銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

自民党・政治家・連中の甘さよ。・・・・・この期に及んでも?

2009-11-29 22:35:25 | Weblog
・・・・・・自民党の議員連中の甘さが、彼らの苦悩を招いているが、彼らの苦悩は明日のわが身です。・・・・・

 今朝(09-11-29)もちょっと気にかかるニュースがNHKで流れました。それは、国会内に何とか会議という、一種のクラブ活動みたいなものがあって、その委員長はたいていは、もと、総理大臣クラスだそうです。

 そこに、民主党の議員を参加させないという決まりができたそうです。ふむ、ふむ。
 この決定は、どれほど、余裕が無くてヒステリックに、民主党がなっているかの象徴となっています。

 国が一単位として、行動するときには、その象徴としての元首がいます。日本では一応が天皇のはずです。しかし、微妙なことに、天皇陛下でさえ、宮内庁に牛耳られておられ、ご自分の正当なる発言が抑えられておられます。

 で、これが超微妙で、複雑なところですが、二番目の権力者である(はず?)の総理大臣も日本では権力がありません。福田総理大臣(息子のほう)が、記者たちに『あなた方とは違うんです』とおっしゃっただけで、マスコミが鬼の首を取ったように騒ぎました。お気の毒でもありますが、彼ら福田さんに群がった記者たちは、自分たちの親の財産が、為替差損で目減りしたり、することを忘れているのだと私は感じます。

この自民党の元総理大臣が長である倶楽部への、民主党議員の参加を抑えるというのは、一見すると、小さいことのようですが、象徴的に、小沢一郎民主党幹事長への権力の一極・集中を表しています。NHKが、一切の批判を込めず、報道をするのも、信じられませんが、みのもんた氏の『朝ずば』(それは、95%は、まっとうであり、常識に基づいていて、好ましい姿勢を感じるものなのですが)もない日に発表をされたので、マスコミ関係者も見過ごすであろう、ニュースです。

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 小沢民主党幹事長は、豪腕とか、辣腕とか言われていて、あらゆる側面で、民主党が上に立っているということを、示し、実力および形でそれを示さないと収まらない模様ですが、ある一人の人間が、陳情やら、そのほかの一切を管理することは不可能であり、この国は、近々、大混乱に陥るでしょう。それとともに、平板で、面白みのない国ともなり、生き生きした人材が活躍しにくい国と変化するはずです。

 なぜ、それほど、彼に権力があるのかを、国民もマスコミも問わないといけません。今、ノーベル平和賞さえもらって、世界中で大人気のオバマ大統領が、アメリカの地方都市のすべての開発を、いちいち、ご自分がチェックして、イエスか、ノーかを、サインしていると、皆様はお考えになりますか?

 それは、サルコジ大統領でもありえないし、・・・・・ただ、プーチン大統領やら、金正日総書記ならありえると推定されますが・・・・・この戦後の日本で、そこまで権力の集中した人は過去にいません。

 神格化までされた昭和天皇が、地方の県単位の開発やら、事業について、いちいち御璽を、押したと考えられますか? ありえないです。

 これは、日本にとって、異常事態です。

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 こういう事態に至った裏には、三つの大きな要因があって、そのひとつに、自民党の、政治家の甘さが大いに影響を与えています。今、谷垣総裁だそうですが、彼はお坊ちゃま風には見えますが、まったく政治的な手腕がないと思えます。

 こんな状況にいたったら、いちいち、戦わなくてはならないのに、手をこまねいているだけです。中学校や高校で、美形で色白で家柄もその地域ではよい優等生が、荒ぶるヤンキーに苛め抜かれている構造と同じものを現在国民に向かって見せているだけです。

 これは、政治用語で言えば二大政党の争いとなるでしょうが、簡単に下世話な言葉で換言すれば、いじめです。いじめは芽の小さいうちに刈り取らないと、駄目なのです。抵抗し、反抗しないと、駄目なのです。中学校社会で、この前も沖縄ですか?報道をされたように、死にいたるまで叩きのめされてしまいます。息の根を止められてしまいます。

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 私が長らく、自民党を応援してきたのは、上のニュースで報道されたような、小沢一郎幹事長、主導と思われる、数々の乱暴なことを、そちらなら、やらないからです。その自民党は対米追随だと朝日新聞には叩かれてきました。右翼だとも言われてきました。だけど、最近の政治潮流は、右翼左翼の定義がまるで、失われていて、真にこの国の将来を憂えるか、そうでないかの区別しかないです。

 そして、真にこの国を憂えるほうは、抹殺されやすいのです。既存のマスコミ内で、活躍する評論家たちですが、支配者〔この場合は植民地的な意味で、支配をしている存在ですが)側が安全パイとして認めた存在しか活躍をできません。ちょっとでも、傾向が愛国的であると、徹底的なる弾圧の対象となります。

 一見すると暗い文章でした。もっと先へいって、本当のこととして、これから、どうしたらよいかを提言したいのですが、それは、続きとして、お話をさせてくださいませ。明日は『自民党とは、本当は何だった』のか・・・・・を述べたいと思います。答えとして、私は『日本という国を、植民地支配から守る一種の堤防だった』と感じています。その詳細は、明日以降に。

 なお、今日は12時間で更新していますので、植民地支配下の人間の苦しみの暗喩として、現在のグローバリズム経済下の、鶏の卵と肉、豚肉、牛肉とミルク、の生産現場のすさまじい様子が、下に書いてありますので、よかったら、それもごらんをいただきたく。牛たちの尊厳をまったく奪われている様子は、真に恐ろしい映像です。程度の差はあれ、私たち人間もまた、その尊厳が失われやすいことを忘れてはなりません。
           2009年11月29日     雨宮舜
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牛と豚の悲劇ー2(それは、もしかすると、我々の事?)

2009-11-29 08:20:26 | Weblog
 昨日みた、「いのちの食べ方」という映画から、は、
 人間の傲慢さを徹底的に感じさせられますが、もっと悲惨なのは、牛の場合です。
 種牛の精子が『横取り法』という方法で採取をされ、それが種付けされ、妊娠したとしても、出産は帝王切開です。麻酔をかけてもらっているのでしょうが、たったまま、腹を裂かれ、赤ちゃんを取り出される作業に、耐える母牛を見るのが忍びないです。

 最終的に、最も切ないのは、牛が、殺される場面です。眉間に電気ショックを与え、気絶をした状態で、生きたまま、次の作業に取り掛かります。ここでも、大活躍をするのが、ベルトコンベアーです。牛の場合は、重量があるので、掃除機風のエアーコンプレッサーは使いませんが、・・・・・

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 ここから先、哲学的にまとめるなら、・・・・・・狂牛病(BSE)、豚インフルエンザ(今、日本でも大問題になっている、新型インフルエンザの最初期の呼び名です)、鶏インフルエンザが、蔓延し、それで、死者が出たのも、むべなるかな・・・・・と思います。

 旧約聖書に、ノアの箱舟の話が出てきます。すべての種を、神が洪水から救ったと言う説話です。そこでは、効率化は、問題ではなく、人間の友としての、各種の生き物(動くもの)が、ほとんど対等に扱われています。

 しかし、この映画を見る限り、人間は傲慢のきわみであり、家畜として使っている動物種(ここで、登場するのは、鶏、豚、牛ですが)に対して、徹底的に、ものとして利用し、その生き物としての、尊厳については、一切を顧慮しておりません。

 キリスト教では原罪ということをよく言います。この映画『いのちを食べる』を見る限り『原罪はある』と感じます。ただ、食事を、たべるだけで、現在の人間は、したたかなる罪を犯しています。

 仏教では、殺生を禁じています。イナゴとか、魚以外のものの、いのちを食べることを禁じています。江戸時代は、普通の人はそれで生きていたのです。『グローバル化は止めよう・・・・・日本は江戸時代に戻ったほうがいいなあ』といいたくなる、映像でした。

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 だけど、上の一節は、人口が莫大に増えた現在の日本社会では、不可能なことは私にもわかります。でも、問題は、社会学的、というか、政治学的な考察です。

 この映画に登場する、牛や豚って、もしかすると、程度の差はあれ、今の日本人の姿なのかもしれないのです。いや、日本は平和です。鎌倉などに住んでいて、しかも週末で天気がよいと、善男善女が、社寺仏閣めぐりで、日がな一日中にぎやかで、楽しそうであり、何も問題がないみたいです。

 しかし、日本はじわじわと締め付けられていますよ。二十年前は、こんな社会ではなかったと思います。大勢の人が事に当たり、ゆっくりと社会が進展しました。

 敗戦の憂き目を見たので、たいそうな改革が行われ、それゆえに、急に貧乏になった上流社会(貴族や、大地主、大財閥)も出てきたが、一般の庶民は、昔に比べればはるかに、便利で、満ち足りた生活ができる時代がきたのです。それが、1980ねんだいと、1995ねんごろまでは確かに継続する感覚を日本人は持っていました。

 もしかしたら、今の日本人、一般は、この映画における、牛や豚のごとき、感覚で、みなされている可能性があります。だれからといえば、このグローバリズム化世界の、もっとも頂点にいる人たちにです。
 その構造の顕現が、おさえに抑えられていて、普通の人にはあまり見えません。そして、マスコミセレブたちは、わかっていても、自分たちが持っている既得権〔特に特権)を失いたくないために、庶民に正しい情報を与えません。

 今日は偶然に見た映画から、日本という国の現状に気がつかされ、ちょっと、暗澹たる気分になりました。

 なお、映画そのものは、別にナレーションも無く、BGMもない形ですから、プロパガンダとは、別の種のものです。カラー構成としては、非常に、美しい映像が続きます。そして、監督は、観客に向かっては、「それぞれ、独自な、うけとめかたをして欲しい」とだけ言っているのです。

 私の考察は、政治にまで、発展をしましたので、普段の仕事がまだできていませんが、今日はこれで、よいと感じています。  

                  2009年11月29日   雨宮 舜 
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牛と豚の悲劇ー1(映画、いのちの食べ方、から)

2009-11-28 16:59:59 | Weblog
 今日、鎌倉の公民館で、「いのちの食べ方」という映画を見てきました。原題はOUR DAILY BREAD で、聖書からくる言葉『日々の糧』をさし、毎日の食事のことです。

 これは、東京では少数・館で劇場公開をされ、新聞に批評も載ったと思います。鎌倉の自主上映組織が、本日上映したのは、だいぶ日数が経っています。ただ、私にとっては、今、見たことも、タイミングとしては、有意味なことでした。

 この映画は、現在のグローバル化時代の食料が、どういう風に生産をされているかを、観客に教え示してくれます。映画評は全世界を通じてよくて、映画賞もたくさんもらっている模様です。

 もっとも見るのが、楽な方の映像としては、アーモンド畑が出てきます。大型の機械で、人工的に作られた強風で、実を落とします。その後で、大型掃除機(?)で、実を吸い取ります。もうひとつ見るのに、楽な画面があって、それは、鮭の処理過程です。ここでも、真空ポンプは大活躍をします。機械で動く刃物とベルトコンベアーも大活躍をします。

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 映画は監督(制作も兼ねているかな?)と、編集者の意図により、順番はアットランダムであり、鮭から始まるわけでも、アーモンドから始まるわけでもありません。でもね、野菜類の栽培を見るのは、観客としては比較的楽であります。

 牧畜関係は、鋭くも厳しくあり、菜食主義へ変更しようかと思うほど、切ないですが、野菜類の処理に、ベルトコンベアー等が駆使されているのは、日本でもよく知られていて、既視感があります。もでるとして、大規模プランテーションを選んであり、すさまじいまでに効率化をされています。

 でも、こちらでは、気の毒なのは、人間のほうです。能率を追い求められている感じで、気の毒なのは、雇われている人間の方だと感じます。

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 しかし、養鶏関連と、豚肉の生産、および、牛肉の生産の場面に入ると、気の毒なのは、人間ではなくて、鶏、豚、そして、牛になります。

 たまたま、今、字の誤変換で、生産が、凄惨と、でましたが、その言葉がぴったりとなります。これは、もちろん、日本人も知っていることで、日本では、その点で、別の社会問題があります。プログラムに言葉を寄せているイラストレーター
内澤旬子さんが、いみじくも指摘していますが、日本ではトサツと言うことは、被差別部落と関係があります。内澤旬子さんには、「世界屠蓄紀行(開放出版社)」という本もあるみたいです。イラスト紀行らしいので、これを、機会に買ってみたいと思いました。

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 しかし、今日の私の主題はそれからは、外れるというか、その件は問題にしたくはありません。それよりも、すさまじいレベルで、効率化が進んでいるということの恐ろしさです。誰もが震撼をするレベルで、人間が、鶏や豚、牛を利用しているわけです。

 ほとんど同じことが日本でも行われている可能性があるから、ここに展開する残酷な映像から目をそらすわけにはいきません。つらくても映画館の外で出るわけにも行かないのです。肉牛の飼育が、日本の場合は、あれほど、効率化されているとは、思いませんが、屠殺場内の風景は、にているでしょう。

 それを私たちは日夜食べているわけです。朝食には、ロース・ハムと豚タン(舌)のコンビーフ風仕上げ、を、合計三枚食べました。夕食には、豚肉のミンチが入ったロールキャベツ(トマト味)を食べます。それに添え物として、鶏のひき肉の入った油あげの巾着も食べる予定です。野菜類でくるまれているので、さっぱり感があるおかずですが、今日だけは特別に、「参ったなあ」です。

 ひき肉になる4段階か、5段階前は枝肉であり、その五段階前ぐらいには、豚が、吊り下げられて、腹を裂かれ、内臓が出て、皮は、猛炎で焼かれ、毛がすべてなくなってつるつるに成る映像も見ましたし。
 内臓も、まず、大型の円形刃物で、腹を切開した後で、とろとろと落ちてきて、その後で、ステンレスの机の上で、要らない部位と使う部位〔腸詰に使う小腸や大腸を)をより分ける映像が出てきます。

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 しかも、生産(出産)も確実に管理されていて、出産後、乳を与える場面も確実、かつ完璧に管理されています。子豚と母豚は乳房でのみ接触をするだけです。母豚は、ステンレス風のパイプで、動きを完璧に抑えられ、姿勢は一切崩せません。子豚とスキンシップもないし、愛情の交流は一切ないのです。鼻で小突いてやることもできなければ、舌でなめてやることもできません。

 人間の傲慢さを徹底的に感じさせられますが、もっと悲惨なのは、牛の場合です。種牛の精子が『横取り法』という方法で採取をされ、それが種付けされ、妊娠したとしても、出産は帝王切開です。麻酔をかけてもらっているのでしょうが、たったまま、腹を裂かれ、赤ちゃんを取り出される作業に、耐える母牛を見るのが忍びないです。

 最終的に、最も切ないのは、牛が、殺される場面です。眉間に電気ショックを与え、気絶をした状態で、生きたまま、次の作業に取り掛かります。ここでも、大活躍をするのが、ベルトコンベアーです。牛の場合は、重量があるので、掃除機風のエアーコンプレッサーは使いませんが、・・・・・

 ここで、ちょっときります。この映画を見て考えたことが、たくさんあります。そして、それは、昨日までの考察と関連しますが、それは、後で、書きます。

 なお、本日は、たった四時間で更新しましたので、お暇のある方は、下をもごらんいただきたく。

                 2009年11月28日   雨宮 舜
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九大学・学長の抗議と、ポピュリズム

2009-11-28 12:57:26 | Weblog
 最初にお断りをいたしますが、これは、二報前に書いていたものです。これを、書いた後に、『国民が総力を挙げて、政府を監視しなければいけない』という26日昼間に公開のものと、『内館牧子、朝青龍、細木和子』という、27日の昼間に公開のものが書けました。つまり、この文章はそれらの、前の土台となるもので、やや温和な書き方をしております。初めて、このブログにお入りになる方は、これが、仕分け事業の3になり、

 もっと大きく言えば、11月16日にアップロードを下、『いしいひさいち氏の休載』から始まる、現在の言論統制(とても間接的な形である)に関して述べた章の、8回目にあたります。まあ、硬くて面白くないとは思いますが、どうか、よろしく。・・・・・・

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 09-11-25の朝のNHKニュースで、日本全国、九つの大学の学長が 共同記者会見を催し、事業仕分けでつぶされた企画、・・・・・特に学術や、技術の進歩の方向へ連なるもの・・・・・について、その復活を求めました。

 これは先週だったか? 蓮舫議員の事業仕分けの発言映像が繰り返し、流されました。そのあざとさと、あくどさと、特に性急さには、大勢の日本人がぎょっとしたのだと思います。『蓮舫議員は日本人ではないのだ』と感じた場面だと思います。現在の国籍はどうあれ、基本的な育ちと人格形成をなす文化が、日本人ではないのだと、大勢の日本人が感じたでしょう。

 私こそ、小さいころから、「日本人離れしている」とよく言われてきました。ことをなすスピードは超・速いです。決断も早いです。何らかの企画が背後に行われているな・・・・・・と、思うときには、それがプラスであれ、マイナスであれ、ぱっと対応の行動をとってしまうから、それを企画した人たちは面食らっていることでしょう。でも、その私でさえ、『なんといやなことであろう』と、あれを見ながら思いました。

 私の場合、自己の行動については早いが、だれか、相手があること、とくに相手に対して、何かを言わないといけない場合は、相当に慎重です。それは謙譲の美徳とか、中庸の美徳というものが、日本人にはあるからです。

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 でもね。ブログやメルマガの世界で、何も発言をしなかったのは、この現象もまた、大局から考えれば、日本つぶしの一環だと思ったからです。蓮舫議員がそれを教唆〔または命令、または、鼓舞)されているかどうかは別として、結果としてそうなります。だけど、私のような小物が発言しても何の力も無いので、黙っていました。

 すると、まず、あの映像を嫌がる声が、澎湃として、この世界で起こりました。インターネットの世界を利用するのは若い人が多くて、その若い人は、私のような年代とは違った価値観をもって育ちあがっているわけですが、やはり同じようにいやだなあと思ったのでしょう。

 しかもつぶした事業の防衛方向の(企画)担当者は、女性であり、しかも、ある大学の学長だそうです。タレントではありません。だから、対応しきれない。だけど、一種の公開リンチに近い現象と、結果としては、なるわけです。民主党側としては、『これは、女性対女性の対決で、ハナや、ドラマのある映像になるはずだ』と考えて、取材を許したというか、積極的にメディアに働きかけて、このグループが特に取材の対象になるように仕向けたと推理します。

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 私は小選挙区制には大反対です。あれによって、政治家が小粒になったと考えている人間です。その批判はだれもが感じるものですから、それを交わすために、タレントなどの知名度の高い人物が当選する道も、あの時併用をされました。

 これは、医師会や看護師などの、業界団体を代表するまじめな分野のオーソリティ(ただし、学究肌ではなくて、政治的な色気の強い人が代議士になるとは感じていますが)にも道を開いたわけですが、一方でタレント議員も輩出し続けました。

 タレントというのは、人気が出る前に相当厳しい競争にさらされていて、その中で伸びてきた人たちですから、いわゆるオーラがあり、かつ金持ちですから、よい衣装とか、よいお化粧をしているので、一般人とはまるで違うそうです。

 しかし、政治はおもちゃではありません。

 政治には大局観が必要ですが、と、同時に、いちいちの小さな決定も行われているわけです。次年度に予算を配分する事業を見直すというのは、ある意味で、予算を無駄遣いしないと言う方向で、正しいし、そのポイントが強調をされているので、国民は、一応それを、ゆるし批判をそれほど、していなかったのです。そして『あれよ、あれよ』という間に、大勢の人が組み立てあげてきた企画がつぶされていきました。

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 この映像を嫌がる国民内の空気と同時に、学者の世界で大・危機感が起きたのだと感じます。ところで、本当のことを言うと、一流の学者は、会議を好みません。会議に出てくる人は、学者の中でも事務的な雑務を嫌がらないタイプです。

 でも、会議に出席をして、案を練ってくれる同僚がいるから、自分の研究に予算が下りてくるのは知っています。だから、蓮舫議員の詰問のたたみかけで、負けて引き下がった女性学長を見て、これは非常に気の毒なことであるという、声が起きたと感じますし、ただでさえ予算が削られているのに、これから、先、新しい研究やら、新しい企画が通らないとすると、この技術立国たる日本が、これから、先滅亡やら、衰退に向かうと言う、本質に気がついたのでしょう。

 九つの国立大学の学長が、このスピードで会議を開き、記者会見を行うなど、ただ事ではありません。普通大学の会議など、企画を立てたり、部屋を使う許可をとったりするために、前準備に時間がかかるものなのです。

 それがこのスピードで、記者会見が開かれたのは、相当な危機感を学者が抱いたのを証明しています。

 以前テレビ朝日のニュース・ステーションをまだ見ていたころ、大衆ポピュリズムがいけないと言うことで、小泉さん批判に向けられていました。あの選挙期間中の演説カーに、大衆が大挙して群がる現象を批判して言われていたと思います。

 だけど、今の民主党の拙速主義、そして、畳み掛けるように何かを展開する技は、まさに大衆ポピュリズムの実践だと、私は考えます。中国には『竹林の七賢』という存在が、政治の実世界には、何も関与をしていないが、傍観者として、哲学的に、ものを考え、警世の言葉を発していた・・・・・という故事(または、理想をあらわした、言葉)が在ります。

 それを私は理想としていて、大木の下に住んでいるから、クヌギ林の七賢になりたいと発言をしたのが、2005年ごろでした。そのころは、国民がゆったりと意見を述べ、意見をお互いに交わす習慣が残っていたのです。

 今はまったく違います。特にJR東日本の嫌煙運動の高まりは、おかしいと思います。私はその因果関係が、ほぼつかめていますが、これも、国民いじめの方向です。国民を苦しめる決定が、民主党の神奈川県知事をはじめとして、ぐんぐん、進んでいきます。

 先日も中国の映画界が、活発だという番組をNHKで見ましたが、そこに登場する人たちは、ほとんどが葉巻を吸っていました。葉巻を吸う階層は、日本では自家用車、または運転手付きの車に乗っているでしょうから、駅周辺が禁煙になっても困らないでしょうが、一般の人、の中の喫煙者は、困りますね。

 メディアを利用して、・・・・・コンセンサスが一見すると・・・・・・できているみたいですが、こんなに性急に畳み掛けるように、『実際に効力が出る決定ができてしまうのは、非常なる悪政である』と、私は感じています。自民党にも悪いところはいっぱいあったでしょうが、民主党の手法には、独裁者の面影を、いっぱい感じる私です。

 今の日本には独裁者はいないはずなのですが、手法の方にそれが、結果として、現れています。学問の世界だけでも、異議申し立てた起きたのは、幸いでした。でも、それをしなければならないほど、民主党のやり口は、非・日本的です。
     2009年11月25日  雨宮舜(川崎 千恵子)
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内館牧子、朝青龍、細木和子(相撲の衰退)

2009-11-27 07:47:59 | Weblog

 09-11-26(木)の九州場所で、横綱・朝青龍が日馬富士に負けました。それを土俵下から見上げている白鵬。この三人の今日の主役がモンゴル出身者であるということはさておいて、朝青龍が負けたことによって、やっと盛り上がってきたみたいです。興業として収入面ではお祝いを申し上げたい。

 で、土俵上は熱が入っていましたが、つい、3,4日前の新聞では、九州場所に閑古鳥が鳴いているという報道がなされました。その原因ですが、不況の影響もあるでしょう。桟敷席を用意して取引先を招待する、会社が減ったのでしょう。それほど余裕がなくなった。だけど、テレビにチラッと映る会館内は、上のほうが空いているのです。つまり、一般席が埋まっていない。

 これは、相撲そのものの人気が落ちていることを示しています。私は二つ原因があると思っています。相撲の記事がスポーツ優先ではなくて、スター性・優先であって、それが、二代目、若乃花、貴乃花兄弟を、過剰に取材するころに頂点に達しました。それ以前の、栃・若、時代、柏・鵬時代よりも、はるかに、取材が過剰で、結婚とか、家族とかまで巻き込んでその報道がなされる。これは、一見すると派手でプラスのようですが、大いなるマイナスでした。

 横綱審議会というご意見番があるのですから、そこらあたりから、注意がマスコミに向かえばよかったと思います。この間サッカーで、押せ押せムードだった川崎フロンターレが、ひょいとした拍子で負けてしまって、選手たちがふてくされたのですが、その模様がテレビに写されたことがありました。その際、サッカー協会のチェアマンがそのことでしかったので、社長さんが謝罪をしたはずですね。

 対応がすばやいし、まともです。比較すると、あのころのマスコミの過熱報道がマイナスを生むというのは、私のように、一回も国技館へ行ったこともない人間にもわかるのですから、横綱審議委員会等の、当事者なら、当然推察ができるはずで、それを、マスコミに進言し、過剰報道を、抑えるべきだったと感じます。特に藤田憲子さんの、テレビ・カメラへの露出ほどマイナスだったものはありません。

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 しかし、もうひとつ大きなことがありました。それは、朝青龍を悪者にする動きです。ムーヴメントといってよいほど、彼は叩かれました。行動のいちいちが批判をされました。そして、いつの間にかヒール(プロレスで言うところの悪役らしい)という定義と冠が彼の頭に載ってしまったのです。

 これが、一般のファンを去らせたと、私は、考えます。相撲界の人間でも相当に頭のよい人とか、わかっている人は、この現象を忌むべきものだと思ったらしくて、舞の海が、朝青龍援護の文章を、どこかで発表をしていました。

 しかし、私にしてみれば、サッカー協会のチェアマンに当たる、横綱審議委員会の長は、何も発言をしません。事なかれ主義でした。そして、その傾向はどんどん、どんどん、進み、去年あたり、すさまじいことになっていました。

 これが、一般のファンを、多数離れさせた原因だと考えます。ガッツ・ポーズがいけないなどという、いじめに近いくさし、ばかりやっていては、朝青龍を強い人間、英雄として好きなファンたちは、矛盾に直面してしまい、嫌気が差してしまいます。だから、逃げたのです。横綱審議委員会というのは、名誉職なのかしら? 山田洋次監督なども、委員の一人のはずだったと思いますが、パフォーマンスの場として、そして、真実の人気を持つ、朝青龍の価値をどう考えておられて、どう評価をしておられるのでしょうか? 直接インタビューをしたいぐらいです。

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 さて、これから先は、例の私独特の論理の展開ですが、あたらずとも言えず遠からずでありましょう。この問題で、一番活発に動いているのが、内館牧子さんです。「朝青龍には、横綱としての品格がない」ということを繰り返し、マスコミのばで発言をしている人です。そして、横綱審議委員の一人でもあります。だから、他の横綱審議委員は、何も逆らわないのでしょう。

 私は彼女が週刊朝日に連載エッセイを持っていた(今も連載されているのだろうか? 知らないけれど)のを注目します。彼女が、例の植民地支配構造下の日本で、誰かから教唆をされたとまでは言いません。

 内館牧子さんにとっては、信念に基づいている発言でしょうし、他者から心理操作をされているなどとは、ご自分自身、夢にも思っておられないでしょう。

 だけど、結果として見えることがあります。それは、朝青龍のタニマチの有名人として細木和子さんが、いることです。この人が、愛国者のひとりです。番組を六チャンネルと八チャンネルに持っていたことがあって、しばしば見ましたが、発言が、この日本の将来を憂えるものが多かったのです。

 つまり、この日本にいてはいけない・・・(と植民地的、支配者側が思うであろう)・・・タイプの元気ものです。しかも過去に安岡生篤氏と交流があったといわれます。安岡生篤氏の著書など、私は読んだことがありません。でも、冠言葉としては、右翼の論客であったということを知っています。でね、細木和子女史の発言は筋金入りだと、みなされているだろうと、いうわけです。

 彼女は、現在の日本では、ホリエモン氏やみのもんた氏・・・(古くは角川春樹氏など多をも含むが)・・・などと同じく、つぶさなければいけないタイプの元気ものなのです。でも、この高度に微妙なる支配をしている、現在の宗主国・・・(真実の日本の支配者側)・・・は、簡単に尻尾を出すようなことはいたしません。

 超がつくほど、間接的で迂遠な道を通ります。偶発的な発言であったかもしれない内館牧子さんの「朝青龍には、品格がない」という発言が重みを持つように → 重みを持つように、 → 設定をしていくことは、大・マスコミにとっては、可能なことです。ニュースは操作をされています。ある一社が強く押すコメンテーターには、光が当たります。

 もちろん、繰り返しますが、内館牧子さんが、教唆を受けたり指導をされたりして、あの発言を繰り返しているとは思いません。だけど、彼女を主役にしたドキュメンタリー番組などがNHKで制作放送をされて、ともかく、大物扱いを受けていることは確かです。そして、大・週刊朝日に連載を持っているわけですから、インテリとして、プライドも高いでしょう。で、彼女は、ご自分のグループ内の知人を含めて、細木和子女史など大嫌いなはずでもあります。

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 ここで、ちょっと、わき道にそれますが、細木和子女史に関する私自身の感想を述べましょう。彼女は、水商売上がりだということを、しばしば匂わせてしまいます。特に言葉遣いで。また、安岡生篤氏の前夫人の一族から、遺産の件で「ずるいことした」といわれ続けているのも私は知っています。

 また、占いは、本で読む限り、乱暴で単純で、しかも個人的に相談をすれば高額のお金を取るらしくて、それは、いやらしい生き方でもあります。また、そこから得た高収入で、身を飾り立て、家も飾り立てていますが、購入した絵に、なんらの統一性が見られません。ただ、高いから買ったみたいだと思われ、思想も感性も感じられません。だから、もし一緒に暮らしたら、数日間で、私の方が逃げ出すタイプだと感じています。

 生活態度という意味では、西館牧子さんの方が自分には、合うというか、肯定しやすいタイプでしょう。

 それにもかかわらず、細木和子女史のストレートな発言の中にある、『この国の将来が本当に心配だ』という・・・・・心情は、とても尊いし、勇敢だ・・・・・と感じているのです。そのポイントで、彼女を結果としては、いじめる側になっている・・・・・西館牧子さんの朝青龍排斥風発言は、好みません。しかもその結果として、相撲界が沈滞しています。

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 長くなりました。が、ここで、一番大切なことは、この流れが、あに相撲協会だけに限らないということです。被・植民地国として、思想信条の自由が許されないときに、その国は衰退していくからです。しかもその元老統制と弾圧が、昔の特高時代とはまるで違った、やり方で行われていることに危機感を感じているわけです。

 私は日本という社会や国家が、急に悪くなっていったのは、小選挙区制をメルク・マールとして、あの時以来だと考えています。あの小選挙区制は、小沢一郎現民主党幹事長と、朝日新聞主導で行われました。

 今、事業仕分けという舞台で、図らずも、その拙速主義が、開示され、国民の目に見えました。このスピードで物事を決めてしまっては駄目なのです。それは日本が衰退に向かうことを確定し、

 ごく少数のマスコミセレブ・・・(それは、支配者側が、安心してその発言を許している、存在、・・・・・たとえば出版会で言えば、立花隆氏や、副島隆彦氏、テレビ界で言えばビートたけし氏や、高野孟氏)・・・だけが幸福で金持ちとなり、一般の人が、苦痛にあえぐ世界が、やってくるでしょう。いや、既にそうなっているかもしれません。

 ここで、踏みとどまって、民主党の拙速主義に対して、ノーといわなければなりません。そうしないと一般の人の苦痛はいや増すでしょう。
    2009年11月27日                 雨宮舜 

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国民が、総力を挙げて、政府を、監視をしなければ成らない事態です。

2009-11-25 23:46:18 | Weblog
 今日(09-11-25)朝、NHKでは、9つの大学の、学長が、この事業仕分けの決定は困るという記者会見を行いました。そして、その次の日の、同じく、NHKニュースでは、今最もノーベル賞に近いとされている(つまり、現在、現役で研究中の存在としては、最も、光が当たっている)山中先生の記者会見もありました。別の会場ですが、既にノーベル賞をおとりに成っている小林先生、野拠先生、利根川先生の会見もありました。

 皆さんが、この異常事態を、懸念して、『これは、危ない』とお感じになっているのです。でもね、心ある科学者の間では、選挙に民主党が勝つ前から、その乱暴さを懸念する声は上がっていたのです。でも、私は何も声を上げませんでした。

 それは、私の周辺があらゆる意味で監視されているからでした。それは、自分の個人的な生活の局面でもさまざまな形の被害としても起きますが、マスメディアの方向でも、ニュースが作られるという形で、起きるのです。これの例証(特に二千年以降のものは)は少し、時間を空けます。というのも、何かを言うと必ず私の発言を打ち消す方向で、事情が変わるからです。

 しかし、昔のことは言いましょう。1980年代に、毎日新聞のトップに青地〔これは、ここでは詳述を避ける技術用語です)の記事が出たときから感じていることなのです。というのも、実は、私は瀬島龍三氏と直接バッティングがあるからです。別に伊藤忠の豪壮なビルに出かけて、面会を求めたわけではありません。

 私は静かに横須賀の山の上に住んでいたのですが、隣接道路の地主として、益山氏という元海軍参謀がいて、その人が、地籍変更届の形で、2.73平米の土地を、4270平米に増やす、一種の詐欺を行い、その際に、私の土地を、掠め取る可能性が起きて、戦って勝ったことがあって、その際に、益山氏は、瀬島龍三氏に援助を乞うたみたいなのです。

 2007年まで、そこの土地は、伊藤忠何とかという名前の(一種の形としては伊藤忠の子会社)と中野氏(益山夫人の弟)の共有名義になっているはずです。と電話をかけてきた向こう側の測量士は言っていました。今、2009年はどうなっているかはわかりませんが・・・・・

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 それ以来、私の周辺には奇妙なことが数々起こり、それゆえに、私は瀬島龍三氏という人物をこちら側も監視し続け、彼が、日本の要人の誰と結びついており、誰を動かしているかを知ることと成ります。文化人の中でももちろん支配が行き届いています。その会合の現場を見たわけではないですよ。でも、ニュースを仔細に検討すると、わかるのです。

 で、私が常にいう「日本は植民地です。高度に洗練されていて、昔の中国やら、インドとは違うが、一種の被支配下の植民地です」は、瀬島龍三氏が、その宗主国の、一番のエージェントである、または、あったと考えているから、そういう断言につながりました。

 瀬島龍三氏は、亡くなったそうですが、それも、一種のカモフラージュであるのではないかと思うほど、私に関する状況は変わりません。まあ、死亡は医者の死亡証明書等の発行もあるので、事実でしょうが、そっくりそのまま、行動と意志および、目的を引き継いだ人間がいる模様です。

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 そういう観察から導き出されることは、民主党の小沢幹事長こそ、その宗主国(または宗主団体)のお覚えの、もっともめでたい人だということです。最もかわいがられている人物です。これは、金丸信氏等の影響があるのでしょう。

 山梨県に都留文科大学ができて、その学生は、アメリカへ、留学ができるそうで、そのもっとも華々しい活動家〔結実)は上杉隆氏です。上杉隆氏が、田中真紀子さんのご長女の離婚の記事を、週刊文春に載せたときに、以前から考えていた、私の推定が、当たったと感じました。まあ、今、田中真紀子さんは小沢幹事長の下へ身を寄せたようですから、何がなにやらわからないということもいえますが・・・・・

 つまり、被支配下の日本が、一ぱしの、独立国のような顔をして、日中国交回復をやったので、宗主国は激怒したというわけです。その当事者が、田中角栄元首相なので、彼はロッキード事件で追い落とされました。その孫さえ、マスコミを使用していじめられるているわけです。恐ろしいというか、残酷というか。

 小沢幹事長は、宗主国(それは、今ではグローバリズムゆえに、アメリカ一国とは限りませんが、それの一番の支援を受けているわけですから、)それゆえに、辣腕とか、豪腕とかマスコミから持ち上げられています。彼は、安心して、日本で一番偉い人として蛮勇を振るえるわけですから、辣腕となります。

 しかし、彼が、本当の意味で、日本とか、日本人を大切に扱っているとは思えません。格好だけは馬鹿によいですよ。この09年の二月に、クリントン(マダム)国務長官が来日したときに、アメリカに矢を向けるような発言がありましたね。

 そんな発言をして自由に安全に生きられるのが不思議です。普通なら第二の角栄さんになるはずです。しかも、彼がそうまで言ったのに、沖縄の基地の移転も今、できません。アメリカに逆らうのなど決死の覚悟が要ります。彼の発言、あれは、単なる、カモフラージュだったと私は考えています。アメリカとの関係が無いように振舞う、ために。

 日本を大切に思い、日本人を大切に考えるのなら、教育は根幹をなすものです。それに関連する事業を、一タレント上がりの代議士、(それは、どんなに美形でオーラがあろうとも、学問を長らくしかも地道な立場で、研究してきた人間ではありません)に、つぶされる事態を招いているわけです。

 今日、政府はあわてて、若田さんを表彰しました。本当にマッチポンプ、朝令暮改です。国民に人気があるはずの若田さんを取り込んで、国民の多数の人気を自分方に引き寄せたつもりになっているのなら、それこそ、大衆を騙す、ポピュリズムです。ご自分たちが大声で批判をしたポピュリズムを、自分たちが実践をしているわけです。

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 文部科学省も、この事態に驚いて、何らかの委員会を開いたみたいです。しかし、委員長は、「政治主導で判断したい」と最後に述べました。政治主導とは何かというと、大臣、副大臣、と、もう一人で決定をするそうです。

 これって、独裁的手法です。本当に民主党は乱暴です。どうしてそんなに権限があるかといえば、日本で一番えらいのは、小沢幹事長だからです。彼がなぜ偉いのかは、植民地支配をしているその支配者側と、緊密に結びついていて、一種の暗殺さえ行える人だからです。それほどの力があるからです。

 最近、何とか、というタイトルの、副島隆彦氏の本が、ベストセラー扱いで、八重洲ブックセンターの入り口に平積みをされていましたが、

 その中で、副島隆彦氏は、心から尊敬しているみたいに、『小沢一郎、氏は、日本の王である』といっています。それは、あたっているでしょう。権力があるという意味では最も高い、かつ強力な権力を持っています。

 彼は警察を動かせるし、JR東日本も動かせるし、NTTも動かせます。グーグルと、マイクロスフとと、OCNと、AOLは、彼の支配ではなくて国際的グローバル支配の組織が動かしているのかもしれませんが、彼が『こうせよ』というタイミングを決定している可能性はあります。

 私の場合、銀行のカード、国民健康保険証〔その使い道)、ケイタイ、家庭内固定電話、それらは、使用するたびに、私がどこへいるかが把握をされます。郵便も監視されています。その結果電車が目の前で停まったり遅延をしたりします。

 そして、このブログ等も、非常に抑圧されています。


 パソコンはぐんぐん壊れます。仕事をまともにやるために、中古を混ぜて、この10年間に、11台買いなおしました。プリンターは四台持っていますが、すぐ、使えなくなるので、すべて、外の時間貸しパソコンでプリントアウトをしています。

 友人は離反をさせられ、他者との人的・交流はまったく自由ではありません。常に悪口を振りまかれていて、悪者にされています。

 これらの、私に対するさまざまな謀議と、仕掛けは、心理的に言えば、一種の暗殺に等しいと考えています。

 そういえば、厚生事務次官が、あっという間に、ふた家族暗殺されました。一軒はご主人が外出中でしたが、もう一軒のほうでは、完璧に夫婦二人がなくなったと思います。

 これは、とても、不思議です。殺人などは、高村薫さんのミステリーではないが、ものすごく緊張する大変なことだと感じますのに、普通の男性が、一人で、一晩に二つの遠く離れた場所で、易々とそれを行ったのですよ。普通ならできないはずです。

 しかも警視庁(桜田門)に出頭をした後、精神鑑定に回されたものの、その後の報告が一切出ません。これは変ですね。こんなに長い間、精神鑑定に時間がかかったケースは、過去にないでしょう。

 戦時中の甘粕大尉ではないが、一種の替え玉自主であった可能性も感じます。そうすると、甘粕大尉がそうであった(?)ように、海外へ逃亡を許されている可能性すらあります。甘粕大尉の件は、真相が外に出ていませんが、大杉栄を暗殺したのは、別の人物だという説があります。

 それを聞くと、甘粕大尉が、それほどの、悪事をなしたのに、満映の総裁として、それ以降も重要な地位にあり、満州国を植民地として支配するのに辣腕を振るったことも、頷けることとなります。・・・・・彼の心中には良心に恥じるところが無かったので、確実に生き続けることができた。ただし、日本が滅亡すれば、自分の命が無いことも知っていたので、自殺をした。・・・・・と私は、考えます。

 福田総理大臣が辞めたときに、小池百合子氏、中川秀直氏、前原誠司氏、等が新党を結成すると見られていました。ところがそれがつぶれました。それは、この事件が暗殺であるということを、政治のプロはみんなわかっていたからでしょう。

 もう一人、中川もと大臣(酔った姿で記者会見をして、世界中から非難をされた)も精神的な意味での、暗殺と考えられます。実際の死亡は時間の経過がありましたが、もし、別の報道で言われているように、わざと時間的に、間に合わないタイミングで呑まされたり、過剰な量を勧められたり、または、ワインに睡眠導入剤等を入れられていたりしたら、一種の心理的な暗殺であることは確かです。

 でね、日本という国はとても危ないところに来ています。コメンテーターの中で気骨のある人は、すべて、一種の冤罪〔破廉恥罪)で気力を失わさせられていますし、本当に大変なところにきています。

 国民は一人一人、きちんと、かつしっかりと目を開けて、民主党がどういうことをやるのかを監視して、それが、将来の日本にとってどういう意味を持つのかを検証しなければなりません。

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 もうひとつ証拠があります。09-11-25の朝日新聞・朝刊には、どこを探しても、前日、九つの大学の学長が記者会見をした情報が、記事として、載っていないのです。これこそ、朝日新聞が、植民地支配側にもっとも忠実であるという証拠です。

 民主党の失敗については、できるだけ触れない。いや、絶対に触れないつもりだ。どうしてかは、先ほども言ったように、民主党小沢幹事長が、植民地的・支配側の、お覚えのめでたい、現在の日本で、もっとも強い権力者だからです。で、その権力にひれ伏しているのが、朝日新聞とテレビ朝日です。それに「あらたにす」などという組織さえできて、読売や日経新聞をはじめ、すべてのマスコミが同調するような方向へ、向かわされています。

 それを許していたら、日本人の生活は本当に悲惨なものに成るでしょう。

 こういう私の説を裏付ける現象については、まだまだ他にあって、それは、引き続き書いていきたいと感じています。では、今日はこれで、2009年11月25日、
         雨宮 舜 (川崎 千恵子)
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教職課程、要・六年は、大問題です。

2009-11-24 21:30:43 | Weblog
 教職課程を六年間とする案が出ていて、それが先生になる人を減らすであろうという論議も出ているそうです。これは又聞きなので、正確なことを知らないのですが、

 一種のパターン化している、日本つぶしのひとつです。つまり、大切なのは将来です。未来です。それを貧しいものにするのが、教育改革と名づけられた数々の方針です。

 ゆとり教育のこともそうですが、こどもや若い人がまっすぐに育たないように、させられているのが日本の教育です。6年間も親から大学〔プラス大学院)の費用を出してもらっても、医者や弁護士ほど、収入の自由が見込めません。自営業ではないので、決まったお給料しか出ないからです。そうすると投下資本の回収が見込めないので、よい人材が集まりません。

 それゆえに、子供たちが喜びの中でまっすぐ育つように指導する先生の数が減ります。大体、大学で長時間学ぶことで、人格が形成されるわけでもないのです。それ以前の問題があって、そこで立派な人格を涵養したひとを、六年間も束縛する必要はありません。

 その結果、どうなるかというと、結局は日本の国力が落ちてしまうので、今現在平安に暮らしている、上の世代も追い詰められることと成ります。

 20年前の日本国民が、今、現在の日本の姿を予測したでしょうか?

 今決定することは、20年後に関係があります。そのくらいのロング・ディスタンスでものを考えなければ成らないのに、そうではない行政が行われています。

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 しかもこういう教育制度の改革が、国民のコンセンサスを得ないで、突然に行われるのが不思議です。で、私はこういう面こそ、日本が被・植民地国になっている明瞭な証左だと考えています。、

 インドは、イギリスの植民地であったことがあります。しかし、今は違います。それで、国民に対する教育が熱心です。数学の分野で英才教育が行われているそうです。テレビでそういう映像も見ました。

 それを見た日本人の親たちも羨望をしていて、インド系の幼稚園に入れる日本人の親さえいるそうですが、大本の文部科学省が、めちゃくちゃな方向へ走っています。

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 これから先は例の私の見てきたようなうそをいい、の類ですが、どこかの外国に白亜の豪邸があり、その中のウォールナットの壁に囲まれた部屋で、三、四人の紳士が話し合っていたとします。これはオバマ大統領と、その閣僚でもなく、鉄の女と称されたサッチャー首相とその閣僚でもなく、大物だと言われていたミッテラン大統領とその閣僚でもありません。

 一般の人が、その名前や、顔を知らない紳士たちです。彼らのうちA氏が「日本人とはまったく厄介な人間だ」と発言をすると、B氏が「そういえば村上春樹だ。あの男は朝日新聞から長年にわたって、原稿料を受け取り、その知名度を上げてやるという形で、飼っていて、今では、脱日本社会まで果たしてやっているのに、とんでもない発言をして」といったりしたと仮定します。すると三人目の紳士が、「まったく飼い犬に手をかまれたとは、あの日のことだ」と発言を添えたりするとも仮定をします。さらに仮定と想像を続ければ、・・・・・

 A氏「ともかく、日本人はサラブレッドだ。結構優秀なところもある。しかし、調教師とジョッキーは私たちである。私たちが馴致し、えさを与え、指導をしているのだ。それを、忘れた行動は許さない」

 B氏「戦略上、今問題なのは、みのもんたです。彼をつぶすためにはTBSをあらゆるポイントからたたく必要があります」

 C氏「それもそうですが、雑魚もたたいておかなければ成りません。弱いところからせめていきましょう。音と、インターネットの禁止やら、妨害を使うこと、パソコン等を、壊すこと。それも誰がやったかがわからないようにして、心身ともに破滅をさせること」

 A氏、「そういう個別的なことも大切だ。しかし、そういうことは現場のスタッフに任せよう。もっと根本案としては、日本の教育をいじることだ。生かさず殺さず、技術的には教育を与え、進歩させる。しかし、哲学や、社会学、政治学等において、国民のレベルが上がることは、許しては駄目だ。文部科学省の○○を動かせ。直接では駄目だから。エージェントの、△△にすぐ指令を出し、○○を教導するように設定しよう」・・・・・

 B氏、C氏、頷いて部屋を去る。

 上は単なる想像です。そして、繰り返しますが、このA,B,Cの三紳士は各国の元首などではありません。表にいる政府が他国を支配するはずはない。特にこの通信と情報の発達した現在では。しかし、各国にはその国をもり立て、発展をさせようとする、ストラテジストがいるのですが、と同時に、国際的な大資本家が、ストラテジーを立てていて、

 各国の表舞台の要人を、あごで使っている可能性さえあるのです。

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 オバマ大統領の来日の際の二つの行動が、アメリカ国内で大論議を引き起こしたといわれています。オバマ大統領の演説には、草稿を書く人材がいるそうです。それを鵜呑みにして、ただ、口パクパクであるとも考えられません。

 多分、裁判(9.11の容疑者を、普通の法廷で裁く・・・・・私がここで、換言をすれば・・・・・東京裁判やニュルンベルグ裁判の形式を踏襲しない・・・・・)は、夫婦そろって法学関係のエリートである、オバマ大統領の自らの発想だと考えますが、

 平成天皇陛下に対する角度がきゅう過ぎたお辞儀は、上に上げた仮想の、三人の紳士の要請であったとも考えているのです。つまり、「ここで、少し、日本人を持ち上げておけ。その方がガス抜きができる・・・・・つまり、一般の国民が、ひとりひとり、村上春樹化したら、大変だから・・・・・」という伝達でもあって・・・・・ああいう深いお辞儀になった。と。

 もちろん、この想像は20%も、確率的にはあたっていないでしょう。その方を私自身望んでいます。でも、それなら、国際的なグローバリズムと、その収奪に貢献するような教育制度の改悪は、ぜひ、国民のコンセンサスとして、阻止しなければなりません。
 ま、私が何を言ったって、蚊の鳴くほども、影響力がないでしょうが・・・・・それでも、数々の、この身にこうむった被害を乗り越え、試練を乗り越えてきた私ですから、この発言をいたします。別にえらいからするわけではなくて、バランスの問題から、ここまで言っても、天が許すだろうと考えます。

 普通の日本人の一人として、明るく笑いながら、未来を信じて生きて行きたいから・・・・・2004年11月24日  雨宮舜(川崎 千恵子)
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隣人は善人だった。音による発言者つぶしー2

2009-11-23 23:58:56 | Weblog
 この投石が起きたのは、この日で、4、5回目でした。だから、七度目でもないし、お隣には、この件での質問を、過去には一回もしたことがないのです。でも、オープンハウスつぶしは、去年も行われていて、同時期に、三人展を開いた家があって、数が多いからそちらのほうがにぎやかだったのです。その関係者だと思われる人物が、我が家の門扉の前に、竹ぼうきを立てかけてありました。特に前夜に。気が付いたので、脇にどけましたけれど。

 お客が、『あれ、歓迎されていないのだ』と誤解をして、門扉を開けないで、帰る可能性もあったのです。『とても小さなお話だ。聞くのもいやな話だ』と、読者であるあなたは、お考えでしょう。だけど、こういう例証を通じて、私はかえって自分に自信を持ちました。『私が発言をしている内容は、とても、正しいのだ。だから、迫害をされる』と、感じ始めたからです。

 特に、『日本は、歴史上初めて現れた、高度にかつ巧妙に管理された、一種の植民地である』などという発言が、正しかったと感じています。その結果、国民のお金はさまざまな金融商品とか、為替差損を通じて、国際的、大資本家に掬い取られるし、生活費は高い(ニューヨークより1.5倍はかかります)し、・・・・・と、さまざまな損失と、不安感が国民内にはびこる・・・・・と、私は考えているわけです。

 次の回から、それらの例証として、さらにいろいろなケースを上げて行きたいのですが、『そういう私の姿勢と思考が弾圧を受けるのだ』と、考えはじめました。それが、巧妙を極めていて、一応ですが、個人的な話となってしまうわけです。一見すると政治とは無関係な個人の嫉妬とか、競争心の問題へと堕してしまうわけです。が、本質はもっと違うところにあると、考えはじめました。

 その原因ですが、

 私は別に、1960年ごろの学生運動の指導者並みに「現内閣は、アメリカの傀儡政権である」などと、政治的に過激な発言を、今までしたつもりはありません。でも、私程度の元気さでも、『そのエネルギーが高い程度が、問題である』と感じる勢力が、この日本に現在でも、存在するのです。あの1960年当時よりも厳しいレベルで、言論統制が行われていると感じます。

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 さて、お隣ではないと確信をしつつも、まず、お隣から『違う』という意味で、つぶしていかないといけないので、それをどうするかを考え抜きました。角度のことは科学的に判断をしたいと考えましたので、実験を続けていきました。

 すると、私自身が壁に当てても、音もしないし、凹みも起こらないのです。つまり、女性の、か弱い力では、相当の遠くから当てないと、音も出ないし、凹みも起こりません。だけど、お隣との間には、はば一メートル弱のスペースしかないので、お隣に入らないと、石が投げられません。しかし、こんな問題で、お隣が、その庭に入るのを許可してくれるわけがないのは、明白です。

 でね、仕方がなく、我が家の敷地内から、音が出るまでの力強さを、石に与えるための実験をこなしているうちに、『そのためには、斜めでもいいから、六、七メートル以上は、離れることが必要だ』とわかりました。

 この『斜めでも、可能だ』ということが、加害者が誰であるかについて、大いなるヒントを与えてくれました。

 つまり、我が家または、お隣の庭の一部に入って、投石をすれば、音も出るし、凹みもできます。別に直角に投げ込む必要はないのでした。

 ただ、そのとき以前は、へこみの真下、直角のところに二つに割れた石が落ちていたので、入力角も直角であると推定していたのです。しかし、石の加速加重は、トタン壁に当たった途端、凹みを作り、そこで、失われて、ただ、へこみと直角に、真下に落ちるだけだったのです。

 我が家はセキュリティに関しては、今のところ、何もやっていません。盗聴調査などもやっていないし、セコム等にも頼んでいません。だから、そっと我が家の敷地内に入り込むのは、北側および、南側からは可能です。で、壁に直角の位置までは入りこまないで、遠く斜めから投げつけていたと推定できました。

 お隣も、西側、および南側にはフェンスが無いし、特に西側は平地で段差がないので、そちらから進入するのは簡単なのです。石は一晩に一回だけ投げ込まれます。一回だけ、大きな石を斜めから壁にぶつけて逃げ去るのは、簡単なことでしょう。誰にでもできることだったのです。高度なスパイ用訓練を受けた人が、やっているわけでもなかったのです。

 この石は、どこにでも転がっているタイプなので、我が家の南側にもたくさん落ちているので、私は何回も実験を繰り返すことができました。強度、角度について確かめながら、何度も、壁に石をぶつけてみたのです。すると音が出ます。微妙でいやな音です。ガツンとぶつかるが、何のために、そんな音を出しているのかが、お隣には、不思議でしょう。真夜中ではなくて、昼日中にそれが発生しても、やはり、いやな音のひとつなのです。

 隣の家にぶつかっているのを聞くだけでいやなものだから、まして、真夜中に、たとえ、一回とはいえ、自分の家にぶつけられる、私のいやな気持ちを、皆様も推しはかってくださいませ。

 その嫌な音を立て続けているうちに、奥さんが二階の窓からこちらを見ているのに、一回ほど、私が気が付きました。『ラッキー』と私は内心で思いました。あの姿を見ただけでも、お隣がやっていないことは確かです。99%お隣ではないと感じました。

 もし、お隣に寸毫でも後ろめたいところがあったら、この私の実験の本当の意味がわかるから、実験している姿を無視するはずなのです。『やったー。やっぱりお隣はよい人だったのだ』と感じるのは、なんと、素敵なことだったでしょう。

 だけど、私は間隔をあけて都合四回ほど、同じ実験を続けました。一回に、七、八個の石を投げて壁は凹みだらけになりましたが、因果関係が明らかになるほうがうれしかったからです。

 予測どおりお隣が、その不思議な音にたまらなくなって、質問をしに出ていらっしゃいました。これは、本当に偶然の結果なのですが、幸運のきわみで、『やはり、神は存在する』と感じました。

 単に、科学的な予想をつけるための実験でしたが、心理的な意味での解決にもつながったからです。

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 お隣から上品極まりないご主人が出てきて、「何をなさっているのですか?」と問われたので、かくかくしかじかと事情を説明すると、「もちろん、うちはそんなことはやっていません」とおっしゃいます。私もすぐ肯定します。「もちろん、今の実験の結果、斜めからでも音が出るのがわかりましたから、お宅か我が家の庭に入って、投げているのだと思います。今までは直角にぶつけられたと考えていましたから、そうなると、お宅以外に無いので、迷っていたのです。

 そして、そのように迷っていたからこそ、投げられた後、すぐその瞬間に外へ出て、誰がそれをやっているのかを、確かめることができませんでした。つまりお宅とごたごたしたくはないので、遠慮をするというか、何もできなかったのです。でも、これからは、すぐ外へ出て確かめましょう」と答えました。それで、解決です。

 これからは、この石のぶつかる音がすれば、直ちに外へ出てみましょう。さすれば、誰かが走って逃げる足音が、山なら、草ずれでわかるし、道路なら、靴音でわかるはずです。じっと耳を澄ませば、ドアを開ける音なども、聞こえてくるでしょう。それで、この山の人なら、誰がやっているかがわかるし、遠くからの侵入者がやっているのなら、明け方まで我慢しながら待っていれば、道はひとつしかないのですから、山を降りていく気配などもわかるはずです。街灯でその姿を確認することもできるはずです。

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 でもね、音による攻撃はこれだけではありません、すさまじいレベルで繰り返されます。それゆえに、発言者を、つぶす手段として、音〔楽器のハノン練習が、窓を開けて行われること、また、深夜12時過ぎにお風呂へ入ると、そのとたんに外で鈴の音がするなどの、生活騒音を含む)が、使われているのは確信しています。
 
 一種の言論弾圧ですが、昔の特高みたいな単純な方法では、今はないのです。

 いしいひさいち氏にも、何らかの方法で、音による攻撃が行われた可能性を感じます。で、彼は、それに参ってしまったのでしょう。

 つまり、心理的な破滅を狙うということです。めいってしまいます。普通のやり方では、解決不可能な音ですからね。今回の解決方法は偶然が加味していて、とてもラッキーな形で終わりました。が、うまくコミュニケーションが取れなかったら、大変な損失を、私がこうむるところだったのです。つまり、お隣はやっていないのに、お互いにすっきりしない疑惑の中で、終わるだけで、以降の付き合いがギクシャクしたものになるかもしれなかったのです。

 こういうことを企画した人間は、頭はよいのでしょうが、非常に悪意に満ちた、性格・破綻者でもあります。私には誰が企画をしたか(それはもちろんですが、ご近所さまではありません。遠くに住んでいる人です)、また、実際に石を投げたのは、誰なのかも、だいたい見当が付いていますが・・・・・

         では、2009年11月21日 雨宮 舜(川崎 千恵子)
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優秀なコメンテーターは、騒音によってつぶされる(いしいひさいちー3)

2009-11-22 23:41:08 | Weblog
 そのいしいひさいち氏の漫画には、もうひとつ重要な隠れテーマがあります。それは音です。今現在、音がひとつの武器として、シャープなコメンテーターとかメッセージ発言者に向かって、つぶすための武器として、使われている可能性があります。

 これから、先はいしいひさいち氏に関しては、例の私固有の見てきたような嘘をいいの類ですが、こと、私に関しては事実としての記述です。

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 創作をする人間は夜型が多いと思います。夜は社会全体が静かです。また、訪問者も電話もありません。で、集中が必要なタイプは、よる仕事をする可能性があります。私も夜になるとらんらんと目がさえてくるほうで、徹夜をするのもたびたびですが、いしいひさいち氏も夜が、アイデアを練る時間だったと仮定してみましょう。

 氏が仕事をする場所がマンションだったか、一戸建てだったかは私は知りませんが、どちらにしても今は、サッシが多用されていますので、光が外へ漏れるので、その人物が、夜型かそうでないかは、誰でも観察することができます。

 いしいひさいち氏の窓か、ドアに向かって、石が投げつけられたと仮定をしてみましょう。それが毎日のことではなくて、数カ月おきに一回として起きると仮定をしてみます。

 そうなると、かえって不思議で気にかかるものです。しかも一戸建ての家に住んでいて、投げつけられる角度が、隣の家発である場合など、悩んでしまいます。どうして自分が、隣の家から石をぶつけられなければ成らないかが、わからないからです。普通に暮らしていて、何の喧嘩もしていない相手から、普通の場合は石など、投げつけられませんよね。

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 いしい氏に似たようなことが起きていれば、多分、悩んだはずです。創作者とは大体が繊細なはずだからです。

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 私の場合はそのケースがものの見事に解決をしました。ちょっと少年冒険譚みたいな形で、解決をしました。それゆえに、ここで、一種のエンタメとして事情をさらしてみましょう。

 08年の秋からそれは、起きました。数ヶ月に一回です。だけど、相当に大きな石のあたる音が寝室の外壁やら、トイレの外壁の方向から聞こえてきて、次の日の朝、その場所を点検してみると、・・・・・ふるやを買った外壁の、前の人が建築した・・・・・トタンの壁に、凹みが出ていて、その下に、鎌倉の山ならざらにある、やわらかい石が二つに割れて落ちています。

 だから、これは、架空の話ではなくて実際に当てられるわけです。でも、主人に言っても信じません。たまたま私たち夫婦は、子供が家を出た後では、空き部屋がでたので、別寝室にしています。生活時間帯が違いすぎるからです。私は深夜型、主人は早起き型だからです。で、主人は二階に寝ています。私は一階です。

 一階の外に投げつけられる音は、二階までは響きませんし、午前二時近くなど主人は白河夜船ですから、まったくその音には気がつきません。それでも「こんないやな音が、真夜中にするのよ。角度から言うとお隣から投げつけられているみたい」と、主人に訴えれば「お隣は、大変上品なご夫婦だから、あのお隣がそんなことをするわけがない」といいます。

 これがノイローゼを生むポイントです。自分が言っていることが誰にも信じてもらえなければ、その人の悩みは深くなります。でも、私の場合は音による攻撃は他にも数百回種類の違うものが、過去にすでにあって、これが、私のような小さな立場でも、メッセージを発するものを迫害することを目的に、構造的に行われているのを、既にわかっているので、問題は、誰がやっているかを確認することだけでした。

 ノイローゼなどにはなりません。だけど、どうやって、誰がやっているのかを確認するかは、超がつくほどの難問です。

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 本当のことを言うと、やっている人間も、大体わかっていました。正しい攻撃者はもちろん、お隣ではありません。特に起きるタイミングを考察すると、お隣ではないということが確かでした。

 たとえば、オープンハウスの前夜に起きます。これは、オープンハウスというのが、普段おとなしく静かに生活をしている私にとってはへヴィー・デューティであり、前夜熟睡できないと困るから、この日を狙うのは意味があるわけです。私を『健康面からつぶすのには、それが効果的である』と、誰かが考えているのでしょう。

 非常に迂遠であり、間接的でありますが、一種の言論弾圧と考えれば、納得の行く行動です。なるほど、なるほど・・・・・と、いつも考えています。

 でね、これは、繰り返されると困るので、止めさせなければなりません。まず、お隣であったら、抗議をしなければ成りません。それが困ったことにお隣も深夜型の生活なのです。だから、単純に考えれば、まるで、お隣がやっているかのごとく見えます。この山には実質で、15軒ぐらいの人が住んでいますが、深夜型の生活者は、我が家とお隣だけなのです。

 でね、元に戻りますが、消去法で、お隣がやっていないことを確かめたいのですが、これが非常に難しいことです。昔のことわざに『七たびたずねて、人を疑え』というのがあって、七回確認してから、相手に疑問をぶつけなさいというわけです。まだ、一回も問い合わせていません。

 しかも第一回目から、相手に嫌がられて、嫌われる可能性が高い質問です。さあ、困った、困ったです。実際にはどうしたかは、次の回へ持ち越させてくださいませ。プチ・ミステリーとしてです。2009年11月21日
                   雨宮舜 (川崎 千恵子)
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ののちゃん休載の2・・・・・・政治に関する発言が原因か?

2009-11-22 00:33:58 | Weblog
 はじめにお断りをさせてくださいませ。普通は、24時間をあけて、次の文章をアップロードしていくのですが、今日は10時間で更新しています。いしいひさいち氏の『ののちゃん』休載のニュースを読んで抱いた感想の1が下にあります。この文章はその続きです。どうか、よろしく。 

 作者名が、いしいひさいち氏であると知ったときの、私の驚きといったらありませんでした。・・・・・・これは、もしかすると、ギャグ漫画家としての激務以上の裏側があるのではないか・・・・・と考え始めました。

 休載前の、最後の漫画が、それを示唆していました。朝日新聞を取っていない方のために、四こまのプロットを簡単に説明しますと、

 常日頃登場する、犬のぽちが今日の主役です。家族が出払って誰もいないはずの母屋から、何かの物音が聞こえてきます。ポチは恐怖でぶるぶる震えます。そして、犬小屋の入り口をパタンと閉じてしまいます。

 秀逸です。

 というのも、いしいひさいち氏の病気が、ノイローゼであることを、見事に示唆しているからです。ガンとか、感染症の類ではないでしょう。それなら、なんとか、がんばるはずです。そうではなくて、心の病だと感じられます。普通の場合ですと、創作とはアドレナリンがもっとも活発に出る行動のひとつだそうですから、喜びに満ちているはずです。

 だけど、朝日新聞の朝刊の四こま漫画を担当する、作家という立場は、あらゆる点で、激務であるはずです。いしいひさいち氏は、連載を引き受ける前には、十分にその点にも配慮をしたはずで、テーマをホームコメディに絞っています。

 ののチャンというのは、小学生で、その家族やら学校生活がテーマです。別に政治には関係していません。これは安全で長続きをするテーマのはずです。

 私は別に有名人でもないし、お金を稼いでいるわけでもないが、自分が文章を書く場合に、最近ではテーマを非常に気をつけて選んでいます。オバマ来日の際に、記者会見の中の9.11容疑者に関する裁判の問題と、天皇陛下との昼食の際のおじぎが、大論争の的となっていた模様ですが、それに一切触れなかったのも、意見が無いわけではなくて、あるからこそ、発信しないのです。

 できるだけ、芸術の方向へ絞っていこうと考えているほどです。だから、いしいひさいち氏の狙いも今ではわかります。でも、ホームコメディであるからこそ、その作者がいしいひさいち氏であることには、今日まで、一切気が付きませんでした。

 いしいひさいち氏に対する感覚としては、秀逸なテレビ・コメンテーターの一人であるというものです。漫画のことにはあまり、気がつきませんでした。特に『ののちゃん』の作者がいしいひさいち氏であることには、気がつきませんでした。
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 ある個人に、ある立場があたえられると、その立場ゆえの新しい別の仕事が与えられるようです。漫画家とか画家とか言う自営業の場合、会社での出世は無いわけですから、別業への進出があれば、それは、経済的にはありがたいことでしょう。

 文章系の作家はよく、講演会に出演します。あの出演料が高いらしい。それの企画者が自治体等であると、税金を使って催しを開いてもらえますので、もっとも安全な手法で、大金を稼ぐことができます。テレビの世界に登場する有名人であると、スーツひとつでも、銀座の英国屋であつらえたりするはずで、それは、単位がひとつ上の出費となるでしょう。そういう、セレブとしての生活が可能になります。

 だけど、いしいひさいち氏のテレビ出演時には、そういう服装ではありませんでした。これは、10年以上前の、ニュースショー内での観察です。今現在の私はテレビを見ておりません。だから、氏が現在、どういう風に変化しているのかを知りません。だけど、『まじめだな』という印象を、当時は持ちました。特に政治に対する発言がまともであり、まじめであるとの印象を持ちました。

 華美な服装を選んで出演するわけでもないし、意見(コメント)もはっきりしています。

 →しかし、というか、実はというか、まじめな人は折れやすいのです。それはいえます。
 だけど、今日の漫画は、別の問題をも示唆しています。それがとても気にかかります。ので、この項目は、別の日にも続篇ー3として掲載をさせていただきたいのです。

 ただ、繰り返しとなりますが、今日の一編はことさらに秀逸で、氏は、長い間、このアイデアを暖めていたと、私は想像いたします。大・朝日新聞にアナをあけてはならないので、休載の件は担当編集者と、だいぶ前から話し合いがもたれていたはずで、その間に、このアイデアが浮かんだのでしょう。乾坤一擲の四こまでした。喝采をここにささげたいです。では。

      2009年11月21日  雨宮舜(川崎 千恵子)
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ののちゃん(朝日新聞)休載・・・・・漫画家という激務

2009-11-21 14:18:19 | Weblog
 私はこのごろ新聞を読まないことにしているのです。しかし、本日は、朝起きたときに、熟睡憾がありました。午前四時から八時まで寝ただけですが、快調な感じ。『これなら体力が横溢しているから、集中すれば、今日予定していた仕事は全部、後でこなせるでしょう』と考え、隅から隅まで新聞を読んでいたのです。

 例のごとく、すぐ、猫がひざに乗ってきます。私が大好きで、遊んでもらいたいのですが、彼女から見れば、お母さんはいつも忙しそうです。彼女はずっと我慢をしています。だから、新聞を読んでいるときなど、大チャンスだと考えるのでしょう。で、甘えきってきます。新聞の上に乗ったりして、読むのを邪魔します。それを、抱いたりどけたりしながら、新聞を読み続けていると、朝日新聞の社会面、左側に、小さくですが、「ののちゃんは、作者が病気のために、休載します」と出ています。

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 びっくりして上の漫画を読んでみました。非常に秀逸な漫画でした。この時点では作者名を確かめていません。が、秀逸なこと限りが無い作品で、いつもより出来がよいと感じました。作者は病気にもかかわらず、今日の一点に、渾身の力を込めたと考えます。

 ギャグ漫画で最近、面白いと考えているのは、週刊文春他で連載している高橋春男氏です。ここで、挿入ですが、有名人に対して、私が敬称をつけない場合と、つける場合があって、その区別はたぶん、創作と言うポイントに関連しています。ここで、漫画家に敬称をつけるわけは、漫画が創作の対象としては、激務であると考えて、尊敬をしているからです。

 特にギャグ漫画家ですね。それも、新聞や週刊誌に連載を持っている人などは、そのタフネスぶりを、かねてより尊敬しています。

 もう一人、秀逸な人がいて、それは、西原理恵子さんで、こちらは、ウエブサイトで、『毎日かあさん』を、 (あなたでも) 見ることができます。一週間おきですが、毎日新聞のウエブサイトを下部に向かって丁寧に、開いていくと、見ることができます。面白いです。社会風刺と母としての愛情がミックスされていて、いつも笑いながら考えさせられます。

 ただ、こういう風にただで、読みたいものが読めるようになっていくと、元データを開示した、編集者を含む人々は、お気の毒ですが、ともかく、そういう便利さがインターネットの世界では、ありうる現況です。

 私は67歳ですが、パソコンだけででも、インターンネットが利用できるようになって、うれしいです。

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 さて、その二人に比べると、ののチャンはぶっ飛びすぎていました。発想が難しいところに着地しています。『これって、一般の読者はわかるだろうか? そのひとりである、私が、まず、わからないのに』と、思うことがたびたびあって、そのオチやら、ユーモアのなぞを解き明かすために、非常に時間がかかる漫画でした。

 私は、休載の第一の理由は、そういう人気というポイントで、読者の反応が鈍いからであろうと考えました。『毎日かあさん』は、週に一回だけの連載ですが、既に評判が高いのでしょう。単行本化が次々に進んでいて、その単行本が中古品としても人気が高そうです。

 それに比べると大朝日新聞の、特に朝刊の、連載漫画家としては、評判が芳しくないのであろうと・・・・・。

 『気の毒だけど天才の悲劇ですね。天才は、17、8年でつぶれるのです。それから後は、別業種で生きていくほかは無い』と考えました。

 『メディア的に、ここまで有名になったら、印税はすでに、しこたま入っているでしょうから、後は貯蓄で生きて行ってもよいはずだ』とも。

 しかし、その後で、作者名を見て、びっくり仰天、いしいひさいち氏だったからです。作者名は気にしないで、今まで、そこを見ていました。今日、初めて強烈に、作者名を認識しました。すると、また、別の考察が浮かびます。そちらの開示は、明日まで、どうかお待ちくださいませ。

           2009年11月21日  雨宮舜(川崎 千恵子)
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大満足だったブラタモリ・・・・・秋葉原の歴史他・・・・・・

2009-11-20 14:25:13 | Weblog
 ブラタモリが、評判がよいようです。銀座を紹介する回を見たときは、『これなら、タモリに頼むことは無い。内容は、ごめんなさいで切り捨てる』でした。内心で『こちとらは、こどものときから銀座を歩いているわよ。特に丸の内線が開通して、高校がそれを利用する場所にあったとき以来、途中下車して、ブラウスとかは、高校時代から銀座で買ったしね。銀座は、そのときからでも、50年を超える歳月で回っていますから』という感じで。
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 だから、秋葉原の回には事前には一切期待をしていなかったのです。ところが、実際には番組は充実していて、「さすがNHKですね。よく調べてあります。そんなことは知りませんでした」という部分がいっぱいありました。

 まず、一段低くなっている公園が、昔の運河の引込み線であり、そこに船だまりがあって、東北からの荷物を運び入れていた・・・・→とは、まったく知りませんでした。

 それから、秋葉原の始まりは須田町にあった、露天〔店?)商、特に米軍からの電気部品を払い下げてもらって、そこから、さまざまな部品を取り出し、部品ごとに売るが、発展して秋葉原になったという歴史開示には驚きました。

 そのころ、私は既に生まれていましたが、父がラジオを作ることなどには、興味が無かったので、まったく、その露天〔店?)商のことは知りませんでした。その露店は非常に面白い形で構成されていて、まず、最初に必要なもの、

(現在でしたら、パソコンの基盤でしょうか? それとも、カバー?。ともかく、私はラジオ少年ではないので、昔の部品名を知りませんが)

を置いているお店があって、次にトランスならトランスだけを置いているお店があって、次に抵抗だけを置くお店があって、次にスィッチを置くお店、真空管を置くお店と、並んでいて、

 最後にコードを売っているお店があって、全部回ると・・・・・必要なものがすべてそろう・・・・・のだそうです。だから、今のようにインターネットが無い時代でも、大評判になったそうです。その並び方には、日本人の勤勉さとか、効率を求める姿勢が既に現れていますね。

 それらのお店の影響は、現在でも駅すぐそばの路地型マーケット〔間口が一間ぐらいの部品マーケット)に残っていて、昔、・・・・・自分も鉱石(?)ラジオから始まって、無線の送受信機まで、作ったというタモリの・・・・・博識と、子供時代に帰った喜びが炸裂して、見ていても楽しかったです。

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 そして、最大の利点は、交通博物館、の、もと館長がいらしていて、往年の万世橋駅を、紹介してくださったこと、それが、また、コンピューターグラフィックスを用いて、相当丁寧に再現をしてくださったので、驚きました。

 また、そのころの万世橋・駅舎は、東京駅と同じ建築家による設計で、赤いレンガ製の外壁のある美しいものだったそうですが、その後改築されて一時期、交通博物館となっていたのです。その裏手に、旧プラットホームが、草ぼうぼうで、残されているのです。

 その旧駅舎跡をビルから見下ろした時のタモリの発言が秀逸でした。いままで、あまり好きではなかったタモリが、相当に、いい人だと思った瞬間ですが「いっそ、殺してくれよだな」という言葉。プラットホームの両側の線路は現在でも中央線が使っているそうです。ですから、線路はぴかぴかです。
 しかし、ホームは荒廃のきわみ・・・・・タモリが言いたかったことは、このホームを撤去するか、または、丁寧に草をとって、記念碑でも建てたらどうお?・・・・・ということだったでしょう。それをこういう風に短い言葉で、ピッと表現する。

 周りの人(スタッフさんやら他)が、理解できているか不安だと感じたタモリはちゃんとフォローをしていました。が、最初に私はわかって、・・・・・素敵な表現だなあ。線路を愛するとか、電車が好きだという少年時代のタモリ・・・・・もしかしたら、今でも、電車好き少年である・・・・・が、いい人なんだなあ・・・・・と感じました。

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 もうひとつ、立派な発言がありました。ただ、こちらの方は、瞬間的に出たものではなく、裏方〔制作側)との合意の上でのことば、むしろ、調査の上でのキーワードとも思われるので、感動は少ないのですが、

 『秋葉原は、後ろを振り返らない街だ』というのです。

 それですが、街の形態としての発展はそうですね。だって、青物市場があり、東北からの物資の集散地であリ、薪炭問屋が戦前までそこに並んでいたと言う町は、今では、世界中で他に類を見ない、一分野だけの商品の集積地になっているのですから。

 主にパソコンですが、チップという小さな、部品を使う白物〔冷蔵庫)など、すべての電化製品も扱っていますね。だけど、こういう白物は、どこの町でも買えるようになっていますので、それを秋葉原で買う人はいないでしょう。が、自作パソコンをはじめ、新しい形の電気を使ったものを、素人が作りたいなら、ここで、すべてが買える街であることは、今も変わらないでしょう。

 なお、これは、昨日の14時からほぼ、10時間ほど、誤変換が多数残ったままにしておりました。ごめんなさいね。

   では、2009年11月20日雨宮 舜(川崎 千恵子)
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パリ1936年の政治と音楽(映画、より)-1)

2009-11-20 01:02:34 | Weblog
 映画コーラスを制作したメンバーのほとんどが再結集して作られた映画、『幸せはシャンソニエ劇場から』を見てきました。結論を言えば『コーラス』を、90点だとしたら、65点ぐらいの満足度です。

 二つ理由があります。まず、邦題がよくありません。長いし、映画の主題をうまく告げていません。これは、失敗のひとつで、原題、『フォーブル36』のままか、『パリの場末1936』としたほうがわかりやすかったと思います。

 「こういうタイトルにしたら、来ない、ブランド志向の浮薄のひとには、見てもらわなくてもよい」という毅然とした姿勢が欲しかったですね。フランス映画を見に来るのです。ちゃんとした、傾向を持っているはずで、この1936年当時のパリ市民のおかれた政治状況を学びたいと思っている鑑賞者を集めたでしょう。

 邦題から見ると、軽い映画のように感じてしまいますが、どうして、どうして、重い映画です。内容がびっしりと詰まっている映画です。

 それでね。内容が重いからこそ、これが、・・・・・同じ監督の処女作『コーラス』に比べればわかりにくくなっている・・・・・・ということが感じられます。

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 それこそ、私が65点をつけた理由でした。もっとわかりやすいと、涙を誘われてカタルシスになりますが、滂沱と涙が出てくるわけでもありません。複雑すぎるので、涙を流している余裕が無いのです。

 しかし、丁寧に見ると面白いです。もし、DVDがレンタルされたら、借りてきて二度目、三度目としてみてみたいです。

 というのも第二次大戦、終戦前のフランスの状況が、架空の町を舞台にしながら相当リアルに描いてある模様で、『そうだったのか?』と思わせるところがいっぱいあります。

 当時はナチスに協力する勢力もいたのです。それらの勢力がどのようにして生まれ、どのように生きたのかを、描いてあります。

 例のごとく、まともな商売ではない・・・・・というのは普通の形で生産をしたり流通をしたり、販売をさせたりするわけではなくて、歓楽街で女性を利用する形です・・・・・ところで、大もうけをしたビジネスマンが、一種のマネーロンダリング(それは、金銭そのものではなくて、人間としての自分の格上げを狙ってですが)、多大の寄付金(政治活動用)を、出し、それによって出世をします。

 その政党の議員として、将来の出世を約束をされる裏側など、パリも日本も同じだとおもわせます。

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 そして、そんなに重い内容なのに、ミュージカル仕立てです。特に最終場面ではアメリカのミュージカル映画へのオマージュをかねた、まとめ風紹介になっているそうです。

 ただ、やはり、フランス映画だなあと思ったのは、『脇役が大変、重みを持つこと』そういう複雑さがあります。

 では、今日は、すでに劇場公開が終わった映画について触れて、申し訳ございませんでした。銀座のシネスイッチでみたのですが、その後で、この文章をなかなか、アップロードをできなくて・・・・・ごめんなさい。

数週後、追伸として下記を入れます。

 最近稀代の悪党であったジャック・メスリーヌの映画もみて(ただし、前半ノワール篇のみ)いますが、殺人の場面は、上記のフィクション・ミュージカルの方が怖いくらいです。一回しか殺人は、起こらないのですが、結構な因果関係があって、それが・超・怖いのです。

 メスリーヌ(フランスではメリーヌと発音する)の方はあまりにも簡単に、しかもたくさんのヒトが殺されるので、まるで劇画を見ているかのごとく進行しますが、こちらの「シャンソニエ劇場・・・・」の方では、プラハでセットを作っていかにも舞台らしい作り物の設定と成っているのに、より怖いのですよ。不思議なことですが、実際には怖いのです。

 そこが・フランス映画・固有のところだと感じます。
  
 1936年とはメスリーヌが生まれた年でもあります。
           2009年11月12日  雨宮舜(川崎 千恵子)
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小津安二郎『東京物語』との相似、続『ハリーとトント』

2009-11-18 00:54:21 | Weblog
続・米・映画『ハリーとトント』

 この映画は、アメリカ版、『東京物語』ともいえるものです。その指摘はどこにもないし、
監督、マザースキーは、何も小津安二郎に対するオマージュなど広言しては、いません。

 特にこの脚本が練られた時期に、既に小津がアメリカで高い評価を得ていたかどうかを私はまったくといってよいほど知りません。

 だけど、老いた親が子供のところをたずねて、あまり丁寧な待遇を受けず、そこを去るという設定は同じなのです。

 東京物語のほうでは、原節子の戦争未亡人(息子の嫁)だけが、他人ゆえに、親切であったという設定です。この原節子の代わりをするのが、ティーン・エイジャーなのに、家出中のお嬢さんで、主人公ハリーと数日間旅行を一緒にして、彼の慰めの材料となります。

 そのお嬢さんがヒッチハイクをしながら向かう先が、コンミューンという設定です。で、みんながそこへ行くことを心配します。「フリーセックスのはずだから、すぐ妊娠するわよ』などといって行くのを反対します。

 この映画が、1974年製作ですから、こちらの設定はまことにリアリティがあると感じました。

 そこに、ベトナム戦争後のアメリカ社会の現実が反映しています。その当時アメリカは自信を失っていました。だからこそ、ドラッグのことやら、失業のことやら、いろいろ普通の家庭のデキゴトとして語られます。

 でも、反語としていえますが、アメリカが失意の時代だったからこそ、見事な文芸映画が出来したのでしょう。アメリカが繁栄を謳歌していた時期には、ヴァイオレンス気味の、娯楽作品が生まれるのです。

 これは、一人の人間にとっても同じことです。ちょっと低落傾向にあるときのほうが、ものを考えます。そういうときのほうが渋みがあって、精神的には充実をしていたりします。

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 もうひとつ、見事にリアリティがある場面がありました。主人公がニューヨークで引ったくりに会うのです。その際に、助けてくれるアフリカン(日本人が普通に言う場合には黒人といったりする)が、半地下にゴミ箱を抱えて消えていく場面です。

 主人公ハリーと同じビルに住んでいるのです。でも、白人のハリーは上の階に住んでいてアフリカンであるリロイという名前の男性は、半地下に住んでいるのです。その半地下が入り口しか示されないのですが、非常に汚いのです。劣悪な環境にアフリカンのほうは住んでいると言う設定です。私が借りていたのは、一戸建ての半地下なので大家手入れがよくて、これほど、劣悪な環境ではなかったのですが、

 マンハッタン島の、中の古いビルの半地下というのは、こういう感じだったのでしょう。

 ビルが壊されて、ニューヨークの郊外の一戸建て、(東のフォレスト、ヒルズか、西のニュージャージーという設定でしょうが)の次男の部屋に転がり込むと、リロイがお客としてスーツ姿で現れます。

 二人がピアノを弾いて楽しむところは、主役のアート・カーニーのボードビりアンとしての面目躍如というところですが、

 リロイのせりふがすごいのです。ニューヨークの男性アフリカンの状況を非常によく現しています。『母には仕事があり、生活保護紐は母もらっているというせりふ。確かに、女性のほうが仕事があるのです。お掃除とか手伝いとか言う分野で。

 男性のほうは大学教育を受けた人は別として、せいぜいが公務員でしょう。地下鉄の職員とか、清掃事業とか。高等教育を受けていないと、より失業をしやすいのです。働ける分野が少ないのです。売り子とか、レジ係としては雇われないし、サラリーマンとしても雇われないから。

 1970年代はそれが、現実であって、今は、オバマ大統領〔といってもハーフですが)が出現する時代になり、ミッシェル夫人は例のプリンストン大学の出身の弁護士という時代になりました。よかったね。アメリカで差別を受けていた人たち。時代は変わりました。

        2009年11月18日  雨宮舜 〔川崎千恵子)

 
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『ハリーとトント』、ああ、シカゴの水辺よ

2009-11-17 23:26:12 | Weblog
 またもや、突出した文章です。前のものとの続きを書きたいと願いながら、頭を占める物事を、さらっと今書くのもよいかと信じて書かせてくださいませ。

 火曜日は、私はよくテレビを見るというか、番組表をチェックするのです。大体水曜日と月曜日には好きな番組が無いほうで、それゆえほとんどチェックしませんが、世の中の大勢の人たちも、火曜日とは『飲まないで、遊ばないで帰る』らしくてテレビ視聴者が多いのでしょうか? よい番組が多いのです。

 すると驚いたことに、深夜帯〔つまり、水曜日にかかる時間帯)にアメリカ映画『ハリーとトント』の文字を見つけ早速録画をしました。先週までケーブルテレビのコンバーターが古くて、地上波のみしか録画できなかったのですが、新しいコンバーターに変えたので、ハイビジョンや衛星放送も録画できるようになったのです。

 早速の大喜びで、録画をして、本日、一週間ぶりにそれを見ました。で、もちろん、大満足です。これが、1974年に制作されたとは信じられないくらい新しいし、感動を与えられます。で、古すぎるのでレンタルビデオ(いや、DVDか?)は無いだろうと思ったのですが、TSUTAYA などにもおいてあるみたいで、『ああ、やはり皆さん思うことは同じなのか』と感じて、ここに文章を書きます。その際、改めて、ウエブ上のチェックをしてみると、この映画を、この番組で見た人が、多いらしいことがわかりました。

 そして、さらにチェックをすると、主演のアートカーニーは、この映画でアカデミー主演賞を取っていることもわかりました。

 この映画の特徴だと私が感じることが三つあります。

 1、は、ロード・ムーヴィーの一種だけど、ニューヨークをはじめ、リアリティがいっぱいで、それだけでもすばらしい映像だと感じます。私は主人公の老人が、シカゴの水辺を歩いているときに、映画『グラン・トリノ』を思い出しました。

 ベトナム系の青年が、主人公・イーストウッドからもらった、ヴィンテージカー、グラン・トリノを、運転しながら去るラスト、・・・・・・それが、一回も行ったことの無いシカゴへの、既視感を呼び覚ましたのでしょう。『ハリーとトント』のほうが昔に撮影されているのに、まったく古いとは感じられませんでした。

 そのほかアリゾナの砂漠を写しても、古びたモーテルが、多分、ロケで、それゆえに、よりいっそう、感慨を深めています。

 2、は、猫が主役だということ。最初に、見たのは、15年は前のことらしいのですが、その際は新聞にお勧めという記事が出ていて、そのときに、トントという猫が重要な役目をしていると知りました。

 ただ、猫が紐でつながれて、一緒に車に乗るのが信じられません。というのも、我が家の猫は19歳まで生き延びた前の猫と、今の猫、二匹とも山の上で育っていて、普段車に乗らないタイプなので。前の猫は車が家にあっても、2,3時間の旅行でも、大騒ぎで嫌がりましたから。今の猫など、車が通るとおりを、50メートルぐらい先に見つけただけで、腕の中から飛んで逃げますから。

 猫は音に敏感です。トントはタレント猫のきわみですが、それでも、自然な振る舞いはあって、賢く、いとおしいです。

 3、さて、と言っても子供向きの動物映画ではなくて、大人向けの一種の文芸映画です。アメリカも、1970年代は圧倒的によい時代だったのだろうなあと思わせるせりふがいっぱいです。ポーランドから来たという設定の、身寄りの無い老人が、あらゆる・・・・不安で不満をもたらす現象・・・・・に対して、「資本主義者目」と、決め付けて怒るせりふなど、今のアメリカ映画には、考えられない設定です。

 アート・カーニーという俳優は、ボードビリアンというか、コメディの分野の人でもあるらしいのですが、この映画の主役、元教師であったという、ちゃんとした紳士で、しかも頑固な老人という設定は、ぴったりで、素敵です。

 他の映画であまり見ない人ですが、この映画では、あまりにもリアリティがあり、すばらしい演技です。アカデミー賞主演賞だけのことはあります。

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 さて、とても大切なこと。それは、今日それを見ている私が、67歳だということです。あらゆるせりふが、心にぐっと来ます。以前よりもはるかに味わい深く、ぐっと来ます。・・・・・年をとること、親であること、人と親しむこと。・・・・・他人であれ、自分の子供であれ、若い人を心配し、正しい助言を与えようと尽くすこと。ペットロスのこと〔これは、ネタばれと言うやつですが)あらゆることが、『その通りだなあ』と思わせられます。二度目に見るのにもかかわらず、無駄をしたという感覚のまったく無い、貴重な110分でした。

  では、2009年11月18日  雨宮舜 (川崎千恵子)
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