銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

大満足だったブラタモリ・・・・・秋葉原の歴史他・・・・・・

2009-11-20 14:25:13 | Weblog
 ブラタモリが、評判がよいようです。銀座を紹介する回を見たときは、『これなら、タモリに頼むことは無い。内容は、ごめんなさいで切り捨てる』でした。内心で『こちとらは、こどものときから銀座を歩いているわよ。特に丸の内線が開通して、高校がそれを利用する場所にあったとき以来、途中下車して、ブラウスとかは、高校時代から銀座で買ったしね。銀座は、そのときからでも、50年を超える歳月で回っていますから』という感じで。
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 だから、秋葉原の回には事前には一切期待をしていなかったのです。ところが、実際には番組は充実していて、「さすがNHKですね。よく調べてあります。そんなことは知りませんでした」という部分がいっぱいありました。

 まず、一段低くなっている公園が、昔の運河の引込み線であり、そこに船だまりがあって、東北からの荷物を運び入れていた・・・・→とは、まったく知りませんでした。

 それから、秋葉原の始まりは須田町にあった、露天〔店?)商、特に米軍からの電気部品を払い下げてもらって、そこから、さまざまな部品を取り出し、部品ごとに売るが、発展して秋葉原になったという歴史開示には驚きました。

 そのころ、私は既に生まれていましたが、父がラジオを作ることなどには、興味が無かったので、まったく、その露天〔店?)商のことは知りませんでした。その露店は非常に面白い形で構成されていて、まず、最初に必要なもの、

(現在でしたら、パソコンの基盤でしょうか? それとも、カバー?。ともかく、私はラジオ少年ではないので、昔の部品名を知りませんが)

を置いているお店があって、次にトランスならトランスだけを置いているお店があって、次に抵抗だけを置くお店があって、次にスィッチを置くお店、真空管を置くお店と、並んでいて、

 最後にコードを売っているお店があって、全部回ると・・・・・必要なものがすべてそろう・・・・・のだそうです。だから、今のようにインターネットが無い時代でも、大評判になったそうです。その並び方には、日本人の勤勉さとか、効率を求める姿勢が既に現れていますね。

 それらのお店の影響は、現在でも駅すぐそばの路地型マーケット〔間口が一間ぐらいの部品マーケット)に残っていて、昔、・・・・・自分も鉱石(?)ラジオから始まって、無線の送受信機まで、作ったというタモリの・・・・・博識と、子供時代に帰った喜びが炸裂して、見ていても楽しかったです。

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 そして、最大の利点は、交通博物館、の、もと館長がいらしていて、往年の万世橋駅を、紹介してくださったこと、それが、また、コンピューターグラフィックスを用いて、相当丁寧に再現をしてくださったので、驚きました。

 また、そのころの万世橋・駅舎は、東京駅と同じ建築家による設計で、赤いレンガ製の外壁のある美しいものだったそうですが、その後改築されて一時期、交通博物館となっていたのです。その裏手に、旧プラットホームが、草ぼうぼうで、残されているのです。

 その旧駅舎跡をビルから見下ろした時のタモリの発言が秀逸でした。いままで、あまり好きではなかったタモリが、相当に、いい人だと思った瞬間ですが「いっそ、殺してくれよだな」という言葉。プラットホームの両側の線路は現在でも中央線が使っているそうです。ですから、線路はぴかぴかです。
 しかし、ホームは荒廃のきわみ・・・・・タモリが言いたかったことは、このホームを撤去するか、または、丁寧に草をとって、記念碑でも建てたらどうお?・・・・・ということだったでしょう。それをこういう風に短い言葉で、ピッと表現する。

 周りの人(スタッフさんやら他)が、理解できているか不安だと感じたタモリはちゃんとフォローをしていました。が、最初に私はわかって、・・・・・素敵な表現だなあ。線路を愛するとか、電車が好きだという少年時代のタモリ・・・・・もしかしたら、今でも、電車好き少年である・・・・・が、いい人なんだなあ・・・・・と感じました。

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 もうひとつ、立派な発言がありました。ただ、こちらの方は、瞬間的に出たものではなく、裏方〔制作側)との合意の上でのことば、むしろ、調査の上でのキーワードとも思われるので、感動は少ないのですが、

 『秋葉原は、後ろを振り返らない街だ』というのです。

 それですが、街の形態としての発展はそうですね。だって、青物市場があり、東北からの物資の集散地であリ、薪炭問屋が戦前までそこに並んでいたと言う町は、今では、世界中で他に類を見ない、一分野だけの商品の集積地になっているのですから。

 主にパソコンですが、チップという小さな、部品を使う白物〔冷蔵庫)など、すべての電化製品も扱っていますね。だけど、こういう白物は、どこの町でも買えるようになっていますので、それを秋葉原で買う人はいないでしょう。が、自作パソコンをはじめ、新しい形の電気を使ったものを、素人が作りたいなら、ここで、すべてが買える街であることは、今も変わらないでしょう。

 なお、これは、昨日の14時からほぼ、10時間ほど、誤変換が多数残ったままにしておりました。ごめんなさいね。

   では、2009年11月20日雨宮 舜(川崎 千恵子)
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パリ1936年の政治と音楽(映画、より)-1)

2009-11-20 01:02:34 | Weblog
 映画コーラスを制作したメンバーのほとんどが再結集して作られた映画、『幸せはシャンソニエ劇場から』を見てきました。結論を言えば『コーラス』を、90点だとしたら、65点ぐらいの満足度です。

 二つ理由があります。まず、邦題がよくありません。長いし、映画の主題をうまく告げていません。これは、失敗のひとつで、原題、『フォーブル36』のままか、『パリの場末1936』としたほうがわかりやすかったと思います。

 「こういうタイトルにしたら、来ない、ブランド志向の浮薄のひとには、見てもらわなくてもよい」という毅然とした姿勢が欲しかったですね。フランス映画を見に来るのです。ちゃんとした、傾向を持っているはずで、この1936年当時のパリ市民のおかれた政治状況を学びたいと思っている鑑賞者を集めたでしょう。

 邦題から見ると、軽い映画のように感じてしまいますが、どうして、どうして、重い映画です。内容がびっしりと詰まっている映画です。

 それでね。内容が重いからこそ、これが、・・・・・同じ監督の処女作『コーラス』に比べればわかりにくくなっている・・・・・・ということが感じられます。

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 それこそ、私が65点をつけた理由でした。もっとわかりやすいと、涙を誘われてカタルシスになりますが、滂沱と涙が出てくるわけでもありません。複雑すぎるので、涙を流している余裕が無いのです。

 しかし、丁寧に見ると面白いです。もし、DVDがレンタルされたら、借りてきて二度目、三度目としてみてみたいです。

 というのも第二次大戦、終戦前のフランスの状況が、架空の町を舞台にしながら相当リアルに描いてある模様で、『そうだったのか?』と思わせるところがいっぱいあります。

 当時はナチスに協力する勢力もいたのです。それらの勢力がどのようにして生まれ、どのように生きたのかを、描いてあります。

 例のごとく、まともな商売ではない・・・・・というのは普通の形で生産をしたり流通をしたり、販売をさせたりするわけではなくて、歓楽街で女性を利用する形です・・・・・ところで、大もうけをしたビジネスマンが、一種のマネーロンダリング(それは、金銭そのものではなくて、人間としての自分の格上げを狙ってですが)、多大の寄付金(政治活動用)を、出し、それによって出世をします。

 その政党の議員として、将来の出世を約束をされる裏側など、パリも日本も同じだとおもわせます。

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 そして、そんなに重い内容なのに、ミュージカル仕立てです。特に最終場面ではアメリカのミュージカル映画へのオマージュをかねた、まとめ風紹介になっているそうです。

 ただ、やはり、フランス映画だなあと思ったのは、『脇役が大変、重みを持つこと』そういう複雑さがあります。

 では、今日は、すでに劇場公開が終わった映画について触れて、申し訳ございませんでした。銀座のシネスイッチでみたのですが、その後で、この文章をなかなか、アップロードをできなくて・・・・・ごめんなさい。

数週後、追伸として下記を入れます。

 最近稀代の悪党であったジャック・メスリーヌの映画もみて(ただし、前半ノワール篇のみ)いますが、殺人の場面は、上記のフィクション・ミュージカルの方が怖いくらいです。一回しか殺人は、起こらないのですが、結構な因果関係があって、それが・超・怖いのです。

 メスリーヌ(フランスではメリーヌと発音する)の方はあまりにも簡単に、しかもたくさんのヒトが殺されるので、まるで劇画を見ているかのごとく進行しますが、こちらの「シャンソニエ劇場・・・・」の方では、プラハでセットを作っていかにも舞台らしい作り物の設定と成っているのに、より怖いのですよ。不思議なことですが、実際には怖いのです。

 そこが・フランス映画・固有のところだと感じます。
  
 1936年とはメスリーヌが生まれた年でもあります。
           2009年11月12日  雨宮舜(川崎 千恵子)
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