このブログは、総タイトルを、【荻生田大臣の記者会見が気になるのだ。ところで、息子を対私への攻撃用武器として、敵さん達が使っているというジレンマ】として公開し、14時間、そのタイトルで、置いて置きました。しかし、30日の、午後零時ごろ、TVの録画番組を見たのです。BSP21-6-29日放映の、クラシック倶楽部です。モイツァ・エルトマンという若い美形のソプラノが、紀尾井ホールで、2018年7月3日に歌ったものの、放映。真ん中ごろで、彼女は、K152 の【こころよい静けさが】という短い歌曲を歌いました。
ケッヘル番号から推察すると、たぶん、モーツァルトが若い時の作曲でしょう。しかも、歌詞の作者名が、付記されていません。と言う事はモーツァルト自身の、つぶやきが、曲になったと、推察されるほど、単純にして、美しい曲です。
その歌詞をテレビ画面で、見ているうちに、『ああ、ここで、歌われていることは、この27日の夜に私が考えたことと同じだわ』と、考えました。その日、私は、息子からひどい電話を受け取っていました。たぶん、彼の後ろに敵方の誰かがいて、そういう電話を掛けるように誘導したのだと、思うのですが、ブログを書く人としては手足をもぎ取られ、自由を失う様な提案でした。息子は、いい子です。ただし、「かれが、愛情深いむすこだから、あんたの老後は、大丈夫よ」と、母が死ぬ間際に言ってくれたことをブログで、書いているために、彼が、敵方の最終兵器として、使われることがあるのです。すでに、それを何回も発見していて、ものすごい苦しみを味わっています。しかし、息子に真実を理解させれば、息子に、今以上の苦難が押し寄せるでしょう。だから、真実を教えられません。
ただし、その日の息子は、いつもとは違って、悲哀に満ちていて、静かな話っぷりだったので、彼の理解力を信じた私は、「今の様な行動をとらないと、私はご近所様から精神病院へ入れられてしまうのですよ」というと、彼は、「いいじゃあないの。精神病院へ入っても」と言いました。私は思わず、最も気にしている事、を語りました。「駄目よ。それは。だって、あなたの子供の就活や、婚活の時に、大いにマイナスになりますよ」と言いました。続けて「あなただけではない。妹(私の娘)の方の、子供たちの将来にもマイナスです」と言いました。すると彼は、また、間髪を入れず、「大丈夫、俺は、気にしないから、そんなこと」と言いました。そして、さらに「子供だって、そんなことを気にしない様に、強く育てる」とも言いました。私は追い詰められました。で、彼を含めて、自分以外の人間を大切にするいつもの習慣をかなぐり捨てて、自分を大切にすることにしました。「あのね、お母さんは、今の様な態勢を保持しないと、自殺に追い込まれるのよ」と言いました。すると彼は、「いいじゃあないの、もう死んでも。十分に、生きたよ」と言いました。もう、私は二の句が継げず、「そう、じゃあ、ともかく、お母さんと縁を切ってね」と言いました。「今度のパーティにも、私は参加しないから」とも言いました。娘がニューヨークへ行くのでお別れパーティを開く予定です。
それに、弟が欠席を、すると知らせてきました。娘にではなくて、私の方に。しかも、留守中に主人への伝言として、知らせてきたのです。瞬間的に、裏に、妹の連れ合いがいると感じました。その連れ合いが、私のブログを読んで、弟へ、私との縁切りを迫ったのだと、私は考えています。
ここらあたりは、一回すでに書いていますが、将来、きちんとまとめて書き表すつもりです。妹の連れ合いが、実は敵であるというのは、15年以上前から気が付いていました。むしろ三十五年前の、父の死の時に気が付いていたと、言っていいでしょう。しかし、弟の方は、善人で、一緒に車で、私たち夫婦を旅行に連れて行ってくれていたので、縁が切れることは、非常に残念でした。しかし、弟までは、縁が切れてもいいのです。覚悟の上です。ところが、息子とか、娘との縁がズタズタにされている不幸は、はかり知れません。
私は、27日の夜、息子から電話をもらった夜の七時から、十時まで、ほとんど、茫然自失の体でした。
しかし、・・・・・この様に、究極の苦難の時ほど、自分の信仰心が試されているのだ・・・・・と、も、考えました。『どうしたの。お前、神様を信じていないの?』と、自問自答しました。答えは、「たぶん、これからも信じるべきでしょう」でした。突然に目の前が、すかーっと開けました。『ああ、この手があったのだ。これが、主人がよく言う、もっと強くなれっと言う事と同義ですね』と思い当たりました。自分を丸投げにする。自分一人で、あれこれしようと考えない。すべては、神様のいのっままに動いていくのだと、考える。そして、実際の行動としては、今まで道理、今、自分ができることをする……でした。ブログは続ける。日常生活は、主人のためにお料理を丁寧に作る。昼間、その準備と後片付けで、ほとんどの時間を費やしています。1998年から料理作りが好きな主人にほぼ任せていたのです。主人は脂っこいものが好きです。豚肉のみそ漬けのソテーでも、付け合わせは、ホウレンソウぐらいです。私の方は、背脂の部分は、箸で、取り除いて食べるという様な工夫をしていたので、大丈夫だったのです。しかし、主人は、一か月に一回ほど、鶏の皮を、ポテトチップス状に揚げたものを、大皿いっぱい食べていました。「ああ、まずかった。彼には、栄養学の知識がなかったのだ。私が料理を作っていた時期には誰も病気にならなかったのに。これは、大失敗』と、主人が心筋梗塞を患った後で、反省をいたしました。だから、今では、昼間は、6~8時間ほど、お料理の準備、後片付け、調理に使い、余った時間を園芸に当てています。ブログを書くのは、大体、夜です。昔と優先順位が変わってきています。
だから、今のところあと、一か月強で、80歳になる夫婦二人が、誰のお世話も受けずに、二人だけで、暮らしています。NHKテレビ内で、親の介護のために離職をして故郷へ帰ったのだが、親が死んだ後で、生活費がなくて困っていると、言う話を聞きます。親世代は、年功序列制度が、生きていた時代に、一部上場企業で、課長以上の役職についていたと仮定をすると、高額な年金をもらっているでしょう。子供の方は、大学を出ているが、結婚をしていないと仮定します。そうすると、移動が自由なので、割と簡単に離職をしてしまいます。しかし、親が死んでみると、年金は、子供には入りません。よく遺体を隠していて、お葬式を出さない子供が発見されます。親の年金を引き続いてもらいたいのだと、思います。特に独身だと、そういう秘密を守ることができます。
ここで、息子の言う事を聞いて、ブログを書く生活を放棄すると、私への敵の攻撃はいや増しに増して、私の心身は、ずたずたになり、それと連動して、主人の生活も乱れて、二人は、入院だのなんだのと、言う生活に入り、NHKが報道するところの、親の生活に苦しめられている子供たちという未来が、押し寄せてきます。息子の提言は、敵の意思の表れですから、そういう風になります。
でも、自分のそういう選択の結果、息子に大いなる不幸が押し寄せてくるかもしれません。しかし、27日の夜に、私が決意したことは、そのポイントを悩まないと、言う事だったのです。で、その日は、ブログを更新すべき日だと、知っていました。が、やらないで、寝ました。
そういう心境と、その60時間後に聞いたモーツァルトの歌曲、K152は、全く同じだったのです。で、ずっと先にさらすはずだった、息子からの、2021年6月27日夜の電話をさらしました。
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もう一つ、語らないといけないことが出てきました。読者の皆様は、このブログをお読みになって、私が大変に荒れ果てた心境にあると、お思いになっておられませんか?違うんですよ。 明鏡止水の境地にあります。後51日経つと80歳になる人間です。それが、これほど長い文章を書ける。その秘密は、常に、心平らかに保っているからです。しかし、創作をしていない人間には、それはわからないと思います。翻訳ではだめですよ。編集者でも駄目です。創作をする人と、編集や、翻訳をする人とは、頭の使い方が全く違うと思います。最近、土曜日の朝日新聞be 版(付録と言っていいか、エンタメの色彩が、濃いもの)に、小池真理子さんが、夫、藤田宣永を失った後の心境を、月夜の森の梟】と題して、寄せています。すっごくいいです。で、逆説的ですが、彼女が、一人になったので、こんなにいいものが生まれた。やっぱり、ある意味で、創作者には、孤独がいいのだと、感じました。猫と一緒に、樹木の間の空を見上げている彼女。創作者の日常が、本当によく描かれています。私の方は、文章のテーマと内容は、今のところは、全く違いますが、東と南の窓からは、一切他人が見えない家(こんなのは、関東圏で、しかも東京駅から、一時間以内では、全く珍しい環境です)で、静かに暮らしているのですよ。夫はいる。けれど、孤独の時間を作り出す様に、工夫をして、創作をしています。私の生活は、荒れてはいません。2021年6月27日夜とか、2020年11月18日の夜とかは、相当に苦しめられましたが、やがて回復して、常に、平静な、日常を取り戻しています。
という二番目の前置きを、午後、五時に入れて、一応、この文章を終わりといたします。この前置きは、音楽による、急な、回心に基づいて書いていますので、&&&&&&&&罫線から始まる初稿と矛盾すところも出てくると思います。例えば、息子からの電話の内容をさらさないと、言っているところとか(実際には前置きの中で、曝していますね)が生じていますが直さないで、置きます。そこを直すと、自分の消耗が激しくなりすぎますので・・・・・・
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荻生田文部科学大臣の記者会見が、たて続けにNHKニュースに出てきた。私は、それを気にしている。そこからさまざまな問題点を感じているが、それを徐々に、本日は、書いていこう。30日の、朝、8時に、副題9を加筆した。朝9時に副題10を書き足しました。
副題1、『まず、日本国内で、種々の語彙変換が起きている事。それは、日本が被植民地国家であることのまるだしの、証明です』
皆様は、文部科学省というと、小さいほう、低位の方の、役所だと、お考えになっておられませんか? そうですね。昔は、大蔵省、通産省、建設省、などのトップを大物政治家が占めました。ところで、これら、三つの省は、名称変更がなされています。財務省、経産省、国土交通省です。昔の名前の方が、シンプルで分かりやすいです。どうして、こういう風に変えられてしまったかというと、日本が、被植民地国家だからです。
今、私は、理不尽な損害を被っていて、それをミステリーを解くと称して、分析していっているのですが、そういう私にとって、非常に重要な謀略事件が、数多く起こされてきました。私を脅かして、このブログを書かせないがためです。
直近のものはアウンサンスー・チー女子と、一緒の映像が、事件後すぐ、NHKテレビに登場した若い外交官が殺された登戸駅、カリタス学園への通学用シャトルバス、襲撃事件です。これが、二年もたたないうちに、名前が、川崎殺傷事件と変更になってしまいました。どうしてかというと、まだ、全部を書いていないのですが、これは、私の実妹が他殺であるのに、自殺という形で、周辺にばらまかれていることと、関係があるので、こういう風に名称変更になったのです。日吉の実家の近所に塩野義製薬に勤務していた人S家と、カリタスにお嬢さんがふたり通学していたT家があるので、「その両方ほかに、大迷惑がかかるのだよ。だから、真実を書くな」という脅かし用の謀略事件でした。他という部分で、水沢勉葉山に美術館館長も関係している可能性があるので、いまだに、100%は、開示できない話ですが(後注1)・・・・・
犯人は、学生服を着てくる様に命令をされていたそうです。現場は大混乱で、阿鼻叫喚のさなかですが、すぐ、既成線が敷かれて、一般人は入れないこととなったと推察しています。で、正確で、不偏不党な目撃者がいないのです。もし、NHK記者がたまたま現場にいたとなると、ますます。謀略性が強くなります。
その現場に、複数の警察の特殊部隊の、人間が同じ様に、学生服を着て乱入し生徒たちを傷つけて、そして、顔をしっかりと、知っている、外務省吏員を殺したのでした。その上で、犯人と称されている、51歳のマージャン店店員を殺したのです。自殺だと、言われていますが、嘘です。それ以前の謀略事件では、犯人に、いろいろな、特徴をかぶせていて、それで、謀略の意味を強めていたのですが、すべて、私が嘘を見破ったので、この事件では、本人は、即死という形で、殺されています。
現場には、覆面警察車両が、多く来ていたでしょうから、そこにすぐさま犯人の遺体を詰め込んでしまえば、消防署の職員などが、傷を、見ることがなかったので、嘘がばれないと、考えられていました。
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副題2,『この殺人用特殊部隊の人間には、私は、合計四回か、な、実物と出会っている』
一回目は、日時は不明です。ただ、場所は、はっきりしています。渋谷センター街で、夜12時ごろ。本のデータ編集が自宅だと、システム妨害が多すぎて、できないので、上品なネットカフェと、キンコーズが、集中している、渋谷、新宿、池袋を、使って、徹夜10回程度で、一冊の本(その印刷用データ)を作り上げるのでした。
私の本というのは、そういう無理な準備段階も加算をされている実質的に一冊、5000円は、かかっている書物でした。それで、あるところで、仕事を始めるわけですが、一時間半もたつと自宅を同じ状況になってしまうのです。インターネットは、むろん使っていないのですが、自宅で、パソコンで、インターネットを開いているときに、そういう書物用のデータに、隠しファイルと、言うのが入れられる模様で、それがあると、どこにいても、把握をされて、錦糸町の野菜専門の、ビュッフェで、二時間分の仕事が、画面が急に、まっさらになって消えてしまったときは、本当に、本当に苦しかったです。
渋谷には、BAGUSという内部が、女性向けで、上品なネットカフェが二軒あります。それで、最初は、駅に近い方で、仕事を始めます。次に、「ワードが、おかしくなったなあ」と、感じると、東急本店BUNKAMURAに近いところにある別の支店に河岸を変えます。
私は、実際に工業的出版(印刷と製本を、機械がするもの)を6種類完成させているのですが、それだけではなくて、次の本用の、準備として、11冊目、か、12冊目、までは、データを作りましたので、
徹夜で渋谷、新宿、池袋を逍遥する、事は多かったのです。で、その順路は、尾行等で、はっきりと、敵方に把握をされていたと、感じています。
午後四時ごろ、鎌倉の家を出ます。銀座の画廊巡りを、半分程度して、母の老人ホーム(東上線ときわ台)へ向かいます。母は、人生の最終場面では、私にすがってきていました。それは、精神的なものですが、大変ありがたかったです。親子の最終場面としては、心が休まる景色でした。で、その訪問が、終わって、渋谷まで帰って来て、仕事を始めます。そして、インターネットをつなげていなくても、一時間半後には、おかしくなるのですが、それが、ちょうど、真夜中の12時ごろでした。で、駅に近い支店から、センター街を通って、東急【文化村】近辺にある別の支店へ、移動をするのですが、その時、上の方から、5,6人の青年の集団が下りてきたのです。
彼らの目的は「ここに、テロリストがいるぞー」と大声で叫んで、周りの普通の人が怖がって逃げる中で、一人から、三人で、私を羽交い絞めにして、クロロフォルムを嗅がせて、気絶をさせて、即座に、覆面警察車両が、やってきて、乗せられて、どこかで、殺されるのでしょう。
この件の顛末が、実際には、どうなったかを、ここでは、書いていませんが、実は、私が、気が付いたので、彼らは襲ってきませんでした。私は気が付くと全速力で逃げて、後日委細をブログに書きます。パリバスティーユ駅での、ヨーロッパのCIA集団からの逃走が、それです。
だから、私が、気が付かないうちにクロロフォルムを嗅がせないといけないのですが、その日は、かれらには、それが、できなかったのです。これは、東京=警視庁所属の、そういう連中ですが、顔は、普通ですよ。整っていてきれいでした。一方で、2016年6月13日、保土ヶ谷のネットカフェ、げらげらに現れた、神奈川県警のそういう部門の人間は、リーダーが、恐ろしい鬼のような顔をした大男でした。
渋谷の連中に戻ります。顔は、普通でした。ただし、服装が渋谷を歩いている人間のそれではないです。白い開襟シャツと、グレーのサマーウールのおズボン、それが、五、六人、みんな同じ服装です。すぐさま、「普通の通行人とは違う!特殊な人たちだ」と、感じますよ。私は何度か、こういう手合いに出会っているので、すぐわかって、顔色を変えました。何が起こるか予想ができるからです。そして、顔色を変えただけで、向こう側のリーダーも気が付いて、襲撃をやめさせたのでした。
で、過激派アラブの、乱暴狼藉事件は、こういう風に、して私を拉致するために、頻繁に起こされたのです。これを書いてから、パタッと静かになりました。ところが、18日(日)曜日の、旧子供ニュースの時間に、急にアフリカで、復活している、IS国と、言う話題が出ました。それは、最近、私が書いている・・・・・・妹が他殺なのに、自殺と、言われていて、それが、大変困るのだ・・・・・と、言う文章が、敵にとって、それこそ、困るから、彼らは、手持ちの札をもう一回、使おうとなったわけでしょう。
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副題3、『私は、ミレニアムの時に、銀座和光下に、親戚の女性を誘い出して、カウントダウンに参加している』
私は1998年、パリへ、文化庁の在外研修生の、資格を利用していったわけですが、その際に、アーチストとしても、普通の一個人としても、徹底的に外国の方があっていると、思いました。しかし、私の家族は、三島喜美代の夫ではない。外国になど、自由にはいかせてくれませんでした。で、逗子のアトリエを作って、そこで、夜も寝て、一人暮らしをして、ずっと、海外行きを貫くつもりだったのです。
ただね。いろいろ、思惑違いがありました。その時、2400万円を持っていたのですが、お金の使い方にシヴィアさが、足りなかったのです。もっと、しっかりと、倹約すれば、母からの遺産が、入るときまで、お金が、もっていたかもしれないのですが、パリだって、国費とは別に、200万円を使ってしまっていたし、2003年時に、すでに、1500万円を使ってしまっていました。
ただし、お金が無くなったから、かまくらの、家に帰ってきたわけではなくて、二度ほど大病をしたからです。一度目は、肺炎で、死にますよと、お医者さんから言われていました。その時に、たまたまですが、レジ袋に入れていた、キャベツを冷蔵庫にしまうのを忘れていたら、それが、腐って、猛臭を放ったのです。アトリエは、合計24畳あるのですが、温風暖房機を、24時間つけっぱなしで、お料理を作らなかったのが災いをして、そういう結果になりました。直径、18㎝ぐらいの小さなキャベツの外側の皮、二枚程度が、真っ黒になっていました。それで、そんな激しい臭気を発するのですから、孤独死したら、どうなるでしょう。
それは、反省しました。家族に大迷惑をかける」と言う事を、はっきりと、感じ取りました。しかし、それで、鎌倉へ帰ったわけではないのですよ。
左の背中に、書痙から始まったであろう激痛が走って、それが、24時間消えないのです。無論整形外科にもかかっていました。が、治らない。しかし、主人に治してもらったのです。
主人は、機械や兼、化学やで、日産自動車で、排気ガス(NOXガスの除去)を達成した人ですが、1984年からか、それこそ、北久里浜の瀬島龍三の背後からの悪い手回しの結果、松坂のセントラル硝子(日産自動車の、関連企業)に、出向を命じられたのです。👉へ、続く
ここですが、私は脳の働きに応じて、自由自在に動くので、急に別の問題が入ってくることがあるのをお許しください。それが、私が、22年間も、飽きずに、また、テーマが枯渇せずに書き続けている理由なので、お許しくださいね。
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副題4,『6月19日に、富沢夫人が嫌な形で、動いたので、主人が松坂へ行き、鎌倉には、いなかった時期に起きた恐ろしい暴力、リンチ事件について触れないといけなくなった』
鎌倉の家では、母子三人暮らしになりました。そこで、弱体化したと、みなされて、私道部分(アジサイ畑)が盗まれるとか、東北の崖部分が、山一つ削られる(後者の方は、一切の許可を与えておらず、完璧なるだまし討ちだった)などという恐ろしいことが、北久里浜の大詐欺事件と連動をして起こされたのです。
なお最近、井上さん(岸田淳平)が、本夛隆彦さんの取材を受けたという話を書いています(後注2)。その中で、岸田淳平の経歴を見たら、彼は、1984年にシロタ画廊で、個展をしていました。その前年か、その年の、春の、版画協会展で、シロタ画廊が出す賞を受賞していたわけです。シロタさんが、岸田淳平の画家としてのブレイクを、導いたのだと、初めて知って、ひどく驚きました。何かヒット作が出て、7000万円の一時金が入ったという話は、wikipediaには出ていないし、ご近所様は、歌だったと、言っていますので、
そういう苦しい時に、私は何にも知らなかったが、息子が、ご近所坊や、三人(二人+この山以外の住民である少年一人)から、暴力的リンチを受けると、言う形で、大けがをしたのです。ところが、さすが、鎌倉育ちですね。頭がいい子たちだから、(9月だったらしいが)、半そでの、制服の下に隠れているところを狙って、けがを負わせたそうです。私は、今泉台というところにある塾の講師をしていたので、通勤時間が大量にかかるために、夜遅く帰宅するので、何にも知らなかった。かまくらは、山に囲まれている。地図上は近くても、行くのが大変な場所が多い。今泉台に行くためには、いったん大船に出て、バスで、登っていく山の上なので、交通所要時間が多大にかかるのです。したがって、この件を一切知りませんでした。
ただし、当時のおなり中学の、特に男の子だったら、それを納得したかもしれませんね。富沢君は、親の偏愛の、自分だけ、非対象になっていると考えている・ひがみと・悲しみの強い・複雑な性格の子だったのです。うちの子は、彼が、内心では憎んでいるものの、それを表に出せないでいた、あそこの長男と三男にそっくりなのです。背が高くて美形、明るい性格。だから、兄の代理人として、ぶっ叩かれたのでしょう。
富沢家の次男に問題があることは、私は、西隣の遠藤夫人から聞かされていました。「川崎さん、大変、大変、富沢家の坊やって、石段で、たばこを吸っていたわよ」と。でも、それに対して、「あ、そうお」という感じで、乗りもせず、彼女をたしなめもせず、ぼんやりとした感じで、やり過ごしました。
遠藤夫人は、自分の子供がまだ、幼稚園時代だったので、中学生の時期が、頭の良い子にとっては、とても大変な時期だと、言う事には気が付かなかったのです。
しかも、これは、ひどい矛盾ですが、遠藤夫人って、他人には、一顧だの愛情も持っていないのに、我が家に毎日、庭ごみを掃き入れていたと、言うそれだけで、娘を妙本寺に嫁入りさせることができたのでした。それですが、【養老先生とまる】の二回目のバリエーションで、妙本寺が出てきたので、養老先生が、仲人であったという事実が分かりました。伊藤玄二郎が、采配したのでしょう。遠藤家側の仲人は、川合良一氏でした。
でもねえ。その件を富沢夫人が、私に教える役目を果たしたのですよ。自分の次男に対して、ひどく単純な解釈で、ダメな子、悪い子と、1985年ごろには、規定した、遠藤夫人の、その後の階級を上昇させた姿を、それを知らなかった私に、教える役目を富沢夫人は果たしたのでした。なんという矛盾、なんという恥ずかしいこと。そして、なんという屈辱でしょうねえ。そういう風に使われる人なのですよ。慶応大学卒跡、思われるのに、たぶん高卒である、教養はみじんもない安野夫人の支配下に立っているのです。
どうして、主体性がないのだろう。もっと、しゃんとして、いて、安野夫人や、前田夫人の命令をはねのけるべきですが、それが、できないほど、人生経験が、少ないレディなのです。
@@@@@@ここが推敲後の最先端です。以下は初稿だけです。
ところで、富沢家の、問題点は、三男のリトルリーグの応援に、ご夫婦そろって夢中だったと、言うことです。
::::::::これから先は、私が得意とする、見てきたような嘘を言いの類ですが、当たらずとも遠からずでしょう。何を語るかというと、富沢家の、日曜日の朝の、様子です。お父さんは、今日子供たちを指導する練習内容を個別に考えています。お母さんは、戦前生まれなので、自分の作業にお父さんを手伝わせるなどいたしません。で、三男は、もうおなり小学校へ出かけているので、お母さんは、次男に向かって、「あなた、ちょっと、これをあおいで」と、ご飯をさますためのうちわを渡します。次男は、おうちではいい子なので、逆らいません。それで、お母さんは、大小二つ(?)の炊飯器で炊いた、大量のご飯(?)で、お結びとか、海苔巻きを作ります。チームの連帯感を強めるために、みんなが、少量でも、同じものを、食べるのは、とても大切な、奉仕ですから。それに大型ジャーに入れた、麦茶も作って。1980年代って、自販機は、おなり小学校のそばには、立っていなかったと、思いますし。
さて、お父さんと、お母さんは、夕方疲れ切って帰宅します。次男さんは、何かを、お母さんに語り掛けます。お父さんは、今のところ、長男の大学選びとか、進路とかと、三男の野球のことしか頭にないので、お父さんには、取り付く島もないと考えています。で、お母さんの方が好きだし、自分を見てくれているはずだと、考えています。で、語りかけたのに、お母さんは、疲れ切っています。それで、ごく簡単に、「疲れているので、後にして」といいます。しかし、その時が、次男にとって、大切な時だったのです。次の日には、彼としては、紀文が向いていないと、言う形で、お母さんに、話しかけようとも思わないでしょう。これが、毎週繰り返されることだったと、思います。三年間ぐらい。
ご夫妻は、自分たちが悪いことをしている親だと、言う認識は毛頭なかったと、思います。そして、この文章をお読みになるあなた様も、「どこが悪かったの?」と、疑問にお思いになるかもしれません。
でも、人間というものを考察の対象としていて、いつも、それについて考えている私から見ると、次男殿の、悲しみや、苦しみは、手に取る様にわかります。
そして、うちの子もそれが、わかるタイプだったのではないかなあ。妹に、「僕は三人をやっつけて帰ってきた。だから、これから先、いじめはない。で、おかんには、絶対に言うなよ。心配するからね」と、命令したそうです。地が付いた制服は、妹が手洗いをした模様です。そして、洗濯機に入れて、息子はスペアを次の日に着て登校したのです。
ために、私は全く知りませんでした。娘が、結婚式の前日に、家での思い出をあれこれ、とつとつと、話してくれた中で、やっとこの件が出て来て、それで、知ったのでした。
富沢夫人は、6月19日、ひどい攻撃をしてきました。その内容は、この36年間の、安野夫妻、前田夫妻、中谷知二氏の悪が、全部重なって出て来ている問題なので、ここでは、内容を語りません。関本夫人の高枝切りと関連して、語ります。将来にね。
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副題5、『富沢夫人の、この2021年6月19日の行動は、奇妙この上ないものだった。私は、あの夫妻は、両方とも慶応大学卒だと、考えている。ミスターの父君が慶応の教授だったので、奥さんは、その学部の教え子で、父君が、気に入って、息子に紹介をしたのだと、考えている。だから、頭がいいはずなのに、19日は、バカそのものだと、思われる行動を彼女はとった。
で。その日以来、私は、ずっと考えているのだけれど、これもまた、・・・・・ご近所人間が、妹は、他殺なのに、自殺だと、説明を受けており、それを信じている。
・・・・・そういう現状は、表向きは、隠されている・・・・・・しかし、実際には、そうであるのだ・・・・・・という、証拠が現れた一件だ・・・・・と考えた。
で、今、私が最高に、集中している問題がそれなので、富沢夫人の、19日の行動が、重要になってくる。だって、副題4に書いた様なことを、私が繰り返し書くことは、想定内のことなのに、あえて、そこに踏み込んでいる。そこまで、彼女はバカになっているが、内心で、<<<<<別にー。何を書かれても、大丈夫よ。私は、川崎千恵子なんて、歯牙にもひっかけませんからね>>>>>と、思っていると言う事と同義だ。そこまで、私を小ばかにしていると言う事だ。なるほど、なるほどと、覚悟がさらに決まってくる』
副題5の、二重がっこないは、大変、長くなっています。ともかく、富沢夫人の、実行行為は、一段も、二段も、敵さんの攻撃意欲が、高くなっていることを証明し、それは、私が今書いていることが真実と言う事をも証明をするので、やはり、妹は他殺だ。この件は、ぜったいに丁寧に、そして、最後まで、書かないといけないと思うのです。
しかし、ちょっと迷いました。敵さんは、そこまで、シビアには、出てきておらず、富沢家のご主人の方を、癒す方向で、書いた文章(後注3)を、分析して、ここまで深く、富沢さん一家に同情をしているのだったら、もう、あのリンチ事件のことは、繰り返すまいと、敵さんたちが考えて、それゆえに富沢夫人を使ってきたのか❓とも考えました。
ミスター富沢に同情しているというのは、原発産業の立ち上げ時、三菱重工が、別名で、核燃料棒製造工場を、久里浜に作って、そこに、勤務していた可能性があり、それゆえに、障碍者手帳、一級を持っている人なのです。お金持ちですが、交通費や医療費は唯となっているでしょう。私なんて、トルエンの影響で、ほぼ同じ程度、体を壊しているのに、どうしていいのかがわからないので、障碍者手帳など、持っていません。いいですね。
さて、ミスター富沢の体の具合が悪いことへ同情した一件で、猛少年リンチ事件については、書かないだろうと思われて富沢夫人が利用をされたのかと、思いましたが、違うみたいです。最近二年間、前田家に土曜日訪問をしていて、その二人の会話が、誇示的に聞こえるので、彼女は前田夫人の影響は、強く受けていて、それを、真正面から、私に見せつけていると、感じていますので、背後にいる、伊藤玄二郎(+いまだ生きている井上ひさし)、もしくは、山田さん、もしくは、鎌倉警察署の生活安全課の課長の命令で、19日の行動を起こしたと考えました。
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副題6,『しかし、2021-6-28に息子が、突然に、敵さんたちに使われた。その内容は、衝撃的だったけれど、ここでは、簡単にその事実だけを語っておいて、内容は語らないで、置きたい。これは最高の、利益と効果を敵方が得る、敵方の核弾頭だった』
副題4,5,6は、最近わが身に起きた、大変なことを語っているわけですが、このブログは、ある意味で、公のものです。「政治を語るものですよ」と言っていて、現代日本において秘匿されている真実を語ることを目的としているブログです。ですから、社会の公の部分における政治の秘密も語りたいところです。それで、副題3の、👉のところへ戻ります。
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副題7,『主人は、松坂のセントラル硝子において、リストラ用の首切りをさせられた。決して、愚痴を言わないが、嫌な仕事だったと思う』
👉 私は、セントラル硝子って、日産自動車よりはるかに社員を大切にしてくれる会社だと思います。で、二週間に一度、土日に、松坂を訪問をして、(子供は二人だけで置いていった)夫婦二人で、観光を楽しみました。鎌倉の家は、山の上の家で、車庫がないのですが、松坂の部課長用・社宅は、平屋の、4dkで、庭も車庫もあるのでした。それに、子供がいないので、ビデオなども、自由に借りることができて(受験期の子供の前で、親がレンタルビデオなど、見てはいられませんのでね)楽しい生活を送りました。しかも松坂ってそれなりに、狭い範囲に、文化ホールとか、美術ホールとか、夫々、そろっていて、東京だと、往復3時間はかけて、音楽を聴きに行くという形ですが、松坂だと、車で、20分も走れば、クラシックの演奏会会場に到達できるのでした。ものすごく便利です。田舎です。しかし、鎌倉に住んでいるときよりも却って、便利だと、思う事もありました。
しかし、主人が日産自動車に帰ってのちに、「そこをやめる。早期退職をする」と、言いだしたときに、ちらっとですが、松坂で、首切り担当だったと、聞いて、「苦しかったんだなあ。それも、もしかすると、瀬島龍三の采配ですね」と考えました。今では、それは、確実なことだったと、思っています。CIAエージェントというのは、本当に悪辣で、残酷です。主人は、「僕は将来、日産の社長になれる」と言っていました。それはですね。現代の、偏差値・優秀大学を卒業した男性というのは、ひとを叱ることができないのですって。だから、指導力がないという形になるのだそうです。しかし、主人は男だけ四人兄弟の三番目なので、他人をバシバシ叱ることができるそうです。しかも、他人には、上品に接して、冗談も言えるので、ひとには恨まれません。だけど、そういう会話も室内盗聴をされていたのでしょう。突然に、1984年の夏から、松坂へ出向となったのでした。
で。嫌気がさして、社長になるつもりだったのに早期退職という形になりました。そして、主人は、三年ほど勉強して、国家資格も取り、鍼灸医になりました。大町の三橋ビルというところで、開業しました。が、知る人ぞ知る名医だと、ある人が言ってくれました。私もそうお思います。というのもあの苛烈極まりない痛みが消えたのですから。
ただし、東洋医学も私の場合は、週三回通ってもただなので、(夫は妻からは、お金をとらなかった)経済的に、大丈夫なのですが、時間がかかるので、普通のお医者さんだと、治療代が、大変かもしれません。ともかく三か月通いました。だんだんと、良くなるというよりも、<<<<ある日突然に、痛みが消えているのに気が付いた>>>という形で、完治していました。それ以来、世界的なアーチストになると、言う野心は捨てています。こちら、鎌倉雪の下の家で、夫と暮らすという人生を送っています。覚悟を決めて、腹を据えてです。
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副題8、『しかし、この文章は、マトリューシュカみたいに入れ子状態になっている。それで、一つ上の入れ物(または、レイヤー)に戻りたい。ミレニアムの時の銀座和光前の、カウントダウンの話だ』
しかし、覚悟が決まったのは、2002年の夏で、それ以来、アトリエに昼間通勤し、夜は、雪の下の家で寝るという態勢に入り、2007年だったか、昼間そこへ通っていたアトリエも、返却すると、言う形になりました。で版画を摺る機械(プレス)というもの他、大量のものを捨てたりあげたりして鎌倉へ、帰参をしたのです。
さて、それは、2000年の一月の、いまから、元旦になるという時の話です。私は、パリへ行く前からアトリエを作っていたのですが、1998年の末に、今度はニューヨークへ修行に行きたいと、主人に言ったら<<<だめだ>>>と、言ったので、1998年の末から、逗子のアトリエで、夜も寝る様になって、鎌倉へ、帰らない様になりました。ただ、どこにいるかは、主人には、教えていました。アトリエに、彼が、来たこともあります。で、1998年の暮れはまだ大丈夫だったのです。一人暮らしを始めたばかりで、緊張感に満ちていました。テレビは、ビデオの編集用に持ってはいました。が、見ることもなく、ひたすらに修行するだけで、大満足をしていたのです。ここでの、三年半の、100%の、一人暮らしこそ、私を脱皮成長させたものです。もし、鎌倉雪の下の暮らしだけだったら、今の様な人生を送る事は、できなかったでしょう。単にブロガーという役割しかやっていないと言っても、PC入力をしている時間と、そのほかの生きていくための作業(例えば、料理作り)の配分とか、夫の「かまってほしい」という意向をかいくぐる術(苦笑)とか、たくさんの事をマスターしないと、今の様なブログは書けません。
あの三年半は、金銭的には、無駄も産んだが、心理的には、報酬の多い三年半だったと、思っています。若い女性に申し上げたい。あなたが、何らかの分野での、特別な才能を持っていて、それを仕事にすることを望んでいるのなら、60ぐらいまでは、結婚をしない方がよいと思います。☞
ところで、ここで、一晩寝ました。その結果、続きよりも、さらに、緊急な文章を、思い付き、それをまず、入れます。そして、上の、☞の続きは、次のその印のところから、始めます。
息子から、それを「書かないで」と、頼まれているから書けないと、言うこともあるのですが、私が、その苦難を書けば、敵がますます、息子を攻撃するのも目に見えているからです。
例えば、長男は、小学校六年生の時に、私立中学二校を不合格にされました。それを書き始めてから、一年半は、過ぎているのですが、井上ひさしから、手ひどいコメントをその件に関して、最近、もらっています。「結局、それは、あんたの、息子が頭が悪かったと、言う事でしょう?」と。
違うのですよ。丁寧な傍証付けをすれば、読者の皆様にも、わかっていただけるでしょう。ところで、弟から、最近、切られた(後注4)と、書いています。それは、大損失ではあります。しかし、弟に、くわえられていた攻撃を、書くことができる様になりました。それは、ありがたいことです。弟に、くわえられた攻撃は、私の長男に加えられた、それと、ほぼ同等ですから。
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副題9, 『私は、井上ひさしからのコメントにより、敵の真意を探っている。今、このブログにコメントをよこすのは、自らを天皇より上だと、規定している、大特権家にしてCIAエージェントたる、井上ひさししかいないからだ。だって、2010年京橋の有名画廊ギャラリー山口のオーナーみつ子さんが「他殺なのに、自殺だ」と、喧伝をされているのは、「保坂涼子さんのことを彼女が、それって、きちがいですね」と、言ったことが、盗聴された結果だと、書いているからだ。私は、保坂涼子の作品をほめる美しい文章(一種の美術評論)を書き、月刊ギャラリ-2006年2月号にそれを載せた。そのお礼の件を、彼女が、みつ子さんの前で、秋山祐徳太子に相談をした結果、「彼の誘導で、そうなったのでしょう」と、みつこさんが、教えてくれたから、殺されたのだった。保坂さんは、36行の残酷にして恐ろしい個人メールを書きわたくしに送ってきた。それが101回も繰り返されていたのだった。この繰り返しの方は、古村浩三君など、ハッキングをしているシステムエンジニアのせいかもしれないが、受け取る方は、保坂涼子がやったのだと、信じるほかはない。それを書くのに、7年はかかっているが、11年が過ぎた最近では、「みつ子さんは、私に味方をしたから、殺されたのでしょう」とはっきり書いている。そういう世界となってしまっているこのブログに、だれがコメントなど、よこすだろう。井上ひさし以外ありえない。それで、私は、そういうコメントをすべて、外には、見えない処理を施しては、いる。が、その反面、それを、彼が本当はまだ生きていて、地下潜航をしている証拠だと、とらえている。井上ひさしは、最近別のコメントで、「あんたは、それでも、息子のことは愛しているのですね」といってきた。ここで、それっと、言うのは、
わたくしのブログに書いてあることが、すべて、誹謗中傷で、私の方が、非常識で、残酷な人間であると、規定したい部分を指す。しかし、私の方では、彼のにやにや笑いの裏に、そうだったのだ。やはり。だから、息子を締め上げれば、彼女の息は耐える」と、結論付けているのがわかるので、ただ、ただ、戦慄をするのみである。
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副題10、『一方で、安野家の次男は、1986年から、平木家の長男は、2020年から、すさまじいまでの、果報と、余得を得ている。両方とも、税金で、費用が賄われる(国立大学の付属高校)と、東京大学へ、ご入学だった。特に平木家は、前年度の秋に、すでに、お知らせが届いていたと判断をしている。推薦入学という形で。それを書くのは、誹謗中傷だと、言われている模様だ。この山の住民が結託をしているのは、その二軒が、優位に立っているからだと、言う向きもあるだろう。そして、誹謗中傷だと、大声を上げるために、木村花、三浦春馬、竹内結子の三人が殺された。それが、三人とも、自殺だと、言う形で、喧伝をされている。それは、山口みつ子さんと、妹のが、殺されたのにもかかわらず、自殺だと、伝えられているケースと、相似形をなしている』
そして、ここから三時間程度、PC離れる予定です。12時ごろ、再開をします。こういう種類の文章を書くと、疲労困憊するからです。薄板を踏むというか、命を懸けて書くという形なので、疲労困憊をします。
後注1
小田歯科医院、 日吉・ときわ台・町内会、 カリタス通学バス・殺人事件、 ゾフルーザ問題・・・・私の苦悩と悲しみ
後注2,ここには、差し当たって、四本だけおきたい。時制的には、逆順になっている。それは、後になるほど、ミステリーの謎が解けてきて、真実を語っているからだった。全部お読みにはならなくても、いいですよ。だけど、こういうことがありましたと、言うのは真実です。
高枝切りを16-10-5時点で考察し、強者が税金を使って、自分たちの悪を隠す典型である事と絶体絶命の私が助かる三すくみ理論について。
鎌倉市職員、S氏こそが、御成中学校に多大な不名誉を招いたのだった。雪ノ下少年リンチ事件ー3△
鎌倉市立・御成中・生徒が、路上喫煙をしていた場所・将にここ雪ノ下で、禁煙ファッショが始まり、大口病院事件も起こされた 2016-10-03 03:04:34 | 政治
高枝切と言う大攻撃があったが故に、超・肥満体である隣の奥様について、思い出が溢れ返ってしまうのだった 2016-10-01 00:58:46 | 政治
後注3,
Global Nuclear Fuel Japan に勤務していたと私が推察しているご近所紳士=栄光→慶応→三菱重工=が、今重篤だと、奥様は言う△