銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

メイドに、客引き合戦をさせるのは、止めて欲しい(秋葉原)

2009-11-09 23:44:10 | Weblog
 私はパソコン通に一緒にきて貰って、初めて新品のA4ノート型を手に入れた1999年以来、結構な回数、秋葉原を訪れています。食事とかお茶はそこではいたしません。でも、新しい情報とか知識を得られる街だと感じて、しょっちゅう出かけているのです。

 2005年ぐらいまでは、『秋葉原は、オタクの出入りする特殊な街だ』と言う論調が、メディアで旺盛でしたが、そういう劣ったイメージとは違って、最先端の街で、優越したポイントもある魅力的な街だと感じてきました。

 しかし、大きな変遷を二度ほど、観察しました。一度目は巨漢、ヨドバシカメラが東口にオープンしたとき。・・・・・本通りから一本西側ある、もっとも秋葉原らしい一帯が、ヨドバシの進出によって、壊滅的な打撃を受けたと感じています。

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 専門的な知識を持つ人が多い、その一帯が、金銭が落ちるという意味で、負けてしまったのです。ヨドバシが秋葉原・全体の収入の、数十パーセントを、獲得してしまったのでしょう。50%以上に当たるのかもしれません。

 『専門家の多い地帯は、負けないだろう』と私は思っていたのに、今の人々は、店員さんと対面型でモノを買うのを嫌いなのでしょうね。ヨドバシなら、自分が基本的な知識を持っているものなら、棚から自分で取り出してきて、レジに並ぶだけで買えます。しかし、旧市街では、店は小さく、店員さんは必死なので、顔を向き合わせ会話をしないと、買いにくいです。

 私自身はそれが好きです。そして、ちょっとした会話のついでに、新たな知識を得ます。非常に助かります。つまり、老人(いやな言葉だが、実際にはそうですね)二人だけの所帯では、新しいことは入ってこないので、USB差込口が、片一方は、ひとつで、反対側は二つ付いているコードの意味や効用などは、分からないからです。答えは外付け器具に、十分な量の電力を、交流アダプターを使わないで、パソコンだけから導入するためなのでした。「ラッキー、やっと分かったよ」ですから、対面型、購買スタイルはありがたいほどです。

 しかし、今の普通の人々はものぐさなのか、はにかみやなのか、ヨドバシスタイルで、買うのを好むのでしょう。

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 さて、もう一回目の大きな変化は、つくばエキスプレスの開業です。そして、それと、時をほとんど同じくした大ビルの開業による、ターミナルステーション地域化です。上野、池袋、新宿、渋谷、品川、東京などに次ぐ、大ターミナル化しそうです。

 それは、昔の野菜市場を再開発したからそうなりました。大高層ビルが、三棟か、四棟開業し、旧市街にも再開発・大ビルが何棟か開業をして、普通の人が、食事までできる街へと変化したのです。よく名前の知られているチェーン・レストランが、たくさん開業しました。書店(特に横浜の有名店である有隣堂が、ヨドバシにはいったらしいし)ができたのも知っているし、未だ探検していませんが、ブティック等もあるのかもしれません。

 まあ、そこまではどうって言うことも無いのですが、一種の歓楽街へと変化し始めたことがぎょっとすることなのです。それが驚きであり、問題なのです。専門家の多い、知的な街だというイメージが、大きく変わりました。

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 特に表通りに、数十メートル置きに、いわゆるメイド喫茶の、案内チラシを持ったお嬢さんが立っていて、一種の客引きをしているわけです。それは見ていてせつな過ぎる姿ですが、一方で、扇情的で、生々しくもあります。若いお嬢さんです。

 そういう存在が、バレーのチュチュみたいな、短い、しかもフリルいっぱいのスカートを履いて、太ももを惜しげもなく、街頭で、さらしているのです。私のような、女性、しかも老女(この言葉もいやですが、実際には67歳です)が見ても、その姿には、ドキッとします。

 私は鎌倉駅を夜の十時過ぎに降りるときに、胸の谷間があらわだったり、肩が露出し過ぎていたり、太もものあらわなお嬢さんを見かけると、「大丈夫ですか? タクシーを利用してお帰りになったほうがよいわよ」とおせっかいをするぐらいですから、あの大通りに、太ももあらわなお嬢さんたちが立っているのを見るのは忍びないのです。安藤美姫さんが登場するスケート・リンクではないので、心配なのです。

 『冬になったら、どうなるのだろう』と、痛々しくさえもあります。私が知っているアーチストが写真を利用して、メイドさんを美しい作品に仕上げたころ(7年ぐらい前)は、彼女たちは夢の対象でした。

 オタクと言う・・・・・おくてで、未成熟な男の子の、夢の対象としての・・・・・美しさと新鮮さに満ちていたはずです。

 でも、今、街頭でたっている彼女たちは、薄汚れて惨めでさえあります。具体的な男性の性欲の対象とみなされている気配さえあります。非常に痛々しいのです。見ていられないくらい切ないです。カフェの中で働いているのなら、まだ許せるが、街頭でチラシ配布合戦をやっているのは経営者の悪徳の結果でしょう。


 『悪徳の栄え』とか、『ソドムとゴモラの市』とか言うキーワードを思い出します。自然発生的な業務形態か? 誰か、非常に頭のよい人の考案した形態かは、わからないものの、今では、メイドカフェで金儲けをしようとする経営者の、悪徳が見え見えなので、非常に切ないです。『使用人だから、何をさせてもいいんだ』は日本的な道徳観と程遠いものです。

 普通の家庭のお嬢さんたちが、バイト感覚で勤めているうちに、悪い男性に引っ掛けられるきっかけとなりそうで、本当に痛ましいです。

 別に警察に取り締まってもらおうとは思わないです。そこまですると、歌舞伎町の浄化作戦ではないが、街が死んでしまいます。が、いわゆる町内会があるはずです。その町内会が、『いまだに、歩行者天国を許さないのだ』と、テレビで見たことがあります。歩行者天国・再・開通如何もさることながら、秋葉原を愛する住民なら、このメイドさんたちの、ちらし配布合戦は自粛するよう経営者サイドに働きかけて欲しいです。

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 秋葉原は、最先端技術を売り物にする街であることに、最優先ポイントを置いて欲しいです。技術立国、日本の一種のショーウィンドーなのですから、この客引き合戦は、ぜひ自粛をして欲しいです。メイド・カフェそのものの営業を自粛してください・・・・・・などという野暮なことは言いません。ただ、太ももあらわに、お嬢さんたちが、路上に立っているのが、目に余るのです。日本らしくないのです。日本のよさを反映していない姿だから、いやなのです。

 なお、今日のテーマについて、かくまではっきり、発言をしたのには、きっかけがありました。あるセレブと思わしき男性が、路上で、一万円札(?)を、メイド三人に、配っているのを目撃をしたことです。その詳細は、明日にでも、アップロードをさせてくださいませ。
            2009年11月9日    雨宮舜(川崎 千恵子)
コメント
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