銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

小川寛興(月光仮面・主題歌・作曲者)の【遥かに蝶は】(NHKみんなのうた)が、好きで・・・・

2015-08-16 16:02:03 | 音楽

副題1、『私が特に好きだった曲を、歌手として、歌っていたのは、由紀さおりだった』

 前報の中で、夏休みなので、「ぐっと肩の力を抜いた書き方にします」と、申しあげております。それでも、あれは、一応にして政治モノでした。ところが、本日は、【NHKみんなのうた】と言う圧倒的に平和な、分野の、お話に入ります。

 今グーグル検索をしてみると、NHKみんなのうたは、1961年に放映が始まったとされています。でも、私はたぶんですが、1973年か、1974年ごろに、子育ての為に聞き始め、子供が、小学校へ上がると、ながら視聴になり、中学校に入ると、ほとんど聞かない(または見ない)という形になったと思います。

 しかし、たった五年程度の視聴でも、愛唱歌は、発見できたものです。

 で、私は、『この歌が好きだ。マスターしたい』と思ったら、楽譜を買わないと落ち着かない人なのです。不器用と言うか律儀と言うかでして。。。。。と言うわけで、NHKみんなのうた第12集を持っております。

 それは、初版が、1971年(=昭和46年)11月20日に発刊ですが、私が実際に持っているのは、その12年後に発刊をされた第17刷です。その中の、第15曲目、『遥かに蝶は』が、好きで、楽譜を買ったという記憶があります。

 その楽譜集には、当時では、歌った歌手の名前は、出て居ないのです。後日発刊をされている版では、どういう風に変化をしているかは知りませんが・・・・・で、今、グーグル検索をすると、なんと由紀さおりでした。おーっと驚きます。

 で、由紀さおりが、【夜明けのスキャット】で、大ブレイクしたのがいつだったかを、グーグルで検索をすると、それは、1969年だったので、こちらの方が後ですね。既に有名人になってから、この『遥かに蝶は』を歌っているのです。ところが私の記憶の中からは、歌手由紀さおりと言う項目はすっかり抜け落ちていたのでした。

 でも、1984年刊行の第17刷目のこの楽譜集を買ってから、以降、5年ぐらいは熱心に歌ったと思うのですが、それ以降、特に、1990年に入ってからは、上野の公募団体展に、入選する様になるので、お歌は、お休みとなり、25年間も歌っておりません。それなのに、今朝、2015年8月15日の朝、25年ぶりぐらいに、このメロディが頭に浮かんだのでした。不思議な事でした。どうしてなのか? それは、無論のこと、このメロディが好きだからなのでしょう。

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副題2、『この曲を好きなのは、単純な曲なのに、憧憬の気持ちが、含まれているからだろう』

 私は外見は、井上ひさしに、何度となく、「ブス」と呼ばれています。ここのコメント欄でね。で、そうなんでしょう。外見は特に。しかし、心の中は違うのです。

 むかし、ある、年は、私より若いが、世間的には、私より有名な女流画家から「あなたは、女中タイプ?、それともお姫様タイプ?」と、の質問を受けて、「もちろん、女中タイプよ」と答えた途端に、相手は沈黙をしてしまいました。今になると、相手があの時、腹の中で何を考えていたか、手に取る様に判ります。つまり、『何言っているのよ。あなたって、いまだに、引きずっているわよ。子供のころの、お姫様願望を。早く現実に即応して生きなさい。早く女中修業をしなさいよ。上を敬いなさい』と言いたかったのでしょう。(苦笑) 彼女は年齢こそ、私より若いものの、生き方としては、現実と折り合いをつけていて、上を敬い、上になついて行っているから、いわゆる出世を遂げているのでした。

 私達に、実は、自由はないです。誰かに屈して、宮仕えしないと、お金がもらえず、生きて行かれません。しかし、私は子供のころから特別に夢が大きく、憧れの気持ちも大きく、白昼夢に浸っていることの多い子供でした。だから、母に運転免許は取らない様にと言われています。これは、素直に行くことを聞いちゃって、損をしたなあと、あとで、思うことはありますよ。だけど、大体において、ものを考えていれば満足をするというタイプです。

 そして、本当のことを言うと、天界に常に目を向けていて、鳥の様に、上の方に行きたいと願ってもいるのです。

 その様な憧れの気持ちをこの曲は、満たし、慰めてくれるのでした。

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副題3、『その曲はグーグル検索で、堂々と、多項目として、出現をしているのだった。すでに、名曲として定着をしているのだった。そのことについては、一つも知らなかったけれど』

 今午後4時になって、念のために、【遥かに蝶は】と言うキーワードで、検索をしてみると、すでにたくさんの、項目が上がっておりました。詩も素晴らしいとして、オマージュがささげられている文章があり、曲もYU TUBEに、何個か載っているみたいです。

 皆様も、ご興味があれば、クリックしてみてください。美しい曲です。片岡 輝作詞、小川寛興作曲です。実は、このことを知る前には、これから先を明日書く予定でした。ところが、YU TUBEで、実際に曲が公開されていると知って、突然に、最後まで、この章を書き抜く気持ちになっております。

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副題4、『歌手と、作詞家の名前は忘れていたのに、小川寛興氏の名前は、ずっと、40年近く覚えていて、しかも、三世時蔵・ひな夫妻の長男だと、認識していた・・・・・つまり、錦之助、嘉津雄の兄だと、ずっと、思い込んでいた』

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副題5、『私は、三世時蔵の子供世代が、存在感が薄くて、それで、中村獅童など、苦労をしていたのだが、最近、獅童が歌舞伎役者として大きく成長したうえに、三世時蔵の孫世代が、美形で、能力が高いということで、人気者となっているのを知った。歌舞伎座で、萬屋と言う掛け声が大きかったから』

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副題6、『ぼんぼり祭りでの、中村嘉津雄のぼんぼりが、レベルが高いし、小川寛興氏も名作を作っているし・・・・・小川一族はセンスがいいのだ。不遇の時期を抜け出して、幸運の時代に入った・・・・・と思っていたのが、小川寛興氏が、小川ひな女史の子供ではないと、文章を組み立てるつもりの、目論見がくるってしまった』

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副題7、『しかし、私は小川寛興氏が、小川一族(=萬屋錦之助の一族)の一人だと信じ切っていたので、歌舞伎俳優の家系図などを、見たりしていて、小川寛興の名前が無いので、さらに、小川寛興氏について調べると、氏は有名な楽曲として、【月光仮面の主題歌】等を作曲していたのだった。思っていたよりも、大衆的知名度の高い人だった』

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副題8、『萬屋一族も、一時期、不遇だったのだが、猿之助一族も歌舞伎座出演と言う意味では、不遇だったみたいだ。しかし、現在の猿之助(元亀次郎)は、歌舞伎役者としては、素晴らしい才能の持ち主で、澤瀉屋の代表として、大人気ものであることがしっかりわかった。銀座をパレードしたり、成田山新勝寺でも、何か、大きな催し物を開いたというのは、むべなるかな』

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副題9、『私は香川照之を、中国映画【鬼子来了<邦画題名。鬼が来た>の主演以来、非常に高く評価しているのだけれど、最近歌舞伎役者としての評価が低いと聞いて心配をしていた。しかし、自分で見ても、そうだったが、ネットの評判を見ても、7月大歌舞伎、牡丹灯籠での、彼の演技は、絶賛をされており、復活なったというか、歌舞伎役者として、充分にやって行かれるとの、安心感を得た』

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副題10、『しかし、香川照之が輝いたのは、玉三郎のおかげらしい。玉三郎って、非常に頭がいいし、志が、高い模様である。歌舞伎役者とは、門閥の世界であって、別の家から、養子として、それほど、大きな役者ではなかった勘弥の養子になっただけなのだが、立派な人である模様だ。女役なのだけれど、いわゆる棟梁と言うかリーダーシップを放つことができる存在なのだろう』

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副題11、『この前、鬼子来了の監督が来日したが、その来日は、私に対する政治的な意味があったね。だが、ここでは、その詳細には、触れないでおこう』

尚、このブログの2010年より、数え始めた延べ訪問回数は、3039995です。

 

コメント

TV朝日、関ジャニの仕分け2015-2-22日版への感想△ さらに、加筆済み

2015-02-23 16:37:12 | 音楽

 今は、23日の夜11時です。銀座から帰宅をしたところです。ニュースを見ると、悲惨な上村遼太君の事件が、まだ、解決をしていないみたいで、かわいそうでなりませんが、引き続き、このミュージカルキッズ日本一の文章に加筆をしていきたいと思います。 

     副題1、『10歳の子に、大きく影響をされた私』

 2015年2月23日(月)、私は、有楽町駅を降りたとたんに、ディズニー映画『ピノキオ』の中のナンバー『星に願いを』が、口の端に上って、どうしようもないのでした。それも結構、声量大きくです。しかし、外堀どおり、みゆき通り、並木通り、晴海どおり、と、歩いていって、何十人と出会い、交差点でも、ほかの人が傍にいるのに、誰もこちらを見つめません。こういうときは、すごくいい声が出ている証拠なのです。皆さん、『ビルから、または、お店から、何か音楽が流れ出ているのでしょうね』と判断をするらしくて、すぐそばにいる人間が、アカペラで歌っているとは思わないのでしょう。

 で、私はすぐ、これは、前夜、テレビ朝日で、見た小学生が、競争をする番組の影響だと、推察しました。そこに、4人の10歳前後のお子さんが出てきたのですが、第二位になった、4オクターブの、オペラボイスを持つという、お嬢ちゃんに、完璧に憑依されたのです。もちろんのこと、私は72歳だから、10歳前後の声の質とは違います。でも、どういう風に声を使うべきかを、負うた子に教えられの、典型として、彼女を見ているうちに、自然に、体得していたのでした。

 ねえ。それは、NHKが放映するメトロポリタンオペラの番組の司会をする、ルネ・フレミングになってしまったか、それとも最近、NHKクラシック倶楽部で、何度も同じものを再放送しているハンガリー出身の美貌の、ソプラノ歌手、アンドレア・ロストになったかと、思うほどでした。ちょっと、挿入ですが、アンドレア・ロスト「は、伴奏者の浅野菜穂子さんを、大切にしていて、それは、美しい情景でしたよ。で、元に戻れば、

 そのお嬢ちゃんは、横川温花と、いいます。はるかと、読むらしい。

 子供に、音楽を種に、競争をさせるなんて、ひどい話だと思います。でも、ミュージカルキッズ日本一を決めるというこの番組で、歌い方の、コツを、とことんのレベルと、深みで、教わってしまったのですから、この番組のその日は、許せるといわないといけませんね。

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副題2、『なぜ、横川温花ちゃんが二位になったのか?』

 私は、音楽の美しさを表現していたのは、四人のうち、二番目に出てきた男の子と、この4番目のはるかチャンが、すばらしくて、あとの二人は、それほどでもないと思います。ただ、その、それほどでもないと、私が言う二人のお嬢ちゃんは、すでに、ミュージカルの舞台を踏んでいるのです。だから、圧倒的なレベルで、自己アッピール力があります。坊やは映画には出たそうです。だが、まだ、舞台には立っていません。

 これをいうと、ほかの三人のお子さんには、残酷かもしれませんが、はるかチャンだけが、まだ、舞台にも映画にも出ていないのです。で、お金を稼ではいなくて、ただ、母親と一緒にレッスンに励むという段階だそうです。でも、はるかちゃんを、これほどに、鍛えぬいたのですから、横川夫人も、モンスターであって、はるかチャンを、もしかすると、苛め抜いているのかもしれません。デモね、私は、10歳前後から舞台に出すというのは、賛成ではないですね。人生は長いです。だから、横川家の方針のほうを好みます。

 ただ、子供らしさという点では、一位になった子・上垣ひなたちゃんの方が上かもしれません。

 この節では、なぜ、はるかチャンが二位になってしまったかというポイントで語りたいです。

 それは、順番の妙だったのです。二回目の競争のときに、二人は、同じ曲、アメージング・グレースを選びました。そして、一位になったひなたちゃんが先に歌いました。その歌う前に、抱負を述べました。すごい迫力だったのです。

 その上、番組のタイトルに、関ジャニの仕分けとありますよね。これは、関ジャニの誰かが、これから始まる競争のうち、どちらが勝つかを予測するというシステムです。その二つに、はるかちゃんが、左右をされてしまったのです。

 歌いだしたとたんに、『あ、さっきとは違う。今度は、すべてが出ていない。さきほどの、40%ぐらいしか出ていない』と、感じました。

 だから、はるかちゃんは、負けたことは気にしないでいいです。ただ、はるかチャンのお母さんが、はるかチャンを、負けたことで、叱るのではないかと、心配をしています。はるかチャンの表情には、ちょっと、大人びたところがあって、それは、お母さんの、せいだと思うので、心配しています。ゆっくりね。人生は長いよ。ゆっくり進んでくださいと、いっておきたいです。

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副題3、『それに、つけても、上村君や、都史君の、かわいそうさよ』

 中一の少年が、多摩川下流の河川敷で、全裸遺体で発見をされました。隠岐諸島から、出てきて、まだ、一年前後だそうです。隠岐にはとても、いい高校ができていて、東京から国内留学するそうです。NHKの何かで、見ましたよ。もし、親が「この子は優秀だから、東京で、教育の機会を増やしてやりたい」と考えて、上京をしたのだったら、とんでもないミスでしたね。

 私たち夫婦は、鎌倉の自宅で、今朝、話し合ったのですが、都会の不文律(子供には子供の世界のそれがある)を知らなくて、部活などで、天真爛漫な発言をしてしまい、生意気だとみなされたのでしょうか? そんなところではないかと、思います。13歳だったら、女の子の、とりあいっこなどは、まだ、関係がないでしょう。この予測は、実は間違っていたみたいですね。両親が離婚をしたので、母方の、故郷に帰って来ていたそうです。いろいろ、かわいそうなことがいっぱい裏にあるらしい。

 でも、これほどの、ことをされるほど、いじめられていたのに、どうして、周りが、救ってあげられなかったのだろう。本当に、残念でたまりません。

 加害者の、親に、子供を育てる力がないのです。本当に、日本は大変です。

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副題4、『鎌倉の自宅には空がない』

 高村光太郎の妻千恵子は、『東京には、本当の空がない』と言ったそうですね。でも、今は北京よりはきれいだと、観光に来た中国人に言われていますが。実は、私の鎌倉の自宅にも空がないです。東と、南の窓からは、木しか見えません。で、月の満ち欠けなど、分かりません。また、日蝕とか月蝕も見ることができません。他人からの視線がないことは素晴らしいのですが、そらとは無縁の生活です。

 昔、新小岩の写真スタジオに、作品の写真を撮ってもらいに行っていたことがあって、そこら辺りが、関東平野そのもので、空が広い事には、いつも感嘆していました。で、新橋駅に降りたり、有楽町駅に降りると、ビルはあるものの、広い道路の、上には空が広がっています。そうすると、気宇壮大という、感覚を得ます。それで、歌が出て来るらしいのです。ただ、銀座に行くたびに歌が出るわけでもなくて、本当に自由を感じて、心が明るい時だけです。

 しかし、私が自由自在に歌を歌える様になるまでには、人生の途中で、あっちへ曲がったり、こっちへ曲がったりの、紆余曲折があるのですよ。高校生の時まで、人前で歌うなんてありえないことでした。それを語りたいが、今は、ミュージカルキッズについて語りたいので、自分のことは、後回しというか、ここでは止めておきます。

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副題5、『辻井伸行君は、母との離脱への願いを、外へ向かって、話していますね』

 私が最も心配をしたことは、横川温花ちゃんという少女の<歌い手>としての完成度が、高すぎることなのです。しかも、お母さんが、指導をしているらしい。そうなると、絶対に、行き詰まるときが来ると思うのです。それが、唯一無二に心配です。それに、他の三人の子と比べても繊細な感じがしますので。ただね。音楽の技術において楽器なら、小さいころから訓練をする必要があって、声が、楽器の一つなら、これで、いいのかもしれませんが・・・・・、難しいですね。

 上の方で挙げた、上村遼太君は、私の想像とは違って、貧しいから、祖父母との同居を目指して、お母さんは、自分の故郷の川崎に帰ってきたのでした。しかし、5人も子供がいて、働かないといけないので、この遼太君に関しても、あまり、面倒を見ていなかったと見えます。一か月知覚、家に帰っていなかったというし、あざだらけだったというのに、防衛策を講じていません。それに、比較をすると、上の番組に出てきた、4人の小学生の、なんと恵まれている事でしょうか?

 しかし、経済的に恵まれており、環境的にも恵まれているお宅の中には、結構精神的な悩みに、襲われている家庭もあるのです。横川温花ちゃんが、母親の、何かの代償(たとえば、自分が本当は、有名になりたかったのに、それができなかったので、子供に夢を託すなどということ)で、ここまでの、訓練を課されていた・・・・・などということがない様に、切に祈ります。

 バーンスタイン賞をとって、世界的に、有名になっていった辻井伸行君には、目が見えないと言うハンディがあります。で、『男って、大体、子供なのに、お父さん(お医者さんだと聞いている)、放ったらかしで、大丈夫かしら?』と、思うほど、お母さんが、伸行君に、つきっきりでした。ただ、送迎のお世話だけではなくて、楽譜の点字化なども、お母さんがになっていたらしいです。でも、テレビの中で、伸行君が、「もう、そろそろ、お母さんと、離れて自立をしないといけないのです」と語っていました。私ね。よくぞそこまで、無事に育ちましたねと、本当に驚き、祝福をしました。

 ハンディがあることで、却って、無事だったのです。もし、伸行君にハンディがなかったら、早晩、亀裂が入ってたいへんなことになったでしょう。ある一点で、マイナスポイントがあることで、普通の人が陥りがちな、傲慢とか油断という項目から、辻井家は、逃れてきたのでした。何が幸いするか、分からないの典型です。

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副題6、『森麻季さんは、ピアノで、母と、一緒に格闘をしていたが、行き詰まっていたのですよね』

 森麻季さんと言う美形の歌手がいます。毎年お正月、NHKが放映するオペラ歌手のガラコンサートの常連です。私は何となくですが、ごめんなさいと言うところがあって、ファンではありません。しかし、今、このブログで、触れるにあたって、念のためにグーグル検索をしたら、私の想像通りだったところもあるし、想像を超えて、成長なさっているところもありました。想像を超えてと言うところは、イタリア人と結婚をされて、長男もすでに生まれているとのこと。これは、知らなかったのですが、いいことです。ただ、美術関係を考えると、子育てとの両立は、本当に難しいのですが、歌い手は、どうだろう。がんばってくださいと言うしかないが。

 しかし、私が何となく、嫌っていた部分をしっかりと、指摘をしている項目もありました。それは、二期会が、団を上げて彼女を大宣伝をしたという項目です。二期会が主導権を握って、彼女の露出を増やしているという事、それは、知りませんでしたが、ご本人の実力以上に、有名になっている人の一人だと思っていました。器楽を入れれば、日本人演奏家も、数知れず、生まれています。世界的な活躍をしている人が、他にも大勢ますが、メディアのサポートがあって、その力で、120%の実力を出せる人と、実力があるのに、よい発表の場が与えられていない人もいるでしょう。森麻季さんは、得をしている人の方だと思っていましたが、クラシック音楽通の人が、音楽通ではない人に、そこら辺りを解説していたので、なんだ、自分の想像は当たっていたと、思い至った次第です。

 ここで、麻季さんの子供時代を語りたいのですが、ご本人は、ご自分のお子さんを育てている段階なので、ご自分が育ちあがったころのことは、遠く過去に消え去り、グーグル検索でも、あまり、出てきません。しかし、ピアニストを作り出そうとしていたお母さんに、きつく練習をする様に、課せられていたので、麻季さんは、一時期練習もさらに言えば音楽そのものも嫌いになっていったのです。

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副題7、『麻季さんを救った国立音大の付属高校の先生って、女性だったのだろうか。男性だったのだろうか?』

 そんな麻季さんの救いになったのが、高校時代の先生の一言だったのです。お歌を歌うことに挑戦をしてみたらでした。お歌の方が短時間で、完成へもっていけることの楽しさに目覚めた、麻季さんは、音楽に再び、向かいたいという新鮮な、意欲を、掻き立てられ、救われるのです。だが、その前の、3,4年は、地獄だったでしょうね。

 麻季さんを救ったその先生って、女性だろうか、男性だろうかと考えることがあるのですが、きっとじょせいだっただろうと、私は思っております。演奏家として、舞台に立つことではなくて、教師という道を選んだ人ですから、地味な人です。そして、愛情豊かだったでしょう。麻季さんは、プラシドドミンゴにも見出されステップアップをしてもらっています。

 麻季さんって、年上の人にかわいがられるタイプの様です。私も似ているので、よくわかるのですが、これは、神尾真由子さんなどとは正反対の、暮らし方から生まれるものです。親の愛の質が違うのです。

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副題8、『神尾真由子さんは、先生からの干渉を嫌い、自分自身の、音楽表現にこだわるが、その原点は家庭教育にあるだろう』

 両方とも愛情は深いのでしょう。だけど、神尾さんのご両親とか、祖父母たちの方が、より緩やかな、また、より広い、または、より自然な愛情を示したと、思われます。昔は、こういうタイプの親がいたものですが、今は、非常に少ないでしょう。で、神尾さんは、のびのびしきっています。むしろ、生意気なほどの、自己実現を音楽の世界で、求めます。

 とても新しいタイプです。

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副題9、『どうか、横川温花ちゃん、大きく育ってね。祈っていますよ』

 これは、副題に書いた通りです。歌い手としての、私の、全身を改造してしまった、恐るべき小学生です。別にコーチをしてもらったわけでもないのに、彼女を見て、その声を、聴いているだけで、発声をどうしたらよいのかの、こつが飲み込めました。これから、試練の時が来ると思います。まず、両親との反抗期を無事に乗り越え、体を大きくして、そして、どういうところで、次の先生を見つけるか、いろいろ、課題が生まれるでしょう。上手に生きていってほしいと思います。

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ、訪問回数は、2764795です。

                     2015-2-23 雨宮舜(本名、川崎 千恵子)

コメント

中村紘子 VS クンウーパイク (芸術家を料理するメディア、特に、NHKの、それについて)△

2014-12-17 22:26:24 | 音楽

17日の深夜に、副題6まで、書き、18日に、副題7以降の加筆を始めています。総タイトルも変えました。だが、ここの総タイトルは、部分的な表現であって、中身は、政治です。音楽を政治の道具に使っている話を書いています。

*1)、日吉という特殊な町:

 私は前々報(後注1)で、わが家に来ていたお手伝いさんが、共産党のシンパであって、「赤旗日曜版を取ってください」と、母が言われていたので、実家でアカハタ日曜版をとっていたので、共産党が、どういうものか、そのシンパがどういう人たちかが、よくわかっていて、現代日本政治の分析とか、自分に対する言論弾圧の仕組みについても、それに基づいて、行っていると、言っています。

 詳しく言うとどういうことかというと、井上ひさしと、前田祝一氏のどちらがそれを命令するのか、または、井上ゆり夫人が、それを命令するのかが、分かりませんが、私は鎌倉駅の表駅と、裏駅で、共産党系の催しを使って、よく脅かされているからです。特にメールや電話で、事前に連絡を取っている外出の際は、徹底的に、悪い方向で、利用をされます。一方で、前報(後注2)で、書いている様に、警察様からも、追い回されているみたいなので、そこで、分かることが、

・・・・・警察さんも、共産党も、CIAさんの命令一下で動いている・・・・・・ということです。

 しかし、アカハタ日曜版を、実家で読むことがあったということは、相当に誤解を招きそうなので、少し、解説を加えさせてくださいませ。

 私の実家は、日吉にあります。日吉というのは、東急が、田園調布に続いて、開発した住宅街がある場所です。戦前から開発していますが、わが家は戦後に開発された土地を買って移り住んでいます。日吉は、地形的に言うと、丘陵地帯と、田んぼの両方があって、その丘陵地帯が、先に開発されました。

 そして、その売り出した住宅街に人気が出る様に、大倉財閥の、専門学校を誘致しました。それが、今の慶応大学理学部です。今の日吉には、慶応大学の、理学部以外の分野(特に一、二年生の教養課程の学部)もあるのではないかしら? 女学生などが、まるで、タレントみたいにおしゃれをしていて、かわいいので、文学部ではないかと推察され、理学部だけだとは、思えません。また、田んぼの部分に、慶応大学用の、グラウンド(野球、ラグビー)などを、設置してあります。ものすごいサービスをしています。

 今は、そういう開発を、東急電鉄本体から独立した東急不動産という別の会社がやっていると、思います。

 ところで、日吉の戦前からの住人が、ひそかに、誇りにしていることは、もう一つあって、それは、帝国陸軍とか、海軍の中枢部分が、戦時中に、日吉の地下壕に、移転をしたらしいということです。アメリカ軍の空襲を避けるためでしょう。だから、地方政治的には、横浜市の一部ですが、一九七〇年代ごろまで、電話局が、日吉だけで、独立していました。そして、電話局のビルも、大変、立派なものがありましたよ。

 時々、テレビで、この地下壕の映像が出たりしています。

 私は、武蔵小杉の発展には、目を白黒してしまいますが・・・・・それは、ここ、十年ぐらいの事であります。そこは、商業地としては、大発展をするはずですが、住民が住む町としては、発展をするかどうかは、分かりません。

 タワーマンションの、住民が、自らの居住地に対して郷土愛を発揮するのだろうか? そこが疑問です。一方、日吉の住民の方は、日吉を愛しているはずです。

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副題2、『母は、六人のお手伝いさんと、付き合ってきたのだが・・・・・』

 前々報で、母は、50年間お手伝いさんを使ってきたと言っています。正確に数えると、55年以上です。合計六人の人でした。≪人使いが荒いから、それほどの、人数が変わったのだ≫などとは思わないでくださいませ。最初の人を除いて、みなさん、高齢だったからです。最初の人は若かったのです。だが、元有名実業団のバレー選手だということと、離婚をした後だったということで、とっても、困ることがあって、私が、「やめてもらいたい」と言いました。子供だったけれど、「あの人が家にいると困る」と、私が父に言ったのです。父をフェロモン的に誘惑して、母と入れ替わろうとしていたので、本当に嫌でした。

 で、二人目からは、通いの人をお願いしました。ところが、日吉って、雰囲気の良い中流の上の住宅街なので、お手伝いをしようという人が居なくて、なかなか、見つからず、結局はお医者様(特に女医さん)と母は、仲良くなって、そちらから、教えてもらうというような形で、見つけたらしいです。女医さんは、たくさんの人を知っているのです。ご自分も他人を使っておられるし。で、いわゆる家政婦紹介所を頼ったりしたことはありません。

 で、女医さんのところをやめた人などにお願いをしていたので、皆さん、高齢だったのです。で、10年続けばよい方で、「やめます」と、相手から言われて、それも無理はないという形で、次の人へと、変わっていきました。

 最後の人は、ものすごいインテリでした。

 ご主人は大学教授でしたが、早く亡くなったとのことでした。ただ、お子さんが、3人もあります。

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副題3、『アーチストはもうからない。だから、その母は、子供にお金を与えたい』

 前報で、≪子供が親を思う気持ちと、親が、子供を思う気持ちには、大きな差があり、親が、子供を思う気持ちほど、切ないものはない≫と、私が、言っています。そのお手伝いさんは、ご自分もエリートで、娘時代は、中央官庁に勤めていました。一九七〇年代までの、一時期、お正月、四日か、五日の、仕事始めの、振袖姿が、新聞の一面を賑わわせていましたね。東証の鏡開きが、多かったと思いますが、

 昔は、霞が関の中央官庁の、仕事始めが、新聞の第一面を飾っていたそうで、彼女は、そこに自分の振袖姿が、載っていた類のお嬢様でした。で、本来なら、お手伝いさんなど、するはずもない階層の人なのですが、お子様の一人が、現代アート系の作家であって、しかもニューヨークに住んでいます。その方にお金を送って上げたいのです。

 ここで、ニューヨークと日本の違いを語らないといけません。ニューヨークでは、普通の人々が、よく美術品を買います。結構たくさんの人が、オリジナルの絵を買って、自宅へ飾っています。自分の好みで、絵や版画を買うので、創作だけを専業にしているプロフェッショナルな作家が多いのです。しかし、超が付くほど貧乏な人が多いのも、事実です。日本人に限らず、外人にも、超、貧乏な、しかし、誇り高いアーチストがたくさん存在しています。

 一方、日本では、絵や版画が売れません。みなさん、日常的な場面では、それを、買わないのです。投資の対象として、買う、大金持ちはいても、一般の人が絵を買うということが、非常に少ないのです。銀座に画廊はいっぱいあります。で、そこそこの人数のお客様は来ています。だけど、そういうお客様の中で、作家の知り合いが来たらお付き合いとして、買いますが、知り合いがいても、「一度や二度は、買ってあげましょう。でも、三度も四度もは、付き合えません」となるでしょう。

 だから、≪日ごろの付き合いがない、まったく未知の人が、作品だけの印象を好きになって、その作品を、買って帰る≫という環境ができないといけないのですが、残念なことに、主体性が、少ない日本人は、本物の絵を買わないのです。新聞やテレビで、その名前を見ることの多い、すでに、有名になっている人の、ほどんど、印刷に近い類の、版画化された複製品を、買うのです。平山郁夫の砂漠の絵など、50万円ぐらいで、よくリトグラフ化されて売っています。東山魁夷もそうです。

 が、この二人は、具象系、しかも日本画なので、これは、一定の購買層が、本物に対してもある作家です。で、本物を持っている人のまねをするわけです。非常に残念です。

 で「リトグラフ(エスタンプと言われる種類のもの)を、数十万円出して買うのはおやめなさい」と言いたいです。テレビ東京の「なんでも鑑定団」という番組で、出品者は、「300万円ぐらいかなあ」といったのに、鑑定家に、「これは、印刷なので、価値がないものです。で、1万円です。だけど、きれいですから、床の間に飾っておかれたらいかがですか?」などと、今から、100年後には、言われることと、なるでしょうから。

 画廊をめぐると、1~2万円で、小さい作品なら、手に入ります。本物がです。作家は、マスコミ的には無名であっても、『これは、いいものだなあ』と、私が、ほれ込むような作品は、いっぱいあります。そういうものを買っていただきたいですね。洋服や、着物に、お金をかける感覚で、中流の上の階級の、人々が、夫側だけでも、妻側だけでも、いいから、印刷ではない本物で、部屋を飾るという趣味をもって、絵を買ってほしいと思います。

 日本画系は、売れる可能性がある上に一点の値段が高いです。ので、絵専門のプロになれる可能性は強いですが、現代アート系の作家は、もともと、実験性を多く含むので、作品は、素人目には、完成度が低く見えるし、大体、売れないうえに、売れたとしての、単位が一つぐらい、日本画より安いのです。で、お金にはなりません。唯一の例外は、草間弥生とか、村上隆で、カボチャのリトグラフが、300万円だと聞いたことがあります。『ふーん』というしかないです。

 でね、そのお手伝いさんの息子さんは、ニューヨークにいるからこそ、美術専業です。これが、日本に住む日本人だったら、たいていの人は、何らかの別業を持ちます、男性だったら、先生になったり、企業に入ったりします。女性は、先生になったり、専業主婦になったりします。ここでは、専業主婦とは、職業の一種とみなしてください。ともかく、衣食住の根本を購うお金は、コンスタントに手に入るように人生の、選択をします。

 でも、この章に登場する人は、みんなエリートさんです。だから、日常生活を送るのにも、普通のお金または、それ以上のお金が要ります。で、その在ニューヨークの青年画家のお嫁さんは、働いています。しかも外交官として。ただし、日本国のでは、ありませんよ。別の国の、下級の外交官として。

 さて、実はそのお嫁さんの方が、私の友人です。子供時代の同級生です。したがって、そちら側からも情報が入ります。でね、離婚に至ったのも、知っています。それは、仕方がないかなあとも思います。外交官だったら、パーティなどしょっちゅう出席するので、他の男性との出会いもあるでしょう。そして、今の旦那さんと、比較をする時もあるでしょう。すると、『あれっ、私の理想って、こういう生活だったっけ?』と、お嫁さんの方が考え込むことも、生まれると思います。それで、離婚に至ったのでしょう。お金だけが、大切ではないと言っても、お金が足りないのも、また、困ることなのです。

 そうすると、坊ちゃまの方に、コンスタントに入っていた、妻の月給が無くなります。切ないですね。

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副題5、『日吉という町を、基軸にした、エリートたちの人的、コネクション』

 今の私は、恒常的な人付き合いというのをしておりません。一期一会という付き合いならたいへん豊富です。≪人付き合いに満ちている≫と言っていいほどですが、「毎日会いますよ」とか、「週に一回会いますよ」とか、「つきに回は、会いますよ」というような、人付き合いをしては、おりません。これは、見かけによらない強さがあるからこそ、できることなのですよ。一人でいても、不安にならないほど、主体性が確立しているのです。ただし、自分が得をするために、役立つ種類の、人的コネもありません。(苦笑)

 人が社会的に出世していくためには、人的コネというのは、非常に大切な様で、人々はそれを確保するために、種々様々な努力をしているみたいです。サラリーマンだったら、昔は、麻雀、今はゴルフかな? 女の人だったら、PTAや、町内会、そして、そこで役員をしてそのお仲間と密な関係を作ったり、地域のコーラス団に所属したり、同窓の人たちとレストラン巡りをしたり、観劇会を一緒にしたりして、交流を築いています。

 私だって、ある時点で、別の選択をしていたら、人的コネを継続して持っていて、こんなブログを書いていなかったと思いますね。で、そのお手伝いさんが、日吉で築いたのが、中村ヨウ子さんとの関係です。ピアニスト中村紘子さんの、母君です。紘子さんって、私と同い年で、しかも、おなじ日吉に、住んでいたことがあるわけです。ただし、紘子さんは、どうも慶応幼稚舎通学らしくて、日吉の公立小学校には在籍はしていませんでした。

 でね、そのお手伝いさんから聞いたわけではないのですよ。私自身が、紘子さんの著書、それから、週刊誌の記事等を読んでいて、分かることがありました。それは、紘子さんの実父が誰であるかとか? どうして、紘子さんが、いい仕事に恵まれるかとかの、秘密を解く鍵です。つまり、彼女の父君って、相当な大物だということです。その力によって、紘子さんには、容易に、道が開かれるのです。

 たまたま、中村燿子さんが、経営していた月光荘(画廊)の地下室を訪れる縁が、私の方に、ありました。一回だけではなくて、二回も三回も。いえ、数年に分けて、四回も、五回も。ただ、燿子さんが亡くなってからですから、週刊誌が書いていた様な、有名人のたまり場としての、影も形も、香りも、残ってはいませんでした。けれど、アフリカか、東南アジアから輸入されたらしい、ボート型の、長いテーブルだけは、残っていましたが。

 しかし、燿子さんが、そこへ、招く人を限定していたので、彼女が、オーナーだった時代に、そこに、入ることが出来た人は、どれほど、エリート意識を満足させられたでしょうか? 想像するに難くないです。今では、上で、名前を挙げた、なんでも鑑定団の鑑定人のひとり、永井さんが、地下一階にバーのある画廊ビルを作り上げていますが、それに、似ていて、もっと、集う人が、ハイクラス(?)だったのが、そこだったのです。いえ、今の永井さんの、バーもすごいのかもしれませんが、私は縁がないので、知りません。そこは、普段は、ほとんどしまっています。

 JR有楽町駅から、歩いて100mぐらいのところに、≪秘密の応接室を持つ。しかも、それは、自分専用であって、お金を払う必要がない(紘子さんの実父にあたる人にとっては、そうなるだろう)≫ということは、どれほど、エリート意識をくすぐられることでしょうかねえ。それは、想像ができますね。

 つまり、わが家に来ていたお手伝いさんというのは、そういうエリート階級の女性だったわけです。普通ならお手伝いなどしないのですが、たまたま息子さんがニューヨーク在住の、現代アート系作家だったということで、その人にお金を送ってあげたくて、わが家にいらしていたのでした。そして、その母君の方が共産党を信奉していて、我が母に、「どうか、アカハタ日曜版をとってください」といったわけです。

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副題6、『ここで、分かってくる、共産党内部の、二極分裂化』

 共産党って、内部で、二極分裂化しているのが、そのお手伝いさんを見ていると、よく、分かります。上品な物腰で、丁寧語を駆使する人ですが、母と父は、彼女の話を聞くのを、結構なレベルで、嫌がっていました。母は私に「自慢ばかりしているので、嫌だわ」と言っていたし、父は、「はたらいちゃあ、ないのー」と言っていました。お買い物や、お料理は作ってもらえるし、宅急便を受け取るなどという雑用もしてもらえるのですが、お掃除はだめで、母は、「彼女が帰った後で、もう一回するのよ」と言っていました。

 愛情豊かな人で、しかも、モノがよくわかるので、私は彼女と駅まで一緒に帰りながら、話すと楽しかったですよ。しかし、エリートさんであるのも確かで、労働を尊重しない人だったのです。私もお掃除は後回しの方だから、とても似ていますね。甘やかされて育った人なのです。

 でね。彼女の強いエリート意識を感じていると、共産党って、内部で、二極化しているのが、しみじみわかるのです。彼女もエリートの方ですが、現実には、今は、生活費上、優雅ではないので、共産党員内部の特権階級にはなれず、上納金も必要で、それが、新聞購読を、知り合いに勧めるということだったでしょう。

 週刊誌に、宮本顕治が、自分の本宅の周辺に、27か所だか、宅地を買っているのだと、言う記事が出たことがあります。今回の選挙の前に、不破哲三と、ググってみたら、赤い貴族と言われるほど、ぜいたくな暮らしをしているのだそうです。日本には、もともと、家元制度というのがありました。それを、応用しているのです。美術の世界でも同じですが、政治の世界、特に共産党において、激しい階級分化が起きていて、得をする人と搾取をされる人に分化しているのでした。前田夫妻など、ちやほやされる、特権階級の方でしょう。だから、全能感が、強いのだと推察しています。他人、特に私の事なんか、全く認めていません。平等なんて、この世の知識ではないし、企画でもないと思っているでしょう。いや、はや。

 共産党の強みとは、数の力ですが、その内部の、ほとんどの党員とは、上納金を搾取をされ、今回の様な、選挙では、ただ働きを強いられていると思いますが・・・・・

   本当は、これから、選挙の感想へ入っていきたいのです。それが、Aと、しましょう。

 それと、紘子さんの演奏スタイルについて、本当は言いたいことがある。・・・・・それと、特別な、美形に生まれたということの、メリットとディメリットについて。・・・・一般的に言えば、≪美しく生まれたことは、即、幸せにつながる≫と、思われているでしょう。だが、思いがけずも、・・・・・失礼ながら、とても、はっきり言えば、・・・・紘子さんを見ていると、ほのかな痛々しさを感じるのです。

 誰だって、影はあります。だけど、テレビ放映の時には、彼女の、光の部分を強調しすぎるので、かえって、それを感じます。・・・・・これをBといたします。

 それと、朝日新聞と、共産党の関係と、共産党がなぜ、朝日新聞に称揚をされ、ひいきされるのか。それを、Cといたします。

 このABCを、考察したいのですが、しかし、本日(=17日の深夜)は、エネルギー不足です。で、上の様な入り口だけの文章(=思い出だけで構成されている)で、終わらせて下さいませ。・・・・・と、書いて中断し、その同じ、18日の午後に以下の部分を書き足し始めています。

 ここから次の日に入ります。そして、上にあげた三つのテーマのうち、Bだけにこだわって先を書き進めたいと思います。ブレンデルというピアニストがいます。私は、横須賀で、白黒テレビで、N饗アワーを見ているころ(35年前ぐらい)では、この人とか、同じ町内会に住んでいると言われる野島稔が好きでした。そこへ、急に、クンウーパイク(白健宇)という人が混ざりました。

 こういう人たちは男性なので、美形を誇りません。それで、混じり気なく、音楽だけを楽しむことができます。

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副題7、『クンウーパイクの、シューベルトに対する解釈が素晴らしい』

 NHKがシンフォニーアワーという番組を改編して、二時間にしたのです。その後、そうなると、クラシックを二時間聞くのか、それは、重ったいなあとなって、ずっと、テレビでクラシック音楽を聴くことをやめていたのです、しかし、それとは別に、早朝6時からBSプレミアムで、クラシック倶楽部という番組を放映しているのに気が付きました。それで、大体毎日、録画しておいて、暇な時に、バックグラウンドミュージックとして、聞きながら、他の仕事を同時並行的にしています。そちらは、一時間出し、主に室内楽を放映するので、楽器の数が少ないわけで、音楽自体が軽やかです。

 ≪72歳にもなると、もう、重ったい、音楽は、聞くのが楽しくないね≫という感じですから。

 そこで、中村紘子さんが、2010年だったかな? サントリーホールで、弾いた時のものを、二回ほど、繰り返して放映しています。このクラシック倶楽部という番組は、早朝も早朝で、録画して聞く人以外は、気が付かないので、視聴率という意味では、小さい数字でしょうが、それでも、楽しみにしている私の様な人間がいるのに、再放送が多くて、残念です。ここで、放映をしてあげることが若い音楽家の励みにもなると思うので、

 もっと、お金をかけて、丁寧な取材をして、いろいろなホール情報を集めて、新しい演奏を見せてほしいと思います。と思うほど、再放送が多いのです、そこには不満はあるものの、中村紘子さんのサントリーホールの演奏が、二回ほど、録画をされ放映をされておりました。自動的に。

 あんまり、感銘をうけません。それは、ずっと、前からそうであって、今回もそうでありました。彼女のエッセイは、読みやすく、かつ、≪そうだろうなあ≫と、思い、共感をよくするのですが、演奏自体は、私は、好きではないというか、腕を振り上げるのが、派手すぎて、それに幻惑をされてしまい、音楽そのものに、溶け込めず、それを、嫌がるタイプです。自分はですよ。

 ところで、同じクラシック倶楽部でも、全然、その名前を知らない音楽家は、結構な興味をもって見ています。

 クンウーパイク(白健宇)も、その放送以前は、まったく知らない音楽家だったので、興味をもって見つめました。

 この人が、私が最初に気が付いた時に、英語で行ったシューベルトの即興曲、および、その他についての全体的な解釈を語ったのですが、それが素晴らしかったのです。

 彼は、アジア人がヨーロッパの音楽を演奏することの、自分と聴衆の間双方に横たわる難しさを語っていますが、彼のピアノには、いわゆるヨーロッパの風を、私は、感じることができます。ここでは、その再現をしませんが、含蓄が、深く、≪そうだねえ≫と、思うばかりの解釈でした。

 そして、さらに感銘が深かったという私側の事情を語れば、私にとっては、ありと、あらゆる楽曲のうちで、シューベルの即興曲、全8曲ほど、好きで、好きで、たまらないものはないのですから、本当に注意深く聞きました。そして、演奏にも満足しました。

 このクンウーパイクというピアニストは、韓国で生まれ、ジュリアード音楽院を出て、ブゾーニのコンクールで優勝し(それは、それほど、派手な勲章ではないが、)、現在は、フランス・パリを拠点にして世界で活動しているらしいです。

 さて、この文章では、彼を取り上げて、紘子さんに対する不満を間接的に語りたいわけです。クンウーパイクは、美形でもないし、しかも年齢的にはすでに、中年の、男性なので、衣装に凝ることもないわけですが、表現をされた音楽そのものが、私を惹きつける、演奏家です。本番は、2013年11月8日に凸版ホールで放映をされたものです。

 彼は、腕を派手に上に、振り上げることもしないし、振り回すこともしないし、カメラも、彼の顔を正面から移すなどの、演出には凝りません。画面はありきたりの、スタイルで推移します。だけど、それが、音楽を邪魔しない。

 ところで、私は、この番組の最初の、曲目紹介だけを見て、『ああ、再放送だな。一回聞いたものの再放送だ』と、思い至りました。で、忙しいので、再度、開いてみることはせず、ただ、捨てることも致しませんでした。後で、ブルーレイにでも落として保存をしておこうと思うからです。しかし、その時間もないのでした。彼の演奏だと、それを、ながら視聴をして、聞いて、これは、聞いたねとして、捨ててしまうのも惜しいので。

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副題8、『しかし、クンウーパイクは、韓国人なので、NHK側は、いろいろ、対私向けの、小細工をしていますね。一回目の放映も、二回目の放映も』

 私は、一回目の放映を聞いた後で、種々の、文章を、彼、および、彼から想起されるあれこれについて、書いています。そのうちの一つ(後注3)は、今でも、人気記事の一つとなっているみたいです。そのリンク先を見つけるのが、難しいです。で、本番の凸版ホールの日付が何年何月何日だったかを確かめて、そのあとの自分のブログを探していきました。600本もさかのぼって探さないといけなかったのです。

 その放映が実際に、凸版ホールで、行われたのは、森少子化担当大臣が、青地のエルメスのスカーフをひるがえしながら、特定秘密保護法案を、国会に提出していたころです。それを、後注5~7へと、三本連動しておいておきましょう。そちらの施行が、この間ですが、2014年12月に静かに(?・・・・・本当は静かでは困るでしょうが・・・・・)施行をされました。後注5~7

 きちんとチェックしながら、再放送を見てみると、演奏そのものは、その一回目の時のものが使われているのですが、間に挟まれるテロップとか、彼の解説の言葉が、新しく再録をされたり、新しく編集されなおした可能性を感じます。

 こうなると、ひそかに推察していた、クンウーパイクそのものが、対・私用、弾丸として、利用をされているのではないかというのが、正しかったとなってきます。彼は、2013年の、1年前に、このシューベルトの特に、抒情的な楽曲で、プログラムを組むように、例の裏側にいる存在達から、教唆をされていたと、言うのが、正しいと、確信をしてきます。

 使者に立ったのは、クンウーパイクと同じく、英語が達者な、ICU卒業生であることも考えられますが、パリ在住の日本人音楽家である可能性も強いです。相当高位な、音楽家も住んでいるのですよ。その人に、奥島孝康氏などの、しょっちゅうパリとの間を往復をしていて、かつ、こういう裏側の政治を、熟知している存在が、交渉役を引き受けたのだったら、クンウーパイクは、簡単に、このプログラム(ただし、選挙区自体は、彼の本分です)で、演奏をすることを、承知したでしょう。その際、NHKの人間か、凸版ホールの人間か、それとも、梶本音楽事務所などの、音楽の専門家も動向をしたとは思うし、交渉の場所が、パリ以外の、場所だったかもしれません。ソウルで、交渉が行われたと仮定をすると、上のメンバーではなくて、別の人物が、交渉をした可能性も感じます。

 私が、よく、本日の文章は、30%までに、とどめておきますよと、言っているのは、ここなどが、もっとも、代表的なところなのです。

 一年前の第一回目の、演奏をクラシック倶楽部内で、聞いたその時点で、・・・・・クンウーパイクは、私を、じらせるため、および、彼の背後に、在日の出自を持っている人でもあるらしい、日本国内のトップエージェントたる、成岡君の存在があることを、知らしめるために、こういうプログラムが組みましたね・・・・・と、書いても被害妄想ですねと、読者が感じるだけでしょう。

 しかし、その時でも、彼の演奏の、≪プログラム表記で、作品番号が使われなかった≫のほか、で、暗喩として、それを、一部は、開示しています。

 それは、後注4として文末に、おきますが、字数が、短いので、ここでも、そのリンク先をここで、行間に、挿入的して置きます。

アマゾンで、シューベルトの即興曲のCDを検索し、D番号と、OPのどちらが優位かを調べた   2014-01-19 12:56:55 | 政治

 で、上の時点、つまり、一年前に調べたのは、アマゾンで、売っているCDだけでしたが、本日は、yu tube もチェックしました。すると、やはり、作品番号、90番と、作品番号142番を使っている人が多いです。で、私は本日は、作品番号と、ドイツ番号の違いを、wikipedia からコピペしてここに挿入として、置きます。

::::::::ドイッチュ番号

出典: Wikipedia

ドイッチュ番号(ドイッチュばんごう、ドイチュ番号とも言う)は、フランツ・シューベルト作曲した作品に付けられている番号。オットー・エーリッヒ・ドイッチュによって1951年に作られた英語の作品目録 "Franz Schubert – Thematic Catalogue of all his works in chronological order"(シューベルト年代順作品表題目録)で附された番号である。Dと略記され、D123のように表記される。ドイッチュ自身が作品目録の序文で「自分の名前の略記ではなく、シューベルトの作品を表す記号として、省略記号であることを示す『.』を用いずに使って欲しい」と述べている。

ドイチュの死後、1978年にヴァルター・デュルWalther Dürr(独語版)、アルノルト・ファイルArnold Feil(独語版)などによってドイツ語の改訂版 "Franz Schubert – Thematisches Verzeichnis seiner Werke in chronologischer Folge" が作られた。

シューベルトの作品には作品番号があるが、これはただ単にシューベルトの生前に出版された順序に付けられているに過ぎず、作曲年代がわからない上に、作品番号の付けられていない作品も多いため、近年はこのドイッチュ番号の方が多く用いられる。

 :::::::::で、ここから先は、私自身の文章に戻ります。

彼の音楽そのものは、素晴らしい。特に、この章では、過剰に持ち上げられていると、私が感じている中村紘子さんの、演奏ぶりと比較をするので、文句のつけようもないほど、感じが良いものです。

 日本に来た時には、彼に対する、余計にしてかじょうな、メディアのサポート(=宣伝用のインタビュー記事が作られること)がないので、音楽そのものに浸ることができますし。

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 これは、さらに続くのですが、内容が、非常に深く、音楽そのものに入っていきますので、別章を立てて語りたいと思います。

後注1、

地に足の着いた資格、食品衛生責任者・・・・・清潔な日本の、最も清潔な場所としてのその講義△

2014-12-15 14:27:19 | 政治

後注2、

世田谷一家殺人事件の、マウス誤作動について・・・・・それって、嘘でしょう? △

後注3、 

呉善花が25年前に日本語の優位性を語ってくれたが、その破壊工作が、今行われている△

2014-01-20 03:04:16 | 政治

 後注4、

アマゾンで、シューベルトの即興曲のCDを検索し、D番号と、OPのどちらが優位かを調べた

 2014-01-19 12:56:55 | 政治

副題5

秘密保護法案は、その推移が、山本美香襲撃事件とも、嘉田新党設立にも似ているが、□

2013-12-08 14:08:10 | 政治

副題6、

エルメスのスカーフ(森少子化大臣・・大内順子・・野見山暁司・・醍醐イサム・・山口光子)△

2013-12-06 18:36:56 | 政治

副題7、

エルメスの広告が、2013年12月16日の日経新聞に載っていたが、その理由は?

2013-12-21 20:31:12 | 政治

 この文章は、17日の深夜から書き始め、18日の深夜に推敲を終わる。雨宮舜 (本名、 川崎 千恵子)

なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は、2645206です。

コメント

野島稔がショパンに見えた20年前。野島稔の消息の変遷に感無量だ△

2014-01-05 22:58:24 | 音楽

  さきほど、帰宅しました。夜の九時45分ごろです。さて、ニュースでも見るかとテレビをつけると、3チャンネル(ETV)にあわせてあって、それが、目に入ってきました。私の留守中に、主人が、日曜美術館にあわせていたと思われます。

 で、クラシック音楽館を途中から見ることと成りました。

 すごくいいメロディ。最近、交響楽団を聴くのがしんどくて、この番組が二時間となった途端に、チャンネルを回さなくなって、しかも録画も、大体していないのです。だから、本当に久しぶりにN饗の音を聴くし、ピアノ協奏曲も、久しぶりだし・・・・

 思わず、新聞を見ると、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第三番ですって。

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副題1、『ベートーヴェンのピアノ協奏曲なら、野島稔さんが忘れられない』

 すると、突然に、1974年からのち、数年間にわたってN饗アワーに野島稔さんが何回も出て、ベートーヴェンのピアノ協奏曲を、汗を飛び散らせながら、弾いていらっしゃったことを思い出したのです。白黒テレビの時代です。

 野島稔さんって、どこか、雰囲気が、私の弟に似ているのです。とても不器用で清潔な感じがする。そして、優しい。もしかしたら、独身ではないかしら?

 世間の垢が、一切身についていらっしゃらない方。

 アメリカへ移住なさってしまったのも、日本人の、マスメディア利用主義と言うか、マスメディアで、有名になった人ばかり、優遇される措置に嫌気がさしてしまわれたのだと思っています。

 帰国されても、それほど、話題にならないのです。数年前に、埼玉芸術劇場で、公演なさった何かが、日経新聞か朝日新聞にあって、その、小さなコラムで読みました。

 「もったいない。埼玉で、この演奏が行われるとは?」と、締めくくってあったと思います。 

 テレビで、演奏を聴いたピアニストのうちで、その音に感動したのは、野島稔さんが初めてでした。

 そして、それ以降もめったにないのですが、クラシック倶楽部で、2012年度に放映されたケマル・ゲキチと言うピアニスト(1962年クロアチア生まれ)がものすごく、音がいいと思ったのに、続いて、

 本日のラルス・フォークト(ドイツ生まれ)も、音がいいと思いました。二時間に拡大する前にN饗アワーはずいぶん聞いているけれど、テレビで、本当に感動することは少ないのです。

 生で、ホールで、聴いてもそれほど、感動するものでもないです。いや、感動させてもらえるピアニストが、少ないのです。で、生で聴いても感動をさせてもらえなかったピアニストの名前は、どんなに有名人でも、その名前をもちろん、ここではあげません。

 CDなら、グレングールドなども聴いていますよ。 

 テレビなら、・・・・・と、ここから先に演奏家名を列挙していたのですが、弊害があるやもしれずと、感じ・・・・・と言うのも、映画もそうですが、音楽界も、日本では、ほめる以外の本当の批評は、まだないと思われるので、「私が感動しなかった」という文言が批評になってはいけないので・・・・・個人名を削除いたします。

 私は、音楽評論家ではなくて、ただ、単に純粋で素直なひとだと言うだけですから。いや、単なる、あほと言うべきかな?(笑い)

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副題、『缶ジュースが、カラン、コロンと、音を立てても、怒らなかった、野島さんに驚く』 

 私はたまたま、京急・北久里浜の丘の上に、10年間すんでいたことがあります。その北隣の駅、新大津が野島さんの実家があるところでした。で、ご両親が、三歳ごろから、野島さんをおんぶして、鎌倉までレッスンに通われたと噂に聞いていました。

  自分が男の子を育てていて、三歳から、ピアノに没入させる生活をさせたら、友達とも遊べないし、そりゃあ、普通じゃあない育ちだから、ああいう風に、不器用で、慎重そうな、シャイな青年に成るのも仕方がないだろうなあと思いました。

 『自分なら、そんな個性的なことは、絶対に、できないなあ』と思いましたが、野島さんには、お姉さんが二人ほど居て、そのお姉さんが、先にピアノを習っておられたので、ご両親としては、そうする方が、極く自然な成り行きだったらしいです。 

 1945年生まれです。戦後の開放主義の中で、文化への欲求が強いご両親だったのでしょう。それに、三人の子供に、鎌倉まで通って、レッスンをさせるのは、京浜急行の新大津駅からだと、とても、時間がかかるのです。車で通うのならいざ知らず、1950年代に、自家用車を持っている家庭なんて、ほとんどなかったから、電車でしょう。とても、芯の強いご両親だろうと推察しています。

 ご両親を、横須賀の文化会館の入り口で、・・・・・入場者に対して、挨拶しておられるのを、・・・・・・お見かけしたことがあるけれど、上品なご夫婦でした。

 でも、内面は強いのだと思う。『地域社会の、中での、子供』と言うことを捨てて、一途に特殊な道に進ませて、迷わないのだから。 

 横須賀市って、半島の中にあり、東西には両隣の町がないのですよね。南北も山にさえぎられているので、隣接感が少ないでしょう。

 それと、今は基地の町でイメージダウンがはなはだしいけれど、・・・・・あ、これも、言っちゃあ、いけないことかな?・・・・・いや、本当の事を言って、今日はひどく書きにくかったです。普段の20倍の時間がかかりました。・・・・・それは、こういうところが引っかかったのかな?・・・・・

 戦前は、海軍の拠点だったから、その誇りもあるのか、非常に地域主義が強くて、地域出身の有名人に対する援助意識も強いのです。それは、横浜市などとはまったく違います。

 画家の島田章三さんに対するオマージュも激しいのだけれど、

 ピアニストの野島さんに対するオマージュも激しくて、一年に一回は演奏会をお願いしていたみたいです。で、市が支援するので、入場料も安くて、しかも夏休みに開かれていました。で、子供がいっぱい来ていました。あるときですが、子供の誰かが、缶ジュースを、手から離したらしくて、演奏中なのに、缶がカラン、コロン、カラン、コロンと、いすの間にある階段を転がっていき、音が、文化会館と言う1500人が入れる会場中に、響き渡ったことがあるのです。

 その時に野島さんは、演奏を中断しなかったし、終わった後も、ニコニコして、決して、その音について、文句はおっしゃらなかったのですよ。その時に、非常に誠実で謙虚な方だと、感じました。

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副題3、『鎌倉で、20年前に野島さんが、演奏会をしたことがある』

 鎌倉市の旧松竹撮影所跡地には、芸術劇場と言うのが、作られています。そこは美術部門が狭いので、満足していません。中西レイさんが、主になって建築をされたとの噂で、音楽部門が優先をされていると思います。その上、鎌倉って山があるので、同じ、市内なのに、行きにくい場所があるのです。自宅の雪ノ下発で、芸術館に行くのは、東京へ行くのより億劫になるほど、時間がかかります。

 でも、JR鎌倉駅のすぐそばにある、旧中央公民館(現在名きらら)での、催しは便利なので、良く行きます。 

  すごい問題作である・ドイツ映画・『命の食べ方』もそこで見ました。

 きらら(旧中央公民館)は、500人程度の小さい会場ですが、そこで、野島さんの演奏会が開かれたことがあるのです。

 そのお世話は、野島さんが子供の頃、鎌倉までレッスンに通っていた当時のお仲間だと思われ、野島さん、ご自身が切符の手配をなさるわけでもないので、満員ではなかったのです。別にテレビで、宣伝されたわけでもないし、新聞に大きな広告が出ていたわけでもありません。私だって、A4サイズの紙にカラー印刷された告知を、たまたま、公民館に寄ったときに、見つけたので、知ったぐらいですから。 

 で、演奏の始まる直前に、『プログラムの変更があります』と言う発表がありました。難しい大曲からポピュラーな名曲へ、変更になったのです。

  お客さんが少ないので、そういうことになったのかと、いったんはがっかりしました。でも、却って、それが、うれしいなとも思いました。だって、知っている曲の方が楽しみも多い場合もあるのです。私は「自分は、今、音大在学中で、将来は専門家になるつもりです」というわけでもないから。 

 でも、その会場には、少ない人数ながら、野島稔が誰であるかを知っている人々が来ているわけです。だから、相当な期待を持って、耳を澄ませて聴いているわけです。

 で、それが、野島稔さんにもわかるのですね。それで、相乗効果が出ます。で、一体感が出てきました。大人だけが静かに聴いていて、しかも、その大人は、たぶんですが、熟練した音楽好きです。そういう人だけが聴いている落ち着いた会がだんだん熱を帯びてきたのでした。

 今、埼玉芸術劇場の座席数を調べてみました。行ったことがないので。すると、604とありました。音楽評論家と思しき人が、「名演奏だったのに、このホールではもったいない」と、嘆いたのも、なるほどと頷けますが、それでも、その日の演奏は、日経か朝日のどちらかの大手新聞に記録をされたわけです。

 だが、鎌倉での、300人程度の、あの日の演奏会は、新聞評が出たわけでもありません。今思うと、『本当に、もったいないものを聴かせていただきました』と感じます。地元で聴けば、歩いただけで、夜の九時前に、家にたどり着ける幸運。そして、美しい音色を聴くことのできた幸せ。もったいないことでした。

 その日、野島稔さんは、大変な美形に見えました。テレビで見たとき、また、35年前に横須賀の文化会館で、見たときの野島さんは、小太りでめがねを掛けておられて、お上品な事はお上品だが、美形と言うわけでもなかったのです。

   ただ、その鎌倉での、300人の演奏会では、ショパンかと見まごうほどの美形に見えました。ただ、やせておられるのも、そうみえる一因だと思い、ひそかに心配もしたのです。

 その頃、アメリカに定住されようとしておられた日々で、日本の音楽界で、いやな事が、あったのではないかと思って。野島さんは、桐朋音大の出身で、芸大出身ではないし。音楽の世界でも派閥や、嫉妬もあるだろうしと思って。美術の世界で、散々そういうものに悩まされている身には、大体のことは、推察もできるのでした。

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副題4、『10年前にコンクールが始まる』 

 私は実は、新聞を読む暇もないのです。で、むろんの事、チラシを読む暇はありません、でもある日、ふとですが、チラシを読むと、そこに、野島稔が横須賀芸術劇場で、演奏をすると出ていました。『久しぶりだ、行ってみるか』と思い、足を運ぶと、会場の入り口に、『横須賀ピアノコンクールが野島さん、主審で、行われる予定がある』とありました。

 『うわー、横須賀市もやるじゃん』と思いました。 

 このコンクールを野島さんが、提案したとは思えないからです。シャイな野島さんが、お金のかかることを、ご自分から提案するとは思えませんので。ここには現代の、芸術家とパトロンの、好ましい形がみえました。それは、いいことだと感じました。 

 で、帰ってグーグル検索で野島さんを見てみましたが、それは数本は、あったけれど、まだ、野島さん個人のwikipedia は、たっていなかったと記憶しています。

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副題5、『この一年間で、私は、ケマル・ゲキチと、ラルス・フォークトを知った』 

 そして、本日、2014年1月5日です。一年の年頭のクラシック音楽館。それはNHKとしても目玉商品としての演奏会を乗っける機会でしょう。そこで、2013年10月25日、または、26日放映の演奏会からの再放送でした。それが、途中から聴いたものだったので、新聞で、タイトルを調べ、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第三番だと知り、この文章の冒頭へ、戻る事となります。 

 外人の男性のピアニストでした。ものすごく美しいピアノの音色で、誰だろうと、思わず、新聞を見たのでした。すると、ラルス・フォークトとあります。最近のピアニストは知らないのですが、音がいい人なので、急いで、グーグル検索をして見ました。

 それで、項目はたくさん出ているのですが、こちらも、wikipedia   が、まだたっておらず、なんだか、欲求不満に陥って、昨年度中に、知り始めた、やはり、音のよいピアニスト、ケマル・ゲキチを、ググっていたりしていたのです。で、音楽の分野を、集中的にググっているうちに、ふと最近接していない野島稔さんを、ググって見ようかと言う気持ちになりました。 

 すると、野島稔2013と言う項目があるので、そこを開くと、驚いたことに、wikipedia が立っていました。 そして、他にもたくさんの項目が出ていました。10年前とは雲泥の差がありました。

 ただ、蛇足ながら言わせていただくと、音楽家のwikipedia には、その詳細さと言うか、情報量が足りないと思うときが多いです。野島さんの、wikipediaにもむろんの事満足はできません。デモ、あるだけよかった。上に上げたケマルゲキチも、ラルスフォークとも、私はまだ、日本語の、wikipedia は、発見していませんし。

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副題6、『あの野島稔さんが、学長になっていた。大丈夫? でも、消息の変遷にびっくりです』 

 その理由はやがて、推測がつきました。野島稔さんは、東京音大の学長になっていたのです。選挙の結果ですって。おおすごい。そんな椅子、つまり、政治的な部分を必要とする椅子に座ることは、とても想像ができなかったあのシャイな野島さんが、学長に!!!!! 

 内面は強いと思いますけれど、押し出しが強いとか、にらみが利くと言う人でもないでしょう。そこは、昔から、変りはないでしょう。

 そして、東京音大は、もう、小さな大学というわけでもないみたいですよ。と言うのも、お人形のようにかわいいギタリスト・パク・キュヒを出し、間接的ながら、辻井伸行さんを生んでいます。のぼり調子の大学です。 

 私は、今度は、東京音大側から、検索を開始しました。すると、どこにも「野島稔が学長だ」とは出ていないのです。それもまた、野島さんらしい姿勢だと感じました。

 とても、ほっとするニュースでした。ちゃんと仕事をこなしている人、そして、本当に才能のある人が恵まれていることを知って。

 なお、2010年から数えはじめた、このブログの伸べ訪問回数は、1968309です。

                                    雨宮舜 (本名 川崎 千恵子)

 なお、「死刑執行が多数回行われている事の理由は何か?」と言う話の続きは、後日させていただきます。恐れ入りますが、そう、させてくださいませ。いつも、天から降りてくる文章を書き表すことにしていて、帰宅した後では、・・・・・それは、もしかしたら、小さい話題なのかもしれませんが、・・・・・野島稔さんに、心が集中して行ったのです。

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