銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

永田町―09-2-23

2009-02-26 12:04:19 | Weblog
 今日は、このブログで主に書きたいと目指している外国での観察ではなくて、日本の東京のしかも一種のへそである永田町での観察をお送りさせていただきたいと思います。

 しかも、いつもの会話体ではなくて、小説みたいな突き放した文体で書きたいのです。どうしてかと言うと、一人の国民としての、私の深層に訴えかけてくるものがあったからです。それを会話体で、あなたに話しかけるのは、さらけ出し型で知るひとぞ知る私でも、恥ずかしいなあと感じますから。

 ところで、この文体と、それから、主人公を別名として、まるで他者であるみたいに書くのは、本を作るときには、よく使っている手法です。本と言うのは、経済的に作り上げるためには、頁数が、16または、32の倍数でつくりあげたほうがよく、そのために、字数を制限しなければならず、こういう文体になります。では、どうか、よろしく。
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 百合子は、横須賀線の車中にいるときから、どうやって、すばやく、永田町の国会図書館に行き、そして次の目的地の銀座へ、これも、すばやく出られるかを考え抜いていた。最近外出が自由に出来ない事情ができて、そのため、時間は貴重そのものだった。去年の秋に出した五冊目の本の納入が、まだ、できていなかったぐらいなのだ。郵便で送ってもよいのだけれど、自分の本を子供のごとく、いとおしく思う気持ちが、『直接納本にいきたい』と、強く、自らに願わせていた。

 『新橋で銀座線に乗り換えて、丸の内線で引き返す。これが、一番早いでしょう』と結論を出す。しかし、丸の内線に乗り換えた後で愕然とした。銀座線で、溜池山王駅で降りると、国会議事堂前駅と、連動しているのだ。『うううん』とひとまずうなる。が、『まあ、いい。まあ、いい』と自らを納得させる。

 しかし、国会議事堂駅構内の掲示板は注意深く見た。おのぼりさんみたいなので、普通はこういうことを遣らない。でも、帰途、最も効率的に動けるのは、どういう道だろうと考え抜くために必要だった。出口も、どれを選んだら、最も効率的であろうかと考え抜く。

 で、1番を選んで出ると、48年前樺美智子さんが、亡くなった日に、そこへ、出た出口だった。しかし、今は拡幅をされており、エスカレーターがついている。ただ、のぼりだけで、くだりは無い。今日は銀座の画廊めぐりをするから、すべてを合計すると、一千段近い階段を上り下りするのだ。帰りはここを使うと、きついなあと思いながら、でも、一方で、『地下鉄サリン事件が起こったときに、この階段は、既に拡幅をされていたのだろうか』などとも、想像をしてみる。

 樺さんが亡くなった日は、百合子は高校生で、丸の内線を利用する友人たちと、ただの見物に行っただけだった。だけど、今では<<<クリントン国務長官が来日して、日米安保の、何とか、を、首相との会談の中で、条項確認だけで、済ませた>>>という記事を見る。すさまじい懸隔だ。国民は、あの時代との差に気がついているのだろうか?

 そして、あの大騒ぎの中に存在しながら、今でも現代アートの世界他で、大活躍をしている秋山祐徳太子氏と、それ以外の、散ってしまった人々の差を考えたりする。そして、百合子は、自分がこれから、とるべき道についても、考察を重ねてみる。

 何を取捨選択すべきかは、重い課題である。絵や版画に専念すべきか、文章を書いていく方向で生きていくのか、それも、どういうテーマを選んでいくのか?

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 既に午前中の、豪雨に近い雨は終わっているが、霧雨風に残っている湿度があって、首相官邸が、煙っている。

 『ああ、繊細だなあ。弱々しいなあ』と思う。この裏手に、翻訳の仕事を貰う機関があって、昔よく傍を通った。あの、官邸の懐かしい赤レンガは、いまだ、公邸の方に残ってはいるが。・・・・・『まさかねえ。日本国の首相の権限を小さくするために、こんなに、繊細で、弱々しい建物を選んだわけでもないでしょうにねえ』などと、小さく内心で、つぶやいてみる。でも、議員会館を、『以前より大きいな』と感じるほど、首相官邸は、こぶりではある。

 比較して、国会議事堂そのものは、裏側にせよ、堂々としている。1919年に設計が選ばれて、実際に完成したのは、1936年だとデータにはある。

 ・・・・・この建物に入るために、そして、そこで、権力を振るうために、さまざまな人々の抗争があるのだ。自分はそういうところには一切関係がないけれど。数百メートルにわたる道を、百合子は淡々として歩いていく。

 すると、前方から、拡声器の音が聞こえた。『あれ、右翼の街宣車がいるのかしら? 何を抗議しているの』と、興味を引かれる。が、近づいてみると、赤旗がひらめいている。そして「ガンバロー」のシュプレっヒコールも聞こえた。

 『う、左翼だ。何を抗議しているのだろう?』と不思議に思う。ハンセン病の、患者さんと、その支援者が、官邸前に座り込んだという映像を見て以来、この永田町で、赤旗を、翻している人がいるなどと、テレビで放映されているのは、見た事が無い。

 70メートルぐらいの近さになった時に、どうも、それが、永田町にサラリーマンとして勤務している人たちの団体らしいと気がついてくる。「私たち、永田町で働いているものたちは、なんとか、かんとか」、と聞こえたからだ。が、40メートルぐらいに近寄ったときに、突然彼らは、撤収を始めた。

 『どうしたのだろう?』 ・・・・・<<<まさかとは思うが、小泉さんの靖国を、違憲とする集団訴訟を『おかしい。普通の国だったら、国の首相に反対したら、つかまるはずなのに、かえって、英雄扱いだ』と疑問を呈した私が近寄ったから?>>>・・・・・などとも一瞬考察するが、原因もわからないうちに、その人たちは、蜘蛛の子を散らすように、ともかく、撤収してしまった。

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 それで、彼らの演説の内容が、わからなくなった。が、労働条件の改善を求めているのだろうし、それは、自分たちのことではなく、例の、派遣労働者等の、急に雇用条件が悪くなった人々への連帯をも、訴えているような、気がした。

 百合子自身は、団体行動と言うのは、自分には、向いていないと思っていて、参加しないほうだ。特に、・・・・・自分はチェ・ゲバラじゃあない。若くもないし、男でもないし、ともかく医者〔社会的に尊敬をされる)でも美形でもないし・・・・・などと、思うから・・・・・静かにおうちで、パソコンに向かっているぐらいがせきのやまだ。

 けれど、『世の中には、着々と、動いているというか、こつこつと遣っている人もいるんだなあ、今でも。こんな雨の中なのに、赤旗をふって。だけど、数は少なくなったなあ』と、ちょっと、感動気味に、その人たちのことを捉え直してみる。
 
 特に自分のことだけではなく、他者のことのために、赤旗を振って、何かを主張をしているのなら、立派なことだ。自己犠牲の精神が溢れている。だけど、本当の事と言うか、詳細はわからない。

 そして、これを見たのは、今の日本の大問題である、『「雇用のこととか、労働の条件の悪化について、その原因を、あなたも、考えてみなさい」と、天が促しておられるのかなあ』などと、考えても見る。小さな兆しにも、意味を見出す百合子だった。

 2009年2月25日               雨宮舜(川崎 千恵子)
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トヨタ自動車のTVコマーシャル

2009-02-25 10:42:45 | Weblog
 私には、『これだけは、この世の中で、実現することを避けたいから、それゆえに、口外しない』と決めたことは数々あって、それは、パソコン内メモとして落とさないだけではなく、音声でも口外しないほどなのです。が、その一つとして、『トヨタ自動車が危ないだろう』と、二、三年前から感じていたことを、あげさせていただきたいと思います。トヨタ自動車に凋落などしてもらいたくないからこそ、その予測を誰にも言わなかったのです。

 <<<日本が勝ちすぎるとか、優れすぎるのは、よくないだろう>>>という発想が、私の心底にあります。これは、既に、裏打ちをされていると、感じてもいます。『ソニーや、日産自動車が、外国人を社長に据えた裏側は知りませんが、一つの延命措置だったのではないだろうか?』と想像するほどです。

トヨタ自動車は賢明にもテレビコマーシャル内に、トヨタの連呼を避ける措置を取っておりました。あらゆる車種で、日本で一番であり、もし、すべてのコマーシャルにトヨタの名前を入れてしまったら、あまりにも勝ちすぎている事が明瞭になってしまうからです。

 一方で、私はかねがね、自動車の特に新車発表には興味がありました。それも、テレビコマーシャルだけでその行方(当たるか当たらないか)を把握したいと思っています。

そういう眼にトヨタ自動車のコマーシャルでトヨタのロゴがどこにも見当たらないことには、少々ですが困りました。

しかし、やがて、『ううん、これは賢い』と感じるようになったのです。『一人勝ちをしていることを、世界に知らしめては危ないよ』と言うのが、常日頃の、私の懸念ですから、その上昇(または、常勝)振りを、誇示しない方向性は正しいと思います。が、今、経済週刊誌等の広告を見ると、そのトヨタ自動車が、雇用削減をしている事が、報道をされています。

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 「とうとう来たか」と言う単純なことばを、身中に向かって発しているのですが、それでも、その手の単純な発想だけではなく、ちょっと、確認したい事があって、例のグーグル検索で確かめてみました。その結果、さらに『なるほど、なるほど』と言う感想を強めています。

 もちろん、読者の皆様は、「世界中で、不況の波が押し寄せており、アメリカの三大自動車メーカーとかヨーロッパでも自動車会社の倒産が起きている」と、仰るでしょう。しかし、<<<このトヨタ自動車の不況は、そういう世界全体の流れに、さらに加味する何かがある>>>と、私は考えている次第です。

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 いろいろな経済団体があったのですが、最近統合をされており、それも、問題ですが、

・・・・・ほら、以前、<<<新聞の勝ち組三社が『あらたにす』と言うウエブ上の統合を形成しており、これは、心配ですね。あらたな、言論弾圧(戦前の大政翼賛会に似ている)の始まりではないか>>>と、お話したとおり・・・・・、日本の経済団体が、どんどん、統合されていることも、普通の日本人の生活を悪くするほうへの貢献をしていると感じます。

 もちろん、労働団体が統合をされているのも、関係があります。それも、大きな影響を与えています。一般国民大多数の、真に豊かな生活、真の自由のある生活を保障するためには、各種・機能団体が、一本化されることは悪夢の再来でしょう。

       2009年2月24日      川崎 千恵子 (雨宮 舜)
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『おくりびと』を私なりに、考えて・・・・・

2009-02-25 00:03:25 | Weblog
 結論を先に言ってしまうと、一つ目は、『日米関係が、大衆レベルでは、今は、平和でよかったなあ』と言うことです。

 二つ目は、この受賞によって、世界中で、この映画を見る人がふえるのなら、それは、平和な暮らしをしている日本の中流社会の見本を、世界中の人へ知らせる事ができるということで、そこに意義を感じます。お葬式の準備を、これほど、丁寧にするということは、社会全体が、基本的なレベルで平和でないと出来ないことです。そして、穏やかで、誠実な心遣いと言うものも、基本的なレベルでの平和が保障されていないと、出来ないということなのです。

 作品賞受賞の、『スラムドッグ$ビリオネア』は、インドのスラム街の状況を描いたものらしいのです。そして、『おくりびと』よりも、圧倒的に、ドラマチックな筋立てであるらしい。だけど、その慈愛の精神とか、ふっと、振り返ってみる・・・・・日常の哲学の表現と言う意味で、『おくりびと』とは、優れたところがあるので、その世界展開には意味があるでしょう。

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 その<<<日米関係が、今は安定して平和である...と言うことですが、でも、<<<政治も経済も一瞬先は闇かもしれない。そして、底流はどうか、わからない>>>と言う心底の懸念は捨て切れません。

 そのことの詳細は、別項『トヨタ自動車のTVコマーシャル』として、後日お送りをさせていただくとして、『おくりびと』に戻れば、反日感情に溢れていたころの、つい10年前のアカデミー賞だったら、絶対に、この外国語部門賞は取れなかったと思うのです。私はそのころ、ちょうどアメリカにいたので、肌身に感じたのです。そして、帰国すると、日本が平和ボケをしているみたいに見えて、心配になりました。特に一般国民が、例のお笑い系テレビ番組に、大口を開けて笑っているだけの状況には、心底心配になったのです。

 『あれーっ。ニューヨークの普通の人々だって、こうじゃあないよ。世界のニュースを敏感に感じ取っているし、何よりも、自国へ対する誇りがあり、それゆえに、真剣に物事を考えている。日本人だけだなあ。こんなに、自国に対して誇りを持てないでいて、そして、それゆえに、長期的な視野を失っているのは』と、心配になっちゃったのです。それで、単なる無名のアーチストに過ぎない私が、政治のことも考えて、メルマガでそういうテーマでも書き始めたわけです。それほどの、危機感を抱か・させられました。それが、10年前、1999年のニューヨーク滞在時代のころからのことなのです。

 その頃に比べれば、この『おくりびと』が受賞をした昨今の状況は、繰り返しますが、文化面、そして、大衆的なレベルでは、ずいぶんと改善をされていると感じます。
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 さて、これからは、私が感じている映画『おくりびと』に対する思いです。先ず、プログラムですが、映画そのものの、エンティング・タイトルに出ていた情報よりも、少なくて、これが、残念です。この映画は、監督が出演者を甘やかさないので、すべての出演者が役にはまりきっています。見に行く前から余貴美子さんには、期待をしていましたが、目立たない立場ながら、最後に重要な役回りをする女性として、相変わらずですが、うまいです。

 だけど、他にも一杯、立派な脇役がいました。それは、記録としてプログラムに残しておいて欲しいものです。<<<○○家の葬儀場面のお母さん役は、どういう俳優なのだろう。上手だったなあ。お父さんもはまっていたなあ>>>と思うのに、プログラムに名前が載っておりません。それから、協賛企業等の記録もありません。

 特に黒澤楽器店など、あの映画の中の、1、800万円というチェロを貸し出したわけでしょうから、プログラムには名前を載せるべきでしょう。活字だけでよいのですから。私は御茶ノ水店の前を通っただけですが、磨きぬかれた弦楽器が並んでいる様は、通るたびに、美しいなあと思います。この映画を見て、チェロを弾いてみたいと思う人も出てくるでしょう。だから、活字としての情報は大切です。

 この点では、メトロポリタンオペラ劇場のプログラムは抜群に親切であり、本当に大切なことを教えてくれます。日本の映画と劇場のプログラムには、全く満足が出来ません。しかし、一つだけ、脚本家に関しては重要な情報が、入っておりました。この小山薫堂というかたが、東北芸術工科大学で教えているということです。

 私は銀座で画廊めぐりを続けているわけですが、その際、この学校が、今素晴しい成果を挙げているのを、ひしひしと感じます。であるので、『そうだったのか。この人もそこの教授だったのか』と驚きつつも、納得をしました。一つの部分でよい仕事をしている人はどこか、他の場所でもよい仕事をするのが、証明をされています。

他にもさまざまありますが、今日はここまでで。

      2009年2月24日    川崎 千恵子 (雨宮 舜)
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村上春樹(文学)と、村上隆(美術)の共通点と違い

2009-02-23 23:51:02 | Weblog
以下の文章は、日本時間の23日の朝書いたのです。しかし、お昼に「おくりびと」と短編アニメが、受賞と言う話です。そういう祝賀ムードの日には合わないお話となりました。読むのを抜かしてくださっても、仕方がないでしょう。私はそれを、静かに受け止めましょう。

 最近、村上春樹氏が、イスラエル賞の授賞式でなさったスピーチの内容が、世界中で話題になった模様です。それが、英語で発言をされたために、判り易かったからでしょう。

 と言っても、テレビの映像、および、インターネットの世界で、回った英語の文章(池田信夫ブログ)の両方を私なりにチェックしても、暗喩で表現をされています。イスラエルのガザ攻撃を、批判していると、すべての人々は取ったのでしょうが、原文は、戦争や、それをもたらす政治をシステムと言う言葉で先ず表し、それをさらに再表現をして、壁と仰っています。そして、その戦争に巻き込まれ、被害を蒙る普通の庶民を卵として、「壁にぶつかれば、卵はつぶれる」と表現し、「その卵の側に自分は立つ」と、表明しておられるのです。

 私は無名の小物です。しかし、表現者として、最近、不自由な事が続いており、それは、<<<政治に関する文章を書く事も原因であろう>>>と、考えているので、結果として、芸術や、心理学のフィルターを通して、それを、描くという用心を重ねております。戦争に関しても絶対にストレートにはそれに触れないと、しているし、ましてや核兵器に対してはなおさらのこと、触れないと決めております。

 しかし、先日来触れている、村上隆氏は、ニューヨークでの個展のタイトルを、『リトル・ボーイ』としたし、今回、村上春樹氏は、暗喩ながら、自分は「ガザ侵攻には、反対だ」と仰ったわけです。

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 この二つの現象から、私はさまざまな枝葉に発展して物を考えます。

先ず、一番大切な結論から言ってしまいましょう。普段と全く反対ですが、それを、言ってしまいます。それは、<<<芸術家と言うのは、気づく人だ>>>ということです。この二人が、両方とも・・・・・その世界の成功者であり、守護されているから、安心して発言が出来た・・・・・という側面もあるでしょう。しかし、この二つの表現は、心の奥底までを、のぞかないと、そして、相当な覚悟を決めないと、外に出せないものでしょうに、それでも、発言が行われたということは、彼らが、どうしても、気がついてしまう人だということを示しています。

これは、私自身長らくメルマガを経営していて、痛感していることですが、アーチストからのご返事メールは、文章が面白いのです。個人的なメールを書いて下さっているのでも、面白いのです。絵や版画を制作する人は、言葉を使った領域でも、表現者としてとても、優れている、と、私は確信しています。しかし、日本では専門分野主義であり、その発言力が低くみなされております。

絵や版画を制作するためには、テーマの取得の折には、(それが数十年前のことでも)一瞬にして、全体像と細部を、同時に把握しなければならないので、相当な洞察力を持っているのです。

村上隆さんの方はそれで、よし。――――――――――ただし、村上春樹さんのスピーチがこれほど、話題を呼んだのは、彼が、そのアーチスト的な瞬間的な根源の、把握へ(もっとも、前衛たる作品は、論議を呼び起こさなければ成らない)近づいたと、考えているほどです。

 上の発言は、もちろん、文章筋の人からは、たたかれるでしょう。それに、私は美術の方面からも、得体の知れない人として、警戒をされています。しかし、それらの事を乗り越えて、「真実はこうです」と、主張をしたくなっています。

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 その次のポイントはだいぶ下世話な領域へ落ちます。普段なら、こちらを、先に持ってくるのですが、・・・・・

 それは、不思議なことですが、村上隆氏の、ニューヨークの個展では、そのタイトルが、この村上春樹氏のスピーチほど、話題にならなかった、と言うことなのです。それが、どうしてなのかを、これから、考察していきたいと思います。

 『リトル・ボーイ』と言うのは、日本に投下された原爆の愛称です。それが戦後60年経っていて、忘れている人が多いから、それで、問題にならなかったということなのでしょうか?

 私はアメリカに対して、深い関心を昔から持っている人間で、ニュースは丁寧にチェックしている方ですが、アメリカ滞在中に感じた、<<<特殊な懸念>>>については忘れる事ができません。
『アメリカと言う国は、日本には、気を許していないのだ』と、感じる現象が多かったのです。まず、<<<ポケモンを「戦略的に、アメリカの子どもを支配する道具だ」と、規定する発想で、そのアニメ映画を見ると、害悪を受ける子どもが多い>>>というニュースが、アメリカ中を席捲しました。今は、その論調は消えています。

そして、<<<愛媛丸事件等が起こって、「リメンバー・パールハーバー」の大合唱が起こったり、結果として映画が、作られたり>>>、<<<基礎医学の研究に従事していた学究がご自分の実験材料を、帰国時に持ち帰ろうとして、機密保持のために、拘束をされた>>>事件などが起こりました。
 
 その種の現象を、実際に見聞きした身としては、緊張を持って、身構えて、アメリカを眺めないと、いられません。それなのに、ニューヨークで、「リトル・ボーイ」と言う総タイトルで、村上隆さんが、個展を開くことが出来る、そのことの不思議さ・・・・・

 そして、それが世間的なニュースとしては、あまり話題にならなかったことの、不思議さ。そして、今回の村上春樹氏の、スピーチの方は速やかに世界中を駆けめぐったことへの、違いの原因を探りたいと思う思い・・・・・

 私は今、この二つの現象に関して、熟考を重ねております。まだ、解析中であり、しかも、ブログで、発表できるかどうかを、危ぶむ分野です。ただ、問題定義として、ここに、ぽんと投げ出すことをお許しくださいませ。

              09-2-23     雨宮舜(川崎 千恵子)
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ビートたけし氏に対する私の、考察

2009-02-22 22:36:32 | Weblog
 昨日、ビートたけし氏の「誰でもピカソ」と言う番組について触れました。これは、ご覧になっておられない方もあると思いますが、・・・・・いろいろな有名人のプロモーションに・・・・・最近では使われております。

 しかし、昨日も触れたように、一時期は、芸術家のコンテストをやっていて、誰が今週の一番かを決める制度があり、村上隆氏が、重要なメンバーの一人として、審査に当たっていたのです。が、それが、終わってよかったと思っている人間が私です。

 アーチストは<<<大衆に、広くその存在を知られなくてはならない>>>という宿命があるから、そういう機会を利用して、売り出したいと願うのも、必然でありましょう。だけど、普通のコンクールと違って、ある意味での余興ですから、じっくりとした審査ではないので、『気の毒だなあ』という感じが、出演者に対して起きる場面が多く、さらに、出演者自体が、後で、「非常に嫌な番組だった。あれに出たお陰で、ノイローゼになっちゃいました」といっているのを聞いた事があるので、私としてはもっとも嫌いな番組の一つだったのです。特にその若手芸術家の作品が、非常によいものだったので、私はそれ以来、あの番組は眼鏡をかけてみるようになっていて、いや、はっきり言えば嫌いになっていて、三輪明宏さんの丸山明宏時代のヒット作「よいとまけの唄」が出た時ぐらいしか見ていませんので、推定で物を言うわけですが・・・・・ともかく、その部分がなくなったらしいのは喜んでいるのです。

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 しかし、その誰でもピカソの中に(秘められてはいるが、確かに)存在する残虐性を見ていると、ふと、彼が、「テレビ・ジョッキー」と言う番組で、熱湯コマーシャルと言うのを遣っていたのを思い出しました。それについては、私は、ちらっとみただけで眼をそらしました。が、今、グーグルの検索で、それを、検証してみると、思いがけないことに、その第一弾となったのは、飯島愛さんで、彼女は根性があるので、最長時間の記録を発しているそうです。

 だけど、これは、まずくすると、死に至るゲームです。先日(09-2-20)も老人ホームで介護人が、湯温を確かめないで、車椅子のご老人を入浴させてしまい、大やけどで死に至らしめたと、報道をされました。それは、設定が50度だったということですから、熱湯コマーシャルは、死に至る事故を招きかねない番組だったのです。

 この頃、同時に、世の中に、少年リンチ事件等が多発した時代であり、私はテレビで堂々と人をいじめ、それを、見て笑う風潮に、ぞっとしたのを覚えております。グーグルの検索でさらに引くと、当時もPTAなどから、抗議が殺到していたそうです。

 さて、その後で、ビートたけし氏は、フジテレビで、何か大ヒットした番組を作ったみたいです。しかし、我が家の男たちがそれを見なかったので、私はそれについては一切を知りません。その次にTBSで「風雲たけし城」と言う視聴者参加型番組を作りました。これは、体力と技術を使わせる、擬似冒険番組で、それなりに、参加者が納得をしているみたいなので、それは、まだ、救われますが、スタジオにふんぞり返って、コメントをする姿には、やはり、ぞっとした部分があります。

 この頃、私は、テレビ関係者が、「視聴者をいじる、とか、いじくる」という表現をするのを知りました。つまり、ビートたけしさんは、ご自分を、(芸能人特に、軍団と称されるご自分のプロダクションの所属タレントには)、殿(との)と呼ばせるそうで、そこらあたりも、常に『人間とは、平等であるべきだ』と考えている私には、頷けないところなのです。

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 しかし、人間とは複雑なものです。ですから、彼には、もう一面、正反対の部分もあるのではないかとも、感じていました。結構シャイな部分が。それで、ある意味で彼を許していたと思います。

 それが、上品に出た部分が、絵を描くというポイントと、ピアノを習ったというポイントです。彼の絵は出版物から見ると、畑正憲さんのそれに似ています。べた塗りの背景のなかに、形象が浮かんでいるタイプ。(今度と言うか、もう終わったのかもしれませんが)、カルティエが、支援して、パリで個展を開くそうな。

 それから、軍団を組織して部下を売り出してあげる才能があれば、それも強みですよね。
そこら辺りは私には全く無い才能なので、その側面に関しては彼を、それなりに尊敬しています。
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 ただし、まだ、相当胡散臭いところを感じます。

 例の有名な男性たちと次々と、キスシーンを激写される、山モナちゃんは、彼のプロダクションの所属ですしね。今回、中川元経産相に対して、水に落ちた犬をたたく、類の発言が行われました。中川経産相の父君の死を再・考察すると、日本人なら、その手の発言は控えるのが、常です。そこが、日本人の心情に訴えるはずの、有名な人気(?)タレントとしては、ちょっと変ですね。

 ただ、彼に一つ、功績があるとすれば、そういうどぎつい表現の番組の中ででも、『真に頭がよい人とか、才能がある人が誰であるか』を視聴者は、見抜く機会を与えられるという点です。テレビ朝日の『テレビ・タックル』でも、一体、この国の政治は、どうなっているのかと言う疑問が、解明されるときがありました。反語的にでも。でも、今は、ウエブニュース上だけで、彼を追っていますけれど。

    2009年2月21日           雨宮 舜(川崎 千恵子)
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村上隆、草間弥生、千住博の違いと共通点

2009-02-21 23:45:46 | Weblog
 一つ、これから先は、この番組『クローズアップ現代』を見ないことにしようと決意した日を、上げてみましょう。それは、「村上隆の近況報告」と言うテーマの日からなのです。

 村上隆さんと言う作家(美術系)は、芸大日本画科出身の現代アート系作家であり、ビートたけしの「誰でもピカソ」と言うテレビ東京の番組の常連だった人です。特にアーチストを、コンテストで、選別する催し物の審査員として活躍をしていた人です。

 だけど、それ以降、大変な活躍ぶりで、ニューヨークのオークションで、ご自分のデザインした大きなフィギュアー(特殊なプラスチックで出来た人形・ココちゃん)が7000万円で落札したという事が、世間のニュースになったり、ルイ・ヴィトンのマークを、色だけは新デザインするように頼まれて、茶色地に黒だけだった、それを、白地にカラフルな紋章を散らしたものに、変えた人でもあります。

 また、ニューヨークで開かれた個展のタイトルを、リトル・ボーイと名づけ、それが大評判をとって、大成功だったとも、日本へ伝わっている作家です。

 で、その日は珍しく、国谷さんが、スタヂオを飛び出し、彼を工房他、へ、訪問して番組を作るという体裁になっておりました。

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 その時に、見てしまったのですが、すさまじい数の社員を、抱えた一種の会社組織に近い形で、彼が、作品を制作していると言う事実です。オフィスがものすごく近代的で、若い人が多く働いています。

同じように、マーシャライズ(統括している)と英語で、解説をされる、草間弥生女史より、さらに大規模です。

 草間女史の工房も、映像で見ましたが、縫い物が多いので、まず、ミシンを踏む女性たちを雇っていますね。後ろに一杯これから、使うはずの生地とか、半分出来上がった部品が下がっている、その工房は古典的です。大体が昔からの中小企業の作業場の形態を、保持した工房の様子でした。鏡の細工は別の場所でするのだと思いますし、版画はもちろん、専門の工房が、摺りだけを引き受ける形態でしょう。そこに働いているのは、主婦のようです。臨時雇いと言うかパート形式だと思いました。その人が、主たる生活をかけている給料ほどは払えない・・・・・と言うのも作家と言うのは、発想が沸くときと、沸かないときがあるわけで、常時人を雇うのは、いささか、邪道だと私は考えているからです。

千住博さんが、フィラデルフィアの松風荘の襖絵を、引き受けられて、ニューヨークでそれを、制作なさっているのを見ましたが、助手(弟子)はいます。助手が、墨というか、絵の具を用意したりする。だけど、弟子と言うのは、一種の修行をさせてもらっているわけですね。絵を描く技術のほか、業界人との交渉術とかそのほか多数のことを、学んでいるわけです。

だから、給料以外のメリットもあるし、それを助手本人が納得をして雇われているわけです。それに比べて村上隆さんの周りの景色は、大規模に過ぎました。大勢の若い人(新卒の可能性もある)の人生を引き受けてしまったわけです。しかも、急に景気の大後退が起こって、作品が以前と同じような値段で取引をされるかどうかが、怪しくなってきた状況での、クローズアップ現代での取材です。

これが新・日曜美術館での取材なら、同じ業界に住むもの同士の遠慮があって、その部分を質問しなかったでしょう。しかし、クローズアップ現代だからこそ、そこにも、質問が行きました。

で、それに対して、村上さんは、「確かに迷いもある」と答えています。「これから、フィギュアーではなく、平面(昔の言葉で言う絵ですね)に、移行しようかなと思う」と、背後に、一種の色面分割で出来た作品を、展示しながら仰いました。

私はその画面を見ながら、自分の生きるスタンスとして、こういう作家(美術系)を受け入れがたく思う発想があるのを、再確認しました。それは、人間としては、絶対に、失いたくないスタンスなのです。作品制作の一面に、お金が大きな部分で関与している、そういう姿を、一人のアーチストとして、受け入れがたく思う発想があるのです。

それで、その日以来「クローズアップ現代」を見ないようにしていたのです。が、偶然にも昨日は、その防衛機序を破って回したチャンネルで、よいものを見ました。

ところで、以上の、村上隆さんについて書いた部分は、私にとっては相当大きなポイントですが、その時点で書かなかったのは、私一流の礼儀です。<水に落ちた犬をたたくことになってはいけない>と感じるからです。人の人生には誰でも波があります。村上隆さんにも、収入の面で、旭日の日が、再びめぐってくる可能性はあります。

だから、放映・当時は何も書きませんでした。では、
            2009年2月20日  雨宮舜 (川崎 千恵子)
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IT 発達に拠る、新型テロ(?)

2009-02-20 15:38:17 | Weblog
インターネットを使う、新型犯罪・・・・・・ボトン・ネット

 昨日09-2-19日放送のNHK・『クローズアップ現代』で、大変面白い情報を知りました。<面白い>と先ず書きましたが、ある意味では<戦慄すべき状況>かもしれません。ご覧になった方もあるかと思いますが、一緒に考えたくて、ここに、書いてみます。

 司会の国谷さんが「これが、インフラへの攻撃に結びついたら大変ですね」と、ゲストに向かって言っておられましたが、私自身は、新幹線、および、飛行機の発着がコンピューターの混乱で生起した、最近の事件を、事件のその日から、サイバー攻撃に拠るものではないかと、感じておりました。

 企業側(JRと航空会社)から何も詳細についての発表が無いので、それを裏付けることが出来ませんが、私自身は、その様に、直感しました。今もその考えが変りません。
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特に、昨日のクローズアップ現代では、「最近、グルジアと言う国で、政府機関、および国全体のインターネット機能が麻痺した」と伝えています。

 グルジアは、最近ロシアとの、関係が悪くなっているのは世界が周知の事実です。だから、新たな武器としてこれが、使われたと推定するのは、妥当なことだと私は考えます。そして、攻撃側が姿を隠しているという意味では、テロルです。

 姿を隠しているというのは、この攻撃が何重にも、間を挟んだ、別の場所(たとえば、日本なら、特殊なウイルスに感染した個人のパソコン)から行われるために、源泉がどこであるかを、たどれないように設定をされているので、そうなります。

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 これから、先はNHKと言う組織が役に立つ取材力で、どうして、こういうことが起きるかを解明していきます。それを映像で、見せるのですが、世界中から攻撃が入ってくる日本の図と言うコンピューター・グラフィックが傑作でした。非常に判り易い画面です。

 道具としては、ボトンと総称されるウィルスに、先ず、無防備なパソコンを感染させる。その上で、その感染したパソコンを通じて、大量のメール(?)、特に大容量のものを、相手方の、大型コンピューターに送り込めば、そのコンピューターは麻痺してしまい、お客からの連絡を受け付けられないということになります。

 しかも現代では、その<<<ボトン・ネットと呼ばれる、攻撃の仕組みそのものを商売にしている、アングラ組織がある>>>そうです。また、ボトンは、一日に、五分ごとに違う形態のものが何回も送られてきたりして、通常の、セキュリティ防衛システム(一日に、一回程度、更新することになっている)をかいくぐって、入り込む可能性があるそうです。

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 さあて、以上が、普通の意味での番組紹介です。感嘆したので、皆様にもお知らせをしたいということです。

 これから、先は、(次のメールで、お送りをさせて頂きますが)私固有の下世話な話に入っていきます。私は『クローズアップ現代』が、長らく、大好きだったのですが、最近、ほとんど見ていなかったのです。自分サイドが忙しいということあるし、取り上げている話題が、好ましくないと感じた日もあって、それ以来<<<見ない>>>と、なっていました。それなのに、昨日だけは、偶然にも、チャンネルを回したら、重要な、情報を得られて、よかったなあと、思う次第です。

 こういうときに、天が助けてくださったといえば、「この近代に、特に、IT分野を話題にしている日に、何を言っているのですか、あなたは!」となると思いますが、・・・・・

2009年2月20日  雨宮舜 (川崎 千恵子)
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重要な情報がたっぷりあった・・・『XとYのミステリー(NHK)』

2009-02-19 22:20:13 | Weblog
 今日は、簡単な文章で恐れ入りますが、NHKハイビジョンで、放映した「XとYのミステリー」は、面白かったですね。

 男性と女性の根本的な違いを科学で、分析した番組だったのです。総合チャンネルで同じものを放映したと思いますが、再放送とうたっていないので、どういうことなのだろうと、おもったら、ナビゲーター部分を除外してありました。

 つまり、地上波の視聴者には、この番組は難しすぎる(だろう?)からナビゲーターが、一種の再現ドラマ、または、コント風のドラマをやって、導入をするという形式が、地上波の総合チャンネル(一チャンネル)では、取り入れてあったのですが、

 その導入部分を除いてありました。

 私は、自分を別にインテリだなんて思っていないけれど、そういう区別と言うか、差別が、地上波と、衛星放送の間にあるのは、NHKに限らず、他の民放・各局にもあるのを知っております。

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 それって、『露骨に、差別しているなあ』などと思っていたのですが、今では、それに対して怒ったりしません。あまりにも、富裕層、富裕層と言う記事があっちこっちに出るようになったので、なんだか、怒る気もしなくなった。特にウエブ・ニュースとか、テレビの世界の中で。

 だけど、デジタル放送だけになって、地上波が、なくなると言うのは、国が差別をすることでしょう。これって、「そんな、国だったけ? 日本って」といいたい気分です。

 『ものすごく、変ったなあ。この国』とも思います。

では、今日は本当に短くて恐れ入ります。下に、ヴィヴィアン・リーについて書いた分がありますので、更新の関係で、まだお読みいただいていない方は、それもご覧を頂きたく。  
             09-2-19   川崎 千恵子 (雨宮 舜)
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ヴィヴィアン・リーの真実

2009-02-18 21:54:28 | Weblog
 09-2-18日(水)の夜、NHK衛星第二放送で、『欲望と言う名の電車』が放映をされました。これはNHKとしては、マーロン・ブランド特集のひとつとして、企画されたものだと思いますが、私はヴィヴィアン・リーに注目をして考えました。

 この映画を、最初に見たのは何時だったか?さえ、記憶にないほどですが、ともかく、『風と共に去りぬ』をみただけでは、別にさしたる興味を抱かなかったヴィヴィアン・リーについて、強烈な興味を、抱か・させられたのが、この映画でした。

 それで、今日は、ヴィヴィアン・リーについて書かせていただきたいのですが、資料は、文庫版で読んだ、伝記です。今、それが手元に無いので、著者、出版社ともに、不明ですが・・・・・

 昨日(09-2-17)、テレビ東京の歴史ミステリーと言う番組で、ちらっとですが、『実はスパイだったといわれている有名な女性』として、マリリン・モンロー、ココ・シャネルとともに、このヴィヴィアン・リーが上げられていました(?多分)。その真偽は別として、ヴィヴィアンと、その他の女性とも、恋愛の経験が華やかで、そして、実はとても賢かったということと、どこかで精神を病みながら、しかし、立派な仕事をしたという点で共通しています。
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 ヴィヴィアンが、精神を病んでいたことは、今では、wikipedia  でさえ、公表をされていますが、別のサイトでは、結核の方を、主に取り上げ、彼女が、一番目のご主人との間に生まれた娘の子の、幸福なおばあちゃんとして、死を迎えたことを、記しています。どちらも、ある部分で、本当だったと思いますが、上記の文庫本による、伝記内では、ローレンス・オリヴィエとの、さまざまに絡み合った愛憎が、精神の病の引き金になったとされていて、それには、私は、70%は、了承を致します。

 同じ分野の仕事を持つご夫婦なんて、内実は、大変なものでしょう。その上、外部の評価がもろに、眼に見えてくる演劇と映画の世界を、リングにして、戦うわけです。ヴィヴィアンが才能豊かな女性であったればこその、悲劇でした。こういう部分は、ちょっと、ロダンと、カミ―ユの間柄を思わせます。

 結局は男性の方がタフであり、女性の方が、傷つき易いのですよね。特に恋愛においては、歴史的な慣例から、または、肉体的な特徴から、女性は男に従うべきだという根本的な部分があるから・・・・・

 その二人の葛藤(又は、暗黙の競争意識)の部分を、顕在化して、納得、了承をすることが、二人には難しく、彼女は妊娠・出産によって、二人の間を埋めようとしていたみたいですが、サーの称号を持つオリヴィエとの間の妊娠は、ことごとく、流産に終わったみたいで、これも、彼女を絶望させた一因であろうと推定されます。

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 けれど、私を感心させるのは、これほどの、窮地にありながら、演技者としては、見事に仕事を成し遂げていく側面もあることなのです。そこに驚くのですが、その両方を、体現しているのが、この『欲望と言う名の電車』です。もうすさまじすぎて眼を背けたくなるほどの演技です。入魂と言うのかな? 

 私は50代までは、精神的にタフだったと思います。だから、こういう人間のマイナス面を表現した本、および映画を見る事が大丈夫だったのです。犯罪関係の厚い翻訳本を読むのも大好きだったのです。が、今では、ちょっと、耐えられない感じです。それを、鑑賞サイドではなくて、演技者として、主体的に取り組むのですから、すごい、・・・・・

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 だけど、これから、先は、私独特の解釈になります。親子の分離をいつ、おこなうかについての、問題です。すごい天才とか大物とかは、結構、早い時期に親と分離して生育をしたりします。ヴィヴィアンもその典型として、非常に幼い頃に、両親が住んでいたインドから離されてロンドンに送られ、修道院付属の寄宿学校に入れられます。

 インドで上流階級をしていた両親にとって、インドでは適宜な学校が見当たらないので、日本で言えば小学校入学時に、帰国させたという感じ・・・・・でしょう。

 しかし、こういう生育暦を持つと、子どもは、『何でも、安心なんだよ。世の中って、大体大丈夫なのさ』と言う安心感を持てずに、育ちあがります。甘やかされた受容の体験が少ないからです。それで、回りを気にする子供と言うか、人格として、育っていきます。

 それは、ある意味で表現者、としては、敏感で観察眼が鋭いということに繋がり、天才性を涵養したと思います。が、他者の言動に傷つき易くなります。彼女自身、最初のご主人を、弁護士から、マネージャーへと転職をさせてしまい、その挙句、もっと、素敵な、しかも社会的にも有名なローレンス・オリヴィエに乗り換えてしまったわけですから、他者へ苦しみを与えた罪深さを背負ってもいるのですが、それでもなお、他者からの刺激に、過剰に反応し、傷つき易くなっていた、その土台としての人格があり、それは、手厚い精神的な保護を、14、5歳までは、人間は必要とするということを、証明していると思います。

 それが、ないと、人は、精神の病に陥り易いのです。そこまで行かなくても、不安が多く、自信を持てないで、世の中を渡っていくこととなります。

 しかし、そういう弱い側面も抱えながら、あの大作、「風と共に去りぬ」で、出演者の白眉となり、かつ、「哀愁」での美貌のきらめき、そして、「欲望と言う名の電車」での、高い表現力を、世の中に示しえたというのは、すごい業績であり、そこで、結果としては、輝いています。

 だけど、今思うと、彼女は、一種の能面のような、顔つきをしています。比較的に、「欲望と言う名の電車」内では、苦痛の表現ではありますが、表情が出ていますが、先の二つの映画では、本当に、心が読めません。それは、<<<小さい頃から、防衛機序が発達しすぎてしまったからだ>>>とも、私には考えられるのです。

 寄宿学校、しかも修道院付属なんて、ほとんど、甘えの利かない世界でしょう。そこで、育ったころの防衛機序の構築と、傷つき易さの構築の、両方を併せ持つ、女性のようだと、私は考えております。

 結論として、『親とは、こどもを、平凡に育て上げた方がよいのだ』となります。特に、こどもの、幸せのためにはね。

    2009年2月18日      雨宮舜 (川崎 千恵子)
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アンジェリーナ・ジョリーの真実;

2009-02-18 00:10:25 | Weblog
 私は、日本のマスメディアのヒステリックな一極集中主義を怖れるというか、嫌悪している人間です。その象徴としての、首相いじめを引き続き書いていきたいのですが、その目的は、そういうニュースを見た子供たちの心が、崩れるので、それを防ぎたいからということなのです。

 でも、そういう話題が集中すると、このブログそのものも暗くなりますね。それで、クリントン元大統領夫人も来日をされたことですし、久しぶりにアメリカものへ戻らせていただきましょう。『鬼子来了』への言及が全く出来ておりませんが、それは見事な映画だったと先ず、言っておいて、そちらも中断です。
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 私がこれから、述べる情報はすべて、09-2-4(?)の深夜、NHKハイビジョンのアクターズ・スタヂオ・インタビューから得ています。今、Wikipedia で再確認をしましたが、字面で読むよりも、そりゃあ、生の彼女がしゃべるインタビューの方が迫力があるので、そこから、取った、情報で、この文章をすべて、書きます。

 彼女が、カンヌ映画祭で、後に双子として出産をされる、第二子と第三子を妊娠中なのに出席をしたときに、ウエブ・ニュースで、トップスターとして、扱われているのを知り『そうか』とは、頷いたのです。が、一方で、『彼女が、複数の養子と縁組をしていることを、不思議なことだ』という思いは、消えなかったのです。『売名的な行為ではなかろうか?』とか、『独身の女性に、子育てが出来るのだろうか?』と、疑ってさえいました。

 しかし、その番組中に、彼女自身の、生育上の苦労と苦悩をしり、『そのすべてを洗い流すものとして、第一番目の養子の笑顔に救われた』というのは、納得をしました。

 自分が与えられなかった、物を人に与えることで、自分を癒すことはよくあることで、それに、成功した彼女は、本当の意味での英雄かもしれません。つまり、現代人が最も苦労をする事の一つが子育てなのです。あまり公にされていませんが、豊かになった時代、そして、親の労働する姿が見えない時代には、日本だけではなく、全世界中で、こどもがさまよう魂を抱いて、悲哀の中に住んでいる可能性はあります。

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 父親はハリウッドスターのジョン・ヴォイトだと言うのはこの番組ではじめて知りました。しかし<<<父は、俳優として評価が上がったのと並行して、母とは別の人と不倫を重ね、彼女が小さい頃に離婚となった>>>という話です。が、それも、初めて私は知りました。

 フランス系で、美しく繊細な感じのするお母さんは、大女優になるにしては、精神的な部分で何か(図太いもの)が、足りなかったのでしょう。貧乏な子ども時代を送ったとあります。

 父親のことは、相当、忌避しながら育ったようです。それに不在も大きい。と言うわけで、彼女はリストカットをしたり、タトゥーをたくさん入れるような、少女期を送ったとあります。でも、アクターズ・スタジオに通ったりして、ともかく、自分を再生しました。自力で。ここは、とても立派なところです。

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 さて、ふとですが、この経歴を今までのところ見て、イサドラ・ダンカンを思い出しました。彼女の両親も、アンジェリーナに似ていて、芸術的な才能に溢れた、美形なのですが、お父さんが、とても小さいころ家を出ています。それで、家族間では父親のことはタブーであったそうですが、実際には、「一度だけ、玄関に訪ねてきた紳士を、父親だと直感をして、とても、素敵な人だと感じた」と、イサドラの方は告白しております。

 アンジェリーナの方も、心の中はともかくとして、才能と、美貌(? お母さんだけでは、あの濃厚さは表れなかったと思われます)を、受け継いでいることは確かでしょう。そして、お母さんからの遺伝だけでは、この成功、(世間的な意味での成功とは、タフネスを必要とします)は、得られなかったでしょう。

 今、アメリカ、または、世界中で、もっとも、興行収入が高い女優さんの一人らしいのです。それは、世間的な意味では、押しも押されぬ成功です。

 私が本当に感心をして、一緒に喜べたのは、そういう思春期の、苦しみをともかく、仕事の成功で乗り越えて、今、実子もいて、養子たちもいる、大きな家族を養っているという点です。特別に収入の高い人は、お手伝いさんなどを充分に雇えますので、生活のうえで、支障になることはないでしょう。自分のこどもが、スターの子供として、ちやほや、されすぎないためにも、養子の兄弟がたくさんいることはよいことです。ただ、差別感情が生まれないように、影ながら祈っておきましょう。

 最後に蛇足ですが、*当代第一級と世間が目する男性と結婚をする。*その人との間に子どもが生まれる。*そして、世界中を、旅行をする。*住まいを、別の国に建設しようとする。そして、*他人の子どもを育てようとする。こういう傾向はすべて、イサドラ・ダンカンと似ています。不思議ですが・・・・・
    
         2009年2月17日、    雨宮舜 (川崎 千恵子)
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「豊かだった時代の後遺症(30代の姉殺し)」

2009-02-16 23:09:35 | Weblog
 少し、首相をからかうというポイントから離れましょう。昨日起こった事件について、些少の事を先に述べたいと感じますので・・・・・
 
 兄弟殺しのニュースです。聖書に出てくるアベルとカインのお話の時代から、

 人間の社会には、兄弟間での争いがありました。
日本のことわざにも、『きょうだいは、他人の始まり』と言うのがあります。

 私が強烈に覚えているのは、三鷹で、母も弁護士(父のことは覚えていませんが)である知的エリートの家庭で、兄弟殺しが起こったことです。

  最近では、歯科医の家庭で、兄が生意気な妹を、殺したという事件が起こりました。
それは、何か、死体を隠したとか、犯行を隠したので、ニュースになりましたが、

 今回は、殺した方の弟が、交番にでかけ、なんども、(自首にためらいがあったのでしょう)受話器を取り上げたので、
 不審に思った警官が無人の交番に駆けつけ、逮捕に至ったということで、

 あまり、劇的な部分が無いので、ウエブニュースでも、一社が取り上げているくらいです。社会的には、さして、大問題とはならないニュースかもしれません。

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 しかし、私には、あるポイントで、感じるところが大でした。それは、これが、30の弟が33歳の姉を殺したという年齢の面での、新しさです。普通なら、兄弟殺しは、20代で起こるはずなのです。それは、日本では、そこら辺りで人生が決まってしまう通過儀礼が幾つかあり、それに成功した(?)子どもと成功しなかった(?)他の子どもの間に、差が明瞭に生まれ、親が差別的待遇を始めたりすると、猛烈なルサンチマンが起こり、それが、劣等な子どもの方の殺意を招きます。

 この八王子の家庭では、それが、30代で起こるとは? きっと、普通の家庭だったのです。そして、日曜日に犯行が起こっています。それも、あれこれを、推察させる意味があります。

この殺されたお姉さんも、恋人などがいなくて、先の見通しが立たず、いらいらしていたところで、つい弟に当たったのではないでしょうか? 弟も無職だというので、日曜日に友達と遊ぶ計画も無く、(それは、男友達を相手にしてもそうですし、ましてや、ガールフレンドを、相手に遊べる可能性もなく)、二人の大の大人が、狭い家で(いや、ごめんなさい。だけど、最近の家は、たいていは、二階に二間があり、それを、二人兄弟なら、互いに一部屋ずつ使うという形ですが、間に押入れがあるとしても、階段傍の、スペースは少なく、階段を使うときに、互いに顔を合わせる可能性はあります。

そんなときに、ふと体がぶつかって、お姉さんの方が、まさか、殺されるなどとは夢にも思わず、「あんた、何、やっているのさー。イツまでも、ぶらぶらして」とかいったのではないかと、見てきたような嘘をいいですが、感じます。

となると、事件など起こりようも無い、普通の家庭で起こったということになります。特別に問題がある家庭でもなかったでありましょう。犯罪が低年齢化しているとも言われますが、こういう子育ての領域に含まれる犯罪は、高年齢化しているのも特徴です。これは、子育ての領域の中にある、子どもの心の発達を、おろそかにした家庭に起こった悲劇です。そして、本当は大切だった、小学校のころとか、中学校の頃に、それに、気がつかなかった悲劇なのです。

そして、最も新しいポイントは、子どもを家に抱え込んでも大丈夫だった、日本と言う国の豊かさにあります。いえ、個人としては、豊かさを、感じませんよ。でも、世界中のほかの国に比べれば、人口比率としては、豊かな国の方に入るでしょう。

そして、つい昨日までは、独身貴族、パラサイトシングルは、当たり前の日本でもあったのです。急に先行きが暗くなりました。それゆえに、人々はあせったり、いらいらしたりしています。かといって、普通の家の、普通の精神の親たちには、こどもを、外へ追いやるほどの、気概も無いのかもしれません。つい、ずるずると、改革も無く、過しているうちに、こういうことになった。

うちの、主人が時々言うのですよ。これ(経済不況)が、よい方向へ結びつくかもしれないと。そうですね。ともかく、子どもたちを甘やかすことの出来ない状況へ、これからは追い込まれるということは、『風が吹けば桶屋が儲かる』ということわざを信じれば、子どもたちがしっかりするということでしょう。

 今日、これを述べたのには、わけがあります。首相をからかうということは、日本の社会に大きな禍根を残したのです。いじめを肯定する風潮を生起させました。
学校社会だけではなくて、一般社会にまで。それが、数々の事件を生んでおります。それについて、過去記事を述べるはずでした。過去の少年事件をあれこれ、振り返るはずだったのです。

 それが、ここに来て、少年事件が、年齢層が高くなっています。秋葉原の事件もあれも、少年事件の一つだと私は思っていますが、他にもそうとらえている方もありますし。では、今日はこれで。
      2009年2月17日  雨宮 舜 (川崎 千恵子)
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惻隠の情はどこへ行ったの?・・・・・日本のマスメディア3

2009-02-15 23:17:37 | Weblog
 さて、首相をからかうという点で、見逃せないのは、田中角栄首相です。この人のことも、ちょっとブログでは書ききれないほどの、人物ですが、激烈な戦いの末に、とうとうご本人の病気で倒れました。脳梗塞だとか。

 その頃は、闇の帝王または、キングメーカーとも言われた立場も消え、七奉行と言われた、(角栄さんが次に首相にしたかったであろう)人物も竹下首相をはじめ、逃げ去りました。落日の時です。しかし、日当たりのよい日に、庭に出て、日光浴でもしようとする姿を、ヘリコプターが捉えました。

 よく、小泉さんを劇場型・政治家と言いますが、マスメディアこそ、ニュースとか人間をおもちゃにしていると思うのが、ヘリコプターによる、取材です。ホリエモンが収監される日も、六本木ヒルズから、どこかへ向かう、高速道路を、ヘリが追いかけました。

 その時に、東京の街は、電飾はきれいでした。だけど、一人の人物をおもちゃにしている、そして、出演料も払っていないのに、劇場に登場をさせているとは、感じました。日本人はこういうニュースを見て喜ぶほど、下品な種族だったのでしょうか?

 むしろ、ホリエモンもかわいそうだなあと思ったりします。そして、角栄さんの車椅子姿を見て、惻隠の情に駆られた人が多かったと思います。
 それが、田中真紀子さんの人気に繋がっています。
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 その真紀子さんですが、外務大臣だったときの記者会見の場で、左手で、秘書官(外務省側の課長さん)が、差し出した書類を振り払う映像が、何度も何度も流されました。

 よく有名税とか言います。有名な人は、李下に冠を正さず、で、非常に言動に気をつけなくてはなりません。真紀子さんは、新人として、会社に勤めて、下っ端としてお局さんに仕えたことなど、無いみたいで、それゆえに、こういう場所での、態度がなっていないです。だから、私など『うわー、嫌だなあ。せっかくのチャンスを、この人は自分でふいにしているわ』と、思いました。

 しかし、その後で、週刊文春で、真紀子さんのお嬢さんの離婚を取り上げた記事が出たときに、全く別のことに気がつきました。その記事は上杉隆と言う人が書いたものです。その人は別の記事でも、田中角栄元首相を、こき下ろす人のようです。

 週刊文春は、金権・問題追求の、先鋒であった立花隆氏が、もと、編集部にいたそうで、それゆえにか、非常に田中角栄氏と、その一族を嫌っているようですが、政治家ご本人はともかくとして、お嬢さんのマイナスのプラヴァシーに触れるなど、日本人であっても、他の国の人であっても、絶対に許されないことだと思います。だって、読者はそのお嬢さまから迷惑を掛けられていないのですよ。それは、知ってはいけない部分です。

 でね。急に、『そうか。あの真紀子さんが、書類を振り払う映像が、何度も出てきたのは、政敵の陰謀かもしれない』と感じ始めたのです。この場合の政敵とは、単に野党と言う意味ではありません。もっと深いのですが、ここでは、言葉としては、政敵とだけ、言っておきましょう。

 よくサブリミナル効果と言います。でも、あれだけ、はっきりと、映像を繰り返し流すとは・・・・・

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 そして、それが、結局は日本の損になっていますね。つい、2,3日前にニューヨーク州の北の方で、ボンバルディア社製の飛行機がまた、墜落しました。こういうときに、『YS11の製造をずっと続けていたらよかっただろうなあ。信頼性が高かっただろうに』と思います。日本の国民(一個人も、一企業も)は、ぜひ、自由に行動する権利を確保したいものです。国民一人ひとりの尊厳を守るためには、たとえ、有名な人が相手でも、それを、からかうのは、損なのです。そういうことに、日本の国民一人ひとりが気がついて欲しいものです。他人を傷つけることは自分を傷つけることですから・・・・・仰向いてつばを吐くとはまさにこのことなのです。

     2009年2月15日   川崎 千恵子 (雨宮 舜)
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新聞記者を全部追い出す映像・・・・・日本のマスメディア2

2009-02-14 11:53:28 | Weblog
 私は池田勇人首相の前の首相である、岸信介氏をわざと抜かしております。ちょっとね。ブログで触れるような単純な存在ではないからです。妖怪と呼ばれるほど、複雑な人間です。満州の経済政策に辣腕を振るい、例のA級戦犯合祀問題で、いつも、トップの在任として取り上げられる東条英機氏の閣僚でありながら、戦後復権し、総理大臣にまでなっている。

 で、岸信介をwikipedia で、基本的に予習をすると、さまざまなブログで、ティム・ワイナー著、LEGACY OF ASHES を取り上げ、彼が、CIAのエージェントだったとする説を載せております。自宅の隣に、統一教会の本部があると聞いては、それもありだろうと、私は考えます。

 ところで、日本の現代史においてもっとも大きな項目である、安保改定、およびその反対闘争が、反復検証をされておりません。A級戦犯合祀問題が、これほど、頻繁に反復検証されるなら、そちらも、丁寧に反復検証をされなければなりません。

 それは、旧・ソ連、と、毛沢東の威力に抵抗するために設定された条約だと公的には、言われておりますでしょう。その側面もありましょう。しかし、私が思うに、それをきっかけとして、・・・・・日本の有為な若者を、ふるいにかける側面があったのではないか・・・・・と思うほどです。あれで、日本は、決定的に変りました。真面目であることを、忌避する方向へ流れるようになったのです。

 そして、あの安保反対闘争、学生運動、(安田講堂篭城事件、革マル派、中核派など) 赤軍派の浅間山荘事件他、三里塚闘争、等々に巻き込まれ、世の中に出られなくなった、人々が大勢いて、中小企業のオーナーとか、何かをやって、生活のたつきを得ていればよいほうで、若くして亡くなった人も多いのです。
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 それは、アメリカと言うか、あの東京裁判を行使した勢力が、どれほど、日本人と、その実力の復権を、怖れているかを示しております。上記の本の中にとても面白い部分があります。それは、(池田信夫 blog) http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/ 07-9-4と言うところからの孫引きですが、

・ ・・・・CIAの資金供与は1970年代まで続き、「構造汚職」の原因となった。CIAの東京支局長だったフェルドマンはこう語っている:「占領体制のもとでは、われわれは日本を直接統治した。その後は、ちょっと違う方法で統治してきたのだ」・・・・・

 と、あります。その手の一種としての、学生運動と言う捉え方です。ことは、非常に複雑であり、右翼とか、左翼と言う分類が、よじれ・ねじれ曲がり、昔の規定では、表せなくなっていて、日本と言う国の自主性を求める勢力と、そうではない勢力と言う風に、分けるべきだと、私は、考える次第です。

 そして、首相をからかうのも、その一種ではないかと、私は考えるのです。それは、日本人の真面目さを根幹から崩していくからです。モラルハザードが、企業にとって、危機であることはビジネスマンならよくご承知のことでしょう。それは、一企業に限らず、一国家でも同じ事が言えるのです。

 ところで、その点では岸信介首相は、マスメディアに、からかわれたという記憶が、私の方に、ありません。当時はひとコマ漫画と言うのが優勢で、市川昆氏とか、横山泰三氏が新聞の一面に健筆をふるい、政治風刺を遣っておりましたが、それは、あくまでも漫画ですから、笑いを取り、対象者をからかうものなのは、基本です。それに、目くじらを立てるほど、私も日本人も、幼稚ではありません。 

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 さて、記憶に残る、そういう映像として、新聞記者を全部追い出した佐藤栄作総理大臣と言うのがあります。こちららも予習をすると、CIAのエージェントであったとする説さえ、あります。でもね。兄の岸信介氏よりは、やっていることは、ぐっと明るく見えました。日本国も経済的な上昇が、右肩上がりの時代だったのです。

 佐藤総理大臣は、池田勇人首相の高度経済政策路線のゆがみを是正する政策をとろうとしたが、実際には、日本は経済的に発展を続け、政権は安定し、その力を借りて、沖縄返還交渉に成功しました。これは、日本国の総理大臣としては、花マル・ジルシ級です。それこそ、A級総理大臣です。日本人はそのころ、本当に明るかったのです。庶民一人一人は、今よりもずっと明るい毎日を過しておりました。

 今の方が暗いのは、ちょっと出口が見えない程度に、将来像が読めないからです。日本の将来像が、庶民大衆には、読めないからです。ドルと円の将来像とか、株価の将来像予測は、あります。だけど、何を信じて生きていいのかの基本が、定まっておらず、心理的な、不安要素が強いからです。

 真の国益を考える総理大臣が、出そうにも無く、また、国民のためを思ってくれる政治家もいそうでいません。それも、国民の閉塞感を強めております。

 私はそれが、長年にわたり積み重ねられてきた、さまざまな要因で、そうなったと考える次第ですが、特に一番警戒をされているのは、日本人の能力でしょう。それが、高い事が心配をされております。それで、そういう高さを生み出してきた機能をあらゆる意味で、破壊しようとする性向を、感じます。

 住所地名の変更等、大蔵省と言う名前の廃棄、等々は、近・現代史の研究、そして、それを、大衆社会へ浸透させるのに、大いに、マイナスになっております。それで、国民は正しい判断をする権利を奪われており、マスメディアの報道に、踊らされ易い傾向を生んでおります。
 
 そして、そんな風にうかうかとしている隙に、本当に大切な、働いて蓄積したお金を、何とは、なしに、よく判らない形で奪われております。

 さて、今日はここまでに、致しましょうね。私が今、この文章群で問題にするのは、『首相をからかうという現象が、どれほど、国民、一人、一人にとってマイナスであるか』と言うところに特化していきたいと考えておりますので。それは、大海の一滴でしょうが、少しでも、状況を改善したくて、取り組みます。

  2009年2月14日   川崎 千恵子 (雨宮 舜)
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『貧乏人は麦を食え』・・・・・日本のマスメディア1

2009-02-13 17:52:34 | Weblog
 この文章群も随分中国と離れて行っております。しかし、出発は、中国の日本、および日本社会へのバッシングの象徴たる(しかし、意外な逆効果ももたらした)映画『靖国』にありますので、バッシング、のこと、特にマスコミとの関連を、これから、述べて行きたいと思っております。

 『歴代総理へのバッシングは日本社会へ何をもたらしたか?』を問いたいからです。特に最近ですが、『あらたにす』というウエブサイトが、立ち上がりました。私はこれを、大変心配している存在です。これは、もしかすると、あらたな、大政翼賛会への、動きに繋がるのではないかと考えているほどです。しかし、この件は大きすぎるので、後回しにして、まず、池田勇人首相の失言癖を取り上げましょう。

 特に、『貧乏人は麦を食え』と言う池田勇人首相の発言が、マスコミが日本の総理大臣を揶揄するきっかけを与えたと思うからです。

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 それでね。また、また、珍しく予習を致しました。Wikipedia に拠ると、この発言の原型は、こういう言葉ではなかったということがわかります。新聞社の見出しだったということが判ります。しかも首相時代ではなくて、その10年ほど前、第三次吉田内閣の大蔵大臣に抜擢をされた新人時代の、予算委員会での発言となっています。

 議事録の正確な再現では、野党の質問に対して、それなりの礼節を尽くした言葉でありますし、戦後五年目のことですから、「収入の少ない人は、麦が多く入っているご飯を食べなさい」と言うのは、考えてみると極く当たり前の表現の様でもあります。でも、その頃のマスコミの主流派は、民主主義路線を突っ走った時代で、貧乏人が大切な時代でした。

 以前にも申し上げましたが、四民平等の実践、カースト制度(実際には華族制度の廃止)、農地解放(大小の地主制度の廃止)などで、上流と、中流階級が消滅した時代なのです。

 そこを、かいくぐってうまく生き延びた人たちが、成金と、こちらも、揶揄と嫉妬を交えて、世間の中では、呼ばれた時代です。

 池田首相は、その二年後の1952年に、通産大臣として、もう一回失言をしています。そちらも原型は、丁寧な発言でしたが、マスコミの表現は大げさで、「中小企業の5人や10人が自殺をしても構わない」ということになっております。

 一回目はともかくとして、この二回目は、失言と呼ばれるに値しますので、これが辞任に繋がります。しかし、秘書官、宮沢喜一氏(この人も首相になった)によると、「池田勇人氏は、辞任後、非常にさばさばした様子だった」とあります。そして、これに懲りて、首相になったら、料亭とゴルフには行かないと宣言をして、それを、実行したそうです。つまり、金持ち階級の象徴たる、料亭と、ゴルフは、自分は総理大臣になったからには、近寄らない』と、その意味をちゃんと判っていた人ではあります。

 それゆえに、池田派は、一時期大きな派閥でした。そして、旧大蔵省の銘版は池田勇人氏の筆によるものだそうです。

 また、この人は後妻の満子夫人が、賢妻であり、よく夫を支えて、大衆社会との接点を構成していたでしょう。

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 しかし、私が本当に不思議なことは、今のマスコミ、または、マスメディアの論調が全く異なってきていることなのです。

 つい、この間、09-2-7にもウエブサイト上で、以下のニュースが流されました。
一部、 そのままに、コピーアンドペースト(ただし、出典はニフティのMoneyzine)を、させて頂きますと,

・・・・・純金融資産の全体の2割は国民の上位2%(90.3万世帯)が保有しているのだ。この2%は純金融資産1億円以上を持つ人々で、マーケットでは「富裕層」と呼ばれている。
・・・・・
 
 このような記事が誰でも眼を通せるウエブサイト上に堂々と登場する時代へと、今の日本は変化しているのです。そして、テレビ番組自体もつい、一年前には、セレブと呼ばれるリッチ層に関する番組が多かったのです。今回の文章の冒頭タイトルにもなっている、「貧乏人は麦をくえ」といった見出しが、どれほど、庶民を煽り立てたかと言う時代と、隔世の感があります。

 そして、繰り返しとなりますが、池田勇人首相は首相時代には失言は無いのです。しかも高度成長経済政策・・・・・(所得倍増計画)・・・・・を採り、それが、6年後実現をします。

 それは、貧乏のどん底におちた日本と言う国を、再生する役には、立ったでしょう。私はことの本質を大切にしたいと思っています。日本国の総理大臣とは、日本と言う国と日本の国民を守らなければなりません。そういう意味で結構重要な総理大臣だった池田勇人氏が、ただ、単に、「貧乏人は麦を食え」といった宰相として喧伝をされた、時期が確かにあったと記憶をしており、それが、この怒涛のごとき現在の、*首相をからかうムード*を強めたと思っている次第です。

 ところで「もはや、戦後ではない」と言うキャッチコピーは、何時、生まれたのでしょうか?

  2009年2月13日   川崎 千恵子 (雨宮 舜)
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映画『靖国』日本とドイツの違い・・・・・私と中国8

2009-02-12 23:16:12 | Weblog
 前日も述べましたように、戦犯を裁く裁判は、第二次世界大戦をきっかけとして大々的なものとなりました。ドイツに関しては、ヨーロッパ各地に進軍をしたので、その結果としての惨禍を目撃した人が多く、論調として、ヨーロッパ全土が反ナチでしたから、『ニュルンベルグ裁判が、未だに問題になっている』ということは寡聞にして聞いておりません。そして、物理的にも精神的にも追い詰められたヒットラーは自殺をしました。

 それに、アウシュビッツほかがあって、ユダヤ人に対する弾圧もすさまじく、それも映像として残っているし、生き残った証言者が大勢います。それに主たる責任者であるヒットラーが自殺をしております。後は心理学の領域として、ナチス党幹部が、一種の集団ヒステリー状態で起こしたことを、裁く過程です。日本だったら、よく精神鑑定が摘要されますが、本当にあれは、精神鑑定が必要な分野でしょう。

 ナチズムで、ドイツ全土が、共鳴をしてしまったのは、大衆への心理操作のきわみの結果です。しかも、ドイツには原爆が落とされていません。それで、戦後のドイツ人は、慫慂として、あのニュルンベルグ裁判を受け入れていると思います。時々世界の片隅で、あの裁判を逃れた主要な人物が、見つかったとか言う事が、大ニュースとして報道をされます。その時に現代のドイツ人は痛みを感じるかもしれません。

 また、何度も繰り返して、ユダヤ人を、弾圧したことが、映像(大衆的なレベルで大量動員される娯楽映画)となっております。戦後65年を経ていますが、それでも、その責任を、追及をされています。
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 日本では、甘粕大尉(これは、通称、当時は満鉄の要職のはず)が物理的にはまだ、逃げられる状態だったでしょうが、愛人も伴わず、しかも後で、自室に火をつけることもせず、自殺しました。東京裁判で裁かれたA級戦犯とされた人々は、日本国内にいて、危機感が足りなかったのでしょうか?。甘粕大尉はさすがにパリに留学した人で、責任感とか、欧米の責任追及の感覚がわかっていたのでしょうか?

 だけど、与えた被害、および、その質において、日本がドイツが近隣諸国へ、与えたのと等しいほどの、迷惑をアメリカに掛けたかというと、それほどでもないのです。

 そして、戦中から戦後へ飛びますが、ドイツの政府の幹部が、日本ほど、貶められていて、メディアの攻撃の対象になっているとは思えません。それから、他国との外交関係においても、現在の実力で処遇を受けていると思います。

 そして、被害の方ですが、ドイツも大量の爆撃を受けていますね。しかも戦後は分断・国家となりました。それは、大変お気の毒です。しかし、日本は原爆投下、および、東京大空襲(京都だけは空襲を免れてよかったですね)などで、相当な死者(多分、アメリカ側の200倍以上の死者)が出ています。

 しかも経済的な損失も全国に及び、反対に、日本がアメリカの市民を脅かしたのは、パールハーバーだけです。硫黄島、アッツ島、が戦場となりました。が、兵士同士の衝突であり、しかも装備においてあっとうてきに勝るアメリカは手もなく、勝利を収めました。

 敗戦となって、日本では、国民一人一人が、大変な苦しみを受けたのに、さらに、日本国、および、日本人への侮辱の総体もしくは象徴として、時の総理大臣が、60年後にも、これほどバッシング(簡単な言葉で言えば、いじめに)あいます。行動の自由がありません。そして、それが、同胞日本人(新聞記者や、テレビのコメンテーター)からの侮辱と言う形で、それを、受けます。この点については、最後に、追伸の形で、さらに言及します。

 特に靖国参拝に関して自由がありません。これが、なぜかと言うと、A級戦犯合祀が一番の原因だそうです。私は物事を、先ず、一番目は直感として捉えます。それで、<<<A級戦犯がそれほど、問題視されるのは、東京裁判になにか問題があったのだろう>>>と、考えるわけです。<<<むしろ、さばいた側にトラウマが残っているのだ>>>と言う風に考えます。つまり、あの裁判は、肉食人(そして一神教の論理に従う人)の、乱暴さが現れている裁判なのです。

 日本人は特に、1945年ごろは、草食系の人種で、穏やかで、他者に対して寛容なタイプの思考をもっていたのです。だから、東京裁判の結果に対して違和感を持っているのが普通です。ましてや、戦後65年もたって、その屠所の羊のごとき、映像が繰り返し流され、それを、悼もうとする、小泉さんが、かくもシヴィアーに攻め立てられる。

 これは、本当におかしいぞ。『もしかすると高度な(?)陰謀ででも、ありましょうよ』と、考える次第です。

 すると、物事がすこぶる明瞭になってきます。戦後65年もたっているのに、この事がかくも激しく、繰り返され、攻撃の対象になるのは、それだけ、・・・・・その裁判を牛耳った連合国側、に、潜在意識的な恐怖があり、・・・・・それが、裏返って、東京裁判と、そこで、被告とされたA級戦犯を憎みぬく、・・・・・そういう構造が出来ていると思うのです。

 『しかし、それを、当事者である連合国側、特にアメリカが主張をするのは、あまりにも見え見えで、幼稚です。だから、日本の新聞社を使って、・・・・・靖国問題を大事(大げさな論題)に仕立て上げる・・・・・のだ』と考えているのです。

 昔、小泉さんが第一次、内閣を組織して、その全閣僚のお披露目・記者会見があったときに、それは、五月だったのですが、「朝日新聞の記者です」と名乗る人が、すべての閣僚に対して、まるで、ロボットのように、「靖国参拝をしますか?」と、それだけを、質問をしたときに、これが、大変大きな踏み絵であり、<<<それを、またいで通らない限り、『これから、朝日新聞はこの内閣を攻撃しますよ』と言う宣戦布告だ>>>と、私は考えました。

 それは、テレビ朝日でも同じ現象が見られます。ですから、『朝日新聞系列のメディアは、アメリカの意をていしているのかなあ』と、その時に、確信に近い推定を持つまでになったのです。でね、先ほども申したように、アメリカは原爆を投下しています。それに対する、内々の、報復への恐れを持っている。<<<それゆえに、別の側面で日本や日本人をたたけるだけ、たたいておこう>>>と言う一種の手立てとして、この靖国参拝問題が利用をされていると、看破・・・・・(いや、大げさですが、あのA級戦犯合祀を、責める論調が大げさだと私は考えるものですから、つい、それをまねしました)・・・・・・しました。

 同じ事が、反捕鯨問題やら、海がめ保護(それは、キューバに対する経済制裁の一環として行われているらしいのですが、日本のべっこう細工は、壊滅的な打撃を受けているそうです。材料が輸入できなくて。私はべっこう細工の花嫁セットを友人の家で、見ていますので、こういう文化が失われることをひどく悲しみますけれど)の問題のヒステリックな映像にもよく現れている現象です。

 原爆投下は、既に行われたことです。しかし、靖国問題をこれからも、おもちゃ、または、踏み絵として使うのなら、日本人の心はやがて、その真実の諸相すべてに、気がついて行くことになるでしょう。

 それは、アメリカにとって、有利なことですか? むしろ不利なことではありませんか? 歴史を修正していく。特によいほうに修正していくためには、正しい方向で動かないといけないのではありませんか?
    2009年2月11日 これを、書く。送るのは、2月12日の夜。


 追伸;
 三権分立と言っても、首相が、自ら先に、新聞社に抗議をして、有効な勝利を得る訴訟を起こしたなどと言う話を聞いた事があるでしょうか。靖国違憲集団訴訟についても、先鞭をつけたのは、市民と言う名の、信じられない集団です。

 インテリ風を装っております。だけど、普通の国なら、これほど、全国的に同時に動きがあるほどの、反体制運動が起こったら、必ず弾圧をされ、逮捕されます。なのに、反対に、まるで英雄ででもあるかのごとき、扱いをテレビ各局はして、「勝訴」と言う白い大きな紙を振りかざす、人間を大写しにします。
  
 とっても、不思議な現象です。それで、私はこれは、陰謀ではないかと思ったほどです。<<<日本と言う国で、国民と政府が、一致団結して、自国と、自分の国民を守ろうとするときに、それを、させないために、国の政治のトップをからかいぬく。こういう姿勢をとることを、誰か、漁夫の利を得る存在が、奨励している>>>それも、同胞合い争う形を取らせる。

 そう言う陰謀の結果として長年の商取引と言う形で築き上げた、イランとの石油開発の権利さえ、放棄せざるを得ず、

 生産し、流通させた当時は、非常に好評であった、小型旅客機、YS11の生産もやめざるを得ませんでした。こんな現象を見ていると、『日本は本当に独立国であろうか』と、それさえも、疑われるほどです。こういうことは、敗戦国の日本であればこその屈辱でしょうが、戦後65年です。そして、戦勝国のトップであるアメリカは、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラン・イラク戦争。アフガン紛争。対イラク戦争と、他国の領土へ侵入する多くの戦争を、未だに繰り返していて、その基地として、日本の各地が使われ、その整備および、人件費は、日本国政府が思いやり予算として、未だに支払っているのです。あぜん、呆然とするような支配・被支配関係ですね。

 それは、さておき、東京裁判の被告に対して、あれほどの、侮辱的な映像が、繰り返し今でも、流される。それに対して、ある種の『これも、変だ』と言う感覚を持つのです。

 だって、<<<戦争の責任とは、日本人一人ひとりすべてがそれなりに、分担して負うべきなのです>>>から。一種の象徴的なスケープゴートとして、あの映像が利用をされているなあと、感じられるほどです。特に昭和天皇が、全く平和にお暮らしになっておられますし、大政翼賛会当時の新聞記者が、何の処分も受けていないのは、片手落ちです。

 同じ手法で、日本を攻め立て、日本人を萎縮させ、恥じ入らせるために、南京大虐殺の映像も利用をされています。ドイツ人に対するユダヤ虐殺の記録を、テーマにした映画群と同じ潜在的な目的を持つ現象でしょう。

 日本人とは、もっと、穏やかで寛容な国民のはずです。戦後65年もたって、この一億の国民が真面目に、あのA級戦犯の罪を未だに、そしり、うらんでいるとは思えません。普通の国民である、私が、考えることは他に一杯あります。だから、あの問題が、自分の生活やら、思考にとって、新聞紙上であれほど、大問題とされる事が不思議で、『これもためにする陰謀だわね』と考えている次第です。人間の時間は、365日×24時間あるのです。その間、あれほど、重要なこととしてそれを、考えていますか? あなたも?

 だから、最近はニュースをほとんど見ません。特にニュース・ショーと言うのを見ません。あそこは、ひどいレベルで、大衆向けの、心理操作の場と化しております。

                川崎 千恵子(筆名 雨宮 舜)
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