1983/01))

 この書物は労作であり、主人公が、それまでは、取り上げられることのなかった、やや、貧しい家庭の子供たちという意味で、非常に新しい書物でした。

:::::::::ここで、挿入に入ります。挿入1は、

貧しい家庭の子供を主人公にした名作童話としては、北畠八穂の【悪たれわらしポコ】があります。これは、1950年代発表だと思いますが、今でも、手に入る形(文庫など)で再版されています。しかし、犯罪が出てきません。主題は、親の愛と、詩(ポイエム)です。だから、今、対象例として挙げることは、ダメです。

挿入2は、今、大話題の【君たちは、どう生きるか】ですが、これも階級の問題が出てきます。ただし、上流階級から見た階級間差です。わたくしは、1956年には、もう読んでいる記憶があるが・・・・・・??????

 ところで、数年前から【君たちは、どう生きるか】が、大ヒットですよね。もしかしたら、わたくしがメルマガ時代に、この本のお豆腐屋さんの部分について触れているので、この書物を、マガジンハウス(林真理子が、大いなる力をふるえる場所)が、漫画し始めたのかもしれません。当時は、公的にも生きていた井上ひさしの差し金でね。

 挿入3、また、宮崎俊氏が、これをアニメ化したのは、ナウシカ・歌舞伎化で、菊之助と知り合い、彼から、頼まれて、京アニの社長、八田英明氏に、これから、起きるはずの事件の概要を告げていた、可能性を感じています。菊之助の後ろには、むろんのこと、伊藤玄二郎+いまだ、本当には生きている、井上ひさしがいます。

 【君たちは、どう生きるか】について、マガジンハウス社に、働きかけたのが林真理子だと、仮定している話が、もし、本当だとすると、その林真理子の裏には、伊藤玄二郎と、井上ひさしがいます。

:::::::::::::::::

 挿入から元へ戻ります。

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副題2、『ホームレス殺人事件と書いてググると、岐阜市で2020年に大学生が、起こした事件と、幡ヶ谷のバス停に、座っていた、女性を、一人の男性が、殺した、事件(2020年)が、出てくる。

だけど、新聞紙上での扱いにおいて、山下公園で、1983年に、ごみかごに、入れて、引っ張りまわされて、その衝撃で、二日後に、老人が亡くなった事件の方が、衝撃度が大きかった。扱いが圧倒的に大きかった』

 今はね、公的なごみ箱というのが、無くなりました。受動喫煙防止条例というのが、わたくしのブログまたは、メルマガエッセイ【一本の煙草が落ちていて】(2004年ごろか2005年ごろ描いた)から始まっているのは確かなのですが、公的なごみ箱を、すべて撤去するというのは、わたくしの行動を尾行している人間が、わたくしをいじめるために、始めたことです。

 まず、京浜急行の、ある駅(北久里浜と、久里浜駅)の駅長に撤去する様に進言し、その次に、横須賀線、久里浜駅、逗子駅、鎌倉駅に、進言し、取り払いました。

 それでも、わたくしがごみ箱を探しては、駅のごみ箱に、捨てるので、(例えば、武蔵小杉駅とか、新橋駅のケース)だんだん、京浜東北とか、山手線の駅からも、消えていきました。だが、ほとんど使わない、田町駅などでは、まだ、ごみ箱が、残っています。ほとんど使わないのだけれど、慶応大学の展覧会を見に行くために、久しぶりに使って、ごみ箱があるのに気が付いたのです。(苦笑)

 私に尾行が付いているというのは、それは、徹底的に、CIAの悪辣さのせいですよ。そして、警察が、100%CIAの家来だから、そういうことになっているのです。ただし、一般の方は、そういう単語を見ると、ゲッとなって、このブログを読まなくなる可能性があるので、秘密にしていました。

 ただし、これも、ウラニウムの輸入と関係があります。原発に反対しているので、こういうこととなります。で、駅のごみ箱撤去が、始まったころは、20XX年だったかは、主人の、銀行通帳を見ればわかるのですが、今の私は、反町の空きアパートにいるので、正確な、年月がわかりません。ともかく、北久里浜に持っている古い家を、30年間は、貸していたのです。

 一番最後の住人は、東工大卒を自任する男性の一人暮らしで、高尾さんといいました。今は、野比に住んでいると、いう話です。この高尾さんが、最終段階で、家賃を払わなくなりました。東工大卒ですよ。プライド高いはずです。それなのに、何か月も家賃を払わないのです。で、主人が「出てください」と、いいました。

 すると不動産や、ウスイホーム久里浜店を通じて、「引っ越し代180万円を払ってください」ですって。ここらあたりの歳月では、すべてを主人に任せていました。だからね。赤子の手をひねる様に、いいようにされていたのです。私の主人というのは、とても、人が良くて、しかも、思い込みが激しくて、妻のCIAと警察の奸計に関する説明を聞かない人なので、仕方がないと、思っています。しかし、引っ越しの日に来てほしいと言われていながら、実際には、その期日に現れたのは、主人だけで、業者も、高尾さんも、ウスイホーム久里浜店も現れなかったそうです。からかわれ切っています。

 これらは、杉本夫人・正子さんと、夫の俊一氏の差し金で、当該の、人物たちが動いています。わたくしはね。夫が、彼ら悪人たちに、利用され切っています。この間、林真理子が、大記者会見を開きましたね。最近、彼女はやはり、お飾りだったという論調が、現代ビジネスという割と固い記事を書くサイトで、見つかりました。

 違うんですよ。彼女は、日大では、お飾りかもしれないが、現代日本社会においては、大CIAエージェントたる、(いまだ、本当には、生きている井上ひさし直属の)核弾頭なので、大変な力を保持しているのです。しかし、彼らの、いうことを聞くと、瓜南直子さんとか、石川和子さんに起きた様に、必ず、悪いことが起きるのです。今、我が物顔で、メディアを、占領している林真理子にも、平家物語の、冒頭の、二行は、必ず当てはまると、思います。いつのことかはわからないけれど・・・・・

 今、新しい借家人を募集中ですが、わたくしが、反町に泊まっていた、その日=テレビを見ることができない日に、林真理子が、大記者会見を開きました。

 彼女が、記者会見をしているちょうどその時、北久里浜の家を貸す業者として募集を頼んでいた、旧名・日光建設が、募集を、断ってきたそうです。見事にCIAの動きを感じ取らせる出来事です。こちらも杉本俊一・正子夫妻が動いているでしょう。水道山1200坪をただで手に入れて、最も利益を得た益山智恵子さんの実弟=仲野通巳吉の、お婿さんも、不動産業者だそうですから、それが動いているかもしれません。多重的、多層的攻撃を受けて私の被害が、多大になっているというわけです。

 わたくしは、四人目の孫が、障害があるので、その子の親がお金を欲しがっているので、あげたいのです。自分が贅沢をするつもりではなくてね。

 そういう希望を持っているのを、敵さんは、わかっているので、さらに、お金が減る様な攻撃を受けていますで、反町のアパートの方の借家人に出ていくように裏工作がなされました。彼ら夫妻は、喜んで住んでいたのです。だって、43平米で、インテリアは古いですが、三室南向きで、窓は、東西南北、すべての壁面にあって、合計9つもあるのですよ。環境的には静かで、東横線反町駅には徒歩7分です。住むには最高のアパートです。20年以上住んでいた人たちは、「ここが好きなんですが仕事の関係で」と、うそを言いながら、出ていきました。裏から誰かの差し金があり、もっと、条件の良い家を紹介されたのでしょう。

 反対に、鎌倉雪の下二丁目のご近所様に戻りましょう。CIA及び警察が、彼女は、わたくしのライバルだと規定していた、石川和子さんは、伊藤玄二郎の、愛人(肉体的結合としては元ですが、精神的には現在もでしょう)だから、「彼には、よくしてもらっている」そうで、鎌倉市の老人施設とか、公民館で、陶芸教室を開かせてもらっています。で、そういうところで、先生をしていると、信用が付きますね。だから、彼女自身の言葉によると、200人の弟子がいるそうです。公民館で、習う人は、5000円の月謝だとしても、彼女の自宅=鎌倉春秋窯で、習う人は月謝一万円です。だから、最低でも、100万円の月収があるわけです。で、彼女は、現在の肉欲的旦那さんである、柳沢昇を誘って、夕食は、外へ食べに行っていました。お酒を飲めば、一人5000円でしょう。二人で一万円。毎日外食しても、三十万円です。夫にも月収が、30万以上あると思いますから、夕食に、三十万円かけるのは、まったく惜しくないわけです。

 さて、芸術家としては、石川和子さんが私のライバル設定をされていたのですが、心理的なライバルとしては、安野智紗夫人が設定されてきました。彼女は、わたくしの花畑が、そのせいで、盗まれることとなってしまった井戸端会議を毎日午後開いていたのです。なぜかというと、お子さんが、自分の子供ではないので、普通の主婦だと、40過ぎて、子供が中学とか、高校に行っている段階だと、主婦としての、人生勉強を既にやってきているので、一本道のあい路で、そんなこと=井戸端会議をされたら、誰にとっても大迷惑だと、いうことがわからないのです。

 で、たぶん、三人のお子さんの、実母より勝って、ここに引っ越してきたので、女に対する勝気さは、異様なほどです。女同士の戦いで、勝つことが、知っている会館の中で、最高な快感だったのでしょう。そのために、井戸端会議で、情報収集して、それなりに、相手に工夫的な対応して、自分を有利にしていくわけで、それに没頭をしているというわけです。

 しかし、わたくしは、それらの目的が瞬時にわかるので、参加しません。特に引っ越してくる二年は前の1982年に、今の関本家の四代前の住民(某大学の教授だった方)が、売るつもりで、その理由を、「ここは、人間関係が難しくて、トラブルばかりで、妻がノイローゼになりました。ので、ここの自然環境が好きなので、残念ですが、別のところに住みます」と言われましたのでね。引っ越してくる前から、警戒心いっぱいで、誰とも付き合わないと、硬く決心をして引っ越してきて、住んでいるのです。で、引っ越してきてから、二週間で、元凶は、安野夫人の井戸端会議にあると、わかりました。だから、絶対に、それには加わりません。

でもね。彼女=安野夫人=の脳みそだと、『彼女(=私の事)は、弱気で、ビビっているので、参加できないのだわ。ここは、少し、策謀を用いましょう。でないと、ヒエラキーが完成しないのよ。全員参加してこその、上下関係の成立であり、わたくしがマウントをとれるという形ですから。これは、一つ、技を使って、彼女を井戸端会議に誘い込みましょう』と考えたらしいのです。その策略行為が、「うちの子にお友達が遊びに来ました。お紅茶を出したいので、お砂糖を貸してください」という申し出でだったのです。

 で、わたくしの方は、子供がすでに、大きくなってから引っ越してきたわけで、子供のために、近所づきあいをする必要はもうない段階です。それに、鎌倉に引っ越してきた理由は、普段過ごす部屋の東の窓と、南の窓から、一切ほかの家が見えない家だったのです。これは、ラッキー至極です。精神が集中できる。だから、文章と絵の両方で、創作者になるつもりでした。創作をしたい人間にとって、・・・・お砂糖を貸してください。はい、貸してあげましょう・・・・なんて言う、べっちゃりとした主婦同士の、付き合い・・・・・は最悪のことなのです。絶対に開始してはいけない行動なのです。それは鴨居に住んでいた時も、北久里浜に住んでいた時にも、経験済みのことでした。

 ところが、この行動が、彼女にとっては、そりゃあ、恥ずかしかったでしょうね。なんとはなしに馬鹿にされたとは気が付いたでしょう。で、わたくしの大悪口を、その井戸端会議で、いい始めました。

 そんなことはわかっていたし、その井戸端会議にも、各家の室内にも、1984年以来、盗聴装置がかかっていたはずで、それは、わたくしが瀬島龍三の悪を、北久里浜で、しかと、見聞してしまったからですが・・・・・その盗聴行為によって、わたくしが、周辺住民から、孤立化していると、みなされ、一方で、主婦集団のボスである安野智紗夫人が、CIAエージェントたちにとって、極上の玉と見えたらしくて、二番目のライバルとして、安野智紗夫人が設定をされたのです。

 でね。彼女の次男(ただし、自分の子宮で育てた子ではありませんよ。そして公立・御成・中学で、通信簿に、1と2しかないということで、有名な坊やだった)を、国立大学付属高校(ただし、わたくしなんかからすると、そういう範疇に入るのは、当時は、筑波大付属二校と、学芸大学付属一校行しか入らないので、その三校ではない高校だが、授業料がただであるという意味では、国立ではある)に入ったそうで、

 それを、石川和子さんと、安野智紗夫人の、道路にまで、聞こえる大声で私に知らせるのです。丁度、わたくしが家を出たタイミングを狙ってね。「国立大学付属高校ご入学おめでとうございます」ですって。で、その坊やは、国家公務員となって生涯賃金、二億円か三億円を獲得するのでしょう。大学は卒業していなくても、CIAがひいきすると、そういう特権が得られるのです。

 同じ流れで、前田清子さんの坊やも大特権を得ています。その坊やは、日大農獣医学部へ、入ったのです。だけど、それは、第一志望ではなかったらしくて、・・・・・結局、ペットクリニックを開くという道ではないものを選び、一時期は朝日新聞の専売所を経営していたのではないかしら・・・・・しかし、そこから、正式に、朝日新聞の社員へなったらしいですよ。特権、特権。

 そして、最近のビッグニュースは、平成の八墓村事件の際に、前田夫妻や、安野夫妻の、導入によって、自分のお子様や、よその、お子様を混ぜた5,6人の子供を使って、安野家の、北側の開墾地を洗浄化してあげた平木伸明さん一家の話です。この花畑って悪の象徴なのです。我が家の花畑13坪ぐらいを盗んでしまったのに、反対に、15坪ぐらいを増やしたわけですから。

 そこを洗浄化してあげたのです。子供のすることに文句をつければ、わたくしを悪人として規定しようという狙いを込めてです。平木さん一家は、ほかにも、大きな案件で、この二つの家庭に奉仕しています。したがって、本当の現役合格者の合格発表がある

前の年の10月(=2020年の事)には、東大へ、推薦入学で入れますよと、いうお知らせを坊や(ご長男)は受けていて、まあ、喜んだのでしょうね。ショパンの英雄が、ジャンじゃか、ジャンじゃか、聞こえてきたのです。

 私は、それがショパンだとは、わかるのです。だけど、タイトルを同定できません。どうしてかというと、わたくしはね、音楽の専門家ではないけれど、耳がものすごく高度なのです。でね。ショパンは、情緒纏綿すぎるので

できるだけ聞かないことに決めているのです。受け手の、わたくしの方も繊細です。で、送り手と、受け手の両方が繊細だと、情緒が、二乗化されて、耳やハートに届くのです。すると、苦しいのです。

まあね。2021年の秋に、NHKは、20回以上、この英雄を視聴者に聞かせましたよ。反田恭平をはじめとして。それは、拷問みたいでしたね。ただ、2021年の、四月11日以来、次に語るエピソードを公開しているので、英雄が、秋に多数回、演奏されたというわけです。

 私は園芸の仕事をしているときにそばを通った、当該の坊やに、「あなたが、今、弾いている曲ってなあに?」と、質問をしたのです。すると彼は、「ショパンの英雄です」と答えたのです。

 そのあとで、彼が東大へ推薦入学が決まったので、人生の勝ち組になったと、感じて、喜びが爆発したのだと、わかっていくのですが、その経過は、ミステリーを解いて行く過程そのものでしたよ。それはd丁寧に描いているし、東大の入学式前後だったので、日付が、きちんとわかるので、リンク先を示します。後でですが、(あと註1へ、また、後註2とか、3へ)

 そのほか、平木家、安野家、前田家、、井上家(岸田淳平家)、富沢家などには、公金で、いろいろな援助が家事労働や業者に頼む労働に対して

下りています。関本家もそうですね。屋根の吹き替え、ペンキ塗り、高枝切り等。いえ、危険木ではなくても、公金でできる様になったのですって。それも、わたくしのブログが原因でしょう。

 このほか、ものすごい悪が多重的に、雪の下二丁目と、北久里浜と、反町で、行われています。そして、警察官が、変装したり、各種せきゅりてい会社に代理で、脅かし行為をさせるのです。が、それが、実行されるに当たっても、ちゃんとした因果関係があるのですが、そういうことも、一章内では、書ききれません。

 ただ、わたくしがものすごい被害を受けている人であり、それは、私には、瞬時にわかっているけれど、すぐには書くことができず、ずっと後に書くこととなると、いわせてくださいませ。

 本日は、尾行という問題に触れました。それが、ゴミ婆が町から消える原因なのでず。詳しい説明を始めましょう。

 というのも、わたくしは割と神経質でした。で、北久里浜では、燃えるごみを、必ず月木の朝にしか出してはいけないことになっていました。で、それ以外の日にそこに行って、お昼に食べたものの、空きパック(カップヌードル)とか空き箱(まい泉のヒレカツサンド)を、捨てたいわけです。それをちっちゃくまとめて駅のごみ箱に捨てていました。

 今はね。ずいぶん図太くなって、月・金が燃えるごみを出す日である、反町など、一か月分ぐらい、そういう空きパックをためてしまっています。しかし、実際にためてしまってみると、全然腐敗臭がしないのです。それだけ、気を使って、ピシッと、まとめているからですが、一か月ぐらい、燃えるごみを出さないでも、腐敗臭が出ないと、いう経験は、して、今では、絶対に鎌倉まで、持って帰るか、反町に、月・金の朝、いる様に努力しています。

 しかし、わたくしが捨てるものは、お昼の残🈂ばかりではなかったのです。実は紙ごみが多いのです。わたくしね、今から、40年以上前に、京急の、机のある車両を使って、事務の仕事をしていたら、四人掛けの前の席に座った、二人の青年から、「あなたは、名のあるライターか何かなのですか?」といわれました。わたくしは二人に向かって、「いえ、いえ、普通の人です。ところで、あなた方は、どこにお勤めなのですか?」と、聞きました。というのも、いかにも東大、早慶卒の理系男子だったからです。顔がね。

すると、やはり、思った通り、NECか、富士通か、どちらかでした。彼らはわたくしの弟もそうですが、シリコンバレーにはすでに、出張をしていて、アメリカでは、女の人がお化粧はしない。特に知的な仕事をしている人は、お化粧をしないということを、既に、知っていたのですね。この時は、わたくしはまだ、ニューヨーク研修を終わっていない時期でしたが、常に、すっぴんの人だったからです。

 ごめんね、それを自分で言ってはおしまいですが、わたくしはある意味で、大変雰囲気の素敵な人なのです。小顔で、そして、かわいいのです。今は、81です。だけど、30代とか40代は、ある種の輝きを持っていたのです。しかもエネルギッシュだったから、紙のデータをたくさんバッグに入れて、東京への往復の車中で、それを整理していたのです。メモを取ったり、手紙を書いたりしていました。で、駅へ着くと、ある程度の紙ごみが出るのです。で、それを捨てます。で、最近JR横須賀線・武蔵小杉駅のごみ箱も撤去されました。おかしい。おかしい、健康保険証を、なんとか、書類で、まかないますですって。総理は、言って居ます。だけど、それって、国家的規模で新たな紙ごみを出す事に繋がるのですよ。なれない市役所は、大変です。

 エキナカショップで、テナント料を大儲けしているのに、サービス精神を失っているのが、現在のJR東日本です。

 さて、ここで、ごみ箱問題は、終わりましょう。特にわたくしから始まった、のですよ。ごみ箱撤去の動きは。日本国民(特に神奈川県+東京都で、動く人たちの、不便を招いたのは、わたくしの敵さんたちの意思ですよ」といって、次の段階に入ります。

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副題3、『私は、丸子橋(多摩川にかかる橋)近辺で、あの、山下公園で、ホームレスを殺した、ごみ箱と同じものを見たことがある。事件から、25年は過ぎていた。が、公的な公園では、同じものがつかわれていたのだろう。だけど、今は、山下公園にも、この手のごみ箱は、置いていないはず』

 子のごみ箱とは、直径が丸いものです。80cmぐらいの直径で、高さが、一メートル。全部が丈夫な針金でできていて、(だから、持ち運びに、便利だったと思われる)網状になっていました。網の目は、一辺が10cmぐらいでした。

 この中にホームレスを入れるといっても、立ったままの形では、不安定になるので、中に、しゃがむという形で、押し込めたのでしょう。そして、山下公園中を、ロープをつけて、全力疾走をして、ひきずりまわしたのです。今、グーグル検索を読むと、これ以外にも当時、四人ぐらいが、殺されているそうです。それは、知りませんでした。

 私はね。ここでは、最初の死者の、事件にこだわって、はなしをしたいとおもいます。

上の書物の欄ですが、最後の項目、新潮、(1983/01) とあるのは、間違いではないでしょうか。出版月です。事件は、同年2月に起きています。それなのに、1月に出版とは無理です。新潮文庫化が、1986年で、教養文庫化が、1997年です。

この本の、宣伝文句というか、コピーというか、惹句に、横浜のドヤ街に、住み込んで、取材したとあります。その本を主人は、読んでいないはずですが、中華街の帰りに、石川町駅で、「線路の左側=東側に住んでいる人はお金持ち、だけど、西側に住んでいる人の方が、ずっと、人間が、きれいなはずだよ」といいました。

 それは、1990年代に入ってからの話です。だけど、わたくしは、この本では、そちら側には、さして、強烈な印象がないのです。というのも、そういうホームレスになる人の性格とか、人格については、推察通りだったからでしょう。しかし、加害者側の分析には、大きな衝撃を受けました。

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副題4,『いや、それを言うと、敵がまた、多くなるはずだけれど、佐江衆一は、この加害少年(中学生が主であった)たちが住んでいた町について、分析しています。そこがすごいのです。

 それ以前にもぼんやりと感じていたことを、その時はっきりと、自覚をさせられました。わたくしは、北久里浜に一戸建ての家を建てる前に、横浜の、1973年当時は南区、(現在は、港南区のはず)の丘の上に、建築中の家を見に行きました。もうやめておられるから、固有名詞を言いますが、遠藤さんという棟梁の、作っている家が、もっともしっかりしていて、かつモダンでした。で、当時は、藤沢にあった、棟梁の家を訪ねると「私はね。主に日立の課長級の家を作っているのだ。口コミで、次から次へと、注文が入るので、あなたみたいな飛込の人は引き受けたくないなあ」と、いわれました。でも、わたくしは、その人の建築結果が本当に素晴らしいので、戦時中は鮎川義介という人が財閥を作っていて、日立も、日産日産自動車もその配下だったのですよ。だから、会社としては、兄弟みたいなものです」といって、強引に引き受けてもらいました。旧日光建設が、賃貸募集をやめるというのは、いじめです。水回りは、確かに古いですが、駐車場付き、土地は、丸まる、使える長方形で、60坪。家は27坪半。結構立派です。ただ、水回りは古いです。だけど、80を超えているので、リフォームのお金を何百万もは出したくないのです。

 同じ、工務店に、鎌倉の家の、増築も頼んでいます。

 ところで、どうして、こういう話をしているかというと、関東平野って、丘と、田んぼの二つでできているのです。船橋市の塚田というところに住んでいた時も(今は、こども園=幼稚園+保育所)になっている場所で、田んぼからは、15~20m高かったと思います。

 日吉の実家は、今はマンション群が建っている田んぼからは、30m高いと思います。それからね。北久里浜なんて、吉井の田んぼ(今はないはず)から、40mは高かったと思います。鎌倉には田んぼはないです。しかし、鶴岡八幡宮の境内にある平家池からは、我が家は、20mは、上がっていると思います。

 で、ここで、佐江衆一の本で、衝撃を受けたところに戻ります。事件は、40年前に起きています。でね、佐江衆一は加害少年(主に、中2の子供たち)の、住んでいる家を訪ねます。すると、ものの見事に南区の低地だそうです。当時港北区とか、緑区とか、都筑区には、田んぼがたくさん残っていました。しかし、南区には、すでに田んぼがなくて、家が、密集していたみたいです。

 それは、横須賀市の低地にたくさんの、工場群があり、そこに、勤務している人。また、横浜伊勢佐木町裏通りの、あれこれの、飲食店に、勤務している人が住んでいる地域なのです。

 佐江衆一は、非常に気を使っていて、朝鮮からの徴用工という言葉は使っていません。しかし、わたくしは、日吉の慶応高校の下に掘られた、武蔵小杉辺たりまで、続く、軍事遺構を、作ったのは、どうも、徴用工だっただろうと判断をしています。

 私の日吉台小学校時代の同級生、花村君は、お父さんは、朝鮮人で、本当のお母さんは、わからないのですが、本妻が、花村君を「自分が育てます」と、宣言をして、後妻に、妻の座を奪われることを拒否したので、よく学校に、PTA役員として来ていた彼女に、愛情のない育てられ方をして、子供時代から乱暴で、かわいい顔の男の級友は、困り切って、転校したりしていました。「結局やくざに入って、死んだか、殺されたかだったらしいよ」と、聞いています。差別するわけではないが、花村君の家も、敷地は広かったけれど、低地にありました。

 私はね。2013年に主人が北久里浜を売ろうと言い出したのです。それで、もしそこが売れたら、半分はわたくしのお金だから、1000万円から、1300万円で、買える土地を買おうと思ったのですね。それは、自閉スペクトラムという障害を持って生まれた一番下の孫に、ニッチなスポーツとして馬術を習わせたくて、御殿場近辺に、別荘を建てたかったからです。

 ところが、熱海市下曽我の丘の上、110坪が、660万円で買えるという話持ち主は、立教大学卒で、不動産やは、現代アートのコレクションを励む紳士(ただし、二人とも酒井忠康氏のお友達である可能性を今では感じている)で、いい人らしかったのですが、鎌倉エージェント伊藤玄二郎から、松尾崇鎌倉市長→斎藤栄熱海市長というラインで、まったく不必要な、セットバック用杭を打ち込まれて、公募上は、110坪もあるのに、一階は6坪、そう二階にしても、12坪の家しか建てられないのでした。それは、夜胸騒ぎがして、タクシーを何千円も払って、熱海駅から見に行って、異様な杭を発見したから、断ることが出きました。だって、立教卒業という持ち主は世田谷区在住といっていました。がそれは、うそだったのです。新百合ヶ丘でした。神奈川県ですよ。でも世田谷区といったのは、酒井忠康氏と、親しいからそういったのではないかしら。

 この一件で、上品な美青年で、東工大卒の、熱海市長は、土石流被害を招くことになりました。人が何人も死にましたね。鎌倉市長の勧めで、動いたつもりでしょうが、裏があるので、熱海市民に苦難を与えました。

 私のブログを読んでいないとだめですよ。全国の首長さん。山中竹春横浜市長も同じです。

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副題5、『私は、横須賀市根岸小学校PTA コーラス指導者、北村充子さんに、したたかにいじめられた。1985年のことだった。これは、横須賀市副市長婦人杉本正子さんの、教唆命令で、動いたと思われ、したがって、100%政治的案件となる。ところで、北村さん自身は、自分が大いに噂の対象になっているということを知らないのだろうが、在日の出自を持つということで、有名だった。とても、したたかな手法で、中学時代の担任の先生のお嫁さんになったので、出世したのよと言われていた。

後註4,

逮捕されるべき人間が逮捕されない・犯罪捜査の不思議さ + 先生が生徒と結婚をする時    2023-08-02 21:46:18 | 政治

 北村充子さんは、自分がやったことを、38年後に、政治問題として、ここに取り上げられるとは、夢にも思っていなかったと思う。

 だけど、静岡で、土地を買うことをあきらめた私は、横須賀にも、1000万円で、買える土地があることに気が付いた。それは、馬術を練習するのには適切ではないが、家を建てる練習にはなる。で、京急沿線は、だいたい丘が多いのだが、もし駅に近い土地で、1000万円で、売っているとすると、それは、だいたい在日の一世が住んでいる土地だった。ある時、【逸見】か、【安針塚】という、小さな駅の、もよりで、大規模開発住宅地ではない、土地が、駅から五分という形で、売りに出されていた。そのときに、すでに、横須賀で、10件以上、見て歩いた後だったので、比較すると、よい土地に思えた。

 そこに歩いてきた女性がいたので、「線路の対岸の、あの土地を買いたいのですが、ここらあたりって、人々の暮らしぶりは、どうなのでしょう?」と、聞いてみた。つまり、買いたい土地のご近所様には、絶対に声が届かないところで、質問をしたのだった。すると、その人は「あそこですか。駄目ですよ。隣が在日の人で、地境がごたごたしたので、前の人が、嫌気がさして、引っ越していった土地ですから」と答えた。更地にしてあったので、前に人が住んでいたとは、きがつかなかった。でも、聞いてよかった。

 この日の前に、【汐入】で、在日一世の持ち物と思われる土地を既に、見ていて、在日一世と思われる人が、強欲で、地境など、無視しまくっているのには、気が付いていたのだった。もちろん、在日の、出自があっても、二世、三世となってくると、これほど、無法ではないと思われるが、一世は、恐ろしいところがあるのだった。

 汐入りの不動産やで、線路の西側、丘に登る途中の土地が、駅から、徒歩4分で、40坪一千万円ですと、いわれた。で、「石段で、上がる土地だったので、安いのですね」と思って、探したのだけれど、どこにもそれらしき空き地がなかった。わたくしも、それなりに探索の経験を重ねているので、目視で、土地の広さはわかる。「ないねえ。40坪」と思いながら、枠が木製で、ガラスがはめられている玄関ドアを何度もノックしたが、人が出てこない。で、勝手口なら、奥さんがいるはずよと、思って、そちらに回ると、表側は、いたでできた壁だったが、こちらは、波板ブリキ板で、壁ができていて、その壁が垂直ではないという感じだった。斜めになっている。しかも入り口のドアがなかった。だけど雨の心配がいらないのは、建物が密集していて、雨などが、振り込まない、形になっている。

 中に電気がついいているのに、人が出てこない。一番目の部屋は、床が土間だったので、靴のまま入って、幅三尺程度のそこを抜けると、今度は、幅4尺五寸ぐらいの次の部屋に到達した。そこも土間だったので、靴で入って、「こんにちは、こんにちは」と、声をかけ続けると、やっと女の人が出てきた。背が高くて、黒づくめの洋服だったが、わたくしを、見下ろしても、一言も発しなかった。

 こうなると、わたくしも異常を感じて、ダメなんだと、思い、彼女の前を去った。道まで、戻ると、対岸(南側)に、ごく、普通の家があった。外壁は真っ白で、そう二階。築15年ぐらいだと思われた。ベルを押すと、主人らしき紳士が現れたので、お隣の奥さんが、一言もしゃべらないのですというと、ああ、あそこの家って、いろいろな人が転入してくるからね。僕たちだって、名前を知らないのですよ」と答えた。その時、その人もわたくしも気を使って、在日という言葉は一切使わなかった。だけど、2000年、クイーンズというところに住んでいた際に、毎日、夜は、シンガポール系ビーフン5ドルをアルミのお皿に入れて、テイクアウトしていた。だから、中国人夫妻が、言葉ができなくても愛想がいいのは知って居た。

 だから、在日の一世一族だと思う。だから、安針塚で、50坪程度を、更地として、売っていた、前の人は、まだ、草が生えた更地の部分があるのだから、堂々と、売っているのだと思う。だけど、買ったら大変だ。こっちが逃げ出さないとならないことになる。

 私は、その二つの土地に関して、二度目のこととして、不動産やに、文句を言いに行くのはやめにした。ちゃんと、現地を見てよかった。・・・・・そして、その後、NHKニュースで、従軍慰安婦問題が出てくるたびに、ああ、なんて、強欲なのだ。そして、しつこいと、思い至った。最初(=1950年代の高校生時代)は、植民地支配をしたことを謝罪しようと思っていた。だけど、横須賀で、土地を、1000万円以内で、買おうとして、おもがけないフィールドワークをしてしまった。在日一世が、日本で、どういう暮らしをしえ入鹿を知ったことは、本当の驚きをもって、身に染みている。日本人とは、違いますねと、汐入の不思議な・増殖・間取りの、黒い、そして、古い家を思い出すのだった。

 はい、いつ引っ越したかは知りませんが、前の持ち主さん、一銭も手に入りませんよ。あれじゃあ。・・・・・と、言っておこう。もうその人は、死んでしまったと思うけれど。

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悲惨なリンチ事件の主犯の母はピアノ教師で掃除は苦手なタイプ。家出した長男を厄介払いできてよかったと考えてその追跡をしなかった

2023-08-16 22:18:13 | 政治

 この一章ですが、16日の、夜10時半まで、総タイトルを【実印が行方不明(多分盗まれた)になり、それを喜ぶ、Mrs.安野智紗、白井達雄夫人、Mr平木伸明】としておりました。ところが前置きが長くなりそうなので、二番目のものへと変更します。

副題1、『久しぶりにご近所人間の悪辣さを書き表しましょう。しかし、長期目標としては、・・・・・飯島愛とは、本当は、40日間の長きにわたった、性的リンチ事件(結局被害者は、肉体の一部が腐乱した形で、亡くなった)事件を、不良少年たちに、あおった少女だった・・・・ということを書きたかったのですよ』

 私は、今、大きなことを書いています。ずっと、そういう大きな話題に取り組んできました。スケールの大きなテーマで、書くことができて、非常に快調だったのです。でね。歌舞伎に行く予約切符、音楽会に行く予約切符、そのほか処々の予約的計画を始めていました。そして、ブログは、2日に一回の更新にしようと思い定めていたのです。その方がきちんと読んでいただけると、気が付きました。しかし、本日、また、大きな泥棒被害を発見し、それで、弱っているはずだから、さらにいじめましょうよと、安野智紗夫人、+ 白井達雄夫人の二人が結託した謀略行為があり、また、平木伸明家で、二階のカーテンを開けて裸電球を煌々と照らすというシャルりーえぶど事件以来始まった攻撃があったので、テーマを、一気に飛ばして、飯島愛は、少女コンクリート詰め殺人事件の主犯の愛人だったという話に入りたいと思います。

 私は1989年、この事件が報道をされ始めてから、どうして、主犯の愛人たる少女は、逮捕されないのだろうと、不思議でした。その件も後で、追及しますが、たまたま、飯島愛が不審死(孤独死)して、原因はマネージャーに脅迫をされていたと、いう報道と、その脅迫の種が、彼女が、事件現場にいたことにあると、知り、『ああ、神様は本当に、いらっしゃるのだ』と、感じています。

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副題2、『飯島愛について、非常に好意的な、文章が、アエラオンラインに、福光恵というライター名付きで、出ていたので、さらに朝日新聞の悪意を感じ取っている私である』

 今、抱えていて、丁寧に描いていきたいテーマは、いくつもあるのですが、

朝日新聞が、少女コンクリート詰め殺人事件という、・・・・・少年が起した犯罪のうちで、最も陰惨で、恐ろしいもの・・・・・を一切報道しなかったケースを取り上げたいと思っています。

で、朝日新聞をとっている人とか、「殺人事件などを、知るのが嫌です」という風にお上品に暮らしている人は、この事件そのものを一切ご存じないのではないかと思います。

 例えば、音楽会に行くとするでしょう。普通は前の人の背中を見る形です。しかし、最近では、シューズボックス型という演奏者の、上、または、左右の席で、音楽を聴くというホールができています。サントリーホールがその形式ですが、ミューザ川崎も同じ形式で、少し小さいのです。すると、いわゆる昔からの普通の席に座っている、大勢の聴衆を上の方から俯瞰する形になります。それらの聴衆を見ると、高齢の男性が多いのです。それでね。旧国立大学を卒業して、一部上場企業に勤務し、年収は、高くて、子育ても終わっていて、家も建てて、ローンも返済し終わったという、今、現在何も苦労がありません・・・・・という種類の人々だと、感じています。

 でも、どうか、目を見開いて、少女コンクリート詰め殺人事件の、詳細を知ってほしいのです。事件については、wikipediaを見るのが一番でしょう。

 ただし、wikipediaが、正確だとは、いえません。たとえば、被害少女は、自転車で、勤務先から、夜11時ごろ、自宅へ向かっていたのですが、少年たちの奸計によって、だまされて拉致されてしまったのです。その勤務先が、工場となっています。それは嘘ですよ。大企業が夜勤の勤務者として、高校在学中の女の子を雇うはずはないです。また、夜勤が、夜の11時に終業だというシフトもあり得ないです。また、町工場が、夜11時まで、仕事をする・・・・・・それもあり得ないです。事件当時の報道をちゃんと覚えておりますが、コンビニでした。このお嬢ちゃんは原宿で、お買い物をするためにバイトしていたのでしょうか? パーマをかけています。二番目以降のお子さんだったのかしら? だから自由にさせていましたか? うちの子は高校時代に、バイトをしたいとは、いい出しませんでした。普通に遊ぶ、普通に物を買うお金は与えていたと思いますが自分からバイトをしたいとは言いだしませんでした。ともかく、コンビニなのです。事件以来30年以上が過ぎているので、誰かが、書き直させたのです。小さなことですが、印象がまるで、違うので、訂正しておきます。

 事件の現場は、のちにフライデー(金属バット事件の家は、フォーカスだった)に出てきました。両隣の家との間に塀はなく、かつ、幅も、既定の1メートルはない感じ、かつ、ベランダの落下防御柵が、メルヘンチックな半円形が、連なる波型。

 google (wikipdia)では、少年Cと、その兄、少年G兄弟が二階に自室を持っていた26~30坪の間の建売住宅で、両親は、病院勤務でした。事務職(夫)と看護婦夫妻だったと記憶しています。しかし、政治的活動に忙しくて、二階で、総計40人ぐらいの少年たちが出入りしてある気の毒な少女と性交をしていたことは、一切知りませんでした。

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副題3、『私は、当時朝日新聞と毎日新聞の二紙を取っていたので、朝日新聞が一切報道をしないのを、いぶかしく思っていた。確かにあまりにも猟奇的で、あまりにも陰惨であり、現代日本の、密集する住宅街で、起きていることとは、信じられないことだった。だけど、朝日新聞は、気取っている場合ではないと、思う。

 この事件は、その後、広範囲に起きてきた・・・・・集団で、ある弱い人間をいたぶる、その種の・・・・・リンチ事件の走りであり、その当時、30代から40代であった、中学生、または、高校生を持つ親に対して、大きな教訓を与える事件だったからだ。

 私は朝日新聞に対して、ずっと、怒っていたが、ある時に、事件現場の家の両親が共産党員であるとの、情報が、週刊誌からか、手に入り、それで、朝日新聞が伏せているのだと、理解した。で、政治問題としたいのだが、本日は、そちらには流れず、子育て論として語りたい。

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副題4、『北海道で、首だけを切り落とすと、いう猟奇的な事件が起きて、父親が有名な精神科医であり、かつ共産党員である・・・・・という件で、この1988年に、足立区綾瀬で、起きた事件との共通項を、最初は、感じ取ったが、ある時点から、瑠奈容疑者に、口蓋レッシンという身体的障害があったのではないかと、感じ取って、できるだけ、触れない様にし始めた。

 その障害を、首無し遺体として発見された被害者に、からかわれていたとしたら、警察に訴えても、犯罪として、起訴できるかどうかが怪しいので、自分たちで、復讐をした・・・・・とすると、動機として整合性が出てくる。

 しかし、ある問題点が、重要だと判断をした。それは、どうしてか、ひろ子夫人(瑠奈ちゃんの母親)が、掃除が苦手で、家の中は、ごみ屋敷であり、云々、カンヌんという表現に出会った時だった。

 これが、少女コンクリート詰め事件の、主犯の母とそっくりなポイントなのだ。

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副題5、『少年Aの両親は、父親は、証券会社勤務、母親は、ピアノ教師という肩書を持っていた。わたくしが推察するに、父親は、偏差値優秀大学卒で、お見合いで、音大卒の母親と結婚をした・・・・・つまり、日本社会の、中流の上だと、当時は規定できる・・・・・ただ、現代日本は、急速に,二分化しつつあり,中流階級が消えたので、上流階級と、言えるだろう。

 で、警察が、この家を、訪ねた時、母親は、「うちの子に限って(そんなことはするはずがありません)と叫んだと、いわれる。そして、警察は、この家の家宅捜索はしたかもしれないが、その家の、実情を毎日新聞も、各種の週刊誌も報道をすることがなかった。

 もしかすると父親が、東大とか、慶応などの有名大学出身で、また勤務先も、当時は、学生のスイゼンの的だった、野村證券などであった可能性もある。そして、母親も、有名音大卒だったら、刑事たちも遠慮をしたのではないかな?

 実は、事件が刑事事件として結審した後で、民事裁判においては、少年Aの両親が、自宅を売って4000万円を作り、被害者側の両親に渡し、和解へ持って行ったと聞いている。

 だから、事件発覚後は、親としての責任を、ちゃんととったということになる。しかし、両親とども、彼が、中一のころから、愛ある言葉をかけていない。どうして愛さなかったかというと、両親の期待通りの進学先へ入学できなかったからだ。私立の中高一貫教育校だと思われる。この事件が発覚した時点で、両親は、40代であろう。中学入学時は、両親は、30代後半だったと思われる。

 両親は、1940年代の、生まれで、1960年代に大学に進学している。その頃は、ほとんどの人が高卒で、社会へ出る時代であり、競争率が低くて、ちょっと、勉強すれば、有名大学に入ることができた。

 しかし、少年Aは、団塊の世代と、今では、いわれている1970年代の生まれで、競争相手が多かった。また、日本社会が全体に裕福になり、どんな家庭でも、親が、大企業に勤務している限り、収入は一生、安定しているので、子供を大学に入れるつもりになっていた。で、親世代と、比較すると競争率は、10倍程度高くなっていたのだ。 

 しかも、東京圏の住民には情報が、わんさと、手に入る。で、大学受験の可否は、中学一年の時に、決まってしまうのだ。で、この少年Aの両親は、長男には、期待ができないと考えて、見放してしまった。愛情ある言葉をかけなかったので、長男は、中学時代に、ぐんぐん成績が下がり、高校は、地域の、下位高へ、進学することとなり、両親はますます見放して、姉妹、中退したいと、言い出した時にも引き止めもしなかった。その後、町工場に、住み込みで働くことになったと、報告をすると、両親は、喜んだらしい。厄介払いができたということで。

 ところが、このしょうねんAは、実際の頭脳は高い。だから、町工場勤務など、やっていられない.で、やめてしまった。しかし、両親は、その後を追跡していない。ただ、ただ、目の前にいないと、いうことで、問題が解決したと、思いこんでいたと、見える。

 さて、ここから、わたくし独特の論理を展開させていただきたい。

 この子が、五歳ごろから、1988年、18歳で、凶悪犯罪を起こす萌芽はできていたのだったと。それは、すべて、母親のせいだったとなる。

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副題6、『私が、この事件で、もっとも、印象深い出来事は、Aの実家のご近所様の証言だ。「あの子は、五歳ぐらいのころから、夜遅く、お母さんが、帰ってくるのを、壁に寄りかかって(うん子すわり)をして待っていた・・・・それを覚えている」と。

 それを事件の遠因だと、考える記者の質問に、答えてだったと思うが(いや、ほかの人、例えば妹の証言だったのかもしれないが)、

 お母さんは、掃除が苦手で、したがって、自宅に生徒を、呼ぶのを嫌がって、出げいこが主だった。妹の方は、女の子で、動きがおとなしく、母親のレッスン中(毎日、二軒か、三軒ぐらいは、はしごしていたと考えられる)絵本などを読んでいて、待っていられるが、男の子は、活発で、おとなしく待っていられない。だから、「友達と遊んでいたら?」と、提言して、家に置いて、レッスンに、妹うだけを帯同していっていた。

 ご近所様の目から見れば、「7歳ぐらいで、あんなくらい中を、壁に寄りかかって待っているなんて、お母さんは、きついね」という感じを受けたと思う。つまり、放任を通り越して、ネグレクトに近い感じ。

 私の想像だけれど、ピアノをお子さんが習うのは、放課後だ。で、ある家で、午後四時からレッスンをして、お茶菓子などをいただいて、15分程度遊び、余裕をもって、次の家まで歩き、そこでは五時半からレッスンに入り、最後の家では、七時から、八時までレッスンをすると仮定すると、長男の方は、夜の8時半、わるくすると、夜の九時まで、お腹をすかせて、待つこととなる。お父さんは猛烈サラリーマンで、夜11時までは、帰らない。だから、お母さんにとっては、こういうスケデュールでも、一家の主役に迷惑をかける心配はない。

では、なぜ、カギを与えていなかったかだが、五歳ぐらいでも、遊びに来て家に上がった子が、自宅へ帰って、「あの家、散らかっていた」という話をするのを恐れたのだと思う。ピアノ教師と、いうのは、半径五百メートルぐらいに一人しかいないものだった。1960年代は、そうだった。だから、地域社会で、目立つ女王様だ。で、このお母さんは、特に出げいこをしていて、お母さん方とおしゃべりをする。いろいろな、悪口も聞いたはずで、自分が、悪口を言われない方向できを使った。それがカギを渡さないで、外で、待たせるという方式だったのだ。

 このころ、少年Aの心に、人間を大切にするという様な基本的な道徳が育たない、地盤ができてしまった。しかし、地頭がよくて、セックスがうまかったので、隣に、同じく親に反発をして、家出をしてきた飯島愛を侍らせて、より高い、高揚感を得るために、被害者を責めさいなんだのだった。

 ここで皆様にやっと、説明ができる。なぜ、石川和子・柳沢昇夫妻の、2004年から2005年の冬のある日の、いじめを、丁寧に説明をしたかを。彼女たち夫婦の言動は、なぜ、いじめが起きるのかを、・・・・・源泉にまで、さかのぼる形で、示してくれたからだ。セックスが後ろにあるのがいじめであり、・・・・・・

(蛇足・・・・・飯島愛を救う方法。

 1989年に警察は、むろん、飯島愛の両親を訪ねているはずです。そのときに隠ぺい工作に動かないことが一番でした。少年法で、名前が出ないのですから、刑期を終えたら、海外へ渡航する費用を、親が、出すのが一番でしょう。ヨーロッパでもアメリカでも、地道な方法で、生きるすべを獲得したらよかったのです。その時点で、そういう道を選んだのだったら、誰も、顔を知らないので、安全です。テレビに出て、お金を儲けようとしたのは、おかしいです。マネージャあーにばれてから、「引退します」といっても、効果がないでしょう。神様は、そういうレベルでの、二重性を許さないです。

  飯島愛の両親って最後まで、愛情がなn足るかをわからなかった人です おやがほんとうに自分を愛し守ってくれると信じていたら苦しい最後の頃は実家に帰って居たはずです。脅迫を受けて居る彼女が死んでくれてほっとして居るでしょう)

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安倍銃撃以降、以下の人物の動きが重要になってくる。田中優子元法大総長、松本光弘当時の警察庁長官

2023-08-14 08:07:34 | 政治

 この文章は、14日の、23:58分まで、【林真理子がお飾りであるかどうか?・・・いいえ、CIAの核弾頭たる大物ですよ・・・但し50年後には消え去っているだろう】としておりました。だが、その時点で、上のものへと変更します。なお、それは、【ここで、真相を語ろう。安倍晋三氏殺害の裏側と、安倍夫人に関する悪い報道が急に増えた理由と、林真理子の強烈な自信の裏側を】でしたが、三回目のものへと、変更します。

副題1、『日本の法曹界は、めちゃくちゃに偏波している。三権分立も、そっちのけである。どうしてそうなるかというと、CIAエージェントの中でも、特に、わたくしを、監視するという役目で、重要なメンバーである、伊藤玄二郎が中央大学の、法学部政治学科の出身だからだ。それは、公表をされていないが、確実なことであろう』

 林真理子・日大・理事長の、大げさな火曜日の、記者会見ののち、私は、NHKニュースを丁寧に、検索しました。すると、この大麻騒動の、日大アメフト部の、学生は、8月二日から、ニュースに登場しているのに、どうも、名前が公表をされていません。まあ、地方ニュースは、録画していないので、それを点検していませんが、わたくしの印象としては、ほとんど、公開をされていないと、みなすことが出来ます。印象が強く残っていないということは、非公開だということと同義です。

 一方、9日にニュースと化した東京農大の方は、売るために持っていたから、罪が重いのでしょうが、しっかりと、顔写真(実際は、逮捕される際の動画)が出て、名前もNHKニュース内で、公開をされています。ところが、東京農大の幹部連中は簡単なコメントを発表しただけで、記者会見を行っていません。NHKニュースの学生への扱いは、日大よりもずっと重くて、日大の方は、学生の名前も、動画も顔写真も公開をされていません。おかしいでしょう。

 法的な問題が、このように、強者の恣意で、動くのは、本当に困ったことですが、2011年の福島第一の事故以来、激しい勢いで、そういう方向へ流れています。

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副題2、『安倍晋三氏、銃撃事件の真実・・・・・・伊藤玄二郎が裏にいるなあと、考える、こういう法的偏波問題はいくつもあるが、・・・・・まあ、今は、安倍晋三氏を、取り上げよう』

 安倍晋三元総理大臣を、奈良県西大寺駅前で、手製銃弾で、殺したと、される、山上徹也こそ、目立つ例である。わたくしには、それが、わかっているが、一般の日本人には、それがわかっていないと、思われる。

 山上徹也容疑者の、父(と、兄・・・・時期が違うらしいが)が自殺とのこと。こういうことは、総務省、または、警察庁が、スパコンに、侵入した際の、検索で、引っかかっていて、

 その結果、劣等感が激しいだろうと、推察され、CIAえ-じぇんとが、後日、利用するべき、タマとして、その人物、および、関係者、および、動向は詳細に観察されているだろう。

 私もそういう対象だが、正反対の意味で、同じように観察をされている。そして、彼の伯父が弁護士であることが、把握をされる。

 すると、伊藤玄二郎が動くのだ。法曹界のつてを利用して、彼は、動く。で、この青年を、攻撃用玉として仕立て上げる。

 この青年は、拘置所内に見舞いに来た妹に辞書を持ってきてほしいと、頼んでいる。母親が、統一教会に財産を一億円ほども献金し、学費がなくて大学に進学できなかったという部分に、アタックをして、彼を、自分たち側の戦士として仕立て上げ、「裁判が確定したら、海外へ、ひそかに出してあげます。・・・・・米軍機で、別のパスポートも与え、金銭も供与し・・・・・という約束のもとに、安倍晋三殺しを引き受けたと、考えられる。

 ここらあたりは、過去に丁寧な、文章で書いているのですが今は、リンク先を見つけている暇がないので、先へ進みます。

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副題3、『安倍晋三氏は、その日、長野へ行く予定だったそうだが、急に「奈良へ行ってください」と、いわれたそうだ。奈良県・西大寺駅というのは、例のごとく、わたくしを脅かすための語彙だった』

 私にはお茶大付属高校時代の、卒業生仲間が、親しく付き合うことのできる、OPCというクラブに所属していた時期が、10年はあります。1998年に、パリへ文化庁の在外研修生で、行かれることになって、アートとライターとしての、激しい修行時代に入ると、その活動へも参加できなくなるのですが、そこに活発に参加していた時期に、立派な先輩たちに出会うのです。25歳上の段階の二人と、5歳上から、五才下までの、4人です。

 そのうち、最も大きな影響を与えてきたのが、ときえだひろ子さん(歌人としての、呼び名)で、物理専攻、東大院卒、通産省特許庁勤務、お子様は、優秀な数学者と、ご自分は、原子力何とか規制委員会委員と、現代日本の、りけじょとしては、ほぼ、最高ランクを務めた方があるのです。

 ただ、この方は親の代で、東大卒の学者であり、したがって、テレビなどには出ない方です。なお、こういう事情は、彼女の自宅にお招きを受け、ご両親の遺影(小さいもの)を見せてもらっただけで、わかった事ですよ。またお子様については、後輩からの情報で知っている話です。彼女自身が自慢気に、自分について話すことはありません。

 明治期に、東大を卒業した人には、内村鑑三の影響で、クリスチャンになった人が多いのですが、それはプロテスタント系ですよね。だけど、ひろこさんは、思うところがあり、30過ぎ(多分)に、お茶の水の、別の先輩を頼って、カソリックに入信したのです。有名なクラブは、三田会や、学士会、桐門会など、大学を卒業すると、自動的に入ることにできるもの以外は、推薦人が、二人は必要です。カソリックもそうらしくて、ひろ子さんは、お茶大・付属高校の先輩を頼ったのでした。なお、お茶大付属高校は戦前までは女高師の、付属高女といい、今の朝ドラで、田辺教授夫人が中退したとされる、女子高を指します。

 時枝ひろ子さんは、そのカソリック受信の際には、しおらしかったそうです。しかし、2003年から2005年にかけて、わたくしの前に、大きな壁として立ちはだかり、文章を書くのをやめなさいと、言ってきます。しかし、わたくしは、一年は、追いかけ続けるのです。考えを変えて、元に戻ってほしいと。しかし、ダメでした。むろん、つらいお話です。それをえぐるために、安倍晋三氏は、西大寺で殺されたのでした。

 どうしてかというと、時枝ひろこさんの旧姓が西大寺だからです。

 こういう事件は、CIAエージェントたちが、自分たちは頭がいいと、信じて起こすのですが、わたくしは、すべての裏側がわかっています。正しくわかっています。なお、漁港で、岸田総理大臣を襲った男は、わたくしのブログ文を否定するための茶番劇です。二番煎じの典型です。

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副題3、『安倍総理大臣襲撃は、救命看護師などが、中に滞在していて、要人を守るべき車両が、100m離れたところにいて、止血などの措置を直ちにとることがなかった。

 しかも、例の事件現場である駅前コーナーを、改修したとされる。やまゆり園の建物に、ルミノール反応が、出ないからこそ、改築をしたというのと同じ現象である。したがって、この改修一つをとってみても、

*1)、安倍晋三殺しが、山上徹也の、単独犯行ではなくて、

*2)、自民党の中の、CIA協力者の、共犯であろうし、

*3)、原案は、わたくしが「常に、彼が、謀略のアイデアを出す人間ですよ。自分は、公的には、死んだことにしていて、責任を負うことがないから平気なのです。ほら、例の、井上ひさしです」と言っている井上ひさしあたりから出たと、考えています。・・・・・

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副題4,『安倍晋三氏の国葬は、上に書いた文章を・・・・・それが正しいがゆえに、否定するために・・・・・安倍晋三氏を、岸田総理が尊敬をしていたことにするために、急に設定をされた案件であった。その件に関して和服で、「国葬反対」の、街頭演説をした田中優子・元・法政大学総長は、むろんのこと、CIA側の教唆命令で、そういう動きをしたのである。特に、わたくしがこの件で文章を書きやめてから、一か月間の猶予を開けて、演説をしたこと、その時期も、また、真実を明らかにしている』

 メディアにのっている有名人とは、一生のどこかで、踏み絵を踏んでいるのです。「絶対に書きませんよ。真実中の真実は。必ず、オブラートに包みます。一般庶民が理解できない形で、発表をします。だから、ご安心ください」という・・・・・その種の踏み絵を果たしている、人間であると、考えられる。したがって、当時から、わたくしは眉に唾をつけて、NHK ニュースを見ていた。

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副題5、『ところで、日本の政治とは、メディアが作り上げているという形でもあるのだが・・・・・本当は、CIAえ-じぇんとという特権集団と、その家来たる、警察が、になっている。+ 意外なことに共産党もそのトップはCIAの家来である』

 安倍晋三氏がなくなったのが、7月8日であり、松本光弘・警察庁長官が、辞任をしたのは、9月21日です。わたくしは、当時のブログ内では、それを書いていませんが、松本光弘、当時の警察庁長官は、元神奈川県警本部長でもあり、

 むろん、伊藤玄二郎と、井上ひさしとは面識があると、思っています。黒岩県知事ともです。だから、この銃撃が起きることは事前に知らされていたと、推察しています。まあ、物議をかもす、発言だから、十分に時間をおいて、発言をしていますが、・・・・・

 最近になって、右翼系雑誌が、安倍晋三元総理大臣、銃撃事件は、おかしいところがあると、いう特集を組んでいます。

 私も、繰り返しそれは、述べていますが、山上徹也の、動機は、変です。母親が、統一教会に、一億円もの寄付をしたという件で、怒って、母親を殺すのなら、まだ、動機と事件との間に、整合性が認められるけれど、安倍晋三元総理大臣に怒りが向かうなんて、まったく整合性が感じられないのです。やはり、山上徹也は、利用されただけの、人物だと思っています。

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副題6、『15日と16日にかけて、手ひどい復讐行為を受けて居る。十五日の夜までは、そのうちの三つに気がついた。が、別に、だって全てデジャブがある行為ですからねと思い、平静であった。ただ十六日の午前八時に気が付いたものだけは被害が大きすぎるのと、たほうめんに被害が及ぶ為に、いささかうんざりして居る。いや、うんざり以上の被害だが、まだ、ここに詳細を書かないでおきたい。しばらくの間、復旧を試していこうと思って居るからだ。

  と言うのも、これらの復讐行為は、全て警察庁が、飼っている 闇の勢力の仕業であり、警察庁が持って居る筈の、表の勢力を動かして

 一応、表側からの、回復を試みてみたいので、このブログの世界で、詳細を書くことを今は控えて置く。

 然し、この様に大きな被害に遭うと、私が十四日に言い出し始めた、当時の松本光ひろ警察庁長官は事前にこの事件が起きる事を知らされて居たというのが、徹底的に正しいとなってくる。今、それを言うのは、時宜を失して居ると言う事となるのでしょう。だからこのブログの人気稼ぎだけを言えば、虚しい作業に時間を割いて居ると言うことになるかもしれません。

 だけど、私は天才固有の人間として、計算を度外視して居るのです。一般の世界の住民より、五歩早く動くと、気狂いあついをされて、ただしい意図が読者に届かないとなるのでした。

  でね、非常に難しい事を書いた時は、読者とか、人間とかには、期待をせず、ただ神様だけに、期待をして、モノを書いていって居ます。然し、そうは言ってもです。安倍晋三氏が西大寺駅前で手製にしろ銃弾で殺された直後に、それを言ってご覧なさい。このブログは閉鎖されるし、私自身は、何処かへ拉致され、自殺を装って、殺されたと思います。

 どうして、今書くかと言うと あの大袈裟な、林真理子記者会見と言う謀略に、深く、深く怒って居るからです。

  あの記者会見は、ご近所人間のうち、大原光孝と言う、しょっちゅう、我が家に、合鍵を持って入って来る男を助け、彼に連動するご近所

 

 ここで、書くのを長時間休みます。これから書くべきことは、丸川議員、安倍あきえさん、安倍洋子さん、高市早苗さん、早稲田ゆき議員、立憲民主党の衰退はどこからきている? などです。 

 野見山暁次と、渡辺豊重の、死、  とうとう、膨大な文章がつづきますが・・・・・ちょっと、家事へ、移行します。それは、目や体を保護するためです。後一週間で、81歳になるので、本当に疲れやすくなっていて、自分を保護しながら、保護、しながらで、ないと、文章を書いていかれません。

 

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下の文章ですが、妨害を受けて正しく書けませんでした。で、ここで、追記を +日大芸術学部出身の歌舞伎関係者

2023-08-13 02:33:23 | 政治

残念ですが、下の文章、

NHKがつけた観光案内風にタイトルで、かえって知る事になった第二次大戦時の、日本国民の本当の苦悩

2023-08-12 17:51:26 | 政治

は、バグを入れられて、文字がダブって入る様になり、妨害を受けて正しく書けません。で、未完で終わっていますがお許しを。ただしこの妨害は、3.11以降も発見されている攻撃で、如何に私の読者が多いかを証明している出来事だと、見ています。2011年か、2012年の暮れに、すでに、710万回を超えた、延べ訪問回数がありました。ところがそれを誇ると、ずっと、長年32万回で、抑えられてきたのです。だから、数字なんて、CIAのやりたい放題で、変えられます。

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 と、書いて普段は絶対にやらないことをやっていました。中村梅枝が、10月にどこの劇場にも出ていない。それが気になっていて、ウエブサーフィンをしていたのです。非常に上手な女形なのです。今美しさといい情感といい、歌舞伎界で、一番だと思っています。しかし、10月の出演劇場が見当たらない。これも、対・私・攻撃用・処置だと思っていて、萬屋スレッド(5チャンネル)を、読んでいたりしていたのです。歌舞伎の世界も、その全体を鎌倉エージェントの二人が黒い翼で、覆っているからです。

 すると、まったく別の知識を得ました。中村梅枝にとって、いとことなる、隼人君は、「お父さんとお母さんの結びつきを知っている」ということが、ぐうぜん、わかりました。

 実は、【猿也】という、大変上手な役者(ただし、親は名門の歌舞伎俳優ではない。一般人である)が、大学時代に知り合った、【しの】さんを、お父さんに紹介をしたのだそうです。で、それを知ったうえで、猿也の出身大学を探りました。すると、なんと、なんと、日大芸術学部卒でした。お母さんが鹿児島の富裕な家のお嬢さんだとは、知っていました。が、同じ上京をするにしても、東女、ぽんじょ、聖心女子大などを選ばないで、日大芸術学部を選ぶとは、気骨がある女性なのでしょう。

 ただし、今まで、国立劇場でも、歌舞伎座でも、新橋演舞場でも、このお母さんが、梨園の妻として、お客さんとあいさつをしているところを見たことはないのです。ただし、ほぼ、ロビーがない浅草公会堂で、一階と二階を結ぶ踊り場に立っている、白地の着物の小柄な美女を見かけたときに、なんとなく閃いて(というのも、隼人君もお姉さんも、お顔が、お母さんに似ているわけではない)「隼人くんのお母さんですか」と声を掛けたら、「はい、そうです」と、答えてもらいました。でもね、猿也と、日大の校舎で、演劇論を戦わせていた、そんなしっかりしたところのある女性などとは、まったくも、見えませんでしたよ。ただ、ただ、控えめで、つつましい感じで。これは、大いなる驚きです。

 で、隼人君がNHK で、【大富豪同心】という、コメディタッチの時代劇の主役を張っていて、そこに有名な俳優がたくさん、共演しているのも、その日大芸術学部卒・路線がサポートに動いているのかもしれません。

 はい、はい、慶応(閥さん)頑張って。猿之助と梅枝を大切にして、メディアで宣伝をして、輝かせてください。

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 で、気分が治ったので、横須賀猿島の、軍事施設について、戦後証言をした、木村さんという当時19歳の少年兵だった、人物の証言に戻ります。この人の証言は、むろん戦後聞き出したものです。質問者は、横須賀市の吏員。

 でも、戦時中から、日本は負けるだろうと思っていたという発言は、本当だろうなあと思います。というのも戦後、負けてから、「実は僕も、戦時中から、負けると思っていたのですよ」と、いう人は多いでしょう。

 でも、彼が、戦時中から負けると思っていたのは、本当だろうなあと思います。どうしてかというと、話しっぷりにユーモアと切れがあるから、わたくしがそう思うのですよ。もし、平和で、裕福な時代に生まれていたら遊び人になっていただろうなあと、思うタイプです。こういう人はうそをつかないです。

 だから、この番組に登場する、(手記とか、その人が描いた絵だけで登場した人物も加えて)、15人ぐらいの中で、この人だけは、洗脳が効いていないのです。

 「皇国ばんざーい」とか、「天皇陛下ばんざーい」とは、思っていなかったのです。それって、親も海軍軍人だったから、海軍に入ったというように、軍人社会に、どっぷりつかっているから、かえって、あらわれるタイプの様な気がするのです。

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 私の親せきで、今、生存中なら、120歳を超えて居る人々は、ほぼ、職業が、先生です。わたくしの血縁の叔母も、女子師範学校を出ているし、お嫁に来た叔母も女子師範学校を出ています。となると、もう、学校が聖域ではないのです。で、学校におけるトラブルも、うんと聞かされています。だから、いま、90歳以下の親せきの人間は東京へ出てサラリーマンになることを選んでいます。私企業に勤努することを選んでいます。

 それと同じことが何世代も、軍人を職業としていたファミリーには、起きているのではないかしら?軍人の世界を聖域としては見ない態度を持っていると、いうこと。

ただ彼が、楽をして、戦時中を過ごしただけだとは、いいません。1945年7月18日は、本当に命がないだろうと、思ったと、いっています。

隣に、自分が次に、打つ砲弾を持ってきた人間がいて、ただ、黙って突っ立っているので「どうして、こちらに渡さないのだ」と言ったら、真っ青な顔をした彼の首筋に砲弾の破片が刺さっていたそうです。自分たちが上空に向けて、5000m~7000mの高さを持って、打ち上げて上空で炸裂した砲弾のかけらが、彼の首筋に刺さっているのです。

 日本海軍が使用した武器が、日本海軍の軍人の首に刺さって、その男は声も出せず、足を動かすこともできず(だから、前へは進めないし)手を動かすこともできなくて、持ってきた砲弾を砲手に渡すこともできず、ただ、等身大の、人形(または、彫刻)の様に立っていたそうです。

 で、インタビューアーが、「その後、どうなったのですか?(その人は死んだのですか?)」と、続けると、「そんなことは知りませんよ。戦争ってそういうものです。自分が生きることが精いっぱいなのです」と答えます。これはね。ほかの戦記物などには出てこない、言葉遣いです。小説【ビルマの竪琴】などには出てこない、はっきりした、かつ、スピードを持った、発言でした。

 自分が不親切だったと思われるのではないかという様な、躊躇や、逡巡がみじんもない、きっぱりとした、物言いでした。ともかく、その番組は、戦争物としては、異色の運びですが、戦争の実態を、わたくしたちに知らせてくれることは間違いないです。ご覧いただくことをお勧めいたします。

  2023-8-12 夜11時20分  雨宮舜(本名 川崎千恵子)

なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、7076299です。

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NHKがつけた観光案内風にタイトルで、かえって知る事になった第二次大戦時の、日本国民の本当の苦悩

2023-08-12 17:51:26 | 政治

 NHKは、2023年8月12日、奄美諸島から始まり、瀬戸内海(実際には、大津島と、似島だった)に行き、北上して、横須賀に至るそうです。 

【戦争遺産島】

 軍事遺構といっても、美術家の私がすすめるのですから、血なまぐさい戦闘の跡があるものではなくて、建築「物としての美しさ(猿島の場合は、特に)があるものです。

 沖縄の軍事遺構、例えば、野戦病院跡地などとは、違うものです。この間目取真俊さんが、

  • こころの時代「死者は沈黙の彼方(かなた)に 作家・目取真俊」(2021年8月29日、NHK Eテレ[2]
  •  
  • 私が見たのは最近の再放送です。で、沖縄の戦績を紹介していました。それに比較すると、緊迫感は、少ないものでしょう。

と、事前には、予測をしていたのに、実際には、ものすごい見ものでした。

 

 この番組において、NHKは、日本の製作者としては、めずらしく、実名を記録として残しています。

広島の・・・・似島で、治療に当たった軍医さん等は、いまでは、亡くなっていますね。だから、手記等を使っています。で、広島の部分が最も悲惨です。

 私の推察していた江田島は、出てこないのですが、代わりに、大津島が出てきました、

ここから先、NHKの番組を踏襲して説明しているだけなのに、印字がダブって表れて、何度もやり直しても、印字がダブって出てしまい、皆様に正しい様子をお知らせすることができません。だけど、時間をかけて、トライを繰り返しましょう。

 大津島とは、回天という武器を操舵する、人間を訓練する施設があった場所です。ゼロ戦というのが有名です。それの、魚雷がたと、思っていただくと、わかりやすいです。非常に大きな砲弾形の魚雷の、後ろの方に、人間の乗るスペースができていて、その操縦によって、敵の軍艦に体当たりして沈めようと、いう武器です。

 これは、むろん秘密の武器だし、島の住民にも、知らされていないのですが、上から見ると、魚雷が、海の中を、自由自在に航跡を描くので、人間が乗っていると、推察できるそうです。しかし、広島の人は、地元民(=一般人といえども)、姿勢を崩さずに、ごく、ごく真面目に話をします。

 また、それに乗って、出撃した、若い軍人の手記(三人分)も、悲惨極まりない、悲しさを呼び起こします。

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一般の日本人の苦しみという点では、数多い(200以上)の軍事遺構がある奄美大島も同じです。米軍が、実際に上陸はしなかったので、沖縄よりは楽だったでしょうが、島なので、軍に対する補給が不十分で、食料が足りなくて、大変だったそうです。

 また、ここでも、海の特攻型武器が、秘匿をされていたそうです。

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 さて東京から遠い、広島と、奄美大島の人は、とてもまじめです。そして、数人の証言者が出てきます。全員・超・まじめです。ところが、猿島の、1945年を証言する人は、一人(当時19歳の兵士)だけが出てきたのです。

 それだけ、猿島と、いうのが小さい島で、戦死者も、二人というのですから、仕方がないというか、それでいいのですが、この男性の証言が、ユーモアを含むというか、斜に構えているというかで、とても面白いのです。

 彼の個性でもあろうが、横須賀という土地柄がそうさせているのかもしれません。軍艦三笠が置いてある様に、日露戦争以来の軍港です。で、軍とか戦争というものに対して、慣れ切っているところはあるでしょう。それと、かえって、広島の、大津島などの、緊迫感に満ちた、天皇制第一主義とは違って、多様な価値観が、この世の中にはあるのだと、いう雰囲気を感じさせるのです。

 まず、兵舎に巡検が回ってきて、消灯せよと命令します。その通りに消灯するのですが、巡検が遠くに去ったと思うと、みんなが起きだして遊ぶのだそうです。修学旅行に行った高校生という感じですね。で、昼間とっておいたお魚を焼いて食べたりするのだそうです。で、猿島で、軍人としての訓練を受けながら(高射砲の訓練などですが)、日本は負けると、考えていたそうです。夜の10時ごろ、こっそり魚を焼いて食べながら、こころの中で、日本は、負けると考えていたなんて、いかにも、横須賀の粋がっている少年らしいです。

 私はね、広島の人を馬鹿にしているわけではない。また、奄美大島の人を馬鹿にしているわけではない。だけど、それだけ、東京が大都会であり、大都会東京の息吹を吸っている横須賀の兵士は、はっきりと負けると、考えていたそうですよ。

 もう一つ、彼に、負けるという確信を与えていたのは、頭上を越えていく大編成のB29の来襲を、音として聞いていたからでしょう。44年11月から東京への空襲が始まっています。B29は、500機とか700機という大編成です。それが、何度も飛来をするのです。

 で、猿島は、空襲を受けないのだと、考えていたと思います。ところが、終戦の一か月前、7月18日の午後、大空襲を受けるのです。しかも相手は、B29ではなくて、低空飛行をする、空母搭載の、TBMアヴェンジャーというのと、SBC2ヘルダイバーというのが500機だったそうです。かれは、B29を撃墜する目的で、急造された127mm連装高角砲というのの砲手で25発撃ったそうですが、

 それは、高度5000m~7000mの間で、炸裂するものだから、まっすぐ自分たちの上に破片が落ちてくるそうです。隣に立っていた兵士の首にそれが刺さってしまって、その男は、砲弾を抱えたまま動けなくなったそうです。声も出せないままに。これらの砲弾は、相手が低空飛行の飛行機だったので、まったく無効の武器だったのでした。

 これは、動く映像ではなくて、声だけの収録ですが、迫力がありました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 しかし、わたくしが、夜8時ごろ印字をしたら、活字がダブってしまって読めなかったのは、ここまでの、部分ではなくて、広島の、似島の部分が、いけなかったのでしょう。でもね。わたくしは、特殊なことを書いたわけではなくて、NHK BSPが 【戦争遺産島】というタイトルで、堂々と、放映をしているものへの感想ですから、そこで、弾圧を受けるいわれはないのです。

また、戦闘とは、ちょっとずれますが、似島(昔から、日本軍の検疫施設があった)に、一万人を超える、被爆者が担ぎ込まれ、20日間の集中治療の末、たった、500人だけ生きて、島を出ることができ、次の病院へ、送られた・・・・・というのもありとあらゆる衛生用品(アルコールはガーゼ)が、無くなってしまって、もうそこで、治療を続けることができなかったからだと思います。

そこで、治療中、壊疽を起こした腕や、足を切っても、それを丁寧なやり方で、捨てに行く、暇がなくて、窓の外へどんどんと、放り投げておいたら、その腐った腕や足の高さが窓枠と同じ高さになった・・・・・という、軍医さんの思い出など、知らなかった知識を、たくさん得ました。

お。お。お、またダメでしたね

 で、仕方がないので、またまた、小字数ずつ書いて公開をしていきましょう。

似島には、日露戦争の遠征から、帰国した兵士の検疫を行う、病院風の施設が、もともとあったそうで、

うで、そこに、衛生用品(ガーゼやアルコールなど)が、5000人分備蓄されていたそうです。

 

で、軍医や、看護婦が、常駐していたのですね。だから、広島から

 

10000  人  の、被爆者 が、搬送をされてきたそうです。

その人たちを、20日間

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NHKが12日に放映する軍事遺産とは、猿島ではなくて、江田島? ところで広島管轄JRって、船越保武の彫刻を捨てた? 慶応はひいき誤審で代表に?

2023-08-11 12:36:04 | 政治

*0) 今、NHK総合チャンネルは、高校野球を甲子園から、中継しています。すると、慶応高校の清原勝児君が代打で出ました。甲子園全体がどっとどよめきました。スター中のスターです。で、私は、1950年から、日吉に住んでいたし、慶応を応援したいのです。ところが、神奈川県大会決勝で誤審があったらしいのです。私はその日テレビで、満員の横浜球場が映し出されたのは、見ました。そして、拮抗しているゲームの拮抗をしているゲーム後半は、見ました。

 ところが全部を椅子に座ってみているわけではないのです。しかも、横浜高校と拮抗をしていると、もう、見て居られなくてね。横浜高校は渡辺監督と、松坂投手の出現などで、野球において、急に有名になった高校です。しかし、その高校が学苑として持って居る力を比べると、慶応の、一万分の一ぐらいの小さな高校です。だから、当然のごとく、私は横浜高校びいきとなります。判官びいきの典型です。

 しかし、私が目を離したすきに、どうも誤審があった模様です。主人がお出かけをしていたので、録画は、しておいたのですが、帰宅した主人に聞くと「見ないでいい」と、言ったので、削除してしまったのです。そのあとで、慶応びいきの誤審があったと、知りました。ネットで、知り、次の日の新聞でも知りました。非常に嫌な感じです。横浜球場を占めていた観客の、パーセンテージがどう傾いていたかは知りません。だけど、審判の頭には、慶応高校の知名度の高さ、清原勝児選手の、話題性の高さ、清原選手の父の来場、それらが、を事前に入っていて、それらが、重要な場面で、脳内シナプシスがショートして、しまったのだと、思います。正しい細胞同士が結びつかない状況が出来てしまったのです。

 だけど、慶応高校のためには、残念ですね。こういうひいきっていうのは、選手や監督の気持ちを落とすのです。だれだ! 駄目審判は? 

 まあ、一試合目は、勝ちました。9回、表に、相手方に、ホームラン等が出て、一方的な勝ちではなかったので、良かったですけれど。勝つ、力があるからこそ、手心を加えよと、言うのではないのですよ。だけど、なんというのかな、伝統の力の集積と、日本一、富裕な人が、構成している学苑(まあ、筑波大駒場も親は富裕でしょうが?)が、勝ち続けて行くのは、スター性が好きな人には、楽しい事でしょうが、天の采配と言う事を信じる私には、横浜にいて、このゲームを見ているかもしれない、横浜高校の生徒や、監督の姿が思い浮かび、彼らの、気持ちに思いをはせるのです・

*!)

 さて、NHKでは、・・・・・軍事遺産という番組を12日に放映をする予定です・・・・・と、いう番組宣伝を大げさに展開しています。で、私は、たまたま下書きで、書いて居る猿島を、放映をするのか? と、いったん考えました。

 しかし、番組宣伝を二回目としてみた時に、当該の軍事遺産を保有している島の、向かい側にある、別の岸(陸地)が、猿島の場合に比較すると、近いのです。

 その近さですが、なんとなく、瀬戸内海を思わせました。瀬戸内海で、軍事遺産というと、いろいろあると思います。まず、江田島ですね。私は、1975年ごろ、江田島の、料亭で、鯛のフルコースをごちそうになったことがあります。当時で、一人前、一万円、現代だと2万円を超すと思います。ただ、当時は、反戦ムードが強くて、江田島とは、軍事的に重要な地点で、たぶん、海軍兵学校があったのではないかとおもいますが、その話題は出ませんでした。そして、海軍兵学校跡地を、見物する仕組みもなかったかもしれません。

 ただ、NHKの番宣画面で、もう一つ気にかかったのは、軍事遺産が、樹木の上に出ていたことです。そして、グレーだったこと。猿島の場合、樹木がうっそうと茂っていて、軍事遺産は、樹木に隠されています。しかも遺構は、煉瓦で出来ています。カラフルで美しいです。しかし、NHKの番宣では、遺構が、グレーだったと言う事は、コンクリートでできている。猿島は、明治25年ごろからか、(第二海堡は、明治25年から、制作されたと、wikipedia にありました。ので)政策を開始されたと思います。それは、原爆とかB29来襲など、予測もできなかった、昔ののどかな、時代の、戦争遺構なのです。だが、江田島は、違うのかもしれません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

*2)

 ともかく猿島ではなくて、江田島を、放映するのだったら、前報で、言っている、私が、NHKに影響を及ぼしていると、言うのは間違っていたことになります。では、どういう風に考えたらいいかというと、

 私はやっぱり勘が鋭いなあと、言う事です。それは、ゆるぎないです。NHKが、今、何を取材しているかは、知りませんが、彼らが、この番組の宣伝画像を作っている時期に、私は、下書きとしては、8月5日に、猿島ご紹介の文章を書いて居ます。江田島にしろ、猿島のしろ、軍事遺構であることには違いないのです。そして、猿島だったら、電車を利用すれば、埼玉県や、茨城県あたりからでも日帰りで、見学ができます。ぜひ、お勧めします。鎌倉もいいけれど、ものを考えたり、思いがけない景色を見ると、言う意味で、猿島は、見事です。

 猿島は、渡船料、+ 入島料で、一人4000円かかります。一方車でいらっしゃって、メルキュールホテル汐入に、ご宿泊なさるおつもりなら、観音崎の軍事遺構も御覧になったらいいでしょう。それは、只です。

 本格的な旅行気分を味わいたいと、言う方には、東京駅から出発する【はとバス】が、昼食込みで第二海堡に連れて行ってくれます。東京湾の真ん中で、大型船が行きかうのを見るのも迫力があるでしょう。ぐらんぐーリズムは、昼食抜きで、横浜駅から出ています。ローソンは、横須賀中央駅最寄りの桟橋から、第二海堡 +猿島と、言う旅行を実施しています。第二海堡は、この種のツァーに参加しないと、上陸できません。

 ただ、第二海堡は、一人前最低二万円は、かかります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

*3)

 ところで、私は、江田島について、調べようとしていて、とんでもないニュースを見つけてしまいました。二章前で副音館書店の、社長だった時田史郎君について、少し触れています。その福音館書店刊行の絵本の中で、ベストセラーと言ってもいい、【ぐりと、ぐら】は、姉妹で、絵と文章を担当し、制作した絵本で、その父君が、船越保武です。息子の方は、船越姓を継承した、船越桂(彫刻家)と、直木と、彫刻家が居ます。そして、父保武氏の作品を収蔵しているのは、

八戸市美術館

練馬区美術館

岩手県立美術館

国立近代美術館

山梨県立美術館

といくつもあります。

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旧広島駅ビルの壁面飾り55年 舟越保武さんの彫刻作品を廃棄 2020年の建て替え時に

広島

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