銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

視聴率と質は違う?、『つばさ』が終わってしまった-4

2009-09-30 15:28:20 | Weblog
 私はかねてより、NHKの朝ドラ『つばさを面白いと思っていて、瑣末なことから始まって、本格的な論を最後に展開しようと、思っていたのです。そこへ冷や水をかけられるように、「視聴率が最低であったというニュース」が出ました。それを見た後で、書き込みというものを初めてしてみようと『つばさ』の掲示板に接したのです。

 するとたくさんの人からの応援が届いていて、『つばさ』がすばらしかったというメッセージにあふれかえっていました。視聴率なんて気にしないように。と、書いてありました。私もその意見に賛成です。この世の中に正しいなどということもないし、権威付けて、順番をつける必要もないのです。それに副島隆彦という人の、ベストセラーを読んだときに、かねてより思っていた、ニュースは作られるものだということも、知りましたし、その観点でニュースを見ると、よいものほど、日本人を真に賢くする恐れがあるということで、メディアの評価が低くなる可能性もあるのです。

 ただ、その数字がもし、本当だとして、理由はすぐに、思い当たります。つばさは、内容がものすごく濃いです。だから、ながら視聴には向きません。そして、最初の段階でサンバダンサーなどが突然登場したりして、従来の家庭の主婦層には、騒がしいと思わせる、場面が数多くあります。

 家出をしたお母さんが本当は愛情が濃くて、その母(主人公には祖母に当たる)との確執があるからの家出であったことも相当の、時間がたたないとわからないようになっていて、単純な心を持つ人にはとてもついていけないところがあったでしょう。つくりがとても凝っていて、複雑極まりないところもありました。

 私は、芸術とか、芸能、そして、心理学とか、哲学に興味があります。そういう目から見ると、とてもよくできていたドラマでした。

 で、途中で人に勧めようと思うと、ほとんどの人が見ていないというのには驚きました。たとえばね。湘南新宿ラインの四人がけの席で、となりのサラリーマンが友人に、「うちのつれあいが、川女出身でね」というので、思わず、それは、「川村学園の略ですか?」と質問をすると、「川越高女の略なんですよ」と答えてくれたので、「そういえば、今、つばさで川越が舞台ですよね。奥さん何かおっしゃっています。あれ非常に面白いし」というと、「何にも言っていません」との答えです。

 『え、ご当地、びいきもひきつけていないのか?』と驚きました。立派な人で働き盛りのようですから、奥さんは、40代の後ろか、50代のはじめで、今は川越には住んでいないのでしょうが、高校まで川越で過ごしたのなら、このドラマのファンになってあげてもよいと思うのですが・・・・・不思議でした。

 きっと内容があまりにハイペースでハイブロウ(高踏的)だったので、一般の視聴者には、ついていけなかったのだと思います。私は別に、自分が頭がよいとは思ってはいないけれど、芸術とか、芸能には興味があるので、ひきつけられましたが、お茶碗を洗いながら見る主婦には、内容が理解できなかったのだと思います。

 尾形一せいが演じる、ラジオの精なども、相当好意を持ってみてあげないと、理解がしがたいところもありましたし。

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 ただ、どうしてこれほど、内容が濃い脚本ができるのかが、不思議で、はじめてぐらいに、NHKのホーム頁のこのドラマの部分をのぞいたのです。すると、脚本家は一人ですが、スタッフ、特に制作側が喧々諤々の議論を交わし、それを、脚本家に提案して、脚本家がその要望に沿って、脚本を練り直したらしいのです。

 それで内容が濃くなったが、それの欠点として、最終章ががたがたとなってしまいました。このドラマは視聴者の予想を裏切るところはいっぱいあって、それもまた、売りポイントでおもしろかったのですが、最後の結末のつけ方、特に社長が、ラジオ局を去り、トップが、21歳の『ヒロイン』に任せられるという、のは、リアリティがなさ過ぎました。

 それまでは、破天荒なところもあるが、どこか、人間存在の深いところで、王道に沿っている・・・・・すばらしい・・・・・と思えたのに、21歳のお嬢さんが会社トップを担うというのは、この日本社会ではありえず、しかもそれをたった一週間以内に、視聴者に納得をさせるのは無理です。

 いや、私は大変なファンだっただけに、こういう終わり方が残念です。それで、ちょっと納得ができなくて、いろいろ出演者のホーム頁を探ると意外なことに気がつきました。うーんとうなるようなことですが・・・・・それは次回にお話をしましょう。  2009年9月29日  雨宮 舜(川崎 千恵子)
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富士真奈美、工藤夕貴、吉田桂子、『つばさ』が終わってしまったー3

2009-09-29 13:14:16 | Weblog
 『つばさ』(NHK)が終わってしまいました。歴代あさドラで最低の視聴率だったとの発表が28日になされましたが、関係者は、それは、気にすることはないのです。天才というものは常にそういう扱いを受けます。宮沢賢治しかり、田中一村しかりです。きっと将来、これを見た人々の間から、いろいろな賞賛が起きてくることでしょう。DVD化はしておくべきです。

 ただし、私は、実は大甘でもないのです。疑問のあるところも当然ありますが、それは、今日は書かないでおきましょう。今日はオマージュのほう、そして、出演者(キャスト)に限ります。

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 富士真奈美さん、脇役です。しかも、このドラマで、一番輝いていた吉行和子さんと、高女時代の同窓で、地域社会でもライバル意識を持つ間柄という設定です。しかし、実生活上は大の仲良しであると、インターネット上では公開されています。私自身は、細腕繁盛記というのを一切見ておりませんが、そこで、敵役を、マスターなさった模様で、今回は主人公つばさとその仕事先、および家族を困らせると言う設定で登場されます。

 誇張に次ぐ、誇張された演技。そして、材質は高価で模様の派手な衣装。しかし、私にとっては、この役は他人事でありません。35年ぐらい前に幼稚園のPTA会長をしたときの、園長さん(経営者)はまさにこの手のタイプで、肥満で小柄、豪華な衣装、私の話を聞きながら、爪にマニキュアを塗り続けている傲慢さ。おうちの中は、金細工ものだらけ・・・・・

 本当にこういうタイプって、地方都市には、存在しているのですよ。東京では富裕層が多いでしょうから目立たないけれど。ただ、川越にいるかどうかは知りません。

 そして、富士真奈美さんです。さきほども言ったように、私は普段はドラマを見ないほうなので、彼女については、清潔でしかも華やかさもある美人だったという大昔の印象しかないのです。だから、ある意味でびっくり仰天ですが、年齢をまったく感じさせない年のとり方は素敵ですね。

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 私は自分もよい仕事(お金の多寡ではなくて質の問題として)をしたいけれど、他人がよい仕事をすることも願っています。その他人の中で女優さんという仕事はなかなか難しいものであろうと、推察しています。年をとるということ。特にあらフォー世代以降になっていくということ。ここの乗り越え方が、美人であることをセールスポイントにしている人ほど難しいでしょう。敵役、や、汚れ役を一回やってみるというのも、ひとつの解決方法ではありますよね。

 昔、『北の国』からの中で、根岸としえさんが地主か何かの役で、主人公にきつくあたらなければならない敵役をやっていて、上手なのに、仰天をしました。あそこでは、伊佐山ひろ子さんが、主人公たちに理解のない閉店時間のいらいらした、ラーメン屋の女店員をやっていて、その演技の上手さにも仰天しましたよ。敵役があれほど、効果をあげた例は、ほかに知らないと言うほどです。が、この根岸としえさんも、東京宝塚劇場で、男役花盛り時代を実際に見ている私には、感慨深いものがあります。

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 最近のことです。ジム・ジャームッシュ監督の映画に、再び呼ばれた工藤夕貴がインタビューに答えて、「映画『サユリ』の中で、敵役をやったのが、やっている最中は苦しかったが、一皮向けるのに、役立ったような気がする」とおっしゃっているでしょう。彼女はスカウトされた少女ですが、本田美奈子といとこでもあるし、才能があるが、別に貧乏で育ったわけでもないから、苦労が多いと、『どうして、こんな世界に入っちゃったのかしら?』と思うときもあると思います。

 日本の芸能界っていろいろあると思います。そこをアメリカで、修行をするという形で昇華なさったわけだけれど、アメリカでも苦労はあるでしょう。その中で、さゆりの中で敵役(つまり、くるわの仲間として、主役をいじめる役)を勤めるのも相当苦しいことだった模様です。貧しく育って、絶対に有名人になってやるというようなハングリー精神を持っているというタイプでは、はない模様だから、そこを乗り越えたのはえらいです。

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 さいごにひよっこもひよっこの吉田桂子さんについて触れましょう。今回初めてその顔を見ました。でも、表情が豊かです。それで、興味を抱き、グーぐる等の検索で調べると、モデルが本業で演技をするのは、ここが初めてだそうです。素材としてというか、人間の根本が美しい人のようです。こういう人材を発掘してきたスタッフは偉いです。では2009年9月28日 雨宮舜(川崎 千恵子)
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井上和香、『つばさ』が終わってしまったー2

2009-09-28 11:33:25 | Weblog
 今日は『つばさ』に出てきた女優さんの三番目として、井上和香という方に触れましょう。ものすごく演技が上手です。もう、天然自然で上手です。

 ドラマとしての『つばさ』をご覧になっていなかった方のために、ちょっと解説をすると、彼女は前回登場した、山本未来さんと同じく、脇役でした。ただ、山本未来さんよりは重要な役どころで、彼女自身が主役を張る週もありました。

 お父さんが石橋・れんじ・(*)で、そのお父さんは、元やくざであり、それゆえに、井上和香さんは、影を持っている女性ということで、過去に婚約にまで到った恋愛を、自ら捨てた女性です。そういう過去があるからでしょう。思い切って、居酒屋を開いていて、そこが地域のオアシスになっていると言う設定です。

 男性たちには大いに慕われるお色気のある女性ながら、どこか芯に秘めたまじめさがあって、女性たちもそこに集まって彼女に相談を持ちかけることがあるという魅力的な設定です。

 最後に、彼女にも普通ではないぶっ飛んだ男性(斉藤興業社長、=西條秀樹)との、愛ある生活が訪れると言う暗示で終わっている、非常によい役どころです。

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 特に主役を張った週の、陰影ある演技にはびっくりしました。彼女の番組としては、ヴぁらイエティしか記憶にないので余計にびっくりしたのだと思います。

 10年以上前に、子供たちがサラリーマンをしながらわが家にいたころには、民放番組も見ました。会社勤めで疲れて帰ってくるので、いま、私がよく見ているようなドキュメンタリー番組を見るのは嫌がったのです。

 で、井上和香さんは、主張ができるかわいい、だけど、ちょっと、わがままなお嬢さんで、『かわいがられて育った、よい家のお嬢さんなのだろうなあ。苦しんで育ちあがって、どうしても有名になってやろうというような根性の人ではない』と感じていました。

 その後、ちらちらと、入ってくる情報としては、実家は和風(または割烹という系統の)レストランで、経済的には何の苦労もなく、育ったお嬢さんだということはわかりました。

 あまり、こういうことを言ってはいけないのですが、(差別感が露骨だと思われるでしょう)実際問題としては、中流以上のご家庭では、こどもをタレントにはしたがらないものなのです。私だって、もし家庭の雰囲気が自由だったり、長女でなかったら、こういう世界に入り、市原悦子級の女優になっていたかもしれないのです。自分では忘れていましたが、友達が最近おっしゃるには、国語の時間に、『夕鶴』のつう役で、朗読をしたが、表現がうまくて、引き込まれたそうです。

 が、圧倒的に、『まじめ、もしくは普通に暮らしてほしい』という規範の中に育ったから、今頃になって文章を書くという形で、青春をもう一回味わっているわけですね。

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 井上和香さんが、どうして、タレントになったかの疑問はあり、そこに才能の問題と家系の問題が関与しているのではないかと、想像したことは、以前からありました。たとえば唇に大変な特徴があるので、嵯峨美智子さんの娘または、孫であるとか?

 嵯峨美智子さんという女優さんも、非常に魅力的な存在でした。名女優といわれた山田五十鈴のお嬢さんですが、私はお母さんより、圧倒的に上手だったと思っています。でも、芸術家の典型でもあり、また、普通の家庭で、母の愛情厚く丁寧に育ったわけでもないので、ちょっと破滅的なところがあって、若死になさった模様です。かわいそうな方でした。

 しかし、私と似たような想像をする人は多いらしくて、井上和香のお母さんは元女優の嵯峨京子で、そちらは、NHK大河ドラマ三姉妹に出たとするインターネット上の記事もありました。

 これから先は、私固有の『見てきたような嘘をいい』の類で、非常にドラマチックな想像ですが、嵯峨美智子さんは、ごたごたとしていて、苦労の多い芸能界を引退したくて、一応海外で亡くなったことにして、日本で、普通の人と結婚をして、井上和香さんを生んだとか? は、は、は。違うでしょう。もちろん違うでしょう。この想像が一人歩きをしないことを願います。

 でも、そういう想像をさせてしまうほど、井上和香さんは演技がうまいです。と、同時に彼女の出発点が、水着の写真での売り出しと聞いて、・・・・・でも、実生活上では、ビキニなど一着も持っていないし、決して着ないのだとも聞いて、・・・・・そこに、すべての才能ある女優さんに共通して感じるものを、感じますね。

 他者、とか、世間に見せているものと違う自分がきちんとある。でも、豊かな環境で育った人特有の、勇気とか、無邪気さもある人です。多面的でかつ才能がある面白い人です。2009年9月27日  雨宮 舜(川崎 千恵子)
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山本未来の幸せ度・・・・・『つばさ』NHKがおわってしまった-1

2009-09-27 11:25:32 | Weblog
 最初にお断りをいたします。もし、つばさ(NHK)をご覧になっておられないかたには、下に、7時間程度で、更新してしまった、例の私固有の心理学的な長いエッセイがあります。『舞踏会の手帖』云々というタイトルですが、それをお読みいただきたく。

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 つばさ(NHK)が昨日(09-9-26)に終わってしまいました。残念だと思うほど面白かったですね。ご覧になっておられた方には共通する思いでしょう。

 あれについては、いろいろありますが、今日は、山本未来さんについて述べましょう。この人は山本寛斉のお嬢さんで一種の二代目です。分野は違うけれど親が存在する場所を開いてくれた結果としての、出発です。

 私は、申し訳ないけれど、そういう人たちに対しては普通の場合は、批判的です。だから、今までは注目の対象ではなかったのです。そして、もちろん、ファンでもなかった。しかし、このつばさでの、出演で見直してしまいました。

 今までは二時間ミステリーの単独主演で見たことしかなくて、きつい面貌のやや、気取って居丈高な雰囲気を持つ女優さんだと思っていたのです。背も高いみたいですしね。

 ところがこのつばさに出てきた『みちる』さんという役柄は、非常に面白い設定です。最初期の登場はきりきりした女性として、以前の役柄の延長として出てきて、『あれ、ありきたりだ』と思わせたのですが、だんだん、面白くなってきました。

 このブログ内か、メルマガ内で、みちるさんが、ラジオポテトの社長・真瀬さんと一緒になると予想をしていましたが、順当にそうなりそうな暗示で終わりました。それは川越での仕事上の助けだけかと思っていたら、

 思いがけず、佐賀に引っ越す真瀬さんについていくような感じも与えられて、まあ、順当なところに落ち着いたかなあとは思っています。

 ところで、最終章は、あまりにも詰め込みすぎで、ちょっと筋の展開についていけないところもありました。それは、真瀬さんの佐賀への引越しという点に一番現れていました。が、それについては、後日改めて述べるとして、

 今日は山本未来さんについて述べましょう。

 彼女は端役ながら、非常に楽しんでやっていたのではないかなあ。このドラマは出演者皆さんがとても楽しんで、しかも打ち込んで演技にとりくまれたそうですが、彼女も、表情が豊かで、魅力的に見えました。

 ご本人が短いインタビュー(それは、NHKのホーム頁内で、見ることができましたが、今は閉じられているかもしれません。残念です)でも、彼女自身が述べているように、すごくできる女性のように見えて、しょっちゅう躓いたりして、ずっこけたところもあるところにも出ています。

 これが人間としてのかわいさを演出しています。人間は誰でも多面的ですが、私自身も非常にかわいい人間だと言われます。全体にまじめすぎて、かえってずっこけるというか、ユーモラスになるところがあります。そこが私のかわいさだと思いますが、彼女も一種の、背反する要素を見事に、表出していて生き生きとしていました。特に終盤にそういう演出が与えられていました。その点で、彼女の方も、また、スタッフの期待に大いにこたえていました。

 躓いたりするのは、結構難しい演技だと思いますが、自然に見えました。で、彼女に関心を抱いたので、グーグルで検索をしてみるとご自身のホーム頁が別にないみたいです。皆さんはそれを、ごぞんじですか? ありますか?

 もしないとすれば、そこが『親が、有名人であることの余裕』ですね。だけど、ご主人が俳優の椎名きっ平だから、お二人共同のホーム頁があるのかなあ?

 それともご主人のホームペ頁があるのかもしれませんが、ともかく、そこに、未来さんの妊娠の報告があったそうです。ウエブニュース上でそれをしり、あっと思うような気がします。人生には、波があって、幸福を感じるときがあります。と同時に試練を与えられていると思うときもあります。

 赤ちゃんができることは、その女性にとっても、一家にとっても喜びごとでしょう。端役でありながら、充実した役に恵まれたときに、赤ちゃんも受胎する。

 なんとなく、人生の符号を感じます。「お幸せに」と祈ります。
09-9-27    雨宮 舜(川崎 千恵子)
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舞踏会の手帖・・・・・人生の始末をつける

2009-09-27 00:39:28 | Weblog
巡礼だから意外と楽しいー3

 昔、父が『舞踏会の手帖』と言う映画の話をよくしていました。今、Wikipedia で引くと、ちゃんと情報が載っています。日本では昭和13年に公開とあります。名匠ジュリアン・デヴィヴィエ監督で、マリー・ベル、とか、フランソワーズ・ロゼとか、どことなく、名優として、その名が今でも、私の耳に残っている人たちが出ています。

 ところで、それは、1938年でもあり、今から、71年も前の話です。で、私はまだ、父の子でもありませんでした。このブログの読者もほとんどが、まだ、生まれていらっしゃらなかったでしょう。それはその次の年に退廃的であるとして軍部から上映を禁じられたそうです。

 それでも、父が非常に懐かしがって、いつも話題にしていたのは、相当に、考えさせられる筋だからでしょう。上流階級らしい主人公は、未亡人になります。それで、16歳のときから持っている舞踏会での出席記録(一種の住所録とか、同窓会名簿みたいな感覚で、それをとらえたらよいかなあ)を頼りに、過去に印象に残ったボーイフレンドたちを訪ねて歩くのです。

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 とても、しゃれた結末だったらしいのがWikipedia を見るとわかりますが、でも、骨子としては人生の晩年になって、過去を振り返り、人生の始末をつけるという点にあります。

 お若い方にはそういう部分はお分かりにならないかもしれません。しかし、65歳を過ぎていて、気はとても若いし、エネルギッシュだといわれてもいるが、実際は、『見るべきほどのことは、見(果て)つ』の心境に達している私は、まさに人生の始末をつけるべく、本を出しているのです。

 ゴッホの手紙みたいなものを目指しているのだと、4冊目に告白をしているのですが、結局人間とはいつ死ぬかはわからないので、自分の脳内にあるものを吐き出してから死にたいのです。そういうものだと思います。誰もがそうしたいと思っていると思います。ブログはそれに役立つよい手段です。

 しかし、ブログも個展もそうですが、そう多くの人に見てもらうわけでもなく、一過性でもあるし、空中霧散してしまう部分もあると感じています。だから、紙を使った普通の形式の本が、魅力的に見えます。

 で、それを作ることに挑戦し始めて、技術的にはやっと、挿絵を自由に入れる本を作れるところに達したわけです。内容についての客観的な評価は自分ではできませんが・・・・・ともかく、まったく一人でなにもかもをやるので、それは、いとしいものが出来上がるのです。

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 で、大切に、大切に思っているものが出来上がるわけですから、これもまた、大切に思っている相手に配って歩いているわけです。

 歩いて、歩いて配っているわけです。これは、本としては相当変わった形式ですが、それをやりながら、決して惨めなだけでもないというのが、最近連続して書いているエッセイです。今日は三回目です。

 その歩いて歩いているうちに、心が浄化されると言う件ですが、私だって、万能ではありません。別に神様ではないのだから、過去に失敗を模しております。たとえばね、電話で、そこにいない人の悪口を言ってしまうとか、批判を言ってしまうとかいうことです。

 皆様もよく、おやりになるのではない。確かに被害にあえば、苦しいから愚痴を言います。だけど、自分もまた、風評被害の発生源になっていたかもしれないのです。面白い話題です。みんな一緒にお茶のみをすれば、(男性なら呑むなら、)必ず、こういう話題になるはずです。

 しかし、時は移ります。自分に勢いがあり、主体性があり、華やかで、スター性がある(いや、小さな世界で、でものことですよ。私は妹に、「お姉さんは、バラみたいな人だから」と昔、いわれたことがあります。容貌ではなくて、望みとか、達成すべき将来の夢とかが、大きかったからなのでしょう)

 と思っているときなら、そんなことは小さいことです。

 しかし、年をとってきて、自分を打ち出すのが億劫になってきてみると、『あれー、あそこまで電話内でいっちゃったのは傲慢だったなあ』などと、わかってくるものなのです。

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 そういうものが人間の罪のひとつであり、大げさに言ってしまえば、原罪ということにでもなるのでしょうか? もしかしたら誰もが内包しているであろう、そういう気色の悪くなるような自己嫌悪。

 そういう思い出が、本という重い荷物を持って、ただ歩くだけで清められ、消えていくのです。非常にありがたい経験でした。苦労というのは予想している段階では恐ろしい。だけど、実際に経験してみると、思いがけないご褒美もいただける労働のひとつだったのです。

 お金をもらおうとして行脚しているわけでもないのです。だけど、宗教観のない方には、「行商をしているのですよ」と申してはおります。「巡礼をしています」というのは、宗教のことがわかっている人に対してです。この世には、人間を超える、存在があるということを知らなかったり感じていない人に向かっては、同じ行動を「行商をしています」と説明をします。

 すると皆さんが笑います。『ちょっと変よ』という顔をしながら・・・・・それは、私にもわかっています。本を自分で製作できるのは恵まれている境遇です。出版社に頼むわけではないから、莫大な経費がかかるわけでもないが、それでも、恵まれているほうでしょう。そういう人間が、「行商をしています」というと、なんだか、おかしいことになります。

 でも、どっちもあたっています。恵まれていないともいえるし、恵まれているともいえます。誇り高い行動であるのは、天が支えてくださるからそういえることであり、現実には、『ああら、みっともない』という人もいるであろう行動でしょう。

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 しかし、もうひとつご褒美があります。それは、具体的な人間と出会う喜びです。この際は、本を配るという目的があるので、相手の家への突撃訪問ができるわけです。アポなし訪問です。ただし、自分で最小限のルールは課しています。必ずお玄関先で買えること。あがらないことと。

 だけど、そこに人との交流があります。気の交換があります。そして、こういう人と人生で出会えてなんと、うれしいことだろうと思えます。

 そこが舞踏会の手帖と同じです。短い時間、たとえば、2、3分でもよいのです。それは、分かり合えているからこそ、そうなるケースもあります。

 私が本をさっと差し出すと「あら、また作ったの」といわれて、「ええ、」といいます。絶対に相手が受け取ってくださることを信じられる場合は、それだけで、辞去します。何も説明をする必要がないのです。6冊目だから、何も説明をする必要がないのです。

 そして、そこを去りながら、ふっと涙が出そうに切なくて、慕わしくて懐かしい感覚に襲われます。『もしかすると、二人だけで出会えるのは、これが最後かもしれない』と思うからです。というのは、本を配るということは数百冊に及ぶのですから、すべての人がご近所様でもないのです。

 遠い、遠い、ところに住んでいるお友達が、お互いに、65を過ぎている。二人には別々の、日常生活がある。いちいち、電話で約束をして、お茶飲みするほど、体力も気力も経済力もない。いや、経済力なんていってしまうと、みもふたもないけれど、ともかく、若い時代とは違うのです。若い人たちは、レストランやカフェで、よくお茶のみをしています。それでいいのです。自分のお給料もあるし、会話という形で、自分の考えを整理したり、友達の影響下で学ぶのも大切なことです。

 でも、家族を持って、いろいろな任務ができると、遠くの友達などとは、そうそうは、遊んでいられません。だから、二人だけで会えるのは、これが最後の機会かもしれないと思えば、切なさに身が震えます。

 でも、一方で『あえてよかった。本当に充実した小トリップだったなあ。たった二、三分でも』という思いも、大きく沸き起こるのです。中には「駅まで送ってあげる」とか、「あがってお茶を飲んで行きなさい」とおっしゃる方もある。

 または、反対に『迷惑だなあ』と思っておられるのが、わかる場合もある。そういう気の交流を、さまざま経験しながら歩くのは、<行商>とも言えるし、<巡礼である>ともいえるし、<映画『舞踏会の手帖』の追体験である>ともいえるのです。では、今日はここで、お別れしましょう。09-9-25雨宮舜(川崎 千恵子)
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自動改札機という入社システム

2009-09-24 13:25:43 | Weblog
巡礼だから、その苦労が意外と楽しいー2、

 前報で、私が目の前に突然現れることに、驚いた方には、「巡礼だから、この苦労も意外と楽しい」と言っていると、申しました。そうなのです。これが巡礼だと規定するわけとしては、苦労に見合うご褒美が与えられるからです。

 そのご褒美とは、『堂々と本を差し上げる自信ができる』という点なのです。私が紙の本として出すものの内容については、何も問題がありません。政治的な主張とか批判とか、私に敵対する人の悪口を書いているわけではありません。でも、本自体として、優れたものであるかどうかの自信はありません。特に5冊目に比較すると、内容がエッセイ主体ですから、飛び飛びになっていて、筋がないので、面白くないでしょう。

 だから、この2009年の1月から、3月まではパリ物語を書く予定でした。しかし、パリ物語は舞台が狭いです。工房に所属していた人が、少ないのです。常時、三人ぐらいしか働いていない。だから、モデルが特定をされてしまいます。ニューヨークの工房は主役が皆さん、亡くっているし、工房そのものも閉鎖されています。それゆえに、やや安心をして書きました。

 で、残念ではありますが、この四月ごろから急に内容を変更して、エッセイをまとめることにしたのです。特に、オバマ大統領の愛犬に、パリ物語に登場する人の、本名ではなくて、愛称が当てられていたので、『あれ、変だなあ? 偶然の一致かなあ? ともかく変だ』と思って、内容を変更しました。

で、その結果としての、今度の本の特徴は、簡単に言ってしまうと、読者側にたって作ったという点です。それが、大きいのです。非常に誇張をして言えば、読者におもねっているとさえ言えるほどの、制作やら、編集の方針を採りました。

 表紙さえ、画家であることを捨てています。写真を使っていますので。そして、今までいただいた批判をすべて受け入れ、「内容が重いよ」とか、「難しい」とおっしゃる言葉の裏を勘案して、そこを薄める作業を、丁寧にやっています。

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 それでも、ためらいがあって、初期の段階での、銀座の画廊などは、郵便ポストに入れて帰ったほどです。『返されたらそれでよい』と考えてね。どうしてためらうかというと、本というアイテム自体が重いものだと気がついているからです。6冊も作りました。だから、そのあたりもわかってきています。

 ところで、ある方が、「どうして、人って、お菓子などには大金を払うのに、本を買ってくれないのかしら」と仰いました。その方も著書のある方なので、そういうポイントには、常日頃、疑問を持っておられるのでしょう。そういうことですよね。だから、私は売ることはハナからあきらめていて、それでも、お金を下さる方には、それも『巡礼托鉢への喜捨だ』と思っていて、ありがたく、素直にいただいて帰ります。

 で、本を渡すとか、買ってもらうためには、出版社がその著者を売り出すというか、サポートをする必要があるのです。で、書物の宣伝というのが大きなこととなります。また、文芸春秋社などは、著者の数人を組み合わせて、地方講演会などをして、それも著者・本人を売り込むことにつながるので、間接的に、本が売れるという仕組みになっています。

 そういう仕組みからは、徹底的にドロップアウトをしている私は、いじめられても仕方がない弱い立場ですね。宣伝など、自分を言上げするのはみっともないので、一切しませんし、そこを狙ってというか、そこをついて、種を変え、品を変え、いじめられているわけです。が、それを潜り抜ける方法を常に思いつく、人間でも、私は、あるのです。『いじめは、許さない』と常日頃宣言もしているわけですから、戦うので、そのひとつの方法として、具体的に歩いて、配っているわけです。

 最初期は都心を歩いていたので、効率が高かったのです。しかし、地下鉄大手町駅あたりを、二時間近くさまよい歩いた日から、相当に効率が悪くなりました。でもね。それでも、大手町駅を何度も訪れて、相当に知り尽くしたので、それは、それで、あとでものを書くときに役立つこととなるわけですから、面白い話なのです。

 たとえば日経新聞社ですが、広壮な大ビルへと変化していますが、そこへ社員が入社する仕組みが、例の駅の自動改札機と同じなのです。それには、前からJR東日本・新宿・本社(?)で、気がついていましたが、日経本社ビルで、同じことに気がついてからは、その点に注目して、さまざまな会社で観察を続けることとなりました。すると、いつごろからか、すべての新築ビルで、そのシステムが採用されていることに気がつきました。

 あの機械を発明した会社は、うはうはでしょう。どこだったっけ、NHKの『プロフェッショナル』でその開発過程が、情報公開されていましたね。

 ニューヨークの新ビルでは、10年前までは、これはなかったような気がします。鍵はあります。その鍵のシステムが、今の日本のマンションと同じ形式であったかなあ? まあ、カード形式の鍵を使うビルはあったと思います。私自身が利用したのは、古い鍵システムのところでした。だけど、鍵社会でもあります。

 日本は違っていて、他者を信頼するシステムの下に長年機能をしていたのに、相当異なってきているのが面白いです。いや、面白くないですね。日本人の本当の性分とは異なっています。それに日本社会って、そんなに、危険でもないはずなのです。それほど、過剰に、防衛する必要はないと思いますけれどね。だけど、犬も歩けば棒にあたるで、いろいろな観察を繰り返すので、そこで、考えることは多いのです。それもメリットではあり、巡礼というわけです。

 しかし、都心を離れるとさらに、効率が悪くなってきますので、それも巡礼というゆえんでもあります。ある日など、六千円使って、四冊だけ、配布できて、しかも七時間も外出していたなどという形に終わります。で、てくてく歩くわけです。時にはタクシーを使ったりしますが、『ある意味で、贅沢なことをやっているのだから、これ以上お金をかけてはいけないなあ』と思い、徹底的に自分の体を使って、ことをなします。

 で、すでに暗くなっている住宅街の中の道を、てくてく重い荷物を抱えながら歩いていると、ほんとに心が浄化されてくるのです。不思議なことなのですが、天から見守られているという感覚を得ます。天の恩寵を感じるといっても大げさではないほど、美しい心境に達します。それでね、不思議なほど、自信を持って、人さまに本を差し上げることができます。それが巡礼だという大きな理由です。ただし、この項も、もっと説明が必要ですね。それは、続くとさせてくださいませ。
              2009年、9月24日  雨宮舜 (川崎 千恵子)
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猫のやさしさと、賢さ

2009-09-24 11:25:57 | Weblog
巡礼なので、その苦労は、意外に楽しいー1
   

 今朝(09-9-24)五時ごろのことです。猫がやってきて、私の布団に入りたそうにします。で、入れると、それから、一時間ぐらいごろごろ言いながら、じっと私の顔を見つめてくれていました。東側にある小窓からカーテンをすかして朝の光が少し入ります。その明度が暗いので猫の目はばっちりと大きく、じっと寄り添ってくれていると、心も体も、ゆったりとしてきます。

 『そういえば、昨日は午前二時半に寝たと思うけれど、昼間創作をしなかったから、頭は疲れていないなあ』と思います。普段は、この時間に猫に起こされると、いやになってしまいますし、その後の昼間がぜんぜん使えません。頭が朦朧としてしまうからです。

 で、主人が気を使って、私の寝室に入る三つ前のドアーを、朝、わざわざ閉めてくれるほどなのです。猫トイレが、私の寝室前の廊下を使うところにあるので、夜中には、それらのドアーは開けてあります。しかし、今朝は、主人がその親切をやってくれる前に、猫は、私の布団にやってきたのでした。

 そして一時間ぐらいそのままの状態で、じっと私を見守ってくれていましたが、二階でごとごとと主人が朝食の支度を始めると、今度は、私の顔を、甘え噛みをします。「起きなさいよ。お母さん、お父さんにやらせては駄目でしょう」といっているのです。

 この猫は子供と同じで、または子供以上に私たちの夫婦仲を、心配してくれています。たとえば夕食時でも、私が非常に忙しくて、それについては、手紙で書いて主人に知らせておいて、先に夕食をとり『さあ、外出しましょう』と思いながら自室で用意をしていると、主人が二階で、夕食を一人で食べていることになります。

 そういう時など、非常に心配をして、「早くお母さん、二階へ行きなさい。お父さんに一人で夕食を食べさせては駄目でしょう」と、猫語で促します。猫は日本語の手紙を読めないので、夫婦喧嘩をしていると、誤解をしているのです。かわいそうですが仕方がないので、猫を無視します。私はそれほど忙しいときもあります。

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 今朝の話に戻ると、せっかく甘え噛みをされても、私は起きません。実は腰を痛めてしまって、三時間で起きてしまうと、アウトになるのを知っているからです。三週間ぐらい前から気がついていて、危ないなあと思いながら、原因を探ったり、治す方法を考えたりしています。特に痛い日は、八時間ぐらい横になっていると、回復します。

 この腰の痛みは、例の本を配ることから起因をしています。最初のうちは出版社とかいう、格好をつけないといけないところに配って歩いたので、(まあ、手で配るのは、例の「受け取る人がいないでしょう」という脅迫の手紙・・・・・こちらの世界ではまだ、詳しい説明をしていないかな?)のせいなので、それには怒りを内包していますが)アテンダントバッグ(私は、ころころという愛称で、普段は呼んでいるが)で、本を運んでいたのです。が、山の上に住んでいるので、下りるときと上るときにそれが重いので、今では、格好は非常にみっともないが、バックパックに入れて運んでいるのです。

 それは五キロ以内になるように抑えているのですが、両手の紙袋が、それぞれ、四キロ程度になります。でね、普段より12キロぐらい上半身が重くなります。よくミステリー小説の中で、「人間の体って、死体になるとひどく重くなる」と書いてあります。また、実際に起きる事件でも、女の人が人を殺した場合には、運べないので、最後はバラバラ殺人事件となりますよね。

 その現場を想像することがありますが、頭など相当重いのだと思います。また、腕はともかくとしても上半身は重いのでしょう。その重い上半身の背中に五キロ程度、軽い方の腕には、片方で、4キロ程度、普段より重くなっているわけですから、腰を痛めるのも無理はないのです。

 もともと骨が弱いです。40歳代で「すでに、90歳の人の骨状態です」と言われています。その上エクササイズというものができません。10年ぐらい前に、一日にラジオ体操を、朝と午後の、15分を二回やったら、それで頚椎内神経を損傷して、背中の半分に、6ヶ月ほど激痛を感じたので、それ以来体操というものもやっていないのです。

 だから、もろに腰に来ました。それを治すのは自分しかないので、じっと、布団の中で、特に悪いときは、八時間程度を過ごします。

 あのね、今日の話を「暗い愚痴だ」とは受け取らないでください。私の精神はすこぶる健やかなのです。本を配達された人が、皆さん、お玄関でびっくりなさるので、私は必ず、こういいます。「いやあ、苦労ではないのです。巡礼をしているようなものなので、とても楽しいのですよ」と。

 それは、あながちの誇張でもないのです。しかし、もう少し説明が必要ですね。それについては、また、別の項目で述べましょう。ともかく、朝の六時には猫を無視した私でしたが、九時に布団を離れて、朝食を取り、今パソコンを打っている最中です。そこに、また、猫が話しかけてきて、15分程度庭で遊びました。『おかあさんは、家の中では仕事をしていて、遊んでくれない』と考えている猫は、必ず、庭に誘い出します。で、さすがの私も庭では草むしり程度しかできないので、猫と対話を交わしながら、草むしりをするので、彼女は喜ぶのです。では、この項は続きます。2009-9-24 雨宮舜(川崎 千恵子)
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内田アナウンサーの北アルプス縦走

2009-09-23 23:27:29 | Weblog
 皆様は連休をどうお過ごしになりましたか? 私は徹底的な小トリップです。半日か一日だけの外出です。しかも自分の本を配るという半分は仕事。だけど、その前がデスクワークだけだったから、外出が気持ちがよいです。それに人に会うでしょう。それも普段と違う形で、すごす時間なので気持ちがよいです。

 ただ、とても疲れていて、こちらの舞台では前に書いておいたものをアップロードさせていただきました。恐れ入ります。今日は短くですが、新しいものを。

 朝、偶然スイッチを入れたら出てきた北アルプス(日本)の絶景、しかも快晴の登山風景があり、それがすばらしい見ものでした。最後の二十分ぐらいしか見ていないのですが、

 ジャンダルムの頂きを、ヘリコプターからうつした映像もあって、カメラマンが二組、前と、後を追って、三人の登山風景を撮影したことがわかりました。頂きの少し下に、四人の人がいたから、そうだと推察します。

 ところで、映像を物語とするための主役は、内田アナと田部井淳子さんです。一番先頭にいるのは、プロの登山家らしいのですが、カメラ内にはそうは、写りません。内田アナはおとなしい雰囲気の方ですが、この縦走をやりぬいたわけでしょうからご立派です。いわゆる密着取材というわけですが、勝負事ではないし、時間や技術を誰かと競うものでもないので、見ていてほほえましく、いやな感じを受けません。ただ、登山の専門家から言えば、「甘いなあ。これでは」ということになるでしょうが。

 まあ、NHKが相当な回数ヘリを飛ばして、お荷物の移動などを手伝ったと思うから一般の人とは違いますが、でも、カメラに写りながらの登山は相当へヴィーだったのでしょう。ちゃんと最初から最後まで、実行なさったのがえらい。

 私は小学校四年で、谷川岳、といっても、天神平の方から(昔はスキー場などはなかった)、また、後年、いろいろ登りましたが、だいたい2000メートル以下の山ばかりです。家族で登山をしただけで、大学のクラブ等を経験していませんので、軽いものだけです。でも、ちゃんと、毛糸の靴下等を持っていますので、例の大雪山登山の遭難は、リーダーが事前の情報を与えることとか、それを確認する作業を抜かしたとは思っています。

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 くれよんしんちゃんの作者の遭難には、そうとう疑問を持っていますが、どういうポイントで疑問を持っているかは、今は明かさないで置きましょう。お気の毒だとは思っています。

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 さて、元に戻って、今朝のこの番組は相当にオーソドックスなつくりで、だからこそ、好きですねえ。あまり、ごたごたしていなくて、おっとりしていて、見る人の想像力がかきたてられる余地が残されています。といっても、裏で誰かと誰かが、疲れのあまり、けんかしたであろうなどということではなくて、

 自分が画面の中に一緒にいるような感覚を味わう余裕があったということです。あまりに親切に解説があったりするのは、よくないですよね。かえってつまらないです。では、今日は簡単ですが、これにて。2009-9-24雨宮舜(川崎千恵子)
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中央大学法学部と言う、同窓会つながり(?)

2009-09-22 23:38:13 | Weblog
 さて、前回で伊藤玄二郎と言う名前が初めて登場しました。私の文章には普段は無名の人の登場が多いのです。有名人についてはあまり書かなくなりました。でも、三回にわたって瀬木慎一氏について書きました。それは、この三年間、いつでも、謝罪をしていただけるチャンスはあったのに、それがなかったからです。待っていました。私は常にいっているように、冷静な論理で、事を運びたい人ですから、当事者同士で、解決できればそれが最高だと思っているのです。

 しかし、私は画廊街で相当な不利を蒙っていて、その原因について、瀬木さんも一種の源泉であるが、もう一方で、伊藤玄二郎氏も源泉であると考えています。

 具体的に動いてきているのは、ガレリア・グラフィカの栗田女史、他・大勢いますが、ここでは、その詳述は避けて後回しにします。

 で、伊藤玄二郎氏について、ちょっと書きましょう。

 氏の表の顔は、関東学院大学教授、プラス、鎌倉春秋社社長、著書も多数あり、そのうちの一つが、貢献として認められ、ポルトガル国から勲章さえ得ている人です。数年前までは、鎌倉ペンクラブの会長でもあり、鎌倉検定と言うのも企画して実行していますし、鎌倉春秋と言うタウン誌や、詩や、短歌の雑誌を発行しています。

 収入の大部分はそれらの雑誌と、私費出版に拠っている人でしょう。文芸社とか、新風社とか幻冬舎インターナショナルというような、いかにも私費出版とみなされる会社より、鎌倉春秋社という名前の方が格好が良いですね。だから、受注が多い会社のはずです。

 私が引っ越してきた二十五年前には、木造のしもた屋の二階を借りている小さな会社でした。が、今は堂々たるビル化しているし、一階の大きな食堂(BOWLS)が大当たりをしているのか、経営的には、最近の出版社としては、不思議なほど、儲かっているのではないかなあ?

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 ところで、この文章の最初から、今までの数行でも、彼について、収入さえ分析するほど失礼な事を、どうしてするのかと言うと、私は際限のないほどの被害を彼から与えられているからです。
 
 その被害を説明するのは、楽ではないが、瀬木慎一さんのセクハラ発言が、伊藤玄二郎氏発の風評から、出来(しゅったい)したものであれば、それは、一種の被害に当たります。他にもひどい話が数々あるのですが、・・・・・

 伊藤玄二郎氏の専門が、里見の研究であり、(未読ではあるが題名から推察するに)、花柳界の話などを取材して書いてある時期もあり、したがって下半身の事に異常に好奇心が旺盛なら、そういう傾向で、雨夜の品定めをするはずで、そこからあれほど下品な発言が生まれたと考えると、これは、瀬木慎一氏には救いになる想像でもありましょう。

 罫線前に書いた経歴は、申し分のない立派なものです。しかし、胡散臭いところは大いにある人で、鎌倉では彼を嫌っている人は多いのです。しかし、人間関係の構築はうまい人で、先ず、タウン誌の営業で、鎌倉市内の主なお店は、ほとんど押さえているし、医師会の広報も請け負っているので、医師関連は抑えています。それにプラスして出版社として、有名人を利用する事はうまいでしょうね。養老孟氏の一連のヒットの先鞭をつけたりしたから、逆らう人はいないかなあ?

 だから、鎌倉の有名人はすべて、知遇があるといってよいでしょう。その上、鎌倉検定の始まりにより、鎌倉の神社仏閣もすべて抑えたといっても良いでしょう。非常に政治的な人間でもあります。経済人でもあります。

 でね、思いがけない事をやる人間でもあります。有名人としては大切であろうノブレス・オブリッジのない人でもあります。信じがたい事を平気でやる人です。それを二十五年間にわたって、つぶさに観察し続けてきました。

 と言うのも、指呼の距離に彼の愛人であったと自称する女性・陶芸家の柳澤和子女史がいて、その行動を、つぶさに、みせつけられ、かつ、この五年間は猫の事で筆舌に尽くしがたい迷惑を与えられているからです。

 彼女および、現在の彼女の夫、柳澤某氏の日常的言語は法律用語を駆使している(つもりであろう)が、実質は信じがたいほど下品な発言と行動の連続です。これから、おいおい具体的に書いていきますが、おどろくほど発想が幼稚です。

 その似非・法律知識の振りかざしは、伊藤玄二郎氏が、中央大学法学部政治学科の卒業生だという事に起因しているでしょう。そして、瀬木慎一氏も、中央大学法学部の出身です。二人は相当年齢は離れているが、人と、人のつながりが多い方が嬉しい立場です。仕事上の立場から、言えば人的コネが多ければ多いほど、有利になる立場だからです。

 表には出さないけれど、相当な連絡が秘密裡に、通じている可能性はあります。そして、鎌倉には画家も美術評論家も多いです。酒井忠康氏、辻惟雄も、鎌倉在住です。平山郁夫氏やら、宮崎進氏も鎌倉在住です。「さあ、さあ、見てのお楽しみ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」と、寅さんではないが、いいたくなるほどの、素晴しいエピソードの連続となります。すごい面白いお話です。

 だけど、千夜一夜の話ではないが、「今日はここまで」と致しましょう。
    09-9-11   雨宮 舜(川崎 千恵子)
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蛙とブタの違い・・・・・『ブタのいた教室』の1

2009-09-20 01:17:01 | Weblog
 最近、新聞が偏っていると思う私は、ほとんど読まないのですが、たまに読むと意外な事に出あいます。本日18日の朝日新聞の夕刊に『イギリスで二勝した三浦皇成騎手』という写真付きの記事が載っていて、嬉しいと思いました。イギリス風の(というのは昔ながらのという事ですが)たぷたぷと空気をはらむ、しかし、白い勝負服を着た彼は、ほんとうにかわいらしいニッポンの少年です。

そばにいるイギリス人の関係者が、大きな体格ですから、比較すると、余計かわいく見えますが、業界内では、気が強い事で有名らしいです。しかし、世界基準と互角に勝負するためには、そういう気質は大切ですから、みんなで大事にして行きたい才能です。頭もとても良い子のようですし。

 普段、「朝日新聞は特に困るし、嫌いだ」と広言していて、朝日新聞にだけは、まだ、書評謹呈をしていないのに、この記事はありがたい配信でした。数か月ぶりに新聞を開いたのですよ。偶然ですが本当にうれしい情報でした。

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 今、本を配り歩いているわけですが、久しぶりに出会った知人と話が弾んだりして、終電に間に合わなくなって、ネットカフェに泊まりました。私は神経質な方で飛行機でも眠られない方ですから、ネットカフェでももちろん眠ることはできず、レンタルDVDを見て過ごしました。話題になっている『ブタがいた教室』です。

 この映画は鎌倉のレンタルDVDショップでも重要な位置に置いてあるので、そうとうに話題を集めている映画なのだと思います。その人気の一つに、主演がツマブキ聡だという事もあるでしょう。NHKの大河ドラマの威力は強いのでしょうね。

 私はツマブキ聡君はとても良い俳優だと思いますけれど、『天地人』は、見ていません。最初の2カ月ぐらい見て、原作(または、それを生かした脚本)の中の人物設定が甘いような気がして、見る気がしなくなりました。別に私なんかが見なくてもNHKさんが困るわけでもないから、どうっていう事はないのですが、・・・・・・・

 さて、そういうわけで、『ブタがいた教室』の感想に入りたいのですが、「ちょっと、待て」、と内心で命令するものがあって、珍しくほかのブログを点検してみました。

 映画としては非常によく出来ている映画です。最初から最後まで気が抜けません。でも、文章をさっとかけないところがあります。で、躊躇する点が何なのかを、知るためにも他の人の感想を見てみたのです。

 すると、ブタという大きな、しかも知能の高い動物を殺さなければならない(これはネタばれというやつですね。まだ、見ていない方にはごめんなさい)という・いきさつ自体が、ショッキングであり、そこに大いなる議論が集まっているのでした。

 つまり、こちらも、映画関係者ではなくて、原作の著者に対する批判だったのです。私にとっては批判ではなくて、躊躇でしたけれど・・・・・・学校にブタを持ち込む、しかも小学生にその死をどうするかの決断を迫るのは無責任だという論が多かったのです。

 この点ですが、蛮勇という言葉が当たり、現在のようなリスク回避の世の中ではありえない授業ですからある意味で、尊いとも言えます。でも、少数派を自認している私でも、小学生にブタを与えたのは、無理だった様な気もします。

 今度の六冊目に蛙の解剖という章があります。その前日、蛙をとることにオオ苦労をした私は、解剖の結果を非常にありがたいものととらえ、丁寧にスケッチをしていました。そして、その章の結論を「蛙さん、ありがとう」と結んでいます。しかし、その前に「友達から奇異なものを見るような眼で見られた」とも告白をしています。

 つまり、生きているものの、腹膜を掻っ捌いて、殺したわけですね。ただ、肺や心臓などはまだ、動いています。腹膜を切り開いても、二時間以上はまだ、生き続けているのです。それを冷静に写生をする私を、冷酷な人間だと、友達は感じたのでしょう。しかし、私のほうはそれによって、生涯で初めて友達に不満をもったと書いています。ただ、と同時に、『これが蛙だったからスケッチできるが、もしラット(実験用に飼育をされた大型のねずみ)とか、ネコだったら冷静ではいられないだろうな」とも感じたと記しています。

 映画としてはものすごくできが良いのですが、・・・・・そのブタ(を最終的には殺すということ)と小学生のかかわりに、議論が集中している映画です。この項続く。
2009年9月18日                    雨宮 舜(川崎 千恵子)
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ニッポンの少年・三浦皇成・騎手

2009-09-18 22:14:05 | Weblog
 以下は二日前に書いておいたもので、昨日のものと連続性がありませんが、本日の朝日新聞の夕刊で、たまたま三浦皇成・騎手がイギリスへ遠征して二勝をしたという記事を読み、このストックブログを、本日にアップロードをする事と致しました。本当に連続性がなくて申し訳ございません。ところで、前文は昔から文章を送っていたメルマガの世界に向けて描いたものです。 

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 私の生活には二つのラインがあります。そのどちらの流れも、文章として同じ場所に書いてしまっておりますので、皆様には、読みにくくていらっしゃる事と・・・・・お詫びを申し上げます。つまり、<<<<私の政治に関する発言を、困ったものと考える、一派からの間接的な攻撃>>>>に対して、私側からの反論<<<<これまた、相当間接的にですが?>>>>を展開するメールと、それとは、全く無関係に描く(書く)独立した文章とがあるのです。

 前報で、「続きを書きます」といったまま、次の報で、それに触れないのも申し訳ございませんが、今日のは、後者となります。時々それらが、入り混じります。それについてはお許しをくださいませ。

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 私の1980年代は子育ての真っ最中で、したがってシゴトなどはできませんでした。今の女性たちがそれをお聞きになると「え、どうして?」と仰るでしょうが、芸術の仕事って、二十四時間体制だから、家族としては嫌がる仕事なのです。いつも『お母さんはどこか、心、ここにあらず状態に成ってしまうので、僕たちはさびしい』と思わせてしまうからなのでしょう。

 で、なんどもそれは、申し上げておりますが、40代と言うのは、主体的な時代ではなくて、従の時代でした。受動的な時代だったのです。読書をしたり、新聞を隅から隅まで読んだり、テレビを見たりしていた時代です。週刊誌も一週間に6冊ぐらい読みました。今では忙しくて考えられない事ですが、スポーツ新聞も読みました。その一つとして競馬をテレビで見ることがありました。美しいと思いました。で、相当にはまりました。馬券を買うというのではなくて、馬のことを知りたいという欲求を得ました。

 それは、一種の競馬全盛期でもありました。日本の競馬についての話ですが、今は、吉田牧場系列が、あまりに強くなりすぎて、日本の競馬が衰退しつつあるような気がします。不景気も影響をしているでしょう。馬主になる人も少なくなっている。

その後で、私の方も、競馬とは相当遠くなりました。子どもが大学進学を終え、就職もしてしまったあたりから、本格的に、絵や版画を始め、したがって、今の競馬・情報とは無縁な生活となりました。

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 しかし、メルマガやブログの手当てをするために、パソコンは開くわけです。そこで、ウエブ・ニュースと言うのを自然に見る形になります。4種ぐらい見ていますが、その結果、2008年度中に、三浦皇成と言う旗手が大きな話題となっているのを知りました。
 それで、09-1-24日に放映されたNHKトップランナー『三浦皇成』編を、録画をしておいたのです。なんとそれを、本日、9月17日に再生をして見たのですが、彼に対して、相当に感心をしました。

 それを、どうか、本日語らせてくださいませ。今、現在の三浦皇成騎手の成績も知りませんが、普遍性を持った話題として語らせていただきたいのです。

 それには、『彼は、顔立ちからすると、ニッポンの少年の典型である』と言うポイントから入ります。週刊文春はどうしてか、ジャニーズ事務所を目の敵にしています。私はそれについてはどちらにも与しません。が、現在の美形タレントと言うのが、男の子も女の子も、昔の日本人の顔とは、相当違ってきている事は、感じています。彫りが深くて、目がパッチリしています。昔だと女の顔なら、おかめか、般若として、分類をされたのでしょうが、今の言葉で言えば、しょうゆ顔・ソース顔という分類となります。

 三浦皇成騎手は、どちらかといえば、しょうゆ顔の典型ですが、久しぶりに、・・・・・よき時代の、日本の少年に出会った・・・・・・という感覚を得ました。また、たまたま、ですが、映画『トウキョウ・ソナタ』の主演の少年、それから、映画『豚がいた教室』の中で、重要な発言者となる少年なども、こういう顔立ちの子どもなのです。

 彼は、20年間も破られなかった武豊騎手の新人最多勝記録、69勝をはるかに上回る91勝をあげました。それなのに、それほどの大物とも思えない、あどけない顔をしています。そのギャップが、私の注意を引きました。

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 さて、これから、先は三浦皇成騎手の発言とか、生活、および人生(その放映時でも、たった19歳ですが)について、語らせてくださいませ。と言うのも、おせっかいながら申せば、このメルマガの読者は、ほとんどが競馬など無関心であり、三浦皇成騎手の事も知らない方だと思うからです。でも、彼は一流中の一流の人間でした。単に騎手内で一流(と言っても、これから、それを目指す、プロ二年目の騎手ですが)と言うに、とどまらず、他の分野の人間に比べても、一流といえる人間でした。

 こういう人間が現れた社会と言う日本も、相当に、良い社会であると感じました。時々現状について、絶望をしますが、その一人の少年の存在が、気持ちの救いになったのです。

彼は、競馬とは無関係な家庭に育ちました。ただ、一家で、大井競馬場に遊びに行った事を機縁として、5歳にして既に「騎手になりたい」と考えたそうです。それ以降は家庭の協力もあって、将来騎手になるために役立つ、お稽古事(8種類かなあ、またはそれ以上)をやらせてもらったそうです。

 乗馬や剣道(勝負強さとか、勝負勘を養うためであろう)は分かるけれど、生徒会(副会長だった)が、お稽古事の一つとして紹介をされたのには、会場につめている人と一緒に、笑いました。
「JRAの競馬学校(それは、入試が厳しいらしい)への内申書をよくするためでもあった。もちろん、学校を良くしたいという思いもあったのですよ」と、これも会場を笑わせる発言をしましたが、この経験は、大試合で、大観客を相手にしても、平静でいられるスケールを彼に与えたでしょう。度胸をも獲得できたと思います。

 この日(09-1-14)のトップランナーは、人間としてよく生きるための、指針や希望を与えてくれる番組でした。NHKのオンデマンド放送は、過去の全番組に該当するのではないらしいので、それは、残念ですね。皆様にもお勧めをしたい番組でした。

                 09-9-17      雨宮 舜(川崎 千恵子)
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 瀬島機関の実在性(?)と、その加害の実態-1

2009-09-18 00:12:16 | Weblog
 私がごたごたと、実名を挙げて、書く事を下品だと、嫌う人もあります。それで信用を失いますよと、忠告をしてくれる、(目上なら、ここは、くださると書くべきか?)人もいます。

 しかし、私はそれらの諸相はすべて、一点に集約をしていくと考えていて、それゆえに、微細にかつ詳細に実名で書き始めたのです。それらの現象は深いところで、すべてが、政治の問題に連なっていっていると感じるからです。つまり、『この日本という国は、真実の独立国であろうか?』と言う問題です。

 『違うのではないか。むしろ、高度に偽装をされた、しかも高度な文明を持つあらたな形での、アメリカというか、国際的な大企業連合の、植民地ではないか?』と考えるようにさえなったのです。

 それを、時々ですが、一般的な話題の中に含めて、話し始めています。

 私は一介の主婦アーチストであり、社会的な肩書きと言うのは一切持っておりません。思考のスタンスとしては、現在ではNHKのブックレビューなどを見る限り、『保坂正康氏に近いかなあ』と思うが、保坂氏の著書を読んだ事もないのです。もちろん、氏とも連絡を取ったこともないし、他の誰とも、さしたる人(この場合は、政治評論家を指します)と連絡をとったことはないのです。

 もちろん、裏側で、どこかの秘密組織と連絡を取っているわけでもありません。普段は、誰とも付き合っていないと広言していて、実際にそのとおりです。毎日、毎日、家事をしながら一篇、または、数篇のエッセイを書き、それを紙の本に直すデータ作り、それ以前の編集作業、また、それらに役に立つ、パソコン技術の習得、時間があれば、あらたな美術品作り、と、非常に忙しくて、

 メルマガ、または、ブログで紹介している行動以外の時間はまったくと言ってよいほど無いのです。

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 しかし、集中力は高いかもしれません。人と短い時間あっただけで、そこで、交わされた会話から読み取り、学習する能力は高いかもしれません。女性ならよく一緒に映画を見たりする友達がいるものです。男性ならいわゆる飲み友達と言うものがいるもです。その手の恒常的な付き合いは誰とも持っていないのですが、一方で、常時2000人の人と付き合っていると豪語しているぐらい、広く薄く人と付き合っています。

 そして、常に相手から学ぼうとする意欲と姿勢を持っています。大学では化学と英語を学んだわけですが、それ以降の人生でも、青空大学として学び続けてきました。

 観察力は鋭いといわれています。その結果を分析する能力も高いといわれていて、そこから、演繹する能力も高いといわれています。

 しかも滞在型アーチストとして、常に海外の工房に所属して、そこで、一日10時間程度過しました。しかも夜は一人暮らしです。これは、物を考えるのには最適な生活です。海外駐在をされた方は多いでしょうが、家族と一緒に行ってしまうと、日本語を使うので、私ほど真剣に、集中してモノを考える時間が無いのではないかと感じます。

 私は昼も夜も日本語を使いません。それで、日本語で記憶をした一切の情報があたまから一時的に抜け去ります。それで、脳内が広々としてきます。パソコンにたとえれば、2ギガの能力のパソコンのCディスクが、ほぼ、一ギガ分は、ソフトのインストールや、プロヴァイダーやら、インターネット関連で使われていたとしましょう。が、海外に行った途端に、それらのソフトを一切抜き去った状態になるのです。それで、使える部分が大きくなり、全く新しい仕事をする事ができるのと、似ています。

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 で、簡単に言ってしまうと、この身分にはふさわしくないほどの、大局的な見地に立って、発言を繰り返しています。それをおそれる存在があると仮定をしましょう。それで私はさまざまな形でのいじめや妨害に出遭うという形で抑圧をされます。

 しかし、現在の日本で、言論の統制があるなどと言ってしまったら、反乱が起きる可能性はありますね。

 安保反対闘争、三里塚闘争などで示された群集の力は相当に大きいかな? また、原水爆反対闘争、および、ビキニ環礁の死の灰反対運動、などでも、示された日本人の力を怖れる勢力があったとしたら、『だれか、オピニオン・リーダーになりそうな人があらわれたら、それが萌芽のうちにたたいておけ』と言う発想は起こりえるでしょう。

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 私はホリエモンの逮捕、やら、小泉首相の業績を一切否定をしようとする現在のマスコミの風潮は、その流れの一・発露だと考えています。そういう大きな流れに私も巻き込まれていると感じています。

 でね、私が井上ひさし氏の悪口を言い、伊藤玄二郎氏の悪口を言う際に、これらの人材もまた、その推定加害者と言うべき、大きな力のなかに、組み込まれていて、加害者の役割を果たしていると、考えています。だから、はっきりとその実名を挙げて、これから、詳細に事実を挙げて行きたいと考えているわけです。

 実際は政治性を持たず、単なる個人と個人との葛藤、とか闘争として現れるのですが、その真実の原因は、全く違うポイントにあると考えています。しかし、公式を述べるだけでは説得性がありません。だから、詳細な事実を述べて、その分析を重ねつつ、最後には演繹も加えて、その加害の実態を明らかにしたいと感じています。

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 彼らは巧妙にも、姿を現さないように務めていますが、過去にもその存在に気がついた人はいるらしくて、瀬島機関の名前が挙がっています。ところで、瀬島隆三氏は肉体としては、2007年の9月に死亡したこととなっています。だが、私における被害は引き続いています。

 これを、分析すると、瀬島機関とは便宜上の名前であって、いわゆるアメリカのCIAとか、日本の公安警察とか、欧州で、猛威をふるってメールの検索などをしたので、人々が抗議をしたと伝えられるエシュロン(国際的軍産共同体の諜報部門)などが、合体をした、組織が日本にもあると考えています。

 それらは、人間としては名前を持たず、組織としても隠れていますが、実際の社会の中で機能するためには、エージェントと呼ばれる、働き手が必要です。それらの人は、何を報酬としてもらっているのかと考えると、現在の日本における、メディア貴族としての待遇を与えられています。

 テレビに出る。諸・大マスコミ(新聞や雑誌)に記事を書く、・・・・・と言う事が社会的な名誉に繋がり、市民公会堂での、講演会への出席を求められたりベストセラーの出版が可能になったりと言う形で、高い収入も確保されるわけです。

 私個人の体験から言えば、井上ひさし氏など、ものの見事なエージェントの一人で、私個人への攻撃も、その絵図を描いている可能性があります。非常に下世話な部分です。心理的にまいらせるという部分です。

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 ご近所様との、ごたごたとか、美術界における風評被害などは、実行者は別の人間ですよ。うわさを流すのは、一人ではありません。が、絵図を描いている人間は、少数で、そのトップクラスが井上ひさし氏です。

 彼は、私の文章を分析して、そのどこに、私の性格やら人格の弱点が潜んでいるかを探り、そこを攻撃するべく、案を練る人物として、当局と言うか、その暗黒の存在に、登用されていると、私には、考えられます。重宝がられていると、極言をしても良いし、しかも、それを、得意に思ってもいる愉快犯の一人です。

 奥様にやった事を赤の他人である私にも、繰り返しています。ただ、それは暗喩的に言っただけで、別に我が家に乗り込んで殴るわけではないが、これから述べる諸現象のアイデアを、練り上げた人物である可能性は高いのです。それも徐々に述べていきます。

 たとえば隣家から投げ入れられているがごとく、偽装をされていた深夜、一時半から二時にかけての投石です。壁に当たって深夜大音響がこだました。これは、は既に解決をしていて、『隣家からではなかった』ことが明らかになっていますが、投石の角度を考えると、どうしても、隣家から投げ入れられていると、思われるような形で、石のぶつかったあとがあったのです。数ヶ月にわたって、間歇的に続きました。

 そして、文章を書き、絵も描く私にとって、もう一方の活動場所である美術界で、高度な使者として、私を追い詰めている存在が、酒井忠康氏と、そこら辺り(または別ルートから)から情報を得ておられるであろう、野見山暁司氏などです。

 それらの推定をこれから、一千通ぐらいのエッセイで、徐々に証拠付けながら明かしていきますが、お読みになるあなたが、『読後感が悪い。気分が暗くなる』と仰るといけないので、ちょっと付言を致します。

************

 「あなたは、相当なご損をされましたね。そんなおお御所と張り合ってしまったら、文章の世界でも、もう生きる目はないし、美術界でも生きる目はないのではないですか?」と、あなた様はご心配になるでしょう。

 そのポイントですが、すさまじいまでに覚悟を決めていると申し上げましょう。『すべてを捨てても良いのだ。日本と言う国と、その大多数の庶民に役立つ情報を開示できれば、それで、私の人生の存在意義はあるのだ。その年、年によって、天から与えられた任務は異なるのである。「現在はこれをせよ」と言われているのであろう』と、感じています。

 では、最後に、荒唐無稽な話をしていると誤解をされるといけないので、1980年代に一回瀬島隆三氏と、具体的にちゃんちゃんばらばらがあったと申し上げましょう。横須賀市根岸町二丁目に、1997年までに所有者が、伊藤忠◎◎会社と言う共同名義の土地があったはずです。

 1997年に、自らを東工大卒と名乗る測量士から、その土地に接している私の土地を売らないかと言う旨の電話があり、その土地に対して、私が今どの様に考えているかの探りを入れられました。その際昔は、中野氏と言う人物の持ち物だったと地が、伊藤忠○○会社の持ち物になっていると告げられたのです。この土地は、1970年代までは横須賀氏の水道局のもので、それを地籍変更届と言う手段でマネーロンダリングされた存在です。今は、私がこういう文章を書いたのがゆえに、名義が変更されているかもしれません。

 登記所で調べたわけではありませんし、その後もさらに、書き換えられる可能性はあり、勝つ、今の登記所は原簿の閲覧をさせませんので、悪の証明は見事に消えて行きますが、一時期は、伊藤忠何がしかの共同所有の土地となっていました。

 その土地の実質的な所有者は、益山氏(故人)と言う元日本軍の参謀で、ある種の悪さを私に仕掛けてきたので、戦って私の方が、勝ってしまったのです。そのときに、益山氏は急死しました。

 益山夫人が、切羽詰りすぎて、私を車でひき殺そうとしたのを、弁護士さんに私が報告したのが、ショックだったのでしょう。電話は明快に盗聴をされていました。私はそれを、知っていて、弁護士さんにその通報を入れたのです。だって自分の命を守るための当然の行動ですから。

 もし、益山氏が人間としての誇りがある人物だったら、奥様をそこまで追い詰めてしまった自分の失敗を恥じ入って切腹をなさったのでしょう。

・・・・・(それは、私の頭のよさを知らず、見くびりすぎたという点に原因があります。ばかげた詐欺を持ちかけたから、私の方は仕掛けられたその晩に、すぐ見破って戦ったわけですが、それを『この程度の詐欺は、彼女には、見破られることはあるまい』と判断した益山氏が、馬鹿だったわけですね。彼はもと参謀と言う自分の頭脳を確信していましたが、戦後、逼塞をしていたので、頭が相当悪くなっていたのでしょう。それに、私は中学時代は神奈川県一の頭脳の持ち主でした。

 1950年代当時、初めてアチーヴメントテストが行われ、私は全教科満点でした。ので、担任が、「満点だから、神奈川県で一番だろう」と仰ったのです。肩書きが現在なくても、頭の程度は、別に衰えてはいませんよ。それを、軽んじすぎて判断を誤った、益山氏の失敗に過ぎないのです。

 その辺りで一番実力のある人物が私でした。肝っ玉も行動力もある。しかし、謙遜をして、目立たないで生きています。それを、理解していないで、目立ちたがりやのおっちょこちょいさんの方が偉いと判断をして、そちらを重んじたので、私は真剣になって戦ったのです。鎌倉でもばかげた同じ現象が起きていますが、私は侮辱を受けたら、真に真剣に戦いますよ。・・・・・ともかく、これは、益山氏の単純なるミスだったのです。それにしか過ぎない件ですが)・・・・・結果としては彼の急死を招きました。

 また、そういう立派な切腹ではなくて、単なるショック性脳溢血だったかもしれません。

 ともかくそれ以来、私は瀬島隆三と言う人からも、新聞記事を利用するなどの、間接的ないじめにはあっていると考えていて、それゆえにあらゆる不幸(?)には、ただ、ただ、我慢をしてきたのです。

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 ところが、1999年と、2000年にアメリカに滞在をしていたときに、仕事を邪魔されてしまって、偶然ですが、日本人女性のできのわるいひとたちと、どうしても、けんかをせざるを得ず、一生で初めて喧嘩をしたのです。そのときに、いじめと言う陰湿な悪に対抗して自分の権利を守るためには、喧嘩をしなければならない事を悟りました。

 それ以来自己主張を重ねています。それで、不幸せになっている部分もあるでしょう。普通の人はもっと楽に出世したり、金儲けができるはずだと皆さん仰います。しかし、私は損をしています。その代わりと言っては何だが、真実を見抜く目を与えられました。

 ニュースを見ていると、私の文章を追随していると思う事も多いですよ。

 まあ、これから、本当に詳細に事実を書いていきましょう。それで、私の身に何かが起きるとか、ブログが閉鎖されたりすれば、日本における国際軍産共同体の諜報機関の活動は、全く正しくも、存在しているという事になり、これから、名前を挙げる存在は、すべてがエージェントとして活動をしていると、判断できる事となります。では、09-9-17雨宮舜(川崎 千恵子)
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どうして、たった一年で連載が終わったのか(ヴェイユの3)

2009-09-15 23:43:32 | Weblog
 月岡節氏は、縷々聞いてくださったうえで、「川崎さんの気がすまないのなら、僕が、瀬木さんに、川崎(雨宮舜の本名)さんが、《一億円なら体を売っても良い》と言っていました・・・・・と言っておいてあげますよ」と仰いました。

 私は絶句してしまいました。だって、普段なら真面目な月岡さんが、流れとしては、ジョークとしてこれを、解消しようとなさっておられます。

 それでは困るのです。私には名刺を作り、書き表すような肩書きがありません。だけど、非常に観察が鋭いと大勢の人から言われています。文章も面白いといわれています。しかも芸術家だから、三百年後まで生き残るつもりになっていて、現代の社会状況の中での上下関係など一切無視しているというか、関与しない人間なのです。

 それこそ、哲学の問題として、いけない事をやってしまったのなら、きちんと、謝罪して欲しいです。

 それにね。こういう風に、女性問題として、考える日も来るわけです。このセクハラ発言はいかようにも料理できますが、本日は、女性の哲学者、シモーヌ・ヴェイユと、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの違いを考える項目から発展をした話題として、これを取り上げています。

 つまり、テレビの世界に出る有名人(フランスではボーヴォワールがそれに当たる)とそんな世界ではなく、実践的に、地を這うように生きたシモーヌ・ヴェイユのどちらが、あれから、50年後の現在の評価が高いかを考えると、あながち、瀬木慎一さんが偉いともいえないのです。随分物をはっきり言いますが、こんな発言を貰うほど、私は軽蔑をされる存在ではありません。

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 でね、絶句をしたまま黙っていたら、月岡さんが、勘違いをなさって「三億円だったら、体を売ると言っていたに、直しましょう」と続けて仰いました。私は月岡さんに向かってはあいまいに口を濁しましたが、内面では頭を俊敏に働かせて、

・・・・・これはこのまま、放っておいたら大変な事になるなあ。真面目な月岡さんがいつものような調子ではないのだから・・・・・瀬木慎一と言う人は厄介なところのある人なのかな・・・・・と考え、

 その当時、雑誌に書かせていただいているという形での、実質的な付き合いのあった、月刊ギャラリーの編集長本多さんに電話を掛けました。すると、意外に早い飲み込みで(それが後から考えれば、瀬木さんが先に一本電話かメールを入れていたのでしょうが)「川崎さん、それは、瀬木さんが酔っていたのですよ。気にしない事」で片付けられてしまいました。

 本多さんとは、上下関係があり、彼が私の制裁与奪の権を握っているわけですから逆らえず、引き下がりましたが、その後、評判が良かったのに、急に一年で連載が終わった事(ほかの人は、100回を越えるほど、連載を続けていた。内容はミートパイの話などで、たいしたこともない内容だったが、それほど、長い間続いていた。私のは、画家たちからも画廊からも面白いと評判だったのに、たった、12回で終わってしまった)

 とか、文章の剽窃が行われた事実から考えると、本多さんの意思決定の影に、瀬木さんのこの問題も数十パーセントは含まれていると、私は考えます。

 まあね。普通の人なら、ここで、本多さんにしつこく、アタックをして、夜討ち朝駆けをして、「なぜ、こんなに早く止めさせられるのですか?」と質問をして見るべきだったと思います。しかし、私は元来が『ジャン・クリストフ』の愛読から人生を始めた人なので、『瀬木慎一さんみたいな人も、この世にはあまた、いる』ということも分かっていて、また、本多さんが、弱小出版社の社長として、まだ、現代アートの世界に限っても、この日本社会では、力が足り無い事も分かっていたので、黙って引き下がりました。

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 ところで、ここから先は文章の剽窃と言う問題に入って行きます。有名であろうとなかろうと創作の結果を、踏みにじられてはたまりません。しっかりと、抗議をしておきましょう。それも、詳しい説明が必要です。でないと、ただ、蚊が一匹ぶんぶん言っていることになります。その詳細は、次回に書きます。
         09-9-11  雨宮 舜(川崎 千恵子)
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御影堂の大修復(技術と、芸術の結婚)

2009-09-13 23:54:48 | Weblog
 私はほとんどの時代を神奈川県で過している間です。だから、京都は観光として、四回ぐらい訪れただけなのです。ですから、西本願寺には行った事がありません。

 父は次男ですが、お坊様を気に入って、宗興寺(曹洞宗で、生麦事件のときに犠牲者が担ぎこまれたお寺)に宗旨替えしたので、・・・・・さらに西本願寺とは縁遠くなっているわけです。

 でも、NHKハイビジョンで放映をされている、『御影堂の大修復』は、何回か見ました。皆様もご覧になりましたか?

 第一回目に見たときは、内部構造の説明の日で、ほこりっぽい天井裏に入って、江戸時代の大工の棟梁・・・・・なんとか、伊豆の守(だったと思いますが、ちょっと不確かです)の名前を見つけ、その子孫を訪ねる場面が印象的でした。

 子孫様はごく普通のうち、(広さも、構造も、建築材料も、込めて)に住んでいらっしゃるのに、床の間に保存されている家宝とは、漆塗りの墨壷他なのです。
もちろん、実用的なものではなくて、西本願寺、御影堂の造営に携わった事の誇りを示す装飾的なものなのですが・・・・・現代のごく普通の暮らしに、360年前がよみがえる事の、不思議さに打たれました。

 その同じ回だったか、次の放映日だったかは忘れましたが、しっくい(土壁)のおそるべき・・・・・長時間(数ヶ月にわたる、または数年にわたる)の養生・・・・・の話など、伝統技術のすごさを知りました。

 また、屋根の修理の日もあって、その日も驚かされた事は一杯あるのですが、
今日放映された、内陣の修復の場面は、美しさもさることながら、伝統技術を受け継ぐ人々が少なくなっている事を知らされ、大きな悲しみを与えられました。

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 すべてがお金で解決される世の中にない、高給が取れない世界に入ってくる人がいないというか、・・・・・・何と言うか?

 職人さん自身が、「自分は日当が4000円程度だから、誰かに引き継いでもらいたいなどとは言えない」と仰るのは、全く気の毒な限りです。

 特に和紙の世界、また、紙漉きの道具の世界には、驚かされることばかりです。水に溶いた繊維を、救い上げる、す(海苔巻きを作るときの巻きすの上等で、大きいものとお考えくださいませ)、を編み上げる職人が数人しかおらず、また、そのすを真ったいらに編み上げる貯めの特殊な絹糸を撚れる人が、たった一人しかいないなんて、

 恐るべき状況で、名君を、「日本にいでよ」と祈りたいですね。
 鳩山さんには、どんなに忙しくても、こういう番組を見ていただきたいです。

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 まんが何とか館など作っている場合ではなくて(ところで、それは、麻生さんの発案だったはずですが、民主党はどうするのでしょうか。八ッ場ダムの件は進むも退くも大変そうですが、漫画の博物館は、要らないような気もしますね。

 ただ、ヨーロッパなどで、漫画が大きな人気を得ているのなら、それも必要かもしれないが、官営の組織って、ほとんど死んだも同然の運営をされているから、ネットカフェ(漫画喫茶)で、充分ではないかなあ? そっちの方が民営だから常に、生き生きと運営をされています。

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 元に戻れば、後篇と題された本日、は、内陣の修復となり、美術家としての、私にとっても、非常に楽しみな一日でした。現代アートの人間からすれば、内陣の両脇、(金箔張りの太い柱が連なって立つ領域)の床が黒漆塗りであり、誰もいないとき、また、花や、錦などの飾りが何も置かれていないときの、

 美しさったら、それはもう、言うに言われないものでした。

  では、2009年9月12日  雨宮舜(川崎 千恵子)

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ム、ム、あのときの青年は、鳩山Jr.だったかな?

2009-09-13 01:09:08 | Weblog
 今日、ウエブニュース上、(yahooが提供したasahi,com で、エントリーは下記ですが、
http://www.asahi.com/politics/update/0912/OSK200909110163_01.html

で、次の総理大臣になられる、鳩山さんの息子が、モスクワから一時帰国と言う話題が出ていました。

 でね、ちょっと思いつく事があるので、昨日との連続性が途絶えますが、この記事を,、本日アップロードさせてくださいませ。

 その配信ニュースを丁寧に広げていくと、顔写真が出ているのですが、あっと驚いたのは、私が以前、横須賀線の中でであった(木曜日でした)青年とそっくりなのです。

 その青年は、逗子方面に向かってさらに電車を乗り進めていたのです。が、鳩山さんの息子さんは、

大田区で写真撮影に応じたという事は、奥さんの実家で応じたか、ホテルか?
または、両親の家は、既に音羽にはなくて、田園調布にある? 

 ともかく、この青年(鳩山紀一郎)は、

 横須賀線車内で、あるエピソードを面白おかしく、
友人に話していた青年と顔はそっくりです。その話のまとめ方があまりにも要領を得ているので、私が電車内で、それを褒めるために話しかけた青年ですが、その青年とそっくりなのです。

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・・・・・彼と隣にいる知人の共通の友人が、プールに飛び込もうとして、垂直に飛び上がり、頭が砕けるのではないかと、プールサイドがぞっとしたら、直後、一センチの差で、水面下に 陥ったので、みんながほっとした・・・・・・という話を、していた青年です。それで私がそのまとめ方を褒めると、さらに、「それがどこの事だと思いますか?」と質問をしてきたので、私が答えに窮していると、「つい二日前、火曜日のモスクワのプールでの話ですよ」と茶目っ気たっぷりに答えてきた青年がいて、彼に写真がそっくりだったのです。

 今、ここで、もっと詳しい事を、明かしてしまうと、隣にいたのは、産経新聞の記者で、つい最近までモスクワ特派員をしていたという、少し年上の青年でした。

 そちらの、記者である青年が逗子、または、逗子以南の住人で、鳩山さんの息子は、そこを、訪ねているときだったかも知れません。

 もちろん、違うかもしれません。
 だけど、私はその筋肉隆々たるからだと、薄着(深秋の日本なのに、半そでメリヤスシャツ一枚でいた)であることと、顔だけは品がよく、しかもめがねを掛けていることとのアンバランスさに、違和感を少し抱きました。さらにいえば、

 ロシア人の大富豪の支援をえて、研究生活をしていると言う生活に、驚嘆したり、胡散臭いものを感じたのです。健康そうで頭もよさそうなのに、ちゃんとした会社へ就職をしないことを、この青年の両親はどう考えているのだろうと、思って。

 でもね。鳩山家の息子なら、ご自分の家も大金持ちだから、他人から支援を受ける生活を、忌み嫌うわけでもないでしょう。それに一般的な就職をしなくても、両親は悩まないでしょうしね。

 貧乏だったら、他人から、お金を貰う生活は危険です。お金を貰えば、何らかの束縛を受けます。それが将来を縛る事になります。

 もし、なんらかの反発を感じて、自由になりたいときに、両親がお金持ちだったら、その支援金を、両親がたて替えて返す事ができます。なら、一時的に、誰かの支援を受けることも・・・・それだけ、能力を高く評価をされている事になるから、ただの勲章になる。

 まあ、私が話し方を褒めた、そちらの青年は鳩山さんの息子ではないのでしょう。

 でも、レジメとして言えば、今、超がつくエリート、・・・・・もしくは将来エリートになりたい人・・・・・はモスクワに、留学しているのですね。パリでも、ニューヨークでもないんだ。ほ、ほー、それは、驚きました。

 鳩山さんの息子さんは、留学ではなくて、教えるほうらしいけれど。もしかしたら、私があったころは、それ以前で、研究だけをしていたころだったかもしれないのです。

ミーハ-チックな言い方をしていますが、電車の中の青年の方も、白いメリヤスシャツの上には、厚手の上等なダウンコートを着ており、寒い国から来た事をうかがわせました。寒い国は中の暖房が利いているので、室内では薄着なのです。

 日本の冬は外は暖かいが、室内が寒いです。特に木造一戸建ては寒いです。我が家は半分が、1974年建築なので、寒いです。その部分には、断熱材が入っていないし、二重サッシでもないし・・・・・

  2009年9月12日深夜、    雨宮 舜(川崎 千恵子)
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