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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ゴッホの入院の謎、それは、ゴーギャンの手配かな?

2009-11-01 23:00:13 | Weblog
 今日はたった9時間で更新しております。夜ごらんになる習慣のある方は下に2本ほど、一日の間に、アップロードをさせていただきました。
で、このお断りの後に本文に入らせていただきます。

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 何度もくりかしていますが、BSジャパンの番組(なお、ここで、お断りをしますが、研究発表者の名前を、小林利英と書いた日がありましたが、利延というのが正しい表記でした)を正しいと信じれば、ゴッホは一種の聖人となり、狂人ではなくなります。周りから狂人へと仕立て上げられた事となります。

 精神病院というのは、より力の強い人間が、不都合な事を隠すために、一種の収監先として、利用をされる事があります。たとえばカミーユ・クローデルが、彫刻の世界では、師であったロダンと恋愛と芸術上のトラブルに陥り、彼女の方が精神病院へ入院することになりました。別にロダンが手配をしたとも思えませんが、結果として大局的に見ればそうなります。

 ここで、全くの私的な仮説ですが、ゴーギャンが裏から手配をして、ゴッホを入院させたとすれば、この後年の、テオの銃撃を許したという事も二回目なので、わかるような気がします。つまり事実は、ゴーギャンが耳たぶを剣でそぎ落としたのですが、ゴッホがそれを許して世間には一切を発表しなかったので、かえってゴーギャンが恐怖に襲われたと考えると、ありうることとなります。

 「いつ、真実を語られるかが、わからない。それが怖いから、彼を、ここで抹殺をしておこう」となると、非常に分かりやすくなります。
 現在の私たちは、ゴーギャンの晩年が不幸であった事を知っているので、耳切り事件当時のゴーギャンが、力のある存在だったことを忘れていると思います。彼は株式仲買人でした。資本主義の興隆期で、今とは違って株式の売買は大衆のものではなくて、特権階級の専権事項だったでしょう。しかも仲買人とは、そういう大金持ちを心理操作して、利ざやを稼ぐ職業です。頭が良い人でなくてはできません。

 だけど、金持ちほど、気持が汚い場合もあるでしょう。損失を責められたりする日もあって、ゴーギャンはもっと主体的に生きられる、絵の世界へ逃げたのでした。でも、顧客との縁が切れていないと仮定をすると、顧客は大金持ちであり、特権階級であった可能性はあるのです。

 私は文化庁の在外研修生として、1998年にパリに渡ったのですが、そのときに意外なことを聞きました。「巴里って意外とコネが効くのよ。有力者に手配をしてもらえば、そんなこと・・・・・滞在期間を延長したいという、私の願い、それは、別のビザがいるわけですが、それが、・・・・・簡単にかなうわよ。たとえばシテ・デザール(後注1)へ入れるように手配をすれば」という話です。

 びっくりしました。巴里とはフランス革命の起きた都市です。しかし、それは遠い昔のこととなっていた模様です。

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 ここで、挿入となりますが、1950年代から1980年ごろまでの日本とは、世界に冠たる民主主義の実践国だったということが、事実だとすると、うなずける事がパリで、多々見受けられました。

 それは、別に<<<日本人がフランス人より優れている>>>ということではなくて、日本が、第二次世界大戦の敗戦という大ショック療法を受けて、まるで、大革命が起きたかのような大変革を経験したおかげでした。戦前までは士農工商という、差別があったのです。その上さらに、華族制度もあったし、大地主の存在も大財閥の存在もあったのでした。の存在も一方ではあったのです。
 ところが、新円切り替えとか、農地解放とか、天皇の人間宣言とか、いろいろ、あって、一気に、世界にたぐいまれなる、民主主義、および平等社会、が実現をしたのでした。
 
ただ、それゆえに、嫉妬社会ともなり、監視社会ともなり、しかも最近では、その民主主義平等主義も、相当に崩れてきています。

 だから今の若い人たちは相当に苦しい状況に追い込まれている模様で、大変ですが、今、67歳の私にしてみると、巴里が古いと思えるほど、パリは、特権階級同士の融通がきく世界なのでした。

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 しかし、ゴッホは<<<自分が、貧しい事に、ほこりさえ感じていた>>>気配がありますので、特権階級とは無縁でした。しかし、ゴーギャンは先ほども言った通り、画家になる前の職業上の付き合いがあったので、特権・階級・同士の根回しによってゴッホを入院させる事が出来るのです。

 大きな不条理ですが、それをも、ゴッホが許したと仮定をしてみましょう。しかし、一般の人には話していないその耳切り事件の真相を、精神科医のガシェ博士には話していたと、これも仮定をすると、ゴッホの死亡時の、ガシェ博士の不思議な行動の数々をも、理解ができ、納得が行くこととなります。

 Wikipedia によればガシェ博士と、ゴッホはパリで知り合った事となっています。ガシェ博士は週になんどか、パリへ診察をしに出かけていたのでした。貧しいゴッホが、当時は数が少なかったであろう、精神科医にかかる事ができたのは、精神科医の仲間内で、ゴッホが既に相当有名な存在になっていた事をうかがわせます。

 ガシェ博士は、親切に好意を持ってオーヴェールに招いたといわれています。その下宿だって、ガシェ博士の紹介で入った可能性はあります。風貌が特異で、性格的にも順応性の低いゴッホを、受け入れる人が、なかなかいないと思われますが、その町の名士であるガシェ博士の紹介だったら、小さなカフェが下宿を引き受けてくれる可能性はあります。

 だけど、ガシェ博士の潜在意識の中で、研究テーマとしてのゴッホへの興味がなかったと言ったらウソになると思います。実験動物と言ったら言い過ぎですが、とても、変わった例として、ゴッホをそばで観察したいと思っていたとしたら、非常に納得がいく事があるのです。

 なぜ、週に何回も巴里へ出かけているガシェ博士が、銃弾を取り除く手術ができる外科医を、パリから呼ばなかったかですが、もし、<<<犯人がテオである>>>と、ガシェ博士が既に、推察をしていたら、それは、納得ができることとなるからです。

 これも仮定ですが、金銭的援助をめぐるトラブルが、弟テオとの間に既にある事を、ゴッホから聞かされていたら、ガシェ博士が、弟テオの方を助けてやろうと考える可能性はあるのです。

 ゴッホとは、単に患者と医師という関係だけではなくて、友人でもあったと記されていますが、精神科医としての研究対象として、ゴッホを観察したいと思っていたとすれば、ゴッホに感情移入をしていないわけです。だから、常識から判断すれば、テオの言い分は無理がないとなり、この銃撃を、予測をしていた範囲の事と考える可能性は高く、冷静極まりない判断の結果として、ゴッホを助けるよりも、テオの味方をしたいと考えた余地は残るのです。
 テオがもし、銃撃を本当にしたとして、彼が秘密を最後まで守りえたのは、妻の支えもあったが、ガシェ博士の心理的な支援もあったと考えると、納得がいき易いのです。
 
でも、テオは、さすがにゴッホとは、血のつながった兄弟であるから、冷静極まりないガシェ博士とか、妻とはちがって、悩みと苦しみの果てに、自殺ではないものの、自らの命を、短縮することとなったのでした。

 以上の二つは、まったくもって、私の直感的な判断に基づいていて、研究資料を当たったわけではありません。だけど、いつも心理学的な問題に興味がある私には、このように想像をされるのです。では、今日はここで。いったん、切りましょう。

(後注1)シテでザールとは、アトリエつきマンションで、800人程度が入所できる施設。大学ではなくて、すでに作家として自らを確立した人が、パリで、制作やら、発表が、容易にできるように、配慮をされていて、個展ができる画廊が5室も付属をしているし、プレスという版画用の機械がたくさん並んでいる工房も付属している。地の利は、ノートルダム寺院のすぐそばのセーヌ川中の島で、超便利。私自身も、一回日本へ帰宅した後で、そちらへ、再び学びに出かけたかったが、それはかなわず、後ほどニューヨークへ行くことと成った)     2009年11月2日  雨宮舜(川崎 千恵子)
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ゴッホの死と、弟やその妻との、深い関係 

2009-11-01 13:34:20 | Weblog
 今日は、13時間以内という速やかさで、更新をしてしまっています。で、夜にブログをごらんになる習慣のある方は、どうか、下(前日の分)もお読みいただきたいのです。そこでは、新説の骨子が書いてあります。で、その次に、前から書いていた、以下に在る、今日の部分に入ります。

 前日にとうとう新説の全貌を明かしました。つまり、ゴッホの死は弟テオがゴッホを撃ったことに、真因があるが、ゴッホは弟テオをかばって、<<<<<自分で自分の身を撃った>>>>>と、宿の亭主に告白したという、のが、その全貌です。

 その番組は非常に出来がよくて、あっちこっちに寄り道をしますし、性急な言葉は表れなく、むしろ言葉としては暗喩にとどまっているほどですが、

 映像として、弟テオが、ゴッホを撃つところが出てきます。そして、テオはゴッホの葬式の後、一年もしないうちに亡くなっています。それが良心の呵責からそうなったということに、すると、つじつまが合うことになります。

 テオがゴッホに追い詰められていて、ピストルをオーヴェールに持参したときに、すでに正常な判断能力を失うほど、一種のノイローゼだったと考えると、その後、さらにそれが悪化して、食べるものも食べられず、生きる気力もなくししまって、ろうそくが消えるように、死へ向かったと考えると、それも妥当ですが、テオの遺族が存命中で、立派なゴッホ美術館を経営しているわけですから、

再度、申し上げるように、

番組内では、言葉としては、それは、あまり出てこないのです。

 ただ、映像として、二人並んだ、そっくりな墓が出てくるだけです。
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 この番組が示した数々の、映像や資料を考え合わせると、<<<ゴッホはやはり、聖人だ>>>となります。<<<自分の耳を剣で傷つけた、ゴーギャンを許し、かつ、自分の腹をピストルで撃った弟テオを、許す>>>のですから・・・・・

 ただ、正当にして丁寧な外科的な手術(つまり、弾を取り出すなどのこと)が行われなかったというのも大きなミステリーですが、そのポイントを追及していくと、とんでもないことへ向かうので、ここで、私も番組に倣って、これ以上の追求を止めます。

 ただ、相当に重要な言葉が最後に出てきます。

 ・・・・・ゴッホの自殺は、文書としては、書簡集の序文にしかないことである・・・・・と。

 ゴッホ自身は、その書簡の中で、遺言めいた言葉は一切述べておらず、ただ、ただ、やるべき仕事への意欲だけを述べているそうです。つまり、前向きな発想しかなかったわけです。

 この最後の言葉によって、視聴者のほうは、テオの奥さんの意思やら、意向というのを感じ取ることとなります。

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 そういえばと、思い当たることがあります。私も以前から、それだけは不思議極まりないと思っていたのは、どうして奥さんがあれほど、ゴッホを支援するのだろうということです。


 「兄弟は他人の始まり」とよく言います。『テオ自身はゴッホに純粋な愛情を持っていても、お嫁さんにはそれは、無いだろうに、不思議だなあ』と、昔から考えていたのです。
 ゴッホの書簡集は奥さんが出版したのです。その書簡集が評判を呼び、ゴッホの高い評価へとつながるわけで、奥さんがいなければ、ゴッホは生前の評価のままにうずもれた作家(この場合は画家のこと・・・・・今は美術界も画家を作家と呼ぶ)で終わったかもしれないのです。

 番組が示唆するのは、奥さんはその序文を世間にさらしたくて、その書簡集を編んだということです。

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 これから先は番組内では言われなかったことで、私の推理となりますが
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 <<<奥さんは、ゴッホを一種の狂人と、したてあげる目的で、あの書簡集を編んだ>>>といえば、なるほどと思われます。「これほどの量の手紙を書くなんて普通じゃあない・・・・・と、あなたはお思いになりませんか?」と世間に対して質問を投げかけることが主目的であり、ゴッホを画家として売り込むためにあの書簡集を編んだわけでもない・・・・・と、すればすべては納得がされます。

 『狂人だから、自殺もしたのだろうなあ』と世間の人々が思い込むように仕向けるのが、目的で、あの、膨大な書簡集が編纂をされたと、成れば、奥さんは夫テオと、その間にできた息子を守るために、必死だったということになります。

 しかし、これも、本当に不思議なことですが、奥さんが書いたプロットが、いわゆる『天才と狂人は紙一重の差である』に当てはまり、→ゴッホは、後に天才としてもてはやされ、→その絵が高額で取引をされるようになり、→弟テオの子孫を守っていくことと成るのです。

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 ここで、大きくお断りをしますが、私は「奥さんが悪人だ」と言っているわけではありません。テオは、きっと一度や二度、「子供や家族のために、お金がかかるようになりましたから、もう送金はできません」という手紙を書いたはずです。それに対して、「お前も倹約をする必要があります。だから、旅行など止めなさい」とゴッホにいわれれば、それこそ、<<<自分勝手すぎる>>>となって、テオ一家は、怒ります。それは、ゴッホのほうが世間知らずもいいところだということになります。

 私の結論を言えば、『奥さんもまた、追い詰められていた人の一人』となります。どんなに急いで、あの書簡集を作り上げたかを想像すると、胸が痛むほどです。つまり、疑惑が夫テオに向かう前に、ゴッホを狂人へと仕立て上げ、自殺だと世間が信じ込まなければ、自分と子供が追い詰められるわけですから、どんなに必死だったでしょうか?

 三人が三人とも、消耗の限りを尽くした、その2、3年でした。その結果として人類は類まれなる絵を、手に入れたのです。不思議な現象です。

 ゴッホをめぐるストーリーというか、輪廻は二転三転していくこととなります。ヨーロッパで生まれて死んだ・・・・かつ牧師の息子だった人に対して、・・・・・
輪廻などという仏教用語を使ってはいけませんが、まさに死んだ後によみがえり、強烈な生命力とストーリーをばら撒き続けるゴッホは、普通の人の、二倍、三倍の生を生きていると感じますから、それをお許しくださいませ。
   2009年11月2日  雨宮舜(川崎千恵子)
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