銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

猫が死んだ、次の日に思った事。

2016-07-08 23:03:06 | 

  これは、実際には、9日の夕方に書いています。猫は、7日に死んでいますから、二日後に書いたと言う事です。しかし、アップの日付だけを、8日の、深夜と、変更をさせてくださいませ。恐れ入りますが、そうさせてくださいませ。

今から書く文章は、下の後注1の続きです。私の生活にも、いろいろな分野があり、猫は、重要なエリアでした。7日に死んだのですが、その次の日、8日、(昨日金曜日)に、思ったことを、書き表させてくださいませ。 

猫が死んだ次の日に、考えた事-1
 8日の金曜日に、夜11時近くに帰ってきました。すると、鶴岡八幡宮の、旧鎌倉近代美術館前の、二つの駐車場(八幡宮様経営)の間の細い路地の、先端で、、車の往来をじっと眺めている猫がいました。黒白のぶちで、まだ、2歳ぐらいの猫でしょう。きっと、自由猫(いわゆる野良猫)で、たくましいのです。ただ、餌は、どこかでもらっているのでしょうが、太っているとは言えないレベルです。でも、やせてもいない。鎌倉街道は、夜の8時前後は静かなのです。しかし、10時半過ぎには、再び、逗子方面か、鎌倉市内に、帰宅する車で、交通量が激しくなります。で、それを興味津々の様子で、眺めているのです。もしかしたら、『渡りたい』と思っている? とも思いましたが、渡った先は、八幡宮様の境内なので、夜の11時には構ってくれる人も、餌をくれる人もいない筈なので、ただ、車の疾走を眺めているのでした。

猫が死んだ次の日に、考えた事-2
 私はね、自分の猫が、これほど、車を気にしない猫だったら、病院へ一回ぐらい連れて行ったと、思います。13年ぐらい前から、3年間ぐらい、車の音に慣れさせようと、トライはしたのです。無理に連れて行くのではなくて、機嫌を取りながら、山の石段(130段以上ある)「をゲーム感覚ですよ』と言いながら、一緒に下ったのですが、木の幹の間から、車のヘッドライトが疾走をするのを見たり、音が聞こえる様になると、もう、降りないのでした。主人が心筋梗塞で倒れ、自宅へ帰れないのではないかと、思い、引っ越しをするかもしれないと、思い、この4月から5月にかけて、何度も猫用の、キャリーバッグを、ホームセンターで、探したのです。だけど、前の猫を横須賀北久里浜から、電車で、横浜日吉へ、移動をさせ、2週間のトルコ旅行の間、預けた(ただし、1978年であり、前の猫そのものも若かった時代)、経験がある私には、今の猫の状況では、こういうバッグに入れ込むこと自体が、大きなストレスになると、判断をして、病院には連れて行かなかったのです。

小町通りに居た、太った雄のトラ(自由猫)の思い出ー1
 その細い道路は、30mぐらいは平坦で、後は、石段になるのですが、その鎌倉街道の反対側で、20年ぐらい前に、私は、有名な猫ちゃんに待ち伏せをされたのでした。この猫は、鎌倉小町通りを北に向かって、5分の4は過ぎたところの、ある人が、餌を上げていると、聞いています。で、とても太っていて、豪胆で、通行人のうちの、猫好きなら、どんな人にも体を撫でさせてあげるのでした。人気者だった筈です。15年以上前に、鎌倉小町通りを通った事の有る猫好きだったら、一度は遭遇なさっている筈です。私は、週に三回は、夜遅く東京から帰宅をする人間でした。で、行きは何度も見かけたのですが、それは、ともかくとして、帰りは、既にその猫は、小町通りには、いないのですよ。小町通りの最後の部分は、夜の6時には、真っ暗になる一帯ですから。(今は、ローソンができましたので、ちょっと、変わりましたが) 

小町通りに居た、太った雄のトラ(自由猫)の思い出ー2
 その猫が、真夜中に近い、11時ごろ、小町通の、普段彼がいる場所からは、100mぐらいは離れている、わが家の進入路の、真下で、じっと私を待っていて、足元にまとわりつき、小さな可愛い声で啼くのです。驚くほどにかわいい声で。図体のたくましさに比較をすると、なんとも驚くほどのかわいい声で、啼くのです。私はね。もしかすると、飼ってもらいたがっているのかしら?と思いました。昼間、一回か、二回は、小町通で、なでてあげたと思います。だけど、鎌倉って、年間2000万人の人が来訪するのだそうです。そして、一日に、何十人もの人が撫でたはずです。その中で、私を覚えている? しかも、私がひそかに彼に同情をしていたのを知っている? と、思ってしばし感動をしてしまいました。とても、堂々としていて、ありと、あらゆる意味で、幸せそうな猫でした。ただ、私は、彼が、どことなくほこりっぱいのは、感じていて、
『家の中にあげてもらっていたら、こんなにほこりっぽくはならないでしょうに』とは、思っていたのです。それが、通じたので、私を追っかけて来て、しかも、待ち伏せしている?と、思い、本当に驚き、猫の頭の良さを感じ入ったのでした。それは、人間よりも1000倍ほども鋭い感覚だと思いました。 

小町通りに居た、太った雄のトラ(自由猫)の思い出ー3
 私は、夜の11時ごろ、確かに迷いました。飼おうか、飼うまいかと思って。特に前の猫の、ちびちゃんが、死んで、今(この7日に死んだ)猫を飼う前だったので、家には、猫用の空席はあったのです。だけど、猫は、いったん飼ったら、非常に長い間付き合うものですから、やはり、子供の猫を飼いたいと、思いましたし、この猫を長年、餌をやって、育てて来た、小町通の、誰かさんにも悪いと思いましたし、
 何よりも、まったくそっくりな猫を、日吉に置いてきた思い出があって、その日吉の猫に比べれば、こちら、鎌倉小町通の猫は、私の助けを必要としていないのでした。それで、頭を撫でて、「ごめんなさいね。飼ってあげられない』と、言いました。そしたら、次の、帰宅時には、もう、現れませんでした。猫は、やはり、賢いです。人間の心とか、言葉はすべてわかっていると、思います。

日吉で、突然に抱き着いてきた、太った雄のトラ猫の思い出ー1
 これから先は、日吉で出会った、こちら鎌倉の猫とそっくりな猫の話へ入ります。鎌倉の猫が太っ腹で、大変な猫だったのですが、ただ一つ、どうしても、毛皮が薄汚れている事だけは、かわいそうだなあと、思っていました。それと、冬はどうするのかなあと、思っていました。しかし、まとわりついてきたのに、引き取ってあげなかった陰には、もっとかわいそうな形での、日吉の猫の思い出があったからです。
 日吉と言うのは、昔から、駅から、周辺徒歩、五分以内は、非常ににぎやかでした。ところが、駅から、10分以上歩くと、とても静かな街となります。20年前は、地下鉄も通っていなかったので、更に静かでした。その路地を、私が歩いていると、突然に、太った雄猫が、私の胸へとび乗って来て、両腕で、肩にしがみついたのです。驚きました。両側にマンションがありますが、人通りは全くない場所で、あたりには、人っ子一人いないのです。毛は、どこも汚れておらず、したがって、『ああ、飼い主は、どこか遠くへ引っ越して行ったのだわ。この猫は、置いて行かれたのだ。でも、捨てられて、まだ、日が浅いのですね。人間を信じている』と、思いました。しかし、そこを通る人誰にでも、抱き着くわけはなく、私は、彼に選ばれたのだと、感じました。

  日吉で、突然に抱き着いてきた、太った雄のトラ猫の思い出ー2
 今日の文章は、猫が車の騒音にどう反応するかと言う、テーマで、すべてが結びついています。で、日吉の或る路地から、5キロ以上は有ると、思われる重い猫を抱えて、中央通り(または、本町通り)と言う、駅西側の幹線道路に入ったのです。と言っても、戦前作られた道なので、狭いのですよ。で、車が傍を通ると、普通の飼い猫だったら、飛んで逃げるはずなのです。しかし、しっかりと、しがみついたままなのでした。私は自分が選ばれたことを知り、鎌倉へ連れて帰ろうと、思いました。で、日吉の、中央通りにある、井口文華堂で、大型の紙袋を買い、猫をその中に入れました。不安がる様子で、啼きました。だけど、「仕方がないのよ。これから、電車に乗るから」と、言い聞かせました。本当は黙って、改札口を通ってしまった方がよかったのです。しかし、私は、これから、JRの横浜駅も鎌倉駅も、通るわけだから、ここで、きちんと、猫用の、切符を買って、通りたいと、思いました。しかし、ALAS! なんと哀しい事に、駅員は、「キャリーバッグに入れていないから、この猫は乗せられない」というのです。 

 日吉で、突然に抱き着いてきた、太った雄のトラ猫の思い出ー3
 私は駅員の様子をじっと眺めました。19歳から、21歳ぐらいで、恋愛一つしたことが無い青年だと見えました。だから、未熟で、「本人の責任で、絶対に放しませんので、大丈夫です」と言っても、私を、信じないのでした。でも、プライドだけは満々で、ルールを盾にとって、一歩も引かないのです。それは、1990年代の初めであって、まだ、ブログ等は、やっていなかったし、海外一人暮らしも経験していなかったので、私は、交渉術と言うのに慣れていませんでした。今の私だったら、もし喧嘩をしたら、勝てるのだと、言う自信を持っております。それは、3か月掛ける三度の海外暮らしで、日本人の若い女性が、金銭的な部分での、嫉妬だと、思うのですが、仕事の妨害をして来たので、彼女を相手に、やむを得ず、喧嘩をしたら、簡単に勝ってしまった経験があり、それが、大きいのでした。1999年と、2000年、それぞれ、別の女性が相手でしたが、二度も似たようなことが有ったので、私は、『今まで、喧嘩など、したことは無かったけれど、実際にしてみると、実は、喧嘩には強いのだ』と、57歳にして初めて知った次第です。しかし、日吉駅で、若い駅員に、「だめです」とはねつけられたのは、そう言うニューヨークでの、経験よりは、ずっと前の事で、私は、友達から、「おねんねですね」と、言われる段階であって、言葉で、交渉するすべを知らず、ただ、すごすごと、引き下がらざるを得ませんでした。 
 
 日吉で、突然に抱き着いてきた、太った雄のトラ猫の思い出ー4
 この苦難を解決する唯一の道は、タクシーで、鎌倉まで、帰ってくればよかったのです。2万円ぐらいは、かかるでしょうが、これほどに、なついてきて、私を選んでくれた猫なので、お金には、代えられないのでした。ところが、当時は、サラリーマンの専業主婦と言う項目の中で、暮らしていたので、野良猫一匹の為に、2万円使うという発想がわかず、私は、獣医さんを訪ねることを、思い到りました。で、二時間だけ預かってもらって、その間に、渋谷に出かけて、東急デパートの屋上で、猫用キャリーバッグを買うつもりだったのです。ところが、獣医さん(もしかすると、奥さん)は、
「もう、五時なので、閉めるので、駄目です」と言うのです。あの頃はバブル景気だったのでしょうか。『ちょっとぐらい、評判が悪くなっても、次の患者さんは、来るわ』と、思っていたのでしょうか? 傲慢にも、そして不親切にも、二時間程度、預かってくださいと、言うのを拒否したのです。日吉には、実家があります。が、母は、既に、老人ホームに入っていて、私は鍵を持っていませんでした。小学校は、日吉で、学んでいるので、友達は、います。でも、自分の飼い猫でもないのを、預けるという発想がわかず、私は途方にくれました。目の前に、昔は、友達のお母さんが、やっていた、小さなスーパーがあり、私は、そこに友達がもう、結婚をしていないことを知っていたし、お母さんは、無論のこと、もう、レジなどには、いないのも知っていたので、ただ、ただ、ちくわを、一袋買って、獣医さんの、隣の、駐車場で、それの封を切り与えました。むさぼる様に食べました。だけど、人間の言葉を理解し無い猫に、二時間後に、ここに来るから絶対に待っていて、といっても、理解をしないのでした。私は渋谷に行き、東急デパートの屋上で、キャリーバッグを買おうとしましたが、売っていませんでした。
 
 日吉で、突然に抱き着いてきた、太った雄のトラ猫の思い出ー5
東急デパートに到達してみると、デパートの屋上は植物だけを扱うお店へと、変化していました。その上、洋服などを売る下の階よりも早じまいだとの事で、スタッフは、どこにもいませんでした。1990年代の初めは、六本木とか青山に、すでに、ペットショップがある段階で、籐で編んだキャリーバッグは、そう言う処で、売っているモノだったのでしょう。私は電話帳を探して、それらのお店に行ってみる気にはなりませんでした。画廊の関係で、青山は、結構身近であり、したがって、お店の終業が早い事は知っていたのです。日吉へ帰り、例のちくわを与えた場所に、行ってみました。無論の事、すでに、姿は、消えていました。私は、その時点で、すでに、年令が、50を超えていたので、涙を流して泣くことはありませんでしたが、哀しくて、切なくてたまりませんでした。
 
猫が死んだ次の日に、考えた事-3

 ここからは、また、2016年の、今に戻ります。自分の猫が死んだ次の日に、黒白の若い猫が、車の往来を興味津々で眺めているのに出会って、この子は雌猫だろうなあと、思いました。で、若いから、どこにも、かわいそう気なところは、無くて、ただ、単純に別れたのです。そして、彼女から、喚起された、かわいそうな二匹の太ったトラの雄猫の思い出に浸りながら、玄関まで、(門内からの石段も入れて、150段の、石段を、ようようの思いで、上がってきました。そして、玄関の上がり框に腰かけました。主人は、早寝早起きの方ですから、すでに、寝ています。で、家の中が、しーんとしています。。その時に、幻聴として、猫が、階段を下りて来るみたいな音がした様に、感じました。無論の事、それは、自分が持っている紙袋が倒れた音であって、猫が、降りてくるはずもないのです
『昔はねえ・・・・』と、思い出に浸りました。静かなこの環境で、私が、下から石段を上って来ると、たまたま、起きている場合は、そして、おしっこをしに外へ出ていた場合は、猫が、10mぐらいの先から、私へ呼びかけてきたものです。で、こちらも猫語で、返事をしながら、最後の、石段を上がるのが、常でした。足音で判るらしいのです。そんな思い出に浸っていると、なぜか、電気をつける気もせず、常夜灯の明かりの中で、上がり框に座ったまま、靴も脱がず、しばらくの間、猫の居ない我が家の、その特有の静けさに浸っていたのでした。

 
2016-07-07 19:22:47 | 

 

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主人が「いい猫だった」と、言っていますが、

2016-07-07 19:22:47 | 

下の写真は、元気なころの我が家の猫です。真夜中に、私と2人だけで行う秘密の儀式と言うか、ゲームと言うか、の、ライオンごっこと言うのを、「今から一緒に、やろうっ!」と言う意味で、誘ってきている姿でしょう。

 フェイスブック(第二次を始めています)紙上で、思わず、「猫が心配で」と書いたのは、6月26日でした。ちょうど10日前です。ブログの方は、もっと格式ばっているので、心の内を吐露するのは、遅れていて、2日前の夜です。それが、下でした。

猫が失禁をしていたので、ダッカ事件について、書く時間がありません。

2016-07-05 22:03:26 | 政治

その後、たった、二日以内で、死にました。

 前の猫の死に関しては、いろいろ、書いていますが、今度は、書く気もなくて、ただ、フェイスブックの方で、書いたお知らせをコピペして、ここに、おきます。

***********

我が家の猫が、本日の午後、3時ごろに、死んでしまいました。『なんと、親孝行な猫だったでしょうか?』 『変だなあ。死期が近いのでは?』、と、思い始めてから、2週間は、経っていなかったと、思います。火曜日の夜、おもらしをして、それから、たった、60時間強で、あの世に行ってしまいました。オシモの世話(と言っても、人間用おむつを買ってきて、それを、寝所に敷き詰めて、それに吸い取らせて、そして、取り替えてあげるだけでしたけれど)を、二日間だけ私にやらせただけで、あの世に行ってしまいました。主人も、『いい猫だった』と、言っています。人間の場合では、誰もが、望むという、死に方に近かったと、思います。ぴんぴんころりと言う【介護が、必要ではない、あっという間の死】と言うのに近かったと、思います。でも、もう、歩けなかったのに、最後は、3mぐらい歩いて、テーブルの下に行って死んでいました。それだけでも、身を隠せると、思ったのでしょう。それが、猫らしいところでした。昔の猫は、死に顔を、人間には、見せなかったものです。それが、猫の誇りというモノです。猫はぎりぎりの段階になると、「私は、人間より上よ。もう、あなた方なんかに、構っては、いられないわ」と言う態度をとるのです。だから、そばから離れてあげた方がいいのです。それでも、猫好きには、それが、当然のこととして、受け止められます。

 追伸、鼻くそが、ついていました。猫はきれい好きなので、それに気が付いた時も、ドッキリとしたものです。ああ、危ないのではないかと、思って。最初にそれをとりさるときは、激しく抵抗をしました。ところが、7,8回目になる、本日等、とてもおとなしく、それを、取るのを許したのです。息がしやすくなるのだと、学習したのだと、思います。そして、その前にあごの中の、口までもっていった、水を、ぴちゃぴちゃと、
 70回ぐらい音をたててのみ、11cm直径の器の中の水が、高さ1cmぐらい減って、『ああ、これで、大丈夫かな。相当に、元気だ』と、思ったのですよ。でも、それが、まつごの水となりました。
 
  尚、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3594604です。  雨宮舜 (本名 川崎 千恵子) 
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猫が、「雨が降って来て、布団が濡れるよ」と、私に知らせに来た。まだ音にもならない段階だったのに

2016-05-30 22:35:13 | 

 すみませんが、いつもの様な文章を書く体力が、本日はありません。銀座の画廊巡りをして来たからです。で、わが家の猫について、小さなお話をしたいと、思います。
 親バカの一種でしょうが、今、飼っている猫の賢さには、いつも驚かされております。先ほど、大きな声で、階段の上の踊り場で、呼ぶので、『なんだろうなあ』と一瞬は考え込みました。餌(特に生キャットフード)が欲しい時には、そこがそうだと決まっている食卓の脚傍で、啼きますし、水を取り替えて欲しい時は、黙って、水のみ容器の前に座っています。サインが、それぞれ、違うので、意味が分かりやすいのです。が、踊り場で、啼いているのは、たいていは、北側の窓を開けて欲しいというサインであって、そこは、すでに、私が朝のうちに開けているので、不思議な感じでした。すでに、開いているのに、「開けてくれ」と言うサインを出すのは、初めての事で、最初は、意味が解りませんでした。

 でも、『何かはあるのだろう』と思って、その開いている窓へ近寄って行きました。すると、そこに、布団が置いてあって、それが、「雨に濡れるよ」と、注意してくれているのが解りました。げやねと言う、一階の屋根が、出っ張っているところがあり、そこが、猫のお昼寝場所になっています。朝日が当たるのです。その上、家の南側の方には、大木があって日当たりの良い場所が無いので、そこが、猫にとっては、大好きな場所となっています。鎌倉の谷戸に住んでいますが、その谷戸の丸さを、全部見下ろせる場所です。高いところが好きな猫にとっては、その高さも、魅力なのでしょう。で、朝、私が猫用布団をそこに置いたのです。「それが、雨に濡れてしまうよ」と、注意しに来てくれたのでした。その賢さには、驚きました。まだ、雨は強いふり方ではなくて、音もしませんでしたので、猫が、教えてくれなかったら、「猫用布団だから、小さいのです」と、言っても、濡れたでしょう。で、後始末に時間がかかります。

 このことを、ここで、報告をするのは、本当の、親バカだと、思いますよ。でも、自分の本当の子供もいるのですが、(人間の方です。すでに、40代です)猫の純粋さには、いつも、驚かされ、現在73歳の、この、身を、心から慰めてくれます。

 別に、人間の子供の心が不純だというわけではありません。でも、人間の子供の場合は、受験とか、就活とか、結婚とかあるでしょう。そういう関門を超える際に、親の方が、まったく無欲で、かつ、無関心でいられるわけもないです。それが、なかなか、複雑で、結構、悩みますよね。どこの家庭でも、親子関係が、純粋なものだけで、推移する物でもないと、思います。

 しかし、猫を相手ですと、私が欲を出すはずもありません。これが、高い値段で買ったブランド猫だったりして、コンクールに応募するなどと言う事になると、ちょっと、違うのでしょうが、私は、そして、主人も、猫本位な生活なので、猫を題材にして、何らかの、自らの、欲望を、満たすと言う事は、ないのです。ただ、小さいものとか、いとしいものと思って接するだけです。

 尚、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3547711です。

  2016年5月30日、これを書く。雨宮舜 (本名 川崎 千恵子) 

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「もし、今の猫が死んだら」と、主人と話していたのだけれど

2016-04-10 10:16:27 | 
 これは、三日前の夜に書いたものです。猫にことよせて、人間の事を語っているのですが・・・・ 
 
『もし、今の猫が死んだら』と、主人と話していたのだけれど。-1
 ペットロスで、哀しい思いをしている知人や友人がいます。私達は、結婚後48年経ちますが、この家庭で2匹の猫を飼ってきました。最初の猫は、19歳生きました。死んだときは、子供たちが大泣きをしました。私は、自分が子供のころは大泣きをしたのに、それほど、泣くことは有りませんでした。それだけ、年を取ったのだと、おもっております。ところで、その猫が、元気だったころには、主人は、いわゆるサラリーマンとして忙しくしており、ほとんど関心がありませんでした。子供の頃にも猫を飼ったことがないそうでした。だから、私と子供たちが、大好きだった猫です。
 
 ところが、その次の猫である、今の猫は、主人が考えてもらってきた猫です。タウン誌に出て居た「猫上げます」と言う情報を頼りに、電車に乗って、わざわざ茅ヶ崎まで行ってもらってきました。鎌倉から、茅ケ崎って、同じ神奈川県内ですが、こ一時間はかかる遠い場所です。当時、私が海外へ、よく行って居て、家に居なかったので、主人自身が、さびしかったのかなあ?
で、案内を出した方は、獣医さんでした。そこのロビーの大型ケージで、兄弟だけで、飼われていた子猫です。それで、特長として人間が大好きです。つまり、訪問をしてくる人間たちにかまってもらうことを、大好きな遊びごととして覚えているからです。
 
 主人は兄弟の中で、三番目で、どうしてか、母に一番かわいがってもらったみたいで、したがって、自信があって、やんちゃな性格です。その主人が、毎日、いとおしがって、話しかけて、育てたので、もともと、人間好きだったのが、さらに、人間好きになって、ご近所の猫好きの人が『たまらないほど、この猫は好きだわ』と、言ってくださるほどの、感情が豊かで、人間と交流できる猫となりました。私が鎌倉の家に落ち着いて、猫と、接するようになると、私は、本来が猫好きですから、猫と2人で、真夜中のライオンごっこと言うのを開始して、猫の好意を、盛んに得るものですから、主人が良く、「つばえるんじゃあない」と、怒っておりました。つばえるとは、広島の方言で、特別に仲良くすることを指します。
 
 主人は、これから先は亭主の好きな赤烏帽子で、皆様には、笑われると思うのですが、もともとは、エンジニアで、観察が好きだし、結構頭がいいので、猫に関しても、独特の観察を続け、知識を増やして、主人は主人なりに、ネコの好意を得ておりました。主人に対する声と、私に対する声音が、違うのです。(苦笑)甘え方も違うのです。ところで、主人は男なので、家に居ない時間帯があります。しかし、家にいる時間帯は、猫と正面切って向き合ってあげます。しかし、私の方ですが、猫と大の仲良しで、家にずっといるくせに、いろいろな仕事(お金にならないが、集中が必要である)をやって居る者ですから、猫としては、その点が不満で仕方がありません。で、彼女なりに工夫を重ねて、私が外へ出て、園芸の仕事をしている際は、私を独占できると、気が付いて、私が外へ出ると、必ず、話しかけてくるのでした。
 
 その声は、たいへんかわいいものでした。で、短いやり取りで、にゃあ、ニャア、にゃあ、ニャアと、お互いだけは、意味が分かっているやり取りを続けていたのです。その延長らしいのですが、真夜中に、おしっこか、ウンチを外で、やって帰ってくると、大きな声で、「出たー」と、報告をするのでした。長らくそれを、やってきていました。よく、人間でもカタルシスと言うでしょう。それです。気持ちが良くてたまらないというやつです。
 ところが、それがですね。最近、大変大きなボリュームになったのです。早寝型の主人が『起こされてしまった』というほどの大声なのです。それで、主人が、猫に向かって、「お前少しコントロールしなさい。まるで、鍋島の化け猫ですよ」と話しかけているぐらいです。しかし、直りません。
 で、夫婦二人で、「これが、老化現象だろうね。この猫の」と、話し合っておりました。 

 猫の老化現象と言うのは、いろいろあります。昔、結婚する前の期間は、私にとっては、人生の三分の一にしか過ぎないのに、猫が、早死にだった時代なので、三匹程度、付き合ってきました。が、老化現象に等、出会っておりません。
 しかし、結婚をしてからの地の二匹のうち、前の猫が、19歳まで生きたので、その老化現象には付き合いました。彼女の場合は、筋肉が硬くなって、階段の上がり降りに、音がする様になって、老化現象に気が付き、その後、オシモも、垂れ流し状態になりました。まだ、猫用おむつなど、売っていない時代だったので、本当に大変な二年間ですが、付き合いました。で、最後の一週間は、香箱の姿勢のまま、ずっと、眠っているのですが、一日に一回程度、数十秒間だけ、目を開けて、家族に向かって、『大丈夫よ』と言うサインを送るのでした。
 この猫によって、老後とか、死というモノを学ばさせてもらいました。本当に多くのものを学ばさせてもらいました。
 
 先ほども申しあげたとおり、前の猫には、ほとんど関心がなかった主人も、今の猫は大好きだから、「もし、この猫が死んだらどうしようね」と、言う話題が、出ることが有ります。「もちろん、もう、飼わないよね」と、言い合っています。暗黙の了解を超えて、はっきりと言葉に出しています。
 しかし、そう言う事を話し合いながらも、人間の方が先に死ぬとか、先にダメになるとか、言う事は、一切考えておりませんでした。私達夫婦は、特別な健康法は、何もやっていないのですが、大体平静で、平坦な、日常を送っており、それが、ずっと、進行をするのだと、思い込んでおりました。
 しかし、最近の、主人はいささか体調が悪いと、言い始めておりました。特に小さい孫たちに登山などの野外活動が好きで、欲お誘いがかかるのですが、行く前に、ややおっくうそうにしておりました。
 
 しかし、主人は、それを、胃腸系の病気だと、自己診断をしていたので、(実は、化学屋ですが、57歳の時に、鍼灸医の資格を取っています)『養生をしていれば治る』と、思っていました。しかし、思いがけない事に、循環器系だったのです。心臓が悪かったのでした。病名としては心筋梗塞で、カテーテル手術前に「最悪の事態も、考えて置いてください」と、妻である私は、お医者様から、言われました。
 幸いにして、詰まっていた箇所が動脈だったそうで、意識を失うことなく、回復しましたが、後の養生は必要でしょう。驚くべきことでした。保護すべき対象である、ネコではなくて、私達、人間の方に、老後が、ひたひたと、押し寄せているのでした。観念の上だけでは、判っていたのですよ。でも、現実には、そんなことは先の先だろうと、思っていたのです。→9へ。
 
 昨日は、本当にびっくりしました。朝の9時前後など、『3時間前と、今では、なんと、違ってしまったのだろう』と、思いました。でも、暗澹たる気分に陥ったり、パニックになることは有りませんでした。実の親の死と出会っておりますが、一番、大きな経験は、前の猫の19歳の時の、尊厳に満ちた死への道筋を、彼女に、見せてもらったことです。
 私の事をある方が、評して『転んでもただでは起きない人だ』と、言ってくださったのですが(それは、顔に大けがをした2005年だったのですが)、今回の経験も、『ああ、神様が、老後へ向かう筋道を見せてくださったのだ。「うかうかとして居たらだめですよ」と、教えてくださったのだ』と、受け取っています。遺言書も書いておかないといけないし、ともかく、物を捨てておかないといけませんね。気力と体力のあるうちに、それをやっておかないと成りません。ずっと、先だと、思っていたことが、循環器系だと、急に来るのでした。幸いに主人が、無事で、生きているからこそ、この様に前向きに考えることができます。『常に、死への備えをしておかないといけないのだと、判りましたわ』と。

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、345XXXXです。
   雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)
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自宅で超高齢猫を、看取った経験が予行演習となって、母の死を落ち着いて迎えられた私

2015-08-05 03:26:46 | 

  以下は、本日の文章の主役を張ってくれている、ちびちゃんと言う猫の最晩年の姿です。

 

前報では、割と、濃い状況のお話をしております。足立区の次女による、姉殺しを、分析しています。が、それを、心理的に分析しています。一種の不倫が、裏にあったのではないかとさえ言っております。

 ああいうものを書いた裏側に、実は、猫に関して、フェイスブックで、書いた原文がありました。そちらは、単純でまっとうです。と言うのもフェイスブックでは、重いものを書くべきではないのだと、経験上判ってきていますし、最近、再開した二期目のフェイスブックで、知り合っている、FB友達にもそれは提案をしていただいていますので。

 で、非常に、まっとうな文章を書いているのですが、まず、でも、2,3こちらでは、説明を加えないといけない部分があります。

 まず、「あんがと」と言う言葉ですが、私がフェイスブックの世界で、相手に対する返事の一つの形として、使っているという事情があります。それをお断りをしたうえで、以下の文章に入らせてくださいませ。

『あんがと』-1
 あんがと、を、私はスタンプをいただいた、お礼によく使います。これね。赤ちゃん言葉で、ありがとうの略です。スタンプをいただいた時のお礼に、それを使います。スタンプ類のお勉強をしている暇がないので、それを、代わりのご返事にしています。で、どうして、72歳の私がそういう言葉を使うかと言うと、それが、猫語の、一種だからです。
 私の猫は、おしゃべりが大好きです。本当によく、彼女の方から話しかけてくれます。で、私も抑揚をつけて、答えます。ミャオ、ミャオが、主ですが、時には、人間語で、話します。それがどうしても赤ちゃん言葉になります。

 下の写真は、私が、今、その赤ちゃん言葉で話しかけている猫で、二代めのさびちゃんと言う猫の方です。

 
 


 あんがとー2
 初孫が生まれた時に、娘がゆりかごを持ってきました。私の猫が興味津々で、入りたがっていました。若夫婦は、ういご、だから、潔癖です。だから猫をゆりかごに、入らせないように、気を付けていました。が、あっという間に、彼女は入ってしまって、寝ていました。すると、サイズが、赤ちゃんとぴったり同じなのです。驚きました。それ以来、彼女に対しては、赤ちゃん言葉で、話しかける様になったのです。

あんがとー3
 私ね。単猫主義なのです。これは、昔、図書館で借りた厚手の上製本で、(たぶん文芸春秋社刊だったと思う。もしかすると早川書房か?)表紙の本で、エッセイ集ですが、その中に出てきた言葉です。著者は、タンギーと言って、イギリス人で、元諜報部員なのだそうです。1930~50年ごろまで活躍したエッセイストらしくて、今は、wikipedia等にも何も出てきませんが、静かで賢い紳士です。子供はいない、夫婦で、共働きらしいので、猫が窓のところで帰りを待ってくれているのだそうです。タンギーは、「自分は、単猫主義だ」と言っています。そのエッセイが非常に素敵だったし、私も猫と、個人的に意思を交換するのが好きなので、単猫主義です。
 ところで、早川書房には、誰か、猫好きの人がいたらしくて、猫に関するエッセイ集をいろいろ出していました。今もそうかな?

あんがとー4
 タンギーを読んで以来、3匹ぐらい付き合っています。その前に、実家にいたころ、は、猫を二代(二匹)犬は迷い込んできたものを、一匹飼っていました。だが、結婚後は、二代だけです。今は、長生きなので、一匹目が、19年生きました。この猫は家の中で、死を迎えました。最後の一年は、うんちや、おしっこは垂れ流しですよ。でも、面倒を見ると決めたのですから、見ましたよ。
 だんだん、弱って来て、階段の上り下りも猫らしくなく、どたん、どたんと、音が出るようになったりして、弱っていく様子を、見つめながら、死までの道程を付き合いました。死の一週間前、まったく筋肉が動かなくなって、いわゆる香箱と言う姿勢のまま、固まって、水も飲まないという形になりました。いつも目を閉じています。でもね。驚くことに・・・・・

 あんがとー5
 驚くことに、一日に、数分だけ、目を開けて家族を見つめ、『大丈夫、心配しないでね』と言う風な、顔をするのです。『猫って賢いなあ。そして、気高いなあ』と、思いました。人間が、心配しきっているのを知っていて、「心配しないでね」と言ってくれているのです。いや、最後はどういう風になるのだろうと心配して、特にそれが、冬だったので、暖かい居間に置いていたのです。
 でもね、その・・・・・一日に一回目を開けて、私達にメッセージを送ってくる・・・・・その様子を見ているうちに、この子は、これほど、私達、人間の家族に、気を遣う限り、ずっとこのまま、死ねないのではないかしらと思って、子供たちに、『別の部屋に置きましょう』と提案しました。そして、誰もいない一階の、12畳のへや(客間)にうつし、ガス温風暖房器をつけっぱなしにしたところ、朝の、4時ごろ、事切れたみたいです。

あんがとー6
 私、冬ですが、朝の五時ごろ目が覚めました。すぐ見に行きました。すると、目を開けて事切れていました。今まで、あれほど、硬く、きちんと守り抜いていた香箱の姿勢が崩れて、横向きに寝て、前足も後足も伸びて楽な姿勢になっていました。そして、あれほど、心配していた、何も食べず、何も飲まなかった一週間の最後ですが、驚くべき現象を目にしました。
 それは、お尻に玉の様な水滴が、3粒ぐらいついていたのです。おしっことも思われず、ほとんど、なめてみても味がしないのではないかしら。蒸留水みたいと、思うほどの、きれいな水玉でした。密集している毛の中で、銀の珠みたいに、輝いていました。
 その時に、死とは、決して汚くないのだ。こんなに、きれいなのだと、思いました。私達は、映画【おくりびと】とか、いろいろなテレビ番組や、ニュースや、文学作品で、死体と言うものが腐っていくということを知っています。それで、死を恐れています。しかし、前の猫ちびちゃんが教えてくれました。死とは、決して汚くはないのです。 

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あんがとー7
 子供たちが、6時になって起きてきたので、最後の様子が、こうだったと伝えました。と言うのも、先ほどまで、暖かくて、柔らかかったからだが、急に固くなり、冷たくなってきたからです。子供たちが、朝食をとっている間に、私は埋葬の準備をしました。真っ白な新しいガーゼで、硬直した体を、丁寧に全部、巻きました。泥の中に入れても、体がどこも、汚れることがない様にする為です。
 子供たちは、今は、二人とも結婚をして家を出て居ますが、ちびちゃんが死んだ当時は、まだ、この家に住んでいて、会社員をしていました。で、6時半ごろには、出勤の支度をして、外へ出てきました。
 このちびちゃんに対しては、主人は、忙しかったせいか、あまり、関心がなく,葬送は、私と子供二人で行いました。子供は二人とも、『今日、無事に電車に乗って、会社に行かれるのかしら❓』と、思うほど、泣きました。さめざめと泣きました。

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あんがとー8
 私の方ですが、不思議なことに、涙一つ出ませんでした。独身の頃、猫が死ぬとか、行方不明になると、さめざめと泣いたのに、その日は、一滴も涙が出ませんでした。ただ、ただ、ちびちゃんに対する感謝と尊敬の念で、心が満たされており、『よかった。よかった。ちびちゃんは、やっと死ぬことができて』と、思うのでした。
 猫とは、体重が3キロぐらいしかありません。で、人間とは、相当に違います。でも、充分に手当てをしたという、気持がありました。掛けぶとんや、毛布に、垂れ流されたものも、怒ったりしたが、一方で怒っても、仕方がないと思い、ひたすら、自分で洗いましたし。
 このちびちゃんの死は、幸福な死だったと思います。私にそれが、可能かどうかを考えると、無理かなあと思います。だが、母は、ちびちゃんと、似た様な、幸福な死を迎えました。母はお金持ちでした。だから、老人ホームに入ることができました。そして、周りの人にいろいろ奉仕をしていたので、お見舞いが多かったのです。お見舞いが多いということは、老人ホームのスタッフさんにも大切にされるし、一方で母は、老人ホームでも他の人の、洗濯物をスタッフさん樋所に畳んだり、自分でできることは一生懸命やる働き者だったので、スタッフさんたちにも愛されていましたし。

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あんがとー9
 母は、10月に亡くなったのですが、8月からものを食べず、水も飲まなくなりました。それは、子供たちや、老人ホームの人には、ある決断を迫られるということと成ります。胃瘻を始めるか、どうかと言う。私は、猫の死の経過を見て、・・・・・食べなくなるということは、死の前に、生き物が行う自然なことだ・・・・・と、分かっていたので、動揺はなく、胃瘻をしないという決断に賛成しました。母は、最期まで、きちんとした意識はありました。少しおかしいことを言う日はありましたが、認知症と言う風でもなかったです。が、自分の方から、「胃瘻をしてほしい」とか「点滴をしてほしい」ということはありませんでした。 90過ぎていても、都立大山病院で、白内障の手術をしたほど、生きることに意欲のあった人ですが、その最後の年の秋には、生命の、維持に対しては、強欲ではありませんでした。92歳でしたから、自然な事でした。私は猫に教えられていたので、それが、自然なことだと、分かっていました。『予習をさせてくれてありがとう』と、ちびちゃんに感謝しました。
 もっと思いはありますが、ここで、終わりといたしましょう。
 今の猫のさびちゃんが最期を迎える時に、自分が健康で、いろいろな労働ができる様に、と、願っております。どっちが先か、分からないけれど。ただ、子供たちが居ない代わりに、主人が、今の猫の方に対しては、深い関心と愛情をよせていますので、二人で、面倒を見ることと成ると思います。

 しかし、今度は、私達人間の方が、72歳ですから、猫の面倒を見ると同時に、人間の連れ合いの方も同時期として、面倒を見ないといけないかな? 人間も同時かな? あ、は、は、苦笑と哀愁をもって、そのことは、考えておりますよ。

 2015年8月4日に書き、5日付で、実際には、6日にアップする。

なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、3019063です。 雨宮舜(本名、川崎 千恵子)

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まっすぐ、こちらを、見つめて来る猫・・・・私と二人で、ライオンごっこ(遊び)を開始する直前です。

2015-02-12 22:03:28 | 

 

 我が家の猫は、小さい時に写真を撮ることをしていませんので、写真を撮られることが嫌いです。

ところが、ある日だけは、十分に、こちらに撮影をさせてくれました。両手を折っているのは、攻撃しませんよと言う意思を示しているのです。で、「引っかかないと約束するから、遊んで」と言っています。無言の声で、ただ、まなざしだけで、そう語っています。彼女は、私とライオンごっこというのをするのが大好きなのです。それは私が大きなライオン、猫が、小さなライオンになって、お互いに、思いがけない方向から、彼女をひっくり返したりするという、戦いですが、それが、彼女が大好きな遊びです。だから、目がランランとしています。

 でも、毎日この目を見つめて、遊んでいるのに、その目を写真にとることは、長い間、不可能でした。

 だから、これは、珍しい写真です。でも、その日、私は、50枚程度、同じスタイルの写真を撮っています。

   この猫は、わが家には、2002年にやってきました。で、人間に換算すると、43歳ぐらいかな? それが、人間として、実年齢が、72才の私と真夜中に、野獣に帰って、ライオンごっこをするのです。あ、は、は。だけど、純粋な時間ですよ。とっても、純粋な時間です。そして、そういう時間を一緒に過ごすからこそ、このレディは、私を本当に愛してくれているのです。猫って、丁寧に飼っていると、愛情がとても深いことが解ります。蛇足ですが、小さい頃は、爪を隠すのが下手だったので、私の膝はいつも真っ赤でした。この写真では、左側にグレーの山みたいなものが見えますが、それが私の膝です。

ところで、本日は、ブログとして、長いものを書いている体力がないので、恐れ入りますが、この写真一枚で、お許しをいただきたく。

2015年2月13日  雨宮舜(本名、川崎 千恵子)

なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は2746534です。

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猫も、お客仕事には疲れるらしい・・・・・正月の宴の中で、両親や、鎌倉の孤独な老婦人を想い出す私

2015-01-11 22:57:19 | 

 今は、書き始めてから、二日目、12日の、午後3時ですが、初稿に三千字ほど、書きたしました。そして、総タイトルも変えました。どうか、よろしく。

副題1、『珍しく、正面を向いている、猫の写真が撮れました』

 下の写真は、2015年1月12日に撮ったものです。

 

 皆様はお正月をどういう風にお過ごしになりましたか。私は、ほとんど、普段通りにすごしました。ところが、本日、11日だけは、お客が来ました。大人が、5人で、子供が4人です。私たち夫婦二人を付け加えると、全部で11人の宴会です。

 それが、終わって、主人は疲れたと言っていますが、私は最近は、お客仕事にはほとんど疲れません。というのも料理を半分、主人がやってくれます。主人は、子供向けにハンバーグとフライドポテトを作ってくれました。フライドポテトは、冷凍のものを上げただけですが、冷凍食品として、ふた袋分(上げた後では、大皿二つ分)があっという間になくなって、ハンバーグも小型のものが、あっという間に、10個ほど無くなりました。おいしかったらしいです。・

 私はお煮しめとサラダと、オードブルを作っただけです。後は、お寿司とスイーツを、子供たちが買って持ってきてくれました。でも、ずいぶんきれいにできたので、写真にとって、ここに載せようかと思いましたが、撮影はやめておきました。普段のブログのテーストと、あまりにもかけ離れてきますから。下は夜の9時の、誰もいなくなった、テーブルです。

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副題2、『宴会を終えて、母のことを思い出す』

 ふと、お正月の母のことを思い出しました。思い出すと、申し訳ない気持ちで、いっぱいとなります。母は、85歳まで、上にあげた我が家で提供する料理の他に、おなます、お刺身、カニ、小型のビーフ・ステーキを提供してくれていました。、料理を、分担して、私と妹が、自宅から、ある程度は、持っていくべきだったと、思います。だけど、『母は、お金持ちだ』と信じていたので、子供たちは、何も料理は、持って行っていなかったですね。菓子折り程度のお土産で済ませて。

 それが、今、思うと、労働時間という意味で、本当に申し訳なかったと思います。金銭的な面では、『大丈夫』と甘えてもよかったのですが、労働時間という意味では、母に気の毒でした。それが、若い時には、分かりませんでした。本当に、申し訳なかったと思います。若い人というのは、普通のことは、普通にできるので、老人が、そうではないということが理解できないのです。

 ただ、30年以上も前のことですが、主人が良く久里浜・出港で、船釣りをしに行っていて、中型、もしくは、大型の鯵をつってきました。アイスボックスが、いっぱいになるほど、7尾か、10尾、釣れていて、自宅用に、3尾ぐらい残して、12月28日ごろ、冷凍のまま、母に私が、届けていて、お正月の、マグロのお刺身に加えてもらっていました。お正月以外にも釣れると、よく、持って行っていました。

 「鯵って、新鮮なものは、本当においしいのね」と、母は、驚いていました。頭から尾まで、30~40cmあるモノは、確かに、美味なのです。私の父は、萩の出身で、横浜に住んでいても、舌が覚えているので、新鮮な魚しか食べられないということで、身がいたみにくい、白身の魚しか、食べなかったのです。母は、基本的には、父を大切にしていたので、白身の魚しか買わなかったのでした。特に、父は、サバには、じんましんが出るタイプでした。だけど、パーキンソン氏病にかかったので、淡白なものだけを食べる生活は、よくないみたいです。鶏の内臓とか、鶏の丸ごとスープとか、モツ料理なども、食べた方がいいのですよ。

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副題3、『セルチュク(トルコ)の博物館だけが、楽しかったと、立花隆が著書内で言っているが』

 ところで、お魚の話が出たので、次へ進みますが、上のテーブルの写真の右端に、小さなお魚が、立っています。大理石でできたもので、主人がセルチュク(トルコ)の博物館近辺で、買ったものです。その時に、隣町の、エフェソスで、立花隆氏に夫婦が、別々に出会ったのでした。それは、彼の著書、

『エーゲ 永遠回帰の海』書籍情報社 2005、須田慎太郎(写真)で、描かれている世界です。

 その著書は、これも朝日新聞の売れている本だったか、それとも、別の書評だったかで、出版されたことを知りました。それは、2005年のことですね。しかし、準備が、2004年から始まったとすると、その時点では、確定的に、私のパソコンがハッキングを受けていたことを、類推できる、一種の傍証となっている書物です。

 そして、鎌倉エージェントと、私が呼んで、いる人物たちが、この時点では、明瞭に動き回っていて、立花隆という実名(=ペンネーム)を一切外に出していないにもかかわらず、これは、立花隆の事だと、断定をして、立花隆に、私が、ひそかに準備中の本の内容を知らせたのでした。で、エーゲ海周辺の、移籍について、先にこっちが、出版をしてしまえば、彼女の本は当たらないと、推察した、例の連中が、立花隆氏に、それを、提言して、彼は、大急ぎで、この書物を出版したのでしょう。

 このエピソードは、とても、おいしい話なので、後日、独立をさせて、丁寧に書き直します。で、このブログ内では、元の鎌倉雪ノ下の自宅、に戻ります。

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副題4、『木造一戸建ての家と、マンションの暖房効果の違いについて、思いをはせるが』 

 で、位置的には、その大理石の、お魚の前に、主人が居て、テーブルの向こう側右に、弟がいて、その左に私が居て、手前に、小さなこども(=私たちの孫)の世話をする私の子供たち二組の夫婦が、座っていました。年配のものが奥に座っていたのは、子供たちが、孫の世話に、動きやすい様にする為です。弟と主人に間には、左側に見えるのとは別の、もう一つの温風暖房器を置いていました。

 二つの温風暖房機で、木造一戸建ての部屋を暖めたのですが、『日あたりが悪い部屋なので、寒いのではないか』と心配をしました。特に私たち夫婦以外のお客はすべて、マンションに住んでいる人たちです。マンションは、気密性が高いうえに、前後左右の人が全部暖房をするので、一戸建ての家より、ずっと、暖かいのです。そういうところから、お客に来ると我が家は寒いのではないかと心配していました。

 特にこの隣の部屋には、据え置きの、大型ガス温風暖房機を置いていますが、こちらは移動できるタイプで、小型のものだけです。『6~8畳用、2台で、大丈夫かなあ』と、思った次第です。しかし、リフォームをしたばかりなので、気密性が高かったらしくて、「暖かいわ、大丈夫よ」と、お客たちが言ってくれたので、助かりました。

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副題5、『猫は、人間より、子供っぽい時もあれば、大人である時もある』

 ところで、猫なのです。猫って、相当に、クールな性格の持ち主だと、皆様は、お思いになりますか。私は違うと思っております。でも、人間の大人と対等か、それ以上である時もあれば、人間の、5~10歳ぐらいの精神年齢を示す時もあります。

 本日、わが家の猫は、その人間の子供にあたる部分を、示し、二階で、寝ていたのが、やはり、お客さんが気になるということで、人いきれで、むんむんの、この部屋へやってきました。冒頭の写真は、本日のものではなくて、数週間前の、真夜中に、私と二人だけでいる時に、撮ったものなので、目が真っ黒で、じっと私を見ていますが、本日の彼女は、こんなに緊張したり集中していたわけではありません。

 だけど、だれもが、猫のことは、二の次になっている中で、猫は、『私にとって、どこが落ち着く場所なのかなあ』と考えながら、落ち着かない気持ちで、うろうろしていたのです。普段は、低温設定にした、温風暖房機の前、50cmのところに置いた座布団が定番の位置ですが。

 ふと、弟が、猫に気が付いて、「温風暖房機が、・強・になっているので、その前にいられないのだね」と言いました。私は、弟が、あまりによく、猫の代弁をしたのに、ひどく驚いて、『彼は、何年ぐらい、猫と一緒にいたのだっけ?』と、考え始めました。

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副題6、『父が、休日に、猫と遊んでいた情景が、よみがえって来る』

 その時、実家の父の姿が目に浮かびました。

 実家では、私が結婚をする前は、猫を飼っていました。だけど、若い人は、みんな忙しがっていて、母も忙しがっていたので、猫と遊ぶのは、もっぱら父でした。父は、大島紬を着て、畳の上にねっころがって、おなかの上に、猫を乗せ、「高い、たかーい」と、言いながら、自分の両手を、猫の脇の下に入れて、目の前で、腕いっぱいに持ち上げていました。

 私は傍を通りながら、『あれって、猫は、好きじゃあない遊びなのに、お父さんって、あんなことを繰り返すなんて、猫をよく、知らないのね。猫が好きではないんだわ。よく猫の方が、我慢をしている事』と思いながら、それでも忙しいので、放っておきました。

 猫は、強制されるのが、大嫌いです。そのうえ、高い、たかーいなんて、体が空中に持ち上がってしまって、安定しませんので、されるのは、大っ嫌いな遊びのはずなのに、三回ぐらいまでは、父に、それを、やらせていました。4回目ぐらいからは、逃げ出していました。でも、逃げ出す時に、引っかいたり、シャーっと言って威嚇することもなかったので、もうあきらめていて、自分が大人になったつもりで、子供みたいな、父に、付き合って、上げていたのでしょう。

 あれを、当時は20代前半だった私は、心の中で、バカにしながら見ていました。でも、自分が老人になってみると、父の気持ちがわかり、ふっと、涙が出そうになってきます。明治生まれの父は、自分の本当の子供には、そういうことはやらなかったと思いますよ。スキンシップなどと、言うことは、まだ、世の中に存在していない時代でした。でも、60歳を過ぎて、突っ張ったり、テンパったりする必要が無くなったのでしょう。

 まだ、生まれていない幻の孫か、それとも、自分の架空の子供(=相手をしてやらなかった、本当の子供たちの幼い姿の事です。お妾さんの子供というわけではありません)たちを相手にしていたのか、ともかく、父は猫をまるで、幼い人間の子供であるかの様に、扱っていました。照れ屋だし、モボを気取っていたので、自分の本当の子供とか、孫には、同じことは、チャンスがあっても、できなかったのではないかなあ。だけど、老人になってみると、高い、高いとか、肩車とか、そういうごく普通のこともやりたくなって来たのでは、ないかしら。それで、猫を相手に、あんな遊びをしていたのです。

 下の写真は、モボを気取っていたころの父です。横浜伊勢佐木町の、写真館で、撮っています。

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副題7、『猫も、人間と同じで、疲れると、機嫌が悪いのだった』

 さて、父よりは、ずっと、常識が発達している弟ですが、それでも、弟が、猫を相手にして、話しかけたり、抱いている姿を、過去には、見たことがないので、『暖房が、強になっているので、その前にいられなくて、落ち着かないんだね』と、彼が言ったときには、その猫への洞察力の深さに驚きました。詳しく聞くと、妹の家の猫で、猫を飼っていて、その猫で、猫のことを学習した向きもあるみたいです。

 で、主人が『そうか、そうだったのか。温風暖風機の前に、普段はあるはずの席がなかったのか。わかった。解った』、という感じで、猫を持ち上げて、ひざに乗せました。主人も、猫の両手を、持って、自分の膝に乗せることはありますが、それでも、空中浮遊ではないので、私は、父の場合より、扱いが上手だと思っています。そして、自己主張が活発な我が家の猫も、その両手持ちで、主人が扱う支配的な、動作にも逆らいません。

 ところが、本日だけは、シャーっと言って、主人に逆らうのです。別に、無理な姿勢を取らせてはいないのに、シャーと言って怒りまくるのでした。余ほど疲れていたみたいです。いつもは、静かな環境の中で、女王様扱いなのが、11日だけは、その他、おうぜい(=11人の人間のだれに比較をしても、それ)以下の扱いで、しかも、3時間起きたら寝るというスケデュールもくるわされていたので、本当に疲れていたみたいで、いつもは、出したこともない、シャーっという威嚇音を連発していました。三人で、「人間も、猫も同じだね」と、話し合ったものです。疲れると、人間は、怒りっぽくなるものですが、猫も同じでした。

 しかし、だからと言って、逃げ出して、別の部屋へ行くということもないのでした。人間が楽しそうにしている場所を去るのも嫌なのでした。

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副題8、『鎌倉の東急に買い物に来る事を、唯一無にの日課にしている、孤独な老婦人・・・・・その人との仲も裂かれましたが?!?!?』

 これは、老親世代と、子供世代が二世帯住宅を作って住んでいるときに、起きる諸問題を、いろいろ、類推させました。私が知っている、ある奥様は、いつもバス停で、30分か、1時間以上の時間を過ごしているのです。夜遅く帰る私は、あまりに頻繁に出会うので、ある日、会話を持ちかけました。そして、2,3回にわたって、詳しい話を聞くと別棟に住んでいるお嫁さんが、勤務を持っているので、帰って来て、お風呂を焚いて、そちらの、子供や孫世代が、お風呂を済ませるのを待っているみたいです。みんながお風呂に入り終わるのが、10時ごろで、それを待っているので、こういう生活になるらしいのです。何となく、切ない情景です。

 これは、気の毒に見えるケースで、このブログの世界では、書きたくなかったエピソードですが、ある日から、彼女が画然と、意地悪になり、白い目を向けて来るので、これも、尾行のせいで、・・・・・彼女と、私が、仲良くしているからこそ、彼女が、敵方にリクルートをされたのだ・・・・・と、感じていますので、書いてしまいます。敵さんたちは、「あなたとの会話を、あの人は、ブログで、書いていますよ」などと、言いつけたのでしょう。それでないと、あそこまで、心を開いてくれていたあの老婦人が、バスの中で、私に、白い目を向けてくるはずがないのです。

 こういう事は、ひどいレベルでの、私に対する人権侵害です。で、仕方がないので、ここで、それを書いてしまいますが、彼女が誰かから、私の讒言を聞いたのは、本日より、ずっと前の話だと、推察しています。

 同じことが、銀座の画廊街でも、何度も繰り返されました。しかし、銀座の方は、長期間付き合っていますので、裏側にだれがいて、こういうことになるかは、すぐわかるのですが、こちら、鎌倉の方は、まず、老婦人に関して、相手の名前も住所も知らないので、だれが、動かされて、間に立って、私の悪く死を言いつけて、その結果、こう言う風に変化したのかが、個人名としては、今のところ、分かりません。

 唯ね。私が、夜、9時ごろ、東京から帰ってくると、大船のバス停に、この人が、いる時もあるし、鎌倉のバス停にいることもあるのですが、とても目立つ人です。で、いろいろ、話をしてみると、かたくななほど、身構えているのでした。でも、毎日、鎌倉の東急に買い物に来るのが、一種の生活習慣としての、娯楽になっているのもわかりました。テレビの番組は見ないそうです。今の場らイエティというのも、こういう最も時間を持て余している、老人世代には、訴えないというか、理解不可能みたいでした。もちろん、彼女なら、BSの番組など、合うと思いますが、テレビで、どうしたら、BS番組を見られるかとか、どういう番組が人気番組であるかという会話を、誰かと、かわしたことがないので、彼女は、文明の利器を利用できないのでした。そして、夜九時に自宅に帰り着く様に、ゆっくりと、時間を過ごすのです。寒い時には、東急内の休憩所、暖かい時期には、バス停で、じっと、時間を過ごしているのです。

 お子さんも、お孫さんも、優秀な仕事をしているらしい、恵まれた世代なのに、ご自宅で、お風呂に入るときには、だれとも話し合わないのだそうです。お正月も、一緒に食卓を囲むこともないのだそうです。昔からの、地元の人らしくて、広い敷地内に住んでいるのですが、お正月も、子世代や、孫世代と一緒の食卓を囲むことがないそうです。そこまで、聞いて『痛ましいことを、聞いてしまった』とは、思いました。でもね、それなら猶の事、誰かと会話を交わした方がいいのです。それに、その老婦人に、向かって、このブログに書いている内容の、様な、難しいことを、話すわけもないです。だから、私は会うたびに、積極的に話しかけました。せめて、テレビを見て、それで、お嫁さんの帰宅を待つ生活に入った方が、冬にはいいだろうと、思ったからです。BSには、よい番組があります。そして、録画の仕組みを教えてあげれば、それで、ずいぶんと、生活が、変わります。独特な健康法を維持している人ではありますが、夜遅くのバス停で、じっと、一バスもふたバスも見逃しながら、座っている光景は、やはり、異常に見えますので。

 お嫁さんとか、息子さんと知りあいだったら、お母さんは、他人からは、ひどくみじめに見えますよ。生活を改善なさったらいかがですかと、言いたいところです。老人を、こういう形で、放ったらかしにしているのは、自分の恥とするべきでしょう。

 私はバス停で、5~10分、バス内で、3~5分、話し合うことが、彼女の精神的な健康に役立つと考えて、常に話しかけていたのに、それでも、その交流を破壊する人間が、この世に、いるのですよ。誰だ? 大体、あの組織の連中だろうと、分かっていますが、彼女に問い詰めるつもりもありません。だけど、こういう風なことが起きると、それを、やられると、こちらは困るし、悪い気分になるが、誰かが得をして、いい気分になるのです。

 それで、例の鎌倉エージェントに対する、分析を、一生懸命することとなります。いわゆるご近所様の、悪口を書いているみたいに見えるでしょうが、仕方がないのです。

 老親と、子供世代は、お互いの体力も違うので、うまく行かないケースが多いのでしょう。そのほかにもいろいろありますが・・・・・本日は、これくらいにしておきましょう。

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、 2688250 です。

        2015年1月11日に初稿を書き、十二日に加筆をする。雨宮舜(本名   川崎千恵子)

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私の住まい近辺には、黒猫が多かった。かわいそうな外猫ジャックを、今でも思い出すが△

2014-10-11 08:10:41 | 

 以下の文章ですが、11日の夜10時ですが、やっと完成しました。そのしるしに総タイトル横に、△印を置いておきます。

副題1、『この山には、黒猫が多かった』

 この写真は、どんぐり(くぬぎ)です。でも、地上で拾ったのではありません。

 我が家の屋根の上に乗っていたのです。二階の屋根の上に。我が家の敷地内と、東側の境界線の向こう側にもくぬぎはありません。南側境界線の向こうにあるのかしら?

 どこにあるかはわかりませんが、ともかく、台風16号と、台風18号のどちらかが運んできた賜物です。

 ところで、どうして、屋根の上に乗ったかというと、樋を掃除するためでした。常に落ち葉がたまって、といが、樋の役目を果たさないことが多いのですが、その樋がに役目を果たさないということにも、また、少しはメリットがあるので、放っておいたのです。あれは20年以上は前の話ですが、前のねこ、ちびちゃんが、音楽が非常に好きでした。ただし、私がピアノを弾いたり、歌ったりするのは嫌いで、いつも、ピアノに飛び乗って「やめてくれ」と、自己主張をしましたね。(苦笑い)

 私は、40年以上前は、毎日ピアノを弾きながら、お歌を練習したものです。林隆三さん方式で、勝手な和音アルペジオ伴奏を左手で、つけながら。でもそのおかげで、長調、短調の和音は、フラットにしろ、シャープにしろ、三つぐらいつくまでは、自家薬籠中の物にしたのですが。ですが、子供が小学校へ入ると、もっと、大きなことをしたくなって、ちびちゃんを、わが家で拾って、飼い始めた頃には、ピアノを毎日弾くのはやめていました。ただ、時たま興が乗ると、弾いたり、歌ったりするのですが、それを嫌がるのです。ちびちゃんの耳は非常に繊細で、ただ樋が聞かなくなったベランダから、落ちてくる雨粒の音を聞くのが大好きでした。

 上の写真は、絵葉書の採録で、ちびちゃんそのものではありませんが、まさしく、これと同じ毛並み(模様)だったのです。捨て猫です。この雪ノ下(黒猫が三匹いた)もそうですが、北久里浜の家でも、同じ人が、同じ親から生まれた子供を、連続して捨てるらしくて、ちびとそっくりな毛並みの、ねこを拾ってやったお宅がほかに二軒ありました。

 北久里浜から、鎌倉へ連れてきたのですが、幸いに、慣れて、北久里浜に逃げ帰ることはありませんでした。しかし、困ったことに、外でトイレができなくなったのです。それは、鎌倉春秋窯のねこ(黄色か、赤の首輪をした真っ黒な美猫)に我が家の庭も、占領され、いじめられるからでした。敷地は88坪もあって、木がいっぱいあるのに、ウンチもおしっこも、外でできないのでした。猫はにおい付けをしますので、わが家の庭が、春秋窯の猫の庭になってしまったのです。

 それは、小さいことではありますが、ちびちゃんは、毎日4,5回は、トイレを使う猫だったので、10年以上ずっと大変だったのです。飼い主が傲慢で、わがままだと、飼われている猫さえ、傲慢で、わがままです。でも、ちびちゃんは、家の中トイレで、老衰して、いろいろな場所に垂れ流しをしながらも、私たちが面倒を見続けて、私たちの掌中で、19歳の天寿を全うしました。

 彼女が、自分が猫を盗んでいる癖に警官を呼ぶという大騒動を起こしたので、そのせいで、次の新しいねこ、さびちゃんを外へ出せなくなったら、今度は、安野さんのねこが、そっくり同じ傾向で、庭を制御し、さびちゃんの方のトイレ始末もしなければならなくなったのです。我が家には山というものが、南、東、東北と三か所ありますし、室内から、出せば、絶対に遊びに、遠くまで、出かけてしまう猫だったからです。だから、30年間に及ぶここでの生活のうち、猫トイレ始末は、延々と、20年は続きました。北久里浜より自然が豊かな野に、住んでいる人間が異常だと、とんでもない迷惑をこうむります。

 私が、石川和子さんに、「お宅でも猫を飼ったらどうですか? そうしたら、猫にはテリトリーがあるので、お宅を訪問しませんよ」と言ったら、「あら、旅行に行かれなくなるから嫌だわ」と答えたので、本当にわがままな人間だ。他人を何と思っているのだろうと思った次第です。だって、黒猫を昔、飼っていたのですよ。毎日、わが家の庭を闊歩するから、よく知っています。だけど、こちらは、うちの猫が家の中にいるのだから、絶対に、彼女のねこを家の中にあげないし、むろんのこと、彼女の猫のことで、彼女の家にまで、文句を言いに行くことはありません。

 だから、彼女は、飼うのには慣れているのです。なのに、さびちゃんが、気に入ってしまったからでしょう。それで、他人のねこなのに、執着しきって、大トラブルに発展をしていきました。

 上の写真は、今のねこのさびちゃんの方です。昼間とっているので、瞳が小さくてかわいくありませんが、それでも、賢そうに見えませんか? 目ぢからも強いでしょう。4分の一ぐらいの確率でシャムの血が入ってています。それで、こんなに、活発な性格になっているみたいです。それが、石川和子さんに過剰に気に入られてしまった原因ですが、どうして、この猫が特別に賢くなったかというと、母親から離された後で、動物病院のロビーにおかれたケージの中で、兄弟だけと遊ぶ生活を、1か月以上続けたから、らしいのです。いくら大きなケージだと言ってもケージの中の生活は短調です。だから、病気のペットを連れてくるお客さんになついては、かわいがってもらうことの楽しさを覚えたのでしょう。ひときわ、人間好きで、かつ、会話好きです。

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副題2、『外猫ジャックという、哀切な黒猫』

 上の方で言っている様に、この雪ノ下の山には黒猫が多かったのです。石川和子さんのねこもそうですが、もう一匹美猫がいました。それが、下にエッセイとして書いている、副題2、『リヒテルという美猫』に登場する猫です。

 そして、そのエッセイの最後の方にちらっと登場するのが我が家の外猫ジャックです。人間に絶対に慣れない猫なのでJ-pegは、ありませんが、ちょっと、イラストを描いてあります。来訪しなくなってから思い出に基づいて描いたので、うまく描けているかどうか、わかりませんが、こんなに、怖い顔をしていても、性質の根っこのところは、ひどく良いネコで、わが家の前の猫、ちびちゃんに恋い焦がれ、でも相手にはしてもらえないので、掃き出し窓の外で、じっとちび7ちゃんを見つめていた猫です。それほど、ちびちゃんは、猫の目から見ても美猫だったのでしょう。北久里浜の窓の外にもいつも、雄猫だなあと思う猫が待っていました。ちびちゃんは、しとやかでしたね。今の猫の、さびちゃんとはまるで違うタイプでした。

  

・・・・・・私が一人で出版した二冊目の本『れすとらん・ろしなんて』の第3章の採録・・・・・@13 リヒテルと言う美猫
  若い猫と言うのは、人間が働いている姿を見るのが大好きです。特に、人が外で働いているともう嬉しくて、足元にまとわりついてはなれません。そして、道を掃いている私の傍を通り過ぎて行く人に、愛嬌の数々を振りまきます。我が家の今の猫は、毛色は錆び色で、姿形としては決して美猫では無いんですが、下町おきゃん娘と言う形の極みで、別宅を三軒も持っているのです。朝六時にはもう出たがって、或るおばあちゃまの家へ行き、その次は、その隣のゴールデン・レトリヴァ―と遊び、疲れると、ゴールデンちゃんと彼の腕枕で一緒に昼寝をし、午後からは、その隣の陶芸教室の生徒さんたちに、可愛がられると言う始末です。真夜中だけは、我が家で出さないようにしているので、我が家で熟睡しますが。  或る日息子が「こう言うタイプの猫も可愛いけれど、僕はリヒテルも好きなんだよ。あれこそ猫中の猫って言う感じがしない? 全く媚び無いし」と言いました。リヒテル(仮名、本名は別の、有名ピアニストの名前です)と言うのは、まるで、エジプトの猫の彫刻のようなすらりとした姿形の、真っ黒な猫なのです。やや三角形の顔の中に、大きくて丸い金色の眼が有り、その下に、真っ赤な細い皮の首輪をしています。
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  ところで、世の中には、捨て猫を繰り返す不届きな人がいて、この我が家近辺の車の入ってこない山の中に、連続して黒い子猫を捨てる人がいるらしくて、その中で生き残ったのが、このリヒテルと、陶芸教室に七年ぐらい前まで飼われていた太郎と、あとから述べる野良猫ジャックです。太郎は、黄色い首輪をしていて、リヒテルより太ったたくましい猫でした。まったく同じに見える黒い毛並みなのに、何より性格が違います。太郎の方がやんちゃです。飼い主に似るのかな。・・・・・リヒテルの飼い主の方がちょっと哲学的思考の強い人なのかも知れません。

 その二匹よりもっと太っているのが、我が家の外猫ジャックです。これは純粋な野良猫で、人間に飼われた事が一回も無いまま、おとなに成ってしまったらしく、どんなに優しくしてやっても、人間に対する警戒心を解きません。生まれた時から、しっぽが半分解けていないし、(母親の子宮の中では、通常猫のしっぽは丸まって入っていて、それが全部解けないで生まれたのが、短尾の日本猫に成ります。しっかり解けたのが普通の猫です)しかも、曲がっているのです。で、まるで折れてしまったように見えて痛々しいこと限りが無いのですが、更に痛々しいのは、耳が誰か(と言っても、犬か猫かは判りませんが)に、噛みつかれて裂けているし、右目も瞳の真中に何かの傷からそう成ってしまったのか、白濁が出来ていて、そちらは視力が利かない筈です。つまり、どこから見ても汚げな満身創痍の猫です。
  もう少し、洗練をさせてやりたくて、馴らそうと七転八倒をしましたが、とうとう馴れることなく、「ジャックはどうも体の調子が悪そうだね」と我が家で人間の家族が話しているうちに、餌をもらいに来なく成ってしまったのです。多分、人知れず、自らだけで、この山の中で、最後の時を迎えたのでしょう。雄々しいものです。

 ただ、完璧な野良猫と言っても、そりゃあ猫ですから、猫としての自発的な考えは有るわけで、一階の大きな掃きだし窓の外で、置いてある小さな猫用の椅子に、きちんと座って家の中をじっと眺めているのです。うちの中にいる当時の飼い猫チビは、日本猫の雑種ですが、白地に赤トラが上品に混じった、これも猫の中の猫で、猫からの人気の高い美猫でした。そちらがお姫様とすれば、与太者風の、しかもホームレスのおじさんが、じっと家の中を『羨ましいなあ』と思いながら覗いている感じがして、人間の方がなんともやるせない気分に襲われてしまうのです。 で、煮干とかペレット、時にはケンタッキー・フライド・チキンの残りを与えて、それを食べるのに夢中に成っている間に、そっと後ろから回って、彼の爪に攻撃されないように、がっちりと抱いてしまうのですが、未だ人間に抱かれた事が無いせいかこの巨体のくせに、恐怖のあまりの暴れようで、体重が七キロぐらいあるので、私のような細腕ではいかんとも御しがたく、腕から解き放って、餌を貰いに来る以上に馴らすのは、諦めるのでした。

 その体のすさまじい重さも、ホームレス故だと思うと更に可哀想でした。いつ食べられ無く成るか、その事への不安が有るのでしょうね。こちらでは、絶対に見放さないつもりでも、相手がそれを理解しない限り、気持ちが通じないのです。だから餌が置いてある限り必ず全部食べます。家猫のチビが見向きもしない鶏の骨でも、がつがつがつがつ最後まで食べます。

 イギリスの作家のドクター・ヘリオットの本の中にも『こう言う馴れない純粋な野良猫を、とうとう家の中に彼らの自発的意思で、入れ込んで、風邪の治療をしてあげる』と言う一章があるのですが、獣医さんが夫婦二人で、しかも辺りが完全なる自然の中ですから出来る事が、普通の人間では、そこまでするエネルギーと根気が続きません。まあ消えてしまったジャックをどんなに、いとしく思っているかは、いつか将来もう一回書くかも知れません。*****

  今日は、リヒテルと彼を囲む人間像に付いてだけ書きましょう。息子は更に続けて 「僕が出勤する時、必ず下の門の前で待っているんだけど、プライドが高いから眼も合わせないし、ごろごろも言わないし、『にゃあ』とも鳴かないんだ。でも、必ず、頭と顎と頬を僕になでさせるんだ。まあ、急いでいるから、ほんの短い間だけどね」と言います。どうもこれは確かな事のようで、息子が海外旅行に行っている間に、私が、彼が通常の日に出勤をする朝の七時二十分に家を出てみると、我が家の門の前で息子に、あごをなでてもらうためにでしょうか、確かにリヒテルが待っているのです。

  夏目漱石が、『我輩は猫である』の中で、「車屋の猫はドラ猫で、おめかけさんの猫は色気が有る」と言っていましたが、どうも、猫は飼い主に似ると言うか、ともかく、飼い主の虎の威を借りる向きは有るようなのです。ですからこの山では陶芸教室の太郎が、一番の威張りんぼうでした。だって弟子が多いわけでしょう。『そう言う人とトラブると面倒くさいわよね』と言う感覚が皆に有って、『まず飼い主の方を、道を空けて通す』と言う感じが近所の人間全体にあるから、猫もそれを感じるのでしょう。太郎はまったくのきかんぼうでした。

 しかし、太郎に比べるとリヒテルの方は、同じ母猫から生まれたと推察されるのに、貴族的なプライドを持ち、つんと澄まして猫同士の争いもしません。が、人間と同じで『内面的にはこちらの方が強い』のではないかと思われます。どうしてかと言うと、その飼い主は、お金持ちで文化人だと言うわけですね。だけどこれから先はよそさまのお財布を覗く事に成るので、分析するのは止めて置きましょう。ただ猫を見るとその家の羽振りとか人気さえわかると言う話なのです。そう言う話なのです。・・・・・  2002年より前の話 

::::::::::::::ここで、挿入を終わります。

 なお、この挿入された短いエッセイに出てくるリヒテルが、わが家の息子や、わが家のお向かいの F 夫人にひどくなついていたころ、飼い主の「お母さん」は、入院をなさっていたのです。それがね。亡くなってから、分かりました。だから、当時は、ひどく、さびしかったのでしょうね。お父さんもお見舞いに行くから夜遅く帰ってくるでしょう。お子さん方(猫にとってはお兄さんやらお姉さん)も同じです。で、昼間、だれにも遊んでもらえないから、F家をしばしば訪問をしていたのです。今思うと、そのせつなさや寂しさが、よくわかります。ただ、F 夫人は医院のお嬢さんで、お行儀のよい人だったので、家の中に、自分の猫が居なくても、リヒテルを自分の家の中に、入れることはなくて、煮干しを、2,3本与えて、優しい言葉をかけては、それだけで、帰していましたね。それが、常識の範囲だと思うし、トラブルを避ける賢い方法だと思うけれど、石川和子さんはまるで違いました。 

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夜9時半まで、これ以降に延々と加筆を続けておりました。副題3以下をです。だが、副題1と、2までと、カラーが違いすぎる文章になったし、両方を一緒にすると、二万字内で、起承転結が完成しない見込みが出てまいりました。で、これ以降は別称へ回します。今そちらを鋭意書きかけ中ですが、もう少し、公開をお待ちいただきたくお願いを申し上げます。

なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2512097です。

    2014年10月11日、朝の8時に公開し始め、夜の10時に完成とする。雨宮舜(本名、川崎 千恵子)                                                 

コメント

寝ながら、見上げてくる猫、△

2014-07-24 11:34:54 | 
 本日、27日の日曜日、鎌倉は真夏日です。そして夏休みですね。だから、閑話休題のひとつとして、猫と私の関係について語らせてくださいませ。
 昨日、私は政治の事を書き始めたのですが、そこで、使った写真を後で、残念だったなと思っているのです。それで、このブログを新に作りました。



 こちらは、政治の文章に使ったものとは、別の日に撮影をしたものです。同じ様な姿勢ですが、目を開けているので、生き生きしています。

 ところで、政治の文章の前に置いた方の写真の説明をさせてくださいませ。これは、このときだけは、右手が、猫によってがんじがらめになっていて、左手だけが、やっと、動かせる状態の時に、撮ったものなので、良い写真ではありませんが、猫が、右手の上に乗っている状態を、左手だけで、しかも、床に落ちていたスマホを拾って、撮った物なのです。で、ピントがあっていませんが、猫が、どれほど、私を慕っているかと言うことと、私がその時に書いていたものが、やや緩やかな内容だということの両方を表わしているので、結構珍しい写真だと、私が感じて、ここに置かせて頂いています。私の右手の手のひらのすぐ下に、寝っころがって居て、キーボードが打ちにくいこと、打ちにくいと、たまらない状態でした。



 その日、私は珍しく朝の8時から外出し、大重労働をして、夜の10時に帰ってきたのでした。母が亡くなってしまった後では、それほどの、長時間家を空ける事がめったにないので、猫としては、『お母さんがやっと帰ってきた。やっと遊べる』と思ったので、パソコンを打つのを邪魔してくるのでした。特に、私が書いているものの中で、週刊誌に大越キャスターが叱られています。とか、スルガ銀行のロビーで、週刊新潮を大切なところは、読みぬいてしまいましたなどと言う内容は、非常に温和な方のものなので、猫もそれがわかるらしくて、安心して邪魔をして来るのでした。で、寝ている振りをしていますが、もちろん起きていて、私が次に、どういう手を打ってくるかを、彼女なりに五感を最大限に発揮して、探っているところです。彼女なりの頭の良さを示しているところです。
 今は、この写真を撮ったときから、14時間は過ぎていて、もう私に対しても『居なく成っちゃうのではないかしら?』と、言う心配をして居るわけでもなく、すっかり、落ち着いていて、涼しいところで、昼寝をしています。で、私の方も落ち着いて、文章を書き始めましょう。猫を猫っかわいぎりをする私にとって、いささか、残念な写真だったなと、思うのでした。今は、次の日の日曜日になっており、7時間寝た後なので、元気いっぱいであり、面倒くさい事も、やり遂げる気持ちになっているので、別の写真をアップさせてくださいませ。


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            雨宮舜 ( 本名 川崎 千恵子)
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