銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

寺島しのぶとその息子の将来は? 歌舞伎座は3階にCIAのスパイを置いている。その女性スタッフの写真を削除しない限り歌舞伎関連コンテンツには、一切触れさせないと、松竹は言う

2023-10-30 10:23:45 | 政治

 以下の頁を、推敲し、加筆し始めます。開始時刻は、2023-10-31の、22:00よりです。尚、初稿の間に加筆したものは、紫色のフォントで、表します。尚、その文章の中で、おとといから既筆の物、31日に新たに加筆する物、どちらにしても、特に強調をしたいところは青の太字で表します。 

このブログは、暗い話が多いので、少しでも明るくするために最初に写真を置くことにしています。下は、英語で、いうとKabuki on the web であり、日本語で言うと、歌舞伎公演データベースと、言うものです。歌舞伎好きな人だったら、これは、なじみの頁の筈です。しょっちゅう開いてみている筈の頁です。

 今般の私はあまりにもひどい追い詰められようです。10月31日をタイムリミットとして、松竹が提供するコンテンツは、一切、見ることかなわず、前売り券も、すでに買ってあるのに、使用不可と、言われています。でも、私は、引き続き、歌舞伎について、文章を、書くつもりはあります。新聞のニュースでも、何かが、きっかけになるでしょう。・・・・・例えば、吉右衛門が亡くなったという件で、いっぱい書きたいことがあるのですが、まだ書いて居ません。それらを引き続き、書き続けるでしょう。歌舞伎役者は、しょっちゅう亡くなります。それは、仕事が激務であると言う事もあるが、実は、CIAエージェントに歌舞伎界が、そっくり乗っ取られているからでもあるでしょう。CIAエージェントに乗っ取られて、利用されると、その人物、または、その組織に、不幸が舞い降りるのです。特に、その人、または、その組織に、善人が居ると、壊滅的打撃が襲います。日本画家、瓜南直子さんが、一種の急逝(肝臓が悪かったのは確かですが、2011年の、6~10月にかけての活発な、SNSへの投稿を読んでいた人は、彼女が、2012年の6月に亡くなるなんて、予測できたでしょうか? 彼女の急逝は、驚天動地の筈です。

 これは、100%鎌倉エージェントの責任です。似た様なことが歌舞伎界にも起きています。だから、誰かが亡くなると言う予言はしておきましょう。不吉なことだけれど、ありえる話です。もう、見に行かないのだから、遠慮をしませんし。

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副題1、『ここで、話は横にそれるが、寺島しのぶと、寺島まほろちゃんの将来を予測して置こう』

・・・・・私自身の予定に戻ります。歌舞伎公演の新作を見ないので、今月の劇評が出来なくなっても、今の歌舞伎界には、問題が、おおくあります。それを、書いていくのは、やめないつもりです。嘘もいっぱいあるし、偏波もいっぱいあります。私は、写真一枚を種にして、かくも激しく、ルール違反を責められているのですが、10月には、寺島しのぶが、舞台に上りましたね。江戸幕府から、女性は、舞台に、乗ってはいけないと言う決まりになっています。それを、CIAエージェントがかわいがっている寺島しのぶは、大きくかつ(20日間×2時間、=400時間)の長期にわたって、破りました。彼女の場合は、そういうおそろしいことをへいきでします。それでも、よくて、私の方は、写真一枚で、ありと、あらゆる権利を迫害されるのです。

 寺島しのぶが、なぜ、優遇をされるのかは、また、別の機会に詳述します。本日は、彼女と、山田洋次監督については、触れないで、先へ進みます。

 彼女への優遇措置は、長らく下積みに耐えて来た、親が名門ではない役者たちの、強い反発を招いているでしょう。彼らは、今は黙っています。もし菊五郎が亡くなったら、まほろちゃんに、その手の反発が、降り注ぎますよ。丁度、20歳ごろになって、ひとが協力しなくなるでしょう。可愛がられない役者となるでしょう。母親として、賢くないなあ。PTA活動などして、ママ友から、嫌われたりした過去が、無いから、母親としてどう行動するのが、もっとも賢い姿なのか? という事が判っていないのです。これは、林真理子の奇跡と同じ発想です。千之助は、まだ、お父さんが、孝太郎です。だから、他の役者が、無視することはないでしょう。非協力という事もないでしょう。でもね。まほろちゃんのお父さんは、フランス人で、歌舞伎界の人ではない。しかも、まほろちゃんは演技者として、それほど、冴えているわけでもないです。しかも、丑之助より一歳年上ですか。そうなると、菊之助夫妻も、丑之助の、配役に、真剣になります。同じ菊五郎劇団で、同じ年齢で、役の取り合いが、起きる可能性が高いです。まほろちゃんも青山の幼稚園に通いましたか? 勝てばいい。お金持ちになればいい。有名になればいい。そういう発想を最優先にしていますね。田原博子さんと、同じ発想ですね。子供が一人だし、余計収斂の場がないのでしょう。賢くないなあ。

 大衆(歌舞伎座、一階と二階は、富裕層です。だけど、歌舞伎に関しては、受動者です。PASSIVE[な、人達です。創ったり演じたりする方ではない・・・・したがって、大衆として、役者たちよりは、歌舞伎に関しては、一段下です)は黙っています。今月もマスコミが騒いだので、席は、埋まっていました。菊之助では、切符が売れないと、言われています。で、寺島しのぶは、母・富司純子さんと、二人して、うわー。勝った。勝ったと、家で、喜んでいますか。だが、じわじわと、本当の効果が表れてきますよ。カンパニーのまとまり等が、壊れて来て、歌舞伎が、演目として、魅力がないものになります。寺島しのぶが、派手に立ち回れば立ち回るほど、そういう効果が、表れて来るでしょう。だって、あの【文七元結】だって、とても歌舞伎とは言えないもの。新派? または、テレビドラマ? お客はともかく、内部の人間が嫌がっている筈です。 

 さて、寺島しのぶが、かくも激しい優遇措置を受けて居る傍らで、私の方は、ダンゴムシ以下、の扱いを受けています。笑うしかないです。でも、すごく元気ですよ。失ったものはあるが、ちょうど、体力が落ちているから、それで、良いと、言う事でしょう。

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副題3、『初台の、シティホールに行ったら、ライトが、いたるところで、煌々と、あたりを照らしていた。ホールのエントランスが、二つ、二層ある感じで、下の方では、LED(プチ)ライトが、滝の様に設定をされていて、上階の、エントランスホールは、高い高い天井から、ライトが、明るく振って来る。3.11直後、節電をしましょうと、国民全体で誓ったではないか。あの心を、どこに捨ててしまったのだろうか?』

 2年前から、クラシック音楽を、・・・・・ホールを見る・・・・・という名目のもとの、聴きに行っていますが、その行動を、拡大しつつあります。 そちらの方面は、そちらで、私自身の、好みと、それなりの耳もあるから、楽しみが一杯です。長い間、ホールには、あまり行っていないが、音楽を聴くと言う事はやってきていますので・・・・2月には、パーシモンホールに行きます。非常に土地が広いので、なんで、こんな空き地があったのだろうと考えて、あ、そうだ、きっと、都立大学を移転させた跡地なのだと、思い当たりました。バッハ・コレギウム・ジャパンが演奏して、歌い手は、海外から呼ぶ、モーツァルトの魔笛を聴きます。夜の女王のアリア、ぶぶんてきに歌えますよ。81歳でもあの高音が出るのですよ。神に祝福をされている自分というものを感じます。

 11月4日は、清水和音と、若手女性ヴァイオリニストの、共演を、シティホールに聞きに行きます。それがね。新国立劇場には、二回ぐらい行ったことがあるのですが、シティホールは、初めてでね。切符を取りに行ったら、電器をこれでもかというほどに使ってあるので、びっくり仰天、美しいですよ。だけど、これは、国立だから、国家の方針が、でたら目なのを感じます。処理水の放出でダメージを受けている、漁業者に対して、1000億円以上の補償費を出すんだそうです。それはね。都会で、働いている若者(65歳までの、現役のサラリーマン)から搾り取った、税金を使っているのです。

 ああ、なんという事だろう。岸田総理って、総裁選の時に、プルトニウムを種にして、河野太郎をやっつけたつもりになっているのですが、岸田総理のプルトニウムに対する解釈って、間違っているのですよ。アメリカで、中等+高等学校教育を受けた岸田さんは、ウランの核分裂とか、プルトニウム生成の、原理を知らないらしいのです。アメリカでは教えないのでしょう。きっと。

 あのね、プルトニウムは、休止中の原発でも、蓄積するでしょう。一回水を入れて、核分裂を始めたらね。だけど、稼働中の原発も同僚のプルトニウムを生成するのです。ただ、その二つの違いは、休止中の原発は、冷却し続けないといけないので金食い虫なのです。

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副題4、『18か月も文句を言われないで、このブログで、公開し続けた写真を突然に、2023年10月31日をもって削除せよと、20日に言われたのは、不思議ですが、むろん、裏があるのです』

 それを、これから、ずっと、書いていきましょう。いいチャンスだとも言えます。物事には、必ず、プラスマイナスの両面があるのです。私にとってはしんどい作業ですが、鎌倉雪の下で、どういう事が行われているか。そして、日本全土を通貫して、どういう忌まわしい事が行われているか・・・・・を論じていく、良いチャンスになったからです。政治的ブログを書く人間として、一皮むける機会になりました。

 そして、歌舞伎界、及び、日本文化界を真に憂える英傑が出たら、私のブログは、すべて当たっていると、言う事になると、思います。そして、ここに書いているほかの分野に関しても、高く評価されることとなるでしょう。それは、私の死後かもしれないが、トリックスターを自認している私にとっては、それでいいのです。私の行動は、自分自身の得を目指すものではないからです。大きなものを目指しています。

 今、大流行・大人気のNHK【大奥】でその演技が、大きく、かつ、高く評価されている仲間由紀恵(将軍の母役、そうです。私も驚き入っています。悪役が出来るのは、上等な俳優だけですよ)を安達祐実(血統的には、仲間由紀恵と、同じ格にある)が、批判をします。仲間由紀恵演じる将軍の母には、使命感や、覚悟がないと。つまり粒が小さいのだと。

 今の松竹重役、及び、歌舞伎座支配人たちには、歌舞伎を守る見識も覚悟もなくて、ただ、ただ、鎌倉エージェント(伊藤玄二郎と、井上ひさし=こちらは2010年4月9日、NHK画面をハイジャックして、おおげさの極致で、自分を死んだことにしましたが、生きていますよ。平成の八墓村事件を始め、日本人が、考えつきもしない様な、異様な事件を案出しています。現代の21世紀だけではなくて、20世紀にも、起こしています。酒鬼薔薇聖斗のころからです。それを、私が、「筆跡鑑定を行ったら、井上ひさしの可能性があるだろう」と、書いたので、生きている彼が、地裁から、すべての書類を破棄させました。)の二人の命令通り動いています。この二人は、歌舞伎を利用して、自分たちが、助かる方法を見つけ出したというところでしょう。このブログが、つぶれればいいのです。今般の問題の、骨子とか、要諦は、そこにあります。

 その問題のしゃしんですが、18か月前にやっと見つかりました。つまり、彼らは、18か月も不問にして、見過ごしてきた写真をどうして今、急に問題視して、それを削除しないと歌舞伎座から排除すると、言い始めたのです。そこが、政治的に、もっとも大きなポイントです。

   さて、とうとう、あと、20分間の猶予で、歌舞伎座に入れなくなることとなりました。松竹が命令してきたことは、このブログの、2023年4月27日公開の、一本から、歌舞伎座の一スタッフ(私を監視している女性、2023年10月18日には、完璧に彼女の讒言で、ひどい仕打ちを歌舞伎座スタッフ連中から受けた)の写真を削除せよと言う事です。

 しかし、その写真を削除すると、・・・・・大きな堤防もありの穴から、破壊する・・・・・の例え通りに、このブログが、後一年以内に、つぶされる可能性があり、絶対に言う事を聞くことができません。と言うのも、それを削除したら次には、NTTドコモ大船笠間口支店の、Ms加藤(彼女自身が、自分を撮影してもよいといったもの)も、削除せよ」と言われ、それを削除したら、「東急の栗原嬢の写真も削除せよ」となり、その次に、「あれも同じ趣旨で、使っているのだから削除せよ」‥・・・となり、挙句の果てには写真だけではなくて、「文章も削除せよ」となるでしょう。

 それは、命さえ、狙われている私には、絶対に、受け入れられない条件です。で、歌舞伎を見る、のをあきらめました。松竹としては、これは、交換条件だから、そっちが従わないのだったら、こっちも強く出るさと、言う形でしょう。

 つまり、彼らは、18か月も放っておいたくせに、突然に、それがいけないと、して来たのです。それは、いよいよ、私が、頭がいいと言う事がわかって来て、ありと、あらゆる謀略行為に関して、真実をこのブログで、開示し始めたことが原因です。今までは、私のやさしさゆえに、我慢をして、40%ぐらいで抑えていたのですが、あまりにご近所様、大学時代の友人、高校時代の友人、中学時代の友人、小学校時代の友人の裏切りがひどいので、・・・・・かつ、大手出版社から、公刊のみ込みが無くなったと、はっきり見定めたので・・・・・

 あらゆるところに、遠慮しないで、良くなったからです。その上、歌舞伎座に行かれないのだったら、これほど、怒りに燃える現象はないのですから、さらに、筆先鋭く書いていくことになるでしょう。そっちが追い詰める先鞭をつけたのですからね。その裏側を丁寧に書いていくのはありでしょう。当たり前の話です。

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副題5、『この恐ろしい申し出でを受けた、2023年10月20日に、もう一度時制を戻していきたい』

 2020年10月18日、私が、通路(=階段)に座ったことが、絶対に見えないはずの女性スタッフ(本当の仕事は、座席へ、お客を案内する役目)に注意を受けて、戦ったと、書いています。後註α。

 で、18日は、彼らが、嘘の消防法とか、劇場法持ち出して、「あなた(=私)の方が、悪いのだ」と言うので、すぐさまスマホで、消防庁のホーム頁を開いて、そういう法律が、無いことを確かめました。かつ念のために、担当者を、呼び出して、今のところ、そういう法律はないとか確認をしています。こういう行動を、目の前で、見たことによって、そして、それをブログで、書かれてしまった(後註β)ことによって、やっと、敵さん達は、私が、真実賢い人間であることを悟ったのでした。

 今まで、このブログ内で、何度も書いています。えん罪逮捕でもされかねないので、ありと、あらゆる現象を実名で、記録をしておくと。後日法廷闘争になった時に使うのだと。ところが、このブログを、読む人間が、井上ひさし一人に任されているらしいのです。桜田門の東大出の若手も、このブログを読む力量はない模様です。ご近所人間の一人、平木家の主人も理工学部出身らしくて、このブログを理解する能力がない模様です。安野智紗夫人にもない模様です。だから、その二人の行動を解釈することによって、CIAエージェントが今何を考えて居るかが、明瞭にわかります。

 で、井上ひさしは、二つの理由から、私が常に広言をしている、・・・・・自分は、法律に詳しい・・・・という部分と、・・・・えん罪逮捕でもされたら、自分一人で、法廷闘争を繰り広げるつもりだ・・・・と言う部分を、『嘘だ。ブラフだ』と考えたらしくて、桜田門には、上奏していなかった模様です。しかし、18日の様子を目の前で、見たからこそ、法律に詳しい私をやっつけるために、総力を挙げて、定款なるものを作ったのでした。19日でしょう。もし、その定款に書いてある通り、2023年の、2月8日に発行をしたものだったら、その日に私にそのプリントアウトを見せればいいではないですか?

 で、彼らが引っ込めろと言う写真は、三階に、座って、こっちを向いている、女性スタッフは、警察に命令されて、松竹が置いているスパイだと、言う部分が、本当だから、引っ込めろと、言うのです。

 私は、2023年10月18日に歌舞伎座四階に行って、もう一度、その女性を写真にとりました。

 それが、以下の写真です。

 彼らが引っ込めろと言う写真とは、お客の後ろ姿が違います。この日は、三階を学生さん達の学習行動で、埋められていました。以前、質問をしたことがあり、國學院大學の中学生だと、言う話です。今回は、4階にいると、三階には、行かれないので、学生さん達が、高校生なのか、中学生なのか❔ そして、どこの学校なのかを聞くチャンスがありませんでした。

 私がスマホで、写真を撮ると、買って行った、予約の切符の、予定では、お隣の筈の人が、後ろを向いて、注意してきました。で、すぐさま画面を見せて、『私は、役者を撮っているわけでもないし、芝居を撮っているわけでもないのですよ」と、説明をしました。で、その人は、ああ、そういうわけだったのですね」と納得をしてくれました。だが、「あのこちら側を向いている女性が、警察の命令による、嫌がらせ用の、スパイであり、彼女のために、18日にとても嫌な思いをしたのです」と、までは説明ができませんでした。だって、芝居が、上演中に、声を出してはいけないという決まりは、理解ができるし、従うつもりがあるからです。

 20日、私は、事が紛糾し始めたので、四階の、一幕見席だけではなくて、二階の、二等席で、昼の部全部を見ることにしたのでした。私は、どこかですでに書いていると思いますが、半分は、すでに見たことがある演目であったうえに、座組(カンパニー)が、好きではないのです。それに、国立劇場(同じく歌舞伎を上演している。しかも、建て直しのために、最終公演となっている)は、二回も行く予定があったので、歌舞伎座の予約切符を買っていないのでした。

 しかし、いろいろ紛糾したので、なんと、四回も歌舞伎座に行き、すべてを、二回ずつ見ることとなったのです。で、昼の部を二階で、見た時に、後ろの人物が、警察の関係者だと、わかりました。今ね。歌舞伎座は、切符を買うときに、名前を書けと、言います。また、電話番号も書けと言います。二階のロビーで、ちょっとしたメモを書いていると、突然に後ろから、小川純一氏という課長が現れて、(今回も係長クラスらしい女性と二人連れだったが)、2023年4月25日?(または、27日?)に、「ブログに使っている歌舞伎座の写真を削除しなさい」と言って、同時に歌舞伎座の定款なるものを渡されたのです。それが、下の写真で、歌舞伎座下手、奥の奥、maku の手前に座っている女性スタッフが、今回のもめごとの中心人物だから、もう、一度、ここにコピペして使います。

  この女性の目的は、私を監視することでした。それが私にわかるはずだと、推察されていて、そのことがストレスになるはずだ、そして、ストレスを過大に浴びれば、精神病院へ、自分から入る筈だと、みなされていて、彼女は、ずっと、私だけを見つめているのでした。



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副題6、『では、なぜ、20日に、定款のコピー三頁をもらい、削除してくださいと、いわれたのに、このブログ内では、10月31日までの余裕ですと、言い続けたのか?』

  私が、定款を、実際に読んだのは、22日です。渡されたその日は、むろん、読みません。A4の、紙三枚にぎっしりです。かつ法律用語が満載です。でね。読んでいない段階だから、一応松竹を信頼していてね。削除しなさいと、言われているのは、彼女の顔が、特定されたらイケナイからだと、考えたのです。それで、眼のところに横棒を引くか、または、全体に網をかければいいと、思ったのです。それがね。アドビのソフト類が我がパソコンから消えちゃっているのです。45台以上壊されています。XPの時代には、いれていて、使っていたのですよ。フォトショップ5.5、イラストレーター8.0、CSインデザインIIの、三種を別々に買って、駆使していたのです。

 ところが、45台も壊されるわけです。それはね。彼らにとって、都合の悪い証拠が、このパソコン内に残ると、壊していくのです。保坂航子さんが、涼子という本名で活動をしていた時に、秋山祐徳太子の、勧めで、恐ろしい罵りメール36行を、101回繰り返してきたときとか、開発チエさんが、同じく、恐ろしい罵りメール(あまりに文言が恐ろしいので、CIAエージェントたちが文字を変換して読めない形になっていました)が来た時にも壊れました。こういう人たちが、パニックに陥るのは、事前に、私の事をバカで、低劣だと、聴いているからです。そして、いじめなさいと、命令を受けています。しかし、そのつもりで、対話を始めると、全く、私の方が、違うのです。今般も松竹の課長が目を白黒させていたと、感じますが、彼はやや慎重でした。しかし、派遣社員の四階の女性たち、とくに羽賀さんなんて、事前に知らされていた話が、私を小ばかにしていい内容だったので、小ばかに仕切った顔をしていました。しかし、派遣のもとが、何時かは、私に、入ると思います。私は、神様にお助けを頂いているので、重要な情報は、必ず、手に入るのです。今回のケースを詳細に論じて、それを派遣会社の責任者に送ったら、彼女は、パニックに陥ると思いますよ。

 まあ、小ばかにしなさい。結果がどうなるか? 神のみぞ知るです・・

 で、元に戻ります。アドビのソフト(今はアプリという、これも、私がブログで、使ったので、言葉替えが行われたのだ)が、パソコンの画面が、真っ暗になって、起動をしなくなると、あっという間に消えてしまうのでした。処置なしです。でね。アドビのソフトを、普段使っていないものだから、網掛けの手法も忘れているのですね。だから、復活は、外で、貸しパソコンを使わないとできません。それで、私の方が猶予をもらったのです。31日まで処理を待ってくださいと言う猶予をもらったのです。

 しかし、そのあとで、定款を読んだら、驚くべき内容で、網掛け程度では、許されないことが判りました。

 でも、敵は本能寺に在りで、実際には、雪の下のご近所様が、やっていることを書くなという命令なのです。だから、歌舞伎見物は犠牲にして、ご近所様が、行っている悪について、舞い戻って来てそれを書きます。

 なお、今、その写真が載っているブログの原文を見つけました。ここにそのリンク先をコピペしておきます。

歌舞伎座支配人は、結局現れなかった。唯、 問題がどこに在るかは、引き続き語って行きたい

2022-04-27 20:44:53 | 政治

時間的にその前の、文章は、以下となります。

今、歌舞伎座に居ます。私の方が三階ロビーで支配人を呼んで、彼が来るのを待っているところです

2022-04-25 13:35:57 | 政治

 

 

コメント
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私と歌舞伎の縁は後68hrで切れる。anyway馬場あき子+桐野夏生だって、今社会に蔓延する過剰な制限はおかしいと言っている

2023-10-28 21:17:49 | 政治

  なお、but such awful という英語部分は、気取っているわけでも、目立たせたいわけでもありません。総タイトルが長くなるので、字数制限に引っかかるので、半角で表現できる英語にしてありますが、意味は、これらの恐ろしい制限は、という日本語にあたります。そして、2023-10-30日、午前三時に、後半を変更します。anyway も同じで、ところで、というところでしょうか? 尚、このブログは、冒頭に写真を置くことをよくしています。本日の写真は、新聞記事で、後半に、どこに松竹定款と関係があるかを語っています。

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副題1、『トラブルは、23-10-18に起こりました。その日、私は、100%勝った(後註1)と、感じて家に帰りました。ところが、次の日のうちに相手側(松竹と、表面は言って居るが、実際は、CIAエージェント=伊藤玄二郎+まだ生きている井上ひさし+鎌倉警察署生活安全課の課長+桜田門のトップ警察庁長官)などが、総力を挙げて、松竹定款なるもの(A4の紙三頁・・・・・第11条まである)を準備して、これに抵触する限り、・・・・・・歌舞伎というコンテンツに接触することがだめだと、言われたのです。それが、2023-10-20です』

その日のことを、もう一度、短く、まとめましょう。歌舞伎座だけに特化してまとめます。

 以前に書いた文章も使いますが、本日加筆する部分は、紫色のフォントを使います。

NHK及び日本のメディアは、イスラエル指示であり、パレスチナ支持ではありません。しかし、20日の夜には、私もよく知っている洋画家、上條陽子さんを19時のニュースに出しました。彼女はパレスチナ支援の画家です。どうして、普段の方針に反したかについて、私には思い当たる節がありました。は。ハーン、18日に私が歌舞伎座四階で、大立ち回りを演じたせいですねと、理解しているからです。なお、大立ち回りと言っても、ダイアローグだけで、ですよ。別に殴り合いをしたわけではない。しかも、生涯で、たった三回目の喧嘩です。そして、前二回もそうですが、勝ちましたよ。徹底的に自信を持ちました。子供時代には、喧嘩などしたこともない私ですが、言葉だけで勝てるのです。で、今回は、鎌倉エージェントの伊藤玄二郎と、まだ生きている井上ひさしと、彼らの言う事を聞いて、私をいじめて来る、築地警察署(多分、生活安全課の課長)+桜田門の、警察庁長官、及び、歌舞伎座、及び、松竹をコテンパーにやっつけてしまいました。

 その詳細は、今は、書きません。というのも、これは、おいしい種だからです。どうしておいしいかというと、課長は、消防法(特に劇場法)というのに基づいて、私をいじめてよい(つまり、その日、四階席で、対私に対して行ったひどいいじめは、ただしいのだ)と、言いました。だがね。そんな法律は、今のところないのです。詐称です。つまり、嘘をついたのです。ただし、伊藤玄二郎が近々、作るかもしれません。だったら、官報を、見せてもらわないといけませんね。こういう時に紙の資料が大切になります。官報第何号に載ったかが大切になります。

 で、なぜ、警察庁長官をやり玉にあげるかというと、歌舞伎座に到着する前に、横須賀線が遅延したのです。連動しているいじめです。JR東日本は、なぜ、15時26分発の、横須賀線を、品川到着直前に、停車させたのですか?

 松竹がどれほど、私をいじめたいと思ったとしてもJR東日本に、「雨宮舜に復讐する為に、横須賀線を、遅延をさせてください」と命令できるでしょうか? できないでしょう。もし出来たら大変です。しかし、NHKにメトロポリタンオペラを見に行く日も、その帰りに、1時間30分大崎駅で停車した様に、電車の遅延は、2005年には、既に始まっていたのです。だから、松竹とは関係がありません。CIAエージェントだけが関係する問題で、しかもJR東日本が言う事を聞くのですから、警察庁長官と、JR東日本の社長が、手打ち式を行っている筈です。裏でね。

 さて、上の文章を書いた二日後、又歌舞伎座に向かって居ます。これは一幕見の切符を朝早く申し込んだので、敵さんたちには、見え見えのことです。インターネットで、申し込みますのでね。で、二日前と全く同じ事をやってきたのです。二日前の遅延は、私いじめだと書いて居る私に対して、違うんだ。しょっちゅう起きるのだ。という形にもっていくために、起こしたというのが、一つの考えです。二つ目は、お前をとことんいじめてやるさ。今日も遅刻して、30分の、一幕見を、15分は、見せなくしてやるさと、考えて居るから遅延をしたのかもしれません。どちらにしても私狙いであることは確かなのでした。で、いじめ切ってやろうじゃ無いの、と言うわけでしょう。しかし、あゝ、そう言う感性の人たちなのだ。と思って仕方がないと思うのです。ところが、五分後に出発したところ、凄まじいスピードで走るのですよ。それでね、新橋には予定通り到着させるつもりなのだと感じます。二日前の18日には、品川駅手前で、停車したのですが、20日には、横浜駅を過ぎた時点で停車したので、そこから先、普段だと、25分かかるところを20分で行くつもりだと考えました。是じゃあ、今日の運転手さんは事故でも起こしかねないわね。JR西日本の福知山線事故は、上司にいじめぬかれていた運転手が、遅延を恐れて、カーブでスピードを落とさなかったそうですけれど、あれと同じことが起きるのではないかしらと、思ったほどです。横浜駅を、出た後で東神奈川を過ぎたあたりで、停車して、7分ぐらい待ったのに、新橋駅では、4分の遅れになっていたから、運転手は、頑張ったのです。これはね、命令している側が、どうとでも逃げられる様に、両刀遣いをしたなあと思いました。こういうところは桜田門も頭がよくなりましたね。非常に複雑な形の攻撃となってきています。

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副題2、『23-10-20日には電車の遅延だけではなくて、補聴器に異音が届いた。補聴器も高いものは、一種のパソコンであり、外部から、いろいろな音を入れ込められたり、急に機能が落ちたりする。しかも、その日入れられた音は、2007年9月に、渋谷郵便局の二階ロビーで、響き渡ったサイレンの音と、全く同じだった。後註2』

 今回の歌舞伎座排除が、なぜ、起きたのかというと、過去に、警察が、行ったひどいことを数多く書いているからですが、渋谷郵便局で2007年に、警察拉致をされそうになった恐ろしいことが、横須賀線車内でも、起きました。補聴器を使ってでした。その部分をもう一度、ここに、コピペします。今回の松竹を使ったいじめは、むろん、警察が、このブログ潰しを狙って起こしたことだから、こういう部分を再び、検証しておくことが大切です。

20日の、10時26分ごろ、横浜駅を出た場所に戻ります。後で、横須賀線で、ここらあたりを、もう一度通ってみます。東側の、建物を、記憶しているので(グーグルストリートビューは電車からの景色は、載せていないでしょうから、自分で、確認しに行きます)正確な場所を申し上げましょう。

 ともかく駅ではないです。18日の遅延の理由は何だったか、覚えていないのですが、20日は、緊急停止ボタンが押されたと、車掌が、車内放送で、言いました。私は、歌舞伎座へ行くときは、必ず電車が遅延するのは、知っているので、何も驚かず、今まで、やっていた仕事をつづけました。それはね。バッグ内整理です。領収書を整理したり、読むべき手紙を読んだりして、それで、30分は、かかっていたのでした。

 さて、ちゃんと整理ができたわ。気持ちがいい。電車が遅延しているのは、気持ちが悪いことだけれど、まあ、自分個人だけの問題として、きれいに、整理できて、領収書も日にちごとに、順序良く、まとめたし、安心、安心と、思いながら、・・・・・ご近所の座席を見渡したのです。金曜日の10時半という時間帯は、結構お客さんいるのですねと、右隣の席を見ました。私は、車両の先端の三人掛けの席に座っていますので、右隣に、ひとがいるのは、結構窮屈です。柱がありますしね。

 で、なんとなく、右側を見て居たら、何か、右側から、音がするのですね。ピーっという感じで。それは、2007年9月27日の早朝、宮益坂の、渋谷郵便局二階で、鳴った、轟音と同じ種類の音でした。そこに入る前の前提として、前報を書いているのです。しかし、最近は、一日で、全部書けなくて、前報と、これを、くっつけて完成することができませんでした。で、本日、22日の夜に最も書きたかった、20日の横須賀線車中の、異音について、語りたいと思います。音の種類が同じなので、警察が鳴らしていると、わかりました。

 最近も描いていると思います。背が高くて目がぎょろっとした、50代前半の、ポリスマンが、渋谷郵便局の二階と、秋葉原のワシントンホテルに現れたのでした。同じ人物がです。一度目は、私が四冊目の本を配本したいと、印刷所(製本所によって、車で、渋谷郵便局まで運んでくれた)にお願いをして、20冊、10冊、5冊、3冊、2冊、一冊、そして我が家に残り全部と、郵送をしていた日の事でした。詳しく書いているリンク先を見つけたいと思いますが、(まあ、あとでね)

 本って、ものすごく重いので、130段以上の階段を上ってほしいと頼んだ、一冊目の時に、製本所の若い男性が、嫌がったので、急遽大町・三橋ビル内にあった、主人のオフィスの方へ、回ってもらったのです。そちらも、エレベーターのないビルでしたが、二階だったかな。三階だったのが大家さんの方で、二階に代わってくださいねと、言われたのです。そうすると階段が、13段だけですね。で、130段+門内の階段で、150段を上がらないといけない雪ノ下の自宅よりも楽なのです。それが、二冊目だったので、四冊目は、郵便局に運び込んでもらったのでした。600冊の処理がなかなかできなくて、早朝になったのです。すると、小柄な老人がお掃除に来たのです。郵便局って、分業ですね。で、その人が帰った後で、同じ制服の清掃人らしき、しかし、立派な体格の男性(つまり、まだ、清掃人までには、身を落としていないであろう男性)がやって来て、私の周辺だけを、顔をじろじろ見つめながら、清掃するのです。二回目です。その時、ピーっという轟音が鳴り響いたのです。後で、9時過ぎに一般業務の窓口が開いたので、普通の係さんに、この郵便局では、毎朝、6時ごろ、轟音のサイレンを鳴らすのですか?と、聞くと、そんなことはありません」と言っていました。したがって、あれは、私狙いのいじめだったのです。

 ただ、単に音がうるさいと言うだけではなくて、もし、私が、「あの音は何でしょう?」と、そのぎょろめの男に質問をしたら、彼は、「そんな音は聞こえませんよ。あなたは、幻聴がある。みんな来てくれ、ここに分裂症の人間がいるから、精神病院に入れないといけない」と、叫んだでしょう。すると、陰に隠れていた、5,6人の、その種のアサッシンが、表れて、私を拉致して、どこかで、殺して、そして、十分に腐乱するまで、どこか、秘密の場所、米軍基地内他で、置いて置いて、白骨化したら、青木ヶ原に運んで、身元を証明するものを周辺において。。雨宮舜(=川崎千恵子)は、自殺したと、新聞記事もしくは、SNSで、お知らせをするのだと思います。

 で、その時の音と、全く同じ音が、2023年の10月20日、停車中の横須賀線右側から聞こえるのですね。どういう事だろうと思ってあたりを見回しても、そこは駅ではないのです。

 ずいぶん昔のことですが、保土ヶ谷駅で、この緊急ベルが鳴らされたのです。轟音でピーっとなりました。その音は覚えています。

 2006年ごろまでの話だったでしょうね。パソコンが、45台以上壊されていて、メルマガで書いたものは、日付が判らなくなっています。が、昔、昔のことです。でもね。原因は、目の前にありました。私の目の前のドアで、高齢者(男性で、見るからの癌の末期症状みたいな人。やせ細っていて、ほぼ骸骨だけみたいな人)が、電車から降りようとして、隙間に、片足、もしくは両足を挟まれちゃったのです。『ああ、どうしよう。電車が動いたら、ほとんど、お肉がないみたいに見えるあの白髪、で、青白い顔をした、しかもやせ細った老人からも、真っ赤な血があふれ出て、私達は目の前で、彼の体が、四分五裂をして、引き裂かれ、骨が砕けるのを見ることになるのかしら?』と、その時は、本当に恐怖に震えました。

 でもね。日本人もいざという時は、動くのです。外人ほど、オープンマインドではないけれど、この時、近所にいた男性が、三、四人、駆け寄って、老人を引っ張り上げようとしました。本当に薄い体なのに、なかなか、抜けなくて、3分か、5分は、かかったでしょう。その時、ピーっという轟音が鳴ったのです。誰かが、非常ベルを押したのです。その時は、政治は全く関係がないのですが、その後の、2007年の渋谷郵便局での話と、今回の20日の朝の、横須賀線内の補聴器内の異音(=キーッという異様な音)の両方は、100%政治的なものです。保土ヶ谷の、死亡事故未遂をメルマガで書いているので、井上ひさしなどが、渋谷郵便局の攻撃===だまし討ちを案出したのだと思います。

 私は何でも、すぐわかるので、絶対に引っかかりませんでした。唯ね。2011年の8月10日だったと思います。秋葉原のワシントンホテルで、貸しパソコンを頼んだら、おんなじぎょろめさんが持ってきたのです。『え、渋谷郵便局では清掃人に変身し、ワシントンホテル(秋葉原)でも、下っ端作業員に変身しているが、かれを雇っている業種(または、企業)が全く違うでしょう。だから、警察官、または、刑事ですね』と、はっきりわかりました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『私はね。警察を怖がってなんか、居ないのですよ。あまりにもたくさんの回数異様ないじめを受けて居て、夫々に、突破してきているでしょう。だから、免疫ができています。で、20日は、余裕綽々で、歌舞伎座に乗り込んだのです。ここでね、18日に、100%勝ったと思った、論理を、繰り返しましょう。特に、三階の下手に、こっちを向いて座っている、女性が、警察の回し者である可能性について、述べ始めます。そこが最も肝心なところなのです。だから、その写真を削除せよ。出ないと、お前を、松竹が提供する一切のコンテンツから、排除してやる」というのが、今回の松竹の定款・による、攻撃というわけです。・・・・・で、恐れ入りますが、18日のトラブルを本当に丁寧に、最後まで、書かせてくださいませ。初出は後註3の、副題αです。』

 なお、上の方に置いた副題1の中の黒の太字で書いた部分では、

その詳細は、今は、書きません。というのも、これは、おいしい種だからです。どうしておいしいかというと、課長は、消防法(特に劇場法)というのに基づいて、私をいじめてよい(つまり、その日、四階席で、対私に対して行ったひどいいじめは、ただしいのだ)と、言いました。だがね。そんな法律は、今のところないのです。詐称です。つまり、嘘をついたのです。ただし、伊藤玄二郎が近々、作るかもしれません。だったら、官報を、見せてもらわないといけませんね。こういう時に紙の資料が大切になります。官報第何号に載ったかが大切になります。

 と書いています。しかし、この副題3ではその顛末を詳細に書きますと、変化しています。それは、書いた日付が、20日です。後註1は、定款で復讐されるなんて夢にも思っていなかったので、やや穏便に、事をすまそうとして、松竹を追い詰めるのを、やめておいたからでした。しかし、後註3では、定款を、読んだ後なので、相当に詳しい真実を書いています。それでもね。書いた日が、24日なので、後、余命が、一週間有りました。でね。その間、あれこれ、松竹コンテンツを楽しめるだけ楽しもうと考えて居たのです。例えば、東劇で、上映している、玉三郎の泉鏡花もの、4作品を見てしまうとか、松竹大谷図書館でしか、読めない資料を読んでしまおうとか? ところがあっという間に時間が過ぎて、後、72時間と、30分になりました。で、もう動けないです。ほとんど何もできないでしょう。

 その上、後註2や、後註3と、それ以降の文章を読んでいる敵さん達は、私が、松竹側の言う事(=命令)を聞く気がないと言う事には、既に気が付いている筈です。だから、松竹に遠慮して、松竹をかばってあげても仕方ないのです。で、真実を最後まで、書きましょう。その部分は青字で書いていきます。

 後註2の、海老蔵の、源氏物語分析とか、芝翫が、橋之助時代に、行った、熊谷陣屋に対する評論など、大手雑誌(月刊文春)ぐらいに載せたら、読者様は、ビックりするぐらいに、面白いとお思いになるでしょう。歌舞伎を知らない人だって、面白いとお思いになるでしょう。しかし、鎌倉雪の下の、黒い話の数々を思い出せば、その裏側にいる警察が、謝罪するはずもない・・・・・これは、彼女のブログをつぶす絶好の機会だから、ぐんぐん、松竹に攻撃をさせようと、思い続ける筈です。だから、サイは既に投げられたのです。で、真実を書いていきましょう。

 一幕見の10月昼の部最後の、演目は、鎌倉15時26分の電車に乗ったが、品川の前で5分以上停車をした。新橋に着いたのは4時25分。これは5分の遅れである。歌舞伎座に行くと、もう舞台は始まっていて、巳之助が、褒められていたので、急に出かけることとなったのだが、巳之助と、種之助の若いカップルは、すでに、退場していたので種之助の女形が、最近どういう風に進歩しているか?は、見ることができなかった。イヤホンガイドは機能せず、これも警察のいじめだと思うが、その事は女性スタッフが取り替えてくれたので、はい結構でございます。と、そこまでは、良かった。

 ところで、予約切符は2列の15番と言う席だったが、遅刻をしたので、外人客を立たせないと、入れないことになっている。1階は座席間の幅に大きく余裕があるが、四階のそれは大変。狭い。隈研吾さんは富裕層と貧乏人の差をつけている。堂々と、つけて居る。彼は、富裕層の仲間の方だから、貧乏人には平気で、不利な、差別をできるらしい。

 4階は外人が多いので、体格の大きな彼らには大変気の毒な、座席間の幅である。隈研吾氏には、他人に対する情愛が欠如している。まあ、見るところ、芸術家では無くてお金だいすきな実業家である。だって、あんな大きな国立新競技場を建てて、これから、維持をどうするつもりだろう。特に植木を使っているので、莫大な金食い虫となる。自然に生えて行くつた類ではないから、剪定とか、水やりが、大変な人手間と、電力を食う事だろう。

 で、ともかく、間を分け入って、入るのは無理だと、考えた。これが、75歳ぐらいまでだったら、平気で立って居られた。だが、最近(=81歳になって)急に体力が衰えて、立って居られないのだった。それで、自分なりの工夫策として、通路に座った。四階は、手すりが邪魔になって、一列目も醜いのだが、階段に座ったのでは、さらに、舞台がよく見えない。しかし、それは、遅く来た自分が悪いのだから、見えにくいのは、我慢をした。手すりの間、10cmぐらいの幅から舞台を見ていた。双眼鏡で、一部分を拡大してみていた。

 さて30分ぐらい経過したときに女性スタッフms佐藤がやってきて「そこに座っては困る」と言ったらしい。しかし私には聞こえなかった。舞台に迷惑がかからないような小声で話すから意味が取れなかったので、「紙に書いてきてください」って言った。すると、「避難経路として使いますから、階段に座ってはダメです」と言う。で、私は「遅刻してきた原因が電車の遅延であり、自分の不始末ではない」と言うことを言う。かつ外国に何度も行っているので、彼等を大切に思っているから、舞台に集中している彼等に、「どいてください。五つ向こう側が私の席なので、と言って、立たせるという、迷惑をかけたくないので、階段に座っている。

 そして、一番、肝心なことは、「これから、舞台が終わるまで、たった30分です。その30分間に、大地震が来ますか。または、歌舞伎座内に、雷が落ちますか? それは、無いでしょう。違いますか? 絶対に、30分以内に、避難すしなければいけない大事故は、起きないでしょう」と言うふうにメモ返した。

 この青字の部分が、非常に肝心なところで、私が戦い、そして、その日は、勝った、根拠になっている。だって、ありもしない、大災害を恐れて、階段に座ってはいけないと、言う決まりと、外人のお客を大切にしたいので、本当は、座席としては、低すぎて、よく言えないのだ。だから、ちっとも、良い形ではないのだけれど、ひとに親切にする方が、価値が高い行為である・・・・・というのが、私の考えであり、論理だった。

 彼女が、そのやり取りの両方が入っているメモを、持って帰ろうとするので、「どうして持って帰ろうとするのですか? ぜひ、読んでください。読んだら、お分かりになるでしょう」と言った。彼女は、それ以降は、黙ってしまい(すでに、ちゃんと読んでいるからだ。一回ほど。で、ロビーへ帰って行った。

 彼女のその動きを見ていて、このいじめが、上司に命令をされて、行われていることを確信をした。

その上でそのメモを保存した。後で利用するためだ。・・・・・舞台が終わってから、・・・・・ブログに書いて戦わないといけない・・・・・と、私は、考えたし、一種の決意をし始めたからだ。これも何時もと同じ、松竹側の私狙いのいじめだから、裏側を推察するのに、困らないほど、全く以て単純になるいじめだからだ。

 :::::::ここで、挿入に入りますが、松竹の上層部は、山内静雄氏に頭が上がらないのです。山内氏とは、小津安二郎の映画のプロデューサーであり、里見頓の四男です。私を苦しめ抜いているCIAエージェント側の大物・伊藤玄二郎かまくら春秋社社長は、里見頓になついてなついて、鎌倉で、地歩を得ました。無論、里見頓の、四男である山内静雄氏にもなついているでしょう。山内氏とは、二回り、年が違うが、なついてなついて、かわいがってもらっていると思います。で、伊藤玄二郎は、松竹の上層部に顔が利くのです。一方、伊藤玄二郎と二人羽織というほどに結託をして、私を弾圧している、いまだ生きている井上ひさしですが、この人が、歌舞伎の脚本を書いています。数本ある筈で、私が、熱心に歌舞伎を見始めたのちにも、明治座他で、彼の戯曲が演じられています。というわけで、この二人が、私の敵ですから、歌舞伎座は、2016年ごろから、美しいトイレのドアの内側に禁煙マークを張ったり、種々様々な嫌がらせ行為をする様になりました。で、もう、歌舞伎座からのいじめというのにも免疫ができているのです。::::::::挿入から元へ戻ります。文体を、口語体から変えていきます。

 一般のお客様に向かって、たった、二列しかない、この四階一幕見席で、常に、女性スタッフが、開幕前に立って、あれこれ、注意することを、過去、何か月にもわたって、過剰だと、考えて居た私だが、今日(=18日)は、私一人が選ばれて、かつ明瞭に、ターゲットにされて、注意された。これは、戦うべきだと確信をした。

 さて、舞台が終わってから女性たちに質問をした。Ms 佐藤、Ms 羽賀、Ms 山野 下 などが、入り口にたむろしていて、今の幕から退却する客のお世話をしていた。この三人に加えて、あともう1人いるらしいが、どこかへ、消えちゃって、ちょっと名前や、お顔が、わからない。今のところわからない。

 さて、ここで、寝落ちしてしまい、かつ推敲をしていた25日は、国会図書館にいたので、このブログを手当てするのは、時間が惜しくて、これ以降の肝心なところを、書いて居ません。これ以降は、本日=2023年10月29日の、午前零時半から、書き始めます。

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副題4、『彼女たちは、実際には、照明が明るいロビーにいて、私が暗い客席で、立っている場所(自分がお金を出して買った、16番の席の後ろ、)から、だいぶ右寄りの、階段(たった、4))に、座った事は、見えないはずなのだ。だけど、注意しに来た。どうして、それが、わかるのですか?と質問をすると、三階の女性が、それを教えてくれましたから」という。その瞬間、私は、本当に喜んだ。ただ、それを言ってくる四人の女性に、説明をしても彼女たちには、ちんぷんかんぷんだろうから、彼女たちには、何も説明をせず、ただ、内心で、ひどく喜んだ。その三階の女性が、歌舞伎座の職員なのか? それとも婦人警官なのかは、わからないが、ともかく、私を威圧する役目を担っていることは確かだった。個人的に狙っている。

 それが、この18日見事に証明をされたのだった。しかし、念のために彼女たちに聞いてみた。正規の松竹の社員であるか、そうではないか?と。すると人材派遣業から、来ている人たちだった。で、以前、江戸川文化センターでの歌舞伎巡業公園で、ひどくいじめて来たサントリーからの派遣女性スタッフ(ただし、私に特別な意地悪をしたのは、婦人警官である可能性が高いが?)だと、知っていたので、「サントリーからの人ですか?」と質問をすると、歌舞伎座に、来ている人は、サントリーからではない、違うという話だった。だが、Ms羽賀という人物は特別に意地悪で、軽蔑した様子を見せた。その時、「あれ、これって、鎌倉駅前のスーパー東急のレジ打ち嬢、Ms栗原の態度にそっくりだわ」と思い当たった。それが、この事件の真相を解く大きなカギでもあった。

 Ms 山野 下も、バカにした様な態度をとる。それは、一幕見を見に来る人なんて、貧乏人でしょうと、言う意識があるからだと思う。一幕見で、全部を見ると、三階のB席と同じ値段になる。しかも、私は、今回調査のために、20日は、二等席(1万4千円も)買っているし、で、おかねがなかったわけではない。ただ、この月は、国立劇場に、二回も行く(同じものだが、国立劇場が最後なので、二回行った)。その上、熱心に8年間、歌舞伎を、見続けた結果、歌舞伎座の演目で、以前観たことがあるのを、知る機会が多いのだった。今月も、松緑の【天竺徳兵衛)は、以前見たことがあるし、寺島しのぶで話題の【文七元結】も、以前観たことがあるのだった。そして、寺島しのぶには、歌舞伎で、私と正反対に、CIAの過剰なサポートが付いているので、全く見たくないのだった。(これについては、招来まとめて行く)それが昼の部で、夜の部は、【相撲場=濡髪と放駒】は、見ているし、水戸黄門は、テレビドラマ風で、ごめんね。つまらないでしょうと、思ったから行くつもりが、もともとなかったのだ。ところが雑誌演劇界が無くなった今、唯一、読むべき批評(渡辺保の劇評で)巳之助、松緑、錦之助、雀右衛門が、褒めてあった。それで、急に行く気になった。その時点では、一幕見で、切符を買うしか、無い時期だったので、四階を何度も訪れたのだった。

 で、彼女たちがどれほど、軽蔑してこようが、私は実際問題としては、びくともしないのだった。で、課長が応援に来た。で、外人に迷惑をかけたくないから‥・・・そして、81歳で体力がないから、階段に座ったのです」と言ったが、それはだめだとの一点張りだった。

 歌舞伎座とは、北側に高さ29階のタワーを背負っている。(蛇足1)へ。ものすごい頑丈な支柱が北側にあると言う事。で、私が階段に座っていた、30分の間に、地震が起きたても絶対に大丈夫だと言う事。そういう判断と、常識で考えても、もし何かが起きたら、私は、すぐさま立って、階段からどくであろう。だから、絶対に迷惑行為ではないと、内心で信じているので、小川課長が何を言っても、身を引かなかった。それで、一種の喧嘩になった。で、彼は、自分の方が強いのだと、言うために、「法律で、決まっているのです」と、言った。「なんという法律ですか?」と聞くと「消防法です」という。「消防法の第何条、第何項目ですか?」と、次に質問をすると、隣からサポートの私服の女性が、「劇場法です」という。私は、第何条、第何項目と、答えられない時点で、あ、嘘を言って居ると、感じた。で、幸いスマホを持って居たので(実は、四階一幕見席は、スマホを持って居ないと入れない形式になっている)、

 それで、すぐ消防庁に電話をかけた。ここで、すぐ消防庁に電話をかけられるのは、父が霞が関の官僚だった時代があるし、自分が東大に勤務していたこともあるし、そして、私は他人が思うほど、バカではないし・・・・・むしろ、頭が良すぎるから、CIAに弾圧されているわけだし・・・・・というわけで、彼ら二人が威張って言い放つ、その裏に、小川課長が絶対に嘘をついているという確信があったからだ。それで、松竹側が、自分のよりどころとした、消防法も劇場法も無いと言う事が、証明をされた。ただし、悪辣な、伊藤玄二郎一派が、これから、作るかもしれない。そして、作った日付も嘘を記載するかもしれない。だから、国会図書館に行かないといけないのだが、父の美術上の、業績に関して、国会図書館は、新聞のマイクロフィルム化を利用して、文化面だけ、採用しないと、言う恐ろしい手を打った。だから、官報は、ずっと、追跡しないといけないと、思う。どこの図書館で? ところで、この日定款は、まだ作られて居なかった。もし作られていたのだったら、それを見せればいいことだった。まあ、見たら、いったんひるむかもしれないが、これから、展開する論理によって、それが、おかしいと論破するつもりではある。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『歌舞伎座はエンタメの世界である。それなのに、トイレに禁煙マークを張ったりして、お客を疑っている。それも過剰な制限の一つだけど、上の方に言って居るお客に開演五分前に四つの注意をするのも過剰な、事だと、感じている。一階は、ほぼ、一千人を収容し、それに対して、注意書きを述べるスタッフは、四人ないし、6人ぐらいだ。だから、やや薄められて、見える。二階は、400人弱、それで、4人程度、三階も同じ、ところが、四階は、80人に対して、4人で、攻めまくられる。非常に過剰な感じがする。

 私が友達を裏切らせられる憂き目にあって居なかったら、友達は、ほとんど、インテリだから、私の意見に賛成してくれるはずだ。例えば、金子美都子聖心女子大(名誉)教授だって、私のメルマガエッセイ【トカゲのミイラ】をシュールな感じで、面白いと、言ってくれたのだ。それゆえに、敵方にリクルートをされてしまった。金子美都子さんが、著書を想定してくれた時に、だめになった理由が分かった。それは、春秋社刊だったのだ。三輪喜久代さん(小保方晴子さんの似非科学論文だった・スタップ細胞・論文・をNATUREに、押し込んだ、ロンドン在住の、CIAエージェント、私にとっては、たった五人程度の、1965年度の、ICU, 湊宏研究室での、同期である)も、春秋社勤務だったし、何よりも伊藤玄二郎が、春秋社社長にぞっこんで、里見頓と、同レベルで、したいよって、その名前を自分の会社にもらっているぐらいだから、伊藤玄二郎が、金子美都子さんに近づくのは、容易である。

 もう一人、裏切られたのがとても残念な友だちがいる。この人からも著書献呈を受けている、小池玲子さんだ。芸大卒で、世界三大広告会社、J.W.トンプソンの副社長を務め、私の銀座での初個展も見に来てくれた。彼女は、高一にして、すでに、私がただならぬ、ひとであることを見抜き、自宅へ招待してくれた。母君が早く亡くなっていたので、母親がわりの、姉君に、私を見せたいという話だった。ところが姉君は私を見たとたんに、「だめだわ。この子、歯がだめだもの」とおっしゃった。実は、金冠をはめていた。明眸皓歯という。歯は、とても大切な美貌の要件だったのだ。でも、冷静な姉君のおかげで、ICUで、ひたすら劣位の女性として、ふるまったので、処女で、夫と結婚披露宴に進みました。それは、ある種の誇りです。(苦笑)・・・・だから、息子の職を奸計によって奪った、西原理恵子が、東京女子大で、最後の講義を行い、あらゆる男性と寝てみて選びなさいと、言ったのには、深く、反発をしている。いやあ、劣悪な環境で育ったので、ああなるのですねと、思ってもいる。

 で、昔からの友達に相談ができないので、マスコミに出て来た有名人の考えや言葉を使おう。馬場あき子さんが、NHK ETV【こころの時代】に二度出演した。

【歌詠みとして今を生きる】  馬場あき子

初回放送日: 2023年9月29日

2019年に放送し、反響の大きかった「こころの時代~宗教・人生 歌詠みとして今を生きる」を、再構成してお伝えします。

 そう、同じ番組の、ある部分が抜けていて、或る部分が加えられていた。で、朝日歌壇かな? 選をする場面が出て来た。::::::ここで、ちょっとした挿入だが、私の大学同期の、女性の友人の母君が、この選での、先生の助手を務めていると、聞いていた。それは、1960年代から始まっている事。ただし、先生のお名前を聴いていない。::::::元へ戻ろう。

 馬場あき子さんは、選びながら、「この頃、使っては、いけないという言葉が増えて困る」ということをおっしゃった。そして、続けて、「この頃、ありとあらゆる場所で、制限が増えているでしょう。なんとなく、あの時代と同じですね」ともおっしゃった。あの時代とは、戦前の、特高のいた時代を指す。だと思う。テレビに出る人だから、自己規制をなさっている。だけど、視聴者の私には、あの時代が、何を指すかは、わかる。

 ところで、私が、本当に問題としたいことは、こういう制限を加えてきているのが、鎌倉エージェント、特にまだ、息ている井上ひさしだと、言う事。井上ひさしは、一方で、9条の会などを立ち上げて、戦争反対を言って居る。しかし、言論統制という意味では、権力側のもっとも、厳しい取り立て人なのだ。今、定款を読んでいるが、あまりにも一方的だ。それが、井上ひさしらしいところだ。伊藤玄二郎は、どう考えて居るのだろう? これを、19日のたった一日で、作り上げた影に、千葉景子さんがいないだろうか。千葉景子さんは、横浜国立大学を、六期下の卒業生として、私と同窓にあたるのだが、死刑場公開をした。あれは、100%、私のブログ、及び、準備中の書物【消された映画】を消していく行為だった。つまり、中学校の後輩なのに、千葉景子さんも言論弾圧の一翼を担っている、そういう風な立場になった私の敵なのだった。大変な立場に置かれている私だった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『しかし、本日は、ほっとする文章を朝日新聞の中に見つけた。土曜日には書評欄がある。2023年10月29日の、朝刊、第19面(頁)、左下の記事だった。スキャンしたので、ここに掲載をさせていただきたい。どこに、感銘を受けてほっとしたかは、皆様のご判断に任せたい』

後註1、上條陽子さんとパレスチナ支援…そして、私のハマス分析・・・裏に歌舞伎座課長の失態がある   2023-10-20 02:14:45 | 政治

後註2、23-10-20の朝、横須賀線車内で補聴器が変だったので、やはり、今回の歌舞伎座での攻撃の主役は松竹ではなくて警察だと、感じ取る   2023-10-22 20:58:24 | 政治

後註3、敵は本能寺にあり、CIAとその手下としての警察は、私の歌舞伎好きを、梃子(=道具)としてこのブログ潰しを図ってきた    2023-10-24 05:11:47 | 政治

 

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松竹問題とは、事実上安野夫人の過去悪を洗浄しようとする物だから、彼女と結びついたご近所エリートの大失敗をここで、蒸し返す必要が出て来た

2023-10-26 16:10:49 | 政治

副題1、『私は富沢家の、四つの、悪を知っていて、普段ものすごく怒っています。でもね。安野夫妻や前田夫妻よりはましだろうと思っています。育ちがいいとわかっています。そして、過去の悪行を富沢家に関しては、忘れている時があります。その方が多いぐらいです。ある日など、石段で、すれ違った富沢氏が、恥ずかしそうに、「マスク忘れちゃって」と言いました。富沢家って、我が家よりさらに上に位置していて、その二人が出会った場所(志一稲荷の下)から、もう一回取りに上がるとすると、六分の五以上を、又、上がらないといけません。つまり、220段ぐらい上がらないとマスクを手に入れられないのです。無論街で、買えます。駅のそばにある、東急ビル内六階のダイソーまで行けば(ただし、歩行器だと、15分はかかるだろう)手に入ります。また、小町通の中ほどにあるangelという洋服屋さんでも、箱単位で、売っています。だけど、富沢氏は、男だから、angel と、言う洋服屋さんに、気が付いた過去があるかどうかを知りません。

 しかも、そのころは、現在とは違って、コロナ禍で、みんながピリピリしていたのでした。あの時代だと、小町通りを駅まで歩くだけで、数百人の人から、白い目で見られる可能性があります。そういう時代でした。だから、これから、上がろうとしている私がバッグの中に入れてあった予備の新品を上げました。富沢氏は、私もそうですが、既に足が悪いです。大人用歩行器を買って使っているぐらいです。私の方はリモワのアテンダントバッグとか、サムソナイトの、安いブランドの、アテンダントバッグ最小のものを買い物入れ、及び杖として使っているので、まだ、歩行器は、必要ないのですが、その代わり、帰りの石段が、重い事、重い事。

 でもね。私はね。非常に根は明るい人なのです。それに、海外一人暮らしをアーチストとして、経験していますね。三か月が三回も。だから、応用力は高いです。機敏です。オープンマインドです。

 だから、さっとマスクを渡しました。新品を一つ。彼は、ありがとうと言って、帰ってから奥様にこのことを言ったのでしょう。夜、奥様からお礼の電話がありました。私はそんなことをしないでいいのに‥・・・と思いました。。電話が盗聴をされているので、また、富沢家が、安野夫人一派に取り込まれて、新しい悪いことが始まるでしょうと、考えたからです。

 その通りになりました。水道をめぐるだまし討ちというものはひどいものです。下の狭い道に、水道屋の車を置きっぱなしにして、私の息子が、北久里浜から、持って帰る荷物の車が入らない様にする目的の意地悪でした。

 岩本水道店は、実際には、工事も何にもやっていないのですよ。ただ、ただ、いじめる為の目的で、水道が壊れたことにしたのです。しかも置きっぱなしの車には、岩本水道工事店というロゴもないし、ダッシュボードには、携帯番号も置いて居ないので、皆目誰のものかが判らず、どけてくださいと、言うわけにはいかなかったのでした。

 もちろん、陰に、安野・前田、伊藤玄二郎、及び、鎌倉警察署の生活安全課の課長、または、この山の警察関連エリートだと、私がみなしている山田さんが、噛んだ、話です。だから、頭の良い彼女(=私の事)は、裏が判る筈で、したがって、ビビって、問題をブログ化できないだろうと、みなして、やられたいじめでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2,『ただし、この話の、もっとも大きな弱点は、化学的知識が皆無だと、言う事です。関係した人間の全員にです。その関係者の、内、目の前に現れたのは、富沢夫妻、花輪夫人、水道やの、三軒です。裏にいる、鎌倉市長、警察のエリートらしい山田さん、伊藤玄二郎・かまくら春秋社社長、ご近所住人、安野夫妻、前田夫人などは、私の眼に見えません。だけどね。私は、鎌倉市長が絡んでいるからビビるなんて言う段階ではないです。書きます。ひどい話だと、ちゃんと書きます。

 その際に、水道屋にも二回、電話をかけて、二回目には、「市長からの命令で、こういう嘘を実行したのでしょう?」と、質問をしています。すると彼は図星を指されたので、もう、声も出ないという感じでした。

 そして、富沢氏です。奥さんに、電話をかけている私の向こう側で、「こういいなさい。ああ言いなさい」と、指導しているのですが、その際に、気圧と水圧の関係を忘れているのです。いわゆる公理の一つだと思いますよ。物理の原初、原初の知識です。あのね、ちゃんと勉強している人で、知識が身についている人だったら、79歳過ぎてたってわすれませんよ。私は、そういう種類の人間です。すべての勉強を点取り主義、または、試験合格主義、または、優(=A)欲しい主義で、学んできた人ではないです。ちゃんと、一つひとつを自分の血肉にして生きて来た人間です。

 ここで、金子美都子聖心女子大・元・教授からのいじめに入らないといけないが、ここでは、それには、敷衍しません。煩雑になりすぎるから。

 私は富沢夫人には、そういう知識のことは、電話では、質問をしていません。ただ、「お宅の工事のための車両が下に停車していて、ルール通りの、携帯の番号が置いてありません。だから、どけてもらう事が出来ません。だけど、花輪夫人がお宅の工事だと、言って居ました。もう終わったのでしょうか?」と、質問をしているのです。

 すると、富沢夫人が、「お昼を食べに行っているのでしょう」と、まず、一つ目の嘘を言います。あのね、この岩本水道工事店って、八幡宮の前の道に沿ってお店があるので、ものすごいレベルの、ご近所住人です。特に車だったら(交差点を抜きにすれば三分で行かれます。ここに車を置いて、お昼を食べに行くなんて、嘘の骨頂です。

 そういうことをこっちは知っているのですよ。その上、下の道路に、駐車する際は、ルールとして、ダッシュボードに、携帯番号を置いて、次に利用する人から電話がかかってきたら、どけるというものがあります。その携帯番号がない。それだけでも、普通なら、「ご迷惑をおかけしました」と、富沢夫人は、謝罪をしないといけません。その謝罪がないうえに、後ろから、ご主人が、「もうひとつ、後ろ(駅からの距離でこう言って居る。実際には、北側のこと)の道路に、住んでいる人の工事もやっているから、そのために、あそこに車を置いている」と言いなさいと、悪知恵をつけているので、奥様は、さっきはお昼を食べに行ったと、言って居るのに、直後にご主人の言うとおりに、言いなおしているのです。

 上の写真が、その問題の細い道です。どうしても横向きになっていますが、それもまた、CIAのいじめです。仕方がないので、このままで置きます。自転車が右側に泊まっていますね。カバー付きで。それだけで道の半分をふさいでいます。それほど、ほそい道に、なんの用事もない岩本工務店の車が停車していて、我が家の引っ越し(北久里浜から、ものを持って帰る。主人が病気になった2016年、鎌倉から、北久里浜に引っ越そうと思ったのだった。そこに今も持って居る旧宅に引っ越しをしようとして、たくさんの荷物を運びこんであるが、意外と主人が健康を回復したので、鎌倉で、終焉を迎える決意をし直したのだった。で、冷蔵庫やテレビなど、こっちで不要な、ものは、しょぶんしたが、持って帰りたいものもあって、その持って帰るものが来る日に邪魔をされたのだった。主役は富沢家である。

 ただ、ひとつ、いじめるという目的のために、ああ、言ったり、こう言ったりの、工夫の限りを尽くしています。それを聞いて居ながら、・・・・ああ、だから、あの家の次男さんは、一時期おかしかったのね・・・・と、思います。👉👉👉へ、続く

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ここで、私は、富沢家が、対・私へ行った四つの悪を、起きた順に書き始めました。で、一回目を、副題3としてに書き、二回目を副題4として、午後四時ごろから書き始めました。しかし、本日の作文としては、前報の後半を、書いたのが先なのです。それは、午前11時ごろから書き始めています。それで、頭もすっきりしています。それを、新副題3として、ここに置きたいです。

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新・副題3、『富沢氏は、栄光学園、慶応卒で、三菱重工勤務というエリートなんですけれどね。同じ様な基準でいうエリート=日吉の赤津氏一家と比較をすると、驚くことばかりである』

 この松竹問題と、同巧異曲のいじめには、一万回以上も出逢っていますよと、言いたい。ここでは、富沢家の水道ポンプが壊れた話を取り上げよう。最近書いたことと関係しているので、リンク先が見つけやすいからだ。

 私は最近以下のブログを書いています。

愛新覚羅嫮生さんと下関・・・下関に帰郷した母が言う「現代のお殿様って、三菱重工の重役=造船所所長だったわ」と。     2023-10-17 16:39:56 | 政治

 この章の主役赤津さんは、日吉で1950年に売り出された東急の分譲地を三区画買った方で、90歳を超えて、自宅を壊して、新築なさったのです。リフォームではない。その島の中は、8区画に分譲されていたのですが、長い間、4軒しか家が無かったのです。どういうことかというと赤津さんも富裕な人ですが、その西側=我が家の東==が、同じく三区画買っていたからでした。で、その通りは社長通りと揶揄されていました。

 さて、その日吉の分譲地は、その時代は、60区画だけでした。そして、三区画も買っているお宅は、その二軒(三菱重工の重役と、日軽金の重役)だけでした。
 さて、それが、私が子供時代を過ごし、かつ、最近まで、お仏壇を拝みに通っていた地域で、62年間も住んだり、訪れたりして関係を持って居た地域です。イコール日吉ときわ台分譲地。その次に、長い期間暮らしているのは、今、すんでいる鎌倉雪の下二丁目の、小さな谷戸です。こちらは、38年間です。ここは、初期分譲時は、22区画だけだった筈です。が、一戸だけ、引っ越して行く際に、二軒の家を建てて、二戸を賃貸に出した家があって、23区画になっています。
 しかし、最近、私は、このブログで、実働15軒だと、繰り返し語っています。一軒だけ、絶対に他者と付き合わない家があり、その住人は、単身の男性ですが、家の門から、玄関までも、到達できない風に、がっちりと、自転車用鍵を門につけています。また、必ず、晴雨にかかわらず、黒の洋傘を使って出入りします。または、ユニフォームをがっちりと着込んで、マウンテンバイクを、抱えて登るときは、大きなゴーグルで、顔を隠しています。
 
 雨傘を晴天でも使うのは、違う人物が出入りしていても、雨傘で、顔を隠しているので、特定できませんから、いろいろな、人間が出入りしていた梁山泊の趣がある家です。借家という形であって、表向きの住民は、元鎌倉市長と同じ名字で、NHK記者をしている人物です。竹内啓貴さんです。新幹線焼身自殺が起きた時にNHK記者として、画面に登場しました。但し名義を貸しただけで、実際には、すんでいませんでした。それは、ある事情から(竹内氏がまだ、帰宅していなくて、鍵が無くて、困っていた外人を、我が家で預かってあげた日)にわかった事でした。今は、客が、来ないのですが、アメリカ系民宿をやっていた時期もあったのです。
 この・・・・・晴天でも黒い雨傘を使って出入りをする・・・・と、言う形から、カリタス小通学バス襲撃事件の真相がわかりました。犯人とされている、51歳の引きこもりの男は、学生服を着て現場に来る様に、命令をされていたのだと聞いています。現場には、彼を合わせて、五人程度の、学生服の男(大人)が、居たわけです。そして、彼以外の、人間は、ターゲットと決めていた若い父親(=ミャンマー語に堪能な若い外務官僚)とか優秀な女生徒を殺し、主役の引きこもりの男も殺したのです。彼は、この命令で、他人を殺すのだとは、聞いておらず、ただ、良い報酬をもらえると、聞いていて、喜んでいて、ご近所様に対しても、珍しく、明るい感じで、あいさつをしたそうですよ。
 
 で、元へ戻ります。絶対に近所付き合いをしない、若い男性、しかも、この家に住んでいるのは、きっと高卒の警官であろう(または、刑事であろう)と、私が、見ている、独身男性を入れれば、実働16軒となります。数が合わないのは、この章の主役である、富沢家が、三区画買っているからなのです。
 しかも、富沢家が買っている三区画は、360度、隣の家がない区画でした。この山の一番高いところを買っているのです。それは、ご主人の父君が、慶応の教授であり、駅から徒歩7分程度のお屋敷に住んでいたので、この山の分譲地の情報が早く手に入ったからでしょう。
 私は、富沢家の富裕度の高さという、そういう内実を聞いたから、親しく思っていたわけではありませんよ。よく、偉い人に寄り添うと、こっちも運がよくなると、書いているビジネス本がありますが、そういう意味で、なかよくしていたわけではなくて、その富裕度を知る以前から、奥様の事を、美的意識が高い。手仕事が好きである。お育ちが良いと言う三点で、好んでいました。ずっと、仲良くしていたつもりです。そして奥様の方ですが、最初の20年間は、あのバカげた安野夫人の井戸端会議には、参加していませんでした。音も声も聞こえない位置にあったので、参加しないで、済む状況にあったからです。
 そこは、前田夫人とも、石川和子さんとも、違うところだったのです。
 ところがある時期から、安野夫人が、カラめとってしまいました。それは、安野家の前で、彼女がよく立ち話をしているので、推察できた事でした。富沢夫人は、声に特徴があるのです。話し声でさえ、透き通ったソプラノの良い声です。
 
 その二人だけの井戸端会議を見ていて、まあ、勝気な安野夫人だこと。何においても勝ちたいのですねと、思って、気にもしなかったのですが、やがて富沢家そのものが、一家を上げて、攻撃してくる様になったのです。
 あまりにもひどい攻撃が、四回ほどあって、そのうち、二回目と、四回目は、このブログで、書いています。
 四回目の方は、6月だったので、このブログ内で、すぐ、見つけられると思うし、二回目の方は2016年でしたが、リンク先をまとめてあります。

 そのリンク先を提示する前に、私が富沢さん一家の事を、どうしてこれほど、バカになったの?と、あきれ返っていると、言わせてください。しかも年齢以外は、そっくりな育ちと高収入を得ている、日吉の、赤津家と、よく比較していて、さらにそのバカ化程度にあきれ返っていると、言うわけです。

 今までは、このブログ内で、「内心では、赤津家と比較して、何時もあきれ返っているのですよ」と、言う事は書いてきていません。しかし、母が下関へ、旅行をしたのは、大昔の筈です。父が亡くなって、介護の必要がなくなったから、故郷に帰ってみたのでした。しかも、胸に微細な骨折が、入り(父の体重が重かったので、看護師さんと、二人で、ひっくり返すにしても、母の肋骨には、大きな、負担がかかったそうです)自分の死も近いだろうと、考えたから、父の葬儀、相続が片付いたら、すぐ、下関へ、行ったはずで、1990年より前の話です。だからね。33年間、赤津家(東大卒)と、富沢家(慶応卒)を、私は、比較していたのです。

 恥ずかしいと思いませんか? おやりになっていることを。私は、このブログで常に言って居ます。今は江戸時代ではない。だから、他者の過去とか、家柄などは、よくわからない時代だ。だから、決して失礼なことを隣人にしてはいけないのだと。ところが反対に嘘までついて、他人をいじめているのですよ。驚くばかりです。

 嘘とは、気圧と水圧の関係の、中学で習う知識に反する嘘です。

 慶応に入る前は、栄光だそうですが、栄光で、勉強していた事って、ただ、東大に入る為の、お受験対策だけだったのですか? どうして、気圧と、水圧の関係の、基礎知識もないのですか?

  以下のリンク先は文章が長いです。でも、ご興味があったら、開いてご覧ください。栄光学園卒の人が、これほどに、バカ化するとは、驚くばかりです。と言いながら、夜10時から、簡単にしたの文章をまとめていきます。

 詳しくは下を開いていただくとして、我が家へは、鎌倉街道から、鶴岡八幡宮の、普通車(バスではない、個人用の車)の二つの駐車場の間の細い道(家に写真を載せている道)を、30mぐらい進んでから石段を上ると、言う形式になっています。その前日、久里浜から、荷物を、持ってきてくれると、息子が言ったので、荷物運び用に、石段を上がる人材を探しまくりました。私たち夫婦はもう年でね。石段を荷物を持って上がることが、無理だったからです。その交渉は、電話でしました。固定電話は、常に、盗聴をされています。

 その様子が、困っている様に見えたので、更に困らせてやろうとして、下記の富沢家のいじめが案出されたのです。そんなことはすぐわかりますが、一般人は、固定電話の盗聴はできませんね。だからこれも、警察の仕業で、CIA(=警察)が、かわいいと思っていて、サポートしまくる安野夫人を助ける為の工作でした。今、直面している松竹問題(歌舞伎座に入れなくなる。歌舞伎を見ることが出来なくなる‥・・・も、後ろに安野夫人が居るので、急に安野夫人が過去に行った悪事の一つとして、こちらの問題を取り上げることとなったのです。安野夫人が過去に行ったことも、いずれ、書きますよ。ただ、本日は富沢家に限ります。唯ね。安野夫人は、この松竹問題で、私には、勝ったと思い込んでいて威圧のために、目の前に現れたりするのですが、なんとあそこの猫も威圧をするために目の前を通るのですよ。(苦笑)

 

 さて、上野写真で、は、オレンジ色の家が我が家です。これは、今回の問題用に、撮った写真ではないので、矢印が富沢家には、ついて居ません。s易化し、オレンジ色の我が家から見て、右上に、小さく白い家が見えませんか? これは、前田家の前の道から撮っていますので、近景の笹が、大きく表出しています。その笹たちの一番右側のポーンと突出して立っている一本がありますね。先端が、双葉みたいに別れているもの。その真ん中に小さく見える、白いおうちです。我が家の左側は、とても良い大工さんが増築してくれた家なので、高さが、5mはあります。その二倍の高さの位置にその家があります。そこは、山の頂上で、しかも家が一軒だけ建っているので、見間違えることはありません。

花輪夫人と富沢夫人から始まり、岩本工務店が主役のいじめ用罠は、実際は鎌倉市長発で裏に伊藤玄二郎が居てね△

2022-10-19 07:52:38 | 政治

そこには、鎌倉市の水道は、届かないのです。水圧が足りないので。でね。富沢家では、我が家とほぼ、同じ高さに、置いているタンクに水をためて、そのタンクから、自宅まで、自分個人で、買い求め、使っているモーターで、普通の家よりも10m高い分を揚水するのです。そのタンクの写真が以下です。

 

 上は富沢家固有のタンクです。私は嘘をつかれたことが、花輪夫人の家の玄関先で、すでに、判っていたので、すぐ、この富沢家のタンクを見に行きました。岩本水道工事店の車がまだ、下にある段階です。だから、治したばかりでしょう。さすれば、このタンクのふたが開いた、または、閉めた形跡があるはずですよね。それが、無いです。しかも、ビニールホースで、揚水したと、聞きました。が、それが、成功するまで、何度もトライするでしょうから、あたりは水浸しの筈ですよね。しかし、水なんか、どこにも飛び散った形跡がないです。もう、200%の嘘つきです。

 でもね。井上ひさしのアイデアだったとしてもです。花輪夫人の段階で、「これは、嘘だから、私は協力できません」といわないとだめです。だって、都庁勤務だったのでしょう。で、年金が高いから、いいお洋服を着ていますね。高いものを着ています。だけど、この気圧と水圧の関係は、中学校段階の理科の知識ですよ。ただ、栄光卒の富沢氏と比べると、この問題が、わからなくてもまだ、罪は軽いです。でもね。高額の年金をもらっている元公務員だとすると、こういう嘘をついてはいけません。そしてね。はっきり言って、私は貴方を、過去に、「この山で、一番頭の良い人だ」と言っていますが、本日は少し訂正しないといけなくなりました。むろん、昔だって、そこには、私を計算に入れていない発言なので、教養とか学問的知識という意味では、私の方が上だけどなあと、言う自負は、私は持って居ましたよ。ただそれをあなたの前で、見せなかっただけです。・・・・自分の方が上です・・・・と相手の目の前で、見せる態度なんて、私に言わせると野暮の骨頂で、育ちが悪いのだと、なるだけだから。

 ただね。あなたは、「ここではどうふるまったら、自分が有利で、しかも、周辺を傷つけないか?」という判断に関しては、優秀です。同じことを必死でやっているのが安野夫人ですが、彼女のやり方はやぼったいし、下品です。欲望丸出しだから、汚いなあ。という印象を抱きます。花輪夫人の場合、汚いなあと、思う回数は少ないです。しかし、汚いなあと、思う回数が全くないかというと違います。まだ、富沢夫人の方が、裏が、ぴゃっ、ぴゃっ、ぴゃっと、わかるので、かわいいと思うし、汚いと思う回数が少ないです。

 なお、ここでの判断ですが、最近引っ越してきた、石井秀樹あずさ夫妻。関本夫妻、白井夫妻、平木夫妻は、抜かします。この人たちはハイスペックです。だから、彼らの中の上下関係など、うかつに口に出すわけにはいきません。

 

女って浅はかで化学(又は科学)の知識を理解できない・・・松尾市長・岩本工務店・伊藤玄二郎・富沢家が仕組んだ水圧と気圧に関する嘘

2022-12-08 00:09:24 | 政治

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新副題4、『上の副題2の最後の👉 👉👉👉から、ここへ続く。私に対して、冷たい行動をとることができると言う事はご家庭内で、ご自分のお子様に対しても、同じでしょうと、思い当たるのだった』

 今は、すごくいい男性(紳士)となった次男殿ですが、彼が、中学時代は、夫婦二人して、冷たくしたのでしょう。三男を偏愛して・・・・と、思い至った次第です。西隣に住んでいた遠藤夫人(のちにお子さんを妙本寺にお嫁入りさせた。その結婚の話もまた、敷衍しないといけない政治問題なのですが、今は敷衍をしません。)が、私に対して、ご注進、ご注進という感じで、「大変よ。富沢さんの坊ちゃん、石段で、タバコ吸っていたわよ。ねえ。まだ、中学生でしょう?」と言ってきたほどです。私は遠藤夫人には、くみしませんでした。彼女は、そのころ、まだ、幼稚園に子供を通わせていた時期なので、中学生ぐらいの子供の、心理など、知らない女性なのです。だから、「あ、そうお」という感じで、軽くいなしておいて、富沢家にも告げませんでした。遠藤夫人は、自分のママ友には、散々このことを、話したと思いますよ。富沢夫妻が、三男を偏愛しているのは、次男さん当人だけではなくて、私の様な他人でさえ、気が付いていました。だけど、それをやめさせるわけにもいかないでしょう。他人の私が。

 で、夫婦そろって、水道屋の車を止めて、北久里浜から帰ってくる私宅の、荷物の運搬を、邪魔してやろうという風に、いじめてくる、わけです。その富沢夫妻の、雰囲気を、向こう側に感じながら、私は、決して負けてはいませんでした。富沢夫人が、そういう間違ったというか、嘘を言う対応だから、水道やに直接電話をかけたのです。そして、このいじめが市長発だと、知りました。

 だから、富沢夫妻も、花輪夫人も強気だったのでしょう。

 だけど、富沢氏って、神奈川県一、入試の偏差値が高くて、超人気の中高一貫校である、栄光学園出身ですよ。そして慶応大学の、理工学部(だと推察している)に進んで、三菱重工勤務です。たぶん、核燃料棒製造部門の立ち上げに参加しています。久里浜に、作られたので、鎌倉から通勤するのに便利ですからね。

 で、体を壊しています。だから、本当は、原発に反対している私なんかと、連帯しないといけないのに、反対に動くのだから、そういう意味でも哀れですね。お気の毒だけど、哀れな人です。

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副題3、『一回目のひどい事は、バスの中で、後ろから、あら富沢さんと、肩を叩いて声をかけて挨拶をした私を、犬みたいに、追い払ったこと。二回目は、妙本寺の、お嫁さんに、遠藤家のお嬢様が成ったことを奥様が、私に知らせた事』

 これが、何時だったか、殺人事件でもないので、記録を取っていません。そして、両方ともに、大きな展開を見せます。単純にメモ化して、メモとして、記載を続けます。浜銀と東日本銀行の合併と、浜銀のコンコルディア銀行への改名。養老孟司先生が、伊藤玄二郎の言うなりであり、安野夫人に協力をしている事。平木家のご長男が、推薦で、東大へ入学できた影に伊藤玄二郎から頼まれた、養老先生の推薦の言葉が無かったか? 養老先生の愛猫【まる】の死亡、そして、養老先生ご自身の病気・・・・・

 北久里浜の大大、実質的大詐欺事件の、首謀者に協力した、東日本銀行の当時の名前である常盤相互銀行に勤務していた上滝家のお嬢さん(今は、54歳だから、結婚をしていて名前は、消えているだろうが)、お菓子を毎日、毎日、盗み食いをしていた話・・・・・なぜ、そうなるかというと両親がお金をけちって幼稚園に入れていなかったからだが、これが多分、浜銀の改名と、妙本寺のお見合いに結び付いていき、我が家の旦那寺、宗興寺の中野誠哉(多分曹洞宗、事務方トップ)氏が、浄智寺さん=朝比奈恵温氏の、教唆命令により、私をお寺のくせに裏切ってこられた話・・・・・とかが、政府の幼保無償化に結び付いていくのです。それで、富沢一家が、このころからCIAにリクルートをされていることが判ります。そして、妙本寺のお嫁さんのケースを、私に教えてくれたのが第一階の、敵からの攻撃だったのです。というのも遠藤夫人というのは、毎日庭ごみを、一メートル低い我が家に掃き込んでいる人だからです。そう言う家のお嬢さんが、鎌倉一お金持ち(土地を広く、大勢の人に貸している。駅に近いので、地代は、高いはず)の、お嫁さんになったと、聞くのは、不愉快ですね。

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副題4, 『次に裏切ってきたのが高枝切り事案だった。それは、後半に、リンク先を置いて置く』

 私を殺そうとする、鎌倉エージェントたちは、心理的にダメージを与えようとして、富沢夫人に、遠藤家のお嬢さんが、妙本寺のお嫁さんになったと告げた。

 次に起きたのが高枝切り事案だった。(リンク先は、後半に置きます)上の妙本寺ついておしらせがあったのは、心理面での殺人予備行為だが、高枝切り事案は、体に対する攻撃で、これも殺人予備事案である。

 ところで、1994年か1995年ごろ、安野夫人が高飛車に、「お宅の坊ちゃんに、絶対に家にいてもらわないと困るのです。次の土曜日にね」と、命令してきた。何の事だろうと、その時はわからなかったが、うちの子は、「あ、そう」、という感じで、その命令には従わず、彼=安野家の次男をすっぽかした。すると、二人で、訪問をしてきた安野家の次男は、、我が家の玄関で、地団太を踏んで、悔しがった。息子は何も言わないので、何が起きているのだろうか?と不思議だった。

 というのも鎌倉御成中学で、同期生だったが、一切付き合っていなかった。だから、なんで、今頃(27歳ごろ)になって、安野家の次男が、訪問をしてくるのかが不思議だった。

 しかし、その五年後ぐらいに訳が分かった。娘が結婚する前に、この家で、起きたあれこれを語ってくれたのだ。思い出として。1984年の9月初めの事。

 「お母さんが塾の先生をしていたころ、お兄ちゃんが血だらけで、帰ってきたの。ああいう子たち(学友を暴力によるリンチにかける男の子たち)って、本当に性格が悪いのよ。制服で隠れているところだけ、棒か何かで、ぶったらしくて、血だらけの怪我をしていた。でもね、「おかんには、絶対に言うなよ。絶対に」と、言うから私が洗濯をして、おズボンは急いで、布で、ぬぐって、そのあとでアイロンをかけて、乾かして、制服のシャツも非常に時間がかかったけれど、あらったの。これは、替えがあるからいいけれど。お母さんが気が付いたら大変だからね。そして、直るまで、薬を塗ったのも私よ」と、言ったのだった。唯ね。お兄ちゃんは、たった一人で、相手三人をやっつけて帰ってきたのですって。だから、それ以降、いじめられることはなかったの」と。

 このころ主人が北久里浜の大悪人、(北久里浜の水道山1200坪を只で、私有化するという地積変更届を利用した、実質的詐欺事件の首謀者、益山重夫と、その親友という瀬島龍三)達に、松阪のセントラル硝子に、出向を命じられていました。だから三人だけの母子家庭だったのです。

 そして、塾のある場所は、大船今泉台というところで、交通の便が悪いので、車を運転しない私は常に、夜11時頃帰ってきていたのです。私はね。息子と娘の賢さに、本当に感謝します。引っ越してきたばかりで、うちの子の、背が高くて、美形だと、大原光孝さんだって、言ってくれるほどの、かっこよすぎる姿に嫉妬されて、こんな暴力を受けたと知ったら、大いに苦しんだと、思います。相手方三人は、こういっては、悪いけれど、みんな背が低くて顔が悪かったです。ただし、しっていたら、学校にこの被害の事を持って行ったかもしれない。すると、結果は、非常に悪いこととなります。いじめらる子は、親が乗り出したいですが、それは、本当に悪い結果をもたらします。

 さあて、私は富沢夫妻が、不思議なのです。そして、ご長男も不思議なのです。この山は樹木が多いので、静かです。富沢家のゴルフ練習が、高低差、10mの我が家にも聞こえます。そして、こういう暴力沙汰を行う事が出来る場所って、三区画買った富沢家の林以外にないのです。

 お兄ちゃんは、すでに、大学受験の勉強に入っていたでしょう。両親と、さんなんはテレビを見ていたので、気が付きませんでしたか? でも、お兄ちゃんは、自室で、静かに受験勉強をしていたと仮定すると、四人の少年の内三人が棒を使って、或る一人を打ちのめしていた、その物音が聞こえなかったというのが不思議ですね。一人(=うちの子)は、(棒なんか使っていたら、力が入らないと思うし、機敏に動けないので、)素手で、戦っていたと思いますよ。草が倒れる音、落ちている小枝を踏みしだく音。それらが、聞こえないはずはないのです。どうしてご両親に「大変だ。何かある」って伝えなかったのかしら? それとも事前に、「今度、引っ越してきた川崎をしばいたるから、気が付いても、口を出さないで」と、次男殿から頼まれていたのですか?

 そして相手は、ゲームとしてやっているのだし、三人いるから余裕でしょうが、うちの子は、一人ですね。たった一人です。だから、必死です。で、棒なんか見つけている暇もないし、棒を使ったら、かえって、機敏さが失われます。で、腕とこぶしだけで戦ったとしたら、相手には、血は、出なかったと思います。でも、次男殿が、夜九時ごろ、帰ってきたとき、又は朝ごはんの時に様子がおかしかったはずです。気が付かなかったのかしら? 不思議、不思議です。

高枝切り問題、時間が正順

 

 

助成金を出す為の審査に、行っていないのに行ったと言い始めた吏員の嘘で、鎌倉エージェントの悪辣ぶりが判って来る  2016-09-26 18:05:45 | 政治

 

高枝切と言う大攻撃があったが故に、超・肥満体である隣の奥様について、思い出が溢れ返ってしまうのだった  2016-10-01 00:58:46 | 政治

 

鎌倉市立・御成中・生徒が、路上喫煙をしていた場所・将にここ雪ノ下で、禁煙ファッショが始まり、大口病院事件も起こされた  2016-10-03 03:04:34 | 政治

 

鎌倉市職員、S氏こそが、御成中学校に多大な不名誉を招いたのだった。雪ノ下少年リンチ事件ー3△

2016-10-04 00:23:11 | 政治

 

高枝切りを16-10-5時点で考察し、強者が税金を使って、自分たちの悪を隠す典型である事と絶体絶命の私が助かる三すくみ理論について。

2016-10-05 23:05:15 | 政治

 

伊藤玄二郎と、阪中英夫の結託について・・・・・・鎌倉にも豊洲と同じ問題が、秘匿をされている

2016-10-06 22:50:36 | 政治

 

アスクル大火は、放火だー4・・・・・・川喜多記念館、の樹木伐採への税金・適用の不審さを考える・現在加筆推敲中

2017-02-28 14:22:53 | 政治

 

鎌倉市長は、高枝切りに関して、伊藤玄二郎の依頼に対して忖度をしましたか? 金銭的な部分についてですが、時期に対しても忖度しましたか?

2017-08-18 01:07:00 | 政治

 

三菱重工が横須賀で、核燃料棒を、製造をしている秘密が判明したのは、そこで被爆したご近所紳士Tがご近所主婦Oと共に、私を罠に引っ掛けた結果だ(苦笑)

2018-03-31 11:26:54 | 政治

 

驚いた。久里浜の核燃料棒製造工場が、余りにも、直裁な会社名をつけているからだ。それだけ、国民全体が麻痺しているのだろう

2019-09-26 18:51:57 | 政治

 

 

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アルペッジョーネ・ソナタを二日おきで続けて聴く

2023-10-26 10:08:53 | 政治

 NHK クラシック俱楽部は、あるカテゴリーを選び、その関連の演奏を、数日間つづけます。今はヴィオラ特集です。

 まず、ティモシー・リダウト (ベルリンフィルハーモニー主席ビオラ奏者)と

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

三浦 謙司(ピアノ)
Kenji Miura, piano

Biography

 2019年11月、アルゲリッチが審査員長を務めたロン・ティボー・クレスパン国際コンクールで優勝及び3つの特別賞を獲得、新たな才能としてその名を世界に知られることになる。これまでに第4回マンハッタン国際音楽コンクール金賞受賞、第1回Shigeru Kawai国際ピアノコンクール優勝、2017年スタインウェイコンクールベルリン第1位をそれぞれ獲得。第9回浜松国際ピアノコンクールで奨励賞及びにAAF賞を受賞。
 ロンドン ウィグモアホール、ベルリン コンツェルトハウス、パリ ラジオ・フランス大ホール、浜松アクトシティの他モスクワ国際音楽の家、東京文化会館、浜離宮朝日ホールなど世界中の数々の会場に招かれる。
 これまでにフランス国立管弦楽団などと共演。ウラジミール・スピヴァコフ率いるロシア・ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、広島交響楽団などとの共演が予定されている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

の二人が組んで、この曲を演奏したのです。ものすごくよくて、忙しいのにもかかわらず、同じ演奏を二回聞いたのです。まだ削除しないで、いる。今、HDDにも、ブルーレイにも落とせない(何かの、バグが入れられていて、リモコンが言うことを利かない)ので、残り時間が、0:30分というのに残してあるのです。

 私は最近25年間は、ピアノ曲を聴く、特にシューベルトを聴くか、または、ソプラノか、テノールの歌手の、歌うのを聴く以外、ほとんど関心を持たないので、弦楽器の曲は、40年前まで、聞いた名曲しかわからないのです。特にビオラが、主役の曲なんてしりませんでした。

 簡単に、ただ、ただ、その演奏が素晴らしかった。二人のお話も、美しかったと、言って終わりたいのですが、

 ラジカセが、何台も壊されていて、もう、買うのをあきらめていて、CDが聞けないのです。ゲーム機も壊されているし、マキタの掃除機も買ってから、そうそう壊されています。主人が五回ぐらい使っただけで、私なんて、一回も、使っていない段階で、壊されています。これは、充電がだめなのだと感じていて、それは、ノートパソコンにも、いれられている攻撃です。

 これは、モーツァルトのレクイエムを、神奈川県民ホールで、歌うと、言う時期に始まっているので、伊藤玄二郎発、_CIA(実際に壊しているのは、桜田門のはず)

 なので、いま、私が直面をしている、松竹問題(=歌舞伎見物問題)と、全く同じです。

 で、そっちが非常に大変なので、時には、息抜きに音楽を聴くというわけです。シューベルトのこの曲はめったに聴くことがないので、いい曲だと、お知らせをさせていただきました。

 このシリーズに登場した別のビオラ奏者も、この曲を選んでいました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

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敵は本能寺にあり、CIAとその手下としての警察は、私の歌舞伎好きを、梃子(=道具)としてこのブログ潰しを図ってきた

2023-10-24 05:11:47 | 政治

 この一章は、午後三時まで、総タイトルを【23-10-23が、歌舞伎に接した最後の日となります・・・・・最近の四階席の様子説明(CIAの歌舞伎を使った私へ支配ー1)】としておりました。しかし、それだけだと、確実に、誤解を受けそうだとかんじて、あわてて、戻って来ました。少しでも、事実に近い方へ、総タイトルを変更します。

 24日は、途中で寝落ちしました。で、もともとの初稿が、スマホを、使った、音声入力です。私の場合、それで、ものを書くとめちゃ、クチャな、誤変換が続きます。それで、さなくても、多い、誤変換が過剰に表出し、意味の分からないところで、終わっていたと思います。申し訳ありませんでした。今(25日の午後四時半)から、加筆と、推敲を開始いたします。

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副題1、『歌舞伎に関して、種々様々な攻撃にさらされてきていたが、とうとう、歌舞伎見物が出来ないこととなった。これは、私にとって、眼に見える、公の悲劇となる。いや、もうなったのだ』

 私は、2023年10月23日、これが、見納めだと、感じながら弥十郎演じる水戸黄門を見ていました。二時間の演目ですが、いろいろ、事情があり、私自身は20分しか見て居ません。2015年から歌舞伎座に行きはじめ(再開でもある。子供の時に連れて行ってもらっている)見始めたと思いますが、何事においても、急速に勉強をして、深いところに達するので、お隣の人が驚くほど、通になっています。過去に書いた歌舞伎に関するエッセーも、非常に大きな影響力を持って居るのを知っています。橋之助の芝翫・襲名も、団十郎の、襲名が2018年に当初予定をされていたのも、(しかし、コロナ禍で、実際には、2022年にずれ込んだ】も、寺島氏しのぶが、今月歌舞伎座で、【文七元結】の、母おかね(=お兼)を演じるのも、すべて、私のブログが原因です。しかし、今月の20日より、CIAエージェント(及び、実行者は警察)により、突然に、見ることが出来なくなりました。特に期限が、10月31日です。

 いやあ、お涙頂戴の、文章は、書きたくないと思いながら、これは、神様さえ、涙してくださるほどの悲劇だと思います。そして、この件に関しては、たくさんのリンク先を探し出さないと、真実が書けないので、10月31日まで、これにこだわって、書いていくつもりです。歌舞伎というテーマで、書きますが、政治が、もろに上に出てきます。いつもと同じです。ところで、昨日外出する際に、安野智紗夫人が対抗方向から、すれ違う形で、威圧してきました。前報で、20日の夜、平木家が、劇的なレベルで、攻撃をしてきたと言っています。その二つとも、「この歌舞伎を見せない仕組みを作ってやったぜ、上等、上等。これで、川崎千恵子をつぶせるぜ」と、高笑いをしている、まだ、生きている井上ひさし(公的には、死んだことにしていますが、その死んだという方が嘘ですよ)の高笑いとその背後からの、ご近所住民への指導を感じ取っています。

 この節だけで、ここから、逃げて、読むのをやめてしまう人が大勢いるとは思いますが、信じるところに従って、文章を書いていきます。特に常に言って居る様に、神様に向かって書きます。シネマ歌舞伎を見に東劇に行くのも、歌舞伎座の一階から四階までの、どの席に入るのも、浅草公会堂で、見るのも、コックーン歌舞伎(劇場そのものが無くなったので、これから、先どうなるのか?)も、御園座(名古屋)に行くのも、そして、江戸川文化会館とか、神奈川県民ホールとか、鎌倉芸術館で、見た巡業も、もし、見に行くとすれば、すべて2023年10月31日が期限です。今は、24日ですから、後一週間しかありません。明日の国立劇場(二回目の鑑賞)の切符もあるし、11月15日の夜の部、4000円も買ってあるのですが、行かれない(というか行ったらえん罪逮捕される可能性が出て来た)と感じています。そちらの切符は、念のため午前中も注文をしたのですが、セブンイレブンで、お金を支払わない方がいいと感じています。

 真実を言うと、私がだまし討ちに乗らない限り、歌舞伎座に入れてもらえないかもしれないのです。まあ、そうなのでしょう。非常に損をしているのですが、法廷闘争になった際の予防に、昨日法律の本を六冊買ってきました。付け焼刃ですが、勉強します。

 で、今、朝ドラの舞台となっている大阪松竹座と、南座と、博多劇場と、金丸座などには、まだ、行ったことがないのですが、行かれなくなりました。伊藤玄二郎も、雪の下のご近所様も酒井忠康氏も、かんらかんらと、笑っているでしょう。

 実は、本日は、玉三郎の、舞台を映画化したのが、今から、11月7日まで、四本上演されるので、それを東劇で、見に行く予定でもありました。それを、見てから、今、書き始めたことを、書き始め様と思っていながら、昨日6時15分に歌舞伎座に到着した私を、場内に入れたスタッフ山野 下さん(もう、私の方が、覚えてしまっているお顔で、相手も、私を認識している女性の顔)を見たとたんに、心の中では、涙があふれ、・・・・・四階を担当しているスタッフの中で、もっとも、年齢の高い、この人が、私を、もう、覚えてしまっていることを、最後の神様からのプレゼントだったと、感じて、相手側の攻撃を甘受することにしました。

 リアルな舞台を見られなくなっても、衛星劇場というCSのチャンネルで、見ることができると、普通なら思うところですが、それも、できない模様です。もう、(最高というか)、最悪の攻撃を受けたと、言う次第です。いや、今までもあったのですよ。それを積み重ねて、書いていきますので、ご興味があったら、付き合ってください。ある、オピニオン・リーダーが、言論封殺をされていく一つの仕組みの、もっとも、説明しやすい例ですから。

 具体的、物理的に体から、殺されそうになることは何度も過去に経験しています。1965年には、後ろから首を絞められた。(三鷹で)1977年には、車で、轢き殺されそうになった(久里浜で) 1998年には、屈強な外人の男、6人にバスティーユ駅(パリ)で、拉致されそうになった。2010年には、外人が我が家に、ピストルをもって、乗り込んできた(鎌倉)。すべてを防衛しています。だから、心理的殺人を狙われています。それが、今回のケースで、『お前、歌舞伎座に入れなくなったぜ。ざまあみろ。飛んだり跳ねたりするからだよ」と、、敵さん達は、大笑いしているところでしょう。

 しかし、丁寧に、丁寧に、事情を説明すれば、彼らがどれほどにあくどいかを証明できると思います。お待ちくださいませ。

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副題1と並行して、起きている恐ろしい事の数々。だから、松竹歌舞伎座問題の、本当の裏側はこちらにあるのだと、言う事が判る・・・・篇 反町のトイレが壊されていて、一か月前に、気が付いた。雑巾とか、バケツを置いて、桜田門様、神奈川県警様、鎌倉けいさつしょ様、トイレは、壊さないでください」という小さなビラを貼って、帰宅をして、一か月後の昨日、掃除をして、バケツと、ホースなどを取り除いた。すると、それを見に来たうえで(という事は、合いかぎを持って居る・・・・・・鎌倉雪の下の家と同じ)雨宮舜=本名、川崎千恵子が、自分が大家であるアパートトイレの破壊に気が付いているなあ…と彼ら、侵入してきた警察官が、思ったので、東京の不動産屋に、「売らないか?」という電話をかけさせている。

 トイレは新品が18万円だそうだ。しっそに倹約しながら暮らしているのに、すでに、一年間も家賃が入らない上に、急にアパートのトイレに18まんえんをきょしゅつしないといけないことになったが、それに、めげているところだろうと、彼らは、判断をしたのだろう。午後、鎌倉の自宅に東京の、不動産屋から電話をかけさせて、反町駅から、徒歩五分という、好立地を二足三文で、売らせて、しまおうという企みだ。

 一方鎌倉の家だけど、ご近所20軒の内、我が家だけ、神奈川県から、危険崖地指定を受けていて、もしうるとしたら二束三文であろうと、言う状況下に陥っている。御念の行ったことに、朝、反町から帰ってきたら、その時の会社と、同じ会社(人員は違う)が来ていて、そのケース=我が家の売値が、極端に下がったことを思い出させられた。このようにして、私は、24時間、多方向から、いじめられている。したがって、松竹の問題は、松竹という隠れ蓑の影にいる、CIA=そして、その実態としての警察の、落とし穴でしかない。それは、はっきりとわかっている。

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副題2、『四階の一幕見席の、入場システムが、大改造をされた。そこから、語り始めたい』

 実は、2015年の秋に、歌舞伎座のトイレのドアに、禁煙マークが貼られたのとか、2016年の四月に、小田原市立図書館の、雑誌演劇界、を鎌倉市立図書館経由で、借りた2011年六月号が、鎌倉駅東口(表駅と、言う風な、鎌倉では、特別な呼び方がある)においてある、図書館の返却ボックスから盗まれてしまい、主人の心筋梗塞入院中という苦しい中で、大騒ぎで、新品を買い求め、図書館に、返却したら、私が当時、持って居た、1331という番号の、浜銀(コンコルディア銀行とその後改名する)の、貸金庫に返却をされていたのを9月に入ってから見つけた・・・・・とか、2018年の一月に、誰もいない国立劇場の、ロビーの真ん中に、寺島しのぶが居たので、「M(まほろちゃんの事)について書いて居るエッセーを読んでいますよ」と、話しかけようとしたら、彼女ににらみつけられたとか、CIAエージェントの画策はエポックメーキングに語ることができるのですが、しかし、今、頭の中に、浮かんでいることから、語らせてくださいませね。お願いします。

 なお、【演劇界】という雑誌がつぶれたのは、不況でも何でもなくて、私のブログに登場したものは消すという、鎌倉Ąじぇんとたちの暴力行為の結果ですよ。ひどいですね。歌舞伎俳優にとっても、観劇者にとっても、大損です。ただ、ただ、数人が特をするだけです。井上ひさしと伊藤玄二郎と、雪の下の暴力的(特に心理面に置いてですが)男女が、得をするのです。がg・・・・自分たちが、どんなに悪いことをしても、私を殺して、このブログを閉鎖すれば、自分たちの悪行が、消えるからです。

 という挿入を突然ですが、ここに入れて、先へ進みます。寺島しのぶが、なぜ、急に歌舞伎座で、優遇をされるかの理由もいつか、まとめます。という本日だけの重要な気付きを、色付き文字で、ここに入れて元へ戻ります。

 フランス映画で、傑作とされているものに、【天井桟敷の人々】というものがあります。ぱりでは、貧しい人々、特に芸術家などが、立ち見で、芝居を見ると言う形が、とられています。歌舞伎座の四階も、歌舞伎界に脚本を提供している人である、井上ひさしなどは、下にも置かないもてなしを受けているでしょうから(公的には、自分を死んだことにしているから、その前の話ですが)、彼と、通々である、林真理子なども、同じ様な、特別待遇を受けているでしょうから、四階の席を買うのは、貧乏だからと、考えて居ると思います。

 しかし、日本の場合は、相当に違います。私は、そこで、日本人の、超富豪夫人と、何人にも出会っています。パリと日本に二つの住まいを持って居て、田園調布に住んでいて、ご主人が行方不明奥様がパリ滞在中に、ご主人が、行方不明になって、ヘリコプターを、世田谷区上空に飛ばして消息を、一般市民に、尋ねた奥様とか、(結局ご主人は、お散歩中に倒れて、身元不明死体として、既に火葬をされていた)とか、その他、驚くべき富豪に、数々、出会いました。

 だから、貧乏人が行くところだとは思わないで、ください。特に、その日に早く来て、実際の入場者が並ばないと買えないシステムが、インターネットの、事前予約で、買える様になってから、外人が多いのです。今月の菊(たった15分の舞踊だが、美男美女6人が菊の精に扮して踊る)などでは95%が外人でした。一人 一席しか買えず、しかも必ず本人が買いに来ないといけない以前のシステムだったら、四階にこれほど多くの外人は来て居ませんでしたよ。十五分、一人 七百円です。でも外人ツーリストにとって、それは決して高くは無い経験でしょう。ところが、四階の女性係員達が、非常に小うるさく注意しまくるのです。こう言う事は海外では有りません。バスティーユオペラだって、メトロポリタンオペラだって、これほど小うるさい注意を、一幕ごとに、受けるなんて事はありません。歌舞伎座は、舞台においては、外人を感動させたり、楽しませたりして居ますが、全体の印象として大変感じが悪いのです。この事が18日の喧嘩につながって行くのですが、この過剰で、神経質な観客いじめがなぜ起きるのかを私なりに分析をさせてください。

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副題3、『中村芝翫は、最近「上手になった」と評判が良い。息子三人の内、特に歌之助が、最近、良い役をもらっていて、一家が安泰だ。しかし、彼が、三代目橋之助だったころ、私は、満足をせず、それを、ちょっと名前をくちばしっただけで、右隣のお客が、「もっと、お勉強をしてもらえるといいのですけれどね」と、言ったのだった。私と同じ様に、彼女も橋之助(三代目)の演技に、不満を持って居たのだった。こういう会話をブログに書くから「歌舞伎座では、川崎千恵子の口を封じろ。隣の人と話をさせるな。丁度コロナ禍だ。・・・・隣の人と話すな・・・・と、全観客に向かって、命令すればいい」と、言う命令が下ったのだと思う。そのために異様な制限をお客に加える様になったのだった。一階から、四階まで、全部なのだけれど、一階は、観客数が多いので、影響が少ないと思うが、四階など座席が二列しかないので、命令が非常にきつく聞こえるのだった。それは、神奈川県、特に鎌倉市で、禁煙運動が盛んな事とも軌を一にしている』

 ある月の公演前、三代目橋之助が、大評判をとっていて、ネットとか、新聞に取り上げられていました。。どういうことかというと、主役を張るのですが、「芝翫型で演じる。それは、稀有な事なのだ」と、言う意味で、期待が大きくて、それで、大評判だったのです。演技については、歌舞伎の場合は、だいたい決まっています。だから、稽古の期間が、一週間程度でも、公演できるのです。しかし、或る時に役者が工夫を加えたと、仮定します。それを、何・何型と言います。普通だと、音羽屋の、菊五郎の型が、演じられるのですが、その月だけ、三代目橋之助は、芝翫型という、自分の家の、先祖が、開拓した様式で、演じる・・・・・という事で、大評判だったのです。で、それを見ていた時のことですが、武将が、階段を降りて来るのに、足音が、響かないのです。それに、ちょっとだけど、よろよろっと左右に揺れたのです。今81歳の私は、そういう形で、よろよろすることがあります。しかし、当時の芝翫(=三代目橋之助)が、そんなことをしてしまったら、だめです。それに武将だから、しっかりと音を立てて、階段を降りないといけません。これでは、大きく期待をしてきているのに、興ざめです。

 で、終わった後で、一言、「橋之助が‥‥」と、私が言っただけで、お隣の女性は、「もっとお勉強してもらわないと、困ります」と言ったのでした。みんなが感じていることだったのです。祇園の芸姑と仲良くなって、フライデーされて、妻の三田寛子が、謝罪しまくり、妻が世間から、たたえられると、言うケースもその後おこりました。

 五チャンネル(伝統芸能)と、言う掲示板を読むと、こういうことが書いてありました。「橋之助は、中学ぐらいから、学校に行って居なくて、歌舞伎座で、働かされ詰めだったのだ。だから、甘い。モノを考えて居ない」と、言う書き込みがありました。学校へ行ったら、甘さが取れる(=上手になる)とは、思いません。ただ、そういう辛い思春期を送って来た人だから、最近、急にタガが外れて、羽を伸ばしていると、言うのも理解が出来ました。父君が亡くなったからです。一族の長に就任した、となると、もう自由自在だと、考えるのもありでしょう。

 こういうブログを書くから、「川崎千恵子は、歌舞伎座に入れるな」という形を取られるのでしょう。特に下のエピソードは大きかったと思います。

 団十郎が、海老蔵だったころの話です。光源氏を演じました。ポスターが美しくて、若い女性が、いっぱい来ていました。初めて歌舞伎を見ると、言う女性も多かったです。しかし、リピーターになった人は、光源氏ではない役柄で、以前から、ファンだった人たちであり、あの源氏物語を見た人は、歌舞伎座リピーターとしては、定着しなかったと、思います。というのも、プログラムに、立派なことは数多く、書いてあるのですが、劇そのものが、まだ、ばらばらな段階で、何の完成度も見られないからです。そして、そもそも、主役の海老蔵が、きれいに見えません。主役だから、もっと、集中して、演劇的に盛り上げればいいのに、お能が出てきたり、オペラアリア風なお歌が出てきたりして、ちっともまとまりがないのです。

 私は海老蔵がかわいそうだから、以下の様に書いています。『海老蔵は、人が良い。だから、頼まれると「嫌です」とは言えないのだろう。だから、評判の舞台に一緒に出て、知名度を上げようと考えた人が、能舞台から、移動をしてきたわけでしょう。だが、物語の中で、能が登場する必然性がないのです。オペラは、もっとおかしい形です。曲目が書いて居ないし、歌い手の名前もありません。これは、瞬時に意味が分かりました。日本イタリア修好オペラの中から、一部分を持ってきて、そっくりそのまま、歌舞伎の中に取り込んだのでした。

 そして、対、私攻撃の意味は、ここにもあったのです。私が、たった、100人しかいない、横浜国立大学、付属中学同期生の中で、同類だと、みなしていた男の子が居ました。東大卒で、霞が関の官僚として、トップ(事務次官ではないが、或る庁の長官である)だった男子で、作文が、もっとも上手な男の子として、国語の先生に褒められていたのでした。私の方が、作文が、もっとも上手な女の子です。丁度、お雛様の左右一対みたいに、輝いていた友人です。その子を、ジャパンオルフェの、実行委員の一人にしていました。霞が関を、早めに去ったのちに三井物産副社長になり、ロンドン支店長になり、ロンドンから立派な挨拶状、兼、年賀状をもらっています。その男子が、ジャパンオルフェの、企画委員です。だったら何回か、鎌倉に来ているのだから、ひと声かけてくれてもいいでしょう。だって、彼は、ロンドンから挨拶状をくれているのですよ。三井物産ロンドン支店長を、やっていますと、いうもの。だから、私の住所は、知っている筈です。八幡宮様とは、地境地主です。ただし、高低差はありますが、駐車場の真上に住んでいます。ちょっと、電話をくれれば、山の下に降りて行くし、我が家でお茶してくれてもいいでしょうに、そうではなかった。

 彼は、最近のブログに出て来た、母が、「現代のお殿様って、三菱重工の造船所所長だったのよ。赤津さんが住んでいるお屋敷って、まさしく、眼下に関門海峡を見おろす豪邸だったから」と、言って居た東大卒で、日吉のご近所様である【赤津】さんと、職種は違うものの並び称せられる、役職についていたエリートなのです。そういうお友達を私の周辺から引っ剥がした(ただし、すこぶる上品な人だから、今回の様な攻撃を受けたことはないが?????)その傷をえぐってやろうというのが、源氏物語の中に、急に西洋風のお歌が登場した秘密です。

 彼が、私の友達ではなくなった≒≒ほかの大勢の友人と同じく≒≒敵方にリクルートをされてしまったという事を、私は、歌舞伎座で、光源氏から再度の事として、「認めなさい」と、言われてしまったのでした。この源氏物語の公演が、あった往時は、そこまでは触れませんでした。が、・・・・・海老蔵が、その奥様の逝去による、大きな人気を得て居る役者だからこそ、他者から、利用されまくっている。・・・・・とは、書きました。

 ジャパンオルフェ、その物が、伊藤玄二郎とか、井上ひさしが、裏で、動いている政治的な、オペラです。だから、井上ひさしたちは、図星をつかれたという形になったのでしょう。で、復讐したい。「どうにかして、川崎千恵子を、歌舞伎座から追い出そう」というのが、その二人の、特に井上ひさしの意向だったと思います。

 その一つのツールとして、外人との接触が多い、四階席で、罠が貼られていたのでした。常日頃、オープンマインドで、特に外人に親切な私が、四階席の外人にあれこれ、鑑賞の役に立つであろう知識を、与えてあげていることを阻害するために、女性スタッフが、飛んできて、制止をするのでした。それでね。

 彼女と一緒にエレベーターを降りて来て一階の玄関前の広場で、説明を補足したりします。

 どういう説明かというと、本日舞台で、親子を演じていた団十郎、牡丹、カンゲン君の三人は、本当の親子なのですよ」と、付け足しをします。加えて、「お母さんが、すでに亡くなっているので、お父さんは、必死で、育てています」というと、「まあ、そうなのですか?」と、顔を輝かせて、うれしがります。私も、その方がセリフ劇をより、よく理解をしてもらえると、感じてうれしいです。

 1962年ICU入学、1966年卒業です。英語強いです。したがって、外人の歌舞伎への理解を深めてあげたいと、言う思いは、強いです。そこを今般狙われました。まったくもって、ひとの好意を踏みにじり切るいじめでした。

 それが、18日の事ですが、下に実際の場面を、付記します。この章に付記します。

 以下は、松竹タワー(歌舞伎座の裏にあるオフィスビル7階と、電車の中で、書いたメモです。誤変換が残っているし、メモを後悔することはやりたくないのですが、明日も国立劇場に行きますので、ちゃんとした時間が取れないと思うので、ここで、これをさらします。

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副題4、『24日になってから公開する、18日、午後、4時から、4時半まで、歌舞伎座四階で起きた事』

 一幕見の10月昼の部最後の、演目は、鎌倉15時26分の電車に乗ったが、品川の前で5分以上停車をした。新橋に着いたのは4時25分。これは5分の遅れである。歌舞伎座に行くと、もう舞台は始まっていて、巳之助が、褒められていたので、急に出かけることとなったのだが、巳之助と、種之助の若いカップルは、すでに、退場していたので種之助の女形が、最近どういう風に進歩しているか?は、見ることができなかった。イヤホンガイドは機能せず、これも警察のいじめだと思うが、その事は女性スタッフが取り替えてくれたので、はい結構でございます。と、そこまでは、良かった。

 ところで、予約切符は2列の15番と言う席だったが、遅刻をしたので、外人客を立たせないと、入れないことになっている。1階は座席間の幅に大きく余裕があるが、四階のそれは大変。狭い。隈研吾さんは富裕層と貧乏人の差をつけている。堂々と、つけて居る。彼は、富裕層の仲間の方だから貧乏人は平気で、差別できるらしい。

 4階は外人が多いので、体格の大きな彼らには大変気の毒な、座席棺の幅である。隈研吾氏には、他人に対する情愛が欠如している。まあ、見るところ、芸術家では無くてお金だいすきな実業家である。だって、あんな大きな国立新競技場を建てて、これから、維持をどうするつもりだろう。

 で、ともかく、間を分け入って、入るのは無理だと、考えた。これが、75歳ぐらいまでだったら、平気で立って居られた。だが、最近(=81歳になって)急に体力が衰えて、立って居られないのだった。それで、自分なりの工夫作として、通路に座った。四階は、手すりが邪魔になって、階段に座ったのでは、舞台がよく見えない。しかし、それは、遅く来た自分が悪いのだから、見えにくいのは、我慢をした。

 さて30分ぐらい経過したときに女性スタッフms佐藤がやってきて「そこに座っては困る」と言ったらしい。しかし私には聞こえなかった。舞台に迷惑がかからないような小声で話すから意味が取れなかったので、「紙に書いてきてください」って言った。すると、「避難経路として使いますから、階段に座ってはダメです」と言う。で、私は「遅刻してきた原因が電車の遅延であり、自分の不始末ではない」と言うことを言う。かつ外国に何度も行っているので、彼等を大切に思っているから、舞台に集中している彼等に、「どいてください。五つ向こう側が私の席なので、と言って、立たせるという、迷惑をかけたくないので、階段に座っている。

 そして、一番、肝心なことは、「これから、舞台が終わるまで、たった30分です。その30分間に、大地震が来ますか。または、歌舞伎座内に、雷が落ちますか? それは、無いでしょう。違いますか? 絶対に、30分以内に、避難すしなければいけない大事故は、起きないでしょう」と言うふうにメモ返した。

 この青字の部分が、非常に肝心なところで、私が戦い、そして、その日は、勝った、根拠になっている。だって、ありもしない、大災害を恐れて、階段に座ってはいけないと、言う決まりと、外人のお客を大切にしたいので、本当は、座席としては、低すぎて、よく言えないのだ。だから、ちっとも、良い形ではないのだけれど、ひとに親切にする方が、価値が高い行為である・・・・・というのが、私の考えであり、論理だった。

 彼女が、そのやり取りの両方が入っているメモを、持って帰ろうとするので、「どうして持って帰ろうとするのですか? ぜひ、読んでください。読んだら、お分かりになるでしょう」と言った。彼女は、それ以降は、黙ってしまい(すでに、ちゃんと読んでいるからだ。一回ほど)そして、上司に命令をされて、このいじめ 👉

 ここで、24日の夜は寝落ちしたのでした。今、25日の16:30ですが、続きを再開します。

👉が行われていることを確信をした。

その上でそのメモを保存した。後で利用するためだ。・・・・・舞台が終わってから、・・・・・ブログに書いて戦わないといけない・・・・・と、私は、考えたし、一種の決意をし始めたからだ。これも何時もと同じ、松竹側の私狙いのいじめだから、全く以て単純になるいじめだからだ。

 一般のお客様に向かって、たった、二列しかない、この四階一幕見席で、常に、女性スタッフが、開幕前に立って、あれこれ、注意することを、過去、何か月にもわたって、過剰だと、考えて居た私だが、今日(=18日)は、私一人が選んで、かつターゲットにされて、注意された。これは、戦うべきだと確信をした。

 さて、舞台が終わってから女性たちに質問をした。Ms 佐藤、Ms 羽賀、Ms 山野 下 などが、入り口にたむろしていて、今の幕の退却する客のお世話をしていた。この三人に加えて、あともう1人いるらしいが、どこかへ、消えちゃって、ちょっと名前や、お顔が、わからない。今のところわからない。

 蒸し返す様だが、どう考えても、理論的には、彼女たちの方がおかしい。

 さて、ぐいぐい書いていくつもりがあります。しかし、作業をしている場所が場所で、他のことをしたくなりました。そもそも、他のことをするために来た場所です。名前は国立国会図書館です。ここに来た限り、中にある蔵書を、検索する仕事をしたいです。で、この続きは、後日、書かせてくださいませ。鎌倉まで、帰宅したら、疲労困憊になっている筈なので、明日以降になるでしょう。恐れ入りますが、そうさせてくださいませ。

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23-10-20の朝、横須賀線車内で補聴器が変だったので、やはり、今回の歌舞伎座での攻撃の主役は松竹ではなくて警察だと、感じ取る

2023-10-22 20:58:24 | 政治

このブログはよく写真をトップにもってきています。慣習的にそうすることが多いのです。今回、字が薄く読みにくいですが、上の四行が、私のメモ書きで、下の名前小川純一(氏)は、松竹の課長です。この章に書いて居ることが嘘ではないと、言う証明のために、ここにこれを置きます。

副題1、『なぜ、私は音を使って、攻撃をされるのか?・・・・・まあ、音もさることながら、攻撃としては、光も使われている』

 私はね。人間を使って、攻撃をされることが多いのです。知人ですね。今は、書くことを中断していますが、渡辺幸子さんとのトラブルにしても、彼女とは、一時期非常に親しかったのですよ。彼女は大学の先輩です。この大学時代の友人にも多大に裏切られています。が、それだけではないです。小学校の友達、中学校時代の友達、高校時代の友達、大学時代の友達、すべてを裏切る方向で、裏からCIAエージェントたちが、動かしています。それが、一番大きいのですが、一方で、知人ではない、未知の人、所属先は、わかるけれど、固有名詞が判らない人も利用をされます。

 個人名が判らない人間で、もっとも頻繁に利用をされるのは、ガードマンです。鎌倉の有名なショッピングタウン、小町通は、800mあるらしいのですが、入って、300mぐらい過ぎると、突然、終点間際(=今、腸詰屋があるあたり)で、大きなランタンが4個ぐらいともって、突然工事が、始まるのは、光を使った攻撃でした。大体、斎藤工務店・鎌倉市が引き受けていたのですが、工事責任者の、個人名を使っても、それは、重要な力を持ちません。それから、東電も、光を使った攻撃をしています。しかし、それも(関電工所属などの)サラリーマンです。だから、個人名を書いても意味を持ちません。

 そういう中で、シャルリーエブド事件以来、二階のカーテンを全部開けて、誰もいない部屋の天井灯(特にオレンジ色)を、煌々とつけて居る攻撃が、始まりました。まず、前田家(夫は駒澤大学の教授、妻は、國學院大學の講師)が、数百回行い。ご主人祝一氏が亡くなった後で、私が、「清子夫人が一人暮らしなのに、一階と、二階の両方を、夜12時まで、数部屋つけているのはおかしい。だから、これは、私への威圧兼脅かしです」と、書いて以来、その攻撃は、玄関灯に移り、と、同時に、白井達雄氏(今、横浜一高いタワーマンションが、横浜駅西口に建築中だがそれを設計した松田・平田設計事務所の、横浜支店長にして、重役)方に移りました。そちらでは、12時まで、点灯するという単純な形ではなくて、複雑極まりない脅かしをしてきました。

 午前二時に、私が、そこが、見える部屋ではない違う部屋(=東側の居間・・・・そこからは、白井家が見えない)で、パソコンの電源を落とすと、白井家の、二階の、ペンダント灯(オレンジ色)が点き、私が、白井家の二階が6mの地下さで、見える寝室の布団に入ると電気が消える・・・・・という脅かし兼威圧が、数十回か、これも、数百回続きました。

 でね。そちらが見えない位置の部屋へ、寝室を移動したほどです。不自由を強いられます。というのも、一階に移ったので、泥棒対策として、重要なものは、いちいち、二階から、一階に移動をさせないといけなくなったからです。実は、膝を動かす筋肉に対する外部攻撃があり、(これは、真実ですよ。今、真実を書くと、必ず起きる、ワードを使わせまいとする攻撃が起きているので、確かです)、一階と二階の間に、ノートパソコン二台、スマホ一台アンドロイド型一台、その他、通帳等の入っているバッグ類(これは、税務申告のために、毎日中を点検する)などを、持って降りないといけないのですが、それが足が痛くて、大変な負担なのです。この肉邸への外部攻撃がどうして可能なのかは、何度も書いてきていますので、ここでは、繰り返しません。

 で、今は、白井家が役に立たなくなったと、彼ら、敵さん達が考えたらしくて、三番目の、家にその攻撃役が移動しています。そレが平木家で、今現在、もっとも、それを激しく行っています。その見返りとして、2020年の10月に、そこの長男殿が推薦入学として、東大へ、入る事を、知って大はしゃぎをしていました。ショパンの英雄を、その時だけ、電子ピアノの音を大音量にして、ジャンじゃかジャンじゃか弾いていました。私は、ショパンがだめな人なのです。そうとうに、繊細なので同病相憐れむになってしまうので、ショパンがだめなのです。シューベルトは、相当に知的だそうで、なるほど、だから好きなのですね。情感におぼれていない。で、何の策略もなく、ただ、単純に、坊やに、「あなたが、今弾いている曲はなあに?」と聞いたら、その日以来、ぴたっと音がやみました。そして、東大の入学式の全日、-2021-4-11の、午後に、家族四人がばらばらに外出していったのですよ。まあね。それで、だませると思っていたのでしょうが、川崎千恵子の頭脳をだますわけにはいきません。

 両親が居ない時間帯に、彼が、はしゃぎ過ぎていたので、それに気が付いた私が、真相を見破ると危険だと、両親が考えて、坊やに、音を出さないで、弾くようにと、命令をしたから、聞こえなくなったと、考えて居ます。

 そして、その三年後の、2023年10月20日の夜には、大げさにも、大げさにも、二つの部屋で、点灯をしていたので、その日・・・・・

 CIAエージェントと、その手下としての警察が、どれほどに、勝った、勝ったと、思ったかが、平木さんの態度で、はっきりと証明できました。なぜ、彼らが勝ったかと考えるかというと、まず、猿之助の裁判が行われ、三年の刑期が求刑されました。私は、この事件は、100%嘘であり、段四郎夫妻は、死んでいない。これは、団子を大スターにしていく、事が目的だったのだと、言って居ますが、それを否定するので、自分たちが勝ったと、思っているわけです。

(後で、ここらあたりのブログ文を探して、そのリンク先を示します)

 私は、事件が起きた五月には、真実を書いて居ますが、それ以降、あまり触れていません。私が真実を書くと、意地でも、それが、間違っている。こっちが正しいのだと、言いたい、井上ひさしらが、どんどんどんどん、おおげさにしていき、猿之助の復帰が遅れるので、黙っているのです。

 猿之助の刑期が、求刑され、あたかも彼が、本当に母親の自殺をほう助したがごとき、方向に進んでいます。これは、やまゆり園事件と全く同じ流れです。

 ここで、映画月について、触れたいところですが、そうなると、また、やまゆり園事件に帰っていき、大量の文字数を使ってしまいますので、松竹と私との間に起きている最近の話が、進みません。それで、映画月は、ここでは、看過いたします。

 もう一つ、20日には、非常に重要な事がありました。それは、松竹側が、すさまじい攻撃をしてきたと、言う日だったのです。これは、NHKニュースには載らない、私個人への攻撃ですが、非常にあくどいもので、これから、説明を重ねていきたいと思うのです。それを、平木家は、どうしてか知っていて(歌舞伎座で、私の前に二度目としてあらわれた松竹の小川純一課長と、個人的に親しいのでしょうかね)大、大、攻撃をしてきたのです。

 ところで、まだ、説明が足りないので、読者の皆様におかれましては、「何のことか、ちんぷんかんぷんですよ」と、おっしゃると思います。それで、いいのです。このことの正しい説明は、この一章ではとてもできません。で、おいおいにしていきます。だけど、松竹と、トラブっていると、言う事は確かなのです。その証拠として、覚書の交換をいたしました。それがトップに置いたJpeg 画像です。10月31日が期限として、私は、今、非常に危険な目に陥れられています。

 でも、たった二日前の18日には、こっちが見事に勝ったのですよ。それについて書いて居るのが、以下のブログです。その副題2のなかです。

上條陽子さんとパレスチナ支援…そして、私のハマス分析・・・裏に歌舞伎座課長の失態がある   2023-10-20 02:14:45 | 政治

消防法の中の劇場法で、決まっているんですって。嘘です。そんな法律は、消防庁に電話で確認をしてもなかったのですよ。(そのうち、伊藤玄二郎が采配をして作ったりして)

 ところが、19日、たった一日で、彼らは、大挽回をしたのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『消防法は、嘘であった。ただし、それに代わるものとして、、松竹グループチケット販売及び観劇・鑑賞基本約款というものを、その日渡された。20日の、午後、3時50分ごろこれを、上に置いたメモ書きの署名者、小川純一課長から渡されたわけで、20日には、中身を読んではいないのです。でも、大体、中身は、わかっていて、

 

 

 もし、小川氏の言うとおりに、このブログを修正するとなると、大変な時間がかかるなと、思って、10月31日まで、待ってくださいと、言う覚書を交わしたわけですが、それは、私の方は既に外へ出ていた時間帯で(だから、4時50分過ぎであった)入り口の社員風・・・・・これが、社員風の女性スタッフも派遣会社からの派遣スタッフだそうで、したがって、・・・・男性でも、派遣社員がいるかもしれませんが? ともかく、入り口に立っていた男性社員に、

 「小川課長にもう一度会いたいのです。呼んでいただけますか?」と、頼みました。そして、出て来た小川課長と、常に彼に付随している女性社員(派遣ではない純然たる社員)の二人の前で、上の覚書を交わしたわけです。小川課長は、すぐ、スマホで、写真を撮りました。

 彼は、上司に見せないといけなかったでしょう。その上司ですが、

 歌舞伎座支配人、松竹の偉い人、最近のプログラムに名前が載っている人は、後で、ここに名前を入れます。

 と、築地警察署の生活安全課の課長、

 それから、伊藤玄二郎もいたでしょう。。さすがに井上ひさしはいなかったと思いますけれど‥‥(苦笑)

 この約款の中で、第11条(効力)

1,本約款は、2023年2月8日に効力を発するものとする・・・・・とありますが、これは、嘘でしょう。後付けで、書いて居るもので、これは、2023年10月18~20にかけてのどこかで、作られたものでしょう。だって、こういうものがあるのだったら、18日にすでに、見せてくれればよかったのです。消防法が何とかとか言わないでね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『さて、ここから、私固有の書き方に戻ります。私はね。大勢の人から、ストーリーテリングの才能があると言われています。ですから、この件もまず、自分なりの書き方に戻したいです。物語として書きたいのです。で、18日が肝心ですが、本日、私の頭の中にあるのは、20日の、10時26分ごろ、横浜駅を出た場所に戻ります。後で、横須賀線で、ここらあたりを、もう一度通ってみます。東側の、建物を、記憶しているので(グーグルストリートビューは電車からの景色は、載せていないでしょうから、自分で、確認しに行きます)正確な場所を申し上げましょう。

 ともかく駅ではないです。18日の遅延の理由は何だったか、覚えていないのですが、20日は、緊急停止ボタンが押されたと、車掌が、車内放送で、言いました。私は、歌舞伎座へ行くときは、必ず電車が遅延するのは、知っているので、何も驚かず、今まで、やっていた仕事をつづけました。それはね。バッグ内整理です。領収書を整理したり、読むべき手紙を読んだりして、それで、30分は、かかっていたのでした。

 さて、ちゃんと整理ができたわ。気持ちがいい。電車が遅延しているのは、気持ちが悪いことだけれど、まあ、自分個人だけの問題として、きれいに、整理できて、領収書も日にちごとに、順序良く、まとめたし、安心、安心と、思いながら、・・・・・ご近所の座席を見渡したのです。金曜日の10時半という時間帯は、結構お客さんいるのですねと、右隣の席を見ました。私は、車両の先端の三人掛けの席に座っていますので、右隣に、ひとがいるのは、結構窮屈です。柱がありますしね。

 で、なんとなく、右側を見て居たら、何か、右側から、音がするのですね。ピーっという感じで。それは、2007年9月27日の早朝、宮益坂の、渋谷郵便局二階で、鳴った、轟音と同じ種類の音でした。そこに入る前の前提として、前報を書いているのです。しかし、最近は、一日で、全部書けなくて、前報と、これを、くっつけて完成することができませんでした。で、本日、22日の夜に最も書きたかった、20日の横須賀線車中の、異音について、語りたいと思います。音の種類が同じなので、警察が鳴らしていると、わかりました。

 最近も描いていると思います。背が高くて目がぎょろっとした、50代前半の、ポリスマンが、渋谷郵便局の二階と、秋葉原のワシントンホテルに現れたのでした。同じ人物がです。一度目は、私が四冊目の本を配本したいと、印刷所(製本所によって、車で、渋谷郵便局まで運んでくれた)にお願いをして、20冊、10冊、5冊、3冊、2冊、一冊、そして我が家に残り全部と、郵送をしていた日の事でした。詳しく書いているリンク先を見つけたいと思いますが、(まあ、あとでね)

 本って、ものすごく重いので、130段以上の階段を上ってほしいと頼んだ、一冊目の時に、製本所の若い男性が、嫌がったので、急遽大町・三橋ビル内にあった、主人のオフィスの方へ、回ってもらったのです。そちらも、エレベーターのないビルでしたが、二階だったかな。三階だったのが大家さんの方で、二階に代わってくださいねと、言われたのです。そうすると階段が、13段だけですね。で、130段+門内の階段で、150段を上がらないといけない雪ノ下の自宅よりも楽なのです。それが、二冊目だったので、四冊目は、郵便局に運び込んでもらったのでした。600冊の処理がなかなかできなくて、早朝になったのです。すると、小柄な老人がお掃除に来たのです。郵便局って、分業ですね。で、その人が帰った後で、同じ制服の清掃人らしき、しかし、立派な体格の男性(つまり、まだ、清掃人までには、身を落としていないであろう男性)がやって来て、私の周辺だけを、顔をじろじろ見つめながら、清掃するのです。二回目です。その時、ピーっという轟音が鳴り響いたのです。後で、9時過ぎに一般業務の窓口が開いたので、普通の係さんに、この郵便局では、毎朝、6時ごろ、轟音のサイレンを鳴らすのですか?と、聞くと、そんなことはありません」と言っていました。したがって、あれは、私狙いのいじめだったのです。

 ただ、単に音がうるさいと言うだけではなくて、もし、私が、「あの音は何でしょう?」と、そのぎょろめの男に質問をしたら、彼は、「そんな音は聞こえませんよ。あなたは、幻聴がある。みんな来てくれ、ここに分裂症の人間がいるから、精神病院に入れないといけない」と、叫んだでしょう。すると、陰に隠れていた、5,6人の、その種のアサッシンが、表れて、私を拉致して、どこかで、殺して、そして、十分に腐乱するまで、どこか、秘密の場所、米軍基地内他で、置いて置いて、白骨化したら、青木ヶ原に運んで、身元を証明するものを周辺において。。雨宮舜(=川崎千恵子)は、自殺したと、新聞記事もしくは、SNSで、お知らせをするのだと思います。

 で、その時の音と、全く同じ音が、右側から聞こえるのですね。どういう事だろうと思ってあたりを見回しても、そこは駅ではないのです。

 ずいぶん昔のことですが、保土ヶ谷駅で、この緊急ベルが鳴らされたのです。轟音でピーっとなりました。その音は覚えています。

 2006年ごろまでの話だったでしょうね。パソコンが、45台以上壊されていて、メルマガで書いたものは、日付が判らなくなっています。が、昔、昔のことです。でもね。原因は、目の前にありました。私の目の前のドアで、高齢者(男性で、見るからの癌の末期症状みたいな人)が、電車から降りようとして、隙間に、片足、もしくは両足を挟まれちゃったのです。『ああ、どうしよう。電車が動いたら、ほとんど、お肉がないみたいに見えるあの白髪、で、青白い顔をした、しかもやせ細った老人からも、真っ赤な血があふれ出て、私達は目の前で、彼の体が、四分五裂をして、引き裂かれ、骨が砕けるのを見ることになるのかしら?』と、その時は、本当に恐怖に震えました。でもね。日本人もいざという時は、動くのです。外人ほど、オープンマインドではないけれど、この時、近所にいた男性が、三、四人、駆け寄って、老人を引っ張り上げようとしました。本当に薄い体なのに、なかなか、抜けなくて、3分か、5分は、かかったでしょう。その時、ピーっという轟音が鳴ったのです。それをメルマガで書いているので、井上ひさしなどが、渋谷郵便局の攻撃===だまし討ちを案出したのだと思います。

 私は何でも、すぐわかるので、絶対に引っかかりませんでした。唯ね。2011年の8月10日だったと思います。秋葉原のワシントンホテルで、貸しパソコンを頼んだら、おんなじぎょろめさんが持ってきたのです。

 鎌倉の方では、割と小柄で、美形な、男性が居て、その人と私は、四回、顔あわせをしています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『このピーは、あの保土ヶ谷駅のピーっとおんなじだけど、ここは駅ではないですね。ホームがない場所です。となると、発声器がないはずです。それなのに、なんで、こんな音が聞こえるのかしら?と、不思議に思って、ふと右耳の補聴器を取ってみました。すると音が消えたのです。

 この仕組みはまだ、解明できません。映画アフタースクールで、紹介されていたのは、機材を持った、警官たちがいる場面です。しかも、あの映画の制作時から、すでに、14年がたっています。だから、IT的機材は小型化しているでしょう。で、横須賀芸術劇場で、無効と有効の波があったという事。それから、国立劇場でも、有効と、無効の波があったという事。これは、横須賀線とは、関係がないです。しかも、藤田真央と、梅津ときひこさんが、対話をしているもっとも面白いところが、聞こえなかったり、国立劇場でも、梅枝のセリフが聞こえなかったりして、意味ありげな意地悪をされるのでした。

 で、20日の午前、10時半に戻ります。この補聴器を使ったいじめに接して、JR東日本の遅延だけではないなあ。本日は‥・・・どうもおかしい、と、感じたのでした。

 それが、その日の私の心理的余裕を生んでいます。今日は警察が乗り出しているなんで?と、考えました。警察が乗り出すのは、怖くはないのです。それこそ、CIAエージェント、特に歌舞伎に関しては、伊藤玄二郎と井上ひさし(公的には、自分を死んだことにしているが、実際には、いまだ生きていますよ。映画月の脚本(または、プロット)は、彼が作ったであろうとみています。【父と暮らせば】と同じで、宮沢りえを使っていますしね。

 私は歌舞伎が好きですよ。でも、政治の真実、政治の裏を分析することも独自で、独特のやり方を取っていて、それには、自負があります。そうだ。それを見ることができるのだと、思えば、本当に変な意味での、期待を持ったのでした。そして、思った通りの展開が、20日、私の目の前で、繰り広げられるのです。

 なお、補聴器は、一回、盗まれていて、26万円のが盗まれたと騒いでいたら、返してきました。ときどき、主人が外出した後で、花の世話をしに出て、その帰り、チェーンをかけておくのを忘れる日があるのです。そういう時に盗まれます。ご近所住民も二軒も合いカギを持って居ますし、ポリスマンもエリートと、高卒の人、二人が住んでいるし、遠くから、来訪するポリスマンもいるし、警察に協力していますと、言う看板を持って居る、または、持って居た(だから、警察に対する忠誠心は、今なおあるでしょう)家も三軒もあるのです。つまり、実働16軒のこの山で、5軒もの警察サイドの人間がいるのですよ。すごい場所です。自分を大物視するのもありでしょう。神様は、お許しくださると思っています。尚、26万円は、私の勘違いで、21万6せんえんでした。正しくはです。6という数字が、ひどく印象に残っていたので、間違えました。松竹の約款を読んでいると、とても、細かいことまで、気にしないといけないと、なって来ます。

 なおこの補聴器の異音が、横浜駅過ぎで、右耳に聞こえた事こそ、松竹の課長、小川純一氏と覚書を交換するとが出来たのですよ。一旦、別れたのにもかかわらず、歌舞伎座の外から、彼を呼んで、冒頭の、写真に写っている覚書を書いてもらったわけです。

 そしてね、驚いたことに、この20日の朝、安野家の猫が、目の前を偉そうにして通ったのです。私ね、猫は大好きですが、安野家の猫って、警察を代表している恐ろしい猫だなあと思います。18日から、19日にかけて、約款を作ったのを知っていたのでした。。

 そして、圧巻は、平木家の窓と、天井灯の話です。

 私は、その夜の夕方五時半に帰宅をしました。

まだうっすらと夕日が残っているのに(特に平木家は、西側が線路に向かって開けているので、夕日が明るく見える位置にある)、平木家の、二つの部屋のカーテンが、全開で、煌々と電気が付いている。南側のオレンジ色も、その次の部屋の白い電器も煌々とついている。

いったん、家に入り、ご飯を食べ、8時ごろ生け花の水切り後、添える、新しいシダを取りに外へ出てみると、平木家は、真っ黒なので(これを、どう解釈するかは、大問題だが・・・・・・)すっかり安心した私は、はしゃいで、主人に向かって、補聴器の異変のことを言う。

その後、9時ごろ、二週間前から、撒かないといけないと気にかかっていたハイポネックス薄溶液を撒く準備に、取り掛かる。6リットルの、じょろは、重くなった。四リットルをもう一つ解体が、本日買ってくるのを忘れた。ともかく、20日の夜、どうしてもハイポネックスを撒こうと、思って、もう一度外へ出てみると、先端の部屋(オレンジ色)のカーテンが、全開し、誰もいないのに、電灯が、煌々とついている。次の部屋は、カーテンが、四分の一程度開いていて、白い電灯が付いている。大原家、攻撃的、前田家と、白井家と、石井家と、渡辺家は静かである。安野家は、その夜はどっちだか分らなかったが、昼間、外出する直前猫が、こちらを見ながら、悠々と横切る。黄色系の三毛

 猫は、本当に頭がいい。だけど、警察が、これから何をするか?まで、知っているとは、知らなかった。

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いや、18日の私の歌舞伎座での喧嘩の勝利の後、19日は、鎌倉が全く静かだった。+ 武部聡志、瓜南直子

2023-10-20 23:12:50 | 政治

副題1、『前報に描いたことは、19日までは、正確でした。当たっていたのです。それはね。鎌倉が静かなことでわかるのでした』

 私が、本を作っているころ、母が、老衰で、東上線ときわ台にある老人ホームに入っていました。でね。帰りがいつも遅くなりました。で、小町通りが、真っ暗です。で、真ん中あたりまで、来ると、突然、大型ランタンが4つぐらい点灯をして、工事が始まります。これは、石綿(=アスベスト)訴訟に繋がる、前田夫妻、安野夫妻擁護の、工事でした。でね。もう、バスもない時刻(=11時過ぎ)だと必ずその工事で、脅かされます。で、或る時工事主任者に、「今日は何をしているのですか?」と、聞くと、「泥の中のこ砂利を取っている」ですって。

 つまり、表向きは共同溝設置が目的ですが、2008年から、3.11で、さらに私を威圧する必要が出て来て、2015年ぐらいまで、続いたのです。だから、もうすることが無くて、泥の中の仔砂利を取っているですって。そのために、アスファルトをはがしているのでした。 

 これが、瓜南直子さんが、提唱した全日本あすハガ連の目的です。私を脅かすための行為を、瓜南さんは、毎日毎日、からかうための投稿をしてきていたのでした。まあ、ご自由におやりなさいです。ただ、2011年11月18日の、執事・金田佑子さんと、直子さんのコメントのやり取りは、佑子さんを警察のスパイとして、私に逢わせようとした作戦が、私が応じなかったので、つぶれたのです。その日、佑子さんと、直子さんは、激しい(ユーモアという意味でですが)コメントの応酬をしていて、ほぼ、エロスというか、下ネタの応酬でした。

 人(=私)が、CIAエージェント達と、その手下たる、警察に殺されかかっているのに、豊島屋の、源平巻きを種にして、下ネタの応酬です。もうびっくりして、その日以来、直子さんも佑子さんも捨てたのです。つまり、直子さんの投稿は、一切読まないと決めたのです。それが、11月18日でした。すると、12月から直子さんは、急激に痩せて来たんですって。そして、日暮文庫(居酒屋)でもスツールに座っていることが出来なくて、ソファーに寝ていたそうですよ。そして、2012年の6月に亡くなりましたね。

 私の方は、2011年の8月には、京都の坂を上がるのがきつい程度に、彼女の体が悪いことに気が付いていて、上品に、警告してあげているのに、そういう誠実な人とは、付き合わないで、伴さんとか、金田佑子さんみたいに、軽薄で、それが、極まりない人間だけと、付き合っていたから、天に見放されたのでした。直子さんの、名声に、近寄って来るのは、誘蛾灯に集まる蛾みたいな人たちです。それだけに囲まれていたのでした。私を大切にすれば、絶対にもっと長生きが出来たでしょうに、・・・・・まあ、亡くなった後での投稿の、むなしい嘘っぱちだらけの事。本当に人間の汚さを見ましたよ。

 ともかく、アスファルトをはがしては、また、形成すると言う、莫大な、無駄なお金をかけた、工事が、何年も続いたのです。ただ、ただ、脅かすために、莫大な、お金を浪費し続けていたのでした。その脅かしとは、前田夫妻と、安野夫妻を、擁護するためです。

 で、その工事による脅かしを或る晩だけ、避けたくて、五分ぐらい余計な時間は、かかるけれど、より、広い、表参道を通ったのです。すると、警察署の横に、大型オートバイが三台待機して居るのでした。・・・・・ところで、ここで、警察署と言っているのは、古い時期のもので、今はもうないです。これも、私のブログに現れたものは消し去るの典型で、鎌倉警察署は、ずっと、南に移転をしました。で、元警察署の、跡地に、メトロポリタンホテルが、建っていて、その一階は、無印の売店とレストランになっています。神奈川県立美術館も我が家から、二分、山の下へ降りると目の前(鶴岡八幡宮様の境内)にあったのに、葉山・三ケ浜という、全く持って行きにくい場所に移転をしてしまいました。高松宮様の、別荘だったそうです。元の位置の方が絶対によかったのです。八幡宮様にとっても、インテリの富裕層が来てくれるアイコンだったので、八幡宮の格式を上げていたのでした。吉田茂穂・現・宮司様は、幸運を去らせてしまわれましたね。

 で、その大型オートバイに乗っている人物は三人とも、真っ黒な、姿でした。まるで、現代の忍者です。

 あのね、今はね。ブログで、相当な真実を書いて居るので、物理的に殺されることはないだろうと、推察して、タクシーも利用します。が、2020年ごろまでは、タクシーの運転手が、偽装をした警官である場合が、何度もあって、(車の内部が全然違うので、すぐわかる)・・・・・このままどこかへ拉致されるのではないかと思って、タクシーが使えなかったのです。で、小町通の脅かし策を避けるために疲労困憊しているある日、表参道を使って帰ったら、警察署(繰り返しますが、今では、メトロポリタンホテルとなっている場所)の北側の、側道に、三台の、大型オートバイが、停まっていて、緊張気味に、身じろぎもせず、待機をしていました。なお、白バイ仕様ではないのですよ。洋服も忍者みたいで、オートバイも真っ黒で、警察の物とは、わからない仕様です。

 『なるほどなあ。あれが、私が家に帰着したら、走り回って、大音響を出すのでしょうね』と、考えました。その通りでした。これはね。井上ひさしが、私のブログを読む人として専任であり、細かいポイントで、これを利用しようあれを利用しようと、考え抜いて、それを警察庁、または、鎌倉警察署に提言をするのだと思います。私は、2008年に突然、送信が出来なくなったメルマガ時代に、【湘南爆走族】について書いて居るのです。

 それは、批判ではありません。漫画が、ヒットしている時代に、その二次元の世界の登場人物が、三次元の存在として、「我が家の真下を通るのです。【巨福呂坂切通】(かまくらの場合は、屋根があり、その上に土があり、木が生えている純粋なトンネルでも、切通しと呼びます。)から、その一団が入ってくると鈍い轟音が、響き渡ります。大体土曜日の深夜でした。夜の11時か12時に、横浜大黒埠頭に集合し、そこから、鎌倉を通って、江ノ島に抜けて解散だと思います。

 漫画が始まったのが、1982年ですから、少年たちがオートバイに熱中したのは、1970年代で、私が我が家の真下を通るのに、気が付いたのは、安野家の日あたりをよくするために、我が家に上る坂の周辺、及び、八幡宮様の林を大量に伐採したからでした。

 これが、対私への大変な攻撃なのですが、本日は、そこには、踏み込みません。

 ただ1970年代に、10代だったオートバイ愛好家も、私がその集団に気が付いたころは、40代に達していたでしょう。だから、音量は、台数が、数百台なので、それは、大きいですよ。だけど、鈍い音です。

 ところが、警察官が偽装した、暴走族というのは、音が鋭いのです。三台だけで、行動するので、大音量にする工夫がなされていて、ものすごく鋭い音なのです。だけど、警官が偽装をしているというのが判るのは、コースが違うのです。彼らは、「音を出せ」とだけ命令をされているので、コースについては、バク相続を真似していないのです。と伊野もたった三台ですから、北の、コブクロ坂、切通し(トンネル)から、入って、西の稲村ケ崎へ抜けるとしても、短時間で終わっちゃうでしょう。だから、彼らは、彼らなりに、15分間は、音を出さないといけないぜと、命令をされているので、どうしたらいいかを考えて、もう、行ったり来たりするのです。川喜多記念館の方を通ったり、一の鳥居まで、行って帰ってきたりします。だから、本物の爆走族とは、音が、全然違うのです。

 で、16日か、17日も、その偽爆走族が大音響を上げて、下の鎌倉街道を、北へ向かって、走ったり、Uターンしてきて、南へ向かったりして、本当にうるさかったのですよ。鎌倉って、我が家周辺では、夜は、8時過ぎには、しーんとするのが自然な事なのですが、CIAエージェントと、その手下としての警察が、『こっちが勝っているぜ』と、考えて居る時は、音がものすごくなるのです。こっちが勝つとは猿之助裁判を有罪にするる見込みが立ったからでしょう。または、第一審を行う、予定が立ったからでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『偽救急車、も、走るのです。それから、武部聡志の捜索した、異音を流す、車も走っている』

 偽救急車も走るのですよ。偽というのは、患者が乗っていないと言う事です。普通は患者が乗っていない時は、無音で、普通車両と同じ速度で、走ります。しかし、私を脅かす為ですから、のっていないと気でも、二の鳥居あたりから大音響で、ピーポピーポとならしますし、豊島屋本店前あたりから、「左へ曲がります。左へ、曲がります」と、大音量で、放送するのです。で、干物や、山安の前あたりでは、本当は「右に曲がります。右に曲がります」と言わないとならないのですが、そこは、勘が鋭い私が、・・・・この救急車は、偽物だ・・・・・と、言う風に、見破るといけないと考えるらしくて、本当は、三の鳥居(八幡宮様の正門にあたる。くぐるとすぐに太鼓橋になる)あたりで、始めないといけない、「右へ曲がります。右へ曲がります」は、無いのでした。

 それから、このピーポ、ピーポではなくて、ぷわーん。ぽわーんと言う不思議なサイレン風の音を出す車も、通ります。これは、鶴岡八幡宮様が、プロの歌い手、平原綾香とか、その他を招いて、自由には入れない音楽祭(鶴舞音楽祭)を公演なさっていたころ、武部聡志が、シンセサイザーで、作った音でした、異音です。武部聡志が、作っていると言う事が判ったのは、土曜日が、初日の筈の、ジャパンオルフェの準備用に、なんと、木曜日から、異音が流されて。「マイクの試験ちゅう、マイクの試験ちゅう」というではないですか? 鶴舞音楽祭は、7時から始まるのに、朝の九時から、この異音が大音量で、流されて、実は町の人たちにも「この頃、八幡宮様って、うるさいわね」と、評判だったのです。しかし、それは、10時間前です。

 しかし、ジャパンオルフェは、ゲネプロが金曜日でした。その前としても、24時間+二時間=26時間も前です。そして、土曜日の本公演に至っては、50時間も前です。私はあまりのことに驚いて、下へ降りて行って誰がそれをやっているのかを確認したのです。舞殿のそばに、テントを建てて、その中で、機材を動かしてあのぷわーんとか;ぽわーんという音を出していたのは、武部聡志でした。

 なお、私は、午前二時に起きていて、すでに、23時間、起きているので、ここで、寝ます。続きは、何時か書きます。

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上條陽子さんとパレスチナ支援…そして、私のハマス分析・・・裏に歌舞伎座課長の失態がある

2023-10-20 02:14:45 | 政治

副題1、『主人が、上條陽子さんを覚えていて、わたくしに彼女がNHKニュース(23-10-2019時)で、登場したと知らせてくれた』

 私は非常に体力が弱っています。それの回復とか温存にあたって二つの試みをしているのですが、その一つが外出をすることで19日も鎌倉市街へ向けて、外出をしていました。で、帰宅をしたのが、19時40分ごろ。すると主人が、NHK Gの、サラメシ【富山県篇】を、見ている最中で、梵鐘製作者が出てきました。高岡市は、銅器の生産で有名な都市です。それを見ながら、主人に向けて、「上條さんは高岡の人なのよ。横浜に、銅器の輸出を目指して、引っ越してきた一族の人なの」と、言いました。すると、予想に反して、というか驚いたことに、主人は上條さんの名前を覚えていて、「さっきテレビに出てきたよ」と言いました。非常に珍しいことだと思いました。二つの意味で、珍しいことでした。一つは、パレスチナ側に、応援する様な、ニュースの流れにもっていくはずはないのです。大・大・NHK様がです。

 それなのに、美術界ではパレスチナ救援に乗り出していることがよく知られている上條陽子さんの、業績を、NHKが、取り上げるということがです。これについては、後ほど副題2や、3で、敷衍をします。

 で、この節では、主人と私の関係に戻ります。主人は、最近は私のこのブログを読んでいません。それで、お互いの間に齟齬が起きることがあり、口喧嘩はしょっちゅうです。最近だって、上條陽子さんが、大変、大きなアイコンとして、このブログに登場するのに、それを読んでいません。それなのに、上條陽子という名前が、ちゃんと出てきたことに驚いたのです。1990年代には、わたくしは、上條さんのために大きく時間を使いました。で、伊豆の池田20世紀美術館とか、相模原市の何とかセンターとか、での、上條さんの展覧会に行くと、ほぼ、一日中の時間を使う外出となります。で、出かける前に、ちゃんと断って出かけますので、彼は、上條陽子という名前を憶えていたのです。しかし、彼自身は、一度もあったことがない女性です。それなのに、ちゃんと認識をして、わたくしに教えてくれたことに驚嘆をしたのです。

 最近のブログでも、上條さんが登場するといっています。ただし、文字数を使ってはいないのですよ。だけど、渡辺幸子さんが、CIAのかわい子ちゃんとなり、美術界で、出世しまくるのは、2001年に開かれた望月画廊での、大学同窓会展に私が100号の作品を出したことを、彼女が、わたくしの裏切りと誤解をして、怒りまくり、いじめまくったことが端緒なのです。だから、こそ、CIAは、彼女を出世させ、そのことで、わたくしが苦しむだろうと、彼女に大金と名誉を与え続けています。だから、渡辺幸子さんを分析すること(途中で、違うことに乗り出していますが、)大きな政治的課題であるのです。で、渡辺幸子さんが、このブログに登場する限り、独立のスター画家である上條さんが、大きなアイコンとなるのでした。

 どういうことかというと、望月画廊とは、独立画家協会に所属する画家(または、会員にまだなっていない段階で、会員になろうとしている人たち)が、よく個展をする、画廊なのです。

 私は、その年(2001年)から、上野の公募団体展をやめることを、内心で決意しています。国展も女流展もやめると決意しています。ところが、ああいう団体って、足抜けすると、ひどくいじめられる場所なのです。まるで、芸者の世界ですが、事実上はそうなのです。で、この決意は、他人には、絶対に話すことができない問題でした。事前にも時後にも話すことができない問題でした。刻画会からは、その後13年間、出品の応募用紙が届いていました。病気か何かで、休んでいるのだろうと、推察されていたと、思います。

 このことを幸子さんに特に、言えなかったのは、彼女が新制作に出して居て、神奈川県内では、(お互いにいっぱしの画家として)、共通の友人がたくさんいたので、絶対に事前には話せない関係でした。

 一方、幸子さんは、事前に電話で私に「あの会って、別に重要なところではないから、鎌倉で発表をした小品を出すわ」と言っていたのです。それなのに、わたくしが大作を出したので、裏切ったと思ったのでした。どういう裏切りかというと、その会で、わたくしが一番になろうとしていると、言う形で、自分を負かすつもりだろうと、彼女が邪推したのです。困った人です。だから、そうではないという印として、その会をやめました。

 ところで、上條さんが、どうして重要かというと、彼女は、人気が高い人なので、大勢の画家から「個展を見に来てください」と誘われる人なのです。で、美術家連盟の理事として、票を集める必要もあるし、相手に対する友情もあるしで、週に一回は、銀座に来る人なのです。特に望月画廊は、独立と関係が深いです。したがって、上條陽子さん、一人がターゲットとしてでもいいからと、言う思いで、国画会に出す予定で、制作をしていた大作を、望月画廊の大学同窓会展という幸子さんに言わせると、つまらない展覧会に出したのでした。

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副題2、『では、なぜ、20日の7時のNHKニュースに、CIAエージェントたちは、上條さんを出したのか?・・・・・理由は、18日月曜日の歌舞伎座にあった』

 私は、渡辺幸子さん分析の第三弾として、朝日新聞外信部の野村彰男さん(現在79~80歳の筈)との青山国連大学前でのエピソードを出すつもりでした。これは、渡辺幸子の第三弾という別章を立てて、そちらで詳しいことを展開します。そこで、書くことは、日本の大メディアは、自己規制をしていると、言うことです。アメリカが大切です。そのアメリカの大統領ではなくて、中枢の軍産共同体が大切です。その人々のために動く、CIAも大切です。

 だから、アメリカ 対 アラブの問題は、絶対にアメリカに、富豪が大勢住んでいるユダヤ側が、大切です。アラブ側に、味方をする記事を書いてはだめなのです。そういう観点からすると、パレスチナ支援をしている上條陽子さんを、ここでNHKが、表に、出すのは、おかしいのです。

 しかし、私には思い当たる節がありました。は。ハーン、18日に私が歌舞伎座四階で、大立ち回りを演じたせいですねと、理解しているからです。

 なお、大立ち回りと言っても、ダイアローグだけで、ですよ。別に殴り合いをしたわけではない。しかも、生涯で、たった三回目の喧嘩です。そして、前二回もそうですが、勝ちましたよ。徹底的に自信を持ちました。子供時代には、喧嘩などしたこともない私ですが、言葉だけで勝てるのです。

 で、今回は、鎌倉エージェントの伊藤玄二郎と、まだ生きている井上ひさしと、彼らの言う事を聞いて、私をいじめて来る、築地警察署(多分、生活安全課の課長)+桜田門の、警察庁長官、及び、歌舞伎座、及び、松竹をコテンパーにやっつけてしまいました。

 その詳細は、今は、書きません。というのも、これは、おいしい種だからです。どうしておいしいかというと、課長は、消防法(特に劇場法)というのに基づいて、私をいじめてよい(つまり、その日、四階席で、対私に対して行ったひどいいじめは、ただしいのだ』と、言いました。だがね。そんな法律は、今のところないのです。詐称です。つまり、嘘をついたのです。ただし、伊藤玄二郎が近々、作るかもしれません。だったら、官報を、見せてもらわないといけませんね。こういう時に紙の資料が大切になります。官報第何号に載ったかが大切になります。

 で、なぜ、警察庁長官をやり玉にあげるかというと、歌舞伎座に到着する前に、横須賀線が遅延したのです。連動しているいじめです。JR東日本は、なぜ、15時26分発の、横須賀線を、品川到着直前に、停車させたのですか?

さて、上の文章を書いた二日後、又歌舞伎座に向かって居ます。これは一幕見の切符を朝早く申し込んだので、敵さんたちには、見え見えのことです。インターネットで、申し込みますのでね。で、二日前と全く同じ事をやってきたのです。二日前の遅延は、私いじめだと書いて居る私に対して、違うんだ。しょっちゅう起きるのだ。という形にもっていくために、起こしたというのが、一つの考えです。二つ目は、お前をとことんいじめてやるさ。今日も遅刻して、30@うんの一幕見を、15分は、見せなくしてやるさと、考えて居るから遅延をしたのかもしれません。どちらにしても私狙いであることは確かなのでした。で、いじめ切ってやろうじゃ無いの、と言うわけでしょう。しかし、あゝ、そう言う感性の人たちなのだ。と思って仕方がないと思うのです。ところが、五分後に出発したところ、凄まじいスピードで走るのですよ。それでね、新橋には予定通り到着させるつもりなのだと感じます。是じゃあ、今日の運転手さんは事故でも起こしかねないわね。JR西日本の福知山線事故は、上司にいじめぬかれていた運転手が、遅延を恐れて、カーブでスピードを落とさなかったそうですけれど、あれと同じことが起きるのではないかしらと、思ったほどです。横浜駅を、出た後で東神奈川を過ぎたあたりで、停車して、7分ぐらい待ったのに、新橋駅では、4分の遅れになっていたから、運転手は、頑張ったのです。これはね、命令している側が、どうとでも逃げられる様に、両刀遣いをしたなあと思いました。

 もちろん、警察庁からの命令を聴く様に、社長命令が、常に横須賀線には、降りているからでしょう。でないと、おかしいですね。だから、この件を正式に取り上げると、50万字ぐらいかかるし、JR東日本と歌舞伎座と、伊藤玄二郎と、井上ひさしが行って来た数々の謀略が全部語ることが出来ることとなります。

 だから、おいしい種なのです。うれしいです。歌舞伎座の課長か、松竹の課長かは知りませんが、ともかく、小川氏には大感謝です。

 私は、消防法に私が違反をしているのだったら、第何条ですかと、質問をしても答えられないので、瞬時に嘘をついていると理解して、消防庁のホーム頁を開き、スピードを上げて斜め読みをした上で、そんなものはないのだと確認をして、さらに、電話で、問い合わせて劇情報など、無いことを確認しました。世界のニュースをこの指先で、作っている私です。しかも、1977年に、CIAe-jentoの、日本代表瀬島龍三を、うち破って、鎌倉に引っ越して来ている私です。

 私は、彼を見ていて、覚悟のうえでも、法律の知識の上でも、他人との交渉能力の上でも、自分より、力が、相当に下だと、思いました。本当に、かわいそうなぐらいでした。私と喧嘩する様に仕向けられたりして、バカみたいな役割です。その上、私が、その時に、考えた事は、おやおや、是もまた、警察が出てきたとなると、例の雪の下の安野夫人とかかわりますね。で、彼女を助けようとする仕組みを実行する人物は、バカ化すると、よく言って居ますが、この人もその典型ですねと、思い至った次第でした。

 ここですが、初稿では割と突っ張った言い方をしています。それは、ですね。秋山祐徳太子が、ギャラリー山口で、保坂涼子さん(当時は、名前として、航子は、まだ使っていなかった)に向かって、雨宮舜、何するものぞと力んだというエピソードを思い出して使っています。

 でね、窮した彼は、「警官を呼びます」と言いました。これは、2016年、西隣の白井夫人が使ったセリフと同じです。私は頭の中で、・・・・・あら、うれしい。あれを再現できるわ。そして、雪の下の連中も木っ端みじんにやっつけてやれるわ・・・・・と、思い直し、内心で、にこにこしながら、

 「じゃあ、時間がかかりそうだから、トイレに行かせてください」と頼んだのです。そして、それから、トイレに行って居るたった、二分ぐらいの間に、上にいる人物の方針が変わったらしいのです。「早く追い出せ」となったらしいのです。で、私は、これまた嘘をつかれて、一階まで、誘導をされてしまって、外へ出されてしまったのです。そこで、彼らは、豹変しました。突然に、「業務がありますので、これ以上は付き合って居られません」と、言って消えました。

 あのね。これも警察が絡んでいる限り、雪の下二丁目の、安野智紗夫人が過去に行って来た数々の蛮行(というか、ばかげた嘘の数々)を、隠ぺいするための所業です。そして、彼女を救うために、CIAエージェントたちが、数多い謀略事件を起こして、たくさんの人を殺していますね。平成の八墓村事件の老人五人を始め、寝屋川のアーケードで、深夜遊んでいた、二人の中一児童、それから、新潟市で、死後轢断事件として、発見をされたおおももたまきちゃん、それらも全部、安野智紗夫人の過去の蛮行を、隠ぺいするために、

 私のブログをつぶせばいいと考えて、私が、精神病院に入る様にするために、私を脅かし続けるために、行われたのです。そして、夫々、嘘の犯人に、罪を擦り付けています。保美死刑囚、山田浩二死刑囚、植松聖死刑囚、山上徹也容疑者、青葉真司容疑者、・・・・・

 しかし、私は、19日、一日中、この問題には、触れませんでした。ビビっているからではなくて、他のことを書きたかったからです。でね。前から、準備をしておいたであろう、上條陽子さんの、パレスチナ支援を、7時のニュースで流したのです。

 私がそれに飛びついて、長い文章を書くはずだと、推察されてです。

 ここで、本日の章は、終わっておきます。各事件について、往時、書いて居たリンク先を探しておかないといけませんし。

渡辺幸子、石塚雅彦、伊藤玄二郎、酒井忠康、栗田玲子、宇都宮和代・・・・この23年間、私をいたぶり続けた人物たち     2021-06-11 00:23:32 | 政治

  鎌倉、ロールスロイス、渡辺幸子さんの嫉妬と、彼女の曼殊沙華の絵で、私が死に瀕した話ー1     2023-10-09 21:26:55 | 政治 

渡辺幸子さんとの確執ーその2・・・林真理子の奇跡を、小関利雄先生と・熊沢淑女史の関係から読み解けば、Mr田原はMrs博子との再婚を後悔して居たはずだ    2023-10-13 21:41:58 | 政治 

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愛新覚羅嫮生さんと下関・・・下関に帰郷した母が言う「現代のお殿様って、三菱重工の重役=造船所所長だったわ」と。

2023-10-17 16:39:56 | 政治

 以下の文章は、実は、渡辺幸子さんについて書いているものの途中です。どうしてそう言えるのかというと、私の頭の中では、地理的状況として酒井忠康氏が大きく浮かんでいるからです。八幡宮内にあった、神奈川県立美術館を葉山に移転をさせた交渉の、担当者は、吉田茂穂現宮司と、酒井忠康氏だったと、推察しているからです。吉田茂穂・現・宮司様は、当時は、第三位の方でしたが、ビジネスに強い方だったので、これを担当なさっているでしょう。酒井氏は、当時は、土方館長の、ナンバー2だったわけですが、石塚雅彦さんと、親しい可能性があるので、この案件を実行されたと感じています。

 この移転は、むろんCIAの大物瀬島龍三のアイデアで行われた、対私いじめの一つです。で、渡辺幸子さんが、「曼殊沙華の絵を返してちょうだい」といった裏側に、葉山在住の栗田玲子さんが、いるだろうと、推察していますし、その栗田さんの裏には、酒井忠康氏が、隠れていると、見ていますので、この章も、私の玉の中に、大きく酒井氏が、存在している限り、渡辺幸子さん関連の章となります。しかし、16日の夜は、そこまでは、到達できないと判断をしたので、全体を引っ込めたのです。ただ、本日17日もパソコンを打っている暇がないので、ここまでだけでも、公開をさせていただきます。まあ、ここまでだけでも、面白いとは、思いますよ。相当にユニークなことが書いてありますので。

副題1、『甘粕大尉について』

 私の父が、満鉄・調査部・中央試験所というところで、頁油岩=オイルシェールの研究をしていたころ、母は、中国語を、中国人に、習っていました。きっと満鉄に勤務していた人の奥さんとか、妹に倣っていたのでしょう。総タイトルの最後に使ったのは、中国語で、あれこれと、言う意味です。日吉の家で、両親が、良く、「ショマショマ整理しておいてね」「はい。はい、わかった」という様な会話を交わしていたので、良く、覚えている中国語の一つです。後、メンファーズ(仕方がない)マンマンデー(ゆっくりで、遅い)などをよく使っていました。

 ところで、母親が、中国語を習っていた日本人というと、李香蘭と同じです。李香蘭の母君は、中国語を習っていた日本人です。父も日本人で、日本名は、山口淑子です。一時期イサムノグチの奥様でした。山口淑子は、戦後、数十年、死ぬまで、ひどくおびえて、暮らしていた模様です。自伝に書いてありました。中国の実態を知っているし、戦時中は、中国人を宣撫する役目を果たしていたからです。五族共和という様な、上品な言葉で言い換えていた植民地支配の、最先端の人だったからです。自分は本当は日本人なのに、中国人女性人としてふるまい、日本人男性の役をする長谷川一夫と、恋に陥る役をやっていて、それを中国人が怒っているし、憎んでいると、考えたのでしょう。そして、自分の上司たる甘粕(元大尉にして、当時は、満映理事長だった)氏が、終戦時に、自殺をしてしまったから、保護してもらえないと、考えたのです。保護とは、裁判にでもかけられたら、証言をしてもらうと言う事です。山口淑子は、甘粕大尉の命令通り、動いただけだと、証言をしてもらう事です。

 甘粕大尉という人物は、関東大震災の時に、大杉栄と、伊藤野枝を、葉山の日陰茶屋で、殺したことになっています。しかし、実は違うらしいと、言う情報にも接しました。その真実の当該者が、殺人など、犯していて それを一般の日本人が知ったら、大変な事になる程身分の高い方だから、身代わりの犯人を引き受けたと、言う噂です。

 私はね。1945年の夏・敗戦直後に、自殺した甘粕大尉は、状況をよくわかっていて、賢い人だったと思います。東京裁判は、まだ開かれて居らず、そこで自らが戦犯として裁かれるかどうかも判らない内に自殺なさったと言う事は、自分が知っているありとあらゆる事を世の中には公開せずに、秘密を守ったまま、なくなったのです。以下に、違う解釈もあげて居ますが、いわゆる滅私奉公型の人で、日本国 及び日本の上流階級を守った人です。で、二つ目の解釈としては死刑になるかならないかの瀬戸際の人だったとおもいますから、他人の前で、恥をかくより、自分で、自分を罰した方がよいという考えでの自殺をだったでしょう。勇気がありますね。

 ところで、本当に大杉栄を殺した人は、個人でそれをやったわけではなくて、部下を大勢持って居た人ですが、実は、葉山に住んでいた人です。葉山のどこだったかは、知っています。が、口外には出しません。そして、それは、・・・・・大体の場所は、酒井忠康氏もご存じのことではないかなあ?・・・・・・と、思っていますが、これから、先は、口にチャックといたします。

 ところで、鎌倉市って、立派なお屋敷を史跡指定にしています。我が家の、南東野見山、地境地主だった、旧白井邸は、今は、鶯吟亭という名前で、鶴岡八幡宮様の持ち物になっていますが、川口順子元外務大臣のご実家です。これも、すごく立派な数寄屋造り平屋のごうていですが、その南側の川合良一邸も、数代前は、白井さんと、兄弟だったのではないかと考えて居ます。

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副題2、『大船に甘粕邸という史跡がある模様だけれど、それが、甘粕大尉が、戦前に住んでいた家で、甘粕大尉の、遺族、または、親戚が最近まで、すんでいた邸宅ではないかと、私は、考えて居る。子孫が、東京に居を構えていて、相続をしたくないと考えて市に寄付をしたのではないかと考えて居る。川喜多記念館と、同じ趣旨で、寄付されたのではないかと、考えて居る。ほかにも寄付された豪華物件として華頂の宮邸という内部が全く傷んでいない豪華な洋館があり、よく二時間ミステリーの、富豪宅として、その内部が使われている。4月と10月には、内部が公開される予定なので、観光協会か、鎌倉市にお問い合わせくださると、内部と庭園を見ることが出来る。

 お風呂場は、私的な空間なので、非公開になっているが、もし、カギがかかっていなかったら、そっと御覧になったらいい。細長い9畳ぐらいの広い部屋で、直前の持ち主は、富裕な一般人(皇族ではない人‥‥)だったらしくて、真っ赤なバスタブが、おいてある。広すぎて冬は寒そうだ。暖房の設備が、お風呂場についていたかどうかまでは覚えていない。それに、遠くから眺めたので、バスタブの赤が、琺瑯びきだったのか、陶器の赤だったのかはわからない。 

 ところでこの洋館は北側が緑青で覆われて居るのです、公開される前までは、アッシャー家の崩壊に出てくる様な御屋敷だと一度書いた事があるが、内部は非常に綺麗に、かつ豪華な内装が生きて居て、どんな富豪が住んでいたのだろうかと、想像をするだけでも楽しいお屋敷だ。ただ、この家には眺望の楽しみは全く無い。鎌倉のイーストサイド、養老先生のお宅より、更に東の山の中にあるからだ。

  比較をすると、甘粕邸と言う史跡にはよいちょうぼうがある そう言うお屋敷としては、長崎グラバー邸がすぐ思い浮かぶが、甘粕邸も海は見えないものの、対岸の山に大船観音を見る晴れやかな丘の上にある。高低差だけを言えば、日吉の実家は南側が晴れやかな眺望があり歩いて二十分は掛かる慶應高校校舎まで見晴らせた。相続した人が売ってしまったのはとても残念だ。

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副題3、『ここで眺望の面からだけで話題を急に下関へ飛ばす』

 私はね、グラバー邸も、甘粕邸もテレビで見ただけです。本物に接したのは、旧 前田公爵邸(現在は、鎌倉文学館として使用中) とさきほどらい、言及して居る華頂の宮邸と、呉造船所 所長邸だけです。最後のお屋敷は、奥様が母と女学校時代お友達だったので、招じ入れられました。呉の市街地との高低差は、ありますが、両脇から山が迫っているので、これから語るお屋敷ほど、眺望は良くなかったのです。前の二つは、平地よりの高度差はさほどでは無いです。

 しかし、訪問をしたことがないけれど、テレビの中で、関門海峡を見下ろす、最高の眺望を持つお屋敷を拝見しました。

 それは、ラストエンペラーの弟ぎみ溥傑氏のお嬢様愛新覚羅嫮生さんのお住まいでした。映画 ラストエンペラーの中では、このご夫妻は、あまり良くは描かれて居ないのですが、実際には、深い愛情で結ばれた素晴らしいご夫婦でした。その紳士 愛親覚羅溥傑氏は、それこそ、五族協和の犠牲となって、日本の華族の姫宮と政略結婚をする事になりました。そのお相手は、嵯峨侯爵の娘 浩さんです。その妹さんが〇田と言う方とご結婚をなさって日吉に住み、お二人のお子様を(いわゆる姪となる)育てて居たのです。ご長女様が、品の良い方で、如何にも華族(日本の場合は貴族を特に華族と言うが)のおひい様でしたが、非常に、お気の毒なことで亡くなりました。本当に本当に大騒ぎでした。

 その妹ぎみ【愛新覚羅嫮生】さんが、結婚をして山口県・下関に、すんで(しかし、下関の家は、テレビ取材用の、仮住まいだったかもしれない)いらっしゃったときに、新覚羅溥傑氏が訪ねてこられたのです。その様子がテレビ放映をされたのです。その時、そのお屋敷の様子が、強い印象として残りました。すばらしい眺望だったからです。それが、三菱重工へ結びついていきます。

 その時、嫮生さんには四人のお子様が居て、幸せそうでした。その後もう一人お生まれになって五人のお子様を、育てることとなり、兵庫県西宮市に、引っ越された模様です。お姉さんに比べるとタフです。ただ、ずっと、西宮住まいだったかもしれないのですよ。

 それは、お姉さんが日本に帰国をされたときに、嫮生さんの方は、まだ小さいからと言って、母君浩さんと、一緒に満州に残ったのです。その後、八路軍やソ連軍の攻撃とで、流転の逃避行も、幼い身で経験し常に母君と一緒だったことが大きいのではないかと、私はおもっています。抱かれる事、おんぶをされる事。そういう事が大切なのです。〇田家のご夫婦が、仮の親として、不親切で、いじめたわけではないです。嵯峨家のご祖父母も健在で同居だったのです。だけど、ご長女様の、『自分には、両親が居ない』という思いは、彼女を神経質にしたとは、思います。姉君エイセイさんは、大久保君という同級生に殺されたと、嫮生さんはおもっているのではないかしら。大久保君は、今でいうストーカーめいた追跡を姉君に対して、行っていたからだと思います。

 父君が逃避行の途中で、中国共産党の、施設に収容されてしまいました。いわゆる思想改造の為です。ここらあたりは、映画ラストエンペラーでも、詳しいのです。が、浩さんは、そこには出てきません。ただ、浩さんの【流転の王妃】は、私は読んでいます。大変立派な方です。夫に対する愛情も素晴らしいし、愛新覚羅婉容と一緒の逃避行を、行い、婉・・皇后の気の毒な最期の様子などを記録して置いてあるのは、貴重です。

 ところで、私が書きたいことは、そのお屋敷なのです。福永嫮生さんが、父を招じ入れたお屋敷です。父君は、7度来日しているそうですが、母親が亡くなった後であったと記憶しているので、

^ 1974年1980年1981年1982年1987年1990年1992年の計7回の1987年か1990年だったでしょう。そのお屋敷ですが、100坪程度の芝生張りのお庭の向こう側がすとんと落ちる感じで海が見えます。その海が関門海峡だから、眺望はものすごいものです。

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副題4、『さて、話は突然に日吉に戻る。我が家の北側は、揶揄的な、表現で、社長通りと呼ばれていた。我が家は、一坪600円で、東急が売った土地をひと区画買っている。60区画のうち、一番いい区画だった。霞が関を、上司の収賄事件に関連して、辞職しないといけない立場に陥った父は、生涯の年金も失い、退職金も失い、非常な苦境に陥ったので5つぐらい同時に事業(=商売)を展開していたが、そのうちの一つが、不動産を、研究して買う事だった。売らないので、不動産業ではないが、元、公務員の立場から、お役所の書類を見ることには、長けていたので、発展をするであろう土地を、ひと区画ずつ買っていたのだった。ところで、その東急の分譲地は、松林を開墾した、60区画だったが、たぶん、父が買った区画が最高のところだった。日当たりと眺望が、効果がある南側が、7mは、低い土地だったから。東急も他は、もっと坪数が少ないのに、我が家だけは、100坪あった。

 しかし、父は情報通ではあったが、お金持ちという意味では、一番ではないと思う。はるかに勝る人が世の中には居るものだ。我が家の東隣の人は、60坪程度の区画を、三つ買って、広さをほぼ、200坪にして、その中に、建坪50坪=166平米程度の豪邸を建てていた。1950年代なので、大きな家と言えるだろう。たぶん、大島さんという苗字だった。だが、私は殆ど付き合っていないので、苗字についての確かな記憶はない。

 だが、このお宅が、鎌倉、雪の下にも関係があった。雪の下の方の、初代・町内会長・古沢氏は、俳句の結社を経営するほどの文化人だったが、俳句に凝っていて、会社内では、出世は、しなかったのではないかなあ? この人が、大島さんと、同じ会社(=日経金)、勤務だった。そして、大島さんは、大変優秀な方で、重役になっていたらしい。社長さんだった時期もあるかもしれない。だから、とおりが、社長通りと呼ばれていたのだと思う。ともかく、1950年代に、竹中工務店で、個人住宅を作らせていて、屋根をジュラルミン(飛行機の胴体に使われる軽金属)で、葺いていたほど、事実上は強気の方だったらしいが、我が家に対しては、静かな雰囲気の方たちで、回覧板は、常に、定年退職したご主人が持ってくるという形式だった。その方をちらっと見た感じでは、小さめの体格で優しそうな方だった。好々爺と言ってよいと見えた。母は、そこの「お嫁さんの、性格がとてもよい」と言っていた。母がほめた人は、もう一人東北の側に軒隣にいた、寺沢夫人で、彼女は、お子様を、二人とも、カリタスに通学させていた。・・・・・これが、井上ひさしたちが、カリタス小襲撃事件を起こすことへつながっていく。ただ、そこには今は踏み込まない。

 大島さんに戻る。こちら雪の下の方の初代会長古沢さんは、私が大島さんの西隣に住んでいたというと、もう、びっくりされて、それ以来、大切にされる様になった。大島家は、静かな雰囲気のお宅だった。北久里浜の、西隣だった原家など、毎週お客様を招いて、庭でバーべキューパーティを開いていた派手な感じだったが、大島家は、そうでもなかった。

 ご近所で、もっとも派手な感じの奥様は、北隣の増田忠氏の奥様だった。いわゆるシロガネーゼの走りで、スィーツとか刺繍とかを、ご近所奥様に教えていたと思われる。人気ドラマ【金曜日の妻たち】で奥様方が、パーティを開くパティオに似た、6畳程度の、板張りで、囲いの在るテラスがあって、お天気の良い日には、いつも賑やかなお茶会形式での集まりがあった。

 美貌と頭の良さという意味では、我が家の東の東にあった、赤津家(ご主人が東大卒で、三菱重工で、下関造船所所長とか、ニューヨーク支店長を務めた家)の奥様も、絶対に負けないランクだったが、年齢が、一回りしただと言う事と、お医者様の令嬢で、賢い人だと、言う二つのことがあって、地域では目立たない暮らしをなさっていた。赤津家も三区画買って、1960年代としては、豪壮なお宅を建てていた。その赤津家のご主人だが、90歳を超えて、最近、家を新築なさった。びっくり仰天する。私が坂本越郎教授(野村萬斎さんの母方の祖父)の、仲立ちで、東大卒、三菱重工勤務の方と、お見合いをしたが、できるだけ相手から、断られる様にふるまったのは、マダム赤津を見ていると、自分には、ああいう生活は、務まらないだろうと、言う思いがあったからだった。ともかく、エリート夫人とは、美貌と才気の両方があるけれど、ご近所付き合いなど、致しません。という毅然としたタイプ。しかし、愛嬌がないわけでもない。可愛い人だった。まったく三国一のお嫁さんだった。負けます。負けます。私にはできません。

 実は私の母には、そういう冠はなかった。しかし、大変聡明な人だという評判をとっていた。東横線の車中で、NHK音楽コンクールと、現代美術コンクールを創設した、毎日新聞の、水谷さんから、そういう風に私は言われた。「あんたはバカだけど、お母さんは、聡明だ」と。

 うちの母は父の会社の経理担当だったから、月曜日から土曜日まで、お手伝いさんが来ていた。五代にわたって、37年間続いていた。だが、お手伝いさんが帰ると、母は、箒を持ち出して、我が家と増田家の間の道路と側溝のお掃除をしていた。増田家は、白樺とかケヤキなどのひょろひょろっとした、落葉樹が好きだった。で、入居後、30年もたつと、すさまじく成長して、落ち葉が一杯だったのだ。まるで、小さな武蔵野のもりだったから。

 私は母の秘かな怒りを感じ取っていた。だが、増田家が、植木屋を入れないのも理解が出来た。やっぱり小さくても我が家は社長だったので、金銭的に裕福なのだ。だけど、サラリーマンだと、決まったお金で暮らさないといけないし、余裕があればあったで、他のことへ使うので、植木屋など、いれて居られない。ただ、増田夫人が、箒の音が聞こえた時に出て来て「すみませんね。いつもやっていただいて」と、一言、言ってくだされば、母の秘めた怒りもほどけただろうにと思う。1997年に増田忠さんが、私に「僕、お金使っちゃってね、もう無いのよ。だから、千恵子ちゃん、お昼ご馳走して」と言われたように、ご夫妻とも、甘やかされて育った人なのだ。だから、音楽会に行くなどという方面に、ばんばんと、お金を使ってしまう。

 そして、明るくて華やかなだけに、増田夫人は他者が優越することを許さず、自分とほぼ同年代であり、夫同士が同じ職種である、水沢家にひそかなライバル心を持って居たと、推察される。増田忠さんは、戦時中はエリートが就職する旧中島飛行機育ちだ。そして、戦後プリンス自動車となっても、昭和天皇の御料車の、外観をデザインするなどの業績があった。そして、慶応大学卒である。ヴァイオリンは、クレモナの、古楽器を持って居ると思われ、演奏も、ほぼ、玄人と言ってよい程上手だった。

 一方、水沢夫人は、自分を明かさない、他人とあまりうちとけない。しかも、赤津夫人みたいにかわいらしく、あいさつする雰囲気がない。私なんか無視されていたと思う。権高い。一方の赤津家では、お嬢様でさえ、「ねえ、ICUを卒業なさったんですって」と、明るく声をかけてもらえる。・・・・・さすが、三菱重工ニューヨーク支店長のお嬢様だ。美しくて可愛いし、オープンマインドだ。特に、・・・・・このお嬢様は、どこの大学に進学なさったのかは、この分譲地の人は、誰も知らないけれど、・・・・・彼女の方は、ICUのこと、特に、その当時、卒業生が、如何に優秀だったかを知っている・・・・北久里浜の人間なんて、その大学の、名前さえ、知らないから、誰も、私の事を尊敬をしてくれないのに、と私もひそかに、にこにこしてしまう。

 しかし、水沢家では、ご主人がいすゞの社長になった。増田忠さんは、日産自動車の、重役とか社長には、なっていないと、思われる。支配的に合併をされたプリンスの、しかも、工業デザイナーと、言う職種だったからだ。いわゆる法科とか経済学部出身ではない。こういう人は、今では、社長になるケースがあるが、30年前は、無理だったのだ。となると、水沢家の出世が、増田夫人には、気にかかる。

 増田夫人は、我が家が、二代目の家政婦さんとして、ご近所住まい(ただし、東急の分譲地ではない。個人が開発した土地に住んでいる)元銭湯の経営者さんだった奥様を雇った。そうしたら、対抗意識を持って、ご自分も同じ女性をお手伝いさんとして、来てもらうことにした。週に、三日ずつ、我が家と増田家で、折半して、来てもらうことなった。

 その女性は、前職から考えても、そうなるのだけれど、大変、あけっぴろ気な女性で、「ねえ、増田さんっちったら、小さな黒板があるのよ。そこに、・・・・ママ、靴下を修繕して置いてください・・・・って、書いてあったのよ。驚いた」と、母に告げた。この人は、空襲に出会って、銭湯が、焼けたので、やむを得ず、日吉に住んでいる人で、劣等感は、無いから、陽気なレベルで、発見をしたことを語るのだ。が、母は愕然としたらしい。私の方は、子供心に、・・・・・夜遅く帰って来て、30分はヴァイオリンを弾く増田忠さんらしいなあ。また、朝は早く東横線で私は、増田さんと、会うのだから、奥様と、靴下の事なんか、話している時間がないのだ・・・・・と、思った。だが、庶民的な人にとっては、驚天動地な連絡方法だったらしい。

 母は、彼女をたしなめなかったが、内心で、『これはたまらない。我が家で、彼女が発見したことも、増田さんちに伝わるだろう』と思ったに違いない。で、その元銭湯の経営者の家に行って、彼女の妹さんに、月曜日から、土曜日まで、来てもらう事にして、お姉さんの方には、「増田さんに専念して頂戴ね」と頼んだらしい。妹さんは、お姉さんよりは、地味目な人だった。性格的には、重い人だった。だが、年齢が、若いので、やがてお手伝いさんではない職を見つけて、やめてしまった。で、母は、よく診察を受けに行って居た女医さんに情報をもらうことにしたらしい。女医さんって、忙しいから、看護婦さんとお手伝いさんの両方を雇っている。そこをやめた人を紹介してもらっていた。女医さんのお宅よりは我が家の方が、掃除一つにしても、仕事量が少なくて、楽だから、高齢の人でも構わないのだ。

 というわけで、増田夫人は、陽気な方だが勝気でもある。で、水沢家に、対抗心を持って居たと、思われ、増田家の、夫婦間の会話には、水沢家が、頻繁に登場したと、推察される。

 その、水沢家のご長男が、水沢勉氏だ。現在、葉山の美術館館長で、この15日の日曜美術館でも棚田氏の解説をなさった。私は、1998年ごろから、親しくしてもらっていたが2003年ごろを、境にして私から去って行った人で、かつ、カリタス小襲撃事件は、水沢氏が、姉の悦ちゃんに私の妹に関して、告げ口を、したことが端緒になっていると思うので、上に書いて居る様なことを書く。私は、増田忠さんから、詳細に水沢家の内部事情を聴かされた。それは、1997年に偶然日吉で出会って以来の子だったが、ひどく驚いた。その20年は前の、1958年から、1961年にかけて、丸ノ内線、茗荷谷の高校に通って居た、私は、東横線日吉駅で、増田さんによく合って、渋谷駅まで、ご一緒した間柄だった。その際に、いろいろ抽象的でハイブラウななことを教えてもらった。そういう素晴らしい偶像が、落ちた瞬間だった。本当にがっかりした。

 増田忠さんは、なんであんな話をしたのだろうか? 増田さんにとっては、それは、下ネタよりは上品だから、自分と千恵子ちゃんの間で、話し合っても許される話題だと、考えられていたのだろうか? 見くびらないで、くださいねと、増田忠さんに言いたい。

 まあ、それだけ、つらかったのだとは、思う。息子さん一家と、同じ家(ただし、コンクリート製の一軒家)に住みながら、会話が無かったのがつらかったのだろうけれど、美術の世界に住んでいる私にとって、水沢さん一家の話は、聞きたくなかった。特にまだ、公募団体展にも応募しているし、一般入選だから、一年に、大作を、7つぐらい描いていて、それを国展や、女流展以外のコンクールにおうぼしている段階だったから・・・・聞きたくなかった。当時は、まだ、美術評論家のことは尊敬している時代だったので。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『ここで、やっと赤津夫妻に入っていく。副題4に描いた日吉に関するエピソードは、すべて、下ノ関時代の、赤津夫妻に関する、母の感想を述べる為だった。母は、下関の高等女学校を出ている。で、下関とは、勝手知ったる街である。

 そこで、偶然に、日吉の、東隣の、更に東に住む(こちらも三区画買った、富裕層一家だが)赤津夫人に出会ったそうだ。すると大変珍しいことに、赤津夫人が、「うちに寄っていらっしゃいね」とおっしゃったそうだ。これは、日吉ではありえない話だった。赤津夫人は、誰も、家に入れないし、ご自分も訪問をしない。でも、悪口を言われているわけではない。誰からも、『そういう方針の人ですね』と、認められている。それは、超が付くほどの、美貌の方が、とてもかわいらしい感じで、あいさつをしてくださるからだ。だから、憎めない。・・・・・毅然としていると言う事なのね。だけど、かわいい人なのよ。だから、許せる・・・・・と、なる。

 しかし、日吉では、絶対に一線を踏み外さない赤津夫人が、「家によってらっしゃい」と、言われるので、母は、・・・・・旅先だから、普通とは違う感覚なのだ。赤津夫人にとっても、下関は、仮寓の土地なのだろう・・・・・と、考えてついていったそうだ。すると「広い芝生のお庭の先に、突然に関門海峡が見渡せる、一千坪はあろうかという敷地の豪邸だったのよ。すばらしい眺望なのよ」という。 続けて、「現代のお殿様って、三菱重工の重役だったのよ」ともいう。慨嘆するという感じでいう。父の父は江戸時代までは、毛利藩の重役だった。毛利様は、防府には、ゴルフ場や、博物館を持って居らっしゃる。だけど、萩では、もう住んでおられないのではないかなあ? だから、萩のお殿様という感覚が薄れているところへもってきて、

 三菱重工の、下関造船所・所長様の、おうちが、目もくらむ様な豪邸だったから、母は、本当に、びっくりしたらしい。

 私は、赤津さんは、日吉に自分の家を持って居るので、下関に新しい家を買う筈がない。となると、それは、三菱重工の社宅なのだろうと、思う。

 するとアッと思うレベルで、心当たりがあった。例の愛新覚羅嫮生さんが、父君と逢うお宅のテレビ放映が、まさしく、その種のお宅での撮影だった。しかし、若い夫婦が、幼いお子様たちを育てるために、新築した家とはとても思えず。もしかしたら、明治天皇と関係がある、中山家の、旧宅ではないかと、思い当たった。

 嫮生さんの父、愛新覚羅溥傑氏は、溥儀氏よりも政府から厚遇を受けていた。それで、日中関係の改善か何かの、使命を受けて来日したのかもしれない。それは、嫮生さんにも伝わっていて、だから、こそ最大限の演出効果が上がる様にあの、眺望の素晴らしいお屋敷で、親子会談を準備したとも思われる。夫の福永氏も、中山家とは、関係があるらしいので、あのお屋敷を使う事は、大いに納得の上での話だと思う。

 ところで、下関に、中山家よりも大きな邸宅を建てたであろう名家があるだろうか? それは無いのだ。だって明治の元勲とは、ほとんどが萩の出身であり、しかも萩には、帰っていないのだ。彼らが、別荘を作ったのは、京都東山だったし、居宅は、旧江戸時代の、徳川親藩の大名屋敷を使っている。

 で、やはりあれは、中山家の旧宅である可能性が高い。それが、1980年代では、三菱重工下関造船所・所長の社宅となっていたのだった。赤津さんが、東大卒だとか、ニューヨーク支社長をしたというのは、日吉に戦前からあった、三菱重工の社員用の社宅から出た話だったかもしれなかった。赤津さんは、うかつに自分たちのことを話す人ではなかった。ただ、ただ、旅先の感覚で、自宅に招いてくださったのだ。

 だけど、それは、ほぼ、旧中山邸で、三菱重工が、福永夫妻から、書いとったものだと、私は考えて居る。今もあるかしら。改築されてしまっているかしら?

 ただ、母の言った、「現代のお殿様って、一部上場企業の重役の事だったわ」は、当たっていると、私も思う。

 実は、この章は、ともかく甘粕大尉に焦点を当てるつもりだった。だが、すでに、午前三時半なので、ここで、閉めとさせていただきたい。愛新覚羅夫妻と、ご長女様に平安あれと祈る。

 

 

 

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すみません。23-10-17 は、ブログを完成できませんでした。

2023-10-17 00:58:22 | 政治

すみません。23-10-17 は、ブログを完成できませんでした。書き始めたのですよ。しかし、文全体の構造が出来ないうちに12時を過ぎてしまい、疲労困憊です。で、明日にでも、完成させます。お待ちいただきたく存じます。

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渡辺幸子さんとの確執ーその2・・・林真理子の奇跡を、小関利雄先生と・熊沢淑女史の関係から読み解けば、Mr田原はMrs博子との再婚を後悔して居たはずだ

2023-10-13 21:41:58 | 政治
 昨夜、イスラエルガザ地区における、紛争の、よって来る由縁について、少し書き始めました。しかし、妨害が莫大なので、少し書くのを待ちたいと思います。その代わり、連続性のあるものを書き続けたいです。この一文は、最初、スマホの音声入力で書いて居ます。敵が居る私は、めちゃくちゃな誤変換を生起させられて、意味が分からないまま、後悔していた時間が長かったと思います。それは、お詫びします。16日の午前一時半にやっとこの部分だけは、完成しました。だけど、これで、渡辺幸子さんの分析が終わったわけではないのですよ。これで、半分程度です。
 
これは、前報

鎌倉、ロールスロイス、渡辺幸子さんの嫉妬と、彼女の曼殊沙華の絵で、私が死に瀕した話ー1     2023-10-09 21:26:55 | 政治   

(これを後註1とする)

の続きです。だから、副題3から始まります。しかし、本当は、さらに前のブログ

河野多恵子は富岡多恵子が伸してくるのを密かに嫌っていた。それが判るのは私が美術界で、嫉妬され続けて来たからだった。渡辺幸子、栗田玲子、平野和子、酒井忠康    2023-09-21 22:42:59 | 心理学

(これを後註2とする)

の続きとなります。実際問題として、私はNHKニュース内に違和感を持つニュースを発見したりして、あれ、テーマを変えるべきかなあと、思ったりしますが、ずっと、渡辺幸子さんとの、確執について、書き続けているのは【中勘助の恋】富岡多恵子著、1993年刊、創元社版を、読み続けていることが、大きな影響を与えています。嫉妬の問題、そして、ある人が別の人を悪人にしてしまう事・・・・・などを中勘助の人生を通して学んでおり、それの実践的展開例として、渡辺幸子さんとのことを書いて居るのです。

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副題α、『中勘助は、一時期、非常に性格が悪い時があった。それを安倍能成が、記している。しかし、彼が、その様に悪い人格になったのは、14歳年上の兄の、激しいいじめで生成した性格であった。それを直していったのが兄嫁の末子さんだった』

 中勘助という作家は、一高と、東京帝大文学部時代の、友人には、この上なく恵まれています。ここで、取り上げる安倍能成とは、のちに、一高・校長、学習院院長と成って行く紳士ですが、大生三年(=1914年)比叡山で同居しています。中勘助は、すでに、朝日新聞に【銀の匙】の連載を済ませています。が、安倍能成は、2歳年上です。当時の、雰囲気だと、二歳年上では、相当に、尊敬しなければいけない間柄でしょう。だが、とんでもない、セリフを勘助は安倍能成に浴びせかけるのです。

・・・・・私の畳を掃くのを見て、彼が「どんなに僕に気に入られようと思ったって駄目だよ」と言った詞に対しては、私は、実に生意気野郎だと思って、怒り心頭に発したことがある・・・・・

 それは、雑誌 心 に1965年に発表された文章でタイトルは、【中勘助の死】ですが、それほどに嫌な性格になったのは、次兄のせいでした。兄からの絶え間ない…卑劣な威嚇、暴行によって、人格崩壊の危機に瀕していました。ほかの兄は、早世しています。

 富岡多恵子の書物、【中勘助の恋】122頁から、124頁まで、中勘助が、兄嫁末子によって救われたことを書いてあるのですが、それは、安倍能成も、同上の文章の中で、記しています。

 ここらあたりを読みながら渡辺幸子さんを考えると、田沢茂教室の中で、絶え間なく、いじられる(これは、現在の流行語で、芸人が、他者をからかったり虐めたりしてお笑いをとる事を指す)一方で、田沢先生が桜井陽子さんを大切に敬愛するのを見せつけられていて、それに翻弄をされて苦しんでいたからこそ、人格が劣位に陥っていたのだと思います。

 という前置きを入れて、前報(後註1)の続きに入ります。副題2まで、そこで使っていますので、ここでは、副題3となります。

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副題3、『私は、渡辺幸子さんが電話内で、話すことには、共感が出来なかった。ただ、大学の先輩だから、承っていて、決して批判をしたりはしなかった。だが、人生の目的が違うとは、考えて居た』
 
   ともかく私は、アートを、出世の道具とは、考えていない方ですが、文章も絵画もたくさんの人に読んでもらったり、たくさんの人に見てもらうためには出世したほうがいいんですよ。
 だけど、それが、わかっていても、渡辺幸子さんの電話に共感が出来なかったのは、彼女があまりにも、新制作の会員になれないことを愚痴るからでした。その陰に、渡辺幸子さんが、大きくいじめて来た2002年の、望月画廊での経験のさらに、三年前に、ニューヨークで、経験したことが大きく影響をしています。
 以前書いたNYの美大の教授Msデニス・ムーランを自分の行動の結果、辞任に至らせてしまったやすこ=滋賀県にあるせいあんと言う美大を出てきてニューヨークの美大の大学院に留学してきていた25歳の女の子=が起こした、殺人未遂事件に等しい、大騒ぎが影響をしています。彼女は、はっきりって悪いけれど美的才能は無いです。それなのに、ただ、ただ、絶対の勝者になるためにアートを利用しています。その道で、有名になろうとしてニューヨークに来ています。彼女は、これも、まことに申し訳ないけれど、はっきり言ってしまうと、背が低くてお顔も綺麗じゃないです。だから日本において、特に20歳位までにおいて恋人ができなかったと推察しています。で、普通の結婚は無理だとあきらめて、別の道・アートで出世して、自分をはねのけた、人間たちを、見返そうと考えていました。が、無理がたくさんあったので、版画家にとっては、優に殺人未遂事件に等しいというような事件を起こします。塩化第二鉄原液と言う猛毒2リットルという大量を床にひっくり返すと言うことをやったので、それが、学内に寮(11階建て二棟)を通じて一気に広まり、彼女がサポートしているつもりの教授が大学をやめないと、いけなくなったのです。やすこは、教授Msデニス・ムーランの私に対する嫉妬心を先取りして、私をいじめて仕事ができなくなるようにさせると、教授を助けることになると、考えていた女です。そう言うすさまじい、嫉妬心の発露を、1999年にNew yorkで、経験して帰国していますから、渡辺幸子さんからの電話を聞いていてもね、共感が、できないのです。あまりにも新制作の会員になることに固執していますので、そんなことには、すでにこだわらなくなっていた、私は反論はしないのですが、共感もしないのです。
 私のほうはね、もういい加減、上野の公募団体、に嫌気がさしていました。もともと誰かの紹介とか誰かの引きで国展やら、女流展に、入選してるわけじゃない、全く自主・独立した画家ですから、そこから身を引いても、誰に迷惑をかけるわけでもない。
 だけどね、ああ言う世界ってやくざ組織みたいな足抜け禁止の側面があるのですよ。だからやめるのはすごく大変です。裏切り者扱いになっちゃうのでね。やめるとか身を引くとか、そういう事は秘密裏に実行しないとダメなんです。どうしてそうなるかというと、ちょうどそのころ、公募団体展の、人気が下がり始めていた時期で、したがって、危機感があるから、出て行く人を抜くむという現象が強かったのです。
 で、私は渡辺幸子さんのいろいろな思惑とか、思いのたけを電話で聞きながら、「自分の方は、あなたとは違って、もう公募団体展を辞めるつもりですよ」と言う事は一切言いませんでした。
 で、辞めるか辞めないか‥どうしようかなあ、と、迷っている最中に作った油絵正方形(163x163cm)を望月画廊の、国際基督教大学、同窓会展に、持ち込んだのです。
 望月画廊と言うのは、今は、もう閉鎖してしまっていますが、絹谷幸二さんなどをトップとする独立画家協会の人が、主に個展用に使っている画廊で、女流展と独立の両方に作品を出している。上條陽子さんなどは見に来てくださると言うことを、私は信じていました。国画会会員と一般出品者合わせると、700人を超します。それらの人には、見てもらえなくても、上條さんひとりだけにでも見ていただきたいと思って、そこに出すことにいたしました。
 ところがね、たまたまその同窓会グループ展の前に、渡辺幸子さんが私に電話内で、こう言って居たのです。「私ね、ほらあそこなんかね、全然、役に立たないでしょう」これはあくまでも、プロの画家の出世という意味で、役に立たないと言っているのですよ。確かに大学同窓会なんて新制作で、審査権を持って居る人は、見に来ないです。素人の集まりだろうと、みなされていますから。だから切った張ったの競争をしている公募団体展の今から会員になろうとしている渡辺幸子さんにとっては、どっちでもいい展覧会なんです。
 
 でもね、渡辺幸子さんのご主人っていうのはICUで、幸子さんと同期の方です。だからその展覧会に見にくる人にご主人の友人が居ます。また出品している同期生も数人いるのですね。だから、彼女の方は、出さないわけにはいかないのです。で、続けて「鎌倉美術家協会に、出した6号をそっちに回すつもりよ。だってね。銀座の画廊巡りをする人と鎌倉美術家協会展を見に来る人って全然違うでしょ。だから重ならないもんだからそっちに回してもいいのよ」と。でね、私は、それは彼女の方針ですから、どうぞです。批判はしません。
 そして私のほうは誰にも言えないが、国画会も女流展もやめるつもりだから、これが最後の大作の展示だと考えて・・・・・非常に念を入れて作った作品を、望月画廊に展示をしたのです。その時、私の心の中では、渡辺幸子さんを負かしてやろうなんて言う考えは、一切ありませんでした。彼女は彼女です。私は私です。処が大変な誤解を受けてしまいました。つまり、私が、彼女を負かすために、彼女が6号を出すと、言うのに、乗じて、大作を出して、そのグループ内のトップを取るつもりだと‥・・・それが、大変ないじめに繋がっていたのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
副題4、『渡辺幸子さんが、一瞬くるったのは、私が100号という大作を出して、裏切ってきたと思ったからだけではなかった。その時の私の絵が、所謂成功作で、非常に良かったので、彼女は焦りまくってパニックになったのだ。特に同席していた朝日新聞外信部の偉い人に数年後、青山で、あった私は、かれから、深い同情を得て、それを確信をした』
 
 ここまでのことは、何度も書いて居ます。しかし、これから先、今まで、絶対に語ってこなかったことを書きましょう。
 それは、その時の100号が、ものすごくよい絵だったと、言う事です。
 
 たからこそ、ニックになったと、思いますよ。
 
 だけど、その時、64歳であり、お子様二人を栄光(神奈川県一入試の偏差値が高い私立)から、上智大学、そして、外資系金融機関(現在の日本で、もっとも高給を食むクラスです)に勤務させ、夫は外資系企業の社長です。
 フェリス出身で、ICU入学というのは、1950年代の高校生にとっては、知る人ぞ知るエリートコースです。特に鎌倉在住の人は、そのランクを知っている。で、何もかも恵まれている彼女が、あれほどのパニックに陥ったのは、絵を描くにあたって、田沢先生の言う事だけを聴いていて、主体性がないからだったでしょう。その上に他人の絵など、見もしない。他人の絵を見て、自分の立ち位置を勉強すると言う事もない。
 で、初めて、私の油絵に接して、驚き入ってしまって、あれほどに、自分を失ったのです。でもね。普通の状態だったら、「あら、いやだ、川崎さんったら、大きいのを出して、私より、勝つつもり?」ぐらいの軽口をたたいて、にっこり笑うぐらいで、終わらせるべきなのです。それで、おしまいと言う事でしょう。
 で、私は、そこまで言われたら、ずっと秘密にしていた、例の話を、出したと思います。「ああ、渡辺さん違うのよ。私ね、四月末の、国展の搬入の日に、今年からは、もう、持ち込まないことに決めたの。国画会へも接触するのをやめるし、女流展にも出しません。だから、去年から準備をしていた作品をここに回したのよ。あなたと勝負しようなどとは、みじんも思っていません」と言ったと思います。それで、「あら、そうだったの」ぐらいで終わるはずです。
 その時の彼女が、どれほど、鬼の様だったか。そして、数年後に「曼殊沙華の絵を返して」と私の不在の家に電話をかけて来て受け取った時の彼女の顔、・・・・・それも鬼の様でしたよ。
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題5、『ここで、栗田玲子さんが、鎌倉駅のトイレで言って居た、「川崎さんって、怖い人なんですってね」というセリフを解説しないといけなくなった。私はただ、負け切って、その会を出ただけである。2002年から、ずっとそのまま黙って負け続けていた。鬼の様に怖かったのは、渡辺幸子さんの方だった。2007年ごろ「貴方に、1999年ごろ、売った曼殊沙華の絵を返して」と、鎌倉駅まで、取りに来た時の彼女の顔も、鬼みたいだった。
 
 でも、彼女が怖がるのは、2002年の、望月画廊での、大騒ぎのいじめの後で、私が、その会を退会したからだった。それが、彼女にとって、汚点になったから、彼女は、私を怖い人だと、言う事になったのだ。スチュワーデス時代に、女性同士のいじめは、盛んにあったであろう。で、ライブで行う、勝ち負け問題は、あっても、わたくしの様にさっと、身を引いてしまう様な解決方法は、幸子さんの辞書には、なかったのだと思う。ともかく、わたくしは渡辺幸子さんと、自分を比較すれば、自分の方が無欲だといえると思う。
 中学時代にすでに、中勘助の提婆達多を読んでいて仏教とは何かと、考え抜いている私である。彼女ほど、欲張りで、画壇(特に公募団体展)での出世を考えていない。
 
 どうして汚点になったかというと、ソファーから私のバッグ類を投げ落としただけではなくて、電話でも、12名の会員のほとんどに、私に関する詳細な悪口を言っておいたから、私が辞めるとなれば、原因は、渡辺幸子さんにあると誰もが判るからである。
 そして、彼女は、時間がたてば、冷静になるだろうし、石塚雅彦さんから、「川崎さんは、文章力があるから、いずれ書くかもしれないよ。穏便にしておいた方がいい」と、忠告をされたりすることもあっただろうと思う。そいわれれば怖くなるだろう。
 私は、実際に書くつもりだった。損失を、その瞬間は、受け止める。ただし、そのまま、ほうっておいたら、わたくしの頭がおかしくなる。物事は、左辺と、右辺をイコールにしておかないといけない。渡辺幸子さんは、その後、CIAに、利用されまくって、出世しまくる。
 
 青木繁大賞展の大賞をとったのも、その、一つであろうし、ICUは、中退なのに、卒業したことにしてもらって、かつ、渡辺真理アナのインタビューを受けていて
 
 
 に出ています。ICU同窓生の中で、塩見和子(日本財団で、クレモナさんの、古・弦楽・楽器を演奏家に貸与する仕事をしている)さんよりも松岡佑子(ハリーポッターの翻訳家にして、出版社社長)よりも先に、登場しています。
 
だから、特に、書いてもよい対象になったし、政治を分析する、一個の、そして、好個の材料になってくれているからだ。それは、ご近所連中の場合と全く同じである』
 
 私が渡辺幸子さんと、自由に電話を交わしていたのは、逗子のアトリエを持って居た時代でした。そのころは、夜も電話が出来ました。ところが、この騒動が起きたころの私は、もう、夜は、鎌倉の家で寝るというせいかつにもどしていました。昼間はサラリーマンと同じ様にアトリエに通って居ましたが、夜は鎌倉へ帰る生活形態に戻していました。背中に激痛が走る病気をしてしまって、それを治癒してくれたのが、東洋医学を学んで、57歳から鍼灸医に転身していた主人だったからです。しかし、鎌倉の家で暮らすと、いろいろな意味で、自由がないのです。この大学同窓会展の最終日の土曜日に銀座に出かける自由がないのです。で、絵は専門業者に、画廊から、5時半に引き取って、鎌倉まで、持って帰ってもらう事をお願いが出来ますが、芳名帳を見ることが出来ません。木曜日が、渡辺幸子さんの、バッグを床に落とされたほどの嫌な思いをしたお当番の日でしたが、その日の午後四時から、土曜日の午後ごじまでの、ほうもん客の署名をみておりません。
 もし公募団体展、国展と女流展に出さなくなると、足抜けをした人として、激しい阻害を受ける筈なので、もう、見てもらえないはずです。だから、上條陽子さんに観てもらうのはこれが最後だと、思って、絶対に、来てもらいたかったし、来てくれているかどうかも知りたかったのでした。
 
 その時より前までは芳名帳のコピーが、全員に配られていたのです。だってね。この会に属してる人はまぁまぁ富裕な人たちばかりです。だから、100枚ぐらいのコピー代など、事務局長さんは、屁とも思っていなかったはずです。または参加費内で、処理できる金額だったでしょう。
 
 ところが、急にそのとしだけ、コピーがもらえないことになったのです。で、土曜日に行かれなかった私は、事務局長さんにでんわをかけて、「一旦郵送で貸していただけませんか?後でお返しいたします」と言うと「だめです」と言われるので、「では、お宅をお訪ねいたしますから、玄関先で見せていただけますか?」というと、「それもだめです」ですって。ともかく私を「悪い人間だ。だから、不親切にしてやろう」と頭から思っていらっしゃるから、どうお願いしても、芳名帳を私が見る事は叶わないのでした。
 
 その時ね、それまでとても親切だった5歳年上の、しかも、その時より前までは、紳士であった事務局長さんがこれほど、不親切になったのは、渡辺幸子さんが、どれだけひどい悪口を、私に関して言いふらしているのかと言うことが、明瞭に分かりました。でね。『ここまできたらもうこの会には参加しないほうがいいな』と私は判断をして、同じ電話で事務局長さんに 「あの、私この会を止めます」と言いました。すると彼はびっくりして「どうして?」と言われるのですが、私の方としては、もうすごく複雑ないきさつがあるわけで、説明をするのはあきらめて、ただ単純に「やめますと、言って電話を切りました。
 私にとっては既に、修復不可能です。一年後ぐらいに次の回が来るわけですが、その時どんな顔して参加します。こうなると、こっちが辞めるか、渡辺幸子さんが辞めるしかないんです。しかし渡辺幸子さんのご主人と、この事務局長さんはたった250人位の同期生(=1957年入学組)として、43年間の長きにわたる友達なのですよ。そうすると、何をどう説明したって、この事務局長さんが幸子さんと私の、今回のごたごたを正しく理解する日は来ないと思いました。ここは私が引くしかない。
 
 幸子さんの方は、新制作を、絶対に、やめないのですから、このだいがく同窓会展なんて、どっちでもいいのです。だけど、私の方は、上野から、撤退するのですから、小さな会であっても、ここが大切です。しかし、こっちが辞めないといけないのでした。それって、私にとっては、悲劇です。その悲劇を演出した人が幸子さんでした。
 しかし、私は内心で、こう考えました。私には文章を書くと言う楽しみがある。そしてそれを紙の本にしようとする目的がある。そっちに集中しようと考えると、負けが負けだけではないんですね。ある意味で、ちょうどよかったということかもしれないのです。
 それにねシューベルトが大好きで、彼の人生を研究している、私です。そこで、わかった事は、天才の活動期間て16年か18年なんです。私ね。1980年に銀座で一回、個展しています。毎日新聞にちゃんと案内を出してもらっています。上條陽子さんと同じ週です。でね。この2002年は1980年の個展から数えると22年目です。しかしその個展は北久里浜に住んでいる時に行っていて、公募団体展とは、関係がない時期でした。
 で、1984年に鎌倉に引っ越してきてからある人の紹介で、1986年から、神奈川女流展に出品することとなり、そこから考えると、100号以上の大作を描く期間として、すでに、16年に到達しているのでした。自分が天才というわけではありませんが、創作をする人として、最も良い作品ができるのは、16年間か、18年間と言うのは、シューベルトに限らず、他の天才作曲家を見ても当たっていると思われます。そうか、じゃあここで、文章の方へ移転をしようと考えたのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
副題6、『ここで、熊沢淑さんが、登場するのだなあ。いろいろ、ごっちゃまぜだけど、人間の心の不思議を書くためには仕方がないのだ』
 
 「大学同窓会って素人の会だから、渡辺幸子さんにとっては、(自分の新制作の会員になりたいと言う希望には全く役に立たない展覧会だから)、小さくて、しかも鎌倉で発表したのを持ち込むつもりなのよ」と、安心し信頼して私に語っていたら、なんと川崎千恵子はそれを裏切ってプロ向けの作品=国展または女流展に出すような100号の抽象画=を出してきたなんて、ひどい女なのよ・・・・・というのが渡辺幸子さんの2002年の2月の考え方だったでしょう。私は同じ日にお当番をしに現れた、彼女にさんざん怒鳴られた上に、自分が平型のソファー=肘掛けとか背もたれがない形のソファーの上に置いていった荷物を、ぴょんと音を立てて床に落とされたのです。
 その時ものすごくびっくりしてね。初めて、渡辺幸子さんが嫉妬のあまり、ヒステリー起こしてることを、理解したのですよ。それから後がまたあるの。私はね。2002年にはもう鎌倉の家へ帰っていました。それでね。外出がままならないのです。鎌倉の家族は束縛が厳しくてね。外出がままならない。それで土曜日は最終日ですが、餌を運ぶ専門の業者さんに持って帰ってもらう。まぁお金を出すわけですが、薬餌を運ぶ専門の業者さんに持って帰ってもらうように頼んだだけで、土曜日には画廊に行きませんでした。そうするとグループ全体で1冊だけある芳名帳を見ていないわけです。途中までは見たわけですが、最後までは見ていない。そうすると私が自分の100号の絵を見てもらいたかったが、大切な人たちに、見てもらったかどうかがわからないわけです。
 
 それでね。上の方では、上條陽子さんの名前を挙げています。
 しかし、礫というグループの人にも、見てもらいたいという願いがありました。そこの指導者は小関利雄先生と言い、元横浜国大教授でした。つまり、田澤茂先生とは非常にカラーが違うのです。そこは新制作に作品を出す人たちの集まりですが、一人が既に新制作の会員で一人が協友でした。25年以上前のことです。ほとんどが絵を描く人達です。だけど作家ではない人が一人だけ居ました。高橋裕子さんと言って、のちに学習院の教授になり、サントリー学芸賞を受賞する人です。上智大学出身。
 
@@@@@@ここが、推敲中の最先端です。
 
 後の人はみんな神奈川女流展と言うところに出品していました。それで私も神奈川女流展に出品することになりました。しかし、私は小関先生に、出品作を見てもらっていません。私は小関先生がお出しになった課題を、次の回までに8号とか10号の油絵で描いて持っていっていろいろ先生と検討しあいましたが、他の人は神奈川女流展に出す予定の作を木枠からから剥がして丸めて持ってきて、先生にいちいち、ここをこうしたらいい、ああしたらいいって言うご指導を仰いだうえで、それを指導通りに直してから神奈川女流、に出品していました。
 ここですが田沢先生と、渡辺幸子さんとの関係を考えると、その指導量が全く違うのです。小関先生は、ほんのちょっとを、特に、画家に考えさせる風におっしゃる。しかし、田沢先生は、朝令暮改で、新制作に出品する前に、四回ぐらい方針を変えて、指導をされるそうです。それじゃあ、本当に主体性が無くなってしまう。小関先生の方は、一回だけだったと思いますよ。そして、非常にシンプルで、画家本人を生かす方向で、指導をなさっておられました。
 私は小関先生を尊敬していますけれど、絵の描き方について誰かに指導受けるなんて言う事は、ちょっと考えられないんですよ。それがまぁ2代目であるって言うことの証拠ですね。ここで、私が二代目の画家であると言う部分の説明が飛んでしまって居ます。初稿をスマホの音声入力でして、誤変換だらけの、ママにしておいた間に、そうなったのです。どうしてそうなるかと言うと、父が絵に関して高い評価を貰って居たことを書いてある新聞記事の切り抜きが11枚も盗まれて居て、国会図書館からも、マイクロフィルム化を理由に、満州の新聞は、文化面だけ、マイクロフィルム化されていなかったのです。その上、メルマガか、ブログで、それを書くと、マイクロフィルムそのものが劣化したとのことで、私は父の業績を復活できませんでした。非常にオーソドックスな油絵で、中国の遺跡を描いていたのです。そして、ラストエンペラーの宮殿やら、満映理事長甘粕(旧・大尉の部屋)などを飾っていたのでした。本職は石油が専門の技師です。それが、休日に、暁の超特急に乗って、北京他に出かけていたのでした。それ等の切り抜きを盗んだのが、今私を苦しめて居る敵だから‥・・・このことを一般の人へ知らせてもらっては困ると、言うわけです。で、元へ戻ります。
  1代目の人はね、絵画界の状況がよくわからないし、自分が出品をして落選したら、はじをかいてしまうでしょ。それは嫌だから、小関利雄先生に事前に判断してもらって『これなら大丈夫ですね』って言う言葉に出さないお言葉をもらって、安心して出品する。そういう作業を経て出していました。だけど私にしてみるとね。ほんとにね、それって、おかしい。となります。立派な方であっても、先生に指導を受けて、こうしなさいと言われた上で出品するなんて、ほんとおかしいというのが、私の考えです。だから神奈川女流展に出品をする際に、事前に、小関先生に批評をしていただいた事はありません。
  しかし、そのグループを退出することになりました。私は実は同じグループの中の事務局長役・熊澤としさんと とんでもない問題でトラブルが発生したのでした。先生の生徒として、あまりに、会話のピントが合ってしまったので、先生と愛人関係に成ろうとしていると、疑われてしまったのです。全然違うのにと、残念至極な事でした。
 熊沢さんこそ、先生との、恋愛で、ご自分も離婚に至ったし、先生をも、離婚に至らせた人なのですよ。ただね、どうして、今こう言う事を書くかと言うと これも渡辺幸子さんの嫉妬と誤解による暴力の発露と構造が全く同じだからです。ただ、熊沢さんは、隠々滅々たる表現で、一年間にわたって続いたのですが、それに、比較すると、渡辺幸子さんは、すこぶる明快な、表現という違いはありました。ただ、渡辺幸子さんの方が強烈です。非常に強烈です。笑っちゃうほど、いじめ方が強烈です。スチュワーデスの世界って、そうなのでしょう。きっと。
  私はね、小関先生との間に恋愛関係を持ち込もうなんて、これっぽっちも思って居ないのです。しかし、そのグループで質疑応答するのは、高橋裕子さんと私だけです。彼女は学者の卵で絵描きでは無い。
  私はねそんな事は狙ってないんです。しかしね。まぁこの時(=1986年)から12年後に日笠雅水さんという有名な女性に手相を見てもらって、私が実は瀬戸内寂聴さん風タイプの・・・・水も滴るいい女だったっていうことがわかってね。それで、誤解をされたのかなあと、思います。
 唯ね。本日も歌舞伎座に行ったら、エレベーター内に鏡があるのです。それを見ると、今の私は、背中が曲がっていてね。母に「あんたは(女としては)大丈夫。別に卑下することもないし、負ける筈もない。だって色が白いから」と、言われていた若いころとは、雲泥の差です。顔には、シミが出来ていてね。・・・・・上の様な文章を書いて居る自分が、鏡を見ているうちに、おかしくなって、笑っちゃいます。が、1980年代は、熊沢淑さんに、員隠滅滅たるいじめを受ける。それは、小関先生の取り合いで、というのは、本当に、そうだったのですよ。
 
 小関先生とは、ただ、ただ、絵または、美術に関する会話をして居るだけであって、先生が出した課題を次の回まで8号とか6号の油絵小品で、実践してくる。それだけのお勉強の関係だと思っているのですが、他の人とは、会話の目的が違うので、早めに行って、先生との会話を楽しんでいました。それがね。熊沢淑さんにはね。いやな感じだと、受け取られたらしいのです。
 ご自分が先生を離婚させた方なのです。それでもね。先生と同居をされているわけではない。先生がご高齢だから、先生のお暮らしはお寺の保護のもとに、行われているんですね。ああ、ここが中勘助に似ているところです。中勘助も、全国のいろいろなお寺で、文章を書きながら、暮らしてきた人です。
 小関先生を引き取ったお寺さんは、横浜国立大学で、先生の学生だった方が、奥様だから、先生を引き取ったのでした。先生の、ためにプレハブだけど、一戸を建ててあげて、「そこに寝てください。ご飯は母屋で皆さんと一緒に食べましょう。お風呂も母屋をお使いください。トイレも母屋をお使いください。そしてアトリエとしてはお寺が経営している幼稚園の教室を、お子さん方が帰った後、またはお休みの日に朝からお使い下さいませ。広いです」と言うふうに
 先生に、おっしゃっていたと、感じます。だけど、先生が離婚なさる頃ね。何かがあった可能性は高いんです。プラトニックラブなのだと思いますね。だけど、プラトニックラブだからこそ、熊沢さんの先生を自分以外の、他人に取られたくないって言うね。すさまじい執念を感じました。ボディーランゲージです。ボディーランゲージで感じました。私ね。これが1986年か7年頃の話として、その後1999年と2000年にニューヨークに行って日本人女性にいじめられます。その時戦ってね、簡単に勝っちゃった。言葉だけで勝てるんですよ。どうして勝てるかと言うとね。みんな自分のこと知らないんですね。だから、「あなたはこうこうで、私はこうこうです」と状況を、私の目から見てですが、説明すると、突然けんか相手が覚醒するのです。それで、勝つのです。こっちが値。ただ、恐るべき人もいて、復讐されたりもするんですけれども、ともかく私の目の前から消えるんですよ。だからまぁ一応、勝ったって言うことなんでしょう。
 でも私のほうは期限があって、日本へ帰るわけですから、相手は、私が日本へ帰ったら、『こっちの物さ』いんだよと思ってるわけでしょうから、実際には勝ったか負けたかわからないんです。けれども、ともかく私が冷静に状況説明するともうびっくりしちゃうみたいですね。それだけみんな、ものを考えてないんですね。私は考えることが大好き。だから何が起こっても、深く考えます。そしてね、相手の態度が理不尽で、悔しいと、もし思うのだったら、必ず将来文章で書こうと固く決意してます。
 それはね不合理なこととか、不条理なことを許したくないのね。だけど、相手と喧嘩したり、相手と戦ってもね、何の実もないですよ。非常に無駄なのですよ。だからたいていの場合は、負けると言う形を取っておいたほうが楽なんです。
 そして将来その悔しさは文章に書く。読ませる相手は神様ですよ。この世にはね。超えられないものもある。でも超えられないものの、その壁のさらに上にいらっしゃるのが神様だと、信じています。その方に聞いていただくために文章を書く。
 本当はね熊沢淑さんなんて言う実名を書かなくてもいいんですよ。
 だけど私は熊沢さんからではなくて、他の方面から命を狙われていますからね。
 その被害を取り戻す時に、弁護士さんが相手側にすでに、篭絡をされていて、頼めなくなったのです。
 1977年に助けていただいた栗原弁護士は亡くなっているし、そのご長男も弁護士だったんですけど亡くなっているし、おcyだいふぞく高校の同期生だった青山敦子弁護士には断られているし、「彼女は敵がCIAでは、大きすぎるので、引き受けるのは嫌だなっ」ておっしゃいました。中学の同期生である方の奥様、これも東大卒である弁護士にも断られています。そしてね、世の中には冤罪・逮捕にしっかりと戦う弁護士もいらっしゃいます。なりすまし疑惑の片山雄すけ事件の時に有名な弘中惇一郎弁護士が乗り出してくださったのですが、途中であきらめてしまってらっしゃるのね。
 何かが、裏であったのでしょう。有名なあの方も諦めて、片山雄介くん、は、有罪になりました。弁護士も個人事業主なのだと、考えると、もう、弁護士にはだれも期待できません。
 だから自分1人で戦うつもりです。となるとね。あらゆる現象を見つめて、記録しておかないとならないのです。だから熊沢淑さんの「小関先生は、自分のものだから、あなたは、出しゃばらないで」、と言う激しい激しいボディーラングにねも、ばかじゃないから気が付きます。そして、次の様に考えました。私って、すごく良いものに出会っているんだけれども、継続しないなあと。でもいいんです。凄く良いものに次から次へと 出会っている。でもね、それを書くとその人が裏切ってくるから、もう、どんな人のことも書きません。最近のは特にね。だから、今渡辺幸子さんは、熊沢淑さんのことを書いて居るのです。(苦笑)
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副題7、『熊沢淑さんと、小関先生の本当の関係を、私は当時から、読み取っていた。小関先生と、離婚した奥様との本当の関係・・・実は小関先生は、それを回復することを願っておられたが、奥様は、すでに亡くなっていた。それを、考えたからこそ、林真理子の【奇跡】を、全く美しくない、ものがたりとして、読んだ。特に、田原氏は、博子さんとの再婚を後悔していた筈だと、言う風に読み解いた。したがって、奇跡でも何でもない。ただ、ただ、勝気な博子さんの成功譚を聞かせられているだけだ。だが、彼女は成功したつもりの結婚も、実は相手が、ひそかに公開をしていたと考える私は、二人の関係は、美しくは、ない単純な不倫であり、読後感は、非常に悪かったと、言っておこう。ただ、林真理子は、公的巳は、自分を死んだことにしているが、実際には、生きていて、日本の帝王を自負しているであろう井上ひさしのお気に入りだから、マスメディアからの批判はない。林真理子を持ち上げるために日大は、アメフト問題を起こされて、大損な被害を被っている。大麻問題も林真理子を持ち上げるために使われた話である』
 
 熊沢淑さんが、私に対して、異様な嫉妬心を示したのは、実は、小関先生との関係が、確たるものではなかったからでしょう。二人とも、離婚になったのです。熊沢さんの方は、収入の有る女性特有の、自立と自由が欲しいという理由であり、夫たるひとも熊沢さんに、魅力を感じていなかったので、簡単に離婚に踏み切ったのだと、推察しています。熊沢さんは、新制作展に、150号程度の大きな作品を毎年出品していました。会員だと、一点だけ制作すればいいのです。非常に上品なものです。洋服でいうグレージュから、肌色へかけての、中間色と、しろを用いて、凹凸がある画面に作り上げていました。(私が上野の公募団体展を、ほぼ、一年間、めぼしいものをすべて見ていたころに話ですよ。
 
 湘南地方では、裕福なことで、有名な一族のお嬢様として生まれた方です。造り酒屋で、書店(チェーン形式)も経営している一族ではないかな。だが、戦時中、男が戦争に駆り出されて、日本の中から、居なくなっていて、女性も職場に進出するという形が出来たころ、北久里浜の大大、実質的詐欺事件の主役の一人である益山智恵子さんの方は、高女卒業後、都立大学で、土木建築学科を学んだのです。が、淑さんの方は、代用教員となりました。その後、教育者として、どんどん、出世していった方です。その過程で、代用教員とは、戦時中には、旧制・高女出身者でもなることが出来る時期があったので、熊沢さんは、もし、高女または、その後の専科(今でいう短大)卒だったとしたら、教育者として、ご自分が、不安です。特に後輩に、四年制大学を卒業した、先生が、入ってくるとなると、余計不安です。で、所謂・国内研修で、横浜国立大学に、入学したのではないかなあ? 30代か、40代でね。それが、その後、熊沢さんが、藤沢市内の、教育界で、出世していく、糸口になったのでしょう。ただ、単純にそれだけではないです。彼女は、やはり勝ち気であり、どんなソサイエティでも、その中では、上でないと、気が済まない人なのです。  
 で、国内留学時に、小関先生と出会い、先生に、惚れに惚れてしまったと、言うわけでしょう。それは、渡辺幸子さんが、夜10時でも絵筆を動かしていて、よくご主人が機嫌が悪くならないなあと、私は、不思議でしたが、ほぼ、ご主人なんか、ほったらかしで、田沢先生に入れ込んでいたのと、似ています。
 で、横浜国立大学の講義以外でも、先生に、お手紙を出したり、電話をかけたり、新制作に応募する前に、自宅に来てもらって、作品を見てもらったりしたのではないかなあ? でね、敏感な奥様が疑惑を持ってしまった。もし、小関先生が、熊沢淑さんと、ベッドインして居たら、奥様との離婚とか、奥様の嫉妬心をあれほど、講義の最中にお話になることはなかったでしょう。だって自分の方に負い目があったら、妻に、怒られても仕方がないわけで、それを、80歳を超えた、ご自分が、弟子たちの前で、二時間から、三時間の講義ちゅうに、ほぼ、二分の一か三分の一の時間を使って、お話になることはなかったと思います。
 ただね。小関先生の奥様物語は、単なる愚痴として、おっしゃっているわけではないのですよ。人間の正しい在り方とは、どうなのだと、教える一つの例として、嫉妬に狂うのは良くないよと、教えるつもりで、例として、奥様との関係をおっしゃるのです。
 ではね、熊沢淑さんが、なぜ、小関先生との関係を再婚へもっていかなかったかですが、二人が、他者から、見られている関係であるからでしょう。教育界でも、二人は、湘南地方では有名人だったし、新制作でも、会員同士で、しかも神奈川県の会員でございますと、なると、ほかの会員から、常にみられている関係となるわけです。そうすると小関先生の方は柔軟ですが、熊沢さんの方は固いです。職業上、それが、必要だったからでしょうが(校長先生たちより上の教育委員会続愛で下)メガネをかけて、にこりともしない風情です。
 熊沢さんがかわいらしいなあと、思った、唯一の思い出としては、コンビニのおにぎりの海苔が、パリパリで、食べられる、その包装の技術について、他のメンバーと、「すごい工夫よね」と話していたのを、思い出します。今から35年は、前ですからね。それが、初めて発明をされたころだったでしょう。でも、それ以外は、固いです。
 小関先生の方は、人間の理想の在り方を解く方だったし、ご自分も実践をされていたから、すべての人に対して優しいのです。このグループのメンバーすべてにやさしいのです。しかし、私は目だち過ぎてしまいました。
 私は北久里浜における、実質的大詐欺事件で、CIAの大物瀬島龍三を破って、引っ越してきた人間です。また、瀬島と、親友であるという、益山重夫・元海軍参謀をも、破ってきた人間です。しかも一流の弁護士さんから、「あなたは、被害者像の典型だと思っていたが、実際は違うだね。非常に頭もいいし、文章も書けるんだ」と言われてきています。
 被害者像の典型という語彙は弁護士さん用語であって、平たく言うと、負け犬の典型となります。でね、それが外見だけで、内面は違うと言うのが、私の本当の姿です。
 しかし、権威が大好きで、自分も権威の衣装をまとっている熊沢淑さんにとっては、肩書が専業主婦でしかない私が、小関先生と対等に質疑応答をするのは許せなかったのでしょう。高橋裕子さんの方はすでに、助教授にはなっていたのかもしれません。だから許せる。しかし、私の方は許せない。
 私は、場所を選びます。雪の下二丁目のご近所様には、気を許していません。だけど、礫のお仲間には、気を許していました。同じ目的で集まっている人たちである。一応大卒である。あの年齢で大卒であると言う事は育ちもいい≒経済的に富裕な家で育ったと言う事で、そこも何を話しても安心できるという気分もありました。だから、私は自分を全開していたのです。それが下克上に見えたのでしょう。実際問題として、私は、色彩感覚が優れていました。新制作の会員で、色彩感覚が抜群なのは佐野ぬいさんです。
 私が上野で、見ていたころの熊沢さんは、一色と白しか使っていませんでした。これは、破綻を見せない組み合わせです。だけど、もし、彼女が佐野ぬいさんに、(ひそかにですが)『勝てないなあ』と考えて居たと仮定すると、同じ側面で、私に対して、イライラすると、言う事はあったでしょう。
 私は一回目から、熊沢淑さんが、私に対して意識している事には気が付いていました。でもね、一年間頑張ったのは、小関先生の、お気持ちが、熊沢さんを特別視していないと言う事に気が付いたからです。熊沢さんは、どこでも、トップとして、牛耳るのが好きだから、この会でも、事務局長の役割を果たしていて、小関先生と、電話で、連絡をすることも多いでしょう。しかし、小関先生の方では、他の弟子たちと、全く同じ扱いなのです。同じレベルのアガペーを注いでおられます。
 もし、熊沢さんが、「こうである」と信じているほど、二人の間に、特別な愛情関係が有ったら、小関先生が、奥様の話を講義の最中になさる筈はないのです。だって、小関先生の奥様物語というのは、奥様の誤解が残念だと、言う点に到達するのでした。単純に聴くと、・・・・・玄関に置いてあった、大きな壺=花活けを壊した・・・・・というエピソードなど、奥様が、聞いたら激怒しそうな話です。で、奥様に復讐なさっているとも考えられます。しかし、本当のところは違うのです。先生は、すでに、亡くなってしまった奥様を懐かしがっておられるのです。あなたは、なぜ、あんなにぎすぎすしたのですか? 僕には、何の原因もありません。あなたが、過剰に、神経をとがらせて、勝手に、暗闇に落ち込んだのです。それは、いけない。もっと、鷹揚で、大きくならないといけない・・・・・と、おっしゃっているのです。
 
 それを、熟知していた私は、林真理子の奇跡を読んだときに、この本は、大きな間違いを犯していると、考えたのです。田原桂一氏は、ビジネスパートナーとしては、博子さんを、重要視した時期もあったでしょう。外国では、二人連れで、行動をするのが普通らしいので、美人の妻と、一緒に行動するのは、得です。しかし、2016年ごろから、死ぬまでの、一年間ぐらい、後悔して居たと負います。特に夜二人っきりで過ごす時間が地獄の苦しみだったと思います。
あの書物を読んだとたんに、それが判って、林真理子の観察眼を疑いました。紘子さんというのは成果主義であり、勝気であり、せわしない人なのです。傍に、一緒にいて、安心感が与えられるタイプではない。それに、何よりも驚いたことは、博子さんとは、愛情がなんであるかを知らない女性だったと言う事でしょう。
 
 結局のところ、田原博子さんには、お金を儲ける手段が残っただけです。林真理子に奇跡を書かせて、田原氏の人気が長く続くように努力したと言う事でしょうが、奇跡を読んだ人は、田原氏と、その糟糠の妻の二人が、一種の遠隔操作によって、博子さんに殺されたと考えるので、博子さんが窓口になっている限り、田原氏の人気が燃え上がることはないでしょう。フランスでも、前夫人の力が大きかったと思いますよ。博子さんの力だけで、欧米での販路を開拓できるかなあ?
 
 そして、博子さんは、この一作で、林真理子の、威勢をも止めたと思います。王さまは裸です。王様の耳はロバの耳です。の、童話(または、寓話)の王さまの部分に林真理子を当てはめると、ぴったりですね。林真理子は、名門出身のエンジニア、というご主人をお見合いで得たことと、子供を青山学院の幼稚園に入れた事で、ちょっと、感覚が狂ったと思います。文章とは、(特に紙の本とは)、大衆を相手にするものでしょう。【奇跡】は、大衆の感覚とは、大きくずれています。
 この奇跡は、林真理子の、作家としての息の根を止める書物となるかもしれない。驕る平家は久しからずを、生きている林真理子に、見ることになるかもしれませんよ。注目しましょう。まあ、日大理事長という逃げ場を作ってもらったので、彼女本人としては、自分は、超一流の女性なのだと、言う自負心を失わないで、済むとは思いますが。
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振り込みができない、10日時点で140万件11日時点で506万件ですって・・・・これも、典型的に私狙いのニュースです

2023-10-10 22:19:51 | 政治
副題1、『この・・・・・全銀協に属する銀行間で、振り込みができないというシステム障害が起きている・・・・・とは、また、また、わたくし狙いの謀略ですよ。今から、それを証明していきます」
 
さて、渡辺幸子さんとのことを今、丁寧に書いています。しかし、それを妨害しようとして、また新たな、嘘ニュースができました。 今回のニュースでのウソという部分は、10日には、140万件の障害が起きたといっていたNHKが、11日には、10日に、150万件で、と、10万、かずがふえていると、いう様な部分です。
 それから、NHKニュースをコピペし¥ようとすると、「三十何万字になっているから、三万字とういう制限を超えているので、公開ができない」とgoo blog 側が、いいます。でも、NHKニュース・・一本・・をコピペして、それが30万字になるはずがないです。で、それも圧倒的に、嘘だから、その・・・・・ご注意を示している文章を、写真にとって、皆様に、紹介をしようとすると・・・・・すぐ、それは、困ると思ったのでしょうね。ふつうの字数になりました。
 30何万字というのは、わたくしには見えない形で、NHKニュースのすべての項目を、ここへ入れ込んだらしいのです。もし、わたくしが、その30何万字という写真をここに公開すると、すぐまた、どこかのメディアが、それを修正する出来事を発表するはずです。そういう裏作業を、秘匿された行動として、ハッカーたち(=桜田門に飼われているシステムエンジニア)がやると、そういう莫大に大きな字数になって、私が、ブログを書けなくなる模様です。
 それとね。私は、このNHKニュースのコピペ部分ではなくて、自分の考えを書いている部分を、シンプルな形式で、書きたいのです。シンプルに、黒の細いフォントで、書きたいのです。で、アンダーラインも取り去りたいのです。だが、敵さんは、そういう目的を知っていて、やらせないという主義です。ずっと、薄いブルーで、印字されていました。が、今書き始めてから、20分経って、後ろの方から、直していって、やっと、フォントの色が黒になりました。
👉 👉 👉
 
 ここなのです。ここが非常に重要です。というのも全銀協の発表では、140万通ふりこみができなかったのだが、そのうち、100万通は、別のルート=別の手段で、解決し、すでに、送金済みだと、いいました。
 実は、2005年ごろから、ノートパソコンに種々様々な異常が発生し、書くことが不自由になりました。どうしてそうなったかというと、私が【主婦が個展をする。しかもニューヨークで】と、【れすとらん・ろしなんて・・・・・鎌倉で美についてかんがえる】の二冊を出版し、それが、読んだ方々の大評判をとったからです。
:::::::::ただし、読者の方が、「え、そんな本は知らないよ」とおっしゃるのも無理はないのです。私は、この二冊を400部しか出版していないのです。ただし、アーチストが20分ぐらい手作りする、本とは異なっていて、工業生産品としての本です。
左は、二冊目で、軽装ながら、凝りに凝った作りになっています。右は三冊目で、カバーなしのハードカバーです。後で大評判をとった、五冊目=アマゾンで、10年以上、一万円以上でとりひきをされていた・・・・・美術関係者が、面白いよと、評判をたててくださったからだ。
 
下は六冊目、軽装なカバー仕立てです。
 さて、その様に、大評判をとる書物を、次から次へと、出版するから、弾圧を激しく受けるわけです。なぜかというと、現在の日本では、本当に頭がよくて自主独立した人は、生かしておくのはだめだという、CIAの大方針があるからです。でも、表向きはですね。日本は独立国で、民主主義国家で、言論の自由が保障をされているはずですね。そこを信じて、できることを、毎日少しずつ、達成している私ですが、実は、1965年にすでに、ベイカーさんという美形のアメリカ人に、ただ、眉をひそめただけで、頭の良いことを見つけられてしまって、一度殺されかけています。後ろから首を絞められてね。だけど、アメリカ人で、イエール大学の学生ベイカーさんが、どうして、三鷹警察署の所長と親しいのですか? 彼は、非常なおっちょこちょいであり、わたくしは慎重です。疑問に思うが、言葉には出さず、ただ、眉をひそめただけです。
 CIAエージェントというのは、今回の振り込みができない問題にしても、二日間で、506万件ですって。数を増やせば、わたくしが何を言っても、抑え込むことができると考えているのです。あほらしい。本当におっちょこちょいでかるいです。そういう人に踊らされて記者会見に臨んだ、全銀協の人の写真がしたにでてきます。嘘ニュースに協力した人たちが顔写真込みで、ここに記録されたわけです。::::::::::
 
 さて、挿入から元へ戻ります。その記者会見中、特に10日の際には、全銀協の人は、こういいましたね。別の方法で、100万件は処理しました。と。
 そこなのです。このニュースが私狙いだと、言うわけは。私は、すでに、47台以上のパソコンを壊されています。それが、破壊につながる前に、毎晩、毎晩、50回以上のシステム異常を起こされます。でね。仕事がすすみません。それが、2007年ごろから圧倒的な頻度で、起きます。でね。どうするかですが、まっとうな方法で、直すことはできません。だって、私は、電通大をでているわけでもないし、鎌田あたりにある電子専門学校を出たわけでもありません。だから、全く別の方法で、そのいじめを突破して、仕事を進めます。それがどういう方法かは、NHKニュース内でも全銀協の人は明らかにはしませんでした。私も、数種類持って居るが、秘匿をしたいです。唯ね。もっとも初期に取った方法は、自宅以外で、仕事をすると、言う事です。でね。最初は図書館等で、やっていました。ところが充電器を差し込むコンセントが、軒並み閉じられたのです。ケンタッキーフライドチキンさえ、今は、その提供がないですよね。
 まあ、今のリチウム電池は、時間が長いです。それで、電源用コンセントが無くても大丈夫になりました。が、ともかく、自宅で、仕事が出来ない、私をいじめるために、全、東京都の図書館は、コンセントをふさいだのです。猪瀬副知事と、石原都知事の時代です。二人は物書きの筈ですが、なんで、こういうCIAからの命令に従うのでしょうね。石原都知事なんて、右翼的言動の人で、CIAは、嫌いなはずですが、図書館のコンセントにガムテープを張るのを推奨している存在です。
 最近都立、または、東京の区内図書館を利用していませんが、もし、コンセントに、引き続き、ガムテープが張られて居たら、小池都知事も、100%CIAの言う事を聞いている存在です。
 代々木と江戸川公園の樹木、1500本の伐採は、妹が他殺であると、言う私のブログを否定するために行われる措置で、狙いは、えどかわくの公園の方の、樹木伐採です。それが、わからない様にするための、代々木公園のじゅもくばっ歳です。
 さて、この振り込みが出来ない事件は、私が、常々、しかもありとあらゆる場所で、いろいろな人を相手にして、言っている事・・・・・パソコンが壊されても、別の方法で、突破して、仕事をするのよ・・・・・・と、言って居るのをからかってきているわけです。
 
で、夜10時に戻ってきました。
 
 
間にたくさんの加筆をしました。しかし、上の👉の、本日の妨害について書いて居るところに戻ります。
 
が、わたくしの、本当の目的は、こういう謀略を計画した連中について、書くところだけを、太いフォントで、しかもカラー化したいのです。それが妨害され切っています。と言うことは、この案件について、わたくしにものを書かれると、困ると、言うこと・・・・・を、彼ら側が、自ら白状しています。本当に笑っちゃうほど、幼稚です。誰だ、ほんとのアイデアマン=源泉者は?
 実はわかっちゃったのですよ。まだ、本当は生きている井上ひさしでした。実は彼しか、このブログにコメントをくれる人はいないのです。この一文が問題なので、別のところ=レイシズムについて書いて居る、講談社編集次長のMr朴鍾顕やり直し裁判の、ところにコメントを寄せています。彼の文章の書き方には、大きな特徴があって、すぐわかります。で、こっちの大騒ぎのアイデアも彼が案出したものでしょう。その文章は、井上ひさしにとって、相当に痛かったのでしょう。で、ずっと気にしていたのでしょうが、本日になって、この文章について、彼がアイデアを出したので、「失敗した」と思って、私を強くけん制するために、いじめる為の文章を寄せています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
副題3、『嘘の中で、最大の部分は、まず数です。10日の時点で、140件の振り込みができなかったと、言いました。が、次の日には、105万件で、前の日が、150万件だったので、併せて、255万件ですって・・・・・こういう風に、数を増やしていくのは、わたくし狙いの、事件である際に、わたくしが、真相に気が付いたとたんに、大げさにしていくのです。
 
それは、やまゆり園事件の時に、見事にも実証をされました。あれはね。措置入院という語彙を、全国的に広めるのが、主な狙いです。そして、わたくしが深夜型なので、わたくしが、このニュースに気が付かないでいるうちに、その本当の目的を達成させるはずでした。
 
 ところがその日に限って、朝五時からNHKニュースを見ていて、すぐ真相を分析して書き始めました。で、発案者たちは慌てまくって、47人もの、死傷者が、出たことにしたのですよ。植松聖は、午前にやまゆり園に入り、三時には出ています。そして、四時には、警察署に、自首しに行っています。一時間に47人もの人を殺傷するのは無理です。私は、実際には、やったことがないけれど、一人にナイフをグサッとさして、次の部屋に移動をする際に、どうしても、5分はかかるでしょう。そうなると、5分かける47人ですから、235分=ほぼ四時間となります。警察へ行った時刻や、監視カメラの前で、車に戻って来た時刻と合わないです。
 
 だから、10日に、140万件だったものが、11日に506万件になっているというだけで、これまた、鎌倉エージェントが、大げさにした例なのです。
 どうして、こういう嘘事件を起こしたかというと、
 
 私が2023年10月4日、みずほ証券、横浜西口支店の、溝田茜さんと、午後3時10~50ぷんまで交わした電話、
 次の日の、2023-10-5の、午前10時40分に同じ会社の新人と交わした電話、
 その日の午後、一時半から、溝田さんの上司と交わした電話、
 
 2020-10-7(土曜日)
   12時半から、2時まで、NHKふれあい広場の人と交わした電話=Ms にしの + Mr ふじた・・・・の四本が、その後の、ブログの書きようによっては、悪の源泉にたどり着ける電話だったのです。
 NHKの方は、金曜日の夜九時からという、プライムタイムに放映をした、芸能きわみ堂が、なぜか、NHK + の配信から漏れていて後日見たいと思っても、見られないのでした。それは、なぜか?という問題で、問い合わせたのです。
 みずほ証券の方は、戸部警察署の、生活安全課の課長の指示通り動いていませんか?という問題でした。両方ともに、回答が来るまでに、待たされる時間があって、その間、敵さん達が、準備をしたらしくて、原案者にはたどり着けませんでした。
 しかし、上に赤い字で、書いて居る通り、井上ひさしからコメントが来ているので、彼は、こちらの案件もアイデアの提供者だと思います。
 赤旗の常連で、同じく常連だった、小林カツ代さんをひいきにしていた、井上ひさしは、経済界にも魔手を伸ばして、あれこれ、言う事を聞かせているのです。まあ、これが、現代日本の大矛盾店です。左翼の代表が経済界に魔手を伸ばし、全銀協の働き手がNHKカメラの前で、謝罪の記者会見をすると、言う、・・・・・この大矛盾が現在日本の真実です。
 溝田さんと、私とのやり取りが、貸すとまーハラスメントなどと言う事にされたら大変なので、いつか丁寧に、アン絵権を記します。渡辺幸子さんの件など、202~2007年までの間のことを今、書いて居るわけなので、2023年の事を急ぐ必要はないのです。
 
もんだいでした。
 
 私ね、今のところ、あまりにも忙しいことがあるので、このまま、展開しないで、終わりますが、いつか暇ができたら、この三件を詳細に分析する日もあるだろうと、思っています。本日ではないですが。では、
 
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2023-10-11の段階のニュース 
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全銀ネットのシステム障害 復旧は“あす午前8時半を目指す”   金融

金融機関どうしの資金のやり取りを担うシステムに不具合が発生し、10日に続いて11日も11の金融機関で振り込みが遅れるなどの影響が出ています。システムを運営する団体によりますと、処理が遅れた取り引きはこれまでに500万件を超えているということで、システムの復旧の見通しについて「あすコアタイムの午前8時半を目指します」としています。
一方、ゆうちょ銀行でもシステム障害が起きてスマートフォン上で送金などを行うアプリが利用できない状態が続いていましたが、全面的に復旧しました。

システムの不具合の影響を受けているのは、
▽三菱UFJ銀行   ▽りそな銀行   ▽埼玉りそな銀行    ▽関西みらい銀行  ▽山口銀行  ▽北九州銀行  ▽三菱UFJ信託銀行  ▽日本カストディ銀行 ▽JPモルガン・チェース銀行  ▽もみじ銀行  ▽商工中金=商工組合中央金庫の11の金融機関です。
システムを運営する一般社団法人の全銀ネット=「全国銀行資金決済ネットワーク」は11日夜、記者会見し、11日までに処理が遅れた取り引きの件数は、
▽影響を受けた11の金融機関から他の金融機関宛ての振り込みが255万件、
▽他の金融機関から11の金融機関への振り込みが251万件であわせて506万件にのぼるとしています。
また、振り込みを受け付けているものの決済できていない件数が11日夕方の時点で87万件にのぼっていて、今後も通常より振り込みが遅れる可能性があるとしています。

全銀ネットの辻理事長が陳謝 12日朝の復旧目指す 

全銀ネットの辻松雄理事長はオンラインの会見で「昨日本日にかけて全銀ネットにおける振り込みができなかったことで多大なご迷惑をおかけしていることにおわび申し上げます」と陳謝しました。復旧に時間がかかれば給与や家賃、仕送りや月謝などの振り込みや中小企業の送金などが遅れるなど影響がさらに広がる可能性もありますが、全銀ネットは、日中に稼働するシステムに切り替わる11日午前8時半の復旧を目指すとしています。

原因は中継コンピューターの問題か サイバー攻撃は否定

今回の不具合の原因について全銀ネットは、中継コンピューターに整備されている取り引きにかかる費用をチェックする機能に問題があった可能性があるとしていて、サイバー攻撃の影響ではないとしています。

金融庁「一刻も早いシステムの復旧を」 

金融庁は、システムを運営する全銀ネットと影響を受けた金融機関に対して聞き取りを行うなどして状況の確認を進めています。
その上で全銀ネットに対して一刻も早いシステムの復旧を求めるとともに、影響を受けた金融機関には、利用者に不利益が及ばないよう柔軟な対応をとるなど、顧客対応に万全を期すよう求めています。

注目

利用者の不利益への対応は?「二重振り込み」に注意

システムの不具合で影響を受けた利用者に対する金融機関の対応です。
三菱UFJ銀行は、システム不具合の影響で顧客が本来より多く振込手数料を支払った場合は差額を銀行が負担するとしています。
例えば、他行への振り込みができなくなったことでやむをえず別の銀行で振り込みを行ったときに、支払った手数料が三菱UFJ銀行から振り込むときにかかる手数料より高かった場合、その差額を負担する方針です。
また、システムの不具合の影響で企業が残高不足に陥り手形や小切手の決済ができなくなった場合でも不渡りとはしないということです。
りそな銀行も顧客が本来より多くの振込手数料を支払った場合、銀行側で負担するとしています。
各銀行は、取り引きの決済に時間がかかる中、同じ口座に2度送金する「二重振り込み」が発生しないよう利用者に注意を呼びかけています。

児童手当の振り込みに遅れ 問い合わせ相次ぐ 

一部の自治体では、児童手当の振り込みが遅れる影響も出ています。
愛知県豊橋市では、10日が児童手当の振り込み予定日でしたが、支給対象者およそ2万5000人のうち1万8000人ほどで振り込みに遅れが出ているということです。豊橋市によりますと金融機関側で順次、送金処理が進められているということで、13日ごろにかけて指定の口座に入金される見通しだということです。
また一宮市では、10日に市内およそ2万5000世帯を対象に、7月から10月の4か月分の児童手当が振り込まれる予定でしたが、「全銀ネット」のシステムの不具合により一部の家庭に対して児童手当の振り込みができず、銀行側からは11日午前7時の時点でも一部の振り込みが完了していないという報告を受けたということです。
一宮市の子育て支援課には「通帳の記帳をしたが手当が入っていない」といった問い合わせの電話がこれまでに300件以上あったということで、古田好英課長は「児童手当は貴重な生活の財源になっているのでなんとか早く振り込みたい。システムの回復を願っている」と話していました。

《各銀行 業務への影響を詳しく》

三菱UFJ銀行 ATM・ネットで振り込み可能も遅延の可能性

三菱UFJ銀行は全銀ネットのシステム不具合の影響で他行宛ての振り込みについて、11日正午までにいったん受け付けを止めていましたが、11日夕方から12日朝にかけてはATMやインターネットでの振り込みが可能だとしています。
三菱UFJ銀行では、振り込み指定日が11日付けで受け付けされた場合、振り込み先にお金が届くのは11日の夜間になる見込みだとしていましたが、システムの不具合が続いているため、一部ではさらに遅れる可能性があるとしています。

りそなグループ 他行宛ての振り込み受付も遅延の可能性

りそなグループのりそな銀行と埼玉りそな銀行、それに関西みらい銀行は、11日、他行宛ての振り込みは受け付けているものの、全銀ネットのシステム不具合の影響を受け、振り込み先に届くのが12日以降に遅れる可能性もあるとしています。

関西みらい銀行 他行への振り込み 入金は12日以降の可能性

大阪に本店がある「関西みらい銀行」では、ATM=現金自動預け払い機や窓口などでの他行への振り込みについては、11日午前11時以降に手続きを行った場合、実際に入金されるのは12日以降になるとしています。
午前11時までに手続きが完了した振り込みについては、11日中に入金できるよう作業を進めているということです。また、11日に受け付けた他行からの振り込みについても、実際に入金されるのは12日以降になる可能性があるとしています。
関西みらい銀行は、取り引きを急ぐ場合、影響を受けていないほかの銀行からの振り込みなどを検討するよう呼びかけています。

広島 もみじ銀行 振り込み復旧の見通しがたたず影響続く

広島市に本店があるもみじ銀行では、別の手段で振り込みができるように対応しています。
もみじ銀行によりますと、店舗のほか、ATM=現金自動預払機やインターネットでの他行宛ての振り込みの受け付けは午前11時半まででいったん停止し、この時間までに受け付けた振り込みは11日夕方以降に入金するとしています。
その後、午後3時半からATMやインターネットでの振り込みの受け付けを再開するとしていますが、入金は12日以降になる可能性があるということです。11日受け付けた他行からの振り込みは11日夕方以降の入金になる見込みだとしています。
一方、10日に受け付けた振り込みについては、他行からの振り込みは入金済みで、他行宛ての振り込みはきょうの入金になるとしています。もみじ銀行は「ご不便とご迷惑をおかけしおわびします」としています。

山口銀行 11日午後3時半まで他行への振り込み受付を停止

山口フィナンシャルグループによりますと、傘下に置く
▽下関市に本店がある山口銀行と
▽広島市に本店があるもみじ銀行、それに
▽北九州市に本店がある北九州銀行の3行では窓口やすべてのATM、それにインターネットバンキングで午前11時半までバックアップシステムなどを使って他行への振り込みに対応したということです。
ただ、午前中に振り込まれた現金の処理を行うため、午前11時半から午後3時半までは他行への振り込みの受け付けを停止するということです。
山口フィナンシャルグループは、「影響が長引き、ご不便、ご迷惑をおかけして申し訳ございません。引き続き速やかな復旧に努めています」としています。

北九州銀行 他行への振り込み 入金時間は未定

北九州市に本店がある北九州銀行でもすぐに振り込みの取り引きができない状況が続いていて、小倉北区の本店では入り口に貼り紙をしたうえで担当者が対応にあたっています。
北九州銀行では、ほかの銀行への振り込みは、11日午前11時半までは受け付けを行ったものの、入金できる時間は未定だとしています。
北九州銀行は「復旧のめどは現時点では不明で、復旧でき次第、改めてお知らせしたい」とコメントしています。

商工中金 11日も他行宛て振り込み停止を発表

政府系金融機関として中小企業向けの融資などを手がける「商工中金」は、全銀ネットのシステム不具合の影響で10日午後から他行宛ての振り込みについて全国の店舗の窓口やATM=現金自動預払機、それにインターネットなどによる取り引きを停止していましたが、11日もこれらの取り引きを引き続き停止すると発表しました。

ゆうちょ銀行 一時スマホ決済などのアプリ利用できず

 

ゆうちょ銀行は、10日朝、インターネットやスマートフォンのサービスでシステム障害が発生し、
▽インターネットバンキングの「ゆうちょダイレクト」と、
▽スマートフォン決済の「ゆうちょPay」は、その後、復旧したものの、
▽スマートフォン上で残高確認や送金を行う「ゆうちょ通帳アプリ」は11日になっても利用できない状態が続いていました。
会社によりますと、復旧作業を進めた結果、11日午後6時ごろにはこのアプリのサービスの不具合も解消し、全面的に復旧したということです。
ゆうちょ銀行は、今回の障害は社内のシステムで発生したものであり、全銀ネット=全国銀行資金決済ネットワークが運営するシステムの不具合とは関連はないとしています。そのうえで、このアプリのサービスの不具合は、サーバーの不調が原因とみて調査を進めているということです。
会社は、復旧するまでの間に窓口やATMを通じて送金した利用者については、申し出に応じて手数料にあたる料金の差額を返金する対応を行うことにしています。

銀行のシステム障害相次ぐ なぜ?サイバー攻撃の可能性は?  NHK オンラインより

2023年10月11日 19時53分 金融

金融機関どうしの資金のやり取りを担う全銀ネット=「全国銀行資金決済ネットワーク」のシステムで10日朝、不具合が発生し、11の銀行で他行への振り込みなどが停止されるなど全国的に影響が広がりました。さらに、ゆうちょ銀行でも10日の朝にシステム障害が発生し、スマートフォン上で送金などを行うアプリが一時、利用できなくなりました。

銀行のシステム障害が相次いだのはなぜなのか。
関連はあるのか。
サイバー攻撃による可能性は? これまでの取材で明らかになったことを詳しくお伝えします。

目次

Q:サイバー攻撃の可能性は?  Q:「全銀ネット」どんなシステム?  目次を開く   【随時更新】全銀ネットのシステム障害 復旧の見通し立たず

Q:サイバー攻撃の可能性は?   松野官房長官は午後の記者会見で「金融庁への報告によれば、今回の障害の原因はサイバー攻撃の可能性は低く、『全銀システム』と金融機関をつなぐシステムを先週末に更改したことに伴い生じた不具合と考えられる」と述べました。   また、全銀ネットもサイバー攻撃の影響ではないとしています。

Q:「全銀ネット」どんなシステム?    全銀ネット=「全国銀行資金決済ネットワーク」は、全国銀行協会の関連組織で、金融機関どうしの資金取り引きをオンライン処理する「全銀システム」=全国銀行データ通信システムを運営しています。   この「全銀システム」は全国1100以上の金融機関をネットワークで結ぶ基幹システムで、1日平均およそ770万件、金額にして13兆円あまりの取引データを処理しているということです。   システムは平日の午前8時半から午後3時半までの入金に対応した「コアタイムシステム」と、平日の夜間と土日や祝日に対応する「モアタイムシステム」の2つのシステムで構成され、取引データが金融機関の間でやりとりされる振り込みなどのデータを集中的に処理し、ほぼリアルタイムで受取人の口座に資金が入金される「迅速性」が最大の特徴だとうたっています。

Q:システム障害発生 その時に何が?    システムを運営する全銀ネット=「全国銀行資金決済ネットワーク」によりますと、今回の不具合は「全銀システム」と各金融機関をつなぐ中継コンピューターの部分で発生したということです。   全銀ネットは、9日までの連休中に新しい中継コンピューターに更新し、14の金融機関と接続する作業を行っていたということで、10日の朝、夜間に稼働するシステムから日中向けのシステムに切り替えたところ、午前8時半ごろ障害が発生したことがわかったということです。    10日から復旧作業を続けていますが、11日朝までにシステムの正常化の見通しが立たたなかったため、全銀ネットは他行宛ての振り込みができなくなっている11の金融機関について、代替手段での対応を続けています。金融機関が取り引きデータをファイルで全銀システムに直接持ち込んだり、送ったりして処理する方法で、通常の取り引きより時間がかかるとしています。    今回の不具合の原因について全銀ネットは、中継コンピューターに整備されている取り引きにかかる費用をチェックする機能に問題があった可能性があるとしています。    ただ、この機能についてはシステムを利用する金融機関の参加も得ながら稼働に向けたテストを行ったということで、全銀ネットは、なぜ今回の不具合の復旧に時間がかかっているのか要因分析を行うとしています。     システムは1973年に稼働を始めましたが金融機関の顧客の取り引きに影響を及ぼす形で不具合が発生したのはこの50年間で初めてだとしています。     Q:ゆうちょ銀行のシステム障害との関係は?

ゆうちょ銀行は、10日朝、インターネットやスマートフォンのサービスでシステム障害が発生し、
▽インターネットバンキングの「ゆうちょダイレクト」と、
▽スマートフォン決済の「ゆうちょPay」は、その後、復旧したものの、
▽スマートフォン上で残高確認や送金を行う「ゆうちょ通帳アプリ」は11日になっても利用できない状態が続いていました。    会社によりますと、復旧作業を進めた結果、11日午後6時ごろにはこのアプリのサービスの不具合も解消し、全面的に復旧したということです。    ゆうちょ銀行は、今回の障害は社内のシステムで発生したものであり、全銀ネット=全国銀行資金決済ネットワークが運営するシステムの不具合とは関連はないとしています。そのうえで、このアプリのサービスの不具合は、サーバーの不調が原因とみて調査を進めているということです。    あわせて読みたい

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23-10-10 の段階のニュース
 
NHK オンラインより   
全銀ネット 不具合で振り込み140万件に影響 別の手段で対応へ   2023年10月10日 21時18分  
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鎌倉、ロールスロイス、渡辺幸子さんの嫉妬と、彼女の曼殊沙華の絵で、私が死に瀕した話ー1

2023-10-09 21:26:55 | 政治

 これは、予告内では、私が死に瀕した日に、渡辺幸子さんの曼殊沙華の絵が、重要なアイテムになっていて、そこまで、書くつもりでした。しかし、今現在書いて居るところだけでも、26000字になっているので、それを加筆するのが無理になりました。以下に書いて居るのは、そこに至る前段階です。

副題1,『鎌倉三の鳥居(八幡宮前の、大鳥居)前は、T字路になっていて、車にとっては、青信号になるのに、結構、待たないといけない交差点になっています。それは、歩行者が、大勢いるということと、横々(高速)へ抜ける道でもあり、進行車、右折車、左折車などが、複雑に絡み合うからです。

 で、晴れた日の休日などでは、東京から鎌倉へ入る車が、長蛇の列を作って、渋滞しています。わたくしは、母に免許を取ることを禁じられている人なので、車については、ほとんど知らないのですが、その長蛇の列の中に、美しい車があると、思わず、歩みを止めて、見入ってしまいます。そして、帰ってからパソコンでお値段を調べたりしています。

 で、今の名車というと、フィアット、BMV、アウディ、ベンツ、などですが、40年ぐらい前までは、ロールスロイスでした。今でも、ロールスロイスは、売っている模様ですが、街を走っているのは、私は、見たことがないのです。特に丸の内あたりは知りませんが、鎌倉では見たことがありません。まあ、道も狭いですしね。

 今、ちょっと、調べたところ、四千万円以上の模様です。

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副題2、『ロールスロイスにまつわるエピソードとしては、たかの友梨さんの、BS日テレ内【おぎやはぎの愛車遍歴】の中の、ロールスロイス愛・遍歴と、その後、本業のエステサロンで、労働争議が起きたことは、忘れられない思い出の、一つとなっている』

 私は車に関して何ら知識はないのに、おぎやはぎの司会する美術館訪問番組を見ているうちに、こちらの【愛車遍歴】の存在に気がついて来て、時々見る様になりました。非常に打ち解けた、サロンで、出演者(=ゲスト)が、乗りに乗ると、とても面白い話を聞くことができます。しかし、坊や(=次男)が、慶応高校野球部に入って大活躍する前の清原選手など、意外と、面白くなかったです。

 さて、たかの友梨さんが、ここに出ました。

実はたかの友梨さんは子供の頃不幸な目にあって育ったそうです。それに対するコンペンセーション(補障作用)でしょうが、成功した自分へのご褒美として、事あるごとに、ロールスロイスを買うことにしているそうです。新しいロールスロイスを買う事をワンステップと考えた模様です。で、その番組に出たときに、6台のロールスロイスを既に買っているそうです。先程申し上げた四千万円クラスは安い方です。高いのは七千万円近くします。しかしその番組に出た時はまだ安かったと仮定して1台五千万円として考えると6台で3億です。これは、おぎやはぎやアシスタントの女性たちのサロン内では、大変楽しいお話ですが、それを見ているエステティシャンにとってはとんでもない話だったのですね。自分たちの重労働を搾取されていると、言う考えに至ったのです。というのも、彼女たちの作業は重労働なのです。だから「これはひどい」となってストライキが起きたので、それ以前は成功したビジネスウーマンとして、化粧業界だけじゃなく、ありとあらゆるメディアに彼女が登場することが多かったのですが、このストライキ以降、全く登場しなくなりました。でも、今、ウィキペディアを見ると、ちゃんと生きて活動続けているみたいです。引き続いて成功した人としてビジネスをやっているみたいですから、・・・・彼女も物言えば唇寒し・・・・と言うお勉強してそれ以降、洗練をされた生活を、送っているみたいです。でも、このエピソードからもわかるように、ロールスロイスとはとても高いものなのです。そのロールスロイスが渡辺幸子さんの庭に置いてあるのです。そして彼女は何度も何度もこれをモチーフにして絵を描いています。それが鎌倉の人たちにとっては、受ける要素であって、彼女は鎌倉美術家協会においてどんどん出世していきます。

 さて、しかし、心理学的に言うと、渡辺幸子さんにとってのロールスロイスとはやはりコンペンセーションではなかったかなぁ?と思うんです。彼女がどんな苦しみを負ったかと言うと、子供の頃ではありません。20歳位の時ですね。正確にはその時期を知りませんが、ともかくお父様が破産をなさったのです。それ以前は鎌倉のお嬢様として、12歳の時から、フェリスにも行きました。公立の中学校に行かないで私学中高一環教育校。しかも神奈川県では女性には大変人気のあるフェリスに行って、そしてその当時、これまた大変人気があったICUへご入学です。ただしICUが知られていたのは、一部の人にだけですね。1億2000万人の日本国民全体に知られていたわけじゃない。ミッションスクールの通学者、または大学附属高校の通学者、または高校時代アメリカに留学済み(=AFSの経験者)、または両親が海外に仕事を持っている帰国子女、こういう人たちに大きな人気のある大学でした。フェリスからそこに入るって言う事は、私も出ているICUですが、もうほんとに順風満帆の人生です。ところがお父様の破産と言うことが起きた。ここでね、学費が払えないから中退した。そして高卒の資格で。どこかの会社に採用されて月給現在の貨幣価値で言十五万円円位もらえました。となると、惨めです。
 しかし彼女には、見事な、プラスアルファがありました。彼女が、この父親の破産のケースを電話で私に、心おきなく語ってくれると言う事は、一種の誇り高き経験だからです。大学を中退して入社したのが日本航空であり、職種が当時は大変人気があったスチュワーデスだったからです。だから、私に語ったのだと私は感じています。
 
 そして、ご両親とお姉さんの生活費を、彼女はスチュワーデスの給料で養ってあげていたと思います。で、私に対しても、「あなたって、どうしてこういう無駄なことに、お金を使うの? 理解ができないわ」と言われていました。
 なんで彼女に叱られたかと言うと、私が文章を彼女にも送っていたからです。私は今はパソコンで、書いて居ます。しかし、1998年から、2003年ごろまでは、手書きの方がパソコン入力より早くてね。・・・・・というのもキーうちだけは、早いものの、それ以外の部分がまだ、わからなかったからです。ワードの使い方や、パソコンの使い方などが、わからなくて、それに時間を取られるのが嫌だったからです。で、手書きでエッセイを書いていまして、それを、コンビニでコピーを取り、郵便で読んでもらいたい人に送っていたのです。だからね。一回のエッセイを他人に読んでもらうために、自分の方が一万円ぐらいを、払っていたわけです。
 でもね、私にとって最もやりたいこと、そしてやらざるを得ないことがそれでした。まるで呼吸をするように、やらざるを得ない事は、ものを考えると言うことなのです。そして考えると言う事は、いったん、紙、または、パソコンに書き下ろさない、と先に進めないんですね。同じテーマを考え続ける、堂々巡りの苦しさを味わう事になります。
 だから必然的に文章を書くようになります。私の文章は注文を受けて書いている文章じゃないです。自分の心と体から自然に湧き起こってくるものを、書くわけですが、小さい頃から「表現力がある、または文章が上手だ」と先生や友人に、言われていたので、自分の書くものを他者に読んでもらうと言うことには、全く恥じらいも劣等感もなく、もうほんとに読んでもらえることを信じ込んで、送っていました。
 
 一方、二十歳前後という若いみそらのご自分の給料で、両親と姉とが構成する一家を養っていた渡辺幸子さんは、お金の使い方にはとてもシビアで、・・・・・画家としての出世には、全然役に立ってないものに、なんでこんなにお金を使うの?
 
 と言う疑問を抱いた模様です。その時ね。私は・・・・・渡辺幸子さんと、自分とは、なんと違うことだろう。心や体の根幹が違うのだなぁ・・・・と思いました。私にとって絵を描く事は出世の道具じゃないんです。まぁより大勢の人に見てもらう方がいいから、それは有名になったほうがいいですよ。
 私はコピー代とか郵便代でお金を使うことを全く無駄なことだとは思いませんでした。渡辺幸子さんと私の目指してるものが大きく違うと言う事。これは望月画廊での大きないじめが始まる前から、私の方は気がついていて、彼女から電話で、打ち明けられる話は、全部受け止めて聞いていますが、自分の方の話は、ほとんどしないと言う・・・・・そういう流れになっていました。
 私はもう絵の世界、特に公募団体展での、出世と言うのは諦めていました。
 国画会における御大として隠然たる力をもつ島田章三さんが、ずっと、それを書き続けている北久里浜の・大・大・実質的・詐欺事件の、首謀者たちの1人である、女性、杉本正子さんと、その夫から、大金(=横須賀市の公金)を注がれている事が、国画会内部での、諸種のいじめで、わかって来ていたからです。
 
 
 このシリーズは、全体で、六万字ぐらいになる筈です。で、すでに、下書きとして、26000字(と、グーブログは言う)は、書いてあるのですが、スマホの音声入力を利用したので、誤変換満載です。
 ところで、普段だと、それでも、良しとしてしまうのですが、この章の主人公、渡辺幸子さんは、国際基督教大学の先輩です。六期上です。ただし、私が浪人して入学しているので、年齢差は、五歳、私の方が下となります。また、彼女は、鎌倉在住です。それで、気を使うという側面もあるのですが、
 私はね。彼女を、ある程度以上に好きなんです。何とも、子供っぽいなあと、思っていてね。また、いじめられていて大損失を与えられているのにもかかわらず、何か、いちいち、子供っぽいので、かわいいなあなんて、思ってしまうのです。それはね。おなじCIA仲間の栗田玲子さんなどとは、違う側面なのです。それとね。意外と小心な部分を持っている事も知っている。したがって、一種の感情移入があるので、誤変換を残したままの文章をさらけ出したくないのです。
 
 なお、総タイトルにあるロールスロイスとは、渡辺幸子さんが庭に保管をしている車です。そのロールスロイスを捨てないという部分も、彼女の子供っぽさを表現をしていると思うのです。20歳のころ、父君の破産で、急に味わったであろう貧乏になってしまう恐怖。そこから脱出した後でも、富裕層しか買えない「ロールスロイスを、私は、持って居ましたよ」と、言う誇示を、つづけている姿勢。その車ですが、昔は、、動いて居たのでしょうが、今は、動かないものでしょう? 一種の鉄くずとなってしまったロールスロイス。それでも、それを庭にきーぷしつづけている彼女。なんと子供っぽいのだろうと、思います。 彼女は実際には、日本車を乗り回しています。
 それで、総タイトルに、ロールスロイスとでてくるわけです。
 
 それとね。物事って、すべて、双方向性があるでしょう。私は、彼女、及び、その背後にいる酒井忠康氏にいじめ切られてしまったので、美術ではなくて、文章を、書く方向へつよく進みました。しかも、孤独極まりない、ブログの世界へ、逃げることとなりました。しかし、それが、自分に合っているのです。孤独は気にしない。
 それにね、酒井さんが敵である・・・・・とか、ICU同窓会が敵であるとか、島田章三さんが敵である、と言う事は、非常に弱い、みじめな境遇だとも言えますが、一方で、誰に対しても遠慮しないでいい・・・・・と言う事でもあるのです
 国画会に出品しなくなったからこそ、横須賀市の、旧水道山をめぐる、実質的大詐欺事件についても、堂々とかける様になったわけです。それを、よく思い返している私です。
 私のブログはね。自分の命を懸けて、独自の世界を切り開いていっています。そこに深い誇りを感じています。
 というわけで、すべては、双方向性を持って居ると言う事です。自分のブログ一章内では、それを表現できなくても、書く方の、私は、それに対して、常に、思いを寄せています。
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 あ、すみません。下書きで、置いておくつもりが、公開になってしまいました。

2023-10-08 21:06:38 | 政治

 あ、すみません。下書きで、置いておくつもりが、公開になってしまいました。今晩中には、完成しない見込みです。で、いったん非公開へもっていきます。

 そちらの総タイトルは、【鎌倉、ロールスロイス、渡辺幸子さんの嫉妬と、私が死に瀕した彼女の曼殊沙華の絵】としておりました。大変複雑な文章となりますので、とてもではないが、一日では完成しない見込みですのでお待ちいただきたいと存じます。

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Onnaである事 + 言葉狩り・・・・これも、私とCIAエージェントたちの戦いの露顕なのですよ

2023-10-06 06:37:56 | 政治

 すみません。外出が続いて、しっかりしたものが書けません。で、昔、スマホで、音声入力していたものを使います。間接的ですが、いろいろな私のブログ文の続きとなるものです。誰を想定して、これを書いて居るかは、最後に、述べます。

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副題1、『ラガルド女史が、日本に初お目見えして、安倍晋三総理大臣とともに、女性を生かす、云々という会議を開いたのは、何時だっただろうか? 私は、40代だったら、それに大賛成をしたと思う。しかし、その時、60を超えていて、子育てを終え切っていて、他の人、(知人や友人と、知人や、友人ではない他人)の子育ても合わせてみると、お母さんは、絶対に五歳までは、家にいた方がいいという考えに至った。小さいお子さんを保育所(今は子供円と呼ばれていて、幼稚園と兼ねているところが多い模様)に預けて、働きに出ることは賛成できないと、思う様になった。

 ただし、世の中に、他のお母さん全体も、働かないで、子育てをしているという状況でないと、せっかく、お母さんが面倒を見ていても、周辺に同い年の子供が皆無だと、何の効果も上がらない。したがって、私が何を言っても無駄だとは、思っている.だけど、言ってみる』

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副題2、『私は株主総会に出るのが好きだ。それで、ある日、ブログに、・・・・・山手線で、もう通勤の時間を過ぎた、午前中に、紙袋を持って居る老人を見ると、それは、株主総会に出た人たちだとすぐわかる・・・・・と、書いた。すると、例のごとく、私の文章をいつも点検している、井上ひさし(公的には、自分を死んだことにしていますが、いまだ、実際には生きていますよ)、が、・・・・・株主総会では、出席者に、お土産を出すな・・・・・と、言う命令を下したらしい。総会の案内状に、「お土産はありません」というお断りが付いているケースが増えた。

 ただし、井上ひさしが遠慮をしないといけない(または、成岡庸司君が支配をしている会社)と、私が株を持って居ない会社は、引き続きお土産を出している可能性を感じている。だって、お土産をもらうのは、定年退職後の、高齢者の、大いなる楽しみの一つだからだ。NTTなんて、ケーキをふるまったりしていたが、それもコロナ禍で消えた。

 ところで、お土産が無くても、私は、今まで、行ったことのない会場だと、出かけていく。ホテルの宴会場を使う事が多いので、それを見るのが楽しみなのだ。2023年度は、太地喜和子について書いている最中に、東京会館三階のホールで、何かの株主総会に出た。その際に、事前に、情報が回っていたらしくて、私には、なかなか発言が許されなかった。私はその会社に文句をつけるつもりはなくて、何か、世間で、IT的に、間違っていること・・・・・特にセキュリティ問題で、間違っている事があり、それに対して、その会社では、どういう風に対応をなさっておられますか?』という質問をしたのだった。何の問題もないし、危険性もない質問だったが、マイクを運ぶ女性は、私の顔を事前に知らされていたらしくて、五回ぐらい無視された。だが、とうとうチャンスをとらえて、ちゃんとした回答をもらった。しかし、6月だったので、何の会社だったか、すっかり忘れている。

 ところで、その日、理解したことは、東京会館を含む、地上げがあって大きなビル化されていたことだった。だが、美麗なビルではある。しかし、地権者が多くあったらしくて、一階は、路面店形式のレストランで、いっぱいだった。誰か、老人の生き方を勧める本を書いて居る指揮者が外出した時に、「レストランは、なるべく違うところを選びなさい」と言っている。しかし、それもCIAエージェントが、私のブログを否定させるために言わせたと考えて居る。私みたいに、子供が小学校に上がって以来、ずっと、東京を歩き回っていて、特に、2010年に、山口みつ子さんが殺されてからは、彼女と一緒に食べているつもりになって、2015年ぐらいまで、あらゆるバイキングを試した。すると、バイキングという名前も消えていき、ビュッフェ形式という名前になった。

 ところで、東京会館が、大きな集合ビルとなったおかげで、丸の内側に、数軒の路面店レストランが、出店しているが、見事においしくて、お値段がリーズナブルなお店に入ることが出来た。👉、

 ところで、なぜ、ここで、株主総会が出て来るかというと、株主総会の議題の一つが役員の選任で、社長から監査役まで、10人程度から、20人程度の名前が載っていて、シャンシャン総会で、承認となる。ところで、社外取締役に女性が多いのだ。そして、今、は、学歴を書かない模様だが、職歴は書いてある。某有名大学の経済学部とか、商学部、または、法学部を出ていて、アメリカ留学済み、という女性が多い。そういう意味では、ビジネス界は、女性優遇だともいえる。だけど、?!?!? まあ、これから先は、口をつぐんでおきましょう。

 👉 で、そこで、しっかりと食べたのちに、三菱一号館前の歩道で、筑摩書房に電話をかけて、秋元松代全集の第二巻だけ、そのあとがきか、付録を読ませてほしいとお願いしたら、剣もほろろで、断られた。

 それをきっかけに、笠松敦子(新卒時、筑摩書房入社。で、たぶん社内恋愛で、東大出身の、筑摩書房編集者とご結婚をなさった)さんの実態と、ご主人の実態と、筑摩書房がどれほど、対私いじめに動いているかを書くことが始まった。

 筑摩書房は、秋元松代全集の第二巻の付録について「見せられません。それは、商品だからです」って。一階にたくさんの書籍が置いてある。もし、商品だとしても、ジュンク堂とか丸善で、売る書物を、数人の人が開いてみることがあると思うしその後、売る事があると思うが、その日、商品だからと言って断られたのは、ひとえに、徹底的に意地悪をしようとする、手配が、事前に回されていたからなのだと、思う。で、そういう事だったのだが、そこから、とうとう、笠松夫妻について、実名で、どれほど、井上ひさしとか、伊藤玄二郎に協力をしている人であるかを語る様になった。

 しかし、最近、中勘助の全集を再点検したくて、鎌倉市(立)中央図書館の開架図書コーナーを、点検して居たら、黄色い表紙の、筑摩の日本文学全集が無かった。閉鎖書庫に入っているのだろうか? あれを捨ててしまうとは、考えられない。無論、赤い世界文学全集もなかった。アマゾンで、中勘助集だけ買おうとしたら、それが、古本でもなかった。これは、私のブログゆえの措置で、絶対におかしい。名品だと思うのに、アマゾンで、買えないとは、おかしい。神保町で、探せば見つかるかもしれないが、ここで、こう書いてしまうと、もう、しまい込まれてしまうだろう。

 しかし、しかしなのだ。なんという事、田辺聖子全集があった。で、太地喜和子が演じた久女について、太地喜和子が、何年に、【花衣、ぬぐやまつわる紐いろいろ】を書いたかが分かった。尚、これも、自分で買っている筈だ。厚さ4cmぐらいの大著だったが、丁寧に読んでいる。太地喜和子は、これを、やるのを無上の喜びとして、秋元松代に、「先生、もっと書いてください」と、お願いをしていたらしいが、80歳を超えた秋元松代は、断っていたらしい。太地喜和子が思いがけない形で、亡くなった後で、秋元松代は、伊東の現場を訪ねたそうである。えー、今、これを見つけても間に合わなかったのに、と、苦笑をしてしまった。

 なお、富岡多恵子の【中勘助の恋】を読み始めたのは、彼の私生活を知りたいと、言う目的だったが、第一章で、江木妙子さんが出て来て、彼女が結婚をして猪谷妙子となっても、父(中勘助)と、娘(江木妙子)として、時々は、6時間にも及ぶデートをしているのを知り、度肝を抜かれたが第二章から、私の目的だった、中勘助の私生活へ入っていく。楽しみでもあるが、疑問が、肯定される点もあり、

 中勘助のずるさという点・・・・・兄を廃人、として規定しているが死人に口なしの一種であり、碁会所に通ったり、釣りに通ったりしているお兄さんは、廃人とは言えないのではないだろうか? 無論医大の教授はやめないといけないほど、脳溢血の後遺症はあった。ただし、この書物の終わりの方を先に読んでしまった私には、中勘助が、一生、このお兄さんに苦しめられたらしいのは、理解ができる。だから、廃人と規定したのだろうか? これから、先、飛ばして読んでしまったところも入れて、熟読していきたい。

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副題3、『2023年10月7日の朝からは、朝日岳で、遭難した六人について、低体温症で、亡くなったとNHKは、報道をしている。これは、北海道の、大雪山系で、大勢の人が、寒さで亡くなった時に、私が一文を書いて居る。それ以来、凍死という言葉が、使ってはいけないこととなった。私の文章が後日、若い人に、読まれた際に意味不明になるkとを狙っている。で、凍死が無くなったので、日射病も無くなった。

 それから、前田清子夫人とか、安野智紗夫人が、この小さな谷戸で、上下関係を作るのは、ヒステリー性格の特徴であると、書いたことがある。それはちゃんとした心理学の本に出ていたことで、ヒステリー性格の人は、ギャーッとわめくのが特徴ではなくて、上下関係を作るのが、特徴だそうだ。で、それ以来、ヒステリーという言葉は使ってはいけないこととなった。この山はお子さんが居て、家族が三人以上で暮らしている家が、四軒ある。夫婦二人だけで、暮らしている家が、七軒ある。まったく動けないしたがって、社会活動がない高齢の親と、同居する、60歳以上の高齢の子どもを単身者とみなすと単身者が五軒ある。したがって、全戸で十六個しか活動をしていない小さな社会なのに、いまだに、上下関係がみられる。まるで、戦時中の町内会と同じだ。いいとこ大学出身者が、どうしてこうなるの?と不思議だが、それは、副題αから始まる‥・・・女とはなんだ?・・・・・特に悪女とは何だ?を、お読みいただくと、理解ができるだろう。

 この言葉狩りだが、井上ひさしが先導して行っていると、私は見ている。井上ひさしは、私の筆力に嫉妬しているので、徹底的にいじめようと考えて居るのだ。「え?、あなた、何言っているのですか? 日本ペンクラブの会長で、しかも直木賞審査員でしたよ。あなたみたいに大手出版社から、公刊の本が一冊も出ていない人が、井上ひさしを対等に見なして、批判をするのなど、おかしい。。頭がおかしいんじゃあないですか?」と、言うお方が出てくるだろう。

 だが、そういう方に対して、二つの方向から、私は、これで、いいのですよと、言う、実例を上げさせていただきたい。

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副題4、『井上ひさしとは、異様に嫉妬深い人間だ。小沢昭一が亡くなった時と、菅原文太が亡くなった時、NHKは、一切の追悼番組を作らなかった。井上ひさしが作らせなかったのだ。

 菅原文太の方は、同じ線第二校の、出身であり、美形であり、自分の家庭がある男性である。一方、特別な顔付きであり、カソリック系の養護施設(孤児院と、呼ばれて時代もある施設)で、育った、井上ひさしの方は、高校時代、お小遣いなども、自由には、使えなかった、立場だと、思う。全然違う。で、嫉妬しているので、自分の方は、NHKをハイジャックするほどの、扱いをさせながら(しかも、実際には、死んでいないのにですよ。非常に性格が悪いのです)

 同じ線第二校の出身者で、先輩である菅原文太については、紙の雑誌、紙の新聞等でも特集をさせず、かつメディアも支配して、一切、特集番組を作らせなかったのでした。

 ただね。西舘(旧姓・・井上)好子さんと次女さんを見捨てた、ひどい、処遇を私が書いて居るものですから、最近では、お金をあげているみたいです。三女の麻矢さんに命じてでしょうか? また、長女に、こまつ座他を、継承させなかったことについても、長女のエッセイ集を新潮社から、出版をさせて、自分の冷徹さを、薄めているみたいです。しかし、そういう風に変更したのは、最近の五年ぐらいの話でしょう。ずっと、冷遇してきていますよね。

 さて、小沢昭一です。井上ひさしが亡くなった時に、彼は、日経新聞に追悼文を寄せました。早稲田出身で、他も李よりも、やった仕事が大きいし、生きている時は、大勢の人から、尊敬をされていたと思いますよ。

 しかし、上記の追悼文の中で、井上ひさしの悪い性格についても述べています。実際に死んだと考えたからでしょう。それから、他の人、特に9条の会で、一緒だった人とか、直木賞の審査委員で、一緒だった人は、みんな逃げたのだと、思いますよ。井上ひさしとは、実際には、とても狷介な人間で、恐ろしいと、思ったからでしょう。何か、失敗すると大変だと、知っていたのだと思いますよ。小沢昭一は違う場所にいたので関係が薄いからこそ、引き受けたのだと思います。で、追悼文を読んだ、井上ひさしは、激怒して、絶対に小沢昭一を埋没させると、決意したのでしょうね。

 反対に小林カツ代、とか、林真理子は大のお気に入りです。どうしてかというと、その才能とか冴えについて安心しているからです。たいしたことがないと、わかっているから、ちやほやしています。自分の手のひらから、こぼれて、どこかに飛んで行ってしまう恐れがないと、見ているので、ちやほやしつつ、使っています。

 神楽坂女声合唱団の指揮を小林カツ代がしていたのですって。彼女音大卒ではないでしょう。どうして? まあ、次の指揮者・コシノさんも、井上ひさしとか、伊藤玄二郎のお気に入りだから、選ばれたと、感じています。

 その井上ひさしですが、公的には、自分を死んだことにしているので、動けません。で、伊藤玄二郎に、指揮をさせて、女性を使っています。むろんの事、彼一人ではなくて、女性を使う件については、大勢の人を、その人的コネで、動かしています。が、政治を、女性を要所要所で、使う事によって、自分の思い通りに運んでいます。

 まあ、小さい時に苦労をしたわけだし、そのあたりで、ひとを動かすコツをつかんだのでしょう。特に顔が、良くないので、女性は安心しますね。美形または、イケメンだと、何らかの噂を世間が立てるのではないかと、懸念して接触するのに、用心をするはずですが彼など、安心して付き合えると、思わせるタイプです。

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副題5、『政治は女によって、行われる。特に悪女が、CIA陣営にとっては、役に立つのだ』

 これ以下はスマホの音声入力を利用して書いて居るので、誤変換が一杯です。しかし、夜11時になったので、今夜のブログ文として、公開をさせていただきます。

 実は女であること、それを政治の世界で利用してるのがCIAエージェントです。女と言うものは生む性だから男より強いです。で、「女子と小人 養い難し」と、昔高僧がおっしゃったそうですが、女性の中には、どうしても、むき出しの動物性が現れる人があるのです。

 それは相手と強弱関係を感じ取り、自分が強者の側にあると感じたときに、どうしてもその強者ぶりを相手に押し付けたい=相手をいじめたい====と言うふうに出てしまうのですね。そういう人物が201人、または50人に1人社会の中にいるのです。

 私はね1975年頃から77年頃まで、そういうむき出しの女性たちと、接触しなければいけませんでした。私はね後年、日笠雅水さんという手相観さんから「あなたはね、金星袋が両手に、二本ずつ、四本も、あるから、芸術家でよかった。これが、専業主婦だったら、事件を起こす女になっていますよ」と言われました。つまり瀬戸内寂聴さんと同じようなタイプらしいのです。男にもてる、水も滴るいい女というところがあるらしいのです。

 ところがね自覚は違うのですよ。自分の女性性には、ほ頓戸目覚めませんでした。日笠さんに観てもらったのは、1998年ですから、56歳の時です。その時まで、まじめで、むしろ、男性的な、側面もあった方でしょう。

 両親=特に父親は、千恵子が、男だったらよかったのになぁっ!」っていつも言ってました。

 で、「男だったらひとかどの人間になっていただろうねえ。でも、女だから早く結婚しなくちゃダメだ。25歳まで結婚しなくちゃダメだ。処女のうちに結婚しなくちゃダメだ」って強く言われてました。「女っぽい魅力がないから、だから若いうちに結婚しないとだめだ」と、言われていました。私は、それで、女っぽい部分はずっと抑圧していて、小さい時からリーダーシップを取れる女=男っぽいような人としてPTAなんかでもシャキシャキ意見を言ってたんです。子供が幼稚園の時ですね。その意見があまりにまっとうだから、園長先生は私をどう扱うかを考えあぐねた上で、トップにしてしまおう、て言うことになったんですよ。「PTA会長にさせちゃおう」と。そうするとね。司会をするだけで、平役員の時みたいに、意見を言えません。人様の意見を組み上げるそういう役目になっていて、自分の方から意見を言えません。その組織が内包する嘘などに対する批判を言えません。

 ところが園長命令のPTA会長だから、一般役員は裏側が分かりません。私はサラリーマン家庭の主婦で、自分では車を運転しません。母に禁じられています。いつもものを考えているから危ないって言われて免許を持っていません。PTA会長なんてね。車を出して皆さんを運んでね。奉仕しないといけません。それをやらないんですから、不満タラタラです。

 お子さん方は470人もいました。全部と接触すると言うわけじゃなくて、平役員5、60人とだけ接するんですが、この幼稚園はお金を稼がないといけないんです。園長先生はね、24人もいる先生方のボーナスを、出さないのです。で、PTAが、夏と冬のボーナスを稼ぎ出さないといけません。

 お母さん方がバザーで売り上げたお金でボーナスを払う。と言う事は、PTA役員はものすごく働かないといけません。バザーの前1ヶ月ぐらいから縫い物など、手芸品で、売れるほど、ハイクラスのものを作らなくていけないし、

 当日はお昼に、お汁粉屋、おでんを作るし、物品の売買のお金の計算をするなど、ものすごく働かされます。

 で、疲れます。でむき出しの不満を、私にぶつけてきます。そうするとね、それらの不満を、どういう風に処理するかって言うことで、私はね、女性について、ものすごい勉強しました。心理学を、もちろんやりましたよ。それから社会学的な事ね。それから、学問を離れて、西洋占いなどもやりましたよ。

 これはね、意外と役に立ちます。ある人と別の人の相性が、うまくいく相性であるかどうかを、判断し、組み合わせを考えるとか、私自身が、あい手に挑まれたときに、どういう風に相手をするかについて、勉強しました。

 西洋星占いって、どういう組み合わせが好ましく、どういう組み合わせが好ましくないかを教えてくれます。で、合わない人には、自分を理解してもらうのは、もう諦めるしかないです。そういうことを学びましたね。

 で、最も大きな収穫は、まぁどんな人間に対しても、大体パターン分けができると言うことです。普通の人、心優しい人、欲張りでない人。こういう人はコントロールしやすいです。お願い事もしやすい。

 しかし勝気な人、上下関係を気にする人、ボスになりたい人、などの性格の人は、コントロールしにくいです。

 お願い事を引きうけてもらいにくいですで。そういう中で、24人分の夏冬のボーナスを稼ぎ出さないといけないのですから、もう一つ、西洋星占いが、教えてくれる秘術を使いました。これは、非常に危険なので、皆様にも開示しません。唯ね。概略を言うと、この世には、持って生まれた向き不向きがあるのです。また、それは強弱関係にも当たっている時があります。例えば、12月末から、1月の末までの人は、政治に向いていると、言う教えなどが、、その一つです。福田赳夫元首相、小泉純一郎元首相、赤いシリーズで、中国でも大人気だったと言われる山口百恵さんが、その星座です。

 そうやって、女性に対して、ものすごい勉強をしました。それでね最も扱いにくいのが組織の中でボスとして君臨したがる女です。 結局のところ、私はその人たちを、悪女と呼ぶことになります。CIAエージェントたちはね、よく考えてそういう悪女と、組んでいます。そういう女性を、もてはやします。そして私の子供が幼稚園だった時代=1970年代を過ぎても、そういう女性たちを、私の敵として機能させます。

 北久里浜では後に夫が横須賀市副市長になっていく杉本正子さんが、このタイプです。

 この夫はどうして副市長になっていったかと言うと、北久里浜の水道山が、地績変更届と言う仕組みを利用して、全くお金を払わないで1200坪も、私有化されてしまったのですが、その時持ち主としての、横須賀市の土木課長が、杉本正子夫人の夫、俊一氏だったのです。で、私が杉本家へ電話をかけて「こうこう、こういうことが、今、根岸町二丁目の、〇〇ばんちで、起きていますよ」っと、ちゃんと知らせているのにもかかわらず、それを阻止する行動を一切を取らなかった人=正子夫人の、、旦那でその奥様が、正子夫人です。

 この人が、この2023年までも、稲田恭子さんとか、警察を利用してあれこれをやってきている事、引きも切らずです。1985年には、北村充子さんを利用して、ひどいいじめを仕掛けてきましたしね。だから悪女の典型と規定させていただいております。これらは、すべて、丁寧な本文があり、それのリンク先は、時間が有ったら,見つけておきます。

 鎌倉では、安野智紗夫人を筆頭に、その次に前田清子さん、白井夫人、平木夫人、それから、時々、主役が交代して、富沢夫人、渡辺夫人と、移動をしていきます。まあ、今日はこれくらいにさせておいてください。丁度、7日の、23時59分になりました。

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