銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

ケーキの話、

2010-06-30 02:34:36 | Weblog
暑くなりました。本日今、サッカー対パラグライ戦が終わったところです。

 ちょっと閑話休題といったメッセージで恐れ入りますが、ケーキの話です。

 今日の写真ですが、お皿は23センチの直径があります。たまたまイチゴが粒の大きなものだったので、ケーキが小さく見えますが、結構ボリュームがあり、食べでがありました。二人住まいですから、二日間、五回ぐらいショートケーキを食べ続けました。満足しました。自分で作ると格好は悪いが、量的には大満足をします。

 生クリームを塗りつけるときに、ナイフでやります。それは、油絵を描くときに、ペインティングナイフというもので、分厚く絵の具を塗りつけるのと、要領が似ています。パティシェと呼ばれる専門家がやる仕事とはまったく異なる乱暴さです。

 ただ、天然の素材を使うので、シンプルでおいしいです。今のところ、洗練度はまるで足りないが、私が作るクッキーは、おいしいと言われますので、それなみにおいしくなると、うれしいなあと思っています。クッキーだけは冬なら、三日に一種類作っています。夏は、10日に一回ぐらい。だから、あまり考えなくても、おいしくできるようになりました。

 このごろ、バイキング挑戦のおかげもあってか、体重が50キロになりました。大学生のころ、52キロだったのが、生涯最大体重です。ずっと、45キロ程度だったので、うれしいですが、体重があっても、予想していたほど、体力が増えるわけでもないのは、年齢のせいでしょう。残念ですが、自然には逆らわないようにして、生きていかないとだめだろうと覚悟しています。

 ところで、私がよく、同窓会で、「あなた、少し、太ったでしょう」というときには、それは、祝福の言葉なのです。太りすぎもだめだけど、やせすぎも、だめだと思っています。私に言わせれば、ダイエットなどはもってのほかです。

 自然に任せたほうがよいという考えです。そして、日本人なら、その食事に野菜が含まれている割合が多いせいか、決して、あのアメリカでよく見られる巨体には、ならないだろうから、ダイエットなど必要ないわよと、考えています。

 ダイエットは、さぷりという名前で代表をされる、それ用の食料を売る会社の金儲けの餌食になるだけだと考えています。あ、また、教訓をたれてしまいました。お許しを。

            2010年6月23日 送るのは、29日 雨宮舜
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こんなに喜んでいいのかな?、ほっぺをつねろう

2010-06-29 14:31:00 | Weblog
下の頁は過去にも何回もご紹介をしたことがあります。インターネットサーフィンになれていらっしゃる方なら、すでにご存知の頁でしょう。

これから、パラグァイ戦があるわけです。その結果がどうあれ、この加藤佑子さんの文章は生きていますから、ご紹介し、お知らせをいたします。では、2010年6月29日雨宮舜

世界も認めた「岡ちゃん、ごめんね」 勝っても負けても偉業は消えない <ゆるふわサッカー+JAPANなニュース>(gooニュース・JAPANなニュース) - goo ニュース
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ご老公の印籠としての、伊藤滋座長(相撲界のごたごたについて)

2010-06-29 02:40:54 | Weblog
 今、7冊目の本の編集兼、製作に入っていて、疲労困憊しています。アドビ・イン・デザイン・スートCSIIという編集用ソフトが、パソコン内から行方不明になってしまいました。これは、2007年から何度もおきている現象で、『絶対に、本を作らせてやらないぞ。特に軍産共同体に関する文章なんか、紙の本には、させてやるものか?』という海外の組織からの攻撃でしょう。

または、その支配下にある日本国内の組織からかな?。

 こういうことは2007年から明瞭に起こり始め、二万回ぐらい障害を経験しているので、そのたびに違うルートで、パソコンを働かせて、本を作ってきたのです。特に六冊目までは、内容としては、芸術に関するものですから、『これを出版させないとは、何事だ。ひどいぞ。CIA』 などと、完璧に怒っていたのです。でも、CIAは、窓口がないですから、文句をどこへもって行っていいいかがわかりません。

 だから、黙って我慢をして、工夫の限りを尽くすのです。

 『これは、ADBE社が、アメリカの会社だから、余計にこうなるのでしょう』と考え、JUST SYTEM(一太郎を、作っている日本の会社)のPDF化ソフト**(ただし、データ編集もできる値段の高いバージョン)**を使っているのですが、それも、最近、パソコン内から、行方不明にされてしまいました。

 日本の会社のものといっても、基本部分はADOBEのソフトを使っているらしいので、自由でもないわけらしいです。最初は本当に削除されたものだと思っていましたが、再度インストールしようと思っても、できないので、5000円もサポート代を出して、アドビ社に問い合わせると、再インストールできない場合は、表面上、見えないだけで、本当は削除をされていないのです」とのこと。

 そうか。どこかで、電気の進路を、右(+)へ行くべきところを左(-)にされたんだ。と、納得をします。このようにして、パソコンの知識をどんどんためていきます。それで、最初はびっくりして、パニックに陥ったりしたけれど、今は、落ち着いて、『ふんふん、やりましたね。CIAさん。ところで、どの文章が原因だったかな?』と考えるようにしています。最近では、小沢一郎元民主党幹事長を、国際的軍産共同体の、かわい子チャンであるというと、か、雅子様は、日本人のこころに刺さったとげであるとか、

 映画『コーヴ』は困ったものだとか、真央ちゃんはかわいそうだとか、書いています。

 なるほど、それらはみんな真実だったのだ。真実でなければ、紙の本として、出版しても、誰も何も困らないはずだ。困る連中がいるのだ。だから、真実であり、妨害は、国際的軍産共同体から直に受けている・・・・・と、感じています。

 でね。我が家だから、直に、インターネットやら、山の中におかれた大型無線ルーターの技術を使って、妨害されるのだから、ネットカフェでやろうとしていて、過去三年間は、主にネットカフェに、自分のパソコンを持ち込みながら仕事をしていました。すると東京都が条例で、ネットカフェは、身分証を提示しないと使えないと言うことに、しました。

 7月1日から有効の都条例だそうです。これって、ネットカフェ業界は、おお迷惑の、商売つぶしといえますね。警察は、こういうことをするのです。

 となると、私のパソコンに侵入して悪さをしているのは、警察かな? CIAじゃあなくて、警察がやっているのかな?
 ともかくにして、そうだとすると、これは、こっけい極まりない構図です。

 だって、警視庁を統括する石原慎太郎知事は、もと、青嵐会で、中川昭一、元経済産業省、大臣と同じような発想を持つ人ですよ。そして、中川元大臣と同じく、一種のいじめにあってもいるのに、私が本を造ることを妨害する方に加担をしておられるのです。

 こっけいなる悲喜劇です。そして、驚くべきことに今、図書館で、パソコンを使ってはいけないこととも、なっています。これは世界基準に照らし合わせると、ものすごくおかしいです。日本のように、発達した国で、図書館でパソコンを使ってはいけないなどと、奇妙極まりないです。

 しかも、秋葉原にある図書館は、部屋が大変狭い、千代田区図書館の一支所ですが、ガードマンが二人も雇われていて、ちょっと、パソコンのふたを開けただけで、飛んできて、『使ってはいけません』と命令しました。

 変ですね。世の中、緊縮財政で、すべて、無駄をしないようにと、社会全体の流れがまとまっているのに、こんな無駄な措置に、二人もガードマンが雇われているのですよ。本当におかしいです。
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 で、やっと、今日の主題の相撲に入ります。伊藤滋座長と、その決定について、私はいろいろ、土、日のうちに、書くつもりはあったのですが、限られた体力の中で、どっちを優先するかなと考えて、土日も、本日月曜日も、本の編集と制作に時間をかけました。

 ですからいつものように、A4の紙数枚程度の長い文章が書けません。で、結果として、非常に簡略にいえば、『諜略としては、基本線は抑えてありますね』ということです。

 『伊藤滋座長にだれも、文句を言わせないぞ』というポイントが抑えられている、人選であり、その答申結果には、どこからも文句を言わせないぞという種類の決定でした。

 氏は、建築が専門で、ハーヴァードへ留学済み。
 元、東大教授にして(正しくは名誉教授と呼ぶ)、現早大教授、
『ふむ、ふむ。鶴田卓彦、横綱審議委員会委員長より、実力はないが、頭がよいとみなされている人なのだ。
 それをトップに持ってきて、『日本国・庶民よ。お前ら、いうことを聞け』というわけですね』・・・・・

 わかりました。わかりやすい構図です。特に作家伊藤整の息子だそうですから、一種の貴種であり、二代目の貴公子というわけです。 

 私ぐらいの年齢で、スノッブ気質が残っていると、『は、はー。かしこまりましてございます』と言いたくなってしまいます。が、私の考えは、この問題がこの世の中に露見をし始めたときから、一切変わりません。

 だって、この構図って、週刊朝日のコラムニストであり、東北大学で、修士号をとり、しかも東北大学の相撲部のコーチに就任した、西舘牧子さんがたどったルートと同じだからです。

 つまり、相撲愛好家である。が、本物の相撲取りではない。しかし、学歴があって、権威がありそうに見える。もちろん、伊藤滋氏は、博士号をお持ちでしょう。しかもWIKIPEDIAを検索すると、肩書きもずらっとある人です。

 だけど、私は、氏を、日本文化と、相撲界に対する、弱体化をさせたキーパーソンとして、その悪業を、記憶すると言う形になると思います。ずっと、将来とも。そういたします。

 これは、朝青龍を擁護した、輪島大士氏の影響力の拡大を恐れた、鶴田卓彦氏と、その裏側に存在する、国際的軍産共同体の代理人の、画策のひとつにしか過ぎず、日本国民にとっては、迷惑この上のない行為でしかないです。
 50年後、100年後は、私の認識のほうが正しかったとなるでしょう。
ま、後の祭りといってしまえば、そのとおりです。だけど、この流れを作った、西館牧子さんにどうして、取材陣は今、殺到しないのだろうか? 怠慢ですね。社会部記者は。

 でも、上司からそれをすることは、抑えられているのでしょう。今の新聞記事は、すべて、強者の恣意へ迎合するように、作られたものでしか、ないです。

 ともかく、今のプロのジャーナリストは、すべて、飼いならされているみたいです。
どうして、横綱新議員委員会は黙っているのですか? 山田太一氏は、審議委員の一人でしたよね。どういう考え方をなさっておられるのだろう。私は、聞いてみたいです。こちらにも是非取材に行ってほしいです。

 こんな歴史的・文化・破壊・行為を、たった、五人で、特にいえば実質的に表に見えている人は、伊藤滋座長一人、が、行っていいものでもないです。日大相撲部の貢献を、ないがしろにする、この流れは、非常に忌まわしいです。東北大をかさにきた権威で、大横綱、朝青龍を、引退に追い込んだ、西館牧子さんが、猿芝居の主役として、数年間にわたり利用されたのが、すべての発端でしたが。

 彼女だけではない、キーパーソンとして、伊藤滋氏は、その名前を長く、世に中で、記憶されることとなるでしょう。技術屋さん特有の、政治センスのなさが、この役を引き受けたり相撲取りたちに対して、処分の決定を下した、ポイントと感じられます。相撲界は、壊滅的打撃を受けました。

 この構図って、中選挙区制度、導入に、決定的な役割を果たした、久米宏氏のそれと、そっくりです。その業界の専門家ではないのだけれど、えらそうにして、舵取りをとる。しかし、その結果は、国民にとって最悪のものである。それと、流れがそっくりです。久米宏氏とは、テレビ朝日の当時の大・人気番組、ニュースステーションを舞台にして、大衆操作を行い、中選挙区制度に、もって行ってしまった人材(?)です。

 当時もおびえていると、公言されていましたが、五年ぐらい前にたまたま、半蔵門線の中で見かけました。見つめる私の、小さい目から出る、やや弱めの視線さえ、受け止められないほど、おびえた人でした。ご自分の潜在意識の中では、自分が何をやってしまったのかが、きちんと、わかっている人でしょう。気の毒なことに。
             2010年6月28日               雨宮舜
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スイスの秀作映画から、地域社会と、老人問題の解決を教わる

2010-06-28 00:20:07 | Weblog
マルタのやさしい刺繍(スイス映画)から、地域社会と老人問題のよき解決を教わる

 BSジャパンで、5月11日にスイス映画、「マルタのやさしい刺繍」というのが放映をされ、たまたま情報に気がついて録画しておきました。主人公マルタは70を越す老女です。それに日本では有名なひとでもない。だから、どうして、BSジャパンがこの映画を今、放映するのかが疑問でしたが、終わってみると、映画そのものは大変な秀作で、教えられることが多くて、なるほど、と、疑問が解けました。

 この文章はそれを知らないまま、書きましたが、実は、日本映画『おくりびと』と同じく、アカデミー外国部語門賞を2006年度にとって、スイスでは、その年度第一位の観客動員数だった映画だそうです。


 老人問題、現代の恋愛やら、不倫の問題。伝統と、近代化の問題。二世代、または、三世代同居の問題。老人ホームのあり方。等々について、テーマ設定をして、だんだんと解決策を示していく映画です。

 人間は年をとると、病気になったり死ぬということ。地域社会の連帯と、その忌まわしい側面。映画の中には、次から次へと、課題が提示され、それらが、終盤に向かって、好ましい(と、思われる)終焉へ向かって解決をしていきます。

 その最終場面で、ドラマチックな展開を見せるのが、合唱祭です。スイス沿面タール地方が舞台ですが、合唱祭が、なんと、野原で開かれるのです。高原で、なだらかな山というか、丘に囲まれた、美しい野原で、合唱祭が開かれ、聞いている人たちは、設置されたテーブルで、一種のピクニックをかねた飲食をしながら、発表を聞いていきます。

 合唱コンクールとか、合唱祭(文化祭)は、日本でも活発に行われているはずです。横須賀市とか、藤沢市は市の人口や広さが適宜なのか、大変活発です。鎌倉は比較すると静かで、コンクールはなくて(?)発表会だけだと思いますが、長谷コーラスという団体は、全国制覇したこともあるほどレベルが高いと、聞いています。

 スイスでも日本でも、これが、地域住民間の親睦を高めるよい習慣と、なっていることを知りました。ただ、大きな違いは、ひとつの団の人数(規模)の違いです。日本では、ほとんどの団体が、30人以上で運営され、必ず市の文化会館を使って発表が行われます。いわゆる箱物です。日本全国、どこの町にも、収容人数、1000人以上という、文化会館があって、そこで、この主の催しが行われます。葉山はまだ、市制を敷いていないと思いますが、それでも、立派な文化会館があるのは、知っています。

 日本のほうが、スイスの伝統をまねしたのかどうかは知りませんが、スイスでは、箱物ではなくて、野原でそれが、開かれるのは、自然破壊とかを、起こさず、したがって過剰な税金も取られず、それゆえに、そこにたかって(?)お金をもうける人もおらず、規模として、大変人情味がある運営をされていることを知りました。

 日本だと、合唱団の団員はバスや電車を使って練習場へと集合すると思いますが、この映画ないでは歩いて、集まれる(ひとつの村単位)の規模である模様です。

 この間、カンブリア宮殿という、番組にグリーの社長さんが登場して、今の若者が、ゲームをインターネット上で未知の人同士でもやり、それと、同時進行的にチャットというのをやり、それで、コミュニケーションをとっていて、その際のツールとしてのゲーム等をコンテンツということを私はしりました。が、合唱(団)も有力なコミュニケーションツールなのです。ただし、老人が参加している割合が多い模様です。現役の若い人はよほどの音楽好きでないと参加していません。特に若い男性の参加は少ないです。

 この映画内で登場する町(または、村)は、スイスの首都ベルンへ、バスで、三十分から一時間のところにあるという設定でしょう。美しい自然(低い山)に囲まれた谷間にあり、300人から、500人程度の住人がいるという設定です。

 だけど、老人ホームが存在するので、近代化もそこから入ってきていて、インターネットで商品を売ることが、大きなモチーフともなっています。主人公マルタは夫を亡くしたばかりで、生きがいをなくしています。でも、ちょっとした瞬間に昔とった裁縫という杵柄を思い出し、下着ショップを開くことを思いつきます。その下着(ランジェリー)というのが忌まわしいものと見なされ、周囲から、なかなかの反発を、招き、ちっとも商品が売れません。

 そこへ、老人ホームへ入居している社長夫人(同じく未亡人だが、教会を通じて、主人公と知り合っている)という都会人が、老人ホーム内のパソコン教室で、先生と協力して、インターネットの知識を得て、マルタを助けます。

 ところで、こんなしみじみとした文芸映画なのに、ちゃんと、悪役も設定されており、そちら関係のエピソードも充実していて、思いがけずもはらはらします。展開が単純ではないのです。もし、レンタルDVDが手に入ったら、ご覧になるのをお勧めします。特に、60歳以上の人には共感やら、指針を仰げるはずの映画です。

 たとえば、子供世代から、施設(特別養護・老人ホームとか、病院)へ入ることを願われたときにどう対応するのがよいのか? とか、子供世代との価値観の違いから、自分の生きがい(たとえば、マルタの下着ショップ)を奪われたときにどうしたら、よいのか、などが、含まれています。

 日本とスイスの状況がだいぶ違うから、すべてが移入できるわけでもないが、考え方の上で、なるほど、そうなのか? と、教えられる点は多かったです。普遍的な問題に触れたよい映画でした。

 さて、この文章を書いた後で、偶然、であった未知の人二人から「その映画は銀座のシネスイッチで、公開時に見ている」といわれました。おどろきました。では。2010年6月23日 これを書く
                            送るのは、28日、 雨宮舜
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『あ、そこが同じです。エデンの東と、北の国から』

2010-06-27 00:50:01 | Weblog
 遅く、帰宅して、BSで放映をされていたエデンの東をちょっとだけ見ました。というのも、劇場で昔見ていますので。ここで、再び全編を見る必要はないと、思いましたので。

 映画として、名作だと思います。特にテーマ音楽が美しい。一種の兄弟争いの話で、例のカインとアベルの物語のヴァリエーションです。こちらでは、お兄さん(しかし、双子という設定)の方が、父には、偏愛をされており、弟の方が突き放されているという設定です。

 これにはちょっとしたチャネリングを感じました。この6月23日、菅夫人が三鷹に住んでいらっしゃるということとの関連で、大昔の兄弟間殺しを、文章として書いていますので。

 あ、ここで、まったくの挿入ですが、カナダの空港のタラップを降りてくる、菅夫人はおきれいでしたね。めがねを装着なさっていても、きれいでした。夏用の着物も、特にさわやかな色と柄で。よかった。よかった。奥様としての自信も見えました。よかった。
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 元に戻りますが、
本日は大変軽く、エデンの東の、ごく、一部分についてのみ、お話をさせてくださいませ。

  それは、最終場面での、看護婦さんの扱いです。

 『おお、それは、北の国からのラーメン店の女子店員と同じですね』と今日突然気がついたのです。

 北の国からも、名作(ただしテレビドラマ)です。そして、その特番を84年にライヴで見たときにはまったく気がつきませんでした。伊佐山ひろ子さんの名演技で、泣きました。彼女は、ラーメン店の店員ですが、時間が夜遅くて、閉店時間を過ぎていて、早く家に帰りたいので、お客が、長話をしているのを好みません。でも、お客の方は、もろに真剣な話をしているのです。

 妻と別居という形で、東京から、富良野の、過疎地に帰ってきて、子供たちと暮らしている 一家の父親・五郎・に対して、長男・純・はそこはかとはない不満を持っているという設定で、小学校上級生時代から中学生まで過ごします。

 父には、下の妹、蛍がなついています。ここらあたりはよくあり得る設定です。

 で、父との間に、小さな違和感があるために、長男の純は大切な、場面でうそをついてしまいます。実は純の失敗(洗濯物を不用意にストーヴの上で干した)で火事が起こり、父が、苦労をして建てた、家(丸太小屋)が全焼してしまいます。一家は細々と、開拓した農地だけで暮らしているという設定ですから、貧しいので、これは、大変な失敗でした。

 そのときに、気弱な純をかばって、隣に住む、親友正吉が、自分の失敗だと言ってくれるのです。が、それを、純は覆して、真実をいうことができません。

 その正吉には、父親がいないのです。母は遠くで働いています。その母の職場は、居酒屋という設定で、これも、エデンの東に職業としては似ていますが、この点については、別に違和感はありません。

 母の性格が、とても、日本的で、だらしはないが優しいという設定です。エデンの東の方は、母の性格が大変きつくて、それが大きなモチーフとなっています。

 普段正吉は祖父と一緒に暮らしていますが、祖父が事故で、亡くなってしまい、母に引き取られて、富良野を去っていきます。

 その別れの悲しさの後で、やっと、純は、父に本当のことを告白するのですが、それが、駅前のラーメン店の中なのです。列車の発車時刻の関係から、ラーメン店に入った時間そのものが・夜遅い・という設定であり、いらいらした店員が、どんぶりを、台所へ、さげようとするのですが、父が、「まだ、こどもが食べているでしょうが」といって、彼女(伊佐山ひろ子演じる)をしかるのです。それは、今では、名せりふとして記憶をされていることも、知りました。
 非常に緊迫した、かつ印象的な場面です。

  今日、エデンの東でも、父と息子の心の交流が、やっと達成される場面で、

 それを、緊迫感を持って、盛り上げる人物として、埒外の雰囲気を持つ看護婦が登場するのですが、それは、まさに、富良野のラーメン店の女店員と、同じ役目をするのでした。

 つまり、主人公たちの心の微妙さと、繊細さを理解しない埒外の人物として現れるのです。

 今まで似ていることには、まったく気がつきませんでした。

  北の国からの方が複雑です。登場人物が多くて、しかも兄弟殺しが、テーマではありません。日本人としては、北の国から、・・・・特に、この84年(夏)ぐらいまで・・・・は、強く訴える、筋であり設定です。だから、批判心は一切持っていません。だんだん大人になってくるとやや社会問題を入れすぎる、感じで、???

 ところが、NHKの朝ドラ「おしん」については違和感があるのです。この筋って、アルプスの少女ハイジに似ているなあと思って。

 今、田中裕子さんが、NHKハイビジョン『蒼穹の昴』で、登場人物中一番ぐらいの、名演技を見せていらっしゃるので、かえってそのことを思い出して困ってしまいます。

 どうしてかというと、NHKの解説によると、田中裕子さんは、『おしん』の大ヒットで、中国で知名度が高いので、この役を割り振られたそうですから。

 ところで、以上は大変小さなお話でした。

 内館さんについて、3を書くと、昨日、申し上げましたが、それは、後日、
相撲協会というか、相撲そのものの、興行とか人気がどうなるのかの、推移をみてから、お話をさせてくださいませ。朝青龍を追い出して、琴光喜を追い出して、人気はどうなるのだろう。栃錦・若乃花、大鵬・柏戸、などの、好対決に熱中した時代を、思うと感無量です。本当に心配ですが、

                           2010年6月27日   雨宮 舜
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特権享受と引き換えに、相撲文化を破壊しぬく(内館牧子―3)

2010-06-26 00:05:44 | Weblog

 今日はさっと午前中に一本の文章を書くつもりでしたが、W杯、対・デンマーク戦をライブで見たうえに、さまざまなインターネット上のニュースに触れたりしてすっかり、遅れてしまいました。主人が帰ってきて、後ろで、テレビを見始めたので、「下で仕事をしますね」と告げますと、「人の悪口を書くんじゃあないよ」と言います。

 『なるほど、そうなるか。一般的にいえば、昨日かいた私の文章が単なる悪口と捉えられるのか。それも、ひとつの価値観だ』とは思います。けれど、今回の私の、一連の文章は、きわめて政治的な課題について考えるものなのです。だから、個人的な誹謗中傷ではありません。

相撲はスポーツの一分野ですが、そのスポーツそのものが、いわゆる『パンとサーカス』のひとつであり、大衆操作のために利用をされるからです。強者、が、金銭を獲得するときに、最も効率の高いことは、大衆からお金を集め、それを、上手に集合することです。それに向けて、強者が自分を守るために、常に、大衆への心理操作は行われます。
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 琴光喜を中心とする、野球賭博の問題は、この6月の第二、三週で盛り上がりましたが、同時に、WBC(捕鯨問題)の会議も開かれました。映画『コーヴ』もせっかく、上映中止になったのに、18日に、インターネットで、無料で解放され、続いて、全国七館で上映されることに、急遽変更された模様です。しかもその上映を支援するために、横浜で田原聡一郎氏と、さい洋一監督等が、シンポジュームも開きました。これらを総合すると、『ここで、日本を、一気に叩き潰しておこうぜ』という、国際軍産共同体の悪意を高く、深く、感じます。

田原総一郎氏は、テレビ朝日と、週刊朝日を中心として活躍するコメンテーターで、日本に小選挙区制を導入した人物です。さい洋一監督は、ほとんど、一本しか成功作がないのに、どこにでも、顔を出す、現在のマスコミ界、お気に入りのタレントです。

皆さんは、私の、こういう文章をお読みになって、気分が悪くなると思いますが、私がいつも健全であり、勇気を失わないで、書き続けていられるのは、以前にも申したとおり、神(天)は存在し、悪と、同時に天からの救いもあるのを発見するからです。まあ、サッカーの一次リーグ突破なども、そのひとつだと感じます。

それゆえに、悪を分析しぬくわけですが・・・・・皆様も天の存在と配剤を信じて、悪をどれだけ、分析しても、それを、蹴散らせ得ることをも、信じてください。
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 さて、私が相撲界の野球賭博の件で、一番、思い出したのは、これが、朝青龍の引退が、大いなる引き金になっているということです。あれが、決定的な流れを作り、相撲界が弱体化しました。だから、以前から行われていて、周知の事実であった、賭博に浸る力士(それは、ストレスが大きくて、お金があるので、遊ぶ可能性はあります)の存在が顕在化しました。事件とか、真実とかは、ちょっとしたさじ加減で、公にされたり、されなかったりします。そこに絡んでくるのは、強者の恣意です。

 朝青龍は、機敏で才能があり、やんちゃで、ファンから好まれている存在でした。ところが、ここで、内館牧子さんという脚本家が朝青龍を、排撃するコメンテーター兼、横綱審議委員会委員として現れ、強力に、彼の、非難を始め、それが、どんどんエスカレートをして行ったのです。
 原因は簡単です。朝青龍は、細木和子女史の人身御供、として、槍玉にあがるのです。細木和子女史が、朝青龍のタニマチ(強いレベルで、ファン)であるので、そうなります。風が吹くと桶屋が儲かるの類で、細木和子女史が、「日本を守りたい」というからです。日本が真の独立国となってしまうと日本からお金を引き出せません。だから、朝青龍が、攻撃をされ、排除されようとしますが、それを、国際的軍産共同体が、直接行っては、日本人が目覚めてしまいます。

だから、内館牧子さんの個人的な傾向と意見であることが、大切なのです。私は、朝青龍が、六本木で、誰かを殴ったとか、殴らないということが、報道をされているときには、なにも書きませんでした。それは、何か別の問題(天皇・習近平会見とか、真央・ヨナ採点疑惑とか)があって、そちらが、当時の私にとってはより重要で、朝青龍の件の解析の発表を、抑えていたと思います。

 今回書くわけですが、何が一番、問題かというと、NHKが放映をやめるとか、永谷園がコマーシャルを出さないとか、流れが、ヒステリックになってきていて、もしかすると、本当に相撲がつぶれるかもしれないと、感じ始めたからです。

日本とは『人気者が、リーダーとなること』が、もっとも、忌避されている国です。国がひとつにまとまり、対外的に、自らの国民を守る方向へ進んだら、この国から利益が収奪できないからです。だから、細き和子女史は嫌われ、その支援を受けているとみなされている朝青龍は、追い出されました。それによって、相撲は弱体化したのです。一種の三段論法ですが、そうなります。

 年によって、その金額は異なるでしょうが、この10年間で平均をとれば、一年に当たり、数千億円、または、数兆円のお金が、国際的・軍産共同体へ流れていると感じます。その一部分を還元して、日本の世論を操作し、マスコミを牛耳ることなど簡単です。

 それが、私のような一般国民にまで、見えてきたので、あわてて、官房機密費というものが明らかにされ、その使途として、マスコミへの賄賂があると、報道をされ始めています。この報道はないよりはあったほうがよいでしょうが、便宜的な傾向もあるものです。真実はもっと、奥深いものでしょう。または、日本国内のお金を使って、日本人民を支配し、搾取するための、コメンテーターを養成すると、言う方針があるかもしれません。この想像があたっているとすれば、それもまた、非常にたちが悪いですというほかないです。矛盾もここにきわまれりですが。
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 私はそういう流れを、ある程度までは、仕方がないと、思ってもいるのです。
 しかし、ここにきて、相撲という、日本古来(といっても、江戸時代からですから、300年程度ですが)の文化にもその悪意ある触手を伸ばし、徹底的にたたこうとしている動きを感じ、これは、分析して物事を述べないといけないと感じました。

 しかし、本日、2010年6月25日、には、急に問題を矮小化し、琴光喜を脅迫していた、元力士、Fを逮捕し、犯人を上げたという形に収束し、かつ、何とか、委員会を開いて、この問題を討論すると言う形に、収めようとしています。振り上げたこぶしを、この時点で収めようとしています。禁煙運動の、失敗をたどらないようにしようという意図も見えます。日本・国民は、本当に怒って逆襲を開始するかもしれないからです。

 この流れの変化は、私が、木曜日24日の午後に、触れ始めたから、おきた変化でしょう。これからも、二転・三転する可能性はありますが、木曜日の午前中までは、大火災と言う趣で、ニュースが琴光喜の映像を流していたのです。今週の週刊文春、と、週刊新潮の中吊りを見ると、この問題が、現在の日本のもっとも大きな問題であったかのごとくの、記事編成です。

 ところで、ここで、挿入ですが、大宅壮一氏は、こういう資料(週刊誌)を集めた資料館をおつくりになったそうですが、えらいです。こういうところに、きわめて生の政治情報を読み取ることができますから。また、これも想像ですが、もし、大宅壮一氏とか、藤原弘達氏が存命だったら、内館牧子さんの暴走を止めたような気がします。今のマスメディアに登場するジャーナリストは、飼いならされていて、まったく牙を抜かれています。
 二人の大物ジャーナリストが、内館さんに直接、小言をいったかどうかは不明ですが、マスコミ界の記者族に、「あそこまで、跳ね上がるのはどうかね」ぐらいのことを、おっしゃれば、自然にそれが、影響を及ぼし、内館さんも、どこかで、自己規制が働いたでしょう。

 朝青龍に、欠点があるのは、推定はできます。特に場所中に、夜の六本木に遊びに出かけ、殴ったか殴らないか、真相は、はっきりしないものの、一種のわなにはまったわけです。批判が多いのですから、自分は、わなにはめられやすいことは自覚して、行動しなければいけないのに、軽挙妄動でした。それに彼は、北朝鮮を訪問しています。これには、さすが擁護派の私だって、笑っちゃいます。苦笑のみぎりです。その訪問も、日本国民が決定的に彼を見放し、復帰できないように、するための、どこやらかから出てきた、もうひとつの、わなだとも、推定されます。でも、引っかかってしまうところが、幼いというか、無防備であるというか。モンゴルの議会選挙に出るといっていますが、政治的判断がまったくできない人間であることを示しています。国際情勢のことも、わかっていない人物です。だけど、単純で明るくて、相撲取りとしては、抜群の才能がある人です。こういう人は適材適所で、働かせてあげなくてはなりません。そうしないと日本という国が、精神的に暗くなります。

 横綱としても、優秀でした。そのポイントで、輪島大士さんも言っておられるように、品格があるのです。

 それを異常な、責め立て方で、引退まで追い落とした、内館牧子さんは、ご本人の、潜在意識と、意図とは別にして、国際的軍産共同体の、見事な鉄砲玉、または、核弾頭の役目を果たしていったのです。その裏には、上手に糸を引いていた、鶴田卓彦氏、週刊朝日で代表される朝日新聞側の人物、ほかの存在があったでしょう。

 その見返りとして、相撲界で、特別な特権が与えられ、彼女の、自尊心が満足をさせられて行ったと感じます。場所中、国技館を訪ねてもフリーパス(ただで入場できる)でしょうし、お弁当とかも出たでしょう。受付や呼び出し等の職員も、彼女に対しは、下へも置かぬもてなしだったと想像します。内心は『困った女だ』と思っても。

 彼女は相当頭のよい人ではあるのでしょう。だけど、女性特有の視野の狭さは感じます。そして、40代から、50代へ、かけては、更年期障害等もおきるもので、仕事一筋に生きてきて、夫とか、恋愛のパートナーのいない(?)彼女には、そういう変化とそれが、もたらすトラブルが、直撃をしたはずです。気晴らしが欲しい、逃げ道が欲しいという潜在意識に、つけ込んで横綱審議委員会の委員就任に、いたらせた、関係者は見事な策略家でもあります。しかし、ここまで、悪意が進捗すると、すべての真実が、国民の目に見えてきます。

 だけど、彼女の暴走で、相撲がすっかり、つまらないものになってしまったとすれば、それを、長い間、楽しんでいた日本人、戦後、50年間でも、延べ人口、数千万は越すあろうファンにとっては、大迷惑以上の存在です。だから、モンスター(妖怪)といわれるのです。もしかしたら、五十年間のファンの延べ人口は数億を、超えるかもしれません。そして、その間、床山やら、行司として、勤めてきた関係者をも、悲しませているでしょう。

 日本人は非常におとなしい民族です。『なんだか、変だなあ、これ』と、思っても、マスコミの流れに、逆らいません。でも、本心として、彼女を嫌っています。インターネット索引をすれば、苗字の段階で、妖怪と出るほど、嫌われているのです。『王様の耳はロバの耳』という類です。

 もちろん、彼女は国際的、軍産共同体に支援をされている人ですから、過去にも大きな支援を受けています。東北大学で、修士号をとり、そこの相撲部の、コーチをし、その日常が、NHKで特番として放映をされます。(この件は、別項目として、再び上げます。そこに、国際的、軍産共同体の、日本国民支配の構造の典型が現れているからです)
満足でしょう。『自分は、ほかの人と違ってえらいのだ』という自己存在証明の欲求(これは、五つの本能のうちの、ひとつだそうですが)は、大満足をさせられます。

 特に、日本人の、心を暗くする方向へ、役立ったわけですから、これからも、偉い人として、称揚をされ、さまざまな場面でのマスコミ露出が続くことは、推定をされます。特に私がこの件に触れ始めた、2010年、6月24日以降にまた、何かが企画をされて、テレビ、に登場される機会も増えるでしょう。

 だけど、私ははっきり言いたい。===あなたは、日本に住むとしては、決して尊敬をされるべき存在ではない。戦後も、65年たっているのです。経済的なことはともかくとして、文化面でさえ、これほど、支配されるのは異常であり、そういう、ポイントで、国際的軍産共同体に役立っているあなたは、歴史に残る評価(ただし、悪いもの)が与えられるべきであると。=== 

 ただし、それを、朝青龍の引退時に私が言わなかったのに、今、発言するのは、『相撲という文化の危機が、ここにきわまれり』と言うほどの展開を見せてきたからです。

 賭博は、以前から行われてきたと思います。イギリスでは、サッカーワールド杯も賭けの対象で、オッズが一戦ごとに変化するのは、日本人でも知っている知識です。しかし、今回は、またまた、マスコミがヒステリックに騒ぎすぎです。料亭吉兆の偽装牛肉事件と、同等の扱いで、NHKが名古屋場所を放映しないとか、永谷園が、コマーシャルを引き上げるとか。それは、行きすぎです。

ところで、国際的軍産共同体が日本人を精神的に、支配したいがために創出されるニュースは、ヒステリックな展開になるのが普通で、当事者を、追い詰める映像が、繰り返し提示されるのも、その大きな特徴です。さして、重要ではないことを、重要であるかのごとく、偽装して、本当の目的を抑えるために、意図的に、そういう風になります。

 料亭吉兆の、追撃は、日本経団連と、自民党政権時代の、蜜月を破壊する目的で行われました。装いは、店員からの、内部告発だったと思いますが、例のごとく、携帯メール等がすべて把握されている現在では、従業員の携帯から糸口を得ることは簡単で、その後、その従業員を呼び出して、内部告発を教唆すれば、ニュースは簡単に生み出せます。

 戦後65年もたつのに、ここまで支配をされるのは、人間性への真実の、冒涜であると信じます。ですから、ここで、発言をしました。私はこれから、先、10年後、20年後の内館さんの姿さえ、今現在で、予測をすることができ、ここで、書いてもよいのですが、武士の情けで、それは、やめておきましょう。五年後、十年後までは、国際的軍産共同体と、その配下の人材やら組織に守られるでしょうが、その後の、50年、100年はどうでしょうか。その具体的な場面とか、流れの予測をここで伏せるのは、相撲という遊びと文化を兼ね備えたものへの、攻撃の、過剰な流れを戒めたいという、この文章の本筋を守るためです。だけど、天の采配は、彼女にも当然のごとく下るはずです。

なお、彼女を擁護する発言をいただく場合は、原稿用紙、換算10枚を超える枚数で書いてよこしてください。それから、続報としての、『東北大学相撲部、VS 日大相撲部』ほか、の、ブログ文を読んでから、投稿してください。
では、2010年6月25日    雨宮 舜

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相撲って、娯楽でしょう? (内館牧子ー2)

2010-06-25 02:19:38 | Weblog
 基本は娯楽ですよね。

 内館牧子さんは、武蔵野美大出身だそうですが、絵とか、版画等では、特に銀座では一切作品を見たことがありません。もしかすると、ムサビで敗北感を味わった人ではないかしら? 学友と比較して、美的才能がないことに気がついて深いダメージを受け、それゆえに、脚本家という方向で、テレビ界の有名人になっていこうとした。でないと、あの偏執的な、朝青龍攻撃が理解できないのです。心の中の非常に深い場所に、言い知れぬ劣等感がある人のような気がします。私だって劣等感の塊ですが、それは、自己分析を果たして開放をしています。そして、自分なりにできる分野で働いていて、名誉やお金には関係がないが、達成感はなかなかのレベルで、味わっています。

 本は公刊でもないし、市販をされてもいないが、素直に最後まで読んでくださった方から、多くの批評(手紙を下さる場合は大体好評です)をいただいていて、それだけでも、幸せです。

 それから、私生活のほうですが、そちらも、普通のレベルで、幸せといえる方でしょう。内館牧子さんはBU-SUと言う映画の脚本を書いていらっしゃるようですが、私もブスです。でもね、ブスだから、親の勧めにしたがって、早めに結婚をしました。若い(当時の世間の価値観では、処女であること)だけが取り柄だと言外に言われていて、そのとおりかもしれないと思いましたから。で、その後、40年程度は、特権のない普通の人として、あらゆることを丁寧に、かつ、地を這うようにやってきたわけです。

 育児、横須賀での地域社会でのお付き合い、PTA(幼稚園だけですが会長までやらされた)、鎌倉でのコーラスなど、上野を中心とした団体展関係の付き合いのこと。銀座を中心とした個展関係の付き合いのこと。で、今、67歳で、「ま、いいか、これで」と思っているところです。

 ただ、パソコンが壊れたり、人間関係が壊れたりする裏に、言論弾圧の意図的な、仕組みを見つけてしまったので、それに対する戦いは、続けていますが、・・・・・それ以外は、ごくごく、温和に、目立たない人として、貧乏人(しかし、誇り高い)生活を続けているわけです。

 そして、病気関係ですが、下の子の出産以来、入院というものはしたことがないのです。病気にはなったことはあります。特に肩や背中がいたいのは、数ヶ月、死ぬ苦しみぬきました。西洋医学では、西田敏行さん級のハイクラスな手術(首の骨の拡張)をしないと治らないみたいで、「そんな、お金はないし」と思っていたら、主人が東洋医学的に治してくれました。数ヶ月はかかったけれど、ともかく治りました。それに、切った張った(がん関係)の手術も、したことはないです。

 ただ、眠られないことはあります。気が張っていて、緊張が過剰で、寝られない。だけど、次の日に、創作の上で、立派な達成をあきらめれば、二日後は、眠ることができます。で、その睡眠不足の日にさえ、前は出かけて、電車のゆれを利用して、5分から15分寝れば大丈夫といって、一日中東京で過ごしていたのですが、さすがに年なので、そういう寝不足での、低調な日は、控えめな行動をして家にいるよにしているので、他人に会うときは、いつも、元気いっぱいの様子らしいのです。で、あらゆる未知の(=私の実年齢を知らない)ひとから、「どうみても、60過ぎとは見えない」といわれます。

 基本的にはブスでも、外には、さわやかな感じをいつも、漂わせるように、努めています。つまり、工夫やら、節制やら、努力の上での健康・維持です。お金はまったく関係ないです。
 ヒアルロン酸、高麗ニンジン、ロイヤルゼリー、ビタミン剤等は、一切とっていません。

 ところが、テレビで、内館牧子さんを見ると、不健康に見えて仕方がないのです。私より、6歳も若いとは思えないほど、やつれて見えます。今グーグルで調べたら、心臓の手術をされたと出ていましたが、それ以外に、バセドー氏病を思わせる眼球と、行動様式を感じます。

 最近東北大学で、修士号をお取りになったそうですが、それでも、幸せそうには見えないのです。健康そうにも見えないのです。名誉もお金もあるし、江戸時代から続く娯楽のひとつである、相撲をまったく面白くなくしてしまった人で、たった一人で、朝青龍の引退の、筋道を作ったほどの大物なのですが、ちっとも健康だと思えないし、権威を感じないのです。尊敬の念が、湧き上がってこないのです。

 今、この文章を書く前に念のために、グーグルの検索をしてみたら、内館と、最初の二文字を入れるだけで、顔、妖怪、病気と、マイナスのイメージを持つ単語が三つも出てきました。

 私の場合ですが、その言論弾圧の弾頭として、私に接触してくる人があって、そういう際にいやなことがあれば、文章で、書き下ろして分析しておきますが、相手を具体的に、やっつけようとか制裁を加えようとは、思っていません。実生活では損ばっかりしています。
 そこが、内館牧子さんとは違います。このブログも毎日テーマが異なってくるでしょう。

 国際的、軍産共同体への追及は激しいのですが、それは、毎日の様に、パソコンへの攻撃が、加えられるからです。毎日敵側による、新作、新工夫としての、被害を発見して、それと、世間のニュースが、必ず連動しているのも発見しています。で、分析することとなります。だから、国際的、軍産共同体への分析ではベテランの域に達してしまっていますが、別に偏執狂的とも、自分では思っていません。被害が与えられなければ、自然に忘れるはずです。
 
 その弾圧が、最もひどいときには、顔に、しみができたり、小さいですが、いぼが五つもできたりしました。しかし、今は、そういう弾圧を、どういう風に処理したらよいかが、ほとんどわかってきていますので、すっかり肌がきれいになり、電車の中で、知らない人から、「え、67歳ですか? 信じられない。40代にしか見えない」といわれたりするようになりました。それも、一度や二度ではありません。海外にいるときも。

 いっさいの手当てとか、工夫はしていません。髪を洗うときのシャンプーが顔まで流れてくるのを利用して、石鹸も使わず、一日に一回顔を洗います。それだけで、最近は乳液も化粧水もつけません。洋服も木綿とウールを中心に古いものでも、丁寧に、ちょっとした刺繍を自分で、加えたりして楽しんで(上の写真も自分の刺繍です)、長く大切にきています。気取らない。飾らない。だけど、志は高く持ち、自分や、他人が幸せになれる方法はなんだろうと、いつも考えています。

 上の写真は、今年の六月十九日、クラス会でのものですが、今は7冊目の編集、制作に入り、毎日、12時間ぐらい、パソコン画面を見つめているので、目がやられていますね。こちらから見て、右目が半分つぶれている。他人のことは言えませんね。・・・・でも、引き続いていわせてください。顔の分析が終わったら、論理的かつ、政治的な部分に入りますので。

 しかし、すでに、午前二時を過ぎました。主人が
「お前がおきていると、こっちが、寝られない」といって怒っていますので、その政治的な部分の分析は明日に行わせてください。どうかよろしくお願いをします。

 今日は弾圧によってできた、いぼやシミが、「今現在は、それらが、自然に抜けました。思考を重ねて、この世の中の真実を追究していく課程で。目が肩チンバなのはひとつの愛嬌として、お許しをいただきたく」と、申し上げるだけに、させてくださいませ。                 2010年6月25日   雨宮 舜
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大相撲壊滅作戦を、ここで、阻止しましょう、一国民として。

2010-06-24 15:14:24 | Weblog
『大相撲の、存在自体が危機に直面しています』

永谷園が、広告を自粛すると言い出し、NHKが名古屋場所の中継をやめると言い出し、今、相撲が壊滅状態へ向かっています。今、相撲協会へ、「こうしたら、復活し、子供たちへ夢を与え、国民に夢を与え、得る」ということを提言する、英傑の存在が日本に存在していません。

私は菅総理を見守っています。選挙運動で忙しい。全国遊説中で、つかまらない、という形で、この問題に関与せず、相撲協会を救わなかったら『やはり、限界のある総理大臣だ。まあ、日本の総理大臣とは、誰だって限界があるけれ』と思うでしょう。

いえね。本当は少数ながら、正しい意見を吐く人は、いるのですよ。

朝青龍・問題・へ大局的、見地から発言を繰り返した、
舞の海、(これは、日経か、朝日新聞のコラムのはずで、ずいぶん時期的には前です。
輪島大士(これは、ウエブ・ニュース上で見ましたが、)は、

『相撲は勝てる、力士の、存在が欠かせなくて、横綱とは、勝つことで、それが、品格そのものだ』と、夕刊紙に書いたのです。二人とも、本筋を着いています。そして、日大、相撲部出身の、相撲界での、インテリです。

江戸時代から、ほぼ、300年ほど続く、伝統ある、この文化が、今滅ぼされようとしています。その橋頭堡が、朝青龍を引退させるか、引退させないかだったのですが、そこをいつの間にやら、崩されたので、後はなだれを打つごとく、攻め立てられています。今の相撲協会は、黄瀬側で、鳥の羽音に驚いて総崩れをした、平家軍に似ています。

日本人として、困るのは、後を襲う、源氏としての、別の相撲団体がないことです。アメリカか世界では、ボクシング協会は二つぐらいあるみたいで、こちらで、拾われなかった、選手やジムは別の協会で、上を目指すというシステムもある模様です。プロレスなど、まさしく、そのようですね。だけど、相撲はこの、日本相撲協会しかないのです。

捕鯨(伝統文化の一つ)は、滅ぼされ、かろうじて、調査捕鯨という名前で残っています。


今、また、大相撲が滅ぼされようとしています。
これも、はっきりいえば、国際的、軍産共同体の企図したことです。

朝日新聞社の、上層部から、秘めた命令、または、支援という名の、それを得た、西舘牧子さんが、先頭になって、その流れを作り、大体の世論が形成されたと、みて、

現在の横綱審議会委員長の鶴田氏が、乗り出してきて、今、決定的な段階へ到達しようとしています。その格好の手法として、野球賭博の問題が利用をされています。つまり、それを利用すれば、大相撲は自滅したという形になり、影にいる軍産共同体は、責め立てられず、身を隠していることが、引き続き可能だからです。

なぜ、大相撲を、つぶすと、国際的軍産共同体に、利益があるかというと
彼らは、日本人が目覚めることを異常に恐れていて、日本人が、ひとつにまとまりかねない、風潮を生み出す、ライターとか、コメンテーター、芸能人、ほかを、さまざまな理由をつけて、追い出し、失墜させ、意見を述べさせないようにしているのです。

ホリエモンしかり、草なぎ剛君しかり、木村拓哉しかり、福田康夫元首相しかり、れんれんとつぶされていった、または、つぶされかかっている人は枚挙に暇がありません。私なんか、とっくに精神的には暗殺されている存在ですが、これもまた、精神的に、ゾンビとして、しぶとく生き続けているわけです。それこそ、日本人の武士道精神の潔さ、神道精神の清潔さ、仏教精神の温和さ、キリスト教精神がもたらす、正義の感覚と、神の恩寵で身が守られているという感覚とか、・・・・・これら、それらを、すべて融合して、生き生きと生きているわけです。どんな攻撃にも負けないし、上に上げた、いったん、落ちて行かされた有名人も、やがて、復権するでしょうと、思っています。

人気者とは別に、「日本という国家がたいせつだ」と、言うコメンテーターの類も、片っ端から、引きずり下ろされていますが、その最初の大きな標的は、安岡生篤の流れを引く、細木和子さんでした。

『===彼女の威勢を、朝青龍を、引退させることで、完全に止められた===』と、みた、例の国際的軍産共同体は、『===予想より、はるかに大きなレベルで、勝てた。しかも早く、楽に。これは、しめしめだし、この手法をほかの問題へも採用をすべきで、捕鯨も、最後まで追いつめてやるぞ===』と今、考えているところでしょう。

世界中に相撲が放映されていることは、彼らにとっては、気に食わないことであるからです。
日本人が、楽しそうにしている温和なよい国民であると、いうイメージが世界に広まることが許せないのです。

野球賭博というのが発覚したのは、テクニカルに簡単な事なのです。今はケータイが発達をしていますね。それは、各個人のメールを含め、すべて、盗聴、ハッキングをされています。すべての利用者がです。分析については、しかるべきポイントへ、力が集中されますが。

その上、GPS機能がついていますので、あれは、一種の間接的な牢獄みたいなものでもあるのです。便利そうですが、私は、パソコンの段階で、上の仕組みのすべてに気がついたので、今現在、ケータイは、食卓の上に置いたまま、猫の写真を撮ることにのみ使っています。

でね、ケータイを警察庁(または、警視庁)が、監察しているから、こういう件の犯人などすぐわかります。後は逮捕のタイミングを、考えるだけです。

賭博は法律で禁じられています。暴力団と関与した力士は確かに甘かったです。
しかし、胴元自体が、これらの、国際的軍産共同体に、暗黙の命令を受けていたとしたら、どうなります? いわゆる深謀遠慮の罠として。たまたま、外国人力士の名前はいっさい挙がっていません。それも、こういう想像を強めます。

 つまり、これは、個人が始めた娯楽が、政治的に利用をされ始めたという形になります。
以前から、あったことを、ここで、明らかにする意味をみなさんも、お考えくださいませ。

 それについて、国際的軍産共同体との関与如何は、しりませんが、日大相撲部出身の力士が、輪島にしろ、舞の海にしろ、理論派で、長い目で、相撲を大局的見地から見ることができる模様です。だからこそか、今回の相撲賭博事件は、日大のある理事をめぐる人事の派閥が、大きく関与していて、日大の理事間の内部分裂と、そこからくる裏切りによる、ちくりが、原因だそうです。それは日大内の派閥争いが、関連しているとの記事が夕刊タブロイド新聞に出て、ウエブ・ニュースでも紹介をされました。

 その記事もある意味で正しいでしょう。しかし、それを、上回る構造が底流にあります。日大のある理事を失墜させることは、道程に過ぎなくて、真実の目的は、相撲という文化を日本から無くしてしまうことなのです。それは、土俵が、日本人の気持ちが集中するひとつの舞台であり、首相がそこに上って、千秋楽に「感動した」と叫べば、日本人の心が明るくなり、かつ一つにまとまるからです。そして、いわゆる国民の士気があがるからです。

 日本国民の士気が上がるとなぜいけないかというと、この弾圧の仕組みにやがて気がつき、反発としての、闘争、もしくは戦争を起こすと、彼らは、推定しているからです。どうしてそんな推定をするかというと、これこそ、心理学的投影という現象で、自分たちが、莫大なお金を日本から吸い上げて、さまざまな苦しみを国民に与え続けているからこそ、怖がっているのです。過剰なくらいに神経質に、いろいろな側面で、内部の日本人を使い、外部の外国、とか、外国人を使い、ありと、あらゆる、いじめ的、行為を与えてきます。
~~~~~~~~~~~

 こうなると、その裏側が却って、すべての国民に明瞭になってきます。このスピード感と畳み掛けるような勢いは、2009年の暮れ、小沢幹事長、豪腕説が、日本を覆った、あのヒステリー時代の再演です。今度は、キーワードが、小沢一郎幹事長から、日本相撲協会というものにかわっただけです。そして、方向性は、小沢氏へは、プラス、相撲協会へは、マイナスで、正反対ですが、その速攻性と、容赦ない、たたきっぷりはそっくりです。

 日本には、昔から中庸の精神というものがありました。これは、中国哲学が大本ですが、惻隠の情を発揮するとか、判官びいきというのは、日本で独特にはぐくまれた発想です。国際的軍産共同体にトップであると言われる、ロックフェラー一族と、その姻戚関係といっても、もし、フリーメーソンの支援を受けているのなら、歴史があるわけですが、それ以外の権力取得の過程を、考えるとほぼ、明治以降の発達です。日本の文化を理解しえるはずがありません。

 ところで、今回象徴的なことは、元の横綱貴乃花、が、うまく使われていることです。彼の屈辱感(今、弟子があまりいない。家庭的に問題があり、少年期に苦しんだ。奥様はもと、花形アナウンサーで、国際的軍産共同体が、支配をしているマスメディアと、通々である。

 あのね、盗聴や、ハッキングで、警察庁および、警視庁(これらは、基本的に、日本のすべての部署と同じく、国際的軍産共同体の支配下にあります)が証拠固めをしたのが事実だとしても、それを、表ざたにすることはできません。日本が現在情報管理の面では、一種の暗黒国家であることを、一般人すべてに知らしめてしまいます。だから、こそ、生きて具体的な生活をしている内部告発者が必要です。昨日、その内部告発者が、どこかのテレビ(もしかしたら、NHKに出てきて、堂々と内部を、さらけ出していました。その人間は元横綱貴乃花に親しい人間だそうです。

 さて、一番の皮肉が何かというと、横綱・貴乃花こそ、スターであり、一種の日本国民の結束の象徴であった、ことなのです。相撲そのものが、日本国民の、一種の結束の場でした。心のゆりかごだったのです。そのもっとも象徴的な場面が、小泉さんが土俵の上に上がり、「感動したー」っと叫んだ日でした。小泉さんが花束を渡したのは、貴乃花だったのです。その貴乃花が、哲学的、および政治的にいえば、今、もっとも大きな裏切り者の役目を、相撲協会へ、果たさせ・られ・ている。恐ろしいことです。私は長らく、貴乃花(元横綱の方)を心の中で、支援してきましたが、いまでは、彼はきちんと母親に育ててもらっていない、中身が無内容な人間であったと、評価を低くして、突き放さざるを得なくなりました。

 真央ヨナ採点疑惑問題が起きた後で、私には予定として、個展が入りました。これさえ、「もしかすると、文章を書けなくさせる罠かな?。ともかく、個展は50万円は最低でも掛かるから、ここで、一冊分の本の制作費は、雲散霧消をする」と、気がついた上で、引き受けていたのです。お話が入ったのは、まさしく、あの真央ヨナ採点疑惑問題を書いていたころでした。

 その後の私は、この急に入ってきた個展の、影響で、今年の本の制作が遅れてしまい、今、追いつこうと、必死に作業をしています。そういう中で、毎日ブログを更新している、私は、努力と奉仕のきわみの人間です。つまり、この日本で、一般国民の立場で、文化やら、言論の自由を守ろうと、必死に戦っています。
 でも、少しの間、本の編集に集中していて、政治問題には触れませんでした。
 そこを狙って、あっという間に、大相撲が壊滅状態へ向かわせられました。

 ここで、はっきりいいましょう。大相撲衰退の、第一の、戦犯は、西舘牧子さんであり、第二の戦犯は鶴田卓也、横綱審議委員会委員長です。そして、輪島とか、そのほか、能力や知力の高い、人間を、押さえ込んで、理事させず、彼ら有能な人間の代わりに理事になり続けた人材たち、特にそのトップは、自分たちこそ、相撲を殺していった人間であると言う、後世に長く続くであろう、歴史的な評価を、今すぐにでも、肝に銘じて引き受けるべきです。もちろんのこと、他者も、心ある存在はすでに、その冠を、あなた方へ戴冠しています。

ここで、AOLや、goo blog の規約に触れます。半年暗い前か、そのどちらも規約が改正され、個人を誹謗中傷する倍は、そのメールとか文章はアップできないというか、書き手にも知らされないで、つぶされるそうです。上の文章では、西舘牧子さんと鶴田卓也という人材を批判していますが、もし、それゆえに、この文章が空気中に消えていき、あんたに届かないようであれば、それこそ、NTTさえ、国際的軍産共同体に支配をされていると、いう証拠になります。AOLが支配をされているのは、仕事をしていて、いつも、見え見えです。だから、驚きませんが。では。      2010年6月24日     雨宮舜
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カインとアベルの物語、・・・・・菅夫人の2、ぜひ疲労を避けてください

2010-06-23 14:28:45 | Weblog
 下に、いつもより早めに、更新した記事があります。菅夫人の一で、あろうことか、三鷹で起きた、大事件、一種の『カインとアベル』物語を思い出したとも、最後の方に、書いています。

 菅夫人と私は、ほとんど、同世代です。この世代は、高卒のお母さんと、大卒のお母さんが交じり合って生きている時代で、地域によって、そのパーセンテージは違うが、いろいろな価値観のぶつかり合いの中で、競争意識も持ちながら、生きてきた時代です。

 で、特徴的なことがあって、一般的にいえば、高卒のお母さんの方が、子育てが上手です。大卒のお母さんは子育てが下手です。自分の子供に何らかの問題を抱えているケースが多いです。子育て期間中、問題が出ていなくても、就職後とか、結婚後、問題が出てきたりします。

 優れた女性は、動物的感覚から離れすぎてしまうので、自分の子供だけが大切だという感じがないのです。それが、どうも、災いをしているのかもしれません。自分の子供だけが大切だというのは、時に、暴力的な子供を生みます。教室社会でいじめを、する子供には、『親が、悪い人だなあ。客観的じゃあないなあ、地域社会で親もボスをやっているわ』と思うケースもよくあります。でね。心理学などをマスターした親は、そうは行動できないので、冷静で公平であったりします。
 理想的な母親みたいです。ところが、実際は、子供が安心できないのかもしれないのです。母の懐で安心して育つという気分を味わえないのかもしれないのです。だから、後で問題が出てくるのかもしれません。

 子供を受胎するとか、出産するとか、子育てをするとか言うことは、きわめて動物的なレベルのことなのです。本能に基づいて行うべきですが、その本能が、受験やら、勉強やらで失われがちなのが、四年制大学、特に有名な大学を出た女性なのです。受験勉強という鍛錬を、自分に課さないといけないから、それで、本能やら、動物的部分が壊れるのでしょう。一見すると、理想的な母だったりしますが、母と対等に渡り合えない年齢の子供たちにとっては、困った存在なのかもしれないのです。

 AERAの広告で見ただけで、本文は読んでいないのですが、菅夫人が、お子さんの不登校で、目覚めて、ご自分が変わったとおっしゃるのは、立派なことです。そこで、人間として自分が着ていたよろいというか、殻を破られたのでしょう。それが相当なプラスになっているはずです。
 その経験がなかったら、例の長男による、次男殺しの家みたいなことにさえ、なりかねないのです。その一家のほうの特徴はお母さんの、正しい自覚がなかったことにあります。

 ここで、菅夫人から離れて、そちらの事件の方に入ると、その事件後の報道がまるでないので、お母さんや、お父さんが、その後、どう変わったのかがわかりません。

 別の地域でのことですが、東大教授のお孫さんが、自分をかまいすぎる祖母を殺して、すぐ自殺をしてしまった事件がありました。そのときはお母さんが手記を発表されたりしたのです。手記を読んでも、救いようがないけれど、それでも、手記でも書かなければいられないというお母さんの気持ちは、本当の母のそれでしょう。それ以前は、実母、(つまり自殺した少年の祖母)に、子育てのほとんどを、依存していたから、事件がおきたわけですが、事件が起きた後で、なくなった少年との間の母性を獲得するための手記でした。
お母さんがなぜ、育児を放棄していたかというと、脚本家になるためだったと思います。インテリ女性の最終ポイントは、自分の職業で輝くことであり、自立をして、お金も稼げることという価値基準が世の中を覆っていた時期です。ある意味で、そのお母さんは、それらの時代における流行意識の犠牲になったともいえます。

三鷹の事件の方のお母さんは、その後、どういう風に生きていらっしゃったのか、興味はあります。本当は階級が高くて、事件そのものが報道をされず、伏せられておくべき家庭だったと推定されますが、最初の段階で、どっと事件の報道が出たのは、お兄ちゃんが外部からの犯行を示唆したからです。つまり、逃げたかったのです。弟を殺しても、発覚しないとでも思ったのかしら。

そのポイントで、お兄ちゃんの方の精神的な成長が、遅かったというか、ほとんど、中身がなかったと言うことがわかります。学校の偏差値(いわゆる成績)がよいことだけを追跡してもだめなんですよね。今、学校社会で、よい先生がいると、情緒の発達も大切だと認識をされて、読書などを奨励しているみたいですが、そのごくごく基本は、家庭で育てられます。

この事件では、お母さん(またはお父さんも)は、次男のほうがかわいいと思っていたのに、次男はこの世から消え去り、嫌いだった長男だけが残ったのです。その後、どうするのだろう。ここでは、母が反省して、長男を愛する方向で、育てなおす以外、救いはないように思えますが、まったくといってよいほど、追認報道が出ないので、何もわかりません。もしかしたら、このお母さんは、以下のように考えているのかもしれません。

いつも、いつも、いらいらとさせられていた長男が目の前から消えたのを、本能的に楽になったと思い、『かわいい次男がこの世から消え去ったのは残念だけど、いつまでもそれを引きずっていても仕方がないわ。私は事件というものを、実例として体験したのだから、弁護士としては優秀な仕事人となれるでしょう。これから、がんばります。これほどの、恥を味わい、苦痛も味わったのだから、天もバランスを取って、私が立派な弁護士となっていくことを、許してくださるでしょう』と。これでは、大転換点がおきたとはいえません。そして、少年院か、刑務所へ入った少年を見舞うのは、実母か、姑かに任せきったかもしれないのです。

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 その同じ地域で、「不登校が起きたから、自分は変わった」とおっしゃる菅夫人は、クールです。時代の風潮は同じとき、同じ、場所です。菅夫人のほうは一種の専業主婦でくらしてこられたのです。弁護士をしているお母さんのほうが、一見すると成功をしているみたいですが、事実上の成功者は菅夫人の方でしょう。

 別にお互いが知り合いだったとは思わないけれど、結構、知り合いだったりするものです。地域社会で目立つ人は、目立つし、類は類を呼ぶので、インテリ同士として、事件の起きる前は知り合いだった可能性はあります。特に菅氏が選挙活動をするわけですから、菅家には、地域の情報が集約している可能性もあるし。

 小沢さんに向かって「少し、静かにしておいてください」といったご主人にならって言えば、「奥様、少し、静かになさって、疲労回復に努めたほうがよいですよ。家庭の中心たる主婦は、疲労過剰では、だめです」と、おせっかいながら忠告をしたいです。
というのも、この六月の初めに、菅夫人に関する大量の記事が週刊誌の世界で、出現したからです。これは、日本の首相としては、非常に珍しいです。はじめてだと思う。

それだけ、菅夫人には実力があるということでしょうが、首相在任中だけでも、背後に回って、ディフェンダーに徹しられたらよいと感じます。日本の首相は大邸宅に住んでいるわけでもないです。公邸に入れば、少しは、世間からは遠ざかるかもしれないけれど、世間の風から、100%遠ざかるなど、無理でしょう。だからこそ、この場は、引っ込んで、休息を十分に、とられたほうがよいと感じます。

決して嫉妬して言っているわけではなくて、この現象からすぐ、三鷹の大事件を思い出したからです。あちらも、お母さんが、もう少し、育児の諸般の深い部分に気がついていて、休息をとっていたら、防げたかもしれないと思う事件だからなのです。母とか、主婦というものは、一見すると怠けていると見えるぐらい、余裕を持っていないとほかの家族を支えきれないからです。           2010年6月23日  雨宮舜
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心理学をマスターしている、菅夫人

2010-06-23 01:39:02 | Weblog
戦後に始まったことだと思います。首相の奥様が、週刊誌とか、テレビに登場なさるのは。

池田隼人首相の奥様、佐藤栄作首相の奥様、安部晋三首相夫人、鳩山由紀夫首相夫人、
そして、菅直人首相夫人、

夫の印象が強いのに、表に出てこなかったのは、
田中角栄首相の奥様・・・・・秘書が第二夫人のごとき立場だったと知られていますが、そちらも、出ようとして出てきたわけではないと感じます。マスコミに追われて、無理に引っ張り出されたのです。この件はマスコミの餌食になっていらっしゃると感じました。

同じく、小泉首相の元奥様、・・・・・きれいな方ですが、出てきたことは、夫の足を引っ張る方向でしたね。これも、マスコミに利用をされていらっしゃると思います。

夫が首相になりたいが、そこまでいかれなかった方としての、三木夫人や安部晋太郎夫人も目立ちました。特に後者は岸信介首相のおじょうさんだから。

私はそれらの奥様に対して、本当のことを言えば、いままで、あれこれ、感じてきたのは確かです。だけど、それを文章に書く前に、ほかの事を、皆様へは書き送りたい気持ちがあり、ご主人のほうはともかくとして、奥様については、思っていることに、深く、触れたことはありません。

そういえば、鳩山夫人の占い好きについて軽く触れたことがありましたね。
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 で、これからしばらく(?、いや、長いかも?)は菅夫人の時代となったわけです。
たま、たま、本日はほとばしるように、書きたいことが他にはないので、菅首相夫人について述べましょう。ただ、私はそれほど、菅夫人については知らないのです。

だけど、結論としていえば、「あ、はじめて、知識人といえる、女性が、首相夫人になった」と言う感じを得ました。

どこで、それを感じるかというと、心理学の素養があって、それを、マスターした上での発言がある模様だからです。

以前の首相夫人が、馬鹿だったとか、言う話ではないのですよ。
そうではなくて、知識人としての、四年制大学を出た女性が、日本のセレブの地位につくことが珍しいなあと、思うのと、それがなぜ可能だったかとかを考えることに、今日の目的が意味があるのです。

夫を助けて、夫を一流にすることと、ご自分が、自分を生かすことは、どんな女性にとっても、難しいことです。両立はとても難しいです。

日本の有名人の一人として、ナベツネこと、渡辺恒雄氏が、上げられると思いますが、氏は恐妻家を名乗っておられます。だから、奥様の形骸に接したいけれど、奥様はきっと、お利口さんなのでしょう。一切外に出て来られない模様です。

東大、慶応、早稲田などの有名大学をでて、奥様をなさっている女性で、夫が、有名人だと言う人は多いでしょうが、同時に自分をも、マスメディア・レベルで輝かせている人は少ないでしょう。

菅夫人が、どうして、ここまで、ご自分を生かしながら、かつ首相夫人にまで、上り詰められたかというと、ご夫婦がいとこ同士の結婚であるということと、

夫である、直人氏が、この結婚に積極的だったと聞いていることも、関与していると思います。つまり、最初から妻の地位が高かったのです。
いわゆる友達結婚の一種で、最初から、対等で、生活を送られたと想像することができます。仕えるとか、支えるという意識を、表層に出さないですんだのでしょう。

でね。とてものびのびとしていらっしゃるのです。
発言もぱっ、ぱっとできるし、女性としては、弁が立つというほうでしょう。

私なんか、文章を書かせると、非常にのびのびしているみたいですが、実際の人間関係の中では、長らく、おとなしかったですよ。つい最近です。人間を相手にしての、現場でも、はっきりとものをいえるようになったのは。

だから、私を含めて、この国の半分を占める、女性たちは、菅夫人を見るとき、
「あ、素敵だな」という思いを持ってみるのではないかしら?

特に、自他、を含めて、人間観察が鋭いみたいだし、冷静で、公平な感じがします。
大学は津田塾だそうですが、そこで、学ばれた教養が身についている感じがします。

ただ、首相をやるのも難しいし、首相夫人も非常に難しい立場です。これからは、夫をサポートなさって、しばらく、静かになさったほうがよいような気がします。日本の首相って、本当に難しい立場ですから。

以上は何も、直接的な知識がないまま、ただ、週刊誌の見出し(新聞広告やら電車の中吊りだけ)で判断をしたことです。

最後になりました。温和で、さしたる特徴もないことを、上に書いたのは、菅夫妻が、三鷹住まいだということに、ある種の感慨があったからです。

三鷹には、昔大事件が起こりました。ありえないと、当時は思われていた事件です。

しかもその事件がおきた家の、お父さんと、お母さん、両方が社会的な地位が高いと推定され、事件は、追認報道が少ない(つまり、週刊誌等が後追いをしない)ものでした。

が、私は、大学時、三鷹に住んでいたから、いわゆる土地勘があって、それゆえにその事件に大きく注目をしました。

簡単に言えば、兄弟・間・殺しです。記憶が薄れていますが、お兄ちゃんが、弟を殺したのです。これも、見てきたようなうそをいいですが、裏に偏愛の問題と、お母さんの忙しさからくる、子供への接触の少なさ等の問題があったと思います。お母さんは弁護士だったのです。

お母さんは自己実現ができました。社会的にも収入が高くて、気持ちが高揚する立場だったと思います。でも、疲労はたまる生活で、つい、家族にあたってしまうということはあったと思います。または、家のことは二の次になるというか。

どこのご家庭でも、事件が起きる前までは、これは普通のことであり、自分たちはなんら、間違ったことをしていないと思っているはずです。

だけど、忙しいお母さんは、おとなしい方の子とか、自分に歯向かってこない方の子とかを、無視しがちだったり、反対に超・簡単にしかったりしてしまいがちです。それが突然に、爆発することがあるのです。加害者はその直前までは、被害者だったのです。

平野の中にあり、新興住宅地の一種であり、サラリーマンが多く住んでいそうな町であると感じていた、あの三鷹で、そんな切ない事件が起きたことに、私は震撼し、

普通のレベルで、生活を遂行し、人生を終えることがどんなに、難しいかにも気がついたのです。そんな人生において、ともかく、強運というか、なんというか、首相夫人の地位にまで到達をされた菅首相夫人に祝福の言葉を送りたいです。遠くから、そして単なる国民の一人からですが。がんばってください。夫を、支えるという方向で。
                         2010年6月23日    雨宮 舜
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『母娘間の緊張(ミリオン・ダラー・ベイビー)』

2010-06-22 00:02:47 | Weblog
 2004年に公開の映画、ミリオン・ダラー・ベイビーについて、は、何も書くつもりもありませんでした。もしかしたら、見るということさえしなかったかも知れません。

 映画はNHKが放映して、それを録画はしておきましたが、『大勢の人の評価が定まっているものを、後追いしても仕方がない』と言う気持ちもありましたし。しかし、それを覆したのは、友人のひそかなささやきです。
 場所はお酒の入った席。クラス会。一万円クラスの夜の席。男の子も女の子(といっても、すでに、67歳ですが)も、わいわいがやがやと盛り上がっている傍らで、「すごくいい映画だったわね。ほら、あの○○○○をはずすところ。深い意味があるわね」と。

 誘い水は、私の「このごろ、あなたは、どんな映画を見ているの? グラン・トリノよかったわね」という言葉です。私は彼女のひそかな呟きを聞いて、未だ見ていなかった、それを『見るべきだ』と、感じました。彼女の言うには『グラン・トリノより上』らしいですから。それに彼女自身が、よくものを考える人ですから、その言葉には信用が置けます。

 さて、この映画はTSUTAYA等で、レンタルDVDが手に入ると思いますので、ネタばれは禁じ手でしょう。私が、見る気になった大切なキーワード、○○○○についても、その夜は実際のものを知らされましたが、ここでは、伏字といたします。
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 でも、カラメ手から攻めたいです。よい作品については、どこからか入れる、切り口があるはずですから。で、例の心理学的分析、特に親子関係から、攻めて内部まで入り込みましょう。

 この映画には、主要な三人の登場人物がいます。今アメリカで、非常に地位が高いらしい(それは、全米俳優協会?が選んだ、100本の名画・・・・・と言う番組の司会をしていた事でも知らされたが)モーガン・フリーマンが語り部です。

 主役は、もちろん、イーストウッドで、ボクシング・ジムの経営者をしています。どうも、元々は、医者、(またはそれ相応の技術者)だったインテリと言う設定です。しかし、妻とは別れ、子供には、一切、手紙を受け取ってもらえない孤独で悔悟に満ちた老人と言う設定です。

 ボクシング・ジムには、大スターもおらず、お金持ちではありません。つまり、客観的に見れば、不幸せなまたは、人生に成功しなかった人の範疇に入ります。

 モーガン・フリーマンは、そこに雇われている、元ボクサーです。こちらも、チャンピオンまでにはなれなかった、独身の老人であり、決して金持ちではありません。こちらの人物造形には、モハメッド・アリに翻弄されたドン・フレージャーが、投影しているような気がします。ボクシング・ジムの様子もドキュメンタリーで見たフレージャーのジムにそっくりで、そこに、フレージャーに似た老アフリカンが住んでいるという設定も似ています。

 そのジムにヒラリー・スワンクが演じる、最底辺(貧乏と言う意味で)の女の子が弟子入りしてきます。新聞の批評や広告を見ると、彼女の出世物語のように、聞こえましたが、主題は別のところにありました。しかし、その大切な主題はここでも、伏せましょう。ただ、『単純なシンデレラストーリーではない』と言う事だけはここに、記して置きたいです。

 彼女の貧乏ぶりの描き方が、すばらしいです。まず、「母は太っているの」といいます。これはアメリカ人ならピンと来るでしょう。メトロポリタン・オペラ劇場に来る人は、ほとんどの女性はやせています。

 三階に座っている若いバリバリのキャリアウーマンらしいアフリカンの女性も、一階に座っている上流階級らしい、白人レディも、四階の前全部に座っている、通らしい、独身の、冴えない中流OLの人もすべて、やせていました。私もそこでは、一番ぐらいやせている人でした。一週間に四日は、三時間しか寝ないで版画を作っていましたので。四日目ぐらいに七時間寝るのです。それを三ヶ月間ぶっ通しです。

 だけど、ブルックリンで道を聞いた中年白人女性は、ウエストが二メートル近くありそうな巨体で、親切に、「そこまで一緒に言行ってあげるわ」といわれても、夕方六時にしまる画廊に、彼女と一緒に歩いたのでは間に合わないでしょう・・・・・というほど、自由には歩けない人でした。

 「ありがとう。ありがとう。大体分かったから、一人で行ってみるわ」といって、振り切って歩かざるを得ないほど、太っていました。
 ポテト・チップスなどを、無茶食いする生活を続けていると、ああなると聞いた事があります。

 昔、母が、「怠け者はエリートにはなれないのよ」といったことがありますが、この映画内での、ヒラリー・スワンクのお母さんは、発想が怠け者の典型です。

 娘が極貧の生活の中で、貯金をして家を買ってあげても(その前は、トレーラーハウスに住んでいた)「あら、生活保護が打ち切られるから、家なんか買ってくれないで、現金をくれたらよかったのに」といいます。

 その結果、家は娘の名義になって、住んでもいないのに、税金を払ってあげるような始末で、(それはある部分、私の創造ですが、あたりでしょう)さらに、生活費まで送ってあげることとなります。

 でも、悲しいことに感謝されません。

 ただ、それも、主役のイーストウッドとの、交流のすばらしさを際立たせる役割を果たすわけですから、プロット上必要なことは推定できますが、

 それでも、この母親像は、リアルすぎて、悲しいです。お母さんは、その年齢にしては、かわいくてきれいな顔をした女優が演じているから、余計にリアリティがあります。悪役っぽい顔の女優が演じたら、「なるほどね、それは、最初からわかっていたわよ」となって、感動が少なくなるでしょう。

 そして、小道具も大変上手に使われています。モーガンフリーマンのソックスとか、お母さんが着ているディズニーランドのTシャツとか。特に後者が、大変な意味を持っているのですが、一種のネタばれになるので、これも、解説をいたしません。

 ともかくにして、長女というか、一人目の子に対しては、親は未熟であり、特に女性同士だと、フロイトの言う反発も生まれる・・・・・というところを見事に描き出しています。

 ほかにもありますが、今日はこれだけで、終わらせてくださいませ。
      2010年6月21日      雨宮 舜
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それが、上司の悪口だったので、水を差した

2010-06-20 20:23:49 | Weblog
 下に、短い間アップした文章があります。それは、日中関係の温和さを喜ぶために書いたのですが、楽しそうに母国語で会話をしている人たちに水を差したことになるので、読後感の悪い方もあったでしょう。

 自分でも書いた後で違和感があって、何がいけなかったのだろうと、考え直してました。すると、わかったことは、やはり、状況によるということです。

 銀座の横断歩道で、母国語で話し合っている観光客に割り入ろうとは、私だって思いません。ただ、日本人客がいるのに、大声で私事を話していることに違和感を、持ったわけです。

 それと、英語の会話に割って入ったケースは、彼、彼女たちが、上司の悪口で盛り上がっていたから、「油断大敵ですよ。壁に耳ありですよ」とからかいたくなってしまったのです。あまりにも楽しそうで、はしゃぎすぎていて、しかも内容が、面白すぎるから辛かったのです。批判は、見事に、その上司(あらフォー世代の女性)の特徴をうがっていました。

 上司とは、中間・管理職で、先生方を、どこに派遣するとか、グループの場合は、何人の生徒を一緒に指導をさせるかを決める人です。私は一般論から言っても、女性の上司は、例の月経の問題等もあったり、上役に気に入られているからポストもらったりするケースもあるから、懐の深い人がいる可能性は、男性の上司に比べれば、割合として少ないだろうと、は、思います。

 でも、今考えると、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いでコマーシャルを展開していたベルリッツ(語学学校)の、外人の先生たちだったかもしれないのです。あの会社は、その後破産をしました。その結果、ここで、会話を交わしてた先生方は給料も、もらえなかったのかもしれません。ほかに、生徒の前払い金も返還できないと、聞いていますので、もともと、企業モラルが低かったのかもしれません。そういう企業内で、場当たり的に働いている中間管理職だったら、批判をされても当然だったかもしれません。

 実情はどうだったかは、今はわかりません。
 ただ、私自身は、ニューヨークの版画工房で、こういう問題を考えたことがあって、それで、余計に、気がつくのです。

 そこでは、日本人の女性が威張っていました。つまり、日本人は組織能力や、管理能力が優れているので、後から入っても、数年のうちに、場を牛耳ってしまうのです。そしてうまく考えて、自分だけはお金を出さないで、工房を使えるシステムを作り出してしまいました。資本金は出していないし、所長が雇ったわけでもないのに、スタッフとして、振舞っていたのです。「ほかの人とは違うのよ。上なのよ」と言う雰囲気をかもし出していたのです。

 彼女が提案したシステムとは、電話番と掃除をするかわり、使用料を払わず、無料で使えるというシステムです。その結果、お金を払わない風潮が、全員に広まってしまいました。一見すると、良い思いつきです。その上、彼女の威張っている雰囲気に恐れをなして、だれもしっかりした抗議をしないので、そのシステムがそのまま進行して、版画工房そのものがつぶれてしまいました。こうなると、功罪のうち、『罪のほうが大きかった』と、なります。私は、後入りの後入りで、しかも三ヶ月で帰るので、何も口出しをしませんでしたが、いずれ、つぶれることになるだろうなあと、わかりましたが、その時期は思いがけず、早かったですね。

 その女性が工房の中で、私以外の日本人と、特別に大声で話しあっていたのは、いやな事として、記憶に残っているのです。

 自分たちだけがわかる言葉を、判らない人たちの間で使うのは、気をつけたほうがよいという信念を抱きました。
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 ただし、観光客として、振舞うときは別です。こちらが海外へ行くときも外国人が日本を訪問するときもできるだけ、楽しんでもらいたいです。自国語を使って、家族や友人と話し合っているのは、ほほえましいです。2010年6月20日 雨宮 舜
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シェ、シェ、チュンゴァレン(中国人の、今の本心は)

2010-06-20 02:07:19 | Weblog
 今日、中国に関するニュースとして、心温まるものを、インターネット(LIVEDOOR)上で見ました。
 元頁は、RECORD CHINAで、その前は、シンガポールの華字報(新聞)らしいのですが、
そのURLは、たぶんですが、http;//news.livedoor.com/article/detail/4836422/ です。

 抄訳すると、W杯で、中国人が日本のゲームを応援するようになったということでした。ありがたいですね。アジアカップの際の大騒ぎ、いやな経験もあるのに。

 その変化の原因は日本人のマナーのよさにあると言う分析です。それが、中国人にも伝わり始めたという分析です。そこにお互いの国の個性が、あります。今のところ、中国人は日本にあるお店内での、サービスという点でだけでも、のんびりで、気を使わないほうです。日本人はありとあらゆるところで、礼儀正しいです。

 それで、よかったら、例の下世話な私自身の話に入りますが、お暇があったら、読んでやってください。さして、重要なものでもないんですが・・・・・


 連続して読んでくださってる方は覚えていて下さっているでしょうか? 私が、一月に急逝をなさった山口みつこさんという、立派なオーナー(画廊の経営者)をしのんで、バイキングに挑戦をし続けていることを。とても気の毒で、同い年ですから、きっと、遊んではおられないだろうなあと思い、一番簡単にできる遊びとして、食べることに挑戦しているのです。現実には一人で食べていても、心の中では二人で食べているつもりです。

 急にその予定が入った個展が終わった、四月半ばから始めました。ところで、選ぶ店ですが、自由自在というわけにも行かないのです。ずっと前から、午前中は何らかの創作の仕事をすると決めていますので、出発時間が遅くなります。バイキングというのは、ランチのほうが安いし、お店の数が多いのです。しかし、午後1時半までに入店をしないとだめなのです。しかも、一人で、入るのはなかなか、しんどいことでもあります。

 焼肉系や、中国料理、お好み焼き系は、ほどんどが、二人以上で入ることと決められています。でもね、それでも追求し続けるのは、ネットカフェ代わりに使うからです。長居できるので、一時間以上、編集の仕事をします。自宅でやると、さまざまな妨害が起きてくるのは、過去の六冊の経験から熟知していることなので・・・・・

 さて、その結果、ディナーに行くことになります。それは、高いです。本当はホテルのほうがおいしいのですが、ホテルはランチでないと高いです。ただ、中くらいの大きさのホテルで、非常においしいものを出してくれるところがあって、それは、皆さんご存知で、雰囲気のよいお客さんが、集まっています。いわゆるインターネットの世界での感想もいいです。しかし、「ここは入って失敗だった。残念だな」と思うところももちろんあります。

 ともかく、時間と値段を見合わせると、『理想とは遠いなあ』と思っても、『今日はここしかないわね』と思って入り、なるべく壁際の席を取ります。

 というのもパソコンの仕事をする私は、食べること、つまり、楽しみだけを求めている一般のお客とは雰囲気が違うので、場の空気を乱さないために、なるべく、隅を使うように決めているのです。

 あるときに、「うわ、ここは、純粋に中国系だわ」と思うところに出くわしました。何事も大雑把で、サービスもそうだけれど、味も大雑把。でも、このごろの私は何が起こっても、怒らないこと。と決めているのです。昔はしょっちゅう怒っていたけれど、政治のことを怒るだけで、精一杯でね。それ以外のことに目くじらを立てるのはやめたのです。

 でも、小食ですよ。若い人が大盛りに料理をとっているそばで、焼きそばなどでも、ほんの5本ぐらい、とるだけです。すべてのお料理を、大匙いっぱいか、二杯程度とって、サラダからデザートまで、30分以内に食べ終えて、コーフィーをそばにおいて、パソコンをうち始める。

 すると、スタッフさんが、中国人だからこそ、近寄ってきて、あれこれ、質問をしてくれるのです。日本人だと、こうは、ならない。控えめですから。それに、サービスの鉄隋を仕込まれていますからね。

 もちろん、中国人だってパソコンを知っていますよ。日本に来て働いている人は、たとえ、店員さんをしていても、ほとんどが、インテリで意欲の高い人たちですから。だけど、私が本を作り始めると、その画面は、ちょっと特殊になって、とても、珍しい画面になるのです。アドビを、使っているときもワードを使っているときも、普通の人は、たぶんですが、普段見たこともないような画面を操作し始めますので・・・・・

 同じことをしている印刷会社のデザイナーや、独立系デザイナーは、マッキントッシュの大画面(今では、デスクトップの場合、二つの画面を同時に操作し支配する)を使うので、絶対にレストランなどで仕事をしないですから。だから、私の仕事は珍しく見える。
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 あ、ここで、ちょっとした挿入になりますが、妹とあるとき、話し合っていたら、妹が「ああら、ウィンドーなんて、汎用ソフトでしょう」と鼻でせせら笑ったのですよ。このせりふを一般の人がわかるように翻訳をすると、『ウィンドーなんて、おもちゃでしょう。そんなもので、本を印刷するためのデータなんてできないでしょう』という意味です。

 妹は薬剤師ですが、最初の勤務先が、製薬会社で、しかも学術部だったから、それこそ、マッキントッシュを駆使して、複雑な化学方程式や、図版を操作するわけです。大体の案を作ってから、印刷所に任せるらしいのですが、「一頁分、二百万円かかるのよ」といっていました。

 そういう風に笑われながら、馬鹿にされながらでも、しこしこ、こつこつ、ウィンドーを使って、本の出版用データを作り上げている私は、実は、志の高い人なのです。志が高いから、人に軽蔑されても平気なのです。いじめられても実は平気ですが、人間の研究のために、いじめのやりとりの、詳細を、文章に書き落としたりしますけれどね。

 だから、私の文章を読んでいる方は、私のことを、非常に繊細で、いつも悩んでいる人だとお思いでしょうが、悩んでばかりいたら、前に進めません。毎日、毎日、何事かを積み重ねていくためには、結構楽天的に、「はい、それは、それ。これは、これ」と、右や左へほうっぽり投げて、前へ進むのです。
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 さて、もとに戻りましょう。その店員さんと別の店員さんが私の後ろ、三メートルぐらいのところで、私語をはじめたのです。もちろん、中国語でね。しかもそれが、中国人の典型なのだけれど、大きな声で。それで、私は帰るためにかれらのそばを通ったときに、簡単にですが、中国語で話しかけたのですよ。タモリ語ではなくて、ちゃんとした、ものを使って。特に日本人とか、中国人という場合の、人(レン)の発音をきれいにして。びっくりしていました。これは、私が英語を話している人たちにもよくしかける(半分)いたずらです。

 彼らは、非常にリラックスしているのですが、「聞いていますよ。その会話をわかっていますよ」という態度を示すと、本当にびっくりした顔をします。それが面白くて、ちぇめっけを発揮します。よくやるいたずらです。

 でも、悲しいかな。年ですね。「さよなら」みたいな、ごくごく、基本的な単語が思い出せないので、「グッバイはなんていうんだっけ?」と聞いたら、ツァイチェン(再見)と教えてくれました。そんなやり取りで仲良い感じを生み出します。どこの国が相手だって、庶民同士は仲良しです。
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 以上のエピソードはとても小さなものですが、本日これを書いたのは、LIVEDOORのトップ頁にとても、心温まる記事を見つけたからです。で、冒頭に戻ります。

 そして、今の私はこの文章を作りながら、録画をしておいた演劇「上海バンスキング」を後ろにして、パソコンを打ちながら、視聴しています。上海万博があるから、これが再演されたのだろうか?と思いながら。
   では、2010年6月20日                  雨宮 舜
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例の、女子高生殺人事件の主犯の、悲しみに思い至れば

2010-06-19 00:32:12 | Weblog
 岡田ジャパンは、オランダ戦を控えています。中村俊輔がどこで使われるか、使われないのかの論議がかまびすしいです。また、ゴールキーパーは誰が勤めるのか?
 こういう華やかなクルーの中でも競争があり、対敵にもストレスはあるが、内部にもストレスが充満しているでしょう。でも、それは、選ばれた者の恍惚と不安という類のもので、乗り越えやすいし、乗り越えるべきであり、みんなきちんと処理できるはずです。なにしろ、サッカーという特殊な才能を生かしきっての今があるわけで、親も子も、ここまで来ることができた人生をうれしく思い、天に感謝しているはずです。

 しかし、世の中には、少年・少女時代にすでに、闇にうずもれてしまった子供もいるのです。例の女子高生の悲しみを思えば、もちろんのこと、胸がふさがります。しかし、想像を深かめていくと、主犯の少年の悲しみこそ、救いがたいものがあります。

 そして、年月がたち、彼は大人になっています。どういう風に成長をしたかしら。ここで、それをいってしまうとマスコミがそれをかぎつけるからいいたくなかったのですが、すでに出所している可能性があります。彼は、まともな大人へと成長をしているでしょうか。従犯の少年は、また、犯罪を起こしていると出ていました。
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 さて、その主犯の少年の悲しみとは、親の愛を信じられなかったことに主な原因がありますが、具体的にはどういう風に進行をしたかを推定してみましょう。

 その少年の生まれた年度から、考えると、社会に強い競争意識が蔓延していたので、主婦としてのお母さんは、ピアノ教師であることを、何よりも優先していたと思われます。ピアノ教師であるという肩書きは、普通の立場よりも優れているからです。

 ここで、どうして、お母さんが、自宅で教えなかったのかは不思議です。結構掃除ができないタイプだったりして。それで、自宅へ人を招くのがいやだったのかな?・・・などと推定します。

 妹のほうはおとなしくレッスン中にも遊びながら待っているタイプだったのでしょう。で、つれて歩いていたみたいですが、男の子の方は、待っていることに耐えられなくて、最初に騒いだりぐずったりしたと思われます。で、家においていかれて、結果として、相当なレベルでの、放任となりました。ご近所様の証言として、放課後、鍵がないときがあって、窓の下でしゃがんで待っていたと、あります。それは当時の毎日新聞にも出ていました。

 今インターネットの世界では、父親が妹を偏愛したので、それに傷ついていたとも出ています。これはフロイトも言っているようにありがちなことです。でも、普通の場合は、母のほうは男の子が好きですので、バランスが取れるのですが、このお母さんはきついタイプで、ぽんぽん命令をしたりすることが多かったと仮定すれば、それが、愛情不足として少年の方には受け止められていた可能性はあります。
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 この少年は東京の区部に住んでいますので、小学校内で、中学受験が多かったと仮定をします。20%以上の子がそれに取り組むと仮定をすると、お母さんがピアノ教師であり、お父さんが一流企業の社員なら、必ず受験をするはずです。二親とも四年制の一流大学を出ている可能性はありますし。

 で、親のほうは結構安易に考えます。自分たちが通ってきた道だから、子供も成功して当然だと考えます。ところが、この主犯の少年が、12歳ごろは、子供の数が多い上に、中学受験をする子供の割合が増えていたので、競争が厳しさを増していたのです。

 しかも小学校時代によい成績を上げるためには、『親に愛されている』という、気持ちと、『親が悲しんだら大変だ。親はあんなに働いているのに』という気持ちの両方がないと、エネルギーが沸きません。この少年には、その両方が欠けていて、それで、失敗をしたと仮定をして見ましょう。クラスメートとのバランスから、相当に深く傷ついたと思われます。ところが、外見はそれ以前と変わりません。まだあどけないです。だから、親は安心して、ひどい言葉や態度を示してしまいます。特に父親が、「二流の私立中学ならいかなくてよい。どうせ、大学でお金がかかりそうだ」といったと仮定をして見ましょう。子供は恥じ入っていますので、反発をしませんが、深く親を恨んでしまいます。

 となると、戦前の家庭やら、日本の長い歴史の中で培われてきた、親に大切にされている環境の中で、親の労働過剰をかわいそうに思う精神が、まったく失われます。電化製品の普及ほかで、家事労働が楽になっています。そして、父親は会社という目に見えない組織で働いているので、子供の心には何も訴えてきません。感動がないので心の交流がとぎれます。その日々の中で、昔なら育ったであろう、やさしさや美を尊ぶ心が失われていきます。勇気や前向きの精神といったものも失われていきます。

 高校受験の時だって、中学受験のときと同じですから、がんばる前向きの精神がないので、親の卒業大学から考えると、信じられないほどの、低いレベルの高校へ進学するということになり、『ここで、挽回できなかったあいつは、徹頭徹尾、だめなやつだ』と言うぐらいのことは、父親から言われた可能性があります。

 本人も高校生活に理想が見出されないので、中退してしまいます。でも、本来なら、能力が高いはずですから、それが、リーダーシップとなって、現れていたのですが、思いつくことがことごとく、悪意に満ちたものでした。
 それは、その少年が、深い絶望の中にいたことを示しています。将来が見えませんし、今現在もやることがないのです。それゆえに、根源的なものである、セックスに浸り、それを、刺激することだけを追及することとなったのでした。その世界では人間は誰もが平等ですからね。そこに逃げたのです。彼にとってはそこが、自尊心が傷つかないですむ世界だったのです。

 でもね、事件現場の家が、食料を提供しなかったり、それらの少年たちの親に、「実は我が家に、お宅の子供たちが、入り浸って、困っています」という電話連絡でもしたら、この事件はその発生が防げました。または、主犯の両親が、「うちの子は今、どこで、何をしているのだろう」というやさしい思いやりを発していたら、この舞台の家に迷惑をかけていることを知り、恥ずかしく思って、引き取るはずです。

 だけど、実際には、「帰ってこないけれど、便りのないのはよい便りだ。あいつは失敗した人生を送っているが、町工場でも何でも、働いて収入を得て生きていってくれればそれでよい」と見放して考えていたのでしょう。

 少年は中退のあとで、いったん町工場に勤めたのですが、それも事件当時は、辞めていた模様です。でも、その事実は、両親には伝わっていなかったと思われます。生活費を両親の所へもらいに行くことができるような関係でも、すでに、なくなっていたのでしょう。

 この主犯の両親は、数千万円かな、当時のお金としては相当に高額なものを、被害者側に賠償金として、支払ったはずです。しかし、後の祭りです。それ以前に、主犯が16歳から、19歳ごろに、毎月の生活費を援助するなり、してあげる心構えがあったら、それは数百万円ですむことであり、しかも、少女は殺されることはなかったのでした。

 なんとも無残なことですが、根は頭のよいだろう(というのは、次から次へと悪さの限りを思いついたわけですから)少年を絶望させた、物心ついた後の16.7年間の日常の、小さな欠損の積み重ねが、悪い爆発を生起させたのです。

 親になるということは、ものすごい覚悟のいることですが、それを、教えてあげる場所も人もいなくなっていたのでしょう。それは、今も続く、大問題ですよね。幼い子を虐待する両親の話は数多く伝えられてきています。

まあ、CREAの中で、室井佑月さんと、千秋さんが、母親としての心構えの大切さをママともづきあいという一部分に限ってですが、語っているようになっただけでも、あの事件当時よりは進歩かなあ? 主犯の少年の母親は、ご近所様の間では、ママともづきあいをしていなかった模様です。

つまり、彼女は、枠の中でしか、生きられなかった不器用な人間である可能性はあります。ピアノの先生と、生徒の母親では、上下関係があります。それは、楽な人間関係のひとつです。普通に、ママともと付き合うほうが、難しいし、親の方に、我慢が要ります。
何か、一芸に秀でるためには、集中力が必要で、それを獲得する過程で、落としてきたものもあったでしょう。音楽(または各種の仕事力)の能力と、子そだての知恵は連動をしません。
特にご近所で、ママともを作ると、過去の生活の違い等から生まれる価値観の違い等もあって大変ですが、それが、一番よいことで、普通なのです。
                 では、2010年6月18日   雨宮 舜
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サロネーゼ、流行現象、を、考えてみる

2010-06-18 09:55:29 | Weblog
 今週のはじめの夕方、フジテレビ(安藤優子さんの番組)を見ていたら、サロネーゼという流行を、報じていました。本日は小さなことを話題としますが、女性の幸せの問題と通じるので、書き送るのをお許しくださいませ。

 たまたま、成功例として最初に紹介をされた人が、北鎌倉のマダムで、白を基調とした豪華な、居間(もしくはダイニング)で、お料理と、マナーを教えて、一回が、7000円ということです。彼女は商社マン夫人として海外勤務の体験があり、それが、一種の下地となっている人です。物心両面の投資や、経験を経て、この位置に上り詰めた人です。

 だから、最終段階で、私が述べる、今日の文章の結語には、当てはまらない人ですが、そういう特例ではなくて、全般のことを考えて見ましょう。

 私は画面を見ながら、すばやく、頭を回転させ、上手に運営すれば、一ヶ月に、20万円ぐらいのおこづかい稼ぎになり、かつ、自己実現が可能な生活だから、人々の憧れの的とはなり、それゆえに、こういう生活スタイルが流行現象となっていて、今現在、800を越える数のサロネーゼが日本にいるというのも、うなずかざるを得ないと、感じました。
 また、それに目をつけた会社が、一種の起業支援、授業として、サロネーゼ・開業講座を主催していて、それに、参加する女性が多い現象も報じていました。

 でも、それをみながら、そこはかとはない違和感をも感じていたのです。それを、見事についたのが、そばで一緒に見ていた、主人の寸言、「結構、大変で、幸せではないよ」でした。
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 ところで、私はある頭のよい方から、「川崎さん(雨宮の本名)の文章って、いつも教訓に満ちていますね」といわれてしまって、恐れ入ったのですが、

 年取っていますのでね、(そうですね。そうは見えないとよく言われますが、67歳です。だから、)威張るつもりはないのですが、若い人に対して、忠告をしたいという気持ちが多いのでしょうか。

 それは、自分の子に対して直接いうと反発を受けますね。それは、どこのご家庭でも同じでしょう。だから、つい、この世の誰か、わからない不特定のお若い方へ向けた、発言として、教え諭す感じになってしまい、教訓が含まれてしまうわけでしょう。つまらない文章となるわけですが、お許しくださいませ。
 まあ、そちらさまは、私のブログをお読みいただいているわけではなくて、本を読んで下さっている方です。私は今のところ、紙の本としては、芸術の方面だけをまとめているのに、そういわれてしまったので、余計に、恐れ入りました。
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 で、サロネーゼ現象に戻ると、これは、昔からある専業主婦のお稽古事の世界と同じです。茶道教室、とか、華道教室と同じです。ただ、インターネットを使って、来る人を集めているらしいことと、その教室に集う人が、一回ごとに同じ人ではないということが、異なります。

 で、教える側にとっての、もっとも大きな負担である、人間関係の失敗を、少なくすることができます。つまり、先生側にとって、もっとも大きな負担とは、生徒側からの人気が失われることであり、教室がはやらなくなることなのです。

 で、それは、ご近所には、わかることですから、インターネットで、地域社会から離れた、お客を集めるのは、先生側にとっては、楽になることです。しかも一回の講習、費、が高いので、それを払ってまで、来てくれる人は、上流社会の人であろうから、行儀作法は完璧であり、おうちの中に、不特定多数の人を入れ込んでも、乱暴なことをするはずがなく、大丈夫だと言う見込みもあるのでしょう。

 昔からある、お教室は、生徒が持続をしますし、一ヶ月単位のお月謝制度が多いので、一回の講習費が、1000円から2000円どまりが多いのです。お絵描き教室、手芸教室、編み物教室など、いっぱいありますね。ピアノの先生も生徒が集団でくるわけではないが、一種のサロネーゼです。

 でも、今の流行との違いは、そこに漂う、セレブ意識です。

 だけど、そこが、また、違和感を生むところなのです。私と主人が同時に抱いた違和感は、他言すると、人聞きが悪いかもしれませんが、幸せとは、そういう形では存在していないと言う感覚です。不思議な言い草ですが、お金や、時間の面で、恵まれていることは、二次的な幸せに過ぎないという直感です。

 幸せを感じる瞬間とは、変化の中に生まれます。普段泥田の中にいて、戦いを続けているうちに、ふっと、恵まれる休息の感覚とか、他者からの慰撫の感覚とか。

 そういうものであり、===決まりきった形の中にあるものは、二番目とか、三番目の価値のある幸せでしかない===と、いう直感なのです。上が、今日の結論ですが、本物のサロネーゼと、そこにつどう、かたがたからは、単なる放言とみなされるでしょう。

 それと、もうひとつあります。『他者より、自分は一頭ぬきんでているのだ』という自信を持つときに、その裏側に、それに相当する苦労があるかどうかも肝心なのです。もちろんのこと、サロネーゼは夢を売る商売だから、苦労を見せることは、バツです。

 ただ、===この位置にたつ前までは、絶対に苦労があった、それゆえに、上に立ったのだ===というのなら、よいのですが、そうではないと、どこかで、天に罰せられるときがあるのです。これは会社員として勤めているうちに出世した人にはあまり当てはまらないことなのですが、専業主婦の中で、出世すると、陥りやすい陥穽です。特に子供に関して起こりやすいことです。

 それは、恐ろしいことですが、例のサディスティックな集団リンチ事件の主犯のお母さんも、当時としては、他者にぬきんでていたエリートですから、そのように考えます。彼女は主犯であった少年に対して、忙しさにかまけて、五歳ごろから、一種の育児放棄をしていた模様ですが、一方で、エリート主婦で稼ぎもある人ですから、その手抜きが、夫や自分ともどもに、容認をされていたのです。

 専業主婦が、何らかの収入や地位を得ようとすると、それなりに大変です。そのための犠牲として、どこかで、何かをはしょると、それなりの、結果が出てきます。ほかの実例を見ても、そのように考えます。ただ、主婦であっても、会社つとめは、性質が、異なります。
                       では、2010年6月18日、雨宮舜
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