下の文章ですが、10月2日(月曜日)の午前、1時から3時までに、さらに、相当な字数を、加筆をしました。その部分は、黒の太字で、書いて居ます。
副題1、『榊原節子さんとは、・・・・・愛情を他者に対して抱けない人だ・・・・・と、後注1の副題1内で、言明したゆえんが、この章で、詳しく説明ができるのだった』
ところで、最初に置いた写真の説明をさせてくださいませ。これは、皇后陛下、美智子さまの従姉妹である、榊原節子さんの本で、PHPから、出版をされて居ます。
榊原節子さんとは、片山祐輔君のなりすまし疑惑事件の際にも、古村浩三君と、一緒にたびたび、登場していただいている貴婦人ですが、今般、小室圭君と、眞子さまのご婚約に際しても、重要な働きをされて居ると、私は見ています。彼女は、全国のお金持ち(たぶんロータリークラブ)から、招かれて、賢い資産管理についての講演行脚を続けているそうで、その記録から、生まれた書物だと、思います。
この本の冒頭に、『子供に、うかつには、資産を与えない方が良いですよ』という事が書いてあります。その時点で、彼女のお子様方は、充分な大人なのですよ。だから、まあ、経済的に自立したという年齢です。しかも、名門の家柄のお坊ちゃまだから、良いところにお勤めであろうし、お給料は高いだろうし、お嫁さんは、名門の出自を持つ方であろうから、私でさえも母からジュエリー類は、もらっているわけで、家とか、車とか、お嫁さんの実家側から、いろいろ、プレゼントされることは多いはずなので、お金持ちでしょう。だから、未亡人である節子さんが、生前贈与をする、必要はないとは言えます。*→*へ飛ぶ。
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副題2、『須賀敦子や、池内紀さん担当の編集者、川名昭宣君と、伊藤玄二郎の結びつきをここで語りたい。また、伊藤玄二郎が動いて、おバカさんの柳沢昇の支援を、最近も何度目かとして、メディアでしてあげたみたいだから、私は何の良心の呵責もなく、川名君が、国会図書館まで、支配するCIAエージェントの、一部であることを、言っておこう』
*→*しかし、私はね。節子さんの坊ちゃま方の小さいころのお顔を知っているのですよ。このことは本当に言いたくないのですが、節子さんと私は何も喧嘩をして居たわけではないのですよ。それこそ、伊藤玄二郎の元愛人たる、石川和子さんが、私の猫のことで、自分が悪いのに警官を呼び、そのまた警官が大失敗をした(2005年の夏)後で伊藤玄二郎は、必死になって、私の国際基督教大学時代の、同期の二人(川名君と、三輪さん)を利用して、そのラインからか、石塚雅彦さんにすり寄って、数々の謀略を、ICU同窓会を利用して、行ってきたわけです。
渡辺幸子さんの、青木繁大賞展の大賞受賞から始まって、莫大な、謀略が、これまで、行われてきたのですが、新しく名前の出た二人と、伊藤玄二郎の結びつきをここで語ります。
川名昭宣君は河出書房で、伊藤玄二郎と同期入社だった可能性があります。年齢としては、玄二郎が、一歳下の筈ですが、川名君は、フランス留学済みだったので、入社が遅れたからです。この川名君が、私に対して、やって来たことの中に、須賀敦子や、池内紀担当の、紳士などとは、とても考えられないほど、下品で、異様なことが数点あって、伊藤玄二郎との結びつきを、はっきりと、知覚している私です。「川名さん、バカにしなさんな」と、ここでは、言っておこう。その異様な事とか、国会図書館支配の話は、相当に、大切なことなので、今は、まだ、語りません。ただ伊藤玄二郎と付き合うと、ああいう態度が伝染してしまうのでしょうね。柳沢昇を30年弱、見ているので、よくわかります。下品で、くだらない男だという事が。柳沢昇がそうだから、その背後にいる伊藤玄二郎も、きっと、同じなのでしょう。
伊藤玄二郎の元愛人だった石川和子さんの現在の夫、柳沢昇のおバカさんが、偉そうにする限り、こういうことをどんどん進んで、書きます。あの夫婦、および、安野夫妻、および、前田夫妻(最近では、白井小野寺夫妻も加わっているが)の8人が、信じられないほどの、人権侵害を行って来ていますので、伊藤玄二郎と、結び付いている川名昭宣君についても、書く事となるのです。何を書くかというと、彼が、『ばれるはずが無い』と、思っているだろう、数々の過去に行われた悪だくみを、解明していくということです。
先週かなあ。また、伊藤玄二郎がテコ入れをしたらしくて、お客さんが【かまくら春秋窯】に、三々五々、というか、ひっきりなしに来ていました。それは、商売だから、構わないのですが、我が家の門の前に、ほうきを立てたり、植木鉢のチューリップを頭から摘んだりしていますね。(後注2)だから、彼が偉そうにして、私の前を通ったりしたら、必ず、鎌倉エージェントの事を分析し始めます。また、大きな音を自宅で立てて、存在感を誇示する時があるのですが、そういう際は、必ず書きます。
彼(この場合の主語は、柳沢昇)が道路を通るとき、もし私と出会ったと仮定します。そういうときに、きちんと声を出して、そちらから挨拶をするぐらいなら、だんだん許すという事もあるでしょうが、今は、許すなどとは、無理無理な、段階です。
ところで、今度の、月曜日に、クラス会が開かれます。そこで、これを読んだ、川名君が、私を同窓会から排斥しようとしたら、「入江多喜雄君を、同窓会に入れ込んだ、事案(1998年の事)がおかしいでしょう。そういうことをやっている特権者のあなたが、今度は、反対の方向へ動くのですか。汚いこと」とここで言っておきます。
入江多喜雄君とは、1067年度の入試が無くなるほどの騒ぎを起こした、学生で、そこで、ICUの評判は、一気に落ちました。それで、退学処分か、中退扱いになっている人物ですが、卒業資格を川名君が、与えてあげたのです。そういう事をやっているのに、一方で、私のことを排除しようとでもしたら、圧倒的に書き連ねます。ただ、まだ、影響が表れていないので、待っているという段階です。10月2日には、無論、私は、欠席をしますので、私まで、影響が伝わってくるのは、三年ぐらいかかるかもしれませんが、ともかく、何かあったら、川名君と、伊藤玄二郎の関係から生まれた諸問題は書きましょう。
被害を与えられているから書いて居るのに、書いている内容が、自分にとって、不都合だから、それを盾に、ICU同窓会から、私を、排除しようとしたりしたら、川名君の悪辣さも、さらに、丁寧至極に書くこととなるでしょう。
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副題3、『渡辺幸子さんを使った、言論弾圧の仕組みを今まで、書いてきたが、それが、50%の真実開示だとすると、本日は、75%までの、真実開示として、相当、詳しく説明をしていこう』
この・・・・・卒業資格を随意に、川名君が与えることができる事例ほかの、恣意による特権を与える事案・・・・・が、渡辺幸子さんにも繰り返されているわけですね。渡辺幸子さんは、別に大学に迷惑をかけたわけではなくて、父親が破産をなさったので、一家の生活費を支えるために、スチュワーデスになるために、中退されたのですが、卒業資格を与えられています。ICUは、勉強がキツイ大学なので、それを、二、三年、スルーをして、卒業資格を与えられるなど、とんでもないというか、あり得ないご褒美なのですよ。
彼女は望月画廊の、同窓会展で、私を電話を駆使して、いじめてきたので、・・・・・電話を盗聴している鎌倉エージェント(=CIA,一部は、警察が、協力をしている)・・・・・は、私に対するライバル設定を、彼女に対して、行い、青木繁対象を与えて、賞金100万円を与え、しかも、ガレリアグラフィカで、個展をさせて、しかも、卒業資格を与え、同窓会サイトで、有名人として、渡辺真理さんにインタビューをさせて、アップしたら、
彼女(=私のこと)は、非常に悔しがり、地団太を踏むはずだ。だったら、それ一つだって、彼女が消耗するのに大いに役立つねと、2002年ごろに、計画が立案をされたのでした。それから、15年間経っています。
私は、読売新聞を取っていないので、渡辺幸子さんが、青木繁大賞展の大賞を取ったことすら知らなかったのですが、月曜日に、いつものこととして、ガレリアグラフィカの二階に作品を見に行ったら、月曜日に、銀座巡りをしたことなどない、渡辺幸子さんが、そこに待っていて、しかも酒井忠康氏も、同時刻にいて、ソファーに座っているわけです。そして、栗田玲子さんを含む三人が、どうも、排除の雰囲気を如実に出して、私を追い出そうとするのです。画廊って、おもてなしをしゅぜとする商売だから、これは、変だなあと、思うわけです。しかし、その日には、全体像が、見えていなかった私は、すごすごという体で、そこを去るわけです。
今、小池都知事が使う、排除の論理で、戦後の政治の、大きな部分を占めてきたリベラル派が、政治生命を絶たれようとしています。それだけでも、小池百合子さんが、CIA派だということはめいめい白白ですが、安倍晋三総理もそっちだから、本当に、国民は、置いてけぼりで、ここに、書いている、渡辺幸子さんみたいに、彼らのお気に入りに、名誉と、お金が集中し、ほかの人は、置いてけぼりになる、差別と、選別の時代に入るのです。いやな世の中が、私の周辺だけではなくて、日本全国民におよぶ時代になっていくでしょう。恐ろしいことですが、そうなっていく可能性が、強くなりました。
ただね。この日、ガレリアグラフィカで、四人が集合した時に、私だけ、排除の憂き目に出会ったという、それだけでは、皆様も納得なさらないでしょう。あなたの思い過ごしです。とか、被害妄想がきついですねと、言われかねないですね。ところが、この五年後の、2010年にすごいことが連続して起きるのです。で、井上ひさしが、自分を死んだことにするのですから、私が、言っていることは、確実性があり、かつ、正しいのですよ。
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副題4、『ああ、栗田玲子さんよ。あなたは、教育大学をご卒業です。現在の筑波大学ですね。その西洋史学科を。という事で、銀座で、大きな顔をなさっておられますが、裏で、恐ろしい事を数々おやりになっているのは、気がついています。あなたは、山本容子さんに、夫を捨てる様に勧めたと、されて居て、それは、有名なエピソードですが、その手の思い切った手を打つの、一方法として、長谷川智恵子さんの、茨城県教育委員会での、「障害児は、妊娠中絶させましょう」発言を用意した、グループの一人ではありませんか。結局やまゆり園事件は、長谷川さんを目立たなくして、長谷川一族を安泰にもっていくために、より、大げさで、派手な事件として起こしましたね。となると、あなたが、やまゆり園の原点に立っているという事となりますよ。まあね。伊藤玄二郎に籠絡をされたから、いけないのですが、その前に、酒井忠康氏と言う人間を、見る目がなかった模様ですね。ただ、あなたも、酒井さんも同じ穴の狢なのかな? この表現は、政治的カラーと言う意味ではなくて、人間の根本の道徳観に於いて、似ているのかな?と、問うて居るのですが・・・・』
というのも、これを書いた後で、ガレリアグラフィカは、二階の内装を変更したのです。栗田玲子さんが招くお客の姿が、外部の人間には、見えない形に直したのです。つまり、私のブログに、書いてある物的証拠を消しておくと、言うコンセプトが、ここでも生きています。銀座のビルです。しかも画廊です。壁を動かすだけだと、言っても、10万円は、かかるでしょう。ただし、これも内閣官房機密費から出たのかもしれませんが?!?!?
そして、これは、神様が、ご支援くださったと、思うほかはない出来事でしたが、栗田玲子さんが、伊藤玄二郎と、直接に二人だけでデートして、密約を交わしている現場を見てしまったのです。鎌倉駅のトイレでね。女子トイレで、栗田玲子さんとばったり、出会ってしまったのですが、それが、夜の10時半です。私の方は、母が生きていて、見舞いに行って、帰ってくる時間帯なので、それは、普通の時間帯ですが、栗田玲子さんの自宅は、葉山にあります。葉山に自宅のある人が、夜の10時半に鎌倉駅に降りてはいけません。すぐ裏に何があるかは、察せられて、それを、確かめようと待っていると、栗田さんの方も、『やばい』と思ったのか、ずっと、出てこないのです。その意味は、私には明瞭にわかるから、ずっと、待っていると、やっと出てきて、あれっという顔をしていましたが、彼女の方には、待っている人がいるので、10分も待たせるわけにはいかなかったのでしょうね。
栗田さんが、個室を出てきて、数行にわたる会話を私と交わしただけで、男子トイレで待っていた、伊藤玄二郎は、栗田さんと、出会った人物が私であることを察知したみたいです。もしかすると栗田さんが、「川崎さん、まだ、待っていたの?」ぐらいのことを言って、それを、サインとして、男子トイレ側に、送ったのかもしれません。二人一緒に女子トイレを出た途端に、20m先を走って逃げる伊藤玄二郎の後姿が、見えました。麻のスーツを着ていたので、井上ひさしだったのかもしれませんが?!?! 栗田さんが表駅側に降りて行ったので、伊藤玄二郎が相手だったでしょう。井上ひさしと懇談をするのだったら、裏駅側の改札口へ行かないといけません。夜の10時半は、もう、レストラン類は開いていないので、かまくら春秋社のビルへ向かうか、井上ひさしの自宅へ向かうかしかないからです。しかも、鎌倉の有名人で、実力者の、伊藤玄二郎が、行う密談ですからね。チェーン店としての、居酒屋など、使うはずもないです。
そして、証拠隠滅をしておこうという話は、ここでも、利用をされて、鎌倉駅のトイレは、改装をされて、女子トイレと、男子トイレの間の壁は、厚く強化をされ、女子トイレ内の、私と栗田玲子さんとの会話があ、男子トイレ内にいる、伊藤玄二郎には、聞こえない様になりました。しかし、栗田玲子さんを、中心にして、二度の証拠隠滅が、行われたので、自分の考えていることが、確実に当たっていると、思い始めます。しかし、さらにことは、進むのです。
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副題5、『やがて、渡辺幸子さんでは、弱いと、判断をした、鎌倉エージェント一味は山本容子へ、ライバル設定を変更していく。山本容子が、アガサクリスティーを、分析する、番組で、「イタリアから、帰ったばかりです」と主張するのを幇助するために、NHKは、山本容子が、宿泊をしているとされるホテルで、番組を収録をした。その上、ニュースウォッチの直前に、世界遺産について、解説する短い番組を作り出し、クリントン国務長官が、来日したその日という、国民が、多数ニュースウォッチを見るだろう、時間帯に、彼女を出演をさせた。ともかく、持ち上げ、持ち上げ、大物としたうえで、2010年4月5日から、10日まで、森さんという男性画廊オーナーが設定した、私の個展に、むけて、同じ週に山本容子の、個展を行い、銀座の画廊主が、誰も、お客として、私の方へは、来ないという苛めを行った。
私の方の個展は、本当は、「三月に行いましょう」と、森さんから提案されていたが、急に時間が変更となった。それは、山本容子の、個展を急に入れる為の、スケデュール表が、ガレリアグラフィカにとって、そこが最先端の位置として、空いていたからだと、思う。そして、『お前、御客の入りで、負けただろう』という辱めを受けるとか、画廊主の森さんが、展示等において、わざと作品群が、悪く見える様に、展示替えをしたりして、
また、そこで、昔、出会った作家である、ピンクのテロ=ヌードに近い姿で、美貌を武器に、社会運動を=する女性が、「渋谷のユーロスペースに出るので、来てください」と、言ったりしたので、振り回され切った。また瀬木慎一さんが、突然に、手紙で、脅かしてきた。訴訟を起こすですって。(これは、時間が有ったら、その手紙のJ=PEGを置きましょう。どういう訴訟が起こせるのか、不思議極まりないですが、その際の電話のやり取りで、「あなたは、僕の事を知っているのですか?」と問われたので、「ええ、おとがいの細い方ですよね」と答えると、「あなたは、おとがいなんて言う言葉を知っているのですか?」ですって。瀬木さんは、すでに死んでいますが、もしかしたら、それも証拠隠滅の一種だったりして? これも、ただ、手先として、利用された気の毒な人の一人ですが?????
また、展示準備用の、土曜日に、北鎌倉で、何の車内放送もないままに、電車が、一時間半も停車して、銀座へ行くのが遅れた。
また、月曜日には、夫に森さんへ、あいさつに行ってくださいと頼んだ。どうしてかというと、これが、人生で、最後の個展になるだろうと、思っていたから、一度ぐらい、主人に、私の個展に関与してもらいたかったからだ。泥棒が、頻繁に入るので、夫婦は、別時間帯に外出することにしている。で、午後、一時半ごろ、主人は、銀座にいて、私の方は、自宅に、いたが、その主人が留守の時間帯に、10月に癌検診を受けた、額田病院から、連絡があり、後日来てほしいと言われた。これは、後日行ってみて、何でもないといわれたが、しかし、何でもないと言われるまでは、六か月も前の検診で呼ばれるとは、相当に悪いのかと、心配をする。それが、当然だ。それを狙われていた。苦しめて、苦しめて、自分たちの悪事を書いて居る私を間接的に殺そうというわけだろう。
市の無料検診の結果が、六か月も待たされるものだろうか? 普通は、待たされないと思う。これは、ただ、留守番をしている私を脅かすための、謀略行為だったと、思っている。医師会の、ニュースを編纂している伊藤玄二郎は、下手に出て、鎌倉の医師たちを籠絡をしていると、見える。向田病院の何と言う、医師が、協力したのだろうか? 主人にはわざと、聞いていない。が、こういういじめがあったという事は事実なのだ。
どうして、こんなに激しい重層的な攻撃を受けたかというと、その個展の、三か月前に、山口みつ子さんが、殺されている。すぐさま、他殺であると、書いた私を、病気にさせて、ブログを、書かせない様にするために、これほどに、激しい攻撃を加えられたのだった。しかも、山口美津子さんを殺したからこそ、その、2か月後に、鶴岡八幡宮様の、大銀杏が倒壊した。これも、伊藤玄二郎や、井上ひさし、酒井注康などに対する、天の、お叱りの表れだったのだが、谷垣禎一さんがなくなるまでは、
『何をバカげたことを言ってやがるんだ。あいつは。』というぐらいの感じで、一切反省がない、彼らだった。しかし、私は、この2010年4月5日からの個展のまっさいちゅう、あまりのことに怒り心頭で、
鎌倉・春秋社に向かい、「どうか、この個展に来てください」と言って、案内状を置いて帰った。これは、相手方も、正しく、その意味を、推察ができたみたいだったが、暗喩として、「あなた方の、悪だくみは、すべて、私には、わかっているのですよ」といったのと、同義だ。案内状を持って行ったのが、8日の木曜日であり、井上ひさしが、自分を死んだと、大騒ぎで、発表をさせたのが、9日である。
この先、もっともっと、栗田玲子さんについては、書かないといけないのですが、彼女については、特にここでは、渡辺幸子さんの派生的事実として、書き始めたので、この一章は、ICU関係者に特化したいので、このくらいで、終わらせておきます。
と、言う加筆部分を、二日目に入れて、また、国際基督教大学内の、謀略行為に戻ります。
ともかく、強いものの恣意が、入試や、卒業資格にまで及ぶようだと、それは、戦後民主主義が、生きている日本的な感覚からずれているから・・・・・アメリカなら、ハーヴァードでも、そういう・・・・有力者の子女向けの、推薦枠がある・・・・・と、聞いていますが・・・・・ICUの人気が落ちていくのですよ。入試の偏差値(ただし、他の大学と入試問題が全く違うので、測りがたいところもあるのだが、予備校調査では、ああなるのだろう)が統計的に低くなって居たり、付属の高校から、進学する先が、慶応の方を選ぶ子が多くなったのも知っています。眞子さま、佳子様がご入学なさったので、さらに、何らかの、ひいきでも裏であるのではないかと、一般社会の人からは、疑われても、いるでしょうし。
川名君、あなたの権勢(あなたの恣意が、やすやすと通る、そ)の裏に何があるのですか?
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副題6、『ベイカーさんと、三輪喜久代さんの関係は、1965年にすでに始まっている? そして、ベイカーさんは、自分の失敗を棚に上げて、ロックフェラー四世に、私を、悪者だと、讒言をしたらしい。 それを聞いて、ロックフェラー四世と寮で、一緒だった古村浩三君は、私のパソコンに破壊行為を繰り返しているのですか? そして、石塚雅彦さんは、一九六七年に、ニューヨークで、おきょうさんの就職(大森実の秘書)やら、渡米を、援助しましたか。ロックフェラー四世のお願いによって』
さて、同じ様な働きをしている存在として、三輪喜久代さんがあります。彼女は、伊藤玄二郎が尊敬して、そのもとに、すり寄っている、春秋社・東京・の社長秘書だった可能性があります。理科系なのに、どうして、出版社に就職したかですが、もしかすると、その就職の裏側に、すでに、ベイカーさん(完璧に、CIAスパイ・・・・・当時は、エージェントという呼び方はなかった)のあしらいで、そうなっていたかもしれません。
ベイカーさんとは、1965年にすでに、私の頭の良さを知って、後ろから、首を絞めて殺そうとした男性です。そのベイカーさんが、何故、首を絞めようとしたかと言うと、「僕、三鷹警察署長を知っているから、そのビラ配り(S君と言う子が三鷹駅前で、社会人を相手にビラを配りたいと、言った時の事)の許可を取ってあげるよ」と言ったからなのです。私は、目を丸くしてしまいました。どうして、二、三ねんの長さで、日本文化を学びに来たアメリカ人の学生が、三鷹警察署所長を、動かすことができるのですか?
その頃の私は前歯に、金冠をはめていた為に、容貌に於いて劣等感を持っていたので、とてもおとなしい人間であって、「ベイカーさん、どうして、そういう事になっているの?」などとは質問をしません。しかし、ベイカーさんは、私の顔を見ただけで、自分がすさまじいレベルで失敗をしたのだと、判ったのです。
この時の談話会ですが、私はベイカーさんとは、何も関係がないし、それ以前に、会話を交わしたことも同じ教室で、同じ講義を取ったこともないのに、出席する様に頼まれたのは、
テリーと言う私と、一年の時の同クラスだった女の子が、私の事を、「あの子が、非常に頭が良くて、かつ、誠実な子だ」と、推薦したのだと思います。
あのね、アメリカに支配をされていて、仮装状態で、独立国家の体を成している日本では、本当に頭の良い人間とか、本当に、気骨のある人間とか、本当に誠実な人間は、つぶされるのです。
だから、私の一生の損失は、テリーによって、始まっていると言えば言えるのですよ。ただテリーの名前を今まで出してこなかったのは、彼女は、一切、逆らったり、意地悪をしてくることが、ない人だからです。
もしかすると、AFS時代にすでに、上等な訓練を受けて、一種のCIAエージェント化している女性なのかもしれません。それにしても、三輪喜久代さんなどとは、異なっていて、恐ろしいぐらいに訓練ができて居る人なのです。スキがないと言えば、スキがない女性なのです。
だから、失礼な態度とか言葉が彼女の口から出てきたことはないのです。ただ、どうしても隔靴掻痒の感があるのです。でも、そろそろ、彼女について触れようかなと、思っている最中に、NHKで、女子アナをしている、彼女の、姪御さんが、番組に登場しましたので、『なるほどやはり』と思った次第です。ここら辺りは、鎌倉エージェントと、私とどちらが頭がよいのか、張り合っている最中であることを反映しています。
ともかく、私はICUキャンパス内で、男性らしき人間(ただし体格は大きくなくて、背の高さが、私と同じ位だったので、ベイカーさんだと、今では確信をしているのだが)に後ろから襲われ、首を絞められました。本当に死ぬかと思いましたが、右側に両者一体となって倒れ、彼の手の方が少しだけ長かったので、彼の肘が先に、アスファルトに当たり、電気的ショックが走ったらしいのです。で、彼の力が緩んだので、私は渾身の力を込めて、彼の両手を左右に振り払い、「助けてーっ」と叫んだのでした。すると、対抗方向から、7、8人の学生が、聞きつけて、走ってやってきてくれたのです。
当時のバス停、【正門前】で、降りたばかりらしくて、大学の方へ向かって歩いている最中に、私の叫び声を聴いたのです。そして、靴音高く、かけてきたので、後ろの男は逃げ出しました。彼は、私の後ろから自転車で追い抜いて、街路樹(桜と、カイヅカイブキが植わっていた)の影に隠れて、待ち伏せをしていたのだと、思います。私は、ICUの学生から、襲われるなどとは、夢にも思わなかったので、誰が自転車で、追い抜いて行ったかなどとは、まるで、注意してみては居ませんでした。
当時は、今の様な発言はせず、ただ、寮母さんに、「痴漢に襲われました」と報告をしました。しかし、当時のICUは、今よりも定員が少なかくて、日本全体には、知られていませんでした。で、ミッション系の私立から、入学してくる学生が多くて、いいご家庭のお子様が多かったのです。それこそ、有力者の子女か、裕福な家庭の子女が多かったので、痴漢行為などするはずがないのです。
今、妹が、殺されて居て、それが、警察の特殊部隊が行ったと、思って居ますので、ベイカーさんから発した、悪が、とんでもないレベルで、拡大していると、感じています。その一番最初の、事案が、ベイカーさんの軽さとか、おっちょこちょいなところにあったと、思って居ます。アメリカ人の短期留学生が、三鷹警察署・署長と、親しいなどと言ったら、誰だって変に思いますよ。彼は、失敗の多い軽い人間なのです。
で、彼が手をまわしているのか、CIAエージェント足る、石塚雅彦さんが、裏で、手をまわしているのか、大学の四年時(=1965年)に親しかった女性の友人がすべて、ライバル設定をされて居て、彼女たちの方が、出世し、大金を儲けているのに、ただ、私だけが放っておかれて、チャンスがあっても潰されて、かわいそうな位置に置かれ続けているのです。
ただね、そういう相手が、美術界を入れれば、50人は見つかっているので、だからこそ、私は、神様のご愛顧を得ているのですよ。神様だけが『可哀想な、あいつを救ってやろう』と、お考えになっているみたいです。
だから、四度ぐらい、命を狙われていますが、すべて、助かっています。そして、主人が常に、「お前ほど、恵まれた人間はいない」と言うのですが、確かにいろいろな経験をしております。他者の引きはないですよ。しかし、自分の努力だけで、やりたいことの、四〇%ぐらいは実現をしていますので、幸せな方の人だと言ってもいいのかもしれません。
三輪さんは、春秋社で働き始めた、1966年のその時点で、伊藤玄二郎と知り合っている可能性が高いです。だから、彼女は、50年以上にわたる私の」敵なのです。いやな話ですが、そういうこと。
三輪さんはスタップ細胞疑惑他、イギリスが噛んでいる、様々な謀略の下工作をしている可能性が高いです。普段は、ロンドンで、暮らしていますので。
で、ここで、スタップ細胞疑惑を纏めておきたいのですが、煩雑になるので、大宅映子の本質が、最近分かったのだとだけ言います。大宅健一郎という名前で、書いてある、小保方さんを支援した、論文があって、それが、たびたび、ネットの世界に出回るので、その名前は、たぶん、大宅壮一の関係者であろうから、そういう論文を身内に書くように勧めた、大宅映子さんの本質がわかったとだけ、申しあげさせてください。
で、大宅映子さんが、CIA側の人間だと、判って来て、従って、霞が関CCの女性会員問題が起きた時に、小池百合子さんが、すでに、CIAに取り込まれていると、言うことが分かったのです。その上、ピコ太郎と組んで、LED無償化を推進したので、さらに、CIA側に立っているということがわかりました。
だから、『安倍総理大臣と何ら変わりはない。どっちもどっちだなあ。決して、希望は持てないなあ』と、思っています。
で、更にはっきりとしました。だから、今度の総選挙で、どっちが勝っても、日本の一般庶民の生活は、変化はありません。相変わらず、収奪されるばかりでしょう。
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副題7、『ここで、お杏さんが登場します。到頭、真打登場と言うか、一番最初に、私のライバルとして、出世させられていった人です』
ええと、ここでですが、副題の二重ガッコの中に、「おきょうさん」と言う名前が初登場します。この人は、卒業直後にアメリカにわたりました。それが、彼女ひとりの力でできたことなのか? それとも、ベイカーさんの導きで、そうなっているかが問題です。
古村浩三君は、ロックフェラー四世と、石塚雅彦さんと、寮で、一緒だった可能性があり、かつ、私の同級生なので、一九六六年からすでに、アメリカ留学をしています。【おきょうさん】は、一九六七年から、就職という形で、アメリカにわたっていますが、最初が、当時の有名人【大森実】の秘書でした。大森実とは、毎日新聞外信部出身の政治評論家で、1967年当時は、アメリカに住んでいたのです。元NHKの日高義樹さんと似ています。
ところで、ここで、ふと思い当たった事なのですが、私は、1966年の四月に、卒業をしています。ところが学生運動の時代だったので、おきょうさんは、遅れて1967年に、卒業しました。私の方は、卒業後、東大に勤務して教授秘書をしています。それをベイカーさんが、勘案して、『東大教授より偉い人に、雇ってもらったら、おきょうさんの方が、彼女(=私のこと)より偉くなるぞ』と、考えて大森実さんを動かしたのかもしれませんよ。それは、可能性が高いです。それから、彼女の結婚も、一種のお見合いだったかもしれません。おきょうさんの、就職も、結婚も、石塚雅彦さんからの依頼で、駐米日本大使が、セッティングをしていた可能性があります。?????
【おきょうさん】は、子供のころ、脊椎カリエスを患っているので、背が低いのです。しかも、お父さんと、お母さんが離婚をしています。これが、1940年代のことだから、非常にまれな話でした。
だけど、そのお母さんの家(調布市に在った)に、私を連れて行ってくれました。一九六五年、第四女子寮で、一緒だった時期にです。・・・・・・この第四女子寮とは、榊原節子さんとも、一緒だったのですが・・・・・お母さんは、離婚が失敗だったというほどに、つつましい生活をしていました。はっきり言うと貧乏な暮らしをしている人でした。
だけど、この【おきょうさん】と、私との、ICUの南側に歩いて行ったデートを、ベイカーさんは、つかんでいたのでしょうね。同じ寮に住んでいたテリーが教えたのか? それとも、ベイカーさんが常に、私を尾行をしていたのか?
で、心の交流があるという意味で、親しいからこそ、二人の仲を割いて、二人を、離さないといけないという事で、【おきょうさん】だけが、特別に
、出世して行くこととなります。先ほど言った様に、脊椎カリエスの結果、背が異様に低いのに、外交官夫人となっています。或る時など、平屋の建坪六〇坪の公舎に住んでいたそうです。お客用のバスつきのベッドルームが、7つあるとか。
だから、【おきょうさん】は、学生時代は、ICU同期生の中で、劣位に在って、他者に甘えてペット扱いをして貰うという形で、生きて居たのですが、四〇歳を過ぎてからは、優越する立場となっています。その学生時代の、エピソードに【おきょうさんのパンツ】という話があります。おきょうさんが、何週間か、洗濯をしなかったのか、「しないでも大丈夫」と言ったのか? どちらか、その詳細は、覚えておりませんが、ともかく、「お杏さんは、二十一枚のパンツを持っている」と、言う笑い話が、広まりました。私の方は、それを聞いて、『お母さんと、お父さんが、離婚をして、次のお母さんが、入ってくるまで、脊椎カリエスにかかってしまう程、放っておかれたわけだし、洗濯などをして貰うという、養育上の手当ても、充分には、してもらえなかったのでしょうね』と、かわいそうに思い、とても、笑うことはできませんでした。だが、お嬢様育ちの、多い仲間内では、そんな裏事情を推察できる人は居らず、只単純に、それが笑い話の種になったのです。
ああ、ここで、再び挿入をさせてくださいませ。私が何故、このパンツ21枚のエピソードを覚えているかと言うと、是もまた、『愛情とは何なのか?』を、考える例題になっているからです。愛情の一つの形とは、相手の、恥とか苦しみを笑わないという事だと、思うのですが、これも想像力が高くないと、不可能な事なのです。私はね。おきょうさんが、背が低くて、それは、脊椎カリエスを、小さいころ患ったからだと、聞いただけで、相当に親が手を抜いて居たなあと、思うわけですが、兄弟が、多い中の末っ子だと、聞くと、『ああ、母親は、安心しきってしまったのですね』とも、思いなおすわけです。いい方に思い直すわけですね。
ところがその次に、両親が離婚をしていたと聞くと、『あれ、実母は、相当に上の空だったのでしょうね』と思うわけです。ここらあたりは、【飛ぶ教室】を読んで、血肉としているからわかるわけなのですが、・・・・・
ともかく、私は、例の小室圭君の祖父か曽祖父が勤めていた会社らしい、缶を扱っている(廃品回収業もやっていた)花村組の跡取り君が、同級生であって、別の、お顔のきれいな、男の子を殴ったりするときに、殴られている方の男の子も、もちろんかわいそうに思いましたよ。だけど、花村君も可哀想だと、思ったのです。そして、小学生の親としては年を取りすぎて居る、お母さんが、お金持ちゆえに、先生に、ちやほやされるのが、嬉しくて、他の母親より、頻繁に学校に来るのを見て、『ああ、このお母さんって、自分の社長夫人と言う地位を失いたくないがために、愛人の子だという花村君を引き取ったのだわ。でも、母親としては、全然ダメな人ですね』と、思って居たのです。五年生か六年生にして、そういう事が判っていたのですよ。
ICUでも、私は、おしゃべりではなかったから、それに、成績優秀者でもなかったから、バカだと、周囲からは、思われているみたいですが、常に、脳内シナプスは動いていて、ありとあらゆることを活発に考えていたのですよ。だから、母から、運転を禁じられていました。「絶対に交通事故を起こすから、免許取っちゃあだめよ」と言われて居ました。自分でも『そうだろうなあ』と、思って居たので、免許は取って居ません。まあ、それって、ひろお君や、ふさ子さんや、こうぞう君とは、正反対の生き方だから、彼等には、理解ができなくて、バカにする所以になっているのでしょう。だけど、ベイカーさんは、一瞬にして、『殺さなければならない程、頭がいいのだ』と、見抜いてくれたのでした。日本では、将来チェゲバラになって行く可能性のある人間は、30までに、潰される可能性があるのです。その最も派手な例が、ホリエモンでした。最も地味な例が私かな。しかも、75歳にもなっても、引き続いて、いじめを受けております。しかし、その、いわゆる地頭の良さが、困難な人生を送る羽目になってしまっていますね。困った事です。
おきょうさんとは、そういうペット的存在でしたが、外交官夫人になってからは、私に対しては、特に尊大で在り、威張りまくって居て、その詳細を書いたら、「えっ」と、皆様も驚くでしょう。「そんな礼儀作法で、外交官夫人なのですか?」となると、思います。
私が、どんなに、嫌な思いをしても、今まで、黙っていたのには、ちゃんとした理由があります。それは、お嬢さんがかわいい人だからです。そして、お嬢さんに、ドラクエの解き方を教えてもらっているからです。あれは、一九八五年ごろですが、お嬢さんは、数学が得意だと、前から聞いていたので、たまたま、お母さんが居ない日(お母さんは、これまた、活発に出歩く人でした。ICUの卒業生だから、家事だけで、おさまるタイプではないし)に、電話を掛けたら、お嬢さんが受けたので、「ゲームをやりますか?」と聞くと、「ええ、やっています」と、言う答えを得ました。一九八五年に女の子で、ゲームをやっている人は少なかったのです。
それで、「ドラクエVの虹の橋の掛け方が判らないので、中断している」と言うと、解決方法の、ヒントを教えてくれました。同様の電話が、二、三回、繰り返されたので、感謝していますし、その時の声の感じで、幸せに育っているおっとりしたお嬢さんだと、感じました。自分の子供には、ドラクエについては、質問ができませんでした。彼らが学校へ行っている間に、お母さんが、ドラクエにはまっているでは、立つ瀬がありませんのでね。で、親切をこうむったお嬢様のために、おきょうさんの、尊大さと、大きすぎる出世の裏側については、今までは、語らなかったのです。しかし、他の方面からの攻撃による、私の被害が大きすぎるので、本日は、タブーを解禁しました。
おきょうさんについては、もっとすごい話があるのですが、ただ、ひたすら我慢をしていたのでした。私は、愛情深い人だからです。(皆さんはお笑いになるでしょうね。日本人は普通は、自分ではそれを言わないから。だが、本当です。だから、他者から軽んじられて、いじめられますね)
他人がどうあれ、自分としては、守るべき道徳があります。だから、おきょうさんの苗字も、ここでは、曝していないでしょう。
このエピソードに類似している事は、今も続いている彼らの手慣れた手法です。少しでも親しいと、私との間を割かれてしまうという仕組みです。一之瀬智恵乎さんも、醍醐イサムも、或る日、彼や彼女らの方から、いじめてくる前までは、別に、喧嘩をする様な間柄ではなかったし、何の因果関係もなかったのに、誰かからの、教唆命令で、いじめてきたので、そのエピソードを書くわけです。同窓生ではないので、関係が薄いですからね。簡単に書けます。
特に一ノ瀬さんは、銀座で、母親であることを、標榜していて、それが、一翻ついて、上に立っている人なのに、つまらない用事で、出歩き過ぎで、しかも他人をいじめるなどと言う、母親にあるまじき行動をとるので、『これは、危ない』と、昔から考えていたので、その予想通りになったから、書いて居るのです。子供に対して愛情があるつもりに成ってはいるが、実際にはない人なのです。自己愛が、優先して居る人なのです。私は、子供が中学や高校時代は、自分を抑えていましたよ。子供へ奉仕していました。
ところで、一ノ瀬さんから、おきょうさんへ戻ります。「・・・・人は石垣、人は城・・・・という概念を、絶対に、享受させないぞ」と言う、鎌倉エージェント(=CIA)の強い意志を感じます。私には、陰で行われている事なので、いじめられて、初めて事態が判るわけですから、予防という意味で、の、抵抗するすべはないのですが、起きてしまった後で、すべての現象を実名入りで、書きます。神様への、報告書として。
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副題8、『榊原さんが、中学生時代のお子さんを、四国の私学に追いやってしまったのは、本当に不思議な、事だった。錦織君の、成績が、今下がっている。恋人がいけないのだという説があるが、私は、錦織君が、非常に早く、親元を離れて、フロリダに行ってしまったのも一因だったと、思って居る。西欧の少年少女には、キリスト教のバックグラウンドがあるので、小さいころから、全寮制の私学に入る子供も多いみたいだが、一般的には、それで良くても、ビビアン・リーがそうであった様に、子供時代に早く親から、引き離されるのは、心理的に、弱くなるという問題があるだろう。王室や、貴族の子供が乳母・育ちなケースがあるのは、良く知られているが、彼等は、一生を、家来や、使用人に囲まれて育つので、破たんを見せない。しかし、ダウントンアビーの予告編で、それを見たが、戦争などで、階級再編成などが起きると、困難に、直面して、弱さをさらけ出してしまう。というわけで、中学や高校時代こそ、親子の接触が、必要で、いわゆる見守りの、時期なので、そういう時期に、寮に、子供を入れてしまう節子さんの神経が信じられない。今まで、この節子さんのケースについては、何も語らなかったけれど、一ノ瀬智恵乎さんと、鈴木沙彩ちゃんのケース(=三鷹ストーカー殺人事件)では、・・・・・母親が、あまりにも出歩き過ぎなので、危ない事に将来なるだろう・・・・・と、2003年ごろから、思って居たし・・・・・と、書いて居る』
あのですね。上の方で、花村君と言う男の子が乱暴だったと、言っています。彼が、殴った子ですが、お父さんが、東大か、慶応卒で、三菱重工の、エンジニアか、庶務課で、課長ぐらいを、している人でした。つまり、人もうらやむ大企業のホワイトカラーの、人間がお父さんでした。だから、お金には執着心が無くて、三菱重工の社宅(と言っても、木造の三階建てマンションで、モダンな建築だったが)に住んでいました。一方の花村君は、何から何まで、正反対でした。で、子供心に、今でいう、・む・か・つ・く・という状況に頻繁に陥ったのだと、思います。そして、そのたびにそのかわいい男の子を殴ったのです。
私が榊原節子さんの、お子さんが、四国へ行ったことに、非常に不安を抱いたのは、そういういじめっ子が、居るような気がしたのです。そして、榊原さんの坊ちゃんが、嫉妬の対象になるのではないかと、案じたのでした。だって、子供ながらに、ひなには、稀な貴公子ですよ。両親も優秀なのだけれど、祖父の世代の、優秀さったらないのですから。で、上のはみ出しもつらいものですから、心配をしたのです。
なお、このブログの、2010年より数え始めた述べ訪問回数は、425387です。
後注1、この副題1の中で、私は、榊原節子さんが、他者へ対して愛情を持てない人だと、語っています。それで、眞子さまが大丈夫だろうかと言う話にも発展をして行くのですが・・・・・
小室圭君の6・・・・・ところで、ここに17日の早朝までかかって書いた事は圧倒的に正しいみたいだ。18日に、すさまじい復讐を受けたから 2017-09-16 19:12:47 | 政治