銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

深田恭子の休養を知って、私が、書き表したかった事は、何だったのか?

2021-05-30 21:12:57 | 政治

 今は、2021-5-31の午前8時です。昨日睡魔に負けて、一章だけを書いた以下の文章の*****以下の続きを書き始め、一応、初稿は、おわりといたします。

副題1、『本日のブログを書き始めるにあたってお断りをしておきたいこと』

 わたくしは、今、10本ぐらい、続きを書かないといけない案件を抱えています。2012年ごろだったら、12時間ぐらい連続して、パソコンを打ち続け、3万字ぎりぎりまで、書いて、完成にまで、持って行ったと、記憶をしております。ここでいう完成とは、書き始める前に頭の中で、出来上がっている構成通りに、終わると、言うことを指します。つまり、私の中では、書き始める前に、因果関係とか、起承転結が出来上がっていて、それを表現し得てこそ完成です。2012年後るまでは、そこまで、一日で、遂行して居ました。しかし、今はそこまでの、スピードとエネルギーが無いのです。しかし、こう言う風に書くと、また、敵さんが、大喜びをして重層的な、または、波状的な、大攻撃をかけてくるでしょう。それが、わかっているのに、続きを書かないで、時間を別のことに割いています。

 どうしてそうするかというと、【花伝書】ではないが、努力を尽くしていて、誠意を尽くしていても、成果が上がらない時もあれば、【まちぼうけ】の歌詞そのままに、のんびりしていても、成果が上がることもあるのです。*****それがわかってきたので、体が、要求するままの、休息をとる様になりました。不思議なことに、最近では、12時間程度起きていると、それだけで、疲労困憊して、眠くなることが多いのです。人間の体は、超・超・スーパーコンピューターですから、桜田門のある部屋においてある、超大型スクリーンに、映し出されている、(ご近所のルーターを通じて入ってくる)私の肉体の、大型画面に、あるポイントで、超極細のレーザー光線を当てると、最近、苦しんでいた、耳を中心とする、左側頭部の痛みも、昨日の夜襲われた気象依頼、たった14時間で襲ってきた強烈な睡魔も、出来可能なのではないかと、思っています。安倍晋三総理の、大腸炎も同じだと、推察しています。

 しかし、この紫色のフォント部分を書くと、周辺から、「あんたは、被害妄想とか、関係妄想が強いので、精神病院へ入るべきだ」という方向で、攻められてしまいます。だから、今まで、その種の被害には、30回程度出会っていますが、特別な場合を除いて、外へは出しません。

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副題2、『それとも、アドレナリンの、生成が、減少したのかな? それで、普通の人並みの疲労を感じる様になったのだろうか?』

 で、睡魔の襲来を、違った、理由で、起きていると、考え直す時もあります。それは、・・・・・アドレナリンの、生成が少なくなった、可能性がある・・・・・と、言うことです。1998年のパリ研修生活以来、途中でやまゆり事件等の数多い謀略事件を挟んで、

 プラス(筆力が上がり、紙の本も、自分一人で、工業的出版ができる様になった)の意味でも、

 マイナス(敵からの攻撃を受ける頻度と、深度)という意味でも、本当に激しい、戦いの連続で、アドレナリンが、大量に出ていると、自分でも感じていました。

 特に、1999年と、2000年の秋の、ともに三か月間のニューヨーク研修期間中は、英語が自由自在であること、よい研修場所に恵まれたこともあって、毎日、睡眠時間三時間で突っ走りました。しかし、4日目位には、やはり、疲労がたまって、7時間ぐらい寝ます。だけど、次の日から、また、三日間3時間睡眠で、生活します。夜は、一人暮らしで、しかも、半地下でも、2DKの一人だけの、住空間を確保していたので、パソコンを使って、ものを書くという習慣を形成していったのです。そして、帰国してからも、いわゆるてんぱっている状態が、長く続きました。

 それで、あまりにも速いスピードで、しかも、大量に文章を書くので、この文章の読み手として、特殊な任務を与えられていて、私の思考を監視し、そこから、対・私への・緩慢なる暗殺の、手法を考え出していた、井上ひさしが、『ついていけない』となって、日本ペンクラブ会長とか直木賞審査員、委員長の、職務を放棄して、私、監視専門となるべきだと、判断をして、自分を死んだことにしたのが、2010年4月10日だったのです。

 むろん、私の方も高齢化による、準備は、し始めました。2010年から、母の看病もあるので、紙の本の興行的出版はあきらめ、そのころ、私の、気持ちに反して、敵側から、メルマガの配信ができない様に手配をされたので、メルマガで、行っていた、美術評論も、自動的に、終始することとなってしまいました。英語で、書いてもいたので、世界へ、発信できる文章でもあったのですが・・・・・まあ、次から次へと、奪われた宝物は、多いです。が、

 その次に、中断したのが、美術の仕事ですね。という風に縮小して行ったのですが、ブログだけは、通常通りにと、思っていたのに、毎晩、完成まで、持っていけなくなった…‥ので、その原因を考えているところです。まず、アドレナリンの、生成が、量として、現象をしたことが、あろうとも考えています。これは、私自身の、気分の問題ですが、なぜ、気分が、ゆったりとしてきたかという、答えを書きたいと、思います。

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副題3、『少しずつ小出しにしてきた、この現代日本の、真実について、とうとうそこまで書くかというところまで、書くことができた。

 =======平木家の、ご長男に前年度の秋から、・・・・・お宅のご長男は、東大への、推薦入学が可能です・・・・というお知らせが入っていた。その、理由は、平木家一家が、この山での、CIA側代表である、前田家と、安野家に、小さい時期のお子様まで、使って、奉仕し、彼らの、過去の悪事を洗浄化し、かつ新たな、攻撃に対して、協力をしたからである=======

 という、真実は、2006年の、月間ギャラリーの連載中だったら、絶対に書かなかった、新j津でしょう。それと、2016年に、起きた富沢家の高枝切りと、言う真実が、無かったら、書かなかったはずです。富沢家の高枝切りは、その後、最近、起きている関本家の高枝切りと、言う事案や、鎌倉市会議員選挙の際に、再燃した、市役所の、深沢への移転騒動さえ、引き起こしていますし。

 しかし、考えてもごらんなさい。上の青みどり色のフォントで、書いた、部分は、すさまじいことです。

 2021年度、高校を卒業する生徒が、80万人いると仮定します。そのうち、60万人は、何らかの形で、それ以降も学習体制に入ると思いますが、中に、「東大を受験する、生徒が、クラスに、1人から、15人は、います」と、言う高三の、担任教師は、1000人から、1500人は、いると思います。不合格な生徒の数は、表に出てこないので、数えられません。しかし、1500人ほどの、高校教師は、受け持ちの生徒が、東大に願書を出すという生徒だと、思います。

 そういう先生が、このブログをもし読んで、・・・・・前年度の秋のうちに、東大合格を、一家全体で、知っており、ご本人は、ショパンの、英雄ポロネーズをジャンじゃカジャンジャカ、勝利感に酔って、高らかに弾ているのだ・・・・・と、知ったら、どう思うでしょうか?

 しかも、そういうことが起きるのは、CIAの裏からの工作があって、日本現代政治の真実を、語り続ける、私に対して、隠密裏な、攻撃を、行ったからの、ご褒美であると、知ったら、どう思うでしょうか。

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副題4、『こういうことが平気で行われたのは、1986年に、つうしんぼに、1と、2しかないと、いうことで、公立の男成中学校で、超有名だった(ただし、いじめの対象にはなっていない)ご近所生徒様(安野忠彦夫妻の、次男様)が「国立大学の付属高校にご入学になった」そうで、

 しかも、その3年前の、1983年には、私の長男が、私立中学二校を、不合格にされています。こういうことは、北久里浜で、旧水道山を、私有化する大規模な、詐欺事件(しかし、書類上は、地籍変更届という、形をとっているので、詐欺ではないそうで)の、裏側を、全部知ってしまった、私に対する、瀬島龍三の、復讐でした。北久里浜で、その事業を実際に行った、益山重夫(名義上は、その義弟、仲野通巳吉)は、陸軍中野学校で、瀬島龍三と、知り合ったであろう、元、海軍参謀だったからです。

 瀬島龍三は、すでに死んでいるはずですが、そっくりそのまま、その遺志は、伊藤玄二郎・かまくら春秋社社長、石塚雅彦・元日経新聞論説委員にして、早稲田大学教授、成岡康司君などに、引き継がれているので、こういう恐ろしいことが平気で、行われています。

 そのうえ、2020年12月22日に、私は、武蔵小杉の、病院内ドトールで、ぬるい水の、中に、ひそかに入れ込まれていた、新コロナウィルスで、感染して、病院に収容されて、殺されるところでした。22日から、二週間目は、1月4日なので、そこで、病院に、収容してしまえば、あとは、なんとでも、なると、言うのが彼らCIAエージェントたちの考え方です。しかし、ぬるい水を、飲まざるを得ない様に、同時に注文をしていた、ミネストローネスープは、超高温にされていたので、そちらが、150㏄、水が、10㏄だったので、胃や、食堂内で、ウィルスは、死んだ模様で、私は、発症をしませんでした。しかし、発症を隠していると、みなされて、国会で、「そういう人は、収監すべきだ」と、言う法律が危うく、成立しそうだったのが、2021年1月13日を、頂点として、国会での、与党、野党の、攻防でした。

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副題5、『彼らは、私がすでに死んでいるはずだから、安心して、平木さん一家に、東大入学式へ出席させようとしていたのだけれど、私は、まったく彼らの、思惑とは違った行動をとったので、困った彼らは、一方で攻撃を行いつつ、ごく最近では、

 慰撫の方向の、番組を、NHKで流している。それが、土曜日(今回は、2021年5月29日の、午後一時からの、古巣馨氏の番組の再放送だったし、夜の鹿川君の同級生の告白番組だ。

 しかし、一方では、激しい攻撃をやめない。その一つが、シャルリーエブド事件以来始まった、対私への攻撃で、前田家で、二階の窓を素通しのガラスにして、オレンジ色の、大きな天井等を、私が、東京から、帰宅する時間に合わせて(それは新橋駅の、エレベーターの、監視カメラを使うのだと、思うが)、点灯することから始まって、夜の12時まで、点灯をすることだった。それは、以前に、テロリスト呼ばわりをして、渋谷の、喧騒の中で、拉致してしまおうと、されていた、仕組みの鎌倉雪の下への普遍だった。渋谷の方では、それを、遂行するために、ハロウィンが、奨励されていたが、私が、渋谷でどういう目に出会っているかを書いてからは、渋谷のハロウィンも甘やかされなくなった。渋谷の、喧騒を利用して、私を拉致することは、私が、事前に、それを知っていて、用心する限り不可能だからだ。

 前田家は、祝一氏が亡くなるとさすがに、一階と、二階の両方で、夜12時まで、点灯をすることが、異様であるとは、気が付いたらしくて、玄関灯をオレンジに変えて、それを、夜12時まで、点灯する様になった。

 オレンジ色の電灯を使うのは、それは、それで、白井達雄・小野寺夫妻が絡んでくる政治的な意味があるのだけれど、ここでは、煩雑に過ぎるので、それには、言及しないでおく。

 そして、そしてなのだ。平木さん一家が、距離が、40mは、離れている前田家よりは、ずっと、近い、(距離が、15mぐらいである)位置で、これまた、二階の、オレンジ色の電灯を点灯し始めた。開始は、2021年4月13日以来である。で、東大への推薦入学が、本当の事だったと、思い当たる。

 これから、ずっと、私が、死ぬまで、または、平木さんが、家を、改築するまで、その行為は、続くのだろうと、思っている。

 しかし、しかし、なのだ。この、2021年4月10日(土)の、夕方、初めてあそこの家の門内で、10分程度滞在していて、やっと出てきた平木夫人と、3~6分間、話した、ことで、

 今まで、善良そのものだと、推察していた、平木夫人が、相当に、したたかで一種の悪女であることを知った。和風の清楚な美女で、すれ違うだけでは、悪の要素など、一切感じていなかったのだけれど、

 わたくしが、訪問をしているのが、わかっているのに5分以上出てこない(これは、2005年の初冬に、石川和子夫妻が、自分たちの性欲の亢進のために、猫を迎えに来た私をいじめていた時期の行動と、そっくり、同じ、行動なのだが、)とか、

 関本夫人の、高枝切りについて、彼女が鎌倉市の広報を読んで自分で、申し込みに行ったのでしょうなどという、シャーシャーとした嘘を平気で、つくことを、知ったので、100年の恋も冷めるというか、びっくり、仰天して、自分の心の中から、追い払ったので、何をされても、平気である。

 この体制で、2025年、平木青年が、東大を卒業するまで、または、2027年に、東大の、大学院を卒業するまで、貫き通すつもりだろうと、思う。平木家は、外から見るとLDK以外の部屋が、5個はある様式なので、一間だけ、夜も、昼も使わないで、いて、大丈夫なのだと、思っている。

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副題6、『私が、すさまじい被害に、あっているのは、現代日本社会が、内包している嘘を、暴いているからだけれど、

 深田恭子は、そういう動きをしているわけではない。

 しかし、現代・全・世界が、そのルール下で、動いている、資本主義体制の中で、表向きは、勝ち組(または、現代日本で、もっとも、美しい女優)として、扱われながら、実質的には、プロダクションの、奴隷と化していた、事実を、見ていると、彼女も、犠牲者であり、とうとう、病に倒れると、言うほどの激しい酷使があったことを、知り、

 一つの社会現象として、記録をしておく必要を感じた。

 この文章を、書き始める最初期の総タイトルを、深田恭子・休養 + 鹿川君・同級生告白 + 古巣馨・長崎司教区司祭のお話(NHK心の時代)としていたのは、深田恭子と、鹿川君は、現代・日本・社会の、矛盾の犠牲者であり、

 人間として、どういう生き方が、望ましいかの反省を迫っている木鐸であり、

 古巣馨、司祭が、語った三人の市井の人の生き方に、その反面教師としての、生き方があると、思われるからだった。

 三人の市井の人とは、一般的な解釈でいうと、弱者である。わたくしは、三年ぐらい、この番組を、見続けているが、この回が最高に感動的だったと、覚えており、初回放送の時に、三度ぐらい繰り返してみた。

 三人とは、親の育児放棄のために、小学一年生の、二学期の初めに、急性肺炎で、死んでしまったひとみちゃんと、言う小さな女の子、

 それから、古巣司祭が、高校三年生の時に、実家から、遠く離れた神学校に寄宿生として、通学しており、久しぶりに、帰宅した際の、ご母堂の言葉や、行動様式、

 三人目は、離島の、精神病院に、30歳の時から、ずっと、収容されているミネヤンと、言う老人(男性)の話だった。ここでは、その三人のどこが、素晴らしいのかは、語らない。

 だけど、NHK+を持っている方は、ぜひ、ご覧をいただきたい。初回放送は、23日の早朝だったと、思うけれど、再放送は、29日の、午後一時だった。

 本日も診察に行かないといけない科目があるので、ここで、パソコンのそばを離れることをお許しいただきたい。では、

 また、自分としては、推敲や、誤変換直しが済んでいない文章に、署名を入れるのは、いやだけれど、ご近所様の実名を挙げているので、こちらの、実名をも、挙げておきたい。

 2021-5-30から、31日にかけて、これを書く。雨宮舜(本名、川崎 千恵子)

なお、このブログの、2010年より、数え始めた、延べ訪問回数は、6450601です。

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立花隆と私が、トルコの大遺跡エフェソスで、プチ・喧嘩をした話 + 我が家から絵を盗む泥棒について

2021-05-27 04:31:12 | 政治

  今は、28日の夜11時です。訂正すべきところを思い出しました。で、それをおわびし、訂正をいたします。それは、エフェソスで、最初期にキリスト教を布教したのは、イエス自身ではなかった・・・・その可能性が高い・・・・・と言う事です。下の方で、イエスが布教したと、書いてしまいました。

 この間違いが生じたのには、理由が二つあって、一つは、私自身の年齢による、記憶力の衰えを示してしまったという点。二つ目は、それがどっちだったかを確かめるための、書物が、我が家から、無くなっていると言う事です。

 現在は、2021年です。イエスが、ゴルゴダの丘で、十字架に、かけられて、刺殺された日付より、二千年弱が過ぎているわけですが、ともかく、二千年前の事なので、簡単に、情報が入るわけではありません。で、その専門家が、歴史家にあたって、調べたうえで、一種の小説として、THE APOSTLE (日本語に、翻訳されてはいないが、強いて訳せば、使徒行伝となると、思う)という、あつさ4cmの、ペーパーバックの書物を著しました。それが、紛失しているのです。

 他にも、俳句集、映画のプログラムなどの、パンフレット、父の画業での、活躍を書いてあった新聞の切り抜き、などなど、多数のものが盗まれています。これは、ご近所様ではなくて、警察の特殊部隊だと、信じています。それにも明瞭な理由があります。国立国会図書館に、父の新聞記事を探しに行ったときには、必ず、警察車両が、脅かし用に、駐車していましたので。もちろん、見つかっても、それは、ドキュメンタリーとしては、使えないので、(だって誰もが、2000年も前のことを正確に描写できるはずもないですし)小説化してあります。それでも、【クォ・ヴァディス】などに比較すると、ロマンチックさは、抑えられており、ドキュメンタリーに近いものです。厚さ4cmの英文から、当該の頁を見つけるのは、大変ですが、エフェソスという地名があるので、何とか、見つけられると、思うのです。なんとなく、マクミラン社だった、という記憶があるのですが、何しろ、読んだのが、1960年代です。で、アマゾンなどを探しても、似た書物はあるけれど、頁数から考えて、同じものとは、思えません。

 でも、マリアの墓があるほどですので、イエスが、亡くなってから、数十年後の、エフェソス訪問と布教だったと、思います。パウロをはじめとする弟子たちの訪問だったと、覚えています。

さて、この一文を書き始めて、5時間経ちました。ここで、レジメを置きたいと、思います。この章で、わたくしは、立花隆を笑いのめし、からかう様な筆致で、表現しています。それは、別に彼の仕事(特に田中角栄研究)を嫌っているからではないのですよ。そうじゃあなくて、彼の軽はずみな言動を、実際に見聞したからです。場所は、トルコの大遺跡、エフェソスでした。年月は、1980年8月です。わたくしは、エフェソスの遺跡の真ん中にいて、主人の方は、私のいる場所から、2キロか、三キロ離れたひまわり畑の中の一本道にいました。で、二人が夫婦であるとは、立花隆は、気が付かず、私の悪口を主人に大量に吹き込んだのです。で、二人で、あとで、大笑いをしました。

 リアルな世界での話です。その男性が、立花隆であることは2005年、彼が、

『エーゲ 永遠回帰の海』須田慎太郎(写真)、書籍情報社、2005、ちくま文庫、2020 を出版し、それが、朝日新聞の「売れてる本」というコラムで、取り上げられた時からです。

副題1、『私は、自分は、ハーメルンの笛吹きの要素があるのではないかと、常々思っており、それをこのブログに書いたこともある。したがって、渡辺夫妻は、例の、CIAエージェントたちに命令をされて、リスを殺処分に回した可能性は、ある。それは、考えたので、文章化を始めたのは、10日後だった。きちんと、待ったのだった。しかし23日の日曜日は、賢司さんが、CIAの攻撃用弾丸として動き、24日の月曜日には、奥さんの方が、動き、それが、また、江ノ電バスの運転手が、私の顔を知っていて、乗ったとたんに、すぐ警察署に連絡を入れている可能性につながったので、あの夫妻が、リスをsっ処分したことに取っかったのだった。まあ、まあ、何度も使われる夫婦であることよと、驚いてもいるのだが???』

 すみません。前報の後半が完成しておりません。しかし、これは、将来、深めて、続編として再度公開することにいたしましょう。あの夫婦は、しょっちゅう、・彼・ら・CIA・側に使役をされる夫婦なので、また、話題の対象になるケースは多いからです。今回も2021年5月14日に、リスを殺しました。

 もしかすると、それも、政治的狙いがあったのかもしれません。どういう風にというと、私が、今書いていることから、テーマをずらせるためにです。平木さん一家とか、関本さん一家に比べると、彼らCIA一派にとって、使いやすい一家なのです。それで、ふと、思ったのですが、彼ら夫妻の、収入源は、意外にも、かまくら春秋社にあるのではないかと、思い当たりました。

 あの会社は、いろいろな仕事をしています。維持新報という、タブロイド新聞型、フリーペーパーを発行しているし、鎌倉検定を主宰もしています。鎌倉検定は、コロナ禍の今は、中断しているかもしれませんが、人気検定種目として、かまくら春秋社の重要な収入源になっています。しかし、過去問題と同じでは、検定試験の体をなさないので、新しい問題を作り出さないといけません。そういう依頼は、メールで、来るわけで、出社しないで、いいのです。それで、あの不思議な、生活形態が、納得させられます。ただし、このアンダー来院を敷いた部分は、例のごとく、見てきた様な嘘を言いの類です。

 ただこの想像を、外部へ、堂々と、公開するのは、一つには、早稲田悠季さん(今、現在は、立憲民主党の、国会議員である)の、wikipedia を、数か月前にひいて、彼女が、かまくら春秋社に、勤務していたことを知ったからでした。え、相当、ハイレベルな人を雇っているのですね。これは、驚いたと、感じ入ったからです。

 というのも、

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副題2、『かまくら春秋社社長の、伊藤玄二郎と、旧河出書房に、入社した時期が、同年であった(または、1年違いであった可能性の高い)川名昭宣君は、・・・・・かまくら春秋社なんて、いち地方出版社じゃあないの・・・・・と、極めて軽んじる発言をしたのだけれど、

 それは、彼の、ある秘密を隠したいがために発言だったと、私は思っていて、彼と、伊藤玄二郎は、結構親しいと、思っている。

 川名昭宣君というのは、入学時は、1962年で、私と、国際基督教大学同期生なのだ。全学で、1学年300名以内の学生しかいなかった大学だから、お互いに、知っている。ただし、個人的な、会話を交わしたことは、大人になってからし無くて、在学中(=1962~66)は、交流はない。だが、彼は、フランス留学をしたそうで、したがって、河出書房入社が、1967年か1968年である可能性が高い。

 もし伊藤玄二郎が、現役で、中央大学法学部へ、入学し、1967年に河出書房へ入社し、彼が、一時期、wikipedia で、それを公言していた様に、たった、1年で、退社をしたと仮定すると、二人は、同じ時期に、河出書房へ、在籍をしてはいなかったと、言うこととなる。

 すみません、深田恭子の、休養について、ブログを書くつもりでした。しかし、その前書きを、書いているうちに、相当に、重要なことに入って行って、しまいましたので、そちらへ向かわせてくださいませ。

 この二人が、同じ時期には、河出には、いなかったと、言うことは、相当に、重要だ。

 なお、私ね。自分を語るときは、会話体を用います。しかし、他人を語るとき、特に、それを政治評論として語りたいときは、スピード感も大切にしたいので、文章体で、語ります。で、一章の中で、文体が、混交しますが、お許しくださいませ。会話体で、川名昭宣と、伊藤玄二郎の関係を語るのは、良しとしない、気分がありますので。

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副題3、『会社に入って、すぐ、退職をしたと、言うことを外部に公開をしている人物を、三人知っている。わたくしが、それを知った順番で、語ると、沢木耕太郎、立花隆、伊藤玄二郎の、順番で、歴史的に、その時期を言えば、その年齢から、立花隆、伊藤玄二郎、沢木耕太郎と、なる。

 立花隆は、なぜ、文芸春秋社をやめたかを、いろいろなところで、語っている。嫌いであると、宣言をしている、プロ野球の取材を命じられたので、やめたと、語っている。

 ここで、私の考えを述べたい。本日、久しぶりに立花隆の、wikipediaを開いてみて、

 二歳上の兄が、朝日新聞監査役を務めたと、書いてあった。株主総会へ、行くと(朝日新聞ではない別の会社だが)監査役は、外部の、別の機関に勤めていた人が招かれることがある。たとえば、銀行など。でも、朝日新聞社が、監査役に招くのだから、兄は、立花隆が、文芸春秋社をやめるときに、すでに、社会的地位の、高さを、証明しうる、職業についていたと成り、したがって、その兄の存在が、彼自身の退職の決意を、サポートしたと考えられる。心理的な意味でサポートをしたと、言っている。それと、長男で、無いことも大きい。

::::::::::ところで、ここで、挿入に入りたい。立花隆と、私はトルコ、エフェソス(現地の発音はエフェサス)で、5分程度会話を交わしている。

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副題4、『トルコ、エフェソスの、遺跡の中心で、私は、立花隆と、会話を交わした。彼のことは知らなくて、私は、対等の、日本人として、彼の考え方(トルコ人を馬鹿に仕切っていた)を批判をした。わたくしは、国際キリスト教大学で、ここらあたり・・・・・というのは、イエスが、十二使途と一緒に、布教をして歩いた辺たりなのだが・・・・・については、たいへん深く、学んできているので、立花隆の、不勉強ぶりを指摘して、批判をした。

 彼は、「自分は、ものを書く人間だから、予備知識がないほうがいい」と、主張をした。で、当時の私は、文章を書く人ではなかったので、彼に、向かって、「どういうものを書いているのですか?」と、言う質問はせず、したがって、彼が、すでに、有名人になっていることは知らなかった。東大卒であることも知らなかった。

 で、トルコ人が不潔であり、ばかであると、言い募るので、「どういうホテルに泊まっているのですか?」と、聞くと、日本円に直すと、600円程度のホテルに泊まっていると、言う。それでは、トルコ人の事を、不潔だと、言うのも無理はなかった。というのもエフェソスに入る前には、その遺跡への進入口に、モーテルがあることには、気が付かず、イズミールというトルコ第二の都市から、クシャダスと、言うヨーロッパから、クルーズ船が寄港する避暑地に泊まった。そのふたつは、今、グーグル地図を開くと二つの都市の間は、70キロは離れている。その間には、バスがあるが、エフェソスに、行く、定期バスはない。ドイツからが多いのだが、団体客を運ぶ観光バスは、あるが、個人旅行客には、移動の手段がない。それで、現地の人が使う、乗り合いタクシーに乗った。ジープをリフォームしたもので、それに乗っている人は、高速バスに乗っている人種とはまるで違うのだった。だけど、私は、12キロぐらい、40分をトルコ語で、乗客たちと、いろいろ話して楽しんだ。私は別に語学の専門家ではないが、外国というのが、非常に肌に合っている人間で、英語を話す人には英語で、英語を話さない人には、片言の現地語とボディラングエッジで、話が通じてしまう人なのだ。だから、その40分を大いに楽しんだのだけれど、彼らが、とても、貧しいことは、推察できた。ただ、私は、そういう風に、どこの国でもだれとでも、相手が善良な人だと、仲良くできるのに、立花隆は、できない模様だった。

  後で、写真を、アップするが、エフェソスの、中心中の中心で、私が、スケッチをしていた。わたくしと主人は、夫婦だけで、豪華な(?)個人旅行をしていた。というのは、主人の弟が、トルコの国家的事業を、担当している、五人ぐらいの、日本人駐在員の一人だったので、最初のイスタンブールで、下へも置かぬもてなしを受けていたから、その余波で、二週間の間、ずっと、上級国民(日本人として)なりの、ホテルに泊まっていた。毎晩、当時の貨幣価値で、10000円以上のホテルに滞在していたのだった。1980年のことだったから、現在の貨幣価値で、言うと、3万円から、5万円の、宿泊費で、旅をしていたことになる。エフェソスには、その前の日も、来ていたのだけれど、ごく近所のモーテル(オーナーは、日本の帝国ホテルで、料理人をしていたという。確かに、ほかのホテルとは、量が全く違って、少量で、それも、日本風だったし、ローストビーフのソースの味付けも100%日本風だった)に泊まり、二日目は、グレコローマン遺跡を、スケッチしたいと、思っていたのだった。

 1980年とは、携帯もインターネットもない時代だから、予約は一切なし。ただ、私が、英語が、自由自在なので、かつ、単純なトルコ語も覚えて行ったので、行き当たりばったりでも、ホテルに入ることができた。

 階級差ということなのだけれど、立花隆は、トルコの、最下層の、人達と、付き合って、貧乏だとか、汚いとか、悪い感想だけを抱いている模様だったが、一方の私たち夫婦は、日本トルコ間、経済協力関係の、一員で、始まった旅行なので、トルコの最上流の人と付き合っていたので、感想が全く違っていた。それでも、私は、尊大ではないし、過剰な誇りもないので、(内心ではあるが、それを外に出すほど単純ではない)トルコのありと、あらゆる階層の人と仲良くなれる。これは、ギリシャでも同じ、スペインでも同じ、パリでも同じ、ニューヨークでも同じ。

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副題5,『トルコ・エフェソスとは、トルコイギリス、共同研究で発掘されている遺跡で、最近では、クレオパトラの、妹の墓が見つかったと、NHKが報道をした。

エジプト発掘
第3集
クレオパトラ 妹の墓が語る悲劇

初回放送

2009年8月2日(日)
午後9時00分~9時49分

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 上は、NHKの番組の、情報からとったエフェソスの、2000人は入るといわれる、円形劇場だ。

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副題6、『エフェソスの、円形劇場を丁寧に、丁寧に、スケッチした絵が盗まれている。たぶん、我が家の合いかぎを持っている、二軒の家の、画家の方が、それに、関係をしていると、みなしている。そして、前報で、書いたリスをさっ処分した、渡辺賢司夫妻が、2020年10月15日に、植木鉢の怪の件で、「あなたは、小野寺夫人主催の、井戸端会議に、出ましたか?」という質問をしに、玄関ドアをたたいたら、玄関ドアを開けなかった。この件で、全戸を訪問し始めたのだが、渡辺家を訪問したのは、二日目であり、私が何を調べたがっているかは、前田家などから、彼の家にすでに、入り、したがって、自分たちが、嘘をつけないし、真実を言うこともできないと成って、ドアを開けなかったと、推察した。渡辺夫妻は、お隣の、大原光孝さんをかばったのであり、それで、植木鉢を我が家から盗んだのは、大原光孝さんだと、判断した次第だった。

 大原光孝さんというのは、奥さんが家出をしてから、ちょっと、道徳的なタガが外れたと、見える。お子さんもお孫さんもあるのに、こういうことを平気でする。ほかにも、デルフォイの神殿を描いた絵を切り裂いて帰っていった。また、日本人で、非常に美しい女性を、描いた絵も、盗んだうえで、西隣との間の側溝にそれを入れ込んで帰った。

 我が家の崖を無断で、崩壊させ、私道部分をコンクリート打ちにすることが使えなくした、中谷知二氏の遺児二人を助けることが正義だと、思っているらしい。

 まあ、この件は、ここでは、説明不足だが、エフェソスの絵が盗まれていると、言うことは言っておこう。それは、奥の奥にしまってあったし、その価値がわかるのは、画家でないとだめだ。ただし、これが、盗まれたのが、2005年ごろだったら、警察の仕業である可能性は、ある。

 それは、立花隆が、エフェソスを含むエーゲ海について、カメラマンが撮影した写真を使った書物を出版したから。エフェソスの、記録をこの家から、盗み去っておきたいと、警察が、伊藤玄二郎ら、CIAエージェントに頼まれて、盗んだ可能性もある。ただし、大原光孝さんが、二、三の、絵を盗んで帰ったのも事実である。

 其れと、この1980年の、旅行で、トルコで、買ってきた、ポリエステル製だが、白と黒だけで、模様ができている、スカーフと、新国立美術館で、アボリジニの展覧会があったときに、買って帰った、同じく、白と黒の配色だけのプリントのハンカチも盗まれている。後者は、木綿で、ハンカチとして使う場合は、価値が見えないだろう。

 ところで、猫の行動で、安野夫妻も、この家に入っていることがわかっているのだけれど、安野智紗夫人は、この二つには、興味を持たないはずだ。二人には、盗んでも、使い道がない。むろん大原さんにも使い道はない。しかし、この二つの布製のアクセサリーは、白いセーターとか、黒いセーターと、組み合わせると抜群の効果を発揮する。しかし、単独で、それを見ただけでは、価値が見えないものだ。その価値を見抜けるのは、美的センスが高い人でないと無理だ。この山にはほかに二人ほど、美的センスが高い人がいるがその二人は、絶対に泥棒などには入らない。わたくしは、そこらあたりを見間違う人ではない。

 これは、羊羹などを食べるための、小さいフォークだけど、先端が、180度反対の方向に曲がっているので、もう使えない。これは、我が家のオープンハウスの時に、カナッペのそばに置いていたのを、大原さんが鋭い目つきで、注目していたので、その後、数が減ったり、箱ごと移動をするたびに彼の影を感じたが、なかなか、書く機会がなかった。

 今回、NHKの特番の頁にエフェソスの、写真が載っていたので書くことができた。

 ところで、関本夫人とか小野寺夫人は、相当深く、大原光孝さんと、懇意みたいですが、大丈夫だろうか? もし、あなたが善人だったら、衰運が襲ってきますよ。

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副題6、『ところで、エフェソスの中央にあるローマ皇帝像を、描いたスケッチを、1981年の、銀座の【こんぱる画廊】の個展に出したときに、それを、10万円で、宮崎明子さんが、買ってくださった、しかしその人との仲は石塚雅彦さんによって、裂かれている。日経新聞つながりである。水谷綾子さんとの仲も同じ』

 宮崎明子さんという方は、五歳年上の、国際基督教大学の先輩で、当時、NET(10ch)のディレクターをしておられた才媛で、しかも、とてもやさしい方だった。のちに退職をされたらしくて、退職金の中から、400万円を母校に、寄付なさった。

 NETというのは、今のテレビ東京の前身で、経済ニュースに強かった。宮崎さんは、そちら方面のディレクターで、その日ものちに、経済評論家になっていく、勝さんを伴ってきてくださったのだ。

 水谷綾子さんという人は同級生で、古村浩三君、テリー、佐々木来目夫ちゃんと一緒の、たった、23人で、いろいろな授業を受けた仲だった。これも彼女が、日経新聞のどこかの部署に勤務していたので、石塚さんに切られたと思う。全部、仲が良かった当時のお宅を知っているのだが、引っ越してしまい、その引っ越し先を教えてもらえなかった。

 1981年当時の10万円というのは今の、30万円にあたると思う。それは、絵もよかったと思うけれど、単に紙に黒い線で絵買いがスケッチだ。それを、2021年の貨幣価値で、言うと、30万円で、飼ってくださるというのは、それだけ、エフェソスという地名が、初期キリスト教にとって、大切な場所だということをも表している。聖書の仲にもエペソ人への手紙と、言う章がある。そのエペソ人とは、エフェソスの事である。

 わたくしはローマは、実際に見ている。しかし、フォロロマーノと、コロシアムは、分断されている。

 その前が、トルコのエフェソスで、

 その次が、イランの、ペルセポリスで、これも、夫婦だけの、個人旅行で、実際に見ている。

 次がギリシャで、アクロポリスの丘は、実際に見ているし、神託の町、デルフォイも、実際に見ている。

 さて、そういう、エフェソスに対する説明を経て、もう一度立花隆に戻ろう。

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副題7,『エフェソスというのは、鎌倉によくある谷戸の大規模なものだと、思うと、当たっている。鎌倉霊園が、ぴったりと似ている。そして、私の住んでいる屋とも、規模が、1000分の1ぐらい愁傷しているが、地形的には似ている。

 そういえば、鎌倉そのものも、東の山と、西の山の間を、狭めるとエフェソスと同じ地形になる。

エフェソスは、午後零時を過ぎると、あたりに観光客が消えてしまい、お土産屋も帰ってしまう。八月は厚いので、イギリストルコ、合同調査隊も、お休みらしくて長辺、5キロ、短辺、二キロぐらいの、エフェソスの遺跡全体が、静まり返ってくる。聞こえてくるのは、松籟ばかり。

 昔は、海であり(今は、土砂が堆積して、海は遠い)、港があったあたりから、まっすぐ、一本の道が始まり、丘の最上部へ向かって伸びている。その真ん中あたりで、スケッチをしていると、下から、たった一人の人間が、丘を上がってくるのが見えた。その人物は、豆粒状からだんだん大きくなって、近づいてくる。わたくしが最初に感じ取ったのは、「うわ、あのズボンって、最初から、紫色だった? 違うでしょう。紺色が、日焼けすると、紺が退色して、ああいう色になるのですね』と、感じたことだった。

 で、それ以降、私は、彼を、25年間の長きにわたって、【紫のズボンの人】と呼ぶことになるのだった。この時、彼は以下の様な、研究や発表をすでに、果たしていて、飛ぶ鳥を落とす勢いにあったと思われる。一方で、やはり、書くことへの自制や、反省の念にもとらわれていて、気分は下降気味であったと、見える。それを晴らすための、日本脱出であり、自身の精神の、洗浄化であろう。

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1974年(昭和49年)10月9日発売の『文藝春秋』11月特別号に、立花の「田中角栄研究〜その金脈と人脈」と、児玉隆也の「淋しき越山会の女王」が掲載される。田中金脈問題

1972年講談社の川鍋孝文(のちの『週刊現代』編集長)の紹介でイスラエル政府の招待をうけ2週間イスラエルに滞在。招待期間終了後は自費で中東各地、地中海・エーゲ海を中心としたヨーロッパ諸国を放浪する。放浪期間中に偶然テルアビブ事件が発生。東大紛争以後中断していたジャーナリスト活動を現地で再開した。

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👉 ここで、副題6につながっていく。

彼は、上の、様な成果を上げて、トルコへ来てるのだけれど、私は、美術専門の人間だから、週刊文春は、東京へ電車の行き返りに読んではいたが、月刊文春は、読まない主義で、彼が、知名度の高い人であるなんて、気が付かなかった。後年TBSを中心にして、テレビに出る様になるのだけれど、その時には、パンチパーマで、眼鏡をはずしているので、気が付かなかった。

 で、トルコとトルコ人を、たたきぬく彼に、こちらも怒って、ため口で、「この町って、マリアの墓があるという伝説があるのよ。それ知っている?」と聞きました。すると彼が、「僕は物書きだから、事前に、情報は入れない主義なんだ」と、言いました。

 わたくしは、それに対しては、何も答えず、『駄目だ。この人』っと、思いました。私の顔の表情って、言葉よりも鮮明に、何かを語るらしいのです。で、立花隆は、人生の途上で初めて、人に否定をされたり、無視されたと、思ったのではないですか?

 でも、彼は、wikipediaに、依ると、茨城大学付属、小中学校卒だそうです。わたくしが、横浜国立大学付属中学校に、入学式総代、卒業式総代だったと、言えば、少しは、気分が緩和されるのでしょうか? 茨城大学付属も、中学で、定員、100人でしょうが、東大へ、何人入りました? こちらは、10人か、11人ですが? ところで、彼には、東大卒の矜持はあったらしくて、

 現場で、私をののしることは致しませんでした。ただ、帰途、偶然に出会ったわたくしの主人に向かって、口角泡を飛ばして、「あそこに生意気な女がいる」といって、怒りまくったそうです。

 わたくしは相手と、三分話せば、すべてがわかる人間ですが、立花隆という人間は、落ち着きがないし、せっかちで、早飲み込みの人だと、思います。

 それにイスラエルに招待をされているそうです。それじゃあ、どこかで、CIAエージェントかする教育を受けている可能性もありますし。それに母親がクリスチャンだったと、言うにしては、キリスト教のことを知らなさすぎる。

 というわけで、メルマガ時代に、それを書いたからこそ、パソコンが一台壊されたと思います。また、パソコンが壊されたことから考えても、かれが、CIA側のお気に入りであることは確かです。

 さて、冒頭にあげた、

 に戻ります。それは、『お前に勝ってやるぜ』という意図が、見え見えの本です。だが、朝日新聞で、取り上げて、いるほど、美しい本だとは、言えないです。使用してある、紙が薄いので、写真の頁が、次の文字の頁に透けてしまって、全体に、汚い頁、仕上がりになっています。これは、全紙という大きさの紙を、はじめ、表だけ、カラー印刷をして、乾いてから、裏に、文字印刷をして、折り畳み、その後、カットして、製本機にかけます。

 そういう本政策の秘密から考えると、もっと厚い紙を使わないといけないのです。

 そして、内容ですが、詩情も感じません。

本日は、本当は、川名昭信と、伊藤玄二郎との関係を書くつもりでした。しかし、有名人立花隆のところで、引っかかってしまって、そこまで、到達できません。でした。お許しくださいませ。

 雨宮舜(本名、川崎千恵子)

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江ノ電バス(大船駅⇔鎌倉駅)の運転手はスパイですか? + リスを殺す話・・・リスだって家族があるのよ

2021-05-25 21:32:45 | 政治

 今は、26日の朝、9時です。この一文は、今、goo blog 管理側が、12754文字だといっています。しかし、今から、推敲加筆を始めますので、最初の二倍以上に膨らむでしょう。ともかく、江ノ電バスの運転手と、渡辺夫人の連携のところまで、言及しないと、この一文が、政治論文として、帰結しないので、お待ちいただきたいと、存じます。

この一文は、最近では、暗い話が多いので、最初に写真を置いて、毒消しをしています。

 この写真で、下の方においてある黒いものは、リスのふんです。あの体から、どうして、こんなに太い糞がと、驚くほど、太かったものです。これは、20日ぐらい乾燥したのちに、写真に撮ったもので、新しいうちは、サクランボの実が未消化で、残っていて、真っ赤なものでした。下は、そのサクランボの写真です。

 上は、プチトマト、中は、グミの実、一番下が、サクランボ(野生というか天然の、もの)です。この間、園芸の仕事をしている最中に、高さ7mぐらいの場所から、カラスが、糞を落としました。中身は、リスと同じです。しかし、鳥類は、体を軽くするための器官(=人間でいう大腸という部分)がないらしくて、サクランボの種が、15個ぐらい入っているところは同じですが、固形化しておらず、液状です。このカラスは、一年ぐらい前には、足に、ビールのプルトップを、からませていたので、かわいそうに思って、毎日話しかけていたので、私を友達扱いをしています。糞は、もしかすると、プレゼントです。

 上の写真は、我が家です。南側にうっそうとした森があります。ところでこの写真は、2019年の10月13日より前に撮影したもので、今は、東側の、大木が、白井さんや、山田さんを筆頭とするご近所住民によって、無許可で、伐採されて、丸裸になっています。それが、枯れ枝と、なっているのが、下に置いた写真です。もう、本当に恐ろしい地域です。白井さんは、日本三大設計会社の一つである、松田・平田設計事務所の、横浜支店長にして、重役です。鎌倉市内での、最近の仕事は、横浜銀行・鎌倉支店の、リニューアルだそうです、

 しかし、北久里浜の、ルネ北久里浜という、旧水道山の跡地に建っている大マンション(売り出し時名は、そらヒルズ)と、言うものを設計したので、瀬島隆三と、親しくなったうえで、こちらに引っ越してきたので、こういうことを、平気で、できる模様です。

 一方の、わたくしは、他人の物を破壊するとか、盗むという行為は、一切しておりません。CIAがバックについていると、みんな頭がおかしくなると、推察していますが、もっとも、頭がおかしくなっているのは、白井達雄・小野寺夫人夫妻です。夫婦ともども、東大卒だと、見ています。しかし、2020年4月15日に、小野寺夫人は、「私は、東大卒ではありません」と否定しました。大勢の前でね。だけど、彼女は早稲田の建築科卒のひとたちを、小ばかにしている人間ですよ。それに’’’’’荒くれ少年(?)’’’’’’たちが在籍している、建築の専門学校(二級建築士を要請する)の講師をしていたのです。東大卒だから、理事長は、重石が利くと思って、採用したのでしょう。これ以外にも多数の嘘を、平気でつく、模様ですが、人を小ばかにしなさんな?と、言っておきたいです。

 上は本日、2021年の5月26日朝九時半に、東側の窓から撮影をしたものですが、枯れた大木が、その無断で、伐採をされた樹木です。これは、また、別の章で、詳述をしないといけない話なのですが、枯れた、大木とは我が家と、鶴岡八幡宮様が、共有している樹木で、この窓から、金属製の巻き尺を突き出してみると、4mのところは、すでに、八幡宮様の地所です。したがって、我が家は、地境地主です。

 レタスの鉢が乗っている足場は、去年、屋根を100%の自費で直したときの足場を、15万円で、残してもらって、花鉢置きにしている台です。高さは、地上から、3.6mのところにあります。

 レタスの鉢の向こう側に、山が、三つ連なっているのが、見えますか? 最近景が、我が家の立って居る山で、中景が、屋根修理100%を、鎌倉市、もしくは、県、または、国の公金で、行ってもらったと、私が推察している安野家が、含まれている山です。そして、遠景の山は、鶴岡八幡宮本殿の背景をなす山です。南側の、樹木から、この章の、一方の主役であるリスは、我が家のベランダに入り、本当は、二組訪問をしてくる山鳩のためにおいてある餌を、失敬して、今度は、東側に回り、この花鉢置台を、めぐって、八幡宮様の林の、ポーンと飛び移ります。その姿は、ムササビと、そっくりで、夫婦で、「あ、飛んだ」といって、確かめ合っています。同じ枝に、野鳥類も停まるので、見ていて飽きません。

 この章は、リスを殺す話がメインです。でね。この森の中に、逃がせば、ころす必要など無いと、わたくしは思っています。NHKニュースで、最近、カルガモの親子の引っ越しを、人々が、祝福をしているのが出てきました。カルガモは、かわいいが、リスは、かわいくないのですか? 命は、みんな同じです。わたくしたちは、食べ物を食べるだけで、ホウレン草や、キャベツをはじめ、50種類ぐらいの、命を、殺して、自分を生き永らえさせています。毎日です。その上、なんで、リスまで、殺さないといけないのでしょうか? この山の人は、安野智紗夫人と仲良くする限り、みんな馬鹿化すると、私は、いっています。前田夫人など、鎌倉駅・表口、改札前で、安野夫人と手をつないで歩いていて、ちいちいぱっぱ、ちいぱっぱと、まるで、幼稚園児並みの行動をとっていました。それ以外の、行動をすべて勘案しても、中学生程度の、心理状態、および、頭脳状態だとわかるのですが、リスを殺すとなると、しかもあえて、鎌倉市に引き渡すとなると、

 殺したのは、我が家の北側、三軒目の渡辺賢司夫妻で、私を殺そうとした過去(三原橋交差点際の交通事故で、徹夜で、一本ブログを書いて、やっと朝帰りついて、そして、8時半に寝いったら、朝の10時半に彼がたたく、布団の轟音で、目を覚まさせられたのです)も、あるのですから、リスを殺すのも平気なのでしょう。

 ところで、鎌倉市が、嘘の図面を、5年近く公開していたので、その図面を利用できる様になりました。政治的な意味で、それが、可能になったのです。そういうところも神様の、ご援助の、見えるところです。わたくしは、妄想の人でも、誹謗中傷の人でもありませんよ。ここに書くことは、すべて真実です。

 彼の家は、我が家(川崎英二名義)の真北三軒目です。上の写真の方では、真ん中に、テレビアンテナが、たっている家があるでしょう。その家のご主人は、お寺の、子孫なので、こんなひどいことは、絶対にしない家なので、名前を隠しています。地図では、その上、写真では、その手前、屋根の一部、幅が、30㎝ぐらい写っているのが、彼の家です。詳細は、副題5で、書いていきます。という前置きを入れて、公開・最初期の文頭に入っていきます。

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 わたくしは元気です。ただ、24日の月曜日に、耳が痛い件で、お医者さんに、また行ったので、疲れて夜8時に寝入り、火曜日の朝は、午前零時半に起きています。

 で、こういう時は、私にとっては、珍しく、朝早く、行動をしたいと、思う日です。で、野菜市場に行きました。そこで、また、鎌倉警察署が、農家を、私をいじめる方向で動かしている情景に接したので、以下のブログを書く、決意ができました。

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副題1、『私は園芸の仕事をし始め、すでに、10年近くたっているが、最初のうちは、ホームセンターをあっちこっち、見て回り、数えたら、神奈川県と、東京都を含み、14か所をすでに訪ねていた。本牧の、島忠が、もっとも、東の端で、西の端は、花菜ガーデン(カレル・チャペック・ガーデン=平塚駅からバス20分)まで行っている。北は、三田のケーヨーデーツー、南は、久里浜のカインズ。

 鎌倉の花畑は、小さくて、それほど、頑張る必要はないのだけれど、北久里浜の旧宅が、他人から、「もう、借りません」といわれたので、家主としての、わたくしたち夫婦は、『もう、他人には、貸さないで、自分たち用の、老人ホームにしよう』と決めており、したがって、わたくしたち夫婦が、手入れに行っていて、そちらは、日当たりもよいし、敷地も、まるまる60坪あるので、なかなかの、楽しみを与えられる。そういう、野菜畑を作っている。それで、花の苗をあっちこっちで、買ったのだけれど、なんというか、足元の、鎌倉市公設野菜市場で、一班に所属しているOさん(?)の苗が、一番、よい苗だったのだ。

 これは、青い鳥の童話と、似ている寓話となる。その農家が、コスモスの、第一代目交配苗(大輪となる)を、売っていたことを、このブログで、書いているので、私が、彼の商品を目指して朝早く家を出る、見込みがあるときは、彼に、「休め」と、鎌倉警察署が、命令をすることがあるし、今回の、2021年5月24日は、「あいつが、帰宅するまで、自宅を出発するな」と命令をしたらしい。つまり、私は、すっぽかされたわけだけど、そんなことは想定内だから、主人が、歯医者に、予約があって、出かける際に、「体力に余裕があったら、苗を買って。あなたの好きなものを」と言っておいた。それで、白い茄子が、なる苗を買って帰ってきた。本日26日に、それを北久里浜で、植え込むべく、持って行っている。

 自宅を終の住処としないわけは、鎌倉の自宅は、今、パソコンを打っている、部屋までは、鎌倉街道から、160段以上の階段を上がらないとだめなので、足が悪くなった際の、家として、保持してある。

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副題2,『1984年に鎌倉へ、引っ越してきたのだけれど、前の家を売らないわけだから、36年前に、2680万を出すのは、なかなかの苦労だった。しかし、前の家を売らないで、こちらを買ったのだから、北久里浜の人たちには、ひどく驚かれた。一種の英雄扱いを受けた。または、スター扱いを受けた。で、内心で得意ではあったが、なんと、こちらは、罠の家だったので、暗黒生活に入ってしまうこととなる。しかし、相手がCIAだと日本全国どこへ行っても同じだと、思うので、こちら、鎌倉雪の下二丁目の山の中の家を動くつもりはない。ところで、驚くべきことに、わたくしたち夫婦は、二人とも、今のところ足は、大丈夫で、山を上がり降りできるので、北久里浜の家は、デュアルホームとなっていて、一種の楽しみの家となっている。

 この79歳になっても、足が丈夫で、この山を上り下りできると、言うのは、夫婦ともども、驚いているほどで、それも、わたくしは、神様のおん恵みであると考えている。主人が、『お前ほど、恵まれている人間は、いないと、言うことの、一面だと、思っている。

 それで、北久里浜の友人(?!?!?)のうち、杉本正子夫人が、こちらの家を見てみたいと願ったらしい。1984年のこと。

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副題3、『杉本俊一・正子夫妻というのは、私が、今、苦しんでいることの、引き金を引いた重要人物だから、実名で、書くことをお許しいただきたい。そして、こちら鎌倉雪の下では、安野夫人の、協力者である、平木夫人とその一家について、実名で、あれこれを書いている様に、北久里浜で、杉本夫人に頼まれて、その協力者として動いている、女性も、実名で、あれこれを書きたい。稲田恭子夫人という』

 ところで、杉本正子夫人というのは、・・・・・実質的な大詐欺事件である、横須賀市の水道山を私有化するケース(ただし、書類上は、正当性がある地籍変更届が出ている)が起きたときに、横須賀市側の土木課長だった、杉本俊一氏の、夫人であり、上の子も、下の子もわたくしの子供と、学年が同じなので、幼稚園時代(1975年まで)は、わたくしのことを、もっとも、親しい友達として、扱っていた人だった。どうしてかというと、私が、幼稚園のPTA会長をしていたからだった。

::::::::ところで、ここで、政治問題へ、急に、それていきたい。わたくしが、このPTA会長だったことをブログで書いたとたんに、ベトナム少女、リンちゃんが殺されて、犯人として、保護者会会長の、Xという人物が逮捕された。したがって、わたくしは、これも、ほかの子供を殺した、数多い事件と同じく、ブルーカラーとしての、警察の特殊部隊が、実際の殺人を、行って、そのXという人物は、犯人像を、納得して引き受けたのではないかと、考えているところがある。

 保護者会会長という呼び名は、一般的ではなくて、PTA会長が、一般的な呼び名だ。Xは、地主で、一棟丸ごと、借家であるマンションなどを保有していて、大金持ちなので、PTA会長をしていたのだけれど、内情は、妻子に逃げられていて、絶望的な、状況だったらしい。そういうときに、何らかの心理的、誘導があると、そちらへ逃げたいと、思うのもありだと、思う。

  よく若い青年が、実際には、自殺をしたいほど、絶望をしている最中に、他者から罰せられるという形での、間接的な、自殺を願って、通り魔殺人事件を起こし、無関係な、人を殺すケースがある。そういう青年とは、違う経歴と年齢なのに、似た様な、形をとりたいと、Xは願ったのではないか? ここで、Xというのは、その男性をかばって、イニシャルにするのではなくて、この事件はあまり研究をしていないので、犯人の実名を記憶していないので、Xとしているだけではある。

 そのうえ、被害者として、選ばれる、お子様は、必ず、あとで、動画が公開される。今は、静止画も、動画も、すべて、インターネットを介した、処理をするので、スパコンに保存をされているので、ピックアップして、悲劇を強調することができる。山田浩二が、殺したとされる、寝屋川の、中一2児童のうち、男の子のほうは、ママが、フェイスブックにその子の動画を上げており、それが、ものすごくかわいかった。おおももたまきちゃん(死後轢断死体として新潟市で、発見をされた)も、学芸会の動画が、残っているお嬢ちゃんだ。最近の、行方不明事件(キャンプ場から、忽然と姿を消した、小倉〇〇子ちゃんも、かわいい姿の動画が、残っている。このお子様だけは、まだ、静止画不明なので、触れたくなかったのだけれど、お母さんが、誹謗中傷を理由に記者会見をしたので、・・・・・おや、-おや、おや、CIAエージェントは、どこまで、残酷なのだと、驚いた。自分たちで、拉致しておいて、心配の極致に家族を陥れて、しかも、その悲劇の一家を、対、わたくしいじめに使ってくる。

::::::::::ここで、挿入を終わって元へ戻しておくと

 これらの事件は、すべて、安野智紗夫人を助けるために(そうするためには、私を殺す他は、ない)ということで、起こされていると、私は見ているので、平木さん一家が、ご長男を東大に入れて、勝ったぞ、勝ったぞ、と思っていて、特にミスター平木伸明氏が『お前なんか、への河童で、虫けら扱いをしてやるぜ』と、数年前から、威張りかえっているのを見ていると、

 おや、おや、おや、あなたの背中に無辜(インノセント)の人々の血がべったりと張り付いているのに・・・・・と、わたくしはあきれ返ってみているのだった。その際、こちらが、平木伸明氏を、小ばかにしているかどうかは、あえて、言わないで、置きたい。👉

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副題4、『ところで江ノ電バスの、運転手は、私の顔を知っているのではないだろうか? いや知っていると、思われる。そして私が乗ったとたんに、警察署に連絡を入れていると、みなせるのだけれど、これも、あれも、北久里浜の大事件とか、最近の、雪の下の、謀略事件について書いている、わたくしいじめだから、ひどい人権侵害だと、思っている。だけどそれだけに、私が書いていることはすべてが真実なのだ』

 江ノ電バスを、大船から乗るにしても、鎌倉から乗るにしても、鶴岡、八幡宮バス停、もしくは八幡宮裏バス停で、降りるにしろ、いろいろ、異様なことがあるからだった。

 2021年、5月7日に、湘南鎌倉総合病院へ左耳が痛いと、言う診察に行った帰りなのだけれど、八幡宮裏バス停で、降りた。そこから、志一稲荷まで、今の私の足だと、三分から五分はかかる。そのうえ、志一稲荷からさらに、自室までは、130段程度、上がらないといけないので、バス停傍の自動販売機で、オロナミンCを買おうとした。エネルギー補充のためだ。

 上の写真は、北隣の家に、テレビクルーが入って、2016年7月18日、ドリームハウス(テレビ東京)で、放映をされた動画からとった。激しく等高線が密になっているところが我が家の東で、ここの、樹木類を、相当数、切り払う、高枝切りを、平木夫人は、安野夫人と、協力して行って、我が家の東側の崖を、危ないものとしていった。それのバーター取引のお礼が、ご長男の、東大への、前年の秋に、知らせが来た、合格保証だったのだ。

 ともかく、この図面で、等高線が、密なところは、厳しい崖であって、図面の、左側の、白い長方形は我が家であり、その間を、迂回して上がる石段段数は、本当に多いのだから、エネルギ補充が必要だ。で

 120円を入れたが、全く反応がない。で、おつり返却レバーを押したが反応は無い。それで、もう一回、120円を入れた。だが、無反応で、結局、わたくしは、240円をただどりをされた。

 これも、CIAの家来としての、警察が、苛め抜こうとして行っていることだと、思う。自動販売機の機械は、伊藤園が、設置したもので、私はその日も、連絡先の電話番号(補充などを支配する支店は、藤沢にある)と、機械のナンバーをメモに取った。警察がやっていることは確かだと、思うけれど、一応伊藤園に、連絡をしてみることによって、・・・・・こういう悪さの裏側がわかっているのですよ・・・・・と、電話を盗聴している警察に知らせたいと、思ったからだ。しかし、忙しくてやっていないうちに、その紙のメモをどこかへ、紛失をしてしまった。

 こういう時にスマホを持っていると、すぐ、連絡が取れる。しかし、スマホを携帯すると、それは、それで、別の嫌なことに出会うので、スマホは、自宅に置きっぱなしで、写真を撮ることだけに使っている。機械の番号は、10桁程度だった。すでに、17日ほど、たっているので、集金者は、『あ、240円、多い。誰かが間違えたのだろうね』と、思うだけで、自分のポケットに入れてしまっただろう。

 ところで、わたくしは、これで、警察に、お金を・ねこババ・されるのは、二回目だ。で、・・・・たとえ240円でも、ひどいですね・・・・・と、はっきり言っておこう。反対に、平木家など、前年度の秋のうちに「お宅のお坊ちゃまは、推薦入学で、東大へ入れますよ」と、ご連絡をいただいているわけだ。同じ人間で、同じ権利を憲法で、保障されているはずなのに、えらい違いだ。

 安野夫人に、協力すると、そういう風に、人間が作ったシステム(この場合は、東大という最強のシステム)を使って上下関係を作って、私を下において、軽蔑していいとなる。しかし、背中にべっとりと、無辜の人の血潮がへばりついているわけで、普通の人だと、命を失ったりする。瓜南尚子さんなど、その典型だ。

 しかし、悪人とか、悪女だと、平気で、ぴんぴんしている。平木さん一家のために、心配してあげていたが、2021年4月10日の夕方、ほんの、10分程度あそこの家の門内にいただけで、平木夫人が、相当な悪女であることがわかった。ので、あの一家は、健康面とか、社会的成功という意味では大丈夫の模様である。

 ところで、ここで、書いている一件は、有楽町駅で、2018年の、2月末に、高橋某と、言う禿頭の、駅員(だが、100%刑事が変装した、偽物の駅員)に、980円ただどりをされたケースと全く同じである。その時は、条理を尽くして、抗議をしたわたくしに、彼が、「あんた、頭がおかしいんじゃあないの?」といった恐ろしいケースだった。それと、そっくり同じ構造だ。で、ここに、その時書いた、文章のリンク先を置いておく。後ろではなくて、ここに置いておく。まったく同じなので、警察庁長官の責任となる事例だと思うし・・・・・

有楽町駅の禿頭・高橋某が、100%の嘘をついて、運賃を二重に取ったので、鎌倉の安野夫人(=CIA)の悪辣さがますます明瞭に!

2018-03-01 20:48:19 | 政治

 

証拠写真を公開します。有楽町の嘘つき駅員が、刑事の変装だった事と、私が、理不尽な被害を、日頃24時間に亘って、被っている事を語る為に△

2018-03-02 23:50:26 | 政治

 その一件は、有楽町駅、南口(交通会館側)で起きたのだけれど、その時の駅の構造は、今では、全く変更をされてしまった。で、JR東日本が、駅の改修をするぐらいだから、伊藤園の、自動販売機を動かすのなんか、非常に簡単なので、そちらも、撤去される可能性はある。そうなったら、そうなったで、またご報告をしよう。

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副題5、『この2021年5月14日は、(これは、自然なことで、政治とは無関係だと、思うのだけれど)、渡辺賢司、ミカ夫妻が、リスを殺した日だった。

 それがわかったのも、神様のおかげだと、思っている。わたくしの後ろから、私を追い抜いて行った、若者がいて、その若者が、車を進入路に、停めたときから、気が付いていたわたくしは、彼が、鎌倉市役所の人間だとは、わかっていて、(制服を着ていることと、民間の人間とは、やはり違うところがあるので)

 関本家の、高枝切りの一件で、来訪したと、思い、それについて、質問をした。すると彼は、左手に持った、網かごを私に見せて、「いいえ、僕は土木課の人間ではありません。渡辺さんから、リスを、引き取ってほしいといわれたので、引き取りに来たのです」と答えた。もうびっくりした。それで、わたくしは、「ああ、いやだ。リスだって、家族があるでしょうに。今は、5月だから、子育ての最中でしょうにね」といった。すると、彼も、本当に嫌な仕事をさせられているということで、わたくしの言動に、ほっとした様だった。ところで、彼が、上司に叱られると、とてもかわいそうだと、思う。でも、伊藤玄二郎は、松尾崇市長に命令して、この若者を探し出し、一か月の減給になどするのではないかなあ?

 そういううわさ話を聞いたら、ぜひ、このブログをその青年に教えてあげてほしい、伊藤玄二郎と、松尾崇市長は、公金をめちゃくちゃな、用途に使っているのだ。このブログを十年分ぐらいさかのぼって、読めば、それが、明瞭にわかる話となっている。

 ところで、松尾崇市長から、その吏員本人に戻ろう。わたくしは、むしろはっきりとさせた方が、彼の気分を救うと思って、「結局、殺処分にするのでしょう」と言った。「そうです」と彼は答えた。

 わたくしは、自宅へ帰って、家から渡辺家へ電話を掛けた。訪問をしてもいいが、以前、植木鉢の怪の件で、問い合わせに行った際にドアを開けなかったので、『ああ、植木鉢の怪は、やはり、この家のお隣の、大原光孝が、起こしたケースなのだと、断定するに至った。だから、玄関ドアを開けないことが、自分を救い、隣人を救うことにはならないのだけれど、まあ、救うことになると思い込んでいるらしい。だから、電話にしたのだった。

:::::::::ここで、挿入として、植木鉢の怪に、ついて、説明をして置きたい。ある人間が、我が家の庭に入り、植木鉢を大量に盗み、大型の、40リットルの、有料ごみ袋、ひとつ、20リットルのごみ袋二つ、10リットルのごみ袋一つに入れて、出してはいけない日に出しておいたのだった。

 この山では、みんなが私道部分を、自らの塀の外に、持っていて、そこに花畑を作っている。ところが、我が家の花畑だけ、安野智紗夫人の、井戸端会議のおかげで、藤本禎子夫人(上の画像だと、藤本昭邸となっている部分、今は、石井秀樹・あずさ夫妻が、新居を立てて、住んでいるところ)と、前田夫人が大喧嘩になり、

 いや、ここから先、ものすごいお話がはじまるのですが、私も疲れ切るし、リスが、殺された話から、遠く離れますので、ここでは、もう、ここで、やめておきましょう。で、渡辺賢司夫妻に無理に戻ります。

@つまり、一度、誰何に行ったときに、玄関ドアを開けなかったので、電話にしたのです。しかし、電話にも出ませんでした。だからこそ、ここに、ストレートに書くのですが、その夫婦は、すでに、60歳を超えていると、思われるのに、人間的成熟度がないのでした。ただ、

一応弁明があるのなら、聞いてみたいと思ったから、電話を掛けたわけです。わたくしだって、リスには、しょっちゅう被害には会う。現在最も大きな被害は、ムササビみたいに滑空する際に ジャンピングボードとして使った植木鉢がリスに蹴っ飛ばされて、崖下へ、落とされることだ。彼らは、高いところが好きで、我が家の植木鉢は、日当たりを求めて、高いところへ置いているので、そこを通る際に、後ろ足で、蹴飛ばすのだ。だけど、捕まえて、鎌倉市に、引き渡そうなんて、夢にも思わない。

 しかし、せっかく、弁明の、理由を聞いてあげようとする、電話を取らなかった。その電話を掛けた時点では、つい、15分前に、鎌倉市が訪問をしたのだから、家にいるのは確かなのに、電話を取らなかった。

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副題6、『それが、14日のことである。その後、10日間、経過した、この24日と、25日、敵さんの道具として、彼ら夫婦は、動いた。見事に使役をされ、その言うなりで、動いた。そこに、江ノ電バスの運転手が私の顔を知っていて、スパイをしている可能性が、あてはまってくる。

 だけど、私にとってはさして痛くもない。それは、体躯、顔の、両方から、考えて、それほどには、よい育ちではないと、思うからだ。よい育ちではない人間から、粗末に扱われても、別に、それが、どうしたという程度であって、たいした、ことではない。ただ、江ノ電バスの運転手がスパイである可能性は、とことん、感じ入った。それは、渡辺夫人の行動で、悟ったことだった』

 上で、言った通り、リスを殺した夫妻なので、どういう考えで、そういうことをしたのかが、不思議極まりない。でも電話に出なかったし、昔ドアベルを押したときにも出なかったので、彼の考えを聞かないで、批判的にこの一件を書く。恐るべき精神だと、思う。

 子供もいないし、愛情がどういうものかが、一切わからない人たちなのだと、思う。それと想像力もない。翻訳家で生きていると仮定して、うまい翻訳ができるのだろうか?

 東大か外語大卒だと、思われるけれど、余裕がない育ちなのだろう。二人は、サラリーマンではない、夫婦ともども、趣味の道具を持って、外出する以外に、スーツを着て外出したのを見たことがないからだ。登山とかテニスの道具を持って、外出する以外、勤務先というのに出かけている様子を見たことがない。

 親からの遺産として、借家を、五軒ぐらい持っていたら、ああいう暮らしができると、思う。借家とは、マンションの、五区画でもいいが、株の配当金で、生活するという手もある。

 昔、郵便局員が、「川崎さん、カレンダーが届いています。ポストに入らないので、ベルを押しました」といいに来た。その時、彼は、片手に厚さ4cmにもなる配当金の袋を持っていた。一日で、4cm来るということはそのシーズン(=秋だった)に、合計、厚さ20cmは、配当金の封筒が来るということだ。一センチに、六種類の封筒が、入ると仮定して20cmだと、120社から配当金を受け取るということとなる。一単位だけ、持っていると、仮定すると、平均五千円なので、60万円となる。春は、一年に一回だけ、配当を出す会社も多いので、ずっと、多額になるので、100万円と仮定すると、一年で、160万円となる。しかし、優良株をしかも二単位とか、三単位持っていると、軽く300万円を超えるので、生活の基盤が、それで、整う。子供がいないと、出費は、食費が主なので、年に、300万円の、株式配当金が入れば、十分だ。高等遊民としての生活を保障するのは、親世代で、お金をもうけた、子孫の特権だ。しかし、なのだ。

 これはニューヨークの白人社会で、ものの見事に表れているのだけれど、超上流社会の人は、体重が、50キロ前後だ。背の高さが、180cmあっても、体重は少ない。この山では、富沢夫人は、見事にそれに当てはまる。

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副題7,『@@@@@@ここが、推敲加筆中の最先端です。しばらくパソコンのそばを離れます。夜八時に再開をします。お待ちいただきたいです』

 ところで、本日門野英子さんの特番の再放送があった。それを主人と一緒に見ていたら、彼が『お前の若いときにそっくりだね」という。

 わたくしは門野さんほど、彫りが深くはない。だけど、肌の色は白い。小学校三年の時に、船橋から、日吉に転向したら、廊下で上級生が「あら、いやだ。あの子ったら、おしろいつけて学校へ来ている」と叫んだ。また、布地を選ぶのは大好きだった。それを番組を見ているうちに、思い出した。

 下は、1960年代、24ぐらいの年。渋谷の東亜というお店で買った英国製のサッカー(木綿地、織り方が、変わっている)を買って、これは、勤めが忙しかったので、専門家に縫ってもらった。

 門野さんが、NHK BSPの中で、今は、もう、首を隠した方がいいと、おっしゃっています。それは、その通りですが、20代だと、まだ、見せていいのでした。首に、ふといしわが、まだ、発生していないので。

さらに下は、自分で買ったものではなくて、銀座マギーで、母が買ってくれた生地だけれど、オレンジ色のウールだ。このシャネルスーツは、自分で仕立てた。門野さんと、知名度も、収入も、違う。わたくしの方は、100万分の一だけれど、自分なりに縫うという仕事を、して、仕立て代を浮かせたのだった。そういう、身の程に沿った、おしゃれをしているつもりはある。特に色にこだわった。そこの精神だけは、門野さんに、似ていた。

 わたくしがオレンジ色の服を着ていて、娘は、白とこげ茶。こげ茶のスカートは、むろん、わたくしの手作りです。刺繍や、レースで、飾ってあります。娘の靴と、わたくしのバッグは、素材も色も似ている赤。これは、34歳ごろ。1970年代。

 これは、60歳ごろ、2000年代だ。白衣は、固い生地でできているので、どうしても、かさばって見えるが、中身はスリム。もともとが、化学屋なので、版画を摺るときも白衣を愛用した。前がダブルになっているので、インクを、吸収してくれるので、下の洋服が汚れないし。

 仕事中は、そして、普段も、白内障手術を受ける前までは、眼鏡をかけている。安い眼鏡だけれど。あ、は、は。門野さんの眼鏡とは、お値段も買うお店も違う。あ、は、は。

 雨宮舜(本名 川崎 千恵子)

 

コメント
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イスラエルとパレスチナ、が、急に戦闘態勢に入った。なぜだ。一応休戦になった時点で、分析していこう

2021-05-23 02:17:51 | 政治

 今は、23日の夜、8時です。以下の文章の、部分的推敲と、書き残した部分への、加筆を行いました。

副題1、『真実を語る人間としての、私は、NHK ニュースを利用しても、脅かされているのだけれど、最近、気にかかっていたニュースとして、上げたいのは、パレスチナと、イスラエルの、ミニ・戦争だった』

 なぜ、起きたかの報道をNHKは、再初期には、行わなかった。それで、私は、だれか、CIAのブルーカラーとしてのエージェントが、何かを起こして、それで、紛争が始まったのだろうと、推察していた。イスラム国の謀略事件とか、タリバン等の、イスラム過激派の、起こした、事件の数々は、一番下で、実行行為を起こす若者たちは、イスラム教の信者ではあろう。だけど、その上に、四段階ぐらいの階級があって、トップクラスの階層の、首謀者には、必ず、本音を隠した、CIAエージェントが、参謀としてついているはずだと、見ているのだった。ニューヨークで、9.11と、言う大惨事を起こした、ビン・ラディンは、アラブ首長国連邦(?または、それに類似する国家)の、富裕層の、生まれだそうだ。次男だとか? そして、最終的には、殺されたことになっている。

 だけど、一方で、9.11を、実際に、主導したのは、アメリカを主な、活動拠点とする、大富豪たち=軍産共同体と呼ばれる人たちで、彼らが、アラブで、局地戦、または、地上戦、または、空爆行為を行うことを、正当化するための、自作自演の行為であったとする説もあるのだ。

 私も、アラブ首長国連邦の、富裕層の、生まれである、ビンラディンが、あの9.11で示したほどの、憎悪を、アメリカに対して、持っているとは、思えないのだ。

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副題2、『わたくしは夏目漱石が、ロンドンで、精神を病んだと、言う故事を、思い出しているので、たった、三か月の、滞在でも、会話を絶やさない様に、工夫をした。パリでは、ノートルダム寺院から歩いて15分(地下鉄だと隣の駅となる)サンポール駅から徒歩1分という高級アパルトマンの一室を借りていたので、上の階の大学生(地方の大学学長のお嬢さん)と、お隣の紳士(40代の独身サラリーマン。だが、年収2000万円クラスだと、推察される)とは、彼らが、英語を自由自在に使うので、会話を交わすことはあった。通っている版画工房の主催者も英語が、自由だった。しかし、店番をしている店員さんクラスになると、英語を使わない。それで、パリの、学校制度が、思いがけず古いことにも気が付いた。日本の戦前の、教育制度とそっくりで、小学校卒業と同時に、将来エリートになっていく子が、通う、中学と、将来店員さんなどになっていく子供たちは、まったく別の進学コースをとるだった。

 パリでも、富裕層は、小学校時代から、それなりの、小学校に通わせるので、日本で、双葉や、幼稚舎に通わせますという仕組みと同じことだと、思われる。しかし、日本やアメリカでは、現在は、制度としては、平等がうたわれている。実際には、階級差が生まれているのだけれど。

 東大や、早慶に、進学した学生の、実家が、年収が高いのは、事実なのだ。だけど、制度としては、差別は、明文化されてはいない。1999年のニューヨーク研修は大学院に入ったので、学生ローンの仕組みなどを知った。1999年は、大学院なので、修行先でも、充実した会話を楽しめたが、

 2000年には、ニューヨーク一古い版画工房に通ったので、修行先で、会話をすることは、少ないのだった。それで、地下鉄の駅とか、地下鉄の車中で、「これは!」と、思う様な素敵な人を見つけて、充実した会話を楽しんだ。その際、日本人はだめだ。だいたい、地下鉄を使う人がいないし。ニューヨークにいても、日本人根性むき出しの人が多くて島国根性丸出しだったから。

 つまり、金銭的、富裕度で、人のレベルを査定したり、親密度をすぐ形成して、グループ化を図ったりして、精神的に、不自由なのだ。未知の人を受け入れる、余裕がない。で、日本人以外の、あらゆる国から来た人といろいろな会話を楽しんだ。国名を挙げると、中国(大陸系)、台湾、韓国、エジプト、エチオピア、インド、ペルー、イラン、スペイン、NATIVE AMERIKAN など、など。

 ニューヨークが、人種のるつぼであり、そこに住む人々は、そこを愛していることを知った。普通の人は、、発想からして、戦争など起こさない。戦争を起こすのは、今は、武器を生産している人たちであり、政治的目的、特に言論弾圧も含む、政治的目的と、自分たちの利益を求めて、起こすのだった。アラブ系の人も、別に、恐ろしい様子ではないのだった。ニューヨークで、温和に普通に暮らしているので、9.11にしろ、その後、頻繁にテロを繰り返す、イスラム国にしろ、背後に、CIAがいることは、ニューヨークで、複雑な、人種構成の、ただなかに飛び込んだから、わかることだった。

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副題3、『しかし、バイデン大統領が、アフガニスタンから撤退すると、表明した様に、局地戦は終わったのだ。どうしてそうなったかというと、今は、別のもうけ策を、彼らは、発見したからだ。で、局地戦を終焉しても大丈夫になったのだった。別のもうけ策とは、生物兵器としての、新コロナワクチンと、その変異体であり、もうけ策とはワクチン配布(有料だと、推察している。だから、途上国には回らないと、聞いている。日本は、いくら払うのだろう。だから、局地戦は、もう起こらないはずだ。しかも、イスラエルとパレスチナの戦闘なんて、あまりにも危ない火遊びだ。たとえてみれば、大陸中国と台湾が、ミサイルを打ち合うみたいな、戦闘だ。または、韓国と北朝鮮が、軍事境界線を乗り越えて、戦車部隊を相手側に送り込むみたいなものだ。絶対に起こしてはならない火遊びだ。お互いがわかっているはずなのに、NHKニュースは、戦闘の模様を伝える。ビルが倒壊する様子が画面に映り、そこから、逃げ出した記者が、報告をする。なんだか、おかしい』

 そこで、私は、以前からひそかに考えていたことが、当たっていると、考え始めた。つまり、これは、本当に戦いたくて、お互いが戦闘を起こしているのではない。何らかの別の目的のために起こされた、一種、フェイク(嘘)の部分を含む戦闘だと。

 では、何を目的として? と、考えると、私が、それに飛びついて、この章の前書き、副題1と、2に書いた様なことを描き始めることが狙いであると、考えた。

 では、それが起きる前に、何を描いていたかというと、日吉の、歯科医院小田さんから、婉曲に、かつ丁寧に、診察を断られていることを描いた。その前に、は、こちら雪ノ下で、平木さんという一家のご長男が、2020年の秋に、すでに、「お宅のお坊ちゃまは、来春、推薦で、東大に、入学できますよ」と、教えられていたことを描いた。

 そして、それと、同時に、日吉の方で、小田先生に、あれこれの悪口を伝えたのは、沢野夫人(90歳を超えている実家の、道路を隔てた、斜め・となり・)であろうと書き、そのご主人が、塩野義製薬に勤務していたので、ぞふるーざの耐性菌問題が起きたと、考えている。

 沢野さんの北側に、位置するのが、T家で、そこのお嬢さんが、ふたりとも、カリタスに通っている。それで、カリタスの通学バス襲撃事件が起きて、犯人は、自殺したことになっている。しかし、私は、彼は殺されたと考えている。この事件の当日、昼のニュースですでに、アウンサンスーチー氏の、後ろで、通訳をしている、若い外交官の写真が出てて来たので、その殺人事件こそ、謀略であり、

 私を脅かすものであったと、考えている。それで、実は、言いたくないのだが、沢野家のご長男に、水沢家のご長女が、「かく、かく、しかじかで、こういう風に動いてほしい」とお願いをして、そういうこと=となっていったと考えている。

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副題4、『水沢家とは、水沢勉、(葉山の近代美術館・現・館長)氏の実家である。今、たまたま、フランシスベーコン展の解説をしている、NHK ETV 日曜美術館を見ているのだが、酒井忠康氏も、水沢先生も出てくる。水沢さんは、数年前、恰幅が良かった時期があるが、本日の画面では、またスリムになっている。1998年から、2006年まで、お世話になったこともあるので、常に先生と、呼ぶ癖がついているのだけれど、水沢さんが師と仰ぐ、酒井さんには、何もお世話にはなっておらず、反対方向で、動いておられることが、常に察せられるので、酒井さんとか、酒井氏としか、書くことができない』

 ところで、この番組を見る前は、こういう風に考えていた。私が今、書いていることが、伊藤玄二郎達に、都合が悪いので、話題を転換させるために、この戦争を、起こしたのだろうと、だからこそ、これに触れてはいけない。この戦争をブログで、取り上げると、私は、100%彼らの、術中にはまったということに、成って、さらに大変な攻撃に出会うだろうと。だから、書いては、いけない。我慢しなさい。ひどいことをしますね。だけど、それは、私が書いていることが真実だからでしょう。そして、伊藤玄二郎は、川名昭宣(ICUで、私と同期である。フランス留学を経て1967年もしくは、1968年河出書房に入社、その時に、フランスにとても強いし、CIA エージェントとして、力が大きい)としたしいので、コシノジュンコに、レジオンドヌール勲章を与えたのも、伊藤玄二郎が、川名君に頼んで、彼の力で実現したことであろうと、思う。

 『やっていますね。やっていますね。私は、彼らには、力が及びませんよ。だから、やられっぱなしなのは、仕方がないです。でも、せめて、このパレスチナ VS  イスラエルの、戦争には、触れませんよ』と、内心で、固く思っていたのです。せめてですが、そこには乗せられません。と固く誓っていたのです。

 しかし、23日になって、午前10時、15分ごろ、水沢勉先生が、画面に現れ、その10分後ぐらいに、酒井忠康氏が画面にあらわれたとたんに、私は、上に紫色の字で、書いた部分が間違っていることに気が付きました。ブログのテーマを移行させようとする様な、生易しいことではなかったのです。私を、100%やっつけようとして、この番組の企画が始まったころ、または、ベーコン展が、企画されたころから、その攻撃方針は、決まっていたと、考え始めました。

 しかし、だから、私が滅入ったとか、うつ病になりそうだと、言うことには、直結しませんよ。

 なんということだ。日本国内で、無辜の(しかも、鎌倉雪ノ下とは、無関係な)人々を殺して・・・・・(平成の八墓村事件から始まり、新潟の大桃たまきちゃん殺し、もしかすると、キャンプ場で、行方不明になっている小倉(某)ちゃんとか、をころして)・・・・・、行く、そういう謀略がすべて見破られたので、今度は、パレスチナ人を殺すのですね。イスラエルと、パレスチナが、戦ったら、パレスチナの方が弱くて、被害は、パレスチナの方に、集中するでしょうに、なんというおぞましい人々よ・・・・・と思いいたるのです。

 それはね、私が書いていることがすべて、正しいからでしょう。で、私の方は、何も、こちら側が、打つ手はありません。ただ、防戦一方です。

 しかし、伊藤玄二郎が、一般人を武器として使っていますね。で、一般人は、私の知り合いを使っているケースが多いので、彼らが、行った攻撃とか悪として、それを描くことができます。

 鎌倉市の、松尾崇市長は、伊藤玄二郎の、依頼に応じて、大金を、このユキノシタ二丁目の山に注いでいます。それは、後で、リンク先を、ここに置きましょう。まあ、リンク先を示さなくても、左のカレンダーで、過去ブログに入っていただくか、この文章の下にスクロールをしていただけば、いろいろ書いています。最近では、平木家に、屋根修理費用、及び、壁のペンキ塗り費用、前田家(むすこさンが買ったばかりの旧中谷家)の、ペンキ塗り費用、安野家の、屋根葺き替え費用。花輪家のペンキ塗り費用だけは、半額援助だと、思いますが、前の三件は、全額、公費でしょう。

 そして、平木家の南隣の関本夫人が、2019年の、12月に、平木夫人を意識しているのを察した、私が、それを描いています。というのも関本家の、坊やが、電話内で「逮捕するぞ」といったからです。それは、12月30日の朝でしたが、その前、28日頃から、町内会費用を徴収に行っているのに、鍵さえ、かかっていないのに、無反応だったりして、

 最高にいじめられたので、まあ、一種のお叱り、兼、「私を馬鹿にしなさんな」と、言う雰囲気で、関本夫人が、平木夫人を意識していると、書いたわけです。

 すると、今度は、関本夫人へ、鎌倉市から、援助金を出そうということになりました。そして、尾上共同事業体という、植木屋の、査定人が、4月7日にやってきたのです。これは、二転三転していますが、後で、丁寧に書きます。

 こういうご近所の動きが、誠に、いけないことなのですよ。だって、富沢家の、11本の樹木もお金を援助すべきものは三本もありませんでした。だって、その下には、道路がないのですから。道路樹木が倒れ掛かって、けがを負わせる場合にだけ、詩の援助金が出るのに、まったく、無関係な、樹木に氏の援助金を出すのです。

 ひどいものです。大きな、ニュースでも、真実を描いている私は、小さなフィールド、鎌倉市内でも、鶴岡八幡宮様、及び、鎌倉市役所を使って攻撃されています。表向きには、もっともらしい、口実が、用意されていますが、それ等は、欺罔中の欺罔で、大ウソです。それらの、事案を「真実は、こうですよ」と、次から次へと、私が、書いています。それを、脅かして、やめさせるために、パレスチナの、無辜の人々を、苦しめているのです。

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副題5,『洋画家、上條陽子さんは、パレスチナ支援を続けている。私も、その運動に、三年ほど、寄付金を送った記憶がある。ところが、その上條さんを、秋山祐徳太子は、ギャラリーアーチストスペースでの、三人展に誘っている條

 ここですが、説明しないでもいいと、思っていました。が、閉じてから二時間後に戻ってきて、説明を加えます。ギャラリー山口では、盗聴機能が働いていて、その画廊で、保坂涼子さんと秋山祐徳太子が、話し合っていたということを、私に山口いつ子さんが、教えてくれたから、みつ子さんは、殺されたのです。その会話内で、秋山祐徳大使は、力んでいたそうです。「雨宮舜、なにするものぞ!」と。

 山口みつ子さんは、私の方が筆力においても、感性においても、秋山祐徳大使よりは、圧倒的に上だと、思っていたので、そのセリフによって、保坂涼子さんが、恐るべき、罵りの言葉で満ちた、36行のメールを、101回繰り返して、送信してきたことの裏側が、わかったので、それを教えてくれたのでした。そのメールをもらう前に、わたくしは、美しい文章で、彼女の写真と、詩をほめてあげて、それは、月間ギャラリー2007年にがつごうに、のったのに、どうして、こういう反応が起きるのかが、不思議でした。

 が、みつこさんの言葉で、納得がいき、救われたのでした。で、それを、書き表し始めたのは、2017年の、五月過ぎでした。10年も間をあけて、待っていたのです。

 しかし、秋山祐徳太子が、上條陽子さんと、三人展を始めたのは、そのエピソードを文章化する前だったわけです。リアルな世界では、けんかをしない主義の私も、ひどく怒っていたのでギャラリーあ0智ストスペースのその三人展会場で、秋山祐徳太子に向かって、「山口みつ子さんのお墓って、どこにあるのかしら。あなた知っている?」と、暗喩をかけておきました。

 彼と、わたくしの間では、(特に二人だけの間では、山口みつ子さんは他殺であり、その引き金を引いたのは、彼であり、それは、彼が、CIAエージェントの一人だから、彼を守るために、みつ子さんが、警察の特殊部隊によって、殺されたのでした。そういう真実)を知っているわけで、それだけに、私にとって、洋画家のうち、もっとも、心打ち明けて、語り合っていた(電話でですよ)上條陽子さんと、彼が、三人展をすることは、挑発、そのものだったのです。わたくしは、リアルな世界では、けんかをしない主義だから、秋山祐徳大使の前でも、上条さんの前でも、音声で、発言したことはありません。

 私は、画廊のオーナーとしては、山口みつ子さんと、もっとも、心が通じていると、感じていたが、女流展(女流画家協会主催)の中では、上條さんと、最も気が合っていたと、感じています。それは、お互いが、電話の中で、話し合った内容がすぐさま、利用をされたことでも、確認ができるのだった。その二人の会話が、盗聴された結果、もし、酒井忠康氏に、入れば、上條さんをどういう風に使ったら、私を苦しめることができるかという、アイデアは、酒井氏の頭に、浮かぶものだろう。

 例えば、上條さんの、電話の、内容は、独立(絹谷幸二がトップの団体)の内部で、馬越陽子さんとライバル関係を構築されており、苦しいという内容だ。「二人とも陽子でしょう。だから、そういうことになるらしいの」と、上條さんは、いう。

 確かに、二人を比較してあれこれ言うのは、外野席にいる者にとっては、面白いことだろう。二人とも、裕福な実家で、育った女性で、華やかである。それに二人とも、有名な伝説が、付随をしている。

 馬越さんの方は、芸大大学院時代に、知り合った年若いご主人が、自死している。上條さんの方は、脳に、大病を患った。脳出血か、脳梗塞かは知らないが、彼女の才能を惜しむ、大勢の人の心理的援助によって、最高の手術が行われ、奇跡の生還といってよい回復を、獲得し絵描きとして再起。それが、伝説をなしている。 

 しかし、60代に、入るころ、富裕度で差が生まれてしまった。馬越さんには、夫がいないわけだから実家からの、金銭的支援があったと、思われる。で、高価な油絵具(例えば、カドミウムイエローなど)をがっぽ、がっぽと、厚塗りをした・・・・・いかにもゴージャスな、現代絵画を制作した。

 一方で、上條さんもとても頭が良い人だ。だから、美術作品の制作において、最先端のものを作りたい。その上、上條さんは、美大を出ていない。だから、凡庸なものを作ってはいられない。さらに、最先端のものを作りたい。しかし、純粋な、現代アート作品には、高い値が付きにくいのです。で、富裕度に差がついた。日本は拝金主義の国です。で、独立展の、オープニングパーティなどで、まだ、会員には、なっていない出品者が、馬越さんの周辺に群がったりするとか、いろいろ、いやな場面を目撃することでしょう。

 で、上條さんは、その苦しみを私に電話内で、おっしゃった。

 すると、酒井さんが、どういうルートを使えば、この二人の、陽子を道具として、使役できるかを、伊藤玄二郎に教えます。で、伊藤玄二郎は、銀座の有名画廊のオーナーであり、教育大学を卒業しているので、「わたくしは、ほかの、ひとよりも、ひと・ランク、上でございますよ」と、構えている栗田玲子さんを使って、または、石塚雅彦さんを使って、中央公論新社のラインから、赤瀬川原平を通じて秋山祐徳太子が、動くように指導をします。このラインですが、もし、推察が、間違っていると仮定すると、

 別のラインが、使われたことでしょう。そちらでは、森さん、黒田悠子さん、野見山暁次さん、または、野見山さんの秘書の、山口千里さんが、動いているでしょう。馬越陽子さんも、同じ様な筋をたどって、上條さんよりもずっと単純な形で、対私いじめ用道具として、使われて、います。私は、馬越さんとは、個人的な会話をしたことがないので、彼女が、京橋の画廊に、突然現れた時のエピソードは、詳しく書いています。上條さんの方は、実は、墓場まで、持っていく話だったのです。が、敵さんが、五回ぐらい、上條さんを利用するものだから、ここで、書きます。

 というわけで、上條陽子さんを、敵さんは、自陣営に入れて、利用をしているのですが、彼女が支援しているパレスチナを、今回は犠牲にしたのです。なんという矛盾だろうかと、私は、思いますが、あの人たちは、朝令暮改で、なんでもありです。自分たちだけが、勝てばいいのだ。過去に誰を、どう使ったかは、考えないでいい。どうせ、秘匿されている、世界なのだから、証拠も残らないし、だれからも、責められることはないさ・・・・・とおもっていることでしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『ともかく、私を弾圧するために、遠く、パレスチナに住む、何万人かが、脅されて、苦しんだのです。でね、今までだと、「私が、この指先で、世界を動かしているのですよ」と言ってきましたが、本日からは、伊藤玄二郎が、世界を動かしているのですと、言いましょう。彼は、石塚雅彦さんと親しいです。そして、石塚雅彦さんが、ロックフェラー四世と親しいです。だから、こういう突然の、戦争が起こります。・・・・・今まで、何も言わないで、良かった。ほぼ、10日間という短さで、終わって・・・・・・とは、思っていますが?!?!?

 2021年5月23日、これを描く、雨宮舜(本名、川崎千恵子)

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 以下は、NHK online から、コピペした、この戦争の、最後の日のニュースです。途中で、11日の始まったニュースも、くわえてあります。

イスラエルとハマス 停戦から一夜明け 現地では落ち着きも

2021年5月21日 23時09分 イスラエル・パレスチナ情勢

イスラエルとパレスチナのガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマスとの間で停戦が成立し、現地では一夜が明けました。これまでのところ双方に攻撃の動きは見られず、停戦が維持されるのかが、今後の焦点となります。

イスラエルとハマスの間では今月10日以降、ロケット弾や空爆などによる激しい攻撃の応酬が続いてきましたが、20日、双方が停戦を受け入れました。

現地では、停戦から一夜が明けガザ地区では、野菜市場で大勢の人が買い物している様子や、街のとおりを車が行き交う様子が見られました。

また、イスラエル側では、ロケット弾の被害を受けてきた南部の都市でも市民が屋外で活動する様子がみられ、双方で落ち着きを取り戻しているように見えます。

停戦を仲介したエジプト政府は、双方に代表団を送り、状況を監視することにしていて今後、停戦が維持されるのかが焦点となります。

今回の攻撃の応酬では、ガザ地区で232人、イスラエルで12人が亡くなったほか、イスラエル各地で、ユダヤ系住民とアラブ系住民による衝突も相次ぎ、パレスチナ問題の根深さが浮き彫りとなりました。

また、空爆によりガザ地区では多くの人が住居を失ったほか、インフラ設備への被害も深刻で、停戦後の人道支援をいかに進めるかも課題となりそうです。

停戦 イスラエル市民は

イスラム原理主義組織ハマスとの停戦について、エルサレムのイスラエル市民からはさまざまな意見が聞かれました。

22歳の男性は「停戦によって、これ以上市民の犠牲者が出ないのでうれしい。ハマスには重い代償を払わせたと思っています。イスラエル軍は、市民の犠牲が出ないよう最大限の努力をしていた」と話していました。

また、68歳の男性は「停戦には賛成で続いて欲しいです。ハマスは非常に危険な勢力で、リーダーはガザ地区の外にいて人々が犠牲になるのを放置している」と話していました。

一方、エルサレムに住む女性は「私は停戦には反対です。ハマスはいずれイスラエルに攻撃をしてくるので、政府や軍は、作戦を最後まで続けるべきだと思います。ハマスはイスラエルの市民を危険にさらしている」と話していました。

停戦から一夜 ガザ地区の様子は

 

停戦から一夜が明けたガザ地区では、多くの車が行き交い、一部でこれまで通りの日常生活を取り戻しつつあります。

その一方、通りのそばの建物はイスラエルの攻撃で大きく崩れたままで、商店の前では散らかったがれきを掃除する人の姿がみられました。

25歳の男性は「停戦によって戦争への心配や悲しみがなくなったので、嬉しく思うべきですが、15人の家族を養ってきた自分の店をイスラエルの攻撃で失い、とても悲しいです」と話していました。

また、25歳の女性は「再び軍事衝突が起きるのではないかと思うととても怖いです。多くの人が家族を失う可能性が出てくるので、私たちの状況は今後も非常に厳しいものになるでしょう」と話していました。

対立の根源 1948年のイスラエル建国に

イスラエルとパレスチナの70年余りにわたる対立の根源は、1948年のイスラエルの建国にさかのぼります。

イスラエルは第2次世界大戦中のナチス・ドイツによる大量虐殺=ホロコーストを経験したユダヤ人が建国しました。

イスラエルの建国によってパレスチナ人は住む場所を追われて難民となったり、たび重なる戦争で占領下に置かれたりしました。

パレスチナはイスラエルによる占領に対し、大規模な抗議活動「インティファーダ」で抵抗し、一時は和平に向けた交渉も行われましたが、合意には至りませんでした。

その後も、イスラム原理主義組織ハマスなどによる自爆テロでイスラエルの市民が犠牲となり、イスラエルはハマスが実効支配するガザ地区を封鎖し、空爆などで対抗していて、和平実現への道は遠のいています。

過去には「停戦破り」も

イスラエルとハマスの軍事衝突を巡っては、過去に、停戦したあとも合意が破られ、犠牲者がさらに増えたケースもあります。

2014年7月のイスラエル軍によるガザ地区への地上侵攻では、8月1日になって、イスラエルとハマスが72時間の停戦に応じました。

しかし、まもなくしてガザ地区南部で激しい銃撃戦が起きたため停戦は維持されませんでした。

その10日後の11日には、再び72時間の停戦で双方が合意しましたが、停戦期限の2時間前になってイスラエル軍は「ガザ地区からロケット弾が発射された」と発表し、やはり停戦は守られなかったとしています。

結局、期限を定めない本格的な停戦に至ったのは、戦闘開始から50日がたってからでした。

また、2012年の軍事衝突では11月に停戦に至ったあと、よくとし3月になってガザ地区からロケット弾が発射されたほか、5月にはイスラエル軍の空爆でガザ地区のハマスとは別の武装勢力のメンバーが殺害されました。

米バイデン大統領 外交による成果だとアピール

バイデン大統領は20日、停戦への合意を受けてホワイトハウスで演説し「関係国と高官レベルで文字通り休まず集中的な協議を続けてきた。対立を終えるために外交努力を尽くした関係者に感謝する」と述べて、外交による成果だとアピールしました。

バイデン政権は今回、国連の安全保障理事会で緊張の緩和に向けた声明を議論する際、その内容を巡って反対の立場をとり続けました。

一方で「水面下での集中的な外交を続ける」という姿勢を繰り返し強調し、ホワイトハウスはバイデン大統領とイスラエルのネタニヤフ首相の6回にわたる電話会談をはじめ大統領や政府高官による関係国との電話会談などはこの1週間余りで80回に上ったとしています。

しかし犠牲者が増えるなか国内では与党・民主党内の左派からイスラエルにより厳しい態度を取るよう求める声があがっていたほか、イスラエルへの影響力を疑問視する見方も出ていて、バイデン政権への圧力が強まっていました。

一方、バイデン政権の一連の対応を巡って専門家は国際協調を重視する姿勢を示しながら、アメリカとして中東和平問題に関与する難しさを浮き彫りにしたと指摘しています。

オバマ政権でイスラエルとパレスチナの中東和平交渉の再開に取り組んだマーティン・インディク氏はNHKの取材に対し「バイデン大統領は国連のような国際組織が重要だと印象づけたかった。しかし今回の対立によってアメリカは国連の場で同盟関係にあるイスラエルと過半数を占める反イスラエルの国々との間での選択を迫られてしまった」と分析しています。

また、バイデン政権が外交課題として中国や気候変動、イランの核問題を優先させていることを念頭にインディク氏は「政権内で中東和平問題の優先順位は低かった。だが今回の衝突を受けて、この問題に向き合わざるを得なくなる。ただ問題の解決ではなく、衝突に発展しないよう問題を管理していくレベルでの関与になるだろう」と述べました。

バイデン大統領は今後、国連などと協力してガザ地区の復興を後押しする考えを示していますが、今回の大規模な戦闘の根幹であるイスラエルとパレスチナの対立の解消に向けた和平交渉の仲介などどこまで積極的に関与するかは不透明で、バイデン政権が今後、より踏み込んだ対応をとるのかにも関心が集まっています。

中国外務省報道官「ガザ地区の再建に積極的に参加する」

今回の停戦について中国外務省の趙立堅報道官は21日の記者会見で「停戦を歓迎し、エジプトと国連などの調停に向けた努力を称賛する」と述べました。

そのうえで「中国はパレスチナに対し、100万ドル、日本円で1億円余りの緊急人道支援を行うとともに、パレスチナ側の必要に応じて物資の支援なども行い、ガザ地区の再建に積極的に参加する」と表明しました。

一方で、アメリカが水面下で外交努力をしてきたという姿勢を強調していることについては「アメリカは真の多国間主義を実践し、国際社会の大多数のメンバーとともに国連安全保障理事会が問題の早期解決のためにしかるべき役割を果たすことを支持するよう望む」と述べ、安保理として一致した対応を示すことに唯一、反対の立場をとり続けたアメリカをけん制しました。

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 以下は、この戦争が始まった最初期に、NHKが、報道をしたニュースをオンラインから見つけてコピペしたものです。

ガザ空爆「あと10分しかない」 倒壊直前にビル脱出の記者は

2021年5月16日 16時31分 

イスラエル軍は15日、AP通信やカタールの衛星テレビ局アルジャジーラなど、海外メディアの拠点があった建物を空爆で破壊しました。AP通信は、建物が倒壊する直前まで中にいた記者の手記を配信しました。

この記者は、15日午後1時55分、夜の業務に備えて仮眠を取っていたところ、ヘルメットをかぶった同僚が「避難しろ」と叫びながら飛び込んできて、目を覚ましたということです。

イスラエル当局は、建物のオーナーに空爆を通告し、中にいる人を退避させるよう求めていました。

「あと10分しかない」と言われた記者は動揺しながらも、急いでパソコンといくつかの電子機器や家族の写真などを手にして午後2時すぎ、ヘルメットをかぶって建物を後にしました。

その後すぐに、イスラエル軍のドローンとF16戦闘機による空爆を受け、建物は倒壊しました。

AP通信は2006年からこの建物を取材拠点としていて、ガザ地区出身のこの記者にとっては住居でもありました。

AP通信によりますと、建物では当時、社員ら12人が働いていて、全員避難し、けが人はいなかったということです。

AP通信のプルイット社長兼CEOは声明で「この攻撃でガザ地区で何が起きているか世界は知ることが難しくなってしまった」と空爆を強く非難しました。

また、イスラエルが、このビルがハマスの拠点だから攻撃したと主張していることについては「ハマスが建物の中にいた、または建物の中で活動しているという兆候はなかった」と反論しています。

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エルサレムで衝突続く ロケット弾の発射も

2021年5月11日 6時59分 

中東のエルサレムで、イスラエルの治安部隊とパレスチナ人による衝突が続く中、パレスチナのガザ地区からはエルサレム周辺などにロケット弾が発射され、これに対し、イスラエル側が空爆で報復するなど、衝突が激しさを増すことが懸念されています。

中東のエルサレムでは、イスラム教の断食月ラマダンに入った先月中旬以降、イスラエルの治安部隊と、旧市街のイスラム教の聖地を訪れるパレスチナ人との間で衝突が続いていて、これまでに500人余りのけが人が出ています。

10日は、イスラエルが過去の戦争で東エルサレムを占領したことを記念する日でしたが、イスラエル政府はユダヤ人入植者などが旧市街を行進するルートを急きょ、変更するなど双方の間で緊張が高まっています。

こうした中、パレスチナのガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマスは、イスラエルに対し聖地への侵略だとして、エルサレム周辺やイスラエル南部などに向けて40発以上のロケット弾を発射し、エルサレム周辺の村では住宅への被害も出ています。

これに対し、イスラエル軍はガザ地区に対し空爆を行い、ハマス側はこの空爆で20人が死亡したと主張し、さらなる報復を警告していて、衝突が激しさを増すことが懸念されています。

ホワイトハウス報道官「深刻な懸念」自制を求める

ホワイトハウスのサキ報道官は「ここ数日の暴力的な衝突などについて、深刻な懸念を持って状況を注視している。週末にサリバン大統領補佐官がイスラエル側と協議した際、イスラエルによるパレスチナ人の強制退去の可能性について懸念を伝えた。そのうえで、両者はパレスチナ側によるロケット弾攻撃などについては受け入れられないことで一致した」と述べ、双方に自制を求めました。

イギリス 外相「ロケット弾の発射を非難する」

イギリスのラーブ外相は10日、ツイッターに「イギリス政府はエルサレムやイスラエル各地に向けてのロケット弾の発射を非難する」と投稿しました。

そして「エルサレムやガザ地区で続く暴力を止めなくてはならない」としたうえで、すべての当事者に対し自制を求め、民間人を標的にすることをやめるよう呼びかけました。

フランス外務省 報道官「事態はさらに悪化するおそれ」

フランス外務省の報道官は10日、声明を発表し「すでに数百人のけが人が出ているうえ、事態はさらに悪化するおそれがある」として、重大な懸念を表明しました。

そのうえで「すべての当事者に対し、一刻も早く平穏な生活に戻れるよう、いかなる挑発行為もしないよう求める」として、最大限の自制を求めました。

EU 上級代表「衝突と暴力を深く懸念」

EU=ヨーロッパ連合の外相にあたるボレル上級代表は10日の記者会見で「このところの衝突と暴力を深く懸念している」と、双方に改めて自制を求めました。

そして、東エルサレムに暮らすパレスチナ人たちが、居住地から強制退去させられる可能性があることについて「このような行為は人権に関する国際法に違反し、緊張を高めるだけだ。これを避けるため、あらゆる手だてを尽くすことが重要だ」と述べ、さらなる衝突を避けるための努力がなされることに期待を示しました。

トルコ イスラエルへの非難強まる

こうした中、イスラム教徒が多数を占めるトルコのエルドアン大統領は、10日、パレスチナ暫定自治政府のアッバス議長と、パレスチナのガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマスの最高幹部ハニーヤ氏と相次いで電話で会談しました。

トルコ政府の発表によりますと、エルドアン大統領はイスラエルを「テロ国家」と呼んで強く非難するとともに、その攻撃をやめさせるため、あらゆる手を尽くしてイスラム圏を含む世界各国を結集させると伝えたということです。

また、トルコ議会では10日、すべての政党が「この弾圧と法の無視を激しく非難する」とする合同声明を発表しました。

さらに、10日夜にはトルコ各地で抗議集会が行われ、このうちイスタンブールにあるイスラエル総領事館の近くにはおよそ1000人が集まり「パレスチナを救え」などと声を上げていました。

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neko 令和三年度 お祝い用写真が、作れない?!?!? 誰だ? 裏で悪さをしている人間は?

2021-05-21 18:14:11 | 政治

 Corel pro 2020 もペイントショップも、命令通りには、全く動かないのです。特に本日は、妨害が大きかったです。下は、これから先フェイスブックに、使おうとしている写真ですが、めっちゃ、クチャに破壊をされて、やっと、ここまで、2時間ぐらいかけて、たどり着きました。だれだ? 裏で、こういうことをやっているのは?

 

Adobe Photoshop に、慣れているはずですが、CSインデザインIIも、持っているはずですが、何しろ、パソコンが30台壊されているので、どういうふうにADOBEのソフト(今はアプリという言葉が全盛ですが)を保存したり、壊れたパソコンから、新しいパソコンに、移動をするのかが、わからないうちに、どうしてか、「シリアル番号が、違っています」などと、言われて、本当に画像処理ができないのです。

 アドビのソフトは、どれも高いのですね。だから、アドビだけで、30万円ぐらい投下しているのに、全然使えなくなって、紙の上で、設計をしておいて、キンコーズとか、その他、アドビが入っているパソコンを貸してくれるところで、一晩、徹夜して、自著の表紙や、カバーのデザインをしたものですが、キンコーズの貸しパソコンでも、トンボが、急につけられなくなるとか?

 だから、自著の印刷機用データを作るときは、3週間ぐらいの間に、キンコーズで、3日に一回徹夜をする、そういう体制で、図形処理をするのでした。文章編集と頁デザインは、その前、二か月ぐらい、それも、貸しパソコンで、最終データづくりはして、いつも深夜に帰ってくるという生活を行っていたのです。

 本当に体力を消耗しきっていたのです。でも、だから、こそ、神様に愛でられているのですよ。あまりにも苦労を強いられているし、こっちは、そんな意識がないのに、ちょっとでも、共通項がある人物は、敵さんがライバル設定をして、相手の方を、持ち上げるからです。

 前報、で、取り上げた、桐村茜さんも、そういう部分がある人だし、彼女が最近、連続して、そこで、帰国(凱旋)個展をする、K’sギャラリーの、増田きよみさんも、そういう人物の一人です。ご本人たちは、その種のいきさつを、知らないでしょう。で、もし、この文章を読んだら、「まさか!」と言って、こちらをバカにするでしょう。それも想定内に入れて、こういう文章を書いています。 

 画廊るたんの、中島三枝子さんが奥の事務所から、わざわざ、個展が開かれている会場の外の、芳名帳の置いてある台まで出てきて、

 国画会の、当時、準会員だった、長瀬いづみさんに向かって、「この人に、名刺を渡したらだめよ。この人のために、つぶされた画廊もあるのだから」、と言いました。

 私はね。『どうして、そういうことを言うの? どこが?』と内心で思いました。まあ、前報に書いてある竹屋画廊はつぶれました。しかし、私の胸ぐらをつかんで、満座の注目の最中に、外に突き出したおばちゃん(桐村茜さんがそういう呼び方をする高齢の女性)は普段は竹屋画廊には、いないのです。だから、その女性の無礼を、書いている私の文章は無視して置いて、いいのです。堂々と画廊を続ければいいのです。

 ところが、あの無礼は、酒井忠康氏が、画廊のオーナーの竹屋蕎麦で、昼食をとりながら、話す内容を真に受けて、蕎麦屋の、奥さんが、やっていいと信じて、行った無礼だから、当然のごとく、酒井忠康氏のあれこれを、続きとして、私が、書くだろうと、推察した酒井氏が、竹屋に画廊をやめなさいと、命令したのだと、思いますよ。わたくしがやめさせたわけではないのです。蕎麦屋ではなくて、画廊の方に普段詰めていた女性は、雇われていた人物か、または、お嬢さんか、または、息子さんのお嫁さんでしょう。若くて、きれいな、今風の女性で、いかにもおしん時代の働くおばちゃんという感じのあの無礼な、蕎麦屋夫人とは、まるで、違うタイプです。

 これは、本当に面白い現象だというか、政治のダイナミズムというか、彼らが想定さえしていなかった、ほころびが、ひょいと顔を出したという現象です。でもね、竹屋画廊が閉鎖になったのが、私のせいだと、言う風に、銀座で、噂を流した人がいるのです。誰かはわかりません。が、中島三枝子さんは、それを信じて、長瀬いずみに、それを告げたのでした。一種の冤罪だけど、別に抗議もしません。で、中島三枝子さんは、鬼の首でも取ったつもりで、その讒言を彼女に告げた、人物に「やっつけてやりました」と報告をしたことでしょう。で、その後、勝ったと信じた、CIAエージェントは、築地署に銘じて駐車違反監視員を、一日に、四組も銀座に出没させることへも繋がっていくのでした。

   ここに、その駐車違反監視員の、出没する写真を使った文章のリンク先を置きたいところです。お待ちください。

 ところで、その時期は、・・・・いや、今もですが、・・・・私が銀座中で、<<<<<いじめて良い相手>>>>>と、みなされていたので、言いたい放題のことを、中島三枝子さんは、言っていたのでした。ところで、私の文章で、つぶれた画廊なんてありませんよ。やっていることのおぞましさを、言えば、ギャルリーユマニテは、つぶれてもいいと、思います。山口みつ子さんが、他殺という形で、殺されながら、自殺と喧伝をされた、気の毒極まりない死を迎えたのは、保坂涼子さんと、秋山祐徳太子のせいです。その保坂さんは、涼子という実名を、航子と変えて、同じ種類の作品(黒御影石を、磨きぬいた、床に置く様な平たい立体・・・・・昔の言葉でいえば、彫刻)を発表し続けているのですが、私が知る限りにおいて、・・・・・2016年中に二回ほど、・・・・・・また、2017年の、移転後の、初個展として、ユマニテで、展示をしました。

 彼女は、ほかの面でも、過保護というほどに、ほめそやされていて、すでに、新制作の、協友、もしくは会員になっているかもしれません。すばらしいご出世です。まあ、ユマニテの、第一のスタッフ金成悠子さんと、同郷らしいので、そちらの縁で、ユマニテで、個展ができるのかもしれません。でも、ユマニテって、二週連続して、作家に個展を開かせてあげる画廊で、銀座(京橋を含む)大画廊の一つです。格がとても高いのです。つまり、一週間ごとに個展を、更新して、新しい作家の、個展を開いてあげるという画廊に比べれば、「うちは、お金儲けが、目的ではありません。作家の作品優先で、個展を開く画廊です」という極めてプライドが高い姿勢を貫いてあげている画廊です。

 私もずっと、尊敬していましたよ。だからこそ、敵さんが利用をして、その画廊を特に使ったのです。何にというと、私を辱めたり、苦しめたりするためにです。

 京橋の二丁目にあの画廊があったころには、ユマニテだけが使うトイレではなくて、ほかの全部で、五つぐらいの、利用企業が使うのに、私が行くと、すぐ、目の前で、トイレにカギをかけるのでした。金成さんが。

 今にして思うと、東京メトロ、京橋駅の、ユマニテに一番近い、出入り口に、必ず、ガードマンがいる時期がありました。また、ビルの一階に、元刑事らしい、ガードマンが詰めていました。それらの人間が、「今、彼女(=私)が、そこに行く」と知らせたのでしょう。でないと、展示室ではない、ずっと、離れた、(=15mぐらい離れている)事務室にいる金成さんが、どうして、私が、エレベーターを降りたとたんに、エレベーターホールの目の前にあるトイレの前に、ちょうどいて、トイレに、鍵をかけることができますか?

 私はバカではないです。ユマニテは、その当時は、地下一階に存在していました。金成さんが、目の前で、トイレにカギをかけた同じ日に、私は、エレベーターを利用して、ほかの階のトイレを点検してみました。もしかして、ビルのオーナーが、六時半過ぎには、トイレにカギをかけなさいと、命令しているといけないからです。しかし、どの階も、トイレにはかぎが掛かっていませんでした。

 これは、老人性頻尿に陥っている私を、からかってきている、現象でした。肉体として、無理もない現象を使って、からかってきている。むごいというか、残酷というか、下品というかです。特に下半身の、排せつをからかってきているので、金成さんが、どれほど、残酷な性格の人かがわかります。もともとアイスウーマンですが????? しかし、ある夕方だけ、街灯に、好かされている耳たぶを真っ赤にしていて、交差点で、信号を待っていたので、私生活においては、違うところもあるのだと、理解していますけれど。

 まあ、そういうことをおやりになって、バーター取引として、大企業に、作品を買い上げてもらうという形で、ユマニテは、存続していると、私は推察しています。中西・元・けいだん連会長が、石塚雅彦さん(ICUの私の先輩、堤義明さんのいとこだと、私が推察している元日経新聞論説委員にして、元、外人記者クラブ理事長)などに、頼まれていて、間を取り持ったりしているのだろうと、推察しています。

::::::::::::ここで、ものすごいことを語ります。何を目的で語るかというと、この世には、人智を超えた存在がいて、(それを私は神様と、普通は呼んでいるのですが、)その偉大な存在が、人間に姿を借りて、重要なことを教えてくれると、言うことをです。私は、大変な苦境にもあるのですが、主人が、お前ほど、幸せな人間はいないと、言うほど、表向きは、幸せな人間です。それこそ、神様が、おん見守りくださっているからです。

 今回は、ユマニテに関して、その内情を教えてくれた人がいると、言う事を明かしましょう。ところで、私は軽はずみな人間ではないです。で、この人を、ニュースソースとして守るために、それは、月刊ギャラリーの社長兼、編集長の本多さんではないと、言明します。それから、メディア関係者でもないし、美術評論家でもありません。画廊のオーナーやスタッフでもないし、作家でもありません。作家とは、ここでは、油絵を描く人、版画を制作する人、立体を、制作する人などを指します。

 今まで、一回も、このブログ、または、それ以前のメルマガ時代にも登場したことのなかった、人物です。私は、善意で、真実を教えてくれた人の、実名を書くほど、バカではありません。

 しかも、相当前の話です。スマホがなかった時代だったかな? 盗聴をされていないと思います。その人が言うのには、「川崎さん、あなたは、そんなにユマニテを高く評価しているけれど、ユマニテさんはね。貧乏なのですよ。すごく、貧乏なのです。近々、つぶれるのではないかと、みんなが噂をしているほどです」と。私は、そういう話を聞いても、食いつきもしないし、話した人に抗議もしません。ただ、「そうなのですか、知りませんでした」とだけ言いました。

 だけど、相手が嘘を言っているとも思いませんでしたよ。私だって、子供ではないです。で、ユマニテが、二週間に一回の展示替えだから、そこから考えても、収入は低いと、思いました。普通は、一週間に、40~50万円の貸し賃をとるのですが、「二週間だから、二倍にします」とは、言えないと思います。それに、画廊って、家族経営で、子供とか、配偶者が、手伝っているケースが多いのですが、ユマニテは、雇った、他人が、2人いて、オーナーと、三人で一緒に仕事をしている会社です。アルバイト(派遣社員)ではない筈ですし。だから、人件費も高いでしょうし。

 今は、ユマニテは、ずっと、小さいビル(京橋三丁目)に移動をしています。なんと、それは、ギャラリー山口が、2010年まで、画廊を開いていたところです。

 しかも、しかもです。山口みつ子さんが、他殺として、殺されてしまう、その引き金を引いた、保坂さんの、個展を、移転後の初個展として開いてあげました。なんという悪魔チックな、因縁であろう。それを見たときに、・・・・・なるほど、これが、私をいじめることで、入金があるというバーター取引ですね。それで、お金が、入ってくるわけです。大企業からね・・・・・・と、推察した次第です。

 もっと、詳しく言います。本当は、リンク先を見つけたいところですが、まあ、この一章内で、かけることをまとめてみましょう。

 保坂さんですが、京橋二丁目時代に、一年(2016年)には、二回も開いてあげて、私が書いている毒・毒しい事実を洗浄化してあげました。そして、なんと、京橋三丁目の、山口みつ子さんの、旧画廊に、ユマニテが、引っ越した途端、地下一階の小さな部屋の方の、第一回、個展が、これまた、保坂さんでした。なんという悪い、因縁であろうと、戦慄するほどでした。こんなことをしていたら、必ず、神様に処罰を受ける筈なのに、まあ、破産しないで、堂々と、経営を続けられているのは、CIAエージェントたちのお世話で、大企業、もしくは、美術館から、購入のお話が、入ってくるからだと、思っています。

 数か月前だったのですが、朝日新聞が、この画廊で、開かれている詩の朗読会を取り上げていました。天童大人という、詩人が企画して、ユマニテに持ち込んだ企画です。私も、伊藤比呂美さんの会だけ、参加したことがあります。そのときは、2500円の会費で、30人ぐらい参加したかな? ユマニテの、プライドの高さをしみじみ感じました。

 私をいじめることによって、その功績に、免じて、収入が約束されるのは、こちら、雪の下で、ずいぶんと多数例を見てきていますので、ユマニテさんに、大企業、もしくは美術館から、購入依頼が、多数届くことはありでしょう。

 でね、中島三枝子さんに戻ります。彼女が言う、雨宮舜(=本名、川崎千恵子)によって、つぶれた画廊があるなんて、嘘なのですよ。そんな画廊なんてないのですよ。まあね、平野和子さんが、経営していた、ギャルリーBEAUXが、閉鎖されたことを指しているのかしら?

 でも、平野さんは、山梨県に住んでいる母親の介護をしないといけないと、私には、言っていましたけれどね。

 でもね。私は、目の前で、そんなひどいことを言う、中島三枝子さんに抗議はしないのです。すべての物事は、フィフティフィフティです。そういうことを知っている私は、『ああ、これで、佐野ぬいさん(女子美学長)、島田鮎子さん(島田章三夫人)、赤津侃さんについて、あれこれを書く自由を得たわ』と、内心で、ひそかに、納得をしたからです。それは、それで、ラッキーよと、思っています。そのうち、余裕が出たら、雑誌【版画芸術】についてもあれこれ、語る日が来るでしょう。画廊るたんには、雑誌【版画芸術】が、よく置いてあって、その週の【るたん】の個展と、版画芸術が、コラボレーションをしている時が、多いのですが、その出版社もねえ?!?!? 

 いい雑誌ですよ。豪華だし、知的レベルも高いのです。ただ、私が、何年分か、バックナンバーを、10万円を超えるほど、買ったがために敵さん(例のCIAエージェントたち)が、悪利用をすることになった雑誌です。

+++++++++++++++++++++

 という、長い長い、過去の伏線改修のお話をした後で、また、本日の夕方、邪魔された、図形処理の、事に戻ります。

 以下は、相手側から、破壊された、一部の画像です。で、余白が大量に出ます。ですから、文章の続きがずっと、下に出てきます。

第二番目に置いたものは、一番目のものと見かけだけは同じです。ただし、違いは、周辺に余白が大量に出てしまうもので、あたかも、続きの文章がない、様に見えてしまうものです。

次(第三番目)のものは、ペイントショップで、行っている作業後の作品が、ハッカーによって、レイヤーのあるアプリへ移動をされて、急遽、背景を、小さくされたものです。

 ハッカーに、をやられているかは、こちらには、よく、わかっているのですが、それをやめさせる手段は、私には、ありません。どうして、こういうことをやられるかというと、それこそ、鎌倉市雪ノ下の、奥様連中を守るためでしょう。

 特に安野智紗夫人という女性を、警察が、徹底的に大切にしています。それゆえ、これも、桜田門でやっていると、私は、見ています。 だからこそ、彼女が、過去にやっていることを、丁寧に、文章化しているのですよ。私は、先制攻撃など、一切致しません。損失を与えられているので、

 しかも、それが、隠密裏に行われるので、ミステリーを解いていると、言っているのです。決して、安野智紗さんに対する誹謗中傷ではありませんよ。彼女本人、および、彼女を最大の武器として、使っている警察庁の、あれこれの攻撃があるから、彼女について、詳細に語るのです。

 上の三枚の写真ですが、背景を作る処理など、慣れていたフォトショップ5.5とか インデザイン(フォトショップの、5.5より、ヴァージョンアップしたものが入っている)CSII を使ったら、15分で、もっと、きれいな画像ができるはずです。これは、ペイントショップで作っているから、限界のある画像となります。それでも、さらに、いじめられて、破壊をされるわけです。

 だれだ? こう言う悪さを、裏で、やっているのは? と言っても、個人名が特定できません。桜田門で、お給料をもらっている人間がやっているとしたら、その存在は、素人には、追及できません。特に個人名を特定することができません。だから、ご近所で起きる、目で見えること、音で、聞こえることを、それが、損失をもたらすものだったら、丁寧に、丁寧に、書くと言う事となります。

 こういうことは、2006年ごろから、毎晩、何十回、何百回、何千回と、繰り返されてきたのでした。

 しかも、これは、パソコンを使うのを阻害するという一方向ですが、それとともに、NHKニュースで知らされる、現象が、脅かしが多いのです。アスベスト訴訟もその一つですが、ほかにもいっぱいあります。従軍慰安婦を推奨し、保護する、愛知県知事の辞任を求める、署名簿が、偽造だったというのも、ひねりにひねってあるが、西原理恵子に、依って、息子の職が奪われたと、書いている私いじめの、ニュースです。ひねりにひねってあるので、初期には、こちらの考えに賛成なのか?と、一瞬思いましたよ。だけど、今まで、ブログ化していませんね。用心しているうちに、大逆転が、起きて、もし、褒めたら、私が、そんしつを、被るところでした。

 つまり、これは、素晴らしいと、書くと、それが、嘘だった、あっかんベーとなるはずで、

 スタップ細胞疑惑事件と、そっくりなコンセプトで、移動していっているニュースです。

 それから、ご近所が、神経を痛める様な、いろいろをやってくる。

 そして、昔からの友人が私を裏切る様に、同窓会とか、クラス会で、わなが、仕込まれているとか?

 すごい生活なのです。それが、どうして起きるかについては、常に繰り返し説明をしてきていますので、ここでは、繰り返しません。

夕方五時半から、23時にかけて、これを書く。

次の日の、午後零時から、14時にかけて、加筆・推敲をする。

尚、このブログの、2010年より、数え始めた延べ訪問回数は、6436393です。

                     2020-5-21 雨宮舜(本名、川崎千恵子)

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耳が痛い件で疲労困憊+PCと人体は同じ仕組みで動く+おばちゃんという語彙を私が使う様になったのは桐村茜の真似である

2021-05-19 21:24:06 | 政治

副題1、『去年の12月に、右の耳が痛かったのですが、この五月に入って左耳が痛いのです』

 すみません。ブログを長時間、手当てしなかったのは、耳が痛い件で、疲労困憊していたからです。月曜日に内科、火曜日に、耳鼻科と、口腔外科と、三科を、回ったので、疲労困憊してしまいました。

 12月に右側の耳が痛くて、あの時も顎から、鼻を通り、頭頂部まで、到達する、何か全部が痛いのですが、耳が特別痛く感じるのです。

 今回は、その時とは、反対の耳(左)ですが、あの時よりも劇症で、とても痛いのでした。

 ところで、最初の、五日間ぐらいは、我慢をしたのですよ。これが、もし、外部攻撃で、発症したものだったら、お医者さんに行っても治らないからです。治す方法は、「ただ、ただ、気にしてませんよ、こんな攻撃には、負けませんよ」という態度をとるしかないからです。

 パソコンだって、同じです。敵さんが、攻撃するのを、最近では、相当にかわすことができて、直すことができます。といっても体の痛みと同じで、対症療法です。つまり、阻止されている方法ではなくて、別の方法で、望んでいる仕事をしてしまうと、ブロックされていて、先ほどまで、できなかったことができる様になるのです。「あ、攻撃してもダメなんだ。彼女はすり抜けてしまうからね」と、敵さんが、考えて、その攻撃が終わるからです。そういう形で、直してきました。

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副題2,『ここで、メヌエル氏病のケースを語りたいと考えます』

 去年の、7月白内障手術の予定がが決まっているのに、その20日前に、一週間続いて、メヌエル氏病に襲われました。これは、その数年前に、実際に、同じ病の、特に、ひどいケースに襲われていたので、すぐ、メヌエル氏病だと、わかったし、治療法がないのも知っていました。

 そのふたつから考えると、この2020年7月にかかっているメヌエル氏病も、自分の治癒力で、治すしかないと、思うわけで、医者にはいきませんでした。

 特に白内障手術直前なので、もし、医者に掛かったら、自分で、それを眼科の先生に、申告しなくても、わたくしの場合は、身辺すべてが監視されていますので、メヌエル氏病で、かかっていることが、眼科のお医者様に伝わって、手術が受けられないであろうと、考えました。

 でも、不思議なことに、以前かかった、本当のメヌエル氏病は、深夜11時半ごろ、発症が起きて、たんす部屋(四畳半)のあっちこっちのタンスにぶつかったのです。しかし、一日で、終わりました。しかし、白内障手術直前にかかったものは、疲労が取れているはずの朝に起きたのです。しかも、一週間毎日。

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副題3、『パソコンの、相当上等なものと、されているスパコンが、もっともっと小さな形で、凝縮したものが、人体だと、思うので、ノートパソコンにバグを入れられて、30台以上、壊されている私は、人体へも、外部から、攻撃をされているのではないかと、疑っているのだ。それで、パソコンを直していくのと、同じ方法を、人体に起きる病気を治すのにも応用をしている』

 わたくしのパソコンは、本づくりを始めたころ、特に、3冊目以降を準備し始めた2006年以降毎晩、50回以上にシステム異常を起こされて、敵がいると、感じ、どういう仕組みで、こういう破壊現象が起きるかは、相当に悩みました。

 しかし、NTT光フレッツの、異常が起きたとき、電話で、サポートをお願いしたときに、突然に、真相がわかったのです。

 NTT の光フレッツは、その後も何度も、壊れるのですが、その時のサポートで、サポーターと、わたくしのパソコンの画面を同期するシステムというのを初めて、経験しました。遠くにいるサポーターが、私が、今開いているパソコンの画面と全く同じ画面を見ているということは、驚くべき状況です。ただ、普通の人が誰でもできるというわけではなくて、下の、虫眼鏡のところに、相手側から、伝えられた、何らかの、ダウンロードの、数値を入れるのでした。

 それは、その時だけ、教えられるもので、むろん、記録もとっていないし、もし、記録を取ってあったとしても、今、それを入れても、NTTのサポーターと、連絡を取っていない時間なので、わたくしのパソコンが、どうのこうのと、変化するわけではありません。

 わたくしは、過去に何回も説明をしていますが、桜田門の、一室、もしくは神奈川県警の一室に、特大の、液晶画面があって、そこに、常に、わたくしのパソコンの画面と同じものが浮かんでいると、推察しています。

 ただ、大変大きな液晶画面というのは体に、影響を与えるためのもので、パソコンの仕事を邪魔するためには、それほど、大きな画面は、必要ないのです。

 わたくしのパソコンに影響を与えるためのものは、この程度(今は、13インチを使っていますが)、もしくは、15インチ、または、それがあると仮定して、17インチのモニター画面、などで、十分だと思います。

 で、古村浩三君の家、井上ひさし(いまだ、生きていますよ)の家、それから、この山に最近転入してきた美形の紳士、山田さんの家には、その、機能を備えたパソコンが整備されていると、思っています。

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 人間の体も、高度なパソコンですから、それに、システム異常を起こすのは、すでに、可能なことだと、思っています。一般の人には、開示されていない技術ですが、特権者側、支配者側は、それをすでに、使っていて、・・・・・特に、わたくしの体には、それが、すでに、適応をされていると、推察しています。

 上には、一週間続いたメヌエル氏病を書いていますが、それが、終わったのは、室内盗聴が、うまく利用をされたからです。

 息子が「訪問したい」と、言う電話をよこしたときに、わたくしは、たまたま、トイレに入っていたのです。トイレは、一階にあり、固定電話は、二階にあります。主人が二階から、「〇〇〇(息子の名前)が、来るよ。土曜日に。わかった?」というものですから、わたくしは大声で、「あ、だめ、今、私メヌエル氏病だから、来ないで」と一階から叫びました。

 我が家の室内会話は、盗聴をされています。二階については、そこにスマホが置いてあるので、それが、盗聴器となるのでしょうが、ほかの部屋は、どうして、盗聴をされるのかは知りませんが、ともかく、この家の中で、音声で、語られることは、すべて、相手(敵さん方)に、悪利用をされます。で、わたくしは、しまった。今まで、メヌエル氏病に、かかっていることは、一切誰にも言っていなかった。ここで、敵さん方に知られてしまったら、大変だとは、思いました。しかし、息子は、愛情はあるものの(私のほうも息子に対して、愛情はありますよ)だからこそ、甘えもあって、私に対して、すべてに批判的です。ところで、わたくしは、このブログの時間を取られるので、お掃除が後回しになります。息子が来るときは、集中的にお掃除をして、きれいにするのですが、それが、メヌエル氏病だと、できません。

 しかも、白内障手術を、二週間後に控えているので、絶対に、メヌエル氏病を、治しておかないといけないのです。で、メヌエル氏病にかかっていることは、主人には手紙で知らせてあります。が、わたくしが、お掃除を集中的に、今はできないと、言うことは、主人は、理解していないので、息子がここに、来たいと、言っているのを、断りません。だから、わたくしは、それを、自覚していることさえ、敵には知られたくなかった、メヌエル氏病という語彙を、思わず、大声で、二階に向けて放ったのでした。それで、敵さんに、わたくしがメヌエル氏病にかかっていることを自覚しているのを悟られてしまいました。

 だけど、この時は、よいほうへ、展開しました。その電話がかかってくる、一日か、二日前に、武蔵小杉の中原図書館で、開架図書の一般向け医療書を、五冊ぐらい読んで、メヌエル氏病に関する知識を再度、確認したのも役立った模様です。

 というのもわたくしの行動は常に監視をされているのです。尾行か何か知りませんが、中原図書館に入って、40分ぐらいたつと、普段は居ないはずのガードマンが入ってきて、わたくしが五階を使っていたら、五階を、巡回するし、六階を使っていたら六階を巡回するからです。

 でも、この時は、わたくしがメヌエル氏病を自覚していて、かつ、病院へ行かないことが、敵さんたちに、攻撃を、あきらめる気持ちを起こした模様です。というのも、このメヌエル氏病が、白内障手術を受けさせないが為の、ものだと、わたくしが、知っていると、言うことが敵さんにもわかったからです。それは、将来、必ず、ブログに書くからです。その文章がどういう風に展開するか、敵さんたちには予想もつかないからです。

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副題4,『平木夫人、裕子さんが、したたかな悪女であると、言うことを書いたのも、この耳の痛みが、敵の攻撃であると、半分は、推察しているところがあるからだった。

 その前、・・・・・平木家のご長男が、去年の秋のうちに「推薦入学で、東大に、はいれますよ」と、伊藤玄二郎たちから、教えてもらっていたはずだ・・・・・と、言うのも、相当に、すごい話だけど、あれを書かないと、わたくしは、鳴門の渦に、落ち込んだ、木の葉のごとく、パソコンも、人体も、きりきり舞いをさせられて、末は、切り刻まれることになるだろう。だから、ご近所様といえども、遠慮している場合ではない。自分が頭がよくて、敵さんがやっていることのすべてがわかっていますよと、言うことを具体例を示して、開示しないといけないからだ』

 さて、メヌエル氏病は、そういうわけで、消えて行ってくれました。しかし、耳の痛みは、かつて、経験したことがないのです。中耳炎というのをやったことがないので、今回の痛みと、12月の痛みが、どの程度悪いのかが、わかりません。比較のしようがないのです。

 ただ耳って、能に近いですよね。だから、いささか怖いです。自然に発生した病であっても敵方が発生させた病であっても、どちらであっても怖いです。で、12月にも湘南竃浦総合病院を訪ねたのだけれど、今回も同じ病院を訪ねた。

 ところで、病気の診断とか、湘南鎌倉総合病院の、口腔外科が、あまりにも美しい施設だったのを、語りたいが、今は、そちらは、後回しにして、火曜日に、大船から、自宅前(バス停は、鶴岡八幡宮前)まで、帰ってきた際に、北鎌倉の【侘助】を、久しぶりに見て感無量だったことを語りたい。

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副題5,『ここで、突然だが、朝ドラに、入りたい。なぜかというと【侘助】が、ひどく、落ちぶれている様に見えて、したがって、侘助のおばちゃんとのエピソードを思い出したので、それを語りたいのだが、まず、朝ドラが先だ』

::::::::: 朝ドラおちょやんで、宮沢エマが、演じる、栗子さんが出てきたときに、ネットで、人々が、「見事な伏線回収だ」と、言っていました。確かに、栗子さんは、継母として、自分を奉公に出した、意地悪な、女性でした。その同じ女性が、自分の子供を産んだとたんに、追い出した継子(おちょやん)を、急に愛しく思い始めて、彼女にファンとして(今は、押しというらしいが)花かごを送り続けるのです。無名というか、匿名で。で、主人公おちょやんは、その人に励まされるわけですが、だれが、送っているかがわからなかったのです。それなのに、どん底に落ちたときに、その人栗子さん(=宮沢エマ)が現れて、自分を救ってくれるのですね。しかも、一緒に暮らしているうちに、死が近いことを悟っている栗子さんから、自分が花かごを送っていた人だと、告白をされるのです。もう、涙、涙の、一週間でした。

 清原香耶さんと、今期の朝ドラの脚本家のコンビは、【透明なゆりかご】のコンビだそうです。そのドラマはたまたま、第九回(父親に、犯されて妊娠した、少女の回)だけは見ました。そして、ドラマもいいし、清原香耶も素晴らしいと、思いました。

 しかし、朝ドラの、バトンタッチの場面で、清原香耶が、杉咲花を大切にしていないのを、発見しました。そのさいに、香耶さんは、おちょやんが、視聴率が悪いと聞いていて、それを信じていて、杉咲花を、ばかにしていませんでしたか?

 杉咲花さんのセリフ(詠嘆調で静かなところ)は、わたくしのレコーダー経由では全く聞こえませんでした。今、人体への、攻撃を語っているところですが、それが、できるぐらいですから、テレビ番組に加工をして我が家に送り込むなど、おちょの子再々でしょう。しかし、20210年5月15日の、BSPの一週間再放送では突然に、そこが、聞こえる様になって、特殊な細工が、なされていたことを知りました。だけど、杉咲花は、あのドラマでは、ぴったりでしたよ。体が、小さいです。だけどエネルギー満帆です。愛とは、エネルギーだから、杉咲花さんは、その点でも素晴らしい。清原香耶さんは、素材としての自分に満足しきって、努力を怠り、傲慢になると、魅力が失われますよ。気を付けてください。あのバトンタッチの場面で、杉咲花さんの顔を見ないのはいけません。

 さて、おちょやんでは栗子さんの伏線回収が、大きな話題になったわけですが、わたくしは、ここで、おばちゃんという語彙をどうして使う様になったかの伏線回収をしたいと、思います。侘助を見たからです。

 侘助の女主人に、胸倉をひっつかんで、店の外に突き出されたことがあるのです。わたくしより若い女性でした。が、あまりのことに驚いて、なぜだ? と大いに考え込みました。その日も誰か、匠の会の人と一緒だったのに、どうしてあれほどの残酷なことをされたのかが、わかりません。

 その後、もっと、年取っている竹屋画廊の主人の妻にも、胸倉つかんで、追い出されました。それは、桐村茜さんの、竹屋での二回目の個展の時で、オープニングパーティの席だったと思います。

 桐村茜さんには、パリのシテデザールの版画工房を案内してもらったり、彼女の結婚観と、誰と一緒に今暮らしているのかなどについてもあれこれ、聞いているので、親しいと、言う認識があって、その後、銀座で、彼女が個展をしているときに、「こういうことがあったのよ」と、この竹屋画廊での経験を言うと、彼女があのおばちゃんねえ」といいました。その時、初めて、インテリの女性がおばちゃんという用語を使うのを、発見しました。

 桐村茜さんはあそこで、二度は、個展をさせてもらって、相当高額な売り上げを得ているので、おばちゃんと、竹谷画廊の、主人の妻を呼ぶのには驚きました。ただ、いかにもそういうタイプです。小柄です。そして、この事件が起きた当時、私より、10歳ぐらい上に見えました。

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副題6,『竹屋画廊が、なぜ、有名人(といっても、現代アート系・美術界だけでの、知名度だが)ばかり、連続して個展を開くことができたかだが、酒井忠康先生が、竹屋蕎麦に食べに行く趣向があって、そこで、話が弾んだ結果、開店が決まった、画廊だからであろうと、推察していた。酒井先生は、毎日現代美術コンクール等の審査員をなさっていたので、そこで、発掘した現代アート系作家に、

 「鎌倉小町通りは、一年で、二千万人の通行客があるのですよ。一週間で、四万人が通るのです。あなたの作品が、大衆に知名度を上げるチャンスですよ」と、おっしゃれば、「誰だって、はい、個展を開きます。そこで」というだろう。で、酒井氏の姿をあの画廊で、見たことはない。だって、6畳程度の狭い画廊で、ソファーも置けない様な場所だから。だけど、そばやのほうは、お客が少なかったはずで、そこで、酒井氏は、あれこれの雑談をされたことであろう。そこでの雑談の中で、美術評論に、人気が出ている私が、一切のお金を取らないことに、美術評論家の一人として「やっつけるべきだと」思っていて、あることないこと、竹屋蕎麦で、語られたと、推察している。それを聞いていたおばちゃん(?)が、わたくしの胸ぐらをつかんで、店の外へ押し出したのだった。桐村茜の、そこでの、二度目の、オープニングの日であった。年度を言えば? いつだっただろうか? 15年から20年近く、昔のことだったと、思う。

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副題7、『居酒屋侘助とは、北鎌倉の文士バーだ。本家の鎌倉には、そういうものが一切消えてしまったので、侘助の存在は、貴重だと、思っている。親戚に樹木希林さんが、いるということでも、プライドの高い、居酒屋だった。看板には、薄いブルーグレー一色で、左下に、一輪の椿、または山茶花・種名【侘助】が描いてあり、それを描いたのは、瓜南直子さんだと、言う話を直子さん自身が、フェイスブックに投稿をしていた。2011年にそれを初めて知った。

 侘助には、浄智寺で、開かれていた、匠の会という、プチ文化人のお集りに、誘われて参加していた時期があり、その会合の後で、皆さんが必ず侘助によるので一緒に行っていた。そういう際に、経営者の奥さん(これから先は、侘助のおばちゃんと呼ぶことになる)に、失礼なことをされたことはない。お仲間がいると、そういう利点がある。こういうことを最大限に、使っていたのが、渡辺豊重さんで、どこへ出向くのも、誰か、女の人を連れて歩いていた。一ノ瀬智恵乎さんを、そばに侍らせて、葉山の、美術館に、赴いていたのは、すでに、書いている。

 で、その後の10年間で、ありとあらゆるフィールドのお友達を引っ剥がしていって、孤立化させようとされているところが現在だ。

 ところで、わたくしはお酒は飲めるのだけれど、2000年以来、深夜まで、書くことと渡河、自著の出版用データづくりを常にしているので、外で、お酒を飲むのは、やめている。で、侘助にとっては、よいお客ではない。大体5000円は、使うのが普通だろうから、コーフィーだけで、帰る私は、よいお客ではない。そのうえ、胸倉をつかんで、店の外へ押し出された日は、土曜日ではなかった。で、お仲間がいなかった。

 驚くことは驚いたが、竹屋画廊で、すでに、経験済みのことだったし、基本ほーしんとして、リアルな世界では、けんかをしない主義なので、黙って、引き揚げた。侘助のおばちゃんは大得意で、わたくしの悪口を言った人間に、「追い出してやったわよ」と、告げたはずだった。

 しかし、2021年5月18日、バスの窓から見た限り、ハイオクに近い衰えようだった。新コロナ禍で、その様に衰えているわけで、もちろんのこと、伊藤亥二郎が、面倒を見るはずなので、休業補償金がばっちりと出るはずで、生活に困るということはないと、思う。だけど、売り南さんが描いた、看板にしろ、塗料が痛み切っていて、まるで、干上がった塩湖でもあるかの様に、ばらばらで、今にも100枚ぐらいの破片として、剥がれ落ちそうだった。特に、南側に接して建っていた家が、売り出されたのか、撤去されて、更地となっていて、侘助のわき腹が見えたのだけれど、外壁を形成している木片が、これまた、釘もサビ切って、一枚、一枚、剥がれ落ちそうだった。

 竹屋画廊の方は、酒井忠康が、開店をさせ、閉店も、酒井氏が、命令したと、考えている。酒井氏は、わたくしの悪口は盛んにおっしゃったであろう。だけど御本人がインテリだから、おばちゃんがさしも野蛮な実行行為をするとは、思っていなかったのだろう。

 そして、四番目が、みずほ銀行鎌倉支店、で、意地悪の限りを尽くした、仕分け人、今野さんだ。2021年、1月、18日だったと思うが、これが、みずほのトップが、銀行協会のトップを、遠慮することにつながるので、すごい話だとは思うのだけれど、わたくしのブログ等を、一回も読んだことのない人は平気で、こういう態度をとるのだった。むろん裏があって、この時は、鎌倉警察署の生活安全課の課長が、裏にいたと、推察している。

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副題7、『みずほ銀行の仕分け人今野さんが、四番目の失礼なことをするおばちゃんだったが、三番目に失礼なことをしたのは、12月9日ごろ、訪れた湘南鎌倉総合病院の、受付(新患の、科を仕分ける女性)おばちゃんを上げたい。なぜか、目がとてもきついうえに、ニタニタ笑っているのだった。その日は、内科の先生も、耳鼻科の先生も若い女医さんで、これまた、気合の入っていない乱暴な、診察ぶりだった。

 それで、私は、この右耳の痛みも敵さんからの、こうげきのいっしゅだと考えた。病院の悪口を言うつもりはなかったけれど、敵さんからの攻撃だと、考えるよすがとして、三人の女性が、意地悪だったことを書いた。

 すると、今回は、事務員は普通で、看護師さんも普通だった。そして、内科、耳鼻科、口腔外科の、すべてのお医者さんが、男性で、丁寧な診察をしてもらった。

 特に口腔外科の待合室(ロビー)の美しいことには、驚嘆をした。こんな美しい病院=待合室=を見るのは初めてだった。最近建設された最先端・医療棟の中にあるので、そうなっているらしい。

 治療がまだ、終わっていないので、この痛みが、外部攻撃か、そうでないのかがわからない。しかし、12月の方、右耳の痛みは、外部攻撃だろうと判断した。そのときは、種々の根拠が、あった。が、今回の左耳の時には、なかった。一般の普通の患者として扱っていただいた。ただ中耳炎でもないし、脳などにも異常がないので口腔外科に行ってみてくださいと、勧められたのだった。そこで、顔の周りを360度回る、レントゲン(ただし、それは、普通の病棟の方にあるので、普通のインテリアの、レントゲン室だったが、機械としては、恐るべきものだった)を、使ってあごの写真を撮ってもらったりした。顎関節症の疑いがあったのだけれど、そうではなくて、筋肉に炎症がおきているのでしょうという診断が、下った。顔を構成している骨に、がんなどの恐ろしい病気があったわけではなくて、「軽いものですよ」と言っていただいた。だが、間歇的に痛いのだ。困ったことだった。

 パソコンを長時間使うので左半身は、20年前から背中が痛い。それが、顔にも及んだのだろうか? まあ、苦しいことは苦しいが、

 わたくしは、慶応病院には入ったことがない。だけど、この湘南鎌倉総合病院の、口腔外科の、待合室の、美しさは、天国とは、こういうところだろうか? と思わせるのに十分だった。特に現代アート好みの人間にとって、美しさを感じるのだけれど、特筆すべきは、使ってある椅子だった。

 色は、地味目なのだけれど、革張りの、ソファーみたいなベンチで、一人分の幅が、1mを超えるのだった。そのベンチが向かっているのは、水族館に使ってある様な、継ぎ目のない透明な壁で、その高さは、8mぐらいで、幅は、15mぐらいだった。そして、カーブを描いて湾曲しているのだった。その外壁の向こう側は、お庭なのだけれど、作庭のプロが設計したものだと、思われた。

 暇なときに、最近の、BCS賞受賞建築物を調べてみたいと思った。ミニマムアートとして、これ以上はない美しさと、言ってよかった。こげ茶色と、自然の、みどりと自然のひかりとの、融合。

 この痛みが、どうして起きるのか? そこまでは、まだ、解明できない。だけど、ある伏線は、回収した。何の複線かというと、・・・・・・

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副題8、『ここで、伏線が一つ回収ができた。おばちゃんという語彙を、わたくしがなぜ、頻用するかの答えを説明できる機会を得た。上にあげた大病院の帰途、バスの窓から、北鎌倉駅前の居酒屋=文士バー【侘助】の看板が、ボロボロになっているのを見たからだった。侘助のおばちゃんが、私の胸ぐらをつかんで、店の外へ突き出したとき、その裏に誰かが、讒言を入れているはずだが、それが、瓜南直子さんだった可能性も感じたし』

 わたくしが、なぜ、小太りの女性で、中年、または、高齢で、極端な意地悪をする女性を、おばちゃんと呼ぶのかの伏線は、この章で、回収できたと思う。

 それは、桐村茜さんが、竹屋画廊のオーナー夫人をおばちゃんと呼んだことをまねしているのだ。

 今般、コシノジュンコさんが、フランスのレジオンドヌール勲章を受章した。だけど、パリに住んでいる、普通の収入の、パリジャンとか、パリジェンヌにとっては、コシノジュンコよりも、桐村茜のほうが、有名だと思う。

 二人とも大変おしゃれな女性だが、普通のパリジェンヌは、桐村茜のほうが、すてきだ、と思うはずだ。桐村茜の作品と、彼女のおしゃれの方向性には、繊細さがある。それは、普通の収入の、そして、インテリである、パリジェンヌが好む方向性でも、あるからだ。

 桐村茜は、日本のテレビでは取り上げられない。したがって、日本での知名度は、一般社会では,圧倒的に、コシノ姉妹よりは、低い。ただ、桐村茜略歴

http://www.akanekirimura.com/%E7%95%A5%E6%AD%B4.html

 というところをご覧いただくと、彼女のすごさがわかる。したがって自信満々な彼女が、自分としては、恩義を感じないといけない存在でもある、竹屋画廊のオーナー夫人(おしゃれは、全くしていない。ただ、ただ、労働をして、夫を助ける日本のお母さんだ。小柄で、和服さえ着ていないのだから。)をおばちゃんというのは、資格があるのだろう。

 わたくしの方には、その資格がない。だけど、意地悪をされるゆえんもない、それ以前に個人的な会話を交わしたことはないのだから。ただ、ただ、政治的な動きが陰にある。酒井忠康氏が、竹屋蕎麦で、あれこれを話したことが原因だと、推察しているからだ。

 侘助のオーナー夫人も同じ。彼女など、私より、10歳以上若いと思うけれど、同じく、おそろしいいじわるをしたので、おばちゃんと呼んでおく。

 みずほ銀行の仕分け担当、今野さんも同じだ。湘南鎌倉総合病院で、2020年12月に、ブースの中に座っていた、女性は、あの時だけ、そこにいた、婦人警官の偽装だったのだろうか? とても、元看護士、または、元助産師などのお顔ではなかった。目がきつい。したがって、おばちゃん呼ばわりをしておく。

 雨宮舜、(本名川崎千恵子)

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象の国に悪人たちが侵入し、毒を盛りましたね。豚熱と同じ仕組みです。

2021-05-17 19:47:39 | 政治

副題1、『いやなニュースをNHKの、六時台で、聞いてしまった』

 象の国で、どうも、毒を盛られたらしくて、二頭が死んだそうです。

豚熱について、一文を書いています。(後注1)

口蹄病(宮崎県)、鳥インフルエンザ(日本中あっちこっち)、豚熱・・・・・すべて、CIAエージェントが発生源(菌? or ウィルス?)をばらまいていると、感じています。

それをやっている連中と、同じ組織に属するものが、今般は、市原市の、象の国に侵入しました。

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 困ったことだと、思います。というのも、口蹄病、鳥インフルエンザ、豚熱等は、すべて、JA等、自民党が、支援する組織に属しているので、法的に賠償金が出る模様だから、命を無駄にする、苦しみは、経営者側にあるわけですが、それでも、金銭的な損失はないらしいのです。

 したがって、例の鎌倉エージェントが困るときには、全国の、あっち、こっちで、政府のお金を使って、それが、陰謀の一つの実効策であると、言う、現象を使って、私を脅かしてくるわけです。

 しかし、象の国は民間の施設です。したがって、保障用のお金が出ません。本当に気の毒です。

 で、毒をえさの、リンゴ、またはニンジン、または、牧草の中に、真夜中に、ひそかに入れて、逃げ去った犯人たちの、動機は、例の鎌倉エージェントだけが知っているというわけです。

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副題2,『これも政治的な謀略行為で、あって、対私狙いだと、直感をした。なぜから、以下の通りで・・・・・』

 さて、この一文を描き始めて、四時間が過ぎ、相当内容が見えてきてから、勇気が出てきました。なぜ、象の国の餌箱に毒が仕掛けられたか❓の、答えを語る勇気です。私は猫が大好きです。で、1947年ごろ母が、子猫をもらってきてくれました。その猫は船橋市から、日吉に引っ越しても逃げることもなくて、二回ぐらい子猫を生みました。ところがある日、家にまで帰ってきて座布団の上に横になり、白い泡を吹いて死にました。ここですが、わたくしはご近所様が我が家の猫を殺すために、毒をもったとは思っていません。

 実家付近では、東大や慶応卒の人が多くて、私の東隣は、日軽金の重役Oさんでした。このことをちらっと、こちら雪ノ下の山で、第一期会長だったF氏に立ち話で、漏らしたので、Fさんご夫妻から、大変大切にしてもらえました。今とは雲泥の差です。今の会長の白井さんとは、わが家の歴史やプライバシーを語る機会がほとんどないからです。だから、白井さん夫妻は、私の悪口ばかり先に聞かされていて、建築中からひどいことをしてきた夫妻です。多分、ルネ北久里浜(水道山の跡地に建っている)の設計をしたときに、瀬島隆三からあれこれを吹き込まれていて、そういうことになったらしいと、推察しています。

 Fさん一家から大切にしてもらった理由は、F氏が、定年前は、日軽金勤務だったからです。日軽金とは、飛行機の素材であるジュラルミンを作っている会社で、私の実家のお隣のOさんは、重役としてとても偉い上に、有名な人だったらしいです。その上、F家のご長男は、熊谷組勤務で、主人の兄が同じ会社勤務だったので、そちらの理由からも、大切にしてもらえました。F家の次男は、日軽金勤務だと、聞いています。でも、最近の情報では、新潮社勤務だとか? 法学部などの、文系卒業だと、どこの会社にも総務課とか、人事部があるので、転勤が可能ですね。で、井上ひさしが、自分の権力が利く、新潮社に、F家のご次男を転勤させたと、見ています。そして、そのF家の空き家状態のところへ、警察庁の若手エリートだと見える山田さんを転入させています。

 でね、日吉のときわ台町内会(当時は、全60戸が、日吉町一番地だった)というああいう地域で、我が家の猫を狙って、毒を盛る人はいないでしょう。きれいな三毛猫だったし。ただ、1950年代って、日吉でも、まだ、汲み取り式のお便所でした。それから、現在では当たり前の、布基礎などない時代です。だから、床下なんか土だし、風通りの良い形で、スケスケです。したがって、ネズミの被害に、困っていた人がいて、それで、何か、おいしい餌に殺鼠剤を混ぜていたのでしょう。ともかく家にまで、帰ってきてくれてよかった。どこか、知らない場所で、死んでしまったら、私の心配は、如何ばかりだったか? 本当に、計り知れません。で、このエピソードをあっちこっちで、数年前から書いているので、動物を、毒で殺すと、私が、『自分と、自分のブログが、狙われたと考えると敵さんたちが見て、今般、象の国の、象たちの餌に毒を混ぜたと、わたくしは考えています。

 特に井上ひさしなど、このブログを読むことが、彼の一大任務であって、私の早い書き方(特に、2009年から、2013年は、大量に書いた)についていけないからこそ、自分を死んだことにしたという向きもあるのでした。そして、このブログの中から、私を攻撃するアイデアを、ピックアップするのですが、『最近、あいつは、日吉について、連続をして書いているので、この日吉時代のエピソード=他人が仕掛けた毒で、自分の猫が死んだというエピソード=から、今回のニュースのアイデアを、ひねり出せば、きっとあいつ【=雨宮舜=本名、川崎千恵子)は、自分が狙われたのだと、気が付くはずだ。そして、ビビるはずだ。だから、書けなくなるはずだ』と、見越して、この謀略行為を提案したと、見ています。

 その上、もう一つ、ありました。それは、NHKで、最近象の国について、長い時間、放映をしたのです。で、それを見ていた私が主人に向けて、「坂本さんって偉いわね。元女優か何かでしょう。よく、あれほどの、汚い仕事を含む、重労働をできますね」といったのです。それを例のごとく、室内盗聴で、把握して、それで、象の国の象に毒をもったのでした。そうなると、NHKが、象の国に何回も、長時間の取材をかけた時から、この謀略は計画をされていたとなります。それもありです。

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副題3、『この謀略を仕掛けた結果、助かる人たちは誰だ?』 

で、この事件の結果として、雪の下のご近所様、平木さん一家、前田清子さん(プラス、故祝一氏)、安野忠彦・智紗夫妻、白井達雄、小野寺夫人夫妻、大原光孝さんが助かるわけです。

 わたくしの高校の同期生、宇都宮和代さんとか、坂本喜杏さん、とか中島加奈子さん、小池玲子さんが助かるわけです。

 そして、大学時代の、友人である、古村浩三君、佐々木来目夫ちゃん、中西輝子さん、川名昭宣君、なども助かるわけです。

 先輩の、石塚雅彦さんも、塩見和子さんも、

 銀座の、栗田玲子さんも、森邦夫さんも、十束さんも、金成悠子さんも助かるわけです。

 吉田茂穂宮司様も助かるし、浄智寺さん(朝比奈宗温または、朝比奈宗恵)さんも助かるわけです。

+++++++++++++++++

 そして、何よりも、また、助かる・大・人・物・がいます。

 伊藤玄二郎と、井上ひさしです。後者は、まだ生きていますよ。それに、この二人の手下として、機能する、警察庁です。だから、今は、松本警察庁長官が、象が、二頭死んで、『ああ、よかった。これで、少しは、彼女は、書けなくなるだろう』と、胸をなでおろしているところでしょう。

 井上ひさしに戻ります。2010年4月9日、公的に、自分を死んだことにして、NHKジャックといってよいほど、大量に死亡報道をさせましたが、あの頃の報道には、多大な嘘が含まれています。で、彼は、ひどく野蛮な、言葉を使って、罵りと、からかいのコメントを、過去にも、このブログに、大量に送り付けてきています。

 で、わたくしは、彼らの意思を表すときに、その頃の井上ひさしのコメント用セリフに現れた文体を使うことにしています。

 ひじょうに野卑ですが、そういう過去の行動が、彼にはあるからです。で、今、彼は、

+++++++++++++++++

『お前、また、気が付きやがったのかよ。だけど、象の国の経営者・さかもと一家は、近い将来、お前を恨むさ。ざまーみろ、下手な文章を書きやがって。有名出版社からは、注文一つ来たことがないくせに。威張るな。威張るな。

 それに、今度は、人間は死んでいねーだろう。象なら、お金を出せば買えるのさ。驚くなよ。びるげーつに寄付させるさ。もしかれがダメだったら、

 市原市か、千葉県から、見舞金を出させるさ。

 それでもだめだったら、もう一回、クラウド・ファウンディングを立ち上げればいいのさ。俺たちは、内部に、集団訴訟にかかわった、数千人の部下がいるのさ。裏から、彼らに、一人10万円ずつ手渡して、そこに、寄付させるさ。

 そうすれば、お前が、心配していることなんて、ばかものめーっ!

 おせっかいものめーっ!

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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『ここで、わたくしは、わたくし側の被害の一端をまた、開示する・・・・・一方で、敵陣内の人は、本当に得をし続けていて・・・・・あきれるほどなのだった』

 以上は、井上ひさしに成り代わって、わたくしが、今、彼が内心で、思っていることを文章化してあげたわけですが、雨宮舜(本名、川崎千恵子)自身の考えと、言葉に戻します。

 この章も、本当に嫌なことを書いているわけですが、何度もシステム異常が起きたので、正しい考察を書いていると、思います。つまり、以前から、予測をしていた通り、これらの謀略は、常に、10個ぐらい、準備中であって、タイミングを狙って、実行をされるということ。そして、毒を実際に持ったのは、一週間ぐらい前だtっと仮定して、発表が、17日だった理由もあるのです。だが、それは、後で、語ります。

 ほかにも現実問題として、私への加害行為は、数知れずあって、

 わたくしは、2007年ごろから、ほとんど、外出の自由がありません。激しい泥棒行為に出会っているからです。

 そして長男の人生は、損失ばかり、重なっています。お金や、社会的地位という意味でですが。

++++++++++++++++++++

 一方で、鎌倉市立御成中学校時代には、通信簿に、1と、2しかない、ことで、「おいちに、おいちにの、アヒルさん」と、呼ばれていた安野家の、ご次男は、国立大学付属高校にご入学だそうで、海上保安庁にご就職あそばされました。

 理由は、彼女が略奪婚の、人で、その成功の甘さが忘れられず、手当たり次第、周辺にいる女性の誰よりも上に立ちたいと、思っていて、それが、可能になる様な、情報収集の場として、毎日午後、家の前の道路で、井戸端会議を開いていました。その井戸端会議で、決まっていく、上下関係のトップにいた、前田清子さんという女性は、我が家の北隣に住んでいた藤本禎子夫人という女性を村八分にして、いじめまくっていたので、藤本夫人が逆襲に出たのです。それで、困り切った、中谷知二氏は、我が家のアジサイ畑(私道部分の花畑・・・・・全戸が持っているらしいもの。ただし、私道のつき当たりに住んでいる、中谷家、花輪家、富沢家には、無い模様)をものを、コンクリート打ちをして、使えない様にしたのでした。

+++++++++++++++++

 しかもあろうことか、中谷氏は、我が家の東北の山を無断で、削り落としたのです。それは、カリフォルニア大学卒の帰米二世である彼は、重要なCIAエージェントなので、北久里浜で、実質的には、大詐欺事件である、横須賀市の水道山を、無償で、私有化した一件(1978年)の、真相を知っている私を、間接的に殺していくための最初の、実行行為(1987年のこと)でした。

 その場所を守っている大木(タブしい)があるのですが、それを丸裸にしたのは、白井さんが、誘導した、五、六人の、この山の壮年男子です。2019年の10月13日のことでした。

 その時も電線に、木の枝が、引っかかるという欺罔を用いたのですが、

+++++++++++++++++

 次に、その大木の、東側の山の樹木を、八幡宮様が、7本も、切り刻んで、そちら側から、我が家の崖を崩そうとされました。2020年4月15日から、28日にかけて。

 それは、八幡宮様が、自分で、考えだしたことではなくて、安野夫人と、平木夫人が文書で、申し込みに行ったからだそうです。

 この件は、近々まとめます。高枝切り問題とはなんだ。鎌倉市が、偽造文書(図面)を作っているのはなぜだと、か、言う大問題をまだ、書いていませんね。それを書くときに、丁寧に、語ります。将来のテーマです。

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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『さあて、最近の主役は、平木さん一家である。この一家がなぜ、大切にされるのかを、ここで、書いていきたい。ところで、ここで、初出のことだけれど、平木さん夫妻の出会いと結婚に至るまでの話である』

:::::::::ここから先は、見てきた様なウソを言いの一つです。平木さん一家が、転入をしてきたときに、どこの不動産屋を使って、いくらで、買ったのか?という種類の情報が一切出ませんでした。まあ、賢いから言わないのだろうと、解釈してきていましたが、もしかすると、土建業というのは熊谷組かもしれないのです。F家のご長男の、紹介で、ひそかに、ここを買ったと仮定すると、「ここは、大変難しい地域だから、ご近所とは、親しくしない方がいいですよ」という戒めは聞いてきたはずだし、「川崎さんのお兄さんは、熊谷組勤務だから、丁寧に接しておいてくださいね」というぐらいのことは聞いてきたはずです。でね、ご主人が熊谷組勤務だと仮定して、奥さんとの出会いが、社内恋愛、もしくは、提携先とか、同業他社との合コンなどでの、お付き合いの始まりだと、仮定をすると、オオ、そうですか、納得ですと、なるのです。

 どういうことかというと大学とか、出版社とか、研究所とかいう、知的レベルの高いところに勤務すると、ご本人は、大満足でしょう。頭がいいということの証明だから。そして、芸大でで、画家ですと、言う風になると、結婚は、相当に難しいです。結婚相手については、あまり、恵まれないのです。特に女性の方にとって、難しさが出るのです。

 ところが熊谷組程度だと、心身ともに健康で、常識を備えていて、かつ男女ともに、美形同士で、結婚できる割合が多いのです。兄もそうです。中流の上、または、上流の下として、安定した一族を形成しているし、お嫁さんは、篠ひろ子よりもきれいなのではないか?というほどの美人です。

:::::::という、平木夫妻の結婚に至る部分は、わたくしの推察にしか過ぎないのですが、だいたいあっているでしょう。で、わたくしは、美形好みの川崎さんと、人から、からかわれるほどで、自分の顔が、理想的美とは遠いので、 

 平木夫人が美形であるからこそ、そして、子育てが、上手だからこそ、ブログには、あまり取り上げてこなかったのでした。ひいきしていてかばっていたのです。そこを見事に狙われていて、ひどいレベルで、敵方に、利用されまくっていて、しかもご本人たちも利益を次から次へと、得て、金銭的にも、大きく得をしているので、とうとう、すっかり、全部を描こうと、決意せざるを得なくなったのが、現状です。

@@@@@@これ以下は、メモです。後日、充実をさせます。

 それから、象の国ですが、CIAのブルーカラーが毒を餌に入れた、と推察していますが、それを、ここで、書いた限り、近々、否定するニュースが出てくるはずです。内部で、坂本小百合さんに、反感を持っている人間がいて、それが、やったと、自白するとか。大口病院の点滴事件と同じ経過をたどる可能性が、高いです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 平木夫人のその行動を、良しとして、(または、その行動の前に、バーター取引としての結果が、すでに、教えられていた可能性もあるが)CIAエージェントたちは、おぼっちゃまに、東大推薦入学を、2020年の秋のうちに約束をしてあげました。

 あそこの家は、ここに転入してきてから15年間、電子ピアノの音を出したことがないのに、その時期は、ジャンじゃか、じゃかじゃか、音を出して、ショパンの英雄ポロネーズを弾いていました。よっぽど、うれしかったのでしょう。そして、『言葉で、東大合格のことを、他人に言っているわけではないから、いいのだ』と、坊やは、思っていたでしょうね。でもね。高位の人たちから、「あなたほど、頭の良い人はいない」と、常々言われ続けている私です。この時は、わかりませんでしたよ。ただし、次の年の四月11日の午後、最高のおしゃれをして、平木裕子夫人と伸明氏が、夫婦なのに、時間的に間をあけて、別々に外出をしているのを見たときに、『これは、大学入学式ですね。しかも、私には、秘密にしたい、らしい様子です。では、4月11日の夕方、もしくは12日の午前中に、入学式がある大学とは、どこだろう?』と、ネット検索をしてみて、東大だけが、12日に入学式を行うことを知りました。慶応も早稲田も、一橋も、東工大も、12日より前に終わっていたのです。

+++++++++++++++++

 この件は、詳しく、ブログに書いています。特に、あと注2の、副題アルファをご覧くださいませ。あの、ピアノの弾き方は、これから、東大をまっすぐ、普通に受験する高校三年生の精神状態とは、まるで違うものでした。音楽が大好きな、私の、耳は、ごまかせませんよ。わたくしは、ピアノ曲においては、ショパンよりシューベルトのほうが好きです。だから、聞いたことがある曲だとは、思いながらタイトルが、不明で、園芸の仕事をしているときに、そばを通る坊やに、「あなたが、最近、弾いている曲は、何ですか?」と聞いたほどです。

 すごく素直に、教えてくれました。しかし、この坊やは、小学生の時に、警察のポスターを描いて、この山の町内会看板を埋め尽くしていた子供たちの一人だりうし、保美死刑囚が、平成のやつ墓村事件を周南市で、起こしたときに、絶対に、入れないはずの(門を開けてもらって、次に梯子を使うから、普通なら入れない)安野家の北側の畑に入って遊び、そこを洗浄化してあげたのです。安野智紗夫人の、井戸端会議で、わたくしの指導部分が、盗まれたのですから、南に、それが、あるのに、北川まで、開墾して、ゼロ坪の我が家に対して、30坪程度の菜園を、開くなど言語道断の、欲張り状態なのです。悪人と悪女夫妻だからできることですね。それを洗浄化してあげました。

 2013年だったので、お子さん方は、小学校の三年か、四年生だったはずです。それらを、実名は秘めていましたが、すべてブログに書いています。だから、私を警戒しても当然です。しかし、坊ちゃん自身は、警戒をまるでしていない態度で「ショパンの、英雄ポロネーズです」と教えてくれました。だから、この秋の時点に至っても、平木夫妻は、わたくしんブログを読んでいなかった可能性がありますね。

 ただ、その英雄という曲名を教えてくれたことも、後で、思うと、彼が、如何に、高揚していたかの証明になると、思うのです。だから、秋のうちに、東大合格を知らされていたと、わたくしは考えています。

+++++++++++++++++

 そして、元藤本禎子邸が、売りに出されて、石井秀樹・あずさ夫妻が、買い、498日の難工事というテレビ番組が製作されたとき、その町内会看板が、風もないのに、倒木によって、壊れ、ガラスが、粉々に散りました。それこそ、天のお裁きだったと、わたくしは考えています。それを作ったのは、大原光孝で、彼は、私に対してさんざんの嫌がらせをしていますので、晴天の日に、それが、破壊をされたなど、まさしく、まさしく、天のお怒りが、彼に対して、示されたのでした。奥さんが家出をしているのも、「川崎さんが、離婚をすると、みんながうわさをしていますよ。ヘラ、へら」と、からかってきたのを、神様が叱っているとみていますが、まるで、カエルみたいにへいつくばってガラス片を拾っている彼を見ていると、わたくしも、いささか、溜飲が下がりました。

 しかしです。平木さんの母子・三人が、必死に手伝っているのを見ていて、しかも、テレビに映っているのを見ていて、将来大丈夫かしら?と、思いました。

 ここから先、メモだけを描きます。安野夫人も、前田夫人も来ていなかった。しかし、その夫たちは、来ていたが、手伝わなかった。私が、どういう風に感じているかを推察しているからだった。この現象の際にカメラフレームには入らない様に、努力していたと、わたくしは推察する。

 さて、これら、CIAが主導することに協力すると、善人なら死ぬにまで至る衰運が訪れる。

 そこで、普通なら、平木さん一家に対して、心配するところだ。

 だが、2021年4月10日、平木家の庭で、初めて「関本家の、高枝切りは、あなたが、お勧めになって始まったの?」と、質問をした時の彼女の答えに仰天をしたのだった。

 平木夫人の答えは、驚くほど、したたかだった。柔和で、微笑みながら、嘘をついているので、本当に仰天をした。美形ゆえに、だまされていたのだった。悪女といっていいほど、したたかだった。

 その会話が始まる前の、五分以上、彼女はベルが鳴り、自分が素通しのガラスの部屋の中にいて、私の姿が見えているのにもかかわらず。待たせたのだった。

 しかし、これは、事前に、訪問した前田夫人からの、依頼で、そうしているので、平木夫人が悪女とは言えない。しかし、同じ質問に、前田夫人も、大原光孝さんも、そろってうそを言ったのだけれど、

 大原光孝さんは、緊張しきっていた。それから、前田夫人だけれど、似た様なケース(植木鉢の怪)の時も嘘をついているので、二度目なので、彼女のウソも明らかに分かるので、問題にはしない。特に、相当な悪事の34年間の連続の過去もあるのだから、別に驚かない。

 しかし、平木夫人と会話をするのは、生涯で初めてだったし、彼女のウソの付き方にもあきれ返ったので、したたかな悪女だと、言っておこう。

 ポイントは、「関本夫人は、鎌倉市の広報で、市が援助してくれることを知って、それで、申し込みに行ったのでしょう」と、彼女が、答えたところにある。そこが、大ウソなのだ。

 関本家には、危険木(道路を通る人に樹木が、倒れ掛かり、人に危害を与える樹木の、高枝切りをする際には、鎌倉市が、半額援助をすると、言う制度があり、それを、悪用して、富沢家は、私の睡眠を妨害して(朝の七時から、住宅街で、轟音を立てる業者など、普通はいませんよ)緩慢な暗殺未遂を実行をしたのだけれど、富沢家も、市へ申し込みには、行っていないし、(当時の担当吏員・阪中英夫氏は、いつ、富沢氏が、来訪したかを言えなかった。記録にもとっていなかった)関本夫人も無論行っていない。関本夫人は、相当偏差値の高い大学を出ていると見えるので、鎌倉市の、条文を読み間違えるはずもない。それに、最近、一年間目立つ形で、高枝切りの、宣伝が出ていましたか? 私は、気が付きませんでしたけれど、でちいたとしても、関本家は当てはまらない。

 さて、平木夫人が言い逃れをするにあたって、「わたくしはお勤めに出ているんで、何も知らないのです」というぐらいのウソはつくだろうと想定して、訪問をしているのだけれど、万が一、「ああ、私も相談にあずかっています。あなたが、どこかへ行って、家が真っ暗だった日に、みんなで、関本夫人に、それを勧めたのですよ」と、本当のことを言ってくれるのではないかと、期待して、訪問をしたのに、まったく真逆の効果を与えられてしまった。白内障手術で、二回ほど、武蔵小杉のホテルに、夫婦で、泊まった際に、この話が進展した様な気がする。火曜日の夜と、水曜日の昼間を使って。

 関本夫人は、(これまた、嘘をついている可能性が高いが)化粧品会社勤務だそうだ。しかし、本当のところは、三井物産勤務で、要職にすでについているとみている。それで、ビジネスアワーは会社に行っているので、鎌倉市に、申し込みに行かれるはずはない。夫はフランス人だから、彼が申し込みに来たのだったら、鎌倉市側の吏員たちは、覚えているだろう。全体で、10人ぐらいが、一緒にいるオフィスだから。

 この時に平木夫人が、鎌倉市を道具として使ったので、おや、おや、この人は、午前10時から、午後四時まで、勤務という形で、鎌倉市に努めているのだけれど、こんなに威張った態度で、市を手玉に取るとは、もしかしたら、市長秘書をしているのではないですか?

 あと注3に書いた、平木夫人は市長秘書をしているのではないかと、言うのは、その前、2021年4月10日にすでに、把握した推察だったのです。

 市長秘書だったら、伊藤玄二郎が、松尾崇市長に、電話をかけてきているのも知っているわけですね。しかし、それを、二重、三重に隠して、「鎌倉市の広報から、関本夫人は、情報を得て、自分で、申し込みに行ったのでしょう」ですって。それが、前田夫人のサル智恵としての、教唆を、そのまま受け入れて、語ったにしても、緊張感もないし、にやにや笑いながらですからね。

 そんな悪女ぶりを初めて知った、こっちの方が緊張するぐらいです。だが、すぐ、帰宅しました。まぜっかえしもしないし、批判もしません。リアルな世界では、けんかはしない主義だから。しかも、そのとき、西側二階の雨戸が、ガタガタと、音を立てて閉めたてられたので、おや、おや、井上(こちらは画家として、すでに有名人である岸田淳平氏)さえ、前田さんの、膝下に下っているのですか、しっかりと、それも覚えておきましょうと、銘記して、そこを去ったのでした。

 それは、2021年4月10日のことで、まだ、平木家のご長男が、去年の秋から、東大へ、推薦入学が決まっていて、それ以来、六か月、平木家のメンバーは、みんな有頂天だったわけですが、その子ことを私が知らない時点でした。

 平木夫人は、私のことなんか、むしっけらのごとく、見下していたでしょう。だから、あんなに、にやにやしながら、嘘が平気で付けたのです。

 さてね、前報で、いまだ生きている井上ひさしが、松竹と歌舞伎界に、いろいろ手を入れているがゆえに、海老蔵に、衰運が近寄っていると私が行っています。襲名披露にそれが、出ていると、私が、言っています。

 ところでね、平木家ですが、当分の間、というのは、70年ぐらいは、衰運が訪れないでしょう。というのは、奥様があれほどの悪女だと、その影響は大きくて、一家、四人全員に、効果が及ぶからです。安野家と、まったく同じとなるからです。この世には、人知を超えた存在があり、それは、善の方向でも働いているし、悪の方向でも、同じぐらい強い力を持って働いているからです。

 で、以前から言っている通り、坊ちゃんは、将来ノーベル賞をもらい、文化勲章ももらうこととなるでしょう。

 関本家の高枝切りについては、将来、きちんと述べます。

 

後注1,

豚熱賠償金、24億円とは、鎌倉雪の下の住人が行った過去の悪事・隠ぺいの為、支払われている。無論の事、菌は人為的にばら捲かれているでしょう

2021-04-20 21:58:31 | 政治

 

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海老蔵は、なぜ16日都庁で踊ったのか?・・・・・風邪をこじらせちゃって、未完成で寝ますが、お許しを

2021-05-16 22:32:46 | 政治

 すみません、以下は、まったくもって完成していません。ただ、耳が痛いのです。10日ぐらい前から、どうも風邪を引いたらしくて、いったん4月30日に、湘南鎌倉総合病院へ行ったのですが、耳鼻科が、休診だと、言うことで、帰ってきてしまって、次に行っていなくて、こじらせてしまったらしいのです。したがって、体力がなくて、未完成です。お許しくださいね。

 ただね、お医者様に、行かなかったのは、もしかすると外部から、パソコンに、侵入していろいろやられている通り、肉体へも攻撃が可能であり股関節の痛みとか、膝関節の痛みは、それで、ある可能性もあって、メヌエル氏病が、白内障手術の、直前に、一週間続いたのも、その可能性があって、この耳の痛みもその可能性があるなあ。どっちかなあ?と、様子を見ていたのです。

 それに耳が痛いことは痛いが、熱があるわけでもないので、風邪をこじらせたにしては、熱が出ないのが、おかしいし。それから、綿棒が、汚れているわけでもないし。

 家事も園芸もできるのでね。普通のことはできるのです。それで、医者に行っていないのですが、明日は、行きましょう。というわけで、エネルギー不足なので、以下の文章を完成させえません。お許しくださいませ。このブログを書くという作業は、きよみずの舞台からとびおりるぐらいの、高い高いエネルギーが、必要なのです。

副題1、『私は、本日=21-5-16(日)は、夜の九時まで、パソコンを開けなかった。理由はさして大きな攻撃はなかったと、感じたからだ』

 わたくしは、ほぼ、毎日、五方向くらいから、攻撃を受けております。

 A)、音による、攻撃、特に、ご近所と、鶴岡八幡宮様と、鎌倉市防災無線のよるものがある。

 これは、本日は、鶴岡八幡宮様が、午後二時に、長時間、大太鼓を打たれました。以前電話をかけて、社務所に問い合わせたところ、「その日に、鶴岡八幡宮内で、催し物がある際に、午前10時に鳴らすもの」だそうです。だから、午後二時に、長時間、大太鼓を打つのは、私への攻撃となります。わたくしの、仕事を邪魔してやれっと、言う意図で、鎌倉警察署か、伊藤亥二郎が、「今、打ってください」と、依頼をするのだと、思っています。そして、鶴岡八幡宮側では、主に、龍村さんがその命令を受けて、処理をするのだと、思っています。

 だから、午前10時ではない時間に、長時間、太鼓が打たれることがあるのです。夜の6時ごろ打たれたこともあります。

 が、本日、2021-5-16の、わたくしは、それをさして気にかけませんでした。今まで、騒音で、邪魔してやれっと、言うのは、音楽会(武部聡主宰の、もの)の時など、夜7時から開催なのに、朝の、九時から、「マイクの試験中です」というものすごい音が聞こえてきたからです。

 特にジャパンオルフェという日イタリア修好記念オペラ開催の時期など、土曜日が本番なのに、木曜日の、夕方から大騒音が、鳴り響き、わたくしは、その音源発生のテントを見に行きました。調整をしていたのは、写真とは、相当に違う神経質そうなやせた人間ですが、たぶん、その人が武部聡です。

 この件は、本日、みなとみらいで、流鏑馬が、行われた話へも展開するのですが、みなとみらいでの、伊勢山皇大神宮主催の、流鏑馬については、ここでは触れないで、置きます。過去文章の、リンク先を見つけてから、新たな章を起こして、書きましょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『鶴岡八幡宮で、初演が行われた、ジャパンオルフェだが、その時の出演者が、海老蔵が、光源氏を、演じた2017年版、源氏物語の中で、歌ったオペラ歌手だと、わたくしは推察しています。しかし、プログラムには、歌手の名前も、作曲者の名前も、曲の名前も記されていなかったのです。それで、ますます、自分の考えが正しいと思っています。それで、ジャパンオルフェそのものも、対、私を意識したものであり、(もっとも、大切な友人が、その支援者の一人となっていたので、そう考える。)それを、歌舞伎座に転用して、自分たちの力を誇示したのが、いまだ、生きて、地下潜航をしている、井上ひさしと、伊藤亥二郎でしょう。その二人が、そのジャパンオルフェのオペラ歌手を、歌舞伎座に、出演させる様に松竹に提案したのです。それこそ、海老蔵を、鎌倉エージェントが、利用している証明であり、大変困ったことだと、わたくしは考えています。

 それで、また、批評家がほめていますが、オペラが加わって、能が加わったことによって、演劇的に、全く未完成というか、ごちゃごちゃなものとなっているから、だめなのです。海老蔵の名声と、人気度にひかれて初めて歌舞伎を見ると、言う若い人も多いのに、全くダメなものを見せている松竹は、衰退しますよ。これでは。

 まあ、ここまで、はっきりと書くのは、ブログでは、危ないことですが、メールは個人的なやり取りだと、思っているし、ハッキングは受けているのは知っていますが、それでもね。たった二日後に、海老蔵の、団十郎襲名が、発表されるとは、思わなかったので、そりゃあ、関連を感じましたよ。で、自分が、如何に、大物化は、わかりましたが、笑い事ではないです。伊藤亥治郎と、井上ひさしが、海老蔵を利用しまくると、海老蔵に、不運が生成するからです。

 というのも彼らは、すぐ、自分ではない別の人間を、対わたくしの攻撃弾として、利用するのですが、利用された人物、もしくは会社が、善人だと、衰運が、訪れるからです。

 その衰運の一つが、襲名を2020年に、行うと、計画され、2018年の、1月にはっぴょうをされたのに、新コロナウィルスで、だめになったことです。

 その前、2018年の一月に、急にその襲名が発表されたのも、対、わたくし狙いの弾圧でした。この章では、それほど、詳しいことは書きませんが、日吉の歯科医院について書いた章(後注1)の副題5-Eに、登場する、津田塾卒のレディに、海老蔵の、源氏物語に問題点があるという個人メールを送っていたのです。その後、すぐ、襲名が発表をされたので、私をやっつけるために、急に決まったのでした。

 しかし、新コロナウィルス騒動のためとは、言え、襲名が、ぐじゃぐじゃになっているでしょう。

まあ、その程度で済んでいるので良いのですが、これもまた、私に対して、神様が、お味方してくださったことだと、わたくしは考えています。

 それを書かせないがために、21-5-16.えびぞうは、急遽都庁で、ひらかれたパラリンピック、100日、前の、記念行事に招かれて、踊りを踊っています。相変わらず、鎌倉エージェントに、こき使われていて、かわいそうに、と、思います。まず、人がいいし、その上、お誘いを受けたら、断れない立場でしょうし。

 

@@@@@@ここが、書きかけ中の最先端です。

が、ブログを書くことでも頭を使いますが、本の制作(特に印刷機にかける前の、デジタルデータを、作ること)が、非常に難しい作業なのです。

 一般の出版社では、一種類の本の出版という作業を、全部で、10人ぐらいで行います。で、著者と編集者は、別人です。それから、デジタルデータを作る人は、編集者ではなくて、印刷会社の、デザイナーが担当するので、これまた、別人です。

 出版社は、一番、最初に、出版の企画会議を開いて、どういう著者に、出版後、何頁に、相当する原稿を注文するかを決めるでしょう。で、代替原稿用紙、400~600枚で、注文を出して、最も、それが、多い出版物である、四六判256頁に仕上げて行くと思うのです。

:::::::::::ここで、挿入に入ります。NHK ETV スイッチ・インタビューは、2021-5-15(土)は、五十嵐大介が、ムツゴロウさんを北海道へ行って、訪問すると、言う番組でした。ムツゴロウさんは、わたくしが東大に、勤務をし始めたのが、1966年で、国際会議の準備をし始めたのが、1967年で、その時に、すでに、有名人だったと思います。ムツゴロウとしてではなくて、畑正憲としてですが、今、ウィキペディアを開くと、1967年にすでに、エッセイが、エッセイストクラブ賞を受けているので、それで、すでに有名人として、東大の人々が認めていたことがわかります。

 で、畑正憲さんは、最初期から知っていたわけです。ただ、主に文春文庫で、読みました。むれようこさんと、ムツゴロウさんと、村上春樹のエッセーは、よく読みました。ほとんどが、文庫本でですが。

 その結果、ムツゴロウさんは、どうも猫好きではない。犬派だと、言うことがわかりました。それが、残念でしたね。むれようこも、村上春樹も圧倒的な猫好きであり、だから、読んでいて楽しいのですが、ムツゴロウさんは、あれほど、動物と、仲良しなのに、どうして、猫が嫌いなのだろうと不思議に思っていたのです。

 このブログの、特定・登場人物として、大原光孝さんという人物がいます。ここに、36年間暮らしてきていて、最初の15年ぐらいは、普通に、いや、普通以上に仲良しでした。お互いに絵描きだから。ただ、その頃も彼が、「僕は、猫はダメなんです」というのです。それで、底の底で、警戒をしていたら、やはり恐ろしいところのある人間でした。最近の、ひどい行動(植木鉢の怪ほか、すさまじいレベルで、いろいろやられている)が発生しても、全く驚きません。もともと、単純で、深みがないと、思っているからです。猫が嫌いな人とは、相当に警戒すべき人間であると思います。

 この山の、実動15軒のうち、過去に猫を飼っていたか、今、飼っているかを数えると、7軒が猫を飼っていたことがあり、過去に犬を飼っていた、または、今飼っている人が、4軒です。過去に犬を飼っていた人が、今は、猫を飼っているという家が、二軒あります。

 ただし、上のスイッチインタビューという番組の中で、静止画として、将棋を指す、畑さんが出てきたのです。勝負事にも、研究熱心だということで、将棋は、段位者らしいですね。その時、将棋盤のこちら側に、いかにも「私が、対戦相手です」という風情で、猫が座っていたのでした。それには笑ってしまいましたが、『畑さんもやっと猫を正しく認める様になったのね』と、思って、ほっとしました。猫って、本当に愛情深いし、頭がいいのですよ。畑さんが、将棋盤の前で、沈思黙考をしているときに、お付き合いしてあげているのです。本当に対等に(笑い)。

 さてね。東大で、畑さんが、すでに、1968年(会議が実際に開かれた年)には、すでに有名人だったわけですが、一般の人には、その知名度が、広まったのは、テレビ番組が、フジテレビで、放映をされてからでしょう。しかし、わたくしは、一般の人よりも、より深くファンなので、北野武監督の絵が、畑さんの、絵に似ていると、書いたりしています。これが、二人ともが、絵が専門の人だったら、ちょっと、許されないことなのです。「表現方法が、模倣です」ということになるから。が、北野武監督は、CIA側のお気に入りさんだから、許されているわけです。

 ま、そういうことをどこかで書いていると、思います。で、そこから、わたくしが、畑正憲ファンだと、みなされていて、

あと注1,

小田歯科医院、 日吉・ときわ台・町内会、 カリタス通学バス・殺人事件、 ゾフルーザ問題・・・・私の苦悩と悲しみ

2021-05-12 23:25:36 | 政治

 雨宮舜( 本名、川崎千恵子)

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日吉一丁目の実家周辺に、私を近寄らせないが為に、登戸でカリタス通学バスは襲撃され、若き外交官が殺された

2021-05-15 00:57:09 | 政治

 実は、前報(後注1)は二つに分離できる文章となっています。前半は、ご近所の安野忠彦・智紗夫妻宅に、同時進行的にライブで、我が家の会話が入ること。そして、安野智紗夫人は、自分一人の考えからか、それとも警察の生活安全課(どこかは、わからないが、ともかく、CIA=鎌倉エージェントが、家来として支配している警察内部にある特殊部門)の命令かは知りませんが、

 ともかく、すぐ動くということを書いています。何をするかというと、・・・・対わたくしへの嫌がらせをしよう・・・・と、言う方向で、動くということです。それが、まるで、小学生か、中学生みたいに、幼稚な頭で、考えて行うことですから、すぐ、理由も、原因も、因果関係もわかると、書いています。

 それは、わたくしにとっては、一本取ったというような文章です。真実が書いてあるからです。一般国民には、まるで、知らされていない真実が書いてあるからです。でサッカーの試合でいえば、こちらが、1対ゼロで勝ってるわけなので、その木を利用して、長い間、カタルに語れなかったことを語り始めています。

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副題1、「私の父は、1951年に、日吉に東急が戦後分譲した土地を買って、家を建てた。霞が関に、勤務していたこともある父は、木曾のヒノキを営林署から買って、静岡の大工さんに泊まり込みで、来てもらって、家を、木造建築として、建てた。その後建て増しをして、防火用のラス張り(ベージュ色)にしたので、最近の、美しい白い建売と、比べると、古い感じではあった。そして、そこを売る様に、迫る種々の横浜市の条例の、改悪があったので、弟は、古い家を壊して、新築することができないと、思い込み、それを嫌がって、売ってしまった。

 明治生まれの父は、男子尊重なので、全部を弟に相続させたがったが、1986年に亡くなった父は、将来母が死んだら、そういう風になる様に、予定を立てて、遺言書を書いていた。その後、長生きした母も、理財に明るいし、母の資産を最晩年管理していた、弟も、数字に明るいので、三人の子供に平等に、分割するとなると、100坪のうちの、7坪か、13坪か、どちらかは忘れたが、わたくしの分になるそうだった。ただし、弟が、将来面倒になることを恐れて、「750万円で売ってください」というので、小さな所有権を手放してしまった。

 弟が、それをあんなに早く売るとは、思わなかった。2019年2月に売買契約が成立したそうだ。弟は、地所を三か所、マンションを一つ持っていたが、今度、マンションを二つ、地所を一つという資産形成になった。それは、弟本人の考えというよりも弟が、そういう選択をせざるを得ない様な、忠告や、条例が設定され、それは、例のごとく、県や、市の条例を自分の都合の良いように、動かしえる、中央大学法学部卒の、伊藤玄二郎たち、鎌倉エージェントのアイデアにのっとって、そうなっていると、わたくしは考えている。この日吉の土地を売る前に、私には、何の相談もお知らせもない形で、反町の、賃貸収入の上がる土地110坪を、売ってしまっている。そこには、わたくしの権利は一豪もないので、仕方がないが、弟は、うすうす、わたくしの周辺に立ち込めている、黒い霧を察していて、したがって、離れようとしていると、推察している。

 とても、上品で善人なので、残念だけれど、その離反を推察しているので、こういう文章をあっけらかんとして書いている。特に反町の土地の売買が、新百合ヶ丘に、店舗のある立教大学卒の、不動産や(今、名前を失念しているが)だったら、100%、弟は、CIA軍団によって、損をするほうへ、向かわせられている。その不動産屋には、わたくしが熱海市、下曽我の土地で、危うく恐ろしい罠にはめられそうになったことがある人物で、インテリで、しかも、どうも、酒井忠康氏と親しいと、見えるところがある不動産屋だ。

 なお、実家の番地だが、1950年には、東急の分譲地60区画全部が、日吉町一番地と、命名されていたが、最近では、そこは、日吉1ー24-12と、呼ばれている。そして、周辺も、開発され、それらの人も同じ町内会に入会しているので、全戸で、100件近い町内会となっているはずだ。

 弟の、地所は、三つに分割され、真っ白な建売が、7900万円で、売り出されている。二戸は売れたという段階で、それ以降、住友不動産の、サイトを見ていないので、情報が途切れているが、・・・・・・

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副題3、『私はブログとかメルマガで、日吉に育てられた様なものだと、書いている。弟も、それを認めているが、わたくしは、両親と、非常にたくさん話をしている。7歳になるまで、妹が生まれず、一人っ子状態で、あっちこっち、(歌舞伎にまで)連れて行ってもらっているし。

 親にも可愛がられていたと、思うが、妹が、七歳も年下として生まれたので、母は、PTA[活動など、一切しなかった。ので、わたくしは、日吉の有力マダムたちに、育てられた様なものだった。友達のママが開いていた、小さな塾にも招かれて、いたし、東横病院の副院長さんのご自宅など、毎日午後、訪問をして、受け入れてもらっていた。特に横浜国立大学の付属中学に、入学試験一番の成績で入ったことは、塾のママから、情報が伝わったし、その塾には、行っていない友達にも、担任の先生から、伝わったので、わたくしは、日吉では、ちょっとした有名人であった。

 同じ時期、線路の反対側には、中村紘子さんが住んでいた。しかし、紘子さんのママは、月光荘という画廊を、有楽町駅そばで、開いていたので、ご近所づきあいをしないし、紘子さんを慶応の幼稚舎に入れていたので、子供時代の紘子さんは、日吉では存在感がなかったのだ。わたくしたちは、子供としての紘子さんを知らない。

 一方、弟は、塾にもいかないで、麻布中学に入ったので、日吉の町では、有名人でもない。他人とのかかわりが少ないのだ。そして、勤務もあるので実家に、それほど、近寄らない。一方の私は、副題5から、そのエピソードを書いていく、小田歯科医院に、ずっと、通っていたので、79歳の今の今まで、本当に日吉にはよく通い、・・・・・強い、愛着があった。したがって、実家が売られてしまったことは、本当につらいことだ。宝くじを買い続けているのは、弟が売りたがっていたのは、知っていたので、宝くじが当たったら、そこを買おうと考えていたからだった。

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副題4、『副題5以下を語る前に、説明をしておきたいこと』

 わたくしは、今、追い詰められています。それは、去年の11月に息子が欠けてきた電話にのっとって、追い詰めてきている存在(多分、いまだ生きている井上ひさし)からのコメントでも明らかです。それは、副題6に置いてあります。

 で、ご近所様などの他人から、急に精神病院へ入れられてしまったら、大変なので、すべてのことを、緊迫して、深く書いています。で、書きにくいことも、ぐんぐん書いています。息子が、わたくしに対して、強烈に批判的なのは(しかし、愛情も深いのですが)、彼が、有名大学を出ていないからです。神奈川県においては、私立中学、高校、一貫教育校を出るのと、公立へ、通うのとでは、大きな差が出ます。ここから先が、最も書きにくいところですが、彼は、私立中学ニ校に、不合格となっています。

 それは、1983年のことですが、1978年に北久里浜で、瀬島隆三たちが、企画して、敢行した、横須賀市の水道山という土地を、ほぼ、1200坪、ただで、手に入れる実質的な詐欺事件・・・・・しかし、表向きは地籍変更届という形をとっていて、犯罪とは、ならない・・・・・の、真相を、地境地主として、巻き込まれたがゆえに知ってしまいました。それで、わたくしを殺そうとしているわけですが、その一歩として、長男の私立中学受験が不合格とされたのです。それが復讐の第一歩ですが、その後も数多い復讐行為が続いているわけです。

 わたくしは長男に対して、すまないと、思っているので、彼のありとあらゆる攻撃とか反抗を甘んじて受け入れているのですが、2020年の、11月の、電話だけは、それを根拠に措置入院を迫るぜと、コメントで言われ続けているので、

 とうとう、息子に、お母さんは、あなたとは合わないし、話をしないと、一種の縁切りを申し渡しました。

 大変な不幸ですが、仕方がないです。之をあっさりと、実行をするぐらいですから、弟との別れも仕方がないと、受け止めているわけです。しかし、それほどの犠牲を払っているわけですから、CIAエージェントたちのやっていることは絶対に書こうと思っているわけです。

 海老蔵の襲名が、急に決まったのも、ここと関係があるのですが、すでに午前三時半になったので、別の章に回します。

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副題5-A、『息子は、1983年、北久里浜に住んでいるころ、私立中学受験を、二校不合格だった。一方で、その2年後、鎌倉に引っ越してきた後で、鎌倉においてのご近所様である安野家の次男殿は、おいちにの、おいちにの、あひるさん(通信簿に1と2しかない)と、呼ばれているほど、お成績が悪いのに、国立大学の付属高校にご入学だそうだ。

 息子の人生は、わたくしが瀬島隆三と、益山重夫と、京急と、横須賀市(特に杉本俊一さんと正子夫人)が組んだ、水道山の・・ただどり事件・・イコール地積変更届と、わたくしが呼んでいるもの・・・・1978年に起きた・・・・・の、真相を知ったために大損になっている。悪事の真相を知った、私への復讐として、その二年後の、1983年に、わたくしの息子は私立中学の、受験二校を不合格にされた。

 それで、息子の人生は、たった、12歳にして暗転してしまった。ここが赤木俊夫の自殺云々などという政治的問題に関連していくところなのだけれど、本日は、息子を中心に据えて語りたい。

 その後、息子は、就職活動でも散々いじめられている。それは、あまりにひどいケースである西原理恵子を使った三国屋善五郎のケースだけは書いているが、それ以外にもいっぱいある。

 ところで、1983年の問題に戻ろう。私は、1978年の秋に、その件(=大詐欺事件)に遭遇し、自分を守るために、二人の東大卒弁護士さんの、指導の下に戦ったのだけれど、あまりにも、わたくしの頭が良いので、相手側の主犯の、人物・益山重夫が、10月11日に、急死した。その私怨を晴らそうとしているのが、現在私の周辺に起きているすべての物事の中心にある。そして、息子の私立中学・二校不合格も、その一つであり、

 したがって、わたくしは、息子の反抗とか、批判をすべて、甘んじて、受け入れてきた。

 しかし、今般、息子が、去年の、11月にかけてきた電話を盗聴され、それに基づいて、わたくしが、精神病院に、強制収容されそうになったので、つらいつらい話を全部公開していこうと思う。仕方がない。

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副題5-B 、『わたくしは、日吉の実家のすぐ近所の小田歯科医院に、40年近く通っている。名医だ。しかも、・赤・ひ・げ・せんせい・だ。しかし、この2021年の四月に、最終的に、突き放されたと感じていて、したがって、この先生が、息子の中学受験不合格・問題を、ちびり、ちびりと、心理的に、えぐってきた話を、ここで、とうとう公開したい。それが、息子の不合格が、CIAエージェントたちの行いだったことを証明するゆえんの一つだからだ』

 私の実家は、日吉、1-24-12という家番号でした、そこから、35mぐらい(つまり、家が、二軒分)西側に離れたところに小田歯科医院があって、わたくしは、未就学児を預けたり、幼稚園に行っている最中に、この医院に通っていたのです。本当に名医で、ここにかかっていた患者は、上大岡に引っ越しても、老体を鞭打って、通ってくると、言うほどの名医です。

 私が過剰に弾圧を受けるのは、筆力があるということと、同時に、自分で、工業的出版物を製作できる様になったからです。で、弾圧のために、自宅でパソコンが使えなくなりました。で、外で、パソコンの仕事をする様になったのですが、2006年ごろから、東京の公立図書館の、電源コンセントが、すべて、ガムテープでとじられることとなりました。その頃、先生の診療所で、トイレの電源コンセントが、同じくガムテープでとじられる様になりました。この時に先生が敵方にリクルートをされたことを知りました。

 そして、先生が、歯科医師会長選挙で、参謀を務めるという話を聞いたあたりから、その思いは、確定的になりました。バーター取引だろうと、思いいたりました。診察室と待合室は、奥様の才媛ぶりを反映して、お花に囲まれた、美しい空間です。夢見心地になる様な、美しく、やわらかな空間です。しかし、診察椅子は、二台だけです。後継者も弟子も見当たらず、広告は打たず、・・・・・ともかく、インテリアは、超・美しくて、感じよく、その室内で、高級な診療を、安く、してくださる医院ですが、小さいです。いかんせん、小さいです。そして、日吉駅より遠いです。だからこそ、世界に冠たるであろう、日本歯科医師会・会長選挙の参謀を務めるとは、普通ならあり得ないことでしょう。それは、文章を書く人間として、わたくしが大物だからですよ。「あいつから、心理的に離れなさい。しかし、その見返りとして、あなたを歯科医師会の、重鎮にしてあげます。その第一歩は、歯科医師会・会長選挙の参謀として戦うことです」と、鎌倉エージェントの誰かから、または、ご近所住人の特に、あの人(今は、名前を出さないが)から、頼まれた可能性があるのです。

 この時に、もし、小田先生が、推挙している偉い先生が、歯科医師会会長に当選したら、小田先生は、その三代後の、歯科医師会会長に、なる目もあったでしょう。小田先生は、背が高くて中肉中背で、柔和な顔の、しかし、すこぶるつきで、美形の紳士です。背中は、ピシッとまっすぐで、お話も丁寧です。インフォームドコンセントが、完璧な先生なので、政治的なことでも、説明が、丁寧なはずで、日本歯科医師会は、画然と、近代化していったと、思います。

 しかし、どのフィールドでも同じですが、お金が大切一派が、勝ったのだと、推察しています。小田先生は、この経験で、がんを患って、大変な思いをなさったのですが、80歳を過ぎても、まったく容貌は変わらず、柔和で、若々しい青年風です。今、治療を受けたく思って、ご訪問なさる時は、月、水、土曜日の午前7時から、11時までと覚えてから、電話をかけて、予約をしてから、行ってくださいね。

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副題5-C、『カリタス小通学バス、襲撃事件(ミャンマー語に堪能な、若い外交官が殺された)のも、この場所(ときわ台町内会)から、私を追い出すために行われた事である』

 上の写真は、わたくしの実家です。弟が相続していました。ある時期、弟と親しくしていました。小田歯科医院に通う度に、寄らせてもらって、両親のお仏壇に、お線香をあげて、よもやま話をして帰りました。弟は、週に二日ぐらいしか、ここにいません。別の家があるのです。で、この家が重荷になっていました。特に敵方が攻勢をかけてきていて、この家の建て直しをできないということにしていました。横浜市の条例か何かです。でも、3.11でも、びくともしなかったし、フランク・ロイド・ライトが、帝国ホテルに使ったり、坂倉準三が、旧神奈川県立美術館中央館(別名鎌倉館)の外壁や、明日館に使ったりした、柔らかい雰囲気の石です。しかし、実際には、堅牢な石組みにもかかわらず、横浜市条例で、・・・・・弱いので、建て替え禁止・・・・・といわれて、弟は、嫌がって売ったのです。

 二日目に訂正を入れます。失礼しました。坂倉准三が、まったく別の漢字が入っていましたね。17日の早朝に直しました。

 これは、私にとっては、本当に残念なことでした。二つの意味で残念でした。一つ目は、独身の弟の最晩年を、わたくしの娘一家が世話をして、娘に、この家を相続させることでした。お婿さんが早稲田卒で、三井物産勤務ですから、東大卒がずらずらいる、こちら、日吉【ときわ台町内会】のご近所様にも目劣りしないはずですし。

 しかし、もう一つあります。残念なことが。それは、精神的な揺籃の地を失ったということです。私はブログで、常に、日吉の町に育てられたといっています。母は小さい弟妹と、父の仕事の立ち上げ期で、忙しくて、PTA活動などしませんでした。しかし、日吉の町の有力マダムたちに、わたくしは、ひどくかわいがられたのです。どこの家でも、木戸・往来・免除でした。お勉強がものすごくよくできたので、あの子の真似をしてほしいと、思われていたからです。そこを失うことは、非常に不利にもなることでした。

 私は、良く、こちら、雪ノ下のご近所様を、中学生並みの頭脳と、行動の人たちだと、言っています。この章の前半の主人公、安野智紗夫人は、警察から合いかぎをもらっていて、我が家に、自由自在に入っていると、思いますし、大原光孝さんも同じです。そして、日常茶飯事として、小さな謀略行為を繰り返してきます。つまり、いじめてくるということです。鵜の目鷹の目で、すきを突いてくるということです。

 あのね、日吉のときわ台町内会では、そういうことはありませんでした。でもね。彼ら鎌倉エージェントは、私にこの地に近寄らせない様にしたいと、思って、恐ろしい殺人事件を計画し実行をしました。それが、若き外交官が殺された、川崎市登戸の、カリタス学園、通学バス襲撃事件です。あれも、謀略です。ここでは、詳しいことを語りませんが、常盤台町内会に、カリタスにお子様を通学させていたご家庭があり、実家のすぐ近所であったし、母がとても親しくしていたのでした。それは、事件直後に語り始めていますが、小田先生の治療を受け続けたいので、奥歯にものが挟まった様な、書き方になっています。

 まあ、それは、ここでは、詳述をしません。書くのに、あまりにも時間がかかるので、またまた、この一章が、終わらなくなるからです。

 でもね。上に写真を置いた実家は、大谷石を、再度そのまま使って三軒の建売住宅(7千万円以上)が、建ち、大谷石の、がけは、あらわれたのか、それとも、白い塗料で、塗装をしたのかで、真っ白になっていて、上の住宅の建物も真っ白なので、まるで、雰囲気が異なってきました。

 そして、小田先生にも穏便にですが、入れ歯を更新することを断られている私は、もう、その位置に、立ち寄るよすががないのでした。寂しいことでした。悲しいことです。

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副題5-D、『ああ、もう一つありますね。ぞふるーざ問題です。そして口内炎の薬、ケナログが、小田先生からは出なくなって、しかも、使いかけの薬が、我が家の薬箱から、四本程度、盗まれているのでした』

 この一件は、鎌倉エージェントの、伊藤玄二郎が、医事新報という一般人向けのタウン誌を経営していて、その関係で、医師会に、強いパイプを持っていて、わたくしが、それは、「アフリカで、不妊を、広範囲に起こして、人口抑制をするために開発をされたのですよ」と、何度も言っている子宮頸がんワクチンを、投与する様に、厚生労働省に働きかけています。そしてけいれんなどの多大な後遺症が出るのにもかかわらず、渡辺和子さんが、幻冬舎から、【おかれた場所で、咲きなさい】という本を出版された縁を頼ったのでしょうが、ノートルダム、女子学院(岡山)で、子宮頸がんワクチンを女子生徒に飲ませるそうです。十文字学園でもだそうです。短大で、講演が行われたそうですが?!?!?

 ともかく、京橋の宮下眼科というお医者さんも、インフォームドコンセントが大丈夫な、良いお医者様です。しかし、鎌倉と縁がある方で、(柳沼智恵子さんの絵が飾ってあったので、鎌倉の宮下眼科の先生と、ご親戚であることは、すぐわかった)ついに、裏切ってこられたのです。しかし、私の目のただれを、「あなたの目のトラブルは、悪い病気ではありません。普通に空中に漂っている雑菌がいたずらをしているだけだです。体調が悪いと、そうなります」と教えてくださったことで、ずいぶん助かった。しかし、この先生もクラビット点眼液や、ネオ・メドロールEE軟膏を出してくださらなくなって、変だなあと、思っているときに、小田先生から、ケナログが出なくなった。

  ここで、もう先生が、患者としての私には、感情移入がないと言う事が分かった。同情心がないのだった。でも、先生の技量の高さを知っているので、それでも、くっついていたのだが、この四月にとうとう終わりが来た。先生の方から円が切られたと、思っていて、それには、ぞふるーざ問題で、浮上した、塩野義製薬にお勤めの沢野さん一家と、その90歳を超える、奥様が、関与していると、考えている。もしかしたら、水沢勉先生【神奈川県(立)近代美術館・現・館長】も関係しておられるだろう。で、それでは、抵抗のしようがない。で、あきらめた。この際、ぞふるーざ問題が、大きく、真実を教えてくれたのだった。しかし、そのニュースが、報道をされた当時は、まだ、小田先生に通対と、思っていたので、奥歯にものが挟まった、書き方になっている。ただし、この章でも、ぞふるーざ問題は、パススルーしよう。この章が終わらなくなるので。

 こういう現象のすべては、緩慢な殺人へもっていこうというアイデアに基づいている。これらの、薬の多くは名前は異なっていても、市販薬として自由に買うことができました。30年前はです。しかし、その後処方箋がないと買えないこととなって、次に処方箋そのものが、出ないとなりました。ケナログが出ないと言う事を、小田先生が、何の同情心もなくおっしゃったときに、本当に絶望的でした。しかし、それでも、技量の立派さ、上手さを信じて、ついていったのに、治療の方も、心ここにあらずとなって、最終段階に達しました。

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副題5-E、『このころ或るレディが、ブログ読者として近づいてきた。最初は、純粋に、ファンだったと、思う。しかし、最後には、彼女も敵方にリクルートをされてしまうのだけれど、10歳ぐらい年が若い彼女の悩みに、長時間付き合ったものだ。津田塾大学出身の才媛で仕事は、産休補助教員(高校英語)である。これは、フルタイムの先生より、体力や、時間に余裕があり、担任もないので、精神的にも楽である。もし、偏差値高い高校へ、派遣をされるときは、生徒が優秀で、自発的に、勉強するので、教えるのも楽しいだろう。

 彼女の悩みとは、お子さん方のPTA活動内での、いじめであった。お子さんは三人で、男の子ばかり、そして、東京では御三家と呼ばれる有名学園に三人ともに合格し、卒業をしている。そして、50を過ぎた今では、お子さん方はすべて、成人し、一人はお医者様、ほかの二人は、有名企業に勤務していて、いわゆる成功者=上級国民の一人であった。

 お子さん方と、一緒に住んでいた家は、庭付き一戸建てで、そこは、今は住んでいない。駅により近いマンションに引っ越している。したがって、戸建ての住宅の方は、他人に貸していて、金銭的には、富裕であり、出入りの和服店から、歌舞伎座一階席をご夫婦で、招待されるほどに、恵まれている人であった。彼女の問題点は、自分が恵まれていることに気が付かないで、それで、なんとなく、他人を傷つけてしまうのだった。経済的に、恵まれている人は、貧しい人の本当の気持ちはわからない。私だって、昔は、そういうタイプであった。そういう無神経さに気が付いたのは、2003年の事だった。そのころ、ニューヨークの版画工房のお仲間が餓死して、それを版画工房の別の仲間から、聞いて、やっと気が付いた・・・・・・と、言うのが【黄色いサクランボ】に書いた、ニューヨーク版画修業記だ。

 本の中で、エドゥアルドと、命名している版画家(本名 ホアレス)は、昔同棲していた日本人女性に教わったと思われる、サツマイモ入り蒸しパンを持ってきていたが、それが、毎日の朝・昼・晩の、ごちそうだったのだ。しかし、そういうことを想像すらできなかった私は、毎昼、10ドルぐらいのお料理をパックに入れて買って帰ってきて、工房で、食べていた。なんと、残酷なことをしてしまったことか?

 彼女も似ている。サークルのお仲間が、離婚をしていて、添削仕事で、生活をしていると聞いた。父親と同居だそうだ。親から、年金の一部、10万円をもらっていて、自分が添削の仕事で、15万円稼ぐとしても、25万円で三人分の食料と、衣服費を二人分、支払うのは大変だ。孫の私立中学の学費は、たぶん祖父が出している。そちらと、比較すると、津田塾出身の人の方は、夫婦二人だけで、月50万円で、生活する。二人は、全く違う。私は、そういう解説をしたうえで、「最悪の時は、やめればいいのだ」と、忠告をした。いじめによって、国画会への出品をやめたり、大学(ICU)同窓会展への出品をやめた私には経験のあることなので、そういう風に忠告をする以外なかった。

 しかし、或る時に、この私自身が、彼女に深く傷つけられた。彼女の方に、悪気はなかったと、思う。彼女は、知らなかったのだ。私の息子が敵さんの攻撃によって、二校も、不合格にされていたことを。ただ、私自身の様子を考えて、付属中学とか、付属高校出身なので、エリートだと、思って、こういった。「ねえ、川崎さん、日本で、上流社会に上っていくのは、私立中学へ、子供を入れるのが、一番ね」と。 さて、今までの、事は、序の口というか導入に過ぎない。これから先小田先生が、私を心理的にえぐってきた話を語らないといけないからだ。しかも、それには、どうも裏があると、私は感じている。信頼して、心身をゆだねている歯医者さんに、自分の子供のどうしようもない苦しみをえぐられていく、私の悲しみは、どんなに深かっただろう。それを今から、語っていきたい。

 ここが、海老蔵襲名につながるところなのです。が、別章で、展開します。

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副題5-F、『小田先生は、三つの有名私立中学へ、お孫さんが、合格をしたことを、私に、5年から、7年をかけて告げられた。どうも、裏がある様な気がする。いわゆる鎌倉エージェントが、私をノイローゼにさせるために、小田先生を利用した様な、感じがあるのだった』

 10年ぐらい前だったでしょうか? 小田先生の治療を受けているときに、待つ時間があるのです。レジンが固まるのを待つとか、レントゲンが、浮き上がってくるのを待つとか。で、そういう待つ時間だったと、思うのですが、先生が、「僕、鎌倉が好きでね。よく行くのです。この前は、北鎌倉から、江ノ島まで、行ってきました」と言われるのです。「そうですか。私の家って、その途中にあるのです。ぜひ、お寄りください」と言いました。しかし先生は、その誘いには乗らず、次の言葉をつづけました。「北鎌倉から、鎌倉駅まで、歩いて、次に江ノ電で、江ノ島へ行ったのです」と。「途中で、建長寺があるでしょう?」とも。で、私は、「ええ、」と、言いました。すると先生が、「建長寺に、鎌倉学園がありますね」とおっしゃるのです。「うちの孫が、鎌倉学園を受けたのですよ。野球が好きでね」と、言われるのです。

 その瞬間にアッと思いました。まさか、不合格だった、学園の、名前を先生が挙げるわけもないです。私の息子は、そこを受験したわけではありません。京浜急行の沿線に住んでいたので、横須賀線で、通学する中学は受けておりません。でも、二校とも不合格だったので、合格という事実を知らされるだけで、ショックでした。丁度そのころ、西原理恵子さんを、利用して、三国屋善五郎と、言う会社を、社長ぐるみの罠によって追われたころ(後注1)だったので、余計苦しくて息が詰まるほどでした。だが、平静を装って、いつも通り、明るくお礼を言って帰りました。

 一回の治療で、先生が、同じ話題を出されることはありませんでした。ただ、また、治療に伺うことがあって、(二年か三年後です)、今度は、立教中学の話題が出ました。やはり、野球が好きだから、受験をしたそうです。そして、この時は、合格という話が出ました。無論、悲哀を味わいました。「ただ、先生、その話題は出さないで。うちの子が、失敗しているので、その話題は、苦しいのです」などと、言うわけもないのです。また、明るくお礼を言って帰宅しました。

 そして、また、次の治療の時です。「野球が好きだから、普通部を受けたのです」とおっしゃいました。普通部というのは、慶応の、中等部、男子生徒専科の学校の事です。日吉の我が家からは、南南南東の位置に水平距離、600mのところにあるのです。丁度建設中を、見ています。「高校まで、野球をやりましたよ。だけど、大学はね。プロを目指す子供たちが集まっているところなので、野球はやめました」と続けられました。で、私は、この時は、先生が、私の傷をえぐるために、この話題を出しておられると、確信をしました。でも、相変わらず、こちらは患者であって、先生の保護を願う立場ですから、反抗も抗議もできません。かろうじて、「先生、それは、いつの事でしょうか?」と、質問をしました。先生は、ちょっと戸惑った様子でした。ただ、「昔の事ですよ」とおっしゃいました。

 先生があまりにも、熱心にその私立中学合格の話をおっしゃるので、つい昨日の事みたいに聞こえました。しかし、三つの学校への合格の話を、間を数年置いて、おっしゃるので、私も、それが、古い話だと、気が付いたのです。

 そして、先生は、そのお孫さんのその後については、何もおっしゃいませんでした。

私は、このエピソードを、わが子の私立中学不合格が、敵さんの手配によるものだと、言う証拠の一つと考えています。

 しかし、これは、非常に書きにくいことでした。ものすごいレベルで、書きにくいことでした。そしてこの五倍ぐらいのエピソードを書かないと、誤解をされることは、必定です。しかし、今朝は、二時間で、目覚めています。だから、誤解をされることを恐れず、ここまでで、止めておきます。ところで、どうして、こういう難しいことを書いたかというと、井上ひさし(いまだ、生きていますよ)と、思われる、人物から、非常に恐ろしい、コメントが来ているからです。

 一つ、ここにコピペしておきます。

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副題5-G、「小田先生には、孫としては女の子もいらっしゃる。しかし、その子については、何もおっしゃらない。しかも、奥様は、日本在住の孫については、何もおっしゃらない。海外在住のお孫さんについては、何か、ご夫妻ともおっしゃった記憶があるが、これは、政治的には何も問題がない。

 だから、わたくしは、先生のあの、男のお孫さんの私立中学受験の話は、わざと、お話しなさったのだと、考えている。誰かから、依頼を受けてなのだろうと、思う。大本は、もしかすると水沢勉先生のご母堂? そして、その次に存在するのは、ぞふるーざ問題が起こされた塩野義製薬勤務だった、ご主人にいる沢野夫人ですか? 沢野夫人については、昔、母が、「食えないところがある、怖い人だ」と、言っていた。だから、その後ろに住んでいる、カリタスへお子様を通学させた、T夫人を好んでいた。T夫人は、誠実な人だと、考えていた。

 ところで、小田先生は、どこから、何かを聞いて、ああいう、えぐり方をなさったとしても、その際に、後ろで、わざと、我が子の受験を不合格にしたという、話は、聞いておられないと、わたくしは信じる。

 そういうとても大切なことはCIAは、自分の不利になるので、使役しようとするイ人物には、教えない。ただ、自分たちにとって都合の良いことだけを言う。わたくしが、吉田茂穂・・鶴岡八幡宮・宮司様の悪口を書いているとか、言って、・・・・・少し、やっつけないといけないのです。あいつの子供が、私立中学受験で、不合格だった、部分を、取り上げて締め上げてください・・・・・と、そういう風に頼まれて、行動をなさっておられるのだ。そうだろうと信じている。

 ところで、吉田茂穂宮司様が何をおやりになっているか、を、書いたら、全部消えた。だから、わたくしの言っていることがとても正しいのだと、わかる。

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 ここで、鶴岡八幡宮の宮司様が、どういう攻撃を私に対して、なさっているかを、土曜日の夜に書きます。また、過去に書いた、登戸の事件とか、ぞふるーざ問題の、リンク先をも、探します。お待ちいただきたく存じます。

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副題6、『井上ひさしから、恐ろしすぎる、攻撃があるので、こういう文章を書いている。その攻撃は、11月に、息子から電話で、強い抗議が来ていることを利用している。それは、私が上野の国立博物館で、開かれた【きもの展】のカタログを送った時に、起きた現象だった。息子に言わせると、「こんな贅沢をして」と言う事がまず怒りの対象である。交通費、入場料、それから、カタログ代。

 「お母さんは、おじいさんと、おばあさんからもらった遺産を、こんな無駄なことに使っている」という怒りがある。一方で、私の方は、孫が、自閉症の気味がある。だけど、ものすごく頭が良さそうなので、いろいろな刺激を与えたい。息子に、東京の上野に行って、きもの展を見る時間と経済的余裕がないのだったら、私が代わりに時間を割いて、それを見てきて、カタログだけでも与えたい。

 息子は、有名私立中学に入れなかったがために、偏差値的に高い大学へ行かれなかった。キリストきょう精神に基づいた大学で、お友達もいい人が多くて、彼には向いている。しかし、育ちの良い人が多いので、終活の世話など、大学がやってくれない。親の力で、道が開ける、有名な店舗とか、会社のお坊ちゃまとか、お嬢ちゃまが多い。芸能人のお子様も多い。

 それで、学歴的には、成功してきた私に対して、(それと父親に対しても)、複雑な心理状態にある。で、爆発的な怒りをもって、ののしってきた。それが、盗聴録音されて利用をされている。

 そして、井上ひさしは、下記の様な、コメントをここへ、2月4日によこしている。

2021/02/04 17:53:49

それで、実際のところはどうなのですか?貴方のご家族はこのブログのことをご存じなのですか?ご存じの上で放置されているのですか?
あなたはいろんな方の実名を挙げてはその方々から「いじめられている」と表現なさいますね。あなたの息子さんは成績優秀でありながら内申書を書き換えられ志望校を不合格とされた、西原理恵子から言いがかりをつけられて左遷され、職場を奪われた…枚挙にいとまなし。
実はそんな理由など貴女の頭がこねくり回して作り上げた妄想に過ぎず、息子さんの実力が足りないだけではありませんか?
でも、そんなこと長い人生を通してみれば大したことでもないのに、妄想から来るものとはいえ、貴女がとんでもない行動を起こして、息子さんの前途を悉く邪魔してきたのでは?
貴女がご自分のお子さんから疎んじられているのはそういう理由からではないのですか?

 

  このコメントですが、これを私は、彼がご近所人間を動かしている証拠とみています。だから、神様の前で、戦う場合、私の方が勝てる武器として、今これをさらします。どうか、負けっぱなしだと、誤解をなさらないで、くださいね。

 で、私は、ひと先ず、息子がなぜ、私を嫌うかを書いてみた。まだ、五分の一にもなっていないが、二時間しか寝ていないのに、すでに、10時間書き続けている。今日はこれで終わろう。また、いつか続きを書く。ただ、燃え上がらないと、書けないなあ。とてもつらいことだから。

 

 で、いつも言っている通り、安野智紗夫人の示す行動が、現代日本政治の真実をあからさまにしてくれると、言うわけです。子供との会話を盗聴して、それで、精神病院へ入れてしまおう。あいつは、国民に隠しておかないといけない真実を語りすぎるから。ですって。

 ・・・・・・人権侵害の極致が、この、我が家(雪ノ下2-3-7)近辺で、四六時中、行われているということです。

あと注1

小田歯科医院、 日吉・ときわ台・町内会、 カリタス通学バス・殺人事件、 ゾフルーザ問題・・・・私の苦悩と悲しみ

2021-05-12 23:25:36 | 政治

 雨宮舜 (本名、川崎千恵子)

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今、杉咲花のセリフがやっと聞こえて、やはり、我が家のTVは、特殊攻撃をされていたのでした

2021-05-14 10:40:25 | 政治

副題1、「聞くともなく、聞いていた、NHKBSPの放送で、自分への政治的攻撃が、はっきりと証明をされた。つまり、NHK朝ドラをデジタル加工したものが我が家には、届けられていたのだった。瞬間的に、杉咲花のセリフ部分だけが音量を低くする。そういう作業を経て、我が家の、テレビは、放映をしていたのだった。それは、この2021年の一月から、起きている現象であって、杉咲花が、詠嘆調で語るときのセリフは、一切聞こえない・・・・・と、言う形で、わたくしは、このドラマを見ていた。しかし、傑作であることは変わりはない。毎日楽しみにして、見ていた』 

 今は、2021年の、5月15日の朝10時45分です。NHKニュース録画を消費しながら、基本のチャンネルが、NHK BSPにあわされているので、自動的に、【おちょやん】の今週の月曜日からの再放送を見ています。

 見るつもりがなかったのに、見ていると、杉咲花の、セリフが、全部聞こえるのです。

 わたくしは、この一月から、ずっと、杉咲花のセリフが、それだけが、聞こえなかったのでした。

 で、過去のブログのどこかで、・・・・・杉咲花は、発声の基本訓練をしたほうがいい。体が小さいので、静かな詠嘆部分のセリフが、全く聞こえない・・・・・と書いた可能性があるのです。しかし、三日前に、ふとですが、

 これも、敵方の攻撃かもしれないと、気が付きました。それをブログで、表明をしています。

小田歯科医院、 日吉・ときわ台・町内会、 カリタス通学バス・殺人事件、 ゾフルーザ問題・・・・私の苦悩と悲しみ

2021-05-12 23:25:36 | 政治

  の中の副題4の中でです。

それは、ご近所主婦の、安野智紗さんという女性が、室内盗聴に、応じた・・・・・あまりにも機敏な対応を見せて、攻撃をしてきたから、・・・・・そこまでするのだったら、

・・・・・NHKの放送の、わたくしが、楽しみにしている部分に、デジタル的、特殊加工をしてから、我が家のテレビ(または、レコーダー)に、入らせる様にすることは可能だと、考えつきました。そうです。わたくしに対する攻撃のうち、

 五種類ぐらいの、分類わけができる攻撃が、24時間繰り返されているのですが、その中に、デジタル部門の最先端技術を使って、攻撃してやろうぜと、言う部分があるのでした。

 そうです。彼らが、攻撃することはフィフティ・フィフティなのです。・・・・・安野智紗夫人を使って、私を精神的に、ぶちのめしてやろうぜ・・・・・と、計画していることが、かえって、彼らの墓穴を掘ることは、大いにあるのでした。過去にもあったし、きっと、将来にもあるでしょう。しかし、それが、また、私を助けてくれるのでした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『私一人を攻撃するために、日本人全部を巻き込むことがあるのだった。特にネット配信ニュースと、NHKニュースが、その作用に、利用をされている』

 やまゆり園事件で、19人もの死者はいませんよ。それから、京アニ放火で、36人もの死者は、いません。それらが、最も、明快な、嘘情報に、日本人を巻き込んだケースですもう、一つすたっぷ細胞疑惑問題があります。また、寝屋川のアーケードで、深夜俳諧をしていた中学一年生が、山田というロリータ犯罪の前科が、ある男に殺されたという事件とか、新潟市で、死後轢断死体で、発見された、おおもも、たまき、チャン事件とか、保美死刑囚が、行ったとされている、平成の、八墓村事件も同じです。そして、もっと、小さい現象で、嘘がばらまかれるということはあるのです。

 この・・・・・【おちょやん】の、視聴率が低い・・・・・というネットニュースとか、・・・・・おちょやんは、実は、人気がないのだ。面白くない・・・・・と、言うネットのブログ等の、紹介記事・・・・・などは、まったく、私一人を、悲しませるために、日本全国を巻き込んで、嘘の情報を流す仕組みでした。

 これは、朝ドラ【つばさ】の時も同じ現象が起きていて、例の鎌倉エージェントたちが、・・嘘の数字とか、嘘に近い情報を流す仕組み・・が完成しているのです。原発事故の際に、菅直人総理大臣の時代には、ネットで、真実の情報があふれかえりました。が、それ故に菅直人氏の評判は、それ以降、非常に悪くされています。

 それが、わかっているので、最近の私は書く内容に、非常に不自由を感じています。別にブログに書かなくても、室内で、夫婦だけで、話していること、それが、全世界的、規模の、ニュースを引っ提げて、(それを使ってということですが、)規制の対象になったりします。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『私は、昨日、武蔵小杉のグランツリー内の、小間物店(新宿の大規模ショップ、オカダヤの系列店だそうだ)で、ハマナカのモヘヤを、手に入れることができた。之は、ブログに書いたこと(後注2)で敵さんが反省してくれた現象だった。つい、二か月前までは、横浜ベイクォーターの、ユザワヤでは、モヘヤの、毛糸が、一切、隠されて、売っていなかったのに、もっと、売り場面積が小さい、ショップ(武蔵小杉)で、手に入れることができたからだ』

 武蔵小杉のグランツリーと、横浜駅東口の、菅義偉・現・首相の居住宅、高級タワマンに入っていく入口にある、ベイクォーターは、テナント構成が似ています。つまり、最も、購買意欲が高い、四十代の、女性、もしくはファミリー層を、ターゲットにしていると、言う意味で。町の商店街で買うよりは、すべてが、10%程度高いのですが、非常におしゃれな感じのビルで、無料の休憩ベンチなどもそろえられているショッピングタウンです。

 横浜のユザワヤで、二か月前にモヘヤが、全く見当たらないので、驚いて、注意していると、ネットで、動物虐待にあたるので、モヘヤを、大ブランドが、使わないことになったと、言う記事を見つけました。その前に、H夫人というご近所様が、それを教えてくれたと、言う前段階があります。H夫人は、鎌倉の美容院で、そのニュースを手に入れたそうです。

 で、ネットで、見つけたのですが、南アフリカと、トルコと、アメリカ(カリフォルニアかどこか)が、三大産地だそうですが、南アフリカでの、毛刈りが、ものすごく残酷なもので、その動画が世界に配信をされたので、HMとか、GAPとか、ユニクロが、使用をやめたそうで、したがって、ユザワヤからも、消えたというわけです。しかし、その三つの会社の商品は、お値段が安いので、モヘヤを使っているはずもなくて、

 このニュースそのものが、一種のそれ用に作られたものだった可能性が高いのです。モヘヤというのは、普通の羊からとられる毛糸とは、違って、作品が早く出来上がる上に、来ていて、暖かいのです。そして、軽いです。お高いけれど、使って、うれしい毛糸です。 

 その件は、最近書いたので、リンク先を見つけることができます。

カスミソウと、モヘヤの禁止====電話の盗聴と我が家の室内の盗聴という人権侵害

2021-04-02 22:54:47 | 政治

 それが、一か月半後に、効力を発揮して、もう、夏ですが、グランツリーの、おしゃれなオカダヤ系列の小間物店で、手に入れることができたのでした。ハマナカというブランドが、基本的で、一番使いやすいものですが、手に入れることができました。

 すみませんが、ここで、長時間パソコンから離れることをお許しくださいませ。下にスクロールしてくると出てくる、前報を、お読みいただいていると、助かります。

 念のために、リンク先も置いておきます。その文章のほうでは、登戸の、カリタス通学バス襲撃事件について、書いたものの、リンク先、それから、ぞふるーざ問題について、書いたもののリンク先も見つけるつもりです。

  ところで、この一文の頭部分は、15日(土)の午前中、公開しました。しかし前報と前後させたいと思います。で、金曜日に移動をさせました。

 雨宮舜(本名、川崎千恵子)

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小田歯科医院、 日吉・ときわ台・町内会、 カリタス通学バス・殺人事件、 ゾフルーザ問題・・・・私の苦悩と悲しみ

2021-05-12 23:25:36 | 政治

 これは、最初の総タイトルは、【さて、これは、普通の人には何のことかわからないでしょう。しかし、将来、必ず、生きてくる話だから、記録しておきます】でした。その次に、【おちょやんは傑作だが、その目的は養子とか継母について否定的な文を書いている私を、つぶす事だ・・・・我が息子の超不利 VS  安野家や平木家の超有利】としました。しかし、今=13日、夕方六時に、第三のもの(上)に変えました。

  ところで、今は、二日目の13日の朝8時です。たった二時間で目ざめて、いろいろ、家事をして、今パソコンの前に座ったところです。この一文は、安野夫人が私の顔を見たか見ないかという、単純な話を描いているみたいです。だが、昨日書いた初稿・部分だけでも、非常に重要なこと、しかも真実を描いてあるがために、今年に入って三度目のこととして、テレビが見られなという異変に、朝の六時に見舞われました。だが、20分後に、落ち着いて直しました。TVも、今では、一種のパソコンなので、常にパソコンを壊されている私は、テレビも直せるのです。そして、本日から、急に杉咲花のセリフが、きちんと聞こえる様になりました。

 しかし、巻末にもっとすごい話を、副題5-Aから始まって展開します。お待ちくださいませ。そして、10時間かけて、6倍ぐらいにして、終わります。夜8時半にです。ただし、これでも初稿であって、将来、推敲加筆をする可能性はあります。

副題1、『息子が来た。5月5日に主人があっているのだから、たった一週間で、来るということ。釣りの成果を持ってくるとのこと。逗子で、鶴野は久しぶりだとのこと。息子との会話が、盗聴をされて、散々な脅かしを井上ひさしと思われる人間から、コメントの形として、受けているので、彼との会話には、気を遣う。

 つまり、「お前の夫、または、お前の子供が、お前を精神病院に入れないのはおかしい。無責任だ」と、言うコメントの連続だった。

 それについての因果関係をまだ、書いていないので、ここから先のことが、読者様には、一切意味が通じない可能性がある。

 しかし、電話の盗聴と、室内の会話の盗聴が、そういう恐ろしい、嫌がらせの根本原因だから、室内の、盗聴が確かなことだと、確認をされた傍証の例は、書いておかないといけない。

 以前から、それは、わかっていたが、我が家の室内会話が、すべて、盗聴をされていることが、本日証明された。それが相手が警察だと、

 日本の警察は、CIAの家来だから、そうなるのだろうと、言うことで済むが、相手がご近所主婦安野智紗さんだから、これは、困るし、恐ろしい。

 ただし、彼女は、

 こういう看板を、10年以上門前に掲げていた人だから、

 警察の協力者であることは推察できる。しかし、問題は、ライブで、つまり、我が家で、夫婦、もしくは子供と三人で、会話をすると、瞬間的に、同時に、そちらにも会話が入るということだ。それが本日証明をされたので、これは、きろくして、おく必要がある。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『わたくしの母が、「あんたの老後は大丈夫よ。あの子(息子のほう)が優しいからね」と言っていた。女の子の方は、一般的に言って、だいたい、とても賢いし(地頭のこと)精神的には、頼りにはなるが、根っこのところで、フロイトのいうエディプスコンプレックスがあるので、父親については、大変気を使うが、私に対しては、冷たいというか、どっちでもいいねと、言うところがある。

 しかし、これを一回書いたので、息子から、「あんたの(老後)の面倒は見られないよ。お嫁さんが、そういうタイプではないから」といった。私たち夫婦は、もとより、子供たちの世話になるつもりはないが、別に多額の資産を持っているわけでもない。

 でも、生前贈与を始めている。私たちの老後は、お先真っ暗かもしれないが、わたくしは、常に神様を信じているので、何とかなると、信じている。で、子供や孫の方が大切なので、老後は無視して、生前贈与を始めている。

 どうしてかというと、息子の給与が低いからだ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題3、『わたくし自身は、禁治産者並みに、お金の計算ができない人だけれど、主人は、つつましい育ちである』

 かどや製油にいたころはまあまあだった。息子は、お嫁さんと、一緒に、つつましい生活をしながら、お金をためて、新築マンションを総額、現金で、支払って買った。ローンはない。私たち夫婦は、結婚式にも何の援助もしていないし、マンションを買う際にも何の援助もしていない。

 すると、するとなのだ。政府(安部晋三内閣時代)が、マンションをローンで勝った人には、税金を安くすると、言う法律を作った。現金で買う陰にどれほどの、努力があるかを、知っている私には、その法律もまた、私への嫌がらせであることは見事に分かった。2013年に廃棄物処理法案が、変更になり、焚火をしてはいけないことになったのも対私への嫌がらせであるとは、何度も説明をしてきている。ので、ここでは蒸し返さない。

 子供に援助をしないということなのだけれど、それは、主人の考えも反映をしている。主人の実家はサラリーマンで、呉に住む給与生活者だ。しかし、男の子が四人もいて、一人だけ末っ子さんが、地元の、広島大学へ通ったが、上の三人は、東京へ遊学した。私の夫は国立大学進学者だが、兄二人は私立大学へ進学だ。姑は、PTA会長(しかも、中学も高校も)だったし、町内会長もしたので、気丈なタイプで、見事に破綻ななく乗り切った。PTAの方は、もしかすると、副会長だが、たぶん会長である。その方が正しい、子供が、二歳おきに四人もいて、学業かスポーツのどちらかで、みんな優れていたので、母親の方も、存在感が大きかったのだ。町内会の方は確か会長で、気丈なひとであって、見事に、経済的に、乗り切っている。だけど、それだけにつつましい。それが、主人にも反映をしているので、子供に、学費以外の援助しないつもりである。

 私の方は、お手伝いさんが、「この家で学んだことは、お金の力がいかに偉大かということです。でも、千恵子さんは大変ね」といったぐらいで、わたくしは、中学校以降は、お金に苦労したことはない。お手伝いさんは、元・霞が関の(現代でいう中級)公務員で、夫は大学教授だった人だ。だが、息子さんが、ニューヨークで、アーチスト暮らしをしているので、お金を送ってあげたいのだった。毎年晴れ着を着て登庁し、それが新聞の一面を飾っていたそうだ。

 彼女が「千恵子さんも大変ね」といったのは、その人が我が家に出入りしていたころ(わたくしが、40~50代のころ)、妹は、働く主婦で、しかも千葉大の薬学部卒で、夫とともに、大変な高給をとっていた。毎年、冬休みは、娘を連れてスイスへスキーをしに行っていた。その上、1985年に父が死ぬと、その時、遺産として、不動産をもらっている。私は、その時は不動産は、もらっていない。で、そこからの賃貸収入の差も大きい。

 母は、父の会社の経理をして、相当な給料をもらっていたが、それは、全部株の投資に回していたので、「わたくしが大根一本腐らせたとしても、その間、頭を使えば、100万円は違うのよ」と豪語していたぐらいだから、証券会社からも、信用が高くて、いわゆる信用取引まで、許可されていた。信用取引とは、株価の、全額は、支払わないで、もうけ分の、差額だけ、もらう仕組み。

 お手伝いさんから見ると、母と妹が結託をしていて、わたくしが差別されていると、見えていたと、思う。その通りだった。

 しかし、わたくしが、65歳を過ぎるころから、母はすごく変わった。私を精神的に頼る様になった。身の回りの世話は、老人ホームのスタッフがやってくれる。しかし、死を迎える人が、精神のよりどころにするのは、一本筋が通っていた私なのだった。

 私のどこに長所があるのか、それは、言うまい。しかし、私は、精神的に、他者から頼られる人なのである。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『・・・・・朝ドラ【おちょやん】は、数字は悪いが、業界人には評判が高いそうだ・・・・・この情報だけど、私は違う風に考えている。今期のおちょやんだけど、いつも熱心に、わたくしが視聴している。上出来なドラマだと、思う。私は半沢直樹は見ていないが、さすがに当たるドラマを描く人は違うと、思っている。どうして熱心に一日に三回も見るかというと、主役の杉咲花さんのセリフがほとんど聞こえないからだ。相手役のセリフは、きちんと聞こえるのに、杉咲さんのセリフは、怒鳴るとき以外は、ほとんど聞こえない。

 ここだけど、13日は、きちんと聞こえた。驚いた。私のテレビまたは、レコーダーでだけ、武井千代(=杉咲花)のセリフが聞こえない、そういうシステムが適用されていたと、思われる

 こういう風に、わたくしが、熱心に見ている朝ドラは数字が低くされる。あの数字は、嘘なのだ。それこそ、鎌倉えーじぇんと(CIA)が支配している。朝ドラ、【つばさ】の時が同じだった。ただし、両方とも、内包しているテーマは、反・私とか、反・私のブログと、言う設定になっている』

 朝ドラ、おちょやんで、・・・・・栗子さんの再登場によって、伏線が見事に回収をされた・・・・・と、ネットで、皆さんが喜んでいる。私も、しみじみ涙したし、・・・ここで、終わってもいいではないですか・・・と思ったほど、感動した。人生の最後はお金でもないし、名誉でもない。精神の状態の、健やかさというか、哲学的深さというか、他人に対する愛の深さにかかってくるのだ。

 私と母(実母です)の間も、そういう風に終わった。それは、【電車の中で】という三冊目の本に書いた。自分でも、満足している。たった600冊でも大切なことを書けたと、思って満足をしている。

 

 

 右が、【電車の中で】で、左が、二冊目の【れすとらんろしなんて】だ。左の本は、薄いトレーシングペーパー(桃色)がかかっているのだけれど、下は、白い並み装の表紙で、そのカットとして、今は、鶴岡八幡宮様の持ち物になっている、例の山間の煙の建築業者が、あつらえた、ブロンズ風の門だ。数寄屋造りのお屋敷に、ブロンズの、ヨーロッパ風の門がついている。ちょっとおかしい。

 ま、それは、さておき、最大の、感動を与えた栗子さんと、おちょやんの間柄は、継母と、なさぬ仲の子である。

 その関係は、まさしく、安野智紗夫人と、三人の前夫人のお子さんとの仲である。映画【海猿】も安野夫人が私より偉い人であると、言う評判をご近所様に植え付けるのに、使われたと思うが、・・・・・この件の詳細は、後で、語ろう。

 もう一つ、おちょやんが、姪を養子にするという、コンセプトが、重要だ。栗子さんが、誘導したことだが、二人にとって、確かに、よろしい未来が待っている。ここなのだけれど、最近の15年間、ずっと、私を苦しめてきた、大原光孝さんが、養子だ。で、何か人間がしっかりしていない。それで、養子だとだめだと、言っている。

 しかし、おちょやんと、春子ちゃんの間は、うまくいきそうだ。だから、これも、わたくしのブログへの否定の話である。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5~6  ここで、なぜ、息子と私が、言い争いになるのか、を説明したいと、思います。しかし、それは、最低でも、二万字は、必要です。本日は、それを描いている暇がありません。私だって、ふくせんははっています。この山に別荘を持っている早稲田卒の、大金持ち、長嶋さんが、家に招待してくれて、(まあ、その家は、町内会総会を開く家ですが、一度も入ったことがないので、入ってみたくて、招待に応じたのですが)、何を言うのかと思ったら、中谷共二氏の次男が三井物産勤務だと、言いました。これが、すごいレベルの伏線になっているのです。が、ともかく、本日は、その部分はぬかします。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題7、『安野家に、我が家の居間での会話が、直接ライブで入っている模様。それを本日もつくづく感じたのだった。三度目のこととしてである。こんな人権侵害はない。本当にひどいと思う。文化都市、鎌倉ですって、嘘でしょう。ここをお読みになって、養老孟司先生は、平気なのでしょうかねえ。お読みになっていないから平気なのでしょうが?』

21-5-12  11:30

 家を出たときに、道路で、安野夫人がジャスミンの花を摘んでいた。じっとこちらの顔をうかがっている。二度も、じろじろっという感じで、こちらをうかがった。後で考えると、鎌倉警察署の生活安全課の課長か? 桜田門か? 神奈川県警のどこか?から、わたくしの様子をうかがう様に依頼をされていた可能性はある。

ただし、彼女固有の性格も加味されている。本日のあの表情にはデジャブーがある。私が逗子のアトリエで、夜寝ているときに、生活用品が、足りなくなって、昼間雪ノ下の家に取りに来た。その頃も、室内盗聴がなされていたら、わたくしが来ていることがわかるわけだ。その帰り道、タクシーを呼ぶので、電話を使う.それも、盗聴をされているので、彼女には、わたくしが帰宅する時間帯がわかるわけだ。そのとき、わざと庭に出て、音を立てて、「見ているわよ」と誇示した。その数年後、大原光孝さんが、「山の人間が、川崎さんが、離婚をするよ」と噂をしているよと、言っていた。その噂の出どころは、安野夫人であろう。

さて、それは、2000年ごろの話だが・・・・・

現在の、2021年5月12日、

あの家には、我が家の室内の盗聴がライブで、入っていると考えられる。それで彼女が、わたくしの表情をうかがおうとして、外で、待っていたわけだけれど、室内盗聴があるから、出と、口喧嘩に近い状況になっていると、わかったわけだ。

一方で、柳沢家で、電動草刈り窯を使っていた。彼か、だれか他の、雇ったおじさんかは、見なかったが、これも、室内盗聴を利用した結果かもしれない。

 出が来るということは、昨日、電話があったそうだから、全山の主要な人間は、知っていると考えたほうがいいだろう。

 ともかく、わたくしが外出した後で、出が、英二さんにあれこれを言うと、また、それが利用されるので、まったくもって、いやな世の中だ。

 さて、文華館付属カフェで、仕事をしていた。こういう風に自由が利かないときは、かえって、必要があるのに、できていないことをするのに最適である。それしかできないので、気が散らない。

文華館のカフェは、トイレには、鍵がかかっているし、Wi-Fiが、ない。現代のカフェとして支払い形式など、最新のシステムを導入しているのに、Wi-Fiが利かないなんて、私に利用をさせないためと、考えられる。トイレに鍵をかけるのも、繰り返し書いているユマニテの、(前のビルでの、)作用を繰り返していると、見える。

 もしあえて、「なぜカギをかけるのですか?」と、質問をしたら、「観光客が入って来て使ってしまうので」と、言う答えが返ってきそうだが、あそこのトイレを、飲み物を注文しないで、使おうとする日本人はいないだろう。図々しい中国人が、黙って使うと、トイレが詰まるとでも言いたいのだろうか? 確かに、時々、水を流していない公衆トイレに出会うので、中国人が直前に使ったのかなあと、思うときはある。

 さて、テーブルについて、仕事を始めたときに、パソコンが、11時43分を指していた。で、Wi-Fiは、使えないので、インターネットはつながず、だから、ルーティンワークになっている単純ゲームは行わないで、まず、ワードを開いて、安野夫人の、行動を記録する。

 ワードを開くと、それだけで、追跡されてしまうことは知っていた。日本人全部ではないのだろうが、わたくしの場合は、それで、どこにいることが知られてしまう。

 多分わたくしのいばしょがわかったせいであろうが、若い男性スタッフがテーブルを拭き始めた。このカフェには、内外に、23グループが着席できる様に、テーブルがセッティングされている。外は、円形テーブルが三組あり、その中で二組が使用中。外の二人掛け席は誰も使っていない。部屋の中には、わたくしの前には、一組か、ゼロ組しかいなかった。その後、お客さんが、来たが12時ごろには、まだ、全部で、三組しかいなかった。

 というわけで、開店前に、きれいにしたであろう後、だれも使っていないのだから、きれいにする必要が全くないのに、テーブルを拭いている。

 で、大昔のことを思い出した。自宅で、パソコンを使うとあまりにも大量なシステム破壊が起きるので、ロイヤルパークホテル(横浜・みなとみらい)のロビーで、パソコンの仕事をしていた時に、女性が、テーブルを拭きに来たのだった。あそこは、いとこが財務担当重役をしていたのに、女性スタッフの態度は、失礼極まりないが、書物を出版させないがための(多分、警察の命令による)嫌がらせだった。それと同じことを文華館の喫茶部のスタッフがやっている。

 ただ、わたくしは、本日は、相手が狙っているほどのダメージは受けなかった。やっていることが、整理なので、それほど、頭を使う仕事でもないので、そういう嫌がらせを受けながらも、それを後で、どう、料理しようかと、思いながら、見ているところだった。つまり、実名で書いているからこそ、余裕が生まれているのだった。それをやらせないとするのはなぜだ? 

 言論は自由でしょう。それに私は被害者ですから、加害の実態を、書くのですよ。それを描かれたくなかったら、これらの謀略(悪事・・・・本日は盗聴)をしないことですね。

 ただ、本日12日の午後零時半に、まだ、きれいなテーブルを拭くという、嫌がらせを行う、この喫茶店も、吉田茂穂宮司が、責任を負うところとなるのでしょうね。(苦笑)まあ、いいでしょう。

 ところで、午前11時半に、入店した時には、アラフォーの、・・・前回、トイレには、鍵がかかっていると、教えてくれた女性・・・・がいたのだけれど、12時過ぎには、いなかった。これは、小さいことだけれど、その女性の顔が、入店時に、前回は明るい表情の人だったのに、本日は、曇っていて、意味ありげだった。で、わたくしの讒言がすでに、ここに入っているということ。私が悪人だという。反対で小児、と思うが、そういう風な流れにしたいのが、鎌倉エージェントだから、その手下の、警察は、その言うことを聞いて、鶴岡八幡宮に命令するのです。で、吉田重穂宮司様は、復興予算、34兆円を、出させる法のお仲間だと、言う事になります。妻r、家庭の主人たる壮年の男性だと、子供の分、両親の分などを合わせて、125万円もの大金を除染などの、無駄なことに使うために、拠出しないといけないのです。そして、使われない土地のかさ上げなどで、莫大なもうけを得た、東北の建設会社社長が、鎌倉小町二丁目という、高級住宅街に、建物が、100坪という大別荘を数寄屋造りという現代では、相当に高い建設費が必要な建物を建てたのです。なお、小町二丁目というのは、小町通りではないのですよ。ずっと東側の閑静な、住宅街です。(あと注2)

 八幡宮様が経営しているカフェに戻ります。テーブルを拭くという嫌がらせを受けたので、したがって、これから先、ここを、使わないということになるか? それはないのだけれど・・・・・もしかしたら、使わないかもしれないです。というのも、お茶のお値段が高いし、Wi-Fiができないので、まあ、使わないほうが多いとは思うが・・・・・弾圧に負けたと、見られるのは嫌だから、引き続き整理の仕事をするために使うかもしれないです。しかし、お値段設定が、お高いから、わたくし以外の、リピーターはいないと、思う。私はすぐご近所だからリピーターになる可能性はあるけれど。

 あえて、・・・・・讒言が、伝えられているから、使わない・・・・・と、言うことはない。そんなことはどっちでもいいということだ。また、龍村さんの名前を出せるので、ラッキーというぐらいのものだった。ただ、今回も、龍村さんが、動いているのか? それとも別の紫の袴の神官が? 眼鏡をかけた紫の袴の人が、(どうも?)、ここから、文華館へ向かった様に見えたが? 名前を知らない人ではある。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題8、『さて、帰りが大問題だった』

 掲示板のところまで、山を登って来たら、上から、安野夫人が下りてくるのが見えた。彼女は、いかにも用事がありげに、バックパックを背負っている。服装は先ほどは、小花模様のかっぽう着だったが、今度は、外出用のお洋服。だが地味目。私に対抗心を持っているときとか、勝ちたいと思っている時は、服装は、派手目で、高額なものを着ている。しかし、今回は、ごぜんちゅうの、失敗====ねめる様に、こっちを何度も見た、その様子が、すべての真実を語っていた====と、文華館喫茶室で、書いているから、いわゆるばれたという状態だ。何がばれたかというと、

 警察の盗聴が、ばれたということ。あの夫婦は、警察から、合いかぎをもらっていて、何度も、我が家に、侵入しているが、それ以外の、恐ろしいことも数々やっている。もう、書くのも嫌だけれど、神様への証言として書いておかないと、いけない。

 ところで、今回の方で、あっけにとられたのが、彼女が歩きながら、まったくこっちを見ないという点だった。

 彼女は、『自分は、この山のすべての人と仲良しだ』と、思いこんでいる。そして、『あんたは違うわよね。みんなから、嫌われているでしょう。仲間はずれでしょう。村八分でしょう』とも思いこんでいる。したがって誰でも、下から上がってくる人とすれ違う場合、それが誰であるかを確かめるはずだ。しかし、30mぐらいの間、彼女はまったくこっちを見なかった。それは、なぜかというと、下から上がってくるのが私だと、知っているからだと、思われる。

つまり、上の方で書いている、

 私が息子に、「あなたの言葉で、わたくしはご近所様から、精神病院に入れられそうになっているので・・・・・以下、無音だが言いたかったことはカッコ内の内容だ。・・・・・(あなたが私を批判する内容の話は、もう聞きたくない)」といったまま、お昼も食べ終わらずに、居間から出て行って、そのまま外出してしまったのだけれど、

 安野夫人は、まず、居間での会話の部分をライブで、盗聴したので、わたくしが、これから先、息子が去年の11月によこした電話の内容で、精神病院へご近所様から、強制入院をさせらえると、覚えて、いることを確かめたかったのだと、思う。私の顔が、どれほどの、恐怖心にみたされていて、かつ、どれほどの、こわばった顔をしているかをも、見たかったわけだった。

 それを、私の方は、もう、見事に喝破して文華館そばの、喫茶店内でパソコンに記録をしてしまった。それは、まずいのだ。

 盗聴を見事に証拠立てるからだ。特にライブで、盗聴結果が入っているという証拠にもなるから。

 で、帰りの方は、今度は、警察の命令で、反対方向で、動いたと、思われる。反対方向とは、絶対に私の顔を見ないという形。それで、午前中のバカげた、自供(裏に、警察の盗聴行為があって、わたくしは特別任務として、それをライブで、直接家で、利くことがができるのですよ。すごいでしょうと、言う威張った顔を、訂正できると思っているらしい。あほらしい。本当に彼女はおバカさんだ。または、彼女を指導している警察があほなのか❓ この日、美形の紳士で、東大卒ぐらいで、警察でのエリートだと、わたくしが見ている男性は、出勤しないで、自宅待機でしたか?

 行き(降りる方)は、ドアが、あく音、閉まる音、また、ドアの開閉は、前田清子さんに頼んでいたら、ものの見事に見えるし、教えてもらえるし・・・・・というわけで、ここは、回答が出ないところだが、午前中の方も警察の命令かもしれないが、彼女本人の出来心かもしれない。

 だからこそ、大原光孝さんが、「離婚をする」とみんながうわさをしているよと、私に直接言う様なことになるのだろう。だけどその大原光孝さんこそ、奥様が家出をして、すでに、10年になろうとしていますけれどね。(苦笑)

というのは、居間は、息子のスマホも置いてあるし、主人のスマホも置いてあるし、で、簡単に盗聴ができる。

 だけど、居間で、いいあらそいが起きてから、わたくしは、10分以内の、たぶん五分ぐらいで、家を出た。

 もし、安野夫人が、それから、自分の家を出るとしたら、間に合わない。で、も、まさしく見事なタイミングで、現れたので、息子が、「午前八時にそちらに到着すると、言っていたが、11時になるよ」と、時間変更の電話をかけてきたのもライブで、入っているのか?

 それとも、警察(鎌倉警察署の生活安全課の課長から? 神奈川県警のどこかから?それとも桜田門の内部のどこかから?)その電話の内容を聞いて、11時から、小花模様のかっぽう着を着て、いかにも普通の野良仕事をしているみたいに、剪定鋏をもって、準備をしていましたか?

しかし、帰りの方は、我が家の玄関は開け閉めしていません。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題9、『流鏑馬道に入る際に、湘南環工の、制服を着た男二人が掃除をしていた。一目で、警察官の偽装だと分かった。というのも、そんな時間帯に、お掃除をするなど、普通はあり得ない。それと若すぎる。で、後からわかってきたのだけれど、この二人が、八幡宮の駐車場の、車の中、または、彼らように、最近の10年間で、新たに設置された休憩用小屋で待っていて、わたくしが通ったら、スマホでタイミングを、安野家に、知らせたのでしょう。でもね。彼女が、一度もこちらを見ないで、降りて行ったことこそ、午前中の、ねめる様な目つきの、本当の意味を明らかにしてくれたのです。

 湘南環工の社員とは、特にお掃除担当社員とは、朝早く来ます。その上、わたくしは参拝客です。しかし、最初にあった方が、じろっと、こっちをねめ回して、にこりともしないです。顔写真を見せられていて、かつ、私を尾行する(掃除をしながら、通るのを確認せよと言われているわけですが、これも一種の尾行です)役目を果たしていることが、目つきで分かりました。次の社員なんて、20代か、30代です。そんな年齢で、掃除夫など、しませんよ。湘南環工の方でも、そういう役割を与えるわけはないです。

 で、文華館のカフェで、パソコンをたたんだとたんに「仕事をしっかりせよ」という命令が下って、わたくしがごみ捨て場を通るころ、安野家に、「今、山を上がり始めましたよ」と連絡を入れたと考えている。

 さて、ここから、なぜ、息子がいつも、私を批判をするかを描きましょう。大変なことであって、二時間の睡眠だけで、書けるかどうかは、不安ですが、取り組みます。将来、さらにきちんと膨らませていくことを目指しながら、取り組みましょう。

 で、上の方で、抜かしている副題5に取り掛かります。

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副題5-A、『息子は、1983年、北久里浜に住んでいるころ、私立中学受験を、二校不合格だった。一方で、その2年後、鎌倉に引っ越してきた後で、鎌倉においてのご近所様である安野家の次男殿は、おいちにの、おいちにの、あひるさん(通信簿に1と2しかない)と、呼ばれているほど、お成績が悪いのに、国立大学の付属高校にご入学だそうだ。

 息子の人生は、わたくしが瀬島隆三と、益山重夫と、京急と、横須賀市(特に杉本俊一さんと正子夫人)が組んだ、水道山の・・ただどり事件・・イコール地積変更届と、わたくしが呼んでいるもの・・・・1978年に起きた・・・・・の、真相を知ったために大損になっている。悪事の真相を知った、私への復讐として、その二年後の、1983年に、わたくしの息子は私立中学の、受験二校を不合格にされた。

 それで、息子の人生は、たった、12歳にして暗転してしまった。ここが赤木俊夫の自殺云々などという政治的問題に関連していくところなのだけれど、本日は、息子を中心に据えて語りたい。

 その後、息子は、就職活動でも散々いじめられている。それは、あまりにひどいケースである西原理恵子を使った三国屋善五郎のケースだけは書いているが、それ以外にもいっぱいある。

 ところで、1983年の問題に戻ろう。私は、1978年の秋に、その件(=大詐欺事件)に遭遇し、自分を守るために、二人の東大卒弁護士さんの、指導の下に戦ったのだけれど、あまりにも、わたくしの頭が良いので、相手側の主犯の、人物・益山重夫が、10月11日に、急死した。その私怨を晴らそうとしているのが、現在私の周辺に起きているすべての物事の中心にある。そして、息子の私立中学・二校不合格も、その一つであり、

 したがって、わたくしは、息子の反抗とか、批判をすべて、甘んじて、受け入れてきた。

 しかし、今般、息子が、去年の、11月にかけてきた電話を盗聴され、それに基づいて、わたくしが、精神病院に、強制収容されそうになったので、つらいつらい話を全部公開していこうと思う。仕方がない。

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副題5-B 、『わたくしは、日吉の実家のすぐ近所の小田歯科医院に、40年近く通っている。名医だ。しかも、・赤・ひ・げ・せんせい・だ。しかし、この2021年の四月に、最終的に、突き放されたと感じていて、したがって、この先生が、息子の中学受験不合格・問題を、ちびり、ちびりと、心理的に、えぐってきた話を、ここで、とうとう公開したい。それが、息子の不合格が、CIAエージェントたちの行いだったことを証明するゆえんの一つだからだ』

 私の実家は、日吉、1-24-12という家番号でした、そこから、35mぐらい(つまり、家が、二軒分)西側に離れたところに小田歯科医院があって、わたくしは、未就学児を預けたり、幼稚園に行っている最中に、この医院に通っていたのです。本当に名医で、ここにかかっていた患者は、上大岡に引っ越しても、老体を鞭打って、通ってくると、言うほどの名医です。

 私が過剰に弾圧を受けるのは、筆力があるということと、同時に、自分で、工業的出版物を製作できる様になったからです。で、弾圧のために、自宅でパソコンが使えなくなりました。で、外で、パソコンの仕事をする様になったのですが、2006年ごろから、東京の公立図書館の、電源コンセントが、すべて、ガムテープでとじられることとなりました。その頃、先生の診療所で、トイレの電源コンセントが、同じくガムテープでとじられる様になりました。この時に先生が敵方にリクルートをされたことを知りました。

 そして、先生が、歯科医師会長選挙で、参謀を務めるという話を聞いたあたりから、その思いは、確定的になりました。バーター取引だろうと、思いいたりました。診察室と待合室は、奥様の才媛ぶりを反映して、お花に囲まれた、美しい空間です。夢見心地になる様な、美しく、やわらかな空間です。しかし、診察椅子は、二台だけです。後継者も弟子も見当たらず、広告は打たず、・・・・・ともかく、インテリアは、超・美しくて、感じよく、その室内で、高級な診療を、安く、してくださる医院ですが、小さいです。いかんせん、小さいです。そして、日吉駅より遠いです。だからこそ、世界に冠たるであろう、日本歯科医師会・会長選挙の参謀を務めるとは、普通ならあり得ないことでしょう。それは、文章を書く人間として、わたくしが大物だからですよ。「あいつから、心理的に離れなさい。しかし、その見返りとして、あなたを歯科医師会の、重鎮にしてあげます。その第一歩は、歯科医師会・会長選挙の参謀として戦うことです」と、鎌倉エージェントの誰かから、または、ご近所住人の特に、あの人(今は、名前を出さないが)から、頼まれた可能性があるのです。

 この時に、もし、小田先生が、推挙している偉い先生が、歯科医師会会長に当選したら、小田先生は、その三代後の、歯科医師会会長に、なる目もあったでしょう。小田先生は、背が高くて中肉中背で、柔和な顔の、しかし、すこぶるつきで、美形の紳士です。背中は、ピシッとまっすぐで、お話も丁寧です。インフォームドコンセントが、完璧な先生なので、政治的なことでも、説明が、丁寧なはずで、日本歯科医師会は、画然と、近代化していったと、思います。

 しかし、どのフィールドでも同じですが、お金が大切一派が、勝ったのだと、推察しています。小田先生は、この経験で、がんを患って、大変な思いをなさったのですが、80歳を過ぎても、まったく容貌は変わらず、柔和で、若々しい青年風です。今、治療を受けたく思って、ご訪問なさる時は、月、水、土曜日の午前7時から、11時までと覚えてから、電話をかけて、予約をしてから、行ってくださいね。

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副題5-C、『カリタス小通学バス、襲撃事件(ミャンマー語に堪能な、若い外交官が殺された)のも、この場所(ときわ台町内会)から、私を追い出すために行われた事である』

 上の写真は、わたくしの実家です。弟が相続していました。ある時期、弟と親しくしていました。小田歯科医院に通う度に、寄らせてもらって、両親のお仏壇に、お線香をあげて、よもやま話をして帰りました。弟は、週に二日ぐらいしか、ここにいません。別の家があるのです。で、この家が重荷になっていました。特に敵方が攻勢をかけてきていて、この家の建て直しをできないということにしていました。横浜市の条例か何かです。でも、3.11でも、びくともしなかったし、フランク・ロイド・ライトが、帝国ホテルに使ったり、坂倉準三が、旧神奈川県立美術館中央館(別名鎌倉館)の外壁や、明日館に使ったりした、柔らかい雰囲気の石です。しかし、実際には、堅牢な石組みにもかかわらず、横浜市条例で、・・・・・弱いので、建て替え禁止・・・・・といわれて、弟は、嫌がって売ったのです。

 二日目に訂正を入れます。失礼しました。坂倉准三が、まったく別の漢字が入っていましたね。17日の早朝に直しました。

 これは、私にとっては、本当に残念なことでした。二つの意味で残念でした。一つ目は、独身の弟の最晩年を、わたくしの娘一家が世話をして、娘に、この家を相続させることでした。お婿さんが早稲田卒で、三井物産勤務ですから、東大卒がずらずらいる、こちら、日吉【ときわ台町内会】のご近所様にも目劣りしないはずですし。

 しかし、もう一つあります。残念なことが。それは、精神的な揺籃の地を失ったということです。私はブログで、常に、日吉の町に育てられたといっています。母は小さい弟妹と、父の仕事の立ち上げ期で、忙しくて、PTA活動などしませんでした。しかし、日吉の町の有力マダムたちに、わたくしは、ひどくかわいがられたのです。どこの家でも、木戸・往来・免除でした。お勉強がものすごくよくできたので、あの子の真似をしてほしいと、思われていたからです。そこを失うことは、非常に不利にもなることでした。

 私は、良く、こちら、雪ノ下のご近所様を、中学生並みの頭脳と、行動の人たちだと、言っています。この章の前半の主人公、安野智紗夫人は、警察から合いかぎをもらっていて、我が家に、自由自在に入っていると、思いますし、大原光孝さんも同じです。そして、日常茶飯事として、小さな謀略行為を繰り返してきます。つまり、いじめてくるということです。鵜の目鷹の目で、すきを突いてくるということです。

 あのね、日吉のときわ台町内会では、そういうことはありませんでした。でもね。彼ら鎌倉エージェントは、私にこの地に近寄らせない様にしたいと、思って、恐ろしい殺人事件を計画し実行をしました。それが、若き外交官が殺された、川崎市登戸の、カリタス学園、通学バス襲撃事件です。あれも、謀略です。ここでは、詳しいことを語りませんが、常盤台町内会に、カリタスにお子様を通学させていたご家庭があり、実家のすぐ近所であったし、母がとても親しくしていたのでした。それは、事件直後に語り始めていますが、小田先生の治療を受け続けたいので、奥歯にものが挟まった様な、書き方になっています。

 まあ、それは、ここでは、詳述をしません。書くのに、あまりにも時間がかかるので、またまた、この一章が、終わらなくなるからです。

 でもね。上に写真を置いた実家は、大谷石を、再度そのまま使って三軒の建売住宅(7千万円以上)が、建ち、大谷石の、がけは、あらわれたのか、それとも、白い塗料で、塗装をしたのかで、真っ白になっていて、上の住宅の建物も真っ白なので、まるで、雰囲気が異なってきました。

 そして、小田先生にも穏便にですが、入れ歯を更新することを断られている私は、もう、その位置に、立ち寄るよすががないのでした。寂しいことでした。悲しいことです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5-D、『ああ、もう一つありますね。ぞふるーざ問題です。そして口内炎の薬、ケナログが、小田先生からは出なくなって、しかも、使いかけの薬が、我が家の薬箱から、四本程度、盗まれているのでした』

 この一件は、鎌倉エージェントの、伊藤玄二郎が、医事新報という一般人向けのタウン誌を経営していて、その関係で、医師会に、強いパイプを持っていて、わたくしが、それは、「アフリカで、不妊を、広範囲に起こして、人口抑制をするために開発をされたのですよ」と、何度も言っている子宮頸がんワクチンを、投与する様に、厚生労働省に働きかけています。そしてけいれんなどの多大な後遺症が出るのにもかかわらず、渡辺和子さんが、幻冬舎から、【おかれた場所で、咲きなさい】という本を出版された縁を頼ったのでしょうが、ノートルダム、女子学院(岡山)で、子宮頸がんワクチンを女子生徒に飲ませるそうです。十文字学園でもだそうです。短大で、講演が行われたそうですが?!?!?

 ともかく、京橋の宮下眼科というお医者さんも、インフォームドコンセントが大丈夫な、良いお医者様です。しかし、鎌倉と縁がある方で、(柳沼智恵子さんの絵が飾ってあったので、鎌倉の宮下眼科の先生と、ご親戚であることは、すぐわかった)ついに、裏切ってこられたのです。しかし、私の目のただれを、「あなたの目のトラブルは、悪い病気ではありません。普通に空中に漂っている雑菌がいたずらをしているだけだです。体調が悪いと、そうなります」と教えてくださったことで、ずいぶん助かった。しかし、この先生もクラビット点眼液や、ネオ・メドロールEE軟膏を出してくださらなくなって、変だなあと、思っているときに、小田先生から、ケナログが出なくなった。

  ここで、もう先生が、患者としての私には、感情移入がないと言う事が分かった。同情心がないのだった。でも、先生の技量の高さを知っているので、それでも、くっついていたのだが、この四月にとうとう終わりが来た。先生の方から円が切られたと、思っていて、それには、ぞふるーざ問題で、浮上した、塩野義製薬にお勤めの沢野さん一家と、その90歳を超える、奥様が、関与していると、考えている。もしかしたら、水沢勉先生【神奈川県(立)近代美術館・現・館長】も関係しておられるだろう。で、それでは、抵抗のしようがない。で、あきらめた。この際、ぞふるーざ問題が、大きく、真実を教えてくれたのだった。しかし、そのニュースが、報道をされた当時は、まだ、小田先生に通対と、思っていたので、奥歯にものが挟まった、書き方になっている。ただし、この章でも、ぞふるーざ問題は、パススルーしよう。この章が終わらなくなるので。

 こういう現象のすべては、緩慢な殺人へもっていこうというアイデアに基づいている。これらの、薬の多くは名前は異なっていても、市販薬として自由に買うことができました。30年前はです。しかし、その後処方箋がないと買えないこととなって、次に処方箋そのものが、出ないとなりました。ケナログが出ないと言う事を、小田先生が、何の同情心もなくおっしゃったときに、本当に絶望的でした。しかし、それでも、技量の立派さ、上手さを信じて、ついていったのに、治療の方も、心ここにあらずとなって、最終段階に達しました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5-E、『このころ或るレディが、ブログ読者として近づいてきた。最初は、純粋に、ファンだったと、思う。しかし、最後には、彼女も敵方にリクルートをされてしまうのだけれど、10歳ぐらい年が若い彼女の悩みに、長時間付き合ったものだ。津田塾大学出身の才媛で仕事は、産休補助教員(高校英語)である。これは、フルタイムの先生より、体力や、時間に余裕があり、担任もないので、精神的にも楽である。もし、偏差値高い高校へ、派遣をされるときは、生徒が優秀で、自発的に、勉強するので、教えるのも楽しいだろう。

 彼女の悩みとは、お子さん方のPTA活動内での、いじめであった。お子さんは三人で、男の子ばかり、そして、東京では御三家と呼ばれる有名学園に三人ともに合格し、卒業をしている。そして、50を過ぎた今では、お子さん方はすべて、成人し、一人はお医者様、ほかの二人は、有名企業に勤務していて、いわゆる成功者=上級国民の一人であった。

 お子さん方と、一緒に住んでいた家は、庭付き一戸建てで、そこは、今は住んでいない。駅により近いマンションに引っ越している。したがって、戸建ての住宅の方は、他人に貸していて、金銭的には、富裕であり、出入りの和服店から、歌舞伎座一階席をご夫婦で、招待されるほどに、恵まれている人であった。彼女の問題点は、自分が恵まれていることに気が付かないで、それで、なんとなく、他人を傷つけてしまうのだった。経済的に、恵まれている人は、貧しい人の本当の気持ちはわからない。私だって、昔は、そういうタイプであった。そういう無神経さに気が付いたのは、2003年の事だった。そのころ、ニューヨークの版画工房のお仲間が餓死して、それを版画工房の別の仲間から、聞いて、やっと気が付いた・・・・・・と、言うのが【黄色いサクランボ】に書いた、ニューヨーク版画修業記だ。

 本の中で、エドゥアルドと、命名している版画家(本名 ホアレス)は、昔同棲していた日本人女性に教わったと思われる、サツマイモ入り蒸しパンを持ってきていたが、それが、毎日の朝・昼・晩の、ごちそうだったのだ。しかし、そういうことを想像すらできなかった私は、毎昼、10ドルぐらいのお料理をパックに入れて買って帰ってきて、工房で、食べていた。なんと、残酷なことをしてしまったことか?

 彼女も似ている。サークルのお仲間が、離婚をしていて、添削仕事で、生活をしていると聞いた。父親と同居だそうだ。親から、年金の一部、10万円をもらっていて、自分が添削の仕事で、15万円稼ぐとしても、25万円で三人分の食料と、衣服費を二人分、支払うのは大変だ。孫の私立中学の学費は、たぶん祖父が出している。そちらと、比較すると、津田塾出身の人の方は、夫婦二人だけで、月50万円で、生活する。二人は、全く違う。私は、そういう解説をしたうえで、「最悪の時は、やめればいいのだ」と、忠告をした。いじめによって、国画会への出品をやめたり、大学(ICU)同窓会展への出品をやめた私には経験のあることなので、そういう風に忠告をする以外なかった。

 しかし、或る時に、この私自身が、彼女に深く傷つけられた。彼女の方に、悪気はなかったと、思う。彼女は、知らなかったのだ。私の息子が敵さんの攻撃によって、二校も、不合格にされていたことを。ただ、私自身の様子を考えて、付属中学とか、付属高校出身なので、エリートだと、思って、こういった。「ねえ、川崎さん、日本で、上流社会に上っていくのは、私立中学へ、子供を入れるのが、一番ね」と。 さて、今までの、事は、序の口というか導入に過ぎない。これから先小田先生が、私を心理的にえぐってきた話を語らないといけないからだ。しかも、それには、どうも裏があると、私は感じている。信頼して、心身をゆだねている歯医者さんに、自分の子供のどうしようもない苦しみをえぐられていく、私の悲しみは、どんなに深かっただろう。それを今から、語っていきたい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5-F、『小田先生は、三つの有名私立中学へ、お孫さんが、合格をしたことを、私に、5年から、7年をかけて告げられた。どうも、裏がある様な気がする。いわゆる鎌倉エージェントが、私をノイローゼにさせるために、小田先生を利用した様な、感じがあるのだった』

 10年ぐらい前だったでしょうか? 小田先生の治療を受けているときに、待つ時間があるのです。レジンが固まるのを待つとか、レントゲンが、浮き上がってくるのを待つとか。で、そういう待つ時間だったと、思うのですが、先生が、「僕、鎌倉が好きでね。よく行くのです。この前は、北鎌倉から、江ノ島まで、行ってきました」と言われるのです。「そうですか。私の家って、その途中にあるのです。ぜひ、お寄りください」と言いました。しかし先生は、その誘いには乗らず、次の言葉をつづけました。「北鎌倉から、鎌倉駅まで、歩いて、次に江ノ電で、江ノ島へ行ったのです」と。「途中で、建長寺があるでしょう?」とも。で、私は、「ええ、」と、言いました。すると先生が、「建長寺に、鎌倉学園がありますね」とおっしゃるのです。「うちの孫が、鎌倉学園を受けたのですよ。野球が好きでね」と、言われるのです。

 その瞬間にアッと思いました。まさか、不合格だった、学園の、名前を先生が挙げるわけもないです。私の息子は、そこを受験したわけではありません。京浜急行の沿線に住んでいたので、横須賀線で、通学する中学は受けておりません。でも、二校とも不合格だったので、合格という事実を知らされるだけで、ショックでした。丁度そのころ、西原理恵子さんを、利用して、三国屋善五郎と、言う会社を、社長ぐるみの罠によって追われたころ(後注1)だったので、余計苦しくて息が詰まるほどでした。だが、平静を装って、いつも通り、明るくお礼を言って帰りました。

 一回の治療で、先生が、同じ話題を出されることはありませんでした。ただ、また、治療に伺うことがあって、(二年か三年後です)、今度は、立教中学の話題が出ました。やはり、野球が好きだから、受験をしたそうです。そして、この時は、合格という話が出ました。無論、悲哀を味わいました。「ただ、先生、その話題は出さないで。うちの子が、失敗しているので、その話題は、苦しいのです」などと、言うわけもないのです。また、明るくお礼を言って帰宅しました。

 そして、また、次の治療の時です。「野球が好きだから、普通部を受けたのです」とおっしゃいました。普通部というのは、慶応の、中等部、男子生徒専科の学校の事です。日吉の我が家からは、南南南東の位置に水平距離、600mのところにあるのです。丁度建設中を、見ています。「高校まで、野球をやりましたよ。だけど、大学はね。プロを目指す子供たちが集まっているところなので、野球はやめました」と続けられました。で、私は、この時は、先生が、私の傷をえぐるために、この話題を出しておられると、確信をしました。でも、相変わらず、こちらは患者であって、先生の保護を願う立場ですから、反抗も抗議もできません。かろうじて、「先生、それは、いつの事でしょうか?」と、質問をしました。先生は、ちょっと戸惑った様子でした。ただ、「昔の事ですよ」とおっしゃいました。

 先生があまりにも、熱心にその私立中学合格の話をおっしゃるので、つい昨日の事みたいに聞こえました。しかし、三つの学校への合格の話を、間を数年置いて、おっしゃるので、私も、それが、古い話だと、気が付いたのです。

 そして、先生は、そのお孫さんのその後については、何もおっしゃいませんでした。

私は、このエピソードを、わが子の私立中学不合格が、敵さんの手配によるものだと、言う証拠の一つと考えています。

 しかし、これは、非常に書きにくいことでした。ものすごいレベルで、書きにくいことでした。そしてこの五倍ぐらいのエピソードを書かないと、誤解をされることは、必定です。しかし、今朝は、二時間で、目覚めています。だから、誤解をされることを恐れず、ここまでで、止めておきます。ところで、どうして、こういう難しいことを書いたかというと、井上ひさし(いまだ、生きていますよ)と、思われる、人物から、非常に恐ろしい、コメントが来ているからです。

 一つ、ここにコピペしておきます。

+++++++++++++++++++++++++++++++

副題5-G、「小田先生には、孫としては女の子もいらっしゃる。しかし、その子については、何もおっしゃらない。しかも、奥様は、日本在住の孫については、何もおっしゃらない。海外在住のお孫さんについては、何か、ご夫妻ともおっしゃった記憶があるが、これは、政治的には何も問題がない。

 だから、わたくしは、先生のあの、男のお孫さんの私立中学受験の話は、わざと、お話しなさったのだと、考えている。誰かから、依頼を受けてなのだろうと、思う。大本は、もしかすると水沢勉先生のご母堂? そして、その次に存在するのは、ぞふるーざ問題が起こされた塩野義製薬勤務だった、ご主人にいる沢野夫人ですか? 沢野夫人については、昔母が、とても食えないところがあると、言っていた。だから、その後ろに住んでいる、カリタスへお子様を通学させた、T夫人を好んでいた。T夫人は、誠実な人だと、考えていた。

 ところで、小田先生は、どこから、何を聞いて、ああいう、えぐり方をなさったとしても、その際に、後ろで、わざと、我が子の受験を不合格にしたという、話は、聞いておられないと、わたくしは信じる。

 そういうとても大切なことは言わない。ただ、自分たちにとって都合の良いことだけを言う。わたくしが、吉田茂穂宮司様の悪口を書いているとか、言って、・・・・・少し、やっつけないといけないのです。あいつの子供が、私立中学受験で、不合格だった、部分を、取り上げて締め上げてください・・・・・と、そういう風に頼まれて、行動をなさっておられるのだ。そうだろうと信じている。

 ところで、吉田茂穂宮司様が何をおやりになっているか、を、書いたら、全部消えた。だから、わたくしの言っていることがとても正しいのだと、わかる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題6、『井上ひさしから、恐ろしすぎる、攻撃があるので、こういう文章を書いている。その攻撃は、11月に、息子から電話で、強い抗議が来ていることを利用している。それは、私が上野の国立博物館で、開かれた【きもの展】のカタログを送った時に、起きた現象だった。息子に言わせると、「こんな贅沢をして」と言う事がまず怒りの対象である。交通費、入場料、それから、カタログ代。

 「お母さんは、おじいさんと、おばあさんからもらった遺産を、こんな無駄なことに使っている」という怒りがある。一方で、私の方は、孫が、自閉症の気味がある。だけど、ものすごく頭が良さそうなので、いろいろな刺激を与えたい。息子に、東京の上野に行って、きもの展を見る時間と経済的余裕がないのだったら、私が代わりに時間を割いて、それを見てきて、カタログだけでも与えたい。

 息子は、有名私立中学に入れなかったがために、偏差値的に高い大学へ行かれなかった。キリストきょう精神に基づいた大学で、お友達もいい人が多くて、彼には向いている。しかし、育ちの良い人が多いので、終活の世話など、大学がやってくれない。親の力で、道が開ける、有名な店舗とか、会社のお坊ちゃまとか、お嬢ちゃまが多い。芸能人のお子様も多い。

 それで、学歴的には、成功してきた私に対して、(それと父親に対しても)、複雑な心理状態にある。で、爆発的な怒りをもって、ののしってきた。それが、盗聴録音されて利用をされている。

 そして、井上ひさしは、下記の様な、コメントをここへ、2月4日によこしている。

2021/02/04 17:53:49

それで、実際のところはどうなのですか?貴方のご家族はこのブログのことをご存じなのですか?ご存じの上で放置されているのですか?
あなたはいろんな方の実名を挙げてはその方々から「いじめられている」と表現なさいますね。あなたの息子さんは成績優秀でありながら内申書を書き換えられ志望校を不合格とされた、西原理恵子から言いがかりをつけられて左遷され、職場を奪われた…枚挙にいとまなし。
実はそんな理由など貴女の頭がこねくり回して作り上げた妄想に過ぎず、息子さんの実力が足りないだけではありませんか?
でも、そんなこと長い人生を通してみれば大したことでもないのに、妄想から来るものとはいえ、貴女がとんでもない行動を起こして、息子さんの前途を悉く邪魔してきたのでは?
貴女がご自分のお子さんから疎んじられているのはそういう理由からではないのですか?

 

  このコメントですが、これを私は、彼がご近所人間を動かしている証拠とみています。だから、神様の前で、戦う場合、私の方が勝てる武器として、今これをさらします。どうか、負けっぱなしだと、誤解をなさらないで、くださいね。

 で、私は、ひと先ず、息子がなぜ、私を嫌うかを書いてみた。まだ、五分の一にもなっていないが、二時間しか寝ていないのに、すでに、10時間書き続けている。今日はこれで終わろう。また、いつか続きを書く。ただ、燃え上がらないと、書けないなあ。とてもつらいことだから。

 

 で、いつも言っている通り、安野智紗夫人の示す行動が、現代日本政治の真実をあからさまにしてくれると、言うわけです。子供との会話を盗聴して、それで、精神病院へ入れてしまおう。あいつは、国民に隠しておかないといけない真実を語りすぎるから。ですって。

 ・・・・・・人権侵害の極致が、この、我が家(雪ノ下2-3-7)近辺で、四六時中、行われているということです。

 雨宮舜( 本名、川崎千恵子)

 

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復興予算で、ぼろ儲けをした(らしい)東北の建設会社の社長が、総額10億円近い・・隠れ家的別荘・・を鎌倉に作ったのだが?

2021-05-11 03:13:06 | 政治

この一章は、最初の総タイトルを、【会社四季報などには、情報が一切乗っていない、その工場が、核燃料棒製造工場だと、なぜ、私に分かったのか?】 としておりました。しかし、変えました。なぜかというと、一種の寓意性を感じたからです。

この章の主要な登場人物は、三人います。常に観察者であり、語り部でもある私が、一人目、

次にこの章で、初めて登場する、政府の復興予算(税金、働く壮年者、一人頭150万円以上を負担している)をかすめ取って、大金を余剰金的、もうけとして、私有化し、他人からは、まったく見えない形の、大別荘を、鎌倉に、建てた、東北の建設会社の社長です。

その人はさすがに後ろめたいのか、他人からは中が全く見えない形で、大別荘を建てています。私は、建築途中で、訪ねたので、建設予定看板等を見て、その広さを知り、大工さんに、「どういう内装なのか?」をも聞いているので、その別荘が、一見すると地味目だが、大金がかかっている建築だと、知っているのです。

その家が、どうして外からは、見えないかというと東側に川が流れていて、その対岸は林であり、人家が皆無です。違う道からもっと高いところまで登ると、養老先生のご自宅でしょう。だけど、二つの家は、お互いには、目視は、利きません。西側は高い、しかも立派な塀(25mぐらい)を作ってありますので、中が見えません。北側は、別の家の敷地のはずで、そちら側からも、中は、見えません。南側は、お客用ベンツが、4代ぐらい停車できる、広い車寄せになっていて、お屋敷は、門と、塀の向こうなので、中は、まったく見えません。

しかし、その車寄せの部分は、昔は、富沢家という慶応大学の教授の家だったはずです。その一部だったはずです。

そちらの家は、昔から鎌倉の住民ではなくて、仙台伊達藩の、重臣だったはずです。私は、この地域=雪ノ下二丁目の、小さな谷戸では、人間関係が複雑で、難しいということを、引っ越してくる前から、聞いているので、誰にも、自分の出自について、語っていません。だけど、長州藩の重臣の末裔です。私は、富沢夫人を、この山で、一番育ちがいい人だと、言っています。富沢夫人の、出身地、及び、卒業大学は知りません。

 しかし、家のカラーとして、あちらは、戦国時代から、続くさむらいの家、こちらは、鎌倉時代から、続くさむらいの家と、知っていて、カラーが似通っているのです。それで、大変安心して付き合っていました。

 ところが、2016年9月26日、ものすごい裏切りを受けます。個人的な喧嘩ではなくて、むろん政治的なものです。私はある堰を超えると、あっという間に、すべての真実を書き表します。それが今、五年後になって、関本家を、富沢家の、位置において再現されています。で、リンク先を開示しないと、いけなくなっているのですが、気が重くて、いつも開示していません。それは、ミスター富沢が、歩けないほど、重篤な状態になっていると、奥様から、聞いたからです。しかも、普通の病気ではなくて、放射線障害でしょう。だから、リンク先を、開陳しにくくなっています。

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 一方で、わたくしは、常に、趣味を、持っていて、それを楽しんでいます。ブログを書くこと、本を製作し、工業的出版へもっていくこと、油絵を描くこと、版画を制作することなどは、趣味ではありません。趣味とは、だれかに関係がなく、自分一人で、楽しめるもの、しかも、就業時間が、自由に設定できるものを指します。最近では、もし宝くじが当たったら、三度目の普請として、建てたいと、思っている家の設計図を、書くことが、短い時間で、できる楽しみの一つです。で、ネット検索、及び、不動産やの店頭で、駅から徒歩6分以内で、到着する物件を、見つけては、その売地の形状に沿った、家の間取り図を、描くことが、趣味の一つとなっているのです。

 で、鎌倉駅から、徒歩6分以内の売り物は、すべて、頭に入っています。富沢氏が幼いころから、結婚する前まで、住んでいた家が、この章では、物件としての主役です。こまち二丁目というのは、鎌倉に住んでいる人なら、どれほど、環境がいいお屋敷街かは、知っています。一方で、雪ノ下二丁目というのは、小町二丁目よりも、有名です。一般社会に、向けては、有名です。で、雪ノ下二丁目、特に我が家近辺では、結構、騒音もあり(山の下を通る暴走族のオートバイの音など)そちらよりも、知名度は、高いものの格が低いです。

 その二つが、このブログの、登場テーマとなるのは、ミスター富沢が、その両方に関与しているからでした。グーグルの地図でいえば、ほぼ、500mの距離でしょう。不思議な、寓意性を感じます。

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前報

Global Nuclear Fuel Japan に勤務していたと私が推察しているご近所紳士=栄光→慶応→三菱重工=が、今重篤だと、奥様は言う△

2021-05-08 13:39:05 | 政治

に、11日の早朝、午前4時に、いろいろ、付け加えます。

 なぜ、情報が一切外へ漏れていない、核燃料棒製造工場が、横須賀市、平作地域にあり、なぜ、その立ち上げに、富沢氏が、関与しているであろうと、わたくしが考えたかです。

副題1、『横須賀にある平作川が、氾濫をしたのを、実際に目にしたことがある』

 横須賀市って、意外と、平野が、ない街なのです。日産自動車とか、DENAの第二球場があるあたりは、埋め立て地だと、思います。工場用地として、唯一向いている地は、埋め立て地以外だと、平作川の、両岸にあたる 平作と、舟倉という地域しかないのです。

 わたくしは、その平作川の、東側の、丘の上に、前に住んでいた家をいまだに持っているので、しょっちゅう、そこへ行きます。その際に、JR横須賀線、久里浜駅で、降りて、バスに乗り、三つ目のバス停【舟倉】のそばにある、大きなホーム・センターで、土、25リットル袋を、4っつ買い、花の苗とか野菜の苗も買って、タクシーで、丘の上にある、その家に向かいます。タクシーがだいたい、1100円ぐらいの距離です。

 その際に、バスの窓から、西側を見るのが好きなのです。

 そこに問題の、核燃料棒製造工場があるのです。私は、その工場を、合計50回は目視しています。JR横須賀線に、乗っている際にも見えるし、バスからも見えるからです。

 以前から、何か、不思議な点がある工場だと、思っていました。それは、窓が、一つもないことです。また、工場が所属する会社名が、看板都として、出ていないのです。線路から、看板が見える工場としては、武田製薬とか、紀文があります。

 現在の工場では、通勤する社員が、たいてい、車で通ってくるので、工場自体は、白で、あっても、その周辺は、カラフルです。

 しかし、その工場には、それらのスペースが見当たりません。つまり、自動化されており、勤務している人間が、きわめて少ないことを示唆しています。

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副題2、『1975~83年の間のどこかで、親戚の人が、「そこに、立教大学の原子炉があるのです。それを借りて、実験をしたいので、泊まりたい、いいかなあ?」と言ってきました。当時は、横須賀には、良いホテルなんかないし、普通は、出張時には、親戚に泊まるものだったし、了承して、泊まってもらった」

 彼は、東大卒ですが、正式な地名は言わず、かつ、実験の内容も言いませんでした。

 で、それから、40年近くが過ぎて、子育ても終わり、北久里浜の家に行くのは、夫にとっても、私にとっても、余裕のある行動なので、車窓は、よく見るわけです。で、『どこにあるのかしら? 立教大学の原子炉って?』 と、いつも考えるのですが、どこにも、それらしいものはありません。むろん、福島第一などと比較すると、各段に小さいものだとは、思いますが、それにしても、ようとして、行方が分からないので、

 わたくしは、すでに、撤収されていると、考えています。

 特に、第五福竜丸事件とか、東海村事故などで、放射線被害は、恐れられていたからです。だから、そこに原子炉があったことなど、横須賀市民は誰も知らず、また、撤収をされたことも誰も知らない模様です。立教大学そのものも、もう、核物質関連の、研究をやっていないと、思いますよ。

 ここですが、福島県浜通りの、首長さんと、住民は、相当に、東電と、アメリカの軍産共同体から、馬鹿にされていたと、考えないといけません。田舎者だから、知識がないだろうと、みなされて、ただただ、お金をやればいいのだと、思われていたのです。

 しかも、それらのお金は、立派なホールなどの箱もの建設に使ってしまって、事故が起きた後での、対応費用としては、残っていなかったのです。

 そして、事故後です。これまた、お金をじゃぶじゃぶと注いで、住民たちを、慰藉しています。34兆円も、注ぎ込まれていて、それは国民一人頭25万円の出費に当たるそうです。

 東京圏で、車の中で、生活しないといけない人が、多数出ている中で、仙台では、ベンツがバカ売れしているそうです。また、今は、新コロナ禍で、職を失い、露頭に、迷っている人が多いというのに、住む人もいない、街を、かさ上げするのに、何十億円もかけているそうです。そして将来いつ、襲来するかは、わからない大地震に備えて堤防もかさ上げするとか?

 すべて、原発は、悪くないのだと、被害者たちを、洗脳していくための、お金です。

 でも、菅直人内閣時代は、良かったのですよ。原発に関する資料が、大量に出てきました。国民が賢くなるチャンスだったのです。

 しかし、安倍晋三内閣に代わると、その、国民を馬鹿化の、法へ洗脳していく、慰撫のバラマキ政策は、さらに、拍車をかける様になりました。

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副題3、『わたくしは、立教大学の原子炉があった場所に、現在の、三菱重工傘下の、グローバル ニュークリア フュエル ジャパンが、できたのではないかと、見ている。それにしても、あまりにも堂々とした名前で、驚き入っているのだが、横須賀市民は、問題にもしていない模様だ』

 わたくしの場合は、英語が自由自在であることも、役に立ったのです。カタカナで、グローバル ニュークリア フュエル ジャパンと、グーグルの地図が言う工場が、『核燃料の工場? あ、そうか?、核燃料棒を作っている工場ですね』と、即座に、判断をするからです。別に自慢をしているわけでもないし、普段英語の勉強は一切やっていないのですよ。でも、身についているから、そういう風に謎を解いていきます。

 特に、英語の直訳だと、核燃料工場と、なるわけですが、常に、原発について、情報を探り、研究を続けている私だから、「あ、核燃料棒の製造工場ですね」と、わかって来ることなのです。

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副題4、『ミスター富沢は、微量な、放射線を浴びたわけで、お子様には、被害が出ていない。お子様が、生まれたのちに転勤になったのかもしれないし。しかし、この堂々たる命名を見ると、三菱重工の幹部は、福島県、浜通りの人と同じく、・・・・・原発は、いいものだ・・・・・と、信じていたのかもしれない。東電の幹部もその様に感じているらしい。

 そして、それは、CIAの、意向でもある。したがって、伊藤玄二郎は、鎌倉に住んでいるのにもかかわらず、国家、神奈川県、鎌倉市の公金を、自分のためにじゃぶじゃぶ使う。それは、東北に住んでいて、この復興予算を、使役できる、建設業者も、同じである』

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副題5、『最近、見かけ上は、目立たないが、かけたお金の、総額は目玉が、飛び出るほどだと、言う木造平屋建ての別荘ができた。東北の建設会社の社長と、言うことだけれど、もしかして、例の復興予算の、対象物件、例えば、土地のかさ上げを、6市町村で、請け負えば、軽く、100億円の、売上高となる。相手は、国家予算だから、査察も、手薄というか、甘いはずで、請求書を水増しすれば、20億円ぐらいの、想定外のもうけが出るだろう。それを東北の地元で使うと、人々の批判を受ける。だから、鎌倉に、いかにも隠れ家みたいな別荘を作った。しかし、かけたお金は、10億円だろうと、わたくしは、推察している』

 東北の建設会社の社長だと、言う人が、鎌倉市、小町二丁目という、最高ランクの住宅街(ただし、売り物件が少ないので、意外と、質素な昔風の、建設のお宅も、いまだ多いのだけれど)

 の滑川(なめりかわ)そばに、それこそ、言葉通りの、豪邸を立てた。別荘だと、言う話である。それを、知った時期から、一年以上たってしまったので、正式な敷地の坪数も、建物の坪数も、うろ覚えで、不確かなのだが、敷地は、300坪で、建物が、平屋で、100坪だと、覚えている。しかも、建物が、そう・数寄屋造り・で、昔風の建築様式(例えば、土壁は、篠竹で、組んだ素地を使うとか)を用いて、建設されているそうだ。その種の建築ができる専門店は、今は、とても少ないのだが、横浜に一件ほどあるそうで、そこが、引き受けていると、言うことだった。土地が、まだ、安かったころに手に入れたと仮定すると、二億円。今だったら、五億円だろう。

 建物の、方は、見かけは、平屋だし、木造だから、一見質素だ。しかし、実際には、坪単価が、300万円ぐらいは、かかっているそうで、3億~五億円の建物だと、推察している。ふすま絵に、日本画家への、注文絵画を使ったりしたら、5億円は、優にかかる・大・大・豪邸である。

 ここで、読者の方、及び、アイリスオーヤマの社長に、お詫びをしておかないといけない。ちょうど、その建物を見たころ、かんぶりあ宮殿で、アイリスオーヤマの、特集をしていた。社長さんは、大阪の出身だそうだが、工場は東北に建設し雇用を創設したので、大変に喜ばれているそうだ。で、わたくしは、このブログのどこかで、アイリスオーヤマの社長の別荘ではないかと、書いた。断定はしていないが、憶測の一つとして、それを描いた。

 建設業者というほうが正しくて、復興予算に群がって、国家予算から、利益を生み出した、社長だと、思う。アイリスオーヤマの社長、また、社員の方々にもお詫びをしておきたい。そして、原文が見つかったら、直しておく。

 地元で、目立たないほうがいいと、言うのはその通りです。【おぎやはぎの愛車遍歴】に【たかのゆり】さんが出てきました。子供のころ、とても不幸だったので、お金持ちになった今は、ロールスロイスを、次から次へと、買い替えて、満足をしていると、発言をしたのです。すると社員から、デモを起こされて大反発をされたそうです。薄給で、重労働をさせていたからでしょう。で、高野百合さんは、それ以降は、マスコミには出なくなりました。会社の宣伝も、あまりしない様になりましたね。

 なりあがりもの、または、田舎者は、テレビに出るのを喜びます。だけど、「王様の、耳は、ろばの耳」と、思っている人は多いでしょうね。いったん、ほころびが、見つかると、ドドドっと叩かれます。

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副題6、『鎌倉市で、新しい家を建てる際には、たいてい発掘作業をしている。それも、普通の土地売買より、金額が高くなる、一原因だが、もう一つ、縛りがあった。売り出された土地が、高額になる理由が、あった。それは、最近知ったのだけれど、100坪以上の広い敷地を売り出す場合、ほかの地域の様に、30坪✖3区画という風な分割をしてはいけないそうだ。二年間は、大きな分割で、我慢をすることというもの。

 で、大きな分割だと、2億円近くなるので、建設業社が、いったん買うのだそうだ。そして、二年間、塩漬けにした後で、さらに、小さく分割して売るか。または、小さく分割して建売住宅を建てるそうです。環境の保全に役立つと考えられているのです。が、二年後は、かべを接する、住宅に変化します。ところで、小町二丁目って、大変良い地域なのです。それで、売り物件がほとんどありません。

 一方で、富沢夫人から、長らく空き家だった、親の家を売る話を聞きました。ご主人の姉妹が、銅版画をやっていて、版画をする道具であるプレスが置いてあったので、なかなか処分できなかったそうです。

 えっと、驚きました。そのとき、わたくしは、自分のプレスが、鎌倉の自宅へ運び上げるのは無理で、逗子のアトリエを作った話は、富沢夫人委はしませんでした。富沢家の、実家、元慶応大学の教授の家に、プレスが、有ったのなら、それを、一週間に、一回だけ借りるという形に持っていくことができたら、逗子のアトリエを作る必要はなかったのです。

 しかし、その話を立ち話として、聞いたときは、わたくしは、プレスも手放し、アトリエも、大家に返却した後だったし、富沢家は、すでに、売ったのだから、どうしようもないのでした。で、「ああ、そうお」と、言う感じで、聞き流していたのですが、その別荘を見に行ったとたんに、その別荘の、300坪だと、言う敷地の一部は、旧・富沢家であろうと、推察しました。不動産やに聞くとその通りでした。

 私がどうして、こういうことを知っているかというと、家の設計図を描くのが趣味だからです。ただ、北久里浜の敷地のように、正確な長方形の、土地は、鎌倉では、あまり売っていないので、敷地に合わせて設計をするのは、なかなか、難しい作業なのでした。しかし、難しい課題が、大好きです。富沢家の土地で、別荘の持ち主が買って、余った部分は、すでに、別の人に、売れているそうです。が、そこも、一時期は、売り物として、地面の図が、不動産やの、ファイルに載っていました。ただ、間口五間、奥行き11間という形で、残っているので、設計図を描くとすると、なかなか、難しい土地でした。でも、しばらくの間、遊ばせてもらい、楽しみました。

 今章は、下らない話だと、思う方もおありでしょう。でも、でも、現代日本社会が、抱えている大矛盾をいろいろ、多数項で、内包しているのですよ。

 特に問題なのが一億二千万人の、国民一人当たり、復興予算が、25万円だと、言うことです。私の子供世代の、男性に当てはめると、一人頭100万円を、東北で、ベンツを買い、豪華すぎる別荘を建てる人に、それが、回っているということです。

 「どうして、そんなバカげたことを自民党内閣が、するか?」というと、日本が、被・植民地国家だからです。そして、アメリカに住んでいる、ロックフェラー一族とか、レオスカラックス監督が、そこから出てきたデュポン家が、お金を集めていくわけです。日本人が働いて、本当は、自分のために使いたいお金が、税金、電気代、NHK視聴料などという形で、吸い上げられているわけです。

 そして、ICUで、ロックフェラー四世と、親しかった、石塚雅彦さんは、日本における、CIA代理人としてわたくしを苛め抜いています。古村浩三君、佐々木来目夫君、三輪喜久代さん、大前勇介さん、そして、それを高校にまで、敷衍して、坂本喜杏さん、宇都宮和代さん、中島加奈子さんなどに、いじめられています。中学など、成岡康司君が、たぶん現在日本の、CIAエージェントのトップだから、大変です。よい友人として、ずっと信頼していた、飯田隆君にもしたたかに、裏切られているし、朝日新聞社の重鎮の彼は、田原総一郎などを利用していますね。

 そして、美術界の、野見山暁次、秋山祐徳太子、栗田玲子、黒田悠子、金成悠子などなど、

 そして、鎌倉えーじぇんと、伊藤玄二郎、いまだ生きている、井上ひさし、松尾崇市長、

 そして、ご近所様、安野忠彦・智紗夫妻、前田清子さん、小野寺夫人、ミスター山田、など、など、ああ、わたくしは、彼らの攻撃により、子供にも孫にも会えないのです。私が接すると、彼らにも攻撃が及ぶからですし、彼らからの、ごく普通な、反抗の電話を録音して、それを糧にして、精神病院にご近所様から、強制入院をさせられそうだからです。

 一方で、私を弾圧するのに、2013年7月から、明瞭に、敵方の役に立っている平木さん一家は、ご長男が、「東大に入学できますよ」と、前年の、秋から、お知らせを受けています。

 私はそれ以外、友達は、去る様に、讒言が告げられるし、NHKニュースを使って、脅かされるし、パソコンとかテレビとか、スマホとか、ラジカセとか、洗濯機とか、ミシンとか、少しでも、ITチップが入っているものは、壊されるしで、

普通の人の、30倍の体力消耗と、金銭の消耗を迫られます。

 でもね、2016年9月から、猛然とした勢いで、敵方に協力する富沢家の、ご主人は、今、病室内でも、歩けないそうです。

 なんの病気かというと、放射線で、細胞の、内側から、壊される、核燃料被害に出会っているからです。

 そういう放射能被害を生み出す、ヒロシマ型原発と、同じ被害を、いざというときには、生み出す原発というものが、それがないと、動かない核燃料棒を、三菱重工の、一下請け工場として作り続けている、グローバル ニュークリア フュエル ジャパンの、ホワイトカラー指導者として、30代から、40代を過ごしているでしょう。

 自動化、が、最大程度に、進んでいる工場でしょうが、微量な放射線は、壁を通して、彼の体を壊しているのです。頭脳は明快だそうですが、ベッドから、降りて歩くことができないそうです。

 なんという、矛盾だろう。その人は、2016年、私を寝かせないという形で緩慢に暗殺していく方向で、動いた人なのですよ。

 雨宮舜 (本名 川崎千恵子)

 

 

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Global Nuclear Fuel Japan に勤務していたと私が推察しているご近所紳士=栄光→慶応→三菱重工=が、今重篤だと、奥様は言う△

2021-05-08 13:39:05 | 政治

   今は、3日目、11日(月)の午前2時40分です。ここで、28413文字だとgoo blog 側が言う下の文章に七行だけ赤字で加筆をします。。初日の、五倍にして、ここで、終了として、恒例の△印を総タイトル横につけておきます。

 尚、2日の朝、この一文のレジメを書きます。この一文での、私のいささか悔しい思いとは、総タイトルにあげているご近所様は、ミスター富沢という上級日本人ですが、その紳士に対して、もっとも、正しく理解できているのが、私であるはずなのに、その彼に、高枝切りという大轟音を立てられて、ほぼ、殺されそうになったと言う事です。ものすごい、裏切り行為です。ただね。彼が現在患っている、体の不調こそ、私がそれがあるからこそ、原発反対を発現し続けている・・・・・ウランを長期間扱った人間が患うものだからです。彼が、どういう経緯で、ウランの被害者になったかは、この山の21軒の住民には、ほとんど、わかっていないでしょう。

 わたくしの場合は、英語が自由自在であることも、役に立ったのです。カタカナで、グローバル ニュークリア フュエル ジャパンと、グーグルの地図が言う工場が、『核燃料の工場? あ、そうか?、核燃料棒を作っている工場ですね』と、即座に、判断をするからです。別に自慢をしているわけでもないし、普段英語の勉強は一切やっていないのですよ。でも、身についているから、そういう風に謎を解いていきます。

 特に、英語の直訳だと、核燃料工場と、なるわけですが、常に、原発について、情報を探り、研究を続けている私だから、「あ、核燃料棒の製造工場ですね」と、わかって来ることなのです。

 第五福竜丸の被害者たちは、戦いました。それから、東海村原子力事故で、亡くなった方々二人にも、東大医学部から、大いなる救いの手が伸びて、それが、テレビドキュメンタリーにもなりました。

 しかし、慶応の教授の子息である彼は、日本の上流社会の人だから、政治的な運動はしません。原発反対運動など、むろん致しません。だけど、犠牲者となっています。無論、慶応病院か、代々木の共産党病院(放射線被害者、特に広島原発の後遺症の研究に強いらしい)か、それとも、湘南鎌倉総合病院(徳洲会の現在の本部病院。雪ノ下二丁目からは、近い上に、最上階には、特別室があり、上流階級の人が入院しているらしい)か? ともかく最上級の医療保護を受けているであろう彼が、でも、薬や手術では抵抗できない、ウラン(放射線)被害によって、現在は苦しんでいるわけです。彼が、もし亡くなったと仮定して、三菱重工から、多額の弔慰金が出るかもしれません。だけど、お金で、人の命があがなえるだろうか? 

 私は、すべて、イメージでとらえるのが好きです。日本社会という洗濯機の中に放り込まれた一枚の落ち葉が彼であると見えてきます。私もまた、同じです。別の洗濯機に落ち込んだ一枚の落ち葉であり、きりきり舞いをさせられています。でもね。尋問科学的に、また、社会科学的に、この現代日本に起きてること・・・・・その、ありとあらゆることを、原因と結果の、因果関係を見通して、います。自覚もしっかりしています。で、非常に苦しめられながらも、発言を続けています。か細い声かもしれませんが、「真実は、こうなのですよ」と、発言を続けています。だから、胸に秘めているものの、誇りは、高いです。

 こういうセンテンスを書く私について、何をどういう風に研究しているか? また、なぜ、彼が、ウランから出る放射線被害の、犠牲者になっているかが、どうしてわかったかを、この文章の最終段階で、書いています。彼、および、彼の奥様、および、彼のお子様、または、お子様の友人、特にママ友が、何かを教えてくれたわけではありません。

 私は東大に勤めていたころ、上司から、「あんたは、本当に頭が良い。断片をまとめて統合していって、最終的には見事な知識(または、結論)に至る。現在(というのは、1960年代)の東大生は、あまりにも受験勉強がきついので、分析する能力は高いけれど、統合することは不得手なのだ。退職しなければ将来必ず、東大教授に成れる」と言われています。

 でも、その彼が、前田祝一・清子夫妻とか、安野忠彦・智紗夫妻ら、CIA側の人間たちの手下となって、高枝切りを、轟音を立てて、朝七時から、行い、前夜午前四時に寝入った、私を半殺しの目に合わせようとするなんて、なんという矛盾なのでしょうか? 

 こういうレジメを入れておくのは、本日ね。前田清子さんと、富沢夫人がとても仲良くお互いに、話し合いながら、山を上がってきたからです。別に、嫉妬しているわけではないのですよ。そうではなくて、二人の態度とは、CIAの謀略作戦への、一種の洗浄化に役立っているのですね。なんという矛盾なのだと、思います。

 私は、このブログで、いつも、65%ぐらいに抑えていると、言っていますね。でもね。あの二人の様子を見ているうちに、もっと、はっきりと突っ込みたくなりました。

 私は、2016年の、11月にはすでに、富沢氏が、ウランの放射線の犠牲者であることは、わかっていたのです。五年も前ですね。で、慈しみを持ってみているのに、引き続き、奥様とか、ご本人も前田夫妻や、安野夫妻に、利用されまくっています。そして、ちびり、ちびりと、イライラさせ続けています。それって、大・大・大矛盾です。

 尚、「なぜ、富沢氏の、若い時代の、任務が分かったか?」の、謎解きは、副題10に書いてあります。

 むろん、途中もお読みいただきたいところですが?!?!?

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副題1、『21-5-7日(金)には、夜7時ごろ既に、疲労困憊していて、お風呂に入らなかったので、8日(土)朝ぶろに入っていた。すると二階から、懐かしい音楽が聞こえてくる。養老先生のネコメンタリーだと推察した。お風呂のドアを開けて、丁寧に聞いていると、ナレーションがない。それで、きっと、第一回目の放映作品でしょうと、思い当たる』

 ごく最近、養老先生を総タイトルのトップに入れたブログを書いています。それを読んで、私が、養老先生を批判をしていると、誤解をした読者がいる可能性が高いし、そこに出てきた養老先生と、鎌倉エージェント(特に伊藤玄二郎と、いまだ、生きている井上ひさし)との結びつきは本物なので、だからこそ、それを、消し去るために、再放送をしていますね。特に第一回目のをと、感じました。

 ここに、その番組について、昔書いたものを、コピペしておいておきました。が、二日目に至って、後半に字数が必要になってきたので、その部分を削除いたします。後注1の、副題4を読んでいただけますと、それは、再現できます。

  ここを推敲中にまた新しいものを次の章として書き始めてしまいました。しかし、これもヘビー、そちらもヘヴィーなので、今、それは、いったん引っ込めて、力をためて、書き始めましょう。ちょっと、お待ちくださいませ。

 なお、なぜ、養老先生のネコメンタリーで、この一文を始めたかというと、理由は、金曜日の午後、リスを捕まえて、鎌倉市に提供し、殺処分に回した、人間が、この山にいることを発見したからです。今、春で、赤ちゃんを育てている最中の母リスだったら、・・・・・なんと残酷なことをする夫婦なのだろう・・・・・・と、ただ、ただ、驚愕をしました。渡辺賢司・ミカ(?)夫妻です。

 その残酷さに比例するものとして、養老先生の生き方を提示したいと、思ったのです。

 しかし、後半に大きな字数を割きたくなったので、最初に置いてあった一文は、削除をいたします。

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副題2、『私は、一人っ子で在った時期(=五歳ぐらい)に、母が襟もとへ、子猫を入れて帰ってきてくれた日以来、79歳の今まで、四匹+3匹の猫と付き合ってきています。四匹とは、実家で、25歳までに、飼った猫が二匹であり、三匹とは、向こうから、飼ってちょうだいと、近づいてきたのに、東横線日吉駅の駅員が、「紙袋へ入れているだけではだめですよ」と、言うものだから、鎌倉へ持って帰れなかったとか、それと似たような状況で、飼えなかった二匹で、後の二匹は、結婚後に、飼った、長寿猫二匹(一匹目のちびちゃんは、19歳で死んだ。二匹目のさびちゃんは、17歳で死んだ)を指します。

 さびちゃんの方は、雑種です。普通なら殺処分をされてしまうところ、親切な、動物病院で、生命を、永らえて、きちんと、生まれる様に手配をしてもらっています。ただし、我が家にもらって来るまでは、動物病院の待合室に置いてあった、大きなケージの中で、育っていたのです。で、普通の飼い猫と違って、広いスペースで、遊べず、来訪したお客さんにかまってもらうしか、遊びが、ほかに無かったので、人間が大好きです。常に、人間の方を向いています。

 で、これほど、ちゃんとした会話ができる猫は、初めてだったし、その会話の内容もものすごく深いので、一家中で大切にしている猫でした。しかし、きわめてまれな、才覚を持っているからこそ、猫好きな石川和子さんが、気に入り、(いえ、気に入りすぎてしまって)、

 警察を巻き込む大騒動を起こしたのです。石川和子・柳沢昇夫妻は、自分の方が私の猫を、泥棒している方なのに、警察官を家来として使役ができるのです.どうして、そういう事をできるかというと、伊藤玄二郎の愛人だからです。50を過ぎていたし、現実に、夫がいるから、肉体関係は、もう、ないでしょう。しかし、CIAエージェントとして大特権を持っている伊藤玄二郎には、かのじょいわく、「良くしてもらっている」そうで、

 鎌倉市に、・・・・・中央図書館の隣に、大船に既に存在している老人施設を廃棄してもらって、何十億円をかけて、また、新たに作ってもらって、そこに、自分用の陶芸教室を、かるちゅーあセンターの一つとして、作ってもらうほどでした。

248-0012 神奈川県鎌倉市御成町2021

「鎌倉市福祉センター」

それほどの、ごひいきを受けているので、特権者・意識・が、格別に、強いのです。警察官など・顎で、使えると、思い込んでいるのです。

 その建物は、20億円から30億円はかかっているでしょう。もしかすると、それ以上かもしれない。その上、図書館の拡大ができなくなりました。文化都市を誇る鎌倉市ですが、図書館は、本当にみじめです。一方で、伊藤玄二郎の愛人だと、自分のお金を一銭も出さずに、立派な陶芸教室を開いてもらえます。しかも、鎌倉市が経営している設備内に、作ってもらえるのですから、自動的に、権威もつきます。石川和子という人間は、そういう人間なのです。その夫もまたどうしようもないです。どうして彼がどうしようもないかは、また、別のところでまとめますが・・・・・・

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題4、『お金の件だが、上の設備を作った時期は、20年は前に計画をされていたことだろうと、思う。神奈川県立美術館の葉山への移転と並行的に計画をされたころで、伊藤玄二郎達は、この世の春を満喫していた。で、受動喫煙防止条例が神奈川県で、成立したのも同時期だっただろうと思っている。

 しかし、それから、15年後、私も力をつけてきている。誹謗中傷問題で、三人の犠牲者を自殺という名目で他殺をしたうえで、それを、利用して、日本国民を洗脳していき、新しい法律を作って、このブログも閉鎖されそうだが、一方で、私の方も力の限りを振り絞っている。で、真実を、特急で曝し始めている。特に、別の人間が、それをやったという、誤解を受けることを恐れて最悪の真実でも、実名で、当事者を、書き表している。

 最近では、この4月11の夜から書き始めているご近所人間、平木家が、まだ、日本全体には、公開をされていない、推薦入学の仕組みを利用して東大へご長男を入学させたことを書いている件など、最高にして、最大の真実だ。なぜ、平木家に、そういう余得が入るかというと、私の平木夫人に対する子育て上の、評価が、高いので、したがって、平木一家については、そこまでの、真実は書くまいと、みなされており、2013年以来激しく使われてきている一家だ。最近ご主人が居丈高になっているし、特に、2020年4月15日に判明した、件など、ひどすぎる。したがって、ぐんぐん、真実を書いているので、それで、敵さん方の防衛用対応も、大きくなって、なんと、千葉県(最初NHKは、確かに千葉県といったのだが、最終的には、栃木県が、公費で、負担をしたと、オンラインでは、言っている)の公費を使って、こちら、雪の下のご近所様の不始末の数々を、隠ぺいしていこうとされた。それが、豚熱で、3万7千頭が、殺処分をされ、その費用として、24億円が、支払われたと、いうNHKニュース(後注2)だ。そちらでは、栃木県が、公費を支払っている。

 しかし、この豚熱だが、ブルーカラーとしてのCIA要員がばらまいているので、豚が発症すると、私は考えているが、これは、誰も証明してくれなくても、正しいと思っている。で、鎌倉雪の下二丁目のご近所様が行う種々の、一般人から見たら、・・・・それって、いけないでしょう・・・・・と、言うこのブログ内で出てきている事実の羅列・・・・・を隠ぺいするために、私を脅かす必要があって、脅かした結果、うつ病になる可能性を、信じていて、精神病院へ収容して、薬で、殺そうと考えているのが、伊藤玄二郎と、井上ひさし(まだ生きていますよ)で、代表される、鎌倉エージェントであり、

 彼らが、警察庁長官も支配下に置いているし、国会での、菅内閣以下、与党も野党も支配下に置いているし、テレビも支配下に置いているし、文化界も支配下に置いているしで、なんでもできると、考えているわけです。

 「鎌倉市の老人施設を作ってから、大船のそれを、廃棄して売り払ったとしたら、五億から、10億円が鎌倉市に入るから、差し引き、15億円ぐらいの出費ですよ。それなら、鎌倉市の予算で、十分にできますよね」と、市長に迫るわけです。伊藤玄二郎としては、市長を動かすのなど、おちょこさいさいだというわけです。

 もし、竹内力氏が、市長だった時期に、この件が成立したのだったら、癒着も甚だしいです。我が家から、30m西側に、今はビエンビーのkamakura cottageと称する、旧・石井羊一邸・があります。そこには、名義人竹内啓貴という人物が、住んでいることになっていました。が、嘘ばっかりで、実際には、警察の梁山泊となっています。で、私のパソコンに破壊工作を続ける中継基地が、そこに置かれているでしょう。高性能のルーターです。最近全館、電気を煌々とつけていて、あたかもお客が来ているみたいに設定していますが、門には相変わらず、自転車用のチェーンカギががっしりと張ってあって、中には入れませんし。でも名義人、竹内啓貴は、竹内力氏の、親戚でしょう。NHK記者の筈です。

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副題5、『伊藤玄二郎は、なぜ、CIAエージェントに成ることが、できたのか? また、いつ、リクルートをされたのか?』

 私は、1965年ICU在学中に、ベイカーさんというアメリカ人の・・・・エール大学からの交換留学生(金髪碧眼で、美貌の青年、ただ、惜しむらくは背が低い。そこにアメリカ人としては、劣等感があるので、CIA要員になったのかな?)が・・・「僕は三鷹警察署の所長と親しいので」、と言ったので、目を丸くしたのです。すると、・・・・それだけで、自分が、CIAのスパイであることがばれてしまった・・・・・と、考えた彼は、ICUキャンパス内の、夜道で、後ろから、首を絞めて、私を殺そうとしました。

 それもあるし、戦後最大の、CIA日本人エージェント瀬島龍三が、旧帝国軍隊時代の、参謀仲間である、元海軍参謀・益山重夫の、資産を増やすために、横須賀市の水道山を、ただで、私有化していった一件についても、私が、その実質的詐欺事件の一大道具である、地積変更届の書類をもらっているので(それは、地境地主だからですが)悪の全貌を知ってしまいました。

 その瀬島龍三か、または、ベイカーさんが、ICUに、大きくのさばっていますので、ICUの川名昭宣(私と同期卒業、池内紀、須賀敦子、群ようこなど、大物にして、人気のある文化人と、仕事上、もしくは、個人的交流を結んでいる、河出書房新社の編集員、‥…大物だけど、だから、こそ、wikipedia が立っていない)などを通じて、伊藤玄二郎を、CIAエージェントとして、組み入れたと、見ています。

 伊藤玄二郎は、倒産する前の、河出書房に入っていて、それは、川名君が、フランス留学から、帰国して同社に、入社した、時期と同じかもしれないのです。一方で、伊藤玄二郎は、東京の春秋社の社長に心髄していて、その名前の一部をもらいました。かまくら春秋社と、名付けています。その春秋社に、湊宏・研で、私と同期だった(たった三人が、1966年卒業です)三輪喜久代さんが、入社しています。化学専攻なのに、人文系の出版社である、春秋社に、入社しています。私は不思議なことだなあとは、思っていました。が、たぶん、親戚コネで入社したのだろうと、考えておりました。しかし、ベイカーさんが、私を殺すことに失敗したころ、三輪喜久代さんが、春秋社に、入社し、伊藤玄二郎を、やがて、CIAエージェントとしてリクルートをしたのかもしれないのです。

 そうなると、この頃の彼らの動きって、相当にひねってあって頭がいいですね。(苦笑)

 三輪喜久代さんというのは、一般の日本人には、一切知られていません。しかし、日本化学会の会員資格と、ロンドンで、長年にわたって、CIA要員として活動をしてきた経歴を駆使して、雑誌【NATURE】に、小保方晴子さんの、偽・学術論文をねじ込んだのです。で、小保方さんというのは、私をからかうために、10年ぐらい前、早稲田に入学したころ、またはその前から、リクルートをされて、私を弾圧する道具として、養われてきた女性です。父親が、三菱商事だそうです。三菱商事には、早稲田卒の、人間が何人も入っているから、そのあたりが、使われたと、推察しています。

 この三輪喜久代さんと、川名君が伊藤玄二郎をCIAに誘い込んで、準備をしたのです。特に彼の愛人である、石川和子さんを、この山に送り込んだうえで、私に引っ越してくる様に導入しました。

 ただし、伊藤玄二郎が、いつCIAにリクルートをされたかですが、それが不明です。1978年の北久里浜の、地積変更届の後から、と、考えるのが、ベストだと、思うのです。が、三輪喜久代と、川名昭宣が動いた時期や、そのラインから考えると、もっと昔だったかもしれません。

 しかし、伊藤玄二郎は、1984年以降は、私を弾圧する役目を与えられて、抜群の出世と、お金儲けができる様になるのでした。そして、井上ひさしは、その後、引っ越してきますよね。でも、井上ひさしの佐助の家ですが、30年前には、土地は手当てされ、引っ越してくることがわかっていたでしょう。お子さんのお名前が、なんと、佐助をもじって、佐介です。で、メルマガとか、ブログを始める前から、私の、状況は、彼の、耳にも入っていたと、考えています。

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副題6、『ここで、石川和子さんに戻ります。彼女が私の猫に執着したために、彼女自身が、一種の破滅をしました。でも、その三年前の2005年7月26日、警官を呼んで、警官の力で、自分が、急に悟らざるを得なかった、恐ろしい真実を挽回しようとしました。

 真実とは、====川崎千恵子の猫のさびちゃんに、自分(=石川和子)は、愛されていない=====ですが、それに気が付いたとたんに、恥ずかしさの、みぎりだったでしょう。それ以前は、自分が、川崎千恵子より上の人間だと、周囲に吹聴をしていて、そのよすがの一つとして、さびちゃんが、あの家に遊びに行くことを使っていたからです。

 が、そのどうしようもない、恥ずかしさを挽回するために、警官を呼んで、私をやっつけて、それで、意趣返しをしようとたくらんだのです。しかし、それこそが、自らが死ななけばならないという極めてひどい墓穴を掘ったのです。彼女は、この件の三年後、病院内で、点滴に異液を入れられて殺された・・・・・と、私は、みています。

 しかし、彼女が殺されても、警察としては、自分たちが、つけてしまった汚点は、すすがれないので、今度は、私を殺そうとしていて、私は警察に尾行をされたり、スーパー東急を利用して店員、【Msくりはら】から、種々様々な嫌がらせを受けたり、スーパー【元街ユニオンを利用して好みの食品(ミロ、大麦ラテなどが買えなくなった)を撤去するとか、東急内の、テナント【鎌倉ハム・富岡商会】から、一時的に、豚の角煮を撤去するとか、三階から、資生堂製の、特に私が連続して買っていた種類のシャンプーを、会社として製造中止にするとか、(それは、合いかぎを持っている四種類の泥棒がお風呂場で、さがせばわかることですね)

 美容院を三度変えないといけない様な、讒言を、美容院側に、つげ口されるとか、

 横浜銀行の鎌倉支店長を篭絡して、金庫室にあれこれ、異常な仕掛けを盛り込んでおく・・・・・とか、通帳とかカードが突然使えない様にされたり、しかもそれを、即座に直すことを窓口が拒否したり、

 みずほ銀行・鎌倉支店長を抱き込んで、2021年1月18日に、困難の極みを味わわさせられるとか(後注3)

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副題7、『1984年に引っ越してきたとき、この山で、表向き、一番大きな顔をしていたのは、石川和子さんだった』

 ある日、石川和子さんが、私に面と向かって、「弟子が200人いるから」と言いました。かまくら春秋窯のホーム頁を見ると、ひと月、月謝が、一万円ですから、月収200万円という形です。現代日本って、お金が第一の世の中ですから、私が引っ越してきた当時は、石川和子さんが、第一のボスでした。勝気極まりない安野智紗夫人も、まず石川和子さんと親友になって、彼女とのペアを組むことで、この山で、地歩を築いていったと、見ています。特に当時は、前田清子さんには、國學院大學の講師という仕事があったし、花輪夫人には都庁勤務というフルタイムの仕事があったし、井上夫人(岸田淳平氏の奥様)には、PTA活動という任務があったので、安野夫人とペアを組む余裕はなかったからです。大原光孝夫人の恵美子さんには、外でですが、フランス語を教えるという仕事がありました。

 で、今ほど、がっちりと、前田・安野・小野寺連合軍は、できていなかったのです。毎日午後に、安野家の前の道路で、井戸端会議が開かれて、音としては、非常にうるさい場所であって、それで、私の花畑が盗まれ、崖が無断で崩される事態に至ったのですが、それでも、まだ、精神的には、現在ほどの、集中的・上下関係はなかったのです。みんな、ばらばらの内心を持っていたでしょう。

 それは、一つには、石川和子さんの、ある意味での、大物ぶりに由縁します。彼女はよく言えば、応用で、悪くい言えば、鈍感です。一方、安野夫人の方には、そういうものはありません。私は引っ越してきてからすぐ、安野夫人が略奪婚の人であり、誰に対しても勝ちたいという強い欲望を持っている人であることには、気が付きました。目に見える範囲で勝ちたいわけです。

 で、それにかなう手法をいろいろ、駆使するわけですが、その一つが、まず、親友を作り、がっちりとペアを組むという形です。安野夫人は、その相手を石川和子さんに決めました。

 それのもっとも、顕著に表れたエピソードが、石川和子さんが、安野家の玄関前で、そこをちょうど通った私に聞こえる様な声で、「国立大学の付属高校ご入学おめでとうございます」と言っていた声を聴いた時です。

 驚きました。安野家の次男は、通信簿に1と、2しかないと、言う形で、有名なお坊ちゃまでした。おいちに、おいちにのあひるさんと、呼ばれていました。こういう書き方をすると、皆様は、私の方が悪い人間だと、お思いになるでしょう。しかし、私の方にどれほどの被害が積もっていたかを語れば、・・・・・・それは、確かに気の毒だし、そういうことをしている人間(=安野家や石川和子さん)とは、ひどい奴らだとお思いになるはずです。

 ただね。ここでは、私の被害の方は語らないで、石川和子さんの特徴を語るにとどめます。つまり、このセリフは、お茶大付属高校出身の私をからかうためのセリフであって、安野家の次男が、入学した高校とは、筑波大付属(二校)でも、学芸大学付属でもないし、東大付属(高校では、ほとんど編入生をとらない)でもないです。一種のだましであって,坊やは、大学に進学しませんでした。一般的なイメージでいうと、国立大学の付属高校なら当然のごとく、大学へ進学するものです。

 でも大学には、進学しないタイプの学校だったのです。一種の職業訓練学校です。税金で、運営をされていて学費をとりません。だから、国立とは、言えます。でも、大学を出ないでも、国家公務員になり、高給をとっている男性となりました。生涯給与、一億五千万円以上でしょう。もしかすると三億円かな?

 大変な優遇策です。したがって、平木家の、東大ご推薦入学(前年の秋には、すでに、お知らせがあった模様だ)も楽々できる、それほどの、特権を駆使できる伊藤玄二郎たちなのでした。

 上のエピソードで、「おめでとうございます」と言っていたのは石川和子さんの方で、彼女は、安野夫人の方を見ないで、道路を通る、私の方を見ていました。でね、伊藤玄二郎・鎌倉春秋社社長に頼まれて、こういう作業をしているのだと、わかりました。

 でね、一方で、彼女が、伊藤玄二郎の愛人であろうと言う事は、平沼高校の関係者から、聞いていて、陸上部の部活の後輩が、石川和子さんであろうと、推察していました。伊藤玄二郎は、結婚の約束程度の、ちぎりは、彼女との間に、締結済だったでしょうが、何らかの原因(多分・里見頓氏側からの、お見合いのおすすめなどで)石川和子さんは、・・捨てられた女・・となったわけです。

 が、伊藤玄二郎の特徴というのは、・面倒見・が・いい・というところでしょう。で、石川和子さんは、陶芸教室の、名義を彼からもらいました。面倒見というのは、金銭的援助もあるわけで、そのお金は、どこかから持ってくる(主に鎌倉市からだが)わけで、石川和子さんにも、絶対に不満を言わせないほどの、面倒見の良さがあるわけです。

 ガスか、電気かは知りませんが、大きな窯を二つ持っています。で、高さ60cmぐらいの、大きなツボを焼くことができます。でもね、鎌倉春秋窯という名前をもらって、そして、鎌倉市へ売り込んでもらって、展覧会も市の施設を使って、行うという形で、大物化してもらっていたので、満足していたのか、伊藤玄二郎との間には、もめ事を起こさないみたいですね。我慢強いというのか鈍感だというのか、それとも大物だというのか? ともかく、安野夫人よりは、性格がいいとは、感じていました。でも、安野家の門前で、『それは、普通の場合は、国立大学の付属とは、言いませんよ。お互いに連携はないし』7という学校について、誇大に、立派に見せる、一種のウソをついているわけで、

 伊藤玄二郎にとっての、【くのいち(女・忍者)】であることは確かです。200人からの弟子がいるというのは、やめていった人も含めての延べ人数だと、思います。そして、月収はせいぜい、100万円以内だったとみています。でも、100人でも、深沢支所と、老人福祉センターの、鎌倉市の公設の施設の二か所で、お教室を持っていて、その弟子たちに、自分の、雪の下二丁目に来る様に勧めるわけでしょう?

 自分の家の方が、時間が、自由です。弟子の滞在時間が、自由に設定できるし、来る時間も帰る時間も、自由になるので、先生と弟子の両方にとって便利で、都合がよいのです。

 でも猫を迎えに行った感じでは、木曜日にも土曜日にも総勢、10人程度のお弟子さんでしたけれど。だから、総勢200人ン弟子がいると、言うのは、長年の延べ人数だったと、思いますよ。

 そして、彼らお客さんたちが交わしている噂話を、聞きかじって、伊藤玄二郎に上奏をしていたと、感じます。伊藤玄二郎は、それらを大いに利用したでしょう。かれが、かまくら春秋社を、開いたのは、1968年だと、推察していますが、それ以来2008年まで、40年以上の長きにわたって、鎌倉市内の、特別な人士が、だれであるか、誰が目立つ人か、有名人の、身近な人からの評判如何・・・・・などを、把握していたと、思われます。お互いに持ちつ持たれつの間柄だったと、思います。

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副題8、『ただね、1と、2しかないと、言う坊やを国立大学の付属高校入学させることができる伊藤玄二郎ですから、平木家のご長男を前年の、秋のうちに・・・・来春には、現役で、東大へ入学できますよ・・・・と、確約することなど、簡単なのでしょう。で、ここで、それについて、書いてきたことをまとめておきたいです(後注4)』

 実は四月の11日にわかったのですが、時制的には逆順に置いておきます。後になるほど、はっきりと、かつしっかりと、書けるからです。ところで、これほどのことを書いても、平木家では、事もなしというか、「全然気にしてはいませんよ。ただし、あなたを攻撃しますよ」と、言う感じです。透明なガラス窓が入っている二階の、天井灯をオレンジ色にして、常に煌々と点灯しているというのは、シャルりーえぶど事件以来、前田家で、ずっと続いている攻撃手法ですが、それと全く同じです。と言う事は、この山の最近のボスである前田家に忠誠を誓っているわけで、内心は、以下の様に思っていることでしょう。

 私たちはね。この山の中心のグループと、お仲間だから、孤立している、あんた(=私の事)なんか、わたくしどもから見れば、虫けらのごときものですよ。前田家の後ろには、警察もついているし、いまだ生きている、重要な人物で、CIAの謀略の立案者でもある井上ひさしもついているし、集団訴訟を支配する共産党もついているし、鎌倉市もついているのですから、あんたなんか、そのうち、精神病院へ、強制入院をさせることができるので、何を書かれたって平気なのですよ。精神病院では、あんたも言っている通り、薬で、廃人にしていくことができるわけですからね。そして、あんたも言っている通り、その後殺していくわけですから」と。

 ここまで、いろいろ書けるのは、10日の午後、五時ごろあの家をたずねて、平木夫人と、3分ぐらい会話を交わしているのですが、その際に、初めて感じたことは驚くほど、ふてぶてしい人だったと、言う事です。驚き入っちゃいました。清楚な和風美女なので、しとやかでつつましい人だと、推察していたのに、全然違いました。

 以前、鶴岡八幡宮からもらったお祓いさんが入っているきれいな白い袋(鶴岡八幡宮のお名前が入っているもの)をゴミ袋(紙専用)として出していて、それが、雨に濡れて切れているので、私が、うちへもって帰って、ひもで縛って、改めて出しておいたと、語っていますが、鶴岡八幡宮のお祓いさんと、言う神聖なものが入っていた袋をゴミ袋に使う神経が、政治的なものではなくて、地だったのだと分かったほどです。

 さて、ここで、なぜ、十日に平木夫人を訪ねたかを語らないといけません。しかし、それを語る途中で、富沢家に入っていってしまいました。平木夫人をなぜ、十日に訪ねたかは、後日別の章で、丁寧に、語ります。

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副題9、『関本家が高枝切りをする。しかし、鎌倉市側の担当吏員は、関本夫人が申し込みに来た日を知らなかった。これは、富沢家の高枝切りの時と全く同じである。で、ここで、富沢家の高枝切りについて書いたもののリンク先を示さないといけなくなった』

 最近、二か月以内のことです。富沢夫人が、ご主人が入院中だと、言う話をしました。富沢夫人というのは、昔は、育ちの良い人だと、言って、好意を持っていたのですが、平木家と同じく、それを逆手にとって、彼ら、前田家と、安野家の・・つかいっぱしり・・として、利用されることとなりました。

 まず、西隣の遠藤家のお嬢様が妙本寺のお坊さんと、結婚をしたという話を私に聞かせるとか、種々の前哨戦があって、それらについて、何も書かないので、敵さんはすっかり、大丈夫と思って、恐ろしいことを富沢家に命令をしたのです。

 つまり、午前四時に寝た日に、朝の七時から轟音を立てて、眠らせない・・・・・つまり、緩慢なる殺人事件へもっていくという一助を担ったのでした。高枝切り専門の、植木屋が11人が来て、11本もの大木を切って帰ったのです。しかも、もちろん、ただでですよ。鎌倉市の公金で、全額処理しています。もし、情報開示を求めればわかる話ですが、どうせ嘘を開示するでしょうから、求めていません。

 でもね。そのリンク先を示さないとだめだと、考えて居ながらも、最近、ずっと、それを、やっていないのは、富沢夫人によると、ミスター富沢が、歩けないほどの、重篤な段階だと、言うからです。

 ここで、二日目に重要な、挿入を入れます。もし、ミスター富沢が、横須賀市平作にある、核燃料棒製造工場に勤務した過去がなかったら、以下の青字の部分の様にかんがえるはずです。

 ・・・・・・ああら、それって、典型的な例の三例目ですね。神様の、ご采配として、この山の主流派グループ、(=前田清子さん、安野智紗さん、小野寺夫人の、結託グループ)の、言う事を聞くと死ぬのです。特にあなたが、善人だと、そうなります。悪人だったら、ぴんぴんしていますが、善人だったら、死ぬのです。この山の支配層グループより、さらに上の位置にいる伊藤玄二郎に、大きく使役をされた瓜南直子さんも、その典型例ですが、ミスター富沢も、それと、同じケースになるのかしら?・・・・・と。

 しかし、ミスター富沢については、それほど、つき放せないところがありました。

 私は原発反対論者です。ミスター富沢って、東電の清水社長と、似た経歴なのです。神奈川県屈指の名門私立中高一貫校、栄光学園の出身で、その後慶応大学へ進学しています。清水社長は、東大だった? ともかく栄光出身というだけで、カラーが、決まるのです。

 しかも、清水社長は、コスト・カッターとして、例の3.11の大メルトダウンの、責任があるのに、いまだ、所在が知れません。隠されています。精神を病んでいるのだろうと、なんとなく、一般の日本人は考えていると思いますが、単純に海外へ逃がされていると、推察しています。彼には、正の方向でも、負の方向でも、発言する能力がないからです。高い偏差値を、高校時代に示して、入社後も、上が望むように動く能力はある。しかし、本当の意味での人間ができていない、そういう人種なのだと思いますよ。

 上でいう正の方向での発言とは、「やはり、原発というのは、無理な工業的システムでした。日本には導入すべきではなかったのです」という発言ですし、

 負の方向というのは、いろいろな人がそれを未だに発言している様に、「やはり、原発は必要だ。それについて、あこれこれ、あれこれ・・・・・」と、ごちゃごちゃして、一般人はとても理解できない言葉を羅列することです。

 清水社長は、どちらもできないとみなされていて、海外逃亡を、周りから設定されたと、見ています。まあ、ずるい人です。でも、そうしないと、日本人が、原発の真実に目覚めてしまうので、秘匿されました。

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副題10、「ミスター富沢とは、日本の原発・行政が始まった最初期からの、従事者であって、核物質被害を受けている人である。したがって、入院と聞くと、私は筆先が鈍るのだ。東電の清水社長とは、その点で、真っ反対ではある。いわゆる犠牲者の一人なのだから。もう、歩けないと聞くと、本当に筆先が鈍る。もし、富沢夫人が大げさに、症状を盛り上げていて、いっしゅの嘘をついているとわかると、私は後で、大きく怒らないといけないが、「どこの病院に、入院しているのか?」を、今、問うのもはばかられるので、高枝切りのリンク先が、なかなか、示しえないでいるところなのだ。しかし、こちらの不利が続く限り、その遠慮も取り去る、気でいるが?』

 ミスター富沢は、東電の社員ではなくて、三菱重工勤務だったとみています。私が、引っ越してきてからは、三菱自動車勤務だと、聞いていますが、彼が新卒で、就業したころには、三菱自動社という会社は、まだ、存在していなかったと、思います。

 彼は、障碍者手帳、一級を持っていると、わざと、私に誇示したことがあります。バスに乗るときに、声を上げて運転手にも、それを言っていました。彼は、もちろん車の運転ができるはずです。だが、我が家も同じですが、この山に住むと駐車場がないので、車を手放します。そして、バスを利用します。何度も同じバスに乗っていますが、彼が大きな声で、自分は「障碍者手帳一級を持っている」と、言ったのは、それが初めてで、たぶん、私が、

 横須賀市平作にある、・・・・・・グローバル・ニュークリアー・フュエル・ジャパンの立ち上げに、携わったはずだ・・・・・と、書いたからでしょう。それ以降の話だと、思いますよ。で、新卒時、三菱重工に勤務した彼は、日本の原発の最初期の、始動部分に立ち会っているのです。つまり核燃料というのは、岩石、もしくは、砂の形で、船で、日本に輸入されます。それを直径一cmの、ジルコニウム管(長さは、20m)に詰めて、それを、10×10=100本を、四組み合わせて、一本の柱状にしたものを、一本の核燃料棒というのです。ですから、核燃料棒というのは、ジルコニウムの段階では、円柱ですが、核燃料棒としてまとまってしまうと、直方体となります。私が、写真を見た感じでは、30㎝×30cm × 2000cmです。

 これは、菅直人首相の時代に、3.11が起きて、かつ、言論沸騰の自由があったから、わかったことでした。莫大な、資料が、事、原発に関して、インターネットという形で、世の中に、出てきたのです。私は富沢氏から、平作にある工場のことを聞いたわけではなくて、2011年の、3月11日以降、世間に、噴出した、各種の資料を集めて、自分一人で、そう、判断をしたのでした。だけど、間違っていないでしょう。

 原発の内部構造も、核燃料棒の、実際の図面も、その時期に把握をしたものです。ジルコニウムでないと、なぜだめなのか、ガラスなどではだめな理由も、その時に学習をしました。今は忘れていますが、そのころのブログを振り返れば、書いてあるはずです。

 そして、アメリカに主に居住しているロックフェラー四世家などの、核物質供給者が、如何に大金を儲けているかをも、理解したのでした。だって、鉱山から、掘り出すという形は、工作機械の投資だけで、済む事業です。原材料に対して、金銭を支払う、必要はないでしょう。無論、日本の様に、所有者がはっきりしている山林を、掘り返すのだったら、山林所有者に、金銭を支払う必要があると、思いますが、広大な、面積を誇るアメリカには、所有者のはっきりしてない、土地など、いっぱいあるはずですし。

 一方の日本人ですが、なんと哀れな国民でしょう。核燃料棒と、言う小難しい工業生産物を作っているのは、日本人です。原発というシステムにおいて、もっとも、作業的に難しいのは、核燃料棒を、作る過程だと、思います。そして、日本で生産された核燃料棒は、ほかの国へ輸出をされているはずです。アジア各国は無論のこと、もしかすると、欧米にも輸出しているのかもしれません。ちょっけい・いちcm長さ、20mのジルコニウム管を製作する生産工程なんて、どんなに割れやすいでしょうかね。そして、その細くて、長い長い管の中に、岩石から、砂礫と化した、ウランをどういう風に入れ込むのでしょうか?

 ミスター富沢は、優秀な人です。だから、一般の日本人よりは正しい知識を核物質に関して持っているはずで、放射線が、どういう風に人体を破壊するかもわかっているはずです。・・・・・ちなみに、私にも、それが、わかっているはずで、それについて、このブログで、書き始めました。除染など無駄だとか書いた後で、そちらへテーマを、移動しました。した、とたんに、小沢一郎と、谷垣禎一氏の締結による、菅直人首相の不信任案提出という事態に直面して、政治的な論文へ入らざるを得なくなり、科学的解説ができなくなってしまったのです。

 しかし、もしかすると富沢氏は、ほかの数多い、東電社員などと、同じく、原発を理想の、未来産業だと、信じて、平作の新しい事業、global nuclear fuel japan の立ち上げに、従事したのかしら。

 しかし、順調に核燃料棒を、生産できるまでには、試行錯誤はあったはずで、そのあたりで、ミスター富沢は、ウランに接っせざるを得なかったと、推察しています。

 まあ、私が、こういうことをまとめ得たのは、2011年の3.11以降、

 「日本で、核燃料棒を作っている工場が六か所あるが、秘密にされている」と、知って、ネットで、針がさしてあった、小さな地図を別紙に写し取り、拡大して、拡大して、一つは横須賀市にあることを知り、そのあとは、横須賀市における工場地帯の、地図を拡大したのです。

 すると、なんと見事に、ニュークレア フュエル(核燃料)という名前の付いた、工場が平作という低地にあったのでした。ニュークレアなんて、秘密にもしないという堂々たる、命名です。

  ああ、もう一つありました。2011年出てきた大量の情報の中に、日本で核燃料棒を作っている会社として、三菱重工が挙げられていたからです。横須賀市平作の、あのカタカナ名の工場も、実際は、三菱重工が、資本を投下して、作ったものでしょう。米軍横須賀基地に、ウラン岩石が、入港して、その後、トラックで、平作に運ばれるのだと、推察しています。立派な国道があるのもそのおかげでしょう。そして、高速・横浜横須賀・道路も、この近辺で、終点となっています。というのもできた核燃料棒を、日本国内に運搬しエチカナイトいけません。だから、立派な道路が、必要だったのです。

 もう一つ、重要な判断材料があります。ミスター富沢は、小野寺夫人を相手に、「自分は体調が悪いのです」と、私が見ることのできる場所で、聞こえる程度の声量で、話していたことも勘案しています。

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副題11、『私は、ふと想像することがある。天国へ行った後の交流なのだが、天国が、尾瀬ヶ原みたいな、平和で、静かな、平たん地だと、仮定しよう。池塘でもいい。すると、そこには木道がある。私がひとりで、その木道を南から歩いていくと、北側から、一人の男性が歩いてくる。ほかに人間は誰もいなくて、かつ見通しがきく一帯なので、20m程度に近づくと、それが、富沢氏であることがわかる。私は、このブログで書いていることは何も恥だと、も、罪だとも思わないので、緩やかに、ほほえみを浮かべて、ゆっくりと歩を進める。

 10mぐらいに近づいたところで富沢氏が、「結局、あの山で、一番、僕を理解してくれていたのは貴方だったのですね」という。私は、言いたいことは山ほどあるが、何も言わず、ただ微笑んで、すれ違う。それで、お互いが、行きたい場所へ向かって歩く。

 その時に、私の方は、本当は、聞きたい。「あなたが、バスの中で、私からの挨拶を、犬を追い払う様に拒否したのは、どうしてですか? 誰が何を言ったから、ああいう態度をおとりになったのですか?」とか、「私が園芸の仕事をするために、外に出ている時間帯を狙った様に、ゴルフの打ちっぱなしをされましたね。それって、前田家から、今が、チャンスよ。今、打ちっぱなしをやって頂戴」と、頼まれましたか?」と。

 しかし、天国に入ってしまったのだ。もう、地上の醜い出来事は忘れたいと、思う私は、それらの質問を引っ込める。

 私が、今、感じていることは、先輩から、贈られた、「預言者は、世に入れられず」とか、ホメロスの【イーリアス】の中にある、エピソード、トルコの姫君カッサンドラは、預言の能力があるのに、宮殿内の人々、父や、兄、他は、それに耳を傾けないと、言う寓話だ。

 それは、シェークスピアが、語っているリア王の話と、そっくりだ。ただ、ただ、本当に、理解をしてくれる人のことは、大切にはできないと、言う不条理を、天国でなら、お互いが、すなおに、認めあえると思うのだ。

後注1,

養老先生、まる、井上ひさし、小沢昭一、菅原文太、小林カツ代、NHKの、追悼記事と追悼番組の、作り方に見えるCIAの影

2021-05-01 22:41:06 | 政治

後注2,

豚熱賠償金、24億円とは、鎌倉雪の下の住人が行った過去の悪事・隠ぺいの為、支払われている。無論の事、菌は人為的にばら捲かれているでしょう

2021-04-20 21:58:31 | 政治

後注3

2021-4-1に、私を措置入院へ持って行くべくCIAエージェント達が動き始めた。15:00のみずほ銀行鎌倉支店からだったが!

2021-04-04 22:20:01 | 政治

みずほ銀行鎌倉支店を舞台とした、CIA(=警察+井上ひさし=まだ生きていますよ)からの弾圧・・・・III

2021-04-06 00:02:38 | 政治

後注4、

私のPC破壊は、なぜ起きるのか?・・・私をいじめるとご褒美としてお子さんが、東大へ推薦で入学できる。しかも前の年の秋に。通告を受けると、言う事を書いたからです

2021-05-04 21:06:55 | 政治

豚熱賠償金、24億円とは、鎌倉雪の下の住人が行った過去の悪事・隠ぺいの為、支払われている。無論の事、菌は人為的にばら捲かれているでしょう

2021-04-20 21:58:31 | 政治

さあ、大変ですよ。書類も嘘を平気で作り公開していて、とても変ですよ。鎌倉市って。

2021-04-28 10:38:07 | 政治

大船LABIビルのescratorが高速運転をしていたのと、全銀協topが、みずほの予定だったのに、SMBCになったので、東大ご推薦ご入学一家の、実名を復活させる決意を新たにした。

2021-04-17 18:45:08 | 政治

町内会掲示板、平成の八墓村事件、特番ドリームハウス、八幡宮へのお願い状、H家はかくも多数回CIAに協力をしている

2021-04-13 20:51:15 | 政治

仏心を出したら、「お前負けやがって、ざまーみろ」と、例の敵さんたちから言われて、大攻撃を受けた

2021-04-16 22:56:36 | 政治 

東大総長選挙がおかしい。井上ひさしと、私との一騎打ちは、まるで、桜花賞2021のごとくだ。

2021-04-14 18:57:22 | 政治

町内会掲示板、平成の八墓村事件、特番ドリームハウス、八幡宮へのお願い状、H家はかくも多数回CIAに協力をしている

2021-04-13 20:51:15 | 政治 

本日は東大の入学式で +北久里浜の旧宅近辺で、厚誼が始まったFXをする好青年から、21-4-7に不思議な電話がかかって来たが?+慶応三田会横浜支部長は我が息子の再就職の機会を奪いましたか?

2021-04-11 22:35:47 | 政治

 2021年5月9日から、10日にかけて、これを書く。雨宮舜(本名 川崎 千恵子)

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私のPC破壊は、なぜ起きるのか?・・・私をいじめるとご褒美としてお子さんが、東大へ推薦で入学できる。しかも前の年の秋に。通告を受けると、言う事を書いたからです

2021-05-04 21:06:55 | 政治

 21-5-5の午後六時です。今もなお、加筆中です。午後零時に、加筆を始めるときには、1265文字だとグー側が言っていました。今、10486文字ですが、まだ終わりません。なお、本日は全く初出のことをも書きます。そこは、色付きのフォントを使います。古い話も、グッと、深めるはずです。

 ところで、このブログは、最近は、重くて暗い話が多いので、少しでも緩和することを願って、最初に写真を置くことにしています。今回は、副題2と関連するギリシャアテネの、アクロポリス丘での、スケッチです。大神殿から、少し離れたところにある、小さな神殿(=6人の女神が或るファサードを支えている神殿)です。有名なパルテノン神殿も写生をしましたが、あちらは絵がつまらないものとなるのですよ。あまりにも、長大だし、有名だし。で、こちらの方が、絵が面白くなります。

副題1、『連休中は、読んでいただけると、信じて居ながら、パソコンを、開かなかったのは、・・・・・特にグーブログの更新をしなかったのは、・・・・・過去の膨大なデータの整理をしていたからです。実は、総タイトルに書いたとおりのことが起きていて、それに、ずっと、時間を割いていました。それで、済みませんが、本日も、このお断りだけで、グーブログサイトから、去らせてくださいませ。

恐れ入ります。ただ、気がめいっていて、落ち込んでいるから、更新をしなかった、わけではなくて、いろいろ、小さな楽しみを見つけています。そして、心は十分に落ち着いている。焦らないでいる。・・・・・という状況で、自分一人で、見出す楽しみにも大いに慰められているところです。

A パソコンの買い方が上手になったと言う事。

 12万円超、程度で、ほぼ、新品(展示品と言う事)の、パソコン(13インチ)を手に入れました。もちろん、一日、だけで、選んだわけではなくて、事前に四回ぐらい、出歩いて、出先の、新宿、横浜、日吉、大船あたりの大型家電店で、パソコンの最新事情を手に入れては、います。ただし、新宿などは、2か月ぐらい前ですよ。緊急事態宣言が出るずっと前です。

 半年ぐらい前にも、15インチの常用パソコンをバシッと壊されて、その時に、生涯で、初めて、注文型パソコン(新品、で、15インチ型)というのを買いました。これで、相当に、パソコンに関する知識が増えました。初期設定から、何から何まで、自分でやらないといけなかったからです。79歳で、初めてそういうことをする・・・・・あ、は、は、それはすごいでしょう。だって、相当に面倒くさい仕事ですよ。初期設定って。

 そこで、得た知識を、用いて、4月の第二週ぐらいから、ほぼ、3週間、あっちこっちで、パソコンを見て歩いたのです。そして、結論として、やはり、秋葉原で、中古のパソコンを買いたいと、思いました。というのも六か月前に、12万円台で、新品(注文型)を手に入れて、いい性能ですが、重いです。それで、軽いのを買いたいのですが、軽いのは、高いです。普通は高いです。

 新品だと、20万円台ですね。

 『一年に、二台も外部からの攻撃で、壊されて、一年間で、40万円近く出すのは、そりゃあ、ひどいなあ。敵の攻撃が』という話です。だから、一年で、30万円以内の出費で抑えたくて、秋葉原に出かけました。

 横浜で、中古のパソコンを売っているお店があって、S(スペシャル優良品)、Aランク、Bランクから、Eランクまで、格付けしてあるのを見つけました。Sランクは、20万円近いのもあって、Eランクは二万円台です。こういう格付けをしていない時期にも、2万円台の中古パソコンを買った記憶があります。あんまりにも破壊をされ続けるので、お金が続かないなあと、思って、安い中古品を買いました。しかし、それらは、とても壊れやすいのでした。私は激しい時期(敵が攻撃をしたいと、思っている時期)には、一晩に、100回ぐらいシステム異常を起こされます。それを、種々の工夫で、突破していくのですが、再起動を何回もかけるとか、システムの復元を何回もかけるとかで、パソコンに激しい仕事をさせるので、壊れていくのです。

 で、今では、本を作っていないし(それは、大体、一種類で、100万円以上はかかる。儲けはない)、パソコンを買うのに回すお金はあるわけです。それで、新品の方がいいなあと、思いますが、上に言っている通り、すごく高いです。で、そのお値段をしっかりと、頭に入れて、秋葉原に向かいました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『しかし、最近買った、大型のものも、小型のものも裏に穴がない。したがって、壊れたときにハードディスクを取り出せない。だから、新しいデータができた度・毎に、外付けのメディアに、すぐに、データを落とさないと、データが消えてしまう。・・・・・これは、神経を使わせられることですなあ。したがって、過去データを、まず整理しましょう・・・・・と、思ったわけです』

 私は、昨日(4日の事)は、夜の10時に寝入りました。睡魔に襲われて、文章を書くのが無理だったのです。今朝は、4時半に起きました。しかし、パソコンを開いて、グーブログを更新する事には、すぐには、取り掛からず、7時間も、別の仕事をしていました。・・・・・・ご近所様か、お前の家族から、早く精神病院へ入る様に、してもらえ・・・・・と、ののしりぬいてくる(いまだ生きて地下潜航をしてい)る井上ひさしからのコメントを気にせずに、ずっと、家事をしていました。それは、今朝のことですが、この連休中を言えば、ずっと、データ整理をしていました。というのも、この副題2の二重カッコ内に書いた通り、最近買ったパソコンには、昔には、無かった特徴があるからです。裏に、穴がなくて、メモリーを増強できないし、ハードディスクを、取り出せないからです。

 特に13インチの方は、STORAGE(保存量)が、小さいです。SSDという形のもので、ヴォリュームCは、464GBです。売っている際は、526(?)GBと書いてあるけれど、実際には、いろいろな基本システムで、相当に、消費済みなのでしょう。

 ただ、展示品(誰も使った過去がないが、中古品扱いのもの)を買い、しかもメモリーを8ギガで、我慢をしたので、金額は、12万円強でした。ありがたいです。自分としては、いい買い物ができたと、思って満足しています。その買い物の出来の良さにも、うれしいなあと、思いましたが、データ整理をしている際に、いろいろな発見があって、それもうれしいとは、思いました。これは、大切なデータだったなあ。しかし、最近は、使っていないので、或ることをすっかり忘れていたなどというものを発見できたのも、良いことでした。

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しかし、ここから先は、いつもの調子に戻ります。こんな現象一つにも、見事に政治が現れていて、それを語ることができるからです。

 今回の小型ノートの破壊は、まだ、起動をします。でも、仕事をし始めると、三分でフリーズしてしまい、何とも動きません。で、タスクマネージャーを起動して、(それは、キー作業だけで、できますので、画面がフリーズして、ポインターが、使えなくても、起動をするのです)右下隅に現れる、起動ボタンを利用して再起動をかけます。するとしばらくは動きます。しかし、また、3分程度で、動かなくなります。仕事としては、命令を、5つぐらいこなしたところで、フリーズします。で、また、再起動をかけます。しかし、また、3分で、動かなくなります。これを三回ぐらい繰り返したところで、『治らないなあ!?!?!』と思って、あきらめます。無論システムの復元をかけたいですよ。しかし、膨大なデータが入っていて、それが、消えてしまうと困るので、まだ、その作業をしておりません。

 この破壊活動を発見したときに、私は全部で、6台のパソコンを持っていました。ウィンドーズ10が四台。ウィンドーズ7が二台です。XPは、全部破壊されていて、一台も残っていません。しかし、古いデータを読むためには、古いパソコンが必要なケースがあるので、セブンを、保持しているのです。

 しかし、4台もあるはずの、ウィンド-ズ10ですが、去年の11月13日に買った、注文型、15インチを除くと、信頼性がありません。例のごとく、安い中古品を買っているからです。で、それらは、外から、入ってくる情報を読むのには、使っていますが、自分が発表をするモノには、怖くて、使えません。

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副題4、『なぜ、外部から壊されるのか、原因がわかっているケースが、二つある。最初のものは、2007年、保坂涼子さんが、すさまじい量の罵りメールをよこした時だった。それを証拠として、残したくなかったCIAエージェント達が、私のパソコンを壊したのだった。これは、京橋の有名画廊のオーナー山口みつ子さんが、殺される原因にもなった、恐ろしいメールだった。秋山祐徳大使が絡んでいるので、CIAが背後にいると、はっきりと、確定できる、破壊行動だった』

 保坂涼子さんというのは、現在は、航子というペンネームで活動をしている作家です。石を素材として、使う、立体(昔でいう彫刻?)の作家で、新制作に入選している模様です。バックにCIAのサポートがあるので、もう、すでに、会員となっているのかもしれません。彼女は初個展をギャラリー山口で、開きました。その時にあそこの画廊の壁に、写真と詩を展示していました。そちらが床に置いてある、メインの作品より良くて、それを取り上げた、文章を書きました。それが、月刊ギャラリーの、2007年二月号に載りました。で、大勢の人から話題の種として、彼女に連絡が行ったのだと思います。で、彼女は、謝礼をいくらするかを悩んだらしくて、ギャラリー山口内で、秋山祐徳大使と待ち合わせて、この問題を彼に相談をしました。

 ここで、全く新しい推察を述べます。なぜ、秋山祐徳太子と相談をするのに、喫茶店とか、武蔵野美大を選ばずに、その時は、彼女の個展が終わっていて、別に、そこを使う必要がない、ギャラリー山口を使ったか? それが、大問題なのです。

 つまり、・・・・・私が美術評論家として、優れた文章を書くので、銀座で大評判になっていた、その鼻をへし折ってやらないといけない・・・・・と、言うコンセプトが、CIAエージェントにあって、ギャラリー山口のオーナーみつ子さんに、それを、知らしめる必要があったので、わざと、そこを指定したと、言う可能性があるのです。そこで、秋山祐徳太子は保坂涼子さん(現在は、航子と名乗っている)に、向かって、「雨宮舜、何するものぞ!」と力んだそうです。

 それで、2002年以来、心の中で、だけですが、深い交流があった、山口みつ子さんと、私との仲を裂けると、思った模様です。しかし、逆で、みつ子さんは、「あら、いやだ。それ(保坂涼子のメール)ってきちがいですね。ただ、理由はあれでしょう。秋山祐徳太子が、各隠しカジカ」と、教えてくれたのです。で、それ以来、みつ子さんは、狙われる様になって、特に、画廊をやめると私との仲が深まると、みなされて、殺されました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題5、『ここで、大原光孝さんが、中島千波さんの手引きによって、春季院展(三越)へ、入選した話をしないといけなくなった。問題は、画題が、100%創形美術学校の後輩のものであったことだ。校庭で遊ぶ子供たちを、上空または、屋上から俯瞰をしたもの。奥野ビル一階の画廊で、それを見て、私はその作家と、長い時間、対話を重ねた。月刊ギャラリーには、転載をしていない。しかし、メルマガで、配信をした可能性は高い。当時のAOLは、パソコンが壊されると、同時に消えるので、原文が残っていないが、マチエールは素晴らしくて、小品でも、数十万円の値が付いている作家だ。

 私が、美術評論を書くときには、修飾語など一切つかわないし、こ難しい言葉も使わない。ただ、私の評論が優れているとすれば、心の在り方が新鮮だと言う事。何物にも曇らされていない目で見る。義理や人情、学閥などには、一切とらわれていない。しかも、お金を取らない。このお金を取らないという点だけれど、中学生以降は、父が会社を興して経済的に恵まれて育ったのと、いわゆるインテリ家庭、特に日吉で育つと、文化的な、事で、お金を儲けるという発想がない。文化的なことで、お金を儲けても、むろん構わないが、北隣のご主人が昭和天皇の御料車を設計したのだけれど、それは、プリンス自動車のサラリーマンとしてであって、その同じ人が、ヴァイオリンをものすごく上手に弾きこなす。大正時代に、ヴァイオリンを習うことができて、かつ、どうも明記らしいのだ。息子さんが、ご自分のホーム頁にご自分とそれを、一緒にテーマとして、載せているので、いわゆるイタリア古楽器の名器だと、思う。私の勉強部屋は、一階の時期にも二階の時期にも北側にあったので、毎晩、その美しい演奏を聴いていたが、その紳士が、音楽会を開いて、切符を売ったとは、聞いたことがない。

 私の北側、7分ぐらい離れたところに、新堀真知子さん(横浜国立大学附属中学校の同級生)の家があった。その家の長女・真知子さんは、ドイツ・フライブルグ大学の教授になり、次女・佐智子さんは、パリ・コンセルバトワールの教授になった。その家で、1956年から、1957年にかけて、毎週木曜日、合唱のサークルが開かれていたが、先生役の方に謝礼を支払った、記憶がない。お部屋を提供してもらっている新堀家にもお金を払った記憶がない。日吉という町は、そういう町だった。私が、付属中学に入試一番の成績で、入学できたのは、森川夫人という方が、開いていた、塾で、お勉強をさせてもらっていたからだったが、森川家に、塾の月謝を支払った記憶がない。そして、塾のない日は、大塚家(のちにサマリタン医科大学に発展をしていく、東横病院の副院長さん宅)で、遊んでいた。四人姉妹の一人として、五人姉妹となった感じだった。私は、当の友人自身にはけむったがられていた。私が、いわゆるいい子過ぎるので、真似をしてほしいと、ご両親から願われているのを感じて、嫌がっていた。ところが、おばさんからも、お姉さんや妹さんからも、嫌がられたという記憶が一切ない。特に、お姉さんが、当時、通学していた【東洋英和】の文化祭にまで、「一緒に行きましょう」と、誘われたほどだった。スカートは、ぴったりとしたジャンパースカートという私服があったが、革靴がなくて、小学生なのに、母のパンプスを借りて行ったので、歩きにくくて、歩きにくくて、当時は、1957年当時は、地下鉄日比谷線も、都営線もなかったので、苦労をした思い出がある。

 ともかく、日吉という町は、当時は、そういう雰囲気だった。全人口が、5千人ぐらいか? で、ちょっと目立つ人(例えば森川夫人など)は、日吉のほとんどの人が知っていると、言う具合だった。

 というわけで、私は、自分が最高度の、人気を誇る美術評論を書いていても、お金をもらうという発想が、一切なかった。で、私の存在が、2005年から、2008年ぐらいの、銀座で、旋風を巻き起こしており、したがって、美術評論家たちの脅威だったのだ。もし、保坂航子さんが、ギャラリー山口のオーナーに問い合わせてくれたら、「雨宮舜=本名川崎千恵子さんは、お金なんか、一切取りませんよ」と言ってくれたであろう。しかし、そのみつ子さんの前で、秋山祐徳太子が、私を冒とくしたのは、ひとえに、私の文筆家としての、フィールドを閉ざすことが目的だったのだ。

 ここで、長時間中断をさせてくださいませ。後、ギャルリーユマニテが、共同トイレの、鍵を、私の目の前で、閉じている話とか、

 開発ちえさんが、これまた、ひどい罵りメールを七通も送ってきたので、また、パソコンが壊れた話とか、

 開発チエさんが、自分が私より上であると、補強のために使った隈研吾さんが、それ(2012年だった)以降、ありと、あらゆるところで、脚光を浴びることとなったとか?

 開発チエさんのファンとなった、梅森伸一に成りすました古村浩三君(ICUのたった23にんしかいない同級生)に、梅森伸一に成りすまされて、2011年の11月から、2012年の2月11日まで、毎晩毎晩、苦しめられた話とか、

 それを書いているからこそ、江ノ島の野良猫の首に、マイクロ・スカジー・カードが、張り付けられているという、片山ゆうすけ君の成りすまし疑惑問題が、起きたとか?

 それを正しく分析した私を脅かすために、さらに、悠仁親王が通う、お茶大付属中学に事件が起きて、刃物が置いてある脅かしが、発生したとか? (私は、お茶大付属高校に、私が通学しています。ので、そこが、事件の場所として、選ばれました)

 開発チエさんと、関連して、梅森伸一という名前がクローズアップされてきたので、

 よく似た名前の、梅林某という警官に、私は、築地警察署の、宿直室(二段ベッドが並んでいる部屋)で、三原橋交差点、手前30mmの場所で、夕方6時45分に、実際に起きた交通事故を示談にしましょうと言われて、もみ消されてしまい、何の治療も受けていない聖路加病院に、6万円以上を支払わされた話とか、

 その時に大量出血をしているので、貧血気味なのに、これは、大変だと、思って、京橋のフレッサインで、徹夜で、一文を書いて帰宅したら、「寝させてやらなければ、死ぬぜ。そうなれば、こっちの勝ちさ」と思われて、21軒存在する、この山の、ベランダがある家で、午前10時半に、盛大に、しかも一斉に(しかし、順番に、行われ、15分程度音が続くように手配をされていたが?!?!?)叩かれて、寝かせてもらえなかった話とか、

 それを書いたからこそ、今度は、富沢家に、尾上共同事業体という植木屋が、11人も来て朝の七時から、轟音を立てて、高枝切りをした話とか、

 しかも、それは、富沢家の注文の筈なのに、西隣の小野寺夫人が、ねている我が家(私は前夜、ほとんど徹夜をしているので、午前、四時に寝入った)へ電話をかけてきて、主人に、「工事をしますので、音が出ますので、ご容赦くださいませ」と、言う一応のお断りの電話をくれている話とか、

 しかし工事の発注者は、富沢家で会って、小野寺夫人は、全くの無関係な人である話とか(つまり、私を、寝かせないがための工事だったが、後で、そういうブログ文を書かれると、困るので、一応おことわりをしておきましょうと、いうはなしに、伊藤玄二郎(その後ろにいる、いまだ生きている井上ひさしとかが居て)と、前田夫人とか、安野夫人との結託によって、そういう事前の協議があり、いわゆる謀略として、この工事が行われている話とか、

 私はすぐさま、鎌倉市役所を訪ねて、担当吏員の坂中英夫に、委細を質問をすると、これは下に、道路がありそこを通る人にあたると、危険な樹木を伐採する際に、鎌倉市が半額を援助をする話を聞いたのだが、

 問題は、1)阪中英夫が、富沢夫妻の、どちらが依頼をしに来たかを覚えていないことと、いつ来たかの記録さえもとっていないことであった。つまり、これは、伊藤玄二郎たちが、私を脅かす為だけに、行った工事で、したがって、松尾崇市長と、伊藤玄二郎と、阪中英夫だけで、始末した問題で、富沢夫妻は、場所と、名義を貸しただけだった。したがって、富沢夫妻には、金銭の要求は行っておらず、尾上共同事業体が、11人の特殊作業、三日間で330万円を請求し、半額を市が負担するという形で、165万円を鎌倉市が支払ったという形であろうと、考えている。ひどいこと。単に私をいじめるためだけに、鎌倉市は、165万円もの無駄遣いをしている。

 2)、富沢家側で、本当に危険な気があるのか? ともかく、富沢家の下には、道路はないが、見に行こうとすると、例のヤナギサワノボルが、大学もまともに出ていないと見えるのに、法律に詳しいらしい様子を、金科玉条のように振りかざして、「住居侵入で訴えるぞ」と叫んだ。別に彼の住居に侵入しているわけでもないのに、この高枝切りに、嘘がいっぱい含まれている謀略だから、私に調査をされることを恐れての話だと、思われる。

 私の命を亡き者にしようとする話と、そのために、160万円ぐらいの、鎌倉市の公金を無駄遣いするのと、どっちが悪いことなのだ?と、やなぎ沢昇に聞きたいが、質問をしても、お馬鹿さんな男である彼は、質問そのものを理解できないであろう。ところで、彼のお馬鹿さんぶりはさらに続く。私は富沢家の、切り株を全部確かめて、『やはり、自分の思った通りだ』と確認をしたうえで、下へ降りて行った。富沢家の、真下にヤナギサワノボルの家がある。するとたった7分程度の間に、彼は、鬼の首でも取った様に、伊藤玄二郎に、「あいつ=わたくし=雨宮舜、(本名川崎千恵子)が、悪いことをしているのを見ました。住居侵入で、訴えることができますよ」と、でも、震源をしていたところでしょう。しかも彼にしてみると、鬼の首でも取ったつもりらしいのです。それが、公金を、ある個人の復讐のために使っているとんでもない事案であると言う事には、気が付きません。

 伊藤玄二郎たちの洗脳に、すっかり、毒されているのです。また、それに毒されていた方が、自分たちの過去の失敗の数々が、消え去るのだとも、教えられていて、その方が、自分たちにとって、有利ですから、物事を根本から考えると言う事を知りません。私の方は、常に、根本から考える人なので、なんとバカなことをやっているのだろうと、思い、彼の家のガラス窓をコンコンと叩きました。これは、その時に書いた原文を、広げないと正しいことを思い出せないのですが、

 伊藤玄二郎が、電話口に響いた、コンコンという音で、私が叩いたと、推察して慌てて電話を切ったのか、それとも例のごとく、勘違い男であるヤナギサワノボルが、電話口で、「・あいつ・ったら、今、ガラス窓を叩いていますよ」とでも言ったからなのか、突然に、伊藤玄二郎は、電話を切りました。で、ヤナギサワノボルの声も、止まって、室内は、シーンとしました。彼は、私をだますために、嘘の会話を続けるほどの頭脳は持っていないのです。もう本当におかしくてたまらないほどです。彼が、ここに住んでいること、および、安野智紗夫人が、ここに住んでいることで、世界中のニュースと政治が読み解けます。

 この時も彼よりも伊藤玄二郎の方が頭がいいことが分かりますね。私は伊藤玄二郎と同等か、それ以上の頭をしていると、自認しています。というのも伊藤玄二郎は、私が阪中英夫をすぐ、その夕方に訪問をするなど、予測さえしていなかったでしょう。私の父が霞が関の中央官庁、しかも戦後、もっとも羽振りの良かった、経済安定本部にいたことなど、この企画をした時など、一豪だに思い出してもいないでしょう。一方で、こういう企画を練る、井上ひさしですが、彼は、仙台の、養護施設(カソリックが経営するもの)で、育ちました。たぶんテレビを見ることなどもなかったでしょうね。高校時代までは。その後、上京して上智大学へ入りますが、通学は、ほとんどしていなくて浅草のストリップ劇場の座付き作家になります。だから現実をほとんど知りません。で、彼が考案した謀略事件は瑕疵があっちこっちに見つかります。それで、すぐ、嘘が、含まれていると言う事がわかります。100%嘘だとは言いません。やまゆり園事件のやまゆり園は,当時は神奈川県の管轄だったので、黒岩知事が午前中から、記者会見をしたのも、ありえることで、同席した入倉かおる、と、言う女性が園長だったと、言う部分は、本当です。

 しかし、最初は、植松聖が、参議院議長に、手紙を送ったと、報道をされていました。しかし、三日後には、衆議院議長と変更になっています。これは、当時の参議院議長よりも、衆議院議長の、大森氏の方が、使いやすいので、変更になったのでしょう。大森氏は、やまゆり園事件の前にも、一回、鎌倉エージェントに協力をしていますので。

 さて、ここは、実は最近連続して書いている・・・・・鎌倉市が、公開している文書内で、嘘を記載している話・・・・・に連続していくのです。その嘘は、富沢家の高枝切りについて、書いている私の文章があまりにも正しいので、井上ひさしとか、伊藤玄二郎が、そういうことにせよと、松尾崇市長に命令をしたのだと、思います。が、それは、2021年の四月に発見したことなので、ここでは、簡単に記載をするだけで、先へ進みます。

==========================

副題6、『ここで、突然だが、一気に時制を飛んで、今回のパソコンが壊れた話をしよう。まず、原因について、語りたいのだが』

 今回は、小型のノートパソコンが、起動はするが、実際の役には立たなくなったと、言いう段階で、シャカシャカ、動く新しい小型パソコンを買いに出たわけです。それは、自分が書いているものが原因で壊されると、言うことがはっきりわかっていたからです。以前は、保坂涼子と開発チエの、それこそ、気違いじみた、攻撃用メール(というか、常軌を逸した、文章の連続メールで、間に立つ、古村浩三君などが、開発さんの、7通のメールは三通目から、文字化けをさせたほどでした。ただ、私は、開発さんの、フェイスブック投稿を読んでいましたので、彼女が不定愁訴気味で、それは、彼女が、結婚をするべきだったかなあと、考えているから、そうなると、わかっていました。で、彼女が結婚ができない理由もわかっていました。非常に美しい容姿の人で、慶応大学出身で、かつ、実家がお金持ちです。福井県で、料亭開花亭を経営しているが、お菓子メーカーも(神戸で?)やっていると、岡田美術館を訪問をした時に、初めて知り、それじゃあ、大企業ですねと、納得をしたわけです。しかし、それでも、結婚はできなかった。それが、どこに原因があるかはわかっていて、それが、彼女が送ってきたメールに顕現をしていました。性格上問題があるのだとも、2011年以内に、わかっていたのです。福井市内の料亭で、育ったきれいなお嬢さんなので、わがままなのです。他人から、ちやほやされ続けてきているから。でも、結婚って、膝を屈しないとできません。人(他人)と、共同生活をするためには、自分をある程度、殺したり、下手に出たりしないといけません。それから、お見合いで、結婚をするとしても、彼女の実家の職業を嫌う人がいるかもしれないのです。でも、恋愛で、できちゃった結婚でもすれば、そういう問題は、すべて吹っ飛びますが、それもできないでしょう。プライドが高いから。

 2012年にこの件が起きて、私のブログが、彼女に損失を与えたと判断をした酒井忠康氏ほかは、名誉・回復のために、彼女に、東京へ出てくる様に、促して、2014年から、東京暮らしである模様です。しかし、ここでも、はっきりさせておきたいのですが、彼女の方から先に攻撃をしてきたのですよ。それは、むろん頼まれたからでしょうが、そういう際に、私について、お勉強しないで、即座に上の言う事を聞くと、私の行動があまりにも予想外なので、パニックに陥ってしまうのだと、思います。今から、言っても、もう無駄ですが、開発さんが、不用心すぎますそれは、やはり、こちら、鎌倉雪の下のケースと同じで、田舎で、育ったからでしょう。田舎で、育つと、・・・・・都会には、全く目立たない形で、暮らしている人が、いて、しかも、その人が、思いがけないほど、高い能力を持っている場合もあるので、常に他人に対しては、礼儀作法を忘れてはならない・・・・・・と、言う鉄則が身についていないらしいのです。

 ただ、保坂涼子さんよりは、開発チエさんの方を、よりかわいい人だとは、思いますよ。保坂涼子は、同じく田舎の育ちです。それが、むき出しに出る人です。っ接していると、本当に、恥ずかしいです。新政策の会員になっていくつもりでしょうが、いつかは、化けの皮が、はがれるでしょう。下品だというのか、それとも、ヒステリーだと、言うのか? ずっと、相手に対して、下手に出ている時期は、目立たないでしょうが、自分が会員になって、ひとを見下すことができる様になると、彼女の地金が出てくるはずです。支配できる様になるとロシアで、スターリン時代によく見られた、官僚的意地悪を平気でする様になるでしょう。そして、彼女のせいで、山口みつ子さんが、殺されたわけですから、神様は、それをノートに記載をなさっているとは思いますけれど。私は折に触れ、彼女についてのデータを集めています。ずっと、変な言い方ですが、注目をし続けていくでしょう。あまりにも、ひどい苦しみを与えられていますので。

 こう、なると、私が無冠で、お金もないことをラッキーだと、思い至ります。逆説的ですが、私には、他人を官僚的にいじめるほどの、権威も、地位もないので、そういうことをする可能性がないからです。出世した結果、どういう人格を涵養するか。それは、相当に、厳しい、訓練を自らに課さないと、達成できない部分だと、思いますけれど。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題7、『しかし、今回だけは平木家のご長男が、推薦入学で、東大に、入学できたことを書いているわけです。それがCIAエージェントにとっては、困ったことなので、パソコンを壊していったと、見ています。で、その結果、ああ、自分が書いていることは正しいのだと、判断をしています。平木家って、この山に転入してきて、すでに、14年以上になるのではないですか? 私が、奥様の子育てをほめているので、対、私への大攻撃をかけても、平木家については、何も書かないだろうと、想定されていたと、考えています。

 ただね、私は平木家のご長男の大学入試が、来年だと、思っていました。それで、1980年代と同じく、わが子が、日能研では、それが大丈夫と言われていた中堅私立中学へ不合格だったと、言う事と、ライバル設定をされている、安野家の次男さんが、おなり中学で、1と2しか通信簿にないと、言う事で、有名な坊やなのに、国立大学付属高校にご入学あそばされたそうで、

あまりにも差があるし、その差が、どうして起きるかを知っているので、ひどく驚いて、戦いを始めているわけです。しかし、一年早く、事態は、進展して、平木家のご長男は、去年の10月に、東大へ推薦入学が決まったと、教えてもらって意気揚々と、ピアノを弾き続けていました。ここに、転入以来、14年ぐらい住んでいるわけですが、電子ピアノの音を出して弾いていたのは、その時期だけです。

 一方で、私の孫ですが、急にお父さんに、ニューヨーク駐在が命じられたので、三か月後に、妻(私の娘)と下の子たち二人は、ニューヨークへ行きます。両親がいない中で、受験をしないといけません。うちの孫が東大を受験するかどうかは知りません。しかし、平木江の坊やが、去年の秋に、推薦入学が決まっている反対に、ニューヨークへ両親がいかないといけなくて、アジア人攻撃も始まっているし、新コロナ蔓延もひどい時期に、派遣をされる、そういうストレスフルな、両親に、置いて行かれるのです。

 ほかにも私に対する攻撃もひどいです。2020年、12月22日には、関東労災病院内のドトールで、新コロナウィルス入りの、ぬるい水を飲まされました。神様がお助けくださって、その時、あ、やられたとは思ったもののあわてず騒がず、その水は、一口だけ飲んで、後は飲まず、熱い、熱い、ミネストローネスープを飲み続けたので、井の中で、ウィルスが、死んだらしいのですよ。だから、発症をしていません。でもね。その時に、殺す予定があったので、(それは、ずいぶんと前から、企画をされていたと思います)。だから、平木家は、ジャンじゃか、ジャンじゃか、ショパンの英雄ぽろねーすを引いていたのでしょう。私が死ぬのだから、東大推薦入学にも気が付かないし、ましてやブログに書くはずもないと、思っていたはずです。しかし、書いている。したがって制裁のために、パソコンを壊していったわけでしょう。

 なお、ここですが、平木家が、何を、やったか羅、それほどの、成功体験を、得られたかを書かないと、私の方が悪人に見えるでしょうね。それは、後で、付記します。

 ここで、主人が私を、呼んでいて、「お風呂にはいれよ。俺が、準備したのに、既に、四時間が、過ぎている」と、言っていますので、中断をさせてくださいませ。今夜中には、続きを書かないと、思います。というのも、これから先は、自分側の苦労を書かないといけないのですが、子供や孫への攻撃を書き、その損失を書くとは、非常につらいことだからです。そして、それを書くとさらに、その部分に突っ込んできますので、相当に大変なのです。

   雨宮舜(本名川崎千恵子)

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養老先生、まる、井上ひさし、小沢昭一、菅原文太、小林カツ代、NHKの、追悼記事と追悼番組の、作り方に見えるCIAの影

2021-05-01 22:41:06 | 政治

 本日の文章もまた、総タイトルを、時間を経るうちに変更する予定はあります。最初の総タイトルは、【久しぶりに井上ひさしと、思われる人物から、又、ひどいコメントが来ていた。3時間気が付かなかったけれど、昨日の下書きへの、復讐用だろう。で、昨日の下書きを公開する】です。直後少し改変しました。【昨日書いた下書きが原因で、井上ひさしと思われる人物から19:34:01にコメントが来てしまった。其が真実を穿っていたので復讐をされた】昨日の下書きとは、以下の副題αで、原文そのものをさらしますが、その前に、解説を入れないと、皆様には、何のことやら、お分かりにならないと、思うので、先に解説を、入れます。それから、午前零時に、三度目の総タイトル【養老先生とまるは、合計五?編、制作されている? 最終編には、井上ひさしのしのぶ会と、コンセプトがそっくりな画面があったが?】へと変更し、次に午前二時に、上のものへと変更しました。

副題1、『本日書く予定のものを変更しなくてはいけなくなった。まず、自分を守るための、文章を書かないといけなくなった』

 11月末に息子から、お叱りの電話が来ています。それを、盗聴して利用をしている連中がいます。それは、例の敵さんたちですが、それを利用して、攻撃をするとは、本当に人権無視だと、思っています。私は24時間攻撃をされていますと言っていますが、こういう風にコメントを利用し手攻撃されるのも、その一つです。息子は、自分をかわいがってくれた昔の上司の息子さんの死が、不審なところがあって、そのことで、お父さんが嘆いていると、言っていました。その時に、危うくいろいろなことを、話そうかと思いましたが、敵さんが、息子が真実を知ればそれはそれで、激しい攻撃を今度は息子へ向けて、くわえるでしょう。それで、真実を話せません。

 息子は、私立中学受験二校に不合格となりました。日能研の先生が、絶対大丈夫と言ってくれていたし、それほど、高位の学校でもないので、私も、アッと、思って、その時に、すでに、瀬島龍三たちの悪事を知ってから、二年後だったので、瀬島龍三が、阻止したのだろうと、感じましたが、すべては後の祭りで、どうすることもできませんでした。

 瀬島龍三と、その親友という、益山重夫が、横須賀市の水道山(京急北久里浜の東の丘の上にあった。今は、ルネ北久里浜=そらヒルズという、美麗なマンションが、3棟建っている)をただで、私有化したのは、地積変更届という仕組みを利用したもので、起きたのは、1978年です。その後、息子の中学受験は、1982年に起きて、その年あたりから、こちらの、鎌倉市雪ノ下の山への導入が画策され、この山の、引っ越し物件が、A4の紙一枚に大きくプリントアウトをされ、我が北久里浜の家のポストに、投函される様になり、本日、その家のことが登場する、関本邸を、まず、見に来たのが最初です。1982年の事でした。今から、40年は前のことです。

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副題2、『この山は、21軒しか家がなくて、別荘として使われている家も、2軒あるし、昼間主婦が、勤務をしている家もあるので,実際に、生活している家が、1984年引っ越してきた、当時で、16軒ぐらいであり、現在は、15軒程度である。しかも、ひそやかに生活をしている人が多いので、主流派をなす、人間は、もっと少ないのだが、私は、自分を守るために、実名を用いて、書く様になってから、ほぼ、全員を敵とされている現在ではある。

 が、最初から、・・・・・私を、緩慢に殺していくために、ここに導入をされてしまった・・・・・と、今では、見ている。関本邸は、気に入らなかった。それは、鎌倉と、言うブランドは、好条件ではあるが、家を、建て直す必要があると感じたし・・・・・というのは、金銭的に無理がある・・・・・と言う事だし・・・・・というのは、石段で上がらないといけないので、車が横付けできる、北久里浜の家を売らないで、引っ越してくるつもりだったので、・・・・・・1984年当時、2860万円を支払ってしまうと、家を改築する費用がないし、・・・・・・

 関本邸からは、西以外には、隣の家が東・南・北三軒は見えるという配置なので、それほど、特徴があるとも思えなかったからだ。

 しかし、関本邸の、四代前の住人の方が、防衛大学の教授という恵まれた立場の方だったので、(すでに亡くなっていると判断をしているが?)防衛本能のない方なので、「この山に住むことがどれほど、困難なことであり、奥様がノイローゼになったので、自然環境はまことに好ましいが、引っ越していく」と、言われた。確かに、自然環境は、美しかった。その後、

 この写真の図面に・赤い色い鉛筆・で斜線が入っている様に、諸所で、高枝切りが行われ、したがって、環境が、悪くなった。しかし、1982年の来訪時も、1984年の来訪時にも、素晴らしい樹木のトンネルをくぐって、入っていく、まさしくの、桃源郷だったのだ。

 それで、人間関係が、非常に難しいところであることは知りながら、それでも、付き合わないで、済むだろうと判断をして、引っ越してきた。しかし、私は、地積変更届があった1978年から、瀬島龍三たちの悪を知る人物として、電話も盗聴をされ、かつ、対面の会話も、家庭内会話も盗聴をされていたと、今では、考えている。で、関本邸の四代前の、住人との、物件売買交渉も盗聴をされていて、それも、一つの、彼らにとっての、好条件と、みなされて、ここへ導入をして、ノイローゼにさせ、その上で、精神病院へ入院をさせて、薬で、殺してしまおうと、言う策が、練り上げられたと、今では、理解をしている。

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副題3、『この山では、1984年当時、中谷共二氏という人物が町内会長をしていた。その人の奥様は二葉出身の賢い女性であり、意見はまともであり、お子さん方は、優秀だった。その中谷氏は、1985年のある日、私を自宅に呼んで、二時間ほど説得に努めた。何を説得しようとしたかというと、

 上の図で、川崎英二宅の右側に、まるで囲んだ3と、言う字が見えるだろう。その左上に、7という赤い字が、見える筈。

 この図は、鎌倉市で、公開しているものだけれど、噓が記載をされているので、私には、使う自由が出た。それこそ、神様のご支援だと、思う。

 本日の井上ひさしのコメントに、「あんたの文章には、思うが、多すぎる」とあったが、

 直木賞受賞者、林真理子でもない、私は、断定することを憚っているのだ。その方が謙虚で、自分の地位にふさわしいと、言うことだから、彼に何を言われようと、思う。は、連発し続けるだろう。

 ::::::::ところで、ここで、挿入となるが、養老孟司先生を使うのと、林真理子を使うのは、井上ひさしたちの常とう手段なのだ。そこへ、高村薫、瀬戸内寂聴も、福岡伸一先生をも使うのが、常とう手段だが、ご都合によって、または、私のブログの書き方によって、門野英子、寺島しのぶなども、使役をされる。山本容子も、その一人だが、最近、最も華やかに使役をされるのが、ヤマザキマリさんだ。これは、ガレリアグラフィカのオーナー、教育大学、西洋史学科卒の、栗田玲子さんの、知遇の人であるからだと、思われる。

 ところで、井上ひさしの名前を頻繁に出すので、そこで、すでに、私が、間違ったことを書いていると、思う読者様もいらっしゃるとは思うけれど、彼は、自分を、死んだことにして、地下潜航をしていて、私を殺すアイデアを日夜案出している存在ですよ。

 今、米原いたる(父)、まり、ゆり、姉妹について触れ始めたので、猛然と、攻撃を開始したと、言うところでしょう。ここに書いていることは、すべて、彼、伊藤玄二郎、および、この山の最近の転入者、山田さんが、原案を書き、そこへ、前田夫妻、安野夫妻、白井小野寺夫妻などが、震源を加えて、案出されていると、考えています。私が最近、すべての裏側を説いてきたので,それで、激しい攻撃を加えているところです。

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副題4、『四月29日の夕方NHK地上波総合チャンネルで、養老孟司先生の主演番組【毎日、養老先生、ときどき、まる】が放映をされた。養老先生の、この種の番組は、【ネコメンタリー】の、一つとして放映をされた、最初のものを、私は大好きで、時間を空けて、三度以上見た。

 養老先生が、紫煙をくゆらせながら、(当時の、質問者は、顔を見せない和久田アナだったが)対談者を相手にして、哲学談義をされるところが大好きで、また、猫も大好きだから、あかず眺めた。テレビの文化番組、特に、教育チャンネルと、BSPの特区集番組は、対私、脅かし用に制作され、放映をされることが多いのだけれど、

 養老先生の、猫と一緒の番組は、合計三本制作され、かつ、夫々の、二編目と、三篇目は、再放送をされるたびに、微妙に編集が異なっていて、いろいろな意味を感じ取ることができた。

 二編目の再編集では、妙本寺が出てきたので、妙本寺のお見合い、セッティングにおいて、養老先生ご夫妻が、妙本寺側の仲人を務められたのだと、理解した。その後、2020年の12月25日、スマホを持って出た、私の歩いている場所をGPS機能を使って、把握し、脅かしきるべく、我が家の山の下の、隣人たる川合良一先生が、突然に木戸を開けて出てきて、私をにらんだので、遠藤家側の、仲人が、川合良一先生であることも分かった。

 第二編目の初回・放映時には、養老先生が、古い鎌倉の写真を見る画面があって、「こういうことも頼まれていてね。やらないといけないのですよ」と言われた。それは、図書館で、保管をしているもので、養老先生を使って、自分たちが悪利用した図書館の館長を、戦時浄化してあげると、言う意図を明瞭に感じた。図書館の館長は、私を光明寺で行われていた、鎌倉アカデミアの、研究会に誘ってくださっていたのだが、それゆえに、図書館が、大攻撃の、場所として、主人が入院中に使われたのだった。それをまた、ブログかしたので、『お前さあ、図書館の館長と喧嘩をしたことになるのだぜ。馬鹿目!」と、井上ひさしたちは、大笑いをしていて、養老先生を、利用したのだった。なるほどと、思うし、この二編目の、再放送時に、やまざき真理との対話が入っていたと、思うので、おや、また、また、彼女を使って、栗田玲子さんを洗浄化しましたねと、思い当たるのだった。

 さて、第三篇目が、BSPで、放映をされた。3月10日か、12日だったと、記憶している。それも無論見た。それで、この時、第二編目の再放送時に少し内容が変わっていたのを、知っていたので、すでに、4本、見たこととなる。

 ところで、4月29日の、地上波放映のものは、またまた、改変をされていた。これで、合計5本見たことになる。しかし、この五本目が、もっとも、真心を打たない番組となっていた。まるが、病気になって、急に病院へ連れて行く場面とかが、抜けていて、養老先生とまるの、関係が、見えない様になっていたし、特に悲しみの、描写が、薄くなっていた。

 そして、その代わり、井上ひさし発のアイデアだと、思われる画面が増えていた。まず、覚園寺への訪問の場面が削られていて、東慶寺訪問の場面が加えられていた。東慶寺は、そこを舞台に、井上ひさしが、かぶきの戯曲を書いている。で、養老先生を使って、「俺のことを思い出せ。俺は、養老先生を使役できるほど、大物なんだよ」と、言っていると感じた。

 さらに、その前の時間帯なのだが、養老先生が、「コロナ禍で、やることがないでしょう。だから、本の整理と掃除をしていました。これがね。相当大変なことでしたよ」とおっしゃった。その言葉にかぶせて、養老先生の過去の出版物が画面で、右から左へ動く形で、背表紙として、紹介をされた。

 その時、語りて、(この場合は、上白石萌音だった)が、「養老先生は、すでに、100冊の本を出版され、すべて、大ヒットで」とか言った。その時に、私が思い出したのは、井上ひさしのしのぶ会のことだった。

 井上ひさしと、同格の扱いを受けないといけないと、私が考えている小沢昭一とか、菅原文太に関しての、特集を、その人たちの死亡後に、NHKは、一切報道しなかった。ニュースだって、ちょろちょろと、事実だけを伝えた・・・・・それだけだった。ところが、井上ひさしの場合だけは、死亡時に、ゆり夫人のインタビューとか麻矢さんのインタビューとかを大量に流した。それで、かえって、死亡が嘘だと、わかった次第だ。もう一つ、重要な理由があって、彼が、2010年4月9日(金曜日)を、死亡日として選んだのは、私が、伊藤玄二郎に、その週に銀座で開かれている、私の個展のはがきを持って行って、あなた方の悪だくみの裏側は、すべてわかっていますよと、言うサインを送ったからだった。特にこの個展をめがけて、瀬木慎一さんから、「あんたを訴えるよ」という手紙をもらっていた。これは、外から、電話を瀬木さんに、直接かけて、事なきを得た。どうして事なきを得たかというと、

 「瀬木さん、あなたは、同じ中央大学政治学科出身の、伊藤玄二郎に、頼まれて、この手紙を出したのではないですか?」という質問もその一つだろう。瀬木さんは、むろん否定をしたが、図星だったので、ちょっと、発言態度を緩めて、「ところで、あんたは、私のことを知っているの?」と質問をしてきた。で、「無論のこと知っていますよ。(挨拶だって、何度も交わしている間柄だった。特にパーティで)・・・・・頤の小さな方です」と言った。すると、瀬木さんは、びっくりして、「あんた、・お・と・が・い・と言う言葉を知っているの?」と質問をしてきたので、「ええ、知っていますよ。顎のことです」と答えた。それだけで、瀬木さんからの告訴を何とかという話は消えていった。瀬木さんが、鎌倉エージェントの特に伊藤玄二郎、または、酒井忠康氏、または、秋山祐徳太子などから、何を聞かされたのかは知らないけれど、乱暴極まりない話だった。それに増山麗奈さんから、渋谷のユーロスペースで、自分の映画を上映するので、見に来てくださいと、言われたり、(忙しくていかれないでしょう)、

 画廊のオーナーの森さんが、せっかく来てくれた、別の画廊オーナーに「芳名帳に、サインをしなくていいから」と、言ったり、準備期間中の、3日(土)に北鎌倉の先で、横須賀線が何の車内放送もないのに、一時間半も停車したり(それは、準備に遅刻をした、私が、失礼な人であると、言う印象をオーナーの森さんへ植え付ける役目を果たした)とか、5日の初日に、主人が見に行ってくれている間に、額田病院から、去年の10月(それは、半年は前のことだった)に行った、がん検診の結果が出ましたので、危機に着てくださいと、言う電話がかかってきたり、(それは、もし、主人ががんだったら、個展などやっている場合ではないと、言う心配ごとを、私の胸に抱かせたことっだったが)・・・・・森さんが、私の予定を、二月から、4月へ移動をさせたのは、その同じ週に、ガレリアグラフィカが、山本容子の個展を開いたので、私の方が、つまらないと、言う印象を画廊オーナーたちに与えたと言う事・・・・・など、大量の、いじめ策が、この個展と同時並行的に、襲ってきたのだった。

 そういうことをすべて、わかっていますよと、言うサインを、8日の木曜日にかまくら春秋社の社屋を訪ねて、伊藤玄二郎に「来てくださいね」と伝言をしたことで、すべて、書くだろうと、考えられて、井上ひさしは、自分を死んだことにしたのだった。瀬木慎一さんとの電話のやり取りを盗聴していた時(火曜日の夜だったと思う)から、もし、私が「全部知っていますよ。裏側はね」と言う事を示す類の、何らかの行動を起こしたら、即、自分を死んだことにすると決めて置いて、その時まで、こまつ座を率いていた長女ではなくて、三女の麻矢さんに、後事を託すことなどを決めておいたのだと、推察している。

 どうして、長女ではなくて、というと、麻矢さんは、離婚も経験しているらしいので、それだけ世間に慣れていて、しっかりしていると、見込まれたのだろう。つまり、死んでもいない、井上ひさしの命令通りに動くのだから、ダブルスタンダードをすべての面において守らないといけないので、大ウソつきでないとできない作業だからだ。長女(長子)というのは、親から、大切に育てられているので、どうしても甘くなり、正義感が強くなり、・・・・・当然の事、ゆり夫人を許さないであろうし・・・・・ゆり夫人との交渉に、厄介な、局面が出るとみて、麻矢さんを指名した。

 ところで、麻矢さんの数多い戯言(ざれごと)のうち、もっとも、笑ってしまったのは、「父は、病院へは、歩いて通っていました」と、言うものだった。井上ひさし邸は、佐助稲荷に、入るトンネルの近所にある。トンネルの道路を隔てて、反対側にある。眼下に横須賀線の線路を見下ろし、東に、今日の主役である関本邸の、西側にある樹木を見る位置にある。我が家とは、目視が利かない形であるが、垂直距離にして、ほぼ、同じ高さにあり、水平距離にして、500~600m離れていると、考えている。尚、上の地図は、鎌倉市が使っているべースそのものが、古くて、最近、引っ越してきた関本夫人宅の表記がないが、平木邸の、真下、真南に位置している家である。

 その道なのだけれど、佐助稲荷を訪問した人は覚えていると思うが舗装が、旧坂特有の丸いわっかで、コンクリートに摩擦力を加えた舗装である。車が上がるのにきつい坂であることを語っている。そんな、道をどうして歩いて登れます? 瀕死の人がです。

 これは、その後、私が何度も、気が付く様になる井上ひさしの特徴です。ある一つの側面しか見ていません。で、全体像が見えない人です。

 彼は、死因が肺がんだそうですから、死ぬ前は、一応病院に通っていたのでしょう。普通なら、特権が通る代々木の、共産党病院へ通う筈です。だけど、死ぬほどの病気ではなかったから、そこには通っていません。そこに通うのだったら、行きは駅までタクシーを使うでしょう。そして、帰りも裏駅(一般の駅だと、西口という場所、鎌倉では、特に裏駅という)からタクシーで自宅まで帰るはずです。

 しかし、病気ではないから、一切車を使っていません。それで、鎌倉市内で、噂になることを恐れて、歩いて通ったと、言っているのです。さて、歩いて通院すると仮定すると、旧佐藤病院(現在は、かまくらふれあい病院と変更)が、もっとも近いです。しかし、駅まで、シャトルバスを運行させている、額田病院の方が近いと、言うべきでしょうか? 額田病院以外の、ヒロ病院も、清川病院もシャトルバスを運行させていません。

 NHKニュースを占拠して、あれだけ、長時間で、かつ、大騒ぎの死亡ニュースだったのだから、当然主治医の記者会見があっても、しかるべきでしょうね。彼は、自分を天皇陛下よりもえらい人間だと、自認をしているのですから、当然デスマスクも作られたはずです。今から出てきてもだめですよ。生きた顔で作ることはできると思いますので。でも、レーニンは、死体が、保存をされていますね。デスマスクぐらい、当然に作れと、本当に死んだのだったら遺族に言っておいたと、思います。死んでいないのです。

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副題5、『小沢昭一と、菅原文太の追悼番組を作らなかったNHKは、小林カツ代さんのものは作った。なぜなら、彼女は、【マガジン9条の会】を作り運営をしていたからだ』

 ですから、小沢昭一と、菅原文太の、死亡特番を放映させなかったのです。小沢昭一は、日経新聞文化面に、コラムを除けば、全面記事として、長い追悼文を寄稿しました。まあ、依頼をされたのかもしれません。その中で、・・・・・・井上ひさしに、は、性格的に、狷介なところがあって、彼に困惑させられた人間は、多いはずだ・・・・・と、言う文章がありました。私は快哉を叫びたいぐらいでした。その通りです。私が、それに気が付いた、2007年ごろから、どれほど、彼に苦しめられてきた事か? 計り知れないほどです。

 でも、小沢昭一のために心配をしました。非常に微妙なやり方で、私を苦しめてくるからです。電話の逆探知などは、どうしても気が付きます。呼び出し音がなかなか、ならないし、なってからも相手(私の場合は、主人だけだが)長すぎるし、・・・・・そうなると、盗聴だって、当然に気が付きます。小沢昭一に何が起きたかは知りませんが、彼は、最終場面では、相当に苦しめられたはずです。

 その上、案の定といってよいほどに、NHKが、追悼番組を作りませんでした。そして、それ以外にも、小沢昭一は、抑圧されていると、思います。それは、現在最高の女形だと、私が言っている中村梅枝が、メディア露出が抑えられているのと同じです。

 小沢昭一は、海軍兵学校、麻布、早稲田仏文科と、学んできていて、知己も多いし、大変な大物文化人です。しかし、NHKは、特番を作りませんでした。

 菅原文太は、先代一校で、一年違いの先輩にあたります。父親が、現役の河北新報記者で、合間に、絵を描いている(ペンネーム狭間二郎)で、文化的家庭に育った菅原文太と、父親が行方不明になり、母親が育てられないと、思って、長男を選び取り、自分はカソリックが経営する養護施設に預けられた、井上ひさしでは、高校時代には、圧倒的な差があったはずです。それを死亡特番を作らせないと、言う形で、復讐をしたのでした。

 小林カツ代は、お料理の先生ですが、不思議なことにマガジン9条の会を立ち上げて、女性文化人を支配していました。で、そういう形で、私が、自分の文章を中堅とか、大手出版社へもっていき、宣伝をしてもらって、出版することを阻止していたのです。だから、死亡後に、特別番組を放映してもらえました。

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副題6、『養老先生の番組に戻ろう。東慶寺の場面が長尺とってあったり、上白石萌音のナレーションで、先生は、100冊の本を出版され、とか、出てきたり、養老先生の心筋梗塞の話が、「歩いて病院へ行ったのだけれど、即座にICUに、入院となってね」とか、「太い血管でなくてよかったと」か、言う部分が、どうも我が家に対する当てつけの様な気がしたりして、

 私は、三月10日(または、12日)に放映をされたものとは、相当に編集が変化しているのを感じ取り、

 したがって、養老先生の顔が、のっぺらぼうになってしまった様に感じて、ずいぶんと水っぽくなったものだ。第一回目のものと比較をするとと、考えた。

 特に井上ひさしが、自分のしのぶ会において、舞台がある会場を選び、その舞台に、400冊だと、言う彼の著書を並べて、誇示した件を、上白石萌音がなぞっている様な気がした。次の日のあさイチに林真理子が、出演したのも井上ひさしの事故防衛力の発露だったから、

 私は、テレビをこれほど、重要視して使う彼だから、もうコメントは来ないものとすっかり安心をしていたのだった。

 それで、最近は園芸の仕事に熱中をしていた。チューリップを育て始めて、6年ぐらいになる。フリージアを育て始めて、四年ぐらいか。ラナンキュラスを育て始めて三年か? クロッカスは、五年程度。全部球根が増えてきて、株分けとか、球根の堀上げが大変な作業になっている。球根をいつ彫り上げると小球があまりできない形で、掘り上げることができるのだろうと、それを、研究しつつお世話をしている。本年度は、チューリップの自分が去年収穫した球根の栽培を入れると、大小、40鉢程度育てたので、本当に大変だ。

 優先事項としては、自己防衛のために、ご近所問題をさらに、書き上げる方が、先だとはわかっていた。しかし、園芸の仕事は、心を、あらう仕事であり、彼らの悪意から、逃れられる仕事でもある。で、神様の恩寵を信じている私としては、自分の心を・白紙・な段階にし得る良い種類の仕事として、熱中をしているのだった。でも、彼らは、私が行き詰っていて、逃げていると考えたらしい。それで、恐ろしいことを、4月30日の、金曜日に実行をした。さすがの私も彼らのあまりにもな、強引さには、びっくりした。で、下書きとして、簡単な状況描写を試みている。

 それを公開しなかったのは、おそれからではない。その高枝切りに至る前段階の説明が、一般の読者様にはまだできていないと、考えた。前田清子さん、小野寺夫人、安野夫妻、平木夫妻、井上(岸田淳平)さん、大原光孝さんなどには、わかっていることだが、

 一般の方にはまだ説明が足りていないところが、いっぱいあるのだ。まだ、五章ぐらい先に書くはずのことを、実行行為が先に来てしまった。それで、事実だけを羅列している。井上ひさしが、五月1日、夜の、七時半によこしたコメント内で以下の様に言っている。

貴女って「~と思う」という話が多いですね。多過ぎます。それを『下衆の勘繰り』というのですよ。
あらゆる事象を負の感情で受け止め、貴女には何の関係もない事柄を自分と関連付け、一人で憤ったり怯えたりしている。全く馬鹿々々しいものです。と同時に哀れでもある。
早く息子さんにすべてを話して病院へお行きなさい。

 で、このコメントの中の、・・・・・「~と思う」という話が多いですね・・・・・・というところに、特に刮目をして以下の文章をさらそう。これは、他人には、非公開のつもりだったので、例の、直木賞をとっていない人間としての、遠慮や、気兼ねがなく、

 ストレートに事実を語っている。これを非公開にしたのは、ただ、単に、まだ、説明が足りていないので、非公開にしただけだ。いずれ、説明後に再度、これを使うつもりだった。で、皆様には、前段階の説明が抜き出し、骨組みだけしか書いていない文章だが、井上ひさしのコメントが、なぜ、寄せられたかという、原因として、これを本日、さらしたい。

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副題7、『2021-4-30の、夜に書いた下書き。関本夫人宅の、高枝切りについて、書いたもの』

 関本家の方から、早朝に音がする。それほど、大きい音ではないが、ヤナギサワノボルがよく使うケルヒャーではないと、思う。で、見に行く。関本家で、草刈りをしていた。それで、音が小さかった模様。私は、午前4時半ぐらいに寝たが、8時15分に目覚めた。それで、最初は、眠らせないためなのかと思ったが,音が、最初は、小さかったので、起こすことが目的ではないと、思い至る。

 結局は、鎌倉市が、援助して、(ただし、現在の担当者、小林某吏員によると、最高額50万円までとなったそうだ。)尾上共同事業体が、100万円請求すれば、関本家は、無償で、枝払いができる。したがって、日あたりをよくすると、言う工事を、ほぼ、すべての家(南側が高い家)に施した。が、我が家だけ、取り残すと、言う方向でのいじめの実現である。

 ところで、適当な質問を尾上共同事業体へ向ける。彼らは、これが、市の事業だと、言う。しかし、どう考えても危険木(樹木)ではない。彼らは危険がけちの工事だと、言うが、絶対に違う。それを、件か風にではなくて、からかう風に、話していった。ともかく、現場監督が、若い人間である。大卒か、どうか、それから、経営者の孫かどうかを聞いたが、否定していた。

 まあ、我が家の足場組立会社も、本当の実力者ではない人間が責任者であったので、こういう世界も大卒か、そうでないかが、物を言う世界なのだと、思い至る。

 しかし、ブログで、鎌倉市、松尾崇市長、阪中英夫、伊藤玄二郎、一派の、富沢家の、高枝切りと、相当に、似通っていて、ほぼ、同じコンセプトを含んでいるが、よくやりますね。今時・・・・・と思うほかはない、工事遂行である。

 そこへ、柳沢登が出てきた。威圧するためだろうと、思う。ただし、かれは、午前中、買い物に出る傾向があるので、それで、自然なものかもしれないと、思いながら、観察をしていると、彼は、尾上共同事業体へ向かって、「ご苦労さん」といった。いかにも慣れていると、言うか、親しいと、言う感じでいった。

 それで、この工事が、これまた、伊藤玄二郎の発案で、行われたことが分かった。特に尾上共同事業体側が、ヤナギサワノボルと知り合いであると、言う感じを示した。とても仲良しであると、言う感じを示した。電話等で、あれこれ、話をしているか、朝、来た時に、話を交わした可能性はある。ヤナギサワノボルと、言う人間は、それが、伊藤玄二郎の役に立つと、思ってあれこれをやるのだが、いつも、反対の公開を上げるのだ。面白い頭脳の持ち主だ。というか、中途半端に、自分を賢いと思っているおバカさんだから、大変役に立つ存在だ。

 彼らは、朝の七時に来たそうである。

ともかく、すごい、強引さだと、思う。

焚火に関して、大昔、私は、岸田淳平夫人に、誤解に基づいて叱られ、小野寺夫人からも、2016年激しい叱責を受けている

2021-04-29 21:18:58 | 政治

 このブログに対する復讐だと、思うけれど、強引なこと極まりない。

『よくやりますね』と考えていたら、呼び鈴を押してもいないのに、関本夫人が出てきた。

で、「これは私費で、やる工事です」といった。その時、割とはっきりと、あなたは三井物産勤務でしょうと、言うと、又否定をした。だが、どう考えても、三井物産勤務だと、おもう。それで、もし、それが嘘だとすると、「この工事は私費で、行う」というのも、嘘である可能性が高くなる。それで、決して喧嘩という風ではなくて、「だけど、尾上さんの方は、市の事業だと、言っていますね」というと、

 尾上共同事業体の、方が突然に割り込んできて、「西側に危険木があるのです」といった。それで、「それも、今日やるのですか?」と聞くと、「違う日にやるのです」だって。

 それは、私が徹夜した日にやるのですか。ともかく、この請求書は,本年度が終わるまで、出ることはなくて、最初の約束通り、関本家は、ただで、日あたりをよくしてもらう、工事をやってもらったと、言うことになるのだろう。と言う事は、平木家、前田家(中谷家のこと)、安野家の工事は、すべて、市のお金で、行われたと、言う私の想像が正しいと、言うこととなる2016年の富沢家の高枝切りも同じことだ。

 今日、工事を強行したことと言い、彼らは本当に強引だ。驚くほど、強引だ。去年の四月の15日から、28日までと同じ。伊藤玄二郎の意思だろうか? それとも松本、警察庁長官の、手法なのだろうか?

 ところで、また、みずほ銀行の通帳が、磁気が薄くなったそうで、使えなかった。これは、みずほ銀行が行うのか、それとも警察が行うのか? また、磁気が薄くなっているのではなくて、画面が、そういう警告だけを出して、川崎千恵子という名前だけで、ストップがかかるのか。

 みずほのスパコンを、操作しているのが、私ではないので、わからないが・・・・・まあ、ここで、こういう風に書くと、この現象は、繰り返されるであろう。別に気にしてはいない。でも、書くと、気にしたことになり、何度も繰り返される。郵便貯金が、一月に同じ現象に見舞われていたし、これで、本年度に入って、三度目である。

 ところで、ここで、関本夫人が二つ、明瞭な嘘を言ったことは語らないといけない。それは、お子さんに、電話口で、「逮捕するぞ」と言わせたこと(後注1)と、町内会役員を一回抜かされたこと(後注2)を、二つとも、その日には、否定をした。と言う事は、私のブログを読んでいないと言う事だと思う。それは明瞭にブログに書いてあることだから、今更否定をしても間に合わない。特に昨晩(前報3)、それを、簡略に繰り返して、書いているのだから、もう少し、上手な対応をとらないといけない。と言う事は私のブログを読んでいないと言う事だ。それは、それで、こちらも使える事項ではある。

  今、午前三時です。寝ないと死にます。で、ここで、寝入ります。説明不足だし後注などが、まだ付いていませんが、実名を付記します。

雨宮舜(本名、川崎千恵子)

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